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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第46回に関連する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


急に思い出したように「乱世を泳ぐは愉快なものよ!」と言葉にする真田信繁。
凄まじいまでの棒読みで、こちらも悲しくなるばかりです。
このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ。
妙手を繰り出す計略のうまみを理解していない。『パリピ孔明』はこの点、実にワクワクしたものです。

まず「言葉にする」ではなく「口にする」かと。
そして観ていたらわかりますが、あの時信繁はそう言ってはいません。口を動かしていませんし。父昌幸の言葉に呼応するかのように、彼の声で再生されていますが、本人が心の中であの言葉を反芻していると思われます。
そして「悲しくなるばかりです」頭痛だ脳が溶けるだもそうですが、如何にも自分は被害者です的な表現があまりにも多くて、こちらが気が滅入ります。

「このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ」
もっと言えば「兵が死ぬ」です。
戦とはそういうもの、空しいものというのがこの大河の特徴となっているのは、これは先日も書きました。

そして
「このドラマの連中」
「連中」呼ばわりはないでしょうね。嫌いな作品は侮蔑したがる武者さんらしいとは思いますが。

ピアノがうるさい!
今週も音楽が辛い。
自己主張たっぷりに、ニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、カフェ調のピアノを流して何がしたいのでしょう。

パラグラフの内容がたった3行。
音楽がどうのこうの言うのなら、他のパラグラフとまとめてください。でなければ、どのように改善すべきかをせめて7~8行程度で書くべきでしょう。
こんなちまちましたパラグラフ作って、一体何のつもりなのかと思ってしまいます。

そして「どうする火器考証」なる小見出しで

本作は火縄銃の連射あたりから火器の描写に何も期待できなくなっていました。
今回も当たった途端即死していますが、陣笠に当たったような状況で即死というのは理解できません。

もちろん火縄銃の連射など登場していません。
誰かが装填してそれを渡している、あるいは弾込めができた者から順番に撃っているかのどちらかです。
何を観ているのでしょうね。こういうのを見ると、実際にはないにもかかわらず「火縄銃の連射」を既成事実にしたくてたまらない、そういう心理が見えて来ます。

そして「当たった途端即死」かどうかはわかりません。
意識障害の可能性もあるかと思います。
この場合は銃弾が陣笠に当たっており、直接頭部に当たったというわけではありませんが、兜より防御性は低いかと思います。こういう研究報告がありますのでご参考までに。
(但し脳や血種の画像があるので閲覧の際はご注意ください)

シンポジウムⅢ:頭部外傷をめぐる最近の話題 頭部外傷の神経病理(2015年)

解剖学的に,頭蓋骨が損傷することで脳脊髄液が漏出する場合は穿通性,そうでない場合は非穿通性として分類されることが多い。穿通性の原因としては,銃弾などの何らかの物体によって,直接頭蓋が損傷をうける場合であるが,非穿通性では,頭部に対する急な加速,減速,あるいは回転によって頭蓋骨内面と脳との接触などにより脳に損傷をきたすもので,一部のスポーツとの関連も着目されている。損傷部位から分類する場合は,限局性と広汎性とに大きく分けることもできる。前者は,その損傷部位に対応した高次脳機能障害やけいれんを生じる。後者は,軽度の脳震盪,古典的脳震盪,びまん性脳損傷,びまん性軸索障害などを含む。

そう言えば武者さん前にも、倒れているだけなのに死体呼ばわりしていたことがありました。

ちなみにラグビーも脳震盪が多いです。脳震盪チェックによる一時退場がありますからね。

大筒の重量感がまるで出ていない。
大筒の反動は相当で、扱いを間違えたら重傷を負いかねない。そういう感覚がありません。
射程距離も異常に見える。砲弾が炸裂しているのもおかしい。装填も異常な速度だ。

何か新しいのが出て来ると、ひとつひとつ文句をつけているように見えますが…(苦笑)。
それはさておき、大筒の反動ですが、この場合砲撃するたびに後退している様子が窺えます。そして射程距離(射程だけでもいいかとは思いますが)がなぜ「異常」なのでしょうか。カルバリン砲の射程は、14キロの砲弾を6.3キロ飛ばすことができたというのが通説になっています。

それとドラマの中では「炸裂」はしていません。城の一部が飛ばされたりしているのがそう見えたのでしょうか。そして装填の速度が「異常」なのは何を根拠にしているのでしょうか?

大坂の陣。大筒使用に込められた家康の深謀遠慮に思いを馳せる。そして密かに言及された五徳の消息が胸に迫ってくる【どうする家康 満喫リポート】46
(serai.jp)

劇中の描写でも明らかなように、当時の砲弾は、着弾した際に炸裂するわけではないのですが、心理的な効果は抜群だったのではないでしょうか。

2013年『八重の桜』は火器考証が抜群によいものでした。
フィクションゆえの誇張があるとはいえ、幕末銃器は実に見応えがあり、鶴ヶ城砲撃の場面はNHKの他の歴史番組でもよく使い回されていました。
しかし、『花燃ゆ』『西郷どん』『青天を衝け』などのお粗末戦闘シーンはそうはなりません。その場しのぎで適当な仕事をすると、何も残せないのです。

では『八重の桜』の火器に関するシーンと、『花燃ゆ』以下3作の火器関連シーンとを見比べられるように、画像を貼っていただけないでしょうか。本当に「その場しのぎ」なのかどうか、読む側にわからせるにはそれが一番であるかと思います。武者さんこれも前からそうですが、大河の特定シーンを比較したがる割には、画像添付などをやらないのですね。

そしてこちらも「どうした茶々の現状認識」なる小見出しで

天守閣を大筒で砲撃されているのに、「まやかし」だのなんだのいう茶々は、現実すら認識できていないのでしょうか。

貴方またこれだけで1パラグラフですね。
1つ前のパラグラフに入れられませんか?こういうのを黙認する『武将ジャパン』の姿勢もどうかとは思いますが。

そして「まやかし」というのは千姫や侍女たち、ひいては自分を落ち着かせるための言葉でしょう。無論実際はまやかしでもこけおどしでもないのはわかっているわけで、それでもこういう言葉を口にせざるを得ない、せっぱつまった状況であるわけですね。

家康が戦は酷いだのなんだのいい、秀忠が止めようとします。
いやいや、逆では?
秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした。
孫娘の悲運が申し訳ない家康が、そんな我が子を抑えながら、千姫救出の手立てを考えています。
秀忠をこんな無能に描いておいて「最新の説も取り入れました」と言われてもサッパリ理解できません。

「秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした」
この第46回にそんなシーンありましたか?

兵力の差は歴然と言う秀忠に、お江が殿が総大将となってはと言い、お千のことが気になるのかと訊かれてお江はこう答えます。
「見捨てる覚悟はしております。しておりますが…」
そんなお江に秀忠はこう言っているのですが。
「父上は孫を殊の外可愛がってくださる。ひどい仕打ちはせんさ」
そしてこの後、お江は「戦となれば、鬼となるお方では」と言っているわけですね。
で家康は、戦というのはこの世で最も愚かで醜い人の所業である、自分の代で終わりにしたい、自分が汚名を着て地獄を背負うとなるわけです。

さらにこの後、また『パリピ孔明』と『首』の礼賛記事(と言うべきでしょうか)が続きます。このコラム、どう考えても半分ほどは他作品のPRまたは広告のためにあるようなものでしょう。関係ないので大部分は省きますが、ここで武者さんが好きな世帯視聴率を出しておきます。

この『パリピ孔明』という番組が、視聴率で苦戦しているのは前にもお伝えしました。

秋ドラマ・視聴率ワースト5 篠原涼子「ハイエナ」はなぜ大苦戦しているのか

実際初回こそ6.1パーセントでしたが、その後5パーセント台、そして4パーセント台から3パーセント台となり、最終回は4.4パーセントでした。日テレ系の裏番組『コタツがない家』は6パーセント台で、総合視聴率もそこそこあります。記事にあるように、数字を持って行かれたように見えます。

無論世帯視聴率がすべてではないし、もちろんこの番組が好きで観ていた人もいるでしょう。ただ、嫌いな大河の場合、NHKプラスの再生回数なども無視で、世帯視聴率のみで叩く武者さんは、これをどうとらえているのかと思います。そんなの関係ないと思うのであれば、好きであろうが嫌いであろうが、見逃し配信のある番組を世帯視聴率で叩くのは的外れではないでしょうか。

あと2~3週間もすれば、私の脳内歴史人物リストから『どうする家康』は焼き消されます。
例えば明智光秀リストは、長谷川博己さんの次は西島秀俊さんで埋まります。今年の大河は、とてもじゃないけど数に入れられない。

「焼き消されます」などと言わずに、消え去りますくらいでいいと思うのですけどね。
まあ『どうする家康』も武者さんの記憶には残らない方がいいでしょう。と言いつつ来年以降「『どうする家康』はひどかった」的な表現が出て来るような気がはしますが。

それと武者さんの言う「明智光秀リスト」なるもの。
『レジェンド&バタフライ』の光秀さんをお忘れですよと言いたいのですが、あれもお嫌いでしたね。この光秀の中の人は、『ちむどんどん』の和彦君の中の人なのですけどね。

西島さんといえば、私に取っては『きのう何食べた?』のシロさんです。

そして、なぜ『パリピ孔明』が成功したのか? この記事を読むと腑に落ちます。
◆【実写化成功のカギ】『パリピ孔明』演出が明かす、主演・向井理との意見の一致「ギャグはやらない」(→link)
向井さんは真面目です。昔の中国らしい礼法を守り、綺麗な所作を見せます。
それが『どうする家康』はどうか?
◆NHK「どうする家康」徳川家臣団の「おいリレー」はアドリブだった!視聴者驚愕「まさか」「今日のハイライト」「恐るべし!」(→link)
痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ。
そんな低い志のまま、その場のノリで回すだけから、時代劇として作品が面白くなるわけがありません。

「向井さんは真面目です、『どうする家康』のおいリレーは不真面目です」
こんな書き方が、双方に失礼になっているのなど気がついてもいないようです。で、
「痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
どこが痛々しくて、所作と何の関係があるのか。全く腑に落ちません。自分が嫌いな番組の、こういう部分が話題になることが、恐らくは、嫌で嫌でたまらないのでしょう。自分勝手だなと思いますが。
向井さんも、こんな形で叩き棒にされるの嫌でしょうね。

そして
「自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
このコラムにも、そう思われる箇所が散見されるのですが。

『パリピ孔明』では祈祷の場面で、きちんと東洋の占星術である星宿を唱えていました。
「西洋には星座ってあるんだって!」
家康と三成がそう語っていた大河ドラマを比較すると、その落差に気が遠くなるばかり。
友達同士がわちゃわちゃしていればいいというわけではありません。
◆松本潤、『どうする家康』で実現した中村七之助との初共演に喜び「かけがえのない友達と…」(→link)

武者さん、第35回は一体何を見ていたのでしょうね。
家康「厠が兎?」
三成「はい。私もわかりませぬが」
これ二十八宿の参宿のことだと、前にも2回ほど書いた覚えがあります。
これが全然わからなかったのか、あるいは嫌いな大河で使われるのが恐らく死ぬほど嫌で、意地でもこれに言及したくなかったかのどちらかでしょう。しかしドラマに登場したことは登場したこととして紹介するべきですね。このコラムは、武者さんの遊び場ではありません。

参宿(Wikipedia)
天区内の星官の節を御覧ください。

あと気が遠くなるのなら、そのまま遠くなっていてくださいと言いたくもなります。

飲み物-注がれるワイン
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[ 2023/12/07 20:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


「どうしたっていうんだよ衣装は!」なる小見出しから始まり、またこの間と同じような、『大奥』の美術部トップ(チーフディレクター?)の大原拓氏に、代表作として『麒麟がくる』とあって納得したとの由。結局自分が好きな作品に関することしか書かないのですね。

私はこの方、『軍師官兵衛』のディレクターもやっていたとこの前書いています。武者さんが同じことばかり書くので、もう一度、大原氏は官兵衛のディレクターでもあったと書いておきます。

そしてまた『首』がどうのこうの。衣装は黒澤和子さんで、
「この方も『麒麟がくる』と同じです」
とありますが、『西郷どん』、『青天を衝け』も黒澤さんです。これが大河コラムなら、それもちゃんと書きましょう。

それに引き換え今年はなぜこんなことになってしまったのか。
『麒麟がくる』は担当者のステップアップとして機能しているのに……。
特別なことは必要ないでしょう。『麒麟がくる』まで戻すだけで十分。来年以降、そうなることを願い、今年はもう忘れるしかありませんね。

こんな風に書くと、今年も大原氏が関わっているかのようですね。もちろん違いますが。
そしてどういう意味でこう書きたいのかわかりませんが、『麒麟がくる』まで戻したら、『青天を衝け』もそうですが、武者さんが好きな『鎌倉殿の13人』もなかったことになりませんか?

