fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  映画

第2回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、武者さんのコラムの引用部分はダークブルーです。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第2回~


衣装が重たいとボヤいていますが、実際、本作の装束はかなりの重量だとか。
「人はなぜこんなにも儀式が好きなのか」
面倒臭い性格ですね。
そういうものだから、と言われても納得できないのでしょう。
藤原宣孝もその場にいて、成人の意義を語ります。

まず
「『裳着』の儀式を『裳を着ける儀式』、まひろさんの愚痴も『面倒臭い』で済ませましたか」
とありますね。
言うまでもなくこれは成人の儀式を意味しており、
「裳を着けるとはそういう事なのでございますよ」と乳母のいとが言っている、つまり女の子から一人前の女性になり、初潮を経て殿方と結ばれ子を成す事ができるという事を意味するとあります。そのために、わざわざ重い装束をつけなかればならず、それゆえにまひろが愚痴ってしまうという、彼女の心中についても書かれています。
そして親戚に当たり、小腰を結ぶ役目の藤原信孝が
「儀式ゆえ辛抱せい、終わったら脱げばよい」と言い、そのうえでの
「人はなぜこんなに儀式が好きなのか」なのですね。

私も先日書いていますが、武者さんはまひろの性格を「面倒臭い」だけで済ませるようです。もっと掘り下げて見てもいいのでは。

まひろは、街の中をどこかへ向かって歩いてゆきます。
土埃が待っていそうな道。
足がすぐドロドロになりそうです。

これに関しても、その当時は砂塵が舞うのは当然であること、そして高橋昌明氏の著書『京都〈千年の都〉の歴史』によると、この当時下水や排泄物などは都の道路の側溝、あるいはそのまま外などに捨てられており、あまり衛生的とはいえない状態でしたとあります。そして動物の死骸や行き倒れの死体などもあり、疫病がしばしば流行したということで、ドロドロだけで済む問題ではないかも知れないとたけたけさんは書いています。
またこのリンクも貼られていますので、こちらでも貼っておきます。

なぜ平城京以前は短命で、平安京は1000年も続いたのか…現代人には想像しづらい「糞尿処理」という衛生問題
(infoseekニュース、出典はプレジデントオンライン)

それを考えると、『平清盛』の演出はかなりその当時を再現していたとも言えるでしょうか。
またこの当時、亡くなった人の遺体よりも魂を重んじる傾向が強く、遺体が野晒しにされるのは珍しくなかったようです。鳥辺野などがそれに当たりますが、羅生門などもまた然りです。葬儀社のサイトですが、わかりやすいので置いておきます。

あと私も今気づいたのですが、「待って」は「舞って」でしょうか。

平安時代の葬儀はどんなものだった?現代の葬儀の違いとは
(いい葬儀)

古今東西、そういうことはトラブルも招きかねません。
『シラノ・ド・ベルジュラック』なんてそういう話じゃないですか。

これに関して、私はそこまで「トラブル」があったか、クリスチャンがロクサーヌの真意を知って、自ら前線に出て戦死してはいるがと書いています。
そしてこちらのnote記事でも、まずシラノがクリスチャンを通して手紙の代書をしたことから、ロクサーヌとクリスチャンは愛し合う仲になるが、その後シラノの手紙の内容が伝える人柄を、ロクサーヌは愛するようになり、結局クリスチャンはそれに絶望して戦死すること、その後恋文の本当の書き手がシラノであることがわかることが説明されています。

トラブルがあったのかとはちょっと冷たい言い方だったかも知れません。確かにクリスチャンにしてみれば、ロクサーヌが真に愛しているのは、自分ではないことに気づいたわけですからね。教訓的だなとは思いますが。尤も麻彦の場合は、真実を打ち明けたおかげで大したトラブルにもならず、めでたしめでたしでした。

それにしても、兼家の提案はどうなのでしょう。
さすが金で思うままに人を操る奴は違うな! と嫌味の一つでも言いたくなります。
こういうボーナス制度は冤罪を増やす危険性もあります。
私人逮捕系YouTuberが、再生数稼ぎのため無茶な難癖をつけるような事例が起きてしまうかもしれない。

この箇所ですが、
「頼忠卿の言う『人員を増やす手配』とは検非違使と放免を増やし、警備に当たらせるという意味でしょう。
それだけでは士気が上がらないと踏んだ兼家卿が『別当を変え賊を捕らえた者に褒美を出す事』を提案しましたが、これは警察組織の取り締まりノルマの向上策と言うところでしょうか」
と書かれており、
「全くの私人で公務員・警察組織とは関係ない『私人逮捕系YouTuber』とは違います」
とあります。

私も、なぜ武者さんが強引に(と言っていいでしょう)『私人逮捕系YouTuber』に結びつけるのかよくわかりませんでした。また頼忠のいう人員を増やす方法だけよりも、兼家のやり方のほうが現実的だとも書いています。尚このコラムの、ドラマ本編最後の方で、道長を捕らえたのは検非違使だと武者さんは書いていますが、この中に出て来る放免の方が正しいようです。
たけたけさんの記事には「江戸時代の岡っ引きのようなものでしょうか」とあります。元々は放免囚人、つまり前科者であった者を取り立て、前科があるのを逆手に取り、犯罪者の情報収集に役立てたそうです。

まひろが微笑みながら「漢詩や物語や和歌が好きなだけ、賢いぶんを全部持っていったわけではない」と答えます。
本当に純粋に好きなのでしょう。
一方、学ぶ楽しみが見出せない太郎は残念ですが、これは何事もそうですよね。

ここではドラマでの展開と共に、当時の大学(寮)のこと、さらに清少納言の歌にもついて書かれています。
(あの『夜をこめて  鳥のそら音は  はかるとも』ですね)
その一方で、武者さんが得意であるはずの漢籍であるはずなのに、なぜ何の解説もないのかと疑問を持たれています。
のみならず、武者さんがこの後で

他ならぬ大河ドラマにしても、学ぶことが好きな役者さんやスタッフがいれば、そうでない人もいます。
撮影に時間がかかるからやりたくない。と明かすとか。
セリフがちんぷんかんぷんで覚えるだけだと語ってしまうとか。
歴史はフィクションだの、必要最低限しか覚えないとか。
そういう太郎タイプは大河に不向きですね。

と書いていることに対しては、武者さんが本当に歴史や漢籍が好きで、大河ドラマが好きでドラマを見てレビューを見ているのでしょうか、とまずあります。そして
「『撮影に時間がかかるからやりたくない』に関しては、『問題は技術ではなく、やる気』『小賢しい言い訳』と現場の苦労やできない事をすべて無視し理想論だけで語り、制作に携わらない赤の他人なのに自分の思い通りにならないという理由で無理難題や理不尽を通そうとする。少しは現場がどういった状況だったかも考えてはいかがですか」
と指摘され、そしてこれが貼られています。

『どうする家康』におけるバーチャルプロダクション制作
(unrealengine.jp)

そして「セリフがちんぷんかんぷんで覚えるだけだと語ってしまう」と書かれている箇所ですが、武者さんはこのように書いていました。

家康がやっと覚えて語っていると伝わってきてつらいものがありました。
そこまで長くないセリフなのに、覚えるだけで気力が尽きているように見える。時代劇の演技が苦手であれば、なぜ主演などを引き受けたのか。

「これについては、公式HPの松本潤さんのインタビューに経緯が書かれており、2020年11月にオファーを頂いてうれしさと同時に不安を感じ、大事を即決せず結論を待ってもらって、年明けに決定したそうです」
とありますね。

あと「歴史はフィクション」「必要最低限しか覚えない」などと書かれている古沢氏、こちらに関しても、インタビュー内で「日々いろんなことが起きるなか、大きな事件や出来事は歴史として残っていくけれど、小さな出来事は誰も知らずに、歴史に残っていかない。それは仕方のないことかもしれませんが、小さな出来事の積み重ねで、大きな出来事も起こっているはずと言っており、どこを解釈して『歴史に興味がない』となるのでしょうかとたけたけさんは言っています。

また私は、『レジェンド&バタフライ』の公式サイトでの、「いま残っている歴史は、勝者が都合のいいように語り継いだものですから、どう解釈しても自由だと思っているんです」のくだりをここで書いています。
(上記『日々いろんなことが起きるなか…』はその後に続いています)

東宮である師貞親王の勉学の成果は、全くあがっていない。
なんでも昨日は、母親と娘と関係を持った話を延々としていたとか。
似ているから見分けがつかないと、足で扇を広げつつ、おちょくるように語ってきたそうです。

ここの箇所ですが、
「相変わらず勉学の成果は上がっておらず、前日も扇子を足に挟んで広げるなどし、日がな一日母親と娘の双方に手を付けたという話をした事を為時公は語ります。
為時公の回想では東宮さまが「よく似た親子で手応えも似ておる。どちらと寝ておるか分からなくなる事もしばしばじゃ。」と語っています」
とあります。実際には即位後兼家父子に騙されて出家した後、この母娘(中務と平平子)をお手付きにしたという逸話で、
「余計に質が悪いのですが・・・」
と付け加えられています。尚この中務とは、歌人伊勢の娘です。

ところで武者さん、これに関して、
「『どうする家康』47回で作中そのような描写が無いにも関わらず、『時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定』と言っていましたが。引き合いに出して『気持ち悪い!』と批判しないのでしょうか」
と言われています。
この母と娘の二代とは、言うまでもなくお市と茶々のことで、もちろん家康がこの2人とも関係を持ったことなどありませんが、

もしも両者ともに愛妾だとすれば、母と娘を同時に愛するとはあまりに酷い、そんな印象を抱かれるでしょう。
時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定。
こんなしょーもない妄想を、いかにもすごいことを思いついちゃったと出してくる、このドラマ制作者は一体何を考えているのでしょう。

などと書いています。ならばこちらで師貞親王が母娘を相手にしたのは、制作サイドの「しょーもない妄想」となってしまいますね。尚たけたけさんのnote記事にもスクショが貼られています。

あと高麗と枇榔毛について。

「高麗」(こま)とは一体なんなのか?
日本では、王朝が交代しても、そのまま呼び続けることがしばしばあります。しかも範囲が広い。
「高麗」は現在の朝鮮半島を指す概念として、長らく使われてゆきます。中国は「唐」(から)です。
「高麗」や「唐」は判定が曖昧なので、例えば他国の人や物が、朝鮮半島や中国経由で届けても、そうなってしまったりする。

こちらの「高麗人」来着に関して。
「内裏では源雅信卿が「高麗人(こまびと)の船が筑前に来着した件でございますが・・・」と円融帝に上奏しています。
太宰府からは万事滞りなく帰国したとの知らせが来た様です。
しかし帝は気分が悪そうにしています」
とまずドラマでの展開が紹介され、高麗人と思わしき異族の船が現れる事が多くなったこと、長徳三年(997年)には高麗人が対馬・肥前・壱岐・肥後・薩摩・大隅など九州全域を襲い、民家への放火、家財の略奪などが起こり、男女300名が攫われたということが説明されています。「長徳の入寇」と呼ばれるもので、恥ずかしながら私、地元の歴史でありながら、これを入れるのを忘れておりました。
新羅の入寇と、それに続く侵攻(長徳の入寇はこれに該当)について書かなければと思ってはいた、のですけどね…。

尚長徳の入寇ですが、高麗人だけでなく、奄美の人々が関与したという説もあります。藤原実資は、高麗人だとしているようですが。

例えば「檳榔毛(びろうげ)」の車。牛車の一種です。
この「檳榔毛」とはヤシの葉です。
当然ながら京都近郊にあるはずなく、貿易で取り寄せねばなりません。

『檳榔毛車(びろうげのくるま)』とは、白く晒した檳榔(日本の暖地に生息するヤシ科の常緑高木)の葉を細かく裂いた糸に屋根を葺いた牛車の事で、皇族や上級貴族や入内する女房、高僧も用いたとあり、枇榔は亜熱帯の海岸付近に自生するため、日本の南西諸島、小笠原諸島九州南部、四国南部でも自生し、日本でも自生していた可能性があるとあります。

武者さん、こういうのも少し調べてみるといいかとは思いますね。
そしてこれは私も指摘していますが、凡ミスと言えばそうなるでしょうか。名前の間違いです。

母は、大人になれば母の気持ちも、父の気持ちもわかるようになると言っていた。けれども、わからない。
突き詰めて考えると幸せになれない、可愛くないと宣孝が続けても、宣孝様にかわいいと思われたくないとまひるは即答。
嗚呼、面倒臭い……。

「まひるではなく『まひろ』です」とあります。

あとSNSの件やジェンダー論、そして視聴率に関しても書かれていますが、こちらでは割愛します。無論たけたけさんも色々調べたうえでの執筆で、興味を惹かれますので、すべてを読まれたい方は、この投稿の最上部にありリンクからアクセスされてください。しかし視聴率と言えば、低いのは当たり前とした後で、でも総合視聴率やNHKプラス再生がいいのだろうと書くのかと思っていたら、過去の女性軽視の大河が悪いと、かなり斜め上のことが書かれているのには驚きでした。
私は、嫌いな大河がこうだったら大喜びなのでしょうねと書かせて貰っています。

それから、まひろの歌に関してですが。

下級貴族らしい男性(急ぎのお客ですね)の紙には『ちりゆきてまたくる春はながけれど いとしき君にそわばまたなん』、麻彦という庶民の男性の最初の木の板には『いまやはや風にちりかふ櫻花 たたずむ袖の ぬれもこそすれ』、2度目の木の板には『寄りてこそそれかとも見めたそかれに ほのぼの見つる花の夕顔』とあり、NHKによると1首目と2首目は、いずれも芸能考証担当の友吉鶴心さんによる創作の和歌、最後のは、光源氏が夕顔に贈った歌とあります。

友吉さんと言えば、『どうする家康』の琵琶法師を思い出します。

それからまひろの仕事について。実際はもう少し色々書かれていますが、ここではその当時文字を書けない人のために、代わりに文字を書く「筆耕」という職業が認識されていたとの由。今でも筆耕士という職業がありますが、こちらは表彰状や感謝状、さらには式辞や目録、宛名といった毛筆文字を専門に書く職業をさしています。


飲み物-カクテルとオイルランプ
スポンサーサイト



[ 2024/01/20 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-6

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその6です。今回は6ページあって大半は持説展開でした。この最終ページも延々とそれが続くので、所々省きますが、実際1ページ目の2倍は文字量があると思われます。


『麒麟がくる』とは正反対だと思います。
あの作品を書いた池端俊策さんは、光秀は自分自身だと思いながら書くこともあったとか。堅物で、頑固で、融通がきかない。頼られると損なことでも引き受けてしまう。
そういう光秀には生々しさがありました。
(中略)
思想として根底にあった朱子学も、理解度がとても高い。
一本筋が通っている。筆を握り、スッと線を引く。そんな端正で爽快感のある美しさがありました。

『麒麟がくる』とは正反対だ、あれは素晴らしかった云々。
別に武者さんがこれを好きなのは自由ですが、これを好きでなかった人もいるし、人物描写になじめなかった人ももちろんいるでしょう。人それぞれであると思います。私も馴染めない部分もありましたが、室町文化の描写などは面白いと思いました。

けれども、だからこそか。『麒麟がくる』をどうしても認めたくない、しつこいアンチが一定数います。
「駒に耐えきれなくて切ったんやがおもしろかったんか?」
とかなんとか、いまだにネットで書き込んでは仲間集めをしているかのよう。
そんな脇役が目立つ程度で切る方がどうかしていますし、駒は別段、そこまでストーリーを引っ掻きまわすわけでもありません。

脇役が嫌だから観ない人がいても、それは好き好きであると思います。自分が好きな作品が受け入れられないのがそんなに嫌ですか?ならば、その反対の例(たとえば今年)もあるわけで、他人が好きと言っていても、貴方は、しかもライターとしての仕事の中で、嫌悪感をあらわにしているわけですが。

しかし武者さんがこれを推したいのは、光秀の潔癖さとか朱子学よりも、結局駒の描写なのだろうと思います。

要するにミソジニーだろうと思います。男性が活躍する分野にいる女性を敵視し、やたらと叩く。典型的な心理ですね。
そんなミソジニーの影に「学級委員長タイプのいい子ちゃんw」を嫌う幼稚な心理も伺えます。

駒の見方もまた様々です。ただ武者さんの書き方は、駒に対して否定的な人を断罪し、ミソジニーと断定したがるだけのように見えます。なぜ駒がそのように見られるのか、その原因を一度でも考えたことがあるでしょうか。
先日の投稿で触れていますが、武者さんは『どうする家康』の団子屋の老婆についてこう書いています。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

私はこれに関して、オリキャラゆえのひとつの形であると書いています。つまりオリキャラというのは賛否両論あるものの、どのようにも動かせるものでもあります。少なくとも大河という「ドラマ」について書いているライターであれば、そしてここまで駒への批判に否定的であるのなら、その点を理解するべきではないでしょうか。

私はあの婆さんは、家康の三方ヶ原関連の伝説の語り部でもあり、面白かったと思いますが。柴田理恵さん、好演でした。

そしてこちらの文章ですが、要は上の『麒麟がくる』評と比較してみると、冒頭で賛否両論が混じると書きながら、「賛」の部分だけを否定するかのような書き方はどんなものでしょうか。

どんな傑作だろうと、大河ドラマともなれば賛否両論が混じります。
しかし、ファンがアンチを嘲笑うような、幼稚でいじめっ子じみた口調でやたらと「wwww」を連発しながらおちょくってくる今年は際立って異常です。
・私は松潤が好きな純粋な人間です!
・徳川家康なんて何も知らなかったのに(日本史の授業中は寝ていましたか?)理解できるようになりました!
・それなのに、感想と言いつつ貶す人はひどぉい……くすん、きっと友達がいないからそーするのね♪(世間は広い。ジャニオタ以外に交友関係を広げられる人間も存在することを認識してください)
こういう界隈に忖度することがよいことでしょうか?
ここからの「いいね」欲しさに、無理矢理文章をこねくり回す歴史好きとは何でしょうか?

