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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 73その1

『武将ジャパン』、大河コラム第36回関連記事、前半部分への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第36回「武士の鑑」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


1.時政は狡猾です。爺様(じさま)こと三浦義明の仇討ちだとして三浦一門をけしかけている。

時政の場合は、武蔵が欲しくて御家人を煽っている感じですね。脇も甘いし。狡猾というのは、自分を利するためにずる賢く立ち回ることであり、寧ろ三浦義村の方がそういう形容がぴったり来そうです。

2.感情に流される義盛と、感情を一切断ち切って進む義村がそこにはいます。同族、同時代、似たような環境でこうも違うとなると、先天性の個性があるのでしょう。

「先天性の個性」と言うより、ここは「持って生まれたものの違い」とでもしてほしいです。

3.今でこそ湘南リゾートのイメージが強い由比ヶ浜ですが、この浜では結構人骨が発掘されます。
当時から「処刑あり、火葬あり」といった調子で、かなり大量に出てくるんですね。
(中略)
今年の湘南は、爽やかなイメージではなく日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』こと『鎌倉殿の13人』観光を展開していて、なかなかシュールなことになっていますね。

いつから『鎌倉殿』が、日本版『ゲースロ』になったのでしょうか。武者さんの個人的願望でしょう。

4.間が悪いのが北条泰時です。義時の継室・のえが実は悪女であることを伝えようとして、怒鳴り返されます。
「今はそれどころではない!」
時房に出直すよう諭され、廊下に出た泰時は彼女とすれ違うのですが……なにやらお腹を抱えて苦しそうな表情をして、うめいています。

当初はのえのことで、何か別のことが発覚したのかと思ったのですが、どうもそうではなさそうでした。しかしもう義時も感づいているでしょうし、のえも妊娠している以上離縁は難しいでしょう。

5.ちょっと気になるのが泰時の性格です。
彼は空気が読めません。
どこかギスギスした雰囲気で、父も叔父もイライラしているとなれば、察することもできるはず。しかし彼はそういうことが苦手です。一言で言えば不器用なのでしょう。
そんな夫の欠点を補うのが初でしょう。
これまでも義時と泰時の間でクッション的な役割をこなしてきました。
彼女がいないところだけに、泰時もああなってしまったと。

「そんな夫の欠点を補うのが初でしょう」とあるのですが、無論この回に初は出て来ませんし、彼女がいないからああなったとも一概に言えないかとは思います。私としては、そういう泰時の性格がやや鬱陶しく感じられますが。

6.実朝は下文を取り下げたいと戸惑っています。あんな卑劣な騙され方を祖父にされて気の毒ですが……それでも義時は、一度取り下げたら威信に傷がつくと認めません。
これは世の真理かどうか?
一度決めたことを撤回することの是非とは面白いものです。義村あたりなら案外あっさり取り下げるかもしれない。

征夷大将軍たる人物と、御家人の義村を同列に論じることはできないのではないでしょうか。重みが違いすぎます。

7.『真田丸』の真田昌幸はホイホイ方針を変えて、「朝令暮改の何が悪い!」と開き直っていましたね。
そうすることで「この表裏比興が!」と言われることをどうでもいいと割り切れた。性格が左右しますね。彼は少数派です。

こちらも、なぜ鎌倉時代と戦国時代を同列に論じるのか不明です。ついでながら『真田丸』の昌幸の性格は、戦国という混とんとして掟破りが当たり前とも言える時代とよくマッチして、かなり面白いものがありました。

8.そもそも時房は、北条家の中でも立場が強くありません。異母弟である北条政範の下にいるような立ち位置であるからこそ、りくからも手厳しく言われる。

母親の身分の違いでしょう。りくの子である政範は、若くしてそれなりの官位も貰っており、異母弟と言えども時房は頭が上がらなかったわけです。

9.畠山は必ず討ち取るという時政に、しなだれかかります。
「しい様はいかないで」
「わしは御所に残って鎌倉殿をお守りする」
醜悪の極みを見せつける男女。この姿を覚えておきましょう。
我が身可愛さだけを考えている下劣さ。重忠とちえが蓮の花のような清浄の極みだとすれば、これは泥そのもの。
同じ夫婦愛でも大違いだ!

何だか時政とりくが、「醜悪の極み」だの「我が身可愛さだけを考えている下劣さ」などと言われていますが、時政には時政の考えがあったわけで、一概にこう表現するべきかどうかはかなり疑問です。一方で重忠とちえも「蓮の花のような清浄の極み」などと書かれていますが、何だか気恥ずかしくもあります。無論武者さんがそう思うのならそれでいいのですが、ただあくまでも個人レベルでの話です。
せめて
時政とりくは何とでも武蔵を手に入れておきたく、そのため畠山を討つ必要があった、一方重忠はこの事態にどう対応するべきか悩み、わずかな手勢を連れて、ちえと言葉を交わした後鎌倉へ向かう。この時の別れが、夫婦の永久の別れとなった。
くらい書いてほしいです。

10.なお、この一連の場面で、時政がりくを叱りつけた理由に「女子は黙っておれ!」という言葉はありません。
これは現代への配慮だけでもない。
巴御前のような女武者もいるし、当時は性的な役割分担がそこまで強固ではありませんでした。
本当に畠山は謀反を企んでいたのか?

まず最後の
「本当に畠山は謀反を企んでいたのか?」
改行を忘れたのでしょうか。どうもそれまでの文章とはあまり関係がなさそうなので。
そしてこの「女子は黙っておれ」云々ですが、巴御前のような女武者なら戦国期にもいますけどね。

そしてなぜこのような記述があるのかと思っていたところ、このようなツイを見つけました。

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1571740540647141376
大河ってそんなにいうほど「戦は嫌でございますぅ」と女どもが言ってましたか?あれだけ長い歴史のものなので全部見ておりませんけど。ミソジニー混じりのインターネットミームの類じゃないかと思っていますが。

この「戦は嫌でございます」はかの『江~姫たちの戦国~』で登場します。ですから他の大河ではともかく、この中ではそういうセリフが出て来ますし(と言うか、第1回からかなり凄まじい展開でちょっと驚きますが)、『花燃ゆ』にもいくらか似た表現があります。しかし武者さん的には、この大河はもう10年以上前のもので、10年ルールが適用されるのではないでしょうか。それとここに来て急にこういうことを言い出したのは、一体なぜなのでしょうね。

11.そうはいっても大軍勢で囲まれたら終わりだと三浦胤義が張り切ると、兄の義村が「黙っていろ!」と諭す。兄弟でも性格は正反対のようで、同時に兄として弟を導く気力もあまりなさそうですね。

ネタバレになりますが、この胤義は後に承久の乱で、京都方について兄と敵対することになります。それもあって、この頃から不仲であるという描かれ方になっているのでしょうか。

12.ここでちょっと気をつけたいのは、兵法の理解度です。
『孫子』や『呉子』などはこの時代にもあり、そういう書籍を読み、理解したとわかる武士の言葉も残されています。
とはいえ個人差があります。
布陣を理解している重忠と泰時は、漢籍を読みこなしているとわかります。重忠は「武衛」が「佐殿の唐名(とうみょう)」だと理解していたし、泰時は『貞観政要』を愛読していると判明しております。
そう言い合う義時と義村。これもこの二人の教養が滲んだ言い回しともいえる。
矛というのは古代中国の武器で、それを収めるというのは漢籍を読んでいれば出てくる言い回しです。時政や義盛は使わなさそうですが、その義盛が重忠との交渉役に選ばれました。

また漢籍ですか(苦笑)。ここで重忠は、武衛のことを理解しているとありますが、ドラマ中で上総広常に、頼朝のことを武衛と呼べと言ったのは義村ですね。

それと「矛」(鉾)ですが、古代中国に限らず日本でも使われており、特にこの鎌倉時代までは武器として使用されたとも言われています。また祭りでも鉾が登場することはあり、たとえば大阪の天神祭には鉾流神事(ほこながししんじ)がありますし、京都の祇園祭の山鉾巡行も有名です。古事記にも出て来ますし、少なくとも矛または鉾は何であるのか、知っている人は多かったでしょう。ちなみに天神祭の鉾流神事は10世紀半ば、山鉾巡行は9世紀半ばの清和天皇の時代に始まっています。


