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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第2回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第2回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。尚最近の投稿での、おかしな点や変換ミスをいくつか修正しています。
そして先日書いていなかった分で、気になる点が2つあります。


絵師の家に着くと、急ぎの客である麻彦が待っているとか。彼女は小さな硯で墨を擦ります。
この硯が素朴でいかにも貧しい。
文房四宝と呼ばれる筆・墨・硯・紙のうち、消耗品ではない硯はステータスシンボルの象徴です。この小さな硯と、後で出てくる大きくて立派な硯を比較してみると興味深い。

急ぎの客が麻彦でないことは書きましたが、この小さな硯は携帯用でしょうね。もっと後の時代、江戸時代になると矢立てという携帯用筆記具が登場しますが、それ以前に鎌倉時代頃から、携帯用の小さな硯はありました。それに類するもののようです。そしてまひろは、家ではそこまで立派ではないにせよ、普通の大きさの硯を使っています。
下の画像、向かって左、まひろから見て右にある黒いものがその硯と思われます。

光る君へ硯
『光る君へ』第2回

そして麻彦が思い出の花は夕顔と言うシーン。

二人で見た思い出の花は何か?と問うと、麻彦が夕顔だと答える。
『源氏物語』のオマージュが入っていますね。前回はまひろの小鳥が逃げたことが、雀の子が逃げたと紫の上が走ってきた場面をなぞっていたのだとか。今回は「夕顔」です。

この「夕顔」ですが、ただ単に思い出の花が夕顔と言うだけではなさそうです。自分の前に現れる女性、夕顔の歌の素晴らしさに源氏はほれ込み、通うことになるわけなので、ここで麻彦が、歌を贈るのは自分よりも素晴らしい女性であると言うところに、そのイメージを忍ばせているのではないでしょうか。あと前の回ので紙が高価と書いているわけですが、ならば麻彦が恐らく紙を買えず、板を持ってくるのにも触れてほしいですね。

そして先日の続きです。

二人の姿に目をやれば、烏帽子が透けて見え、髻がわかりますね。本作の男性は、地毛で髻を結っている方もいるとか。

この大河に限らず、
『鎌倉殿の13人』の北条義時役の小栗旬さん
『どうする家康』の豊臣秀吉役のムロツヨシさん
どちらも地毛で髷を結っています。ムロさんの場合、ある程度出世してからはきちんと髷を結っているので、その前の段階、木下藤吉郎や羽柴秀吉の時代に、天然のくせ毛を生かした髪型をしていますね。
あと『龍馬伝』の福山雅治さん、『平清盛』の松山ケンイチさんもそうですし、また女性ですが北川景子さんも、『西郷どん』の篤姫役で地毛を結っていた由。

ここで東洋医学のトリビアでも。
一月のうちに書けてよかった話として「お屠蘇」があります。
日本古来の飲み物とされていますが、『三国志』でもおなじみの名医・華佗が作り上げたとされていて、不老長寿の酒というより要はハーブドリンクです。

「一月のうちに書けてよかった」とありますが、大河が始まってからの1月の月曜日は4回ありますから、そのうちのどれかで書けるような話題かと思いますが、それはともかく。このお屠蘇のルーツについては知っていました、というか、薬局で屠蘇散を配ったりしていないでしょうか。それとこれは「飲み物」やハーブドリンクと言うより、邪気を払うための物ですね。あと
「ハーブを飲むことをありがたがるほど、当時は医学が未発達でした」
はちょっとないかと。縁起物ですから。

「高麗」(こま)とは一体なんなのか?
日本では、王朝が交代しても、そのまま呼び続けることがしばしばあります。しかも範囲が広い。
「高麗」は現在の朝鮮半島を指す概念として、長らく使われてゆきます。
中国は「唐」(から)です。
「高麗」や「唐」は判定が曖昧なので、例えば他国の人や物が、朝鮮半島や中国経由で届けても、そうなってしまったりする。

「王朝が交代しても」とありますが、この時代の朝鮮半島の王朝は高麗です。この場合なぜ「コマ」になるかと言うことなのでしょうが、高句麗のことを「こま」と呼んでいたからという説があります。その高麗は後に朝鮮と改名します。豊臣秀吉が明に攻め入ろうとしたのは「唐(から)入り」ですが、その時は高麗ではなく朝鮮と呼んでおり、日本軍は朝鮮半島で戦いつつ北上して行きました。

しかも、当時から輸入しなければどうにもならないものがありました。
例えば「檳榔毛(びろうげ)」の車。牛車の一種です。この「檳榔毛」とはヤシの葉です。
当然ながら京都近郊にあるはずなく、貿易で取り寄せねばなりません。
何かで代用したらいいんじゃないの?と言いたくなりますが、当時の貴族は慣習を守りたい性質ですので、結構な問題になったとか。

この枇榔(ヤシというか、ヤシの仲間の葉です)ですが、日本国内でも九州や南西諸島、沖縄などは自生地です。古くはあぢまさと呼ばれ、非常に神聖な植物とされました。

枇榔毛がどのくらい取れたのかは定かではありませんが、ある程度の量を収穫できたのであれば、外国から取り寄せる必要はなかったでしょう。というか、枇榔毛をどの国からどのくらい買い付けていたのか、その裏付けとなるものがないでしょうか。

見張りをつけると言われると、まひろは怒ったように反論します。
「縛られても、必ず縄を切ってでも出て行きます! 父上のいうことなぞ私は聞かない!」
面倒臭い。可愛げがない。そんなまひろの魅力全開ですね。
有名な文学者だし、ドラマでは母の死という悲劇も絡んでいます。
けれども根底にある動機は、執筆欲です。
受験勉強をしていようが、趣味も同時進行したい。そんな現代にいる少女にも通じそうな願いがいいですね。
試験の前だろうが好きな本を読んでしまっていた、そんな気持ちを思い出します。

武者さん、第1回からまひろは面倒臭いと書いています。面倒臭いと書くことで、普通の女の子とは違うという意味合いを持たせたいのでしょうが、私はそこまで面倒臭いとは感じません。ただ子供の頃母を目の前で殺されたトラウマ、自分と家族を守るためとは言え嘘をつく父、成長してからは、その父との確執が続くなど、心の中に何かを抱えた少女(と言うか女性)ではあると思います。家にいるともやもやしたものを抱えるけど、あの絵師の家で1人で歌を作っていたら、その気持ちが、心理学でいう昇華という形を取るからではいでしょうか。
実際やりきれない思いや怒りを、小説などの作品として発信するのは、この昇華とみなされています。

こころ診療所吉祥寺駅前様のサイトより。

乙丸が監視につけられるも、まひろは工夫をして突破。出かけて行きます。
しかし為時は絵師にも話をつけていて、その直後に道長がやってきて追い返される。

これ、乙丸が居眠りをしたから、家を抜け出ることができたのでは。日当たりのいい縁先に座っていたら、それはつい眠気もさすでしょう。

そして「MVP」は兼家だそうです。昨年はこのMVPなるものはありませんでしたが、ただ、武者さんの一方的な見方で評価されるのなら、なかった方がよかったかもしれません。

兼家の悪辣さは、家父長制そのものでもある。そこに組み込まれていけば、誰しも染まっていくもの。その様が楽しみです。

この当時は通い婚中心で、まだ家父長制は根付いていません。権力者そのものであるとは言えるかも知れませんが。

為時もまひろも愛読しているに違いない『貞観政要』。この本の要点は、諫言こそが大事だという点にあります。

「愛読しているに違いない」とは何でしょうか。
ちなみに、子孫が大江広元である大江匡房は、これを書き写して一条天皇に進講しています。元が帝王学の書ですからね。無論徳川家康も、藤原惺窩にこれを講義させています。

「魏徴という諫言のプロが、唐太宗に延々と『それはどうでしょう?』とダメ出ししているのです。
ドラマに対しても、諫言が飛び交うファンダムが好ましいと思います」
などとありますが、またファンダムがどうのこうのですか。

そして

全体的に品質が高い本作でも、屏風に弁髪の人が描かれているようなミスはあります。
それ以外にも、三男ではなく、異母兄がいる道長が「三郎」でよいのか?とか。
道兼の殺人はあまりにやりすぎではないか?とか。
そういう批判を共有しあい、話し合う場があるのは非常に健全でしょう。

別に武者さんが好きでない大河でも、こういう意見のやり取りはあったのです。
それがお気に召さなかっただけの話でしょう。
ただ気に入らないからと言って、ファンたちが楽しく意見交換している場所へ、踏み込んでくるような姿勢を取るのは感心しません。
それを言うのなら、『どうする家康』のこの記事のやり取りも似たようなものだと思います。

「どうする家康」官兵衛息子・黒田長政“一の谷形兜”ネット話題!薄型テレビ?ソーラーパネル?「首が…」

インターネット上には「いつ見ても鉄板みたい」「薄型テレビ兜だ!目立つなぁ」「ソーラーパネル兜の存在感よ」「空気抵抗が凄そうな黒田長政の兜w」「首がめり込みそう」「個性派兜博覧会」「誰が誰だか、すぐ分かる兜」などの声が上がった。

こういうやり取りもこれはこれでいいと思いますし、この兜、ひいては黒田長政に関心を持ってくれるといいなと言ったことを私は書いています。しかし、武者さんは叩いていましたね。
「死と隣り合わせである戦国武将の覚悟が表現されているわけですが、それをなぜ『薄型テレビ』などと笑われなければならないのか。あまりにも程度の低いコメントで記事まで作られてしまう幼稚さに情けなくなってきます」
どちらの大河も、ファンが興味関心を持って意見しているのは同じかと思いますが、嫌いな大河の嫌いなファンにはクレームですか。

そして
「本作は公式サイトやSNSの情報発信も行き届いています」
昨年公式のサイトやSNSを見ているようには思えなかった武者さんに、こう言われてもなあと正直思います。
そして「大河に関わる女は皆幸せになれない」とかで、女性脚本家を偏見で語るような意見が散見されるなどとあります。どの大河にも賛否両論はあるかと思いますが、ここでフェミニズム論。こういうの、よそでやってくれませんか。ここ大河について書くコラムのはずですよね。ならば平安時代の習慣や官位官職などを、詳しく説明してほしいのですけど。

◆NHK大河「光る君へ」はイケメンてんこ盛り!吉高由里子じゃ盛り上がらないとNHK仕込み(→link)
論旨をまとめると、「女はイケメンが好きだから投入しとけ!」というものです。

女はバカだからイケメンでしか気が引けないという偏見丸出しで、この記事は早速、吉高さんを貶めていて、より悪質ですとありますが、これ、貴方が昨年散々リンクを貼っていた日刊ゲンダイの記事ですよ。そしてイケメンな俳優さんたちも出ているのは事実だと思います。
それに貴方昨年は、出演者を散々貶めていなかったでしょうか。

そしてこういう記事も貼られています。

そしてこんな分析が出ました。
◆NHK『光る君へ』初回で躓き、マーケティング失敗か 大河最低の視聴率を記録、狙っていた若い女性層が離反(→link)
当然の帰結でしょう。
大河という時点で、はなから若い女性は避けています。
マーケティングの話でもない。ましてや本作だけのせいでもない。
大河という枠そのもの、ひいては日本史周辺までもが、若い女性を蹴散らすようなことをここ10年ほど続けています。

嫌いな大河が大河初回の最低視聴率を記録しようものなら、鬼の首を取ったように喜ぶのでしょうが、好きな大河だと、それは流石にやりませんか。その代わり、「若い女性を蹴散らすような」と武者さんが考えている過去の大河のせいだと決めつけ、そのキャストやスタッフに責任を擦り付けるようです。そういう大河を作っていた人たちに失礼だと思いませんか?
それこそたけたけさんのnote記事にもありましたが、
「『わたしのかんがえたさいきょうの』しか認めな」い武者さんだから、世間一般の感覚を求める方が無理なのでしょうか。そして若い女性を蹴散らすような大河なるもの、要はすべて武者さんが嫌いな大河なのですね。

