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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『武将ジャパン』大河コラム続きと『不適切にもほどがある!』

まず先日のたけたけさんの記事関連の投稿について、一部表記が似たような感じになっていたので改めています。

実は『風花帖』について書こうかと思ったのですが、今回は『武将ジャパン』大河コラムについて追加したいことがあるので、そちらを書きます。たけたけさんのnote記事には、このコラムでの大河作品の評価が、決め打ちであると書かれていたことがありますが、正にその通りだとうなずかざるをえません。要ははじめに結論ありきなわけで、賛同か批判(というか叩き)のどちらかに大きく傾くのが、このコラムの特徴と言えます。

たとえば打毬の後のシーン、先日の投稿では触れていませんが、
「ここで公達が半裸である事に対して、『女性へのサービスカットではなくセクハラだとは言わないのですね」
と書かれています。嫌いな大河ならセクハラ呼ばわりはもちろん、アップデートができていないなどと叩きまくることになるわけでしょう、昨年の大河で、こういう半裸のシーンなどがあった場合にこういう表現を使っています。でなければ
「しょーもない」「わけがわからない」

また記事の中で、
「烏帽子を脱いで平安時代の価値観では恥ずかしい髻部分が丸見えなのが気になりますが」
ともあります。これも実際そうだなと思いますが、武者さんはこれに何も言及していません。『鎌倉殿の13人』で、義時が孤児たちの世話にかまけていて、烏帽子をつけないままのシーンでは、そのことを書いていたと思うのですが。

それから、武者さんが散々に言っていた『不適切にもほどがある!』に関して。
このドラマですが、否定的な見方もある一方で、面白いと言う声ももちろんあるようです。公式サイトのあらすじを見て行く限り、如何にも宮藤官九郎氏だなとは思いますが。そして実は、今年の大河に出ている人たちが、このドラマにも出ています。

ゲスト出演も含めると
吉田羊さん
秋山竜次(ロバート)さん
ファーストサマーウイカさん
といった人たちが出ていますね。また、武者さんが好きな山本耕史さんも出演しています。こういう俳優さんたちが、宮藤氏のドラマに出るのがあるいは嫌なのでしょうか。

それとこのドラマですが、Netflixの「週間TOP10」で3週間連続1位のようです。そして武者さんは、リアタイ視聴率では時代遅れ(アップデートされていない)、配信も考えなければと書いていたことがありますが、Netflixでは配信ランキングがトップなのはご存知なのでしょうか。

Netflix「週間TOP10」(日本)で記録更新の3週連続1位!
『不適切にもほどがある!』


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[ 2024/02/26 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず、このコラムの冒頭の部分が訂正されています。
サムネを貼っておきます。こちらが修正前です。

武将ジャパン第7回修正前

そしてこのようになっています。

武将ジャパン第7回修正分

花山天皇が、遺体に近づけなかった点に言及しているのはいいのですが、「なぜ」近づけなかったのかがありません。言うまでもなく、この当時「死は汚れ」だったからであり、昨年の終わりの方で武者さんは、やけに(『どうする家康』が)汚れだ何だと持ち出していたはずなのですが、肝心な時に、この当時の人々が考える「汚れ」について書かないのですね。

あと
「亡骸に抱きつく」
より
「亡骸に取りすがる」
などとした方がいいのではないかと。

藤原道長が、馬で街を歩いています。

この「馬で街を歩いています」も何だかなあと思います。
せめて「馬の背に揺られている」とか、「馬を進ませている」とでもしてほしいです。

それぐらい当時の恋文の遅延は命懸けのうえ、従者がアクシデントでなくすこともあったのだから、なかなか恐ろしいものです。現代人の既読スルーどころじゃない破壊力かもしれない。
それをおずおずと切り出した百舌彦はどれほど緊張していたことか。

その当時、恋文にかかわらず文が届かないというのは、情報の遮断を意味していました。
(これよりも後の関ヶ原の戦いの前に、直江兼続への西軍サイドの文が届かなくなり、情報収集ができなくなったという話もあります)
仮に既読スルーされたところで、他に選択肢のある今と同列には論じられないのではないかと、

笑わせようと思ってここまで火力が高い話を考えてしまうとは。もしかしたらこの件は、祟りに怯えている兼家が怒り狂ったためでは?ということも想像できますね。
道長はけろりと、俺たちを笑いものにする散楽なら見たかったと言います。

例の、東三条殿の武者たちがけしからんと押しかけた散楽ですが、この時道長は逃れた先で、自分が考えたと言うまひろにまず
「俺たちを笑いものにする散楽を(お前が考えたの)か」
と言い、その後自分も見たかったと言っています。道長のセリフが建前と本音とも言うべき二段階構成であることは、きちんと書いておいてください。

いとも「もう昔のような苦しい暮らしは嫌だ」として、くどくど訴えてきます。
いくらなんでも、厚かましいようにも思えますが、この邸には妻もいないし、為時にとっては妻のような存在なのかもしれません。

まずいとの服装ですが、下働きの女性と違って袿を着ています。
そしてこの前の回で、乙丸がまひろへの手紙を、いとに渡さず直接まひろに渡してしまっていること、その時、惟規様の乳母だからと乙丸が言っている件などからして、使用人の中でも身分が高いことが窺えます。妻というか、一家の主婦、使用人の長のような存在なのでしょう。

来るか来ないか、迷っていたまひろは遅れてやってきました。「漢詩の会」といい、今回といい、一人だけ地味な服装です。

左大臣家の集まりにも同じことが言えます。まひろだけ絹を着ていないからですね。他の姫君たち、さらにはききょうも絹を着ている中で、彼女のあのいでたちは、如何にも身分違いといった印象をも与えてしまいます。さらには、彼女だけ髪をそのまま垂らさず、部分的にまとめていますね。

なんでも紀元前6世紀、ペルシャが発祥とされる競技であり、イギリスのポロよりも何百年も早いとか。
起源は諸説あるようですが、日本の場合は唐由来とされます。
『三国志』の時代、地球は寒冷化していました。
寒さに追われるようにして中国北部へ騎馬民族が入り込んできて、文化を変えていった時代。
魏晋南北朝という長い乱世を経て、中国には北から訪れた異文化が根付きました。
そんな騎馬民族の風習を感じさせる競技です。

最初の行は、ドラマの中でナレで紹介されたものですね。
で騎馬民族云々ですが、それはともかく、この競技がどのようにして行われるのかが何も書かれていません。昨日も貼りましたが、公式サイトのこのコラムをもう一度貼っておきます。

をしへて! 佐多芳彦さん ~平安貴族が楽しんだ打毬ってどんな競技?
(『光る君へ』公式サイト)

紀元前6世紀のペルシャを起源とし、馬上で行うものと徒歩で行なうものの2種があって前者はポロ、後者はホッケーのようなイメージです。例えば白と赤とか、青と緑というような2つのチームに分かれて競い合うんですね。人数に決まりはないようで、ドラマでは1チーム4人で行っていますが、もっと大人数で行うこともありました。

「光る君へ」では打毬を楽しんでいた貴族の多くは武官、または、その経験者であろうと想定し、今回は近衛府(このえふ)の色の使い方を参考にしています。左近衛(さこのえ)が「青」、右近衛(うこのえ)が「緑」というような色分けがそもそもあるんですね。視聴者のみなさんに、2チームに分かれていることが一目で伝わるようにしたいという意図もありました。道長たちが着ているのは、水干(すいかん)になります。そして、馬が走るときにはね上げる泥を防ぐための行縢(むかばき)を身に付けています。

そして、ここで佐多氏のコメントにある「徒歩で行うもの」ですが、「毬杖(ぎっちょう)」のことでしょうか。これに関しては、『炎立つ』で見たことがあります。

炎立つ毬杖1
『炎立つ』より

小道具やロケも大変でしょう。ストーリーの中に「打毱を出す」と決めたことがどれだけ大変だったことか。
このドラマには、その効果が十分にあります。
カメラも良いものを使っていて、ともかく圧巻の美しさと爽快感があります。見ていてよかった。

「小道具やロケも大変でしょう」
恐らくスポーツがメインの『いだてん』なども、かなり大変だったのではないかと思うのですが、それに関しては嫌いなせいか何も書かないのですね。

実際スポーツや競技を入れるのは、通常の収録とは異なるものがあるでしょう。大河ではないけれど、日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』のラグビーのシーンなども大変だったようです。余談ながら、間接的に知っている方が、観客のエキストラで収録に参加した由。

それと
「カメラも良いものを使っていて、ともかく圧巻の美しさと爽快感があります」
その「良いもの」とは具体的にどのようなところが「良い」のですか?この間、道長の筆が高級品といったことを書き、また詮子の硯に関しても同じようなことを書いていましたが、どこがどのように良いのかを書かないと説得力不足、あるいは好きな大河だから褒めまくっているようにしか取れません。

これぞ平安ロッカールームトーク――なんて地獄みがあるのだ!
「ロッカールームトーク」は、トランプの発言で有名になりました。
「男の子同士が、更衣室で、やらかすような話で、深い意味ないヨ〜^ ^」
こういう話ですが、そんな言い訳は通じませんよ。
◆ トランプ、性的発言を「更衣室トーク」→スポーツ界で炎上加速(→link)
結局、あの打毱も、この下劣トークの前振りかと思うとおそろしいものを感じさせます。
しかも、ちゃんと当時の価値観を反映させながら、その上で、当事者は胸が傷ついてズタズタになったことを描いてくる。これぞ匠の技でしょう。

このトランプ氏の記事は2016年のですね。
そして好きな大河、それもイケメンな俳優さんが出ているからこう書いている感もあります。これが嫌いな大河なら武者さん散々に叩くでしょうね。
『どうする家康』のコラムで、こんなことを書いていたのを思い出しました。

このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?
・エロいことをさせてくれる
・自慢できるトロフィー
・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw
・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組
・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」
・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」

嫌いな大河であれば、ちやはは「冷蔵庫の女」であり、公任や斉信に取っての女は
「自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組」
などと書きそうな気がするのですよね。

そうそう、斉信のストーキングのせいで、ききょうは元夫と絶縁するんですよね。

ここでなぜかききょうの話。ここでは省きますが、結局武者さんは、こういう色恋沙汰が好きなのだなと思います。だからこそ、上記のような↑ことを平気で書けるのでしょう。

前回の予告で、藤原公任の脱ぐ姿が映った時、これぞ女性向け大河だと言わんばかりの反応がありました。
しかし、そんな脱ぐ公任を見て、まだときめいていられるかどうか。
ゲストークが全力で炸裂ではないですか。
相対的に素朴な『鎌倉殿の13人』坂東武者がマシに思える日がくるなんて……。
ただ、このゲスさは前振りだと思いたい。

家康の浴室でのシーンは叩く、公任の裸には心ときめく。わかりすいと言いますか。
ゲストークだ何だと言うより、こういうことを平気でというか、嬉しそうに書く武者さんが、言っては何ですがかなりゲスに見えて仕方ありません。
そして『鎌倉殿』坂東武者が素朴なら、この場合比較にはならないでしょう。坂東武者もそこそこゲスだったが、平安の貴公子たちはそれを上回る、こういう感じで持って来ないと。

この点でいけば今年の大河ドラマ『光る君へ』は、とてつもなく高い可能性があるようです。
既に町田啓太さんは、中国語圏のファンからロックオンされています。
「日本からえらい時代劇美男が出てきたな!」と注目を集めているようなのです。

これですが、この間のたけたけさんのnote記事を見て、私も「町田啓太 中国 美男子 検索」でググってみたのですが、やはり『チェリまほ』が出て来ます。確かに町田さんは人気があるのでしょうが、大河でなく別のドラマで出て来るのですけど。

そして前回の「漢詩の会」で盛り上がったようです。
「貴公子たち、こんなに漢詩が好きなんだ!」
行成の筆の持ち方が素敵。
漢詩チョイスがいい。
公任の漢詩は自作なんだ。
白居易が好きなのだな!
と前のめりになりつつ、ざわついています。

「前のめりになりつつ、ざわついています」
その裏付けを見せて貰えないでしょうか。

そして
「行成の筆の持ち方が素敵。
漢詩チョイスがいい。
公任の漢詩は自作なんだ。
白居易が好きなのだな!」
こういうの、武者さん自身が好きなことでしょうーーまだ筆の持ち方にこだわっていますが。あと白居易(楽天)と李白を間違えていましたね。

今年の大河は、しっかりとアジアの熱気を掴みにいく、したたかさ、賢さがあり、緻密な作りをしています。
日本留学している方が緻密な考察をしていることもあり、こちらも身が引き締まります。
今年の大河は海外からも熱い目線が送られています。視聴率では見えてこない大きな反応を感じます。

「緻密な作り」というのは、基本的にどの大河でも変わらないと思います。ただその方向性や描写方法に、賛否両論があるわけです。そしてアジアの熱気と言うより、まずメインとなる日本人視聴者層がどのように思うかではないでしょうか。

さらに
「日本留学している方が緻密な考察をしていることもあり」
「海外からも熱い目線が送られています」
ならばその裏付けをお願いします。これだけだと、武者さんの希望的観測だと言われても仕方ありません。取りあえず、『チェリまほ』がアジアで評判なのはわかりましたが。

「視聴率では見えてこない大きな反応を感じます」
最初の方で、今年の視聴率に関しては諦めるようなことを言っていませんでしたっけ。なのにやはりリアタイ視聴率を気にしているようですね。他にも配信とか録画とか、そういう視聴手段もあるのにそれは無視ですか。

藤原公任も大好きであろう『貞観政要』から。
太宗、嘗て侍臣に謂(い)いて曰く、
夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。
古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。
人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。
朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。
太宗が家臣に言った。
「銅を鏡とすれば、身だしなみを整えられる。
歴史を鏡とすれば、天下興亡がわかる。
人を鏡とすれば、長所短所がわかるのだ。
私は常に三つの鏡で、身を正し、過ちを防ぐこととする」
『貞観政要』

この人を以て鏡と為せばですが、長所短所よりも、その人物を手本として、あるいはその人物の諫言によって、自分が正しいことをしているか否かがわかる、そういう意味ではないでしょうか。そして第2の古、つまり歴史を鏡とするのは、歴史に学べということですね。

そしてこの後またクドカン叩き、そして『どうする家康』叩きなので、この最後の部分だけ次に回します。こういうの、本当に蛇足ですね。

飲み物-琥珀のエール
[ 2024/02/22 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

季節外れの暖かさが続きますね。では、第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


藤原忯子の亡骸に抱きつき、その死を悼む花山天皇。
あまりに儚い愛でした。

ナレーションに
「死は汚れと考えられていたこの時代、天皇はじめ貴族たちが遺体に近づくことは許されなかった」
とありますし、ドラマ本編でも、花山天皇が忯子のもとへ行こうとして止められているのですが、どうやって
「亡骸に抱きつく」
ことができたのでしょうか。

愛がなければ女の人生は意味がないのか?
そんなことはない、書くこと、創造がある!
そう突きつけてくるようなドラマです。
忯子は愛を得たけれど、それだけだったとも言える。生きて書くことのできるまひろとは違います。