あと「演技プランが全て壊れている」などとありますが、人物をちゃんと観ていないだけだと思います。人物像をひとつひとつ理論的に語るのが面倒くさい、どっちみち嫌いな大河、ならば「演技プランが壊れている」で済ましてしまえば、何となくわかったように見える、そうしてしまえといった印象を受けてしまうのですが。

秀吉の遺児である豊臣秀頼――それが成長して徳川にとって“脅威”となった。それを示すのが、あの屋内ダンスと、この説明セリフだけなのでしょうか。

秀頼と家康が会見するところを観ているはずですけどね。
それよりも第44回で既に家康は、関ケ原はまだ終わっておらぬと言っています。誰かが秀頼を担いで、戦乱の世に戻るというのを警戒していると思いますが。

せっかく前回、空気を読めない真田信繁が軍事教練していたじゃないですか。例えばあれを警戒材料として出してもいい。

真田信繁がああやっているのを、家康は目の当たりにしていたでしょうか。ただ牢人があぶれており、彼らは食いぶちとして戦を求めていること、そして大坂では牢人たちに施しをしていることを伝え聞いてはいましたね。

『大奥』シーズン2の井伊直弼の警戒心比較してしまうと、絶望的な差があります。彼は先手を打ち、危険な芽を強引に摘んでいこうとしていました。

条約の締結関連と思われますが、それと家康の大坂の陣とを、同列に論じられますか?それ以前に家康が大坂を警戒しているのを、どうも武者さんは理解できていないように思われます。

徳川家康は、朱子学を統治に生かそうとした。それが『麒麟がくる』では生きていたものです。
しかし『どうする家康』にそんなものを求めても無駄でしたね……。
この世界観には先人への敬意も、親への思いも何もありません。
父の本多正信を辱めるようなことを大声で平然という息子の本多正純。
あれは何の冗談でしょうか?

武者さんに、『どうする家康』で何が描かれているか、それを尋ねても無駄でしょうね…。
この時の正信は、豊臣は公家であることにしてしまえ、公家ならば城だの武力だの、持つ必要はないと例の調子で述べるわけで、そんな父に対し正純は、こんな屁理屈ばかり才があると不満そうなわけですね。
その息子に対して、おほめにあずかりましてととぼけた様子で答えているわけです、
別に正信は辱められていませんが?

愚かの極みとはこのことで、父を嗜めるにしても他にやりようがあるでしょうよ。我が子にすら孝行を教えられないくせに、アリバイとして朱子学を持ち出す本多正信は、一体何を考えているのか。

また「窘める」が「嗜める」になっています。これは好むとか親しむの意味で、注意する意味ではないのですが。武者さん、昨年のこのコラムで何度かこの表現を使っていましたが、また復活したのでしょうか。
あと、江戸時代が始まったばかりのこの時期、そういった思想が行き渡っていたでしょうか。そして林羅山を連れて来たのは、方広寺の梵鐘の銘関連ではないかと思います。

この大河ドラマは、史実云々で批判されるわけじゃない。
幼稚で底が浅く、大河どころか、せいぜいが子ども用ビニールプール程度の浅薄さだからでしょう。

子供用のビニールプールて…例え方が何とも言えませんね。閂や草履をホームセンターのそれに例えるのとあまり変わらないかと(などと言ったら、ホームセンターに悪いかも)。
しかし「史実云々で批判されるわけじゃない」とあることは、つまり史実はちゃんとしていると認めたということなのでしょうか。

その後に
「本作の感覚は、親への態度がせいぜい昭和後期の中高生程度で止まっています」
昭和後期の中高生は、すべて親に対して反抗的で生意気だったということでしょうか。
ちなみにその後に
「でた! 嫁姑バトル」
などとあり、「そのくせ価値観は古いんですよね」などとあります。
何だか、こういうことで鬼の首を取ったかのように喜ぶ方が、正直言って価値観が古く感じられるのですが。

そしてこれ、嫁姑バトル、つまり姑が嫁の粗探しをすると言うよりは、もうちょっと政治的と言うか、家康は秀頼の代わりをしていただけであり、その約束を破るなら戦も仕方ないと述べているわけで、つまるところ千姫、ひいては家康を牽制しているわけです。

そしてその次に、
「人間関係の把握がせいぜい昭和後期か平成前期です」
ここでまた昭和後期、そして平成前期。結局これを書きたいと言うか、昭和と平成の前期はダメだと、何かにつけて叫んでいないと気が済まないのでしょうか。

そして今度は加藤清正。

「猫に負けそうな『せいしょこさん』でどうする」
などとあり、加藤清正もどうにかならかったんですかとあります。

まずこの「せいしょこさん」、清正公は地元肥後熊本で領民に慕われ、このように呼ばれて信仰の対象にもなっています。尚「せいしょこ」とは、「清正公」の音読みです。で、武者さんがこの大河が好きだとか、この人物が好きでこう呼ぶのならまだしも、そうでもないのに、いきなりこういう呼び方をしてほしくありません。何やら小馬鹿にしている感もあります。

そして
「声の出し方が弱い。高すぎるし、腹から出していない。
日本史に残る猛将がどうしてこんな情けないことになったのやら」
何なら、武者さんが指導をしては如何でしょうか。
そしてエキストラも棒読みだなどと書かれています。
いつもそうですが、あれがよくないこれがおかしいと言う割には、具体的な改善策が示されたためしがどれほどあったのかと思います。
そして「二人のプリンス」について。

二条城の会見――これを「二人のプリンス」ってどういうことでしょうか?
英語のプリンスを踏まえると、両者ともに一致しない。
秀頼を見る家康の目の陰険さだけは、妙にリアリティがあるからどうしたものか。
歴史的な文脈を無視して、若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメンという構図は、ある意味斬新かもしれません。
女性同士はしばしばそんなしょうもない描かれ方をされてきましたから。

これそうなのですか?
私は秀忠と秀頼、そして年齢を重ねた家康と宗誾(氏真)と思っていました。
そしてこの会見ですが、秀頼を何とかまつり上げて公家とし、自身は武家の棟梁を主張しようと思った家康に対し、秀頼がそれを読んで、逆に家康を立てて自分がへりくだったわけですね。
「若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメン」とはどのような観方をすれば出てくるのでしょう。

そして「もはや若くはない」と言っている以上、武者さんも家康の加齢については認めているのですね。今まで散々年齢を重ねているように見えないと言っていましたが。

あとプリンスはもちろん比喩的表現ですが、秀頼は太閤殿下の遺児だから、この表現に一番近いかと思います。

いきなり上座だのなんだの言われて思ったこと全部ぶちまけられても、何が何やら。

「思ったこと全部ぶちまける」とはどういうことでしょうか。正信は具体的な策を示しているのではないでしょうか。

このドラマの欠点は数え出したらキリがありませんが、テンポの悪さもあると思えます。
中身がないうえにテンポが悪く、時間稼ぎをいつもしているようで、ともかく退屈になってしまう。

「数え出したらキリがない」
武者さんはほぼすべてのシーンやセリフを欠点と捉えているわけですから、それはキリがないでしょうね。

二条城の会見をこんなに長々とやる必要があったのですかね。さっぱり理解できません。

会見そのものは6分足らずで特に長々とやっているとは思いません。
早く終わってくれないかと思うから、長く感じるのではないでしょうか。

それにしても、秀頼の顔色が悪い。覇気がない。
毒でも盛られたのでしょうか?
覚えたセリフを棒読みしているだけのようにも感じてしまう。

「どうした秀頼」なる見出しでたった3行、しかも特筆すべきこととも思えず。
時々こういうパラグラフがありますが、一体何を書きたいのかさっぱりわかりません。これなら前のパラグラフに付け足せばいい話です。

あの忍者気取りの真田信繁は笑うところなのか?
左手に六文銭を握りしめて
「俺、いかにも怪しいです!」
という目つきはないでしょうよ。

あの信繁が「忍者」に見えますか?彼は忍びなのですか?
ではなくて、ただ単に変装しているだけでしょう。
そもそも山伏の格好というのは変装でよく使われますし。

そしてまた『麒麟がくる』だの『首』だの引き合いに出していますが、ここでは省きます。こういう具合に、やたら他作品を出してくるというのもかなり違和感がありますね。
それ関連で服部半蔵。

それが『どうする家康』の場合、こうですからね。
「あの服部半蔵が、実は忍術がヘタでヘタレだったらおもしろくない?ww」
何も面白くありません。『どうする家康』はメンタリティがいじめっ子なんですよ。

半蔵は自分は忍びでなく武士であるとはっきり言っています、忍びに求められる術を心得ているのは寧ろ大鼠です。
今まで何を観て来たのかと何度も言いたくなりますが、あるいは何も観ておらず何も覚えていないのでしょうか。言っちゃ何ですが、それでよく、この大河のコラムを書こうという気になるなとは思います。

「あいつさあ、スゴイと言うわりにヘタレなんだよw」
標的にひとつでも些細な間違いを見つけると、延々とネチネチ小馬鹿にしてニヤついている。そういう精神性がこの作品には充溢しています。

ブーメランですか?

あと、この『首』の家康に関してだけ書いておきます。演じているのは小林薫さんです。

小林薫さんの家康はむろん素晴らしい。出てきたと思ったら即死する家康影武者だって、大河よりよほど家康らしい立ち居振る舞いでした。

その小林さんは『青天を衝け』で主人公の父親を演じていますね。先ほども書きましたが、同じ俳優さんが出ている大河作品なら、好き嫌い関係なく書いてほしいのですが、それをこのコラムに求めるのは無理なのでしょうか。

秀頼と千姫が猫と戯れる場面はいいと思います。猫がかわいいことは確かです。
ただし、『おんな城主 直虎』と『大奥』には遠く及ばない……。
このドラマのよいところは、あの猫だけかもしれません。

正しくは秀頼が猫を抱いて、千姫がその猫の絵を描いているわけですね。
で、それでも自分が好きな作品には及ばないと言っている。いやしくもプロのライターなら、それぞれの作品の持ち味があると取るべきかと思いますが。あと『直虎』の猫と言えば、主人公と同じ年数かそれ以上生きましたね。

そしてそんなに猫がいいのなら、大河でなく「世界ネコ歩き」でも観てそのレビューを書いては如何でしょうか。
あと武者さんが叩く作品を好きな人もいることをお忘れなく。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/11/30 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


毛利家のご子孫が激怒?
茶々のように、間違った強い女路線は、女性を小馬鹿にするだけでなく、別の激しい怒りも呼び覚まします。
大坂城で平手打ちを喰らった毛利輝元。
その子孫の方が激怒して以下の動画をあげられました。
(中略)
じゃっどん、島津も酷い扱いをされとりもす。『西郷どん』も島津家当主が苦言を呈していました。

