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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムその3です。


三浦按針がやっと和服を着ました。
「どうだ! お前が前回文句つけてたけど、ちゃんと和服になったぞ!」
そんな風に言われそうですが、これだけ時間が経過していたらそうなるでしょう。

時間が経過したと言うより、三浦按針という武士になって所領を与えられたからではないでしょうか。

むしろこれだけ時間経過しながら、まだ時計の話というのは一体何なのか。
そう思っていたら、もうどうしようもないことを言い出しました。
大筒をここで三浦按針に調達させたいってよ。三浦が「あれは威力が大きい」と心配そうな表情ですが、問題はそこですかね。
あの時点で発注して、大坂の陣に間に合うのか? どういうルートで、誰に依頼するのか?

まず時計の話は慶長17(1612)年です。
そして大筒は、大坂の陣で使われています。これは慶長19(1614)年です。イギリス(イングランド)から購入していますが、2年あれば届くのではないでしょうか。

尚これに関しては、大砲がイングランドで大量生産できるようになったという背景があります。こちらを置いておきます。

徳川家康が購入し、大阪冬の陣に使用した、カルバリン砲について知りたい。
(レファレンス協同データベース)

そして
「当時はまだAmazonショッピングはできませんからね」
Amazonで兵器を扱っているのでしょうかね。
武者さんらしいというか、ご本人は相当イケていると思っているのかも知れませんが。

そもそも関ヶ原の時点で大砲はありました。BBC『ウォリアーズ』ではそうちゃんと描かれていたものです。

何も『ウォリアーズ』を引き合いに出さなくても、関ケ原の石田三成隊の大砲で、黒田、細川といった東軍諸将は苦しめられているはすですが。
そしてまた他作品PRですか。まあこれは後に置いておくとして。

文禄・慶長の役でも、明軍のフランキ砲が猛威を振るっている。明は瓦解が急激だったせいか日本では過小評価されがちだけれども、軍隊としては十分精強です。
そこを踏まえて、家康がドヤ顔で「すごいこと思いついた!」的に表現されても、悲しくなるばかりです。

大坂の陣で家康が購入したのはカルバリン砲とセーカー砲で、フランキ砲よりも高性能です。
家康がなぜカルバリン砲に決めたのか(三浦按針が助言したとも言われている)はともかく、高性能の大砲を入手できたkとが、徳川を利したとは言えそうです。

では、なぜこんなお粗末な展開になるのか?
というと、本作の制作者が必要最低限しかやらないからでしょう。
大筒を撃ち込まれて茶々が絶望する話の前フリとしてしか意識していないため、せっかくの大筒も活かせないでいる。

お粗末とか必要最低限とか言う前に、自分でちゃんと調べたらどうですか。
尚、以前『葵 徳川三代』関連投稿で使った画像ですが、もう一度置いておきます。

葵徳川三代アバン1 


葵徳川三代アバン3

葵徳川三代アバン2

時計の仕組みを知りたい――そんなことを突然、アリバイ的に言い出す家康がどうしようもありません。
本当に、物事に没頭する好奇心旺盛な人物は、周囲の空気など気にせず、後先考えずに分解します。やらかします。朝ドラ『らんまん』でも、そんな描写がありました。
人生経験の浅い幼少期に「人と違う適性が出てくる」ことは、『麒麟がくる』でもきちんと表現できておりました。
松平竹千代のころから家康は沈着冷静だった。織田信長は幼少期から母の大切なものを破壊して、周囲から「うつけ」とされた。

家康は時計好きだったとは言われますが、特にこの時計はリーフデ号の救助のお礼として、スペイン国王フェリペ3世から贈られたものです。

家康公の時計
(久能山東照宮)

そういう時計をいきなり分解するものでしょうか。
そしてこの時点では、家康は大坂の出方を意識せざるを得ない状態であり、分解して中身を調べる暇などないはずです。なぜこのような例を引っ張り出してくるのか、理解に苦しみます。

幼少期から今に至るまで変わらない家康の個性ですか。女のことばかりを考える下劣さですかね。

これまた随分失礼な話かと思いますね。
ちょっと問題ではないでしょうか。

今川氏真が出てきて「家康は木彫りが好きだもんな」というのもよくわかりません。
このドラマは複数名がやたらと木彫りをしていますよね。むしろブームじゃないかと思うほど木彫り。なんでも木彫り。

木彫りのように手先で細かいことをやることが好き、つまり時計のように、細かい部品で動く道具が好きとなるわけですが、この場合は寧ろ、木彫りで兎を作っていた頃の自分を知るのは宗誾(氏真)だけになったと、時の移ろいを身をもってかんじているのでしょう。

連歌もねえ、
能もねえ、
読経もねえ、
書道もねえ、
趣味といったら木彫りだけ!
オラこんな大河嫌だ!
思わずそう歌ってしまいたくなるほど、木彫りまみれの本作。

だったら、以上の5点が登場する大河を観ればいい話です。
それこそ毎回のように言っていますが、観たくなければ観なくていいですよ。その代わりお仕事がなくなりますけどね。

石川数正も仏像を掘っていたし、マザーセナの木彫りウサギは、慈愛の国教団の重要な収入源である聖遺物じみていた。
これで家康の個性と言われてもなぁ。

宗誾の登場シーンを観ていたはずなのに、何もわかっていないのでしょうか。
あの戦無き世は、そもそも王道を唱える今川義元の言葉であり、瀬名も今川家つながりである以上、義元のその言葉に何らかの影響を受けていたのでしょう。彼女は別にカルト教祖でも何でもないわけです。

というか、武者さんがこの大河を叩きたくてたまらないから、勝手にそう決めつけているだけの話です。一方で自身は特定のメディアにご執心のようで、せっかくの大河コラムを進んでゴシップまみれにしていますね。

で、このすぐ後にこういうのが出て来ます。

今さら王道と覇王でどうする
結局このドラマの「王道」って「今川氏真が今から言い出したこと」扱いで気が遠くなります。

まず、氏真でなく義元が言ったことではないでしょうか。
この中で氏真(宗誾)は
「戦なき世を作り、我が父の目指した王道の治世」
と言っています。

それで不満ならば、せめてプロらしく
「義元は王道の治世を目指しており、元康に王道と覇道の違いを尋ねていました。ちなみにこれは元々は孟子が提唱したものです」
くらいに書いておけばいいと思います。

にもかかわらず気が遠くなるだの何だの、ならばこの大河が終わるまでそのままでいてくれないでしょうか。

『青天を衝け』では孟子の言葉や、一部の儒教思想そのものを「渋沢栄一が思いついちゃった教えだよ」扱いしていて絶望したことを思い出しました。
『麒麟がくる』では出典を明かしていたのに。
漢籍由来の概念を、引用も出典もなしにやらかし、自分たちが思いついたように言い出すのは、恥辱としか言いようがありません。

『青天を衝け』の場合、第何回かがちょっと不明ですが、仮に栄一が儒学で学んだことを口にしても、その当時の人が、それを栄一の言葉だと信じ込むでしょうか。
そして『麒麟がくる』では出典云々。どの回で出典は何であったか、そこまで書くべきでしょうね。

最終盤まで人物設定すらブレブレじゃないですか。そんな最低限のことすら真っ当に表現できていない。
誤魔化そうと番宣だのSNS対策だのやらかそうが、無駄なものは無駄です。

人物設定がぶれていると言うより(別にぶれていませんが)、武者さんが無理やり叩こうとして、どこかおかしくなっていないでしょうか。
そして
「誤魔化そうと番宣だのSNS対策だのやらかそうが、無駄なものは無駄です」
これはNHKがやっていることで、貴方とは直接関係ありません。放っておけばいいのではないのですか。

脳内で諸葛孔明が「恥ずかしいとは思いませんか?」と煽ってきます。私はもう、血反吐を吐いて倒れそうだ。
思えばこのドラマって「中華料理は和食に分類されるんですよ!」と言い出しちゃった陰謀論者みたいなノリがずっとある。

血反吐を吐いて倒れそうなら、どうぞそうしてください。別に共感はしませんが。
そして「中華が和食に分類される」のは陰謀論なのでしょうか??

漢籍知識が盤石な『麒麟がくる』から、わずか数年でなぜこんなことになってしまうのか。

大河は1年単位で変わります。当然スタッフも変わるわけですから、その年によって違いが出るのは当たり前でしょう。ただ単に特定の作品にしがみついていたいのなら、それに特化したコラムを作って、その中で満足していてください。

説明セリフか、主演俳優が「俺がんばってます!」とアピールするプロモビデオでしかない。
だから敬語の使い方もおかしいし、何も心に響かない。古典の引用なんてするわけもない。誤魔化すようにピアノもやたらと重なる。
いわばコスパ重視で、いかに真面目にやらずに、テキトーに誤魔化すかばかりを追い求めているようだ。
子どもの教育に有害どころか、大人の精神までおかしくします。

1つ前でも書いていますが、武者さんがドラマをきちんと観ようとせず、ただ単に叩くためなら、他の場所でやってくれませんか。大河コラムは貴方の日記帳でも個人ブログでもありません。

この年齢になって、ドスのきいた声で、見下ろすように王道と覇道の話をする。
これしか漢籍教養が身についていないって、絶望しかありません。林羅山を出して『貞観政要』すらやりませんからね。
なぜ林羅山を出したのか……理解に苦しみます。

林羅山を出したのは、あらすじと感想にも書いていますが、方広寺の梵鐘の銘に関してでしょう。これで羅山は、「国家安康」を呪詛であるとしています。

大坂冬の陣のきっかけとなった「方広寺鐘銘事件」とは?|豊臣と徳川の決裂を決定づけた出来事【日本史事件録】
(serai.jp)

また『貞観政要』ですが、これを江戸で家康に講義したのは藤原惺窩です。

(相国寺)

大坂城には稽古場すらないのか?
秀頼はなぜ、母と妻の前で武術稽古をするのでしょう。
「やっぱりイケメンが部活するとさー、女子が騒ぐじゃないw」
高校時代を思い出しつつニヤニヤする、そんなくだらない妄想のためでしょうか。

すみません、どこからそのような発想が出てくるのでしょうか?
何かと言えばジェンダーだポリコレだと言う武者さんの、つまりこれが本音と捉えていいのでしょうか・

それに総大将が武芸を習ってドヤ顔というのも恥ずかしい。
徳川家康は柳生石舟斎を呼びだし、「無刀取り」の境地に感服しました。そしてその子である宗矩を召し抱えています。
剣の腕前の中に、精神性を見出した――それのみならず柳生は監視役としても有能だった。
それが武芸を用いるべき用途であり、こんなモテモテしか考えられないとすれば絶望的です。

秀頼はこの時まだ総大将ではないし、ドヤ顔でもありませんが。
そしてこれ秀頼の武芸なのですが、なぜここで家康を引き合いに出すのでしょうか。柳生氏の新陰流は将軍家の剣術なのですけど。(あと疋田新陰流というのもあります)

本当に幼稚で頭が痛くなる。

どこが幼稚なのか知りませんが、本当に頭が痛ければ、まずこんな文章は書けませんね。第一、書こうという気にもなりません。


飲み物ーホットワイン
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[ 2023/12/01 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

白内障と料理長、そしてヒロインたちの失敗

『どうする家康』第44回で、本多忠勝が書状を読みづらそうにするシーンが出て来ます。あらすじと感想では、老人性白内障かと書いていますが、一口に白内障と言っても様々なようです。外傷によるものや糖尿病によるもの、さらにアトピー性皮膚炎が原因というケースもあるようですし、それ以外に薬剤によって起こることもあります。

