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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第46回関連の『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。
本題に行く前に、この第46回で登場した家康の「日課念仏」。あの「南無阿弥陀仏」を書き綴って行くシーンに関して、こういう記事がありました。

NHK大河「どうする家康」家康(松本潤)の日課念仏にネット悲痛「もしかしてこれが殿の救い…」
(サンスポ)

これ、『葵 徳川三代』にも確かありましたね。


『どうする家康』は、結果的にWebメディアの問題点や信頼性も下落させることに繋がるのではありませんか?
ノベライズ担当者が毎週露骨に持ち上げている。
ジャニーズと関係の深いスポーツ新聞系メディアの提灯記事も激しい。

武者さんが嫌いだからそのように思うだけで、メディアの扱いは例年の大河とそう変わらないかと思います。そして
「ノベライズ担当者が毎週露骨に持ち上げている」
木俣冬氏のことでしょうが、確たる証拠がありますか?自分の判断だけであれこれ言わない方がいいと思いますが。

そして「ランキング系記事の信頼性低下」とかで、
◆NHK大河ドラマの歴代「徳川家康」、ハマり役だった俳優ランキング! 2位「津川雅彦」、1位は?(→link)

これも組織票が使えるランキングは当てにならないなどとありますが、ではこの手のランキング、武者さんが好きな大河であっても組織票頼みということになりますね。
そして
「『どうする家康』は視聴率が低迷している。関連書籍も少ない。NHKの番宣は激しいものの、民放は追随しようとしない」

視聴率低迷-あまり何度も言いたくありませんが、武者さんが好きな『パリピ孔明』も『大奥』も視聴率は高くありません。
関連書籍が少ない-ガイドブックと一緒のコーナーの本は、そこそこ冊数も種類もあります。
NHKの番宣は激しいものの、民放は追随しようとしない-民放のバラエティでも家康とか戦国とかかなりありますし、『どうする家康』のテーマを流した番組もありましたが?

同様の現象は『青天を衝け』でもありました。
特定俳優のファンダムが熱いだけで、歴史好きはそこまで反応していないことが、データから浮かんできます。
そういう役者のファンは歴史に興味はない。

では『青天を衝け』でどのような現象があったのか、ここで再度ちゃんと書いてください。

そもそも、こういうランキング記事で強引に『どうする家康』を捩じ込まれるところがかえって胡散臭い。
百戦百勝は善の善なる者に非ず。視聴率ワースト2位なのにランキングで上位に入り込むのは、組織票ありきと自白しているようなものでは?

今年の大河だからこれはありうると思います。こう書かないと武者さんは気がすまないのかと思いますが。
第一そんなにいやなら、こういうランキング見なければいいのに、こういうのは『どうする家康』とか大河歴代家康に興味がある人が見て楽しむものでしょう。

「百戦百勝は善の善なる者に非ず」
毎回戦って勝っても、損害が出るようでは得策ではない。戦わずして勝つことも大事。
これとそれとどういう関係が?

先憂後楽:来年以降の嵐もとい荒らしに備えておこう

この諺ですが
「支配者が民より先に国家のことを心配し、民よりも遅れて楽しむ」ですね。
先に苦労を経験しておくと、後で楽ができるという意味もあります。

そしてこの後ですが、
「一部の熱狂に頼った結果、今後、最悪のケースになることもありえます」
として、前作の熱狂的なファンが、次作を貶める。あるいは粘着質のアンチが、次作を白々しいまでに褒めちぎるなどとあります。

大河ドラマの場合は『平清盛』、『八重の桜』、『いだてん』と『麒麟がくる』でそんな現象を見かけました。
2012年から2013年、2019年から2020年の大河ファンダムは序盤で荒れました。第一話の時点でアンチがつき、SNS投稿を繰り返していたものです。
そうした過去を踏まえると、来年の序盤も相当たちの悪いアンチが生まれるかもしれません。

清盛といだてんのファンはたちの悪いアンチと決めつけている感がありますね。そして「どう康」ファンもたちが悪いと言わんばかりの書き方です。

これ何度も言いますが、大河コラムですよね。なぜ大河コラムでネット上のファンダムの話などを長々とするのでしょう。特に朝ドラなら、noteの方でやればいいだけの話です。その朝ドラ関連では、

朝ドラ発の「反省会」もおなじみ。はなから反省会ありきで来年は荒れるでしょう。
そこから距離を置くことも大事ですね。

「距離を置くことも大事ですね」
大事ですねも何も、これは自分には向かないと思ったら身を引くのが一番賢明かと思います。その割に武者さんは、ハッシュタグがどうのこうのと散々書いていたことがありますね。無理してファンダムをのぞくこともないと思います。さらにこういう場合はファンダムが悪いと騒ぐのではなく、自分でベストな方法を模索して身を処するようにしてください。

あと

“推し活”はよいことなのだろうか?
推し活が今、当然のことのようになっています。
誰しも推しはあってよいですし、そもそも本人の自由です。とはいえ、行き過ぎは警戒した方がよいのでは?

では「行き過ぎ」の基準は何であるのか、それをちゃんと書いてください。第一、ひとの趣味に首をやたらに突っ込むべきではないと思います。さらにその次に
「金を落とすことが推し活ならば、資本主義に利用されているとも思えます」
などとあり、いきなり何なんだろうなと思います。お金を落とすことが社会にお金を回しているとも言えますが。

ジャニーズ、歌舞伎、宝塚と、今年は「推し活無罪」とは言い切れぬ出来事が次から次へと起こりました。
よりにもよってその推し活ブームに、なぜ大河ドラマまで巻き込まれてしまったのか。虚しくなってきます。
推し活は、一歩間違えれば大変なことになります。

ちょっと強引に推し活と絡めているようにも見えます。
特に大河の場合、色々な俳優さんが出ているわけで、推しだから観たいという人もいるし、そういう人に対して、上から目線(のように見えてしまいます)でとやかく言うべきではないと思いますね。
それと所属事務所のトラブルと、個々の所属タレントは分けて考えるべきだと思います。

道は一つだけでなく、例えば諸葛亮の推し活ならば、『出師表』を読むとか、書写したって良いはず。
歴史ファンは元来そういうものだった気もします。

芸能人のファンの話をしていて、なぜ急に諸葛亮の話になるのですか。

学ぶにあらざれば以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし。諸葛亮『誡子書』
学ぶことで才能は開かれるのです。その志がなければ、学問が完成することはありません。

これですが、
「『学ばなければ』才能は開かれず、志がなければ学問が成就することはない」
ではないかとも思いますが。

脚本家のインタビューがどっと出てきました。
◆NHK大河「どうする家康」脚本・古沢良太氏「大きな挑戦でしたが、よやりきったなと」(→link)
大きな挑戦だのなんだの、キレイな言葉で飾られているものの、この方は「武士が何か?」ということすらじっくり思考されなかったのだな、と感じます。
先日、このドラマの過ちにあらためて気づきました。
ワンパターンでしつこい「覇道と王道」論争です。

この「覇道と王道」がしつこいですか?
毎回のように出てきたらしつこく感じるかも知れませんが、要所要所で出て来ているだけかと思います。

このドラマを見ていると、家康は王道を掲げた「王者」になるように思えます。そう誘導していますよね。
しかし、彼はどう考えても「覇者」です。
それが武士では?
武力で敵を制圧しておきながら、どうして「覇者」でないのか。
征夷大将軍とは、夷を征する将軍という意味です。天皇という徳で世を治める王者から、覇者としての位を授かっているという名目です。

この場合王道というのは、今川義元が言う「戦乱の世を終わらせ、徳をもって世を治める」ということです。
覇者としての位というのがちょっと曖昧ですが、家康はこの義元の薫陶を受け、戦無き世を作って王道の政を行うという意味に取るべきではないでしょうか。あとこの時代、帝は直接政にはかかわらず、臣である武士がそれを行うシステムでしたから、将軍が仁政を敷くという形になります。

でその後
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』、さらには『大奥』の例が挙げられています。いずれも武士は覇者で、王者は天皇(帝)であるというものです。
とありますが、義元は王者とは言っていないはずです。
あくまでも覇道、義元が言う、信長などが行おうとする武力による統治の対立概念としてとらえるべきでしょう。

このように、まっとうなドラマと日本史の認識では、武士は「覇道」を歩むものであり、その頂点である征夷大将軍は「覇者」となります。
「王道」と「覇道」の対比は、中国ならば通じる話ではありませんか?

