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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』ここまで観て来て

『どうする家康』、今まで関連投稿でもちょっと触れていますが、面白く観ています。当初はかなり不安もあったのですが、観てみると意外と面白く(これは『青天を衝け』と『西郷どん』も同じ)、今のところこれから先も観続ける予定でいます。

主人公は現時点ではいささか頼りないのですが、その彼を支える家臣たちがそれぞれ一癖あって、しかも如何にも三河の人物らしい質朴さもあり、この両者の絡みに加えて、大胆不敵で元康を兎呼ばわりする信長とか、駆け引きの仕方を教える水野信元といった、クセの強い面々が登場し、戦国大河らしさを感じさせます。

そして於大の方。主君たるもの国と家臣のためなら、妻子を捨てよと言ってしまう辺りもなかなかのものです。実際この時代は、家族よりも家臣や乳母との結びつきの方が、場合によっては強かったと言うべきでしょう。この女性も兄の裏切りによって離縁させられるなど、戦国時代のある程度の身分の女性らしい経験もしており、それゆえに様々なことを学んだと言えそうです。

本当の話、私は『麒麟がくる』には少し期待はしていました。前年の『いだてん』がちょっと期待外れであったこと、そのため2月から観なくなったこともあり、この次は男性主人公の戦国だから、それなりに大河らしくなるのではと思っていたのですが…。

ただ駒が出張るシーンだけがよくなかったのではなく、演出とか衣装の色遣いなど、他にもちょっとこれはどうかと思われる点がいくつかあり、同じ池端氏の『太平記』が面白かっただけに残念でした。とはいえすべてがよくなかったわけではありません。

大体どの大河もそうですが、100パーセント面白い、あるいは面白くないという作品はそうお目にかからないものです。『麒麟がくる』の能のシーンなどはこれぞ室町文化といった印象でしたし、吉田鋼太郎さんの松永久秀などもよかったとは思います。あと『鎌倉殿の13人』、これも前に書いてはいますが、負ける側の人物、特に義経が追われる描写などは三谷さんらしかったと思うし、やはり三谷さんは、こういう人物を描く方がいいいのではと思ったこともあります。

話が戻ります。元康が今川に背を向けて、尾張に行くことになり、次回からは織田家の人々が多く登場するようです。無論大河はドラマなので、オリキャラも当然出て来ますが、ガイドブックをざっと見る限り、忍びとか謎の人物といった設定に留まっているようです。

あと鵜殿長照とお田鶴も登場するようですが、お田鶴は『おんな城主 直虎』の時に登場させられなかったのかとは思います。あの場合は直虎(おとわ)を中心に据えたため、逆に出しにくくなったのかも知れませんが、永禄年間の東海地方の情勢に、もっと突っ込んでもよかったかも知れません。

飲み物-冬のシードル
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[ 2023/01/25 07:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その4

『武将ジャパン』の大河コラム関連、今回は4ページ目です。それから先日分で、鳥居忠吉のことを大久保忠吉などと書いておりましたので、訂正しています。あと文章の意味がわかりにくい部分もいくつか直しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


まず最初にいきなり視聴率の話です。

昨年の勢いを汲み、今年の出演者の顔ぶれからして、最初ぐらいは注目されると思ったら、思わぬ低調ぶりでした。
◆大河「どうする家康」初回視聴率、関東15.4% 歴代2番目の低さ(→link)
『西郷どん』と同率、過去2番目の低さで、過去最低は1989年『春日局』だったことを考えると、近年では実質最下位とも言える出だしです。

「昨年の勢い」とありますが、昨年の後半の平均視聴率は11パーセントから12パーセント程度で、そう勢いがあるとは言えませんでした。しかもサッカーのワールドカップ、コスタリカ戦の裏の、6.2パーセントという数字もありました。もう少し数字が高ければ仮に10パーセントを割ったとしても、あれだけ下がることはなかったと思います。

しかも武者さん、昨年あれだけ言っていた個人視聴率について、この部分では何ら言及していません(その少し前に、『再生回数は低迷するけど、視聴率はそこそことる』とはあります)。ちなみに『鎌倉殿の13人』の(世帯)視聴率に関して、昨年はこう書いていました。

「こうした再生回数が多い成功作品は、近年であれば『鎌倉殿の13人』だけでなく、朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』と『ちむどんどん』も該当します。
ただし、公的に大きく発表される数字は今も視聴率であり、この辺のアンバランスさが世間での評価を難しくしているのでしょう。
朝廷の定めた律令が武士を想定しておらず、坂東武者は混沌とした基準のもとで生きてきた――その様が『鎌倉殿の13人』で描かれたように、大河の評価基準もそんな状態なんですね」

つまり今までの視聴率では駄目だと言いつつ、『どうする家康』では今までの視聴率を持ち出して来て「思わぬ低調ぶり」などと書いています。なぜここで
「NHKプラスの再生回数は多いかも知れない」
と書かないのでしょうね。

尚『青天を衝け』の時も最終回の数字の低さ(裏にフィギュアが来たから仕方ないとは思いますが)を挙げ、『麒麟がくる』で視聴率を上げたのにと、何だか恩着せがましいと思われる書き方をしていましたね。

そしてBLがどうこう。

第2回放送をめぐっては、BL要素に着目したネット記事が早くも出回りました。
◆ 松本潤『どうする家康』、「BL大河」と話題のワケ――岡田准一のセリフ「俺の白兎」がトレンド入り!(→link)
大河ドラマでBLを推してくるとなると、なかなか厄介です。
振り返れば2009年『天地人』がBL漫画を出し、2018年『西郷どん』でもBLが押し出されましたが、余計なお世話としか言いようがありません。

まず、こちらも武者さんのコラム関連の投稿になりますが、『鎌倉殿の13人』第39回のコラム記事に関しての記述にこのうようにありました。

「今流行しているからBLを入れたとか、そう宣伝していた『西郷どん』とは比較にもならない。単純なものではない。東洋的な美学もあれば、多様性への配慮もあります」

私はこれに対してこう書いています。

「『西郷どん』の中園ミホさんは、BLに言及してはいますが、「今流行しているから」と言ったでしょうか。制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」
https://www.oricon.co.jp/news/2080906/full/」

別に「流行している」などと言っていませんね。色々ある愛情のひとつであるというのを、ちょっとジョークめかして言っているとは思いますが。そもそも大河の場合、男性同士の触れ合いが多く、どうしてもそのように見られてしまうシーンは多いかと思われます。

たとえば『真田丸』の神君伊賀越えで、家康と忠勝が百姓家で握り飯を食べるシーンなども、ちょっとそれに近いものを感じましたし、あと『八重の桜』でもBL的要素は指摘されていました。AERA.dotの記事ですが置いておきます。

BL好きの“腐女子”層も歓喜? 新大河ドラマの評判
https://dot.asahi.com/wa/2013011500010.html?page=1

こういうイメージを完全に払拭するのは不可能ではないでしょうか。武者さんに取っては「余計なお世話としか言いようがありません」なのでしょうが、そういう見方をしたがる人がいても、別におかしくはないでしょう。

しかし武者さんによれば、『鎌倉殿の13人』は違うのだそうで、ここでも
「BL狙いではなく、多様性を尊重するように出した2022年『鎌倉殿の13人』は、そこを読み解かれないどころか、歴戦の腐女子は萌えないだのなんだの、妙な誤解も生じました」
ではどこがBL狙いでなく多様性を尊重するようにしたのか、ちゃんと説明して貰えないでしょうか。

その後海外ドラマ『ウェンズデー』で、客寄せのために性的マイノリティを使う手法は批判されているという箇所について触れ、

客寄せとして狙ったシーンだとするならば、一体いつの時代の作品なのかと呆れるばかりです。
萌えの使い方もあざとく、錚々たる役者たちにこんなことをさせてどうしたいのですか?

「萌えの使い方」があざといでしょうか。ではどのようにあざといのか説明して貰えないでしょうか。何よりもその前に

あの信長から家康への執着なんて、ハラスメントじみていて、そもそもどこにトキメキ要素があったのでしょうか。

とありますが、信長が家康に対して不敵に「俺の白兎」と言うシーン、つまり俺がお前を支配してやるという意味が込められたセリフであるがゆえに、ときめくものがあったのではないでしょうか。そういうのを読み取れませんか?

そして大河ゆかりの地が観光誘導を狙うことへの批判として、『花燃ゆ』で防府市が大河ドラマ館を作ったり、観光アピールをしたのに、完結編は群馬となって防府が登場しなかったことについて、当時の記事を持ち出しています。
しかしこれはかなりレアな例と言っていいでしょう。当該記事でも言及されているように、完結編を防府にする予定だったのが、それまでの視聴率が今一つで群馬に変更されたわけで、防府がダメージを食らったわけです。しかし他の大河でこういう例はそうありません。
このようなレアケースを一般化し、だからゆかりの地を観光地化するなと言うのもどうかと思います。

あとVFXがどうのこうの。しかもなぜか
「◆「本当にどうするの」松本潤主演の大河ドラマ『どうする家康』が低視聴率のスタート…韓国での反応は?(→link)」
などと、韓国での反応を載せた記事をわざわざ紹介(サーチコリアニュースだから当然ですが)していて、それに比べて『鎌倉殿』や『麒麟がくる』は…と言いたげです。

本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?