好き嫌い、合う合わないは当然あると思いますが、武者さんの場合は、自分の理想に沿わなかったからという理由で、気に入らない大河を平気で「蹴散らして」歩いているようなものです。しかしここでは省いてはいますが、これには『平清盛』と『軍師官兵衛』がありませんね。あと、10年ルールはどうなったのでしょう。

でこう書かれています。

要するにここ10年の大河ドラマは、若い女性に対して散々セクハラを働く、おじさん上司のような枠になっていたのです。
「あれ〜? 若い女子ちゃん来ないのカナ? おじさんが歴史を教えてあげるのにな!」
「ですよね〜、ホント、最近の若い子って空気読めないっていうかぁ」
それがどれだけの損失か、考えたほうがよいでしょう。
今年は、そのことを踏まえていると思えます。
大河は今、変革の真っ只中
本作は、十分に意識しているのでしょう。

大河自体は今年だけでなく、ここ何年かずっと変革を目指しているかと思われます。『青天を衝け』以降、それが顕著なようにも感じられますし、それまで大河を観ていた層が、多少離れている感もあるかも知れません。そしてここでは省略していますが、この『青天を衝け』への攻撃がまたひどいです。あと第1回では我慢していたのでしょうが、華流ドラマなども登場して、日本のコンテンツ産業下げがまた始まっています。

そして武者さん上記のようなことを書いていますが、自分が嫌いな大河、自分が嫌いな女性キャラに対しては、このおじさん上司、あるいはそれ以上のことを書いています。
これは『どうする家康』関連コラムの、女性キャラに対する言葉です。ドラマの作り手の責任のように書かれていますが、実際は武者さんがこう受け止めているとしか思えません。実際観た限りでは、およそこのようには見えませんでしたから。

このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?
・エロいことをさせてくれる
・自慢できるトロフィー
・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw
・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組
・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」
・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」
差別云々の話はこの際置いといて、どういうセンスをしているのか?と問いたくなります。

こういうのを報酬付きコラムで書く方が、どういうセンスなのかとついつい思ってしまうのですが…。この『光る君へ』が、武者さんの嫌いな大河だったら、ちやはは「冷蔵庫の女」呼ばわりされていたのでしょうね。

そして『どうする家康』は中国韓国で人気がないと言いつつ、その証拠となるデータなり記事なりが全く出て来ないのですが…。
尚『どうする家康』とこのコラムについてはまた書く予定です。
(2024年1月18日一部加筆修正)

飲み物-ワインのデキャンタとグラス
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[ 2024/01/18 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。

BBCでは真田の名前すら出てきません。
取捨選択の結果であって、それが特に問題とも思えません。
本作では、佐藤浩市さんを映したいあまりにそうしたのでしょう。
話題性狙いがみえみえで痛々しい。
そんな広告代理店じみた考え方だからこのドラマはダメなんだ。

まず言いたいのですが、真田を出さなければ出さないで、武者さんはクレームをつけそうな気がします。「取捨選択の結果」などとありますが、自身が推している『ウォリアーズ』だから許容範囲内なのでしょう。
そして
「本作では、佐藤浩市さんを映したいあまりにそうしたのでしょう」
で話題性狙いだの、広告代理店じみた考え方だの。第一本多忠勝が登場して関ケ原が出て来るのだから、普通は真田を出してくるものだと思いますけどね。

本多正信に常識を求めるのは酷なのでしょうか。
主君の嫡男に対してあの舐め腐った態度。
万人に対して常にマウントを取っていて、あんな調子では嫌われるどころか、闇討ちに遭いそうで心配なほどです。
放送されるたびに不快感指数は上がり続け、「もう映さないでくれ!」と頭を抱えたくなる。

本多正信のキャラについては、今までも何度も書いて来たかと思います。
あの飄々としてとらえどころのないイメージ、なのに正論を吐くというのが持ち味であり、それを
「舐め腐った態度」
「常にマウントを取っている」
としか見られないのであれば、余計この大河は観ない方がいいと思いますけどね。
かと言って正信は滅茶苦茶に嫌われているようにも見えず(忠勝とは正反対ですが、家康からは気に入られていますね)、まして闇討ちにも遭っていません。ああいう存在も必要であると、一応周囲も思っているのではないでしょうか。

「『もう映さないでくれ!』と頭を抱えたくなる」
「もう映さないでくれ」と相手に要求するのではなく、「もう観ません」と自分から身を引く方がいいかと思いますよ。
それと「不快感指数」なんて言葉、ありましたか?不快指数はありますが、これは、特に夏の蒸し暑さを表す指数のことですし。

さらに

勝利がわかっているから、わざと余裕ぶって悪態をつかせている――のであれば、本当に未来人思考だらけの作品で時代ものとは言えません。

また未来人思考。
しかも「勝利がわかっているから、わざと余裕ぶって悪態をつかせている」など、武者さんの一人決めもいいところだと思います。秀忠が焦っているのに正信が余裕で稲刈りをなどと言っているのは、米=兵糧を守るために相手が出て来ざるを得なくなるという作戦なのですけどね。
しかも榊原康政が、ちゃんとそのことを説明しているのですが。

真田の城は、なぜハエトリ紙じみた布が垂れさがっているのか?
「乱世を泳ぐは愉快なものよ」と語る昌幸にしても、本気でそう思っているとは微塵も思えず、逆に「何も楽しんでないな」と笑いそうになりました。
あの変な布を見て、俳優さんたちは『戦国っぽいなぁ……』と演技に身が入りますかね?

ハエトリ紙と言うかハエトリリボンでしょうか。
あの布はこれも前に書いていますが、常に攻め込まれる可能性がある以上、いざという時包帯代わりにしたり、投石の時に使ったりもしたのではないでしょうか。

「『乱世を泳ぐは愉快なものよ」と語る昌幸にしても、本気でそう思っているとは微塵も思えず、逆に『何も楽しんでないな』と笑いそうになりました」
その前に昌幸は、わしの役目も十分に果たした、あとは家康と三成、どちらの才が上回るかじゃと言っています。つまり秀忠を上田に引き付けるだけ引き付けて遅参させ、あとは高見の見物で、どちらにしても、真田は生き残ると強かに計算しているわけです。
それを踏まえたうえで、乱世を泳ぐとは面白いものよと言っているのでは?

そしてまたも文春砲。好きですね、文春。

文春砲によると、ニコライ・バーグマンじみた押し花をプッシュしたという本作の主演俳優。
記事が本当ならば、ドラマ内での見た目に相当なこだわりがあるようですが、その結果が大量の蝋燭やら、ハエトリ紙だと思うと脱力感が湧いてきます。

「脱力感が湧く」とはあまり言わないような気がするのですが…。
脱力するとか、脱力感を覚えるとは言いますが。
そしてまた「ニコライ・バーグマン」、数正が大事にしていた押し花ですが、その結果がなぜロウソクや上田城の布(ハエトリ紙ではありません)になるのか、ちゃんと説明してください。

そして『100カメ』で昨年は『鎌倉殿』、今年は『大奥』が採り上げられるとかで、

美術部のレベルが大河と大違いですもんね。
今年の実質的な大河ドラマはやはり『大奥』と言って差し支えないでしょう。
歴史イベントでもきちんと結果を出されています。
◆女性初の信玄公役は冨永愛さん 観客数は過去最高の23万人越え 50回目の節目となる信玄公祭り(→link)
武田信玄役に初の女性となる冨永愛さんを起用した、山梨県の関係者の英断が素晴らしいですね。

「今年の実質的な大河ドラマはやはり『大奥』と言って差し支えないでしょう」
言っては何ですが、こういうのが余計だと思われる所以です。
ただ紹介だけにとどめておけばいいのに。第一10時のドラマと大河は様々な点が違うと、これも前から書いてはいますが。
それと信玄公祭りと『大奥』、直接関係ありますか?

大久保忠益が「腹を切ってお詫びを!」と叫びます。
それでいいんです。
問題は複数回も「腹を召す」と自分に敬語を使って叫んでいた家康。
ああいうミスは修正するものでは?

地図が映ると、面倒くさそうに作ったことが伝わってきます。
ここまでモチベーションが落ちているドラマって、なかなかないでしょう。
ただし、小道具スタッフは、もしかしたら犠牲者かもしれず、気の毒としか言いようがないのですが……。

この数行でそれぞれ1パラグラフずつになっていますが、そちらの方がどうにかなりませんか?
そして「腹を召す」と自分に対して使ったのは、秀吉に対して、自分の方が上であると印象付けるためではないかと、当該回の時に書いています。問題はなぜそのような言葉遣いになるのか、武者さんが考えているように見えないことですね。

そして地図が「面倒くさそうに」作られていますか?その理由は?
裏付けがないのなら、勝手に決めつけるべきではないかと。この間もカラーコピーだなんだのと言っていましたね。
武者さんが、とにかくこの大河が嫌いでたまらないのは伝わりますが、好き嫌いを仕事に持ち込むべきなのかと思います。

すでにクランクアップした本作。
主役の横暴な振る舞いで脚本がおかしくなった――とする文春砲に対し、
「大河主演が口出しするって、そんなもんでしょw」
という指摘もあります。
去年の小栗旬さんはむしろ真逆です。
◆ 小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に(→link)

しかしなぜこうも文春を絶対視するのでしょうね。
自説補強にはもってこいだと言うのはわかります。
ただし、自分の思い込みや願望を強化または指示する情報ばかりに目が行き、そうではない情報は軽視してしまっていますね。こういうのを確証バイアスと言います。

今年の大河はもうダメ。
あと一ヶ月とちょっと、NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりしますが、VODでは朗報もありました。
ディズニー+の『SHOGUN』です。
◆真田広之、ハリウッド制作陣が戦国時代を描く「SHOGUN」に主演! 豪華日本人キャスト共演(→link)
三浦按針をモデルとした、往年の名作ドラマでで、アメリカ作のRPG『ウィザードリィ』にサムライやニンジャがいるのは、このドラマの影響だとか。

『SHOGUN』は、80年代に三船敏郎さんが出演した時のでしょうか。
あれは日本ではまず劇場用映画として編集され、その後TVドラマとして放送されていますね。

そして
「NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりします」
「VODでは朗報もありました」
ならばもう大河をやめて、『SHOGUN』と『大奥』にシフトした方がいいのではありませんか。
第一『どうする家康』がなぜ「エゴ」になるのか、これもこのコラムのいつものパターンと言うか、その理由が書かれないのでよくわかりません。とにかく貶めたいのだろうなとは思います。
この次にもこんなことが書かれています。

『どうする家康』の悪夢は、11月23日に公開される北野武作品『首』と、『SHOGUN』に塗り潰してもらいましょう。
ただ、喜んでばかりいられません。
今年の悪影響で、今後ますます大河ドラマの存在意義は低下してしまうでしょう。

このコラム、今回もここまでの記述の中で、誹謗中傷と取られかねない箇所がいくつかあるのですが、多分気にも留めていないのでしょうね。
そして、この次の関ケ原回を楽しみにしている人もかなりいることもお忘れなく。
と言うかこれも以前書いていますが、私武者さんに『どうする家康』を観ることも、コラムを書くこともやってほしくないのですね。もちろん武者さんにしてみれば、お仕事はなくなりますが。

それから
「今年の悪影響で、今後ますます大河ドラマの存在意義は低下してしまうでしょう」
恐らく年が改まれば、何事もなかったかのように、このコラムを書いているのでしょう。
その時は、『光る君へ』が『どうする家康』の叩き棒になりそうな気がしています。

今はまだ海外発の時代劇も戦国に限られているものの、今後はどう発展していくかわかりません。
特に近代史ともなれば、日中韓の合作になってもおかしくない。
こうなるともう時間切れでしょう。