まずこの動画、私も見ました。すべて賛同とは行きませんが、ご子孫の方であれば、こう言われることもあるだろうとは思いました。
ただこのドラマでは、このような描き方になってはいます。
ですから武者さんがこのコラムのライターであれば、このご子孫の方の意見を汲みつつ、ドラマとしてはどのように描かれているか、その両方をすり合わせるべきでした。しかしこの場合、だからこの大河はダメなのだという叩き棒にしかなっておらず、その点でまたかと思わざるを得ません。

そして『西郷どん』、こういう子孫の方の苦情を持ち出すのは、嫌いな作品のみのようで、だからこそ叩き棒に持ってこいなのでしょうか、そういう利用の仕方もどうかと思います。
あと「酷い」ではなく「酷か」の方がよくないでしょうか。

それとちょっと前後する形になりますが、

ここのところNHKは長州に冷たいのではないか?
長州メインの大河ドラマ『花燃ゆ』という時点で何もかもが終わっていた――それから10年も経たないうちに、この仕打ちではさすがに怒りたくもなる。

『花燃ゆ』をあれだけディスっていた武者さんにこんなこと言われたくありません。
あの大河、主人公サイドは馴染めないものもありました。ただ吉田松陰が松下村塾生に狂えと言い、急進的な姿勢を取ろうとした時、兄民治がそれを諭すシーンなどはよかったし、長州藩士の描写などでは、功山寺決起などは見るべき部分もあったかと思います。

そして武者さん自身も『花燃ゆ』を丁寧に分析したとは思えず。ただ長州というだけでネガティブ路線に持って行ったふしがあります、そして今年は長州大河ではないし、ただ輝元の描写について色々言われているだけであり、それとこれは切り離して考えうべきでしょう。
たとえば過去の戦国大河の輝元を比較するというのであれば、まだわかりますが。

何よりも『花神』をまず観てほしいのですけどね。

まぁ『花燃ゆ』は、長州をよく描こうと思って失敗しただけの話でしょうけど、今回の毛利輝元はあまりに侮辱的ですよね。

それよりも吉田松陰の妹をヒロインにしてアピールしようとしたものの、創作をかなり入れなければならず、それでちょっと滑ったかと思いますが。そしてこの文(美和)的キャラ、長州でなければ寧ろ武者さんは好きな方ではないのでしょうか。

ただし『らんまん』や『大奥』では、良い薩摩隼人が登場しているのでまだ救いはある。
『大奥』の島津胤篤は素晴らしい。美形だけが魅力ではなく、郷中教育が育んだ柔軟性と聡明さが表現され『薩摩はやはりよいな』と感じたものです。
土佐についても『らんまん』でその魅力が描かれていました。

朝ドラ、そして10時のドラマと大河ではやはり違いますからね。
そもそも「良い薩摩隼人」と「悪い薩摩隼人」の違いは何であるかと思われますし、「郷中教育がはぐくんだ柔軟性と聡明さ」も具体的にどういうものなのか、説明して貰えないでしょうか。
そしてこれらは、あくまでも武者さんが好きな番組での描写であり、恐らくこれが彼らを主人公にした大河であれば、容赦なく叩くのではないかと思われます。

◆「印象に残っている大河の主演」ランキング!5位「岡田准一」「福山雅治」、3位「堺雅人」、2位「綾瀬はるか」を抑えた「意外な1位」の名前(→link)
このドラマの往生際の悪さは、事ここに至ってまで『チコちゃんに叱られる』とコラボをするあたりでしょう。
なりふり構わぬ番宣にはうんざり。
トークショーまで開催されるようです。
◆松本潤さんが大河「家康」最終日に静岡市でトークショー&PV 12月17日開催の来場者募集(→link)
静岡市の市民文化会館に松本潤さんを呼び、最終回のPV(パブリック・ビューイング)が実施され、1,800人の観客が無料で招待されるようです。

「往生際の悪さ」余計なお世話です。
もう『どうする家康』に関心がないのなら、トークショー云々黙っていて貰えないでしょうか。本当はこのコラムを書くのをやめてほしいと思ってはいますが。
こういうイベントは、この大河を好きな人、出演者を応援している人が行くものであり、武者さんのようにネガティブな突っ込みを入れる人が行くものでもありません。言っては何ですが、もう少しものがわかるライターであれば、ただ紹介だけで済ませておくでしょうね。

そして

そう考えると、一体どうしたことよ……とは思ってしまいますが、結局、袁術は玉璽を手にしても袁術なのですよ。って、『パリピ孔明』じみた話をして申し訳ありません。
袁術という名門出であることを鼻にかけたしょうもない男がいて、たまたま皇帝の証となる玉璽を手にしました。
そして皇帝を僭称してウダウダするものの、最後は滅亡するという話です。

ここでまた『パリピ孔明』、この番組も何かPRしなければならない理由があるのでしょうか。

大河主演という玉璽も、場合によっては重石になる。井上真央さんはもう克服しましたが、果たして今回はどうなるのか。

今回も同じような形で責めを負わせたいのですか。井上さんに対しても失礼だと思いますね。

でこの後
「何度も申していますが、このドラマは何かとおかしい要素に溢れている。
出演者同士の友情協調や、主演を褒める言葉がスピリチュアルなんです」
武者さんがそのように決めつけている、あるいはそのように見られてほしいと思っているようにしか見えませんのでここでは省きます。

あと

子、怪力乱神を語らず。『論語』「述而」
オカルトトークをすると、信頼性が落ちるぞ。まっとうな大人ならやめようか。

なととありますが、
「君子は、人智で計り知れないようなミステリアスなこと、説明がつかないようなことについては語らない」
という意味です。基本的に論理的でないものについては、みだりに口にしないとも取れます。憶測でものを言うのもこれに含まれるでしょうか。

そして

文春砲で「暴君」であると指摘された主演に忖度してのことなのか。
だとしても言葉選びが過剰で、不気味にすら思えてきます。まるでドラマの舞台から降りても、マザーセナ信徒になってしまったかのようだ。
いくらキラキラワードで飾ったところで、文春砲が出れば、夢は醒めます。

また文春砲ですか。マザーセナがどうこうより、武者さん自身が文春信徒であるように見えます。そしてまた松本さん関連のことであれこれ。

私は今年の大河を面白いと思えないことが、幸いなだと感じています。
人気事務所の主演を絶賛すれば、全国に数多いるファンから果実が得られるかもしれません。
しかし、渇すれども盗泉の水を飲まず――今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁。

面白いと思えないことは幸い=だからどんなことでも書いていいし、どんな形で叩いてもいいと言う論理すり替えのようにも見えてしまうのですが。
そして「盗泉」呼ばわりするその根拠は何ですか。今更ですが、非常に失礼な物言いですね。

「今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁」
文春砲も誰かを傷つけているかもしれないというのは、前にも書きました。その辺りの配慮は全くなしというか、特定の存在を信じ切ってしまえば、他に目が行かなくなってしまうのでしょうか。

遠慮無ければ近憂あり。『論語』「衛霊公」
遠い未来まで見通せず、「ネット大受けw」みたいなことばかり気にしているととんでもないことになるぞ。
まさにこの言葉通りの事態になった。
それが干し柿カットです。
端的に説明しますと、石田三成の見せ所となる「干し柿のシーン」が松本潤さんの意向で取り止めになったというもので、文春砲で指摘されていました。

これ前も書いていましたね、しつこいんですけど。
あと遠慮なければの意味ですが、遠い将来のことを考えることなく、目先のことばかりに囚われていると、問題や心配事が起こるという意味ですが、それとネット大うけとどう関係があるのでしょうか。

そして干し柿の問題、ドラマの中では伏線まであってそれが放送されないのはおかしいとか、『真田丸』の干し柿はこうだった、『麒麟がくる』はこうだっただのなんだの。それぞれの作品の描き方があるのは構いませんが、それを『どうする家康』でも繰り返す必要は全くないと思いますね。
しかもその『麒麟がくる』での風間俊介さんの家康について、

その後、金ケ崎での引き戦の最中で、「戦のない世を作るために、いまは戦をせねばならぬ時。いまは戦を重ねるしかない」と悟るシーンへとつながっていった。
上記のインタビューで風間俊介さんが「戦のない国にしたい家康」について語っています。そのテーマは『麒麟がくる』で既に描かれていた。

1983年の『徳川家康』でも似たような感じではなかったでしょうか。
さらに

それが『どうする家康』では、あまりに現実味のない、妄想のようなマザーセナの慈愛の国構想で強引に展開。描き方が雑すぎたから視聴者から疑念が噴出しました。
このドラマの家康像は何も新しくない。要はお粗末なだけだったのです。

また「マザーセナ」、そして
「視聴者から疑念」
では、具体的にどのようなものか書いてください。

「このドラマの家康像は新しくもない」
前にも書いていますが、戦国時代の東海地方を舞台にした作品は多く、脚本のもととなる史料などもいくらか似て来ます。
そして1つ前に書いているように、作品によって描き方は異なります。『どうする家康』が『麒麟がくる』を逐一踏まえなければならない理由はありません。

小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺れる。『礼記』
凡人は水に溺れる。ドラマ通はSNSやプロパガンダに溺れる。インフルエンサーは支持者に溺れる。

これなのですが、その最後に
「皆その褻なるる所ところに在あり」
と続きます。つまり人は失敗する理由がそのレベルによって違うが、その失敗はいずれも慣れから来る油断であるということです。

そしてその後『大奥』は素晴らしいが、井伊直弼を表す「チャカポン」に、『青天を衝け』の残した負の遺産を感じるなどとあります。そのうえで、一橋慶喜の渾名は言わないとか何とか。
このチャカポン、「茶歌ぽん」のことで、茶道、歌道、そして謡曲(『ぽん』は鼓の音から)と言われています。これはいずれも、埋木舎時代の渾名で、直弼の風流を愛する様を表したものでもあるのですが。

ある先生が著書で「幕末大河を信じて語られても困る」と毒を吐いていましたが、確かにその通りではないでしょうか。

幕末のみならず、大河はすべて創作が入っています。だから当然それを事実とすることはできません。
古沢氏も歴史は勝者の記録であり、いくらでも解釈できると話していましたね。

大河そのものだけでなく、昨今はファンダムもおかしい。推しをいかに激しくプッシュできるか。それを仲間同士で語り合うことが重要であり、どんなにバグだらけのシステムだろうが、萌えキャラがいればいい。そういう一点突破になっている。
作品として面白いか面白くないか? コンテンツ全体を見渡して評価することが邪道扱いされているようにすら感じます。

そしてまたファンダム叩きですが、ファン同士がやっている分には別に構いません。推しをプッシュしてもよし、作品として面白いか面白くないかは、ずばりその人次第だと思います。これは武者さんも、好きな作品ではやっていないでしょうか。
そして武者さんの言う「コンテンツ全体を見渡して評価する」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。ちょっと曖昧な表現に見えるのですが。

なぜ、こんなことを申し上げるか、というと次の記事が気になったからです。
◆《『どうする家康』も視聴率苦戦中》「つまらなかった大河ドラマ」ランキング…4位『平清盛』、3位『江』、2位『おんな城主 直虎』…納得の1位は?(→link)
2000年以降の大河ドラマで何がつまらなかったか?
視聴率ではなくアンケートで評価したもので、ランクインした作品のうち大河ファンに納得されるのは『江』と『武蔵』だけでは?とも感じます。
他の『青天を衝け』『平清盛』『おんな城主 直虎』『いだてん』は、むしろ高評価を掲げるファンも一定数いるはず。

『江』や『武蔵』を評価する人ももちろんいるかと思いますよ。人の好みは様々ですから。

またその中で、特に気になるのが1位の『いだてん』と5位の『青天を衝け』であり、東京五輪と新札の顔という、政治色のかなり強い要素があったとか、都合の良いところだけを見せて、ファンの気持ちを高ぶらせるのは、危険なことだと感じるなどと書かれています。
さらに「今までオリンピックに興味がなかったけど、このドラマのおかげで興味がでた!」というのは、かなり誘導されていませんかね?とか、主人公の、テロを是とする姿勢や愛人問題などはほぼ伏せられ、綺麗事ばかりが羅列されていたともあります。

