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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  日本史

『風花帖』-19

驚く方円斎に新六はこう言った。
「それがしも旧犬甘派に身を置いているのであれば、小笠原出雲につながる渋田見主膳を斬ったところで不思議ではござるまい」

方円斎は、6月に出雲を斬ろうとした時には巧みに逃げた印南殿が、なぜ考えを改められたのか、実は主膳を助けようという魂胆かもしれぬなと疑わし気に言うが、新六は、それがしにはお守りせねばならぬひとがおり、そのひとの願いによってかくは参ったと答える。

方円斎は一声、笑止とかけて間合いを詰め、居合を放った。新六は後方へ跳び下がって刃を避け、片手で方円斎を制して言った。待たれよ、それがしはまことのことを申しておるだけ、早水(順太)殿と菅様だけではしくじるやも知れませんぞ、それがしが参れば万に一つも主膳を逃したりいたさぬ、直(方円斎)殿ならおわかりのはずと。

方円斎は刀を鞘に納め、ならば行くがよい、菅殿らは馬場の北の端にて主膳を待ち伏せいたしておると言い、新六はならば参ると走り出した。そして方円斎のそばを駆け抜けようとした時、方円斎は腰を静め、新六に斬りつけた。

新六は宙に飛んで白刃をかわした。方円斎はさらに間合いを詰めて斬りつけてくるが、新六は揺れるように動き、方円斎が冗談から振り下ろした刀の峰に飛び乗った。
「おのれ、足鐔(そくたん)か」

方円斎は叫び、大胆にも刀を捨てて、空中で回転して跳ぶ新六に向かって、脇差で斬りつけた。地面に降り立った新六は刀に手を添え、鍔で方円斎の脇橋を受け止めた。次の瞬間、2人はそれぞれ後ろへ跳び下がり、方円斎は笑って言った。
「勝負なしじゃな」

新六は頭を下げ、方円斎に背を向けてまたも走り出した。その頃源太郎は提灯の灯が近づくのを待ち受け、刀の柄に手をかけて、今にも立ち上がろうとした時、背後に誰かの足音を聞いた。振り向いた源太郎に、菅様かと声をかける頭巾姿の男がいた。その声は新六の声だった。なぜ来られたと驚く源太郎のそばに、新六は身を寄せた。

「奥方様に頼まれたのでござる。刺客など菅様のなさることではない。それがしが代わりましょう」
さようなことはできぬと低い声音で断る源太郎。それと同時に順太が飛び出して
「来たぞ」と言うなり駆け出した。

源太郎は後を追いかけようとしたが、新六はご免と言って源太郎の腕をつかみ、腰を入れて投げ飛ばした。地面に叩きつけられて、うめき声をあげる源太郎に、新六はすぐに立ち去られよと言い、順太を追って走って行った。そして新六は順太に追いつき、たちまちのうちに抜き去ると順太の手槍を奪って行く。

そして新六は、提灯を持った供を連れた主膳に駆け寄った。主膳は新六に気づき、
「何者だ」
と怒鳴るが、その時新六は宙に舞っていた。

新六は主膳の頭上を飛び越える時、順太から奪った手槍を投げつけた。そしてそのまま地面に降り立つと、振り向かずに走り去って行った。
主膳の供の者は、主に駆け寄った。主膳の肩先から首筋にかけて手槍が刺さっており、体が揺れてそのままあおむけに倒れた。

この供の者が主膳を屋敷まで運び、その時はまだ息があったが、4日後に主膳は絶命した。この主膳暗殺に対し、藩主忠固はすぐには怒りを表さず、出雲派の重職たちを遠ざけ、小笠原蔵人、伊藤六郎兵衛、小西四郎左衛門や二木勘右衛門らを重用する姿勢を見せた。


刺客として馬場に赴いた新六ですが、いきなり方円斎の挑戦を受けることになります。出雲の刺客とならなかったことが、旧犬甘派の不信を招いているようです。しかしそこは夢想願流の使い手の新六、方円斎の襲撃をものともせず、源太郎が身を潜めている方向へと走り出します。

当然ですが、源太郎は新六の出現に驚きます。奥方様、つまり吉乃に頼まれたのでござると言う新六は、自分が代わりを買って出ます。そのようなことはできないと答える源太郎ですが、ここで新六は少々荒っぽい手を使います。つまり源太郎を投げ飛ばし、即座に動けないようにした後、今度は順太に追いついて、手槍を奪うと主膳に近づきます。しかも相手に有無を言わさず宙を舞い、手槍を相手に投げつけます。

実に素早く、的確に仕事をやってのける新六。しかも彼の得意技である夢想願流、相手の刀の峰に飛び乗る技を披露したのは、やはり武術の腕にすぐれた方円斎に対してのみであり、主膳に対しては、相手に刀を抜く隙すら与えませんでした。主膳は4日後に亡くなり、藩主忠固は表向き平静にことを進めて出雲派を遠ざけますが、しかしこれだけでことが収まるようには思えません。

飲み物-アイスコーヒーとストロー
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[ 2023/09/30 23:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-18

新六が闇の中を黒い影となって走り出した頃、馬場ではやはり頭巾をかぶった源太郎と順太が、松の幹に身を潜めていた、順太は手槍を持っていた。そして方円斎は、2人の邪魔にならないよう少し離れた場所から見張っていた。既に月が昇っていた。主膳が下城してくるのも間もなくと思われた。

