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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  関ヶ原の戦い

映画『関ヶ原』キャストその2

キャスト第2弾が発表されました。

岡田准一主演映画『関ヶ原』、東出昌大、中越典子、伊藤歩、滝藤賢一ら追加キャスト発表
(リアルサウンド映画部)

公式サイトにもアップされていますね。

第二弾キャスト発表!
(映画「関ヶ原公式サイト」)

リストアップしてみます。(敬称略)

  • 平岳大(島左近)
  • 東出昌大(小早川秀秋)
  • 中越典子(島左近の妻・花野)
  • 北村有起哉(井伊直政)
  • 伊藤歩(忍者・蛇白)
  • 音尾琢真(福島正則)
  • 和田正人(黒田長政)
  • 遠藤賢一(豊臣秀吉)
  • キムラ緑子(北政所)
  • 西岡徳馬(前田利家)


しかし東出さんが金吾中納言ですか、今まで浅利陽介さんのイメージが強かったから、これはかなり違った雰囲気ですね。そして北村さんの井伊直政、『おんな城主 直虎』の菅田さんとかぶりそうです。まだまだ他にも、今後発表されるキャストがいるようです。しかし直江兼続と本多正信、それから本多忠勝を誰が演じるのか、それを早く知りたいものです。西軍であと10人ほどいるということは、当然大谷刑部や毛利輝元、宇喜多秀家も登場するのでしょう。


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[ 2017/01/22 23:00 ] 映画 | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ徳川家康を観て 続き

1983年の大河『徳川家康』に関して、以前書いたことがあります。この時は晩年の家康中心のエピソードでしたが、今回は『おんな城主 直虎』で登場する、徳川家康の前半生をおさらいしようと思って、最初の方のエピソードを観てみました。

松平広忠の子、竹千代は人質として、まず織田家に行き、その後今川に人質交換で送られます。織田家では信長と結構馬が合う部分もあったのですが、今川家では特に義元の息子、氏真から見下され、しかも義元の姪で、この中では年上という設定の瀬名(後の築山殿)から言い寄られる始末です。思春期の少年の生活環境としては、なかなか厳しいわけですが、大原雪斎からの教えを受け、精進するようになります。
その後元服して、元信と名乗るようになった竹千代は、瀬名と結婚しますが、その頃でさえも「三河の宿無し」などと呼ばれます。戦国時代、人質に遣られることは珍しくはありませんでしたが、この人物の後半生を見る限り、この時の人質経験がかなり刻み込まれたのは間違いないでしょう。ちなみに『おんな城主 直虎』でも、「三河のぼんやり」などと呼ばれるようです。

ところで関ヶ原の戦いは、家康の掟破り後、豊臣家家臣が分裂したことで、一気にうねりが大きくなって行くわけですが、この時石田三成が、家康の人となりをもう少し知っていれば、まだ抑えられた可能性もあると考えられます。無論、三成は官僚ではあったけど、政治家としての素質に乏しいと思われる人物ですし、無ければ無かったで、別の形で対立が起こってはいたでしょうが。
特に今度公開される『関ヶ原』の原作では、三成の家康嫌いがかなりはっきりしていて、それに島左近が仲介に入るような描写も見られます。この映画では、2人の関係がどう描かれるでしょうか。ところで前出の『徳川家康』ですが、主人公の家康が善人という設定なので、三成がちょっと嫌な描かれ方をしています。これは『軍師官兵衛』も同じですが。

飲み物-ミルクティ2
[ 2016/12/29 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『軍師官兵衛』を久々に観て思ったこと

久々に『軍師官兵衛』の終わりの方のエピを観ました。こちらの方は『真田丸』と逆で、関ヶ原の戦いはそこそこ描かれている一方で、大坂夏の陣はかなりあっさりです。後藤又兵衛の戦死と、それを聞いた黒田長政の反応、そして大坂城炎上くらいです。
大河は主人公によってどこに重きを置くかが違って来ますから、無論『真田丸』の超高速関ヶ原もありなわけです。ただし大谷刑部の自刃と、石田三成の敗走はやってもよかったかとも思いますが。