「まっとうな」というか、武者さんが好きなドラマですね。そして中華帝国と日本は事情が異なります。
武士であっても徳をもって行う政治、仁政というのはありましたし、江戸時代は朱子学の影響もあってそれが広まったと言っていいでしょう。
武者さんが好きな会津の藩主でもあった、保科正之の政がひとつの代表例なので、刀剣ワールド様のサイトを置いておきます。

保科正之 
(刀剣ワールド)

「王道」「覇道」の話って、『鎌倉殿の13人』が渡したバトンを落とすことでもありました。
あの作品の最終回では、家康が『吾妻鏡』を読んでいます。
源頼朝の「覇業」を前例として東国武家政権を作る狙いをふまえれば、秀逸な展開。
それなのに本作はせっかくのパスを活かせない。

「バトンを落とすこと」
なぜそういう解釈になるのでしょうか。
そして江戸幕府は全国を網羅する政権であり、「東国武家政権」ではないはずですが。あと『吾妻鑑』は家康の愛読書とされており、こちらでは『新刊吾妻鏡』の刊行が紹介されています。

家康の出版事業
(国立公文書館)

そして『貞観政要』です。
英雄タイプということならば、「守成」と「創業」という『貞観政要』に出てくる分類もできた。
『貞観政要』は『鎌倉殿の13人』でも言及されていますし、今週出てきた林羅山の師匠である藤原惺窩だって、家康相手に講義しています。

この間同じようなことを書いていましたが、その時藤原惺窩には触れていませんでしたね。
ちなみにこうありました。

この年齢になって、ドスのきいた声で、見下ろすように王道と覇道の話をする。
これしか漢籍教養が身についていないって、絶望しかありません。林羅山を出して『貞観政要』すらやりませんからね。
なぜ林羅山を出したのか……理解に苦しみます。

そんな重要なこともこのドラマは活かせない。

何度も言うようですが、やはりドラマをちゃんと観ていないようですね。羅山が呼ばれたのは方広寺梵鐘の銘文関連です。なのに
「そんな重要なこともこのドラマは活かせない」
などと言ってほしくないものです。


飲み物-グラスに入った黒ビール
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[ 2023/12/08 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第41回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第41回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
事情があって、本来昨夜に投稿する予定だったのが遅れています。あとFC2に接続障害が起きているようで、アクセスしてくださってもつながりにくかったかと思われます。時々ここはこういう障害が起きますね。

それと1つ前の投稿で、「覇権」が「派遣」となっておりました。失礼いたしました。


徳川家康が大坂城・西の丸に居座り、天下人となったようです。
北政所が出て行ったことに言及はされますが、なぜ、そうなったのか?という説明はありません。
いったい西の丸の意味とは?

まずここですが、第40回で寧々が
「治部がうまくできなければ、その時は…力ある者にやってもらうほかないと、私は思うておる」
と、家康の方を見ながら言っています。つまり力ある者とは家康のことを指しており、三成が失脚した以上、家康が政務を執るということにほかなりません。そしてこの西の丸に家康は天守を築き、豊臣家と互角であることを示したとも言われています。

オープニングからさすがに説明不足ではないでしょうか。
内府って何なのか?

内府=内大臣、つまり家康。
あれだけ中国好きな武者さんが内府をご存知ないのですか。
そして家康自身は、第39回から既に内府と呼ばれていますよ。

快く思わぬ者がいるのはなぜ?
西の丸に入ることの意味は?
こうした状況を受けて、なぜ家康の暗殺計画まで出てしまうのか?
暗殺を企んだ連中はどういうメンバー構成なのか?

快く思わぬ者がいる-前回三成を佐和山に追いやったことで、それをよく思わない者がいる
西の丸に入る-三成の後を受けて政を行う
なぜ家康の暗殺計画まで出るのか-張本人は前田利長、父利家の後を継いで大老に就任し、家康と対抗する関係となります
暗殺を企んだ連中はどういうメンバー構成-雄久は秀頼に仕え、長政はこの頃、家康と距離を置いていたと言われており、治長は茶々に仕えていました。こうなるともうおわかりですね。

と言うか、こういうのご自分で調べてはどうでしょうか。
あれがわからない、これがわからないて、子供でもないのに。

前田玄以をわざわざ「徳善院玄以」と記すあたりも、このドラマの嫌なところでが滲み出てますね。
小手先の技ばかり。
「森蘭丸でなくて森乱丸です!」とか、なんだかマニアックな見せ方をして、実際は乱丸らしい暴れぶりもなく、過去作品と同じくいつも通りの美少年像でした。

『藩翰譜』などにもありますが、この人物は元々僧であったとされています。徳善院はその号です。「玄以」というのも、そもそも法名とされていますね。
そしてなぜこれが「小手先」の技なのか不明です。
しかも森乱(乱法師)を持ち出して来て、
「乱丸らしい暴れぶりもなく、過去作品と同じくいつも通りの美少年像でした」
乱というのは別に暴れん坊という意味ではなく、あくまでも通称がそうであるというだけです。諱は成利ですが。

そこまで言うのであれば、武者さんが直々に平山優氏に意見してみてはどうですか。

大野治長がいきなり怒りを見せているのもわからないですよね。
説明不足にもほどがあります。

×説明不足
〇武者さんがちゃんと観ていない、あるいは理解しようとしていない

武者さん、この大河全般に言えることですが、一体何を観ているのでしょうか。
大野治長は三成への処置に不満があるから、あんな表情をしているわけでしょう。

『麒麟がくる』の光秀にせよ。『鎌倉殿の13人』の義時にせよ。
青年時代は明るい春の緑のような色を着ていて、それが歳をとるにつれ衣装まで暗くなりました。
それが今年は……家康はまだ白い羽織ですよ。
別に衣装が暗くなるのは大河お約束でもない。普遍的な話ですし、身分が高いのに白い服は染料をケチっているようでよろしくない。

そしてまた麒麟に鎌倉殿ですか。
あと光秀は、途中で緑から藍に変わっていますけどね。そのままダークトーンになったわけではありません。
それと白地の羽織、これを参考にしているかと思われます。

徳川家康御譲品 浅葱地三ッ葵紋付二葉葵文辻ヶ花染羽織
(文化遺産オンライン)

「身分が高いのに白い服は染料をケチっているようでよろしくない」
そこまで言うのなら、家康本人が本当に染料をケチっていたのかどうか、調べては如何ですか。

『麒麟がくる』の家康の場合、彼の好みが江戸時代以来の渋好みに反映されているという解釈で、壮年期以降渋かったものです。

『麒麟』の場合はそれはそれでひとつの描き方であり、今回もこれはひとつの描き方ではあるでしょうね。

それが今年はいまだにファンシーなアイスクリームフレーバー色!
ファンクラブグッズじゃないんだから。

貴方、登場人物の衣装の色をいつまでアイスクリーム呼ばわりしているのですか?
そしてその後に
「これならいっそ、今年の大河関連でやたらと濫用される紫にでもして、スワロスキーでも飾ればよかったじゃないですか」
スワロスキーでなくスワロフスキーのことと思われます。
ニコライ・バーグマンの時もそうですが、実在する会社の名前であまりおちょくるのもどうかと思いますけどね。

問題は衣装だけでもありません。家康の所作がぶっ壊れています。
肘まで見えるような姿勢でよりかかっていたりしますが、当時あの年齢でああいうだらしない格好はしない。
姿勢は芯が入っていないだらしなさなのに、加齢所作ができずに若造じみている。どこまでお子様スタンスを貫きたいのか。

どこのシーンかと思ったら、ウィリアム・アダムスが連れて来られるところですか。
あれは正式な場でもないし、リラックスしてしかも心待ちにしているイメージですね。でいざ連れて来られ、アダムスが自分の名を名乗ったら姿勢を改めています。どこが「ぶっ壊れてる」のでしょうか。

一方、三成と大谷吉継が黒服コンビになるのは一体何なのでしょう。こちらは羊羹の精霊みたいに見えます。

吉継は黒でも、三成は緑の小袖なのにと思っていたら、甲冑のことですか。黒っぽい甲冑など多い物ですが。
そして今度は羊羹の妖精、武者さんて結構スイーツ好きなのでしょうか。

で、「家康と治長の対峙は、絶望的なものがありました」とかで。
治長の所作が盤石で、どう見ても家康より大物です。二人は大して年齢差があるようにも思えず、これは一体どうしたことか。
そのくせ家康は、周囲から褒められることで大物感を出そうとしているから、逆に小物感が引き立つ。

年齢差があるように見えないというのは、松本さんと玉山さんの年齢差のことですね。
(実際の家康はこの時59、治長は31)
そして所作が盤石というのは、どういう部分が盤石なのでしょうか。いつものことですが、具体的にどういう部分が、あるいはどういうシーンがという指摘がまるでなし。
そして「家康は、周囲から褒められることで大物感を出そうとしている」
具体的にどのシーンですか?家臣団が集まったところですか。それとも元忠との会話ですか。

本多正信にしても、なぜ、こんな臭い演技をさせるのでしょう。
『平清盛』のときはそうでもなかったのに、今回の彼はまるで加齢ができていません。
「ぽーんぽーん」なんていって、何か印象に残ると思いましたか?