別に『いだてん』でオリンピックに興味が持てたなら、それはそれでいいと思います。渋沢栄一しかりでしょう。それを楽しんでいる人に向かって、あれこれ言う必要はないと思います。ただ大河は、その主人公のすべてを描いているわけではないし、それが視聴者に共有されていれば、それはそれでいいのではないでしょうか。
そのうえ

今年の『どうする家康』は、旧ジャニーズが全面に押し出された結果、これまでの大河ファンが離れてしまったとも指摘されています。

逆に言えば、これまでの大河ファンが離れるような、それまでとは違った描き方を敢えてやっているとも言えるでしょう。これは先日分ご紹介した、日刊ゲンダイの記事にもあります。武者さんはお気に召さなかったようですが。
そして全面(前面でしょうか)に押し出すとあっても、放送開始時は松本さんと岡田さんのみで、その後旧ジャニーズから2人キャスティングされています。確かに松本さんは主役、岡田さんは信長役で、目立つポジションではありますが、そう多くの人が出ているわけではありません。

実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう。
大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか。
2024年『光る君へ』や2025年『べらぼう』については、今のところ懸念要素は見られませんが、以降の作品で、いつどこで偏向した姿勢が出てこないか?という心配は尽きない。

「実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう」

その根拠は何でしょうか。

そして「大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか」
などとありますが、武者さんて「本当に」大河枠の作品に興味があるのですか?
好きであろうが嫌いであろうが、ドラマをちゃんと観ているようには見えない、実際にはなかったシーンやセリフが出て来る、漢籍を持ち出したがる割に日本史の史料を持ち出そうとしない、海外ドラマや他の作品のPRばかりする(こちらが本業?)、考証担当の意見は否定する。
こういう点を考えると、どうも疑わしく感じられます。それと昨年の大河のコラムでも「脳みそが溶ける」といった表現がありましたが、こういう表現が好きですね。

あとまたメールフォームがあります、大坂の陣が楽しみですとでも送っておきますか。

そして最後になりましたが、三谷さん関係で『真田丸』、『鎌倉殿の13人』で共演した山本耕史さんと矢柴俊博さんに関する記事(2021年の記事です)がありました。私はこのお2人、同時に『きのう何食べた?』の小日向さんと富永さんを思い出すと書いておきます。

キャスト【ドラマ24】きのう何食べた?season2
(テレビ東京・BSテレ東公式サイト)


飲み物-ウイスキーロック
[ 2023/11/25 21:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第43回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

全国的に荒れた天気だったようです。風が強く、冬並みの気温に下がった所も多かったのではないでしょうか。しかし天候とは気まぐれなもので、来週はまた気温が上がる地域もあるようなので、体調管理にお気をつけください。
さて、今週もtaketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介です。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第43回~
https://note.com/taketak39460607/n/n49022feb6278

尚いつものように、武者さんのコラムの引用部分はダークブルーです。

干し柿エピソードが無いってことは文春砲の記事は否定できず?

このnoteではまず干し柿関連の逸話は、『明良洪範』という逸話集によるものとあります。そして文春記事で、柿のエピソードが削られたのが、松本潤さんの意向によるものとあって、あたかも事実のように吹聴していることに関して、関係者に裏を取ったのかとありますね。

三成公が京都の町を引廻されている最中に水が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、水がなかったので干し柿を差出された。
三成公は「痰の毒であるから食べない」と言って断った。
「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑われたが、三成公は「そなた達小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うから」であると答えた。
『明良洪範』

そしてカットされた理由について、taketak39460607さんも、
「捕縛された三成さんと家康さまとの大津城での対面(9月23日)を重視したのではないでしょうか」
と指摘しています。
そして大谷吉継が柿を手土産に持参した件は、横浜一庵という武士から柿100個が送られた際の礼状に、「拙者好物御存知候(私の好物をよくご存知ですね)」と書いている逸話が紹介されています。ちなみにこの横浜一庵という人物は、豊臣秀長の家臣であったと伝わっています。

また柿伝説は他の文献にもありますが、実際これは創作または俗説とみなされているようです。元々三成は柿好きであったとも言われており、『真田丸』では柿が送られて来たからと細川忠興にあげたところ、逆に怒らせてしまっていました。

そして慶長5年(1600年)9月14日へ。
「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。

この点に関しても、本作がすっ飛ばし過ぎたのではなく、武者さんが誹謗中傷のための視聴に終始しており、内容をろくに観ていないのではないかと指摘されています。そして調べればすぐわかる歴史的事項にケチをつけ、歴史系レビュアーを名乗りながら、何の解説も加えていないから、心に響かないのではないかともあります。
そして、実際には以下のようなことが描かれていたことが挙げられています。

  • 上杉景勝公による国元での動きとそれを詰問する徳川方、それに反発する直江状と上杉征伐。
  • 真田昌幸公・信繁公親子の西軍入りと稲さんによる沼田城入城拒否。
  • 東軍の北上の隙を突いた西軍の挙兵と『内府違いの条々』の流布。
  • 大坂の東軍諸将の妻子が人質に取られる
  • 東軍による小山評定と西上。
  • 第二次上田合戦
  • 伏見城落城
  • 福島正則公が岐阜城を攻め落とし西軍のいる大垣城に迫り、秀忠さまの本隊が着く前に戦が始まる恐れがある。(福島・黒田の協力確実)
  • 真田の策にはまった秀忠さまの大遅刻決定
  • 西軍が真田の足止めを知り『大きな蜘蛛の巣』を張り決戦は関ケ原と決める。
  • 東軍も西軍の動きを見て関ヶ原で雌雄を決する策に乗る
  • 関ケ原合戦(43話)
  • また関ヶ原本戦に至るまでの東軍・西軍の動きは第42話で紹介。

武者さん、こういうのを確かに目にしているはずなのですけどね。私も関連投稿で書いていますが、第41回及び42回のコラムにしても、ちゃんと観た人の書き方ではありませんね。

そして今回特に気になった、板垣李光人さん演じる井伊直政を叩く記述。

あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。
赤鬼どころか、とにかく弱々しい。
たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
(中略)

ここでは『たった一言のセリフ』とはどこの場面のどんなセリフなのか、具体的に提示してほしいとあり、出陣前に一人称が「おいら」に戻ったことを言っているのであれば、直政が相槌を打つ家康に礼を述べたシーンになるが、家康の前であり、特に腹から声を出す必要もないことと書かれています。

そして『あんなヒョロヒョロした体』『失望感を通り越し、絶望感ばかり』『腕も白く細いヒョロ政』の記述に関して。
線の細さが嫌というのは個人の好みの問題で、それを盾に板垣さんの容姿を『腕も白く細い』『失望』『絶望』などと侮辱するのは、人の価値を外見だけで測る差別的な考え方だという指摘があります。尚板垣さん自身は、赤備えの甲冑についてこうコメントしていると、『スポニチアネックス』の記事が引用されています。

実際に鮮やかな陣羽織と真っ赤な甲冑を着用し、武田の残党を率いて声を上げるシーンは、これまでの直政の人生を思うと感慨深かったですし、僕自身の高揚感も重なったように思います。でも、甲冑はかなり重みもあるので、撮影で1日中着用していると地面に沈んでいくような感覚になりました(笑)。

本作は甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視しています。
甲冑をつけていては絶対にできないような動きをしてしまう。
甲冑の防御性能すらわかっていないのか、着ているところに刀身をぶつけにいく間抜けさも健在。
そんなことしたら刀が折れるだけですよ!

これに関しても『甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視した甲冑をつけていては絶対にできないような動き』とはどんな動きであるのか、具体的にどういう場面のどんな動きであるかと疑問が呈されています。そして実用的な当世具足の重量は15~20キロであること(金陀美具足は11キロらしい)、雑兵や足軽のような武装ならもっと軽いこと、そして動きやすいことについて触れられています。その一方で、西洋のフルプレートアーマーのように全身を覆うものではなく、装甲の薄い首まわり、脇や太腿は、組み打ちすることで狙えることなどが書かれており、そのための方法としては、相手を押し倒す方法、長槍で上から叩く方法(槍衾を作る)、刀の打撃を槍の柄で止める、近接戦で敵の急所である首筋の頸動脈などがあると説明されています。

またこちらのサイトも紹介されています。

具足櫓 (http://gusokuyagura.o.oo7.jp/omosa.html)
日本武士と西洋騎士の鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ (stonewashersjournal.com)

2番目のサイトは、私も武将ジャパン関連投稿でご紹介しています。

そしてまたも干し柿関連の文春記事に関して。

死を前にしても三成の毅然とした態度を表すエピソード――干し柿の話は、後世の創作とかなんとか、そういう問題ではありません。
10月の週刊文春に掲載されていた文春砲の中身が正しいかどうか。
この干し柿が一つの審査基準となっていたのです。
(中略)
文春砲曰く「松本潤さんがやりたがらなかった」とのことで、それを親友の七之助さんは承諾した、というものです。
干し柿エピソードは三成の意志の強さが表される見せ場の一つであり、役者としては演じたい場面でしょう。
ゆえに私は注目していました。
もしも干し柿のエピソードが出たら、文春砲はデマということになりかねない。
結果、干し柿は……出ていません。

これについても例の干し柿関連逸話は創作であり、三成と家康の大津城での対面が重視されたのではないかとあります。さらにドラマの制作は脚本が絶対ではなく、現場でのアドリブ提案や日程の都合などで変化することもあり、当の出演者も、自身の意見としてアドリブを入れたり、構成を変えるなどの裏話についての記述があります。
(小手伸也さんがその代表格でしょう)

にもかかわらず、『干し柿が一つの審査基準』『文春に「松本潤さんがやりたがらなかった」と載っていたから』『役者としては演じたいに違いないのに』とあり、本来は「干し柿エピなかったね」で済むのに、史料の精査もなく週刊誌記事のみを論拠としている武者さんの姿勢に、これまた疑問が呈されていますね。
「一視聴者の貴方の妄想や我がままで勝手に変えられるわけではないですし、制作側の意向が反映されるのは当たり前です」

そして井伊直政の天突脇立兜に関して、

ペンキを塗ったばかりのような赤い兜に、天井の白い照明が点々と反映していて、スタジオ撮影だなって丸わかり。

と武者さんは書いているわけですが、taketak39460607さんの記事では、この兜が登場した『おんな城主直虎』、『西郷どん』(こちらでは、赤備えの前に井伊直弼が座っています)の画像もあり、「ペンキを塗ったばかりとは」と呆れられていますね。赤備えが始めて登場した時も、武者さんは似たようなことを書いていたかと思います。

また白く見えるのは、兜の元々の光沢か光の反射の具合もあるのではないでしょうか。

さらに、松本さんが写真集を出版し、展覧会を開催するのがお気に召さない件。

ソロ写真集を出し、展覧会を開催する今年の主演とは大違いでは?

