第11回のあれこれ。今回は、というか今回も多めです。
どちらかを選ぶ余地もない今回印象的だったのがこの言葉です。政次は最初、直親から元康の書状(の偽物)を渡され、どうするべきかを政次に相談し、政次は今川と共倒れになるのはごめんだと言って、直親に2つほど忠告をします。
しかしその後駿府で、これが今川の謀だったことがわかり、同じ言葉を、今度は今川様の目付だからと、全く反対の意味で使わざるを得なくなります。これによって、父と同じようになる政次の今後がいわば決定づけられます。実際この後政次は今川に入れ知恵をするようになり、井伊への今川の下知は、実質政次の考えとなり、今川経由で井伊を遠隔操作している格好になります。
これで思い出すのが、『国盗り物語』の明智光秀です。光秀は当初足利幕府の幕臣でもあり、同時に織田信長の家臣でもあるのですが、将軍義昭の織田への野心から、ついに両者の間を取り持つことができなくなり、結局自分で奔走して再建した幕府を、敵に回さざるを得なくなります。
山伏は隠れ蓑松平の使いを名乗る山伏がやって来て、寺に通す次郎。この前に、自分で勝手に駿府へ出かけて周囲を心配させているわけですが、自分あての客とはいえ、一応は和尚に相談した方がよかったでしょう。無論瀬名救出の礼、また元康直々の手紙とくれば、信じてしまっても不思議ではないのですが、この当時の修験者=山伏は間者の隠れ蓑でもあります。
結局これで直親が返書を出し、鷹狩りにも招待されて、今川の思惑通りになって行くわけです。そこで松平にすがることになるのですが、松平元康も兵は少なく、しかも利害関係が必ずしも一致しない相手には、なかなか首を縦に振ろうとしません。結局次郎は、瀬名へ直訴することになります。
瀬名の立場しかし今川出身ということで、岡崎城内に置いてもらえず、寺に預けられている瀬名と子供たち。そこを訪れた南渓と次郎ですが、次郎はともかく、南渓はある程度難しいことを悟っていたと思われます。ですから引き際もあっさりしていました。一方次郎は「瀬名、開けろ!」と、最終的にはタメ口になっていましたが。
あらすじでも書きましたが、これはやはり松平が兵を割いてでも協力したい何かを、手土産と持って行くべき必要があるわけです。相手に力を貸してもらうからには、そうしなければならない。しかし井伊にはそれがなかったわけです。どのみち、今川と戦う力もない、小野を手なずけるだけの人物もいない以上、井伊はのっぴきならない事態に追い込まれたわけです。
ところで瀬名が次郎を見て、姫様と呼ぶシーンがありますが、あれは皆を必要以上に警戒させないための、彼女の機転でしょうか。しかるべき家の姫であって、怪しい者ではないとその場の者に悟らせる目的であるのなら、なかなか隙のない女性と見ることもできます。
直親の立場結局、松下常慶でない山伏が持参した書状に返書を書き、鷹狩りにまで同行した以上、直親の取る道は、今川を裏切るか、あるいは駿府に行って申し開きをするかのどちらかでした。しかもかつての彼の父同様、駿府に行って生きて井伊谷に戻る可能性は、皆無というべき状態です。
この直親には、桶狭間の直盛もダブります。直盛も我が身を捨てることで、井伊を守ることを考えました。直親は、今川の兵が押し寄せたことを聞き、はやる直平や直由、奥山孫一郎らに、自分は駿府に行くから、虎松の時にそうしてくれと頼みます。
井戸端での3人が、かつての子供時代を思い出すさまは、こういうシーンが控えているだけに、なかなかつらいものがありますが、いざ出立となって、やはり井戸端で出会った次郎に、「おとわが女子であることが、俺のたった一つの美しい思い出」というのにも、子供時代が伏線となっています。これが「おとわとしの」でないこと、戻ったら一緒になろうと本音を言うところに、直親の覚悟のほどが感じられます。そして次郎の「待っておるからな」は、正に子供の頃、逃亡する亀之丞を見送るおとわを思い出させます。
ところでこの中で、家臣が直親に向かって「次郎様」と呼びかけるところがあります。次郎は井伊家の当主の通称ですから、無論直親にこう呼びかけるのはおかしくないのですが、これは次回の「女子でこそあれ次郎」につながるのでしょうか。
爺様の涙「もう見送るのはごめんじゃ」と涙を流す直平。爺様にしてみれば、一族の中で自分よりも若い者が次々といなくなり、またこのうえで直親を見送るなど、耐えられないことなのでしょう。しかし、井伊の対今川方針が、常に兵を以て対抗しようとすることである以上、こうなることもまた避けられませんでした。しかもその兵力が足りない。昨年の真田家に比べると、井伊はかなり所領が小さく、しかも堅固な要塞もありませんでした。如何せん条件が違いすぎます。
いっそ小野家を使って、今川を切り崩すという手もあったはずなのですが…。あるいは小野を成敗して、別の家臣を使うという手もあったでしょう。ただしその場合も、いざという時に自己防衛できるだけの兵力は確保しておく必要があります。なかなか独立を保つというのは難しいことです。
ところで直親一行が、駿府に向かっている途中で強風に遭い、気が付けは敵に囲まれているシーンですが、実際浜松周辺の冬は、強い季節風が吹くので有名です。
今ではこの季節風は、ラグビーの試合を左右することがあります。ヤマハ発動機ジュビロのホームでもあるヤマスタ、そして遠州灘海浜公園球技場などでは、時に強い風が吹き、これがキックをしばしば押し戻すことがあります。ラグビーボールは軽いので、風の影響を受けやすく、せっかく蹴ったのに得点できない、あるいはタッチを割らないということで、風下の場合、キックによる得点に直結してくることになります。
それから昨年の『真田丸』関連で書いておきますが、昨年と比較できない理由の一つとして、展開の仕方が違う点が挙げられます。昨年は前半、夏ごろまでに調子を上げて大名となり、その後昌幸と信繁は流罪となり、最終的に大坂の陣という展開でしたが、今年はむしろ前半に井伊家が辛酸をなめ、後半盛り上げる展開になっています。むしろ真田家絡みで比較するのなら、『風林火山』で、最初亡命を余儀なくされ、後に信濃先方衆として、武田の支配下となった一徳斎の時代、あちらの方が比較対象となりそうです。
それから昨年、信繫の最初の妻となる梅が、戦乱が続くと田畑も荒れるということを口にしていましたが、それに関する場面が、第13回で登場するようです。