白内障と言えば、個人的に『ダウントン・アビー』を思い出します。以前もちょっと書いてはいるのですが、グランサム伯爵家のパットモア料理長がこれにかかり、お客に出すローストチキンを取り落として、猫に持って行かれそうになったり、イチゴに砂糖と間違えて塩をふりかけ、そのまま出したりしています。

この砂糖と塩を間違える件、その前に『若草物語』が登場しており、どうもこれが伏線のようでした。と言うのもこの物語で、4人姉妹の次女ジョーが、やはりイチゴをお客に出す時、添えるクリームに砂糖ではなく塩を入れてしまう場面があるためです。

もちろんジョーの方は目が悪いわけではなく、間違えたというのが正しいのですが、これと似た場面が『赤毛のアン』に登場します。この時は、アンが風邪でにおいがわからず、バニラエッセンスと間違えて、痛み止めの薬をケーキに入れてしまう場面が登場します。もちろんぱっと見にはわからないため、お客である牧師夫妻にそれが勧められます。

しかしお客の反応がおかしいため、間違えて薬を入れたことが判明します。他にもダイアナに間違えて果実酒を飲ませて酔わせたりもしたこともあります。また時に彼女の想像癖が災いすることもあり、パイをオーブンに入れたまま黒こげにしてしまうなどとというのもありました。

ちなみにこの時のアンの想像なるものが
「私は魔法をかけられたお姫様で、寂しい塔へ閉じ込められているところへ、ハンサムな騎士(ナイト)が真っ黒な駿馬に乗って救い出しに来てくれるのよ」
(松本侑子訳、文春文庫)
この当時(19世紀後半-作品中でヴィクトリア女王がカナダの君主であることから)らしいファンタジーと言うべきなのでしょうか。この後でも、アーサー王物語をベースにしたテニスンの詩が登場したりしていますね。


飲み物-冬のティータイム
[ 2023/11/27 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

このページでは例によってと言うべきか、『大奥』と『麒麟がくる』を叩き棒にしまくっています。ワンパターンだなと思うと同時に、叩き棒にされているドラマに失礼だと思いますけどね…武者さんがこれらの作品を本当に好きなのか、疑ってしまう所以です。

千姫がわざとらしく走ってきて、江が追いかけてくる。
いったい乳母はどうしたんですか。こんな大事な存在を放置して、一体なんなんでしょうか。

まず「わざとらしく」走って来るも何も、あの年頃の女の子としては普通に走っていると思いますが。逆に「わざとらしくない」走り方とは、具体的にどういう走り方なのかと思います。この「わざとらしい」も、嫌いな作品を叩くうえで武者さんはよく使いますね。

そしてこういうところまで乳母が来るでしょうか。千姫は、身内である「おじじ様」の所へ行こうとしているのです。たとえばどこか危険な所へ行こうとしているのであれば、監視役としての乳母は必要でしょうが。

家族関係の描き方がせいぜい昭和なんですよね。
乳幼児死亡率や危険性もふまえていない。本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう。
高齢者への敬意もないし、精神状態が中高生程度で止まった妄想ばかりにも思えてきます。

これもちょっと意味不明ですが、まず
「本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう」
こう書くからには、武者さんは育児経験がおありなのでしょうか。ならば、自身の育児経験と照らし合わせて、何がどのように違うのかを説明してほしいです。

そして乳幼児死亡率だの危険性だの書かれていますが、1つ前に書いているように、千姫は特に危険な所へ行こうとしているのではないし、また重篤な病気に罹っているわけでもありません。

それから高齢者への敬意ですが、これは先日分の於大に関してでしょう。あの時家康は、お前にはつらいことも言ったと後悔する於大に、体を労わるようにと薬湯を煎じて飲ませています。一体、どこが「敬意がない」のでしょうか。

何よりもここで唐突に
「家族関係の描き方がせいぜい昭和」
「精神状態が中高生程度で止まった妄想」
などと出て来ます。
「せいぜい昭和」とは、昭和の頃の大河で子供や高齢者を虐待する作品でもあったのでしょうか。ならばどの作品か教えてほしいものです。
あと「精神状態が中高生程度」、さっぱり意味がわかりません。叩こうとしてあれもこれも詰め込んだ結果、よくわけがわからない文章になっていませんか。

千姫があそこまで怯えているのは、嫁ぎ先が嫌だからのようです。しかも、江が子どもの前でペラペラと語っていたようなんですね。
秀頼の母である茶々は、江の姉です。まだ幼い江を庇ったことだってあった、そんな大事な姉です。
その姉の悪口を我が子に吹き込むって、性格が歪んでいませんか?

ここで千姫の言葉をもう一度。
「母上がいつも茶々お姉様は怖い怖いと、何を考えているかわからぬと」

恐らくは、子供の頃から気が強い姉の茶々を見て育ったこと、そして今も豊臣家の女あるじとして振舞っていることを考えれば、彼女に取っては及ばない相手でもあり、そのため恐ろしい人であることよ程度は言ったかも知れないでしょう。それを耳にした千姫が、話を膨らませて解釈した可能性はあります。

そしてお江は、初(後の常高院)が同行してくれることもちゃんと話していますね。ただ千姫はおじじ様の側にいたいようです。

思えばこのドラマはそんな家族ばかりでした。市も娘の前で「本当は家康さんが好きだったの」とかペラペラ喋っていた設定でしたもんね。
歴史人物への敬意が全く感じられないのです。

「本当は家康さんが好きだったの」
なんて言っていませんけどね。
第30回で母上はよう昔話をしてくださいましたと茶々が言い、その昔話の内容とは、胴をつけて泳ぐ稽古をしていて、溺れた自分を竹千代が助けてくれたことだったわけです。

「歴史人物への敬意が全く感じられないのです」
ブーメランですか?

思えばあのマザーセナからして両親が死んだ後もケロッとしていましたし、そのマザーセナのことすら家康は忘却の彼方。
あれだけベタベタといちゃついておきながら、仏壇の前で手を合わせる場面すらありません。
打掛で走ってくる江の所作にしても、『大奥』と比較するとあまりに厳しい。
茶々の打掛の翻し方も、全く美しくないんですよね。輝元をひっぱたくし、メイクはギトギトだし、これのどこが貴婦人なのでしょう。

また「マザーセナ」ですか。
そしてこれ、忘却の彼方ではないのですね。於大とのシーンの中で、この瀬名のことを示唆するようなセリフがありますし。
それから仏壇と言いますが、全国的に仏壇が普及したのは江戸時代ですよ。これは檀家制度とも関係がありますが。寧ろ貴方が何かにつけて揶揄する、石川数正の押し花と正信念仏偈に、瀬名への思いが込められていたとは言えます。

また茶々は身分が高いからこそ、輝元を打ち据えることができたのですが。
そして所作が『大奥』と比べてひどいと言うのなら、画像を貼るなりして比較できるようにしてください。

秀頼と千姫の婚礼描写も、『大奥』の家定・胤篤と比べたら、ただの手抜きにしか見えません。
時代劇ファンの皆様は『100カメ 大奥』もご覧になられたかもしれませんが、「神は細部に宿る」とはまさにこのことで、本作と比較して驚くばかりだったでしょう。

「秀頼と千姫の婚礼描写」
そんなシーンありましたか?
慶長9(1604)年に秀頼の背丈を測った時、既に千姫と結婚していたというシーンならありますが。
要は、千姫が大坂に行くのを嫌がるも家康に窘められる→秀頼と結婚して背丈を測る場に立ち会う→秀忠が千姫のことを真っ先に家康に尋ねて叱られる。
こういう流れでしょう。

それと私100カメ観ていないから何とも言えません。

『大奥』にできて『どうする家康』にできない、そんな言い訳は通用しないはずです。

元々描かれる時代も人々も違うから、一概に比較はできないと思うのですけどね。

家康って、他社への親切な接し方が女性相手だといつも同じ。
キザでスカしたイケメンプリンスしかありません。
年上の母親相手だと「ババアかw」となるし、茶々は悪役なので「このバカ女がw」と感じさせます。
年下かつ好感度を見せなければいけないとなると、「俺に惚れんなよ」スイッチが入る。

「他社」は他者のことだと思いますが、完全に武者さんの主観でしかありません。
要はこれも、家康はこのように見られてほしいという、武者さん自身の「願望」なのでしょう。

しかし、千姫相手にそのスイッチを入れてしまうと、とてつもなく恐ろしいことになります。
この二人の場面は、祖父と孫娘には見えない。不気味な下心のあるおじさんと少女に見えてしまいました。
怖すぎます。

どこをどう見たらそのように見えるのか、皆目不明です。
私の場合、家康が千姫に取ってちょっと甘いおじいさんであること、千姫もこのおじじ様を頼っていたいということはわかりますが。

関ヶ原本戦の描写は、どう逆立ちしたって本線がBBC『ウォリアーズ』の圧勝であることは予想通りでした。
まぁ覆せるわけもないし、そこは最初から諦めていました。
しかし、親子の情愛の描き方まで完全敗北とはどうしたことでしょうか。
『ウォリアーズ』では、秀忠遅参のあと、家康は我が子・信康の死を思い出し、秀忠を助命する決意を固めます。そこには揺るぎない親子愛がありました。

この『ウォリアーズ』もここのところかなり紹介されていますが、何か紹介しなければならない理由でもあるのでしょうか。それにこのコラムで内容をきちんと説明するわけでもなく、どのような方法で見られるかも明記されていません。
第一武者さんが一方的に圧勝だ親子愛だと言っても、こちらは全然観ていないのですけど。

あとこの作品、別に関ケ原だけを採り上げているのではないのですけどね。

一方でこちらはどうか。
秀忠をネチネチネチネチ責める家康は、圧倒的なパワハラ感があって胸が苦しくなりました。
老母にも冷たい。息子には横暴。孫には気持ち悪い。
一体この家康は何を表現したいのか。彼が日本の近世を構築するなんて、冗談でも止めて欲しい。

「秀忠をネチネチネチネチ責める」
言っては何ですが、私にしてみれば武者さんこそが、オンエアされてもいないシーンを持ち出したり、好きな作品を叩き棒にしたりして、この大河を
「ネチネチネチネチ責めて」いるようにしか見えません。
老母にはちゃんと薬湯を煎じていますし、孫は可愛いのでしょうね。
そういう家康なら、日本の近世を構築しても納得が行きます。

家康メインの水色羽織はなんなんですかね。
年齢を踏まえて欲しい。
しかも配色センスが濁っていて、東洋の伝統色とは異なり、とにかくセンスが感じられない。

武者さん、以前日本の伝統色と書いていましたが、東洋の伝統色にシフトしていますね。
そして水色の羽織ですが、あれは藍の薄いやつで、れっきとした伝統色のはずです。
そして年齢を踏まえてほしいとありますが、『葵 徳川三代』の家康は、晩年でも白を着ていますし、

葵徳川三代家康
(『葵 徳川三代』より)

年齢を重ねたから、薄い色を着ていけないという決まりはないでしょう。
まして家康公のような人の場合、着衣が残っているから、それを参考にして作ることもあります。

人物デザインの創作現場から vol.10 ~ 辻ヶ花への道 ~
(『どうする家康』公式サイト)

ただ武者さん、公式サイトを見ているようには見えないのですね。

そして『大奥』の場合、

美を作り上げるためにここまで気を使うのか。
見ているだけでうっとりしてしまうような凝り方で、カメラで映るとどうなるか、きっちり妥協のない現場の様子が映し出されていました。
ただただ圧倒される。

『大奥』を見ていると、幕末の錦絵が動き出したのではないかと思えます。
原作はモノクロが基本ですので、色彩感覚はドラマで作り上げていくしかない。そうする過程で、当時の色彩感覚や美意識を再現しようとしていることが伝わってきました。

