『武将ジャパン』関連、先日の続きです。
長いのと、例によって中国が云々とあるため(日本と事情が違うにもかかわらず)、一部割愛しています。
興味のある方はこちらのURLからご覧ください。
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/02/07/166253/4
もう俺らは西の連中の顔色を窺うなんてウンザリだぜ! そういう逆賊になる運命が彼を怒涛の中へ誘うのでしょう。
そしてそれこそ実際の義時に近いのかもしれない。
というのも義時は【承久の乱】に際して心労の極みにあり、かつこれは「華夷闘乱」だと認識していたのです。
華夷闘乱って何?
(中略)
日本は遣隋使、遣唐使以来、隋や唐のフォロワーとして国家運営をしていました。西の王朝はそうなっています。ミニ中華の様相を呈していた。
(中略)
『源氏物語』あたりを読んでもそう。都周辺を離れたら野蛮人だらけで恥ずかしい。そんな認識があったのです。
そんな日本流華夷秩序を破壊しかねないと、義時はわかっていたからこそ悩んだ。
その宿命を植え付けて去っていったのが、兄の宗時であったのです。
これは京都が権力の中心であった以上、そうならざるを得ないかと思います。
都から離れた地は、特にかつては辺境とみなされていました。その辺境の一つであった奥州に、一大拠点を打ち立てたのはが奥州藤原氏であるのですが、その点については何も触れられていません、鎌倉幕府ができる以前に於いては、かなり大規模の地方政権といっていい存在なのですが。
それと日本はそもそも、隋の統一後は中国大陸の王朝の冊封体制には入っていません。また朝貢もこの当時は既にありませんでした。ゆえに
「日本は遣隋使、遣唐使以来、隋や唐のフォロワーとして国家運営をしていました。西の王朝はそうなっています。ミニ中華の様相を呈していた」
というのはいささか乱暴でしょう。
また武者さんの好きな『麒麟がくる』にも登場する足利幕府、この幕府は明に朝貢外交を行っています。ただしこれは日本にメリットがあるものでした。
それから
そしてこれは宗時以前にもある。
『将門記』です。
「今の世の人、必ず撃ち勝てるをもって君と為す。
たとい我が朝には非ずとも、みな人の国に在り。
去る延長年中の大契赧王(=契丹王)のごときは、正月一日をもって渤海国を討ち取り、東丹国と改めて領掌す。
いずくんぞ力をもって虜領せざらんや」
将門の認識として、中国大陸にいた契丹王のことをあげています。
この契丹王は耶律阿保機のことですね。渤海を滅ぼし、その王位を奪ったわけですが、この渤海は日本に朝貢していたことがあります。無論『吾妻鏡』がそうであるように、これも『将門記』の著者の創作という可能性もあります。
しかしここで思うのですが、宗時は王位(皇位)を奪うことを考えていたのでしょうか。
そもそも新皇を名乗った将門と、宗時を同一に捉えるべきなのか。宗時が『将門記』を例に挙げたのならまだしも、これも無理があるのではないでしょうか。
そしてこの部分、
その大きな言葉に導かれ、義時は正々堂々逆賊ルートを邁進するのではないか?
そう思うと大河の可能性をまた見出せた気がします。
(中略)
本心では(小島氏は)義時に正々堂々、正面切って逆賊ルートを走って欲しいのではありません?
