前から書こうと思っていた相撲についてです。例の日馬富士引退以前から、相撲協会というか、大相撲そのものをどのように捉えるべきなのか、どうもよくわからないところがありました。要は大相撲というのは、
神事としての相撲
武道としての相撲
プロスポーツ(格闘技)としての相撲
という、3つの異なる要素が合わさっているため、どの側面から見るかによってかなり異なって来るからです。しかし神事や武道という側面を持ってはいるものの、テレビで観る大相撲は、明らかに「プロスポーツ」としての相撲といえるでしょう。プロスポーツであるがために、そこには「スポーツ」としての「フェアな精神」が求められることになってしまうわけです。
しかし一方で神事であり、武道であるため、単にスポーツとして括るのも無理があります。例の件でも話題になった貴乃花親方は、誠実な相撲を求める一方で、伝統を守ると何かで読みましたが、誠実さをプロスポーツのそれ、伝統を神事や武道として捉えるのであれば、どこか相反するように思います。そして相撲協会もまたこの辺りを、うまく言語化、あるいは論理化出来ていないようにも思います。また協会のシステムとして、専従スタッフがいません。力士を始め親方や行事など、すべてどこかの部屋に所属しているわけで、協会というより自分の部屋第一になるのも、無理からぬ事態であるといえます。
いっそのこと外部の人間を入れたらいいのではないかと思いますが、これは協会内から反発があると予想されます。無論これは相撲だけではなく、多くの競技団体にいえることでしょう。しかも相撲の場合は、国際選手権やワールドカップがあるわけでもありません。国際試合でどのような結果を残すかが、相撲そのものの評価につながるわけではないわけです。勢い評価が本場所での成績を基準とすることになり、本場所で注目される力士がどのくらいいるかが、人気のバロメーター化しやすいといえます。
横綱稀勢の里がなかなか引退できないのも、それに一因があるという報道もあります。しかし既に六場所休場で、本人も故障を抱えているのも事実です。でも引退できない。これを考えると、相撲そのものがどうというより、その時々で人気力士を作ることで「ブーム」を起こしているのが、大相撲の実態といえるでしょう。これもまた大相撲の特殊性といえなくもありませんが、他の競技を観ながらたまに大相撲を観た場合、どこかとらえどころがない印象を受けることがあります。
一方でこれは以前も触れましたが、ファンサービスのイベントなどは完全にプロスポーツのそれです。つまりファンへのアプローチの仕方と、協会そのものの姿勢にどこか隔たりがあるとも考えられます。大相撲の統括団体である日本相撲協会が、今後も公益法人を続けるのか、あるいはまた別の団体を模索するのか定かではありませんが、どの位置に本来納まるべき存在なのかなとも思います。また相撲は国技といわれますが、国技というよりむしろ伝統芸といった印象を受けるのも確かです。国技はむしろ野球なのではないかと思われます。
また国技という存在もあって、NHKで必ず本場所が放送されることになっています。しかしながら、公共放送で取り組みが放送されているにもかかわらず、話題性にどこか欠けるような気がします。本来他競技に比べたら、その点でも恵まれているはずなのですが。これは極論になりますが、一旦相撲を国技から外し、NHKの放送もなくす、あるいはダイジェストに留めてしまい、その後今後のあり方を模索するという方法もあるでしょう。ただしその場合、かなりの確率でマイナースポーツ(スポーツと呼ぶのであれば)となる可能性もあります。
それから大相撲といえば、こういう報道もありました。
女性に「土俵降りろ」の放送、八角理事長「不適切な対応」 春巡業、救命処置の女性に感謝(産経ニュース)
アナウンスを担当していた行司が慌てて呼びかけたらしいのですが、この場合どう見ても緊急を要する事態であった以上、これはないだろうと思います。幸い協会からおわびがあったようですが。これに限らずですが、たとえば表彰式などで、自治体の長が女性であった場合などは、例外的に上げてもいいのではないかと思います。これまでにも、たとえば力士の家族の女性などで、やはり土俵に上がるのを許されたケースもあるようです。
最後にラグビーについて少し。これもかつてはお祭りであり、その後私立校の教育として採用され、社交の一環となりました。それによって、アフターマッチファンクションのような独自の文化がはぐくまれ、プロが認められた後もスーパーラグビーのように、国際的なクラブリーグが出来たという点などは、この競技のユニークさ、特性を示す一因といえそうです。ただしラグビーの場合は、相撲とは異なり、あくまでもスポーツです。そのためスポーツとしての基準をそのまま適用することができ、これが相撲と大きく異なる点となっています。