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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-1

遅くなりましたが、第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。

先週の放送で柱の傷を用いて成長の度合いを示していましたが、11~15歳までわずかな伸びだったのに対し、17~19歳にかけて急激に伸びていた。
人間の身長が一番伸びる第二次性徴期は10代半ば、13~16歳ぐらいのはず。
むろん個人差はあり、10代後半にかけて伸びる方もいますが、本作においてはドラマの展開に無理に合わせているようで興ざめしてしまうのです。

所謂成長スパートと呼ばれるもの(急速に身長が伸びる時期)、男児の場合、18歳までは身長が伸びると言われていますし、もちろんその後も伸びる人もいます。伸びが止まるのは、軟骨細胞がある骨端線が閉鎖されるためとされていますが、これには個人差があり、それが人によって伸びる時期にばらつきがある一因となっています。

(リンクが長いのでこうしています)

それと、こちらは西新宿整形外科クリニック様のサイトです。

骨端線はいつ閉じるものなの?


それから
「11~15歳までわずかな伸びだったのに対し」
11歳から12歳(この間に多分千姫と結婚)はかなり伸びています。

どうする家康秀頼身長1

そして19歳、この時に父秀吉を追い越しています。

どうする家康秀頼身長2


ドラマの展開に合わせてと言うと、秀頼の身長が伸びた時に大きな出来事があったことを意味していると取れますが、12歳時に色々なことで尺が取られているものの、次に身長が伸びた17歳では本多忠勝死去のみ、そしてこの19歳で父を追い越したということでしょう。しかしこれで見る限り、秀頼は、遅くに背が伸びるタイプだったのでしょうか。

北半球なのに南に虹が出るとか。VFXが物理法則すら無視しているとか。甲冑に刀で切り付けるとか。重傷を負っているのにハキハキと話すとか。還暦過ぎた女性が若々しいままとか。
そういう現実味の薄さが、場面場面でドッと押し寄せてきて、辟易とさせられるのです。

南に虹が出るのはスピリチュアルな意味合いもあるし、また実際水平環アークと言って、南に出る虹もあります。

環水平アーク
(虹図鑑)

あと
「VFXが物理法則すら無視している」
具体的に第何回の、どのようなシーンでしょうか?
そして

「甲冑に刀で斬りつける」
もう4度目くらいかと思います。もちろんこの場合は、甲冑を着けていない部分を刀で狙っています。伏見城の戦いで、千代が甲冑を着けた相手の頸動脈を狙うのはそのためです。

「重傷を負っているのにハキハキと」
井伊直政のことでしょうが、これももう3度目くらいですね。
無論あの時直政はけだるそうに起き上がり、立ち上がることはできず、肩で息をつきながら話しています。そして天下を取りましたなと言う時だけ、ややはずんだ声を上げています。

「還暦過ぎた女性が若々しいまま」
これも具体的に誰のことでしょうか。何名かいると思われますが。

現実味が薄いというより、武者さんが勝手にそう決めてかかっているだけかと。
しかし3度目とか4度目のもあり、もうネタの使い回しで文字数を稼ぐしかないのでしょうか?

民放やVODでワイワイやっていたなら、まだトンデモ歴史作品として認識できたのに、NHKの大河という枠で放送されるから辛くてたまらなくなってしまいます。

「トンデモ」も武者さんがそう思いたがっているのではないかと思います。
そしてNHKの大河がどうこうと言う割に、その背景とか舞台を、好き嫌いにかかわらず理解していないようにも思うのですが。

だからこそ「城内で舞う」というわけのわからない描写が出てくるのでしょう。
青海波を舞う光源氏でも意識したのでしょうか。それともアイドルは踊るものという意識でもあるのでしょうか。

神社仏閣などで屋内で舞うというのはありますね。あるいは父秀吉を追い越したというのもあるのでしょうか。

そして、ここでも衣装とヘアメイクが不可解です。
なぜ秀頼は頭頂部がそのままなのか。何も被らないものでしょうか。
千姫の焼き芋みたいな色の衣装も見ていられません。スイカバーの妖精・大久保忠世が終わったかと思ったら、今度は焼き芋の妖精です。

「なぜ秀頼は頭頂部がそのままなのか。何も被らないものでしょうか」
舞楽というか雅楽の場合、直面(ひためん)といって面をつけずに舞うものもありますので、恐らくその手の舞なのでしょう。

素顔のまま[直面:ひためん]で舞う舞楽曲も多いのですが、とくに裲襠装束を用いる演目では、面を着用することが多くなります。

雅楽 上演のかたち 装束と面
(文化デジタルライブラリー)

「スイカバーの妖精・大久保忠世が終わったかと思ったら、今度は焼き芋の妖精です」
さらにこの後で
「この作品の衣装は、前半はペールカラー、後半は暗くするようにしていますが、横並びでそうされても違和感ばかりが募ります。年齢は意識されていないのでしょうか」
ペールカラーなどと言わず、淡色と言ってはどうですか。そして必ずしも前半=淡色、後半=暗めとなっているとは限りません。

そしてスイカバーだの焼き芋だの、出演者もスタッフもけなしまくりですね。とりわけ今年はこれがひどいです。千姫の衣装は濃い目の紫と思われますが、好きな大河だとほめまくるのでしょう。

剛毛でギトギトメイクの茶々だけでなく、千姫のメイクも濃い。
時代劇で当時のメイクを再現するのはまず無理です。
時代ごとの流行を取り入れても、それは必要悪でしょう。例えば80年代の時代劇は眉毛がしっかりしているものです。
そういう現代トレンドメイクからも程遠いため、わけがわからなくなる。

「時代劇で当時のメイクを再現するのはまず無理です」
それはそうでしょう。第一照明との兼ね合いもありますし、その意味で白粉と紅だけでは難しく、当然鉄漿などを付けることもできません。そして今回の場合、トレンドを採り入れたら採り入れたで、また武者さんはあれこれ言うのではないでしょうか。
第一それなら、90年代後半頃のメークはすべてガングロということになるのでは。

「80年代の時代劇は眉毛がしっかりしている」
貴方10年ルールはどうなったのですか。
大河でなく時代劇なら、どの時代劇であるかを明記してください。

秀頼の所作もシャキッとしていない。
この秀頼は、たしかに俳優御本人はイケメンかもしれませんが、時代劇の“絵”として見た場合、2016年『真田丸』の中川大志さんを思い出して悲しくなるだけなんですよね。

中川さんは中川さん、作間さんは作間さん。それぞれ主人公が違うのだから、描かれ方も雰囲気も違って当然です。それがいやならおとなしく『真田丸』を観て、『どうする家康』には言及しないでください。所作が嫌なら花柳寿楽氏に言ってはどうですか。
逆に私『真田丸』の時、『軍師官兵衛』だったらああだったなと思ったことがあります。

どうする白い羽織
そしてここで家康のアップが入ります。
白い羽織がつくづく、しみじみと、残念だ。
白い服は汚れが目立つから、何か特別な意味あいでもなければ着ないもの。服の色論争は重要で、人類共通の話でもあります。

その後でナポレオンの時代は白がもてはやされただのなんだの。
なぜナポレオンの頃の価値観と、江戸時代初期の日本を同じに見るのかわかりません。

そして

大河ドラマは言うまでもなく東洋。
白は死の色となります。
婚礼衣装でも白を使う日本は特殊であり、本来、白は縁起が悪いとはみなされがちです。
何か特別な意図を示すのであればまだわかります。『大奥』シーズン2の胤篤の白い裃は素敵でした。『麒麟がくる』は五行説を取り入れた結果、秀吉のテーマカラーが白でした。
こういう白い衣装は意図があるし、きっちり模様も入っているので、理解できます。
しかし本作の家康は、白い羽織が悪目立ちばかりしている。
同じ白い服でも『陳情令』の含光君でも意識しているのでしょうか。比較になりません。

相変わらず『大奥』と『麒麟がくる』は例外なのですね。
そして家康の羽織ですが、辻が花柄ですから真っ白ではありません。これもきっちり模様が入っています。
あと私『陳情令』を観ていないからそちらはわかりません。

そして花嫁の白無垢は邪気を払う、新しく生まれ変わるという意味があります。ブライダルや着物関連のサイトに、白無垢の由来について書かれているのがありますので、参考にされてください。取りあえずこちらを置いておきます。

【保存版】白無垢の意味や由来とは?結婚式の5つのスタイルや小物・髪型まで徹底解説
(THE KIMONO SHOP)



飲み物ーホットワインとくるみ
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[ 2023/11/29 18:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回「二人のプリンス」あらすじと感想-1

第45回前半部分です。


茶々が家康に秀頼の「代わり」を依頼してから10年が経ち、秀頼は立派な青年に成長する。そして慶長16(1611)年の大坂城。秀頼は宴じゃと舞楽を舞う。それを見る茶々と千姫。茶々はこの天下を艱難辛苦の末、ひとつにまとめたのはどなたじゃと尋ね、千姫は亡き太閤殿下にございますと答える。そなたのおじい様は殿下のご家臣として、秀頼の代わりを任されていただけと茶々は言う。

さらに茶々は、秀頼成長の暁には天下をお返し下さる約束じゃと口にし、しかもそなたのおじい様は盗人ではあるまいと、嫌味にも取れることを言う。後ろを振り返る前方の大野治長。約束を守るおかたと存じますと千姫は答えるが、その約束をお破りになるなら、戦になっても仕方ないと意味ありげな言葉を返す。

唖然とする千姫に茶々はこう言い放つ。
「欲しいものは力で手に入れる、それが武士の世のならわしなのだから」

関ケ原。多くの武将や兵たちが交戦し、夥しい血が流された。そして駿府。阿茶局は書見をしている家康に、秀忠が江戸から着いたことを知らせる。何やら心配事がありそうな家康に、憂い事ですかと阿茶局は尋ねるが、家康は昔のことばかり思い出す、わしもそろそろかのうと口にする。

本多正信は家康に言う。大坂は関ケ原で敗れ、牢人となった連中を匿って施しを与え、武具兵糧も集めて戦に備えていると、また世間では、徳川と豊臣がぶつかるとの噂で持ちきりであると。しかし秀忠は、この10年政を行って来たのは徳川であり、父上のもと政をしかと進めることこそ世の安寧の根本と言う。本多正純も同調し、徳川が豊臣より上位であるとはっきりさせるべきと家康に直言する。

今度こそ秀頼に挨拶させるべく、3月の天子様のご譲位(後陽成天皇から後水尾天皇への譲位)に絡め、二条城に秀頼を招いて家康の前に跪かせ、臣下としての礼を取らせるのが正純の考えだった。しかし阿茶局は、秀頼がおとなしく来るとは思わなかった。もし従わぬのなら力をもってとまで言い出す正純に、それは避けたいと家康、秀吉は今なお、多くの者の心の中に生きており、その遺児に下手な仕打ちをすれば、万民の怒りは我らに向くと窘める。

ではどうすれば、よもや天下をお返しするおつもりではございますまいと秀忠。家康はうまくやらねばならんと申しておると言い、阿茶局は、力をもって跪かせては危ないと忠告する。正信は秀頼を二条城に迎え、家康と話をさせるつもりでいた。ただその場合、秀頼を上段に座らせてあがめると言ったため、豊臣を上にするのかと正純は疑問視する。正信は、武家の頭領たる徳川が敬うべきは公家であり、要は豊臣は公家であることにしてしまうつもりだった。

公家ならば城だの武力だの、持つ必要はないと例の調子で話す正信だが、正純は、父はこんな屁理屈ばかり才があると不満そうだった。おほめにあずかりましてとしらっと答える正信。寧々に間を取り持って貰うことになり、既に出家した寧々は秀頼と茶々の前でこれを伝える。茶々は言う。
「つまり天下は返さぬ、正々堂々と戦もせぬ。頭をなでてやるからおとなしくしておれということでございますな」

大野治長も情けない盗人よと言い、これに対して寧々は、そのような言い方は控えよと戒める。千姫は責任を感じて夫に詫びるが、そなたの謝ることではないと秀頼は言い、また寧々も、今天下を治めているのは徳川殿、豊臣家は徳川家の庇護の下にあるのを忘れてはなりませぬにと言い聞かせる。一方治長は、出てゆけば何をされるかわからないとあくまでも懐疑的だった。そんな中、肥後熊本城主の加藤清正が口を開く。

