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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  風林火山感想

風林火山徒然-45

昨年の4月からアンコール放送が始まった『風林火山』は、3月半ばで最終回を迎えました。この大河は、本放送時は軍師になるまでが面白いけど、後はつまらない、特に由布姫の爺やのようになってしまって面白くないといった声もあったようです。しかしこの場合、勘助という中年から初老の軍師が、諏訪家の姫に密かな恋心を抱き、彼女に身を賭して仕えるというのが原作のコンセプトなのですから、これは変えようがありません。その点が『武田信玄』とは異なる点です。

あちらの勘助は今川の間者のようなもので、しかも妻子持ちでした。あるいは本当はそのような人物だったのかもしれませんが、どうも勘助というとこの『風林火山』のキャラで上書きされてしまいます。ちなみに私の場合、上杉謙信もこの大河のキャラで上書きされています。また武田家に仕官した後も、川越夜戦だの上田原の戦いだのは、結構楽しめました。時々中だるみかなと思う部分もありましたが、1年50回やるからには、こういうエピもまたありでしょう。戦国物で、あまり戦に縁遠くなってしまってはちょっと困りますが。

キャストも結構よかったし、また「コッペパンの歌」の異名をとる(笑)OPテーマ、そして騎馬武者と旗と風景のタイトルバックもよかったです。私もこの大河は観ていないエピもあり、3年前に『真田丸』の予習を兼ねて全部DVDで観たのですが、こんなに面白かったのだなと改めて思いました。さらに、『真田丸』が始まってから、キャストが結構ダブっているのにも驚きでした。あの村上新悟さんが、春原惣佐衛門の役で出ていたのですね。他にも諏訪頼重役の小日向文世さんが、内野聖陽さんの勘助に「寅王丸を頼む」と懇願するシーンに、『真田丸』の「秀頼を頼む」がだぶりました。

ただクライマックスの第四次川中島の戦い、あれだけの戦いの割に人数が少ない印象があったのが残念でした。実はこれは『真田丸』も同じだったのですが。戦のシーンというのは、人数が多いほど迫力があるわけなので、それが『葵 徳川三代』の関ヶ原映像が、その後も使われた所以でもあると思われます。ただもうあの大河から20年近くになりますので、そろそろまた新しい映像をと思わずにはいられません。

それから勘助が甲斐に来て知り合った伝助(伝兵衛)、太助、平蔵との絡みがよかったです。平蔵もいい加減勘助と共に武田に仕えれば、また別の道が開けたのでしょうが、それができないのが平蔵の平蔵たるところでしょう。矢崎父娘共々オリジナルキャラですが、彼らの存在がまた、武田の家臣と違って、運命に翻弄されて行くイメージがあってよかったです。また笠原清繁夫人から、小山田信有の側室となった美瑠姫しかりでしょう。一方で今川トリオ、北条主従も見ごたえがありました。

この『風林火山』の後は『軍師官兵衛』が放送されています。こちらも観られる時は観ています。ただ4年前のものなので、あらすじの説明などは今回はアップしていません。その代わりと言っては何ですが、この「徒然」の官兵衛バージョンを今後アップして行こうかと考えています。この大河は最初は姫路中心で、秀吉に仕えたころから段々世界が開けてくるので、『風林火山』に比べると現段階ではまだ地味ですが、その代わり向こうにない世界が楽しめるかと思います。

飲み物-ブラウンエール
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[ 2018/04/22 01:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-44

川中島の戦い、まともにぶつかったのは第4戦だけだったといわれています。おかげでこの合戦がかなり有名になり、川中島すなわちこれとなってしまいました。まあ鞭声粛々といい、謙信(政虎)が武田本陣に斬りかかって来た件といい、後世に残したものは大きかったと思われます。しかしこの大河の場合、あれだけ謀略に優れた人物である勘助が、なぜ妻女山から上杉の軍勢が下りてくるのを予想できなかったのか、それが不思議といえば不思議ではあります。勘助が多少なりとも、たとえ信玄に言わなかったとしても、あるいは?という気にならなかったものでしょうか。

