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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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兎についてあれやこれやと

『どうする家康』もいよいよ関ケ原回です。白兎も年齢を重ねて逞しくなり、狸に豹変したかと思われるほど、腹芸もそつなくこなすようになりました。しかしその一方で、やはり時折は白兎の部分が顔をのぞかせてもいるようです。

しかし信長に竹千代を白兎と呼ばせたのは、やはり今年が卯年だからでしょうか。そう言えば「2023年は黒ウサギの年」などというのをネット上で目にしたことがありますが、私にしてみれば今年は「白兎の年」ですねやはり。

ところで、その黒兎について。

欧米社会の一部では黒猫はよく思われませんが、黒兎はそうでもなさそうです。しかしたとえば『ウォーターシップ・ダウンのうさぎ(ウサギ)たち』(2006年の翻訳改訂版後は『ウサギ』表記)などでは、死神のような存在と言える「インレの黒ウサギ」が登場します。このインレ、『ガンダム』のシリーズ(A.O.Z Re-Boot ガンダム・インレ-くろうさぎのみた夢-)に兵器として出て来ます。

それから黒兎は、悪い子を罰する存在でもあります。言うことを聞かない子の所へ、黒兎が4匹やって来て、子供を箱の中に押し込めて連れ去ると言うものです。

こちらは、西洋魔術博物館様のツイッター(X)投稿をお借りしています。4匹の黒兎が黒い箱を担いでいます。

FireShot Capture 519 - Xユーザーの西洋魔術博物館さん[ブラックラビッツ」

これを見て、思い当たる方もいるかも知れません。

ずばり『ピノキオの冒険』です。妖精(仙女)に助けられたピノキオは、薬を飲むように言われたものの苦いからと渋り、飲もうとしません。するとこの黒兎4匹が棺を持って現れ、ピノキオをそれに入れて連れ去ろうとします。慌てて薬を飲んだため事なきを得ますが、それに非常に似たものがあります。

尚、これは『ピノキオの冒険』の原作にのみ登場する場面です。ディズニーの『ピノキオ』にはこの兎たちは登場しません――と言うより、ディズニーは他のアニメ作品もそうですが、かなり改変されている、あるいは原作を基にした一種のパスティーシュと呼ぶべきでしょう。

ところで兎と一口に言っても、大きく分けて2種類の兎がいます。1つはラビットでアナウサギと呼ばれ、日本には野生種はおらず飼育種のみです。上記の黒兎もラビットです。この種は巣を作って、子供を育てます。また生まれたての子は毛が生えていません。体型は丸みを帯びてむっちりしており、可愛らしいイメージです。スヌーピーのモデルとなったビーグル犬が狩りをするのは、このラビットですが、スヌーピーは兎狩りには何ら興味はなさそうです。

もう1つはヘア、ノウサギで日本にも野生種が住んでおり、北海道に住む種はユキウサギと呼ばれます。こちらは巣を作らないため天敵が多く、子供は生まれたばかりでもう目が見えて、走ることができます。走ることに特化した後ろ脚が長い体型で、体もアナウサギより大きいです。

それからアニメでバッグス・バニーというキャラクターがいます。『ルーニー・テューンズ』のキャラクターで、バニーは「ウサちゃん」的なニュアンスです。そしてこのバッグス・バニー自身はその外見から、またデビュー作のタイトルが"A Wild Hare"(邦題『野生のバニー』)なので、恐らくノウサギと思われます。


飲み物-温かいカフェオレ
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[ 2023/11/11 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

第41回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では、taketak39460607さんのnote記事について。いつものように、こちらでは武者さんのコラム引用文をダークブルーにしています。そして、数ある指摘の中から一部ピックアップしていますので、すべてご覧になりたい方は、下記URLからどうぞ。それと今回から、タイトルを少し改めています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第41回~
https://note.com/taketak39460607/n/n6ebcb8d18f5c

オープニングからさすがに説明不足ではないでしょうか。
内府って何なのか?
快く思わぬ者がいるのはなぜ?
西の丸に入ることの意味は?
こうした状況を受けて、なぜ家康の暗殺計画まで出てしまうのか?
暗殺を企んだ連中はどういうメンバー構成なのか?

これに関してですが、当然ながら
「一事が万事、歴史系レビュアーを名乗るのなら何故貴方が調べて読者に解説をしないのでしょうか?」
とあります。
そしてまず、『内府(だいふ)』とは左大臣・右大臣に次ぐ太政官職である『内大臣』の唐名であること(慶長の役の頃には既に内府であったこと)が書かれています。

しかる後に北政所(寧々)から実質的な政務を行う権限を得た後、大名との私的縁組を咎められ、その後石田三成を招いて政務を共にしないかと持ち掛けたものの断られ、三成は失脚して、家康が西の丸で政務を執るようになったこと。三成への仕置きに納得が行かない豊臣家臣がこれを快く思わず、暗殺計画に至るという説明がなされています。

尚『看羊録』のこの箇所が引用されています。
「前田利長はひそかに上杉景勝・伊達政宗・佐竹義宣・宇喜多秀家・加藤清正・細川忠興らと家康を殺そうと同盟し越中に帰った。三成が家康にとがめられて近江に退いた時にその謀を知り、家康に書面で告げた。家康は秀頼に挨拶するとかこつけて虚に乗じて大坂城を拠り所とした」

またここでは
「大野治長公は暗殺未遂の罪は認めてもその動機として『治部殿への仕置きに納得がいきませぬ』と毅然とした態度を取っており、家康さまは苛立ち他2人に圧をかけるように畳を指でトントン叩いていました。(因みに兎の習性として足を踏み鳴らして威嚇する事があるそうですが、なんとなくその仕草に兎みを感じます)」
という記述があります。

この兎の「足ダン」でしょうか、タッピングとも言いますが、飼い兎はストレスや意思表示で、野生の兎は天敵がいるのを仲間に知らせるために行うらしい。昔シートンの『動物記』でそういう兎の習性について読んだことがあります。
尚シートンと言えば、『情報7daysニュースキャスター』で熊が人里に出没するニュースで、コメンテーターの三谷幸喜氏が『動物記』に言及していました。小学生の頃に読まれたのでしょうか。

前田玄以をわざわざ「徳善院玄以」と記すあたりも、このドラマの嫌なところでが滲み出てますね。
小手先の技ばかり。

これに関しても、前田玄以の号が『徳善院』であること、天正12(1584)年には民部卿法印に叙され、
「その後徳善院僧正の称号も受けているため『どうする家康』では『徳善院玄以』を名乗っているのだと思います」
とありますね。

武者さん、好きな大河であれば流石だと褒めているのでしょう。
しかし嫌いな大河で、このような表記をされるのは気に入らないのではないかと思います。
これは立膝も同じでしょう。

先週、「阿茶だけ立膝なのが鬱陶しい」と書いたところ、散々突っ込まれました。
(中略)
「ええ、知ってますよ。畳がまだ少なく板敷の時代では、正座ではきついですよね。肖像画や木像も立膝のものはあります。『麒麟がくる』はそれをふまえ身分や性格を問わずに全ての女性がそうしていたのに、このドラマは阿茶局だけがキャラ立ての一環として立膝なのが嫌なのでそう書きましたけど。伝わらなかったんですか?」
というわけで、こんなワタサバじみた阿茶局は嫌いです。

この「阿茶局だけがキャラ立ての一環として立膝が嫌なのでそう書いた」
の部分ですが、こちらのnote記事ではこう指摘されています。
「第40回レビューで貴方は『阿茶局にしても、なぜか一人だけ立膝。ドヤ顔でいつも同じ調子で「私、頭がとてもキレるのw」とアピール感満載で一体なんなのでしょうか。見せ方が本当に幼稚だ。』としか言及していません。
あとづけで『私の嫌いな作品に採用するな』と屁理屈捏ねただけであり、書いていなければ相手には伝わらないのですが」

「キャラ立て」とはこの第40回関連コラムでは書いていませんね。
と言うか、第40回の方で
「なぜ阿茶局だけが立膝をして、他の女性はそうでないのか」
というテーマで、自分なりの考察を述べておけばよかったのかも知れませんが。

無論、他にも立膝をしていた女性たちがいることについても、下記のようにちゃんと書かれています。
「『どうする家康』では立膝をしていたのは瀬名さまや亀姫さんもで21回、長篠城を救うために岡崎城で織田軍を迎える場面で座っています」
これは私も『武将ジャパン』関連投稿で書いています。
それから『和樂web』の『跪坐』(膝と足指の先を床面に着けて尻を踵に乗せる座り方)が紹介されています。身分の低い人が、高位の人の前に出る、あるいは退く時の作法です。

