fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  日本文化

小倉城と福岡城-1(お城と祭り)

しばらく、小倉城と福岡城関連で投稿をします。
まずお祭りについて。

小倉の祇園祭として、ご存知祇園太鼓があります。映画『無法松の一生』で有名になったと言われています。この祭りの期間中の、小倉城に隣接する八坂神社の様子です。

小倉八坂神社-2

そして実際の山車の様子です。

小倉祇園太鼓
(画像はいずれもWikimediaより)

八坂神社は小倉城の隣ですから、画像によってはお城が見えることがあります。小倉のシンボル小倉城を彼方に見ながら、ヤッサヤレヤレの掛け声が響く祇園太鼓は、小倉の夏の風物詩と言えるでしょう。

小倉祇園太鼓保存振興会

福岡・博多でこれに該当するのは、ご存知博多祇園山笠です。
但しこれは博多エリアの祭りで、一度だけ集団山見せとして「武士の町」福岡にやって来ます。
(尚この様子は地元の民放で中継されます)
ならば福岡エリアと祭りは全く無縁なのかと言うと、そうではありません。さくらまつりでの福岡城・鴻臚館祭りでは武者行列がありますし、また博多どんたくでは、福岡城を博多松囃子の一行が練り歩きます。
これは2022年のもので、松囃子の福神に扮した人の画像です。


(インスタグラム福岡城アカウントより)

元々は「博多」松囃子でしたが、今は広く福岡市民の祭りとなっており、この時期は市内あちこちにステージが設けられて演舞が披露され、またパレードも行われます。

博多どんたく

スポンサーサイト



[ 2024/02/21 04:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

王義之と曲水の宴

先週の『武将ジャパン』大河コラムで、武者さんが書体について書いていました。それはともかく、なぜそこまで書くのであれば、書聖とまで謳われた王義之について書かないのでしょう。それともあの時は詩人メインだったのでしょうか。でもそれでも、白楽天と李白を間違えているのですが。

さてその王義之ですが、蘭亭で曲水の宴を催したことでも有名です。この時の曲水の宴は、もちろん和歌ではなく漢詩をT作るものでした。その時の詩37編(蘭亭集)の序文として、王義之が書いたのが『蘭亭序』で、酔ったまま筆を動かしたとされていますが、この時の真跡は存在しないとされています。

この曲水の宴は、元々は上巳の日(3月3日)に行われており、禊の意味合いが含まれていました。上司の節句と水と言えば、流しびななどもそれに該当するかと思われます。あれも穢れを水に流すという意味があります。

さて曲水の宴、いつ始まったのは定かではありませんが、王義之の時代である4世紀にはもう行われており、その後しばらく行われなくなったものの、唐の時代に私宴として行われるようになったようです。ルールは、酒を注いだ盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩を作る(または歌を詠む)、そしてその盃を干して水に流し、別室で自分の作品を披露するものです。

日本に於いても、奈良時代には3月3日に行われるようになり、主に天皇が主催する形で行われていたと言われます。但し大伴家持は自邸でこの宴を行い(正式な曲水の宴ではなかったようですが)、その時の歌が『万葉集』に載っています。
「漢人(からひと)も筏浮かべて遊ぶてふ今日そ我が背子縵(はなかづら)せな」

その後一時行われなくなりますが、嵯峨天皇または宇多天皇の時代に復活し、宮中のみならず貴族も行うようになりました。ただ庭に「曲水」があるのが条件なので、かなり広大な屋敷を構える貴族に限られたようです。ちなみに、藤原道長もこの曲水の宴を行ったことが、『御堂関白記』に記されています。何せ道長の屋敷は、妻の倫子の家である土御門殿ですから、それは立派なものだったでしょう。

尚この曲水の宴、今も全国各地で行われています。京都は言うに及ばず、鹿児島や福岡(太宰府)でも行われており、1年の最初の曲水の宴は3月の第1日曜日に、この太宰府、そして下関市の赤間神宮で行われます。ちなみに、今年の3月の第1日曜は3月3日です。

3月3日(日)「曲水の宴」斎行
(太宰府天満宮)

飲み物-ビールと夜景
[ 2024/02/19 02:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

第6回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。様々なシーンの説明や考察が綴られていますが、今回は如何にも武者さん的な物の見方、そして、漢詩関連が中心となっています。

またいつものように、ダークブルーの箇所が、武者さんのコラムからの引用部分です。


大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第6回~

ここでのまひろも、あくまで一族のためならば手を汚すと言い切っている。
進歩したヒロインなのです。
つまらないドラマは、登場人物たちの好感度を上げることだけを意識し、泥を被らないよう無茶苦茶な設定にしてしまうことがあります。

ここでたけたけさんは、まひろが
「これからは今よりも覚悟を持って左大臣家の倫子さまと仲良くなり、源との繋がりを深めます」
と言っているのであり、「一族のためならば手を汚す」とは言っていないと書いています。またまひろが父の出世や家の安堵のために、有力貴族の周囲に目を配ってつながりを持つこと、また倫子のように、政治的なものも絡む家の事情を理解して、入内や結婚などを視野に入れて立ち回るのは「手を汚す」ことではないこと、どちらも父親が娘の気持ちを気遣っていることに触れています。

武者さんが、進歩したヒロインと言いたがる場合、自分の好きなキャラに引き寄せたい狙いがあるのではないかと思います。そのためこのシーンのみに限らず、やけに拡大解釈する傾向があるように見えますね。それと「登場人物の好感度を上げる」だけでは、ドラマは作れないと思いますが。

源雅信は宇多天皇の血筋であるし、立派な屋敷もある。
富も血統も心配はない――一挙両得だと、自分の都合でばかり勧めてきます。

これに関しては、自分の都合でばかりではなく、倫子の年齢や道長が三男であることなどで、右大臣家と左大臣家双方の駆け引きがあったのではと書かれています。また宇多天皇の血を引くことは、誇れるものであったこと、さらにこの宇多源氏には『鎌倉殿の13人』に登場した源仲章や、『太平記』の佐々木道誉がいることに付け加えられています。

しかし
「自分の都合でばかり勧める」
おじさんたちが勝手に決めて、その気のない娘たちに押し付けるという構図を、武者さんは想像しているのでしょうか。それにしても、一昨年あれだけ書いていたのに、今回は正に宇多源氏である源仲章について、何も書かれていませんね。

そして左大臣家に於けるまひろに絡めて、

わかります……あるある現象ですね。
私は普段は極力、大河ドラマの話をすることを避けます。
しかし、どうしてもそういう流れになったときに、言わないでもいい蘊蓄を語ると、相手がサーッと引いていく。
もっと知りたい、興味を持たないかな?と思って話をふると、「私は別にそういうオタク語りまでは求めてないんで」とドアを閉められる瞬間があるのです。
そのときフフフと笑いつつ話を逸さなければならなくて……。
大多数に受け入れられる話題って、美男美女に萌えるとか推しとか、あるいは恋バナとか、戦国武将のちょっといい話とか悪い話とか。
スナック感覚でつまめる軽い話題であって、ヘビーな話はむしろ鬱陶しがられるんですよね。