あの正信らしいなと思いましたね。
あと所作や第一印象は流石に年取った感がありますし、ぽーんぽーんは、狸もつらいと言う家康に調子を合わせているかと。

佐和山で蟄居していた石田三成のもとへ大谷刑部がきて、家康絶好調と語るわけですが……。
宴会でノリノリだというのは何事ですか。他に表現方法はないのですかね。
西の丸の騒音が茶々のもとまで聞こえるほどつつぬけなんですか?

茶々がいたのは本丸、家康は西の丸ですから、非常に近いというわけではありません。
ご参考までに、大坂夏の陣を描いた黒田屏風です。
これで見る限り、多少離れており、秀頼や茶々がいる本丸から見下ろすような形になるかと思われます。
(左上の黒い建築物が本丸、その右下方向の四層の建築物が西の丸の天守)

大坂夏の陣黒田屏風
(wikimediaより)

尚天守の部分を拡大したものが、こちらのリンク先にあります。

大坂城|豊臣家の城を埋めて築いた徳川家の城【天下普請の城】
https://shisekinavi.com/osakajo/
(日本・史跡navi)

ここのシーンは慶長5(1600)年の正月で、秀頼や茶々に挨拶を述べた大名たちが、そのまま家康の所へも挨拶に行った時のものと思われます。茶々に取ってはそれが面白くなく、それゆえに
「西の丸が騒がしい」
と口にする一因となっているわけでしょう。実際に騒ぎ声が聞こえたかどうかは不明ですが。
そして宴会でノリノリと言うか、新年の宴での無礼講ですね。

このドラマは“天下”をどう理解しているのでしょう。
せいぜいがモテるとか、パリピとか、イケイケとか、陽キャとか。それだけの価値観しか感じさせない。
あいつらのパーティが派手でムカつく!
それを本気で言ってるようで、あまりに愚かだ。

ちょっと意味が分かりづらいのですが、あの宴会でモテるとかパリピとかどういうことですか。
あのシーンでは、馬と孔子家語を巡って騒いでいるところしか描かれていませんが、どこからそういう発想になるのでしょうか。
まあ、武者さんらしい解釈ではありますが。

それにしても、黒田長政がいて官兵衛がいないのはあまりに不自然すぎます。
以下の記事、ドラマの紹介文なんかでは
◆『どうする家康』ファン感謝祭が開催決定 松本潤、松山ケンイチ、杉野遥亮ら登場 (→link)
未だに「黒田官兵衛」の文字があるんですけどね。

ここの部分のサムネを貼っておきます。
「黒田官兵衛」の部分だけ赤で強調されています。

武将ジャパンどうする家康第41回

まずこの時、長政は大坂にいて家康の会津攻めに加わりますが、官兵衛(如水)は同時期豊前にいるはずです。この少し前に上洛したと言われてもいますが、長政の行動に関与はしていないでしょう。従って、ここでどうしても出て来る必要はないかと思われます。
関ケ原本番と並行して、九州で軍事行動を起こしている様子が描かれるのか、長政が調略をするうえでの回想として出て来るのかは定かではありません。いずれにしても、家康と全く関係のないシーンでの登場とはならないでしょうね。

三成が出番の後に家康が続く。そして気が付きました。
長々と説明が続いた三成に対し、家康はたったこれだけ。
「まことによかった」
あとはBGMが流れて、顔をねっとりと映す。
なんじゃ、これ?

なんじゃこれもないものです(笑)。武者さんまたちゃんと観ていませんね。
ここのところ、三成と吉継は積もる話をしているから、セリフが多いのは当たり前です。
そして家康は、吉継の報告を聞いてそうかよかったとうなずいている。
別にセリフ量の差があってもおかしくはないのでは?

むろん三成は配慮されていると思います。主演俳優のお友達枠ですからね。
◆ 中村七之助、親友・松本潤との大河ドラマ共演に感慨「父親がこの姿を見たら喜ぶだろうな」『どうする家康』(→link)
好きな俳優にこんなことを書きたくないけれども、あえて言います。
「父親がこの姿を見たら喜ぶだろうな」なんて呑気におっしゃってますが、考えるべきはあなたのお父様ではなく、視聴者とあなた自身ではないでしょうか?

親友である松本潤さんと共演して、彼が家康で自分が三成であること、父の故・勘三郎さんと松本さんも親しかったことを思えば、「父親がこの姿を見たら喜ぶだろうな」と言っても当たり前でしょう。
逆に七之助さんのこういう個人的な思いを、あたかもよくないことのように責め立てる方がおかしいと思います。
好きな俳優さんなら尚更でしょう。
今年は特にそうですが、出演者に対して失礼な発言が目立ちますね。

だって思い出してみてもくださいよ。
首ごと投げ捨てられた今川義元。
瀬名に性的暴行をしかけた今川氏真。
首をおもちゃ扱いにされた武田勝頼。

当時相手の首は槍にかけるのも珍しくなかった(投げ捨てたというより、槍にかかっている有様を表現している)。
氏真は元康に裏切られたと思い、彼の妻である瀬名を利用して圧力をかけたいと思った。また氏真は元々瀬名を側室にと希望していたのに、元康(元信)の正室になってしまった。そういう思いも根っこにある。
勝頼は首を台に載せられただけでは?

家康のライバルは、だいたい塵芥のような扱いだったじゃないですか。
信玄なんて、山中に遺体が放置されたのか?と誤解されるようなシーンが流されましたしね。

あれは信玄でなく琵琶法師では?
信玄の遺体は納棺されて影武者がいたはずです。
飲み物-ウィルトシャービール

[ 2023/11/01 17:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第38回に関しての武将ジャパンの記事について-1

では第38回に関する『武将ジャパン』大河コラムその1です。


秀吉と茶々の子である捨(鶴松)が死にました。
その悲しさや怒りは唐入りに向ける――そんなイージーな動機で秀吉が安っぽく宣言すると、キンキン声でわかりにくいナレーションが続きます。
10万を超える大軍で朝鮮半島に渡って全戦全勝。
手抜きVFXで軍隊の様子が描かれたかと思ったら、直後に続くのが、いつものしょうもない宴会芸です。
どういうわけかこのドラマは、主演が踊ると「姿勢がいい! さすがジャニーズ!」とはしゃぐ声が入るとか。『歴史探偵』の名場面投票でも海老すくいが一位だったそうですよ。

この間武者さんは「拾」と書いていましたが、流石に今回は「捨」にしていますね。
そして秀吉の「次は何を手に入れようか」が安っぽいと思うのなら、第35回辺りからもう一度観た方がよさそうです。ただ武者さん、この回もちゃんと観ていませんでしたからね。
そして「手抜きVFX」、武者さんが好きな大河のスタッフの方も入っています。

そして
「主演が踊ると「姿勢がいい! さすがジャニーズ!」とはしゃぐ声が入る」
実際そうなのですよね、体幹がぶれませんからね。

そしてここでもまた雑に、豊臣秀次に関白が譲られたと説明されます。
政治的にも歴史的にも非常に重要な場面のはずですが、このドラマは徹頭徹尾、歴史の流れを軽視しますので、一瞬で終わりですね。

