福岡藩関連ですが、今回は番外編です。長崎街道という街道があります。九州唯一の脇街道とも言われており、また別名シュガーロードとも言われています。
実は先日ツイッター(X)で、相互フォローしている方たちと「丸ぼうろ」について会話をしていて、ちょっと書きたくなりました。この丸ぼうろは佐賀のお菓子で、北部九州ではよく目にします。西洋の「ボーロ」を日本風にアレンジしたお菓子の代表格とも言えますが、これもこのシュガーロードの存在により生まれたものです。
16世紀の後半、ポルトガルとの貿易が盛んになり、大量の砂糖が輸入されるようになると、天ぷらに代表される南蛮料理やカステラ、ぼうろ、金平糖などに代表される南蛮菓子が、その製法とともに長崎に伝えられ、独自の発展を遂げていきました。
さらに、ポルトガルに代わって、オランダや中国との貿易が盛んになると、砂糖が大量に輸入されましたが、特に、18世紀以降は、砂糖、なかでもバタビア産の砂糖が、たとえば最盛期の宝暦9年(1759)の場合、白砂糖と氷砂糖の量は202万2,577斤、銀で1,299貫994匁、現代の金額で、ざっと24億円と、実に英大の量が取引されたのでした。
(中略)
長崎にもたらされた大量の砂糖は船で大坂まで運ばれ、全国に流通しましたが、長崎から佐賀を通って小倉へと続く「長崎街道」は、九州藩の長崎警備や参勤交代、オランダ商館長の江戸参府など、様々な人やモノが往来する街道として栄えました。
さらにやはり同じサイトの「現代のシュガーロード」にはこうあります。
街道沿道は砂糖のほか、菓子作りの技法なども入手しやすかったため、全国的にも有名な銘菓が生まれたのです。
南蛮から伝わった菓子は、それまでの和菓子とは違い、砂糖をふんだんに使うもの。この伝来により、菓子の世界に革命が起こり、長崎街道を中心に、砂糖文化が各地の文化と風土を取り入れ、個性ある味へと花開きました。
この「現代のシュガーロード」には、街道沿いで誕生した各地のお菓子が紹介されています。
またこれは福岡藩関連になりますが、筑前にある六つの宿は筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と呼ばれ、活気のある宿場でした。これについては、下記のリンクに詳しく説明されています。
長崎街道について - 北九州市
長崎街道内野宿(ながさきかいどう うちのしゅく)|飯塚市観光ポータル
特にこの飯塚市観光ポータルのサイト右上には、こういうPDFファイルがあり、
黒田官兵衛(如水)・長政ゆかりの地マップ
黒田家ゆかりのスポットが紹介されています。
このPDFファイルにもある、カステラと丸ぼうろから生まれた千鳥屋本家の千鳥饅頭、上記「現代のシュガーロード」でも紹介されています。
(尚他に千鳥饅頭総本舗がありますが、ここは別の会社で、扱う商品が多少異なっています)
他にひよ子も元々は飯塚の吉野堂で生まれました。今は博多ひよ子と東京ひよ子があり、それぞれのオリジナルをセットにした商品もあります。
「日本で最初に饅頭が上陸したのは九州は博多
日本で最初に洋菓子が上陸したのは九州は長崎」
とあり、さらに「饅頭王国・九州を代表する伝統の銘菓 千鳥饅頭」と謳っていますが、実際北部九州では焼き菓子や饅頭、それに類したお菓子は多いと言っていいでしょう。
また煎餅も、所謂瓦煎餅的な甘みのあるものが有名です。
それから『長崎街道シュガーロード』にあるように、この脇街道は豊前小倉から長崎をつなぐもので、かつての福岡藩領は通りるものの、主に北九州から筑豊、筑紫野市であって、今の福岡市に宿場はありませんでした。
一方で唐津街道というのがあります。やはり北九州が始点ですが、主に玄界灘沿岸を通り、こちらは今の福岡市から糸島市を通って唐津市、伊万里市を経由して平戸市へと続いていました。また、福岡藩や唐津藩の参勤交代に使われる道でもありました。