別に武者さんが心配することでしょうか。
ならば貴方が、自分で企画から脚本からを手掛けて、日中韓の合作を作ってみてはどうですか。
もちろん興行成績がそこそこないと成功とは言えません。

大河ドラマにおける幕末以降の近代史は、2015年以降まともな歴史観を示すことができなくなりました。
歴史修正主義としか言いようのない酷い出来。そんな風に前進どころか後退をしていては、VOD時代に置いていかれるばかりです。

いずれも武者さんが嫌いな作品ばかりですからね。
しかし、その「まともな歴史観」とは具体的にどのようなものなのか、説明して貰えませんか。いつもそうですが、あれがよくないこれがダメと言いつつ、なぜそうなのかが少しも示されないか、自己満足のレベルに終わっているように思えます。

たとえばの話、伊藤博文は大河ドラマ主役になっていません。そこまで大きく取り上げられるわけでもない。
そんな伊藤博文を、海外が複数の国の合作で、日本より先に作ったらどうなるのか。
もうこれについては時間切れでしょう。

先ほどもそうですけど、時間切れ時間切れて、何がそう時間切れなのですか。
日本の近代の人物モデルで、複数の外国が合作することがもう確定しているのですか。
まずそれを示してからでしょう。

歴史総合を学ぶ世代は、むしろそんなドラマを受け止められる。問題はその上の世代であり、ヘイト本やSNSの盛り上がりに乗じて叩くことも予想されます。

この「歴史総合」も、このコラムで使われると、今時の若者が好きなスイーツとそう変わらないように見えてしまいます。
要は今はこれなの!昔とは違うのとマウントを取りたくてたまらない、そういう印象しか受けないのですけど。そしてその上の世代叩き、これもいつものパターンですね。


飲み物-ウイスキーストレート
[ 2023/11/11 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第39回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。


山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。王陽明

ちゃんと意味を書いてほしいですね、心の邪念を払って自分を律するのは難しいということですね。

でこの後なのですが、またSNSがどうのこうのとあり、さらにこうあります。

◆【どうする家康】茶々VS阿茶局、バチバチ対決が「めっちゃ怖い」 北川景子の熱演に反響(→link)
劇中の世界観から、明軍の佛郎機砲(フランキ砲)の方がよほど怖いと思います。よくこんな暴論を目にします。
「当時の日本は火縄銃が世界一たくさんあった! だから明にも勝てるかも?」
これは雑な議論でして、大砲ならば当時の明の方が優っていますし、マスケット銃の類(烏銃等)も、そこそこ揃っています。動員数も上です。
そもそも日本の火薬は、海を経て海外から調達しなければどうにもならない。
日本と明が本気で対決するならば、明は朝鮮も駆使して海路を塞げばよいだけです。

ここで『どうする家康』関連の記述にシフトすればいいのですが、なぜか明の方が兵器が多かった、マスケットも揃っている、動員数も上だ何だ。そして裏付けとなる史料なし。この場合のマスケットは火槍のことでしょうか。
しかしなぜ何の関係もない兵器の数云々がここで出てくるのでしょうか。リンク先の記事にもそんなこと書かれていないし、単に
「明の方がすごいもん!」
でマウント取りたがっているようにしか見えないのですが。武者さんが何かにつけて叩く、SNSでイキっている人たちと大して変わらないような気がします。
秀吉の唐入りについて書きたいのなら、まずちゃんと前振りをしてください。

そして不思議なのがこれ。

明側に日本を攻めとる意図がないから、そうなっていないだけ。元寇にせよ、別に日本征服を狙っていたわけでもありませんし。

元寇は大宰府を攻略しようとしていたわけですから、日本を侵攻しようとしていたと考えていいでしょう。このために戦艦を多量に作ってもいます。事前に使節のやり取りはありますけどね。
いよいよ軍事侵攻をするのは、南宋に襄陽・樊城の戦いで勝利した後のことです。

また機会があれば書きたいと思いますが、玄界灘や東シナ海というのは他国とつながっていることもあり、「国境」であるのだなと実感します。これは北日本、特に北海道なども同じかも。

そして、

阿茶局と淀殿の対決とやらを怖がる心理は、昭和平成のおじさん向けフィクションにありがちなですね。

また
「昭和平成のおじさん向けフィクション」
いつもいつもこのパターンですね。
さらに

あのデートクラブの女と一晩過ごしてしまった(ベッドで美女を抱く主人公。男も乗り気だったくせになぜか困り顔)。
その女が面接に来ただと!?(そりゃそういうこともあるでしょうよ)。
怖い……(いや、その思考回路に陥る主人公の被害者意識が怖いわ)。

こういう発想を毎回のように出してくる武者さんが、実際この手の発想が好きでたまらないのではないかと思われてしまいます。
そしてなぜか、これを茶々と阿茶局の話に結び付け、
「そりゃ、若い世代は海外のコンテンツへ向かいますよ」
こういう発想のを牽強付会と言うのでは。

そしてその時代錯誤感は、ここにもある。
◆【どうする家康】山田裕貴がクレジット2番手に昇格 〝脱ぎ〟でもドラマに貢献(→link)
このクレジット順位にやたらとこだわるのは日本独自現象だそうです。
そしてジャニーズ問題が燃え盛っているタイミングで“脱ぎ”で貢献と見出しにするセンスのなさ。

「脱ぎ」は実際そうだから(上半身裸で槍の稽古をしていますから)問題ないと思います。
そして
「このクレジット順位にやたらとこだわるのは日本独自現象だそうです」
その裏付けはどこですか?
あと見出しにするセンスのなさて、それは東スポに言ってください。制作陣の責任ではないはずです。
でも武者さん、この東スポ記事散々自説補強に使っていたように思いますが。

こういう層がこのドラマの視聴主流ならば、ますます人心は離れることでしょう。

はっきり言って、武者さんに心配して貰わなくても別にいいです。

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。『論語』「子路」
できる人は、チームワークは踏まえても、流されて迎合しない。そうでない人は、何でもかんでも迎合するくせに、チームワークを考えずに悪目立ちをする。

まずこれですが、優れた人は周囲と和しつつも自分の意志は大切にし、そうでない人はたやすく同調して、周囲と同じになってしまうということです。
チームワークを考えずに悪目立ちというのが、この場合当てはまるでしょうか。

これを踏まえまして。
誰もが悪目立ちばかりして、乱れ切ったこのドラマ。それはこうしたニュースにも現れています。
◆小手伸也、NHK大河「どうする家康」大久保忠世のラストシーン裏話明かす「残念ながら尺の都合でカットになってしまって…」(→link)
◆『どうする家康』松本まりか、大鼠役を全うも本音「やっぱりもっと居たかった」(→link)
大久保忠世はモテモテ自慢する小豆バーの精霊としての役割よりも、本多正信との関係性など、他に描くべきところがあった。

まずどこが「乱れ切った」のか全然わかりません。
小手さんも、松本さんもドラマへの思いを語っているだけなのですが。
(てか大久保忠世の未公開シーン観てみたいものです)
「他に描くべきところがある」なら、自分で台本から演出からすべて担当してみてはどうですか。大河は貴方だけの思う通りには作られていません。あと小豆バーなどと書くのではなく、ちゃんと大久保忠世と書きましょう。

それなのに、これでは演者が自分の悪目立ちだけを考えていたように思える。
女大鼠は、存在そのものがノイズでした。
いつ見てもパッとしない、わけのわからない髪型。服部半蔵との関係性にせよ、忍者としての働きにせよ、いてもいなくてもどうでもいい役回り。殺陣も、筋力がないのが見ていてわかって辛かった。
それなのに今さらこういうことを言われても、チームワークより自分が目立つことしか考えていないのか、と思えてしまって……。

「演者が自分の悪目立ちだけを考えていたように思える」
何度も書いていますが、無理やりネガティブに突っ込んでいる感じですね。なぜ出演作の感想を語っているだけなのに、チームワークより自分が目立つ、となってしまうのでしょう。昨年のクランクアップした俳優さんのコメント、探してみますか。
あと「女大鼠」でなく「大鼠」です。

大河、くたばる
今週のサブタイトルは、こう言いたくなるほど酷い。
半世紀以上歴史あるコンテンツが、こんな無様な終わり方になるとは思いもよりませんでした。

いきなり何を言いたいのですか?
無様な終わり方て、『どうする家康』は12月中旬まで続きますよ。

そして以下のような文章がだらだらと続きます。

この脚本は、中年の妄想と誤解、自分のセンスこそがイケてて普遍的だという、論拠の乏しい自信が根底にあります。
根が腐っていたら、どうしようもない。
常に独りよがり、幼稚で不愉快。常に自身は安全な位置から冷笑的な逆張りセンスを繰り出す。
どうせ世の中なんて何をしようが変わらない。だから強い者に尻尾を振って、弱い者を叩くのが賢い。
本人たちは、そんなイカす軍師・本多正信気取りなのでしょう。

冷笑的逆張りは、これもブーメランなのかと思ってしまいます。
そしてまた『パリピ孔明』で言えばどうのこうの、『麒麟がくる』がどうのこうの、江戸後期のエンタメと反権力性がどうこう、お馴染みの持論展開。

それがどういうわけか、令和現在、その手の反権力を、時の権力を相手にするのではなく、光秀や駒のような倫理を持つ者たちに向ける層が出てくる。
光秀やオリジナルヒロインで悪ふざけする『どうする家康』には、そんな迷走する「反権力逆張り冷笑」の悪い手癖がみっちりと詰まっています。

『どうする家康』が光秀とオリジナルヒロインで悪ふざけですか。
あの光秀は悪ふざけのネタだったでしょうか。そもそも光秀すなわち『麒麟がくる』のイメージと固く固く信じているようだから、違う描写が受け入れられなくなっているわけで、これで大河レビュアーというのもかなり疑問です。
そしてこのオリジナルヒロインとは誰のことですか。今まで家康の近くにいる女性たちは、実在の人物のはずです。

その後の部分、このような記述をご紹介するのもどうかと思いますが、

裏にあるのは、強烈な劣等感と恐怖。
それを補うための悪ノリによる団結性重視。
女なんてみんなビッチ! 偉人なんてうわべだけ! 男の子が気になるのはモテるかどうか、エロだーいすき!
そうワーワー騒ぐことで、自分の欲求不満を発散して、性癖までも満たす。妬み嫉みとルサンチマンばかりが見えてくる。
自分の劣等感をどうにかすることばかりを考えていて、登場人物や演じる役者への敬愛とすら決別する。
このドラマは、大好きな自分を満足させることばかりを考えているのです。
けれども問いたい。
そうやって倫理を小馬鹿にし、冷笑論ばかりを唱え、先に進もうとする誰かを叩けば、問題そのものが消え去るのでしょうか?
答えは、このドラマの低空飛行につながっているのでは?

だそうです。
武者さんの目には何が見えているのでしょうか?

