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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムのその2です。先日、このコラムの最後の方の箇所に触れていますが、あれで終わりではなくまだ続きます。それとその先日分にいくらか加筆及び修正をしています。


「松山ケンイチさんの本多正信はよい」という意見もあります。
言わんとするところはわかります。この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています。
経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう。

「この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています」
何をもってそう言い切れるのか不明です。武者さんがそう思いたいからではないでしょうか。
それと
「経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう」
子役に対して随分失礼な言い方ですね。

そしてその後、
「確たる脚本や演出があって演技をするというのは、栄養を補給しつつ走るようなものだと思います。だからこそ遠くまで走れるし、パフォーマンスも発揮できる」
「それができないからと自分の解釈力に過剰に頼りすぎると、ハンガーノックを起こさないか不安になってきます。疲れるだろうし、すり減ってしまうのではないかと」
などとあります。
脚本も演出も中身がないと断定し、松山さんが解釈に頼りすぎていると一方的に主張し、なおかつ、ハンガーノックを起こさないかどうか心配だというのは、武者さんの勝手な決めつけに過ぎません。個人でやる分には構いませんが、こういうのをレビューなどと呼ばないでほしいです。

彼だけ浮いてしまうのは他にも理由があります。
正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ。
他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思えることもあります。ケミストリーがちゃんとしている現場だとうまく回るけれども、これでは食い合わせが悪いメニューのようだ。

「他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思える」
これも他の俳優さんに対して失礼では?というか、松山さんにも失礼かと思いますが。
そして
「正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ」
と言うよりは、他の如何にも三河武士といった家臣たちとは一線を画した、口達者なキャラだから目立つ存在なのではないでしょうか。

時代劇には、特有の所作や作法があります。
しかし、それがしっかりなされていないため、現代劇の名探偵キャラクターの型で演じているようにも思えくる。
彼が実力のある役者だということはよくわかる。しかし、あの「本多正信」に見えるかどうか?というとそうでもない。
もっともこれは彼だけでもなく、岡田准一さんやムロツヨシさんにもあてはまります。
つまり役者でなくチームの問題です。

ここでまた「時代劇の所作や作法」ですが、武者さんがそれを具体的に説明したことがあるでしょうか。それがしっかりなされていないとは、どのようなことを指しているのでしょうか。
そして「あの『本多正信』に見えるかどうか」、本多正信も作品によって描かれ方が違うと思いますが。岡田さんの信長しかり、ムロさんの秀吉しかりでしょう。
キャラ設定を批判したいのなら、チームより制作統括に責任があるとなりますが、私はそれぞれのキャラは面白いと思っています。
そして合戦シーン。

合戦については、これまであまりに評判が悪かったせいか、若干の改善が見られます。
VFXを減らし、実写を増やした。

と書かれており、「多くの視聴者から上がった抗議の声を全く気にしていないわけでもないかも」ともありますが、こういうロケ日程はかなり早い時期に決まっているでしょうし、時間をかけて行軍するとか、合戦で多くの馬を走らせたりするのでなければ、普通にロケをやっているのではないでしょうか。

ただし、小手先だけではどうにもならないことがある。
例えば、秀吉の強さがまったく見えてきません。
大軍を稼働させるために必要で重要な兵站も、外交も、行軍速度も、鮮やかな攻め方も何も描かれていない。
兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない。

この大河では秀吉の強さよりも、家康のライバル、ひいては主君となる秀吉がメインとなっていると思います。ですから武将としての秀吉は、意外に描かれていません。戦場での秀吉は描かれるにしても、たとえば金ヶ崎での大げさに自己主張をするシーン、光秀の首を見るシーンなどが比較的多いように思います。
この間も書いていた「中国大返し」について言いたいのでしょうが、ならば『軍師官兵衛』を観た方がいいのではないかと。

そして、戦国大河なのに戦下手だとあり
(戦のシーンの描写が下手と言いたいのでしょうか)

『江』や『花燃ゆ』は主人公が戦略に疎くても仕方ない。
慶長出羽合戦をすっ飛ばした『天地人』、西南戦争のオチがBL破局じみていた『西郷どん』といい勝負……って、その位置で満足なんでしょうか。

女性主人公大河でも戦闘シーンはありますよ。ちなみに『花燃ゆ』の功山寺の決起と大田絵堂の戦いは割とよかったです。
そして『天地人』、最上軍の襲撃はわずかですがありましたし、『西郷どん』の西南戦争は、西郷が自決せずに銃弾を受けるという描写になっていましたが、BL的なのはありましたか?大久保が、降伏すれば西郷は助けると電信で伝えたことですか。でも、政府軍襲撃の前ですよあれは。
何だかもう戦のシーンとか登場人物の戦略とか、同じ戦絡みであるものの、互いに異なる要素ががごっちゃになっていませんか。しかも上記4作品の戦闘シーンと、この大河の戦闘シーンとどう関わりがあるのでしょうか。比較対象もおかしくないですか。

武経七書は無理にせよ、『孫子』くらい読む時間はあったはずです。

では伺いますが、制作陣が『孫子』を読めば完璧な戦闘シーンが作れるのでしょうか?

このドラマで一番強いのは、わけのわからんナレーターかもしれません。
ナレーターがキンキン声で語るだけで、戦が片付いていきますもんね。
燃える北ノ庄は昭和レトロな、古い映像の使い回しでした。
となると、VFXをあえて減らしたのではなく、単に納期が間に合わなくなっているのかもしれません。だとしたら危機的状況ではないでしょうか。

また武者さんが好きな「危機的状況」。
取りあえず、武者さんが寺島しのぶさんの声が嫌いだというのはわかりました。
そしてこの大河の場合は、何かにつけネガティブな方向に捉えていますが、別に貴方が心配するものではないでしょう。
そして「昭和レトロ」、これも武者さん好きですよね。ただあの炎上シーン、どこが「昭和レトロ」なのかちゃんと解説して貰えないでしょうか。

ナレーターがくだらない口調で北条を説明しています。
戦から遠ざかっていて実戦に弱いというような描き方はいかがなものでしょう。
汁かけ飯も『真田丸』を台無しにするような浅い解釈です。
そもそも、なぜ北条をいまさら出すのか。
北条と徳川、今川、武田はこれまでも深く関わりがあったでしょうよ。

「演出も脚本も中身がない」
「ナレーターがくだらない口調で北条を説明」
なのによく毎週観ていますね。
そしてなぜ北条をいまさら出すのかということですが、これは旧信長領=武田領を巡る争いであり、北条に渡すなとドラマの中でもちゃんと言っているのですが。
そして汁かけ飯と『真田丸』の関係がどうこう、作品が変われば描写も変わると思います。

まぁ、本作に兵法を望むなんて贅沢すぎますよね。
お市が本当の総大将ってだけで、もう勘弁です。
「名目上の総大将は、実は私なの!」
なんて誰かが言い出したら、錯乱したという名目で斬り捨ててしまいましょう。殺すことに気が引けるならば、投獄でもOKです。

お市=総大将は2回出て来ます。
まず綿布が送られて来た時は、お市自身が自分は総大将だと言ったのではなく、大久保忠世がそう言っているだけです。
2番目、落城の前に娘たちを城から出した時は、自分も勝家と共に運命を共にするつもりでああ言ったわけでしょう。無論、秀吉の許に身を寄せるくらいなら、ここで死んだ方がましだという思いもあったでしょうし。

お市も自分がスゴイと酔いしれている様子でしたが、いつどこで戦いを戦略や戦術を学んできましたか。
合戦は体育祭ではありません。
本作は、お市がしゃしゃり出ることを女性の活躍だとでも思っているようだ。
あんな怖い表情をさせて説明台詞を読ませることが女性の活躍? 冗談はやめてください。

お市はしゃしゃり出ているでしょうか。
秀吉が侵略しようとしている織田家を守る気持ちはあったでしょう。秀吉の許にいた三法師を、岐阜に連れて来てもいます。またお市は兄の具足を着けてはいますが、戦場に出ているわけではありません。ただいよいよとなった時に、将来のある娘たちは逃がして秀吉に託したわけですが。
そしてまた「説明台詞」ですか。

愛の近眼設定は、完全に消えました。
前回のレビューで、レーシックでもしたのかと突っ込みましたが、鷹が空高く飛んでいく姿も目視できたので、望遠鏡でも手に入れたのかもしれません。
どうして彼女が近眼か?というと、眼病の人々を気に掛けた逸話があるから。
本作では、その逸話を最初だけテキトーに取り込み、「ドラマを描くにあたって勉強しているよ♪」とでもアリバイ工作したのでしょうけど、途中から完全に忘れてますね。
脚本家は、あまりにも視聴者をバカにしていませんか?