逆に言えば、なぜこの人たちが『どうする家康』を肯定的に受け止めるのか、それをきちんと考えたことがあるでしょうか。何度も書きますが、自分の好きな作品への否定と、嫌いな作品への肯定はやはり受け入れられないようですね。

これも以前、大河は歴史に興味を持つきっかけと書いたことがありますが、
「徳川家康なんて何も知らなかったのに理解できるようになりました!」
はその一例ですし、少なくともこの意見を私は否定しません。
そして「自分の感情を否定」などと書かれていますが、仕事である以上そこは割り切るべきでしょう。

私は自分の感情を散々否定されてきました。
しかし、そんなことは今更どうでもいい。むしろ、相手はなぜそうするのか、まじまじと観察してしまいます。
悪い癖かもしれません。
人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか。

「人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか」
正直言って、これもブーメランに見えてしまいます。
なぜかと言えば武者さん、自分で大河叩きをする時は、かなり「口ぎたない言葉」(私は伝法な言葉だと書いていますが)を使っています。しかしそれが自分に向けられると
「もしかして、ストレスでも隠していませんか」
となるのですね。

かなり後の方ですが、こういう記述があります。
「ドラマを話の枕として、気取った顔でうんちくを語る大人がいたら、軽蔑が顔に出る。
そのうえで大人が語ったミスを訂正し、根性の悪いクソガキだと嫌われたことでしょう。
『ねえ先生、どうして大人って、あんな嘘くせーバカドラマを褒めんの? 馬なんてどう見たって偽物じゃね?』」
「根性の悪いクソガキ」
「嘘くせーバカドラマ」
どう見ても「きれいな言葉」には見えませんね。

それにNHKに問いたい。
そういう人物に迎合することはリスクでしかありません。
事件が先日ありましたね。ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマを、看板番組を流しているテレビ局です。こういう恥晒しは起こるべくして起きたのでしょう。
◆取材メモ流出 NHKが協力者に謝罪 「匿名情報公表で放送中止」(→link)
◆NHKがColaboに謝罪 取材メモが批判する人物に流出していた(→link)

「そういう人物に迎合することはリスクでしかない」
何をもってそう言い切れるのでしょうか。日本は法治国家であり、個人の感情だけでリスクか否かを決めるものではないでしょう。
「ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマ」も、武者さん個人がそう考えているだけだと思います。『青天を衝け』もそうでしたが、否定する時は必ずミソジニー(それが事実であるかどうかはともかく)という表現を使いますね。
そして、これと大河と直接関係はないかと思いますし、のNHKは『麒麟がくる』も『大奥』も制作しているのですが。

『麒麟がくる』みたいな作品を、偽善だと切り捨てたいのであれば、それこそ『首』のような描き方がある。
あの映画ほどの残虐描写を大河ドラマで描くことは厳しいとはいえ、やりようはあるでしょう。
しかし『どうする家康』はせせこましい。
最終回まで、結局悪の尻拭いは秀忠に押し付けたようなもの。
家康はネチネチグチグチと、自分だって辛いんだもんと繰り返すばかり。自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山。
人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る。嫌なことがあるとすぐ逃避しようとする。

貴方に取って、自分が認める戦国時代が舞台の映像作品は、『麒麟がくる』と『首』しかないのですか?
そして、「悪の尻拭い」て一体何ですか。
秀頼に死を申し付けるというのは、秀忠自身が自分の責任に於いてそうしたのであり、家康から尻拭いを要請されたわけではありませんが。

「自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山」
家康はその気はなかったのに、お万が積極的であったとここで再度書いておきます。そしてこの2人の間の息子は、最初羽柴家、そして結城家の養子となり、越前松平家の祖となっています。

「人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る」
寧ろその逆でしょう。自分が今までやって来たことは人殺しだと、瀬名と信康に話していましたよね。そして悪いけど、これもブーメランに見えます。

あとまた『パリピ孔明』。

『パリピ孔明』のオーナー小林がそう語っていました。
このドラマは、やたらと絶賛も多い。
SNSのハッシュタグで検索すうと、大仰な絶賛ばかりだとか。
しかし、それは結局のところ玉璽だ。

「すうと」は「すると」でしょうが、そしてあまりこの話を蒸し返すのも何ですが、この番組の平均世帯視聴率は4パーセント台でした。無論これを面白いと観ていた人もいるわけで、視聴率が作品の質を表すものかどうかは何とも言えません。
ただ、『どうする家康』では世帯視聴率ワースト2位だと何かにつけて言いたがる武者さんが、これについては何も言わないのですね。

そして風間俊介さんが、今年をもってジャニーズ事務所を退所し、フリーで活躍する旨が書かれています。他に生田斗真さん、岡田准一さんについても書かれています。それはいいでしょう。
しかし

沈む船から降りた生田斗真さん、岡田准一さん、そして風間俊介さん。
大河でまた見たい俳優がケジメをつけたことは、私にとって朗報です。
これからもどうかご活躍ください。大河にもまた戻ってきてください。

貴方、『どうする家康』で岡田さんが演じた信長のことを何と書いていましたか?

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

本作は、信長が五徳の頬を掴む場面を「めっちゃかっこいい! これぞイマドキ!」と思っているようで、今週も回想シーンを入れて来ました。
全大河ドラマを振り返っても、これほどまで暴力的な場面を宣伝素材にするケースは、そうそうないでしょう。
ニュースにも使われていることから、自信たっぷりに宣伝素材を用意したんですね。

マザーセナのおかげで信長は天下を狙えたのだから、その恩を我々に返さなければならない。
信長という大名が恵みを受けて大きくなれたのは、マザーセナが祝福したから。
マザーセナの祝福を受けた者は 必ず恵みを返さなければならない。恵みを施さなければならない!
信長は“慈愛の国”をどうするつもりなのか? マザーセナを追い詰めたじゃないか! 信長の政治はどうなると思う?
滅びるしかないだろう。光秀に教育を受けにこいと伝えろ。わかったか?

以上のようなことを書いていますが。
そして、これに関して何か釈明されたわけでもないようです。

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。『孫子』
兵士は水のように変化する。
このドラマは教養が嫌いです。

あの
「それ兵の形は水に象(かたど)る」ですが、これはやはりその後の
「水の形は高きを避けて低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ」まで紹介できませんか?水が高所から低い場所に向かって流れるように、兵は状況に応じて、相手の隙を突くことが大事だと言っているわけですから。
そして「このドラマは教養が嫌いです」などともありますが、武者さんのこの漢籍紹介ももうちょっと充実させてほしいものです。

そして

「このドラマを見れば徳川家康の生涯を学べるんだ! だってえらい先生もそう言ってたもんw」
こう主張できるよう、兵士の心が流れる仕組みが作られてゆきます。

上記の漢籍、兵士の「心」ではなく、隊列とか陣形を変えるという意味ではないのでしょうか?

◆ NHK大河に歴史学者が大満足のワケ…最新研究でわかった家康の生涯と江戸期に作られた家康像の決定的ちがい(→link)
この記事なんてまさしく典型的で、聞き手は歴史好きという演出まで為されています。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>(→link)
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)

まず最初の記事(プレジデント・ウーマン)ですが、著者の黒田基樹氏は『真田丸』の考証をしていた方だと思います。武者さん、『真田丸』の考証は褒めていなかったでしょうか。
そしてあとの2つの記事、読売新聞の記事ですが、こちらは柴裕之氏の考証とドラマのかかわりについての記事で、読んでいて面白いと思いました。

それにしても、一体どういうことなのかと混乱してきます。
例えば、関ヶ原での小早川秀秋への「問鉄砲」は後世の創作なので却下とあります。
それなのに、それを前倒ししてスライドさせた、姉川でも信長から家康への問鉄砲はよいと。
何が駄目で、何がよいのか?

姉川の戦いの問鉄砲は創作ですね。
家康をその気にさせるためのものでした。しかし小早川秀秋の「問鉄砲」は、長らく史実だと信じられてきていたものが、そうでなくなったから外したと思われます。これも『功名が辻』辺りまでは使われていました。
逆に関ケ原での描写ができなくなったため、姉川の戦いにああやって創作として入れたとも取れます。

そしてまた光秀の描き方がなってないだの、清須城が紫禁城のようだの。
光秀については、またも『麒麟がくる』が出てきます。

一体どれだけ、あの優等生が嫌いなのか。宣教師は光秀を貶しているのだから、こちらの方がむしろ近いという。
それはどうでしょう。このドラマの光秀は、下劣で、愚かで、小狡く、死者への敬意すらない。
(中略)
優等生ぶっていて実は狡猾な光秀像であれば、『首』なら理解できます。
あの西島秀俊さんの光秀は折目正しい人格者でありながら、残虐行為を働く。そんな二面性のある人物でした。
それに宣教師の言うことは、異教徒への悪意や偏見があるから、全て受け止められるかどうか、史料批判も必要に思えます。

そしてまた『麒麟』に『首』。
ここは『どうする家康』について書くコラムのはずですが、他作品を持ち出す回数が多すぎです。
要は『麒麟がくる』の光秀は自分の理想、『どうする家康』は駄作だから光秀も小物、こう言いたいのでしょうか。そしてまた『首』だと褒めるのですね。わかりやすいと言えばそうですが、作品による違いを見ていないなと思います。

そもそも最新の説をつまみ食いしたところで、城が異国情緒たっぷりではどうしようもありません。
映像作品でそこを間違えてどうするのでしょう。このトンデモ城については「威圧感の表現だ!」だのなんだの擁護もありましたが、結局間違いであることが上記の記事にも記されまいた。

「最新の説をつまみ食い」
また「森乱」でしょうか。つまみ食いではありませんけどね。
あと清須城、以前にご紹介しましたし、これはたけたけさんと平原学氏、それぞれのnote記事でも紹介されています。信長が城主だった当時はこのような形ですね(Jyo-saiサイトより)。

清須城守護館キャプチャ

で、当該記事中で柴裕之氏は
「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、時代考証の仕事は基本的に台本を作り上げるまでで、映像にするところは関与していないんです。『家康は壮大さに驚いた』という台本の文字から、紫禁城のような映像を思い浮かべることはできません。だからこそ、制作陣と意見をぶつけ合って、文字と映像にずれが生じないようにする努力が欠かせません。清須城の件で、それが足りなかったのは反省点です」
とコメントしていますが、私は、あれはあれで面白かったかとは思います。実際入って行くシーンを見ると、それほどに距離はありませんでしたし。

あるインスタント食品の広告が、あまりにくだらなくてむしろ買う気が失せたことがあります。こんな調子でした。
あの和食の達人が褒めた!
あのイタリアンのシェフも絶賛!
伝説の中華の鉄人までもが降参!
何がどう美味しいのかさっぱりわからない。
しかし、広告としてはこれが通じてしまう。肩書きの偉い人が何か言うと、信じたくなる方向へと心理は誘導されます。
軍事心理学の古典である『孫子』は、まさにそうした現象を「兵形水象」と表しました。

「偉い人が言うことになびく」ことがそれでしょうか。
上の方でもこれについて書いていますが、柔軟な思考がないと、戦に勝てないというのが元々の意味ではありませんか?そして武者さんも自分が好きな対象であると、それになびくように思われます。

インターネットの普及は、こうした心理を加速させます。
みんなが好きなものはともかく褒めよう、取り入ろう。否定する奴はめんどくせー。嘲笑ってやる。
そんな、ことなかれの冷笑主義をこじらせた結果、先回りして忖度する。
批判者をクズだと貶める瞬間はとても楽しい。ハッピーなことしかありません。

では、『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』にも同じことが言えると考えていいのでしょうか。
つまりこの2つを否定する奴は面倒臭い、嘲笑ってやると、この2作品を支持する人たちのすべてが思っていたのでしょうか。

今年、私は、深刻な「武士成分不足」に陥りました。
何を言っているのかわかりませんよね。自分自身、正直驚いています。
何が起きたか。浮世絵のジャンルである武者絵を定期的に見なければ精神的に安定しなくなりました。
あの構図。色。真剣なまなざし。命をかけた戦いぶり。
そういうものがどれだけ好きなのか、武者絵を見て再確認する作業が必須となっていったのです。
大河を見れば、武士は目に入る。それが今年は欠けていたのでしょう。

浮世絵を見るのも武者さんの勝手ですが、今年の大河に「武士」はちゃんといましたし、命をかけて戦ってもいました。ただ武者さんが思い描く
「戦のシーンで馬を走らせる」
「弱い部分を見せない」
といった、いわば定番としての武士とは違っていたわけで、逆に、その違いを見て取る必要があったかと思われます。

そして江戸時代から明治にかけての武者絵というのは、当然ながら戦国期のものではないわけですが、武者さんはつまり後世の想像が入っていてもいいから、自分が納得する武者像を見たいということのようです。何か、目の前の現実とか一次史料より、自分の理想を優先させたいという見方がそこに感じ取れます。

2023年末と言うのは、象徴的な出来事があります。
長いこと権力の座についたものは腐敗する。
悪だとわかっていようが、利益で釣られて加担するものはいる。
半世紀以上の年月を経た大河は、残念ながらそうした薄汚れたコンテンツになりました。
『どうする家康』を曖昧な、キラキラワードで褒めるということは、悪に加担することではないでしょうか?

なぜキラキラワードで褒めるのが悪に加担するのでしょうか。
そもそもこのキラキラワードとは、具体的にどのような言葉であり表現なのでしょうか。
そして
「長いこと権力の座についたものは腐敗する」
という表現ですが、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
では?

『どうする家康』は何かの未来を確実に潰したと思います。それが何かは、もう少し様子を見てから言えることなのかもしれません。
先ほど、人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました。
残念ながら日本では泥舟とわかっていても『どうする家康』を褒める忖度の空気が漂っています。
それはなぜか?
結局はお金ではありませんか。どうしたって戦国時代は金になる定番コンテンツですからね。そこに群がれば甘い汁は吸える。
戦国時代をモチーフにしたキラーコンテンツを作れば、金が回るシステムはあるとみてよいのでしょう。

どの大河でも、イベントなりグッズ販売などでお金が回るとは思いますし、それがその地域の活性化につながっているとは思います。昨年の『鎌倉殿の13人』だってご当地グッズはありました。なぜか武者さんは、それ(特に義時の名がついたアイテム)を貶めるようなことを言ってはいましたが。

そして
「人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました」
偉い肩書というか、
「立派な肩書を持つ第一人者」
とでも言いたいのでしょうか。別に立派な肩書と言うより、その人がどのような研究をしているかにはよりますし、また大河の場合、考証を担当している人がなぜそうしたのかを知る上では、その人の記事やコメント、SNS投稿は注目するべきではあるでしょう。

私は驚いたことがあります。こんな言葉がネットにあった。
「大河ドラマの記事を書いて金を儲けているくせに、批判するとは何事だ!」
一体なんなのでしょう。批評家の存在意義すら理解できないのか。

武者さんが自分が好きな大河にも批判をきちんとしており、嫌いな大河でも見るべき部分を指摘しているのであれば、それは納得できます。ただ今まで、そのような例が今までどのくらいあったでしょうか。

日本史ではない、歴史研究者のオンライン講義でのことです。
大河ドラマの話題が出ました。その先生は明らかに苦々しい、苛立った口調で話していました。
そして中国で教鞭をとる日本史研究者と、そのフォロワーでのやり取りにこんな内容がありました。
「講義で大河ドラマを教材に使おうかと思っています」
「えー、でも、『どうする家康』を使ったらむしろ学生の知識が落ちますよ」
「むろん、まともな大河ドラマだけを使います!」
忖度がない意見ならば、こうなるわけですね。
海外の日本史ファンは相当冷たい目でこの駄作を眺めています。

ではそのオンライン講義のテーマと、研究者の名前を挙げてください。
それから、海外の日本史ファンの意見も、スクショか何か取れないのでしょうか。それがないと、ただ武者さんがそう言いたいから言っているだけに過ぎません。

それはそうでしょう。当たり前です。国内でコタツ提灯記事をビカビカ光らせたところで、何の意味もない。
私はそんな意味のないことに加担したくありません。今だけではなく、一手先、二手先を見てゆけば、こんなものを褒めれば後悔すると予測できます。

