『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述への疑問です。今回はMVP(北条政子)と総評です。尚、先日「鎌倉殿の13人」を「倉殿の13人」としていましたので、訂正しています。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/12/172451
何でも義村役の山本耕史さんが、北条政子を本当は演じたかったようですが、どうも演説があるからというのがその理由らしいということで、
1.シェイクスピアの『ヘンリー五世』には「聖クリスピンの祭日の演説」というものがあります。
この中に出てくる”a band of brothers”(幸運なる兄弟団)はドラマのタイトルとして日本でもおなじみですね。
これがイギリス人にとってはものすごく特別でして。
百年戦争はイギリスとフランスにとっては愛国心を刺激するものでもあります。
フランスならばおなじみのジャンヌ・ダルク。そしてイギリス人はこのヘンリー5世の「聖クリスピンの祭日の演説」が愛国心の象徴です。ヘンリー5世でなく、考えたのはシェイクスピアですが。
イギリス人の役者ならば、舞台でどうしても一度は読みたいこの演説。
とあり、その次に
「それに匹敵するものが何かといえば、この政子の演説といえる。
そこを踏まえると、そりゃ山本耕史さんだって演じたくなることでしょう」
とあるのですが、こう書くのであれば、まず聖クリスピンの祭日の演説の何たるかを手短に紹介し、イギリス人の役者なら読みたいこの演説は、政子の演説に匹敵するかもしれない、ならば山本さんがそう思うのもむりからぬ話だと締めくくればいいのです。しかしその間に、関連情報が長々と入り過ぎている嫌いがあります。
三谷さんが、和田義盛を『ヘンリー5世』のフォルスタッフになぞらえていたことは以前書いています。
実はかなり前ですが、ケネス・ブラナー主演の映画『ヘンリー五世』で、ハル王子の頃のヘンリーが、酒場でフォルスタッフと一緒にいるシーンがありました。この時もこの演説が確か出て来たかと思います。私としてはなぜか、キャサリン王女が侍女に英語の発音について聞きたがるシーンが印象に残っています。
あとband of brothersですが、ナイルの海戦の時でしたか、ネルソン提督がやはり演説で引用していますね。
2.古今東西、歴史的な名演説やフレーズはあります。
(中略)
しかし、日本史だといまひとつ思い浮かばない。その例外がこの政子の演説なのですが、悪条件が重なっておりまして。
・上皇を倒す朝敵宣言であり、皇国史観からすれば讃えられない
・女のジェンダーロールをはみ出している
・女が武士の世の初期にいて、将軍として振る舞うっていうのは……
・北条政子がフィクションの題材にそこまで頻繁にならない
などなど、不都合な史実ゆえに過小評価されていたと思えます。
とあります。仮に演説がなくても名言はあると思うのですが。
そして政子が批判されたのは江戸時代で、婚家である源氏でなく実家である北条氏を優先したとか、妾を多く抱えていた夫頼朝に対して嫉妬深かったというのが、理由として挙げられるかと思います。実際彼女が尼将軍として実権を持ったのは、江戸時代以前はそこまで低評価ではないはずです。
そして上皇を倒すのではなく、朝廷軍を破るとか、上皇を惑わす側近たちを誅するということではないでしょうか。
3.むしろ東洋ならではの女性統治が発揮されていることもあり、かつてアジアにも女性君主がいるという認識は広まっています。
中国の武則天。
韓国の善徳女王。
じゃあ日本は?