そしてやはりこちらの部分も疑問視されています。七之助さんの記事関連です。

好きな俳優にこんなことを書きたくないけれども、あえて言います。
「父親がこの姿を見たら喜ぶだろうな」なんて呑気におっしゃってますが、考えるべきはあなたのお父様ではなく、視聴者とあなた自身ではないでしょうか?
お父様がどう思うか。そんなもの、ハッキリ言えば二の次のはず。
こんな、おこぼれをもらって嬉しいというような記事が出ることに失望しましたが……
それでも彼はそのおこぼれゆえ、まだ良い扱いです。

まず、七之助さんは『元禄繚乱』で、お父様の中村勘三郎さんと父子役で共演しており、それから約24年が経ち、(松本さんが)主役を務めて、自分は『石田三成』という大役を演じさせていただく。これは神様の巡り会わせで、松本さんは勘三郎さんとも親しく、また尊敬してくれていたので、父も見ていたら喜ぶのではと考えながら撮影に臨んでいたことが説明されています。

そしてその後ではこのように書かれています。
「松本潤さんと七之助さんは同級生で家族ぐるみのお付き合いだったそうですね。
中村屋の大河での出演歴も含め、お父様にも喜んでもらえるよう努めたいのではないでしょうか?
人の内心を勝手に気に入らないと全否定し誘導しようとするのは失礼ではないですか」

自分が嫌いだからという理由で、何でも言っていいというわけではありませんからね。ましてこういうのは直接的ではないにせよ、その人の思いを踏みにじるものでしょう。

そして文春関連の記述です。

大谷吉継が三成に会いにいく場面で干し柿が大きく映ります。
ここは密かに注目しています。
“三成の最期”を描くときに定番である「柿のエピソード」が、松本潤氏の意向により削られた、と文春砲の第一弾で報じられていたのです。
しかし、ここでは干し柿が出されていました。
果たして伏線になっているのか。
それとも、当初は伏線として配置したものの、記事にあった通りに、カットされてしまうのか。

ここでは
『「柿のエピソード」が、松本潤氏の意向により削られた』という記事内容について関係者にウラを取っているのか
まだ放送していない回の事をアレコレ妄想して『文春砲だから事実に違いない!だって文春に書いてあったもん!間違いない!』と中傷する準備をして喜んでいる、すごく野暮だと思う
このように指摘されています。

このまだ放送されていない回のことを、あれこれ想像したがるのも武者さんらしいと思います。
色々想像する分には構わないのですが、それを一部メディアの記事だけを頼りに、しかも報酬を貰っているコラムに書くのは如何なものでしょうか。

また、大久保忠世さん役の小手伸也さんが
「オンの芝居にアドリブを加える場合は、事前に監督と共演者に許可を頂き(方言指導の先生も慌ててやってきて)、本番に臨みます」
と投稿していたことを踏まえ、アドリブと言えども勝手に削除はできない、やるなら相談してスタッフ同意の元でやるでしょうとも書かれています。
ましてアドリブでなく台本通りなら、そのまま放送される可能性は大いにありかと。

それから武者さんの色の表現について。

一方、三成と大谷吉継が黒服コンビになるのは一体何なのでしょう。
こちらは羊羹の精霊みたいに見えます。

ここではこう指摘されています。
「明るい色目の衣装なら『ファンシーなアイスクリームフレーバー色』で『幼稚』、黒い甲冑や陣羽織を着用すれば『羊羹の精霊』、茜色の衣装は『スイカバーの妖精』、貴方は何色を着たなら納得するのでしょうか?
それよりも貴方の色合いの表現がずっと貧相ですが」
武者さん、前にもペールカラーとかパステルカラーなどと書いていたこともありました。アイルクリーム色よりはましかも知れませんが、こういうのはすべて和の色彩であり、それに見合う色を自分で調べてはどうかと思います。

そして確かに色の表現、例えが安っぽいです。これは「今」を殊更に表現する時、やけにトレンドのお菓子や食べ物を引き合いに出すのと似ているなと思います。このコラムでの「今はトゥンカロンと台湾カステラ」などのように。

それから視聴率関連。

人気が出なかったこと。
視聴率が低かったこと。
番組に違和感を感じていた視聴者に向けた言い訳にもできる。
提灯記事連発の大手スポーツ紙に対し、忖度なしに好き勝手書けるのが、雑誌系のメディアです。

こちらの方は、
「『22日放送の第40回までの平均視聴率は11.1%。このままいくと、19年放送の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の8.2%に次ぐワースト2位となること濃厚だ。』とありますが、なぜこの手のネット記事の視聴率はなぜBSや4kでの先行放送、NHK+での無料見逃し配信や録画での後からの視聴の方もいるのに地上波であるNHK総合の世帯視聴率しか考慮に入れないのでしょうか?」
と書かれています。

この第40回ですが、ビデオリサーチサイトで見る限り、総合視聴率は17パーセントで『ブギウギ』、『下剋上球児』に続いて3位です。また平均視聴人数でも第3位にランクインです。

それとこれは、家康が黒田長政に馬を、福島正則に『孔子家語』をあげようとして、取り替える取り替えないの騒ぎになるシーンで、特に武者さん関連ではありませんが、一応書いておきます。

佐和山で蟄居していた石田三成のもとへ大谷刑部がきて、家康絶好調と語るわけですが……。
宴会でノリノリだというのは何事ですか。
他に表現方法はないのですかね。
西の丸の騒音が茶々のもとまで聞こえるほどつつぬけなんですか?

この引用部分に関して、note記事の一部で
「正則公が長政公に「取り替えてやってもよいぞ」と馬との交換を持ち掛け騒ぎになり家康さまが「やめよやめよ」と止める場面もありました。
この二人は日本号呑み取りの件もあり、お互いの兜を交換するなどしていますし、『仲良く喧嘩しな』な間柄なのでしょうか。
正則公が『孔子家語』を交換したがったのは、もともと武働きの人であり、あまり興味がないのかもしれませんね」
とあります。

両者のキャラの違いがわかって面白いなと思います、松寿と市の昔に戻ったような感じでしょうか。そしてこの「仲良く喧嘩しな」、『トムとジェリー』のテーマの一節ですね。ジェリーのいとこのオムツをしている子が好きでした。

飲み物-アイリッシュコーヒー
[ 2023/11/06 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第38回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第38回に関する『武将ジャパン』大河コラムその3です。


駄作ドラマは偶然に頼る!そうじゃないと話が進まない!
そんな法則がありますが、本作で露骨に使われているのが
・廊下で偶然出会う
というシーンですね。
直近では、家康と三成が星を見上げて出会う場面は、あまりにバカバカしいご都合主義でした。
それに続き、今回は淀殿と家康が廊下で出くわすって、これは現代のオフィスドラマでしょうか。

茶々が家康の屋敷を訪れるシーンですが、あれも彼女がいるのを家康が目に止めて、座敷に入るように促しているのであって「廊下で偶然出会う」とはちょっと違うますね。
それにああいうシーンは結構目にしますよ。たとえば『真田丸』でも、信繁が片桐且元と廊下で出会うシーンがあったかと思います。

上目遣いで「母に似ている」という淀殿を見ていると、めまいがしてきましたね。悪い意味で。
ここから「ワタシって母にそっくりだからw」とわざとらしい誘惑をしてくる淀殿は紛れもなく、史上最悪です。
デッサンが狂ったような部屋にいる淀殿と家康。
家具もろくにないし狭いし、何か開発に失敗したアニメかゲームを彷彿とさせます。この部屋は何かすごく上位の場所のようですが、私には控えの間くらいにしか見えません。
それにしても見ているだけで苦痛を覚える場面でした。

武者さんもTVを投げたくなったりめまいがしたり、はたまた苦痛を覚えたり忙しいですね。
家康は本能寺の変の前に京でお市と会っています。その時のイメージがダブったとしてもおかしくありません。
また茶々は「私は母そっくり」ではなく、「『母に似ている』よくそう言われます」と言っているわけで、彼女が周囲からそう言われていることを窺わせるものがあります。

そして「デッサンが狂ったような部屋」「何か開発に失敗したアニメかゲームを彷彿とさせます」とは何なのでしょうね。それと「すごく上位の場所」これもまた何ですか?
ぱっと見普通の座敷ですけどね。

淀殿が家康の手を握ってこれだ。
「まことの父はあなた様なのかもと」
「父上だと思ってお慕いてもようございますか? 茶々はあなたさまに守っていただきとうございます」
史実では、浅井長政の慰霊をするなど父思いだった淀殿に、どれだけ侮辱的なことを言わせるのでしょう。

これ、第30回の内容を踏まえているのでしょうね。
この時妹の初と江が、徳川に輿入れするするかも知れなかったかと母のお市に尋ね、もしかしたら自分たちの父は家康だったかも知れないと言うのを聞いた茶々が、我らの父は浅井長政じゃと言う、あのシーン。あの時の茶々が、ここに来て様変わりしています。
またこのシーンで出て来ますが、茶々自身、秀吉に愛憎半ばするところがあり、彼女に言わせれば「話がしたかった」、もっと言えば近づきになりたかったかとも考えられます。それがあのような、かつての茶々とは正反対のセリフを吐かせているのでしょう。