そんなことを妄想してしまう記事でした。
ということですが。
そもそも宗時の北条をトップにする構想というのは、平家支配に対抗すべく、東国の武者たちが仕切る政権がほしいといったものだと思われます。ルサンチマン的で、権力への対抗を鼓舞しがちな武者さんらしい解釈ですが。
そして総評。
大河ドラマって結局なんなんですかね。
(中略)
しつこく言い続けますが、一作目の『花の生涯』は井伊直弼が主役でした。
この主役の時点で挑戦的です。
というのも、井伊直弼はずっと悪人として評価されてきた。司馬遼太郎ですら、テロリズムは否定しつつ【桜田門外の変】は歴史を変えたからとプラス評価をしているほど。
(中略)
なぜそうなるか?というと、要するに明治維新正統化の理屈です。
そうした理屈が敗戦まで叩き込まれていたからこそ、戦後、それでいいのかと歴史観に揺さぶりをかける意味でも、井伊直弼は主役にふさわしかった。
まず「正統化」ではなく「正当化」ですね。
なぜ『花の生涯』だったのかはわかりませんが、そもそも井伊直弼は悪人として見られていたのでしょか。武者さんは嫌いだと思われますが、かの吉田松陰はこの人物を評価しています。実際彦根藩の人々に取ってはいい殿様だったようです。また徳川慶喜も、才能は乏しいが決断力があると言っていますし。司馬氏は『胡蝶の夢』の中で、松本良順の蘭学塾と病院設立に直弼が理解を示したと書いてもいるのですが。
それに「歴史観にゆさぶりをかける」にしては、所謂志士を主人公にしたのも多く作られていますね。
しかし、そんな流れも変わっていきます。
結局はコンテンツとして売れるかどうか。
社会情勢に沿わせるような題材も取り上げられ、近年ですと、明治維新150周年、オリンピック、新札にあわせた大河がまさにそうでした。
歴史学より、広告代理店の戦術を使ったような大河もあったわけです。
それが今年は違う。
大河の原点回帰、歴史観のゆさぶりをかけるところまで戻ってきたのだと思えました。
宗時のセリフも、それに従う義時も、ある意味すごいことをしています。日本人はこういうものだという常識を殴っています。
西日本にいる連中の指図を受けるもんか!
これって朝廷権威の否定ですよね。
これが、初期の10作ほどが逆賊とされた人々を主人公にしたのであれば納得ですが、実際はそうでもありません。
しかもTVドラマですから「コンテンツとして売れるかどうか」は大事でしょう-ただその割に、NHKにビジネスセンスが乏しいのもまた事実ですが。そして
「社会情勢に沿わせるような題材も取り上げられ、近年ですと、明治維新150周年、オリンピック、新札にあわせた大河がまさにそうでした。
歴史学より、広告代理店の戦術を使ったような大河もあったわけです」
どの大河のことを言っているのか一目瞭然です。武者さんの嫌いな大河ですね。
しかし近年の大河では、観光協会や広告代理店が絡むのは当然のことで、何もこの3作に限ったことではありません。『真田丸』などもかなりお金を使っていたのではないでしょうか。また上記3作が、全く歴史を無視していたわけでもないでしょう。『いだてん』に関しては途中で切ったのでよくわかりませんが。
なのに
「それが今年は違う」
とはどういうことでしょうか。
現に『鎌倉殿の13人』の経済効果試算は、307億円と報じられてもいるし、大河とお金は切り離せなくなっています。
「鎌倉殿の13人」経済効果307億円 横浜銀行など試算
(nikkei.com)
それとはまた別ですが、家庭で日常的に映像を観る手段がTVしかなかった、初期の頃の大河の路線を、今なお引きずっていると思われるところにNHKの誤算があるとは思われます。
そしてその後、主だった部分をピックアップしておきますが。
坂東武者が西の言いなりになんてならないと決起し、智勇兼備を目指したからこそ、日本人像はできたと思うのです。
というのも、東アジア文化圏では智勇兼備ではなく、智勇ならば智が上位に厳然としておりました。
中国にせよ、朝鮮半島にせよ、合戦になっても科挙に合格したような知識層が上で、武勇を誇るものはその下についた。
しかし日本では、知恵と勇気を兼ね備えた武士が行政を手がけてきた、独特の特徴があります。