また、田中圭さん演じる石田三成がかなり嫌な人物として描かれており、徳川家康は結構好人物といった描写でした。この家康を演じたのが、『国盗り物語』で同じ役だった寺尾聡さん、そして秀吉は、まさに『秀吉』で主役を演じた竹中直人さんでした。
大河において、同じ役を同じ俳優さんが演じるのはそう珍しくはありません。しかし、この時の小早川秀秋が、2年後も再現されるとは当時は思っていませんでした。

ところでこの作品、正直もう少し脚本が、それも後半の部分練られていたらなとも思いますが、結構オーソドックスな戦国大河ではありますし、『真田丸』が三谷さんのカラーが強い分、こちらの方を好む人もいます。
三谷さんのも捻りが効いているのは楽しめるのですが、合戦シーンが今一つなのはちょっと残念です。無論その分謀略シーンなどは確かに面白いし、本領発揮だなと思われるところもあります。
こちらの場合は、最初の方の播磨の情勢や、九州平定が描かれていたのはポイントが高いです。ただし1615年が元和元年となっていたのは残念でした。確かに後で元和に改元されますが、大坂の陣当時はまだ慶長20年でしたので。

しかし、NHKの方でどのように企画されていたかはわかりませんが、『天地人』とか『江』のようなスイーツ系の後、これとか『八重の桜』のような大河が出て来たことで、また正統派路線に戻るのかなという期待がありました。しかしその後に『花燃ゆ』だったのは、ちょっといただけませんでしたね。
『花燃ゆ』といえば、美和が第二次長州征伐の時に、城の見取り図を出してあれこれ指示するシーンがありましたが、そもそも若君の乳母がなぜああいうのを持っていたのでしょうか。それに比べると、『真田丸』の大蔵卿局が、戦がどうこうと口を挟むのはまだ可愛く思えます。

この大河が始まった頃は、映画『永遠の0』が公開されていて、作品中で、主人公の宮部久蔵が戦地に赴く時、奥さんが「生きて帰って来て」と言うシーンがありますが、大河の中でも「この子のためにも生きて帰りたい」というセリフがありました。
『永遠の0』の宮部夫妻を演じたのは、この官兵衛役の岡田さんと、『花燃ゆ』の文(美和)役の井上真央さんでしたが、大河とこのセリフは何か縁があるのでしょうか。前回の『真田丸』でも、稲が大坂に向かう信之に、「生きて帰って来て」と懇願するシーンがありましたので。

しかし映画『関ヶ原』の岡田さんの石田三成、どんな感じになるのでしょう。

飲み物-お洒落なランプとウイスキーグラス
[ 2016/12/17 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

関ヶ原と大坂の陣

今更という感もありますが、なぜどちらも徳川の方が勝ったのか。というか、なぜ豊臣(関ヶ原では正確には石田三成軍)が負けたのか。どうも豊臣家そのものが、やはり内部分裂しやすかったからといえそうです。そもそも譜代の臣もいない。いるのは織田家から仕えていた人物か、あるいは秀吉子飼いの小姓たち。
その秀吉も日の出の勢いの時はよかったのですが、関白となって天下を手中に納めてからは保身に回る。子供が生まれるとさらに保身に回り、一方で唐入りという無謀な計画を立てるまでになる。『真田丸』で三成が、秀吉の死後、太閤殿下の鶴の一声で決まっていたのが、合議制になったことで変わったと信繁に言うシーンがありますが、正に秀吉がワンマンで動かしていたのが豊臣家だったわけです。

譜代の臣のみならず、バックアップ要員も乏しい。弟の秀長が早く死んだことは、秀吉に取って大きな痛手でしたが、秀長一人がいなくなったことで、豊臣政権がおかしくなり始めたというのもちょっと困った話です。しかも数少ない後継者はどんどんいなくなって行く。秀次に至っては、自分が手に掛けてしまう。これでは、関東の大大名にまでなった家康の台頭を招いたのも無理からぬことでした。
そもそも家康も、信長亡き後の天下取りを狙っていたわけですし、そのため要注意人物ではあったのですが、一方でそういう人物に五大老(老衆)をまかせざるをえなかった、そこに豊臣の悲しさがあるように思えます。本来は仮想敵とすべき相手なのに、逆に上杉の方をよほど信頼しているのに、後継者がいないことで、そういうシステムにせざるをえない。秀吉に子ができなかったこと、譜代の臣がいなかったことは、かなり大きな重圧になったようです。

また小姓たちが石田VS加藤、福島になって行った時点で、将来亀裂が入ると考えるべきだったのでしょう。無論考えていたのかもしれません。しかしどこかコントロール不足というべき点があったのも事実です。家康の裏切りについては、『真田丸』においても、約束を破った家康憎しで石田が攻めに出る展開になりましたが、豊臣方にも非があったというのをもっと打ち出してもよかったかとは思います。真田信繁が主人公で、敢えてそれをやってみせるという方法もあったかと。
また豊臣家のコントロール不足、あるいは危機管理にどこか手落ちがあるというのは、大坂の陣においても露呈しました。それでなくても譜代の臣はいないのに、片桐且元まで追われてしまい、しかも牢人を金で雇ったのはいいが、彼らが遠からず暴発するという発想はなかったのでしょうか。確かに豊臣家に金銀はうなるほどあったでしょう。しかしやはりお金で買えないものもあり、それがどちらの戦いでも、豊臣家に大きなダメージになったのは確かなようです。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2016/12/11 01:15 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

映画『関ヶ原』キャスト

来秋公開予定の『関ヶ原』について時折書いていますが、この作品に関してはこのサイトに詳しくアップされています。管理人の方の許可を得ましたので、リンクを貼っておきます。

関ヶ原観光実用マップ~関ヶ原の戦い観光史跡めぐり観光スポット情報

これによると、井伊直政役が北村有起哉さんです。他にも平岳大さん、伊藤歩さん、東出昌大さん、堀部圭亮さん、大場泰正さん出演となっています。平さんは『真田丸』で、武田勝頼を演じていますが、こちらでは誰の役なのでしょう。東出さんは昨年の久坂玄瑞のイメージがまだあります。個人的な予想としては、平さんが大谷刑部、東出さんが福島正則か加藤清正でしょうか。しかし、本多正信と直江兼続を誰が演じるのか、早く知りたいものです。
またこちらのサイトは。映画以外にも関ヶ原に関するコンテンツが色々あり、かなり楽しめるサイトとなっています。

なお、北村さんに関してはこういう記事もあります。

北村有起哉、直政“なりきり”武将姿でパレード「アイドルになった気分」
(サンスポ)

そういえば『おんな城主 直虎』は、前半が直虎中心、後半は直政中心で描かれるようです。まさに、「井伊家の物語」です。

飲み物-エスプレッソ
[ 2016/11/16 01:30 ] 映画 | TB(-) | CM(0)

司馬遼太郎『関ヶ原』

来年映画が公開ということもあって、昔買った分を引っ張り出して読んでいます。元々は石田三成、そして島左近と女忍びの初芽が主人公ですが、タイトルがタイトルだけに、徳川家康と本多正信の主従、上杉景勝と直江兼続の主従、大谷刑部、加藤清正、福島正則に小早川秀秋など、様々な関ヶ原の関係者が群像的に描かれています。実は本多正信という人物を、この本で初めて知りました。
あと織田有楽斎も登場します。『真田丸』では有楽斎は大坂の陣で登場しますが、関ヶ原の時点では、既に徳川との親交があった人物です。折に触れて感想を書いて行こうかと思いますが、50年前の作品であるため、史料がやや古く、現在では新説が出ている部分もあります。

以前『天地人』関連で書いていますが、初芽という名前は、このドラマの女忍び「初音」のもとになったのではないかと思われます。また現在撮影中ということですが、三成、家康、初芽がそれぞれ岡田准一さん、役所広司さん、有村架純さん以外のキャストは公表されていません。恐らく撮影後に順次発表されて行くのでしょうが、何かサプライズでもないかと楽しみです。というか、本多正信と直江兼続は、『真田丸』のキャストでもいいのではないかと思います。お二人とも、実に役に嵌っていましたので。

飲み物-コーヒー
[ 2016/10/31 01:30 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

北の関ヶ原 8(福島合戦その3)

慶長6年(1601)、伊達政宗は、この年の春に上杉征伐を行うという家康の言葉に従い、年頭から上杉領に向けて軍事行動を開始します。しかしその一方で、佐竹や相馬といった大名と連絡を取り、どうやら上杉が上洛するらしいという気配をも感じ取っていたようです。もし上杉が和睦に応じるのであれば、無駄な軍事行動は避けたいと思っていた政宗ですが、家康の言に従わないと、どのような処遇を受けるのかという不安もありました。

結局政宗は井伊直政宛ての書状で、上杉が上洛を中止するらしいという嘘の情報を送ります。この書状には、上杉が上洛しないのであれば軍事行動を取ること、そして、上杉を上洛させるためにも、徳川方の加勢がほしいと書いています。これによって政宗は、徳川がどう出るかを見定めるつもりだったようです。一方で軍事鼓動に出た伊達軍は、簗川城(現伊達市)の上杉軍から追討され、退却します。どうも伊達側は、今一つ本気ではなかったようにも見えます。その一方で、最上義光は庄内の上杉軍を掃討しています。

伊達軍が退却した時期、直江兼続は簗川城の城代、須田長義に宛てて、同じような内容の書状を3通送っています。実際伊達の退却には、この簗川城に常駐していた兵の援軍もありました。この城は、関ヶ原の戦いの少し前、家康が上杉攻めを中止して江戸に戻った頃から、対伊達の最前線となっていた城で、若松城からの兵と、農兵によって守られていたようです。長期にわたる籠城と、慶長6年2月の曲輪での火災とで、城内ではかなり緊張が続いていたと察せられます。

そのため須田長義は、兵たちの労をねぎらう意味で、9000石の新恩給与を願い出ます。そして若松城に赴き、陳情をしようとするも、徳川との和睦がなされない限りOKを出せず、結局は直江兼続によって差し止められます。またこの新恩給与に関する書類も、朱印でなく黒印が捺されており、本当に長義が発給したものかどうかに関しては、何ともいえません。そして慶長6年6月5日、簗川城には休息宣言が出され、やっと緊張状態から解放されます。

その後上杉景勝と直江兼続の主従は、同年の7月に上洛し、米沢30万石への減封を言い渡されます。これによって上杉家には倹約令が敷かれ、治水整備や開墾の奨励、学問や産業の推進などが行われるようになりました。しかし伊達は、なぜ上杉との小競り合いを繰り返したのでしょうか。それは、政宗が多大な恩賞を求めたからと考えられます。徳川方の伊達は、石田方の上杉を攻めることにより、少しでも家康の覚えをめでたくしたいという意図は、確かにあったようです。

この「北の関ヶ原」は今回でひとまず終了ですが、この後も伊達、上杉、最上関連事項があればアップしたいと思います。しかし上杉家の会津転封から上杉対最上の長谷堂城の戦い、ひいては大坂の陣までを詳しく描いた映像作品を観たいものです。

(資料:直江兼続と関ヶ原)

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2016/10/17 01:00 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

北の関ヶ原 7(福島合戦その2)

前回のおさらいです。

慶長5年10月6日、白石城の伊達政宗に、片倉景綱から上杉方の梁川城を攻めるべしとの急報が入る

その時政宗は既に桑折に兵を進めており、まず福島城に上杉軍を追いやった後、梁川城を攻めることにする

しかし福島城に上杉軍を閉じ込めたものの、梁川城を攻めることなく退却している。調略がうまく行かなかったのが原因とされるが、梁川城と福島城の上杉軍から挟み撃ちにされ、政宗が窮地に陥ったとも考えられる

しかし、この挟み撃ち説は正しいといえないというところまで書いています。なぜ正しくないのかといえば、この時既に政宗は帰陣していて、挟み撃ちにされる状況ではないからです。ただし退却する伊達軍と、上杉軍の間には小競り合いも起きています。しかしその一部は、いつ起こったのかを裏付けるものがなく、この慶長5年10月の合戦時に起こったかどうかは不明です。

また、これも前回書いていますが、伊達家臣の中島宗勝らの別動隊が、会津・米沢への道を塞いだこと、更に上杉方の使者を討ち取ったことで、直江兼続に情報が行かず、従って福島への援軍もできなかったと考えられています。10月8日に政宗は、福島攻め勝利を家康に報告し、家康と井伊直政は政宗に、来春上杉攻めを行うので、みだりに軍事行動に走らぬよう注意しています。

しかし一方で、家康と直正は上杉との和睦を考えていたようです。10月16日になって、兼続は梁川城の内通者の引き渡しを命じ、更に方々の城から人質を取るようになっています。恐らくこの時点で、関ヶ原の結果がもたらされたのでしょう。しかし一波乱あるかと思いきや、同じ月の23日には和睦の方向へ向かい、12月22日、本庄繁長がまず上洛します。

ちなみに、この慶長15年10月の合戦は、松川合戦と呼ばれることがありますが、これも正しくないようです。『東国太平記』によると、松川合戦とは、翌慶長6年の4月26日に起きた合戦のことですが、これが『貞山公治家記録』(伊達治家記録のうち政宗の治家記録)にある、慶長5年10月6日の戦いとそっくりなことから、この2つが混同されてこう呼ばれるようになったとされています。

またこの10月の合戦当時では、現在は信夫山(現福島市)の北を流れている松川が山の南を流れており、そこが戦地だったからとする説もあるようです。しかしそれを裏付ける史料もまた存在せず、もし南側であった場合は、他の史料と矛盾するという問題点があります。

(資料:直江兼続と関ヶ原)
飲み物-アイスコーヒー
[ 2016/10/03 00:45 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

北の関ヶ原 6(福島合戦その1) 

いよいよ福島合戦に入ります。この戦は、年をまたいで行われました。まず慶長5年10月、上杉軍が山形から撤退し、同じ月の5日に伊達政宗が白石城に入って、桑折筋(現在の伊達郡桑折町)攻撃の指揮を執る予定だったのですが、そこへ片倉景綱からの急報が入ります。この急報は、上杉方の簗川城の内応者が行動に出る予定であるため、まず簗川城を攻めるべきという内容のものでした。

しかしこの時(10月6日未明)、伊達の先鋒隊は既に桑折へ向けて出発しているため、まず桑折経由で福島へ向かい、阿武隈川の西にいた上杉軍を福島城に追いやり、抑えの部隊をそこに駐留させた後、簗川城を攻める予定であると、政宗の書状にあります。しかも簗川城の内応者には、望むだけの知行を与えるので、本丸を占拠するように指示を出してもいます。

そして翌日の政宗の書状には、予定通りに上杉軍を討って敗残兵を福島城に追いやっています。また金山城(現在の宮城県伊具郡丸森町)主の中島宗勝への書状で、中島が福島西部の村を征圧し、会津への道を塞いだことに満足したとも伝えています。これで翌日は、福島城の反撃に備えて、改めて軍勢を送る予定となっていたようです。

恐らく計画がうまく行っていたのでしょう。福島城に送る軍勢が到着するまで、くれぐれも軽率な真似をしないようにということも、この書状には書かれています。しかしながらその翌日、政宗は肝心の簗川城攻めを行わずに撤退しています。

これは、簗川城の調略がうまく行かなかったというのが原因とされていますが、福島城の上杉軍と、その北東部にある簗川城の上杉軍とにより、伊達が挟み撃ち状態になったためという説もあります。しかしこの説は、実は正しいとはいえないのですが、その理由に関してははまた次回書く予定です。

ところで『真田丸』、改易されて会津120万石から、米沢30万石となった上杉景勝のやるせない表情があまりにも印象的でした。それについては、次にアップ予定のあらすじにて。

(資料:直江兼続と関ヶ原)

飲み物-アイスコーヒー
[ 2016/09/26 01:00 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

北の関ヶ原 5

9月18日放送の『真田丸』では、やはりというか慶長出羽合戦関連のシーンは登場しませんでした。わずかに、昌幸のセリフのごく一部が、上杉絡みではありましたが…しかしこの期に及んでなお、上杉と同盟して江戸を攻めることを考えていたのでしょうか。

そのセリフについては、また「あれこれ」で詳しく触れるとして。当時の上杉は、石田方有利と見て、最上に圧力をかけたものの、最上の攻撃に遭って退散せざるを得なくなり、しかも兼続がこの撤退でしんがりを務めたこと、情報元の石田方が壊滅状態になったことなどから、上杉方の現状把握や対応は、後手に回ることになります。この時の撤退はかなりすばやく、またかなりの激戦でもありました。

前回でも触れましたが、伊達政宗は徳川優勢と見ており、そのうち長谷堂に攻め込んだ兼続の軍が引き上げるであろうこと、自分も上杉領に攻め込む予定であること、そして、無論そのことは内密にしておくように、最上へ派遣した留守政景に伝えています。なぜ上杉領(伊達郡、信夫郡)を攻撃しようとしたのか、それは上杉の背後を襲うことで撤退を促し、上杉を追い払ったという実績を作るためだったと考えられています。

しかし政宗は、10月1日に予定していた伊達・信夫両郡への攻撃を、9月27日になって延期します。これはその数日前に、伊達(留守政景)の軍が、上杉方の兵を討ったということから、景勝自ら山形に出馬する可能性も出て来たためで、成り行きを見て判断するというものでした。政宗自身は、上杉攻撃を自重するように家康から言われており、景勝が攻め込んだため、やむなく兵を動かしたという方法を採ることにしたと思われます。

しかし兼続の方は、9月の下旬になっても、上方(石田方)の方はどうということはないという書状を、上杉家臣である岩井信能や清野長範に送っており、清野宛ての文には、上杉につきながら最上に寝返った農民の籠る城に、放火予定であるということも書かれています。10月1日になって兼続は、山形攻めのため菅沢山に敷いていた陣を撤収します。これは、関ヶ原における石田方の敗戦を聞いたためといわれていますが、その時点ではまだ、関ヶ原の結果を知らなかったという説もあります。

一方で政宗は、宇都宮の結城秀勝に書状を送って、南北から上杉を挟み撃ちにするよう依頼し、また本来石田方であった佐竹氏も、伊達にすり寄る姿勢を見せるようになりました。しかし肝心の上杉に情報が届くのは遅かったとなれば、確たる情報もないまま、上杉方は伊達や最上、ひいては庄内に攻め込んだ村上、堀といった敵をも相手にしなければならなかったわけです。関ヶ原のあまりにも早い終結は、北日本における戦いをも左右しました。

しかもこの慶長出羽合戦は翌年にまで持ち越され、上杉主従が伏見で家康に目通りするのは、それが終結した後のことです。次は、その後の福島での合戦について書く予定です。

(資料:直江兼続と関ヶ原)

飲み物-パブのビール3杯
[ 2016/09/19 01:30 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『青天を衝け』の感想も書いています。またBSで再放送中の『黄金の日日』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2021年には北半球最強であるブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの試合も組まれています。このチームにいい試合をし、今後さらに上を目指してほしいものです。国内のラグビーも、2022年からはいよいよ新リーグがスタートです。

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