それから父長政の慰霊とは、養源院の建立のことですか。これは秀頼が生まれてからですよ。

第二子妊娠の父を家康だと匂わせているんだとしたら最低であり、吐き気がします。
この場面、大河ドラマ史上ワーストに入る可能性を感じます。
しかもここでチベットスナギツネみたいな顔をして、側室だと自称した阿茶が来るのは何なのか。側室という用語はこの時代に本人が使うものですかね。

第二子妊娠をほのめかしているにしても、第一ここに阿茶局がいるし、どうやって家康が父親になるのかと思ってもしまいますが…。
「側室という用語はこの時代に本人が使うものですかね」
ならば、この時代本人が自称しなかったという例を挙げてください。
あとチベットスナギツネは余計かと。

俺を取り合う美女ども!
というオッサンの妄想ですよね。
考えれば考えるほど気持ち悪い。
「父だと思って慕う」とアリバイじみたことを言わせながら、家康の側室と張り合わせるということは、性的な含みを持たせているということでしょう。
初恋相手の娘が、その母親にそっくり!
その彼女が、母親と同じ顔で迫ってくる……って、どこの18禁作品ですか?

武者さんが勝手にそう思っているだけではないですか。
あのシーン、確かに母親似の茶々が家康に何らかの形で助けを求めており、しかも家康の言葉にあるように、人の心にぐいぐい迫って来ています。しかし阿茶局は異なるタイプであり、張り合わせるというか、競い合わせるような構図とはならないでしょう。

そしてまた下劣なにおわせだの、ジャニーズ批判だのしつこいので省きます。

大河ドラマでも、こういう下劣なことで話題をさらうことはしばしばありました。
最近の作品ですと、一例がこちら。
◆竹中直人の“キス死”は台本になかった! NHK大河「青天を衝け」人気を支える名優たちのアドリブ合戦(→link)
台本にないのに、いきなり性的な接触をするというのはハラスメントです。

実際に徳川斉昭の死がどんな状況だったか(※暗殺説が流るほど唐突に、トイレで頓死しています)?
それを踏まえていれば、こんなアドリブをして、かつOKが出るわけもありません。
それなのに、バズればいいとばかりにやらかす現場。
褒めそやすメディア。
私には疑念しかありませんでした。
こういう下劣なお遊びはもう笑って許されないどころか、コンテンツの寿命を縮める可能性があるのです。

小手伸也さんのX(ツイッター)投稿によれば、アドリブも思い付きでやるのではなく、スタッフの許可を得てからとあります。それを考えれば
「台本にないのに、いきなり性的な接触をするというのはハラスメント」
にはならないでしょう。このシーンだってスタッフの許可を得ている可能性はあります。
恐らく好きな大河でこういうシーンがあれば、下劣などとはもちろん言わず、ほめそやしているのだとうなと思います。

それと「コンテンツの寿命を縮める」
『青天を衝け』は『麒麟がくる』が年をまたいだため、2月始まりでオリンピックによる中断もありましたが、その分その年の最後の日曜までちゃんと放送されています。

また
「※暗殺説が流るほど唐突に、トイレで頓死しています」
の意味が今一つ不明なのですが、この大河では厠で急死したことになっており、いまわの際に妻への最後のお礼として、キスという行為に及んでもそれはそれでおかしくはないでしょう。

秀吉の唐入りの理由は色々言われていますが「淀殿が女狐だった!」とは、たまげました。
意味がわかりません。
顔を突き合わせながら秀吉に凄むだけの家康も決定的にバカです。
なぜ理論だてて説明できないのか?
若い頃のお前は違った――そんな、オッサン同士の青春話で改心させようって、町内会の運動会じゃないんだから。
朝鮮半島に大軍を送って殺し合いをさせる、そんな酷い現実が行われているんですよ。
『麒麟がくる』の明智光秀や、『鎌倉殿の13人』の三浦義村とは説得力が大違いだ。
くどいけれど本作の制作陣は、『パリピ孔明』スタッフの爪の垢を煎じて飲ませてもらった方がいい。

浅野長政の、「狐に取りつかれておる」を踏まえての「女狐」です。阿茶局は家康の酌をしながら、そのことを聞いていたわけですから、このようなセリフが飛び出してもおかしくありません。
「意味が分かりません」だそうですが、ドラマをバカにしてちゃんと観ていないから、意味がわからないのです。
報酬貰ってコラムを書いているのなら、もう少しドラマにきちんと向き合ってはどうですか。自分のミスなのに、わからないだの、場合によってはスタッフのせいだのにして済まそうとしていませんか。

「若い頃のお前は違った――そんな、オッサン同士の青春話で改心させようって、町内会の運動会じゃないんだから。
朝鮮半島に大軍を送って殺し合いをさせる、そんな酷い現実が行われているんですよ」
何かにつけて「オッサン」を持ち出してくる武者さんですが、少し前にも書いているように、すぐこういう発想に結びつけたがる武者さんの方が、正直言ってオッサンに見えてしまいます。

「朝鮮半島に大軍を送って殺し合いをさせる、そんな酷い現実が行われているんですよ」
生憎この大河では、朝鮮での殺し合いは描かれていません。酷い現実が「行われる」というのもちょっと変ですが、ともかくここで酷い現実という場合、敵地に相手の援軍が来て、しかも兵糧も底をついており、日本とは比べ物にならない寒さの中で戦を強いられる状況のことを指しています。

「『麒麟がくる』の明智光秀や、『鎌倉殿の13人』の三浦義村とは説得力が大違いだ。
くどいけれど本作の制作陣は、『パリピ孔明』スタッフの爪の垢を煎じて飲ませてもらった方がいい」
説得力が大違いなどとありますが、光秀や義村の「どういう部分」と大違いなのでしょうか。
その対象をはっきりさせないと比較はできません。
そしてまた『パリピ孔明』、武者さんはこれのPRをしなければならない理由でもあるのですか?

そして「マンモーニ」アピール(『ジョジョの奇妙な冒険』関連のようです)とかで、

こうした状況は、今まさにテレビ局の上層部にいる年代、エリート層の手癖なのでしょう。
本物の苦労なんて知らず、せいぜいが親に理解されなかったとか、受験勉強が大変だったとか、モテなかったとか、その程度の経験しかしていない。
そういう自分達の昭和後期平成のセンスだけで世の中を解釈して、歴史的な理解とか、世相とか、一顧だにせず生きてきた。

「本物の苦労なんて知らず」などとありますが、この「本物の苦労」とは具体的に何ですか?
随分とTV局上層部を叩いておいでですが、そして私もマスコミ関連は色々偏った部分もあると思いますが、その人たちもまた組織の中で揉まれて、今の地位を得た人たちではありますが。

その後ライトノベルの売り上げが減っているとか何とか、それとこの大河と何の関係がありますか?
さらに「そんなコンテンツに本物の若者は魅力を感じませんよ」
あの、この本物の若者て何ですか?「今の」若者のことならわかりますけど。
やけに本物を入れたがりますね。

そして「どうしようもない“等身大”の像」とかで、等身大の家康が斬新だそうだが、それはTVやメディア上層部が考える等身大だとか何とか。
等身大というのは、スーパーヒーローでない、弱いところもある家康が家臣団の助けを借り、苦しみ迷いつつも活路を見出して行くという意味ですが、家康すなわちオヤジの幻想としてしか捉えていない武者さんには、ちょっとその解釈は難しいでしょうか。

先日放送終了した『らんまん』は、魅力的な自由民権運動家・早川逸馬という人物が出てきました。
あれは主人公と同世代、幕末生まれにとっては”等身大“の若者像である「壮士」です。
それが一世代あとまでくだると「青年」というアンニュイな若者像が等身大となる。夏目漱石の小説に出てくるような像になります。若者像とは時代ごとに異なるのです。
歴史が好きな製作者は、そういう当時の”等身大“を考えられる。
しかしこのドラマとその周辺は一切できない。自分の周囲しか好きじゃない。
自己弁護と正当化がしたいだけで、歴史のことなどどうでもいいのでしょう。

なぜか、ここで時代も背景も違う『らんまん』がまた叩き棒。
「若者像とは時代ごとに異なるのです」
ならばこの家康も、あの時代の武将になれるかどうかもわからない、悩める若者の一人であったわけですが。
そしてこれまた武者さんが嫌いな『青天を衝け』ですが、あれに登場する栄一と喜作、彼らもまたあの時代の青年、若者のひとつのあり方です。

「しかしこのドラマとその周辺は一切できない。自分の周囲しか好きじゃない」
それは貴方が嫌いだから、そのように見えているだけです。否定から入るからどうしてもこういう考え方になるでしょうね。

「自己弁護と正当化がしたいだけで、歴史のことなどどうでもいいのでしょう」
すごいブーメランに見えるのですが…。


飲み物-グラスに入ったビール
[ 2023/10/13 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第35回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。


本作はきちんとキャラクターを描いてこなかった。
こんな終盤にもなって、秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語るって異常ですよ。
歴史に興味がないという脚本家だけに、自身も忘れていて、コピペでもしているのでは?と思わせるほどです。

まず何を言っているか不明です。「秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語る」て、具体的にどのシーンのことでしょうか。そしてそれが「歴史に興味がない」と何か関係あるのでしょうか。取りあえず、何かネガティブなことを書こうとして、適当なことを書いているようにしか見えないのですが…。
そしてこれも3行で1パラグラフ。こういうのも実に適当だなと思ってしまいます。

それと『どうする家康』の場合、「終盤」は、関ケ原が終わってから後ではないでしょうか。後半の核になる部分に入って来てはいますが、まだ江戸の町を作る段階でもありませんし。

秀吉とねねの衣装コンセプトはなんとなくわかった。
質素な三河武士(どいつもこいつもアイスクリームフレーバーですが)とは異なり、ともかくド派手にしたいのでしょう。
しかし、だからといって夫婦揃って同じコンセプトのペアルック状態とは何事でしょう。
林家ペー&パー子じゃないんだから。
◆林家ペー&パー子オフィシャルサイト(→link)

どうする家康第35回秀吉と寧々2

ペアルックてこれですか?(『どうする家康』公式サイトより)
同じには見えませんけどね。関白殿下の方がどちらかといえば派手目でしょうか。
2人とも贅を尽くした着物を着ているなとは思います。大政所しかりです。

そしてペー師匠とパー子さんはあれがひとつの芸風ではありますが、この関白夫妻はそれとは違いますね。

それから、松本潤さんの家康がよほど気に入らないようで。

冒頭で、本作は演技過剰だと指摘しましたが、主演の家康も際立っています。
いちいち「俺、かっこいいです! この角度を見て! この口の歪め方どうよ?」といわんばかりの表情。イントネーションをつけすぎた台詞回し。
一体なんなんでしょう。
彼は顔の作り方が幼い。演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが。
大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか。
話題性と事務所の力だけに頼ってよいものでしょうか。

「一体なんなんでしょう」「頼ってよいものでしょうか」
例によって如何にも問題提起していますといった口ぶり(武者語録と言うべきでしょうか)ですが、要は自分が気に入らないから、やたらに問題視したいのだろうなと思ってしまいます。

そして
「彼は顔の作り方が幼い」
「演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが」
「大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
俳優さんの外見を云々し(ちなみに作り方ではなく『作り』かと)
「セリフを覚えるだけで精一杯」「演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
と、特におかしな演技をしているわけでもない相手に、自分が嫌いだというだけで誹謗中傷のしまくり。問題だなと思います。

これじゃ、武者さん自身に対して「一体なんなんでしょう」と言いたくなってしまいますよ。

しかしなぜこんな文章を書かせますかね。まず分別というものが感じられないし、そしてもちろん出演者への敬意もまるで感じられません。

あと事務所関連で思い出しましたが、経団連の十倉会長が、ジャニーズのタレントの活躍の場を奪うのは如何なものかとコメントしたようですね。

『麒麟がくる』のキャストとスタッフで、本能寺の後を見たかった――ふとそう思ったら、心から切なくなりました。
あの作品は、本能寺で終わるように作られている。
その先は蛇足になる。
だから、そういうことは考えたくないのに、どうしても考えてしまう。

だったら『麒麟がくる』だけ観て、その思い出にどっぷりつかっていた方がいいのではありませんか。これを書くのは何度目だろうかと思いますね。逆に私、武者さんに『どうする家康』もう観てほしくないのですけど。

第一本能寺後はもう光秀はいないことになっているのだから、その後は作れないでしょう。主人公の最後の見せ場である山崎の戦いは結局描いていないわけですし。ならばあそこで終わるしかなかったわけですが、一体何を言いたいのですか。

仲と井伊直政の絡みは、序盤だけで終わらず、しつこく繰り返される。
不愉快でしかありません。
このドラマはLGBTQを雑に出したり、たまに意識高いセリフをいうくせに、こういう「ババアはイケメンが好きw」みたいなミソジニーを堂々と垂れ流す。
趣味は差別、特技は逆張りみたいなドラマです。

武者さんのルッキズムとミソジニーの方が、よほどしつこく感じられるのですが。
どこをどうすれば
「ババアはイケメンが好きw」
なんて出て来ますかね。こういうことを勝手に想像する武者さんの人間性が問われるような気がします。

そしてなぜこれが差別になるのでしょうか。
あらすじと感想でも書きましたが、仲は愛すべき息子であったであろう秀吉が、最早得体の知れない存在になってしまい、その代わりを直政に求めていたように思われます。
「不愉快に思われる」なら余計に観ない方がいいのに、なぜか毎週観ては5ページもある文章をアップしていますね。

稲のだらしなく舐め腐った態度は、一体なんなのか。脚本家の趣味でしょうか?
このドラマから感じることは、武家の誇りがあるような女性のことを「ダサいしうぜえw」と捉えているということです。
武士の誇りがある明治生まれの女性というのは、昭和の時代はいました。アジア・太平洋戦争の敗北まで、日本人は武士の精神が掲げられていましたからね。
本作脚本家の世代は、祖母世代にそういう女性がいたはずです。

嫌いな人物が出てきたらなんでも「脚本家の趣味」。
出演者のみならず、脚本家もすべて否定しまくっていますね。
そして急に出て来た「武家の誇りがあるような女性」(『ような』が不可解、武家の誇りがある女性でいいでしょう)とは何ですか。

さらに、唐突に明治生まれの女性が出て来たと思ったら、これも脚本家叩きですか。ならばリアルに武士が存在した時代は、武士も武家の女性も皆それ以上に、誇りも覚悟もあったと思いますよ。あるいは今でも、そういう考えを受け継いでいる人はいないとは言えないでしょう。

しかしここの部分、何だか、書き方がもたついているように見えますね。

「脚本家の祖母世代には、明治生まれで武家の気質を受け継いだ女性もまだいて、周囲にそういう人がいたかも知れないのに、稲の描写を見る限り、武家の女性を貶めて描いているように見える。武家育ちである稲は、もう少し気高くあったのではないか」

こうとでも書いておけばいいのでは。

それなのになぜ、彼女たちをコケにするようなスタンスになってしまうのか。
「そんなクソババアみてえな女いらねえしw せっかくのかわいこちゃんはギャルにしちゃえwww」とでも言いたげ。
しょうもない逆張りしかできないんですかね。

しょうもない逆張り、ですか。
では武者さん、貴方は瀬名と於愛、2人とも武家の女性ですが、彼女たちを何と呼んだでしょうか?
瀬名はカルト教団のマザー、於愛は近眼設定は嘘でちゃんと見えているからレーシック於愛。そう呼んで蔑んでいませんでしたっけ。
そういう人に「武家の誇りがあるような女性」を云々されてもなあ、と思います。

秀吉のお膝元にやってきて、周囲には誰がいるかもわからない。
そんな緊迫感に包まれたはずの敷地内で、廊下でダラダラ話す徳川家臣団。
直後に、石田三成に出会うから、くだらなさここに極まれり、というところです。
彼らはどんなセキュリティ意識を持っているのか。
三成との出会いにせよ、偶然に頼らないと展開できないのでしょうか。

緊迫感に包まれたのは秀長の屋敷に着いた時、その後一連の儀式も終わって、すっかり打ち解けたのがこのシーンです。
そしてこういうシーンで偶然誰かに会うのが「くだらない」らしい。大河の出会いの半分ほどはこの偶然ではないでしょうか。八重が尚之助に出会うのも、直虎が龍雲丸に出会うのも、はたまた光秀が駒に出会うのもそうではありませんか。
そしてセキュリティ意識も何も、同じ屋敷の中にいるわけだし、しかも三成は賊でも何でもないのですが。
ならば武者さんは、どのような出会いをお望みだったのでしょうか。

石田三成はなぜ西洋の星座の話をするのでしょう。
もしかして脚本家は西洋占星術ぐらいしか知らないのでは?
朝のテレビ番組で流される星占いコーナーじゃないんだから。
「獅子座の今日の運勢は最悪! まさかと思っていたことが現実に……」

三成が話しているのは「星座」についてであり、「星占い」についてではありません。
武者さんがちゃんと観ていないなと思われる所以です。なのに繰り返しますが、5ページもある文章を毎週アップしていますね。但しその半分は、大河と特に関係ないものと言っていいのですが。

東洋にも星座はあります。北斗七星は誰でもご存知でしょう。
当時、星座といえば中国由来の星宿があり、それならば気にする武将もいると思います。本来の軍師には必須の教養でしょう。

やっぱり観ていないのでしょうか。家康が「厠と兎」の話をしていましたけど、どうせ家康のセリフだからと飛ばしましたか。
要は西洋のうさぎ座の一部が、中国では厠であることを意味しているのですけどね。そしてこの星座は、二十八宿の1つの参宿の一部と考えられており、このうちの4星が厠を表すとされていました。

衣装がチョコミン党員みたいな、見た瞬間にガッカリしたくなるミントグリーンときた。さっさと関ヶ原に散って欲しい石田三成を初めて見ました。

『麒麟がくる』の三渕さんの直垂のグリーンも、同じような色使いではなかったのでしょうか。

どうせ星を使うなら『北斗の拳』でもネタにすればいいのに。
ドラマ自体に「死兆星」が見えていますよ。
死兆星(しちょうせい)とは! アルコルのことである。北斗七星の横に寄り添うように光る四等星。死の運命を持つものの上に輝く不吉な星だ!

アルコルと言えば、視力検査に使われた星でもありますね。そして『怪盗ルパン』にも、文章のそれぞれの頭文字を取ってつなげるとこのアルコル(アルコア)になり、それが財宝の隠し場所を意味するというあらすじのがありました。
別に『北斗の拳』だけに出て来るわけではありません。

ようやく家具が増えたことは評価できるようで、時間がないことは伝わってきます。

日本語としておかしくないですか?
ようやく家具が増えて来たことは評価できますが、時間がないことが伝わってきます
とでも言いたいのですか。

大型プリンタで印刷して貼り付けるとか。
ポスターカラーで雑に描くとか。
そういう手抜きをしていませんか?

戦も一段落して、浜松城の城主ともなれば当然持ち物は増えるでしょう。
しかし大型プリンタだのポスターカラーだの、比喩が正直言って何だか安っぽいなと思います。そう言えば最近「ホームセンター」は鳴りを潜めたのでしょうか。

レーシックで完治したはずが、近目(近眼)が進んだそうです。
これまで何事も問題なく普通に見えていたのに、急にどうしたのでしょうか。
再手術となれば危険ですからご注意ください。
“家康の尻をぶっ叩きたい”だけのために近眼を言い訳にしてはいけませんよ。

これも何だか安っぽい印象があるのですね。
於愛は近眼設定じゃない、見えてるじゃないか、レーシックしたんだろうと無理やり感のある決めつけ。
おまけに
「再手術となれば危険ですからご注意ください」
余計なおせっかいです、私手術なんかしていないのにと言う於愛の声が聞こえてきそうです。
彼女は夫である家康も散々に言われて気の毒な話です。

レーシックお愛と家康の慈悲を施す態度がイヤだなぁ。
しかもここで団子に石を入れた老婆が出てくるのも意味わかりません。
殿様に嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない。こっそり受け取って去ればいいだけですよね。
なぜ、わざわざ自己申告する?

「イヤなら観るな」
慈悲の心に触れて、かつての悪行をカミングアウトしようとしたのでしょうね。あのお婆さんも、心の中では後悔かつ反省していたのでしょう。

そんなバカげた行為をさせてまで、家康の器量が大きくなったとでも言いたいのですか。
このしょうもない場面で「伏線回収!」という提灯記事が出たらどうしましょ。もう脱力するしかありませんよ。

家康の器量は、間違いなく大きくなっていますし、彼らが噂したことは、実は本当であると言うこと自体成長しています。
別に伏線回収なら、それで構いません。脱力したいのなら、悪いけど勝手に脱力していてください。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/09/21 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第29回の武将ジャパンコラムに関するnote記事とイチジク絡みで少し

さて、今回もいくつかtaketak39460607さんのnote記事からご紹介します。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第29回~
https://note.com/taketak39460607/n/n9fdaa845c3fd

まず、これは『武将ジャパン』のツイート関連です。

「本能寺周辺に潜ませていた500人もの伊賀者はどこへ?
常に一緒にいなくても警護のために控えることはできるし、伊賀の頭領にも話を通せたのでは?」
とあるのですが、これに関しては、やはり家康自身が、指示するまで伊賀者たちを動かすなと言っていたこと、半蔵、大鼠、大山犬たちは彼らを待機させたまま、家康を助ける行動に出たこと、大人数での移動は目につきやすいこと、伊賀の頭領に話を通すにしても、まず徳川一行との合流を図ったうえでやるべきことと指摘されています。

実際この『武将ジャパン』、こちらのツイにしても大河コラムにしても、
「家康が伊賀者たちは指示するまで動かさないように命じる」
この点があまり省みられていないように思われます。

そして武者さんが、忍びたちを『鬼滅の刃』の宇髄天元と比較している点。
こちらも、伊賀や甲賀の忍びたちは領主に仕えるのではなく、金銭と引き換えに、傭兵や足軽として奇襲戦法を行う人々であると思われること、しかも『鬼滅の刃』は大正時代が舞台で、既に忍者そのものが過去の存在となっており、実際の戦国時代の忍びとの比較は無理があるとの指摘があります。

これも『鬼滅の刃』がいけないとは言いませんが、たとえば時代劇や映画などと比較することはできなかったのでしょうか。

あとクナイをヘアアクセサリーのように使うのもおかしいと言う記述で、それは携帯のためであると論破されています。実際女性の場合、髪の中に隠すというのはあってもおかしくないでしょう。特に結髪が一般的になった江戸時代では、時代劇で髪の中にものを隠すというのを見た記憶があります。

また織田信長の殺陣が江戸時代的なのは、チャンバラの動きが得意な役者さん主導とあるところ、恐らくは岡田准一さんであるだろうが、武術関係のインストラクターの資格がある岡田さんに加え、アクションや武術指導の方もいるとこちらも指摘されています。
しかし思うのですが、武者さんは俳優さんとディレクターだけで、殺陣を決めていると思っているのでしょうか。

そして他にも色々と指摘があり、やはりそうなんだなとうなずける部分、なるほどと思わされる部分など様々です。
で、これは如何にも武者さんらしいと言っていいのでしょうか。
こちらのスポーツ紙(多分デイリースポーツ)は阪神タイガーズに甘いが、そのタイガースよりも今年の大河に甘いという武者さんの記述がありますが、それに対しても、伊賀越えは『真田丸』のが有名だが、今年のはどうなるのかと書かれているだけで、しかも7月7日付の記事であり、どう評価しろと言いたいのかと言われています。

そのスポーツ紙の記事ですが、多分第29回のコラム本文に貼られていた、このヘッドラインの記事でしょう。
「大河「家康」ついに伊賀越え判明 「真田丸」より深刻苦難 陰湿光秀に命狙われ絶体絶命 家康走る!」


それと先日書いた「イチジク=イヌビワ」の件、実はこのtaketak39460607さんが調べていて、記事中でも言及されています。

それ絡みで、現在我々がイチジクと呼んでいる植物の方、これがいつ紹介されたのかですが、どうやら天草に最初にもたらされたようです。恐らく天正遣欧使節と関係があるでしょう。1591年に、ポルトガルの宣教師によって伝えられているらしく、こちらのサイトに明記されています。

南蛮柿(イチジク)
https://amakusa-kankou.com/
local_specialty/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF/
(あまくさ苓北観光協会)

天草では今も南蛮柿と呼ぶようで、この言葉で検索すると関連サイトがヒットします。イチジクを加工した名産物も多く、「四郎の初恋」なるお菓子やジャムもあるようです。

それから朝ドラ『舞いあがれ!』を観ていた方なら、ご存知と思われる五島のバラモン凧、実は天草にもあります。長崎から伝わったもので、こちらでは「日の出鶴」の凧が有名らしいです。


飲み物-グラスビール
[ 2023/08/06 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第29回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第29回に関しての『武将ジャパン』大河コラムその1です。


今週はいきなりモブ忍者のシャウトからスタート。

モブじゃなくて大山犬ですね。名前がわからないと誰でもモブなのでしょうか。

信長がクローズアップされます。
しかし、眼の前に明智の旗(桔梗)があるのに、気づかず叫び続ける信長の姿がどうにもしょうもない……。
「殿! 水色桔梗は明智の旗ですよ、明智!」
と思わず叫びたくなってしまいます。

「やれんのか、キンカン頭!お前に俺の代わりが」
と信長は言っており、この時点で相手を光秀だと認めています。しかもその前に、お前かと落胆した表情をした時点で、既に光秀であるとわかっているはずなのですが。あと殿ではなく上様かと。

なお、今週からおじさん構文によるあらすじはありませんのでご了承ください。

最初からなくてよかったのではないかと思いますが。
正直言って滑ってるなと感じましたし。

でまた時系列がどうこうとあり、北川景子さんのSNSの紹介に関して。

命懸けで堺まで、兄を射たないで欲しいと嘆願しにいきました。
不器用でなかなか理解されない人でしたが、幼い頃から多くの犠牲を払い、強くなるためだけに生きてきた立派な兄でした。
兄との間にも色々ありましたが、かけがえのない兄を失い無念です。
(以上北川さんのSNS本文)

劇中で彼女の真意をご理解された視聴者はどれだけいたでしょう?
SNSで説明補完するのではなく、劇中でわかるように描くのがドラマではないのでしょうか。

家康と会った時点で彼女は胸の内を打ち明けていますが、それをちゃんと観ていましたか?
確かそのシーン関連では、武者さんはこんなことばかり書いていましたが、これではお市の考えなどわかるはずありませんね。

しかも、あれだけしつこくマザーセナ妄想を描いておきながら、お市とあった瞬間に
「焼け木杭(ぼっくい)に火がつくかも」
とか家臣が言い出すって何事でしょう。
切り替えが早すぎるし、そもそも二人は「焼け木杭」というほどの間柄でしたか?