ここはやはり宇佐美定満の方がうわてでした。しかも旗と篝火は残して行くなど、あたかも勘助をおちょくるが如き方法で妻女山を後にし、しかも援軍がまだ来ない八幡原で一騎打ちなど、あたかも宇佐美が主人公と思われるようなシーンもありました。何やら勘助が今川義元にしたことが、形を変えて勘助自身に及んで来た感もあります。また大河の最終回というのは、主人公が望みをかなえる、華々しく討ち死にする、あるいは大往生というパターンが多いのですが、この大河は主人公が失敗して、しかも討ち死にするという異色の展開です。しかもその死ぬまでが如何にもしぶとい。晃運字伝の「このお侍はしぶとい」は正鵠を得ていたわけです。

しかしおふくを、この川中島第4戦関連エピで出して来たのはうまかったです。この時代したたかに生きていた農民がいたこと、戦の後に甲冑や刀を奪い取り、それを売って生計を立てていたというのがよくわかる描写になっています。あと最後の最後が、勘助でなく平蔵なのもこの大河らしい。普通信玄の命令で勝鬨を上げる、あれで終わりそうなものですが、あの続きがあるというのが、戦の何たるかを物語っているようにも見えます。それを考えると、『真田丸』のラストシーンはもうちょっとひねってほしかったと思います。さらに音楽の千住さん、題字の柿沼さん、大熊朝秀から酒をふるまわれる武将の役で出演でした。

飲み物-パブのビール1
[ 2018/04/14 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-43

放送は既に終わりましたが、こちらはもうしばらく続きます。長尾景虎の関東平定ですが、当然北条はいい顔をしません。最終的には小田原城に籠城し、しかも長尾方の補給路を断つ作戦に出たため、北条の勝ち戦に終わります。後年、豊臣秀吉が小田原攻めを行った時、北条は同じ籠城策に討って出ます。しかし景虎の時とでは、如何せん人数が違い過ぎました。しかし武田、北条、上杉というと、かの沼田錠を巡る争いを思い出します。あの時猪俣邦憲が名胡桃城を襲撃したりしなければ、またその後の歴史は変わっていたのでしょうが。

そして武田とはと言えば、北信濃を撹乱する作戦に出ます。北信濃というのは、常に武田の標的となりかねない地域であり、これで揺さぶりをかけたわけですが、しかし伝兵衛と葉月が晴れて夫婦になる、その発端となった戦でもあるわけです。縁談と言えば、海津城が完成しつつあり、その城主になる春日虎綱に、勘助は嫁を迎えないか、つまりリツをもらえと言い出すわけです。無論これは創作ですし、実際は養父香坂筑前守の娘と結婚していて、息子を3人儲けますが、その二男が『真田丸』に登場した春日信達です。そういえばあの中では、海津城の庭に百日紅の木がありましたが、あるいは勘助があれを植えるように命じたのでしょうか。

さらに景虎は、上杉の名跡を継ぎ、上杉政虎と名乗るようになります。前の管領様も大抵に遊び好きではありましたが、新管領様はこれまたどこか不思議な人物ではありました。しかし前管領の上杉憲政は、政虎(後に輝虎)没後に起きた御館の乱で処刑されてしまうわけで、この人物がもう少し前の時代に生まれていたら、北条におびえることもなく、結構波乱はあったものの、管領として一生を終わることができたでしょう。管領という、如何にも中世的な官職の終焉と同時に、大名としての上杉の栄華もまた、終わりを迎えつつありました。これも『真田丸』で上杉景勝が、信玄公の昔にと言っていたのを思い出します。

飲み物-ビール2種類
[ 2018/03/23 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-42

さて信玄暗殺未遂後、寅王丸こと長笈は牢を脱出したかどで捕らえられ、殺されますが、既に武田家に取っては邪魔者ともいえる、長笈を殺すのがそもそもの目的であったとも考えられます。実はこの人物については諸説あり、殺されずに逃げ延びたという説もあります。実際この人物は、諏訪家の男系の子孫であるため、諏訪家を継ぐうえでは、由緒正しいのではと思われるのですが…。その一方で、寿桂尼が暗殺未遂に絡んでいることを知った信玄は、今川に対して警戒の念を強めることになり、勘助を駿河に派遣することになります。要は勘助を使って、義元に不利になるように仕向けるのが目的でした。

