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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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風林火山第50回「決戦川中島」

『風林火山』、いよいよ大詰めです。自らの失策を実感した勘助は、足軽を引き連れて相手陣へと攻め込みます。様々な思いが頭をよぎる中、渾身の力を振り絞って戦い、やがて川中島に散ることになります。

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武田軍は勘助が提案した啄木鳥戦法により、妻女山の上杉軍を攻め落とすべく別動隊を送り込み、下って来たところを八幡原で討ち取る作戦を立てた。しかし上杉軍は既に下山しており、しかも武田に取って不利な車懸の陣を敷いた。別動隊が来るまでの時間稼ぎのため、信繁も諸角虎定も相手陣へ攻め込み、討ち取られた。勘助は失策であったことを後悔しつつ、かつて大井夫人が、いつになれば戦は終わる、何のために御仏はおられると聞き、御仏とてこの世に立てば戦と無縁ではないと答えた時の、「そなたは悲しく生まれついた」という言葉を思い返していた。

勘助は信玄に、間もなく援軍が参りますと伝えるが、信玄はこう言った。
「守るだけでは足らぬ。勝つのじゃ」
勘助は自分も前へ出る決意を市、義信に本陣を任せ、駒井正武に、お屋形様をお頼み申すと言って出て行った。その頃三条夫人は於琴姫を訪ね、空に浮かぶ雲のように、風に乗って流れて行きたいと言い、さらにその風を起こすことを、お屋形様や勘助は定めとしているようであるとも話す。

一方上杉陣では宇佐美定満が、武田の別動隊が山を下りてくる頃であり、そろそろ陣を退くように促すが、政虎は、敵が逃げ出さぬ限り信玄の首は取れる、悪しき夢に取り込まれた天地を解き放つと言ってそのまま攻めに入った。その時春日山城では、姉の桃姫と嫡男の卯松、後の景勝が政虎の勝利を祈願していた。一方上杉攻めに向かう勘助に、百足衆が敵の本軍が向かって来ていることを伝え、勘助はすぐに本陣にそれを伝えるよう命じる。そして自身は伝兵衛と太吉に足軽衆を率いさせ、攻め込む覚悟でいた。

するとその時義信がやって来て、自分が敵の本陣を突くと言い出した。勘助は、貴方様は武田家の嫡子、それがしとは命の重みが違います、命を粗末になさいますなと説得して本陣へ戻らせ、さらに勝頼のことを頼むとも伝えた。勘助の頭の中で、甘利虎泰の
「何を得、何を失うか」、
そして板垣信方の
「お屋形様を照らし続け、真の軍師になるのじゃ」
といった言葉が渦巻いていた。また由布姫の幻らしきものが現れ、死んではならぬと勘助を止めようとする。以前の幻は自分を止めようとしていたことを悟った勘助は、まだ生きておりまする、天下をお屋形様の物となるまで諦めないと叫ぶ。

一方別動隊のうち真田軍は、妻女山から千曲川へと下りて来た。しかしそこで対岸に村上義清の軍を見て、双方馬を川に乗り入れ、斬り合いとなる。そして八幡原の上杉軍は、宇佐美が本陣を手薄にするなと家臣たちに命じていた。また上杉陣で奮戦する山本勘助に、退くように命じる。
「一国を滅ぼしてまで何のために戦うのか」
その時政虎が馬を走らせ、武田本陣の方へ駆けて行った。これは兵たちを驚かせ、宇佐美と勘助も、期せずして政虎に道を空ける格好になった。

その直後勘助は政虎を追う。その政虎は信玄のみとなった本陣へ赴いて馬上から太刀を浴びせる。それを軍配で受け止める信玄。兵たちが戻り、一人が政虎の馬を槍で突いたため、この敵将はそのまま自陣の方へ戻って行った。身を案ずる武将や兵たちに、信玄は軍配を見せ、自分は三太刀受け止めたが、軍配には七太刀の傷が残っていた、あのような戦をするとは正に越後の竜神よと言う。その政虎の首を狙う勘助は奮戦を続けていた。宇佐美の「一国を滅ぼしてまで…」の言葉が脳裏をよぎり、勘助は心の内で、わが思う人のためであると答えていた。

その時直江実綱の馬が勘助に近づいて兜を落とし、勘助は不意を食らって落馬し、眼帯が落ちた。しかし勘助の目に、孫子の旗がはっきりと見えた。かつて勘助は、自分が天下への道がはっきり見えたと当時の晴信に告げたこと、そして日本海と太平洋、両方の海を支配するように進言したことを思い出す。勘助は満身創痍となりながら、なおも戦い続けた。かなたには白馬に跨った政虎が見えたが、もはや勘助はその政虎に追いつけなかった。少しでも近づこうとしたが途端、政虎は上杉本陣の方へと去って行った。

その勘助を狙っている上杉方の兵がいた、それは平蔵であった。勘助はそれが誰であるかをみとめ、自分の首を取るように言って摩利支天を渡そうとする。しかしその平蔵に矢が当たり、その場に崩れてしまう。なおも戦に執着する勘助に、今度は真田の六連戦が見えた。別動隊が戻って来たのだった。
「お屋形様、我らが勝ちにございまする」
その時上杉の兵が近づき、みしるし頂戴つかまつるとの声と同時に、勘助は首を取られた。

同じ頃勘助の屋敷では、おくまがリツの摩利支天が見当たらないのを不思議に思っていた、その時外から帰って来たリツは、摩利支天が縁側にあるのを見て、何らかの異変を悟る。リツはかつて勘助が「いつまでもそなたを見守っておる」と言ったのを思い出し、涙を流す。結局戦は午前が上杉、午後は武田が優勢となったが勝負はつかず、また多くの死傷者を出した。善光寺の上杉陣では、髻山で首実検を行うと政虎が伝える。我らの勝ちにございましょうと直江が問うも、まだ戦は終わらぬと答え、この乱世も一睡の夢のようなものだと言う政虎。

しかし信繁、諸角の首はとうに武田方により取り戻されていた。かつて父信虎を追放する時に、よく決意してくださったと同意した信繁を思い出し、信玄は涙する。その時駒井が、かなたから走ってくる人影を見つけた。それは勘助の首なし死体を背負った伝兵衛だった。
「山本勘助にございまする~~」
そして太吉も、勘助の首を抱えて戻って来た。間違いありませんとの太吉の言葉に「あのつらじゃ間違えようがあるまい」と馬場信春は言い、勘助の胴と、笑顔を見せている首とをつなげ、家臣たちは勝鬨を上げる。

申の刻(午後4時)、武田信玄は陣を退いた。その頃越後ではヒサが、子供たちに食事をさせ、平蔵の分も準備していた。その平蔵は戦場を槍にすがって歩きながら、もう戦はいい、早く帰りたいと独り言を言いつつ歩いていた。戦場には戦死した兵たちの甲冑、あるいは刀剣を金に換えるための百姓たちがやって来ており、その中にはおふくの姿もあった。平蔵はいつ帰り着くともしれないほど、遅々とした歩みで、死なねえぞと言いつつ越後を目指していた。

