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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その9

では残りのページに行きます。
しかし無駄に(と言っていい)文章が多いですね。2ページで十分過ぎると思います。そのためファンダム関連とか、クィア・ベイティング(同性愛を売り物にすること)関連など、武者さんのいつもの主張と思われる部分は、一々挙げていません。

ではまずこれからですが、文章の構成、そしてドラマ本編の捉え方に関して疑問があるので、敢えてすべてを引用しています。

本作は、遺体の扱いも無茶苦茶です。
◆「どうする家康」義元の首を槍投げ 重量なんの一発決め!演出も感動 ネット反響“岡田信長”初登場の裏側(→link)
『麒麟がくる』でも、織田信長は遺体損壊をしていました。
生首を箱に詰めていた場面は衝撃的。
あの場面では信長の両親が驚き、怒り、嫌悪感を見せていたものです。
遺体損壊が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのです。
一体何を考えているのでしょうか。
こういうことをするから合戦にはリアリティが無い。
今週は最後にとってつけたような残虐描写がありましたが、どうせ作り物だと何の衝撃もありませんでした。
生きるか死ぬか、そんな状況を笑いにするセンスも決定的に痛い。
そりゃネットで笑う人はいるでしょう。
しかし、だから何ですか?

何やら意味がわかりづらいのですが。
まず『麒麟がくる』の、
「遺体損壊が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのです」
ここまではわかります。ただどう見てもあれは箱でなくて首桶だと思いますが、なぜかセリフは箱となっていました。それにしてもこの遺体損壊、要は討ち倒した相手の首を取ることですが、昨年も使っていましたね。
そしてその後、こちらは『どうする家康』関連なのでしょうが、
「こういうことをするから合戦にはリアリティが無い。
今週は最後にとってつけたような残虐描写がありましたが、どうせ作り物だと何の衝撃もありませんでした」
こういうこととは、リンク記事にあるように信長が首を投げ捨てたことでしょうか。しかしなぜそれが
「合戦にはリアリティがない」
となるのでしょう。それと「残虐描写」は、女たちが殺されるシーンでしょうか?具体的に何と書かれていないから、全然意味がつかめないのですけど。
そして最後の3行、これもどういうシーンを笑いたがっているのか不明。

それから信長が火縄銃を連射するシーンですが、

本作は、火縄銃の扱いにおいても「時代考証が雑じゃないか?」と突っ込まれています。
確かに当時の日本は火縄銃の普及が急速に進みました。国衆クラスで持っていてもおかしくないかもしれません。
とはいえ、物流、資産、そして才能もそこには加味されます。
雑魚っぽい国衆が火縄銃をバンバン撃っていたら、なにやら引っかかる視聴者がいても不思議ではないでしょう。

この「雑魚っぽい国衆」とは誰のことでしょうか?織田家は既に大名であったと思いますが、松平昌久のことでしょうか。この人はドラマ本編でも言っていたように「大草」、つまり大草松平家の当主なので、少なくともある程度の鉄砲を持つだけの資力はあったのではないでしょうか。
何だかこの
「とはいえ、物流、資産、そして才能もそこには加味されます」
とうのがどうも説得力不足で、取って付けた印象があるのですが。尚これについては後述します。

『麒麟がくる』でもは初回冒頭で火縄銃が出てきました。
たしかに、山賊ですら火縄銃を持っていた。しかし、実際にはまだまだ珍しいからこそ、斎藤道三が明智光秀に現地調達を依頼する。

ドラマ本編では「山賊」ではなく「野盗」となっていますね。あの鉄砲は恐らく倭寇ルートか何かで手に入れたものと思われます。

とにかく火縄銃の普及にしてもゲームのように簡単には回らないということ。
にもかかわらず本作のように国衆同士の小競り合いでバンバン撃ちまくるとなると、そりゃあ違和感を覚える視聴者が出てきても不思議はないでしょう。
そして今回――織田信長が水野信元を脅すために火縄銃を撃ちました。
しかも再装填の手間など無かったかのような連射。
現代の銃器とは扱いが異なりますし、そうだとしてもあんなふうに安っぽく銃器は使うものではありません。

だから国衆レベルの小競り合いで撃ちまくるとは、どのシーンのことでしょうか。前出のように、第2回の松平昌久の襲撃しか思い浮かばないのですが、それをちゃんと書かないところが武者さんらしいですね。
そして天文年間に於いて野盗が持っていること、その後堺を始め近江や根来で鉄砲が量産されたことを考えると、桶狭間の時点で国衆が持っていてもおかしくはないでしょう。大草松平家の当主ですし。しかし
「国衆クラスで持っていてもおかしくないかもしれません」と言ってみたり、
「国衆同士の小競り合いでバンバン撃ちまくるとなると、違和感を覚える視聴者が出てきても不思議はない」と言ってみたり、何だか一貫性がありませんね。

「とにかく火縄銃の普及にしてもゲームのように簡単には回らないということ」
この前に『麒麟がくる』で、三渕と細川の兄弟が鉄砲について意見が対立したことに触れ、だから鉄砲が普及するには時間がかかると言いたいのでしょうが、その一方で各地の大名や国衆が鉄砲をこぞって持ちたがっていたわけです。その矛盾について触れてほしいものです。

第一『麒麟がくる』の天文年間の鉄砲普及率で、『どうする家康』の永禄年間のそれを判断していること自体が、おかしくないでしょうか。
そして信長の連射、本編をきちんと観ていた人はおわかりでしょう。家来衆が何人か待機していて数丁の銃が準備され、信長が撃ち終わる度に、装填済みの銃を次々と渡していました。だからこそ連射が可能で、それによって信元を脅すことも可能だったわけです。

『麒麟がくる』では、足利義輝殺害に怒った明智光秀が、松永久秀に火縄銃を向ける場面がありました。
あのシーンを思い出すと、本作はなんという薄っぺらさなのか。

また「キリンガクルデハー」
多分あのシーンなのだろうと思いますが、私としては、洋画か何かをパクったのかなと思ってしまいました。
その後かなり文章が少ないパラグラフがわざわざ作られており、

今川義元が生きているとか。
瀬名と我が子と再会するとか。
そんなしょうもないドリームを入れるほど余裕はあるのですか?
(中略)
【大坂の陣】など、寺島しのぶさんのナレーションだけでクリアするかもしれません。予算にもやる気にも限界はありますからね。

元康がまだ駿府に未練があり、後ろ髪を引かれるような思いだからこそ、義元や瀬名が夢に出て来たわけでしょう。
恐らく、武者さんが真剣に観ていないであろうことは察しがつきますが、それ以前に、こんな「しょうもない」パラグラフを作る意味があるのか、と考えてしまいたくなるのですが。スペースを埋めるためでしょうか。

さらに引用記事(日刊ゲンダイ)が紹介されており、
「その一方で、動画配信サービス「NHKプラス」の視聴数は歴代1位だということにも触れています」
とあります。

確かに素晴らしい数字でした。
今後の基準としても有用であり、問題は今後も続くかどうか、でしょう。
初回は好条件が揃い過ぎていた。
・昨年で動画配信サービスNHKプラスの視聴数が劇的に伸びた
・徳川家康の知名度
今後も『鎌倉殿13人』のように数字を保てるかどうか、注視したいと思います。

今後も『鎌倉殿の13人』のように数字を保てるかとありますが、これはNHKプラスの再生回数のことでしょうか。とは言っても、この再生回数は視聴率のように視聴者の目に触れるわけでもないし、数字を保てるかどうかな注視したいなどと書くより、今後もそうあってほしい程度にとどめた方がいいのでは?

それとここで言及されている日刊ゲンダイの記事ですが、武者さんらしく?基本的に叩き記事ですので、再生回数についてだけを知りたいのなら、こちらの方をお勧めします。この日刊ゲンダイに加え、サ〇ゾーの叩き記事もありますが、武者さん、このコラムのために日ごろからそういうメディアによく目を通しているのでしょう。

「どうする家康」初回は配信も好調!NHKプラス視聴数 歴代全ドラマ初回1位を記録 前作「鎌倉殿」超え
https://news.yahoo.co.jp/
articles/675b9b838b1e9b342fa632f26c73373aed7e4e26(yahoo!ジャパンニュース)
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/
2023/01/16/kiji/20230116s00041000382000c.html(スポニチ、元記事)

そしてその後はポリアンナ症候群がどうのこうの。

ものごとの微細な良い面だけを見て、悪い面から目を逸らすポリアンナ症候群の観察にはうってつけと言いましょうか。

と言うより、武者さん自身がポリアンナ症候群のように見えて仕方ありません。
認知的不協和(自分の考えと矛盾する発想によるストレスのこと、それを解消するために自己正当化を行う)、確証バイアス(自説補強の情報ばかりを認める)が特徴的な心理状態を指すこの用語は、正に、武者さんのためにあるようなものと言ってもいいかと思います。

そして

このドラマは『青天を衝け』に似ている――とは、大手メディアでもそれを認めるような記述があって勇気づけられた思いです。

武者さんとは逆の意味で、私も勇気づけられた思いです。
『青天を衝け』はすべてがそうでないにせよ、面白いところもありましたから、この大河もそうなってほしいと期待が持てます。

で例によって慶喜批判、そして曹操の詩が引用されていますが。

月明らかに星稀(まれ)に 烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ
樹を繞(めぐ)ること 三匝(さんそう) 何(いず)れの枝にか依(よ)るべき
月が輝くと星の光は見えなくなる 鳥は南へ飛んでゆく
木の周りを三度めぐって どの枝に宿るべきかわからない
曹操『短歌行』です。

「月明らかに星稀(まれ)に」は、月が明るいので星があまり見えない夜という意味ではないでしょうか。そして鳥じゃなくて烏鵲、つまりカササギなのですけど。そのカササギが木の周りを3回巡って、どの枝に止まろうかとしている、そういう意味です。