この時の於愛ですが、正信が何度も鷹を呼び、しかも鷹笛まで吹いていたのに戻ってこないことから、行ってしまったのかと察したのではないでしょうか。そして彼女の場合、鷹がいなくなる=正信が鷹匠としてすることがなくなるということは、家康に同行させるうえで有利にもなりますし。
そして正信が去った後、鷹に向かって呼びかけていますが、あれは目視ではなく鳴き声を耳にしたからですね。

幼少期のお市回想シーンが意味不明です。
なぜ彼女は甲冑を着て水に飛び込んだのか?
入水して命を断とうとしたとか?
甲冑は重い。甲冑姿で水に飛び込んだら助かりません。それを子どもが助けるなんてできないでしょうよ。
つくづくこのドラマは子どもに見せてはいけない。ああいう場合は大人の助けを呼ぶしかありません!

「意味不明」て、このシーン第4回の「清須でどうする!」で出て来ますよ。あの時竹千代が鎧をつけたまま泳ぐ訓練をさせられていたけどうまく行かない、情けないと思った彼女は、自分も腹巻を着けて飛び込んだけど溺れてしまい、竹千代に助けられていましたね。
そしてこの時竹千代は
「こっそり水練をなさりたい時は自分を呼ぶように、お市様のことはお助けします」
と言い、それが賤ケ岳の戦いにまでつながっているわけです。

そしてその後に水難事故防止のキャンペーンて、武者さん何を急に真剣になっているのですか?

家康は、これほどしみじみお市のことばかり思い出していて、マザーセナに申し訳ないと思わないんですかね。
しかも、この場面で愛が出てくるから最低だ。仏間でしんみり祈る程度のことすらできていない。

織田家の人質にもなっていたのですから、それは思い出すでしょう。しかも秀吉が勝家を攻めているのですから。
そしてなぜここで於愛が出て来てはいけないのでしょうか、彼女は今の家康を支える女性なのですが。

『青天を衝け』も、妾が大勢いた主人公でした。
今にして思えば、あの女遊びロンダリング技巧は、道義的には最低ですが描き方としてはしてやったりだったのかもしれません。
あの渋沢栄一は一応「千代が一番!」という建前を振りかざしていた。
妾は「相手が誘ったから」という誘導。後妻を迎える時も前妻をアリバイとして持ち出す。
その程度の知恵はありましたからね。
今年は、そうした最低限の嗜みもなく、ただ美女とイチャイチャしたいという欲求がダダ漏れです。

あの時代と戦国時代はまた違いますよ。第一家康の正室の瀬名はもういないし、ならば息子を2人産んでいる於愛が、中心的存在になるのはありうる話です。
それに今の家康に「女とイチャイチャしたい」などという暇はないはずですが。

しかし最近『青天を衝け』叩きがないなと思っていたら、やはり出して来ましたか。

茶々が徳川を恨む理由がわかりません。
なぜこの状況で助けに来ないからと恨むのか?
殺した秀吉でなく家康を?
本作はわけのわからぬ逆恨みが非常に好きなようで、家康が信長を恨む理由もわけがわからなかった。
スーパーマーケットの「お客様の声コーナー」にある無茶苦茶な投稿みたいなセンスですよね。
「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」
いや、他の店に行けよ!と言いたくなる系のご意見。そういう怪文書ドラマを大河でやらないで欲しいのです。

茶々はお市から昔話を聞かされています。当然水に溺れそうになったお市を、当時の竹千代が救った話も聞いているでしょう。そういういきさつがあるのに、助けに来ないのはひどいと言っているわけです。まあこの年齢の少女らしくはあるのですが、もちろんお市はそれに対して、戦とはそのようなたやすいものではないと諭していますね。

それと「殺した秀吉」とは、「誰を」殺した秀吉ですか。この時点では、勝家もお市も自害しておらず、秀吉に殺された(追い詰められて自害した)とはならないはずですが。
また家康が信長を恨むのは、瀬名と信康のことがあるからではないのですか。

あと
「「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」」
これ、
「私が好きな大河のとおりになぜ書かないんですか!他の大河にはこのシーンがあるんですよ、ちゃんと書いてください」
と常に言いたげな武者さんを思わせます。いや他の店に行けよ、ではなく、ならば観ないでおけばどうかと言いたくなります。

夫を殺された云々を言い出すお市。
しかし、その夫と子の死因になった兄を慕って、織田のプライドを語る論理展開がどうしても理解できません。
織田家を存続させたいならもっと他にすべきことがあったのでは?
兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送るとか、やるべきことはあるでしょうよ。
それなのに意味なく綿布を徳川に送る……って、何をしているの?

まずこの大河では、夫の死はあっても子(万福丸)の死は出て来ません。
そして兄信長の家臣であった秀吉が、織田家を食い物にしようとしたからこそ、織田家の娘であることを主張し、悔いはないと自害の覚悟を決め、娘たちに後を託したわけですね。

そして「織田家を存続させたい」とはお市は言っていないはずですが。
「兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送る」
送って、どうするのですか?
「意味なく綿布を徳川に送る」
意味はあるでしょう。あの時お市は誰を待っていましたか?

このドラマは、顔をアップにして、役者の演技力に頼り、長くて中身のない台詞を読ませますね。
毎回同じパターンですよね。本能寺の信長もしつこかった。いい加減さっさとと退場してくれ。そう言いたくなるほどくどいお市でした。

お市が城を出るのを拒むシーンですか。あのセリフに中身がありませんか。
だからお市の気持ちがわからないのではと言いたくもなります。

それよりも、この4行ほどで1つのパラグラフを作っていますが、その必要があるのかなと思います。

飲み物-おしゃれなグラスのビール
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[ 2023/08/10 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第25回に関しての武将ジャパンの記事について-5

『武将ジャパン』大河コラム関連その5です。


まずここの部分ですが、

先日、痛ましい事故がありました。
◆潜水艇の残骸引き揚げ、遺体の一部も発見か 米沿岸警備隊が発表(→link)
紛れもなく悲劇で辛い事故でしたが、一方で、あまりにも無謀な彼らの行動に、驚きませんでしたか?
瀬名の「大掛かりな詐欺行動」もそう。杜撰で愚かな策でしかないから、批判されているのです。

どう見ても牽強付会でしょう。このコラムの特徴として比較対象が適切でないという点がありますが、これもその例に洩れないと言えそうです。とにかく叩くためなら何でもありなのでしょうね。またそれ以外の特徴として、時事ネタを絡ませたがるという点も挙げられます。つまりこの部分は、如何にも武者さんらしい書き方と言えそうです。

にもかかわらず、なぜ今年の大河を受け付けない、古参のファンが駄目人間であるかのように誘導されなければならないのか。
今回の記事だけではなく、当初からずっとそうした引っ掛かりはありました。
『平清盛』以来、本作のトップにいる磯氏は「古参の大河ファン」が嫌いなようにすら思えます。
そんな連中を一泡吹かせる革新的な大河を作るのだ!というシナリオに固執している。
そのことが水源に流れ込む毒となっている気がしてなりません。

にもかかわらずも何も、瀬名の構想を大掛かりな詐欺行動と一方的に決めつけ、それだから昔からの大河ファンがついてこないのだとこれも強引です。そもそも武者さん、自分が好きな大河の場合、それを批判する昔ながらの大河ファンを嫌っていなかったでしょうか。昨年のスクショを探せば、あるいはそれに当該する記述があるかも知れません。結局自分が叩いた相手も、嫌いな大河を貶めるためなら利用するということでしょうか。

それと
『平清盛』以来、本作のトップにいる磯氏
とありますが。これだと、『平清盛』が放送された2012年以来ずっとという意味に取られがちです。

そしてここでも「水源に流れ込む毒」。その毒がファンダムに根付いておかしなことになっている云々。その前に蛇足の逸話(描かなくてもいい蛇の足を描いたばかりに、自分が飲む酒を飲まれてしまった)を持って来ているので、何の関係があるのかと思っていたら、

