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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


道長をずっとお慕いしていた。それゆえ他の殿御の文を開いていないのだとか。
「道長様を私の婿に! 一生の願いです。そうでなければ私は生涯猫しか愛でませぬ!」

「一生の願いです」とありますが、「生涯一度のお願いでございます」ですね。

倫子は道長の目に留まっているかもわからないと返します。雅信は留まっているようだと摂政様が言っていたとか。

「留まったようであるがのう、摂政様が仰せであった」ですね。と言うかこの文章の後半、主語がわかりづらいです。
「『道長の目に留まっているようだと、摂政様が仰せであった』と雅信が話した」とでも持って来た方がいいのでは。

娘が可愛らしくて仕方ない雅信。
もはやそういう場合でもなくなっている為時。
そんな対比も浮かんできますが、倫子もなかなか困った境遇になっています。

いや雅信は雅信で、道長はどうだと兼家にプレッシャーをかけられて、なかなか複雑な思いでしょう。花山天皇入内もちょっと問題ありだったし、一条天皇は幼過ぎるわけですから。そして為時の場合は、まひろが可愛くて結婚させられないわけではなく、宣孝がこれと決めた実資が病で、当の宣孝がやめろと言い出したわけですね。

しかしこのシーン、嫌いな大河なら武者さん何と言うでしょうか。女をこのように描いて許せないといったことを言い出しそうです。

そして明子女王ですが、

衣装の色もあり、スズランを思い出しました。可憐で無力なようでいて、毒のある花です。

平安時代の衣装なら、重ね目がどうのこうのと書きそうな武者さんが、今回は
「この衣装の色はスズラン」
ですか。
昨年とか『青天を衝け』などで、衣装の色がスズランなどという表現をしていたら、真っ先に叩くでしょうね。

あとこの明子登場のシーンも、嫌いな作品なら見かけで判断するななどと書くのでは?

俊賢は妹をたしなめ、今は藤原の力がなければどうにもならないとすっかり諦め気分で、道長の妻として幸せと栄達を手にせよと進めてきます。
明子の復讐心は、そんな簡単には晴れないようで、必ず兼家の命を奪い、父の無念を晴らすと決意を語ります。
いやはや、とんでもないことになってきました。
この兄と妹は、これまで出てきた人物とはガラリと変えてきて、本作のセンスが光ります。
策士の兄と、復讐を誓う妹。おもしろいですね。

「この兄と妹は、これまで出てきた人物とはガラリと変えてきて」
「これまで出て来た人物」とは誰のことで、どのように変えているのですか。それを書かずに「本作のセンス」云々と言われてもちょっとどうかと思います。
そして策士と言うか、割とそつがない人物ではあったようです。この辺りが、藤原に恨みを持つ妹と対照的とも言えるでしょう。

あとあらすじと感想で高松殿に関して、多少誤った表記をしていたので訂正しています。明子は、道長と結婚した後ではなく、その前からここに住んでいましたね。

高松殿址
(京都観光ナビ)

まひろに甘えていた。金輪際、甘えは断ち切らねばならない。
そして行成のかな書道指導を受けています。
「ふぅ、かなは難しいな」
そう語る道長ですが、だいぶ上達してきました。これ以上、上手になってしまうと道長らしくない、そんなギリギリのところを攻めてきています。

これ以上上手になってしまうとらしくないと言うより、あのフォントは漢文用なのではないでしょうか。私も道長フォントで書いてみてはと、いささか無責任なことを書いてはいますが。婿入りする女性への文には、やはりかなは不可欠だったでしょう。
でこのかな文字、本来は倫子への文にしたためるべきものでしたが、その倫子に文は送っておらず、まひろへの手紙で使うことになるわけですね。

合戦シーンなど無くても、藤原行成の書道指導という伝説的なシチュエーションが出てくるのだから素晴らしい。
たしかに、気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらないでしょう。
しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。
伝説的な人物はそれにふさわしい場面にする。そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい。

先日も「合戦シーンなど無くても」と書いていますが、そこまで合戦シーンを否定する理由もないと思います。ただこの時代だからそう目立った合戦はありませんが(政変はあります、あと外国からの侵攻も)。

「気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらない」
こう書くこと自体、大河のワンシーンが芸能記事のネタになってほしい、あるいは視聴率に繋がってほしいという願望に見えてしまいます。それよりもこの時代の恋愛や文について、もっと書いてみてはと言いたくなりますね。

「しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。
伝説的な人物はそれにふさわしい場面にする。そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい」
「武者さんが好きな大河だから誠意がある」というわけではありません。嫌いな大河でも、誠意やプライドは込められています。それを武者さんが無視しているか、頭から否定しているかです。

そして
「そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい」
と言うより、
「そんな誠意を感じさせる、本作の行成の描き方はとてもよい」
の方が、私としてはよさそうな気もするのですが。

公任はその後、父の藤原頼忠に「摂政家の道長が本気を出してきた」ことを報告しました。
これまで公任は、己が最も賢く先頭を登っていくつもりだったと打ち明ける。

ここのシーンですが、道長が本気を出して来たことの次に
「摂政家が全てを意のままにせんとしている証し」
と公任が言っています。
これが、この父子に大きな影を投げかけているのでしょう。その後で公任が、自分がトップだと思っていたのに、道長に出し抜かれるかも知れないと懸念しているのですね。

これから暗くなる夕刻の光が満ちていて、公任の顔に当たっている。
橋爪淳さんの優しくも弱々しい頼忠。そして町田啓太さんの公任にヒビが割れてきたところが素晴らしい。
これまでの公任は、自分より賢いものはいないという自信に満ちていました。傲慢でした。
その自信に微かなヒビが入り、焦りが滲んだ顔はさらに磨きをかけたように美しい。

「町田啓太さんの公任にヒビが割れてきた」
て何を言いたいのですか。最後の行にあるように、「自信に微かなヒビが入り」と言いたいのでしょうか。ただこの表現は、たとえば人間関係などにヒビが入るなどという意味では使いますが、この場合は
「自信が多少揺らいで来た」
とでもした方がよくありませんか。

町田啓太さんは、大河枠として山本耕史さんと比較されます。
二人とも土方歳三を演じ、上半身を脱ぎました。
しかし、それだけではないと私は思います。
高慢なぐらい自信に溢れ、己の知性に絶対的な信頼を見せていた男。
それがライバルに追い抜かれ、置いていかれ、だんだんとプライドが崩れていく、いわば崩落の美貌が両者にはあります。
『鎌倉殿の13人』では、三浦義村を演じた山本さんが実に素晴らしかった。
後半になって、主人公である義時に出世から離されて苛立ち始めます。苛立ち、扇子を叩きつける場面は最高としか言いようがありません。

まず
「大河枠として山本耕史さんと比較されます」(誰が比較しているのですか?)とありますが、
「大河で演じる役のうえで、山本耕史さんと比較されます」と言うことでしょうか。
そして土方歳三を演じまではいいのですが、その後「上半身を脱ぎました」て…話が飛びますね。
この「上半身脱いだ」は山本さんは『真田丸』、そして町田さんは今回の打毬のシーンでしょう。どの作品であるかをきちんと書いてください。あと町田さん関連の記述は、山本さん関連の後に持って来た方がいいかと思います。

そして山本さんが演じた役ですが、『真田丸』の石田三成は「ライバルに追い抜かれる」と言うより、政敵(家康)に失脚させられると言った方がよく、また『平清盛』ではこれもライバルに追い抜かれると言うより、信西に邪魔されたと言うべきでしょうか。

公任にもこれからそんな瞬間がきっとある。
落ちゆく公任は至上の美を見せてきます。彼が公任を演じて本当によかった。
作り手もそんな公任の落ちる様を見るべきだというように、道兼につくという父の指示を見せてしまいました。
確かに、このあと出てくる道兼は周囲に一目置かれ、摂政の後ろ盾を持ち、本人も精力に満ちた姿を見せていました。

「作り手もそんな公任の落ちる様を見るべきだというように、道兼につくという父の指示を見せてしまいました」
「父の指示を見せてしまいました」とありますが、ここは
「道兼に付くようにという、頼忠の言葉をここに持って来たのは、制作サイドが、公任の落ちて行く様を示唆しているかのように見えます」
とでも書いてほしいのですが。
落ちるというか、出世を阻まれてなかなか参議になれないのですね。

それから町田さんは『西郷どん』で小松帯刀を演じていますが、何の言及もありませんね。

西郷どん32吉之助と小松帯刀
『西郷どん』第32回で小松帯刀を演じる町田啓太さん


庚申待(こうしんまち)の夜となりました。
一体なんのことなのか?
道教では、人の体の中には三尸虫(さんしちゅう)がいると考えていました。
この虫が庚申の日になると、天帝に悪事を告げに行ってしまう。それを防ぐために、寝ずに起きていることが庚申待ちの夜です。
今でもこの信仰にまつわる庚申塚が全国各地にあるほどですね。
「虫の居所が悪い」という言い回しも、この信仰をもとにしています。
そうした由来は、なにも怖いことだけではありません。夜人と集まって楽しんだり、地域の団結力を高めたりする役目がある行事といえます。

庚申信仰は、道教をはじめ様々な信仰が混ざり合ったものですね。
そしてこれもあらすじと感想で書いていますが、猿田彦神社の行事としても行われています。陰陽五行説とも関わりがあるのですが、なぜ武者さんはこういうことについて書こうとしないのでしょうか。

そして人と集まって楽しむのは、庚申御遊です。宮中で宴が行われましたが、まひろの家でも、ささやかながら宴が持たれていました。

まひろがまるで妹のようだとさわを持ち上げると、俺がいなくても寂しくないなと惟規。

「私ね、このごろさわさんを妹みたいに思ってるの」
が、持ち上げているということですか。あまりそういう印象はないのですが。この1つ前でも、道長が土御門殿を立派だとお世辞を言ったなどとありましたが、本人の素直な感情から出た誉め言葉のように思えますが。

外にでた惟規が、百舌彦の存在に気付きました。

惟規は厠に立って、その後戻るところだったのでしょう。この当時厠は外にあったと考えられます。

そして中を読み、「道長とは誰か?」とまひろに迫る。三郎か?と、からかう惟規。まひろがあわてて奪い取ると、さわは優しい文字だと感心しています。
よかったですね、道長! 行成の指導を受けた甲斐がありましたよ。

先ほども書きましたが、本来倫子への文を綴るために習ったかなが、まずまひろへの文に使われています。この両者の関係が、何となく尾を引くのではないかと思わせます。


飲み物-パブのアンバーエール2

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[ 2024/03/28 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第9回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの文字が武者さんのコラムの引用部分です。


大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第9回~

多少順番が前後します、まず私も関連投稿で書いていますが、武者さんのミスに関して。

私も漢籍関係で間違ったことを書き、ご指摘を受け修正しました。
全くもって情けないと思うとともに、独学孤陋とはこのことかと痛感しています。
マウントを取ったり勝ち誇るのではなく、様々な意見を聞いて学ばねばならない。

まずこれに関してたけたけさんは、こう書いています。
「商業アフィリエイトブログなのだから、原稿を間違ったまま校閲せずそのまま記事として出してしまうのは如何なものかと思います。
白居易の詩の引用であるのに李白と間違える。
漢籍マウントをドヤ顔でやって書き散らしてよく見たら間違いがあるという典型例でした」

さらにその後の
「学びがない大河ドラマはやはり間違っている」に対しては、自分のやらかしを棚に上げ大河批判でしょうと反論されており、また
「マウントを取ったり勝ち誇るのではなく」
というのも、自分を棚にあげた嫌味の様に見えるとあります。
そして「私に意見や説教した!マウント取り!マンスプレイニング!」ではなく、今回の平安時代の宗教観に見られるように、当時の貴族の日記などもある訳だから、史料を読み込んでレビューを書いてほしいともあります。

実際思うのですが、武者さんの場合真面目にレビューを書くと言うよりは、

さほど調べもせずに間違ったことを書く
自分が学ばない(と言っていいでしょう)割に、自分の嫌いな作品は学ばないと叩く(自分の思い通りに描かれていないだけだと思いますが)
その一方で意見やミスに指摘があると面白くない

こう考えざるを得ないのです。

まひろならば「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」(『史記』より/小鳥には雄大な鳥の気概はわからない・小人物には英雄の大志は理解できないという意味)と理解しようとしたかもしれません。

ここのところ、武者さんとしては、直秀が大志を抱いていて、あわよくば貴族たちに取って代わろうとしていると考えたいのかも知れません。しかし実際はそうではありません。
で、たけたけさんによれば

権力者である平安貴族やそれに従属している武士団を過小評価したがっており、直秀のような義賊的な人物を絶対的な英雄として持ち上げることで、『志を理解できない貴族には分からない』と言いたいのでしょうが、直秀は『藤原を嘲笑いながらなぜ興味を持つのか』と疑問を投げかける道長卿に対し、『よく知れば、より嘲笑えるからな』と答えています。

直秀たち散楽一座は物取りはしても貴族を討ち、彼らに取って代わりたいわけではなく、虐げられた人々に対して何にでも化けられる芸人として一時でも救いになりたいと思っているのだと思います。

とあり、要は貧しい人々に対して盗品を恵み、散楽という風刺劇で、日頃の憂さを忘れられるようにしたかったのでしょうと結論づけられています。

武者さん、どうも直秀を革命家か何かのように見ているかと思われます。実際はそうではないのですけどね。私はこのコラムの関連投稿で
「世を変えると言うよりは、こんな面倒臭いことのない地に、山を越えて行きたいという思いの方が強かったかと思いますが」
と書いています。

私の家に入り込んだ連中を捕まえたってコト? 
仇討ち? キャー! と、なってもおかしくないかなと。
まひろだけひきつった顔をしております。

ここでは、まず
「毎度の事なのでいい加減姫君の名前も覚えませんか」
とありますね。
(自分が興味がない「陽キャ」な人物の名前は覚えたくないのでしょうか)

そして、盗賊が入った時、道長が「獅子奮迅」の働きをしたことで、しをりと茅子ははしゃぎますが、倫子はそうではなく、何か思案顔であること、そして盗賊の方に話題を切り替えること、さらにまひろが、その倫子の様子に気がかかるものがあったようだと説明されています。

さらに道長にしてみれば、盗賊を捕縛した時点で、彼らが土御門殿に入ったのと同じ盗賊であることもわからず、また散楽一座とも結びついているわけはないともあります。当然ながら、直秀が土御門殿での盗難事件で討たれたことへの復讐として、東三条殿に入ったという発想はないはずで、ここで道長がわかっているのは、土御門殿の時の盗賊の首領を矢で射たこと、そして直秀の傷から、自分が射たのは直秀自身であるようだということだけだと述べられています。

武者さん、あらすじを書くのであれば、物語の展開を押さえるためにも、その前の録画をもう一度チェックしてほしいですね。

時代がくだり、源義経が朝廷から検非違使に任じられています。
武士にそういう大盤振る舞いをするから、墓穴をほったのでは?と思えてくる話ですね。

まずまひろが乙丸と共に、散楽一座の住処に行った際、放免たちが来て取り押さえてしまうことが書かれており、その後で検非違使やその他の役人について解説されていますので、そこの部分をご紹介しておきます。

検非違使とは律令制下の令外官で「非」法や「違」法を「検」察する天皇の「使」者を意味し、平安京における軍事・警察の組織として作られた検非違使庁の役人です。

源義経公が任官した『検非違使尉(少尉)』は四等官の判官(尉)に相当し、定員は不定で、衛門尉が兼務していました。
10世紀後半頃から源氏や平氏などの武士がなることが多く、義経公の力を認めた後白河院が検非違使尉に推挙しますが、これは鎌倉幕府の御家人である義経公が鎌倉殿である頼朝公の許しを得ていない任官でした。

今回の様な犯罪の場合、検非違使庁の実行部隊長である『看督長(かどのおさ)』と『火長(かちょう)』が実際に犯罪者を探索・追捕し、拷問や獄守、流人の護送や死体や穢れの清めなどを担当する釈放された囚人であり下級刑吏の『放免』を使役し実務に当たります。

実は私はあらすじと感想で、この火長が道長と話しているにもかかわらず、惟仲が話していると書いていましたので、訂正しています。

ごろ寝しながら、だらしない読み方ですね。
当時の所作は厳密ではなく、時代がくだると書見台も出てきます。
むろん、意識の高い藤原公任あたりであれば、もっとちゃんとした姿勢で読んでいると推察できます。
勉強嫌いを公言する惟規はこんなものなのでしょう。書見台・見台は、書物を読んだり見たりするために用いる台の事です。

これに関しては、書几(しょき)と呼ばれるものがあったこと、正倉院にも収められていること、形状としては肘木の両端に巻物(書物)を載せ、添木に紙面を挟んで読むとあります(出典:平凡社改訂新版 世界大百科事典)。
また書見台の定型化は室町時代頃とも書かれています。
そして、公任や斉信、行成たちも書見台は使っていないと、たけたけさんの記事では画像付きで説明されています。

書見台というのは、本が巻物でなく製本されるようになって初めて登場したとも言えそうです。このコラムの関連投稿で、『軍師官兵衛』の書見台の画像を貼っていますが、あの頃には既に使われていたのでしょう。そしてこの惟規の読み方、この姿勢の方が燭台が近く、明るいからと言えなくもないでしょう。

それから為時が詩を朗読しているシーンですが、
「好きな漢籍且つ中国語発音で漢文を読んでいるのになんの説明もないのですね」
とたけたけさんに言われていますね、武者さん。

仲尼昔夢周公久  聖智莫言時代過
仲尼、昔、周公を夢みること久しく、言ふ莫かれ、時代、過ぎたりと。
意訳:仲尼(孔子)は昔、周公の素晴らしさに憧れ、長い間、夢にみてきた。
聖智(知恵者)よ、「良き時代は去った」と言うなよ。
『本朝麗藻』
そしてこの詩は、悲しみに暮れる帝に、あなたの時代は終わっていないと、励ましている意味であるらしいと書かれています。

北宋から輸入した最高級の青磁です。
このドラマでは右大臣家や皇族周辺にはこれみよがしに北宋の磁器が置かれています。

ここの部分、「これみよがしに」はないだろうと私は書いていますが、たけたけさんも
「北宋などとの交易による唐物の購入の背景があるのに、『右大臣家や皇族周辺にはこれみよがしに北宋の磁器が置かれている』とは」
と、ちょっと驚いているようです。

尚福岡城内の鴻臚館の出土品についての説明があります。

『鴻臚』という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味し、筑紫、難波、平安京に置かれ、北宋や高麗などの外国商人らの検問・接待・交易などに用いられました。
そのうち筑紫の鴻臚館跡は福岡城の敷地内に遺構が見つかっている唯一の鴻臚館です。

商船の到着が大宰府に通達されると大宰府から朝廷へ急使が向かいます。
そして朝廷から唐物使(からものつかい)という役人が派遣され、経巻や仏像仏具、薬品や香料など宮中や貴族から依頼された商品を優先的に買い上げ、残った商品を地方豪族や有力寺社が購入しました。

1997年の平和台球場閉鎖に伴い、1999年から始まった本格的な発掘調査によって木簡や瓦類が出土。他にも越州窯青磁・長沙窯磁器・荊窯白磁・新羅高麗産の陶器・イスラム圏の青釉陶器・ペルシアガラスが出土しています。
この様な北宋などとの交易による唐物の購入の背景があるのに、『右大臣家や皇族周辺にはこれみよがしに北宋の磁器が置かれている』とは。

それにしても実資も、複雑な心境でしょうね。
美女を見繕うなんて女衒じゃあるまいし、やってられんわ!