それは貴方の好きな大河でも同じようなものですよ。いくら武者さんが好きでほめそやす大河の関連記事でも、それを提灯だと言っている人もまたいたでしょう。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

忘れましょうと言いつつ、

色々とまとめることはあるので、後日、あらためて記事を出させていただきます。

貴方どっちなんですか。忘れるならとっとと忘れてください、このコラムだけでも6ページも使って、結局いつもの繰り言と、ゴシップを並べているに他ならないのではないでしょうか。
そしてこれよりもう少し前で

群れるというのは、そんなに楽しいことなのでしょうか?
どうにもわからない。私はこれまでも、これからも、“ぼっちクソレビュアー”で結構です。

武者さんが「ぼっちクソレビュアー」だろうが、別に私は共感や同情はしません。一方で群れるということを否定していながら、何かにつけて自分の主張を押し通し、同調者を求めるような姿勢が見えるかとは思います。

この大河から学べるものは多かったと思います。しかしこのコラムでは、嫌いな大河への対応としてありがちな、のっけからの叩きまくり、すべてを否定する姿勢が、『青天を衝け』に続いて、また繰り返されましたね。

あと平原学氏のnote記事が久々に更新されています。

【どうする家康】ラストの東京タワーの意味。最終回でも輝いた松潤の演技のスゴみとは。最終回「神の君へ」雑感

第45回の氏真の「本当のおぬしに戻れる日もきっと来る」、現代人への問題提起としての現代の日本の姿、そして「ドラマを楽しんでいた者も『反省会勢』も、両者が反省すべきこととは。『乱世の亡霊』に憑りつかれるな」等々書かれています。



飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/12/24 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


竹千代が出てくるときの照明とBGMが酷い。
松平信康に尋ねられると、当人は後継ぎだそうで、なんでも家康そっくりなんだとか。
それはろくでもない奴ですね。

瀬名が「初めてお会いした頃の誰かさんにそっくり」と言っていますね。
そして、存外神でも狸でもないことを見抜かれているかも知れないとも言っています。大した奴ではないかと思いますね。

そして先日書いた、子役の使い回しができないから駄作呼ばわりに始まり、
「もう、この時点で柳生十兵衛を呼んできて欲しい。竹千代相手に剣術指導をビシバシとして欲しい」
だから、家光より年下で小姓の十兵衛が、どうやって剣術指南をするのですか?この場合指導するのは、貴方が大坂の陣で人を斬ったと書いた、柳生宗矩ですよ。確かこの時が、彼が人を斬った最初で最後の例とされています。

で、「マザーセナ」(しつこい)が褒める臭いセリフ(前出の『存外見抜かれている』)を言うだの、ラストシーンまで所作があやふや(どのシーンの所作ですか?)だの。そして竹千代の絵が「マザーセナ教団名物である白ウサギ」だの。特定の作品をこき下ろして自己満足というのも、寂しいものだなと思いますがそれはともかく。

しかし、死にかけた神のもとに孫も自由に出入りできるんですね。

自由に出入りしていませんよ。御簾の下からそっと差し入れただけでしょう。恐らく、おじじ様は具合が悪いから、静かにしているようにとでも福に言われたのでしょう。

そんなゆるい警備だから『柳生一族の陰謀』ラストで、十兵衛が家光を生首にできるんですよ!
これは夢じゃ、夢でござーーーーーるーーーーーー!
すみません、錯乱してしまいました。ほんとうにこんな大河、夢だったらどれだけよかったか。

貴方実際の十兵衛について書きたいのですか、『柳生一族の陰謀』について書きたいのですか。どっちなの?
「ほんとうにこんな大河、夢だったらどれだけよかったか」
お金を貰っているコラムで、自分の主観だけでものを言わないこと。
あとこれは昭和50年代の作品ですが、そういう時代て武者さん嫌いじゃないのですか?

そして「鯉、心の底からどうでもいい」なる見出しで、

名前も覚えたくないどうでもいい家臣Aと Bが若君御祝言の日だと言い出す。
目覚めたら若返っていたという作りが、転生もの漫画のようでいかにも安っぽい。

家臣A-鳥居元忠、Bー平岩親吉
目覚めたらではありません。これ自体が寧ろ夢なのでしょう。

そしてどうでもいい鯉の話になる。

だったらスルーすればいいのに、やけに詳しく書いていますね。で、ことのいきさつが書かれていて、鯉が消えてしまって

「もう腐った鯉を口に詰めて始末したくなる連中だ! くそたわけが!
まさか、本作の光秀を肯定的に思い出してしまうなんて一生の不覚です」

肯定的に思い出しているのではなく、わざわざ名前を出そうとしていませんか?
そして
「制作者たちは、こんな話が本気で面白いとでも思っているんですかね」
「実際に、鯉を食べた家臣をかばった逸話はあるそうです。それを素直に流せばよいのに、古臭いセンスで長引かせる」

どこが古臭いのがわかりませんが、鯉の話は『岩淵夜話』第十五話に登場し、それは鈴木久三郎が鯉を食べたという設定になっています。

岩淵夜話 -徳川家康説話集ー

というか、武者さん自分で調べてはどうですか?本当に何も調べない人だなと思いますね。

そしてこれを基にしたのは、確か1983年の『徳川家康』にあったのでは。しかし、恐らくそれを素直に流せば、また武者さんがあれこれ言いそうな気がします。

どうにも三谷幸喜さんや宮藤官九郎さんと同世代の男性脚本家には、何か思い違いをしているのではないかと思えることがあります。
(中略)
穴埋めにダラダラと台詞を書かれたところで、誰の胸にも全く響きません。

それを言うのなら、三谷さんや宮藤氏(『いだてん』の後半、かなり批判していたと思いますが)の作品だけ観ていればいい話です。古沢氏のファンもいるわけだし、何度も書きますが、大河は、武者さんだけのために作っているのではありません。何か勘違いしていませんか?それも、武者さんが制作から何からすべて請け負えば別ですが、口だけ出しているに過ぎないのではないでしょうか?

こんなくだらないことを放送するための最終回延長でしょうか?
延長する意義が全くない。
ただ若い松潤フェイスを見せつけて流したいだけに思えます。

三河以来の家臣が総出であったこと、これが何を意味しているのでしょうか。まあ、家臣の名前すら覚えようとせず、AとかBとか書くようであればちょっと理解し難いかも知れませんね。

要するに教祖・家康を讃えたいらしい。
家臣団が蘇ってどんちゃん騒ぎ。
一体このドラマはなんだったのか?
結局、アイドルのプロモビデオだったんですかね。セットもVFXも、衣装も改めてひどいと思う。
テンポも悪い。

「家臣団が蘇って」
それは違うでしょう。あれは家康の恐らく夢で、その中に岡崎時代の自分や家臣たちが登場するわけですから。『おんな城主 直虎』で、最期を迎えたおとわの前に、子供の頃の亀之丞や鶴丸、龍雲丸が出て来るのとちょっと似ています。

「一体このドラマはなんだったのか?」
大河ドラマです。

「結局、アイドルのプロモビデオだったんですかね。セットもVFXも、衣装も改めてひどいと思う」
貴方この間も同じようなこと言っていましたね。そして「改めてひどい」てどうひどいのですか?

長い原作をテキパキとつなげた『大奥』の後に本作を見るのは、ただただ苦行。

これで3度めかな、『どうする家康』には原作がありませんから、それを持ち出しても適切な比較対象にはなりませんよ。

ひどいBGMを背景に、かっこつけた家康が死ぬ。
妙に光があたった状態で死ぬ。
そしてえびすくい。
しつけーーーーー!

まだあの時点で死んだかどうか定かではありませんが、それが間近であるとは言えますね。
そして『えびすくい』、これほどこの大河を象徴する音楽というか踊りも、他にないかと思います。最終回でもう一度出て来るかなと思っていたら、エンディングがこれでしたね。

そういえば、同じ古沢さん脚本の映画「レジェンド&バタフライ」も1月27日から公開される。
木村拓哉“信長”と岡田准一“信長”を見比べてみるのも一興かもしれない。
綾瀬はるか“濃姫”に対して、「どうする家康」の濃姫は誰なのかしらん。
映画もドラマも最低の信長でした。
本作に濃姫は出てこないどころか、自称男勝りの阿茶で似たようなキャラで使い回しされています。

濃姫と阿茶局、全然違うと思いますけどね。
そして最低の信長とは何をもってそう決めつけるのでしょうね。
演じた俳優さんが、どちらもジャニーズ(当時)だったからでしょうか。

『麒麟がくる』の染谷信長のあとは『首』の加瀬信長で上書きされました。
思えば“えびすくい”の時点で、このドラマは終わっていたのです。
「なんてよき光景でしょう」
マザーセナがそう言います。
遠くに何らかのタワーのような塔とビル群が見える。
つくづく最低のお遊びでした。

また『首』ですか、他作品のPRはもういいですよ。PRやめて元の2ページに戻して貰えませんか。
そして
「えびすくい”の時点で、このドラマは終わっていた」
『えびすくい』は今まで10回以上出て来て、それぞれ登場した時期は異なりますが、どの時期を言っているのでしょうか。そして後の江戸、ひいては今の東京が出てくるのが何か悪いですか?家康は江戸を作った人物ですよ。

結局のところ、今年の大河は国王になる夢を抱いたタレントのために、その野心をお膳立てした茶番だったのでしょう。
◆松本潤の大きすぎる夢に山田裕貴も大爆笑。「国王になりたい。通貨は“潤”でしょ!」(→link)

面白いと思いますけどね。というか、松本さんがジョークで言っているのもわからないとは…。

もはや耐えきれず、『首』の予告編を見直しました。
「さっさと死ねよ」
「どうせお前、死ぬけどな」
そう口にする秀吉に同意します。
本作の口直しには北野映画『首』が最適です。駄作はとっとと記憶から焼き消し、次へ向かいましょう。

だから『首』のPRならほかでやってください。はっきり言ってうざいです。そしてもしアフィリエイトなら、ちゃんとその旨を明記してください。
貴方はこれを駄作と思っていて早く記憶から消したいのかも知れませんが、この大河が好きで忘れたくないという人もいるのです。余計なお世話だと言う人だっているでしょう。その割に、来年以降この作品を何かにつけて叩きそうな予感もしていますけどね。

またしつこく『三国志』の話をします。
諸葛亮が頑張っている後半は、くどくて面白くないと思えることが増えてしまいます。
(中略)
しかし、似たようなことを七度やられてもくどいのです。
なぜ、この話をするのか?
というと、結局このドラマは同じ話を使いまわしていると気づきました。
今川氏真。
武田勝頼。
織田信長。
豊臣秀吉。
石田三成。
そして茶々と豊臣秀頼。
全員が、だいたい家康とわかりあっている設定です。

私は武者さんが、同じようなネタ(マザーセナだのレーシックお愛だの筆の持ち方だの)を何度も持ち出してくる方がくどいです。そして主君が同じ人物だった場合、似たような展開になる例は他にもありました。戦国大河の多くはそうでしょう。

しかし、武田勝頼はそれほど家康とわかりあっていましたか?信玄つながりではありましたが、信長や秀吉との関係とはまた違っていたかと思います。

で、家康は悪くないのに、相手が何かやらかして自滅するように滅びる。そういう同じことの繰り返しよ。
なぜそうなるかというと、それしかパターンがないのでしょうね。
信じあって愛し合っているのに、戦になるなんて……それだけです。それしかありません。

家康は悪くないのにではなく、家康が同盟を結んだ、あるいは仕えることになった相手が一代の野心家で、彼らが倒れた時に後継者がおらず、あるいは三法師のように後継者を他人が決めてしまい、そこで何をすべきかを迫られる展開ですね。で、この上でも書いていますが、戦国大河というのはこのパターンが多いわけです。ただ家康の場合、今回のように若く微力な存在としては描かれないことが多く、それが視聴者によって見方が分かれるところでしょう。

それなのに、どうして大河を引き受けたのでしょうか?

逆に、こういう家康を描くのも新鮮であること、また松本潤さんのキャラを生かすには、こういう形の方がいいと思ってのことではないでしょうか。何も大河は、特定のパターンで描かなければならないという決まりはありません。
私も当初は心配でしたが、今は観てよかったと思っています。

今年の大河ドラマは何かに忖度しているのか?と思うほど、庇う記事が多い。
◆NHK大河「どうする家康」コア層に響いた画期的な演出 戦なき世へ邁進 北川景子と松本潤の最期で完結する「人間ドラマ」(→link)
◆ 茶々の心を闇から光へと戻すには十分な言葉(→link)
◆ 『どうする家康』効果的だった北川景子の一人二役 市と茶々を演じたことで伝わった武将たちの長く濃密な歴史(→link)

まず忖度という言葉ですが、本当は斟酌でしょうけどね。
そして庇う記事と言いますが、メディアにもよるものの、どの大河も概ね肯定的であるものが多いです。これは昨年も、『麒麟がくる』でもそうでした。武者さんにしてみれば、嫌いな大河が肯定的に見られるのが嫌なのだろうと思いますが、そして何度も言いますが、大河は貴方のためだけにあるのではありません。

この記事をあわせて読むと、本作の「心」とは結局、色恋沙汰だけなのだとわかります。
どうやら歴史好き(言外に退屈で堅苦しい隠キャと貶めたい欲求が滲んでいます)は嫌うが、人の心を読み取れる陽キャで、心優しく、センスがあって、イケてるドラマ通は見抜ける。
そういうファンの心をくすぐる記事を生産しているとわかります。

「色恋沙汰だけ」というのも妙なものです。うち2つは茶々の心の動きについて主に触れているし、最初の鈴木氏の記事は、視聴のされ方について述べたものです。どこが色恋なのでしょうか。そして、歴史好きがこの大河を楽しんでいない、記事を読んでいないという根拠はあるのでしょうか。

何よりも、すぐ色恋だと決めつけるところが、ドラマをきちんと観ているように見えない所以なのですが。

知識や教養、時事問題では、何か価値のあることは言えない。
そのくせドラマの見当違いな感想、ゴシップの類、どこぞで仕入れた下劣なネタをしゃべりまくることで、自分は世間ずれしていて賢いと主張したいタイプ。
本作は、そういう層をピンポイントに狙ったということでしょうか?

「そのくせドラマの見当違いな感想、ゴシップの類、どこぞで仕入れた下劣なネタをしゃべりまくることで、自分は世間ずれしていて賢いと主張したいタイプ」
すみません、これも何だかブーメランに見えて仕方ないのですけど。

『大奥』最終回を見ていて『どうする家康』は、なんてくだらないのかと改めて呆れてしまいました。
『大奥』では、激務の果てに夭折した家茂を思い、御台である和宮が嘆きます。
国も徳川もどうでもいい。綺麗な服を着て、カステラを食べて、お茶でも飲んでいたらそれでよかったのにと。
この言葉が胸に響くのは、和宮も、彼女にとって最愛の存在である家茂も、それができないとわかっているから。

私は『大奥』はよく知りませんが、亡き母の思いを受け継いだ茶々も、きれいな服を着て、秀頼の母親として大坂城にいれば、それなりの地位は保てたはずです。しかしお市の思いを受け継いだ茶々は、それだけで収まる人物ではありませんでした。

和宮は嫌だという気持ちを封じてでも、世のために、徳川のために、危険を承知で西郷隆盛を説得する場に乗り込んでゆきます。
人の心に感動するというのは、そんな誠実で、責任感があり、美しいものと出逢った時ではありませんか?

