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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムその2です。それから先日投稿分で、第32回を第31回に、本文中の「悪逆非道」を「極悪非道」にしていましたので、それぞれ訂正しています。

なんとなく偉そうな正信。なぜ、ここまで大きな態度でいられるのか。
軍師的ポジションならば、まずは天候の話をするのが自然な流れでは?
風が強ければ火を使うとか。
雨が降るならば水害を利用するとか。
そういう見通しが一切なく、未来を知っているからこその結論(中入り)をドヤ顔で出してくる。

この時まず家康が
「お主が秀吉方ならどう攻める?」
と訊いているわけです。すると正信がここを攻めると石を落とす、つまり三河へ攻め入ると答えています。
実際相手は大軍で、三河中入りに手勢を割くことは可能であり、だからこそそれを阻止するため、堀の工程を一部変更して、抜け道を作るに至った、そういう流れではないのでしょうか。
これは野戦ではないし、季節的に雨が多いわけでもなく、必ずしも天候の話に結びつける必要もないかと。

そして「未来を知っているからこその結論」絡みなのか、
「同じ脚本家の映画『レジェンド&バタフライ』の帰蝶もそうでした」
とありますが、毎回毎回同じネタばかり出してくるのもどうかと思います。古沢氏叩きなのでしょうが。

豪華キャストが鬼武蔵こと森長可を演じるということで話題をさらっていました。
誰が見てもカッコイイ。
確かにそうですが、あの恐ろしいイメージの森長可なのに、陣羽織が真っ白で血の一滴すらついておらず、凄みが感じられない。鬼武蔵を出すならば、あえて首を二~三個束ねて持ち運ばせるシーンとか、生首から滴る血を舐めさせるとか、血まみれの握り飯を食うとか。
感染症なんて関係ねーわい――という鬼ならではの個性が欲しかった。

第27回で、安土城で淀の鯉が振舞われた際、信長が光秀を折檻するシーンでも、かなり制約があったことを武者さんはご存知かと思います。
今の時代、
「あえて首を二~三個束ねて持ち運ばせるシーン」
「生首から滴る血を舐めさせる」
いずれもアウトでしょう(血まみれの握り飯はどうだかわかりません)。武者さんの言う凄みは何とも猟奇的ですね。
それと
「感染症なんて関係ねーわい――」
大河収録でも感染症対策にかなり注意が払われていると思いますが、その思いを無にするような発言ですね。

今後、そうした武将の登場機会があれば、月岡芳年『魁題百撰相』でも参考にしていただきたい。あれは芳年が上野戦争を目撃した結果の絵ですので、人間のリアルな狂気が伺えて実によいものです。
NHKの夜8時ではきついかもしれませんが、血しぶきだけは好きな本作ですので今さらではありませんか。

月岡芳年も頻繁に出して来ていますが、なぜ戦国の武将を描くのに、同時代人でもない、幕末から明治にかけての浮世絵作家の作品を参考にする必要があるのか不思議です。
そして
「血しぶきだけは好きな本作ですので」
血しぶきがそこまで出て来ますか?

井伊直政と本多正信をバディにしたいというのはわかった。
ただ、描き方がひどく稚拙に見えます。
『麒麟がくる』の明智光秀と細川藤孝とか。
『鎌倉殿の13人』の畠山重忠と和田義盛とか。
彼らのように複雑で物悲しい人物同士の繋がりが、本作では全く描けていません。
今まで二人の関係性が全く描かれてなかったから、しょーもない回想を入れて間を持たせただけのように見えます。

また『麒麟』に『鎌倉殿』が叩き棒ですか。
光秀と藤孝、重忠と義盛のような結びつきは、そもそもこの2人にはありません。
かつて家康を殺そうとしたことがある、しかし正信は追放で許され、直政も家臣として取り立てられている。そういう自分たちをなぜ殿は許し、信じるのか、戦無き世を作るのはそういうお方だと直政が言う、このシーンで一番強調されるべきはこの部分だと思いますが、なぜかその点については何も書かないのですね。

どころか、

それだけでなく、直政の顔の汚し方も、正信の握り飯の食べ方も、とにかくわざとらしくてリアリティがない。
過去のエピソードがあまりにお粗末なので、二人は役に入り込めているのか?と不安になりながら見てしまいます。

ああいう作業では顔は泥まみれになるでしょうし、正信の握り飯の食べ方も、どこがわざとらしいのでしょうか?
そして
「二人は役に入り込めているのか?と不安になりながら見てしまいます」
武者さんが心配することではないと思いますが…。

それに前述のように、井伊直政はあまりに細い。
腕の細さは困惑するばかりで、それでも彼を登用したいなら、見た目とは違って戦場ではとにかく非情だという一面にスポットを当てるべきではありませんか?

その「戦場では非情」というのは、これから出て来る可能性がありますね。
それと人を見た目で判断するなといった記述が多い割に、こういう時は見た目をことさらに強調するのですね。

ハッキリ言ってしまえば、力仕事は別の武将に任せるべきだったでしょう。
『鎌倉殿の13人』の八田知家は、土木工事担当キャラクターでした。あの丸太のような腕と分厚い胸板なら、圧倒的な説得力があった。
今年は適材適所が全くなっておらず、だからこそ物語も薄っぺらく感じてしまいます。

八田さんの場合は正に土木専門でしたが、この場合は家臣たちが、人夫たちに交じって土木作業に駆り出されているわけで、意味するものが違うかと思います。
そしてまた「適材適所」。武者さんの場合は、自分が描いてほしいシーンに、自分が好きな俳優さんを出してくれという意味のようですね。

なにかすごい図面があるらしい。
いや、だから、どうすごいのか?それを説明するのがドラマではありませんか?
このドラマは戦場での説得力が圧倒的に欠けていて、ため息をつくしかありません。

「すごい図面」?
工事現場で忠勝が言っていた「見事な図面」のことでしょうか?
元々図面を描いた康政にしてみれば、戦場で忠勝にかなわないから「おつむを鍛えた」わけで、それがこの図面を生み出したと思われますし、また家康が、秀吉に気づかれずに中入り勢を叩けばよいと言って、部分的に手直しを施しており、そう言った意味での「見事な図面」なのでしょう。

にもかかわらず
「昭和平成の中高生が「おめーって、マジすげーよ」「ベンチ入りするなんてヤバい」と言い合っている程度の描写しかできない」
「なぜ、そんな限定的世代の青春コメディしか描けないのに、大河をやろうと思ったのか」
なのだそうです、武者さんとしては。
今年の場合、出演者もそうですが、制作スタッフ叩きがとにかく半端ないですね。にもかかわらず、ドラマ本編をきちんと観ているようには見えないのですが。

「出て欲しくないリスト」にいた羽柴秀次が、ついに出てきていまいました。
今後おそらく、彼の立ち位置を満足に説明せず、妻妾惨殺だけはねっとりと描くのでしょう。
そうなれば駒姫の描写は避けられず、頭の痛いところです。

武者さんが「出て欲しくないリスト」に入れていようがいまいが、スタッフが必要と判断すれば登場します。
そして「妻妾惨殺だけはねっとりと描くのでしょう」、これまたスタッフにも、そして豊臣秀次という歴史上の人物にも失礼かと思うのですが。

まっとうな徳川家康のドラマならば、最上義光との関係は重要ですが、今年はそうでない。
このドラマが本当に最新の学説を取り入れるのであれば、87年の大河ドラマ『独眼竜政宗』の頃からはるかにアップデートされた東北戦国史が描かれればよいですが、せいぜい伊達政宗が登場して終わりではないでしょうか。

「まっとうな徳川家康のドラマ」とありますが、今まで最上義光が役名入りで登場したのは『独眼竜政宗』のみです。1983年の『徳川家康』、2000年の『葵 徳川三代』いずれも出て来ていません。
そして
「このドラマが本当に最新の学説を取り入れるのであれば、87年の大河ドラマ『独眼竜政宗』の頃からはるかにアップデートされた東北戦国史が描かれればよい」
とありますが、これは徳川氏のドラマであり、東北戦国史とはまた違います。
それと政宗の頃からはるかにアップデートした東北戦国史て、たとえばどのような史料や新説があるか、それを明確にして貰えないでしょうか。

そもそも、この時点では「羽柴秀次」ではなく、まだ信吉のはず。
本作は名前の変遷をやらず、一番通じる名前だけで通すようです。

では、これをもう1度貼らせてくださいね。

武将ジャパンおかしな点豊臣秀吉

「明智光秀の首を取ろうと思ったら豊臣秀吉に先を越されちゃった」
繰り返しますがこの当時は羽柴秀吉であって、豊臣秀吉ではありません。
「名前の変遷をやらず、一番通じる名前だけで通す」のは武者さんも同じです。

それと秀次は、既に天正9(1581)年には秀次を名乗っていたという説もありますね。

今週もド近眼設定を忘れたレーシックお愛。
(中略)
こうして「レーシック」と近眼設定に触れると、「そんな細かいことはどうでもいい」という意見もあるかもしれません。
違います。
この近眼設定を忘れることそのものに、このドラマの本質がみっちり詰まっているのです。

まず、あの岡崎城のシーンのどの部分が、「近眼設定でない」と言い切れるのでしょうか。
それに関する記述が、まるで抜け落ちていますね。

そしてそのドラマの本質なるものですが、

「(於愛が)同じ近眼の人々に情けを施し、それが慈愛ある姿として記録されているからでした。
もしも彼女の魅力が「優しさ」にあると真摯に思っていれば、そこを間違えるはずがありません」

とあり、そしてその後は、例によって例の如くと言うべきでしょうか、

「過去作品でいえば『麒麟がくる』の駒を嫌いそうな感受性ですね。
駒は、光秀の父に救われた結果、医学を身につけ、多くの人を救う医者になりました。
たったひとつの少女の命を救うことで、助かる人がたくさんいる。人間の命をひとつひとつ大事にするという彼女の心は、作品の根幹にあるテーマの象徴だったと思います」

なのだそうです。さらにこうも書かれています。

「そこを読み取れず、小馬鹿にしてヘラヘラ笑っているのだとしたら、どういう感受性なのでしょう」

何のことはない、結局駒に絡めて於愛を叩きたいだけではないのかと思ってしまいます。
一方で於愛。彼女と家臣の妻たちが、三河中入り勢がやって来ると聞かされた時、この岡崎は我らの手で守り通す、徳川の勝利を信じようぞと呼びかけています。
於愛が近眼でないと思われる描写もないし、まして人命をおろそかにする描写も出て来ません。
何よりもこの大河では、於愛が近眼の人々に情けを施すシーンはまだ登場していません。

あともうひとつ。
「クライマックスになるなる詐欺」とやらで、家康が何度も

信長を倒す。
秀吉を倒す。
これが最後の大戦。

と嘘をついているとあり、

秀吉は床几に腰掛け顔芸タイム。
家康は詐欺タイム。
徳川家臣は青春タイム。
レーシックとその周囲は女子マネタイム。
そんなことより、もっと合戦シーンに注力すべきではありませんか?

とまで書かれていますが(ついに於愛が『レーシック』だけになりましたか)、まず家康は、当該の相手を倒したいと思いつつ、状況によってそれを阻まれてしまっています。ただその敗戦あるいは果たせぬ思いを繰り返すことにより、成長して行くわけです。無論その成果が出るまで、もう少し時間がかかるでしょうが。

そして秀吉、家康、家臣、於愛のシーンのいずれもが、合戦を描くパーツとして機能しているわけですが、それを読み取れていませんね。ならば武者さんが言う合戦シーンて、どういうことなのかと思っていたら、

合戦というのは、何も戦うばかりではなく、先に申しましたように、本多正信がもっと様々な想定を提案して家康に投げかけてもいいし、地図を使った戦術のシミュレーションだってあるでしょう。

だから正信は、三河の方が狙われると警告していますよね。そして康政は図面を描き替えて抜け道を作らせ、それに従って本軍が出て行き、中入りに向かった池田・森両軍を討ち取っているわけです。これも合戦シーンではないのですか。
「本多正信がもっと様々な想定を提案して家康に投げかけてもいいし」
「地図を使った戦術のシミュレーション」
ではその様々な想定とはどのような想定で、地図を使ったシミュレーションとは、どういう戦術のシミュレーションなのでしょうか?


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
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[ 2023/08/24 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-5

『武将ジャパン』大河コラムその5です。正直言って、難癖と見られても仕方ないのではと思ってしまいます。


前回のことについて謝りたいことがあります。
酒向芳さんが岐阜県出身で、「くそたわけ」はじめアドリブ連発だったそうです。誤認してしまい、申し訳ありませんでした。
◆「どうする家康」徳のない男・明智光秀“くそ童”に刺されたワケ 酒向芳アドリブ連発!演出絶賛の怪演裏側(→link)
本作は、家康の徳を強調するために、光秀の徳の無さを強調したかったという。
しかし、家康から人徳など窺えないため、光秀はマイナスになってしまったのでしょう。

前にあらすじと感想で書いていますが、光秀はちょっといけすかないおじさんの印象があり、だからこそこういうアドリブもいわば活かされたと取るべきでしょう。
そして家康は寧ろ、このような光秀に戸惑う様子が描かれていたと思います。
「しかし、家康から人徳など窺えないため」
は武者さんの見方ではありますが、この光秀は家康をある意味困らせる、マイナスの存在であるとなぜ割り切れないのでしょうか。やはり『麒麟がくる』の光秀の印象が強いのでしょうか。
光秀絶対の考えはもう捨てた方がいいのでは。

・私の岐阜県出身の友人は、「くそたわけ」といった罵声を私に投げかけてきたことがない。そのため、聞き慣れていなかった
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった

私にも岐阜出身の友人がいますが、普通「くそたわけ」などとは言いません。
(ちなみにその人から「~してまった」「えらい」の意味を教わりました)
しかし武者さんが一応「歴史系ライター」であり、大河を何作品も観ているのなら、こういう東海地方の方言は頭に入れておくべきであり、
「聞き慣れていない」
はもちろんのこと。
「地元出身の英雄を貶す感覚が想像できない」
「地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できない」
も、この場合理由にならないと思います。

最初のことは個人的な話なのでさておき、後の二つを考えてみましょう。
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
『麒麟がくる』で細川藤孝を演じた真島秀和さんが、以下の記事で
◆「麒麟がくる」眞島秀和インタビュー!「現場ではいつも、みなさんすごいなぁって思うことの連続なんです」(→link)
鬼玄蕃こと酒井了恒を演じたいと語っていました。
庄内藩の武士で戊辰戦争で西軍を叩きのめす――山形では知られた人物で、さすが地元愛があると感動しました。
彼に限らず、大河ドラマは地元愛の世界という一面もあるでしょう。
真島さんの出身地である山形県は、『独眼竜政宗』についてはなかなか複雑な感情があり、『天地人』には怒りが渦巻いていたそうです。
そういう地元愛を軽視するスタンスは、大河が本来やるべきことではないと私は思います。

細かいことですが、「眞島」秀和さんですね。
そして「大河ドラマは地元愛」
とありますが、俳優さんが、地元の英雄を演じてみたいというのは無理からぬことでしょう。
しかし大河は「地元愛」だけで済まされるものでしょうか。これが朝ドラならまだわかります。しかし大河は主人公のみならず、敵対する相手、それぞれの思惑が描かれる場でもあります。
ましてや東海地方は、戦国大河の多くで採り上げられる地であり、多くの人々の思いが蠢くわけで、方言すなわち地元愛とならないこともあるでしょう。

それと『政宗』と『天地人』を取り上げるのは、武者さんが好きでないこともあるのでしょうか。
上記記事で眞島さんは、『独眼竜政宗』の印象が強かったことをコメントしていますし、『天地人』では豊臣秀次を演じているのですが。

・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった
大河ドラマで有名になった方言フレーズがあります。
『花燃ゆ』の「せわぁない」で、「どうということはないよ」という意味です。
『八重の桜』の「さすけね」も「大丈夫だよ」という意味です。「さすけねぇか?」という疑問形もあります。
『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いので、地元でも愛されていないようですが、『八重の桜』は会津まつりに毎年綾瀬はるかさんが呼ばれるほど。
彼女が植えた桜が会津若松城にはあるそうです。
そんな綾瀬さんが「さすけねぇか?」と呼びかけると、地元はわーっと盛り上がるとか。

武者さんの『八重の桜』好きは認めます。
しかし『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いだの、地元でも愛されていないだの。それは何か根拠があってのことですか?いくら何でも、こういう決めつけは失礼ではないかと思います。
要は、自分の嫌いなことなら何とでも書いていいと思っているのでしょうね。

そして武者さんの好きな大河、あるいは歴史上人物のみならず、それぞれの地方に地元愛があり、郷土の人物がいるということを見落としていないでしょうか。東北のみならず、北海道でも関東でも東海でも、北陸、関西、中国、四国そして九州、各地の人々の思いがあり、そのシンボルとなる人物がいます。こういうのも、過去の大河を観ていたらわかるのではないかと思いますが。

話を方言に戻しますと、人は、あたたかみのある、ほっとするような気遣いの言葉に、愛着やこだわりがあると思いたい。
それが岐阜の「くそたわけ」にこだわるという時点で、何もかもが信じられません。
岐阜県名物の五平餅を目の前で踏みつけられたような絶望感と不快感とでも申しましょうか。
なぜ、こんな酷い扱いをするのでしょう。
それでも光秀は貶められてあの結果だからまだマシかもしれない。
今週のお市は、持ち上げようとしてあの出来ですからね。過去作品で最低の人物像が更新されてゆきます。

方言とは、少なくとも大河では「あたたかみのある」表現だけではありません。
前の方でも↑書いていますが、歴史上の人物を描く以上、それが罵倒に使われたり、陰謀に使われたりすることもあるわけで、貴方今まで大河の何を観て来たのかと言いたくなります。
あと五平餅は岐阜のみならず、広く信州や奥三河の名物でもありますね。岐阜と言っても主に飛騨地方と思われますが。

私は徳川家康の大河ドラマが決まったと知り、真島秀和さんに出て欲しいと思ったことがあります。
地元の誇りである最上義光、上杉景勝、直江兼続あたりで。
けれども、今は逆です。
最上も上杉も誰一人として出て欲しくない。
兼続は無理でしょうけれども、真島さんは別の作品で地元山形の英雄を演じる日が来ることを切望しています。
最上義光の鉄棒を振り回す姿が見たいですね!