あと

ドラマのそのものも、擁護者も、事ここに至っても強気です。
少しでも挫けては、全てが脆く崩壊してしまう、そんな予感を抱いているのかもしれません。
とはいえ現場末端の士気低下は著しいようだ。
いくらネットとSNSで偽装したって、作品の乱れは見て取れます。

武者さんの個人的願望と思えば納得です。
強気だなんだと言うより、このドラマを楽しんでいる人もいて、その人たちの支持を得ているということですが、そういう場所にまで土足で入って来て、士気低下だなんだと1人でわめいているように見えてしまいます。迷惑ですね。

そしてまたフォーム。

さあ、どうする、NHK?
私としては、こんな倫理観の底が抜けたやらかしを見逃すわけにはいきません。今後も、悪徳宦官じみた本作を観察してゆきます。
みなさんも、思うところがあればNHKにご意見を送りましょう。

しかし当然と言えば当然ですが、結局武者さん本人が望んだような打ち切りもなく、SNSもにぎわっているのが面白くないのだろうなと思います。ただ、かなりエスカレートして来ていますね。攻撃的な人は自分を守りたがる、自分が支配されるのを嫌がると言いますが、実際は打たれ弱い人でもあるらしいです。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2023/10/21 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第37回に関しての武将ジャパンの記事について-5

では第37回『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。
このコラムの後半部分にありがちなのですが、持論展開メインで、しかもジャニーズ関連で正直言ってこれでもかといった感じで書かれていますので、一部省略させていただきます。

結局のところ、自説補強のための記事集めと、それによる言われなき『どうする家康』叩きに終始している感があり、これを書かせている『武将ジャパン』にももちろん責任の一端はあるでしょう。そしてあれこれ書く割に、メディア側の態度について何も触れていないことを思えば、どう考えても公平性がある記述には見えません。まあ実際メディアに対しては、このような記事もあります。

「マナー悪すぎ」 ジャニ会見でルール無視の記者に視聴者落胆「本当に恥ずかしい」
(ENCOUNT)

武者さんが本当にこの問題について書きたいのなら、大河コラムで、しかも当該の大河の叩き棒としてこの問題を持ってくるのではなく、複数のメディアの賛否両論から問題点を分析し、極力偏らない視点で事実重視で書くべきなのですけどね。

ここまでの事態に陥っていながら、NHKでは依然として大河ドラマのポスターなども貼られているのでしょうか。
打ち切りなどないとばかりに、最終回放送日程まで発表済みです。
◆ 「どうする家康」最終回は12・17!2年連続の全48話に決定(→link)

「ここまでの事態」などとありますが、この問題と大河は本来別の存在であるはずです。
しかも
「打ち切りなどないとばかりに、最終回放送日程まで発表済みです」
との言い方もどうかと思います。実際完結編のガイドブックを見るとわかりますが、最終回は「第47・48回」となっています。つまりこのガイドブックが編集された時点では、まだ何回で終わらせるかが決まっておらず、このような形を採っているのでしょう。然る後に48回に決まったと考えられます。
しかもNHKから「打ち切り」についてなど全然発表されておらず、一部メディアがそのように考えている、あるいは考えたがっているのではないかと思うのですが。

あるいは武者さんは、昨年と同じ48回放送というのが面白くないのでしょうか。

徳川家康ほどの人物を描く上で、ジャニーズを頼るとは……それが「シン・大河」なんですかね。
◆松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは(→link)

これも前に書いていますが、NHKは「シン・大河」などと言っていません。メディアがそう言っているだけのことです。
そしてこんな自説ばかり振り回さず、もう少しドラマ本編についてちゃんと触れてください。小田原評定をご存知ない(としか思えない)のに加え、甲冑は戦場で着けるものには、正直呆れました。スポーツ選手が、ロッカールームでユニフォームを着るのと間違えていないでしょうか。

釜底の薪を抽(ぬ)く。『兵法三十六計』
釜の底にある薪を引っこ抜く。相手の大義名分を引っこ抜いてやれ。

「釜底抽薪(ふていちゅうしん)」ですが、「相手の大義名分を引っこ抜く」のではなく、物事の解決のためには、根本にある原因を取り除く必要があるという意味です。

心理学実験に、こんなものがあります。
誰でも簡単に解ける問題をまず出題する。
その正答率を確認しておき、同じ問題を出すのですが、今度はグループ形式にしておき、その中に堂々とした態度で誤答を語るサクラを入れておく。
「関ヶ原の戦いが起こった年ですか? そんなの簡単、1603年でしょ!」
こんな調子ですね。すると他の参加者に迷いが生じます。
「あれ? 1600年じゃなかったっけ……。でも、この人が堂々と答えているからにはそうなのかも。それに1603でも覚えた気がする」
こうなってしまい、同じ問題でも、正答率はグッと落ちる。
要するに、人は自分の意思では案外物事を決められない。周囲を見まわし、それに合わせてしまうんですね。

同調圧力実験ですね。アッシュのでしょうか。
しかし同調したから弱い、しなかったから強いというのではなく、寧ろその場での他人への気遣いという点もまた、この同調には含まれていると言えるようです。

そしてドラマ評価でも「同じことができます」と書かれているのですが、果たして同じことがいえるでしょうか。
この後にこのような週刊誌の記事のリンクが貼られており、

◆《最終回がっかりドラマランキング2023》『VIVANT』は有終の美を飾るも終わり方に賛否両論!3位『教場』2位『silent』を抑えた1位は?(→link)

1位は『ちむどんどん』なのですが、武者さんとしては、

つまり、あの世にいる父に向かって快癒祈願をしたのです。
(中略)
要するに、スタッフは琉球信仰ありきで話を作った。それを知らない本土の和人がこういうことを言ってしまう。
しかし、NHK朝ドラの視聴者は圧倒的に和人が多いので、こういうマジョリティの傲慢さをするっと受け入れます。
多様性配慮の時代とは思えないほど酷い話でしょう。

このように書いているのですが、私があのシーンで思ったのは、聖なる場所であのように大きな声を出すのかなという点でした。さらにドラマの中でも、暢子の都合に合わせて家族を徹夜させたり、やけに反社勢力を絡ませたり、三郎が喪服姿で病院に行ったり、何よりも沖縄の農産物を日本に持ち込めないのに持ち込んだり、そういった諸々のことが何となくおかしく感じられたのです。
武者さんはここでは、沖縄差別だという点のみに話を持って行っていますが、それ以外にも不思議に感じられる点はあったわけで、そういうのをきちんと総合するべきではないでしょうか。

その後少し『ちむどんどん』関連で沖縄戦のことも出て来ますが、悪いけどここでは省きます。こういうのも別コラムを立てて、武者さんの考察がきちんと窺えるものにしてほしいです。
そして『カムカムエヴリバディ』の脚本が藤本有紀さんである件について。

ついでに言うと、『カムカムエヴリバディ』は大河ドラマ『平清盛』と脚本家が同じです。
あの脚本家自身の問題ではなくファンダムの性質なのかもしれませんが、あの大河での失敗以来、判官贔屓が激しい状態になっています。
脚本家の朝ドラ起用が決まっただけで、お祝いメッセージを投稿しバズる。そんな現象が起きていました。
しかし、こういう熱気につられていると思わぬ罠にかかります。

などとあります。
話が戻りますが、先ほど同調心理の実験についての記述がありました。この実験に使われる問題として、たとえば1+1は2なのに誰かが3と言えば、その方につられてしまうといったものがあります。この場合1+1=2というのは真実です。また武者さんが引き合いに出している、関ケ原の戦いも1600年に行われたのが史実であるとされており、正解が存在します。

ただ何度も言うようですが、ドラマに限らずエンタメには、恐らくどの作品でも賛否両論があり、その意味で正解が存在しづらいと言えます。にもかかわらず武者さんはそう思わないようで、「思わぬ罠」の例として

「石兵八陣」につっこむことになりかねません。

などとあります。この石兵八陣、関羽の弔い合戦である夷陵の戦い時に、劉備の戦法を危うく感じた諸葛孔明が、蜀軍が敗走することを見越し、巨石によって作ったもので、定期的にその陣内で突風や波が起こるようになっている仕掛けです。
実際恐るべきものですが、何もこんなのを引っ張って来なくても、きわめて危険な状態になるとでも書いておけばいいのですが。

そしてまたくどくどとジャニーズ。下記の夕刊フジの鈴木祐司氏の記事を持ち出しています。

◆若年女性の〝ジャニーズ離れ〟加速、視聴率から読み解く 頼みの綱のタレント人気、NHK「ザ少年倶楽部」が大幅減(→link)

そして本文から
「一部の熱烈なファンは、所属タレントには罪がないとSNSで発信する。
ただし、これらはラウドマイノリティーで、圧倒的多数のサイレントマジョリティーは〝ジャニーズ離れ〟を始めているのだ。
視聴率が雪崩を打つように下がり始めた以上、事務所の名称変更や株式を含めた体制の抜本的見直しはもはや避けられない」
といった部分を抜粋しています。
ファンダム嫌いの武者さんとしては、我が意を得たりといった思いなのでしょう。

しかしこの鈴木氏、『ステラ』では大河関連の記事を手掛けており、武者さんはそれを幸せ探しのポリアンナ記事(チェリーピッキングの意味と思われます)と揶揄しています。同じ著者が、ジャニーズ離れのことを書いたら褒めるのですね。しかし鈴木氏、ヤフーの記事がすべて削除されましたね。

しかしここで言えるのは、所属タレントや俳優は罪がないということ、これは事実でしょう。
事務所が悪いからお前も悪いでは、連座制、連帯責任になりかねず、もっと言えば人治主義です。一部で糾弾する声が大きいから悪いと決めつけてしまうもので、これでは、法の出る意味がなくなると思うのですが。

心してかかりましょう。
ラウドマイノリティーが大声で「でも私は好きだから!」振り翳してきたら、その薪を引っこ抜くことを心がけるのです。
そんなものは子どもが「ピザは体に悪いっていうけど、私は好きだもん! ピザが好きな私をバカだっていいたいの?」と上目遣いで涙をためて言うようなもの。
作品の好悪と評価は本来別物です。

「作品の好悪と評価は本来別物です」
好悪はともかく、エンタメ系の評価に絶対はありません。スポーツの評価の方が勝敗で決されるところがある以上、もっとシビアです。
しかし武者さん、好悪と評価が別物ならば、貴方が嫌いな『どうする家康』にもし好意的な評価がくだされても、文句は言えませんね。
つまり貴方が大声で「でも私は嫌いだから!」と主張して来ても、その薪は引っこ抜かれるのですね。
そして貴方が『どうする家康』が嫌いだというのは、子どもが「ピザは体に悪いっていうけど、私は好きだもん! ピザが好きな私をバカだっていいたいの?」と上目遣いで涙をためて言うのと同次元であるとみなされるのですね。
(しかしかなり前の方で持ち出している釜底抽薪を、ここで持ち出してくるのですね)

それとピザが必ずしも悪いわけではありませんけどね。問題は食べすぎなのですが。
こういう記事があったので貼っておきます。

癖になるけど、体も気になる宅配ピザ 賢く食べるには
https://www.nikkei.com/nstyle-article/DGXMZO65542430Y0A021C2000000/
(元NIKKEISTYLe→日経Gooday)

そして『いだてん』に関して。
「教養を低下させかねない不正確な描写すらありましたが、私が言いたいのはそこではありません」
何だか随分上から目線ですね。
私はこれは途中で視聴をやめたので何とも言えませんが、何でもある記事で、『いだてん』ファンが以下のような論調になると書いてあるらしいのです。
「近代オリンピックの歴史を描いた『いだてん~東京オリムピック噺~』(19年)は視聴率こそ振るわなかったが教養と娯楽を兼ね備え、かつ映像として見応えのある秀作であったことも記しておきたい」
しかしやはり武者さんは面白くないようで、

「私は『いだてん』が好きでした。しかしなぜヒットしなかったのか。何をどう、読み違えたのか。検討は必要です……」
諸葛孔明のような顔でそう振り返ってこそ、大人の責任の取り方でしょう。

などとあります。「読み間違えた」ことにしないと気が済まないのでしょうか。
ならば武者さんも『麒麟がくる』の駒がなぜあそこまで言われたのか、諸葛孔明のような顔で振り返っては如何かと思います。

そしてまた海外ドラマだの華流時代劇など、武者さんが喜びそうな記事のリンクが貼られています。
で今度は

君子一言、馳馬難追
君子の一言は、駿馬に鞭を入れたようなもの。事態が素早く動き追いつけなくなるぞ。

これ、
「君子が一度口に出したことは4頭立ての馬車でも追いつけない、つまり一度口に出すと取り返しがつかない」
の意味なのですけど。
武者さんて、本当に漢籍に関心があるのですか?
追記:この諺ですが、「一言既出、駟馬難追」と「君子一言,快馬一鞭」というのはよく目にします。私は前者の意味に解釈しましたが、もう一つの方も似たような意味で、どちらも「追いつけなくなる」のではなく「取り返しがつかなくなる、迂闊にものを言うな」という意味です。
そしてこの『君子一言、馳馬難追』という諺、検索すると『好父母必修的八堂說話課』という書物が出て来ますが、生憎今それ以上のことはわかりません。そもそも武者さんも出典を「中国の諺」としかしていませんし。

武将ジャパン中国ことわざ

そして

NHKはもう時間切れ。手遅れでしょう。
いくら何を言おうと、局のロビーには松潤家康ポスターが貼ってある。

大河ドラマの主人公だから、当然貼ってあると思いますよ。

そして次の朝ドラは『ブギウギ』ですが、これに関してもジャニー喜多川氏との関係がある、そして再放送中の『まんぷく』も、日清食品は過去に疑惑があるとか何とか。嫌いなドラマの情報集めには余念がありませんね。とは言え、武者さんが褒めるドラマの登場人物も、過去に色々なものを背負った人もいるのではないかと思いますが。

NHKという大樹を切り倒すとなれば、それこそ斧の一撃ではどうにもならないでしょう。
しかし、何回も打ち込んでいればどうなるか。
私はあえて続けたい。毒抜きをした方が結果的に良いこともあるはず。
そろそろ限界ではないか?と私は感じています。受信料を払っている皆様であれば、その一撃を打ち込んでもよいでしょう。

NHKは特殊法人ですからね、倒すより民営化とか、逆に国有化するという方法もあるかと。国有化すればすべて公務員待遇で、社屋も所有できなくなります。
ただ武者さんがNHKを切り倒せと言っているのは

今年の大河が気に入らない
その大河に、ジャニーズ所属俳優が出ているのが気に入らない
今年に限らず、過去にも自分が嫌いな大河や朝ドラを放送しているのが気に入らない

こういった点がメインで、いくらか衝動的なのでは思われます。
もしNHKがなくなれば、貴方が好きな朝ドラや大河も放送されなくなりますよ。

◆NHK みなさまの声(→link)
それにしても、大河ドラマのことを考えるうえで、なぜ歴史ではなく、メディアの策だの、事務所の都合だの考えねばならないのか。
ジャニーズと癒着したどこぞの誰かのせいで、腹立たしい限り。
一体この茶番劇は何なのでしょう。

またメールフォームですか。関ケ原が楽しみですと書いておきますか。
それと「それにしても」以下、武者さんが勝手にそう思っているだけではないでしょうか。

しかし大河関連はちょっとおざなりな部分もあるのに、それ以外の、特に持説展開に関する記述では、あれこれ記事を持ち出して来て実に元気がいいですね。
やはり本当に書きたいのはこちらなのでしょう。

飲み物-エスプレッソブラック
[ 2023/10/07 21:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第36回の『武将ジャパン』大河コラム関連その5です。尚、taketak39460607さんのnote記事のご紹介は、この次の大河関連投稿になります。

5ページ目、例によってファンダムやジェンダー論関連の持論展開が目立ちます。そして以前も登場した屈原の
「衆人皆酔えるに我独り醒めたり」(衆酔独醒)

衆人皆酔えるに、我独り醒めたり。屈原『漁夫辞』
みんなハッシュタグで無茶苦茶盛り上がっているけど、自分はそういう性格じゃないんだよね。

まず意味から行きましょう。
「多くの人は酔っているのに、私ひとりだけが醒めている。それ故に罪となり、遠い地に流されたのだ」
「自分はそういう性格ではない」とはちょっと違うような気もしますが…。

そしてファンダムとハッシュタグについて、

中高年以上は放映時間に大河を一斉に見ることが習慣としてあり、大手掲示板で実況書き込みをする人も多かった。その若い頃の習慣が抜けず、リアルタイムで投稿することで承認欲求を満たすことができるのです。そりゃ楽しいとは思いますよ。考えに考えて投稿してもろくに「いいね」も「リポスト」もされないのに、ハッシュタグつけてドラマのことを語ったらそれがドッとつく。中毒性もあるでしょう。

ハッシュタグをつけての投稿は、(武者さんがあまり好きでないであろう)中高年以上の、おじさんやおばさんのものなのでしょうか。またその人たちの投稿は、本当に承認欲求を満たすためのものなのでしょうか。そしてそれは、中毒性があると言い切れるものなのでしょうか。

確かに同じドラマを観ている同志で、やり取りをするのは楽しいものであり、その意味でハッシュタグは有効な手段です。しかしその人たちは年齢的にまだ若いかも知れないし、先行放送あるいは再放送を観ているかも知れないし、承認欲求よりもそのやり取り自体が楽しいからという動機からやっているとも思われるのですが、なぜこう断言してしまえるのでしょうね。武者さんのネガティブなファンダム観が窺えます。

その一例としての『ちむどんどん』(大河コラムのはずなのですけどね)反省会タグに関して。

◆ちむどんどん、イライラしても「見てしまう」視聴者達 一体なぜ?識者が推し量る「制作側の意図」(→link)
ハマって見ているならまだしも、つっこんで見ることが中毒性になってしまうですね。
(中略)
『ちむどんどん』についていえば、反省会タグに夢中になっていたと思われる方と実際に話したことがあります。
その方は、反省会タグで猛威を振るっていた“ある誤認”を元に批判してきたため、それに対し論拠を示しつつ、否定しました。そのときの相手の不機嫌な顔は今でも思い出せます。
どうやら「いいね」や「リポスト」に溺れていると、自分に確固たる自信が湧いてくるようで。

私もこの朝ドラの反省会タグは何度か目にしたし、中にはもっともであると思われるものもありました。武者さんの場合、好きな作品への反省会タグというだけで、敵視しているふしがないでしょうか。ならば見なければ済む話です。それとこの場合の「ある誤認」とは具体的に何なのでしょうか。

しかも、

私の指摘に対して「この番組の識者である我が意に背く気か!」とイラつく様子なのです。
しかし、だからといって論拠立てての反論はしてこない。

失礼ですが、何やらブーメランのように見えてしまうのですが。
その指摘が何であるのか、そして相手がどのようなことを言ったのか、よくわからないので何とも言えませんが、実際『ちむどんどん』にはその当時存在しなかった物、法律上適用されなかったこと(沖縄の農産物を本土で売れないといった)が適用されたかのような描写も出て来ており、それを指摘した人も当然いるわけでしょう。

今にして思えば「ちむどんどん」はアンチが強いだけで、そこまで悪くなかったのだと思います。
その次の『舞いあがれ!』は本タグもアンチタグもあそこまで盛り上がっていない。
ただひたすらつまらない、突っ込む価値がないと思われたドラマは、無言の離脱視聴者が増え、ただ単に数字が落ちるだけです。

既に上の方で述べていますが、疑問に思える点も沢山ありましたよ。
そして『舞いあがれ!』は叩くのですね。私はこの朝ドラは、そこまで投稿をチェックしたわけではありませんが、前作に比べると、突っ込まれる要素が少なかったのではと思えます。無論人によって好き好きはあったでしょうが。

SNSを見ると『どうする家康』も、反省会投稿そのものが減っています。「いいね」や「リポスト」がそうそうつかないんでしょう。数字や関連商品の落ち込みぶりと一致します。
今も稼働中の「反省会」は、滝行に挑むようなストイックな心境だと思いますね。

これで不思議なのが、武者さんは「いいね」や「リポスト」目当てで投稿するのが嫌だと言っているわけです。ならば、そういう投稿が少ないのは寧ろファンダムが健全に回っているわけであり、評価するべきことだと思うのですが、今度は皆が無関心だからという方向に持って行きたいのでしょうか。

そして「牝鶏晨す」、要はめんどりが鳴いて朝を知らせることから、女が権勢を振るうことのたとえで、国や家が衰える前兆とみなされるわけですが、これも時代遅れだとしたうえで

かつて、倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました。
(中略)
クールな本音をネットに書き込む自分たちこそが情報強者で特別だという特権意識が広まっていったのです。
そういう世代が、今ではそれなりの発言権を持つようになり、今、いろいろと弊害が出てきています。
典型的な逆張り冷笑欲求として、草を生やしながら女性蔑視をキメたいというものがあります。

その次にエコーチェンバーが出て来ますが、これはあまり詳しく書かれていません。
そして順番が前後しますが、この後にも

今年の大河ドラマを熱心に擁護している方たちの中にも、一部過激な方たちがいます。
ドラマを批判するSNSの反省会タグまで乗り込んできて、批判的なファンを攻撃していくのです。
彼らを見ていると、大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩いたり、仲間同士で承認欲求を満たすことが大事なように思えてきます。

自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める。そこを抜け出そうものなら里を抜けた忍者のように叩かれる。
そんなギスギスした村社会のシステムが見えてきたように思え、興味深い。

先ほどブーメランだとちょっと書きましたが、これらの記述も似たようなものだと思います。
「大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩くのが目的」
「自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める」
今までの武者さんのこのコラムを見る限り、この2つはかなり顕著な傾向となって現れているのではないでしょうか。しかも、それが年を追うごとに過激化している印象を受けます。

そして
「倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました」
とあります。武者さんはそうでないということなのでしょうか。
しかし嫌いな大河だと、出演者や制作スタッフが真面目に取り組んでいる作品を冷笑し、また登場人物を、かつてビッグモーターのCMに出ていたものの、イメージダウンになるので自ら降板した俳優さんを未だに「ビッグモーター」呼ばわりし、また近眼設定の登場人物をそうでないと一方的に決めつけ、こちらもまたレーシック呼ばわりしているわけです
正直こういった点では、武者さんも「逆張り冷笑欲求」と言えるのではないでしょうか。

現にこういう記述も出て来ます。

『どうする家康』は、こうした状況と非常に似通っている。
側室オーディションだけで一回使う。
マザーセナ信仰で何もかもばっちりだ。
バカな女をおちょくる女叩き要素も小ネタとして入れてくる。
団子売りだの大政所だの、ババアはちゃんとコケにしてくる。
『麒麟がくる』の”駒ちゃん“みたいな生意気な女はいないし!
ああ、なんて甘い世界なんだ!
そういうノスタルジーには合致しますよね。同じ脚本家の『レジェンド&バタフライ』もそうでした。

「側室オーディション」「マザーセナ信仰」「バカな女をおちょくる」「ババアはちゃんとコケにしてくる」
非常におちょくっている印象がありますし、このバカな女とかババアをコケにするというのを平気で出してくるのが、言っては何ですが、武者さんは本当は女性蔑視なのだと考えざるを得なくなります。
第一、団子屋の婆さんとか大政所の気持ちを読み取れていませんし。

で、これも『どうする家康』関連で、このような諺を引き合いに出しています。

櫝(はこ)を買いて珠(たま)を還(かえ)す。『韓非子』
ブランドのわかる箱だけ欲しいんです。中身はどうでもいいし。

この意味ですが、
「 外見の立派さに惑わされ、中身の本当の価値に気が付かないこと」です。
何か微妙に意味がずれていないでしょうか。

そしてこれに関連することで、

もしも『どうする家康』が民放ドラマや映画だったら。
あるいは女性主人公や女性脚本家であったら。
もっと徹底的にボロボロに叩かれていたかもしれない。
つまり、「男性向き大河」という“ラベル”に『どうする家康』の真価はあり、それを褒め、自己と一致させることが、自我の一部になっているのかもしれません。瓶の中身がまずかろうがどうでもいいと。