それぞれの立場が違いすぎます。
忯子の場合は、入内して帝の寵愛を得、皇子を産むことが人生と言えました。
(後で兄の斉信が、そのことを後悔していましたが)
まひろの場合は入内できるような身分ではなく、この時代のことだから選択肢は限られているにせよ、まだ忯子よりも自由はあったでしょう。

金目のものや食糧ではなく、なぜ衣服なのか?と思われるかもしれません。
当時の盗賊はそれが定番。服を盗まれて全裸で怯えていた女房の記録も残されています。
屋内ならばまだしも、屋外で脱がされると季節によっては凍死の危険性すらあった。小判を盗む鼠小僧より、ずっと原始的な時代なのです。

まずこの当時、鼠小僧の江戸時代とは違って貨幣経済がまだ未熟な段階です。
(だからこそ花山天皇が貨幣を使わせようとしたとも言えます)
一般の人々に取っては、まず現物、それも着るものや食べ物こそが大事でした。

そして
「服を盗まれて全裸で怯えていた女房の記録」
具体的にどういう記録でしょうか。
それと「服」より「衣」とか「着物」の方がいいかと。今までもそうですが、武者さん身に着ける物は何でも「服」ですね。

この殺傷に対する精神的葛藤があればこそ、道長もいろいろ悩んでいます。心が繊細に描かれたドラマです。

別にこれに限らず、武者さんが嫌いな大河(『どうする家康』『青天を衝け』他)でも登場人物の思いは細かく描かれていましたが、嫌いな作品だとやはり無視するようですね。家康が悩んでいても、絶対こうは書きませんでしたから。

同じ日本でも、かつての蝦夷地こと北海道のみ【トリカブト毒文化圏】に含まれます。
アイヌのトリカブト毒矢は興味深く、もしもご興味のある方は映画『ゴールデンカムイ』をご覧ください。

毒矢はともかく、トリカブトは今昔物語にも登場しているはずですし、狂言の『附子』にも採り入れられていることを思うと、何らかの形でその毒性は伝わっていたと思われます。

「長い言い訳じゃのう」
怯えを隠す兼家に対し、いずれお分かりになると、不穏な表情の晴明。私を侮れば右大臣一族とて危ういとまで言い切りました。
安倍晴明には彼なりの政治を為すという意識があるのです。

まずこの時の兼家ですが、さほどに怯えているようにも見えません。ただ、こいつとは話をしたくないなといった表情ではあります。そして
「安倍晴明には彼なりの政治を為すという意識があるのです」
ではなく、政を行う人物の命運も自分次第だと、脅しをかけているように見えます。

何もかも見通すような晴明に、兼家がもったいぶっていると戸惑う兼家です。
そこへ藤原道長が帰ってきました。兼家はホッとしたようにいたわり、盗賊と渡り合ったことを褒めます。
「されど人を殺めるなよ」
道長に念押ししながら晴明に聞かせるように、人の命をあやつり奪うのは卑き者の仕業であると圧力をかける兼家。

「兼家がもったいぶっていると戸惑う兼家です」
ちょっと意味がわからないのですが…。
「もったいぶりつつも戸惑う兼家です」
とでも書きたかったのでしょうか。

「道長に念押ししながら晴明に聞かせるように、人の命をあやつり奪うのは卑き者の仕業であると圧力をかける兼家」
これもちょっとわかりづらいのですが。
「『人の命を操り奪うのは、卑しき者の仕業である』
晴明に当てつけるかのように、道長に念を押す兼家」
とでも書いた方がわかりやすいかと。

この晴明はおもしろい。
妖怪と戦うというよりも、心理戦の達人、揺さぶりの名人です。
晴明からすれば、妊婦が亡くなるくらい想定内といえるかもしれない。どんな呪詛をしたのかわかるのは晴明だけですから。
けれども兼家は怯えている。その怯えに漬け込み、裏の裏をかき、操ることは確かに楽しい。
相手は祟りが怖いから手出しもできない。そりゃあ楽しいでしょうね。

先ほども書いていますが、兼家はそこまで怯えているようにも見えず、しかも晴明がそこまで揺さぶりをかけているようには見えません。ただ、貴方がたのことも私次第だと詰めよっているようには見えますが。

そしてこの後の晴明の
「お父上とのこういうやり取りが楽しくてならない」
プレッシャーをプラスに転じて楽しむという意味に取った場合、昨年の真田昌幸の
「乱世を泳ぐは愉快なものよ」
を思わせます。

寧子は大丈夫と言いながら、合間に息子である藤原道綱のことを挟みます。
怖い夢と道綱に何の関係があるのか?と兼家がキョトンとしていると、飄々と答える。
「よいではございませぬか、殿のお子ですよ、道綱も」
はい、何の関係もありませんねー。うろたえている相手につけ込み、我が子を頼み込んでいるだけです。

この場合の道綱ですが、後の寛和の変(兼家の一族が花山天皇を出家させ、懐仁親王を即位させた政変)で、かなり重要な役割を果たしています。あるいは、それの伏線的な意味もあるのでしょうか。

狐が人間に化ける説話は中国にもあり、それが日本に伝わったと考えられます。あまりに不可思議な存在ゆえに、そんな伝説が生まれたのでしょう。
ちなみに「化け狸」伝説は日本特有です。
ややこしいことに「狸」は中国では猫の古い呼び方で、タヌキは「狢」と書きます。

中国大陸と言えば、九尾の狐なども有名ですね。また妖狐(化け狐)の話などもありますので、それが伝わって後に文学となったと考えられます。御伽草子の『木幡狐』なども、それに区分されるでしょう。

ところで以前、『麒麟がくる』第3回の感想で私はこう書いています。


先日『麒麟がくる』第3回のあらすじ関連で、人間の男とキツネの娘が結婚する話が登場しています。所謂異類婚姻譚ですが、『今昔物語集』にも似たような話があり、また『御伽草子』にも「木幡狐」という、キツネの姫が人間と結婚する物語があります。この話の舞台が美濃であるのなら、恐らくは『日本霊異記』に出て来る物と考えられます。ここで人間の男がキツネの娘に「来つ寝」と言ったことが、キツネの語源になったともいわれています。

武者さんが好きな『麒麟がくる』です。これについて触れてほしかったですね。そして今回も狐絡みで月岡芳年の絵が登場です。

あとこれは変換ミスでしょうが、

義懐は、仕事はできても、人身掌握が苦手なようです。そういう意味では為時もそうでしょう。

そうした状況と比較すると、義懐はどうしても人身掌握が拙い。

「人身」でなく「人心」と思われます。
これは報酬付きのコラムなのですから、誰か校正する人はいないのでしょうか。

ロバート秋山さん演じる藤原実資が登場します。
先週、見かけなかっただけで実資ロスに陥ったので、うれしい限り。

武者さんいつも「ロバート秋山さん」と書いていますが、クレジット通り「秋山竜次」さんと書いた方がいいのでは?

あと実資ロスだそうで。以前『鎌倉殿の13人』で、権三ロスになったと武者さんは書いていました。この権三とは亀御前の夫のことで、密会中の頼朝に盾突いたことから殺されてしまうのですが、この人物は1回きりの登場で、しかもせいぜい数分間、「ロス」になるほど多く出て来てはいなかったのですが。

しかしこの桐子、中島亜梨沙さんが演じる美人妻なれど、そこまで癒されないのは受け止めないからではないでしょうか。

癒しキャラではないと思います。しかし武者さんは、こういうタイプが好きなのではと思っていただけに意外でした。

今年の大河ドラマはオンオフの切り替えを意識しているとか。くつろいでいる時はそのリラックス感を出したいそうです。
道隆の井浦新さんのリラックス感は常に最高です。少し崩れた感が艶かしいほど。

今年に限らず、登場人物のオンオフは描かれていると思います。ただその人物がどういう立ち位置で、どのような時代を生きたかも、関係してくるとは思われますが。

「玉山(ぎょくざん)崩る」という言葉があります。
『世説新語』由来で、イケメンで有名だった嵆康(けいこう)が酔ってグラグラしていると、まるで貴石の山が崩れてくるような美しさがあったという言葉です。

「貴石」ではなくて珠玉ではないでしょうか。貴石というのは一般にダイヤモンド、ルビー、サファイアそしてエメラルドのことを指すようです。

しかし好きな大河のイケメンキャラは褒め、嫌いな大河のイケメンキャラは
「イケメンを出せばいいというものではない」
と叩くのが武者さんなのですね。

F4たちが投壺(とうこ)をしています。
壺に矢を投げる中国由来のゲームで、韓国でも人気があり「トゥホ」ゲームセットが輸入販売されているほど。

「韓国でも人気」云々の前に、日本にいつ伝わったかをまず書いてください。
正倉院に収められているほどですから、奈良時代には入って来ていたでしょう。そして江戸時代にも盛んになってはいます、これは先日あらすじと感想で書いていますが。尚投扇興はこれがモデルとのこと、こちらの方が日本的かなとは思いますが。

もちろん当時の朝鮮半島にもありましたし、発祥国である中華帝国では、『春秋左氏伝』にもその記録があります。

しけた話ばかりしていても妹が浮かばれぬから、気晴らしに打鞠(だきゅう)でもやるか!と斉信が言い出すのでした。

打鞠とありますが、打毬のことでしょうか。
ちなみに後の方では打毬となっています。

そしてこの打毬関連ですが、あまり詳しい説明がなされていません。公式サイトとか、

をしへて! 佐多芳彦さん ~平安貴族が楽しんだ打毬ってどんな競技?
(『光る君へ』公式サイト)

こういう記事にはちゃんと書かれているのだから、参考にしてほしいものです。

藤原道長ら上級貴族が楽しんだ平安のスポーツ。現代に「プロ打毬チーム」がないのはなぜなのか?【光る君へ 満喫リポート】道長打毬編
(serai,jp)

飲み物-マグに注がれたビール
[ 2024/02/21 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第7回「おかしきことこそ」あらすじと感想-2

第7回後半部分です。尚前半部分の投稿の、変換ミスや意味が通じにくい箇所を修正しています。


藤原斉信は投壺をしながら、公任、行成そして道長に、忯子が死んだのは、あんな帝のところに入内したからと怒りをあらわにする。父も自分も不承知だったのに、義懐がしつこく来て、帝の望みをかなえてくれと頭を下げたため、根負けして入内させてしまったのである。止めておけば、あの若さで死ぬこともなかったと斉信。そんな斉信に公任は、身罷られる前に、偉くして貰っておけばよかったなとずけずけ言う。

そんなことどうでもよいと斉信に言われ、すまぬと詫びる公任。道長も矢を投げながら、入内は女子を決して幸せにしないと信じていると言い、行成も同意する。斉信しけた話ばかりでは忯子は浮かばれぬと、打毬を提案する。屋敷に戻る途中、馬の口を取ってた百舌彦は、ずーーーっと気になっていたと、道長のまひろへの手紙の話を始め、あれはダメだったのでございますかとあるじに尋ねる。

随分昔のことだなと道長。百舌彦はあちらの従者(乙丸)が頼りなげだったので、きちんと渡っていたかどうかを確かめてまいりましょうかと言うが、道長は気乗りしなさそうにもうよいと答え、ついで振られたと言う。右大臣家の若君を、どういう気持ちで振るのでございましょうねと言う百舌彦に、道長はそうだなと馬上で腕組みをする。その時、屋敷の武者たちが出て来て道長に一礼し、走って行った。

道長は彼らが、藤原への中傷が過ぎる散楽に怒って出て行ったと知り、自らも後を追う。やがて辻に例の武者たちが現れ、東三条殿の者と名乗って散楽をやめさせようとして、一座の者と乱闘になる。そのへ道長も駆けつけ、名乗ったうえで争いをやめさせようとするが、そこへ放免たちが走って来る。彼らはその場にいたまひろと乙丸を見て、お前あの時のと乙丸に殴りかかり、まひろを連れて行こうとする。

そこへ道長が走って来て、殴られて倒れた乙丸を残し、まひろを連れて行く。道長は荒れ果てた屋敷に逃げ込み、まひろの手首をつかんでいたのに気がついて手を離す。みんなに笑ってほしかったとまひろは、自分があの散楽を考えたと打ち明ける。俺たちを笑いものにする散楽をかと道長は言うものの、その次にこのような言葉を口にする。
「俺も見たかったな」

そこへ乙丸と直秀がやって来る。邪魔したかと直秀、一方乙丸はひどいじゃないですか、私を置いてと言い、まひろは謝る。帰りましょうとの乙丸の言葉に、まひろは一礼してそのまま去る。直秀はお前の従者は無事だと言い、道長は警固の者が乱暴を働いてすまなかったと詫びる。お前の一族は下の下だなと答える直秀に、全くだと道長。

兼家は鶏に餌をやりながら、為時に、帝の様子について尋ねる。日々お気持ちが弱られていると答える為時。それだけかと言う兼家に、今日は一日伏せっておいでだったと為時。近頃為時がさっぱり注進に来ないため、兼家は訝しく思っていたが、為時は帝の様子を知らせるのが苦しくなっていた。為時は、右大臣様のご恩は生涯忘れないと言い、間者の役目を退こうと思っていた。

帝は私のことを心から信じておられる、これ以上帝を騙し続けることはお許しをと言う為時に、そんなに苦しいとは知らなかった、長い間苦労をかけたと為時の肩に手をやり、これまでといたそうと、為時の意志を尊重する。屋内へ戻る兼家の背中に一礼する為時。そして屋敷に戻って来た為時に、いとが宣孝の来訪を告げる。ちょうどよかった、よい知らせがあると為時は中に入り、兼家様の間者をやめるぞと切り出す。

兼家もこれを認めてねぎらってくれた、ほっとしたと為時は言い、これからはまっすぐな気持ちで帝にお仕えできるとも言うものの、宣孝はこれに懐疑的だった。右大臣様が、一度つかんだ者をそうあっさりと手放すとは思えぬと言い、片やまhろは、右大臣様の手を離れられてよかったと思うと言う。しかし宣孝は黙れと一喝してこう口にする。
「次の帝は右大臣様の御孫君だぞ。右大臣様側にいないでどうする」

今から東三条殿に行って取り消して来いと厳しい表情の宣孝に、何を怒っておるのだと為時は怪訝な表情を浮かべる。東宮即位の時に、官職を解かれてもいいのかと宣孝。それでも父上の判断は正しいと思うまひろに、いとは、姫様はお忘れですか、私はもう昔のようなわびしい暮らしは嫌でございますと言い、為時に、東三条殿にお詫びに行ってくださいませと懇願する。

いとはさらに言う。右大臣家の後ろ盾がなければ若様だってどうなるか、どうか右大臣様の間者でいてくださいませと涙を流す。これには為時もまひろも黙りこむしかなかった。そしてまひろは左大臣家を訪れる。倫子には文が届いており、それには打毬へ招待する旨が書かれていた。茅子としをりにも同じ物が来ていた。そして彼女たちはまひろの方にも目をやる。

