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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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西郷どん第43回感想続き

先日は武者氏のコラム関係をで書かせて頂きましたが、なぜあのコラムはああいう表現になるのか不思議です。先日のサイバーカスケード絡みで、心理学的側面から見るべきなのかとも思ってしまいます。対象物が何であれ、好き嫌いを殊更に言う人には、何か共通する物があるのかもしれません。何かとストレスがたまるので、あのサイトにはあまり行きたくないのが実情です。最終回までにあと1回くらい覗く(それについて書くかどうかは別)かもしれません。

さてこの回では、西郷従道が3回登場します。最初は朝鮮行きの際にピストルを渡そうとし、隆盛はそれを拒否します。そして下野することを決め、かつての薩摩藩士たちが岩倉に兵を送ろうと言って、彼らを叱るシーン、ここでも従道は離れた所に立っていて、ことの成り行きを見ています。薩摩勢が言うことを聞かない時は、その場で出て行こうとしていたのかもしれません。そして兄が東京を去る時、自分は東京で頑張ると言って、隆盛と熊吉を見送ります。つまりこのエピの要所要所に、兄を見守るようにして従道が出て来るわけですが、特に一番最後のシーンはなかなか辛いものがあります。この後兄弟は西南戦争で対戦し、隆盛の子菊次郎を熊吉が連れて、従道に投降することになるからです。2度目の「おやっとさあ」(最初は江戸無血開城)ですが、3度目は、あるいは…と考えてしまいます。

一方で利通と岩倉が何やら密談めいたことをやっています。利通にしてみれば、三条実美が言う「本当によかった」留守政府をぶっ壊そうとしているわけで、無論岩倉もそれに噛んでいるわけです。で、隆盛が天皇の覚えがめでたいことを理由に、朝鮮行きの話を否決してしまい、留守政府勢の怒りを招くことになります。無論朝鮮に行って本当に話がまとまったのか、あるいは江藤や後藤、板垣がこのまま残った方がよかったのか、何ともいえませんが、ともあれ一旦決定したはずの話を、ちゃぶ台返しよろしくひっくりかえすのも何とも乱暴です。そして妓楼に集まった長州勢ですが、木戸孝允は岩倉を胡散臭く感じたことでしょう。早々にその場を去ったのも、病気だけが理由ではなさそうです。隆盛の長屋に行って励まされたことで、この西郷は、岩倉が言うような人物ではないという思いを強くしたのではないでしょうか。

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[ 2018/11/21 01:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(2)

西郷どん第43回「さらば、東京」

隆盛の思いが叶うかと思われた征韓論ですが、とんだことでどんでん返しとなり、そのため隆盛は下野を固めます。一方大久保利通はこれに乗じ、自分の策を着々と進めますが、その傍ら、ついに隆盛と袂を分かつことになります。

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隆盛が提案した朝鮮行きだが、そこに横槍を入れる者がいた。それはかつての盟友、大久保利通だった。利通はその前夜岩倉と会い、西郷に勝って今の政府をぶっ壊すと口にしていた。そしてその翌日隆盛に向かい、今行けば戦になる、それよりも工業化を促進し、鉄道を国中に通し、さらに殖産興業を進めることこそ優先されるべきと発言した。隆盛は国交を結びに行くだけだと反論し、さらに不平士族の目を外に向けさせるためにも、居留民を守るためにもこの朝鮮行きは必要だと強調する。しかし両者の対立は解消されず、江藤新平は席を立ち、太政大臣三条実美に利通と岩倉の罷免を要求した。

岩倉は隆盛の朝鮮行きを認めたが、これは利通の怒りを買うことになった。結局利通も岩倉も辞職を願い出、三条は心痛のあまり倒れてしまう。そして隆盛は早々と朝鮮行きの支度に取りかかっていた。そんな兄を従道は、もう少し朝鮮国の内情を調べてからにした方がいいと止める。そして従道は万が一のためにと、ピストルを隆盛に渡すが、隆盛は、おいは話し合いに行くだけじゃ、そんなもんはいらんと断る。そしてこの知らせは、鹿児島にももたらされた。朝鮮国はどこだと川口雪篷に尋ねる子供たちに、雪篷はここじゃと朝鮮半島を指す。園がこう言った。
「何やら短刀のような形の国ですね」
雪篷は物騒じゃなと苦笑する。

10月18日。閣議の席に利通と岩倉は現れなかった。最早他の高官たちは朝鮮行きが決定するものと信じており、隆盛も三条を通じて勅許を得るだけじゃと江藤に話していた。しかしそこへ岩倉が現れ、三条が倒れたことを知らせる。隆盛は見舞いに三条邸を訪れるが、今は無理とのことで、三条に心労を与えたことを詫び、三条様は扇の要的存在、体を休めて頂くようにと伝えて退出しようとする。しかしそこへ寝衣姿の三条が、こない頼りないまろが扇の要のはずはないと出て来る。隆盛や使用人たちが止める中三条は、岩倉たちが帰ってくるまでの政府は本当によかったと言い、さらに、大久保が恐ろしいことを企んでいると隆盛に伝える。

その数日後、再び閣議が開かれ、岩倉が太政大臣代理となった。この時も岩倉は、利通と密談を交わしていた。利通に言わせればこれは天祐であった。利通は天子様に、西郷が朝鮮国で戦を始めようとしていると上奏してほしいと岩倉に頼む。岩倉は天子様に嘘偽りは申せぬと言うが、利通は「ならば、西郷が命を落とすやもしれぬ」と伝えてほしいと言う。これでは嘘偽りにはならないからである。結局これにより、朝鮮国への派遣は否決された。岩倉は代理と任命された以上、自分の考えを添えただけだと主張するが、一度閣議決定された物を否定されたことに、高官たちは腹を立てる。岩倉は隆盛に、天子様が死に急いだらあかんと言うておられたことを話す。

隆盛は、朝鮮国の居留民が危ない時は助けるように岩倉に頼み、こう告げて去って行く。
「おいの役目、ここまででございもすな」
その後隆盛が書類を火にくべていると、桐野たちがやって来て、岩倉の許へ兵を送ろうと言ったため、隆盛は彼らを一喝する。そして国作りは一握りのお偉方だけでできることではない、おはんらや民の力が必要じゃと言い、長屋へ戻った。その後24日に隆盛は辞表を政府に提出し、さらに江藤、後藤象二郎、板垣退助も相次いで政府を去った。辞表を前にする岩倉の許へ、利通が新・人事案を持って現れる。そこには内務卿(今でいう総理大臣)として自らの名を認めていた。その後改めて、岩倉は妓楼で伊藤たち長州出身者と会う。

しかしその中で、一人和装で現れた木戸孝允は体調を崩しており、表情も硬く、岩倉に酌をされるなど畏れ多いと拒んだ。早く政府に戻ってくれと言う岩倉だが、木戸は岩倉の考えをつかみかねていた。隆盛の下野で薩摩出身兵が暴れ出すとでも、または薩摩に戻った隆盛が兵を挙げるとでも考えているのかと尋ね、岩倉はそれにうなずく。しかし木戸は言う。
「西郷君はそねな男ではない!」
そして木戸は体調を理由に一人帰って行く。その後木戸は隆盛の長屋へ赴く。隆盛は木戸が政府を去ろうとしているのではないかと悟り、条約改正失敗と長州出身者の不祥事に責任を感じる木戸に、政府に残ってくれと励ます。

木戸は隆盛と握手をした。薩長同盟以来のことだった。そこへ木戸の言葉により、西郷が東京を去ると知った長屋の子供たちが、行かないでくれと嘆願に来る。木戸は自分が代わりに勉強を教えてやると言い、子供たちとの屈託ない話の中、隆盛に初めて笑顔を見せた。一方利通は仕事が終わり帰宅する。迎えに出たおゆうに達熊のことを訪ね、おゆうは友達が来ていると言う。その友達とは隆盛だった。利通は隆盛を入れるなと言ったはずだと腹を立てるが、隆盛は薩摩に戻る前に立ち寄ったのだった。隆盛は利通が子供の頃から秀才であることを認めていたが、なぜこういうずる賢い頭の使い方をするのかを問う。利通は理想の新政府の邪魔をする者は排除すると答える。