茶々も世のためという言葉を使っていますよ。
ただ彼女の場合は、偽の天下人である家康を滅ぼし、豊臣の世を再興することでした。それが破滅につながって行くわけですが、これもまた己の心に忠実で、夫秀吉と子秀頼のためであり、その行為は見方によっては美しかったでしょう。
それと茶々を演じた北川景子さん、この
「『どうする家康』効果的だった北川景子の一人二役 市と茶々を演じたことで伝わった武将たちの長く濃密な歴史」
にありますが、『西郷どん』では篤姫役でした。そしてその篤姫が西郷隆盛を説得するシーンがありましたね。

それがこの『どうする家康』では、ただひたすら下卑ていて汚らしい感情ばかりが目につく。ニタニタしながら相手を見下し、マウントを取る時ばかりにリアリティがある。

どこが下卑ていて、どこが汚らしいのかまるで具体性がありません。
そして何かにつけて『大奥』がどうのこうの、叩き棒にされる『大奥』も気の毒ですが、時代背景も舞台も異なる『どうする家康』と単純比較して、あれがいいこれがいいと言っても、どうしようもないと思うのですけど。結局貴方のこの大河への評価は、何かを叩き棒にして貶めること、それを確信させられる1年でした。


飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/12/22 22:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。
しかしいつも思うのですが、この5ページ目の文字量がとにかく多い、1ページ目の2倍以上はあるでしょう。そして持論展開とそれを裏付ける記事のリンクがやたら目立ちます、こんなの大河コラムでやる必要があるのでしょうか。


『どうする家康』なんて大駄作を看板として放送してしまった2023年。
NHKの放送倫理に向けられる目はこの上なく厳しくなっています。

この放送倫理ですが、暴力とか俗悪なものを排除し、社会に受け入れられる放送を行うための指針を意味すると思われます。しかし『どうする家康』は、暴力でも俗悪でもないと思いますが。

先日、クローズアップ現代のジャニーズ性加害問題特集を見ました。
NHKの建物内でも加害は行われてた。しかし、NHKはジャニーズに任せきりで、何が起きているかすら把握していなかったとのこと。
NHKでまさかそんなはずがないだろう。そう思い、被害に遭われた方。そのご家族。どれほど辛い思いをしたのでしょうか。

では、今年の大河に出演した元ジャニーズの俳優さんたちは、全員加害者なのでしょうか。こういうのは、誹謗中傷の類になりかねないのでは?
そして朝ドラをまた叩いていますが、こういうのは朝ドラのnoteでやってくれないでしょうか。何度も言うけどここ大河コラムなのですけど。
その朝ドラで

なぜ歌唱力と演技力があるキャスティングにしなかったのか?
どうして歌がテーマなのに、朝から耳に悪いドラマになっているのか?
疑念が募るばかりです。

『どうする家康』でもそうですが、嫌いな作品は「耳に悪い作品」ということでしょうか。武者さんに取っては。

そして「七実三虚」の必要条件なる見出しで、

本作の脚本家はインプットが圧倒的に足りない。
ドラマ10『大奥』脚本家の森下佳子さんと再び比較させていただきますと、彼女の『大奥』は、原作の尺を切り詰めながら、時代劇愛にあふれた要素が追加されています。

とありますが、大河とドラマ10をなぜ単純比較するのか、そっちの方が疑問です。叩き棒にしたくてたまらないのだろうなと思いますが、『大奥』にしてみれば迷惑なのではないかと。

で、『大奥』は「七実三虚」(『三国志演義』に代表されるような、七割が実際に起こったことで、三割がフィクションである構成のこと)で、これは歴史をきちんと踏まえていないと書けない、『どうする家康』はその点が脆弱だとか何とか。
そしてまた阿月の話だのマザーセナだの、数年間空砲を撃ち合うことが現実的なのかだの、果てはまた北半球で南に虹は出ないだの。この虹の話はもう3度目かと思います。少しは自分で調べてはどうですか?

しかし、私がくどくど指摘したところで、「へっ」と鼻で笑って屁理屈でもこねくり回すのでしょう。
「そーゆー真面目な歴オタ、史実至上主義、原理主義がつまらないんですよww」
「負けて悔しいんですかwww」
「偉そーなこと言いますけど、あんた勘違いしていたことありますよねwww」
といったような論点ずらしばかりで本質とは向き合わない。

まず「くどくど指摘」されることに抵抗を覚える人はいるかと思います。
そして「本質とは向き合わない」などとありますが、武者さんの場合、歴史系ライターでありながら史料もろくに出さないし、1つ前のページの家康の最期だって、ちゃんと史料を基にした記述にはなっていないのですが。

そして真面目な歴オタとか史実至上主義と書く(自分のことでしょうか)割に、平山優氏の「森乱」などにはあれこれ言うのですね。実際一次史料には森乱としか出て来ません。それでどこが「史実至上主義」なのかと正直思います。
尤もこの場合史実と言うより、
「一次史料に記載されていること」
と言った方が正しいですが。

はっきり書く人が少ないようですが、あえて指摘しますと……。
『どうする家康』から伝わってくる制作者の人間性が、あまりに幼稚です。中学生あたりで人間性の成長が止まっていて、頭にあるのはエロとマウンティングだけ。
そしてお決まりの言葉が出てきます。
「それってあなたの感想ですよねw」
「はい、論破www」
まぁ、その通りでいいですよ。
しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか。

そして気に入らない相手には必ず
「エロとマウンティング」
こういう決めつけもどうにかなりませんか。すごく安っぽさを感じさせるのですけど。

そして
「しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか」
なぜここで急に「武士としてのメンタリティ」になるのかと思ったら、

非力な私ではなく、例えばの話、薩摩隼人の前でも同じことを言えるかどうか?
武士というのは、
「心せよ。相手は薩摩隼人かもしれん。ならば初太刀だけは避けよ」
という心意気があるものでしょうよ。まぁ、こういう心境も新選組好きだけかもしれませんけどね。士道不覚悟は切腹だ!

何だか強引というかひとりよがりだなと思います。
そしてなぜここでまた急に「薩摩隼人」だの「新選組」だのになるのでしょうね。これもリンクされている薩摩武士関連記事に誘導したいからですか?

「シン・大河」――このわけのわからないフレーズに何が期待されていたのか?
迷う弱気なプリンスという描き方に、どういうわけか期待を寄せた人はそれなりにいたようです。

この「シン・大河」なる表現、これも何度も書きますが、一部メディアは使っても公式は全く使っていないわけですが、武者さんは公式が使っていることにしたいのでしょうか。そして実際この家康は
「迷う弱気なプリンス」
であり、様々な場面で決断を強いられて、家臣や家族の助けで乗り切って来ているわけですね。

そして今度は脚本家叩きです。彼ら世代は司馬遼太郎を愛読していた親に反発していたとあり、

気合を入れて、あえてメインストリームから外れた血みどろ武士道、伝奇路線をこよなく愛する。これも少数派ながら、歴史への愛はあるでしょう。
小説ならば隆慶一郎、山田風太郎。漫画ならば『シグルイ』を熟読するようなタイプですね。
この脚本家の場合は、それすらないとみた。
司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたいだけ。高校生あたりで卒業して欲しいそうした精神性でもって、大河に乗り込んできたと。
そんなインプット不足で、面白い歴史劇が描けるわけがありません。

これもまた強引な話ではあります。
「それすらないとみた」
「司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたい」
その根拠はどこですか?
そもそもなぜ古沢氏に「歴史への愛」がないと言い切れるのかそれも疑問です。そしてこのコラムの場合、なぜ自分がそう思うかに対して、明確な根拠が示された例がどれほどあったでしょうか。

尚前編のガイドブックでは、磯CPのコメントとして
「古沢さんは時代考証の先生方がうなるほど歴史資料や取材資料と格闘しながら、キャラクターを生み出しています」
とありますね。

そしてこのことに関する記述が実に長々と続きますので、一部だけ残しておきます。

脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします。
批判されている箇所はそのくだらなさ、つまらなさがあるのに、認めようとしない。言い訳や自己満足、ナルシシズムを語るよりも大事なことはあるのに、そうしない。
ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに、現実逃避して軽薄なことをしゃべるだけ。
『レジェンド&バタフライ』でも同じように絶賛し、ノベライズを担当した、そんな半分身内のような相手に滔々としゃべるだけで終わります。

「脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします」
何か意味が通りにくいのですが、
「脚本家はインタビューで、論点をずらして答えています」
と書きたいのでしょうか。
そしてリンク先の記事のひとつ、

◆大坂の陣。でも今、戦う武将をヒーローとして描けるだろうか。「どうする家康」古沢良太の選択 (→link)

きわめて納得が行くものです。
武者さんがこの大河が好きであれば、嬉々として紹介しているでしょう。
そしてこちらですが、

◆ ドラマは「脚本家」で見るともっとおもしろい! なかはら・ももたさん×木俣冬さん「私たちがあの脚本家を推す理由」(→link)

私にはまるで劉禅と黄皓に見えます。もたれあいの精神に驚くしかありません。

貴方また劉禅ネタですか。これで3度目では。

聖人は天を体し、賢人は地に法(のっと)り、智者は古を師とす。『三略』
聖人は天を手本とし、賢者は地を手本とし、智者は古を手本とする。

この後に
「驕る者は毀りを招き、妄りにする者は災いを稔み、語多き者は信寡く…」と続くわけですが、それはともかくとして。

『どうする家康』とその周辺に漂うくだらなさを彷彿とさせる、こんな記事がありました。
◆ 「自分こそ正しい」というバトル そのツールになった「エビデンス」(→link)
小豆袋の逸話はあるだの。森蘭丸をあえて森乱丸にするだの。なじみのある呼び方ではなく、最新の説に応じた呼び方とする。
そのうえで、そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にあると思い当たった。
このドラマは歴史に対して敬愛がない。体系立てた筋道すら学んでいない。そのくせ、小ネタだけは仕込んでくる。

「最新の説に応じた呼び方とする」
何度も言うようですが、これが好きな大河だったら武者さんは大喜びなのでしょうね。真田幸村が『真田丸』で信繁となったのと、相通じるものがあると思いますが。
それにこの少し前でも書いていますが、森乱は一次史料では乱、または乱法師という表記のされ方をしています。それに則っただけの話だと思いますし、史実を重視したいのなら、それをもまた受け入れるべきかと思われますが、なぜか武者さんの場合
「そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にある」
「歴史に対して敬愛がない」
こうなるようですね。

その後も、かなり嫌悪感に満ちた記述が並んでいますがここでは省きます。
そして家康と氏真。

しかし、キッチリと覚えている視聴者もいます。氏真がマザーセナ相手に、未遂であろうと性的暴行をやらかしたことを。
そんなことを綺麗さっぱり忘れて、瞬間的な感動だけを狙う。どこまで浅ましいのでしょう。

これに関しても少し前にありましたね。関ケ原の前の回でしたか。
この場合氏真は元康、のちの家康に裏切られたと思い、瀬名を利用して圧力をかけようとしています。そして、もちろん今の感覚ではほめられたことではありませんが、この当時、敵の人質同然の女性に関係を迫るなどということもあったでしょう。

それにあれは瞬間的な感動を狙うと言うより、かつて兄同然に慕っていた氏真との再会の喜び、そしてまだ表舞台から降りることのできない家康のつらさや悲しさも含まれていると思います。あの回のサブタイ「二人のプリンス」は、この両名のことをも意味しているはずですが。

『どうする家康』とはそんな論破芸を大河ドラマで一年間流し続けたようなものだと思います。
批判があれば、
「でもその史実って誰か見てきたのw」
「史実至上主義w 歴史絶対主義ww」
「勝者が作り上げた理屈でしょw」
とでも言って、小賢しく立ち回る。この言い分は制作チームで共有して使いまわしていますが、誰かがそんなシナリオを作り上げているんですかね。

ここまで嫌いになれるものですかね。
それとここは武者さんの憂さ晴らしの場ではないのですけど。
そして歴代大河、もちろん武者さんの好きな大河もまた史実をアレンジして台本ができあがっているのですが、そういうのはやはり無視ですか。
あと
「制作チームで共有して使いまわしています」
その具体例をお願いします。

『どうする家康』は最低大河の持つ要素を全て持ち合わせています。
今回はスイーツを無駄に出してきて『江』を彷彿とさせました。
さらには出演者が大麻所持で逮捕されました。『花燃ゆ』以来のことです。あの作品は放送後、今回は最終回目前という違いがありますね。
◆俳優の村杉蝉之介容疑者、大麻をレターパックで受け取った容疑で逮捕…「どうする家康」にも出演(→link)

「スイーツを無駄に出してきて」
このスイーツがどういう人物で、どう無駄に出して来ているのですか。いつも思うのですが、ひとにわからせる書き方になっていないようですね。
あと出演者が逮捕された件ですが、『花燃ゆ』以来ではありません。
『いだてん』のピエール瀧さん、『麒麟がくる』の沢尻エリカさん、どちらも麻薬で逮捕されています。沢尻さんの場合は既に10話ほどを収録した後発覚し、代役として川口春奈さんがキャスティングされ、収録がやり直されたため、放送開始が遅れています。
また来年の『光る君へ』に出演予定だった永山絢斗さんも、大麻で降板せざるを得なくなっています。

それと、麻薬や大麻関連ではありませんが、『真田丸』に出演が決まっていた高畑裕太さんも、女性への暴行が原因で降板せざるを得なくなったことがありました。三谷さんが『鎌倉殿の13人』で、やましいところがある人はオファーを受けないようにといったコメントをしたのは、このこととも関係があったのでしょうか。

それのみならず、歴史好きや大河好きなんて嘘っぱちなのではないか、人格修養ができていないのではないかという疑念まで振り撒き、新境地の駄作に突入しています。
これぞ「シン・大河」ならぬ、「惨・大河」だというのだれば、賛同しかありません。

武者さんが嘘っぱちだ、人格修養ができていない、新境地の駄作だと考えるのはそれは自由ですが、報酬が発生しているコラムで書くべきことではないと思います。プロとして批判するのなら、もう少し客観的に物事を見てください。
そして公式が使ってもいない(と言うか、文春が最初に使った)「シン・大河」なる表現にいつまでもこだわるのもどうかなとは思います。それと「だれば」は「であれば」でしょうか。

あと例によってメールフォームのリンクがあります。私は先日、最終回が楽しみですと書いて送っておきました。また武者さん、(世帯視聴率で)歴代大河ワースト2位と何かにつけて書いていますが、第46回の総合視聴率は17.7パーセントありますよ。

飲み物-パブのビール2
[ 2023/12/16 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

いきなり
「もうどうしようもない家康の偽善!」
などとあります。

「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」
と、したり顔で淀殿に手紙を送った家康。
本丸にカルバリン砲をバンバン撃ち込んでおいて、よくこんな書状を書けますね。
BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス。
脳が割れそうです。

まず
×「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」
〇「私とあなたとで乱世を終わらせよう、秀頼殿はこれからの世に残すべきお人」

で秀頼を生きながらえさせるのは、かつてお市が茶々たち姉妹にそうしたようにと続くわけです。無論カルバリン砲を撃ち込んだのは、和睦を促すためですね。
そして武者さん、この大砲に関して、第45回関連コラムではこう書いています。

今回ならば大筒について「淀殿をビビらせたw」程度しか知らないんだろうなと伝わってきます。
フランキ砲? 何それ食べられるの? そう思っていても何ら不思議はない。
どうしてそうなるのか?

文禄・慶長の役でも、明軍のフランキ砲が猛威を振るっている。明は瓦解が急激だったせいか日本では過小評価されがちだけれども、軍隊としては十分精強です。
そこを踏まえて、家康がドヤ顔で「すごいこと思いついた!」的に表現されても、悲しくなるばかりです。

つまりこの時点では、フランキ砲だと思っていた感がなきにしもあらずです。
しかしこの時の大砲が、家康が購入したカルバリン砲であることくらい、ちょっと調べればわかるのではないかと思いますか。

そしてまたニコライ・バーグマン。もうやめた方がいいのですが、これも本人は相当にイケていると思っているのでしょうか。あとBGMですが、かなり重めですね。武者さんに取っては、この大河のBGMは何でもぺろぺろしていると聞こえるのでしょうかね。あと脳が割れるなどとありますが、脳が割れるのは裂脳症(神経細胞移動異常症の一つ)という病気ですよ。

戦場で命を燃やし尽くすとか言い出しおった
あまりにも突然、好戦的な性格に豹変した豊臣秀頼。
家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね! これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。千姫まで洗脳されているかのよう。
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。

この時の秀頼は、茶々が望んだ「まことの天下人」を踏まえた設定になっています。
そして
「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け、世に尽くす」
と口にしてもいます。つまり、自分を信じてくれる牢人たちを裏切ることなく、偽の天下人たる家康を追い落とすことこそ、自分の使命であるという決意表明であり、要は皆と共に戦いたいというわけでしょう。
好戦的と言うのは何かにつけ、武力で決着をつけようとすることですが、秀頼はこの時初めて戦うという意志を表に出したわけなので、この言葉は当てはまらないかと。

「家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね! これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。千姫まで洗脳されているかのよう」

茶々は、そなたの本当の心で決めるがよいと言い、治長も千姫も、殿の決意または心に従うと言っています。
ちゃんと観ていればわかることですが。

第47話にして、秀頼教が始まってしまった。

貴方、自分が気に入らないことは何でも宗教またはカルト呼ばわりですね。『まんぷく』しかり。

籠城してどうやって徳川を倒すのでしょう?
このドラマってつくづく兵法が嫌いですよね。
物資の確保は? 堀のない城での戦術は? 武器はありますか? 兵糧は?
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。

秀頼は籠城するなどと言っていませんけど?
そして
「具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える」
武者さんに言われたくないなと思いますけどね。この表現、1つ前のパラグラフと合わせて2回使っていますが、もう少し書きようがないでしょうか。
1つ前のは秀頼が、家康と戦う意志を明らかにしていることで十分具体的でしょう。そしてこちらの方は、籠城するための具体的な描写がないと言っているわけですが、これは武者さんが籠城と決めつけているだけと思われるのに、どうやって具体的な描写を出せと?

