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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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昭和の大河は本当によかったのか?

少し前にビジネスとしての昭和、及びその続きで2回投稿したことがあります。それと多少似通っているのですが、今回は昭和の大河と平成・令和の大河に関してです。昔の大河を知っている人が、何らかの形で
「今の大河は乗りが軽い」
「出演者や演技に深みがない」
「脚本が悪い」
などと言っているのを、耳にたこができるほど聞かされて来た、そういう人も多いかと思います。

これに関しては、私も「いくらかは」賛同できます。
しかし如何せん、その当時と今とではTVの立ち位置が違います。また平成の初期と後の方とでもいくらかの違いがあるでしょう。無論平成期の女性主人公の大河や、それ以外にも一部大河の描写には疑問がありますが、だからと言って今の大河をすべて否定しようとも思わず、過去の大河をすべて肯定しようとも思いません、少なくとも、DVDの総集編などで観る限り、過去の作品でもおかしな描き方もあるからです。

昔の大河と今の大河とを比較するのであれば、まずその点を考慮に入れる必要があるでしょう。でないと、これも何度も書いていますが、結局のところ過去美化バイアスになってしまいます。その当時はその当時で、恐らくクレームもあったし、面白くないとか中だるみといった声も聞かれたのではないでしょうか。実際私も昭和の大河は一部知っていますが、周囲がそう言っているのを耳にしたこともあります。

また当時と今とでは、社会情勢も異なりますし、TVに出演する所謂芸能人と、一般人との間の垣根がかなり低くなっています。そのため、TVの向こうの世界が特殊なものでなくなり、ネットでTVとは違った世界に触れ、さらには動画で自分自身をアピールすることも可能になっています。こういう映像事情の相違もまた、大河のみならず映像作品全般が、昔と今とでは違って見える一因と言えるのかも知れません。

その件に関して、これも以前書いたことですが、来年の大河『鎌倉殿の13人』と、1979年の大河『草燃える』を、時代背景や登場人物が似ていることもあり、比較したがる人もいます。しかし、この2つは全くの別物と捉えるべきでしょう。要は
『真田太平記』と『真田丸』
『翔ぶが如く』と『西郷どん』
を同一視するようなもので、そもそもの視点が違うと思われます。

昔のがよければ、DVDを観ればすむ話です。当時の作品の記憶を、何十年も後に作られている作品であるにも関わらず、時代背景が同じという理由でそのまま投影してしまうから、どこか違和感を覚えてしまうのではないでしょうか。何よりも『鎌倉殿の13人』はまだ放送されていませんし。

実際三谷幸喜氏には、『草燃える』とは全く異なった作品を期待していますし、実際そのようにするでしょう。おまけに今回は北条義時が主人公であり、義時視点での平家滅亡、鎌倉幕府創設と源氏の断絶が描かれるはずです。PR番組として「鎌倉どうでしょう」を作り、小栗旬さんと大泉洋さんが鎌倉でキャンプするという設定にしてはどうかと思います-その場合『ブラタモリ』の鎌倉編もコラボでお願いしたいです。

閑話休題。『草燃える』総集編の中で、一番面白かったのは最終章です。ここで義時無双といった流れになり、御家人たちを粛清しまくるわけで、時代が北条に引き寄せられることへの非情さを見せつけられたパートでもあります。それまでの章が原作のせいもあるのか、とかく女性視点であっただけに、この章の実質的主人公である義時の、抜け目のなさが顕著になって行きました。和田義盛を捕らえるシーンなどは特にそれを感じましたが、この義盛を演じた伊吹吾郎さん、『麒麟がくる』の太原雪斎を演じていましたね。

あとこれはまた機会があれば書きますが、ツイッターを含むSNSとか、ネット上のコミュニティなどで大河その他の娯楽作品を語るのも、実は多少しんどいものがあります。これもよほど興味があるとか、自分でも関連創作なりイラストなりを手がけているのであればまた別です。

一度ネット上で興味深いコミュニティを見つけたことがありましたが、そのコミュニティの傾向として、自分の好きな作品が否定的に見られたり、好きではないけどいい所もあった作品をも否定されがちで、それが同調現象のように見えたせいもあります。やはり私はこういう場所で、あれこれ好きなことを書いているほうが合っているのでしょう。

飲み物-エールと暖炉の火
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[ 2021/03/22 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『義経』に見る義経と大姫

「『ヴィンテージ大河』に関して再度」に書いていることですが、『鎌倉殿の13人』がまだ放送されてもいないのに、『草燃える』の方が一方的にいいと決めつける姿勢には、少々違和感を覚えはします。こういう書き方は、過去(のよさ)をアピールするために、今現在の作品をディスっていると取られがちなので、やはり一度観てから言ってほしいなと思います。また『草燃える』は、登場人物が現代語であったのはマイナス要因でした。

