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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』新キャスト発表その2

では6月16日発表の新キャストです(敬称略)。それと最近の投稿に少し手直しをしています。

池田恒興-徳重聡
織田信雄-浜野謙太
森乱-大西利空
丹羽長秀-福澤朗
北条氏政-駿河太郎
北条氏直-西山潤
真田信幸-吉村界人
真田信繁-日向亘
真田昌幸-佐藤浩市

今回も既に大河常連の人あり、初出演の人ありと様々です。しかし今回発表のキャストの白眉は、何と言っても真田昌幸役の佐藤浩市さんでしょう。真田昌幸という人物のインパクト、そして昨年の『鎌倉殿の13人』に続いて今年も登場という話題性もあり、多くのメディアで記事にされています。

ちなみにツイッターのタイムラインで流れて来た記事ですが

【どうする家康】佐藤浩市、2年連続大河で真田昌幸役 松本潤を思い「微力ながら参じます」
(ENCOUNT)

上総広常は、後に日本初の武家政権を打ち立てた源頼朝と対峙し、真田昌幸はやはり武家政権、しかも乱世を終わらせ、250年余り続く江戸幕府を開いた徳川家康と、対峙することになります。尚佐藤さんは、1993-94年の『炎立つ』で源義家を演じていますが、家康の「家」がこの義家に由来すると言われていることを考えると、興味深いものがあります。

恐らくは、天正壬午の乱で初登場と思われます。その後も上田合戦で家康を追いつめ、ここでまた、家康は「どうする」状態となるのでしょう。

それと『真田丸』後は、真田幸村ではなく、信繁と表記するのが一般的になっているようですね。あと「森乱」とは森蘭丸のことですが、本人が自らを蘭丸と自称したことはないとされており、今回はこの名称が採用されたようです。


飲み物-アイスコーヒーとストロー
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[ 2023/06/17 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

武者さんが好きな大河他

以前『武将ジャパン』関連でツイートをご紹介した際、1983年大河の『徳川家康』を観た方がいいんじゃないかと言った意味のリプがありました。実は『おんな城主 直虎』の予習でこれを観たことがあったのですが、それまでの、狸おやじ的なイメージが強かった家康のイメージを一新した作品であると言えます。

しかしどうだろうなと思います。何よりも武者さんが好きでなさそうな昭和の大河です。そしてそれのみならず、武者さんが好きと言う大河の諸条件、つまり

推しの俳優が出ている、または好きな脚本家の作品である
幕末の薩長大河や徳川慶喜を肯定的に描いた大河、あるいは近代から現代を舞台にした大河でないこと
主な女性キャラの自己主張が、どのような形であれ強い

こういう条件を満たしていなければならないのです。1980年代頃までの作品の多くは、アウトとなる可能性が高そうです。

ところで最後の「主な女性キャラの自己主張が強い」ですが、実はかの『花燃ゆ』の主人公、文(美和)にも同じことが言えそうです。無論最初はおにぎりを作ってばかりのところもありましたが、後になるにつれて、自己主張の強さ(それが正しい判断であったかどかはともかく)を垣間見せるようになった感があります。

また乳母として若君に仕えるようになってからは、その若君が「美和の作った野菜でないと食べたくない」と言うシーンも確かありました。私としてはあれはどうかなとは思いましたね。しかしヒロインがある程度の存在感を見せるという点に於いては、もし長州大河でなかったら、武者さんの見方も多少変わったかも知れません。

ところでこの『花燃ゆ』で、少年期の吉田松陰を演じた俳優さんをご存知でしょうか。かの板垣李光人さんです。その後『青天を衝け』の民部公子様(徳川昭武)、今回の井伊虎松(直政)と既に3回の大河出演を経験しています。そしてこの人の雰囲気、この間の回で見せた身のこなし(スタントマンはいたかとは思いますが)などから、次に源平大河をやる場合は義経役でもいいのではと思っています。別に菅田将暉さんが『直虎』で虎松を、『鎌倉殿の13人』で義経を演じていたから、そう言うのではありませんが。

それにしても源平大河も

平家の興隆(壇ノ浦の戦いがクライマックス)
平家を滅ぼして鎌倉幕府を作った源氏と北条氏(承久の乱がクライマックス)
義経の生涯を描いたもの(衣川の戦いがクライマックス)

のいずれかとなっています。『炎立つ』で奥州藤原氏が描かれたのが例外でしょう。源平と言わず鎌倉幕府大河にして、以前制作された『北条時宗』の時代から、南北朝までを描くという方法もあるかとは思いますが。

飲み物-ブラッディサム
[ 2023/05/05 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第3回「三河平定戦」あらすじと感想-2

第3回後半部分です。

大久保忠世は地図を使い、作戦について説明する。北から水野の領内に深く攻め込み、刈谷城を出て北上した水野軍と石ヶ瀬川辺りで松平軍が戦い、その隙に吉良と松平の軍で刈谷城を攻め落とすやり方だった。同意する者も多く、流石色男殿だわと忠真。忠世は、顔もよいがおつむはもっとよいと自画自賛する。元康と義昭はその案に乗るが、今回もまた敗戦に終わる。

信元はもう一度恋文を送るかと言う。要は元康に、死にたくなきゃこっちに付けと書き送るのである。しかし元康はその文を引き裂き、家臣たちの案を求める。しかも忠世は策が悪いのではなく、ツキがなかったと言い出す始末で、再び自分の策をと立ち上がる。しかし陣中でとんでもないことが起こっていた。侍大将たちが取っ組み合いの喧嘩をしていたのである。
忠次が灰神楽を立て、忠世が殿のお成りであるぞと叫んでやっとその場が鎮まる。

本多元忠(彦右衛門)と平岩親吉(七之助)は、こいつらが今川様の助けは来ない、織田に付くべきである、皆死ぬと言ったと打ち明けるが、一方の忠勝もそのようなことは言っていないものの、今川が来ないこと、織田に付くことには同意だった。一同は謹慎させられるが、数正も次負ければお家は破滅、今川の軍用金も底を突き始めていると言う。しかし元康は駿河の三河衆を見捨てられず、忠次の策を受け入れ、義元と交流があった甲斐の武田信玄を頼ることにする。

直々に会いたいと文を送るものの、信玄は話がしたいのなら三河の主となってからと、元康の無礼さに怒り、内々に会いたいとしたためた元康の文を足で踏みつける。その文はそのまま元康の許に戻って来た。格が違うということかと元康。その時信元が内々で会いたいと、わずかな手勢で岡崎に向かっているのがわかる。信元はサイコロを転がしながら、皆賽の目は運次第と思っているが、俺は違うと言い、出された白湯を外に捨てる。

