第41回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
大谷吉継が三成に会いにいく場面で干し柿が大きく映ります。
ここは密かに注目しています。
“三成の最期”を描くときに定番である「柿のエピソード」が、松本潤氏の意向により削られた、と文春砲の第一弾で報じられていたのです。
しかし、ここでは干し柿が出されていました。
果たして伏線になっているのか。
それとも、当初は伏線として配置したものの、記事にあった通りに、カットされてしまうのか。
楽しみですね。
武者さんてやはり「週刊文春」とタイアップしているのでしょうか。
と言うか、週刊文春の書くことが本当だと思っているのでしょうか。
以前この人は、茶々が秀吉に対して「(秀頼は)あなたの子だとお思い?」と予告で流れていた時、その次の回は答え合わせで観た人もいるでしょうなどと書いていましたが、今や自身が、週刊誌との答え合わせ目的で観ているようです。
かなり失礼だなとは思いますが。
七之助さんは扱いがマシだと確信できたのが、茶屋四郎次郎の二代目です。
あのひどい眉毛はなんなのか。
誰がどう見たって過剰すぎて、まさしくコントの世界でしょう。
そしてお笑いだとしたならば、絶望的につまらない。
ネット上では「バージョンアップ」だの「1人3役の予感」などという声も飛び交ったようですね。
とどのつまり、北川景子さんがお市との差別化を図るために、カツラやメークを違う印象にしているわけですが、こちらは先代四郎次郎のイメージを受け継ぎつつ、確かにいくらかバージョンアップした感はあります。
思えば初代は、気づいたらフェードアウトさせられてましたね。茶を商うことよりマラソンランナースキルが目立った。
そんな雑魚扱いでしかなかったキャラの息子を出されたところで、誰が喜ぶのでしょう……よくもここまで中村屋をおちょくれたものです。
「よくここまで中村屋をおちょくれたものです」
ひとつ前のページの武者さんのこの文章の方が、もっとひどいかと。中村屋をおちょくると言うより、ディスっているのではないでしょうか。
むろん三成は配慮されていると思います。主演俳優のお友達枠ですからね。
◆ 中村七之助、親友・松本潤との大河ドラマ共演に感慨「父親がこの姿を見たら喜ぶだろうな」『どうする家康』(→link)
好きな俳優にこんなことを書きたくないけれども、あえて言います。
「父親がこの姿を見たら喜ぶだろうな」なんて呑気におっしゃってますが、考えるべきはあなたのお父様ではなく、視聴者とあなた自身ではないでしょうか?
ウィリアム・アダムスが縛られて汚い格好のまま連れてこられます。
いくら捕まったとはいえ、髪や髭の手入れ、着替えぐらいさせたらいかがですか?
非現実的ですし、徳川は虐待を働く連中である、というように見えてきます。何をヘラヘラ笑っているんでしょう。
非現実的とありますが、例によってどういう部分が非現実なのか書かれていませんね。
そして罪人の場合、髪や髭の手入れはできなかったのではないでしょうか。
江戸時代の話ですが、罪人は月代を剃ることはできなかったので伸び放題だったようです。
英語もポルトガル語も大して変わらん、って正信に発言させるのもどうですかね。
中国と朝鮮、日本だけ見たって大いに違う。渡辺守綱あたりに言わせるならまだしも、家康の懐刀がこれでは頭が痛い。
こんな調子だから、カトリックとプロテスタントの区別もついていないのでしょう。
はっきり言って、その当時の日本人でヨーロッパの事情に詳しい人がどのくらいいたでしょうか。
そしてこれ、正信の発言ではないのです(この辺もちゃんと観ていないのでしょうね)
二代目茶屋四郎次郎
「はあ…しかし、私ポルトガルの言葉なら多少わかりますが」
「その男はエングランドなる国の者なれば、務まるかどうか…」
本多正信
「似たようなもんじゃろう」
四郎次郎
「え…」
こういうやり取りがあり、そこへアダムスが現れ、とにかくポルトガル語で話してみようとなるのですね。
そして
「中国と朝鮮、日本だけ見たって大いに違う」
儒教国家と武士が政権を取る国とでは、それは違いますね。
あと
「こんな調子だから、カトリックとプロテスタントの区別もついていないのでしょう」
ここのところ、ちょっとわからないのですけど。
今までの武者さんの文章、またはこの回の描写で
「カトリックとプロテスタントの区別がつかない」
ことを窺わせる記述、または描かれ方は全く出て来ないのですが。
この間も同じようなことを書いていましたが、一体何を言いたいのですが。
そしてこの場合大事なのは区別云々ではなく、カトリックとプロテスタント諸派の対立がヨーロッパでは起きており、それはどのようなものであるかということです。
そしてドラマでは四郎次郎が
「あ…エスパニア、ポルトガルとは戦をしており、バテレンどもの言うことに耳を貸してはなりませぬと」
と通訳しており、この当時のイングランドを巡る状況が垣間見えるようになっています。
歴史総合の時代なのに、なぜこんなに馬鹿げた描写ができるのか。三浦按針役村雨辰剛さんの無駄遣いにもほどがある。『大奥』との格差が際立ちますよ。
そもそも、なぜ彼を出しますか?