ところでこの大河に出て来た大姫は、『鎌倉殿の13人』にも、そして『義経』にも登場します。後者の方では義経が義高助命を言い出し、兄頼朝と対立することになります。しかもその後大姫が、義高の死がもとで病を得た際、義経を慕っていたことから、母の政子が、義経に会わせれば多少は癒えるかも知れないと言い、義経を鎌倉に入れられないかと考えます。しかし義経一行は、既にこの時は腰越に足止めされていて、鎌倉へ戻ろうにも戻れず、頼朝の命に背くことに対して、義経自身にもためらいがありました。

そのため鎌倉の大倉御所ではなく、別の場所で会おうと政子は言うのですが、やはり義経はそれを受け入れませんでした。しかしこの義経の義高助命嘆願ですが、正直これはどうでしょうか。つまり頼朝との対立の遠因が、ここにあるという形に持って行きたいのでしょうが、義高を生かしておいたことのデメリットが、いずれ義経自身の身にも降りかかってくることになる以上、普通に考えて、やや不自然に見えます。

また大倉御所でなく別の場所で会ったからと言って、その後義経が大姫の、いわばカウンセラー的な役割で鎌倉に留まれるはずもありません。どう考えても政子のこの案は、娘可愛さとはいえ、一時的なものでしかなさそうです。それとこの『義経』の、後白河法皇の愛妾である丹後局、『平清盛』同様、天然パーマ風な髪で、異色な存在であることを表現しようとしているように見えます。しかし、この丹後局様はちょっと怖いですね。

大姫の描写に関してはちょっと前にも書いていますが、戦国物に見られる女性たち、とりわけ信長の妹お市や光秀の娘ガラシャのように、悲運に弄ばれる女性という描写が目につきます。そのような中で、『真田丸』のガラシャは異色でした。その『真田丸』を手がけた三谷氏のことですから、やはり今回も多少違った雰囲気になりそうです。私も、この大姫が両親と対立して屋敷を出、敵である義経の家来というか残党の子を身籠って、その後自害する設定にしてはどうかと書いていますが、あまりありきたりな描写でないことを望んでいます。

飲み物-ホットカフェオレ
[ 2020/11/25 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

「ヴィンテージ大河」に関して再度

先日の『鎌倉殿の13人』関連投稿で、まだ放送もされていない現段階で、はやばやと『草燃える』には及ばないなどと、とあるブログ記事にあったことに触れています。また、似たような時代や登場人物の大河は比較されやすいとも書いています。私はこのブログで、特に過去に於いて人気を博した大河を、ヴィンテージ大河という表現でいくつか投稿したことがあります。以下はそのまとめです。

http://bakerhouse221b.blog.fc2.com/?q=%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%
E3%83%BC%E3%82%B8

これらの投稿での、ヴィンテージ大河に対する考えは大体以下の通りです。

  • これも触れたことがありますが、大河はヴィンテージ化することによって、美化される傾向があります。前出のように、かつて話題になった作品であっても、リアルタイムではあれこれ突っ込まれていることが多いのです。
  • ヴィンテージ大河についても太平記に思うことで以前書きましたが、そのヴィンテージを今そっくり再現して、果たしてうまみを感じるかの問題でしょう。

とどのつまり、自分が若い頃の作品はよかったが、今はよくないとなってしまうわけで、こういった、所謂過去の美化を下降史観と呼びます。大河のみならず他のドラマシリーズや、ひいては娯楽関連作品全般に見られ、やはり年齢を重ねると共に、このような考え方をする傾向が強くなります。しかしどう考えても、何十年も前の作品を今現在、当時のままで再現するには無理がありますし、また時代の変化により、ドラマそのものも変化して行くようにはなります。

社会の変化、それに伴う人々の意識の変化に伴い、描かれる内容は当然変わって来ます。無論その時々で、この変化が時にデメリットとなってしまうのもまた事実です。女性主人公の大河のヒロイン無双とか、『いだてん』のように舞台的要素が強い物などがそうでしょう。また今年の『麒麟がくる』に関して言えば、オリキャラがやたらに出て来るのに加え、主人公の光秀が何を考えて何をどう実現したいのか、その辺りがよくわからないこともあり、総集編ながら『国盗り物語』の方が面白く感じられます。

尚上記のまとめの中で、『西郷どん』放送終了後の、総局長のコメントに関して私はこのように書いています。

そしてその次の、木田総局長によるコメントです。NHK関係者としてのコメントですが、私としては特にこれに対して異存はありません。とりわけ
「時代が変われば、大河ドラマで一度取り上げたことある素材でも全然違う」
にはかなり同意できます。前出の制作面での制約や、ヴィンテージ物の大河を、今そのままでは作れない点にも関連しています。木田氏のコメントにある視点の新しさ、あるいは視点を変えなければならない部分というのはどうしても出て来るでしょう。以前同じような薩摩大河でも、『翔ぶが如く』とこの『西郷どん』は別物だし、描かれ方も違うから比較は難しいといったことを書いたことがあります。(了)