『どうする家康』は、クオリティやスタンスでは『青天を衝け』と一致しながら、初動ミスのため戦略で大ゴケして今後どうなるか?
さあどうするメディア?
ワタシみたいにぃ、サバサバしとくぅ?
『ワタシってサバサバしてるから』の3週目、『大奥』3回目に期待しています。

だったらもう大河コラムなどおやめなさい。
このコラムだってまともなあらすじなし、歴史面での突っ込みなし、これではまるで羊頭狗肉または看板倒れに等しいかと思います。
それと、自分の主張に取って都合のいい情報だけ集めて初動ミスも何もあったものでもないでしょう。これは武者さんだけでなく、コラムを書かせている武将ジャパンにも責任ありと思われます。

(2023年1月29日加筆修正)

飲み物-暖炉の前のウイスキー
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[ 2023/01/29 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』ここまで観て来て

『どうする家康』、今まで関連投稿でもちょっと触れていますが、面白く観ています。当初はかなり不安もあったのですが、観てみると意外と面白く(これは『青天を衝け』と『西郷どん』も同じ)、今のところこれから先も観続ける予定でいます。

主人公は現時点ではいささか頼りないのですが、その彼を支える家臣たちがそれぞれ一癖あって、しかも如何にも三河の人物らしい質朴さもあり、この両者の絡みに加えて、大胆不敵で元康を兎呼ばわりする信長とか、駆け引きの仕方を教える水野信元といった、クセの強い面々が登場し、戦国大河らしさを感じさせます。

そして於大の方。主君たるもの国と家臣のためなら、妻子を捨てよと言ってしまう辺りもなかなかのものです。実際この時代は、家族よりも家臣や乳母との結びつきの方が、場合によっては強かったと言うべきでしょう。この女性も兄の裏切りによって離縁させられるなど、戦国時代のある程度の身分の女性らしい経験もしており、それゆえに様々なことを学んだと言えそうです。

本当の話、私は『麒麟がくる』には少し期待はしていました。前年の『いだてん』がちょっと期待外れであったこと、そのため2月から観なくなったこともあり、この次は男性主人公の戦国だから、それなりに大河らしくなるのではと思っていたのですが…。

ただ駒が出張るシーンだけがよくなかったのではなく、演出とか衣装の色遣いなど、他にもちょっとこれはどうかと思われる点がいくつかあり、同じ池端氏の『太平記』が面白かっただけに残念でした。とはいえすべてがよくなかったわけではありません。

大体どの大河もそうですが、100パーセント面白い、あるいは面白くないという作品はそうお目にかからないものです。『麒麟がくる』の能のシーンなどはこれぞ室町文化といった印象でしたし、吉田鋼太郎さんの松永久秀などもよかったとは思います。あと『鎌倉殿の13人』、これも前に書いてはいますが、負ける側の人物、特に義経が追われる描写などは三谷さんらしかったと思うし、やはり三谷さんは、こういう人物を描く方がいいいのではと思ったこともあります。

話が戻ります。元康が今川に背を向けて、尾張に行くことになり、次回からは織田家の人々が多く登場するようです。無論大河はドラマなので、オリキャラも当然出て来ますが、ガイドブックをざっと見る限り、忍びとか謎の人物といった設定に留まっているようです。

あと鵜殿長照とお田鶴も登場するようですが、お田鶴は『おんな城主 直虎』の時に登場させられなかったのかとは思います。あの場合は直虎(おとわ)を中心に据えたため、逆に出しにくくなったのかも知れませんが、永禄年間の東海地方の情勢に、もっと突っ込んでもよかったかも知れません。

飲み物-冬のシードル
[ 2023/01/25 07:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

戦国大河の家康の登場回数

『どうする家康』が始まってふと思ったのですが、徳川家康という人は、戦国大河の大半に登場しているのではないかと思います。少なくとも近畿地方や東海地方が主な舞台の場合は、殆どと言っていいほど出て来ているのではないでしょうか。今再放送中の『おんな太閤記』にも出て来ていますし。

また近畿や東海がメインでなくても、武田信玄が主役の大河の場合、三方ヶ原の戦いで比較的若い家康が登場しています。それぞれの作品に於ける立ち位置をざっと分けると、以下のようになりそうです。

主役
準主役、身内を含め主人公に比較的近い存在
主人公の主君、同僚またはそれに近い存在
主人公と直接関係はないが、何らかの形で巡り合う、または知り合いになる
時代設定が違う大河に、いくらか縁のある人物として登場

言うまでもないことですが、一番最後に該当するのは『青天を衝け』と『鎌倉殿の13人』のみです。『おんな太閤記』は上から2番目のパターンでしょう。戦国大名が主人公の場合、最初は上司的存在で後に主君となるケースが多そうです。無論秀吉の登場回数も多いのですが、『葵 徳川三代』は秀吉薨去後から始まるため、この大河では登場していません。

それから信長ですが、大河では18回登場(2020年時点、NHKアーカイブス)となっています。しかし2022年放送のスペシャルで、確か「19人」とあったのですが…『風林火山』に登場したモブ的な信長も含めてのことでしょうか。しかし信長が登場しない戦国大河(『春の坂道』、『独眼竜政宗』、『葵 徳川三代』など)でも家康は登場していますので、やはり戦国大河では断トツの登場回数と思われます。

なお前出の『風林火山』では、松平元康もわずかながら登場します。これは今川家が出て来るためです。

飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2023/01/14 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 88その2

先日分の続きです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第6回「悪い知らせ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


義時は難しい。
この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけで、本当にろくでもない役割を振られている印象すら受けるのです。
そんな、誠意しかない、真心だけでいる男が、最終勝利者になる。
これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか。
誠意にあふれていて、信頼できそうな義時を、疑うことはできますか?
無理でしょう。人智を超えた罠かもしれない。
義時は自分でも無自覚のうちに、謀略を巡らせている。やり口は卑劣だろうと、大目標が仁のためならばよろしい。
そんなひねりにひねった展開が待ち受けているようです。

「この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけ」と言うか、頼朝自身が家来を持たないに等しいから、北条家の人物が奔走せざるを得なくなるわけですが、逆に頼朝を担げば北条の世の中になるというのも、実感は湧かないながら漠然と思ってはいたでしょう。ただ源氏の男性陣、ひいては北条家の男性陣も、どこか女性たちに焚き付けられている感もありますが。
あと
「これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか」
武者さんの場合自分のお気に入りだととにかく、凄いことだと書くのですが、それが「どのように」凄いのかが伝わらないのです。凄い凄いだけだと、言っては何ですが小学生みたいだし、小学生でもものの分かった子ならもう少し具体的に書くでしょう。

まず突っ込んでおきます。
北条宗時の死についてナレーションがあったことを「ナレ死」とするネットニュースがありましたが、修正されたようです。
本来のナレ死の定義はこうだったはずです。
【最期の瞬間がなく、ナレーションで死んだとされること】
宗時は、刺される場面があったため「ナレ死」には該当しませんね。

誤りを正すのはいいのですが、武者さんもドラマ本編とか漢籍の説明なので、時々ミスがあったり、あるいは意味が違うのではないかと思われる記述があったりします。プロなのだからその点に気を付けてください。

そして「まさかの……」「ロス」というニュースも多くあります。
しかし、坂東武者に心がなりきった俺からすればロスはありえねえ! これから死屍累々なのに、たかがこの程度の死でショックを受けてたら身がもたねえ。
だいたいあの登場人物一覧がとんでもねえことになるのよ! 自治体コラボがコレだからな。
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日にちをめくっていくと滅亡するのかー!

いや別に、ロスを感じる人がいたらいたでいいのでしょうか。特定の人物を推していて、その人が早々に退場したりすると、やはり何らかの喪失感はあるでしょうから。

はい、なりきりはやめまして。とにかく坂東武者はこういう価値観です。
「平氏の連中は弱っちくていけねえ。あいつら身内が死んだくれえでメソメソしてやがらぁ。俺らはロスなんて言ってる暇はないぜーッ!」
「和歌ぁ? んな意味のねーもんなんでしやがんだぁ?」
人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います。

「人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います」
ちょっと意味がわかりづらいのですが、この場合の人の死を悼む文章とは具体的に何でしょうか。そしてなぜそういう心理(心境と書いた方がわかりやすいかと思います)にならないと今後辛いのでしょうか。
和歌に意味があるかどうかはともかく、結局はその和歌が大好きな実朝が鎌倉殿になってしまい、その時期にまたも御家人の血が流されるのみならず、公暁が自分は後継者だと主張するようになり、最終的に源氏の時代は終わることになります。これがもとで坂東武者たちが和歌を軽蔑したのならともかく、当然ながらこの時、それを見通せた人物はいませんでした。

ロスと言っている今はマシかもしれない。
感覚が中世になったら、ある意味この作品は完成します。
「感覚が中世って何?」
そう疑念を抱かれた方に、こちらを見ていただきたい。
『ゲーム・オブ・スローンズ』とコラボしたビールメーカーの広告です。
これをファンはネタにして爆笑しました。
ドラマ本編ではそれこそロスを味わっていたのに、人が惨殺されるコラボ広告では笑ってしまう。むしろ惨殺でウケる〜〜となってしまうことこそがおそろしいのです。

感覚が中世というのも妙なものです。まだ律令国家とは異なる体制をまだ築き上げておらず、そのせいもあって多くの血が流されました、鎌倉時代前期と言うのはそのようなものだと書くのであればまだわかります。そして殺戮が多い点は共通するものの、十字軍やキリスト教守護が中心の西洋の中世とは、その点が異なってもいます。そしてこのゲースロの広告の動画が貼られていますが、大部分がドラマのシーンであり、逆にドラマでの予備知識があるからこそ、広告では笑い飛ばせるとも言えますし。あの部分がCMになってるぞ、面白いといった感覚かと。
ならば義時を演じる小栗旬さんが、プレモルを飲むCMがあってもよかったかと思いますが、流石にNHKがOKを出さなかったのでしょうか。