源太郎は主膳を襲うことを心に決めていた。何度か話をするうちに、主膳はどこか冷淡であることがわかり、源太郎との関係は、政に利用するためのものと思われた。ゆえに藩の改革のために斬るしかないと考えたものの、斬ることですべてが終わるのかと不安に感じてもいた。

ひとたび人を殺めれば、その争いは際限なく長引き、新たな血が流れることになるのではないか。与市は君側の奸を除けば、藩政を改めることができると考えている。しかし家老の小笠原出雲は、藩主忠固の意を受けており、出雲を藩政から追放することは、忠固をもないがしろにすることになり、そうなれば改革の行く末は困難なものとなる。

とどのつまり、主君との争いになることを思えば、源太郎の心は重かった。屋敷で自分を待つ吉乃の顔が脳裏に浮かんだ。何ら不自由もないのに、藩政を思うあまり、修羅の道に足を踏み入れてしまったのである。

しかしここまで来てしまった以上、最早引き返すわけにも行かなかった。源太郎は吉乃の面影を消そうとした。主膳を斬れば、最早屋敷に戻ることもないかも知れない。源太郎は我が心を鎮めようとしたが、その時大手門の方角で小さな灯が動くのが見えた。

順太がささやくように、主膳の供が持つ提灯かも知れないと言う。そうだなと答える源太郎は、声が落ち着いていることに安心した。最早迷ってはいない、後は主膳が近づくのを待って斬るだけである。源太郎は胸の内でつぶやく。
「渋田見様、どうやらわれらが出会ったのは悪縁だったようでござる」

すると闇の中から
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
と低いつぶやきが聞こえてきた。

順太が、これから斬る主膳のために、阿弥陀仏に帰依し奉ると唱えているように聞こえた。源太郎もいつの間にか、小声で南無阿弥陀仏と唱えていた。今から自分が振るうのは破邪顕正の剣であると、自らに何度も言い聞かせた。

一方新六は闇の中を走り、やがて松並木が続く馬場が見えて来た。馬場に入ろうとした新六は足を止めた。月が出ており、松の影が伸びていたが、その影に隠れるような形で人が立っていた。その影が動き、月明かりの下に出て来た、頭巾をかぶっているものの、腰の構えそして体つきで、方円斎であることが新六にはわかった。

また方円斎も、新六であると見破っていた。いずこへ行かれると声をかけた方円斎に新六はこう尋ねた。
「直殿がここにおられるからには、渋田見様を襲うのは、やはり馬場ということですな」

方円斎は含み笑いをし、そうだとしたらどうするつもりだと問う。新六は、刺客の中に菅様がおられようと尋ねるも、方円斎は言えぬと素っ気なかった。しかし新六はこう言った。
「その返事だけで十分でござる。それがしが参ったのは菅様を連れ戻すためにございますゆえ」

それを聞いた方円斎は、我らの企てを邪魔するつもりかと言い、わずかに腰を落として身構える。しかし新六は頭を振り、こう答える。
「さにあらず。菅様は刺客にふさわしくないゆえ、お戻りいただき、それがしが代わって主膳を斬り申す」


夜のとばりが下りる中、新六は馬場へと急ぎます。源太郎の代わりに主膳を殺めるためでした。そしてその馬場では案の定、源太郎と順太、そして方円斎が主膳の下城を待って、松の陰に身を潜めていました。

源太郎は、主膳を討つことを決意していました。何度か会ううちに、この人物は自分を利用していることに気づいたためですが、ただし与市が言うように、斬ることのみですべてが解決するとは思えず、それが新たな流血を呼び起こしかねないとも考えていました。まして出雲を追放することは、藩主忠固との対立をも意味していました。何ら生活に不自由することもなく、家庭もありながら、藩政に深入りしたことが思わぬ方向へと進んでいたのです。

これは正義のためであると源太郎は自分に言い聞かせ、順太に合わせるように念仏を唱えます。するとそこに彼らと同じく、頭巾をかぶった者が現れます。方円斎はその者が新六であると見破りますが、新六は刺客の中に源太郎がいるのではないかと尋ねます。言えぬと方円斎は答えますが、その返事だけで新六はすべてを察し、自分が源太郎に代わって主膳を斬ると言い出します。自分に取って大事な女性である吉乃の願いのためでした。


飲み物-ティーカップと紅茶
[ 2023/09/28 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-17

吉乃の顔が明るくなった。夫には止められていたが、新六殿をお頼みしてよかったと言う吉乃だが、夫に止められていたという言葉に新六は悲しい思いをした。その新六はこう尋ねた。
「吉乃様、それがしが昔、生涯かけて吉乃様をお守りいたすと申したのを覚えておられますか」

突然このように言われ、吉乃は戸惑いつつもうなずく。源太郎と結婚する前、素戔嗚神社で伊勢勘十郎に乱暴されそうになった時、新六は「ご安心ください。わたしが吉乃様をお守りいたしますから」と言った後声を低めて、
「このことは生涯かけて変わりませんぞ」と付け加えたのである。