戦国物に比べると幕末物は、今の時代に直結していることもあり、また戦って勝った側と負けた側のどちらを、どのように描くかでも違って来ます。以前であれば西郷は押しも押されぬ英雄として描けばよかったのかも知れません。しかし今の時代、西郷は大々的な英雄ではなく、庶民のために奔走した、その意味でスーパーヒーローではない存在として描かれるようになっています。また実際幕末期の薩摩に於いては、西郷と大久保が何もかも仕切ったわけではなく、小松帯刀の存在が大きかったと考えられるようになっており、その意味で今後の大河にはまた変化が訪れるかも知れません。

それと思うのですが、面白い面白くないというのは所詮は主観の問題であり、ある人の作品への評価が、誰にでも当てはまるわけではありません。ヴィンテージ大河を面白く感じる人もいれば、面白くない、重苦しいと考える人もいるわけです。逆に過去の物で描かれていないことが、今の作品では描かれていたりもする。このような理由から、徒に過去のものだから良いと考えるのも如何かと思います。何よりも、まだ放送されていない物を云々する姿勢と言うのは、かの武者震之助さんが、例の大河ブログというかサイトで、今年の初めに書いていた
「今年と再来年は視聴率がいいが、来年はよくない」
これとそっくりです。まだ観てもいない作品の評価を、ここまで決めつけるべきなのかどうか。単なる好き嫌いで判断しているようにしか思えません。あのサイトももうアクセスしていませんが、まだ続いているのでしょうか。

飲み物-バーのカクテル
[ 2020/11/23 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関してのあれこれ

11月16日から20日まで、足掛け5日間にわたって、キャストの発表が行われた『鎌倉殿の13人』ですが、流石にタイトルが示す通り、十三人の合議制に加わる人々が、大きな比重を占めていると言えます。

しかしながらこの合議制は、そこまで機能したかどうかは疑問です。何よりもトップであるはずの梶原景時が早々に失脚し、その後やはりメンバーであった安達盛長と三浦良澄も亡くなり、さらには頼家の政権も崩壊するため、合議制そのものではなく、これに加わった御家人と北条氏の関係、そして彼らの生き様を描くものであると言えるでしょう。

ところでこの大河の考証が早くも発表されています。『福島民友』の記事ですが

【鎌倉殿の13人】三谷大河を支える考証チームを発表
https://www.minyu-net.com/oricon/OR2177387.php
(福島民友新聞)

考証チームは坂井孝一氏、呉座勇一氏、木下竜馬氏の3名になります。呉座さんと言えば、応仁の乱を思い出す方も多いでしょうが、鎌倉大河の考証でお目にかかることになりました。ともあれ、中世という時代を知るうえでは、参考になる大河となりそうです。

それから風俗考証は、『麒麟がくる』の佐多芳彦氏です。「俳優のみなさんを当時の衣服で包み込み、戦場を、生活を、日々の営みを再現し、画面の隅々まで当時の風俗で満たすことです。」とコメントしていますが、少なくともあの化学染料で染めたような衣装は止めていただきたいです。戦国ではないため、その可能性は低いと思いますが。

それから、以前大河以外でアクセスしたことのあるブログに、この大河は『草燃える』には及ばないなどという記述がありました。まだ放送もされていないのに、こういう比較をするのはちょっとどうかと思うのですが…。私の場合、あまり期待が持てない大河であっても、始まるまでは一応ノーコメントです。放送されないと何もわかりませんし。それと制作される時代も制作に関わるスタッフも、はたまた考証もその当時と今ではかなり異なるでしょう。『草燃える』の総集編に関して私は、最後の義時を中心にしたパートは面白いが、女性目線の描写もあると書いたことがあります。寧ろそれとどのように違うのかを期待したいです。

やはり似たような時代設定、似たような登場人物の大河は比較されやすいのですが、この理由として、過去の作品はポジティブな部分が残りやすい、あるいは美化されやすいということも挙げられそうです。これについてはまた書きたいと思います。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2020/11/22 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『新・平家物語』総集編を観て 2

『新・平家物語』、第1巻の後半です。清盛は義母池ノ禅尼からの銭を麻鳥に渡します。麻鳥は何度も礼をして去って行きます。そして彼はその年の冬密かに讃岐に渡って、崇徳上皇の住居の前で笛を奏で、上皇はそれに聞き入ります。上皇はその8年後に崩御しますが、その間この讃岐に上皇を訪ねたのは麻鳥のみでした。

宮中では、後白河上皇の乳母の夫である信西が権力を握っており、やはり上皇の近臣である藤原信頼と対立していました。そして平家一門が熊野詣に行く隙を狙い、義朝と手を組んで、信西を亡きものにして権力を握ることを企みます。信西はわずかな従者を連れて逃げるものの、義朝の追手が近づいているとの情報から、穴を掘ってその中に入り、芯をくりぬいた竹を地上に出して呼吸をしながら、敵が過ぎ去るのを待ちます。しかしそれを目撃していた百姓がいたため、義朝軍から殺されてしまいます。

熊野詣の途中でそれを知った清盛は、万事休すといった状態でした。ところが家人の家貞が、武器や甲冑を荷駄に入れており、清盛たちは武装して信頼や義朝軍との戦いに臨みます。その頃清盛の館を、源頼政(兵庫頭)が訪ねて来ており、応対に出た時子が、いずれ主が帰ってからと言うのを聞いて、戦場で会うか清盛の招きを受けるかどちらかと、意味深な言葉を残して去って行きます。