『吾妻鏡』には、「アイツの死に方無様でマジウケる〜」とケタケタ笑う坂東武者さんの会話が記録されていまして。宗時お兄ちゃんが死んだ頃は真面目だったよね、うちら……と、こうなったらある意味完成します。
それがいいのか悪いのか。ロスというよりも、読経がおすすめですね、心も落ち着くし。

「感覚が中世になった」とか、完成するとかしないとかより、そういう時代だなと受け止めつつ観るしかないのだと思いますが。
そして最後の方の文章、これまた何を言いたいのか不明です。こう言っては何ですが、酩酊状態で書いた文章なのでしょうか。

それからこの回では、八重や時政、義時を始め身内を失った人が多く登場するとあり(ちなみに八重が墓石を前に泣くとありますが、あれは供養塔ではないでしょうか)、

その割に、悲壮感が薄いとは思いませんか?
なんのかんので安西景益の用意する酒を飲んでいるしな!
彼らを見ていて、ふと考えるのが動物の感情です。
動物は、喜怒哀楽のうち“哀”が薄い。
なぜかというと、“哀”を味わい落ち込んでいると、個体の生存率が下がるから。他の感情は生き抜く上でむしろあった方がいい。
しかし“哀”だけは別。気持ちが沈んで弱くなったら、隙が生じます。
このドラマの坂東武者とは、喜怒哀楽のうち、“哀”以外はむしろ濃厚に思えます。和田義盛なんてその典型でしょう。
むろん、ふざけているのではなく、これは意図的に人間の進化段階として描いているのかもしれない。

まず、この当時はそういう時代であったと考えるべきでしょう。無論細かい部分まで描こうと思えば、悲しみや辛さもあるいは描けたかも知れませんが。
そして「哀」云々、これはダメージが大きくならないように進化していると言うべきでしょうか。
ダメージやストレスが大きいと、普段の生活に好ましからざる影響を与えるから、脳が忘れてしまうとか、または美化するようになって行きます。これが所謂認知バイアスと呼ばれる、考えや判断の偏りとなってしまうわけです。
とはいえこれはすべての人類に言えることで、何も坂東武者だけがそのように進化しているわけではありません。

“哀”という感情は高度で、かつ宗教や道徳で規定されます。
たとえば儒教では、服喪中はストイックなまでの節制を求められます。
酒はダメ、肉も禁止、薬も飲むな。
服喪期間が長すぎて「やりすぎじゃないか」という批判が定期的に入ります。

語弊がある言い方かも知れませんが、それが儒教社会のある意味停滞感につながっていると言えなくもありません。

大河と儒教規範って、それこそ小島毅先生がノリノリで取り上げてもいいと思うのです。ここ数年、なかなか面白いことになっています。
2020『麒麟がくる』:朱子学規範を貫く明智光秀
2021『青天を衝け』:どこか歪んだ日本型陽明学と、水戸学を選んだ渋沢栄一や明治政府の人々
2022『鎌倉殿の13人』:儒教規範がまだ浸透していない坂東武者は、いかにして道徳を身につけるか?
2021年の陽明学は正直食い足りないと思いますが、他は充実しています。
今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう。

ここでも青天批判と言うか、「2021年の陽明学は正直食い足りない」とありますが、時代も身分も違う主人公たちが、儒学への接し方が全く同じであるわけはありません。何よりも、江戸時代の末期に下級武士や農民にまで、こういう学問が広まっていたことに注目するべきかとも思います。そもそも陽明学は、朱子学批判から始まってもいますし、志士たちの中にも陽明学に影響された人物がいます。結構日本で独自の発展を遂げたりもしています。

そして
「今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう」
人類普遍がどうこうと言うあたり、朱子学批判に端を発して普遍的な秩序を重んじ、幕末の志士に影響を与えた陽明学に対する批判にも見えますね。

幕府というものを立ち上げた時代は、キャラ萌えが重要でした。
『青天を衝け』でも出てきた徳川慶喜を考えてみましょう。
彼は幕臣からすら「あいつってゲスでサイテー」と罵倒されています。人間的にはどうかと思う。
でも幕臣にせよ会津藩士にせよ、慶喜の血筋と立場を守ろうとしました。
慶喜なんて鎌倉の坂東武者なら即座に殺しかねないほど下劣な一面がありますが、武士の認識が変わったからこそ、死にもせず駿河で趣味に生きる余生を過ごせた。
キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい。

殆ど無理やりな感じがしますね。
とりあえず
徳川慶喜は叩きたい
鎌倉殿は褒めたい
と言うのはわかりますが、
「キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい」
てどういうことでしょうかね。
それになぜキャラ萌えが出て来るのでしょうね。どうにもこうにも自己満足あるいは自己陶酔の域を出ていないようです。
とにかくコラムの締めくくりらしきものを書こうとしたのでしょうが、何とも意味が通りにくい文章だなと思います。あれこれ書くより、一番最後の
「今年の大河は、ともかく推せます」
だけでもういいのではないでしょうか。


飲み物-トディ
[ 2023/01/04 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その4

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その4です。一応これで終わりとしますが、本当言って全文突っ込みたくなりますね。これが個人のサイトやブログで、無償で書いているのならそれはそれでいいのです。

しかし報酬を貰って書いていてこの有様です。無論こういう文章を何年間も書かせる方も責任があるでしょう。嫌いな大河の時には「辛口」の書評(とも言えませんが)だからとのことでしたが、『麒麟がくる』や今年の場合は、お世辞にも辛口とは言えません。と言うか、三谷大河はやはり擁護したいのですね。嫌いな作品で以下のようなシーンが出て来たら叩きまくるでしょう。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


まず初回に出て来た「首ちょんぱ」関連で、

今回は敢えて時代劇から外した演出やセリフ回しを使用しています。
北条時政の「首ちょんぱじゃねえか!」という台詞は話題をさらいました。
こうした台詞は笑わせようというだけではなく、人物像や語彙力を示す上でも効率的であったといえます。
演出面でもGoTを参照したいとスタッフは語っています。
つまり“敢えて”これまでの時代劇でなくしているのです。
それが好みに合わないのであれば、”not for me”、「好みに合わない」で終わる話。叩くのは筋違いです。
(中略)
作る側が進歩したならば、見る側もそうあるべきではないか?と思うのです。

この「話題をさらった」というのは、当然悪い意味での話題もあったわけです。なのに
「それが好みに合わないのであれば、”not for me”、「好みに合わない」で終わる話。叩くのは筋違いです」
別にわざわざ”not for me”と英語を出さなくても、好みに合わない、自分向きではないと書けば済む話だと思いますが。
しかも
「叩くのは筋違いです」
「作る側が進歩したならば、見る側もそうあるべきではないか?と思うのです」
何とも上から目線の書き方ですね。なぜ作る側にこちらがすべて合わせないといけないのでしょうか。無論合わせたい人も当然いるでしょうが、何だこのセリフと思っている人が、異を唱えるのを許さないと言っているに等しいと思います。
尚、坂東彌十郎さんの時政は好きでした。

三谷さんが「原作」と語っている『吾妻鏡』は、そこまで信頼性の高い史料ではありません。
『吾妻鏡』のぼかした箇所、北条美化についての研究書は一般向けにも発売されているほど。
史料批判を考えれば、『吾妻鏡』通りにしろというのは、むしろ一体何を言っているのか?というような話となります。

『吾妻鏡』ですが、信頼性云々以前に、北条氏のためのものであるのは事実です。しかし三谷さんは公式サイトの中で
「今回で言えば、『吾妻鏡』という、克明に当時の記録が記された文献がある。もうこれが原作のつもりで書いてます。ここに書いてあることに沿って物語をつくり、書かれていない部分に関しては想像を働かせる」
と言っている以上、もう少し『吾妻鏡』に沿った描写もあってしかるべきだったかと思います。

そもそも大河ドラマで、歴史の勉強はできるようで、できませんよね。
大河の関連書籍を並べて「歴史の本を読みました」と言われても、それは受け入れられないでしょう。
いわば大河は”パティシェ三谷さんが作った鎌倉野菜のプリン“のようなもの。
いくら栄養たっぷりの野菜を使っていようと、
「このプリンはおやつじゃないんです。野菜を使ってます! サラダや野菜炒めと同じです!」
では話が通じません。
「いくら野菜を使っていてもプリンはおやつです。そう認識してください」
「いや、このプリンは健康にいい、野菜の風味も生きてて最高。そう野菜料理だという前提で食べているのに何でケチをつけられるんですか? プリンのカロリーぶん、ちゃんと他のものを減らしますよ」
こんな返答になりがちで、話の核がはぐらかされてしまう。
おやつはおやつです。
きっかけとしてはよいけれど、あくまで入口でしかない。
ではなぜ、この手の「史実と違う大河を受け付けんぞぉ!」という記事が出るか?

