ちょっと長めです。
花燃ゆ番外編53-群馬の役割と鉄砲について で、『毛利元就』について少し書いています。この毛利元就と武田信玄は、ほぼ同時代を生きた人物でもあります。実際には元就の方が年上なのですが、信玄が元就よりも20歳ほど若くして死去したため、没年はそう違いません。いずれも1570年代前半、戦国末期に鉄砲が戦闘に採り入れられて、織田信長が猛威を振るう、正にその直前のことでした。
2人とも謀略には長けていたと思われますし、京に旗を立てるにふさわしい器量でもありました。しかし武田の場合は、やはり北方の上杉謙信に西進を阻まれていたといえます。毛利は元就一代で中国地方の大部分を手中に納め、また水軍も持っていたこと、朝廷とのつながりがあったことなどから、むしろ武田よりも有利であったかとも思われます。しかし長男隆元の急逝や、尼子攻めなどが原因で、中国地方の覇者ではあったものの、天下人にはなれませんでした。そして関ヶ原で負けたことにより、領国を防長二国に減らされてしまいます。
しかし、仮に毛利や武田が京に上った場合、将軍家の扱いはどのようになったのかと思います。いうまでもなく、この当時まだ室町幕府は形骸化したとはいえ続いており、通常は幕府を再興することになります。織田信長もそれをやりましたが、彼の場合は幕府存続はあくまでも建前としてのものでした。結局時の将軍足利義昭は、信長を討とうとして逆に自分が追放される破目になり、ここに室町幕府が終焉を迎えます。義昭が身を寄せたのは毛利家で、毛利もこのチャンスを最大限に活かすつもりでした。結局、それは果たせなかったのですが。
ただ毛利の場合、武田のように信長に滅ぼされず、領国を減らされたものの江戸時代も大名として生き残り、その後幕末に再び台頭したわけですから、その存在感はやはり大きいといえます。元就により戦国の大大名となったことに加えて、幕末に再び登場したため、日本史の中でも特に大きな存在となったのは事実です。しかし毛利、あるいは武田が京に上った場合、足利義昭を追放するまでしたかどうか。やはり信長だからこそあそこまでやったのでしょう。この人にしてみれば、義昭に変に政治に色気を出してもらっては、自らの天下統一の邪魔になるという思いがあったはずです。
『毛利元就』の登場人物 を見ると、桂、宍道、国司といった、如何にも毛利の家臣といった姓の人物が登場します。そして出演者ですが、益岡徹さんとか鶴見辰吾さんとか、あるいは片岡鶴太郎さんとか、『軍師官兵衛』に出演していた人たちも結構登場します。吉川元春役の松重豊さんは、『八重の桜』の八重のお父さんですね。赤川元保役の永島敏行さんは、『風林火山』では真田の宿敵である村上義清を演じています。この人物は後に武田に敗退して、上杉の家臣となりますが、この村上一族の没落が、結果的に川中島の戦いを引き起こすことになり、武田の上京を阻む一因となったのは皮肉なことです。
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