この大河の義元の設定として
勘助の言うことに反発する
というのが挙げられます。つまり勘助がこのようにと勧めると、義元はその反対のことをするというわけで、義元はこの時も意気揚々と、清須城でなく大高城を目指します。これは松平元康が兵糧を運び込んだことも、あるいは関係していたかもしれませんが、しかしこの時ばかりは言うことを聞いていた方が、今川家的にはよかったのですけどね…。そして武者震い殿こと庵原之政、流石に年取りはしたものの、「武者震いがいたしまする」は健在のようです。

それと元康が岡崎城に入った件ですが、この『風林火山』のみならず、桶狭間関連の大河でいつも不思議に思うのがこの点です。いくら人質とはいえ、元康は松平家の人間であり、おまけに総大将の義元を失ったとあれば、いつ裏切って岡崎に戻っても不思議ではないのです。まして今川に行く前は、織田の人質でもあったわけだから、仮に織田との密約があってもおかしくなかったでしょう。織田方の奇襲に、実は元康が関連していた、あるいは、このドラマ的には勘助が関連していたとしても納得できるほどです。それと、この大河は生首がそのままの形で登場しませんが、それでも十分に戦の様子を窺わせる辺りはなかなかのものです。

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[ 2018/03/10 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-41

このところちょっとお休みしていた「徒然」ですが、ここ最近のエピより。まず晴信、勘助、真田幸隆、原虎胤の4名が出家します。実際この時は、幸隆を演じた佐々木蔵之介さん以外は剃髪をしたそうで、なかなか気合が入っていたようです。とはいえ、剃髪したから戦から遠ざかるというのではなく、むしろその逆になって行くわけですが。しかし信濃一国を手中に納めるとはいえ、この信濃攻めで晴信はいささか時間を食い過ぎた嫌いがあります。方法によっては、もう少し早く上洛できたかと思いますが、ただし甲斐からの場合、どのルートを行くにせよ、それなりに時間はかかったでしょう。

そして信玄暗殺未遂の回。なんだかんだ言いつつ、平蔵を間者に仕立てた時点で失敗フラグだったと思われます。この長笈(寅王丸)も、駿河と越後の傀儡的存在でもあったわけですし、長笈は姉(由布姫)の仇を、平蔵はミツの仇を(多分)取ることが目的だったわけですから、老練さを絵に描いたような宇佐美定満と寿桂尼に取っては、実に動かしやすい駒ではあったでしょう。また晴信=信玄もそこまで愚かではありませんでした。さらに平蔵が勘助、あるいは伝兵衛や太吉と顔見知りというのは実にまずい条件であり、しかも平蔵自身が、その場を取り繕うことができなかったことも大きく響きましたが、無論、平蔵がうまく行けば平蔵ではなくなるのは事実です。

それにしてもこの時の傀儡師というべき、宇佐美役の緒形拳さん、寿桂尼役の藤村志保さん、本当によかったです。また人形劇やりませんかねえ…三谷さん。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2018/02/17 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-40

第42回、勘助と景虎が高野山で出会う回です。由布姫逝去後、喪失感を抱えた勘助は晴信に文を送り、高野山へ赴きます。一方景虎はといえば、家臣たちの領地争い、ひいてはそれによる派閥争いに嫌気がさして春日山城を出奔し、こちらも高野山へと向かいます。最初は勘助と、いわばニアミス状態になるわけですが、その後二人で斬り合いとなり、無量光院の住職清胤から、何が修行じゃと諫められます。場所が場所だけにこれは当然でしょう。

その後二人は曼荼羅を見せられ、和とは何であるかを説かれるわけですが、その翌日に二人で朝食を摂っているシーンで、出家をすれば晴信を討てなくなると、景虎自ら苦笑するところで、観ている側も苦笑させられます。しかしなんだかんだと言いつつも、景虎は畢竟武人であり、俗世界の人物であることは間違いないのですが。結局景虎は、長尾政景と直江実綱が高野山を訪れ、大熊朝秀が謀反を起こしたことを聞いて下山します。

ところで勘助が旅立つ前に、由布姫の侍女であった志摩が、妻を迎えて山本家を絶やさぬようにとの姫との約束を、守ってくれと念を押します。どうも勘助が高野山に向かったのは、由布姫を失ったこともさることながら、これについて考える目的もあったのではと思うのですが…。結局勘助はリツを妻としてでなく、養女として迎え、しかるべき武将と結婚させることにします。これが勘助に取っての、いわばぎりぎりの妥協点でした。