何だかわかりづらい例えですね。
問題は史実と創作の配分であるかと思うのですが。
要はこういうことでしょうか。

A「大河は史実あってこその大河、下手な創作など入れるべきではない」
B「しかし創作も入れないと、ドラマとして成り立って行きません」
A「その創作が面白くないと、ドラマのとしてのうまみに欠ける」
C「問題は、その創作を視聴者がどのように捉えるかではないでしょうか。無論視聴者によっては面白くないと言う人もいるでしょうから」
A「いや、やはり俺に取っては面白くない」
C「ならばいっそのこと、観ない方がいいと思いますよ。精神衛生面でもよくないでしょう。ただ、なぜ面白くないかと追求したいのであれば別ですけどね」
A「脚本家によってその創作の面白さはまちまちだからな」
C「それはそうですね」

それに「大河は」ではなくて、「『鎌倉殿の13人』は」ですね。すべての大河を三谷さんが書いているわけではありませんので。

ではなぜ、この手の「史実と違う大河を受け付けんぞぉ!」という記事が出るか?
需要があればこそメディアも供給するのであり、主に中高年男性向けの媒体が中心。
愛読書ランキングを作ったら、司馬遼太郎が上位に入りそうな媒体ですね。
読むだけで歴史や世の中の真理を学べるとされていた昭和の感覚です。
そんな気分がまだ残っているから「大河は史実に忠実でなければならん」という謎の責務が湧いてきて、また読者に支持もされるのでしょう。
大河で歴史を学ぶ弊害はそれこそ昭和の頃から指摘されていたんですけどね。

本当にそう言い切れるものでしょうか。ちゃんとリサーチをしていますか。武者さんの好き嫌いだけで判断していませんか。何せ昭和の風潮がとことん嫌い(と言っていい)武者さんのことです。ネガティブな感情がかなり露わになっているようにも見えます。
私も「大河が歴史の勉強になる」とは思いませんが、だからと言って司馬さんの作品を一概に否定しようとも思いません。ちなみに武者さん、後の方で司馬氏の『義経』は面白いと書いています。

かつて先祖顕彰は歴史を学ぶ上で定番でした。
いかに我々の先祖が偉大であるか。支配に正統性があるか。そのために大仰に顕彰することが当然であったのです。
しかし、こうした自国の歴史を顕彰する動きは、近年はもう“オワコン”です。
(中略)
日本の歴史には清く正しい偉人ばかりがいた。偉大な歴史だ!――そんな意識で大河を作っていたら、終わりかねません。
根深い問題が日本の歴史教育にあると思います。
日本史と世界史に分かれた状況。
これがネックになっているのではないでしょうか。
日本だけで歴史を見ていくと、世界史において普遍的であること、特に中国や朝鮮であったことを「日本独自だ」と誤解するような事柄も出てきます。

昔の大河でも、主人公の描かれ方は必ずしもいいものばかりではないのですが。
具体的にどのような大河が「清く正しい偉人ばかりで、偉大な歴史だ」になるのでしょうか。そして日本史と世界史に分かれているのは、もちろん日本と海外との交流が近代に入るまで限定的で、植民地化されなかったことも関係しています。
それと
「日本だけで歴史を見ていくと、世界史において普遍的であること、特に中国や朝鮮であったことを「日本独自だ」と誤解するような事柄も出てきます」
何だか乱暴ですね。

例を挙げます。
「徳川幕府は世界に例のない長い王朝です」
李氏朝鮮の方が長い。
「刺身みたいな生魚を食べるのは日本人だけ」
膾(なます)という料理が中国にはありました。要するに刺身です。
「羹に懲りて膾を吹く」「膾のように切り刻む」という言葉が有名ですね。
中国では時代が降ると膾が廃れただけであり、刺身が日本由来とか、生魚を食べるのは日本だけというのは誤解があります。
「あんパンみたいな菓子パンがあるのは日本だけなんだって、すごい工夫だ、日本人はえらいんだ!」
確かにそれはそうです。しかし、その発想はどこからかというと、饅頭の生地を洋風のパンに置き換えた発想です。
あんを生地で包む発想は、中国由来ですね。
日本の文化や歴史を誇ることをやめろとは全く思いません。
ただ、誇るならば正確であるべきだし、そのことで他国を見下すのはみっともないことでしょう。

「日本人だけ」と言っているのは、必ずしも「他国を見下す」ことにはならないと思いますが。
あと徳川幕府は王朝ではなく、李氏朝鮮と比較することはできません。これ確か以前、ツイッターで論破されていたのを見たことがありますが、まだこう言うことを言っているのでしょうか。
それと膾は「人口に膾炙する」にも登場していますね。元々は生魚や生肉を刻んだものであり、日本もかつては生肉を刻んだもの、そして生魚を刻んだものとして、膳の中央よりも奥に置かれたことから、向こう付けと呼ばれるようになりました。今はおせち料理の紅白なますが有名です。一方刺身は食品をスライスしたもので、その意味でやや膾とは意味が異なります。
それとあんパンの件ですが、確かにかつての中国大陸では饅頭があり、それが日本にも伝わっていますが、パンであんを包むのは日本独自の発想でしょう。

大河ドラマは史実に沿うべきか?
この問いかけは時代によっても異なります。
『鎌倉殿の13人』のように中世ならば、史料が少なく、断定できないため、むしろ創作しなければドラマになりません。
逆に、現代に近づき、近代ともなればむしろ史料は多い。
ゆえに想像力の入り込む余地がありません。
私は2021年大河ドラマ『青天を衝け』における捏造は厳しく批判しました。
そのひとつが
【天狗党の大量処刑を徳川慶喜は命じておらず、田沼意尊単独で決めた】
というものです。
これは問題だとしたところ「慶喜が決めたというソースがあるんですか?」と言われました。
逆に言いますが、慶喜が命令していないという“ソース”は2021年大河ドラマ以外ありません。
渋沢栄一ですら「慶喜公も天狗党の件はお辛かっただろう」と気遣い、慶喜自身も天狗党について語る時は口が重たかったとされます。
あれではかえって慶喜に対して失礼に思えました。

中世なら創作を入れていい
近代は駄目
これではダブスタに他ならないと思います。
幕末大河だって創作が入ったのはありますし、また入れて悪いというわけでもないでしょう。ただ、あまりとっぴな創作は入れにくいとは思います。
それと『青天を衝け』ですが、慶喜は第17回の終盤と第18回の冒頭で、自分の手で天狗党を処刑すると言っていますが。

エンタメなら別に最新の研究を追わなくてもいいでしょ……というのは自国で完結している時代までの話です。
近代となると国際関係にも影響が及んできます。
ここでも悪い例として『青天を衝け』を出します。
あのドラマでは渋沢栄一がベルギー国王・レオポルド2世を称賛する場面がありました。
渋沢本人の回想に基づいていて、当時はレオポルド2世の酷い植民地経営が無法とされていなかったことも確かです。
しかし、ベルギーではもうレオポルド2世を肯定的に評価することはありません。
その素振りを見せただけで国際問題となります。

自国で完結していようがしていまいが、最新の研究は必要だと思いますが。
そしてこの『青天を衝け』のレオポルド2世の件ですが、過去のある時点のことを描くのであれば、栄一がレオポルド2世のことをほめるのは当然でしょう。確かこれも、ツイッターで指摘されていたと思います。

はっきり申しますと……2015年以降の近代大河を信じることは、国際的な人間関係においてはリスク要因です。

それは武者さん、貴方が嫌いな大河だからでしょう。好き嫌いで「レビュー」を書くのは、大河またはエンタメの記事を書く上でリスク要因ではないのでしょうか。

考えるべきはリカバリです。
そこで三谷さんの出番ですよ!
三谷さんならば『新・幕末史』と同じ程度に最新研究を反映した大河を作れるでしょう。
そして私が長年大河ドラマに対して抱いている不満――北海道ご当地がないことも、解決できると思えるのです。
47都道府県があって、これだけ長く続いているのに、北海道ご当地大河がない。
これでどうして国民的ドラマと言えるのか?
私はそこに義憤を感じるほどです。
三谷さんが脚本で、大泉洋さんや金子大地さんが大きなキャストで出る――そんな北海道近代大河の実現を希望します。

はっきり申しますと…私は今後三谷さんが大河を書いても観ないと思います。
それについてはまた後ほど触れますが、三谷さんの作品だからとある程度我慢をして観ていたこともあり、それがいくらかしんどくなったからと言えそうです。
しかし何と言いますか、
「三谷さんだから作れるの!2015年以降の近代大河は駄目なの!北海道大河がないことに我慢できないの!」
何なのでしょうね。これ『鎌倉殿の13人』の総まとめなのに、なぜか北海道大河まで出て来てしまうのですね。

ところでこの少し前に
「これについては、もしかしたら私が過去大河について『史実と違う!とケチをつけていたじゃないか!』とご指摘されたい方もおられるかもしれません」
「ご指摘されたい」と「おられる」の併用も妙なものですが、それはさておき。これは後述するとあるのですが、どうもその後述が、前出の天狗党関連のシーンへの言及と思われます。

これについては既に書いているのでここでは述べませんが、好きな大河では史実に沿っていなくても、批判も指摘もなし(『麒麟がくる』の場合も似たものがあります)、嫌いな大河は史実に沿っていようが、自分が考える筋書き通りに運ばないと何かの如く叩く。炎上狙いにしても工夫が今一つだし、繰り返すようですが、なぜこういうのを書かせるのか不思議で仕方ありません。

あと最後の方に
「歴史を学ぶ魅力というのは、天命の軌跡を見ることだと思います。
どう考えたって、こんなものは何か人智を超えた作用で起きるのだろうと呆然としてしまうことがある」
とあります。こんなものとはラストシーンのことですが、残念ながらどう考えても
「人智を超えた作用」とは、私には思えませんでした。
しかし本当に「天命」という言葉が好きですね。『どうする家康』でも使うのでしょうか。

結局のところ、今までのドラマ本編のコラムで書いたことの焼き直しがあまりにも多く、とても5ページ使って書く内容とは思えませんでした。本当に大河のコラムを書ける人なら、2ページか3ページで無駄なくきちんとまとめるでしょうね。
それとこのコラムへの疑問関連投稿ですが、第6回だけやっていないので年明け、次の大河が始まるまでにやるつもりです。

あと武者さんの書き方、考え方の癖についてもまとめられたらと思います。武者さんはとにかく、好きな大河であってもどこかネガティブな雰囲気が漂うのですが、それは嫌いな大河に好きな(推しの)大河を超えてほしくないという願望によるものでしょうか。


飲み物-ホットウイスキー
[ 2022/12/31 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その3