後になって、この頃親戚の間では、自分と新六との縁談が進んでいたのを吉乃は知った。新六が吉乃を助けた時のあの言葉は、やがて妻となる女性に向けられたものだったのである。しかし新六はその後江戸に追いやられた。

吉乃が恐れをその後も抱き続けることがないように、御前試合で勘十郎を叩き伏せ、ケガをさせたのが原因だった。そしてその後吉乃も源太郎と結婚し、2人の歩む道は別々の物となったが、新六は今なお吉乃への思いを失わずにいるように見えた。

それに気づいた吉乃は、源太郎を助けるように新六に依頼したのは酷いことなのではないかと思った。しかし今夜、源太郎を救えるのは新六しかいなかった。
「新六殿、わたくしは申し訳なきことをお頼みしているのかも知れません」

吉乃はうなだれた。新六はあわてて、こう言葉を継いだ。
「何を言われまするか。それがしは吉乃殿のお役に立てるのが嬉しいのでござる。よくぞそれがしを頼ってくださいました」

吉乃は言った。新六殿にご迷惑をおかけしては申し訳ない、夫が無事戻れば、自分にできることならどんなことでもさせていただくと。思いつめた表情で言う吉乃を新六は悲し気な目で見つめ、吉乃様からは既に十分なることをしていただいておりますと言った。吉乃は問い返した。

「わたくしが新六殿のために何かして差し上げたことがございましたか」
新六はその年の春、桜の花びらが舞う中で、千代太と剣術の稽古をしたことを話す。

吉乃は意外だった。しかし新六はこう言った。申し訳なきことながら、あのおり、吉乃様を妻に迎えて成した男子に剣を教えているような気持ちになり、まことに温かく満ち足りた思いがしたのだと。それを聞いて吉乃は、新六から助けられてからのことを思い出していた。

もし自分がおびえなければ、新六は御前試合で勘十郎を打ちのめすようなこともなかっただろう。新六の人生を曲げてしまったのは、自分なのではないだろうか。しかも今また吉乃は、源太郎を助けてくれと無理な頼みをしていた。

そのことがまた、新六の運命を大きく変えてしまうかも知れない。後悔の念が吉乃の胸にあふれた。自分は何と言うことをしてしまったのだろうと嘆く吉乃だが、新六は笑顔で、それがしが引き受けたからには、ご安心なさって屋敷で菅様のお帰りをお待ちくださいと言う。

吉乃を見送った新六は袴の股立ちを取り、頭巾で顔を隠して草鞋をはいた。家僕には外出したことを誰にも洩らすなと言い含めてから、新六は裏口を出た、日が落ちて薄闇となったいた。新六は、主膳が下城の際に、大手門の近くの松並木で囲まれた馬場を横切るため、主膳が襲われるならその馬場だろうと見当をつけた。


新六は吉乃に、かつて彼女を勘十郎から助けた際に口にしたセリフを、再度耳にします。それは、やがて自分の妻となる女性に向けられるものでした。実際縁談が進んでいたわけですが、新六はその後、二度と吉乃を恐れさせないように、御前試合で勘十郎を打ちのめし、ケガを負わせます。これがもとで新六は江戸へやられ、吉乃は源太郎と結婚することになり、2人の人生はそれぞれ違ったものとなって行きます。

しかし新六は、吉乃のためになることであればそれでいいと割り切っているようです。そして吉乃の無理な頼み、刺客となろうとしている源太郎を、生きて吉乃のもとに戻すという役割を引き受けます。吉乃は新六に、源太郎が無事戻ればできることをしたいと言いますが、新六は既に十分なことをしていただいていると答えます。かつて桜の散る中で、千代太に稽古をつけていた時、新六は自分が吉乃を娶り、2人の間に生まれた息子に稽古をつけているような、そういう「疑似家族体験」的なものを感じ取っており、それだけで十分であったようです。

そして新六は一匹の殺人鬼、つまり源太郎に代わって主膳を暗殺する刺客へと変貌します。かつて、霧ヶ岳の烽火台に火を放った時のように、今回も「実行犯」としての役目を源太郎、ひいては吉乃のために引き受けることになります。


飲み物-ミルクを注がれるアイスコーヒー
[ 2023/09/26 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

食文化がらみであれこれと

はなはだ他愛ない話ではありますが、以前、カップ麺(特にうどんとそば)のつゆの色の東西の違いは、どの辺りが境界線なのだろうと調べたことがあります。その時は東海地方が境界線で、特に関ケ原周辺で変わるとありました。

そして最近、もう一度これについて調べたところ、やはり関ケ原周辺のようで、この意味でもかの地域は天下分け目の役割を果たしていたことになります。一般にはやはり東が鰹だしで濃口醤油、西が昆布だし中心で薄口醤油となっているようです。

ただ最近ではメーカーによってはもっと細分化され、東日本、関西、北海道に西日本と4種類の味の商品を出していたりもします。この場合東日本は関東と東北、そして東海地方で、西日本は中国・四国・九州に北陸が加わります。

一般に調味料というのは、その土地の食物や食習慣の影響も受けるようです。また気候によっても異なります。特に昔はその土地の物でないと手に入りにくいことも多かったわけですから、なおさらでしょう。

またフォロー中の福岡PRメディアアカウントの記事ですが、九州で甘口醤油がよく使われる理由はなぜなのかが、ここに書かれています。
(『目次』の「独自の魚食文化が生み出したのが甘いしょうゆだった!?」をクリックしてください)