まず言いたいのは、『どうする家康』の第1回、第2回でああいうシーンはまだ登場していないということです。条件が違う同士を比べるのも如何なものかと思います。例によって比較の仕方が強引だなと思います。
あと馬の扱いについては、馬が多く登場する、1988年の『武田信玄』のOPが批判されてもいますね。

まあこの4ページ目、武者さんという人の考え、もっと言えば偏見があちこちに見られて、それはそれで面白いので、次回にまた書こうと思います。
あと、もう少し後の方になりますが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない。

とありますが、この孫子の言葉は
「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。
「勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」では意味が通りにくくないでしょうか。武者さんは漢籍好きな割にこの辺りが曖昧ですね。


飲み物-ランプと水とウイスキー
[ 2023/01/21 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の直近3作品の視聴率に関して

年末恒例と言うべきでしょうか、直近3年間の大河の視聴率(世帯視聴率)の比較です。無論この3作品はそれぞれ放送回数が異なり、また『麒麟がくる』はコロナ禍で収録休止、『青天を衝け』はオリ・パラ中継によって何話分かが休みとなっています。

ます下の棒グラフ、青が『麒麟がくる』、オレンジが『青天を衝け』、そしてグレーが『鎌倉殿の13人』で、第1回から最終回まで、10話ごとの平均視聴率を基にしています。サムネイルなのでクリックで拡大可能です。


直近3年間大河視聴率比較

これを見る限り、第41回から最終回までを除き、『麒麟がくる』と『青天を衝け』はそう差がありません。『青天を衝け』の第41回以降が低いのは、第41回が最終回であり、なおかつ裏にフィギュアが来たことも関係しています。一方『鎌倉殿の13人』は、全体的にやや低めとなっています。これに関しては

鎌倉時代という時代設定は、戦国や幕末に比べると、やはり馴染みが薄い
三谷幸喜氏の脚本に対して、視聴者の間で好き嫌いが分かれた

こういう点が理由として挙げられるでしょうか。『鎌倉殿の13人』は最終的に12.7パーセントで、これは『西郷どん』とほぼ同じでした。しかし『西郷どん』の数字は西高東低で、西日本ほど高くなっている傾向があり、関西で15パーセント前後、地元鹿児島では30パーセントでした。『鎌倉殿の13人』が神奈川県でどのくらいの数字であったか、調べてみたのですが、生憎ちょっと確認できませんでした。ちなみに関西での平均視聴率は11.7パーセントとの由。

さらにそれぞれの視聴率の推移ですが、このようになっています。

直近3年間大河視聴率推移

これを見ると、やはり『鎌倉殿の13人』は、その前の2作品よりは数字は低めです。『麒麟がくる』が最後の方で上がっているのは、第44回まで放送があり、最終回がいくらか高めになっていたことも関係しています。一方で『鎌倉殿の13人』が、最後の方で特に低くなっているのは、やはりサッカーのワールドカップ、コスタリカ戦が裏に来たせいでしょう。

『青天を衝け』最終回のフィギュア同様、裏にスポーツ中継がくると、数字を持って行かれるのは確かなようです。各局が多少お金をかけてでもスポーツの放映権を買うのは、やはり数字が取れるコンテンツであるのもその一因と思われます。

[ 2022/12/27 07:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 82その1

『武将ジャパン』大河コラム、第44回前半に関する記述への疑問点です。


鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第44回「審判の日」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


1.当人が設計図を描き、実際に造るのは弟子。早く作ったほうが喜ばれるし、次の依頼をこなせると打ち明けています。
古今東西、チームで作ったものが代表者一人の名義になっていることはよくある話ですね。

鎌倉初期、あるいは平安時代の像は、誰が作ったかがきちんとわかっている物もあるのですが。

2.政子は義時が信心深くなったと感慨深げです。
なんでも半年前、義時の夢に白い犬が出てきて、妙に心に引っかかっていたとか。夢のお告げは信じない。そう言いつつも、どこか気にはなるのでしょう。

政子は「信心深くなった」と言っているのではなく、
「変わるものね、大して信心深くなかったあなたが薬師堂を建てるなんて」
と言っていますね。

3.行事に金を費やすことは、鎌倉という幕府を作る上でも大事なこと。ゆえにそこは「気にしい」でよいのです。

「行事に金を費やす」というセリフはこのシーンで登場しないのですが。

4.官位の話は、日本史において避けられないものですね。
伝統的に日本人を縛るものであり、江戸時代の大名だって「あの家よりも高い官位が欲しい!」と贈賄をしてまで買いました。
そうかと思えば、天皇の飼い猫が昇殿のため従五位下とされたり、江戸時代には天皇に謁見するため従四位を与えられた象もいたり、妙なことが起きるものです。

官位官職と言うのはその人物が昇殿できるか、帝に拝謁できるかを決めるためのシステムでした。「日本人を縛る」は如何なものかと思います。動物への官位贈与は、帝にお目にかけるためのものとして必要だったのでしょうね。

5.こうした思考回路は、2020年『麒麟がくる』の織田信長が体現しておりました。
彼は天皇から与えられるこういった恩恵に対し、途中から無頓着になるという描写でした。

武者さんは『麒麟が来る』絶対だからこうなるのでしょうが、それ以外の戦国大河でも、信長が官位を欲しがらないシーンはあります。無論これは、彼が日本の支配者を夢見ていたからとも受け取れます。

6.八幡宮の僧侶に列の並びを聞かれた朝時があっさり教えたと教えられ、泰時が愕然とします。
平盛綱も硬直。
朝時は教えたら駄目なのか?といささか狼狽していますが、こやつに警備担当をさせたら駄目すぎますね。機密が全く守れていない。

このシーンですが、八幡宮の僧たちだからと言うことで、朝時も気を許したのではないでしょうか。無論朝時が「駄目?」と訊いているだけで、他はいいとも悪いとも言ってはいません。ただ泰時はそれでいいのかといった表情ですが。

7.ドラマ本編では描かれてませんでしたが、実は次の鎌倉殿の妻には、源頼家の娘である竹御所とされていました。女系では血が繋がるという意識があるわけです。
中世は、女系継承の重要性を理解しておくと、理解しやすくなるかもしれませんし、ここでの政子の指摘は重要かもしれません。

中世というか鎌倉時代の女系継承は、前の時代の名残りもあったでしょうし、女性が土地分配の対象であったのも、土地が沢山あったからと言えます。これが室町時代になると変わって来ます。

8.義時の妻・のえが、源仲章と貝合わせをしています。
つくづくいやらしい大河ですなぁ。貝合わせは夫婦和合の遊びでしょ。

貝合わせはその貝の美しさをめで、優劣を決めるのがそもそもの遊び方でした。それぞれの貝を合わせるのは、元々貝覆いと呼ばれていたようです。夫婦の和合の象徴となるのは江戸時代以降で、その頃は貝の大きさも大ぶりになりました。この大河の貝もいくらか大き目ですね。

9.貝合わせをしたいのだと彼女が答えても、魂胆あって近づいたことがなぜわからないのか!と苛立つばかり。
おおかた仲章は、京都から取り寄せた高級品でも貝合わせに使ったんでしょうね。京都の雅で釣ればホイホイ引っかかると踏んだか。

その前の回で、既に仲章はのえに近づいていて、のえも遠江の生まれだが坂東が合わないと言っていますね。こういうことを踏まえての、今回の貝合わせでしょう。

10.嗚呼、義時よ……。かわいげがない、愛嬌不足の男です。この点、源頼朝や父の北条時政とは大違いだ。
のみならず、色気もないと証明してしまったこの夫婦のやりとり。艶っぽさがまるでありません。
まだ八重や比奈と一緒にいる時は引き出されていたけれど、もうゼロを通り越してマイナス。
仲章は、自分の色香を把握していた上で、それをふんだんに使いながら彼女に迫った。
それと比べると、なんと無惨なことでしょうか。

「嗚呼、義時よ」て武者さん、この前もこの表現を使っていますね。よほど使いたいのでしょうか。
別に私は、この夫婦の会話にロマンスを感じようとは思わないし、義時もお前はあいつに利用されていると言いたいだけでしょう。八重とか比奈とのえとでは、置かれた境遇も、義時と結ばれた動機も異なっています。また義時と仲章も、両者の立場が正反対である以上比較はできないでしょう。なぜ無惨なのでしょうか。

11.八幡宮では北条時房が警備の準備を進めていました。
なんでも公暁に関して、怪しい情報が届けられているとか。馬を用意しているうえに、そばにいる駒王丸はあの三浦平六義村の息子である。