まあこの人の場合要は表裏一体で、好きなものにはこれでもかと賛辞を送る一方で、嫌いなものには、その反動としてあることないことつき交ぜて叩きまくるわけですね。
無論『どうする家康』もまた、当時の色彩感覚や美意識が再現されているわけですが、武者さんにはそれが見えていないのだろうと思われます。

その美術部トップは『麒麟がくる』と同じ大原拓さんとのこと。
◆「麒麟がくる」チーフ監督が語る“カラフル大河”の裏側 衣装はサッカー代表も参考に 光秀はフランス?(→link)
納得です。あの作品は衣装に五行説を取り入れていて、とにかく画面そのものが美しかった。

その大原拓氏、美術部トップというかチーフディレクターでしょうか。
そして五行説(五行思想)なら、『どうする家康』衣装デザインの柘植氏がこれに言及しています。武者さんが好きな作品だけではないということです。

古代中国で生まれた自然哲学の思想で、万物を形づくっているのは5種類の元素「木・火・土・金・水」だという考え方だそうです。それぞれに「青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)」の5色が当てられているんですね。五色幕など日本文化にも影響の片りんがあります。今回は、特に五行思想にのっとって色彩構成をしているわけではありませんが、家康と彼を取り囲む戦国大名たちに対して、カラーチャートを作って色を振り分けて分類しようとすると、自然とその5色が意識されているかのように見えるので不思議です。

人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~
(『どうする家康』公式サイト)

「衣装が色鮮やかすぎる」とクレームが入りましたが、再現性へのこだわりが理解されないか、ピーキー過ぎたのでしょう。
センスが尖り過ぎていただけで、序盤に修正するとすぐに批判は止んでいます。

実際放送開始から1か月ほど経っても、「今回の大河ドラマの衣装は、昭和に登場した化学染料の色」というコメントもありましたし、10月頃まではあれはおかしいという指摘もありましたね。そして身分が高い人ならまだしも、庶民レベルであの色遣いはちょっと抵抗がありました。

そして武者さん、「ピーキー」て、他人のこと言えないと思いますよ。
これ「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」意味ですよね?

そして美しさはますます磨きがかかってゆきました。
役者の美貌だけではなく、それをさらに輝かせる工夫が随所にあり、あの美は、大原さんがいてこそなのかと納得。
眼福とは、まさに彼の作り上げた映像を見ているときのためにある言葉でしょう。

ちなみに大原氏は、武者さんが嫌いな『軍師官兵衛』でもディレクターを務めていますが、もちろん『軍師官兵衛』の映像も、貴方に取っては眼福なのですね?
岡田准一さんの素襖姿を置いておきます。

軍師官兵衛素襖
(『軍師官兵衛』より)

『どうする家康』の衣装や美術とは、比べることすら失礼かもしれません。本作の合戦シーンでは「兜に照明が入り込んでそのまま流す」なんてことがまかり通っていて、美醜以前の問題と思えます。

「兜に照明が入り込んでいる」の裏付けをお願いします。

衣装のことについて私が意見を申し上げていると、こんな反論も見られました。
「武者は『どうする家康』の衣装を貶すが、『麒麟がくる』だって批判されていたのに、そうしなかった! ダブルスタンダードだ!」
ダブルスタンダードも何も、その発想すら思い浮かびませんでした。
『麒麟がくる』は癖が強いだけで、ずっと美しいと私は感動していました。それが伝わらなかったようで残念です。

「その発想すら思い浮かびませんでした」
自分を守るための否定という心理関係の言葉を、ちょっと思い出しました。
そして
「癖が強いだけ」
先ほども「センスが尖り過ぎていた」とありましたが、そういう部分に抵抗を覚える人もいるでしょう。

そして好きな作品はほめにほめまくるのに、ここからまた『どうする家康』叩き。
つまるところこのコラムの場合、ほめるのも叩くのも、何かおおげさなのですね。

美術へのこだわりが全く感じられない本作。
大坂城でパリピしている場面が入りました。
成長期の秀頼すら同じ、茶々も同じ着物です。『大奥』の貧乏公家より粗末な暮らしでは?

茶々は金と黒がメインの打掛が多いのですが、その時々で違う柄のを羽織っています。そして秀頼が着ている、緑の絹の亀甲文様が入った水干は、幼い頃のとは違いますね。

宴だと言いますが、酒を飲むだけで食卓も映りません。作る手間すら惜しんだのか、あるいはスケジュールが厳しくてスタッフが対応しきれなかったか。

嫌いな作品だと悪い方向に取りたがりますね。
あれは年始の挨拶に訪れた大名たちが、余興として飲みくらべをやっているわけでしょう。そもそもこの当時「食卓」はなくて「膳」ではないかと思いますが。

でこの時に勝った福島正則が褒美を受け取っているわけですが、このシーン、正則が豊臣家にも忠誠を誓っていたことを裏付けてもいます。そして何よりもこれは、かつて茶々が正月に「(家康がいる)西の丸が賑やか」と言ったこと、あれを踏まえているかと思われます。

「打倒家康!」
そんな『戦国BASARA』シリーズじみた掛け声をあげながら、九度山で特訓する真田信繁(真田幸村)って何を考えているのでしょうか。
あれほどまでに家康へ敵意を燃やして叫んでしまったら、周囲にバレバレ。
さっさと真田信之に対して「弟は何を考えてるの? 軍事訓練しているって報告が上がってきているけど」と問い合わせればよいだけの話ですよね。

あの、如何にも武田家式の鍛錬方法ですね。
ただし、あれが家康の想像の範囲内なのか、実際にそうなのかはこの時点では定かではありません。

そして信之に問い合わせるより、こういう流人の目付け役のような人物はいるでしょうから、そちらに訊いた方が早いのではないでしょうか。

真田信之と本多忠勝の必死の助命嘆願を平気で足蹴りにしてしまう信繁。
本作の作り手は『真田丸』すら無視するようで、見ているだけで脳みそが溶けそうです。

まず、こちらでは助命嘆願のシーンはありません。
そして、『真田丸』と必ずしも同じ描き方をしなければならないものでもありません。
自分が好きな作品を叩き棒にするのはもうやめませんか。

さらにまた「脳みそが溶けそう」
この間は脳みそが削られるでした、色々と大変なことで。


飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/11/24 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』の盃と『真田丸』の桝その他色々と

今回はまずこれからです。先日分で書いていた福島正則の大盃ですが、こうして比較するとかなり違いますね。

ちなみに大盃の最大サイズは直径18寸(54センチ)で、黒田長政、加藤清正が手にしている盃もそこそこ大きいと思われますが、それが小さく見えてしまうほどの大きさです。また盃関連で「黒田節用」というのあり、そちらは直径約33センチとのこと。

どうする家康福島正則大盃 どうする家康盃
(『どうする家康』第44回)

これで思い出したのがこちらです。

真田丸徳利と桝 真田丸秀吉桝
(『真田丸』第15回)

向かって左の画像の左側、福島正則(こちらも深水元基さんが演じています)の桝が、右側、小日向文世さん演じる秀吉の桝に比べるとかなり大きいです。おまけに徳利も2本です。

あるいは、あの大盃は深水さんが『真田丸』の経験からアイデアを出したものでしょうか。小手伸也さんのツイート(X投稿)で、現場で皆がアイデアを出し合っていますというのを見て以来、そのようにも思えて来てしまいます。しかしこれで、福島正則即ち大酒飲みのイメージがかなり確定しましたねーー実際そうだったようですが。そしてこの回では、秀吉がこの桝の大きさの違いから、度量衡の統一を思いつく展開になっていました。

さてこの福島正則ですが、前に『関ケ原』下巻で彼の描写についてご紹介しています。この時にも書いていますが、石田三成と戦うに当たって、かなり重要な人物であると同時に、心変わりしないよう常に彼を宥める役が必要でしあり、その役目を負っていたのが井伊直政、本多忠勝、池田輝政そして黒田長政でした。

それ関連で、以前ほほえましいと書いていたこの画像も貼っておきます。この雰囲気なかなかいいと思います。

決戦!関ケ原Ⅱ大名たちの野望
(『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』より)

それから徳川秀忠。前回第44回で、父家康から上に立つ者は如何にあるべきかという、いわば帝王学を授けられます。この上に立つ者で思い出すうちの1つに、『ホーンブロワー 海の勇者』があります。

実は以前も書いてはいるのですが、第2話「ジブラルタルの奇襲」で、ペストの脅威にさらされる中、主人公ホレイショは海尉試験のため勉強を続けます。実はこの時しかし船員たちの歌声がうるさく、声があまり届かないデッキに行くのですが、その時ちぎれたページが風に飛ばされそうになります。その時掌帆長が、それを拾ってあけます。そしてうるさくて勉強できないと言うホレイショに、彼らもまた不安なのだ、気持ちをわかってあげなさいと言い聞かせるシーンがあります。この第2話は様々な出来事が起こるわけですが、これはちょっといいシーンです。

さてそろそろ、『葵 徳川三代』の大坂の陣を予習しなければならなくなりそうです。この大河は関ケ原と大坂の陣関連にかなり尺を取っており、その分詳しく、また登場人物も多くなっています。

大坂の陣は『真田丸』でもそこそこ尺が取られていますが、こちらは大坂の目線であるため、徳川目線で見るならばやはり「葵」となるでしょうか。ところでこの『葵 徳川三代』、あの関ケ原はもう再現が難しいと思われますが、その後で家康が卵を使って薬を作るシーンで、卵を踏みつぶして黄身で足を滑らせる描写があります。ああいうのも今となってはクレームが行きそうですね。

ところで『どうする家康』、片桐且元が登場するようになっています。元々この人は秀頼の傅役でした。演じているのは川島潤哉さんですが、『鎌倉殿の13人』では中原親能を演じていました。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2023/11/23 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

感謝祭そして七面鳥にまつわることをいくつか

11月23日は日本では勤労感謝の日ですが、アメリカでは感謝祭(サンクスギビング)です。アメリカの場合、特に日にちが決まっているわけではなく、11月の第4木曜日とされており、今年はたまたま同じ日となっています。

さて、クリスマスやハロウィンに比べて馴染みが薄い感謝祭ですが、これは北米大陸独自の行事とも言えそうです。ちなみにカナダでも行われていますが、こちらは10月です。

元々この感謝祭、アメリカンセンターのサイト(https://americancenterjapan.com/aboutusa/monthly-topics/2060/
によると、アメリカに渡ったピューリタン(分離派)が、その地で先住民のワンパノアグ族と出会い、彼らからこの地での生活を教えて貰うことになります。そのワンパノアグ族は1年を通じて、この地がもたらす多くの恵みに感謝する祭事を行っていました。

そして入植者たちも、本国で収穫祭を行っており、またこの新しい地で多くの恵みを得たことから、感謝の祝宴と祈りのための日を決め、ワンパノアグ族の首長マサソイトを招待し、マサソイトは他の90人の先住民と共に、彼らを訪れたとされています。

なお言い伝えによると、入植者の収穫物と共にあぶり焼きにするため、七面鳥と鹿肉を持って宴に参加しています。それ以外にも魚介類やコーンブレッド、スクワッシュ、ナッツ、クランベリーなどの食物が持参されました。入植者たちは先住民から、クランベリーや様々なトウモロコシ、スクワッシュの料理法を学んだと言われます。このスクワッシュは西洋カボチャで、ランタンを作るためのパンプキンは、ペポカボチャ(種が食用になる)と呼ばれます。

この最初の感謝祭には、先住民がポップコーンを持ってきたとも言われています。

先住民が七面鳥を持って来たことから、七面鳥は感謝祭のシンボル的存在となりました。しかしクリスマスも七面鳥とよく言われますし、この辺りどうバランスを取るかになりそうです。昔はもちろん野生の七面鳥ですが、今は食用のための改良が進んでいます。一般的に脂身そのものは少ないです。パサつくとよく言われますが、これは調理の仕方次第と言えるようです。