などとありますが、これに関するたけたけさんの意見は以下の通りです。

どや顔で漢籍マウントを取り、他人を見下すような発言をする
勝手な思い込みと私怨に基づいた他責意識と被害妄想を拗らせる
所構わず自身の不快をまき散らし価値観を押し付ける
文春を論拠とし一切論拠を示さず無関係の企業や制作スタッフ、俳優及びそのファンに対する誹謗中傷を繰り返す
気に入らない別の作品の事を蒸し返し、『わたしのかんがえたさいきょうのれきし、わたしのかんがえたさいきょうのたいがドラマ』を忠実にする事が正義の様に誘導する

と指摘し、そういうど他人への配慮の無さが目に余るから、人が離れていくのだと思いますとあります。
実際そうだと思わざるを得ません。この4番目は、昨年特にエスカレートした感があります。「大河コラム」のはずなのに、最後の方の2ページ近くがキャストやスタッフの誹謗中傷に使われていたと思います。

でも漢字の知識も、文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低いんだな。
いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる。
弟相手なら「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」と容赦なく言えるけど、姫君にはそれもできない。
だいたい、歌がうまくなりたいなら恋をするよりも、学んでこそでしょうよ!
なのになぜなの、なぜ……というドツボに陥っているのでしょう。
先天性のズレを抱えているまひろは、この先ずっと「生きることが苦手だな」と嘆きながら人生が続いていく。
ハァー……めんどくさい主人公ですね。そこが好きです。

これについてはまず、
「ここでもまた『面倒臭い』主人公ですか」
とあります。少し前に、まひろのキャラについて「面倒臭い」を散々繰り返していた武者さんが、またこの表現を持ち出していますね。
そして
「文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低い」
「いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる」は、まひろがそう思っているのではなく、姫君たちや倫子を見下して侮辱する武者さん自身の言葉であることに触れられています。また勉学の意欲があまりない弟の惟規に、学問を好きすぎる姉上が気持ち悪いと言われ、「漢詩や和歌や物語が好きなだけだ、賢い部分を全部取って行ったわけではない」と言っただけであることもちゃんと書かれています。

つまり
「レベルが低くて手加減するの嫌になる」
「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」
は武者さんがまひろに対してそう言ってほしい(無論実際はこういうセリフはありません)だけではないでしょうか。当のまひろは、別に姫君や惟規を馬鹿にしているわけではないでしょう。

本作に対するアンチな意見として、「テーマがない」とか「何を言いたいのかわからない」という趣旨のものを見かけます。
そうした意見を出す人はどういうタイプの人なのか?
まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。

こちらも、
「まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。女性の苦労を全くわかっていない人には、そのことを訴えても通らない」と、さも女性の味方のような意見を言うのは構わないとまずあります。
しかし嫌いな作品に出てくる女性には『フェチシズム、ムフフ要素、サービス狙い』などと性的な目で見たり、女性ファンが興味を持ち始めたところで『害悪ファンダム』と罵倒したり、『女はこういう女が嫌いだから』と論拠もなしに原因を女性のせいにするのはセクハラ発言であり偏見である、それをやめては如何かとありますね。

別に偏見はよくないと言うのはいいのですが、特定の作品の登場人物、あるいは女性キャラに対して、上記のような中傷とも取れる言葉を投げつけるのは、武者さん自身の偏見に他なりません。そしてこのフェチシズム云々は。『どうする家康』で子供を背負った瀬名に対して言われたもののようです。あとこの「ムフフ」も武者さんは好きですね。

まひろは、なんというか、かわいくなくていいですね。
いや、とてもかわいらしいところはたくさんあります。
しかし、媚びがない。
わざとらしくキュンキュンして、「父上の晴れ姿が見たいんですぅ」と甘ったるく言うとか、笑顔を見せてもいい。
それをしないところが彼女の個性ですね。

武者さんが「『面倒臭い』とか『かわいくなくていい』」と書くのに対し、
「私が好きな女としての振る舞いをしているか否か」でしか評価できないのですかと、かなり突っ込んだ書き方になっています。またこれは、私も感じていることなのですが、
「他の女性に対してはその様な見方していない様ですが、実はまひろさんの様なタイプが嫌いで『わざとらしくキュンキュンして、甘ったるくセリフを言って媚を売るような女なら叩けるのに』と思ってませんか」
ともあります。まして晴れ姿を見たいと言うのは「父親の晴れ姿」なのに、媚びる必要もないでしょうとも。

武者さんは、まひろの言動に対して褒めているのか、それともけなしているのかわからなくなることがあります。わざわざ
「わざとらしくキュンキュンして」
などと書くのは、実際はまひろがそういうキャラであってほしいのではないか、そうすれば彼女だけでなく、場合によってはこの作品も叩けるからではないか、そう取られても仕方ないでしょう。

東洋文学における酒は、ウェーイと楽しく気晴らしのために飲むだけのものでもありません。
当時はまだ貴重でもあるし、憂いを解くためのものでもある。
酒に託して精神の高揚を詠い上げてこそ。

漢詩の会が始まって「酒」という題が出されたこと、漢詩では酒を取り上げたものがたくさんあり、中国唐代の李白、杜甫、白楽天も大酒飲みだったと言われていること、さらには主催者藤原道隆は無類の酒好きであることなどから、第1回漢詩大会は道隆の意向も盛り込んでいたのではないかとありますね。
尚、李白の『月下独酌』に関するサイトのリンクが貼られています。

『月下独酌』李白 【原文・書き下し文・現代語訳・解説】

それから武者さんは

和歌とは異なり、漢詩の会となれば、「きみたちの政治ビジョンを聞こう!」というニュアンスもありとみてよいでしょう。
さて、皆の選ぶ詩は?