さらに利通は、おはんの考える人を信じる政は甘かと言い、隆盛は、自分を追い出したかったのならそう言うべきだった、それなら二人だけの喧嘩で済んだはずだと言う。しかし利通は、卑怯者でも何でもいい、憎まれるのは覚悟のうえだと言い放つ。しかし隆盛は、嫌いになどなれん、何事も2人でやって来たんじゃと涙を浮かべながら話し、おいの負けじゃ、後はおはんのやりたいようにやれと言う。利通も涙を浮かべていた。入室して来たおゆうが、何だか最後の別れのようだと心配するが、隆盛は最後まで前向きであり、利通は涙がこみ上げてくるのを抑えきれなかった。翌朝、隆盛と熊吉は東京を発った。去り際に従道が来て、自分は兄さあの分まで食らいつくと言う。そしてこれが、隆盛と利通の永の別れとなった。

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利通が隆盛に反対する件ですが、実際彼はこの当時、内政を優先することを目標に掲げていたといいます。また征韓論に対しても、陸軍中将の西郷が朝鮮へ行ったら危ないことになる、止めろというのが本音だったでしょう。実際派兵を主張したのは板垣退助だといわれています。無論隆盛にしてみれば、朝鮮と国交を結び直し、清と組んで列強に対抗するはずだったのですが、その清も列強に一部の領地を取り上げられていました。恐らく隆盛の交渉がうまく行ったとしても、この両国と組むのは難しかったかと思われます。

また清、朝鮮とは交易関係にありましたから、居留民のことを考えるのもやむなしではあるでしょう。これは一つ前の武者氏のコラム関係の投稿にも書いていますが、今現在も、事情は違えど朝鮮半島有事の際、在韓邦人をどうするかという問題があります。ちょっと話が逸れますが、ソウルのアメリカンスクールも閉鎖予定(アメリカとの縁切り)だし、中国は中国でウイグルの件で揺れているし、さらに人民元下落と、共産党政府では無理なことをアメリカから押し付けられるというダブルパンチで、今もなおこの両国は難しい状態にあります。日本は今回は米豪インドと組むし、日産も会長逮捕でルノーと縁が切れるので、アメリカと提携しやすくなるなどのメリットがありそうです。閑話休題。ちなみに朝鮮が国交を断絶したのは儒教国家的な理由というのは前に書きましたが、それゆえ維新的な社会改革が起こらず、その結果日韓併合に持ち込まれたわけです。

それから江藤新平の
「こんままでは終わらんぞ」
これは明らかに佐賀の乱のことですね。これによって利通と江藤は対立関係となり、佐賀の臨時裁判所で極刑を申し渡された江藤は、そのまま処刑されています。ついでながら紀尾井坂の変で利通を暗殺した石川県士族のうち、中心的な人物であった島田一郎は征韓論に共鳴していました。この人物は佐賀の乱の事後処理にも批判的で、これが大久保暗殺へつながっています。また利通が内務卿となって全権把握した後、その後大日本帝国憲法発布までの、特定の藩出身者による政治を有司専制と呼びます。

また木戸孝允ですが、この人物は軍人を閣僚に就任させることには反対でした。それを思うとこの中で、彼が病気のためとはいえ、山県有朋をはじめとする長州閥と、一線を引きたがったのもわかるような気がします。そもそも1人だけ和服というのも、他とは違うというアピールのように取れます。この人の病気は脳疾患といわれており、そのため手の動きがぎこちないという描写をされています。その他にも余病はあったようで、西南戦争中に世を去ります。その年秋には隆盛、翌年には利通と、維新三傑が相次いで世を去ったため、次世代の人物が跡を引き継ぐ格好となりました。

さて再放送中の『軍師官兵衛』、九州平定の時期となっています。実際島津氏は、全九州を島津帝国にする野心がありました。しかし秀吉軍に完敗し、薩摩・大隅と日向の一部を安堵されるに至ります。なお毛利輝元や小早川隆景は、この時秀吉軍の一員として名を連ねています。また吉川元春も従軍していましたが、途中小倉城で病死します。この小倉城は、その280年後、毛利の長州に攻められて炎上するに至ります。

[ 2018/11/20 01:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第42回「両雄激突」

明治天皇の巡幸で鹿児島へ戻った隆盛に、菊次郎が留学したい旨を告げます。その一方で、岩倉使節団は予定を大幅に過ぎても帰国しません。隆盛は肥前や土佐の出身者と組んで、新たに政府を立ち上げることにします。

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菊次郎はアメリカ留学をすることになり、父である隆盛と共に東京へ向かった。留学は従兄である市来宗介も一緒だった。しかしそれが気になる琴は、今から横浜の港まで行くと言い出し、川口雪篷にたしなめられる。留学前、隆盛は菊次郎の散髪をしてやりながら、農業を学んで来いと言う。向こうには豊かな大百姓がいる、それは農業や牧畜が学問として成り立っているからだと言い、皆が豊かになれば、自然と前を向いて国がまとまると言い聞かせた。洋装姿で革のトランクを持つ宗介と菊次郎は、長屋の人々の注目を集める。菊次郎は「気張ってきもす」と言い、長屋を後にした。一方で使節団の帰国は10か月後のはずだったのが、1年経っても帰国出来ていなかった。

使節団に参加している大久保利通から隆盛宛てに手紙が届いた。手紙には、髭を蓄えた自身の写真が添えられていた。「似合っちょらんど」と言いつつ手紙に目を走らせた隆盛だが、それにはアメリカを出てエゲレスへと来たが、西欧諸国の近代化がめざましく、条約改正しようにも相手にされないこと、そのせいで頭の天辺の毛が抜けたこと、まだもう少し留まる必要があることが書かれていた。自分も気張らねばならぬと思う隆盛だが、使節団不在中は新しいことはしないと盟約を交わしたことを、従道は気にしていた。しかし廃藩置県後の余波が広がっており、早急に手をつけなければならないことが多かった。また山県有朋の不祥事で、隆盛も同意していた徴兵令の件は従道に頼む格好となった。

さらに不祥事が起こった。大蔵大輔の井上馨が、秋田の銅山を不正に差し押さえて、私腹を肥やそうとしていたのである。井上は、自分の財政案に不満があるための言いがかりだとと言い張るも、江藤新平は緻密にそのことを調べ上げ、隆盛は井上に辞任を命じる。長州を後ろ盾にしていた三条実美は、それでは困ると言うものの、隆盛は政府の顔ぶれを一新し、土佐や肥前の出身者、さらにもう一人肥前出身の大木喬任を加えて、留守政府で新たに政を始めた。一方隆盛は長屋で子供たちの散髪をしてやるが、そこへ人々が、政府は生き血まで取るのかと詰め寄る。しかしそれは血税、つまり徴兵令による兵役義務を意味していた。これからは身分の関係なしに軍役につくのだと隆盛は皆に説く。

その後も留守政府は学校教育、地租改正、鉄道の開通や製糸場の建設、太陽暦の採用や裁判所設置などを決定して行った。しかし留守中にこのようなことをしていいのかと、三条実美は不安がっていた。隆盛はこのことは向こうに知らせてあると答えるが、三条はひどく岩倉具視を恐れていた。その時隆盛は、妙なにおいに気づく。宮中から火の手が上がり、幸い明治天皇は無事だったが、宮殿を全焼してしまった。その後すすけた軍服のまま帰って来た隆盛は昏倒し、目を覚ましたのは二日後のことだった。医者が心臓が弱っていると言ったと聞かされるも、何とかして仕事に戻ろうとする隆盛を弟の従道と小兵衛が止める。隆盛はかなり肥満しており、父吉兵衛が亡くなった年齢に近づいていた。

隆盛不在でも政府の仕事は進んでいたが、そこへ利通が一足先に帰国する。予定より8か月も遅れ、条約改正ではさしたる成果も上げられていなかった。そして政府の議場に足を運ぶが、隆盛は病欠しており、後は肥前と土佐の出身者ばかりで、帰国を喜ぶ三条実美以外は、皆彼に対して冷ややかだった。そして江藤は、ここにはあなたの席はないとまで言った。その後利通は隆盛を見舞い、土産の時計を渡す。2人だけで話をしたがっていることに気づいた熊吉はその場を外し、利通は西欧の産業革命とその豊かさについて話し始める。その凄さは何となくわかると言う隆盛に、自分で見たもんでないと分からん、だから江藤たちは自分をないがしろにでくっとじゃと、利通は怒りを露わにする。

さらに利通は新たに参議となった江藤たちを辞めさせ、岩倉帰国後に自分たちで政府を建て直すと言い張る。隆盛は今の政府に加わればいいと答え、西洋で見て来たものも悔しか思いも、決して無駄にはならんと利通を諭す。しかし利通は吉之助さぁは優しかと言い、おいにも譲れん理想があっとじゃと声を荒げる。隆盛はならば政府を去れと、家を出て行く利通の背中に向かって言い放つ。利通は外で子供たちが相撲をしているのを見て、ふとあることを思い出す。隆盛が再び出仕するようになった頃、朝鮮国(李氏朝鮮)との関係について、出兵させるべきとの意見が出るようになった。しかし現段階での出兵はかなり危険であり、また朝鮮にいる居留民のためにも、隆盛は自ら全権大使として、交渉に行くことを三条に願い出る。