「恐れながら秀頼様。お出ましにならぬままなら、お心の弱い君と思われるやもしれませぬ」
無礼だと治長は言うが、清正は秀頼のそばを離れず守ること、不穏な動きがあれば、幾万の敵であろうが片っ端からなぎ倒す、再び大坂城へ連れ戻すことを誓う。秀頼は茶々に向かってうなずき、茶々はこう言う。
「そろそろ世にお披露目するかのう、そなたを」

その年の3月28日。秀頼は大坂城に移って以来、初めて民の前にその姿を現し、この貴公子を一目見んと人々が押し寄せる。二条城で待つ家康も、上方の豊臣人気のすさまじさを感じていた。そして直垂姿の秀頼と従者が到着し、家康が挨拶を述べようとすると、秀頼は駆け寄って、わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じますと家康をねぎらって自己紹介する。

家康は秀頼を上座に通そうとするが、秀頼は大御所様からと言い、先に行くようにと勧める。では案内させていただくと家康は前方を行き、寧々が控える間へ入る。家康と寧々は秀頼に上段を勧めるが、秀頼はなかなか上座へ行こうとせず、家康はそういう取り決めであると秀頼を促し、寧々もまた上座へと促す。家康は豊臣家は関白を出す家柄、武家の棟梁である徳川家は及ばぬ、上座に座られるのがしきたりというものと、自ら下座に座る。

なかなか譲ろうとしない秀頼に、お2人とも上座にお座りになってはと寧々は持ち掛ける。畏れ多いと動かない家康の手を秀頼は取り、意地を張るのも大人げないと横並びを提案したため、家康は折れざるを得ず、上座で秀頼と向かい合わせになるように座る。しかし秀頼はその場に座ろうとしなかった。

秀頼は下座で長い間の無沙汰を詫び、一礼する。戸惑うような表情の家康と寧々。そして秀頼は家康に、武家として手を携え、ともによを支えて参りましょうと述べるが、これには徳川と豊臣の従者、そして清正も予想外だった。その知らせを受け取った秀忠は、秀頼が父に跪いたこと、徳川が上であると知らしめたことを喜ぶが、お江はこれに疑問を抱く。正信に同意を促す秀忠だが、正信は一言えらいことだと言う。

案の定、徳川が秀頼を跪かせたことは広く知れ渡り、家康は傲慢であるという評判が立ち、このことが牢人たちを大坂城へ向かわせるもととなる。この噂を、山伏姿で町中に潜んでいた真田信繁も耳にしていた。そして正純は
「秀頼は慇懃、徳川は無礼。秀頼はご立派、徳川は恥知らず」
と世間が沸き立ち、牢人たちが以前にも増して大坂城を目指すようになったのを憂えていた。

秀頼にしてやられたのは明らかだった。阿茶局は、秀頼がどのような人物であるのかを家康に尋ねる。家康は答える。
「涼やかで様子のいい…秀吉じゃ」


何やら、茶々が戦をする気満々になっています。彼女にしてみれば、政をゆだねたはずの家康が自分の息子にその職務を譲っており、秀頼を閉め出した格好になっているわけで、そう思うのも無理からぬ話ではありますが、千姫にまでかなり棘のある言い方をする辺り、かつて母お市を助けに来なかったこととがないまぜになっている感もあります。

尚、前回「宴じゃ」と秀頼が言っていた件、本当に「宴」であったようです。しかし茶々がそれを見ながら、天下を返さなければ戦も辞さぬ構えでいる辺り、彼女に取っての「宴」は、牢人たちを使い、徳川に対して目にもの見せることこそであったのかとも考えてしまいます。

家康にしてみれば秀頼に挨拶をさせ、徳川こそが天下人であることを示す必要がありました。しかしその場合、力で秀頼を従わせるのは逆効果で、表向きはあくまでもへりくだり、豊臣家を公家として認める方針を取るはずでした。しかし当の秀頼がそれを受け入れず、自分が下であるかの如き姿勢を貫いたため、大坂での秀頼はますます株が上がり、逆に家康は傲慢な人物と受け入れられるに至ります。

そしてこれは、牢人たちが大坂を目指すもとともなり、九度山を抜け出した真田信繁もその1人でした。この意味では、秀頼も父秀吉同様の「人たらし」であったと言えます。しかしその雰囲気は秀吉とは似ても似つかぬ、若者らしい涼やかさで感じのいいものでした。

ところでこの第45回で、寧々が出家しています。出家後は高台院を名乗るようになっていましたが、秀吉の正室であったこともあり、今なお彼女の力は大きなものでした。今回の会見で両者の間を取り持つことになり、何かと家康に敵意を抱きがちな豊臣方を鎮める役割も果たしていました。そして加藤清正ですが、この会見後の帰路の途中で発病し、その後亡くなります。『真田丸』では二代目服部半蔵が、何か毒物らしきものを体内に入れるという描写になっていました。

そしてこの清正を演じた淵上泰史さん、無論他にも色々なドラマに出演していますが、私は『ミス・シャーロック』第5話に出演していたのを思い出しました。『花嫁失踪事件(消えた花嫁)』ベースのこの回、結婚式の最中に新婦がいなくなるジュエリーデザイナー、冴木を演じていましたが、シャーロックからいじられていましたね。これには、大岡弥四郎を演じた毎熊克哉さんも出演しています。


飲み物-アイリッシュコーヒー2
[ 2023/11/27 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


毛利家のご子孫が激怒?
茶々のように、間違った強い女路線は、女性を小馬鹿にするだけでなく、別の激しい怒りも呼び覚まします。
大坂城で平手打ちを喰らった毛利輝元。
その子孫の方が激怒して以下の動画をあげられました。
(中略)
じゃっどん、島津も酷い扱いをされとりもす。『西郷どん』も島津家当主が苦言を呈していました。

まずこの動画、私も見ました。すべて賛同とは行きませんが、ご子孫の方であれば、こう言われることもあるだろうとは思いました。
ただこのドラマでは、このような描き方になってはいます。
ですから武者さんがこのコラムのライターであれば、このご子孫の方の意見を汲みつつ、ドラマとしてはどのように描かれているか、その両方をすり合わせるべきでした。しかしこの場合、だからこの大河はダメなのだという叩き棒にしかなっておらず、その点でまたかと思わざるを得ません。

そして『西郷どん』、こういう子孫の方の苦情を持ち出すのは、嫌いな作品のみのようで、だからこそ叩き棒に持ってこいなのでしょうか、そういう利用の仕方もどうかと思います。
あと「酷い」ではなく「酷か」の方がよくないでしょうか。

それとちょっと前後する形になりますが、

ここのところNHKは長州に冷たいのではないか?
長州メインの大河ドラマ『花燃ゆ』という時点で何もかもが終わっていた――それから10年も経たないうちに、この仕打ちではさすがに怒りたくもなる。

『花燃ゆ』をあれだけディスっていた武者さんにこんなこと言われたくありません。
あの大河、主人公サイドは馴染めないものもありました。ただ吉田松陰が松下村塾生に狂えと言い、急進的な姿勢を取ろうとした時、兄民治がそれを諭すシーンなどはよかったし、長州藩士の描写などでは、功山寺決起などは見るべき部分もあったかと思います。

そして武者さん自身も『花燃ゆ』を丁寧に分析したとは思えず。ただ長州というだけでネガティブ路線に持って行ったふしがあります、そして今年は長州大河ではないし、ただ輝元の描写について色々言われているだけであり、それとこれは切り離して考えうべきでしょう。
たとえば過去の戦国大河の輝元を比較するというのであれば、まだわかりますが。

何よりも『花神』をまず観てほしいのですけどね。

まぁ『花燃ゆ』は、長州をよく描こうと思って失敗しただけの話でしょうけど、今回の毛利輝元はあまりに侮辱的ですよね。

それよりも吉田松陰の妹をヒロインにしてアピールしようとしたものの、創作をかなり入れなければならず、それでちょっと滑ったかと思いますが。そしてこの文(美和)的キャラ、長州でなければ寧ろ武者さんは好きな方ではないのでしょうか。

ただし『らんまん』や『大奥』では、良い薩摩隼人が登場しているのでまだ救いはある。
『大奥』の島津胤篤は素晴らしい。美形だけが魅力ではなく、郷中教育が育んだ柔軟性と聡明さが表現され『薩摩はやはりよいな』と感じたものです。
土佐についても『らんまん』でその魅力が描かれていました。

朝ドラ、そして10時のドラマと大河ではやはり違いますからね。
そもそも「良い薩摩隼人」と「悪い薩摩隼人」の違いは何であるかと思われますし、「郷中教育がはぐくんだ柔軟性と聡明さ」も具体的にどういうものなのか、説明して貰えないでしょうか。
そしてこれらは、あくまでも武者さんが好きな番組での描写であり、恐らくこれが彼らを主人公にした大河であれば、容赦なく叩くのではないかと思われます。

◆「印象に残っている大河の主演」ランキング!5位「岡田准一」「福山雅治」、3位「堺雅人」、2位「綾瀬はるか」を抑えた「意外な1位」の名前(→link)
このドラマの往生際の悪さは、事ここに至ってまで『チコちゃんに叱られる』とコラボをするあたりでしょう。
なりふり構わぬ番宣にはうんざり。
トークショーまで開催されるようです。
◆松本潤さんが大河「家康」最終日に静岡市でトークショー&PV 12月17日開催の来場者募集(→link)
静岡市の市民文化会館に松本潤さんを呼び、最終回のPV(パブリック・ビューイング)が実施され、1,800人の観客が無料で招待されるようです。

「往生際の悪さ」余計なお世話です。
もう『どうする家康』に関心がないのなら、トークショー云々黙っていて貰えないでしょうか。本当はこのコラムを書くのをやめてほしいと思ってはいますが。
こういうイベントは、この大河を好きな人、出演者を応援している人が行くものであり、武者さんのようにネガティブな突っ込みを入れる人が行くものでもありません。言っては何ですが、もう少しものがわかるライターであれば、ただ紹介だけで済ませておくでしょうね。

そして

そう考えると、一体どうしたことよ……とは思ってしまいますが、結局、袁術は玉璽を手にしても袁術なのですよ。って、『パリピ孔明』じみた話をして申し訳ありません。
袁術という名門出であることを鼻にかけたしょうもない男がいて、たまたま皇帝の証となる玉璽を手にしました。
そして皇帝を僭称してウダウダするものの、最後は滅亡するという話です。

ここでまた『パリピ孔明』、この番組も何かPRしなければならない理由があるのでしょうか。

大河主演という玉璽も、場合によっては重石になる。井上真央さんはもう克服しましたが、果たして今回はどうなるのか。

今回も同じような形で責めを負わせたいのですか。井上さんに対しても失礼だと思いますね。

でこの後
「何度も申していますが、このドラマは何かとおかしい要素に溢れている。
出演者同士の友情協調や、主演を褒める言葉がスピリチュアルなんです」
武者さんがそのように決めつけている、あるいはそのように見られてほしいと思っているようにしか見えませんのでここでは省きます。

あと

子、怪力乱神を語らず。『論語』「述而」
オカルトトークをすると、信頼性が落ちるぞ。まっとうな大人ならやめようか。

なととありますが、
「君子は、人智で計り知れないようなミステリアスなこと、説明がつかないようなことについては語らない」
という意味です。基本的に論理的でないものについては、みだりに口にしないとも取れます。憶測でものを言うのもこれに含まれるでしょうか。

そして

文春砲で「暴君」であると指摘された主演に忖度してのことなのか。
だとしても言葉選びが過剰で、不気味にすら思えてきます。まるでドラマの舞台から降りても、マザーセナ信徒になってしまったかのようだ。
いくらキラキラワードで飾ったところで、文春砲が出れば、夢は醒めます。

また文春砲ですか。マザーセナがどうこうより、武者さん自身が文春信徒であるように見えます。そしてまた松本さん関連のことであれこれ。

私は今年の大河を面白いと思えないことが、幸いなだと感じています。
人気事務所の主演を絶賛すれば、全国に数多いるファンから果実が得られるかもしれません。
しかし、渇すれども盗泉の水を飲まず――今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁。

面白いと思えないことは幸い=だからどんなことでも書いていいし、どんな形で叩いてもいいと言う論理すり替えのようにも見えてしまうのですが。
そして「盗泉」呼ばわりするその根拠は何ですか。今更ですが、非常に失礼な物言いですね。