と書き、藤原行成が選んだ詩は李白の『月下独酌』だとあるのですが、たけたけさんによればそうではなく、白居易の『獨酌憶微之』となっています。ちゃんと訂正しましょうともありますね。実際これは『獨酌憶微之』ですが、武者さんあれだけ漢籍がどうのこうのと言っていながら、これはないと思います。

恐らく藤原公任以外は、皆白楽天の詩を選んで自らの詩を作ったという設定のようです。そして、他にも様々なシーンに関する武者さんの文章、それへの反論やそのシーンの説明などが書かれています。

ちょっと余談になります。彼ら中華圏の人ではなく日本人ですが、大伴旅人もまた酒好きな人でした。中でも
「中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ」
という代表作があります。この人は年取ってから大宰帥として筑紫へ赴き、その直後に奥さんを亡くすという経験をしています。中途半端に人間でいるより、いっそ酒壺にでもなりたいものだ、体中に酒がしみ込んでくるだろうしという意味です。一方でこの人は、令和の語源になった梅花の宴を開いています。

大伴旅人:酒の讃歌
(万葉集を読む)※陶淵明の詩についても触れられています。

60代で左遷・愛妻の死…いっそ酒壺になりたいと飲まずにいられなかった大伴旅人の本心

大宰府(天満宮でなく政庁の方ですね)と言えば、藤原兼家も次兄兼通と対立し、兼通は九州に左遷したい、でも相手に罪がないのでできないとも言っています。実はこれはこちらのnote記事でも、別のシーンに関することで言及されています。しかし兼家がもし筑紫に来ていたら、当時の大宰府はどうなっていたかと思わなくもありません。尚、彼の孫に当たる藤原隆家は大宰権帥となっています。

あとこちらも酒好きと言われる道隆ですが、この人はこの10年後に糖尿病により亡くなったと言われています。飲酒も関わっていたのでしょうか。


飲み物-冬のティータイム

[ 2024/02/17 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第5回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事のご紹介です。いつも通り、ダークブルーの文字が武者さんのコラムからの引用部分です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第5回~

永観2年(984年)、五節の舞姫となったまひろは、“三郎”の正体を知りました。
藤原兼家の三兄弟・藤原道長――母を殺めた“ミチカネ”の弟だったなんて。
衝撃のあまり倒れ、寝込んでしまいます。

まずまひろが舞の最中に三郎に似た男を見つけること、その隣に「ミチカネ」がいること、そして三郎が右大臣家の三男道長であり、ミチカネがその兄の道兼であることを知って気が動転し、寝込んでしまうことが書かれています。またその後、
「なお余談ですが、五節の舞姫の中には重い装束(重さが15㎏~20kgになるそうです)での舞いと緊張でしばしば気分が悪くなり、急に体調を崩したり途中で倒れたりする事例もあったようで、決して倒れる事がスイーツ演出ではない事が窺えます」
ともあります。

実際洋の東西を問わず、昔の女性の衣服や着物、特に正装などは機能性や身軽さとは対極にあると言ってもいいものが多く、19世紀のクリノリン(『若草物語』、『風と共に去りぬ』などに登場する、ボリュームのあるスカートを作るための下着)などに代表されるコルセット、それによってウエストをきつく締めあげるファッションなどもその一例と言えるでしょう。

なんでも侍従宰相に見初められ、結婚相手が決まった姫もいるとか。
顔が四角いけれど、財産はあると妥協点を見出している。
誰かと思えば、侍従宰相はザブングル加藤さんが演じました。
そして話題は藤原三兄弟のことへ。
見目麗しいとはしゃぐ姫君たちに対し、おっとりしているような倫子も興味津々です。

こちらはたけたけさんの文章から一部抜粋させていただきます。上記の武者さんの文章に関してたけたけさんは、武者さんが気に入らない『どうする家康』レビューで、於愛が本能寺の変を起こした明智光秀を、「あれは(謀反をやりそうな)そんな顔と評した事について、「ルッキズムだの、同性愛をその場しのぎのネタにするだの、カジュアルに暴力やいじめをするなど、子供の道徳に悪影響を及ぼしかねないからです」と批判している点にまず触れています。

その一方で『光る君へ』では姫君たちが「顔が四角い」「顔は知らないが、かなり富のある方」と評する事については「妥協点」で済ますと記されています。
好き(かどうかわかりませんが、肯定している)作品だと、この辺りは控えめなようです。

巫女の格好をしている人物は「よりまし(寄坐・憑子・尸童)」です。

この前の部分で既に説明されていますが、ここで出てくるのは歩き巫女であり、特定の神社に所属せず全国を渡り歩きながら祈祷や託宣(たくせん)などを行なって、生計を立てる巫女の事ですとまず説明されています。

そして彼女たちは全国に存在して「マンニチ」や「マンチ」、「飯縄」(いづな)、「トリデ」、「ヤカミシュ」など、様々な呼ばれ方をしていたこと、歩き巫女は「巫女の口ききなさらんか」と言いながら村々を周り、「霊を憑依させて死者の口をきく」口寄せを行なったと言われること、神事だけでなく旅芸人や遊女を兼ねていた巫女もいて、時に春を鬻ぐこともあったともあります。

ここまで来ると民俗学の分野です。武者さん、せっかく巫(巫女)が出て来ているのなら、『どうする家康』叩きなどせずに、このようなことをきちんと書いてはどうでしょうか。

そして近年の大河『鎌倉殿の13人』『どうする家康』に続けて歩き巫女が登場していることにも触れられています。後者の方では千代(望月千代)ですね。彼女の場合、情報収集を重要視して、身寄りのない子供たちから容姿、治世に優れた処女に巫女として必要な技能や諜報の知識に技術、読み書きなどの基礎的な教養を授けたともあります。

身寄りのない子供たちと言えば、『鎌倉殿の13人』にも出て来ます。巫女を育ててはいませんが。

さらにややこしいことに、この頃は中国の道教までうっすら混ざります。>日本の仏教は中国経由なので、そうした融合が避けられなかった。

私もこれについては「道教がどのような感じでうっすらと混ざっているのか不明」と書いていますが、たけたけさんの記事にも
「どの様な影響があったかなど具体例は挙げないのですね」
とあります。

note記事では陰陽道が陰陽五行説に基づくものであり、百済僧の観勒によって暦・天文・地理・奇門遁甲(中国の占術)・方術(引用・天文・療治・亀卜など方士の行なう占術・験術)が日本に伝えられたという、『日本書紀』の記述の一部が紹介されています。そう言えば武者さん、以前鎌倉殿は中世だから占いもあるなどと書いていましたが、もちろんそれ以前の古代から、このようにして伝わった占いがあります。

また古代日本の政治思想は儒教基盤で官吏養成に応用され、式部省被官の大学寮に於いて教授されていたこと、道教は官学教科からも除かれていたものの、道教と思想的に関連性がある陰陽道は法制化され、中務省に陰陽寮が置かれ、官人としての陰陽師が育成・配属されたこと、そして彼らは官人陰陽師暦の作成、祈祷などの儀式を執り行って『穢れ』を清める事、方位や時間の吉凶に関する占い、天体観測や気象観測、天変地異の報告などに従事していたともあります。

ちょっと余談ですが、陰陽道や暦で思い出しました。最近、『応天の門』を全然投稿していません。そろそろ再開しなければと思っています、あれも暦に関する回がありました。

そして順番が前後しますが、

呪詛の狙いが弘徽殿女御というのもおぞましい。
花山天皇の寵愛する藤原忯子のことであり、やつれた彼女に呪詛は効きそうだ。

兼家が晴明に呪詛を命じるシーンですが、正確には忯子ではなく、お腹の中の子を呪詛しろと言う依頼のことだとあります。そして晴明が断った理由として、疎まれる高貴な立場の人物ほど標的になること、今回は呪詛を頼まれる立場の晴明が、呪詛返しによって術者の命の危険があるため、これを回避したかったのだと思いますと述べられています。