最初から最後まで、黄巾党しか出てこない『三国志』もののようですね。黄巾党は兵法を学んだ朝廷軍の曹操たちが本気を出したら、戦略的には鎧袖一触されましたよ。本作を『三國無双』シリーズにたとえるならば、チュートリアル「黄巾党の乱」で終わっています。そんなものは製品版でなくて体験版でしょうよ。

この間も、同じようなことを例えに出していたと思います。で、ここでまたコーエーのシリーズですか。
そんなに『三國無双』シリーズが好きなら、大河など観ずに、そちらに没頭していた方がいいのでは?
それにこの大河のスタッフは、『三國無双』シリーズが好きなど一言も言っていないはずですが。

そして
「このドラマが嫌われる理由は、史実に反するからではありません」
「幼稚で陳腐、センスが古い」
だとかで、

エイエイオーと叫ぶとピアノがピロピロ響くとか、意味不明です。

この場合の劇伴は、秀頼と牢人たち、そして治長が勝鬨をあげるシーンより、寧ろ茶々が家康の手紙を燃やし、共に行こうぞ家康と叫ぶ方がメインになっていると思われます。そしてメロディ自体はピアノだけではありませんし、これがラストシーンまで続き、その間豊臣方が大和郡山城を落としたという連絡が入っていて、一連の緊迫感を表していますね。

そして映画『ナポレオン』がどうこう。これは省きますが、本当に大河コラムで他作品のPRばかりですね。
そしてこの映画の恋愛と『どうする家康』の恋愛シーンを比較してどうのこうの、武者さんの言葉を借りると、「しょうもない」なと思います。

マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。
死んだら補給されてくるレーシックお愛。
それも死んだらまた生えてくる自称男勝りの阿茶局。

まだマザーセナ呼ばわりですか。
このコラムて、出演した俳優さんの事務所などは目を通しているのかどうかは不明ですが、誹謗中傷と取られてもおかしくないでしょうね。
そして側室選びは、当然ながら瀬名の同意を得たうえでのことで、生きている頃にしたとて、何の不思議もありません。於愛は瀬名が指名した側室ですし。
しかし「生えて来る」て何でしょうね、キノコか何かですか。

市とも愛し合っているかのような設定。
しかもその娘の茶々も家康に惚れていた!
もう純愛でも何でもないでしょうよ。

お市は子供の頃、若い頃は家康に憎からぬ思いを抱いてはいましたが、困難に陥った際に助けに来てくれるという約束が、最後の最後で破られました。そして茶々はその時以来、家康に対して嫌悪感を抱くようになっていますね。

晩年の家康は孫のような年齢の女性に子を産ませていました。彼なりの健康法かもしれません。

まず子孫を残すのが目的でしょうね。
家康には多くの子がいましたが、その内数名は夭折しています。

そのことを踏まえると、本作のキモすぎるお手紙を送る家康が、心底嫌になります。ここまで気色悪いシナリオを作れるのは、ある意味鬼才ですよね……。

この乱世を終わりましょうという内容の手紙が、なぜ「キモすぎる」のか、なぜ気色悪いのか不明です。

そしてお市と茶々が家康に恋愛感情を抱いているという前提なものだから、このような見出しで、

母と娘同時に恋愛感情展開は気持ち悪いと気付かず、どうする!

このような内容のパラグラフが紹介されています。

このドラマではセリフ処理で終わった、豊臣秀次の自刃と、その後の妻子大量処刑は惨たらしいものでした。
秀次の悪虐ぶりは捏造や誇張も多いとみなされます。
このとき、処刑される中に母娘がおりました。
両者ともに秀次の愛妾だったのか?
それとも片方が巻き込まれただけなのか?
もしも両者ともに愛妾だとすれば、母と娘を同時に愛するとはあまりに酷い、そんな印象を抱かれるでしょう。
時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定。
こんなしょーもない妄想を、いかにもすごいことを思いついちゃったと出してくる、このドラマ制作者は一体何を考えているのでしょう。

結局何を言いたいのですか?
秀次の愛妾について言いたいのですか、それともお市と茶々のことを言いたいのでしょうか。
まずこの時代、母娘は知りませんが、たとえば土岐頼芸は姉を正室、妹を側室としていたと言われています。この妹が、後に斎藤道三の側室となった深芳野です。時代によっては、こういう血縁関係にある複数の女性が、同じ男性の閨房にいたこともありえたかも知れません。

そしてこの脚本では、茶々は
「母に取って大事な人」の無事を思い、
その大事な人が肝心な時に来なかったことで、憎むようになります。そして自らが権力を得て、とうとう最終決戦にまで至ったのが現時点であると言えるでしょう。無論この回で、年長である家康から諭され、いくらか考えを変えようとしたかのように見えますが、結局秀頼は戦い、家康を天下人の座から追い落とすことを選びました。
勝手にストーリーを変えないでほしいと思います。

それとこちら、ちょっとすさまじくないでしょうか。

コンビニで成人雑誌を選び、わざわざ女性店員のいるレジにニヤつきながら差し出す。
温泉地の土産におっぱいチョコレートを買ってきて、女性社員に「キミは何色なのかな〜」と言いながら渡してくる。
宴会で用意された「気の利いたイベント」が、お色気コンパニオンだった……そんなおぞましいセンスを連想させます。

すべて武者さんが勝手にそう思っているようにしか見えません。

本当に嫌いな作品、嫌いなキャラはこれでもかと貶めますね。その作品のスタッフやキャストには、微塵も敬意を払っているようには見えませんし、それどころか何かと言えばこういう想像に持ち込みたがる武者さんとは、どういう人なのでしょう。


飲み物-ワインとワイングラス
[ 2023/12/15 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第46回に関連する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


急に思い出したように「乱世を泳ぐは愉快なものよ!」と言葉にする真田信繁。
凄まじいまでの棒読みで、こちらも悲しくなるばかりです。
このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ。
妙手を繰り出す計略のうまみを理解していない。『パリピ孔明』はこの点、実にワクワクしたものです。

まず「言葉にする」ではなく「口にする」かと。
そして観ていたらわかりますが、あの時信繁はそう言ってはいません。口を動かしていませんし。父昌幸の言葉に呼応するかのように、彼の声で再生されていますが、本人が心の中であの言葉を反芻していると思われます。
そして「悲しくなるばかりです」頭痛だ脳が溶けるだもそうですが、如何にも自分は被害者です的な表現があまりにも多くて、こちらが気が滅入ります。

「このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ」
もっと言えば「兵が死ぬ」です。
戦とはそういうもの、空しいものというのがこの大河の特徴となっているのは、これは先日も書きました。

そして
「このドラマの連中」
「連中」呼ばわりはないでしょうね。嫌いな作品は侮蔑したがる武者さんらしいとは思いますが。

ピアノがうるさい!
今週も音楽が辛い。
自己主張たっぷりに、ニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、カフェ調のピアノを流して何がしたいのでしょう。

パラグラフの内容がたった3行。
音楽がどうのこうの言うのなら、他のパラグラフとまとめてください。でなければ、どのように改善すべきかをせめて7~8行程度で書くべきでしょう。
こんなちまちましたパラグラフ作って、一体何のつもりなのかと思ってしまいます。

そして「どうする火器考証」なる小見出しで

本作は火縄銃の連射あたりから火器の描写に何も期待できなくなっていました。
今回も当たった途端即死していますが、陣笠に当たったような状況で即死というのは理解できません。

もちろん火縄銃の連射など登場していません。
誰かが装填してそれを渡している、あるいは弾込めができた者から順番に撃っているかのどちらかです。
何を観ているのでしょうね。こういうのを見ると、実際にはないにもかかわらず「火縄銃の連射」を既成事実にしたくてたまらない、そういう心理が見えて来ます。

そして「当たった途端即死」かどうかはわかりません。
意識障害の可能性もあるかと思います。
この場合は銃弾が陣笠に当たっており、直接頭部に当たったというわけではありませんが、兜より防御性は低いかと思います。こういう研究報告がありますのでご参考までに。
(但し脳や血種の画像があるので閲覧の際はご注意ください)

シンポジウムⅢ:頭部外傷をめぐる最近の話題 頭部外傷の神経病理(2015年)

解剖学的に,頭蓋骨が損傷することで脳脊髄液が漏出する場合は穿通性,そうでない場合は非穿通性として分類されることが多い。穿通性の原因としては,銃弾などの何らかの物体によって,直接頭蓋が損傷をうける場合であるが,非穿通性では,頭部に対する急な加速,減速,あるいは回転によって頭蓋骨内面と脳との接触などにより脳に損傷をきたすもので,一部のスポーツとの関連も着目されている。損傷部位から分類する場合は,限局性と広汎性とに大きく分けることもできる。前者は,その損傷部位に対応した高次脳機能障害やけいれんを生じる。後者は,軽度の脳震盪,古典的脳震盪,びまん性脳損傷,びまん性軸索障害などを含む。

そう言えば武者さん前にも、倒れているだけなのに死体呼ばわりしていたことがありました。

ちなみにラグビーも脳震盪が多いです。脳震盪チェックによる一時退場がありますからね。

大筒の重量感がまるで出ていない。
大筒の反動は相当で、扱いを間違えたら重傷を負いかねない。そういう感覚がありません。
射程距離も異常に見える。砲弾が炸裂しているのもおかしい。装填も異常な速度だ。

何か新しいのが出て来ると、ひとつひとつ文句をつけているように見えますが…(苦笑)。
それはさておき、大筒の反動ですが、この場合砲撃するたびに後退している様子が窺えます。そして射程距離(射程だけでもいいかとは思いますが)がなぜ「異常」なのでしょうか。カルバリン砲の射程は、14キロの砲弾を6.3キロ飛ばすことができたというのが通説になっています。

それとドラマの中では「炸裂」はしていません。城の一部が飛ばされたりしているのがそう見えたのでしょうか。そして装填の速度が「異常」なのは何を根拠にしているのでしょうか?

大坂の陣。大筒使用に込められた家康の深謀遠慮に思いを馳せる。そして密かに言及された五徳の消息が胸に迫ってくる【どうする家康 満喫リポート】46
(serai.jp)

劇中の描写でも明らかなように、当時の砲弾は、着弾した際に炸裂するわけではないのですが、心理的な効果は抜群だったのではないでしょうか。

2013年『八重の桜』は火器考証が抜群によいものでした。
フィクションゆえの誇張があるとはいえ、幕末銃器は実に見応えがあり、鶴ヶ城砲撃の場面はNHKの他の歴史番組でもよく使い回されていました。
しかし、『花燃ゆ』『西郷どん』『青天を衝け』などのお粗末戦闘シーンはそうはなりません。その場しのぎで適当な仕事をすると、何も残せないのです。

では『八重の桜』の火器に関するシーンと、『花燃ゆ』以下3作の火器関連シーンとを見比べられるように、画像を貼っていただけないでしょうか。本当に「その場しのぎ」なのかどうか、読む側にわからせるにはそれが一番であるかと思います。武者さんこれも前からそうですが、大河の特定シーンを比較したがる割には、画像添付などをやらないのですね。

そしてこちらも「どうした茶々の現状認識」なる小見出しで

天守閣を大筒で砲撃されているのに、「まやかし」だのなんだのいう茶々は、現実すら認識できていないのでしょうか。

貴方またこれだけで1パラグラフですね。
1つ前のパラグラフに入れられませんか?こういうのを黙認する『武将ジャパン』の姿勢もどうかとは思いますが。

そして「まやかし」というのは千姫や侍女たち、ひいては自分を落ち着かせるための言葉でしょう。無論実際はまやかしでもこけおどしでもないのはわかっているわけで、それでもこういう言葉を口にせざるを得ない、せっぱつまった状況であるわけですね。

家康が戦は酷いだのなんだのいい、秀忠が止めようとします。
いやいや、逆では?
秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした。
孫娘の悲運が申し訳ない家康が、そんな我が子を抑えながら、千姫救出の手立てを考えています。
秀忠をこんな無能に描いておいて「最新の説も取り入れました」と言われてもサッパリ理解できません。

「秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした」
この第46回にそんなシーンありましたか?

兵力の差は歴然と言う秀忠に、お江が殿が総大将となってはと言い、お千のことが気になるのかと訊かれてお江はこう答えます。
「見捨てる覚悟はしております。しておりますが…」
そんなお江に秀忠はこう言っているのですが。
「父上は孫を殊の外可愛がってくださる。ひどい仕打ちはせんさ」
そしてこの後、お江は「戦となれば、鬼となるお方では」と言っているわけですね。
で家康は、戦というのはこの世で最も愚かで醜い人の所業である、自分の代で終わりにしたい、自分が汚名を着て地獄を背負うとなるわけです。

さらにこの後、また『パリピ孔明』と『首』の礼賛記事(と言うべきでしょうか)が続きます。このコラム、どう考えても半分ほどは他作品のPRまたは広告のためにあるようなものでしょう。関係ないので大部分は省きますが、ここで武者さんが好きな世帯視聴率を出しておきます。

この『パリピ孔明』という番組が、視聴率で苦戦しているのは前にもお伝えしました。

秋ドラマ・視聴率ワースト5 篠原涼子「ハイエナ」はなぜ大苦戦しているのか

実際初回こそ6.1パーセントでしたが、その後5パーセント台、そして4パーセント台から3パーセント台となり、最終回は4.4パーセントでした。日テレ系の裏番組『コタツがない家』は6パーセント台で、総合視聴率もそこそこあります。記事にあるように、数字を持って行かれたように見えます。

無論世帯視聴率がすべてではないし、もちろんこの番組が好きで観ていた人もいるでしょう。ただ、嫌いな大河の場合、NHKプラスの再生回数なども無視で、世帯視聴率のみで叩く武者さんは、これをどうとらえているのかと思います。そんなの関係ないと思うのであれば、好きであろうが嫌いであろうが、見逃し配信のある番組を世帯視聴率で叩くのは的外れではないでしょうか。

あと2~3週間もすれば、私の脳内歴史人物リストから『どうする家康』は焼き消されます。
例えば明智光秀リストは、長谷川博己さんの次は西島秀俊さんで埋まります。今年の大河は、とてもじゃないけど数に入れられない。

「焼き消されます」などと言わずに、消え去りますくらいでいいと思うのですけどね。
まあ『どうする家康』も武者さんの記憶には残らない方がいいでしょう。と言いつつ来年以降「『どうする家康』はひどかった」的な表現が出て来るような気がはしますが。

それと武者さんの言う「明智光秀リスト」なるもの。
『レジェンド&バタフライ』の光秀さんをお忘れですよと言いたいのですが、あれもお嫌いでしたね。この光秀の中の人は、『ちむどんどん』の和彦君の中の人なのですけどね。

西島さんといえば、私に取っては『きのう何食べた?』のシロさんです。

そして、なぜ『パリピ孔明』が成功したのか? この記事を読むと腑に落ちます。
◆【実写化成功のカギ】『パリピ孔明』演出が明かす、主演・向井理との意見の一致「ギャグはやらない」(→link)
向井さんは真面目です。昔の中国らしい礼法を守り、綺麗な所作を見せます。
それが『どうする家康』はどうか?
◆NHK「どうする家康」徳川家臣団の「おいリレー」はアドリブだった!視聴者驚愕「まさか」「今日のハイライト」「恐るべし!」(→link)
痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ。
そんな低い志のまま、その場のノリで回すだけから、時代劇として作品が面白くなるわけがありません。

「向井さんは真面目です、『どうする家康』のおいリレーは不真面目です」
こんな書き方が、双方に失礼になっているのなど気がついてもいないようです。で、
「痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
どこが痛々しくて、所作と何の関係があるのか。全く腑に落ちません。自分が嫌いな番組の、こういう部分が話題になることが、恐らくは、嫌で嫌でたまらないのでしょう。自分勝手だなと思いますが。
向井さんも、こんな形で叩き棒にされるの嫌でしょうね。

そして
「自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
このコラムにも、そう思われる箇所が散見されるのですが。

『パリピ孔明』では祈祷の場面で、きちんと東洋の占星術である星宿を唱えていました。
「西洋には星座ってあるんだって!」
家康と三成がそう語っていた大河ドラマを比較すると、その落差に気が遠くなるばかり。
友達同士がわちゃわちゃしていればいいというわけではありません。
◆松本潤、『どうする家康』で実現した中村七之助との初共演に喜び「かけがえのない友達と…」(→link)

武者さん、第35回は一体何を見ていたのでしょうね。
家康「厠が兎?」
三成「はい。私もわかりませぬが」
これ二十八宿の参宿のことだと、前にも2回ほど書いた覚えがあります。
これが全然わからなかったのか、あるいは嫌いな大河で使われるのが恐らく死ぬほど嫌で、意地でもこれに言及したくなかったかのどちらかでしょう。しかしドラマに登場したことは登場したこととして紹介するべきですね。このコラムは、武者さんの遊び場ではありません。

参宿(Wikipedia)
天区内の星官の節を御覧ください。

あと気が遠くなるのなら、そのまま遠くなっていてくださいと言いたくもなります。

飲み物-注がれるワイン
[ 2023/12/07 20:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


嚢中の錐。『史記』「平原君伝」
袋の中に錐を入れておくと、自然と突き破って出てきてしまう。本人は目立たないようにしていても、才知が見えてしまうこと。

正しくは
「才能のある人は、一般人の中に混じっていても、その才能が自然と見えてくること」
ではないかと思われます。

そしてまた大河でもない『首』に関してあれやこれや。関係ないので一部省きますが、この他作品紹介に関しては、この投稿の終わりにちょっと書こうと思います。
で、『首』を叩き棒にした大河叩き。

それと比べると、どうにも本作の作り手は、自分を大きく見せることにご執心で、その中身が伴っているのか、心許なくなってくるのです。
脚本家は、イマジネーションが大事だから最低限のことしか調べないという。
そうだろうなと思います。前後のことを碌に調べずにやらかしている。
今回ならば大筒について「淀殿をビビらせたw」程度しか知らないんだろうなと伝わってきます。
フランキ砲? 何それ食べられるの? そう思っていても何ら不思議はない。
どうしてそうなるのか?