ところで夫婦を養子にするというので思い出すのが、清原真衡です。この人は平安時代後期の、出羽の豪族清原武貞の嫡男でした。しかし子供がおらず、本来なら一族から養子を迎えるべきところを、平氏の流れを受け継ぐ男子と、源頼義の庶出である女子を夫婦とし、迎え入れたという話があります。真衡の場合は清原家の格を高める狙いもありましたが、一門でのいわば独裁を進める目的もありました。そのため勘助の夫婦養子構想とはかなり異なっています。

それからこの『風林火山』をはじめ、大河ドラマには騎馬武者が登場するOPの作品がいくつかあります。実際に観たことがある作品としては
国盗り物語
武田信玄
太平記
炎立つ
風林火山
が挙げられます。
このうち『国盗り物語』はどちらかといえば合戦ですが、かなり馬に焦点を当てたOPとなっています。『武田信玄』は「風林火山」の4つの映像を背景に、騎馬武者が進軍して行く有様を描いていますが、どうもこの火のイメージが、その後の『太平記』、『炎立つ』にも受け継がれているようです。実際『武田信玄』と『太平記』のOPは何かしら似ていますし、『太平記』と『炎立つ』も、武者たちが一斉に登場するシーンは共通しています。『風林火山』は『国盗り物語』同様、馬の動きをメインにした部分もありますが、『武田信玄』を意識した部分もあります。個人的に赤石山脈と、トメのクレジットに入る前の武田菱の旗が上がるシーン、あれが好きなのですが。

飲み物-パブのビール2
[ 2018/01/27 00:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-39

太原雪斎と由布姫退場回、無論歴史的には雪斎の方が大きな存在ですが、勘助に取っては由布姫の方が、恐らく大きな存在であったでしょう。無論由諏訪御料人が、勘助にこれだけ大きなインパクトを与えたというのは、井上靖氏の創作ではありますが。しかし普通に考えれば、晴信ではありませんが、男性が一緒にいてくつろげない女性でもあり、そこに秘められた恋があってこそ、勘助も困らされたり、あるいは迷惑をかけられたりすることをも受け入れたと考えられます。

その姫が最後になって、嫁を迎えるように、山本家を絶やさぬようにと勘助に命じます。恐らくはその山本家が、後々諏訪家を継ぐであろう四郎の、支えとなってほしいという意味合いもあったかと思われます。しかし勘助はわからなかったのか、わかっていたけど敢えて知らぬふりをしていたのかはともかく、リツを妻にするかどうかでその後も迷います。勘助にしてみれば、由布姫だけが人生で唯一の女性と感じていたのも事実でしょうが、いささかリツが浮かばれないように思います。

そして雪斎。越後からあたふたと駿河まで戻って来たのはともかく、すぐさま酒を飲むというのは、年齢的にちょっと厳しかったのではないかとも思います。正直、よく元信が疑われなかったなと考えたくもなりますが、元信はこの時未だに今川の人質であり、雪斎を暗殺して得るものは何もありませんでした。これによって今川家が傾き、桶狭間の敗北を引き起こしたともいわれていますが、さてどうでしょうか…。それにしても昨年は雪斎の出番が少なかったです。そして今年は新旧雪斎が、井伊直弼と水戸斉昭で登場予定です。

そしてこれは由布姫への思いやりでしょうが、彼女の意見を入れて木曽攻めに取り掛かった途端、景虎進軍の狼煙が上がります。木曽攻めで思い出すのが、やはり『真田丸』冒頭の、木曽氏の武田離反です。この当時の当主であった義昌の夫人が、晴信と油川夫人(ドラマでは於琴姫)の娘真理姫でした。実はこの真理姫は結構長生きだったのですが、それは「歴史的背景」でやりたいと思います。

ところでその真理姫が、貝合わせで遊ぶシーンがあります。平安時代から続く遊びですが、『炎立つ』にもこれで遊ぶシーンが登場します。安倍頼良の娘結有と、貞任の妻流麗(るり)がそれで遊んでいるのですが、その当時、陸奥の奥六郡にも既に伝わっていたのでしょうか。しかもこの時、流麗がつけていた腕輪のことで2人が揉め、元々婚家にいい印象を抱かない流麗が、さらに憎しみを増して行くことになります。

