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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第46回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。また文春関連情報だのミソジニーだの、正直言って大河そのものと直接関係なさそうな記述もあるのでかなり端折ります。


NHKの情報流出事件と、アンチフェミニズムやミソジニーを結び付ける、如何にも武者さん好みの話題から大河周辺へと持って行きたいようです。ご本人は大河周辺にミソジニーが漂うと書いていますが、とどのつまり、自分の好きな女性主人公大河や女性キャラを叩くなというものです。

私は、かなり前から大河周辺に漂うミソジニーが気になっていました。
女性主人公。女性脚本家。こうした要素が揃う大河ドラマのアンチ活動は、熾烈さを増します。
確かに『江』や『花燃ゆ』は駄作であり、作品自体を擁護しようがないのは仕方ないと思います。
ただ、男性主人公あるいは男性脚本家でもここまで叩かれただろうか?という疑念もあります。

とまずあり、

『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシングは過剰にも思えました。
『麒麟がくる』の駒叩きも、典型的なミソジニーだと思えました。
ちゃん付けで呼んだり、彼女の医学知識を無視したり、はたまた将軍義昭の愛人だと誤認した上で広めたり。
現実世界で女性政治家や研究者が浴びせられるものに近い悪口がSNSで撒き散らされ、ネットニュースにまで発展する様は危惧を覚えるものでした。

となっています。
要は女性主人公や女性脚本家は叩かれる、自分が嫌いな作品は駄作だから仕方ない、でも自分の嫌いな作品を叩くのは許せないといういつもの論調ですね。別にこれ、女性脚本家とは関係ないかと思います。
まずどんな作品にも賛否両論はあります。好きな作品を叩くのはけしからん、嫌いな作品は駄作だからという線引きをする前に、もう少し本質的な部分からの見方をしてはどうでしょうか。

たとえば『花燃ゆ』の場合は、これは女性というより複数の脚本家体制、そして主人公の生き方の変化に伴って脚本家を変えたことなどが、ドラマとしての一貫性を欠いた印象があると思います。当初の主人公の設定は、後の方では大分変わっていました。
そして
『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシング
については、具体的にどう叩かれたのかが書かれていないため、何とも言いようがありません。
さらに女性主人公、女性脚本家では『功名が辻』や『篤姫』もあるのですが、これらの作品については何も触れられていません。

あと武者さんが特にこだわる『麒麟がくる』の駒の描写。私は以前書いたことがありますが、将軍家にも様々な女性がいるし、彼女たちとの確執があってあの地位を築いたのであれば、それはそれで納得できます。実際将軍義昭には側室もいたでしょうから。しかしどうもそのようには見えないのです。

まして医学知識云々とあります。将軍義昭の侍医であると、以前武者さんは書いたこともあります。しかしやはり将軍家の侍医ともなれば法印などの称号を持つ人物であり、こう言っては何ですが、東庵の弟子であったとはいえ、彼女がそういう人物と互角に振舞うのはかなり難しかったと思われます。要は武者さんは駒を、フェミニズムの象徴的存在として理想化したいのでしょう。

しかし大河の視聴者の見方は様々であり、彼女の描かれ方に疑問を持つ人もいるわけで、そういう見方を自分の見方だけで断罪してしまえるものでしょうか。

そしてまたファンダム関連。そんなにファンダムの一部意見が嫌なら、ミュートするなり何なりして見なければいいだけの話です。

そして大河ドラマファンダムに充溢しているミソジニーは危ういと思ったものです。
華流ドラマはじめ海外ドラマ界隈は、そういう傾向はここまで極端ではありません。
アンチフェミニズム関連の炎上事件は多く、いつか大河も大々的に巻き込まれるのではないか?と懸念しています。
そんな懸念は当たってもらわなくて結構。来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが……。

「来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが」
もっと言えば、来年とか再来年は褒めると決めたら、今年は叩いたようなことでもスルーする、あるいは許容するのではないかと思われます。実際その可能性は高いのではないでしょうか。今までそういう例をいくつか見て来たので、悪いけどそう疑わざるを得ません。

そして
「大河ドラマのネットリテラシーは大丈夫なのでしょうか?
『青天を衝け』の公式SNSもなんだか危なっかしい投稿ぶりだと思っておりました」
結局「危なっかしい」と思うのは嫌いな大河限定なのですね。

SNSを活用しなければ理解できないというドラマ作りは、本来は禁じ手でしょう。

今は公式のみならず、出演者もSNSを利用しており、それから生まれる情報もあります。今回囲碁指導の田尻悠人氏も自身の投稿で、ドラマの中の囲碁シーンを解説していますので投稿をお借りしています。こういうのはSNSあってこそのものであり、視聴者の理解が深まるという意味ではプラス要因でしょう。

https://twitter.com/tajiriyuto/status/1731833381975982539

どうする家康囲碁シーン

そしてネットリテラシーがどうこうとありますが、武者さんの場合、要はファンダムが嫌いだというのが主な理由のようですから、先日も書きましたが、それは自分自身で身を処するべきです。自分はネット上の意見が嫌いだから、NHKはどうにかしろと言うように取れますが、それはちょっと乱暴ではないでしょうか。

そして

裏話が暴露されるような投稿が放置されれば、情報漏洩につながりかねません。
作り手が無知でインプット不足なのに、新説をつまみ食いして「最新研究を取り入れました」とマウントをとる。そして批判する連中をコケにする。

まず裏話云々、あくまでも推測ですが、小手伸也さんのアドリブ関連投稿を指しているように取れます。脚本がダメだからアドリブが入るのだと武者さんは思っていたのでしょうが、小手さん自身の説明により、それが否定されました。
そして2番目、平山優氏の「森乱」説に関してですね。実際一次史料では森乱とか乱法師などとしかないらしいのですが、武者さんが森蘭丸だと主張して論破された件です。それがよほど気に入らないのでしょう。
だからと言って、ここで不満をぶつけるのはお門違いではないかと思います。

そろそろ『どうする家康』の総括に取り掛かる時期かもしれません。

大坂の陣がまだ終わっていません。
そして総括すると言っても、武者さんがこの大河をきちんと観たようには、残念ながらとても思えないのです。ひたすらネガティブに突っ込んで、好きな作品を叩き棒にするのみならず、登場人物の所作を自己流解釈しておかしいと言い、所作指導がなっていないと叩いた、そういうイメージしかないのです、実際のところ。
たとえばこういうのも、よく観ていればブレていないのはわかるのですけどね。

「慈愛の国」だの「王道」だのなんだの言っていたと思ったら、「地獄を背負う」だのなんだの極端にブレる。

まず慈愛の国と言うより戦無き世でしょう。それと王道の政とを実現するためには地獄を背負わなければならない、世を平らかにするためには、平らかにするための戦をしなければならないということなのですが。
まあ叩くためには手段を選ばずが今年の武者さんの流儀なのでしょう。

来年こそは大河ドラマを楽しみたい、真っ当な歴史作品を見たい――本記事をここまでお読みいただけた方は、そんな悲痛な思いでいるかもしれません。

お言葉ですが、今年のを楽しんでいますので、悲痛な思いにはなっていません。来年に関しては何とも言えませんが、面白く観られたらいいなとは思っています。

ただし、いくらドラマが楽しくても、SNSなどに目を向ければ、ご自身と対立する意見もありましょう。そこでどうすべきか?
無理に理解しようとしない。
妥協しない。
差別はゆるさない。
相手のペースや屁理屈に乗らない。
数に頼りすぎない。
反論するなら、データ理詰めで。
要するに、相手が喧嘩をふっかけてきたときのみ策なり兵法なりは用いられるべきであり、そうでないなら避けるに越したことはありません。

武者さんこう書いていますが、今まで武者さん自身はどうだったのでしょうか。
「差別はゆるさない」などとありますが、武者さんは今年の大河で、一部の登場人物に対して、散々外見で判断するようなことを書いています。それから「データ理詰めで」も、このコラムを見る限り、およそデータや史料を基にするというより、自己判断のみですべてを見ているかのような記述が見られるのですが。
あと杜甫の「前出塞九首其六」が引用されていますが、ここでは省きます。

来年の大河ドラマで、ハッシュタグ荒らしなどが起きなければよいですが、結局は個々人で上手に楽しむしかないということですね。

何度も言いますが、ファンダムからもう身を引く方がいいのではと思われます。ファンダムが必ずしも武者さんの思い通りになるわけではありません。ただ、好きな大河なら黙認するのではないかと思いますが。

さすがに今年のような状況はもう起きないのでは?とは思います……。

今年は、本当にひどいです…武者さんの大河叩きが。

そしてまたメールフォームのリンクが貼られています。今後このコラムが続くのなら、ずっとこの路線で行くのでしょうか。


飲み物-ボトルとコルクとワイン
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[ 2023/12/09 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第46回に関連する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


急に思い出したように「乱世を泳ぐは愉快なものよ!」と言葉にする真田信繁。
凄まじいまでの棒読みで、こちらも悲しくなるばかりです。
このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ。
妙手を繰り出す計略のうまみを理解していない。『パリピ孔明』はこの点、実にワクワクしたものです。

まず「言葉にする」ではなく「口にする」かと。
そして観ていたらわかりますが、あの時信繁はそう言ってはいません。口を動かしていませんし。父昌幸の言葉に呼応するかのように、彼の声で再生されていますが、本人が心の中であの言葉を反芻していると思われます。
そして「悲しくなるばかりです」頭痛だ脳が溶けるだもそうですが、如何にも自分は被害者です的な表現があまりにも多くて、こちらが気が滅入ります。

「このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ」
もっと言えば「兵が死ぬ」です。
戦とはそういうもの、空しいものというのがこの大河の特徴となっているのは、これは先日も書きました。

そして
「このドラマの連中」
「連中」呼ばわりはないでしょうね。嫌いな作品は侮蔑したがる武者さんらしいとは思いますが。

ピアノがうるさい!
今週も音楽が辛い。
自己主張たっぷりに、ニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、カフェ調のピアノを流して何がしたいのでしょう。

パラグラフの内容がたった3行。
音楽がどうのこうの言うのなら、他のパラグラフとまとめてください。でなければ、どのように改善すべきかをせめて7~8行程度で書くべきでしょう。
こんなちまちましたパラグラフ作って、一体何のつもりなのかと思ってしまいます。

そして「どうする火器考証」なる小見出しで

本作は火縄銃の連射あたりから火器の描写に何も期待できなくなっていました。
今回も当たった途端即死していますが、陣笠に当たったような状況で即死というのは理解できません。

もちろん火縄銃の連射など登場していません。
誰かが装填してそれを渡している、あるいは弾込めができた者から順番に撃っているかのどちらかです。
何を観ているのでしょうね。こういうのを見ると、実際にはないにもかかわらず「火縄銃の連射」を既成事実にしたくてたまらない、そういう心理が見えて来ます。

そして「当たった途端即死」かどうかはわかりません。
意識障害の可能性もあるかと思います。
この場合は銃弾が陣笠に当たっており、直接頭部に当たったというわけではありませんが、兜より防御性は低いかと思います。こういう研究報告がありますのでご参考までに。
(但し脳や血種の画像があるので閲覧の際はご注意ください)

シンポジウムⅢ:頭部外傷をめぐる最近の話題 頭部外傷の神経病理(2015年)

解剖学的に,頭蓋骨が損傷することで脳脊髄液が漏出する場合は穿通性,そうでない場合は非穿通性として分類されることが多い。穿通性の原因としては,銃弾などの何らかの物体によって,直接頭蓋が損傷をうける場合であるが,非穿通性では,頭部に対する急な加速,減速,あるいは回転によって頭蓋骨内面と脳との接触などにより脳に損傷をきたすもので,一部のスポーツとの関連も着目されている。損傷部位から分類する場合は,限局性と広汎性とに大きく分けることもできる。前者は,その損傷部位に対応した高次脳機能障害やけいれんを生じる。後者は,軽度の脳震盪,古典的脳震盪,びまん性脳損傷,びまん性軸索障害などを含む。

そう言えば武者さん前にも、倒れているだけなのに死体呼ばわりしていたことがありました。

ちなみにラグビーも脳震盪が多いです。脳震盪チェックによる一時退場がありますからね。

大筒の重量感がまるで出ていない。
大筒の反動は相当で、扱いを間違えたら重傷を負いかねない。そういう感覚がありません。
射程距離も異常に見える。砲弾が炸裂しているのもおかしい。装填も異常な速度だ。

何か新しいのが出て来ると、ひとつひとつ文句をつけているように見えますが…(苦笑)。
それはさておき、大筒の反動ですが、この場合砲撃するたびに後退している様子が窺えます。そして射程距離(射程だけでもいいかとは思いますが)がなぜ「異常」なのでしょうか。カルバリン砲の射程は、14キロの砲弾を6.3キロ飛ばすことができたというのが通説になっています。

それとドラマの中では「炸裂」はしていません。城の一部が飛ばされたりしているのがそう見えたのでしょうか。そして装填の速度が「異常」なのは何を根拠にしているのでしょうか?