ところで七面鳥と言うと、この曲を思い出す人もいるでしょう。
以前も感謝祭関係でこれを取り上げたことがありましたが再度。


但し「オクラホマミキサー」は、この曲を使ったダンスのことであり、曲のタイトルではないようです。曲のタイトルは、あくまでも『藁の中の七面鳥(Turkey in the straw)』です。

NBCのドラマ『ザ・ホワイトハウス』では、「恩赦の七面鳥」のために広報官のCJ・クレッグが、農場から借りた2話の七面鳥を、人前でビビらず、フラッシュに驚かないように調教するシーンがありました。また、1990年にイラクのクウェート侵攻でアメリカ軍が派遣され、当時のジョージ・ブッシュ大統領が兵士の激励に現地を訪れた時、この七面鳥が振舞われたそうです。無論軍隊での食事ですから、あらかじめ切り分けた七面鳥のローストが振舞われたようです。感謝祭が選ばれたのは、イスラム教の国に配慮して、キリスト教色が薄いこの行事の日が選ばれたとのこと。

あと、以前『少女レベッカ』と言う小説について書いていますが、ここでも主人公のレベッカが親友のエンマと共に、石鹸を売ってランプを貰おうとしているシンプソン家の子供たちを手伝って、石鹸の行商に行く場面がありました。実際この行事は分かち合いの精神があり、ホームレスの人々などに伝統食を提供するならわしもあるとの由。

今は日本でもブラックフライデーが盛んになっていますが、元をただせばこのブラックフライデーは、感謝祭の翌日の金曜日で、感謝祭関連グッズが値引きされて大放出される日でした。アメリカ式感謝祭が一般的でなくても、ブラックフライデーは確実に広まりつつあります。

しかし祭日というのはある意味セットになってもいます。この感謝祭とブラックフライデーもそうですが、クリスマス前のアドベントや、復活祭前のレントなどは物忌み期間と神の降誕または復活という流れになっています。で、このレントの前にはご馳走を食べて大騒ぎし、節制の時期に備えるわけですね。

あとクリスマス、これはまた書ければと思いますが、元々土着の冬至の祭りと一緒になったこともあり、呪術的な要素がかなり感じられます。日本でも、かつて冬至の祭りというのが存在しましたが、それもまた歴史関連投稿で。


飲み物-冬のシードル
[ 2023/11/21 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
尚、先日の「諱入りタイトルの大河」について、『独眼竜政宗』を書き落としていましたので追加しています。


「宰相殿の空弁当」だからといって、本気で弁当を食べる吉川広家を映すセンスがわかりません。
あまりにもくだらな過ぎません?
本気で弁当をモリモリ食べさせるのではなく、目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るように描くこともできたのでは?
この幼稚さには閉口するしかない。
見るだけで精神状態がドロドロに溶けていくドラマだ。

「本気で弁当をモリモリ食べさせるのではなく、目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るように描くこともできたのでは?」
つまり具体的にどのようにしたいのですか?
目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るでは曖昧模糊としていると思います。

ちなみに『葵 徳川三代』では、安国寺恵瓊の家臣がお立ち退きをと言うものの、てこでも動かない広家の様子が描かれていました。しかし、何も食べていないのに食べているふりをするよりも、実際に食べるのを見せた方が、相手も一応納得はするのではないかと踏んだうえでのあの描写でしょう。無論意図的に時間をかけさせていますけどね。
それが幼稚ですか?
そして脳みそが削られるの次は、「精神状態がドロドロに溶けていく」ですか。

そしてこういう提灯記事が出る。
◆大河「家康」三成悲惨 本当の黒幕が西軍壊滅 弁当モグモグで毛利2万出撃不能→家康余裕の進軍「やりよったw」「弁当キター」(→link)
「キターーー」って何年前の流行ですか。

「キターーー」ではなく「キター」ですね。

あんなふうに茶々がリアルタイムで「不利だなんて!」とオタオタするわけないでしょ。
スマホでも持っているのか?というぐらいに情報があっという間に伝わる本作。
関ヶ原のポイントは、情報伝達のタイムラグではないのですか?

茶々がオタオタしているというか苛立っているのは、本来ならば輝元が、秀頼共々出陣してしかるべきなのに、それをしないからなのですね。情報がリアルタイムで、あっという間に伝わっているわけではありません。

自ら「男勝り」と語ってしまう阿茶の残念さが、今週も炸裂です。
関ヶ原という見せ場で、阿茶がわざとらしく男装して、茶々にケチをつける――なぜ、こんなしょーもない場面が入りますか?
これみよがしに「ワタシって男勝りだから」と言わんばかりに中途半端な男装をしているのも痛々しい。
そのコスチュームをわざわざ仕立てたの? 非常時に? 随分と余裕あるなっ!

「わざとらしく男装して」ではなく、使者ということもあり、他の男性の家臣同様に肩衣袴を着けたのではないでしょうか。また、寧々にお願いがあると言ったうえで、このような形で茶々に目通りすることになったわけです。その間仕立てるだけの期間があったかどうかは不明です。他の誰かの物を借りた可能性もあります。

「関ヶ原という見せ場で、阿茶がわざとらしく男装して、茶々にケチをつける」
この茶々と阿茶の面会自体、関ケ原と並行したもうひとつの「戦」ですね。
無論ケチをつけているのではなく、この戦に秀頼は介入しない方がいいと言ったうえで、徳川の調略が西軍の深部にまで及んでいる、輝元がまだ出陣しないことがその証と、茶々に進言しているわけです。これが「しょーもない」のでしょうか?
そしてこれは、豊臣と徳川が一体となって天下を治めるのがいいと言う、寧々の言葉を踏まえてもいるでしょう。

茶々に全く知性が無く、かつ剛毛とド派手メイクなので、阿茶がまだマシに見えるのが怖い。
いずれにせよ最低のヒロイン決定戦です。

髪型とメイク、お市とは違う印象にするためだと、北川景子さん自ら語っていたと思いますが。

あのマザーセナやレーシックお愛がまだマシに思えてくるほど。千代ですら、まだよかったかも……。
こういう女性像って、要は制作サイドの趣味ですよね。
受信料でフェチを作って垂れ流さないで欲しい。服部半蔵が相関図死で、千代はあんなにダラダラと時間を使って死ぬ。どこまで趣味全開なんですか。

自分が気に入らないと、やれ制作サイドの趣味だのフェチだのと言いたがるのはどうにかなりませんか。それは武者さんが勝手にそう思い込んでいるだけだと思いますが。
千代の戦死に尺が取られたのは、鳥居元忠の正室であることももちろん関係しているでしょう。

このドラマの間抜けさは、噛み合わない劇伴も相まってバカらしさがますます高まってゆきます。
こんなくだらない展開なのに、無駄に勇壮で、かつ西洋ファンタジーじみた音楽がかかる。
東洋の時代劇は、現在はその国ごとの伝統楽器を混ぜていくのが主流です。
実は『パリピ孔明』もそうです。
(中略)
今年の大河は、なぜできない? 本当にできないことだらけな大河だな。

で、『パリピ孔明』は中国の伝統楽器が使われているとか何とか。
それを言うのであれば、昨年の『鎌倉殿の13人』もドラマの中でクラシック(『新世界より』)が使われていましたが、それについてはどのように考えているのでしょう。

何がなにやらわからない関ヶ原
わかりにくい布陣図。
時間の経過も描かれない。
武将はバストアップと絶叫ばかり。
合間に茶々と阿茶が挟まれる。
駆け回るメリーゴーランド馬。
マヌケな殺陣。
ニタニタした家康。
一人だけ真面目な三成。
間の抜けた劇伴。
主語が「おいら」のちょび髭コスプレイヤー。
火縄銃も大砲も使わない兵士たち。
一体これのどこが関ヶ原なのか?

何だか色々なもの、それに自分の思い込みに沿ったものだけを羅列しているように見えますね。

「何がなにやらわからない関ヶ原
わかりにくい布陣図。
時間の経過も描かれない」
布陣図て、この下の画像のですよね、これがわかりにくいですか
この場合名前が書かれている方が西軍、黒が東軍で、赤坂とか桃配山とか南宮山といった地名も表記されていますが。時間の経過にしても、吉川広家や小早川秀秋の行動で大体察しがつきますよね?

どうする家康関ケ原布陣
(『どうする家康』録画映像より)


「武将はバストアップと絶叫ばかり。
合間に茶々と阿茶が挟まれる。
駆け回るメリーゴーランド馬」

馬は本物も出て来ています。家康や本多忠勝などはその本物の馬に乗っているし、それぞれの陣での話し合いや小早川秀秋と家臣のやり取りなど、様々な形での会話が登場します。茶々と阿茶は先ほども書いていますが、この回でのもう一つの戦ですね。

「マヌケな殺陣。
ニタニタした家康。
一人だけ真面目な三成」

「マヌケな」殺陣は武者さんがそう思い込んでいるだけでしょう。家康はこの場合寧ろ達観している感もあり、だからこその余裕の表情と取ることもできます。あと真面目と言うのであれば、大谷吉継も、そして本多忠勝や井伊直政も自分の職務には忠実ですよ。

「間の抜けた劇伴。
主語が「おいら」のちょび髭コスプレイヤー。
火縄銃も大砲も使わない兵士たち」

劇伴も武者さんは「間の抜けた」と決め込んでいるようです。
そして「ちょび髭コスプレイヤー」は板垣さんに失礼かと、それに「おいら」呼びは先陣を任せると言われてからですね。さらに大砲はともかく火縄銃は使っています。井伊直政が放てと号令をかけて、井伊の兵たちが一斉に銃を構えています。

そしてこの「一体これのどこが関ヶ原なのか?」に対する答えとかで、またBBCの『ウォリアーズ』。

答え:BBCが10年以上前に制作した『ウォリアーズ』を見てみましょう。

そんなに『ウォリアーズ』のことを書きたいのなら、別でやってください。どっちみち他作品のPRとか、記事リンクの方がはるかに多いわけで、そちらの方で別記事を立てればいい話です。そしてこの大河コラムを、元の2ページに戻してください。

『真田丸』の瞬間終了関ヶ原の方が、今年の大河よりはるかにマシでしょう。あれは真田目線で描いていたから、ペース配分としてありでした。

『真田丸』は冒頭の部分しか出て来ず、合戦は全く描かれていないのですから、比較対象としてはどうかと思います。『葵 徳川三代』とならまだわからなくもありません。ただ何度も書きますが、今年の大河でも戦の描写は、華々しい合戦模様を描くわけではないので、その点で今までの戦国大河と多少趣を異にするかとは思います。

決戦に至る事情の描き方は比べるまでもない。

正直な話、武者さんがちゃんと観ていないのでは?三成の失脚から始まってなぜこの合戦に至ったのか、それが直近の3放送回で詳しく描かれているはずです。とは言っても、第41回や42回のコラムを観ても、ドラマ本編をちゃんと観た人の書き方ではないのですよね。

直江兼続が采配をかざしたら即座に終了していた、最上義光も前田慶次も上泉泰綱もいない、そんな『天地人』の北の関ヶ原の方がマシです。

長谷堂城の戦いのことでしょうか。
モブの最上軍が出て来ていたと思います。

それと今回は、井伊直政が兵に発砲を命じて以来、東と西それぞれの思惑、毛利、吉川、小早川のそれぞれの思惑そして動き、茶々VS阿茶のやり取りの描写がありました。戦闘シーンは多くなかったものの、それぞれの対立や確執はかなり描かれていましたね。