飲み物-スミスウィックのスタウト
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[ 2022/09/23 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 72その3

『武将ジャパン』大河コラムの記述への疑問点です。尚、72の1と2で、関連リンクを置くのを忘れていました。失礼いたしました。

何でもMVPは歩き巫女(おばば)と畠山重忠だそうで、

この二人は幽冥の世界――要するに半分あの世にいます。
巫女は高齢であるし、水を跳ねて呪文を唱え、占いをするときにそうなる。
そうすることで相手の魂やこれから先に待つ世界が見える。
巫女だけに、あの世とこの世の境目にいけるのです。
畠山重忠は違う。
最後の場面は死の予感と覚悟ゆえに、半分魂が抜けてきている。
そんな不思議な場面になっていました。
もうこの世界に生きていないから、義時の迷い、魂も見えてしまっている。
そういう得体の知れない相手に問い詰められて、義時は「それ以上は……」と参るしかない。

私としてはおばばの方はまあ納得できます。無論これはサプライズだからということもあります。しかし重忠、私なら重保にするかと思います。若さゆえに真実を突き止めようとしながらも(この辺泰時に似ています)、結局報われることはありませんでしたし、父重忠が運もあって、その後頼朝の御家人になれたものの、この人物にはそういう未来も約束されませんでした。

で、この部分

「最後の場面は死の予感と覚悟ゆえに、半分魂が抜けてきている。
そんな不思議な場面になっていました。
もうこの世界に生きていないから、義時の迷い、魂も見えてしまっている。
そういう得体の知れない相手に問い詰められて、義時は「それ以上は……」と参るしかない」

ですが、これは寧ろ彼の、坂東武者としての最期を飾りたい、そのような気持ちの表れであり、「お前が執権にならないと、同じことの繰り返しだ」と言いたげなようにも見えます。
しかし「半分魂が抜けてきている」とは、どのシーンでそう感じたのでしょうか。それを書いてほしいですね。

そしてこの後、山田風太郎の『幻燈辻馬車』とか、例によって『麒麟がくる』などが引用されているのですが、どうもこういうのが余計に感じられます。

その後の総評(毎度書いていますが、ページ数稼ぎのように見えてしまいます)、これも

平賀朝雅、りく、北条時政――どいつもこいつも、圧倒的でカリスマのある悪ではなく、卑劣な保身で滅んでゆきます。
彼らは、自分こそが被害者だというアピールに余念がない。

とありますが、卑劣な保身というのは彼らだけではありません。当の義時もまた義村も、やっていることは敵対勢力から見たら、卑劣な保身と言わざるを得ないところもあるでしょう。
あといつも思うのですが、「どいつもこいつも」なんて言い方も止めたらいいのに、言葉遣いがよくないなと思いますね。
そして武者さん、こういう書き方が好きですね。

「あいつらのせいで安全が脅かされる!」というのは差別と迫害、格好の言い訳です。

確かにこれはある種の言い訳かも知れませんが、「差別と迫害」を一々絡ませることもないでしょう。この人が本当は何を書きたいのかが窺い知れます。で、三谷さん関連。

三谷さんがストーリーテラーとしての高みにどんどん登ろうとしていて、彼が前に立って突撃するからこそ、スタッフもキャストも食いついてゆく。
そんな理想的な流れがうまくできていると思えます。
三谷さんじゃないとこれはできない。そう思えるのが複雑なプロットです。
「ちょっと難易度高すぎねえか?」
時政を真似て、そうスッとぼけて言いたくもなる。中盤以降その傾向がどんどん強くなっていると思えます。

三谷さんの見方は人それぞれですが、そう思わない人物、だからこそ馴染めないという人物もいるわけで、そういう人々の気持ちも汲んだ上で、こういう文章を書くべきかとも思いますが。何よりも、好きだからほめそやすのと、真の意味で評価するのとはそもそも別物でしょう。
あと「複雑だから」「難しいから」素晴らしいというのも、要はそういう難しさがわかる自分が素晴らしいと言いたいのだろうなと思います。

で、その後も似たような感じの文章が続き、最終的にまたゲースロが出て来たり(本当にこれ好きですね、これを引用しないとコラムを書いた気になれないのでしょうか)、果ては

今作の演出は重要です。去年とは比較にならないほどレベルがあがりました。
2021年大河は天狗党の処理があまりに“ゆるふわ”だとこぼしたところ、真っ当に見ていたらそんなわけないと絡まれました。

とあったり。実際ちゃんと観ていたら、「ゆるふわ」ではないと思うのですが。結局嫌いな作品に対しては、いつまで経ってもこうなのだろうなと思います。

で今度は五代友厚がどうのこうの、さらに

日本人が見て胸がぐるぐるしたところで、これだけVODが普及し、韓流華流時代劇も強い時代では先細りです。朝ドラの二番煎じなんて滅びるしかない。
そういう流れと訣別した今年は、まぎれもなく大河の歴史を大きく進めたと言えます。
世界的にあれだけヒットして、歴史劇や歴史観までもを変革したとされるGoTぐらいは、大河と比較する上でも最低限見ているべきではないかと私は思います。
以前記事に、でしゃばったことをしないで国内ドラマだけ見ていればいいと書かれましたが、それは違うでしょう。
あの作品を抜きにして歴史劇を語るなんて、2020年代にはもう無理があるのですから。
今年の大河は歴史劇、ひいては視聴者の歴史観まで鍛える。極めて秀逸な作品です。

結局ゲースロのことを書きたいのか、それとも大河のことを書きたいのか。ごっちゃになっていますね。しかも具体性に乏しいし、何よりこのコラムに言えることとして、日本語がちょっとおかしく、文章がこなれていない印象です。

あと小檜山氏のツイで、こういうのがあったので置いておきます。

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1569870839637745664
体を動かすスポーツマンシップがそんなに健全だというなら、鎌倉時代前半はもっと平穏なのでは?それでは情操教育で問題があるからと和歌を詠んだり、仏典や漢籍を学んだりしたんですよね。

ラグビー観戦者として言っておきますが、スポーツマンシップというのはそもそも19世紀頃に出て来た概念です。当然鎌倉時代にスポーツマンシップも、ましてやスポーツもあるわけがありません。武士は軍人でもあり、武芸を磨く一方で、和歌や書物を読むことが奨励されるようになっています。武者さんは以前、弓矢を捨てて書物や和歌、蹴鞠に打ち込むようになったという意味のことを書いていましたが、それはありえません。

ちなみに16日は鶴岡八幡宮の流鏑馬神事でしたが、規模は縮小され、流鏑馬は行われなかったとのこと。


飲み物-グラスビールと泡
[ 2022/09/17 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」あらすじと感想-1

第35回「苦い盃」前半部分のあらすじと感想です。


実朝は三善康信に、政子が置かせた冊子について尋ねる。尼御台が書き写したと答える康信。その中で実朝が気に入ったのは、他ならぬ父頼朝の巻狩りの際の歌だった。政子はそういう頼朝の経験を、励みにするように実朝に言い聞かせ、思いを歌にしてみてはどうかと促す。

坊門家の千世の鎌倉到着が間近に迫っていた。早く跡継ぎが生まれるといいですねとのえ。義時は子が欲しいかと尋ねるものの、時政とりくの子の政範を例に取り、子がいたらいたで何かと大変だと言う。のえは義時には、泰時がいれば満足と言うものの、祖父の行政の前では、男児を産んで北条の家督を継がせると野心を露わにする。さらに、そうでなければあんな辛気臭い男に嫁がないと吐き捨てるように言い、その場を立ち去る。

その泰時は、のえのもうひとつの顔を図らずも目にしたことから、父にこのことを伝えるべきかと迷う。あまり関わらない方がいいと初は言うが、泰時はこのことをぼやいていた。そして元久元(1204)年12月10日、千世は鎌倉に到着し政子に挨拶をする。しかしりくの方は、自分が望んだこととはいえ、千世を迎えに行った政範は最早おらず、この姫と顔を合わせる気になれなかった。

