『武将ジャパン』大河ドラマコラム、退場者関連記述への疑問点その3です。
鎌倉殿の13人「全退場者」まとめました~残酷な粛清や謀殺ほぼ毎回 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/10/09/171294
第19回「果たせぬ凱旋」
死亡者:源行家
死因:逃走、捕縛、斬首
義円や義経を死に追いやった死神。ここで死んでも誰もロスにならない、惜しまれぬ人物でした。
いい味は出してましたね。
惜しまれぬ人物であったかも知れませんが、この人がいたおかげで、あの時期に令旨が鎌倉に持ち込まれたことにはなります。
第20回「帰ってきた義経」
死亡者:藤原頼衡
死因:善児による殺害
ハッキリとした死因・死亡状況が史料になければ、善児が殺して問題ナシ――そんなシステムが活きましたね。
この頼衡は実在そのものが疑われてもいますね。無論「善児が殺して問題ナシ」はこの大河のみですし、自害したはずの伊東祐親も彼に殺されていますね。
死亡者:義経と静御前の間に生まれた男児
死因:殺害
源義経の子を身ごもった静御前。
生まれて来る子が女児ならば助命、男児ならば殺害とされていました。
結果は果たして男児。由比ヶ浜で殺されたそうです。
我が子を連れ去られ泣き叫ぶ静御前で、このあまりにも惨い死を表現しました。
先日分の投稿でも書いていますが、登場人物の子であると言うだけで、その存在すらはっきりと描かれていない人物も退場者にカウントされるのでしょうか(千鶴丸は例外)。個人的に退場者と言うのは、何回か出場した後で死ぬなり、居場所を失って去るなりした人物であると思うのですが。
死亡者:里(郷御前)、義経と里の娘
死因:義経による殺害
義経の妻はおとなしく夫に従って殺害される描き方が多いのですが、本作では夫を挑発し、刺し殺される描き方でした。
義経は感情のコントロールがままならないのでしょう。
この時のあらすじと感想で書いてはいますが、感情のコントロール云々もさることながら、京で刺客を呼び込んだのが彼女であると気づいたせいもあるでしょう。
死亡者:義経、弁慶
死因:敗死
義経の死というと、大河ドラマ『義経』で御堂が爆発した珍場面が、昭和の歴史ファンには御馴染みですね。
弁慶の立ち往生はあまりにも有名。
しかし本作ではこの主従の死を直接的には描きません。
最期まで楽しそうに笑いながら戦っている姿が、義経目線で描かれました。
意図的に湿っぽくしない、そんな三谷さんたちの思いゆえにこうなったそうです。
義経と弁慶は一緒にするべきかなとは思いますが…。尚義経自身の終焉を見せなかった大河としては『炎立つ』があります。これは義経生存説(どこかへ落ち延びた説)を裏付けるかのような描き方でしたが、武者さんは観ているでしょうか。
それと『義経』のシーンが昭和の歴史ファンにはお馴染みなどとありますが、『義経』は平成17(2005)年の大河ドラマです。
第21回「仏の眼差し」
死亡者:奥州藤原一族
死因:一族滅亡
義経を討ち取ったついでに、難癖をつけるようにして【奥州合戦】へ。
この合戦を契機に鎌倉と朝廷のパワーバランスが変わります。
一族を滅ぼしつつ、これからの武士について考える頼朝の姿にえげつなさがありましたね。
元々頼朝はこの奥州藤原氏を滅ぼしたかったと思いますし、この場合は全国の武士を動員できるだけの力を持ったと言うべきでしょうか。それでも大河兼任の乱のように、鎌倉への抵抗もまだあったようです。尚この当時は、後白河法皇はまだ存命です。
ところで
「一族を滅ぼしつつ、これからの武士について考える頼朝の姿にえげつなさがありましたね」
一族とは藤原氏のことでしょうか。えげつないも何も、自分達が東国政権を作るのだから当然でしょう。
死亡者:河田次郎
死因:斬首刑
いいか、これからは主人を差し出す武士は殺すぞ!
そんなデモンストレーションのために斬首に。
所謂「八虐」に値すると頼朝は見たようですし、今後の鎌倉幕府に於いて、謀反を企んだ人物がどのようになるのかの見せしめとも言えます。義時も、この時の頼朝の行為に影響されるものがあったかと思えます。
死亡者:八重
死因:溺死
川に取り残された鶴丸を救おうとし、八重は流されてしまいます。
我が子・千鶴丸と名前が似ている子を救えた八重は、ある意味救われたのかもしれません。
義時は全く救われませんが……。
八重もいつ亡くなったかは不明な人物ですので、この辺りでとなったのでしょうか。しかしその場に義村がいるというのがこのドラマらしくはありました。結局義時もその後比奈、そしてのえと妻を2人娶っていますね。
第22回「義時の生きる道」
死亡者:後白河院
死因:自然死
誰もロスにならないとネットニュースになっていたその死。まぁ、穏やかでしたね。
「楽しまれよ」と、孫の後鳥羽天皇に言葉を残して逝きました。
その前に後白河法皇は、頼朝を牽制するようなことも言っていますね。朝廷の権威を守ること、そして「楽しまれよ」と、梁塵秘抄の編者らしい言葉を遺すこと、どちらもこの人物を象徴していたと思います。
第23回「狩りと獲物」
死亡者:工藤祐経
死因:源頼朝の影武者になっていたところを、誤認されて斬首
(中略)
頼朝は、亀の時といい、今回といい、スケベ根性で命拾いをしているのです。
天に選ばれるって、こういうことですか?
ここで頼朝殺害の誤報を受け取った範頼が不幸でした。
兄に代わって鎌倉を守ろうとした結果、鎌倉殿になり代わるつもりか?と疑われてしまう。
「頼朝は、亀の時といい、今回といい、スケベ根性で命拾いをしているのです。
天に選ばれるって、こういうことですか?」
武者さんらしい表現ですが、あまり品のいい表現とは思えません。嫌いな大河、たとえば、昨年の『青天を衝け』に対する物言いのようです。
そしてこの当時のコミュニケーションのずれ、三善康信の行動、すべて範頼にマイナスに働きましたね。頼朝は自分の跡目を狙おうとした人物に懐疑的であったとも取れますが、実朝亡き後は、源氏の血を引く者が命を絶たれてしまうことになります。北条の企みと言われてはいますが。
死亡者:曽我兄弟
死因:兄・十郎は襲撃の際に討ち取られ、弟・五郎は斬首刑
本当は頼朝を殺すつもりだったのに、誤認して工藤祐経を殺してしまった!
そのうえ頼朝暗殺ではなく、親の仇討ちにされて斬首。
あまりに酷い死に様でした。
日本人におなじみの曽我兄弟の仇討ちが、史料をふまえて悲惨なことに。鎌倉はおそろしいところです……。
このようにしておかないと、頼朝に取っては都合が悪いわけですし、新しい体制とはこういう犠牲を伴いがちであると言えます。それにしてもこの「五郎」が、『ちむどんどん』でいきなりフォンターナに入って来て、清恵の名前を呼んだのには驚きでした。
第24回「変わらぬ人」
死亡者:大姫
死因:病死
源義高のあと、スピリチュアルにのめり込んだりして、何かと情緒不安定だった大姫。
後鳥羽天皇入内工作の過程でさらに心理的打撃を受け、ついには自ら選んだように、花が枯れるように散りました。
「源義高のあと」とありますが、「義高斬首のあと」でしょうね。
それにこの当時、スピリチュアルと言うか、呪術的なものはまだ社会に広く存在しており、その意味でこの大姫のキャラ設定は、私としてはちょっと疑問に思えました。義高の蝉の抜け殻を見ていないはずなのに、万寿の蝉の抜け殻を見て涙するところしかりです。
しかし入内そのものには前向きであったわけですから、要は都の、特に朝廷の習慣に馴染むには無理があったと言えます。それと病を得てそのまま死ぬのではなく、それから2年後というのもやや不自然に思えました。
死亡者:源範頼
死因:善児による殺害
大姫の死は誰かの呪詛ではないか?
やけになった頼朝がそう言い出し、大江広元が範頼のせいだと言い出す最悪の展開へ。
頼朝により修善寺に流されていたところ、善児が来て殺されてしまいました。
史実では自害とされています。
範頼も伊東祐親同様自害なのですが、ここでは善児がやったことになっていますね。
死亡者:トウの両親
死因:善児による殺害
範頼の殺害現場には夫妻と幼い娘がいました。
夫妻を軽々と殺した善児は、娘が鎌を構えた姿を見て、どういう気まぐれか、あるいは資質を見抜いたのか、その娘を弟子とするのでした。
一応あの少女がトウではあると思われますが、確固たる裏付けはありません。この場合、修善寺で、範頼の身の回りの世話をしていた百姓の夫婦と言った方がよさそうな気がします。