両者の対立は避けられなくなっていました。これを受けて後白河上皇は幽閉先を逃げ出して仁和寺へ入り、清盛は二条天皇の脱出を助けます。天皇を迎え入れたことで、打倒信頼・義朝の勅命が下り、平家軍阿は三手に分かれて義朝の軍を攻め立てます。義朝軍には、この日が初陣の三男頼朝もいました。しかし最終的には平家軍に敗れ、中立を保っていた頼政の軍まで敵に回した義朝軍は、なすすべなく落ち延びて行きます。その途中頼朝ははぐれてしまい、また長男義平たちと別れた義朝は、尾張野間で裏切りに遭って暗殺されます。

頼朝はその後、平家の家臣である宗清と出会って六波羅へ赴きます。頼朝は将来出家したいという望みを抱いており、池ノ禅尼も彼の助命を嘆願します。清盛は直に頼朝に会って話を聞き、結局この頼朝と、常盤の子供たちの助命を認めました。これには弟の経盛と教盛が反対しますが、義弟の時忠は清盛に同意します。そして頼朝は、池ノ禅尼の手になる写経を受け取り、流刑地の伊豆へと去って行きます。

子供たち(後の阿野全成、源義円、源義経)と別れた常盤の嘆きはひとしおでした。ところがある日、清盛は源氏の残党である義平に襲われ、常盤がいる伊東景綱の屋敷に身を潜めます。そこで常盤に出会ったことで、逢瀬を重ねるようになり、清盛は、さぞ自分のことを恨んでいるだろうと言うものの、常盤はその清盛に、身をゆだねるようになります。

しかし常盤との密会は、敵の女を我が物にしたと評判が悪く、時忠が出向いて彼女に再婚を勧めます。常盤は、それに従うしかありませんでした。その後常盤は寺に詣で、子供たちの安全を祈願します。その後僧の案内で通された部屋には、清盛が待っていました。一人の男と女として会いたいと口にする清盛に身をまかせ、2人だけの時間を過ごした後、常盤は寺を後にし、この2人が再会することはありませんでした。

その頃時子は弟の時忠と外出していました。車を止めたその場所で、時忠は、御簾を上げるようにと言い、時子も外を眺めます。そこは西八条で、いずれここに平家の屋敷ができると得意げな時忠に、時子は、自分が欲しいのはそのようなものではないと言い、御簾を下ろしてしまいます。(第1巻後半終わり)

麻鳥の登場から平治の乱を経て、いよいよ清盛が名実ともに権力者になるまでが描かれます。この総集編では、崇徳上皇の狂気に満ちた振る舞いはありません。麻鳥が上皇を慕って、讃岐にやって来るまでが描かれています。そして、信西が我が物顔に政治を仕切るのを快く思わない信頼は、平家一門が留守の間に、信西を亡きものにしようと企み、これがもとで平治の乱が起こります。

しかし清盛が上皇と天皇を匿っている以上、信頼や義朝は朝敵にならざるをえませんでした。さらに、義朝の三男頼朝はこの平治の乱が初陣でした。『平清盛』とは違い、この大河ではセットでの撮影とはいえ、一応雪景色となっています。その雪を見つめる頼朝を見ながら、義朝はこう口にします。
「合戦と言っても雪合戦をしたい年ごろだなのに、その雪を血に染める合戦である」
後に頼朝がはぐれた後、八幡神に無事を祈る姿共々、義朝の父親としての愛情が窺えます。

しかしこの藤原信頼、如何にも小物臭のする人物で、自ら甲冑をつけて戦場に出向いたはいいものの、清盛の息子重盛から、烏帽子を射抜かれてしまいます。しかも平家一門が熊野に向かうのを、窓越しに眺めてにやにやしたりと、如何にもこの辺りは勢力争いに絡みたがる公家の姿です。しかしこの窓越しのシーン、何か既視感があると思っていたのですが、『国盗り物語』と『麒麟がくる』で、斉藤道三が信長一行を待ち受けていたその時に、当の信長のあられもない姿を見て仰天するシーン、あれにちょっと似ています。

清盛は一同に檄を飛ばす際、平治に、平安の都で平家が…と頭韻を踏んだ言い方をしています。そして戦は短時間で決着がつき、義朝一行は落ち延びて行く最中で、居眠りをしていた頼朝とはぐれます。その後義朝は暗殺されますが、頼朝は自分を狙っている者たちに気づき、無我夢中で刀を抜いて馬を走らせます。その後の様子が端折られていますが、恐らくは郎党と共に六波羅に行こうとしていたところを、平家の家臣に見つかり、その郎党が斬られてしまいます。平宗清が馬上からものを尋ねたため、自分はそのような身分ではないと、毅然として答える頼朝です。

平家の棟梁である清盛は、この頼朝、そして常盤の子供たちをどうするか悩んでいましたが、池ノ禅尼の要請もあり、助命することに決めました。これが後々禍根を残すことになります。頼朝が挙兵した後、自分を裏切った義仲の子義高を手にかけたのは、これが一因でした。ともかく頼朝は池ノ禅尼から、将来は出家するように言われてうなずきますが、一方で、別の人物から出家を思いとどまるように言われており、それにも同意していました。『草燃える』関連でちょっと触れていますが、頼朝という人物の二面性が、この時既に芽生えていたようです。

常盤は寂しさもあり、清盛に身をまかせるようになって行きます。しかし正室である時子は、それが面白くありません。時忠から西八条の屋敷の計画を聞かされても、そのようなものは欲しくないとにべもない態度を取ります。しかしその時忠は、義兄の体面も考えて常盤に再婚を勧めてはいるのですが…なお、この大河では2人の間に子供はできていません。

しかし仲代達矢さん、私としては『風林火山』の武田信虎のイメージが強いせいか、かなりお若いですね。無論、他の出演者も同様です。

飲み物-チューリップグラスのビール
[ 2020/10/10 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『草燃える』の義経と人物描写 3

『草燃える』総集編第5編に行く前に、先日のラグビー関連投稿で「ブリストルの奇跡」などと書いておりましたが、もちろん「ブライトンの奇跡」です。失礼いたしました、訂正しています。

では第5編ですが、既に頼朝や頼家、大姫も退場しており、実朝が将軍を継承しています。そして政子や義時の父時政は、この実朝の暗殺未遂の疑いをかけられて鎌倉を追われ、二代目(初代は時政)執権となった義時は和田義盛を滅ぼし、子供のいない実朝の継承者選びに乗り出します。その頃鎌倉を僧形の伊東祐之が訪れ、養女の小夜菊を自分の側女にほしいと義時が申し出ます。この小夜菊は遊女ながら、かつての義時の妻で、壇ノ浦に沈んだ茜と瓜二つでした。

しかし祐之は義時との確執から両目をつぶされてしまい、小夜菊と鎌倉を去ることになります。しかも出家して京で修行を積み、鎌倉に戻って来た頼家の子公暁は鶴岡八幡宮寺の別当を任されるも、本来ならば将軍職を継いでもおかしくない身であるため、それが面白くありません。そして三浦義村が公暁を焚き付け、実朝暗殺を計画させます。建保7(1219)年1月27日、大雪の中を参拝に向かった実朝は公暁に暗殺されますが、これを事前に察知していた義時は仮病を使ってその場を離れていました。しかしその公暁も三浦に裏切られ、殺されます。

源氏三代の将軍が途絶えた後、頼朝の遠戚に当たる藤原頼経を将軍として迎え入れるものの、実質は執権政治が行われることになり、これによって朝廷との軋轢が生じて承久の乱が起こります。この時政子は初めて尼将軍として御家人の前に立ち、檄を入れます。これは鎌倉方の勝利に終わりますが、政子は改めて失ったものの大きさに呆然とします。その後鎌倉を、琵琶法師となった祐之が訪ねて来ますが、政子は会おうとはせず、義時の前で祐之は琵琶法師であると繰り返すのみで、自分の素性を明かそうとはしませんでした。

大体こういった内容ですが、個人的にはこの第5編=最終回が一番大河らしく感じられました。無論、それ以外が全く大河らしくないとは言いませんが、武家政権の樹立、土台固めに付き物の血なまぐささ、武士たちの処世術が一番描かれていたのではないかと思われます。

いずれにしても、この大河は北条政子という女性の視点から描かれており、そのため婚礼をすっぽかして頼朝の許に走ったこと、夫婦関係と子供たち、特に大姫のことや、義経の愛人静への視線などに尺をかなり取っていますが、この回では大部分が武士同士の駆け引きが中心となっています。元々頼朝の頃から、こういう駆け引きはあったわけですし、人質の義高を討たせるのもその一環なのですが、そういった部分の女性視線の描写が、私としては、やはりどこか情に訴えているように見えました。

また政子が実朝の暗殺計画を、参拝に向かった後に初めて知るという設定になています。要は彼女は、実朝にどのようなことが起こっているかは、何も知らされていなかったわけです。

そもそも政治にも関与していないため、知らないところで意外な出来事が次々と起こり、政子はそれ故にむなしさが募る設定になっています。この大河の方向性がそうである以上仕方ないのですが、ただ最後の最後で尼将軍として出てくるのですから、何が起こっているかを多少は知りつつも、敢えて目をつぶっていたという設定でもよかったでしょう。

あと伊東祐之、この人はオリキャラですが、実在の人物との絡ませ方は『元禄太平記』の柳沢兵庫よりはいいと思います。と言うか、あの大河ももう少し総集編の回数を増やしていれば、それなりに納得の行く展開にはなったのかも知れません。それと現代語のセリフには、やはりどこかもやっとしたものを感じます。そのせいもあるのでしょうか、この後近現代を舞台にした大河以外は、すべての登場人物が現代語を使う設定にはなっていません。

さて三谷幸喜氏の『鎌倉殿の13人』まで、あと1年3か月となりました。その前の『青天を衝け』はクランクイン済みですし、NHKの公式サイトにも「ただいま制作中」となっていることから、脚本のための取材、リサーチは進んでいるのでしょう。しかし三谷さんといえば遅筆でも有名ですが、今回はどうなることやら。それと今までこの人は『新選組!』、『真田丸』と2つの大河を手がけていますが、本物の大河よりも、実は『新・三銃士』の方が大河らしいのではないかと思っています。実際これは、人形劇の大河などと言われてもいたようですし。

飲み物-ロックグラスカクテル
[ 2020/09/22 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『草燃える』の義経と人物描写 2

順序が前後しますが、『草燃える』のDVD第1巻を観た感想です。まず義経の描写についてですが、やはりちょっと単純かつ荒っぽい印象を受けます。兄頼朝が自分と会った際に、涙を流したと言って喜ぶ義経を、同母兄である全成が、自分の時もそうだったと言って牽制するシーンもあります。実はこれを観る前に、『義経』の壇ノ浦の回前後を観たのですが、この場合は流石に主人公ということもあり、壇之浦は早まったと反省しています。

ともあれ、この大河的には義経は短慮で先っ走りな人物という設定ですが、そもそも鞍馬を抜け出して弁慶と対峙する時も、一対一ではなく、京の盗賊団に取り巻かれる描写になっていました。それはともかく、平安から鎌倉に移行する時期が舞台である以上、頼朝、全成、義経そして梶原景時それぞれの思惑をもっと見たかったなと思います。ただ政子もまた主役であり、むしろ彼女の物の見方がこの作品の方向性を決定づけているとも取れます。

そのせいもあってか、男女の絡みの場が比較的多い印象があります。頼朝と政子はともかく、頼朝が義時の妻となっていた茜を手籠めにしてしまい、その後生まれた茜の子(後の北条泰時)が、どちらの子であるかわからないという描き方になっています。これに従うと、北条氏は実は源氏の血を引いていたということになるのですが、それはともかく。

そもそもこれは、茜が父大庭景親の命乞いに頼朝と会ったのが裏目に出たともいえますが、命乞いをしても恐らく景親は処刑されたでしょうね。無論義時と、この茜が密会するところも登場します。こういったシーンとか、この間も書きましたが、木曽義高の面影をいつまでも引きずる大姫などに、やはりかなりの尺を割いています。ところでその大姫ですが、義高の死を知って病に臥すも、ふくよかすぎてあまり病み衰えた雰囲気がないのがちょっと残念です。

それから頼朝が執務中に政子が来てあれこれ話すシーン、これはかつての大河では割と見られたのではないかと思いますが、意外なことに、女性の描写が多い最近の大河の方が少なくなっているようです。2010年代に入って、リアルタイムですべて観た男性主人公大河、すなわち『軍師官兵衛』、『真田丸』そして『西郷どん』では、あまりこのようなシーンはなかったと思います。実際に夫婦がプライベートな会話を交わすのは、寝所であったのではないでしょうか。

また政子が冒頭の方で着ていた赤の衣装、『武田信玄』で南野陽子さんが演じていたおここ(湖衣姫ではありません)の衣装と何となく似ているのですが、こちらの気のせいかもしれません。あと頼朝の住まいが流人としては立派な感じもしますが、これも恐らく『平清盛』のイメージが強いせいもあるのでしょう。あの頼朝の家というより「小屋」はかなりひどかったですね。監視役である北条時政が、時々野菜を持って来ていましたし。

しかしこの大河、伊東祐之がとにかく貧乏くじを引いています。政子が山木兼高と結婚させられそうになったため、彼女を愛するあまり頼朝の許へ逃がす役目を負うのですが、これは単なる「パシリ」役でしかありませんでした。その後も不利益を被り続けた挙句、彼は琵琶法師となって最終的に義時と対面します。これにより、苦難の中で受け続けた負の感情が昇華されたようにも取れますが、それについては総集編の最終話を観てからにしましょう。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2020/09/20 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-36

先日も投稿した、『草燃える』をはじめとする源平大河ですが、これも
壇ノ浦まで
奥州藤原氏滅亡まで
承久の乱まで
に分かれます。戦国大河になぞらえると
秀吉薨去まで
関ヶ原まで
大坂の陣まで
となるでしょうか。
今のところ承久の乱まで描かれているのは、『草燃える』のみです。過去の源平物に於いては、平清盛や源義経を主人公とした作品が複数作られており、なかなか鎌倉時代まで行かなかったせいもあるのでしょう。

ところで、1980年代半ばに近現代三部作が作られたのは、これまでも何度か書いています。実際その直前の大河である『徳川家康』では、これが最後の時代劇大河などと言われたそうですが、しかしどう考えても、近現代物は従来の時代劇大河に比べると、創作を入れ難いという制約があり、主人公になる人物もやはり限りがあります。この当時のNHKがどのように考えていたかは不明ですが、せめて近現代を何年かやり、また時代劇に戻すという方法がこの場合現実的でしょう。結局近現代物はうまく行かず、『独眼竜政宗』でまた時代劇が復活することになりました。またこの80年代の10年間は、近現代物が続いたという点を除いても、源平物がなく幕末物が少ない、その意味でかなり異色の10年間でした。