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その3です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) -
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本編、武者さんが好きなジェンダー論です。

立体感のある愛すべき悪女たち(小見出し)
『鎌倉殿の13人』には、悪女が何人も登場します。
牧の方。
実衣。
比企能員の妻・道。
北条義時三人目の妻・のえ。
ただ、彼女たちにも言い分はあるし、憎めない。そこが納得できるように描かれていました。
ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない。
悪女枠には入らない本作の政子や、八重、初も言動にはきついところがあります。
あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます。
演じる側も戸惑うことはあったものの、むしろいいキャラだと褒められることが多かったと振り返っています。

ここで思うのですが、実衣は「悪女」なのでしょうか。そう呼ばれるほど主体的ではなく、周囲が彼女にいわば甘いせいもあり、あそこまで権力の中枢に入り込んで来られたような感じです。りくの方がもう少し頭を使っているように見えます。
そして
「ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない」
ステレオタイプというのは、どのような意味でステレオタイプなのでしょう。如何にも悪女的なという意味なのでしょうか。それが書かれていませんね。

また
「あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます」
どんぐりをぶつけると「立体感のある女性像」になるのでしょうか。
第一「立体感のある女性像」て具体的にどのような女性像のことでしょうか。


女は再婚する(小見出し)
『鎌倉殿の13人』では、再婚する女性が複数出てきます。
八重。
巴御前。
比奈。
「貞女は両夫に見えず」という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする。
本作は逃げませんでした。
中世考証をしっかりした結果でもあり、より実像に近くなっています。

「『貞女は両夫に見えず』という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする」
「ぼかしたり変えたり」していたのは、どのような大河で、どの部分をぼかしたり変えたりしてでしょうか。それを明記してしかるべきでしょう。
第一こういう再婚は戦国時代でも見られます。それこそ江などその最たる存在ですし、儒教的価値観が根付く前というのは、鎌倉時代に限った話ではありません。

そして本作最大のジェンダー観における成果は、なんといっても北条政子でしょう。
政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました。
政子が義時を守るために戦えと言えば、御家人たちは奮起する。
政子がもういい、ご苦労様と見限ったら、義時は死ぬ。
演説の内容も、義時の最期も、ドラマの創作要素が入っている――要は、この作品は、政子が義時の運命を握る存在だったということです。
思えば頼朝の妻となることで、義時を運命に引きずりこんだのが彼女でした。
それでいて義時が政子を傀儡にしようとすると逃れ、自らが尼将軍となることでだし抜きます。
政子の全戦全勝。
男性主人公で、生殺与奪を女性が握っているなんて、なかなか画期的なことじゃないですか。

「政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました」
結果的にそうなったように見えるだけで、物語の流れを追う限りでは、彼女は理想論を振り回していたところもあり、義時をはらはらさせてもいました。まあ別に生殺与奪権を持たせずとも、もっとシリアスな展開とか、義時と組んでかなりダークな部分を見せるとかいうシーンがあり、共闘の後に弟を看取るという流れであれば、彼女が
「義時の運命を握る存在」
であっただろうとは思います。
そして
「政子がもういい、ご苦労様と見限ったら」
ではなく、
「お疲れ様、小四郎」ですね。しかも義時が息絶えた後にそっとつぶやいています。

日本のマスメディアや視聴者は、GoTのことなんかさして話題にしていないと思えます。
日本は世界的にみてもGoTの人気がそこまで高くないとも言われているのですが、それでも三谷さんやスタッフは意識して名前を挙げているのだから、記事にするならそこにふれるべきなのにそうしない。
人間は自分の守備範囲で話をしたいものです。
自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう。
結果、制作側の意図が通じなくなっていることがしばしばあり、そこを指摘していきます。

と言うより武者さん、貴方がことあるごとにゲースロにこだわっているように思えるのですが。
そして
「自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう」
それを言うなら武者さんも、『青天を衝け』をはじめ嫌いな大河を引っ張って来て、好きな作品と比較するのをやめてはどうでしょうかそもそも大河とは1つの枠であり、その中で放送された作品こそが、何らかの形で大河の持つべきものを受け継いでいる、あるいは受け継いでいてほしいから、比較する人が多いのでしょう。
あとたまたま昔のこのコラムを見て思ったのですが、制作の意図が関与しているはずの、あるシーンがおかしいと指摘したすぐ後で、別の事例を出し、それは制作側が決めることと断言している箇所がありました。何だか矛盾していますね。

「こんなのは時代劇ではない」
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです。
例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます。
同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる。
いずれも当時を再現した結果、視聴者の知っている時代劇と違うとしてバッシングの対象となったのです。

「『こんなのは時代劇ではない』
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです」
昔新春時代劇というのを民放も作っており、その中には源義経などを主人公とした作品もあったのですが、この場合は時代劇でも、平安~鎌倉時代を扱っていることになるのですが。

「例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます」
先日も書いていますが、武者さんにはぜひ『太平記』を観ていただきたいものです。これも正に中世の日本の、しかも南北朝という乱世を舞台としており、あれの殺陣や合戦シーン、謀略シーンなどは、はっきり言って『鎌倉殿の13人』を上回るかと思います。

「同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる」
どう見ても、あの化学染料を使ったような色合いが、当時の色彩であるとは考えにくいのですが。何か、毒毒しい印象さえ受けました。以前ご紹介しましたが、『どうする家康』の公式ツイの布地のサンプル、どう見てもこちらの方がその当時らしさを感じさせます。逆になぜ武者さんは、あの色を当時の色彩感覚と言い切れるのでしょうか。

どうする家康ツイ2(衣装)
そして
「存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる」
伊呂波太夫はまだいいでしょう。問題は駒です。何度も武者さんが書くので、こちらも何度も書かざるを得ないのですが、医者の弟子であった彼女がいつの間にか将軍の側女になり、やけに権限を持っていたり、大名家に出入りしたりするのは何か要領を得ません。また
「帰蝶の立膝がありえないとされる」
これに関しては、その当時は女性の立膝もあったとはされています。ただ、安土桃山時代以降でないと存在しないと思われるような、絨毯敷きの部屋が桶狭間の戦いの頃にあったのには驚きでした。

しかし真ん中あたりになると、どう見てもわざわざ小見出しをつけるほどでもないほどの文章が目立ちますし、また、自分の好きな『鎌倉殿の13人』はすべていい、批判するなと言っているようにしか見えないのですが。


飲み物-ホットラム
[ 2022/12/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その2

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その2です。本題に入る前に、先日投稿分でもう少し。まず武者さんは、視聴率下落の原因として

・そもそも主人公の知名度が低い
・舞台が人気の戦国や幕末ではなく、馴染みの薄い平安末期から鎌倉時代前期だった
・実質的にR18指定がふさわしいと思えるほど、陰湿で残虐な描写が続き、大泉洋さんですら「娘には見せたくない」ほどであった
・プロットが複雑で、伏線を引っ張り、難易度が高い。しかも主人公はじめ登場人物に共感しにくい
・ワールドカップと重なって極端に低くなった第45話6.2%がある
・NHKプラスによる配信視聴が増えた

こういった点を挙げています。この中で時代設定や、サッカーワールドカップのコスタリカ戦(と書いてほしいです、他競技にもワールドカップはありますし)が裏に来て、数字が一桁台に落ちたのは理解できます。ただ元からそう数字が高いわけではありませんでした。
そして「主人公の知名度が低い」とは必ずしも言えないし、実質的にR18指定というのもどうかと思います。頼朝の愛人などが出て来たのは事実ですが、そこまで陰湿で残虐だったでしょうか。確かに上総広常の暗殺などは、かなり陰謀めいたものはありましたが。それとプロットが複雑云々、これは先日書きましたが、三谷さんらしい小ネタとコント展開が多かったとは思います。あとNHKプラスも、再生回数がはっきりしない限り何とも言えません。ただリアルタイム視聴より、こちらを利用する人が増えた可能性はあります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本題です。

どれだけ美辞麗句が並べられていても、大河ドラマの制作現場がギリギリでは……?と心配してしまうと、それだけで不信感は募ってしまいます。
具体的な例を挙げると2021年です。
事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた。
直前になって「さすがに曲解が酷い」と修正が入ったのではないかと私は感じました。
それだけでなく、小道具やVFXの作り込みが甘く、出演者が疲れているのでは?と伝わってくることも。

また『青天を衝け』叩きですね。本当に懲りませんね(苦笑)。
今後『青天』以上に嫌いな大河が登場するまで、この傾向は続くのではないかと思われます。
そして
「事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた」
ですが、これは2021年の大河です。それで思い当たることがないでしょうか。

すばり「東京オリンピック・パラリンピックの延期」です。元々2020年に開催されるはずで、そのため『麒麟がくる』は中継を挟むことを考慮に入れ、回数が少なめに設定されていました。しかしコロナ禍で1年延期、大河も出演者の麻薬所持による逮捕、コロナ禍による収録の休止などで放送そのものが予定よりかなり遅れ、『青天を衝け』は2月開始、しかもオリ・パラ中継を挟む格好になったのです。それを考えると、プロットが少々変更されてもおかしくはなかったでしょう。
尤もオリンピック嫌いの武者さんは、そういう思考をする以前に、オリンピックなどけしからんと、別の意味で騒ぎそうです(これをストローマン話法と言います)。
それと「小道具やVFXの作り込みが甘い」(パリの風景はやはりVFXだなとは思いましたが)と、「出演者が疲れている」
のとどう関係があるのでしょうか。

日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を大河で作る(小見出し)
『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下GoT)とは何か?
2010年代にテレビドラマ、特に歴史ものを変えたアメリカHBO制作のシリーズ作品です。
歴史観まで変えてしまったとされ、海外の歴史をテーマとした書物にはこんなことまで書かれていることがあります。
「最近の読者は、GoTの影響で、誰もが陰謀を企んでいたものだとみなすものだが……」
というように、それほどまでに影響が大きい。