そんなりくに時政は、子供の頃皿を割って父に叱られたこと、しかし皿に盛った料理のことは覚えていること、皿はいつもうまい料理を載せて俺たちの前へ並ぶと言って、りくを慰めようとするがこれは裏目に出た。りくは、政範と皿を一緒にされるのが面白くなかったのである。

慌ててその場を取り繕おうとする時政に、りくはしい様らしいと言ってようやく気を取り直す。やがて婚儀が執り行われるが、千世と実朝を見るりくは複雑な心境だった。また三々九度の盃を手にして戸惑う実朝に、実衣は召し上がってよいのですよと声をかける。

鎌倉に戻った畠山重保は義時に挨拶をする。政範の急死に関して大江広元は、人間わからぬものにございますと言うが、父重忠は、重保からその件で話があると伝える。重保いわく、政範が死んだのは到着して2日目のことで、宴の最中に突然倒れて帰らぬ人となっていた。しかも重保はその前夜、平賀朝雅が毒物と思しき容器を手にして、汁に混ぜるのかと医師に尋ねているのを聞いていたのである。

政範の死後、重保は朝雅にそのことを問い詰めるが、朝雅は知らぬ存ぜぬ立った。ならばあのやり取りは何であったのかと問いただす重保に朝雅は、自分は供応役である、味付けに気を配って何が悪いとはねつける。重保はそれは嘘だと食い下がるが、朝雅は、このことを人に話すと自分の正気を疑われると、侮るような言い方をする。

重保は義時に、2人の会話は決して味付けに関するものではなかったと訴え、義時も重保が知らせてくれたことをねぎらい、調べてみることにする。一方で朝雅は仏壇に手を合わせ、翌日京へ戻るとりくに伝える。りくもいずれ、東山の政範の墓所へ参る予定でいた。その朝雅は、政範の急死に関して毒殺の噂が流れていることに触れ、武蔵の国務を巡って重忠が北条ともめていることに言及し、重保が毒を盛ったようだとりくに吹き込む。

その上で朝雅は自分が疑われていると言い、畠山の策略に嵌るなとりくを牽制して畠山が何を言っても信じるべきではないと駄目押しをする。朝雅の言葉を信じ込んだりくは、時政に、政範の敵を取るように哀願する。時政は、畠山はちえの嫁ぎ先であると言うが、ちえはりくに取っては血縁関係にはなかった。そしてりくは、畠山は自分と政範を北条一門と思っていなかったからこそ、このような非常な真似ができると感情を高ぶらせる。

義時は朝雅にこの件について尋ねる。勘ぐる者も多いと言う義時に、朝雅は一番驚いているのは自分だと言う。義時は、遺体は速やかに東山に埋葬されたものの、冬の今なら遺体を移すこともできたと義時は言い、毒を飲ませると遺体の顔色が変わるので、すぐに死因がわかると義時は探りを入れる。しかし朝雅は一笑に付し、その後無礼なと義時を睨みつけて去る。

この件は軽率に答えを出すべきものではなかった。りくは畠山を討てと息巻いているが、時政もそのようなことはしたくはない、重忠はいい婿と言うものの、政範が可愛い息子であったのもまた事実だった。時房は、自分たちに取っても可愛い弟だったと父に同調する。しかし時政は畠山討伐でほぞを固めていた。そして義時は、執権と言えども、鎌倉殿の花押が入った下文がない限り、鎌倉で挙兵することはできないと父を諫める。

時房も義母上に振り回されるのはやめるように、息子として恥ずかしいと父に頼むが、時政は聞き入れずに立ち去る。最後のは余計だったと義時。その義時は三浦義村に相談する。義村は重忠は優男だが、必要なら立場を変える覚悟があると言い、例として壇ノ浦でも進んで漕ぎ手を射止めていたことを指摘する。

そこへのえがやって来た。繕い物をしていたと言い、義村に挨拶をする。義時はのえに酒の用意をさせるが、義村はのえが手を突いた時、飯粒がついているのを見て不自然に思っていた。握り飯を食べながら縫物はしないからである。

康信から歌を習う実朝は、あまり筆が進まなかった。康信は新しい御台所を褒め、気もそぞろになられるのも仕方はないと言う。しかし実朝は自分に侍している泰時の様子が気になっていた。その一方で義時は政子に会い、りくに会ってくれと頼む。政範を亡くして滅入っていたところへ、朝雅からあることないことを吹き込まれ。気を落ち着かせるために話を聞いてやってほしいというわけだった。そして義時は重忠と話をするつもりでいた。政子は、戦にしてはならぬと念を押す。


冒頭の頼朝の歌、平安時代は富士山から煙が立ち上っていた時代でした。『竹取物語』の富士山頂で薬を焼く場面も、この煙を踏まえたものとされ、また『更級日記』にも煙のことが書かれています。和歌を画面に入れるのは大河ではよく行われますが、特に『平清盛』で顕著でした。この大河が放送された2012年に、BBC版『シャーロック』の第2シリーズが放送されていますが、この時もメールの内容(日本語版)が様々な色やフォントで紹介されていましたが、大河の影響を受けたのでしょうか。

のえ。もうひとつの顔をちらちらと、分かりやすいほどに見せて来ます。逆を言えば裏でのどす黒い野心があるからこそ、別の面ではさばさばした、物わかりのよさそうな人物でいられるのかも知れません。りくの野心が可愛く見えてしまいます。

そして時政の皿の話。何かでこれに類する話を見聞きしたような気がしますが、生憎今はちょっと思い出せません。しかしりくは、政範は皿ではないと言わんばかりに怒りをあらわにします。尤もこの夫がこれ以上気の利いたことを言えるわけもなく、逆にそうだからこそ、自分の言うことを聞いてもくれるわけで、りくは何とか気を取り直します。そして実朝と千世の盃の儀に列席しますが、この2人にどこか曰く言い難いものを感じているようです。

その政範の件。なぜ夏場でもないのに、遺体を鎌倉へ移さずに京で埋葬したかについて、義時は暗に、毒物を飲ませたのではないかと朝雅に尋ねます。この毒が附子=トリカブトであった場合、確かに顔が歪んでしまうことはあるようです。毒を混入させるとは、三谷さんらしいミステリ仕立てですが、かなりストレートな展開にしたなと思います。余談ながらつい最近『名探偵ポワロ』の「黄色いアイリス」を観ましたが、この中でシャンパンに青酸カリを入れるシーンが登場します。この時は、殺される側の身内が犯人でしたが、2度目の殺人のための設定がいささか不自然に思えもしました。

そして畠山との戦にならないようにとの政子の期待、またも裏切られることになりそうです。あと重忠と重保父子ですが、場合によっては罪を被せられないように白を切りつつ、隠棲することもあるいはできたでしょうが、まだそういう時代ではなかったのか、あるいはそういう性格ではなかったのか。

飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/09/13 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第22週感想-3

第108回の気になった点です。

  • 食事会でなぜかフォンターナに直接関係ない田良島がいる(スポンサー?)
  • 貸し切りなのにお構いなく入って行くニーニー
  • なぜか養豚業を隠したがる
  • 暢子「ウソは嫌い」「ウソつこう」
  • 押しかけた2人の分も用意してあるの?
  • 二ツ橋「一緒にいらっしゃった女性は恋人ですか」(こんなこと聞かないでしょう)
  • 「豚に真珠」
  • 命を大切に頂くと言いつつわざと料理を焦がすって
  • イタリア料理と日本料理の共通点がわからない暢子(フォンターナに7年いたのでは?)
  • 房子の話より寛大の豚の話の方が聞ける
  • 経営者でもないのに辞めさせることに乗り気な和彦
  • うちがもっとしっかりしていたら 今に始まったことじゃないから

房子の帰国を祝う会がフォンターナで開かれますが、実際は暢子を励ます会でした。出席者は他に和彦、智、田良島そしてシェフの二ツ橋ですが、遅れて矢作がやって来ます。二ツ橋が招待したとのことで、矢作は迷惑をかけたと頭を下げますが、料理人たちは渋い表情です。しかしそこへ、清恵を探す手がかりを求めていた賢秀と寛大が入って来ます。賢秀ニーニー、あまゆに続いてまた強行突破です。