女衒とは、女性を遊女屋などに斡旋する業者のことで、悪徳の商売とされており、しかもこの時代には存在しないとたけたけさんは述べています。
そして
「ポリコレ・ジェンダー批判を展開するために本来なら平安時代に存在しない『女衒』という職業を持ち出し、時代背景に合わない事を言っている事になります」
ともあります。

さらに

『側室はポリコレ違反!ジェンダーが!』なんて考えでいたら無嗣改易になるなどお家の大事に関わります。
長々と側室・妾に関してやる大河が嫌ならば、黒田官兵衛公の様に側室を一切持たなかった方もいますが、側室がいないから『軍師官兵衛』はOKという事でもありませんよね。

これも関連投稿に書いてはいますが、

『真田丸』の信繁の最初の妻、梅は側室
その『真田丸』で信繁の兄、信幸(之)の妻こうは最初は正室だが、後に稲姫が輿入れしたため側室となる
『おんな城主 直虎』では、井伊直親の正室しのに子がなかなかできず、側室を巡って次郎法師(直虎)としのが対峙する
『鎌倉殿の13人』でも、亀の前をはじめ愛人や妾、側室は出て来るし、頼家は安達景盛の妻を奪おうとしていた

こういうのは武者さん的にはOKなのでしょうか。
また主人公に側室がいないにもかかわらず、『軍師官兵衛』や『天地人』をほめてはいませんし。

それにしても、道兼は帝の前で上半身を脱いでいるところがなんとも言えません。
耽美です。
東洋の伝統として、同性同士だろうと、異性相手であろうと、とてもロマンチックな目線を送り、記録するということがあります。

これに関しては、道兼が父兼家から暴力をふるわれていたことに、帝が同情したということで、同性愛のようなロマンチックな関係ではないと、たけたけさんは指摘しています。
そしてこれは大いにうなずけますが、このようにも書かれています。

これが嫌いな作品なら『俳優をわざわざ脱がせるな』と俳優を侮辱し、『視聴者や週刊誌は毎回大河にエロを期待している』『エロは俺たちのもんだ! 女向けエロはゆるさん、けしからん!』と言うのではないですか。

さらに

商用ブログであるにもかかわらず、全く卑猥要素の無い所で、個人の性癖について延々と語って収益を得る何見氏の頭の中は、エロシーンしかないのでしょうか?

ともありますね。
(何見氏=武者さん)

それから独学孤陋に関してですが、

人と接することなく学んでいると、意見が偏ってしまう。
現代ならばエコーチェンバーか。

『独学孤陋』は人と接せず独学して見識が偏る事。『エコーチェンバー』は価値観の似た者同士での交流で特定の意見や思想が増幅される事。独りと価値観の似た者の交流かある状態では違うと思います。

と書かれています。偏屈になるのと、周囲が同じ意見ばかりで考えが先鋭化するのは違いますね。
(その先鋭化された考えがさらにこじれ、偏屈になるというのはありうるかも知れませんが)

藤原為時がたどたどしい中国語を話す一方、越前には中国語の発音がバッチリできる朱仁聡と周明が漂着。

たけたけさんによれば、この為時の、一見拙い中国語の漢詩朗読『仲尼昔夢周公久  聖智莫言時代過仲尼』は為時自身の漢詩の一部で、悲嘆に暮れる花山帝を慰めるために作ったと思われるとまずあり、子の詩は漢詩集『本朝麗藻』に収められていること、そして、お経の理解や漢詩で韻を踏む必要があり、中国語読みが行われていたこともあるせいか、敢えて中国語読みをしたのでは無いかということが示唆されています。

これで思い出すのが、『どうする家康』唐入りでの茶々のセリフです。
彼女は名護屋城で、西笑承兌に習ったと言って、私は茶々であると明国語で喋るシーンが出て来ます。これに関して武者さんは、

中国語としても違和感がありました。「私の名前は茶々である」ならば「我的名“字”是茶茶(字幕では“字”が“子”)」よりも、「我叫茶茶」の方が自然でしょう。
これで講師を指導につけたと言われても、どういうことなのかと困惑するばかり。
スタッフロールには名前が出ている時代考証の意見も、制作陣はどこまでそれを反映させているのか、疑問が湧いてきます。

と書いていますが、それに対して私はこう書いています。
「この場合の茶々はもちろんネイティブではなく、中国語(明国語)を日常的に使う人でもありません。漢籍の知識はある西笑和尚からこれこれこういうものだと教えられ、得意になって使っているわけで、どうしても日本人が考えた、直訳的な明国語に当然なるでしょう。それがおかしいとは思いません」

で今回も、せっかく為時が中国音で読んでいるのに「たどたどしい」。元々は日本人で日本語を読み書きしている以上、それは当然とも言えるかと思いますが。
そして
「越前には中国語の発音がバッチリできる朱仁聡と周明が漂着」
宋人設定なのだから当たり前でしょう。こういうところが、ドラマに対する思いが感じられないのですね。

朱仁聡を演じる浩歌さんは中国語がペラペラです。
そして周明は、松下洸平さんです。

ここでもう一度、『どうする家康』に登場して貰います。たけたけさん曰く

ところで何見氏は『どうする家康』作中で瀬名さまの内通を誘うため穴山梅雪(信君)公が唐人(明国人)医師・滅敬と偽った時には、その衣装がおかしいと叩いていたのですが。
あれは明国人医師に見えるっぽい変装という設定で中国人ではありませんでした。
ネイティブの俳優さんを採用しなければいけないと、嫌いな作品ならば叩きかねない何見氏なのですが、ここではダブルスタンダードでしょうか。

これも私は関連投稿で、嫌いな作品なら、ネイティブでない松下さんのキャスティングは、許せないと言うだろうなと書いています。そもそも滅敬の場合は、偽明国人であることは分かっているわけですから、わざわざ衣装にクレームをつける筋合いもないのですけどね。

あと稗史の人物が正史側の鏡を果たすと武者さんが書いている件、女性でありながら男性と同じ様に走る事を夢見て、戦国時代に、恩人であるお市の方のために、浅井氏の裏切りを知らせに小谷城から金ケ崎まで走った阿月、女性の運動がまだ憚られた大正時代、ランナーを志し後輩育成に力を注いだシマなどは評価しないとnoteにはあります。

私は後者の方は観ていませんが、阿月などその典型だと思うし、そして遠州の人々の代弁者となった団子屋の老婆、米を巡って家康と対立することになった一向宗徒たちもしかりでしょう。

飲み物-暖炉とウイスキー
[ 2024/03/09 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第9回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第9回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


花山天皇の側近である藤原義懐と藤原惟成が登場。
蔵人頭の藤原実資に向かって「天皇におなごを見繕え」と要求してきました。
すでに寵姫はいるものの、もっともっと注ぎ込んで、皇子をあげねばならない。このままでは政もダメになってしまうと凄いことを言い出しました。

×「天皇におなごを見繕え」
〇「帝のおそばに女子を送り込め」
ちゃんと字幕を出して観てほしいですね。
そして寵姫というか、他にも姚子(ようこ)、諟子(ただこ)、婉子(つやこ)という女御たちがいるわけですが、彼女たちとの間にもお子ができそうにもない、さらに女子を、でないと政にもさしさわりが出ると言っているのですね、義懐は。

それにしても実資も、複雑な心境でしょうね。
美女を見繕うなんて女衒じゃあるまいし、やってられんわ!
そうやって苛立つロバート秋山さんの演技がいつも素晴らしい。
彼が怒るおかげで、かえって歴史の持つバカバカしさが露になったようにも思えます。
歴史上には「俺に好きな女の子見繕って」と言い出す奴もいれば、あてがう女を探し回った側近もいます。
たとえば平岡円四郎が、徳川慶喜の女を斡旋していたなんて、そんな情報は知らなくてもいいですよね。

まず「美女」とは義懐も実資も言っていません。
ルッキズムにこだわる武者さんの本音と見るべきなのでしょうか、これは。
そして女衒というのは、女性を売春宿に斡旋する業者のことを言います。この場合は女御の候補を捜せと言われているのであり、女性を売り飛ばすのとはわけが違うのですが。また実資が苛立つのは、まず新しい女子を抱けば帝のお気持ちも変わると義懐が言い、それは不敬であろうと立ち上がっているわけです。

そしてその後怠慢と言われ、さらに惟成が仲介しようとしてうまく行かず。実資はさらに怒りをあらわにします。で、義懐などでなく、自分を公卿にしていればとなるわけです。
それがなぜ「歴史の持つバカバカしさ」になるのでしょうか。
さらに
「歴史上には『俺に好きな女の子見繕って』と言い出す奴もいれば、あてがう女を探し回った側近もいます」
具体的にどういう人物でしょうか。その人物は歴史上で、どのような役割を果たしたのでしょうか、あるいは果たさなかったのでしょうか。

「たとえば平岡円四郎が、徳川慶喜の女を斡旋していたなんて、そんな情報は知らなくてもいいですよね」
武者さんは以前、『青天を衝け』で円四郎の未亡人やすが、女衒であるなどと書いていましたがその間違いですか?ちなみにやすは、栄一に後妻として芸者見習いの兼子を紹介しています。これももちろん女衒ではありません。

そんなことをじっくり長々とやることではない。側室だのお手付きだの、そういうことに一週使うような大河ドラマは不要であると、私は主張したい。

側室や側女というのは、歴史上の人物に影響を与えた部分もあり、そういうのを描くのもまた歴史ドラマの醍醐味と言えるわけですが、
「そういうことに一週使うような大河ドラマは不要であると、私は主張したい」
どの大河か大体見当はつきますが、嫌いなドラマだから言えることですね。
『真田丸』でも『おんな城主 直虎』でも側室(信繁の最初の妻梅は側室)の描写に1週あるいはそれ以上使っています。あるいは側室というより妾、愛人ではありますが、『鎌倉殿の13人』の亀の前にも何週か使っていましたよね。こういう大河も、すべて不要なのですね。

そして君主制ですね。
血統で選ぶとなると、人間相手にブリーダーのような発想をする羽目になります。もうこの時代、それは辞めたいという気持ちが当然のことながら出てきて、強くなっています。
イギリスのハリー王子は、自伝のタイトルが『スペア』です。どうせ俺は兄のスペアだという嘆きはあまりに生々しくて、世界に衝撃を与えました。
『光る君へ』の面白いところは、千年以上前の話なのに、今にも通じる問題提起をしっかりできるところだと思います。

ブリーダーですか、何だか日本の皇室にもイギリスの王室にも、随分失礼な言い方ですね。
だったら別のコラムで、こういうのは要りませんと書けばいいだけの話では?
そして摂関政治時代の帝と、今のイギリス王室とを比較するのも無理がないでしょうか。この帝(花山天皇)の描写は、今にも通じる問題提起と言うより、なぜ藤原兼家、そしてその子の道長が羽振りを利かせるようになったのか、それは帝を退位させて懐仁親王を即位させたからだというのを、史実を踏まえたうえで描いているからだと思いますが。

尚武者さん、以前『鎌倉殿の13人』のコラムでこのようなことを書いていました。
「例えばイギリス王室では王位継承順位が数百人単位で決められています。あの王室が盤石とされるのは、それだけ後継者が多いからなんですね」
ちょっと矛盾していないでしょうか。

実資だって、それはわかっています。わかっているならもう言わない、とたしなめる桐子。
日記に書けばいい、日記、日記、日記! と煽ってきます。
「日記には書かぬ! 恥ずかしくて書かぬ」
でた!
書かぬとか言っているくせに『小右記』に残っているパターンだ。これがあと何度見られるのか。癖になります。中毒性があります。

はっきり言って、中毒性を引き起こすほどのものでしょうか。面白い描き方だなとは思いますが。
なぜ面白いかと言うと、これもあらすじと感想に書いていますが、当時の日記に何でも書き記すというのを強調した描写になっているからです。無論ぼやく夫と窘める妻という、ちょっとボケとツッコミ的な乗りもあるにはありますが。

そして兼家の仮病についてですが、

帝には譲位してもらわねばならない。そして東宮が即位しなければならないのに、帝は思いのほかしぶとい。そう訴える兼家。
すると晴明はこう言います。
「策はございます」
「なんと!」
「私の秘策、お買いになりますか?」
「買おう」
「されば……」

ここですが、兼家は自分には策がないと言ったため、ならば私の秘策を買いますかと晴明が持ち出したわけですね。そのうえで、このまま仮病を使うようにと晴明は言ったのです。

かくして商談成立となりましたが、実際の安倍晴明を考えれば納得のいく流れです。陰陽師は官位が低く、おとなしくしていたらそんなにお金持ちになれない。
占いをして、依頼者の気にいるように返せば、ありがたい結果だとお礼をもらえる。
占いというのは、相手の望む通りに結果を出すことが大事なのです。

ここで前にもご紹介しましたが、安倍晴明という人について、公式サイトにあるので貼っておきます。

をしへて! 倉本一宏さん ~伝説の陰陽師・安倍晴明は、実際にはどのような人?
(『光る君へ』公式サイト)

当時の彼らの占いは、例えば式盤(ちょくばん)と器具を使い、そこで得られた情報を中国の古典などと照らし合わせて結果を導き出すような手法があるのですが、それを素人が見てもよくわからないんですね。そして相手が望むようなことを察してそれを言えば、依頼主は喜びます。実際の安倍晴明という人物は、そういうことにも長(た)けていた、とても優秀な官僚だったと思います。

武者さんも、このくらい書いてみてはどうかと言いたくなります。あと出世は遅かったものの才能は認められていたようです。無論、この世渡りのうまさも関連しているのでしょうが。ユースケ・サンタマリアさんもこうコメントしています。

「光る君へ」での安倍晴明はそういう感じとは真逆の“ビジネスマン”として描きたいとのことで、いいなと思いました。

これまた『鎌倉殿の13人』と比較してみましょう。
精神が弱った源頼朝に対し、不吉な色を告げてしまった阿野全成は晴明に劣ります。バカ真面目に答えを出すのではなく、ラッキーカラーでも告げて、心を元気にさせた方がよかったのかもしれません。

この時は私も書いていますが、全成は頼朝からどうすればよいかと訊かれて、かなり口から出まかせを言っています。そうでないと引き下がらないからで、実衣は呆れていましたね。バカ真面目とはちょっと違うのではないでしょうか。

詮子に対しては、左大臣の源などなんの力もない、味方せねば東宮は即位できないとさらに脅しをかけています。
安倍晴明と藤原兼家、なんて嫌なコンビなのでしょう。

実際問題、源雅信はここでは特に力があるようには見えないし、また権力欲もさほどにある人物ではありません。寧ろ詮子が勝手にそのようなことをしないよう、釘をさしたと取るべきでしょう。

「安倍晴明と藤原兼家、なんて嫌なコンビなのでしょう」
また「なんて…なのでしょう」ですか。寧ろ私はこの回、この2人のやり取りが一番面白いと思いました。こういう黒幕的人物がいるからこそ、メインの2人(まひろと道長)がクローズアップされるのではないでしょうかね。

で、何でも晴明が諸葛孔明で、兼家が(仮病で相手を油断させる)司馬仲達だそうです。

そしてその後、ここは適当にピックアップしておきますが、

道兼は(中略)酷いことだと同情を見せつつ、人の心を無視してあてがう義懐らの姿勢に憤る。
この瞬間、花山天皇の中に何かが芽生えたのでしょう。道兼は帝の忯子への思いを理解します。義懐とは正反対です。

それにしても、道兼は帝の前で上半身を脱いでいるところがなんとも言えません。
耽美です。
東洋の伝統として、同性同士だろうと、異性相手であろうと、とてもロマンチックな目線を送り、記録するということがあります。

藤原道長がまひろを思いつつ詠んだ白居易の詩にせよ、同性の友人である元慎を思い浮かべながら詠んだ作品です。
東洋以外の研究者は「これはもう、この二人は恋人だったのではないか?」としばしば論争を起こすものの、決着しないとか。

日本は伝統的に同性愛への忌避はない。『源氏物語』でも光源氏は空蝉と接近するために、その弟と性的関係を持っているともされます。
(中略)
道兼があえて脱いでいることは、何かを誘導しているとみなしてもおかしくはありません。そこは自由にできると。

そしてここでちょっと持ち出したいのが、今週はお休みの藤原斉信ですね。
(中略)
李延年のように斉信も、もっと頑張って、帝に「ね、私って妹そっくりでしょ?」とでも迫ればよかったんじゃないですかね。アピール不足だったのでは?
斉信には道兼みたいに脱ぐほどのガッツはなかったということなのでしょう。