政府は西郷の朝鮮行きに及び腰になり、隆盛は何のための政府かと一喝してしまう。結局この件については、勅許を得ることになった。そして隆盛は利通を訪ねるが、会うことは出来なかった。ちょっと喧嘩したので、謝りに来たとおゆうに話し、政府は一蔵どんを必要としていると伝えてくれと頼む。また一蔵どんは頭がよか分、解けるのに時間がかかるとも言った。その隆盛が達熊と話す声を、利通は自室でパイプをくゆらせながら聞いていた。そしてその明治6(1873)年の9月、岩倉たちが帰国する。帰国の挨拶、そして目的を果たせなかった詫びをくどくどと述べる岩倉に、天皇はこう声をかけた。
「民は失意しておる」

数日後、伊藤はきれいどころを揃えていると岩倉を妓楼に誘う。しかしそこにいたのは、長州出身者ばかりだった。木戸孝允と伊藤博文は欧米で手柄を立てられず、山県と井上は不祥事で政府を退いていた。すると伊藤が進み出て、約束を破った西郷さんこそ責められるべき、新しい政にどんどん銭を使い、大久保さんが蚊帳の外に追いやられていると岩倉に告げる。西郷と大久保の不仲を知った岩倉の前に、今度はその利通が姿を現す。朝鮮行きに関しては、三条は岩倉の未承認を理由に問題を先延ばししていた。そして10月14日、岩倉は利通を伴って議場に入り、皆は隆盛の朝鮮行きが決まると思っていた。しかし利通は冷ややかにこう言った。
「西郷参議の朝鮮は派遣のこと、私は今一度考え直すべきかと思います」
「私は断固承服しかねます、西郷参議」
その視線は、かつての友人のそれではなかった。

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何だか戦国大河のようなサブタイですが、いよいよ「決裂」の時が来ます。大久保利通にしてみれば、肥前や土佐出身者が政府内にいるのが、腹に据えかねたということもあるのでしょうが、そもそも1年半もの間、何もせずにいろという方が無理なわけですから、出国以前の状態にはもう戻らないと考えてしかるべきではあるのですが…。そして帰国後の伊藤博文、この人物の如才なさがよく表れています。隆盛から追い出された長州勢、さらには岩倉と組んで、いわば隆盛や土肥勢を追い出す作戦に出るわけで、あの後あの部屋でどういう会話が交わされたかは容易に想像できます。

また長屋の人々が「血税」で騒いでいます。無論生き血を提供するわけでもなく、今日よく使われる意味での血税でもなく、この場合は兵役義務のことです。この当時徴兵令をはじめ、多くの近代化法案が実行に移されたわけで、その意味では留守政府の果たした役割はきわめて大きいといえますし、それに対する評価がないのであれば、留守政府側としても無論面白くはないでしょう。しかも利通の言う産業革命、その賜物の蒸気機関車も、この時新橋ー横浜間を走るようになっていました。

その利通ですが、長屋を出た時に子供たちが相撲を取っているのが目に入ります。かつての吉之助が相撲が強かったこと、それに関して自分はいつも不利であったことが思い出され、それもまた「譲れん理想」を守るための動機となって行くように見えます。彼一流のプライドとでも呼ぶべきでしょうか。それにしても、譲れん理想があるのなら薩摩へ帰れと言う隆盛ですが、政府内の形勢が逆転し、その彼自身が薩摩へ戻ってしまうのですから皮肉な話です。そして隆盛と利通を二人きりにしておこうという熊吉の配慮に、何やら『相棒』の「花の里」のシーンが思い出されます。

それと「征韓論」、これだけ見ると如何にも隆盛が朝鮮を攻めたがっているようですが、無論そうではなく、むしろ兵を出さずに自分が話をつけて来るというものでした。しかしそもそもなぜ朝鮮国、当時の李氏朝鮮が日本を認めなかったか、これには如何にも儒教国家らしいものが窺えます。これに関しては、た別に書く予定ですが、ともあれこの征韓論論争に敗れた後隆盛は下野し、その後江華島事件が起こることになります。

鰻と並んで、この大河で頻繁に登場するカステラ。長屋の人々に配っていたのも、また、隆盛が大久保家を訪ねた時の手土産もカステラでした。隆盛にしてみれば、かつて島津斉彬からもらった菓子であり、またそれをくるんでいた紙が、自らの将来を決めたともいえるだけに、思い入れがあるのは事実といえるでしょう。ちなみにカステラは、江戸時代中期には江戸と大坂でも作られていたといわれています。

[ 2018/11/13 01:45 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第41回感想続き

まず、長屋のシーンで「東京日毎新聞」が登場しますが、東京日日新聞(現・毎日新聞)をもじったものといえそうです。この当時、それまでの瓦版に代わって新聞が発行されるようになりました。この東京日日新聞は明治5(1872)年の発行ですから、ちょうどこの時期です。結構書かれていることは難しそうなのですが、当時識字率はそこそこだったといわれますから、恐らく新聞程度なら読めたとも考えられそうです。しかしこの場合一揆もさることながら、この新聞とかいうの色々載っててすげえ、といった雰囲気ではありますが。

そして万機親裁という言葉が登場します。すなわち天皇の親政ということですが、この当時もちろん議会政治は行われていませんでした。帝国議会が召集されたのは、明治22(1889)年の大日本帝国憲法発布後のことです。またこの時点では政党政治ではなく、議院内閣制でもありませんでした。大正時代に政党政治が活発になり、議院内閣制的な政治が一時期行われるようになります。通常会と臨時会があること、また天皇大権の中に、衆議院解散があるのは、今の国会に引き継がれているともいえます。現在衆議院解散は天皇の国事行為であり、詔書がふくさに包まれて議長席に届けられるのを、テレビ中継で見たことのある人も多いでしょう。尚帝国議会での天皇大権としては、その他に召集、開会、閉会、停会が含まれます。

それから今回は「斬り捨てられそうに」なった直江さん、もとい山県さんですが、この当時は陸軍大輔(たいふ)という役職にありました。この当時は兵部省から分かれた陸軍省のトップのことで、後にこの人は陸軍卿代理、さらに陸軍卿という役職で返り咲きます。この陸軍卿代理、陸軍卿に就任したのもこの人が初めてで、要は陸軍省が出来た時から、そのトップにいたことになります。さらにこれらの役職には、隆盛の弟の従道も就任しています。そして明治18(1885)年、陸軍卿は陸軍大臣と改称され、初代陸軍大臣は、隆盛の身内でもある大山巌でした。なおこの山県有朋(狂介)は、奇兵隊の総督も務めており、子供の頃は家格が低く、槍で身を立てようとしていたこともあり、根っからの武人肌といってもいいのでしょう。
(2018年11月8日一部修正)
飲み物-コーヒーと砂糖とミルク
[ 2018/11/07 01:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第41回「新しき国へ」

新政府が発足して廃藩置県が行われても、庶民の暮らしは苦しいままでした。そして政府内部も、薩長とそれ以外の藩に二分されていました。そんな中島津久光は、西郷と大久保に裏切られた無念から、大々的に花火を打ち上げます。

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ある夜、西郷家の人々は大きな物音がするのに気づく。大砲の音かと驚くが、その正体は花火だった。国父久光が、西郷隆盛と大久保利通に裏切られた憂さを晴らすため、盛大に花火を打ち上げていたのである。久光は危うく足を踏み外しそうになりつつも、気が済むまで花火を打ち上げようとしてていた。
「西郷、一蔵、わしはまだまだ終わらんど~」
一方東京では、諸制度の改革が急速に進められていた。しかし薩長出身者と、その他の土佐や肥前の出身者との溝は深まりつつあった。その頃、欧米への使節団が派遣されることが決まる。

その使節団の目的は、新国家日本を世界に知らしめること、そして江戸幕府が各国と結んだ不平等条約の改正だった。使節団の中心は利通や木戸ら薩長出身者によって占められており、隆盛は岩倉具視に、今すぐに送るべきかと尋ねるが、既にアメリカとイギリスを回って来た伊藤博文が、西洋の力を知ることが急務であると答える。土佐や肥前出身者に取っては面白くなかったが、見方を変えれば、政府をわがものにする好機といえた。そして胃薬を手離せない利通も、自分が不在中に政府を乗っ取られないかを案じていた。廃藩置県後も民の暮らしは苦しく、鹿児島では久光を中心に不穏な動きがあった。隆盛はそのためにも、天皇に行幸して、民の有様を間近に見て頂くという方法を思いつく。これには利通も賛成だった。