となるとこれが空白でして、ドラマも放送されないし、ゲーム『シヴィライゼーション』でも実装されていない。
その空白に、なんとしても北条政子を選んでいただかねばならない、世界に通用する政子は急務だと考えていました。
そしてこの演説、これ以上何も望むものはないと思うほどでした。
絶対に素晴らしいものになると信じてはいた。それを上回ってきた。全てがただただ完璧で、何も言えないほど見事でした。
その空白部分ですが、この武則天とか善徳女王と同じ、あるいは近い時代だと持統天皇とか、あるいは光明皇后などではないでしょうか。なぜ北条政子なのでしょうか。
そしてこの演説にしても、あらすじと感想、そしてこの『武将ジャパン』関連の投稿にも書いて来ましたが、私としてはちょっと如何なものかと思わせるところがありました。武者さん、三谷さんの脚本でなければ、
「絶対に素晴らしいものになると信じてはいた。それを上回ってきた。全てがただただ完璧で、何も言えないほど見事でした」
などと書いたでしょうか。
それから福沢諭吉が江戸無血開城を批判した件を引き合いに出して、この演説シーンは江戸幕府崩壊を反転させたようだとしています。が、ちょっとその前に
4.今回は武士の忠義が育ち、綺麗な花を咲かせたことを確認する回です。
このドラマでの頼朝は、今後は忠義が必要になると説いていました。
そうして頼朝が蒔いた種子が育ち花を咲かせたからこそ、政子の言葉が慈雨のように降り注ぎ応じた。そういう局面に見えたのです。
ここで忠義がどうこうとありますが、これと江戸時代の忠義とは同じでしょうか。この当時はもっと打算的であったと少し前に書いています。寧ろ三谷さんなら
御家人A「尼将軍がああ仰ってるけどどうしようか」
御家人B「俺は恩賞が大きい方に付く」
御家人C「執権の息子(泰時)はああ言ってるけどよ、上皇様が恩賞下さるのなら、俺朝廷に付くぜ」
などというシーンがあっても不思議ではなかったと思うし、実際武田の息子辺りにこういうのやってほしかったですね。
そしてその江戸幕府の反転云々ですが、
5.実は徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いの前、名演説をしています。
憎き薩摩相手に戦え、ともかく戦え、私もそうする!
戦えともかく戦え、私もそうする!
そう鼓舞して家臣たちを奮い立たせたのですが、実際は詐欺同然のスピーチでした。
慶喜は、自分だけ愛妾を連れて大坂から軍艦に乗ると、さっさと江戸へ戻って引きこもり、戊辰戦争で国が無茶苦茶になる中、静かに息を潜めていたわけです。
この時は鳥羽伏見での衝突と敗戦の後、城中では血気にはやる者が多く、大坂城内での収拾がつかなくなり、結局自らの政治生命を投げ出すつもりで大坂を去ったわけですね。無論この時は妾だけではなく、松平容保や松平定敬も一緒でした。
6.鎌倉幕府と江戸幕府の危機を分けたものは魂ではなかったか?
そう思えてくるのです。
三谷さんのくせなのか、私がとらわれているのか、わからなくなってくるのですが、『真田丸』の最終回でも幕末を思わせる仕掛けがあって、歴史の連続性を感じてしまいます。
三谷さんは、次の大河はもっと遡った時代にしたいそうなのですが、もう一度、幕末明治に挑戦していただきたい。
なぜ、そうなるのでしょうね。
鎌倉幕府という武士の時代の黎明期と、幕末という武士の時代の終焉を、同じ基準で論じられるのでしょうか。
それと『真田丸』の最終回の「幕末を思わせる仕掛け」て何ですか。こういうのは具体的に書くべきでしょうね。
あと三谷さんの次の大河て、もう決まっているのですか。悪いけど一旦これで終わりにしてほしいです。レアな時代を三谷カラーに染めることが、必ずしもいいとは言えないと思うので。
7.承久の乱を描いているけれども、同時に江戸幕府が滅亡しないIFシナリオを展開していると申しましょうか。
三谷さんは日本人が失った武士の持つ何かをドラマの中に甦らせる――そんな終わりのない作業を繰り返しているようにも思えます。
何ら具体性がないので、文章の意味がよくわからないのですが。それと
「日本人が失った武士の持つ何かをドラマの中に甦らせる」
と言うのも、結局何を言いたいのかよくわかりません。私としては、三谷さんお得意のコント的展開、会話劇の多さが今回も繰り返されたと思うし、それに対してやや食傷気味になってはいます。それと武者さんは江戸幕府にご執心のようですが、貴方が好きな北条政子が悪女とみなされるようになったのは、その江戸時代なのですが。
しかしこういう文章を見ると、どうも「贔屓の引き倒し」という言葉を思い出してしまうのですが。