「今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁」
文春砲も誰かを傷つけているかもしれないというのは、前にも書きました。その辺りの配慮は全くなしというか、特定の存在を信じ切ってしまえば、他に目が行かなくなってしまうのでしょうか。

遠慮無ければ近憂あり。『論語』「衛霊公」
遠い未来まで見通せず、「ネット大受けw」みたいなことばかり気にしているととんでもないことになるぞ。
まさにこの言葉通りの事態になった。
それが干し柿カットです。
端的に説明しますと、石田三成の見せ所となる「干し柿のシーン」が松本潤さんの意向で取り止めになったというもので、文春砲で指摘されていました。

これ前も書いていましたね、しつこいんですけど。
あと遠慮なければの意味ですが、遠い将来のことを考えることなく、目先のことばかりに囚われていると、問題や心配事が起こるという意味ですが、それとネット大うけとどう関係があるのでしょうか。

そして干し柿の問題、ドラマの中では伏線まであってそれが放送されないのはおかしいとか、『真田丸』の干し柿はこうだった、『麒麟がくる』はこうだっただのなんだの。それぞれの作品の描き方があるのは構いませんが、それを『どうする家康』でも繰り返す必要は全くないと思いますね。
しかもその『麒麟がくる』での風間俊介さんの家康について、

その後、金ケ崎での引き戦の最中で、「戦のない世を作るために、いまは戦をせねばならぬ時。いまは戦を重ねるしかない」と悟るシーンへとつながっていった。
上記のインタビューで風間俊介さんが「戦のない国にしたい家康」について語っています。そのテーマは『麒麟がくる』で既に描かれていた。

1983年の『徳川家康』でも似たような感じではなかったでしょうか。
さらに

それが『どうする家康』では、あまりに現実味のない、妄想のようなマザーセナの慈愛の国構想で強引に展開。描き方が雑すぎたから視聴者から疑念が噴出しました。
このドラマの家康像は何も新しくない。要はお粗末なだけだったのです。

また「マザーセナ」、そして
「視聴者から疑念」
では、具体的にどのようなものか書いてください。

「このドラマの家康像は新しくもない」
前にも書いていますが、戦国時代の東海地方を舞台にした作品は多く、脚本のもととなる史料などもいくらか似て来ます。
そして1つ前に書いているように、作品によって描き方は異なります。『どうする家康』が『麒麟がくる』を逐一踏まえなければならない理由はありません。

小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺れる。『礼記』
凡人は水に溺れる。ドラマ通はSNSやプロパガンダに溺れる。インフルエンサーは支持者に溺れる。

これなのですが、その最後に
「皆その褻なるる所ところに在あり」
と続きます。つまり人は失敗する理由がそのレベルによって違うが、その失敗はいずれも慣れから来る油断であるということです。

そしてその後『大奥』は素晴らしいが、井伊直弼を表す「チャカポン」に、『青天を衝け』の残した負の遺産を感じるなどとあります。そのうえで、一橋慶喜の渾名は言わないとか何とか。
このチャカポン、「茶歌ぽん」のことで、茶道、歌道、そして謡曲(『ぽん』は鼓の音から)と言われています。これはいずれも、埋木舎時代の渾名で、直弼の風流を愛する様を表したものでもあるのですが。

ある先生が著書で「幕末大河を信じて語られても困る」と毒を吐いていましたが、確かにその通りではないでしょうか。

幕末のみならず、大河はすべて創作が入っています。だから当然それを事実とすることはできません。
古沢氏も歴史は勝者の記録であり、いくらでも解釈できると話していましたね。

大河そのものだけでなく、昨今はファンダムもおかしい。推しをいかに激しくプッシュできるか。それを仲間同士で語り合うことが重要であり、どんなにバグだらけのシステムだろうが、萌えキャラがいればいい。そういう一点突破になっている。
作品として面白いか面白くないか? コンテンツ全体を見渡して評価することが邪道扱いされているようにすら感じます。

そしてまたファンダム叩きですが、ファン同士がやっている分には別に構いません。推しをプッシュしてもよし、作品として面白いか面白くないかは、ずばりその人次第だと思います。これは武者さんも、好きな作品ではやっていないでしょうか。
そして武者さんの言う「コンテンツ全体を見渡して評価する」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。ちょっと曖昧な表現に見えるのですが。

なぜ、こんなことを申し上げるか、というと次の記事が気になったからです。
◆《『どうする家康』も視聴率苦戦中》「つまらなかった大河ドラマ」ランキング…4位『平清盛』、3位『江』、2位『おんな城主 直虎』…納得の1位は?(→link)
2000年以降の大河ドラマで何がつまらなかったか?
視聴率ではなくアンケートで評価したもので、ランクインした作品のうち大河ファンに納得されるのは『江』と『武蔵』だけでは?とも感じます。
他の『青天を衝け』『平清盛』『おんな城主 直虎』『いだてん』は、むしろ高評価を掲げるファンも一定数いるはず。

『江』や『武蔵』を評価する人ももちろんいるかと思いますよ。人の好みは様々ですから。

またその中で、特に気になるのが1位の『いだてん』と5位の『青天を衝け』であり、東京五輪と新札の顔という、政治色のかなり強い要素があったとか、都合の良いところだけを見せて、ファンの気持ちを高ぶらせるのは、危険なことだと感じるなどと書かれています。
さらに「今までオリンピックに興味がなかったけど、このドラマのおかげで興味がでた!」というのは、かなり誘導されていませんかね?とか、主人公の、テロを是とする姿勢や愛人問題などはほぼ伏せられ、綺麗事ばかりが羅列されていたともあります。

別に『いだてん』でオリンピックに興味が持てたなら、それはそれでいいと思います。渋沢栄一しかりでしょう。それを楽しんでいる人に向かって、あれこれ言う必要はないと思います。ただ大河は、その主人公のすべてを描いているわけではないし、それが視聴者に共有されていれば、それはそれでいいのではないでしょうか。
そのうえ

今年の『どうする家康』は、旧ジャニーズが全面に押し出された結果、これまでの大河ファンが離れてしまったとも指摘されています。

逆に言えば、これまでの大河ファンが離れるような、それまでとは違った描き方を敢えてやっているとも言えるでしょう。これは先日分ご紹介した、日刊ゲンダイの記事にもあります。武者さんはお気に召さなかったようですが。
そして全面(前面でしょうか)に押し出すとあっても、放送開始時は松本さんと岡田さんのみで、その後旧ジャニーズから2人キャスティングされています。確かに松本さんは主役、岡田さんは信長役で、目立つポジションではありますが、そう多くの人が出ているわけではありません。

実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう。
大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか。
2024年『光る君へ』や2025年『べらぼう』については、今のところ懸念要素は見られませんが、以降の作品で、いつどこで偏向した姿勢が出てこないか?という心配は尽きない。

「実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう」

その根拠は何でしょうか。

そして「大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか」
などとありますが、武者さんて「本当に」大河枠の作品に興味があるのですか?
好きであろうが嫌いであろうが、ドラマをちゃんと観ているようには見えない、実際にはなかったシーンやセリフが出て来る、漢籍を持ち出したがる割に日本史の史料を持ち出そうとしない、海外ドラマや他の作品のPRばかりする(こちらが本業?)、考証担当の意見は否定する。
こういう点を考えると、どうも疑わしく感じられます。それと昨年の大河のコラムでも「脳みそが溶ける」といった表現がありましたが、こういう表現が好きですね。

あとまたメールフォームがあります、大坂の陣が楽しみですとでも送っておきますか。

そして最後になりましたが、三谷さん関係で『真田丸』、『鎌倉殿の13人』で共演した山本耕史さんと矢柴俊博さんに関する記事(2021年の記事です)がありました。私はこのお2人、同時に『きのう何食べた?』の小日向さんと富永さんを思い出すと書いておきます。

キャスト【ドラマ24】きのう何食べた?season2
(テレビ東京・BSテレ東公式サイト)


飲み物-ウイスキーロック
[ 2023/11/25 21:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

福島正則と六条河原と茶々の病気

今回もまず福島正則関連で。
ひとつ前の『武将ジャパン』大河コラム関連投稿で書いてもいますが、この人物は家康にも、そして豊臣家をも主筋と立てており、家康と秀頼の会見でも尽力しています。但し酒のうえでの失態がいくつかあり、日本号を飲み取られたのみならず、酔った勢いで家臣に切腹を申し付けたり、また妾との問題で、正室に薙刀を持って追い回されたりもしています。恐らく、酒がなければ愛すべきキャラであったのかも知れません。

その後大坂の陣では、江戸留守居役(嫡男は徳川方として出陣)となっており、その代わり大坂方に兵糧を送っています。『真田丸』でもこの時真田信之を訪れ、この大坂へ兵糧を送りたい、太閤殿下への恩返しじゃと言い、さらに大坂城内へ入れるには信繁の協力が必要とまで言っています。これで信之は困ってしまい、小野お通を訪れます。この大河でのお通は、カウンセラーのような役割ですね。

真田丸福島正則
(『真田丸』第45回)

この正則ですが、大坂の陣の後、広島城の修理を発端に秀忠から減転封を言い渡され、高井野藩の藩主となります。嫡男に先立たれ、自身も寛永元(1624)年に世を去ることになります。その後福島家は取り潰しとなるものの、子孫により再建されるに至ります。

それから『どうする家康』、なぜ六条河原のシーンがなかったのか。無論家康と三成のやり取りを入れたせいもありますが、六条河原のシーンは、三成、行長そして安国寺恵瓊の3人が揃うものというイメージがあるせいかも知れません。今回安国寺恵瓊が出ていないということもあり、敢えて描かなかったとも考えられます。そして、関ケ原が登場する戦国大河では、この六条河原のシーンがあまりにも一般的になっており、それで外したとも考えられます。こういう例は他にもありそうです。

あと、茶々(淀殿)がうつ病であったという説があります。
こちらは大阪大学大学院の先進融合医学共同研究講座のサイトです。

上方漢方の歴史

曲直瀬道三の養子、曲直瀬玄朔によれば、「秀頼公御母 御気鬱滞食眩暈」(気うつから食事が滞り、めまいも出ている)とあります。慶長8(1603)年のことですが、彼女がこの病気を抱えていたとすれば、その後の徳川家との関係の決定に、いくらか影響があったのではないかと言えそうです。
その一方で、更年期説もあります。

【識者の眼】「淀の方の更年期障害」早川 智
(Web医事新報)

これによると、漢方では精神不安や苛立ちに効果がある、加味逍遙散がいいと記されています。西洋医学では安定剤(抗不安剤)とホルモン補充療法とありますね。

いずれにしても、彼女が絶えざるプレッシャーを受けていたとは考えられますし、家康が将軍職を秀忠に譲り、秀頼に挨拶するように言って来た時にひどく怒り、秀頼を殺して自殺するとまで言い出したことは、いくらか追い詰められていたのではないかとも思われます。
しかし、あの時距離を置いていた(と思われる)黒田、加藤2人の大名は何を思っていたのでしょうか。


飲み物-ホットラム
[ 2023/11/24 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

このページでは例によってと言うべきか、『大奥』と『麒麟がくる』を叩き棒にしまくっています。ワンパターンだなと思うと同時に、叩き棒にされているドラマに失礼だと思いますけどね…武者さんがこれらの作品を本当に好きなのか、疑ってしまう所以です。

千姫がわざとらしく走ってきて、江が追いかけてくる。
いったい乳母はどうしたんですか。こんな大事な存在を放置して、一体なんなんでしょうか。

まず「わざとらしく」走って来るも何も、あの年頃の女の子としては普通に走っていると思いますが。逆に「わざとらしくない」走り方とは、具体的にどういう走り方なのかと思います。この「わざとらしい」も、嫌いな作品を叩くうえで武者さんはよく使いますね。

そしてこういうところまで乳母が来るでしょうか。千姫は、身内である「おじじ様」の所へ行こうとしているのです。たとえばどこか危険な所へ行こうとしているのであれば、監視役としての乳母は必要でしょうが。

家族関係の描き方がせいぜい昭和なんですよね。
乳幼児死亡率や危険性もふまえていない。本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう。
高齢者への敬意もないし、精神状態が中高生程度で止まった妄想ばかりにも思えてきます。

これもちょっと意味不明ですが、まず
「本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう」
こう書くからには、武者さんは育児経験がおありなのでしょうか。ならば、自身の育児経験と照らし合わせて、何がどのように違うのかを説明してほしいです。

そして乳幼児死亡率だの危険性だの書かれていますが、1つ前に書いているように、千姫は特に危険な所へ行こうとしているのではないし、また重篤な病気に罹っているわけでもありません。

それから高齢者への敬意ですが、これは先日分の於大に関してでしょう。あの時家康は、お前にはつらいことも言ったと後悔する於大に、体を労わるようにと薬湯を煎じて飲ませています。一体、どこが「敬意がない」のでしょうか。

何よりもここで唐突に
「家族関係の描き方がせいぜい昭和」
「精神状態が中高生程度で止まった妄想」
などと出て来ます。
「せいぜい昭和」とは、昭和の頃の大河で子供や高齢者を虐待する作品でもあったのでしょうか。ならばどの作品か教えてほしいものです。
あと「精神状態が中高生程度」、さっぱり意味がわかりません。叩こうとしてあれもこれも詰め込んだ結果、よくわけがわからない文章になっていませんか。

千姫があそこまで怯えているのは、嫁ぎ先が嫌だからのようです。しかも、江が子どもの前でペラペラと語っていたようなんですね。
秀頼の母である茶々は、江の姉です。まだ幼い江を庇ったことだってあった、そんな大事な姉です。
その姉の悪口を我が子に吹き込むって、性格が歪んでいませんか?