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本編はこれで終わりですが、その後最終回の定番ともいえる主人公のここまでの足取り、さらにミツのセリフに加えて、「見果てぬ夢を追うものはとわに咲く一凛の花の如し」のナレ、そして白い花と同時に終わります。他にも平蔵といい伝兵衛といい、はたまた太吉といい、何やら第一回に回帰して行くような終わり方になっています。また紀行でその後の武田家が紹介され、義信事件と飯富虎昌の連座、三条夫人死去、信玄死去、長篠の戦い、謙信死去と来て、最後は勝頼の自害で終わっています。

しかしこのエピ全体が、勘助や信玄と、彼らを取り巻く人々の回想や言葉を中心に構成されています。締めの回ということで、恐らくはこのような形になったのでしょう。それにしても上杉政虎、義のために戦を行う人物は、言うことも浮世離れしています。また宇佐美が、武田は修羅の道を歩くといった意味のことを言っていますし、実際上杉に取ってはそのように映るのでしょうが、ならば織田信長は何なのだと言いたくもなります。やはり彼は魔王なのでしょうか。

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[ 2018/04/15 23:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第49回「死闘川中島」

上杉と武田、互いに霧を利用しての策を打ちますが、勘助の策は裏目に出てしまい、その結果上杉軍を相手に武田軍は苦戦します。そして信玄の弟信繁も、援軍が来るまでの時間を稼ぐために出陣し、かつての傅役である、諸角共々敵兵に討たれます。

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永禄4(1561)年9月9日、上杉軍は妻女山、武田軍は海津城にそれぞれ本陣を置いてにらみ合っていた。9月9日、勘助は雨模様の外を見ながら、「戦は我が人生の如し」という言葉を思い出していた。勘助の策としては兵力を二つに分け、別動隊を妻女山に送り込んで上杉の本陣を崩し、山を下りて来た彼らを川中島の八幡原で迎え撃つという作戦だった。しかしその一方で、かの老女おふくが上杉陣へ行き、宇佐美定満に目通りを乞うた。おふくは宇佐美にまず報酬をねだる。宇佐美が金3枚を与えると、勘助に言ったように、明日の朝は川中島は濃い霧の中だと教える。

勘助は翌朝は川中島に濃い霧が立つため、出陣は早ければ早いだけいいと主張し、卯の刻に攻めかかることになった。しかし上杉軍の方でも、宇佐美が敵は動くかもしれぬと言い、この霧を利用しない手はないと言う。宇佐美は、妻女山を下ることを提案する。しかも、旗や篝火はそのままに捨て置くという方法だった。しかもその時海津城では、食事を準備する煙が立ち込めていた。それは、数時間内に武田軍が動くということだった。

別動隊には飯富、馬場、高坂、真田、相木らの1万2千の兵が投入された。「明日こそは決戦にござる」と勘助。その後陣中で将校も兵も食事を摂り、勘助は真田や相木と共にいた。かつては彼らはすべて武田の敵であったが、晴信によってその運命を変えられた。敵を勢いづかせないためにも、別動隊の役割は大きかった。あるいはもう会えぬかもしれぬと真田は言い、相木はこのような戦いは、海ノ口以来だと言う。

信玄は信繁と差しで食事を摂り、今日は兄と呼んでくれと信繁に言う。この時信玄41歳、信繁37歳だった。信繁は息子の信豊に訓戒をしたため、お屋形様に逆意あるべからずと最初に書いたものの、このような訓戒がなくてもすむ世になってほしいと言う。そのためにも生き抜くのじゃと信玄。また信玄は、亡き大井夫人の衣に自分で陀羅尼を書いた物を信繁に渡し、いざという時は、これがそなたを守ると手渡す。その後、別動隊が次々に妻女山を目指して行き、山の方から霧が出始めた。

しかし妻女山に入った別動隊は、先に放った物見がことごとく討ち取られているのに気づく。そして真田幸隆は、敵の姿が見えないのを訝しんでいた。その頃忍芽はひどく胸騒ぎがしていたが、信じるほかない、信じることこそ女の戦と葉月に告げる。かたや上杉軍は山を下り、千曲川の方へと行軍を続けていた。また武田の本隊は、川中島へと向かう。武田は鶴翼の陣を敷いたが、敵はまだ見えなかった。霧で遅れているのではと言う勘助に、この霧は味方にばかり有利ではないと信玄は答える。

その時百足衆の一人が、かなたに騎馬武者が見えると報告する。それは上杉の兵で、しかも武田に不利な車懸の陣を敷いていた。別動隊は妻女山山頂がもぬけのからであることを知り、急いで下山するが、その時まで時間稼ぎをする必要があった。勘助は自らの失敗を認めるが、信玄に「そちがうろたえて何とする」と諭される。勘助の脳裏に、板垣信方の「真の軍師になれ」という言葉がよみがえった。勘助は鉄砲を用い、本陣を固めるものの、上杉軍の攻撃で陣形が乱れ始めていた。

そして信繁が、時間稼ぎのために本陣を発った。信玄から授かった陀羅尼の布の母衣をつけていたが、途中で春日源之丞に、これを信豊に渡せと命じる。自分の命は惜しくはないが、この母衣が奪われるのは口惜しいということで、そのまま信繁は馬を進め、上杉の武将たちと斬り合いとなる。満身創痍になりながらも敵を倒す信繁のもとへ、傅役であった諸角虎定が駆け寄る。信繁は最終的に柿崎景家に討たれ、虎定も上杉の騎馬武者に囲まれて落命した。信繁と諸角豊後守(虎定)の討ち死にの知らせは、ほどなく信玄のもとへと届けられた。

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しかしこの場合、どう見ても宇佐美の方が勘助よりも上手だったということでしょう。というより、上杉方もおふくから情報を得ていたとは、よもや思わなかったのでしょうが。しかしおふくもまたちゃっかりしています。無論彼女にしてみれば、どちらに付くわけでもないのですから、両方に同じ情報を教え、報酬をもらえればあとはそちら次第というわけです。まさに信玄の言葉通り、この霧は味方にばかり有利ではなかったわけです。おまけに食事の準備をするのを、妻女山という高所から見下ろせる位置にいたのも、上杉には有利でした。

そして、信玄の最愛の弟である信繁が、この戦いで戦死します。さらに彼の従者ともいうべき諸角虎定も、この時に命を落とします。その意味でもこの第四次川中島の戦いは、一連の戦いの中でまさに激戦であり、死傷者を多く出した戦いでもありました。しかもこの時の信繁は、既に母衣を春日源之丞に渡していたため、何度かにわたって敵の槍を受けながらの死闘で、止めを刺したのは柿崎景家でした。この人は猛将として知られていますが、最近の研究では、内政の能力もあった人物といわれています。

[ 2018/04/08 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第48回「いざ川中島」

いよいよ第四次川中島の戦いが始まります。双方とも、攻め急いでは負けると考えつつ策を練る中、武田は妻女山に入った上杉軍の退路を断つ作戦に出ます。しかしその時、原虎胤が生きているという知らせが届きます。彼を匿ったおふくは、見舞いに行った勘助に「濃い霧が明日出る」と予測しますが、これが合戦に大きく影響することになります。

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永禄4(1561)年8月16日、長尾景虎改め上杉政虎は出陣した。一方甲府での評定では、海津城の攻防が話題となった。直ちに出陣をという要求もあったが、信玄は、急いては敵の思うつぼと様子見を決め込んでいた。また義信は勘助に、海津城は落ちぬと申したなと念を押す。勘助は、攻めかかりもしませぬ、海津城を落としてはお屋形様を引き寄せられませぬと答える。それは、上杉方が最も望まないやり方であった。

一方上杉陣では、海津城は落とせるとの見方があったが、弱者をいたぶるようなやり方は最も好まぬと、政虎は一蹴する。政虎は八幡原から千曲川、妻女山という進路を取るつもりだった。直江実綱はそれを不安視するが、宇佐美定満は、信玄は川中島で真っ向から来ることになると言う。その海津城の城主である香坂虎綱は、上杉軍が夜間に進軍して来るのを目の当たりにしていた。

政虎が妻女山に入ったことを知った信玄は、直ちに出陣することを香坂に伝えるよう命じた。この戦には義信も出陣することになっていた。義信は幼い頃、不動明王について傅役の飯富虎昌が話してくれたことを思い出していた。三条夫人は義信を案じつつ、不動明王の間に入った。信玄はそなたを今まで恐れさせてしまったと三条夫人に告げる。三条夫人はそんな夫に、さようにお思いでしたら此度は勝利をと伝える。2人の結婚から25年が経過していた。

一方出陣が決まり、勘助は朝から槍の稽古をしていた。そんな勘助に、リツは初めて父上と呼びかけ、自分が香坂に嫁ぐこと、そして、留守中は自分が山本家を守ることを明言する。やがて山本家の男たちは、女たちに見送られて出陣した。そして8月18日、勘助は諏訪の由布姫の墓前にひざまずき、勝頼が初陣を飾ることを伝える。すると光が差し、由布姫がそのばに現れてこのように言った。
「勘助…なりませぬ」
その後諏訪から秋山信友が勝頼とやってきたが、勘助は上意であると言って、勝頼に高島城入りを勧める。

信州上田の武田本陣では、勘助のこの策を信玄がほめた。そして勘助が下がった後、信玄は側近の駒井政武に、勘助は怯えているかどうか尋ねる。山本殿は、その身をお屋形様に捧げる覚悟であると答える駒井。信玄はよう仕えてくれたと駒井をほめ、生きながらえるようにと命じる。その後信濃勢が合流した武田側は、8月24日に雨宮に入り、上杉の退路を断つ作戦に出る。この時双方が、攻め急いだほうが負けであると考えていた。政虎は妻女山から動かなかったが、兵糧を絶やさぬため、上杉の雑兵は乱捕りまでやっていた。

8月29日、武田勢は海津城へ入った。今こそ襲撃をという柿崎景家だが、それでは敵の思うつぼだと諭される。そして海津城では信玄が、何かと割れることの多い勘助と馬場信春とで、策を立てよと命じていた。しかしその時、行方不明になっていた原虎胤が生きていたとの連絡が入り、勘助が会いに行くことになる。とある百姓家の軒先で、原の兜をみつけた勘助は中に入り、原が負傷して横たわっているのを見る。その家ではおふくという、怪しげな老女が彼の面倒を見ていた。何かにつけて報酬をせびるおふくに、勘助は川中島にいつ濃い霧が立ち込めるかを聞いてみた。おふくは雲の流れを見て「明日じゃ」と答える。

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いよいよ合戦という時、リツが初めて勘助を父上と呼び、香坂虎綱と結婚することを伝えます。こで心おきなく勘助は戦に向かうことになりますが、茂吉の息子(太吉の孫)が佐助なのですね。よもやこの佐助が、『真田丸』のあの佐助となったのでしょうか。年齢的にも同じくらいですし。この大河と『真田丸』は結構接点があるため、ついついそのようなことを考えてしまいます。

それから由布姫の墓を訪れた勝頼に、勘助はお屋形様のお下知として、高島城に入るように伝えます。いささか不満げな勝頼ですが、彼がこの合戦で初陣を飾っていたら、どうなったのかとも思います。しかしなんだかんだで上意としつつ、実際は勘助の捏造というのも結構ありそうです。信玄から、面倒くさいことは儂の下知としておけと言われている可能性もありです。

それから百姓家の老女おふく、何やら怪しげな雰囲気ですが、金銭に目がない辺りはやはり俗世の人間です。というか、この人は要は戦争ビジネスで儲けているわけです。この家にムカデのごま油漬け?がありますが、そういえば武田には百足衆がいましたね。

[ 2018/04/01 23:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第47回「決戦前夜」

上杉政虎と名を改めた景虎が、成田長泰に暴行を加え、諸将が引き上げて上杉も相模から退きます。いよいよ上杉と武田の直接対決が始まろうとしていました。また香坂虎綱は、リツとの結婚を承諾します。

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関東を平定し、上杉の名跡を継いだ政虎(景虎)は、武田が海津城を築いたことを知る。その政虎は家督継承後、自分の行列を馬上から見ていた成田長泰に腹を立て、暴行を加えていた。その挙句、成田は他の関東の諸将と共に、政虎の陣から兵を引き上げてしまっていた。しかも人質である妻の伊勢は、人質として留め置かれたままだった。

成田は自分にも伊勢にも無礼を働いたと政虎は怒る。しかし伊勢は、夫が上杉を裏切った報いなら受けるが、無礼の報いは受けぬと言う。夫の祖先もその昔、源義家と馬上で例を交わしており、諸将は裏切ったのではなく見限ったのだと断言する。さらに伊勢は、神仏を敬う貴方様がかくも人の心に無知であるのか、天罰などと言っても所詮は人間の驕りと、強い言葉を政虎に投げつける。

政虎は伊勢を斬ろうとする柿崎景家を止め、伊勢の言葉を自らへの戒めと受け取った。そして武田の動きを知り、関東を引き上げる。伊勢は忍城へ送り返した、それは成田が北条につくのを防ぐためでもあった。そして永禄4(1561)年5月、割ヶ嶽城は落ちるが、原虎胤が負傷して行方不明になる。そして伝兵衛は内応者を募った功績として、黄金3すくいを受け取ることになる。