松本潤さんの写真集は書籍説明に
『松本潤個人としては初の写真集。主演を務める大河ドラマ『どうする家康』の撮影が開
始されて間もない、松本39歳の誕生日から、2023年10月26日のクランクアップまでの、約1年2か月間にわたる日々の記録。』
とあること、初となる展覧会『JUN MATSUMOTO EXHIBITION「PERSPECTIVE ‐時をつなぐ眼差し‐」』は、松本さん自身が選んだ、6人のクリエイターとのコラボレーションでを通して、松本さんが得た”言葉と視点”を体感する展覧会であることが説明されています。
そしてこれは大河ドラマを楽しんでくれたファンや視聴者のためのものであること、このイベントを楽しみたい人が申し込めばいいこと、それを踏み込んできてネチネチと論って叩き続ける方が迷惑だと書かれています。同感です。

あとこの武者さんのコラムには、『青天を衝け』の殺陣について「あれも酷かった、水戸藩士が薩摩ジゲン流特有の猿叫をしたり」という記述があることを、私の関連投稿でご紹介しています。しかし武者さんは、どうも薩摩藩士が襲撃に参加したことを知っているようです。実はこのnoteで以下のコラムが紹介されているのですが、

桜田門外の変と意外な事実~井伊の首を取ったのは薩摩藩士だった - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 3ページ
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/03/02/110050/3

薩摩藩士有村次左衛門が、井伊直弼の襲撃に加わっていたことがはっきりと書かれています。しかもこれは今年の3月の記事ですから、第43回コラム執筆当時は、当然わかっていたはずなのですが。

飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/11/19 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第39回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
まず本文に行く前に、先日の家康の加齢について書かれていた件について。
こちらは次回(第40回)、秀吉の死から少し経過した頃の家康です。

どうする家康第40回家康2

そしてこちらは桶狭間の戦い後三河に戻り、さらに信長の清須城に赴いた時の家康です。隣にいるのはお市です。

どうする家康第4回元康とお市2

かなり年月の経過が読み取れるかと思います。
(『どうする家康』公式サイトより)

それから1つ前の『武将ジャパン』関連投稿、意味がダブりかねない、あるいはわかりづらいと思われる部分を手直ししています。

ではまずこちらから。

かつては多くの作品で悪役であった石田三成に対し、私個人に悪印象はありません。
むしろ、三成の供養をしていた地域の方から話を聞き、なんて素晴らしいのかと感動したこともあるほど。
それなのに、今年の三成は見れば見るほど気持ち悪くて、思わず顔を逸らしてしまいます。

と、のっけからルッキズム、見た目での判断による偏見を思わせる文章。そして

目をウルウルさせて綺麗事を語るんだけど、中身がマザーセナの教えなんですよね。
甘い理想ばかりでフワッフワな軽い言葉と申しましょうか。
どいつもこいつも……なぜこんな薄っぺらい奴らばかりなんだ?

前にも同じようなことを書いていますが、三成と瀬名に接点はありません。
三成の理想が瀬名の東国連合と何かしらダブっており、いずれも乱世を鎮めたいと思う気持ちのなせるわざでしょう。ただ武者さんとしては、何でもかんでも「カルト教祖マザーセナ」に結びつけることにより、この大河を叩けると思っているようですが。

そして「マザーセナの教え」は、
「昭和後期平成くらいの優等生ぶったかわい子ちゃんが語り出す、学級目標みたいなキラキラ感しかないんですよね」
どの時代でもこういう理想論を持ち出す人はいるかと思います。
ただ武者さんとしては、昭和後期から平成の、優等生風かわい子ちゃんの発想は邪悪でなければならないということでしょうか。朝ドラのヒロインもそれで散々に叩いていますし。

「どいつもこいつも……なぜこんな薄っぺらい奴らばかりなんだ」
武者さんが薄っぺらいと考えているから、薄っぺらいと見えているだけなのでは。

さらにこう書かれています。

中身は、ほぼ水のように薄味で、具体性の欠片もない。
これは当時の世界観でもなく、ドラマの作り手が考えた精一杯の綺麗事なのでしょう。誤魔化すことしか考えていないから、中身も何もあるわけがない。

では当時の世界観とはどのようなものか、具体的に説明してください。
それから
「具体性の欠片もない」
「誤魔化すことしか考えていないから、中身も何もあるわけがない。」
これはブーメランととらえていいのでしょうか?

死にかけの秀吉――その胸ぐらを掴んで、怒鳴り散らす家康は一体なんなのか。
なぜ誰も止めないのか。
時代考証としても常識としてもおかしい。死にかけの老人を掴んで平然としているなんて、人としての心すらないと思います。

まずあの時の秀吉は死にかけではなく、ちゃんと会話もできており、しかも自分がやったことの責任も取ろうとしなかったから、家康を怒らせてしまったわけです。
「死にかけ」ていたのは、茶々といた時でしょう。
そして
「なぜ誰も止めないのか」
家康と秀吉しかあの部屋にはいないはずですが?

次に「今年は異例づくしで」とあり、

まず、主役の説得に中身がない。

「主役の説得に中身がない」のではなく、主役に説得力がないということでしょうか。
しかし中身がないと言うより、武者さんがきちんと観ていないだけではないかと思います。でなければ、下記のように他作品を叩き棒にするために、前振りとしてこう書いているかでしょう。

『鎌倉殿の13人』の北条義時は、能弁な軍師タイプではありません。三浦義村、大江広元、梶原景時の方が弁が立つタイプでした。
それでも木簡を数え、米の収穫高から動かせる兵数を算定するところは、理詰めの説得力があって素晴らしかった。

あの、鎌倉殿と今年とでは、主人公の設定から時代背景からすべて違いますが、まさか家康にも木簡を数えさせればいいとは考えていませんよね?
家康にしてみれば、今川義元への人質として駿府にいた頃が、義時のこの時代に相当するかと思います。どちらも、自分が権力の中枢になるなど夢にも思っていなかったであろう時代です。

今年の家康は、いつもうわっつらの綺麗事ばかりで、典拠もなければ、データ論証すらありません。
子どもが背伸びして学級目標を語るようなことばかり。

この場合の典拠とかデータ論証とは、具体的に何ですか?
家康がピンチに遭って、家臣と共にその状況を切り抜けて行くわけですが、当然兵力のこと、戦略のことなどなど考えなければならないはずですが、そういうのは無視ですか。

しかもセリフが短い。
大河の主役級や知将が説得するとなれば、セリフは難易度が高く、長くなります。今年はそれが平易なうえに短い。これでは主役の魅力が出るわけもない。

難易度が高く長くなれば、「説明セリフだ」と大騒ぎする武者さんに、こういうことを言ってほしくありません。
そもそも短いセリフとは、どの回のどのようなセリフですか?

また粗暴であるとして、

この掴みかかる場面もそうですが、本作の家康はやたらと火がつきやすく、すぐに怒鳴ったり、キレたりします。
家康は意外と短気だという史実の裏付けが……とかなんとか、そういう話を今はしていません。
ドラマとしての作り、演出上の問題です。
時代劇としてではなく、現代もののヤンキードラマや、せいぜいが軽薄なオフィスものとして作っているように思えます。
あるいは異世界転生もの。いっそコミカライズして、Webトゥーンにすればよかったですね。

家康が気が短いというより、絶えず決断を迫られる場に立たされて迷ったり、あるいは思い通りに行かずに苛立ったりするのが、武者さんにはそのように見えているのでしょう。
演出上の問題云々より、絶えず試練を受けるキャラ設定だからです。

「家康は意外と短気だという史実の裏付けが……とかなんとか、そういう話を今はしていません」
武者さんは史料を見たがらないようですから、史実の裏付けを出されるのが嫌なのでしょうか。

大河ドラマは料理に例えるならば和食のお膳でしょう。
それなのに、ファストフード感覚でハッピーセットみたいなおもちゃをつけたり。
ニコライ・バーグマンのフラワーボックスをおまけにつけたり。
タピオカドリンクをつけてみても、ノイズにしかなりません。
それでいて、肝心の刺身はパサパサと乾燥しているし、茶碗蒸しかと思ったらまずいマンゴープリンが入っている。
安くはないお金を払って、そんな膳が出されたら、嘆きたくもなるでしょう。

「マザーセナ」の次はニコライ・バーグマンですか。
ニコライ・バーグマンに取っても迷惑かと思いますが…。
そしてこのハッピーセットだの、タピオカドリンクだの、マンゴープリンだの、何のことを指しているのかさっぱりわかりません。
ぶっちゃけ、自分は気の利いたことを言っていると言う、自己陶酔の極みのように見えてしまうのですが。その次に、それだけではないとあり、

この膳最大の問題点は、デカい蝿が汁物に浮かんでいることです。
「蝿を取り出して食べればよい」とムリヤリ頭の中で納得できたとしても、食欲は失せるでしょう。
そういうデカい蝿をむしろ前面に出しているのが今年の大河です。
蝿を無視して「でも史実というお出汁が効いたこの味わい!」だの、「新説トッピングを使いました!」だの、YouTube配信で言われようが、根本的に間違っているからよろしくない。
デカい蝿を無視して「さすが! 号泣のメニュー!」と語り尽くす食レポなんて、読んだところで呆れるばかりです。
しかも、褒めるレビューは同じ文言ばかり並ぶんだから、どう考えたっておかしい。

「デカい蝿が汁物に浮かんでいる」また凄まじい表現ですが、武者さんに取ってはデカい蝿に見えても、人によっては全く別の見方をしていると思われます。そういう部分への配慮がまるでなし。
それと「史実というお出汁が効いた」も何のことを言いたいのやら。
「新説トッピング」は、武者さんが平山氏に叱られた例の森乱の件を言っているのですね。

あと「根本的に間違っているからよろしくない」
とありますが、何が間違っているか皆目不明です。
取りあえず、全面否定したいのだなというのはわかりますが。
そして「さすが号泣」だの、褒めるレビューが同じだのとありますが、好きな大河であれば、そういうのを率先して受け入れ、また自説補強に使うのだろうなと思います。

とどのつまり武者さんが自分の世界観に入り浸っていて
「『どうする家康』を叩いている自分てかっこいい!」
と思っているのではないかと。負の感情はモチベーションとなりやすいですから。

ゆえに毎週私は指摘しているのです。
蝿の入った膳なぞ、即刻下げて欲しいと。

蝿など入っていないのに、美味しいと食べている人もいるのに、下げろと言われても困りますよね。
一番いいのは、その店に行かないことではないのですか?
でないと業務妨害になりかねないかと。

最終回に近づいてきたからでしょうか。
こんなニュースが出され、憤った方は少なくないはず。
◆大河「どうする家康」天海を演じるのは誰? ネットには光秀=長谷川博己待望論 「麒麟がくる」最終回からの流れを期待する声続々(→link)
こんなデタラメ大河に、長谷川博己さんを巻き込むなんて、悪夢以外の何物でもありません。
今年の大河は、足利義昭や明智光秀の像があまりに酷く、『麒麟がくる』の逆張りと言えるものでした。

『麒麟がくる』の逆張りではなく、大河とは主人公やスタッフによって描かれ方が違うということですが、武者さんに取って戦国大河すなわち麒麟で凝り固まっているのでしょうね。だからデタラメ大河などと言う、誹謗中傷とも取られかねない言葉が平気で出て来る。

『麒麟がくる』で好演された眞島秀和さんと風間俊介さんは、その後『大奥』に出演されています。
実質的に、あの大河の後継枠は、確かな医療考証も含めて『大奥』です。
今年の大河には、清らかな太平の世をもたらす麒麟はやって来ません。というか今年は思想とかそんな考えなどまるでない、単に幼稚な世界です。

武者さんがそう思いたいのはともかく、大河ドラマ『麒麟がくる』の後継枠はやはり『青天を衝け』でしょう。
そして風間俊介さんは『西郷どん』で橋本左内の役で、眞島秀和さんは、『軍師官兵衛』に顕如の役で出演していました。どちらも武者さんが嫌いな大河ですが、それも事実です。

「今年は思想とかそんな考えなどまるでない、単に幼稚な世界です」
思想とか蹴鞠とか連歌がないと、すべてが幼稚で駄作に映るらしいですね。こういう人が大河のレビュアーで、しかも報酬を貰って書いていることを、どう捉えればいいのでしょうか。

ついでにいえば、再登場は期待しない方がよいでしょう。
「再」がつかない未登場大名も多い。まさか伊達政宗すら出さないとは思いませんでしたね。伊奈忠次だってどうせ使い捨てでしょう。

長谷川さんですが、今までのキャストで発表されていないのですから、もし出るとしたらサプライズでしょう。今まで古沢さんの作品に出てはいますけどね。そしてもし天海が出て来るのなら、意外な人物が登場する、その可能性はあるかと思っています。

「伊達政宗すら出さないとは思いませんでしたね」
ではこの大河で政宗を出す場合、どのシーンでどのように使えばいいか、書いて貰えないものでしょうか。

「伊奈忠次だってどうせ使い捨てでしょう」
まだ観てもいない回のことを勝手に予想するのはやめた方がいいと思います。
ただちゃんとした出番があっても、使い捨てだと言いそうな予感はしますが。