そして元康に近づき、お前が俺を嫌っているのは知っているが、俺はバカな甥っ子が可愛い、死なせたくねえと元康の肩に手をやって、俺がうまく口を利くから信長に頭を下げるように言う。元康は白湯を飲もうとするが、その手が震えていた。信元はそれを飲むのが斬り込んでくる合図か、俺を殺したければやれ、表で待たせている者が死ぬと言い、ここから先はその者に任せたい、呼び入れて構わぬかなと尋ねる。久松長家が連れて来たその人物は、信元の妹で、今は長家の妻となっている、元康の母の於大だった。

ご立派になられてと、成長した子を見る於大。信元は控えていた忠次と数正を下がらせ、自分と長家も座を外して2人きりにさせる。於大は城は変わっておらぬと口にし、嫁いだ日、小さな元康を抱いた日のことを覚えていると言い、2人は互いに手を取って、元康は母上のことを、心の中で慕っていたと告げる。於大も元康を思わない日はなかった。涙を流す元康だが、於大は元康に今川と手を切るように、今川はもうおしまいだと伝える。

さらにそなたは信長様には勝てないと断言し、信長様は松平と対等に結び、そなたに三河を任せると仰せだとも言う。於大は、自分も元康をそばで支えるつもりだった。しかし今川御一門衆である瀬名と子供たちを駿府に残しているのが気がかりだった。しかし於大はこう言い放つ。
「それが何だと言うのです!つまらぬことです」

元康の父広忠は、織田の人質となった我が子を見捨てていたが、於大は立派な判断であったと言う。
「主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」
元康はそれを受け入れられず、出て行けと暴言を吐いてしまう。於大は立ち上がり、出て行こうとしてこうも言う。
「そなたを助けている吉良義昭殿を攻め、所領を切り取られよ。それが信長様への返事になる」

わしは今川の家臣じゃとの元康の言葉にも、於大は少しも動じた様子はなかった。そして瀬名は元康への文に、お富たち三河衆の妻と縫物をしたことを綴り、帰る日を楽しみにしているとナデシコの押し花を送って来ていた。手紙には亀姫の手形もあった。それを読む元康に申し上げたいことがあると、忠次と数正が現れる。しかし耳を貸そうとしない元康を見て、忠次は城下の散歩に誘う。城の外には田畑が広がり、忠吉も百姓たちを手伝おうとして止められていた。

戦に駆り出されても親兄弟を失っても、実りの時を迎えれば大はしゃぎの百姓は逞しいと忠次。特に今年は張り切っていると言う。それは元康が岡崎に帰って来て、今川から搾取されずに済むからなのだが、元康自身は今川から独り立ちしたなど言ってはいなかった。実はそれを彼らに話したのは、忠次自身だったのである。今川のための兵が集まらないほど、三河の者たちは飢えに苦しんでいた。彼らが戦に出るのは、殿が三河一国をお切り取り下さると信じているからだと忠次。

そしてひざまずき、三河の者はとうに今川を見捨てていることを明らかにする。松平のため、岡崎のためにと言っても聞かない元康に、ならば自分を手討ちにしてくれと太刀を渡す忠次。すると数正も手討ちを申し出る。三河のためにご決心をと土下座する彼らに、駿府に帰りたい、でも帰れない元康は泣きわめく。それを見た忠世も、元康に対して土下座をしていた。結局元康は吉良を攻める。突然の裏切りに戸惑う義昭。ようやく正しい方に張ったなと信元。

一方で、元康の離反が駿府の氏真に知らされ、三河衆の妻たちが連れて行かれる。彼女たちはことごとく斬られ、瀬名の部屋にも容赦なく今川の兵たちが入り込んで来た。それをまだ知らない元康は、信元から尾張清須へ、俺たちの殿様に会いに行こうと誘われる。お前がくるのを首を長~くしてお待ちだと言う信元だが、元康は複雑な気持ちだった。


元康は家臣たちからも、信元からも今川を捨てるように言われる一方で、瀬名が送ってくれた文と押し花を見て、その気になれず苦しみます。そのうえ久々に会い、共に涙を流したはずの於大も、主君たるもの家臣と国のためならば、己の妻子如き打ち捨てよと言い、思わず乱暴な言葉を投げつける元康ですが、於大はそれに動じたようでもありませんでした。

しかしこの言葉、戦国だからとも言えますが、清濁併せ呑む尼将軍として、昨年の北条政子にもこれくらい言ってほしかったような気もします。それはともかく、尚も駿府に未練がある元康に、忠次と数正は自分たちを手討ちになされよと申し出ます。家臣が主君を諫めるひとつの方法であり、元康は斬るに斬れず、妻子を捨てざるを得なくなります。

その妻子、瀬名と竹千代と亀姫のいる屋敷に、今川の兵が踏み込みます。既に三河衆の妻であるお富やおふみは処刑されていました。そして於大の言葉通り、吉良を攻めた元康は、尾張に向かうことになります。しかし水野信元、やはりというかなかなか老獪で強かな人物であり、元康の考えを一から十まで見抜いているかのようです。こういう人物、あるいは古参の家臣たちが出て来ると締まった雰囲気になりますね。

あと忠世が説明に使った地図ですが、あれは後ろで紐か何かを引っ張って動く仕掛けになっているのでしょうか。しかし忠世も策は悪くない、ツキがなかったなどと言う辺り、まだまだと言った感じもします。そして次回は北川景子さんのお市が登場するようです。『武将ジャパン』コラムでこの大河の乗馬があれこれ言われていましたが、今度は本物の乗馬が出て来ます。

余談ながらその『武将ジャパン』コラムで、北海道と沖縄の大河がないと書かれていましたが、沖縄は1992年の『琉球の風』が2クールですが放送されているし、北海道ではないが、蝦夷(えみし)と呼ばれた人々を描いた作品なら、その次の『炎立つ』があります。どちらもDVDが出ています。

そしてこのブログですが、今回が5000投稿目となります。正直、ここまで続くとは思っていませんでした。まあ映像作品やスポーツに絡めて個人的な希望や願望、あるいは不満などをあれこれ書き連ねているだけではありますが。


飲み物-トディ
[ 2023/01/24 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第21回「仏の眼差し」あらすじと感想-1

奥州から戻って来た義時は、義経のことを考えていた。そこへ土肥実平が現れ、自分も義経のことを考えていた、死ななければならなかったのかと独りごちる。その実平は道を直している人物を目にとめる。それは八田知家だった。

罰が当たるぞと言う実平だが、知家は鎌倉殿の命令だと、実平の言葉など気にも留めず、逆に両親が飢饉で死んだ子供を預かってくれという。鶴丸と名乗る無表情なその子は、他人に慣れないようで、八重に石つぶてを打つのだった。

一方頼朝は兵を全国から召集し、奥州へ向かった。この合戦は鎌倉方の圧勝に終わり、頼朝以下一同は藤原氏の財宝に目を見張る。そこへ泰衡の家人、河田次郎が泰衡の首桶を持って現れる。しかし頼朝は次郎を、欲得のために主を殺した男である、すぐに首を刎ねよと命じる。これからは忠義が大事だと頼朝は言い、また日本すべてを平らげたと満足げだったが、その行く手に立ちはだかる人物がもう1人いた。後白河法皇だった。

頼朝は浮かない表情の義時を窘め、自分のしたことが正しいか否かは、自分で決めるものではない、決めるのは天であると言う。天罰なら甘んじて受ける、それまでは突き進むのみと頼朝。そして御家人たちは衣川の館を見に行こうと言う。千葉常胤や岡崎義実は、九郎殿は強かったと言い、畠山重忠も神がかりの強さであったと懐かしみ、裏切った泰衡が死んだのはまさに神罰と口にする。

また和田義盛は、梶原景時が鎌倉殿に余計なことを言わなければ、義経は死なずに済んだと不満げだった。その内常胤は酔いつぶれてしまい、皆が騒いでいる間に義時は徳利を持って景時のそばへ行く。景時は義経の名は語り継がれ、また自分も戦を知らぬ愚か者として、名が残るであろうと言う。これも宿命(さだめ)かと言う景時に、義時は酒を注ぐ。

頼朝は鎌倉に戻り、上洛に向けて動き出していた。そして時政に対し、後白河法皇から息災であるかという文が送られて来たと頼朝が言う。実は時政は京に滞在中、法皇の双六の相手をしており、法皇相手に一歩も引かず、肝が据わっておると法皇を感心させ、このまま京に留まるように促される。しかし時政は、鎌倉で美しい妻が待っているとそれを断る。

舅殿は大したお方だと言う頼朝に、大事なのはここでござると時政は胸を押さえる。しかし比企能員は、たまたまうまく行っただけよとつぶやく。頼朝は、美しい妻のおかげで要石を手放さずに済んだと嬉しそうだった。そして頼朝は法皇から奥州攻めの褒美として恩賞を出すと言われるも、結局それを断る。

そのことを知った法皇は、奥州攻めは勝手にやったこと、つまり自分の言いなりにはならぬということで面白くなかった。その鎌倉からの文には、法皇様のみが心残り、近々お目にかかりたいとしたためられた、頼朝追討の宣旨を出したことが原因かと法皇は考える。

そして平家、義仲、九郎がおればのうと言い、院が望まれたことと丹後局に諭されるも、平知康になぜ止めなんだと八つ当たりし、知康は果ては丹後局にまで出て行けと言われてしまう。

鎌倉では金剛が万寿に会っていた。しかし万寿は行儀が悪く、乳母の道が横から口を出すため、政子は下がらせてしまう。しかも万寿は、金剛を大事にとの父の言葉にも答えず、庭に出て行きたいと言い、政子から金剛を連れて行くようにと言われる。政子は翌月の万寿の鶴岡八幡宮参詣にも、金剛を同行させるつもりでいた。

政子は八重が明るくなったと言い、幸せなのだろうと言うが、頼朝は、最早八重に取って縁者もいない伊豆へ帰ったかと話題を変え、昔の伊豆の話を始める。かつて頼朝と八重が交際していた頃の話を始めたため、八重は当惑する。

そこで政子は、江間の館の子供たちの話を始めるが、頼朝は執拗に昔の話をしたがり、政子は
「わざと言っているのなら人が悪すぎるし、わざとでないなら気遣いがなさすぎます。どちらにしても私は不愉快です」
と、不快感をあらわにする。

頼朝は話を打ち切り、義時と執務に入る。そして頼朝は、自分が金剛の烏帽子親を務めたいと言い、金剛に自分の幼少時をだぶらせる。しかも顔もよく見れば自分に似ていると言い、万寿よりも似ているかもと言い、三善康信や大江広元は苦笑する。

その夜義時は八重から、鎌倉殿はあなたを弄んでいるのだと聞かされる。しかし義時は、向こうは天下の鎌倉殿、あらがってもいいなりにしかなれず、言われるがままに非道なことをしている己が情けないと言う。そんな義時に八重は、昔は頼朝のそばにいたかったが、あなたでよかったと言い、あなたがいなければ頼朝は今も流人だと言った後、あなたが今の鎌倉を作ったとも言うが、流石に後の方は言い過ぎたと笑う。

八重は義時と抱き合い、自分と金剛を守ってくれ、自分もあなたを守ると言う。


まず冒頭、八田知家が出て来て子供を預かってくれと言います。両親が飢饉で死んだというのがその理由ですが、どこか裏があるようにも感じられます。それとああいう子供を預かるのは、たとえば寺院などでやらなかったのでしょうか。京などは悲田院がありましたが、鎌倉にはまだなかったのでしょうか。あと鶴丸と言うと、どうも『おんな城主 直虎』の「鶴」を思い出します。

奥州合戦、やはりと言うか何と言うか、合戦シーンはなしで河田次郎のみ登場でした。『炎立つ』では泰衡が合戦に臨むのではなく鎌倉軍に館を明け渡し、自分はいずこへともなく去り、やがてタイムスリップするような流れになっていましたね。そして御家人たちの会話、梶原景時の讒言さえなければ、義経が死ななくてもよかったと義盛は言います。如何にもこの人らしい考え方ではあります。ただ義経が生きていればいたで、またトラブルとなったでしょう。

また畠山重忠、義盛よりも切れそうな人物ですが、その彼でさえ、義経を死に追いやった泰衡が死んだのは、正に神罰と断言しています。無論これには義時が絡んでいるわけですし、彼がどこか浮かない表情なのもそのためなのですが、そこまでは考えなかったようです。その点景時は、義時と泰衡のことを知っていたかどうかはともかく、実に冷静でした。あと長老2人は飲む分量に注意を。

それから「チーム後白河」、何とも三谷大河らしいコント仕様です。法皇もここに平家がいたらだの、義仲や九郎がいたらだの、いや丹後局ではありませんが、皆あなたが追い払ったのですが…。そしてどういうわけか平知康にとばっちりですが、実際この人はその後鎌倉へ下ります。