まず道兼ですが、あれは帝の気を引くための演技に見えますね。兄弟の前ではほくそ笑んでいますし。

そしてこの一連の記述に関して、一応書いておこうと思います。
貴方、昨年の『どうする家康』で、BLについてあれこれ書きまくっていましたよね?
こういう感じで。

このずれた恋愛感は、男同士にも及んでいます。
信長と家康のBLといい、家康と三成の星の下でのBLといい。
あんな瞬きもしない星の下で語り合ったくらいで、一体なんなのですか?
馬鹿げたシチュエーションでも、それらしく演じることのできる三成が哀れ……。
男同士の争いですら、BLバッドエンドでしか描けないとは、どこまでも陳腐な脚本です。

今、ブロマンスが見たい本物の若者は、『陳情令』や『魔道祖師』を見ていると思いますよ。

去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。

これは一体何だったのでしょうね。嫌いな大河のBL描写は、NGと言いたいわけですね要は。
まだまだありますけど、長くなりそうなのでこのへんで。

しかし
「男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです」
などと書く一方で、
「道兼が敢えて脱いでいる」
「日本は伝統的に同性愛への忌避はない」
「斉信もアピールすべき」
ですか。こと『光る君へ』に関しては、同性愛を描いてほしい、自分が萌えたいからと言いたげですね武者さんは。矛盾しまくりです。


飲み物-琥珀のエール
[ 2024/03/07 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムその2です。しかし武者さん、昨年の『どうする家康』で書きまくったこと(一部それ以前を含む)が、今年はかなりの確率で、ブーメランとなっていないでしょうか。

本題に行く前に。貴人と猫について前の分の投稿で書いていますが、『どうする家康』でもこういうシーンがありましたね。

どうする家康45秀頼と千姫
『どうする家康』第46回

千姫は絵が上手ですが、弟の竹千代(家光)も兎の絵を描いていたことを考えると、あれは誰の遺伝なのでしょう。


では本題です。
赤染衛門が『竹取物語』関連で、かぐや姫はなぜ、五人の公達に無理難題を突きつけたのかと姫たちに尋ねます。

「好きではなかったから」といった答えが主流の中で、まひろだけが、ぶっ飛んだことを言い出します。
やんごとない人々に対し、怒りや蔑みがあった。
身分が高いだけで威張るものが嫌だから、帝でさえ翻弄するのだろう。
すると倫子は「おそれ多い」と呟きます。「空気読め」という意味かもしれない。
それでもまひろは、身分が高い相手を突っぱねる姫は颯爽としていると熱く語ります。
すると倫子が、私の父が左大臣で、身分が高いことを忘れていないかとチクリ。

まず「好きではなかったから」といった答えが主流とありますが、こう答えたのはしをりだけです。主流というのは、複数の意見で多数派を占めるものですから、この表現は当てはまらないかと。
そして「身分が高いだけで威張るものが嫌だから」とありますが、「やんごとない人々への怒りや蔑みがあったから」ですね。「威張る」という表現はどこにも出て来ません。

そして花山天皇の早期退位について、兼家や道隆、道兼が知恵を絞るシーンに関して次のように書かれています。

いかがでしょう。まひろや義賊散楽一味がみたら「やっぱりこいつら悪どい、盗んじまえよ!」と言いたくなりそうです。

この場合、まひろは無関係ではないでしょうか。ただ道長が来ないことを気にかけてはいますし、道長もその気になっていますが、酒席に残るように兄道隆から言われ、抜け出そうにも抜け出せません。
あと例の盗賊団ですが、彼らが忍び入ったのは土御門殿であり、兼家の住まいである東三条殿ではありません。

般若というのはこのことかと思うほど、凄絶な美しさを吉田羊さんが体現。
(中略)
「懐仁のことも、もう父上に任せませぬ! 私は懐仁を守ります。そうでなければ懐仁とはいえ、いつ命を狙われるか!」
道隆が宥めようとしますが、詮子は止まりません。
兄上は嫡男のくせにご存じないのかと怒りをますます高め、道兼が医師を呼ぼうとすると、詮子はこう言います。
「薬など、生涯飲まぬ!」
何を入れられるかわかりませんからね。
見事な場面です。女性の怒りをこうも鮮やかに見せてくるとは。

まず「医師」でなくて「薬師」ですね。ドラマの中でもそう言われていますし、この当時はこの呼び方が一般的だったと思われます。それから「薬」という言葉が導かれているのでしょう。
また「毒薬変じて薬となり」とも言われますが、父兼家の考えは毒と言えるものであっても、後々の藤原氏の繁栄のためには薬であるとも言えそうです。

「女性の怒りをこうも鮮やかに見せてくる」
昨年の茶々も、『青天を衝け』のお千代(栄一の妾の存在を知った時)も女性の怒りを見せていましたが、嫌いな大河だと武者さんは引き合いに出して来ないようです。

そしてこうも父に怒る女性は、詮子だけではありません。後にまた別の女性も怒ります。
父に対し、娘がこうも激怒する大河が見られるとは。感慨深いものがあります。

父に対して娘が怒る大河と言えば、『鎌倉殿の13人』の大姫もそうでしたし、先ほど画像で引用していますが、『どうする家康』の千姫も父秀忠と祖父家康に対して、怒りをあらわにしています。
尚この時武者さんはこう書いています。

秀忠の理由にしても、ただカッコつけたいからのようで、千姫は「父上もおじじ様も鬼!」とか言い出す。そして豊臣の天下を盗み取った化け物だとキンキン喚いています。

「詮子は帝に毒を盛っただの、懐仁は任せないだの、キンキン喚いています」
とは書かないのですね、今年は。

どうする家康第48回家康と千姫
『どうする家康』第48回

兼家は、詮子が去ると、ゲスなゴシップ誌かネットニュース、掲示板じみたことを言い出します。

昨年あれだけ「文春砲」やゴシップサイトの記事のリンクを貼っていた武者さんから、このようなことを言われたくありません。

長い間、独り身だからいたましいことだ。これからは楽しい催しなどして、気晴らししてやろう、と。そのうえで飲み直そうときた。
なんてクズ男の解像度が高いドラマなんだ……家族や女性部下が怒っていたら「高めのプリンでもコンビニで買って冷蔵庫に入れて置こうか♪」と言い出す、そんなムカつくおっさんみたいな兼家だな!

貴方は気に入らない男性だと何でも
「クズ男」
「ムカつくおっさん」
ですね。実際詮子も里下がりして寂しい思いをしていたわけですし、兼家もそれなりに娘に気を使っている(親王を産んでくれたこともあるし)のではないでしょうか。

悪事で結束する右大臣家って……どこのヤクザですか?
道長だけが賛同するようで、呆れ切った顔をしています。

策略ではあるけれど悪事とは必ずしも言い切れないものと思われます。先ほどの「毒薬変じて薬となる」に近いものがあります。
そして

しかし、これは『鎌倉殿の13人』序盤で、義時が上総広常を見て笑っていたようなものかもしれない。
娘がどれほど怒り、絶望しようが、父は権力のために強引な手段を押し通す――後半、きっと私たちはまた絶望するのでしょう。

これに関しては、『真田丸』で信繁が、父真田昌幸の手段を選ばないやり方を見て
「私は父上が恐ろしい」
と言ったのに近いものがあるのではないでしょうか。

バイオリンの音色が、激しい愛を伝えてきますが、このドラマは日曜夜8時台ですから、ドラマ10『大奥』級の過激描写はありません。
ただし、ギリギリのエロスは読み解き方で出てきます。
酔っ払ったと廁へ向かう為時は、使用人の“いと”によろめいたところを支えられます。
「お前にも世話になった」
そう言われ、ドギマギする、いと。このドラマって、こういう距離が近づく二人をうまく描きますよね。まぁ、為時は廁に向かいますけどね。

「バイオリンの音色が激しい愛を伝える」
昨年は
「BGMはくだらないストリングス。家康が手を合わせる……いや、もう、しつこいって!」(第48回)
「BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス」(第47回)
嫌いな大河ならくだらないにお涙頂戴ですか。今年のにはそれは言わないのですね。
そして為時といと。こういうのも、嫌いな大河なら

エロオヤジの為時が、よろけるふりしていとに色目を使う。一言で言うなら「しょーもな」!

などと書くのではないでしょうか。中高年男性嫌いでルッキズム大好きな武者さんですし。
(作品中の為時といと、そしてその中の方、すみません)

あと「いと」、昨年の「糸」(北条氏真の妻)は今までの大河と同じような名前と叩き、今年は何も言わないようです。

内裏では、花山天皇が政治を行なっています。
銅銭の価値変動が激しいのは、関白のせいではないか?と言い出す。
藤原惟成が語るには、なんでも日照りのせいで物の値上がりが続いているんだとか。

「政治を行っています」でなく「政を行っている」とか、「関白頼忠の言葉を聞いている」とか書けませんか?
あと
「日照りのせいで物の値上がりが続いている」
のではなく、
「長雨と日照りで米が不作となり、物価の上昇が激しくなっている」
のですね。

本作の時代考証の倉本一宏先生は、ドラマによって花山天皇の奔放さばかりが広まることを懸念しています。
この花山は、聡明だし有効性のありそうな政策を考えている。
あのぶっとんだ帝が、万民に模範を示すことを考えるようになるとすれば、何に由来するのか?
為時が読み聞かせてきた漢籍、『墨子』ではないのか? とも思えてきます。

この時代考証、昨年は全く持ち出さなかったどころか、一次史料を基にした平山氏のX投稿に噛みついていましたね武者さん。

この花山天皇の政ですが、元々これは側近の義懐と惟成が、荘園整理令とか、貨幣経済の活発化などを政の中心として推し進めており、それが頼忠との確執を招いたとも言われています。
それと『墨子』については先日書きました。この時代の日本で、どこまで影響があったのかは不明です。

こちらに墨子に関する記述があります。今回はURLだけを置いておきます。

万葉雑記 番外編 墨子と古代日本
墨学では血統や姻戚関係は重要視されません。儒学の枠から外れた根を持たない人々には、ある種、救いの学問です。そのため、支配者階級の階級固定化が進む漢代以降では墨学は任侠や家系を持たない下層民層に落ち込んで行ったとします。
 日本ではこのような状況を写し、一般に墨子集団やその集団が著した書籍は秦の弾圧や焚書坑儒の事件から前漢中期までには世から消え、その後に清王朝終末の混乱期(1894)になって孫(そん)詒譲(いじよう)、譚(たん)嗣同(しどう)、梁(りょう)啓超(けいちょう)によって再発見されたと評価します。このような学問上の歴史から、墨子とその墨子集団の思想は古代には消え失せていたために大陸との文化交流が盛んとなる隋・唐時代と重なる飛鳥時代以降の日本には墨子は影響を与えなかったと評価します。

そして記事の後の方ではこうなっています。

墨子は日本の古典には無いことになっていますが、飛鳥・奈良時代、平安時代初期、平安時代末期、江戸時代と知識人階級の世界にはその存在を見せています。

https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/e49d7108d53fba7902d41f479c0200ef

かなり長くて私もちゃんと読めていないかも知れませんが、日本では墨子に関しては、古代に於いて知識人階級の間では知られてはいたものの、あまり際立った存在ではなく、ただ近世(江戸時代)には、この人物の関連本が刊行されていたようです。清帝国から輸入された墨子関連本の影響もあったのでしょう。

あと為時が講義していたのは『論語』ではなかったでしょうか。

道長は、筆を雑に扱っていて、そういうことだからあんな筆跡になるのだと苦言を呈したくなってくる。
そういう扱いをすると筆がすぐ駄目になってしまいます、藤原行成を見習いましょう、と思わず言いたくなります。
なんて書に気が利いたドラマなのでしょう。

また「筆」の話。どうも昨年寝かせてもいない筆を寝かせたと主張して以来、筆に対してかなり反応するようになっているのでしょうか。この時の道長は、使い終わった筆を拭うようなしぐさを見せていますが、それがどう
「雑に扱って」
いるのでしょうか。
そしてまた出ました「あんな筆跡」。
特徴のある、あるいは癖の強い筆跡かとは思いますが、特に「あんな」とまで悪筆呼ばわりされるものでしょうかね、三蹟の行成とは違うのですよ。

そして
「なんて書に気が利いたドラマなのでしょう」
ここで褒めるのならそれではなく、この当時の上級貴族の世渡り術が、このシーンのセリフで説明されていることだと思いますが。

シスターフッドを発揮し笑い合う二人。まひろがどこかズレていて変人だから成立する関係かもしれない。
しかし、まひろは「絶ッ対、留まらない!」という謎の自信があるため、なんとかなっております。
いるんですよね、こういうモテにさして価値を見出さない剛の女が。認めたくない人は、認めないんでしょうけど。

ここで『大奥』で出て来たシスターフッド。
元々これは、共通の目的がある女性同士の連帯感の意味です。それを言うなら瀬名と於愛もシスターフッドでしょう。
そしてまひろの謎の自信とありますが、見方を変えれば自分自身を知っていると思えます。彼女に魅力がないのではなく、自分は書物あるいは学問がいわば恋人であり、ゆえに男に口説かれても自分は決して落ちないという、そういう発想でしょうか。ちょっと内省的でもありますが。

「こういうモテにさして価値を見出さない剛の女が。認めたくない人は、認めないんでしょうけど」
「剛の女」かどうかはともかく、そういう性格ではあるでしょうね。
そして「認めたくない人は認めない」とあるのは、SNSか何かで反対意見でも目にしたのでしょうか。感じ取り方は人さまざまだと思いますが、別にそれはそれでスルーしておけばいいでしょう。何だか私怨で書いているように見られますよ。

舞を覚えるのが大変。
何度指導を受けても、不器用なのか逆に回ってしまい、叱られてしまいます。
絵も下手だし、体を動かすことも苦手なのかもしれない。ともかく何かがズレている、ヒロインらしさが常に落第気味で斬新です。

このヒロインらしさとは何ですか?
大河朝ドラを問わず、ドジを踏むヒロイン、あまり器用でない(世渡り下手を含む)ヒロインなども今まで登場していますけどね。この吉高さんが演じた『花子とアン』の花子も、女学校で先生に叱られていましたし。

この国にはこんな歌や踊りがあるのかと見ることも、大きな楽しみのひとつなんですね。『鎌倉殿の13人』の静御前に続く、日本代表の登場です。
日本の場合、衣装の重みもあるのか動きが落ち着いております。
唐の場合、軽やかに長い袖をクルクル回し、かつ様々な文化の影響を受け、激しい動きもあります。比較するとますます楽しい。

舞は別に女性だけのものではありません。男性による舞楽もあります。これもまた
「この国の歌や踊り」のひとつですね。

どうする家康45秀頼の舞楽
『どうする家康』第45回

そしてこの五節は、元々は『春秋左氏伝』の「先王之楽、所以節百時也、故有五節。遅速、本末以相及」がルーツとなってもいるようです。

しかし、そのせいでツッコミも入りました。貧しい家出身の紫式部が選ばれることはありえない、と。
(中略)
しかし、懐に余裕がないのに選ばれると、蓄財機会のある受領に無心して仕立てるようなこともあったとか。
それを身代わりということで、衣装予算の問題はクリアしています。
なぜ身代わりにするのか?
花山天皇から倫子を逃すためならば、設定としてありではないでしょうか。
このドラマは、かなりギリギリの設定を攻めてきて、それがよい。

この当時の舞姫は、元々は公卿や受領、殿上人の娘であったのですが、高位の貴族の女性が人前に姿を見せなくなって行ったこともあり、また天皇と舞姫の性的なまじわりなどもあったわけで、光源氏が舞姫に乳母子を送り込んだのも、こういう背景と関係しているでしょう。で源雅信と穆子も、倫子を出すのを渋った挙句、まひろに白羽の矢が立ったわけです。

そして好きな大河なら
「このドラマは、かなりギリギリの設定を攻めてきて、それがよい」
嫌いな大河なら
「(仮に史実であっても)こんなのはありえない。史実を書け」
なのですね。

そしてこの次の部分、今度は『青天を衝け』叩きですか。

そうそう、東洋の国家だって当然のことながら、過度な好色は軽蔑されます。
『青天を衝け』の際、渋沢栄一後妻である兼子に由来する、こんなことが語られていてうんざりしました。
「あの人も『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」
「儒教に性的規範はない」
他国由来の思想に、なんて迷惑なイメージを植え付けるのか。そんなことはありえません。
確かに天皇は皇子を残すことが責務であり、多くの妻を持ちます。
そうは言っても、ルール違反をすれば嫌われるでしょうよ。

儒教の性的規範はともかく、貴方は儒教が悪く言われたら何かの如く言う割に、キリスト教、たとえばカトリックなどはディスリ放題ですね。
かつて、鎌倉殿とどうする家康のコラムでこんなことが書かれていました。

殺すことがまずありながら、動機づけをしたい。
そこで神の出番です。
神が殺していいと言ったから……という理屈を通す。
これは別に日本特有でもなく、中世のカトリック教国では「おらが村の聖遺物」だの、その日の守護聖人だの、そういう神頼みを理屈にして色々やらかすことはありました。

視力抜群、レーシックお愛がゆるかわ仏様を持ち込みます。
数正が作ったというもので、その出来栄えが……小道具スタッフもあまり気合が入っていないのでしょうか。
『麒麟がくる』の平蜘蛛や『鎌倉殿の13人』の仏像と落差が惨たらしい。
しかしフィギュア作り……もとい木彫りの像が好きなドラマじゃのう!
他にアイテムを思いつかないんでしょうか。

カトリックもさることながら、石川数正が彫った仏像への見方、これも如何なものでしょうか。
他の国からやって来た宗教ですよね、どちらも。

確かに日本史には、何かの折、目の前に好みの女がいると、手をつける恐怖の権力者は実在しました。
『青天を衝け』に出てきた徳川斉昭です。
あのドラマよりも、ドラマ10『大奥』の徳川斉昭の方が史実に近いので、適宜みなさまご修正ください。

大きなお世話だと言いたくなります。
私は『大奥』を見ていませんが、それぞれの主人公や設定に合わせた描き方があるのに、嫌いな作品の描写はこれでもかと叩き、好きな作品の描写のみを正しいと言うのはミスリードではないでしょうか。