「この素晴らしい深掘りをみて! クソレビュアーみたいなアンチも、きっとこれを読めば変わると思う!」
そうわざわざアンチのハッシュタグを使って、拡散する人がいるわけです。
陰謀論や無茶苦茶なシナリオにハマりがちな人って、友達がいないとか、隠キャだからとか、そういうことでもありません。
自分が不当な攻撃を受けているという思いこみ。
自分は他の人よりも優れているという思い込み。
これが合致し、それを訂正しない仲間同士で囲いを作れば、あとはどこまでも堕ちてゆきます。
蛇足でたとえるならばこうだ。
「でも蛇に足があったらかっこいいと思いませんか? それなのに酒を奪われた私は不幸! みんなもそう思うでしょう? 私こそ一番優れているのに……」
そうネチネチ言われたところで「蛇に足はないからね」と返すしかない。そういうわけのわからない状況が生まれています。

何を言いたいのかよくわからないのですが、下手に蛇足など絡めない方がいいとは思います。
そして何よりも、
「自分が不当な攻撃を受けているという思いこみ。
自分は他の人よりも優れているという思い込み」
とありますが、武者さん自身があらぬ思い込みに囚われているように見えてしまいます。さらに

そういう不健全なループが大河ドラマ周辺に漂っていて困ったものですが、D(どうする)アノン現象なんて起きたら、どうしたものかと。
『どうする家康』は、シナリオの作り方が陰謀論者じみていることも問題です。

2020年アメリカ大統領選絡みのQアノン現象をもじっているのでしょうが、ここまで来るとやはり誹謗中傷の類に入るのではないでしょうか。しかし陰謀論者じみているというのもどうかと思いますね。
そしてこんなのも。

『どうする家康』を褒めるついでに、『鎌倉殿の13人』配信停止を喜ぶ投稿までされていたことには、驚きました。

その投稿のスクショは取っていないのですか?なぜ取らなかったのですか?でないと裏付けがありませんよ。

もう一つ、反論したいことがあります。
(中略)
アメコミ由来の「冷蔵庫の女」という概念もあります。
要するに、プロットの都合上、ヒロインが死んで、そのことでヒーローが奮起するというパターンです。
このドラマの作り手は、家康という題材をみたとき、天下統一や江戸幕府を開いたといった話はすっとばし、こう思ったのでしょう。
「ヤッベwwこれだとヒロイン殺せるじゃんwww美男美女キャスティングにして盛り上げられるしwww」
ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね。
(中略)
田鶴だの、阿月だの、今まで描かれてきた女性にしても、自己実現と命を引き換えにして散ってゆきます。
(中略)
歳をとって“賞味期限”が切れた女なんて邪魔なだけだから、殺してでも入れ替えていくのがいいに決まっているんですよ。と、ミソジニストの考え方ならそうなる。

制作陣叩きにしては度が過ぎていますね。ちょっと問題かも。
で、この田鶴と阿月ですが、まず田鶴は多くの史料で討ち死にしたとあるため、これは制作側の意図とは別のものです。
そして阿月が金ヶ崎までを駆け抜けたのは、主であるお市から命じられたいわば使命感でしょう。
そして田鶴の死は家康を悲しませましたが、その次の回で家康を奮起させたのは信玄の駿府陥落でした。
阿月の場合は彼女の死を無駄にするなと信長に詰め寄り、お引き候えはお市様の指示じゃと言うわけですが、するとこの場合家康を奮起させたのはお市ということになります。

しかしどういう考え方をすればこうなるのでしょうね。
あと命を引き換えにする女性の中に、瀬名の名前がありませんね。

『麒麟がくる』でやたらと“ファンタジー”と叩かれた駒を思い出してください。
初登場時は主人公に恋する少女だったのに、BBAになっても死なない、そのくせ足利義昭の愛人になりやがった、という批判がされた。
実際は愛人などになっていませんが、いつまでもしつこく単純な事実誤認をする人からするとそうなるらしい。
しかも駒は頭が切れる。
女なんてエロか家事育児しか価値がないし、バカしかいないのに、“ファンタジー”すぎるよな!
……と、こういうミソジニーを炸裂させた界隈からすれば、今年のヒロインを殺して入れ替えるシステムは画期的でしょうね。古典的なのですが。

個人的に駒がおかしいと思うのは、どう見ても越権行為的なことをしていたからで、あのまま夫や子を持たなくても、薬屋として大成し、東庵共々将軍家に出入りする程度であれば、そこまで言われなかったのではないでしょうか。
そして義昭に常に仕えていた以上、側女と考えられても不思議ではないでしょう。
しかしここまで考えますかね、勘ぐり過ぎでは。

あとこれも前に書きましたが、武者さんの場合、『麒麟がくる』の女性キャラで引き合いに出すのは大抵駒、あるいは帰蝶であって、主人公の妻である煕子が出て来ないのですが、これはなぜでしょうか。
そしてその後はミソジニー関連で延々と、しかも『どうする家康』の制作者もミソジニー的考えを持っていそうだとかなんとか。
何かこじらせてるように見えますね。

そしてまたこれを持って来ています。

寿桂尼すら出さないドラマで、女性の活躍だの最高のヒロインだの、笑止千万でしかありませんので。
大河とその周辺に圧倒的に不足しているのは「フェミニズム批評」に思えます。

なぜ寿桂尼が『どうする家康』に登場しないのか、まだわからないのでしょうか。
そしてこの場合の「大河」とは、好きな大河も含むということでしょうか。「大河」だけだと守備範囲が広すぎると思いますが。

一方で、「『江(シエという表記を使う人も多い)』や『花燃ゆ』よりはマシだ! あれを見たことがないのだろう!」というわけのわからない、ミソジニー混じりの擁護もなされます。
こういう方に「『どうする家康』って、スイーツ大河ですね」というと怒るでしょうね。
私としては、この2作よりも本作は出来が悪い。大河ドラマは女性主演、女性脚本家だとより叩かれやすくなる、そんなミソジニーがあるのだと納得させられるばかりです。
NHKは大勢の人がいて、男女比ならば男性比率が高いでしょう。それでも駄作大河は女のせいにする。煮詰めたようなミソジニーではありませんか。

結局武者さんは『家康』叩きのために、『江』や『花燃ゆ』の方が面白いとまで言い始めたようです。嫌いな大河を何が何でも叩くために、かつて叩いた相手を利用しているように見えます。これじゃ手のひら返しです。
またスイーツの基準は人により様々ですが、私としては『家康』は全くスイーツとは思えないのですが…武者さんの場合、嫌いな大河すなわちスイーツという、きわめて単純な発想なのでしょうか。
それと男女比で男性が多い、だから駄作大河(これも基準が不明)は女のせいというのも飛躍しているなとは思います。

そして
「大河ドラマは女性主演、女性脚本家だとより叩かれやすくなる、そんなミソジニーがあるのだと納得させられるばかりです」
女性脚本家が叩かれやすいのはミソジニーと言うのなら、『江』や『花燃ゆ』同様に嫌っている『西郷どん』と『青天を衝け』、こちらは男性主演でも脚本家はやはり女性です。ならば武者さん的には、これらの作品もミソジニーによって、「部分的であれ」不当に貶められていることになりますね。しかしこの2作を『どうする家康』よりも素晴らしいと、武者さんが評価したようには見えません。
もうひとつ言えば、やはり女性主演で女性脚本家の『篤姫』が成功したといわれた理由は、一体何だとお思いでしょうか。

さらにその後で、

そこで、私なりの解毒剤を用意しました。
こちらのアルテイシア氏の記事をお借りします。

とあり、

マンスプレイニング
マンタラプト
ヒピート
トーンポリシング
ワタバウティズム
シーライオニング

などの用語が挙げられています。マンスプレイニングは以前に多少触れたかも知れませんが、詳しく知りたい方は恐れ入りますが検索してみてください。武者さんが飛びつきそうな言葉ではあります。

ちなみにこのワタバウティズム関連でこんなことを武者さんは書いています。

甲の問題について話してるのに「だったら乙はどうなんだ?」と論点をずらしをする。
「『どうする家康』の衣装はひどいなあ」
「『麒麟がくる』もひどかったと思いますwww」
「『どうする家康』のえびすくいはいらない」
「『鎌倉殿の13人』でも全成が風を呼んでいたのにwww」
擁護記事でも多いです。
過去の作品にもそういうことはあったという誘導。その出来が悪くつまらないから、批判しているわけです。

まず衣装ですが、『どうする家康』の衣装は公式サイトにあるように、その当時の染色にできるだけ近づけており、それに比べると『麒麟がくる』の場合は妙に化学染料ぽいわけですね。しかし『麒麟』の場合も美濃や三河と京、さらには武士と公家と農民で分けて、農民は粗末な衣装、武士は草木染、そしてあの染色は公家といった風にすれば、まだよかったのではないかとは思います。
あと「えびすくい」と全成の嵐を呼んでいたのと、何か共通点がありますか?