金剛と万寿。何となく義時と頼朝の関係に似てなくもありません。あと政子と道もあまりうまく行ってなさそうな感じです。それはさておき、頼朝が八重にやたらと昔のことを話し、さらに義時にも、金剛は自分に似ているなどと敢えて口に出す辺り、八重が言う「弄ぶ」以外の意味がありそうです。しかし「義時がいなかったら頼朝はまだ流人」とは、やはりちょっと言えないでしょう。北条氏の代わりになる存在はいたでしょうから。

その頼朝、
「天罰なら甘んじて受ける、それまでは突き進むのみ」
と言っています。
ただこれが時代が下って戦国時代、それも織田信長になると
「天罰などない、ひたすら突き進むのみ」
と変化するのでしょう。


飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2022/05/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 40

大河コラムに行く前に、小檜山氏の方の『青天を衝け』関連ツイートで、慶喜がなぜ天狗党を処刑しないなどといった内容のものがありました。その後これは削除されましたが、天狗党を処刑する権限があるのは、追討軍統括の田沼意尊ではないのでしょうか。

それからこういうツイもあります。
「人間の腸内環境は母乳を通して伝えられるもの。ゆえに合わないものは消化できず栄養もとれなくなる。アイヌが主食を鮭から米やなにやら和人の食べ物にされたら、栄養失調になってしまう。おまけに病原菌まで持ち込まれた。これがどれほど酷いことはか考えていかんと」
『ゴールデンカムイ』関連と思われますが、腸内環境の件は、母乳に含まれている成分が善玉菌を増やし、腸内フローラをコントロールするわけで、この点はきちんと書いてほしいです。その後の文章はちょっと意味がよくわかりませんが。あと母乳は抗体や免疫細胞を赤ちゃんに届ける働きもありますね。

ではコラム、前半部分に該当する記述を見て行きます。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第17回「助命と宿命」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

1.彼(注・義経)自身の偶像を壊すような、破滅的な輝きが今週も眩しい

2.急にどうしたのか?思わず戸惑う義時ですが、彼女なりに考えていた。これからも命のやりとりがあるのならば、せめて子どもたちを救いたい。(中略)八重は慈悲深い。(中略)親のよいところを受け継いだ。この八重の思いは、金剛にも引き継がれるのだろう

3.石を投げた少年たち・曾我兄弟も、かなり重要な伏線となりそうである

4.時政の言葉にもはや躊躇はありませんが、思い出してほしい。石橋山の危機を乗り越え、敵を打ち破り、御家人たちが鎌倉入りを果たしたときのこと。俺たちの鎌倉、ここで新しい世が始まると生き生きとしていた顔を。そんな季節はもう終わった

5.「あいつの恨みは、必ず、万寿に降りかかる……」
果たしてそれはどうなのか。自分が恩義を感じないから、皆もそうだと言えるのか

1、義経自身の偶像というのが、所謂判官びいきに代表されるような、「きれいな」義経像であるのなら、既に『草燃える』でも『炎立つ』でも、そのイメージは覆されているのですが。前者では粗野なところがあり、後者では勉強嫌いでした。

2、それはいいのですが、一方で『青天を衝け』の養育院関連では「こうした場面も渋沢栄一夫婦の善人アピールがしたいだけのように見えてしまいます」などと書かれています。武者さんが『鎌倉殿』が嫌いだったら、広常も義仲も見殺しにした義時とその妻の偽善などと書くのではないでしょうか。

3.少し前の「『鎌倉殿の13人』の三谷カラーその他 その2」でも、ネタバレといった印象を受けてしまうと書いています。せめて子供2人がその辺をうろついている程度にして、あまり正体を明かさない方がいいかとも思ってしまうのですが。

ちなみにこの時は1184年、兄弟の仇討ちはその9年後の1193年です。そして兄十郎はこの時数えの13斎、弟五郎は11歳です。尚義高はこの時数えの12とされていることを考えると、やはり義高役は、中学生くらいの子役でもよかったのではないかと思います-三谷さんは染五郎さんを使いたかったのかも知れませんが。

4、これも2と同様、今回は仮に彼らが若者でなくても、あたかも鎌倉即ち青春のように書く一方で、本物の若者たちがいた昨年の血洗島の方は、かなり批判的に書かれていました。

5、その前に「父を殺された恨み」について頼朝も話していますし、この大河では出て来ませんが、あらすじと感想にも書いているように、助命してくれた池禅尼には恩義を感じ、息子の頼盛の所領を戻してやったりもしています。またたとえ本人にその気がなくても、幕府に不満のある御家人が担ぐかもしれず、それは鎌倉幕府に取っても、かなりの危機的状況になるからでしょう。復讐しないという保証もないわけですし。

6.なぜ伊豆山権現なのか?
「アジール」(聖域)という意味合いですね。自社仏閣に逃げ込めば、そこは治外法権で命は保障される

7.さて、都では――。「検非違使?」義経が、鰹節をもらった猫のように瞳を輝かせている(中略)ちなみに義時はこの点、慎重だった。上総広常が砂金をやると言ったとき、一旦は断っておいてから相手の機嫌を損ねないために受け取っている。そういうワンクッションを置けるかどうかが重大な分かれ道となる

8.静御前――。日本史上に残る天女のような舞姿を見せます。美しい。心が溶けてしまうように美しい

9.義高は女人に化けて連れ出すとのこと。前にも同じ手を使ったのでは?と実衣が心配すると、鎌倉殿を逃した時に使ったと政子は言う。(中略)思えばあの頃はなんとノンビリしていたことか

10.義村はじめ三浦一族は何をしているのか?と、ここで補足しておくと、彼らは重要な後詰めである。いくら義経が天才でも船がなければ戦えない。水上戦闘になれば彼らが必要であり、平家との一戦までにはまだ時間がある

6、このアジール、『おんな城主 直虎』でも使っていましたね。それはともかく「自社仏閣」とは何でしょうか。以前もこれと同じ言葉を使っていたのを見たことがありますが、「神社仏閣」のことでしょうか。

7、朝廷から官位官職を賜るのと、上総広常から砂金を受け取るのとでは、意味するところが多少異なるのではないでしょうか。

8、正直言ってそこまでは思いませんでした。ただその後の比企能員の姪の里との婚礼の話、その前振りとしてこのシーンが使われたといった感じでした。

9、この時点から見ればのんびりしていただけで、あの時はあの時で平氏の力がまだまだ強いし、北条の立場は弱く、それなりに大変だったはずなのですが。

10、この後詰については、第16回で子供を預けに来た義村も言っていました。そして水上戦闘とか、「平家との一戦までにはまだ時間がある」なども、平家との戦の描写が限定的なので、状況がどうなっているのか、この大河では少々わかりづらいとも言えます。武者さん、嫌いな大河ならここで散々批判しているのかも知れません。

飲み物-アイスココア2
[ 2022/05/04 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 31

6日にアップされた『武将ジャパン』の大河コラムについて。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第13回「幼なじみの絆」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

疑問に思われる部分その1です。

1.時政はりくに、京へ戻る願いを摘み取ったことを詫びる。(中略)本作の時政は愛が原動力なのでしょう。男性でこういう描き方は珍しいですし、挑戦的だと思える
2.しつこく御令旨をもたらしと言う行家に、キッパリと義円討死の責任を問いかける頼朝。(中略)渡河の準備もろくにせず戦いを仕掛けた時点で言い訳はできない
3.扇は中国の文官由来で日本にも伝わった「笏」(しゃく・もとの読み方は“こつ”)の伝統である。正装として笏を手にしていたのが、扇になっていき、文を司どるステータスシンボルとなる
4.広元が、平清盛を呪殺した者が京都にいると言い、頼朝はすかさず呼び寄せろと命令を下す。現代人からすると「オカルトかよ!」となる場面ですが、当時の人からすればプロの暗殺者を呼び寄せるような気持ち
5.頼朝は史実の方がドラマよりもゲスなので(中略)大泉洋さんはむしろ史実により近づけてきている。より史実準拠ゆえに大河史上最低。そんな頼朝と義経兄弟を演じる大泉さんと菅田将暉さんはすごい

1、これはたまたまではないでしょうか。りくを京に戻してやりたいとは前から言っていたことですが、こんなことで伊豆に帰ることになってすまないといった類のものでしょう。「愛が原動力」(『天地人』かと言いたくなります)とか「男性でこういうのは挑戦的」とか、武者さんはそう思いたいのですね。
2、この義円戦死の回、甲冑を着ていると泳げないといったことが書かれていましたが、古式泳法に鎧を着て泳ぐ方法があるわけで、そのせいかどうか今回は少しトーンダウンしているようです。というか、事前に調べて置けばいいのに。動画もあるのですから。
3、なぜか中国好きの武者さんがスルーしていますが、元々の扇は片側にのみ紙を張った蝙蝠扇でした。それが中国大陸で、両面に紙を張った物へと変化して行き、日本に逆輸入されます。
4、「現代人からすると『オカルトかよ!』」なぜここで現代人目線になるのでしょうね。当時はそういうものだと思っていればいいのに。
5、ここでまた「ゲス」。使いようによっては効果的なのですが、毎回のように「ゲス」と「すごい」が出て来るのは、何とも幼稚な印象を受けてしまいます。それと別に、必ずしも史実準拠でなくてもいいのですが。頼朝が女性に手が早いのはもう十分過ぎるほど見ていますし、逆に義経おかしいんじゃないのなどという声もありますし。

6.こうした人質や言質を使うやり方を、大江広元は鎌倉に持ち込み、ゲームのルールを変えてゆく
7.随分とまあ、綺麗な僧衣を着ちゃって。この布地は最先端の南宋からきたものか
8.   無茶苦茶なようで、仏具等にも考証がついている。手間がかかった場面である
9.   もううんざりだ! 舅にも愛想を尽かされている! そんなわしらの思い=不満を鎌倉殿に伝えて欲しいと念押しされる。 義時よ、毎週なぜ、こんな目に……
10.  梶原景時が目を光らせ、大江広元が策を練る――鎌倉は季節が変わりました。青春から次へ移りました

6、これは義仲サイドから人質を申し出たとも言われており、またこれ以前にも、たとえば後三年の役の頃、清原清衡は妻子を殺害されていますが、『炎立つ』では人質に取られていたなどということもあります。
7、それだけですか…この緋の衣は真言宗では大僧正の色なのですが、それがここでは出て来ませんね。
8、その考証がどのようなものかを、ここできちんと説明して貰えないでしょうか
9、そもそも頼朝がいなくなるまで義時は二番手であり、この大河では特に調停役的なイメージが強いです。こうしないと彼の出番を作れないということもあるでしょう。
10、今までの鎌倉は御家人たちの「青春」だったのでしょうか。それにしては、昨年の血洗島の若者たちの本物の青春を、何だかんだと言っていたように思います。

それから
今年は全体的に、映像の処理が去年よりよくなっています。
とありますが、こういうのは作品ごとにアップデートして行くものでしょう。ということは、無論一昨年の『麒麟がくる』よりもよくなっているということですね。

飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2022/04/07 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』今後の義経

『武将ジャパン』大河関連コラムですが、次に読むとしたら壇ノ浦関連の回の後でしょうか。しかし、毎度同じような書き方だなと思います。この文は個人ブログ向きでしょう。以前ある大河関連ブログで、作品がかなり客観的に紹介されていたのを見て、寧ろこのブログ主さんに書いてほしいと思ったことさえあります。

ところで壇ノ浦ですが、この大河ではどのように描かれるのでしょうか。今のところ、平家方の人物もかなり限られていますし、源氏方が都落ちして行く平家を追いかけるというよりは、同じ頃の坂東をメインに描きそうな気がします。一方で、木曽義仲と朝廷との確執などに尺を取るのではないかとも思います。

それから義経ですが、今の時点では戦上手とか、兄に追われる悲劇のヒーローといった印象はあまりなく、好き放題やらかして物議を醸す、どうもそのような人物に描かれる気がします-無論、この後キャラ変する可能性もありますが。

ところで日本アカデミー賞の授賞式を観ていたのですが、義経役で、『花束みたいな恋をした』にも出演した菅田将暉さんが話題賞受賞でした。それはいいのですが、プレゼンターが小栗旬さんで、しかも『ミステリと言う勿れ』の久能整のスタイルで登場していたのは、ちょっとしたサプライズでした。

それとNHK出版の大河ドラマのガイドブック、『麒麟がくる』からこっち、同じ時代背景の大河を紹介するようになっています。前編は『草燃える』でしたが、後編は何になるのでしょう。『義経』か『平清盛』か、あるいは『炎立つ』の可能性もあります。しかし源平大河は本数が少ないですね、今回の分を入れて7本です。そのため、戦国物や幕末大河ほど競争率は高くはないかと思われます。