女性主人公や女性脚本家ならもっと叩かれていたとありますが、それを言うなら武者さんは、女性主人公や女性脚本家の大河を過去に叩いたこともあるので、これは如何なものかと思います。「女性だから叩かれる」という発想は、大河に於ける女性の地位を自分で貶めているようなものではないでしょうか。

また私としては、『どうする家康』は少なくとも、過去の、特に20年くらい前までの男性向き大河(の定義がどのようなものか、やや不明ですが)とは別物のように思います。武者さんにしてみれば、おじさんまたはおばさん向け大河でミソジニーと言いたいのかもしれませんが。

それからネスレ元社長の高岡氏の記事についてです。

こちらの記事が話題になっていたので、読まれた方も多いでしょうか。
◆【独自】《ジャニーズCM打ち切り問題》元ネスレ社長独占告白! 看板商品のCMに退所後の香取慎吾さんを起用...「タレントには罪がない」という理由(→link)
元ネスレ社長の見解が述べられています。
ジャニーズ起用の危うさとともに、ネスレは東京オリンピックスポンサーにもならなかったと指摘されています。
どうにも危ういと感じていた。その感覚を重んじたことが今になって急激に評価されています。

この記事ですが、一部切り取り報道をされているようにも見えます。
こちらの記事(アエラドットコム)では、元社長である高岡氏のこういうコメントが紹介されているので、その部分を挙げておきます。

https://news.yahoo.co.jp/articles
/44265f0bb26f042aa68b969b1aa2a32358419634?page=3

今、市場調査したら、ほとんどの人は、ジャニーズのタレントが広告に出ている商品は買わないって言うでしょう。でも、それはうそです。買うとは言いづらいから、買わないって答える人が多いだけで、回答結果と実際の購入行動が一致するとは限らない。それを理解したうえで判断するのがマーケティングのプロであり、企業としての正しい姿勢だと思います。

みなさん、ジャニーズの企業体質を変えろって言いますけど、加害者本人がいない今、何をどう変えるべきだと思っているのでしょうか。社名を変えれば、体質は変わるんですか? トンチンカンすぎて、グローバルでは笑われますよ。

隠蔽(いんぺい)体質を責めるつもりなら、取引企業やメディアも、性加害の実態を知らないふりして、あるいは知ろうとしないで、一生懸命ジャニーズにお金を投じてきたわけなんだから同罪でしょう?


武者さんはこの記事のことを、ご存知なかったのでしょうか。

あとまたメールフォームのリンクがありますね。
まあ私は、武者さんが望むような意見は送らないとは思いますが。


飲み物-ロックグラスカクテル
[ 2023/10/01 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-2

まずおわびです。このコラムの原文をコピペして下書き保存したつもりが、手違いのせいか公開されていました。その間アクセスされた方は驚かれたかと思います、失礼いたしました。

それと視聴率関連でこのリンクを貼っておきます。やはり、スポーツ中継は数字を持って行きますね。

【W杯バレー】女子日本代表の対ブラジル戦、世帯視聴率は14・1% 「ポツンと一軒家」「どうする家康」を大幅に上回る
(サンスポ)

では『武将ジャパン』大河コラムその2です。
稲も武者さんはお気に召さないようです。

じゃじゃ馬を通り越して、ただ単に不愉快で幼稚に見える稲。
腹ではなく、頭のてっぺんからキンキン声を出すような発声で、演技も硬いし、表情の作り方もヤンキードラマじみている。和装らしい所作もできていない。
(中略)
もう、慣れぬ衣装を着こなすだけで精一杯のように見えます。
しかも、稲の衣装は緑と赤という補色の組み合わせであり、非常に難しい。相当うまいことやらないとマヌケになってしまう。

稲は武芸を父親の忠勝から教わったという設定であり、そのため同年齢の女性と比較しても、どこか男性的で物柔らかさに乏しいキャラとなっているため、必然的に立居振舞もそうなるでしょう。打掛姿がしっくり来ないように見えるのも、そのキャラ設定だからこそと言えます。
あと稲は打掛の裏打ちは赤ですが、基本的に緑の打掛に紺の小袖ですね。

そして『大奥』は衣装がキャラに合うが稲は違うとか’(稲もあのさばさばキャラに合っていると思います)、忠勝の龍紋が安っぽい土産品だとか、例によって例の如くだなと思います。

そして「どうするキャンドルサービス」なる小見出しで。

部屋の中にキャンドルを置きまくるセンスは一体どういうことでしょう。
豊臣の成金アピール?
煙が出ますし、なにより地震で酷い目に遭ったばかりなのをお忘れでしょうか。
大火災を招きかねないキャンドルサービスとは、思い切ったことをやるものです。

まずキャンドルサービス、披露宴の演出で行われたりもしますが、元々は、キリスト教の教会や学校などで、信徒や生徒が各自ロウソクを手にして行うサービス(礼拝)のことです。従って、あのようにロウソクを並べ立てるのとは多少意味するものが違います。

そして大火災を招きかねない云々とありますが、そういつもいつも地震があるわけでもなく(余震はあったかも知れませんが)、それとよく見るとロウソクを並べている場所には金属が貼られているようで、あれなら即座に燃え移る可能性は低いかと思われます。

恐らく南蛮趣味(これは石川和正出奔の際の廊下のロウソクもそうでしょう)でもあり、またこの当時ロウソクは量産体制ではなかったことから、あれだけを揃えるのはかなり値の張るものであり、ゆえに富と権力の象徴であるとも言えそうです。

そのわけのわからない部屋で、寧々は不倫をテーマにしたWeb漫画広告セリフみたいなことを言う。
ビッグモーター秀長がフォローしても、嘘臭いとしか思えない。
「夫にするなら藤吉郎!」とか笑顔で語っていそうなんですよね。
しかし、秀吉の狂気すら、寧々の暗い顔と説明セリフだけで処理するって、何から何まで怪しいWeb広告みたいですね

また「ビッグモーター秀長」。
「レーシックお愛」と同じで、意地でもこの表現を、相手に失礼になるにも関わらず使い続けていたいのでしょうね。

そして
「不倫をテーマにしたWeb漫画広告セリフ」
などとありますが、この時は家康が訪ねて来ているわけです。政の意味合いが大きいにもかかわらず、新しい側室にご執心と言うのは、そういうのをないがしろにする夫への非難もあるでしょう。
どこか「不倫をテーマにしたWeb漫画広告セリフ」なのでしょうね。嫌いな大河なら何でも言っていい、その姿勢が秀吉の欲望並みにエスカレートしまくっていませんか。

あと「寧々の暗い顔」
なぜ暗いというか険しい表情になっているのか、少しでも考えているのでしょうか。
まあ怪しいWeb広告にしか見えないのなら、あまり考えていないのでしょう。

そして本多正信が腕組みするのはイキリバカとかなんとか。

腕組みをしているという状態は、危険です。
転んだ時に咄嗟に手をつけない。ましてや彼は腐っても武士ですからね。敵襲を受けることを踏まえ、両手は空けておくべき。
そんなことよりもカッコつけを踏まえて時腕組みしているなら、相当恥ずかしい。
武士というのは何気ない場面でも、そういう気構えができてこそでしょうよ。

正信が腕組みをしているのは、於愛に何か頼みごとをしている時とか、何らかの問題にぶつかって考え込む時であり、あのような状況で「敵襲」を受けるというのは考えにくいのですが。

それと
「カッコつけを踏まえて時腕組みしている」
て具体的にどういう意味ですか?
あと
「武士というのは何気ない場面でも、そういう気構えができてこそでしょうよ」
も甚だ曖昧模糊とした言い方ですね。武者さんの文章は特に

主語がはっきりせず、誰がどうしているのかがわかりにくい
具体的にどのようなシーン、どのような状況を指しているのか不明(説明不足)
自己満足的表現が多い、「レーシック」とか「ビッグモーター」など相手を揶揄する表現を含む

こういった点が目立つなと思います。

でこの後また
「私が見たいのはそんな武士であって、こんなイキリ倒した「ワタシってサバサバ軍師だからぁ〜」とか言いそうな人物ではありません」
この表現よく出て来ますね。もう3度目くらいではないでしょうか。
武者さんはセットの使い回しに言及していたことがありますが、自身の表現の使い回しの方をもう少し考えてほしいものです。

屋根が全くなく、木造の廊下がある場面はなんなのでしょうか。
このドラマのセットって、日本の降雨や湿気を踏まえていませんよね。
こんな状態では、速攻で腐ってしまうのでは?

前からそうですがこれも3行で1パラグラフ。
非常に適当な印象を免れません。もう少し文章をまとめてからパラグラフを作りましょう。

そして「このドラマのセット」のみならず、昔の家は濡れ縁と言って、屋外に張り出した縁がありました。無論戸の内部にある縁もあり、こちらをくれ縁と呼んでいます。
当然天気が悪い時は雨ざらしになっていました。
そのため水はけがよい造りになっています。少し古い家なら、今でもあるかと思います。
武者さん、本当にご存知ないのでしょうか。

また廊下でも、屋根や壁がない造りのものもありました。

千代がまた出てきた!
こんなカルト臭い女を出さないで欲しい。
穴山梅雪と一緒に討たれた設定で良かったでしょうに、一体どんな需要でしょうか。

「どんな需要でしょうか」て何か変な表現だなと思いますが、それはともかく。カルト臭いのは、武者さんの場合瀬名ではないのですか。元々巫女なのですから、一般人女性とは色々違っていますね。

それにしても今さら「千代は馬場信春の娘でした!」とか言われたところで何なのでしょう。
武田家重臣の娘を忍びからカルト巫女にするなんて、何がなんやら脱力するばかり。
鳥居元忠の最期に付き添いさせて、感動させたいんですかね。

馬場信春の娘にまで触れながら、「教来石」には触れないのですか?馬場信春のかつての姓であり、ひいては領地を意味していますが。その教来石の外れに彼女がいたというのは、自分にも縁のあったこの地に戻っていたということなのですが。
あとまた「脱力するばかり」
そんなに脱力するのならいっそ観ないか、あるいは脱力覚悟で観るかのどちらかですね。

女大鼠もこんな風に再登場したらイヤだなぁ……。さっさと半蔵の妻にでもなって、背景にちらっと映る程度で十分です。

これはまた異なことを。武者さんは大河の女性に
「誰かの妻にでもなって、背景にちらっと映る程度」
をお望みなのですか。大鼠(女大鼠ではありません)は基本忍びであり、再登場の可能性はあるかと思いますよ。
何よりも
「誰かの妻になって目立たない存在」
を駒に対して言われたら、武者さんどう思うのでしょうね。
嫌いな大河だと平気で妻になれ、目立たないでいろのダブスタですね(無論、妻になることが悪いとは一概に言えません)。

そして「どうする山賊忠勝」なる小見出しで、

本多忠勝からまるで強さが感じられません。
武人としての強さは無く、髭をたくわえて粗暴になっただけのように見えます。
下劣な山賊と化しました。
しかも、その暴れる理由が、あのカルト巫女だもんなぁ……もういい加減にしてくれ。
戦場で輝いてこそ本多忠勝でしょ!
こんなヤンキー漫画のようなしょうもない喧嘩に時間を使ってどうするのか。

「山賊」、秀長に対しても同じことを言っていましたね。
髭を蓄えて粗暴な雰囲気なら、昨年の和田義盛も外見は似ていませんか?
そして千代(武者さんに言わせれば『カルト巫女』なのでしょうが、巫女さんに対して失礼かと思うので)を巡って暴れているのではなく、彦が千代を探し出していながら、家康に黙っていた、その態度がけしからんという理由で、忠勝が乗り込んだわけです。その辺りを理解できているのかどうか不明です。しかし武者さんにしてみれば、嫌いな大河の争いは何でもヤンキー漫画らしいですね。

そして
「戦場で輝いてこそ本多忠勝でしょ!」
あの、小牧・長久手の戦いで、秀吉軍の前に立ちはだかった忠勝を見ていないのですか?

