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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『ラグビー黒書 145点を忘れるな』の中尾氏コラムについて-2

『ラグビー黒書』関連その2です。
中尾氏が、の1995年ワールドカップに参加した、ラグビー関係者の一部を符牒で記す、サイテーの指導者に率いられたサイテーの男たち、あるいは人間の屑である戦犯たちを、今後は眼の汚れ、筆の汚れとして一切実名を記さないなどと書いていることは、2つ前の『黒書』関連投稿でお伝えしています。このような書き方自体どうかとは思いますが、その符牒で表す人物として

スモール・ブッシュ
宿(ふつか)酔いのウイング
ヤス

の3名を挙げています。スモール・ブッシュとは当時代表監督小藪修氏のことで、宿酔いのウイングとは、その当時神戸製鋼に在籍していた増保輝則氏のことです。そしてヤスとは、サンスポの記者を指しているようで、中尾氏曰く
「見当違いなラグビー記事と大本営発表を垂れ流して紙面を汚し続ける」
のだそうです。小藪氏に対しては、
「今日の惨敗を想像できないほどの精神遅滞にあったが、責任能力を問えないほどではない」
そして増保選手に対しては
「腹の出たウイングとも、スモーキン・ウインガーとも言う。いかに少ないトレーニングで沢山のトライをとるかというテーマをライフ・ワークとしている」

そして中尾氏の場合、例によって例の如くと言うべきなのでしょうか、小藪氏関連で
「精神遅滞にあった」、またはその前の記述にありますが
「辞任要請をうけながら監督の肩書を守り通した”我慢”の男」
「監督期間後半はスケープ・ゴートとしての役割を期待されながら、その自覚がなく薄ら笑いでごまかし、それを見た南アでの日本代表のボディガードが、「あいつを解雇(ポア)しろ」と叫んだ」
「我慢」は小藪氏の座右の銘だったようですが、何か揶揄している感は否定できません。しかしこの「ポア」、こういうのもやけに某カルト教団になぞらえたがっていますね。

そして増保選手。実際この人は当時かなり太っており、しかも私生活も節制のあるものではなく、リザーブとして代表スコッドに名を連ねていながら、試合の前夜酒を飲んでいたとも伝わっています。但しだからと言って
「サイテーの指導者に率いられたサイテーの男たち」
は如何なものでしょうか。

この大会の代表は、同じ本の大友氏のコラムを見る限りでは、あまり統率が取れていたとは言えませんでした。コーチ陣が注意を与えなかった点、他の選手もそれに言及しなかった点では、コーチ陣も選手も何らかの責任はありそうです。しかしそんな中でも、自分に厳しくあろうとし、たとえばオールブラックス戦でトライを挙げた選手もいたわけです。

チームの問題点に目を瞑っていたのは責められるべきですが、劣勢の試合で2トライ挙げたまでをも無視してサイテー呼ばわりされたのでは、当該選手は浮かばれないでしょう。しかしもしこれが海外強豪国であれば、当該選手はマスコミにチームのことをリークしたのではないかと思います。ちなみに増保選手はその後体を絞り込み、この当時のことを「慢心していた」と振り返っています。

尚中尾氏によれば、その他にもシギーとかゼンジーとか何名かいるとあります。シギーとは当時日本協会会長だった今野滋氏、ゼンジーとは専務理事だった白井善三郎氏のことです。(個人的には、ゼンジーといえば昨年の大河の『善児』を思い出すようになっています)

しかしなぜ中尾氏は、こういう符牒で呼びたがるのでしょうか。「サイテー」だから、「眼の汚れ、筆の汚れとして一切実名を記さない」というのだけが理由ではなさそうです。寧ろ、同人用語あるいは隠語に近いものがあると思われます。

この狂会本が、最終的にラグビーオヤジの同人誌的な存在になったと私は書いていますが、要はこういう符牒に隠された意味を知っている自分たちは目利きであるといった、一種の連帯感と呼ぶべきなのかも知れません。内集団バイアス(所謂身内びいき)に似たものもありますし、正直言ってどこかイキった、中二病的な印象をも与えます。

飲み物-グラスに入った黒ビール
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[ 2023/05/21 00:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

乱世の武士の感情表現と結城秀康の母於古茶

先日投稿分の続きになります。
『軍師官兵衛』で、官兵衛と光が二男熊之助の死に涙を流すシーンに対して、『武将ジャパン』で武者さんが叩いていたことに対して、私は戦国時代頃までは、人々は感情をむき出しにしていたと書いています。

実は『どうする家康』の歴史考証の平山優氏のツイートにも、
「鎌倉、室町、戦国の武者は、感情の起伏が激しく、少しのことで(今の価値観という意味)、すぐに号泣する、感涙に咽ぶのが通例。なので大河の殿が泣くのは普通」
という指摘があり、
「中学、高校の古文、歌舞伎などを知っていれば違和感ないはずです」
ともあります。

ちなみにこの時武者さんがどう書いていたか、その一部を採り上げた投稿がありますが、それによると

「感情むき出しのサムライはうすっぺらい」
「ここがうんざりパターンである」
または「ファミリーパートである」

武者さんの(嫌いな大河に対する)この手の論調は、この頃から今に至るまでやはり変わっていないようです。ちなみに好きな大河のはずの『鎌倉殿の13人』でも、あまり好感を持っているとは言えない、ある意味野蛮人的に見ているとさえ思われる坂東武者の行為に対し、このように書いていました。

このドラマの坂東武者とは、喜怒哀楽のうち、“哀”以外はむしろ濃厚に思えます。和田義盛なんてその典型でしょう。
むろん、ふざけているのではなく、これは意図的に人間の進化段階として描いているのかもしれない。

そしてその後、「哀」は儒教的で高度である、その当時の坂東武者にはそれがなかったと言いたげな文章が続きます。しかし和田義盛の感情表現は、如何にもあの時代らしかったのかも知れません。その当時の武者の気質を考えず、何でもかんでも儒教道徳に絡めるのもどうかと思いますが、ある意味武者さんらしくはあります。

ところでこちらは予習になりますが、次回はお万という侍女に家康が手を付けてしまいます。実際家康には於万という側室がいますが、この侍女は於古茶と呼ばれた女性の方です。

神官である氷見貞英の娘で、元々は瀬名(築山殿)の侍女で、彼女が側室として認めていなかったにもかかわらず、家康の子を産んだことから、浜松城から追放されてしまいます。これについて後世の記述には嫉妬とあるようですが、それとは異なります。

この時本多重次がお万を匿い、お万は子の於義伊(於義丸)を中村源左衛門の家で出産します、この於義伊はその後、重次や源左衛門の手で養育されます。ちなみにこの重次は、鳥居忠吉の娘婿に当たる人物です。また源左衛門は、源範頼につらなる家系とされています。

その後お万の子於義伊は、後に木下藤吉郎改め羽柴秀吉の養子となり、元服して名を秀吉と家康から一字ずつ貰い、秀康とします。後の結城秀康です。

それから前出の於万の方は、家康との間に男児を2人産んでいます。それぞれが紀伊徳川家、水戸徳川家の祖となっています。なおこの於万の方は、『鎌倉殿の13人』に、初として登場した矢部禅尼の子孫とされています。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2023/05/18 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

武者さんが好きな大河他

以前『武将ジャパン』関連でツイートをご紹介した際、1983年大河の『徳川家康』を観た方がいいんじゃないかと言った意味のリプがありました。実は『おんな城主 直虎』の予習でこれを観たことがあったのですが、それまでの、狸おやじ的なイメージが強かった家康のイメージを一新した作品であると言えます。

しかしどうだろうなと思います。何よりも武者さんが好きでなさそうな昭和の大河です。そしてそれのみならず、武者さんが好きと言う大河の諸条件、つまり

推しの俳優が出ている、または好きな脚本家の作品である
幕末の薩長大河や徳川慶喜を肯定的に描いた大河、あるいは近代から現代を舞台にした大河でないこと
主な女性キャラの自己主張が、どのような形であれ強い

こういう条件を満たしていなければならないのです。1980年代頃までの作品の多くは、アウトとなる可能性が高そうです。

ところで最後の「主な女性キャラの自己主張が強い」ですが、実はかの『花燃ゆ』の主人公、文(美和)にも同じことが言えそうです。無論最初はおにぎりを作ってばかりのところもありましたが、後になるにつれて、自己主張の強さ(それが正しい判断であったかどかはともかく)を垣間見せるようになった感があります。

また乳母として若君に仕えるようになってからは、その若君が「美和の作った野菜でないと食べたくない」と言うシーンも確かありました。私としてはあれはどうかなとは思いましたね。しかしヒロインがある程度の存在感を見せるという点に於いては、もし長州大河でなかったら、武者さんの見方も多少変わったかも知れません。

ところでこの『花燃ゆ』で、少年期の吉田松陰を演じた俳優さんをご存知でしょうか。かの板垣李光人さんです。その後『青天を衝け』の民部公子様(徳川昭武)、今回の井伊虎松(直政)と既に3回の大河出演を経験しています。そしてこの人の雰囲気、この間の回で見せた身のこなし(スタントマンはいたかとは思いますが)などから、次に源平大河をやる場合は義経役でもいいのではと思っています。別に菅田将暉さんが『直虎』で虎松を、『鎌倉殿の13人』で義経を演じていたから、そう言うのではありませんが。

それにしても源平大河も

平家の興隆(壇ノ浦の戦いがクライマックス)
平家を滅ぼして鎌倉幕府を作った源氏と北条氏(承久の乱がクライマックス)
義経の生涯を描いたもの(衣川の戦いがクライマックス)

のいずれかとなっています。『炎立つ』で奥州藤原氏が描かれたのが例外でしょう。源平と言わず鎌倉幕府大河にして、以前制作された『北条時宗』の時代から、南北朝までを描くという方法もあるかとは思いますが。

飲み物-ブラッディサム
[ 2023/05/05 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』大河コラムのおかしな点について改めて

少し前に小檜山氏(武者さん)のツイート関連で投稿していますが、この人の場合は好きな大河でも一部叩いたり、あるいは珍解釈をしたりしています。とは言え最近(2023年4月以降)はもう見ていないので、過去の例を挙げます。

例えば昨年の『鎌倉殿の13人』で、箸を使う使わないについてかなりおかしな記述がありました。詳しくはこちらの投稿をごらんください。

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 19

坂東武者は食事のマナーがなっていないと言いたいようで、北条義時が、恐らくはまだ子供で魚肉を箸でむしるのが難しく、手に持って食べている様子とか、武田信義の陣中で、立ったまま握り飯にかぶりついている北条時政などが槍玉に上がっています。

陣中で握り飯を手づかみなど、別に珍しくもないのですが。また木の実を食べている土肥実平は、石橋山の戦い後敗走中で、食料がなかったのが大きな理由です。

こういう書き方が意図的でないとすれば、ドラマそのものをきちんと観ていないのだなと思われます-尤も仮にこれが意図的であっても、あまりひねりがないなとは思いますが。また上総広常が酒を直飲みするシーンにも触れていますが、これは周囲に家来しかいなかった、つまり他の誰かと分け合う必要がなかったことも理由の一つでしょう。

その後中世は野蛮だった、ヨーロッパでも食事のマナーは悪いと書かれており、この時「ナイフやフォークで歯をほじくり出すことが当たり前」などと書かれていますが、正確には「歯の間に挟まったものを」と思われます。そしてこれに関しても、私は中世にフォークを使う国は限られていたと書いています。

西欧にフォークが広まったのはルネッサンスに入ってからで、それまではフォークの代わりに指を使って、つまり手づかみで食事をしており、当然食事の間、手でどういうことをしてはいけないという作法もありました。しかし日本の中世は、もう箸は使われていたからその辺は違うでしょう。

にもかかわらず

これからも食事のマナーがなっていない場面に注目したいと思います。
おそらく今後、地位が上がるにつれ、義時たちはお箸を綺麗に使った食事をするようになりますよ。
そしてこのマナーの悪さは、坂東のものであることもご注目。

などと書かれていますが、武者さん本気でこういうことを信じていたのでしょうか。それとこの人、本当に坂東武者が嫌いだったのだなと思いますし、それが昨年の場合、大江広元とか源実朝、北条泰時を持ち上げる一因となっていたようです。

そしてその後にまたも中世は野蛮だったといった記述があり、さらに

冷静に考えてみれば、聖書もアーサー王伝説も無茶苦茶暴力的じゃなかったっけ? 今どき英雄建国神話もないよねハハッ!
そう我に返ったんですね。

上記の投稿をアップした時にも書いていますが、特定の宗教を貶めるのはどうかと思いますね。信仰を持っている人を怒らせかねないと思います。それでなくても元々このコラムは、人を怒らせるまたは貶めると思われる表現が目に付きますが、宗教を云々するものではないでしょう。

しかも、武者さんが何かにつけて引き合いに出す新島襄は、プロテスタント諸派の会衆派の信徒です。一般にプロテスタント諸派は聖書を重んじる傾向があるのですが、それと矛盾してやしないでしょうか。


飲み物-ミルクを注がれるアイスコーヒー
[ 2023/05/03 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

昔の大河について少々及びNHK静岡の大河関連情報

先日の大河関連の投稿で、赤穂浪士の大河が今は作られないと書いています。恐らく今後作られるにしても、それまでとは、かなり見方が変わったものとなるでしょう。

ちなみにこの時代を描いた大河『峠の群像』は個人的に好きです。私の場合、これと『国盗り物語』は、80年代半ばまでの大河の中でも特に楽しめます。無論どれを楽しむかは人それぞれですから、あくまでも私の場合ではありますが。

しかし『国盗り物語』の、高橋英樹さん演じる信長は格好よくはありますが、光秀に対する態度は、今だとパワハラでしょうね。無論あの時代はそれでもおかしくはないのですが、ただ信長も、自ら光秀を造反させる結果を招いたとは思います。そして今年の信長も、別の形で「圧」をかけて来ていますね、いやらしいほどに。

また以前ご紹介した平原学氏のnoteによると

「どうもこのドラマ、当初から「華やかな合戦シーン」というものはなるべく描きたくないような印象を持ちます。
それよりも死体を映す。(中略)もちろん『鎌倉殿の13人』で何度も出てきた「首桶」は確かに「死体」の描き方の一つなんですけど。それよりも『どう康』の場合は、実際にそこで血を流し、命を奪われていく人間の姿をありありと描く」

とあり、それも同感です。

それとこちらはNHK静岡のサイトですが

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②

これがなかなか面白いです。2があるということは当然1もあるわけで、こちらは記事中にリンクが貼られています。あと井伊虎松を演じる板垣李光人さん、『青天を衝け』の民部公子様の画像も貼られていますね。

それからこのサイトには「スタジオ舞台裏」という小見出しがあり、そこでロケや馬の事情についても書かれています。あとこの記事のこの部分、

大河ドラマって日本の割とはじめの技術が入ってきます。初めて4K化されたテレビドラマは大河ドラマ。初めてハイビジョンになったのも大河ドラマという感じで、いろんな新しい技術が一番はじめに入ってくるのは大河ドラマの歴史になっています。

「割とはじめの技術」とは何かと思ったのですが、要は色々な撮影技術の先駆者、パイオニアという意味のようですね。


飲み物-アイスコーヒーとストロー
[ 2023/04/29 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』おさらいその1

まず『どうする家康』第13回のあらすじと感想で、大阪の陣が家康とお市の対立であるかのように書いていましたが、もちろん茶々の間違いです。訂正しています。あと時々意味が通りにくいと思われる箇所があれば、その都度直すようにしています。

ところで4月9日は放送がお休みでしたので、この機会におさらいをしてみようと思います-おさらいと言っても大したことではありませんが。まあ、このあらすじと感想を見てくださっている方ならおわかりでしょうが、この大河は今のところ割と楽しんで観ています。

理由として挙げられるのが、
「主人公がかっこよくない」
これが大きいと思います。あくまでもかっこよくないのは、肝心な所で迷ったり、途方に暮れたりしている家康であって、松本潤さんのことではありません。寧ろあのマツジュンが、この家康を演じるというのに面白みがあります。

いつも家臣たちに諫められたり、奥さんや母親からもあれこれ言われたり。そして本人に絡むキャラ、たとえば信長や信玄はクセつよキャラであったりで、著名な人物をごく当たり前に描くのとはまた違った魅力があります。その家臣団も泥臭いうえに、特に酒井忠次は海老すくい大好きおじさんで、本多忠勝は都で女性の香を嗅いで気分が悪くなるなど、キャラ設定もきちんとできてはいます。

そして家康自身の結婚や桶狭間、三河一向一揆など最低限の史実は踏まえているわけで、要は創作の部分をどこまで受け入れられるか、あるいは受け入れられないかで評価が決まるところはあるでしょう。しかしそもそも最近の大河というのは、如何にもヒーロー然とした人物、カリスマ的な人物をメインに描くのではなく、寧ろちょっと頼りないとか、まだ若い故に未熟さが残るとか、そういう主人公が多いものです。

昨年にしても剣術と言うよりは、農作物の獲れ高という、極めて実務的なものに興味を持つ青年が、いつの間にか歴史の表舞台に引っ張り出されて行く展開であり、寧ろあの大河の特に序盤から前半で、「かっこよかった」のは主人公でなく三浦義村のほうでしょう。

逆に『麒麟がくる』の光秀は、結構真面目人間で主君(道三)からの覚えもめでたくて、それゆえにいささか趣を異にしていたような気がします。これも信長がそれまでのイメージと違ったわけですから(今年も今までのイメージとは違いますが)、光秀ももうちょっと変人ぽくするという方法も、あるいはあったかも知れません。『軍師官兵衛』も比較的正統派ではありましたが、あれも秀吉が割と変人で、官兵衛にミミズを振舞ったりしていましたね。

昭和の終わりごろまでは著名な人物を普通に、時に感動を与える人物として描くのが、大河であったかと思われます。それがいくらか変化したのが『独眼竜政宗』辺りからではないでしょうか。この大河は結構残酷と思われるシーンがある一方でコミカルな描写もあり、それが魅力となっていたところはあるでしょう。

これはまた次回も続きます。

それから『舞いあがれ!』の、ドラマ後半部分のまとめですが、火曜日からまた連続して投稿する予定です。


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/04/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第12回「氏真」あらすじと感想-2

第12回後半部分です。


氏真の前に父義元が現れ、眠れぬかと声を掛ける。さらに義元は、元康は幼い頃から人質としてつらい暮らしを強いられて、人の顔色を窺う癖がしみついており、そなたの機嫌を取ることがここで平穏に生きて行くすべ、決してへつらっていたのではないと氏真を諭す。そして氏真の方に手をやり、これからもあれを大事にすることじゃと義元。

その後桶狭間の戦いで、留守居役であることに不満を洩らす氏真に、ともにここを離れるわけには行かぬと言う義元。しかし氏真は自分が軍勢を率いるべき、元康は大高城兵糧入れの大役を任されているのに、自分は元康よりも信用できないのかと父に食い下がる氏真に、義元は答える。
「そなたに、将としての才はない」

その氏真は今や懸川城で物見の役をも務め、敵が来るぞと兵たちに伝えて、率先して出て行く存在となっていた。一方武田の方は首実検をしており、穴山信君は冬から春、そして夏が来ているのに、家康は未だ氏真に手を焼いていることを嘆き、昌景は氏真が戦場で自ら槍を振るっていること、その気迫に徳川勢が押されていることを話す。信君は意外そうだが、信玄は言う。
「追い詰められてようやく目覚めるということもあろう、やっと兵を鼓舞できるようになったか」

しかし信君は、家康が氏真を討ち損ねて、北条に逃げられるのを懸念していた。そこで信玄は、遠江の守りの薄い部分を突くように命じる。大久保忠世によれば、武田軍が信濃と遠江の国境に陣を張り、今にも攻め込まんとしているらしい。取り決めに反した行為だが、早く氏真の首を取るように脅していると榊原康政は言う。忠世は自分も懸川攻めに加わろうとするが、家康は、そなたはそなたの役割を務めるように命じる。

忠世は信玄が攻め込むのを危惧していたが、家康はこう言い放つ。
「関わりない!これはわしと氏真の戦じゃ。信玄なぞ関わりないわ!」
元忠と親吉もそれに同意し、忠世を邪魔者呼ばわりするが、一人忠勝は忠世に理解を示した。

徳川勢はなおも今川の防御に手こずっていた。しかし忠勝は、盾の後ろの氏真をめざとく見つけ、矢を射ようとする相手に槍を投げつける。これにより氏真は右肩を負傷するが、その翌日総がかりで打って出ると決めており、糸には女たちを連れて抜け穴から脱出し、北条に身を寄せるように、そして氏真は立派に戦って討ち死にしたと伝えるように言う。

糸はもう十分でございますと言いかけて、氏真の肩に手をやろうとするが、氏真は早う出よと言うのみだった。一方家康は満天の星空を仰いでいたが、そこへ康政が来て城に抜け穴があり、女たちが抜け出して来ていたこと、中には氏真の妻女らしき人物もいたと知らせる。そして氏真は歌をしたためていた。
「なかなかに 世をも人をも恨むまじ 時に合わぬを身の咎にして」

そこへ元忠と親吉がやって来る。さらに具足を身に着けた家康も姿を見せ、槍を持った氏真は家康にも槍を渡す。助太刀しようとする元忠と親吉を制し、家康は石突で氏真のみぞおちの辺りを突く。自刃しようとする氏真を家康は止め、なぜじゃと問う氏真にこう言う。
「死んでほしくないからじゃ。
今も…兄と思っておるからじゃあ!」

しかし氏真はその言葉を素直に受け止めず、皆わしの才は蹴鞠だけじゃと皆言っていた、父上もわしを認めなかったと言い、再度太刀を手に自刃しようとするが、そこへ糸が現れる。義元は糸には心の内を話しており、
「己を鍛え上げることを惜しまぬ者は、いずれ必ず天賦の才のある者をしのぐ」
と語っていた。そして才を秘めた家康と手を取り合い、今川をますます栄えさせる姿が目に浮かぶようだとも話していた。

義元は氏真が密かに努力しているのを見ており、よい将になるであろうということ、そして次郎三郎(元康)は大きく化けると見ていることを糸には話し、2人が手を取り合う将来が楽しみであると口にしていた。糸はそれを直に氏真に伝えるように頼む。それを言われたから努力を怠るような人物でないのは、糸も承知していた。義元は戦から戻ったらと約束する。

義父上はあなたをずっと見ていた、そして認めていたと言う糸。氏真は涙を流す。そして家康も、氏真に弓引くことになったのを詫びる。糸はもう十分でございます、そこから降りましょうと、今度は夫の肩に手をやる。さらに糸はこう口にする。
「糸は、蹴鞠をするあなた様が好きでございます。
勇ましく戦うあなた様より…ずっとずっと好きでございます」

氏真は北条に身を寄せる覚悟を決め、家康に力添えを頼む。何ひとつ事を成せなかったが、妻一人を幸せにしてやることならできるやも知れぬ、笑わば笑えと言う氏真に、笑うことなどありましょうやと答える家康。そして氏真様が羨ましい、いつかあなた様のように生きたいと言う家康に、そなたはまだ降りるな、そこでまだまだ苦しめと氏真。

子供時代。後の氏真である龍王丸に、竹千代はたどたどしく自己紹介をする。尾張ではよほどつらい目に遭っていたと見える、今日からはそなたの兄と思うのじゃと義元は言い、2人は蹴鞠に興じる。2人が成人してからも蹴鞠は続いた。あの時楽し気に笑っていた氏真は、今は妻を連れて相模へ落ちる身となっていた。

一方で、このことを聞いた信玄は、自分が大いに怒っていることを「岡崎のわっぱ」に伝えてやれと言う。信玄が攻めて来るかも知れぬと案じる数正。自分が詫びの使者に立つと言う忠次に、家康は一言要らんと言い、忠勝は北条と手を組めば武田を挟み撃ちできると言い出す。にわかに色めき立つ家臣たちだが、家康は一人何かを考えていた。


何やら闇落ちした感のある氏真相手に、徳川勢は苦戦します。しかし忠勝の槍により氏真は負傷、そして糸には北条へ落ち延びるように言います。氏真自身は最早戦死を覚悟していましたが、そこへ家康がやって来ます。槍試合をしようと言う氏真ですが、家康は穂先とは逆の石突で相手を突き、自刃しようと言う氏真を思いとどまらせます。

家康は今も兄と思っていると言い、太守様である義元の思いに背き、弓引いたことを詫びます。その義元は、実は氏真に望みを抱いていたことを、妻の糸には知らせていました。本来は氏真と次郎三郎、つまり家康が手を取り合って駿府を栄えさせることになっていたのですが、その義元の死により、思わぬ番狂わせが起こってしまったわけです。

無論家康としては、まだ駿府へ戻ろうとはしていましたが、あの時信長が来てしまったことが、その後に大きく影響しました。そして子供時代、尾張ではつらい目に遭っていたと見えると、義元が当時の龍王丸に竹千代を紹介するのですが、その「つらい目」に遭わせたのも信長でした。そしてその信長は、今川に取って代わる存在になろうとしていました。

夫氏真からは、どちらかと言えば冷遇されていた感がある糸ですが、ここに来てきちんと氏真をフォローできたようです。そして蹴鞠。どうもこれは『鎌倉殿の13人』を思い出してしまいますが、その後も無論蹴鞠は行われていました。『おんな城主 直虎』では、この龍王丸とおとわの蹴鞠合戦が披露されています。

それにしても家康が見ていた星空、何だかプラネタリウムのようですね。あと武田の首実検がなかなかリアルで、妙に血生臭い雰囲気があります。そして氏真を逃がしたことにより、その武田を怒らせてしまう家康ですが、次回は、上洛がメインのようです。


飲み物-琥珀のエール
[ 2023/03/28 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』大河コラムの補足

まず『どうする家康』関係投稿で、「酒井忠次」を「本多忠次」としている物がありましたので、訂正しています。

さて『武将ジャパン』大河コラム関連、今回はちょっと駆け足で見て来ましたが、その中で再度採り上げたい部分があります。

まず先日も書いた、武者さんの
「料理初心者ほどわけのわからんアレンジをして、色々ぶち壊しにする状態」なる書き出しで、「レモン味の牛乳」を

三谷幸喜さんならばわざと固めてカッテージチーズ風にできるし、森下佳子さんならばラッシー風にできるし、池端俊策さんなら寒天を入れることで解決する。それが今年は、固まりかけのまずい牛乳だけが残っているんです……飲みたくありません

とあります。と言うか、これは
「牛乳をヨーグルトにしようと思ったけどしくじってしまい、その時どのように修正するか」
を前提としているように見えます、しかし何だか書き方が回りくどいですね。特に例えを持ち出さなくてもよかったのではないでしょうか。
これで思い出すのが『鎌倉殿の13人』関連の「プリン」です。

そもそも大河ドラマで、歴史の勉強はできるようで、できませんよね。
大河の関連書籍を並べて「歴史の本を読みました」と言われても、それは受け入れられないでしょう。
いわば大河は”パティシェ三谷さんが作った鎌倉野菜のプリン“のようなもの。
いくら栄養たっぷりの野菜を使っていようと、
「このプリンはおやつじゃないんです。野菜を使ってます! サラダや野菜炒めと同じです!」
では話が通じません。
「いくら野菜を使っていてもプリンはおやつです。そう認識してください」
「いや、このプリンは健康にいい、野菜の風味も生きてて最高。そう野菜料理だという前提で食べているのに何でケチをつけられるんですか? プリンのカロリーぶん、ちゃんと他のものを減らしますよ」
こんな返答になりがちで、話の核がはぐらかされてしまう。
おやつはおやつです。

と書いたうえで、

きっかけとしてはよいけれど、あくまで入口でしかない。
ではなぜ、この手の「史実と違う大河を受け付けんぞぉ!」という記事が出るか?

とあるのですが…それに至るまでの例えがどうにもくどく感じられます。ちゃんとしたライターなら、この辺りをもっとシンプルにするでしょう。結局これも武者さんの自己満足にしかなっていないと思う所以です。

それから「大河で歴史の勉強はできない」、つまり史実重視姿勢を批判しながら、先日ご紹介したコラムでは、
「お田鶴の方の話は後世の創作なのに、ここまで引っ張ってしょうもないアレンジを利かせてしまう」
と言うのも如何なものでしょうか。それにあの部分は、諸説ある内の1つと思われます。
それはさておくとしても、今年のように嫌いな大河では、フィクションの部分そのものを批判しているように見えます。自分の好きな大河のフィクションは、いいフィクションなのでしょう。

さて食べ物関連で、第11回「信玄との密約」では団子、そして栗が登場します。
この団子が、特に後半部分で意味を持つのはあらすじと感想でも書いています。信玄も遠江と駿河になぞらえた団子を、家康に食べさせようとしていました。家康があの2個のうち1個の、それも半分しか食べていないのには、後の三方ヶ原の戦いを何となく連想させますし、終盤で出て来る瀬名とお田鶴の団子の描写も、何かを象徴している感があります。

また栗ですが

  • 最初から中身が抜かれている
  • 石川数正が栗と思しき物を1つだけ食べている
  • 信玄が渡した瀬名への包みにはいくつもの栗が入っている

と言うのも、どうも寓意が込められているように思われます。しかし武者さんのコラムで、そういった考察は出て来ず、どころかあれがよくないこれが悪いと叩いているだけのように見えます。

そして武者さんが、これは第10回関連で書いていた織田信長の弓矢がすべて的に当たっている件ですが、あの弓矢は日置流らしいです。NHKBSの『明鏡止水』でも紹介されていたようですね。

「五の巻 弓馬の道・居合」
(NHK ONLINE)

これには、信長を演じる岡田准一さんも出演しています。
そしてその岡田さんに、関西弁を使う時代劇に出て欲しいとか何とか書かれていましたが、この場合はまず『どうする家康』で岡田さん演じる信長について言及するべきでしょう。無論、嫌いな大河の場合はそれをしないのが武者さんではありますが。

あとこれも第10回で側室となったお葉、彼女の登場シーンにもつっかかっていますが、『鎌倉殿の13人』に出ていた北香那さんが、こちらにも出ているのが嫌なのでしょうか。そう思いたくもなります。

それと他のアカウントが自分の(小檜山青氏名義の)ツイートをスクショして、自身のツイートに添付しているというのが面白くないようです。しかしその人は、あるいは武者(小檜山)さんにブロックされているのかも知れません。そして以前目にした限りでは、その小檜山氏ツイを添付していた人も、やはりこのコラムの書き方、特にドラマをきちんと観ていない点を批判していましたが、比較的まともなことを言っていました。

実際武者さんは好きな大河でさえもきちんと観ていないふしがあります。それと昨年の場合、好きな大河と言いながらも坂東武者などには批判的でした。この人は政子や源実朝、そして大江広元などには好意的でしたが、この大河に不可欠な坂東武者を、それも儒学の素養がないという理由でどこかさげすんでいたように思います。


飲み物-ランプと水とウイスキー
[ 2023/03/26 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第11回に関しての武将ジャパンの記事について-3

先日の続きです。今回も引用部分は短めにしていますが、それでも長めになっています。それから先日「刈谷城攻め」と書いていましたが、もちろんこれは鵜殿長照の上ノ郷城攻めの誤りです、訂正しています。

やたらと芝居ががかっていた田鶴が不憫でなりませんでした。
(中略)
しかも回想シーンで、冬なのにペールカラーの着物で話している二人がいる。あれでは寒いとしか思えません。
この田鶴の回想に出てくる場面が、おじさんが考えた若い女設定でさらに辛い。
「若い女はスイーツ食うよね!」
だから、このセンス、もうどうにかしてっての……。

また「ペールカラー」(苦笑)
そして必ず「おじさんが考えた若い女設定」
武者さんのこの固定観念の方こそ、どうにかしてくれと言いたくなります。
で、
「串団子で、はしゃぎながら外食するってどれだけ陳腐な表現方法なんですか。怪我の原因にもなるからやめましょうよ」
くわえて走ったりすれば確かに危ないでしょうが、そういうシーンはありませんよね?
第一この当時、外食するなら団子とか餅とか、そういうのに限られていたと思うのですが。

お団子食べてはしゃいでいる時間があったら、統治者なり為政者なりの思いでも入れるべきだったのでは?
本作に、とにかくありがちな描写――ぶつ切りにして、臭い感動を入れればいいと思っている。

武者さんに取っては「臭い感動」であったのでしょうが、お田鶴がこの行動に踏み切るためのいわば伏線だったのではないでしょうか。ここで

「どうする家康」田鶴の行動原理は瀬名への「強すぎる愛」 “裏切り者”の声も「うれしかった」
https://mantan-web.jp/article/20230317dog00m200069000c.html
(MANTANWEB)

という記事が紹介されており、
記事でわざわざ解説しなければならないほど、本編の描写が足りていないなどとありますが、ちゃんと観ていればわかることでしょうし、他の大河でもそれは同じと思われます。
そして、

そもそも田鶴の話は、後世の創作とされます。
それをここまで引っ張るばかりか、しょうもないアレンジを効かせて、台無しにしてしまう。

創作と言うよりいくつか説があるため、どれを採るかとなったのではないでしょうか。そして例によって
「しょうもないアレンジ」
どこがしょうもないのでしょうね。彼女が城を守ったこと、城下に赴いたこと、さらに瀬名に手紙を送ろうとして結局送らなかったことなどなど、それなりに意味があると思いますが。

そして「料理初心者ほどわけのわからんアレンジをして、色々ぶち壊しにする状態」なる書き出しで、「レモン味の牛乳」を

三谷幸喜さんならばわざと固めてカッテージチーズ風にできるし、森下佳子さんならばラッシー風にできるし、池端俊策さんなら寒天を入れることで解決する。それが今年は、固まりかけのまずい牛乳だけが残っているんです……飲みたくありません。

何言っているんだ?と言いたくなってしまいます。しかし徹底して好きな脚本家しか出していませんが、山本むつみさんは登場しないのでしょうか。
それと「飲みたくありません」
だったら飲まなければいいのでは?

そして瀬名とお田鶴をクローズアップした、本作の女性描写が酷い、こういう記事があるがどれもこれも脳内妄想女などとあります。失礼ですが、武者さんの方が脳内妄想なのではないかと思いたくもなりますね。
その記事とはこういう記事です。

有村架純&松嶋菜々子&古川琴音ら「どうする家康」のカギを握る女性たち
https://www.cinemacafe.net/article/2023/03/18/84159.html
(シネマカフェ)

女性たちが様々な形で登場するのは、昨年も似たようなものだったと思います。しかし武者さんも叩くためとは言え、色々な記事に目を通してますね。本当はこの大河を好きなのではないかとさえ思ってしまいます。でベクデル・テスト(ジェンダーバイアス測定のためのテスト)がどうこう、ひらパーで岡田准一さんが既視感のある格好で、メリーゴーランドに乗ってどうこう。これには
「どう見ても作り物の馬に乗って、はしゃぐ信長もとい園長て……そんなんお前、むしろ皮肉っとるんやないか?」
遊園地だから当然かと思いますけどね。ちなみに信長ならぬ園長(そのなが)という名で登場したようです。紛争姿はこちらをどうぞ。

https://www.hirakatapark.co.jp/
(ひらかたパーク公式サイト)

さらに
「ま、それはさておき、関西弁ネイティブの岡田准一さん、時代劇もお得意です。
(中略)
バリバリに関西弁を使う役が見たいんですよね。どうですかねえ。楽しみにしております」
関西弁が理由ではない(多分)とは言え、BK朝ドラが嫌いな武者さんにそう言われてもなあ…と思います。

そしてこの回では登場していないお葉の関連記事ですが、彼女のしぐさが『うる星やつら』の場面に似ているという記事をわざわざ持ち出し、こういう記事を引っ張って来て、このアニメは1981年のだから若者向けではないとか何とか。知らないなら知らないなりに楽しめるのではないでしょうか。実は私もこのこと知らなかったのですが、『レジェンド&バタフライ』に似ているとは思いました。
あとお葉の家康に対する仕草に「ムツゴロウさん」という声もあったとのことで、これも80年代だから若者向けではないなどと書いていますね。

そしてこの部分、

面白ければ褒める。
つまらなければ批判する。
レビューというのは当然そうあるべきだと思いますが、つまらない作品についてそう批評していると、私のような末端の者にまで「なぜ褒めないなんだ、馬鹿か!」といった言葉が飛んでくることがあります。

「面白ければ褒め、つまらなければ批判する」は、1つの作品の面白い部分、そうでない部分をそれぞれ批評または批判するものだと思います。しかし武者さんは好き嫌いのみで判断し、嫌いな作品即ちつまらない作品と決めつけるから反発も来るのでしょう。レビューとは本来、もっと客観的な分析が要求されるものではないでしょうか。これが

作品の面白い部分は褒め、つまらない点は批判する。
レビューというのは当然そうあるべきであると思います。仮に作品がつまらないと思われても、描き方や登場人物の動かし方などで見るべき部分はあるでしょう。ただ批判が多くなると反発がくることもやはりあります。

とでも書かれていたら、まだ納得できるのですが。

それからステラのテレビ桟敷談義なる記事ですが、これも一応URLを置いておきます。

家康(松本潤)の側室問題は続く!? 大河で描かれるセクシュアリティーってなんだ? 大河初心者の“見た蔵”とマニアの“同門センパイ”が第10回を大胆レビュー!
https://steranet.jp/articles/-/1623
(ステラnet)

武者さんが公式ポリアンナ(記事)と呼ぶこのステラの記事、戦国期の女性同士の同性愛で、
「ドラマでは、扱い方がセンシティブで難しいんだ。今回は、家康は同性愛について理解を示した、それくらい懐の深い人でした、というのがオチだよね。でも、ドラマからはそれ以上のメッセージは伝わらないように感じたんだ」
そして公式ポリアンナも引いたとあるのですが、別にこの桟敷談義なる記事、武者さんが言うポリアンナ記事ではないように思います。他に大河紹介記事もありますし。

そして『平清盛』はバッシングがひどかったのに、SNSで盛り上がった、ドラマ通は理解できる作品と位置づけできたと決めつけ、本当に必要だったのは、批判の中身を吟味して改善することだったと書かれています。そして家康も反省からの改善がないとか何とか。
確かに清盛は反省すべき点もあったかとは思いますが、後からDVDで観た限りでは癖が強めながら、そんなにひどい作品とも思いませんでした。ならば『麒麟がくる』にも同じようなことが言えるかと思うのですが、その点武者さんはどう考え、どう改善するべきだったと思っているのでしょうか。

そもそもこれ、清盛がどうこう言っていますが、例によって関連ツイのハッシュタグのことを批判したいように見えます。

あとこの漢詩ですが、

項羽作『垓下の歌』より
力抜山兮気蓋世
力は山を抜き、気は世を蓋(おお)う
私の大河愛はめっちゃ素晴らしくて、タイムラインを絶賛で埋め尽くすほどなのに
時不利兮騅不逝
時に利あらず、騅(すい)逝(ゆ)かず
ドラマ通が少ないのか、マスゴミやアンチのせいか、視聴率が低迷してる!
騅不逝兮可奈何
騅(すい)の逝(い)かざるを奈何(いか)にすべき
トレンド一位取ればヒットのはずなのに、それが通じないってどういうこと!?
虞兮虞兮奈若何
虞(ぐ)や虞(ぐ)や若(なんじ)を奈何(いかん)せん
えーん辛いよぉ、推しがヒットしないのどうすればいいのぉ〜!

最後の「虞や虞や汝を奈何にせん」は有名ですね。それはともかく、皮肉ろうとしてどうも「おじさん構文」同様滑っているような感があります。何か1人で感傷に浸っているように見えると言うか、単なる自己満足のように見えますが。
このコラムが「レビュー」たりえないのは、こういう点も一因かと。


飲み物ウイスキー

[ 2023/03/25 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第11回に関しての武将ジャパンの記事について-2

先日の続きです。
先日同様、引用部分は少なめにしています。

それにしたって道端でひょっこり……って、なんなんですか?
「信玄はきちんと護衛を付けていた!」というのでしたら、家康サイドのセキュリティがあまりに脆弱だ。

そして『麒麟がくる』の道三だったら、家康も信玄も信長も氏真も毒殺三昧でしょう、戦国大河で求められるのは謀略だなどと書いていますが、この大河は上ノ郷城攻めでも瀬名奪還でも、謀略が出て来ているのですが。そして
「謀略がない戦国大河など意味がない。真面目に作り直して、毒殺謀殺しまくるようにしてください」
だそうです。
真面目に作り直してと要請するのではなく、武者さんが「真面目に観直す」べきだと思います。

と、そういう冗談はさておき、戦国時代って、山道を歩くだけでも命懸けなんですよ。
『麒麟がくる』では道を歩いているだけの光秀が、危険な目に遭う場面が相当ありました。
なのに今年は、遠足に来た小学五年生みたいなノリ。
ものを拾ったり採取して食べるにせよ、有毒か無毒か、その見極めは大事です。そういう危険性を何も考慮してませんよね。

「戦国時代って、山道を歩くだけでも命懸けなんですよ」
とありますが、そのために徳川は兵を連れて来ていますよね。酒井忠次が彼らに気づかれないように合図を送っていますし。それと家康が探しているのは、その辺りに落ちている栗なのですが、これも有毒か無毒か見極めろと言うのでしょうか。しかもそれ、ここで食べるのではなく、瀬名に持って帰ろうとしているのですよね。

信玄が「ズべべべべべ……」ってお茶を飲むシーンが辛すぎました。
阿部寛さんを使ってまで、なぜ、あんな汚らしい茶の飲み方をさせるのか。
『麒麟がくる』の茶道の場面では、出演者の皆さんが相当練習したようで、今井宗久役の陣内孝則さんも苦労したことを語られていました。
あるいは光秀が背筋を伸ばして茶を飲んでいた美しさも印象的でした。

外で如何にもカジュアルな雰囲気のなかで茶を飲んでいる以上、それもありではないかと思います。茶室で飲んでいるのではないのですから。

そして
「当時の茶は、経済的にも、禅宗的にも重要です」
だの、
「『鎌倉殿の13人』では、茶の導入が丁寧に描かれていたのに、今回のような雑な扱いでは、今後の本作では全く期待できませんね」
と、またも鎌倉殿との比較。茶の導入と、こういう己の身分を隠して外で茶を啜るのと、どのような関係があるのでしょうか。思いつきで書いているのかなと思う所以です。

で、茶についてあれこれ書かれていますが、ドラマと直接関係ないのでここでは省きます。

それよりとにかく見ていて頭を抱えたのは、茶碗を片手で持っていることでした。
抹茶用の茶碗は大きいから、両手を添えて飲みます。
それなのにあの信玄はどうしたことか。やはりバーベキューでビールジョッキを持つおじさんのように描きたいと思ったのですかね?
本当にどこが時代劇なのでしょう。

武者さん、また頭を抱えているようです。これやはり何かテンプレでもあるのかと思ってしまいます。すぐおじさんに結び付けるのも、武者さんらしいですね。
しかし片手で茶碗を持つのは他の大河でも見た覚えがありますし、それにあの信玄のような巨漢なら特に、片手持ちもうなずけます。逆に作法通りに両手で茶碗を持っている家康たちがそれを見て、こいつただならぬ者だと気づいたようにも取れます。

そして駿府の武田軍。

・統制が取れていない
→サッカーを応援するフーリガンのように怒鳴り散らす軍勢ってチンピラ集団ですか?

「怒鳴り散らす軍勢」て何ですか?駿府で暴れ回っている兵のことですか?あの当時は乱取りなどもあったから、あのような状況になるのも当然でしょう。逆に怒鳴り散らすことがない戦場など、この当時あるのでしょうか。

・目立ちすぎる信玄
→「俺、信玄! ここにいます!」と堂々と立つということは、狙ってくれとアピールしているようなものです

あの周辺には赤備えの兵がいますし、駿府があらかた落ちたから様子を見に来たのでは?

・甲冑はいつ装着するか?
→甲冑は重い。ゆえに移動する間はつけておらず、戦う前につけます。あんな意味なく高いところに甲冑をつけて立って、何をしたいんですか?
ほんと『47 RONIN』の方がよっぽど本格的時代劇に思えてきましたよ。

戦場では甲冑を着けますよね?あの時の駿府は武田に取って戦場ではないのですか?
それから『47 RONIN』が面白いのなら、大河など観ずにそちらの方を観ていた方がいいのではないのですか?

雪が降っていて寒いはずなのに、開けっぱなしの部屋。
同じく寒いはずなのに、夏場と変わらないペールカラーの服ではしゃいでいる瀬名と田鶴。
雪が降っているのに、太陽光が強すぎて、まるで初夏のように見える駿府の街中。
最低限の季節感すら出さないって、一体どういうことですか?

あの当時廊下には戸がないはずです。確かに寒いですが、それが普通だったようですね。
それとペールカラーて…こういう言葉を使いたがるのが武者さんらしくはあります。ただ今までの大河でも、夏と冬とで同じような色調、あるいは同じ着物を着ている例はかなりあったと言うか、寧ろそちらの方が多いでしょう。『真田丸』のきりも、同じ着物を何年も着ていたかと思いますが。

それと雪が降るシーンは空も曇っています。積雪の白さで明るく見えているとは思いますが。それに季節感は「椿」で十分表現されていないでしょうか。

あと瀬名の着物が、岡崎では恐らく麻を着ていますが、駿府では絹ですね。寧ろこの辺りの違いにこそ、言及してほしいものです。

田鶴たちは、降伏するように告げてきた者たちを本気で撃ちました。
(中略)
当時だって最低限のルールはあり、まっとうな大名家は使者殺しを禁じています。

これ寧ろ威嚇射撃ではないでしょうか。退却した元忠に対して、それ以上銃は向けていません。

でこの後に
「軍事のことを真面目に考え、あえてそうしたのなら、それに至る背景や説明が必要ではありませんか。
結局、ノリだけでそう描かれてるとしか思えず、苦しくなってくるのです」
軍事のことを真面目に考えたから、相手を殺さなかったのではないのですか。そして頭を抱える、苦しくなる、そしてこの前は、脳みそが溶けかけていた。ならばますます、この大河は観ない方がいいでしょう。

このドラマと並行して華流時代劇を見ていると、色彩感覚が目に染みるほど美しく思えます。
伝統を踏まえつつ、現代的にアレンジしているのです。

「ドラマと並行して」比較するために観ているというのがわかりますね。
そして昨年もよかったと言い、それなのに今年は…という例のパターンです。

女性の衣装がペールカラーだらけだし、武田の赤備えはうっすらと汚らしいし。
信玄のふさふさも、穴山梅雪の頭巾も、不潔に見えてしまいます。
信玄の衣装が特におかしい。
肉襦袢のようなものを衣装の下に入れているのが、なんとなくわかってしまうと言いますか。どうして衣装すらまともに作れませんか?

また「ペールカラー」(苦笑)
「淡色」くらい書けないものでしょうかね。

武田の赤備えが汚い、信玄のふさふさ(笑、諏訪法性兜のヤクの毛ですね)、穴山信君(ドラマでは梅雪でなく信君)の頭巾が不潔。こういうのはすべて武者さんの主観だと思いますが、今までこれでやって来ているからか、少しも改まらないどころか、エスカレートしまくりです。あと肉襦袢のようなものではなく、下の着物が地厚なせいでそう見えているのでは?

このドラマは画面写真を見ているだけで気分が落ち込みます。
なぜか?
日本の伝統色彩色パレットを無視しているように思えるからです。

「日本の伝統色彩色パレットを無視」
どのように「無視」しているのでしょうか。瀬名やお田鶴の着物の色などは、日本の伝統色の薄紅色や淡黄色ではないのでしょうか。
それにこんなことで気分が落ち込むなら、ますますもって観ない方がいいですよ。
あれが悪い、これが嫌だ、頭を抱えたくなる、苦しい、気分が落ちこむ。
毎度、このパターンのような気がします。無論共感はしませんが。


飲み物-バーのカクテル
[ 2023/03/24 07:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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