それにしても3月に入ったというのに、まだ再来年の大河が発表されていません。昨年一昨年と1月に発表したのは、何のためだったのかとさえ思ってしまいます。あと『どうする家康』の新キャストもまだですが、これは『となりのチカラ』の放送が終わって、松本潤さんのスケジュールが大河メインになってからでしょうか。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/03/12 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』「決戦前夜」あらすじと感想-2

まず、先日投稿の「あらすじと感想-1」、誤変換その他勘違いと思われる箇所がいくつかあったので、訂正しています。失礼いたしました。

改めて第9回ですが、少し前に書いたかと思いますが、平家の描写があまり出てこないので、なぜ平家を倒したいのかが、今一つよくわからないと言う人もいるかも知れません。鹿ケ谷の陰謀も出て来ませんでしたし。確かに『吾妻鏡』は鎌倉幕府の創設の史料にはなりますが、少なくとも今は平家に反旗を翻している段階なので、もう少し平家方の思惑も描いてほしいところです。

それから全成が、義経に会いもせずに追い返してしまうシーンですが、あれはどうかなと思います。この時義経に会って、兄弟の証となる物があるかどうか、訊いてみるという方法もあったかと。で、最後のシーンでやっと頼朝に会って、なぜかまず顔が似ていると言い(似ていませんが)、その後で思い出したように御館の文を取り出して、やっと弟であると認めて貰えたわけです。しかし顔がどうこう、そして涙、涙と、ちょっとこの人はコミュニケーションに難ありでしょうか。しかし御館といえば、やはり『炎立つ』を思い出しますね。

時政の妻のりく。伊豆山権現では祈祷をしていましたが、またも現実的な彼女に戻ったようです。この彼女の性格が、今後様々な形で、北条家に影響して行くのでしょうか。お産も間近なようですね。一方で八重の描き方ですが、どうも賛否両論あるようです。確かに泰時の母は義時の正室ではないとされており、その母が八重であっても問題はないはずですが、彼女のキャラが少々きつくないかという見方もあるようです。しかし八重さん八重さんと言われると、『八重の桜』を連想してしまいます。

富士川での時政と義澄の会話、そしてコント?シーン。2人のオヤジ(失礼)の他愛ない話と悪ふざけ、子供時代に戻ったような気持ちなのかも知れませんが、しかし結局、あれが結局追討軍を追い払う一因となったようです。そもそも三谷大河に言えることですが、合戦シーンより、それに至るまでの会話のシーンの方が面白いと言うか、三谷さんが本領を発揮しているのは間違いないでしょう。武田信義と義時の会話しかりです。

ところで善児、オリキャラゆえどこへでも動かせますが、どこへ消えたのでしょうか。また、意外なところで出て来るのでしょう。

黄瀬川の陣、頼朝と盛長は酒席に招待されます。しかし義時は信義に「お前の分はないよ」とあっさり言われ、酒宴が終わるのを待つことになりますが、ここの部分、三谷さんつながりということもあり、パペットホームズのあるシーンを思い出します。寄宿学校ビートン校の生徒であるホームズは、友人で生活委員のレストレードと、校内に貼られた踊る人形の文字を解読しようとしており、その時ホームズの「弟子」(実際にはブラックジャックとピノコのような関係)アガサが、寮母のハドソン夫人が、ローズマリーのお茶を淹れてくれたとホームズに知らせに来るのですが、レストレードの方は、「アンタのはないよ」と、実にすげなく言われてしまうのですね。

飲み物-白いカップの紅茶
[ 2022/03/10 00:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 18

『武将ジャパン』大河関連コラムの続きです。義時がまたも広常に会いに行きます。

前回、広常は酒瓶から直接口をつけてグビグビと飲んでいました。誰かと分け合うつもりがないからこそ、ああいうことができる。
そんな自己中心的な男が、義時に砂金をくれてやる。寛大になったからこそ、素直に受け取って欲しかったのでしょう。
要は、頼朝を担いで坂東を取り戻す案が悪くないと認めてはいる。

「自己中心的」でしょうか。
あの第6回の終盤、確かに広常は甲冑姿で、瓶子からそのまま酒をあおっています。しかし彼の周りには家来しかいません。酒を共に汲みかわす仲間も客もいないわけです。であれば、あの飲み方も当然であろうと思います。

その広常が、勝てるかと義時に尋ねます。

そして必ず勝てると誓えるかと、義時を問い詰める。
「誓えます!」
「言い切ったな」
「ご自分でおっしゃったじゃないですか。上総介殿が加わってくれれば必ず勝てると」
とんちのようでとんちじゃない。確かに広常はそう言っており、義時にそれを指摘され何かを感じています。

とんちというか、何やら言葉尻を捕らえたような気がします。実際義盛と共に広常の館へ赴き、景時と顔を合わせた時に、広常はこの言葉を発したわけですが、しかしよく覚えていたなと思います。それにしても、広常が知らぬ存ぜぬを決め込んだら、義時は何と言うつもりだったのでしょうか。

しかしその後長狭常伴の夜討ちの情報を耳にして、義時は不安にかられますが、今度は広常が「天に守られているのなら助かる」と、義時が以前口にした言葉を引用します。

しかも頼朝は、ゲスな目的を夜に遂げるわけであって……どうなることやら。
(中略)
嗚呼、昔の従者は辛い。なぜこんなゲスセッティングのために苦労をしなければならないのか。
義村はあっさりここで引き下がりつつも、頼朝と亀の姿が小屋に消えていく姿を見てニヤけています。今ごろ政子がどうしているのかを考えると、頼朝に怒りが湧いてきますのぅ。
次の場面じゃ、もう小屋で頼朝と亀が隣り合って寝ていますからね。ゲスにもほどがある。

この頼朝の「ゲス」呼ばわり、どうかと思います。この当時、特に都育ちの頼朝にしてみれば、正室以外の女性と関係を持つことにさほど罪の意識はなかったはずです。

亀の夫の権三が仲間たちと迫真の声をあげ、松明を掲げて走ってきます。
「亀! 亀はどこだ、亀ー! うあー!」
もう生々し過ぎて見ちゃいられないよ!
それにしても日本人がおとなしいというのはあてにならない話でして、中世まではこういう襲撃が顕著でした。

なぜここで急に「日本人がおとなしい」云々が出て来るのでしょうか。女房を寝取られたらこういう行動を取るのは当然ですし、しかも法的手段に訴えることも当時はできないはずですから。

『真田丸』でも森林資源をめぐって、村人同士が武器による戦闘をする場面がありました。三谷さんはそういう稗史(はいし・民間の歴史)も取り入れるわけです。
大河の弱点として稗史軽視傾向はあると思います。
『麒麟がくる』には駒のような人物がいるだけで「ファンタジーだ」と批判する記事を見て、残念に感じていました。
海外のドラマではアノ手の人物の存在は珍しくもありませんし、それも歴史フィクションの定番技法です。

他の大河でも民間の歴史は採り入れられています。
それを言うのであれば、『西郷どん』で、役人が不正をして農民が困る様子とか奄美大島の習慣、あるいは『青天を衝け』の序盤での御用金のシーンなども、似たようなものではないでしょうか。それと『麒麟がくる』の駒が批判されるのは、彼女がオリキャラということもあって、殆ど越権行為のようなことをしていたせいもあります。

ほのぼのと残虐が同時展開するこの中世感。それにしても、頼朝が天に守られるって、ムラムラしたらラッキー命拾いということですか?