家康に取ってどのような位置づけかで優先順位が変わると思われます。
そして
「政治的にも歴史的にも非常に重要な場面のはず」
なら、どのように重要で、それが家康とどうかかわるのかちゃんと書いてください。

気がつけば秀長と旭も死んでいます。
(中略)
さすがに秀次は、そんな簡単に終わらせられない……と思うのですが、本作なら何でもアリなのでしょう。

この前の回で旭も秀長も病気でしたね。しかも旭は死ななければならない、だからわざとらしく病気で寝ていると書いたのは武者さんです。気がつけば死んでいますは流石に通用しないかと。
せめて「この間病床に伏していた旭は、もういなくなりました」くらいは書いてほしいものです。
また秀長、前回小田原が落ちて天下一統が成ったと福島正則から聞かされて、秀吉がこれ以上の欲を張ることを心配しているわけですが、あれは、既に自分はもう表舞台に出られないと覚悟してのことではないのでしょうか。

それとこう言うのは何ですが
「さすがに秀次は、そんな簡単に終わらせられない……と思う」
もう「ビッグモーター」使えなくなりますからね。

本作は、いろんな場面で説明が不足していますが、特に中国史に関する描写が絶望的です。
例えばこの一文。
「明国の征服、唐入りでございます!」
かつて家康が「唐」と口にしたら、信長と秀吉が「いや明でしょw」とコケにするしょうもない場面がありました。
江戸時代まで日本では中国をざっと「唐」と呼びます。
だから「唐入り」で問題はない。ゆえに、先の場面でも「明だしw」とバカにされる筋合いもない。

唐(から)は中国・朝鮮の古称ですね。武者さんらしく、どの回であるのかまるで書かれていませんが、第14回、金ケ崎の回です。この中で家康は、海のかなたの土地を見せられ
「あれが唐でございますか」
と言うのに対し、信長は「明国の港も見えよう」と言っています。
実は嘘で越前の岬であり、家康はざけんなとつぶやくわけですが、このやり取りから見る限り、信長は「いや明でしょ」とは言っていませんね。それぞれの捉え方の違いは描かれていますが。

これは「宋剣」だのなんだの出てきた『平清盛』以来です。
『平清盛』からそうでしたが、磯CPが絡むドラマは中国史が不自然なまでに理解不足なのです。
ついでに言っておくと、淀殿が突然発した中国語も何だったんでしょうね。字幕にミスがあるし、「私の名前は茶々である」ならば「我叫茶茶」の方が自然なような気も。

そしてまた『平清盛』と磯P叩きですか。
そして磯氏が絡むドラマがどうこう言うのなら、他にどういうのがあるか挙げてください。
さらに「字幕にミス」どのような部分ですか。そして茶々は、西笑承兌にこれを習ったと言っています。この人は僧であり、漢学の素養はあるものの、別に中国語の先生というわけではなく、この場合如何にも日本人が考えた直訳的な表現であっても、特に問題はないのではないでしょうか。

ちなみに中国語の監修は加藤徹氏で、この方は中国文学者ですね。

冒頭の戦況報告からして妙でした。
あれだけ武将がわらわらとやってきて、雑マップに駒だけ置いて本気で説明になると思っていますか?
人の生死がかかった戦場だということを真面目に考えていますか?
秀吉による雑な唐入りプランの説明も、何から何までほぼおかしい。聞いたことを記憶から焼き消したほうが良さそうだ……。

どこが「雑」で、どこをどう改めるべきなのか、まるで書かれていないのですが。
私がおかしいからおかしいのだと言いたいのですか?
そして
「人の生死がかかった戦場だということを真面目に考えていますか」
旭は死ななければならないから、わざとらしく病気で寝ているなどと書く武者さんに、人命がどうこうとあまり言ってほしくないなとは思います。

浅野長政が「どうかしておる!」と叫ぶのもマヌケすぎます。
そんな大事な諫言をなぜ名護屋に集うまでしなかった? もっと早めに言えばいいじゃない。
浅野長政が諫言するという人選も、それこそ絶縁を叩きつけた伊達政宗からすれば失笑ものでしょうし、ただのアリバイにしか思えません。
とにかく、命を賭して提言する様子でもないので、まるで緊迫感がありません。

「それこそ絶縁を叩きつけた伊達政宗からすれば失笑もの」
この大河にそのようなシーンがありましたか?そもそもこの大河に伊達政宗は出て来ますか?
そして浅野長政は、秀吉が明の都に天子様に移っていただくとか、自分は寧波に隠居所を設けるとか言うのみならず、天竺や南蛮も奪い取るなどと大言壮語するのを聞いて、どうかしておると言ったわけです。
あの場でないと提言できませんよ。

秀吉が刀を抜いたって『うわっ、こいつ、本気で刺すんだ!』と思った視聴者など、ほぼゼロでしょう。
要は全く意味がないシーン。どうしたら、こんなアホみたいな諫言にできるのか。
あれでは店員にキレ散らかしている悪質な客のようです。

あの様子、かなり本気で行っているなと思いましたね。秀吉の狂気を表しているなと思いましたし。
「店員にキレ散らかしている悪質な客」
秀吉のことでしょうが、それにしては凄みがありました。

秀吉から老いを感じられません。
いくら白髪にしようが、顔にシミを作ろうが、動きがハキハキして、家臣たちを怒鳴り散らし、キビキビと剣を手に取っている。
まったく加齢ができていない。
それでも家康が全く歳を取ってないので、秀吉が相対的にはマシに見えますね。

実際にはこの時秀吉はまだ50代で、そこまで衰えてはいなかったかと思われますが、加齢メイクはおかしくはありません。しかし秀吉の気分の移り変わりの激しさや、自分の地位を守ろうとする姿勢などは、明らかに加齢と共に顕著になって来た感はありますね。そして無論家康もかなり髪や髭が白くなり、行動や物言いも中年のそれとなっています。
しかし、髪や髭が白くなったのくらい、いくら何でもわかると思いますが…。

こげん島津描写、もはやチェストするしかなか!
(中略)
本作のように脆弱な本多忠勝から、下手くそな鹿児島弁で何やら教えを乞うとは、これほど薩摩隼人への侮辱があっただろうか?
キエエエエエエエエエエ!
脳内で薩摩隼人が猿叫をしながら、ジゲン流で色々ぶっ叩き始めました。

ジゲン流でなく、藥丸自顕流とちゃんと書きましょう。
あと「もはや」は「もへ」じゃないのかな。
しかし「本作のように脆弱な本多忠勝」て、思い切り山田裕貴さんバカにしてませんか?
そして「下手くそな鹿児島弁」とは何ですか。どこが下手くそなのか、具体的に言って貰えませんか?

「キエエエエエエエエエエ!
脳内で薩摩隼人が猿叫をしながら、ジゲン流で色々ぶっ叩き始めました」
こんなこと書く方が、よほど薩摩隼人に失礼かと。

そしてまた『らんまん』を叩き棒。

朝ドラ『らんまん』では、明治初期の巡査が薩摩言葉を話す鹿児島県出身者であり、イントネーションも綺麗でした。
初代の警視総監(大警視)川路利良は、鹿児島出身者を多く警察官に登用しました。『らんまん』のスタッフはそれを把握していて、わざわざそうしたのでしょう。

貴方が嫌いな『西郷どん』でも、ちゃんと川路利良は登場しています。もっとちゃんとしたレビュアーだったら、この2つの描かれ方が大河と朝ドラで、あるいは主人公が誰であるのかでどう違うか、そのくらいは考察するものでしょう。

西郷どん45川路利良
『西郷どん』の川路利良(泉澤祐希)

こげん大河はチェストしてよか!

小見出しですが、無理に薩摩弁使わなくていいですよ。貴方『カムカムエヴリバディ』の時も、無理して関西弁使っているように見えたし(と、もうはっきり書いておきます)。

怒りのあまり、家康が「腹を召す(※自分に敬語を使う愉快な家康くん)」といった時は、思わず脳内でこう返してしまいました。
「臓物抜いて腹の中空にすっで、飯詰めて炊いて食ってにもし!」

実際「腹を召す」は尊敬語ですが、敢えて自分を上に見せようとする気持ちがあるようにも見えます。
あの時家康が
「腹を切りまする」
と言ったら、秀吉は即座にそう致せと言ったかも知れませんが、あのように自らに尊敬語を使い、殿下の代わりは殿下しかおられぬと強調することで、寧ろ秀吉は自分が下に見られたような気がして、無言でそのまま去って行ったようにも感じられるので。この回の後半でも猿呼ばわりしていますし、ある意味計算ずくかと。

こんなしょうもない義昭を使い、秀吉を貶めることでしか笑いがとれないなんて、あまりにくだらない。
「将軍だ!」と威張っているくせに、供もつけずホイホイ来るってどういうことでしょうか。
そして家康と秀吉の前で、「トップに立つと周りが見えなくなる」とかなんとか、何やら良い話をする。
足元が見えてない秀吉にとって、それが良薬となるわけですが、あまりにもタイミングがよすぎませんか!!! 