飲み物-ランプと水とウイスキー
[ 2023/10/20 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第38回に関しての武将ジャパンの記事について-1

では第38回に関する『武将ジャパン』大河コラムその1です。


秀吉と茶々の子である捨(鶴松)が死にました。
その悲しさや怒りは唐入りに向ける――そんなイージーな動機で秀吉が安っぽく宣言すると、キンキン声でわかりにくいナレーションが続きます。
10万を超える大軍で朝鮮半島に渡って全戦全勝。
手抜きVFXで軍隊の様子が描かれたかと思ったら、直後に続くのが、いつものしょうもない宴会芸です。
どういうわけかこのドラマは、主演が踊ると「姿勢がいい! さすがジャニーズ!」とはしゃぐ声が入るとか。『歴史探偵』の名場面投票でも海老すくいが一位だったそうですよ。

この間武者さんは「拾」と書いていましたが、流石に今回は「捨」にしていますね。
そして秀吉の「次は何を手に入れようか」が安っぽいと思うのなら、第35回辺りからもう一度観た方がよさそうです。ただ武者さん、この回もちゃんと観ていませんでしたからね。
そして「手抜きVFX」、武者さんが好きな大河のスタッフの方も入っています。

そして
「主演が踊ると「姿勢がいい! さすがジャニーズ!」とはしゃぐ声が入る」
実際そうなのですよね、体幹がぶれませんからね。

そしてここでもまた雑に、豊臣秀次に関白が譲られたと説明されます。
政治的にも歴史的にも非常に重要な場面のはずですが、このドラマは徹頭徹尾、歴史の流れを軽視しますので、一瞬で終わりですね。

家康に取ってどのような位置づけかで優先順位が変わると思われます。
そして
「政治的にも歴史的にも非常に重要な場面のはず」
なら、どのように重要で、それが家康とどうかかわるのかちゃんと書いてください。

気がつけば秀長と旭も死んでいます。
(中略)
さすがに秀次は、そんな簡単に終わらせられない……と思うのですが、本作なら何でもアリなのでしょう。

この前の回で旭も秀長も病気でしたね。しかも旭は死ななければならない、だからわざとらしく病気で寝ていると書いたのは武者さんです。気がつけば死んでいますは流石に通用しないかと。
せめて「この間病床に伏していた旭は、もういなくなりました」くらいは書いてほしいものです。
また秀長、前回小田原が落ちて天下一統が成ったと福島正則から聞かされて、秀吉がこれ以上の欲を張ることを心配しているわけですが、あれは、既に自分はもう表舞台に出られないと覚悟してのことではないのでしょうか。

それとこう言うのは何ですが
「さすがに秀次は、そんな簡単に終わらせられない……と思う」
もう「ビッグモーター」使えなくなりますからね。

本作は、いろんな場面で説明が不足していますが、特に中国史に関する描写が絶望的です。
例えばこの一文。
「明国の征服、唐入りでございます!」
かつて家康が「唐」と口にしたら、信長と秀吉が「いや明でしょw」とコケにするしょうもない場面がありました。
江戸時代まで日本では中国をざっと「唐」と呼びます。
だから「唐入り」で問題はない。ゆえに、先の場面でも「明だしw」とバカにされる筋合いもない。

唐(から)は中国・朝鮮の古称ですね。武者さんらしく、どの回であるのかまるで書かれていませんが、第14回、金ケ崎の回です。この中で家康は、海のかなたの土地を見せられ
「あれが唐でございますか」
と言うのに対し、信長は「明国の港も見えよう」と言っています。
実は嘘で越前の岬であり、家康はざけんなとつぶやくわけですが、このやり取りから見る限り、信長は「いや明でしょ」とは言っていませんね。それぞれの捉え方の違いは描かれていますが。

これは「宋剣」だのなんだの出てきた『平清盛』以来です。
『平清盛』からそうでしたが、磯CPが絡むドラマは中国史が不自然なまでに理解不足なのです。
ついでに言っておくと、淀殿が突然発した中国語も何だったんでしょうね。字幕にミスがあるし、「私の名前は茶々である」ならば「我叫茶茶」の方が自然なような気も。

そしてまた『平清盛』と磯P叩きですか。
そして磯氏が絡むドラマがどうこう言うのなら、他にどういうのがあるか挙げてください。
さらに「字幕にミス」どのような部分ですか。そして茶々は、西笑承兌にこれを習ったと言っています。この人は僧であり、漢学の素養はあるものの、別に中国語の先生というわけではなく、この場合如何にも日本人が考えた直訳的な表現であっても、特に問題はないのではないでしょうか。

ちなみに中国語の監修は加藤徹氏で、この方は中国文学者ですね。

冒頭の戦況報告からして妙でした。
あれだけ武将がわらわらとやってきて、雑マップに駒だけ置いて本気で説明になると思っていますか?
人の生死がかかった戦場だということを真面目に考えていますか?
秀吉による雑な唐入りプランの説明も、何から何までほぼおかしい。聞いたことを記憶から焼き消したほうが良さそうだ……。

どこが「雑」で、どこをどう改めるべきなのか、まるで書かれていないのですが。
私がおかしいからおかしいのだと言いたいのですか?
そして
「人の生死がかかった戦場だということを真面目に考えていますか」
旭は死ななければならないから、わざとらしく病気で寝ているなどと書く武者さんに、人命がどうこうとあまり言ってほしくないなとは思います。

浅野長政が「どうかしておる!」と叫ぶのもマヌケすぎます。
そんな大事な諫言をなぜ名護屋に集うまでしなかった? もっと早めに言えばいいじゃない。
浅野長政が諫言するという人選も、それこそ絶縁を叩きつけた伊達政宗からすれば失笑ものでしょうし、ただのアリバイにしか思えません。
とにかく、命を賭して提言する様子でもないので、まるで緊迫感がありません。

「それこそ絶縁を叩きつけた伊達政宗からすれば失笑もの」
この大河にそのようなシーンがありましたか?そもそもこの大河に伊達政宗は出て来ますか?
そして浅野長政は、秀吉が明の都に天子様に移っていただくとか、自分は寧波に隠居所を設けるとか言うのみならず、天竺や南蛮も奪い取るなどと大言壮語するのを聞いて、どうかしておると言ったわけです。
あの場でないと提言できませんよ。

秀吉が刀を抜いたって『うわっ、こいつ、本気で刺すんだ!』と思った視聴者など、ほぼゼロでしょう。
要は全く意味がないシーン。どうしたら、こんなアホみたいな諫言にできるのか。
あれでは店員にキレ散らかしている悪質な客のようです。

あの様子、かなり本気で行っているなと思いましたね。秀吉の狂気を表しているなと思いましたし。
「店員にキレ散らかしている悪質な客」
秀吉のことでしょうが、それにしては凄みがありました。

秀吉から老いを感じられません。
いくら白髪にしようが、顔にシミを作ろうが、動きがハキハキして、家臣たちを怒鳴り散らし、キビキビと剣を手に取っている。
まったく加齢ができていない。
それでも家康が全く歳を取ってないので、秀吉が相対的にはマシに見えますね。

実際にはこの時秀吉はまだ50代で、そこまで衰えてはいなかったかと思われますが、加齢メイクはおかしくはありません。しかし秀吉の気分の移り変わりの激しさや、自分の地位を守ろうとする姿勢などは、明らかに加齢と共に顕著になって来た感はありますね。そして無論家康もかなり髪や髭が白くなり、行動や物言いも中年のそれとなっています。
しかし、髪や髭が白くなったのくらい、いくら何でもわかると思いますが…。

こげん島津描写、もはやチェストするしかなか!
(中略)
本作のように脆弱な本多忠勝から、下手くそな鹿児島弁で何やら教えを乞うとは、これほど薩摩隼人への侮辱があっただろうか?
キエエエエエエエエエエ!
脳内で薩摩隼人が猿叫をしながら、ジゲン流で色々ぶっ叩き始めました。

ジゲン流でなく、藥丸自顕流とちゃんと書きましょう。
あと「もはや」は「もへ」じゃないのかな。
しかし「本作のように脆弱な本多忠勝」て、思い切り山田裕貴さんバカにしてませんか?
そして「下手くそな鹿児島弁」とは何ですか。どこが下手くそなのか、具体的に言って貰えませんか?

「キエエエエエエエエエエ!
脳内で薩摩隼人が猿叫をしながら、ジゲン流で色々ぶっ叩き始めました」
こんなこと書く方が、よほど薩摩隼人に失礼かと。

そしてまた『らんまん』を叩き棒。

朝ドラ『らんまん』では、明治初期の巡査が薩摩言葉を話す鹿児島県出身者であり、イントネーションも綺麗でした。
初代の警視総監(大警視)川路利良は、鹿児島出身者を多く警察官に登用しました。『らんまん』のスタッフはそれを把握していて、わざわざそうしたのでしょう。

貴方が嫌いな『西郷どん』でも、ちゃんと川路利良は登場しています。もっとちゃんとしたレビュアーだったら、この2つの描かれ方が大河と朝ドラで、あるいは主人公が誰であるのかでどう違うか、そのくらいは考察するものでしょう。

西郷どん45川路利良
『西郷どん』の川路利良(泉澤祐希)

こげん大河はチェストしてよか!

小見出しですが、無理に薩摩弁使わなくていいですよ。貴方『カムカムエヴリバディ』の時も、無理して関西弁使っているように見えたし(と、もうはっきり書いておきます)。

怒りのあまり、家康が「腹を召す(※自分に敬語を使う愉快な家康くん)」といった時は、思わず脳内でこう返してしまいました。
「臓物抜いて腹の中空にすっで、飯詰めて炊いて食ってにもし!」

実際「腹を召す」は尊敬語ですが、敢えて自分を上に見せようとする気持ちがあるようにも見えます。
あの時家康が
「腹を切りまする」
と言ったら、秀吉は即座にそう致せと言ったかも知れませんが、あのように自らに尊敬語を使い、殿下の代わりは殿下しかおられぬと強調することで、寧ろ秀吉は自分が下に見られたような気がして、無言でそのまま去って行ったようにも感じられるので。この回の後半でも猿呼ばわりしていますし、ある意味計算ずくかと。

こんなしょうもない義昭を使い、秀吉を貶めることでしか笑いがとれないなんて、あまりにくだらない。
「将軍だ!」と威張っているくせに、供もつけずホイホイ来るってどういうことでしょうか。
そして家康と秀吉の前で、「トップに立つと周りが見えなくなる」とかなんとか、何やら良い話をする。
足元が見えてない秀吉にとって、それが良薬となるわけですが、あまりにもタイミングがよすぎませんか!!! 