正直苦笑してしまいたくもなるのですが。
まず脚本家云々。
古沢氏は『レジェンド&バタフライ』のウェブマガジンで
「今残っている歴史はフィクションだと思っている。勝者が都合のいいように語り継いだものだから、どう解釈しても自由だと思っている」といったことをコメントしています。
しかし「最低限のことしか調べない」とは、どこから出て来たのでしょうか。その出典をお願いします。

そして大砲(大筒)。
これを見る限り、武者さんはフランキ砲が茶々をビビらせたと考えているように見えますが、実際はカルバリン砲ですね。で、家康がこれを購入できたのは、三浦按針の尽力もありましたし、何よりもイングランドで大砲の大量生産が可能になったという背景があったからというのは、先日の投稿で書いたとおりです。

そして

北野武監督のような謙虚で照れ屋な江戸っ子のいうことを正真正銘信じているのでは?
ヘラヘラしているお笑い芸人だって監督をすれば成功するしw 俺もやってやんよw
そう思っていませんかね?

1年半かけて映像作品を制作する側がおちゃらけてるとでも言いたいのでしょうか。
それもまた失礼な話です。

演じる側にしても、その節があると明かされています。
◆松本潤出演のNHK『プロフェッショナル』お蔵入り危機!「小栗旬を撮ったディレクター」ご指名も水の泡か(→link)

週刊女性PRIMEの記事ですね。
で、大河終了直前に放送予定で、それがお蔵入りの危機にあるなどと書かれていますが、まだその時は来ていません。まあ文春ネタを絡めて来る辺り、武者さんが好きそうな記事だなとは思いますが。

で、今度はまた『パリピ孔明』。
これについても後で書く予定です。やけに他作品PRが多いということは、結局どういうことなのでしょうか?

このドラマの制作者は『パリピ孔明』を見習っていただきたい。
プロデューサーが『三国志演義』『三国志演義事典』『三国志事典』を持ち歩いていたそうですよ。素晴らしい、かくありたい。
本当にあの作品は素晴らしい。向井理さんも、森山未來さんも、ディーン・フジオカさんも、『三国志』好きだとわかって嬉しいのは私だけじゃないでしょう。

と言いつつ、武者さんは嫌いな作品に『三国志』関連が出てきたら、徹底して無視するのではないでしょうか。

虎の威を借る狐。『戦国策』
あるところに狐がいました。その狐を虎が食べようとします。
「待って! 私めっちゃフォロワー多いし、界隈ではチョー有名! 食べるよりも一緒に動画投稿したほうがよくね?」
「え、白兎ちゃん、きみ、インフルエンサーなの?」
虎は立ち止まり、狐と一緒に動画投稿すると、確かにいいねがたくさんつくように思えました。
まぁでも、虎が狐を食べる動画が一番インプレッションを稼げると私は思いますけどね。

ちょっとよくわからないのですが。
まず虎の威を借る狐ですが、
「自分自身はそうでもないのに、他人の権威をかさに着て威張ったり、権勢をふるったりすること」
の意味です。
これだと、「狐(インフルエンサー)の威を借る虎」にならないでしょうか。そして「白兎ちゃん」は狐のことでしょうか。多分家康がそう呼ばれたのを捩っているのでしょうが、このせいで多少わかりづらくなっています。

そしてその後の方でこのようにあります。

【虎=大河ドラマ】の権威と、【狐=主演】を混同しているようだ。
タイトルが全部大文字という便乗写真集が出るとか。

これをまず冒頭に持ってくるべきではないかと思われます。しかしこれだと「大河ドラマ」が「主演」を食べることになるのですが。
その写真集絡みで、

いつも言っておりますが、やはり今年の大河はおかしい。
大河ドラマのハッシュタグで、主演写真集販売だのなんだの宣伝されます。
(中略)
大河主演写真集を出すのであれば、どうして『麒麟がくる』でもそうしなかったんでしょうね。

主演写真集は別に今年だけではありません。
かつて2010年に『龍馬伝』が放送された時、主演の福山雅治さんが『福山雅治 坂本龍馬写真集』を出しています。

そして
「どうして『麒麟がくる』でもそうしなかったのか」
推しの大河でそれがなくて残念と言ったところなのでしょう。無論その当時でも、NHKにメールを出すなり、このコラムで、それについて触れるなりするという方法もあったかと思います。
ただあの年はコロナ禍がひどく、収録も休止されたりしていましたので、そういった状況下で関連写真集を出すのは厳しかったかも知れません。

これではまるで主演プロモビデオを一年間、受信料で作ったようなものではないですか。
受信料で個人の宣伝をする。朝ドラ『舞いあがれ!』脚本家の歌集など、BBCなら通らないと思える事例は過去にもありました。
その中でもこれぞ最大のやらかしではありませんか?

『おんな城主 直虎』でも『鶴の唄』なるCDが発売されたような記憶がありますが。
そしてBBCなら受信料で個人の宣伝をするのは通らない、それを裏付けるのは何であるのか、説明して貰えないでしょうか。そしてBBCについて言うのであれば、かなりの人数をリストラしていますし、また、視聴者の意志で送信を止めることもできますが、なぜかそういう点には触れないのですね。

烏江亭に題す
杜牧の詩でも口ずさみましょう。
勝敗は兵家も 事期せず
羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児
江東の子弟 才俊多し
巻土重來 未だ知る可からず
ものごとの成否は、兵法家だろうとわからない
羞恥心をこらえ恥に耐えてこそ、男ってもんだろ
江東には才能ある連中がたくさんいるのだから
捲土重来ができたかもしれないだろ?

物事の勝敗は兵法家でも予測できない
敗れても恥辱に耐えてこそ真の男児である
項羽の本拠地である江東には優れた人物が多い
土煙を巻き起こすような勢いで出直していたら、どうなっていたかはわからない
でしょうか。
「羞恥心をこらえ」というのがちょっと不明です。

男の価値観はモテでしかない。
強く、イケメンで、女にキャーキャー言われる。モテる。エッチなことができる。取り巻きはワーワーと殿はさすがと持ち上げてくれる。
女はヨシヨシしてくれる。そうかと思えばめんどくさい汚れ仕事を引き受ける「男勝り」。エロいことも積極的にしてくる。
あとはモブ。
というように「自分を磨かないことを肯定する価値観」が、私には全く理解できません。

何を言いたいのですか。
前にも書いていますが、普段ジェンダーだポリコレだと言っている武者さんですが、やけに女性を貶めているようにしか目見えないのですが。
家康のことを言いたいのでしょうか。しかし彼は
「弱い、取り巻き(家臣)には叱られる、側室を持つ気はなかったのに結局持つことになる、権力者の板挟みになる、理不尽なことは言われる」
などなどで、その時々で決断を強いられています。辛いこと苦しいことも経験して「自分を磨いて」来ていますが。

けれども、それに対する需要はあると親切な方が明かしてくれます。
◆ 『どうする家康』“偉大なる凡庸”こそリーダーにふさわしい 弱虫な家康が将軍になれた理由が明らかに(→link)
私はその理由とやらは理解できません。
バカにされている気がします。日本はバカでもてっぺんとれるんですかね。
このドラマでは徳川秀忠までもがさんざん貶められていますが、彼も相当優秀かつ、苛烈ともいえる人物です。
誰でもコケにして嘲笑うこのドラマにそんな人物像を求めても意味はないのでしょう。

リンク先の記事内容はもっともだと思います。
そしてその理由がわからないのなら、この大河について書くのはもうやめた方がいいかと思います。今まで同じようなことを散々書いて来ていますが、なぜかやめない、しかも見当違いなことばかり書いているというのが、あまりにも多いような気がします。と言うか、上記の記事に書かれていることを認めたくない、肯定したくないのだなと思いますが。
そして
「バカにされている気がします」
武者さん自身が、この大河の様々な面を散々バカにしているように見えますが。
そして秀忠が「大いなる凡庸」と本多正信になぜ言われるのか、それも理解していないなと思われますね。

そして今度は劉禅ネタで愚痴とも言うべきことが書かれていますが、ここでは省きます。

どこからこの駄作が始まったのか?
第48話の最終回まで、残り3回の放送。
そろそろこの駄作の根源を追い求めねばならない時がきました。
なぜ大河でこんな大惨事が起きてしまったのか?
個人的には『青天を衝け』の存在が大きいと感じています。

まあ、武者さんが駄作認定した作品は、意地でも駄作だと言い張りたいことだけはわかります。

あの作品は、主演よりも助演である徳川慶喜が大いに目立っていました。報道もそうです。
渋沢栄一の活躍は明治以降が圧倒的に重要で、幕臣としては小粒もいいところ。
それなのに幕末期間を異常に長くしたのは、新選組などの人気題材狙いでしょう。バズることばかりを考えているから、マイナーな彰義隊は出さないと。のみならず、慶喜便りの露骨な狙いがあったと思えます。

あれ、彰義隊は第25回で出て来ていましたよね?
しかも喜作がそのトップではなかったでしょうか。
その後彰義隊が分裂し、振武軍を結成したと思いますが。

慶喜は、冷酷で無情だとされる人物なのに、ドラマでは演者に合わせたように正統化される。
その持ち上げ様は、異常とも思えました。
ファンダムがまるで慶喜と演者を一体化したように誉めそやしていた。
だからなのか、批判をする者に対して異常なまでに攻撃的。作り手も堂々と、演者に寄せた人物像にしたと語っていたほどです。

その大河の方向性によって、描かれ方は違ってくるのですが、やはりそれが理解できていないのでしょうか。
あと
「批判をする者に対して異常なまでに攻撃的」
これもブーメランでしょうか。

その次にまたも『大奥』について、しかもこう書かれています。

『大奥』と『青天を衝け』では、なぜああも慶喜像が異なっているのか?
解釈の違いなんて話ではなく、要は『大奥』のほうが真面目に研究成果を生かしているからそうなるのでしょう。

その研究成果とはどのようなものなのか、観ていない人にもわかるように説明してください。
何度も言いますが、主人公とか舞台設定が異なれば、当然描かれ方は違って来ます。

しかも『青天を衝け』の慶喜役は、いわゆる「辞めジャニ」でした。
役者の好感度ありきで、カリスマあふれる「辞めジャニ」ならば、マスコミも忖度してくれる。絶対に失敗できないからこその策だったのでしょう。
だからこそ罠にもなります。
一連の報道を見ていると、旧ジャニーズ事務所の不興を買いかねない彼らを起用すると、引き換えの条件が示されるという指摘がありました。
大河準主演で禁忌たる辞めジャニを使う。
それで損ねた事務所の機嫌を取り戻すため、別の年に大盤振る舞いを示される。
もしも公共放送で、そんなことが現実にまかり通っていたなら?
前述の通り、写真集発売だの、感謝祭だの、今年の主演への気遣いは異常です。あまりにも破格の好条件とも言える。

まずこの「辞めジャニ」の件ですが、草彅さんは2017年にジャニーズ事務所を辞め、CULENに移籍して稲垣吾郎さん、香取慎吾さんと一緒に「新しい地図」を結成しています。既に6年が経過しており、それで「辞めジャニ」呼ばわりするのはちょっとどうかと思います。
しかもこの場合、結局旧ジャニーズ叩きのために草彅さんを利用している感もありますね。

そして
「旧ジャニーズ事務所の不興を買いかねない彼らを起用すると、引き換えの条件が示されるという指摘がありました」
それはどこの報道でしょうか。そしてそれは、関係者にきちんと取材をした記事なのでしょうか。単にジャニーズ関係者叩きのために、既に辞めて別のユニットを組んで芸能活動を続け、嫌いであろうが大河で歴史上の人物を演じてもいる人に対して、これもまた失礼だなと思います。

それと写真集のことがよほど気になるようですね。

『青天を衝け』と同じ欠点も、本作は悪化させた上でで引き継いでいます。
粗雑なVFX。
アリバイ的な考証。
雑な儒教思想の取り扱い。
歴史を軽視する脚本。
自分以外を小馬鹿にするような性格の悪さ。
歴史修正的であまりに酷い解釈。
危険性を感じるほど無茶苦茶な殺陣。
恋愛をゴリ押しする。
性的な場面を多くする。
SNSを意識したバズりを狙う。
ターゲットオーディエンスとして中年女性を想定し、ノイジー層に向けてアピールすることで、中身は空っぽでも成功したと偽装できるようにする。
そんな路線の二番煎じに思えます。

では、これらを裏付ける根拠をすべて出していただけないでしょうか。でないと武者さんの主観でしかありません。
そして
「自分以外を小馬鹿にするような性格の悪さ」
とは「誰の性格」なのでしょうか。

そしてまたメールフォームのリンクが貼られていますが、ここで、まず他作品のPRについて書いておきます。

このコラムでも映画『首』や、『パリピ孔明』などの他作品について、あるいはゲームなどの記述が見られます。以前も一度書いていますが、こういうのはPRまたは広告目的なのでしょうか。今は法律による規制が厳しくなっており、たとえばアフィリエイトなどでも、広告目的と入れなければならなくなっています(私はやっていませんが、FC2からのその旨の連絡がありました)。もしPRや広告目的なら、それをはっきりさせるべきでしょう。

そして『パリピ孔明』。

武者さんは何かにつけて、「世帯視聴率」のみで『どうする家康』を叩いていますが、スポーツが裏に来たような場合を除き、10パーセントから11パーセントほどはあります。一方『パリピ孔明』の場合、裏番組のせいもあって視聴率はかんばしくないようです。実はこれ『大奥』も同じらしいです。デイリー新潮の記事ですが

秋ドラマ・視聴率ワースト5 篠原涼子「ハイエナ」はなぜ大苦戦しているのか

でも武者さんはこの2つは好きだと言っていますね、結局それなのです。いくら数字が低かろうが、好きで観ている人はいるわけで、そういう人たちに対してあれこれ言うべきではないでしょう。まして自分の主観と思われる理由のみで、嫌いな作品を駄作認定するというのは、少なくともプロのライターならやめてほしいですね。大河だから高視聴率とは必ずしも言えなくなっていますし、今年のような作品の場合、固定層が観ていないことも考えられます。それでも総合視聴率は17~18パーセントはあるわけで、録画視聴派も多いということでしょう。


飲み物-琥珀のエール
[ 2023/12/03 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。


しかし、茶々が「家康を倒してこそ! そうだ、嫌がらせ書き込みでもしようw」というノリで仕掛けるのは、どうにかならかったんですかね。
確かに方広寺の件は悪意ありきとされているけれども、全部茶々のせいにしてどうするのか。
天下を取り戻すといっておきながら、籠城するとはどういうことなのか?
これは『信長の野望』でも遊べばすぐわかることです。
籠城という状態は詰んでいる。家康を倒すなら城から出ていきましょう。

この場合、恐らく文英清韓が考えた銘文の案をいくつか持って来て、茶々に検討して貰い、茶々がどういうわけかあの案を選んだ。故意に戦を仕掛けたとも取れるわけです。しかしそもそもドラマの中では、彼女が銘文を考えるシーンなどありませんから、
「全部茶々のせい」
とはなりません。それから
「籠城するとはどういうことなのか」
とありますが、この『どうする家康』では、まだ籠城するかどうかは描かれていません。

それを言うのなら、まず大坂城内が籠城と、畿内を制圧して徳川を討つ考えの2つに分かれていたことに触れるべきでしょう。結果、大野治長が主張する籠城派が勝つわけですが、この後真田信繁は、大坂城の南に真田丸を築いて徳川方を迎え撃つことになります。これはもちろん『真田丸』に登場しています。

開戦の経緯が逆転というのは、大河ドラマとして一線超えていませんか?
もしかして、このドラマは、こんなヤリトリをしていませんか?
「あのさあ、俺が難癖つけてラスボス攻めるとかありえなくね?」
「いや、でも、それが史実というか」
「史実とかどーでもいいし。俺はいつも言ってんじゃん。去年みたいにしろってさあ」
「主人公が闇堕ちするようにしろ、ということでしょうか?」
「ちがうよ! 去年はさ、ラストで小栗義時が命狙われて、逆ギレして勝ったじゃん。あれでいいよ、ああいうのがいい」
「えっ……承久の乱と大坂の陣は開戦経緯がまったく一致しておらず……」
「そこをなんとかするからオファーされたんだよな? いいの? 大河のラストってああいうのが王道だよな? それでいいじゃん」

それは武者さんが勝手にそう思っているだけではないでしょうか。
しかもなぜ「一線超えていませんか」となるのでしょうか。大河が一線超える超えないの定義を聞かせてほしいと思います。

各種メディアが大河ドラマを記事にすることは自然なことです。
特に紙からWEBへと主戦場が移り変わり、誌面(紙面)に制限がなくなった以上、より多くのコンテンツを提供することは、各メディアのサバイバル戦術でもあります。
しかし、弊害も大きいものです。
NHKから素材を受け取る以上、その意に反するようなことは大々的に書けない。
いわば提灯記事が誕生する素地が整っているし、同時に、どんな荒唐無稽な内容でもウケれば……と記事化されてしまう。

で、記事がいくつかリンクされています。
しかし思うのですが
「NHKから素材を受け取る以上、その意に反するようなことは大々的に書けない」
ならば、武者さんが好きな大河でもこれは同じではありませんか?
嫌いな大河の時にはこう書きますが、好きな大河の場合に
「意に反するようなことは大々的に書けない」
と書いたことが、果たしてあったでしょうか。

そして武者さんが好きな大河であっても嫌いな人は存在し、好意的に見る記事を提灯と思っている可能性だってあるのですが。

その中に
「大河『家康』光秀?幕府参謀『天海僧正』は登場するのか 3年前「麒麟」長谷川光秀の生存回収を期待する声」
というタイトルのがあります。

『麒麟がくる』をコケにするような描写をしておいて(足利義昭・明智光秀の酷さときたら……)、こういう時だけ都合よく「天海は」と持ち出される。
長谷川博己さんにも天海にも失礼では?

『麒麟がくる』をコケにするとあるから何かと思ったら、義昭と光秀の描き方が気に入らないということですね。
好き嫌いで評価を決めたがる武者さんらしくはありますが、『どうする家康』には『どうする家康』の描き方があり、それは『麒麟がくる』とは別物です。この辺りを理解しているでしょうか。
私はあの義昭、名護屋に来た時に上に立つ者の孤独を口にしていて、なかなかいいなと思いましたが。
そしてこういう時に「天海」を持ち出すのは失礼でしょうか。あの大河での本能寺後の光秀に、天海を重ね合わせた人もいるでしょうし、それだけ長谷川さんの光秀の印象が強かった人もまたいるでしょう。

失礼なのはその大河を叩き棒にして、今年の大河を毎回のように、しかも出演者の人格否定のようなことまでして叩いている武者さんだと思います。

そもそも本作は“参謀”をまるで活かせていない。
本多正信はただのうるさいだけの腹立たしい男にすぎません。
今週は金地院崇伝と林羅山が出ましたが、何か意味がありましたか?

本多正信が「うるさいだけの腹立たしい男」にしか見えないのなら、この大河は理解できないのではないでしょうか。
金地院崇伝と林羅山は銘文の件で出ているのだから、主な活躍は次回ではないのですか。第一かなり後の方になって登場しているから、彼らが本領発揮するのは次だなと考えてもおかしくないでしょうし。

誰であろうと阿茶局より目立てないでしょ。そうそう、あの自称男勝りさんは立膝を卒業なさったようで急にどうしたのでしょう。

なぜここで「阿茶局」より目立たないとなるのでしょう。彼女はそんなに目立っていましたか?存在感はあるかと思いますが。そして袴をつけていないから、立膝でなく普通に座っていますし、髪型も変えていますね。

思い返せば、今年の仮想背景は本当に酷かった。
序盤では清洲城が紫禁城ではないかと指摘されていました。
本物の紫禁城はあんなものより遥かに壮麗であり、せいぜい紫禁城の隅にある鶏小屋だと思ったものです。

と言う割に、本物の紫禁城がどのようなものか、説明も画像もないのですね。このコラムで、ちゃんと書いてほしいです。

いずれにせよ今年の仮想背景が酷いのは確かであり、なぜ、そうなってしまったのか?と理由を考えると、スタッフの日本史知識不足にあるのではないでしょうか。
調べるべきことをせず、適当なイメージで描いたのではないかと思うほど拙い。

勝手に酷いと言い、勝手にスタッフに日本史知識がないと決めつけ、勝手に適当なイメージで描いたのではないかと、レッテル貼りをしていませんか。
そしてこの「調べるべきこと」とは、具体的にどのようなことでしょうか。

そしてこの後延々と『首』について書かれています。
そしてVFX担当者の多くは日本人ではないが、戦国時代を舞台にした背景を描いていたとか、2016年『真田丸』以来、大河ドラマとコーエーテクモゲームスは関係を保っているのに、今年はそうではないとか。

まず映画と大河ドラマでは予算が違うかと思われます。それに加えて、武者さんが今年のは酷いと先入観で決めつけているところもあり、比較として適切であるかどうかは何とも言えません。
あとコーエーですが、具体的にどの大河と関係を保っているか書いてほしいものです。

しかし、確実なことは一つあります。
もしも、今年の大河ドラマがコーエーテクモゲームスの協力を得ていたら、ここまで無様なことにはならなかったでしょう。

これも武者さんの思い込みのように見えます。
コーエーでは満足しても、脚本とかキャスティング、そして何よりも所作指導などで叩いたのではないでしょうか。
そしてこの後また『首』に絡めた『どうする家康』叩き、ゲーム関連の記述が展開されています。
これ大河コラムですよね?何を書こうとしているのでしょうか。

そしてその中で

このようにRPGといっても、個々人ごとに好きな作品は異なるんですよね。

とあります。ならば貴方と違い『どうする家康』を好きな人もいるわけですが、それはそれで受け入れるのですね?

ただ、これだけは言っておきたい。
『首』と対比となる大河ドラマは『麒麟がくる』であって『どうする家康』ではない。
制作時期からして、今年との比較は否定できます。

まず言いたいのですが、誰か『首』と大河を比較して、『どうする家康』がこの映画と対比となるとでも言ったのですか?
その後

『首』は意図的に思想や宗教を排除して、ひたすら暴力衝動に取り憑かれた人間を描いています。
儒教朱子学倫理が根底に流れる『麒麟がくる』との対比だとすればおもしろい。
(省略)
信長の装束ひとつとっても、奇抜な南蛮服はお馴染みのモチーフです。むしろそういうお馴染みのイメージを外そうとしているのは、『麒麟がくる』だと思えます。

武者さんて、要は
儒教または儒学
連歌または和歌
貞観政要または論語
このすべて、またはいずれかが入った大河でないと、大河認定しないようですね。と言うか、論語があっても自分が嫌いな設定の幕末大河だと、認定しない可能性があるし、今年も『孔子家語』(馬と取り替えてくれと、福島正則が黒田長政に迫ったあれです)が登場したりしてもいますが、そういうのには目もくれないようです。家康の愛読書だとも言われていますし、これを端緒に『貞観政要』も出版されたようなのですが。

『孔子家語』
(印刷博物館)

そしてその後で、

『どうする家康』の「シン・大河」はそうではありません。

と、例によって例の調子です。
しかも一部マスコミのみが使っている「シン・大河」なる表現を今なお使っていますが、そんな表現は公式はしていません。

「いつものあの味で」
そう注文されたとしても、調理する側は「いつものあの味」すらろくに把握していない。そのくせ新しいものを作ろうとする。

この「いつものあの味」なるものは、戦国大河で描かれる基本的な描写のことですね。
とはいえ、『どうする家康』でも、家康に取っての主要な戦をはじめ描かれてはいるのですが、自分の思う通りの描写でないから面白くないというのは察しがつきます。要は『麒麟がくる』風味でないと面白くないのでしょう。ならば先日も書きましたが、この大河に特化したコラムを書けばいい話です。
その代わり、『どうする家康』には口出ししないでいただきたい。

レアの豚肉って斬新、とてもおいしそう!

貴方「鴻門之会」の樊噲をイメージしているのですか(苦笑)。

その程度の思いつきで、とても食えたもんじゃない料理を笑顔で出してくるのです。
防腐加工のために入れる砂糖や塩を「こんなにいらないでしょw」と半量にまで減らして、健康にいいと自慢する。結果、腐敗したものを販売してしまった。そんな悲惨な事例を思い出します。

「食えたもんじゃない」かどうか、それは人により様々でしょう。これを美味しいと思っている人ももちろんいます。
あとプロが作っている大河を、防腐加工を無視した素人考えと比較するのもこれまたどうかと思いますし。『どうする家康』を腐ったものにたとえるのも大変失礼であるかと。


飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2023/12/02 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


「どうしたっていうんだよ衣装は!」なる小見出しから始まり、またこの間と同じような、『大奥』の美術部トップ(チーフディレクター?)の大原拓氏に、代表作として『麒麟がくる』とあって納得したとの由。結局自分が好きな作品に関することしか書かないのですね。

私はこの方、『軍師官兵衛』のディレクターもやっていたとこの前書いています。武者さんが同じことばかり書くので、もう一度、大原氏は官兵衛のディレクターでもあったと書いておきます。

そしてまた『首』がどうのこうの。衣装は黒澤和子さんで、
「この方も『麒麟がくる』と同じです」
とありますが、『西郷どん』、『青天を衝け』も黒澤さんです。これが大河コラムなら、それもちゃんと書きましょう。

それに引き換え今年はなぜこんなことになってしまったのか。
『麒麟がくる』は担当者のステップアップとして機能しているのに……。
特別なことは必要ないでしょう。『麒麟がくる』まで戻すだけで十分。来年以降、そうなることを願い、今年はもう忘れるしかありませんね。

こんな風に書くと、今年も大原氏が関わっているかのようですね。もちろん違いますが。
そしてどういう意味でこう書きたいのかわかりませんが、『麒麟がくる』まで戻したら、『青天を衝け』もそうですが、武者さんが好きな『鎌倉殿の13人』もなかったことになりませんか?

あと「演技プランが全て壊れている」などとありますが、人物をちゃんと観ていないだけだと思います。人物像をひとつひとつ理論的に語るのが面倒くさい、どっちみち嫌いな大河、ならば「演技プランが壊れている」で済ましてしまえば、何となくわかったように見える、そうしてしまえといった印象を受けてしまうのですが。

秀吉の遺児である豊臣秀頼――それが成長して徳川にとって“脅威”となった。それを示すのが、あの屋内ダンスと、この説明セリフだけなのでしょうか。

秀頼と家康が会見するところを観ているはずですけどね。
それよりも第44回で既に家康は、関ケ原はまだ終わっておらぬと言っています。誰かが秀頼を担いで、戦乱の世に戻るというのを警戒していると思いますが。

せっかく前回、空気を読めない真田信繁が軍事教練していたじゃないですか。例えばあれを警戒材料として出してもいい。

真田信繁がああやっているのを、家康は目の当たりにしていたでしょうか。ただ牢人があぶれており、彼らは食いぶちとして戦を求めていること、そして大坂では牢人たちに施しをしていることを伝え聞いてはいましたね。

『大奥』シーズン2の井伊直弼の警戒心比較してしまうと、絶望的な差があります。彼は先手を打ち、危険な芽を強引に摘んでいこうとしていました。

条約の締結関連と思われますが、それと家康の大坂の陣とを、同列に論じられますか?それ以前に家康が大坂を警戒しているのを、どうも武者さんは理解できていないように思われます。

徳川家康は、朱子学を統治に生かそうとした。それが『麒麟がくる』では生きていたものです。
しかし『どうする家康』にそんなものを求めても無駄でしたね……。
この世界観には先人への敬意も、親への思いも何もありません。
父の本多正信を辱めるようなことを大声で平然という息子の本多正純。
あれは何の冗談でしょうか?

武者さんに、『どうする家康』で何が描かれているか、それを尋ねても無駄でしょうね…。
この時の正信は、豊臣は公家であることにしてしまえ、公家ならば城だの武力だの、持つ必要はないと例の調子で述べるわけで、そんな父に対し正純は、こんな屁理屈ばかり才があると不満そうなわけですね。
その息子に対して、おほめにあずかりましてととぼけた様子で答えているわけです、
別に正信は辱められていませんが?

愚かの極みとはこのことで、父を嗜めるにしても他にやりようがあるでしょうよ。我が子にすら孝行を教えられないくせに、アリバイとして朱子学を持ち出す本多正信は、一体何を考えているのか。

また「窘める」が「嗜める」になっています。これは好むとか親しむの意味で、注意する意味ではないのですが。武者さん、昨年のこのコラムで何度かこの表現を使っていましたが、また復活したのでしょうか。
あと、江戸時代が始まったばかりのこの時期、そういった思想が行き渡っていたでしょうか。そして林羅山を連れて来たのは、方広寺の梵鐘の銘関連ではないかと思います。

この大河ドラマは、史実云々で批判されるわけじゃない。
幼稚で底が浅く、大河どころか、せいぜいが子ども用ビニールプール程度の浅薄さだからでしょう。

子供用のビニールプールて…例え方が何とも言えませんね。閂や草履をホームセンターのそれに例えるのとあまり変わらないかと(などと言ったら、ホームセンターに悪いかも)。
しかし「史実云々で批判されるわけじゃない」とあることは、つまり史実はちゃんとしていると認めたということなのでしょうか。

その後に
「本作の感覚は、親への態度がせいぜい昭和後期の中高生程度で止まっています」
昭和後期の中高生は、すべて親に対して反抗的で生意気だったということでしょうか。
ちなみにその後に
「でた! 嫁姑バトル」
などとあり、「そのくせ価値観は古いんですよね」などとあります。
何だか、こういうことで鬼の首を取ったかのように喜ぶ方が、正直言って価値観が古く感じられるのですが。

そしてこれ、嫁姑バトル、つまり姑が嫁の粗探しをすると言うよりは、もうちょっと政治的と言うか、家康は秀頼の代わりをしていただけであり、その約束を破るなら戦も仕方ないと述べているわけで、つまるところ千姫、ひいては家康を牽制しているわけです。

そしてその次に、
「人間関係の把握がせいぜい昭和後期か平成前期です」
ここでまた昭和後期、そして平成前期。結局これを書きたいと言うか、昭和と平成の前期はダメだと、何かにつけて叫んでいないと気が済まないのでしょうか。

そして今度は加藤清正。

「猫に負けそうな『せいしょこさん』でどうする」
などとあり、加藤清正もどうにかならかったんですかとあります。

まずこの「せいしょこさん」、清正公は地元肥後熊本で領民に慕われ、このように呼ばれて信仰の対象にもなっています。尚「せいしょこ」とは、「清正公」の音読みです。で、武者さんがこの大河が好きだとか、この人物が好きでこう呼ぶのならまだしも、そうでもないのに、いきなりこういう呼び方をしてほしくありません。何やら小馬鹿にしている感もあります。

そして
「声の出し方が弱い。高すぎるし、腹から出していない。
日本史に残る猛将がどうしてこんな情けないことになったのやら」
何なら、武者さんが指導をしては如何でしょうか。
そしてエキストラも棒読みだなどと書かれています。
いつもそうですが、あれがよくないこれがおかしいと言う割には、具体的な改善策が示されたためしがどれほどあったのかと思います。
そして「二人のプリンス」について。

二条城の会見――これを「二人のプリンス」ってどういうことでしょうか?
英語のプリンスを踏まえると、両者ともに一致しない。
秀頼を見る家康の目の陰険さだけは、妙にリアリティがあるからどうしたものか。
歴史的な文脈を無視して、若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメンという構図は、ある意味斬新かもしれません。
女性同士はしばしばそんなしょうもない描かれ方をされてきましたから。

これそうなのですか?
私は秀忠と秀頼、そして年齢を重ねた家康と宗誾(氏真)と思っていました。
そしてこの会見ですが、秀頼を何とかまつり上げて公家とし、自身は武家の棟梁を主張しようと思った家康に対し、秀頼がそれを読んで、逆に家康を立てて自分がへりくだったわけですね。
「若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメン」とはどのような観方をすれば出てくるのでしょう。

そして「もはや若くはない」と言っている以上、武者さんも家康の加齢については認めているのですね。今まで散々年齢を重ねているように見えないと言っていましたが。

あとプリンスはもちろん比喩的表現ですが、秀頼は太閤殿下の遺児だから、この表現に一番近いかと思います。

いきなり上座だのなんだの言われて思ったこと全部ぶちまけられても、何が何やら。

「思ったこと全部ぶちまける」とはどういうことでしょうか。正信は具体的な策を示しているのではないでしょうか。

このドラマの欠点は数え出したらキリがありませんが、テンポの悪さもあると思えます。
中身がないうえにテンポが悪く、時間稼ぎをいつもしているようで、ともかく退屈になってしまう。

「数え出したらキリがない」
武者さんはほぼすべてのシーンやセリフを欠点と捉えているわけですから、それはキリがないでしょうね。

二条城の会見をこんなに長々とやる必要があったのですかね。さっぱり理解できません。

会見そのものは6分足らずで特に長々とやっているとは思いません。
早く終わってくれないかと思うから、長く感じるのではないでしょうか。

それにしても、秀頼の顔色が悪い。覇気がない。
毒でも盛られたのでしょうか?
覚えたセリフを棒読みしているだけのようにも感じてしまう。

「どうした秀頼」なる見出しでたった3行、しかも特筆すべきこととも思えず。
時々こういうパラグラフがありますが、一体何を書きたいのかさっぱりわかりません。これなら前のパラグラフに付け足せばいい話です。

あの忍者気取りの真田信繁は笑うところなのか?
左手に六文銭を握りしめて
「俺、いかにも怪しいです!」
という目つきはないでしょうよ。

あの信繁が「忍者」に見えますか?彼は忍びなのですか?
ではなくて、ただ単に変装しているだけでしょう。
そもそも山伏の格好というのは変装でよく使われますし。

そしてまた『麒麟がくる』だの『首』だの引き合いに出していますが、ここでは省きます。こういう具合に、やたら他作品を出してくるというのもかなり違和感がありますね。
それ関連で服部半蔵。

それが『どうする家康』の場合、こうですからね。
「あの服部半蔵が、実は忍術がヘタでヘタレだったらおもしろくない?ww」
何も面白くありません。『どうする家康』はメンタリティがいじめっ子なんですよ。

半蔵は自分は忍びでなく武士であるとはっきり言っています、忍びに求められる術を心得ているのは寧ろ大鼠です。
今まで何を観て来たのかと何度も言いたくなりますが、あるいは何も観ておらず何も覚えていないのでしょうか。言っちゃ何ですが、それでよく、この大河のコラムを書こうという気になるなとは思います。

「あいつさあ、スゴイと言うわりにヘタレなんだよw」
標的にひとつでも些細な間違いを見つけると、延々とネチネチ小馬鹿にしてニヤついている。そういう精神性がこの作品には充溢しています。

ブーメランですか?