本作は、本能寺に続き、関ヶ原でも史上最悪な表現を記録したと思います。
次は大坂の陣で最低記録を更新ですかね。

「表現を記録」とはあまり言わない気がするのですが…。
そして「最低記録を更新」て、「何の」最低記録なのでしょうか。


飲み物-琥珀のエール
[ 2023/11/17 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。

BBCでは真田の名前すら出てきません。
取捨選択の結果であって、それが特に問題とも思えません。
本作では、佐藤浩市さんを映したいあまりにそうしたのでしょう。
話題性狙いがみえみえで痛々しい。
そんな広告代理店じみた考え方だからこのドラマはダメなんだ。

まず言いたいのですが、真田を出さなければ出さないで、武者さんはクレームをつけそうな気がします。「取捨選択の結果」などとありますが、自身が推している『ウォリアーズ』だから許容範囲内なのでしょう。
そして
「本作では、佐藤浩市さんを映したいあまりにそうしたのでしょう」
で話題性狙いだの、広告代理店じみた考え方だの。第一本多忠勝が登場して関ケ原が出て来るのだから、普通は真田を出してくるものだと思いますけどね。

本多正信に常識を求めるのは酷なのでしょうか。
主君の嫡男に対してあの舐め腐った態度。
万人に対して常にマウントを取っていて、あんな調子では嫌われるどころか、闇討ちに遭いそうで心配なほどです。
放送されるたびに不快感指数は上がり続け、「もう映さないでくれ!」と頭を抱えたくなる。

本多正信のキャラについては、今までも何度も書いて来たかと思います。
あの飄々としてとらえどころのないイメージ、なのに正論を吐くというのが持ち味であり、それを
「舐め腐った態度」
「常にマウントを取っている」
としか見られないのであれば、余計この大河は観ない方がいいと思いますけどね。
かと言って正信は滅茶苦茶に嫌われているようにも見えず(忠勝とは正反対ですが、家康からは気に入られていますね)、まして闇討ちにも遭っていません。ああいう存在も必要であると、一応周囲も思っているのではないでしょうか。

「『もう映さないでくれ!』と頭を抱えたくなる」
「もう映さないでくれ」と相手に要求するのではなく、「もう観ません」と自分から身を引く方がいいかと思いますよ。
それと「不快感指数」なんて言葉、ありましたか?不快指数はありますが、これは、特に夏の蒸し暑さを表す指数のことですし。

さらに

勝利がわかっているから、わざと余裕ぶって悪態をつかせている――のであれば、本当に未来人思考だらけの作品で時代ものとは言えません。

また未来人思考。
しかも「勝利がわかっているから、わざと余裕ぶって悪態をつかせている」など、武者さんの一人決めもいいところだと思います。秀忠が焦っているのに正信が余裕で稲刈りをなどと言っているのは、米=兵糧を守るために相手が出て来ざるを得なくなるという作戦なのですけどね。
しかも榊原康政が、ちゃんとそのことを説明しているのですが。

真田の城は、なぜハエトリ紙じみた布が垂れさがっているのか?
「乱世を泳ぐは愉快なものよ」と語る昌幸にしても、本気でそう思っているとは微塵も思えず、逆に「何も楽しんでないな」と笑いそうになりました。
あの変な布を見て、俳優さんたちは『戦国っぽいなぁ……』と演技に身が入りますかね?

ハエトリ紙と言うかハエトリリボンでしょうか。
あの布はこれも前に書いていますが、常に攻め込まれる可能性がある以上、いざという時包帯代わりにしたり、投石の時に使ったりもしたのではないでしょうか。

「『乱世を泳ぐは愉快なものよ」と語る昌幸にしても、本気でそう思っているとは微塵も思えず、逆に『何も楽しんでないな』と笑いそうになりました」
その前に昌幸は、わしの役目も十分に果たした、あとは家康と三成、どちらの才が上回るかじゃと言っています。つまり秀忠を上田に引き付けるだけ引き付けて遅参させ、あとは高見の見物で、どちらにしても、真田は生き残ると強かに計算しているわけです。
それを踏まえたうえで、乱世を泳ぐとは面白いものよと言っているのでは?

そしてまたも文春砲。好きですね、文春。

文春砲によると、ニコライ・バーグマンじみた押し花をプッシュしたという本作の主演俳優。
記事が本当ならば、ドラマ内での見た目に相当なこだわりがあるようですが、その結果が大量の蝋燭やら、ハエトリ紙だと思うと脱力感が湧いてきます。

「脱力感が湧く」とはあまり言わないような気がするのですが…。
脱力するとか、脱力感を覚えるとは言いますが。
そしてまた「ニコライ・バーグマン」、数正が大事にしていた押し花ですが、その結果がなぜロウソクや上田城の布(ハエトリ紙ではありません)になるのか、ちゃんと説明してください。

そして『100カメ』で昨年は『鎌倉殿』、今年は『大奥』が採り上げられるとかで、

美術部のレベルが大河と大違いですもんね。
今年の実質的な大河ドラマはやはり『大奥』と言って差し支えないでしょう。
歴史イベントでもきちんと結果を出されています。
◆女性初の信玄公役は冨永愛さん 観客数は過去最高の23万人越え 50回目の節目となる信玄公祭り(→link)
武田信玄役に初の女性となる冨永愛さんを起用した、山梨県の関係者の英断が素晴らしいですね。

「今年の実質的な大河ドラマはやはり『大奥』と言って差し支えないでしょう」
言っては何ですが、こういうのが余計だと思われる所以です。
ただ紹介だけにとどめておけばいいのに。第一10時のドラマと大河は様々な点が違うと、これも前から書いてはいますが。
それと信玄公祭りと『大奥』、直接関係ありますか?

大久保忠益が「腹を切ってお詫びを!」と叫びます。
それでいいんです。
問題は複数回も「腹を召す」と自分に敬語を使って叫んでいた家康。
ああいうミスは修正するものでは?

地図が映ると、面倒くさそうに作ったことが伝わってきます。
ここまでモチベーションが落ちているドラマって、なかなかないでしょう。
ただし、小道具スタッフは、もしかしたら犠牲者かもしれず、気の毒としか言いようがないのですが……。

この数行でそれぞれ1パラグラフずつになっていますが、そちらの方がどうにかなりませんか?
そして「腹を召す」と自分に対して使ったのは、秀吉に対して、自分の方が上であると印象付けるためではないかと、当該回の時に書いています。問題はなぜそのような言葉遣いになるのか、武者さんが考えているように見えないことですね。

そして地図が「面倒くさそうに」作られていますか?その理由は?
裏付けがないのなら、勝手に決めつけるべきではないかと。この間もカラーコピーだなんだのと言っていましたね。
武者さんが、とにかくこの大河が嫌いでたまらないのは伝わりますが、好き嫌いを仕事に持ち込むべきなのかと思います。

すでにクランクアップした本作。
主役の横暴な振る舞いで脚本がおかしくなった――とする文春砲に対し、
「大河主演が口出しするって、そんなもんでしょw」
という指摘もあります。
去年の小栗旬さんはむしろ真逆です。
◆ 小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に(→link)

しかしなぜこうも文春を絶対視するのでしょうね。
自説補強にはもってこいだと言うのはわかります。
ただし、自分の思い込みや願望を強化または指示する情報ばかりに目が行き、そうではない情報は軽視してしまっていますね。こういうのを確証バイアスと言います。

今年の大河はもうダメ。
あと一ヶ月とちょっと、NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりしますが、VODでは朗報もありました。
ディズニー+の『SHOGUN』です。
◆真田広之、ハリウッド制作陣が戦国時代を描く「SHOGUN」に主演! 豪華日本人キャスト共演(→link)
三浦按針をモデルとした、往年の名作ドラマでで、アメリカ作のRPG『ウィザードリィ』にサムライやニンジャがいるのは、このドラマの影響だとか。

『SHOGUN』は、80年代に三船敏郎さんが出演した時のでしょうか。
あれは日本ではまず劇場用映画として編集され、その後TVドラマとして放送されていますね。

そして
「NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりします」
「VODでは朗報もありました」
ならばもう大河をやめて、『SHOGUN』と『大奥』にシフトした方がいいのではありませんか。
第一『どうする家康』がなぜ「エゴ」になるのか、これもこのコラムのいつものパターンと言うか、その理由が書かれないのでよくわかりません。とにかく貶めたいのだろうなとは思います。
この次にもこんなことが書かれています。

『どうする家康』の悪夢は、11月23日に公開される北野武作品『首』と、『SHOGUN』に塗り潰してもらいましょう。
ただ、喜んでばかりいられません。
今年の悪影響で、今後ますます大河ドラマの存在意義は低下してしまうでしょう。

このコラム、今回もここまでの記述の中で、誹謗中傷と取られかねない箇所がいくつかあるのですが、多分気にも留めていないのでしょうね。
そして、この次の関ケ原回を楽しみにしている人もかなりいることもお忘れなく。
と言うかこれも以前書いていますが、私武者さんに『どうする家康』を観ることも、コラムを書くこともやってほしくないのですね。もちろん武者さんにしてみれば、お仕事はなくなりますが。

それから
「今年の悪影響で、今後ますます大河ドラマの存在意義は低下してしまうでしょう」
恐らく年が改まれば、何事もなかったかのように、このコラムを書いているのでしょう。
その時は、『光る君へ』が『どうする家康』の叩き棒になりそうな気がしています。

今はまだ海外発の時代劇も戦国に限られているものの、今後はどう発展していくかわかりません。
特に近代史ともなれば、日中韓の合作になってもおかしくない。
こうなるともう時間切れでしょう。

別に武者さんが心配することでしょうか。
ならば貴方が、自分で企画から脚本からを手掛けて、日中韓の合作を作ってみてはどうですか。
もちろん興行成績がそこそこないと成功とは言えません。

大河ドラマにおける幕末以降の近代史は、2015年以降まともな歴史観を示すことができなくなりました。
歴史修正主義としか言いようのない酷い出来。そんな風に前進どころか後退をしていては、VOD時代に置いていかれるばかりです。

いずれも武者さんが嫌いな作品ばかりですからね。
しかし、その「まともな歴史観」とは具体的にどのようなものなのか、説明して貰えませんか。いつもそうですが、あれがよくないこれがダメと言いつつ、なぜそうなのかが少しも示されないか、自己満足のレベルに終わっているように思えます。

たとえばの話、伊藤博文は大河ドラマ主役になっていません。そこまで大きく取り上げられるわけでもない。
そんな伊藤博文を、海外が複数の国の合作で、日本より先に作ったらどうなるのか。
もうこれについては時間切れでしょう。

先ほどもそうですけど、時間切れ時間切れて、何がそう時間切れなのですか。
日本の近代の人物モデルで、複数の外国が合作することがもう確定しているのですか。
まずそれを示してからでしょう。

歴史総合を学ぶ世代は、むしろそんなドラマを受け止められる。問題はその上の世代であり、ヘイト本やSNSの盛り上がりに乗じて叩くことも予想されます。

この「歴史総合」も、このコラムで使われると、今時の若者が好きなスイーツとそう変わらないように見えてしまいます。
要は今はこれなの!昔とは違うのとマウントを取りたくてたまらない、そういう印象しか受けないのですけど。そしてその上の世代叩き、これもいつものパターンですね。


飲み物-ウイスキーストレート
[ 2023/11/11 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。その2は1つ下↓になります。

いきなり「だから千代は何歳ですか?」とあって、

初登場時は家康を坊や扱いしていたでしょう。
もう70近くともおかしくないってば!
本当に、このドラマは美少女戦士もどきが戦う&死ぬ様を描きたくて仕方ないんですね。

それこの間も書いていましたよね?
で私は基本的に年齢不詳で、三河一向一揆時点で20代前半から半ばくらいと設定すると、50代くらいかと思います。

今週は稲だけでなく千代。
可愛い女の子が武装してムフフ♪ 
そういうことは戦国武将を美少女にしたR18ゲームでよいのではありませんか?
それにしても、千代はしみじみとしょーもなかった……。

また武者さんの妄想タイム、そう言いたくなりますね。
そして「可愛い女の子が武装してムフフ♪ 」こういう表現をすること自体、昭和平成のおじさん臭いのですが、武者さんの中の人てどんな人なのでしょう。一応、言葉遣いは女性ですが。

「私もようやく死場所を得た」って、そんなイキイキハキハキ語って口角上げて笑って、なんなのでしょう。
デパートの店員じゃないんだから。死を覚悟した場面なのに、どの角度で口角をあげるかしか考えていないように見えます。元忠がちゃんと演じているだけに、無惨さが目立ちます。

口角が上がっているのは、千代を演じる古川琴音さんの口角が元々上がっているからではないですか。
そしてこの時は、夫である元忠に礼を述べているわけですよね。
そういう時であれば、顔を上げて少しでもにこやかに話そうとしてもおかしくないでしょう。

そして
「口角上げて笑って…デパートの店員じゃないんだから」
以前ファーストフードと書いていませんでしたっけ。今度はデパートですか。
それと前回「昭和のDV男」などと叩いていた鳥居元忠を、今度は千代を下げるために持ち上げているのですか?

