『武将ジャパン』大河関連コラムの続きです。義時がまたも広常に会いに行きます。
前回、広常は酒瓶から直接口をつけてグビグビと飲んでいました。誰かと分け合うつもりがないからこそ、ああいうことができる。
そんな自己中心的な男が、義時に砂金をくれてやる。寛大になったからこそ、素直に受け取って欲しかったのでしょう。
要は、頼朝を担いで坂東を取り戻す案が悪くないと認めてはいる。
「自己中心的」でしょうか。
あの第6回の終盤、確かに広常は甲冑姿で、瓶子からそのまま酒をあおっています。しかし彼の周りには家来しかいません。酒を共に汲みかわす仲間も客もいないわけです。であれば、あの飲み方も当然であろうと思います。
その広常が、勝てるかと義時に尋ねます。
そして必ず勝てると誓えるかと、義時を問い詰める。
「誓えます!」
「言い切ったな」
「ご自分でおっしゃったじゃないですか。上総介殿が加わってくれれば必ず勝てると」
とんちのようでとんちじゃない。確かに広常はそう言っており、義時にそれを指摘され何かを感じています。
とんちというか、何やら言葉尻を捕らえたような気がします。実際義盛と共に広常の館へ赴き、景時と顔を合わせた時に、広常はこの言葉を発したわけですが、しかしよく覚えていたなと思います。それにしても、広常が知らぬ存ぜぬを決め込んだら、義時は何と言うつもりだったのでしょうか。
しかしその後長狭常伴の夜討ちの情報を耳にして、義時は不安にかられますが、今度は広常が「天に守られているのなら助かる」と、義時が以前口にした言葉を引用します。
しかも頼朝は、ゲスな目的を夜に遂げるわけであって……どうなることやら。
(中略)
嗚呼、昔の従者は辛い。なぜこんなゲスセッティングのために苦労をしなければならないのか。
義村はあっさりここで引き下がりつつも、頼朝と亀の姿が小屋に消えていく姿を見てニヤけています。今ごろ政子がどうしているのかを考えると、頼朝に怒りが湧いてきますのぅ。
次の場面じゃ、もう小屋で頼朝と亀が隣り合って寝ていますからね。ゲスにもほどがある。
この頼朝の「ゲス」呼ばわり、どうかと思います。この当時、特に都育ちの頼朝にしてみれば、正室以外の女性と関係を持つことにさほど罪の意識はなかったはずです。
亀の夫の権三が仲間たちと迫真の声をあげ、松明を掲げて走ってきます。
「亀! 亀はどこだ、亀ー! うあー!」
もう生々し過ぎて見ちゃいられないよ!
それにしても日本人がおとなしいというのはあてにならない話でして、中世まではこういう襲撃が顕著でした。
なぜここで急に「日本人がおとなしい」云々が出て来るのでしょうか。女房を寝取られたらこういう行動を取るのは当然ですし、しかも法的手段に訴えることも当時はできないはずですから。
『真田丸』でも森林資源をめぐって、村人同士が武器による戦闘をする場面がありました。三谷さんはそういう稗史(はいし・民間の歴史)も取り入れるわけです。
大河の弱点として稗史軽視傾向はあると思います。
『麒麟がくる』には駒のような人物がいるだけで「ファンタジーだ」と批判する記事を見て、残念に感じていました。
海外のドラマではアノ手の人物の存在は珍しくもありませんし、それも歴史フィクションの定番技法です。
他の大河でも民間の歴史は採り入れられています。
それを言うのであれば、『西郷どん』で、役人が不正をして農民が困る様子とか奄美大島の習慣、あるいは『青天を衝け』の序盤での御用金のシーンなども、似たようなものではないでしょうか。それと『麒麟がくる』の駒が批判されるのは、彼女がオリキャラということもあって、殆ど越権行為のようなことをしていたせいもあります。
ほのぼのと残虐が同時展開するこの中世感。それにしても、頼朝が天に守られるって、ムラムラしたらラッキー命拾いということですか?
武者さんのこういう書き方に馴染めませんね。昨年の「ホイホイえっち」と根底の部分は同じですね。
さて、頼朝は千葉常胤に会います。
常胤は、土産があると言い出します。何か嫌な予感がする壺のようなものが……頼朝と盛長の二人が中身を覗いて
「あっ!」
なんでも下総の国衙に平家の目代がいたものだから、館に火を放ち、首を刎ねて土産にしたそうです。
「手にとってご覧ください」
いかにも温厚そうな千葉常胤が恐ろしいことを言い、頼朝たちは「後ほどゆっくりと」と話を逸らしています。
あんなマトモそうなおじいちゃんが生首を土産にするんだからなぁ。
でましたね……期待の遺体損壊。と、なぜ大河に遺体損壊が出ると喜ぶのか?