また大河同士の比較と論点ずらしですが、この場合寧ろ逆もまた真なりです。
「『麒麟がくる』の衣装はひどかったなあ」と言われた武者さんは恐らく
「『どうする家康』もひどいと思います」
と論点ずらしをするのではないでしょうか。
と言うか、ほかならぬ武者さんが、好きな作品を叩き棒に、論点ずらしを率先してやっているようにも見えます。しかし武者さんは認めたくないかも知れませんが、『麒麟』が好きでなくて『家康』が好きな人ももちろん存在するわけなのですが。

それにしても、私は心が栄養不足です。大河ドラマで武士道の補給ができず、深刻な武士道不足に悩まされています。
なまじ題材が武士でない年ならまだしも、今年は存在そのものが武士を出す出す詐欺であり……。
もしかして、このドラマそのものが「大掛かりな詐欺行動」であるとか?

子供じゃないんですから、自分で何とかしてください。『どうする家康』で満足している人もいるのですから。

あとやはり思うのは、
「ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね」
「女なんてエロか家事育児しか価値がないし、バカしかいないのに、“ファンタジー”すぎるよな!
……と、こういうミソジニーを炸裂させた界隈からすれば、今年のヒロインを殺して入れ替えるシステムは画期的」
などと書く武者さん自身が、一番女性を軽視しているように見えるということです。
(2023年7月9日加筆修正)


飲み物-パブのビール1
[ 2023/07/09 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第24回に関しての武将ジャパンの記事について-4

では『武将ジャパン』関連その4です、多少長めになります。


武田勝頼が悪いことにしたい――それはわかりましたが、そもそも、こんな無謀で非現実的な策を放置した徳川家康も悪いでしょう。将たる者は責任を伴います。
(中略)
家康といい、瀬名といい、キョトンとした顔で「知らなかったんですぅ」「悪気はなかったんだもん」と言い張れば免罪されると考えているようだ。

武者さんドラマ本編をちゃんと観たのでしょうか。
勝頼はこの場合悪役ではなく、本人なりの事情があってこの取り決めを破棄するに至ったわけですし、家康は別に放置したわけではなく、家臣たちからも疑問を持たれながらも、何とかこれを死守しようとしていたわけです。それが勝頼の翻意により、窮地に陥ってしまうことになりますが。
それと「知らなかったです」も何も、瀬名は全ての責任はすべて自分が背負う覚悟と言っていますよね?

このだらけきった幼稚な主人公たちと、本作の制作スタッフの顔が重なってくる。
どんな作品になろうと、誰も責任を取る必要がないから、こんな弛緩しきった状況になっているのでしょう。

ここでまた登場人物と制作スタッフ叩き。
「誰も責任を取る必要がないから弛緩する」
何か非常に既視感があるのですが。

本作については見えてきたものがあります。
「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
推察ではあるのですが、。
そして合戦や謀略がつまんねーwww となった。
『麒麟がくる』の漢籍なんてどうでもいい、むしろ嫌い。
漢文なんて授業でいらねーwww と思っていそう。
(中略)
金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた。

「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
どのように考えたらこのような発想になるのかわかりません。と言うか、これが外れたらどうなるのでしょうね。武者さんちゃんと責任を取るのでしょうか。
「作り手は『真田丸』『おんな城主 直虎』『麒麟がくる』は勉強として見たのでしょう」
あの、『軍師官兵衛』も10年以内の戦国大河ですけど。
そして
「金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた」
「なんやかんや」でしょうか?
浅井長政の裏切りがあり、家康も裏切るべきかどうか迷い、さらに信長との対立、阿月の疾走、そして彼女は人買いに買われたという中世らしさまで盛り込んでいましたが。ところでここで、家康と秀吉がしんがりを務めたことになってはいますが、これに関しては異説もあります。

そうなると以下のようなイベントもカットの嵐でしょう。
・本能寺の変
・伊賀越え
・天正壬午の乱
・大坂の陣
関ヶ原は、近年やってないからこそ、やる。

どう思うかは武者さんの勝手ですが、本能寺の変は、5月4日に本證寺でトークイベントが行われた際、磯プロデューサーが
「実は昨日『本能寺の変』を撮影した」
と話しています。

こうなると真田昌幸はどうするのか?
なんか悪そうなギラつき顔をしつつ、昼間から女中といちゃついたり、遺体を蹴り飛ばしたりする。
そしてやたらと「戦国の怪物だあ!」と周囲がアタフタ騒ぐ。
そういう“謎の存在”として済ませるのでは?
真田幸村も出てきた瞬間に消えそうです。
そのぶん淀の方の最期をねっとりと描きそうで……このドラマは美女の惨殺が好きですからね。
だとすれば『鎌倉殿の13人』の上総広常が上書きされる心配もないかな。

これも武者さんの妄想にしか見えませんが、違った時はどうするのでしょう?瀬名のようにちゃんと責めを負う覚悟ですか?それに「レビュー」とは今後の予想をする場なのでしょうか。多少はあってもいいかと思いますが、あれもこれもと決めつける必要もないと思いますが。
それと
「このドラマは美女の惨殺が好き」
「美女が惨殺される」シーン、そんなに多いですか?

それから制作サイドが、「これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で描く」と語った記事について。記事本文はこうなっています。

金ヶ崎の戦い、姉川の合戦、そして三方ヶ原の戦いは、これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で家康と信玄の直接対決を描きます。
その後も大賀弥四郎事件、長篠設楽原の戦い、築山事件、武田討伐、本能寺の変、伊賀越えと歴史イベントが目白押し。戦国時代のど真ん中を家康とその家臣たちは駆け抜けていきます。

一体このドラマのどこに圧倒的なスケール感があったのか?
「言うだけならタダ」とばかりに視聴者を煽るだけ煽って、ナレーションで終わったり、CG馬の集団で視聴者をガッカリさせたり。事前に、壮大な触れ込みを平気で出す作品をもはや信じることなどできないでしょう。

あの姉川の川べりの布陣や兵の数の多さ、そしてその兵が次々に倒れて行くシーンから何を読み取ったのでしょうか。大賀(大岡)弥四郎の岡崎クーデターもそのきっかけと、首謀者たちの主張が描かれていましたし、設楽原の戦いは言わずもがなでしょう。
以前平原学氏のnoteに、この大河では戦を華麗に描くのではなく、寧ろ犠牲となる者に焦点を当てているといったことが書かれていましたが、そういう視点で見る限り、かなり観る側にインパクトを与えたのではないでしょうか。

ところで先日、このコラムで瀬名の構想と、ロシアの内戦を絡めた箇所があるのをご紹介していますが、あれなら、この大岡弥四郎の件と内戦を絡める方がまだ納得できます。

本作は、つくづく少年漫画雑誌のラブコメ枠感覚だと思ってしまいます。
バトル漫画はそういうのが得意な作家に任せて、俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ! うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww
こういう頑健なメンタリティだからこそ、今年の大河となっているのでしょう。

「俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ」
「うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww」
何でしょうねこれ。
昔から嫌いな大河には侮辱とも取れるような言葉を平気で投げつけ、そして今年はそれが特に激しいように思われますが、しかしよくこんなこと書きますね。武者さんがおじさん構文好きなのも納得です。

なんでもこの瀬名はジャンヌ・ダルクを意識しているとか。どこに共通点があるのでしょうか。

で、『八重の桜』の八重はジャンヌ・ダルクだが瀬名は違うとかなんとか。瀬名は戦にこそ加わらないものの、そしてその計画そのものは戦国の世では惰弱なものであっても、権力者としての男性の中で、自分の思いを通した人物としてこの大河では描かれており、それがジャンヌにどこか共通するものがあるからでしょう。

本作の戦争・軍事描写は、どうしてこうも薄っぺらいのか?
『麒麟がくる』では、何気ない場面でも、戦争で不自由になった人々が物乞いになっている姿が映っていました。
そういう社会に残る傷が、生々しい戦争の傷跡を映し出すものです。
散々文句を言われていた駒だって、戦災孤児です。
あの駒を“ファンタジー”だのなんだの報道したメディアは一体何だったのか。
ヌクヌクと生きてきた“戦争を知らない子どもたち”の成れの果てが、面倒くさいし見たくないと罵倒したくなる“ウザい存在”だの“ノイズ”だったんですかね。