もっと湿っぽいムフフな状態にまで到達した二人だからこそ、消えたと思っていた火が再燃するわけで、こんなスポーツ新聞のエロ面みたいな言い回しが、とにかく聞いていられません。
きっと、あれだ。頭の中ではシュミーズを着用したエロ人妻像が残っているんだろうな。キャミソールではそそられないレトロさ。

そして忍術関連で、『鬼滅の刃』はよくできているの、この大河の忍びはなっていないだの。そしてまた
「頭を抱えたくなります」
で、その鬼滅の刃の宇髄天元を引き合いに出して、この大河の忍びにはリーダーの資質が見えてこないと書き、

特に
「どういうことなんだい?」
なんてマヌケな台詞を言わせたらダメでしょう。嘘でも「想定の範囲内」という態度で構えていなければ、部下に動揺が走ってしまい、結果、作戦の成功率が下がってしまう。

大鼠がこう言ったのは、これが想定外、つまり家康でなく明智がやったことだからでしょう。これが家康なら想定内でしょうが。

毎週のようにつっこんで、さすがに嫌になってきますが、このドラマは月代の作り方がおかしい。
頭がぽこっと膨らんでいたり、つなぎ目があからさまだったり。
もう少し丁寧にできないものでしょうか。

ではその例を挙げていただけないでしょうか。恐らくカツラは、その人の頭の形に合わせているのではないでしょうか。

クナイをヘアアクセサリーのように使うのもセンスがなさすぎて辛い。
クナイは投げて使うことがフィクションでは定番化していますが、実際には当たりません。本来はスコップのように土を掘るような使い方もできる、飛び道具というよりは多目的工具扱いでした。
オシャレな人が、スコップをコーディネートアイテムにします?
汚い。要するに、不潔な女です。
わざとらしいボロ笠を被り続ける女大鼠も痛々しい。あのくだらなさが凝縮した髪型はなんなんですか。

クナイを挿しているのは小川城の女性たちですが、このクナイ、そして大鼠の髪型に関しては、柘植伊佐夫氏のインタビューがありますから、それを見ていただいた方がよさそうです。

そして大鼠のボロ笠は、他の皆同様変装のためですね。

白兎を焼いて食おうか、煮て食おうかと凄む光秀が、兎も角最低です。
そういう下劣さだけではなく、この余裕ぶっこいた態度から、脚本家が歴史に全く興味がないことが明白で辛くなります。
明智光秀は、味方が少なくて詰んでいた。
とにかく味方が欲しい!と書状を必死に送りまくり、どうしようもないほどあがいていた。

これは光秀が主人公の大河ではありませんし、当然ながら光秀の描かれ方は、信長を討って京を制圧した人物としか描かれていません。
そしてまた
「本作は『麒麟がくる』をおちょくるかのように逆張りをする」
などと書いていますね。逆張りするのではなく、麒麟とは違った路線を目ざしているからかと思われます。

わざとらしく歩き、わざとらしく足が痛いと倒れ、わざとらしくカメラを揺らし、わざとらしく戦う。
このドラマのアクションは今までだって十分酷かったのですが、今後ますます酷くなると予想しています。

制作陣だけでなく、演じている俳優さんにも失礼なことを書いているのではないでしょうか。
そして信長の殺陣が江戸時代以降の動きと指摘していることに関して

理由は判明しました。現場でチャンバラの動きが得意な役者さん主導で撮影していたとのこと。そりゃ妙なことになりますよね。

その役者さんとは誰ですか。
毎度のことですが必ず匿名、どういう場所でどう発言したとか、どう主導していたのかの説明もなし。まずそれを書いてのものかと思いますが、何か書けない事情でもあるのでしょうか。それと江戸時代以後の殺陣と書くのなら、ではそれ以前はどのようなものなのか、これも具体的に書いてほしいものです。

そしてこのドラマは「満身創痍」という言葉の意味すら履き違えている。
汚すという最低限のことすらしない。衣装もメイクも何もしていない。汗一つかいていない。髪の毛一筋乱れていないで「満身創痍」とは?
意味をわかっていないのでしょうか。全身傷だらけということですよ。
ちなみに『真田丸』では、本多忠勝役の藤岡弘、さんが竹で鼻を傷つけてしまったそうで、その傷が確認できます。

満身創痍と言うのは、疲れ切ってボロボロになっているという意味もあります。外見上はそうでなくても、かなり参っているというケースはあるでしょう。満身創痍=汚すとは一概に言えないし、逆に傷があっても、体中傷だらけでなければこの表現は用いない由。なお藤岡弘、さんは今回は織田信秀の役ですね。

このドラマは絵作りの段階で失敗している気がしてなりません。
カメラがぶれる。無駄に近づく。
遠景をフレームに収めることで、まるで絵画のようにするということができない。
(中略)
出演者が「全然ロケがねえ」とペラペラ喋ってしまい、そのあたりの事情は明るみに出ています。

あの伊賀越えでの殺陣は、カメラが近づかないとリアルな映像は撮れないでしょう。
そしてここでも「出演者」と匿名になっていますが、誰がどういう場でこのように言ったとは書けないのでしょうか。

『鎌倉殿の13人』を思い出してみましょう。
上総広常の軍勢がかなり多く、ズラズラと続いていることがわかる絵作りになっていました。
その列を無邪気に眺める北条義時が、ちょこんとその中に収まる。こうすることで、上総広常の強大さと、まだまだ小さい北条義時の対比が出ていました。
そういう場面があればこそ、後に、広常が義時の目の前で討たれてしまう場面が引き立った。

では『どうする家康』で、主人公がこのような状況に立たされるシーンがありましたか?
こういうのは、双方似たような状況があってこそ、初めて比較たりうるかと思うのですが。そして低予算ぶりが伝わってくるのなんの、その「低予算」の裏付けがほしいです。

本作は、ネーミングセンスが酷い。今さらかもしれませんが、改めて問いたい。
「女大鼠」という名前は、女忍者としてイケてますか? 視聴者が見て、単純に「なんかカッコイイ!」と思えますか?

既に女大鼠ではなく「大鼠」を名乗っています。元々は父親が大鼠だったからです。

そしてオリキャラの名前は脚本家のセンスや知識が問われるとか、時代に合っていないなどをあり、

歴史劇を描く際にピンとくる思いつきが必要であり、女大鼠なんて、同じ女忍者枠の「千代」と比較して、あまりに浮いていると察知できない時点で話になりません。

千代は間者ではありますが、服部党の忍びではありませんね。
そしてさらに、女性名を過去大河から借用していたのがよくないと言ったことが書かれ(何十年も経てばだぶる可能性もあると思いますが)、

名前ひとつとっても差が出るもので、『おんな城主直虎』の龍雲丸とか、『麒麟がくる』の望月東庵とか、綺麗な響きで、衣装や雰囲気作りも名前負けしないようにしていた。
そうした過去のキャラクターと、女大鼠を比較したら、もう……。
大山犬という名前の忍者も愚かさの極み。名前の時点で怪しいとわかってしまいます。

何度も書きますが、大鼠は父親が大鼠で二代目なのでこう名乗っています。
それとさっきモブと書いた大山犬、ちゃんと名前わかっているのに、なぜ書かなかったのでしょうね。
それと忍びで「望月東庵」とか変でしょう。この東庵は、曲直瀬道三の道三をもじっていると思われますが。

で、恐らく駒のことでしょうが、

大河のオリキャラをやたらと目の仇にして、出てきただけで駄作認定する意見もありますが、それはあまりに極端でしょう。

とあります。しかしここで武者さんが書いているのは、オリキャラのネーミングに関してであり、そのオリキャラのドラマの中でのあり方に関してではないはずなのですが。結局駒を入れたかっただけなのでしょうか。