しかしこの前も「「叩き棒」と「逆張り」の心理」で書きましたが、
「あと、これもよくあることなんですけど、「自分の好きなもののライバルへのアンチ活動」って、人間すごくハマりやすいんですよ。マイナスの意見の方がモチベーションが生まれやすいというか、ファン活動より実があったりしますからね。その実が美しいかどうかは別として。」
という言葉には大いにうなずけるものがあります。武者さんも叩いている時の方が元気だし(苦笑)。


飲み物-琥珀のエール

[ 2023/09/28 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

「叩き棒」と「逆張り」の心理

ネット上の「叩き棒」、そして「逆張り」について書きたいと思います。
と言いますか、それについて書かれているnoteを見つけたので、それのご紹介のような形になります。

あなたの好きな作品はテコでも叩き棒でもない
https://note.com/hyuugahikage/n/ncad4a1f2238f

まずK-POP関連の記事が紹介されています。ただこれが3年ほど前の記事で、生憎今はファイルが削除されているようですが、恐らくその記事中に、叩き棒と思しき表現があるようです。これに関しては記事中から、順を追ってピックアップして行きます。

1.何かを語るときに、「〇〇の方がいい」とか「それに引き換え〇〇は」とかは安易に言わない方がいい
2.何を比較にするかは書き手の恣意性があり、どっちつかずになるし、どっちのためにもならない
3.両者の知識の量・質におけるギャップが出るので、その差が批評の「穴」として浮上することがある
4.比較と言うのは何かを説明するには有効な方法だが、どちらかを上げるまたは下げるような方法は避けた方がいい
5.好きなものを上げるためのテコとして他の作品を持ち出す、他の作品を否定するための叩き棒として好きな作品を持ち出すのは誰も幸せにしない

実際その通りだなと思います。この記事にもありますが、SNSは言論の極化が起きやすい、つまりアンチと擁護あるいは肯定派に分かれやすいわけです。それと特に2や3や5、これはこのブログでもよく書いている『武将ジャパン』大河コラムの方法にそのまま当てはまるなと思います。

特に嫌いなものの知識量や質が劣っている点について、件のコラムの場合は、嫌いな作品の場合はきちんと本編を観ることもなく、そのためドラマの細部の描写の認識が、おろそかになっている感があります。またこれは本編だけではなく、公式サイトやSNSの情報にも同じことが言えます。

そして
「他の作品を否定するための叩き棒として好きな作品を持ち出すのは誰も幸せにしない」
この場合、当事者の好きな作品がイメージを落とすことになりかねません。

それからこの部分

あと、これもよくあることなんですけど、「自分の好きなもののライバルへのアンチ活動」って、人間すごくハマりやすいんですよ。マイナスの意見の方がモチベーションが生まれやすいというか、ファン活動より実があったりしますからね。その実が美しいかどうかは別として。

これもおおいにうなずけます。ライバルであるかはともかく、条件面で似通っていて、また自分の好きな存在をおびやかしかねない、あるいはその地位を奪いかねない(と、当事者が考えている)場合は、特にアンチ活動が攻撃性を増してくることはあるでしょう。

それと「逆張り」について別のnoteから。

一口エッセイ:「逆張り」の研究
https://note.com/nyalra2/n/nf0d9da45a6fe

こちらは「『逆張り』の研究」という本を基にした文章となっています。
元々は相場に逆らう、裏をかく形で投資を行うことですが、ネット上の話題に逆らう形で主張することをもこう呼びます。こちらもいくつかピックアップさせて貰いますが

1.ネットスラングの「逆張り」はSNSと相性が良く、大衆が夢中になる巨大なモノに反抗する高揚感、同じ意見を持つ仲間で固まっていく一体感、とにかく「何かと戦っている」感覚を得ることができる
2.人気や権威ある作品や作家を貶してボロクソに言うことで、本人の中で批評した気持ちになってしまう現象
3.その作品に「ある」点を見つけるより「無い」点を叩く方がずっと楽で誰にでもできる(書いてないことを指摘するだけなので)
4.「冷笑」タイプのオタクの話も多く、これはシンプルになんでもバカにして欠点を指摘することで、なんとなく頭良さそうに見せている人たちである
5.逆張りや冷笑によって「個性」を得ようとしてしまうのも、反抗期や思春期が誰にでもくるように、ネットを数年浴びると避けられない問題かもしれず、ある意味必要な期間でもある

2の場合、これも例のコラムにありがちな傾向ではありますが、ただこの場合、必ずしも「人気や権威ある」だけではなく、特定の対象を叩くことにより、その対象を肯定している人達に対して、一矢を報いた気になれるということも言えるでしょう。
3の「ある」点を見つけるより、「無い」点を叩く方が楽、こちらも2と同じことが言えるかと思います。

逆張りがSNSと相性がいいというのはうなずけます。ただその場合、逆張りをしたい対象がネットで話題になっているというのが前提条件という必要があります。叩き棒とは、好きでない対象を貶めるという意味で共通していますが、この場合もちろん好きな作品と比較するのではなく、最初から当該の対象の存在を否定してかかるという点で異なっています。


飲み物-ショートカクテル
[ 2023/09/17 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。
尚先日書いた分、いつものことで申し訳ないのですが、ちょっと手直ししています。他の分もおかしな部分を見つけ次第、直してはいますのでご了承ください。

それと柴田勝家、実際はお市が見立てたであろう綿布ですが、武者さんはこう書いています。
「あの布きれを贈るだけでも結構なコストがかかり、その手間を考えたら綿布では愚かにも見える」
「布きれ」はないでしょうね。この当時まだ木綿は一般的ではなく、家康も未だ麻の着物を着ています。

越前は絹の産地であり、木綿が作られるようになったのは江戸時代からと言われていますが、福井県史によると弘治年間に木綿の記載がある由。あるいは三国湊に着いた交易品だったのでしょうか。お市のが交易品なのか、既に地元で作られていたのかはさておくとして、当時はそこそこ値の張る品だったかとも思われます。
しかし『おんな城主 直虎』で、試行錯誤しながら綿の栽培をしていたのを、武者さん観ていると思いますが。

あと石見銀山と博多商人ですが、一応このリンクを置いておきます。

石見銀山の歴史( 島根県)
こちらのページに
「銀鉱山の開発を開始したのは、当時、日本最大の貿易港であった博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)である」
とありますが、寿禎は博多三傑の1人神屋宗湛の曽祖父に当たります。

では本題に入ります。

ショックを受けた瞬間、コロコロと筆を転がす家康。そして音楽がピロピロ流れる……。
この筆の落とし方がおかしいんですね。
落とした時の筆の向きが、ペンや鉛筆を持っていたような角度でして。それに筆を落としたら墨が紙につくのに、それもない。筆は立てて持ちます。ゆえに気が抜けて横にコロコロと転がるというよりも、垂直にボタっと落ちて、転がらずにバタンと倒れる。その方が自然です。

まず「筆を転がす」シーンです。
第30回41分辺りのシーンですが、家康は手紙をしたためています。あるいはお市に宛てたものだったのでしょうか。ともかくその途中に北ノ庄落城の知らせを受けた家康は、筆を落とすと言うよりは寧ろ筆を放り出し、手紙をくしゃくしゃにしたように見えます。
そして書く時はもちろん筆を立てていますが、直政が勝家とお市の自害を告げる時は手を休め、筆を寝かせたようにして持っていますから、あのまま放り出したとも言えそうです。
あと筆先が紙につかなければ、墨はつかない可能性もあると思います。

しかしとにかく叩かなければ気がすまないのでしょう。
「筆の持ち方すら再現できない大河ドラマとは何なのでしょう。
NHK全体の問題ではないんですね。『らんまん』はちゃんとした筆の持ち方をしていますから」
などと書いています。そしてここでまた『らんまん』を引き合いに出しています。

私は『らんまん』を観てはいませんが、面白いドラマだと聞いてはいます。しかし武者さんはこの間の、少年時代の信長の筆の持ち方でもこの朝ドラと比較しており、ここまで叩き棒にされると何だか気の毒になります。

ところで、家康が白兎と呼ばれていたことを秀吉は知っていたんですか?
信長と秘密の呼び名だったのではない?
果たしてこの呼び名はイケてるのでしょうか。
こんなもんまで作っちゃって。
◆徳川家康&織田信長が“ANIMAL COORDY”マスコットに!大河ドラマ「どうする家康」のロゴタグ付きでセガプライズに出陣!!(→link)
『鎌倉殿の13人』でこういうプライズがあれば欲しかったかもなぁ。

第15回「姉川でどうする!」で、「これからも判断を間違えるなよ、白兎」と信長が言って家康の耳を噛みますが、その時秀吉もそばにいてうなずいていたことから、知っていたのではないかと思います。
「『鎌倉殿の13人』でこういうプライズがあれば欲しかったかもなぁ」
義時に動物関係のニックネームでもついていれば、あるいは…だったかも知れません。

瀬名が死んだから「信長を倒す」。
お市が死んだから「秀吉を倒す」。
女が死んだら本気出す!……って、家康、あんたサイテーだよ!
ここでピロピロしたピアノが鳴り出すのが、決定的にバカっぽくて気が抜けました。

瀬名と信康が自害した→家康は信長を倒そうと思った。
織田家を守ると言いながら、お市と勝家を死に追いやった→家康は秀吉を許せないと思った。
にもかかわらず、
「女の死を男の奮起材料にするパターンは「冷蔵庫の女」と呼ばれて古臭いうえに有害、ミソジニーの典型とされています。
女がらみの私怨でしか動けない男。最低としか言いようがありません」
と武者さんは決めつけているようです。この冷蔵庫の女云々も前に出て来ていますね。

その次に孫子の「火攻篇」を持ち出して来ていますが(これも少し前にありました)、
「主は怒りを以て師を興(おこ)す可(べ)からず。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり」
とあり、
「主君とは怒りの感情で軍を動かしてはならない。これぞ国を安んじ、軍を全うするための道である」
と、何だか原文をそのままなぞったような注釈がついていますが、これは
「君主(主君ではありません)は一時的な怒りで戦を起こしてはならない」
の意味です。

しかし武者さん、劇伴のピアノを「ピロピロ」としか紹介しませんね。

家康はこういうことを言っていましたね。
「マザーセナのあとは正室は置いていないんだ!」
「秀吉はわしが倒す」
で、その後にやることは、秀吉の妹・旭姫を正室に迎えること……いやいや、最低すぎるでしょうよ。

武者さんが「焼け木杭」にこだわった第28回ですね。家康は、側室たちがやってくるから正室は置かない、従ってお市と再婚することも考えていないと言っています。
その後秀吉と戦う、まあここまではいいでしょう。おかしいのは
「秀吉の妹・旭姫を正室に迎えること」
小牧・長久手の戦いの後も、秀吉は北国平定の人質絡みで、家康討伐を目論んだとされています。しかし天正地震が起こったため戦ができなくなり、妹の旭を、夫と離縁させてまでして送り込むに至ったわけです。ですからこの再婚は、家康の意志とは言えないでしょう。

しかもこのドラマのことだ。『青天を衝け』のようなロンダリング技術はなく、下手すりゃ旭姫ともほっこり恋バナを無駄にねじ込みますよ。
「旭チャンはその天パがコンプレックスなの? そんなことないよ、かわいいよ♡」
という感じで『平清盛』の後白河院と滋子のパターンを繰り返すんですね。
つまり、世間では醜いとされる癖っ毛を愛するなんて素敵♡そういうノリだ。磯CPがきっとそういうのが好きなんでしょう。
こんな予感、当たって欲しくはないですけど。