小田原城では上杉が引き上げたこともあり、酒宴が催されていた。これも武田のおかげと言う清水吉政に、武田もいずれは敵となることもあると氏康。そして、焼けていた二枚貝を見ながらこう言った。
「よく焼けぬ貝(甲斐)、よくよく食えぬ男よ」
その頃真田幸隆は、川中島の戦のことを忍芽に話していた。あの相手に謀略では戦えぬと言う幸隆。その時河原隆正が訪れ、長野業正が亡くなったことを知らせる。

勘助は、香坂(春日)虎綱にリツを引き合わせる。最初は互いに乗り気でなさそうだったが、結局香坂がリツを気に入る。ただし山本家を継ぐのをためらっており、ならば男子が何人か生まれたら、一人に山本家を再興させるということに落ち着く。そして越後では、政虎が甥の卯松(後の景勝)に習字を教えていたが、それを見ていた桃姫は、弟に何かの変化があったのに気づく。政虎に言わせれば、それは慈愛だった。

さらに矢崎家では、平蔵が出陣が決まったと言って戦支度をさせる。必ず戻って来るようにと夫を説得するヒサ。そして永禄4年8月14日、上杉軍は出陣するが、平蔵は今一つうかぬ表情でいた。そして狼煙でこれを知った晴信は、家臣を集めて策を練る。海津城は危ういかと訊く晴信に、勘助は答えた。
「されど、海津城は落ちませぬ」

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慈しみ、慈愛といった言葉が出て来る回ですが、ありがちな女性主人公の大河のように、それのみが前面に出て来ないところには好感が持てます。しかし景虎改め政虎の、卯松に対する姿勢が変わったというのには、多分に伊勢の言葉も影響しているように見えます。

それから勘助がリツを香坂に引き合わせるシーン、リツは自分の城だから、リツを見れば自分の奥義がわかると言って、香坂が首をひねります。何やら苦し紛れの会話ですが、この手の会話に慣れない勘助としては、何とかうまくまとめた方でしょうか。しかし香坂は、勘助がどうこう言うよりも、リツの持つ雰囲気にほだされたようです。川中島の戦いが始まるまでは、めでたしめでたしだったのですが…。

そして上杉軍撤退後、北条氏康が酒宴を催すシーン。清水吉政が「今宵はよろしいのでは」というのは、もちろん北条家では酒は朝に嗜む物だったからですね。しかしこの
「焼けぬ貝かな」
のシーン、結構好きです。その後氏政と氏康が2人で舞うシーンもいい。とにかくこの『風林火山』では、今川家でもところどころ舞のシーンが登場しますが、如何にもこの時代を表していていいものです。

[ 2018/03/24 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第46回「関東出兵」

今川義元が桶狭間で戦死し、その一方で長尾景虎は上杉を継ぐことになります。この上杉に対して、信濃で一戦を交える予定の武田は、要所に城を築くことになります。その建設を請け負ったのは、かの香坂虎綱でした。

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長尾景虎は関東管領、上杉憲政の名跡を継ぐことになった。そのために関東平定を目論み、北条攻めを行う。また武田としても北条を助け、さらにこの動きを阻まなければ、信濃の領主たちは景虎になびく可能性があった。信濃で景虎と一戦交えるためにも、川中島周辺に城を作る必要はあり、勘助は牧城で香坂筑前守の養子となった春日虎綱と話し合う。城の建設予定地は八幡原で、香坂を城代とし、両者とも次の景虎との戦いに四郎を初陣させるつもりでいた。

しかしこの戦が長引けば、武田家が後継者不在となることも考えられた。元々武田の勝利は、勘助の謀略によって得られたところが大きかったが、今度はその策によって敗れることも考えられた。そして永禄3(1560)年8月29日、景虎は関東へ攻め込んで厩橋城を占拠する。この頃久留里城攻めにかかっていた北条氏康は、松山城へ引き上げた。

厩橋城には、関東の諸将が集まって来た、その中には憲政の腹心である長野業正もいた。大儀であったという憲政に、今はそなたの主はわしであると言う景虎。長野の顔色の悪さを倉賀野直行が咎めるが、北条の顔色が移っただけであると長野は取り繕う。また氏康は無理な戦はしないというが、その氏康がこの関東を奪った以上、油断はできなかった。しかし憲政が、竜若丸の仇を言うのに対し、景虎は天の命じるところによりと、それぞれの意見の食い違いが見られた。一方氏康は松山城から小田原城へ戻ることにした。

香坂の海津城が完成した。攻めるための城、勝つための城じゃと勘助。もっと築城について色々教えを乞いたいと言う香坂に、年齢はいくつだと尋ねる。34と答える香坂に勘助は、なぜ嫁を取らぬかと訊くが、香坂は山本様を見習ってと答える。

永禄4(1561)年正月。景虎たちはまだ厩橋城にいた。宇佐美定満は自分の部下となった平蔵に、お屋形様をどう思うかと尋ねる。「いくさがみの化身のよう」と答える平蔵に宇佐美は、皆がさように見たがっておるだけで、お屋形様は神でなく人に過ぎぬ、強大になれば驕りも生じるであろう、それが危ういと言って聞かせる。さらにその後、景虎は10万の兵を率いて忍城へ行き、城主成田長泰に自分の先鋒になるように命じる。そこへ成田の妻伊勢が現れた。都から嫁いで来ており、関東に来る途中は風が強く、霊峰富士も見られなかったと言う彼女の言葉を聞いて、景虎は成田に伊勢を人質とするように告げ、富士を見られよと言う。

しかし厩橋城攻めは当初の予定の3日では終わらなかった。小田原城が堅牢であるうえに、氏康が味方に補給路を断たせたためである。この場合、戦が長引くほど北条が有利になった。また今川氏真は、松平とのことで出陣が難しく、結局武田が北信濃の割ヶ嶽城を落とすことになる。これには相木と原が指揮官として選ばれた。この城攻めの最中、葉月が伝兵衛に近寄り、城主を降伏させることを伝える。機密事項であり、二人は互いに抱き合う振りをしながら密談をかわした。そして伝兵衛は葉月に、この戦が終わったら自分の嫁になってくれと言った。

ところで小田原城は、3日経っても落ちなかった。神仏の御加護は我にと景虎は言うが、伊勢は、戦をする神や仏が信じられぬと言う。それを聞いた景虎は小田原城の城門から酒を持って入り、矢や銃弾が彼を狙う中、己が力を信じ、悠々と酒盛りをしてみせた。氏康はそれを見てつぶやく。
「あのような敵と、我らは戦っておるのか」

その年の閏3月16日、景虎の上杉家の家督相続が、鶴岡八幡宮で行われた。沿道には関東の諸将が詰めかけ、成田長泰もその中にいたが、一人騎馬姿であった。参列していた宇佐美は、それを見てまずいと直感する。案の定景虎は、成田を非礼であると馬から引きずり下ろし、あらん限りの暴行を加えた。

