『武将ジャパン』大河コラム、第44回後半部分関連記述への疑問点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第44回「審判の日」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/21/172147
1.空々しく公暁が反論しても、八幡宮の別棟として、鎌倉殿を支えることが天から与えられた道だと諭します。
些細なことではありますが、「別棟」ではなく「別当」ですね。昨日の「馬を用意している」(実際は「蓑を用意している」)もそうですが、この手のミスが今回もいくつかありますね。
2.圧倒的な北香那さんの演技。感動が押し寄せてきてたまりません。
彼女は、権力などどうでもいい。我が子を愛したい。そんな母親です。実衣やりくとは違う。
出演者の評価ならここでやるのではなく、後の総評の方でやってもいいかと思います。それとつつじの場合、権力を持とうにも持たせてもらえなかったのも事実で、だからこそ息子への愛を貫くことができたのでしょう。
3.当初の薄緑色の衣装を着て、ニッコリ笑っていた義時はもう遠い。
誰が見ても悪くなったからこそ、こんなやりとりに説得力があります。脚本を書く側と、演じる側。その双方に信頼関係がなければこうはいかないと思います。
義時は悪いけど、三谷さんと小栗さんの関係はとても善いと思います。
「脚本を書く側と、演じる側。その双方に信頼関係がなければこうはいかないと思います。義時は悪いけど、三谷さんと小栗さんの関係はとても善いと思います」
どの大河でも脚本と主演とは、大体こういう関係ではないのでしょうか。それと、こういうのもあらすじの途中で書くべきなのか、どうか。
4.雪の朝。
義時が政子と対峙しています。
この1月27日、朝はまだ雪は降っていないはずです。警備担当の時房が空を仰いで、降らなければいいのだがと心配しているシーンがあり、午後、政子と実衣が出かけようと言う時になって雪が降り始めていますね。しかもこの後で、
「夕方に降り始めた雪が積もり始めています」
ともあり、何か矛盾しているように見えます。
5.「正しいと思った道を選んでここまでやって来た。そうではないのですか。今さら誰に何を言われようとひるんではなりません。私たちは正しかった。いつだって」
闇そのものがうずくまっているような義時の顔。存在感。
言葉とは裏腹にまっすぐな気持ちがまるで感じられないのは、先ほどの実朝と比べてみるとよりわかるでしょう。
「まっすぐな気持ちがまるで感じられない」
だから何なのだ、と思うのですが…。この時代まっすぐに生きていたら生き残れないからこそ、幼なじみの御家人をも騙し討ちにし、北条の地位をゆるぎないものにしたわけであり、そして政子も本意か不本意かは別として、そのやり方を認めざるを得なかったからこそ、今の尼御台としての彼女があるわけでしょう。公式がそう言うのならまだしも、 あまり闇闇言うのもどうかと思いますし、実朝はそれができず、なのに鎌倉殿という高い位置にいたからこそ、狙われるもととなったのですが。
6.なんせトウは、頼家暗殺の当事者です。仲章に口を割られたら一巻の終わりとなるかもしれない――そうした状況を踏まえ、必ず吐かせてみせると勝ち誇る仲章。
これ「口を割る」のは仲章でなく、トウではないかと思うのですが。それと仲章は、義時が頼家暗殺の黒幕と気づいてはいたでしょうが、トウが関わっていたことを知っていたでしょうか、恐らく刺客が自分を狙いにくることはわかってはいたでしょう。
7.これまで目立ってきた母親像が、損得ありきのりく、実衣、のえだったせいか、あまりに真っ直ぐな彼女たちには胸が痛くなるばかり。
別に損得ありきの母親でもそれはそれでいいのです。彼女たちもまた、のえ以外は夫とはそこそこ円満な関係であったはずです。逆に真っすぐでないからこそできたこともあるのですが、なぜか彼女たちのそういった部分を評価しませんね。それと実衣は、本当に権力好きなのか迷うところです、言ってはなんですがその割に才覚というものをあまり感じず、身内に守られて生きて来た感がありますので。
