『武将ジャパン』大河コラム、第48回関連記述への疑問その4(その3の続き及びMVPと総評について)です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/20/172578
それから書きそびれていた分をここで書いておきます。このコラムの1ページ目で、
「19万など、どうせまやかしに決まっている!」
そう毒づく後白河院ですが、確かにこの数字は誇張であり、信憑性は薄いとされますね。
問題はそこじゃないでしょう。
とありますが、後白河院がこの当時まで生きているわけもなく。
1.しかも泰時の治世の間、御家人の粛清は起こらないと語られます。
そう、あくまで泰時の間の話で、三浦と北条は結局、衝突してしまう。
初も味わうことになる【宝治合戦】がそれで、泰時の死後に勃発しました。
結局衝突してしまうのは誰が執権の時か、初はどのようにかかわったのかがこのコラムに出て来ませんね。執権は泰時の孫である時頼、そして初(矢部禅尼)は、この宝治合戦で滅びた三浦氏の宗家を継いだ三浦(佐原)盛時の母親です。つまり初は何かで離縁し、盛時の父佐原義連と再婚していたのですが、ドラマにはこのことは描かれていませんでした。
2.それは言い過ぎだと指摘されても、政子はそれでいいと言います。
頼朝から受け継いだ鎌倉を次に繋いだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない。
これ、あらすじと感想でも書いたと思いますが、なぜ
「これからは争いのない世がやってくる」
と政子が決めつけたのでしょうか。江戸時代のように官僚化したわけでもないのに、武士がいて争いが全くないというのもちょっと妙なものです。無用な争いは避けるといった程度であれば、わからなくもないのですが。
3.源氏将軍三代は、文覚が持ってきた義朝の偽頭蓋骨を手にしてきました。血塗られた権力でした。
一方、北条は頼朝から慈愛の観音像を受け継ぎ、果たしてそれを手にしていいのか迷いつつ、託していくことになったのです。
慈愛と書かれていますが、この観音像がきっかけで宗時が北条屋敷に本尊を取りに行かされ、善児に仕留められたことを考えれば、この観音像も慈愛と言うよりは、人間世界の生臭さに関わったと言えるでしょう。
4.MVP:北条義時と彼に精神的拷問を加えた皆さん
二人目はのえでした。
妻であるのえは、麻の毒を盛り続けました。
遅効性です。東洋医学で義時の体質を解析し、負担をかけるものを選んだのでしょう。
即効性の強い毒は、誰にでもだいたい効きます。
しかし、こういう体質に合わせた毒は生活習慣を熟知していなければ難しい。のえは夫を殺すべく、観察の成果を活かしたのでしょう。
あらすじの方では薬とあり、ここで麻の毒とあるのはちょっと変な感じです。それとこの「薬」は京都から貰ったにせよ、あるいは義村から貰ったにせよ、貰い物であることに変わりはないわけで、なぜ
「東洋医学で義時の体質を解析し、負担をかけるものを選んだのでしょう」
と、のえ自身が薬を選んだようになっているのでしょうか。
5.現代人ならば由比ヶ浜でヨットでも楽しめばいいのでしょうが、そこは坂東武者なのでそうもいかない。
このコラムには、時々こういう、やけに現代に寄せたような文章が出て来ますね。私としては、あまり感心しませんが。
6.政子は頼家の仇討ちをしたかったのか?