またですか。
何と言うか、ゲースロ狂信者と言っていい武者さんらしいですね。
そしてその後で、それを追い求めて行ったのが『鎌倉殿』であるとされていますが、それはあくまでも武者さんの主観であり、そもそもゲースロを知らない、あるいは観ない人に取っては何のこっちゃと思うわけです。

ロゴが毛筆ではなく明朝体のフォント。「十三」ではなく「13」がタイトルに入る。メインビジュアルの鮮やかな色合い。
このドラマではクラシックの名曲がサウンドトラックに使われていました。
エバン・コールさん本人のアイデアではなく、依頼されてのことです。
オープニングはVFXで作った石像を用いています。
写実的な石像は日本では珍しく、むしろギリシャやローマ、ルネサンス彫刻を連想させます。

この「13」は、やはりちょっと違和感がありました。
あとクラシックも使う必要があったかどうかは疑問です。劇伴がちゃんとしていればそれでいいわけですし、何かこういう、ちょっと変わったことをやろうという考えが、裏目に出てやしないかと思ったこともあります。
そして石像ですが、これは初回のあらすじと感想に書いていますが、私には兵馬俑に見えて仕方ありませんでした。

『鎌倉殿の13人』は日本らしさが確固たる前の世界を意識していると思えました。
出演者も「いろんな国の人に見て欲しい」と語っています。
「日本らしさ」が定着する前、国民性が確固たるものとなる前。道徳心がまだ成熟されておらず、迷信や不合理が通る。
日本らしさよりも「中世の人類」であることを強調しているように思えたのです。

「日本らしさが確固たる前の世界」て何ですか?
既にその前の平安時代に、和の文化の原型はできているのですが。日本らしさと日本という国家の確立とは別のものでしょう。
そもそも、日本という近代国家の成り立ちは明治からですし、道徳心というか倫理観は江戸時代を待つ必要があります。その割に武者さんは忠義がどうのこうのと、きわめて江戸時代的な倫理観に基づくことを書いていたと思いますが。

稗史(はいし)という言葉があります。
正史に対するものであり、民衆の目線や伝承によって伝えられる歴史のこと。
GoTの場合、原作を読むとより顕著であり、戦乱に巻き込まれていく子どもの視点から歴史的な出来事をみる視点がありました。
大河ドラマの場合、歴史に名を残していない人物の目線で見ることが稗史に該当します。
かつては『三姉妹』や『獅子の時代』のように、大河は主人公が架空の人物であることもありました。
近年は「オリキャラ」と呼ばれる人物も、大河には欠かせなかったものです。
『鎌倉殿の13人』では、善児とトウが稗史目線の登場人物に該当しますね。
最終回までトウが登場しており、民衆目線で歴史を見ることはできていました。
ただ、若干弱かったとも思います。
これは主人公である北条義時が民衆に目線をあまり向けていなかったことも反映されているのでしょう。
姉の北条政子と息子の豊穣泰時は、民衆を労る「撫民政治」の観点がありました。

稗史というのは民間目線の他に、小説とかフィクションという意味もありますから、大河の場合は「歴史に名を残していない」云々より、最初からフィクション、オリキャラでもいいでしょう(実在の人物がモデルという可能性もあり)。あと「欠かせなかったものです」て、もう大河そのものが過去のものになったような言い方ですね。

そして善児とトウですが、殺し屋である彼らが必ずしも一般民衆と同じ視点かどうかは疑問です。亀とか、和田義盛と一緒になった後の巴なら、いくらかそういう目線を持ち得るかとも思いますが。それと『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはもうやらないのでしょうか。ならば『太平記』と『葵 徳川三代』くらいは、きちんと観ておいてください。

それと「豊穣泰時」て誰ですか?(苦笑)

マイノリティ役を、当事者が演じること。
これにより誤解やステレオタイプを防ぎ、かつマイノリティの当事者に配役の機会を増やす効果があります。
海外では当たり前のことで、歴史劇の場合は民族が特に重視されます。
『鎌倉殿の13人』では、宋人の陳和卿をテイ龍進さんが演じ、この点において進歩しました。
過去の大河を見てみますと、『春の坂道』では明人の陳元贇(ちんげんひん)を倉田保昭さんが演じています。彼は香港や台湾で活躍していたため、日本では中国人をしばしば演じていました。

まず陳和卿ですが、彼の場合は寧ろ「外国人」ではないかと思われます。
あと過去の大河で日本人が外国人を演じた件ですが、『黄金の日日』で、明の瓦職人・一観を三国一朗さんが演じていたこともあります。なぜ『春の坂道』だけなのでしょうか。

ジェンダー観の更新:トウの場合(小見出し)
(中略)
男女平等を論ずる上で、お約束の問題提起があります。
「男女平等というのならば、男性的な加害行為や従軍も平等とすべきなのか?」
これについては議論はまだ進んでいる段階であり、簡単な答えが出る問題でもありません。
ましてやテレビドラマが解決する問題でもない。
一石投じることが重要です。
アリア(私注・ゲースロの登場人物)にせよ、トウにせよ、女性でありながら良妻賢母以外、しかも殺し屋である人物が登場しただけでも、重要な問題提起となります。

このトウですが、殺し屋とかスパイは普段それとは気づかれない格好をしています。一般人に紛れ込むためです。しかし彼女の場合は常に男装で、あれだと一目で普通の女ではないだろうと思われる服装をしていました。あれが善児なら男性だからいいでしょう。しかしトウの場合、普段は当たり前の女の身なりで、いざ「仕事」と言う時だけ男装をする方が、それらしさが出ていいと思います。

しかしこのコラム、今回に限ったことではありませんが、この大河は素晴らしいのだと強調したいがあまり、何とも不自然になっている、そういう印象がありますね。それと先日も書いた「新基準」ですが、これは「ゴールポストを動かす」にどこか通じるものがあります。

飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2022/12/29 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その1

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その1です。ちなみに今回は第49回となっていますが、ドラマ本編ではないので、特に第49回をつけなくてもいいのではと思うのですが。

そして内容ですが、少なくとも武者さんとしてはこの大河は大成功としたいようです。私としては、別に人それぞれの基準があっていいかとは思うのですけどね。このため、今までとは基準が違うといったことまで、かなり長々と書かれています。かなり手放しでほめちぎっている感もあり、突っ込んでいるととても時間がないので(年をまたぎそうなので)、主なところだけピックアップして行きます。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


果たして2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は成功だったのか、それとも失敗に終わったのか?
その是非を問われたら、私は大きく頷きながら「大成功だ」と答えたい。
確かに本作は突出した視聴率も残しておらず、何を持ってして大成功というのか?という問いかけに対し、明快な数字はありません。
既存の価値観からは説明しにくいと申しましょうか。
それは最終回で北条時房が語った状況に似ていると思えます。
「いいか皆、もはや朝廷は頼りにならない。これからは武士を中心とした政の形を長く続くものにする。その中心に北条いるのが我ら北条なんだ。よろしく頼むぞ」
“朝廷”とは既存の基準であり、“武士を中心とした政の形”とは新しい指針であり、本作が示した成功要素とも言えます。
その中心に『鎌倉殿の13人』はしばらく座り続けることでしょう。

『鎌倉殿の13人』は私には大成功だった、でも今までの基準ではそうだと言えないから、いっそのこと新しい基準を作ってしまおう。
どうもこのように取れてしまいます。何だか無理やり感があるなと思いますが。

「その中心に北条いるのが我ら北条なんだ」
とあるのは、「その中心にいるのが我ら北条なんだ」と書きたいのでしょうか。
それとこの時房のセリフですが、「朝廷は頼りにならない」ではなく、「朝廷を頼る世ではない」ですね。そして実はその後も朝廷との共同統治は行われるわけです。朝廷を離れて武家政権になるのは室町時代以降なのですけどね。

そして視聴率に関しては、過去4年間の数字(数字的にほぼ同じだった、2018年の『西郷どん』まで)をリストアップし、「かなり凡庸な数字」とあります。しかし凡庸というのは、主に人の性質を表すものであり、この場合はぱっとしないとか、さほど高くもないといった表現の方がふさわしいのではないでしょうか。

しかしコロナ禍を迎えたこの2、3年はテレビ視聴の在り方が前例がないほど急変しており、とても視聴率が伸びる環境だったとは言えません。
その他の下落要因もざっと考察してみると、以下のような理由が挙げられると思います。
・そもそも主人公の知名度が低い
・舞台が人気の戦国や幕末ではなく、馴染みの薄い平安末期から鎌倉時代前期だった
・実質的にR18指定がふさわしいと思えるほど、陰湿で残虐な描写が続き、大泉洋さんですら「娘には見せたくない」ほどであった
・プロットが複雑で、伏線を引っ張り、難易度が高い。しかも主人公はじめ登場人物に共感しにくい
・ワールドカップと重なって極端に低くなった第45話6.2%がある
・NHKプラスによる配信視聴が増えた
NHKを含め、テレビは番組視聴者数そのものが、今後、低下の一途をたどることは避け難く、その辺は皆様だけでなく作り手も痛いほど理解しているでしょう。
反面、動画サイト(VOD)への移行は今後も伸び続けるわけですが、それを担っていた「NHKプラス」は、プロットが複雑な『鎌倉殿の13人』にとっては非常に適していたと感じます。

まず「なぜ」コロナ禍を迎えたこの2、3年はテレビ視聴の在り方が前例がないほど急変しているのでしょうか。
「なぜ」視聴率が伸びる環境だったとは言えないのでしょうか
その辺りの具体的な説明もありません。民放を含め、コロナ禍でも視聴率を伸ばしたドラマはあるのです。それを言うのなら、『青天を衝け』も2月放送開始、オリンピック中継が入る変則的な放送スケジュールの中で、健闘したのではないでしょうか。
そして