本多忠勝と渡辺守綱のやり取りを聞いていませんか。
准三后待遇で、追い返すにも追い返せないわけですよね。供はこの場合いるとは思いますが、中に入れるのは本人だけでしょう。そして大名たちが集まっている名護屋を訪れて、昔語りをしてみせるのが、この人の楽しみだったようですね。
単にホイホイ来ているわけではないし、実際この人は文禄の役で出陣したとも言われているので、いずれにしてもここにいるのは不自然ではありません。

「心の底からバカバカしくて、テレビを外に投げたくなるほど。」
だったら投げたらどうですか?
無論誰かに当たらないように、投げる前に周囲をよく見渡した方がいいかとは思いますが。

こんな定型記事が出がちです。
「過去の『作品A』で印象的だった****の演技が光る。別のドラマでは****役は****が演じたが、それとは異なる****な持ち味が生かされた。
SNSでは「********!」「*********」といった声も見られた。」

それは貴方の好きな大河でも似たようなものですよ。

千代が出てきたとき「女大鼠は二度と出ないで欲しい」と心の底から願っていました。
その夢はあっさり破られてしまった……。
彼女はいったい誰の需要なの?
劇中では何歳ですか?
どうやって海を渡ったの?
服部半蔵のネタも、全く面白くありません。役者のファンに向けた目配せであるのが見え見えで、こんな使われ方をするのが気の毒としか言いようがありません。

私はこの間、大鼠(女大鼠ではありません、役名はちゃんと書きましょう)がまた出るかも知れないと書いていたので、やっぱりと思いました。半蔵が出て来るから、当然彼女も出て来ますね。何歳かは年齢不詳でしょう、ぱっと見あまり変わっていませんが。

そして
「どうやって海を渡ったの?」
海を渡るも何も、半蔵たちは名護屋にいますよ。そして手紙を盗み見たうえで
「朝鮮攻めが滞っていることは間違いございませぬ」
と判断しているわけです。

半蔵のネタて、忍びでないということですか?この人は最初からそう言っているし、まして8000石取りになったのに、やはり忍びやらせるのかとちょっと面白くないのでしょう。


飲み物-パブのビール1
[ 2023/10/11 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第37回に関しての武将ジャパンの記事について-5

では第37回『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。
このコラムの後半部分にありがちなのですが、持論展開メインで、しかもジャニーズ関連で正直言ってこれでもかといった感じで書かれていますので、一部省略させていただきます。

結局のところ、自説補強のための記事集めと、それによる言われなき『どうする家康』叩きに終始している感があり、これを書かせている『武将ジャパン』にももちろん責任の一端はあるでしょう。そしてあれこれ書く割に、メディア側の態度について何も触れていないことを思えば、どう考えても公平性がある記述には見えません。まあ実際メディアに対しては、このような記事もあります。

「マナー悪すぎ」 ジャニ会見でルール無視の記者に視聴者落胆「本当に恥ずかしい」
(ENCOUNT)

武者さんが本当にこの問題について書きたいのなら、大河コラムで、しかも当該の大河の叩き棒としてこの問題を持ってくるのではなく、複数のメディアの賛否両論から問題点を分析し、極力偏らない視点で事実重視で書くべきなのですけどね。

ここまでの事態に陥っていながら、NHKでは依然として大河ドラマのポスターなども貼られているのでしょうか。
打ち切りなどないとばかりに、最終回放送日程まで発表済みです。
◆ 「どうする家康」最終回は12・17!2年連続の全48話に決定(→link)

「ここまでの事態」などとありますが、この問題と大河は本来別の存在であるはずです。
しかも
「打ち切りなどないとばかりに、最終回放送日程まで発表済みです」
との言い方もどうかと思います。実際完結編のガイドブックを見るとわかりますが、最終回は「第47・48回」となっています。つまりこのガイドブックが編集された時点では、まだ何回で終わらせるかが決まっておらず、このような形を採っているのでしょう。然る後に48回に決まったと考えられます。
しかもNHKから「打ち切り」についてなど全然発表されておらず、一部メディアがそのように考えている、あるいは考えたがっているのではないかと思うのですが。

あるいは武者さんは、昨年と同じ48回放送というのが面白くないのでしょうか。

徳川家康ほどの人物を描く上で、ジャニーズを頼るとは……それが「シン・大河」なんですかね。
◆松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは(→link)

これも前に書いていますが、NHKは「シン・大河」などと言っていません。メディアがそう言っているだけのことです。
そしてこんな自説ばかり振り回さず、もう少しドラマ本編についてちゃんと触れてください。小田原評定をご存知ない(としか思えない)のに加え、甲冑は戦場で着けるものには、正直呆れました。スポーツ選手が、ロッカールームでユニフォームを着るのと間違えていないでしょうか。

釜底の薪を抽(ぬ)く。『兵法三十六計』
釜の底にある薪を引っこ抜く。相手の大義名分を引っこ抜いてやれ。

「釜底抽薪(ふていちゅうしん)」ですが、「相手の大義名分を引っこ抜く」のではなく、物事の解決のためには、根本にある原因を取り除く必要があるという意味です。

心理学実験に、こんなものがあります。
誰でも簡単に解ける問題をまず出題する。
その正答率を確認しておき、同じ問題を出すのですが、今度はグループ形式にしておき、その中に堂々とした態度で誤答を語るサクラを入れておく。
「関ヶ原の戦いが起こった年ですか? そんなの簡単、1603年でしょ!」
こんな調子ですね。すると他の参加者に迷いが生じます。
「あれ? 1600年じゃなかったっけ……。でも、この人が堂々と答えているからにはそうなのかも。それに1603でも覚えた気がする」
こうなってしまい、同じ問題でも、正答率はグッと落ちる。
要するに、人は自分の意思では案外物事を決められない。周囲を見まわし、それに合わせてしまうんですね。

同調圧力実験ですね。アッシュのでしょうか。
しかし同調したから弱い、しなかったから強いというのではなく、寧ろその場での他人への気遣いという点もまた、この同調には含まれていると言えるようです。

そしてドラマ評価でも「同じことができます」と書かれているのですが、果たして同じことがいえるでしょうか。
この後にこのような週刊誌の記事のリンクが貼られており、

◆《最終回がっかりドラマランキング2023》『VIVANT』は有終の美を飾るも終わり方に賛否両論!3位『教場』2位『silent』を抑えた1位は?(→link)

1位は『ちむどんどん』なのですが、武者さんとしては、

つまり、あの世にいる父に向かって快癒祈願をしたのです。
(中略)
要するに、スタッフは琉球信仰ありきで話を作った。それを知らない本土の和人がこういうことを言ってしまう。
しかし、NHK朝ドラの視聴者は圧倒的に和人が多いので、こういうマジョリティの傲慢さをするっと受け入れます。
多様性配慮の時代とは思えないほど酷い話でしょう。

このように書いているのですが、私があのシーンで思ったのは、聖なる場所であのように大きな声を出すのかなという点でした。さらにドラマの中でも、暢子の都合に合わせて家族を徹夜させたり、やけに反社勢力を絡ませたり、三郎が喪服姿で病院に行ったり、何よりも沖縄の農産物を日本に持ち込めないのに持ち込んだり、そういった諸々のことが何となくおかしく感じられたのです。
武者さんはここでは、沖縄差別だという点のみに話を持って行っていますが、それ以外にも不思議に感じられる点はあったわけで、そういうのをきちんと総合するべきではないでしょうか。

その後少し『ちむどんどん』関連で沖縄戦のことも出て来ますが、悪いけどここでは省きます。こういうのも別コラムを立てて、武者さんの考察がきちんと窺えるものにしてほしいです。
そして『カムカムエヴリバディ』の脚本が藤本有紀さんである件について。

ついでに言うと、『カムカムエヴリバディ』は大河ドラマ『平清盛』と脚本家が同じです。
あの脚本家自身の問題ではなくファンダムの性質なのかもしれませんが、あの大河での失敗以来、判官贔屓が激しい状態になっています。
脚本家の朝ドラ起用が決まっただけで、お祝いメッセージを投稿しバズる。そんな現象が起きていました。
しかし、こういう熱気につられていると思わぬ罠にかかります。

などとあります。
話が戻りますが、先ほど同調心理の実験についての記述がありました。この実験に使われる問題として、たとえば1+1は2なのに誰かが3と言えば、その方につられてしまうといったものがあります。この場合1+1=2というのは真実です。また武者さんが引き合いに出している、関ケ原の戦いも1600年に行われたのが史実であるとされており、正解が存在します。

ただ何度も言うようですが、ドラマに限らずエンタメには、恐らくどの作品でも賛否両論があり、その意味で正解が存在しづらいと言えます。にもかかわらず武者さんはそう思わないようで、「思わぬ罠」の例として

「石兵八陣」につっこむことになりかねません。

などとあります。この石兵八陣、関羽の弔い合戦である夷陵の戦い時に、劉備の戦法を危うく感じた諸葛孔明が、蜀軍が敗走することを見越し、巨石によって作ったもので、定期的にその陣内で突風や波が起こるようになっている仕掛けです。
実際恐るべきものですが、何もこんなのを引っ張って来なくても、きわめて危険な状態になるとでも書いておけばいいのですが。

そしてまたくどくどとジャニーズ。下記の夕刊フジの鈴木祐司氏の記事を持ち出しています。

◆若年女性の〝ジャニーズ離れ〟加速、視聴率から読み解く 頼みの綱のタレント人気、NHK「ザ少年倶楽部」が大幅減(→link)

そして本文から
「一部の熱烈なファンは、所属タレントには罪がないとSNSで発信する。
ただし、これらはラウドマイノリティーで、圧倒的多数のサイレントマジョリティーは〝ジャニーズ離れ〟を始めているのだ。
視聴率が雪崩を打つように下がり始めた以上、事務所の名称変更や株式を含めた体制の抜本的見直しはもはや避けられない」
といった部分を抜粋しています。
ファンダム嫌いの武者さんとしては、我が意を得たりといった思いなのでしょう。

しかしこの鈴木氏、『ステラ』では大河関連の記事を手掛けており、武者さんはそれを幸せ探しのポリアンナ記事(チェリーピッキングの意味と思われます)と揶揄しています。同じ著者が、ジャニーズ離れのことを書いたら褒めるのですね。しかし鈴木氏、ヤフーの記事がすべて削除されましたね。

しかしここで言えるのは、所属タレントや俳優は罪がないということ、これは事実でしょう。
事務所が悪いからお前も悪いでは、連座制、連帯責任になりかねず、もっと言えば人治主義です。一部で糾弾する声が大きいから悪いと決めつけてしまうもので、これでは、法の出る意味がなくなると思うのですが。

心してかかりましょう。
ラウドマイノリティーが大声で「でも私は好きだから!」振り翳してきたら、その薪を引っこ抜くことを心がけるのです。
そんなものは子どもが「ピザは体に悪いっていうけど、私は好きだもん! ピザが好きな私をバカだっていいたいの?」と上目遣いで涙をためて言うようなもの。
作品の好悪と評価は本来別物です。

「作品の好悪と評価は本来別物です」
好悪はともかく、エンタメ系の評価に絶対はありません。スポーツの評価の方が勝敗で決されるところがある以上、もっとシビアです。
しかし武者さん、好悪と評価が別物ならば、貴方が嫌いな『どうする家康』にもし好意的な評価がくだされても、文句は言えませんね。
つまり貴方が大声で「でも私は嫌いだから!」と主張して来ても、その薪は引っこ抜かれるのですね。
そして貴方が『どうする家康』が嫌いだというのは、子どもが「ピザは体に悪いっていうけど、私は好きだもん! ピザが好きな私をバカだっていいたいの?」と上目遣いで涙をためて言うのと同次元であるとみなされるのですね。
(しかしかなり前の方で持ち出している釜底抽薪を、ここで持ち出してくるのですね)

それとピザが必ずしも悪いわけではありませんけどね。問題は食べすぎなのですが。
こういう記事があったので貼っておきます。

癖になるけど、体も気になる宅配ピザ 賢く食べるには
https://www.nikkei.com/nstyle-article/DGXMZO65542430Y0A021C2000000/
(元NIKKEISTYLe→日経Gooday)

そして『いだてん』に関して。
「教養を低下させかねない不正確な描写すらありましたが、私が言いたいのはそこではありません」
何だか随分上から目線ですね。
私はこれは途中で視聴をやめたので何とも言えませんが、何でもある記事で、『いだてん』ファンが以下のような論調になると書いてあるらしいのです。
「近代オリンピックの歴史を描いた『いだてん~東京オリムピック噺~』(19年)は視聴率こそ振るわなかったが教養と娯楽を兼ね備え、かつ映像として見応えのある秀作であったことも記しておきたい」
しかしやはり武者さんは面白くないようで、

「私は『いだてん』が好きでした。しかしなぜヒットしなかったのか。何をどう、読み違えたのか。検討は必要です……」
諸葛孔明のような顔でそう振り返ってこそ、大人の責任の取り方でしょう。

などとあります。「読み間違えた」ことにしないと気が済まないのでしょうか。
ならば武者さんも『麒麟がくる』の駒がなぜあそこまで言われたのか、諸葛孔明のような顔で振り返っては如何かと思います。

そしてまた海外ドラマだの華流時代劇など、武者さんが喜びそうな記事のリンクが貼られています。
で今度は

君子一言、馳馬難追
君子の一言は、駿馬に鞭を入れたようなもの。事態が素早く動き追いつけなくなるぞ。

これ、
「君子が一度口に出したことは4頭立ての馬車でも追いつけない、つまり一度口に出すと取り返しがつかない」
の意味なのですけど。
武者さんて、本当に漢籍に関心があるのですか?
追記:この諺ですが、「一言既出、駟馬難追」と「君子一言,快馬一鞭」というのはよく目にします。私は前者の意味に解釈しましたが、もう一つの方も似たような意味で、どちらも「追いつけなくなる」のではなく「取り返しがつかなくなる、迂闊にものを言うな」という意味です。
そしてこの『君子一言、馳馬難追』という諺、検索すると『好父母必修的八堂說話課』という書物が出て来ますが、生憎今それ以上のことはわかりません。そもそも武者さんも出典を「中国の諺」としかしていませんし。

武将ジャパン中国ことわざ

そして

NHKはもう時間切れ。手遅れでしょう。
いくら何を言おうと、局のロビーには松潤家康ポスターが貼ってある。

大河ドラマの主人公だから、当然貼ってあると思いますよ。

そして次の朝ドラは『ブギウギ』ですが、これに関してもジャニー喜多川氏との関係がある、そして再放送中の『まんぷく』も、日清食品は過去に疑惑があるとか何とか。嫌いなドラマの情報集めには余念がありませんね。とは言え、武者さんが褒めるドラマの登場人物も、過去に色々なものを背負った人もいるのではないかと思いますが。

NHKという大樹を切り倒すとなれば、それこそ斧の一撃ではどうにもならないでしょう。
しかし、何回も打ち込んでいればどうなるか。
私はあえて続けたい。毒抜きをした方が結果的に良いこともあるはず。
そろそろ限界ではないか?と私は感じています。受信料を払っている皆様であれば、その一撃を打ち込んでもよいでしょう。

NHKは特殊法人ですからね、倒すより民営化とか、逆に国有化するという方法もあるかと。国有化すればすべて公務員待遇で、社屋も所有できなくなります。
ただ武者さんがNHKを切り倒せと言っているのは

今年の大河が気に入らない
その大河に、ジャニーズ所属俳優が出ているのが気に入らない
今年に限らず、過去にも自分が嫌いな大河や朝ドラを放送しているのが気に入らない

こういった点がメインで、いくらか衝動的なのでは思われます。
もしNHKがなくなれば、貴方が好きな朝ドラや大河も放送されなくなりますよ。

◆NHK みなさまの声(→link)
それにしても、大河ドラマのことを考えるうえで、なぜ歴史ではなく、メディアの策だの、事務所の都合だの考えねばならないのか。
ジャニーズと癒着したどこぞの誰かのせいで、腹立たしい限り。
一体この茶番劇は何なのでしょう。

またメールフォームですか。関ケ原が楽しみですと書いておきますか。
それと「それにしても」以下、武者さんが勝手にそう思っているだけではないでしょうか。

しかし大河関連はちょっとおざなりな部分もあるのに、それ以外の、特に持説展開に関する記述では、あれこれ記事を持ち出して来て実に元気がいいですね。
やはり本当に書きたいのはこちらなのでしょう。

飲み物-エスプレッソブラック
[ 2023/10/07 21:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。しかしよくこれだけ長々と書きますね。


一連の報道には、心身ともに疲弊しきっています。
しかし、いつかこういう日は来るだろうとは思っていました。何かが危ういだろうと。
去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。

このパラグラフ、「ドラマ鑑賞者との共犯関係」なる小見出しがついていましたが、いくら何でもこの書き方はないでしょうね。
そして武者さんは
「BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていた」
のが面白くないのでしょうが、ドラマの観方というのは人さまざまであり、特にこういうことに口を挟むものかと思います。自分と違うなら違うで、スルーしていればいいのではと思いますが。

で、そのあとも
「描写として秀逸かどうか……ではなく「自分が萌えるかどうか」「自分が好きかどうか」で決めてしまう」
などとありますが、大河の評価を自分が好きかどうかで決めつけ、あまつさえ好きな作品を嫌いな作品の叩き棒にしたがる武者さんに、こういうことを言ってほしくないなと思います。

誰だってそういう部分はあると思いますが、行き過ぎてはまずいでしょう。

では、どういう部分を「行き過ぎ」と判断するのでしょうか。

そして『あまちゃん』はAKBビジネスを無毒化し、ロンダリングしているだの、吉本興業ロンダリングの朝ドラ『わろてんか』のように、作品自体の出来が悪ければ悩まずに済むからまだマシだの。しかも、
「私がもう一度『あまちゃん』が好きだと言えるようになるのは、そのあたりがハッキリとしてから。好みと人倫は分けて考えなければならないと思います」
なのだそうですが、この人本当は『あまちゃん』を好きではないのだろうなと思います。本当に好きであれば、あのアイドルグループビジネスの描写にしても、それはそれと割り切って観ることができるでしょうから。

ネットニュースについては、PV(閲覧数)を稼げればいいのか。描写として適切かどうかよりも、「萌える」かそうでないか、そこに注目する記事が増えています。
その弊害を思うと、そろそろ見直すべきではないかと感じていたところです。

こう言っては何ですが、PV数を言うのであればこのコラムも同じようなものではないでしょうか。

事務所。ファンダム。劣情。そんなものにつけ込むばかりでよいのかと。
ジャニーズ問題で顕在化された感はありますが、朝ドラや大河ドラマのニュースは、近年、どんどん下劣になっているとは思っていました。
たとえば2018年朝ドラ『まんぷく』では、憲兵拷問を受ける俳優に劣情を抱いて盛り上がっているSNS投稿がありました。
この事件はモデルとなった人物も深刻な負傷をしています。憲兵の拷問では落命した方もいます。
そういう悲劇であるにもかかわらず、それをソフトポルノめいた演出にし、萌えるだのなんだの言い募ることはあまりに無神経ではありませんか?

まず「ニュース」が下劣と書きながら、なぜここで「SNS投稿」を出してくるのか。この両者は異なると思います。
恐らく萬平が冤罪で拷問となったシーンのことなのでしょう。しかしあれが「ソフトポルノ」だったでしょうか。あれはあくまでも拷問だったと思います。
中にはそういう投稿をした人もいるでしょう。しかしそれが視聴者の総意であるかとは、ちょっと言えないのではないかと思うのですが。

朝ドラではなく大河に話を戻しましょう。
『どうする家康』はなぜ失敗したのか?
私なりの分析であれば、『青天を衝け』が成功したことを一因にあげます。
あのドラマは、最新の研究成果をアリバイ的に取り入れただけで、悪質な捏造や歪曲も多い。VFXや小道具の作りも拙い。
それでも受けたのは、SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと。
イケメンラッシュ。勝ち組である。そういった小技のうまさがあるのでしょう。

まだ終わってもいない大河が失敗だ何だと書くのも、ちょっと無神経ではないでしょか。
そして『青天を衝け』が成功したとし、
「SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと」
さらにイケメンラッシュだったと書いているのですが、ストーリーの展開も、徳川家康の登場などの要因も無視されているなと思います。そして例によって「悪質な捏造や歪曲」(関東大震災絡みでしょうか)、「VFXや小道具の作りも拙い」(と武者さんは観たいのでしょうね、ならばどういうのが拙くないか例を挙げてほしいです)などなど。

その小ネタの一例がこちらです。
◆「青天を衝け」大河名物!?吉沢亮のふんどし姿に反響 「大河恒例の裸」「大河のふんどしタイム」(→link)
「大河恒例」だのなんだの書かれていますが、記事にもあるように『麒麟がくる』ではやりません。
そもそもこの場面はおかしかった。必然性もないうえに、役柄はまだほんの子どもです。
子どもがうっかりして下着姿になることに萌えただの興奮しただの、演者が成人であっても、そういうラッキースケベ狙いはあまりに下劣で嫌でたまりませんでした。

大河にはそれぞれの描写方法があり、別にこういう方法があればあったでいいと思います。
武者さんが褒めていた頃の『いだてん』なんてもっときわどいシーンもありました。また『真田丸』の石田三成が水垢離をするところ、あれも同じようなSNSの反響がありましたが、それには突っ込まないのですか?

このドラマでは、安政の大獄で処刑される橋本左内が、どういうわけか松平春嶽と共に半裸で蒸し風呂に入るような、わけのわからないサービスシーンもありました。
非業の死を遂げた人物をお色気要員に使うデリカシーのなさに嫌気がさしたものです。

それですが、『八重の桜』で覚馬と尚之助の入浴シーンもありましたね。こちらも、尚之助の晩年は幸せとは言えないものもありましたが、それもデリカシーがないということになるのでしょうか。

そして「全てのお色気が悪いわけではありません」として、

『鎌倉殿の13人』で八田知家や三浦義村が、堂々と脱いでいる様は、それこそ運慶の金剛力士像のようで素晴らしかった。
頼朝の前で身をくねらせる北条政子。琵琶を奏でる実衣。あざとさ満点で歩いてくる源仲章。
彼らは自分自身の持つ艶かしい力を意識的に使っていて、それは素晴らしかった。

とありますが、嫌いな大河であれば思い切り叩いているのではと思います。先日も書きましたが、武者さんのダブスタにしか見えません。そして

「そういう自覚した上での色気ならわかります。けれどもああいう覗き見的なお色気描写はどうなのでしょう」

「自覚した色気」と「覗き見的な描写」の線引きをどのようにするのですか?
具体例を挙げてください。

それに何よりも『まんぷく』『青天を衝け』のようなあざとい描写に、演じる俳優は納得できていたのでしょうか。

俳優さんが台本を読んで納得しないと、ああいうシーンは収録できないと思うのですけどね。

そしてこの色気だのセクシーだのの文章が延々と、しかも正直言って、武者さんの愚痴のようにしか思えない文章が延々と続くのでここでは省きます。本当にコラムを書ける人であれば、要点だけを絞り込むものだと思います。
またジャニーズの差別意識だのハラスメントだの。そして今度は、ファンを槍玉にあげた記事を例に挙げています。武者さんにしてみれば我が意を得たりといったところでしょうが、そういうのはこの大河と直接関係ないのだから、別のコラムでやって貰えませんか。しかもこの一連の問題、黙っていたマスコミも悪いという声も出ているようです。

そのうえでまた『青天を衝け』叩きが続きます。『どうする家康』もそうですが、この『青天』叩きもしばらく続きそうですね。しかも大河コラムなのに、例によって後半部分はすべて持論展開。『武将ジャパン』はなぜ何も言わないのでしょうか。