しかし彼らが招待されていないにも関わらず、なぜかテーブルセッティングがされて料理が出て来ます。しかしその前に、ニーニーが矢作の分を勝手に食べようとしているのは、いつものこととは言え、どうにかならないでしょうか。しかも暢子は、店がうまく行っていると周囲と口裏を合わせており、暢子の店に行きたいと呑気には話すニーニーに、いくらか戸惑い気味です。

ところでその暢子、店がうまく行っていないのにも関わらず、「ウソは嫌い」と、店のことを正直に話そうとしていました。しかし暢子が困っていることを知ったら、ニーニーがまた余計なことをしかねないからと説得され、「ウソつこう」となるわけですが、このセリフと言い、暢子自身の雰囲気と言い、数か月のうちに母親になる女性のはずなのに、如何にも幼稚な印象を与えてしまいます。

第一暢子は、過去に愛にも智にも嘘をついているのですが。それとイタリア料理と日本料理の共通点に「例えば?」と問い返していますが、このフォンターナに7年いたらそのくらいわかるのでは。

一方ニーニーも、養豚場で働いていることをなぜか必死に隠します。そして寛大共々投資関係の仕事をしているように装います。結局会話が進む内に、寛大が沖縄に絡む養豚の話を始め、皆にもどうやら養豚の仕事をしているらしいと気づくのですが、この寛大の話は、寧ろ房子の一般論的な料理の話よりも、訴えかけるものはありました。こういう所で話をさせず、きちんと語らせる場を作るべきだったなと思います。それにこのシーンで、和彦がやおらノートを取り出してメモを取るのはちょっと興ざめでした。

しかも養豚のことがばれたら困るニーニーは、寛大にろくに食事もさせずフォンターナから連れ出します。お蔭で料理を完食できず、何だかもったいないなと思います。先週は子供たちに、給食を残すなというテーマだったはずなのですが…。

しかしこの時のポルケッタ、イタリア風豚肉料理なのですが、盛り付けが「高級レストラン」の割に貧相です。野菜すら添えられておらず、言っては何ですが、ラフテーを丸くしたように見えてしまいます。

それとこれもツイッターで指摘されていましたが、矢作のポルケッタだけ焦げた物が出されます。料理人たちがわざとやったようです。しかし矢作はこれで怒り出すことはなく、食事の後でよく堪えましたねと言います。しかし何とも陰湿な展開ではあります。

あと、矢作に飲み直そうと誘う二ツ橋の言葉から見て、何やら話したいことがあるようですが、矢作の方は、あまり話したくはなさそうです。それと「一緒にいらっしゃった女性は恋人ですか」、いくら何でも、こういうことを訊くでしょうか。

結局矢作は出汁を確認したいからと、二ツ橋の飲み直しを断って杉並に戻ります。しかし店では、暢子と和彦が、矢作に辞めて貰うかどうかで相談していました。しかし暢子はともかく、経営者でない和彦が矢作解雇に乗り気になっているように見えます。暢子に色々指示するのが、あるいは気に食わないのでしょうか。しかし矢作がいるからこそ、一時的であるとはいえちむどんどんに、お客が入ったとも言えるのですが。

一方暢子は
「うちがもっとしっかりしていたら」
後悔先に立たずですね。まあ彼女の場合、今に始まったことではないのですが。

ところで暢子役の黒島さん、セミロングのストレートヘアをちょっと外巻きにしていますが、かなり髪が多くて黒々しているので、下を向くとばさっと垂れた感じになります。厨房ではまとめるのが原則ですが、普段もヘアバンドとか、カチューシャなどを使った方が、髪が下がってこずにいいのではと思ってしまいました。

それからニーニーの「豚に真珠」、随分失礼だなと思います。ついでながらこの「豚に真珠」というタイトルのお芝居が、『名探偵ポワロ』の「グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件」に登場します。あと寛大がハワイの豚に言及していますが、サモアとかトンガも豚をゆでたり、蒸し焼きにしたりした料理がありますね。


飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2022/09/08 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 69その3

『武将ジャパン』大河コラム関連続きです。

MVPが仁田忠常と比奈とのことですが、私は比奈と善児かなと思います。高岸さんは好演していたとは思いますが。と言うかこのMVP、この回で退場とか、登場回数が多い人を基準にしているように見えます。で、これも先日ちょっと書いた忠義とか武士道の話なので、今回は省きます。

その中で1つ。

この作品は、時代の先取りができる人物が、追いつけない周囲によって死ぬ残酷さを描いている。
思えば源義経や梶原景時もそうでした。

義経は「時代の先取り」だったのでしょうか。無防備に後白河法皇に近づいたことに、頼朝が警戒したのではないのでしょうか。寧ろこの場合、時代の先取りをしていたのは頼朝ではないかと思います。
そして景時。御家人の中では異彩を放つ存在でしたが、それ故に周囲とうまくいかず、孤立したのが災いしたと言えます。逆の見方をすれば、仮に先取りができようと、周囲との折り合いをつけられなければ、悲惨なことになると考えるべきでしょう。この当時は、一歩間違えると刃傷沙汰ですから。

そして『麒麟がくる』の駒について長々と書かれています。これまた先日ご紹介していますので省きますが、それに関して、ファンタジーの定義がどうこうと書かれています。

今回はそんなファンタジー要素の塊のような比企尼が登場しました。
(中略)
それを本作はあの地獄の中に置き、死亡状況がわからないことを逆手にとって生存させ、呪いをかけるように出してきました。
こういうことがファンタジー要素ではないかと思います。
日本における「ファンタジー」という言葉の使い方はそもそもがおかしくて、なんかありえないようなご都合主義とか、ただ単に自分の気に入らないプロットをさして呼ぶようにも見えます。
(中略)
呪いをかけたり、不吉な予兆として出す方がむしろ向いている。

駒の登場をファンタジー呼ばわりされたこともあり、ファンタジーの新定義をここで持ち出して来たように見えます。以前武者さんは、『江』や『花燃ゆ』に対して、ファンタジーという言葉を使ってはいなかったでしょうか。

そしてこれも、武者さんが『鎌倉殿の13人』を肯定している(どうもご都合的なところもありますが)からこそ、こういう論調になるわけで、嫌いな大河であれば、この部分も散々に言っているでしょう。で、例によってまた『ゲーム・オブ・スローンズ』がこの後に登場します。これを書きたくてたまらないのはわかりますが。

でその後の部分に、迎合していく怖さとかいやらしさ、おぞましさが詰め合わせになったようだなどと書かれていますが、人間は社会を作る動物であり、今ある体制に自らを適応させ、生き延びて行くわけです。寧ろこの大河では、そうせざるをえない主人公の心境をも描いてはいるのですが、その辺をきちんと理解できているのでしょうか。このコラムを見る限りでは、彼の秘めたる苦悩のようなものに触れず、悪意ある人物のようにしか見ていないようで、そういった部分で武者さんの、ライターとしての素質にいくらか疑問符を付けざるを得ないのです。

そして然る後に
「今年の大河は勉強になります」
歴史のみならず、人間心理の勉強と武者さんは言いたいようですが。まず大河は歴史の勉強ではなく、歴史に関心を持たせるきっかけであり、また歴史をどうドラマ化するかという興味への回答だと思います。そして人間心理ですが、特に「勉強」と構えなくても、普通に観ていれば大体のことはつかめるし、大河のみならず、ドラマを観る楽しみの1つはそれでしょう。無論これも、嫌いな大河なら散々に言っているのでしょうが。

それから小檜山氏名義でこういうツイートもあるのですが、

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1562261701617397760
「義時のなんちゃら」系のお菓子、一体何を味わえというのか!と怒りながらひっくり返したくなるな…。義時の心の味なんて、むしろ食べたくない。