わかりにくい場面や回があったら、後で見返すことが簡単にできます。何度でも見たいリピーターの数も把握できます。
NHKプラスの再生回数は、NHK内部でしか把握していません。
ただ、大河については2021年と2022年では大差がついていると言われ、実際、今年は成功だったことが以下の記事にも記されています。

その以下の記事というのは、スポニチの記事
「NHK総局長「鎌倉殿の13人」“三谷マジック”絶賛 配信好調「超優等生」来年「どうする家康」も期待」
なのですが、武者さん、嫌いな大河でこういう記事があれば、こたつ記事だと叩いていたことでしょう。この辺がこの人のわかりやすさでもありますが、レビュアー以前にライターとしての鑑識眼を疑いたくなる所以でもあります。
あと『鎌倉殿の13人』はプロットが複雑と言うより、いつもの三谷さんの小ネタとコント路線という印象の方が強かったですね。

それと
「大河については2021年と2022年では大差がついていると言われ、実際、今年は成功だったことが以下の記事にも記されています」
それはNHKの再生回数がわからないと、何とも言えないかとは思います。逆に2021年はリアルタイムで観た人が多かったのではないでしょうか。

また他にも延々と武者さんの言う「新基準」とドラマ本編とがリンクされており、

こうした再生回数が多い成功作品は、近年であれば『鎌倉殿の13人』だけでなく、朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』と『ちむどんどん』も該当します。
ただし、公的に大きく発表される数字は今も視聴率であり、この辺のアンバランスさが世間での評価を難しくしているのでしょう。
朝廷の定めた律令が武士を想定しておらず、坂東武者は混沌とした基準のもとで生きてきた――その様が『鎌倉殿の13人』で描かれたように、大河の評価基準もそんな状態なんですね。

武者さん、前にもこの3作品を挙げていましたが、自分が好きな作品ばかりですね。
仮に『カムカムエヴリバディ』や『青天を衝け』の再生回数が高くても、恐らくは書かないのでしょう。

そしてこれも前にも何度か出て来ていますが、タグ付きツイは当てにならないとか、エコーチェンバーだなどとありますが、私は武者さん自身が、別の意味でのエコーチェンバーに囚われているように見えて仕方ありません。
尚こういう記述もあります。

『鎌倉殿の13人』では、後鳥羽院が寵愛する武士・藤原秀康が、鎌倉に備えて流鏑馬をすると言っておりました。
今さら流鏑馬なんかを鍛錬したところで、獰猛な坂東武者にはさして意味がない。そんなことするなら敵の進軍経路でも調べておいたほうがよい。
それでも藤原秀康のように「やっている感を見せたら良い」と考えている将は流鏑馬をしてしまう。
視聴率や「ネットの声」を拾う記事は、いわばこの流鏑馬でしょう。

先ほどのにもありましたが、朝廷は駄目、朝廷がやることは駄目と言いたげです。要はこの大河の朝廷が嫌いなのでしょうね。私は朝廷や西国の御家人をもっと描いてほしいとも思いましたが、それはともかく。
「今さら流鏑馬なんかを鍛錬したところで、獰猛な坂東武者にはさして意味がない。そんなことするなら敵の進軍経路でも調べておいたほうがよい」
流鏑馬は武芸のひとつで、軍事訓練なのですが。確か最初の方でも武者さんは同じことを書いていました。そして
「そんなことするなら敵の進軍経路でも調べておいたほうがよい」
も何も、戦う上では武芸を身に着けておくに越したことはないでしょう。この時代流鏑馬というのは大きな意味を持っていましたし。とにかく武者さんが『太平記』を観ていないことはこれではっきりしました。

あとこういうのもありましたのでご紹介しておきます。

私はしばしば「お前の意見なんか参考にならん!」「お前とは意見が合わない!」と宣言されます。
そう言われると私は正直嬉しい一面もあります。
誰かにわざわざ反論されるということは、耳に心地よいだけの論評を垂れ流してはいないのだな、と思える。
人間は、一人一人が自分の頭で考え、判断を下す方が良い。
それが難しいのは、長沼宗政の話でもしたところですが、それでもやはり個々の自主性を重視したい。

とか何とか言うより、先ほどの流鏑馬でもそうですが、歴史をちゃんと把握しているように見えない(歴史系ライターですよね?)、ドラマもきちんと観ているように見えない上に、やけに漢籍マウントを取りたがっているように見える、それでなぜ大河のレビューなのかと疑問に思う人が多いからではないでしょうか。
そして武者さん本人は反論されることに対して、きちんと自分の考えを述べているでしょうか。プロのライターならそのくらいやってほしいし、こうい文章自体、反論をきちんとできる人が書いてしかるべきと思います。
つまるところ
「反論される自分がかっこいい!」
ということなのでしょうか。


飲み物-ワインと暖炉
[ 2022/12/28 01:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

大河の直近3作品の視聴率に関して

年末恒例と言うべきでしょうか、直近3年間の大河の視聴率(世帯視聴率)の比較です。無論この3作品はそれぞれ放送回数が異なり、また『麒麟がくる』はコロナ禍で収録休止、『青天を衝け』はオリ・パラ中継によって何話分かが休みとなっています。

ます下の棒グラフ、青が『麒麟がくる』、オレンジが『青天を衝け』、そしてグレーが『鎌倉殿の13人』で、第1回から最終回まで、10話ごとの平均視聴率を基にしています。サムネイルなのでクリックで拡大可能です。


直近3年間大河視聴率比較

これを見る限り、第41回から最終回までを除き、『麒麟がくる』と『青天を衝け』はそう差がありません。『青天を衝け』の第41回以降が低いのは、第41回が最終回であり、なおかつ裏にフィギュアが来たことも関係しています。一方『鎌倉殿の13人』は、全体的にやや低めとなっています。これに関しては

鎌倉時代という時代設定は、戦国や幕末に比べると、やはり馴染みが薄い
三谷幸喜氏の脚本に対して、視聴者の間で好き嫌いが分かれた

こういう点が理由として挙げられるでしょうか。『鎌倉殿の13人』は最終的に12.7パーセントで、これは『西郷どん』とほぼ同じでした。しかし『西郷どん』の数字は西高東低で、西日本ほど高くなっている傾向があり、関西で15パーセント前後、地元鹿児島では30パーセントでした。『鎌倉殿の13人』が神奈川県でどのくらいの数字であったか、調べてみたのですが、生憎ちょっと確認できませんでした。ちなみに関西での平均視聴率は11.7パーセントとの由。

さらにそれぞれの視聴率の推移ですが、このようになっています。

直近3年間大河視聴率推移

これを見ると、やはり『鎌倉殿の13人』は、その前の2作品よりは数字は低めです。『麒麟がくる』が最後の方で上がっているのは、第44回まで放送があり、最終回がいくらか高めになっていたことも関係しています。一方で『鎌倉殿の13人』が、最後の方で特に低くなっているのは、やはりサッカーのワールドカップ、コスタリカ戦が裏に来たせいでしょう。

『青天を衝け』最終回のフィギュア同様、裏にスポーツ中継がくると、数字を持って行かれるのは確かなようです。各局が多少お金をかけてでもスポーツの放映権を買うのは、やはり数字が取れるコンテンツであるのもその一因と思われます。

[ 2022/12/27 07:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 86その1

『武将ジャパン』大河コラム、第48回関連記述への疑問点その1です。尚紹介部分はあらすじと感想1で採り上げた部分に該当します。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


1.長澤まさみさんは、いわば天命の声。
歴史を俯瞰する意識というのが心地よい一年でしたが、思い返せば2021年大河『青天を衝け』の結末がどうしても解せなかったのは、その点です。
渋沢栄一が亡くなった後、昭和という時代に日本はアジア太平洋戦争へ突入し、史上最大の損耗を迎えた。そういう絶望的な未来が眼前に迫ってきているのに、どこか明るいスタンスで、どうにも歯がゆかった。
今年はそれを克服しました。

『鎌倉殿の13人』の最終回コラムのはずなのに、のっけから『青天を衝け』叩きですか。武者さんも懲りませんね。
あれは孫が血洗島に行って、祖父の若い頃と出会ったという設定、しかもその祖父は今の自分の年齢よりも若く、その後志士ともなり、一橋慶喜に武士として仕え、さらに欧州へ行ってその当時の最新知識を目の当たりにするという意味で、まだまだ希望にあふれる青年の姿ですから、明るいスタンスなのは当然です。
それより前に、アメリカに行って日本人移民の排斥について訴えたり、演説をしたりする方がかなりシリアスな展開なのですが、そういうのをちゃんと観たのでしょうか。

2.細かい点ですが、家康が割とラフにお茶を飲んでいましたよね。
そもそも武士が気軽にしっかりと本を読んでいた。
『麒麟がくる』の光秀も『吾妻鏡』に目を通していましたが、鎌倉と比べてそれだけ文明が進歩した。お茶も教養も身近になった。
武士は文武両道の存在となったのです。

あれお茶でしょうか。白湯か水ではないかと思います。その当時のお茶と言えば、所謂茶の湯で、茶室で点てるものではないでしょうか。そしてまた「文明」などとありますが、この場合は主に精神的な部分に関わっているのだから、文化と呼ぶべきではないでしょうか。

3.今は盛り上がっていても、いざ上皇様が出てきたら戦えるかどうか、疑わしいと踏んでいます。
これも重要な伏線でしょう。

三浦義村のセリフですが、伏線というか、この場合はやんごとなき人に対して弓を引けるかという意味かと思われます。

4.このドラマで序盤から出てきている相模の武士たちは箱根を背負って戦う誇りがあった。
幕末でも、切れ者の小栗忠順はその地の利を計算に入れて防衛戦を考えていたわけです。
実際は、及び腰の徳川慶喜が却下して終わってしまうのですが、『鎌倉殿の13人』は俯瞰で見せてくるため、時折、意識が幕末まで飛んでしまいますね。

