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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第6回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第6回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


彼女は大人になったのでしょう。
自分の好き嫌いを二の次に置けるようになった。
しかし、これもなかなか腹黒い話で、まひろを信じていると告げていた源倫子側の立場になれば「私を利用するなんて、腹黒い女だ」となりかねません。
まひろもまひろで、倫子に友愛があればこうも吹っ切れるとも思えない。
つまり彼女は「目的に義があれば、手段が多少汚くともよい」ところまで吹っ切れるように進歩したのです。

このシーンですが、道長に自分の思いのたけを打ち明け、家に戻って来た直後にこう話しています。
つまりまひろに取って、今後自分が取るべき道は何であるかを模索しているわけでしょう。その後のシーンで、道長から遠ざからなければならないと彼女は考えているわけであり、彼女の今後の人生の目的は、父と左大臣家のつながりを作ることであったと取れます。
その一方で無論倫子たちに会って、文学の話をしたいというのもあるでしょう。ただそれがまひろの考えているように進むかどうかは別ですが。

中国文学の話ですが、『三国志演義』に貂蟬というヒロインがいます。
彼女は董卓に仕えながら呂布に色目を使い、嫉妬した呂布が董卓を殺すように仕向ける。
二人の男を手玉に取るため、当初は悪女扱いでした。
それが時代が降ると、貂蟬は「養父のために董卓を倒す」という動機が設定されます。
ここでのまひろも、あくまで一族のためならば手を汚すと言い切っている。
進歩したヒロインなのです。

で、なぜかというか武者さんらしいというか、ここで『三国志演義』。
別にわざわざ中国文学を持ち出さずとも、他の大河で似たような例はないのでしょうか。
そしてこの「進歩した」「進歩していない」の基準は何ですか。恐らく嫌いな大河であれば、同じような設定の女性キャラがいても、果たして武者さんが評価するでしょうか、ちょっと疑問です。

一族のためなら罪をかぶるという女性キャラが昨年の大河に登場しました。
言わずと知れた瀬名です。しかし武者さんはこの人物をカルト教祖呼ばわりし、彼女の理想に対して客観的な評価を与えようとしませんでした。恐らく『どうする家康』を好きであれば(この好き嫌いに偏った評価基準もどうかと思いますが)、瀬名を褒めちぎっていたかも知れませんね。

つまらないドラマは、登場人物たちの好感度を上げることだけを意識し、泥を被らないよう無茶苦茶な設定にしてしまうことがあります。
そういう人物像は、全く深みがなく陳腐なもの。今年はその点、安心できます。

ここでいう「つまらないドラマ」が何であるかはさておき、この人物も自ら泥を被ろうとしていたと思いますが。

どうする家康第47回茶々への手紙
『どうする家康』第47回

この「長男と三男」と「次男」という構図は、なんとも残酷な話だったりします。
というのも、他ならぬ父の藤原兼家が三男であり、長男と結託して、二男を除け者にした過去があるのです。
兄弟同士で対立し合う、骨肉の争いを息子の世代にも引き継がせるのでした。

この時代、そしてそれ以外の時代であっても、権力者の家庭というものはそうでしょう。
誰かが陽の目を見ないこともある。本人が進んでそれを引き受けるか、あるいは不本意ながらそうなってしまうかの違いはありますが。武者さん、今までかなり大河を観ているかと思いますから、時代こそ違えどそういうシーンは何度も出て来ているのはご存知でしょう。弟を殺したりする兄もいたりしますし。

自分が殺した女を知っていたのか?と弟に尋ねながら、一応は謝る。
怒りが止まらない道長は、憐れむように蔑むように突き放すように、兄上は泥を被る役目だと言い放つも、道兼は平然とした様子で答える。
「父上のためならいくらでも泥を被る」

ここで道長は、兄上には我が家の泥を被っていただかねばなりませぬゆえ、あのこと(ちやはを殺したこと)は忘れますると言っています。そしてそれは道長の意志より、兼家の意志であることを知り、道兼は父上のためなら泥を被ると言っているわけですね。

一方、霧の中、馬で竹林を走る道長にはまだまだ大いに迷いがありました。

あれ竹林ですか?ぱっと見普通の雑木林に見えますが。

『蜻蛉日記』は嘆きを綴ったものではない、前書きにも身分の高い女に愛されたと書いている――。
そう説明すると、教師役の赤染衛門も賛同します。
今をときめく右大臣・兼家に愛されたことと、その煩悩を自慢するものかもしれないと解釈します。

「身分の高い女に愛されたと書いている」
「身分の低い女性が、身分の高い男に愛された」のではないでしょうか。
そして「煩悩を自慢」ではなく、「煩悩の限り激しく生きたことの自慢話かもしれない」とまひろは言っています。

私は普段は極力、大河ドラマの話をすることを避けます。
しかし、どうしてもそういう流れになったときに、言わないでもいい蘊蓄を語ると、相手がサーッと引いていく。
もっと知りたい、興味を持たないかな?と思って話をふると、
「私は別にそういうオタク語りまでは求めてないんで」
とドアを閉められる瞬間があるのです。そのときフフフと笑いつつ話を逸さなければならなくて……。
大多数に受け入れられる話題って、美男美女に萌えるとか推しとか、あるいは恋バナとか、戦国武将のちょっといい話とか悪い話とか。
スナック感覚でつまめる軽い話題であって、ヘビーな話はむしろ鬱陶しがられるんですよね。

はっきり言います。
「言わなくてもいい蘊蓄語り」は相手に引かれるのではないかと思います。
大多数に受け入れられる云々、相手にもよりますが、別にライトな話でもいいのではないでしょうかね。でなければ、本当にディープな話ができる相手を自分で見つけてください。さほど興味のない人にしてみれば、聞きたくもない話を延々と語られるのも迷惑(ストレスのもと)だし、知識マウントとして受け止められると思いますが。

例えば以前の代筆仕事ではもっと元気だったし、一人で何か打ち込んで空を見上げるような場面では、澄み切った顔と瞳になります。
それがサロンでは、仮面をかぶっているんだな。
本当は、あそこで引き攣った笑顔などを見せず
「はーーーーー! せっかく貴重な写本があるのに読まないとかつまらない! 絶ッ対人生損しているし!」
ぐらいの本音を言いたいのかもしれない。
でも、できないじゃないですか。

代筆仕事とか一人で空を見上げる時は、まひろは基本的に1人です。こういう場合では自分の思いを通すことができますが、左大臣家では人付き合いが求められることになりますからね。
あと『蜻蛉日記』のこの時代の写本ですが、残念ながら今は江戸時代より後の物しかないと言われています。

まひろだって、当初はサロンでそれなりに楽しかった。
でも漢字の知識も、文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低いんだな。
いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる。
弟相手なら「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」と容赦なく言えるけど、姫君にはそれもできない。

「誤読」が何であるのか、例を示してほしいのですが。
あと「レベルが低い」もどうでしょうか、何だかマウント臭い書き方だなと思います。まひろはそこまで姫君たちのことを悪く思っているでしょうか。みんな書物も読めばいいのにと思ってはいるかも知れませんが。
逆にここで手加減することで、家で父に学問を教えて貰っていたものの、外の世界を知らなかった彼女が、人間関係の難しさを知って行くことになるのでしょう。

先天性のズレを抱えているまひろは、この先ずっと「生きることが苦手だな」と嘆きながら人生が続いていく。
ハァー……めんどくさい主人公ですね。そこが好きです。

先天性のズレとは何ですか。何か障害のようなものでも考えているのでしょうか。
これはまひろの性格であり、また、彼女自身が学問を子守歌のようにして育って来ている以上、たわいないトークよりも、文学をテーマにした議論の方が好きだからではないかと思われます。

「めんどくさい主人公ですね」
また「めんどくさい」それだけで片付けられるものでしょうか。大河について書くのであれば、主人公の人となりをもっと分析してみては如何かと。

五節の舞姫が舞台から下を見ると、大勢の男が並んでいる。
でもその舞姫は、実は大勢の男と契っている。
神に捧げるために舞いながら、頭の中では男との逢瀬が渦巻いている。男に都合のいいようで、実は女の方がしたたかだという話!
(中略)
風刺としてはわかります。男性が女性に清純さを求める妄想をスカッと笑い飛ばす痛快な話ですよね。
でもそれは、まひろが若い女性だからそう思うだけです。

男性が女性に清純さを求めると言うより、この当時の貴族階級は色恋沙汰が多かったこともあり、まひろもまたそういう文学の中に浸っていたこともあって、本人としては自然に出て来たものと思われます。先の『蜻蛉日記』もまたそうでしょう。別に「若い女性だから」だけではないと思います。

懲りずに彼女がまた別の案を考えるというと、誰もお前に頼まないと直秀は冷たい。
散楽を観にくる客は笑いたい。笑って憂さ晴らししたい。
「おかしきことこそめでたけれ」
と言い切られます。

この時貴族の戯言とも言われていますが、散楽一座にしてみれば、その貴族たちを笑い飛ばすことで、日頃の憂さを晴らしたいと思っているから当然でしょう。以前直秀が飲みに行かないかとまひろを誘い、乙丸に姫様いけませんと言われて、姫様じゃ仕方ないと言っていましたが、この時も似たような感情を抱いたのかも知れません。

直秀は一座の仲間から「惚れているのか?」と問われ、明日をも知れぬ身でそれはないと否定します。
おかしきことこそめでたけれ――まひろはそんな極意を掴みました。
なかなか興味深い作品論ですね。作品の中に作品論を入れ込むなんて、実に高度。

文学をテーマにしているわけですから、それは当然だと思います。戦国大河が戦術を入れて来るのと同じようなものでしょう。

私も楽しみにしているNHK夜ドラに『作りたい女と食べたい女』があります。
この作品では、男尊女卑思想を振り翳し、自分に対して冷たかった父親から祖母の介護を押し付けられそうになった女性が、それを突っぱねて父と絶縁するという場面があります。
この流れがスカッと爽快に描かれるわけです。
けれども、彼女の父からすれば究極の親不孝です。
こんな親不孝娘を痛快に描いてどうするんだ!と誰かが反対したら、通らなくなりますよね。
だからこそ、放送されることそのものが、挑戦であり進歩なのだと思いました。

また『作りたい女と食べたい女』。
よほどお気に入りなのでしょうか、『大奥』が終わったらこれですね。
ただ大河とこれとは、直接関係はないと思われます。ならば別コラムでやっていただけないでしょうか。そして
「こんな親不孝娘を痛快に描いてどうするんだ!」
誰かがこうコメントしたのでしょうか。それを裏付けるものはあるのですか。

まあ私はこれを観ていませんが、同じ同性愛(男性)で食べ物メインの『きのう何食べた?』はすべて観ています。

同じプロットでも、受け手によってはまるで違う意味になる。
作り手がそこに過剰に忖度したり、偏った層ばかりだと、ワンパターンになってしまうということでもある。
そもそも今年の大河は「戦もない異色の題材」とされます。
なぜ異色とされるのか?
日本の歴史はこれだけ長い。
それなのに特定の時代や地域だけに偏るとすれば、そのほうが偏見あるのでは?
むしろ、そこを打破していく一手がこのドラマの挑戦では?