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矢や銃弾が降り注ぐ中で、堂々と景虎が酒盛りをする回です。この景虎の動きを見計らって北条と武田が動きますが、今川はそれどころではありませんでした。無論、松平信康が岡崎城に立てこもり、今川を敵に回すような行動に出たためです。実際氏真が動いた場合、どうなったかはわかりませんが、彼(あるいは寿桂尼)がこの時やっていたのは、自分の配下にある国衆たちを押さえつけておくことでした。

そして武田は割ヶ嶽城を落とし、この時伝兵衛は葉月と夫婦約束をかわすことになります。そして勘助はといえば、香坂弾正虎綱に嫁を取る云々の話をしますが、恐らくこの時点でこの人物を、リツの夫にと考えていた感はあります。何と言っても自分の「教え子」に自分の「養女」を嫁になるのですがら、かなり好都合です。それにしても厩橋城、「前管領」憲政と、「現管領」景虎とが恐ろしく違った印象ですが、あれ家臣はどう思ったのでしょうか。

[ 2018/03/19 23:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第45回「謀略!桶狭間」

長笈の信玄暗殺計画は失敗に終わり、武田が危ないことを見抜いた信玄は、勘助を駿河にやって、今川義元が尾張との戦いで不利になるように仕向けます。一方で長尾景虎は、上杉の名跡を継ぐことが正式に認められ、北条との戦に討って出ます。

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長笈(寅王丸)の信玄暗殺未遂は、寿桂尼と長尾、あるいは村上の陰謀と思われた。勘助は敢えて、間者は取り逃がしたと言いつくろい、信玄は、今川は自分の首を狙っていると疑う。今後の越後との戦いを考えると、駿河の存在は厄介だった。しかし寅王丸は幽閉されていた場所を抜け出し、駿河に向かうところを飯富虎昌が討ち取った。一方平蔵は琵琶島城へ戻り、宇佐美定満から寅王丸がしくじり、武田が返り討ちにしたことを聞く。仇を取ると言う平蔵に、お前では無理だ、ならば自分に仕えろと言う宇佐美。平蔵の中で長笈の「妻と子を大切に」、ヒサの「新しい命を育てる」の言葉が渦巻いていた。

永禄(1559)年10月、長尾景虎は京から戻り、上杉憲政に、正式に上杉を継ぐよう将軍義輝が認めたことを知らせる。しかし出兵のためには、関東の大小名を調略する必要があった。そして年が明けて永禄3(1560)年、義元は家臣の前で、尾張一国を切り取る決意を述べる。武者震いがいたしますると庵原之政。既に嫡男氏真に家督を譲っており、尾張を討った後上洛を果たし、母寿桂尼には京にお帰り頂くと、自信満々の義元であった。

その頃甲斐では、天澤という僧が信玄に、信長はうつけ者ではなく、謀にも長けているということを知らせる。どうやらこの僧を遣わしたのは、信長自身のようだった。信長は力に劣るため、恐らく敵将である義元の首を狙ってくるに違いなかった。しかも今川家の家臣が織田方に寝返り、切腹させられるに至る。義元は譜代の家臣で守りを固めたが、勘助や伝兵衛、茂吉は信長がどこを通って攻め込むかを考えていた。途中には山が多いこともあり、織田軍はその中の桶狭間に目をつけているようだった。

勘助たちが駿河のことを話しているのを、リツは不審に思うが、勘助は、駿河は甲斐に取って大事な国であるからと答える。そして勘助は之政を通して、義元に目通りすることになった。この戦では織田軍は清須城に入った後、籠城せずに出兵するであろう、ならば清須城を取ればいいと勘助は言う。しかし勘助の言葉に従わない義元は、大高城へ入ることにし、途中での休憩に桶狭間を選んだ。ちょうどその頃勘助は、先日は主の言葉を伝えるのを忘れたと言い、再び駿河を訪れていた。

勘助は寿桂尼に、寅王丸のことはやむを得ずのことであったと言い、寿桂尼はそのことで咎め立てはせぬと言う。また勘助は、大高城へは向かわれておりませぬように、桶狭間なる場所は奇襲の可能性もあり危険であると、今となっては時既に遅しともいえることを伝える。寿桂尼は、義元が勘助の意見に背くことを知っており、わざと清須城を取るように進言したことに気づく。その時降り出した雨を見て、勘助は恵の雨であると言いつつ去って行った。

その頃桶狭間では、雨のため守りが緩慢になっており、織田勢の奇襲で義元は呆気ない最期を遂げる。首級は岡部元信が交渉をして持ち帰り、寿桂尼や氏真、家臣たちも悲嘆にくれる。また武田家でも、義信の正室綾が父の死に涙を流していた。義信の傅役飯富は、勘助の駿河行きにどこか疑問を抱いていたが、勘助はしらを切り通す。そして今川家では、松平元康が岡崎城に籠ったことを知り、織田に寝返ったのではという噂が流れる。この駿河に、武田が攻め込んでくるのはその8年後であった。

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まず武田VS今川ですが、義信の正室綾は今川家の娘でした。このため義信の傅役であった飯富虎昌は、勘助に駿河に出向いた理由を尋ねますが、寅王丸様のことでと勘助はしらを切って見せます。また三条夫人も、嫁の綾を気の毒に思いつつも、その駿河が差し向けた長笈に侍女萩乃を殺され、いささか複雑な思いでしょう。その一方で寿桂尼がゴッドマザーぶりを発揮するに至ります。彼女が没した年に武田が攻め込むことを考えれば、重石としての彼女の存在は、やはりかなりのものでありました。

それにしても
「大高城に入るなよ、絶対入るなよ」
という自らの言葉を、義元が破ると確信している勘助もまたなかなかのものです。無論これに関しては、今川方も慢心していたわけですから、当然といえば当然の結果ではあります。ところで義元が、上洛の暁に母上に京へお帰り頂きと言っていますが、実際に京に帰ったというか、駿河を追い出されて京へ上ったのは息子の氏真の方でした。さらに
「氏真は元康を超えられるであろうか」も実に示唆的です。その元康=家康の庇護下に自分の嫡子が入るとは、いくら何でも思っていなかったでしょう。

あと、長笈の件に関して、寿桂尼といわば共犯でもある宇佐美定満が、平蔵にこう言います。
「勘助はそちに情けはかけても、寅王丸にはかけなんだ」
これもなかなか意味深です。自分の主である信玄を狙いつつも、かつての仲間ということもあり、敢えて逃がしてやる(といっても、平蔵一人ではどうする事もできないでしょうが)のと、由布姫の義弟でありつつも、駿河にいいように使われ、しかも今後諏訪家の継承に絡むかもしれない長笈とでは、どちらがリスクが大きいかは明白です。しかしこれ、どうも飯富虎昌が逃げもしていない長笈を殺してしまったとも取れますし、勘助の駿河行きに飯富が神経をとがらせたのは、そういう側面もあったように見えます。

