『武将ジャパン』関連の続きです。このコラムはドラマの感想やら、歴史関連の記述やらが一緒になっているため、4ページ分とかなり長くなっており、その中から必要と思われる個所をピックアップする格好になっています。そのため引用が必ずしも初出順ではありませんので、その点悪しからずご了承ください。何よりもこういう書き方、如何にも整理されていない印象を受けます。ドラマのあらすじと感想、そして歴史関係は分けるべきでしょうね。
また、先日投稿分で、肝心の武者さんのコラムのリンクを貼るのを忘れていました。失礼いたしました。一応今回もURLだけ置いておきます。
https://bushoojapan.com/taiga/seiten/2021/12/28/165043
まず先日分の総評の続きで、こういう箇所があります。
『青天を衝け』が好きだ、神大河だという一連のコメントに対して
しかし、幕末明治史の基礎的なところまでミスを連発する大河に、こんなに優しい目線が向けられるものでしたっけ?
史実のミスを指摘した記事や意見には、苦しい言い訳をしていることもある。
いわゆる【ポリアンナ症候群】です。
ポリアンナ症候群とは(Wikipediaより)
ポリアンナ症候群(ポリアンナしょうこうぐん、英: Pollyanna syndrome)は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである。 別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種だと言い換えることもできる。
(中略)
フォロワーさんが誉めているドラマを貶すわけにはいかない……本当はつまらないけど、誉めあうと楽しいし、空気壊したくないし。
ファンアートを投稿すればきっといいねがついてRTされる!
こう書かれています。
まず「ポリアンナ症候群」、これは上記記事中にもある通り、一種の現実逃避で認知バイアスといえます。しかしこれもまた「史実のミス」とやらがどのようなもので、それに対する言い訳が如何なるものであったかが明記されておらず、こちらとしては判断のしようがないのです。
何よりも、ポリアンナ症候群を云々する以前に、武者さんの文章そのものに、認知バイアスと思しきものが窺えます。自説補強の意味合いもあってか、自分の嫌いな作品は批判的な記事を引用し、好きな作品の場合はその逆に、好意的な記事を引用する確率が高くなっています。これは認知バイアスの一つである、確証バイアスに他ならないのではないでしょうか。
それから
「ファンアートを投稿すればきっといいねがついてRTされる!」
と、如何にもファンアートが悪いようにも取れる書き方ですが、武者さんの好きな『真田丸』、『おんな城主 直虎』、そして『麒麟がくる』のいずれも、ファンアートはツイッター上で数多く見られたのですけどね。
またほぼ真ん中あたり、やけに中国韓国の時代劇をほめたたえた後で、このように武者さんは書いています。
見る側の原因もあります。
『麒麟がくる』での駒叩きの悪質さには呆れ果てました。ファンタジーだの歴史劇じゃないだの……一体何を言っているのでしょう?
時代劇に架空の人物を加えることは古来よりあった定番の技法です。
それでいて『青天を衝け』において慶喜や栄一が、史実と正反対で考証的にもおかしいデタラメを演じても、「感動しました!」「完璧です!」とは、どういうリテラシーなのか。
そして記事の後半から終盤にかけても
(『青天を衝け』に関する記事の)ライターさんもイケイケのアゲアゲで大絶賛する記事を書いていましたね。
SNSを切り取ったコタツ記事は、日曜夜にはすぐ出てきました。
毎年そんなもんだろ、と思われますかね?