呪詛に関しては『鎌倉殿の13人』にも出て来ますね。
note記事では「形代」についての説明があり、『鎌倉殿の13人で』北条時政に頼まれて、阿野全成が将軍家公を呪詛するために人形を作っていたシーン、回収し忘れた1体が鎌倉御所の床下から発見され、謀反の罪で流刑の末処刑されるという結末になったシーンについても書かれています。尚この形代ですが、『どうする家康』に出て来る這子(ほうこ)と似たものがあります。

どうする家康第23回這子
『どうする家康』第23回 五徳が作っているのが這子

「天児」(あまがつ)と「這子(ほうこ)」という人形のジャンルについて
(ひなのすすめ)

しかし、道長は姿勢が悪いし、筆の持ち方がイマイチ。
これは演技や指導が悪いのではなく、意図してのものでしょう。
道長は字が下手なのです。
筆を寝かせるわ。
墨がかすれるわ。
そういう下手な字を書く人物として演じるとなると、残念な姿勢でなければいけない。
そのくせ、筆は特注品の最高級のものを使っているのが、実にたちが悪い。
なんでも道長の字が上手だと、演出からダメ出しが入るそうです。

これも武者さんが数回にわたり、道長の悪筆を叩き、筆を寝かせる墨がかすれると書いていること(昨年から続いています)を挙げ、さらにドラマ本編でそのような描写はないこと、そして道長を演じる柄本佑さんが独特の道長のフォントを編み出していること、しかも柄本さんは今は上達しすぎたため、最初の慣れなくて下手だった頃の書体を真似て下手に見せるようにしていることなどが挙げられています。

下手というより、私には味のある字に見えます。無論藤原行成のような達筆ではありませんが。そしてたけたけさんの文章では、武者さんが例によって、寝かせてもいない筆を寝かせたと言っていること(寝かせたら字が書けないと思います)、単に道長がは字が残念だと嘲笑したいだけではないかとも書かれています。

同時に、倫子と道長の結婚への道筋も浮かんできます。
この関係性を、猫と追いかける倫子で示すのは、『源氏物語』の女三宮と柏木のオマージュでしょうか。
なんですかね。
平安貴族の生きている姿をやっと掴めた気がします。
百人一首やらなにやら、文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい。

ここの部分、
「何見氏(=武者さん)ひとりだけで納得しているだけで具体的な説明がありません」
とずばりと言われています。実際そう思わざるを得ません。この大河のみならず、今まで武者さんの文章で具体例が示されたものが、どれほどあったでしょうか。さらに「文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい」と言いながら『源氏物語』のオマージュがどういうものか全く伝わっていないと思うとも指摘されています。

そもそも光源氏の妻であった女三の宮ですが、猫の追いかけ合いがもとで御簾が引き上げられ、その時柏木に顔を見られてしまい、恋心に火がついた柏木が、女三の宮といわば密通することになるわけですね。しかし武者さんの文章ではその説明がありません。

右大臣兼家、関白頼忠そして左大臣雅信の会合は土御門殿で行われており、3人が話していたところ、倫子が猫の小麻呂を追いかけていたこと、密談のさなか、小麻呂の乱入でその場を騒がせた事で倫子が詫び、雅信が彼女を紹介したこと、入内されるのかと思っていたと言う兼家に、雅信があのような礼儀知らずの娘はとてもと否定するシーンについて書かれておりり、そのうえで、兼家が我が子との結婚で、左大臣家の結びつきを画策しているのかも知れないとあります。

それから町田啓太さんについて。

公任を演じる町田啓太さんは、なんだか大変なことになっているようです。
海外アジア圏において、『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっているのです。

ここのところ、『『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっている』と言うのなら、その記事を提示してくださいと言われています。また、何が大変な事かが武者さん本人以外に伝わっていないこと、そしてたけたけさん自身が検索したところ、町田さんが大ブレイクしたドラマ『チェリまほ』が海外配信されており、アジア圏でも人気だという2020~2021年頃の記事であることが指摘されています。

武者さん、何を見ていたのかなと思います。ならば『光る君へ』関連検索など書かず、『チェリまほ』で町田さんの検索数が増えている、これを機にこの大河でもさらにブレイクしてほしいとでも書いておけばいいのです。

他にも宗教関連、医学関連で興味深い記述もあります。
そして最後の方の『どうする家康』叩きですが、

歴史ライターを辞めて『文春を論拠として崇め一切論拠を示さない信用性のないゴシップライター』になり下がったのでしょうか。

と書かれていますね。実際そうとしか見えませんし。
あと『もうひとつのどうする家康』で、松本潤さんが脚本の古沢さんと話している件では、

現にお二人は膝を突き合わせ話し合いをしているわけですので。
現場スタッフと主演俳優が意見を交わし合って作品を作る事まで否定したらドラマが作れなくなります。
脚本だけではドラマはできません。

文春ネタが原因なのか、主役が脚本に口出しすると書かなければ気が済まないようです。


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2024/02/10 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

お城の進むべき道-ユニバーサルデザインか伝統回帰か

お城関連で少し。

今の時代、天守閣は博物館や資料館的な役割を持たされ、また高層建築であることから、エレベーターがついていることもあります。所謂バユニバーサルデザイン的な意味合いもあります。その一方で姫路城や松本城のように、国宝であるためエレベーターをつけられないというケースもあります。

全国的に今は都市の再整備、その地域を代表する城郭の復元が進んでいると言えます。そのような中で、より近代的にエレベーターなどをつけるのか、あるいは本来の木造建築に回帰するのかという選択肢も出て来ます。

こちらは名古屋城の天守閣に関する中日新聞の記事です。少し前のものですが、この記事を見る限りでは、史実に忠実な木造にした場合は、ユニバーサルデザインに沿ったエレベーターの設置はどうなるのかという声があり、あるいは完全に史実に忠実な形で天守閣を木造にした場合、今の建築基準を満たしていないから、お客さんは入れられなくなるといった問題があるようです。

はっきりしていることはただ一つ。史実に忠実な木造天守を作ったら観光客は入れません
(中日新聞)

この名古屋城の木造建築については私も知っていました。木造で、かつてのお城らしい姿になるのかと思いましたが、やはり問題も出て来るようです。無論名古屋城だけではなく、他のお城でも抱えている問題かも知れません。

実際私の地元でも、今伝統的な形で潮見櫓が復元されていますが、土台はもちろんコンクリ―トです。中は昔のイメージにするようですが、この櫓は2階建てで天守閣ほど大きくないので、それも可能でしょう(2階に上がれるようになるのかどうかは不明)。ただ今後いくつかの櫓(と天守)を復元するに当たり、その中のどれかを歴史資料館的にする予定ではあるようですし、戦災に遭ったりして元となる資材がない櫓もありますので、どのような形で今後復元するかも課題とはなるでしょう。

福岡城関連はまた改めて。しかしお城関連の投稿が増えたこともあり、城郭のタグを作るべきか考えています。


飲み物-コーヒーとチョコレート
[ 2024/01/31 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

第3回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。また武者さんのコラムの引用部分は、ここではダークブルーとしています。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第3回~

正体が露になれば釈放されるでしょうから、確かに大丈夫だろうとは思いますが、そもそも追われていた散楽の直秀とは何者なのか?