「どうしてこうも薄っぺらいのか」これも武者さんが使いたがる表現ですね。
で、例によって『麒麟がくる』では、物乞いの人々が戦の傷跡を映し出すとありますが、では、三河一向一揆の回で人々が寺内に集まる、あれも戦で生活に窮した人々を描いていないでしょうか。しかも武者さんはその点に言及するどころか、カルト呼ばわりしていますが。
そして何かにつけて「駒」。もう駒も迷惑しているのではないかと思われます。
しかも駒が薬屋で終わっていれば、それでよかったでしょう。それが将軍の側女になったり、大名屋敷に出入りしたようになるのが不自然に感じられたわけです。

昨年の朝ドラ『ちむどんどん』の不評理由について、識者は「本土の視聴者は沖縄戦なんてどうでもいいから」と解説していました。
そんな沖縄人の忘れられない傷よりも、本土住民がキュンキュンしたい恋バナをやれってことでしょう。
どこまで傲慢なのか。こういう軽薄な傲慢さを信じ込んだ手法を信じた大河が、この惨状なのでしょう。

どうも強引に戦国大河と『ちむどんどん』を結び付けていませんか。この2つは別物ですし、またその中で描かれている戦争もまた別物です。そして「どこまで傲慢なのか」また「どこまで~なのか」ですね。そこまで言うのなら、その識者の方と意見の交換をしてみては如何でしょうか。

そう言えば『ちむどんどん』の後の『舞いあがれ!』、この中で五島の少年、一太の弟が生まれた記念にばらもん凧を揚げる際、一太が舞にその役を譲ったにもかかわらず、舞が横取りしたように書いていた武者(小檜山)さん、あれは改めるべきではないかと思います。

で、その後また駒叩きがどうのこうの。戦争体験者の体験談をバカにしてイキる青少年がどうのこうの。彼らの幼稚なメンタリティが痛々しい。こういうのは、別のコラムなり何なりでやって貰えませんか。それよりドラマ本編をきちんと観て、あらすじもこのスペースを使ってきちんと書いてほしいのですけど。

その後過去の大河が再評価されているとして、

『八重の桜』についてもう少し。
あの作品は今、再評価が進んでいます。
長谷川博己さんに小栗旬さんという、ここ十年で大河主演を二人も出した作品となっています。

小栗さんは元々大河にはよく出ていたから、いずれ主演の話は来るだろうとは思ってはいました。
そしてその小栗さんの背中を押したのは、『西郷どん』で主演した鈴木亮平さんなのですが、嫌いな作品だからそれについてはやはり書きませんか。そして長谷川さんも、大河の前に朝ドラでも主演しています。これも『麒麟がくる』の制作発表後に発表されて話題になりましたが、こちらも嫌いな『まんぷく』だから書かないのでしょうか。

『麒麟がくる』も再評価が進んでいます。
少しでも褒めると、やたらとすっとんできて駒を罵倒する人はいますが、現実に評価は高い。
こうした良作のみならず、『江 姫たちの戦国』や『花燃ゆ』ですら、再評価されているようです。

別に『麒麟がくる』の再評価すなわち駒の再評価とはならないかと思いますが。でそれはともかく、
「現実に評価は高い」
なら、それを裏付ける記事のリンクでも貼ってほしいものです。
そして『江』と『花燃ゆ』「ですら」とありますが、この2つが好きと言う人もいることをお忘れなく。プロのライターとして、特定の作品を貶めることは本来あってはならないことですが、どうも武者さんの場合はそれと真逆のように見えます。

そして、

『江 姫たちの戦国』には、キラキラした感覚はあったんですよね。それこそ女の子ならば憧れる、綺麗なプリンセスワールドがあった。
『花燃ゆ』の文だって、おにぎり握って、家庭菜園で花を育てて、鹿鳴館でダンスすれば満足。セレブ主婦で満足しているのだから、無害と言えばそう。

うーむ、家康の浴衣の説明ではなく、こういうのをアリバイと言うのではないでしょうか-全然評価していませんし。あと文の場合は家庭菜園ではなく、自給自足のための畑ですね。

ところでこの武将ジャパンのコラム、第21回関連で、瀬名より『花燃ゆ』の文の方がマシと書かれていました。
これを見て私は、こうなると過去に悪く書いた大河もマシだと言い出すのではと書いていますが、実際そうなっていますね。無論ちゃんと評価しているようには見えませんが、そうまでしてこの大河を叩きたいのでしょうか。


飲み物-カクテルブルー
[ 2023/07/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 73その1

『武将ジャパン』、大河コラム第36回関連記事、前半部分への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第36回「武士の鑑」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


1.時政は狡猾です。爺様(じさま)こと三浦義明の仇討ちだとして三浦一門をけしかけている。

時政の場合は、武蔵が欲しくて御家人を煽っている感じですね。脇も甘いし。狡猾というのは、自分を利するためにずる賢く立ち回ることであり、寧ろ三浦義村の方がそういう形容がぴったり来そうです。

2.感情に流される義盛と、感情を一切断ち切って進む義村がそこにはいます。同族、同時代、似たような環境でこうも違うとなると、先天性の個性があるのでしょう。

「先天性の個性」と言うより、ここは「持って生まれたものの違い」とでもしてほしいです。

3.今でこそ湘南リゾートのイメージが強い由比ヶ浜ですが、この浜では結構人骨が発掘されます。
当時から「処刑あり、火葬あり」といった調子で、かなり大量に出てくるんですね。
(中略)
今年の湘南は、爽やかなイメージではなく日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』こと『鎌倉殿の13人』観光を展開していて、なかなかシュールなことになっていますね。

いつから『鎌倉殿』が、日本版『ゲースロ』になったのでしょうか。武者さんの個人的願望でしょう。

4.間が悪いのが北条泰時です。義時の継室・のえが実は悪女であることを伝えようとして、怒鳴り返されます。
「今はそれどころではない!」
時房に出直すよう諭され、廊下に出た泰時は彼女とすれ違うのですが……なにやらお腹を抱えて苦しそうな表情をして、うめいています。

当初はのえのことで、何か別のことが発覚したのかと思ったのですが、どうもそうではなさそうでした。しかしもう義時も感づいているでしょうし、のえも妊娠している以上離縁は難しいでしょう。

5.ちょっと気になるのが泰時の性格です。
彼は空気が読めません。
どこかギスギスした雰囲気で、父も叔父もイライラしているとなれば、察することもできるはず。しかし彼はそういうことが苦手です。一言で言えば不器用なのでしょう。
そんな夫の欠点を補うのが初でしょう。
これまでも義時と泰時の間でクッション的な役割をこなしてきました。
彼女がいないところだけに、泰時もああなってしまったと。

「そんな夫の欠点を補うのが初でしょう」とあるのですが、無論この回に初は出て来ませんし、彼女がいないからああなったとも一概に言えないかとは思います。私としては、そういう泰時の性格がやや鬱陶しく感じられますが。

6.実朝は下文を取り下げたいと戸惑っています。あんな卑劣な騙され方を祖父にされて気の毒ですが……それでも義時は、一度取り下げたら威信に傷がつくと認めません。
これは世の真理かどうか?
一度決めたことを撤回することの是非とは面白いものです。義村あたりなら案外あっさり取り下げるかもしれない。

征夷大将軍たる人物と、御家人の義村を同列に論じることはできないのではないでしょうか。重みが違いすぎます。

7.『真田丸』の真田昌幸はホイホイ方針を変えて、「朝令暮改の何が悪い!」と開き直っていましたね。
そうすることで「この表裏比興が!」と言われることをどうでもいいと割り切れた。性格が左右しますね。彼は少数派です。

こちらも、なぜ鎌倉時代と戦国時代を同列に論じるのか不明です。ついでながら『真田丸』の昌幸の性格は、戦国という混とんとして掟破りが当たり前とも言える時代とよくマッチして、かなり面白いものがありました。

8.そもそも時房は、北条家の中でも立場が強くありません。異母弟である北条政範の下にいるような立ち位置であるからこそ、りくからも手厳しく言われる。

母親の身分の違いでしょう。りくの子である政範は、若くしてそれなりの官位も貰っており、異母弟と言えども時房は頭が上がらなかったわけです。

9.畠山は必ず討ち取るという時政に、しなだれかかります。
「しい様はいかないで」
「わしは御所に残って鎌倉殿をお守りする」
醜悪の極みを見せつける男女。この姿を覚えておきましょう。
我が身可愛さだけを考えている下劣さ。重忠とちえが蓮の花のような清浄の極みだとすれば、これは泥そのもの。
同じ夫婦愛でも大違いだ!