飲み物-冷えた生ビール
[ 2023/08/01 23:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第40回に関しての武将ジャパンの記事について

第40回、松永久秀退場回です。第39回の主人公の病気に描写について以前触れたため、もう1度この大河の、別の回に関するこのコラムを見てみようと思った次第です。

と言いつつ、のっけから余談になりますが、『どうする家康』第22回「設楽原の戦い」関連です。これの1つ前の分の投稿で、このコラムがなりふり構わなくなっている印象があると書いたことがあります。実際エスカレートしている感は否定できませんし、また鳥居強右衛門を演じた岡崎体育さんについて、武者さんはこのように書いています。まず彼は役者でなく、シンガーソングライターである、そのため歌まで入れたと書き、その後

「演じる側にとってはNHKの看板番組で露出があって、美味い話なのかもしれません。作品自体がいかなる内容であろうと、NHKが提灯を持ってくれるなら芸能人にとって損はない。(中略)本業が役者でない人をゲスト扱いで出すことでテコ入れしようとするんですね。大河は腐っても鯛。出たら自慢になる。そういう記念と自己アピールによるキャストが増えるわけです。当然ながら、ドラマの出来は落ちます」

などと書いています。
いくら何でも岡崎体育さん、そして『どうする家康』スタッフに失礼でしょう。それに岡崎さんはNHKの他の番組にも出演しており、朝ドラ『まんぷく』にも俳優として出演しています。武者さんはこの朝ドラはお気に召さないようでしたが。

そして中略部分ですが、
「同様のことは『花燃ゆ』でもありましたが、本業が役者でない人をゲスト扱いで出すことでテコ入れしようとするんですね」
とあります。『花燃ゆ』にミュージシャンが出演していたかなと思ったのですが、どうやら乃木坂46のメンバーが、奥女中として出演したのを指しているようです。しかし彼女たちはミュージシャンよりアイドルではないかと思いますし、登場シーンも尺も、今回の強右衛門とはかなり違っていたのですが。

では本編です。前回もそうでしたが、大河そのものへの姿勢に関して、『どうする家康』との比較を入れていることをお断りしておきます。

なんでも亡き妻の爪を小さな入れ物に収めて、大事に持ち歩いているのだとか。耳のところで振ると爪が可愛らしい音を立てるのです。
妻が生きていた証を、優しい音に求める光秀でした。

光秀が亡き煕子の爪を持ち歩いているシーンです。無論これはこれで、彼の思いが伝わって来ます。

しかし仮に今年の大河で同じようなシーンがあった場合、何と書いたのだろうかと思います。少なくともここまで肯定的には捉えないように思われます。

糟糠の妻は堂より下さず――。
若い頃から連れ添った妻とは、自分の考えをまとめてくれる。若さ、美貌、妊娠できるかどうか。そこだけ見ているとろくなことにならないという戒めです。
この言葉を頭の隅にでも入れておきたい。大事な要素ですね。

この時代「妊娠できるかどうか」は重要な要素であるかと思います。「ろくなことにならない」とも言えないでしょう。当時子供を著名な大名の家に輿入れさせるとか、他家の娘を息子と縁組させ、姻戚関係となるのはかなり意味を持ったでしょうし、それもあって光秀も、娘たちを荒木村重や細川忠興と縁組させたわけですが、

それにこんなことを書くと、木村文乃さんが演じた煕子が若くもなく、美貌でもないように思われてしまうのではないでしょうか。

そしてこれは『どうする家康』でも同じでしょう。瀬名は若いころから連れ添った妻であり、家康を一番理解している人物です。そしてこちらの妻は、危険ではあるものの武田の間者を呼び寄せ、堂々と駆け引きまでやっているにも関わらず、武者さんは、おじさんが好きな昭和平成ギャル呼ばわりまでしていますね。

なんでもたまは、駒から薬のことを習っているとか。
たまが駒から薬のことを学びたいと言い出した時は疑っていた光秀。けれども、たまは覚えが早いと駒は言います。十兵衛様の腹痛の薬くらいなら調合できるそうです。
光秀は笑い、ならたまを医者として長生きすると言い出すのでした。

これも『麒麟がくる』ではこう書いているのですが、『どうする家康』では、瀬名が夫のために薬を煎じているところを評価したことがあるのでしょうか。

スマートフォンやスマートウォッチには呼吸アプリがありますね。あれはそういう効能から実装されています。

東洋医学から『鬼滅の刃』の全集中の呼吸、そしてこのような記述となっているのですが、所謂マインドフルネスのことと思われます。ただこれは元々は、上座部仏教の影響の方が大きいのではと思います。あと治療としてのマインドフルネスを実践したのは、確かアメリカが最初ですね。

実澄は光秀が変わりないかと挨拶。光秀は戦に追われ歌を詠むこともできず、お恥ずかしい限りだと言います。
この言葉は、もしかしたら再来年も有効かもしれません。『鎌倉殿の13人』の源氏ともなれば、
「歌なんて詠んでも何の役にも立たねえのによーッ!」
という価値観でした。現に鎌倉武士の書いた文章は誤字脱字が多いのだそうです。教養レベルの違いですね。鎌倉武士と比較すると、戦国武士は洗練されています。

これは「鎌倉殿」を見ればおわかりのように、そもそもそういう価値観がなかったし、字を知らなくてもそれなりに生きて行くことができたからで、必ずしも戦国時代的視点でとらえるべきではないかと思います。それと
「歌なんて詠んでも役に立たない」
は「源氏」より、寧ろ「坂東武者」ではないかと思いますが。

それと何度も書くようですが、鎌倉殿の最終回で吾妻鏡を読む家康を、戦国時代は本を読むようにとほめていた武者さん、いざ始まってみたら散々な叩きようです。しかも『吾妻鏡』を読んでいて、肩を揉んでいるお葉のことを
「読書中に肩揉みだの、お色気サービスだの」
などと書いていますね。肩揉みはともかく、お色気サービスなどあのシーンにありませんでしたが。

光秀がその小屋に入っていくところを、怪しげな男が見ています。この出番だけなのに、圧倒的な存在感。こういうキャストまで本作は素晴らしいものがある。

こういう役はどの大河にもたいてい見受けられるかと思いますが、武者さんがここまで言うのは、やはり好きな大河であるのも関係しているのでしょうか。

なんでも久秀と実澄は長い付き合いだとか。死んだ女房が何かと世話になったそうです。京にくるたび、昔話をする関係のようです。
久秀は洗練された審美眼の男だとわかりますし、愛妻家でもある。
何かと久秀はフィクション由来でどぎつい扱いをされますが、愛妻を挟んだ思い出を大切にする、心も綺麗な人なんだとわかりますね。

これですが、久秀退場回であるのなら、もう少し色々な史料と突き合わせて実像を探ることはやってほしいと思います。この大河コラムでは、関連記事を色々リンクしてそちらにアクセスさせる方法を採っていますが、コラムの中で完結させてほしいですね。その分時間がかかりますが、別に月曜の夜や火曜日のアップでもいいかと思います。今年の大河(好き嫌いはともかくとして)も、もっと史料と照らし合わせれば、いろいろ発見があるはずなのですが。

理由はどうあれ、戦の最中に人を抜け出す者は死罪と決まっている。

細かいことですが、人でなくて「陣」でしょうね。

光秀は叫ぶしかない。
げせぬ! げせぬ! げせぬ!
久秀は酒を飲めと言い、茶釜を太夫に預けておくと言います。
久秀が負ければ光秀のもの。久秀が勝てば、その手に戻る。いいな、わかったな。そう念押しする。
「平蜘蛛など欲しくない! 戦などしたくない!」
そう叫ぶ光秀には……道三のもとで戦っていた若侍時代のような、若い嘆きがある。
(中略)麒麟がくる世を信じていたのに、そんなことはなく親しい誰かの屍が積み上がってゆくばかり。
光秀の精神が壊れてゆきます。

この「解せぬ」を3回叫ぶところ、戦などしたくない、平蜘蛛など欲しくないと言うところ、これは確かになかなか世が平らかにならない、そのための厭戦気分ももちろん関係していたかも知れません。しかしそれと同時に、昔からの知己であった久秀を敵に回さざるをを得なくなる、そういったいわば私情もあったのではないでしょうか。

「げに何ごとも一炊の夢……」
短刀の鞘を投げ、死装束に着替えることもなく、叫びながら腹を切る久秀。

いくらなんでも、あの状況で死に装束に着替える暇は恐らくなかったかと思います。

NHKのVFXもこなれてきました。
安土城の場面は、そのひとつの極みだと思えます。遠景、そして大広間。壮麗な広さと豪奢さがあって眼福そのもの。かつては、あまりにお粗末で立派な建物に見えない、せいぜい旅館に見えてしまうセットやVFXの使い方にさんざん文句を書きましたが、そういう過ちは克服したようです。