まず盗みの疑いをかけられていた「散楽一座」の直秀が、放免を侮辱するような態度を取ったこと、そしてまひろが、直秀が逃げたのとは逆の方向を教えなかったために、たまたまそこにいた、似たような格好の道長が捕らえられたことがまず説明されています。そして武者さんが第2回のコラムで「検非違使に捕まってしまった」と書いていたものの、この人たちは髭面で、贓物(ぞうぶつ、盗品)である摺り染めの装束姿であることから、放免と書かれています。

尚、たけたけさんの検非違使庁関連の解説によると、こうなっています。

この放免とは検非違使庁の下級刑吏で、犯罪者の探索と追捕に加え、拷問を行ったり獄守の仕事をしたり、流人の護送、死体や穢れの清めなどをも担当していました。尚右大臣家の子息を冤罪で捕えたため、放免たちはもとより「高貴なお方を盗賊と見間違うなど、あってはならない」と「看督長(かどのおさ)」と「火長(かちょう)」が平謝りですが、彼らは検非違使庁の実行部隊長で、放免を監督する役目であり、橙の狩衣姿が火長、赤の狩衣と白い布袴の人物が看督長です。
手前で謝罪する橙色の狩衣の人物が『火長』、その後ろで頭を下げる赤い狩衣と白い布袴の人物が『看督長』です。

リンクが貼られているのでご紹介しておきます。
〈放免〉 と 〈着ダ〉

出世して、実現したい政治ビジョンはない。
理想の政治像があった北条泰時と比べると、出世しか眼中にないように思えます。

これに関しては、兼家の場合は、元々の『撫民仁政』が意味するような、民を慈しむ『仁』を重んじた政治ではなく、出世して「后がね」として育てた姫君を帝に入内させ、生まれた皇子が帝になった暁には、外戚として権勢を振るう事を優先する、所謂「摂関政治」といったことが書かれています。無論鎌倉幕府は武家政権であるため、摂関政治や院政を行って来た朝廷とは異なる政治機構、法整備が必要、政治システムが違うのだから比較するのは不自然とあります。

私も関連投稿で書いていますが、摂関政治と、新しい政権である武家政権を軌道に乗せるのは、同列に論じられないと思います。武者さん、何かにつけて『鎌倉殿の13人』をここで持ち出していますが、ここで比較対象足りうるのは、『平清盛』に於ける、娘の徳子を入内させた清盛の方ではないのでしょうか。

ここからが面倒くさいまひろの本領発揮だ。
朝になると、似顔絵を描いて太郎に渡します。
四条万里小路のあたりにいる、身の丈六尺以上の“三郎”を探して欲しいとのこと。
(中略)
面倒くさい。
恋心なのか、なんなのか、規定ができない。
反応が本当にかわいらしくありません。

武者さんがことあるごとに、まひろを「面倒臭い」と言いたがることについて、

また『面倒臭い』『かわいらしくない』ですか。

とあり、まひろさんの性格を評する際に『面倒臭い』以外の語彙はないのかと書かれています。全く同意です。
そして

今年は決め打ちで褒めるパターンなのでしょうか。
嫌いな作品ならば『恋愛脳!』『色恋にしか幸せを見出せない薄っぺらさ』『本作は恋バナとか好き嫌いの話ばかり』と叩きそうなのですが。

とありますが、実際不自然だなと思いますね。そして上記の「恋愛脳」「薄っぺらさ」「恋バナ」云々、昨年はこれでもかと使いまくっていたような気がします。

ここからは平安貴族の勤務時間へ。
囲碁をさしている貴公子たちがいます。
「今宵は盗賊はいないし、宿直はいらん」
リラックスしながら、話題は道長が獄に繋がれたことへ。

こちらは一部分のみになります。まず、

通例では囲碁は『打つ』もので『指す』のは将棋です。

とあります。何だか変だなと思ったのですが、碁をさすと書いていたのですね。もちろん「将棋を打つ」と通常言わないでしょう。
そして

斉信卿が「今宵は盗賊も入らぬであろう、宿直も要らぬ」と言い、公任卿に「怠けたいのだろう」と言われています。
画像を見ると、宿直のためにすでに束帯から下襲と石帯を外し、表袴(うえのはかま)を指貫に交換している様子が見えます。
現代で言えば夜勤のためにベルトやネクタイを外し、動きやすいジャージに履き替えた感じでしょうか。

所謂衣冠(宿直装束)姿ですね。
上記にあるように下重ねと石帯を外し、表袴が指貫になっているわけで、指貫と言えば昨年の秀頼も、水干の下に指貫を穿いていたと思います。

こちらもリンクが貼られていたのでご紹介しておきます。
装束の種類(束帯)

で、この藤原公任なのですが。

月岡芳年『月百姿』「しらしらとしらけたる夜の月かけに雪かきわけて梅の花折る」に命が吹き込まれ、動き出したような、町田啓太さんの姿です。

昨年の秀吉も月岡芳年だと武者さんが書いていたことは、既にご紹介していますが、何でもかんでもこの人の絵を引き合いに出すのではおかしいということで、たけたけさんの文章にはこうあります。

月岡芳年は幕末(天保年間)から明治中期にかけて活動した浮世絵師です。
好きなのはわかりますが、人物によっては誇張され江戸・明治期の風俗に寄せられ時系列に合わないなどがあるので資料提示としてはどうかと思いますが。

ちょうど実際の合戦を講談とか軍記物にして、江戸時代の人々に親しみやすくしたのと似たようなところがあるでしょうね。

「俺は漢字が下手で、歌も下手だ……」
はい、そうですね。だから練習をしなさいってば……と、

ここのところですが、

道長卿は『俺は漢字が下手で、歌も下手だ』ではなく「俺のように字も歌も下手だと困る」と呟いています。

と訂正されています。
そしてこの人物は、

ユネスコ世界記憶遺産に登録された『御堂関白記』を記していること、文体や筆跡には道長公の性格のおおらかさが看てとれ、当て字、脱字、誤字、また重ねて字を書く、塗抹(塗り潰し)、傍書、省略、転倒などが散見する特異な文体となっているそうです。

とあります(第2回の分でもこう解説されています)。
そして今回は俳優さんたちの文字をそのまま使うそうで、道長を演じる柄本佑さんが編み出した独自の「道長フォント」を用いるとも書かれています。何でも
『道長は字があまり得意ではない。後半では道長も文字が上達していく描写が出てくると思うのでその成長過程を見てほしい』
のだそうです。