ここの部分ですが、まず公暁に関しての怪しい情報について。盛綱が泰時に話した、蓑が八幡宮に運び入れられた件でしょうね。なぜ参篭の最中で出かけるわけでもないのに、蓑を運び入れるのかと泰時が怪しむわけです。
それから「馬を用意している」ですが、このシーンを何度見ても馬など出て来ません。
あとそばにいる「駒王丸」は、「駒若丸」ですね。駒王丸は木曾義仲の幼名です。

12.そもそも実朝は、公暁が鎌倉を狙う行為を理解できません。挙句の果てには、親王がくだることを喜んでいるのではないか?とまで言い出します。
これには実朝のバイアスも感じます。西から東に来れば喜ぶという先入観がある。

公暁も京で修行をした以上、朝廷の権威と言うものは分かっているから、実朝のバイアスとは一概に言えません。ただそれ以前に、なぜ自分が冷遇されるとも思っていたはずで、この喜ぶと言うのは、あくまでも「喜ぶ素振り」であったかとも考えられます。

13.鎌倉から離れようとする源実朝に対し、激しい動揺を感じた北条義時について少し考察を。
本作はなかなか難解なところがあります。
義時は武士の世の終焉について考えているようにすら思える。
武士の政治権力が天皇のいる京都に向かうと危うい。
これは幕末の懸念でもありました。

「武士の世の終焉」とありますが、まだその武士の世ができて日が浅いこの当時、鎌倉を中心とした御家人たちの政権が終わるのを危惧していたと思います。

でその後「一会桑政権」が登場し、
「2021年『青天を衝け』の冒頭には徳川家康が出てきて、こうした武家政権の構造を表面的にはなぞりますが、どんな行為が江戸幕府にとって致命傷になるか?という情報は得られませんでした」
とありますが、『青天を衝け』の主人公は渋沢栄一であり、また家康公はナビゲーターなのだから当然です。ちなみにあの家康公は好きでした。
そして
「その家康ができなかったことを義時が説明しているようで、超絶技巧にもほどがある。勉強になります」
何やら意味不明な文章ですが、結局は青天は駄目で鎌倉殿はいいと言う、今まで通りの武者さんの論調のようです。

そしてまた、
「それと同時に、不思議なことも。
明治維新で【王政復古】だというけれども、京都が首都になるどころか、武士が作り上げた江戸を東京として、そこに天皇と御所を移した。
これは一体どういうことか。鎌倉時代草創から明治維新まですっ飛ぶような、そんな発想をしてしまうのです」
とあります。諸説あるとは思いますが、やはり帝と公家を切り離したかった、江戸のインフラを活かしたかったというのも理由としてあげられるでしょう。新政府にも、多くの幕臣が取り立てられていましたし、特に『西郷どん』では、明治天皇に東京に移っていただくことについての描写もありますが、どちらも武者さんは好きでない大河だから、ちゃんと観ていないのでしょうか。

14.文官たちは武士に対する「文士」とされましたが、子孫の代となると武士に吸収されていきます。
文士と誇りを持っていられた時代は長くありません。弓すらまともにできないとからかわれ、奮起する文士の子孫たちがいます。
一方で武士も教養を身につけていく。
両者融合して、文官武官の区別があいまいな日本の武士はできあがるのです。

鎌倉幕府というのは武家政権です。中国のように文官が優勢であるわけがないし、また文官と武官にはっきり分かれていたわけでもありません。寧ろ僧侶が、文官として政権の補佐をしていたことはあります。

15.そんな大江広元に、義時が本音を打ち明けます。
「今にして思えば、頼朝が望んだ鎌倉は、頼朝の死と共に終わった」
しんみりとするようで、嫌な開き直りにも聞こえますが、広元はどう反応するか。
頼朝の建てた鎌倉を放り出すことはできないはずだと語りながら、義時の背中を押します。
「臆することはございません。それがこの鎌倉の流儀。仲章には死んでもらいましょう」
そう言い切る広元は、すっかり精神が武士に染まっています。
京都の貴族は流血を嫌います。ゆえに呪詛が好き。仲章が「血で穢れた」と言っていたように、そんな発想があります。
一方で広元にはありませんね。

「今にして思えば、頼朝が望んだ鎌倉は、頼朝の死と共に終わった」
ではなく
「今にして思えば私の望んだ鎌倉は、頼朝様が亡くなられた時に終わったのだ」
ですね。頼朝のためであったからこそ、彼もまた骨身を惜しまず働いたのでしょう。それと広元ですが、頼朝という武人に仕えている以上、このような発想になってもおかしくはありません。
「あなたの前に立ちはだかる者は、みな同じ道をたどる」
とも言っているわけですし、義時に賛同しているのがこれでわかります。
また仲章の「血で汚れた」の表現は、頼家の殺害という意味も込められているでしょう。

16.いい歳して派手すぎかと言い訳しながら、実衣が真っ赤な衣装を着ています。
今さら、と返す政子の頭巾はかわいらしいピンク色。
実衣が尼御台も化粧をしたらと言うと、政子は顔を見せてきます。
きれいにお化粧をしています。ちょっと赤を使っているとか。

実衣は「真っ赤な」ではなく、赤地に花柄が入った袿ですね。政子の頭巾がピンクかどうかは、照明の具合にもよるかと思いますが、目元と唇に紅を使っているのは確かです。


飲み物-ホットラム
[ 2022/11/24 00:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 81その2

『武将ジャパン』大河コラム、第42回後半部分関連記述への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第43回「資格と死角」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/14/172015


もしも前回、唐船の渡海が成功し、日宋貿易が実現していたら?
京都に、鎌倉を経由した宋渡来の品を献上できたでしょう。
それができないから、干し蛸というなんともつまらないものになった。兼子も容赦なくそこを突いてくるわけですが、政子は負けていない。相手が贅沢な暮らしをしていると揶揄しています。

仮にあの船が進水できて日宋貿易が本格化していたとしても、この上洛にはちょっと間に合わなかったのではないでしょうか。それと政子は、このような交渉でもあり、またかつての上洛の教訓もあり、自分は田舎者だとへりくだって見せることで、こういう仕掛けを用意していたとも思われます。

彼女の言い分だと、鎌倉の方が「民の暮らしを考えている」と解釈できなくもない。
(中略)
「撫民」(民を思いやる)は北条が掲げたひとつの到達点。
北条政子が藤原兼子に返すことで、後に北条政治が到達するものも見えてくる。
思い起こせば頼朝は、上洛時にもっと立派な贈収賄をしていたものです。
頼朝の方が財力をかけることはできるけれども、贈収賄は道徳心がない。源氏に欠けたものを北条は補い、それを政治信条にしていくのではないかとも思える。
ゆえに高度な会話ではないでしょうか。
兼子も相手をみくびれないと思ったか。

汚れたものを口にすると、日々の食事が如何に美味かというセリフですが、それが民の暮らしとどうつながるのでしょうか。この場合はあくまでも鎌倉殿の後継に関する話なのですが。それと
「思い起こせば頼朝は、上洛時にもっと立派な贈収賄をしていたものです」
なぜ現代と比較するようなことを書くのでしょうね。それがその当時は、必要だったからだとは考えないのでしょうか。それに高度な会話と言うよりは、腹の探り合いといった雰囲気もあり、それもこのシーンは舞台向きかなと思われた所以です。

あと「民」を考えるというのは、『西郷どん』などでも採り上げられていましたが、嫌いな大河のせいか、こちらの方は全くと言っていいほど話題にしませんね。

頼仁親王が鎌倉殿になれば、兼子のことを鎌倉を上げて大事な方であると思うと。
「あら」と心を動かされる兼子。
この聡明な女性も、権力には甘かった。

「権力には甘かった」
とありますが、この場合兼子は卿二位で、政子はまだ従三位を賜っておらず、明らかに彼女より上のはずです。それに当時の「権力」はどう見ても朝廷の方ではないでしょうか。

現代ですとサッカーのリフティング、それを進化させた「フリースタイルフットボール」にかなり近いんではないでしょうか(むろん現代のほうが技ははるかに進歩していますが……)。

蹴鞠のことですが、リフティングもさることながら、私としてはラグビー代表の山沢拓也選手が、オールブラックス戦で見せたボールのドリブル、あれを思い出します。昔は、ラグビーボールのドリブルも結構見られたようです。

そして後鳥羽院を親しげにバシッと小突く時房。あーっ、いけません!