本多忠勝と渡辺守綱のやり取りを聞いていませんか。
准三后待遇で、追い返すにも追い返せないわけですよね。供はこの場合いるとは思いますが、中に入れるのは本人だけでしょう。そして大名たちが集まっている名護屋を訪れて、昔語りをしてみせるのが、この人の楽しみだったようですね。
単にホイホイ来ているわけではないし、実際この人は文禄の役で出陣したとも言われているので、いずれにしてもここにいるのは不自然ではありません。

「心の底からバカバカしくて、テレビを外に投げたくなるほど。」
だったら投げたらどうですか?
無論誰かに当たらないように、投げる前に周囲をよく見渡した方がいいかとは思いますが。

こんな定型記事が出がちです。
「過去の『作品A』で印象的だった****の演技が光る。別のドラマでは****役は****が演じたが、それとは異なる****な持ち味が生かされた。
SNSでは「********!」「*********」といった声も見られた。」

それは貴方の好きな大河でも似たようなものですよ。

千代が出てきたとき「女大鼠は二度と出ないで欲しい」と心の底から願っていました。
その夢はあっさり破られてしまった……。
彼女はいったい誰の需要なの?
劇中では何歳ですか?
どうやって海を渡ったの?
服部半蔵のネタも、全く面白くありません。役者のファンに向けた目配せであるのが見え見えで、こんな使われ方をするのが気の毒としか言いようがありません。

私はこの間、大鼠(女大鼠ではありません、役名はちゃんと書きましょう)がまた出るかも知れないと書いていたので、やっぱりと思いました。半蔵が出て来るから、当然彼女も出て来ますね。何歳かは年齢不詳でしょう、ぱっと見あまり変わっていませんが。

そして
「どうやって海を渡ったの?」
海を渡るも何も、半蔵たちは名護屋にいますよ。そして手紙を盗み見たうえで
「朝鮮攻めが滞っていることは間違いございませぬ」
と判断しているわけです。

半蔵のネタて、忍びでないということですか?この人は最初からそう言っているし、まして8000石取りになったのに、やはり忍びやらせるのかとちょっと面白くないのでしょう。


飲み物-パブのビール1
[ 2023/10/11 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』関ケ原そして大坂の陣関連キャスト発表

9月15日は関ケ原の戦い、その当日にドラマの終盤に活躍するキャストが出そろいました。

毛利輝元-吹越満
上杉景勝ー津田寛治
宇喜多秀家-栁俊太郎
小早川秀秋-嘉島陸
直江兼続-TAKAHIRO
片桐且元-川島潤哉
金地院崇伝-田山涼成
林羅山-哲夫(笑い飯)
本多正純-井上祐貴
江-マイコ
大野治長-玉山鉄二
(敬称略)

【第12弾】天下人への道を突き進む家康に、立ちはだかる厚き“壁” 後を継ぐ者たち
(NHK公式サイト)

吹越さん、『軍師官兵衛』の足利義昭と『おんな城主 直虎』の小野政直を思い出しますが、今回は西軍の総大将ですか。そして津田さん、今回は上杉景勝ですね。こちらは『西郷どん』の松平春嶽、そして『青天を衝け』の武田耕雲斎を思い出します。玉山さんは前に出演した戦国大河が『天地人』で、上杉景勝と御館の乱で対立する役でした。

川島潤哉さん、昨年は中原親能の役でしたね。そして田山涼成さんは『徳川慶喜』以来25年ぶりの大河出演です。と言うか、『きのう何食べた?』のシロさんのお父さんのイメージがどうも強いです。後ほど投稿しますが、あのシリーズ、10月から第2シーズンが放送予定です。

そして笑い飯の哲夫さん、『山河燃ゆ』以来の大河ウォッチャーのようです。今回は晴れてその大河に出演です。

今回発表されたキャストは会津攻め、関ケ原から江戸幕府の成立、さらに方広寺鐘銘事件、大坂の陣に至るまでの人々です。10月以降に登場となりそうです。

それにしても、8月発表のキャスト全員の扮装写真を、早く見たいのですが。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/09/16 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『軍師官兵衛』を観ていて気付いたこと

最近『おんな城主 直虎』のDVDレンタルができず、代わりと言っては何ですが『軍師官兵衛』を観ています。元々信長の小姓の万見仙千代登場回を観るつもりで、何度目かの視聴を始めたのですが、『どうする家康』の時代と重複しているせいもあってやはり親近感があります。無論、両方に出ている俳優さんもいます。

ではここで、『どうする家康』にも出演している俳優さんを挙げておきます(敬称略、出演予定含む)

      軍師官兵衛     どうする家康
岡田准一  黒田官兵衛     織田信長
飯田基祐  井手友氏      松平広忠
酒向芳   生駒親正      明智光秀
忍成修吾  小西行長      大谷吉継
阿部進之介 加藤清正      黒田長政

岡田さんは言うに及ばずですが、今年の明智光秀を演じた酒向芳さん、実はこの大河に出演しているのですね。

戦国大河に限って言えば、他にも柴田勝家を演じた近藤芳正さんが『真田丸』と『風林火山』に出演していたり、竹中半兵衛を演じた谷原章介さんが『風林火山』に出ていたり、井上九郎右衛門を演じた高橋一生さんが、やはり『風林火山』と『おんな城主 直虎』に出ていたりと、戦国大河に重複して出演している人は多いです。

何と言っても竹中直人さんが、『秀吉』とこれとで同じ秀吉役です。同じ役と言えば、『真田丸』と家康とで福島正則を演じる深水三章さんもしかりでしょう。

あと熊之助を演じた今井悠貴さんですが、この人は『西郷どん』で隆盛と愛加那の息子、菊次郎を演じています。この両者は
  • 影響力の大きな父を持ち
  • 糸という女性との接点があり
  • 戦に出ることなく亡くなる、または戦で大変な目に遭う
という共通点があります。

父親に限っては言うまでもありませんが、糸という女性、熊之助の場合は兄嫁(長政の妻)が糸で、この人が熊之介が家出同然に朝鮮半島まで行くのを見過ごし、後に息子を産むことができなかったこともあって、自分を責めるようになります。また菊次郎の場合は隆盛の妻、つまり母親が糸でした。ちなみに『西郷どん』で、菊次郎の実の母、愛加那を演じた二階堂ふみさんは、『軍師官兵衛』で茶々を演じています。
また熊之助は、朝鮮へ行く船が沈没して亡くなり、菊次郎は右脚を失います。またこの時菊次郎の叔父、隆盛の末弟である小兵衛が戦死しています。

ところで『どうする家康』、10日の放送はラグビーワールドカップの放送でお休みですが、次回予告は
「あらすじ、相関図、略年譜をご紹介します」
との由。
完結編の登場人物の扮装写真が、そろそろアップされるのかも知れません。

それから先日、この『軍師官兵衛』の「太閤の野望」を第41回としていましたが、第42回ですので訂正しています。


飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2023/09/07 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第33回『武将ジャパン』大河コラムその3です。
それから30日の福岡城関連投稿で、阿部進之介さんの名前の漢字を間違えていたので、訂正しています。


本作の制作者は、開き直っているんだと思います。
歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。
たとえば来週の旭姫もそう。
彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。
それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。
しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?

先日も書いていますが、制作サイドは「シン・大河」などと言っていないと思いますが――『麒麟がくる』の時に「大河新時代」と言ってはいましたが。
それと次回のをまだ観てもいないのに、
「ベタベタとした展開になったりするのは、そうでないと「シン・」にならないから」
などと書くのは、武者さんの勝手な決めつけ以外の何物でもありません。
ちなみに次回の予告について先日書いていますが、ベタベタした展開のシーンなどはありませんでした。

こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。

仮に今までの展開を、その真逆にするにしても、それがすなわち「手抜き」になるのでしょうか。

思えば初動から間違っていました。
家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?
昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。
しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。
もうこの時点で誤用が甚だしい。

「○○界のプリンス」などという表現は、特にPRの意味で使われますし、その意味で家康がナイーブなプリンスというのは少しもおかしくありません。プリンスではありませんが、ハンカチ王子なんて言葉もありましたね。
ところで豊臣秀頼も「豊臣家の若きプリンス」という触れ込みですが、武者さんそれにも何か言いそうですね。以前、『真田丸』の中川大志さんも同じような触れ込みであったかと思いますが、ただそれに対しては何も言わなかったかと思います。

徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。

強引ですね。この時点で信頼感が地に落ちていたのであれば、武者さんがあれもよくないこれも駄目と書いていたのは、一体何だったのでしょう。
「家康をプリンスなどとしている、だからこの大河はダメ」
この一言で済んだのではないでしょうか?

これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。
◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)
思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。
脚本が役者さんに信じられていないか。
あるいは、よほど中身がなかったか。

この記事ですが、松重さんのコメントによると

「出奔した後の最後のセリフも本来書かれていなかったセリフをアドリブで言ったんです」と告白。
(中略)
「松本潤家康とどういう別れ方をしたかなって2人で一生懸命シュミレーションした結果が33・34回の放送回だと思います」と具体的な出奔シーンの時期についても言及していた。

「出奔した後の最後のセリフ」
「33・34回の放送回」
とあるのを見る限り、このセリフは第33回ではなく、第34回に家康が上洛し、出奔した後の数正と会って、その時数正がこの言葉を放つのではないかと思われます。何よりも第33回では、家康は「出奔後の数正」と話す機会はありませんでしたから。

そして中島亜梨沙さんのSNSでの
「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」
に関して、
「なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか、
誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね」
とありますが、あの中で中島さん演じるひよは、板垣さん演じる虎松を悪童呼ばわりするため、
「気にしないでくださいね」
という意味で板垣さんのファンに送ったメッセージとも取れます。

しかし武者さんは、収録現場の人間関係がギスギスしているに違いないと思っていたいようです。

そんなギスギスした不幸な関係は、ドラマの描写にも反映されているようで、先週の放送で、秀吉が吐いたセリフが注目されていました。
◆NHK大河「どうする家康」ムロ秀吉の悪口に対するアンサーが話題に 視聴者「全てのSNSユーザーが胸に留めたい」「正論かましてきた」(→link)
徳川軍に罵詈雑言の看板を掲げられた秀吉が、「人の悪口を言うやつはどうしようもない」という趣旨の発言をしたものですね。

この秀吉のセリフを、私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見は多かったようです。
しかし、だとしたら非常に妙なことになる。
秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。
罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。
SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。

ドラマはドラマ、現実は現実とここは分けて考えるべきでしょう。
実際秀吉のセリフは、自分への悪口雑言を書き連ねて、自分を怒らせようとした徳川に向けられています。そして視聴者の中には、ネット上で発言をする際の自分への戒めとしようと思った人もいるでしょう。
しかし結局徳川の目論見は失敗に終わるわけですし、確かにこの時の徳川の考えはやや浅はかであったとも言えます。
とは言うものの、
「SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い」
は、武者さんの僻目ではないのでしょうか?

おまけに、

そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。
作り手の自己批判だったのでしょうか?

だからドラマはドラマ、現実は現実です。ただ視聴者の中には、このセリフが刺さった人もいるでしょうし、そこから先はその人の考え次第でしょう。
図星だったのかも知れませんが、ここまで言う必要もないかと思います。スルーしとけばいい話です。
武者さんて割と冗談を真に受けるようなタイプなのでしょうか。
それにしても「主人公側をぶん殴るとは筋が悪い」
いや、貴方の大河評はいつも、主人公側をぶん殴るに等しいことをやっているように見えますが。

でこの後榊原康政を演じる杉野遥亮さん、茶々を演じる白鳥玉季さんについての記述がありますが、これはまた機会があれば別途取り上げます。特に白鳥さんについては、武者さんが持論を持ち込んで延々と書いていますので。

◆『どうする家康』が放送開始以来の大ピンチ…「BL展開」しか逃げ道がない「ヤバすぎる事情」(→link)
 「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」
一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。
こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。

現代ビジネスの記事ですね。
しかし忠勝が上半身裸で槍の稽古をするのは、もう既に出て来ているはずですが。
あと相撲を取るシーン、武者さん『西郷どん』でも何かのように叩いていましたが、相撲で褌一丁なのは当たり前ですし、こういう男性の裸のシーン即ちBLに結びつくのでしょうか。
では『真田丸』で石田三成が水垢離をするシーンがありましたが、あれもBLなのでしょうか。
それと先日『秀吉』絡みで書きましたが、あの時は秀吉と家臣が褌姿で走っていました。この論理だと、それもBLになるのですね。

確かに『鎌倉殿の13人』で若い層を取り込んだという分析結果もありましたが、今年はもう今さら頑張ったところで無理。
ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう。

この大河は実際若い層を取り込んではいると思います。またSNSとの親和性も高そうです。
にもかかわらず
「今年はもう今さら頑張ったところで無理」
「ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう」
なのだそうですが、何が無理で、何を挽回できないのかはっきりさせてほしいですね。
世帯視聴率ですか?それとも固定視聴層の復帰ですか?