漁港取扱高No1! 福岡で“おいしい魚”が食べられるのには、理由がある。
(フクリパ)

実際玄界灘だと青魚や白身魚、イカなどが多いなと思います。季節ものとしてアラ(クエ、九州場所の相撲部屋の宿舎に差し入れされることもある)とかフグが多いのも特徴でしょう。

ちなみに以前ちょっと書いた、福岡藩を舞台にした『十刻半睡事件帖』の「包丁ざむらい」という短編があります。当時は御禁制だったフグをさばいて食べて、毒にあたる武士の話が出て来ますね。幸い微量であったため回復するわけですが、物語の最後の方で、この武士は長崎御番、つまり長崎警備に行くことになり、その時に卓袱料理を覚えてくると、半睡に嬉しそうに話す場面が登場します。

長崎と言えば、少し前に長崎街道(シュガーロード)について書いたことがあります。菓子もまた食文化であり、これは先日投稿した、taketak39460607さんのnoteにある嘉祥の菓子などをはじめ、様々な逸話あるいは土地の伝承などに基づいたものも、また多いかと思われます。

ところでこの街道は、小倉から黒崎を経て長崎までを結ぶことになっています。この黒崎は筑前国福岡藩にあり、かなり繁栄した宿場町でした。尚10月に『ブラタモリ』で2回に分けて北九州を歩くようですが、豊前パートと筑前パートに分けての放送となるようですね。

『ブラタモリ』放送リスト
(NHK)

そしてそろそろ『風花帖』が、白黒騒動の核心とも言うべき藩士の締め出し、そして小倉藩からの出奔となって行きます。ものものしいいで立ちで脱藩した小倉藩士たちを見て、福岡藩の役人たちは驚き、城に使いを走らせて今後の指示を仰ぐ一方で、藩士たちは黒崎の本陣にとどめ置かれることになります。

飲み物―アイスコーヒー5
[ 2023/09/25 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-16

源太郎は訝し気な顔になり、こう言った。
「印南殿はそなたの親戚ではあるが、わたしとは何の縁(ゆかり)もない。それなのに、迷惑はかけられぬ」
迷惑とは思われぬと存じますと吉乃ははっきり言うが、源太郎は首を傾げる。

なぜそのように思うのかと尋ね、そして霧ヶ岳で烽火台に火を放った時もに自分をかばってくれたような気がしたが、そうしなければならない理由があるのかとも口にする。吉乃は口ごもったが、恐る恐る言った。
「新六殿はお優しい方だと存じます」
しかし源太郎は、新六に頼るわけには行かないと結論を出す。庭では虫が鳴いていた。

その10日後の夕刻、吉乃は新六の屋敷を訪ねた。この間にも方円斎や順太が訪れて何やら打ち合わせをしており、源太郎も夜中に起き出しては、庭で真剣を振るなどしていた。夫婦の間で親しく言葉を交わすこともなくなり、そしてこの日の朝、いつもより早く下城した源太郎は、今夜は遅くなると言って、出て行ったのである。

この夜何かが起こることは、吉乃にもはっきりわかった。このままでは取り返しがつかないことになると思った吉乃は、新六の屋敷を訪ねることにしたのである。屋敷の門は夕焼けに染まっていた。

年寄りの家僕に案内され、新六が玄関先に現れた。夫を助けていただきたいと切羽詰まって言う吉乃を、新六は屋敷に上げた。未だ妻帯していない新六の屋敷は、どこか寂しげだった。障子を開け放って、夕暮れの日差しを奥まで届かせながら、吉乃に話すように促した。吉乃は口を開いた。

「夫は今夜、どなたかを殺めに参ったのではないかと思います」
「それ上原殿らが関わりのある話でござろうか」
新六は出し抜けにこう尋ねた。事態が急であると見たのである。

吉乃は、夫の源太郎が渋田見主膳と近づきになったため、上原与市たちからあらぬ疑いをかけられたようだと話す。新六にもおおよその察しはついた。そのため源太郎は刺客の役目を求められたのである。源太郎が何度も主膳の屋敷を訪れており、これは与市たちも黙っていないのではないかと新六は思っていたが、案の定だった。

新六は吉乃を見つめてこう尋ねた。
「菅様は誰を狙うかをお話になりましたか」
「いえ、聞いておりませぬ」

そうだろうと思いつつ、新六は狙われているのは主膳だと見当をつけた。今の時点で、旧犬甘派が国許で暗殺を企てる相手は、主膳くらいしかおらず、しかも主膳は常に職務に励んでおり、下城はいつも深夜に及んでいた。源太郎たちはどこかに潜んで主膳を待ち受けるつもりだろう。

ならばもう少し時間があると考えた新六は、落ち着いて吉乃に、自分に何をしてほしいのか尋ねた。吉乃は戸惑いながら、懸命にこう答えた。
「夫に刺客などして欲しくありませぬ。生きて戻って来て貰いたいと思います」

しかし新六は、無理に源太郎を連れ戻すことはできても、それでは面目を失い、卑怯者の汚名を着ることになると吉乃に話す。このことばに吉乃はぞっとしたかのように、頭を激しく振って言った。さようなことになれば夫は生きておらぬと思う、武家の妻として覚悟ができていないと蔑まれるだろうが、私は夫に生きて欲しいと。