[ 2018/03/04 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第44回「信玄暗殺」

いよいよ平蔵が密使として駿河に赴き、かつての寅王丸である長笈を甲斐へと誘い出します。於琴姫の住む積翠寺に通い、信玄と近づく機会を狙っていたのですが、事態は思わぬ方向へと展開します。

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長尾景虎の二度目の上洛の間、宇佐美定満は駿河へ平蔵を遣わした。駿河の善得寺で長笈と名乗っている、かつての寅王丸を調略し、信玄を討つためだった。しかしヒサは、捨て駒と思われているだけではないかと言い、さらに子供たちもいるし、命を粗末にしてほしくないとも言う。それでは義が立たぬと言う平蔵だったが、寅王丸様がもし仇を討てたとしても、平蔵もただではすむまいとヒサは重ねて言った。

その頃躑躅ヶ崎では、義信と綾に間に姫が生まれていた。義元にこのことが知らされ、寿桂尼は、雪斎が申した通り、武田の嫡男は骨抜きにされるであろうと予測する。するとそこへ、越後から矢崎平蔵なる者がやって来たと近侍が知らせに来る。応対に出た寿桂尼に平蔵は、自分は諏訪家の遺臣であり、頼重の仇を討つために奔走していると言う。武田家の縁者と知ってのことかと寿桂尼は驚くが、善得寺へ平蔵を連れて行く。

長尾の家から来たこの平蔵は、頼重が寅王丸を諏訪家の跡継ぎにと遺言して自刃したこと、異母姉の由布姫が信玄の側女になったことなどを話して聞かせる。その後を聞きたがる長笈に、寿桂尼が厳しい口調で言う。
「殺されたのじゃ」
男子を産んだ後は囚われ人同然で病死したこと、そなたはもういないに等しいということを聞かされ、長笈は復讐心に燃える。このまま見逃してくれと寿桂尼に頼んだ長笈は、寺を出て平蔵の案内で甲斐へ向かった。

途中長笈は、山伏に変装した平蔵に独り身かと訊き、妻子を越後に残したと答える平蔵に、これから先は一人で行くからよいと言い、妻子を大事にしろと忠告する。その頃勘助は、高遠城主秋山信友に預けた四郎が、日一日と逞しくなるのを感心しつつ見ていた。さらに四郎にあれこれ戦法を教え込み、四郎はいささかうんざりした表情をするが、武田家のおんためであること、四郎が諏訪家を継ぐ身であっても、そのことで諏訪の衆が喜ぶと説得する。

その後勘助は、高遠から甲府へ戻った。するとリツが、毎日のように雄琴姫の所へ行っており、最近若い僧が度々来ていることを話す。明日辺りはお屋形様もおいでになるとリツ。一方、雄琴姫のいる積翠寺へばかり足を運ぶ信玄に、萩乃は不満げであったが、三条夫人は初めての孫に目を細めていた。そして長笈と信玄は、積翠寺で顔を合わせる。その様子を心配そうに伺っていた平蔵は、太吉と伝兵衛に見つかってしまうが、何も話そうとはしなかった。

不審に思った2人は勘助に平蔵を会わせる。勘助はリツの言葉を思い出し、その坊主は誰だと平蔵に詰め寄り、平蔵はやっと、寅王丸様を止めてくれと言う。一方積翠寺では信玄は転寝をしており、長笈が掻巻をかけようとしてそばに近寄り、信玄を刺そうとする。しかし信玄はすべてをわかっていた。そのまま長笈を躑躅ヶ崎へ連れて行き、大井夫人のことを話して、今後そなたを手元に置きたいというが、義信が猛反対する。

長笈は、ありのままの私の心をお見せしたいと義信に近寄る。勘助が間に入るが、ふとした隙に長笈は義信の刀を抜いて刺殺しようとする。止めに入った萩乃がその太刀を受け、絶命する。長笈を寺へ閉じ込めておくように命じる信玄。そして屋敷に戻った勘助は、太吉と伝兵衛が平蔵を逃がしたことに怒るが、伝兵衛はこう言った。
「寅王丸様を誑かしたは駿河の寿桂尼じゃ」

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改めて、やはり平蔵は間者向きではないと思う次第です。人をたらし込む術が決定的に欠けているようで、その点勘助や真田幸隆とは正反対といえます。しかし長笈を甲斐へ案内している最中は、俺もひとかどの仕事をしていると思ってはいたのでしょう。しかし勘助が、これを平蔵が仕組んだことと考えるのはやや短絡的と思われます。こういうのはどう見ても、筋書きを書いた人物が他にいると見るべきでしょう。

しかしこれ以前から、寅王丸をどのようにするかで、勘助と由布姫が議論していたわけではあるのですが、既に四郎が生まれた時点から、すべてが決まってしまっていたに等しかったといえます。とはいえ、この長笈も使いようによっては、うまく切り札として使えそうではあったのですが、それはすなわち武田が不安定になることを意味しているともいえます。この諏訪家の姉弟も、武田が絡んだことでかなり違った運命を持たされたのは事実でしょう。

[ 2018/02/27 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第43回「信玄誕生」

リツは勘助の娘となりますが、未だ妻の座に未練があるようです。そして武田晴信は、景虎との和睦を受け入れる代わりに信濃守護となります。その一方で景虎は関東管領を打診され、北条と武田双方と対峙する羽目になります。

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ある日目を覚ました勘助は、そばにリツがいるのをを見つける。旦那様と呼ぶリツに、父上じゃと念を押す勘助。まだ夜は明けきっておらず、そなたは早起きじゃのうと言う勘助に、はやきこと風のごとくでございますと答えるリツ。どうも勘助は、亭主であることに慣れていなかった。

リツは勘助が持ち帰った摩利支天に祈った後、朝食の給仕をおくまに代わって引き受ける。いつお屋形様からの縁談があったのかと訊く勘助に、父からそのことを聞かされた、つまり勘助本人に会う前であったとリツは答える。また跡取りを産む様にといわれ、養女にするくらいならいっそ私が産んだ方がとまで踏み込む。そしてその年弘治2(1556)年8月、大熊朝秀は長尾家から武田へと寝返った。

その後大熊、真田などは長尾勢を調略し、切り崩しを図っていた。晴信は由布姫を失ったものを埋め合わせるかのように、戦へと乗り出していた。その頃真田幸隆は、妻との生活はどうだと勘助に訊くが、勘助は妻ではなく養女であると答える。そちに親としての慈愛はあるか、わしの二男三男であればくれてやらぬぞと幸隆は言い、いっそ妻にしてしまえと諭す。さらに、もしそなたに子がなくば、真田家が武田家の軍師になるとも言う。