これもあらすじ関連で書いていますが、平家方の目代の首は、頼朝への忠誠の証ではないでしょうか。それをなぜわざわざ「遺体損壊」などといった、今の時代の、それも刑事事件のような言葉を使うのか理解できません。
「これで平家も終わったぞ」
そうふてぶてしく言う広常は、やっぱり迫力満点。
と、ここでちょっと突っ込みたいのですが、平家も油断しましたね。
二万も擁する武士の首根っこに縄を結んでおかなかったとは、国のシステムに重大なエラーがある。
江戸幕府はそういうエラーを修正すべく、いろいろな制度を整えていったのでしょう。
後年に起きた異国からの脅威は、制度設計時に想定外だったのでしょう。
この上総広常ですが、元々は平氏です。平治の乱では源義朝、つまり頼朝の父に仕えていましたが、源氏の敗退後は平氏に仕えるようになります。その後兄たちをさしおいて家督を継ぐのですが、頼朝挙兵の前年、平氏の家臣である伊藤忠清が上総介となり、本来上総を統治して来たはずの広常は、忠清と対立して清盛から勘当されています。これがその後の彼の行動に影響したと考えられますし、流石に挙兵前年では、清盛もどうしようもなかったのではないかと。
尚江戸幕府の異国からの脅威関連ですが、ちょうど日本がオランダと清国相手にのみ貿易をしていた頃、ヨーロッパでは大航海時代から帝国主義時代の初期に突入しており、日本に取っては正に計算外であったとは考えられます。
終盤の義経が登場するシーン。
そして、そのころ奥州では――。
源義経が奥州を後にしようとしていました。
藤原秀衡に礼を言うと、相手は「止めたとてどうせ行くのであろう」と返してきます。そして時が来れば、兵を送るとも。
「思う存分、戦ってくるがよい」
「行って参ります。参るぞ、武蔵坊、ものども!」
「おー!」
陸奥の緑の中で源義経がそう告げます。
海外のドラマを見ていると、雄大な自然が羨ましくなることがあります。
けれども、日本の景色も素晴らしい。その魅力を伝えるよう、撮影にも工夫をされているのでしょう。
この「雄大な自然」ですが、義経関連でいえば、やはり『炎立つ』のロケは素晴らしかったと思います。
(武者さんがこれを観ているかどうかはわかりません)
実際の紅葉の中、雪が降りしきる中での収録ですから、リアリティという点では、歴代大河の中でも群を抜いています。
無論これは7月始まりということもあり、その前年の秋から冬にかけて、ロケができたというメリットもあったのでしょう。それを考えると1月始まりで暮れに終わる大河のロケは、意外と制約がかかるのかも知れません。
そして食事のマナーについて。
実は『鎌倉殿の13人』の坂東武者さんたちはマナーがなってません。
ある意味、まだ“人”になりきっていない。
顕著であるのが食事です。このドラマは何かを飲み食いする場面が多い。
・八重に憧れたことを思い出す北条義時。魚を手で持ってかぶりついている
・たったままおにぎりを食べつつ、話す北条時政
・木の実をうれしそうに食べている土肥実平
・酒を盃に注がず直飲みし、こぼれた酒を手で乱暴に拭う上総広常
彼らを誰も「お行儀悪いでしょ!」とは叱りません。
三浦義村が船に乗せていた食料を、北条時政が勝手に食べ始める場面もあります。
義村は「それは佐殿の!」と抗議をしますが、あくまでマナーではなく「誰のものか」という問題でした。
現代人がこういうことをするかというと、抵抗があると思います。手や服が汚れそうだし、行儀悪いし、みっともない。
なぜその当時の食習慣を、現代のマナーに照らし合わせるのでしょうか。
木の実を嬉しそうに食べる実平とありますが、あの時は逃げ隠れする日々で、食物もろくに手に入らなかったからではないでしょうか。しかもなぜそれが”人”になりきっていないのでしょうか。そしてまた『麒麟がくる』。
『麒麟がくる』では、茶席の場面がありました。
長谷川博己さんはじめ皆さん綺麗な所作で、陣内孝則さんは今井宗久を演じるにあたり、かなり練習をしたそうです。
つまり戦国時代はマナーがなっていないと話にならない。
彼らは“人”になっていたのです。
なぜ戦国時代の、しかも茶の湯の作法と比べる必要があるのでしょうか。それを言うのなら、せめてその当時の武士の食生活と比較しないと意味がないでしょう。武者さんのコラムでいつも疑問に思う点のひとつに、この比較対象が挙げられます。
それからもう少し本文が続くので、この後は次回の投稿とします。
(この項続く)