新六は感銘を受けたように、吉乃の話をうなずいて聞き、膝をぴしゃりと叩いて、自分が何としても、源太郎が生きて吉乃のもとに戻れるようにすると断言した。


新六を頼ろうと言う吉乃ですが、源太郎はそれに反対します。そしてそれから10日の間、渋田見主膳を斬ろうという企てとその打ち合わせが、菅家で行われていたようです。吉乃は夫とその仲間が、何かを企てていること、そして一旦戻りながらまた出て行ったこと、今夜は遅くなると言ったことに、ただならぬものを感じたのでしょう、新六の屋敷へ行ってことの次第を打ち明けます。

無論吉乃も、誰を殺めるのかまでは知る由もありませんでした。新六は旧犬甘派が敵視する人物で、今国許にいるのは主膳くらいであり、しかも職務にに励んで帰りが遅いことなろどから、源太郎が斬ろうとしている人物は主膳であると見抜きます。しかしこの企てを聞かされて、いささか過激であることから、与市が絡む話であると考えたのは、流石であると言えそうです。

ただし無理やり源太郎を連れ戻すと、武士としての面目が立たなくなってしまいます。武士とはなかなか厳しいもので、これは、武士の妻もまたしかりだったようです。しかし夫には生きて戻ってほしいと言われた新六は、ある策を思いついたようですが、それは一体何なのでしょうか。


飲み物-グラスのアイスカフェオレ
[ 2023/09/22 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

「福岡藩初代藩主 黒田長政」その3

まず、ラグビーワールドカップ関連は次の投稿になります。あと、『どうする家康』のキャストの扮装写真も少しずつ発表されているので、こちらもじきご紹介したいと思います。

ところで先日の、福岡城・鴻臚館公式サイトの記事「福岡藩初代藩主 黒田長政」に関して。
今年の旧暦9月15日が10月21日となっていること、また長政公上洛は、徳川秀忠の将軍宣下絡みとあるが、家光だろうといったことを、一応指摘していました。
その後当該記事を見たところ、この2つが訂正されており、間違いがあったことのお詫びがありました。またタイトルが
「福岡藩初代藩主 黒田長政(2)」
に変更されています。これはどうやら、少し前に同じタイトルの記事があったからのようで、そちらは(1)となっています。ではその(1)の記事を、今回はご紹介しておきます。リンクがちょっとうまくつながらないようなので、取りあえず短縮したのを置いています。


今年の3月、「福岡城さくらまつり」の頃にアップされています。長政公の経歴と、福岡城が建てられたいきさつについて書かれていますが、ここで天守閣についての記述があります。記事からそのまま抜粋します。

長政といえばこの逸話は外せません。これまで福岡城には天守閣はなかったと考えられてきました。というのも正保3年(1646)に描かれた福岡城の絵図『福博惣絵図』には天守閣はなかったことなどから、官兵衛・長政親子は幕府に遠慮して建てなかったというのが定説でした。ところが近年、元和3年(1620)に小倉藩主の細川忠興が三男・忠利に宛てた手紙に、「長政が幕府に配慮し、天守などを取り壊すと語った」という記述が発見されて、存在説が浮上。実際に造ったものの、十数年で取り壊したのでは?と議論を呼んでいます。みなさんはあったのか、なかったのか、どちらだと思いますか?!

福岡城天守閣イメージ画像2

これは記事からお借りしたイメージ画像ですが、天守閣があったとすればこのような構造だとされています。
なかなか立派ですね。

個人的には、天守閣あるいはそれに類する建物は、あったのではないかと思っています。

大天守台のほかに中・小それぞれの天守台があり、周辺の発掘調査で、天守台に何らかの建物があったことは有力視されています。問題はそれが天守であったかどうかということでしょう。また私としては、天守閣を再建(あるいは新設)してもいいのではないかと考えています。

もちろん今の時代に天守閣を作るとすれば、内部は博物館やホールなどの多目的施設となるのでしょうが、敢えて往時のお城らしさを残すという方法もあるかも知れません。

ところで天守閣と言えば、この福岡藩と並んで採り上げているお隣の小倉藩。ここは昭和30年代に天守閣が再建されましたが、その時も紆余曲折あったと言われています。これについては、またそのうちに。


飲み物-アイスコーヒーとストロー
[ 2023/09/20 03:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-15

主膳はおのれが生き延びることを考えねばならぬ、ひとのことは構っておられぬとためらいなく話し、勘十郎にもう一服進ぜようと言い出した。主膳の手前を見つめつつ勘十郎は愉快そうにこう言った。
「菅源太郎め、間もなく首を失うやもしれませんな」

そして勘十郎は、源太郎の妻となっている吉乃に乱暴しかけて、印南新六に御前試合で打ち据えられ、ひどいケガをしたことを思い出した。源太郎がひどい目に遭えば、吉乃が嘆くことになる。それが新六への仕返しになると勘十郎は心の内でつぶやいていた。

その夜。源太郎は書斎でロウソクをともし、書見台に向かっていたが、読書は表向きで、渋田見主膳を暗殺すればどうなるかをひたすら考えていた。もし暗殺したなら、出雲派との争いに勝たない限り、切腹か斬首となりかねない。武士として常に死は覚悟しているが、藩主の命に逆らっての死は不忠となり、それを恐れるあまり、源太郎は悩み続けていた。