この年幸隆によって、尼飾城が落ち、武田方の旭山城近くに築かれた葛山城も攻略されて、地侍を長尾方から引き離してしまう。さらに晴信は善光寺平に攻め入るが、越後は雪に閉ざされて身動きができなかった。これは合戦となるだろうと宇佐美定満。大熊が寝返ったせいで、いつになくはやっている宇佐美であったが、一方で景虎の帰郷により、長尾勢は団結の兆しを見せていた。結局晴信は景虎の挑発に乗らず、深志城から動こうとせず、弘治3(1557)年4月、第三次川中島合戦も雌雄決せずに終わった。

これも勝ち戦じゃと晴信。また武田についたことにより、北信濃の市河氏は所領を維持できた。しかしこれにより、景虎との合戦は避けられないものとなっていた。その頃将軍足利義輝の使者により和睦が促され、晴信は信濃守護となることを条件に承知する。和睦を破れば、将軍に盾突くことになると案じる馬場信春だったが、同じ守護同士であれば、正々堂々と戦えると勘助。しかし景虎は上杉憲政から、上杉の名跡を継いでほしいとの依頼を受けていた。そうすれば守護よりも地位が上になり、北条を破ることができるからだった。

景虎はその前に再度上洛し、管領の命を正式に受けることにした。実は和睦は上洛を促すものであり、今は三好と松永から近江に追われた将軍義輝は、景虎を頼りにしていた。しかし管領となれば、関八州を平定する必要があり、その隙に乗じる武田の動きをどう封じるかが問題だった。上洛前、景虎は浪に京の土産に何を所望するか尋ね、また宇佐美に、浪の嫁ぎ先を打診した。これでお屋形様の側室の夢がついえた浪は、その後城を出て出家してしまう。

その頃甲府でも、リツを誰に嫁がせるかで勘助が悩んでいた。太吉の子は養子に行ったり嫁にやったりで、嫡男茂吉しかおらず、他に独り身といえば伝兵衛しかいなかった。また晴信のほうは、由布姫を慈しむことができなかった自分を恥じていた。諏訪に残したのを後悔する晴信に、四郎様と姫様は、諏訪におられなければならないお方でしたと答える勘助。そして晴信は家臣や領民を慈しむという名目で出家した。永禄2(1559)年2月、晴信は出家して信玄となり、同時期に出家した原虎胤は清岩、真田幸隆は一徳斎、そして勘助は道鬼と名乗った。しかしリツは、侍の出家などうわべであると言い、酒を捨てようとしたため、少しだけなら構わぬと勘助はその場を凌ぐ。

そして越後の平蔵は、主の村上義清が長尾の軍門に下った今、軍師としての働き口を探していた。勘助が四十すぎで軍師になれたのなら、自分だってやってみせると虚勢を張る平蔵に、ヒサは今のままで十分幸せじゃと言う。そんな平蔵に、おぬしを試してみようと宇佐美はあることを命じる。それは駿河へ行き、かつての寅王丸、長笈と会うことだった。この長笈こそ、武田の主の首を討つべき人物であると、宇佐美は平蔵に間者として駿河行きを指示する。

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武田が長尾勢を切り崩す中で、景虎はついに関東管領となるチャンスを得ます。さらに今まで雌雄決せずのまま終わった川中島の戦いで、決戦を行う時期も近いと思い、家臣のため領民のために、原、真田、そして勘助と共に出家の決意をします。その一方で、リツや浪の、それもかなり対照的な形での縁談が登場し、また真田家の三男(源五郎昌幸)の話題が出て来たりもします。『真田丸』の先駆け的存在とみなされる所以です。しかし、平蔵を行かせたのはやはりというか無謀のようです。

[ 2018/02/20 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第42回「軍師と軍神」

由布姫が亡くなり、喪失感にかられる勘助は高野山へ向かいます。しかしそこには、家臣たちの領地争いに嫌気がさした景虎の姿もありました。そしてリツは最終的に、勘助の養女として迎えられます。

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木曽攻めの後、勘助は小坂観音院へ戻った。そこには既に晴信がいた。
「由布は手厚く弔った」
晴信はこう言い、さらに由布姫との「約束」について触れようとするが、勘助はそれを遮るように「天下をお取り頂くとのこと」と切り出し、晴信がそれを否定するも、さらに景虎の首級を上げて上洛とのお約束、今しばらくご勘弁をと晴信に話す。

晴信は、かつて三条夫人が由布姫にあげた笛を、形見として持ち帰った。これは、お前様がお持ちになるべきと三条夫人。さらに四郎のことを尋ねる三条夫人に、しかるべき城で諏訪家の跡取りとして育てると言う晴信。志摩は勘助が預かることになったが、あの者の心はなかなか晴れまいと晴信は思っていた。実際勘助は由布姫の墓前に行き、四郎を立派な武将に育て上げ、初陣を飾らせることを約束した。

また勘助は、それがかなった時には既に自らの命尽きる時で、さすればまた姫様の許へ行けると墓に話しかける。その後四郎と志摩は高島城へ移り、四郎は高遠城代の秋山信友に託されることになった。勘助は、島に自分の許に来るように言うが、志摩は終生四郎に仕えたいと言う。また、由布姫を大事にしてくれたことへの礼を言い、姫様との約束を、是非守るようにと勘助に念を押す。

一方越後では領主たちの領地争いが起こり、それぞれの後ろ盾となっている景虎の家臣たちの間で、派閥争いが起こっていた。特に大熊朝秀の怒りはすさまじかったが、宇佐美定満にたしなめられる。景虎はこの争いに嫌気がさし、自分が幼少時に寺へ入る時に、母が、まことに強ければ力など頼らずともよいと言っていたことを思い出していた。そしてその後、景虎は出奔してしまう。このことで姉の桃姫は、弟が信じることができるのは、唯一母のみであると、坂戸城を訪ねて来た宇佐美と直江実綱に告げる。

そして勘助の行方もわからなくなっていた。勘助は晴信に文を認めたうえで、牢人時代に訪れた高野山の無量光院に赴き、住職の清胤と話していた。その時宗心なる人物が来ているという知らせがあり、勘助はその場を去るが、その人物が景虎であることを知る。その夜屋外で読経をする景虎に近づく勘助。二人は斬り合いになるが、そこへ清胤が現れ、何が修行じゃと言い、二人に曼荼羅を見せて和の尊さを説く。勘助はそれに、主君と家臣の関係をだぶらせる。

翌日二人は朝食を共に摂った。勘助が、由布姫の死をきっかけに高野山を訪れたと言ったのがきっかけで、甲斐と越後の争いに話が発展する。しかし晴信を討てば、出家の意味がなくなると突っ込む勘助に、それで困っておると景虎は苦笑する。その後長尾政景と直江実綱が、家臣の起請文持参でやって来て、越後に戻るように懇願する。政景はこのまま遁世すれば逃げたことになると言い、直江は大熊朝秀が、恐らく甲斐の協力で謀反を起こして、宇佐美が対峙していることを伝える。勘助の気配に気づいた景虎は、その方向に太刀を投げて言う。
「そちの主に伝えよ、外なる敵をまた認めたと」