源平物に関して言えば、1979年の『草燃える』の後は、1993年の『炎立つ』までこの時代が舞台の作品はありません。また幕末物は、架空の人物を主人公にした『獅子の時代』のみで、その後の『翔ぶが如く』は1990年の大河でした。それ以外は戦国物5作品と、赤穂義士物1作品になっています。通常1990年代までであれば、戦国メインは変わりませんが、それに幕末(実在の人物が主人公)に赤穂義士物、源平物という構成になっていたはずです。2000年代に入ると、この間も書いたように赤穂義士物がなくなります。これを補填するために、近現代物を制作しようというふしがなきにしもあらずですが、どうも近現代物は大河の本来の姿とは違うと思うし、また新しいことをやるのはいいのですが、如何せんそれがあらぬ方向に向かっているように見えます。受信料でやる以上、何か新しいことを計画しているのであれば、視聴者にそれなりの説明をするべきでしょう。でないと、ただの自己満足です。

飲み物-レッドビール
[ 2020/09/09 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『草燃える』の義経と人物描写

以前、1979年の大河『草燃える』関連投稿で、源義経について触れたことがあります。その時、この大河の義経はどちらかと言えば短慮で、兄頼朝の命令に従わないと書いています。というわけで、その『草燃える』のDVDを観てみたところ、やはり少々軽くて、これでは朝廷の思うままにされそうではあります。ただ今回観たのが、壇ノ浦合戦後の義経が登場する第3編であるため、それ以前の義経に関しては、また改めてDVDを観たうえで書きたいと思います。

その義経ですが、京で英雄視され、兄の許可を得ず勝手に任官を受けてしまいます。そのことで兄と対立すると、御所に乗り込んで後白河法皇に院宣を迫ります。無論それ以外にも、頼朝の神経を逆なでするが如きことをしており、この辺りにこの人物の無謀さが出ています。結局頼朝は義経を討とうとするものの、先を読んでいた義経は一旦は勢力を取り戻します。しかしそれも束の間、今度は自分が追われる身となります。後は史実のように奥州に身を寄せるに至りますが、総集編ということもあり、そこまで詳しく描かれているわけではありません。他の源平物や『炎立つ』の各エピのDVDの方が、このいきさつについては詳しく描かれており、その意味でせっかくの鎌倉物でありながら、総集編しかないのはちょっと勿体ないなとも思います。

そして頼朝の奥州攻めですが、この時義経終焉の場に義経の銘の矢が落ちていたことで、頼朝は床にひざまずいて涙を流します。これで思い出すのが、原作で義経がこの頼朝に初めて会った際に、兄上は涙を浮かべた、優しい人だと全成に話す場面です。しかし全成は自分の時も涙を流したと言い、暗にその涙は本心ではないかもしれないと、この弟を牽制するのですが、義経は真に受けてしまいます。その義経が亡くなってから、恐らく本心からであろう涙を頼朝が流すのは、ちょっと皮肉な話です。ところでこのシーンもそうなのですが、この大河は、どちらかといえば情に訴えるような演出が散見されます。

静が舞を奉納する際の、頼朝にいわば当てつけるような態度もさることながら、頼朝の長女大姫が、妊娠している静に向かって、お腹の子が男だったら殺すだろうから、逃げるように言い聞かせるシーンもまた然りです。とりわけこの大河は、大姫の描写に尺を割いている感もあります。この大姫が成長し、入内のいわば下見のような形で上洛した際、京でかつての婚約者、義高が乗り移ったような人物と会ったり、異次元空間でかつての義高に出会ったりと、何やら奇怪な描写が登場します。この辺の展開は正直微妙です。その後彼女は発狂したようになり、自分で自分の髪を切り刻むという不可解な行動に出た挙句、二十歳でこの世を去ることになります。無論物語の進行上、こういうのは確かに必要ではあるのですが、比較的女性目線だなと思われるところがあります。

それから北条政子が、嫡男頼家と対立しますが、この時はまだ病気の頼家を看病したりと、母親らしいシーンも登場します。しかし、同じ岩下志麻さんが演じている『独眼竜政宗』のお東の方になると、息子の食膳に毒を盛ったりするなど、かなり歪な親子関係になります。無論これは、戦国時代という時代背景も大きく関係してはいるでしょう。

あとやはり思うのが、この大河のセリフの多くが現代語であるため、その点で大河らしからぬ印象を与えてしまっています。女性同士の会話、特に大姫が「私、…なのよ」などと言うのは、現代ドラマというか朝ドラ的です。『真田丸』でも、きりが現代語を使っていましたが、この場合は彼女のみがそうであったこと、狂言回し的な役割であったことから納得はできました。ただし、きりの場合は朝ドラというより月9のイメージでした。