そこへ茶を持って吉乃が現れるが、夫の様子が気になるようだった。与市たちが訪れた斎、あまりにもただならぬ様子であったと吉乃は伏し目がちに言う。源太郎はため息をつき、事実を話すことにする。

「これは御家の大事に関わることゆえ、妻であるそなたに洩らすのも如何かとは思うが、私の身に万一のことがあるやもしれぬから、話しておこうと思う」

吉乃もひとには洩らさないと約束し、夫に真摯なまなざしを向けた。源太郎は唇を噛み、顔を引き締めたうえで話し始めた。今自分が旧犬甘派の同志の疑いを受けていること、主膳の屋敷に行って藩政についての話をしただけで、やましくはないこと、しかし与市たちは自分を信じておらず、証を立てるように言ったこと。それを話す源次郎の顔は翳っていた。

吉乃は痛ましいものを感じていた。旦那様は決して、私利私欲で動かれる方でないことは、皆さまもよくご存知と夫に言い、源太郎も2度深くうなずいて言った。自分も信じて貰えると思ったがそうではない。不徳の致すところかも知れないが、証を立てるためにさる人物を斬れと言われたことも話した。

その言葉に吉乃は目を見張った。どなたでございますかと訊く吉乃に、それは言えぬ、言えば同志を裏切ることになると源次郎は答える。吉乃は出過ぎたことかと思いつつも言う。
「仮にも同じ家中の方を殺めるなどあってよいこととは思えませぬ」

源次郎は腕を組み、ぽつりぽつりと話した。
「わしもさようには思うのだが、いつの間にか、どうも抜けられぬ罠に落ちたような気がする」
吉乃は思いを巡らせていたが、ふと口を開く。

「かような時、新六殿ならいかがされましょうか」
源太郎は印南新六とは意外な気がしたが、6月に出雲が帰国した斎、暗殺計画があったことを思い出した。あの時、方円斎は新六を刺客とするつもりだったようだ。

しかし新六は機先を制して、その役目を辞退した。刺客の役目を言い出される前に印南殿は身をかわされたが、あれもまた剣の奥義なのかもしれぬなと源太郎。吉乃は、では新六殿ならこのような場合、どう切り抜けたらよいかおわかりなのではないかと、勢い込んで言う。

吉乃の顔を見つめた源太郎は、しばらくして顔を横に振る。新六を頼ろうとするこの考えに源太郎は同意せず、既に身をかわしている以上、新六が源太郎のことに関わるのはよくないと源太郎は話す。その夫に吉乃は、必ず力になってくれると力を込めて言った。


渋田見主膳と会っていたことで、旧犬甘派の面々は源太郎を信じなくなり、証を立てるべく主膳を斬るようにと言い出します。無論主膳に取っては計画通りであり、勘十郎にしてみれば、源太郎がひどい目に遭って吉乃が悲しむことで、自分にケガをさせた新六に復讐するつもりでした。

一方で旧犬甘派。元々は出雲を家老の座から引きずり下ろすためのものでしたが、いつの間にやら自分たちに対抗する相手を、いわば粛清するようになっており、本来の目的とはかなりの隔たりができているようです。しかも与市のいくらか過激とも言える発想が、この旧犬甘派を動かしており、組織としては柔軟性を欠いたものとなっていました。源太郎は吉乃に、実名は伏せつつも、主膳暗殺計画のことを打ち明けます。

同じ家中の方を殺めるのはよくないと言い、新六ならどのように立ち回るかと吉乃は口にします。実際新六は出雲暗殺の刺客にされそうになった時、うまく身をかわしていました。吉乃は新六なら力になってくれると言いたげですが、源太郎はそれをよしとしません。かつて新六が刺客となることを拒否している以上、この対立に巻き込みたくないという思いがあるようです。

飲み物-コーヒーフロート
[ 2023/09/18 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-14

与市は、源太郎が渋田見主膳の屋敷に行っているのを、小笠原出雲の派閥の者たちが言い触らしていることに触れる。さらにそれはなぜか、将来は藩の重役と目されている源太郎が旧犬甘派と袂を分かてば、藩の中で動揺する者もいるからであるとだと述べる。源太郎はそれを否定しようとするが、ないと仰せなら証立てていただきたいと順太に言われる。

源太郎は言う。
「どうせよと言われるのだ」
方円斎がふわりとした言い方で造作もないこと、疑いの元となっている主膳を斬ればよろしいと口を挟む。

以前出雲を斬ろうとした時は、警固が厳重で手を出せなかったが、主膳であれば警固は手薄のはずで、斬るのはさして難しくないと言われ、源太郎は如何なる大義名分があるのかと尋ねる。与市は笑い、出雲の手先であるだけで十分な理由であると言い、方円斎と順太もうなずく。

源太郎は目を閉じ、渋田見様を斬って身の潔白の証を立てろと言われるかと尋ね、方円斎はこれに対してぴしりとこう答える。
「さよう、武士なれば逃げられぬところと存ずる」
源次郎は苦し気な表情で考え込む。

