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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  真田丸と天地人比較

大河に於けるレアな存在、南北朝と最上義光

以前、『天地人』と『真田丸』を比較した投稿をしていますが、それに関してコメントをいただきました。同じ時代背景や出来事でも、主人公や描き方が変われば随分変わるといった内容でしたが、実際戦国時代などはほぼ一世紀近くにわたっており、しかも様々な地域で領地の奪い合い、人質交換などが行われています。この投稿は長谷堂城の戦いに関するものでしたが、この戦いは正に「北の関ヶ原」でした。一口に関ヶ原と言ってもあの戦いだけではなく、それが方々に波及していたわけですね。

これと同じことが、南北朝時代や応仁の乱の際にも起こっています。南北朝を舞台にした大河は『太平記』のみですが、その影響が方々に及び、しかもそれが戦国にまで尾を引くことを考えれば、やはりもっと作られてもいいでしょう。別に1年物でなく、2クール程度でもいいのですから。また前出長谷堂城の戦いで、直江兼続に対抗した最上義光は、今までの大河の歴史の中で、『独眼竜政宗』でしか登場していません。南北朝も最上義光も、過去1度きりというのももったいない話です。無論最上義光は、『どうする家康』で出て来る可能性もありますが。

それから南北朝関連で、『逃げ上手の若君』の主人公でもある北条時行、この人物について投稿してからしばらく経ったので、『英雄たちの選択』と絡めてまた投稿しようと思います。この人は諏訪家に匿われるわけですが、この諏訪家というのは、諏訪大社の大祝(おおほうり、神職)でもあり、それに関するシーンが『風林火山』でも登場していました。後に諏訪頼重(戦国ではなく南北朝の人物)はこの人を担いで中先代の乱を起こし、足利尊氏の弟である直義を鎌倉から追放するに至ります。

飲み物-ウイスキーと照明
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[ 2021/10/01 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人 大坂の陣のシーン比較

では『真田丸』と『天地人』の大坂の陣比較です。まず真田信繁(幸村)、『真田丸』では大坂入城時から立髷にしていますが、『天地人』では茶筅髷のままですね。

堺雅人(真田丸)、城田優(天地人)
真田丸幸村   天地人大坂の陣幸村

そして豊臣秀頼。『天地人』では母淀殿と山里曲輪に向かい、そこで千姫を突き放し、幸村が井戸に隠すという展開です。『真田丸』では、きりが千姫を連れて城を出る一方で、秀頼は間者である与左衛門の嘘の告白、大蔵卿局の出馬阻止、そして幸村が徳川に付いたという偽の情報のせいで混乱します。

中川大志(真田丸)、中村倫也(天地人)

   真田丸秀頼2  天地人大坂の陣秀頼

それから千姫。『真田丸』の千姫は江戸に帰りたいと信繁に漏らし、祖父家康との再会を喜びますが、『天地人』の千姫は秀頼との別れを悲しみ、祖父を突き飛ばして、爺様を許さないと口にします。

真田丸、千姫を抱きしめる家康 天地人、家康の腕を振りほどく千姫 

真田丸家康と千姫  天地人家康と千姫

そして夏の陣といえば、何といっても信繁(幸村)の見せ場なのですが、右側の『天地人』の幸村は騎馬姿でもなく、槍も持っていません。無論家康を狙うシーンもありませんでした。尤も『真田丸』の家康を狙うシーンも、あそこまで喋らせなくてよかったと思います。

真田丸夏の陣幸村  天地人大坂の陣幸村3       

それから夏の陣の前に、『真田丸』では家康と景勝が酒を酌み交わしますが、真田の名を聞いて家康は顔色を変えます。一方『天地人』では、兼続と幸村が密かに会って、どこか空地のような場所で酒を酌み交わすシーンがありましたが、ああいうことは可能だったのでしょうか。何やら、幸村が徳川の間者のように見られるのではと思うのですが。

真田丸夏の陣家康と景勝  天地人大坂の陣1  
                                                         
そして直江兼続。『真田丸』では夏の陣で主君景勝、そして伊達政宗と共に信繁の奮戦ぶりを遠巻きに見ているのですが、上杉は京の警備ではなかったかと思うのですが。一方『天地人』では、京にいるものの、大坂城が落城するのを見て馬を走らせ、千姫を井戸から救い出すという設定になっています。これはちょっと荒唐無稽では。