隆盛はそのためにも利通に日本に残ってほしかったが、それは難しい話だった。そして西郷家には、菊次郎宛てに隆盛の手紙が届く。使節団のこと、そして菊次郎の留学のこともしたためられたその手紙に、琴や園は反発する。菊次郎は迷うが、糸は、最終的には自分で決めるように言う。しかし鶴丸城では、久光が民からの文を桂久武、大山綱良の前に投げ出し、薩摩は自分で仕切るとほのめかす。また久光は政府を、異国の真似ばかりと非難し、桂や大山の洋装や断髪にまでけちをつけた。一方東京では村田新八が侍従として天皇のお側に仕えることになり、熊吉が尾頭付きを用意していた。さらに従道と川路利良もやって来た。川路も欧州に派遣されることが決まり、本場のポリスを視察することになった。

さらに中村半次郎改め桐野利秋が、軍服姿で香水をつけてやって来た。3人まとめての祝いとなったが、村田は自分の責任の重さに悩んでいた。しかし隆盛は、それぞれに適材適所であることを説き、村田がいつも腹を空かせていたことを話す。その時村田の腹が本当に鳴り、その場は笑いに包まれた。そして隆盛は宮中改革に乗り出し、まず天子様に相撲を取って頂きたいと言って、万里小路博房ら公家たちを驚かせる。さらに隆盛は全国巡幸を願い出るが、天皇は公家たちと一旦その場を離れる。しかし再び戻って来て、隆盛に対して口を開いた。
「西郷、卿の申すこともっともじゃ。これからも朕に力を貸してくれ」
どよめく公家たちを山岡鉄太郎が鎮める。巡幸は天皇自らが認めたのだった。さらに欧米使節団に対し、自ら詔書を読み上げて岩倉や利通たちを感動させた。

その後2人は、執務中の隆盛を訪れ、留守中新しいことはするなと念を押す。しかし実際は税収が安定せず、新しいことをしようにも出来ないと利通は言う。2人は互いの腕に手を置き、別れを惜しむ。サンフランシスコに使節団が発った後、早速土佐や肥前出身の者たちが、新しい大蔵卿を立てるように要請した。しかし大蔵省のことは隆盛と井上馨に任されていた。何も変えてはいけないと主張する隆盛だが、帰宅途中に長屋の人々が、地方の一揆を噂しているのを聞く。「西郷さんは違う」と皆は言うが、彼らが今の政治に不満を持っているのは事実のようだった。そこへ別れたはずの別府晋介が戻って来る。実は陸軍大輔である山県有朋が、陸軍出入りの山城屋に、軍の金65万円を都合し、見返りを受け取っていたのである。その山城屋は長州出身で、山県とは古い付き合いであり、それを江藤新平たちが調べていたのだった。

隆盛は山県を斬ろうとしていた桐野を止め、閣議に入る。民の血税を、こういうことに使うとは許されぬという江藤たちの言に従い、隆盛は山県の辞任をうながす。さらに今度は、未だ武士の姿を改めない海江田武次がやって来る。海江田が渡した久光の文には、自分が県令となって薩摩を治めたい旨が書かれていた。しかし隆盛は、それをすれば日本中の元藩主が、県令に名乗りを上げかねないことを知っていた。そいの何がいかんと海江田は言うが、新しか国を作った以上、もう後戻りはできんと隆盛は答える。しかし民のことを見捨ててはおけず、天皇の巡幸のことを海江田に打ち明ける。これに海江田は驚き、また隆盛も随行することになったため、西郷家にその知らせがもたらされる。川口雪篷は珍しく、巡幸の日まで酒を断つと明言した。

明治5(1872)年、西国各地の巡幸に出発した明治天皇は、鹿児島に到着した。鶴丸城に入った天皇に拝謁した久光や海江田、大山らは驚く。天皇は洋服姿だったのである。その後久光は廊下に控えていた隆盛と差しで話す。久光はまずこう言った。
「こいが、お前が我が兄斉彬と一緒に作りたかった新しか国か」
隆盛は理想を実現するため、「時に国父様を欺き、お心に沿わぬこつも致しもした」と述べる。しかし理想とはかけ離れていること、国父様にも戦死した者たちにも、徳川の方々にも顔向けが出来ないと述べる。しかしそれに対して久光は「こんやっせんぼが!」と叫び、最後までやり抜け、やり抜けれなければ薩摩へ戻って若い者に任せろ、新しか国とは若い者のためにあると諭す。さらに久光は、天子様のお召し物を考え直せと言うのだった。

その後自宅の祠の前にいた隆盛は、久々に菊次郎に会う。菊次郎は異国で勉強したいと隆盛、そして糸に頼む。菊次郎もそれを決意するまでにはかなり悩んでいた。しかしその日、天子様のお姿を見て決めたのだと言う。天子様は菊次郎には、「きらっきらしく」映ったのだった。菊次郎と離れることになった糸は、愛加那が菊次郎を手離した時の気持ちがわかるような気がした。しかし菊次郎がそう決めた以上、後押しをしてやりたいと言う。隆盛は空を仰いで言った。
「国父様、菊次郎には天子様のお姿はそげなふうに見えたとでございもす」

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やはり今回は「錦江湾花火大会」から始まりました。島津久光にしてみれば、元々そりが合わない感じだった隆盛はともかく、利通にまで冷たい言葉を投げつけられたことが、かなり癪に障ったようです。結局自分は、彼らの理想を実現させるための道具に過ぎなかったわけで、元々保守的で異国嫌い(これは、以前斉彬存命時に、当時の吉之助に盾突く回でも描かれていました)の久光は、民の不満をいいことに異国かぶれの政府に悪態をつき、さらに桂久武や、大山綱良の洋装断髪にまで文句を言います。しかも未だに髷を切らず和装の海江田武次が、この人物の代弁者のようになってもいます。

しかし隆盛と差しで話す時の久光は、この人にしては珍しく、物分かりのいいところを見せます。最後までやり抜け、それでもだめなら薩摩に戻って来い(実際そうなりますが)、若い者に任せろとまで言い聞かせるのですが、その一方で天子様の洋服はいかんと言うのが、やはりこの久光らしい保守的な部分ともいえます。しかし斉彬のみならず、久光にまで「やっせんぼ」と言われるとは、隆盛も予想だにしていなかったでしょう。そして菊次郎ですが、天子様の「きらっきらしい」姿を見てというのは、恐らく洋服姿を指していると思われます。久光のお召し物云々も、この一言で吹き飛んだ感があり、隆盛の最後のセリフは、恐らくそれを示唆しているかと思われます。そして糸、愛加那の気持ちが、今ここに来て理解できたようです。

それから山城屋事件、あの「直江さん」がこんな風に変わるとは…。それはともかく、実際この当時の65万円、今の100億円程度をつぎ込むというのは由々しき事態でした。見方を変えれば、肥前と土佐の出身者が揚げ足取りをしているようにも見えますが、しかし政府が手本を示さなければならない以上、これは致し方なきことでした。しかし思うのですが、この当時の「洋行」というのはかなりの長丁場です。いくら予算はなくても、その間何もするなという方が実際無理なわけです。使節団と留守政府の間に軋轢が生じるのも、ある意味必然であったといえます。尤も山県は他に代わる人材がいないということで、その後間もなく復職しています。

そして岩倉使節団。本来の目的である条約改正は、実は果たすことができませんでした。しかし西洋の様々な物を学び取って帰ったというのは、収穫であったといえます。条約改正に関してはその後何度も交渉が行われ、最終的に関税自主権を回復したのは、明治44(1911)年の桂内閣時、外務大臣であった小村寿太郎によってでした。つまり明治時代の殆どを費やしての、不平等条約の改正であったということです。

また西郷の「相撲を取って頂きたい」、これは恐らく山岡鉄舟が、明治天皇と実際に相撲を取ったというエピソードにちなんでいるように思えます。ある日明治天皇が泥酔して、山岡と相撲を取り、本来ならば勝ちを譲ってしかるべきところを、そのまま投げ飛ばしたという噺ですが、これは天皇をお諫めするという目的があったようです。しかもこの大河では、隆盛と山岡の体型は瓜二つといえます。
     