この日伊勢勘十郎は、出雲からの手紙を見せるため、主膳の屋敷を訪れていた。主膳は勘十郎に茶室で茶を振舞い、勘十郎が茶を嗜んでいる間に手紙に目を通した。その後自分のために点てた茶を飲みほした主膳はこうつぶやく。
「出雲様はよほどのお覚悟のような」

勘十郎は出雲が藩主忠固と申し合わせているらしいこと、逆らう者を根こそぎにするらしいことを伝える。しかし逆らう者となれば、家臣の半分にも及ぶのではないかと思えた。勘十郎は言う。
「それほどにいたさねば、殿の溜間詰昇格のことはかなわぬと思われたのでありましょう」

主膳は皮肉な笑みを洩らし、殿はさほどに老中になりたいと思われてかと尋ねる。最近異国船が出没するようになり、今こそ幕閣にあって働きたいという理由のようだが、そのために金をいくら使っても惜しくないというのは、家臣や領民に取って困りものと、主膳は主君忠固を謗るかのように言う。

勘十郎は主膳を諫めようとするが、主膳は声を出さずに笑い、自分は忠義の臣、仮にも殿のなされることを謗りはしないが、百姓どもが搾り取られるだろうと冗談めかして言う。その主膳に、勘十郎は思い出したようにこう言う。

「そう言えば、渋田見様が彼の菅源太郎に仕掛けられた罠は功を奏したようでございますな」
そして勘十郎は旧犬甘派の者たちが、源太郎が寝返ったと疑って、騒ぎになっていることも伝える。
主膳は言う。
「あの男は学問もでき、頭もよいが、上士の家に生まれただけに、いささか甘いところがある」

甘うございますかと問う勘十郎に主膳は、親しくもなかった相手が近づいてくれば、眉に唾して言うことを聞くべきところを、まっとうに耳を傾けると答える。

しかし勘十郎は、何やら源太郎を買っているようにも聞こえる主膳の言葉に首を傾げる。源太郎は物の役には立つが、家中の争いがこれだけ根深くなれば、生き延びるのは難しいと言う主膳は、勘十郎の、菅を救ってやろうとはお思いになりませぬかという問いにこう返す。

「さような甘いことはせぬ。これからは一歩足を踏み外した者が首を失うという厳しき事態になろう。まずはおのれが生き延びることを考えねばならぬ。ひとのことを構ってはおられまい」


源太郎は旧犬甘派の上原与市から、自分が渋田見主膳と会っていることを、出雲派の者が言い触らしているため、藩の中で動揺している者がいることを知らされます。源太郎は将来藩の重役とも言われており、そのような人物が主膳と会い、旧犬甘派と袂を分かつことは、藩内に波紋を広げると言っていいものでした。源太郎も元々は、藩政改革を目指しての主膳との付き合いではあったわけですが、方円斎は、ならば騒ぎの元である主膳を斬ればいいとまで言い、源太郎は考え込みます。

一方主膳ですが、やはり源太郎に近づいたのは罠であったようです。そして源太郎も、これに関してはやはり読みが甘いと言わざるを得ず、恐らく玄関先で主膳が、してもいない約束を、あたかもしたかのように言い放った時に初めて、しまったと思ったのでしょう。そしてその一方で、出雲はついに強硬手段に出るようです。それは反対派を根こそぎ始末するというものでしたが、いささかやり過ぎであるようにも思えます。

結果的にこの出雲の有無を言わさぬやり方が、大勢の藩士が黒崎へと出奔して立てこもってしまう、その直接的な動機となるのでしょう。ところで最近主人公の新六は影を潜めています。その代わり、新六に取って大事な女性でもある吉乃、その夫の源太郎の立場が危うくなって行き、この2人のために新六が駆り出されることになりそうです。


飲み物ーアイスカフェオレ2
[ 2023/09/16 00:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

「福岡藩初代藩主 黒田長政」その2

「福岡藩初代藩主 黒田長政」続きです。
https://fukuokajyo.com/post
/%e7%a6%8f%e5%b2%a1%e8%97%a9%e5%
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福岡藩主となった後長政公は、大坂夏の陣に出陣します。この頃既に48歳でした。しかもかつての豊臣恩顧の大名たちの中には、改易や転封となる者もいたため、なかなか安心はできなかったことでしょう。
(尚この時、家臣でもあった後藤又兵衛が出奔しています)

尚このパラグラフの後で、福岡城の現在の天守台の画像があります。天守閣不在は徳川に遠慮してのことかとあり、実際そうであったとも言われています。現在福岡城は徐々にかつての姿に復元されつつありますが、天守閣の史料については調査中とされています。

さて元和9(1623)年、徳川三代将軍家光(記事中には秀忠とありますが、家光です)の将軍宣下に伴い、京に滞在していた長政公ですが、この年の8月に病で亡くなります。享年56でした。死の2日前に家臣に遺言を残し、これに関しては

関ケ原の戦いの時の黒田家の功績を詳細に伝え、この功績をもって厚情を賜れるよう対処すること
またこの内容を自分の子(2代目忠之など)には伝えず、家臣の嫡子のみに密かに伝えること