大坂の陣。大筒使用に込められた家康の深謀遠慮に思いを馳せる。そして密かに言及された五徳の消息が胸に迫ってくる【どうする家康 満喫リポート】46
(serai.jp)

劇中の描写でも明らかなように、当時の砲弾は、着弾した際に炸裂するわけではないのですが、心理的な効果は抜群だったのではないでしょうか。

2013年『八重の桜』は火器考証が抜群によいものでした。
フィクションゆえの誇張があるとはいえ、幕末銃器は実に見応えがあり、鶴ヶ城砲撃の場面はNHKの他の歴史番組でもよく使い回されていました。
しかし、『花燃ゆ』『西郷どん』『青天を衝け』などのお粗末戦闘シーンはそうはなりません。その場しのぎで適当な仕事をすると、何も残せないのです。

では『八重の桜』の火器に関するシーンと、『花燃ゆ』以下3作の火器関連シーンとを見比べられるように、画像を貼っていただけないでしょうか。本当に「その場しのぎ」なのかどうか、読む側にわからせるにはそれが一番であるかと思います。武者さんこれも前からそうですが、大河の特定シーンを比較したがる割には、画像添付などをやらないのですね。

そしてこちらも「どうした茶々の現状認識」なる小見出しで

天守閣を大筒で砲撃されているのに、「まやかし」だのなんだのいう茶々は、現実すら認識できていないのでしょうか。

貴方またこれだけで1パラグラフですね。
1つ前のパラグラフに入れられませんか?こういうのを黙認する『武将ジャパン』の姿勢もどうかとは思いますが。

そして「まやかし」というのは千姫や侍女たち、ひいては自分を落ち着かせるための言葉でしょう。無論実際はまやかしでもこけおどしでもないのはわかっているわけで、それでもこういう言葉を口にせざるを得ない、せっぱつまった状況であるわけですね。

家康が戦は酷いだのなんだのいい、秀忠が止めようとします。
いやいや、逆では?
秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした。
孫娘の悲運が申し訳ない家康が、そんな我が子を抑えながら、千姫救出の手立てを考えています。
秀忠をこんな無能に描いておいて「最新の説も取り入れました」と言われてもサッパリ理解できません。

「秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした」
この第46回にそんなシーンありましたか?

兵力の差は歴然と言う秀忠に、お江が殿が総大将となってはと言い、お千のことが気になるのかと訊かれてお江はこう答えます。
「見捨てる覚悟はしております。しておりますが…」
そんなお江に秀忠はこう言っているのですが。
「父上は孫を殊の外可愛がってくださる。ひどい仕打ちはせんさ」
そしてこの後、お江は「戦となれば、鬼となるお方では」と言っているわけですね。
で家康は、戦というのはこの世で最も愚かで醜い人の所業である、自分の代で終わりにしたい、自分が汚名を着て地獄を背負うとなるわけです。

さらにこの後、また『パリピ孔明』と『首』の礼賛記事(と言うべきでしょうか)が続きます。このコラム、どう考えても半分ほどは他作品のPRまたは広告のためにあるようなものでしょう。関係ないので大部分は省きますが、ここで武者さんが好きな世帯視聴率を出しておきます。

この『パリピ孔明』という番組が、視聴率で苦戦しているのは前にもお伝えしました。

秋ドラマ・視聴率ワースト5 篠原涼子「ハイエナ」はなぜ大苦戦しているのか

実際初回こそ6.1パーセントでしたが、その後5パーセント台、そして4パーセント台から3パーセント台となり、最終回は4.4パーセントでした。日テレ系の裏番組『コタツがない家』は6パーセント台で、総合視聴率もそこそこあります。記事にあるように、数字を持って行かれたように見えます。

無論世帯視聴率がすべてではないし、もちろんこの番組が好きで観ていた人もいるでしょう。ただ、嫌いな大河の場合、NHKプラスの再生回数なども無視で、世帯視聴率のみで叩く武者さんは、これをどうとらえているのかと思います。そんなの関係ないと思うのであれば、好きであろうが嫌いであろうが、見逃し配信のある番組を世帯視聴率で叩くのは的外れではないでしょうか。

あと2~3週間もすれば、私の脳内歴史人物リストから『どうする家康』は焼き消されます。
例えば明智光秀リストは、長谷川博己さんの次は西島秀俊さんで埋まります。今年の大河は、とてもじゃないけど数に入れられない。

「焼き消されます」などと言わずに、消え去りますくらいでいいと思うのですけどね。
まあ『どうする家康』も武者さんの記憶には残らない方がいいでしょう。と言いつつ来年以降「『どうする家康』はひどかった」的な表現が出て来るような気がはしますが。

それと武者さんの言う「明智光秀リスト」なるもの。
『レジェンド&バタフライ』の光秀さんをお忘れですよと言いたいのですが、あれもお嫌いでしたね。この光秀の中の人は、『ちむどんどん』の和彦君の中の人なのですけどね。

西島さんといえば、私に取っては『きのう何食べた?』のシロさんです。

そして、なぜ『パリピ孔明』が成功したのか? この記事を読むと腑に落ちます。
◆【実写化成功のカギ】『パリピ孔明』演出が明かす、主演・向井理との意見の一致「ギャグはやらない」(→link)
向井さんは真面目です。昔の中国らしい礼法を守り、綺麗な所作を見せます。
それが『どうする家康』はどうか?
◆NHK「どうする家康」徳川家臣団の「おいリレー」はアドリブだった!視聴者驚愕「まさか」「今日のハイライト」「恐るべし!」(→link)
痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ。
そんな低い志のまま、その場のノリで回すだけから、時代劇として作品が面白くなるわけがありません。

「向井さんは真面目です、『どうする家康』のおいリレーは不真面目です」
こんな書き方が、双方に失礼になっているのなど気がついてもいないようです。で、
「痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
どこが痛々しくて、所作と何の関係があるのか。全く腑に落ちません。自分が嫌いな番組の、こういう部分が話題になることが、恐らくは、嫌で嫌でたまらないのでしょう。自分勝手だなと思いますが。
向井さんも、こんな形で叩き棒にされるの嫌でしょうね。

そして
「自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
このコラムにも、そう思われる箇所が散見されるのですが。

『パリピ孔明』では祈祷の場面で、きちんと東洋の占星術である星宿を唱えていました。
「西洋には星座ってあるんだって!」
家康と三成がそう語っていた大河ドラマを比較すると、その落差に気が遠くなるばかり。
友達同士がわちゃわちゃしていればいいというわけではありません。
◆松本潤、『どうする家康』で実現した中村七之助との初共演に喜び「かけがえのない友達と…」(→link)

武者さん、第35回は一体何を見ていたのでしょうね。
家康「厠が兎?」
三成「はい。私もわかりませぬが」
これ二十八宿の参宿のことだと、前にも2回ほど書いた覚えがあります。
これが全然わからなかったのか、あるいは嫌いな大河で使われるのが恐らく死ぬほど嫌で、意地でもこれに言及したくなかったかのどちらかでしょう。しかしドラマに登場したことは登場したこととして紹介するべきですね。このコラムは、武者さんの遊び場ではありません。

参宿(Wikipedia)
天区内の星官の節を御覧ください。

あと気が遠くなるのなら、そのまま遠くなっていてくださいと言いたくもなります。

飲み物-注がれるワイン
[ 2023/12/07 20:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


毛利家のご子孫が激怒?
茶々のように、間違った強い女路線は、女性を小馬鹿にするだけでなく、別の激しい怒りも呼び覚まします。
大坂城で平手打ちを喰らった毛利輝元。
その子孫の方が激怒して以下の動画をあげられました。
(中略)
じゃっどん、島津も酷い扱いをされとりもす。『西郷どん』も島津家当主が苦言を呈していました。

まずこの動画、私も見ました。すべて賛同とは行きませんが、ご子孫の方であれば、こう言われることもあるだろうとは思いました。
ただこのドラマでは、このような描き方になってはいます。
ですから武者さんがこのコラムのライターであれば、このご子孫の方の意見を汲みつつ、ドラマとしてはどのように描かれているか、その両方をすり合わせるべきでした。しかしこの場合、だからこの大河はダメなのだという叩き棒にしかなっておらず、その点でまたかと思わざるを得ません。

そして『西郷どん』、こういう子孫の方の苦情を持ち出すのは、嫌いな作品のみのようで、だからこそ叩き棒に持ってこいなのでしょうか、そういう利用の仕方もどうかと思います。
あと「酷い」ではなく「酷か」の方がよくないでしょうか。

それとちょっと前後する形になりますが、

ここのところNHKは長州に冷たいのではないか?
長州メインの大河ドラマ『花燃ゆ』という時点で何もかもが終わっていた――それから10年も経たないうちに、この仕打ちではさすがに怒りたくもなる。

『花燃ゆ』をあれだけディスっていた武者さんにこんなこと言われたくありません。
あの大河、主人公サイドは馴染めないものもありました。ただ吉田松陰が松下村塾生に狂えと言い、急進的な姿勢を取ろうとした時、兄民治がそれを諭すシーンなどはよかったし、長州藩士の描写などでは、功山寺決起などは見るべき部分もあったかと思います。

そして武者さん自身も『花燃ゆ』を丁寧に分析したとは思えず。ただ長州というだけでネガティブ路線に持って行ったふしがあります、そして今年は長州大河ではないし、ただ輝元の描写について色々言われているだけであり、それとこれは切り離して考えうべきでしょう。
たとえば過去の戦国大河の輝元を比較するというのであれば、まだわかりますが。

何よりも『花神』をまず観てほしいのですけどね。

まぁ『花燃ゆ』は、長州をよく描こうと思って失敗しただけの話でしょうけど、今回の毛利輝元はあまりに侮辱的ですよね。

それよりも吉田松陰の妹をヒロインにしてアピールしようとしたものの、創作をかなり入れなければならず、それでちょっと滑ったかと思いますが。そしてこの文(美和)的キャラ、長州でなければ寧ろ武者さんは好きな方ではないのでしょうか。

ただし『らんまん』や『大奥』では、良い薩摩隼人が登場しているのでまだ救いはある。
『大奥』の島津胤篤は素晴らしい。美形だけが魅力ではなく、郷中教育が育んだ柔軟性と聡明さが表現され『薩摩はやはりよいな』と感じたものです。
土佐についても『らんまん』でその魅力が描かれていました。

朝ドラ、そして10時のドラマと大河ではやはり違いますからね。
そもそも「良い薩摩隼人」と「悪い薩摩隼人」の違いは何であるかと思われますし、「郷中教育がはぐくんだ柔軟性と聡明さ」も具体的にどういうものなのか、説明して貰えないでしょうか。
そしてこれらは、あくまでも武者さんが好きな番組での描写であり、恐らくこれが彼らを主人公にした大河であれば、容赦なく叩くのではないかと思われます。

◆「印象に残っている大河の主演」ランキング!5位「岡田准一」「福山雅治」、3位「堺雅人」、2位「綾瀬はるか」を抑えた「意外な1位」の名前(→link)
このドラマの往生際の悪さは、事ここに至ってまで『チコちゃんに叱られる』とコラボをするあたりでしょう。
なりふり構わぬ番宣にはうんざり。
トークショーまで開催されるようです。
◆松本潤さんが大河「家康」最終日に静岡市でトークショー&PV 12月17日開催の来場者募集(→link)
静岡市の市民文化会館に松本潤さんを呼び、最終回のPV(パブリック・ビューイング)が実施され、1,800人の観客が無料で招待されるようです。

「往生際の悪さ」余計なお世話です。
もう『どうする家康』に関心がないのなら、トークショー云々黙っていて貰えないでしょうか。本当はこのコラムを書くのをやめてほしいと思ってはいますが。
こういうイベントは、この大河を好きな人、出演者を応援している人が行くものであり、武者さんのようにネガティブな突っ込みを入れる人が行くものでもありません。言っては何ですが、もう少しものがわかるライターであれば、ただ紹介だけで済ませておくでしょうね。

そして

そう考えると、一体どうしたことよ……とは思ってしまいますが、結局、袁術は玉璽を手にしても袁術なのですよ。って、『パリピ孔明』じみた話をして申し訳ありません。
袁術という名門出であることを鼻にかけたしょうもない男がいて、たまたま皇帝の証となる玉璽を手にしました。
そして皇帝を僭称してウダウダするものの、最後は滅亡するという話です。

ここでまた『パリピ孔明』、この番組も何かPRしなければならない理由があるのでしょうか。

大河主演という玉璽も、場合によっては重石になる。井上真央さんはもう克服しましたが、果たして今回はどうなるのか。

今回も同じような形で責めを負わせたいのですか。井上さんに対しても失礼だと思いますね。

でこの後
「何度も申していますが、このドラマは何かとおかしい要素に溢れている。
出演者同士の友情協調や、主演を褒める言葉がスピリチュアルなんです」
武者さんがそのように決めつけている、あるいはそのように見られてほしいと思っているようにしか見えませんのでここでは省きます。

あと

子、怪力乱神を語らず。『論語』「述而」
オカルトトークをすると、信頼性が落ちるぞ。まっとうな大人ならやめようか。

なととありますが、
「君子は、人智で計り知れないようなミステリアスなこと、説明がつかないようなことについては語らない」
という意味です。基本的に論理的でないものについては、みだりに口にしないとも取れます。憶測でものを言うのもこれに含まれるでしょうか。

そして

文春砲で「暴君」であると指摘された主演に忖度してのことなのか。
だとしても言葉選びが過剰で、不気味にすら思えてきます。まるでドラマの舞台から降りても、マザーセナ信徒になってしまったかのようだ。
いくらキラキラワードで飾ったところで、文春砲が出れば、夢は醒めます。

また文春砲ですか。マザーセナがどうこうより、武者さん自身が文春信徒であるように見えます。そしてまた松本さん関連のことであれこれ。

私は今年の大河を面白いと思えないことが、幸いなだと感じています。
人気事務所の主演を絶賛すれば、全国に数多いるファンから果実が得られるかもしれません。
しかし、渇すれども盗泉の水を飲まず――今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁。

面白いと思えないことは幸い=だからどんなことでも書いていいし、どんな形で叩いてもいいと言う論理すり替えのようにも見えてしまうのですが。
そして「盗泉」呼ばわりするその根拠は何ですか。今更ですが、非常に失礼な物言いですね。

「今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁」
文春砲も誰かを傷つけているかもしれないというのは、前にも書きました。その辺りの配慮は全くなしというか、特定の存在を信じ切ってしまえば、他に目が行かなくなってしまうのでしょうか。

遠慮無ければ近憂あり。『論語』「衛霊公」
遠い未来まで見通せず、「ネット大受けw」みたいなことばかり気にしているととんでもないことになるぞ。
まさにこの言葉通りの事態になった。
それが干し柿カットです。
端的に説明しますと、石田三成の見せ所となる「干し柿のシーン」が松本潤さんの意向で取り止めになったというもので、文春砲で指摘されていました。

これ前も書いていましたね、しつこいんですけど。
あと遠慮なければの意味ですが、遠い将来のことを考えることなく、目先のことばかりに囚われていると、問題や心配事が起こるという意味ですが、それとネット大うけとどう関係があるのでしょうか。

そして干し柿の問題、ドラマの中では伏線まであってそれが放送されないのはおかしいとか、『真田丸』の干し柿はこうだった、『麒麟がくる』はこうだっただのなんだの。それぞれの作品の描き方があるのは構いませんが、それを『どうする家康』でも繰り返す必要は全くないと思いますね。
しかもその『麒麟がくる』での風間俊介さんの家康について、

その後、金ケ崎での引き戦の最中で、「戦のない世を作るために、いまは戦をせねばならぬ時。いまは戦を重ねるしかない」と悟るシーンへとつながっていった。
上記のインタビューで風間俊介さんが「戦のない国にしたい家康」について語っています。そのテーマは『麒麟がくる』で既に描かれていた。

1983年の『徳川家康』でも似たような感じではなかったでしょうか。
さらに

それが『どうする家康』では、あまりに現実味のない、妄想のようなマザーセナの慈愛の国構想で強引に展開。描き方が雑すぎたから視聴者から疑念が噴出しました。
このドラマの家康像は何も新しくない。要はお粗末なだけだったのです。

また「マザーセナ」、そして
「視聴者から疑念」
では、具体的にどのようなものか書いてください。

「このドラマの家康像は新しくもない」
前にも書いていますが、戦国時代の東海地方を舞台にした作品は多く、脚本のもととなる史料などもいくらか似て来ます。
そして1つ前に書いているように、作品によって描き方は異なります。『どうする家康』が『麒麟がくる』を逐一踏まえなければならない理由はありません。

小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺れる。『礼記』
凡人は水に溺れる。ドラマ通はSNSやプロパガンダに溺れる。インフルエンサーは支持者に溺れる。

これなのですが、その最後に
「皆その褻なるる所ところに在あり」
と続きます。つまり人は失敗する理由がそのレベルによって違うが、その失敗はいずれも慣れから来る油断であるということです。

そしてその後『大奥』は素晴らしいが、井伊直弼を表す「チャカポン」に、『青天を衝け』の残した負の遺産を感じるなどとあります。そのうえで、一橋慶喜の渾名は言わないとか何とか。
このチャカポン、「茶歌ぽん」のことで、茶道、歌道、そして謡曲(『ぽん』は鼓の音から)と言われています。これはいずれも、埋木舎時代の渾名で、直弼の風流を愛する様を表したものでもあるのですが。

ある先生が著書で「幕末大河を信じて語られても困る」と毒を吐いていましたが、確かにその通りではないでしょうか。

幕末のみならず、大河はすべて創作が入っています。だから当然それを事実とすることはできません。
古沢氏も歴史は勝者の記録であり、いくらでも解釈できると話していましたね。

大河そのものだけでなく、昨今はファンダムもおかしい。推しをいかに激しくプッシュできるか。それを仲間同士で語り合うことが重要であり、どんなにバグだらけのシステムだろうが、萌えキャラがいればいい。そういう一点突破になっている。
作品として面白いか面白くないか? コンテンツ全体を見渡して評価することが邪道扱いされているようにすら感じます。

そしてまたファンダム叩きですが、ファン同士がやっている分には別に構いません。推しをプッシュしてもよし、作品として面白いか面白くないかは、ずばりその人次第だと思います。これは武者さんも、好きな作品ではやっていないでしょうか。
そして武者さんの言う「コンテンツ全体を見渡して評価する」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。ちょっと曖昧な表現に見えるのですが。

なぜ、こんなことを申し上げるか、というと次の記事が気になったからです。
◆《『どうする家康』も視聴率苦戦中》「つまらなかった大河ドラマ」ランキング…4位『平清盛』、3位『江』、2位『おんな城主 直虎』…納得の1位は?(→link)
2000年以降の大河ドラマで何がつまらなかったか?
視聴率ではなくアンケートで評価したもので、ランクインした作品のうち大河ファンに納得されるのは『江』と『武蔵』だけでは?とも感じます。
他の『青天を衝け』『平清盛』『おんな城主 直虎』『いだてん』は、むしろ高評価を掲げるファンも一定数いるはず。

『江』や『武蔵』を評価する人ももちろんいるかと思いますよ。人の好みは様々ですから。

またその中で、特に気になるのが1位の『いだてん』と5位の『青天を衝け』であり、東京五輪と新札の顔という、政治色のかなり強い要素があったとか、都合の良いところだけを見せて、ファンの気持ちを高ぶらせるのは、危険なことだと感じるなどと書かれています。
さらに「今までオリンピックに興味がなかったけど、このドラマのおかげで興味がでた!」というのは、かなり誘導されていませんかね?とか、主人公の、テロを是とする姿勢や愛人問題などはほぼ伏せられ、綺麗事ばかりが羅列されていたともあります。

別に『いだてん』でオリンピックに興味が持てたなら、それはそれでいいと思います。渋沢栄一しかりでしょう。それを楽しんでいる人に向かって、あれこれ言う必要はないと思います。ただ大河は、その主人公のすべてを描いているわけではないし、それが視聴者に共有されていれば、それはそれでいいのではないでしょうか。
そのうえ

今年の『どうする家康』は、旧ジャニーズが全面に押し出された結果、これまでの大河ファンが離れてしまったとも指摘されています。

逆に言えば、これまでの大河ファンが離れるような、それまでとは違った描き方を敢えてやっているとも言えるでしょう。これは先日分ご紹介した、日刊ゲンダイの記事にもあります。武者さんはお気に召さなかったようですが。
そして全面(前面でしょうか)に押し出すとあっても、放送開始時は松本さんと岡田さんのみで、その後旧ジャニーズから2人キャスティングされています。確かに松本さんは主役、岡田さんは信長役で、目立つポジションではありますが、そう多くの人が出ているわけではありません。

実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう。
大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか。
2024年『光る君へ』や2025年『べらぼう』については、今のところ懸念要素は見られませんが、以降の作品で、いつどこで偏向した姿勢が出てこないか?という心配は尽きない。

「実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう」

その根拠は何でしょうか。

そして「大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか」
などとありますが、武者さんて「本当に」大河枠の作品に興味があるのですか?
好きであろうが嫌いであろうが、ドラマをちゃんと観ているようには見えない、実際にはなかったシーンやセリフが出て来る、漢籍を持ち出したがる割に日本史の史料を持ち出そうとしない、海外ドラマや他の作品のPRばかりする(こちらが本業?)、考証担当の意見は否定する。
こういう点を考えると、どうも疑わしく感じられます。それと昨年の大河のコラムでも「脳みそが溶ける」といった表現がありましたが、こういう表現が好きですね。

あとまたメールフォームがあります、大坂の陣が楽しみですとでも送っておきますか。

そして最後になりましたが、三谷さん関係で『真田丸』、『鎌倉殿の13人』で共演した山本耕史さんと矢柴俊博さんに関する記事(2021年の記事です)がありました。私はこのお2人、同時に『きのう何食べた?』の小日向さんと富永さんを思い出すと書いておきます。

キャスト【ドラマ24】きのう何食べた?season2
(テレビ東京・BSテレ東公式サイト)


飲み物-ウイスキーロック
[ 2023/11/25 21:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。尚taketak39460607さんのnote関連は、次の次になることをお断りしておきます。


義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。
作り手があの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりません。

「歴史修正が行われました」
歴史修正でも何でもなく、最初から観ていたらわかることです。

家康は王道を今川義元から学び、非情さを織田信長から学び、
「戦は勝ってから始めるもの」
を、武田信玄から学んでいます。
それを見逃しているのでしょうか。いやそもそもきちんと観ていないのでしょうか。
そして「戦は勝ってから」云々、『孫子』由来のはずですが、武者さんがそれに何も触れようとしないのはなぜなのか、知りたいところです。

しかし
「側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか」
今更ですが、すごい表現ですね。好きな大河では絶対に出て来ないでしょうね。

例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。

まず「主演の方」、松本潤さんとちゃんと書きましょう。
で松本さんが
「不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ」
なのだそうですが、この手の演技ができないと決めつけているのもどうかと思います。
そしてまた例によって、好きな大河の主役なら
「そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります」
なのだそうです。別に武者さんが好きな大河のみに限った話ではなく、座長として1年間大河の主役を任されたら、どんな俳優さんでも一応は成長するものだと思いますが。

真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)

で、1981年に佐藤さんの父三國連太郎さんが、大型時代劇『関ケ原』で扮した本多正信にそっくりとあるのですが、

いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?