何だか時政とりくが、「醜悪の極み」だの「我が身可愛さだけを考えている下劣さ」などと言われていますが、時政には時政の考えがあったわけで、一概にこう表現するべきかどうかはかなり疑問です。一方で重忠とちえも「蓮の花のような清浄の極み」などと書かれていますが、何だか気恥ずかしくもあります。無論武者さんがそう思うのならそれでいいのですが、ただあくまでも個人レベルでの話です。
せめて
時政とりくは何とでも武蔵を手に入れておきたく、そのため畠山を討つ必要があった、一方重忠はこの事態にどう対応するべきか悩み、わずかな手勢を連れて、ちえと言葉を交わした後鎌倉へ向かう。この時の別れが、夫婦の永久の別れとなった。
くらい書いてほしいです。

10.なお、この一連の場面で、時政がりくを叱りつけた理由に「女子は黙っておれ!」という言葉はありません。
これは現代への配慮だけでもない。
巴御前のような女武者もいるし、当時は性的な役割分担がそこまで強固ではありませんでした。
本当に畠山は謀反を企んでいたのか?

まず最後の
「本当に畠山は謀反を企んでいたのか?」
改行を忘れたのでしょうか。どうもそれまでの文章とはあまり関係がなさそうなので。
そしてこの「女子は黙っておれ」云々ですが、巴御前のような女武者なら戦国期にもいますけどね。

そしてなぜこのような記述があるのかと思っていたところ、このようなツイを見つけました。

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1571740540647141376
大河ってそんなにいうほど「戦は嫌でございますぅ」と女どもが言ってましたか?あれだけ長い歴史のものなので全部見ておりませんけど。ミソジニー混じりのインターネットミームの類じゃないかと思っていますが。

この「戦は嫌でございます」はかの『江~姫たちの戦国~』で登場します。ですから他の大河ではともかく、この中ではそういうセリフが出て来ますし(と言うか、第1回からかなり凄まじい展開でちょっと驚きますが)、『花燃ゆ』にもいくらか似た表現があります。しかし武者さん的には、この大河はもう10年以上前のもので、10年ルールが適用されるのではないでしょうか。それとここに来て急にこういうことを言い出したのは、一体なぜなのでしょうね。

11.そうはいっても大軍勢で囲まれたら終わりだと三浦胤義が張り切ると、兄の義村が「黙っていろ!」と諭す。兄弟でも性格は正反対のようで、同時に兄として弟を導く気力もあまりなさそうですね。

ネタバレになりますが、この胤義は後に承久の乱で、京都方について兄と敵対することになります。それもあって、この頃から不仲であるという描かれ方になっているのでしょうか。

12.ここでちょっと気をつけたいのは、兵法の理解度です。
『孫子』や『呉子』などはこの時代にもあり、そういう書籍を読み、理解したとわかる武士の言葉も残されています。
とはいえ個人差があります。
布陣を理解している重忠と泰時は、漢籍を読みこなしているとわかります。重忠は「武衛」が「佐殿の唐名(とうみょう)」だと理解していたし、泰時は『貞観政要』を愛読していると判明しております。
そう言い合う義時と義村。これもこの二人の教養が滲んだ言い回しともいえる。
矛というのは古代中国の武器で、それを収めるというのは漢籍を読んでいれば出てくる言い回しです。時政や義盛は使わなさそうですが、その義盛が重忠との交渉役に選ばれました。

また漢籍ですか(苦笑)。ここで重忠は、武衛のことを理解しているとありますが、ドラマ中で上総広常に、頼朝のことを武衛と呼べと言ったのは義村ですね。

それと「矛」(鉾)ですが、古代中国に限らず日本でも使われており、特にこの鎌倉時代までは武器として使用されたとも言われています。また祭りでも鉾が登場することはあり、たとえば大阪の天神祭には鉾流神事(ほこながししんじ)がありますし、京都の祇園祭の山鉾巡行も有名です。古事記にも出て来ますし、少なくとも矛または鉾は何であるのか、知っている人は多かったでしょう。ちなみに天神祭の鉾流神事は10世紀半ば、山鉾巡行は9世紀半ばの清和天皇の時代に始まっています。


飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2022/09/23 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 69その3

『武将ジャパン』大河コラム関連続きです。

MVPが仁田忠常と比奈とのことですが、私は比奈と善児かなと思います。高岸さんは好演していたとは思いますが。と言うかこのMVP、この回で退場とか、登場回数が多い人を基準にしているように見えます。で、これも先日ちょっと書いた忠義とか武士道の話なので、今回は省きます。

その中で1つ。

この作品は、時代の先取りができる人物が、追いつけない周囲によって死ぬ残酷さを描いている。
思えば源義経や梶原景時もそうでした。

義経は「時代の先取り」だったのでしょうか。無防備に後白河法皇に近づいたことに、頼朝が警戒したのではないのでしょうか。寧ろこの場合、時代の先取りをしていたのは頼朝ではないかと思います。
そして景時。御家人の中では異彩を放つ存在でしたが、それ故に周囲とうまくいかず、孤立したのが災いしたと言えます。逆の見方をすれば、仮に先取りができようと、周囲との折り合いをつけられなければ、悲惨なことになると考えるべきでしょう。この当時は、一歩間違えると刃傷沙汰ですから。

そして『麒麟がくる』の駒について長々と書かれています。これまた先日ご紹介していますので省きますが、それに関して、ファンタジーの定義がどうこうと書かれています。

今回はそんなファンタジー要素の塊のような比企尼が登場しました。
(中略)
それを本作はあの地獄の中に置き、死亡状況がわからないことを逆手にとって生存させ、呪いをかけるように出してきました。
こういうことがファンタジー要素ではないかと思います。
日本における「ファンタジー」という言葉の使い方はそもそもがおかしくて、なんかありえないようなご都合主義とか、ただ単に自分の気に入らないプロットをさして呼ぶようにも見えます。
(中略)
呪いをかけたり、不吉な予兆として出す方がむしろ向いている。

駒の登場をファンタジー呼ばわりされたこともあり、ファンタジーの新定義をここで持ち出して来たように見えます。以前武者さんは、『江』や『花燃ゆ』に対して、ファンタジーという言葉を使ってはいなかったでしょうか。

そしてこれも、武者さんが『鎌倉殿の13人』を肯定している(どうもご都合的なところもありますが)からこそ、こういう論調になるわけで、嫌いな大河であれば、この部分も散々に言っているでしょう。で、例によってまた『ゲーム・オブ・スローンズ』がこの後に登場します。これを書きたくてたまらないのはわかりますが。

でその後の部分に、迎合していく怖さとかいやらしさ、おぞましさが詰め合わせになったようだなどと書かれていますが、人間は社会を作る動物であり、今ある体制に自らを適応させ、生き延びて行くわけです。寧ろこの大河では、そうせざるをえない主人公の心境をも描いてはいるのですが、その辺をきちんと理解できているのでしょうか。このコラムを見る限りでは、彼の秘めたる苦悩のようなものに触れず、悪意ある人物のようにしか見ていないようで、そういった部分で武者さんの、ライターとしての素質にいくらか疑問符を付けざるを得ないのです。

そして然る後に
「今年の大河は勉強になります」
歴史のみならず、人間心理の勉強と武者さんは言いたいようですが。まず大河は歴史の勉強ではなく、歴史に関心を持たせるきっかけであり、また歴史をどうドラマ化するかという興味への回答だと思います。そして人間心理ですが、特に「勉強」と構えなくても、普通に観ていれば大体のことはつかめるし、大河のみならず、ドラマを観る楽しみの1つはそれでしょう。無論これも、嫌いな大河なら散々に言っているのでしょうが。

それから小檜山氏名義でこういうツイートもあるのですが、

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1562261701617397760
「義時のなんちゃら」系のお菓子、一体何を味わえというのか!と怒りながらひっくり返したくなるな…。義時の心の味なんて、むしろ食べたくない。

食べようが食べまいが小檜山氏=武者さんの勝手ですが、これを喜んで味わっている人もまたいるのをお忘れなく。しかしこういうのを見ると、やはり前述のように義時は悪人で、その悪人ぶりが面白いというような見方しかできていないように思えますね。

あとこれも恒例のと言うべきか
「胸がぐるぐるするとか、おかしれぇとか、そういうことばかり言っていては世間から騙されてしまう」
先日ストローマン話法について書いていますが、これもその一例でしょう。主人公のセリフの一部を切り取り、それをさも何かのように、糾弾するような姿勢も如何なものでしょうね。

それと、このブログも変換ミスはあるし、見つけ次第修正はしていますが、このコラムも「挙兵寺」などとありますし、ドラマ本編の記述に関してもおかしな部分が見られますし、チェッカーを付けた方がいいのではと思っています。

飲み物-ウィルトシャービール

[ 2022/08/26 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

小檜山氏note記事とツイへの疑問点

まず小檜山氏のnote記事です。

プロパガンダとしての大河と朝ドラ
https://note.com/54seikobi85/n/ne33a063b5e34

しかし思うのですが、その「プロパガンダ」である大河と朝ドラのレビューを書いて報酬を得ているのは、他ならぬ小檜山氏=武者さん自身だと思うのですが。要は、自分が嫌いな大河と朝ドラはプロパガンダであると言いたいのかも知れません。ならばそういう作品の時は、レビューを書かないというのも一つの方法でしょう。

では一部抜粋します。

大河についていえば、2015年と2018年は流石に露骨すぎたのか、いわゆる大河クラスタでも感づいた層が多いのか、駄作枠とされました。
 不可解なのは2015、2018とできの上ででは大差がないにもかかわらず、なぜか熱狂的な一部支持を集めていた2019と2021です(といってもあくまでネット観測値であり、実数は取れてませんが)。

まず何が具体的に「露骨」なのか不明です。そしてこのブログでも書いていますが、私は2015年の『花燃ゆ』は、主人公のおにぎり作りや、椋梨藤太邸前での号泣、奥女中のシーンなどは馴染めませんでしたが、一部の男性パート、あるいは多少メロドラマ的ではありましたが、群馬編などはよかったと思います。

2018年の『西郷どん』は、全く疑問がないわけではないもののかなり好きでしたし、実際周囲に面白いと言う人もいました。特に奄美大島編などは評価されていましたね。

そして2021年の『青天を衝け』、これも一部疑問はありましたが、血洗島の藍農家のシーンや、天狗党関連で栄一が彼らを諫めるところなどは好きでした。最後の方が年表風になったのは残念ですが、オリンピックがこの年に決まった以上、やむを得ない部分もありました。また栄一の女性遍歴も、逐一描くわけには行かなかったでしょうし。2015年や2018年、特に2018年と大差がないというのは私も感じますが、それは寧ろ肯定的な意味での話で、特に主人公の生家や仲間の描写などは、両作品ともかなり受け入れられるものでした。

ただ小檜山氏に取っては、自分が嫌いなものは、皆も嫌いでないと嫌なのでしょうね。尚2019年の『いだてん』は、第6回までしか観ていないので何とも言えません。

また小檜山氏の場合、幕末から近代物、特に西国諸藩や徳川慶喜絡みが気に入らず、そういうのはすべてプロパガンダだと決めつけているふしはあります。好きな人も嫌いな人もいる、人それぞれと思っていればいいのではないかとは思いますが。一方で好きな作品に対しては基本的に無批判なのですね。

あと朝ドラでは、案の定と言うべきなのか『マッサン』、『あさが来た』、『わろてんか』、『エール』そして『まんぷく』などがやり玉に挙げられています。

では『ちむどんどん』関連です。例の、智が農家で野菜の買い付けをしているシーンですが、小檜山氏のnote記事にはこのように書かれています。

『ちむどんどん』第64回 歌子は歌いたい
https://note.com/54seikobi85/n/n9b78b7bda019

智は沖縄に仕事で出張し、できる仕事人ぶりを見せつけます。賢秀と大違いだな、おい。沖縄食材を仕入れて東京で売るだけでビジネスチャンスなんだぞ、にーにー。でもヒントではある。特質のある豚肉でビジネスだ!

とあるのですが、
「沖縄食材を仕入れて東京で売るだけ」
先日の投稿でも書いていますが、この当時沖縄や南西諸島でウリミバエの被害があり、植物防疫法によって農作物を持ち込むのは不可能だったはずです。これが解禁されるのが1993年ですからかなり先です。なのに、なぜそれに関する考察がないのだろうと思います。

それと小檜山氏ツイでこういうのもありました。

自分の意見が言えてスキルのある若い女が嫌いだ!ちむどんヒロインむかつく!って素直にいえばよいのでは?

「自分の意見が言えてスキルのある若い女」とは、暢子のことだと言いたいのでしょう。しかし私の場合、これに当てはまるのは暢子でなくて愛ですし、愛はあの中では好感が持てるキャラです。

あと

ちむどんアンチタグや記事、沖縄出身の貧困家庭からきた若い女は何をしてでもぶん殴りたい、そんな心性は観察できて興味深い。

ちむどんアンチが勢い余って沖縄差別をフルスイングしている点こそ、むしろルール違反で不正義だと思いますが。沖縄への知識なしで叩いていたりして、指摘されると怒り出す。

などともありますが、アンチタグのツイで、沖縄差別などというのは殆ど見たことがありません。あくまでも人物描写がおかしいとか暢子が料理人らしくない、あるいは暢子と和彦や智の関係の描写について行けないといったツイが、私が見る限りではメインになっています。

それと「沖縄への知識なしで」などとありますが、小檜山氏は前出のように、植物防疫法の存在に作品内で言及しておらず、あたかも農作物を持ち込めたような展開になっている点に何の疑問も呈していません。寧ろ小檜山氏にこそ、「沖縄への知識」を持ってほしいです。

ところで『ちむどんどん』、料理関係の考証をしているシェフの室井氏が、助言はしているとコメントしていたらしいのですが、制作陣がそれを無視しているのでしょうか。

これで思い出すのが『江~姫たちの戦国~』です。これも考証の小和田哲男氏が助言したことと、実際の作品とが異なっていたようで、それを考えると、制作統括の責任は大きいと言うべきでしょう。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2022/07/11 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』の三谷カラーその他 その2

また明日以降詳しく書きますが、『鎌倉殿の13人』第17回「助命と宿命」、義高の逃走劇にかなりの尺を割いています。無論これは頼朝の家族に関わって来ることなので、多少の尺を割くのはやむをえないでしょう。

しかし戦の報告の途中で、義時がやけに落ち着きのない表情を見せたり、信義が義高に直接話しかけて来たり、はたまた全成が頼朝に化けて、義高が幽閉されている部屋に入ったりというのはちょっとどうかと思います。特に全成の変装、どうもこういうところがコントに見えてしまうのですね。

他に義高の言動に関して、また政子の態度にもやや疑問に思う点はありました。政子は娘可愛さもあるとは思いますが、ちょっと感情に走り過ぎていないでしょうか。結局それがもとで、終わりの方で弟に諫められることになるのですが。

そしてこれは前回のあらすじと感想で書きましたが、大姫が短刀を自分に突き付けるところに、やはり『江』の第1回の、赤ん坊を下ろすなら自分も死ぬと言った茶々がだぶってしまいます。

またそれと関連しますが、八重が孤児や捨て子に言及するのには『青天を衝け』の東京養育院、頼朝の「人の世を治めるためには鬼にならなければならぬ」には、『西郷どん』で吉之助が、弟の信吾(従道)から「兄さぁは戦の鬼じゃ」と、批判がましく言われるのをそれぞれ連想してしまいます。

それから工藤祐経にちょっかいを出す子供たちは、後の曾我兄弟でしょうか。何やらネタバレといった印象を受けてしまうのですけど。

それと先日、小檜山氏(武者さん)ツイについて書いていますが、大河コラムの方でも、やたらに中国史とか漢籍の知識が出て来ます。しかしどうも趣味の域を出ていないような感じで、ならばあそこまでやたらに出す必要もないかと思いますし、本当に知っている人は、無闇に知識をひけらかさないとは思います。そもそも大河コラムの主役は、あくまで大河本編ですし。

この時自己愛性パーソナリティ障害についても触れていますが、この障害に特徴的な自慢話と関連するのだろうかとついつい思ってしまいます。あと、どう見ても中国故事由来のシーンなのに、その点に何も指摘されていないということもありましたね。

飲み物-スノーアンドテル
[ 2022/05/02 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

小檜山氏ツイとパーソナリティ障害

今回は小檜山青氏=武者震之助さんのツイートに関してです。
最近は特に『ゴールデンカムイ』関連のが多いのですが、やはり朝ドラや大河関連のツイも時折目にします。

一例として
「好きな作品を貶されて叩かれるならまだしも、
『私の大嫌いなあの朝ドラを評価する貴様は許さんぞおおおおおおお!』
みたいな難癖をつけられたことがあるから、まあ、今更動じない動じない、はっはっは!」
などとあります。

しかしこれ、武者さんも日常的にやっていることではないでしょうか。
武者さんが嫌いで叩きまくっている作品(たとえば『青天を衝け』)を評価している記事を、こたつ記事だ提灯記事だと言っていましたが、これは「私の嫌いなドラマを評価する奴は許さん」と言っているに等しいのでは。

さらに
「むしろ日本って時代物の本数が減りすぎて、歴史フィクションへのリテラシーが低い部類に入ると思う。確信したのは『麒麟がくる』の駒叩き。なんでああいう人物が出る=ファンタジー!歴史通なら叩くしかない!…みたいに自信満々に叩きますかね。ああいう人物を出すのは定番の手法ですよ」
というのもあります。

作品が史実をそう意識しない、最初からフィクション要素が多いものであれば、別にああいう人物がいても気になりません。しかし大河の場合、ある程度史実をも踏まえた設定にしているため、オリキャラが、しかもこれは越権行為ではないかといった描かれ方をすると、疑問に思う人も当然出て来るでしょう。

「ああいう人物を出すのは定番の手法ですよ」とありますが、ならばどのような作品だと定番なのか、それをはっきりさせてほしいですね。他にもそれと関係があるのか。『江』絡みの(批判的な)ツイを見たことがあります。『江』の場合は私も設定に疑問がありますが、それでもまだこちらは実在の人物なのです。

しかし一連のツイを見てみると、よほど毒づかなければならない理由があるのか、既に放送が終わっているにもかかわらず、嫌いな作品の叩き方がすさまじいです。

先日「自己愛性パーソナリティ障害」について書きましたが、そしてこう言うのは何ですが、武者さんの文章にも時々その特徴の一つとも言える、共感性のなさを窺わせる部分が垣間見られます。別に武者さんがそうだと決めつけるつもりはありませんが、こと嫌いな作品はみじんも評価しない、部分的であれいいところを褒めるなどというわけでもなく、最初から否定しまくりというのは如何にも極端です。そういうところが大河レビューやツイートに疑問を持つ一因となっています。

飲み物-ローズヒップティー
[ 2022/05/01 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』の三谷カラーその他

詳しいことはまたあらすじと感想で書きますが、『鎌倉殿の13人』、やっと本格的な合戦シーンが出て来ました。というか、この大河らしく会話が多いせいもあり、合戦と言うよりは軍議シーンと呼ぶべきでしょうか。これで義経も本領発揮といったところですが、それとは反対に、義仲の最期はいささか呆気なかった気がします。それと合戦シーン、平家の弱々しく無能な部分のみがクローズアップされているように見え、これはどうかなと思います。

ところで手紙のシーン、これがまた三谷モード全開といったところでしょうか。恐らく前回の上総広常の、「子供のような筆跡」を踏まえているのでしょう。坂東武者は実平も義盛も悪筆だが、義盛の絵は面白い、義時はまあ読めるがまとまりがない、梶原景時は流石に要点を押さえているものの、結局のところ義経の書状に勝るものはなかったわけで、彼らの、特に義経と景時の、戦場に於ける立ち位置が反映されている感もあります。この手紙や絵に関しては、三谷さんの人形劇をどこか思わせもします。

それと次回予告で、恐らく義高討伐関連でしょう、大姫が短刀を持って自害しようとするシーンが紹介されていましたが、何だか『江』の第1回の茶々を連想してしまいます。これに関しては、「『江』に見る大河のバランス感覚の欠如」という投稿で書いたことがありますが、お市がお腹の子(実はそれが江)を流そうとしているのを茶々が知っており、赤ん坊を流すのなら、自分も初も死ぬと言って妹の首に刀を押し当てるシーンです。あれはちょっと怖かったですが、今度の大姫のはどう描かれるのでしょう。

飲み物-赤いカクテル
[ 2022/04/25 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』コラムのニュース記事と小檜山氏のツイに関して

『武将ジャパン』のコラム関連ですが、今回もまたニュース記事のリンクが貼られています。リンク元が明記されていないので一応書いておきます。

大河、小池栄子VS江口のりこで「亀の前事件」 三谷幸喜が“女のバトル”押し出す狙い
(NEWSポストセブン)

何でも武者さんによれば

要約しますと、もはや時代錯誤的な芸能界のセオリー分析です。
週刊誌にせよ、ネットニュースにせよ、こういう「女同士はドロドロしてるよね〜」という偏見は定番です。

らしいのですが、目を通した限りでは、そこまでは思いませんでした。紹介記事ということもありますし、全体的にこの回が楽しみですねといったニュアンスで、なぜ亀の前事件がここまで描かれるのかということで、

「また、三谷さんが「原作のつもりで書いている」と語る『吾妻鏡』に「亀の前事件」が書かれていたことが、これほどフィーチャーされるベースになっています」

とあり、その次のページでは

「第12話では、前回のラストシーンで父・伊東祐親(浅野和之)と兄・祐清(竹財輝之助)を愛する頼朝に殺された前妻・八重(新垣結衣)の切ない心情も描かれます。さらに義時の妹・実衣(宮澤エマ)の人生にも動きがあるなど、やはり『鎌倉殿の13人』は「女性たちの物語もしっかり描く」というスタンスなのでしょう」

などとも書かれているのですが、武者さんにはそれでも不満なのですね。

そういえば武者さん、漢籍はあれこれ出してくる割に、『吾妻鏡』に関してはあまり触れていないようですが、レビューを書くのなら、まずそちらを調べるべきではとも思います。そのせいか、上総広常に和田義盛が会いに行くのは『吾妻鏡』に出て来るのに、人選ミスなどと書かれていましたし。

それと、この武者さんと同一人物とされている小檜山青氏のツイートですが、プロフィールページを見ても他のアカウントからのリツイが多いため、絞り込んでみました。検索窓に「from:ユーザー名(@の後の部分)」、場合によってはキーワードを入力して検索すれば簡単に本人のツイが見られますので、そうやって目を通したところ、たとえば『麒麟がくる』の駒叩きに関してこういう内容のツイがあります。尚ツイートは、部分的に紹介しているものもあることをお断りしておきます。

要は駒のように高等知識を持つ女性が嫌いで、その延長戦にあるヘイトを感じる意見もある。要するに女性研究者や政治家を粘着して叩くようなものと同じトーンがあって気になると。

他にも駒はそこまでプロットを妨害していない、あそこまで嫌われるのがわからないとしたうえで、善児の方がむしろトリッキーというのもあります。

しかしどう考えても駒は、本来関わるべきでない部分まで踏み込んでおり、この部分が如何にも奇妙に感じられたのが、批判される一因となってはいるでしょう。正直、駒は『江』とか『花燃ゆ』とどこか相通じるものもあります。その辺を考慮に入れず、駒が女だから叩かれると一方的に決めつけるのも如何なものでしょうか。

また善児も、伊東祐親父子暗殺などは史実と違っていますが、彼は要は出番が限られた暗殺者です。そして今のところ、駒ほど史実に踏み込んでいるようには見えません。

それからもうひとつ、これは朝ドラ関連ですが、「オカルトじみた因縁で(母子が)再会」などとあります。

平安末期の大河のほうがまだしも迷信から距離を置いているように思えるほど無茶苦茶だし

などとあります。私は朝ドラを観ていないのでダイジェストの動画だけ観てみたのですが、どこがオカルトじみているのか、どこが迷信なのかはよくわかりませんでした。この平安末期の大河は恐らく『鎌倉殿の13人』のことでしょうが、こちらは時代が時代ですし、全成が変成男子の法を行うシーンなどは、今から見たら迷信とまでは言わずとも、呪術的ではあるのではないでしょうか。

あとアニメ『平家物語』のびわが駒でなく江に近いとあったりしますが、びわはストーリーテラー的存在と思われます。なのに

駒は意味があるけどびわは…善児的な活躍をするとか!

善児的な活躍をして、平家の人々を抹殺して行くのでしょうか…それはないでしょう。
その他にも中国大好きな一面も見られるので、やはり武者さんなのだろうなと思います。それから今年と昨年の大河関連でこのようなツイもあります。

大河で二年連続、妊娠中の妻がいるのに不貞行為を働く描写があるけど。
それをごまかしているか?
批判的に描くか?
このニュアンスはむしろ真逆なわけで、二年連続出てきたからOK!というのはちょっと読解力の面でこう…ねえ。

とありますが、『青天を衝け』の場合は身重なのは妻のお千代でなく、妾のくにの方ですね。

飲み物-暖炉の前のウイスキー


[ 2022/04/02 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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