食べようが食べまいが小檜山氏=武者さんの勝手ですが、これを喜んで味わっている人もまたいるのをお忘れなく。しかしこういうのを見ると、やはり前述のように義時は悪人で、その悪人ぶりが面白いというような見方しかできていないように思えますね。

あとこれも恒例のと言うべきか
「胸がぐるぐるするとか、おかしれぇとか、そういうことばかり言っていては世間から騙されてしまう」
先日ストローマン話法について書いていますが、これもその一例でしょう。主人公のセリフの一部を切り取り、それをさも何かのように、糾弾するような姿勢も如何なものでしょうね。

それと、このブログも変換ミスはあるし、見つけ次第修正はしていますが、このコラムも「挙兵寺」などとありますし、ドラマ本編の記述に関してもおかしな部分が見られますし、チェッカーを付けた方がいいのではと思っています。

飲み物-ウィルトシャービール

[ 2022/08/26 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 67その3

『武将ジャパン』MVPと総評ですが、何でもMVPは全成と実衣だそうですが、例によって出番が多い人々をMVP認定しているように思えます。全成はともかく、私なら比企能員を選びますね。そもそもMVPというのが、ページ数を増やすためだけに存在しているようにも見えます。

で、例によってかなり長々と書かれているので、主な部分だけピックアップしておきます。

しかも(注・全成の呪詛は)この時代ならではのもので、もっと後の仏僧ではこんなことあまりしないと思います。そういう未分化の呪術に意味を持たせる所作をするって、相当大変な努力が必要だと思えます。
そういうことに気を抜かなかったからこそ、豪雨の中で祈り、奇跡を起こすという場面につながったのではないでしょうか。
気を抜いているようで真剣に真面目に呪詛祈祷をしていたからこそ、ああいう凄絶な場面になったと思えます。

「そういうことに気を抜かなかったからこそ」とは、どのようなことに気を抜かなかったからなのでしょうか。また、大変な努力とはどのような努力なのでしょうか。そういうのが書かれていないから、このコラムにありがちな曖昧な雰囲気のままで終わっています。
あのシーンは恐らく、それこそ日蓮の龍の口法難をベースにした創作でしょうし(『吾妻鏡』では知家が処刑したとしかありません)、また全成があのシーンで「気を抜いていた」ようにはとても見えないのですが。

全成はトボけていた。実衣は野心にギラついて嫌われかねない性格の悪いところが出てしまっていた。
これから先、この二人はあの凄絶な最期と、ほのぼのとした夫婦愛を同時に思い出すことになるのでしょう。

というか、全成は三谷さん一流のコントシーンに登場することが多かったですね。実衣は野心にギラつくと言うよりは、北条の娘であり、周囲も身内やその家人であり、さらにあの思ったことをずばりという性格ですから、逆に隙を与えた感もあります。寧ろ野心にギラついているのはりくの方であり、実衣があのくらいの隙のなさであれば、また全成共々違った運命を与えられたでしょう。

またこの二人はとありますが、全成は既に亡く(他に意味があってこう書いているとも取れますが)、実衣がかつての夫の思い出と共に生き、兄義時から聞かされた夫の最期を、折に触れて思い出し、あるいは千幡にそれを伝えるのでしょうか。

死んだ全成も気の毒ですが、叔父の粛清という素晴らしいカードをきちんと切れない頼家も苦しくなってきました。
せっかく全成を殺すのならば、その領土なり地位を分け与え、かつ御家人を引き締めるように持って行けたらよかったかもしれない。

この場合全成に直接手を下したのは八田知家であり、そうするように差し向けたのは、比企能員ではないかと思います。頼家は、この叔父がしたことに対して怒りはしましたが、最初は流罪であり、尚も(能員に命じられたとはいえ)、呪詛を行ったため処刑に及んだわけでしょう。それに全成の領地である阿野荘は、嫡男時元に与えられなかったでしょうか。

中国史ならば前漢・劉邦、明・洪武帝が得意とするところです。
功臣粛清なしで王朝を築けないか?
その答えが泰時愛読書『貞観政要』にあります。

ここでまた中国史。中国史について書かないと、このコラムはOKが出ないのでしょうか。この時代は前漢でも明でもなく、日本の鎌倉時代初期です。

で、某カルト教団について触れた後で、ネット会話の「神」についてどうのこうの。

「この脚本家のあの作品は素晴らしかった! だから今度も神脚本になる!」
これも一種の信仰です。
ドラマの出来がいかに悪くなって、脚本家が名義貸しばかりのような実態でも、見る方がひとたび信じれば、その人にとっては真実になります。
私は三谷さんは好きだけれども、別に信じて崇めているわけではありません。
実際に見て面白ければ納得するけど、そうでなければ突っ込む。
それが“信仰”に依らぬ理性での判断でしょう。
今回の『鎌倉殿の13人』には、そんな人間と信仰の本質も見えるような仕掛けがあって面白い。

「“信仰”に依らぬ理性での判断」
とありますが、このコラムを今まで観て来た限りでも、寧ろこの大河は絶対というか、「この脚本を信じています」といった記述も少なからず見られますし、「信じて崇めているわけではありません」などと強調するところも、どうも疑問に思えてしまいます。
そもそも
「今回の『鎌倉殿の13人』には、そんな人間と信仰の本質も見えるような仕掛けがあって面白い」
とありますが、「人間と信仰の本質も見えるような仕掛け」と言うのは、具体的にどういうことなのでしょうね。そういう仕掛けがあるのなら例を挙げてほしいのですけど。

また義経が登場していた回などは、義経と重忠はイケメンでどうこうと、『花燃ゆ』や『青天を衝け』で批判していた点をここでは評価していてダブスタだなとは思います。あと「ドラマの出来がいかに悪くなって」は、『平清盛』と『カムカム』の脚本家さんのことでしょうか。

そして
「でも、だからこそ「神回」とか「神脚本」という呼び方は好きになれない。
信仰ではない理性で判断することも必要なので」
なのだそうですが、別に神回、神脚本でもいいと思います。ファンによっては、そう呼びたい時もあるでしょうから。寧ろこうい意見に対してあれはいやだ、アンチのは見たくないなどと一々言うのであれば、ドラマのライターなどなさらない方がいいのではないでしょうか。すべてが武者さんの理想通りに進むわけではないのですから。

そしてまた『麒麟がくる』。

『麒麟がくる』の光秀もそうですが、義時も“巻き込まれ型”です。自分が先頭に立ち、かっこいいリーダーシップを発揮するわけでもない。
しかし、結果的に何かしている。
大河の主人公といえば颯爽とした笑顔で、さわやかに活躍するイメージがあるかもしれない。
それが結果として受け身で、どんどん目から光が消えていく……ってのは一体どういうことなんだ。
そんな中で、義時が己の使命に覚醒しましたね。
「ようやく分かったのです。このようなことを二度と起こさぬために何をなすべきか。鎌倉殿の元で悪い根を断ち切る、この私が!」
義時はものすごく我慢している。耐え抜いている。いつもギリギリだ。

これ、あらすじの方では「義時にはビジョンがない」と確か書かれていたと思いますが、ここで「結果的に何かしている」とあります。要は光秀は一旦壊れた体制の再生を夢見ますが、義時の場合は出来上がりつつある体制の死守ということであり、守るということは、妨害する勢力を根こそぎ封じてしまうわけですから、このようなセリフになるわけです。
それと義時も当初はいささか地味ながらさわやかな印象でした。大河の主人公は、大体夏から秋頃にかけて、人生の大きな課題に直面し、年齢も重ねてさわやかさは失われて行きます。何度も書くようですが、武者さんの嫌いな大河の主人公もまたしかりです。

それと
「義時はものすごく我慢している。耐え抜いている。いつもギリギリだ」
何だかこういう部分の表現が、失礼ながら幼稚な感じですね。義時は最早鎌倉幕府にあだなす者に容赦はせず、常に構えるようになったというところでしょうか。