そんな土御門姫君サロンでは、こんな歌が詠まれました。

土御門殿での歌比べでの姫君たち、そしてまひろが赤染衛門に「合ってます」と言ったことに対し、倫子が、小野小町は恋の歌の名人だが、恋を沢山したからだろうかとフォローしてくれます。そして、

能筆家・藤原行成卿の流れるような書道の文字、琴を奏で父を聞き惚れさせる倫子さま、古今集をすべて覚えていた赤染衛門。上級貴族の教養が垣間見える今回の物語、清少納言の『枕草子』第23段『清涼殿の丑寅のすみの』の宣耀殿女御(藤原芳子さま)が父から教わった教養のオマージュでしょうか。

とあります。
まあこれは、私もあらすじと感想でちょっと触れており、『枕草子』の中でもかなり印象に残っている章ですが、
文字を書く
楽器を奏でる
歌を詠む
というのが、この当時の上流社会に取って如何に重要であるかを窺わせるものがあります。
尚琴には「きんのこと」、「箏(そう)の琴」があり、現在一般的に言う琴はこの「箏」をさします。胴の上に立てた柱(じ)を動かして音を決めるのが特徴です。無論例外もあります。

他にも武者さんが「日本中世史」と書いていることに対して、古代と訂正されていますし(実際そうですが)、内田CPが「中国や韓国を意識している」と言ったことに関して何の記事リンクもない件では、スポーツ報知の、人物関係がわからなくても楽しめるという意味で、この2国を引き合いに出した記事のリンクが貼られています。さらには武者さんが第2回のまひろ、第3回の倫子が立膝をしているシーンには何も言わず、昨年の阿茶局が立て膝をしていたのには、
「一人だけ立膝、頭がキレるのとアピール感満載」
と書いていた件で、今回は何も言わないのかと突っ込まれていますね。

実際立膝は中世頃までの貴人女性の座り方でした。その後畳を敷くのが一般的になり,小笠原式の礼法が広まったことで、男女とも正座となって行きます。鎌倉時代辺りまでは女性も小袖の着流しではなく、袴をつけていたりしたこと、そのため立膝や場合によっては胡坐を組むような姿勢でも、そう失礼にはならなかったということもあるでしょう。

小袖、裳袴をつけた女・鎌倉時代
(風俗博物館)

飲み物-暖炉の前のコニャック
[ 2024/01/27 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

福岡弁と博多弁その3

先日の続きですが、その前に。
潮見櫓関連で、テレQ(テレ東系列)のニュース映像を見つけました。上棟式だけで終わるのではなく、(伝)潮見櫓や天守閣にまで突っ込んでいるのが、この局らしくはあります。ちなみに(伝)潮見櫓は、本丸裏御門の西にあった太鼓櫓という説もあります。

福岡城潮見櫓
(福岡市の文化財)




毎度前置きが長くてすみません、では本題に行きます。
私自身もルーツが福岡で、福岡弁というものをそこそこ知って育ちました。進学や就職で一時期地元を離れていた時もあり、必ずしも福岡弁または博多弁が身近にある環境に、常に身を置いたわけではありませんが、その後こちらに戻り、家族親戚はもちろん、上司の言葉などにも、福岡弁の語法を感じ取ったことはあります。

ただ自分の記憶頼みだと、どうしても限度があるので、今回は、主にこちらのブログ記事をを参考にして書いて行きます。

福岡弁 ~あなたの知らない福岡弁~
(オメガのブログ、記事最新更新日2023年11月11日)

個人の方のブログなので、リンクを貼るべきかどうか迷いましたが、情報量が多いので一応貼らせていただきます。主な福岡弁の一部で、かっこ内の説明がないのは先日ご紹介した分です。

がっしゃい
ござる
(尚この「ござる」は江戸時代まで使われた言葉ですが、福岡弁では今でも使われており、武家言葉の福岡弁の基本中の基本となる言葉とあります。また岐阜など他県の武家方言でも使われているらしい)
ござっしゃる
ごろう(御覧)じゃい
(『ごらんなさい』の意味)
つかあさい
まっせん
(『ます』の否定形で『~ません』の意味)
まっしょう
(「ます」の未然形で「~ましょう」「~でしょう」の意味。尚俳優の故・下川辰平氏は、福岡弁を使う人でしたが、”まっ”にアクセントがある、勇ましい雰囲気の言葉遣いだったとの由)
~ない
(丁寧な命令。「~なさい」の意味)
~なさる(『なさる』、『いらっしゃる』の意味)
~さる、~なす、~なる
(『~なさる』より軽い尊敬語)
~らす
(『~しておられる』の意味で使う、尊敬語だがやや軽い。第三者に対して使用。熊本や長崎でも使われるらしい)
~めい
(打消しの推量、『~ではないだろう』の意味。これよりも丁寧な表現で『ござりめい』がある)

夏の大濠公園2


他にも助詞や助動詞関連で色々採り上げられていますが、長くなるのでここでは割愛します。他にも「寒く」が「寒う」などウ音便になること、カ語尾とサ詠嘆形を用い使い分けること(『良い』が『良か』になること、あるいは『良いなあ』の意味で『良さあ』と使うこと)などが挙げられています。

さらに格助詞の使い方として、
格助詞「を」が「ば」に変化(『本を読む』が『本ば読む』になる)
格助詞「に」が「い」に変化(『どこに』が『どこい』になる)
格助詞「が」が「の」に変化(『食べ物がある』が『食べ物のある』になる)
格助詞「より」が「よか」に変化(『花より団子』が『花よか団子』になる)

その他にも
形式名詞の「の」は「と」に変化(『書くの』が『書くと』になる)
詠嘆または念押しの終助詞「ね」が「な」に変化(『ですね』が『だすな』になる)
疑問の格助詞「か」が「な」に変化(『これか?』が『これな』になる、尚『な』の部分は上げずに下げる)

またこういう表現もあります。この2つは『十時半睡事件帖』に登場しますね。

たにわくろう
福岡城の西、谷(現在の中央区谷周辺)に住む下級武士の蔑称。谷筋から現れる様子を、茂みから顔を覗かせるヒキガエルに例えたもの、尚ヒキガエルは福岡弁で「わくどう(わくろう)」と言います。

ちんちくどん
城西の西町に住む下級武士の対する蔑称。屋敷の壁は、上級武士は練塀が好まれ、下級武士では珍竹(蓬莱竹の一種)の竹垣が植えられていました。この壁は「ちんちくかべ」と呼ばれ、この竹を弓矢の矢や鉄砲の火縄の材料にして内職としていた事にちなんでいます。尚「練塀町」という地名が、かつて今の桜坂付近にあったとのこと。