[ 2018/11/06 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第40回感想続きその他

さて、昨日アップしようと思って出来なかった『西郷どん』第40回感想の続きです。この中で大久保利通の妻満寿が、東京行きを勧められるものの、他に夫の世話をする人がいるという理由で、渋るシーンがあります。恐らく龍馬とお龍が薩摩に来た時、京に駐在している人にはいわば「現地妻」がいると話したせいもあり、愛人というか妾の存在に気づいていたと思われます。実際東京の屋敷にはおゆうがいて、2人の間に子供もいますが、先日のスペシャルを観た限りでは、この2人は相まみえるようです。

これで思い出すのが『花燃ゆ』です。この時は久坂玄瑞と結婚して、まだ子供が生まれない文が、夫と別の女性(辰路)との関係を知って、単身彼女に会いに行きます。文自身まだ若いこともあるにせよ、これはいささかやり過ぎではと思いました。この当時の武家で、奥さんの方から出張って行くということは、ありえないのではないでしょうか。仮に愛人の存在に気づいていたにせよ、正妻なのですから堂々と構えていていいでしょう。しかもその文、義兄に当たる小田村伊之助と2人で下関に行くシーンもあり、この辺も如何なものかと思ったことはあります。

女性絡みでもう一つ。第39回で糸が菊次郎を引き取りに来て、愛加那と挨拶を交わすシーンがあります。この時愛加那が、好いた人の命を守るのは当たり前だと言い、糸もそれにうなずきます。この好いた人の命とは、吉之助=隆盛の血を引く子を意味すると思われます。その当時の菊次郎は、この2人の母の気持ちをまだ理解できなかったとありますが、これが伏線のように感じられます。その後成長した菊次郎が、この時の2人の思いを察知する日が来るのかもしれません。しかし登場人物やストーリー展開にもよりますが、女性主人公の大河には、なぜかあまりこういうシーンが出て来ませんね。

それと以前、この大河と『翔ぶが如く』をやたらに比較する人のブログを見たことがあります。その人にしてみれば、あの作品のように描かれていないのは不満なのでしょう。しかし制作意図も製作スタッフも、無論出演者も異なるわけですから、それは当然だと思いますし、特に私はあの作品とこの大河の違いを楽しんでいるわけです。これは『真田太平記』と『真田丸』の比較も似たようなものです-但し真田太平記は忍びの生活が描かれ、樋口角兵衛というキャラもいて、その辺『真田丸』とは違った面白さがありました。
むしろこの2つの薩摩大河は、互いに補完関係にあるようにも思います。昨年末のどなたかのツイートに、他の幕末大河と比較されたり、原作者、脚本家であれこれ言われたりとなりそうだから、要注意といった旨のを見たことがありますが、同じ幕末大河、薩摩大河でもそれぞれ異なりますから、単純に比較はできないでしょう。

まあ私も『花燃ゆ』『おんな城主 直虎』共々、途中から面白いと感じなくなったことは事実です。しかしそれでも、まだ歴史上の出来事が出て来るかもしれないと思いつつ、結局完走(直虎は途中から録画視聴)はしたわけです。実際全く出て来なかったわけではありませんでしたが、どこか物足りなくはありました。
これに関してはそれぞれの関連投稿で書いています。特に昨年の今頃は、あまりやる気のない文章になっているかと思います(苦笑)。女性主人公の場合、男性主人公の大河に比べると、主人公が歴史に直接関わることが少ないためやはり見劣りはします。これらの大河を頭から否定はしませんが、制作に受信料を投入しているわけですし、何とももったいない話ではあります。

それから後になりましたが、もう一つクランクアップ関連で。
日刊スポーツの記事ということで、朝日新聞サイトにも多分同じ記事が掲載されています。この最後の方で鈴木亮平さんが、『麒麟がくる』に出演したい云々といったコメントがあります。
「(前略)20年『麒麟がくる』の次ぐらいで。もしくは『麒麟がくる』で織田信長役を。冗談ですが、また成長して違う年齢、経験を重ねた自分で大河ドラマに戻って来たい」
最近は隔年や2年おきくらいで再び出演というケースもありますので、再来年は今年のキャストが一部出演する確率も高いかと思います。織田信長を従来とは異なったイメージで描くのなら、それもありかもしれません。個人的にその翌年は『太平記』(新元号版)を期待しているので、それで高師直か楠木正成の役などをやってほしくもありますが。
あと瑛太さんには『麒麟がくる』で竹中半兵衛の役をやってほしいと思っていますが、これはNHKに直訴してみますか。先日とその2回前とで、直垂がかなり似合っていましたので、戦国物でも見栄えがするのではないでしょうか。

飲み物-ドリップコーヒー
[ 2018/10/31 18:00 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第40回「波乱の新政府」

まず『西郷どん』クランクアップのニュースからです。

鈴木亮平「西郷を生ききった」 「西郷どん」クランクアップ翌日から「現代人に戻った」

瑛太「西郷どん」クランクアップ、大久保利通役「過酷だったが達成感」
(いずれもスポニチアネックスより)

クランクアップはしましたが、ドラマはこれからがクライマックスですので、最終回まで「おやっとさあ」は言わずにおきましょう。

そして公式サイト内に「国父チャンネル」なるものがありますので、リンクを貼っておきます。
(NHK ONLINE)

さて故郷鹿児島に戻り、奄美大島から菊次郎を引き取った隆盛(吉之助)ですが、中央政府は意見がまとまらない有様でした。その中でやるべきことはやると言う大久保利通(一蔵)。そんな中、岩倉具視と利通が勅書を携えて鹿児島を訪れます。

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岩倉が読み上げた勅書には、島津久光を新政府に参加させる旨が認められていた。しかし久光は激しく咳き込み、このような体ではとても役に立たないと断る。一同は久光が病身であることに驚くが、久光の様子はどこかわざとらしさが感じられた。勅書であるぞと岩倉は立腹するが、久光は海江田の肩を借りてその場を去る。なぜ勅書を得てまで久光を担ごうとしたのか、隆盛は不審に思う。岩倉も言葉を濁すが、利通は、日本全国の藩を取り潰すためだと明言する。資金不足を補うべく、藩に代わって政府が税の徴収権を得るのが狙いだった。しかしこれに不平を持つ元藩士たちが、久光を担ぎ出して反乱に出ることも予想され、なまじな覚悟では出来そうにもなかった。

隆盛は反乱に対抗する存在として、天子様の御親兵を作ろうと持ちかける。諸藩から精兵を集めて、政府の味方に引き入れようということであり、これについては利通から一任された。一方西郷家では中村半次郎、別府晋介、川路利良や小兵衛らが剣術の稽古をしていたが、小兵衛は侍の世はもうすぐ終わると半次郎に言い、半次郎はそれを不快に思う。その時隆盛と従道が戻って来て、御親兵のことを話して聞かせ、新しか世の侍じゃという隆盛の言葉に、皆は目を輝かせる。御親兵あるいはポリスを目指して、彼らは再び稽古に打ち込むが、同じ頃厨房では利通の妻満寿が、夫から上京を勧められているものの行くつもりはない、他に世話をする者がいると言って糸や琴を驚かせる。また満寿は、夫は薩摩に戻らない覚悟を決めていると薄々感じていた。

久光は病床に臥せており、利通の説得にも耳を貸そうとしなかった。利通がなおも東京行きを促し、悪いようには致しもはんと言った途端、病のはずの久光は跳ね起きてこう叫んだ。
「何様じゃ、お前は。いつからそげな口を利けるようになった、一蔵」
久光はさらにこうも言った。
「わしを東京に押さえつけて、こん薩摩を押さえ込むつもりじゃろ」
しかし利通は冷静だった。自分に向かって上げられた久光の手を押さえ込み、いつまでそのようなことを仰せられますか、自分は最早天子様にお仕えしている身、時世に取り残されますぞと、かつての主君を諫める。さらに新政府に久光の席を設けてあるとも言い、「島津久光様」と言ってその場を去った。久光は自分が見捨てられたように思えた。

隆盛は雪が降りしきる中縁側に出て、雪を珍しそうに眺める菊次郎と話をしていた。今は自分を磨き、何をしたいかと考えろと説く隆盛。明治4(1871)年、隆盛は熊吉を連れて東京へ出た。しばらくいないうちに、東京では人力車や馬車が走るようになっていた。そして大久保邸に招かれるが、そこに集った政府高官たちの間では、新時代の造船所や鉄道、貨幣、法律関係の話でにぎわっていた。利通が築地の料理人に作らせた洋食がテーブルに並べられ、一同は食事を始めるが、その会話にはそれぞれの強い思惑が感じられ、必ずしも政府は一枚岩ではなさそうだった。会食後、利通は妾のおゆうが持って来た薬を飲み、これが政府の実情だと隆盛に言う。

利通は廃藩置県が遅れると、かつての藩士たちの反乱が高まることになるのを懸念していた。隆盛は、それまで仕えていた藩がなくなることへの抵抗があると言うが、それでは近代化は出来ないと利通は反論する。さらに隆盛は時間をかけて皆を説得しろというが、もう時間がないこと、そして隆盛に託された国造りの真っ最中であるから、ここは自分が主導権を握ると言い、隆盛も承知する。そして利通は小皿に盛られた沢庵をかじり、紅茶を飲んだ。この取り合わせがうまいのだと言う。するとそこに利通とおゆうの子、達熊が現れた。洋食が食べたかったという達熊をおゆうがたしなめる。その達熊は、利通にそっくりだった。

御親兵の案が本格化し、鹿児島をはじめ諸藩の藩士たちが上京した。鹿児島から来た半次郎や小兵衛たちはすべて断髪していた。隆盛は自分の住まいである長屋に皆を連れて行き、驚かせる。隆盛は豪勢な屋敷を好まず、熊吉と二人で暮らしており、長屋の住人とも親しげにしていた。住人の一人お房は、政府高官は贅沢ばかりしているとこぼす。その政府では、またも御親兵の費用を巡って意見が対立していたが、隆盛は自分たちの給金を減らして質素倹約に努めるように言い、昼食の弁当も頼まず、持参した握り飯を頬張っていた。三条実美や岩倉は気まずさを感じ、隆盛を説き伏せるよう利通に頼む。その夜利通は隆盛の長屋を訪れ、自分の胃を心配する隆盛をよそに熊吉手製の焼酎を飲む。そうでないとやっていられなかった。

利通は、皆がやりにくいと言っていると口にするが、隆盛は、過ぎた暮らしをするわけに東京にいるわけはないと答える。隆盛の持論である、民の手本となるべきという姿勢はきれいごとじゃと利通は言い、贅沢をするのも、一等国に対等に見られるためのものだと言い張る。そして懐中時計を見て、頼んだぞと言い残して去って行った。雨の朝熊吉は、政府の仕事に出かける隆盛に、東京の雨は気が滅入ると言う。その一方で利通は密かに木戸孝允を呼び、土佐や肥前が三条様に近づいて、政府を掌握しようとしていると話し、このままではすべてに遅れが出る、主導権は我々にあるのを示すべきと、木戸を味方に引き入れようとする。木戸は隆盛のことを案じるが、それは心配無用と利通は答える。

ついに廃藩置県の詔書が下るが、肥前の江藤新平らはだまし討ちであると言い、辞職するべくその場を去ろうとする。岩倉は彼らをなだめるが、利通は冷ややかにこう言った。
「足手まといはやめて頂いて結構」
しかし木戸は、そこに隆盛がいないことを咎める。利通が窮地に陥りかけた時、隆盛が現れた。雨の中御親兵の訓練を見ていたと言う。そして出て行こうとする土佐、肥前勢を不思議そうに見る。利通は薩長だけででも政府を仕切るつもりでいたが、隆盛はそれではいかん、政府の信用をなくす、我々の方には戊辰戦争の戦死者の魂が乗っていると言い、彼らを引き止めにかかる。
「そいでも出てしまう膿は、反乱でも何でもおいが引き受けもんそ」
隆盛も実は迷っていたのだった。会議の後、一人残った利通は自分が間違っていたかと問うが、隆盛は自分の思う道を行けと言い、握り飯を利通の手に握らせる。利通はそれを一口食べて言う。
「うんまか」
その後廃藩置県の運びとなり、かつての藩主たちは解任された。

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まず国父様=久光ですが、あれでは見え見えの仮病です。岩倉が腹を立てるのも当然ではありますが、かつて自分が信頼していた大久保一蔵(利通)にああまで言われ、しかも他人行儀に「島津久光様」とまで呼ばれては立つ瀬もないでしょう。この大久保利通の、ある意味人を人とも思わないような冷たさが、敵を作る一因ともなってはいるのですが、逆にそれでなければ、新政府としての職務を断行できない部分もありました。ちょっと石田三成にも似ていますが、木戸を抱き込んだように、利通は策を使うことが出来たのが三成と異なる点といえます。しかし「心配ご無用」とは、『軍師官兵衛』を思い出しますね。

その利通、相変わらず胃弱で胃薬を飲んでいるようです。この人は紅茶以外にもコーヒー、オートミールなどを好み、一等国の西欧諸国に倣うべしと、いわば必死になっていた感もあります。その辺が自然体というか、如何にも庶民的な雰囲気の隆盛と好対照ですが、吉之助不在時の藩政で必死になっていたことを思えば、さもありなんという気もします。その人物が沢庵をかじったり、隆盛の握り飯を分けてもらったりもするわけで、その時だけ本来の自分に戻っているようにも取れます。沢庵といえば、満寿が糸や琴に夫のことを話す時、漬物を漬けている設定というのが面白い。

そして隆盛が住んでいる長屋ですが、何か『JIN-仁-』を思わせます。こういう所に住んで、しかも熊吉の握り飯を持って出かける「政府高官」というのが、人々の共感を呼んだのは事実でしょう。しかも熊吉の「東京の雨は気が滅入る」というのは、なかなか言い得て妙かもしれません。しかしこの人、いくつ位なのでしょうね。隆盛の年齢を考えると、もう還暦過ぎではないかと思うのですが。

さらに利通とおゆうの子、達熊が登場します。その子が利通そっくりだと隆盛は思うのですが、どこかで自分と菊次郎の関係を重ね合わせている部分もあります。その菊次郎と縁先で話をしている時、雪が舞っていますが、鹿児島は南国のイメージがあるにもかかわらず、意外と雪が降るようです。

何とか持ち直したかに見えた政府も、この後状況が逼迫します。岩倉視察団と留守政府とのギャップが、後の隆盛と利通のぎくしゃくした関係を生み出すわけですが、恐らく利通が視察団に加わらなくても、この二人は最終的に違う道を歩んだでしょう。隆盛は御親兵のことで、肥前や土佐の出身者を引き止め、政府が一丸となれないのなら責任を取ると主張します。この時江藤新平と目を合わせますが、この江藤こそ後に佐賀の乱で不平士族を率い、隆盛に助けを求めに来る人物でもありました。

[ 2018/10/30 01:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第39回感想続き

水曜日ですが、恒例のラグビー記事はもう少し先になることをお断りしておきます。そろそろ代表月間で、その前に試合を全部観ておきたいからです。と言いつつ、ラグビー関連から話を進めて行きますが、この明治初年、正確には1871(明治4)年には世界初のラグビー協会となる、イングランド・ラグビー協会が誕生しています。ちなみにシャーロック・ホームズの登場はもう少し先ですが、ともあれこの時期、日本の今後を巡って新政府はまとまりを欠いていました。そのせいで国内でも不満の声が溢れ、これが西郷隆盛を呼び戻す一因になったと思われます。無論前回の終盤のナレでもあったように、この東京行きが本人の運命に大きく影響することになります。

そしてその西郷が正三位、薩摩藩主島津忠義が従三位ということで、木戸孝允が異議を申し立てます。この人らしいといえばそうですが、大久保は勲功があったのだからと平然としています。木戸は同じ長州出身の伊藤博文に目をやりますが、伊藤も知らぬ顔です。この木戸と伊藤、あるいは木戸と大久保の関係は、要はついたり離れたりなのでここでは端折ります。ただ大久保が進める御親兵については、反対の立場にあったようです。その大久保は西郷従道を密かに呼び寄せ、この御親兵(後の近衛師団)の案を伝えて、西郷を上京させようとします。ここで紅茶の付け合わせに漬物があるのが妙な感じですが、それについてはまた後ほど。

第39回の新政府関連で書いて来ましたが、この後も様々な問題を明治政府は抱えることになります。ちなみに大村益次郎(もう退場とは早い)は、維新後、西郷を足利尊氏に例え、西から反乱軍が来ると予見しています。この人物は西郷隆盛への敬意もなく、特に評価もしていない人物で、それに対して海江田武次らが怒りをつのらせ、大村暗殺に間接的に関わったという噂もあります。それはともかく、隆盛を訪ねてくる海江田は、国父様付きというのもあるのか、何やら不満そうでもあります。その国父様、自分が考えていた御一新と、本物が違うことに少なからず腹を立てており、生涯髷を切らず、和服のままで通しています。

飲み物-コーヒー
[ 2018/10/25 01:00 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第39回「父、西郷隆盛」

戊辰戦争が終わり、新政府に留まるように誘われるも薩摩に戻った吉之助は、吉二郎が家政を取り仕切っていたことに涙します。その後髷を切り、そのまま鹿児島に留まって、菊次郎を奄美大島から引き取るのですが、時代が彼を再び必要とします。