結局、千代は、本作のくだらなさを煮詰めたかのような人物像でした。
武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る。
大河に出てくる架空女性人物でワースト候補だと思います。

「敵に拾われて」ではなく、家康が探させていて、元忠が匿っているのがわかったわけですね。千代は、甲斐の教来石のはずれにいたことになっています。しかし家康に千代を引き渡せば、また忍びの仕事をさせられるか処断されるかだと考えて、元忠がそのまま家に住まわせていたことになり、これがもとで、千代は真田の忍びであると言う忠勝と衝突します。

しかし元忠は殿の命であっても従えないこともあると言い、その時既に正室がいなかったこともあって、千代と再婚します。無論これに至るまでには、千代の戸惑いや家康の言葉、於愛の助言などもあるのですが、それがどうも武者さんの目には「くだらなさ」と映るようです。

忍者役のはずなのに、殺陣がどうしようもない。甲冑を着た相手に、小刀で切り付けて何がしたいのか。
撃たれて倒れる演技も、どんな指導をされたのでしょう。撃たれてからも眼力が強いまま、ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている。
どう映れば可愛く見えるか? いちいちインスタ映えを狙っているような雰囲気でした。

また「どうしようもない」
どういう風にどうしようもないのか、何も書かれず。
「私がどうしようもないと思ったから、どうしようもないのよ!」と言いたげな感じですね。それにこの時点では忍びではなく、「忍び経験がある」元忠の妻ですけどね。

そして甲冑を着た相手に対する殺陣ですが、元忠も千代も、相手の顔面や頸動脈を狙っています。こういうのも、25分辺りを観ればわかることです。そして武者さん、本能寺の変の信長の殺陣も、同じようなことを書いていましたが、あの時の信長も、相手の甲冑を着けていない部分を狙っていましたね。

またアクション指導は諸鍜治裕太氏、そして武術指導は松本真治氏で、どちらもかなりベテランです。松本氏は『真田丸』にも出演していますね。それと眼力が強いのは、これも古川さんは元々ではないでしょうか。
あと「ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている」
足を引っ張るのではなく、肩にしがみついているように見えますが? 

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。
「家康ちゃんが頑張って書状を書いてるんだい!」と、言われたところで、祐筆はいないのか疑問ですし、あのお粗末な筆の持ち方では何もかも台無しです。
『大奥』の前田公輝さんや玉置玲央さんと比較すると、その落差は歴然でしょう。
大河主演でありながら筆の持ち方すら指導されていないのは、さすがに驚きます。

ここのところですが、先日その1でご紹介したJapaaanの記事そっくりなのですが、偶然の一致でしょうか。
第一祐筆任せじゃ間に合わないから、家康自ら筆を執って書状をしたためているわけでしょう。
そして筆の持ち方、家康と三成のを貼っておきますね。

どうする家康筆 どうする家康石田三成筆
(『どうする家康』録画映像より)

どちらも単鉤法(人差し指だけを筆にかける持ち方)のように見えます。この筆の持ち方に関しては、taketak39460607さんのnoteでも以前解説がありましたが、単鉤法と双鉤法(人差し指と中指を筆にかける持ち方)があります。ご参考までに。

書道の姿勢と道具|Kids Web Japan

あと書道指導は書家の金敷駸房氏ですね。大河の書道指導でもあります。
武者さんが好きな『真田丸』、『おんな城主 直虎』、『麒麟がくる』しかりです。

書状を左から右へ読んでいるように目線を動かしている場面もありました。

それどこのシーンですか?
この回で家康が書状に目を通すのは阿茶局の手紙を読む時ですが、そうなってはいませんよ。

現代劇でのカッコつけ方しか学んでいないのでしょうか……と、いったことを書くと「所作指導はクレジットされています」という反論もあります。でも、実際そう見えなければ意味がないじゃないですか。

「実際そう見えなければ意味がないじゃないですか」
ここまで言いますかね。
まるで武者さんが言うこと、見ることはすべて正しいかのようです。

何度も言うようですが、所作に疑問があるのなら、指導の花柳寿楽氏に言ってみてはどうですか。
ちなみにこの方も『麒麟がくる』の所作を担当していますし、島井宗室役で出演もしています。

さらに「今年はありえないほど酷い所作が本当に多い」
私に言わせれば「今年はあり得ないほど酷い出演者叩きが本当に多い」となりますが。

そしてまた文春砲がどうのこうの。
板垣李光人さんの
「(松本さんは)役の解釈やキャラクターのつけ方だけではなく、ちゃんと見え方までこだわった上で芝居をされるんですね」
というコメントに
「アイドルコンサートの延長で大河ドラマを演出できるはずがない」だそうです。随分上から目線だなと思います。

板垣さんはこれに続けて
「ステージングを考えながら芝居をされるんです。それはやっぱりこれまでたくさんのステージを経験されて、演出もされてきた松本さんだからできること」
とコメントしていて、ステージの経験を活かしたうえで、演技をしていることを話していると思うのですが。

その他にも山田裕貴さんが松本さんを褒めた記事のリンクを貼って、
「今年は、共演者が主演を褒める、ぬるま湯の持ち上げ記事がやたらと多い」
とありますが、共演者が主演を褒める、あるいは労わるというのは、毎年のことだと思いますが。

恐らく今年の大河で主演が褒められることは、武者さんに取っては腹立たしいことなのでしょう。
その結果文春絶対の姿勢になっているし、
「文春砲の疑惑が払拭されない限り、「演出に余計な口出しする主演俳優」疑惑は晴れません」などと書いてもいます。
しかし特定のメディアを絶対視する人が、作品中の人物の発想とそれに共感する人々を「マザーセナ」だの、カルトだの言うのも如何なものかと思います。

鳥居元忠に伏見城の守備を命じ、何かあったら死守せよ、と言っておいて、いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ。
ドラマでの「御涙頂戴」要素として元忠を殺したようにしか思えません。
伏見城を防衛する戦略的な説明なんて一切ない。
地理関係の解説も出てこない。家康は涙ひとつこぼさず、
カッコつけたセリフをいうだけ。

「いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ」そんなシーン、ありませんけど?
この時書状を書いていた家康は、守綱から報告を受けてわかったと言い、敵を討とうと言う守綱を落ち着けと諭していますし、その守綱は忠勝からは、今は誰がどちらにつくのかを見極める時と注意されてもいます。

「伏見城を防衛する戦略的な説明」
鳥居元忠が主人公であれば、それもありでしょう。しかし主人公は家康であり、伏見城を落として東へ向かおうとする三成と、家康が衝突するのがいわば見せ場です。ただ元忠は秀吉が作った堅牢な城であることを前回口にしていますし、その中で松の丸の守りが弱いことを、左近が指摘してはいますね。
それと地理関係の解説ですが、19分ごろに右下の方に地図が出ていますよ。

なんだか喜怒哀楽の感覚が歪んでいませんか?
マザーセナの死以来、「哀」すら消えています。
かえって偽善っぷりが浮き彫りにされて、人間のいやらしさだけを煮詰めたように感じます。
そんなしょうもないドラマを補うためか、悪目立ちするピアノがどうにも不快です。あの旋律はいったい何なんですかね。

悲しいけれど、今は悲しむこともできないわけですね。それは偽善とは違いますね。
それとピアノは「悪目立ち」しますか?
要は武者さんの癇に障るのでしょうから、字幕だけで観てはどうですか。

小早川秀秋は優柔不断ということでもなく、布陣からして東軍につく意図は最初からあったとも指摘されますよね。
この辺の描写はBBC『ウォリアーズ』が秀逸でした。
(中略)
あの作品での「秀秋の裏切り」は伏見を攻めたこと。
ずっと東軍についていたはずが、偽装のためにか、伏見を攻めたことがスリリングな要素としてありました。
千代の臭い芝居を描いている場合じゃないんです。

すみません、私観ていないのでその辺りのことは知りません。
そしてなぜ他の作品をやたらとPRしてこの大河を下げるのか、それもちょっとわかりません。
今までの戦国というか、関ケ原を描いた大河でも、小早川秀秋の調略は描かれていましたね。
そしてそこまで言うのなら、秀秋がなぜ西軍についたのか、東軍につく意図は最初からあったのかどうか、もととなる史料を出して説明されてはどうでしょうか。
いずれにしてもこの大河でそれを描けば、またそれはそれで武者さんは何か言いそうな気がしますが。

そして「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

何なんだよとは何でしょうね。
何とも伝法な言葉遣いだなと思いますね。

朝鮮から帰って来た時の黒田長政と加藤清正の、三成に対する態度
三成が籠った伏見城に福島、黒田、加藤をはじめとする七将が押し掛けたこと
小山評定での2人の姿勢

これらをすべて見て、彼らが、一体どのようなスタンスでいるのかわかりませんか。
ならばどの大河の登場人物も、それぞれの経歴から始めなければならなくなりますね。

登場人物については、公式サイトやSNSで発表されています。
豊臣恩顧の一部の人物、黒田さん藤堂さん辺りは、今現在画像付きでなくクリックできませんが、関ケ原後に更新でしょうか。それとキャスト発表はこちらにもありますけどね。(一応豊臣勢です)

そしてまたこの記事を出して来ています。

繰り返しますが、以下の記事、ドラマの紹介文なんかでは
◆『どうする家康』ファン感謝祭が開催決定 松本潤、松山ケンイチ、杉野遥亮ら登場(→link)
未だに「黒田官兵衛」の文字があるんですよ。
今作が初大河となる松本は、誰もが知る偉人・徳川家康を演じる。国を失い、父を亡くし、母と離れ、心に傷を抱えた孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし、三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物が割拠する乱世に飛び込む。そして豊臣秀吉、黒田官兵衛、真田昌幸、石田三成と次々と現れる強者(つわもの)たちと対峙し、死ぬか生きるか大ピンチをいくつも乗り越えていく。

何だかしつこいなと思いますけどね。
既に放送が終わっているのならともかく、どのような形で登場するのかまだわからないでしょう。こういうのは最終回まで観て、登場しなかった時点で初めて言って貰えないでしょうか。

この手の記事は、NHKから画像とテキストのソースが渡されて、作成されるのが普通です。修正された方が……と、思ったのですが、配信元のニュースは、他のメディアへも流されていますので(その検索結果はこちら→link)、今さら対応できないのかもしれません。