小突くのではなく、肩を平手で軽く叩いだように見えますが…。無論上皇の体に手を触れるのはあるまじきことでした。

トキューサで笑ってごまかされそうだけれども、後鳥羽院が敗北する理由がわかりました。
このトキューサが泰時ともども都に乗り込むと思うと皮肉なんですよね。
何が駄目か?
・感情由来で物事を決める
→後鳥羽院が上機嫌になったのは、自分の権力にトキューサが平伏したということにスッキリしたからに思えます。戦というのはそんな感情ではなく、利害を考えて起こさなければ危険。
・ワンマンでやる
→そういう感情的な人物を止める人が周囲にいればいい。しかし、なまじ才知溢れる後鳥羽院は自分一人で決めてしまう。蹴鞠ですら一番出ないと気が済まないという感情由来で戦おうとしても、誰も止めない。
・「東夷(あずまえびす)」
→ハッキリと言ってしまいましたね、「夷」と。
このドラマは北条宗時が序盤に「坂東武者の世を作る」宣言をして以来、個人的にはずっと脳内に「華夷」という言葉がよぎってなりません。

ここがよくわからないのですが。
「後鳥羽院が上機嫌になったのは、自分の権力にトキューサが平伏したということにスッキリしたからに思えます」
それが原因で上皇は承久の乱を起こしたのですか?発想が飛躍し過ぎでは。
そしてワンマンも何も、この後朝廷を巡る不穏な動きが続き、その結果上皇の院宣が発せられたわけで、しかも討つべき相手は時房でなく義時です。それと「東夷」もこの当時はそう珍しくなかったでしょう。現に鎌倉ではまだ血生臭い事件が起こっていたわけです。私としては、「いずれまた勝負しようぞ」の言葉が意味深だとは思いましたが。

何よりも武者さん、このようなことを言いながら、幕末大河の西国諸藩の武士を、薩長出身という理由で叩いているのですが、それはどうなのでしょう。

日本だけのことでもなく、中国大陸でも同じで、南宋が滅び、元が成立して華夷秩序が逆転します。
そうして逆転した「夷」同士、元と鎌倉幕府がぶつかり合う。そういう流れが興味深い。
後鳥羽院が時房を「東夷」と呼んだことで、そんな流れがますます加速したように思えました。

元の行政や経済のシステムは、南宋のをそのまま受け継いでいるのですけどね。

現代人は、仏像に似ていると言われても嬉しくないかもしれませんが、昔は仏像に権力者の顔が反映されたと言います。
武則天は龍門石窟の盧舎那仏を、自分の顔に似せたそうですよ。

なぜかここでまた武則天。政子はそこまでの権力者ではありませんが。

かくして大河では珍しい女性同士の飲酒が始まるようです。飲む場面までは入りませんが。

『風林火山』での三条夫人と由布姫の会見では、実際に酒(正しくは甘酒)が出て来ていますね。個人的には今回の政子と兼子よりも、この2人の会見の方が、もっと駆け引きめいたものを感じて怖かったです。

時代を超えた普遍的な美貌で、ただ美しいのではなく、豊かさをもたらすように思えます。古今東西女神像にありそうなお顔立ちなんですよね。
そりゃ大江広元も酔いしれますよ。風格が違う。

ここでまた政子上げですね。最終回まで続くのでしょう。別に小池栄子さんが悪いとは言いませんが。

実朝はこうなったら太郎泰時にも官位が欲しいと言い出します。
菅原道真と同じ讃岐守はどうか?
仲章がそう提案すると、泰時は畏れ多いと答え、義時も国司は早いと牽制しています。
それでもなって欲しいと実朝。上皇様ならば聞いてくれる、自分が頼めば必ずだと仲章は意気揚々です。
はぁ……なんだこの実朝は。もしも和田義盛の亡霊がいたら「ウリン、それはねえぜ!」とでも地団駄を踏みそうな流れだ。
実績でなくて上皇との距離感で官位やら国司がもらえるというのは、明らかにおかしいでしょうよ。危ういですってば。

なぜここで和田義盛?それはそうと、実朝は元々朝廷寄りなところはありますし、政子も兼子の覚えがめでたくて従三位を贈られていますが。平清盛などは妻時子の妹滋子(建春門院)が後白河上皇のお気に入りで、上皇との太いパイプができたこともあって昇進を続けているわけですし。

若い頃からイケメンと言われ尽くしで、もう飽きましたもんね。こんなトリカブトの妖精みたいな役をできて素晴らしいことじゃないですか。

トリカブトの妖精とは何ぞやと検索したら、それらしきイラストがありました。しかし女性に言うならまだしも、この場合はやはり普通に奸臣とか、あるいは偽善者と呼ぶべきではないかと…(生田さんに悪意はありません)。

今回は突っ込みたくなる箇所が多いので、もう1度このコラムについて書きたいと思います。


飲み物-マグとビール

[ 2022/11/18 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 79その2

『武将ジャパン』大河コラム、第41回後半部分に関する記述への疑問点です。


鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第41回「義盛、お前に罪はない」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/10/31/171793


1.大河によって明かされる、本当は怖かった鎌倉。なんだか気分が悪くなるから絶対に行きたくないという意見も耳に入りますわな。

だったら行かなければいいだけの話ですが…。ただ武者さんはこの『鎌倉殿の13人』のコラムを報酬を貰って書いているわけで、そういう人が口にすべきことなのかとは思いますが。

2.しかし、義盛が鎌倉殿になった場合、ウリンはどうなるのか。
鎌倉殿の上、大鎌倉殿だと言い出します。
義盛は、何も考えていないようで、重要かもしれません。
義時は鎌倉殿という権威を傀儡化することで権力を握ろうとする。大鎌倉殿なんて発想にはならない。

そもそもこの義盛の「大鎌倉殿」なる発想自体非現実的だし、政治的にはどこか大雑把で、それゆえどこか愛すべき存在でもある義盛らしいとは言えます。それでなくても朝廷→鎌倉殿→執権という多重構造ですから、政治家の素質があれば、どこかでそれをスリム化しようとするでしょう。北条という権力側の人物と、有力ではあるが一介の御家人との違いとも言えます。

3.と、ここで弟の朝時が、矢に当たって負傷したフリをして、軍列から離れます。何処へ向かうのか。
義盛は、西相模の援軍が寝返ったと義直から聞き愕然とするしかありません。
鎌倉殿の命令だと言われても、北条の策に決まっていると義盛。
力攻めしてウリンを奪い返すのみだと言い切る。
泰時は段葛(だんかずら・鶴岡八幡宮の参道)を越えたい。といっても無闇矢鱈と突撃しては、和田軍の矢で狙い撃ちにされてしまう。
と、ここで泰時は民家を壊し、塀や板を集めるように言い出します。
隣にいた平盛綱はギョッとしています。民に迷惑をかけるとは泰時らしくない。しかし……。
「仕方ないだろう。これは戦だ」
そう割り切ります。かくして作戦決行!

この中での朝時と泰時の行動に関しておかしな点が見られるため、敢えて長めに引用しています。
まず
「ここで弟の朝時が、矢に当たって負傷したフリをして、軍列から離れます」
とあり、その後この引用部分では触れられていません。しかし実際は朝時は、恐らく矢を如何にして除けるかを考えていたと思われ、何か板切れのようなものを頭上にかざして戻って来ます。板切れには既に矢が刺さっています。泰時はこれを見て、民家の板戸を外して自分たちを守る方法を思いついたと考えられます。しかし朝時が板切れを探して頭上にかかげる部分が抜け落ちているため、泰時自身のオリジナルのような印象を与えています。

4.「もったいのうございます! そのお言葉を着方だけで満足です! みんなここまでじゃ。聞いたか。これほどまでに鎌倉殿心が通じああった御家人が他にいたか? 我こそは、鎌倉随一の忠臣じゃ! みんな胸を張れ!」

「聞けただけで」なのですが「着方だけで」になっていますね。私も時々変換ミスや入力ミスをやりますが、一応報酬を得て書いているわけですよね武者さんは。コラムをアップする前に、文章校正ツールのような物は使わないのでしょうか。

5.義時が目配せすると、それに応じた義村が矢を一斉に放たせるのです。
利で結びついた二人は、忠の象徴ともなった義盛を容赦なく殺す。

利で結びついたとありますが、この場合「利」が必ずしも悪いことであるかどうかは何とも言えません。彼らの行動は結果的に、鎌倉幕府という公的存在を利する方向に働いたとも言えそうです。そして義村がどうこうと言うのなら、一味神水までやりながら和田を裏切ったことにも言及するべきかと。

6.「お分かりか! これが鎌倉殿に取り入ろうとするものの末路にござる!」
忠などない義時がそう宣言すると、義村たちが和田勢に襲いかかってゆきます。
忠臣の死に涙するしかない実朝。

義時の忠は己自身にあるかと思われます。鎌倉殿に取り入ろうとするというのは建前で、自分に盾突こうとするものの末路と本当は言いたかったのかも知れません。それに義盛も意識していたかどうかはともかく、実朝を自分の館に呼んだりしているのは、ある種越権行為だったかも知れません。

7.戦死者の妻が泣いていて、屍がいくつも並ぶ。こうした生々しい遺体映像は近年の大河では珍しいと思います。

武者さんの好きな『麒麟がくる』でも、戦ではないものの、飢えた人々が食事を求めて都大路をさまようシーンがあり、あれも生々しいと言えるのではないでしょうか。

8.義時はさらに
「人を束ねていくのにもっとも大事なものは、力にございます」
と結論づけます。
あの歩き巫女がその様子をジッと目にしている。

ここですが、歩き巫女が見ているのは戦死した人々の遺体で、しかも時間的に日没前です。そして義時が実朝と話しているのは夜の時間帯です。第一歩き巫女が、この2人が話している様子を間近で目にできるわけなどありません。つまり、歩き巫女のシーンに、義時と実朝の会話をかぶせているわけですが、それが分かっておられないようです。