8.一方、北条義時は空っぽだ。
前半は散々「全部大泉のせい=頼朝が悪い」と言われていましたが、後半になると「主役は泰時ではない」と言われてしまう。
この後に新聞記事のリンクがありますが、その見出しには
「NHK大河「鎌倉殿の13人」いつの間にか主人公交代…小栗旬「義時」→坂口健太郎「泰時」へ」
とあり、「主役は義時ではない」が正しいようです。これもケアレスミスなのかも知れませんが。
9.便宜上、大河には主役がいますが、実際には群像劇であることも往々にしてある。
群像劇だから主役がいないわけではなく、それぞれのパートの核になる人物がちゃんといます。
群像劇大河の典型と言うべき『国盗り物語』(多分武者さんは観ていないでしょうが)には、
斎藤道三→織田信長
葛籠重蔵
雑賀孫市
といった感じで、異なったいくつかのパートで、メインとなる登場人物がいました。
10.そしてもうひとつ。義時には思想がない。
空っぽゆえに歴史上、果たすべき役割が入り込んでくる。ゆえに本人は空洞。
思想がないからこそ、ここまであれこれと策を弄することができたのでしょう。無論まだ思想も学問も不在ではありましたが、義時が体を張って世の中を安定させた後に、嫡子泰時がその部分を埋めることになったとも言えます。
11.それに反して泰時は、思想がある光秀と同系統の人物といえる。
それとこれとはちょっと違いますね。光秀は結局は主君を殺して墓穴を掘ったとも言えますし。『麒麟がくる』を出したいのだなとは思いますが。
そしてバーナード・コーンウェルの『神の敵アーサー: アーサー王物語』の説明、これが承久の乱につながるものがあるとして、やけに長々と書かれています。正直に言って、比較するにはちょっと…と思われるのですが、ここでは省きます。そしてここで気になったのが
12.アーサー王はイギリス人の国民的英雄なのに、神の敵とは何ごとか?
要するにキリスト教の上陸前、ケルト民族の神を信じているから「神の敵」なのです。
アーサー王は、元々はアングロサクソンではありません。ケルト民族の一派であるブリトン人とされています。ただアーサー王物語には、キリスト教の王として描かれていたりもします。
13.ゆえに、こういう心を掘り下げる作品は、今後、増えると思います。
役者さんは演じるにあたり、脚本を受け取って、この役はどういう心なのか考えて、水の中に飛び込むように入り込んで演じるのだと思います。
(中略)
そうして脚本の中に描かれた心と、演じる役者の心と、見る者の心が触れ合って、ハーモニーとなってずっと響いている。
そういう次元に、このドラマは到達していると思えます。だから面白くないわけがない。
私としては面白い部分もあればそうでない部分もあるし、殆どの大河、ひいては映像作品とは、観る人によって評価が別れると思います。武者さんがこう書くのは、三谷さんの作品だからと言うのも多分にあるでしょうね。
14.でも、そもそも戌の神様って?
今週でてきた十二神将像を調べていたら、困惑したので書きますね。
十二支とは?
中国の戦国時代以来のもの。
十二神将とは?
仏教由来で、干支と組み合わせた。
ちなみに中国と日本では異なります。
つまり、インド生まれの仏教と、中国生まれの十二支と、組み合わせたもの。それを日本人が独自解釈して敬っている。
十二神将は中国大陸伝来で、かの地では十二支と結び付けて信仰されており、日本でもそれにちなんで、十二支を採り入れた姿で表現されています。この十二神は、元々はインドの神話に登場する魔物で、中国大陸に仏教が入った際に十二支と結びついたという説もあります。いわでもですが薬師如来の守護神です。
で、その後
「もうこれだけ神がいるなら、義時もなんとかなりますって!」
前回の分では、酷い最期を期待と書かれていたのですが…。
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