この感謝祭に関して言えば、出演者の画像はちゃんと配信されています。それと配信元のニュースですが、今後登場するかも知れないのに、修正を云々する必要もないでしょう。繰り返すようですが、いつどのような形で出て来るのか、まだわかりませんので。

まさかとは思いますが、小栗さんてひょっとして官兵衛の役でしょうか。ただ最終回登場ですからね。大坂の陣は、既に黒田長政の時代ですし。

飲み物-コニャック
[ 2023/11/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第40回の『どうする家康』に関するnote記事

taketak39460607さんの、『武将ジャパン』大河コラムに関するnoteから、今回もいくつかの指摘をご紹介します。例によってとてもすべてをご紹介できませんので、いくつかピックアップしておきます。すべてをご覧になりたい方は下記URLからどうぞ。またここでは、コラムからの引用文の文字色をダークブルーにしています。

あと、先日の『武将ジャパン』関連投稿、変換ミスをはじめおかしな部分を直しています。また、ピューリタン関連のサイトのリンクを貼っています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第40回~
https://note.com/taketak39460607/n/nc09119323bde


白兎から狸へ。
今週はロゴが変わるところから始まり、石田三成が星空の下でマザーセナじみた妄想を語っています。

これに関しては当然と言うべきか、
「三成さんは家康さまの正室である瀬名さまを知らないので、無関係のものを無理矢理関連付けて叩くのは全く意味のない事だと思います」
と書かれていますね。また
「かつて三成さんは星空の下で『話し合い、皆が納得して話を進めていくそのような政がしてみたい』と新しい政のやり方を語っていました」
ともあり、その夢が形になったと書かれています。

この武者さんが何かにつけて「戦無き世」の概念を、「マザーセナ」とカルト呼ばわりするのは、いい加減止めてほしいのですが、最終回まで続けそうな気もします。

そしてニコライ・バーグマン。

このニコライ・バーグマンの花が似合いそうなオープニングは一体何事でしょうか。
『八重の桜』は月毎に変わり、見応えがありました。
あの出来と比べると、今年は本当にしょうもない。
夢や思想をゴリ押しされて辟易としてしまいます。
この駄作は徹頭徹尾、自分の話しかしない鬱陶しいおじさんでも見ている気分だ。
ここで出てくるロゴにも結局慣れることはできません。

これに関しても
  • 『ニコライ・バーグマンの花』と企業が特定できる状態で商品名を出し、誹謗中傷する目的で例に挙げるのは『私の嫌いな作品に使われそうな変なもの』と風評被害や業務妨害を助長したいのか
  • あれはただの押し花ではなくその下には一向宗の経本である『正信念仏偈』が入っており、阿弥陀様への祈りと共にひそかに石川夫妻が瀬名さま・信康さまの供養をしていたという意味の品である
  • 『どうする家康』の演出統括・加藤拓氏『八重の桜』ではチーフ演出、アートディレクターの菱川勢一氏は『八重の桜』ではタイトルバック制作、スチール撮影を担当しているが、プロである他人の仕事にケチをつけ好きな作品にも傷を付けている事にならないか
といった点が指摘されています。

それと加藤氏が演出であることは知っていましたが、ADの菱川氏も『八重の桜』のスタッフだったのですね。
これは今回のVFX担当の西垣友貴氏が、『麒麟がくる』のVFX関連スタッフであるにもかかわらず、今回に限ってはあれこれ注文つけまくりなのとそっくりです。大河やその他ドラマのスタッフは、複数の作品を担当することも多く、武者さんが好きな作品ばかり担当しているわけではないのですけどね…。

そして立膝に関して。

阿茶局にしても、なぜか一人だけ立膝。
ドヤ顔でいつも同じ調子で「私、頭がとてもキレるのw」とアピール感満載で一体なんなのでしょうか。

こちらについては、
「阿茶さんの立膝については『おんな城主直虎』の寿桂尼さまや『麒麟がくる』の武家の女性たちがしていました。
武家では有事に備えすぐに動けるようにするためもありますが、身分の高い人は立膝で座る機会が多かったのだと思います」
とあります。

私は阿茶局の場合は、次回予告を観たせいもあり、動きやすさ、いざという時に身構えできる姿勢が第一かと思ったうえで、身分のある女性の立膝に関しては、瀬名と亀姫の立膝を(申し分程度ですが)例に挙げています。
実際この立膝に関しては、『麒麟がくる』の時に賛否両論があったようですが、これに関しては

「また戦国時代の小袖は現代の着物よりも身幅が広くゆったりしたものだったそうです。
国宝『彦根屏風』では立膝で双六に興じる小袖姿の女性が描かれています。
また徳川記念財団所蔵の雲光院(阿茶局)像も立膝姿です」

と言う指摘があり、さらにその後の朱子学の普及、身分制度の確立、小笠原式礼法の広まりなども、正座が一般的になったことに関係しているとあります。

実はこの戦国時代の小袖ですが、どのくらいゆったりしているかちょっと調べてみたところ、江戸初期までの織物は、幅一尺四寸となっています。これは約45センチです。また小袖用に、少し狭めの布幅の反物もあったようで、これが約41センチから42センチであったようです。
しかし寛永3(1626)年に幕府により、絹物は幅が一尺四寸(約42センチ)、木綿一尺三寸(約40センチ)となります。多少身幅が狭まって来ています。そしてその5年後、丈も7メートルから8メートルであったのが、絹織物は三丈二尺(約9メートル)、綿織物は三丈四尺(約10メートル)となります。
ただし一般庶民の小袖は、作業着ということもあって、そうゆったりした物ではなかったとも言われているようです。あと戦国から江戸初期の小袖は男女とも対丈で、女性が身丈の長い小袖を着ておはしょりをするのは、これよりもっと後の話です。
小袖について
(中世歩兵研究所)

しかし武者さん、『麒麟』の立膝はOKなのに、『家康』の立膝はNGなのですね。

時間がないはずのドラマなのに、秀吉を貶す北政所だけは入れてきます。
これについては陰謀論で、某国勢力とNHKが結びついて秀吉を貶めるなんて言われていますが、そんなわけないでしょう。

この箇所ですが、北政所(寧々)も、「何でも欲しがる病」の秀吉を、数少ない身内として叱っていたことに加え、
「秀吉公死後、子飼いたちの折り合いが悪い事を憂い、「あの人がわやくちゃにして逝ってまったのがいかんのだわ」と寧々さまは吐露します。『わやくちゃ』とは尾張弁で『台無し、めちゃくちゃになる事』です」
とあり、さらに
「最後までやりたい放題で放り出して逝ってしまった秀吉公を思い、寧々さまが家康さまに「治部が上手くできなければ・・・力ある者にやってもらうしかない」と言ったのは、北政所としての裁量と承認により五大老筆頭である家康さまが実質の政務を執り行う権限を与えられたからだと思います」
とも指摘されています。

しかし私もこのコラム関連で書いていますが、なぜあのシーンが「秀吉を貶す北政所」となるのでしょう。
そして家康と徳川家臣団関連。

同時に、家康を持ち上げることだけは欠かさない。
徳川家臣団は諫言することもなく、武勇や知能を披露するわけでもなく、家康をひたすら褒める要員となりました。

かつて本多忠勝が大樹時で、逃げ回ろうとする主君、その当時の元康を叱ったこと、そして姉川の戦いで酒井忠次から
「義とは何か?殿は、皆はわかっておるのか?義なんて綺麗事。これは我らと織田勢を引き裂くための浅井の策略。乗ってはいけない!」
と注意されたことが挙げられています。
無論、この忠次が
「嫌われなされ。天下を取りなされ!」と進言した点についても、
「天下人は嫌われるかもしれない役どころだが貴方ならできると後押しした」と書かれています。

尤も『武将ジャパン』コラムでは、忠次はえびすくい要員だといった書かれ方をしており、この老臣の言葉が何を意味するかについても触れられていませんね。武者さんにしてみれば、この言葉も家康を持ち上げているように取れたのでしょうか。

それ以外にも

これで「若者はこういうのが好き!」って一体何の夢を見ているのですか?
キラキラした韓流華流に流れるだけですよ。
こんな出来損ないのぬれ煎餅をわざわざ食べる気がしません。

これに対しても
「『若者はこういうのが好き!』とは誰が言った言葉でしょうか、提示してください。
貴方が韓流華流に流れたいのなら勝手にどうぞ」
とあります。

若者が好きというのは、若い層がリアルタイムで観ているという記事があったからと思われますが、この大河をちゃんと観ている若い層に対して、
「こんなの面白くないでしょ、韓流華流観ようよ」
と無理やり誘っている印象もありますね。余計なお世話かと思われますが。

そして石田三成役の中村七之助さんに関してのこの部分。

七之助さんはお上手だと言いたい。
しかし、これでは彼の魅力が出ていない。
彼はもっと豊かな魅力がある。
可憐で愛くるしい姿を見せられる役者はそうそういない。
こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。

当然と言うべきか
「『こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。』「私の気に入らない演技や演出を見せるな!」というイチャモンですか。
自分の機嫌は自分で取ってください」
となっています。
私もこれに関して、なぜ七之助さんの別の一面が見られたと捉えないのかと書いてはいますが、武者さんはそういう考え方はしないのでしょう。

さらにその後の『ウォリアーズ』絡みの記述ではこう指摘されています。
「『潤沢な予算を使った関ヶ原本戦の描写は、BBCに勝てない』のなら勝手にBBCを見ていればいいのではないのですか。
他人が好きな物を中傷しておいて自分の好きな物をごり押ししてくるほど人の気持ちが分からない事はないと思います」
この
「他人が好きな物を中傷しておいて自分の好きな物をごり押し」
先ほどの韓流華流と似たものがありますね。

それから何度も出て来る筆の持ち方について。

市の訃報を聞き、家康の手から筆が落ち、ペンのように横に転がる場面がありました。
筆の持ち方をふまえたらありえない場面です。

「お市さまの訃報を聞いた時家康さまは手から筆を落としたのではなく、筆を投げ出しています。
投げ出した際に転がった筆が横に倒れてもおかしくないと思います」
実際一旦筆を止め、しかる後に横向きに持ち、そして投げ出すわけですからこちらの方が自然でしょう。

あと関ケ原のエキストラのデジタル化の件、これをけなしている点についてはこうあります。
「『八重の桜』エキストラのデジタル化の試みや『鎌倉殿』のVFXチームの伊藤熹朔賞受賞を叩き棒にして『どうする家康』スタッフの試行錯誤まで何が何でも叩こうとする、せっかくの受賞が台無しです」

またtaketak39460607さんも、本作の古臭いセンスと学生運動をすり合わせている点に疑問を呈しています。
そして、実はこれは私は知らなかったのですが、
「そういえば家康さまに対する三成さんの「わたくしと家康殿は、違う星を見ていたようでございます。もう、お会いすることもございますまい」と言う決別宣言に関して、ネット上では『あんなに一緒だったのに』と言うガンダムSEEDのED曲をほうふつとさせる感想が流れていました。
今作の視聴者は2000年代前半くらいが当たり世代でしょうか?
因みに第41回のサブタイトルは『逆襲の三成』。
これは『逆襲のシャア』を連想させ、もしやスタッフさんの中にガンダムファンはおりませぬか?と思ったものですが」
今現役のスタッフなら、あるいはガンダムファンは多いのではないかと思います。

そう言えば、最近ちらほらと書いている『葵 徳川三代』で、関ケ原の後、家康が大津城で捕らえられた三成に会い、三成が
「お久しゅうござる」
と声をかけるシーンがありましたね。
あと前回だったか、クレジットに梶原登城氏の名前がありましたが、『功名が辻』での演出クレジットに、この方の名前があったのを思い出しました。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/10/29 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第33回『武将ジャパン』大河コラムその3です。
それから30日の福岡城関連投稿で、阿部進之介さんの名前の漢字を間違えていたので、訂正しています。


本作の制作者は、開き直っているんだと思います。
歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。
たとえば来週の旭姫もそう。
彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。
それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。
しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?

先日も書いていますが、制作サイドは「シン・大河」などと言っていないと思いますが――『麒麟がくる』の時に「大河新時代」と言ってはいましたが。
それと次回のをまだ観てもいないのに、
「ベタベタとした展開になったりするのは、そうでないと「シン・」にならないから」
などと書くのは、武者さんの勝手な決めつけ以外の何物でもありません。
ちなみに次回の予告について先日書いていますが、ベタベタした展開のシーンなどはありませんでした。

こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。

仮に今までの展開を、その真逆にするにしても、それがすなわち「手抜き」になるのでしょうか。

思えば初動から間違っていました。
家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?
昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。
しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。
もうこの時点で誤用が甚だしい。

「○○界のプリンス」などという表現は、特にPRの意味で使われますし、その意味で家康がナイーブなプリンスというのは少しもおかしくありません。プリンスではありませんが、ハンカチ王子なんて言葉もありましたね。
ところで豊臣秀頼も「豊臣家の若きプリンス」という触れ込みですが、武者さんそれにも何か言いそうですね。以前、『真田丸』の中川大志さんも同じような触れ込みであったかと思いますが、ただそれに対しては何も言わなかったかと思います。

徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。

強引ですね。この時点で信頼感が地に落ちていたのであれば、武者さんがあれもよくないこれも駄目と書いていたのは、一体何だったのでしょう。
「家康をプリンスなどとしている、だからこの大河はダメ」
この一言で済んだのではないでしょうか?

これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。
◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)
思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。
脚本が役者さんに信じられていないか。
あるいは、よほど中身がなかったか。

この記事ですが、松重さんのコメントによると

「出奔した後の最後のセリフも本来書かれていなかったセリフをアドリブで言ったんです」と告白。
(中略)
「松本潤家康とどういう別れ方をしたかなって2人で一生懸命シュミレーションした結果が33・34回の放送回だと思います」と具体的な出奔シーンの時期についても言及していた。

「出奔した後の最後のセリフ」
「33・34回の放送回」
とあるのを見る限り、このセリフは第33回ではなく、第34回に家康が上洛し、出奔した後の数正と会って、その時数正がこの言葉を放つのではないかと思われます。何よりも第33回では、家康は「出奔後の数正」と話す機会はありませんでしたから。

そして中島亜梨沙さんのSNSでの
「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」
に関して、
「なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか、
誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね」
とありますが、あの中で中島さん演じるひよは、板垣さん演じる虎松を悪童呼ばわりするため、
「気にしないでくださいね」
という意味で板垣さんのファンに送ったメッセージとも取れます。

しかし武者さんは、収録現場の人間関係がギスギスしているに違いないと思っていたいようです。

そんなギスギスした不幸な関係は、ドラマの描写にも反映されているようで、先週の放送で、秀吉が吐いたセリフが注目されていました。
◆NHK大河「どうする家康」ムロ秀吉の悪口に対するアンサーが話題に 視聴者「全てのSNSユーザーが胸に留めたい」「正論かましてきた」(→link)
徳川軍に罵詈雑言の看板を掲げられた秀吉が、「人の悪口を言うやつはどうしようもない」という趣旨の発言をしたものですね。

この秀吉のセリフを、私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見は多かったようです。
しかし、だとしたら非常に妙なことになる。
秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。
罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。
SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。

ドラマはドラマ、現実は現実とここは分けて考えるべきでしょう。
実際秀吉のセリフは、自分への悪口雑言を書き連ねて、自分を怒らせようとした徳川に向けられています。そして視聴者の中には、ネット上で発言をする際の自分への戒めとしようと思った人もいるでしょう。
しかし結局徳川の目論見は失敗に終わるわけですし、確かにこの時の徳川の考えはやや浅はかであったとも言えます。
とは言うものの、
「SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い」
は、武者さんの僻目ではないのでしょうか?

おまけに、

そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。
作り手の自己批判だったのでしょうか?

だからドラマはドラマ、現実は現実です。ただ視聴者の中には、このセリフが刺さった人もいるでしょうし、そこから先はその人の考え次第でしょう。
図星だったのかも知れませんが、ここまで言う必要もないかと思います。スルーしとけばいい話です。
武者さんて割と冗談を真に受けるようなタイプなのでしょうか。
それにしても「主人公側をぶん殴るとは筋が悪い」
いや、貴方の大河評はいつも、主人公側をぶん殴るに等しいことをやっているように見えますが。

でこの後榊原康政を演じる杉野遥亮さん、茶々を演じる白鳥玉季さんについての記述がありますが、これはまた機会があれば別途取り上げます。特に白鳥さんについては、武者さんが持論を持ち込んで延々と書いていますので。

◆『どうする家康』が放送開始以来の大ピンチ…「BL展開」しか逃げ道がない「ヤバすぎる事情」(→link)
 「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」
一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。
こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。

現代ビジネスの記事ですね。
しかし忠勝が上半身裸で槍の稽古をするのは、もう既に出て来ているはずですが。
あと相撲を取るシーン、武者さん『西郷どん』でも何かのように叩いていましたが、相撲で褌一丁なのは当たり前ですし、こういう男性の裸のシーン即ちBLに結びつくのでしょうか。
では『真田丸』で石田三成が水垢離をするシーンがありましたが、あれもBLなのでしょうか。
それと先日『秀吉』絡みで書きましたが、あの時は秀吉と家臣が褌姿で走っていました。この論理だと、それもBLになるのですね。

確かに『鎌倉殿の13人』で若い層を取り込んだという分析結果もありましたが、今年はもう今さら頑張ったところで無理。
ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう。

この大河は実際若い層を取り込んではいると思います。またSNSとの親和性も高そうです。
にもかかわらず
「今年はもう今さら頑張ったところで無理」
「ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう」
なのだそうですが、何が無理で、何を挽回できないのかはっきりさせてほしいですね。
世帯視聴率ですか?それとも固定視聴層の復帰ですか?

そしてまた中国ドラマとアニメのリンク。

◆中国ドラマ「陳情令」配信4周年記念の切手セット販売、五大世家シーリングスタンプも(→link)
◆アニメ第2シリーズ「天官賜福 貮」字幕版&吹替版で放送決定! PV第1弾が公開&新キャストに子安武人(→link)

関係ない話ですが、このアニメに出演している日笠陽子さん、『はたらく細胞BLACK』の白血球ですね。

先ほどの記事で名前が出てきた松坂桃李さん。
実は彼の「桃李」とは、桃李成蹊を由来としていて、成蹊大学の由来でもあります。
桃李もの言はざれど、下自ら蹊(みち)を成す。『史記』
桃やスモモは何も言わない。しかしその下には、その花と実を求めた人が集い、自然と小道ができるものだ。つまり、優れた徳や誠意の持ち主のもとには、宣伝などせずともそれを求める人が集まってくる。

「先ほどの記事」などと書かず、杉野さん関連の記事であること、杉野さんが松坂さんと同じトップコート所属であることをちゃんと書いてください。
しかし松坂桃李さんを出してくるなら、出演大河もちゃんと書けばいいのに。ただ武者さんは『軍師官兵衛』も『いだてん』も好きじゃないから、書きたくないのでしょうね。

で、好きな『八重の桜』絡みのこのニュースには嬉しそうです。

大河ドラマもそうだと示すニュースがありました。
◆綾瀬はるかさん、今年も特別ゲストに 9月23日の会津藩公行列 福島県会津若松市 福島民報(→link)
もう十年間ですよ。
彼女を呼ぶ会津の期待や信頼感と、綾瀬はるかさんの誠意が今なお合致していて、
「さすけねぇか」
と呼びかける綾瀬はるかさんはすっかり名物です。

その一方で、家康の出演者が信玄公祭りに出ないと書いています。実はこちらの信玄公の方は、ちゃんとした理由があるからなのですが、それを書いていませんね。

『どうする家康』でも、まだ祭りのゲストに出演者が参加することがあるようですが、その一方で一切関わらない祭りもあります。
その代表例が、信玄公祭りでしょう。
◆第50回信玄公祭り 信玄公役が決定しました!(→link)
以前にも触れましたが、信玄公を務めるのは阿部寛さんでも眞栄田郷敦さんでもなく、『大奥』で徳川吉宗を演じた冨永愛さん。
意思決定の経緯は不明ながら、ともかく結果は結果。
なぜ大河ドラマが回避されたのか。あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。

これに関してですが、男性ばかりでなく女性も入れようということになり、富永さんに白羽の矢が立ったようです。

長崎幸太郎知事は「(祭りは)県の新しい姿を見せていく大きな機会」と述べ、女性活躍推進に力を入れる姿勢を示していく方針だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC069XC0W3A600C2000000/
(日本経済新聞)

ちなみに今年は、山本勘助も女性が演じるようで、信玄公だけではなさそうですね。

第50回信玄公祭り 山本勘助役が決定しました!
https://www.yamanashi-kankou.jp/shingenko-fes/50th_kansuke-kettei.html

武者さんは女性参画は好きでしょうから、こういうのはちゃんと紹介してはどうでしょうか。
あと今年の場合、信玄公は主役ではないということもあるでしょうね。それを考えれば、主人公を演じた綾瀬さんが会津関連イベントを10年間務めるというのはわからなくもありません。

そして、この後ですが、

『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については
「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」
といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。

とあり、

徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。
むろん誇張や美化もあるでしょうが、裏切られることの多かった織田信長に対し、一度もそんな素振りを見せていないのが家康。
秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。
実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。
そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?

この家康自身は寧ろ誠実で、だからこそ最初は悩みもし、その中でしたたかさを身に着けては行きますが、本質的な部分は第33回時点であってもそう変わっていないでしょう。そして古沢氏は、そういう家康の成長と変わらない部分とをきちんと描いているかと思います。ただドラマそのものは、この人らしい二転三転した展開、最初から時系列に沿って描かない展開は多めではあるでしょう。

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。

一体何を言いたいのですか、武者さんは?何か変な夢でも見たのですか?
先ほどの桃李成蹊になぞらえたいのでしょうが、この蜂の巣とは何ですか。何かの暗喩ですか。
そしてまた「シン・」だの「つまらないでしょ」だの、すべて武者さんの妄想でしかありません。
同じ揶揄するにしても、もう少しまともな方法はないかと思ってしまいます。
こんなことで引き合いに出される松坂桃李さんが気の毒になります。官兵衛の長政好きなのに…。

それと先ほどの大河絡みで書きましたが、松重さんに加えて松坂さんも綾瀬さんも出して来たのなら、ここで『いだてん』の話を…とは、なりませんかやはり。

「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

バカとまでは言いませんが、武者さんが『どうする家康』を、大河レビュアーであるにもかかわらず、少しも理解していないのは、残念ながら事実でしょう。

2013年と2023年の大河ドラマの違いとは、誠意の問題だと思います。
信頼関係を無茶苦茶に破壊しておいて、この後どうするつもりなのか。

どこが「誠意の問題」なのでしょうか。
今年のスタッフは誠意がないと言わんばかりですね。
そして「信頼関係を破壊」、この信頼関係とは具体的に何なのでしょうか。

皆さんの意見はNHKへ直接送りましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

ではまた支持の声と、それからラグビー中継に関して一言送っておきましょう。

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/09/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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