もっと他に出すべき人はいるでしょうよ。
「歴史総合の時代」
と言うなら、東洋(日本)と西洋(ヨーロッパ)が出会うこの描写は、正にそれにふさわしいのではないでしょうか。
そして武者さんにしてみれば「馬鹿げている」(どこがそうなのかよくわかりませんが)のでしょうが、ドラマでこういう描写があるのに、英西戦争にも、アングリカンチャーチも清教徒にも触れない武者さんの方がおかしいと思います。
そしてここでなぜ『大奥』と比較するのですか?
同じ人が出ていると言っても、大河と10時のドラマ、しかも時代背景も設定も全く別物ですよ。
世界地図がプリントアウトしたばかりのテカテカ感満載だとか。
字が崩字でなく楷書だとか。
直江状が和紙に思えないとか。
ツッコミどころがいろいろありますが、もう小道具さんは完全に力尽きたという認識でよろしいでしょうか。
こちらの地図、日本で言えば信長が勢力を伸ばしている時代に起こった、レパントの海戦に関する地図(紙本著色レパント戦闘図・世界地図〈/六曲屏風〉)です。かなり色鮮やかですね。
(文化遺産オンライン)
それと崩し字でなく楷書、どの文書のことですか?
直江状のはもう少し崩しているように見えますが、後ろの地図のことですか。
あと「和紙に思えない」の根拠は?
よく見たらふちが少しでこぼこで毛羽だっている感じですが。
そしてまた文春砲がどうこう。そんなに書きたいのなら、大河コラムでやらないでください。
無口で物静か。
それなのに威厳がある。
上杉景勝といえばそんな描き方になると思っていたら、眉毛ボーン!でキレ散らかすチンピラでした。
直江兼続もただのゲス男。
もう呆れ果てるしかない幼稚な連中です。
「キレ散らかすチンピラ」
「ゲス男」
自分の思い通りの描き方がされていないからと言って、こんなことを書く武者さんの方がキレ散らかしているようにも見えるのですが。
西笑承兌にああいう文をよこされて、しかも一部の説にあるように、神指城は軍事拠点でなく城下町建設であり、街造りとインフラ整備に忙しいのに、上洛しろと言われてもそれはできないとなるでしょう。もちろん、こっちの事情をきちんと書いてやれとも言いたくなるでしょうし、その気持ちもわからなくはありません。
まず阿茶局がわざとらしく一本調子の「私できる女!」口調の説明セリフでキレ散らかし。
本多正信がいつものクセのある切れ者口調で付け加える。
で、家康は顎に手をやって立っている。
阿茶局
「このような返事を寄越されるとは…殿への罵り嘲りにほかありませぬ!明らかに戦をけしかけております」
どこかキレ散らかしていますか?失礼だとは言っていますが。
(しかし武者さん『キレ散らかす』も好きですね)
そして正信の
「乱世を生きて来た武士の骨の髄までしみ込んだサガとしか言いようがござらん」
歴史系ライターであれば、こういうセリフにこそ注目してほしいですね。
阿茶局と正信は毎回不愉快で、声が耳に入るだけで頭を抱えたくなります。
口うるさい上杉景勝が出たかと思ったら、何もしゃべらず、ぬぼーっとした主役・家康ってどういうことですかね。
武者さん、「頭を抱える」これでもう何度目ですか?
そこまで我慢しなくていいですよ。
そして「何もしゃべらず、ぬぼーっとした主役・家康」
家康はこの2人の意見を聞いた後で、
「やるとなれば、わしが出陣せねばならぬであろう。
天下の大軍勢で取り囲み速やかに降伏させる…。戦を避けるにはそれしかない」
と言っていますね。