キャスティングをするのは制作陣であり、武者さんではありません。
この大河をきちんと観ようとせず、自分がやってほしいことばかり書いていますね。だから「レビュー」には不向きなのだろうなと思います。

命は天に在り。『史記』「高祖本紀」

なぜか注釈がありませんが、人の運命は天が定めるということですね。

そしてまたジャニーズがどうこう、性被害がどうこう。
この大河を貶めるのが目的なら、はっきりそう書いてほしいものです。前社長の行為による検証と、所属タレントの活動は本来別のものですが、それをいっしょくたにし、いつもであれば嫌悪するような、昭和的価値観とも言える連座をさせたくてたまらないように見えます。

今回の『どうする家康』では、まだ13歳の茶々をファム・ファタールとして描き、まるでNHKが性犯罪を問題視していないかのようなスタンスに見えてきます。

だからあの茶々がなぜファム・ファタールだと現時点でわかるのですか。貴方の都合のいいことのみを前面に押し出すのはやめて貰えませんか。

そしてやっとここで「命は天にあり」関連。

これはもう間が悪いなんてものじゃない。
天にある運命なり意思が、降りてきているのではないか?
そう愕然としてしまいました。そうしたら視聴率も2桁を割るとは……。

武者さんが勝手にそう考えている、あるいはそうあってほしいと思っているだけのように見えますが。
あと8月6日は裏にSPが来ているせいもあったでしょう。
しかし嫌いな大河だと、判で押したように世帯視聴率のみですね。昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数、今年は鳴りを潜めたのはなぜでしょうか。またU-NEXTでの配信を一切書かないのはなぜですか。

戦国武将に危機管理技術を学んでもらいたい。『真田丸』の真田昌幸ならばきっとこう言い、ジャニーズ新キャストを防いだのではありませんか?
朝令暮改の何が悪い! より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!

この間、作間さんが秀頼と決まった時に、武者さんがどう言うだろうかと書いたことがありますが、案の定ですね。
しかし自説補強のために、真田昌幸まで引っ張って来てこういうセリフを言わせるのもどうでしょうね。

ところでそろそろ『どうする家康』でも昌幸が登場するかと思いますが、どんなセリフが登場するでしょうか。

私が真田昌幸なら、こう啖呵を切って、中川大志さんを秀頼役に再登板できないか探りますけどね。
誰であろうとよいのじゃ、この際、ジャニーズでなければな。

「この際、ジャニーズでなければな」
もうこれだけ書いておいた方がよくないですか。つまるところ、これが武者さんの本音なのでしょう。
それと中川さんは、恐らく10月スタートのフジテレビのドラマの収録真っ最中でしょう。

私は、作間さんの秀頼は楽しみです。

※以下のリンクからNHKへ意見を送ることができます。
◆NHK みなさまの声(→link)

何だかこのリンクも惰性でやっている印象を受けるのですが…。
いつまで続けるのでしょうね。武者さんの思い通りにはならないと思うのですけどね。
尚私は、今後も楽しみにしている旨を今回も送るつもりです。

そしてtaketak39460607さんのnote記事関連は次回になりますので、その旨、ご了承ください。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2023/08/13 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

2025年大河と小檜山氏ツイ関連

まず、2025年大河が『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』に決定しました。主人公は江戸の版元である蔦屋重三郎で、演じるのは横浜流星さん、脚本は森下佳子さんです。

2025年大河ドラマ べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 制作・主演発表
(NHK ONLINE)

2025年は大阪万博の年なので、浪速の商人があるいは主人公かと勝手に考えていたのですが、ただ来年が京都ですからね。しかし何だかライトな雰囲気というか、土曜時代ドラマみたいだなと思います。

恐らくは、江戸時代半ばを舞台にしたいけれど、この頃は戦も動乱もなく大河化しにくいし、かつては赤穂浪士の大河があったが今はそれも作られない。そういった事情から町人を主人公にしたとも考えられます。それにしても太平記リメイクや立花宗茂公が主役の大河はいつになるのでしょう。

私としてはリメイクと言うか、過去の作品に登場した主人公を別の方法で描くようにして、合間合間に2クール単位で、あまり知名度が高くない人を挟むのもありかと思います。今年もかつて主人公として登場した人物ですし、その他にも伊達政宗とか毛利元就なども候補に上がってよさそうです。ただ政宗だと間違いなく『独眼竜政宗』と比較されそうです。

それと何度も書くようですが、大河もそろそろ課金でいいかと思います。60年前のように放送局が少ない、もちろん動画配信サイトもない時代なら、NHKが日曜日に大型時代劇を作って、視聴者に見せるのもありでしたが、その時とは色々な意味で事情が変わっているわけですから。

あと武者さん(小檜山氏)と平山氏のツイート関連です。書こうかどうしようか迷いましたが、一応スクショを取っている方のを参考にさせていただくと、こういうツイートを流しています。

「偉大なる平山先生の気分を損ねてしまい、屠腹相応の迂闊さかと存じます」
「ほんと、今が戦国時代なら私は切腹していますよ。内臓投げつけつつ」
「私の虚名などこれ以上下がることはありませんが、このような塵芥に言及したことで、神武以来の大天才である平山氏に、悪影響画ないか不安になります。彼は正真正銘の大天才ですので」
などなど。

大河コラムもそうですが、何だかわざとらしく、誉め殺しかとも言いたくなる所以です。尚、「悪影響画」はもちろん「悪影響が」ですね。

その一方で、この2つは恐らく武者さんの本音であると思います。

まず、
「平山先生や大河ファンの善男善女の心象を害したのは、すべて己一人の不徳にあります。どうか私を採用した媒体などへの攻撃はお控えくださいますよう、お願い申し上げる次第です」
しかし武者さん自身は、NHKの制作現場を攻撃するような文章を今までも書いているわけで、これはどうかと思います。

また、
「人を自害に追いやったら、それで『してやったり!』とでも言うんですかね」
などとツイしていますが、前出の「屠腹相応の迂闊さかと存じます」の後の部分で「令和となってはそれもできず」、つまり今の時代切腹など無理とあり、矛盾しているかと思います。

飲み物-白いカップの紅茶
[ 2023/04/28 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』おさらいその1

まず『どうする家康』第13回のあらすじと感想で、大阪の陣が家康とお市の対立であるかのように書いていましたが、もちろん茶々の間違いです。訂正しています。あと時々意味が通りにくいと思われる箇所があれば、その都度直すようにしています。

ところで4月9日は放送がお休みでしたので、この機会におさらいをしてみようと思います-おさらいと言っても大したことではありませんが。まあ、このあらすじと感想を見てくださっている方ならおわかりでしょうが、この大河は今のところ割と楽しんで観ています。

理由として挙げられるのが、
「主人公がかっこよくない」
これが大きいと思います。あくまでもかっこよくないのは、肝心な所で迷ったり、途方に暮れたりしている家康であって、松本潤さんのことではありません。寧ろあのマツジュンが、この家康を演じるというのに面白みがあります。

いつも家臣たちに諫められたり、奥さんや母親からもあれこれ言われたり。そして本人に絡むキャラ、たとえば信長や信玄はクセつよキャラであったりで、著名な人物をごく当たり前に描くのとはまた違った魅力があります。その家臣団も泥臭いうえに、特に酒井忠次は海老すくい大好きおじさんで、本多忠勝は都で女性の香を嗅いで気分が悪くなるなど、キャラ設定もきちんとできてはいます。

そして家康自身の結婚や桶狭間、三河一向一揆など最低限の史実は踏まえているわけで、要は創作の部分をどこまで受け入れられるか、あるいは受け入れられないかで評価が決まるところはあるでしょう。しかしそもそも最近の大河というのは、如何にもヒーロー然とした人物、カリスマ的な人物をメインに描くのではなく、寧ろちょっと頼りないとか、まだ若い故に未熟さが残るとか、そういう主人公が多いものです。

昨年にしても剣術と言うよりは、農作物の獲れ高という、極めて実務的なものに興味を持つ青年が、いつの間にか歴史の表舞台に引っ張り出されて行く展開であり、寧ろあの大河の特に序盤から前半で、「かっこよかった」のは主人公でなく三浦義村のほうでしょう。

逆に『麒麟がくる』の光秀は、結構真面目人間で主君(道三)からの覚えもめでたくて、それゆえにいささか趣を異にしていたような気がします。これも信長がそれまでのイメージと違ったわけですから(今年も今までのイメージとは違いますが)、光秀ももうちょっと変人ぽくするという方法も、あるいはあったかも知れません。『軍師官兵衛』も比較的正統派ではありましたが、あれも秀吉が割と変人で、官兵衛にミミズを振舞ったりしていましたね。

昭和の終わりごろまでは著名な人物を普通に、時に感動を与える人物として描くのが、大河であったかと思われます。それがいくらか変化したのが『独眼竜政宗』辺りからではないでしょうか。この大河は結構残酷と思われるシーンがある一方でコミカルな描写もあり、それが魅力となっていたところはあるでしょう。

これはまた次回も続きます。

それから『舞いあがれ!』の、ドラマ後半部分のまとめですが、火曜日からまた連続して投稿する予定です。


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/04/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の変貌そして今後変えるべき点とは

朝ドラ『舞いあがれ!』のまとめですが、もう少し先になります。と言うのも『らんまん』はお休みしようと思っているためです。次のBK朝ドラについてはまだ考えていません。ただちょうど放送開始が、ワールドカップと重なるので、その点をどうしようかと考えています。朝ドラもほぼ1年間、2作品を観て来ましたが(再放送の『芋たこなんきん』も入れると3作)、平日は毎日放送があるため、意外と大河よりも大変だなと思われる部分もあります。

さてその大河については、課金すればいいのではないかというのを先日、先々日と書いています。また、必ずしも日曜の夜8時でなくてもいいし、時間も45分でなくてもいいでしょう。たとえば土曜日の夜10時に1時間で2クールでもいいのです。これだと色々な人物を扱うこともできるし、創作をあれこれ入れることもできるし、男女関係ももう少し突っ込んで描くのも可能でしょう。

平日夜10時台の『大奥』については、私は映画の方が面白いと思ったため、1話だけ観て止めましたが、ああいうのを観たいという層ももちろんいるはずです。『武将ジャパン』の武者さんも絶賛していましたね。無論これも夜10時台だからいいのであって、あれを大河にそのまま持ち込もうとすると、どうも炎上しそうな気がします。つまり、大河とは全く別物となるわけで、またもちろんあの作品への否定的な意見やブログ記事を目にしたこともあります。

結局大河を今の枠から外すと言うのは、自由度が高まる分、それまでの大河とは違う道を歩くということにもなるわけです。今のままで大河ドラマを作るのか、それとも思い切って違った路線で行くのか、その場合本当に観たい層相手に別料金枠でやるのか、色々考えるべきことはありそうです。ただ今までの間にも、大河はかなり変貌を遂げている以上、ここで思い切って変えるという方法もあるかと思います。

描写ももちろん変わっているし、戦闘シーンも全くなくなってはいないにせよ、過去の一時期から比べると激減してはいるでしょう。またテーマとしては赤穂浪士、川中島合戦などは作られなくなっています。今後は土佐を舞台にした幕末大河なども、坂本龍馬が薩摩にいて、寧ろ小松帯刀が主導権を持って動いたという説に従えば、かなりの変貌を迫られることになるでしょう。

それから過去の大河関連で少し。私の場合、70年代の大河(DVD視聴)で一番好きなのは『国盗り物語』です。『花神』もそうでしたが、当時の司馬作品ベースの大河は、群像劇風に作られていました。80年代で『峠の群像』、『独眼竜政宗』などがあげられます。政宗の場合はジェームス三木氏が脚本担当ということもあり、この辺りから少しずつ何かが変わり出したと言えそうです。


飲み物-黄金色のビール
[ 2023/04/03 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

戦国大河の家康の登場回数

『どうする家康』が始まってふと思ったのですが、徳川家康という人は、戦国大河の大半に登場しているのではないかと思います。少なくとも近畿地方や東海地方が主な舞台の場合は、殆どと言っていいほど出て来ているのではないでしょうか。今再放送中の『おんな太閤記』にも出て来ていますし。

また近畿や東海がメインでなくても、武田信玄が主役の大河の場合、三方ヶ原の戦いで比較的若い家康が登場しています。それぞれの作品に於ける立ち位置をざっと分けると、以下のようになりそうです。

主役
準主役、身内を含め主人公に比較的近い存在
主人公の主君、同僚またはそれに近い存在
主人公と直接関係はないが、何らかの形で巡り合う、または知り合いになる
時代設定が違う大河に、いくらか縁のある人物として登場

言うまでもないことですが、一番最後に該当するのは『青天を衝け』と『鎌倉殿の13人』のみです。『おんな太閤記』は上から2番目のパターンでしょう。戦国大名が主人公の場合、最初は上司的存在で後に主君となるケースが多そうです。無論秀吉の登場回数も多いのですが、『葵 徳川三代』は秀吉薨去後から始まるため、この大河では登場していません。

それから信長ですが、大河では18回登場(2020年時点、NHKアーカイブス)となっています。しかし2022年放送のスペシャルで、確か「19人」とあったのですが…『風林火山』に登場したモブ的な信長も含めてのことでしょうか。しかし信長が登場しない戦国大河(『春の坂道』、『独眼竜政宗』、『葵 徳川三代』など)でも家康は登場していますので、やはり戦国大河では断トツの登場回数と思われます。

なお前出の『風林火山』では、松平元康もわずかながら登場します。これは今川家が出て来るためです。

飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2023/01/14 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

スピンオフに思うこと

まず『どうする家康』番組ロゴ関連記事です。

大河ドラマ「どうする家康」番組ロゴには、なにやら仕掛けが…
(NHK ONLINE)

スマートフォンからWEBカメラを起動して番組ロゴを読み取ると、特別コンテンツが画面に表示されるようです。生憎私はまだやっていませんが。

ところで先日、『ちむどんどん』のスピンオフ(観てはいませんが)関連でちょっと書いています。それで思うのですが、スピンオフと言うのは本当に必要なものなのでしょうか。無論今までも朝ドラはスピンオフがありましたが、すべてではないことを考えると、制作側が最初からスピンオフ制作を打ち出していたのか、あるいは視聴者の要望が強かったのか、そのどちらかと考えられます。仮に前者の場合、その基準がどうなっているのかがちょっとわからないのですが。

それとこれは朝ドラには馴染みにくいかと思いますが、スペシャルなり劇場版なりを作って、それをスピンオフのように仕立てることも可能でしょう。尚私としては、『まんぷく』のスピンオフは観てみたかったと思いますし、今放送中の『舞いあがれ!』も、先日ご紹介したように、なにわバードマン関連のスピンオフが観たいという声が出たりもしています。私としてはなにわバードマンもさることながら、五島の人々メインのを観てみたいです。

さて朝ドラとくればやはり大河です。かつて『真田丸』が放送された時、上杉景勝と直江兼続視点のスピンオフがあればと思ったことはあります。無論スピンオフに限らず、彼らが主人公になるような、戦国期の東北を舞台にした大河でもいいかなと思ってはいました。この時代の東北と九州は大河で観たいものです。ただ東北の場合、『独眼竜政宗』と比較されるとは思いますが、

その大河でのスピンオフですが、『新選組!』放送終了から1年経って、土方歳三が主人公のスピンオフが作られたことはあります。ただ大河のスピンオフと言うのは制作費もかかるし、放送日時もかなり先になり、その辺りが朝ドラと違う点であり、同時に俳優さんのスケジュール調整もまた絡んでくるでしょう。

『真田丸』のスピンオフも、かなりあれこれ意見が出た記憶があります。ただこちらも三谷さんの脚本であり、三谷大河だけスピンオフが作られることに対して、よく思わない人もまたいたかと思われます。実際そういう記事を目にしたこともあります。大河が今後も続き、その時々でスピンオフ的な物が求められた場合は、朝ドラとはまた別の方法を模索することになるのかも知れません。

飲み物-注がれるコーヒー
[ 2022/11/21 01:00 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 63その2

『武将ジャパン』大河コラムの、第26回後半部分に関する疑問です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第26回「悲しむ前に」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/07/04/169379


1.一体なんなんでしょう、当時の日本仏教って。
本人の意思も何もない状態で出家させ、それでどうにかなると思っているのでしょうか?
宗教の形骸化を感じるところであり、そんな雑なやり方で極楽往生を得ようってさすがに虫が良すぎるでしょう。
こうした感想は何も私だけのものではありません。
当時は栄西らが「変えなくちゃ、日本の仏教!」とばかりに鎌倉仏教を形成していきました。
『鎌倉殿の13人』は、当時のそういう行き詰まった空気まで掬い取り、なぜそうなったか?まで理解できるようにストーリーが進んでいるようにも思えます。秀逸ですね。

2.政子は初めて頼朝と会ったときに出したものを運んでいこうとします。
そこへ実衣がせかせかと来て、話があると言い出す。
食べるのかと実衣に聞かれ、わからないけど置いておけば何かできるかもしれないと政子。

3.疲れた政子がうとうとしていると、頼朝が起きあがり、皿を持ちこう言います。
「これは何ですか?」
政子は喜び、人を呼びにいきます。
しかし政子が見たのは、床に倒れ動かなくなった頼朝。

4.鎌倉御家人は武勇に重点を置きすぎですね。
武士にも、そうでない人にも、多くの評価基準が用意されてしかるべきであり、とにかく武芸がイケていれば良いってものでもないでしょう。

5.頼朝には、冗談みたいな約束通り侍所別当に指名してもらったり、あれだけ世話になっておいて、落馬くらいでここまで言われるのはさすがに酷い。忠義ってもんがないのよねー。

1、まず鎌倉仏教と臨終出家について、武者さんがどのくらいご存知なのか疑問です。
本人の意識(意思とありますが意識のことでしょう)がないのは、たまたま頼朝が脳卒中であっただけで、実際には病で余命いくばくもない人々により、これより前の時代から病による出家、あるいは臨終出家は行われていました。かの藤原道長もそうであったと言われています。
それから鎌倉仏教の形成には栄西だけではなく、道元、日蓮、そして浄土宗系の法然や親鸞も含まれます。
この頼朝の臨終出家は、行き詰まった空気がどうこうと言うより、その前の時代から行われていた習慣を踏まえたものであり、都の、そういう習慣に詳しい三善康信や大江広元がそれを持ち出したわけです。

2、例の木の実が、冬であるこの季節にあったかどうかは触れられていません。これが昨年であれば、現場は何をやっているのだと散々叩いたでしょうね。

3、これだと微動だにせず横たわっていた頼朝が起き上がり、皿を持って縁側に腰かけたかのようです。政子が目にしたのは、既に皿を持ち、縁側に腰かけている頼朝(の幻)だったのですが。

4、そもそも今まで幕府という統括機構がないわけですから、どうしてもそうなるでしょう。それにこの当時、多様な評価基準なるものがあったかどうかは不明で、それがあれば、義盛も重忠も粛清されなかったのではないでしょうか。

5、頼朝を担ぐというのは、平家の支配から逃れるという意味が多分にあったはずです。その後、特に鎌倉幕府が成立した後に関しては、頼朝に不満を持つこともあったでしょう。


6.重忠ですら、心底嘆き悲しんでいるのはお身内とごく一握りとか、冷淡に突き放すように言ってしまう。あわわわわ……。

7.下剋上どころじゃねえ。
坂東武者、そもそも上下意識ってもんがねえ!