その他「筑前今様」や「ん」抜き言葉(『薬院』を『やくい』と呼ぶなど)、明治以前の訛りについてなども書かれています。

承天寺ライトアップ2


そしてあとがき。ブログ主様は福岡弁の紹介もさることながら、これを書きたかったのではないかと思います。

かいつまんで言えば、福岡県内の方言を一括りにして福岡弁と読んだり、方言色が薄いマイルドな博多弁を福岡弁と称したり、果ては様々なメディアで福岡弁を名乗る方言を使うキャラクター、あるいはネット情報が登場したりしているが、それらは「福岡弁ではなく博多弁などの福岡県の方言」であること。福岡弁に関する正しい情報が少ないことに触れられています。そして、これは原文を貼らせていただきますが、

「記事の中で本来の『福岡弁』について触れられてはいても、既に消滅したなどと書かれてある事もあり悲しくなります。仕方のない事かも知れませんが、ご自身が生まれてから一度も耳にした事がないだけで消滅扱いしないでいただきたいです。また博多弁に吸収されたなんて記載も見かけますが、『福岡弁』の一部の言葉が博多弁に転用はされていても吸収されてなどいませんし、『福岡弁』は『福岡弁』として今も存在しています」

とあります。実際話者は少ないのですが(福岡藩がなくなってから、藩士が散り散りになったこともあるし、商売を始めて博多へ移り、博多弁を話すようになったことなども恐らく関係している)、確かに福岡弁自体は今も存在していると思われます。また一部の言葉が博多弁として使われるようになっていますが、それを吸収とは呼ばないのではないでしょうか。

実際博多弁は他の都道府県でも知られており、比較的メジャーな方言の1つであるかとは思いますが、その陰で少数派ながら、かつての福岡城下の人々が日常的に使っていた、福岡弁の存在も無視はできないでしょう。

またこちらの記事中には、
「福岡県は豊前国・筑前国・筑後国の3つの旧律令国の地域から成り、各地域で藩も文化も方言も違うので福岡県内の方言を単純に一括りには出来ません」
とあります。
それに関しては、少し前の記事ですがこういうのがあります。北九州や一部筑後の方言についても触れられています。

「福岡県民はみんな博多弁」は大誤解!? 実は地域で大きな差異が!
(マイナビニュース)

尚この中に登場する「こまめる」(両替する)、これは確かに博多弁限定だろうなと思います。

一旦この項はこれで終わりますが、福岡弁について調べているうちに
『福岡城言葉<がっしゃいことば>』
という書籍があることに気づきました。ネット上で扱いがあるかどうか、確認が取れなかったのですが、地元の図書館にあるようなので、機会があったら見てみるか借りてこようかと思います。
またそれ以外に、様々な情報を得ることもできましたので、今後書く予定です。1月第4週目は大河と、福岡藩関連がメインとなるかも知れません。

では、ローカルな情報にお付き合いくださりありがとうございました。

画像提供:福岡市
先日分が福岡城多聞櫓と桜、櫛田神社の飾り山笠、そして今回が夏の大濠公園(かつての福岡城の外堀)とライトアップされた承天寺(山笠発祥の寺院)です。

[ 2024/01/22 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

福岡弁と博多弁その2

本題に行く前に。先日福岡城・鴻臚館公式サイトのブログ記事が、なかなか更新されていないと書いていましたが、やっと更新されました。少し前に私も書いていましたが、梅まつりのお知らせです(リンクは短縮しています)。

舞鶴公園 梅まつり
(福岡城・鴻臚館公式サイト)

実は、こちらのニュースがアップされるかと思っていたのですけどね…。

復元進む福岡城跡のシンボル「潮見櫓」の骨組み完成し上棟式
(NHK福岡 NEWS WEB)

記事内にも動画はありますが、「福岡城 潮見櫓」などで動画検索すればいくつかの動画がヒットします。


では本題です。
先日書いていた福岡弁と博多弁について。
福岡弁でネット検索すると、いくつかのサイトを目にすることがよくあります。但しその大部分は、福岡弁即ち博多弁という内容となっています。
実は福岡弁と博多弁は別物です。

多聞櫓と桜2

関ヶ原の戦いが終わり、黒田長政が筑前に入府して、当初は名島城を居城としたものの、その後警固の赤坂山に新しく城を築くことになりました。そしてこの地に福岡という名がつけられます。備後国福岡が由来であるとも、福崎の丘が由来であるとも言われています。ともあれ、この福岡の城下に暮らす武士たちが使っていた言葉が、福岡弁となります。

とはいえ元々は、長政公そして家臣団はそれぞれの出身地である中国地方、あるいは豊前の言葉を話していたと思われます。この言葉と博多弁、あるいは参勤交代で赴いた江戸の言葉などが融合し、独自の武士たちの言葉ができあがり、それが福岡弁である可能性が高いようです。ですから博多弁とは全く無縁でないとは言えないかも知れませんが、博多弁にない特徴があるのも事実です。

特に
「がっしゃい」
「ござる」
「つかあさい」
などの言葉は福岡弁のみ、あるいは当初は福岡弁で、後に博多弁となったと言われています。この「がっしゃい」と言うのは、他の地域でも見られるようですが、福岡弁を代表する言葉でもあり、元々は「ござらっしゃい」だったとされています。その通り「ございます」、あるいは「いらっしゃいます」という意味があり、「がっしゃるな」と言う疑問形もあります。

櫛田神社境内の飾り山2

例としてまず共通語、そして博多弁、次に福岡弁の順に挙げてみます。

「何してるの」
「なんしようと」「何ばしよっと」「何ばしよると」(博多)
「何しござあな」「何してがっしゃるな」「何しよんなさあな」(福岡)

「いいじゃないか」
「よかろうもん」(博多)
「ようござっしょう」(福岡)

「お上がりなさい」
「上がりんしゃい」(博多)
「お上がんない」(福岡)

「なんしようと」は、華大さんの番組のタイトルでもありますね(笑)。

尚「ござる」の丁寧形に「ござっしゃる」があり、また「つかあさい」は中国地方起源とされています。元々は「つかわされ」だったとの由。私もこれらの方言、特に福岡弁の理解については、周囲の大人が話すのを聞いて覚えており、従って私自身の経験によるものが大きいのですが、この投稿に当たって、一部関連サイトを参考にしてもいます。

ただ博多と福岡とでは、やはり言い回しや与える印象が違うなと思います。3番目の「~ない」と言うのは、福岡弁で「~しなさい」を意味します。

そう言えば数十年ほど前でしたか、駅弁の包装紙に、博多弁と福岡弁で同じ意味のことが書かれていた記憶があります。あれは何のお弁当だったのでしょうか。
(この項続く)

画像提供:福岡市

[ 2024/01/21 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『北九州音頭』その2

その2と書いてはいますが、曲そのものではなく、曲に登場する事柄についてです。

この曲の2番に登場する小倉祇園太鼓と戸畑祇園大山笠、どちらも祇園祭りです。「やっさやれやれ」の掛け声の小倉祇園太鼓については、小倉城あれこれ その3(八坂神社のなりたちと小倉祇園太鼓)にも書いていますが、これにつけくわえる形でもう少し。おおもとは細川忠興が豊前小倉に入府後、自然災害や疫病が蔓延しており、八坂神社に参詣したところ事態が収束したため、京都式の祇園祭りを行うようになったと言われています。