実際より老けさせているのは、『真田丸』の昌幸でも同じでしょう。
また真田昌幸ではありませんが、『龍馬伝』の山内容堂公、近藤正臣さんが演じた白髪の殿様は、実際はあの時30代です。

そしてこの出典元のサライ、私も過去に引用したことがありますが、主に年配の人が対象なので、このような書き方にもなるでしょう。

毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。

前にも書いていますが、秀吉の陣羽織は絨毯がもとになっています。
『花燃ゆ』の美和のドレスは確かにカーテン、私には緞帳のように見えましたが、私が気になったのはその点ではありません。
武者さんは「ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレス」と書いています。
しかしあれは美和が仕えていた銀姫のおさがりであり、美和自身がオーダーしたわけではありません。そしてあの手のドレスは、その人の体型に合わせて仕立てないと、なかなかフィットしないと思われますが、美和は特に直したようでもないのに、あのドレスがぴったりしていた。寧ろ不思議なのはその点でした。

そして津田梅子にしても、『八重の桜』のドレスを着ているからいいと褒めているのではないか、そのような気もして来ます。

まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。

綾瀬さんと長谷川さんがそんなに好きなら、『いだてん』と『まんぷく』ももう少し評価してあげてはどうですか?
ちなみに黒澤さんは幕末物の衣装ならいいと思います。

『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
(中略)
新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。

どの大河でも、新説を無意味に採り入れることなどそうないかと思います。
そして『森乱』は何度も書きますが、史料に準拠してのものです。
どこがアリバイなのでしょう。
平山優氏を敵視したいがために言っているようにしか見えませんが。そして名前が「乱」なのと、暴れるシーンが出て来るのはまた別でしょう。お兄さんの鬼武蔵の方が暴れています。

ムロツヨシさんは「自分は好かれない」と語っております。
◆「どうする家康」ムロツヨシ怪演がネット話題“大河史上最恐”秀吉の魅力は「野心」「好かれないピエロ」(→link)
あの秀吉なら仕方ない……とは思いますが、では、誰が好かれているのか?
去年の和田義盛や畠山重忠、あるいは上総広常なんて、主役を食う勢いで支持されていました。
他にも挙げたらキリがないですが、では今年は?
ムロツヨシさんが心配せずとも、誰も好かれていないように見受けます。
立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……。
もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました。

ここで注目されるべきは、ムロさん自身の発言です。
武者さんの書き方だと、如何にも周囲から嫌われて人気がないように見えますが、実はさにあらずです。
ここでムロさんは
「カッコいいですけど、その道化っぷりはあまり皆から好かれないピエロで…それがまた面白いなと思っています」
と話しており、つまるところ、本人がそれを楽しみながら演じているわけですね。なお、岡田准一さんも同じようなことを言っており、ドラマにおけるその特異なキャラが評価されているわけで、誉め言葉と受け取るべきでしょう。

「立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……」
その裏付けを見せてください。

「もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました」
武者さんがどのように考えようが自由ですが、自分の思い通りに行かなかったからと言って、このコラムでそれを愚痴るのはやめた方がいいと思います。

時間帯が近い民放ドラマの勢いと比べると一層際立つ。
◆ 【VIVANT】第5話視聴率14・2%で番組最高更新!「テント」のリーダー判明、前回から0・8P増(→link)
もはや絶望的な状況です。

それを言うなら、2013年の『半沢直樹』と『八重の桜』、2017年の『陸王』と『おんな城主 直虎』、いずれも日曜劇場の方が高視聴率でした。第一、同じ日に何度も放送があり、土曜日に再放送がある大河と、放送は1回のみの1クールの日曜劇場とを比較するべきなのでしょうか。

そして大河は駄目だと決めつけ、華流時代劇のPR。

イケメンとイケメン同士を描く時代劇――。
『どうする家康』がやろうとして全くできなかったことを達成した華流時代劇『陳情令』が、ついに地上波に登場です。

ということで、やけにこのシリーズのPRをしまくっています。このコラムへの報酬は、この華流時代劇のPRへの報酬ではないのか、そのように思われてしまいます。

それからこのデイリー新潮の記事ですが、

◆ 【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった(→link)

逆に今年の場合、大河の岩盤支持層以外の層に受け入れられているようです。これは鈴木祐司氏が分析しています。
あと所作作法というのは、家康が信雄を呼び捨てにしたシーンのことですね。
それとヤフコメの意見についても書かれていますが、あそこは、どの大河でも厳しいコメントが載るので有名です。実際見たことがありますが、今年に限った話ではありません。

今年の大河を庇う人は過去の大河とばかり比べています。
VOD全盛期のいま考えるべきことはそんな狭い視野ではなく、他国の歴史劇、特に東洋史とライバル関係になったと認識を改めねばなりません。

「過去の大河とどの点を、どのように比べているのか」
それがないから説得力に欠けてしまうのですが。

でまた『陳情令』関連の記述が続き、

大河ドラマは、なぜ特別なものとして存続してきたか?
今は19世紀を迎えた徳川幕府のようなものです。
破綻しつつあるし、満足しているわけでもない。しかし、それ以外にどんな支配者がいるのか、知識がないからわからない。
それが今までの、VODがない2010年あたりまでの大河でした。
状況は激変しました。
黒船来航後の世界です。
筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう。

それまでも大河は、たとえば近代三部作や90年代前半の放送フォーマット変更などでうまく行かず、元に戻しており、その状態が今まで続いて来ています。今後しばらくはこのフォーマット、そして幕末までを重視する姿勢で行くでしょう。
そして何かとVODを強調していますが、そのVODで大河を観ている人もいるわけで、この両者は対立概念ではないと思います。

そして
「筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう」
これを言いたくてたまらないのでしょうか。家康も秀吉も、筆の持ち方はおかしくありません。

もはや一刻の猶予もない状況を迎えています。
(中略)
国家昏乱して、忠臣有り。『老子』
ファンダムが乱れてくると、“信者”が悪目立ちようになる。

武者さんは一刻の猶予もない、だから早く今年のを終わらせろと考えていたいのでしょうか。私はそうは思いませんが。
「国家昏乱して、忠臣有り」
これは老子『大道廃有仁義』の一部ですが、国家が乱れてくると、忠臣の存在が目立つようになるという意味で、ファンダムの「信者」とは多少意味合いが異なるかと思います。

で、

今回の第32回放送は、秀吉の言葉「俺のアンチはゲスだ」と喚くところが出色の出来でした。
あのセリフは、ドラマに批判を繰り返す私のような不届き者へのメッセージにも思えました。
考えすぎでしょうか?

「俺のアンチはゲスだ」
とは凄まじい解釈ですね。ではもう一度挙げておきます。
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」
つまり、「俺のアンチ」ではなく、「誰にせよ人の悪口で面白がるやつ」のことです。
しかし不届き者という自覚があるなら、もう少し書き方を改めては如何でしょうか。

公式ガイドブックのあらすじには、まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら、そう感じるほうが自然でしょう。
もしも意図的に加筆されたものだとしたら、残念でしかありません。
ドラマで本当に描きたいことはそこなのか。
一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか。
と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが、現場の士気が低下して役者さんから覇気が奪われていたとしたら残念でしかありません。

これも最初の方で書いていますが、ガイドブックのあらすじはあくまでもあらすじであり、台本ではありません。従って、ドラマ本編で出て来たセリフが、逐一書かれているわけではないのです。
にもかかわらず
「まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら」
「意図的に加筆されたら」
と、ガイドブックそのものが台本であり、しかも改悪されることをまるで期待しているかのようです。
しかも
「一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか」
ドラマの制作は、果たして一時的な感情に委ねられているものでしょうか?

「と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが」
はっきり言います。
武者さんの邪推にしか受け取れません。

そしてまた心理がどうこう、『孫子』がどうこうとありますが、ここでは省きます。そんなに『孫子』に言及したいのなら、三方ヶ原での信玄公のセリフを、もう一度かみしめてみてください。

SNSで誰かを攻撃するよりも、本作を「支持する」「支持しない」旨をNHKに送ったほうが有用ではありませんか。
◆NHK みなさまの声(→link)

では今回も「支持する」メールを送らせていただきます。



飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/27 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第31回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事と書きそびれていたこと

それから今回も、taketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介したいと思いますが、その前に。
遅くなりましたが台風の被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。あとハワイのマウイ島の被害も、かなり大きくなっているようですね。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第31回~
nhttps://note.com/taketak39460607/n/n83cca67c652e

まず武者さんが、
「マザーセナを教祖として崇めているようでいながら、性的なことは別。
旭姫がその対象となるかどうか不明ですが、カルトとしての生々しさだけはリアリティのあるドラマです」
と書いている件に対して、
「政治的政略は別物で待ってはくれません。秀吉公にとってはそんな個人の思いは関係ないからです。徳川を脅威と思うからこそあの手この手で調略しようとするも上手くいかず戦になったので、妹を政略結婚させようとしたのです」
と反論されています。

私もこれは家康の意志ではないと書いていますが、なぜか
「性的なことは別」
などとわざわざ書き、まるで家康が旭を狙っていると言わんばかりです。

そして「このドラマは差別への意識が薄いことも欠点」と決めつけ、大河ドラマでお国言葉を使うことそのものでなく、貶める手段として用いていると書いている部分。これに対しては、
「尾張民の私から言わせていただくと貴方に対して『くそだわけ』と言いたくなるような不快感と怒りを感じます。
光秀さんの罵倒はともかく羽柴兄弟の尾張弁は尾張中村から立身を願って出てきた庶民出身の人物の日常会話です。
現代でも尾張弁は日常で使われます」
とあり、また
「お国言葉(尾張弁・美濃弁)を使う人間は下劣だと言っているように思われて、非常に差別的に感じる」
とも書かれています。
taketak39460607さんは地元の方である以上、そう考えてもおかしくありません。

しかし武者さん、いつもジェンダーがどうこうポリコレがどうこうと言っている割に、こういうきわめて無神経な書き方を平気でしますね。

それから地図の書体に関して
「字体も、戦国時代にしては新しすぎる気がします。
ああいうかっちりした楷書で書くものでしょうか」
とありますが、これも古地図の画像を持ち出して、反論がなされています。
14世紀半ば作と見られる『南贍部洲大日本国正統図(広島県立歴史博物館)』
弘治3年(1557年)に書かれた『南贍部洲大日本国正統図(伝香寺旧蔵、現唐招提寺所蔵)』
の2点が挙げられており、どちらも楷書に近い文字で書かれています。

尚私の場合ですが、武者さんがこれはきちんと観ていたと思われる、『麒麟がくる』の地図の画像を上げています。無論こちらも楷書で文字が書かれていますが、この地図はもう記憶の彼方に消え去ってしまったのでしょうか。

そして「このドラマは、本当におにぎりを握る女が好きだな!」の記述。
「「勝て勝て勝て!」って言いながら握るのは何なのでしょう。『花燃ゆ』のリベンジでもしたいのか」などとありますが、これに対しても
「戦に向かう男衆たちに振舞う糧食として戦勝祈願で『勝て勝て』と長いながら握り飯を握る事のどこが悪いのでしょうか?」
「おにぎりは手軽に食べられ体力の補給ができる糧食です。(焼き味噌などを付けたり)」
とあります。
また、「大河ドラマでおにぎりが出てくるのは『花燃ゆ』だけとは限りません」と書かれており、
『軍師官兵衛』、『鎌倉殿の13人』でそれぞれおにぎりが登場するシーンの画像があります。

実際大河でおにぎりが登場する確率は、かなり高いでしょう。
それに『どうする家康』の場合、そこまで言うほど、おにぎりを作るシーンがあるとも思えませんが。

あとここの部分は、私は実はかなり飛ばしていますが、後の方のページで、武者さん本人の持論が述べられている箇所です。

「女はおとなしくしているほうが本質的に賢いとでも言いたいのか。この作品は、自分の足で立ち上がった女性の膝を背後から蹴り、脚をへし折り、頭蓋骨に岩を叩きつけて潰すような暴力性に満ちています。男性を必要としない自立した女性など、地獄に堕ちて当然だと思っているかのよう」

なのだそうですが、これに対してのtaketak39460607さんの指摘はこうなっています。

自分の罪を受け入れて死んだ瀬名、忍びや間者である大鼠や千代、身分が低くできることは限られつつも、主に尽くした阿月や、主家筋の女性であるお市や夫亡き後の城を守って討ち死にした田鶴などを挙げ、さらに癖毛であるという、時代的にコンプレックスになりかねない旭を侮辱し、両親の思いを受け止めて秀吉の庇護下に入ることにした茶々、こういう女性たちを散々叩いている。

またそのうえで、
「『自分の足で立ち上がった女性の膝を背後から蹴り、脚をへし折り、頭蓋骨に岩を叩きつけて潰すような暴力性』を持っているのは貴方なのでしょうね」
とも書かれています。
つまるところ、嫌いな作品の女性キャラには何を言ってもいいということなのでしょうが、偏見と言うかバイアスにしか見えませんね。まともに評価されているようには思えませんから。

それから信雄の家老誅殺に関しての史料や、秀吉の陣羽織の画像等々がアップされていたり、リンクが貼られていたりして参考になります。
また家康が井伊直政の包帯を巻くシーンですが、実際この人物は家臣の傷の治療をしたという逸話もあり(平山氏ツイ)、それと「吮疽之仁」、大将が部下を労わって大事にすることが引き合いに出されています。
武者さんも漢籍を持ち出すのなら、せめてこういうのを出してみては如何でしょうか。

それと書きそびれていたことをひとつ。こちらのnoteでも指摘されていますが、
「まだ思春期の子供(茶々)が」
とあります。
この時代は13歳ともなれば、最早結婚してもおかしくない年齢です。実際前田利家の妻であるまつは、数えの12歳で利家と結婚しているのですが。

しかし旭、あるいは『平清盛』で癖毛を気にしていた滋子のことを持ち出してくる割に、『鎌倉殿の13人』の亀については書かないのですね。
尚この人に関しては、武者さんはこう書いています。
「彼女(注・亀)は当時不美人とされたくせ毛の持ち主だったが、でも、それゆえに、そんな個性を頼朝は『他の女とはちがうんだよなぁ〜』とデレデレ愛で、撫でていたのかもしれない」

好きな大河だと、癖毛=個性となるようです。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/08/20 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『武将ジャパン』大河コラムその3です。また『らんまん』を叩き棒にしていますね。


日本を二分する――こういうセリフで小手先だけのスケール感を出したいのでしょうが、かえって逆効果でしょうよ。
九州や奥羽がまだ残っているのに、気が早すぎるのでは?
しかもサブタイトルが、往年の名画を安直に真似た「史上最大の決戦!」です。だとしたら、関ヶ原の戦いや大坂の陣はどういう扱いとなるのでしょう?

「九州や奥羽がまだ残っている」
この場合の戦いとは、信長や秀吉に臣従した地域と、信雄や家康の領国の戦いを意味しています。これらの殆どは今の東海、北陸、近畿そして中国地方で、まだ九州、四国や奥羽(東北)はその版図に組み入れられていませんでした。

「往年の名画を安直に真似た『史上最大の決戦!』」
『おんな城主 直虎』のサブタイも、過去の映像作品の捩りが多かったのですが。
そしてこの場合、信雄+家康と秀吉軍の対決だからでしょう。関ケ原はそれぞれ味方の大名を従えており、大坂の陣に至っては、家康+諸大名VS豊臣+牢人という構図でしたから。

このドラマは、本当におにぎりを握る女が好きだな!
「勝て勝て勝て!」って言いながら握るのは何なのでしょう。
『花燃ゆ』のリベンジでもしたいのか。誰かの趣味なのか。

当時はおにぎりは兵糧である以上、勝つことを念じながら、家康の側室である於愛が音頭を取って握ってもおかしくはないでしょう。また『花燃ゆ』の場合、ワカメがおにぎりに混ぜられていましたが、戦国時代の場合はもちろんそれはなく、玄米を炊いて握ったものでした。

兵糧をあんなふうに作って見せる意味がわかりません。昭和レトロなラブコメですか。

また「昭和レトロ」(苦笑)
武者さんは観ていないかも知れませんが、『功名が辻』で一豊の妻の千代が、侍女たちと一緒におにぎりを作り、長浜城に駐留する軍勢に振舞う描写がありましたね。

『らんまん』を見ていて気づきました。
書状を手に取り、さっと振ることで広げる。そんな時代劇お馴染みの所作ができています。そして気づきました。『どうする家康』では、そんな綺麗な所作を見たことがないことを。
そのことに気づくと、どうにも小道具の扱いもおかしくて気になって仕方ありません。

まず、『らんまん』は時代劇でありませんね。
ただ今よりもはるかに前の時代であり、昔の人はそういういう所作をしていたということでしょう。
そして
「『どうする家康』では、そんな綺麗な所作を見たことがない」
いつも思うのですが、具体的にどのようなシーンなのか、はっきり書いて貰えないでしょうか。武者さんの文章はそれが抜け落ちていることがあまりにも多いので。
筆の扱いについてははっきりそうと書いていましたが、あれもそうおかしなものではありませんでした。家康はちゃんと筆を立てて書いていましたし、お市自害を聞いた時は、筆を落としたのではなく放り出していたように見えたので、あの所作でも特に問題ないと思います。

思い出したように家康の薬作りが出てきました。
趣味というわりに薬研の使い方も雑。説得力がまるでありません。

そして家康の薬作り、というか薬湯を煎じるため薬草を粉末状にする薬研の使い方が雑とかなんとか。
では武者さんは薬研を使ったことがあるのでしょうか。どこが雑なのでしょうか。
尚この薬研を使った動画をいくつか見ましたが、特にあの使い方は間違っていないと思います。

それと「趣味というわりに」とありますが、この時家康は薬作りが趣味と言っているでしょうか?

太鼓の打ち方がおかしい。
軍勢ごとにルールがあって、もっときっちり打つもの。
やる気がないのか、そうした調子は一切感じられず、ポコポコ打つせいで迫力にも欠けている。
発声も声が裏返るので、本当に稚拙です。
大河ドラマをパロディにしたコントの類にしか見えません。

「軍勢ごとにルールがあって、もっときっちり打つもの」
これがまた何の具体例もないのですね。
ここまで言うのならばそのルールとやらを、ここでちゃんと明記してください。
「酒井の太鼓」について言いたいのでしょうか。ならばその太鼓についてだけ書いてほしいものです。

「酒井の太鼓」の記述 鶴岡市に保管された家臣の日記から発見
(NHK ONLINE)

そして
「発声も声が裏返るので、本当に稚拙です」
これもどのシーンで、誰の発声が裏返っているかが不明。
単に武者さんがそう思いたいからではないのでしょうか。

今週はやっとおもしろくなった。落ち着いた。
そんな感想もありそうですが、果たしてそうでしょうか?
(中略)
実在した女性がでしゃばって目立ったり。回想シーンまみれにしたり。いちゃいちゃする場面の比率は減りました。
そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える。それだけです。
どうにもちぐはぐで、それまであったむちゃくちゃな個性が薄くなったような気がします。

「実在した女性がでしゃばって目立ったり」
誰とは言いませんが、オリキャラの女性が目立つのはいいのでしょうか。

「いちゃいちゃする場面の比率は減りました」
ああいうのをいちゃいちゃすると思うのなら、武者さんの女性観はやはり偏っているなと思います。

「そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える」
「どうにもちぐはぐで、それまであったむちゃくちゃな個性が薄くなったような気がします」
またですか。武者さんは具体的にどれがアリバイじみているとか、誰の個性がむちゃくちゃなのか全く書かないのですね。
「あれが悪い、これがよくない」に終始しているだけだから、単なる自己満足にしか見えないし、もっと言えば、ドラマ本編そのものをちゃんと観ているようにも見えないわけです。

今まではおしつけがましかった。
「今までにない展開だろ?」
「俺たちってマジですげーだろ、イケてるだろ!」
「これぞシン・大河なんだよ!」
そういう自慢げな姿勢があった。それがどうにも落ち着いてきている。
それが良いのかどうか?
残ったのは歴史番組用の再現ドラマと、ラブコメじみた場面、そして説明セリフだけです。

今までは挑発的でしたよね?
「史実なんて誰も見たことないしww あなた別にその時代に生きてませんよねw 見てませんよね、だったらこういう展開がないとは言い切れないでしょwww」
「瀬名が悪役とかもう古いしw 森蘭丸でなくて森乱w 新説取り入れましたwww」
そういう思考停止の呪詛を振り翳し、どんな無茶振りで通してきた。
それがなんだかおとなしくなっちゃって。

「今まではおしつけがましかった」「今までは挑発的でしたよね?」
「それがどうにも落ち着いてきている」「それが良いのかどうか?」
「それがなんだかおとなしくなっちゃって」

この間の登場人物の月代を思い出します。
あの時も剃れ剃れと言わんばかりで、いざみんなが月代姿になったら、似合わないだのなんだの。
そしてこちらでも
「今まではおしつけがましかったと文句を言い、それが落ち着いたら落ち着いたで文句を言う」
単なる身勝手でしかありません。

あと「森乱」は史料に則った表記なのですが、それがなぜ思考停止になるのでしょうか。
平山氏に注意されたのがよほど面白くないのかと、勘ぐりたくもなりますね。
自分の思い通りに描かれないと、何でもかんでも史実無視のようで、この人本当に「歴史系ライター」なのかと疑ってしまいます。

歴史パートにせよ、戦国時代の合戦というよりも、現代劇の詐欺師ミーティングのような場面に過ぎません。
少し真面目にしたぶん、かえって基礎力が脆弱なのが露になった。それが現状でしょう。

結局何を言いたいのでしょうか。
「日本語でおk」というネットスラングがありましたが、あれを思い出してしまいます。
あと武者さん「詐欺師」も好きですね。本多正信にもこの表現しょっちゅう使っていますね。

本能寺も伊賀越えという歴史イベントも終わった。
マザーセナ、千代、女大鼠といった妄想ヒロイン大行進も終わった。
何も見どころがない。ものの見事に何も無い。きれいに中身がなくなり、積極的な不快感が薄くなった程度の話ですね。
豪華キャストと思える池田恒興と森長可が登場しても、何もワクワクは湧いてきません。
もう、盛り上がりも何もないんですね。

これから小牧・長久手の戦い、小田原攻め、江戸入りそして関ケ原…まだまだイベントは続きます。
そのためのキャストも発表されていますし、そして千代や大鼠は今後も出て来ないとも限りません。
武者さんが嫌なら観なくても構いませんが、その代わりこのコラムももう書かないでください。

このドラマは脚本がみっちり詰まっていない。スカスカのものを現場で手を入れて、どうにか形にしている。
だからこそ毎週のようにアドリブで補ったと語る裏話が披露されるのでしょう。
逆に、脚本を褒める出演者の声はほとんど聞こえてこない。今となって褒めているのは磯Pくらいではありませんか。
◆松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)

武者さんが好きな『麒麟がくる』でもアドリブはありましたが、好きな作品だと敢えてそれに触れないか、あるいは肯定的な見方をし、嫌いな作品だと積極的に叩いているように見えますね。
それと
「脚本を褒める出演者の声はほとんど聞こえてこない」
ひところ鳴りを潜めていましたが、また脚本を褒める褒めないで判断する癖が出て来たようです。
要は、一旦捨てた方法をまた使ってでも叩きたいということでしょうか。

ではガイドブック後編での出演者のコメントをいくつか。武者さんが叩いている築山事件に関してです。

松本潤さん
「さらには謎の多い『築山事件』。家康、瀬名、信康。この3人の関係性については諸説ありますが、古沢良太さんの脚本はきっとこうだったと思わせる筋書きだったので、僕自身そう信じています」

有村架純さん
「今作では、瀬名がたくらんだと言われている『築山事件』が出て来ます。初めて台本を読んだときは涙が出てきて自分でも驚きました。脚本の古沢良太さんも『書くのが苦しかった』とおっしゃっていたそうです。『潔く散るべし』という戦国時代の価値観の中で『やっぱり生きたい』という気持ちが表現されていたような気がします」

松重豊さん
「ドラマで描かれる『築山事件』部分の脚本を読んだとき、古沢良太さんの発想に感服しました。涙なしでは読めず、こんな物語があっていいと思いました」

視聴率では二桁を割ったり戻したりという体たらくで、それでも提灯記事は増えるのか、増えないのか?

「二桁を割ったり戻したりという体たらく」
これだと何度も割ったり戻したりしているようですが、スポーツ中継が裏に来ていなくて二桁を割ったのは、今までのところ第30回のみですよ。

そして
「超絶技巧記事が出ました」
などとあるのですが、つまるところ、同じ系列のメディアでも訴求対象によって書き方を変えているわけで、
「これぞできるプロの仕事だと思います」
などとあります。
こんなこと書くより、武者さん自身がきちんと「プロの仕事」をやるべきかと思いますね。

で、別の女性週刊誌の松本さん関連記事では、
「心底どうでもいい」
どうでもいいのにわざわざリンクを貼るのですね。タイトルだけ置いておきます。
「松本潤『どうする家康』の“制作スタッフと撮影打ち上げ”を主催、ムロツヨシは頻繁に参加も家康の正室・瀬名役の有村架純は「あえて誘わない」」

あと

惻隠の心は仁の端なり。『孟子』公孫丑章句上篇
哀れみや情けを持つことこそ、仁の基本です。

と、例によって漢籍引用ですが、いつもながらあっさりしているなと思います。惻隠の情とは、他人の不幸を憐れんで痛ましく思う心のことではないでしょうか。もう少し詳しく書いてください。
で、その後に茶々関連の持論展開。これまた例によって例の如くなので、パスしようかと思います。


飲み物-緑とグラスビール
[ 2023/08/18 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-5

『武将ジャパン』大河コラムその5です。正直言って、難癖と見られても仕方ないのではと思ってしまいます。


前回のことについて謝りたいことがあります。
酒向芳さんが岐阜県出身で、「くそたわけ」はじめアドリブ連発だったそうです。誤認してしまい、申し訳ありませんでした。
◆「どうする家康」徳のない男・明智光秀“くそ童”に刺されたワケ 酒向芳アドリブ連発!演出絶賛の怪演裏側(→link)
本作は、家康の徳を強調するために、光秀の徳の無さを強調したかったという。
しかし、家康から人徳など窺えないため、光秀はマイナスになってしまったのでしょう。

前にあらすじと感想で書いていますが、光秀はちょっといけすかないおじさんの印象があり、だからこそこういうアドリブもいわば活かされたと取るべきでしょう。
そして家康は寧ろ、このような光秀に戸惑う様子が描かれていたと思います。
「しかし、家康から人徳など窺えないため」
は武者さんの見方ではありますが、この光秀は家康をある意味困らせる、マイナスの存在であるとなぜ割り切れないのでしょうか。やはり『麒麟がくる』の光秀の印象が強いのでしょうか。
光秀絶対の考えはもう捨てた方がいいのでは。

・私の岐阜県出身の友人は、「くそたわけ」といった罵声を私に投げかけてきたことがない。そのため、聞き慣れていなかった
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった

私にも岐阜出身の友人がいますが、普通「くそたわけ」などとは言いません。
(ちなみにその人から「~してまった」「えらい」の意味を教わりました)
しかし武者さんが一応「歴史系ライター」であり、大河を何作品も観ているのなら、こういう東海地方の方言は頭に入れておくべきであり、
「聞き慣れていない」
はもちろんのこと。
「地元出身の英雄を貶す感覚が想像できない」
「地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できない」
も、この場合理由にならないと思います。

最初のことは個人的な話なのでさておき、後の二つを考えてみましょう。
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
『麒麟がくる』で細川藤孝を演じた真島秀和さんが、以下の記事で
◆「麒麟がくる」眞島秀和インタビュー!「現場ではいつも、みなさんすごいなぁって思うことの連続なんです」(→link)
鬼玄蕃こと酒井了恒を演じたいと語っていました。
庄内藩の武士で戊辰戦争で西軍を叩きのめす――山形では知られた人物で、さすが地元愛があると感動しました。
彼に限らず、大河ドラマは地元愛の世界という一面もあるでしょう。
真島さんの出身地である山形県は、『独眼竜政宗』についてはなかなか複雑な感情があり、『天地人』には怒りが渦巻いていたそうです。
そういう地元愛を軽視するスタンスは、大河が本来やるべきことではないと私は思います。

細かいことですが、「眞島」秀和さんですね。
そして「大河ドラマは地元愛」
とありますが、俳優さんが、地元の英雄を演じてみたいというのは無理からぬことでしょう。
しかし大河は「地元愛」だけで済まされるものでしょうか。これが朝ドラならまだわかります。しかし大河は主人公のみならず、敵対する相手、それぞれの思惑が描かれる場でもあります。
ましてや東海地方は、戦国大河の多くで採り上げられる地であり、多くの人々の思いが蠢くわけで、方言すなわち地元愛とならないこともあるでしょう。

それと『政宗』と『天地人』を取り上げるのは、武者さんが好きでないこともあるのでしょうか。
上記記事で眞島さんは、『独眼竜政宗』の印象が強かったことをコメントしていますし、『天地人』では豊臣秀次を演じているのですが。

・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった
大河ドラマで有名になった方言フレーズがあります。
『花燃ゆ』の「せわぁない」で、「どうということはないよ」という意味です。
『八重の桜』の「さすけね」も「大丈夫だよ」という意味です。「さすけねぇか?」という疑問形もあります。
『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いので、地元でも愛されていないようですが、『八重の桜』は会津まつりに毎年綾瀬はるかさんが呼ばれるほど。
彼女が植えた桜が会津若松城にはあるそうです。
そんな綾瀬さんが「さすけねぇか?」と呼びかけると、地元はわーっと盛り上がるとか。

武者さんの『八重の桜』好きは認めます。
しかし『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いだの、地元でも愛されていないだの。それは何か根拠があってのことですか?いくら何でも、こういう決めつけは失礼ではないかと思います。
要は、自分の嫌いなことなら何とでも書いていいと思っているのでしょうね。

そして武者さんの好きな大河、あるいは歴史上人物のみならず、それぞれの地方に地元愛があり、郷土の人物がいるということを見落としていないでしょうか。東北のみならず、北海道でも関東でも東海でも、北陸、関西、中国、四国そして九州、各地の人々の思いがあり、そのシンボルとなる人物がいます。こういうのも、過去の大河を観ていたらわかるのではないかと思いますが。

話を方言に戻しますと、人は、あたたかみのある、ほっとするような気遣いの言葉に、愛着やこだわりがあると思いたい。
それが岐阜の「くそたわけ」にこだわるという時点で、何もかもが信じられません。
岐阜県名物の五平餅を目の前で踏みつけられたような絶望感と不快感とでも申しましょうか。
なぜ、こんな酷い扱いをするのでしょう。
それでも光秀は貶められてあの結果だからまだマシかもしれない。
今週のお市は、持ち上げようとしてあの出来ですからね。過去作品で最低の人物像が更新されてゆきます。

方言とは、少なくとも大河では「あたたかみのある」表現だけではありません。
前の方でも↑書いていますが、歴史上の人物を描く以上、それが罵倒に使われたり、陰謀に使われたりすることもあるわけで、貴方今まで大河の何を観て来たのかと言いたくなります。
あと五平餅は岐阜のみならず、広く信州や奥三河の名物でもありますね。岐阜と言っても主に飛騨地方と思われますが。

私は徳川家康の大河ドラマが決まったと知り、真島秀和さんに出て欲しいと思ったことがあります。
地元の誇りである最上義光、上杉景勝、直江兼続あたりで。
けれども、今は逆です。
最上も上杉も誰一人として出て欲しくない。
兼続は無理でしょうけれども、真島さんは別の作品で地元山形の英雄を演じる日が来ることを切望しています。
最上義光の鉄棒を振り回す姿が見たいですね!

キャスティングをするのは制作陣であり、武者さんではありません。
この大河をきちんと観ようとせず、自分がやってほしいことばかり書いていますね。だから「レビュー」には不向きなのだろうなと思います。

命は天に在り。『史記』「高祖本紀」

なぜか注釈がありませんが、人の運命は天が定めるということですね。

そしてまたジャニーズがどうこう、性被害がどうこう。
この大河を貶めるのが目的なら、はっきりそう書いてほしいものです。前社長の行為による検証と、所属タレントの活動は本来別のものですが、それをいっしょくたにし、いつもであれば嫌悪するような、昭和的価値観とも言える連座をさせたくてたまらないように見えます。

今回の『どうする家康』では、まだ13歳の茶々をファム・ファタールとして描き、まるでNHKが性犯罪を問題視していないかのようなスタンスに見えてきます。

だからあの茶々がなぜファム・ファタールだと現時点でわかるのですか。貴方の都合のいいことのみを前面に押し出すのはやめて貰えませんか。

そしてやっとここで「命は天にあり」関連。

これはもう間が悪いなんてものじゃない。
天にある運命なり意思が、降りてきているのではないか?
そう愕然としてしまいました。そうしたら視聴率も2桁を割るとは……。

武者さんが勝手にそう考えている、あるいはそうあってほしいと思っているだけのように見えますが。
あと8月6日は裏にSPが来ているせいもあったでしょう。
しかし嫌いな大河だと、判で押したように世帯視聴率のみですね。昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数、今年は鳴りを潜めたのはなぜでしょうか。またU-NEXTでの配信を一切書かないのはなぜですか。

戦国武将に危機管理技術を学んでもらいたい。『真田丸』の真田昌幸ならばきっとこう言い、ジャニーズ新キャストを防いだのではありませんか?
朝令暮改の何が悪い! より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!

この間、作間さんが秀頼と決まった時に、武者さんがどう言うだろうかと書いたことがありますが、案の定ですね。
しかし自説補強のために、真田昌幸まで引っ張って来てこういうセリフを言わせるのもどうでしょうね。

ところでそろそろ『どうする家康』でも昌幸が登場するかと思いますが、どんなセリフが登場するでしょうか。

私が真田昌幸なら、こう啖呵を切って、中川大志さんを秀頼役に再登板できないか探りますけどね。
誰であろうとよいのじゃ、この際、ジャニーズでなければな。

「この際、ジャニーズでなければな」
もうこれだけ書いておいた方がよくないですか。つまるところ、これが武者さんの本音なのでしょう。
それと中川さんは、恐らく10月スタートのフジテレビのドラマの収録真っ最中でしょう。

私は、作間さんの秀頼は楽しみです。

※以下のリンクからNHKへ意見を送ることができます。
◆NHK みなさまの声(→link)

何だかこのリンクも惰性でやっている印象を受けるのですが…。
いつまで続けるのでしょうね。武者さんの思い通りにはならないと思うのですけどね。
尚私は、今後も楽しみにしている旨を今回も送るつもりです。

そしてtaketak39460607さんのnote記事関連は次回になりますので、その旨、ご了承ください。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2023/08/13 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムのその2です。先日、このコラムの最後の方の箇所に触れていますが、あれで終わりではなくまだ続きます。それとその先日分にいくらか加筆及び修正をしています。


「松山ケンイチさんの本多正信はよい」という意見もあります。
言わんとするところはわかります。この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています。
経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう。

「この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています」
何をもってそう言い切れるのか不明です。武者さんがそう思いたいからではないでしょうか。
それと
「経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう」
子役に対して随分失礼な言い方ですね。

そしてその後、
「確たる脚本や演出があって演技をするというのは、栄養を補給しつつ走るようなものだと思います。だからこそ遠くまで走れるし、パフォーマンスも発揮できる」
「それができないからと自分の解釈力に過剰に頼りすぎると、ハンガーノックを起こさないか不安になってきます。疲れるだろうし、すり減ってしまうのではないかと」
などとあります。
脚本も演出も中身がないと断定し、松山さんが解釈に頼りすぎていると一方的に主張し、なおかつ、ハンガーノックを起こさないかどうか心配だというのは、武者さんの勝手な決めつけに過ぎません。個人でやる分には構いませんが、こういうのをレビューなどと呼ばないでほしいです。

彼だけ浮いてしまうのは他にも理由があります。
正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ。
他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思えることもあります。ケミストリーがちゃんとしている現場だとうまく回るけれども、これでは食い合わせが悪いメニューのようだ。

「他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思える」
これも他の俳優さんに対して失礼では?というか、松山さんにも失礼かと思いますが。
そして
「正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ」
と言うよりは、他の如何にも三河武士といった家臣たちとは一線を画した、口達者なキャラだから目立つ存在なのではないでしょうか。

時代劇には、特有の所作や作法があります。
しかし、それがしっかりなされていないため、現代劇の名探偵キャラクターの型で演じているようにも思えくる。
彼が実力のある役者だということはよくわかる。しかし、あの「本多正信」に見えるかどうか?というとそうでもない。
もっともこれは彼だけでもなく、岡田准一さんやムロツヨシさんにもあてはまります。
つまり役者でなくチームの問題です。

ここでまた「時代劇の所作や作法」ですが、武者さんがそれを具体的に説明したことがあるでしょうか。それがしっかりなされていないとは、どのようなことを指しているのでしょうか。
そして「あの『本多正信』に見えるかどうか」、本多正信も作品によって描かれ方が違うと思いますが。岡田さんの信長しかり、ムロさんの秀吉しかりでしょう。
キャラ設定を批判したいのなら、チームより制作統括に責任があるとなりますが、私はそれぞれのキャラは面白いと思っています。
そして合戦シーン。

合戦については、これまであまりに評判が悪かったせいか、若干の改善が見られます。
VFXを減らし、実写を増やした。

と書かれており、「多くの視聴者から上がった抗議の声を全く気にしていないわけでもないかも」ともありますが、こういうロケ日程はかなり早い時期に決まっているでしょうし、時間をかけて行軍するとか、合戦で多くの馬を走らせたりするのでなければ、普通にロケをやっているのではないでしょうか。

ただし、小手先だけではどうにもならないことがある。
例えば、秀吉の強さがまったく見えてきません。
大軍を稼働させるために必要で重要な兵站も、外交も、行軍速度も、鮮やかな攻め方も何も描かれていない。
兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない。

この大河では秀吉の強さよりも、家康のライバル、ひいては主君となる秀吉がメインとなっていると思います。ですから武将としての秀吉は、意外に描かれていません。戦場での秀吉は描かれるにしても、たとえば金ヶ崎での大げさに自己主張をするシーン、光秀の首を見るシーンなどが比較的多いように思います。
この間も書いていた「中国大返し」について言いたいのでしょうが、ならば『軍師官兵衛』を観た方がいいのではないかと。

そして、戦国大河なのに戦下手だとあり
(戦のシーンの描写が下手と言いたいのでしょうか)

『江』や『花燃ゆ』は主人公が戦略に疎くても仕方ない。
慶長出羽合戦をすっ飛ばした『天地人』、西南戦争のオチがBL破局じみていた『西郷どん』といい勝負……って、その位置で満足なんでしょうか。

女性主人公大河でも戦闘シーンはありますよ。ちなみに『花燃ゆ』の功山寺の決起と大田絵堂の戦いは割とよかったです。
そして『天地人』、最上軍の襲撃はわずかですがありましたし、『西郷どん』の西南戦争は、西郷が自決せずに銃弾を受けるという描写になっていましたが、BL的なのはありましたか?大久保が、降伏すれば西郷は助けると電信で伝えたことですか。でも、政府軍襲撃の前ですよあれは。
何だかもう戦のシーンとか登場人物の戦略とか、同じ戦絡みであるものの、互いに異なる要素ががごっちゃになっていませんか。しかも上記4作品の戦闘シーンと、この大河の戦闘シーンとどう関わりがあるのでしょうか。比較対象もおかしくないですか。

武経七書は無理にせよ、『孫子』くらい読む時間はあったはずです。

では伺いますが、制作陣が『孫子』を読めば完璧な戦闘シーンが作れるのでしょうか?

このドラマで一番強いのは、わけのわからんナレーターかもしれません。
ナレーターがキンキン声で語るだけで、戦が片付いていきますもんね。
燃える北ノ庄は昭和レトロな、古い映像の使い回しでした。
となると、VFXをあえて減らしたのではなく、単に納期が間に合わなくなっているのかもしれません。だとしたら危機的状況ではないでしょうか。

また武者さんが好きな「危機的状況」。
取りあえず、武者さんが寺島しのぶさんの声が嫌いだというのはわかりました。
そしてこの大河の場合は、何かにつけネガティブな方向に捉えていますが、別に貴方が心配するものではないでしょう。
そして「昭和レトロ」、これも武者さん好きですよね。ただあの炎上シーン、どこが「昭和レトロ」なのかちゃんと解説して貰えないでしょうか。

ナレーターがくだらない口調で北条を説明しています。
戦から遠ざかっていて実戦に弱いというような描き方はいかがなものでしょう。
汁かけ飯も『真田丸』を台無しにするような浅い解釈です。
そもそも、なぜ北条をいまさら出すのか。
北条と徳川、今川、武田はこれまでも深く関わりがあったでしょうよ。

「演出も脚本も中身がない」
「ナレーターがくだらない口調で北条を説明」
なのによく毎週観ていますね。
そしてなぜ北条をいまさら出すのかということですが、これは旧信長領=武田領を巡る争いであり、北条に渡すなとドラマの中でもちゃんと言っているのですが。
そして汁かけ飯と『真田丸』の関係がどうこう、作品が変われば描写も変わると思います。

まぁ、本作に兵法を望むなんて贅沢すぎますよね。
お市が本当の総大将ってだけで、もう勘弁です。
「名目上の総大将は、実は私なの!」
なんて誰かが言い出したら、錯乱したという名目で斬り捨ててしまいましょう。殺すことに気が引けるならば、投獄でもOKです。

お市=総大将は2回出て来ます。
まず綿布が送られて来た時は、お市自身が自分は総大将だと言ったのではなく、大久保忠世がそう言っているだけです。
2番目、落城の前に娘たちを城から出した時は、自分も勝家と共に運命を共にするつもりでああ言ったわけでしょう。無論、秀吉の許に身を寄せるくらいなら、ここで死んだ方がましだという思いもあったでしょうし。

お市も自分がスゴイと酔いしれている様子でしたが、いつどこで戦いを戦略や戦術を学んできましたか。
合戦は体育祭ではありません。
本作は、お市がしゃしゃり出ることを女性の活躍だとでも思っているようだ。
あんな怖い表情をさせて説明台詞を読ませることが女性の活躍? 冗談はやめてください。

お市はしゃしゃり出ているでしょうか。
秀吉が侵略しようとしている織田家を守る気持ちはあったでしょう。秀吉の許にいた三法師を、岐阜に連れて来てもいます。またお市は兄の具足を着けてはいますが、戦場に出ているわけではありません。ただいよいよとなった時に、将来のある娘たちは逃がして秀吉に託したわけですが。
そしてまた「説明台詞」ですか。

愛の近眼設定は、完全に消えました。
前回のレビューで、レーシックでもしたのかと突っ込みましたが、鷹が空高く飛んでいく姿も目視できたので、望遠鏡でも手に入れたのかもしれません。
どうして彼女が近眼か?というと、眼病の人々を気に掛けた逸話があるから。
本作では、その逸話を最初だけテキトーに取り込み、「ドラマを描くにあたって勉強しているよ♪」とでもアリバイ工作したのでしょうけど、途中から完全に忘れてますね。
脚本家は、あまりにも視聴者をバカにしていませんか?

この時の於愛ですが、正信が何度も鷹を呼び、しかも鷹笛まで吹いていたのに戻ってこないことから、行ってしまったのかと察したのではないでしょうか。そして彼女の場合、鷹がいなくなる=正信が鷹匠としてすることがなくなるということは、家康に同行させるうえで有利にもなりますし。
そして正信が去った後、鷹に向かって呼びかけていますが、あれは目視ではなく鳴き声を耳にしたからですね。

幼少期のお市回想シーンが意味不明です。
なぜ彼女は甲冑を着て水に飛び込んだのか?
入水して命を断とうとしたとか?
甲冑は重い。甲冑姿で水に飛び込んだら助かりません。それを子どもが助けるなんてできないでしょうよ。
つくづくこのドラマは子どもに見せてはいけない。ああいう場合は大人の助けを呼ぶしかありません!

「意味不明」て、このシーン第4回の「清須でどうする!」で出て来ますよ。あの時竹千代が鎧をつけたまま泳ぐ訓練をさせられていたけどうまく行かない、情けないと思った彼女は、自分も腹巻を着けて飛び込んだけど溺れてしまい、竹千代に助けられていましたね。
そしてこの時竹千代は
「こっそり水練をなさりたい時は自分を呼ぶように、お市様のことはお助けします」
と言い、それが賤ケ岳の戦いにまでつながっているわけです。

そしてその後に水難事故防止のキャンペーンて、武者さん何を急に真剣になっているのですか?

家康は、これほどしみじみお市のことばかり思い出していて、マザーセナに申し訳ないと思わないんですかね。
しかも、この場面で愛が出てくるから最低だ。仏間でしんみり祈る程度のことすらできていない。

織田家の人質にもなっていたのですから、それは思い出すでしょう。しかも秀吉が勝家を攻めているのですから。
そしてなぜここで於愛が出て来てはいけないのでしょうか、彼女は今の家康を支える女性なのですが。

『青天を衝け』も、妾が大勢いた主人公でした。
今にして思えば、あの女遊びロンダリング技巧は、道義的には最低ですが描き方としてはしてやったりだったのかもしれません。
あの渋沢栄一は一応「千代が一番!」という建前を振りかざしていた。
妾は「相手が誘ったから」という誘導。後妻を迎える時も前妻をアリバイとして持ち出す。
その程度の知恵はありましたからね。
今年は、そうした最低限の嗜みもなく、ただ美女とイチャイチャしたいという欲求がダダ漏れです。

あの時代と戦国時代はまた違いますよ。第一家康の正室の瀬名はもういないし、ならば息子を2人産んでいる於愛が、中心的存在になるのはありうる話です。
それに今の家康に「女とイチャイチャしたい」などという暇はないはずですが。

しかし最近『青天を衝け』叩きがないなと思っていたら、やはり出して来ましたか。

茶々が徳川を恨む理由がわかりません。
なぜこの状況で助けに来ないからと恨むのか?
殺した秀吉でなく家康を?
本作はわけのわからぬ逆恨みが非常に好きなようで、家康が信長を恨む理由もわけがわからなかった。
スーパーマーケットの「お客様の声コーナー」にある無茶苦茶な投稿みたいなセンスですよね。
「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」
いや、他の店に行けよ!と言いたくなる系のご意見。そういう怪文書ドラマを大河でやらないで欲しいのです。

茶々はお市から昔話を聞かされています。当然水に溺れそうになったお市を、当時の竹千代が救った話も聞いているでしょう。そういういきさつがあるのに、助けに来ないのはひどいと言っているわけです。まあこの年齢の少女らしくはあるのですが、もちろんお市はそれに対して、戦とはそのようなたやすいものではないと諭していますね。

それと「殺した秀吉」とは、「誰を」殺した秀吉ですか。この時点では、勝家もお市も自害しておらず、秀吉に殺された(追い詰められて自害した)とはならないはずですが。
また家康が信長を恨むのは、瀬名と信康のことがあるからではないのですか。

あと
「「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」」
これ、
「私が好きな大河のとおりになぜ書かないんですか!他の大河にはこのシーンがあるんですよ、ちゃんと書いてください」
と常に言いたげな武者さんを思わせます。いや他の店に行けよ、ではなく、ならば観ないでおけばどうかと言いたくなります。

夫を殺された云々を言い出すお市。
しかし、その夫と子の死因になった兄を慕って、織田のプライドを語る論理展開がどうしても理解できません。
織田家を存続させたいならもっと他にすべきことがあったのでは?
兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送るとか、やるべきことはあるでしょうよ。
それなのに意味なく綿布を徳川に送る……って、何をしているの?

まずこの大河では、夫の死はあっても子(万福丸)の死は出て来ません。
そして兄信長の家臣であった秀吉が、織田家を食い物にしようとしたからこそ、織田家の娘であることを主張し、悔いはないと自害の覚悟を決め、娘たちに後を託したわけですね。

そして「織田家を存続させたい」とはお市は言っていないはずですが。
「兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送る」
送って、どうするのですか?
「意味なく綿布を徳川に送る」
意味はあるでしょう。あの時お市は誰を待っていましたか?

このドラマは、顔をアップにして、役者の演技力に頼り、長くて中身のない台詞を読ませますね。
毎回同じパターンですよね。本能寺の信長もしつこかった。いい加減さっさとと退場してくれ。そう言いたくなるほどくどいお市でした。

お市が城を出るのを拒むシーンですか。あのセリフに中身がありませんか。
だからお市の気持ちがわからないのではと言いたくもなります。

それよりも、この4行ほどで1つのパラグラフを作っていますが、その必要があるのかなと思います。

飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/10 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第25回に関しての武将ジャパンの記事について-5

『武将ジャパン』大河コラム関連その5です。


まずここの部分ですが、

先日、痛ましい事故がありました。
◆潜水艇の残骸引き揚げ、遺体の一部も発見か 米沿岸警備隊が発表(→link)
紛れもなく悲劇で辛い事故でしたが、一方で、あまりにも無謀な彼らの行動に、驚きませんでしたか?
瀬名の「大掛かりな詐欺行動」もそう。杜撰で愚かな策でしかないから、批判されているのです。

どう見ても牽強付会でしょう。このコラムの特徴として比較対象が適切でないという点がありますが、これもその例に洩れないと言えそうです。とにかく叩くためなら何でもありなのでしょうね。またそれ以外の特徴として、時事ネタを絡ませたがるという点も挙げられます。つまりこの部分は、如何にも武者さんらしい書き方と言えそうです。

にもかかわらず、なぜ今年の大河を受け付けない、古参のファンが駄目人間であるかのように誘導されなければならないのか。
今回の記事だけではなく、当初からずっとそうした引っ掛かりはありました。
『平清盛』以来、本作のトップにいる磯氏は「古参の大河ファン」が嫌いなようにすら思えます。
そんな連中を一泡吹かせる革新的な大河を作るのだ!というシナリオに固執している。
そのことが水源に流れ込む毒となっている気がしてなりません。

にもかかわらずも何も、瀬名の構想を大掛かりな詐欺行動と一方的に決めつけ、それだから昔からの大河ファンがついてこないのだとこれも強引です。そもそも武者さん、自分が好きな大河の場合、それを批判する昔ながらの大河ファンを嫌っていなかったでしょうか。昨年のスクショを探せば、あるいはそれに当該する記述があるかも知れません。結局自分が叩いた相手も、嫌いな大河を貶めるためなら利用するということでしょうか。

それと
『平清盛』以来、本作のトップにいる磯氏
とありますが。これだと、『平清盛』が放送された2012年以来ずっとという意味に取られがちです。

そしてここでも「水源に流れ込む毒」。その毒がファンダムに根付いておかしなことになっている云々。その前に蛇足の逸話(描かなくてもいい蛇の足を描いたばかりに、自分が飲む酒を飲まれてしまった)を持って来ているので、何の関係があるのかと思っていたら、

「この素晴らしい深掘りをみて! クソレビュアーみたいなアンチも、きっとこれを読めば変わると思う!」
そうわざわざアンチのハッシュタグを使って、拡散する人がいるわけです。
陰謀論や無茶苦茶なシナリオにハマりがちな人って、友達がいないとか、隠キャだからとか、そういうことでもありません。
自分が不当な攻撃を受けているという思いこみ。
自分は他の人よりも優れているという思い込み。
これが合致し、それを訂正しない仲間同士で囲いを作れば、あとはどこまでも堕ちてゆきます。
蛇足でたとえるならばこうだ。
「でも蛇に足があったらかっこいいと思いませんか? それなのに酒を奪われた私は不幸! みんなもそう思うでしょう? 私こそ一番優れているのに……」
そうネチネチ言われたところで「蛇に足はないからね」と返すしかない。そういうわけのわからない状況が生まれています。

何を言いたいのかよくわからないのですが、下手に蛇足など絡めない方がいいとは思います。
そして何よりも、
「自分が不当な攻撃を受けているという思いこみ。
自分は他の人よりも優れているという思い込み」
とありますが、武者さん自身があらぬ思い込みに囚われているように見えてしまいます。さらに

そういう不健全なループが大河ドラマ周辺に漂っていて困ったものですが、D(どうする)アノン現象なんて起きたら、どうしたものかと。
『どうする家康』は、シナリオの作り方が陰謀論者じみていることも問題です。

2020年アメリカ大統領選絡みのQアノン現象をもじっているのでしょうが、ここまで来るとやはり誹謗中傷の類に入るのではないでしょうか。しかし陰謀論者じみているというのもどうかと思いますね。
そしてこんなのも。

『どうする家康』を褒めるついでに、『鎌倉殿の13人』配信停止を喜ぶ投稿までされていたことには、驚きました。

その投稿のスクショは取っていないのですか?なぜ取らなかったのですか?でないと裏付けがありませんよ。

もう一つ、反論したいことがあります。
(中略)
アメコミ由来の「冷蔵庫の女」という概念もあります。
要するに、プロットの都合上、ヒロインが死んで、そのことでヒーローが奮起するというパターンです。
このドラマの作り手は、家康という題材をみたとき、天下統一や江戸幕府を開いたといった話はすっとばし、こう思ったのでしょう。
「ヤッベwwこれだとヒロイン殺せるじゃんwww美男美女キャスティングにして盛り上げられるしwww」
ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね。
(中略)
田鶴だの、阿月だの、今まで描かれてきた女性にしても、自己実現と命を引き換えにして散ってゆきます。
(中略)
歳をとって“賞味期限”が切れた女なんて邪魔なだけだから、殺してでも入れ替えていくのがいいに決まっているんですよ。と、ミソジニストの考え方ならそうなる。

制作陣叩きにしては度が過ぎていますね。ちょっと問題かも。
で、この田鶴と阿月ですが、まず田鶴は多くの史料で討ち死にしたとあるため、これは制作側の意図とは別のものです。
そして阿月が金ヶ崎までを駆け抜けたのは、主であるお市から命じられたいわば使命感でしょう。
そして田鶴の死は家康を悲しませましたが、その次の回で家康を奮起させたのは信玄の駿府陥落でした。
阿月の場合は彼女の死を無駄にするなと信長に詰め寄り、お引き候えはお市様の指示じゃと言うわけですが、するとこの場合家康を奮起させたのはお市ということになります。

しかしどういう考え方をすればこうなるのでしょうね。
あと命を引き換えにする女性の中に、瀬名の名前がありませんね。

『麒麟がくる』でやたらと“ファンタジー”と叩かれた駒を思い出してください。
初登場時は主人公に恋する少女だったのに、BBAになっても死なない、そのくせ足利義昭の愛人になりやがった、という批判がされた。
実際は愛人などになっていませんが、いつまでもしつこく単純な事実誤認をする人からするとそうなるらしい。
しかも駒は頭が切れる。
女なんてエロか家事育児しか価値がないし、バカしかいないのに、“ファンタジー”すぎるよな!
……と、こういうミソジニーを炸裂させた界隈からすれば、今年のヒロインを殺して入れ替えるシステムは画期的でしょうね。古典的なのですが。

個人的に駒がおかしいと思うのは、どう見ても越権行為的なことをしていたからで、あのまま夫や子を持たなくても、薬屋として大成し、東庵共々将軍家に出入りする程度であれば、そこまで言われなかったのではないでしょうか。
そして義昭に常に仕えていた以上、側女と考えられても不思議ではないでしょう。
しかしここまで考えますかね、勘ぐり過ぎでは。

あとこれも前に書きましたが、武者さんの場合、『麒麟がくる』の女性キャラで引き合いに出すのは大抵駒、あるいは帰蝶であって、主人公の妻である煕子が出て来ないのですが、これはなぜでしょうか。
そしてその後はミソジニー関連で延々と、しかも『どうする家康』の制作者もミソジニー的考えを持っていそうだとかなんとか。
何かこじらせてるように見えますね。

そしてまたこれを持って来ています。

寿桂尼すら出さないドラマで、女性の活躍だの最高のヒロインだの、笑止千万でしかありませんので。
大河とその周辺に圧倒的に不足しているのは「フェミニズム批評」に思えます。

なぜ寿桂尼が『どうする家康』に登場しないのか、まだわからないのでしょうか。
そしてこの場合の「大河」とは、好きな大河も含むということでしょうか。「大河」だけだと守備範囲が広すぎると思いますが。

一方で、「『江(シエという表記を使う人も多い)』や『花燃ゆ』よりはマシだ! あれを見たことがないのだろう!」というわけのわからない、ミソジニー混じりの擁護もなされます。
こういう方に「『どうする家康』って、スイーツ大河ですね」というと怒るでしょうね。
私としては、この2作よりも本作は出来が悪い。大河ドラマは女性主演、女性脚本家だとより叩かれやすくなる、そんなミソジニーがあるのだと納得させられるばかりです。
NHKは大勢の人がいて、男女比ならば男性比率が高いでしょう。それでも駄作大河は女のせいにする。煮詰めたようなミソジニーではありませんか。

結局武者さんは『家康』叩きのために、『江』や『花燃ゆ』の方が面白いとまで言い始めたようです。嫌いな大河を何が何でも叩くために、かつて叩いた相手を利用しているように見えます。これじゃ手のひら返しです。
またスイーツの基準は人により様々ですが、私としては『家康』は全くスイーツとは思えないのですが…武者さんの場合、嫌いな大河すなわちスイーツという、きわめて単純な発想なのでしょうか。
それと男女比で男性が多い、だから駄作大河(これも基準が不明)は女のせいというのも飛躍しているなとは思います。

そして
「大河ドラマは女性主演、女性脚本家だとより叩かれやすくなる、そんなミソジニーがあるのだと納得させられるばかりです」
女性脚本家が叩かれやすいのはミソジニーと言うのなら、『江』や『花燃ゆ』同様に嫌っている『西郷どん』と『青天を衝け』、こちらは男性主演でも脚本家はやはり女性です。ならば武者さん的には、これらの作品もミソジニーによって、「部分的であれ」不当に貶められていることになりますね。しかしこの2作を『どうする家康』よりも素晴らしいと、武者さんが評価したようには見えません。
もうひとつ言えば、やはり女性主演で女性脚本家の『篤姫』が成功したといわれた理由は、一体何だとお思いでしょうか。

さらにその後で、

そこで、私なりの解毒剤を用意しました。
こちらのアルテイシア氏の記事をお借りします。

とあり、

マンスプレイニング
マンタラプト
ヒピート
トーンポリシング
ワタバウティズム
シーライオニング

などの用語が挙げられています。マンスプレイニングは以前に多少触れたかも知れませんが、詳しく知りたい方は恐れ入りますが検索してみてください。武者さんが飛びつきそうな言葉ではあります。

ちなみにこのワタバウティズム関連でこんなことを武者さんは書いています。

甲の問題について話してるのに「だったら乙はどうなんだ?」と論点をずらしをする。
「『どうする家康』の衣装はひどいなあ」
「『麒麟がくる』もひどかったと思いますwww」
「『どうする家康』のえびすくいはいらない」
「『鎌倉殿の13人』でも全成が風を呼んでいたのにwww」
擁護記事でも多いです。
過去の作品にもそういうことはあったという誘導。その出来が悪くつまらないから、批判しているわけです。

まず衣装ですが、『どうする家康』の衣装は公式サイトにあるように、その当時の染色にできるだけ近づけており、それに比べると『麒麟がくる』の場合は妙に化学染料ぽいわけですね。しかし『麒麟』の場合も美濃や三河と京、さらには武士と公家と農民で分けて、農民は粗末な衣装、武士は草木染、そしてあの染色は公家といった風にすれば、まだよかったのではないかとは思います。
あと「えびすくい」と全成の嵐を呼んでいたのと、何か共通点がありますか?

また大河同士の比較と論点ずらしですが、この場合寧ろ逆もまた真なりです。
「『麒麟がくる』の衣装はひどかったなあ」と言われた武者さんは恐らく
「『どうする家康』もひどいと思います」
と論点ずらしをするのではないでしょうか。
と言うか、ほかならぬ武者さんが、好きな作品を叩き棒に、論点ずらしを率先してやっているようにも見えます。しかし武者さんは認めたくないかも知れませんが、『麒麟』が好きでなくて『家康』が好きな人ももちろん存在するわけなのですが。

それにしても、私は心が栄養不足です。大河ドラマで武士道の補給ができず、深刻な武士道不足に悩まされています。
なまじ題材が武士でない年ならまだしも、今年は存在そのものが武士を出す出す詐欺であり……。
もしかして、このドラマそのものが「大掛かりな詐欺行動」であるとか?

子供じゃないんですから、自分で何とかしてください。『どうする家康』で満足している人もいるのですから。

あとやはり思うのは、
「ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね」
「女なんてエロか家事育児しか価値がないし、バカしかいないのに、“ファンタジー”すぎるよな!
……と、こういうミソジニーを炸裂させた界隈からすれば、今年のヒロインを殺して入れ替えるシステムは画期的」
などと書く武者さん自身が、一番女性を軽視しているように見えるということです。
(2023年7月9日加筆修正)


飲み物-パブのビール1
[ 2023/07/09 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

好きな大河そして好きでない大河

人によって好きな大河、嫌いまたは馴染めない大河は様々です。しかし好きだからこれを観ろ、嫌いだからお前も観るなとはもちろん言えません。あくまでもそれぞれの観方、価値基準にゆだねられるからです。仮に自分が好きなものを相手が嫌いである、またはその逆の場合は、その会話に加わらなければいいだけです。いつも会話に参加してくるのに、特定の作品に関してだけ加わらないことがわかれば、相手も察してくれるでしょう。

そして私の場合、100パーセント素晴らしいまたはつまらないという大河もありません。ある部分は面白いけど、別の部分は面白くないということはよくあるものです。好きな部分、そうでない部分の比重がどのくらいであるかによって、その作品の自分なりの総合的評価は決まります。あと自分の好きな作品をほめるのはいいのですが、そのためにやたらと他の作品を貶めるのも、あまり感心しません。

個人的に部分的には面白いけど、それ以外はそうでもないという作品に、『麒麟がくる』と『おんな城主 直虎』があります。前者は室町文化とか、その当時の京の習慣などはまずまずでした。後者は4月の半ばくらいまでは面白かったのですが、その後はちょっとトーンダウンした感があります。そしてこの大河に関しては、過去に面白くないと思われる点をリストアップしたこともあります。

実は今度、これを時間がある時に観返してみようと思っています。リアルタイムの時とはまた違った観方ができるかとは思いますが、ただどうしても、その後の作品との比較になることは避けられないとも思っています。あと実はこれ、録画をダビングしていませんので、レンタルすることになります。なぜか女性主人公はダビングしておらず、ただ唯一『花燃ゆ』はダビングしています、どういうわけか。

私としては、『麒麟がくる』はもう少し正統派の作品でもよかったかとは思いますし、また『おんな城主 直虎』は、主人公にあまり史実や記録がないため、遠江と三河の歴史をもう少し絡ませてよかったかも知れません。飯尾連龍とお田鶴もこれで出した方がよかったかとは思いますが、ただ主人公の存在感を出すためには、創作を多めにする必要があったでしょうか。それと今年がそうだからとも言えますが、改変はやはり本人に記録がある方がやりやすいでしょう。

飲み物-ロックグラスカクテル
[ 2023/07/07 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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