比企一族との対峙については、よりえげつない設定に進みそうな本作。
次週以降、さらに救いがないでしょうから、身構えておきたいところです。

というか、もう大体どのようになるか予想はついています。比企能員の変が次回ですね。でさらに頼家の死、和田義盛の討伐と続いて行くのでしょう。

今年の大河は日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』路線であって欲しい。そんな願いが叶いつつあります。
主人公の目から光が消えるという意味で、司馬懿主役の『軍師連盟』にも近い。

別に大河は『ゲーム・オブ・スローンズ』でも中国映画でもないし、またそうある必要もないのですけどね。
他にどのような映像作品を観ようが武者さんの勝手ですが、なぜこういう明らかに違う文化、違う時代設定のものになぞらえたがるのでしょう。

追い詰められたらどんだけ酷いことをするか、義時は証明してくれます。
全成は誰も恨むなと言った。義時は恨むことすら忘れている。
ただ害虫の巣を焼き捨てるような動機と衝動で、これから血塗られた道を歩むのみ。
義時を怒らせた連中が悪いのです。

追い詰めるというより、それぞれ守る領分があって互いに譲れないということでしょう。義時は恨むことすら忘れているのではなく、私怨というのがプラスにならないからではないでしょうか。例えば比企能員は多分に私怨に囚われている感があり、その辺りが能員と義時がかなり異なって見える一因かと思われます。

しかし
「害虫の巣を焼き捨てるような動機と衝動で、これから血塗られた道を歩むのみ」
もうちょっと表現を工夫できないでしょうか。「風雲急を告げる中、彼は今後獅子身中の虫というべき存在と対峙し、やがてもっと大きな存在にも戦いを挑むことになる」と、一応書いておきます。
それと「義時を怒らせた連中が悪い」というのは思考停止に過ぎますね。相手にも道理があるし、逆に義時に嵌められた人もまたいるでしょう。武者さん、最近あまり引用しない『八重の桜』の、「西国諸藩にも義がある」という意味の言葉、時代は違いますがあれにやや近いかと。

飲み物-マグとビール
[ 2022/08/12 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』新キャスト

先日ちょっとだけご紹介した『鎌倉殿の13人』、完結編のキャストです。改めてリンクを貼っておきます。

【第七次】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
新たな出演者決定!

登場人物は以下の通りです(出演者敬称略)

のえ(義時の3人目の妻)- 菊地凛子
土御門通親 ー 関智一
平賀朝雅 - 山中崇
初(泰時の妻) - 福地桃子
藤原兼子 - シルビア・グラブ
せつ(頼家の側室) - 山谷花純
つつじ(頼家の正室) - 北香那
トウ - 山本千尋
慈円 - 山寺宏一
源仲章 - 生田斗真

シルビア・グラブさん、『真田丸』に続いての大河出演です。山中崇さんは、『ちむどんどん』の東洋新聞学芸部の多良島デスクですね。生田さんは未だに『軍師官兵衛』を思い出します。

またパペットホームズの声優さんが、2人追加されたことになります。

宮沢りえさん - アイリーン・アドラー
浅野和之さん - ロイロット先生
梶原善さん - ベッポ
堀内敬子さん - ハドソン夫人
迫田孝也さん - マクドナルド警部
そして
関智一さん - ラングデール・パイク
山寺宏一さん - シャーロック・ホームズ、マイクロフト・ホームズ、トビー(犬)、トンガ(猿)、ベイカー寮遊撃隊
(尚三谷さんも声優として、『恐怖の谷』を基にした「ダグラスさんのお屋敷の冒険」のダグラス氏の声を担当)

しかし山寺さんにはやはりナレを担当してほしかったです。状況に応じて声を使い分けるという方法もあったかと思いますし。この人は海外ドラマの吹き替えも好きですね。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/06/12 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 43(コラムと『平清盛』)

『武将ジャパン』大河コラム、第18回への疑問点その2(後半部分)です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第18回「壇ノ浦で舞った男」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/05/09/168125

壇ノ浦の合戦後ですが、まずこういう表現が出て来ます。

根源的な業を感じる映像が続きます。

このコラムに少なからず感じていることなのですが、この文章もどこか日本語として不自然さがありますね。「人間の業の深さを感じさせる光景」とかでいいのでは。
それから、今回からコラムの文章をあまり簡略化せず、原文に近い形で引用しています。ただ文章そのものがあまりに長い場合は、一部略しています。あと先日投稿分を少し修正しています。

では本題に行きます。

1.モヤモヤしているけれども、正面切っては言えない。重忠ほど真っ直ぐに何か疑念を呈することすらできない。
かといって景時のように罠にかけるわけでもない。敢えて軽く撫でるようなことを口に出してしまう。
もしも『麒麟がくる』の光秀のように思想があれば、何がどう悪いのか敢えて諫言をするのかもしれないけれど、義時はそうはできない。

2.義経も、頼朝も、父の仇討ちまでは人生の計画にあったのでしょう。
それが無くなり、どっと虚しさを覚えている。英雄だからこそ小さく、弱々しげに見える。そんな複雑な姿があります。

3.しかし、法皇はさして気にしていない様子で、宝剣は見つかるかもしれないし、帝が死んだとも限らないって……そんなわけがないだろうに。

4.時政は義経が強すぎると見抜いています。2~3回負けていたら大きくなると言いますが、それはどうでしょうか。義経の場合、あまりにスケールが大き過ぎて、負ける時は死ぬ時だけのような気もします。

5.これだけでも十分酷いですが、義経は平家一門の蕨姫まで寵愛していたと言います。なんとも気の毒な話ですね。
頼朝の女癖とも違うけれど、こちらも十分に酷い。

1、また『麒麟がくる』との比較ですか…。義時は立場上言えることと言えないことがあり、その辺が御家人とは違いますし、ましてや戦国時代の人間である光秀とは違って当然でしょう。思想があれば云々の問題ではないと思います。

2、頼朝の場合、その前に義経が帝や神器を失ったことに不満を盛らす「公」の姿があり、その後で純粋に平家の滅亡を喜ぶ「私」の部分を描いているのではないかと思います。義経はその意味での喪失感はあまり感じず、今後の身の振り方を迷っているように見えますね。

3、この場合帝といえども生死はわかりませんし(替え玉、あるいは生き延びたということも考えられる)、神器も沈まずに存在しているかどうか定かでない以上、話をいくらかぼかさざるを得なかったのではないでしょうか。

4、義経はスケールが大きいと言うよりは、時が味方した部分、そして平家が弱かった部分も大きいです。特に一ノ谷の後はそうでしょう。「負ける時は死ぬ時だけ」というのは奥州合戦のことなのでしょうが、ならばもっと具体的に、その反動として奥州で、兄頼朝との合戦では不運続きで、最後には自決という方法を採らざるを得なかったとでも書いてくれればいいのに。

5、蕨姫は平時忠の娘ですね。機密文書と引き換えに義経の妾になったとされていますが、この人はその後離縁したとも言われています。それに比べれば藤原伊子(松殿伊子、冬姫)の方が、京に進軍して来た義仲の正室にされ、さらにその後源通親の側室になったとされていますからもっと気の毒かと。尚この人については、創作とする説もあります。それとこの当時は、多くの女性を娶ることはそこまで倫理上問題があるともされていなかったでしょう。

6.法皇は、かわいらしく、そばにいて欲しい、鎌倉から帰ってこないのではないか?と訴えます。そんなことはないと否定する義経……って、なんなの、ラブコメか!法皇がなぜかわいいのか、私にはもう理解できない。

7.宗盛は「人が一生で出来るあらゆる楽しみを味わってきた、未練はない」とキッパリ。ただひとつ、我が子の清宗が気になってはいるようです。(中略)うーん、なんという宗盛。これは大したものです。どうしても兄・重盛と比較して、賢兄愚弟とされがちな人物ですが、本作の宗盛は聡明かつ高潔でもあるようだ。
確かに平家を率いるものとして、財力と権力を使い楽しいことはいくらでもできたでしょう。
しかし本当に貪欲でどうしようもない人物は、足りることを知りません。こうもキッパリと未練がないと言えるのは大したものだと思います。