8.父・頼朝が亡くなった時点で、頼家の年齢は18才。もしも十歳年上か、あるいは年下なら、コトはすんなり運ばれたでしょう。

9.しかし18才というのは、君主としてやっていけるかどうか、なかなか難しいところでして。

10.そう返す頼家ですが……このあと頼家は梶原景時に会い、「言われた通り一度は断った」と告げています。
んん?どういうこっちゃ?
と、思いきや、悪そうな顔のまま「それでいい」と返す景時。快諾したら節操がないと思われるから一度は断れ、と。
そして「これからは新しい鎌倉殿として思った通りに進めていけばよい」と語っています。
御家人の間で孤立しがちな景時には、自分を庇護する主君がどうしても必要だ。
頼家にとってなくてはならぬ存在であるために、動き出したようです。

6、「あわわわわ」じゃないですよ(苦笑)。そもそも畠山は平家の支配下にあり、一旦は頼朝を討ち取ろうとした人物でもあり、まして義盛同様、どこかしっくりいかないところもあったでしょう。

7、この時代「下剋上」と言えるほど、鎌倉幕府は確固たる存在であったかどうか疑問ですし、何より鎌倉時代初期と戦国時代をごっちゃにしていないでしょうか。

8、なぜ「十歳年上」となるのか、その根拠が不明なのですが。要は全成を摂政代わりにするなら、頼家が子供か、あるいはうんと大人で補佐役にするならいいということでしょうか。しかしこの当時、十代でも家督を継げる人物もいたでしょうし、本人の素質というのも関係しているでしょう。

9、ひとつ前に書いていますが、その人の天分にもよるかと。あとこの場合「君主」でなくて「主君」ですね。

10、あらすじと感想でも書いていますが、ひとつ前の回のこのコラムにあった
「こういう懐刀は、庇護する主君がいなくなれば脆い。すかさず頼家に取り入らねば、次なる政争に敗れて破滅が待っています」
という記述、やはり今回のこのシーンで持ってくるべきものだったでしょう。ただこの場合庇護を求めると言うよりは、景時が自分の側に取り込んでいる感じです。


11.「我らは先の右近衛大将、征夷大将軍の死を乗り越え、前へ進むのだ!」
そう言い切る頼家なのですが、どこか軽い。
重石となるにはまだまだ歳月が必要だと思ってしまう。

12.「父上は北条あっての鎌倉とお考えですか? 私は逆。鎌倉あっての北条。鎌倉が栄えてこそ、北条も栄えるのです」
「意味わかんねえ!」
義時が真摯に語っても、もはや何も通じないようだ。

13.彼女は頼家の弱点をよく理解しています。頼朝よりも気が強く、頼朝に似て女好き。いずれ必ずボロを出す。その時が北条にとって本当の勝負だ、と。
頼家がボロを出さなかったらどうする?と時政が尋ねると、そう仕向けるとりくが返す。
孫の失敗を願う、あるいは画策するなんて、どんな祖父なんだよ~!

14.義時はやっとかすかに微笑みます。我が子の聡明さを知ったのです。
頼時は先入観がない。和田義盛と比べるとわかりやすい。
義盛は「どーせ武士らしくねえ無様な落馬なんだろう!」という先入観、つまりはバイアスがかかっていました。
自分がなまじ武芸ができるだけに驕っている面もあり、このバイアスが頼朝への軽蔑心の現れてもある。

15.思考の【仮説形成(アブダクション)】というものですね。
これは何も一から作ったというわけでもなく、北条泰時は理詰めのことを言われると感動するタイプだったとか。
ストレスまみれの中、義時にとっても我が子の聡明さと善良さは癒しです。
後に、そこが対立の一因となりそうな予感もありますが……。

16.「頼家を助けてやってちょうだい」
そう言われても立ち上がり背を向ける弟に、姉は訴えます。

11、頼家はこのキャラ設定だと、歳月が経ってもそう変わらなかったかと思われます。

12、時政の場合は「鎌倉が栄える」ということに、比企の存在を感じ取っていたからであり、それが自分とりくの考えに反するようで、抵抗があったからではないでしょうか。

13、武者さんが好きな戦国時代でも、このようなケースは往々にしてあったのではないでしょうか。『独眼竜政宗』のように、祖父ならぬ母親が嫡男を疎んじる挙句、毒殺未遂までやってしまうとか。

14、少し前にも書いていますが、義盛とて頼朝に対する不満もあったでしょう。巴を側女にしたことも、あるいは関わっているかとは思います。
何よりも義盛は頼時と異なり、頼朝の着衣を見ていません。証拠となる物を見たか否かでは大きな違いがあります。それとこの頼時のシーン、パペットホームズに私はなぞらえていますが、頼時自身の登場のさせ方、謎解きにちょっと唐突な印象がありますね。

15、ここでまた「アプダクション」。
このコラムが大河レビューたりえていないのは、自分が書きたいことに大河を寄せる傾向があるせいかと思いますが、それはさておき。この場合仮説だ理詰めだと言う前に、落馬した瞬間に手をついたのに、着衣のその部分が汚れていないのであれば、落馬する前に気を失ったのではと普通思うのではないでしょうか。

16、これも嫌いな大河だったら、政子のこのセリフを、男に頼ってばかりでけしからんなどと批判したのではないでしょうか。武者さんは嫌いな大河だと、夫婦の当たり前の会話さえも叩くことがあるので。


その他にこういう箇所もあります。

中世は世界的にみて、近代以降よりも女性の権利が強かったことが指摘されます。

とありますが、なぜか日本と中国の例のみがあげられています。少なくともヨーロッパも入れないことには「世界的にみて」とはならないし、しかもこの場合近世が抜け落ちていますね。

結果、りくの夫・時政、実衣の夫・全成の主体性が薄れたようにも思えます。
そしてりくはともかく、実衣の政治的野心をクローズアップするための仕掛けが全成擁立策ではないかと思えるのです。

少なくともこの回の描写に於いては、一番権勢欲を求めていたのはりくだったのではないでしょうか、実衣には姉政子への対抗意識を感じるには感じますが。

しかし今回はあらすじにスペースを割いているせいか、MVPも総評も短めです。実は私もあらすじと感想を書いていて思ったのですが、頼朝の死から後が長く感じられたし、セリフも長めでした。

では続きはまた次の関連投稿にて。



飲み物-チューリップグラスのビール
[ 2022/07/07 00:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