私もこの回はリアタイで観ておらず、従って公式サイトやSNSでの詳しい説明も多分見ておらず、詳しいことはわかりませんが、あれは京都の寺院か、何かの建造物でロケをやっているのではないかと思うのですが。

ただ……「話は以上じゃ!」と打ち切って、光秀に有無を言わせない、そういう信長の性格が残念でなりません。
なぜにこれほど不器用なのか。

この時は信長の不器用さ、あるいは誤解されやすい性格について書かれています。

しかしそれを言うのなら、今年の信長も似たようなところはあるわけですが、今年の場合、そういう点があまりきちんと書かれていないようですね。

以前も記しましたように、2010年代最大のヒットドラマとされる『ゲーム・オブ・スローンズ』もこのパターンの結末でした。
『鬼滅の刃』も心理描写が細かい。そして自分のことばかり重視して、最愛の仲間たちを思いやれない者は、鬼だけではなく鬼滅隊士だろうがろくな目に合わないというルールがあります。

個人的にはゲースロと『鬼滅の刃』を持って来られるよりは、やはり史料と登場人物、特にこの回で退場した松永久秀の人物像の変化などを、このスペースを使って書いてほしかったです。

ちなみに常山紀談などでは彼が梟雄とされているようですが、この書物は江戸時代にできたものであり、戦国時代と江戸時代とでは見方が、相当変わっていることについて触れてもいいでしょう。

前回のことで訂正します。家康が「薬酒」を飲んでいるとしましたが、状況や色からして「薬湯」の方が妥当で可能性が高いです。失礼しました。
そうなのです。苦い薬湯を敢えて飲むところが、家康と光秀にはある。
最終回間近になって、その後への導線が見えてきます。

瀬名は恐らく薬酒は作っていないと思いますね。光秀も坂本城に戻り、たまが煎じた苦い薬湯を飲んでいます。

しかし再度書きますが、この時はこう書いているにもかかわらず、今年は瀬名が夫のために薬湯を煎じて飲ませていても、そのことをどのくらい肯定的に捉えていたでしょうか。

あ、そうそう、これは願望ですが。松永久秀が生まれ変わって、徳川幕府を仕切る大和ゆかりの男・柳生宗矩に生まれ変わったという設定が私の中には成立しつつあります。
『柳生一族の陰謀』のみならず、『魔界転生』も吉田さんの宗矩でやってくれないかなぁ。柳生十兵衛は溝端淳平さん続投でお願いします。

その溝端さん、この前も書きましたが『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。氏真公は後編も登場予定ですね。ちなみに溝端さんは6月14日がお誕生日だったとのことで、おめでとうございます。

久秀は、信長ですら世の中を変える気構えがない、昔からの血筋だのなんだのにこだわると悔しがる。
もう人間としての生存本能を超えて、世の中を変えてやるという執念に飲み込まれてしまっていた。
これはすごい描き方だと思った。

「すごい描き方」といった表現が多いような気がするのですが…以前からそうですが、プロとして文章を書いているのなら、もう少し書き方を工夫して貰えないでしょうか。

飲み物-グラスのアイスティー

[ 2023/06/15 00:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

最近大河関連投稿だらけですが

ここのところ、1度だけラグビー関連の投稿をした以外は大河続きです。まあこれは『武将ジャパン』の大河コラム、武者さんコラムついて書いたり、『麒麟がくる』を引っ張り出して来たせいもあります。

で、今後また、この『麒麟がくる』の武者さんコラム絡みで少し書く予定でいます。しかしあそこのコラム、この麒麟と家康では、本当に書き方が正反対です。好きな大河だと実に優しいですから。

あとラグビーは代表強化試合がありますし、ワールドカップに向けての新ジャージーのお披露目も行われる予定であることもあり、またぼちぼちと書いて行くつもりです。

それからまたピーナツについても書く予定です。ピーナツだと、今の季節はそろそろ夏休み、そしてキャンプのシーズンとなるでしょうか。実際キャンプネタは結構多いですからね。

またこのところ頻度が低くなりがちな『応天の門』なども、その内投稿して行こうと考えています。他にも漫画関連で中断しているのがあるので、再開しなければと思っています。

飲み物-アイスコーヒー5
[ 2023/06/12 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

カボチャ大王とサンタクロース

先日ピーナツ関連で投稿したのでもう1度。

ライナスと言えば毛布が有名ではありますが、もう1つ彼について語るのに不可欠なキーワードがあります。それは「カボチャ大王」です。このカボチャ大王に関しては、今までハロウィン関連で何度か書いていますが、いわばハロウィン版サンタクロースのような存在です。

とあるカボチャ畑(ライナスの家の近く)に降り立ち、子供たちにプレゼントを配るとライナスは信じ込んでいるようです。そしてハロウィンの夜、チャーリー・ブラウンやその妹サリーを連れてカボチャ畑に行ったりもしています。

チャーリー・ブラウンを連れて行った時には、カボチャ大王らしき影が見えたこともあり、興奮したライナスは気を失ってしまいます。実はその正体はスヌーピーでしたが、ライナスはカボチャ大王だと信じてしまったようです。

しかしサリーを連れて行った時は、結局カボチャ大王らしき存在は現れず、ライナスに付き合ったため「トリック・オア・トリート」が出来なかったサリーは激高します。また生徒会の会長候補としてかなり健闘しながら、最後の演説でこのカボチャ大王のことを話したために、落選してしまいます。

一方でチャーリー・ブラウンは、サンタクロースの存在を信じているようで、サンタに手紙を書いたりもしています-尤もライナスも、サンタには関心があるようです。

またジョー・シュラボニクなる野球選手のファンで、自分でファンクラブの会報を作ろうとしたり、彼と同じテーブルに座れる食事会にも行ったりします。しかしこの時は、そのシュラボニクが日にちを間違えてしまい、結局このヒーローと食事をすることはできませんでした。

あとチャーリー・ブラウンと言えば、彼が片思いしている赤毛の女の子をご存知の方も多いでしょう。かつては、チャーリー・ブラウンのセリフでのみ存在が知られていた彼女ですが、2015年公開の3DCGアニメでキャラとして初お目見えしています。


飲み物-コーヒーとケーキと生クリーム
[ 2023/05/20 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

安心毛布とは

ちょっと口直し的に。

「ライナスの毛布」という言葉があります。言わずと知れた『ピーナツ』の登場人物、チャーリー・ブラウンの友達でもありライナスが肌身離さず持っていて、姉のルーシーに注意されまくっている綿フランネルの、淡いブルーの毛布のことです。この毛布を片手に持って指しゃぶりをしているライナスは、ピーナツ関連グッズにもよく登場しています。

この毛布、安心毛布とも言われます。特に幼児期の子供に取って、不安定な気持ちになった時の、心の支えとなる存在でもあります。元々乳児の頃は母親との一体感があるものの、その後母親から離れるに従って、それに代わる物を求めるようになるため、こういう毛布やぬいぐるみなどが必要になるとも言われています。

実際ライナスは、ルーシーやその他の登場人物から毛布を採り上げられると、気分が悪くなったり、精神的に不安定になったりします。しかし自分でも、そろそろ毛布から卒業しなければならないという気持ちはあるらしく、毛布をスヌーピーに預けてしまい、何とか毛布なしでやってみせようとします。

しかし禁断症状(と言うべきでしょうか)が出始めます。しかも当の毛布を使って、スヌーピーがウッドストックとお揃いで服を作ってしまい、ライナスは何とかしてスヌーピーの服に触ろうとします。一方チャーリー・ブラウンは、自分の犬がそのようなことをしたことに責任を感じ、新しい毛布を買ってライナスに渡そうとします。

しかし当のライナスは、やっと毛布なしの生活に慣れて来たところなのに、これでは逆戻りだと言ってしまいます。無論チャーリー・ブラウンは善意でやったことなのですが、なかなかうまくは行かないものです。

これで思い出すのが、やはりアメリカにかなり昔からある漫画『わんぱくデニス』です。90年代に実写映画化されたので、ご存じの方も多いでしょう。このデニスも、自分のテディベアが古くなってしまったため、お母さんが新しいのを買おうとします。ところがデニスはそれを拒否します。いくら古くてもぼろぼろになっても、愛着があるのはそう簡単に捨てられないということでしょうか。

そう言えばライナスの毛布も、あれだけ肌身離さず持ち続けていれば、かなり古くも汚くもなるわけで、実際新しい毛布を通販で買ったり、また時々は毛布を洗濯して貰ったりもしているようです。但しこの場合、一度は寒い時で外に干したため、毛布が凍ってしまったなどということもありましたが。


飲み物-コーヒーフロート
[ 2023/05/19 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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