『新・平家物語』、第1巻の後半です。清盛は義母池ノ禅尼からの銭を麻鳥に渡します。麻鳥は何度も礼をして去って行きます。そして彼はその年の冬密かに讃岐に渡って、崇徳上皇の住居の前で笛を奏で、上皇はそれに聞き入ります。上皇はその8年後に崩御しますが、その間この讃岐に上皇を訪ねたのは麻鳥のみでした。
宮中では、後白河上皇の乳母の夫である信西が権力を握っており、やはり上皇の近臣である藤原信頼と対立していました。そして平家一門が熊野詣に行く隙を狙い、義朝と手を組んで、信西を亡きものにして権力を握ることを企みます。信西はわずかな従者を連れて逃げるものの、義朝の追手が近づいているとの情報から、穴を掘ってその中に入り、芯をくりぬいた竹を地上に出して呼吸をしながら、敵が過ぎ去るのを待ちます。しかしそれを目撃していた百姓がいたため、義朝軍から殺されてしまいます。
熊野詣の途中でそれを知った清盛は、万事休すといった状態でした。ところが家人の家貞が、武器や甲冑を荷駄に入れており、清盛たちは武装して信頼や義朝軍との戦いに臨みます。その頃清盛の館を、源頼政(兵庫頭)が訪ねて来ており、応対に出た時子が、いずれ主が帰ってからと言うのを聞いて、戦場で会うか清盛の招きを受けるかどちらかと、意味深な言葉を残して去って行きます。
両者の対立は避けられなくなっていました。これを受けて後白河上皇は幽閉先を逃げ出して仁和寺へ入り、清盛は二条天皇の脱出を助けます。天皇を迎え入れたことで、打倒信頼・義朝の勅命が下り、平家軍阿は三手に分かれて義朝の軍を攻め立てます。義朝軍には、この日が初陣の三男頼朝もいました。しかし最終的には平家軍に敗れ、中立を保っていた頼政の軍まで敵に回した義朝軍は、なすすべなく落ち延びて行きます。その途中頼朝ははぐれてしまい、また長男義平たちと別れた義朝は、尾張野間で裏切りに遭って暗殺されます。
頼朝はその後、平家の家臣である宗清と出会って六波羅へ赴きます。頼朝は将来出家したいという望みを抱いており、池ノ禅尼も彼の助命を嘆願します。清盛は直に頼朝に会って話を聞き、結局この頼朝と、常盤の子供たちの助命を認めました。これには弟の経盛と教盛が反対しますが、義弟の時忠は清盛に同意します。そして頼朝は、池ノ禅尼の手になる写経を受け取り、流刑地の伊豆へと去って行きます。
子供たち(後の阿野全成、源義円、源義経)と別れた常盤の嘆きはひとしおでした。ところがある日、清盛は源氏の残党である義平に襲われ、常盤がいる伊東景綱の屋敷に身を潜めます。そこで常盤に出会ったことで、逢瀬を重ねるようになり、清盛は、さぞ自分のことを恨んでいるだろうと言うものの、常盤はその清盛に、身をゆだねるようになります。
しかし常盤との密会は、敵の女を我が物にしたと評判が悪く、時忠が出向いて彼女に再婚を勧めます。常盤は、それに従うしかありませんでした。その後常盤は寺に詣で、子供たちの安全を祈願します。その後僧の案内で通された部屋には、清盛が待っていました。一人の男と女として会いたいと口にする清盛に身をまかせ、2人だけの時間を過ごした後、常盤は寺を後にし、この2人が再会することはありませんでした。
その頃時子は弟の時忠と外出していました。車を止めたその場所で、時忠は、御簾を上げるようにと言い、時子も外を眺めます。そこは西八条で、いずれここに平家の屋敷ができると得意げな時忠に、時子は、自分が欲しいのはそのようなものではないと言い、御簾を下ろしてしまいます。(第1巻後半終わり)
麻鳥の登場から平治の乱を経て、いよいよ清盛が名実ともに権力者になるまでが描かれます。この総集編では、崇徳上皇の狂気に満ちた振る舞いはありません。麻鳥が上皇を慕って、讃岐にやって来るまでが描かれています。そして、信西が我が物顔に政治を仕切るのを快く思わない信頼は、平家一門が留守の間に、信西を亡きものにしようと企み、これがもとで平治の乱が起こります。
しかし清盛が上皇と天皇を匿っている以上、信頼や義朝は朝敵にならざるをえませんでした。さらに、義朝の三男頼朝はこの平治の乱が初陣でした。『平清盛』とは違い、この大河ではセットでの撮影とはいえ、一応雪景色となっています。その雪を見つめる頼朝を見ながら、義朝はこう口にします。
「合戦と言っても雪合戦をしたい年ごろだなのに、その雪を血に染める合戦である」
後に頼朝がはぐれた後、八幡神に無事を祈る姿共々、義朝の父親としての愛情が窺えます。
しかしこの藤原信頼、如何にも小物臭のする人物で、自ら甲冑をつけて戦場に出向いたはいいものの、清盛の息子重盛から、烏帽子を射抜かれてしまいます。しかも平家一門が熊野に向かうのを、窓越しに眺めてにやにやしたりと、如何にもこの辺りは勢力争いに絡みたがる公家の姿です。しかしこの窓越しのシーン、何か既視感があると思っていたのですが、『国盗り物語』と『麒麟がくる』で、斉藤道三が信長一行を待ち受けていたその時に、当の信長のあられもない姿を見て仰天するシーン、あれにちょっと似ています。
清盛は一同に檄を飛ばす際、平治に、平安の都で平家が…と頭韻を踏んだ言い方をしています。そして戦は短時間で決着がつき、義朝一行は落ち延びて行く最中で、居眠りをしていた頼朝とはぐれます。その後義朝は暗殺されますが、頼朝は自分を狙っている者たちに気づき、無我夢中で刀を抜いて馬を走らせます。その後の様子が端折られていますが、恐らくは郎党と共に六波羅に行こうとしていたところを、平家の家臣に見つかり、その郎党が斬られてしまいます。平宗清が馬上からものを尋ねたため、自分はそのような身分ではないと、毅然として答える頼朝です。
平家の棟梁である清盛は、この頼朝、そして常盤の子供たちをどうするか悩んでいましたが、池ノ禅尼の要請もあり、助命することに決めました。これが後々禍根を残すことになります。頼朝が挙兵した後、自分を裏切った義仲の子義高を手にかけたのは、これが一因でした。ともかく頼朝は池ノ禅尼から、将来は出家するように言われてうなずきますが、一方で、別の人物から出家を思いとどまるように言われており、それにも同意していました。『草燃える』関連でちょっと触れていますが、頼朝という人物の二面性が、この時既に芽生えていたようです。
常盤は寂しさもあり、清盛に身をまかせるようになって行きます。しかし正室である時子は、それが面白くありません。時忠から西八条の屋敷の計画を聞かされても、そのようなものは欲しくないとにべもない態度を取ります。しかしその時忠は、義兄の体面も考えて常盤に再婚を勧めてはいるのですが…なお、この大河では2人の間に子供はできていません。
しかし仲代達矢さん、私としては『風林火山』の武田信虎のイメージが強いせいか、かなりお若いですね。無論、他の出演者も同様です。