まず主人公の知名度というのがあるし、地元の要請というのもあるでしょうね。偏見だけではないはずです。レアな時代だと、考証も大変でしょう。
そして「戦もない異色の題材」とありますが、同じ時代でも他の地域では戦が行われていたりしています。寧ろ日本史上、江戸時代と第二次大戦後を除けば、戦が行われているのはぞう珍しくありません。この場合「戦をする武士がメインでない」から異色とされているのかと思います。
尤も私は、武士や戦も観たいから、今年も『どうする家康』や『軍師官兵衛』を観ていますが。

そして
「それなのに特定の時代や地域だけに偏るとすれば、そのほうが偏見あるのでは?」
と言うのであれば、武者さんも何か企画してみてはどうですか。

本作に対するアンチな意見として、「テーマがない」とか「何を言いたいのかわからない」という趣旨のものを見かけます。
そうした意見を出す人はどういうタイプの人なのか?
まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。
女性の苦労を全くわかっていない人には、そのことを訴えても通らない。
そういうことが社会においてどれだけ弊害であるか。
たとえば被災地の避難所を仕切る人が男性ばかりだと、女性用品の配給が滞る、性犯罪予防が疎かになるといった弊害があります。

アンチな意見というのもいくらでもあるものです。
現に貴方、昨年はアンチな意見ばかりでこのコラムを埋めていましたよね。
そして大河と、時代背景があまりにも違う一般社会の問題を同列に論じるのもどうかと思います。まひろのもやもやは、女性だからと言うより、下級貴族の家に生まれ、上級貴族と渡り合って行かなければならない、そのためには我慢できないことも我慢しなければならない、そういうものも含まれているでしょう。
それと被災地云々、ならばその裏付けとなる記事なり何なりを貼ってください。

何よりも嫌いな大河やエンタメ作品には偏見丸出しと言っていい武者さんが、このようなことを言うのも如何なものでしょうか。

すっぽんの甲羅を持参した兄の藤原斉信が、煎じて飲むようにと言うと、何も喉を通らないと返す忯子。
斉信としては奮発したのでしょう。
お高い漢方の薬剤です。いい医者に頼んだんだぞ。わざわざ手に入れたんだ!
そうしたモノで愛を示そうというのだろうけれども、忯子からすれば、もう飲めないのだからありがたいのかどうか。
それでも斉信は、元気な皇子を産んでいかねばならないと残酷なことを言う。
「実はお願いがありまする」
斉信の本題はこの話だったのでしょう。出産のため里に下がる前に「斉信は使える男だ」と帝に囁いて欲しいとか。帝のよき政には兄のような若い力が必要だってさ。
(中略)
高い薬があればいいわけじゃないんだってば! まずは彼女のことを第一に気遣いなさいよ。

この時斉信は、
「我が一族が頼みとするは女御様しかおられない」
と言っています。そのために高価な薬を持参し、少しでも元気になって貰い、自分のことをそれとなく帝に売り込んでほしいと頼んでいるわけです。
単にわざわざ手に入れたと見せびらかしているわけではありません。
それと「元気な皇子を産んでいかねばならない」
「元気な皇子をお産みいただかねばなりませぬゆえ」
ですね。娘や姉妹の入内というのはそういう目的もあり、それは兼家に取っての詮子も同じでした。

あと「必要だってさ」
武者さんこの「だってさ」「だってよ」も好きですね。

道隆が、優雅にそう言い放つと、貴子の合図で女房たちも下がってゆきます。
このドラマはクズ男にせよ、モテ男にせよ、解像度が実に高い。こんな夫婦を見せつけられたら、そりゃあ道兼も歪んでしまうのかもしれない。

「しみわたるのう」と道隆が言っているわけですが、嫌いな大河だと「へべれけオヤジ」などと武者さんは書くのかも知れません。そして解像度が高い云々、どの大河でも似たようなものだと思うのですが、これまた嫌いな大河だと、わかりにくいだのなんだの書くのでしょうか。(ちゃんと観ていないだけかと思いますが)

明日の夜、藤原公任、藤原斉信が、藤原義懐の屋敷で会う予定だとか。
義懐は若い貴族を懐柔し、その父もろとも帝一派に組み込むのが狙いのようで、道隆は素早く情報を分析します。
道長が呼ばれていないのは、右大臣家排除のたくらみだと理解して
「斉信はわかるが公任まで……」
と呟く道隆。義懐が、斉信と公任を懐柔する様子が見られます。

ここのシーンですが、まず行成が義懐の企みを道長に打ち明け、この時道長自身が
「右大臣家の排除ということか」
と口にしています。その一部始終を聞いた道隆が、
「斉信はわかるが公任まで誘いに乗ったのか」
と言っているわけですが、武者さんの書き方だと、道隆が右大臣家排除の企みだと理解しているように見えます。しかし「情報分析」て、諜報部員みたいですね。

あと義懐が出て来るシーン、懐柔するというか、宴席を設けて皆に酒を振舞っているわけです。ただ、義懐と惟茂だけが特に浮かれ、公任は乗り気でないように見えますが。

飲み物-注がれるワイン
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[ 2024/02/14 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第5回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第5回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。結局今年のこのコラムも、最終ページは嫌いな大河叩きの比重が大きくなりましたね。


この文が直秀経由で届けられ、まだ呑気な乙丸に対し、いとは苛立っています。下人からの手紙だと聞くと、いとは聞かなかったことにします。

「まだ呑気な乙丸に対し、いとは苛立っています」の意味がよくわからないのですが。

この時乙丸は手紙をいとに渡して、まひろに届けて貰うという方法を採りませんでした。いとがまひろの乳母でなく、惟規の乳母だと思ったから、自分で直接渡したと言ったわけで、そのためにいとが怒っているのですね。そこをさりげなく「下人からのものからだったので」と取り繕い、いともでは聞かなかったことにすると言ってその場が丸く収まるわけです。で、まひろはいとに気づかれることなく、道長の手紙を読むことができました。

満月の夜、道長が馬で移動していると、その背中に直秀が乗ります。為時の屋敷にまひろはいない。六条に迎えと告げるのでした。

あれは満月の夜ではなく、日が落ちかけた頃でしょう。しかもただ馬の背に乗ったのではなく、まず築地の塀を踏み台のようにして馬の背に飛び乗り、道長を脅すようにして、六条に向かうように言っています。

それと「迎え」は「向かえ」でしょうか。

命を削ってでも成し遂げ、この国の未来は我らが担うとふてぶてしく宣言する兼家です。
この兼家は、正親町天皇に対する織田信長以上に態度が傲慢に思えてきます。一体なんなのか?
それにしても、光の使い方が抜群にうまいドラマですね。

武者さん、嫌いな大河を引き合いに出さないので代わりに書いておきます。
『麒麟がくる』の正親町天皇に対する信長のみならず、

『どうする家康』の足利義昭に対する信長
『平清盛』の後白河法皇に対する清盛

にもいくらか共通したものがあるかと。権威に対する権力者のイメージですね。

そして光の使い方、別にこの大河だけではありません。
武者さんは嫌でしょうが
『どうする家康』のこのシーン、家康が信長を討つことを家臣に打ち明けるわけですが、灯明皿で全体的に暗い雰囲気で、如何にもものものしさを感じさせました。

どうする家康第26回家康の決意
『どうする家康』第26回

花山天皇の寵愛する藤原忯子のことであり、やつれた彼女に呪詛は効きそうだ。
実際に呪ったかどうかはさておき、兼家の悪意がますます際立つ。円融天皇に毒を盛ったことに次ぐ、悪意の増幅があります。
忯子も気の毒としか言いようがありません。
帝に愛されることは、当時の女性にとって最高の幸せであったはず。
それがこうも肉体を痛めつけられ、呪われるとは……。

弘徽殿の女御のことですが、この当時一族をさらなる高みに押し上げるには、このくらいのことはしたでしょう。忯子が帝の寵愛を受けるということは、兼家に警戒心を抱かせることに他ならなかったわけです。もし皇子を産むようなことがあれば、懐仁親王は東宮でなくなる可能性が高く、その意味では是非とも、彼女の出産を阻止しなければなりませんでした。
これを単なる悪意と言えるかどうか。寧ろ怨念のようなものを感じます。

そして道長がまひろの話を聞き、帰宅して兄道兼につかみかかるシーンです。

咄嗟に兄につかみかかり、几帳ごと倒す。烏帽子まで脱げるほどの暴力ですが、殴られた道兼には不可解な思いがありました。
「父に告げたのは道長ではないのか?」
またミステリが増えます。密告したと思っていた道長は違った。道兼の従者は殺された。では目撃者は誰なのか。
兼家はそれに答えず、我が家の不始末を始末せねばならなかったと言います。
道兼はそのうえで、道長が原因だという。器量の小ささを揶揄されて苛立ったから殺したのだ。