まひろも受け取ってはいたが、行く気はなかった。若い殿方を間近に見るなんて滅多にない、行きましょうよと誘われるまひろ。その時赤染衛門がやって来て、お声が響き渡っている、はしたないことこの上無しと注意する。しかし倫子は、赤染衛門も打毬に誘う。そして当日、揃いの衣に行縢を着けた道長、斉信そして公任は行成を待ちわびていた。

すると行成の使者が来て、腹痛で来られないと伝える。1人欠員ができたことは、道長たちに取って不利だった。そして会場では、倫子たちの席にそばにあのききょうが座っており、清原元輔の娘と自己紹介をする。斉信から招待を受けたのだった。赤染衛門は倫子に、ききょうが才気あふれる方との評判だと教え、ききょうにもそつなく挨拶をする。一方道長たちは、欠員をどうするべきかで悩んでいた。

すると道長が、最近見つかった弟がいると言い出す。そして百舌彦は散楽一座の中から、直秀を連れて行こうとする。そしてまひろは、家の中で落ち着かない様子だったが、決意したような表情で会場に現れる。倫子が麻尋を目ざとく見つけ、まひろも席に着こうとするが、その前にいたのはあのききょうだった。やがて太鼓が鳴らされ、競技者たちが入場する。

倫子が連れて来ていた小麻呂が立ち上がり、まひろのもとへと移動する。まひろは小麻呂をなでてやるが、そのまひろを道長、そして急遽参加することになった直秀が見ていた。やがて競技が始まるが、まひろは小麻呂に気を取られていた。そのまひろはまた道長と目が合ってしまう。競技は尚も続き、今度は斉信とききょうの目が合う。そして最終的に、道長たちが勝利する。

公任の策の通りだと言われて嬉しそうな公任。しかしその時雨が降り始め、逃げ出した小麻呂をまひろが捜す。建物の中に入り込んだまひろだが、そこは競技に出た者の控え所でもあった。衣を脱いで体を拭いながら、直秀の杖の振りを褒める公任。その後公任は、斉信のお気に入りの、漢詩の会のでしゃばりな女、つまりききょうの話をする。斉信はききょうだけだとまずいから、まひろも呼んだことを打ち明ける。為時の娘か、あれは地味でつまらぬなと公任。斉信も公任に同調する。

道長は、斉信は倫子に文を送り続けていたのではないかと言うが、斉信は今日見たら、もったりしてて好みではない、ききょうがいいと言い出す。一方公任は、本来為時の娘のように邪魔にならないのがいい、あれは身分が低いから駄目だけどと言い、斉信はききょうも遊び相手と本音を洩らす。公任曰く、彼らに取って大事なのは恋でも愛でもなく、いいところの姫に婿として入り、女子を作って入内させて、家の繁栄を守って次の代につなぐことであり、女は家柄が求められるのである。

公任は道長に同意を求め、斉信は、関白と右大臣の息子なら引く手あまたかと笑う。さらに彼らの女性談義は続き、家柄のいい女は嫡妻、あとは好いた女のところに通うと斉信。しかし公任は斉信の好いた女は人妻だと言う。まひろは彼らの話をこれ以上聞く気になれずその場を離れる。そんな彼女を、1人会話に加わっていない直秀が見ていた。その直秀の腕に、矢の傷があるのを見た道長は呆然とする。

まひろは雨の中を家へ戻り、道長の手紙を燃やしてしまう。


しかし直秀、道長の「最近見つかった弟」ですか…まあこの時代ならありそうです。『鎌倉殿の13人』でも、頼朝が初めて会う弟たちがいましたし。尤も道長は、直秀の腕の傷を見て驚くわけですが。あと桐子を演じていたのは、中島亜梨沙さんですね、昨年はひよ(井伊直政の母)の役を演じていました。

どうする家康第32回ひよと虎松
『どうする家康』第32回

さて、漢詩の会での道隆のセリフが効いたのか、あるいは妹が早世したことへの恨みなのか、斉信は帝に対して怒りをあらわにします。この斉信がやっている投壺、奈良時代に日本へ伝わったもので、江戸時代に一大ブームがあったとのこと。そして為時は、帝が憔悴して行くのを目の当たりにし、これ以上間者の役目を果たせなくなったと兼家に直訴します。兼家は受け入れてくれますが、宣孝がこれに反対します。

宣孝曰く、次の帝は右大臣の孫だぞ、右大臣の側にいなくてどうすると言い、いとはいとで惟規のことを考えると、兼家の引き立てがあった方がいいと言い出します。実際そうなのですが、ここが為時という人物の生一本さでもあり、まひろもまた為時のその気性を受け継いだとも言えるでしょう。しかし最終的にいとに泣き落とされ、どうも為時も考えを改めざるを得ないようです。「どうする為時」といったところでしょうか。

一方で、散楽一座に怒った兼家邸の武者が、芝居をやめさせようとします。そこへ放免もやって来て大騒ぎになり、殴られて倒れた乙丸を置いたまま、まひろは道長に連れられて安全な場所へ逃れますーーと言っても、あばらやのような場所ではありますが。そこへ直秀、そして乙丸がやって来てまひろは戻ります。道長は自分の一族を馬鹿にしてと言いつつ、でもどのような散楽か見たかったとも言います。寧ろ後の方が本音かも知れません。

その道長と直秀、今度は打毬の場で再会です。この東洋式ポロとでも言うべき打毬、ドラマのナレでも説明され、紀行でも紹介されていますが、元はペルシャが起源で、東西に分かれて伝わっています。同じようなルートを辿ったものに琵琶があります。まひろの家にもある琵琶ですが、これもペルシャが起源で東で琵琶、西でリュートとなります。正倉院の御物には、世界でただひとつの五弦琵琶もありますね。

さて打毬は無事に終わりましたが、まひろが小麻呂を捜していて、偶然道長たちの会話を聞いてしまいます。更衣室の男子が、同じクラスの女子について話すのを聞いてしまったといったところでしょう。嫡妻とその他の女性などはこの時代寧ろ当たり前であり、そこまで驚くことでもなさそうですが、まひろは漢詩の会の詩や打毬で見せる顔とは違った、彼らの本音を知って愕然としたかも知れません。

飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2024/02/20 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第6回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。様々なシーンの説明や考察が綴られていますが、今回は如何にも武者さん的な物の見方、そして、漢詩関連が中心となっています。

またいつものように、ダークブルーの箇所が、武者さんのコラムからの引用部分です。


大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第6回~

ここでのまひろも、あくまで一族のためならば手を汚すと言い切っている。
進歩したヒロインなのです。
つまらないドラマは、登場人物たちの好感度を上げることだけを意識し、泥を被らないよう無茶苦茶な設定にしてしまうことがあります。

ここでたけたけさんは、まひろが
「これからは今よりも覚悟を持って左大臣家の倫子さまと仲良くなり、源との繋がりを深めます」
と言っているのであり、「一族のためならば手を汚す」とは言っていないと書いています。またまひろが父の出世や家の安堵のために、有力貴族の周囲に目を配ってつながりを持つこと、また倫子のように、政治的なものも絡む家の事情を理解して、入内や結婚などを視野に入れて立ち回るのは「手を汚す」ことではないこと、どちらも父親が娘の気持ちを気遣っていることに触れています。

武者さんが、進歩したヒロインと言いたがる場合、自分の好きなキャラに引き寄せたい狙いがあるのではないかと思います。そのためこのシーンのみに限らず、やけに拡大解釈する傾向があるように見えますね。それと「登場人物の好感度を上げる」だけでは、ドラマは作れないと思いますが。

源雅信は宇多天皇の血筋であるし、立派な屋敷もある。
富も血統も心配はない――一挙両得だと、自分の都合でばかり勧めてきます。

これに関しては、自分の都合でばかりではなく、倫子の年齢や道長が三男であることなどで、右大臣家と左大臣家双方の駆け引きがあったのではと書かれています。また宇多天皇の血を引くことは、誇れるものであったこと、さらにこの宇多源氏には『鎌倉殿の13人』に登場した源仲章や、『太平記』の佐々木道誉がいることに付け加えられています。

しかし
「自分の都合でばかり勧める」
おじさんたちが勝手に決めて、その気のない娘たちに押し付けるという構図を、武者さんは想像しているのでしょうか。それにしても、一昨年あれだけ書いていたのに、今回は正に宇多源氏である源仲章について、何も書かれていませんね。

そして左大臣家に於けるまひろに絡めて、

わかります……あるある現象ですね。
私は普段は極力、大河ドラマの話をすることを避けます。
しかし、どうしてもそういう流れになったときに、言わないでもいい蘊蓄を語ると、相手がサーッと引いていく。
もっと知りたい、興味を持たないかな?と思って話をふると、「私は別にそういうオタク語りまでは求めてないんで」とドアを閉められる瞬間があるのです。
そのときフフフと笑いつつ話を逸さなければならなくて……。
大多数に受け入れられる話題って、美男美女に萌えるとか推しとか、あるいは恋バナとか、戦国武将のちょっといい話とか悪い話とか。
スナック感覚でつまめる軽い話題であって、ヘビーな話はむしろ鬱陶しがられるんですよね。

などとありますが、これに関するたけたけさんの意見は以下の通りです。

どや顔で漢籍マウントを取り、他人を見下すような発言をする
勝手な思い込みと私怨に基づいた他責意識と被害妄想を拗らせる
所構わず自身の不快をまき散らし価値観を押し付ける
文春を論拠とし一切論拠を示さず無関係の企業や制作スタッフ、俳優及びそのファンに対する誹謗中傷を繰り返す
気に入らない別の作品の事を蒸し返し、『わたしのかんがえたさいきょうのれきし、わたしのかんがえたさいきょうのたいがドラマ』を忠実にする事が正義の様に誘導する

と指摘し、そういうど他人への配慮の無さが目に余るから、人が離れていくのだと思いますとあります。
実際そうだと思わざるを得ません。この4番目は、昨年特にエスカレートした感があります。「大河コラム」のはずなのに、最後の方の2ページ近くがキャストやスタッフの誹謗中傷に使われていたと思います。

でも漢字の知識も、文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低いんだな。
いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる。
弟相手なら「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」と容赦なく言えるけど、姫君にはそれもできない。
だいたい、歌がうまくなりたいなら恋をするよりも、学んでこそでしょうよ!
なのになぜなの、なぜ……というドツボに陥っているのでしょう。
先天性のズレを抱えているまひろは、この先ずっと「生きることが苦手だな」と嘆きながら人生が続いていく。
ハァー……めんどくさい主人公ですね。そこが好きです。

これについてはまず、
「ここでもまた『面倒臭い』主人公ですか」
とあります。少し前に、まひろのキャラについて「面倒臭い」を散々繰り返していた武者さんが、またこの表現を持ち出していますね。
そして
「文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低い」
「いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる」は、まひろがそう思っているのではなく、姫君たちや倫子を見下して侮辱する武者さん自身の言葉であることに触れられています。また勉学の意欲があまりない弟の惟規に、学問を好きすぎる姉上が気持ち悪いと言われ、「漢詩や和歌や物語が好きなだけだ、賢い部分を全部取って行ったわけではない」と言っただけであることもちゃんと書かれています。

つまり
「レベルが低くて手加減するの嫌になる」
「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」
は武者さんがまひろに対してそう言ってほしい(無論実際はこういうセリフはありません)だけではないでしょうか。当のまひろは、別に姫君や惟規を馬鹿にしているわけではないでしょう。

本作に対するアンチな意見として、「テーマがない」とか「何を言いたいのかわからない」という趣旨のものを見かけます。
そうした意見を出す人はどういうタイプの人なのか?
まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。

こちらも、
「まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。女性の苦労を全くわかっていない人には、そのことを訴えても通らない」と、さも女性の味方のような意見を言うのは構わないとまずあります。
しかし嫌いな作品に出てくる女性には『フェチシズム、ムフフ要素、サービス狙い』などと性的な目で見たり、女性ファンが興味を持ち始めたところで『害悪ファンダム』と罵倒したり、『女はこういう女が嫌いだから』と論拠もなしに原因を女性のせいにするのはセクハラ発言であり偏見である、それをやめては如何かとありますね。

別に偏見はよくないと言うのはいいのですが、特定の作品の登場人物、あるいは女性キャラに対して、上記のような中傷とも取れる言葉を投げつけるのは、武者さん自身の偏見に他なりません。そしてこのフェチシズム云々は。『どうする家康』で子供を背負った瀬名に対して言われたもののようです。あとこの「ムフフ」も武者さんは好きですね。

まひろは、なんというか、かわいくなくていいですね。
いや、とてもかわいらしいところはたくさんあります。
しかし、媚びがない。
わざとらしくキュンキュンして、「父上の晴れ姿が見たいんですぅ」と甘ったるく言うとか、笑顔を見せてもいい。
それをしないところが彼女の個性ですね。

武者さんが「『面倒臭い』とか『かわいくなくていい』」と書くのに対し、
「私が好きな女としての振る舞いをしているか否か」でしか評価できないのですかと、かなり突っ込んだ書き方になっています。またこれは、私も感じていることなのですが、
「他の女性に対してはその様な見方していない様ですが、実はまひろさんの様なタイプが嫌いで『わざとらしくキュンキュンして、甘ったるくセリフを言って媚を売るような女なら叩けるのに』と思ってませんか」
ともあります。まして晴れ姿を見たいと言うのは「父親の晴れ姿」なのに、媚びる必要もないでしょうとも。

武者さんは、まひろの言動に対して褒めているのか、それともけなしているのかわからなくなることがあります。わざわざ
「わざとらしくキュンキュンして」
などと書くのは、実際はまひろがそういうキャラであってほしいのではないか、そうすれば彼女だけでなく、場合によってはこの作品も叩けるからではないか、そう取られても仕方ないでしょう。

東洋文学における酒は、ウェーイと楽しく気晴らしのために飲むだけのものでもありません。
当時はまだ貴重でもあるし、憂いを解くためのものでもある。
酒に託して精神の高揚を詠い上げてこそ。

漢詩の会が始まって「酒」という題が出されたこと、漢詩では酒を取り上げたものがたくさんあり、中国唐代の李白、杜甫、白楽天も大酒飲みだったと言われていること、さらには主催者藤原道隆は無類の酒好きであることなどから、第1回漢詩大会は道隆の意向も盛り込んでいたのではないかとありますね。
尚、李白の『月下独酌』に関するサイトのリンクが貼られています。

『月下独酌』李白 【原文・書き下し文・現代語訳・解説】

それから武者さんは

和歌とは異なり、漢詩の会となれば、「きみたちの政治ビジョンを聞こう!」というニュアンスもありとみてよいでしょう。
さて、皆の選ぶ詩は?