また戸畑祇園大山笠も、疫病が蔓延したので神社に祈祷したところ収まり、その後人々が素戔嗚尊に山笠を奉納したのがルーツとされています。そして博多祇園山笠は、鎌倉時代に博多で疫病が流行した際に、承天寺の開祖である聖一国師が施餓鬼棚に乗り、水を撒いて清めながら疫病退散を祈祷したのが始まりとなっています。

元々京都の八坂神社祇園祭(祇園の御霊会)は、死者の怨霊や疫神を鎮めるのが目的でした。昔は疫病が多く、それによる死者も多かったことが、そのため牛頭天王、神仏習合的に見れば素戔嗚尊に疫病退散を祈願したことが、そもそもの発端となっています。

2020年でしたか、コロナ禍のため博多祇園山笠は、追い山もなく飾り山笠もなしでしたが、この時山笠は疫病退散の目的もあると、盛んに言われていたことがあります。なお飾り山笠は翌年復活しました。

ところでこの小倉祇園太鼓、戸畑祇園大山笠と博多祇園山笠は、福岡県の三大祇園祭りあるいは夏の三大祭りと呼ばれています。また小倉祇園太鼓と博多祇園山笠、そして京都の祇園祭が全国三大祇園とされることもあります。

それから祭りは元々女人禁制ということが多く、博多祇園山笠や戸畑祇園大山笠は基本的に男性のみです。ただ博多の場合(戸畑はよく知らないのですが)、ごりょんさん、山笠の舁き手の奥さんたちの協力体制が大きく、祭りの開催や進行にも関わっており、また今では飾り山笠の装飾に、女性の博多人形師の作品が採用されています。一方小倉祇園太鼓は、女性も参加できます。

そして3番には、かつての八幡製鉄所(新日鉄、現日本製鉄九州製鉄所)を思わせる歌詞もあります。その後遊休地がスペースワールドとなりましたがそこも閉園し、今は一大ショッピングセンター、アウトレットとなっています。

また4番に登場する関門トンネルですが、その後東海道新幹線、山陽新幹線が開業し、山陽新幹線が博多まで延伸されたことから、新幹線用のトンネルが作られています。ちなみに関門トンネルは、
新幹線用
山陽本線用
車両用(国道2号)
通行者と自転車用
の4つがあります。

何やら半分以上が、祇園祭り関連となってしまったようです。祭り関係は今後また書く予定です。


飲み物-コーヒーとチョコレート
[ 2024/01/15 02:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『北九州音頭』

先日北九州関連の投稿をしていますが、昭和の時代、江利チエミさんという歌手の方がいました。歌手のみならず、女優やタレントとしても活躍し、かの高倉健さんと結婚していたこともありますが、その後離婚し、昭和57(1982)年に45歳の若さで亡くなっています。

その江利チエミさんが、昭和38(1963)年発売の『北九州音頭』という曲を歌っています。この年は北九州市が誕生した年ですが、かつての夫だった高倉さんが、北九州市に隣接する中間市、江利さん自身のお父様が筑豊地方の田川市出身ということも関係しているのでしょうか。またお母様は元女優で、『ブギウギ』の主人公福来スズ子のモデル、笠置シズ子さんと共演したこともある由。

まず動画を探してみたのですが、1つこれはいいと思ったのが、他のサイトでの再生が無効化されているため、そのリンクだけを置いておきます。

何と言うか、如何にも昭和の歌謡らしいノリがあります。
歌詞は下記リンクからどうぞ。

北九州音頭 歌詞
(J-Lyric.net)

1番から4番まであり、1番は北九州全般(時代的に、かつての八幡製鉄所が勢いがあった頃でしょう)、2番が小倉と戸畑、3番が八幡と若松、4番が門司の紹介になっています。
2番には祇園太鼓が登場し、その後「夜宮帰りか提灯やまね」と続きます。これがちょっとわかりにくい人もいるかも知れませんが、恐らく戸畑区にある夜宮(よみや)公園で、8月15日に行われる盆踊りの際の山笠運行のことでしょう。その後の「更けりゃ河童も浮かれ出す」とあるのは、やはりこの戸畑で作られる河童凧のことか、あるいは若松区の高塔山公園の河童祭りと思われます。

夜宮の盆踊りについてはこちらをどうぞ。リンク先にもありますが、神仏習合のひとつの例で、祇園神は元は牛頭天王であると記されています。この牛頭天王は神仏習合的な見方では、素戔嗚尊のことであると言われています。その素戔嗚尊は京都の八坂神社の祭神であり、祇園太鼓の小倉の八坂神社はもちろん、博多祇園山笠の櫛田神社もこの神を祀っています。
(尚『風花帖』に登場する素戔嗚神社は、八坂神社のことと思われます)

戸畑の山笠 その5
(北九州市 時と風の博物館)

この戸畑祇園大山笠は提灯大山笠とも呼ばれ、夜のを実際に見たことがありますが、なかなかきれいで、博多祇園山笠とはまた違った趣があります。この山笠は、昼は幟で装飾されたものが練り歩き、夜は多くの提灯を台座に載せて、人々が担いで行くものとなっています。

戸畑提灯大山笠
戸畑祇園大山笠(Wikimediaより)

さて3番です。
皿倉山、溶鉱炉、若戸大橋などが登場します。皿倉山とは、八幡東区にある標高622メートルの山で、市街地からもよく見えます。そして溶鉱炉、これはかつての八幡製鉄所を意味しているのでしょう。さらに若戸大橋ですが、洞海湾を跨いで戸畑と若松をつなぐ橋で、ちょうどこの曲が出た頃に開通しています。

どうも戸畑区つながりの画像ばかりになってしまい恐縮です。先日リーグワンで、リーグ戦100トライ目を挙げた山田選手が子供の頃、戸畑区の鞘ヶ谷(さやがたに)ラグビースクールでプレイしていたのも、あるいは関係しているのかも知れません。

若戸大橋ライトアップ2
若戸大橋(北九州観光情報サイトぐるリッチ北Q州)

そして4番。「海のトンネル」というのは関門トンネルのことでしょうね。この頃はまだ関門橋がない時代で、鉄道と国道の関門トンネルは、九州と本州をつなぐ重要なルートであったと思われます。もっと言えば、山陽新幹線が九州まで走っていない時代でもありました(と言うか、当時は東海道新幹線がまだ開通していませんでした)。

ところでこの江利チエミさん、『黒田節』も歌っています。ウィキのページを見る限り、他にも『おてもやん』など民謡系の歌唱も多いです。『おてもやん』と言えば、くまモンが踊っていたことがありましたね。
(2024年1月14日一部加筆)

飲み物-トディ2
[ 2024/01/14 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud