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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その5

『武将ジャパン』大河コラム関連の続きです。先日で一旦終わる予定でしたが、正直なところ突っ込みたくなる部分が多すぎました。

その理由としては、あらすじは1ページ目に申しわけ程度にあるのみ(と言っていい)で、それ以外は主に『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』を引き合いに出し、やけに叩きまくる場であること、そのためページの冒頭からネット広告や視聴率が出て来て、それゆえに突っ込みどころが多い点などが挙げられます。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


前回のレビューで私も指摘しましたが、あのお粗末VFXはやはり散々な評判です。
(中略)
動物愛護だから、あのしょうもない乗馬CGだというのは、いわば紙ストローみたいなものだと思います。
いくらエコロジーだのSDGsだの言われたところで、あの紙ストローに納得できますか?
しかも他の店では、味にさほど影響がない生分解性ストローを使っている。
こうなったらイライラしませんか?
撮影時の動物愛護は確かに重要な課題です。多くの国でそこは対策をしています。
さんざん取り上げてきた『ゲーム・オブ・スローンズ』では大胆に馬が死にます。
しかし、一からCGで作った馬を投入しているので問題はありません。

このVFX、私も如何にもそれっぽい感じだなと思いましたが、それが気になるほど目立ったのは、主に大高城への進軍のシーンでした。それと動物愛護の声をあながち無視できないという事情はやはりあるわけで、恐らくは今時甲冑を着た武者が長々と馬に乗るシーンを映すわけにも行かず、CGを使わざるを得なかった事情もあったでしょう。ただ、やはりちょっと物足りなさはありました。(ちなみに松本潤さんはちゃんと乗馬の訓練を受けています)

しかし、なぜそれをストローに例えるのががよくわかりません。
そしてまたゲースロ、これを持ち出す前に考えてみてください。彼我の製作費の違いも恐らくは絡んでいるのではないでしょうか。そして大河を作るのであれば、もう受信料だけでは賄いきれないように見えるし、寧ろNHKのエンタメ、または放映権が高いとされているスポーツは受信料以外で制作、放送することを考えるべきかと思います。

それとVFXに関しては、昨年の壇ノ浦も似たようなものだと思います。あの海と船団は、やはり如何にもVFXだなと思われるものでした。では武者さんは、これについて何か書いたのかと言えば、私がスクショを取っている限りでは、何も書いていません。
どころか

そして大胆な絞り込み戦術。これはグローバルスタンダードであり、戦闘シーンは金がかかるので、VFXを使い、ここぞと言うときにだけ描くのは歴史劇の定番です。
あの『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、原作より合戦がかなり少ない。

と書かれています。ちなみにこの「大胆な絞り込み戦術」とは壇ノ浦合戦に絞ったということですが、その前に登場する逆櫓論争は屋島の戦いの時なので、完全に壇ノ浦だけとは言い切れないかと思います。そしてまたゲースロですね。

本当はこの時もVFXについて書かれてしかるべきかと思うのですが、敢えてそこを外すような書き方、死体が転がる浜辺の様子などにスペースを割いていました。そして何よりも、武者さんがVFXが貧弱だと感じるのなら、好きだとか嫌いだとかは別にして、NHKはこういう部分にもっと予算を投じるべきであること、それにはどうしたらいいのかといったことを考察するべきでしょう。

そういうことすらやらず、毎年のように他作品や海外ドラマを比較対象にして、好きだ嫌いだとしかやっていないから、大河を真面目に考えているように見えないし、それどころか大河コラムにはふさわしくない人に見えてしまうのです。

そして1つ前のでもご紹介しましたが、
「本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?」
ですが、あれは甲冑を着けて長時間乗っているわけではなく、それもまた考慮に入れてしかるべきかと思います。

あと
「他のドラマではでは安全に配慮しつつ、きちんとした乗馬シーンをできている」
とあり、『大奥』の冨永愛さんの乗馬シーンについても書かれていますが、これも浜辺を走るだけのシーンで、戦国武者の進軍、または戦闘に絡むのとはわけが違うでしょう。そして

『大奥』の脚本家は、『おんな城主 直虎』を描き、三谷さん『真田丸』の後でもバトンを引き継げると証明した森下佳子さんです。
作品の出来からして、どうしてもそう感じてしまいます。
あるいは正月時代劇『いちげき』も傑作でしたが、それらと比較すると『どうする家康』の熱意の無さは如何ともし難いものがある。
VFXを利用するなら、上手に視聴者を騙してほしい。ただそれだけです。

まず「作品の出来からして、どうしてもそう感じてしまいます」て、具体的にどのように感じることなのでしょうか。
そして森下さんとか正月時代劇のことを書いていたのに、なぜ急にVFXに戻っているのでしょうか。どうも武者さんが言う『どうする家康』の「熱意のなさ」が、何に対しての「熱意」なのかが不明であるため、最後の行に違和感があります。

しかる後に、これも先日ご紹介した
善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」
が登場しますが、これも意味がわかりづらいこと、漢籍好きにしては説明が曖昧だということを指摘しています。
再度書きますが、この孫子の言葉は「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。

そしてその後に

『どうする家康』が若者を狙っているとは、とても思えません。
笑いのセンスがいちいち「おじさん構文」じみていて、自認はともかく実年齢は若くない層を狙っていると思えます。

なぜそう言い切れますか?そこまで書くのであれば、どのシーンがどのように「おじさん構文」的であるかを説明してこそのものでしょう。先ほどご紹介した、昨年の壇ノ浦回のこのコラムで武者さんは
「自分が思う通りにならないからと、「ナレなんとか」と書き込むのはどうかと思います」
と書いていますが、私としては
「自分が思う通りにならないからと、何でもかんでもおじさん御用達扱いするのはどうかと思います」
とでも書いておきましょうか。

最近の大河と言えば、Twitterトレンドがしばしば話題になりますが、あれも本物の若者はあまり熱心に使わないプラットフォーム。
関連コメントで「韓流ドラマのような無茶苦茶さだ」と引き合いに出すところにも年齢を感じさせます。
『冬のソナタ』ブームからもう20年近く経過しましたね。

これも若者のツイッターの使用率についてちゃんと調べているのでしょうか。そして『冬ソナ』ブーム以後も、もちろん韓国ドラマは放送されているのですが。

本作は「若者向けだから、ここはティラミスだ!」と言い出すような悲惨さを感じてしまいます。
今ならハットグやジーパイを食べているのに、一体どうしたことか……と。

意味不明です。少なくとも武者さんは、ティラミスが流行した当時をご存知であることはわかりますが。
若者たちがハットグやジーパイを食べているのかどうかはともかく、今は韓流と華流だと言いたいわけですね。ならば別に大河ドラマのコラムなど担当しなくてもいいのではないでしょうか。
それと食物に例えるという点で、『鎌倉殿の13人』の総まとめの記事で、プリンがどうのこうのといった表現がありましたが、あれもわかりづらかったです。変に凝らない方がいいかと思うのですが。

『どうする家康』の成功要因は、ドラマの質そのものではなく、報道やファンダムの誘導の仕方によって決まるということ。
勢いの形成が重要です。
狡いといえば狡い。
しかし、ブランド力がありファンの多い役者さんが出るし、題材やスタッフの知名度は高く、去年の勢いをかき集めれば、「今年の大河は成功だ!」というイメージを形成できなくもない。

報道といわば「ネット工作」によって決まる、嫌いな作品はすべて狡いと言わんばかりですね。
しかし昨年も似たようなものではないでしょうか。大河関連の報道は多かったし、スポニチに至ってはやけに「稀代の喜劇作家、三谷幸喜氏の」で記事を始めていましたね。無論関連ツイも多かったです、武者さんはそれを批判していましたが。

そして締めの言葉として

問題は、スタートで勢い作りに失敗したところでしょう。
さぁ、どうする視聴者、どうするメディア。

とありますが、ここで第1回と第2回の世帯視聴率と個人視聴率について見てみます。
まず『鎌倉殿の13人』ですが、

第1回 
鎌倉殿の13人
世帯視聴率-17.3パーセント
個人視聴率-10.6パーセント

どうする家康
世帯視聴率-15.4パーセント
個人視聴率-  9.6パーセント

となっています。
しかし第2回になると、『鎌倉殿の13人』は

世帯視聴率-14.7パーセント
個人視聴率-  8.9パーセント

であるのに対して、『どうする家康』は

世帯視聴率-15.3パーセント
個人視聴率-  9.2パーセント

と、昨年のを上回っています。本当にスタートで勢い作りに失敗しているのかどうか、何とも言えません。今年は特に高い視聴率ではありませんが、急に下がったと言うわけでもありませんし。

それから余談ですが、前出の昨年の壇ノ浦回で、八重が子供たちを引き取って育てるシーンが出て来ます。ああいうのも、本来は寺院でやるものでしょうね。そして最終回で、政子がやはり孤児たちを引き取って、トウに武芸を教えてくれと言うシーンも出て来ますが、これも本当は寺院で面倒を見るものでしょう。でなければ、旅の一座などに加わってその中で育つかではないでしょうか。

それはともかく。このトウと子供たちのシーンは、『真田丸』の九度山のシーンで、佐助が子供たちに忍術を教えるのと似ていますが、しかしここで武芸と言うのは、武家の男児が学ぶ弓馬の術ではもちろんなく、要は暗殺術を教えているわけで、あれは如何なものでしょうか。ならば、農業でも教えた方がよかったのではないかと思います。

飲み物-トディ2
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[ 2023/01/22 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その4

『武将ジャパン』の大河コラム関連、今回は4ページ目です。それから先日分で、鳥居忠吉のことを大久保忠吉などと書いておりましたので、訂正しています。あと文章の意味がわかりにくい部分もいくつか直しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


まず最初にいきなり視聴率の話です。

昨年の勢いを汲み、今年の出演者の顔ぶれからして、最初ぐらいは注目されると思ったら、思わぬ低調ぶりでした。
◆大河「どうする家康」初回視聴率、関東15.4% 歴代2番目の低さ(→link)
『西郷どん』と同率、過去2番目の低さで、過去最低は1989年『春日局』だったことを考えると、近年では実質最下位とも言える出だしです。

「昨年の勢い」とありますが、昨年の後半の平均視聴率は11パーセントから12パーセント程度で、そう勢いがあるとは言えませんでした。しかもサッカーのワールドカップ、コスタリカ戦の裏の、6.2パーセントという数字もありました。もう少し数字が高ければ仮に10パーセントを割ったとしても、あれだけ下がることはなかったと思います。

しかも武者さん、昨年あれだけ言っていた個人視聴率について、この部分では何ら言及していません(その少し前に、『再生回数は低迷するけど、視聴率はそこそことる』とはあります)。ちなみに『鎌倉殿の13人』の(世帯)視聴率に関して、昨年はこう書いていました。

「こうした再生回数が多い成功作品は、近年であれば『鎌倉殿の13人』だけでなく、朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』と『ちむどんどん』も該当します。
ただし、公的に大きく発表される数字は今も視聴率であり、この辺のアンバランスさが世間での評価を難しくしているのでしょう。
朝廷の定めた律令が武士を想定しておらず、坂東武者は混沌とした基準のもとで生きてきた――その様が『鎌倉殿の13人』で描かれたように、大河の評価基準もそんな状態なんですね」

つまり今までの視聴率では駄目だと言いつつ、『どうする家康』では今までの視聴率を持ち出して来て「思わぬ低調ぶり」などと書いています。なぜここで
「NHKプラスの再生回数は多いかも知れない」
と書かないのでしょうね。

尚『青天を衝け』の時も最終回の数字の低さ(裏にフィギュアが来たから仕方ないとは思いますが)を挙げ、『麒麟がくる』で視聴率を上げたのにと、何だか恩着せがましいと思われる書き方をしていましたね。

そしてBLがどうこう。

第2回放送をめぐっては、BL要素に着目したネット記事が早くも出回りました。
◆ 松本潤『どうする家康』、「BL大河」と話題のワケ――岡田准一のセリフ「俺の白兎」がトレンド入り!(→link)
大河ドラマでBLを推してくるとなると、なかなか厄介です。
振り返れば2009年『天地人』がBL漫画を出し、2018年『西郷どん』でもBLが押し出されましたが、余計なお世話としか言いようがありません。

まず、こちらも武者さんのコラム関連の投稿になりますが、『鎌倉殿の13人』第39回のコラム記事に関しての記述にこのうようにありました。

「今流行しているからBLを入れたとか、そう宣伝していた『西郷どん』とは比較にもならない。単純なものではない。東洋的な美学もあれば、多様性への配慮もあります」

私はこれに対してこう書いています。

「『西郷どん』の中園ミホさんは、BLに言及してはいますが、「今流行しているから」と言ったでしょうか。制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」
https://www.oricon.co.jp/news/2080906/full/」

別に「流行している」などと言っていませんね。色々ある愛情のひとつであるというのを、ちょっとジョークめかして言っているとは思いますが。そもそも大河の場合、男性同士の触れ合いが多く、どうしてもそのように見られてしまうシーンは多いかと思われます。

たとえば『真田丸』の神君伊賀越えで、家康と忠勝が百姓家で握り飯を食べるシーンなども、ちょっとそれに近いものを感じましたし、あと『八重の桜』でもBL的要素は指摘されていました。AERA.dotの記事ですが置いておきます。

BL好きの“腐女子”層も歓喜? 新大河ドラマの評判
https://dot.asahi.com/wa/2013011500010.html?page=1

こういうイメージを完全に払拭するのは不可能ではないでしょうか。武者さんに取っては「余計なお世話としか言いようがありません」なのでしょうが、そういう見方をしたがる人がいても、別におかしくはないでしょう。

しかし武者さんによれば、『鎌倉殿の13人』は違うのだそうで、ここでも
「BL狙いではなく、多様性を尊重するように出した2022年『鎌倉殿の13人』は、そこを読み解かれないどころか、歴戦の腐女子は萌えないだのなんだの、妙な誤解も生じました」
ではどこがBL狙いでなく多様性を尊重するようにしたのか、ちゃんと説明して貰えないでしょうか。

その後海外ドラマ『ウェンズデー』で、客寄せのために性的マイノリティを使う手法は批判されているという箇所について触れ、

客寄せとして狙ったシーンだとするならば、一体いつの時代の作品なのかと呆れるばかりです。
萌えの使い方もあざとく、錚々たる役者たちにこんなことをさせてどうしたいのですか?

「萌えの使い方」があざといでしょうか。ではどのようにあざといのか説明して貰えないでしょうか。何よりもその前に

あの信長から家康への執着なんて、ハラスメントじみていて、そもそもどこにトキメキ要素があったのでしょうか。

とありますが、信長が家康に対して不敵に「俺の白兎」と言うシーン、つまり俺がお前を支配してやるという意味が込められたセリフであるがゆえに、ときめくものがあったのではないでしょうか。そういうのを読み取れませんか?

そして大河ゆかりの地が観光誘導を狙うことへの批判として、『花燃ゆ』で防府市が大河ドラマ館を作ったり、観光アピールをしたのに、完結編は群馬となって防府が登場しなかったことについて、当時の記事を持ち出しています。
しかしこれはかなりレアな例と言っていいでしょう。当該記事でも言及されているように、完結編を防府にする予定だったのが、それまでの視聴率が今一つで群馬に変更されたわけで、防府がダメージを食らったわけです。しかし他の大河でこういう例はそうありません。
このようなレアケースを一般化し、だからゆかりの地を観光地化するなと言うのもどうかと思います。

あとVFXがどうのこうの。しかもなぜか
「◆「本当にどうするの」松本潤主演の大河ドラマ『どうする家康』が低視聴率のスタート…韓国での反応は?(→link)」
などと、韓国での反応を載せた記事をわざわざ紹介(サーチコリアニュースだから当然ですが)していて、それに比べて『鎌倉殿』や『麒麟がくる』は…と言いたげです。

本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?

まず言いたいのは、『どうする家康』の第1回、第2回でああいうシーンはまだ登場していないということです。条件が違う同士を比べるのも如何なものかと思います。例によって比較の仕方が強引だなと思います。
あと馬の扱いについては、馬が多く登場する、1988年の『武田信玄』のOPが批判されてもいますね。

まあこの4ページ目、武者さんという人の考え、もっと言えば偏見があちこちに見られて、それはそれで面白いので、次回にまた書こうと思います。
あと、もう少し後の方になりますが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない。

とありますが、この孫子の言葉は
「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。
「勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」では意味が通りにくくないでしょうか。武者さんは漢籍好きな割にこの辺りが曖昧ですね。


飲み物-ランプと水とウイスキー
[ 2023/01/21 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 88その2

先日分の続きです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第6回「悪い知らせ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


義時は難しい。
この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけで、本当にろくでもない役割を振られている印象すら受けるのです。
そんな、誠意しかない、真心だけでいる男が、最終勝利者になる。
これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか。
誠意にあふれていて、信頼できそうな義時を、疑うことはできますか?
無理でしょう。人智を超えた罠かもしれない。
義時は自分でも無自覚のうちに、謀略を巡らせている。やり口は卑劣だろうと、大目標が仁のためならばよろしい。
そんなひねりにひねった展開が待ち受けているようです。

「この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけ」と言うか、頼朝自身が家来を持たないに等しいから、北条家の人物が奔走せざるを得なくなるわけですが、逆に頼朝を担げば北条の世の中になるというのも、実感は湧かないながら漠然と思ってはいたでしょう。ただ源氏の男性陣、ひいては北条家の男性陣も、どこか女性たちに焚き付けられている感もありますが。
あと
「これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか」
武者さんの場合自分のお気に入りだととにかく、凄いことだと書くのですが、それが「どのように」凄いのかが伝わらないのです。凄い凄いだけだと、言っては何ですが小学生みたいだし、小学生でもものの分かった子ならもう少し具体的に書くでしょう。

まず突っ込んでおきます。
北条宗時の死についてナレーションがあったことを「ナレ死」とするネットニュースがありましたが、修正されたようです。
本来のナレ死の定義はこうだったはずです。
【最期の瞬間がなく、ナレーションで死んだとされること】
宗時は、刺される場面があったため「ナレ死」には該当しませんね。

誤りを正すのはいいのですが、武者さんもドラマ本編とか漢籍の説明なので、時々ミスがあったり、あるいは意味が違うのではないかと思われる記述があったりします。プロなのだからその点に気を付けてください。

そして「まさかの……」「ロス」というニュースも多くあります。
しかし、坂東武者に心がなりきった俺からすればロスはありえねえ! これから死屍累々なのに、たかがこの程度の死でショックを受けてたら身がもたねえ。
だいたいあの登場人物一覧がとんでもねえことになるのよ! 自治体コラボがコレだからな。
◆【タウンニュース横須賀版】三浦一族カレンダー 出陣から滅亡 月めくり 市HPから無料入手(→link)
日にちをめくっていくと滅亡するのかー!

いや別に、ロスを感じる人がいたらいたでいいのでしょうか。特定の人物を推していて、その人が早々に退場したりすると、やはり何らかの喪失感はあるでしょうから。

はい、なりきりはやめまして。とにかく坂東武者はこういう価値観です。
「平氏の連中は弱っちくていけねえ。あいつら身内が死んだくれえでメソメソしてやがらぁ。俺らはロスなんて言ってる暇はないぜーッ!」
「和歌ぁ? んな意味のねーもんなんでしやがんだぁ?」
人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います。

「人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います」
ちょっと意味がわかりづらいのですが、この場合の人の死を悼む文章とは具体的に何でしょうか。そしてなぜそういう心理(心境と書いた方がわかりやすいかと思います)にならないと今後辛いのでしょうか。
和歌に意味があるかどうかはともかく、結局はその和歌が大好きな実朝が鎌倉殿になってしまい、その時期にまたも御家人の血が流されるのみならず、公暁が自分は後継者だと主張するようになり、最終的に源氏の時代は終わることになります。これがもとで坂東武者たちが和歌を軽蔑したのならともかく、当然ながらこの時、それを見通せた人物はいませんでした。

ロスと言っている今はマシかもしれない。
感覚が中世になったら、ある意味この作品は完成します。
「感覚が中世って何?」
そう疑念を抱かれた方に、こちらを見ていただきたい。
『ゲーム・オブ・スローンズ』とコラボしたビールメーカーの広告です。
これをファンはネタにして爆笑しました。
ドラマ本編ではそれこそロスを味わっていたのに、人が惨殺されるコラボ広告では笑ってしまう。むしろ惨殺でウケる〜〜となってしまうことこそがおそろしいのです。

感覚が中世というのも妙なものです。まだ律令国家とは異なる体制をまだ築き上げておらず、そのせいもあって多くの血が流されました、鎌倉時代前期と言うのはそのようなものだと書くのであればまだわかります。そして殺戮が多い点は共通するものの、十字軍やキリスト教守護が中心の西洋の中世とは、その点が異なってもいます。そしてこのゲースロの広告の動画が貼られていますが、大部分がドラマのシーンであり、逆にドラマでの予備知識があるからこそ、広告では笑い飛ばせるとも言えますし。あの部分がCMになってるぞ、面白いといった感覚かと。
ならば義時を演じる小栗旬さんが、プレモルを飲むCMがあってもよかったかと思いますが、流石にNHKがOKを出さなかったのでしょうか。

『吾妻鏡』には、「アイツの死に方無様でマジウケる〜」とケタケタ笑う坂東武者さんの会話が記録されていまして。宗時お兄ちゃんが死んだ頃は真面目だったよね、うちら……と、こうなったらある意味完成します。
それがいいのか悪いのか。ロスというよりも、読経がおすすめですね、心も落ち着くし。

「感覚が中世になった」とか、完成するとかしないとかより、そういう時代だなと受け止めつつ観るしかないのだと思いますが。
そして最後の方の文章、これまた何を言いたいのか不明です。こう言っては何ですが、酩酊状態で書いた文章なのでしょうか。

それからこの回では、八重や時政、義時を始め身内を失った人が多く登場するとあり(ちなみに八重が墓石を前に泣くとありますが、あれは供養塔ではないでしょうか)、

その割に、悲壮感が薄いとは思いませんか?
なんのかんので安西景益の用意する酒を飲んでいるしな!
彼らを見ていて、ふと考えるのが動物の感情です。
動物は、喜怒哀楽のうち“哀”が薄い。
なぜかというと、“哀”を味わい落ち込んでいると、個体の生存率が下がるから。他の感情は生き抜く上でむしろあった方がいい。
しかし“哀”だけは別。気持ちが沈んで弱くなったら、隙が生じます。
このドラマの坂東武者とは、喜怒哀楽のうち、“哀”以外はむしろ濃厚に思えます。和田義盛なんてその典型でしょう。
むろん、ふざけているのではなく、これは意図的に人間の進化段階として描いているのかもしれない。

まず、この当時はそういう時代であったと考えるべきでしょう。無論細かい部分まで描こうと思えば、悲しみや辛さもあるいは描けたかも知れませんが。
そして「哀」云々、これはダメージが大きくならないように進化していると言うべきでしょうか。
ダメージやストレスが大きいと、普段の生活に好ましからざる影響を与えるから、脳が忘れてしまうとか、または美化するようになって行きます。これが所謂認知バイアスと呼ばれる、考えや判断の偏りとなってしまうわけです。
とはいえこれはすべての人類に言えることで、何も坂東武者だけがそのように進化しているわけではありません。

“哀”という感情は高度で、かつ宗教や道徳で規定されます。
たとえば儒教では、服喪中はストイックなまでの節制を求められます。
酒はダメ、肉も禁止、薬も飲むな。
服喪期間が長すぎて「やりすぎじゃないか」という批判が定期的に入ります。

語弊がある言い方かも知れませんが、それが儒教社会のある意味停滞感につながっていると言えなくもありません。

大河と儒教規範って、それこそ小島毅先生がノリノリで取り上げてもいいと思うのです。ここ数年、なかなか面白いことになっています。
2020『麒麟がくる』:朱子学規範を貫く明智光秀
2021『青天を衝け』:どこか歪んだ日本型陽明学と、水戸学を選んだ渋沢栄一や明治政府の人々
2022『鎌倉殿の13人』:儒教規範がまだ浸透していない坂東武者は、いかにして道徳を身につけるか?
2021年の陽明学は正直食い足りないと思いますが、他は充実しています。
今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう。

ここでも青天批判と言うか、「2021年の陽明学は正直食い足りない」とありますが、時代も身分も違う主人公たちが、儒学への接し方が全く同じであるわけはありません。何よりも、江戸時代の末期に下級武士や農民にまで、こういう学問が広まっていたことに注目するべきかとも思います。そもそも陽明学は、朱子学批判から始まってもいますし、志士たちの中にも陽明学に影響された人物がいます。結構日本で独自の発展を遂げたりもしています。

そして
「今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう」
人類普遍がどうこうと言うあたり、朱子学批判に端を発して普遍的な秩序を重んじ、幕末の志士に影響を与えた陽明学に対する批判にも見えますね。

幕府というものを立ち上げた時代は、キャラ萌えが重要でした。
『青天を衝け』でも出てきた徳川慶喜を考えてみましょう。
彼は幕臣からすら「あいつってゲスでサイテー」と罵倒されています。人間的にはどうかと思う。
でも幕臣にせよ会津藩士にせよ、慶喜の血筋と立場を守ろうとしました。
慶喜なんて鎌倉の坂東武者なら即座に殺しかねないほど下劣な一面がありますが、武士の認識が変わったからこそ、死にもせず駿河で趣味に生きる余生を過ごせた。
キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい。

殆ど無理やりな感じがしますね。
とりあえず
徳川慶喜は叩きたい
鎌倉殿は褒めたい
と言うのはわかりますが、
「キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい」
てどういうことでしょうかね。
それになぜキャラ萌えが出て来るのでしょうね。どうにもこうにも自己満足あるいは自己陶酔の域を出ていないようです。
とにかくコラムの締めくくりらしきものを書こうとしたのでしょうが、何とも意味が通りにくい文章だなと思います。あれこれ書くより、一番最後の
「今年の大河は、ともかく推せます」
だけでもういいのではないでしょうか。


飲み物-トディ
[ 2023/01/04 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その3

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その3です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) -
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本編、武者さんが好きなジェンダー論です。

立体感のある愛すべき悪女たち(小見出し)
『鎌倉殿の13人』には、悪女が何人も登場します。
牧の方。
実衣。
比企能員の妻・道。
北条義時三人目の妻・のえ。
ただ、彼女たちにも言い分はあるし、憎めない。そこが納得できるように描かれていました。
ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない。
悪女枠には入らない本作の政子や、八重、初も言動にはきついところがあります。
あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます。
演じる側も戸惑うことはあったものの、むしろいいキャラだと褒められることが多かったと振り返っています。

ここで思うのですが、実衣は「悪女」なのでしょうか。そう呼ばれるほど主体的ではなく、周囲が彼女にいわば甘いせいもあり、あそこまで権力の中枢に入り込んで来られたような感じです。りくの方がもう少し頭を使っているように見えます。
そして
「ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない」
ステレオタイプというのは、どのような意味でステレオタイプなのでしょう。如何にも悪女的なという意味なのでしょうか。それが書かれていませんね。

また
「あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます」
どんぐりをぶつけると「立体感のある女性像」になるのでしょうか。
第一「立体感のある女性像」て具体的にどのような女性像のことでしょうか。


女は再婚する(小見出し)
『鎌倉殿の13人』では、再婚する女性が複数出てきます。
八重。
巴御前。
比奈。
「貞女は両夫に見えず」という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする。
本作は逃げませんでした。
中世考証をしっかりした結果でもあり、より実像に近くなっています。

「『貞女は両夫に見えず』という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする」
「ぼかしたり変えたり」していたのは、どのような大河で、どの部分をぼかしたり変えたりしてでしょうか。それを明記してしかるべきでしょう。
第一こういう再婚は戦国時代でも見られます。それこそ江などその最たる存在ですし、儒教的価値観が根付く前というのは、鎌倉時代に限った話ではありません。

そして本作最大のジェンダー観における成果は、なんといっても北条政子でしょう。
政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました。
政子が義時を守るために戦えと言えば、御家人たちは奮起する。
政子がもういい、ご苦労様と見限ったら、義時は死ぬ。
演説の内容も、義時の最期も、ドラマの創作要素が入っている――要は、この作品は、政子が義時の運命を握る存在だったということです。
思えば頼朝の妻となることで、義時を運命に引きずりこんだのが彼女でした。
それでいて義時が政子を傀儡にしようとすると逃れ、自らが尼将軍となることでだし抜きます。
政子の全戦全勝。
男性主人公で、生殺与奪を女性が握っているなんて、なかなか画期的なことじゃないですか。

「政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました」
結果的にそうなったように見えるだけで、物語の流れを追う限りでは、彼女は理想論を振り回していたところもあり、義時をはらはらさせてもいました。まあ別に生殺与奪権を持たせずとも、もっとシリアスな展開とか、義時と組んでかなりダークな部分を見せるとかいうシーンがあり、共闘の後に弟を看取るという流れであれば、彼女が
「義時の運命を握る存在」
であっただろうとは思います。
そして
「政子がもういい、ご苦労様と見限ったら」
ではなく、
「お疲れ様、小四郎」ですね。しかも義時が息絶えた後にそっとつぶやいています。

日本のマスメディアや視聴者は、GoTのことなんかさして話題にしていないと思えます。
日本は世界的にみてもGoTの人気がそこまで高くないとも言われているのですが、それでも三谷さんやスタッフは意識して名前を挙げているのだから、記事にするならそこにふれるべきなのにそうしない。
人間は自分の守備範囲で話をしたいものです。
自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう。
結果、制作側の意図が通じなくなっていることがしばしばあり、そこを指摘していきます。

と言うより武者さん、貴方がことあるごとにゲースロにこだわっているように思えるのですが。
そして
「自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう」
それを言うなら武者さんも、『青天を衝け』をはじめ嫌いな大河を引っ張って来て、好きな作品と比較するのをやめてはどうでしょうかそもそも大河とは1つの枠であり、その中で放送された作品こそが、何らかの形で大河の持つべきものを受け継いでいる、あるいは受け継いでいてほしいから、比較する人が多いのでしょう。
あとたまたま昔のこのコラムを見て思ったのですが、制作の意図が関与しているはずの、あるシーンがおかしいと指摘したすぐ後で、別の事例を出し、それは制作側が決めることと断言している箇所がありました。何だか矛盾していますね。

「こんなのは時代劇ではない」
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです。
例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます。
同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる。
いずれも当時を再現した結果、視聴者の知っている時代劇と違うとしてバッシングの対象となったのです。

「『こんなのは時代劇ではない』
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです」
昔新春時代劇というのを民放も作っており、その中には源義経などを主人公とした作品もあったのですが、この場合は時代劇でも、平安~鎌倉時代を扱っていることになるのですが。

「例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます」
先日も書いていますが、武者さんにはぜひ『太平記』を観ていただきたいものです。これも正に中世の日本の、しかも南北朝という乱世を舞台としており、あれの殺陣や合戦シーン、謀略シーンなどは、はっきり言って『鎌倉殿の13人』を上回るかと思います。

「同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる」
どう見ても、あの化学染料を使ったような色合いが、当時の色彩であるとは考えにくいのですが。何か、毒毒しい印象さえ受けました。以前ご紹介しましたが、『どうする家康』の公式ツイの布地のサンプル、どう見てもこちらの方がその当時らしさを感じさせます。逆になぜ武者さんは、あの色を当時の色彩感覚と言い切れるのでしょうか。

どうする家康ツイ2(衣装)
そして
「存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる」
伊呂波太夫はまだいいでしょう。問題は駒です。何度も武者さんが書くので、こちらも何度も書かざるを得ないのですが、医者の弟子であった彼女がいつの間にか将軍の側女になり、やけに権限を持っていたり、大名家に出入りしたりするのは何か要領を得ません。また
「帰蝶の立膝がありえないとされる」
これに関しては、その当時は女性の立膝もあったとはされています。ただ、安土桃山時代以降でないと存在しないと思われるような、絨毯敷きの部屋が桶狭間の戦いの頃にあったのには驚きでした。

しかし真ん中あたりになると、どう見てもわざわざ小見出しをつけるほどでもないほどの文章が目立ちますし、また、自分の好きな『鎌倉殿の13人』はすべていい、批判するなと言っているようにしか見えないのですが。


飲み物-ホットラム
[ 2022/12/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その2

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その2です。本題に入る前に、先日投稿分でもう少し。まず武者さんは、視聴率下落の原因として

・そもそも主人公の知名度が低い
・舞台が人気の戦国や幕末ではなく、馴染みの薄い平安末期から鎌倉時代前期だった
・実質的にR18指定がふさわしいと思えるほど、陰湿で残虐な描写が続き、大泉洋さんですら「娘には見せたくない」ほどであった
・プロットが複雑で、伏線を引っ張り、難易度が高い。しかも主人公はじめ登場人物に共感しにくい
・ワールドカップと重なって極端に低くなった第45話6.2%がある
・NHKプラスによる配信視聴が増えた

こういった点を挙げています。この中で時代設定や、サッカーワールドカップのコスタリカ戦(と書いてほしいです、他競技にもワールドカップはありますし)が裏に来て、数字が一桁台に落ちたのは理解できます。ただ元からそう数字が高いわけではありませんでした。
そして「主人公の知名度が低い」とは必ずしも言えないし、実質的にR18指定というのもどうかと思います。頼朝の愛人などが出て来たのは事実ですが、そこまで陰湿で残虐だったでしょうか。確かに上総広常の暗殺などは、かなり陰謀めいたものはありましたが。それとプロットが複雑云々、これは先日書きましたが、三谷さんらしい小ネタとコント展開が多かったとは思います。あとNHKプラスも、再生回数がはっきりしない限り何とも言えません。ただリアルタイム視聴より、こちらを利用する人が増えた可能性はあります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本題です。

どれだけ美辞麗句が並べられていても、大河ドラマの制作現場がギリギリでは……?と心配してしまうと、それだけで不信感は募ってしまいます。
具体的な例を挙げると2021年です。
事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた。
直前になって「さすがに曲解が酷い」と修正が入ったのではないかと私は感じました。
それだけでなく、小道具やVFXの作り込みが甘く、出演者が疲れているのでは?と伝わってくることも。

また『青天を衝け』叩きですね。本当に懲りませんね(苦笑)。
今後『青天』以上に嫌いな大河が登場するまで、この傾向は続くのではないかと思われます。
そして
「事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた」
ですが、これは2021年の大河です。それで思い当たることがないでしょうか。

すばり「東京オリンピック・パラリンピックの延期」です。元々2020年に開催されるはずで、そのため『麒麟がくる』は中継を挟むことを考慮に入れ、回数が少なめに設定されていました。しかしコロナ禍で1年延期、大河も出演者の麻薬所持による逮捕、コロナ禍による収録の休止などで放送そのものが予定よりかなり遅れ、『青天を衝け』は2月開始、しかもオリ・パラ中継を挟む格好になったのです。それを考えると、プロットが少々変更されてもおかしくはなかったでしょう。
尤もオリンピック嫌いの武者さんは、そういう思考をする以前に、オリンピックなどけしからんと、別の意味で騒ぎそうです(これをストローマン話法と言います)。
それと「小道具やVFXの作り込みが甘い」(パリの風景はやはりVFXだなとは思いましたが)と、「出演者が疲れている」
のとどう関係があるのでしょうか。

日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を大河で作る(小見出し)
『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下GoT)とは何か?
2010年代にテレビドラマ、特に歴史ものを変えたアメリカHBO制作のシリーズ作品です。
歴史観まで変えてしまったとされ、海外の歴史をテーマとした書物にはこんなことまで書かれていることがあります。
「最近の読者は、GoTの影響で、誰もが陰謀を企んでいたものだとみなすものだが……」
というように、それほどまでに影響が大きい。

またですか。
何と言うか、ゲースロ狂信者と言っていい武者さんらしいですね。
そしてその後で、それを追い求めて行ったのが『鎌倉殿』であるとされていますが、それはあくまでも武者さんの主観であり、そもそもゲースロを知らない、あるいは観ない人に取っては何のこっちゃと思うわけです。

ロゴが毛筆ではなく明朝体のフォント。「十三」ではなく「13」がタイトルに入る。メインビジュアルの鮮やかな色合い。
このドラマではクラシックの名曲がサウンドトラックに使われていました。
エバン・コールさん本人のアイデアではなく、依頼されてのことです。
オープニングはVFXで作った石像を用いています。
写実的な石像は日本では珍しく、むしろギリシャやローマ、ルネサンス彫刻を連想させます。

この「13」は、やはりちょっと違和感がありました。
あとクラシックも使う必要があったかどうかは疑問です。劇伴がちゃんとしていればそれでいいわけですし、何かこういう、ちょっと変わったことをやろうという考えが、裏目に出てやしないかと思ったこともあります。
そして石像ですが、これは初回のあらすじと感想に書いていますが、私には兵馬俑に見えて仕方ありませんでした。

『鎌倉殿の13人』は日本らしさが確固たる前の世界を意識していると思えました。
出演者も「いろんな国の人に見て欲しい」と語っています。
「日本らしさ」が定着する前、国民性が確固たるものとなる前。道徳心がまだ成熟されておらず、迷信や不合理が通る。
日本らしさよりも「中世の人類」であることを強調しているように思えたのです。

「日本らしさが確固たる前の世界」て何ですか?
既にその前の平安時代に、和の文化の原型はできているのですが。日本らしさと日本という国家の確立とは別のものでしょう。
そもそも、日本という近代国家の成り立ちは明治からですし、道徳心というか倫理観は江戸時代を待つ必要があります。その割に武者さんは忠義がどうのこうのと、きわめて江戸時代的な倫理観に基づくことを書いていたと思いますが。

稗史(はいし)という言葉があります。
正史に対するものであり、民衆の目線や伝承によって伝えられる歴史のこと。
GoTの場合、原作を読むとより顕著であり、戦乱に巻き込まれていく子どもの視点から歴史的な出来事をみる視点がありました。
大河ドラマの場合、歴史に名を残していない人物の目線で見ることが稗史に該当します。
かつては『三姉妹』や『獅子の時代』のように、大河は主人公が架空の人物であることもありました。
近年は「オリキャラ」と呼ばれる人物も、大河には欠かせなかったものです。
『鎌倉殿の13人』では、善児とトウが稗史目線の登場人物に該当しますね。
最終回までトウが登場しており、民衆目線で歴史を見ることはできていました。
ただ、若干弱かったとも思います。
これは主人公である北条義時が民衆に目線をあまり向けていなかったことも反映されているのでしょう。
姉の北条政子と息子の豊穣泰時は、民衆を労る「撫民政治」の観点がありました。

稗史というのは民間目線の他に、小説とかフィクションという意味もありますから、大河の場合は「歴史に名を残していない」云々より、最初からフィクション、オリキャラでもいいでしょう(実在の人物がモデルという可能性もあり)。あと「欠かせなかったものです」て、もう大河そのものが過去のものになったような言い方ですね。

そして善児とトウですが、殺し屋である彼らが必ずしも一般民衆と同じ視点かどうかは疑問です。亀とか、和田義盛と一緒になった後の巴なら、いくらかそういう目線を持ち得るかとも思いますが。それと『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはもうやらないのでしょうか。ならば『太平記』と『葵 徳川三代』くらいは、きちんと観ておいてください。

それと「豊穣泰時」て誰ですか?(苦笑)

マイノリティ役を、当事者が演じること。
これにより誤解やステレオタイプを防ぎ、かつマイノリティの当事者に配役の機会を増やす効果があります。
海外では当たり前のことで、歴史劇の場合は民族が特に重視されます。
『鎌倉殿の13人』では、宋人の陳和卿をテイ龍進さんが演じ、この点において進歩しました。
過去の大河を見てみますと、『春の坂道』では明人の陳元贇(ちんげんひん)を倉田保昭さんが演じています。彼は香港や台湾で活躍していたため、日本では中国人をしばしば演じていました。

まず陳和卿ですが、彼の場合は寧ろ「外国人」ではないかと思われます。
あと過去の大河で日本人が外国人を演じた件ですが、『黄金の日日』で、明の瓦職人・一観を三国一朗さんが演じていたこともあります。なぜ『春の坂道』だけなのでしょうか。

ジェンダー観の更新:トウの場合(小見出し)
(中略)
男女平等を論ずる上で、お約束の問題提起があります。
「男女平等というのならば、男性的な加害行為や従軍も平等とすべきなのか?」
これについては議論はまだ進んでいる段階であり、簡単な答えが出る問題でもありません。
ましてやテレビドラマが解決する問題でもない。
一石投じることが重要です。
アリア(私注・ゲースロの登場人物)にせよ、トウにせよ、女性でありながら良妻賢母以外、しかも殺し屋である人物が登場しただけでも、重要な問題提起となります。

このトウですが、殺し屋とかスパイは普段それとは気づかれない格好をしています。一般人に紛れ込むためです。しかし彼女の場合は常に男装で、あれだと一目で普通の女ではないだろうと思われる服装をしていました。あれが善児なら男性だからいいでしょう。しかしトウの場合、普段は当たり前の女の身なりで、いざ「仕事」と言う時だけ男装をする方が、それらしさが出ていいと思います。

しかしこのコラム、今回に限ったことではありませんが、この大河は素晴らしいのだと強調したいがあまり、何とも不自然になっている、そういう印象がありますね。それと先日も書いた「新基準」ですが、これは「ゴールポストを動かす」にどこか通じるものがあります。

飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2022/12/29 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 81その1

『武将ジャパン』大河コラム、第43回前半部分に関する記述への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第43回「資格と死角」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)

まず法衣に関して

ドラマに登場したばかりの文覚は言うに及ばず、阿野全成や義円よりも美しく繊細なものとなっています。国家と仏教の興隆が明らかですね。
むろん地位の影響もあります。

仏教は既に奈良時代には国家の庇護を受けています。たかだか数十年で仏教が興隆したわけではありません。しかも文覚の衣は緋色の華やかな物でした。こういうのは宗派や階級によっても異なるでしょう。ちなみに公暁の衣は木簡色と呼ばれるもののようで、階級に関係なく着られています。

仏に仕える身で、なぜ武術を鍛えねばならんのか、と不思議に思いません?
他国の仏僧からしたら「違う違う」と突っ込まれることでしょう。
修行のため粗末であるはずの袈裟はキラキラだわ。妻帯もするわ。呪詛もやるわ。道教要素も混ざっているわ。

それを言うなら、この後の時代に大塔宮護良親王という、親王でありながら武芸に優れた人物もいますね。身分が上の僧の衣はそれなりに格式がありますし、仏教は神道と融合した部分もあります。あと呪詛と呪法は違いますね。そして妻帯は親鸞がその草分けとされていて、浄土真宗では認められていますね。

妻帯で思い出したのですが、先日『アガサ・クリスティのミス・マープル』を観ていて、神父さんとその妻が登場するシーンがありましたが、英国国教会、つまり聖公会では聖職者は妻帯が認められています。(これは他のプロテスタント諸派も同じ)

これではいかんと栄西たちが努力して、仏教も変わり始めるのが鎌倉時代です。
なんせ僧兵という強力な軍事力を有していて、武装解除が本格的に進められるのは戦国時代が終わった江戸時代以降となります。
そんな日本史の流れも彷彿とさせる秀逸な描写ですね。

栄西は禅宗(臨済宗)を普及させていますが、どのように「仏教が変わり始める」のかの記述がないのですが。そして僧兵に関して言えば、元々は寺院の自衛手段であり、途中しばしば弾圧があったものの、秀吉の刀狩りの頃までそれが続きます。しかしそれと栄西がどのように関係があるのか、これも詳しく書かれていません。

同じ懸念を抱く義時も、この話は困るから止める協力をして欲しいと実衣に伝えると、義村は、あらためて「公暁がその気になっている」と主張します。
実衣が阿野全成との間にできた息子の阿野時元を鎌倉殿に据えようとしている野心を見抜き、牽制しているのですね。

まず義時ですが、実衣だけにではなく
「2人とも後押しを頼む」
と言っています。そして実衣は
「次は公暁殿かうちの息子」
と言っており、別に公暁を無視しているわけではないのですが。ただ義村はそれはないと言っています。

そしてこの二人のやりとりから、日本ではまだ儒教思想が根付いていないとわかります。
叔父よりも子が上になる――そんな常識があれば、実朝だって公暁に譲っていたでしょうし、義村が実衣を黙らせることもできたはず。

儒学に基づく儒教思想が広まるのは江戸時代に入ってからだから当然です。なぜわざわざこんなことを書くのでしょうね。

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』では、叔父と甥の継承がありました。
明智光安は兄の子である光秀が若いため、一時的に家を継ぐも、自分は中継ぎと理解していて自らを犠牲にしてでも光秀を生かした。
あれは明智一族が儒教由来の道徳心を身につけているという描き方にも思えます。
そういう教養と道徳心が当時の鎌倉にはまだまだ足りない。ゆえに罪悪感が生じようもない。

また『麒麟がくる』を引き合いに出していますが、異なる時代、異なる習慣同士を比較してもどうしようもないのですけどね。ともかく武者さんが『麒麟が来る』絶対主義と言うのはわかりますが、それをすべての基準にするのは無謀と言うよりほかはありません。

また元々は光安は、幼い光秀の後見役であったとも言われています。

「これからも尼御台は思った通りの道を突き進むべきだ」
頼りにしていると言われ、広元はあの酔いしれた口調で告白します。
頼朝様に呼ばれて鎌倉にきた。その後、頼家様、実朝様に仕えたけれど、私が仕えた人はただ一人――尼御台だと。
政子が驚いていると、広元はもう目が見えないけれども、心の目ではあのお姿を見ていると陶酔しきって言います。
「重すぎます……」
「失礼しました」

ここの部分ですが、広元は既に視力を失っているがゆえに、心の目には政子の姿が焼き付いているということを言いたかったのではないかと思われます。それとここまで言うからには、広元自身も何か思惑があるとも考えられます。

それにしても大江広元が、ちょっと気持ち悪いくらい酔っ払っていますね。
この冷酷な文士は、その狡猾さゆえの救いを見出そうとしていると思えました。

別に気持ち悪いとは思わないし、寧ろ彼が酔っているのは、自分の思惑に政子が乗って来ていることではないかとも思えるのですが。

それにしても、ここで「十三人の合議制」を持ち出すとは、まるで呪いのような制度でしたね。
ようやくタイトルを回収したと思ったら、次から次へと死んでしまい、すぐにガタガタと崩れてしまった。
十三人をモチーフにした土産菓子なんて、見ちゃいられませんでしたよ。いくらなんでも不吉過ぎますってば。

本来頼家を牽制するための制度だったわけで、しかも構成員である御家人たちのそれぞれの見方があるわけですから、あまり機能しないのも当然と言えば当然でした。しかし十三人をモチーフにした土産菓子云々、これは余計でしょう。小檜山氏名義のツイートでも、これに類する文章を何度か目にしましたが、場合によっては違法行為にもなりかねないのではないでしょうか。

当初の十三人に政子は入っておらず、今回は人選に関わったという見方もできる。表立って見えないようで、実はしっかり彼女の力が及んでいる。そんな女性の権力も重要でしょう。
(中略)
中世の女性は政治を動かしていたと学べる今年の大河は、やはり秀逸ですね。

女性が政治を動かしていたのは、別に鎌倉時代に限った話ではありませんが。恐らく来年の戦国大河でも、様々な形で政治に関わった女性は出て来るでしょう。結局これも「今年の大河は素晴らしい」を言いたいがためなのだなと思います。好き嫌いで作品を判断する武者さんらしいです。

飲み物-ホットワイン2
[ 2022/11/17 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

今年もまたハロウィンについて

今年もハロウィンです。韓国で転倒事故が起こったようですが、ここもコスプレ大会的なイベントがあるのですね。一方日本では、昨年のハロウィンに妙な事件が起こったせいか、渋谷パルコがコスプレ客お断りの貼り紙を出しています。あとハロウィンと言えば、『ゲゲゲの鬼太郎』の「こうもり猫のハロウィン大爆発」という回を思い出します。

ところでこのハロウィン、これは前にも書いていますが、今は諸聖人の日(万聖節)前夜ではあるものの、キリスト教は無関係です。どころか当のキリスト教教会からは、異教的だと敬遠されることもあります-無論、すべての教会がそうだと言うわけでもなさそうです。元々はドルイド教の祭りであり、11月1日が新年に当たるため、その前日10月31日はいわば大晦日に当たります。またこの日は収穫祭でもあります。

ドルイド教の新年はサムハイン祭と呼ばれ、神々が人間に悪戯をすると信じられて来ました。そしてその前日の10月31日は、先祖の霊が地上に戻ると共に、魔物の力が強くなるとされており、これを避けるために篝火を焚く習慣がありました。「お菓子くれないと悪戯するぞ」も、この延長線上にあると言えます。

この「トリック・オア・トリート」も元々はアイルランド発祥で、後にアイルランド移民がアメリカに伝えたとされています。コスプレをした子供たちが、お菓子を求めて練り歩くさまは、非常にアメリカ的な光景でもあります。ジャック・オー・ランタンがカボチャで作られるようになったのも、アメリカに紹介されてからのことです。

野菜でこういうのを作ると言う点に、収穫祭の名残りを感じることもできます。あとイギリスではハロウィンもさることながら、その数日後のガイ・フォークスデイが有名です。映像作品、たとえば『シャーロック』などにも登場していますが、今NHKBSプレミアムで再放送されている『名探偵ポワロ』でも、この日は花火がうるさいから殺人にもってこいなどと言うシーンがありますね。

アメリカでは10月末にこのハロウィン、そして11月末に感謝祭(第4木曜日)、さらに12月のクリスマスと続きます。尚感謝祭も、元々は移民たちが始めたもので、宗教との関係はありません。ハロウィン同様『ピーナツ』に登場することもあります。そしてこちらは宗教絡みなのですが、この10月31日は宗教改革記念日でもあります。以前この日の学校の礼拝で、マルティン・ルターが作曲したとされる、『神は我がやぐら』を歌ったのを思い出します。

ハロウィン2
[ 2022/10/31 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 78その3

以前書いていましたが、『武将ジャパン』大河コラムの総評関連です。前にも触れていますが、

今回の実朝描写が秀逸だったのは、あくまで「多様性の尊重として丁寧に描かれたからではないか?」と思います

とあり、腐女子サービスのはずがないなどという小見出しまでついていますが、私は関連投稿で書いたように、実朝という人物に跡継がいなかったのは、こういう事情もあったというのを、会話で表現しているのだと思っています。そもそもこの時代に「多様性の尊重」などと言うのをいきなり入れてくるのも妙な話です。

また

『西郷どん』の場合、BL二次創作を促進するような番宣を公式がしていました。
西郷隆盛が男にも女にもモテモテ!
そんなよくわからないフレーズも公式が出しておりましたので

などとありますが、これに関しても、以前制作発表当時の記事をご紹介しておりますので、その時書いたものを再度上げておきます。

制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」」
「色々な愛がある」と言い、最後に「ボーイズラブまで(笑)」とあるのを見ると、半ばジョークとも言えそうです。実は私も最初は半信半疑で、始まるまでどうなるかと心配で批判もしましたが、案ずるより何とやらで結局好きな大河となりましたね。どちらかと言えば吉之助と正助(一蔵)はバディ的ではありましたが。

無論「男にも女にももてた」と言うのも、色々な人を惹きつけたという意味ですし。

また、

そもそも大河での同性愛描写は腐女子を自称する皆様が楽しむためのコンテンツではないでしょう

とありますが、これも前に書いているように、大河の楽しみ方とは人それぞれであり、武者さんが一々口を出すものでもないでしょう。

そして大河でもない『アンという名の少女』を引き合いに出し、先住民描写、フランス系カナダ人描写など、随所に見て取れるとあり、

大河ドラマで多様性の尊重――というテーマに触れると、悲しいかな、こんな意見が返ってくることがあります。
「大河にポリコレを持ち込むなw」
そもそもポリコレとは何なのか?
英語だと”political correctness”だから、政治が絡んでいる必要があると思うわけですね

ポリコレ、political correctnessとは「政治が絡む」と言うよりは「政治的、社会的に公正な」という意味なのですが。そして

となると、近年大河では2015年、2018年、2019年、2021年……と「全部お前が嫌いな大河だろ」と言われそうですが、まさにその通りで政治的な胡散臭さも嫌いな理由のひとつに入ります

となっています。以前は嫌いな大河は、「歴史が改竄されている」などと書かれていたのですが、いつの間にか政治的に胡散臭いからという理由になっていますね。しかし政治的に胡散臭いと言うよりは

西国諸藩絡みの幕末大河
オリンピックを描いた大河
徳川慶喜がメインで(悪役でなく)登場する大河

だから嫌いなのではないでしょうか。
しかし自分の好き嫌いのみで作品を判断し、嫌いなものには見るに堪えない言葉をこれでもかとぶつけ、好きなものはどのような描かれ方でもすべて上げまくり、かつ正当化する人をレビュアーと呼ぶべきなのでしょうか。

そしてまた「直近2021年に注目しますと」と言う出だしで『青天を衝け』批判。これもかなり鬱陶しいものがあります。何度も言いますが、このコラムは『鎌倉殿の13人』関連のコラムのはずです。なぜ嫌いな大河の悪口を延々とここで書く必要があるのでしょうか。単にそれでスペースを埋めているようにしか見えないのですが。

なのになぜ、そんなデタラメな描き方が大河で放映されたのか?
そこを考えてみるのもpoliticalでしょう。

「political」とはこの場合「政治的な」の意味ですが、大河の描き方を考えるのが政治的なのでしょうか?

そもそも「ポリティカルコレクトネス」とは胡散臭い言葉です。
最終的には、抵抗勢力や少数派の口塞ぎになっていることも多い。
そういうニュアンスがあるから、個人的にはこの言葉を使う時点であまり信頼できないと感じるのですが、便宜上、私もここで使っています。
「ポリコレに屈した結果w」と草を生やしながら盛り上がるのではなく、多様性への配慮とか、Critical Race Theoryとか、もっと別の理論で話したほうがよい。私はそう思います。

今まで散々嫌いな作品(大河、朝ドラ)の描写を、ポリコレを基準にして叩いていながらそれはないと思います。それと多様性への配慮というのは、ポリコレに含まれるという指摘もありますね。あとCritical Race Theoryは「批判的人種理論」という訳語がちゃんとあります。

元々は1970年代に、白人至上主義がなおアメリカ社会に組み込まれていると指摘された概念のことです。白人警官による殺人事件がもとで、今再び話題となっていますが、なぜ、アメリカ社会に今なお残る人種差別と、大河の描写を関連付けなければならないのでしょうか。

ところで。30日はフィギュアを観たため和田合戦は観ていません(録画はしています)。それで思ったのですが、やはりスポーツ中継というのは、数字を稼げるコンテンツとしてはかなり強いのではないかと思います。

今後TVがスポーツ中心路線にシフトしたとしても、それはそれで納得が行きます-ただ野球とかバレーボールのような、時間制限がなく、そのため中継が放送フォーマットに影響する場合は、BSでの放送がいいかとは思いますが。

そして大河を観てやはり思うことですが、現在歴史関連ドラマは、映画が率先して映像化しているように見えます。スポーツ中継が盛んになるのであれば、そして今後も大河を看板番組にしたいのであれば、これから先をもう少し考えるべきではないでしょうか。やはり大河を続けたいのか、今の1年体制でいいのか、受信料で作るべきなのか、色々議論すべき問題はありそうです。個人的にドラマは、基本1クールでいいのではないかとは思いますが。

それから『カムカムエヴリバディ』、東京ドラマアウォード受賞のようですね。


飲み物-ワインとワイングラス
[ 2022/10/31 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』最終週の前のあれやこれや

まず先日ご紹介した分の、1日前の小檜山氏の記事です。(大河関連は次回以降になります)

https://note.com/54seikobi85/n/n0157657c7446
『ちむどんどん』第117回 ちむどんどんし続けることが大事

コメントで指摘していただいていますが、実際の放送回と2回分のずれがあり、この回は本当は第119回です。で、この記事なのですが、

暢子は「和彦くん」といまでも夫を呼ぶんだなと改めて思ったり

この点ですが、私としてはプライベートな関係であればまだしも、お姑さんにまで「和彦君が」と言うのは正直ちょっと解しかねます。

あと、

和彦は反省会界隈からありえないほど無能だと罵倒されていますが、無能有能はさておき、特殊な人物ではある。フリーランスだから東京にこだわらなくてもいい。重子と同居しないことを選んだのも、ここにつながってきます。夫としてやんばるに住んでもいいわけよ。

この和彦がやんばるに住むことに関しては、先日の投稿でも触れています。まだネットも一般に普及せず、しかも東京の出版社から原稿を依頼されているにも関わらず、距離のある沖縄、それもやんばるに住もうとし、しかもそのデメリットを考えないという点に、疑問を持つ人は多いのではないでしょうか。場合によっては、和彦は連載を打ち切られてもおかしくないと言えます。

またこの和彦はフリーライターではありますが、仕事をしているシーンがきわめて限られていますし、そういう点もまた、ライターとしての彼に疑問符がつく一因とはなっているでしょう。

しかしこのように書くと言うことは、やはり小檜山氏は、自分と異なる意見が多い反省会の存在を、かなり意識しているようにも見えます。かと言って小檜山氏の意見が絶対的なわけではないのだし、人それぞれでいいとは思いますが。

では本題に行きます。
「ちむどんどんできるか」という小見出しで、このような記述があります。

そんなわけで、やんばるに戻る決断というラストへ向かうわけですが。極めて慎重に、2022年らしくしているわけさ。優子の面倒を見るという親孝行でもない。和彦がやんばるでライフワークを完遂したいからでもない。地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決めています。

まず
「極めて慎重に、2022年らしくしているわけさ」
などとありますが、この朝ドラの今現在の時代設定は1984年であり、2022年から40年近く前なのですが…。

それからこの少し前の方で
「フリーランスだから東京にこだわらなくてもいい」
「夫としてやんばるに住んでもいいわけよ」
とあるのですが、ここでは
「和彦がやんばるでライフワークを完遂したいからでもない」
となっています。どこか食い違っていますね。

また
「地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決めています」
「朝ドラもここまで到達しましたね。いや、近年の朝ドラの流れかな。女性が自分の意思で人生を決める。そういう流れがきっちりある」
と言うことなのですが、これもおかしな話です。

まず暢子が、ちむどんどんするかしないかを判断基準としている点ですが、それと「女性が自分の意思で人生を決める」のは違うのではないでしょうか。暢子の場合は極めて感覚的なものであり、周囲のことを顧みず、自分がちむどんどんすればそれでよしとしているわけで、如何にも身勝手で子供じみた基準でしかありません。それと「近年の朝ドラの流れ」と言うのであれば、あれだけ叩いた『カムカムエヴリバディ』も『まんぷく』も、女性が自分の意思で人生を決めたということでいいのですね。

それと「地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決める」と言うよりは、「沖縄(またはやんばる)で生まれた女性である暢子に取って、ちむどんどんできるかできないか、それもまた重要な決め手であった」とでも書いてほしいです。

そしてこの後も反省会が登場しています。この反省会の存在、または嫌いな朝ドラor大河の存在は、ご本人にはかなり心理的負荷となっていて、このnoteや大河コラムでの反発につながっているように見えますが、そこまで敵視することもないかと思います。何よりも、好き嫌いで価値を決めたがる小檜山氏または武者さんの姿勢もまた問題です。

それと前出の時代設定ですが、この朝ドラは、離婚歴があるもののまだ付き合ってもいない清恵に、なぜそのことを隠していたと賢秀が詰め寄る一方で、和彦が沖縄でも仕事はできると、まるで今の時代のようなことを言ってみたり、設定基準がかなりあいまいであると思われます。清恵が、離婚歴を黙っているのが責められるのが当時の価値観であるのなら、和彦も、沖縄には行きたいが東京から離れている、仕事をどうするか問題だなどと悩むシーンが欲しいところです。

もうひとつ、暢子の出産シーンについて。まず破水、それから病院に行って、かなりあっさりとお産が終わったことになっています。これで思い出すのが『ER』の看護師長、キャロル・ハサウェイが雪の中を出勤する途中で産気づき、何とかもちこたえて病院でお産をするシーンです。あれは、お産に至るまでの様子がかなり詳しく描かれていました。もう一度DVDを観てみようと考えています。少なくとも制作サイドが「一人の女の子の何十年という歳月を濃く描きたい」と言うのであれば、あれくらいの描き方を心掛けてほしいものです。

それにしてもこの「一人の女の子」、「女性」でないのが気になりますね。



食べ物‐コーヒーゼリー
[ 2022/09/26 01:00 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 73その1

『武将ジャパン』、大河コラム第36回関連記事、前半部分への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第36回「武士の鑑」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


1.時政は狡猾です。爺様(じさま)こと三浦義明の仇討ちだとして三浦一門をけしかけている。

時政の場合は、武蔵が欲しくて御家人を煽っている感じですね。脇も甘いし。狡猾というのは、自分を利するためにずる賢く立ち回ることであり、寧ろ三浦義村の方がそういう形容がぴったり来そうです。

2.感情に流される義盛と、感情を一切断ち切って進む義村がそこにはいます。同族、同時代、似たような環境でこうも違うとなると、先天性の個性があるのでしょう。

「先天性の個性」と言うより、ここは「持って生まれたものの違い」とでもしてほしいです。

3.今でこそ湘南リゾートのイメージが強い由比ヶ浜ですが、この浜では結構人骨が発掘されます。
当時から「処刑あり、火葬あり」といった調子で、かなり大量に出てくるんですね。
(中略)
今年の湘南は、爽やかなイメージではなく日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』こと『鎌倉殿の13人』観光を展開していて、なかなかシュールなことになっていますね。

いつから『鎌倉殿』が、日本版『ゲースロ』になったのでしょうか。武者さんの個人的願望でしょう。

4.間が悪いのが北条泰時です。義時の継室・のえが実は悪女であることを伝えようとして、怒鳴り返されます。
「今はそれどころではない!」
時房に出直すよう諭され、廊下に出た泰時は彼女とすれ違うのですが……なにやらお腹を抱えて苦しそうな表情をして、うめいています。

当初はのえのことで、何か別のことが発覚したのかと思ったのですが、どうもそうではなさそうでした。しかしもう義時も感づいているでしょうし、のえも妊娠している以上離縁は難しいでしょう。

5.ちょっと気になるのが泰時の性格です。
彼は空気が読めません。
どこかギスギスした雰囲気で、父も叔父もイライラしているとなれば、察することもできるはず。しかし彼はそういうことが苦手です。一言で言えば不器用なのでしょう。
そんな夫の欠点を補うのが初でしょう。
これまでも義時と泰時の間でクッション的な役割をこなしてきました。
彼女がいないところだけに、泰時もああなってしまったと。

「そんな夫の欠点を補うのが初でしょう」とあるのですが、無論この回に初は出て来ませんし、彼女がいないからああなったとも一概に言えないかとは思います。私としては、そういう泰時の性格がやや鬱陶しく感じられますが。

6.実朝は下文を取り下げたいと戸惑っています。あんな卑劣な騙され方を祖父にされて気の毒ですが……それでも義時は、一度取り下げたら威信に傷がつくと認めません。
これは世の真理かどうか?
一度決めたことを撤回することの是非とは面白いものです。義村あたりなら案外あっさり取り下げるかもしれない。

征夷大将軍たる人物と、御家人の義村を同列に論じることはできないのではないでしょうか。重みが違いすぎます。

7.『真田丸』の真田昌幸はホイホイ方針を変えて、「朝令暮改の何が悪い!」と開き直っていましたね。
そうすることで「この表裏比興が!」と言われることをどうでもいいと割り切れた。性格が左右しますね。彼は少数派です。

こちらも、なぜ鎌倉時代と戦国時代を同列に論じるのか不明です。ついでながら『真田丸』の昌幸の性格は、戦国という混とんとして掟破りが当たり前とも言える時代とよくマッチして、かなり面白いものがありました。

8.そもそも時房は、北条家の中でも立場が強くありません。異母弟である北条政範の下にいるような立ち位置であるからこそ、りくからも手厳しく言われる。

母親の身分の違いでしょう。りくの子である政範は、若くしてそれなりの官位も貰っており、異母弟と言えども時房は頭が上がらなかったわけです。

9.畠山は必ず討ち取るという時政に、しなだれかかります。
「しい様はいかないで」
「わしは御所に残って鎌倉殿をお守りする」
醜悪の極みを見せつける男女。この姿を覚えておきましょう。
我が身可愛さだけを考えている下劣さ。重忠とちえが蓮の花のような清浄の極みだとすれば、これは泥そのもの。
同じ夫婦愛でも大違いだ!

何だか時政とりくが、「醜悪の極み」だの「我が身可愛さだけを考えている下劣さ」などと言われていますが、時政には時政の考えがあったわけで、一概にこう表現するべきかどうかはかなり疑問です。一方で重忠とちえも「蓮の花のような清浄の極み」などと書かれていますが、何だか気恥ずかしくもあります。無論武者さんがそう思うのならそれでいいのですが、ただあくまでも個人レベルでの話です。
せめて
時政とりくは何とでも武蔵を手に入れておきたく、そのため畠山を討つ必要があった、一方重忠はこの事態にどう対応するべきか悩み、わずかな手勢を連れて、ちえと言葉を交わした後鎌倉へ向かう。この時の別れが、夫婦の永久の別れとなった。
くらい書いてほしいです。

10.なお、この一連の場面で、時政がりくを叱りつけた理由に「女子は黙っておれ!」という言葉はありません。
これは現代への配慮だけでもない。
巴御前のような女武者もいるし、当時は性的な役割分担がそこまで強固ではありませんでした。
本当に畠山は謀反を企んでいたのか?

まず最後の
「本当に畠山は謀反を企んでいたのか?」
改行を忘れたのでしょうか。どうもそれまでの文章とはあまり関係がなさそうなので。
そしてこの「女子は黙っておれ」云々ですが、巴御前のような女武者なら戦国期にもいますけどね。

そしてなぜこのような記述があるのかと思っていたところ、このようなツイを見つけました。

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1571740540647141376
大河ってそんなにいうほど「戦は嫌でございますぅ」と女どもが言ってましたか?あれだけ長い歴史のものなので全部見ておりませんけど。ミソジニー混じりのインターネットミームの類じゃないかと思っていますが。

この「戦は嫌でございます」はかの『江~姫たちの戦国~』で登場します。ですから他の大河ではともかく、この中ではそういうセリフが出て来ますし(と言うか、第1回からかなり凄まじい展開でちょっと驚きますが)、『花燃ゆ』にもいくらか似た表現があります。しかし武者さん的には、この大河はもう10年以上前のもので、10年ルールが適用されるのではないでしょうか。それとここに来て急にこういうことを言い出したのは、一体なぜなのでしょうね。

11.そうはいっても大軍勢で囲まれたら終わりだと三浦胤義が張り切ると、兄の義村が「黙っていろ!」と諭す。兄弟でも性格は正反対のようで、同時に兄として弟を導く気力もあまりなさそうですね。

ネタバレになりますが、この胤義は後に承久の乱で、京都方について兄と敵対することになります。それもあって、この頃から不仲であるという描かれ方になっているのでしょうか。

12.ここでちょっと気をつけたいのは、兵法の理解度です。
『孫子』や『呉子』などはこの時代にもあり、そういう書籍を読み、理解したとわかる武士の言葉も残されています。
とはいえ個人差があります。
布陣を理解している重忠と泰時は、漢籍を読みこなしているとわかります。重忠は「武衛」が「佐殿の唐名(とうみょう)」だと理解していたし、泰時は『貞観政要』を愛読していると判明しております。
そう言い合う義時と義村。これもこの二人の教養が滲んだ言い回しともいえる。
矛というのは古代中国の武器で、それを収めるというのは漢籍を読んでいれば出てくる言い回しです。時政や義盛は使わなさそうですが、その義盛が重忠との交渉役に選ばれました。

また漢籍ですか(苦笑)。ここで重忠は、武衛のことを理解しているとありますが、ドラマ中で上総広常に、頼朝のことを武衛と呼べと言ったのは義村ですね。

それと「矛」(鉾)ですが、古代中国に限らず日本でも使われており、特にこの鎌倉時代までは武器として使用されたとも言われています。また祭りでも鉾が登場することはあり、たとえば大阪の天神祭には鉾流神事(ほこながししんじ)がありますし、京都の祇園祭の山鉾巡行も有名です。古事記にも出て来ますし、少なくとも矛または鉾は何であるのか、知っている人は多かったでしょう。ちなみに天神祭の鉾流神事は10世紀半ば、山鉾巡行は9世紀半ばの清和天皇の時代に始まっています。


飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2022/09/23 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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