9.義時の前に、泰時、盛綱、そして朝時がいます。
義時は言いたいことがあれば申せと話しながら、勝手に戻っている朝時に「許した覚えはない」と冷たく言い放ちます。
と、ここで泰時が、和田合戦で板を盾とするアイデアを出したのは次郎であり、役に立つ男だと言葉を添えます。
「今の話、まことか」
「まことにございます」
義時の問いかけに応じ、即答する平盛綱。
「これよりまた私に仕えよ」
「ありがとうございます!」
この一件で、とりあえず朝時は許されました。しかし、朝時は知っている。その策は泰時のものだと。
「兄上……」
「役に立つ男になってくれ」

ここも疑問に感じる点が複数あるので長めです。
まず
「勝手に戻っている朝時に「許した覚えはない」と冷たく言い放ちます」
勝手に戻っているのもさることながら、泰時に話せと言ったのに朝時が話そうとしたのも、義時がこう言った一因ではあるでしょう。そして前にも書いているように、板を盾にするヒントを出したのは朝時であり、泰時がこのように言ったのも、単に弟に花を持たせるためだけではなく、それなりの理由があったからではないでしょうか。

10.望みがかなったとはとんでもない。実朝は頼家どころか頼朝を超える強さがあるとのこと。

義時は
「鎌倉殿は頼家様どころか、頼朝様をも超えようとされています」
と言っています。実朝が朝廷と直に結びつこうとしているためこう言っているわけですが、「超える強さがある」とは言っていませんね。

11.「ちぎれるほどに尻尾を振っている」と笑みを含んだ声で言うのは藤原兼子。
京都にしてみれば、鎌倉は野犬の群れに過ぎないのでしょう。

しいて犬に例えれば、少なくとも実朝は野犬ではなく、よくしつけられた血統正しき忠犬と呼ぶべきでしょうか。

それとMVPはやはり義盛と巴ですが。私ならこれに義村を加えます。

12.思えば源頼朝は、これからは「忠義」を大事にすると言いました。
源頼家は梶原景時に怒っています。
景時は結城朝光の引いた「忠臣は二君に仕えず」を責め立てておきながら、後鳥羽院に仕えようとした。
その梶原景時ならば、漢籍を読みこなし、「忠臣」がどういうものかくらい説明できたでしょう。概念は頭に入っている。
けれども「忠臣」という言葉に血を通わせ、鎌倉殿とこうも通じあい、響き合えたのは義盛が最初の気がします。
和田義盛もまた、武士道の一歩を刻んだ人物です。

梶原景時は頼家を見限って失敗し、義盛は実朝に取り入り過ぎて墓穴を掘った、そのようにも取れます。無論実朝と通じ合ったのも事実でしょうが、通じ合い過ぎて痛くもない腹を探られたと言うか、有力御家人に警戒の念を強める義時に、格好の口実を与えましたね。それとこの当時の「武士道」と、江戸時代の儒学の影響を受けた武士道は同じでしょうか。

13.しかし、義盛が成長していたこともあり、きれいな散り方に思えました。
作中でもあまり賢くない部類に入っていたはずが、あの策士の義村を上回るようなところまでみせる。
難しい言葉もテキパキと語り引き締めながら、大事な人には優しく熱く語りかける。
どうにも幼稚で子供っぽかったはずが、最終話で急激に成長したように思えます。大きくなり過ぎたからこそ、義時は卑劣な手を使うしかなかったとも思える。

武者さんやけに「義盛が成長した」と書いていますが、ライバルたちがいなくなって抜きんでた存在になり、しかも実朝と懇意になっていたわけですから、それ以前とは違って見えるということだろうと思います。根本的な部分は同じで、逆にそれがまずかったとも言えるでしょう。それと策士の義村を上回ると言いながら、結局はその義村の策に討ち取られましたね。

14.そんな中、主役である義時は完全に黒くなった。
しかもそれをやりすぎて実朝が上皇を頼るという想定外の選択をした。
策士が策に溺れている。あれだけ汚い手を使ったくせに目標を達成できない。そう自虐的に笑ってしまう。
こうも主役にいいところがないというのは、すごいことだと思えます。

主役とは最後に笑う(あるいは最後に散る)ものだと思うし、寧ろ後の得宗体制を築くために、今なお道半ばの状態であり、私としては「いいところがない」とは思えないのです。まだまだ苦労しているな、今後朝廷との一戦も控えているなとは思いますが。逆に実朝が朝廷の方を向くのも、ある意味義時の策略ではないかと思います。あらすじと感想でも書きましたが、実朝が本当にこう思っているのなら、滅ぶべくして滅んだ感もあります。

あと例によって、総評関係で色々書かれていますが省きます。ただひとつ、また『青天を衝け』がどうのこうの。本当に鬱陶しいなと思います。もう放送が終わった大河に、ここまであれこれ言うでしょうか。尤も朝ドラ関連、特に、なにわバードマンへの攻撃もかなりすさまじくなっているようです。

15.土方の「忠」は徳川慶喜や松平容保ではなく、近藤勇に捧げられていたとされます。
近藤の死後、どうすれば己の命で報いることができるのかと口にしていた。そんな近藤への「忠」が碧血になったと思えます。
そういう意味では、山本耕史さんが三谷大河で演じているのに、土方歳三と三浦義村がまるで正反対にも思えてきます。
もしも近藤への「忠」がなければ、そんな土方は単なるコスプレイヤーであり、中身がない、魂がない存在だと思います。
何の話か?って、『青天を衝け』のことです。
あの土方はセリフで近藤への思いを語ることすらない。
実際に面識があったかどうかも曖昧な渋沢栄一への目配せばかり。あの土方が流した血は、碧玉にはならないでしょう。
そういう魂が入っていない人物像を大河で見たくはありません。

まず碧血とは強い忠誠心の例えのことです。そして
「セリフで近藤への思いを語ることすらない」
セリフで思いを語らないから忠誠心がないと言い切れるのでしょうか。それにあの大河の主人公は渋沢栄一であって、近藤勇ではないのです。なぜ描き方が違う大河を同列に論じたがるのでしょうね。寧ろこの場合は、栄一がこの人物に出会ったこと、話を交わしたことこそが重視されるべきでしょう。それとも土方を演じた町田啓太さんが、『西郷どん』の小松帯刀だったのがお気に召さないのでしょうか。

それとツイッターでも指摘されていましたが、最後にサザンオールスターズの曲のを捩った歌詞があります。しかしどうも受け入れかねます。それにここのところで
「サザンオールスターズの『SEA SIDE WADA BLUES』という曲をご存知でしょうか?」
とありますが、本来のタイトルは『SEA SIDE WOMAN BLUES』です。『舞いあがれ!』の五島の谷先生こと前川清さんもカバーしています。

飲み物-ブロンドのエール
[ 2022/11/05 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 78その3

以前書いていましたが、『武将ジャパン』大河コラムの総評関連です。前にも触れていますが、

今回の実朝描写が秀逸だったのは、あくまで「多様性の尊重として丁寧に描かれたからではないか?」と思います

とあり、腐女子サービスのはずがないなどという小見出しまでついていますが、私は関連投稿で書いたように、実朝という人物に跡継がいなかったのは、こういう事情もあったというのを、会話で表現しているのだと思っています。そもそもこの時代に「多様性の尊重」などと言うのをいきなり入れてくるのも妙な話です。

また

『西郷どん』の場合、BL二次創作を促進するような番宣を公式がしていました。
西郷隆盛が男にも女にもモテモテ!
そんなよくわからないフレーズも公式が出しておりましたので

などとありますが、これに関しても、以前制作発表当時の記事をご紹介しておりますので、その時書いたものを再度上げておきます。

制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」」
「色々な愛がある」と言い、最後に「ボーイズラブまで(笑)」とあるのを見ると、半ばジョークとも言えそうです。実は私も最初は半信半疑で、始まるまでどうなるかと心配で批判もしましたが、案ずるより何とやらで結局好きな大河となりましたね。どちらかと言えば吉之助と正助(一蔵)はバディ的ではありましたが。

無論「男にも女にももてた」と言うのも、色々な人を惹きつけたという意味ですし。

また、

そもそも大河での同性愛描写は腐女子を自称する皆様が楽しむためのコンテンツではないでしょう

とありますが、これも前に書いているように、大河の楽しみ方とは人それぞれであり、武者さんが一々口を出すものでもないでしょう。

そして大河でもない『アンという名の少女』を引き合いに出し、先住民描写、フランス系カナダ人描写など、随所に見て取れるとあり、

大河ドラマで多様性の尊重――というテーマに触れると、悲しいかな、こんな意見が返ってくることがあります。
「大河にポリコレを持ち込むなw」
そもそもポリコレとは何なのか?
英語だと”political correctness”だから、政治が絡んでいる必要があると思うわけですね

ポリコレ、political correctnessとは「政治が絡む」と言うよりは「政治的、社会的に公正な」という意味なのですが。そして

となると、近年大河では2015年、2018年、2019年、2021年……と「全部お前が嫌いな大河だろ」と言われそうですが、まさにその通りで政治的な胡散臭さも嫌いな理由のひとつに入ります

となっています。以前は嫌いな大河は、「歴史が改竄されている」などと書かれていたのですが、いつの間にか政治的に胡散臭いからという理由になっていますね。しかし政治的に胡散臭いと言うよりは

西国諸藩絡みの幕末大河
オリンピックを描いた大河
徳川慶喜がメインで(悪役でなく)登場する大河

だから嫌いなのではないでしょうか。
しかし自分の好き嫌いのみで作品を判断し、嫌いなものには見るに堪えない言葉をこれでもかとぶつけ、好きなものはどのような描かれ方でもすべて上げまくり、かつ正当化する人をレビュアーと呼ぶべきなのでしょうか。

そしてまた「直近2021年に注目しますと」と言う出だしで『青天を衝け』批判。これもかなり鬱陶しいものがあります。何度も言いますが、このコラムは『鎌倉殿の13人』関連のコラムのはずです。なぜ嫌いな大河の悪口を延々とここで書く必要があるのでしょうか。単にそれでスペースを埋めているようにしか見えないのですが。

なのになぜ、そんなデタラメな描き方が大河で放映されたのか?
そこを考えてみるのもpoliticalでしょう。

「political」とはこの場合「政治的な」の意味ですが、大河の描き方を考えるのが政治的なのでしょうか?

そもそも「ポリティカルコレクトネス」とは胡散臭い言葉です。
最終的には、抵抗勢力や少数派の口塞ぎになっていることも多い。
そういうニュアンスがあるから、個人的にはこの言葉を使う時点であまり信頼できないと感じるのですが、便宜上、私もここで使っています。
「ポリコレに屈した結果w」と草を生やしながら盛り上がるのではなく、多様性への配慮とか、Critical Race Theoryとか、もっと別の理論で話したほうがよい。私はそう思います。

今まで散々嫌いな作品(大河、朝ドラ)の描写を、ポリコレを基準にして叩いていながらそれはないと思います。それと多様性への配慮というのは、ポリコレに含まれるという指摘もありますね。あとCritical Race Theoryは「批判的人種理論」という訳語がちゃんとあります。

元々は1970年代に、白人至上主義がなおアメリカ社会に組み込まれていると指摘された概念のことです。白人警官による殺人事件がもとで、今再び話題となっていますが、なぜ、アメリカ社会に今なお残る人種差別と、大河の描写を関連付けなければならないのでしょうか。

ところで。30日はフィギュアを観たため和田合戦は観ていません(録画はしています)。それで思ったのですが、やはりスポーツ中継というのは、数字を稼げるコンテンツとしてはかなり強いのではないかと思います。

今後TVがスポーツ中心路線にシフトしたとしても、それはそれで納得が行きます-ただ野球とかバレーボールのような、時間制限がなく、そのため中継が放送フォーマットに影響する場合は、BSでの放送がいいかとは思いますが。

そして大河を観てやはり思うことですが、現在歴史関連ドラマは、映画が率先して映像化しているように見えます。スポーツ中継が盛んになるのであれば、そして今後も大河を看板番組にしたいのであれば、これから先をもう少し考えるべきではないでしょうか。やはり大河を続けたいのか、今の1年体制でいいのか、受信料で作るべきなのか、色々議論すべき問題はありそうです。個人的にドラマは、基本1クールでいいのではないかとは思いますが。

それから『カムカムエヴリバディ』、東京ドラマアウォード受賞のようですね。


飲み物-ワインとワイングラス
[ 2022/10/31 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 77その2

『武将ジャパン』大河コラム、後半部分の記述への疑問点です。尚『舞いあがれ!』の21日放送分は次回になります―と言うか、20日放送分のを21日に投稿しているため1日ズレます。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第39回「穏やかな一日」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/10/17/171451


まず鶴丸に諱を与えるシーンですが、

1.平家一門は滅びたわけでもありません。
日本各地に落人伝説がありますが、そうではなく鎌倉に来ている者もいました。あえて平家のものを近くに置くことで、源平合戦ははるか昔のことだとアピールしたいのでしょう。

「平家のものを近くに置く」のではなく、「近くに置く者に平を名乗らせた」でしょうね。
ところで武者さん、今年の春ごろ平氏と平家の違いがわかっていないと思われる描写がありました。平氏とは平の氏を持つ人々の総称(ついでながら畠山重忠も平氏)、平家とは特に、清盛の一族を指すのですが、何かごっちゃになっていましたね。

あと「そうではなく」もなぜ「そうではなく」なのかが不明。西日本でなく、東国に向かった落人もいたと言いたいのでしょうが、この人の文章は、あるいは故意なのかも知れませんが曖昧過ぎです。

2.美談に思えます。出自不明の平盛綱を鶴丸にするというのはよい工夫です。
八重の思いが詰まった、まるで千鶴丸の生まれ変わりのような人物が、こうして泰時を守るためにそばについて出世するのも素敵ですよね。
しかし、今の義時は、ただの美談を生み出すほど清らかではない。

これ「美談」でしょうか?確かに八重の思いがつまったと言うか、八重は鶴丸を助けたが、それと引き換えに八重は命を落とした、その意味で義時に取っては何かと忘れられず、無視もできない存在ではありますが。

3.これは綱をつけた番犬を作る過程でもある。
恩義を感じさせ、いつまでも我が子を守る番犬に育ったら美味しい。死ぬ気で命令を果たす忠実な番犬は何より有用ですし、義時はうまいやり方を思いつくものです。

どうも義時が
「太郎の命綱となってほしい」
と言ったのを曲解しているように見えます。武者さん、これ以外にも犬に関連する言葉をあちこちで使っていますが、誰かに使われる人物は皆「犬」なのでしょうか。妙な所で、「王家の犬」を引きずっていないでしょうか。
この後の義時と義村の会話で、義村が面白くなさそうな顔をするシーンでは、

頼朝より近いし、操ることはできるはず。自分が真っ先に泥を被りたくないから、汚い仕事は分けあって、持ちつ持たれつやって行こうと思っていた。
それなのに、いつの間にやら、義時の番犬になってしまっている。これほどの屈辱はない。

実朝が褒美を取らせるシーンでも、

実朝は北条時政の企みを防いだ褒美を取らすと言います。
「……ありがたき幸せ」
頭を下げながら、そう返す義時。
この瞬間、鎌倉殿もこの男の飼い犬になりました。

それから以前、畠山の重忠の乱を、朝廷の番犬の喧嘩呼ばわりしていたこともあります。どうも、ひとを犬呼ばわりしたがりますね。一方本物の犬関連で騎射三物の「犬追物」、これは馬から犬を射るのですが、犬が傷つかないように鏑矢を使っていました。しかしそれを「犬を射殺す、野蛮だ」と書いていましたね。スクショ取っているから後で確認してみます。

4.「変わっちまったよなぁ、鎌倉も、お前も……」
義盛がそう嘆くのも無理ありません。
思えば序盤において、彼らの娯楽は狩猟でした。誰も和歌なんて詠まない。蹴鞠も未知のものでした。
広元はその話を聞き、絵に描いたような坂東武者だと感想を漏らします。

「誰も和歌なんて詠まない。蹴鞠も未知のものでした」
先日も書いていますが、和歌も蹴鞠も限られた人々のものであり、この義盛に取ってはどちらも縁遠いものです。また義盛でなくても、どれだけの御家人が和歌や蹴鞠を嗜んだでしょうか。この場合変わったと言うのは、かつての親友だった義時がいつの間にか権力の座に座り、一介の御家人である自分から遠い世界へ行ってしまったと言うことでしょう。

5.現在放映されている朝の連続テレビ小説で、長崎五島列島の「ばらもん凧」が出て来ました。
その図柄は、武士が魔物に立ち向かうというもの。武士の世が終わっても、日本では子供の生育を祈る際に武士を掲げます。
それだけ根深く精神性が根付いてしまった。
そういう根源を、この義時という怪物が吐き出そうとしているようで、あまりに深い。

なぜかここで『舞いあがれ!』。ばらもん凧の意匠ですが魔物でなくて鬼ですね。元々男の子の節句にこの凧は揚げられていたわけですし、武士の強さを今の世に伝えるのは別に悪くはありません。端午の節句の武者人形しかりです。
ちなみに祥子ばんばによれば、ばらもん凧はお侍さんが果敢に鬼に立ち向かうように、
「どがんことにも負けん、強か人になってほしかちゅう願いば込めっとさ」
という意味があります。

それから武士が全般的に精神性を重んじるのは、江戸時代になってからですね。

6.そんな善哉に、政子は何やら見せたいものがあるようで、手の空いた義村と義時が話し始めます。

と言うより、あの2人に話をさせたくてあのようにしたとも取れます。そして、善哉を御所に連れて来なさいと政子が言うところですが、

7.しかし、やはり政子は甘い気がします。もっと突き放してもよいかもしれない。こういう対応をしていると、頼家は罪なくして死んでしまった人のように見えてくる。
御所にも愛着が湧く。
なぜ御所の一番高い座に自分がいないのか?
将来、そう思ってしまうかもしれない。
頼家は罪ゆえに死んだ。
お前も罪人の子であり、実朝とは違う。
厳しくとも、その辺をハッキリと認識させた方が良いかもしれません。

ここの部分ですが、この後にこういう記述があります。

時房がこんな風に説明します。
「寂しいお方でした。あのお方のお心を知ることは誰にもできなかった。悔やまれてならないのです。お側にいながら何の支えにもなってさしあげられなかった。いらっしゃいますか。心を開くことのできるお方が」

武者さん、これは実朝関連で引用しているのですが、この時房のセリフを読む限り、頼家は果たして罪人だったのかとも思われます。確かに反抗し、暴走した人物ではありますが、それとはまた違うのではないでしょうか。政子が善哉に憐憫の情をかけたくなるのも、わからなくはありません。先日の分にも似たような記述がありましたが、武者さんは政子にも暴走してほしいのでしょうか。どうもそう感じられてしまうのですが。

8.家族間で本気の殺し合いを想定しているんだとしたら、そりゃあ、のえだって辛気臭いと思うでしょうよ。
八重や比奈のように、腹を割って愛し合うことができなくなっているのは、誰のせいなのか。
もはや義時の人生そのものが地獄のようで、おそろしいことになってきました。

義時も3人目の妻であり、それこそまだ若い頃、八重に対して心を開いたようにはもう行かなくなっています。それと本気の殺し合いなど、この時点で義時は想定しているでしょうか。権力を握ること(そうしないと鎌倉がうまく行かない)には執着しているでしょうし、ならば義盛、ひいては実朝を牽制したがるのも無理からぬ話です。

9.義時がお手本にしたロールモデルは推察できます。
曹操です。
『三国志』でおなじみの曹操であり、「乱世の奸雄」とも称されますね。
曹操は自分の悪名くらい気づいています。

ここでまた漢籍。武者さんがどう思おうがいいのですが、それ以前にこのドラマに関してもっと書くことがあるのではないでしょうか。

10.今流行しているからBLを入れたとか、そう宣伝していた『西郷どん』とは比較にもならない。単純なものではない。東洋的な美学もあれば、多様性への配慮もあります。

『西郷どん』の中園ミホさんは、BLに言及してはいますが、「今流行しているから」と言ったでしょうか。制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」
https://www.oricon.co.jp/news/2080906/full/

「色々な愛がある」と言い、最後に「ボーイズラブまで(笑)」とあるのを見ると、半ばジョークとも言えそうです。実は私も最初は半信半疑で、始まるまでどうなるかと心配で批判もしましたが、案ずるより何とやらで結局好きな大河となりましたね。どちらかと言えば吉之助と正助(一蔵)はバディ的ではありましたが。

あとBLは『八重の桜』でも言われていましたね。それと『鎌倉殿』の「多様性への配慮」て具体的にどういう部分でしょうか。

11.往年の名作大河といわれるものでも、いま見返すとヒロインの味噌汁パワーだの、胡散臭い描写が目につきます。
そうならないためにも、ジェンダーにおいて進歩が必要なのです。

以前も『利家とまつ』の味噌汁がどうこうと言って来て、また引っ張って来ていますね。確かに味噌汁が解決手段とも言えましたが、ならば私も言わせていただきたい。こちらは朝ドラですが、経営が行き詰まった飲食店を経営していたヒロインの前に、見知らぬ人物が豚肉を持って現れ、それが解決手段になった作品がありました。あれは「ヒロインの豚肉パワー」と言うべきでしょうか。しかもあの時、ヒロインは自分で肉を探すこともなく、たまたま来た人物に貰ったのでしたね。

それとまつの味噌汁とジェンダーとどういう関係があるのでしょうね。武者さんは気に入らないと何でもジェンダーを乱発したがるように見えます。

12.三谷さんならば、都合がつく限り何度でも大河を手がけて欲しい――私はそう思います。

個人的に、三谷さんはこれで一区切りでいいかと思います。ご自身でも「これが集大成」と語っていたわけですし、ちょっと矛盾するシーンもありますし、そしてやはりこれは、三谷さんのファンに向けられたと思われる部分が大きいです。その意味で、映画もしくは舞台的かなと思います。

あと他にも『青天を衝け』批判だのゲースロだのが総評に出て来ますが、いつもと同じようなことですので省きます。


飲み物-ウイスキーロック
[ 2022/10/22 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』を振り返って&沖縄・南西諸島の信仰と文化

朝ドラ記事ですが大河関連のお知らせです。『鎌倉殿の13人』、10月2日は第38回が放送されますが、9日は1回お休みでスペシャルが放送される予定です。

「鎌倉殿の13人」トークスペシャル番組 放送決定!

それから先日投稿分、意味が通りにくい部分やタイプミスなどで、数か所手直しをしております。どうも勢いまかせで書いたところがあったせいか、後から見ていささかおかしな部分もありました。失礼いたしました。

で、『ちむどんどん』を振り返ってその5です。今回は全体を振り返ってですが、まず脚本の整合性への疑問点です。実はこれは大河ドラマ『花燃ゆ』がそうでしたが、別々の人が脚本を書いて後で繋ぎ合わせたような、そういう辻褄の合わなさもまたありました。

おまけに賢吉大叔父さんのように、かなり頻繁に出て来ていた人が、ある時を境に急に出て来なくなったりもしましたし、最後の最後で子供や孫をあそこまで出して来る必要もなかったと思います。それも、最後の数週間でそれぞれ子供が生まれ、成長し、結婚して行く様子が描かれていれば、まだ納得できたのですが、そういう過程を経ずにいきなり登場しているから、どこか違和感をぬぐえないのです。

先日も書きましたが、「この人たち誰?」となってしまいます。『カムカムエヴリバディ』の三世代登場への対抗かという、ツイートでの指摘もありました。

そして主人公暢子のキャラ設定ですが、長く勤めたはずのフォンターナで覚えたイタリア料理をあっさり捨て、次は沖縄料理、そしてやんばるに帰る、そしてまた沖縄料理店をやりたいと言うところが、子供が夢中になっていたものをすぐ投げ出し、新しいことをやりたがる様を思わせます。結局やんばるの方は40年続いたようですが、途中でまた飽きて辞めたくなったのではと思ってしまいます。

イタリア料理店で仕事をする設定は、やはりオーナーの房子と合わせるため、そして矢作と仕事をさせるためのものだったと言えそうです。房子を演じた原田美枝子さん、『あさイチ』に出演して朝ドラ受けをやらされたものの、言うことがなくて戸惑っていた由。そもそも最終回に出ていませんしね。原田さんと言えば、今なお『太平記』の阿野廉子を思い出します。

その暢子はやんばるちむどんどんの開店前も、そば作りを強行し、周囲の人々を徹夜で働かせるというところに、彼女の性格が表れているように見えます。こういう性格も、例えば壁にぶつかってもくじけないと言った感じで、プラスに描けばそれはそれで魅力的なのでしょうが、元々暢子はそこまでの苦労をしたようにも見えず、それゆえに身勝手でがむしゃらで、大人になり切れていない人物といった印象を与えます。正に「暢子はいつまで経っても暢子」なのですね。あと黒島さんは自炊もしているようですが、料理人を演じるのと、料理好きとは必ずしも一致しないと思いました。

あと何かにつけて対決に持ち込み、勝った方が何かを得るとか、交換条件を持ち出すような描写も如何なものかと思います。加えて、沖縄言葉をやたら使い過ぎな印象がありました。実は私自身、大学時代に沖縄出身の友人がいました。この人は那覇出身でしたが、ごく普通の話し方で、あそこまで沖縄言葉を使うことはありませんでした。ただ、本土に来て雪が見られて嬉しいと言っていたのを覚えています。

そして浜辺(ウタキと思われる)で叫ぶシーン、恐らくこれは沖縄や南西諸島のニライカナイ信仰を踏まえているのでしょう。このニライカナイに関してはこちらのサイトのURLを置いておきます。

沖縄の信仰って?「ニライカナイ」や「アマミキヨ」とは
https://okinawaspirits.com/whatokinawanfaith0607/

数日ほど前ですが、公式が沖縄の文化や習慣といったものを、なかなか紹介しないと書いています。たとえばこう言う信仰の存在を、何かで登場人物の会話に入れるとか、それこそ和彦に、これについて調べさせるなどと言ったシーンがあれば、また受ける印象は違ったでしょう。要は、そういう文化的背景を思わせるシーンが殆どないにも関わらず、いきなりああいう描写を入れてくるから、視聴者も戸惑うのではないでしょうか。あとやはり叫ぶというのはあの場合ありなのでしょうか。