「こんな予感、当たって欲しくはないですけど」
武者さんとしては当たってほしいのではないですか?これで叩けるから。
しかし思うのですが、レビューとは公開された、あるいは配信された作品を観たうえでそれを評価することですが、このコラムの場合、ドラマ本編をきちんと観たようにも感じられないうえに、勝手に自分で今後の内容を予想しては書きまくっているようにしか見えません。
そしてその通りに行かなければ行かなかったで、何か理由を見つけて叩くような気がしています。

あと羽柴(木下)一族のみならず、今川氏真や家康も、髪を下ろした時は緩いウェーブがかかっているように見えるので、この大河のキャラ設定として、こういう髪質、髪型が前提としてあるのかも知れません。

本作は全体的に時代劇の演技指導がなっていない。
毎度申し上げていますが、子役を見るとよりはっきりとわかります。
彼らは経験がないぶん、大人よりあらわになります。
今週、特に厳しかったのは茶々です。
あの状況で、色っぽい微笑みをするお茶々が不愉快極まりないものでした。

「色っぽい微笑み」
媚笑とでも言いたいのでしょうか。
茶々は城を出る前に、自分が天下を取ると母のお市に言っており、一度は秀吉の手を取るものの、その後突き放しています。こうすることによって彼女の気の強さ、気位の高さを出したいのでしょう。ならば、かなり演技指導ができているのではないでしょうか。

そしてその後

描写の仕方が「性犯罪者目線では?」とすら思えました。

だの、映画『レオン』に出演したナタリー・ポートマンが、男性目線の性的対象としての少女を演じたことだのに触れ、

大人の妄想を子役に演じさせることが、どれほど重荷になるか。
小悪魔少女というアイコンが、どれほど有害か。
1994年ならば、まだそれがクールで通じたのでしょう。
しかし、2023年にこういうセンスであることそのものが、時代錯誤であり、性犯罪者のような認識だとみなされかねません。

それを彷彿とさせる表現が大河ドラマで放映されるだけでなく、このタイミングで公式SNSが堂々と投稿する。
「不敵な笑みを浮かべる茶々!」って、あんまりでしょう。

などと書いています。
所謂確証バイアス、自分の持論を支持する情報ばかりを集める認知バイアスの一種だなと思いますが、それはともかくとして、彼女が「不敵な笑みを浮かべ」ることすなわち、性的対象として描かれると言わんばかりです。

まだ13歳で、母と義理の父が死んだばかりの少女が、あんな堂々たる振る舞いができますか?
怯えて震えて泣いていてもおかしくないのではありませんか?
親を悼む気持ちすらないのですか?

武者さん、貴方淀殿という人物を個人的にご存知なのですか?
そうでないのであれば、こういう設定であっても、それはそれで一つの描写と取るべきでしょう。
第一母と別れる前、多分彼女は母も自刃することを予感していたと思いますが、自分は天下を取ると毅然と言い放った少女が、あそこでめそめそ泣くでしょうか。

歴史的に見ても、この時点で茶々がこんな振る舞いをすることそのものが妄想としか思えません。
彼女が数多くいた秀吉の妻の中で突出したのは、望外の妊娠をしてからのこと。そんなことをわかっているように振る舞っているなんて、いったい何なのでしょうか。
秀吉が勝ち、天下を取るかどうかもまだわかりません。

「彼女が数多くいた秀吉の妻の中で突出したのは、望外の妊娠をしてからのこと。そんなことをわかっているように振る舞っているなんて、いったい何なのでしょうか」
そういうことを「わかっているように」振舞っていますか。少し前でも書いているように、彼女の気の強さと気位の高さのなせるわざだと思いますし、あそこで手を離したのにそれが表れていると思います。

むしろ母の姿を見ていて「有力者の妻になるということは、敗北すれば破滅するということなのかもしれない」と不安になってもおかしくないでしょう。

この当時、身分のある女性は有力者に嫁ぎ、夫が亡くなれば別の有力者と再婚するのが一般的でした。
お市も本来であれば城を出たでしょうが、彼女はこの時勝家と共に自害する方を選んだわけです。

大人が持つべき「子どもを守る」という最低限の良識が感じられず、「ネタとして使えるならOK」という描写が目立ち、子どもたちには見て欲しくない思うばかりです。

『どうする家康』に限らず、大河とは本来大人目線で描くものです。
数百年、あるいはそれ以上前の時代ということもあり、年端もゆかぬ子供が不遇な目に遭うこともあります。竹千代の人質もそのひとつでしょうし、他にも幼くして殺されたとか、殺されかけたなどどいうケースも登場します。鎌倉殿の千鶴丸はまだ幼児でした。それをいちいち考えていたら大河そのものが作れません。

そしてやけに「子供」を強調するのは、この大河が若年層中心に観られているのを意識してのことでしょうか。先日書いた、お市が腹巻をつけて水練をしようとし、溺れそうになる回想シーンでは、水難事故防止のキャンペーンまで書いていましたね。

今、日本全国を騒がせている中古車販売業と、『どうする家康』と掛けてとく。してその心は?
そんなお題で遊べる気がしてきました。
あれは中古車をゴルフボールを用いて痛めつけることで、利益を得ようとしていました。
このドラマは歴史上の人物を「史実だ!」という言い訳を用いて痛めつけ、利益を得ようとしているのでは? そのことを批判すると「大河を愛する人に対する冒瀆(ぼうとく)だ」と言い出されかねない空気まで蔓延しています。

そういう既存の資源を傷つけながら利益を得るシステムが、この大河ドラマにもあるようで……一旦そう思ってしまったら、秀長役の方が脳内でこう呼びかけてくるようになってしまい、辛い。
「大河を見るなら、どうする家康!」
「大河を信じるな、どうする家康!」

正直な話、武者さんのこの書き方であれば、大河を愛する人もさることながら、出演者やスタッフに対して誹謗中傷をしていると取られても仕方ないかなと思っています。恐らくこれが反対の立場であれば、CM企業の不祥事と、出演者は違うと主張するのでしょう。
そして
「このドラマは歴史上の人物を「史実だ!」という言い訳を用いて痛めつけ、利益を得ようとしているのでは」
「史実だという言い訳で痛めつける」
具体的にどのようなシーンでしょうか?

そして出演者に対して失礼と思われる部分。
「秀長役の方が脳内でこう呼びかけてくるようになってしまい、辛い」
佐藤隆太さんに対してこれはないでしょうね。

この分だと、企業自体の不祥事はなくても、スプリングバレーのCMに出ている山田さん、大森さんそして広瀬さんも、武者さんからクレームをつけられるのではないかと懸念されます。


飲み物-ブロンドのエール
[ 2023/08/12 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第26回以降の展開と『武将ジャパン』前回分追加

まず、大雨の被害に遭われた方に、お見舞い申し上げます。
さて『どうする家康』、いよいよ本能寺前夜というべき段階に入って来ました。そして第26回から

家康や家臣が月代姿になる
家臣の一部が髭を生やす
穴山信君が剃髪して梅雪と名を改める
武田氏滅亡
家康が信長に本心を見せなくなる

といった具合に様変わりして行きます。
また武田氏が滅亡したため、織田の勢力範囲が一気に膨らみます。

そして『武将ジャパン』ですが、一応前回分に関することでもう少し。

前回分の最後の方で、マンスプレイニングについて書かれていましたが、あれを見る限り、武者さんが漢籍や、このジェンダー論関連書などを持ち出して来て何やら語っているのも、ある意味マンスプレイニングと言えなくもありません。と言うのも、マンスプレイニングは男性の知識マウントや説明好きに限った話ではなく、女性でもその傾向はあるからです。
その意味で「マン」、男性を接頭語としているこの言葉は、本当は特定のジェンダーに偏っているのではないかと思えるのです。
あとこの部分。

要するに、プロットの都合上、ヒロインが死んで、そのことでヒーローが奮起するというパターンです。
このドラマの作り手は、家康という題材をみたとき、天下統一や江戸幕府を開いたといった話はすっとばし、こう思ったのでしょう。
「ヤッベwwこれだとヒロイン殺せるじゃんwww美男美女キャスティングにして盛り上げられるしwww」
ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね。

本来のヒロイン、女性主人公という意味では、瀬名が前回まではヒロインであり、今後は於愛となる可能性はあります。しかし田鶴や阿月は「ヒロイン」なのでしょうか。その回の主要女性キャラではありますが、作品全体を通してのヒロインではないでしょう。

しかし「ヒロインが死んで、そのことでヒーローが奮起するなら、昨年の八重も、『麒麟がくる』の煕子も似たようなものではないかと思います。無論好きな大河の場合は、武者さんは絶対こうは書きませんけどね。そして上記のようなことを平気で書いてしまう辺り、やはり女性軽視だなと思わざるを得ません。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2023/07/11 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

今後の『武将ジャパン』関連の投稿について 2

今後の『武将ジャパン』大河コラムについて、どのようにするべきか考えています。
元々今年は昨年のように、1年を通じてすべてを読むつもりはなく、何か大きな合戦や本能寺の変のような事件があった時などに、どのように書かれているのか目を通す予定でした。

ところが今年の場合、嫌いな大河にありがちなドラマそのものへのバッシングに加え、キャストやスタッフ叩きがひどいため、この点も一応チェックしておくべきかと思っています。
その中で、特にこれはどうかと思った点に関しては、別途投稿するかも知れません。取りあえずはそれで行こうと考えています。

ところでこれも先日分の投稿で、マンスプレイニングやマンタラプト、ヒピートなどという用語に関して、2つほど武者さんによる「実例」を挙げておきます。

・マンスプレイニング(mansplaining)
男性が上から目線で説明や説教をすることを指します
「『どうする家康』って史実を全然なぞってなくない?」
「そういうことを言いますけどね。たとえば近年の説では……(と、延々と知識蘊蓄を流してくる)」

・マンタラプト(manterrupt)
男性が女性の話を遮る行為
これはドラマ内でやらかしていて、男の人物はよく女の言うことを遮りますね。
『レジェンド&バタフライ』もひどかった。これがカッコいいと思っているなら、こうです。
「わー、マンタラプトをかっこいいと思っているって、ドラマを描いているうちに価値観まで安土桃山時代になっちゃったの?」

まずマンスプレイニングですが、どうも平山優氏に、『どうする家康』の史実関係で注意されたことと関係があるように見えてしまいます。そしてこの場合マンスプレイニングと言うよりは、ちゃんと史料を調べていない点を、注意されていると言った方が正しいのではないでしょうか。

そしてマンタラプト、これも古沢良太氏脚本の映画をわざわざ持ち出していますが、ここまで書くのなら
「『レジェンド&バタフライ』のどの部分で、男性が女性を遮ったか」
その例を挙げてしかるべきでしょう。
そして
「わー、マンタラプトをかっこいいと思っているって、ドラマを描いているうちに価値観まで安土桃山時代になっちゃったの?」
あの、実際の安土桃山時代もマンタラプトがひどかったのでしょうか?

武者さんの場合こういった点も含め、ジェンダーやフェミニズムに大河を絡めたがるし、特に今年はそちらの方がメインになっているせいか、ことあるごとに男女の対立構図に持ち込む傾向が見られます。
たとえば『麒麟がくる』の駒も、
「女なんてエロか家事育児しか価値がないし、バカしかいないのに、“ファンタジー”すぎるよな!」
と、ミソジニーを炸裂させた側の見方として書いています。このような書き方そのものが、正直どうかとは思いますが。しかし駒の描写に関しては、ミソジニー云々を抜きにしても、ネット上のコメント欄などで、視聴者からの疑問の声は上がっていましたし、中には女性と思われる視聴者もいました。

そして、この大河では駒とか帰蝶は引き合いに出す割に、光秀の妻煕子はなぜ引き合いに出さないのかという点ですが、彼女がこの中で一番「専業主婦」的で、武者さんの好みに合わない女性だからなのかとやはり考えたくもなります。しかし仮にも主人公の奥さんだし、旦那さんの牢人時代に生活を支えた人物でもあるのですけどね。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2023/07/10 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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