「父上に言ったのはお前ではないのか?」ですね。
で道兼ですが、あの時当時の三郎が父に密告したのかと思っていたわけです。でもそうではなかった。そして従者の件ですが、この時の道兼のセリフには出て来ませんね。確かにあの従者も事件を目撃していたため始末されたのですが。

そして「器量の小ささを揶揄されて苛立ったから殺した」では、まるで揶揄した相手(この場合は三郎)を殺したようです。そうではなくて、むしゃくしゃして馬に乗り、しかもまひろが目の前に急に現れたため、バランスを崩して落馬し、さらに従者が余計なことを言ったため、頭に血がのぼり、この際、何の過失もないはずのちやはを殺めたのですね。

「道長にこのような熱い心があると思っていなかった!」
個性豊かな我が子をとことん利用し尽くす、邪悪な父の笑いです。
道綱への言葉でもわかりますが、使えない奴ははなから期待しない。道長に利用価値があえるとみなしたからこそ、笑ったのでしょう。
悪の黒幕はこの男です。

「個性豊かな我が子をとことん利用し尽くす、邪悪な父の笑いです」
何度も書いていますが、兼家もまたこの世界で生き残るための策を弄していると言えます。そしてお前にこういうところがあるのなら、お前も使えそうだなと言っているわけですね。このような家に生まれたからには、その覚悟をしておけというところでしょう。

そして漢籍なのですが(西晋の左思の『詠史八首』のうちの其六です)

貴き者は自ら貴(たっと)ぶと雖(いえ)ども
之(これ)を 視(み)ること埃塵の若(ごと)し
賤しき者は自ら賤しむと 雖(いえ)ども
之(これ)を重んずること千鈞の若(ごと)し
貴族は自分を尊いと思うが、
彼からすれば塵芥としか思えない。
賤しいものは自らを賤しいものとするものの、
彼はそんな人々のことを千鈞の重みを持つものとして大事にした。

富んで身分が高い者は、自分自身を尊いと思ってはいるが、
荊軻にしてみればそのような者は、塵や芥のようなものだ。
また身分の低い者は、自身を卑しいと思っているが、
荊軻にしてみれば、彼らにはとてつもない価値があるため重んじた。

「彼」は荊軻(秦王を暗殺しようとした刺客)のことなのですけどね。

直秀は、荊軻になりたくてなれない、そんな世の中の外にいる壮士の気風も感じさせます。
まひろが彼に「身分なんてどうでもいいと思わないのか?」と問いかけたのは、そんな何かを感じ取ったからかもしれません。
変えたい気持ちがあるけど、そうはできない。そんな世にある空気をまひろが掬いとり、刃ではなく筆で切り付けるとすれば、それは革新的なことに思えます。

この直秀はアウトロー的ではありますが、暗殺者になりたいのかと言えば、それもまた違うような気がします。何度も書くようですが、同じ毎熊さんが昨年演じた大岡弥四郎の方が、寧ろ反骨心という意味ではそれに近い気もします。まあ、こちらは武田に通じてしまっていたわけですが。

そして変えたい気持ち云々ですが、何だか革命幻想といった感じですね。一応『源氏物語』は『伊勢物語』からヒントを得たとは言われています。

そして「誠意ある創作を求める」とあり、

大河ドラマを主に見ている自分としては、ドラマ制作における誠意の問題のように思えます。
(中略)
大河ドラマは過去の歴史を描きます。
ではそんな問題提起を排除していいのかというと、そういうことではないでしょう。

とあります。「そんな問題提起」というのは、その前に武者さんが現代ドラマを引き合いに出し、「ドラマ化することで問題提起し、楽しめるだけでなく、社会を良い方向にできれば素晴らしいことです」と主張していることに端を発しているのですが、とどのつまり、好きな大河をほめて嫌いな大河をけなすことに終始しているようにしか見えません。

特にひどいのがやはりと言うか、昨年あらすじすらろくに書かなかった『どうする家康』。ここを見る限り、昨年のこのコラムと何ら変わるところはありません。例によって某週刊誌の記事のみを基にしたバッシングが延々と続きます。しかも同じような表現が何度も出て来る。

番組制作の裏側が放映され、主演が脚本に意見を述べるシーンが流されるほどで、文春砲を否定するどころか、その内容を補強してしまうような状況もあった。

『もうひとつのどうする家康』ですか?今後の展開についての古沢さんと松本さんの打ち合わせですね。

脚本家も「歴史はフィクション」だと言い切ってしまう。自分の創作センスが大事で、史実はむしろ邪魔だと言いたげなことを語っておりました。

『歴史は勝者の記録』とは言っていましたけどね。あと史実で言うのなら、『光る君へ』でまひろと道長が出会うのも、もちろん史実ではありません。時代考証の倉本氏のコメントです。

「あまりにも史実に反しているストーリーはやめてほしいと考証会議で言っているのですが、受け入れてもらえない場合のほうが多いので、一応言うだけ言ってはおくという立場を取っています。史実がどうだったか分からない部分を創作するのは自由ですが、史実が分かっているにもかかわらず、それに反した描き方をするというのは良くないですからね」
(東大新聞オンライン)

「ドラマとは違い、史実ではふたりの出会いははっきりしません。道長と紫式部の父為時が親しかった可能性はあります。為時からうちの娘は賢いと聞いていたかもしれませんが、あくまで臆測です」

(serai.jp)

そしてこれも置いておきます。

もっと真面目にドラマ作りと向き合うことをして欲しい。
ドラマを作る人を守るためにもそうあって欲しい。切実にそう願っています。

その、真面目にドラマ作りをやっていたであろう人を、ゴシップネタを基に散々けなし、守られるべき製作スタッフやキャストを攻撃するようなことを書いていた武者さんに、このようなことを言われても全く腑に落ちません。
貴方がするべきことは、2021年と2023年に自分が書いたことをもう一度省みることでしょう。

はっきり言って、この家康叩きが書かれている5ページ目の大半は必要なのかとさえ思います。

ちなみに私は今年も『家康』の録画を観ています、あと放送から10年ということで『軍師官兵衛』も。やはり武士や戦も観たくなりますから。

飲み物-2種類のカクテル
[ 2024/02/08 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

寒さが続きますね、どうぞ皆様お気をつけください。では第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず本題の前に、先日分の投稿の引用部分で「藤和兼家」とありました。もちろん、「藤原兼家」のことでしょうが、こういうのも気を付けてほしいものですね。

姫君の衣装が美しい。襲(かさね)の色合いがどうしてこんなに可愛らしいのかと見惚れてしまいます。
平安時代って、知れば知るほどこの時代に生きていなくてよかったなぁと思えるほど、実は過酷な時代。
それでも憧れを持ってしまうのは、まさにこうした繊細な美しさにあるのでしょう。

「繊細な美しさ」などと書くのであれば、襲の例くらいあげてほしいと思います。

色彩と文様
(日本服飾史)

尚私が『どうする家康』の千姫を例に挙げて、菊重ねについて書いていますが、これは紫と白もあるとのこと。 

それにしても同じ人が、昨年は登場人物の衣装の色を、スイカバーだ焼き芋だと言っていたのですね。

「すごーい! まひろさんは漢字がお得意なのね」
「一枚も取れなかった」
そう上品に笑う姫君たちを前にして、やりすぎた己に気づくまひろ。どこまで面倒くさいのか。

だから何が「面倒くさい」のでしょうか。
空気を読めないことが面倒臭いのですか。何とかのひとつおぼえのようにも見えてしまいます。

ここで檜扇を操りつつ、ふわふわと笑う倫子の愛くるしさは何なのでしょう。空を飛ぶ蝶々か、花びらのような軽やかさがあります。
何かと重いまひろとは正反対のようにも思えます。

倫子とまひろは正反対と言うより、何か一脈通じるものがあるのではないでしょうか。逆に倫子がそれを見抜いているからこそ、楽しそうにしているようにも見えるのですが。

平安貴族の貴公子たちは、関白・藤原頼忠の屋敷で休日でも漢籍の勉強をしています。
今日は『孟子』「公孫丑上」。
公任がスラスラと読んでいます。

で、ここまではまあいいのですが、その次にこの「公孫丑上」の読み下し文と現代語訳があります。これだけで30行ほどになります。
こういうのは読み下し文、現代語訳どちらかでいいのではないでしょうか。一応ここでは現代語の方だけを置いておきます。

孟子が言った。
「人には皆、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるものだ。
古代の聖王は、人の不幸を見過ごせない気持ちをみな持っていたのである。
だからこそ、人の不幸を見過ごせない政治ができたのだ。
人の不幸を見過さぬ気持ちを持ち、人の不幸を見過ごせぬ政治を行えば、天下を治めることは、手のひらに玉を載せて転がすように簡単にできる。
人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがある。それはどこからくるのか。
もし目の前で、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たとする。これはいかん、大変だと誰だって助けようとするだろう。
それは幼児の親に恩を売ろうと思ってするわけではない。
近隣のものや友人に褒められたいから、そうするのでもない。
幼児を見殺しにしたと悪評が立つと嫌だからそうするのでもない。
遠慮し、人に譲る心を持たぬ者は、人ではない。
善悪正邪を見分ける心がないものは、人ではない。
人の不幸を見過ごせない心というものこそが、仁のもとである。
自身の不善を恥じ、他人の不幸を憎む心こそ、義のもとである。
互いに譲り合う心は、礼のもとである。
善悪正邪を見分ける心は、智のもとである。
人がこの四つの萌芽を持つことは、両手両足があるのと同じことだ。」
性善説です。

このように知識を仕入れることと、実践の間には距離があり、平安時代の政治は民を重んじているかというと、なかなか厳しいものは感じますね。
積極的に戦乱を起こさないと言う意味では、確かに平和ではありますが。

儒学を学んだからと言って、それが民のためになるかどうかはわかりません。実際に民のためになろうとするのであれば、当の民と実際に触れ合う必要があるでしょう。尤も道長の場合は、散楽がひとつの目的ですが。

あと「積極的に戦乱を起こさない」はどうでしょうか。戦国時代も飢えをしのぐために領地を巡ってせめぎ合っていますし、この時代は戦をしようと思わずとも、外国から侵略されてしまうこともあります。さらに言えば、戦乱はなくても政変は起こっていましたね。

大河ドラマ『麒麟がくる』では、こうした儒教の教えを初回で主人公が実践していました。
火災があり、その中に子どもが置き去りにされた。もう前後のことも考えずに飛び込んで助ける光秀。
その姿を見て、かつて己も燃え盛る家から救い出された駒が「麒麟がくる」と語る。
光秀は孟子が説く教えそのものの行動を咄嗟に成し遂げたからこそ、駒は「麒麟」を連想したのです。
あの場面はカッコつけだのハリウッド映画だのなんだの言われましたが、孟子の言うところの性善説を端的にまとめたものでした。

仮に性善説を知らなかったとしても、火事に遭った家の子をそのまま放っておくでしょうか。
もっと言えば、災害に遭った地域の人々を、そのままにしておくでしょうか。
そしてあのシーン、確か光秀ではなく、取り残された女の子ウメの父親も手助けしていますね。そしてこの時駒は、自分も子供の頃火事に遭い、知らない人(武士)が助けてくれたこと、その人物が麒麟を連れてくると言っていたと話しているわけですが、これだとまるで、駒自身が麒麟を連れてくると言っているようです。

あとこの『麒麟がくる』第1回のあらすじと感想で書いていますが、『功名が辻』でも、一豊が千代を火の中から助け出しています。
『青天を衝け』でも栄一が、自らが火の中に飛び込んだわけではないけど、関東大震災で被災した人の救援を提案していました。「ワシのような老人はこんなにいささかなりとも働いてこそ、生きてる申訳が立つようなものだ」と栄一が言っていましたね。

町田啓太さん扮する公任が、澱みなく、スラスラと漢籍を読み上げます。素晴らしいですね。
秀才そして知られる公任。町田さんは台詞に出てこない箇所まで覚えたと嬉しそうに語っていました。
長谷川博己さんも、光秀の行動原理を深く理解するために儒教の関連書籍を読んでいたそうです。
学ぶ姿勢が、演技を磨き上げ、ただでさえ美しい姿を一層深みのあるものにします。公任が美しいのは当然ですね。

その町田さんや長谷川さんのコメントの出どころはどこですか。それをちゃんと書いてください。先日もCPのコメントの記事を貼っていませんでしたね。

しかし好きな大河だと出て来る俳優さんにも優しいですね。そして「演技を磨き上げ」とありますが、それが具体的にどのように磨き上げられているのか、ドラマを書くことでお金を貰っているのなら、そのくらい指摘できないでしょうか。
そしてこれだと、武者さんが嫌いな大河では誰も学んでいないような言い方ですね。松本潤さんは、家康になりきるために体を絞っていたのですけどね。

そして、このドラマの楽しみ方を見出しました。
光源氏探しです。
登場人物の理想的な部分をつなぎ合わせていくことで、光源氏をカスタマイズしながら作り上げていくのです。
教養は公任。
筆跡は行成。
要領の良さは斉信。
気品は道隆。
屈折は道兼。
愛嬌は道長……なかなかおもしろいんじゃないでしょうか。

それですか。
いえ貴方が全く個人の趣味でこれを書いているのならそれもありでしょう。しかし歴史系ライターなのに、この4人の生い立ちや今後についての説明は一切なしですか?
このコラムは、貴方の遊び場ではないと思うのですが、いつ見ても、真剣にドラマの背景や人物をとらえているようには見えないのです。それで報酬貰えているのですね。

そう兼家のように道長に言いたくなるのは、あまりに個性的な悪筆だから。字が下手だと台詞にもありましたが、史実の道長もあまりに癖が強い字を書きます。

字が下手だと言いながら画像すら貼らないのですね。月岡芳年の絵は張っているようですが(苦笑)。
別に下手ではないと思います、特徴のある字ではあり、また表記方法そのものにも特徴がありますね。

Michinaga_diary.jpg
(Wikimediaより、御堂関白記)

一方で藤原行成は日本書道史のレジェンドです。
そんなレジェンド行成から癖が強すぎる道長まで、字を再現する根本知先生は大変だと思います。

せっかく藤原行成が出て来ているのだから、三蹟くらい書きましょう。
そして色々な字を書き分けるのが、大河の書道指導の方の務めだと思います。

今年の大河は書道に気合が入っています。
文房四宝こと筆・墨・硯・紙まで、特殊で高いものを用意していて、この文房四宝の質感だけでも見ていて眩しいほど。美しい場面が続きます。

多くの大河では、登場人物は字をしたためるものであり、それぞれの作品に於いて、それぞれのやり方で書道に力を入れていたと思います。今年に限ったことではないでしょう。

そして「特殊で高い」と書かれていますが、具体的にどのような品のことをさしているのでしょうか。端渓の硯とかですか。

さらにまひろの硯は携帯用でも家要でも、それほどではなかったかと思います。自分で「貧しい」なんて書いてますよね武者さん。寧ろ評価するのであれば、それぞれが身分に応じた物を使っていること、そして代書に紙でなく板を持って来た麻彦のように、紙は高額で、庶民にはなかなか買えなかったという点の考慮などでしょう。

しかし為時が知りたいのはそういうことではない。年頃ゆえに、東宮の妃となってもおかしくない。一体どういうお考えなのか?
すると、まひろの猜疑心が発動します。嗚呼、めんどくさい。
兼家様に頼まれたのか、間者にしろと言われたのか?と父を問いただします。

貴方「めんどくさい」このコラムでもう何回使っていますか?
父にこう訊かれて、自分が土御門邸に行ったのは別の目的だったのかと感じ取る、その辺りの勘の鋭さはあるかと思います。

まひろはここで割り切ります。そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ!
父の言葉に納得もあるんでしょうね。楽しいことはそうだし、メリットはある。

「そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ」
一々面倒臭がる、あるいは気持ち悪がる武者さんの方が、如何なものかと思うのですが。

そして倫子様に気に入られるようにすると、キッパリと言い切るのでした。
とはいえ、内心父への軽蔑が高まったのか。
一人、母の遺品である琵琶の前に立つ時の白い顔は、憤怒がふつふつと滾るようにも見えます。

涙を流しているのを見ると、やりきれなさはあるでしょうね。彼女が、自分で嘘をつくことの罪悪感を初めて乗り切らなければならない、関門のようにも見えます。

このドラマは、まひろと道長の恋愛で焦らしているように思える。
けれども、そうなのでしょうか?
もしかして二人とも「困っている人を助けたいんだ!」という惻隠の情で動いていただけであり、恋をしていないのではありませんか?
この読み違いは前述した『麒麟がくる』でもありました。
光秀が駒を助けたものだから、この二人に恋愛フラグが立ったと誤解した視聴者がそこそこおりました。
光秀は親切心です。確かに駒は淡い恋心を光秀に抱いていたものの、それよりも人助けに生きがいを見出すようになる女性でした。
なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか。

互いに氏素性が知れないまま出会い、別れて会えなくなった同士が再会して、さて今後どうなるのかと言ったところでしょう。
そしてまた『麒麟がくる』ですか。
「なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか」
などと好きな大河では書いておきながら、嫌いな大河だとエロだのミソジニーだの連発しまくりですね。しかもドラマそのものを分析的に観ているようでもないし。また恋愛フラグを立てる立てないは、人それぞれだと思います。

やはり、まひろは何かおかしい。
三郎がいなくなって大丈夫かと気にしている。けれども直秀から無事を聞かされても、喜ぶどころか猜疑心全開にして太郎を使って調べようとする。
その太郎に、妖怪かどうか確認したいと言う。

「太郎を使って」まひろは父親から外出を止められ、乙丸が監視しているわけですが…これ書くの何度目でしょう。
「猜疑心全開」無事だと知ったから、あの人にまた会えるだろうかと思った。
「妖怪かどうか確認したい」太郎が、姉上の三郎は幻じゃないの?鬼とか悪霊とか怨霊とかさと言ったから、そうであるかどうか確かめたいと言ったのではないでしょうか。実際会ったり会えなかったりしていますし。

これが恋をする若い女性の言動なんだろうか……。なんなんだ、本当になんなんだよ!
だいたい「謎の男」というタイトルも妙です。逢いたい相手を謎呼ばわりってどこか変ですよ。
(中略)
なんかこう、私はこういうの好きじゃないというオーラがじわっと滲んでいるというか、理解できていないというか、“かわいい若い娘”という仮面をかぶっているというか。
まひろって、実はガチガチの理詰めで、恋するままに動けない性格なのではありませんか?
周囲から学び、空気を読んでふるまおうとしているけれども、実は何かがずれているのかもしれない。

別にかわいい娘のふりをしているわけでもなく、ありのままの自分を出していて、でもそれでいいのだろうかと戸惑っているように見えます。大人への第一歩でもあるし、それこそ貴方が好きな漢籍も読んでいるから、ちょっと違ったものの考え方をするようになるのでは。

まひろのこういう性格って、イギリスの女性作家であるジェーン・オースティンも思い出します。
恋愛小説の名手として知られ、英語圏の教科書には掲載常連、国民的作家です。
けれども本人は恋愛をした情熱的なタイプでもなく、皮肉屋で理知的です。
恋愛小説にせよ、流行しているものを自分流にアレンジして皮肉って書いてやるような動機があります。
オースティンのヒロインはなかなかひねった設定です。書簡集を読むとものすごく嫌味なことを書いているとも思える。
そういう皮肉屋だからこそ、見えてくるものがあるのかなと。

ここでジェーン・オースティンですか。
ではその作品を一つ挙げて、どう皮肉屋でどう理知的なのか、そしてどういった作風にそういう彼女の特徴を感じるのか、きちんと書いてくれませんか。映像作品でもいいです。
私は、『高慢と偏見』の、コリン・ファースが出演したBBCのを観たことがあります。イギリスの階級社会は、ああいうものかと思いましたね。イギリス海軍好きな方の一押しでした。

ひねくれたヒロインって実にいいですね。もう本当に変なヒロインです。

逆に失礼な気もするのですけどね。「変な子」という先入観ありきでまひろを見ていませんか。

さて、以下は余計なことながら。
視聴率が低いこともあり、早速叩き記事が出ています。
◆『光る君へ』第2話で視聴率ダウン! まひろ(吉高由里子)の恋愛描写メインで高齢視聴者が大量離脱(→link)
◆NHK負のスパイラル…『紅白歌合戦』『光る君へ』“低視聴率”続きで予算削減へ(→link)

武者さん、昨年は自分が同じことをやっていましたよね。
「ワースト2位の大駄作」だの「ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに」だの。

で“事情通”なる人物が、シニア層が混乱する、役者に魅力がない、そして源氏物語の世界観を大河でやるのは難しいと言ったことを話しているようですが、それに対して。

「事情通」とは、誰でも自称できるし、資格もなにもないところがポイント。
ライター本人が書いているという可能性もあります。

あれだけ「文春砲」を何かのように引用して来た武者さんに、情報の胡散臭さを言われても正直どうかなと思います。

ましてや下地となる『源氏物語』が男と女のまぐわいが中心の恋物語。
まぐわいって……『源氏物語』はそういうものでしょうか。
国民的古典を学ぼうという好奇心や知識欲はないのでしょうか?
「恋愛描写が多いからつまらん」というのも、納得できかねますし、藤原の多さに困惑しているという指摘も甘えではないでしょうか。

少々きわどい言葉ですが、確かに「まぐわい」の要素はあるでしょう。
そしてその人は、別の古典に関心があるかも知れないのです。恋愛描写、おなじ一族で同じ氏が出てくるのも、人によっては受け入れられないこともあるかも知れません。
問題は、なぜこのような例をわざわざ挙げて、私が言うことは正しいと主張せんばかりのことを書くのかです。
こういう見方もあります程度に書いておけばいいのでは?
武者さんがすべて正しいわけではないし。

同じことを女性が言おうものなら「このバカ女」となりそうなのに、なぜ中高年男性は当然の如く、こんな威張った調子で言うのか。世間はそれを許すのでしょうか?

そして必ず
「同じことを女性が言おうものなら『このバカ女』」
貴方は常に中高年男性に対して臨戦状態ですね。

そして結局『光る君へ』も結局は、『どうする家康』の叩き棒にするようです。

2023年のように、徳川家康の生涯において、側室オーディションやら、お手つきやらクローズアップすることこそ、余計な恋愛描写(ろくに恋すらしていない、正しくは性欲描写か)だと私は思います。

両方の大河の関係者に失礼だと思いますけどね。
そして『どうする家康』の「性欲描写」て何ですか?具体的に書いてください。
さらに言えば、お万の「お手付き」は実話と言われています。

そして感じたのは、以下の記事にある「カスハラ」です。
◆「よかれ」と思って無自覚カスハラ 気をつけたい「中高年男性」(→link)
「よかれ」と思い、いい事してやったと語っている記事なのだろうなと。

「『よかれ』と思い、いい事してやったと語っている記事」
これもまんま武者さんのような気がして仕方ないのですけど。
貴方の昨年のジャニーズ叩き、しかも関係のない所属俳優やタレントへの姿勢は正にそれでは。

何度でも言いますが、「戦! 戦国! エロい女!」の2023年は「シン・大河」どころか、記録的大失敗、「惨・大河」になりました。従来の読みは通じません。

しつこいですね。
「記録的大失敗」の根拠は何ですか。
「シン・大河」なんて公式は使っていませんよ。
こう書かないと気が済まないのでしょう。結局何も観ていませんね。もう少し丁寧に観ていたのなら、まだ建設的な批判ができたのでしょうが、最初から叩き目的だから本当に同じことの繰り返しですね。

視聴率は低いが、鑑賞者は多い――再放送希望も多いのか、異例の一月での1、2回再放送もありました。
◆録画にネット視聴、実は見られていた「光る君へ」…演歌冷遇・受信料宣伝の「紅白」はそれでも過去最低(→link)
私も以前から思っていたことです。
海外では視聴者数または視聴回数で評価します。そういう過渡期の作品なのでしょう。
今年は「視聴率は低迷する」と覚悟の上で作っていると思います。
しかし現場の士気は高いようです。

これは昨年も、そして一昨年も同じではないでしょうか。
そして一昨年までは
「(世帯)視聴率は古い」
なと言っていただけど、今回は
「過渡期」
ちょっとトーンダウンしているようですね。
あと「現場の士気は高いよう」なら、それを裏付けるものをお願いします。
そして昨年も一昨年も、確か2回分か3回分の再放送をやっていなかったでしょうか。
こういうのも嫌いな作品なら、番宣だと叩くのでしょう。

それから余談ですが。
昨年武者さんは『大奥』と『麒麟がくる』のディレクター、大原拓氏の演出を褒めて眼福だと書いていたことがあります。しかしこの大原氏は、武者さんが好きでない『軍師官兵衛』のディレクターでもありました。その後しばらく経って大原氏のことはコラムから消えました。あるいは「官兵衛」もやっていたことに気づいたのでしょうか。
ちなみに大原氏が演出を担当した回には、宇喜多直家が織田に通じた者を毒殺したり、勝手に戦線離脱をした秀吉が、信長に疑われないように乱痴気騒ぎをしているシーンもありましたね。武者さんが眼福と喜ぶようなシーンでは、恐らくなかったかと。


飲み物-トディ
[ 2024/01/25 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

福岡城関連記事を2つ

先日福岡弁関連でご紹介したブログですが、最終更新日が2023年11月11日となっています。つまりブログ内容は、比較的最近のものと言えるわけで、当該投稿に加筆しています。

で、この福岡弁関連でちょっと調べていて、こういうサイトを見つけました。サイト名そのものはご存知の方もいるでしょうし、この記事を以前目にした方もいるかも知れません。実は私もそうなのですが、まだこちらでご紹介していなかったと思いますので、リンクを貼っておきます(短縮しています)。

福岡城と筑前城郭展
(武士道美術館)

こちらの記事、もう10年以上前になりますが、「福岡城と筑前城郭展」について書かれています。まず、このブログでも『軍師官兵衛』関連番組で、以前ご紹介したことがある母里忠一さんで、著者の太田氏によれば、母里市兵衛忠一先生と紹介されています。この時は柳生新影流兵法についての説明が行われたとのこと。

そして筑前城郭研究会の会長、小田原早嗣先生。
こちらはお城のジオラマを8年かけて手掛けた方で、しかも単なるジオラマでなくインテリアにもこだわり、襖絵や庭木、そして茶室まであるという念の入れようです。また福岡城のみならず、筑前六端城まで作られており、並々ならぬ「お城愛」がそこに窺えます。もちろんきちんと資料を調べ、畳のサイズも正確に割り出されているようです。

ところで記事中に「福岡には現在、『城』がありません!」とありますが、建築物があまり残されていないと言うのが、あるいは正しいかなと思います。一部の櫓は残っているわけで、それを鴻臚館と共に史跡公園として残すため、かつて50近く櫓があった福岡城のイメージを伝えるために、もう少し復元しようとなったわけですね。尤もこの2013年2月時点では公式な発表がまだなく、あるいはこの展示を見た方から、何らかの要望があったのかも知れません。

あと株式会社日立ソリューションズのサイトに、こういう記事がありました。こちらは、どちらかと言えばビジネス視点で、黒田父子と福岡城の歴史に関してのものです。

福岡城|城のストラテジーリターンズ

ところで先日ご紹介した潮見櫓、本来は短期整備内容(2019年頃まで)に入れられていました。予算の問題で多少実現が延期されたと思われます。無論、コロナ禍も災いしたかも知れませんし、まず実現可能なものからクリアというところでしょう。

ある方のブログ記事によれば、元々は潮見櫓より、武具櫓の方を優先させたかったらしいのですが、武具櫓は規模も大きくコストがかかることで、まず潮見櫓をとなったようですね。


飲み物-ブッシュミルズと暖炉
[ 2024/01/23 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第2回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第2回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。尚最近の投稿での、おかしな点や変換ミスをいくつか修正しています。
そして先日書いていなかった分で、気になる点が2つあります。


絵師の家に着くと、急ぎの客である麻彦が待っているとか。彼女は小さな硯で墨を擦ります。
この硯が素朴でいかにも貧しい。
文房四宝と呼ばれる筆・墨・硯・紙のうち、消耗品ではない硯はステータスシンボルの象徴です。この小さな硯と、後で出てくる大きくて立派な硯を比較してみると興味深い。

急ぎの客が麻彦でないことは書きましたが、この小さな硯は携帯用でしょうね。もっと後の時代、江戸時代になると矢立てという携帯用筆記具が登場しますが、それ以前に鎌倉時代頃から、携帯用の小さな硯はありました。それに類するもののようです。そしてまひろは、家ではそこまで立派ではないにせよ、普通の大きさの硯を使っています。
下の画像、向かって左、まひろから見て右にある黒いものがその硯と思われます。

光る君へ硯
『光る君へ』第2回

そして麻彦が思い出の花は夕顔と言うシーン。

二人で見た思い出の花は何か?と問うと、麻彦が夕顔だと答える。
『源氏物語』のオマージュが入っていますね。前回はまひろの小鳥が逃げたことが、雀の子が逃げたと紫の上が走ってきた場面をなぞっていたのだとか。今回は「夕顔」です。

この「夕顔」ですが、ただ単に思い出の花が夕顔と言うだけではなさそうです。自分の前に現れる女性、夕顔の歌の素晴らしさに源氏はほれ込み、通うことになるわけなので、ここで麻彦が、歌を贈るのは自分よりも素晴らしい女性であると言うところに、そのイメージを忍ばせているのではないでしょうか。あと前の回ので紙が高価と書いているわけですが、ならば麻彦が恐らく紙を買えず、板を持ってくるのにも触れてほしいですね。

そして先日の続きです。

二人の姿に目をやれば、烏帽子が透けて見え、髻がわかりますね。本作の男性は、地毛で髻を結っている方もいるとか。

この大河に限らず、
『鎌倉殿の13人』の北条義時役の小栗旬さん
『どうする家康』の豊臣秀吉役のムロツヨシさん
どちらも地毛で髷を結っています。ムロさんの場合、ある程度出世してからはきちんと髷を結っているので、その前の段階、木下藤吉郎や羽柴秀吉の時代に、天然のくせ毛を生かした髪型をしていますね。
あと『龍馬伝』の福山雅治さん、『平清盛』の松山ケンイチさんもそうですし、また女性ですが北川景子さんも、『西郷どん』の篤姫役で地毛を結っていた由。

ここで東洋医学のトリビアでも。
一月のうちに書けてよかった話として「お屠蘇」があります。
日本古来の飲み物とされていますが、『三国志』でもおなじみの名医・華佗が作り上げたとされていて、不老長寿の酒というより要はハーブドリンクです。

「一月のうちに書けてよかった」とありますが、大河が始まってからの1月の月曜日は4回ありますから、そのうちのどれかで書けるような話題かと思いますが、それはともかく。このお屠蘇のルーツについては知っていました、というか、薬局で屠蘇散を配ったりしていないでしょうか。それとこれは「飲み物」やハーブドリンクと言うより、邪気を払うための物ですね。あと
「ハーブを飲むことをありがたがるほど、当時は医学が未発達でした」
はちょっとないかと。縁起物ですから。

「高麗」(こま)とは一体なんなのか?
日本では、王朝が交代しても、そのまま呼び続けることがしばしばあります。しかも範囲が広い。
「高麗」は現在の朝鮮半島を指す概念として、長らく使われてゆきます。
中国は「唐」(から)です。
「高麗」や「唐」は判定が曖昧なので、例えば他国の人や物が、朝鮮半島や中国経由で届けても、そうなってしまったりする。

「王朝が交代しても」とありますが、この時代の朝鮮半島の王朝は高麗です。この場合なぜ「コマ」になるかと言うことなのでしょうが、高句麗のことを「こま」と呼んでいたからという説があります。その高麗は後に朝鮮と改名します。豊臣秀吉が明に攻め入ろうとしたのは「唐(から)入り」ですが、その時は高麗ではなく朝鮮と呼んでおり、日本軍は朝鮮半島で戦いつつ北上して行きました。

しかも、当時から輸入しなければどうにもならないものがありました。
例えば「檳榔毛(びろうげ)」の車。牛車の一種です。この「檳榔毛」とはヤシの葉です。
当然ながら京都近郊にあるはずなく、貿易で取り寄せねばなりません。
何かで代用したらいいんじゃないの?と言いたくなりますが、当時の貴族は慣習を守りたい性質ですので、結構な問題になったとか。

この枇榔(ヤシというか、ヤシの仲間の葉です)ですが、日本国内でも九州や南西諸島、沖縄などは自生地です。古くはあぢまさと呼ばれ、非常に神聖な植物とされました。

枇榔毛がどのくらい取れたのかは定かではありませんが、ある程度の量を収穫できたのであれば、外国から取り寄せる必要はなかったでしょう。というか、枇榔毛をどの国からどのくらい買い付けていたのか、その裏付けとなるものがないでしょうか。

見張りをつけると言われると、まひろは怒ったように反論します。
「縛られても、必ず縄を切ってでも出て行きます! 父上のいうことなぞ私は聞かない!」
面倒臭い。可愛げがない。そんなまひろの魅力全開ですね。
有名な文学者だし、ドラマでは母の死という悲劇も絡んでいます。
けれども根底にある動機は、執筆欲です。
受験勉強をしていようが、趣味も同時進行したい。そんな現代にいる少女にも通じそうな願いがいいですね。
試験の前だろうが好きな本を読んでしまっていた、そんな気持ちを思い出します。

武者さん、第1回からまひろは面倒臭いと書いています。面倒臭いと書くことで、普通の女の子とは違うという意味合いを持たせたいのでしょうが、私はそこまで面倒臭いとは感じません。ただ子供の頃母を目の前で殺されたトラウマ、自分と家族を守るためとは言え嘘をつく父、成長してからは、その父との確執が続くなど、心の中に何かを抱えた少女(と言うか女性)ではあると思います。家にいるともやもやしたものを抱えるけど、あの絵師の家で1人で歌を作っていたら、その気持ちが、心理学でいう昇華という形を取るからではいでしょうか。
実際やりきれない思いや怒りを、小説などの作品として発信するのは、この昇華とみなされています。

こころ診療所吉祥寺駅前様のサイトより。

乙丸が監視につけられるも、まひろは工夫をして突破。出かけて行きます。
しかし為時は絵師にも話をつけていて、その直後に道長がやってきて追い返される。

これ、乙丸が居眠りをしたから、家を抜け出ることができたのでは。日当たりのいい縁先に座っていたら、それはつい眠気もさすでしょう。

そして「MVP」は兼家だそうです。昨年はこのMVPなるものはありませんでしたが、ただ、武者さんの一方的な見方で評価されるのなら、なかった方がよかったかもしれません。

兼家の悪辣さは、家父長制そのものでもある。そこに組み込まれていけば、誰しも染まっていくもの。その様が楽しみです。

この当時は通い婚中心で、まだ家父長制は根付いていません。権力者そのものであるとは言えるかも知れませんが。

為時もまひろも愛読しているに違いない『貞観政要』。この本の要点は、諫言こそが大事だという点にあります。

「愛読しているに違いない」とは何でしょうか。
ちなみに、子孫が大江広元である大江匡房は、これを書き写して一条天皇に進講しています。元が帝王学の書ですからね。無論徳川家康も、藤原惺窩にこれを講義させています。

「魏徴という諫言のプロが、唐太宗に延々と『それはどうでしょう?』とダメ出ししているのです。
ドラマに対しても、諫言が飛び交うファンダムが好ましいと思います」
などとありますが、またファンダムがどうのこうのですか。

そして

全体的に品質が高い本作でも、屏風に弁髪の人が描かれているようなミスはあります。
それ以外にも、三男ではなく、異母兄がいる道長が「三郎」でよいのか?とか。
道兼の殺人はあまりにやりすぎではないか?とか。
そういう批判を共有しあい、話し合う場があるのは非常に健全でしょう。

別に武者さんが好きでない大河でも、こういう意見のやり取りはあったのです。
それがお気に召さなかっただけの話でしょう。
ただ気に入らないからと言って、ファンたちが楽しく意見交換している場所へ、踏み込んでくるような姿勢を取るのは感心しません。
それを言うのなら、『どうする家康』のこの記事のやり取りも似たようなものだと思います。

「どうする家康」官兵衛息子・黒田長政“一の谷形兜”ネット話題!薄型テレビ?ソーラーパネル?「首が…」

インターネット上には「いつ見ても鉄板みたい」「薄型テレビ兜だ!目立つなぁ」「ソーラーパネル兜の存在感よ」「空気抵抗が凄そうな黒田長政の兜w」「首がめり込みそう」「個性派兜博覧会」「誰が誰だか、すぐ分かる兜」などの声が上がった。

こういうやり取りもこれはこれでいいと思いますし、この兜、ひいては黒田長政に関心を持ってくれるといいなと言ったことを私は書いています。しかし、武者さんは叩いていましたね。
「死と隣り合わせである戦国武将の覚悟が表現されているわけですが、それをなぜ『薄型テレビ』などと笑われなければならないのか。あまりにも程度の低いコメントで記事まで作られてしまう幼稚さに情けなくなってきます」
どちらの大河も、ファンが興味関心を持って意見しているのは同じかと思いますが、嫌いな大河の嫌いなファンにはクレームですか。

そして
「本作は公式サイトやSNSの情報発信も行き届いています」
昨年公式のサイトやSNSを見ているようには思えなかった武者さんに、こう言われてもなあと正直思います。
そして「大河に関わる女は皆幸せになれない」とかで、女性脚本家を偏見で語るような意見が散見されるなどとあります。どの大河にも賛否両論はあるかと思いますが、ここでフェミニズム論。こういうの、よそでやってくれませんか。ここ大河について書くコラムのはずですよね。ならば平安時代の習慣や官位官職などを、詳しく説明してほしいのですけど。

◆NHK大河「光る君へ」はイケメンてんこ盛り!吉高由里子じゃ盛り上がらないとNHK仕込み(→link)
論旨をまとめると、「女はイケメンが好きだから投入しとけ!」というものです。

女はバカだからイケメンでしか気が引けないという偏見丸出しで、この記事は早速、吉高さんを貶めていて、より悪質ですとありますが、これ、貴方が昨年散々リンクを貼っていた日刊ゲンダイの記事ですよ。そしてイケメンな俳優さんたちも出ているのは事実だと思います。
それに貴方昨年は、出演者を散々貶めていなかったでしょうか。

そしてこういう記事も貼られています。

そしてこんな分析が出ました。
◆NHK『光る君へ』初回で躓き、マーケティング失敗か 大河最低の視聴率を記録、狙っていた若い女性層が離反(→link)
当然の帰結でしょう。
大河という時点で、はなから若い女性は避けています。
マーケティングの話でもない。ましてや本作だけのせいでもない。
大河という枠そのもの、ひいては日本史周辺までもが、若い女性を蹴散らすようなことをここ10年ほど続けています。

嫌いな大河が大河初回の最低視聴率を記録しようものなら、鬼の首を取ったように喜ぶのでしょうが、好きな大河だと、それは流石にやりませんか。その代わり、「若い女性を蹴散らすような」と武者さんが考えている過去の大河のせいだと決めつけ、そのキャストやスタッフに責任を擦り付けるようです。そういう大河を作っていた人たちに失礼だと思いませんか?
それこそたけたけさんのnote記事にもありましたが、
「『わたしのかんがえたさいきょうの』しか認めな」い武者さんだから、世間一般の感覚を求める方が無理なのでしょうか。そして若い女性を蹴散らすような大河なるもの、要はすべて武者さんが嫌いな大河なのですね。

好き嫌い、合う合わないは当然あると思いますが、武者さんの場合は、自分の理想に沿わなかったからという理由で、気に入らない大河を平気で「蹴散らして」歩いているようなものです。しかしここでは省いてはいますが、これには『平清盛』と『軍師官兵衛』がありませんね。あと、10年ルールはどうなったのでしょう。

でこう書かれています。

要するにここ10年の大河ドラマは、若い女性に対して散々セクハラを働く、おじさん上司のような枠になっていたのです。
「あれ〜? 若い女子ちゃん来ないのカナ? おじさんが歴史を教えてあげるのにな!」
「ですよね〜、ホント、最近の若い子って空気読めないっていうかぁ」
それがどれだけの損失か、考えたほうがよいでしょう。
今年は、そのことを踏まえていると思えます。
大河は今、変革の真っ只中
本作は、十分に意識しているのでしょう。

大河自体は今年だけでなく、ここ何年かずっと変革を目指しているかと思われます。『青天を衝け』以降、それが顕著なようにも感じられますし、それまで大河を観ていた層が、多少離れている感もあるかも知れません。そしてここでは省略していますが、この『青天を衝け』への攻撃がまたひどいです。あと第1回では我慢していたのでしょうが、華流ドラマなども登場して、日本のコンテンツ産業下げがまた始まっています。

そして武者さん上記のようなことを書いていますが、自分が嫌いな大河、自分が嫌いな女性キャラに対しては、このおじさん上司、あるいはそれ以上のことを書いています。
これは『どうする家康』関連コラムの、女性キャラに対する言葉です。ドラマの作り手の責任のように書かれていますが、実際は武者さんがこう受け止めているとしか思えません。実際観た限りでは、およそこのようには見えませんでしたから。

このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?
・エロいことをさせてくれる
・自慢できるトロフィー
・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw
・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組
・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」
・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」
差別云々の話はこの際置いといて、どういうセンスをしているのか?と問いたくなります。

こういうのを報酬付きコラムで書く方が、どういうセンスなのかとついつい思ってしまうのですが…。この『光る君へ』が、武者さんの嫌いな大河だったら、ちやはは「冷蔵庫の女」呼ばわりされていたのでしょうね。

そして『どうする家康』は中国韓国で人気がないと言いつつ、その証拠となるデータなり記事なりが全く出て来ないのですが…。
尚『どうする家康』とこのコラムについてはまた書く予定です。
(2024年1月18日一部加筆修正)

飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2024/01/18 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

新影(陰)流と大河『春の坂道』

先日、というかもう昨年になりますが『歴史秘話ヒストリア』の「官兵衛を支えた24人」で、母里太兵衛の子孫である忠一さん(向かって左)をご紹介しています。番組中でその母里さんが、稽古をつけている画像を置いておきます。1人当たり1枚と言いつつ、2枚となっていますが、実は毛屋主水の子孫である嘉明さんも2枚を上げています。

「官兵衛を支えた24人」稽古をつける母里さん
弟子に稽古をつける母里さん

で、この黒田藩の新影流、そのおおもとの柳生新陰流の継承者である柳生宗矩ですが、1971年に大河ドラマ『春の坂道』の主人公となっています。とはいえ、この大河は現在最終話のみが残っているだけで、その最終話がDVD化されているとのこと。ちょっと寂しくはあります。せめて総集編だけでも残っていれば、ストーリーの展開は大体把握できたでしょう。また大坂の陣で、この宗矩は人生で唯一人を斬るわけですが、それを描いたシーンがあったかも知れないのです。

ちなみに主演は中村錦之助(後に萬屋錦之介)さんで、その後も別の作品で宗矩を演じて当たり役となっています。徳川家康を演じたのが山村聰さん、この人も後に宗矩を演じています。そして黒田長政を演じたのが高橋悦史さんで、『太平記』で桃井直常を演じており、時代劇やサスペンスの出演が多いです。

それからこの大河には家光の時代までが描かれており、そのような時代設定もあって沢庵宗彭が登場しますが、この役を演じているのが田村高廣さんです。実は田村さんの2人の弟さんも出演しており、田村正和さんは豊臣秀次の小姓不破万作を、そして田村亮さんは、柳生十兵衛の弟左門(刑部)を演じています。田村亮さんと言えば、『葵 徳川三代』の藤堂高虎役ですね。この『葵 徳川三代』に出演した俳優さんも何人か出ています。どのような人たちかと言いますと
(カッコ内『葵 徳川三代』の役名)

柳生宗厳 内藤武敏さん(石田正継)
松平忠直   佐々木功(現・ささきいさお)さん(細川忠興)
土井利勝   江守徹さん(石田三成)
鳥居忠政 石田太郎さん(大久保忠隣)
一の御台 岩本多代さん(西郡局)

柳生宗厳は宗矩の兄、松平忠直は越前福井藩二代目藩主で結城秀康の嫡男、そして土井利勝は譜代大名で秀忠が将軍在任中の老中です。鳥居忠政はその名前から察しがつくと思われますが、鳥居元忠の次男です。そして一の御台とは豊臣秀次の妻です。西郡局は、『どうする家康』のお葉ですね。

また柳生十兵衛の描かれ方、よく隻眼の剣豪として描かれることがありますが、実は隻眼というのは史料にはなく、創作とされています。この大河では隻眼ではなく、両眼がある人物であるとの由。

飲み物-冬のシードル
[ 2024/01/03 05:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『歴史秘話ヒストリア』福岡・博多の町を探訪!~官兵衛を支えた24人その5

さてこの番組の最後のパートとなります(尚先日分、多少修正しています)。時を超えて息づく二十四騎の物語について、まず「おおほりまつり(福岡城・鴻臚館まつり)」の紹介です。福岡城さくらまつりと時を同じくして行われる、武将たちのパレードです。

この祭に関しては、2019年開催分になりますが、こちらのリンク先に詳しく書かれています。尚、画像の2枚目は武者たちの騎馬姿と思われます。二十五騎とあるのは長政公を含めるためです。

第40回 福岡城鴻臚館まつり【鴻臚館広場】黒田二十五騎武者行列や荒津の舞、馬早駆けも!2019
(福岡市観光情報サイト よかナビ)

番組に戻ります。武者たちにカメラを向ける人たちも多いですね。結束というのがすごいと言う方も。

それに先立って、この年の3月に黒田官兵衛411回忌法要が崇福寺で行われています。黒田家を顕彰する会(藤香会と思われます)によって開催されたこの法要は、キリシタン大名でもあった官兵衛のために、カトリックの司祭の方の姿も見られます(中央やや左より)。

「官兵衛を支えた24人」黒田如水411回忌
番組映像より

この会の副会長を務める毛屋嘉明さんは、毛屋主水の子孫の方です。実は正面を向いた映像もあり、どちらにすべきか迷ったのですが、ジャケットの衿に「官兵衛くん」のバッジがあることから、こちらの方にさせていただきました。

「官兵衛を支えた24人」毛屋主水子孫嘉明氏
毛屋嘉明さん

毛屋さんによれば、官兵衛は二十四騎を束ねていて、家臣思いで家臣のことをよく知っていた、(黒田家の)偉業と功績をたたえて、長く次の子孫へ伝えて行きたいとの由。2023年現在、福岡城市民の会の理事でもあります。

そして母里太兵衛の子孫である母里忠一(ぼり ちゅういち)さん。
刃でなく峰を使って相手を倒す、柳生新影流(黒田藩伝柳生新影流兵法)の師範を務めています。官兵衛の「人を殺さず生かして使う」を引用し、(人を生かす)剣術を通して人の道を説くのが使命であると母里さん。

「官兵衛を支えた24人」母里太兵衛子孫忠一氏
母里忠一さん

また番組中、九州大学大学院教授の中野等教授、そして黒田二十四騎画帖関連で、福岡市博物館の学芸員、宮野弘樹さんのコメントも入っています。余談ながらこの宮野さん、『ブラタモリ』の博多編(2015年)にも出演していましたね。

最後に、民を守り人を大切にする心は、400年を経た今も確実に受け継がれているとナレが入り、番組のエンディングテーマが流れます。

ところで筑前博多に初めて入府した大名は小早川家です。小早川隆景→秀秋と名島城主を務めるに至り、本来は黒田家もここを拠点とするはずでしたが、今一つ勝手がよくなく、警固村赤坂山に新しい城を築くことになります。この時名島城の建材や石垣は持ち出され、新しい城、福岡城の建築に使われたとされています。

しかし黒田二十四騎が博多を復興させたのは、人々に取っては実にありがたいものではあったでしょう、何よりも、この町のシンボルともいえる博多祇園山笠が戻って来た、これは非常に大きな意味があったのではないでしょうか。

2023年は長政公没後400年祭でした。ここで、今年1月の筥崎八幡宮のこの幟をご紹介しておきます。これを見て、ああ今年はそうだったなと、改めて思いました。

202301長政公400年大祭2

そして『軍師官兵衛』放送から10年ということで、こちらの「黒田官兵衛の挑戦状」画像(クリックで拡大が可能です)もご紹介しておきます。2014年1月に地下鉄福岡空港駅で目にしたものですが、残念ながら「挑戦状」の中身を覚えておりません…「福岡県クイズキャンペーン」とあるにはありますが。

2014年1月福岡空港駅

5回にわたって、この『歴史秘話ヒストリア』、「官兵衛を支えた24人」をご紹介して参りましたが、今回で終わりとなります。それから当然ではありますが、特に注記がない限り、この番組内の情報は2014年7月現在のものであることをお断りしておきます。

[ 2023/12/31 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『歴史秘話ヒストリア』福岡・博多の町を探訪!~官兵衛を支えた24人その4

エピソード3 よみがえれ!ヒーローたち

「黒田二十四騎」の絵図は、かつて町の恩人として崇拝の対象となっていました。しかしこれが完成を見るまでには、知られざる物語があったのです。官兵衛の死後、黒田二十四騎の半数近くは追放されたとのナレが入りますが、無論中には後藤又兵衛のように出奔したり、官兵衛に先立って世を去った者もいました。

しかしその後福岡藩は停滞し、十代藩主黒田斉清は、かつての気風を取り戻そうと考えます。そこで斉清は一枚の絵図に目を止めます。それが黒田二十四騎の図なのですが、官兵衛よりも後の時代に描かれているため、兜や鎧などもかなり適当でした。そこで斉清は藩再生のシンボルにするため、二十四騎の姿を正しく描き直させようとします。これはいわば、主君と家臣の絆の再確認でもありました。

斉清は御用絵師の尾形洞谷に、この二十四騎の描き直しを命じます。洞谷は二十四騎の子孫の家を訪ね、まず彼らがどのような甲冑を着けていたのかを調べます。色や文様、飾りに至るまでを綿密に調べた洞谷は、実際のものと変わらない甲冑を身に着けた二十四騎を描き出して行きます。

「官兵衛を支えた24人」2つの母里太兵衛像
番組映像より、洞谷の母里太兵衛像(向かって右)とそれ以前の母里太兵衛像。

さらに顔かたちも正確にと考えた洞谷は、伝記を読み込んでそれぞれの特徴を捉えようとします。たとえば母里太兵衛も、『黒田家臣伝』の記述に従って口髭を入れ、また謙虚な一面もあったとされたことから、単なる荒武者でなく、威厳のある武将の姿として完成させています。この作業には10年以上の歳月がかかりました。

この洞谷の絵は黒田二十四騎画帖となり、現在は福岡市博物館の所蔵となっています。

またこれにより、二十四騎が一堂に会した版画が作られます。この版木は現在、北九州市の春日神社に保管されており、これで版画が作られたことによって、二十四騎の物語が広まって行くことになります。領民をも巻き込んでスタートラインに立ち、意識も含めリセットして、やり直そうという意識で始まった藩主斉清のプロジェクトは、版画を通じての大衆の二十四騎信仰となり、この絵が神棚や床の間に飾られる元ともなって行きました。


飲み物-テーブルのホットワイン
[ 2023/12/30 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『歴史秘話ヒストリア』福岡・博多の町を探訪!~官兵衛を支えた24人その3

エピソード2 黒木瞳が訪ねる二十四騎の足跡その2

二十四騎の野口左助らが築城した、福岡城に向かった黒木瞳さん。お城では千田嘉博氏が出迎えてくれました。

千田氏曰く、福岡城は国内屈指の防衛力とのことで、まず下之橋御門の説明です。この門から後ろ向きに入ろうとすると、背中の方の石垣から銃弾が飛んでくることになり、またすぐ隣にある櫓(伝潮見櫓)からも銃弾が浴びせかけられることになるうえに、門の上からの渡櫓からも攻撃されることになるという、正に守りに徹した作りになっています。

「官兵衛を支えた24人」下之橋御門と伝潮見櫓
番組映像より、説明をする千田氏(向かって右)。左にあるのが下之橋御門、その向かって右隣りにあるのが、(伝)潮見櫓

そして今度は多聞櫓へ。千田氏の石落としの説明。ここの石落としは戸袋型として知られていますが、それはともかく、籠城に備えた兵糧ももちろんありました。この櫓は壁の中の竹の骨組みが、干しワラビで止められており、ワラビを戻すとそのまま兵糧とできたとのこと。黒木さんも千田氏も、ワラビを戻して試食していましたが、黒木さん曰く
「無味無臭、遠くでワラビ。悪くないですね」

「官兵衛を支えた24人」多聞櫓の干しワラビ
壁の中の竹と干しワラビ

これに関しては熊本城も同じで、畳の芯にサトイモの茎が使われていたと言われています。

その後お2人は天守台へ。今は土台の部分しかありませんが、タブレットで天守のVR経験ができます。
(これに関しては最近の華大さんの番組でも、天守があったら映えますよねとのコメントあり)
しばし往年の城内を楽しんだ後は、博多と福岡が一望に見渡せる天守台の上へ。

「官兵衛を支えた24人」VR体験
タブレットで幻の天守を見る黒木さん

通常の城下町は城を中心に町が形成され、いざ敵の侵入の際には町が城の防波堤的な役割を果たすわけですが、福岡の場合は城と町が並んでおり、西と南からの攻撃には城が町の盾、東側からの攻撃には、町の外に6つの城を設置したと解説されています。この6つの城とは筑前六端城のことですが、その後の一国一城令に伴い廃城となっています。

民を守ったということですねと黒木さん。国内最高峰の城であるかもしれない、福岡の町がすごく崇高に見えてきましたとのことでした。

ちなみに筑前六端城に関しては、福岡城・鴻臚館公式サイトのこの記事のリンク(短縮しています)を貼っておきます。

福岡城と六端城

尚この六端城、豊前との国境近くに多い理由として、年貢持ち去りによる黒田家と細川家の関係悪化が発端という点に触れられています。

それからこちらは、肥前堀についてのサイトです。先日書いた大名の通りの名称も一部含まれています。古地図の画像を見ると、外堀(草ヶ江)、肥前堀と紺屋堀があり、さながら水に浮かぶ城の様相を呈しています。

福岡城の肥前堀と紺屋町堀を歩く!2022.3.30
(【セイオ】さんのアクロス山の活動日記 | YAMAP / ヤマップ)

あと紺屋町堀の薬院門についてのサイトです。

古地図で薬院門の位置を特定してみる
https://y-ta.net/yakuinmon/
(Y氏は暇人)

飲み物-パブのアンバーエール2
[ 2023/12/30 00:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『歴史秘話ヒストリア』福岡・博多の町を探訪!~官兵衛を支えた24人その2

エピソード2 黒木瞳が訪ねる二十四騎の足跡

『軍師官兵衛』でおねを演じた、黒木瞳さんの博多と福岡の町レポその第1弾です。まずラーメンを食べる黒木さんのクローズアップ、そして福岡と官兵衛の関係へと進んで行きます。

官兵衛は福岡の名付け親であると紹介された後、黒木さんは黒田家の菩提寺、崇福寺を訪ねます。ひときわ大きな官兵衛(如水)の墓石には、「自分の死後家臣と民を大切にしてほしい」という言葉が刻まれています。そしてまず商人の町博多の、上川端商店街へと足を運びます。

ここでは母里太兵衛をモデルにした黒田武士の人形がまず紹介され、ついで「博多弁番付」。その中の「しろしか」(天気が悪くて鬱陶しい)に目を止めた黒木さんは、近くの洋品店でその意味を尋ねます。

実はその洋品店の店主は、二十四騎の原種良の子孫の原公志さんでした。二十四騎の寄り合いが年に1回あるとのことで、奥様が持って来た先祖原種良の画像は、絵羽織を羽織った華やかなものです。洋品店と何か関係がとの問いに、そうでもないと思いますけどねとの返事。ちなみに廃藩置県後、原家は呉服店を営んでいたとの由。
(一応この投稿では、二十四騎の子孫の方の場合、1枚だけ画像をアップすることにしています)

「官兵衛を支えた24人」原種良子孫公志氏  原種良(Wikimedia)
原さんと黒木さん(手前、番組映像より) 原種良像(Wikimedia)

次に黒木さんが訪れたのは、博多祇園山笠で知られる櫛田神社です。飾り山笠(やま)を見上げる黒木さん(ちなみに、この櫛田神社では1年中飾り山笠を見ることができます)。この博多祇園山笠も、戦国時代に博多の町が焦土と化し、存続が危うくなったことがあります。

これに手を貸したのが二十四騎で、率先して博多の復興を手助けし、インフラ整備をしたと言われています。戦火を避けていた商人たちも戻って来て、山笠が復活し、この祭りは町の人々の団結の象徴となりました。博多山笠振興会会長の豊田侃(かん)也さん曰く、
「二十四騎の方々がやはり博多、福岡を大事にしてくれた」

そして黒木さんは福岡(中央区)へ。商人の町から官公庁の建物が、郵便局だとかと口にしつつ那珂川にかかる橋を渡り、大名へ。博多とは随分雰囲気が違う、裏通りに入ると道の作りにも変化がとのナレ。黒木さんも、博多と違って曲がり角が多いと言います。

そこで武将隊登場。なぜ福岡の町は曲がり角が多いのか、それは敵が一方にしか曲がれず、守る側(つまり黒田勢)が死角で敵を待ち構えることができるから、福岡の道は防壁でもあるとの解説。

まあ城下町というのは、そういう作りが多いのではないかと思います。で、博多と福岡の道の違い、グーグルマップからスクショしてみました。
まず博多の町です。下の方に川端通商店街(厳密には川端商店街と、上川端商店街に分かれる)がありますが、道がかなり整然と走っているのがわかります。

上川端商店街マップ

次に福岡、それも福岡城近くの大名の道です。黒木さんはこの、大名クロスガーデンの辺りを歩いていたのですが、よく見ると博多の道とは異なり、直進ができず、番組のナレにもあるように、一方方向にしか曲がれない構造になっています。
特に真ん中から下の辺りを東西に走る東養巴(ようは)町通りもそうですが、その下をやはり東西に走る通り(西小性町通り)の辺りは、かなりその特徴が顕著であるといえます。福岡城の守りの最前線と言えるでしょう。

大名クロスガーデン マップ

この大名地域の通りに関しては、中央区役所のこのページが参考になりそうです。ただしこれには、養巴町の由来がありませんが、この名は福岡藩医の名にちなんだとも言われています。


この先は福岡城に舞台が移ります。それはまたこの次にて(但し間にラグビー関連投稿を挟みます)。

余談ながら、博多弁と言えば『ゲゲゲの鬼太郎』第6期(2018-20)で、一反もめんが博多弁を喋っていたのを思い出します。CVが福岡市出身の山口勝平さんということもあり、かなり板についた博多弁でした。「ぐらぐらこく」(頭にくる、むかつく)などと言ってもいましたね。

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/12/29 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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