武士が朝廷を倒し、互いに融合しあったからこその日本史ができあがってゆく。
そもそも中国も朝鮮も儒教国家であり、武を卑しむ風潮があったため、武士が登場しなかったというのは事実です。
しかし
「坂東武者が西の言いなりになんてならないと決起」
というよりは、平家を倒したいから決起とこの場合解釈するべきでしょう。朝廷でなく平家を倒し、北条が勢力を握るということこそを宗時は言いたかったのではないでしょうか。
それに
「武士が朝廷を倒し」
とは何でしょうか。そんなことをしたら朝敵認定で、本人に矛先が向けられるでしょう。
武士が朝廷に圧力をかけるとか、権限を狭めるとか書きようがあると思います。
その続きとして
「でもそこを突っ込むとなると、武士が天皇をぶん殴る【承久の乱】が出てくるので……ゴニョゴニョと誤魔化してしまい、結果的に日本人らしさやアイデンティティが危機に陥っていたのでは?と、私は今年の大河を見て真剣に思い悩んでいます」
文章が無駄に長い割に、何を言いたいのかよくわからないのですが、要するに
「武士は朝廷に対抗する意味で鎌倉幕府を作り、その後朝廷の権威と武士の権力というのは、新たな日本人像を作り出して行く。ゆえに日本人像を描くうえで、朝廷と武士の対峙は避けて通れない」
とでも言いたいのでしょうか。
ただ武者さんの場合、今回の大河では、朝廷に盾突く逆賊のように武士、特に義時を描いてほしいようですが、三谷さんはあくまでも『吾妻鏡』に準じた描き方にするようで、その吾妻鏡では義時もかなり悩んではいたようです。それに承久の乱そのものは、『草燃える』で既に登場していますね。
今週は本当に、ラストの宗時をみて大興奮でした。
やりおった、三谷さん、やっちまった! さすがだ、新選組を大河にした人はものがちがう! やっちまった! すげえ、これは推せる!
そう大興奮しました。
この大河は原点回帰したと思えます。
そもそも武者さんは10年ルールがあって、なぜ18年も前の『新選組!』をここで出してくるのかよくわかりません。そういえば『青天を衝け』でも、40年以上前の『獅子の時代』を引き合いに出していましたね。またあとで
「日本の歴史が成立する過程はおもしろいぞ!
そう正面切ってぶつけてくるこのドラマは、傑作になる運命を背負っている」
などとありますが、大河の多くは「日本の歴史の成立過程」を描いているのではないでしょうか。
そしてまたこういうことが書かれています。
本作の坂東武者はハッキリいって近寄りたくないし、嫌だ。
こんなもんどうやって観光資源にすればいいのか、神奈川の皆さんは悩んでいるかもしれないけれど、歴史って、無茶苦茶なところも含め、不都合さもあってこそ、面白い。
坂東武者というのは単に野蛮人ではないし、大番役などを務めるのは出世コースでもあり、都の文化に触れるチャンスでもありました。そして観光資源云々も、武者さんが心配するようなものではありません。無論勝手に心配するのは自由ですが、それこそ観光協会や広告代理店、商工会議所などがちゃんとやってくれるでしょう。
そういえば、商工会議所の前身の商法会議所を作ったのは渋沢栄一でしたね。
それと先日投稿分の小島氏の記事で、『太平記』関連の記述があったのでその部分だけ置いておきます。
(皇国史観では)さきほどの義時よりもきつい表現で、尊氏を批判している。尊氏に味方したのは「よくない武士たち」だと決めつけているけれど、彼らはほんの数年前に後醍醐天皇に味方したのだから、よい武士たちだったはずだ。そもそも尊氏に最初から将軍になる「下心」があって、鎌倉幕府を倒したのだろうか。
大河ドラマでは1991年の『太平記』が尊氏を主人公としていた。真田広之が演じる尊氏は、大恩を受け敬愛する後醍醐天皇に刃向かうことをずっとためらいつづけていた。
大河ドラマの尊氏と本物の尊氏は、同じ人物であるとは限りません。主人公ですし、何よりも『太平記』というデリケートな題材でもあり、あの大河は尊(高)氏の成長物語といった部分が強かったのです。それを考えれば、「よい人物」として描かれるのは無理からぬことです。
尚あの中で尊氏が何かと肩が凝るということを口にし、後醍醐天皇が
「朕も肩が凝る」
と返すシーンは印象的でした。