8.(7の続き)宗盛は悲しげに言います。兄が生きていればこんなことにはならなかった――と、自身の拙い采配を認めるような、謙虚で責任感のある人物です。

9.(8の続き)平家一門同士の格差もなかなかえげつないものがあり、団結していたわけでもありません。
しかし本作は源頼朝と敵対する側をクリーンにすることで、権力の醜悪さを描いていると感じます。
頼朝と義経にはない美しい兄弟愛がそこにはあります。

10.丹後局が提案した策の中身に勘付いているものの、それはあくまで義経の考えたことだと思い始めている。この兄弟は信じ合えない。義経に野心があるとは思えない!と必死に打ち消そうとします。景時はそれでも鎌倉に入れてはならないと主張。義時が、ありえないとさらに主張すると、景時は凄みます。
「言い切れるか?」
景時らしい狡猾な追い詰め方ですね。こんな風に煽られたら、そう簡単に「絶対」とは言い切れず、一瞬立ち止まってしまうのが人情でしょう。

6、法皇が「かわいい」のですか、それは武者さんの主観に他ならないでしょう。どう見てもお前がいないと困る、ここにいてくれと同情を買おうとする作戦のようですね。しかし後白河法皇といえば「天狗」ですが、この法皇様は「狸」のイメージです。

7、宗盛が「一生で出来るあらゆる楽しみを味わってきた」時期は、頼朝が伊東祐親の監視下で流人生活を送っていた時期でもありました。頼朝が権力を誇示しようとするのも、彼の今までの人生経験に裏付けられたとも考えられます。

8、ここで宗盛が言いたいのは、戦の采配のうまいへたよりは、重盛が生きていたら父清盛を諫めることもでき、ここまで平家が増長はしなかっただろうし、法皇にも節度を持って尽くしただろうということでしょう。

9、「権力の醜悪さ」に関しては、2つ前で少し触れています。頼朝と義経にはない美しい兄弟愛とありますが、それを裏付けるだけの平家の描写がないのが惜しまれます。三谷さん、ここでそれを言わせるのなら、もう少し平家についての描写を増やしておくべきでしたね。

10、ここも「義経の考えたことだと思い始めている」を裏付けるセリフがないのですが。それと義時と景時、前にこの2人について書いていますが、景時に比べると、義時は「情」にほだされがちなところがあり、それがこの両者の違いにつながっています。当然意見も異なるでしょう。それとこの場合狡猾と呼ぶより寧ろ「冷徹」ではないでしょうか。

11.義時は景時に反論します。義経はただ兄と会って話たいだけだ。しかし景時には別の理論があります。「戦場で義経の戦いぶりを見ただろう」と迫ってくる。
景時が正しいと思えるところが厳しいですね。漕ぎ手を殺し、武士の道に反し、暴走して帝と神器を海に落とした。信じろと言われてそうはできないことも確かです。景時はまたも信心深い理論を持ち出す。
義経は神に選ばれたお方。頼朝もそう。二人が並び立つはずがない。
両雄並び立たず――ということでしょう。

12.宗盛はりくを昔六波羅の館で見かけたと言います。そして鎌倉の暮らしを尋ねると、りくは京都暮らしの自分はまだ慣れないと苦々しく言い切ります。対面はあっさりと終わりましたが、時政が妻の言葉にギョッとしています。

13.「不思議なものだな。こうして父の敵を討つことができた今、宗盛の顔を見ても何の怒りも湧いてこなかった。むしろあの清盛の顔と重なり、幼き頃に命を救ってもらったことに感謝していたくらいだ……」
そしてあの頼朝が……上総広常をあっさり殺し、源義高に追手を放った男がこうきた。
「死罪は勘弁したいところだが、まあ、そういうわけにもいくまい」

14.京都で源氏として恥じぬ生き方をするのだと。
「私は検非違使尉、九郎判官義経だ!」
そう言い切る義経の前に、藤平太たちがやってきて、大勝利を讃えています。
懐かしい顔だと喜び、約束していた芋をたっぷり贈る。
「なんと!」
「食べてくれ」
「九郎殿は大した方だ!」
藤平太は思い出話をしています。義時も微笑みながら芋を頬張る。
義時がかつて目指したものがここにあるのかもしれない。
義時の兄・北条宗時ならば、こうして芋を食べる民を見て、「このために勝った!」と喜びそうな光景がそこにはあります。

15.今週はまたも技巧が効いています。
有名な「腰越状」は偽作説があります。
本当に義経が書いたかどうかは疑義があるため、それをプロットに盛り込みました。
義経の突拍子もないような言動も、近年の研究成果を活かしてのものと言えます。

11、「神に」ではなく「天に」選ばれたお方と言っていますね。
そして戦いぶりを見ただろうと言うのは、武士道を外れたことへの批判より、「天に選ばれた」人物だからああなるのだと景時は言いたいのではないでしょうか。そして並び立つはずがないのは、「天に選ばれたお方」と言うよりは、景時の言う「お二人とも己の信じた道を行くには手を選ばぬ」だからだと思われます。

12、「京都暮らしの自分はまだ慣れない」ではなく「都育ちの私にとってはいまだに全く慣れません」でしょう。りくが京都暮らしなら、なぜ今鎌倉にいるのとなりますよ。11もそうですが、武者さんちゃんとドラマ本編を観ているのか、字幕でセリフをチェックしているのかと思ってしまいます(セリフが字幕通りでないこともありますが)。

13、「上総広常をあっさり殺し、源義高に追手を放った男がこうきた」
とありますが、頼朝に取っては平家との戦が終わったのですから、どこか余裕をもって相手を見るようになるでしょう。広常や義高を殺したのは、最大の敵である平家を倒す前であったことも考える必要がありそうです。

14、この辺は伏線回収と取れますが、
「義時がかつて目指したものがここにあるのかもしれない」
がちょっと具体性に欠けるように思えますし、義経の振舞いは本当に民を思ってのことと言うより、あくまでも藤平太への恩返しでしょう。宗時が出て来るのは、壇ノ浦で平家を滅ぼした後の義時の言葉
「兄は、平家に苦しめられる民のことを思っていた」
とつなげているのでしょうが、これも、平家の圧政に苦しむ人たちの登場シーンが限られていたため、今一つ実感が伴いません。やはり鎌倉幕府の誕生を描くには、平家から始める必要がありそうです。
これなら、時代も舞台も違いますが、『西郷どん』のふきや半次郎の方が、本当に困窮しており、吉之助が民を救わなければと思ったのも納得できます。

15.腰越状偽物説はここ何年か言われていますが、幕府関係者によって後世作られたとも言われているようです。また義経が本当に腰越に留め置かれたのかも疑問視されていますね。そして多くの大河には近年の研究成果は盛り込まれていますが、武者さんは嫌いな大河の場合は、無視しているものと思われます。

それ以外にも小栗さんの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、鈴木亮平さんのことが出て来るのに、嫌いな『西郷どん』の主役だからなのか無視していますし、おまけにまた『麒麟がくる』との比較。あと合戦シーンは『ゲーム・オブ・スローンズ』でも少なくなっていると主張。海外ドラマを引き合いに出すなとまでは言わずとも、何年にもわたって同じドラマを、しかも大河を叩くために出すのは如何なものでしょうね。
また
自分が思う通りにならないからと、「ナレなんとか」と書き込むのはどうかと思います
なのだそうですが、別にそのくらいいいのではないのでしょうか。武者さんも、こういうのを一々気にしていたら、レビュアーなんてできないでしょう。

それから、『平清盛』の脚本担当の藤本有紀さんが、『カムカムエヴリバディ』の脚本を担当して以来、『平清盛』に批判的になっているように見えます。これは、那須与一が登場しなかったというニュース記事(13日投稿分)の後に書かれていたものです。

失敗例としてあげて申し訳ないのですが、大河『平清盛』の場合、序盤に出てきた架空海賊の船が大きすぎました。
海賊如きが持っているとは思えないほど本格的なもので、あれは宋との貿易をするつもりとしか思えないのです。
海上戦闘では特に役に立たない船。
それなのに莫大な予算が注ぎ込まれて悪影響があると感じたものです。