ここで千姫の言葉をもう一度。
「母上がいつも茶々お姉様は怖い怖いと、何を考えているかわからぬと」

恐らくは、子供の頃から気が強い姉の茶々を見て育ったこと、そして今も豊臣家の女あるじとして振舞っていることを考えれば、彼女に取っては及ばない相手でもあり、そのため恐ろしい人であることよ程度は言ったかも知れないでしょう。それを耳にした千姫が、話を膨らませて解釈した可能性はあります。

そしてお江は、初(後の常高院)が同行してくれることもちゃんと話していますね。ただ千姫はおじじ様の側にいたいようです。

思えばこのドラマはそんな家族ばかりでした。市も娘の前で「本当は家康さんが好きだったの」とかペラペラ喋っていた設定でしたもんね。
歴史人物への敬意が全く感じられないのです。

「本当は家康さんが好きだったの」
なんて言っていませんけどね。
第30回で母上はよう昔話をしてくださいましたと茶々が言い、その昔話の内容とは、胴をつけて泳ぐ稽古をしていて、溺れた自分を竹千代が助けてくれたことだったわけです。

「歴史人物への敬意が全く感じられないのです」
ブーメランですか?

思えばあのマザーセナからして両親が死んだ後もケロッとしていましたし、そのマザーセナのことすら家康は忘却の彼方。
あれだけベタベタといちゃついておきながら、仏壇の前で手を合わせる場面すらありません。
打掛で走ってくる江の所作にしても、『大奥』と比較するとあまりに厳しい。
茶々の打掛の翻し方も、全く美しくないんですよね。輝元をひっぱたくし、メイクはギトギトだし、これのどこが貴婦人なのでしょう。

また「マザーセナ」ですか。
そしてこれ、忘却の彼方ではないのですね。於大とのシーンの中で、この瀬名のことを示唆するようなセリフがありますし。
それから仏壇と言いますが、全国的に仏壇が普及したのは江戸時代ですよ。これは檀家制度とも関係がありますが。寧ろ貴方が何かにつけて揶揄する、石川数正の押し花と正信念仏偈に、瀬名への思いが込められていたとは言えます。

また茶々は身分が高いからこそ、輝元を打ち据えることができたのですが。
そして所作が『大奥』と比べてひどいと言うのなら、画像を貼るなりして比較できるようにしてください。

秀頼と千姫の婚礼描写も、『大奥』の家定・胤篤と比べたら、ただの手抜きにしか見えません。
時代劇ファンの皆様は『100カメ 大奥』もご覧になられたかもしれませんが、「神は細部に宿る」とはまさにこのことで、本作と比較して驚くばかりだったでしょう。

「秀頼と千姫の婚礼描写」
そんなシーンありましたか?
慶長9(1604)年に秀頼の背丈を測った時、既に千姫と結婚していたというシーンならありますが。
要は、千姫が大坂に行くのを嫌がるも家康に窘められる→秀頼と結婚して背丈を測る場に立ち会う→秀忠が千姫のことを真っ先に家康に尋ねて叱られる。
こういう流れでしょう。

それと私100カメ観ていないから何とも言えません。

『大奥』にできて『どうする家康』にできない、そんな言い訳は通用しないはずです。

元々描かれる時代も人々も違うから、一概に比較はできないと思うのですけどね。

家康って、他社への親切な接し方が女性相手だといつも同じ。
キザでスカしたイケメンプリンスしかありません。
年上の母親相手だと「ババアかw」となるし、茶々は悪役なので「このバカ女がw」と感じさせます。
年下かつ好感度を見せなければいけないとなると、「俺に惚れんなよ」スイッチが入る。

「他社」は他者のことだと思いますが、完全に武者さんの主観でしかありません。
要はこれも、家康はこのように見られてほしいという、武者さん自身の「願望」なのでしょう。

しかし、千姫相手にそのスイッチを入れてしまうと、とてつもなく恐ろしいことになります。
この二人の場面は、祖父と孫娘には見えない。不気味な下心のあるおじさんと少女に見えてしまいました。
怖すぎます。

どこをどう見たらそのように見えるのか、皆目不明です。
私の場合、家康が千姫に取ってちょっと甘いおじいさんであること、千姫もこのおじじ様を頼っていたいということはわかりますが。

関ヶ原本戦の描写は、どう逆立ちしたって本線がBBC『ウォリアーズ』の圧勝であることは予想通りでした。
まぁ覆せるわけもないし、そこは最初から諦めていました。
しかし、親子の情愛の描き方まで完全敗北とはどうしたことでしょうか。
『ウォリアーズ』では、秀忠遅参のあと、家康は我が子・信康の死を思い出し、秀忠を助命する決意を固めます。そこには揺るぎない親子愛がありました。

この『ウォリアーズ』もここのところかなり紹介されていますが、何か紹介しなければならない理由でもあるのでしょうか。それにこのコラムで内容をきちんと説明するわけでもなく、どのような方法で見られるかも明記されていません。
第一武者さんが一方的に圧勝だ親子愛だと言っても、こちらは全然観ていないのですけど。

あとこの作品、別に関ケ原だけを採り上げているのではないのですけどね。

一方でこちらはどうか。
秀忠をネチネチネチネチ責める家康は、圧倒的なパワハラ感があって胸が苦しくなりました。
老母にも冷たい。息子には横暴。孫には気持ち悪い。
一体この家康は何を表現したいのか。彼が日本の近世を構築するなんて、冗談でも止めて欲しい。

「秀忠をネチネチネチネチ責める」
言っては何ですが、私にしてみれば武者さんこそが、オンエアされてもいないシーンを持ち出したり、好きな作品を叩き棒にしたりして、この大河を
「ネチネチネチネチ責めて」いるようにしか見えません。
老母にはちゃんと薬湯を煎じていますし、孫は可愛いのでしょうね。
そういう家康なら、日本の近世を構築しても納得が行きます。

家康メインの水色羽織はなんなんですかね。
年齢を踏まえて欲しい。
しかも配色センスが濁っていて、東洋の伝統色とは異なり、とにかくセンスが感じられない。

武者さん、以前日本の伝統色と書いていましたが、東洋の伝統色にシフトしていますね。
そして水色の羽織ですが、あれは藍の薄いやつで、れっきとした伝統色のはずです。
そして年齢を踏まえてほしいとありますが、『葵 徳川三代』の家康は、晩年でも白を着ていますし、

葵徳川三代家康
(『葵 徳川三代』より)

年齢を重ねたから、薄い色を着ていけないという決まりはないでしょう。
まして家康公のような人の場合、着衣が残っているから、それを参考にして作ることもあります。

人物デザインの創作現場から vol.10 ~ 辻ヶ花への道 ~
(『どうする家康』公式サイト)

ただ武者さん、公式サイトを見ているようには見えないのですね。

そして『大奥』の場合、

美を作り上げるためにここまで気を使うのか。
見ているだけでうっとりしてしまうような凝り方で、カメラで映るとどうなるか、きっちり妥協のない現場の様子が映し出されていました。
ただただ圧倒される。

『大奥』を見ていると、幕末の錦絵が動き出したのではないかと思えます。
原作はモノクロが基本ですので、色彩感覚はドラマで作り上げていくしかない。そうする過程で、当時の色彩感覚や美意識を再現しようとしていることが伝わってきました。

まあこの人の場合要は表裏一体で、好きなものにはこれでもかと賛辞を送る一方で、嫌いなものには、その反動としてあることないことつき交ぜて叩きまくるわけですね。
無論『どうする家康』もまた、当時の色彩感覚や美意識が再現されているわけですが、武者さんにはそれが見えていないのだろうと思われます。

その美術部トップは『麒麟がくる』と同じ大原拓さんとのこと。
◆「麒麟がくる」チーフ監督が語る“カラフル大河”の裏側 衣装はサッカー代表も参考に 光秀はフランス?(→link)
納得です。あの作品は衣装に五行説を取り入れていて、とにかく画面そのものが美しかった。

その大原拓氏、美術部トップというかチーフディレクターでしょうか。
そして五行説(五行思想)なら、『どうする家康』衣装デザインの柘植氏がこれに言及しています。武者さんが好きな作品だけではないということです。

古代中国で生まれた自然哲学の思想で、万物を形づくっているのは5種類の元素「木・火・土・金・水」だという考え方だそうです。それぞれに「青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)」の5色が当てられているんですね。五色幕など日本文化にも影響の片りんがあります。今回は、特に五行思想にのっとって色彩構成をしているわけではありませんが、家康と彼を取り囲む戦国大名たちに対して、カラーチャートを作って色を振り分けて分類しようとすると、自然とその5色が意識されているかのように見えるので不思議です。

人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~
(『どうする家康』公式サイト)

「衣装が色鮮やかすぎる」とクレームが入りましたが、再現性へのこだわりが理解されないか、ピーキー過ぎたのでしょう。
センスが尖り過ぎていただけで、序盤に修正するとすぐに批判は止んでいます。

実際放送開始から1か月ほど経っても、「今回の大河ドラマの衣装は、昭和に登場した化学染料の色」というコメントもありましたし、10月頃まではあれはおかしいという指摘もありましたね。そして身分が高い人ならまだしも、庶民レベルであの色遣いはちょっと抵抗がありました。

そして武者さん、「ピーキー」て、他人のこと言えないと思いますよ。
これ「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」意味ですよね?

そして美しさはますます磨きがかかってゆきました。
役者の美貌だけではなく、それをさらに輝かせる工夫が随所にあり、あの美は、大原さんがいてこそなのかと納得。
眼福とは、まさに彼の作り上げた映像を見ているときのためにある言葉でしょう。

ちなみに大原氏は、武者さんが嫌いな『軍師官兵衛』でもディレクターを務めていますが、もちろん『軍師官兵衛』の映像も、貴方に取っては眼福なのですね?
岡田准一さんの素襖姿を置いておきます。

軍師官兵衛素襖
(『軍師官兵衛』より)

『どうする家康』の衣装や美術とは、比べることすら失礼かもしれません。本作の合戦シーンでは「兜に照明が入り込んでそのまま流す」なんてことがまかり通っていて、美醜以前の問題と思えます。

「兜に照明が入り込んでいる」の裏付けをお願いします。

衣装のことについて私が意見を申し上げていると、こんな反論も見られました。
「武者は『どうする家康』の衣装を貶すが、『麒麟がくる』だって批判されていたのに、そうしなかった! ダブルスタンダードだ!」
ダブルスタンダードも何も、その発想すら思い浮かびませんでした。
『麒麟がくる』は癖が強いだけで、ずっと美しいと私は感動していました。それが伝わらなかったようで残念です。

「その発想すら思い浮かびませんでした」
自分を守るための否定という心理関係の言葉を、ちょっと思い出しました。
そして
「癖が強いだけ」
先ほども「センスが尖り過ぎていた」とありましたが、そういう部分に抵抗を覚える人もいるでしょう。

そして好きな作品はほめにほめまくるのに、ここからまた『どうする家康』叩き。
つまるところこのコラムの場合、ほめるのも叩くのも、何かおおげさなのですね。

美術へのこだわりが全く感じられない本作。
大坂城でパリピしている場面が入りました。
成長期の秀頼すら同じ、茶々も同じ着物です。『大奥』の貧乏公家より粗末な暮らしでは?

茶々は金と黒がメインの打掛が多いのですが、その時々で違う柄のを羽織っています。そして秀頼が着ている、緑の絹の亀甲文様が入った水干は、幼い頃のとは違いますね。

宴だと言いますが、酒を飲むだけで食卓も映りません。作る手間すら惜しんだのか、あるいはスケジュールが厳しくてスタッフが対応しきれなかったか。

嫌いな作品だと悪い方向に取りたがりますね。
あれは年始の挨拶に訪れた大名たちが、余興として飲みくらべをやっているわけでしょう。そもそもこの当時「食卓」はなくて「膳」ではないかと思いますが。

でこの時に勝った福島正則が褒美を受け取っているわけですが、このシーン、正則が豊臣家にも忠誠を誓っていたことを裏付けてもいます。そして何よりもこれは、かつて茶々が正月に「(家康がいる)西の丸が賑やか」と言ったこと、あれを踏まえているかと思われます。

「打倒家康!」
そんな『戦国BASARA』シリーズじみた掛け声をあげながら、九度山で特訓する真田信繁(真田幸村)って何を考えているのでしょうか。
あれほどまでに家康へ敵意を燃やして叫んでしまったら、周囲にバレバレ。
さっさと真田信之に対して「弟は何を考えてるの? 軍事訓練しているって報告が上がってきているけど」と問い合わせればよいだけの話ですよね。

あの、如何にも武田家式の鍛錬方法ですね。
ただし、あれが家康の想像の範囲内なのか、実際にそうなのかはこの時点では定かではありません。

そして信之に問い合わせるより、こういう流人の目付け役のような人物はいるでしょうから、そちらに訊いた方が早いのではないでしょうか。

真田信之と本多忠勝の必死の助命嘆願を平気で足蹴りにしてしまう信繁。
本作の作り手は『真田丸』すら無視するようで、見ているだけで脳みそが溶けそうです。

まず、こちらでは助命嘆願のシーンはありません。
そして、『真田丸』と必ずしも同じ描き方をしなければならないものでもありません。
自分が好きな作品を叩き棒にするのはもうやめませんか。

さらにまた「脳みそが溶けそう」
この間は脳みそが削られるでした、色々と大変なことで。


飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/11/24 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』の盃と『真田丸』の桝その他色々と

今回はまずこれからです。先日分で書いていた福島正則の大盃ですが、こうして比較するとかなり違いますね。

ちなみに大盃の最大サイズは直径18寸(54センチ)で、黒田長政、加藤清正が手にしている盃もそこそこ大きいと思われますが、それが小さく見えてしまうほどの大きさです。また盃関連で「黒田節用」というのあり、そちらは直径約33センチとのこと。

どうする家康福島正則大盃 どうする家康盃
(『どうする家康』第44回)

これで思い出したのがこちらです。

真田丸徳利と桝 真田丸秀吉桝
(『真田丸』第15回)

向かって左の画像の左側、福島正則(こちらも深水元基さんが演じています)の桝が、右側、小日向文世さん演じる秀吉の桝に比べるとかなり大きいです。おまけに徳利も2本です。

あるいは、あの大盃は深水さんが『真田丸』の経験からアイデアを出したものでしょうか。小手伸也さんのツイート(X投稿)で、現場で皆がアイデアを出し合っていますというのを見て以来、そのようにも思えて来てしまいます。しかしこれで、福島正則即ち大酒飲みのイメージがかなり確定しましたねーー実際そうだったようですが。そしてこの回では、秀吉がこの桝の大きさの違いから、度量衡の統一を思いつく展開になっていました。

さてこの福島正則ですが、前に『関ケ原』下巻で彼の描写についてご紹介しています。この時にも書いていますが、石田三成と戦うに当たって、かなり重要な人物であると同時に、心変わりしないよう常に彼を宥める役が必要でしあり、その役目を負っていたのが井伊直政、本多忠勝、池田輝政そして黒田長政でした。

それ関連で、以前ほほえましいと書いていたこの画像も貼っておきます。この雰囲気なかなかいいと思います。

決戦!関ケ原Ⅱ大名たちの野望
(『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』より)

それから徳川秀忠。前回第44回で、父家康から上に立つ者は如何にあるべきかという、いわば帝王学を授けられます。この上に立つ者で思い出すうちの1つに、『ホーンブロワー 海の勇者』があります。

実は以前も書いてはいるのですが、第2話「ジブラルタルの奇襲」で、ペストの脅威にさらされる中、主人公ホレイショは海尉試験のため勉強を続けます。実はこの時しかし船員たちの歌声がうるさく、声があまり届かないデッキに行くのですが、その時ちぎれたページが風に飛ばされそうになります。その時掌帆長が、それを拾ってあけます。そしてうるさくて勉強できないと言うホレイショに、彼らもまた不安なのだ、気持ちをわかってあげなさいと言い聞かせるシーンがあります。この第2話は様々な出来事が起こるわけですが、これはちょっといいシーンです。

さてそろそろ、『葵 徳川三代』の大坂の陣を予習しなければならなくなりそうです。この大河は関ケ原と大坂の陣関連にかなり尺を取っており、その分詳しく、また登場人物も多くなっています。

大坂の陣は『真田丸』でもそこそこ尺が取られていますが、こちらは大坂の目線であるため、徳川目線で見るならばやはり「葵」となるでしょうか。ところでこの『葵 徳川三代』、あの関ケ原はもう再現が難しいと思われますが、その後で家康が卵を使って薬を作るシーンで、卵を踏みつぶして黄身で足を滑らせる描写があります。ああいうのも今となってはクレームが行きそうですね。

ところで『どうする家康』、片桐且元が登場するようになっています。元々この人は秀頼の傅役でした。演じているのは川島潤哉さんですが、『鎌倉殿の13人』では中原親能を演じていました。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2023/11/23 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回「徳川幕府成立」あらすじと感想-2

第44回後半部分です。


秀忠が千姫のことを尋ねたのは、両家の仲がうまく行っているかどうかを気にしてのことだったが、家康は身内のことしか考えぬ主君と思われるぞと言い、さらに関ケ原に遅れた時から何も成長しておらんなと言い捨ててその場を離れる。秀忠は家康の背に向かい、あの折も申し上げましたが自分のせいではない、精一杯急いだと答える。家康は向き直り、多くの兵を置いて供回りだけで先を急いだなと言う。

少しでも早くと、言い訳とも取れかねないことを言う秀忠に、お前は全軍を率いて来ねばならんのじゃと声を荒げ、正信も康政もそうしてよいとと反論する秀忠の襟をつかみ、人のせいにするな、全てお前のせいじゃと叱る。唖然とする秀忠に、家臣たちが目を向ける。

忠勝は目を近づけて文書を読んでいた。それを目にした家康は、お互い年を取ったのうと声をかける。その家康に忠勝はこう願い出る。
「戦しかできぬ年寄りはもう要らぬとお思いなら、包まず申されませ。直ちに隠居を」
そこへ榊原康政がやって来る。康政は入室せず、廊下に端座して口を開く。

「榊原康政、生涯最後の諫言と思い申し上げます」
康政は、皆の面前でのようにお叱りになるべきではござらぬ、秀忠様の誇りを傷つけることでございますぞ、しかも関ケ原のことをいつまでもと家康に直言し、秀忠様に落ち度はないと何度も申し開きしたはず、殿のお叱りようはあまりに理不尽であると訴える。さらに殿から見たら頼りないであろうが、殿とてあのくらいのお年の頃は、どれだけ頼りなかったか、お忘れあるなと歯に衣着せず進言を続ける。

そんな康政に家康は、わしにはお前たちがいた、左衛門(忠次)、数正、鳥居のじい様たちがわしをこっぴどく叱りつけたと答える。そして家康は言う。あやつのことを誰があのように叱ってくれるか、わしは耐え難い苦しみも何度も味わったが、あやつにはそれもないと。康政は入室し、苦しみを知らないのはご本人のせいではなく、それが悪いことでもないと言い、忠勝もこれから時をかけて、様々なことを更に学ばれることでございましょうと言うが、家康は、それでは間に合わんと口にする。

「関ケ原は、まだ終わっておらぬ」
あれは所詮、豊臣家中の仲たがいの戦、それが鎮まり、再び一つとなって秀頼殿のもとに集まっておる、今年の正月は大いににぎわったようじゃと家康。
その今年の正月は大坂城に大名たちが集まり、酒の飲みくらべで優勝した福島正則が、秀頼から褒美の短刀を賜って喜んでいた。さらに難儀なことには、敗れて改易となった家中で、多くの牢人があぶれており、九度山に配流された真田信繁も、家康を仮想敵とした武芸の稽古に励んでいた。

食いぶちは与えているはずと忠勝は言うが、家康はやつらが求める食いぶちのもとはただ1つ、戦じゃと言い、このまま秀頼殿が成長されたら、その時はと言ったところで、康政が口を挟む。
「二つに一つ、おとなしく豊臣に天下を返してやるか」
そして忠勝は「それとも…」と言い添える。

家康は忠勝に向き合って明言する。
「平八郎、隠居など認めぬぞ」
さらに康政には、小平太もまだ老いるなと言い、まだお前たちの力がいると、それぞれの肩に手をやる。康政は言う。
「手の焼ける主(あるじ)じゃ」
忠勝も「全く。いつになったら主君と認められるやら」と口にする。その2人の後ろで、家康は笑い声を立てていた。

その後秀忠は家康に呼び出され、関ケ原の不始末は誰のせいじゃと問われる。秀忠は答える。
「私の落ち度にございます」
そうじゃそなたのせいじゃと家康は言い、理不尽じゃのう、この世は理不尽なことだらけよ、わしら上に立つ者の役目は、如何に理不尽なことがあろうと、結果に於いて責めを負うことじゃと続ける。さらに家康は、うまく行った時は家臣をたたえよ、しくじった時は己がすべての責めを負え、それこそがわしらの役目じゃと秀忠に言い聞かせる。

分かったかと訊かれ、秀忠は心得ましてございますと頭を下げる。そして家康は、秀忠にこう述べる。
「征夷大将軍、1年のうちにそなたに引き継ぐ。用意にかかれ」
秀忠は返事をした後、今言われたことが信じられないような表情でこう言う。
「わしが…将軍?」
そばに控えていた正信はうなずき、結城秀康は祝いの言葉を述べる、秀忠様と呼ぶ。秀忠は自分が選ばれたのは、兄が正当な妻の子ではないからかと、縁先で正信と康政に尋ねる。

康政は、殿がさような理由でお決めになるとお思いでと言い、正信は、才があるからこそ、秀康様を跡取りにせぬのでござるとずばりと言う。さらに正信は、才ある将が一代で国を栄えさせ、その一代で滅ぶ、我らはそれを嫌と言うほど見てまいりましたと、草履を脱いで縁側に胡坐をかく。康政は、才ある将一人に頼るような家中は、長続きせんと言うことでござると秀忠に説明する。

正信は言う。
「その点、貴方様はすべてが人並み!人並みの者が受け継いで行けるお家こそ長続きいたしまする」
言うなれば、偉大なる凡庸と言ったことろですなと正信は続け、康政は、何より於愛様のお子だけあって大らか、誰とでもうまくおつきあいなさる、豊臣家ともうまくおやりになりましょうと付け加える。しかし正信は、関ケ原でも恨みを買っていない、間に合わなかったおかげとまたもずけずけと口にする。確かにそうじゃ、かえってよかったかもしれんと秀忠。

大坂では茶々が、こんなものをよこしてきおったと、治長に書状を見せる。家康が将軍職を秀忠に譲ったという知らせだった。天下は徳川家が受け継いで行くというにほかなりませぬと治長は言い、家中の者たちに、これは明らかな太閤殿下との約定破りじゃと、怒りをあらわにする。また茶々も、図々しくも秀頼に挨拶に参れと言ってきおったと、憤懣やるかたない様子だった。そして茶々は、もちろん断ってやった、秀頼を行かせるくらいなら、秀頼を殺して私も死ぬとなと語気を強める。

忠勝は尚も肖像画を描き直させ、康政をさらに呆れさせる。もっともっと強そうでなければと言う忠勝。その中の一枚を拾い上げた康政は、もう別人だ、絵師もお前を見ずに描いておると口にするが、実際そこに描かれているのは、あたかも鬼神のような顔だった。何の用じゃと尋ねる忠勝に、ただ方々に挨拶に回っているだけだ、特に意味はないと答える康政。

そう言って立ち去ろうとする康政を忠勝は引き留め、どこが悪いと尋ねる。はらわたじゃと答える康政。たわけ、まだ老いるなと言われたろうがと言う忠勝だが、康政はその指に傷があるのに気づく。うかつなことよ、戦場で傷一つ負わなかったわしが、笑い種じゃと言う忠勝に、見えとらんのだろうと康政。そして康政は、老いにはあらがえん、無念だが我らはここまでのようじゃ、役目は終えたのだと囁くように言う。

去ろうとする康政を忠勝は大声で呼び止め、蜻蛉切と鎌槍を持って来て、釜槍を康政に渡す。そしてわしは認めん、殿を守って死ぬのがわしの夢じゃ、老いなど認めん、見届けるまで死ぬなと言って槍試合が始まる。戦っている内に、蜻蛉切の刃が外れ、優勢になった康政に対して忠勝は言う。
「やるではないか、大樹寺の小僧」
康政も言い返す。
「お主もな、礼儀知らずのあほたわけ」

2人はその後も戦い続ける。その後康政は認めておるのであろう、殿のことを主君とと尋ね、いつからじゃとも訊かれた忠勝は、大樹寺、桶狭間のあとのと答える。同じじゃなあ、わしとと言う康政。家康となる前の元康が、自分は武神の生まれ変わりであり、そなたたちのことはこのわしが守ると宣言して、大樹寺から岡崎へ向かう時、道を空けいと言ったのは忠勝であり、その様子を目に焼き付けていたのが小平太こと康政だった。

康政は言う。
「まだ見ていたいのう、あの背中を」
忠勝も言う。
「にらみを利かせてな」
そういうことかと驚く康政に忠勝は笑う。やがて慶長11(1606)年に康政は亡くなり。そして慶長15(1610)年に忠勝も世を去った。

忠勝の肖像画を見る家康に、阿茶局が評定の時を知らせに来る。一緒にいた正信は、大坂が牢人どもを集めて施しをしているらしいと伝え、阿茶局は、徳川が上方から出るや否や、あからさまに動き出したと言う。正信はまた、
「おいくつになられたのでございますかな、あの方は」
と言うが、無論それは秀頼のことだった。この慶長16(1611)年、秀頼は19歳になっていた。茶々は柱に印をつけながら、どこからどう見ても見事なる天下人であると自慢げだった。

茶々のそばには、成長した千姫もいた。月代を剃り、水干をまとった秀頼は家中の者に声をかける。
「さあ、宴(うたげ)の時じゃ」
一方江戸では、時は満ちたと家康が立ち上がり、後には西ににらみを利かせる忠勝の肖像画が残った。


家康は秀忠を叱ります。うまく行けば家臣をたたえ、しくじった時は自分が責めを負うと言うのは、スポーツチームの選手と監督(HC)にも通じるものがありますが、家康はこの時点で、秀忠に将軍職を継がせようという意図があったようです。本多正信は、才があるから秀康に跡を継がせず、並みの人間、大いなる凡庸である秀忠に跡を継がせると言うのですが、どうもこの人の場合、褒められているのかそうでないのかよくわからないところがあり、康政がフォローするという仕組みになっているようです。

その康政も、そして忠勝も持病を抱えていたようです。康政がはらわたと言っているのは腸でしょう。そして忠勝は視力が落ちているところを見ると、老人性白内障かと思われます、彼が愛槍の刃で指を切るのもむべなるかなです。ましてこの時代手術もなく、まだ眼鏡も普及していなかったことでしょう。

しかし、この人の要求に応えなければならない絵師の人もなにやら大変そうです。と言うより、本人のイメージをはるかに超えた鬼神のような顔になってしまっています。またこの2人が槍で一戦交えた後、実は大樹寺から主君と慕っていたと互いに打ち明け、往時を懐かしみます。

一方で大坂。茶々の自慢の息子と言うべき秀頼ですが、かつて家康がいる頃は、西の丸が賑やかと不満げだった彼女も、ようやく大名たちが自分たちのもとへ戻って来て、満足そうです。しかしあの飲みくらべ、福島正則の盃だけ大きさが違うと思うのですが…。何だか『真田丸』で、やはり正則がお忍びの秀吉や信繁と酒を飲む時、彼の桝だけ違う大きさだったのを思い出します(同じ俳優さんが演じているので余計そう思われます)。

その後秀頼の背丈は、段々と柱の高い位置にしるされるようになりますが、徳川が勢いを持つことは、かつての豊臣恩顧の大名にも影響して行きそうです。しかも将軍は当然秀頼が継ぐべきと思っていた茶々は、確かにそれは怒るでしょう。ただ彼女の場合、冷静にことを見渡すよりも、その時々の感情をぶつけているように見え、それが秀頼に取ってマイナスになった感もあります。

そして康政も、忠勝も世を去って行き、家康の側に残ったのは本多正信だけになりました。とはいえ、この人物の才能は大坂関連の策に於いて、今後まだまだ役立つものと思われます。そして忘れてはいけないのですが、かの渡辺守綱も実は家康よりも長生きします。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2023/11/21 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第43回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

全国的に荒れた天気だったようです。風が強く、冬並みの気温に下がった所も多かったのではないでしょうか。しかし天候とは気まぐれなもので、来週はまた気温が上がる地域もあるようなので、体調管理にお気をつけください。
さて、今週もtaketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介です。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第43回~
https://note.com/taketak39460607/n/n49022feb6278

尚いつものように、武者さんのコラムの引用部分はダークブルーです。

干し柿エピソードが無いってことは文春砲の記事は否定できず?

このnoteではまず干し柿関連の逸話は、『明良洪範』という逸話集によるものとあります。そして文春記事で、柿のエピソードが削られたのが、松本潤さんの意向によるものとあって、あたかも事実のように吹聴していることに関して、関係者に裏を取ったのかとありますね。

三成公が京都の町を引廻されている最中に水が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、水がなかったので干し柿を差出された。
三成公は「痰の毒であるから食べない」と言って断った。
「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑われたが、三成公は「そなた達小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うから」であると答えた。
『明良洪範』

そしてカットされた理由について、taketak39460607さんも、
「捕縛された三成さんと家康さまとの大津城での対面(9月23日)を重視したのではないでしょうか」
と指摘しています。
そして大谷吉継が柿を手土産に持参した件は、横浜一庵という武士から柿100個が送られた際の礼状に、「拙者好物御存知候(私の好物をよくご存知ですね)」と書いている逸話が紹介されています。ちなみにこの横浜一庵という人物は、豊臣秀長の家臣であったと伝わっています。

また柿伝説は他の文献にもありますが、実際これは創作または俗説とみなされているようです。元々三成は柿好きであったとも言われており、『真田丸』では柿が送られて来たからと細川忠興にあげたところ、逆に怒らせてしまっていました。

そして慶長5年(1600年)9月14日へ。
「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。

この点に関しても、本作がすっ飛ばし過ぎたのではなく、武者さんが誹謗中傷のための視聴に終始しており、内容をろくに観ていないのではないかと指摘されています。そして調べればすぐわかる歴史的事項にケチをつけ、歴史系レビュアーを名乗りながら、何の解説も加えていないから、心に響かないのではないかともあります。
そして、実際には以下のようなことが描かれていたことが挙げられています。

  • 上杉景勝公による国元での動きとそれを詰問する徳川方、それに反発する直江状と上杉征伐。
  • 真田昌幸公・信繁公親子の西軍入りと稲さんによる沼田城入城拒否。
  • 東軍の北上の隙を突いた西軍の挙兵と『内府違いの条々』の流布。
  • 大坂の東軍諸将の妻子が人質に取られる
  • 東軍による小山評定と西上。
  • 第二次上田合戦
  • 伏見城落城
  • 福島正則公が岐阜城を攻め落とし西軍のいる大垣城に迫り、秀忠さまの本隊が着く前に戦が始まる恐れがある。(福島・黒田の協力確実)
  • 真田の策にはまった秀忠さまの大遅刻決定
  • 西軍が真田の足止めを知り『大きな蜘蛛の巣』を張り決戦は関ケ原と決める。
  • 東軍も西軍の動きを見て関ヶ原で雌雄を決する策に乗る
  • 関ケ原合戦(43話)
  • また関ヶ原本戦に至るまでの東軍・西軍の動きは第42話で紹介。

武者さん、こういうのを確かに目にしているはずなのですけどね。私も関連投稿で書いていますが、第41回及び42回のコラムにしても、ちゃんと観た人の書き方ではありませんね。

そして今回特に気になった、板垣李光人さん演じる井伊直政を叩く記述。

あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。
赤鬼どころか、とにかく弱々しい。
たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
(中略)

ここでは『たった一言のセリフ』とはどこの場面のどんなセリフなのか、具体的に提示してほしいとあり、出陣前に一人称が「おいら」に戻ったことを言っているのであれば、直政が相槌を打つ家康に礼を述べたシーンになるが、家康の前であり、特に腹から声を出す必要もないことと書かれています。

そして『あんなヒョロヒョロした体』『失望感を通り越し、絶望感ばかり』『腕も白く細いヒョロ政』の記述に関して。
線の細さが嫌というのは個人の好みの問題で、それを盾に板垣さんの容姿を『腕も白く細い』『失望』『絶望』などと侮辱するのは、人の価値を外見だけで測る差別的な考え方だという指摘があります。尚板垣さん自身は、赤備えの甲冑についてこうコメントしていると、『スポニチアネックス』の記事が引用されています。

実際に鮮やかな陣羽織と真っ赤な甲冑を着用し、武田の残党を率いて声を上げるシーンは、これまでの直政の人生を思うと感慨深かったですし、僕自身の高揚感も重なったように思います。でも、甲冑はかなり重みもあるので、撮影で1日中着用していると地面に沈んでいくような感覚になりました(笑)。

本作は甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視しています。
甲冑をつけていては絶対にできないような動きをしてしまう。
甲冑の防御性能すらわかっていないのか、着ているところに刀身をぶつけにいく間抜けさも健在。
そんなことしたら刀が折れるだけですよ!

これに関しても『甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視した甲冑をつけていては絶対にできないような動き』とはどんな動きであるのか、具体的にどういう場面のどんな動きであるかと疑問が呈されています。そして実用的な当世具足の重量は15~20キロであること(金陀美具足は11キロらしい)、雑兵や足軽のような武装ならもっと軽いこと、そして動きやすいことについて触れられています。その一方で、西洋のフルプレートアーマーのように全身を覆うものではなく、装甲の薄い首まわり、脇や太腿は、組み打ちすることで狙えることなどが書かれており、そのための方法としては、相手を押し倒す方法、長槍で上から叩く方法(槍衾を作る)、刀の打撃を槍の柄で止める、近接戦で敵の急所である首筋の頸動脈などがあると説明されています。

またこちらのサイトも紹介されています。

具足櫓 (http://gusokuyagura.o.oo7.jp/omosa.html)
日本武士と西洋騎士の鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ (stonewashersjournal.com)

2番目のサイトは、私も武将ジャパン関連投稿でご紹介しています。

そしてまたも干し柿関連の文春記事に関して。

死を前にしても三成の毅然とした態度を表すエピソード――干し柿の話は、後世の創作とかなんとか、そういう問題ではありません。
10月の週刊文春に掲載されていた文春砲の中身が正しいかどうか。
この干し柿が一つの審査基準となっていたのです。
(中略)
文春砲曰く「松本潤さんがやりたがらなかった」とのことで、それを親友の七之助さんは承諾した、というものです。
干し柿エピソードは三成の意志の強さが表される見せ場の一つであり、役者としては演じたい場面でしょう。
ゆえに私は注目していました。
もしも干し柿のエピソードが出たら、文春砲はデマということになりかねない。
結果、干し柿は……出ていません。

これについても例の干し柿関連逸話は創作であり、三成と家康の大津城での対面が重視されたのではないかとあります。さらにドラマの制作は脚本が絶対ではなく、現場でのアドリブ提案や日程の都合などで変化することもあり、当の出演者も、自身の意見としてアドリブを入れたり、構成を変えるなどの裏話についての記述があります。
(小手伸也さんがその代表格でしょう)

にもかかわらず、『干し柿が一つの審査基準』『文春に「松本潤さんがやりたがらなかった」と載っていたから』『役者としては演じたいに違いないのに』とあり、本来は「干し柿エピなかったね」で済むのに、史料の精査もなく週刊誌記事のみを論拠としている武者さんの姿勢に、これまた疑問が呈されていますね。
「一視聴者の貴方の妄想や我がままで勝手に変えられるわけではないですし、制作側の意向が反映されるのは当たり前です」

そして井伊直政の天突脇立兜に関して、

ペンキを塗ったばかりのような赤い兜に、天井の白い照明が点々と反映していて、スタジオ撮影だなって丸わかり。

と武者さんは書いているわけですが、taketak39460607さんの記事では、この兜が登場した『おんな城主直虎』、『西郷どん』(こちらでは、赤備えの前に井伊直弼が座っています)の画像もあり、「ペンキを塗ったばかりとは」と呆れられていますね。赤備えが始めて登場した時も、武者さんは似たようなことを書いていたかと思います。

また白く見えるのは、兜の元々の光沢か光の反射の具合もあるのではないでしょうか。

さらに、松本さんが写真集を出版し、展覧会を開催するのがお気に召さない件。

ソロ写真集を出し、展覧会を開催する今年の主演とは大違いでは?

松本潤さんの写真集は書籍説明に
『松本潤個人としては初の写真集。主演を務める大河ドラマ『どうする家康』の撮影が開
始されて間もない、松本39歳の誕生日から、2023年10月26日のクランクアップまでの、約1年2か月間にわたる日々の記録。』
とあること、初となる展覧会『JUN MATSUMOTO EXHIBITION「PERSPECTIVE ‐時をつなぐ眼差し‐」』は、松本さん自身が選んだ、6人のクリエイターとのコラボレーションでを通して、松本さんが得た”言葉と視点”を体感する展覧会であることが説明されています。
そしてこれは大河ドラマを楽しんでくれたファンや視聴者のためのものであること、このイベントを楽しみたい人が申し込めばいいこと、それを踏み込んできてネチネチと論って叩き続ける方が迷惑だと書かれています。同感です。

あとこの武者さんのコラムには、『青天を衝け』の殺陣について「あれも酷かった、水戸藩士が薩摩ジゲン流特有の猿叫をしたり」という記述があることを、私の関連投稿でご紹介しています。しかし武者さんは、どうも薩摩藩士が襲撃に参加したことを知っているようです。実はこのnoteで以下のコラムが紹介されているのですが、

桜田門外の変と意外な事実~井伊の首を取ったのは薩摩藩士だった - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 3ページ
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/03/02/110050/3

薩摩藩士有村次左衛門が、井伊直弼の襲撃に加わっていたことがはっきりと書かれています。しかもこれは今年の3月の記事ですから、第43回コラム執筆当時は、当然わかっていたはずなのですが。

飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/11/19 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
尚、先日の「諱入りタイトルの大河」について、『独眼竜政宗』を書き落としていましたので追加しています。


「宰相殿の空弁当」だからといって、本気で弁当を食べる吉川広家を映すセンスがわかりません。
あまりにもくだらな過ぎません?
本気で弁当をモリモリ食べさせるのではなく、目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るように描くこともできたのでは?
この幼稚さには閉口するしかない。
見るだけで精神状態がドロドロに溶けていくドラマだ。

「本気で弁当をモリモリ食べさせるのではなく、目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るように描くこともできたのでは?」
つまり具体的にどのようにしたいのですか?
目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るでは曖昧模糊としていると思います。

ちなみに『葵 徳川三代』では、安国寺恵瓊の家臣がお立ち退きをと言うものの、てこでも動かない広家の様子が描かれていました。しかし、何も食べていないのに食べているふりをするよりも、実際に食べるのを見せた方が、相手も一応納得はするのではないかと踏んだうえでのあの描写でしょう。無論意図的に時間をかけさせていますけどね。
それが幼稚ですか?
そして脳みそが削られるの次は、「精神状態がドロドロに溶けていく」ですか。

そしてこういう提灯記事が出る。
◆大河「家康」三成悲惨 本当の黒幕が西軍壊滅 弁当モグモグで毛利2万出撃不能→家康余裕の進軍「やりよったw」「弁当キター」(→link)
「キターーー」って何年前の流行ですか。

「キターーー」ではなく「キター」ですね。

あんなふうに茶々がリアルタイムで「不利だなんて!」とオタオタするわけないでしょ。
スマホでも持っているのか?というぐらいに情報があっという間に伝わる本作。
関ヶ原のポイントは、情報伝達のタイムラグではないのですか?

茶々がオタオタしているというか苛立っているのは、本来ならば輝元が、秀頼共々出陣してしかるべきなのに、それをしないからなのですね。情報がリアルタイムで、あっという間に伝わっているわけではありません。

自ら「男勝り」と語ってしまう阿茶の残念さが、今週も炸裂です。
関ヶ原という見せ場で、阿茶がわざとらしく男装して、茶々にケチをつける――なぜ、こんなしょーもない場面が入りますか?
これみよがしに「ワタシって男勝りだから」と言わんばかりに中途半端な男装をしているのも痛々しい。
そのコスチュームをわざわざ仕立てたの? 非常時に? 随分と余裕あるなっ!

「わざとらしく男装して」ではなく、使者ということもあり、他の男性の家臣同様に肩衣袴を着けたのではないでしょうか。また、寧々にお願いがあると言ったうえで、このような形で茶々に目通りすることになったわけです。その間仕立てるだけの期間があったかどうかは不明です。他の誰かの物を借りた可能性もあります。

「関ヶ原という見せ場で、阿茶がわざとらしく男装して、茶々にケチをつける」
この茶々と阿茶の面会自体、関ケ原と並行したもうひとつの「戦」ですね。
無論ケチをつけているのではなく、この戦に秀頼は介入しない方がいいと言ったうえで、徳川の調略が西軍の深部にまで及んでいる、輝元がまだ出陣しないことがその証と、茶々に進言しているわけです。これが「しょーもない」のでしょうか?
そしてこれは、豊臣と徳川が一体となって天下を治めるのがいいと言う、寧々の言葉を踏まえてもいるでしょう。

茶々に全く知性が無く、かつ剛毛とド派手メイクなので、阿茶がまだマシに見えるのが怖い。
いずれにせよ最低のヒロイン決定戦です。

髪型とメイク、お市とは違う印象にするためだと、北川景子さん自ら語っていたと思いますが。

あのマザーセナやレーシックお愛がまだマシに思えてくるほど。千代ですら、まだよかったかも……。
こういう女性像って、要は制作サイドの趣味ですよね。
受信料でフェチを作って垂れ流さないで欲しい。服部半蔵が相関図死で、千代はあんなにダラダラと時間を使って死ぬ。どこまで趣味全開なんですか。

自分が気に入らないと、やれ制作サイドの趣味だのフェチだのと言いたがるのはどうにかなりませんか。それは武者さんが勝手にそう思い込んでいるだけだと思いますが。
千代の戦死に尺が取られたのは、鳥居元忠の正室であることももちろん関係しているでしょう。

このドラマの間抜けさは、噛み合わない劇伴も相まってバカらしさがますます高まってゆきます。
こんなくだらない展開なのに、無駄に勇壮で、かつ西洋ファンタジーじみた音楽がかかる。
東洋の時代劇は、現在はその国ごとの伝統楽器を混ぜていくのが主流です。
実は『パリピ孔明』もそうです。
(中略)
今年の大河は、なぜできない? 本当にできないことだらけな大河だな。

で、『パリピ孔明』は中国の伝統楽器が使われているとか何とか。
それを言うのであれば、昨年の『鎌倉殿の13人』もドラマの中でクラシック(『新世界より』)が使われていましたが、それについてはどのように考えているのでしょう。

何がなにやらわからない関ヶ原
わかりにくい布陣図。
時間の経過も描かれない。
武将はバストアップと絶叫ばかり。
合間に茶々と阿茶が挟まれる。
駆け回るメリーゴーランド馬。
マヌケな殺陣。
ニタニタした家康。
一人だけ真面目な三成。
間の抜けた劇伴。
主語が「おいら」のちょび髭コスプレイヤー。
火縄銃も大砲も使わない兵士たち。
一体これのどこが関ヶ原なのか?

何だか色々なもの、それに自分の思い込みに沿ったものだけを羅列しているように見えますね。

「何がなにやらわからない関ヶ原
わかりにくい布陣図。
時間の経過も描かれない」
布陣図て、この下の画像のですよね、これがわかりにくいですか
この場合名前が書かれている方が西軍、黒が東軍で、赤坂とか桃配山とか南宮山といった地名も表記されていますが。時間の経過にしても、吉川広家や小早川秀秋の行動で大体察しがつきますよね?

どうする家康関ケ原布陣
(『どうする家康』録画映像より)


「武将はバストアップと絶叫ばかり。
合間に茶々と阿茶が挟まれる。
駆け回るメリーゴーランド馬」

馬は本物も出て来ています。家康や本多忠勝などはその本物の馬に乗っているし、それぞれの陣での話し合いや小早川秀秋と家臣のやり取りなど、様々な形での会話が登場します。茶々と阿茶は先ほども書いていますが、この回でのもう一つの戦ですね。

「マヌケな殺陣。
ニタニタした家康。
一人だけ真面目な三成」

「マヌケな」殺陣は武者さんがそう思い込んでいるだけでしょう。家康はこの場合寧ろ達観している感もあり、だからこその余裕の表情と取ることもできます。あと真面目と言うのであれば、大谷吉継も、そして本多忠勝や井伊直政も自分の職務には忠実ですよ。

「間の抜けた劇伴。
主語が「おいら」のちょび髭コスプレイヤー。
火縄銃も大砲も使わない兵士たち」

劇伴も武者さんは「間の抜けた」と決め込んでいるようです。
そして「ちょび髭コスプレイヤー」は板垣さんに失礼かと、それに「おいら」呼びは先陣を任せると言われてからですね。さらに大砲はともかく火縄銃は使っています。井伊直政が放てと号令をかけて、井伊の兵たちが一斉に銃を構えています。

そしてこの「一体これのどこが関ヶ原なのか?」に対する答えとかで、またBBCの『ウォリアーズ』。

答え:BBCが10年以上前に制作した『ウォリアーズ』を見てみましょう。

そんなに『ウォリアーズ』のことを書きたいのなら、別でやってください。どっちみち他作品のPRとか、記事リンクの方がはるかに多いわけで、そちらの方で別記事を立てればいい話です。そしてこの大河コラムを、元の2ページに戻してください。

『真田丸』の瞬間終了関ヶ原の方が、今年の大河よりはるかにマシでしょう。あれは真田目線で描いていたから、ペース配分としてありでした。

『真田丸』は冒頭の部分しか出て来ず、合戦は全く描かれていないのですから、比較対象としてはどうかと思います。『葵 徳川三代』とならまだわからなくもありません。ただ何度も書きますが、今年の大河でも戦の描写は、華々しい合戦模様を描くわけではないので、その点で今までの戦国大河と多少趣を異にするかとは思います。

決戦に至る事情の描き方は比べるまでもない。

正直な話、武者さんがちゃんと観ていないのでは?三成の失脚から始まってなぜこの合戦に至ったのか、それが直近の3放送回で詳しく描かれているはずです。とは言っても、第41回や42回のコラムを観ても、ドラマ本編をちゃんと観た人の書き方ではないのですよね。

直江兼続が采配をかざしたら即座に終了していた、最上義光も前田慶次も上泉泰綱もいない、そんな『天地人』の北の関ヶ原の方がマシです。

長谷堂城の戦いのことでしょうか。
モブの最上軍が出て来ていたと思います。

それと今回は、井伊直政が兵に発砲を命じて以来、東と西それぞれの思惑、毛利、吉川、小早川のそれぞれの思惑そして動き、茶々VS阿茶のやり取りの描写がありました。戦闘シーンは多くなかったものの、それぞれの対立や確執はかなり描かれていましたね。

本作は、本能寺に続き、関ヶ原でも史上最悪な表現を記録したと思います。
次は大坂の陣で最低記録を更新ですかね。

「表現を記録」とはあまり言わない気がするのですが…。
そして「最低記録を更新」て、「何の」最低記録なのでしょうか。


飲み物-琥珀のエール
[ 2023/11/17 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。その2は1つ下↓になります。

いきなり「だから千代は何歳ですか?」とあって、

初登場時は家康を坊や扱いしていたでしょう。
もう70近くともおかしくないってば!
本当に、このドラマは美少女戦士もどきが戦う&死ぬ様を描きたくて仕方ないんですね。

それこの間も書いていましたよね?
で私は基本的に年齢不詳で、三河一向一揆時点で20代前半から半ばくらいと設定すると、50代くらいかと思います。

今週は稲だけでなく千代。
可愛い女の子が武装してムフフ♪ 
そういうことは戦国武将を美少女にしたR18ゲームでよいのではありませんか?
それにしても、千代はしみじみとしょーもなかった……。

また武者さんの妄想タイム、そう言いたくなりますね。
そして「可愛い女の子が武装してムフフ♪ 」こういう表現をすること自体、昭和平成のおじさん臭いのですが、武者さんの中の人てどんな人なのでしょう。一応、言葉遣いは女性ですが。

「私もようやく死場所を得た」って、そんなイキイキハキハキ語って口角上げて笑って、なんなのでしょう。
デパートの店員じゃないんだから。死を覚悟した場面なのに、どの角度で口角をあげるかしか考えていないように見えます。元忠がちゃんと演じているだけに、無惨さが目立ちます。

口角が上がっているのは、千代を演じる古川琴音さんの口角が元々上がっているからではないですか。
そしてこの時は、夫である元忠に礼を述べているわけですよね。
そういう時であれば、顔を上げて少しでもにこやかに話そうとしてもおかしくないでしょう。

そして
「口角上げて笑って…デパートの店員じゃないんだから」
以前ファーストフードと書いていませんでしたっけ。今度はデパートですか。
それと前回「昭和のDV男」などと叩いていた鳥居元忠を、今度は千代を下げるために持ち上げているのですか?

結局、千代は、本作のくだらなさを煮詰めたかのような人物像でした。
武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る。
大河に出てくる架空女性人物でワースト候補だと思います。

「敵に拾われて」ではなく、家康が探させていて、元忠が匿っているのがわかったわけですね。千代は、甲斐の教来石のはずれにいたことになっています。しかし家康に千代を引き渡せば、また忍びの仕事をさせられるか処断されるかだと考えて、元忠がそのまま家に住まわせていたことになり、これがもとで、千代は真田の忍びであると言う忠勝と衝突します。

しかし元忠は殿の命であっても従えないこともあると言い、その時既に正室がいなかったこともあって、千代と再婚します。無論これに至るまでには、千代の戸惑いや家康の言葉、於愛の助言などもあるのですが、それがどうも武者さんの目には「くだらなさ」と映るようです。

忍者役のはずなのに、殺陣がどうしようもない。甲冑を着た相手に、小刀で切り付けて何がしたいのか。
撃たれて倒れる演技も、どんな指導をされたのでしょう。撃たれてからも眼力が強いまま、ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている。
どう映れば可愛く見えるか? いちいちインスタ映えを狙っているような雰囲気でした。

また「どうしようもない」
どういう風にどうしようもないのか、何も書かれず。
「私がどうしようもないと思ったから、どうしようもないのよ!」と言いたげな感じですね。それにこの時点では忍びではなく、「忍び経験がある」元忠の妻ですけどね。

そして甲冑を着た相手に対する殺陣ですが、元忠も千代も、相手の顔面や頸動脈を狙っています。こういうのも、25分辺りを観ればわかることです。そして武者さん、本能寺の変の信長の殺陣も、同じようなことを書いていましたが、あの時の信長も、相手の甲冑を着けていない部分を狙っていましたね。

またアクション指導は諸鍜治裕太氏、そして武術指導は松本真治氏で、どちらもかなりベテランです。松本氏は『真田丸』にも出演していますね。それと眼力が強いのは、これも古川さんは元々ではないでしょうか。
あと「ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている」
足を引っ張るのではなく、肩にしがみついているように見えますが? 

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。
「家康ちゃんが頑張って書状を書いてるんだい!」と、言われたところで、祐筆はいないのか疑問ですし、あのお粗末な筆の持ち方では何もかも台無しです。
『大奥』の前田公輝さんや玉置玲央さんと比較すると、その落差は歴然でしょう。
大河主演でありながら筆の持ち方すら指導されていないのは、さすがに驚きます。

ここのところですが、先日その1でご紹介したJapaaanの記事そっくりなのですが、偶然の一致でしょうか。
第一祐筆任せじゃ間に合わないから、家康自ら筆を執って書状をしたためているわけでしょう。
そして筆の持ち方、家康と三成のを貼っておきますね。

どうする家康筆 どうする家康石田三成筆
(『どうする家康』録画映像より)

どちらも単鉤法(人差し指だけを筆にかける持ち方)のように見えます。この筆の持ち方に関しては、taketak39460607さんのnoteでも以前解説がありましたが、単鉤法と双鉤法(人差し指と中指を筆にかける持ち方)があります。ご参考までに。

書道の姿勢と道具|Kids Web Japan

あと書道指導は書家の金敷駸房氏ですね。大河の書道指導でもあります。
武者さんが好きな『真田丸』、『おんな城主 直虎』、『麒麟がくる』しかりです。

書状を左から右へ読んでいるように目線を動かしている場面もありました。

それどこのシーンですか?
この回で家康が書状に目を通すのは阿茶局の手紙を読む時ですが、そうなってはいませんよ。

現代劇でのカッコつけ方しか学んでいないのでしょうか……と、いったことを書くと「所作指導はクレジットされています」という反論もあります。でも、実際そう見えなければ意味がないじゃないですか。

「実際そう見えなければ意味がないじゃないですか」
ここまで言いますかね。
まるで武者さんが言うこと、見ることはすべて正しいかのようです。

何度も言うようですが、所作に疑問があるのなら、指導の花柳寿楽氏に言ってみてはどうですか。
ちなみにこの方も『麒麟がくる』の所作を担当していますし、島井宗室役で出演もしています。

さらに「今年はありえないほど酷い所作が本当に多い」
私に言わせれば「今年はあり得ないほど酷い出演者叩きが本当に多い」となりますが。

そしてまた文春砲がどうのこうの。
板垣李光人さんの
「(松本さんは)役の解釈やキャラクターのつけ方だけではなく、ちゃんと見え方までこだわった上で芝居をされるんですね」
というコメントに
「アイドルコンサートの延長で大河ドラマを演出できるはずがない」だそうです。随分上から目線だなと思います。

板垣さんはこれに続けて
「ステージングを考えながら芝居をされるんです。それはやっぱりこれまでたくさんのステージを経験されて、演出もされてきた松本さんだからできること」
とコメントしていて、ステージの経験を活かしたうえで、演技をしていることを話していると思うのですが。

その他にも山田裕貴さんが松本さんを褒めた記事のリンクを貼って、
「今年は、共演者が主演を褒める、ぬるま湯の持ち上げ記事がやたらと多い」
とありますが、共演者が主演を褒める、あるいは労わるというのは、毎年のことだと思いますが。

恐らく今年の大河で主演が褒められることは、武者さんに取っては腹立たしいことなのでしょう。
その結果文春絶対の姿勢になっているし、
「文春砲の疑惑が払拭されない限り、「演出に余計な口出しする主演俳優」疑惑は晴れません」などと書いてもいます。
しかし特定のメディアを絶対視する人が、作品中の人物の発想とそれに共感する人々を「マザーセナ」だの、カルトだの言うのも如何なものかと思います。

鳥居元忠に伏見城の守備を命じ、何かあったら死守せよ、と言っておいて、いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ。
ドラマでの「御涙頂戴」要素として元忠を殺したようにしか思えません。
伏見城を防衛する戦略的な説明なんて一切ない。
地理関係の解説も出てこない。家康は涙ひとつこぼさず、
カッコつけたセリフをいうだけ。

「いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ」そんなシーン、ありませんけど?
この時書状を書いていた家康は、守綱から報告を受けてわかったと言い、敵を討とうと言う守綱を落ち着けと諭していますし、その守綱は忠勝からは、今は誰がどちらにつくのかを見極める時と注意されてもいます。

「伏見城を防衛する戦略的な説明」
鳥居元忠が主人公であれば、それもありでしょう。しかし主人公は家康であり、伏見城を落として東へ向かおうとする三成と、家康が衝突するのがいわば見せ場です。ただ元忠は秀吉が作った堅牢な城であることを前回口にしていますし、その中で松の丸の守りが弱いことを、左近が指摘してはいますね。
それと地理関係の解説ですが、19分ごろに右下の方に地図が出ていますよ。

なんだか喜怒哀楽の感覚が歪んでいませんか?
マザーセナの死以来、「哀」すら消えています。
かえって偽善っぷりが浮き彫りにされて、人間のいやらしさだけを煮詰めたように感じます。
そんなしょうもないドラマを補うためか、悪目立ちするピアノがどうにも不快です。あの旋律はいったい何なんですかね。

悲しいけれど、今は悲しむこともできないわけですね。それは偽善とは違いますね。
それとピアノは「悪目立ち」しますか?
要は武者さんの癇に障るのでしょうから、字幕だけで観てはどうですか。

小早川秀秋は優柔不断ということでもなく、布陣からして東軍につく意図は最初からあったとも指摘されますよね。
この辺の描写はBBC『ウォリアーズ』が秀逸でした。
(中略)
あの作品での「秀秋の裏切り」は伏見を攻めたこと。
ずっと東軍についていたはずが、偽装のためにか、伏見を攻めたことがスリリングな要素としてありました。
千代の臭い芝居を描いている場合じゃないんです。

すみません、私観ていないのでその辺りのことは知りません。
そしてなぜ他の作品をやたらとPRしてこの大河を下げるのか、それもちょっとわかりません。
今までの戦国というか、関ケ原を描いた大河でも、小早川秀秋の調略は描かれていましたね。
そしてそこまで言うのなら、秀秋がなぜ西軍についたのか、東軍につく意図は最初からあったのかどうか、もととなる史料を出して説明されてはどうでしょうか。
いずれにしてもこの大河でそれを描けば、またそれはそれで武者さんは何か言いそうな気がしますが。

そして「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

何なんだよとは何でしょうね。
何とも伝法な言葉遣いだなと思いますね。

朝鮮から帰って来た時の黒田長政と加藤清正の、三成に対する態度
三成が籠った伏見城に福島、黒田、加藤をはじめとする七将が押し掛けたこと
小山評定での2人の姿勢

これらをすべて見て、彼らが、一体どのようなスタンスでいるのかわかりませんか。
ならばどの大河の登場人物も、それぞれの経歴から始めなければならなくなりますね。

登場人物については、公式サイトやSNSで発表されています。
豊臣恩顧の一部の人物、黒田さん藤堂さん辺りは、今現在画像付きでなくクリックできませんが、関ケ原後に更新でしょうか。それとキャスト発表はこちらにもありますけどね。(一応豊臣勢です)

そしてまたこの記事を出して来ています。

繰り返しますが、以下の記事、ドラマの紹介文なんかでは
◆『どうする家康』ファン感謝祭が開催決定 松本潤、松山ケンイチ、杉野遥亮ら登場(→link)
未だに「黒田官兵衛」の文字があるんですよ。
今作が初大河となる松本は、誰もが知る偉人・徳川家康を演じる。国を失い、父を亡くし、母と離れ、心に傷を抱えた孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし、三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物が割拠する乱世に飛び込む。そして豊臣秀吉、黒田官兵衛、真田昌幸、石田三成と次々と現れる強者(つわもの)たちと対峙し、死ぬか生きるか大ピンチをいくつも乗り越えていく。

何だかしつこいなと思いますけどね。
既に放送が終わっているのならともかく、どのような形で登場するのかまだわからないでしょう。こういうのは最終回まで観て、登場しなかった時点で初めて言って貰えないでしょうか。

この手の記事は、NHKから画像とテキストのソースが渡されて、作成されるのが普通です。修正された方が……と、思ったのですが、配信元のニュースは、他のメディアへも流されていますので(その検索結果はこちら→link)、今さら対応できないのかもしれません。

この感謝祭に関して言えば、出演者の画像はちゃんと配信されています。それと配信元のニュースですが、今後登場するかも知れないのに、修正を云々する必要もないでしょう。繰り返すようですが、いつどのような形で出て来るのか、まだわかりませんので。

まさかとは思いますが、小栗さんてひょっとして官兵衛の役でしょうか。ただ最終回登場ですからね。大坂の陣は、既に黒田長政の時代ですし。

飲み物-コニャック
[ 2023/11/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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