として、藩に何か起こった際の対処策としていたことが窺えます。

父官兵衛が羽柴秀吉に取り立てられ、また常にその父の背中を見ていた人物でもあり、さらに自らも若い時から戦に加わる日々を送っていたこともあって、この家を存続させることの使命感を感じ取っていたのは、想像に難くありません。その後黒田家は明治維新まで筑前の地を統治し続けます。

辞世の歌は「この程は うき世の旅にまよいきて いまこそ帰れ安楽のそら」です。これを見るに、プレッシャーはかなり大きかったのではないかと察せられます。

ところでこの記事によると、来月10月21日は関ケ原合戦の日とあるのですが、今年の旧暦9月15日は10月29日の日曜日であり、だからこそこの日の『どうする家康』は関ケ原放送日ではないかと思ったのですが…もう一度調べ直してみます。

そして「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」と「金襴軍袍(亀甲地文牡丹唐草金襴)」が紹介されています。兜は重文ということもあり、その形のユニークさからご存知の方も多いでしょうが、金襴軍袍については意外と知られていないと思われます。南蛮風を意識したデザインのもので、こちらに画像のリンクを置いておきます。

(福岡市美術館)

「戦で使用していた兜と陣羽織を見ると…案外に目立ちたがりの側面もあったのかな?と感じます」
とあります。と言うか、その当時はどの大名や武将も、こういう側面があったのかも知れません。
ただ、秀吉のペルシャ絨毯陣羽織にはかないませんが。

尚「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」は、9月15日から福岡市博物館で開催される
「特別展 黒田長政没後400年 黒田侯爵家の名品 知られざる黒田家「家宝」の近代史」
にて展示されています。

(この項終わり)

飲み物-コニャック
[ 2023/09/15 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

「福岡藩初代藩主 黒田長政」その1

先日投稿分、筥崎宮放生会の方で関連リンクを貼っています。それと一部の箇所を訂正しています。

あと小倉の八坂神社関連投稿で、鷹と蜂というのに何か既視感があると思っていたら、ずばり
「ホークス」と「アビスパ」
でした。尤も北九州市のJリーグクラブは、アビスパではなくギラヴァンツです。

では、ホークスとアビスパの地の殿様について。
実は『福岡城・鴻臚館』サイトの記事が更新されており、しかもタイトルが「福岡藩初代藩主 黒田長政」だったため、当初の予定であった大河関連を変更し、この記事を紹介する形で書いてみることにします。
ただし多少大河『軍師官兵衛』とリンクさせており、また()内の記述で一部を補足しています。

福岡藩初代藩主 黒田長政
(福岡城・鴻臚館公式サイト)

まず筆者の方が、先日福岡市博物館での企画展「没後400年 黒田長政」に行ったと書かれています。これは私も足を運んでおり、少し前にそのことに関して投稿しています。

そして子供時代。所謂「松寿丸」の時代ですが、10歳の時に織田家の人質となります。一説では父官兵衛が仕えていた、小寺家の子(後の小寺氏職、『軍師官兵衛』では斎)の身代わりであったと言われ、当時滋賀長浜城主であった羽柴秀吉の預かりとなり、ここでは市松と虎之助、つまり後の福島正則と加藤清正も一緒でした。

しかし信長に謀反を企てた荒木村重の説得に向かった父官兵衛は、そのまま村重の居城であり有岡城に幽閉され、官兵衛も反逆者とみなされて、松寿丸は危なくなります。

そんな折、秀吉の家臣(軍師)であった竹中半兵衛に匿われ、松寿丸は生きながらえます。この時半兵衛は信長に虚偽の報告をしていました。
(つまり身代わりがいたと考えられ、また半兵衛も余命が長くないことから、自分がこの役を買って出たと思われます。ともあれその後官兵衛も無事助け出され、松寿丸は家族の許へと戻ることになります)

松寿丸は14歳で元服して名を長政と改め、15歳で初陣(毛利攻め)。16歳の時に賤ケ岳の戦い、小牧・長久手の戦いに参戦し、19歳で九州平定に向かいます。その後21歳までは豊前平定、22歳で家督を継ぐことになります。

さらにその後、唐入りのため朝鮮に出兵します。25歳から31歳にかけての時期です。さらに33歳で関ケ原の戦いで徳川方に付き、この時は
「そこでの知略が功を奏し、短期間(時間?)で東軍を勝利に導くことになりました」
とありますが、この関ケ原に於ける功績に関しては、ご本人の遺言にありますね。

そして関ケ原で勝利を収めた後、徳川家康から筑前国を拝領することになります。その後福岡藩主として新田開発や産業の奨励、神社仏閣の建立・修復など福岡の発展に、積極的に働きかけています。

ところでこの筑前を拝領した件ですが、当初は四国から2国か、あるいは筑前1国かと言われていたようで、長政公が、中国に近い筑前の方を選んだとされています。
尚この箇所のすぐ後で、画像つきで愛用の槍「一国長吉」が紹介されています。

また産業の症例や神社仏閣の建立、修復などですが、実際博多人形や博多織、高取焼などの産業奨励も、筥崎八幡宮の一の鳥居建立、黒田家菩提寺である崇福寺の移転なども、初代藩主長政公の時代に行われています。ちなみに崇福寺は、先日ご紹介した利休の釜掛け松がある九州大学医学部及び病院の、すぐ近くです。

(この項続く)

飲み物-グラスビールと泡
[ 2023/09/14 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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