私もあれはかなり大きいなと思いましたが、
「宋との貿易をするつもりとしか思えないのです」
のであれば、それを裏付けることを書いてほしいものです。それと
「莫大な予算が注ぎ込まれて悪影響があると感じたものです」
確かにお金がかかっているとは思いますが、それが「何に」「どのような形で」悪影響を与えるのでしょうか。

それと朝ドラ『ちむどんどん』ですが、このレビューも疑問に思えます。ダメな長男賢秀を無理やり庇っているようですし、朝ドラ小姑などという言葉も出て来ますが、武者さん=小檜山氏も、前作に対してはそうだったのではないでしょうか。あとなぜか、第25回のレビューの後に第22回のが来てますね。

飲み物-白いカップの紅茶
[ 2022/05/14 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』大河コラムの大河と海外ドラマの比較への疑問

『武将ジャパン』大河コラム関連続きです。

ようやく大河が『ゲーム・オブ・スローンズ』以降の世界水準に追いついてきた感があります。あのドラマ以降「我が国にはこんなスゴイ英雄がいた!」という歴史劇は古くなったと思えます。むしろ露悪的なまでに歴史を描き、そのせいで精神が削られてしまう、そんな描き方が大事。野蛮な時代をどう乗り越え、人間の意識をどう矯正したか、そこが大事です。

この『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下GOT)、私は観ていないので何とも言えませんが、そこまでして大河をこのドラマに合わせる必要もないかと思います。そもそも1年物の大河の場合、ファンタジーを基にしたシリーズ物の海外ドラマとは、異なる構成がなされてしかるべきでしょう。
このシリーズを観た方のブログをいくつか拝見したところ、面白い部分ももちろんあるようですが、とにかく情報量の多さや、ちょっとグロテスクな点(暴力やセックス)が辛いという人もいます。本来大河と比較するのなら、こういう点も検討されてしかるべきでしょうが、にもかかわらず武者さんはGOT絶対で話を進め、明らかに異なったタイプの大河に、同じような展開を要求しているのはどうかと思います。

そして『鎌倉殿の13人』の「暗黒面と光」について。尚私は、そこまでこの大河が暗くて救いがないとも思わないし、主人公が成長し、やがて覇権を握るに至るその過程に於いて、経験すべき通過儀礼的なものが描かれているとは思います。コント的な部分がなければもっといいのですが、三谷さんである以上これは仕方ないでしょうか。

中世は人間の規範や道徳心がまだ確立できていない。
そこからどうやって高めていくかを描くことは重要でしょう。
『鎌倉殿の13人』は真っ暗闇のような世界でいて、実はもう光が出てきています。
金剛(北条泰時)です。
彼の母である八重は強い意志と慈愛がある。
義時は悪くいえば流されやすい、よくいえば柔軟な適応性がある一方、八重は頑固なところがあります。
揺るぎないものがある。
八重には世の中をよくしたい意志もある。
義時はこのあと苦しい道を這い上っていくしかないけれど、金剛の中に強さや、世の中をよくしたい優しさを感じて救われると思えます。

これも希望的観測かと思います。武者さんの場合理由が後付けであることが多いのですが、仮にこのように描かれなかったとしても、どうにか帳尻合わせをしてしまうような気がします。中世というか、平安末期から鎌倉時代にかけては、もちろん近世以後に見られるような規範や道徳心はありませんが、この時期は律令の時代から武士の時代へと移行して行く過渡期で、そのため様々なものが未整備ということも関係しているでしょう。
そして金剛、後の泰時が光であるなどと書かれていますが、また前にもこのような文章があったとは思いますが、頼家と実朝は無視なのでしょうか。頼家の時代で比企氏が滅び、実朝の将軍擁立に関連して、父時政と牧の方(りく)が追放されるわけで、その点でもこの2人の将軍は重要な意味を持っているのですが。

なぜこんなことを言うかというと、立ち位置の似た人物である司馬懿主役のドラマ『軍師連盟』のおかげかもしれない。
このドラマの司馬懿も人間不信でどんどん顔が暗くなっていきます。
そしてその後継となる司馬昭は、輪をかけて色々と奸悪。
(中略)
とりあえず連休とVODを利用して『軍師連盟』をみると、まだマシかもしれないと救いは得られると思います。精神は削られますけどね。

このドラマも初めて知りました。無論GOT共々好きな人は好きで構わないのですが、
「精神を削り取られるドラマ」
を無理に観る必要もないかなとはと思います。一般向けではないかも知れないけど、自分はこれが好きですとでも書いておけばいいのではないでしょうか。ちなみに私は時代劇専門チャンネル放送の、北大路欣也さんと斎藤工さんの『剣客商売』を録画して視聴を始めています。


飲み物-アイスコーヒー
[ 2022/05/06 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-58 終わらせるべきか改革するべきか

先日の投稿で『武将ジャパン』コラムの、「性差別的でおっさん向けサービスばかりの大河はパス」と若者が考えたら、日本の時代劇に明日はないという箇所について、飛躍した感があると書いています。そもそも大河がそこまで「性差別的」とも思いませんが、ただ私は、来るべき時が来れば大河は終わってもいいと思っています。前にも書いたように昭和的なビジネスモデルだし、公共放送であるため受信料で作るいう制約もある上に、受信料をそこまで使って作るべきかという疑問もあります。

これがスポンサーをつけられるのであれば、もう少しお金をかけられるのですが、もちろん仮にそれができても、視聴率が悪ければアウトです。ならばNHKを課金制にして、一定のプランに加入すれば、定額で毎月大河を観るという方法もあって然るべきでしょう。しかしこの場合も面白くなければ、途中で解約する人も増えるでしょうし、それで成り立たないのであればもうそれまでとなるか、また別の方法を模索するかになります。NHKも長寿番組をどんどん終わらせていますが、経費削減を考えるのであれば、大河の見直しも当然検討されてしかるべきでしょう。

大河の黄金時代は、TVの黄金時代とも重なります。70年代ごろから90年代頃までは、確かに全員で大河を1年かけて観るケースは、今よりも多かったでしょう。しかし今の時代、家族全員がそろって同じ時間にTVを視聴するわけではありません(三谷さんはそれを希望しているようですが)。それと必ずしも、毎年1年間必ずやる必要もありません。たまには休みを入れて、何年かかけて完結させるという方法もあります。

ところで大河がいつまで続くかは知りませんが、大河ファンの中には、私が勝手に「ヴィンテージ大河」と呼んでいる、1970年代から90年代頃、特に80年代後半頃に高視聴率を記録した大河を懐かしむ声もあるようです。かといって、今こういうのを再現するのはかなり難しいと思います。経費の問題に加え、リメイクしても往々にして昔のと比較されがちですし、今は過激あるいは露骨な表現もできないこともあり、路線変更はやむを得ない部分もあります。また私の場合、大河のみならずエンタメ作品は、必ずしも昔の作品が優れているとは思わないというのも、理由として挙げられます。

それで思い出すのが、ジェレミー・ブレット主演のグラナダ版ホームズです。無論、ホームズシリーズと大河は様々な点で全く異なるわけですから、あくまでも参考として出しておきます。かつてホームズ作品が連載された、『ストランド』誌の世界観そのままのこの作品は、今も再放送されていて、古典的(ただし原作はいくらかアレンジされている)なホームズのイメージです。それに対してBBC版の『SHERLOCK』は21世紀のロンドンが舞台です。そもそもマーク・ゲイティスが『ドクター・フー』に関わっていたこともあり、斬新なイメージのホームズを打ち出して、しかも自身が演じるマイクロフト・ホームズを前面に出したという点で、それまでのホームズのイメージを塗り替えた感もあります。

結局過去の作品と同じ土俵で勝負しても、様々な点で昔と今は違いますし、どうしても比較はされるわけですから、思い切って発想を転換し、また数年に1度のシリーズでの制作という方法も検討されてしかるべきでしょう。無論この手の発想が、すべて大河に馴染むかどうかはまた別ですし、それはそれでまたリスクを伴うものではあると思われますが、数字をもう少し上げたいとNHKが本気で考えているのなら、根本的に手を入れる必要もまたあるでしょう。

飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/03/27 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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