実は最終回の放送の後、『西郷どん』の奄美大島編を観てみたのですが、この信仰に関連したシーンがかなり登場します。海にあるニライカナイに故人の魂は帰り、また恵み多い物を届けてくれると上記リンク記事にはありますが、時に災いをももたらす存在でもあるようです。

下の2つの画像は第18回「浪人 菊池源吾」のアバンで、とぅま、後の愛加那が海のかなたを見るシーンと、ユタから夫となる男が来ると告げられるシーンです。ここでユタは、災いも連れてくるととぅまに警告しています。


西郷どん19愛加那とユタ



西郷どん19愛加那


またこの時ガイドブックで、石千代金(とぅまの叔母)役の木内みどりさんが、簪(ジーファー)は、女性の護身用でもあったと話しています。

「島では男性も女性も束ねた髪をジーファーで留めているのですが、じつはジーファーは女性にとって護身用の武器でもあったそうです。つまり、いざとなったらこれで自害もできるし、相手を刺し殺すこともできるわけです。女性としての誇りや意志の証しである1本を、常に見えるところに挿しているのが興味深くて、ジーファー職人を探して自分用を注文したほど衝撃を受けました」
(ニッコームック 西郷どん 続・完全読本25P)

ひとまず『ちむどんどん』に関してはこれで終わりとします。今後『舞いあがれ!』について投稿する際に、多少引用または比較することがあるかも知れません。

それからこの朝ドラは、前作『カムカムエヴリバディ』、同時期に放送された『芋たこなんきん』に加え、夜ドラ『あなたのブツが、ここに』とも比較されていました。この夜ドラがなぜ面白かったのか、こちらもそれを指摘したツイがあるので、URLとツイート本文をだけ貼っておきます。

https://mobile.twitter.com/atsushi05919733/status/1575405657066700800
「「コロナの問題は絡めない」方針に「抵抗」「練り直し」「スタッフ総出」「業界への取材」「資料読み込み」で戦った櫻井氏。
『沖縄の話だが、日本のどこにでも当てはまる普遍的な家族の愛のドラマを作ればいい』に逃げた羽原氏。
結果は2つのドラマの質で証明されている。」


飲み物-ローズヒップティー
[ 2022/10/02 00:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第25週感想-2

第122回の気になった点です。

  • 急にやってくる大里五郎
  • なぜか突っ立っている姉妹と和彦
  • 五郎が会った人なのに奥さんの遺品?
  • 「お父ちゃん」不在
  • そしてなぜ「優子さんのおかげ」?
  • 健彦がいない
  • どうも唐突に感じられます

この回、どのような事情なのか、優子が主人公で戦争の記憶を絡めた回となっており、まるでこれだけがスピンオフのようでした。まず房子が尋ねて来たのは、今は東京で町工場を経営していた大里(おおざと)五郎という人物が、与那城優子と秀夫と言う人物を探していることがわかったためでした。全国の沖縄県人会に問い合わせが回り、房子が三郎から頼まれてやって来たのでした。そして与那城とは優子の旧姓でした。

五郎、そして足の悪い彼の介添え役としての、娘の悦子がやって来ます。五郎は既に島の言葉も忘れていました。そして悦子は、五郎の亡くなった妻の遺品の中にあった、ジーファー(簪)を渡します。

優子はジーファーを握りしめます。五郎は沖縄での戦争の際、焼け残った小屋に逃げ込んだところ、そこで優子や秀夫の姉の時恵を看取ったのでした。両親は機銃掃射で既に亡くなっており、時恵も最早長くはもつようには見えず、しかし自分は食べられないからと、五郎に小さなおにぎりをくれます。そして時恵は妹と弟がいること、見捨てたのではなく、必死に探したけれど見つからなかったと伝えてほしいと言います。

そして時恵は、ジーファーを妹に渡してほしいと亡くなる直前に言います。それは時恵の宝物でした。時恵は亡くなる直前に水を欲しがり、五郎は少しだけ水を持っていましたが、自分の今後のことを考えて、水を飲ませることはできませんでした。

それが五郎の心の重荷となっていました。優子は生きているのか死んでいるのか、わからなかったと言い、涙を流しながら五郎に礼を述べます。そばに立っていた姉妹と和彦もその様子を聞いていました。そのジーファーに、弟を守れなかったことを詫びる優子。その夜優子は浜千鳥の踊り(ツイッター情報)を披露します。そして翌日、浜辺で祈りをささげた優子と房子は打ち解け、房子は初めて帰って来た故郷にただいまと言い、優子さんのおかげですと言って去って行きます。

と、それまでとはかなり違った雰囲気なのですが、かと言って疑問点がないわけではありません。まずなぜジーファーがなぜ五郎本人が持っていたのではなく、亡くなった妻の遺品の中にあったのか、それも不思議ですし、そもそもこの人が来るということは、前もって連絡されていたのでしょうか。アポなしでやって来ても、優子が必ずしも会えるとは限らないのですが。

あと子供たちがなぜか突っ立っているのも変ですし、それとこれもツイッターで指摘されていましたが、せっかく優子が踊っているのだから、賢三の写真を誰か持って来て、お父ちゃんも仲間入りさせてあげればいいのになと思います。そして最後のシーンの房子の、「優子さんのおかげです」も疑問。寧ろ房子が尽力したと思うのですが。そして何よりも、家の中に健彦がいないのですが、もう寝てしまったのでしょうか。

この回を観て思うことですが、優子が姉の行方を探していたとか、簪の話などを日常的にしていたとか言うのであれば、今回のような展開もまたありだし、一種の伏線回収となったでしょう。しかしそうでないため、何か唐突に感じられてしまいます。五郎が優子の行方を探していたという設定なら、最終回間際ではなくもう少し前に持って来て、それからまた新しい物語を始めて行くというやり方もあったはずなのですが…。言っては何ですが、何かテコ入れのようにも見えます。で、次から最終回まではまた暢子の店関係になるのでしょうね。

しかし、この浜辺の光景や独特の形の簪を見ると、『西郷どん』の奄美大島編を思い出します。

それと今までを振り返って。
これは先日も書いていますが、暢子の経歴に関して。

東京に行きたい!で単身上京して、たまたま出会った三郎にフォンターナを紹介される
披露宴の席で沖縄料理を口にするお客を見て、独立を宣言、沖縄料理店を立ち上げる。そして鶴見で食い逃げしていた矢作に再会し、その後自分の店の料理人として迎える。しかし妊娠が分かり、房子から一旦見送るように言われるも、開店を強行する
ちむどんどんというその店は当初は売れるが、2か月ほどで客が来なくなる。改装と称して一旦休業し、売り物の沖縄そばの味を再検討する。するとたまたま近くのスナックで仕事をしているリリィという女性が、豚肉を持って現れ、それが味の決め手となる。リリィは、賢秀が出たり入ったりしている養豚場の娘で、賢秀からなぜか出て行けと言われ、水商売をやっていた
ちむどんどんは再び客が入るようになり、暢子は男児を出産する。その後4年間その店をつづけるが、1984年の春に帰省した際に故郷で農業をすることに決め、店を矢作に譲ることにする。
やんばるへ帰って農業を始めた暢子は、沖縄料理の勉強会を始め、その時のおばあたちの言葉がきっかけで、再度店をやりたいと思うようになる。そして実家をレストランに改造することを思いつき、近所の人たちが木材を調達してくれて、改造計画が始まる。

観ていて思うのですが、彼女の場合長期計画があってそれを実現させるとか、自分の技をじっくり磨き、その道を究めるというものがありません。料理の技は磨いているのかも知れませんが、その腕前が披露されなくなっています。とどのつまり、自分の思いつきとか、何となくやってみたいからといった理由で次のステップに進んでいる感があり、その部分にやはり共感ができないのです。

しかも三郎のフォンターナ紹介、リリィ(清恵)が持って来てくれた豚肉、そしてやんばるで近所の人が木材を持って来てくれるところなど、何らかの形で、他人が無償で助けてくれることが前提となっています。最初のフォンターナの紹介くらいはまだ納得できますが、その後の豚肉を探すとか、レストラン建設をするなどというのは、本人もきちんとリサーチしてしかるべきでしょう。

この朝ドラのOPテーマの歌詞、最後の部分には「大丈夫、ほら、見ていて」とあります。普通の朝ドラのヒロインに当てはめた場合、「ほら、(努力して成長するところを)見ていて」なのでしょうが、これを暢子に当てはめた場合、「ほら、誰かが助けてくれるから見ていて」といった意味に取れてしまうのです。


飲み物-ミルクが注がれる紅茶
[ 2022/09/28 01:15 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(3)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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