勘助も甲斐へ戻った。勘助はリツを妻としてではなく、養女としたいと言う。それには原虎胤も異存はなく、晴信は虚空へ呼びかける。
「由布、それで勘助を許してやれ」
その後伝兵衛や太吉、その家族にもリツが紹介された。そして勘助はリツに木箱を渡す。それは高野山で新たに授かった摩利支天だった。

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いささか「姫様ロス」といった雰囲気が漂う勘助です。四郎の教育は秋山信友に託されることになり、志摩も四郎に付き従うことになりました。勘助は単身高野山へ向かいますが、そこで宿敵ともいえる景虎に会うことになります。しかし修行だと言いつつ、高野山で斬り合いというのは、流石にどうかと思われます。この意味では景虎もまた、俗世間を引きずり込んでいたといえるでしょう。

その越後では大熊朝秀が謀反を起こし、後にこの人は武田につくことになります。そして由布姫との約束で悩んだ勘助は、養女という方法を採りました。如何にも勘助らしい発想ですが、リツの相手と見込まれたのは、「あの」人物です。

[ 2018/01/22 01:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第41回「姫の死」

由布姫退場回であると同時に、雪斎の退場回でもありました。この雪斎がいなくなったことにより、今川家が勢いを失い、そして人質であった元信が台頭することになって行きます。一方武田は木曽攻めを行います。

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勘助は晴信から、由布姫が吐血したことを知らされる。諏訪の小坂観音院へ向かった勘助に由布姫は会い、諏訪湖を久々に見たいと言う。戸外で由布姫は勘助に、四郎のことを頼むと言い、勘助を戸惑わせる。また生まれ変われるのなら、男に生まれてお屋形様や勘助と戦をしたい、政を行いたいと言い、さらに男でもなく、水鳥となって自由に空を羽ばたきたいとも口にした。姫様には生きて頂かなければ困りますると言う勘助に、そなたを困らすのが私の癖と由布姫は答え、そして、庭に咲いている桃を折って来てくれと頼む。

高島城に入っていた晴信がやって来て、桃を活けた部屋で三人が語らう。例のことで由布姫に意見を聞きたいと言う晴信に、勘助は嫁取りのことかと表情を変える。しかしそれは、木曽への出兵のことだった。不穏な動きを見せる木曽一族に対して、越後とどちらを先に討つべきかを晴信は由布姫に尋ね、由布姫は木曽をまず討って、その後晴信の姫を木曽と縁組みさせることによる、両家の間は盤石になると言う。晴信はこの意見を入れ、勝てば真っ先にそなたに知らせると言い、真田と相木の調略が行われる。

その頃晴信が陣を敷いた朝日城で、伝兵衛は鉄砲を点検していた。そこへ葉月が来て、なぜ伝兵衛は独り身なのだと尋ねる。葉月とのやり取りの中で伝兵衛は、自分がどうやら彼女を愛していることに気づく。また勘助は木曽へと発つが、由布姫にしばし引き止められ、戦が終われば嫁をもらって、山本家の血筋を絶やさぬように約束させる。また、己が家のことをおろそかにする者に、四郎は託せぬとも言う。しかしこれは由布姫にもつらいことであり、これが二人の今生の別れとなった。そして勘助が木曽福島で策を練っているところで、狼煙が上がる。

それは、長尾景虎が攻めて来たということだった、木曽攻めは中断され、両軍は犀川を挟んで200日の間にらみ合う。長尾方の宇佐美定満は、旭山城を挟んだ葛山に陣を置くことを提案する。これで武田とも五分になると宇佐美。この付城の策に相木と真田は感心するが、それは兵糧が尽きれば武田は終わるということでもあった。秋山虎繁は、敵を褒めている場合ではないと言い、勘助は、今川方に間に立ってもらうことにした。そこで太原雪斎が長尾陣を訪れ、荘子の言葉を持って和睦を申し入れる。

武田は当てにならぬと言う景虎に、ならば自分を信用してほしいと言う雪斎、宇佐美は、雪斎の経歴を景虎に教え、景虎も結局和睦を受け入れる。晴信は雪斎に酒を振舞うが、雪斎はわずかしか飲まず、早々に駿河に戻り、松平元信に酒を用意させた。元信が六歳の時から手塩にかけた雪斎は、彼が元服したことに喜ぶ。また武田北条は大したことはない、ゆくゆくはそなたが今川の力となり、天下の平安をと言ったところで雪斎は昏倒し、帰らぬ人となる、この松平元信、ひいては元康と名乗ることになる青年は、後の徳川家康である。

雪斎の死は今川家に大きな衝撃をもたらした。そして諏訪では、由布姫の最期が迫っていた。勘助は後ほど来ると聞いた由布姫は、木曽との戦のことを訊き、勝ったと答える晴信。また四郎の元服後の名を勝頼と決めたと聞かされ、その名に恥じぬように生きよと四郎に伝える。志摩の嗚咽を聞き、自分はもう死んだのか、まだ自分は空を飛んでおらぬと言いつつ、由布姫は亡くなった。その頃武田方の藪原砦では、木曽は恭順の姿勢を見せているが、家中が二つに割れているため、守りを緩めない秋山を勘助がねぎらう。

その時彼方の方で鬨の声が上がり、木曽の兵たちが攻めて来た。声の方へ向かおうとする勘助に、伝兵衛が急ぎ足でやって来た。そして勘助に、諏訪の姫様が亡くなられたと伝える。驚きのあまり声も出ず、辺りの声も聞こえない勘助。やがて、取り落とした兜を拾うこともなく刀を抜き、鬼神の如く木曽の兵を倒して行った。あの、自分を困らせる姫がもうこの世にいないということが、信じられない勘助は叫んだ。
「さようなことがあるわけがなかろう!」

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この木曽攻めの際の当主は木曽義康、そしてその子が木曽義昌です。木曽義昌といえば、『真田丸』で滝川一益から人質を受け取り、その人質の一人だった真田幸隆の妻、とりから「信玄公の前で小便を洩らしおった」といわれた、あの小物臭漂う人物です。

そして由布姫が亡くなったことで、勘助は何やら八つ当たりの如く、木曽軍の兵に襲い掛かります。由布姫から山本家を絶やさぬようにいわれ、その後ある方法を考え出す勘助。一方このことを勘助に知らせた伝兵衛は、葉月が色仕掛けで諜報をするということに抵抗を覚え、自分の葉月への思いに気づくことになります。

[ 2018/01/15 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『青天を衝け』の感想も書いています。またBSで再放送中の『黄金の日日』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2021年には北半球最強であるブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの試合も組まれています。このチームにいい試合をし、今後さらに上を目指してほしいものです。国内のラグビーも、2022年からはいよいよ新リーグがスタートです。

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