武者さんがそう思っているだけではないでしょうか。普通箱根という地名だけ聞いて、小栗忠順を思い出す人は限られるかと思います。常に『青天を衝け』が嫌いなものとして潜在意識下にあるため、連想しなくてもいいのに連想してしまっているのでしょう。

5.確かに彼女の限界も浮かんできますね。
武士の妻ならば、我が子がこの大戦で兄を上回る戦功を立てるべきだ!と考え、叱咤激励せねばならない場面なのですが、要は彼女には覚悟が足りていないのです。
その一方で、なぜ、ああもふてぶてしく髪を梳かしているのか?
この美しさを愛でるのは自分だけ。だからうっとりと鏡を覗き込む。そんな風に行動しているのだとしたら、とことん寂しい人に思えます。

のえのことですが、その後の義時との会話にあるように、自分に対して黙っていたことに対する怒り、それによる夫への不信感や、戦への興味の薄さなどなどが、こういった投げやりな態度として表に出て来ているのでは。

6.思えば三善康信の誤認識で始まった源頼朝の戦い。その結果、鎌倉に武士の政権ができ、朝廷と対峙するにまで成長しました。
運命の鍵を握っているのは、この老人かもしれません。

この間も三善康信の誤認識を取り上げていましたが、あれは頼政軍の残党狩りを、頼朝への攻撃と勘違いしたためでした。ならば内裏の火災という承久の乱の発端を引き起こした源頼茂、この人は頼政の孫に当たりますが、その関連性もまた指摘してしかるべきかと思います。

7.「執権の妻がこんな大事なことを人から聞くってどういうこと?」
のえに責められる義時――「夫が妻に何も伝えていない」というのは、執権がどうとか、そんなことに関係なく大変なことでしょう。

執権と言う鎌倉では最高権力者であり、そのためすべてに於いて責任を持つはずの人物が、かような大事なことを黙っていたとは何事かとのえは言いたいわけですね。

8.ここでの義村は、彼の限界が浮かんでしまってますね。
「人の心がどう動くか?」という見立てがどうにも甘い。北条政子の演説や北条泰時の人柄を過小評価してしまっている。理と利に聡いと、こうなってしまうのかもしれません。
では義村が頼ろうとしている後鳥羽院は?

人の心がどう動くかと言うより、義村はこの場合面従腹背なところもあり、その時々の様子を見て誰に付くかを決めているわけです。自分に不利になったらなったでしれっとこのまま北条に付くわけで、実際そうなりましたね。

9.敵の兵数は、ある程度、計算はできるものです。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、序盤で斎藤道三が、我が子の斎藤高政と、明智光秀に数珠の数を数えさせていました。
高政がうまくできないと、それでは戦に勝てないと失望していたものです。
では実際、どうすれば兵数を把握できるか?
例えば、進軍速度、かまどからあがる煙など、判断材料は色々とあります。
そういう根拠が無く、願望だけで戦況を語っているから官軍はまずいのです。合戦への想定が全く足りていません。

ある程度計算はできるも何も、鎌倉軍は途中で自然発生的に増えて来た部分もあるし、京方は御家人が到着していないなどの理由もあったため、駒が足りないまま戦わざるを得なくなったわけでしょう。その「かまどから上がる煙」とは、あるいは仁徳天皇の逸話ですか?色々な方向から引っ張って来ていますね。

10.戦国時代のゲームを見ていると、甲冑はじめ衣装は美麗なのに、一目で中国産だとわかる場合があります。
それは高い城壁を備えていることです。
『進撃の巨人』のように、都市が城壁でぐるりと囲まれていることが、中国やヨーロッパでは当たり前でしたが、日本の都市にはそれがない。
ゆえに「川」が非常に重要な防衛線となりました。

武者さんはこのコラムの、第41回の「義盛、お前に罪はない」に関する記述でこう書いています。

日本には中国大陸由来のものがたくさんあるわけですが、攻城兵器はそうでもありません。
お隣・中国では、『三国志』ファンならピンとくる「衝車(しょうしゃ)」や投石車がありましたが、城壁がそこまで堅牢ではない日本では発達してきませんでした。
「城」というと、現代人は天守閣を思い浮かべることでしょう。

これに対して私は

元々日本は城郭都市がありません。そこが中国ともヨーロッパとも違う点であり、それによっていつでも城下への出入りが可能で、人や物の流れを容易にして来たとも言えます。

と書いています(原文ママ)。
あの時は「城壁がそこまで堅牢ではない日本」とあるのに、今回は「都市が城壁でぐるりと囲まれていることが、中国やヨーロッパでは当たり前でしたが、日本の都市にはそれがない」と断言していますね。

11.ドラマをご覧になられていて「承久の乱って最終回だけで大丈夫なの?」と疑問に思われた方も多いでしょうが、宇治川の防衛戦に注力すれば表現としてはなんとかなります。
ゆえに本作でもかなり盛られていて、本来は参戦してなかったはずの北条時房、北条朝時、三浦義村も戦場にいました。
(中略)
思えばこのドラマでも、川は序盤から大事でした。
頼朝の挙兵直後、北条と合流しようとした三浦軍の前に、増水した川が立ちはだかり、父の三浦義澄は苦渋の決断で断念する一方、子の義村はあっさり北条を見捨てていましたね。
冷たいと言えばそうかもしれませんが、増水で川を渡れないという言い分なら相手も納得するしかありません。

承久の乱を描くと言うのは戦後処理、その後の新しい体制も含まれるわけです。また宇治川の攻防では、先陣を切ったのは佐々木信綱とされていますし、無論名の通った御家人の犠牲者も出ています。またあらすじと感想で書いたように、戦より義村の裏切りの描写の方が目につきましたし。戦そのものと戦後処理、さらに義時の最期でせめて2回分は使わないと難しいと思ったのですが、やはりその後の新体制についてはかなり端折られましたね。

それとこの増水した川の件ですが、この回放送の内容について武者さんは、「宋襄(そうじょう)の仁」を例に出しています。ここで出すと長くなるので、改めて書こうと思いますが、私はこの時の義澄の態度(去就宣言のために、和田義盛にひと暴れするように命じたこと)がは、宋襄の仁本来の意味である無用の情になるのか、また本来の宋襄の仁は、敵軍が川を渡っている時に攻撃すれば有利なのに、相手を困らせずにと無用の情をかけたため、自軍に取って不利になったということなのに、武者さんの記述には川についての言及がないことを書いています。

12.日本では、船の進歩も原始的でした。
司馬懿が主役の華流時代劇『軍師連盟』あたりをご覧になられると一目瞭然でしょう。
同作品では、帆をつけた船団が水上戦をします。中国では、黄河と長江という二大河川が国内を横断しており、戦闘用の船が古来より発達していました。
それが日本では、鎌倉時代になっても、小舟の基本的な構造は弥生時代とさほど変わりません。
当時は竪穴式住居も現役で稼働していたほどであり、そういう時代の合戦映像は貴重なのでじっくり見ておきましょう。

まず日本の場合は、中国のような大河がないのも大きく関係しているでしょう。一方で日本は島国であり、所謂水軍が昔から存在していました。これも実は少し前に書いていますが、その水軍はかなりの力を持っており、宋との交易船レベルの船を持っていてもおかしくなかったでしょう。

13.そして此度の大勝利を祝います。なんでも「自分を担ぎ上げた奸賊どもをよう滅ぼした!」という構図にしたいらしい。自ら義時追討の院宣を出しておいて白々しいにも程がある表裏っぷりですが、これも実は東洋の伝統的な構図で、明代の靖難の変、李氏朝鮮の癸酉靖難が典型例です。

上皇の院宣が、義時追討のものであることはこの前の回で触れられています。つまり戦を起こすものではなく、だからこそ義時は自ら上洛することにした、少なくともそのように見せかけたわけです。それを考えれば、上皇の言葉がいくらか自己保身的であるとは言え、このようになるのも分からなくはありません。

14.日本史上最大の怨霊とされる崇徳院って、実は流刑先で穏やかに過ごしていたそうなのですね。
一方で後鳥羽院は全力怨霊アピールをした。
後世の人は「ああ、後鳥羽院でもこうなら、崇徳院もきっとそうなんだな」と、その呪詛ぶりを遡って適用したのです。

この後鳥羽上皇怨霊説は、実は皇位継承も絡んでいると言われています。特にこの当時は、怨霊という存在への畏れは相当なものだったでしょうし、これを流布させることで、上皇が望んでいた仲恭天皇への継承が、有利となったからとも言われています。

15.別の神に負けた神は、矮小化された小悪魔や妖怪に変えられてしまうことがしばしばあります。
そういう愛嬌のある妖怪のような姿になっちゃって。
恐ろしいのではなく、なんだかかわいい。
しかもその転落の理由が、後鳥羽院の卑劣さ、臆病さ、無責任さという、人間的欠陥であること。
結局のところこの“神”は、切れば真っ赤な血が出る存在であったのです。なかなか画期的な描写ではないでしょうか。

何が「画期的」なのでしょうか。そして後鳥羽上皇のみが卑劣で臆病で無責任と言えるのでしょうか。義時も腹黒さでは相当なもの(この腹黒さの描写についてはまた改めて)だし、上皇が化かし合いと言ったのもその意味では納得できます。
それと愛嬌のある妖怪とか、神が矮小化された小悪魔とか書かれていますが、上皇は剃髪し、しかも文覚に頭を噛まれるという実に好ましからざることをされたに過ぎません。そもそも創作ではありますし、多分にこの大河らしくコント的にはなっていますが、神が小悪魔や妖怪に変えられるという点では、日本の妖怪譚やケルトの妖精話の方がふさわしいのではないでしょうか。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2022/12/21 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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