と書き、藤原行成が選んだ詩は李白の『月下独酌』だとあるのですが、たけたけさんによればそうではなく、白居易の『獨酌憶微之』となっています。ちゃんと訂正しましょうともありますね。実際これは『獨酌憶微之』ですが、武者さんあれだけ漢籍がどうのこうのと言っていながら、これはないと思います。

恐らく藤原公任以外は、皆白楽天の詩を選んで自らの詩を作ったという設定のようです。そして、他にも様々なシーンに関する武者さんの文章、それへの反論やそのシーンの説明などが書かれています。

ちょっと余談になります。彼ら中華圏の人ではなく日本人ですが、大伴旅人もまた酒好きな人でした。中でも
「中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ」
という代表作があります。この人は年取ってから大宰帥として筑紫へ赴き、その直後に奥さんを亡くすという経験をしています。中途半端に人間でいるより、いっそ酒壺にでもなりたいものだ、体中に酒がしみ込んでくるだろうしという意味です。一方でこの人は、令和の語源になった梅花の宴を開いています。

大伴旅人:酒の讃歌
(万葉集を読む)※陶淵明の詩についても触れられています。

60代で左遷・愛妻の死…いっそ酒壺になりたいと飲まずにいられなかった大伴旅人の本心

大宰府(天満宮でなく政庁の方ですね)と言えば、藤原兼家も次兄兼通と対立し、兼通は九州に左遷したい、でも相手に罪がないのでできないとも言っています。実はこれはこちらのnote記事でも、別のシーンに関することで言及されています。しかし兼家がもし筑紫に来ていたら、当時の大宰府はどうなっていたかと思わなくもありません。尚、彼の孫に当たる藤原隆家は大宰権帥となっています。

あとこちらも酒好きと言われる道隆ですが、この人はこの10年後に糖尿病により亡くなったと言われています。飲酒も関わっていたのでしょうか。


飲み物-冬のティータイム

[ 2024/02/17 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第6回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

先日の投稿分で書きそびれた分を少し。

そう思っていると、長い袴をぞんざいに扱いながら、花山天皇が入ってきます。所作の粗っぽさで彼の個性はわかります。

「所作の荒っぽさ」て何だか今更感がありますね。花山天皇は少年時代から漢文指南の為時を足蹴にしたり、扇を足の指に挟んだりしているわけですから、荒っぽいとか一風変わっているというのは、既知の事実であるかと思うのですが。

そんな二人が、道長の様子から何かを察知し女房を下がらせ、密談モードになるところが実に素晴らしい。

道隆と貴子が女房を下がらせるシーンですが、何か道長が言いたげにしたので人払いをしたわけで、「実に素晴らしい」よりごく当たり前の対応かと。しかし平安時代は寝殿造りであちこち開放された建築様式なのに、昨年のように「オープンテラス」とは言わないのですね。

それと道長の乗馬シーン、やはり「竹林」ではなく普通の樹木のように見えます。

光る君へ第6回道長
『光る君へ』第6回

ここで左大臣の姫君サロンも様子が映し出されます。
倫子が「父の顔にほくろが増えたと思ったらハエだった」という、しょうもない話をしている。
笑い転げる姫君たち。
ひきつった笑みを浮かべる、まひろと赤染衛門でした。

「サロンも様子」でなく「サロンの様子」でしょうか。
しかし倫子の話は「しょうもない」でしょうか。この回の雅信の行動を目にしたら、かなりこの人はあれこれ悩んでおり、顔にハエが止まっても気づかないのではと思われます。今後の政もさることながら、倫子の婿のこともやはり気になるでしょう。

詮子は父が嫌いです。
しかし娘であり父に似ていると開き直っています。
円融天皇も指摘していました。為時とまひろにせよ、同族嫌悪に陥る父と娘の関係があるようです。

同族嫌悪と言うか、なまじ考え方が似ているから相容れないということもあるのではないでしょうか。彼女も性格が違うと思われる道長には、何でも話せているわけですし。
それでもまひろはまだ父に理解を示そうとしているように見えますが。

「それが殿御に関心がない、殿御が好きではないのではないか?と妻と話しているところです」
「入内して辛酸を舐めるよりはよい」
詮子は、ここでも父同様に探りを入れているのでしょう。入内してしまえば、雅信も下手に出るとは限りません。

まず倫子は22歳であり、この時懐仁親王は数えで6歳で、この当時なら親子であってもおかしくありません。一条天皇の後に即位する居貞親王も10歳です。また雅信にはもう1人娘がいるものの、こちらも入内させておらず藤原道綱の妻となっており、何らかの理由で入内させようとしなかったと考えられますし、兼家との間で、藤原と源の結婚の構想があったという説もあります。また元々は、花山天皇の后にという思いもあったとされています。

右大臣家主催だがよいのか?と為時が念押しするお、まひろの仇(道兼)はいないし、父の晴れ姿が見たいとのこと。
まひろは、なんというか、かわいくなくていいですね。いや、とてもかわいらしいところはたくさんあります。
しかし、媚びがない。
わざとらしくキュンキュンして、「父上の晴れ姿が見たいんですぅ」と甘ったるく言うとか、笑顔を見せてもいい。それをしないところが彼女の個性ですね。

先日の投稿分で、武者さんが
「まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう」
と書いているのをご紹介しています。偏見があるのはよくない(確かにそうではあります)と書きつつ、ここで特定のキャラの女性に対する偏見を見せているのですが、それにはお気づきでしょうか。媚びる女性がお嫌いなのでしょうが、嫌いなタイプなら何を言ってもいいわけではありません。

ききょうという名前も、賛否両論ではあります。
しかし、孫くらいの娘が生まれた元輔が、庭に咲いていた桔梗でも見ながら命名したのかと想像すると微笑ましいものがある。

それ確か『黄金の日日』で今井宗久が、しまという女に産ませた子にそういうやり方で名前をつけていました。ちなみにこの時、このしまと桔梗(こちらでは漢字)の二役を、竹下景子さんが演じていました。昨年のお市と茶々と同じパターンです。

千年の時を経て、今も読み継がれる文学を記した紫式部と清少納言、若き日の姿だと解説されます。
なんと生々しい姿でしょうか。

これ大河ドラマですよね。
それを言うのなら江戸幕府を開いた徳川家康も、鎌倉幕府の礎というべき存在となった北条義時も、若い頃はまだ未熟で、将来そのような形で名を遺すとは思えない描き方でした。

藤原公任が筆を吹く場面は、アジア時代劇美男子・日本代表の姿そのもの。
筆を吹く美男子は絵画定番の題材です。
中国時代劇『陳情令』をはじめ、笛を吹く日本代表時代劇美男は待たれるところでした。
それがついに叶いました! おめでとうございます!

「中国時代劇『陳情令』をはじめ、笛を吹く日本代表時代劇美男」て何ですか?
これだと『陳情令』が日本の作品にように取れるのですが。そうでなくて
「『陳情令』のワンシーンに匹敵する、日本の貴公子が笛を吹く姿」とでも書いて貰えませんか?
(ちなみに『陳情令』は観ていないので、笛を吹くシーンがあるかどうかは定かではありません)

そしてここで「また」月岡芳年。藤原保昌と袴垂の絵のようですが、何もこんな後の時代の絵でなくても、『源氏物語絵巻』の「鈴虫」でちゃんと笛が登場しています。こういうのは、極力同時代のを持って来てください。

源氏物語「鈴虫」
『源氏物語絵巻』「鈴虫」(Wikimediaより)

あと袴垂は盗賊集団を結成していましたが、この大河ではあるいは直秀にこの人物をなぞらえているのでしょうか。
ちなみにこの人物、最終的に検非違使に捕まるのですが、その時腹を切って腸を引きずり出したとも言われます。武者さんのX投稿に、昨年それに似た内容のがあったことを、ちょっと思い出しました。

平安時代最凶の盗賊、袴垂(はかまだれ)
(日本の歴史を分かりやすく解説!!)

東洋文学における酒は、ウェーイと楽しく気晴らしのために飲むだけのものでもありません。
当時はまだ貴重でもあるし、憂いを解くためのものでもある。酒に託して精神の高揚を詠い上げてこそ。

漢詩と酒のことを書くのなら、陶淵明も入れてほしかったなと思います。

陶淵明飲酒二十首 
(文化遺産データベース)

そしてその後、それぞれの漢詩と何がもとになっているかが、かなりスペースを割いて紹介されています。ここまでやらなくてもよさそうな気がしますが…ここでは何がもとになっているのかだけを置いておきます。

藤原行成
李白「月華独酌」
藤原斉信
白居易「花下自ら酒を勧む」
藤原道長
白居易「禁中九日菊花酒に対し元九を憶う」

尚「花下自ら酒を勧む」は「花下自勧酒」のことと思われます。そして
「禁中九日菊花酒に対し元九を憶う」
は、
「禁中九日對菊花酒憶元九」
でしょうか。

あと藤原公任ですが、これは彼のオリジナルです。

藤原公任
一時過境無俗物 一時境を過ぎるに俗物無し
莫道醺々漫酔吟 道を醺々漫酔吟ずる莫かれ
聖明治蹟何相致 聖明治蹟何ぞ相致る
貞観遺風触眼看 貞観遺風眼を看るに触れる

ついでに当時の音の重要性にも触れておきましょう。
書道にせよ、詩にせよ、当時の芸術はリズムを乗せるようにして描かれるものでした。
漢詩は歌うことを想定していたものであるし、筆もリズミカルに動かした方が良い。そんな軽やかさまで出ていて眼福そのものの場面です。

「歌うこと」とありますが、所謂「朗詠」ですね。それと「リズムを乗せる」でなく「リズムに乗せる」でしょうか。
あと書道のリズム感というのが、ちょっとわかりづらいのですが。

一応これを置いておきます。

日本の伝統音楽歌唱編
(文化デジタルライブラリー)

行成が筆を手にとりサラサラと書きつけるというのは、厳しい目で見られます。
源義経の八艘飛びや、本多忠勝の槍捌きくらいの精度が要求されます。よくぞこなしました。

八艘飛びや蜻蛉切の捌き方とはまた違うかと思いますが…。ああいうのは肉体的な鍛錬を必要とする(義経の場合は天性のものもある)もので、筆さばきと一緒にすべきものでしょうか。

そして本多忠勝の鎗捌きについて、こんなこと書いていましたね(『どうする家康』第44回コラム)。忠勝が老いなど認めん、殿を守って死ぬのが自分の役目と言って、榊原康政に槍試合を挑むわけですが、その意味を理解しようともせず、

で、今回は、年老いたはずの家臣二名が、情けないオープニングテーマを背景に、槍をブンブン振り回している。
年を取ったら体力は低下する――なんて書いていて、あまりにバカバカしいことすらわかってないかのような振る舞いが画面の中で横行しています。

本多忠勝と榊原康政が槍を振るい合う場面。
視聴者の涙を誘いたいのか。やけに冗長で、二人が叫び声をあげるたびに寿命間近な人物には見えない……と思いましたが、背景もまた当時の状況には見えませんでした。

こんなことを書いておいて
「本多忠勝の槍捌きくらいの精度が要求されます」
ですか…。

一方で道隆と貴子は、計算通りだと笑みを浮かべている。
彼らは斉信の焦燥感と、公任の心を察知しました。
【貞観の治】をめざす公任は、政治的野心に満ち満ちています。

その貞観は、武者さんが大好きな『貞観政要』の貞観ですね。

それから道長の詩で、白楽天が元微之を思い詠んだ「禁中九日對菊花酒憶元九」の、親友を思い詠むことについて。

そして友情と愛情のハードルが低いと言いますか、区別がつきにくい。
海外の研究者からみると「これはもう恋愛関係でしょう」と言いたくなるほど切ないものが多い。
そんな詩人の交流を思い、引用した道長はなかなかのもの。
ちなみにこの詩は藤原実資が『小右記』でも言及しています。
白楽天は平安貴族の人気ナンバーワン詩人なのです。

これも恐らく嫌いな大河ならBL呼ばわりしそうな気がします。昨年散々それをやっていましたね。

そして実資の件ですが、要は下記リンクの記事にもあるこれですね。一部コピペします。

道長といえば、最も有名な逸話は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌でしょう。権力の絶頂にあったときに宴で歌ったもの。その場で返歌をしてほしい、と道長に頼まれた藤原実資(「光る君へ」では秋山竜次さんが演じています)は断ります。その理由として、白楽天の振る舞いを挙げているのです。

この時実資は返歌をせず、ただそれを吟じていたいと言い、あの白楽天だって、元微之の詩に返歌することもなくそのままにしていたと答えています。

【光る君へ】第6回「二人の才女」回想 白楽天と伊勢物語に寄せて道長 まひろへの万感の思い託す 「漢詩の会」の見事な収束、「望月」の歌も視野に
(美術展ナビ)

あとこちらの道長の歌についても、ちゃんと書かれています。

花山天皇が最愛の忯子が命を落としたことに狼狽える一方、まひろは道長の書状を抱き締めています。
ちはやぶる 神の斎垣(いがき)も越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに
神が囲った斉垣も超えてしまいそうだ。恋しい人に逢いたくて
『伊勢物語』より

しかし武者さん、
『伊勢物語』第71段では
「ちはやぶる 神の斎垣(いがき)も越えぬべし 大宮人の みまく欲しさに」
となっていますよ。

この大宮人を恋しき人に改変することで、道長の気持ちを表したようですね、上記記事によれば。

そしてその後ですが、

人と感受性の範囲が違うばかりに苦労して……そして大河ドラマそのもの、いやひいてはドラマ鑑賞のことも思い出してしまいました。
こんな記事を見かけました。
◆『セクシー田中さん』原作者と宮藤官九郎の“苦悩”に共通点。クドカンも被害「TV局の改悪と作品私物化」を芸能記者が解説(→link)
「いだてん~』の視聴率がにわかに怪しくなってきた時、クドカンは関係者にこんな言葉を漏らしていたといいます。
「本(脚本)が面白くないから数字(視聴率)が獲れないっていうけど、本をメチャクチャにしたのは局の方だョ。大河は時代考証とかの検閲を5回位経て台本が完成するんだけど、完成された台本には最初に書いた地の文章なんて跡形も無く消えてしまっている…これで面白くないって言われてもね…」
これを私なりに解釈すれば“脚本家・宮藤官九郎という名前が欲しかっただけで、実際の脚本は大河の優秀な演出家さんたちのもの”となります。

そしてその後、『いだてん』はセンスが悪かった、でもファンたちは宮藤官九郎氏を褒めていた。それはおかしいと来て、
「それって、彼の作風ではなく、名声やファン同士てはしゃぐことが好きなだけなのではないか。私にはそう思えてきてしまいます。推しを無闇に褒めるだけでなく、推しの状態が明らかにおかしいとか」
などと書かれています。さらに武者さんは
「抑圧されている気配があったら、見て見ぬふりをせず、どうにかできないか考えることも大事ではありませんか」
などとも書いています。

私は『いだてん』視聴を途中でやめたので、あまりどうこう言えないのですが、私に言わせれば、ファンがそれで盛り上がっているのであれば、特にこちらが口出しする必要はないと思います。なのに
「抑圧されている気配があったら、見て見ぬふりをせず、どうにかできないか考えることも大事」
というのも、言っては何ですが余計なお世話です。
それと思うのですが「抑圧される」などという言葉も武者さん好きですね。

といったところで、気のせいだの考えすぎだの言われるだけなのでしょう。

気のせいとか考えすぎ以前に、自分が好きな作品で盛り上がっているところを、それはよくないと一方的に思う人から横やりを入れられたら、武者さんはどう思いますか?

私はなるべくフラットな状態でいきたいから、特定の脚本家や役者のファンだと思わないようにしています。
魅力があると思ったとしても、その気持ちをドラマが終われば全部捨てて、やり直すくらいでないといけないと思っています。

どうもブーメランになっていますね。
昨年の『どうする家康』最終回のコラムでも、こう書いてはいました。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

しかしこう言いつつ、第5回のこのコラムで散々文春ネタを出して来て『どうする家康』叩き。全然フラットとは思えません。それともこの大河は魅力的と思わないから、覚えているということでしょうか。
結局忘れたくも捨てたくもないのでしょう。寧ろその逆で、自分の推しの大河を、これへの叩き棒にしたいからではないか、そう思えて来ます。

あと
「特定の脚本家や役者のファンだと思わないようにしています」
思わないようにしてはいても、コラムを書いているうちに出て来てしまうようですね。特定の脚本家や俳優を推すような文章は、今まで何度も見て来ました。その推しの人たちを、嫌いな脚本家や俳優へのこれまた叩き棒にしているのも。

自分に嘘をついてまで忖度することと、空気を読まずに見えたものをはっきり言うことと、どちらか疲れずに済むのでしょうか。

「空気を読まずに見えたものをはっきり言うこと」
美しい言葉かも知れませんが、それをはっきり言うことで傷ついている人もいるわけです。しかも武者さんの場合、好きな作品だけど敢えて苦言を呈するということはなく、嫌いな作品に最初からネガティブに突っ込んでいるだけですから。

はっきり言いたいのなら報酬付きコラムではなく、個人レベルでやるという方法もあるかと思いますが。

しかしこの間、マンスプレイニングがどうのこうのと言いながら、自身の知識マウントと言うか、蘊蓄語りは認めろと言ってるところ、今回も安定の武者さんだなと思いました。


飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2024/02/15 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第5回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事のご紹介です。いつも通り、ダークブルーの文字が武者さんのコラムからの引用部分です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第5回~

永観2年(984年)、五節の舞姫となったまひろは、“三郎”の正体を知りました。
藤原兼家の三兄弟・藤原道長――母を殺めた“ミチカネ”の弟だったなんて。
衝撃のあまり倒れ、寝込んでしまいます。

まずまひろが舞の最中に三郎に似た男を見つけること、その隣に「ミチカネ」がいること、そして三郎が右大臣家の三男道長であり、ミチカネがその兄の道兼であることを知って気が動転し、寝込んでしまうことが書かれています。またその後、
「なお余談ですが、五節の舞姫の中には重い装束(重さが15㎏~20kgになるそうです)での舞いと緊張でしばしば気分が悪くなり、急に体調を崩したり途中で倒れたりする事例もあったようで、決して倒れる事がスイーツ演出ではない事が窺えます」
ともあります。

実際洋の東西を問わず、昔の女性の衣服や着物、特に正装などは機能性や身軽さとは対極にあると言ってもいいものが多く、19世紀のクリノリン(『若草物語』、『風と共に去りぬ』などに登場する、ボリュームのあるスカートを作るための下着)などに代表されるコルセット、それによってウエストをきつく締めあげるファッションなどもその一例と言えるでしょう。

なんでも侍従宰相に見初められ、結婚相手が決まった姫もいるとか。
顔が四角いけれど、財産はあると妥協点を見出している。
誰かと思えば、侍従宰相はザブングル加藤さんが演じました。
そして話題は藤原三兄弟のことへ。
見目麗しいとはしゃぐ姫君たちに対し、おっとりしているような倫子も興味津々です。

こちらはたけたけさんの文章から一部抜粋させていただきます。上記の武者さんの文章に関してたけたけさんは、武者さんが気に入らない『どうする家康』レビューで、於愛が本能寺の変を起こした明智光秀を、「あれは(謀反をやりそうな)そんな顔と評した事について、「ルッキズムだの、同性愛をその場しのぎのネタにするだの、カジュアルに暴力やいじめをするなど、子供の道徳に悪影響を及ぼしかねないからです」と批判している点にまず触れています。

その一方で『光る君へ』では姫君たちが「顔が四角い」「顔は知らないが、かなり富のある方」と評する事については「妥協点」で済ますと記されています。
好き(かどうかわかりませんが、肯定している)作品だと、この辺りは控えめなようです。

巫女の格好をしている人物は「よりまし(寄坐・憑子・尸童)」です。

この前の部分で既に説明されていますが、ここで出てくるのは歩き巫女であり、特定の神社に所属せず全国を渡り歩きながら祈祷や託宣(たくせん)などを行なって、生計を立てる巫女の事ですとまず説明されています。

そして彼女たちは全国に存在して「マンニチ」や「マンチ」、「飯縄」(いづな)、「トリデ」、「ヤカミシュ」など、様々な呼ばれ方をしていたこと、歩き巫女は「巫女の口ききなさらんか」と言いながら村々を周り、「霊を憑依させて死者の口をきく」口寄せを行なったと言われること、神事だけでなく旅芸人や遊女を兼ねていた巫女もいて、時に春を鬻ぐこともあったともあります。

ここまで来ると民俗学の分野です。武者さん、せっかく巫(巫女)が出て来ているのなら、『どうする家康』叩きなどせずに、このようなことをきちんと書いてはどうでしょうか。

そして近年の大河『鎌倉殿の13人』『どうする家康』に続けて歩き巫女が登場していることにも触れられています。後者の方では千代(望月千代)ですね。彼女の場合、情報収集を重要視して、身寄りのない子供たちから容姿、治世に優れた処女に巫女として必要な技能や諜報の知識に技術、読み書きなどの基礎的な教養を授けたともあります。

身寄りのない子供たちと言えば、『鎌倉殿の13人』にも出て来ます。巫女を育ててはいませんが。

さらにややこしいことに、この頃は中国の道教までうっすら混ざります。>日本の仏教は中国経由なので、そうした融合が避けられなかった。

私もこれについては「道教がどのような感じでうっすらと混ざっているのか不明」と書いていますが、たけたけさんの記事にも
「どの様な影響があったかなど具体例は挙げないのですね」
とあります。

note記事では陰陽道が陰陽五行説に基づくものであり、百済僧の観勒によって暦・天文・地理・奇門遁甲(中国の占術)・方術(引用・天文・療治・亀卜など方士の行なう占術・験術)が日本に伝えられたという、『日本書紀』の記述の一部が紹介されています。そう言えば武者さん、以前鎌倉殿は中世だから占いもあるなどと書いていましたが、もちろんそれ以前の古代から、このようにして伝わった占いがあります。

また古代日本の政治思想は儒教基盤で官吏養成に応用され、式部省被官の大学寮に於いて教授されていたこと、道教は官学教科からも除かれていたものの、道教と思想的に関連性がある陰陽道は法制化され、中務省に陰陽寮が置かれ、官人としての陰陽師が育成・配属されたこと、そして彼らは官人陰陽師暦の作成、祈祷などの儀式を執り行って『穢れ』を清める事、方位や時間の吉凶に関する占い、天体観測や気象観測、天変地異の報告などに従事していたともあります。

ちょっと余談ですが、陰陽道や暦で思い出しました。最近、『応天の門』を全然投稿していません。そろそろ再開しなければと思っています、あれも暦に関する回がありました。

そして順番が前後しますが、

呪詛の狙いが弘徽殿女御というのもおぞましい。
花山天皇の寵愛する藤原忯子のことであり、やつれた彼女に呪詛は効きそうだ。

兼家が晴明に呪詛を命じるシーンですが、正確には忯子ではなく、お腹の中の子を呪詛しろと言う依頼のことだとあります。そして晴明が断った理由として、疎まれる高貴な立場の人物ほど標的になること、今回は呪詛を頼まれる立場の晴明が、呪詛返しによって術者の命の危険があるため、これを回避したかったのだと思いますと述べられています。

呪詛に関しては『鎌倉殿の13人』にも出て来ますね。
note記事では「形代」についての説明があり、『鎌倉殿の13人で』北条時政に頼まれて、阿野全成が将軍家公を呪詛するために人形を作っていたシーン、回収し忘れた1体が鎌倉御所の床下から発見され、謀反の罪で流刑の末処刑されるという結末になったシーンについても書かれています。尚この形代ですが、『どうする家康』に出て来る這子(ほうこ)と似たものがあります。

どうする家康第23回這子
『どうする家康』第23回 五徳が作っているのが這子

「天児」(あまがつ)と「這子(ほうこ)」という人形のジャンルについて
(ひなのすすめ)

しかし、道長は姿勢が悪いし、筆の持ち方がイマイチ。
これは演技や指導が悪いのではなく、意図してのものでしょう。
道長は字が下手なのです。
筆を寝かせるわ。
墨がかすれるわ。
そういう下手な字を書く人物として演じるとなると、残念な姿勢でなければいけない。
そのくせ、筆は特注品の最高級のものを使っているのが、実にたちが悪い。
なんでも道長の字が上手だと、演出からダメ出しが入るそうです。

これも武者さんが数回にわたり、道長の悪筆を叩き、筆を寝かせる墨がかすれると書いていること(昨年から続いています)を挙げ、さらにドラマ本編でそのような描写はないこと、そして道長を演じる柄本佑さんが独特の道長のフォントを編み出していること、しかも柄本さんは今は上達しすぎたため、最初の慣れなくて下手だった頃の書体を真似て下手に見せるようにしていることなどが挙げられています。

下手というより、私には味のある字に見えます。無論藤原行成のような達筆ではありませんが。そしてたけたけさんの文章では、武者さんが例によって、寝かせてもいない筆を寝かせたと言っていること(寝かせたら字が書けないと思います)、単に道長がは字が残念だと嘲笑したいだけではないかとも書かれています。

同時に、倫子と道長の結婚への道筋も浮かんできます。
この関係性を、猫と追いかける倫子で示すのは、『源氏物語』の女三宮と柏木のオマージュでしょうか。
なんですかね。
平安貴族の生きている姿をやっと掴めた気がします。
百人一首やらなにやら、文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい。

ここの部分、
「何見氏(=武者さん)ひとりだけで納得しているだけで具体的な説明がありません」
とずばりと言われています。実際そう思わざるを得ません。この大河のみならず、今まで武者さんの文章で具体例が示されたものが、どれほどあったでしょうか。さらに「文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい」と言いながら『源氏物語』のオマージュがどういうものか全く伝わっていないと思うとも指摘されています。

そもそも光源氏の妻であった女三の宮ですが、猫の追いかけ合いがもとで御簾が引き上げられ、その時柏木に顔を見られてしまい、恋心に火がついた柏木が、女三の宮といわば密通することになるわけですね。しかし武者さんの文章ではその説明がありません。

右大臣兼家、関白頼忠そして左大臣雅信の会合は土御門殿で行われており、3人が話していたところ、倫子が猫の小麻呂を追いかけていたこと、密談のさなか、小麻呂の乱入でその場を騒がせた事で倫子が詫び、雅信が彼女を紹介したこと、入内されるのかと思っていたと言う兼家に、雅信があのような礼儀知らずの娘はとてもと否定するシーンについて書かれておりり、そのうえで、兼家が我が子との結婚で、左大臣家の結びつきを画策しているのかも知れないとあります。

それから町田啓太さんについて。

公任を演じる町田啓太さんは、なんだか大変なことになっているようです。
海外アジア圏において、『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっているのです。

ここのところ、『『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっている』と言うのなら、その記事を提示してくださいと言われています。また、何が大変な事かが武者さん本人以外に伝わっていないこと、そしてたけたけさん自身が検索したところ、町田さんが大ブレイクしたドラマ『チェリまほ』が海外配信されており、アジア圏でも人気だという2020~2021年頃の記事であることが指摘されています。

武者さん、何を見ていたのかなと思います。ならば『光る君へ』関連検索など書かず、『チェリまほ』で町田さんの検索数が増えている、これを機にこの大河でもさらにブレイクしてほしいとでも書いておけばいいのです。

他にも宗教関連、医学関連で興味深い記述もあります。
そして最後の方の『どうする家康』叩きですが、

歴史ライターを辞めて『文春を論拠として崇め一切論拠を示さない信用性のないゴシップライター』になり下がったのでしょうか。

と書かれていますね。実際そうとしか見えませんし。
あと『もうひとつのどうする家康』で、松本潤さんが脚本の古沢さんと話している件では、

現にお二人は膝を突き合わせ話し合いをしているわけですので。
現場スタッフと主演俳優が意見を交わし合って作品を作る事まで否定したらドラマが作れなくなります。
脚本だけではドラマはできません。

文春ネタが原因なのか、主役が脚本に口出しすると書かなければ気が済まないようです。


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2024/02/10 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第5回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第5回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


あの程度の身分で舞姫を務めたのが生意気だのなんだのチクリと嫌味を言い、姫たちがクスクスしていると、倫子は自分の差金だとしてきっちりと、それでいて優しく止めます。
彼女はこの時点で、只者ではない大物の風格が出ていますね。かわいらしいだけの姫君ではない。

「自分の差金」とは言っていませんね。
「まひろさんを五節の舞姫に出したのは、我が家であり我が父ですよ」と言っています。

そして
「大物の風格」
と言うより、倫子の場合まひろと気が合うようで、話していて楽しいと思っているところもあり、だからこそ他の姫たちが、身分のことをとやかく言うのを止めたとも考えられます。

彼女の治療にやってきたのは、僧侶と巫女でした。
余計に具合が悪くなりそうな祈祷が始まります。
巫女の格好をしている人物は「よりまし(寄坐・憑子・尸童)」です。

「よりまし」は注連縄をつけた岩や木のことをも指します。この場合はあるいは巫(かんなぎ)と呼ぶべきでしょうか。
そしてなぜ僧侶と巫女なのか、その説明が一応後の方で↓なされていますが、ちょっと具体性に欠けます。

すっかりぐずぐずしてしまう弟ですが、なんとかいとが水を浴びせようとします。嫌だ!とごねる惟規と争ううちに、水桶をひっくり返してずぶ濡れになってしまうのでした。
この場面はおもしろおかしく、よくできています。
日本の宗教は「儒・仏・神」とされます。異なる宗教でも混ざる。寺と神社が一体化したような場所もあります。
本作のこのシーンでも僧侶(仏教)とよりまし(神道)がコンビでやってきていた。
さらにややこしいことに、この頃は中国の道教までうっすら混ざります。日本の仏教は中国経由なので、そうした融合が避けられなかった。

「儒・仏・神」とありますが、「神・儒・仏」ではないかと思うのですが…。
そしてその説明なのですが、物足りないところとして。
「異なる宗教でも混ざる」
「寺と神社が一体化したような場所」
「道教までうっすら混ざります」
これらの具体例が何ひとつありません。こういうのはちゃんと書いてくださいね。まず最初のは神仏習合かと思われますし、2番目は神宮寺がその代表格です。日光東照宮もそのひとつです。そして道教がどのような感じで「うっすらと」混ざっているのか不明ですが、仏教説話に仙人(道教由来)が登場したりするのはその一例でしょう。