そしてまた中国ドラマとアニメのリンク。

◆中国ドラマ「陳情令」配信4周年記念の切手セット販売、五大世家シーリングスタンプも(→link)
◆アニメ第2シリーズ「天官賜福 貮」字幕版&吹替版で放送決定! PV第1弾が公開&新キャストに子安武人(→link)

関係ない話ですが、このアニメに出演している日笠陽子さん、『はたらく細胞BLACK』の白血球ですね。

先ほどの記事で名前が出てきた松坂桃李さん。
実は彼の「桃李」とは、桃李成蹊を由来としていて、成蹊大学の由来でもあります。
桃李もの言はざれど、下自ら蹊(みち)を成す。『史記』
桃やスモモは何も言わない。しかしその下には、その花と実を求めた人が集い、自然と小道ができるものだ。つまり、優れた徳や誠意の持ち主のもとには、宣伝などせずともそれを求める人が集まってくる。

「先ほどの記事」などと書かず、杉野さん関連の記事であること、杉野さんが松坂さんと同じトップコート所属であることをちゃんと書いてください。
しかし松坂桃李さんを出してくるなら、出演大河もちゃんと書けばいいのに。ただ武者さんは『軍師官兵衛』も『いだてん』も好きじゃないから、書きたくないのでしょうね。

で、好きな『八重の桜』絡みのこのニュースには嬉しそうです。

大河ドラマもそうだと示すニュースがありました。
◆綾瀬はるかさん、今年も特別ゲストに 9月23日の会津藩公行列 福島県会津若松市 福島民報(→link)
もう十年間ですよ。
彼女を呼ぶ会津の期待や信頼感と、綾瀬はるかさんの誠意が今なお合致していて、
「さすけねぇか」
と呼びかける綾瀬はるかさんはすっかり名物です。

その一方で、家康の出演者が信玄公祭りに出ないと書いています。実はこちらの信玄公の方は、ちゃんとした理由があるからなのですが、それを書いていませんね。

『どうする家康』でも、まだ祭りのゲストに出演者が参加することがあるようですが、その一方で一切関わらない祭りもあります。
その代表例が、信玄公祭りでしょう。
◆第50回信玄公祭り 信玄公役が決定しました!(→link)
以前にも触れましたが、信玄公を務めるのは阿部寛さんでも眞栄田郷敦さんでもなく、『大奥』で徳川吉宗を演じた冨永愛さん。
意思決定の経緯は不明ながら、ともかく結果は結果。
なぜ大河ドラマが回避されたのか。あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。

これに関してですが、男性ばかりでなく女性も入れようということになり、富永さんに白羽の矢が立ったようです。

長崎幸太郎知事は「(祭りは)県の新しい姿を見せていく大きな機会」と述べ、女性活躍推進に力を入れる姿勢を示していく方針だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC069XC0W3A600C2000000/
(日本経済新聞)

ちなみに今年は、山本勘助も女性が演じるようで、信玄公だけではなさそうですね。

第50回信玄公祭り 山本勘助役が決定しました!
https://www.yamanashi-kankou.jp/shingenko-fes/50th_kansuke-kettei.html

武者さんは女性参画は好きでしょうから、こういうのはちゃんと紹介してはどうでしょうか。
あと今年の場合、信玄公は主役ではないということもあるでしょうね。それを考えれば、主人公を演じた綾瀬さんが会津関連イベントを10年間務めるというのはわからなくもありません。

そして、この後ですが、

『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については
「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」
といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。

とあり、

徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。
むろん誇張や美化もあるでしょうが、裏切られることの多かった織田信長に対し、一度もそんな素振りを見せていないのが家康。
秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。
実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。
そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?

この家康自身は寧ろ誠実で、だからこそ最初は悩みもし、その中でしたたかさを身に着けては行きますが、本質的な部分は第33回時点であってもそう変わっていないでしょう。そして古沢氏は、そういう家康の成長と変わらない部分とをきちんと描いているかと思います。ただドラマそのものは、この人らしい二転三転した展開、最初から時系列に沿って描かない展開は多めではあるでしょう。

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。

一体何を言いたいのですか、武者さんは?何か変な夢でも見たのですか?
先ほどの桃李成蹊になぞらえたいのでしょうが、この蜂の巣とは何ですか。何かの暗喩ですか。
そしてまた「シン・」だの「つまらないでしょ」だの、すべて武者さんの妄想でしかありません。
同じ揶揄するにしても、もう少しまともな方法はないかと思ってしまいます。
こんなことで引き合いに出される松坂桃李さんが気の毒になります。官兵衛の長政好きなのに…。

それと先ほどの大河絡みで書きましたが、松重さんに加えて松坂さんも綾瀬さんも出して来たのなら、ここで『いだてん』の話を…とは、なりませんかやはり。

「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

バカとまでは言いませんが、武者さんが『どうする家康』を、大河レビュアーであるにもかかわらず、少しも理解していないのは、残念ながら事実でしょう。

2013年と2023年の大河ドラマの違いとは、誠意の問題だと思います。
信頼関係を無茶苦茶に破壊しておいて、この後どうするつもりなのか。

どこが「誠意の問題」なのでしょうか。
今年のスタッフは誠意がないと言わんばかりですね。
そして「信頼関係を破壊」、この信頼関係とは具体的に何なのでしょうか。

皆さんの意見はNHKへ直接送りましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

ではまた支持の声と、それからラグビー中継に関して一言送っておきましょう。

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/09/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。先日も書きましたが、最後の方のページは、茶々関連で武者さんの持論展開、あるいはジェンダー論に絡めてあれこれ主張するだけの場になっていますので、大部分は飛ばします。いつも同じことの繰り返しにしか見えませんし。
そのうちの一部だけピックアップしておきます。

◆13歳の少女が色目を使うおかしさ
『鎌倉殿の13人』では、茶々と同い年くらいのトウが、善児により目の前で親を殺されました。
そこで「こいつの弟子になって、いつか寝首をかく!」と即決したらどう思われます?
おかしいですよね。
まだ思春期の子供が、親が死んだ直後にそんな冷静な判断ができますか?
あの茶々は、いわばそういう無茶苦茶さでした。

ドラマをちゃんと観ていたらわかりますが、茶々は城を出る前に、
「母上の無念は茶々が晴らします」
「茶々が天下を取ります」
と言っています。まだお市も、そして勝家も自害する前です。
ですから
「親が死んだ直後にそんな冷静な判断ができ」たわけではなく、既に心の準備をして城を出たわけです。
しかしそれとトウとどのような関係があるのですか。
彼女は親が殺される前に、善児の弟子になると決めたのですか?

このドラマにはこんな場面もありました。
かけっこが好きで活発であった阿月が、父親から女らしさを仕込まれる場面です。
ジェンダー意識があってないようなこのドラマでも、女らしさは先天的でなく、後天的に仕込むものだという一応の認識はあるようです。
覚悟があろうが、決意があろうが、13歳の少女がそれを示すとなれば、鋭い眼光で相手を睨むといった行動になるでしょう。色気あふれる振る舞いなんて、誰からも仕込まれていなければできませんから。

武者さん、阿月の登場回ではこのことに触れず、やけに後になってから言及していますね。
阿月関連で以前どのようなことを書いていたかと言うと、たとえばこういうことです。(第25回関連コラムからの引用なので、色を変えています)

アメコミ由来の「冷蔵庫の女」という概念もあります。
要するに、プロットの都合上、ヒロインが死んで、そのことでヒーローが奮起するというパターンです。
このドラマの作り手は、家康という題材をみたとき、天下統一や江戸幕府を開いたといった話はすっとばし、こう思ったのでしょう。
「ヤッベwwこれだとヒロイン殺せるじゃんwww美男美女キャスティングにして盛り上げられるしwww」
ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね。
現代劇より簡単に女を殺せる! ヤッベ、楽しい!
こんな思考回路に陥ったと。
田鶴だの、阿月だの、今まで描かれてきた女性にしても、自己実現と命を引き換えにして散ってゆきます。
死んでくれると実に都合がいい。
死ぬところで「ロス」だの「号泣」だのネット評価を作れますし。美女をとっかえひっかえ出せる。
歳をとって“賞味期限”が切れた女なんて邪魔なだけだから、殺してでも入れ替えていくのがいいに決まっているんですよ。と、ミソジニストの考え方ならそうなる。

武者さんが何かにつけて持ちだす「冷蔵庫の女」絡みですが、こういう発想をする武者さんの方が、女性に対する偏見が入りまくりのように見えてしまいますね。
そして私はこの時、阿月と田鶴は、同じ命を散らすにしてもその動機がまるで違うと書いていますが、武者さんに取ってどういうことはどうでもいいようです。ただこの場合
「ヒーローがヒロイン殺しで奮起するパターン」
に必ずしも沿っているとは思いませんが。

尚私は、この阿月に『西郷どん』の糸がダブると書いてもいます。彼女も脚が速いため男の子ばかりの郷中に男装して入り、妙円寺詣りで健脚を披露していましたが、その後女の子であることがばれてしまいます。

なお茶々は色気云々と言うよりは、もっと凄まじいものを抱えていると見るべきでしょう。下記記事も、そのことについて触れていますね。

【どうする家康】家康へ復讐の野望に燃える「淀殿」爆誕へ

ちなみにこの記事は武者さんが引用したものですが、この人はタイトルがおかしいと言って次のように書いています。

茶々が「淀」と呼ばれるのは、彼女が懐妊して淀城が産所となったから。
つまり「淀殿」は妊娠しなければ爆誕も何もあったものじゃない。
この時点でこんなことをタイトルにする時点で、実在した人物の人生なんてどうでもよくて、キャラクターカード扱いしているようなものじゃないですか。

ではこちらをご覧ください。

武将ジャパンおかしな点豊臣秀吉

「明智光秀の首を取ろうと思ったら豊臣秀吉に先を越されちゃった」
まだ豊臣の姓を下賜されていないのに、豊臣秀吉というのも随分妙なものだと思いますが。

あと例によってゲースロだの、
「このドラマについては、いっそのこと
『どうする家康:夢に終わった「シン・大河」』
というドキュメンタリーでも作って、NHK自らが放送すべきだと思います」
だの、
「『平清盛』と同じスタッフとキャストを多く起用するだけでなく、欠点も改善せずに持ち越しました」
だの。そういうことは原稿料つきコラムでやるのではなく、個人のレベルでやって貰えませんか。
お金を貰うコラムは、貴方の遊び場ではありませんよ。

あとこれは「『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-1」でご紹介しましたが、真田昌幸を出して来て
「朝令暮改の何が悪い!
より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!」
つまりこの大河のスタッフは失敗しているのに、傑作ですと主張し続けていると武者さんは言いたいのでしょうが、一度感情移入ができないなどと言っていた相手を、ここで自説補強のために出してくるのもどうかと思いますが。

何よりも、自分が嫌いな作品を他の視聴者も嫌いでなければならないと思い込むこと自体が、さて如何なものかなとは思うわけです。逆もまたしかりですし、とどのつまり好き嫌いは人それぞれなのですが。

でまた、メールフォームで意見をお送りしましょうとリンクが貼られています。
次回も楽しみにしていますとまた送ることにしましょう。

そして今回は、『軍師官兵衛』に登場する中国大返しの、おにぎりの画像を上げておきます。このおにぎりに味噌をつけて齧っているシーンがありましたし、実際姫路までかなりの強行軍である以上、塩分補給も必要だったでしょう。奥に見える緑のは瓜の漬物か何かでしょうか。

武者さんも中国大返しの描写がどうこうと言うのなら、好き嫌いはともかく、このシーンを観た方が見応えがあると思うのですけどね。

軍師官兵衛中国大返しおにぎり

あと中国大返しということで、長政と又兵衛の再会も上げておきます。長政が湧水を汲みに行こうとして又兵衛に先を越され、あわや斬り合い寸前となるものの、それぞれの昔の面影を見出した2人が再会を喜ぶシーンです。

軍師官兵衛長政と又兵衛の再会

『軍師官兵衛』DVDより。

[ 2023/08/19 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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