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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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福岡城あれこれ その4(筑紫国と福岡藩にかつて存在した烽火台)

少し前に『風花帖』関連で、霧ヶ岳の烽火台に火が放たれた箇所をご紹介しています。この中では、主人公の印南新六がやったことになっていますが、実際は儒学者の上原与市がやったとされています。

ところで福岡城の公式サイトを見ていたら、このような記事がありました。

福岡城内の足跡(表示石)を訪ねて(その3)~烽火番所跡~ | 【公式】福岡城・鴻臚館
(長いので今回も短縮しています)

福岡城の地には元々鴻臚館が存在し、その遺構が出土したこともあって、この2つが二重史跡となっていることは以前に書いています。そして古代に於いても、この地の周辺には烽火台が築かれていました。この記事によれば664年(天智天皇3年)、前年の白村江の戦いで百済を救えなかった大和朝廷は、唐と新羅の連合軍の侵入に備えて、対馬と壱岐、そして筑紫国に防人と烽(とぶひ)を配置しています。

また水城、大野城、基肄(きい)城などが築かれました。当該記事からこの画像をお借りしていますが、これの青丸で囲まれた部分が大野城(上右)、水城(上左)そして基肄城(下)です。また正方形で囲まれた部分が太宰府政庁です。

古代官道推定図

そして2011年、古代山城サミット山鹿・菊池大会のプレイベントで、当時の烽火リレーが再現されて、この3つの地点に加え11か所をつないだのですが、その速度は時速約100キロであったようです。意外と速いのですね。

そして時は移って江戸時代、今回は前出『風花帖』にも登場する烽火台についてです。

文化5(1808)年、長崎でフェートン号事件が起きます。これに関しては以前このブログで
というタイトルで書いています。当時オランダはフランスのナポレオンの支配下にあり、地球上でオランダ国旗があるのは、唯一長崎の出島だけでした。そこに、フランスの敵国であるイギリスのフェートン号が船籍を偽装して入港し、オランダ商館韻を人質に取る事件に発展します。

元々長崎は隔年で、福岡藩と佐賀藩が警護に当たっていたのですが、この時は兵の数が少なくてそれもできず、結局イギリスの要求するままに水や食糧を渡します。尚この当時は生鮮食品の保存ができず、家畜などを生きたまま積み込んでおり、唐人屋敷から豚を連れて来て積んだと言われています。そしてこのフェートン号の艦長はフリートウッド・ペリュー、『ホーンブロワー 海の勇者』にも出て来るエドワード・ペリュー提督の息子でした。

このフェートン号事件の反省から、北部九州の藩に、外国船が侵入した場合の連絡経路として、烽火台が置かれるようになります。翌文化6年の10月には、佐賀藩の朝日山からの烽火が、福岡藩の御笠郡天山、四王寺山、しょうけ越え、龍王岳、六が岳そして石峯山を経由して伝わり、小倉藩の霧ヶ岳にも届いた後、今度は豊前を経由して中津まで届くようになっていました。

これも画像をお借りしています。元々は「福岡城下町・博多・近隣古図(模本)」(九州大学付属図書館所蔵)で、わかりやすくするために丸と矢印が加えられています。

福岡藩と四王寺の烽火台

青の丸が四王寺山、赤の矢印が福岡城から見た四王寺山の烽火台の方向です。この烽火台の見張り番所は、城内の革櫓(かわやぐら)に置かれました。記事にあるように、今でもこの場所には烽火番所跡の表示石が残っています。

尚『風花帖』にあった福岡藩内の烽火台は

御笠郡の天山(てんざん)-福岡県筑紫野市
四王寺(しおうじ)山ー筑紫野市
龍王(りゅうおう)岳-福岡県飯塚市
六が岳(むつがたけ)-福岡県宮若市
石峰(いしみね)山ー北九州市若松区

ですが、こちらではこれにしょうけ越えと言う、粕屋郡須恵町と飯塚市の間にある峠が加わっています。しょうけとはザルとか籠の意味ですが、その昔、神功皇后が生まれたばかりの応神天皇をしょうけに入れ、この峠を通ったという伝説にちなんでいます。

しかしこの烽火台も誤認があったり、あるいは天候の具合に左右されたりということもあり、その7年後には廃止されることになります。


[ 2023/08/29 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『ホーンブロワー 海の勇者』に見る竹中半兵衛

先日「過去の戦国大河を観直してみる」で触れた万見仙千代と白黒騒動関連で、参考になる史料、ネットで見られる論文などを探しています。

このうち仙千代の方は紹介されているサイトやブログもあり、それらによると、やはり信長の覚えはめでたかったようです。しかし史料を探すとなると、やはり『信長公記』などを当たることになるかと思われます。あまり知られていない人だけに、人物像を探る楽しみはありそうです。

一方白黒騒動の方は、関連する論文がありますので、それが何かの参考になればと思っています。あとこれに関しては、史料ではありませんが、この事件を題材にした小説があり、事件そのものを取り上げたものもありますが、私としては葉室麟氏の『風花帖』を読もうと考えています。こういうのを時代劇化してくれないかと思いますね。

それからやはり同じ投稿で書いた『軍師官兵衛』に登場する竹中半兵衛、谷原章介さんが演じていて、長身で柔らかな雰囲気の半兵衛でした。数年前になりますが、この谷原さんと岡田准一さん、そして秀吉を演じた竹中直人さんがそれぞれ違うメーカーの消炎剤のCMに出演していて、ドラッグストアでそれぞれのポスターを見る度に、官兵衛を思い出していたことがあります。

ところで、この竹中半兵衛という人物で思い出す海外ドラマがあります。海外ドラマと言っても、韓流華流ではなく、イギリスのTVシリーズです。

『ホーンブロワー 海の勇者』という海外ドラマが、1990年代後半から2000年代にかけて、日本でも放送されていました。全8話シリーズで、第5話『反乱』で、主人公の海尉ホレイショ・ホーンブロワーは、親友であるアーチー・ケネディと共々レナウン号に配属されます。しかしこの艦のソーヤー館長は猜疑心が強く、部下を絶対服従させたがり、ホレイショたちがこれを問題視して相談していると、謀反を起こそうとしていると疑われてしまいます。

その後艦長は足を滑らせて転落し、意識不明となります。意識が戻ったものの艦長は拘束され、一等海尉のバックランドが艦を指揮するものの、意識を取り戻した艦長は士官を監禁し、艦を座礁させます。その後第6話『軍法会議』でホレイショたちは、スペイン軍相手の攻略に乗り出し、ホレイショの活躍で相手を降伏させますが、この活躍が逆にバックランドを警戒させます。しかも奪ったスペイン艦に移ったホレイショとアーチーですが、スペイン人捕虜が反乱を起こしてしまいます。

この時ホレイショとアーチーも戦うものの、アーチーは重傷を負います。またソーヤー艦長はこれで戦死します。そしてそーヤー艦長の処遇を巡っての軍法会議。拘束前の艦長の転落事故に関し、ホレイショをよく思わないバックランドはホレイショの有罪を主張するものの、その場にアーチーが現れ、自分がやったと供述します。重傷で余命わずかな彼は罪を引き受けることを決め、その後彼は他界します。

このアーチーに何となく半兵衛がタブります。半兵衛の場合は官兵衛が有岡城に幽閉されたことにより、裏切りであるとみなされて、人質として差し出した嫡子松寿丸(長政)が、信長から首を刎ねられそうになった時、自分の命がそう長くはないと見た彼は、身を挺して松寿丸を庇うことになります。

またこの場合は信長も、あるいは本気ではなかったのではないか、そういう一面も窺える描写となっています。しかしこの時の光、夫は有岡城に向かったまま行方知れず、息子は首を刎ねられそうになっていただけに、おねから松寿丸を意味すると思われる、緑の松を描いた扇が送られて来た時は、多少なりとも安堵の気持ちはあったでしょう。


飲み物-グラスのアイスカフェオレ
[ 2023/08/02 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第27回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。よほどお気に召さないことがあるようですね。今年の大河ドラマは何が悪いのかと前置きして、顧炎武『日知録』の「天下の興亡は匹夫も責め有り」をまたも持ち出しています。

こちらの提灯記事をご覧ください。
◆「どうする家康」井伊直政の「九郎義経と同じ」発言に大河ファン反応 SNS「間違ってもない」「完全に狙ってたでしょ」(→link)
見出しの時点で私は顔がひきつりました。
記事中では、以下の赤字部分ですね。
(注、武者さんが赤字にしている部分、一応この投稿でも当該部分を赤くしています)

「町娘に囲まれながら薪割りをする直政は「私は見た目は華奢だが力はあるのさ。まっ、九郎義経と同じだな」と源義経を引き合いに自身の力を自慢。於愛からは「またおなごをたぶらかして! いい加減にしなされ!」と叱責されたが、「於愛様、誤解です。私がおなごを好きなのではなく、おなごが皆、私を好きなのです」と軽口をたたくのだった」
という部分で、ツイッター上では菅田将暉さんとの関係に言及する人も多く、

「菅田くんと李光人くんが繋がる感じエモい」
「現・万千代の口から『九郎義経』の名前が出てきたのなにげにアツいよね」
「いずれ板垣李光人さんにも義経やって欲しい」
等々の声が上がっていたそうです。無論私も、菅田さんつながりかなと思ってはいました。
ですが、武者さんは面白くないようです。

義経のことを「華奢だけど力はあるんだよね」とあっさり語っています。
つまりは、脚本家もメディアも、(実在するならば)Twitterの声も、誰も「義経の弓流し」を知らない。

とあって、『鎌倉殿の13人』第11回で、義円の方が弓がうまいと義経が拗ねたり、第14回で義経が非力なため、頼朝の弓を引く時腕が振るえているといった、非力であると見える描写を例として持ち出しており、

ああいう場面を見ていると、義経はやっぱり腕力に自信がないんだなぁ、そこが劣等感なんだなぁと思えてうれしかった。
弓流しをあえてやらずとも表現できるのが非常に素敵だった。さすがは三谷さんだ、歴史って楽しいな、という喜びがあった。それが今年は、義経が腕力自慢をしているという時点で、もう決定的に受けつけない。ふつふつと怒りが湧いてくるレベルです。
個人的な話ですが、私の人生最古の推しは源義経であり、小学生の自分だって、こんなニュースを読んだら「ちがうよ、義経は力が弱いよ!」と怒ったと思います。

武者さん、このサンスポの記事ですが、そんなに向きになって怒ることですか?
一般的に義経は小柄だが、あの壇ノ浦合戦で平家を打ち負かしてしまったように戦は強い、自分も同じなのだと直政は、多少はいいところを見せようと思っていて、あのように言ったに過ぎないでしょう。
そして
「義経が腕力自慢をしているという時点」
この中で義経自身が登場しますか?あくまでも万千代(直政)が、義経は強いと言っているに過ぎません。
あまりこういうことを言うと、揚げ足取りにしか見えないと思います。
で、この記事は提灯記事だと決めつけていますが、特定のシーンに関するネット上の反応を述べたに過ぎないのでは。
まあ武者さんのことです。なぜ自分が好きな、「史実通りの」腕力に劣等感のある義経を持ち出してこないのか、それが気になって仕方ないのでしょう。

で、「そしてさらなる疑念も湧いてきます」とあり、

彼らは本当に大河を見ているのか?
歴史を楽しんでいるのか?
それとも、大河ファンであると自認する者同士で褒め合い、じゃれあうことを楽しんでいるのか。
今はインスタ映えなんて言葉がありますね。何かを食べ、味わうことではなく、SNSで映えることを重視する。

とのことですが、私はずばり、この人たちは大河を楽しんでいると思います。そしてこの大河に描かれた歴史、世界観も楽しんでいるでしょう。別にそれでいいのではないでしょうか。何もかもが、武者さんの思い通りに描かれるわけではありませんから。
しかしその辺で割り切ることが難しいようですね。

大河ドラマにそうした層がいても自由ですが、問題は、制作サイドがそうした反応ばかりに目を向けることです。
結果、ドラマが場当たり的なウケ狙いばかりになったら、本末転倒にもほどがある。
となると、今年の大河の低迷は、もはや作り手だけの問題じゃないという気がしてきます。

なぜ制作サイドがウケ狙い、場当たり的だと言い切れるのでしょうか。
そういう反応に目を向けているのは、この場合サンスポというメディアでしょう。
そして
「制作サイドがそうした反応ばかりに目を向ける」
         ↓
「ドラマが場当たり的なウケ狙いばかりになったら、本末転倒にもほどがある」
ここまではともかくとして、なぜその次の部分で
「となると、今年の大河の低迷は、もはや作り手だけの問題じゃない」
となるのですか。貴方制作サイドがよくないと言っているのではなかったのですか。何だか飛躍していますね。

私は『麒麟がくる』が大好きですし、『鎌倉殿の13人』を大傑作だと思っています。
作品ごとの思い入れは当然ありますが、大河枠ごと好きか?と問われたら、「いいえ、ファンではありません」と答えます。大河ファンだのクラスタだの、そういう枠組みに囚われることには危険性を覚える。
要するに、私は大河ファンではありません。

結局言ってしまいましたね。「大河ファンではありません」
ならば、このコラムももうお辞めになってはどうですか。
いや大河ファンでないのならいっそのこと、一切の感情を交えずにあらすじと歴史的背景のみに徹することができたら、それはそれでいいかと思います。ただ武者さんの場合は、正直言ってそれは望めませんね。今までのコラムの論調、好き嫌いでころころ変わる評価を見ている限りでは。
あと「作品ごとの思い入れは当然ありますが」とあるのも、好きな作品限定ではないかと思ってしまいます。

豺狼路に当たれりいずくんぞ孤狸を問わん。『後漢書』「張綱伝」
山犬や狼のような奴らが問題の中枢で権力を握っているのに、どうして小悪人の罪を問うことができる?

この「豺狼路に当たれりいずくんぞ孤狸を問わん」ですが、山犬や狼のような奴ら、つまり大悪人がのさばっている時は、狐狸のような小悪人よりも、ますその大悪人を取り除くべきであるという意味かと思われます。

そうはいっても、この駄作の責を視聴者が負うのもどうかと思う。

なぜ「そうはいっても」なのでしょうか。「天下の興亡は匹夫も責め有り」なら、一般人も責めを負うべきとなるのではないでしょうか。
そしてこれは磯CPへの、ある意味侮辱的な言葉と取れなくもないのですが、

幸いにも、狼は姿を見せているようでして。
◆ 「一番いいところを一番素直に届ける」NHK大河「どうする家康」制作統括・磯智明チーフ・プロデューサー (→link)
◆【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②(→link)
磯プロデューサーの発言に注目します。
非常に饒舌な方で、ここまで多くを語る裏方さんて、そうそういませんよね。

「狼は姿を見せている」ですか。
そして「ここまで多くを語る裏方さんて、そうそういませんよね」
『真田丸』の屋敷CPもかなり多弁な方でしたが。

そして今度はまたも『鎌倉殿の13人』が叩き棒。

『鎌倉殿の13人』は、多くのスタッフがどこに注力したのか、狙いを含めて語るラジオ番組がありました。私も聞いていました。複数の証言から見えてきたのは、日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を目指しているということ。
具体的でいいと思うし、実際それを狙ったと思える箇所は多く、成功していたと思います。
ところが不思議なことに、メディアでは三谷さんの過去の作品は引っ張ってくるのに、『ゲーム・オブ・スローンズ』に言及する記事がほとんどありませんでした。

と書いたうえで、日本のメディアは、海外のことなんて度外視している、それが確信に変わったとして、またジャニーズの問題を持ち出しています。そもそも両方とも日本のメディアが海外なんて度外視していると書いても、ゲースロという海外ドラマと、ジャニーズ関連報道では大きく異なると思うのですが。

◆国連人権理、24日から訪日 ジャニーズ性加害調査も実施(→link)
◆「70年前、ジャニー氏から自室で性被害」俳優の服部吉次さんが証言(→link)
◆ 「その日の夜、ジャニー喜多川氏は5人を次々に襲った」…俳優服部吉次さんらが証言した70年前の性被害(→link)

そしてこのジャニー喜多川氏の問題(これも検証中だとは思いますが)にかこつけて、またも大河批判です。しかも

けれども、大河ドラマは平然と放送されています。
そして放映後、ジャニーズと懇意のメディアとライターにより、じゃんじゃんと提灯記事が量産されます。
まるで巨大な岩のようにすら思えてくる。これは一体どういうことかと。
出演者の一人が「容疑者」となった段階で、『鎌倉殿の13人』は配信されなくなったのに、大河はよりにもよってまたジャニーズ俳優同士が暴力的なBLを繰り広げている。

「じゃんじゃんと提灯記事が量産されます」
「続々と」とでも書いてほしいところですが、それはともかく。ただこれらの記事は、武者さんが好きな大河だとすべて得々としてこのコラムにリンクを貼るような記事なのでしょう。嫌いだから目障りに見えるだけです。先ほどこのコラムは好きか嫌いかで評価がころころ変わると書きましたが、この部分は正にその典型とも言えますね。

そして
「出演者の一人が「容疑者」となった段階で、『鎌倉殿の13人』は配信されなくなったのに、大河はよりにもよってまたジャニーズ俳優同士が暴力的なBLを繰り広げている」
貴方こんなこと書いていいのですか?これでは松本さんと岡田さんを容疑者扱いしているようなものですよ。
そして日本では、BL描写は違法行為でも何でもありません。
確かに市川猿之助さんの件は残念です。またキャストが逮捕されたからと言って、一律で配信を止めるのも今後再検討されるべきでしょう。しかしだからと言って、別に容疑がかかってもない俳優さんが、法的に問題はないと思われる演技をしているのが何か悪いのでしょうか。

よりにもよって公共放送が、堂々と看板番組でこんなものを流していたら、何の説得力もない。この家康が愛だの正義だの、よくも言えたものです。

貴方がやっていることは、何ら関係のないキャストとスタッフを、自分の基準で持って叩いているだけだと思います。

ジャニーズが関わっただけで全てお蔵入りにできないのだとすれば、それはもっともなことだと思います。
『鎌倉殿の13人』のような別の作品も含めて、どうするのかルールを決めて説明すべきでしょう。

ここもよく意味がわからないのですが、こう言いたいのでしょうか。

やはりジャニーズが出演していて人気もあるのなら、すべてはお蔵入りにできないかも知れない。
ならばジャニーズが出演していない作品も含め、すべてをお蔵入りにするという判断は検討されるべきで、ルールを決める必要があるだろう。

それすら怠り、漫然と駄作を流すNHKに倫理はあるのでしょうか?
答えは「あります」。問題は、それが守られているのかどうか。
◆「NHK倫理・行動憲章」「行動指針」(→link)

それとは、お蔵入りにするか否かのルールを決めることですが、そのお蔵入りと「駄作を流す」こととはまた別問題かと思います。私はこの大河、駄作とは思いませんが。

それにどんなに小さな声だろうと、発していれば岩に穴が開けられるかもしれません。
泰山の霤(あまだれ)は石を穿(うが)つ。『漢書』「枚乗伝」
泰山にふる雨の滴は、石に穴を開ける。
とりあえずここに、意見を送ってみましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

「泰山の霤は石を穿つ」ですが、これだけでは説明不足でしょう。わずかな雨の滴でも、やがて石に穴を開けるように、絶え間ない努力がいつか実を結ぶとでも書いてください。

しかし今回もみなさまの声のリンクがあるので、NHKに『どうする家康』が楽しみとまた送ることができます。


飲み物-ブラッディサム
[ 2023/07/22 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第40回に関しての武将ジャパンの記事について

第40回、松永久秀退場回です。第39回の主人公の病気に描写について以前触れたため、もう1度この大河の、別の回に関するこのコラムを見てみようと思った次第です。

と言いつつ、のっけから余談になりますが、『どうする家康』第22回「設楽原の戦い」関連です。これの1つ前の分の投稿で、このコラムがなりふり構わなくなっている印象があると書いたことがあります。実際エスカレートしている感は否定できませんし、また鳥居強右衛門を演じた岡崎体育さんについて、武者さんはこのように書いています。まず彼は役者でなく、シンガーソングライターである、そのため歌まで入れたと書き、その後

「演じる側にとってはNHKの看板番組で露出があって、美味い話なのかもしれません。作品自体がいかなる内容であろうと、NHKが提灯を持ってくれるなら芸能人にとって損はない。(中略)本業が役者でない人をゲスト扱いで出すことでテコ入れしようとするんですね。大河は腐っても鯛。出たら自慢になる。そういう記念と自己アピールによるキャストが増えるわけです。当然ながら、ドラマの出来は落ちます」

などと書いています。
いくら何でも岡崎体育さん、そして『どうする家康』スタッフに失礼でしょう。それに岡崎さんはNHKの他の番組にも出演しており、朝ドラ『まんぷく』にも俳優として出演しています。武者さんはこの朝ドラはお気に召さないようでしたが。

そして中略部分ですが、
「同様のことは『花燃ゆ』でもありましたが、本業が役者でない人をゲスト扱いで出すことでテコ入れしようとするんですね」
とあります。『花燃ゆ』にミュージシャンが出演していたかなと思ったのですが、どうやら乃木坂46のメンバーが、奥女中として出演したのを指しているようです。しかし彼女たちはミュージシャンよりアイドルではないかと思いますし、登場シーンも尺も、今回の強右衛門とはかなり違っていたのですが。

では本編です。前回もそうでしたが、大河そのものへの姿勢に関して、『どうする家康』との比較を入れていることをお断りしておきます。

なんでも亡き妻の爪を小さな入れ物に収めて、大事に持ち歩いているのだとか。耳のところで振ると爪が可愛らしい音を立てるのです。
妻が生きていた証を、優しい音に求める光秀でした。

光秀が亡き煕子の爪を持ち歩いているシーンです。無論これはこれで、彼の思いが伝わって来ます。

しかし仮に今年の大河で同じようなシーンがあった場合、何と書いたのだろうかと思います。少なくともここまで肯定的には捉えないように思われます。

糟糠の妻は堂より下さず――。
若い頃から連れ添った妻とは、自分の考えをまとめてくれる。若さ、美貌、妊娠できるかどうか。そこだけ見ているとろくなことにならないという戒めです。
この言葉を頭の隅にでも入れておきたい。大事な要素ですね。

この時代「妊娠できるかどうか」は重要な要素であるかと思います。「ろくなことにならない」とも言えないでしょう。当時子供を著名な大名の家に輿入れさせるとか、他家の娘を息子と縁組させ、姻戚関係となるのはかなり意味を持ったでしょうし、それもあって光秀も、娘たちを荒木村重や細川忠興と縁組させたわけですが、

それにこんなことを書くと、木村文乃さんが演じた煕子が若くもなく、美貌でもないように思われてしまうのではないでしょうか。

そしてこれは『どうする家康』でも同じでしょう。瀬名は若いころから連れ添った妻であり、家康を一番理解している人物です。そしてこちらの妻は、危険ではあるものの武田の間者を呼び寄せ、堂々と駆け引きまでやっているにも関わらず、武者さんは、おじさんが好きな昭和平成ギャル呼ばわりまでしていますね。

なんでもたまは、駒から薬のことを習っているとか。
たまが駒から薬のことを学びたいと言い出した時は疑っていた光秀。けれども、たまは覚えが早いと駒は言います。十兵衛様の腹痛の薬くらいなら調合できるそうです。
光秀は笑い、ならたまを医者として長生きすると言い出すのでした。

これも『麒麟がくる』ではこう書いているのですが、『どうする家康』では、瀬名が夫のために薬を煎じているところを評価したことがあるのでしょうか。

スマートフォンやスマートウォッチには呼吸アプリがありますね。あれはそういう効能から実装されています。

東洋医学から『鬼滅の刃』の全集中の呼吸、そしてこのような記述となっているのですが、所謂マインドフルネスのことと思われます。ただこれは元々は、上座部仏教の影響の方が大きいのではと思います。あと治療としてのマインドフルネスを実践したのは、確かアメリカが最初ですね。

実澄は光秀が変わりないかと挨拶。光秀は戦に追われ歌を詠むこともできず、お恥ずかしい限りだと言います。
この言葉は、もしかしたら再来年も有効かもしれません。『鎌倉殿の13人』の源氏ともなれば、
「歌なんて詠んでも何の役にも立たねえのによーッ!」
という価値観でした。現に鎌倉武士の書いた文章は誤字脱字が多いのだそうです。教養レベルの違いですね。鎌倉武士と比較すると、戦国武士は洗練されています。

これは「鎌倉殿」を見ればおわかりのように、そもそもそういう価値観がなかったし、字を知らなくてもそれなりに生きて行くことができたからで、必ずしも戦国時代的視点でとらえるべきではないかと思います。それと
「歌なんて詠んでも役に立たない」
は「源氏」より、寧ろ「坂東武者」ではないかと思いますが。

それと何度も書くようですが、鎌倉殿の最終回で吾妻鏡を読む家康を、戦国時代は本を読むようにとほめていた武者さん、いざ始まってみたら散々な叩きようです。しかも『吾妻鏡』を読んでいて、肩を揉んでいるお葉のことを
「読書中に肩揉みだの、お色気サービスだの」
などと書いていますね。肩揉みはともかく、お色気サービスなどあのシーンにありませんでしたが。

光秀がその小屋に入っていくところを、怪しげな男が見ています。この出番だけなのに、圧倒的な存在感。こういうキャストまで本作は素晴らしいものがある。

こういう役はどの大河にもたいてい見受けられるかと思いますが、武者さんがここまで言うのは、やはり好きな大河であるのも関係しているのでしょうか。

なんでも久秀と実澄は長い付き合いだとか。死んだ女房が何かと世話になったそうです。京にくるたび、昔話をする関係のようです。
久秀は洗練された審美眼の男だとわかりますし、愛妻家でもある。
何かと久秀はフィクション由来でどぎつい扱いをされますが、愛妻を挟んだ思い出を大切にする、心も綺麗な人なんだとわかりますね。

これですが、久秀退場回であるのなら、もう少し色々な史料と突き合わせて実像を探ることはやってほしいと思います。この大河コラムでは、関連記事を色々リンクしてそちらにアクセスさせる方法を採っていますが、コラムの中で完結させてほしいですね。その分時間がかかりますが、別に月曜の夜や火曜日のアップでもいいかと思います。今年の大河(好き嫌いはともかくとして)も、もっと史料と照らし合わせれば、いろいろ発見があるはずなのですが。

理由はどうあれ、戦の最中に人を抜け出す者は死罪と決まっている。

細かいことですが、人でなくて「陣」でしょうね。

光秀は叫ぶしかない。
げせぬ! げせぬ! げせぬ!
久秀は酒を飲めと言い、茶釜を太夫に預けておくと言います。
久秀が負ければ光秀のもの。久秀が勝てば、その手に戻る。いいな、わかったな。そう念押しする。
「平蜘蛛など欲しくない! 戦などしたくない!」
そう叫ぶ光秀には……道三のもとで戦っていた若侍時代のような、若い嘆きがある。
(中略)麒麟がくる世を信じていたのに、そんなことはなく親しい誰かの屍が積み上がってゆくばかり。
光秀の精神が壊れてゆきます。

この「解せぬ」を3回叫ぶところ、戦などしたくない、平蜘蛛など欲しくないと言うところ、これは確かになかなか世が平らかにならない、そのための厭戦気分ももちろん関係していたかも知れません。しかしそれと同時に、昔からの知己であった久秀を敵に回さざるをを得なくなる、そういったいわば私情もあったのではないでしょうか。

「げに何ごとも一炊の夢……」
短刀の鞘を投げ、死装束に着替えることもなく、叫びながら腹を切る久秀。

いくらなんでも、あの状況で死に装束に着替える暇は恐らくなかったかと思います。

NHKのVFXもこなれてきました。
安土城の場面は、そのひとつの極みだと思えます。遠景、そして大広間。壮麗な広さと豪奢さがあって眼福そのもの。かつては、あまりにお粗末で立派な建物に見えない、せいぜい旅館に見えてしまうセットやVFXの使い方にさんざん文句を書きましたが、そういう過ちは克服したようです。

私もこの回はリアタイで観ておらず、従って公式サイトやSNSでの詳しい説明も多分見ておらず、詳しいことはわかりませんが、あれは京都の寺院か、何かの建造物でロケをやっているのではないかと思うのですが。

ただ……「話は以上じゃ!」と打ち切って、光秀に有無を言わせない、そういう信長の性格が残念でなりません。
なぜにこれほど不器用なのか。

この時は信長の不器用さ、あるいは誤解されやすい性格について書かれています。

しかしそれを言うのなら、今年の信長も似たようなところはあるわけですが、今年の場合、そういう点があまりきちんと書かれていないようですね。

以前も記しましたように、2010年代最大のヒットドラマとされる『ゲーム・オブ・スローンズ』もこのパターンの結末でした。
『鬼滅の刃』も心理描写が細かい。そして自分のことばかり重視して、最愛の仲間たちを思いやれない者は、鬼だけではなく鬼滅隊士だろうがろくな目に合わないというルールがあります。

個人的にはゲースロと『鬼滅の刃』を持って来られるよりは、やはり史料と登場人物、特にこの回で退場した松永久秀の人物像の変化などを、このスペースを使って書いてほしかったです。

ちなみに常山紀談などでは彼が梟雄とされているようですが、この書物は江戸時代にできたものであり、戦国時代と江戸時代とでは見方が、相当変わっていることについて触れてもいいでしょう。

前回のことで訂正します。家康が「薬酒」を飲んでいるとしましたが、状況や色からして「薬湯」の方が妥当で可能性が高いです。失礼しました。
そうなのです。苦い薬湯を敢えて飲むところが、家康と光秀にはある。
最終回間近になって、その後への導線が見えてきます。

瀬名は恐らく薬酒は作っていないと思いますね。光秀も坂本城に戻り、たまが煎じた苦い薬湯を飲んでいます。

しかし再度書きますが、この時はこう書いているにもかかわらず、今年は瀬名が夫のために薬湯を煎じて飲ませていても、そのことをどのくらい肯定的に捉えていたでしょうか。

あ、そうそう、これは願望ですが。松永久秀が生まれ変わって、徳川幕府を仕切る大和ゆかりの男・柳生宗矩に生まれ変わったという設定が私の中には成立しつつあります。
『柳生一族の陰謀』のみならず、『魔界転生』も吉田さんの宗矩でやってくれないかなぁ。柳生十兵衛は溝端淳平さん続投でお願いします。

その溝端さん、この前も書きましたが『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。氏真公は後編も登場予定ですね。ちなみに溝端さんは6月14日がお誕生日だったとのことで、おめでとうございます。

久秀は、信長ですら世の中を変える気構えがない、昔からの血筋だのなんだのにこだわると悔しがる。
もう人間としての生存本能を超えて、世の中を変えてやるという執念に飲み込まれてしまっていた。
これはすごい描き方だと思った。

「すごい描き方」といった表現が多いような気がするのですが…以前からそうですが、プロとして文章を書いているのなら、もう少し書き方を工夫して貰えないでしょうか。

飲み物-グラスのアイスティー

[ 2023/06/15 00:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

信康とシェルショックそして「うってがえし」

さて、戦の才があると言われ、勇猛な武将に成長したかに見える信康ですが、実はそうでもないようで、悪夢にうなされ、夜が明けきらぬ時間であるにもかかわらず、母瀬名のいる築山まで出向いてしまいます。信康は設楽原の戦いでトラウマを抱えているようです、あるいはシェルショック(戦闘ストレス反応、または戦闘疲労)のようにも見えます。
(Bashの惰弱性のことではありません)

これは爆撃、または戦闘の激しさに対してのストレス反応のことで、パニックや逃避行動、睡眠や歩行の障害、会話ができなくなるなどの症状があると言われています。元々シェルショックとは、砲撃を受けたことによる障害でしたが、その後砲撃のみに関わらず、長期間戦闘を経験したことによる、一種の心身症と定義づけられています。

元々シェルショックは、第一次世界大戦で兵士たちが受けたトラウマのことであるとされています。奇しくもと言うべきでしょうか、この第一次世界大戦も、それまでの戦争とは異なった兵器、戦車や爆撃機などが登場しています。また空襲が本格化した戦争(実際はその前の伊土戦争で実施)でもありました。

BBCの『パレーズ・エンド』にも、イギリスが空襲を受けるシーンが登場します。またこれとは異なるかと思いますが、『ミス・シャーロック』のワトソンのキャラクター、橘和都は戦時下のシリアから帰国した医師で、あるタイミングで爆撃を思い出してしまうという描かれ方をしています。

それからシェルショックとは関係ないのですが、戦場で信長と秀吉が碁を打つシーンがあります。これに関しては、囲碁担当の方のツイートに、どのような意味が込められているかが説明されています。画像を貼っておきます。
(クリックで拡大できます)

どうする家康囲碁指導

尚、このツイートのURLはこちらです。
https://twitter.com/tajiriyuto/status/1667882021178454017

[ 2023/06/13 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第8回に関しての武将ジャパンの記事について-3

先日分の続きですが、その前に。この投稿でも引用している「軍師」、あらすじと感想で吉良と松平昌久と書いていましたが、もちろん違いますので訂正しています。

まずここの部分ですが、以前私は第2回と第3回に関しての、武者さんのコラムを紹介して色々と書いたことがあります。また同じこと引っ張り出して来ていますね。実際馬の扱いは厳しくなっていると思うのですけどね。

以前見た、とある華流ドラマの山賊の戦いの方がはるかに見応えがあり、そこではたと気づきました。
本作で非難が集中した“CG馬”について「複数の馬を走らせる場面は危険だから」という言葉がありました。
しかし海外のドラマではそういったシーンも撮影されている。馬が転ぶような場面もある。
大河で無理なのはなぜなのか。
要するに技術や予算が不足しているということなんですかね。

ならばその「華流ドラマ」とか「海外ドラマ」の具体的タイトル、どのシーンであるかをちゃんと出してほしいのですが。こっちも検証したいと思うので。
あと、そのドラマのスポンサーとか製作費も書いてくれませんかね。なのにそれをはっきりさせずに、
「要するに技術や予算が不足しているということなんですかね」
だけ書くのもなんだかなあと思います。ならば武者さんがNHKに対して、大河にスポンサーをつけろとやってみてはどうでしょうか。

あと「軍師」という表現に関して。かなり長々と書かれていますので、一部省略しています。

本作は、後世の誇張ありきなので出すとは思いましたが、それにしても「軍師がいるから強いんだ!」ってのは、ゲーム脳が悪い方向へ暴走している感が否めない
そもそも作戦を練る者なしで戦争などできません。
軍師なんてどこにでもいるといえばそうだし、きちんとした役職として無いといえば無い。
ですので、こうした描写については「軍師がいるから強いんだー!」でなく
「どうやら敵も策を用意しているな」
「孫子をわかる者がいるようだ」
ぐらいの対応ではいけませんか?

まず
「後世の誇張ありき」
なのですが、大河など多かれ少なかれそのようなものでしょう。それにその「誇張」なるものは、具体的にどのようなものなのでしょうか。第一、誇張が全くない大河があるのなら観てみたいものです。
あと
「軍師がいるから強いんだ」
などとも言っていませんけどね。左衛門尉、つまり酒井忠次が
「それなりの軍師がついてるのかもしれませんな」
と言い、その軍師とやらは何者だということになるわけで、最終的に半蔵がその正体を暴くことになる、そういう描かれ方です。

しかしこの大河が嫌いでたまらない(少なくともこのコラムではそのようにしか見えない)武者さんにしてみれば、その軍師という言葉が如何にも耳障りで、実際よりも誇張されて聞こえるのかも知れません。

そして今度はこれまた武者さんが好きな中国(と言うか、中国大陸に栄えた王朝)との比較。

厳密に考えると、日本に軍師はいないような気もします。
本場中国の軍師像は文官です。
諸葛亮は甲冑すら身に付けないし、馬にも乗らない。ライバルの司馬懿も本来は文官。
文武が分かれていて、かつ文官上位の中国では、文官でありながら戦争も強い、そういう人物を「軍師」扱いするわけです。
となると、日本の武士はそもそもが武官なので、なんか違う気がしないでもありません。

これも何度か書いてはいますが、中国諸王朝と日本とは違います。文と武の区別が厳しい儒教国家では、文官が軍を補佐することもありえますし、日本でもそのような時代もありました。しかし日本は儒教国家でもないし、私闘が当たり前になる戦国時代ともなれば、従軍している武将の家臣が、仮に後世に創作された職名であるにせよ、軍師または参謀として主人を補佐することになるわけです。

それから武官は主に律令制の頃、武芸に携わることを職業とした公務員的存在ですから、在地領主的なものであった武士とは違いますね。無論武士の成り立ちも、諸説あります。武装し、軍事的行動を取ることを朝廷から公認され、それが受け継がれて行ったのが武士という説もありますし。

そして武者さんによれば、

あえて探せば……
・大江広元(文官武官が分かれていた頃の文官で、戦の献策をする)
・太原雪斎(僧侶は文官扱いで)
このあたりのような気がします。

大江広元はともかく(但し文官武官が分かれているという記述は疑問)、太原雪斎は今川家の家臣であり、その意味で単なる僧侶とは言えない部分もあるでしょう。実際僧侶としての活動も行ってはいますが。

日本型の武士(武官ではありません)が務めた軍師としては、やはり黒田官兵衛、竹中半兵衛、山本勘助などがそれに該当すると思われますし、直江兼続や島左近、それから南北朝時代の高師直もこれに近いと言えるでしょうね。

細えこたぁいいじゃねえか!
と、言われたら、もう仕方ないんですけどね。

「細え」でなくて「細けえ」ですね。
本当に細かくてどうでもいいとは思いますが、一応突っ込んでみました。

中国でもコーエーテクモさんのゲームは大人気ですし、戦国時代の日本型軍師も受け入れられています。
ただ、そうなるにせよ、戦国時代のコンテンツとして面白いという絶対条件付き。
今年はその点、ある意味終わっているので、中国史関連の考証もかなり雑と感じます。

何だかんだ言うより、武者さんのこの文章の方がかなり雑だと思います。
中国でコーエーテクモのゲームが受け入れられるとあって、その次にいきなり
「戦国時代のコンテンツとして面白いという絶対条件付き」
これ、大河のことですか?だったらそうだときちんと書きましょう。
そして
「今年はその点、ある意味終わっているので、中国史関連の考証もかなり雑と感じます」
大河の描かれ方と、中国史関連の考証とどう関係があるのでしょうか。
武者さんが
「これは終わってる、だから中国史にのっとった描写が駄目なんだ!だから雑だと書いておこう」
このように考えたとしか思えないのですが。

あと太原雪斎について、武者さん今までも何度か言及しており、なぜ今川家にいないのかと書いてもいますが、一方で家康の養育係ではなかったとする説もあるようです。

平岩親吉や鳥居元忠だけでなく、本多忠勝や榊原康政まで裏切りをしかけられる。
その手口がハニトラというのも頭痛がしました。

ストレスによる片頭痛か何かですか?こんなコラム書いているより、心療内科を受診した方がいいですよ。

またハニトラと言っても、手紙を押し付けるシーンだけで、別に機密情報を聞き出すわけでもありませんし。それから武者さんのは順番が逆で、親吉と元忠のシーンの方が後です。しかも物語の流れからして、彼らは女たちから押し付けられるのではなく、城下で配っていた物を受け取ったと思われます。

「聚楽よ〜ん♪」という往年の温泉ホテルCMみたいな感覚ですよね。「聚楽よ〜ん」で検索をかけると、このドラマのセンスが理解できる動画が見られます。
あれは令和に流すべきものなのでしょうか。

武者さんいくつなのか知りませんが、かなり古いCMご存知ですね。令和にこれを流しているかどうかは知りません。それに「聚楽よ~ん」とこのドラマとは、別に関係ないでしょう。武者さんがそう思っているだけです。戦国大河にこのCMの、マリリン・モンローのそっくりさんが出て来たら何なんだとは思いますが。

第一、戦国時代に色仕掛けなどそう珍しくないでしょう。何でそういうことに一々目くじら立てるのかと思いますが、武者さんの思想信条としては許せないのでしょうか。ならば好きな大河にも、似たようなシーンはあると思うのですが、嫌いと決めつけた大河だから、余計に色仕掛けだ何だと騒ぎたいのでしょう。

モブのお色気娘だけでなく、瀬名も妄想の具現化っぷりが痛々しいヒロインです。
人間というよりも、空想の産物。
有村架純さんはものすごく素敵な方だと思います。しかし、そのおっとりとしている点が、どうにも悪用されている気が最近してしまいます。
(中略)
このドラマの瀬名は「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」(MPDG)のようです。
不思議ちゃん。天然。きついことは言わない。とろいように見えて実は聡明。でも、男を凹ますようなことは絶対しない。
こんなヒロイン像はもう時代遅れです。

こんなこと書くより、普通に
「不思議ちゃん。天然。きついことは言わない。とろいように見えて実は聡明」
とだけ書いておけばよさそうなのですが。こういうカタカナ語を使いたがるのも武者さんらしいですね。
で瀬名ですが、別に不思議ちゃんでもないし天然でもないし、とろいようにも見えません。握り飯作りながら夫にあれこれ言ってもいますし(黙れと言われましたが)、意見するべきことは意見しているし、挙句の果ては家康に対して
「あほたわけ」
などとも言っているのですが。武者さんが観ている『どうする家康』は、何か別の描かれ方をしているのでしょうか。

『おんな城主 直虎』で瀬名を演じた菜々緒さんなら、こういうキャラクターにはならなかったでしょう。『鎌倉殿の13人』の宮澤エマさんあたりでもそうです。

作品が違うのだから、描き方は違って当たり前でしょう。
あと宮澤エマさんの役名、ちゃんと書きましょう。実衣ですね。尤も私にしてみれば、実衣の方がちょっと不思議なところはありました。

ところで武者さんと中尾氏が似ていると書いてはいますが、文章そのものは中尾氏の方がはるかに上手です。少なくとも、お金を貰って書いている人の文章だとは思います。内容は、後に行くにつれて違和感を覚えるようになりましたが。

飲み物-トディ2
[ 2023/03/03 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その5

『武将ジャパン』大河コラム関連の続きです。先日で一旦終わる予定でしたが、正直なところ突っ込みたくなる部分が多すぎました。

その理由としては、あらすじは1ページ目に申しわけ程度にあるのみ(と言っていい)で、それ以外は主に『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』を引き合いに出し、やけに叩きまくる場であること、そのためページの冒頭からネット広告や視聴率が出て来て、それゆえに突っ込みどころが多い点などが挙げられます。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


前回のレビューで私も指摘しましたが、あのお粗末VFXはやはり散々な評判です。
(中略)
動物愛護だから、あのしょうもない乗馬CGだというのは、いわば紙ストローみたいなものだと思います。
いくらエコロジーだのSDGsだの言われたところで、あの紙ストローに納得できますか?
しかも他の店では、味にさほど影響がない生分解性ストローを使っている。
こうなったらイライラしませんか?
撮影時の動物愛護は確かに重要な課題です。多くの国でそこは対策をしています。
さんざん取り上げてきた『ゲーム・オブ・スローンズ』では大胆に馬が死にます。
しかし、一からCGで作った馬を投入しているので問題はありません。

このVFX、私も如何にもそれっぽい感じだなと思いましたが、それが気になるほど目立ったのは、主に大高城への進軍のシーンでした。それと動物愛護の声をあながち無視できないという事情はやはりあるわけで、恐らくは今時甲冑を着た武者が長々と馬に乗るシーンを映すわけにも行かず、CGを使わざるを得なかった事情もあったでしょう。ただ、やはりちょっと物足りなさはありました。(ちなみに松本潤さんはちゃんと乗馬の訓練を受けています)

しかし、なぜそれをストローに例えるのががよくわかりません。
そしてまたゲースロ、これを持ち出す前に考えてみてください。彼我の製作費の違いも恐らくは絡んでいるのではないでしょうか。そして大河を作るのであれば、もう受信料だけでは賄いきれないように見えるし、寧ろNHKのエンタメ、または放映権が高いとされているスポーツは受信料以外で制作、放送することを考えるべきかと思います。

それとVFXに関しては、昨年の壇ノ浦も似たようなものだと思います。あの海と船団は、やはり如何にもVFXだなと思われるものでした。では武者さんは、これについて何か書いたのかと言えば、私がスクショを取っている限りでは、何も書いていません。
どころか

そして大胆な絞り込み戦術。これはグローバルスタンダードであり、戦闘シーンは金がかかるので、VFXを使い、ここぞと言うときにだけ描くのは歴史劇の定番です。
あの『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、原作より合戦がかなり少ない。

と書かれています。ちなみにこの「大胆な絞り込み戦術」とは壇ノ浦合戦に絞ったということですが、その前に登場する逆櫓論争は屋島の戦いの時なので、完全に壇ノ浦だけとは言い切れないかと思います。そしてまたゲースロですね。

本当はこの時もVFXについて書かれてしかるべきかと思うのですが、敢えてそこを外すような書き方、死体が転がる浜辺の様子などにスペースを割いていました。そして何よりも、武者さんがVFXが貧弱だと感じるのなら、好きだとか嫌いだとかは別にして、NHKはこういう部分にもっと予算を投じるべきであること、それにはどうしたらいいのかといったことを考察するべきでしょう。

そういうことすらやらず、毎年のように他作品や海外ドラマを比較対象にして、好きだ嫌いだとしかやっていないから、大河を真面目に考えているように見えないし、それどころか大河コラムにはふさわしくない人に見えてしまうのです。

そして1つ前のでもご紹介しましたが、
「本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?」
ですが、あれは甲冑を着けて長時間乗っているわけではなく、それもまた考慮に入れてしかるべきかと思います。

あと
「他のドラマではでは安全に配慮しつつ、きちんとした乗馬シーンをできている」
とあり、『大奥』の冨永愛さんの乗馬シーンについても書かれていますが、これも浜辺を走るだけのシーンで、戦国武者の進軍、または戦闘に絡むのとはわけが違うでしょう。そして

『大奥』の脚本家は、『おんな城主 直虎』を描き、三谷さん『真田丸』の後でもバトンを引き継げると証明した森下佳子さんです。
作品の出来からして、どうしてもそう感じてしまいます。
あるいは正月時代劇『いちげき』も傑作でしたが、それらと比較すると『どうする家康』の熱意の無さは如何ともし難いものがある。
VFXを利用するなら、上手に視聴者を騙してほしい。ただそれだけです。

まず「作品の出来からして、どうしてもそう感じてしまいます」て、具体的にどのように感じることなのでしょうか。
そして森下さんとか正月時代劇のことを書いていたのに、なぜ急にVFXに戻っているのでしょうか。どうも武者さんが言う『どうする家康』の「熱意のなさ」が、何に対しての「熱意」なのかが不明であるため、最後の行に違和感があります。

しかる後に、これも先日ご紹介した
善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」
が登場しますが、これも意味がわかりづらいこと、漢籍好きにしては説明が曖昧だということを指摘しています。
再度書きますが、この孫子の言葉は「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。

そしてその後に

『どうする家康』が若者を狙っているとは、とても思えません。
笑いのセンスがいちいち「おじさん構文」じみていて、自認はともかく実年齢は若くない層を狙っていると思えます。

なぜそう言い切れますか?そこまで書くのであれば、どのシーンがどのように「おじさん構文」的であるかを説明してこそのものでしょう。先ほどご紹介した、昨年の壇ノ浦回のこのコラムで武者さんは
「自分が思う通りにならないからと、「ナレなんとか」と書き込むのはどうかと思います」
と書いていますが、私としては
「自分が思う通りにならないからと、何でもかんでもおじさん御用達扱いするのはどうかと思います」
とでも書いておきましょうか。

最近の大河と言えば、Twitterトレンドがしばしば話題になりますが、あれも本物の若者はあまり熱心に使わないプラットフォーム。
関連コメントで「韓流ドラマのような無茶苦茶さだ」と引き合いに出すところにも年齢を感じさせます。
『冬のソナタ』ブームからもう20年近く経過しましたね。

これも若者のツイッターの使用率についてちゃんと調べているのでしょうか。そして『冬ソナ』ブーム以後も、もちろん韓国ドラマは放送されているのですが。

本作は「若者向けだから、ここはティラミスだ!」と言い出すような悲惨さを感じてしまいます。
今ならハットグやジーパイを食べているのに、一体どうしたことか……と。

意味不明です。少なくとも武者さんは、ティラミスが流行した当時をご存知であることはわかりますが。
若者たちがハットグやジーパイを食べているのかどうかはともかく、今は韓流と華流だと言いたいわけですね。ならば別に大河ドラマのコラムなど担当しなくてもいいのではないでしょうか。
それと食物に例えるという点で、『鎌倉殿の13人』の総まとめの記事で、プリンがどうのこうのといった表現がありましたが、あれもわかりづらかったです。変に凝らない方がいいかと思うのですが。

『どうする家康』の成功要因は、ドラマの質そのものではなく、報道やファンダムの誘導の仕方によって決まるということ。
勢いの形成が重要です。
狡いといえば狡い。
しかし、ブランド力がありファンの多い役者さんが出るし、題材やスタッフの知名度は高く、去年の勢いをかき集めれば、「今年の大河は成功だ!」というイメージを形成できなくもない。

報道といわば「ネット工作」によって決まる、嫌いな作品はすべて狡いと言わんばかりですね。
しかし昨年も似たようなものではないでしょうか。大河関連の報道は多かったし、スポニチに至ってはやけに「稀代の喜劇作家、三谷幸喜氏の」で記事を始めていましたね。無論関連ツイも多かったです、武者さんはそれを批判していましたが。

そして締めの言葉として

問題は、スタートで勢い作りに失敗したところでしょう。
さぁ、どうする視聴者、どうするメディア。

とありますが、ここで第1回と第2回の世帯視聴率と個人視聴率について見てみます。
まず『鎌倉殿の13人』ですが、

第1回 
鎌倉殿の13人
世帯視聴率-17.3パーセント
個人視聴率-10.6パーセント

どうする家康
世帯視聴率-15.4パーセント
個人視聴率-  9.6パーセント

となっています。
しかし第2回になると、『鎌倉殿の13人』は

世帯視聴率-14.7パーセント
個人視聴率-  8.9パーセント

であるのに対して、『どうする家康』は

世帯視聴率-15.3パーセント
個人視聴率-  9.2パーセント

と、昨年のを上回っています。本当にスタートで勢い作りに失敗しているのかどうか、何とも言えません。今年は特に高い視聴率ではありませんが、急に下がったと言うわけでもありませんし。

それから余談ですが、前出の昨年の壇ノ浦回で、八重が子供たちを引き取って育てるシーンが出て来ます。ああいうのも、本来は寺院でやるものでしょうね。そして最終回で、政子がやはり孤児たちを引き取って、トウに武芸を教えてくれと言うシーンも出て来ますが、これも本当は寺院で面倒を見るものでしょう。でなければ、旅の一座などに加わってその中で育つかではないでしょうか。

それはともかく。このトウと子供たちのシーンは、『真田丸』の九度山のシーンで、佐助が子供たちに忍術を教えるのと似ていますが、しかしここで武芸と言うのは、武家の男児が学ぶ弓馬の術ではもちろんなく、要は暗殺術を教えているわけで、あれは如何なものでしょうか。ならば、農業でも教えた方がよかったのではないかと思います。

飲み物-トディ2
[ 2023/01/22 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その4

『武将ジャパン』の大河コラム関連、今回は4ページ目です。それから先日分で、鳥居忠吉のことを大久保忠吉などと書いておりましたので、訂正しています。あと文章の意味がわかりにくい部分もいくつか直しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


まず最初にいきなり視聴率の話です。

昨年の勢いを汲み、今年の出演者の顔ぶれからして、最初ぐらいは注目されると思ったら、思わぬ低調ぶりでした。
◆大河「どうする家康」初回視聴率、関東15.4% 歴代2番目の低さ(→link)
『西郷どん』と同率、過去2番目の低さで、過去最低は1989年『春日局』だったことを考えると、近年では実質最下位とも言える出だしです。

「昨年の勢い」とありますが、昨年の後半の平均視聴率は11パーセントから12パーセント程度で、そう勢いがあるとは言えませんでした。しかもサッカーのワールドカップ、コスタリカ戦の裏の、6.2パーセントという数字もありました。もう少し数字が高ければ仮に10パーセントを割ったとしても、あれだけ下がることはなかったと思います。

しかも武者さん、昨年あれだけ言っていた個人視聴率について、この部分では何ら言及していません(その少し前に、『再生回数は低迷するけど、視聴率はそこそことる』とはあります)。ちなみに『鎌倉殿の13人』の(世帯)視聴率に関して、昨年はこう書いていました。

「こうした再生回数が多い成功作品は、近年であれば『鎌倉殿の13人』だけでなく、朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』と『ちむどんどん』も該当します。
ただし、公的に大きく発表される数字は今も視聴率であり、この辺のアンバランスさが世間での評価を難しくしているのでしょう。
朝廷の定めた律令が武士を想定しておらず、坂東武者は混沌とした基準のもとで生きてきた――その様が『鎌倉殿の13人』で描かれたように、大河の評価基準もそんな状態なんですね」

つまり今までの視聴率では駄目だと言いつつ、『どうする家康』では今までの視聴率を持ち出して来て「思わぬ低調ぶり」などと書いています。なぜここで
「NHKプラスの再生回数は多いかも知れない」
と書かないのでしょうね。

尚『青天を衝け』の時も最終回の数字の低さ(裏にフィギュアが来たから仕方ないとは思いますが)を挙げ、『麒麟がくる』で視聴率を上げたのにと、何だか恩着せがましいと思われる書き方をしていましたね。

そしてBLがどうこう。

第2回放送をめぐっては、BL要素に着目したネット記事が早くも出回りました。
◆ 松本潤『どうする家康』、「BL大河」と話題のワケ――岡田准一のセリフ「俺の白兎」がトレンド入り!(→link)
大河ドラマでBLを推してくるとなると、なかなか厄介です。
振り返れば2009年『天地人』がBL漫画を出し、2018年『西郷どん』でもBLが押し出されましたが、余計なお世話としか言いようがありません。

まず、こちらも武者さんのコラム関連の投稿になりますが、『鎌倉殿の13人』第39回のコラム記事に関しての記述にこのうようにありました。

「今流行しているからBLを入れたとか、そう宣伝していた『西郷どん』とは比較にもならない。単純なものではない。東洋的な美学もあれば、多様性への配慮もあります」

私はこれに対してこう書いています。

「『西郷どん』の中園ミホさんは、BLに言及してはいますが、「今流行しているから」と言ったでしょうか。制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」
https://www.oricon.co.jp/news/2080906/full/」

別に「流行している」などと言っていませんね。色々ある愛情のひとつであるというのを、ちょっとジョークめかして言っているとは思いますが。そもそも大河の場合、男性同士の触れ合いが多く、どうしてもそのように見られてしまうシーンは多いかと思われます。

たとえば『真田丸』の神君伊賀越えで、家康と忠勝が百姓家で握り飯を食べるシーンなども、ちょっとそれに近いものを感じましたし、あと『八重の桜』でもBL的要素は指摘されていました。AERA.dotの記事ですが置いておきます。

BL好きの“腐女子”層も歓喜? 新大河ドラマの評判
https://dot.asahi.com/wa/2013011500010.html?page=1

こういうイメージを完全に払拭するのは不可能ではないでしょうか。武者さんに取っては「余計なお世話としか言いようがありません」なのでしょうが、そういう見方をしたがる人がいても、別におかしくはないでしょう。

しかし武者さんによれば、『鎌倉殿の13人』は違うのだそうで、ここでも
「BL狙いではなく、多様性を尊重するように出した2022年『鎌倉殿の13人』は、そこを読み解かれないどころか、歴戦の腐女子は萌えないだのなんだの、妙な誤解も生じました」
ではどこがBL狙いでなく多様性を尊重するようにしたのか、ちゃんと説明して貰えないでしょうか。

その後海外ドラマ『ウェンズデー』で、客寄せのために性的マイノリティを使う手法は批判されているという箇所について触れ、

客寄せとして狙ったシーンだとするならば、一体いつの時代の作品なのかと呆れるばかりです。
萌えの使い方もあざとく、錚々たる役者たちにこんなことをさせてどうしたいのですか?

「萌えの使い方」があざといでしょうか。ではどのようにあざといのか説明して貰えないでしょうか。何よりもその前に

あの信長から家康への執着なんて、ハラスメントじみていて、そもそもどこにトキメキ要素があったのでしょうか。

とありますが、信長が家康に対して不敵に「俺の白兎」と言うシーン、つまり俺がお前を支配してやるという意味が込められたセリフであるがゆえに、ときめくものがあったのではないでしょうか。そういうのを読み取れませんか?

そして大河ゆかりの地が観光誘導を狙うことへの批判として、『花燃ゆ』で防府市が大河ドラマ館を作ったり、観光アピールをしたのに、完結編は群馬となって防府が登場しなかったことについて、当時の記事を持ち出しています。
しかしこれはかなりレアな例と言っていいでしょう。当該記事でも言及されているように、完結編を防府にする予定だったのが、それまでの視聴率が今一つで群馬に変更されたわけで、防府がダメージを食らったわけです。しかし他の大河でこういう例はそうありません。
このようなレアケースを一般化し、だからゆかりの地を観光地化するなと言うのもどうかと思います。

あとVFXがどうのこうの。しかもなぜか
「◆「本当にどうするの」松本潤主演の大河ドラマ『どうする家康』が低視聴率のスタート…韓国での反応は?(→link)」
などと、韓国での反応を載せた記事をわざわざ紹介(サーチコリアニュースだから当然ですが)していて、それに比べて『鎌倉殿』や『麒麟がくる』は…と言いたげです。

本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?

まず言いたいのは、『どうする家康』の第1回、第2回でああいうシーンはまだ登場していないということです。条件が違う同士を比べるのも如何なものかと思います。例によって比較の仕方が強引だなと思います。
あと馬の扱いについては、馬が多く登場する、1988年の『武田信玄』のOPが批判されてもいますね。

まあこの4ページ目、武者さんという人の考え、もっと言えば偏見があちこちに見られて、それはそれで面白いので、次回にまた書こうと思います。
あと、もう少し後の方になりますが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない。

とありますが、この孫子の言葉は
「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。
「勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」では意味が通りにくくないでしょうか。武者さんは漢籍好きな割にこの辺りが曖昧ですね。


飲み物-ランプと水とウイスキー
[ 2023/01/21 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 88その2

先日分の続きです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第6回「悪い知らせ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


義時は難しい。
この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけで、本当にろくでもない役割を振られている印象すら受けるのです。
そんな、誠意しかない、真心だけでいる男が、最終勝利者になる。
これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか。
誠意にあふれていて、信頼できそうな義時を、疑うことはできますか?
無理でしょう。人智を超えた罠かもしれない。
義時は自分でも無自覚のうちに、謀略を巡らせている。やり口は卑劣だろうと、大目標が仁のためならばよろしい。
そんなひねりにひねった展開が待ち受けているようです。

「この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけ」と言うか、頼朝自身が家来を持たないに等しいから、北条家の人物が奔走せざるを得なくなるわけですが、逆に頼朝を担げば北条の世の中になるというのも、実感は湧かないながら漠然と思ってはいたでしょう。ただ源氏の男性陣、ひいては北条家の男性陣も、どこか女性たちに焚き付けられている感もありますが。
あと
「これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか」
武者さんの場合自分のお気に入りだととにかく、凄いことだと書くのですが、それが「どのように」凄いのかが伝わらないのです。凄い凄いだけだと、言っては何ですが小学生みたいだし、小学生でもものの分かった子ならもう少し具体的に書くでしょう。

まず突っ込んでおきます。
北条宗時の死についてナレーションがあったことを「ナレ死」とするネットニュースがありましたが、修正されたようです。
本来のナレ死の定義はこうだったはずです。
【最期の瞬間がなく、ナレーションで死んだとされること】
宗時は、刺される場面があったため「ナレ死」には該当しませんね。

誤りを正すのはいいのですが、武者さんもドラマ本編とか漢籍の説明なので、時々ミスがあったり、あるいは意味が違うのではないかと思われる記述があったりします。プロなのだからその点に気を付けてください。

そして「まさかの……」「ロス」というニュースも多くあります。
しかし、坂東武者に心がなりきった俺からすればロスはありえねえ! これから死屍累々なのに、たかがこの程度の死でショックを受けてたら身がもたねえ。
だいたいあの登場人物一覧がとんでもねえことになるのよ! 自治体コラボがコレだからな。
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日にちをめくっていくと滅亡するのかー!

いや別に、ロスを感じる人がいたらいたでいいのでしょうか。特定の人物を推していて、その人が早々に退場したりすると、やはり何らかの喪失感はあるでしょうから。

はい、なりきりはやめまして。とにかく坂東武者はこういう価値観です。
「平氏の連中は弱っちくていけねえ。あいつら身内が死んだくれえでメソメソしてやがらぁ。俺らはロスなんて言ってる暇はないぜーッ!」
「和歌ぁ? んな意味のねーもんなんでしやがんだぁ?」
人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います。

「人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います」
ちょっと意味がわかりづらいのですが、この場合の人の死を悼む文章とは具体的に何でしょうか。そしてなぜそういう心理(心境と書いた方がわかりやすいかと思います)にならないと今後辛いのでしょうか。
和歌に意味があるかどうかはともかく、結局はその和歌が大好きな実朝が鎌倉殿になってしまい、その時期にまたも御家人の血が流されるのみならず、公暁が自分は後継者だと主張するようになり、最終的に源氏の時代は終わることになります。これがもとで坂東武者たちが和歌を軽蔑したのならともかく、当然ながらこの時、それを見通せた人物はいませんでした。

ロスと言っている今はマシかもしれない。
感覚が中世になったら、ある意味この作品は完成します。
「感覚が中世って何?」
そう疑念を抱かれた方に、こちらを見ていただきたい。
『ゲーム・オブ・スローンズ』とコラボしたビールメーカーの広告です。
これをファンはネタにして爆笑しました。
ドラマ本編ではそれこそロスを味わっていたのに、人が惨殺されるコラボ広告では笑ってしまう。むしろ惨殺でウケる〜〜となってしまうことこそがおそろしいのです。

感覚が中世というのも妙なものです。まだ律令国家とは異なる体制をまだ築き上げておらず、そのせいもあって多くの血が流されました、鎌倉時代前期と言うのはそのようなものだと書くのであればまだわかります。そして殺戮が多い点は共通するものの、十字軍やキリスト教守護が中心の西洋の中世とは、その点が異なってもいます。そしてこのゲースロの広告の動画が貼られていますが、大部分がドラマのシーンであり、逆にドラマでの予備知識があるからこそ、広告では笑い飛ばせるとも言えますし。あの部分がCMになってるぞ、面白いといった感覚かと。
ならば義時を演じる小栗旬さんが、プレモルを飲むCMがあってもよかったかと思いますが、流石にNHKがOKを出さなかったのでしょうか。

『吾妻鏡』には、「アイツの死に方無様でマジウケる〜」とケタケタ笑う坂東武者さんの会話が記録されていまして。宗時お兄ちゃんが死んだ頃は真面目だったよね、うちら……と、こうなったらある意味完成します。
それがいいのか悪いのか。ロスというよりも、読経がおすすめですね、心も落ち着くし。

「感覚が中世になった」とか、完成するとかしないとかより、そういう時代だなと受け止めつつ観るしかないのだと思いますが。
そして最後の方の文章、これまた何を言いたいのか不明です。こう言っては何ですが、酩酊状態で書いた文章なのでしょうか。

それからこの回では、八重や時政、義時を始め身内を失った人が多く登場するとあり(ちなみに八重が墓石を前に泣くとありますが、あれは供養塔ではないでしょうか)、

その割に、悲壮感が薄いとは思いませんか?
なんのかんので安西景益の用意する酒を飲んでいるしな!
彼らを見ていて、ふと考えるのが動物の感情です。
動物は、喜怒哀楽のうち“哀”が薄い。
なぜかというと、“哀”を味わい落ち込んでいると、個体の生存率が下がるから。他の感情は生き抜く上でむしろあった方がいい。
しかし“哀”だけは別。気持ちが沈んで弱くなったら、隙が生じます。
このドラマの坂東武者とは、喜怒哀楽のうち、“哀”以外はむしろ濃厚に思えます。和田義盛なんてその典型でしょう。
むろん、ふざけているのではなく、これは意図的に人間の進化段階として描いているのかもしれない。

まず、この当時はそういう時代であったと考えるべきでしょう。無論細かい部分まで描こうと思えば、悲しみや辛さもあるいは描けたかも知れませんが。
そして「哀」云々、これはダメージが大きくならないように進化していると言うべきでしょうか。
ダメージやストレスが大きいと、普段の生活に好ましからざる影響を与えるから、脳が忘れてしまうとか、または美化するようになって行きます。これが所謂認知バイアスと呼ばれる、考えや判断の偏りとなってしまうわけです。
とはいえこれはすべての人類に言えることで、何も坂東武者だけがそのように進化しているわけではありません。