飲み物-赤ワイン
[ 2018/01/19 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-38

第40回、今回はというか今回もというか、側室と同盟と嫁取りに集約された感があります。しかし晴信も自己弁護気味です。恐らく於琴姫にも、由布姫と似たようなことを言っているのでしょう。しかも勘助のためのリツとの縁談と言いつつ、実際は勘助と由布姫の接触を断ち切る狙いもあったようです。信濃平定後は諏訪に立ち寄る理由もなくなり、由布姫も捨て置かれることになりかねないわけで、由布姫が戦のことを訊きたがるというのは、あるいはその意味だったのでしょうか。

一方で、リツとの縁談を頑なに拒む勘助。この人は最初から妻を娶る気はなかったわけですが、原虎胤からお屋形様の命であるといわれて、流石に考えざるを得なくなります。拒み続けることもできなくなり、その末に打ち出した妥協案が養女だったのでしょう。しかし父の虎胤も結構猪武者的ですが、リツもなかなかに積極的ではあります。それにしても、女性のことでは何やら気まずそうにし、戦のこと、謀略のこととなると活き活きするのが、如何にも勘助らしいです。

そして武田家は、結局娘を手放さざるを得なくなります。長女梅が北条家に輿入れし、三条夫人は娘との別れを惜しみます。雪斎からいわれた慈愛の意味を、勘助はここで悟ることになります。ところでこの梅、黄梅院は夫の氏政との間に、何人かの子供を儲けて夫婦円満だったようですが、父が駿河侵攻を企てたせいで離縁され、その後病没します。ちなみに北条氏直は、この黄梅院との間の嫡子です。『真田丸』で、昌幸が北条につく(ふりをする)シーンがありますが、このいきさつを考えれば納得です。

ところで長尾景虎はといえば、叙任の礼を理由に上洛します。実際には京において、もっとやるべきことがあったようですが、ともあれ武田と北条を討つ大義名分がほしかったのも、理由の一つといえるでしょう。しかし将軍に目通りしようとしたものの、将軍はおらず、そのため後奈良天皇に拝謁し、勅許を賜ることになります。この時の景虎の束帯は赤ですが、これは景虎が従五位ということと関係があります。ちなみに明治以降は、五位であっても黒の束帯が許されるようになっています。

そしてこの回では、今川氏真が登場します。昨年の『おんな城主 直虎』でほぼ唯一評価できるのが、桶狭間後の氏真が登場する点ですが、『風林火山』での氏真はまだ少年であり、三国同盟が自分に関係あるかどうかも理解しておらず、祖母の寿桂尼から「阿呆」といわれてしまいます。氏真の父義元は、この北条との盟約に乗り気ではなかったのですが、考えてみれば、今川こそこの同盟によって、ひたすら西へ、果ては京へ行けるわけですから、信濃や上野にこだわる武田や北条と違い、大いに得るものがあったのです。

飲み物-コーヒーとキャンドル
[ 2018/01/12 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

昭和40年代の2作品と『風雲児たち』

『風雲児たち~蘭学革命篇~』その1で、かつてNHKで放送された『天下御免』と『天下堂々』についてご紹介しました。とりあえずアーカイブスを観たのですが、いうなればかなり実験的な作品、それまでの時代劇の型を破った作品ということはできます。時代劇の中に、恐らくコメディ要素と現代劇的な物を盛り込んだのでしょう。タイトルがもじり風なのは、そのせいもあるかと思います。またこれは当該作品のウィキにありますが、現代の街を、そのまま登場人物に歩かせるという試みもあったようです。

要は現代と時代劇の似通った、あるいは似通っていると思われる部分を連携させ、その部分に鋭く切り込むことを目的とした作品ともいえます。実際これらの作品が放送された1970年代前半、昭和40年代後半は高度成長期の終わりで、第四次中東戦争によるオイルショックが起こり、そういう題材を時代劇に持ち込みやすかったともいえます。また現代劇だとちょっと憚られる描写なども、時代劇の形を借りることにより、詳しく表現できたという側面もあるでしょう。ただこの手法は、見方によっては、時代劇に無理やり現代の問題点を持ち込んでいるようにも取れます。

無論わずかなシーンを観ただけで、すべてを判断することはできませんが、現代的要素を持ち込むことにより、登場人物の設定なども現代劇風で、やはり時代劇の旨みはいくらか薄れるように思います。特に今では風刺でもなんでも、ネットでできる時代ですし、また何を持って風刺と定めるかも、いささか疑問に感じなくもありません。時代劇のスタイルを借りて、現代の問題点に切り込むというのも、場合によってはマスコミの代弁者的、単なる権力批判になってしまうというリスクもあるわけです。