あと、この『首』の家康に関してだけ書いておきます。演じているのは小林薫さんです。

小林薫さんの家康はむろん素晴らしい。出てきたと思ったら即死する家康影武者だって、大河よりよほど家康らしい立ち居振る舞いでした。

その小林さんは『青天を衝け』で主人公の父親を演じていますね。先ほども書きましたが、同じ俳優さんが出ている大河作品なら、好き嫌い関係なく書いてほしいのですが、それをこのコラムに求めるのは無理なのでしょうか。

秀頼と千姫が猫と戯れる場面はいいと思います。猫がかわいいことは確かです。
ただし、『おんな城主 直虎』と『大奥』には遠く及ばない……。
このドラマのよいところは、あの猫だけかもしれません。

正しくは秀頼が猫を抱いて、千姫がその猫の絵を描いているわけですね。
で、それでも自分が好きな作品には及ばないと言っている。いやしくもプロのライターなら、それぞれの作品の持ち味があると取るべきかと思いますが。あと『直虎』の猫と言えば、主人公と同じ年数かそれ以上生きましたね。

そしてそんなに猫がいいのなら、大河でなく「世界ネコ歩き」でも観てそのレビューを書いては如何でしょうか。
あと武者さんが叩く作品を好きな人もいることをお忘れなく。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/11/30 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。しかしやはりもう書く気をなくしているのか、直近数回分に書いたことの焼き直しのような文章が見られます。


冒頭でそのシーンが回想されること自体はドラマとして不自然ではないかもしれません。
しかし、肝心の合戦映像がいつも同じ曇天で背景が白くなることには、どうしたことでしょうか。
同時に、しみじみと思います。
本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのでしょうか?
大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボり。

特に関ケ原の戦い、午前は曇天だったのでこの設定は特におかしくありません。井伊直政も霧がかかっていると言っていたはずです。
まあ私は前にも書いていますが、曇天続きで、戦のない世の中になって晴れ渡るという設定もありかとは思いますが。

「本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのでしょうか」
小早川秀秋の裏切りで、騎馬武者が乗った本物の馬が怒涛の如く押し寄せている
戦闘のシーンでも本物の馬が登場している
この2つを見落としていませんか?

「大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボり」
こちらも乗馬シーンです。まさかこれでサボりとは言いませんよね?

どうする家康第26回乗馬1-2
(『どうする家康』公式サイトより)

ドラマ10『大奥』の乗馬シーンと落差があまりに大きく、今回の大河制作陣がどういう方針で制作されているのか理解に苦しみます。
◆ドラマ10『大奥』家定役・愛希れいかが乗馬シーンで体感した“奇跡”(→link)

戦国時代の合戦と江戸時代の乗馬を同列に論じられるものでしょうか?だったら『大奥』だけ観ていればいい話です。

結局、干し柿がなかった三成の最期も回想され、やっぱり文春砲は正しかったのかな……と今週も思い起こさせられながら場面は変わり、戦の締めくくりとして、家康が大坂城へ。
茶々に挨拶すると、棒読み人形の秀頼が何だか語っています。この辺りで字幕をオンにした視聴者もいるかもしれません。
あいかわらず毛量が多く、化粧がキッツい茶々。
青年期と同じ発声の家康。
うるさい劇伴。
今週もまた何のドキドキもないコントのような劇が始まるのだと確信させられます。

そしてまたくどくどと文春砲ですね。こちらの方がうるさく感じられます。

「棒読み人形の秀頼」
幼君である秀頼はまだ世間話ができません。茶々が取って代わっていることもあり、最低限のことを喋っているだけと思われます。
そして毛量が多く化粧がキッツいと、北川さんの役作りを無視するかのような書き方。

「どうする家康」北川景子、茶々役で再登場!一人二役に「最後まで暴れ抜いてみようと」
(シネマトゥデイ)

「声の出し方や表情の作り方はもちろん、かつらの形や衣装も相談させてもらって、扮装の力も借りながら、お市とはまた違う、強さや危うさを併せ持った人にできればなと」

どうする背丈を刻むことで成長を表現
毎年正月になったら、秀頼の背丈を柱に削るってよ。
昭和の日本でもあったような既視感のある描写でしか成長を描けないなんて、トンチンカンな大河ドラマです。

江戸時代には既に、高位の人々の身長は測定されています(測定方法は不明)。
家康をはじめ歴代徳川将軍の身長もほぼわかっていますし、秀頼はかなりの高身長であったと伝わっています。そのため、身長を測ることは特におかしくありません。

あと昭和の日本云々は、「背くらべ」という歌のことでしょうが、あれの初出は大正時代です。

そして成長の証として、

「まだ幼いのにこの手習を見てくだされ。立派な字でしょう」
とでも、できないものでしょうか? 日本史だと、割と定番の描写だと思います。
(中略)
他にも、
「この歳でもう、四書五経を読みこなしました」
という表現も考えられるでしょう。『麒麟がくる』では、明智光秀の優秀さを示すセリフとしてありました。
(中略)
いずれにせよ秀頼の成長や賢さを表現するのであれば、もっと他に方法があったはずです。

武者さんはこのシーンをちゃんと観ていない、あるいは理解できていないと考えるべきでしょうか。
あの時、秀吉の身長もあの柱に刻み込まれていました。そして茶々は、
「あと10年もすれば太閤殿下に追いつこう。さすれば、太閤殿下の果たせなかった夢を、秀頼が果たすこともできましょう」
と言っており、秀頼の背丈が秀吉のそれを追い越すことで、かつての秀吉を超えてほしいと期待している様が窺えます。

本作の所作指導は本当にどうなっているのでしょう。
家康の歩き方が、後半になるにつれ、ますますひどくなっていませんか。老齢ながらに頂点へ立っていく人物の迫力が感じられません。

「ますますひどくなっていませんか」
何がどうひどくなっているのか、それを具体的に示してください。でないと、単に武者さんの主観でしかありません。

先週、井伊直政が堂々と「天下とったね!」と家康に向かって喜んでいました。
果たして家康は何がどう天下人なのか。
服装や所作を見ると浮かんでくることもある。もしも家康が秀頼を主君とみなしているのであれば、こんなラフな格好でやってこないでしょう。

この時家康は、確か秀頼よりも官位は上(正二位、秀頼は従二位)だったかと思います。秀忠は裃を着けていますが。
あと天下人については前にも書いていますが、ここでは秀頼のもとで政を行う人物のことですね。

堂々と尻を向けて出ていくはずもない。家康については【四之宮逆さ船】という伝説があります。
(中略)
実際にあったことかどうか、ではなく、当時の人々が如何に礼儀にこだわっていたか、この逸話からもわかるでしょう。
なんせ本作の家康は、秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めますからね。

四之宮逆さ船については長くなるので省きます。要は、家康が舟尻に座ったため、船頭が畏れ多いと船尾ではなく、船首に立って漕いだ話ですね。
で礼儀にこだわる云々、家康が尻を向けて出て行っているとありますが、家康は立った後そのまま数歩後ずさりし、廊下に出る時に秀頼と茶々に背中を向けています。最初から背中を向けていたわけではありません、ちゃんと観てください。

「秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めます」
この回にそういうシーンありましたか?
茶々は「太閤殿下のご遺言通りに」と言っており、あの場で決まったわけではありません。

一言でいえば雑。一体この家康は、どの時代を生きているのか。
しかも茶々が笑顔を豹変させ、あのメイクの濃い顔を歪めながら秀頼にこう言う。
「あの狸、決して信じるでないぞ」
見れば見るほど嫌になる……。

どの時代も何も、江戸幕府が成立する直前、安土桃山時代の最晩年に当たる時期を生きています。
そして茶々があの狸を信じるでないのが嫌と言うのは、武者さんの個人的感想に過ぎません。そういう個人的感情を、「仕事」に持ち込むべきなのでしょうか?

歩きながらヘラヘラと喋る秀忠は、それだけで十分に愚か。
上田攻めのことを取り上げなくても最初から「このバカではだめだ」となるでしょう。
家康がカッコつけた口調で「結婚は人質ってことだろうぜ!」とシリアスな口調になって、凄い思いつきでもしたかのような扱いが苦しいです。
当時はそういうものでしょ? ここは政略結婚がない世界ですか?

秀忠はこの時20代前半であり、その辺りがまだ見えていなかったと思われます。だからこそ家康も、秀忠に試練を与えなければならないと後で思ったのでしょう。
そして
「結婚は人質ってことだろうぜ!」
などと言っていませんけどね。
「早う人質をよこせと言っておるんじゃ」
ですね。
そしてこの時の家康はカッコつけではなく、秀頼と茶々の前で見せていた表情を引っ込め、本音でものを言っているわけです。縁組で両家の結びつきを喜ぶ秀忠に、千姫は人質だぞと釘をさしたわけでしょう。

正信も、つくづく、どうしようもない
本作の出来が悪いのは、何も家康一人の問題でもありません。
いつもの腹立たしい口調で「将軍になればぁ〜?」とか言いだす正信もひどい。
唐突で、根拠がないのです。
「関ヶ原の戦い」
の後は
「征夷大将軍」
だよね!
という日本人なら誰でも知っている教科書に沿っているだけで、その根拠は示されない。

「どうしようもない」しか武者さんは言えないのでしょうか。
かなり重要なことをずばりと言っていますね、正信は。豊臣家との付き合いが難しくなることを踏まえて、将軍になって幕府を開けばと促し、家康も自分は武家の棟梁となり、公家である豊臣との住み分けができると言っているわけです。
ちゃんと根拠がありますが?

結局、この大河は『鎌倉殿の13人』が投げたボールを受け止めきれていないんですね。
将軍になる根拠として、なぜ『吾妻鏡』でも出さないのか? セットで進言すれば、この正信からだって多少は知性が見えたでしょう。
せっかく三谷幸喜さんが投げてくれたボールを受け止められないとは、悲しさしかありません。

では『吾妻鏡』のどういう部分がヒントになると、武者さんは考えているのでしょうか。その具体例を示してください。そして
「この正信からだって多少は知性が見えた」
とあるのもどうかと思います。この人物はかなり知恵が回ると思いますが、武者さんは『吾妻鏡』や『貞観政要』などなど、自分が気に入る文献を読まない人物は、知性の面で劣ると思っているようですね。

「最終回にサプライズキャスティングするのが大河!」
って、そういうことじゃないでしょ。
今年の最終回に小栗旬さんを出すなんて、単なる恥の上塗りではありませんか。

なぜ「そういうことじゃないでしょうよ」なのですか?
なぜ恥の上塗りなのでしょうか?
とどのつまり、小栗さんが出るのが嫌なのだなとしかこちらは受け取れないのですが。

◆ 『どうする家康』に小栗旬が出演するとしたら誰を演じる? 有力視される“3つの可能性”(→link)
もしも小栗さんが登場するとしたら一体何の役を演じるのか?
記事ではこう示されています。
・伊達政宗
・天海
・徳川家光
個人的には徳川慶喜ですかね。さっぱりした顔で大政奉還して、幕臣や松平容保が困惑したらこう言わせる。
「だってさぁ、徳川家康だって、どうせクズだったんでしょ? だったらこんな幕府いらねーし」
しかし、このわけのわからない噂のせいで、文春砲の信憑性が増しているあたり、まったくもって逆効果とも思える。
◆松本潤『どうする家康』視聴率“大河ワースト2位”ほほ確実、盟友・小栗旬に最終回「直々オファー」情報も「プロデューサー気取り」文春パワハラ報道が再加熱(→link)

また週刊文春。過去に於いて「萬平ラーメン教」(まんぷく)呼ばわりをし、この大河に於いては「マザーセナ」と瀬名の考えをカルト呼ばわりしていた武者さん自身が、文春の熱烈なる信者であるわけですね。
そして歴代の徳川慶喜を演じた俳優さん、また慶喜公の子孫の方に対しても、随分と失礼な物言いであるかと思います。

七之助さんに続き、もしも小栗さんのキャスティングが行使されたら?
松本潤さんの意見が現場で強行され、すっかりプロデューサー気取り、と指摘していた文春砲がやっぱり正しかったのでは……となる。
それでも話題性だけのために小栗さんを起用するなんて、少しでも視聴率を上げたいのでしょうね。

貴方、そんなに文春について書きたいのなら、悪いことは言わないから大河のライターなど止めて、ゴシップか芸能の方に転向した方がいいと思いますよ。文章の質からしてそんな感じですし。
あと小栗さん関連でちょっと書きたいことがあるのですが、それはこの投稿の最後の部分にします。
それと『どうする家康』、タイムシフト視聴率や総合視聴率は割といいのですね。

オープニング変更は今回で何度目なのでしょう。
その度に御大層な記事が出たりしますが、元の曲からしてしっくり来ないため、いくらアレンジしたって視聴者の興味を惹くにはいたらない。

OP「変更」ではなく、この回限りのOPだったのですが、公式サイトをちゃんと見ていないようですね。
もう一度貼っておきます。

第44回だけのスペシャル・エディション! テーマ音楽&タイトルバック特別版
(『どうする家康』公式サイト)

で、その後
「坂本龍一さんが手掛けた『八重の桜』から10年で、よくここまで劣化したもので」
「大河はじめ東洋の時代劇は、伝統楽器を入れることがむしろ王道でしょう」
何だか既視感のある文章ですね。
特に2番目、この間も書きましたが、昨年の『鎌倉殿の13人』では『新世界より』が使われていましたが、武者さんはこれをどう考えているのでしょう。

大河のオープニングを聞いていて、怒りすら込み上げてきそうです。

勝手に怒っていてください。

テロップを無駄に遊んでSE入れながら年号を出すセンスは作り手の自己満足としか思えません。
背が伸びる柱と重ねるところも含めても、単に秀頼が大きくなっただけで、それ以上のことは見えてこない。
家康に警戒心を抱かせるような賢さを、秀頼に求めてはいけないんですかね。
『この秀頼なら何かやってくれそうだ!』と思わせてこそ、大坂の陣も盛り上がるハズ。

年号を出すことは、その時々での出来事を表しているのですが、それも理解できていないのでしょうか。
あと「家康に警戒心を抱かせるような賢さ」
それは次の回で出て来るはずですが、公式サイトを見ていないから予告も見ていないのでしょうね。

そして小栗さん関連です。
武者さん、小栗さんは好きだと思われますが、なぜ『かぞく』についての記述がないのでしょう。別に入れたくなければ入れなくてもいいのですが、やたら他作品を持ち込むことが好きなのに珍しいです。直近何回分かのスクショをチェックしましたが、紹介されていないようです。

ちなみにこれは映画作品ですが、都内2か所で上映されたのみで、後はAmazonプライムビデオの配信となっています。

『かぞく』公式サイト

内容としては、4人の男性の家族の喪失そして再生を描く作品となっています。出演は登場順に
吉沢亮さん
永瀬正敏さん
小栗旬さん
阿部進之介さん
です。

まさかとは思いますが、吉沢さんが『青天を衝け』で主演だったからなんてことはありませんよね?
あと阿部さんも『どうする家康』の黒田長政役、そして『軍師官兵衛』(こちらも武者さんが好きではない)の加藤清正役ですが、嫌いな作品に出ているから、紹介しないと言うわけにも行かないでしょう。

そしてこの作品、11月24日から200か国に向けて発信のようです。武者さんは海外の作品を重視する傾向がありますが、こういう日本発のコンテンツが海外に向けて発信されるのにも、もう少し注目しては如何かと思ってしまいます。


飲み物-ホットワイン2
[ 2023/11/22 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud