『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。よほどお気に召さないことがあるようですね。今年の大河ドラマは何が悪いのかと前置きして、顧炎武『日知録』の「天下の興亡は匹夫も責め有り」をまたも持ち出しています。
こちらの提灯記事をご覧ください。
◆「どうする家康」井伊直政の「九郎義経と同じ」発言に大河ファン反応 SNS「間違ってもない」「完全に狙ってたでしょ」(→link)
見出しの時点で私は顔がひきつりました。
記事中では、以下の赤字部分ですね。
(注、武者さんが赤字にしている部分、一応この投稿でも当該部分を赤くしています)
「町娘に囲まれながら薪割りをする直政は「私は見た目は華奢だが力はあるのさ。まっ、九郎義経と同じだな」と源義経を引き合いに自身の力を自慢。於愛からは「またおなごをたぶらかして! いい加減にしなされ!」と叱責されたが、「於愛様、誤解です。私がおなごを好きなのではなく、おなごが皆、私を好きなのです」と軽口をたたくのだった」
という部分で、ツイッター上では菅田将暉さんとの関係に言及する人も多く、
「菅田くんと李光人くんが繋がる感じエモい」
「現・万千代の口から『九郎義経』の名前が出てきたのなにげにアツいよね」
「いずれ板垣李光人さんにも義経やって欲しい」
等々の声が上がっていたそうです。無論私も、菅田さんつながりかなと思ってはいました。
ですが、武者さんは面白くないようです。
義経のことを「華奢だけど力はあるんだよね」とあっさり語っています。
つまりは、脚本家もメディアも、(実在するならば)Twitterの声も、誰も「義経の弓流し」を知らない。
とあって、『鎌倉殿の13人』第11回で、義円の方が弓がうまいと義経が拗ねたり、第14回で義経が非力なため、頼朝の弓を引く時腕が振るえているといった、非力であると見える描写を例として持ち出しており、
ああいう場面を見ていると、義経はやっぱり腕力に自信がないんだなぁ、そこが劣等感なんだなぁと思えてうれしかった。
弓流しをあえてやらずとも表現できるのが非常に素敵だった。さすがは三谷さんだ、歴史って楽しいな、という喜びがあった。それが今年は、義経が腕力自慢をしているという時点で、もう決定的に受けつけない。ふつふつと怒りが湧いてくるレベルです。
個人的な話ですが、私の人生最古の推しは源義経であり、小学生の自分だって、こんなニュースを読んだら「ちがうよ、義経は力が弱いよ!」と怒ったと思います。
武者さん、このサンスポの記事ですが、そんなに向きになって怒ることですか?
一般的に義経は小柄だが、あの壇ノ浦合戦で平家を打ち負かしてしまったように戦は強い、自分も同じなのだと直政は、多少はいいところを見せようと思っていて、あのように言ったに過ぎないでしょう。
そして
「義経が腕力自慢をしているという時点」
この中で義経自身が登場しますか?あくまでも万千代(直政)が、義経は強いと言っているに過ぎません。
あまりこういうことを言うと、揚げ足取りにしか見えないと思います。
で、この記事は提灯記事だと決めつけていますが、特定のシーンに関するネット上の反応を述べたに過ぎないのでは。
まあ武者さんのことです。なぜ自分が好きな、「史実通りの」腕力に劣等感のある義経を持ち出してこないのか、それが気になって仕方ないのでしょう。
で、「そしてさらなる疑念も湧いてきます」とあり、
彼らは本当に大河を見ているのか?
歴史を楽しんでいるのか?
それとも、大河ファンであると自認する者同士で褒め合い、じゃれあうことを楽しんでいるのか。
今はインスタ映えなんて言葉がありますね。何かを食べ、味わうことではなく、SNSで映えることを重視する。
とのことですが、私はずばり、この人たちは大河を楽しんでいると思います。そしてこの大河に描かれた歴史、世界観も楽しんでいるでしょう。別にそれでいいのではないでしょうか。何もかもが、武者さんの思い通りに描かれるわけではありませんから。
しかしその辺で割り切ることが難しいようですね。
大河ドラマにそうした層がいても自由ですが、問題は、制作サイドがそうした反応ばかりに目を向けることです。
結果、ドラマが場当たり的なウケ狙いばかりになったら、本末転倒にもほどがある。
となると、今年の大河の低迷は、もはや作り手だけの問題じゃないという気がしてきます。
なぜ制作サイドがウケ狙い、場当たり的だと言い切れるのでしょうか。
そういう反応に目を向けているのは、この場合サンスポというメディアでしょう。
そして
「制作サイドがそうした反応ばかりに目を向ける」
↓
「ドラマが場当たり的なウケ狙いばかりになったら、本末転倒にもほどがある」
ここまではともかくとして、なぜその次の部分で
「となると、今年の大河の低迷は、もはや作り手だけの問題じゃない」
となるのですか。貴方制作サイドがよくないと言っているのではなかったのですか。何だか飛躍していますね。
私は『麒麟がくる』が大好きですし、『鎌倉殿の13人』を大傑作だと思っています。
作品ごとの思い入れは当然ありますが、大河枠ごと好きか?と問われたら、「いいえ、ファンではありません」と答えます。大河ファンだのクラスタだの、そういう枠組みに囚われることには危険性を覚える。
要するに、私は大河ファンではありません。
結局言ってしまいましたね。「大河ファンではありません」
ならば、このコラムももうお辞めになってはどうですか。
いや大河ファンでないのならいっそのこと、一切の感情を交えずにあらすじと歴史的背景のみに徹することができたら、それはそれでいいかと思います。ただ武者さんの場合は、正直言ってそれは望めませんね。今までのコラムの論調、好き嫌いでころころ変わる評価を見ている限りでは。
あと「作品ごとの思い入れは当然ありますが」とあるのも、好きな作品限定ではないかと思ってしまいます。
豺狼路に当たれりいずくんぞ孤狸を問わん。『後漢書』「張綱伝」
山犬や狼のような奴らが問題の中枢で権力を握っているのに、どうして小悪人の罪を問うことができる?
この「豺狼路に当たれりいずくんぞ孤狸を問わん」ですが、山犬や狼のような奴ら、つまり大悪人がのさばっている時は、狐狸のような小悪人よりも、ますその大悪人を取り除くべきであるという意味かと思われます。
そうはいっても、この駄作の責を視聴者が負うのもどうかと思う。
なぜ「そうはいっても」なのでしょうか。「天下の興亡は匹夫も責め有り」なら、一般人も責めを負うべきとなるのではないでしょうか。
そしてこれは磯CPへの、ある意味侮辱的な言葉と取れなくもないのですが、
幸いにも、狼は姿を見せているようでして。
◆ 「一番いいところを一番素直に届ける」NHK大河「どうする家康」制作統括・磯智明チーフ・プロデューサー (→link)
◆【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②(→link)
磯プロデューサーの発言に注目します。
非常に饒舌な方で、ここまで多くを語る裏方さんて、そうそういませんよね。
「狼は姿を見せている」ですか。
そして「ここまで多くを語る裏方さんて、そうそういませんよね」
『真田丸』の屋敷CPもかなり多弁な方でしたが。
そして今度はまたも『鎌倉殿の13人』が叩き棒。
『鎌倉殿の13人』は、多くのスタッフがどこに注力したのか、狙いを含めて語るラジオ番組がありました。私も聞いていました。複数の証言から見えてきたのは、日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を目指しているということ。
具体的でいいと思うし、実際それを狙ったと思える箇所は多く、成功していたと思います。
ところが不思議なことに、メディアでは三谷さんの過去の作品は引っ張ってくるのに、『ゲーム・オブ・スローンズ』に言及する記事がほとんどありませんでした。
と書いたうえで、日本のメディアは、海外のことなんて度外視している、それが確信に変わったとして、またジャニーズの問題を持ち出しています。そもそも両方とも日本のメディアが海外なんて度外視していると書いても、ゲースロという海外ドラマと、ジャニーズ関連報道では大きく異なると思うのですが。
◆国連人権理、24日から訪日 ジャニーズ性加害調査も実施(→link)
◆「70年前、ジャニー氏から自室で性被害」俳優の服部吉次さんが証言(→link)
◆ 「その日の夜、ジャニー喜多川氏は5人を次々に襲った」…俳優服部吉次さんらが証言した70年前の性被害(→link)
そしてこのジャニー喜多川氏の問題(これも検証中だとは思いますが)にかこつけて、またも大河批判です。しかも
けれども、大河ドラマは平然と放送されています。
そして放映後、ジャニーズと懇意のメディアとライターにより、じゃんじゃんと提灯記事が量産されます。
まるで巨大な岩のようにすら思えてくる。これは一体どういうことかと。
出演者の一人が「容疑者」となった段階で、『鎌倉殿の13人』は配信されなくなったのに、大河はよりにもよってまたジャニーズ俳優同士が暴力的なBLを繰り広げている。
「じゃんじゃんと提灯記事が量産されます」
「続々と」とでも書いてほしいところですが、それはともかく。ただこれらの記事は、武者さんが好きな大河だとすべて得々としてこのコラムにリンクを貼るような記事なのでしょう。嫌いだから目障りに見えるだけです。先ほどこのコラムは好きか嫌いかで評価がころころ変わると書きましたが、この部分は正にその典型とも言えますね。
そして
「出演者の一人が「容疑者」となった段階で、『鎌倉殿の13人』は配信されなくなったのに、大河はよりにもよってまたジャニーズ俳優同士が暴力的なBLを繰り広げている」
貴方こんなこと書いていいのですか?これでは松本さんと岡田さんを容疑者扱いしているようなものですよ。
そして日本では、BL描写は違法行為でも何でもありません。
確かに市川猿之助さんの件は残念です。またキャストが逮捕されたからと言って、一律で配信を止めるのも今後再検討されるべきでしょう。しかしだからと言って、別に容疑がかかってもない俳優さんが、法的に問題はないと思われる演技をしているのが何か悪いのでしょうか。
よりにもよって公共放送が、堂々と看板番組でこんなものを流していたら、何の説得力もない。この家康が愛だの正義だの、よくも言えたものです。
貴方がやっていることは、何ら関係のないキャストとスタッフを、自分の基準で持って叩いているだけだと思います。
ジャニーズが関わっただけで全てお蔵入りにできないのだとすれば、それはもっともなことだと思います。
『鎌倉殿の13人』のような別の作品も含めて、どうするのかルールを決めて説明すべきでしょう。
ここもよく意味がわからないのですが、こう言いたいのでしょうか。
やはりジャニーズが出演していて人気もあるのなら、すべてはお蔵入りにできないかも知れない。
ならばジャニーズが出演していない作品も含め、すべてをお蔵入りにするという判断は検討されるべきで、ルールを決める必要があるだろう。
それすら怠り、漫然と駄作を流すNHKに倫理はあるのでしょうか?
答えは「あります」。問題は、それが守られているのかどうか。
◆「NHK倫理・行動憲章」「行動指針」(→link)
それとは、お蔵入りにするか否かのルールを決めることですが、そのお蔵入りと「駄作を流す」こととはまた別問題かと思います。私はこの大河、駄作とは思いませんが。
それにどんなに小さな声だろうと、発していれば岩に穴が開けられるかもしれません。
泰山の霤(あまだれ)は石を穿(うが)つ。『漢書』「枚乗伝」
泰山にふる雨の滴は、石に穴を開ける。
とりあえずここに、意見を送ってみましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)
「泰山の霤は石を穿つ」ですが、これだけでは説明不足でしょう。わずかな雨の滴でも、やがて石に穴を開けるように、絶え間ない努力がいつか実を結ぶとでも書いてください。
しかし今回もみなさまの声のリンクがあるので、NHKに『どうする家康』が楽しみとまた送ることができます。