『麒麟がくる』なんて些細な揚げ足取りで叩く記事がありました。
ただ単に「駒がムカつくから駄作!」「架空キャラが出るからファンタジーだ!(※『獅子の時代』はじめ歴代大河を知らないんでしょうか)みたいなもの。
今年はそういう記事をほぼ見かけません。
駒に関しては、何よりも「出過ぎ」だったのが批判されたともいえます。元々池端俊策氏の脚本であり、私が考えるに、恐らくは『太平記』の藤夜叉のようにしたかったのだろうと思います。
しかし『太平記』は、花夜叉(楠木正成の妹という設定、佐々木道誉とも親しい)の猿楽一座がオリキャラで固められており、高氏と恋仲になって子を産む藤夜叉、足利の兵に家を焼かれ、母を殺されて恨み骨髄の石が中心的存在で、彼等には高氏と関わることによる宿命のようなものを感じたのですが、生憎私の場合、駒にはあまりそれが感じられなかったのです。
それからどう考えても『獅子の時代』の2人の主人公と、駒は同列には論じられないのではないでしょうか。重みが違うと思います。それにしても『獅子の時代』は1980年の放送ですから、42年前のことになります。あと、これとは別に『徳川慶喜』も引き合いに出されていましたが、こちらも1998年放送だから24年前です。
ここでまた疑問があります。そもそも武者さんのコラムには10年ルールなるものがあり、放送から10年を経過した場合、その作品には言及しなかったはずなのですが、こんなに前の作品を引っ張って来ているということは、あれは撤回されたのでしょうか。
そしてこれはかなり終盤近くになりますが、
『あさが来た』
『わろてんか』
という近年でも時代考証がお粗末だった作品です。
『わろてんか』の場合、日本の芸能史における時系列が決定的におかしく、数十年単位でずれていました。
やはり「快なり!」という恥ずかしい乾杯音頭は創作でしたね。安心しました。
このドラマでもワースト候補の平岡円四郎の妻が女衒にされたこと。先憂後楽を忘れて「快なり!」と叫ぶこと。
それが脚本家の杜撰な意識から作られたと知り、納得感はあります。
とあり、その後にはこのように書かれています。
来年の三谷幸喜さんや、『八重の桜』の山本むつみさん、そして漢籍マスター『麒麟がくる』池端俊策先生なら、そんな侮辱的な創作はしない。経験、知識、良心があります。
しっかりした裏付けもなく、自分の範囲内から捻り出すと、こうなってしまう。今年の脚本家は時代劇を描く上での知識が圧倒的に不足していると感じました。
最低限の知識があれば、主人公恩人の妻を女衒のような働き方をさせないものですよ。
(中略)
そもそも『あさが来た』の時点で時代物としては禁じ手ともいえる捏造をしておりました。
それが大河に起用されるというのはどういうことなのか。
疑問は尽きません。
どう考えても、『あさが来た』と『青天を衝け』の脚本の大森美香氏が気に入らなくて、叩きまくっているようにしか見えません。まあご自分が好きな大河の脚本家をほめたい、その気持ちはわかります。しかしコラムを書く側としての意見としては、如何にも偏った感があります。
池端氏に関して言えば、やはり『太平記』と比べると、どうも焼きが回った感がありますし、さらに三谷さんも、元々賛否両論がかなりある人ですが、私の場合、『真田丸』の大坂の陣の描写でいくらか疑問符がついてしまいました。
個人的に山本むつみさんはいいと思います。ただこの経験、知識、良心とは具体的にどういうものなのか。なぜ大森さんにそれがないと言い切れるのか。実はこの前の部分で、漢籍や儒学がどうのこうのと散々書かれており、それがドラマへの批判へとなり、脚本家批判にもつながっているのでしょうが、どうにも主観が入り過ぎている嫌いがあります。また『あさが来た』の捏造なるものも、はっきり書いてほしいものです。
そしてこういうのもありました。
中身がないのに空気だけを演出する。そんな戦術は【エコーチェンバー】を形成します。
それゆえ【エコーチェンバー】の宿痾もつきまとった大河でした。
チェンバーの外にいる者、こと私のように口が悪いものは、執拗に、攻撃的に、尊大な態度で絡まれる。
今年は色々ありました。自業自得の部分もあるとはいえ、どうしたものでしょう。
確かにハッシュタグをつけて盛り上がるのは楽しいかもしれませんが、人の思考に自分の思考を過剰に沿わせてしまう危険性はあります。
武者さん、今回はこのようなことを書いていますが、『鎌倉殿の13人』が始まったら、今度は自分がエコーチェンバーの中心になるのではないでしょうか。