まず、先日分とその前もですが、後で多少手を加えています。それからHey!Say!Jump!の、中島裕翔さんの「さん」が抜けていたので直しています。失礼いたしました。では第27回関連の『武将ジャパン』大河コラム、その3です。
しかし、本作にも絶対に手を抜かない場面があります。
女遊びの描写です。
(中略)
『麒麟がくる』では台詞だけで秀吉の女遊びを表現していたのに、ゲスい今年は、ここぞとばかりに用意しておく。だいたい、なんでこの秀吉は信長が討たれるかもしれないと期待している前提なのですか? 結果から遡って騙そうとするのって、歴史もので最もやってはいけないことです。
麒麟は麒麟、家康は家康、佐々木蔵之介さんとムロツヨシさんは同じ秀吉でもキャラ設定が異なります。逆に、陣中に遊女を入れていけないということはないのだし、『風林火山』などでも登場していましたね。しかし、武者さんが言うほど女遊びのシーンがあったでしょうか?
そして秀吉ですが、そろそろ信長もいなくなってくれないかなと、半分冗談半分本音といった感じで独り言を言うものの、自分はバカを見るからやらない、ただもし徳川がやってしまった時のために、引き返す用意だけはしておこうと言っているわけです。無論これは、和睦が成れば引き返すという意味もあるでしょう。
秀吉だけわざとらしく訛らせているのですが、イントネーションが他の地域と混ざっていておかしい。
『レジェンド&バタフライ』も訛りがおかしかったものです。
京雀の関西弁すら無茶苦茶なイントネーションに聞こえました。
「イントネーションが他の地域と混ざっていておかしい」
秀吉は尾張言葉と思われますが、他の地域てどこですか?京の人々の「関西弁」(京ことばと言ってほしい)の無茶苦茶の基準は?
このドラマは、まともな知識を持たずに作っているのでは?という場面がちょいちょい現れます。
・北半球なのに南の方角に虹が出る
・当時は茶器だけに用いられた陶磁器に米飯をよそう
・狼が減っている(新規)
まず南の方角に虹が出ることはあります。本来の虹があり、さらにもう一度光が反射することで、元々の虹の外に見える虹がありますが、副(二次)虹と呼ばれているようです。そしてさらにもう一度反射すると、今度は太陽の方に虹が見え、これを三次虹と呼ぶようですが、非常に珍しいとされています。
それから陶磁器にご飯をよそうのは、山茶碗ではないかとも思われます。東海地方を中心に見られた食器で、釉を使わずに焼かれています。ただドラマの中のは丸みを帯びていますが、出土しているのはもう少し平坦な形の物のようです。
これに関してはこちらが詳しそうです。
山茶碗の用途をめぐって̶摩滅痕の分析から̶
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo07/0708take.pdf
(愛知県埋蔵文化財センター)
そして「狼が減っている」と言うよりは、於愛が自分は兎を見たことはあるが狼は見たことはない、つまり狼は減っていて兎はたくさんいる、ゆえに沢山いる兎の方がたくましいのではと結論づけているわけです。
なのに狼が減ったのはどうこうという文章が書き連ねられ、しょうもないミス、脚本家が歴史に興味がないなどとありますが、叩きたくてたまらないように見えてしまいます。しかもこの場合、武者さんがドラマ本編をちゃんと観ないという「ミス」をしているように見えますが。
大河ドラマで織田信長を演じる――。
もしもそんな依頼があれば、役者冥利に尽きる一世一代の大役であり、心踊ることでしょう。
無論演じる側としてはそうでしょうが、その信長の役どころや出演回数は様々だと思います。たとえば吉田鋼太郎さんが演じた『真田丸』の信長の出番はかなり限られていました。
けれども、そんな晴れ舞台の脚本があまりにひどい。
そうなったら、どこに怒りをぶつければよいのか。
過去にそんな無念の思いを抱いた役者はおります。
『天地人』で信長を演じた吉川晃司さんは不満を漏らしていたとか。
吉川さんが不満を洩らしていたという、その裏付けを知りたいものです。
そしてその吉川さんが『八重の桜』で演じた西郷隆盛はよかったなどとありますが、『舞いあがれ!』の大河内教官はどう映ったのでしょうか。そして他の俳優さんも、大河のリベンジがどうこうと続き、さらに岡田さんを
「残念信長枠」
と決めつけてこう書いています。
◆「どうする家康」岡田准一 信長役再挑戦に意欲「いつかまた出会えれば」実は“初回からOA未見”と告白(→link)
「信長役の再挑戦に意欲」という言葉でかなり肯定的に描かれていますが、実際は少なからず不満がおありでは?
「実は初回からオンエアを見ていない」
とのこと。
それだけでもちょっとした驚きですが、冗談でごまかしたかのように以下のような発言をされています。
とあり、記事の引用が以下のようになされています。
トークショー中も「全部終わってから見ようかなと。途中で見るといろいろ言いたくなる。僕の出番が終わって、松本君の成長を一気見して、ここまで持っていったかというのを見られるのも良さかなと」と明かし「途中で見ちゃうと磯さんに“あれ、どうなってるんですか?”と議論が始まっちゃう」と笑いを誘った。
別にそれはそれでいいかと思います。OA後しばらく経ってから追いかけるのも大変でしょうし。なのに
「この笑いを誘うという発言、目は笑っていなかったのではありませんか」
とあるのですが、何か根拠がありますか。武者さんがそう思っているだけではないのですか。
で、木村拓哉さんが出演予定のCMが白紙撤回されたという記事が、今回は2本ありますが、これこの前もリンクが貼られていなかったでしょうか。
そして甚だ残念なことながら、岡田さんにそのリベンジができるか?というと、現状、厳しい状況が続いています。
◆ 木村拓哉「ジャニー喜多川氏性加害問題」でCM消滅報道ウラにジャニーズの「深刻なスポンサー離れ」(→link)
◆ 資生堂はキムタク起用を白紙撤回報道 ジャニーズ事務所が直面する「大手スポンサー離れ」の必然(→link)
尚フライデーと日刊ゲンダイ(先日分で日刊タブロイドと書いています)の記事です。
いくら所属タレントに罪はないと叫んだって、お金を出すスポンサーにとっちゃ、リスクのない方を起用した方がいいのは当たり前。
だから、所属タレントを犯罪者呼ばわりしていいとは、もちろんならないでしょう。
別の記事では、見所をこう語っているわけですが、
◆「本能寺で家康は『第3形態』になる」 今後の見どころで岡田准一さんが予告! 「どうする家康」でコメント公開(→link)
オンエアを見返すこともない人に、ギアをチェンジしたかどうか?わかるとも私には思えなくて……。
この記事ですが、岡田准一さんのコメントとして
岡田は「『本能寺』で3回目くらいのギアチェンジがあり、家康は『第3形態』になります」とコメント、「そのギアチェンジのきっかけとしての僕の役割は、ここで家康の心に何を残せるかということに尽きると思ってやってきました。実は2日くらい前の撮影で、松本君がぐちゃぐちゃになる芝居を見られたので、僕の役割は果たせたのかなと思っています」と意味深に語った。
とあり、ギアチェンジをするのは家康で、信長はそのきっかけを作るわけです。しかし武者さんの書き方だと、信長がギアチェンジをするように取れてしまうのですが。
今年の大河ドラマは、考え方が陰謀論じみていて困ります。
脚本家からして「史実なんてフィクションだ」と堂々と語ってしまう。
史実とされている物語よりも、自分の妄想の方がいけてるし面白いw その妄想の邪魔になる要素は全部消していくw
といった創作スタイルなんでしょうね。
ただ、一年間を通して描く大河ドラマで、それをやるのはあまりに危険。
「陰謀論じみていて困ります」
失礼ながら武者さんから言われたくないような気がします。
そして「史実」の解釈は脚本家によりまた様々です。
それは武者さんが好きな戦国大河
『真田丸』、『おんな城主 直虎』そして『麒麟がくる』
でも同じではないでしょうか。
結局のところ、好きな大河であれば多少史実がアレンジされても黙認し、嫌いな大河であれば危険だなんだと言ういつものパターンだなとは思いますが。
だんだんと悪化して、5W1Hみたいな基礎まで飛ばすようになりました。家康の堺見物なんて、思いついちゃったシナリオの邪魔だからすっ飛ばすのでしょう。
ネタバレになりますが、家康の堺行きは、ちゃんと描かれるようですよ。
「信長(岡田准一)が本能寺へ入ったという知らせを受け、家康(松本潤)は堺へ向かう」
「家康が信長を討ったで!」
と京雀が間抜けな叫びをあげた場面は何ごとでしょう?
それで視聴者を引っ掛けたつもりかもしれませんが、本能寺の変がそうでないことは誰でもわかること。ハラハラするわけがない。
しかもこのひっかけパターンは三方原の戦いでも使っています。
なぜあのシーンであのようなことを言わせたか、仮にも「歴史系ライター」なら、それについて考えてみようとは思いませんか?あと三方ヶ原のひっかけとは、夏目広次が家康の身代わりになって討たれたことでしょうか。しかしあそこで引っ掛けられたのは、やはり井伊虎松でしょう。無論引っ掛けられた視聴者もいたかとは思いますが。
本作は、陰謀論者が使いそうなロジックで話を組み立てるため、かえって話の展開がわからなくなることがある。
カルト経典の類は、何が言いたいのかまったくワケがわからないことがありますが、それと構造が似ている。
自分たちだけが解読できる! スゴイ! 特別!
そんな優越感を発生させるにはうってつけですね。公式がこんな注釈みたいなインタビューを出さねば理解できないほど。このドラマは暗号読解ですか。
また陰謀論にカルトですか。武者さん本当にこの2つ好きですね。そして
「カルト経典の類は、何が言いたいのかまったくワケがわからないことがありますが、それと構造が似ている。
自分たちだけが解読できる! スゴイ! 特別!
そんな優越感を発生させるにはうってつけですね」
これまた失礼ながら、かなり大きなブーメランになっていませんか?
◆「どうする家康」信長が光秀にキレた本当の理由 演出統括・加藤拓、饗応シーンの裏側明かす(→link)
なぜわかりにくいかというと、最大の見せ場すらアドリブだからのようでして。作っている側も混乱しているのでは?
アドリブって料理ならばパクチーみたいなもので、それをメインにしてドレッシングかけて出すようなものではありませんよね。
わかりにくくもなくアドリブでもないと思います。信長を超えて行こうとする家康が段々としたたかになる、その過程を描く1つの方法と言えるでしょう。それをわかりにくいと言うのは、ドラマをきちんと観ていないからではないですか?
しかも、台本では家康と信長が安土城で相撲を取るはずだった。
だからタイトルも「安土城の決闘」。殺し合いでもない相撲なら「安土城の大一番」でしょうが、本作のお粗末語彙力ならばそこはあきらめましょう。
いやいやいやちょっと待て……アドリブで相撲そのものが消失したなら、もうタイトル詐欺ですよ!
◆「どうする家康」松本潤&岡田准一のアドリブ光る本能寺前夜の12分(→link)
「アドリブ」と言うのなら、後半のこの部分で使うべきでしょう武者さん。そして決闘としたのは、大一番だとすぐに相撲ということがわかってしまうから、敢えてその辺をぼかしたのではないでしょうか。尚この部分、ガイドブックでは当然ながら、相撲を取る設定になっています。
そして岡田さんは、第21回「長篠を救え!」でもアイデアを出しています。
こちらは小手伸也さんの引用ツイートです、一応リンクとツイート本文を置いておきます。
https://twitter.com/KOTEshinya/status/1667503177384742919
この辺りのシーン、信長様が"家臣団を挑発したい"というアイデアを出し、煽り耐性の無さそうな平八郎、彦をロックオンしたら...という流れから現場で生まれたシーンで、誰が誰を止めるみたいな動きも各自が反射でやってます。そんな半アドリブを交えつつアイデアを出しながら撮ってます!