断っておきますが、まひろは決して現代人思想に被れたトンデモヒロインではありません。
『麒麟がくる』の駒についても、「現代の平和思想を語る女w」と嘲る意見をよく見かけましたが、彼女たちは中国思想由来の意見を述べております。

まひろが「現代人思想にかぶれた」シーンなど出て来ませんが、武者さんにはやはり一般視聴者に見えないものが見えているのでしょうか。もしそういうシーンがあるならどこでしょうか。
そして駒が叩かれたのは、将軍の側女としてはどこか越権行為があると見えたからではないでしょうか。
いつも思うのですが、武者さんが麒麟と言う時は大部分が駒、それも彼女への批判への反論のみですが、なぜ批判されたかというのを、大河のライターならもう少し考えてはどうでしょうか。

そしてその「中国思想由来の意見」についても、その出典と当該人物が何を語ろうとしているのか、書いて貰えないでしょうか。そして儒教由来の王道と覇道に関しては、昨年も出て来ていますよ。

『麒麟がくる』以来、私はひとつの仮説をたて、証明するデータを自分なりに集めてきました。結論は出つつあります。
その仮説とは、日本史愛好者でも、漢籍読解や東洋思想知識が減衰傾向にあるのではないか?ということ。
実は、明治以来指摘されてきたことで、いまさらではあります。
そこが弱いから「麒麟」の理解が不十分で曲解意見が出てきたのではないかと考えています。
『麒麟がくる』ではなく、『光る君へ』で、この仮説は決着がついてきたと思います。

「日本史愛好者でも、漢籍読解や東洋思想知識が減衰傾向にあるのではないか」
「そこが弱いから『麒麟』の理解が不十分で曲解意見が出てきた」
何だか上から目線ですね、まあこの場合に限りませんが。
ではそのデータとやらを開示して、どういうふうに減少傾向にあるのか、それがどのように『麒麟』の理解の不十分さに結びつくのか、ちゃんと解説してください。

私自身『麒麟がくる』は、ちょっと抽象的あるいは観念的なタイトルだなと思いましたし、この大河への「曲解」意見なるものは、要は批判意見であり、武者さんにはそれが面白くないのではないか、そのようにしか見えないのですが。

たとえば『孟子』を「漢詩」とする感想が出てきたりしますが、これを例えるなら、
「『源氏物語』という俳句を読みました」
という類のものとなります。
もしもアメリカのドラマでそんな風に語られていたら、「気持ちはわかるが、そうじゃないんだ」となりませんか? そう言う類のミスなのです。
漢詩はあくまで「漢詩」であり、『孟子』は思想を説く「四書」に分類されます。
些細なことではあるのですが、重要なことでしょう。

『孟子』を漢詩とする感想て、どこにあるのですか。SNSですか。だったらちゃんとスクショしてください、恐らく勘違いではないかと思われます。
そしてなぜ『源氏物語』=俳句なる表現が、アメリカのドラマに結びつくのですか。実際に向こうの番組でそういうセリフがあったのですか。ならば、その番組に意見を送るべきかと思いますが。

このドラマに関する各メディアの記事で、紫式部が世界的に唯一突出した女性文人という趣旨の記述を時折見かけます。
これについては、むしろ本人が以下のように嫌がりそうです。
「やめてください、優れた女性文人は私の前にだっています。本朝もおりますし、何より唐。卓文君、班昭、蔡琰、謝道韞、魚玄機、薛濤……漢籍を読めば出てくるでしょう。なんで知らないんですか?」
ことさら紫式部を「日本スゴイ!」とか、「アジアでスゴイのは日本だけ!」といった言説に結びつけるのは、彼女が望むことでもないでしょう。
キャッチーだからって大仰なコピーを使うことは非常に危うい。

実際『源氏物語』がこれだけ読まれているのだから、著名な存在であることは間違いないでしょう。
寧ろ、武者さんが羅列している唐の「女性文人」の方を、知らない人の方がはるかに多いのです。何よりも日本人が、紫式部を称賛し、世界的な存在であると考えるのがそんなに悪いことですか?
「キャッチーだからって大仰なコピーを使うことは非常に危うい」
一体何が危ういのでしょうか。
何だか紫式部が世界的に有名であるのが、お気に召さないみたいですね。

そして次の仮説です。
ネットニュース等のドラマ評価は、視聴者の理解度によるのではないか?
(中略)
『ちむどんどん』という朝ドラがありました。
このドラマは「医食同源」が根底にあり、琉球の伝統食文化や、沖縄ならではの事情がプロットに盛り込まれていた。
それが理解できなかったのでしょう、琉球差別としか言いようのないアンチコメントが多く見られたものです。
しかも、それを集めてニュースにすることでPVを稼ぐメディアもあり、ドラマの感想で琉球差別の助長をするなんて何たることか、と頭を抱えたくなりました。

「視聴者の理解度」
これもまた上から目線な感じですね。
要は、自分が好きな作品を悪く言うのが許せないというところでしょうか。しかし他人が好きかも知れない作品(大河、朝ドラ)を武者さんはこれでもかと叩き、『舞いあがれ!』などは実際にないシーンまで自分で作り出していたりもしたのですが、それは無視ですか。

あと『ちむどんどん』に関しては、あまり「医食同源」という印象はありませんでした。沖縄から東京に料理人の修業に出て来た若い女性の物語ですが、何だか反社組織がやたら出て来たり、ヒロインに取ってちょっと都合よすぎと思える設定になっていたのには違和感があったし、しかも当時、沖縄の農産物は法的な意味合いから持ち込めないことになっていたのに、それを持ち込んだりするのはちょっとリサーチ不足にも見えました。

人の性は悪なり――このことはネットが可視化している側面もあります。
PVを稼ぎ、バズるためなら悪口やデマ、差別でも語るようになるのかもしれない。
自戒もこめて、それよりも大事なことはある、ルールは守ろうと思う次第です。

「PVを稼ぎ、バズるためなら悪口やデマ、差別でも語るようになるのかもしれない」
『青天を衝け』や『どうする家康』のコラムで、悪口やデマ、あるいは俳優さんの外見に基づいた誹謗中傷とも取れることを平気で書いて来た武者さんに、こう言われたくありません。この手のことを書くのはこれで2回目ですね。

2021年と2023年に何を書いて来たのか、貴方はまずそのことを反省してください。


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
[ 2024/02/02 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第48回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週もたけたけさんのnote記事からです。実は原文を下書きに入れて保存したつもりだったのに、なぜか公開になってしまったようで、その時点でアクセスされた方は驚かれたと思います。その方たちそしてたけたけさん、失礼いたしました。

また今回も、武者さんのコラムからの引用部分はダークブルーの文字色となっています。それから第48回の最後に登場する現代の東京の街並みのタワー、ぱっと見中央に丸みがあるように見えたので、スカイツリーとしていましたが、よく見ると東京タワーであること、またこのたけたけさんの記事をはじめ、最終回関連記事でも、この東京タワーと指摘されていること、徳川家とゆかりのある増上寺に近いことなどから、東京タワーに改めています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第48回~

こんな視聴率ワースト2位の大駄作に応援されたって、足を引っ張られるだけでしょう。
燃え盛った船が自軍に近づいてくるようなもの。
全力で追い返しましょう!
特に来年は「穢れ」を気にする平安時代の人々ですから、追い返すための祈祷でもするのではないでしょうか。

これに関しては、自分の書いた作品やレビュー記事に対して他人から
『呪いになるので近づかないで!』『全力で追い返しましょう!』『穢れるから祈祷しましょう!』
と言われたらどう思うのでしょうか、仲間内で楽しんでいるところに他人から土足で踏み込まれ、『穢れているから追い出しましょう!』と心無い言葉で扇動されるのが、どれほど辛い事か全く考えた事が無いのでしょうねとありますね。
さらに「だから賛同してくれる人がいなくなるのではないですか」とも書かれています。

実際、いくら嫌いでも穢れ呼ばわりするのはどうかと思いますし、何やら一線を踏み越えかねないようにも感じられます。そして、今年は特にそれが多いです。

そして真田昌幸のセリフ。

・恥を知らないパクリセンス?
本作の特徴に“恥ずかしげもなくネタパクリ”というのがあります。
「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」
これは要するに、乱世を渡っていく様を船・真田丸にたとえた“パクリ”ですね。
三谷さんの足元にも及ばないのは明白すぎるのに、よくもこういうことをしますよね。
そうやって狡猾に大河ファンに目配せするのがたまらなく嫌だ。

こちらに関してはまずこうあります。
「貴方の知っている船は大海原を出港・水面を航行するのではなく水中をバタバタと泳ぎ回るのですね」
(私も同じことを考えました、船が『泳ぐ』わけはありません)
また、船に例えられた『真田丸』は『船出』『出港』と表現されており、『どうする家康』での「乱世を泳ぐは愉快なものよ」はこれまでに33回、42回、46回の3回で登場していると指摘されています。そのうち第33回と第42回が昌幸の言葉となっています。そして、謀略を巡らせ、表裏比興と呼ばれた昌幸が上田を守って来たこと、その子信繁が、自らも乱世で泳ぎながら生きて行くしかことができない自分と重ねたともあります。

秀頼の甲冑の質感もおかしい。
こんなペナペナした甲冑はみとうなかった。

これに関しては、『仏胴具足』と指摘されています。仏像の胸のように、継ぎ目が見られない作りであることからこの長あり、かの金陀美具足も仏胴とあります。また仏胴には2種類があり、腹面に1枚、背面に1枚の鉄板だけを用いる『一枚張打出胴』、2つ目は表面に漆などを塗り表面を滑らかにした胴で『塗上仏胴』と、皮や織物で包んで平らにしてある『包仏胴』があると説明されています。

それで思い出したのですが、武者さんは『真田丸』を観ていたはずです。あの中では本多正信が仁王胴と言って、金剛力士像の体を模した具足をつけています(これは『葵 徳川三代』も同じ)。そして今回武者さんは正信を散々叩いていますし、『真田丸』を引き合いに出したがるものの、仁王胴を着けていないことには触れていないのですね。

そういやダリ髭の井伊直政は最終回欠席でしたね。
別に見たいワケではないですが、なぜいなかったのか?という点は気になる。
徳川四天王が不在な方が不自然でしょう。

これですが、まず
「家康さまが今際の際に見た『信康さまと五徳さんの祝言での鯉の思い出話』は永禄10年(1567年)」
とあり、この時の新郎新婦は共に9歳であったこと、井伊直政はこの当時6歳であり、井伊氏に復姓して仕官したのが天正3(1575)年(井伊家伝記)と書かれています。当然彼が大人の家臣としてその場にいるわけもなく、どころかまだ家康との面識もないでしょう。

四天王がと言う前に、まずそれぞれの年齢、仕官しているか否かをなぜ調べないのでしょうね。ちなみにこの3年後家康は曳馬城、後の浜松城に入っています。ドラマではこの時虎松(後の万千代→直政)に出会ったと言うか、暗殺されかけたことなっています。

あれだけ戦いを煽っておいて、結局、自分はメイクを濃くして、ダイナミック拡大自殺宣言をしただけじゃないですか。

この豊臣秀頼についてたけたけさんは
「演じる佐久間さんにはもともと涙袋があり、照明の加減で下瞼に影が差しているように見えるだけだと思います」
「また舞台化粧というものがあり、普段とは違うメイクを時代劇などでは施される事もあります」
と書いています。
(私は、シャドー的に少し色を入れているかと書いています)
そしてこの後の流れとして、千姫を連れ戻すべく初(常高院)が大坂城内に入りますが、千姫は秀頼と茶々とその場に残ろうとし、秀頼に城を出ようと促すも、秀頼は「余は最後まで豊臣秀頼でありたい」と言い、千姫は初にも説得を頼むことになるわけですが、最終的に秀頼は豊臣家当主としての責めを負い、自害したわけです。
それをダイナミック拡大自殺宣言とはと、たけたけさんも呆れたような書き方となっていますね。

あと、牢人たちも次々自害していますが、これは秀頼に殉じるという意味もあったと思われます。実際この当時は、主君の死に伴う殉死はかなり見られました。

家康が千姫を助け起こすセリフも演出も、祖父と孫娘というより、イケメンと美少女なんですよね。
しかも、千姫が助命を頼む理由が「秀頼まじイケメン! 推してる人多いし、ファンがいるから貶さないで!」というような趣旨のようで、彼女の必死さが無駄になっている。
もっと他に言葉はなかったのか……。

こちらではまず
「また『孫のような年齢の女性に話しかけるなんて気持ち悪い!』『ファンクラブ、喜び組要員!』でしょうか」とあります。(武者さんが描きそうなことではありますし)
そして千姫が徳川本陣に連れて来られ、助命嘆願をするわけですが、彼女の言う「多くの者に慕われて夢を与えられる、前途ある若者」が、不穏な牢人を集めて世の中を荒らすような乱を起こしており、徳川幕府としては秀頼と茶々以下の豊臣家を認めるわけには行かないと主張したと思われるとあります。

しかし
「秀頼まじイケメン! 推してる人多いし、ファンがいるから貶さないで!」
は武者さんの勝手な想像でしょう。私も投稿に書いていますが、寺院の建立なども人々に慕われた一因であったかと思われます。団子屋の店先で家康は嫌いだ的な会話をしている、多分大坂人と思われる男性も、秀頼や豊臣家に好感を抱いていたものと思われますし。

まずは、長すぎるから端的にまとめてください。
これだけ炎が燃え盛っている中で延々と喋れないでしょ?
煙で喉をやられる可能性もありそうですし、酸欠にもなりそうだ。

『長すぎるから端的にまとめてください』に対し、
「貴方のレビューも長すぎるうえに蛇足なので端的にまとめてください」と書かれています。その通りだと思います。そして、大坂夏の陣で敗れた後、炎上する大坂城で豊臣一門が滅びゆく様は中盤の見せ場であり、最初からもう勝ち目がないと、自害するためにそこに留まっているのだから、煙を吸って喉が潰れようと酸欠になろうと構っていないのではないかとありますし、また振り返りや独白はドラマでの演出であり、現実とは違うものだとした方がいいと思うと忠告されていますね。

まあこれに関しては、私も茶々は死にゆく身で、煙や酸欠は気にしていないのではといったことを書いています。そしてもちろん第43回の終盤で、石田三成が家康に対して、ああいう長々とした話をしたのかどうかも不明です。それはフィクションと割り切ることでしょうね。

『青天を衝け』でも、オープニングでしばしば家康が、自分の世代以降の政策を自分のもののように語っていました。
劇中では徳川慶喜も、徳川家茂やその他別人の功績を掠め取っていました。
どこまで徳川幕府が嫌いなのか。

あの「こんばんは。徳川家康です。」から始まる徳川家康公の登場は、日本史の授業の導入のように、ほぼ毎回幕末期の日本や世界の情勢を踏まえ、神君として俯瞰的な立場で簡単な解説をするものとまず書かれています。そして
第1回では「よく明治維新で徳川は倒され近代日本が生まれたなんて言われますが、実はそう単純なものじゃない」
「古くなった時代を閉じ、いまにつながる日本を開いたこの人物こそ、わが徳川の家臣であったと、ご存知だったかな」
と言っていることにも触れられており、
『徳川慶喜も、徳川家茂やその他別人の功績を掠め取っていました。』
に関しては、どこでどのようにして、慶喜公が家茂公やその他別人の功績を掠め取ったか、歴史の流れからどのような人物であったか、歴史ライターとして公平な視点で説明をお願いしますと言われていますね。

またこの『青天を衝け』関連では、
「天狗党の乱で当時一橋家当主だった慶喜公が、水戸藩士の処分に介入できず、幕閣の田沼公に一任した経緯があるのに、さも天狗党の処分を下したかのように吹聴した事について訂正は無いのですか」
とも書かれています。

実際これはおかしいし、またこれは少し前の『どうする家康』コラムで、桜田門外の変が水戸浪士中心なのに、なぜ薩摩武士の自顕流のような猿叫がしたのかと、武者さんが書いていたこともあります。しかし今年の3月に、他の記事で薩摩武士(有村治左衛門)が桜田門外の変に関わっていたと書いており、当該コラムはその後で書かれているわけですから、治左衛門の存在を武者さんは知っていたはず、なのですが。

小栗旬さんの南光坊天海が出てきました。
無駄使いとはまさにこのこと。

『もう麒麟には近寄らないでください』と見出しにあるのですが、たけたけさん曰く
「もうすでにクランクアップもし、最終回を迎えた作品なのにこの先どうやって麒麟に近づけるというのでしょうか」
「貴方が事あるごとに『どうする家康』を見ない、語らないを貫けば済む話ではないでしょうか」
正にそうだと思います。

そして、『我らは有象無象の声に惑わされることなく、正しく君の偉業を伝えて行かなければなりませぬ』とのナレーション、紫法衣を纏う南光坊天海僧正が主導で、東照社縁起編纂事業の部屋となること、天海は家康の偉業をたたえる公式史料をと考えており、それに沿わないものは却下しているシーンが説明されています。

そこで真田信之の正室、稲が鳥居元忠との別れの盃の話を持ち出し、天海がうなずくところ、秀忠が異を唱えるも、天海はかの源頼朝公だって、周りがしかとたたえて語り継いで来たため、武家の憧れとなっていると口にし、どんな人間にも間違いはあると尚も言う秀忠に、人でなく大権現と強調するところまでが一連の流れとして紹介されています。また稲はこの時まだ存命で江戸にいたともされている点にも触れられています。

そして元和2(1616)年、危篤となった家康は神号や葬儀関連の遺言を天海らに託し、最終的に権現(東照大権現)となり、この編纂事業も神号を権現としたうえで、神格化するための作業であったのでしょう、これが無駄遣いでしょうかとまとめられています。

ちなみに金地院崇伝が推す明神でなく、権現に決まったのは、豊臣秀吉が明神となったものの、豊臣家が短い間に滅びたからという説があるようです。

『どうする家康』の場合、松本潤さんが強引に頼み込んだようなサプライズばかりで、しかも露骨に『鎌倉殿の13人』を意識している。
佐藤浩市さん。
大竹しのぶさん。
小栗旬さん。
こんな調子だから「主演がキャスティングを左右する」という文春砲の信憑性が増してゆくのです。

例によって、武者さんが『同じサプライズにせよ『大奥』の方がはるかに上出来です。』と書いている点について、
「ここでもまた『大奥』との比較でしょうか。貴方は嫌いな作品をいちいち晒して下げないと『大奥』を評価できませんか。双方の作品にかかわった方々に重ね重ね失礼です」
とまず反論されています。
(両方を観ている人にも失礼かも知れません)

また『鎌倉殿の13人』に出演していたからと言って『どうする家康』に出てはいけないなどと言う制約はないこと、、現場の要望と俳優さんの意思によるものが大きいと思われること、勝手にキャスト予想やあらぬ妄想をして『勘弁してくれ』と言い、『「主演がキャスティングを左右する」という文春砲の信憑性が増した』と、武者さん自身がそう思い込みたいだけではないでしょうかとも書かれていますね。

そして真田昌幸役の佐藤浩市さんは、公式ガイドブックや相関図に『家康さまに何度も苦杯をなめさせる乱世の怪物、真田家当主』として写真付きで載せられているため、サプライズではないと思いますとありますし(私も同感です)、佐藤浩市さんは自身出演が決まった時、
『主役を務める松本潤君とは、昔から家族ぐるみで付き合いがあったので、応援したいという気持ちもありました。ですので、微力ながらお手伝いをさせてくださいという思いで、出演を決めました。』と語っている点にも触れられています。
これに関しては『ステラネット』に記載されています。

佐藤浩市「今作の真田昌幸は、いい意味で大河ファンの期待を裏切りたい」
大河ドラマ「どうする家康」で真田昌幸を演じる佐藤浩市。戦国乱世、表と裏を使い分け、生き残りを図る反骨不屈の男・昌幸。

そして大竹しのぶさんですが、自分のラジオ番組(R1「大竹しのぶのスピーカーズコーナー」)に松本さんが出演してくれたこと、主役を演じるに当たって、相当な覚悟でチャレンジしていることがわかって応援したい、自分にできることはあるかなと考えていたこと、そして
「こうしてお声がけいただいて、潤君が一生懸命取り組んでいる作品に出られることを、友人としてとてもうれしく思いました」
と大竹さん自身がコメントしている点にも触れられています。
また大竹さんは、ドラマのDVDを貰って第1回を観たこと、その時松本さんが相当な覚悟を持っていることがわかったとも語っていることなどが、紹介されています。

出典はヤフーニュースですが、今は記事がありませんので、サライの元記事のリンクを置いておきます。

大竹しのぶさんサプライズ登場で、山田太一さん脚本の伝説の大河ドラマ『獅子の時代』の名場面がよみがえる【どうする家康 満喫リポート】秘話発信編

尚小栗さんはこちらになります。
(『どうする家康』公式サイト)

武者さん盛んに『鎌倉殿』を意識していますが、ならば木村昴さんや川島潤哉さんの名前も出してくれと私は書いたことがあります。あと北香那さんも両方に出ていますね。


飲み物-トディ2
[ 2023/12/24 02:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-6

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその6です。今回は6ページあって大半は持説展開でした。この最終ページも延々とそれが続くので、所々省きますが、実際1ページ目の2倍は文字量があると思われます。


『麒麟がくる』とは正反対だと思います。
あの作品を書いた池端俊策さんは、光秀は自分自身だと思いながら書くこともあったとか。堅物で、頑固で、融通がきかない。頼られると損なことでも引き受けてしまう。
そういう光秀には生々しさがありました。
(中略)
思想として根底にあった朱子学も、理解度がとても高い。
一本筋が通っている。筆を握り、スッと線を引く。そんな端正で爽快感のある美しさがありました。

『麒麟がくる』とは正反対だ、あれは素晴らしかった云々。
別に武者さんがこれを好きなのは自由ですが、これを好きでなかった人もいるし、人物描写になじめなかった人ももちろんいるでしょう。人それぞれであると思います。私も馴染めない部分もありましたが、室町文化の描写などは面白いと思いました。

けれども、だからこそか。『麒麟がくる』をどうしても認めたくない、しつこいアンチが一定数います。
「駒に耐えきれなくて切ったんやがおもしろかったんか?」
とかなんとか、いまだにネットで書き込んでは仲間集めをしているかのよう。
そんな脇役が目立つ程度で切る方がどうかしていますし、駒は別段、そこまでストーリーを引っ掻きまわすわけでもありません。

脇役が嫌だから観ない人がいても、それは好き好きであると思います。自分が好きな作品が受け入れられないのがそんなに嫌ですか?ならば、その反対の例(たとえば今年)もあるわけで、他人が好きと言っていても、貴方は、しかもライターとしての仕事の中で、嫌悪感をあらわにしているわけですが。

しかし武者さんがこれを推したいのは、光秀の潔癖さとか朱子学よりも、結局駒の描写なのだろうと思います。

要するにミソジニーだろうと思います。男性が活躍する分野にいる女性を敵視し、やたらと叩く。典型的な心理ですね。
そんなミソジニーの影に「学級委員長タイプのいい子ちゃんw」を嫌う幼稚な心理も伺えます。

駒の見方もまた様々です。ただ武者さんの書き方は、駒に対して否定的な人を断罪し、ミソジニーと断定したがるだけのように見えます。なぜ駒がそのように見られるのか、その原因を一度でも考えたことがあるでしょうか。
先日の投稿で触れていますが、武者さんは『どうする家康』の団子屋の老婆についてこう書いています。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

私はこれに関して、オリキャラゆえのひとつの形であると書いています。つまりオリキャラというのは賛否両論あるものの、どのようにも動かせるものでもあります。少なくとも大河という「ドラマ」について書いているライターであれば、そしてここまで駒への批判に否定的であるのなら、その点を理解するべきではないでしょうか。

私はあの婆さんは、家康の三方ヶ原関連の伝説の語り部でもあり、面白かったと思いますが。柴田理恵さん、好演でした。

そしてこちらの文章ですが、要は上の『麒麟がくる』評と比較してみると、冒頭で賛否両論が混じると書きながら、「賛」の部分だけを否定するかのような書き方はどんなものでしょうか。

どんな傑作だろうと、大河ドラマともなれば賛否両論が混じります。
しかし、ファンがアンチを嘲笑うような、幼稚でいじめっ子じみた口調でやたらと「wwww」を連発しながらおちょくってくる今年は際立って異常です。
・私は松潤が好きな純粋な人間です!
・徳川家康なんて何も知らなかったのに(日本史の授業中は寝ていましたか?)理解できるようになりました!
・それなのに、感想と言いつつ貶す人はひどぉい……くすん、きっと友達がいないからそーするのね♪(世間は広い。ジャニオタ以外に交友関係を広げられる人間も存在することを認識してください)
こういう界隈に忖度することがよいことでしょうか?
ここからの「いいね」欲しさに、無理矢理文章をこねくり回す歴史好きとは何でしょうか?

逆に言えば、なぜこの人たちが『どうする家康』を肯定的に受け止めるのか、それをきちんと考えたことがあるでしょうか。何度も書きますが、自分の好きな作品への否定と、嫌いな作品への肯定はやはり受け入れられないようですね。

これも以前、大河は歴史に興味を持つきっかけと書いたことがありますが、
「徳川家康なんて何も知らなかったのに理解できるようになりました!」
はその一例ですし、少なくともこの意見を私は否定しません。
そして「自分の感情を否定」などと書かれていますが、仕事である以上そこは割り切るべきでしょう。

私は自分の感情を散々否定されてきました。
しかし、そんなことは今更どうでもいい。むしろ、相手はなぜそうするのか、まじまじと観察してしまいます。
悪い癖かもしれません。
人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか。

「人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか」
正直言って、これもブーメランに見えてしまいます。
なぜかと言えば武者さん、自分で大河叩きをする時は、かなり「口ぎたない言葉」(私は伝法な言葉だと書いていますが)を使っています。しかしそれが自分に向けられると
「もしかして、ストレスでも隠していませんか」
となるのですね。

かなり後の方ですが、こういう記述があります。
「ドラマを話の枕として、気取った顔でうんちくを語る大人がいたら、軽蔑が顔に出る。
そのうえで大人が語ったミスを訂正し、根性の悪いクソガキだと嫌われたことでしょう。
『ねえ先生、どうして大人って、あんな嘘くせーバカドラマを褒めんの? 馬なんてどう見たって偽物じゃね?』」
「根性の悪いクソガキ」
「嘘くせーバカドラマ」
どう見ても「きれいな言葉」には見えませんね。

それにNHKに問いたい。
そういう人物に迎合することはリスクでしかありません。
事件が先日ありましたね。ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマを、看板番組を流しているテレビ局です。こういう恥晒しは起こるべくして起きたのでしょう。
◆取材メモ流出 NHKが協力者に謝罪 「匿名情報公表で放送中止」(→link)
◆NHKがColaboに謝罪 取材メモが批判する人物に流出していた(→link)

「そういう人物に迎合することはリスクでしかない」
何をもってそう言い切れるのでしょうか。日本は法治国家であり、個人の感情だけでリスクか否かを決めるものではないでしょう。
「ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマ」も、武者さん個人がそう考えているだけだと思います。『青天を衝け』もそうでしたが、否定する時は必ずミソジニー(それが事実であるかどうかはともかく)という表現を使いますね。
そして、これと大河と直接関係はないかと思いますし、のNHKは『麒麟がくる』も『大奥』も制作しているのですが。

『麒麟がくる』みたいな作品を、偽善だと切り捨てたいのであれば、それこそ『首』のような描き方がある。
あの映画ほどの残虐描写を大河ドラマで描くことは厳しいとはいえ、やりようはあるでしょう。
しかし『どうする家康』はせせこましい。
最終回まで、結局悪の尻拭いは秀忠に押し付けたようなもの。
家康はネチネチグチグチと、自分だって辛いんだもんと繰り返すばかり。自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山。
人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る。嫌なことがあるとすぐ逃避しようとする。

貴方に取って、自分が認める戦国時代が舞台の映像作品は、『麒麟がくる』と『首』しかないのですか?
そして、「悪の尻拭い」て一体何ですか。
秀頼に死を申し付けるというのは、秀忠自身が自分の責任に於いてそうしたのであり、家康から尻拭いを要請されたわけではありませんが。

「自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山」
家康はその気はなかったのに、お万が積極的であったとここで再度書いておきます。そしてこの2人の間の息子は、最初羽柴家、そして結城家の養子となり、越前松平家の祖となっています。

「人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る」
寧ろその逆でしょう。自分が今までやって来たことは人殺しだと、瀬名と信康に話していましたよね。そして悪いけど、これもブーメランに見えます。

あとまた『パリピ孔明』。

『パリピ孔明』のオーナー小林がそう語っていました。
このドラマは、やたらと絶賛も多い。
SNSのハッシュタグで検索すうと、大仰な絶賛ばかりだとか。
しかし、それは結局のところ玉璽だ。

「すうと」は「すると」でしょうが、そしてあまりこの話を蒸し返すのも何ですが、この番組の平均世帯視聴率は4パーセント台でした。無論これを面白いと観ていた人もいるわけで、視聴率が作品の質を表すものかどうかは何とも言えません。
ただ、『どうする家康』では世帯視聴率ワースト2位だと何かにつけて言いたがる武者さんが、これについては何も言わないのですね。

そして風間俊介さんが、今年をもってジャニーズ事務所を退所し、フリーで活躍する旨が書かれています。他に生田斗真さん、岡田准一さんについても書かれています。それはいいでしょう。
しかし

沈む船から降りた生田斗真さん、岡田准一さん、そして風間俊介さん。
大河でまた見たい俳優がケジメをつけたことは、私にとって朗報です。
これからもどうかご活躍ください。大河にもまた戻ってきてください。

貴方、『どうする家康』で岡田さんが演じた信長のことを何と書いていましたか?

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

本作は、信長が五徳の頬を掴む場面を「めっちゃかっこいい! これぞイマドキ!」と思っているようで、今週も回想シーンを入れて来ました。
全大河ドラマを振り返っても、これほどまで暴力的な場面を宣伝素材にするケースは、そうそうないでしょう。
ニュースにも使われていることから、自信たっぷりに宣伝素材を用意したんですね。

マザーセナのおかげで信長は天下を狙えたのだから、その恩を我々に返さなければならない。
信長という大名が恵みを受けて大きくなれたのは、マザーセナが祝福したから。
マザーセナの祝福を受けた者は 必ず恵みを返さなければならない。恵みを施さなければならない!
信長は“慈愛の国”をどうするつもりなのか? マザーセナを追い詰めたじゃないか! 信長の政治はどうなると思う?
滅びるしかないだろう。光秀に教育を受けにこいと伝えろ。わかったか?

以上のようなことを書いていますが。
そして、これに関して何か釈明されたわけでもないようです。

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。『孫子』
兵士は水のように変化する。
このドラマは教養が嫌いです。

あの
「それ兵の形は水に象(かたど)る」ですが、これはやはりその後の
「水の形は高きを避けて低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ」まで紹介できませんか?水が高所から低い場所に向かって流れるように、兵は状況に応じて、相手の隙を突くことが大事だと言っているわけですから。
そして「このドラマは教養が嫌いです」などともありますが、武者さんのこの漢籍紹介ももうちょっと充実させてほしいものです。

そして

「このドラマを見れば徳川家康の生涯を学べるんだ! だってえらい先生もそう言ってたもんw」
こう主張できるよう、兵士の心が流れる仕組みが作られてゆきます。

上記の漢籍、兵士の「心」ではなく、隊列とか陣形を変えるという意味ではないのでしょうか?

◆ NHK大河に歴史学者が大満足のワケ…最新研究でわかった家康の生涯と江戸期に作られた家康像の決定的ちがい(→link)
この記事なんてまさしく典型的で、聞き手は歴史好きという演出まで為されています。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>(→link)
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)

まず最初の記事(プレジデント・ウーマン)ですが、著者の黒田基樹氏は『真田丸』の考証をしていた方だと思います。武者さん、『真田丸』の考証は褒めていなかったでしょうか。
そしてあとの2つの記事、読売新聞の記事ですが、こちらは柴裕之氏の考証とドラマのかかわりについての記事で、読んでいて面白いと思いました。

それにしても、一体どういうことなのかと混乱してきます。
例えば、関ヶ原での小早川秀秋への「問鉄砲」は後世の創作なので却下とあります。
それなのに、それを前倒ししてスライドさせた、姉川でも信長から家康への問鉄砲はよいと。
何が駄目で、何がよいのか?

姉川の戦いの問鉄砲は創作ですね。
家康をその気にさせるためのものでした。しかし小早川秀秋の「問鉄砲」は、長らく史実だと信じられてきていたものが、そうでなくなったから外したと思われます。これも『功名が辻』辺りまでは使われていました。
逆に関ケ原での描写ができなくなったため、姉川の戦いにああやって創作として入れたとも取れます。

そしてまた光秀の描き方がなってないだの、清須城が紫禁城のようだの。
光秀については、またも『麒麟がくる』が出てきます。

一体どれだけ、あの優等生が嫌いなのか。宣教師は光秀を貶しているのだから、こちらの方がむしろ近いという。
それはどうでしょう。このドラマの光秀は、下劣で、愚かで、小狡く、死者への敬意すらない。
(中略)
優等生ぶっていて実は狡猾な光秀像であれば、『首』なら理解できます。
あの西島秀俊さんの光秀は折目正しい人格者でありながら、残虐行為を働く。そんな二面性のある人物でした。
それに宣教師の言うことは、異教徒への悪意や偏見があるから、全て受け止められるかどうか、史料批判も必要に思えます。

そしてまた『麒麟』に『首』。
ここは『どうする家康』について書くコラムのはずですが、他作品を持ち出す回数が多すぎです。
要は『麒麟がくる』の光秀は自分の理想、『どうする家康』は駄作だから光秀も小物、こう言いたいのでしょうか。そしてまた『首』だと褒めるのですね。わかりやすいと言えばそうですが、作品による違いを見ていないなと思います。

そもそも最新の説をつまみ食いしたところで、城が異国情緒たっぷりではどうしようもありません。
映像作品でそこを間違えてどうするのでしょう。このトンデモ城については「威圧感の表現だ!」だのなんだの擁護もありましたが、結局間違いであることが上記の記事にも記されまいた。

「最新の説をつまみ食い」
また「森乱」でしょうか。つまみ食いではありませんけどね。
あと清須城、以前にご紹介しましたし、これはたけたけさんと平原学氏、それぞれのnote記事でも紹介されています。信長が城主だった当時はこのような形ですね(Jyo-saiサイトより)。

清須城守護館キャプチャ

で、当該記事中で柴裕之氏は
「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、時代考証の仕事は基本的に台本を作り上げるまでで、映像にするところは関与していないんです。『家康は壮大さに驚いた』という台本の文字から、紫禁城のような映像を思い浮かべることはできません。だからこそ、制作陣と意見をぶつけ合って、文字と映像にずれが生じないようにする努力が欠かせません。清須城の件で、それが足りなかったのは反省点です」
とコメントしていますが、私は、あれはあれで面白かったかとは思います。実際入って行くシーンを見ると、それほどに距離はありませんでしたし。

あるインスタント食品の広告が、あまりにくだらなくてむしろ買う気が失せたことがあります。こんな調子でした。
あの和食の達人が褒めた!
あのイタリアンのシェフも絶賛!
伝説の中華の鉄人までもが降参!
何がどう美味しいのかさっぱりわからない。
しかし、広告としてはこれが通じてしまう。肩書きの偉い人が何か言うと、信じたくなる方向へと心理は誘導されます。
軍事心理学の古典である『孫子』は、まさにそうした現象を「兵形水象」と表しました。

「偉い人が言うことになびく」ことがそれでしょうか。
上の方でもこれについて書いていますが、柔軟な思考がないと、戦に勝てないというのが元々の意味ではありませんか?そして武者さんも自分が好きな対象であると、それになびくように思われます。

インターネットの普及は、こうした心理を加速させます。
みんなが好きなものはともかく褒めよう、取り入ろう。否定する奴はめんどくせー。嘲笑ってやる。
そんな、ことなかれの冷笑主義をこじらせた結果、先回りして忖度する。
批判者をクズだと貶める瞬間はとても楽しい。ハッピーなことしかありません。

では、『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』にも同じことが言えると考えていいのでしょうか。
つまりこの2つを否定する奴は面倒臭い、嘲笑ってやると、この2作品を支持する人たちのすべてが思っていたのでしょうか。

今年、私は、深刻な「武士成分不足」に陥りました。
何を言っているのかわかりませんよね。自分自身、正直驚いています。
何が起きたか。浮世絵のジャンルである武者絵を定期的に見なければ精神的に安定しなくなりました。
あの構図。色。真剣なまなざし。命をかけた戦いぶり。
そういうものがどれだけ好きなのか、武者絵を見て再確認する作業が必須となっていったのです。
大河を見れば、武士は目に入る。それが今年は欠けていたのでしょう。

浮世絵を見るのも武者さんの勝手ですが、今年の大河に「武士」はちゃんといましたし、命をかけて戦ってもいました。ただ武者さんが思い描く
「戦のシーンで馬を走らせる」
「弱い部分を見せない」
といった、いわば定番としての武士とは違っていたわけで、逆に、その違いを見て取る必要があったかと思われます。

そして江戸時代から明治にかけての武者絵というのは、当然ながら戦国期のものではないわけですが、武者さんはつまり後世の想像が入っていてもいいから、自分が納得する武者像を見たいということのようです。何か、目の前の現実とか一次史料より、自分の理想を優先させたいという見方がそこに感じ取れます。

2023年末と言うのは、象徴的な出来事があります。
長いこと権力の座についたものは腐敗する。
悪だとわかっていようが、利益で釣られて加担するものはいる。
半世紀以上の年月を経た大河は、残念ながらそうした薄汚れたコンテンツになりました。
『どうする家康』を曖昧な、キラキラワードで褒めるということは、悪に加担することではないでしょうか?

なぜキラキラワードで褒めるのが悪に加担するのでしょうか。
そもそもこのキラキラワードとは、具体的にどのような言葉であり表現なのでしょうか。
そして
「長いこと権力の座についたものは腐敗する」
という表現ですが、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
では?

『どうする家康』は何かの未来を確実に潰したと思います。それが何かは、もう少し様子を見てから言えることなのかもしれません。
先ほど、人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました。
残念ながら日本では泥舟とわかっていても『どうする家康』を褒める忖度の空気が漂っています。
それはなぜか?
結局はお金ではありませんか。どうしたって戦国時代は金になる定番コンテンツですからね。そこに群がれば甘い汁は吸える。
戦国時代をモチーフにしたキラーコンテンツを作れば、金が回るシステムはあるとみてよいのでしょう。

どの大河でも、イベントなりグッズ販売などでお金が回るとは思いますし、それがその地域の活性化につながっているとは思います。昨年の『鎌倉殿の13人』だってご当地グッズはありました。なぜか武者さんは、それ(特に義時の名がついたアイテム)を貶めるようなことを言ってはいましたが。

そして
「人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました」
偉い肩書というか、
「立派な肩書を持つ第一人者」
とでも言いたいのでしょうか。別に立派な肩書と言うより、その人がどのような研究をしているかにはよりますし、また大河の場合、考証を担当している人がなぜそうしたのかを知る上では、その人の記事やコメント、SNS投稿は注目するべきではあるでしょう。

私は驚いたことがあります。こんな言葉がネットにあった。
「大河ドラマの記事を書いて金を儲けているくせに、批判するとは何事だ!」
一体なんなのでしょう。批評家の存在意義すら理解できないのか。

武者さんが自分が好きな大河にも批判をきちんとしており、嫌いな大河でも見るべき部分を指摘しているのであれば、それは納得できます。ただ今まで、そのような例が今までどのくらいあったでしょうか。

日本史ではない、歴史研究者のオンライン講義でのことです。
大河ドラマの話題が出ました。その先生は明らかに苦々しい、苛立った口調で話していました。
そして中国で教鞭をとる日本史研究者と、そのフォロワーでのやり取りにこんな内容がありました。
「講義で大河ドラマを教材に使おうかと思っています」
「えー、でも、『どうする家康』を使ったらむしろ学生の知識が落ちますよ」
「むろん、まともな大河ドラマだけを使います!」
忖度がない意見ならば、こうなるわけですね。
海外の日本史ファンは相当冷たい目でこの駄作を眺めています。

ではそのオンライン講義のテーマと、研究者の名前を挙げてください。
それから、海外の日本史ファンの意見も、スクショか何か取れないのでしょうか。それがないと、ただ武者さんがそう言いたいから言っているだけに過ぎません。

それはそうでしょう。当たり前です。国内でコタツ提灯記事をビカビカ光らせたところで、何の意味もない。
私はそんな意味のないことに加担したくありません。今だけではなく、一手先、二手先を見てゆけば、こんなものを褒めれば後悔すると予測できます。

それは貴方の好きな大河でも同じようなものですよ。いくら武者さんが好きでほめそやす大河の関連記事でも、それを提灯だと言っている人もまたいたでしょう。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

忘れましょうと言いつつ、

色々とまとめることはあるので、後日、あらためて記事を出させていただきます。

貴方どっちなんですか。忘れるならとっとと忘れてください、このコラムだけでも6ページも使って、結局いつもの繰り言と、ゴシップを並べているに他ならないのではないでしょうか。
そしてこれよりもう少し前で

群れるというのは、そんなに楽しいことなのでしょうか?
どうにもわからない。私はこれまでも、これからも、“ぼっちクソレビュアー”で結構です。

武者さんが「ぼっちクソレビュアー」だろうが、別に私は共感や同情はしません。一方で群れるということを否定していながら、何かにつけて自分の主張を押し通し、同調者を求めるような姿勢が見えるかとは思います。

この大河から学べるものは多かったと思います。しかしこのコラムでは、嫌いな大河への対応としてありがちな、のっけからの叩きまくり、すべてを否定する姿勢が、『青天を衝け』に続いて、また繰り返されましたね。

あと平原学氏のnote記事が久々に更新されています。

【どうする家康】ラストの東京タワーの意味。最終回でも輝いた松潤の演技のスゴみとは。最終回「神の君へ」雑感

第45回の氏真の「本当のおぬしに戻れる日もきっと来る」、現代人への問題提起としての現代の日本の姿、そして「ドラマを楽しんでいた者も『反省会勢』も、両者が反省すべきこととは。『乱世の亡霊』に憑りつかれるな」等々書かれています。



飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/12/24 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


誤魔化すためのスモークがもうもうと立ち込めていますが、本作スタッフは、現実世界の物理を思い出していただきたい。
剥き出しの刀身で切り掛かる連中。鎧に当たったら折れます。
甲冑の重さを意識しないで駆け巡る兵士。関節の動きもおかしい。ナンバ走りなんてできるわけもない。

まず「誤魔化すためのスモーク」て何ですか?土埃のことですか?
そして、鎧に刀が当たったら折れるだのなんだの。これももう何度目でしょうね。あの戦闘シーンを見ていたら、鎧をつけていない部分を狙っているのは明らかなのですが。

以前ご紹介したこの記事、もう一度リンクを貼っておきます。

Stone Washer’s Journal
日本武士と西洋騎士の強さを徹底比較(2):鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ

当該箇所を一部コピペしておきます。次の投稿で画像を貼った方がいいかも知れませんね。

見れば分かりますが、結構隙間があるので比較的攻撃は通ります。兜と胴に関しては鉄壁ですが、局所的に装甲が薄い部分があり、首周りや脇は致命的な弱点になるでしょう。首周りへの斬撃や脇への刺突が効果的です。また、垂れで覆われているものの上腕部と太腿には装甲がなく、斬撃も十分通ります。

ちなみに甲冑の重さに関してもこうあります。

最も高い防御力を誇る胴当ての下に数枚の金属板を組み合わせた垂れがついており、太腿を保護しつつ足の動きを妨げないようになっています。また、同様の構造で肩にも装甲がついており、肩や上腕を保護しつつ自由に腕が動くようになっています。

信繁が下馬して戦うとは何事ですか。機動力が落ちて自殺行為ですから、武将はそうそう下馬しないでしょ。
なのに馬から落ちて叫ぶってなんなのか……知略の底が完全に抜けている。

まずあの徳川陣の防御柵、あれを馬で乗り越えられるでしょうか。仮に馬で乗り越えたとしても、他の歩兵たちが邪魔になってうまく行かないはずです。逆に馬を槍で突かれて落馬することもありえます。それを考えると、あそこは馬でなく徒歩で向かうという方法を採ったわけでしょう。

だが、家康もどうかしていた
徳川家康がぬぼーっと座っている。
(中略)
年老いた総大将が一人で座っているのに、チンタラとしている真田信繁はなんなのか。
馬上疾走して切り掛かればいいのに、信繁役は乗馬ができないのでしょうか?

一旦乗り捨てた馬を、どうやってあそこまで連れてくるのですか?柵は越えられますか?
そして家康は、寧ろこの「乱世の亡霊」がやって来るのを待ち構えていたわけですから、ぬぼーとではなく、覚悟を決めてあそこに座っていたわけですね。

ちなみに秀忠は、大坂の陣で奇襲に遭い、危うく討ち取られかけています。柳生宗矩が敵を即座に斬り捨てた。

先日の投稿に書いていますが、貴方ここでは宗矩の名前を出しながら、なぜ、家光の剣術指南を十兵衛であるかのように書いたのですか?よくわかりませんね。

敵に囲まれても動じず、むしろ乱世の亡霊たちと一緒に死のうではないか!とカッコつけているわけですね。

武者さんは「カッコつけている」と見たがっているのでしょうが、かなり気迫のこもったセリフであると思われます。ここまで敵、しかも武田の遺臣とも言うべきあの真田の息子が来ていて、これだけのセリフそう吐けるものではないかと。

馬も乗らずに歩いて向かってくるなら、何か信繁に決めゼリフでもあると、まだ画面がピリッとしそうなものですが、そうはならない。
この家康は、何より若いイケメンが目立つことを嫌いますからね。
そういやダリ髭の井伊直政は最終回欠席でしたね。別に見たいワケではないですが、なぜいなかったのか?という点は気になる。徳川四天王が不在な方が不自然でしょう。

武者さんらしい書き方ですね。
「この家康は、何より若いイケメンが目立つことを嫌いますからね」
それ、誰かから直接聞いたのですか?単なる僻目ではありませんか?

「そういやダリ髭の井伊直政は最終回欠席でしたね。(中略)徳川四天王が不在な方が不自然でしょう」
徳川四天王と言うより、あそこで出て来たのは三河以来の家臣ですからね。信康の婚礼時には彼はいないし、大坂の陣でも彼はいない。逆に出てきたらそちらの方が不自然です。

岡田信長が、しょうもないボーイズラブ要員で史上最低ならば、もこもこ衣装の阿部信玄も、単なるチンピラ風情にしか見えなかったムロ秀吉も、できれば思い出したくなかった。

また随分と失礼な書き方ですね。だったら思い出さないようにすればいいだけの話です。どうすれば思い出さないようにするかは、自分で考えてください。

それにしても、家康の奇妙な手の動き、ポーズは何なのか?
NHKプラスでトップ画像に持ってきていることから(→link)、お気に入りのカットではありそうです。ジョジョ辺りでも意識しているんですかね?
いや、乱世の亡霊たちとチャネリングして、あの世に送るための儀式かな。
全てはマザーセナの教え……儀式の後、六文銭マスコットが落ちて、死体がゴロゴロで、スピリチュアルパワーは永遠に不滅です。

あの手の動き、ちょっと武田信玄を思い出しました。
そしてここでも、武者さんは「マザーセナ」(これもしつこい)と関連付けたがっているようですが、ここのシーンと瀬名と直接関係があるのでしょうか。まして六文銭と瀬名など、ほぼ無縁でしょう。穴山梅雪とか千代があれを持っていたならまだしも。

相も変わらぬムカつく口調で「生き延びちゃった〜」と舐め腐ったことを言う正信。松山ケンイチさんご本人が考えた口調のようですが、制作陣の皆さんも納得されていたんですかね?
理論立てて戦略や戦術を語れるならば、言葉で知謀を見せられるなら、下手な小細工は不要だと思うのです。今更ながら、彼らの首が取られなかったことが不思議です。

「また生き延びてしまいましたなあ」
つまり我ら2人は、なかなか死ねないのですなと言いたいのかと思われます。これが「舐め腐った」セリフでしょうか。もちろんオンエアされている以上、制作スタッフも承認済みでしょう。小手伸也さんがそう言っていたように。
そしてこれがなぜ「下手な小細工」なのでしょうね。

そしてここで唐突に出て来る
「理論立てて戦略や戦術を語れるならば」
「言葉で知謀を見せられるなら」
とは一体何ですか?理論立った説明をお願いします。

そして気がつけば、大坂城が一気に燃え盛っとる!
あんだけ燃えるには相当な時間がかかりそうですけど!

これは台所頭の大角与左衛門(『真田丸』に登場しています)が徳川に寝返り、火をつけたという説があります。武者さん『真田丸』観ていたはずなのにもう忘れましたか?

正信が変な呪文を唱えていて、もはや合戦というより、カルトの教義対決。
城内では凄まじいまでの説明セリフが続きますし、何より秀頼さん、結局あなたは出陣しないんですか!!
あれだけ戦いを煽っておいて、結局、自分はメイクを濃くして、ダイナミック拡大自殺宣言をしただけじゃないですか。

正信の呪文なんてあるから何かと思ったら、
「とうとう終わるんですな…長い長い乱世が」
で、この状況をずばり言い当てているとしか思えませんが、武者さんて本当に嫌いなことはカルトに持ち込みたがりますね。

そして秀頼たちが山里曲輪に逃げ込んでいる、大野治長(修理)が千姫を返すと言って来たことが伝えられ、それを裏付けるようなシーンが登場します。これのどこが「説明セリフ」なのでしょうね。
あと、この大河は秀頼の出陣よりも、この山里曲輪での描写に尺を取っているわけです。千姫と家康の確執を描くうえでは、この場でのやり取りがあった方がいいからでしょう。

千姫もどうかしていると思います。
茶々と共に鉢金つきの鉢巻を巻いていますが、いかにも銀紙を貼り付けたようで格好よろしくない。

「鉢金つきの鉢巻」は「額当て」と言います。

そんな千姫まで洗脳宣言じみたことを言い出しました。
秀頼は棒読みで何かしゃべっている。大坂城が落ちる場面で、ここまで空虚なセリフと演出とは……。

貴方本当にカルトだの洗脳だの好きですね。

そして千姫は、前回豊臣の妻であると断言しており、この場で秀頼と茶々を残して行くわけに行かないと思ったから、ああ言っているわけでしょう。どこが洗脳宣言なのでしょうね。

ここで千姫が秀頼の手を取る。
マザーセナ&家康といい、何度このポーズを使い回すつもりなのでしょう。ロマンチックなポーズはいつも同じ。

この時代人前でキスするという習慣はありません。頬を寄せ合うようなしぐさも限られるでしょう。あれが、男女の愛情を示すための、精一杯の表現だったのではないでしょうか。
使い回しているわけではないと思いますけどね。『麒麟がくる』の光秀も、煕子の手を取っていませんでしたか。

そしてお初が千姫をなんだかんだで連れ出した、と。これだけ派手に火が回っているのに随分と余裕を感じさせます。
坂崎直盛もいないのに、千姫があっさり家康のもとへ。
必死な命乞いを始めますが、あれだけ啖呵切っておいて、全てが遅い、遅すぎる。もう死んでいるのでは?

山里曲輪のシーン、まだそこまで火が回っていませんよ。
火が回っていたら危険で初を連れて入れないでしょう。
それから「坂崎直盛もいないのに」
まあ『真田丸』も坂崎直盛は登場してなくて、きりが千姫を連れて行きましたし、何だか唐突にこの人を出して来ますね。ならば大坂城に火をつけたのは大角与左衛門である、これをアピールした方がいいのでは。

家康が千姫を助け起こすセリフも演出も、祖父と孫娘というより、イケメンと美少女なんですよね。
しかも、千姫が助命を頼む理由が「秀頼まじイケメン! 推してる人多いし、ファンがいるから貶さないで!」というような趣旨のようで、彼女の必死さが無駄になっている。

言っては何ですが、武者さんの妄想のようにしか見えません。
原菜乃華さん演じる千姫は
「我が夫と義母をご助命くださいますよう、何とぞお願い申し上げまする」
「豊臣にはもう戦う力はありませぬ。この期に及んで、お二人を死なせる意味がどこにありましょう!」
とまず言い、秀頼を慕っておるのじゃなと家康に言われて、多くの方があの方を慕っておりますと答えています。秀頼の人徳や、寺院の建立などもあってのことでしょう。
さらにその後、前途ある若い才をお救いくださいと言っているわけで、武者さんが言っているのとかなり違いますが。

それに対して家康がボソボソと意味がわからないことをいうと、秀忠が泥を被ると言い出す。
その際、父の言葉を遮るのが見ていられません。あまりに無礼ではありませんか。まぁ、今回に限ったことではなく、本作の脚本家って、人の言葉をぶった斬るのが本当に好きですよね。

家康のあの言葉がわからないのなら、どうぞ字幕を出して観てください。前からよく聞こえないだのなんだのとかなり書かれていますが、ちゃんと字幕を出して観たのでしょうか。そして秀忠は、父の言葉を遮った際
「最後くらい、私に背負わせてくだされ」と言っています。無礼は承知のうえでしょうし、現役の将軍としてのプライドもあるでしょう。

秀忠の理由にしても、ただカッコつけたいからのようで、千姫は「父上もおじじ様も鬼!」とか言い出す。そして豊臣の天下を盗み取った化け物だとキンキン喚いています。
お初からも雑なフォローが入り、いつものしょーもないピアノが流れ、家康がカッコつけて手を合わせる。マザーセナの位牌の前で祈る場面もなかったのに、急にどうしたのでしょう。

「カッコつけたい」だの「雑なフォロー」だの、貴方一体何を観ているのですか。録画を一度早送りしただけでこのコラムを書いていやしないか、どうもそう思えて仕方ないのですけど。
まず秀忠は自分が責めを負うと言い、初は
「これは姉と秀頼様がお選びになったこと」
と言っています。
つまり秀頼も茶々も、自分から望んで滅ぶ道を選んだと言うわけですが、まだ年若い千姫は、到底納得はできなかったでしょう。夫と義母を見殺しにするように言われたも同然ですし。

そして「しょーもない」ピアノ。思うのですが、武者さんは自分が理解できないことは、それから学ぶのではなく、常に否定的に見ているだけではないでしょうか。そして家康ですが、これまた『真田丸』で、秀吉が死んだ時に手を合わせるシーンがありましたが、今回は燃え盛る大坂城に手を合わせているのでしょう。

そして位牌に手を合わせるようになったのは、1630年代以降に檀家制度が普及して仏壇を置くようになってからの話で、この時代はまだそうではありません。

株式会社まつたに様のサイトより

位牌の知恵ブログ


飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2023/12/21 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
本題に入る前に、この画像をアップしておきたいと思います。

葵徳川三代秀忠の兜 葵徳川三代椎野道季

『葵 徳川三代』の徳川秀忠、そして椎野道季(安国寺恵瓊家臣)それぞれの兜で、どちらも光が反射しているのが窺えます。画質が今一つで申し訳ないのですが、特に秀忠の場合はあまり天候がいい状態ではなく、道季の場合も吉川広家陣に赴いた時のものです。この2つは屋外撮影ですが、屋内の照明がある状況でなく天候があまりよくない中でも、兜の材質や形状によってはこのように反射することを、ここで書いておきます。


今回は、絶望感で頭を抱えたくなる、主役による子供時代の回想シーンから始まりました。
いい大人が人形を持って走り回るって、どう見てもバカっぽくて……なぜ子役を使わなかったのか、しみじみと切なくなります。

あれはローティーンの頃の家康でしょうし、その年代は子役を使うかどうかは微妙でしょう。『真田丸』でもその年頃の信繁を堺雅人さんが演じていますし、『鎌倉殿の13人』で、魚を手に持って食べていた、恐らく箸で身をせせるのが難しかったと思われる少年時代の義時は、小栗旬さんが演じています。

そして字幕が入る。
人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し――。
最近は、後世の創作として知られますが、
◆ 家康の遺訓「人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し」は後世の創作だった!(→link)
むしろ家康の偉業を出さなくて正解だったかもしれませんね。穢されてしまいそうなので。

何をもって家康の偉業とするかですが、浜松城普請、江戸の町作り、秀頼の後見、関ケ原の勝利そして大坂の陣、すべてこの大河で描かれていますが。

援軍というのは、強い軍勢が味方をしてくれるからこそ意味がある。
こんな視聴率ワースト2位の大駄作に応援されたって、足を引っ張られるだけでしょう。燃え盛った船が自軍に近づいてくるようなもの。全力で追い返しましょう!
特に来年は「穢れ」を気にする平安時代の人々ですから、追い返すための祈祷でもするのではないでしょうか。

「神の君へ」が来年へのエールということですが、案の定武者さんは気に入らないようです。
しかし
「視聴率ワースト2位」
これで何度目でしょうね。昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数はどうしたのですか?U-NEXTでも配信されていたはずですよ。そして、総合視聴率がそこそこ高いのは無視ですか?

これ、もう一度置いておきますね。昨年のこのコラムで書かれていた分です(一部ゴシック)。

ネット配信が普及した現在は、記録も容易なことから、特にその傾向が強く、海外ドラマの宣伝を見ていると「驚異的な視聴回数を記録!」といったコピーがついています。
ではなぜ日本では、未だ古めかしい基準に頼っているのか?
メディアや読者の感覚がアップデートされてないというのが大きな理由の一つ。
もう一つ、視聴者数と視聴回数が公表されていないことも確かですが、例えば大河についてNHK側が把握していないわけがありません。
例えばNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』は、視聴率は低いものの、NHKプラスの視聴回数がかなり高かったため、NHKとしては成功とされているようです。
『鎌倉殿の13人』も、視聴回数は公開されておりませんが、かなり高いとか。

女を三つ重ねて書くと「姦(かしま)しい」となります。
性差別的ではあるものの、今回は使いたい。
女が集団でいることが「姦しい」のではありません。女、女、女……と、そういう話ばかりをしている男が「姦しい」のです。

これですが、この漢字は後から作られたもので、本来は「囂(かまびす)しい」、つまりやかましいとか、騒々しいという意味で、男女を問わず用いられるようです。尚「男」を3つ重ねると、「たばかる」になるとの由。

かしましいとはどんな意味?男性も使える?語源の古語、使い方例文、類語、英語も解説!

この作品の家康は「姦しい」英雄でした。
最終回でも、自称“男勝り”な阿茶の前でカッコつけています。
晩年の死を覚悟した演技がこれ?
本当にいつもいつも女といる場面ばかりですね。阿茶に塩対応をされながら、あの話を聞かせて欲しいと言われます。
鯉――どうでもええ……心の底からどうでもええ……。

この家康のどこが騒々しいのか不明ですし、どこがカッコつけているのかもわかりません。また武者さんの一人決めでしょうか。そしてこれが最後かもと言う家康に、自分はそう思っていない(生きて戻ると信じている)と答えることが塩対応でしょうか?阿茶局の性格もあるでしょう。

「いつもいつも女といる」
なぜそうなるのでしょうね。関ケ原とか、小山評定のシーンに女性はいたのでしょうか?
また鯉がどうでもいいなどとありますが、最後の最後でちゃんと出て来ますね。

そして大坂の陣。

本作はゴチャゴチャと時系列をいじくるのが大好きで、それが全く効果的でないのが特徴ですね。
セリフ処理で説明されるばかりの大坂方の苦戦。
真田信繁は、無駄に父・真田昌幸の言葉を思い出していますが、2人の部屋が違和感ある。
なぜこんなにも灯りをつけているのでしょう。当時の油代は、まだ高いものですよね。

「時系列をいじくる」と言うより、信繁の回想(恐らく九度山の)シーンが挟まれただけですが。
そしてセリフ処理も何も、戦場でなく大坂城内にいるわけですから、戦死や行方不明の知らせが伝令によってもたらされているわけでしょう。
そして信繁と昌幸の部屋ですが、多少時代は下るものの、江戸時代の物価を現在のそれに換算したものです。油は決して安くはありませんが、ローソクよりは安いものでした。

江戸の物価・現在価値では幾ら?
(地域防災web)

今年の大河ドラマと認定したい『大奥』では、綱吉時代から夜間の娯楽が増えてゆきます。油代を贅沢に使えるようになるほど泰平の世になった証といえる。
そういうことすら、この名ばかり大河は表現できない。

私はこれ観ていないから何とも言えませんが、ロウソクが普及し始めたせいもあったのでは?庶民には高価でも遊郭などでは使われており、藩によってはハゼの栽培に取り組んでいて、それが需要を後押ししたとされています。

和蝋燭が普及したのは江戸時代に各藩が経済振興策として漆や櫨を栽培して蝋燭が普及していった。蝋燭は、持ち運び可能のため、燭台、提灯、がんどう、ぼんぼりなどの新しい照明器具を生んだ。

江戸のあかり展 II
(太田宿中山道会館)

本作の特徴に“恥ずかしげもなくネタパクリ”というのがあります。
「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」
これは要するに、乱世を渡っていく様を船・真田丸にたとえた“パクリ”ですね。
三谷さんの足元にも及ばないのは明白すぎるのに、よくもこういうことをしますよね。
そうやって狡猾に大河ファンに目配せするのがたまらなく嫌だ。

これ全然パクリじゃないじゃないですか。
そもそも船は「泳ぐ」ものでしょうか?一般的に船は進むとか、走ると表現するかと思います。
泳ぐとは人間を始め生物が、手足を動かして水をかいて進むことでしょう。昌幸も乱世という海(信濃だと川でしょうか)を泳いで渡りたいという意味でこう言った可能性もあります。

あと「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」は別にこの回でなく、第33回「裏切り者」で既に登場しています。
なぜこの期に及んでこれを出して来たのでしょうか。

それにしても、このドラマのヘアメイクはどうなりましたか?
無駄に汚らしい信繁。
やりすぎアイラインの秀頼。
厚化粧の茶々。
秀頼の甲冑の質感もおかしい。
こんなペナペナした甲冑はみとうなかった。

無駄に汚らしいと言うより、信繁のキャラ設定が多少乱暴者で、戦に飢えているような設定だからこうなっているのでしょう。秀頼のメークは、隈取をちょっと思わせますが、もちろんあそこまでくっきりしておらず、シャドーのような感じで色を入れているかと思われます。元々隈取は表情を強く見せる意味があります。
茶々のメークに関しても、もう3度目か4度目でしょうか。少しは自分で調べてはどうかと思います。

扮装やヘアメイクについてもスタッフの方とご相談を重ね、一から作り上げていきました。扮装部の皆さんは大河ドラマ『葵 徳川三代』で小川眞由美さんが演じられていた茶々を意識していると伺っていたので、私も小川さんのような迫力ある茶々を演じられたらと思いながら取り組みました。

お市の方、茶々…二役を熱演した北川景子さん。意識したのは小川眞由美さんだった【どうする家康 満喫リポート】秘話発信編
(serai.jp)

あと秀頼の甲冑の質感がおかしいのなら、画像を貼って目に見える形で説明して貰えませんか。いや私はおかしいとは思いませんでしたが。

兜に映り込む白い斑点(スタジオの天井照明)は、もう紋様と思うことにしましょう!
最終回まで映り込み続けたこの白い斑点については、さすがにNHKへご意見申してもよろしいかもしれません。
◆NHK みなさまの声(→link)

これに関しては、冒頭で少し触れています。兜に光が反射するのは、兜の材質や形状にもよりますし、屋外撮影でも見られます。

どうかしているぞ! このVFXは!
相変わらず青空がないVFX。

大坂の陣の後、雲が切れていますね。これは何を表しているのでしょうか。

どうする家康第48回予告

視聴者をバカにしているとも思えてくるし、以下の記事のような
◆「大奥」ラストシーン制作秘話!VFXチームが届けたかった“未来”のこと(→link)
◆ 『どうする家康』新技術“バーチャルプロダクション”本格導入でロケ最小限に 背景に働き方&つくり方“改革”(→link)
小賢しい言い訳にも虫唾が走ります。ここは結果が全ての世界ではないんですか?

貴方のいう「結果」とは、一体何ですか?
視聴率のことですか?昨年正反対のことを書いていたのを、上の方で紹介しています。

そして『大奥』のVFXもこれで見る限り、武者さんに取っては虫唾が走る言い訳だったようですね。武者さんの『大奥』批判はこれが初めてです。

あと加藤チーフディレクターは
「現状でやれる範囲のことはやれたと思う」
と言っており、将来的にまだ進化するという含みを持たせています。そしてこの記事には、大規模ロケの難しさも書かれていますが、それも武者さんは気に入らないようですね。だったら自分ですべて手配して、大河の大規模ロケを実現してみてはどうでしょうか。

そして見ていて気になった部分があるので、これよりかなり後ですがご紹介しておきます。

家光の登場シーンですが、

まともな大河ならば、主役の子役を使い回すところ。それをこのマヌケ駄作は、初っ端からデカすぎる竹千代として本役が走り回ったから、それすらできない。
無計画の極みです。
もう、この時点で柳生十兵衛を呼んできて欲しい。竹千代相手に剣術指導をビシバシとして欲しい。

マヌケ駄作呼ばわりもどうかと思いますが、「まともな大河ならば、主役の子役を使い回すところ」と決めつけるのもどうかと思います。別にこの家光は子役が演じているわけですし、それはそれでいいかと思いますが。子役を使い回せないから「無計画」も乱暴ではないかと。

それと家光の剣術指南ですが、柳生十兵衛ではなくて父の柳生宗矩では?元々この宗矩は、黒田長政の紹介で家康の剣術指南(新陰流)となっています。十兵衛も、剣術の稽古に相伴したとは言われていますが、元々は家光の小姓であって年下であり、一時家光から蟄居を命じられてもいますね。

蟄居中十兵衛は、兵法の研鑽に努めていたとされていますが、この間諸国を遍歴したという説もあり、講談や小説、映画などの題材となっています。

飲み物-注がれるワイン
[ 2023/12/20 02:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。
しかしいつも思うのですが、この5ページ目の文字量がとにかく多い、1ページ目の2倍以上はあるでしょう。そして持論展開とそれを裏付ける記事のリンクがやたら目立ちます、こんなの大河コラムでやる必要があるのでしょうか。


『どうする家康』なんて大駄作を看板として放送してしまった2023年。
NHKの放送倫理に向けられる目はこの上なく厳しくなっています。

この放送倫理ですが、暴力とか俗悪なものを排除し、社会に受け入れられる放送を行うための指針を意味すると思われます。しかし『どうする家康』は、暴力でも俗悪でもないと思いますが。

先日、クローズアップ現代のジャニーズ性加害問題特集を見ました。
NHKの建物内でも加害は行われてた。しかし、NHKはジャニーズに任せきりで、何が起きているかすら把握していなかったとのこと。
NHKでまさかそんなはずがないだろう。そう思い、被害に遭われた方。そのご家族。どれほど辛い思いをしたのでしょうか。

では、今年の大河に出演した元ジャニーズの俳優さんたちは、全員加害者なのでしょうか。こういうのは、誹謗中傷の類になりかねないのでは?
そして朝ドラをまた叩いていますが、こういうのは朝ドラのnoteでやってくれないでしょうか。何度も言うけどここ大河コラムなのですけど。
その朝ドラで

なぜ歌唱力と演技力があるキャスティングにしなかったのか?
どうして歌がテーマなのに、朝から耳に悪いドラマになっているのか?
疑念が募るばかりです。

『どうする家康』でもそうですが、嫌いな作品は「耳に悪い作品」ということでしょうか。武者さんに取っては。

そして「七実三虚」の必要条件なる見出しで、

本作の脚本家はインプットが圧倒的に足りない。
ドラマ10『大奥』脚本家の森下佳子さんと再び比較させていただきますと、彼女の『大奥』は、原作の尺を切り詰めながら、時代劇愛にあふれた要素が追加されています。

とありますが、大河とドラマ10をなぜ単純比較するのか、そっちの方が疑問です。叩き棒にしたくてたまらないのだろうなと思いますが、『大奥』にしてみれば迷惑なのではないかと。

で、『大奥』は「七実三虚」(『三国志演義』に代表されるような、七割が実際に起こったことで、三割がフィクションである構成のこと)で、これは歴史をきちんと踏まえていないと書けない、『どうする家康』はその点が脆弱だとか何とか。
そしてまた阿月の話だのマザーセナだの、数年間空砲を撃ち合うことが現実的なのかだの、果てはまた北半球で南に虹は出ないだの。この虹の話はもう3度目かと思います。少しは自分で調べてはどうですか?

しかし、私がくどくど指摘したところで、「へっ」と鼻で笑って屁理屈でもこねくり回すのでしょう。
「そーゆー真面目な歴オタ、史実至上主義、原理主義がつまらないんですよww」
「負けて悔しいんですかwww」
「偉そーなこと言いますけど、あんた勘違いしていたことありますよねwww」
といったような論点ずらしばかりで本質とは向き合わない。

まず「くどくど指摘」されることに抵抗を覚える人はいるかと思います。
そして「本質とは向き合わない」などとありますが、武者さんの場合、歴史系ライターでありながら史料もろくに出さないし、1つ前のページの家康の最期だって、ちゃんと史料を基にした記述にはなっていないのですが。

そして真面目な歴オタとか史実至上主義と書く(自分のことでしょうか)割に、平山優氏の「森乱」などにはあれこれ言うのですね。実際一次史料には森乱としか出て来ません。それでどこが「史実至上主義」なのかと正直思います。
尤もこの場合史実と言うより、
「一次史料に記載されていること」
と言った方が正しいですが。

はっきり書く人が少ないようですが、あえて指摘しますと……。
『どうする家康』から伝わってくる制作者の人間性が、あまりに幼稚です。中学生あたりで人間性の成長が止まっていて、頭にあるのはエロとマウンティングだけ。
そしてお決まりの言葉が出てきます。
「それってあなたの感想ですよねw」
「はい、論破www」
まぁ、その通りでいいですよ。
しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか。

そして気に入らない相手には必ず
「エロとマウンティング」
こういう決めつけもどうにかなりませんか。すごく安っぽさを感じさせるのですけど。

そして
「しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか」
なぜここで急に「武士としてのメンタリティ」になるのかと思ったら、

非力な私ではなく、例えばの話、薩摩隼人の前でも同じことを言えるかどうか?
武士というのは、
「心せよ。相手は薩摩隼人かもしれん。ならば初太刀だけは避けよ」
という心意気があるものでしょうよ。まぁ、こういう心境も新選組好きだけかもしれませんけどね。士道不覚悟は切腹だ!

何だか強引というかひとりよがりだなと思います。
そしてなぜここでまた急に「薩摩隼人」だの「新選組」だのになるのでしょうね。これもリンクされている薩摩武士関連記事に誘導したいからですか?

「シン・大河」――このわけのわからないフレーズに何が期待されていたのか?
迷う弱気なプリンスという描き方に、どういうわけか期待を寄せた人はそれなりにいたようです。

この「シン・大河」なる表現、これも何度も書きますが、一部メディアは使っても公式は全く使っていないわけですが、武者さんは公式が使っていることにしたいのでしょうか。そして実際この家康は
「迷う弱気なプリンス」
であり、様々な場面で決断を強いられて、家臣や家族の助けで乗り切って来ているわけですね。

そして今度は脚本家叩きです。彼ら世代は司馬遼太郎を愛読していた親に反発していたとあり、

気合を入れて、あえてメインストリームから外れた血みどろ武士道、伝奇路線をこよなく愛する。これも少数派ながら、歴史への愛はあるでしょう。
小説ならば隆慶一郎、山田風太郎。漫画ならば『シグルイ』を熟読するようなタイプですね。
この脚本家の場合は、それすらないとみた。
司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたいだけ。高校生あたりで卒業して欲しいそうした精神性でもって、大河に乗り込んできたと。
そんなインプット不足で、面白い歴史劇が描けるわけがありません。

これもまた強引な話ではあります。
「それすらないとみた」
「司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたい」
その根拠はどこですか?
そもそもなぜ古沢氏に「歴史への愛」がないと言い切れるのかそれも疑問です。そしてこのコラムの場合、なぜ自分がそう思うかに対して、明確な根拠が示された例がどれほどあったでしょうか。

尚前編のガイドブックでは、磯CPのコメントとして
「古沢さんは時代考証の先生方がうなるほど歴史資料や取材資料と格闘しながら、キャラクターを生み出しています」
とありますね。

そしてこのことに関する記述が実に長々と続きますので、一部だけ残しておきます。

脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします。
批判されている箇所はそのくだらなさ、つまらなさがあるのに、認めようとしない。言い訳や自己満足、ナルシシズムを語るよりも大事なことはあるのに、そうしない。
ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに、現実逃避して軽薄なことをしゃべるだけ。
『レジェンド&バタフライ』でも同じように絶賛し、ノベライズを担当した、そんな半分身内のような相手に滔々としゃべるだけで終わります。

「脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします」
何か意味が通りにくいのですが、
「脚本家はインタビューで、論点をずらして答えています」
と書きたいのでしょうか。
そしてリンク先の記事のひとつ、

◆大坂の陣。でも今、戦う武将をヒーローとして描けるだろうか。「どうする家康」古沢良太の選択 (→link)

きわめて納得が行くものです。
武者さんがこの大河が好きであれば、嬉々として紹介しているでしょう。
そしてこちらですが、

◆ ドラマは「脚本家」で見るともっとおもしろい! なかはら・ももたさん×木俣冬さん「私たちがあの脚本家を推す理由」(→link)

私にはまるで劉禅と黄皓に見えます。もたれあいの精神に驚くしかありません。

貴方また劉禅ネタですか。これで3度目では。

聖人は天を体し、賢人は地に法(のっと)り、智者は古を師とす。『三略』
聖人は天を手本とし、賢者は地を手本とし、智者は古を手本とする。

この後に
「驕る者は毀りを招き、妄りにする者は災いを稔み、語多き者は信寡く…」と続くわけですが、それはともかくとして。

『どうする家康』とその周辺に漂うくだらなさを彷彿とさせる、こんな記事がありました。
◆ 「自分こそ正しい」というバトル そのツールになった「エビデンス」(→link)
小豆袋の逸話はあるだの。森蘭丸をあえて森乱丸にするだの。なじみのある呼び方ではなく、最新の説に応じた呼び方とする。
そのうえで、そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にあると思い当たった。
このドラマは歴史に対して敬愛がない。体系立てた筋道すら学んでいない。そのくせ、小ネタだけは仕込んでくる。

「最新の説に応じた呼び方とする」
何度も言うようですが、これが好きな大河だったら武者さんは大喜びなのでしょうね。真田幸村が『真田丸』で信繁となったのと、相通じるものがあると思いますが。
それにこの少し前でも書いていますが、森乱は一次史料では乱、または乱法師という表記のされ方をしています。それに則っただけの話だと思いますし、史実を重視したいのなら、それをもまた受け入れるべきかと思われますが、なぜか武者さんの場合
「そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にある」
「歴史に対して敬愛がない」
こうなるようですね。

その後も、かなり嫌悪感に満ちた記述が並んでいますがここでは省きます。
そして家康と氏真。

しかし、キッチリと覚えている視聴者もいます。氏真がマザーセナ相手に、未遂であろうと性的暴行をやらかしたことを。
そんなことを綺麗さっぱり忘れて、瞬間的な感動だけを狙う。どこまで浅ましいのでしょう。

これに関しても少し前にありましたね。関ケ原の前の回でしたか。
この場合氏真は元康、のちの家康に裏切られたと思い、瀬名を利用して圧力をかけようとしています。そして、もちろん今の感覚ではほめられたことではありませんが、この当時、敵の人質同然の女性に関係を迫るなどということもあったでしょう。

それにあれは瞬間的な感動を狙うと言うより、かつて兄同然に慕っていた氏真との再会の喜び、そしてまだ表舞台から降りることのできない家康のつらさや悲しさも含まれていると思います。あの回のサブタイ「二人のプリンス」は、この両名のことをも意味しているはずですが。

『どうする家康』とはそんな論破芸を大河ドラマで一年間流し続けたようなものだと思います。
批判があれば、
「でもその史実って誰か見てきたのw」
「史実至上主義w 歴史絶対主義ww」
「勝者が作り上げた理屈でしょw」
とでも言って、小賢しく立ち回る。この言い分は制作チームで共有して使いまわしていますが、誰かがそんなシナリオを作り上げているんですかね。

ここまで嫌いになれるものですかね。
それとここは武者さんの憂さ晴らしの場ではないのですけど。
そして歴代大河、もちろん武者さんの好きな大河もまた史実をアレンジして台本ができあがっているのですが、そういうのはやはり無視ですか。
あと
「制作チームで共有して使いまわしています」
その具体例をお願いします。

『どうする家康』は最低大河の持つ要素を全て持ち合わせています。
今回はスイーツを無駄に出してきて『江』を彷彿とさせました。
さらには出演者が大麻所持で逮捕されました。『花燃ゆ』以来のことです。あの作品は放送後、今回は最終回目前という違いがありますね。
◆俳優の村杉蝉之介容疑者、大麻をレターパックで受け取った容疑で逮捕…「どうする家康」にも出演(→link)

「スイーツを無駄に出してきて」
このスイーツがどういう人物で、どう無駄に出して来ているのですか。いつも思うのですが、ひとにわからせる書き方になっていないようですね。
あと出演者が逮捕された件ですが、『花燃ゆ』以来ではありません。
『いだてん』のピエール瀧さん、『麒麟がくる』の沢尻エリカさん、どちらも麻薬で逮捕されています。沢尻さんの場合は既に10話ほどを収録した後発覚し、代役として川口春奈さんがキャスティングされ、収録がやり直されたため、放送開始が遅れています。
また来年の『光る君へ』に出演予定だった永山絢斗さんも、大麻で降板せざるを得なくなっています。

それと、麻薬や大麻関連ではありませんが、『真田丸』に出演が決まっていた高畑裕太さんも、女性への暴行が原因で降板せざるを得なくなったことがありました。三谷さんが『鎌倉殿の13人』で、やましいところがある人はオファーを受けないようにといったコメントをしたのは、このこととも関係があったのでしょうか。

それのみならず、歴史好きや大河好きなんて嘘っぱちなのではないか、人格修養ができていないのではないかという疑念まで振り撒き、新境地の駄作に突入しています。
これぞ「シン・大河」ならぬ、「惨・大河」だというのだれば、賛同しかありません。

武者さんが嘘っぱちだ、人格修養ができていない、新境地の駄作だと考えるのはそれは自由ですが、報酬が発生しているコラムで書くべきことではないと思います。プロとして批判するのなら、もう少し客観的に物事を見てください。
そして公式が使ってもいない(と言うか、文春が最初に使った)「シン・大河」なる表現にいつまでもこだわるのもどうかなとは思います。それと「だれば」は「であれば」でしょうか。

あと例によってメールフォームのリンクがあります。私は先日、最終回が楽しみですと書いて送っておきました。また武者さん、(世帯視聴率で)歴代大河ワースト2位と何かにつけて書いていますが、第46回の総合視聴率は17.7パーセントありますよ。

飲み物-パブのビール2
[ 2023/12/16 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回「大坂の陣」あらすじと感想-1

第46回の前半部分です。


家康は大坂での戦に備え、布陣図を描いていた。阿茶局が面白き道具ですなとのぞき込む。家康は三浦按針から貰った「ぺんすう」鉛筆で図を描いていたのである。墨が要らん筆じゃと言う家康に、絵を描くのも面白そうと阿茶局。家康はその言葉に、絵を描くのが好きな千姫を思い出し、あの子にくれてやったら喜ぶだろうと、図の端にお千と書きしるす。

一方大坂城では、大野治長が秀頼と碁を打ちながら、そろそろ騒ぎ始める頃かも知れませぬと口にする。どう出てくるかを気にする秀頼に、どう出るにせよ我らが望むところと答える治長。さらに治長は、もしそうなったらこの時を待っていたと、多くの者が秀頼様のもとへ集いますると言う。側で見ていた千姫は何の話であるか尋ね、やはり側にいた茶々がこう答える。
「もうすぐ豊臣の世がよみがえるという話じゃ、お千」

秀頼は豊臣の威信をかけて大仏殿を建立するが、その時梵鐘に刻まれた文字「国家安康」「君臣豊楽」を徳川は問題視する。儒学者の林羅山は駿府城に呼ばれ、国家安康は家康を首と胴に切り分け、君臣豊楽は、豊臣を主君とする世を楽しむ意味で、明らかに呪詛の言葉である、徳川を憎む者たちはこれに快哉を叫び、豊臣の世を更に望むことであろうと断言する。

一方金地院崇伝は、豊臣方は文字通り国家の安康と、君臣共に豊楽なる世を目指すものであり、他意はないと豊臣は申すだろうと言い、それに羅山は、大御所様の名に気づかないわけがないと反論する。しかし崇伝はまたも、豊臣は大御所様を祝う意図で刻んだと申すであろうと言い、お前はどちらの味方かと秀忠に問いただされる。いずれにせよ、これを見逃せば幕府の権威は失墜すると本多正信。

正信はさらに、豊臣はますます力を増大させる、しかし処罰すれば卑劣な言いがかりをつけて来たとみなされ、世の中を敵に回すことになる、うーん実に見事な一手と例の口調で話し、褒めてる場合ではござらぬと息子正純に注意されるも、腹をくくられるしかないでしょうなとこともなげに答える。豊臣のこの態度に、阿茶局はおとなしくしていれば安泰であろうにと言い、秀忠も天下を取り戻そうと強気なのを疑問視する。

家康は言う。
「倒したいんじゃろう、このわしを」
家康最後の戦が近づいていた。既に加藤清正ら、豊臣恩顧の古参家臣たちも次々と世を去り、今や豊臣と徳川の間を取り持つのは、片桐且元だけになっていた。且元は平謝りに謝るが、本多正純は度重なる挑発は看過できないとして、秀頼の大坂退去と国替え、もしくは他の大名同様に江戸屋敷を持っての参勤、あるいは茶々を人質として江戸へ下らせるか、いずれかを選び取らせる。

且元は穏やかに収めたい、千姫様もお心を痛めておられる、秀頼様とも仲むつまじくと言いかけるが、家康は3つの求めの内、いずれかを飲むよう説き聞かせるよう且元に命じる。しかし当然ながら茶々は反発し、治長は祝いの言葉を呪いであると言いがかりをつけ、豊臣を潰す企てに他ならぬと言う。古狸の悪辣な仕打ちとまで言う治長に、且元は食ってかかる。
「修理、こうなると分かってあの文字を刻んだな!」

治長は、片桐殿が頼りにならんのでと言い返すが、且元は戦をして豊臣を危うくする気かと反論する。その且元に治長は、手をひらひらさせてこういう。
「徳川に尻尾を振って、豊臣を危うくしておるのはお手前であろう」
治長の家臣も一斉に同調し、治長と且元は互いの家臣も巻き込んでの口論となる。

茶々は彼らに控えよと命じ、且元は引き続き自分を交渉役にしてくれと秀頼に頼み、千姫は心配そうにその様子を見守る。無論頼りにしておると秀頼は言うが、ひとまずは屋敷にて十分に休むがよいと言い渡し、且元を下がらせる。治長は、あれはもう狸に絡め取られておる、害しようという者も現れますでしょうと言い、茶々は一言面白くないのうと口にする。

千姫はその夜寝所で、秀頼に尋ねる。
「あれは、片桐殿を亡き者にすると…」
さらに千姫は戦になるのですねと言い、秀頼は妻に対してこう答える。
「余は徳川から天下を取り戻さねばならぬ。それが正しきことなのだ、わかってほしい」

秀頼と千姫は互いに床の上に起き上がり、秀頼は千姫を安心させるように言う。
「案ずるな。そなたのおじじ様や父上がそなたに手出しできようか?」
そなたは安全じゃと言う夫に千姫は尋ねる。あなた様は本当に戦をしたいのですかと。本当のお気持ちですかと重ねて尋ねる千姫に、秀頼は、余は豊臣秀頼なのじゃと答える。

一方江戸では、その千姫の父秀忠が正室お江や子供たちと共にいて、戦になっても兵力の差は歴然じゃ、少し懲らしめてやれば、向こうもこちらの求めを受け入れるじゃろうと楽観的だった。お江はならば大御所様にはお休みいただき、殿が総大将となられてはどうかと促す。そのお江に秀忠は、お千のことを案じておるのかと尋ねる。

お江は秀忠に、(千姫を)見捨てる覚悟はしていると言うものの、どこかためらっていた。秀忠は、父上は孫を殊の外可愛がってくださる、ひどい仕打ちはしないとも安心させるが、戦となれば鬼となれるお方ではとお江は言い、姉茶々も一歩も引かぬたちであって何が起きても不思議ではない、あなたがお指図なされませと厳しい口調になる。その千姫は、豊臣家が呼び寄せたかつての武将たちに酌をしていた。

彼らは大軍を率いた経験がある者たちばかりだった。関ケ原の生き残りである長宗我部盛親や毛利吉政、そして今は出家して常真(じょうしん)と名乗る織田信雄も加わっていた。常真は小牧長久手の戦いの自慢話をし、太閤殿下にあれほど見事に勝ったのは、後にも先にもわしくらいと得意満面だった。あん時は徳川もようやったが、総大将はわしであったわとの常真の言に千姫はいたたまれなくなり、その場を立ち去る。

1人廊下ですすり泣く千姫に、常真が厠に行くふりをして近づき、すれちがいざま千姫に言う。
「戦は避けましょう」
「あなたのおじい様には世話になった。ハハ…やりとうない」
さらに自分が最も得意とする兵法は和睦であると言って笑い、わしと片桐で何とかすると、千姫を安堵させる。

その常真に千姫は、治長が恐らくその翌日、且元を手に掛けるであろうと教え、且元は姿をくらます。この失敗に治長は怒るが、駿府にもこの知らせはもたらされていた。且元は騙し討ちされそうになり、常真が危機を知らせて間一髪で助かったのである。京にいる五徳の手助けで、常真、且元とも今は伏見にいると阿茶局。これで徳川と話ができる人物が豊臣にはいなくなった。

これが豊臣の返答と言う正純は、大坂の町はおよそ3万人もの牢人で埋め尽くされており、これに秀頼の兵と、金で雇った兵を加えると10万にも及ぶと言われていると家康に伝える。とうとう始まるのですねと阿茶局。家康は正純に、諸国の大名に大坂攻めの触れを出し、大筒の用意もするように命じる。そして家康は、関ケ原の時の甲冑を前に座る。その時正信がやって来る。家康は正信に話しかける。
「年寄がこんなものを着けて笑われんかのう」

重さで腰が折れんよう気をつけなされと、正信は無遠慮に言う。お前も出るんじゃぞと家康、正信は体の節々が痛み、気乗りがしないようだった。そんな正信に家康は言う、わしとてあちこち痛いわと。


まず家康の鉛筆からです。ご存知の方もいるでしょうが、実際に家康は鉛筆を使っており、硯箱に入った状態の物が久能山東照宮で発見されています。黒鉛を使う鉛筆は、16世紀に博物学者コンラート・ゲスナーが使っていたとされています。その当時は黒鉛がなくなると、新しい物を軸木に詰めて使う物であり、家康が使っているのはそれより後のの軸木に黒鉛を挟み、芯を削って使うスタイルの鉛筆と言われています。家康以外に、伊達政宗も鉛筆を使っていたことが知られています。

豊臣家では、豊臣が天下を取り戻すという風潮が高まっていました。これから見るにこの場合、やはり豊臣が徳川を挑発し、戦を仕掛けていると取るべきでしょう。無論徳川方も、秀頼の国替えか参勤の義務か、あるいは茶々に人質となるか、どれかを選べと言うわけですが、当然豊臣がその内のいずれかを飲むわけもなく、且元は徳川のスパイではないかとまでみなされるに至ります。

大野治長は、この邪魔な人物を殺すつもりでいたようです。しかし千姫がそれに気づいていたようで、織田常真にそれを打ち明け、且元は間一髪で治長の刺客から逃れます。しかし信雄公、お元気だったのですね。この人は寛永の頃まで生きており、72歳で亡くなっていますから、当時としては長命と言えるでしょう。そして五徳、こちらも懐かしい名前です。彼女も信雄のもとに身を寄せ、その後信雄が改易された後は尾張に移り、その後京に居を構えるようになっていました。

そしてお江。夫秀忠に総大将を務めてはどうかと切り出します。義父家康が戦となれば鬼となること、千姫をやはり案じていることなどがその理由のようです。一方で大坂では、かつて関ケ原で西軍に与した強者やその子、また後藤又兵衛のように主家を出奔した者たちが次々と押しかけます。又兵衛の顔の刀傷が何とも言えません。そして毛利吉政、『真田丸』では毛利勝永として登場しています。そして実際この人は、大坂の陣当時は出家しています。さらに真田信繁も彼らの中にいました。

あと
「豊臣恩顧の古参家臣たちも次々と世を去り」
とありますが、その後に
「今や豊臣と徳川の間を取り持つのは、片桐且元だけになっていた」
とあるように、この家臣たちは二条城会見に立ち会い、豊臣と徳川の仲立ちをした人たちを主に指していると思われます。清正に加え、池田輝政や浅野幸長などがそれに当たります。池田輝政と言えば、黒田家を出奔した後藤又兵衛がここに仕官しようとしますが、奉公構により仕官できず、牢人の境遇となっていました。

また参勤、この当時参勤交代は義務化されていないものの、多くの大名が自発的に将軍に拝謁するようになっていました。そう言えば家康も、江戸屋敷をどうするかで頭を悩ませていましたね。


飲み物-クリスマスのホットワイン
[ 2023/12/04 02:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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