武者さんのこういう書き方に馴染めませんね。昨年の「ホイホイえっち」と根底の部分は同じですね。

さて、頼朝は千葉常胤に会います。

常胤は、土産があると言い出します。何か嫌な予感がする壺のようなものが……頼朝と盛長の二人が中身を覗いて
「あっ!」
なんでも下総の国衙に平家の目代がいたものだから、館に火を放ち、首を刎ねて土産にしたそうです。
「手にとってご覧ください」
いかにも温厚そうな千葉常胤が恐ろしいことを言い、頼朝たちは「後ほどゆっくりと」と話を逸らしています。
あんなマトモそうなおじいちゃんが生首を土産にするんだからなぁ。
でましたね……期待の遺体損壊。と、なぜ大河に遺体損壊が出ると喜ぶのか?

これもあらすじ関連で書いていますが、平家方の目代の首は、頼朝への忠誠の証ではないでしょうか。それをなぜわざわざ「遺体損壊」などといった、今の時代の、それも刑事事件のような言葉を使うのか理解できません。

「これで平家も終わったぞ」
そうふてぶてしく言う広常は、やっぱり迫力満点。
と、ここでちょっと突っ込みたいのですが、平家も油断しましたね。
二万も擁する武士の首根っこに縄を結んでおかなかったとは、国のシステムに重大なエラーがある。
江戸幕府はそういうエラーを修正すべく、いろいろな制度を整えていったのでしょう。
後年に起きた異国からの脅威は、制度設計時に想定外だったのでしょう。

この上総広常ですが、元々は平氏です。平治の乱では源義朝、つまり頼朝の父に仕えていましたが、源氏の敗退後は平氏に仕えるようになります。その後兄たちをさしおいて家督を継ぐのですが、頼朝挙兵の前年、平氏の家臣である伊藤忠清が上総介となり、本来上総を統治して来たはずの広常は、忠清と対立して清盛から勘当されています。これがその後の彼の行動に影響したと考えられますし、流石に挙兵前年では、清盛もどうしようもなかったのではないかと。

尚江戸幕府の異国からの脅威関連ですが、ちょうど日本がオランダと清国相手にのみ貿易をしていた頃、ヨーロッパでは大航海時代から帝国主義時代の初期に突入しており、日本に取っては正に計算外であったとは考えられます。

終盤の義経が登場するシーン。

そして、そのころ奥州では――。
源義経が奥州を後にしようとしていました。
藤原秀衡に礼を言うと、相手は「止めたとてどうせ行くのであろう」と返してきます。そして時が来れば、兵を送るとも。
「思う存分、戦ってくるがよい」
「行って参ります。参るぞ、武蔵坊、ものども!」
「おー!」
陸奥の緑の中で源義経がそう告げます。
海外のドラマを見ていると、雄大な自然が羨ましくなることがあります。
けれども、日本の景色も素晴らしい。その魅力を伝えるよう、撮影にも工夫をされているのでしょう。

この「雄大な自然」ですが、義経関連でいえば、やはり『炎立つ』のロケは素晴らしかったと思います。
(武者さんがこれを観ているかどうかはわかりません)
実際の紅葉の中、雪が降りしきる中での収録ですから、リアリティという点では、歴代大河の中でも群を抜いています。
無論これは7月始まりということもあり、その前年の秋から冬にかけて、ロケができたというメリットもあったのでしょう。それを考えると1月始まりで暮れに終わる大河のロケは、意外と制約がかかるのかも知れません。

そして食事のマナーについて。

実は『鎌倉殿の13人』の坂東武者さんたちはマナーがなってません。
ある意味、まだ“人”になりきっていない。
顕著であるのが食事です。このドラマは何かを飲み食いする場面が多い。
・八重に憧れたことを思い出す北条義時。魚を手で持ってかぶりついている
・たったままおにぎりを食べつつ、話す北条時政
・木の実をうれしそうに食べている土肥実平
・酒を盃に注がず直飲みし、こぼれた酒を手で乱暴に拭う上総広常
彼らを誰も「お行儀悪いでしょ!」とは叱りません。
三浦義村が船に乗せていた食料を、北条時政が勝手に食べ始める場面もあります。
義村は「それは佐殿の!」と抗議をしますが、あくまでマナーではなく「誰のものか」という問題でした。
現代人がこういうことをするかというと、抵抗があると思います。手や服が汚れそうだし、行儀悪いし、みっともない。

なぜその当時の食習慣を、現代のマナーに照らし合わせるのでしょうか。
木の実を嬉しそうに食べる実平とありますが、あの時は逃げ隠れする日々で、食物もろくに手に入らなかったからではないでしょうか。しかもなぜそれが”人”になりきっていないのでしょうか。そしてまた『麒麟がくる』。

『麒麟がくる』では、茶席の場面がありました。
長谷川博己さんはじめ皆さん綺麗な所作で、陣内孝則さんは今井宗久を演じるにあたり、かなり練習をしたそうです。
つまり戦国時代はマナーがなっていないと話にならない。
彼らは“人”になっていたのです。

なぜ戦国時代の、しかも茶の湯の作法と比べる必要があるのでしょうか。それを言うのなら、せめてその当時の武士の食生活と比較しないと意味がないでしょう。武者さんのコラムでいつも疑問に思う点のひとつに、この比較対象が挙げられます。

それからもう少し本文が続くので、この後は次回の投稿とします。
(この項続く)

飲み物-ブッシュミルズと暖炉
[ 2022/02/27 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 17

『武将ジャパン』大河関連コラムの続きです。大庭景親が頼朝の宿舎を夜討ちさせるシーンです。それから先日投稿分、一部修正しています。

そこで景親は、所領が頼朝がいる場所に近い長狭常伴に闇討ちをさせると言います。
山内首藤経俊が驚き、かつ不満そうです。
彼は当時の武士らしいフェアプレー精神があります。だから矢に名前を書いて、武芸を自慢していたのですね。
こんな強い弓矢を使うなんて素晴らしい! と、そこには敵でもそう賞賛するという前提があります。