村上新悟(真田丸)、妻夫木聡(天地人)

 真田丸夏の陣兼続   天地人大坂の陣兼続          

[ 2016/12/31 23:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸の防御と銃の変遷

『真田丸』第44回「築城」では、大坂城の厨で信繫が又兵衛に、出城を作る役目を自分に譲ってほしいと頼みます。華々しく暴れて潔く散りたいと考えている又兵衛とは異なり、信繫にはこの出城で勝つためのノウハウがありました。それは以下のようなものでした。

  • まず、出城の前に空堀を掘る。敵は出城をめがけて一気に押し寄せる。
  • そこに逆茂木と乱杭を配しておく。そこで押し寄せた兵は身動きが取れなくなる。
  • また脇道を作る。これは誘い道で、出城への近道になるため、そこにたどり着く敵も多い。敵はまずここに来るから、鉄砲狭間から一斉射撃する。
  • 逆茂木と乱杭の溝の外にも溝を設ける。そこから敵がよじ上って来る時に、一旦身を起こす。そこを狙う。射撃は二段構えで行う。
  • これによって敵の士気を喪失させ、虎口より飛び出し、蹴散らす。

何だか昌幸が考えそうな方法ですが、やはり安房守の軍略に倣ったものでした。ところでここに登場する逆茂木、鹿柴(ろくさい)とも言いますが、穴の中などに先のとがった木や竹を立てて、相手の動きを封じるためのものです。乱杭も似ていますが、これは杭を打ち込んだもので、いずれも相手の進軍を妨げる意味では効果的でした。塹壕を掘る時も、逆茂木でバリケードを築く方法はよく採られていたようです。この真田丸の図面が、こちらの画像です。(真田丸公式サイトより)

真田丸の図

それから、この後で馬上筒が登場するようです。(実戦に使われるかどうかは不明)これは所謂ホイールロック式の銃で、銃に取り付けられたホイールを回し、それに火打石を擦り付けて発火させるものですが、高価で、しかも故障しやすかったことから、ほどなくしてフリントロック式に移行しています。
またこの当時は火縄銃ということもあり、装填に時間がかかることを考えると、二段構えにならざるを得なかったと考えられます。18世紀のヨーロッパの植民地戦争などでも、まだ先込銃であったことから、この手の射撃は行われていました。ケベック陥落の際も、三段構えが採られています。
銃弾を後装する、所謂元込銃は17世紀ごろには存在したといわれますが、一般的になったのは南北戦争時のようです。この時、『八重の桜』で覚馬が長崎で購入した、スペンサー銃が開発されています。
『八重の桜』では八重の夫の尚之助が、この後装式の銃を、弾込めをしている姿勢が低いため、敵に気づかれにくいと話すシーンがあります。またこの中で「関ヶ原の頃の火薬」という言葉が出て来ますが、これは精錬度が低く、煙が多い火薬のことです。実際関ヶ原の頃は、火薬の精錬技術レベルは、後世に比べるとまだまだ低いものであったのでしょう。

それから「真田丸と天地人の比較」ですが、上杉主従だけ先にするべきかと考えてもいます。元々、上杉景勝が大坂に布陣したのは冬の陣で、夏の陣は京の警備に当たっていたようですが、『天地人』では夏の陣に参戦し、しかも千姫を救ったなどという設定になっています。ちなみに『天地人』では、冬の陣そのものは描かれているものの、冬の陣で上杉主従が戦う様子は、確か描かれていません。

[ 2016/11/09 00:45 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人 女性と子供の描写の比較

以前「『天地人』の作者と脚本家のコメントについて 2」で、小松江里子さんの脚本について、このように書いたことがあります。

女性を動かして行くというのが、ほぼ朝ドラテイストになってしまっています。だから兼続が、京の上杉屋敷で子供のおむつを替えたり、夫婦の会話シーンが長々と続いたりしていて、しかも『花燃ゆ』同様、女性パートを入れることによって、肝心の史実に基づいたシーンの流れが止まったりしているわけですが、そういうのを大河の視聴者は本当に見たがっているのでしょうか。