尚修験道は、道教と仏教と山岳信仰が混ざったものとされています。

鎌倉時代以降の僧侶たちは「それではいかんでしょ」とブラッシュアップに努めますが、そうして洗練される前のカオス状態が実に面白い。
考証だって相当大変でしょう。『鎌倉殿の13人』に続き、大変頑張って作り上げてきております。

仏教なら昨年の一向一揆でも登場していますが、それは無視ですか。
そしてこの「ブラッシュアップ」とは、具体的にどのようなものですか。浄土信仰のことですか。それなら、平安時代に既にありますが。そう言えば武者さん、『鎌倉殿』の頼朝の臨終出家で、このようなことをするから、鎌倉時代に浄土教が広まったのだといったことを書いていましたが、それより前に空也や源信などが浄土教を広めています。

医療にしてもお粗末で、こんな調子では平安時代の人はすぐ死んでしまうのでは?と思えます。なんせ平均寿命は40あったかないかと言われるほど。
にしても、病気になっても祈るだけか……。と、『三国志』ファンの方なら華佗の手術を思い浮かべるかもしれません。華佗の場合は後世の脚色もあるので比較は難しいですが、そうした技術伝播のほどもなかなか興味深いものがあります。
病気で寝込んだらオカルト儀式をされるなんて、この時代に生まれなくて本当によかった。映像化されると想像以上に厳しいものがありますね。

「医療にしてもお粗末」
「病気で寝込んだらオカルト儀式をされるなんて、この時代に生まれなくて本当によかった。映像化されると想像以上に厳しいものがありますね」
貴方この大河好きなのですか?それとも嫌いなのですか?
こういうのもちゃんと考証があって、それに基づいているのですが。ちなみに北里大学の漢方鍼灸治療センター長の星野卓之氏が、医事考証担当です。

あと平均寿命ですが、乳幼児の死亡率が高かったせいもあるかと思われます。『枕草子』の「すさまじきもの」に「ちご亡くなりたる産屋」とありますし。それとなぜここで『三国志』なのですか。

しかし武者さん、本当にカルトもオカルトも好きですね。

ただし、この場面の実資は正しいのかどうか。
荘園なり、銅銭の流通に関して、この頃からあった問題が、やがて立て直しができなくなるのでは?
すでに制度疲労を起こして亀裂が生じていたならば、何か対策をせねばならなかったのでしょう。

ここでもそうですが、
「荘園なり、銅銭の流通に関して、この頃からあった問題」
とはどういうことですか?
まず荘園ですが、正しくは永観の荘園整理令です。この当時帝の代替わりの度にこれが発令されたと言われています。

そして銅銭の流通、これは破銭法ですね。和銅開珎以後、輸入したお金ではなく、日本でもお金を作り始めるのですが、原料となる銅の不足、そして私鋳銭(贋金)の横行などで貨幣の価値が下がって行き、さらに新しい貨幣が出るごとにデノミネーションが行われたことも、貨幣の問題に拍車をかけました。

このデノミネーションで前の貨幣の価値が10分の1となるため、庶民は前の貨幣を溶かして新しいお金を作る破銭(われぜに)を作るようになり、当時の政府は旧貨を回収できなくなります。しかも貨幣鋳造にかかる費用と実際の収益の差額が財源となるのに、それもできない。ついに惟成により提案されたこの法律が公布されますが、結局その後貨幣は使われなくなり、物々交換に戻り、さらにその後は中華帝国からの宋銭などが使われました。

皇朝十二銭 本朝十二銭
(刀剣ワールド)

この当時、経済の専門家がいなかったことも、またダメージとなったようです。ちなみにその後、国内でお金が作られるのは江戸時代になってから(慶長通宝または寛永通宝)です。

ところでこの記述、そしてこの後でも「荘園」についてはいくつか見られますが、

それでも斉信は、公任の父である関白・藤原頼忠の世は過ぎたと言い出します。新しい政治をしていると期待を込めて語る。贅沢を禁じ、銅銭を鋳造し、荘園を没収するそうです。

荘園は貴族の収入源です。そんなところに手を入れられたら、反発は必至でしょう。

この場合ただの荘園でなく、この後の斉信の言葉
「(帝は)正しい手続きを経ておらぬ荘園を、没収されようとお考えだ」
にあるように、ちゃんとした手続きをしていない荘園を没収し、公領化しようという考えでした。

日本の時代劇といえば、武士主役の作品が多い。そんな中、文官といえる平安貴族の姿は珍しいだけでなく、その優雅さはアジア宮廷ものの雰囲気がある。
雅な宮廷美男日本代表として、彼は注目を集めているようです。日本代表としてがんばってください!

「文官といえる平安貴族の姿は珍しいだけでなく、その優雅さはアジア宮廷ものの雰囲気がある」
その平安貴族の時代は、武者さんが嫌いな世襲と摂関政治の時代でもあったわけですが…。

そして町田啓太さんに関して、
「雅な宮廷美男日本代表として、彼は注目を集めているようです。日本代表としてがんばってください」
日本代表日本代表などと言っていますが、貴方本当は中国の方が好きなのではありませんか。
それから町田さんは、貴方が嫌いな『西郷どん』で小松帯刀、『青天を衝け』で土方歳三を演じていますが、まさか、お忘れではありませんよね?

しかし武者さんて
男と対等にわたりあえる女性が好き
イケメンが好き
おじさんが嫌い
わかりやすいと言いますか。

しかし、道長は姿勢が悪いし、筆の持ち方がイマイチ。これは演技や指導が悪いのではなく、意図してのものでしょう。
道長は字が下手なのです。
筆を寝かせるわ。墨がかすれるわ。そういう下手な字を書く人物として演じるとなると、残念な姿勢でなければいけない。
そのくせ、筆は特注品の最高級のものを使っているのが、実にたちが悪い。なんでも道長の字が上手だと、演出からダメ出しが入るそうです。

「筆の持ち方がイマイチ」
既にこのブログでも、またたけたけさんのnote記事でも指摘されていますが、単鉤法と呼ばれる持ち方のようです。

そして
「筆を寝かせるわ。墨がかすれるわ。そういう下手な字を書く人物として演じるとなると、残念な姿勢でなければいけない」
この道長は「残念な姿勢」でしょうか。筆を寝かせているでしょうか。署名の時も筆を立てていますが。

光る君へ第5回道長と筆  光る君へ第5回道長と筆2
『光る君へ』第5回

あと道長の字はかすれていましたか?

「筆は特注品の最高級のものを使っているのが、実にたちが悪い」
最高級品とはどのような品ですか。そして
「なんでも道長の字が上手だと、演出からダメ出しが入るそうです」
柄本さんが道長のフォント、字体を自分で編み出していて、それに則って書こうとしているからではありませんか?

しかし今回も、道長の字は下手だ下手だと言っていますね。
こういう字です。何度も言いますが、特徴のある字ではあります。柄本さんも、これに似せようとしているのでしょう。

Michinaga_diary.jpg
『御堂関白記』(Wikimedia)

すると兼家は喜び、こうきた。
「我が一族は、帝を支える者たちの筆頭に立たねばならぬ」
(中略)
「お前もそのことを覚えておけ」
脂ぎった口調で言う兼家には、何の政治的ビジョンもありません。花山天皇とその側近の方がよほど真っ当だ。
それにしても段田安則さんの醸し出す、権力にギラついた姿が素晴らしいですね。俳優ならば、一度はこういう役を演じたくなるのではないでしょうか。

この当時は、一族が帝を支える者たちのトップに立つことがいわばビジョンであり、そのためには様々な策を弄する必要があったのではないでしょうか。武者さんが言う政治的ビジョンとは、どのようなものなのでしょうか。
権力にギラついたと言うよりは、この当時は、こういう権力闘争は比較的当たり前であったのではないかと。

愛のために家父長制に逆らうヒロインが、今後もきっと出てくる。実に痛快ではありませんか。

この間も家父長制などと書いていましたが、この当時はまだ家父長制が成立しておらず、財産は母から娘に譲られるシステムになっていました。

左大臣・源雅信はそこまで権力にこだわっていないようで、見過ごせぬと巻き込まれています。
(中略)
笑い合うこの人たちはなんなのでしょうか。政治に対して全く理想がなく、あるのは自分の利益だけですか。
そりゃ、こんなのを見ていたら荘園も没収したくなりますね。

「政治に対して全く理想がなく」
上の方でも書いていますが、この当時の政治とはこのようなものでしょう。
そして「荘園を没収する」のではなく、「正式な手続きを経ていない荘園を没収する」のです。ちゃんと観てますか?
無論正式な手続きを済ませていない荘園も、彼らの所領には多かったかも知れませんが。

確かにこの時代は馴染みもないし、合戦もありません。だからこそ、新鮮な驚きがあっていい。こういうのが見たかったんじゃないか?という思いが心の奥から湧いてきます。
知っているようで知らなかった世界が目の前にあります。

恐らくこの大河が嫌いであれば、やはり馴染みのない時代は面白くないとなるのでしょうか。
そして「知っているようで知らなかった」
武者さんは「歴史系」ライターのはずですよね。今までこの時代の日記とか歌集とか、目を通して来なかったのですか?もし目を通していたら、その時代に何があり、どういう人物が登場したかの知識位あるでしょうし、ならば「知らなかった」世界にはならないと思います。
せめて
「史料で知っていた世界が三次元化され、理解に幅が出た」
とでも書いて貰いたいものです。

『蜻蛉日記』の作者で、紫式部にとっても遠い親戚……と言っても、突き詰めれば藤原はみんな大体親戚同士となります。
中国や韓国の場合、ルーツが同じ者同士の結婚は避けてきたものですが、このころの日本はそうではないのです。

儒教圏は同じ「氏」だと結婚できなかったわけですが、この頃に限らず日本の場合はそうではありません。だから近親婚的なものもありました。

それはそうだと認めつつ、世の中変わりもしないと呟く直秀。
彼はどこか達観したようで変わっていますね。世の中の外にいるからこそ、仕組みがわかって、天の声すらわかってしまうような不思議さがあります。
歴史劇のこうした「オリキャラ」は、そんな役目があり、毎熊克哉さんが見事に体現されています。

先日も触れていますが、武者さんが絶対に好意的に書かない『どうする家康』で、毎熊さんが演じた大岡(大賀)弥四郎も、どこか曲者ぽくて達観した印象があります。このままでは無間地獄だなどと言っていますし。もう一度貼っておきますね。

どうする家康第20回大岡弥四郎

『どうする家康』第20回

それからかなり「オリキャラ」にこだわっているようです、武者さん。
恐らくこう書くことで、『麒麟がくる』の駒だってオリキャラの役割があるのだと言いたいのでしょう。ただ、直秀は自由に動ける立場であり、そのため情報を集めてはまひろに届けるという設定に無理はありません。

しかし駒は、薬屋という設定を貫くのならともかく、義昭の側女になり、あれこれ口出しするのはやはりちょっと無理がないでしょうか。寧ろあの大河では駒より伊呂波大夫の方に、この直秀と似たものを感じました。直秀も実は、やんごとなき人物と親しいなどということはあるのでしょうか。


飲み物-ポーターとクルミ
[ 2024/02/07 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムその2です。しかし武者さん、昨年の『どうする家康』で書きまくったこと(一部それ以前を含む)が、今年はかなりの確率で、ブーメランとなっていないでしょうか。

本題に行く前に。貴人と猫について前の分の投稿で書いていますが、『どうする家康』でもこういうシーンがありましたね。

どうする家康45秀頼と千姫
『どうする家康』第46回

千姫は絵が上手ですが、弟の竹千代(家光)も兎の絵を描いていたことを考えると、あれは誰の遺伝なのでしょう。


では本題です。
赤染衛門が『竹取物語』関連で、かぐや姫はなぜ、五人の公達に無理難題を突きつけたのかと姫たちに尋ねます。

「好きではなかったから」といった答えが主流の中で、まひろだけが、ぶっ飛んだことを言い出します。
やんごとない人々に対し、怒りや蔑みがあった。
身分が高いだけで威張るものが嫌だから、帝でさえ翻弄するのだろう。
すると倫子は「おそれ多い」と呟きます。「空気読め」という意味かもしれない。
それでもまひろは、身分が高い相手を突っぱねる姫は颯爽としていると熱く語ります。
すると倫子が、私の父が左大臣で、身分が高いことを忘れていないかとチクリ。

まず「好きではなかったから」といった答えが主流とありますが、こう答えたのはしをりだけです。主流というのは、複数の意見で多数派を占めるものですから、この表現は当てはまらないかと。
そして「身分が高いだけで威張るものが嫌だから」とありますが、「やんごとない人々への怒りや蔑みがあったから」ですね。「威張る」という表現はどこにも出て来ません。

そして花山天皇の早期退位について、兼家や道隆、道兼が知恵を絞るシーンに関して次のように書かれています。

いかがでしょう。まひろや義賊散楽一味がみたら「やっぱりこいつら悪どい、盗んじまえよ!」と言いたくなりそうです。

この場合、まひろは無関係ではないでしょうか。ただ道長が来ないことを気にかけてはいますし、道長もその気になっていますが、酒席に残るように兄道隆から言われ、抜け出そうにも抜け出せません。
あと例の盗賊団ですが、彼らが忍び入ったのは土御門殿であり、兼家の住まいである東三条殿ではありません。

般若というのはこのことかと思うほど、凄絶な美しさを吉田羊さんが体現。
(中略)
「懐仁のことも、もう父上に任せませぬ! 私は懐仁を守ります。そうでなければ懐仁とはいえ、いつ命を狙われるか!」
道隆が宥めようとしますが、詮子は止まりません。
兄上は嫡男のくせにご存じないのかと怒りをますます高め、道兼が医師を呼ぼうとすると、詮子はこう言います。
「薬など、生涯飲まぬ!」
何を入れられるかわかりませんからね。
見事な場面です。女性の怒りをこうも鮮やかに見せてくるとは。

まず「医師」でなくて「薬師」ですね。ドラマの中でもそう言われていますし、この当時はこの呼び方が一般的だったと思われます。それから「薬」という言葉が導かれているのでしょう。
また「毒薬変じて薬となり」とも言われますが、父兼家の考えは毒と言えるものであっても、後々の藤原氏の繁栄のためには薬であるとも言えそうです。

「女性の怒りをこうも鮮やかに見せてくる」
昨年の茶々も、『青天を衝け』のお千代(栄一の妾の存在を知った時)も女性の怒りを見せていましたが、嫌いな大河だと武者さんは引き合いに出して来ないようです。

そしてこうも父に怒る女性は、詮子だけではありません。後にまた別の女性も怒ります。
父に対し、娘がこうも激怒する大河が見られるとは。感慨深いものがあります。

父に対して娘が怒る大河と言えば、『鎌倉殿の13人』の大姫もそうでしたし、先ほど画像で引用していますが、『どうする家康』の千姫も父秀忠と祖父家康に対して、怒りをあらわにしています。
尚この時武者さんはこう書いています。

秀忠の理由にしても、ただカッコつけたいからのようで、千姫は「父上もおじじ様も鬼!」とか言い出す。そして豊臣の天下を盗み取った化け物だとキンキン喚いています。

「詮子は帝に毒を盛っただの、懐仁は任せないだの、キンキン喚いています」
とは書かないのですね、今年は。

どうする家康第48回家康と千姫
『どうする家康』第48回

兼家は、詮子が去ると、ゲスなゴシップ誌かネットニュース、掲示板じみたことを言い出します。

昨年あれだけ「文春砲」やゴシップサイトの記事のリンクを貼っていた武者さんから、このようなことを言われたくありません。

長い間、独り身だからいたましいことだ。これからは楽しい催しなどして、気晴らししてやろう、と。そのうえで飲み直そうときた。
なんてクズ男の解像度が高いドラマなんだ……家族や女性部下が怒っていたら「高めのプリンでもコンビニで買って冷蔵庫に入れて置こうか♪」と言い出す、そんなムカつくおっさんみたいな兼家だな!