それでも慈愛はありました。最終的に薬を拭い取らせたのは、義時が幼い帝を殺そうとしていたからだと思えます。
ここの心理状態は『麒麟がくる』の光秀を思い出しました。
あれも天皇の困惑と信長の不穏な動きを知り、更なる罪を犯すことを止めるため本能寺へ向かったように思えたのです。
とはいえ、引き金は頼家だとも思えることで、政子は彼女自身の汚名を薄くしたようにも思えます。
政子は頼家を見殺しにしたということが、悪女の根拠として言われます。
しかしそんな頼家の死に怒り、仇討ちをしたように思わせることで、その印象を薄めることができたのです。
政子が江戸時代に悪女となったのは、前にも書きましたが、婚家の源氏でなく実家の北条氏を優先するような態度を取ったこと、夫の愛人に嫉妬したことなども理由とされています。それと、執権たる弟の悪行を戒めるため薬を与えなかったのではなく、もう長くはないのだから、薬で誤魔化すよりはもうあの世へ行きなさいと、そういう意味にどうも取れてしまうのですが。
そしてまた『麒麟がくる』ですが、信長に比べると義時が仲恭天皇を殺そうとしたことの方が、どこか見えにくい部分があります。元々この仲恭天皇は鎌倉幕府の介入により退位させられたとはなっており、皇位継承の決定権が幕府に移ったのを窺わせるものもあります。
7.八重が救った鶴丸――盛綱は泰時のために尽くしている。
死にそうになっても守られるようにして、生きている。まるで八重が見守っているように思える。
武者さんがどう思おうがそれは武者さんの勝手ですが、こういうのはせめて個人サイトなどで書いてほしいものです。
それに「守られる」を強調したいのなら、ああいう目に遭わせず、大けがを負いながらも泰時のそばを離れなかったという描写でもいいはずなのですが。ついでに義村をじじい呼ばわりする朝時も諫めてよかったでしょう。
8.歴史を学ぶ意義とは何か?
そこまで改めて考えさせられる傑作でした。
小学生がこのドラマの最終回を楽しみにしていると答えているニュースを見ました。
子どもにこんなものを見せていいのか?と疑念に思いつつも、きっとこうした子たちの中から将来日本史を学ぶ人がでるだろうとも思います。
「小学生がこのドラマの最終回を楽しみにしていると答えているニュースを見ました」
ならばそのニュースのリンクを貼ってほしかったと思います。
9.頼朝の死から、この言葉がずっと脳裏にありました。
天地は仁ならず、万物を持って芻狗と為す。『老子』
天地に仁はない。ありとあらゆるものを藁の犬にしてしまう。
頼朝の死により、チリンチリンと流れていた鈴の音。
それを聞いた義時は天命に選ばれ、高みに上り詰める。
しかし後鳥羽院を島流しにし、武士の世を確立するという天命を果たした後、藁の犬は燃やされます。
よってたかって心をへし折られ、這いつくばって死ぬ。天命に捨てられた藁の細工が横たわっている、圧倒的な虚無がそこにはありました。
何か長々と書かれていますが、この天地と藁の犬については、少し前にコメント欄でも指摘がありました。この場合義時は、後鳥羽上皇と張り合ったという点から見ても、そもそも高みに上り詰めたという点から見ても、藁の犬ではなく天地としての存在の方でしょう。仮に義時を藁の犬とするなら、この場合の天地は何になるのでしょうか。
余談ながら、チリンチリンという鈴の音、かなり前の『相棒』(今はもう観なくなりました)で、ある人物が即身仏になるため鈴を鳴らすという描写がありました。鈴の音が止まった時が、その人物が息絶えた時となるわけですが、何かそれを思い出してしまいます。
10.そして、この大傑作は大河ドラマの天命をも変えたかもしれません。
三谷さんにも天命はある。
もう大河はいいと思っているかもしれない。
しかし気がつけばドラマや映画を見ながら、大河でこういう描き方はできるなと思うようになります。
そうしているうちに、NHKの誰かからメールが届く。
「大河を書きませんか?」
それはきっと天命なのでしょう。
その日は来る! 必ず来る!
とりあえず、武者さんはこのような展開を望んでいるというのはわかりました。
「「大河を書きませんか?」
それはきっと天命なのでしょう。
その日は来る! 必ず来る!」
あと、天命という言葉が好きなことも。
私は既に何度か書いていますが、これで一旦三谷さんの大河は終わり、それより下の世代の人々に書かせていいかと思っています。ただ大河は1年物で史実と創作の兼ね合いなどもあり、必ずしも歓迎する人たちばかりではないかも知れません。何よりも、1年物というのをもう見直していいかとも思います。
三谷さんは正月時代劇とか、フィクション主体でコントを交えた、1クールほどのものの方がいいのではないかとも思えるのですが。
それから三谷さんの人形劇『新・三銃士』を観ていて思ったのですが、この大河の和田義盛は『ヘンリー五世』のフォルスタッフと言うよりは、あの人形劇のポルトスのような印象も受けます。