それと『国盗り物語』でもそうでしたが、この当時の映像だと、カツラやヒゲの継ぎ目などが、どうしても目立ってしまいます。致し方ないことではありますが。

またこの時代、当然ながら鎌倉という武家政権の中心地が独特のオーラを放っています。しかし何週間か前の『太平記』のアンコール放送で、「鎌倉炎上」を放送していたことを思うと、何やら無常さを感じずにはいられません。

飲み物-アイスココア
[ 2020/09/08 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『草燃える』の時代背景と人物設定 続き

先日源平物について書いていますが、実は大事な作品を一つ書き落としていました。それは昭和41(1966)年に放送された『源義経』です。主演は七代目尾上菊五郎さん、静御前が藤純子さんで、このお2人はこれが縁で後に結婚しています-と言うか、寺島しのぶさんと五代目尾上菊之助さんのご両親ですね。そして弁慶を演じたのが、その前年の『太閤記』で主役を務めた緒形拳さんでした。実はこの作品の一部のエピを収録したDVDがあるらしいのですが、未だに観ておりません。無論主人公であるため、義経はある程度好人物として、従来の判官贔屓的な視点で描かれているのだろうと思います。

実は『草燃える』では、義経はそこまでいい人物ではないと言うか、どちらかと言えば短慮で兄頼朝の命令に従わない人物として描かれていると言うべきでしょう。元々この人物は戦はうまく、八艘飛びなどというスタンドプレイもやってのけていますが、政治的な思慮に欠けるところがあり、それが自ら墓穴を掘る結果になったともいえます。要は平家を追討した彼を、今度は後白河法皇が取り込んで官位を与え、鎌倉と対立させるように仕向けたわけです。頼朝の家臣である梶原景時がこれを懸念し、頼朝も捕虜だけ受け取って義経一行は鎌倉に入れなかったことから、義経が謀反の意はないとして頼朝に送ったのが腰越状です。

そもそもの平家追討が、東国武家政権の樹立に関係していることを思えば、もう少し朝廷との間に距離を置くべきだったし、また兄の家臣である梶原景時を無下にするべきでもなかったのですが、それをやらなかったことが、兄弟の間に亀裂が入った一因となっています。『草燃える』では実兄(常盤御前の子)の阿野全成、子供の頃今若と呼ばれていた人物ですが、この人物が思慮深いのに比べると、如何にも単純で多少粗野な人物として描かれてもいます。結構この平家追討から鎌倉幕府樹立に至るまでは、様々な人物の思惑が絡んでいて、描きようによっては非常に面白いので、この部分をどのように描くかで、大河の面白さが決まるともいえますし、『草燃える』は義経を単にいい人物に描かなかったという点では、それまでの源平物とは趣を異にしたかも知れません。

先日は原作の一つ『北条政子』の、人物の描かれ方についても書いています。主人公の政子が一本気で激しく情にもろい性格であり、人質に来ていた義仲の子義高が窮地に陥った時、女装させて逃がすのですが、結局は捉えられて殺されてしまいます。無論政子はそういうキャラ設定なわけですが、やはりこの時代、人質を逃がせば危険人物とみなされて討たれても仕方ないわけです。また身籠っていた静の子が男児であった時も、後に禍根を残さぬようにと始末されてしまいます。こちらは、婚約者でもあった義高を殺された頼朝の長女、大姫がひどく嘆きかつ怒るわけで、こういう部分がそれぞれの気持ちはわかるものの、今一つ共感できないと言えばできない一因でもありました。

前出判官贔屓に関しても、個人的に義経にも落ち度があると思っていたせいか、そこまでこの人物に肩入れすることは未だかつてありませんでした。あくまでも兄頼朝の指揮下にある以上、命令に従わないのであれば成敗されるのは事実であり、その辺りを読み間違えていたといえます。かつて世話になった奥州藤原氏の懐に飛び込んでも、結局ああなってしまったわけですし、無論この時、頼朝と藤原氏の間にも確執が存在したのは確かです。この辺りを三谷さんは『鎌倉殿の13人』でどのように描くのでしょうか。

尚源平大河の場合、平安時代→鎌倉時代と移行しますが、細分化すると
平家全盛
頼朝挙兵、平家追討
壇ノ浦合戦
頼朝と義経の確執、奥州合戦
鎌倉幕府と源氏将軍
北条氏の執権と旧勢力粛清、承久の乱
となるかと思います。戦国時代から江戸時代において、織豊政権と江戸幕府が別であるように、源氏の将軍と北条氏の執権もまた違う時代と考えるべきかも知れません。北条氏が政権を握るようになってからも、承久の乱の前に御家人粛清がいくつかあり、大河化するに当たっては、こういうのも無論避けては通れないでしょう。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2020/08/12 00:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『青天を衝け』の感想も書いています。またBSで再放送中の『黄金の日日』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2021年には北半球最強であるブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの試合も組まれています。このチームにいい試合をし、今後さらに上を目指してほしいものです。国内のラグビーも、2022年からはいよいよ新リーグがスタートです。

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