先週からこのテーマに変更しています。『JIN-仁-』との共通項ですが、龍雲丸の「城があるから戦が云々」に関して。仁が龍馬の武器の商いを咎めるものの、現代的思考では捉えられないと考え直すシーンがあります。こちらは現代からタイムスリップした人間ですが、龍雲丸の場合は、明らかに「その当時の人間」のはずなのに、発想がおよそその当時の人間らしくないのが、何とも奇妙ではあります。
そして先週、『花燃ゆ』と『直虎』が構成上似ていると書きましたが、その続きです。文→美和も直虎も、やたらに自己主張したがります。立場も時代背景も異なりますが、キャラ設定はそっくりで、こういう部分が女性大河が面白くない一因といえます。『花燃ゆ』の打ち上げで井上真央さんが涙を流して、途中から脚本担当の小松江里子さんが慰めたという話がありましたが、小松さんはどのように責任を感じていたのでしょうか。無論この場合、最初から脚本に無理があったのは事実ですが。
それと直虎の尼削ぎ(実際はもう少し長めと思われます)の、前髪ぱっつんですが、これが『花燃ゆ』の高杉晋作の、如何にもズラっぽいざんぎりを思わせるものがあります。あと、『花燃ゆ』で晋作が、美和を好きだったという設定も不要だったと思います。今の『直虎』の、直虎と政次、あるいは龍雲丸の関係も似たようなものがあります。そもそもこの場合、なぜ嫡男の政次が元服と同時に妻帯せず、独身で直虎を思うように設定したのか、その辺のアレンジに大河らしさが見えません。
無論『花燃ゆ』では描けていないけれど、『直虎』では描けているものもあります。主人公が戦や政に対して否定的ではない、やる気はあるという点です。しかしそのやる気が本来の場で発揮されず、エピごとのテーマを解決する乗りになっていること、そして、大名たちとどう対峙するかというシーンが限られていることで、せっかくの設定が活かされていません。また『花燃ゆ』の場合、主だった俳優さんが、結構後の方まで登場していたのはよかったと思います。『直虎』の場合、主だった人たちが途中でかなり退場し、ドラマとしてはマイナス要因になっています。
それにしても前回、塩留め違反取り締まりと築城だけでよかったと思うのですが、それに材木を絡めたために、話がややこしくなっています。商人は自治権が失われるので反対、しかし法に背くものがいるので武家が取り締まる、本来はこれでよかったはずです。また材木の件は、既に決着がついていたわけで、龍雲丸が、ある意味私怨で築城に難癖をつけるのも変な話です。流石に直虎はそれを否定しましたが、この辺りの話の持って行き方が、材木と直虎を無理やり絡ませようとした感があります。
それから『西郷どん』がクランクインしたとのこと、鈴木亮平さんのブログで知りました。大々的に期待というわけではないのですが、まだ蓋を開けていない以上、今は特に言及しません。ただ、制作発表時の制作側のコメントはちょっと疑問でした。
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