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明治37(1904)年。京都市長に西郷菊次郎が就任した。この西郷菊次郎は西南戦争で負傷し、義足をつけていた。その菊次郎に助役の川村鉚次郎は、台湾で一緒に仕事をしたことを話し、また一緒に仕事が出来るのは光栄であると言い、台湾での地元に寄り添う政治をほめ、流石は大西郷の長男であると言う。菊次郎はそれまで父の存在をひけらかしたことはなく、また菊次郎という名前ゆえ、嫡男ではないと川村に断る。そして、父のことをすべて知っているわけではないが、明治2年の頃からなら覚えていると前置きし、川村にその当時の様子を語り始める。その頃故郷に戻った菊次郎の父、西郷吉之助は隆盛と名乗るようになっていた。

薩摩は版籍奉還により名を鹿児島と変え、隆盛は農作業の手伝いをしながら暮らしていた。同じ頃、糸と熊吉は菊次郎を引き取りに、奄美大島の愛加那を訪ねていた。愛加那は子供たちを、自分ではなく吉之助の子として育てたと言い、奥様(糸)の力で立派な薩摩の男にしてくれと頼む。糸は吉之助を救ってくれたことに礼を言うが、愛加那は好いた人の命を守るのは当然と答える。そして菊次郎は、借金を完済した西郷家の新しい住まいにやって来た。信吾の妻清も加わって、西郷家は再び大所帯となっていた。当初はぎこちなかった寅太郎も、菊次郎に愛犬のゴジャとツンを紹介する。その時隆盛が帰宅し、菊次郎も出迎えるが、母愛加那から聞かされていた立派な侍という印象はなかった。

菊次郎は嫡男は寅太郎と母から聞かされ、寅太郎を立てようとする。そして翌日から郷中教育を受けるようになったが、まだ不慣れな点が目についた。その時海江田武次が西郷家を訪れ、隆盛に、国父様から呼び出しがあったと伝える。版籍奉還により、藩主たちはかつてのような権力を失っていた。しかも薩摩の忠義と底力を示すという言葉のもと、民も領土も返上したものの、戊辰戦争から復員した者たちが力を持ち、久光は面白くなかった。久光は隆盛に尋ねた。
「お前の言うご一新とはこういうこっか?」
一方菊次郎は、兄なのになぜその名なのかと他の子供たちが言うのに戸惑っていた。

東京では新政府の中で意見が割れていた。木戸孝允は隆盛の官位が、島津忠義よりも高いことに異議を唱え、利通と名を変えた大久保一蔵を、事を急ぎ過ぎると非難する。また何を優先するかで、それぞれの意見も異なっていた。急ぐと必ずしっぺ返しをくらうと言い捨てて木戸は出て行くが、実際各地で不満の声が上がり始めていた。そして別府晋介が、横山安武を連れて西郷家へやって来る。横山は新政府の者たちが贅沢三昧をしていると不満を漏らす。更に民百姓だけでなく、自分たち武士もいずれ苦しむことになると言い、隆盛に東京へ一緒に行って直訴してくれと懇願する。しかし隆盛は様子見を決め込み、いずれ侍の世は終わると言った。

菊次郎はそんな父を見ていた。日本一熱い男と聞いていた父が動かないことに失望もした。しかしその父は、実は敢えて動こうとしなかったのである。血気にはやる者たちを出さないためであった。そして横山は単身上京し、集議院(立法府)の前で訴状を前に自決する。その後暴動は増加し、東京の大久保邸では、大村益次郎が殺されたことで、岩倉具視が士族の反乱を恐れていた。西郷はほんまに動かんのやろなと問う岩倉に、だから岩倉様にお呼び頂いたのだと利通は答える。お呼び頂いた人物とは、名を従道と変え、フランスから戻って来た信吾だった。信吾は兄を新政府に連れてくるよう説得される。それは廃藩置県の布石のためだった。

その頃隆盛は、戊辰戦争で亡くなった藩士を弔うために各家を回り、西郷家の祠にも「すまんのう」と声をかけていた。菊次郎に取って、父は重い荷物を一人で背負っているように見えた。そんな西郷家に従道が帰って来て、妻の清をいきなり抱きしめ、西洋式の挨拶じゃと言う。従道は兵部権大丞の役に付いていた。土産に喜ぶ家族たちとは別に、従道は機関車の玩具を子供たちに見せる。部屋の片隅に立っていた菊次郎も呼ばれて仲間に加わり、嬉しそうな顔をする。その従道は家族に、清を東京に連れて行くと言う。フランスではどこでも妻同伴という従道に、すっかりかぶれて帰って来たのうと隆盛は笑う。

その夜従道は囲炉裏端で酒を飲んでいたが、隆盛はもう酒は断っていた。菊次郎が嬉しそうな顔をしたこと、土産物のことで従道に礼を言う隆盛に、従道は治安を守る侍だと言って、フランスのポリスを日本でも作りたいと話す。それならば、武士たちを雇うことができそうだった。さらに従道は、兄に東京へ来てくれと頼む。隆盛は、利通と岩倉の差し金であることはわかっていたが、もう政には手を出す資格はないと思っていた。従道自身は政府軍の創設を、戊辰戦争を経験した兄にやってもらいたかった。もう戦は御免だが、そのためには戦をせずにすむだけの力が必要だと言う。

隆盛は、奄美にいた頃の貝を取り出して見つめた後、糸に東京へ行って、変えてしまった責任を果たさなければならないと切り出す。しかし糸はそれに反対した。せっかく菊次郎を連れて来たのだから、もう少し側にいてやってほしいと言う。その話を、隣室で寝ていた菊次郎が目を覚まして聞いていた。翌朝菊次郎は父の前に座り、東京へ行ってくりしょり、父上と頼み込む。また糸にも、母上、父上を、東京へ行かしてたもんせと言った。この時菊次郎は、父のことを少しだけ理解できたような気がしていた。その後菊次郎は自信ありげに剣術に打ち込むようになり、隆盛もそれを満足げに見ていた。しかしこの東京行きこそが、その後の隆盛の運命に大きな影響を与えることになるのである。

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まず冒頭、京都市長となった西郷菊次郎に、川村鉚次郎が台湾の宜蘭で一緒に仕事をしたと言うシーンがあります。実はこの宜蘭とは、先日鉄道事故が起こった場所です。地上波の『西郷どん』を観ようとNHKをつけると、このニュースが流れていて驚きでした。さらに地震と那覇市長選の結果の速報も流れたので、せっかくの新しいOPがテロップだらけになったのは残念です-無論やむを得ないことではありますが。というわけで、OPは後でBSを録画した分をのんびり楽しみました。

いよいよ菊次郎の登場です。というかこのナレそのものが菊次郎目線であったわけで、そのため西田敏行さんが後年の菊次郎役となったわけです。元々西郷菊次郎は外務省→宮内省→京都市長といったコースを歩んだ人で、京都市長を勤め上げた後は鹿児島に戻っています。西南戦争で片脚を負傷し、熊吉に追われて叔父の従道に投降したといわれています。その後負傷した部分を切断し、義足をつけるようになりました。

それから西郷従道。洋行帰りということで、いきなり奥さんにハグで皆を驚かせます。彼はポリス、つまり警察制度を日本に普及させたいと考えると同時に、兄に、廃藩置県と政府軍創設を手伝ってもらうつもりでした。実際警察制度はこの後ほどなくして採り入れられ、川路利良がその職につくことになります。また「抑止力」としての軍、「戦わずして勝つ」軍の構想もありました。しかしこの孫子の「戦わずして勝つ」、再放送中の『軍師官兵衛』を連想させます。

そして隆盛と名を改めた吉之助、自分は最早表舞台に出ることはあるまいと、野良作業を手伝ったり、戊辰戦争で亡くなった藩士の家を回ったりしていました。家を建てたのも、今後は鹿児島で暮らすという思いがあってのことでしょう。しかしやはり新政府には、彼の存在が必要だったようです。特に廃藩置県のように、旧勢力から見れば強引な策に出るには、彼の求心力が求められました。しかし国父様は、やっとというか何というか、騙されたことに気づいたようです。

さて新OPの動画です。途中で水面に落ちる白い花、「サガリバナ」というのだそうで。後の方ですれ違う2人が、ちょっと切ないです。

https://www.youtube.com/watch?v=juNU644_13w&feature=player_embedded

(動画共有ができないようなので、リンクを貼っています)

[ 2018/10/23 01:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

西郷どん第38回「傷だらけの維新」

江戸城は無事に開城したものの、旧幕府勢が反乱を起こし、新政府軍はそのための兵や軍事費を調達する必要に迫られます。大村益次郎の依頼で、吉之助は薩摩へ戻り、藩主父子に兵と資金の要請をする中、弟の吉二郎が戦に行きたいと言い出します。

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江戸城は無血開城となったが、今度は旧幕臣による彰義隊が新政府に対して蜂起した。何とか彰義隊を壊滅させた後は、東北や北越の諸藩が新政府に対抗しようとしていた。特に庄内、長岡、会津といった戦上手の藩に立ち向かうにしても、兵のみならず、兵糧や軍事費など諸々の経費が底をつく有様で、大村益次郎は薩摩を頼りにする。このため吉之助は弟たちと一旦薩摩に戻り、久々に家族と顔を合わせた。小兵衛は戦さ話をするが、信吾は、戦といえば聞こえはいいが、命の奪い合いじゃと言う。そんな信吾に吉二郎は言うのだった。
「兄さあが悪かこつをしちょっようじゃなかか」
しかし吉之助は、信吾の言葉にうなずいた。

また吉之助の名が高まるにつれて、親戚だ友達だと称する人々がやって来て、吉二郎がいくらかの金を渡してもいた。吉二郎はそういう人々を放っておけない性分であり、無下にしたら吉之助の名に傷がつくこともわきまえていた。吉之助はいつも家を仕切ってくれる吉二郎を、弟ながら兄のように思っていた。その夜、糸は奄美に送る荷物を作っていた。その糸は吉之助に、菊次郎を引き取ることを考えているのではないかと尋ねる。そして吉之助は城へ上がり、薩摩の名を響かせるためと言って、島津久光に兵と兵糧と軍資金の無心をする。兵たちに檄を飛ばす吉之助を、向こうの廊下から吉二郎が見ていた。

その日吉二郎は家に戻ってから畑に行こうとし、自顕流の稽古に使う棒を一緒に持参する。それを見た信吾に吉二郎は挑みかかるか、信吾には及ばなかった。似合わんこつはやめちょけ、こんな傷を負って耳が聞こえなくなってもいいのかと、信吾は自分の傷を見せる。しかし吉二郎は、戦場に立ちたいと考えていたのだった。そんなある日吉之助たちが帰宅すると、川口雪篷が「口やかましかのがきちょっ」と言う。妹の琴が来ていて、少しは家族の者も労わってやれと言うのである。特に一番苦労している吉二郎に、何か物を買ってやってくれと頼む琴だが、吉二郎は、自分は戦働きがしたいと言う。

無理だと信吾は言うが、吉二郎は自分も侍らしく生きたいと言い、妻の園も、初めて自分のしたいことを明かした吉二郎に同意する。吉之助は、この戦は今までと違う、西洋の銃や大砲は大勢の命を奪うと忠告するが、吉二郎の気持ちは変わらなかった。そんな吉二郎に、吉之助は入隊を許可し、吉二郎、信吾、小兵衛たちは越後へと発つことになる。熊吉は吉二郎との別れを惜しみ、涙を流す。それから数日後、吉之助を村田新八が訪ねて来た。長岡藩の河井継之助は、新式のガトリング砲と精兵を操り、薩摩の兵は士気が下がり放しだと言う。このままでは奥羽諸藩が勢いづいてしまうと、村田は吉之助の越後行きを懇願する。

松ヶ崎本陣に着いた吉之助の許へ、諸隊から援軍の要請が来るが、その時信吾が、吉二郎が撃たれたと知らせに来る。すぐ吉二郎の許へ行ってくれと頼む信吾に、兵の命は皆同じじゃと吉之助は言い、そのまま軍議を続けた。その後長岡が落ち、吉之助は柏崎の陣へ向かう。よう気張ってくれたと一同をねぎらい、吉二郎に会うものの、吉二郎は瀕死の重傷を負っており、体に気を付けてくれと言って、兄と弟たちに看取られて世を去る。その後会津、庄内、函館と続いた戊辰戦争は終結し、元号が明治と改元された。東京遷都が行われ、明治天皇は京を離れて、かつての江戸城である東京城へ移り、そして吉之助は久々に大久保一蔵に会う。

一蔵は戦の礼を、吉之助は東京遷都の礼をそれぞれに述べた。無論東京遷都は、公家衆を京都に置き去りにするのが目的だった。そんな一蔵に吉之助は、自分は薩摩へ帰ると伝える。自分は多くの物を壊し、多くの人を殺した責めを負うと言うのだが、一蔵に取ってその言葉は理不尽だった。しかし吉之助は、世界に負けん日本国を作ってくいやいと、小袋を渡して去って行く。その中には、あのcangoxinaと書かれた古びた紙が入っており、一蔵は嬉しいとも悲しいともつかない笑い声を立てる。

吉之助、信吾、小兵衛の3人は薩摩へ戻った。吉二郎がいないのを不審がる園に、吉之助は遺髪を渡し、死なせたことを詫びる。涙を流す園。そして糸は、今まで吉之助に見せていなかった、床下の銭が入った壺と金銭出納簿を見せる。兄が何かをやりたくなった時のためにと、吉二郎が貯めておいた銭だった。吉之助はその銭、そして細かく記載された出納簿を見て涙を流す。その夜、吉之助は脇差を抜いて自分の髷を切り、糸に手伝わせて髪を短くした。

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まず地上波放送で、吉之助が出納簿を見せて涙を流す、一番いいシーンでテロップが入ってしまいました。プロ野球のクライマックスシリーズ関連でしたが、あと数分でニュースなのですから、あれは入れなくてよかったかと思います。無論地震などの場合は別ですが。しかしこの時、吉二郎がここまで生活を切り詰めて、自分のために蓄えを作っていたのを知った吉之助は、かなりの喪失感を抱えていたのではないでしょうか。

しかしながらその吉二郎が負傷した時、松ヶ崎の本陣にいた吉之助は軍議優先でした。これは考えてみれば当然で、いくら弟が負傷したとはいえ、指揮官がその場を離れて駆けつけるわけには行きません。だからこそ、よけいに喪失感を覚えたといえるかもしれません。実際には吉之助は弟の死に目には会えなかったようですが、『翔ぶが如く』でも、吉之助が吉二郎を見舞っていたシーンがあったと思います。ちなみに長岡藩のガトリング砲は、横浜で購入された物のようです。

その吉二郎、どう見ても家庭を取り仕切るのに向いた人物でした。兄や弟たちとは違い、勤王活動に打ち込むこともなく、一家を切り盛りするのに精を出していたこともあります。琴が、一番苦労しているのは吉二郎だと言うのも、むべなるかなです。しかし琴もしょっちゅう実家に来ているようですが、兄に直言できる唯一の人物であるというのは事実のようです。もう一人川口雪篷という人物もいますが、こちらは直言というよりは、むしろ煽る役割といえそうです。相変わらず酒好きなようですが、手紙を読んであげたりと、一応は「仕事」もしているようですね。

一方で京では、大久保一蔵や岩倉具視が東京遷都を果たします。しかしながらこの遷都計画、やはりというかすんなり決まらなかったようで、最初は東京行幸という形で行われ、その後中央の行政機関が次々に移転して行きました。この時の一蔵は、武家の正装である直垂姿で、かなり厳粛な雰囲気になっています。その反対に、吉之助と会う時はかなり打ち解けていますが、その吉之助から薩摩へ戻ることを聞かされ、表情を硬くします。しかも例のcangoxinaの紙(まだ持っていたのですね)を見せられて、何ともやるせないような笑い声をあげます。ま、結局吉之助は東京へ戻るのですが…。

ところで今回は、北越戦争の一部を除き、東北や函館での戦いは登場しませんでした。敢えて出さなかったのかもしれません。しかし吉之助に縁が深い庄内は、出て来てほしかったようにも思います。

それから愛加那やその子供たちに、糸が仕送りをするシーンがあります。結構糸も大変です。そしてここで、久々に菊次郎の名前が出て来ます。母の愛加那が島を出られないため、菊次郎と妹の菊草は、薩摩に引き取られることになります。そして次回は、その菊次郎が京都市長となり、回想的に子供時代が語られるようですが、これは一部原作に則っているといえそうです。しかしその菊次郎役が、あの方とは…。

[ 2018/10/16 00:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『青天を衝け』の感想も書いています。またBSで再放送中の『黄金の日日』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2021年には北半球最強であるブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの試合も組まれています。このチームにいい試合をし、今後さらに上を目指してほしいものです。国内のラグビーも、2022年からはいよいよ新リーグがスタートです。

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