“哀”という感情は高度で、かつ宗教や道徳で規定されます。
たとえば儒教では、服喪中はストイックなまでの節制を求められます。
酒はダメ、肉も禁止、薬も飲むな。
服喪期間が長すぎて「やりすぎじゃないか」という批判が定期的に入ります。

語弊がある言い方かも知れませんが、それが儒教社会のある意味停滞感につながっていると言えなくもありません。

大河と儒教規範って、それこそ小島毅先生がノリノリで取り上げてもいいと思うのです。ここ数年、なかなか面白いことになっています。
2020『麒麟がくる』:朱子学規範を貫く明智光秀
2021『青天を衝け』:どこか歪んだ日本型陽明学と、水戸学を選んだ渋沢栄一や明治政府の人々
2022『鎌倉殿の13人』:儒教規範がまだ浸透していない坂東武者は、いかにして道徳を身につけるか?
2021年の陽明学は正直食い足りないと思いますが、他は充実しています。
今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう。

ここでも青天批判と言うか、「2021年の陽明学は正直食い足りない」とありますが、時代も身分も違う主人公たちが、儒学への接し方が全く同じであるわけはありません。何よりも、江戸時代の末期に下級武士や農民にまで、こういう学問が広まっていたことに注目するべきかとも思います。そもそも陽明学は、朱子学批判から始まってもいますし、志士たちの中にも陽明学に影響された人物がいます。結構日本で独自の発展を遂げたりもしています。

そして
「今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう」
人類普遍がどうこうと言うあたり、朱子学批判に端を発して普遍的な秩序を重んじ、幕末の志士に影響を与えた陽明学に対する批判にも見えますね。

幕府というものを立ち上げた時代は、キャラ萌えが重要でした。
『青天を衝け』でも出てきた徳川慶喜を考えてみましょう。
彼は幕臣からすら「あいつってゲスでサイテー」と罵倒されています。人間的にはどうかと思う。
でも幕臣にせよ会津藩士にせよ、慶喜の血筋と立場を守ろうとしました。
慶喜なんて鎌倉の坂東武者なら即座に殺しかねないほど下劣な一面がありますが、武士の認識が変わったからこそ、死にもせず駿河で趣味に生きる余生を過ごせた。
キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい。

殆ど無理やりな感じがしますね。
とりあえず
徳川慶喜は叩きたい
鎌倉殿は褒めたい
と言うのはわかりますが、
「キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい」
てどういうことでしょうかね。
それになぜキャラ萌えが出て来るのでしょうね。どうにもこうにも自己満足あるいは自己陶酔の域を出ていないようです。
とにかくコラムの締めくくりらしきものを書こうとしたのでしょうが、何とも意味が通りにくい文章だなと思います。あれこれ書くより、一番最後の
「今年の大河は、ともかく推せます」
だけでもういいのではないでしょうか。


飲み物-トディ
[ 2023/01/04 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その3

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その3です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) -
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本編、武者さんが好きなジェンダー論です。

立体感のある愛すべき悪女たち(小見出し)
『鎌倉殿の13人』には、悪女が何人も登場します。
牧の方。
実衣。
比企能員の妻・道。
北条義時三人目の妻・のえ。
ただ、彼女たちにも言い分はあるし、憎めない。そこが納得できるように描かれていました。
ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない。
悪女枠には入らない本作の政子や、八重、初も言動にはきついところがあります。
あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます。
演じる側も戸惑うことはあったものの、むしろいいキャラだと褒められることが多かったと振り返っています。

ここで思うのですが、実衣は「悪女」なのでしょうか。そう呼ばれるほど主体的ではなく、周囲が彼女にいわば甘いせいもあり、あそこまで権力の中枢に入り込んで来られたような感じです。りくの方がもう少し頭を使っているように見えます。
そして
「ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない」
ステレオタイプというのは、どのような意味でステレオタイプなのでしょう。如何にも悪女的なという意味なのでしょうか。それが書かれていませんね。

また
「あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます」
どんぐりをぶつけると「立体感のある女性像」になるのでしょうか。
第一「立体感のある女性像」て具体的にどのような女性像のことでしょうか。


女は再婚する(小見出し)
『鎌倉殿の13人』では、再婚する女性が複数出てきます。
八重。
巴御前。
比奈。
「貞女は両夫に見えず」という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする。
本作は逃げませんでした。
中世考証をしっかりした結果でもあり、より実像に近くなっています。

「『貞女は両夫に見えず』という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする」
「ぼかしたり変えたり」していたのは、どのような大河で、どの部分をぼかしたり変えたりしてでしょうか。それを明記してしかるべきでしょう。
第一こういう再婚は戦国時代でも見られます。それこそ江などその最たる存在ですし、儒教的価値観が根付く前というのは、鎌倉時代に限った話ではありません。

そして本作最大のジェンダー観における成果は、なんといっても北条政子でしょう。
政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました。
政子が義時を守るために戦えと言えば、御家人たちは奮起する。
政子がもういい、ご苦労様と見限ったら、義時は死ぬ。
演説の内容も、義時の最期も、ドラマの創作要素が入っている――要は、この作品は、政子が義時の運命を握る存在だったということです。
思えば頼朝の妻となることで、義時を運命に引きずりこんだのが彼女でした。
それでいて義時が政子を傀儡にしようとすると逃れ、自らが尼将軍となることでだし抜きます。
政子の全戦全勝。
男性主人公で、生殺与奪を女性が握っているなんて、なかなか画期的なことじゃないですか。

「政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました」
結果的にそうなったように見えるだけで、物語の流れを追う限りでは、彼女は理想論を振り回していたところもあり、義時をはらはらさせてもいました。まあ別に生殺与奪権を持たせずとも、もっとシリアスな展開とか、義時と組んでかなりダークな部分を見せるとかいうシーンがあり、共闘の後に弟を看取るという流れであれば、彼女が
「義時の運命を握る存在」
であっただろうとは思います。
そして
「政子がもういい、ご苦労様と見限ったら」
ではなく、
「お疲れ様、小四郎」ですね。しかも義時が息絶えた後にそっとつぶやいています。

日本のマスメディアや視聴者は、GoTのことなんかさして話題にしていないと思えます。
日本は世界的にみてもGoTの人気がそこまで高くないとも言われているのですが、それでも三谷さんやスタッフは意識して名前を挙げているのだから、記事にするならそこにふれるべきなのにそうしない。
人間は自分の守備範囲で話をしたいものです。
自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう。
結果、制作側の意図が通じなくなっていることがしばしばあり、そこを指摘していきます。

と言うより武者さん、貴方がことあるごとにゲースロにこだわっているように思えるのですが。
そして
「自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう」
それを言うなら武者さんも、『青天を衝け』をはじめ嫌いな大河を引っ張って来て、好きな作品と比較するのをやめてはどうでしょうかそもそも大河とは1つの枠であり、その中で放送された作品こそが、何らかの形で大河の持つべきものを受け継いでいる、あるいは受け継いでいてほしいから、比較する人が多いのでしょう。
あとたまたま昔のこのコラムを見て思ったのですが、制作の意図が関与しているはずの、あるシーンがおかしいと指摘したすぐ後で、別の事例を出し、それは制作側が決めることと断言している箇所がありました。何だか矛盾していますね。

「こんなのは時代劇ではない」
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです。
例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます。
同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる。
いずれも当時を再現した結果、視聴者の知っている時代劇と違うとしてバッシングの対象となったのです。

「『こんなのは時代劇ではない』
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです」
昔新春時代劇というのを民放も作っており、その中には源義経などを主人公とした作品もあったのですが、この場合は時代劇でも、平安~鎌倉時代を扱っていることになるのですが。

「例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます」
先日も書いていますが、武者さんにはぜひ『太平記』を観ていただきたいものです。これも正に中世の日本の、しかも南北朝という乱世を舞台としており、あれの殺陣や合戦シーン、謀略シーンなどは、はっきり言って『鎌倉殿の13人』を上回るかと思います。

「同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる」
どう見ても、あの化学染料を使ったような色合いが、当時の色彩であるとは考えにくいのですが。何か、毒毒しい印象さえ受けました。以前ご紹介しましたが、『どうする家康』の公式ツイの布地のサンプル、どう見てもこちらの方がその当時らしさを感じさせます。逆になぜ武者さんは、あの色を当時の色彩感覚と言い切れるのでしょうか。

どうする家康ツイ2(衣装)
そして
「存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる」
伊呂波太夫はまだいいでしょう。問題は駒です。何度も武者さんが書くので、こちらも何度も書かざるを得ないのですが、医者の弟子であった彼女がいつの間にか将軍の側女になり、やけに権限を持っていたり、大名家に出入りしたりするのは何か要領を得ません。また
「帰蝶の立膝がありえないとされる」
これに関しては、その当時は女性の立膝もあったとはされています。ただ、安土桃山時代以降でないと存在しないと思われるような、絨毯敷きの部屋が桶狭間の戦いの頃にあったのには驚きでした。

しかし真ん中あたりになると、どう見てもわざわざ小見出しをつけるほどでもないほどの文章が目立ちますし、また、自分の好きな『鎌倉殿の13人』はすべていい、批判するなと言っているようにしか見えないのですが。


飲み物-ホットラム
[ 2022/12/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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