この山内首藤経俊ですが、映像を観る限り、夜討ちというのを考えもしておらず当てが外れてしまい、だから不満そうな顔をしたのでしょう。場合によってはそれも必要なのですけどね。それとこの当時、矢に名前を入れるのは彼に限ったことではありませんでした。誰が敵を討ったのかを明確にするためであるといわれています。
しかし坂東武者が原始的だという武者さんが、「当時の武士らしく」フェアプレイというのも何やら腑に落ちません。

次に八重に関して。

八重がめんどくさいとか、アンチが増えているとか、そんなネットニュースもありました。なぜなのでしょう?
なまじ八重は悲恋伝説があるからなのか。あるいは新垣結衣さんが強気で反論するなんて見たくないからなのか。
(中略)
喪失を乗り越え、彼女は強くなりました。
大切な兄(北条宗時)を失った義時だけでなく、八重もそうなっていることに大きな意義を感じます。今まで見たどんな八重よりも魅力的に映ります。

この八重は元から気が強そうなのですが、頼朝への思いを断ち切れないせいもあり、どこか中途半端なままでいるように見えます。前にも書きましたが、頼朝との別離が決定的になるにつれて、その本性が出てくるのかも知れません。ちなみにアンチ記事ですが、これが嫌いな大河だったら「それ見たことか」と叩きそうな気がします。

そして、伊豆山権現に全成がやって来ます。

政子も安房に行きたいと言い出しますが、生きているだけでもよかったと思うように、とりくが諭します。
と、そこへ僧兵がドカドカ!
(中略)
阿野全成が風を起こすってよ。そんなことできるんですか! 驚くばかりの皆に向かい、醍醐寺で修行を二十年とかなんとか……。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
大声で九字護身法を唱えると……何も起きない。
今日は難しいとかなんとか言っておりますが、なんなんだ! と、実衣も横から突っ込んでいる。
こういう芝居は『三国志』ものの諸葛亮あたりですと、トリックで説明したりしますが、全部ぶん投げて来た本作が一周回っていいと思います。

私としては、如何にも三谷さんらしいコントシーンだなと思いましたが、別に、こういう形で全成を出さなくてもいいのではとも思いました。

日本の仏僧ってなんなんでしょうね。いや、現役の方にケチをつけるわけではなく、他の国よりも気が荒くないですか?
中国語で書かれた日本史の本に、ものすごく柄の悪い僧兵の挿絵があって唸ったことがあります。
でも冷静に考えてみると、凶暴かもしれない。
中国ですと、少林寺の僧侶もカンフーで色々と暴れますが、一応、大義名分をかざす印象はあるものです。
それと比べても、日本の僧兵って一体なんなのか?

「一体何なのか」と自問自答するのではなく、自分で調べていただきたいのですが。
少林拳(少林寺拳法ではありません)は、世の中が不安定になると、その当時の寺院に被害が及んだことに対する自警方法ですね。しかしその一方で、ヨーロッパにも騎士修道会というものがあり、これも修道士たちによる先頭集団で、エルサレムと巡礼者を守るためのものでした。テンプル騎士団などはその代表例でしょう。

それから頼朝の浮気です。

貴人というのは女を落とすにせよ、自分でやらず側近に頼むことが往々にしてあります。
『源氏物語』では光源氏のそばにいる藤原惟光が色々大活躍でした。情事の最中に夕顔が頓死した時なんか、死体の処理までこなしています。
そんな日本の伝統を大河で描くか、描かないか。ここが重要でしょう。
2021年『青天を衝け』で出てきた平岡円四郎も、京都では主君である徳川慶喜のために、女の斡旋やら交渉業務をしていたわけです。

でもそんなこと知りたくないですかね。
そこなんです。あったことを露悪的でも見せるか、見せないか。その覚悟がちがいます。
要は盛長は出会いのセッティングをしたんですね。そこまでが従者の仕事です。

この当時、従者が逢瀬の手引きをするというのは、ごく当然に行われていたのではないかと思いますが。無論、信用が置ける従者に限られるでしょうが。
武者さんは、盛んにこういう描写があるところがすごいと言いたげですが、こういうのは、メインとなる人物の情事がドラマの中で重要かそうでないか、それによって決まるものかと思われます。ましてこの浮気に関しては、『吾妻鏡』にも記されており、この大河が『吾妻鏡』をベースにしている以上、入れないわけには行かないでしょう。

あと一橋(徳川)慶喜が京滞在中に、平岡円四郎が女性の斡旋をしていたという記述、リンク先の記事を見る限り、どうもゴシップのようなのですが。そういえばやすが渋沢栄一に後妻を紹介するのも、女衒などと書いていましたね武者さん。

広常は、これみよがしに砂金を見せてきました。陸奥から贈られてきたようで、藤原秀衡とと繋がっているんですね。
どいつもこいつも味方につけたくて必死だな、といささか呆れる様子で、袋に入れた砂金を義時へポンと投げる。
「くれてやるよ」
「いただけません」
「こう言うときは素直に受け取るもんだ」
「いただきます」
結局、受け取ってしまう義時が笑えるようで、なかなか面白い場面ではあります。

砂金が重要ということは感覚的にわかりますよね。
例えば日本が貿易している宋は、北宋ではなく南宋です。金の鉱山は北部にあった。それが金王朝の領土になって採れない。そこで日本から金属や刀剣を輸入した。
それが日宋貿易です。
日本の陸奥から南宋まで、交易で繋がっていると見ることもできるのです。宋代舞台の華流ドラマを並行して見るのもありですね。

「貰えるものは病気以外貰っておけ」は武者さんは連想しなかったようです。ま、それはともかく。
日宋貿易ですが、これは『平清盛』にも一応出て来ますので、まずそれを観てもいいかと思います。それと
「北宋ではなく南宋です。金の鉱山は北部にあった。それが金王朝の領土になって採れない」
とありますが、要は北宋を滅ぼした女真族の王朝が金王朝ということです。
奥州藤原氏は京へ献上品を届けており、アザラシの皮や猛禽類の羽などもありました。こちらは『炎立つ』に出て来ます。後にそれに対して、鎌倉が介入してくるようになり、このことは『吾妻鏡』にも記載されているのですが、それへの言及がありませんね。
(この項続く)

飲み物ー暖炉とお酒
[ 2022/02/26 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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