貴方は気に入らない男性だと何でも
「クズ男」
「ムカつくおっさん」
ですね。実際詮子も里下がりして寂しい思いをしていたわけですし、兼家もそれなりに娘に気を使っている(親王を産んでくれたこともあるし)のではないでしょうか。

悪事で結束する右大臣家って……どこのヤクザですか?
道長だけが賛同するようで、呆れ切った顔をしています。

策略ではあるけれど悪事とは必ずしも言い切れないものと思われます。先ほどの「毒薬変じて薬となる」に近いものがあります。
そして

しかし、これは『鎌倉殿の13人』序盤で、義時が上総広常を見て笑っていたようなものかもしれない。
娘がどれほど怒り、絶望しようが、父は権力のために強引な手段を押し通す――後半、きっと私たちはまた絶望するのでしょう。

これに関しては、『真田丸』で信繁が、父真田昌幸の手段を選ばないやり方を見て
「私は父上が恐ろしい」
と言ったのに近いものがあるのではないでしょうか。

バイオリンの音色が、激しい愛を伝えてきますが、このドラマは日曜夜8時台ですから、ドラマ10『大奥』級の過激描写はありません。
ただし、ギリギリのエロスは読み解き方で出てきます。
酔っ払ったと廁へ向かう為時は、使用人の“いと”によろめいたところを支えられます。
「お前にも世話になった」
そう言われ、ドギマギする、いと。このドラマって、こういう距離が近づく二人をうまく描きますよね。まぁ、為時は廁に向かいますけどね。

「バイオリンの音色が激しい愛を伝える」
昨年は
「BGMはくだらないストリングス。家康が手を合わせる……いや、もう、しつこいって!」(第48回)
「BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス」(第47回)
嫌いな大河ならくだらないにお涙頂戴ですか。今年のにはそれは言わないのですね。
そして為時といと。こういうのも、嫌いな大河なら

エロオヤジの為時が、よろけるふりしていとに色目を使う。一言で言うなら「しょーもな」!

などと書くのではないでしょうか。中高年男性嫌いでルッキズム大好きな武者さんですし。
(作品中の為時といと、そしてその中の方、すみません)

あと「いと」、昨年の「糸」(北条氏真の妻)は今までの大河と同じような名前と叩き、今年は何も言わないようです。

内裏では、花山天皇が政治を行なっています。
銅銭の価値変動が激しいのは、関白のせいではないか?と言い出す。
藤原惟成が語るには、なんでも日照りのせいで物の値上がりが続いているんだとか。

「政治を行っています」でなく「政を行っている」とか、「関白頼忠の言葉を聞いている」とか書けませんか?
あと
「日照りのせいで物の値上がりが続いている」
のではなく、
「長雨と日照りで米が不作となり、物価の上昇が激しくなっている」
のですね。

本作の時代考証の倉本一宏先生は、ドラマによって花山天皇の奔放さばかりが広まることを懸念しています。
この花山は、聡明だし有効性のありそうな政策を考えている。
あのぶっとんだ帝が、万民に模範を示すことを考えるようになるとすれば、何に由来するのか?
為時が読み聞かせてきた漢籍、『墨子』ではないのか? とも思えてきます。

この時代考証、昨年は全く持ち出さなかったどころか、一次史料を基にした平山氏のX投稿に噛みついていましたね武者さん。

この花山天皇の政ですが、元々これは側近の義懐と惟成が、荘園整理令とか、貨幣経済の活発化などを政の中心として推し進めており、それが頼忠との確執を招いたとも言われています。
それと『墨子』については先日書きました。この時代の日本で、どこまで影響があったのかは不明です。

こちらに墨子に関する記述があります。今回はURLだけを置いておきます。

万葉雑記 番外編 墨子と古代日本
墨学では血統や姻戚関係は重要視されません。儒学の枠から外れた根を持たない人々には、ある種、救いの学問です。そのため、支配者階級の階級固定化が進む漢代以降では墨学は任侠や家系を持たない下層民層に落ち込んで行ったとします。
 日本ではこのような状況を写し、一般に墨子集団やその集団が著した書籍は秦の弾圧や焚書坑儒の事件から前漢中期までには世から消え、その後に清王朝終末の混乱期(1894)になって孫(そん)詒譲(いじよう)、譚(たん)嗣同(しどう)、梁(りょう)啓超(けいちょう)によって再発見されたと評価します。このような学問上の歴史から、墨子とその墨子集団の思想は古代には消え失せていたために大陸との文化交流が盛んとなる隋・唐時代と重なる飛鳥時代以降の日本には墨子は影響を与えなかったと評価します。

そして記事の後の方ではこうなっています。

墨子は日本の古典には無いことになっていますが、飛鳥・奈良時代、平安時代初期、平安時代末期、江戸時代と知識人階級の世界にはその存在を見せています。

https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/e49d7108d53fba7902d41f479c0200ef

かなり長くて私もちゃんと読めていないかも知れませんが、日本では墨子に関しては、古代に於いて知識人階級の間では知られてはいたものの、あまり際立った存在ではなく、ただ近世(江戸時代)には、この人物の関連本が刊行されていたようです。清帝国から輸入された墨子関連本の影響もあったのでしょう。

あと為時が講義していたのは『論語』ではなかったでしょうか。

道長は、筆を雑に扱っていて、そういうことだからあんな筆跡になるのだと苦言を呈したくなってくる。
そういう扱いをすると筆がすぐ駄目になってしまいます、藤原行成を見習いましょう、と思わず言いたくなります。
なんて書に気が利いたドラマなのでしょう。

また「筆」の話。どうも昨年寝かせてもいない筆を寝かせたと主張して以来、筆に対してかなり反応するようになっているのでしょうか。この時の道長は、使い終わった筆を拭うようなしぐさを見せていますが、それがどう
「雑に扱って」
いるのでしょうか。
そしてまた出ました「あんな筆跡」。
特徴のある、あるいは癖の強い筆跡かとは思いますが、特に「あんな」とまで悪筆呼ばわりされるものでしょうかね、三蹟の行成とは違うのですよ。

そして
「なんて書に気が利いたドラマなのでしょう」
ここで褒めるのならそれではなく、この当時の上級貴族の世渡り術が、このシーンのセリフで説明されていることだと思いますが。

シスターフッドを発揮し笑い合う二人。まひろがどこかズレていて変人だから成立する関係かもしれない。
しかし、まひろは「絶ッ対、留まらない!」という謎の自信があるため、なんとかなっております。
いるんですよね、こういうモテにさして価値を見出さない剛の女が。認めたくない人は、認めないんでしょうけど。

ここで『大奥』で出て来たシスターフッド。
元々これは、共通の目的がある女性同士の連帯感の意味です。それを言うなら瀬名と於愛もシスターフッドでしょう。
そしてまひろの謎の自信とありますが、見方を変えれば自分自身を知っていると思えます。彼女に魅力がないのではなく、自分は書物あるいは学問がいわば恋人であり、ゆえに男に口説かれても自分は決して落ちないという、そういう発想でしょうか。ちょっと内省的でもありますが。

「こういうモテにさして価値を見出さない剛の女が。認めたくない人は、認めないんでしょうけど」
「剛の女」かどうかはともかく、そういう性格ではあるでしょうね。
そして「認めたくない人は認めない」とあるのは、SNSか何かで反対意見でも目にしたのでしょうか。感じ取り方は人さまざまだと思いますが、別にそれはそれでスルーしておけばいいでしょう。何だか私怨で書いているように見られますよ。

舞を覚えるのが大変。
何度指導を受けても、不器用なのか逆に回ってしまい、叱られてしまいます。
絵も下手だし、体を動かすことも苦手なのかもしれない。ともかく何かがズレている、ヒロインらしさが常に落第気味で斬新です。

このヒロインらしさとは何ですか?
大河朝ドラを問わず、ドジを踏むヒロイン、あまり器用でない(世渡り下手を含む)ヒロインなども今まで登場していますけどね。この吉高さんが演じた『花子とアン』の花子も、女学校で先生に叱られていましたし。

この国にはこんな歌や踊りがあるのかと見ることも、大きな楽しみのひとつなんですね。『鎌倉殿の13人』の静御前に続く、日本代表の登場です。
日本の場合、衣装の重みもあるのか動きが落ち着いております。
唐の場合、軽やかに長い袖をクルクル回し、かつ様々な文化の影響を受け、激しい動きもあります。比較するとますます楽しい。

舞は別に女性だけのものではありません。男性による舞楽もあります。これもまた
「この国の歌や踊り」のひとつですね。

どうする家康45秀頼の舞楽
『どうする家康』第45回

そしてこの五節は、元々は『春秋左氏伝』の「先王之楽、所以節百時也、故有五節。遅速、本末以相及」がルーツとなってもいるようです。

しかし、そのせいでツッコミも入りました。貧しい家出身の紫式部が選ばれることはありえない、と。
(中略)
しかし、懐に余裕がないのに選ばれると、蓄財機会のある受領に無心して仕立てるようなこともあったとか。
それを身代わりということで、衣装予算の問題はクリアしています。
なぜ身代わりにするのか?
花山天皇から倫子を逃すためならば、設定としてありではないでしょうか。
このドラマは、かなりギリギリの設定を攻めてきて、それがよい。

この当時の舞姫は、元々は公卿や受領、殿上人の娘であったのですが、高位の貴族の女性が人前に姿を見せなくなって行ったこともあり、また天皇と舞姫の性的なまじわりなどもあったわけで、光源氏が舞姫に乳母子を送り込んだのも、こういう背景と関係しているでしょう。で源雅信と穆子も、倫子を出すのを渋った挙句、まひろに白羽の矢が立ったわけです。

そして好きな大河なら
「このドラマは、かなりギリギリの設定を攻めてきて、それがよい」
嫌いな大河なら
「(仮に史実であっても)こんなのはありえない。史実を書け」
なのですね。

そしてこの次の部分、今度は『青天を衝け』叩きですか。

そうそう、東洋の国家だって当然のことながら、過度な好色は軽蔑されます。
『青天を衝け』の際、渋沢栄一後妻である兼子に由来する、こんなことが語られていてうんざりしました。
「あの人も『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」
「儒教に性的規範はない」
他国由来の思想に、なんて迷惑なイメージを植え付けるのか。そんなことはありえません。
確かに天皇は皇子を残すことが責務であり、多くの妻を持ちます。
そうは言っても、ルール違反をすれば嫌われるでしょうよ。

儒教の性的規範はともかく、貴方は儒教が悪く言われたら何かの如く言う割に、キリスト教、たとえばカトリックなどはディスリ放題ですね。
かつて、鎌倉殿とどうする家康のコラムでこんなことが書かれていました。

殺すことがまずありながら、動機づけをしたい。
そこで神の出番です。
神が殺していいと言ったから……という理屈を通す。
これは別に日本特有でもなく、中世のカトリック教国では「おらが村の聖遺物」だの、その日の守護聖人だの、そういう神頼みを理屈にして色々やらかすことはありました。

視力抜群、レーシックお愛がゆるかわ仏様を持ち込みます。
数正が作ったというもので、その出来栄えが……小道具スタッフもあまり気合が入っていないのでしょうか。
『麒麟がくる』の平蜘蛛や『鎌倉殿の13人』の仏像と落差が惨たらしい。
しかしフィギュア作り……もとい木彫りの像が好きなドラマじゃのう!
他にアイテムを思いつかないんでしょうか。

カトリックもさることながら、石川数正が彫った仏像への見方、これも如何なものでしょうか。
他の国からやって来た宗教ですよね、どちらも。

確かに日本史には、何かの折、目の前に好みの女がいると、手をつける恐怖の権力者は実在しました。
『青天を衝け』に出てきた徳川斉昭です。
あのドラマよりも、ドラマ10『大奥』の徳川斉昭の方が史実に近いので、適宜みなさまご修正ください。

大きなお世話だと言いたくなります。
私は『大奥』を見ていませんが、それぞれの主人公や設定に合わせた描き方があるのに、嫌いな作品の描写はこれでもかと叩き、好きな作品の描写のみを正しいと言うのはミスリードではないでしょうか。

断っておきますが、まひろは決して現代人思想に被れたトンデモヒロインではありません。
『麒麟がくる』の駒についても、「現代の平和思想を語る女w」と嘲る意見をよく見かけましたが、彼女たちは中国思想由来の意見を述べております。

まひろが「現代人思想にかぶれた」シーンなど出て来ませんが、武者さんにはやはり一般視聴者に見えないものが見えているのでしょうか。もしそういうシーンがあるならどこでしょうか。
そして駒が叩かれたのは、将軍の側女としてはどこか越権行為があると見えたからではないでしょうか。
いつも思うのですが、武者さんが麒麟と言う時は大部分が駒、それも彼女への批判への反論のみですが、なぜ批判されたかというのを、大河のライターならもう少し考えてはどうでしょうか。

そしてその「中国思想由来の意見」についても、その出典と当該人物が何を語ろうとしているのか、書いて貰えないでしょうか。そして儒教由来の王道と覇道に関しては、昨年も出て来ていますよ。

『麒麟がくる』以来、私はひとつの仮説をたて、証明するデータを自分なりに集めてきました。結論は出つつあります。
その仮説とは、日本史愛好者でも、漢籍読解や東洋思想知識が減衰傾向にあるのではないか?ということ。
実は、明治以来指摘されてきたことで、いまさらではあります。
そこが弱いから「麒麟」の理解が不十分で曲解意見が出てきたのではないかと考えています。
『麒麟がくる』ではなく、『光る君へ』で、この仮説は決着がついてきたと思います。

「日本史愛好者でも、漢籍読解や東洋思想知識が減衰傾向にあるのではないか」
「そこが弱いから『麒麟』の理解が不十分で曲解意見が出てきた」
何だか上から目線ですね、まあこの場合に限りませんが。
ではそのデータとやらを開示して、どういうふうに減少傾向にあるのか、それがどのように『麒麟』の理解の不十分さに結びつくのか、ちゃんと解説してください。

私自身『麒麟がくる』は、ちょっと抽象的あるいは観念的なタイトルだなと思いましたし、この大河への「曲解」意見なるものは、要は批判意見であり、武者さんにはそれが面白くないのではないか、そのようにしか見えないのですが。

たとえば『孟子』を「漢詩」とする感想が出てきたりしますが、これを例えるなら、
「『源氏物語』という俳句を読みました」
という類のものとなります。
もしもアメリカのドラマでそんな風に語られていたら、「気持ちはわかるが、そうじゃないんだ」となりませんか? そう言う類のミスなのです。
漢詩はあくまで「漢詩」であり、『孟子』は思想を説く「四書」に分類されます。
些細なことではあるのですが、重要なことでしょう。

『孟子』を漢詩とする感想て、どこにあるのですか。SNSですか。だったらちゃんとスクショしてください、恐らく勘違いではないかと思われます。
そしてなぜ『源氏物語』=俳句なる表現が、アメリカのドラマに結びつくのですか。実際に向こうの番組でそういうセリフがあったのですか。ならば、その番組に意見を送るべきかと思いますが。

このドラマに関する各メディアの記事で、紫式部が世界的に唯一突出した女性文人という趣旨の記述を時折見かけます。
これについては、むしろ本人が以下のように嫌がりそうです。
「やめてください、優れた女性文人は私の前にだっています。本朝もおりますし、何より唐。卓文君、班昭、蔡琰、謝道韞、魚玄機、薛濤……漢籍を読めば出てくるでしょう。なんで知らないんですか?」
ことさら紫式部を「日本スゴイ!」とか、「アジアでスゴイのは日本だけ!」といった言説に結びつけるのは、彼女が望むことでもないでしょう。
キャッチーだからって大仰なコピーを使うことは非常に危うい。

実際『源氏物語』がこれだけ読まれているのだから、著名な存在であることは間違いないでしょう。
寧ろ、武者さんが羅列している唐の「女性文人」の方を、知らない人の方がはるかに多いのです。何よりも日本人が、紫式部を称賛し、世界的な存在であると考えるのがそんなに悪いことですか?
「キャッチーだからって大仰なコピーを使うことは非常に危うい」
一体何が危ういのでしょうか。
何だか紫式部が世界的に有名であるのが、お気に召さないみたいですね。

そして次の仮説です。
ネットニュース等のドラマ評価は、視聴者の理解度によるのではないか?
(中略)
『ちむどんどん』という朝ドラがありました。
このドラマは「医食同源」が根底にあり、琉球の伝統食文化や、沖縄ならではの事情がプロットに盛り込まれていた。
それが理解できなかったのでしょう、琉球差別としか言いようのないアンチコメントが多く見られたものです。
しかも、それを集めてニュースにすることでPVを稼ぐメディアもあり、ドラマの感想で琉球差別の助長をするなんて何たることか、と頭を抱えたくなりました。

「視聴者の理解度」
これもまた上から目線な感じですね。
要は、自分が好きな作品を悪く言うのが許せないというところでしょうか。しかし他人が好きかも知れない作品(大河、朝ドラ)を武者さんはこれでもかと叩き、『舞いあがれ!』などは実際にないシーンまで自分で作り出していたりもしたのですが、それは無視ですか。

あと『ちむどんどん』に関しては、あまり「医食同源」という印象はありませんでした。沖縄から東京に料理人の修業に出て来た若い女性の物語ですが、何だか反社組織がやたら出て来たり、ヒロインに取ってちょっと都合よすぎと思える設定になっていたのには違和感があったし、しかも当時、沖縄の農産物は法的な意味合いから持ち込めないことになっていたのに、それを持ち込んだりするのはちょっとリサーチ不足にも見えました。

人の性は悪なり――このことはネットが可視化している側面もあります。
PVを稼ぎ、バズるためなら悪口やデマ、差別でも語るようになるのかもしれない。
自戒もこめて、それよりも大事なことはある、ルールは守ろうと思う次第です。

「PVを稼ぎ、バズるためなら悪口やデマ、差別でも語るようになるのかもしれない」
『青天を衝け』や『どうする家康』のコラムで、悪口やデマ、あるいは俳優さんの外見に基づいた誹謗中傷とも取れることを平気で書いて来た武者さんに、こう言われたくありません。この手のことを書くのはこれで2回目ですね。

2021年と2023年に何を書いて来たのか、貴方はまずそのことを反省してください。


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
[ 2024/02/02 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


親切な人かと思っていたのに、”三郎“に謝らないのは腹が立つとイライラ。
「すぐ怒るんだな」
”三郎“は面白そうに話しています。彼の周りの人々は、貴公子に対して怒りすら見せないようにしているのでしょう。

第1回で三郎は、怒るのは好きではないと言っていますから、そのせいもあるのではないでしょうか。だから姉の詮子が、何でも話せる相手と思ったわけでしょう。

光る君へ第1回三郎

偽りだったのか?と問われ、謝るまひろ。また作り話をしてしまった。あそこの代筆は男がしていたのだと。
”三郎“は再び笑顔で、よく装い、よく偽るおなごだなと言いながら、彼女の嘘を見抜きます。
あの日、まひろは男の声で男と偽る仕事をしていたと。代筆仕事はまひろだと見抜いていて、さわやかに笑い飛ばす”三郎“です。

まず「よく装い」ではなく「よく怒り」ですね。ちゃんと字幕を出した方がいいかと思います。
それと
「男の声で男と偽る仕事をしていた」
とありますが、
「男の声で笑い、男の声を出していたと言った」
ですね。つまり男として代筆の仕事をしていたから、男の(作り)声を出さなければならなかったのを、三郎は見抜いていたわけです。

彼女に被衣をかぶせ、馬の後ろに乗せ、送っていく宣孝。まひろはその後ろで「次の散楽も見たい!」とわざとらしく、“三郎”に聞こえるように言う。
そんな大きな声で言わんでも聞こえると宣孝は呆れています。
この去っていく宣孝は、佐々木蔵之介さんの魅力と説得力が引き出されたシーンではないでしょうか。
野暮なおじさんになりそうなところを、軽妙で魅力的な男性を演じている。しかも、まひろとの年齢差もわかる。

あの場合被衣ではなく、笠から垂れ衣を下げたものではないでしょうか。被衣というのは、こちらは刀剣ワールド様のイラストをお借りしていますが、こういう風に衣を頭から被るものです。
刀剣ワールド被衣

「軽妙で魅力的」と書いていますが、武者さんは第1回で「軽そうな」と書いていました。
実際飄々とした雰囲気があるのは確かですが、親戚筋に当たる娘でもあり、あまり変な男に近づけたくないという思いもあるいはあったでしょう。それと
「まひろとの年齢差もわかる」
というのは、具体的にどのようなところでしょうか。

身分があるから、諍いも争いもない。もしもそれがなくなれば、万民が争い、世が乱れるのだと。
身分秩序が壊れた結果、争いが起き、血が流れる様は『鎌倉殿の13人』で描かれてましたね。
これぞ日本史の宿命かもしれない。

平安→鎌倉は身分秩序が壊れたというより変化し、武士という新興階級が支配権を持つようになったのではないでしょうか。実際承久の乱までは、帝も一定の勢力を持っていました。
身分秩序が壊れたのは、あらすじと感想に書いていますが、やはり戦国時代であり、その乱れた世、正に乱世を終わらせたのが昨年の主人公だったわけです。

そして例によって中華帝国の話です。

隣の中国では、魏晋南北朝は貴族の時代。魏以来の「九品官人法」により、こんな状態が訪れます。
上品に寒門無く、下品に勢族なし。
上流貴族には貧しい家はなく、下級貴族には勢いのある家はない。

この
「上品に寒門無く、下品に勢族なし」
ですが、上品に寒門なくはともかく、下品に勢族なしというのは、下級には「有力者」がいないという意味ですよ。

世襲がこうもアピールされる国って、日本以外はそうそうありません。

要は日本には科挙がない、だからけしからんと言いたいのでしょうが、だからこそ「試験のための学問」とならずに済んだ側面もあります。そして日本だけでなく、特定の階級や業界などで、世襲か、それに近い状態というのは外国にも見られます。

まひろは思想をきっちり学んでいます。荀子は前回出てきた孟子の「性善説」と比較される「性悪説」で有名です。
『墨子』は相当上級者、なかなかマニアックですね! 墨子は教えが厳しすぎたのか、弟子が少ない。弟子が少ないとなかなか伝播されず、マイナーな部類に入ります。

というか、父からの書物を通じて覚えたというのが正しいでしょう。
ただこの当時、荀子の著作は出版されておらず、この後80年ほど経ってから刊行されています。また墨子も明の時代まではあまり知られておらず、日本でも江戸時代になるまでは知られていませんでした。

従って、まひろがどのような書籍を通じて彼らの思想を採り入れたのかとなります。荀子の場合は『史記』か何かでしょうか。ならばそういう書物に彼女が触れる描写が、もう少しあってよかったかなとは思います。

思いを吐き出してみろと。よい策は見つからずとも、心を軽くすることはできると。
そうそう、ここでマウンティングしながら「俺はさァ、こうだと思うよ!」と言っちゃうタイプの男はモテませんよね。
マンスプレイニング(Mansplaining)、略して「マンスプ男」としてむしろ嫌われる。
宣孝が魅力的なのは、イケメンだからだけではなく、振る舞い方が素晴らしいからに尽きるでしょう。
だいたい、墨子まで読みこなしちゃう相手に理詰めで勝てるのか、って話です。理がダメなら、情に訴える。

要は宣孝は、まひろのカウンセラー的なところもあるのでしょう。
それはいいのですが、まだここでマンスプレイニングだ何だと。こういうのが武者さんが反発される一因かと思います。
さらに
「だいたい、墨子まで読みこなしちゃう相手に理詰めで勝てるのか、って話です。理がダメなら、情に訴える」
それとこれと関係ないのではありませんか。
第一墨子の唐本が日本に輸入されたのは江戸時代で、まひろの時代の場合、前述のように、父から教えて貰った漢籍にある墨子、そしてその思想について触れたことがあると言う方が正しいかと思います。

思えば2023年の大河は「イケメンが言えばええ」とばかりに、かっこつけた演出で中身のないセリフを戦国武将が喋り散らすドラマでした。
マンスプ男の妄想ストーリーなど早く忘れたいものです。

早く忘れたいのなら忘れてください。貴方が昨年の大河を話題にしなければ、それで済む話です。それを何かにつけて叩くネタにして、いつまでも同じようなことをくどくど書いているから忘れられないのではありませんか。しかも
「イケメンが言えばええ」
「かっこつけた演出で中身のないセリフを戦国武将が喋り散らすドラマでした」
具体的にどのようなシーンで、どのようなセリフなのか書いて貰えないでしょうか。

そこへウキウキした様子の姉・藤原詮子がやってきて、「考え事をしているのは下々の女と縁を切ったからなのか?」と聞いてきます。
かわいい弟と話せて嬉しい姉上よ。いきなりキツい言葉を繰り出してきますね。道長は「そういうものはいない」とぶっきらぼうに返すしかありません。
道長もモテる男らしさがありますね。こんなに口の悪い姉だろうが会話をきっちりこなす。めんどくさそうなあしらいをしたら魅力が出ません。

「口が悪い」のではなく、その当時の上級公家というのはそのようなものだったのではないでしょうか。
そして道長、これも上の方で書いていますが、怒らない、ことを荒立てたくないからこう言っているかと思われます。

しかし好きな大河だと
「道長もモテる男らしさがありますね。こんなに口の悪い姉だろうが会話をきっちりこなす。めんどくさそうなあしらいをしたら魅力が出ません」
嫌いな大河だと
「かっこつけた演出で中身のないセリフを戦国武将が喋り散らす」
武者さんらしい二面性だなと思わざるをえません。

そしてこれも日本史の特異さとかで

そもそも君主が、まだ若いのに譲位するというのがおかしい。占いで決めるのは中世ですし、まだ“あり”としましょう。でも、この安倍晴明は買収される人物でもある。
日本史とは何か?という本質を改めて突きつけてくるような作品で凄いですね。

摂関政治は幼帝が即位し、外戚が摂政や関白として政を仕切るシステムです。後に院政となります。院政などは、譲位して上皇になってからの方が腕の見せどころではありましたね。

「占いで決めるのは中世ですし」
古代でも様々な形で占いが行われ、それによって政のあり方が決められて来ました。
そして
「買収される」
これは日本に限ったことではないと思います。またこの頃から、陰陽師が政に介入するようになったとも言われています。

そして師貞親王が冠を無理やり脱がせた件ですが、

『鎌倉殿の13人』でも、【亀の前騒動】で牧宗親が被り物を脱がされ、悲痛な声をあげておりました。

あの宗親は被り物を脱がされただけではなく、髷を切られてもいましたね。

日本最古の猫というと、諸説あって特定は難しいものですが、この時代「唐猫」(からねこ)というペットが愛好されていたことは確実です。
中国との貿易船に載せられたもので、大変珍しく、セレブの証でした。逃げたら困るため、紐で繋がれたほどです。
『源氏物語』では、この紐で繋げた猫が御簾をまくりあげ、そのせいで女三宮の姿が柏木に見えてしまう場面が登場します。
このため、日本では画題として御簾の側に立つ美女と猫が定番となりました。

「画題として御簾の側に立つ美女と猫」
武者さんが好きな浮世絵にもよく見られますね。
しかし猫に言及するのなら、やはり「命婦のおもと」についても書いてほしいものです。一条天皇の愛猫ですし。人間の女官が乳母につけられたという意味でも、かなり特殊な猫であると言っていいでしょう。

それと唐猫ですが、仏教の経典を鼠から守る役割を果たしたとも言われています。

ジェーン・オースティン『高慢と偏見』のヒロインは、馬に乗ります。この時点で彼女は一風変わっていると読者に伝わります。
時代がくだると自転車になる。
ホームズシリーズには『孤独な自転車乗り』という作品があり、あの短編に出てくる女性は自転車に乗っていました。彼女にも独立精神があるとわかった。

まひろが馬に乗ると話した件ですが、ここでまたジェーン・オースティン。しかも『高慢と偏見』が出て来るから、人物描写のことでも書くのかと思ったら馬ですが。ヒロインというのはジェインで、馬に乗って出かけたものの雨に降られ、訪問先で病気になります。

それと『孤独な自転車乗り』=『美しき自転車乗り』ですが、その当時(19世紀末)自転車はかなりのブームになっており、それが女性たちにも影響をもたらしたようです。自転車と言えば、サマセット・モームの『お菓子とビール』でしたか、ドリッフィールド夫人のロウジーが、自転車に乗るため短いスカートをはいている場面が登場します。尤も当時の感覚での短いスカートでなので、くるぶしの辺りくらいの丈です。

あとホームズに詳しいXのフォロワーの方から、その当時自転車は高価なものであったという情報をいただきました。ちなみにこの自転車乗りのバイオレットですが、要はストーカー的ないやがらせを受けて相手に立ち向かうのですね。でこのバイオレット、巨額の遺産を相続し、原作では合名会社の社長夫人となっています。

ついでながら、グラナダ版ホームズの『美しき自転車乗り』関連記事です。

シャーロック・ホームズの冒険*第4話「美しき自転車乗り」あらすじ乾燥
(いつでもドラマな毎日)


飲み物-パブのアンバーエール2
[ 2024/01/31 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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