実際「女性を動かす」という名目で、その実
  • 必要と思われない場所に女性たちがやたら出てくる
  • 兼続が妻お船や子供たちといるシーンがやけに多い
という印象を免れないのです。1エピのうち、半分近くがそういうシーンで占められていることもあります。しかしこれはあくまでも男性が主人公で、しかも戦国大河です。女性たちが登場するのは、その場を和らげる目的もあるわけですから、それと対照的な緊張感のあるシーン、謀略をめぐらすシーンがあってこそ、女性を動かせるわけです。しかし、男性が出て来て緊張感が漂うというシーンがかなり限られています。
たとえばこの、京の上杉屋敷のシーンですが、

天地人朝ドラ

兼続は主君に会うのに、子供を膝の上に乗せるのでしょうか。同じエピで子守やおむつ替えをしてもいましたが、無理にこういうのを入れる必要はないと思います。さらにこれは前に書いていますが、その当時、このような形で会食をすることがあったのだろうかと思う描写もあります。

天地人会食2

お船のそばの火鉢に鍋があり、そこから汁物を注いでいるわけですが、当時の越後でこのような習慣はあったのでしょうか。他にも、夫婦が差しで話をしているところも結構出て来ます。

天地人夫婦1

別にこういうのはあってもいいのですが、とにかく登場回数が多すぎます。戦国にありがちな軍議や戦闘、さらに兼続が政務を行っているところ等々の尺が、全部持って行かれている感じです。
そしてかまくらのシーン。


天地人かまくら

今でも北日本では年中行事でかまくらを作り、水神を祀る習慣がありますが、その当時祭事でなく、こういう子供の遊びでかまくらを作るということはあったのでしょうか。それと、もう少しかまくらにリアリティを持たせてほしかったです。
さらに秀吉の甥の秀俊(後の小早川秀秋)が毛利家に養子に行く件で、景勝の正室の菊姫が口を挟むところですが

天地人政に口を挟む菊姫

こんなところに奥さんが出てくるべきなのかと思うのですが…こういうのが『花燃ゆ』とどこか共通するのですね。『花燃ゆ』では何でもかんでも美和がしたことになっていましたが、『天地人』でも、兼続が五大老五奉行を考え出して、さらに秀吉の前で、今後のことをお考えくださいとまで言っていました。『真田丸』では秀長がそう言っていて、だからこそ説得力があったのですが、なぜ兼続?しかも三成が嘘泣きまでして、後でうまく行ったとドヤ顔になる辺り、脚本がいささか乱暴に過ぎるきらいがあります。

無論『真田丸』でも女性や子供が登場するシーンは多々あります。たとえば最初の方、小山田茂誠を匿っている松、きり、梅が、信幸の前で素知らぬ顔をし、信幸が訝るシーンです。

真田丸三人

こういうのも賛否両論ありますが、合間合間に入れるのであればそれも納得です。これより後、信繫が大坂に行って後は、こういう女性たちの集いもありました。

真田丸三人+きり
 
私見ではありますが、『天地人』より『真田丸』の方が、女性たちに武家の女性としての役割をきちんと背負わせている気がします。この稲や、上の画像左の阿茶局などは、その典型でしょう。「女性を動かす」とは、本来そういうものではないでしょうか。こちらは稲が、昌幸と信繁の関ヶ原後九度山への配流が決まり、助命嘆願をと訴える薫と松に、もはや父上とは縁を切るべきと告げるシーンです。

真田丸四人 

『天地人』の場合、この沼田城の稲のように、武勇で知られた女性がいないのも、本来の意味で女性を動かすうえで、やや不利になったとはいえるかもしれません。

真田丸沼田城の稲とこう

それから子供たちも、やたらに出すのではなく、戦闘シーンの合間にこういう形で登場させるのは、何やら和むものがあります。稲とこうが大坂から脱出し、百助と仙千代を連れて昌幸に会うところです。

真田丸稲とこうと子供たち

なおこの『天地人』と『真田丸』比較、一応大坂の陣編も予定しています。

[ 2016/10/22 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人比較-徳川家康の描かれ方

本題に入る前に。ハースト婦人画報社の季刊誌『美しいキモノ』の、2016年秋の号171ページから175ページまで、『真田丸』の衣装関連記事、そして出演者のインタビューが掲載されています。この出演者とは、真田信尹役の栗原英雄さんで、お母様が和風の物を好まれ、子供のころから和服が比較的身近にあったとのこと。また栗原さん自身が、上田紬を着こなしている写真もありますので、興味のある方は書店で手に取ってみられるといいかもしれません-男のきもの最前線という記事がありますが、それとは違いますのでご注意を。この号は表紙と巻頭のページに、稲を演じている吉田羊さんも和服姿で登場していますが、大河とタイアップしているのでしょうか。

前置きが長くなりましたが、今回は徳川家康の描かれ方についてです。『天地人』の徳川家康がどこかおちゃらけ設定になっていること、そのため今一つ家康のブラックな雰囲気が感じられないことは、前にも書きました。恐らく上杉が主人公というせいもあるのでしょうが、主人公が敵対する相手を、一方的にディスるような描き方も如何なものかとは思います。たとえば、直江状に怒り心頭の家康は、書状を手に取り乱し、あからさまに地団太踏んで悔しがるような描かれ方です。

天地人家康直江状

一方『真田丸』ですが、書状を読んで気難しそうな顔をして、後で引き裂いてしまうものの、ここまでみっともなく感情を露わにすることはしません。『天地人』に比べると、家康も兼続も、大人の設定であるといえます。西笑承兌がいるのもポイントが高いです。

真田丸家康直江状
 
もうひとつ、方広寺鐘銘事件関連ですが、この時も『天地人』では、子供のように足をじたばたさせて悔しがるという設定です。わかりやすいといえばわかりやすいのですが、脚本がどうも創意工夫に欠けるようです。こういう書き方しかなかったのでしょうか。

天地人家康国家安康 

そして『真田丸』、この件で片桐且元にあれこれ口を出したのは本多正純でした。家康はといえば、茶々と相談して駿府に乗り込んだ大蔵卿局相手に、この件は問題ないからと言い、大蔵卿局はすっかりその気になってしまいます。実際は「問題ない」どころか大ありで、しかも大蔵卿局と片桐且元は、これで決定的に対立してしまいます。豊臣を滅ぼしたのは、実は茶々と大蔵卿局であったとも考えられるほどです。

真田丸家康国家安康
 
前後しますが、『天地人』で秀吉の没後、瘤の部分を隠さなくなった家康。これは老衆の会議の時ですが、裃はつけず羽織のままです。

天地人家康2

『天地人』の五大老(『真田丸』の老衆)五奉行はこのような感じで、大老はすべて羽織に立烏帽子姿です。

天地人五大老

そしてこちらは『真田丸』の老衆の会議での、裃姿の家康。自分の掟破りに、何とか抗議しようとする上杉景勝に、お声が小さいと言うシーンです。

真田丸家康2

『真田丸』は老衆五奉行をはじめ、皆裃姿です。これは家康目線ですが、真正面に石田三成がいます。

真田丸老衆五奉行

しかしやはり『天地人』の家康の描かれ方というか、すべての登場人物の描かれ方、そして情景描写は何か軽くてひねりがない印象です。次回ではそれについて触れる予定ですが、最後に、それぞれの関ヶ原での様子を上げておきます。『天地人』ではおちゃらけキャラであるものの、この時は堂々たるものです。

『天地人』徳川家康
天地人家康関ヶ原

『真田丸』徳川家康
真田丸関ヶ原家康

ところで『天地人』で家康を演じた松方弘樹さんは、1998年のテレビ東京の新春ワイド時代劇である『家康が最も恐れた男 真田幸村』で、主役の幸村を演じています。実はこの時真田昌幸を演じたのが、『真田太平記』の昌幸役の丹波哲郎さん、そして徳川家康を演じたのが、『独眼竜政宗』で家康を演じ、さらにこのドラマの2年後、『葵 徳川三代』でも家康を演じる津川雅彦さんです。さらに『真田丸』出演者では、山本耕史さんが秀頼を、遠藤憲一さんが服部半蔵をそれぞれ演じています。またこの作品では、霧隠才蔵役は女性の国生さゆりさんです。
 
[ 2016/10/14 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人比較-上杉家の描かれ方

画像で見る「真田丸と天地人比較」、今回は上杉主従です。まず直垂姿ですが、『天地人』では前田利家への目通り、『真田丸』では秀吉への拝謁のシーンです。『天地人』の景勝は立烏帽子姿で、兼続のように紫と白の組紐はつけていません。(立烏帽子にも紐をつけることはできます)

天地人上杉主従

一方『真田丸』の上杉主従は折烏帽子(侍烏帽子)をつけ、紫と白の組紐で固定しています。この紫は勅許を得ないと使えません。ところで上の画像の兼続は、紐をあごのところで結びきりにしていますが、この画像のように蝶結びにして垂らすのが正式であるようです。

真田丸上杉主従

それから茶室のシーンですが、烏帽子こそ着けていないものの、こちらでは主従とも直垂姿のままです。

天地人茶室

一方『真田丸』、石田三成が直垂姿の景勝に、「(茶室に)その御装束では…」と衣服を変えるように促し、景勝は裃姿で茶の接待を受けます。

真田丸上杉景勝茶室

それにしても『天地人』の上杉主従は裃を着ません。景勝の子定勝の時代には倹約令として、「小袖上下は無用」というお達しもあったようですが、この時代は石高を減らされる前です。恐らくこの主従の、第一礼装ではない直垂姿が、裃に当たる礼装だったのでしょう。

天地人上杉主従2

こちらは『真田丸』の、裃を着けて伏見城に赴き、三成に挙兵を止めるように諭した上杉主従。

真田丸上杉主従裃姿 

そして『天地人』慶長出羽合戦時、徳川家康を追うなと口にする景勝に驚く兼続、それぞれの上杉主従の軍装、景勝が着ているのは謙信の甲冑と陣羽織でしょうか。

天地人上杉主従軍装2

こちらは『真田丸』、関ヶ原直前に会津城で、宇都宮から西へ向かった秀忠を追うべきと言う景勝と、最上や伊達という敵がいるのに、それはなりませぬと諌める兼続。この軍装は、2つ下の画像と同じものです。

真田丸上杉主従軍装2

『天地人』、唐入りでの上杉主従。こちらはごく普通の陣羽織を着ています。

天地人主従軍装

そして『真田丸』の、春日信達が裏切った証拠の起請文を見る上杉主従。無論この「裏切り」は、北条氏直に、上杉ではなく徳川を攻めさせるための、昌幸と信尹の調略でした。

真田丸上杉主従軍装

ところでせっかくの上杉主従ですから、それぞれの直江状を認める画像も置いておきます。まず『天地人』、こちらは夜のようですね。時間帯はともかく、前日に承兌の書状が届いて、翌日にこの返書を書いたことになっています。しかし『天地人』では西笑承兌が絡まないこと、やけに多くの人物に発送されていたこと、挑戦状扱いになっていたのには違和感ありでした。

天地人直江状

そしてこちらは『真田丸』、昼間に直江状を認める兼続。

真田丸直江状
 
[ 2016/10/10 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人比較-上杉家人質としての信繁(幸村)

では、『真田丸』『天地人』それぞれの真田信繁(幸村)の描かれ方について、画像での紹介です。真田信繁(幸村)が上杉家と関わるのは
上杉家の人質となった時
大坂の陣
この2つであると思われます。尤もこの両方の作品では、それ以外にも、上杉主従が上洛した時に会う、あるいは『天地人』で、幸村の義姉である初音が実家から命を狙われ、それを兼続が助けるといったシーンでも、それぞれ上杉/真田の顔見せがありました。

まず今回は上杉の人質となるシーンです。これは以前「真田丸「人質」と天地人「真田幸村参上」との比較」でも書いていましたが、『天地人』で幸村が普段着のまま景勝に目通りしているのは、人質に行くということの意味を考えると、流石に無理があると思われます。

天地人幸村目通り

『真田丸』では、信繫と供の三十郎が、それぞれ素襖を着ています。やはり、このくらいの格好をしてしかるべきでは。

真田丸信繫目通り

それから『天地人』で、兼続が海を見せたいからと幸村を連れ出し、槍紛失の件で説教して、その後「信じている」というシーンも、言ってはなんですが、転校して来て周囲に馴染めないヤンキー高校生と、担任教師といった感があります。そもそも直江兼続とは上杉家の家老のはずです、そんな暇があるのでしょうか。海を見せるのなら、景勝が連れて行ってもいいでしょう。『天地人』では当主である景勝よりも兼続との関係重視で、弟子入りして直江家に住み込むという、人質というよりは食客のようなことまでやっています。

天地人兼続と幸村浜辺

 実際『真田丸』では、景勝が信繁と三十郎を海へ連れて行く途中で、例の鉄火起請に出くわすわけです。その『真田丸』の兼続は、信繁に「貧民の力になるだけの余裕は、今の上杉家にはない」と漏らします。こちらの方が如何にも家老らしくはあります。

真田丸兼続と信繁

それから上田合戦の時の具足ですが、『天地人』ではこの時既に赤備えとなっています。うーむ、赤備えは大坂の陣限定だったと思うのですが。

天地人幸村甲冑
 
一方『真田丸』の信繁、六文銭の旗を振って相手を陽動するシーンですが、こちらでは赤備えは着ていません。

キャプチャ33

そして最後に、真田父子です。こちらは『天地人』の昌幸と幸村です。

天地人真田父子
 
この昌幸が残念ながら、今一つ表裏比興の人物に見えない。いつも袋から蟹の脚?か何かを出してかじっている、気のいいおじさんにしか見えないのです。『真田丸』で、スルメばかり齧っている平野長泰を連想します。その『真田丸』の真田父子、やはり真田父子といえばこのイメージです。個人的に真田と上杉は、もはや『真田丸』で上書きされているせいもあります。

真田丸真田父子

次は上杉家の描かれ方について書く予定です。

[ 2016/10/05 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人比較-キャストと人物設定2

豊臣秀吉
小日向文世(真田丸)、笹野高史(天地人)
真田丸秀吉2  天地人秀吉

『真田丸』では人たらしで、家族とは尾張弁で話す。上杉景勝に同行して来た信繫を馬廻り衆に取り立てる。小田原征伐では陣中に出雲の阿国の一座を呼び、唐入りでは肥前名護屋でやつしくらべを行う。しかし弟秀長に先立たれ、甥秀次との間に亀裂が生じて、身内の側近や後継者を失い、次男秀頼の将来を案じつつ、家康と石田三成とに翻弄されながら孤独のうちに死ぬ。
『天地人』では、天下を取った後、落水の会見で景勝に上洛を勧める。また兼続の手腕を気に入り、上洛時に自らの家臣にしようとするが失敗する。鶴松の死後、甥の秀次に関白の座を譲るが、拾(秀頼)の誕生により確執が起こり、三成にすべてを託して世を去る。

徳川家康
内野聖陽(真田丸)、松方弘樹(天地人)
真田丸徳川家康2  天地人徳川家康

『真田丸』では、古狸である反面臆病な一面もあり、側室の阿茶局に注意されながらも、爪を噛む癖がある。秀吉死後は老(おとな)衆の一員となり、秀吉の遺言そっちのけの行動を取って三成の反感を買うが、関ヶ原の戦いで勝利を収める。さらに大坂の陣では、仇敵真田昌幸の息子信繁を相手に戦うこととなる。
『天地人』では、頭の天辺に小さな瘤があるという設定である。秀吉に臣従するも密かに天下を狙うが、兼続の提案による五大老の一員となって、動きが封じ込められる。しかし秀吉の死後は掟破りを繰り返し、関ヶ原の戦いで石田方を撃退し、さらに大坂の陣で勝利後、兼続と伊達政宗に死後のことを委ねて他界する。

石田三成
山本耕史(真田丸)、小栗旬(天地人)
真田丸石田三成2  天地人石田三成

『真田丸』では、大谷刑部と並ぶ豊臣家きっての能吏。しかしその性格が災いし、同じ秀吉子飼いの武将たちから反感を買う。秀吉の死後は、信繫を自分の秘書のように使うが、やがて家康との対立が表面化し、真田家や上杉家と協力して家康を倒そうとするものの、大敗し斬首となる。
『天地人』では、三つ編みを背中に垂らし、時々結い上げている。最初は快く思っていなかった兼続と親友となり、兼続の提案による五奉行の一人に就任する。家康を止めようと、上杉と組んで家康を挟み撃ちにする立てるが、敗北で実現せず斬首される。遺言はその後兼続に届けられた。

北政所(寧)
鈴木京香(真田丸)、冨司純子(天地人)
真田丸北政所2  天地人北政所

『真田丸』では尾張弁丸出しで喋る、身内思いで気のいい女性。関白の妻としての務めを果たす一方で、信繫ときりに「うちの人は本当は怖い人」と打ち明ける。子を亡くした茶々を慰め、秀吉子飼いの武将たちからも親しまれているが、三成とはややそりが合わない。秀頼の結婚を機会に出家し、高台院と名乗る。小野お通は元々は彼女の侍女の指南役。
『天地人』では、秀吉の糟糠の妻で、唯一直言できる存在でもあるが、淀殿とのそりが合わず、常に彼女を意識している。そこに目を付けた家康が巧みに取り入り、秀吉亡き後は徳川方に付くようになる。

淀殿(茶々)

竹内結子(真田丸)、深田恭子(天地人)
真田丸茶々2  天地人淀殿

『真田丸』では、信繫との出会いに運命的なものを感じ、同じ日に死ぬと予言的なことを口にする不思議な女性で、独特のオーラを放っている。また、彼女の周囲で色々な事件が起こる。秀吉の側室となった後世継ぎを2人産む。
『天地人』では、思ったことをすぐ口にするため、北政所との折り合いがよくなく、逆に景勝の正室菊姫との親交があった。関ヶ原の戦いの後、家康を抑えようとするが挑発に乗り、大坂の陣で秀頼と共に果てる。

[ 2016/10/03 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人比較-キャストと人物設定1

『真田丸』と『天地人』のストーリー展開について、何度か比較をしていますが、それがどうも高じたようで、今後しばらくキャストやシーンの比較を、何度かに分けてアップする予定です。画像は映像及びホームページの画像からキャプチャさせていただいています。なお、初回アップ時は『天地人』を先にしていましたが、その後画像やテキストは、『真田丸』メインに修正しています。

真田信繁(幸村)

堺雅人(真田丸)、城田優(天地人)

真田丸真田信繁   天地人幸村

『真田丸』では主人公。天正壬午の乱の後、人質として上杉家に送られ、当主の景勝に気に入られる。その後景勝一行に同行して赴いた大坂で、そのまま秀吉の馬廻り衆となる。秀吉死後は三成に仕え、上田合戦で徳川を敵に回し、九度山に父共々送られるが、後に脱出して大坂の陣に加わる。
『天地人』ではワイルドな雰囲気、赤の数珠のようなものを首から下げている。義姉で忍びであり、家族から追われる身となった初音を気にかける。上杉家の義を重んじる家風に惚れ込み、兼続を師と仰ぎ、大坂の陣では千姫救出に力を注ぐ。

上杉景勝

遠藤憲一(真田丸)、北村一輝(天地人)
  真田丸上杉景勝2 天地人上杉景勝

『真田丸』では義を重んじる越後国主で、信繫の気概に惚れ込み、人質に迎える。しかし秀吉に臣従した後、信繫は秀吉の人質となり、真田を助けないように秀吉から釘を刺される。会津に転封後、老衆として家康と対立、三成に味方した関ヶ原では本戦には出られず、後に改易され米沢藩主となる。
『天地人』では寡黙な上杉家の当主、幼少の頃より自分に仕えて来た兼続を重んじている。秀吉への臣従、五大老、会津への転封、関ヶ原後の改易などを経て米沢藩初代藩主となる。義を重んじる上杉家の家風を尊び、先代である謙信に忠誠を誓っている。

直江兼続

村上新悟(真田丸)、妻夫木聡(天地人)

真田丸直江兼続2   天地人直江兼続
 
『真田丸』では、義を重んじる景勝の執政であり、また安全弁的存在でもある。冷徹で、無礼を働く者に対しては、斬り捨てることもいとわない。信繁を最初はよく見ていなかったが、段々と理解するようになる。
『天地人』では義と愛をモットーとする主人公。小姓として景勝に仕え、後に上杉家の執政として活躍し、弟実頼を京との橋渡し役とする。妻に優しく子煩悩で、石田三成とは友人関係にあった。米沢三十万石に改易時は財政再建にいそしむが、3人の子を相次いで失う。晩年は越後に戻る。

[ 2016/10/02 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『天地人』長谷堂城の戦いその他と『真田丸』の関ヶ原

長谷堂城の戦い関連、『真田丸』では登場しませんでしたので、『天地人』の分だけざっと書き出しておきます。前にアップしたのといくらか重複しますので、悪しからずご了承ください。

景勝は、西へと撤退する徳川軍を「義」のために追うなと命じる。兼続は異を唱えるが、ならば自分を斬ってからにしろと、景勝は太刀を差し出す。兼続はそれで空を斬り、主君にそれを返す。そんな折、最上の動きが怪しくなり、兼続は軍を率いて山形へと進む。時まさに慶長5年9月15日、関ヶ原の戦いのその日だった。一方関ヶ原では、どちらに付くか決めかねて動こうとしない小早川秀秋に、三成が直談判に行く。一方こちらも業を煮やした家康は、小早川陣に鉄砲をぶち込み、秀秋は慌てて大谷刑部を攻撃する。あっけないほどの短時間で決着がついてこの戦いは、徳川方の勝利に終わり、三成は敗走中に負傷して、どこからともなく現れた初音に救われる。そして兼続は、途中で関ヶ原の情報を得て、最上攻めを断念して撤退する。しかしやはり関ヶ原の結果を受けて、勢いづいた最上と伊達は、兼続たちに猛攻を加え、しんがりを務めた兼続は、ほうほうのていで会津に戻る。

この中で、「義」のため云々、そして関ヶ原と両立させたためどっちつかずになったというのは、「真田丸と天地人の関ヶ原比較」で触れています。また自分を斬ってから行けというセリフに関しても、「真田丸あれこれ その41」で、こちらは『真田丸』風アレンジで立場を逆転させています。
そして実際にはなかっただろうといわれる間鉄砲が、ここでは登場します。また長谷堂城の戦いも、兼続が関ヶ原の結果を知ったのが、早すぎるように思えます。最上や伊達の気配を察して、兼続が撤退するのであればまだわかりますが。これに関しては、「北の関ヶ原」関連記事で述べています。また、最上や伊達も、はっきりした形で結果を知っていたかどうかは不明です。

それにしても『天地人』の戦闘シーンですが、兜を着けているのに髪を下ろしていません。これは関ヶ原での小早川秀秋です。

キャプチャ32

つまり、髷をほどかないまま兜を着けていることになりますが、この時代それはまずないでしょう。一方『真田丸』第10回「妙手」の、虚空蔵山城での戦芝居、直江兼続と対峙する真田信幸の後姿ですが、きちんと髪を下ろしています。

キャプチャ34

どこにでも直垂姿で来る上杉主従、あるいは公の場で家康に羽織姿で会う上杉景勝も妙なものですが、これもかなりおかしな感じがします。

それから『真田丸』の関ヶ原のシーンへの反応は人さまざまのようですが、私はやはり、真田家から見ればああいう情報の伝わり方だったでしょうし、むしろ上田合戦だけに絞って締まった印象があったと思います。小早川秀秋の口から語られるのかなとも思いましたが、むしろこれは今後、実際に参戦した、そして小早川秀秋の幻に登場した毛利勝永、明石全登、そして宇喜多秀家ら、大坂の陣に登場する人物から信繁が話を聞き、それを自分の中で再構築することになりそうです。逆に、秀秋の口から語らせるより、その方がいいかもしれません。
無論私が長谷堂城の戦いを楽しみにしていたように、関ヶ原を楽しみにしていた人も多いかと思われます。ただ『真田丸』は最初から多少ひねった部分があるので、関ヶ原も当たり前には描かれないだろうなとは思っていました。私が長谷堂城にこだわるのは、真田が味方した上杉に関わる戦いであり、可能であれば最上義光登場を期待していたからです。しかしやはりそこまでは行きませんでした。ならばいよいよスピンオフ、あるいは上杉、伊達、最上プロパー大河を希望です。あるいは、後に上杉主従もしくは直江兼続の口から語られる可能性もあります。兼続が語る長谷堂城の戦いというのもよさそうです。

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[ 2016/09/22 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(2)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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