大河ドラマの可能性を探ってみると

少し前に、『天地人』と『真田丸』の上杉攻め、そして『天地人』の長谷堂城の戦いについての投稿で、コメントをいただいたことがあります。この長谷堂城の戦い、所謂「北の関ヶ原」(上杉VS最上・伊達)の戦いの一つで、最上と上杉との合戦です。

しかしかの『天地人』でさえというか。『天地人』だからというべきなのか、この戦いのあまり詳しく採り上げられておらず、最上軍がモブだったのは残念でした。また『独眼竜政宗』の場合は、最上は出て来たものの、上杉景勝が出て来ませんでした。

戦国で最上、上杉、伊達を揃い踏みさせると、こういうのもきちんと描かれるわけです。また九州を舞台にした場合は、島津の九州征服メインで、秀吉と黒田官兵衛に敵対させる形でいいかと思います。少なくとも地元では、それなりの数字が取れるでしょう。そろそろこういう大河が実現してもいいはずなのですが、依然としてその気配は窺えません。

それから江戸時代が舞台の大河、これも、最近は川中島大河同様に作られなくなっていますが、こちらも家光から吉宗の時代を中心にすればいいと、少し前に書いています。でなければ、吉宗から黒船来航までを舞台にするといいでしょう。

こういうのを1年でなく、2クールで2年に渡って描けば、そこそこ関心を集めるのではないかと思われます。無論ゴールは黒船来航ではなく、桜田門外の変でもいいし、江戸無血開城という選択肢もあります。

たとえば、『どうする家康』で織豊政権から江戸初期を描いたら、その翌年は秀忠、家光経由で(『葵 徳川三代』の時代背景)赤穂浪士から吉宗までを描き、その後ま幕末までを描くようにすれば、時代的にもつながります。またその当時の様々な人々、たとえば松尾芭蕉とか、伊能忠敬なども登場可能です。

大河は元からそうでしたが、特に最近は観光とタイアップしてしまったこともあり、1年単位で主人公も舞台も、時代背景もくるくる変わってしまいがちです。いっそのこと、このくらいの連続性を持たせてもいいかと思います。

江戸時代はとにかく、時代の変革というのはないわけですから、著名な将軍の時代をスタートまたはゴールに設定して、その間の物語を描くといいでしょう。またこれとは別に、室町時代中期という舞台設定も残されています。

この時代も一般にはあまり知られておらず、それゆえドラマ化されてしかるべきかとは思います。ただ多少分かりづらいので、こちらもまず足利尊氏の晩年期から始めて(『太平記』の終盤)、足利義満の時代の北山文化、嘉吉の乱や足利義教暗殺を持ってくるといいでしょう。部分的には『花の乱』と重なることになりそうです。

話は変わりますが、『鎌倉殿の13人』で、大姫の描写がどのようになるのかに興味があります。これも前に触れましたが、父頼朝との対立から御所を出て行って遊女となり、義経の郎党だった男の子供を宿し、ついには自殺するという設定にならないかと勝手に思っています。

義高を思い続けたあまり亡くなるというパターンではなく、自分でその仇を討とうとし、ついに実の父親に刃を向けるという、恐ろしくかつ悲しい設定でもいいかも知れません。無論彼女は頼朝の前に亡くなっていますから、その思いを家臣に託し、それがもとで、義時による頼朝「暗殺」が実現するという描き方もあるでしょう。無論、すべては三谷さん次第ですが。

飲み物-カウンターとカクテル
[ 2021/12/24 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『青天を衝け』徒然その16

まず、先日の投稿でやや意味が通じにくい、書き足りない箇所があったので直しています。

実業家に転身した栄一ですが、そう最初からうまくは行かないものです。また主君であった慶喜の台所事情も、厳しくなっていました。そんな中、薩摩に戻った西郷隆盛が西南戦争を起こし、政府は多額の出費を余儀なくされます。しかもその少し後、大久保利通も刺客に襲われて世を去ります。武士の世は終わりを迎えていました。その頃栄一の前に、土佐出身の岩崎弥太郎が現れますが、己の利益のために事業を起こしたい岩崎と、栄一の考えは根本から違っていました。その頃栄一は東京養育院をお千代と訪れます。

ごくざっとしたあらすじです。栄一が実業家転身後もというか、実業家に転身したからこそ、色々と試練の日々が続きます。三井との対立しかり、蚕卵紙の件しかりです。繰り返すようですが、こういうのは寧ろ大河よりもスペシャルドラマ的ではないかと思われます。主人公の功績を描くという点では納得できますが、その描き方にちょっと同意しかねるところはあります。

今までの『青天を衝け』を観る限り、栄一は常にいい人であり、正義の人物といった描かれ方をしています。無論主人公である以上、仕方のないことでもあります。また大河の主人公としては初めてだからこそ、このような描かれ方をしているとも取れます。しかし『独眼竜政宗』などは、初めての大河化でありながら、政宗は結構色々描かれていたと思うのですが、ここがやはり近代と戦国との違いでしょうか。

岩崎弥太郎を主人公と対立する存在として、あのようなイメージで持って来たのもそのためでしょう。ただ栄一自身にダーティーな部分もまたあっていいかと思うし、このような描き方は、どこか女性主人公大河のようにも見えます。ところで岩崎弥太郎、芝翫さんもよく演じているとは思いますが、私に取って、この人物を演じられる俳優さんといえば、やはり香川照之さんにとどめを刺します。

それと西南戦争と紀尾井坂の変(大久保暗殺)、両方ともナレのみですか。無論どちらも、主人公に直接関わる事件ではありませんが、どのような経緯でそれに至ったのかが、もう少し描かれていいと思います。この大河は今までもそうですが、どうも歴史的事件の詳細を端折る傾向があります。台湾出兵しかりです。商い=ビジネスは描くが、その発端となった戦争なり政変なりがあまりないのが、『黄金の日日』と異なる点ともいえます。無論、『黄金の日日』は戦国で、主人公を自由に動かせるという違いはありますが。

そんな中、第34回で久々登場のやす、そして徳川家康は嬉しかったです。武士の世が終わったとはいえ、この時代は、未だ江戸幕府の負の遺産を背負っていました。しかし歴史的事件の描写はともかく、平岡円四郎が出ていた頃はまだ面白く観られたのですけどね。

あとやはり、実業家となった栄一に吉沢さんはちょっと馴染みにくいように思います。再来年の「松潤家康」もこのような感じになるのでしょうか。

飲み物-ホットウイスキー

[ 2021/11/13 00:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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