ちなみに三谷幸喜氏は、この2作品のような作品を書きたいと考えていて、恐らくその一つの答えが、この『風雲児たち』なのでしょう。しかしこのドラマには、昭和40年代のドラマにあるような現代批判は見当たりません。冒頭で時代考証が大雑把とあるものの、極端に大雑把といえるような部分は見当たりませんでした。その意味では、三谷氏本人が志向したかつての作品よりも、よほど時代劇らしいですし、問題点を云々するより、こういうことをやり遂げた人がいたという描写の方が、ドラマが活き活きしてくるように見えます。

またその後は時代劇に現代要素を盛り込むというのはあまり見られなくなり、必殺シリーズ(*)のように、現代のメタファーではありながらも、時代劇らしい作品になって行きます。また『天下御免』に関していえば、田沼意次への評価にも変化が現れ、そのため田沼意次とその圧政に苦しむ人々という構図を描けなくなってもいます。いずれにしても、昭和40年代後半のドラマの構図は、その時代ならではのものではありますが、そのまま現代にスライドさせることは難しいでしょうし、今の時代ならではのアプローチが必要となるでしょう。

(*)一部の作品で、NHKの2作品を手掛けた早坂暁氏の脚本が使われており、それには、現代とコラボさせた描写があるらしいので、企画もさることながら、脚本家の傾向と取ることもできます。

飲み物-パブのビール1
[ 2018/01/05 00:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-37

第39回でいよいよ第一次川中島合戦が始まります。この回にもあるように、この第一次合戦は、あまり大々的な物ではありませんでした。しかし長尾景虎の出陣前の言葉

運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。
わが軍勢は世の悪しき魔を断つものと心得よ。
われに刃向かうは神に背く者と知れ。
(NHK大河ドラマストーリー『風林火山』後編)

ですが、この人物の戦争観が窺えます。景虎を相手にしたがゆえに、晴信の京への進出が遅れたともいえます。

ところで勘助と宇佐美定満とが、地図を使って攻め方を考えあぐねるシーンですが、何やら2人でゲームをしているようにも取れます。川中島の一連の合戦は、双方の軍師が如何に知恵を出し合うかでもありますが、それを象徴するシーンでもあります。また春日虎綱が牧城に入り、勘助仕込みの見立てをして、城主香坂筑前守を驚かせます。虎綱はこの人物の養子になり、香坂弾正昌信を名乗るようになりますが、実際は春日姓を名乗った方が多かったともいわれています。

しかしこの戦いは、かなりリスクを伴う戦いでもありました。相手を引き付けて戦うという勘助の方針のもと、景虎の軍はかなり近くまで迫っていました。最終的に諸角虎定を、長尾軍が迫りつつある刈谷原城に派遣します。景虎というか、宇佐美定満は敢えて相手の裏をかき、武田を脅かす戦法に出たわけで、いよいよ刈谷原城も危なくなり、深志城に撤退をしたはずの諸角軍が、どういうわけか戻って来てしまいます。

諸角は馬場信春に言われたことを気にかけており、兵の士気のためにも、自らの命をかける覚悟だったようです。しかしこれにより、諸角が傅役を務めた信繁は、日ごろの冷静さを失ってうろたえます。また馬場信春も責任を感じ、常に出陣できる態勢を保っていました。そこで勘助が夜討ちを仕掛けます。何やら諸角に振り回されたともいえそうですが、それがけがの功名となり、これによる挟み撃ちを恐れた長尾軍は撤退します。

この挟み撃ちには、後の啄木鳥戦法を思わせるものがあります。さらに今度は、長尾軍が戻って来てしまいます。この2つの、意味の異なる「引き返し」がなかなか面白いです。景虎の方はといえば、晴信を自分の前に出現させることにこそ、意味があったわけです。晴信は盗人ゆえ隠れている、だから目の前に引き出すのだという景虎の作戦は当たりました。しかし景虎のこの手の発想、家臣たちは慣れているとはいえ、直江実綱の表情などを見ると、こちらも結構振り回されているようにも見えます。

飲み物-エールビール
[ 2017/12/29 01:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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