そして

過ちては改むるに憚ること勿れ。『論語』「学而」
間違って修正することを、他人や周囲の目を気にしすぎてためらってはいけないよ

正しくは
「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や体面などにとらわれず、ただちに改めるべき」
の意味ですね。

そしてすさまじいのが

「ともかく、NHKは悪質極まりないドラマを、問題点がわかっていながら放映した。人倫にもとることを堂々とやってのけた。それでもマスメディアは誉めていた。
そういう甘っちょろい態度が大河制作班をつけあがらせたのではないかと、私は考えています」

などとあることです。
これは『青天を衝け』への中傷ではないでしょうか。何よりも、自分が嫌いな作品だといわばタガが外れてしまうのか、悪質極まりないだの、人倫にももとることだの堂々と言ってしまう、その方が異常に感じられてしまいます。

『どうする家康』のクオリティは、もう問うべきものですらないとも思います。
徳川家康をダシに使った主演俳優のプロモーションビデオでしかない。
ジャニーズの広告降板をみていると、それを嘆くSNS投稿も当然目につきます。
推しが宣伝しているから買ったのに――そんな嘆きの声です。

ではそのSNS投稿というのを見せて貰えませんか。当然スクショなり何なり取っているのでしょうから。
それも『どうする家康』をきちんと批評している人が、こういうことを言うのならまだしも(と言うか、そういう人は一方的に決めつけないと思いますが)、普段出演者からスタッフから散々に言っている武者さんがこう言っても、ああまたかとしか正直思えないのです。

そして急にマルティン・ルターが出て来て何事かと思ったら、ジャニーズ免罪符だのなんだの。しかも推しの広告商品に金を落とすことが、免罪符そっくりらしい。免罪符、所謂贖宥状は現世の罪の赦しを、お金を払うことによって得て、天国に行けるというシステムであって、推しの広告商品にお金を払うのとは意味するものが違いませんか?

あとルター(ルーテル)派ですが、昨年武者さんが何かの如く言ったカトリックの聖人の一部は、この教派でも崇敬されていますね。

その後も『平清盛』と『どうする家康』の磯CP叩きだの、それと強引にジャニーズを絡める姿勢だの、しかも毎回同じようなことを書いているようにしか見えないし、何よりも武者さんの自己満足にしか見えないのでこれもパスします。
最後にこの部分だけ挙げておきます。

「推し活」そのものも曲がり角に来ている
つらつらと書いてきまして、最後にもうひとつ。
近年「推し活」が盛んになってきています。
けれども、いったん立ち止まった方が良いのかもしれません。

「つらつらと書く」は言葉本来の意味だと、よく考えて書くという意味になりますが、どうも「よく考えて」書いている印象があまりなく、今まで書いて来たもろもろのことを、引っ張り出しているようにしか見えないのです。

そして
「前段で書いたように、推しの広告する商品にお金を落とすことを生きがいにしている人はいます。
それがあなたの寿命を縮めると指摘したら、あなたは笑い飛ばせますか?」
とあり、推し活はファーストフードや喫煙のようなものであると決めつけ、あまつさえ
「タバコ会社は莫大な金を払い、カーレーシングチームのスポンサーになり、タバコはかっこいいと宣伝しました。
そうして毒を吸わせることに成功していたのです」

タバコに含まれるニコチンは毒と言うより、依存性の高い物質と言った方がいいでしょう。
国立精神・神経医療研究センターの記事がわかりやすいので置いておきます。

喫煙と睡眠
https://www.ncnp.go.jp/hospital/guide/sleep-column23.html


推し活とは、健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではないでしょう。
歴史上の人物による推し活はいいですよ。対象が亡くなっていると安心です。
新史料の発見により外道な側面があらわになる。題材にした作品がとんでもないことになる。
そういうリスクがないわけでもありませんが、それでも広告代理店臭さが薄いだけまだマシです。

「健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではない」
それは武者さんの、特に嫌いな対象への推しに対しての考えでしょう。
しかし自分が好きな対象に対して、同じことを考えるでしょうか。
とどのつまり推し活がよくない云々より、
「私が嫌いなものを褒めないでくれ」
これに尽きるような気がします。

**********

ここで少し付け加えておきます。
この前のパラグラフで、『どうする家康』関連での推し活について触れていることを考えても、やはり
「嫌いなものを褒めるな」
これに行きつきそうですね。また本文では、タバコ関連の記述の後に
「いくら推しが宣伝しているからって、キャンペーン期間中、毎日ずっと同じファストフードを食べ続けたら、体には悪影響があるかもしれません。そう立ち止まることも大事なのでは?」
などとありますが、例えが極端だなと思いますね。
武者さんにしてみれば、嫌いなものを推す人々は愚かな存在に見えて仕方ないのでしょうか。推し活での商品購入はドーピングみたいなものだとも書いていますし。
こういうのが、ちょっと行き過ぎな感もあるファンダム嫌いにもつながっているのでしょう。

**********

それと「対象が亡くなっていると安心です」これもないかと思います。
また歴史関係にしても、大河のを含め関連イベントなどには代理店が絡んではいるでしょう。そして好きな大河の場合は、そういうイベントに率先して足を運ぶのですね。

そしてこのパラグラフの最初の部分ですが、

推し活は自分が解き放たれたようで楽しい!
それはそうですが、同時に思考停止の危険性もあるでしょう

武者さんが嫌いな大河をすべてネガティブに捉え、好きな作品を叩き棒にしたがるのも、ある意味思考停止ではないかと思います。

で、またみなさまの声。この間のイングランド戦の超ラグトークについて送っておこうかなと思います。

飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2023/09/23 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第33回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。
それから先日分、自分で読み返してみてちょっと説明不足かと思ったので、いくらか手直しをしています。

あと松本潤さん、8月30日がお誕生日との由。おめでとうございます。


『平清盛』の長所は捨てて、短所は引き継ぐ本作。
あのドラマはやたらとコーンスターチをばら撒きました。
その点を批判されると、制作サイドは「不当な指摘だ」というスタンスでしたが、やはりコーンスターチの使いすぎはよろしくないでしょう。
未舗装の道であれば、土埃は立ったかもしれませんが、もうもうと舞い散るコーンスターチは、日本の気候の大きな特徴である多湿を反映していないようにも見えてしまいます。

元々コーンスターチを使い始めたのは、幕末が舞台の『龍馬伝』で、あれもかなり土埃が立っていました。日本の場合多湿ではあっても、乾燥する季節もあり、一概に土埃が立たなかったとも言えないかと思いますし、それよりも700年ほど前の『平清盛』の時代では、はるかに整備されていない道は多かったかと考えられます。

コーンスターチだけでもありません。
あのドラマでは、登場人物の顔をやたらと汚していました。
しかし人間には、時代を超えて最低限の礼儀がある。
あんな汚い顔のまま、来客を迎えたり、重要人物と会うのか?
言わば、勘違いしたリアリティであり、作品としての評価を落としたものです。
本作でも、それと同様のことが繰り返されていて、例えば「大事な客の前で食べたものを吐き出す」のもその一つでしょう。

当時は今のように頻繁に入浴したり、顔を洗ったりという習慣はなかったはずです。女性の場合髪を洗うのに一日を要したりもしています。入浴する日も陰陽道で決められており、それを踏まえれば、多少汚れた顔のまま人に会うこともあったのではないでしょうか。何事も今の基準だけでは決められないかと思いますし、これはたとえば『鎌倉殿の13人』でもそうだったでしょう。
それと
「大事な客の前で食べたものを吐き出す」
スモモの種は「食べたもの」ではなく「食べられないもの」では?

『真田丸』の真田昌幸は表面的には礼儀正しく、会話の中身で家康をおちょくっていたんです。
家康が「武藤喜兵衛をご存知か?」と聞いてくると、昌幸はシラをきった。昌幸の家督相続前の名が「武藤喜兵衛」です。
だから、横にいる幸村は焦りを堪えるような顔をしていたと。
それと比べたら、この昌幸の底の浅さは何なのでしょうか。
『真田丸』が深淵ならば、こちらはビニールプール並。スイカを冷やすのにちょうどいい。

なぜここで『真田丸』を持ってくるのかよくわかりません。あちらは主人公としての真田家、こちらは脇役としての真田家ですから、描かれ方も当然違います。上記のは醍醐寺のシーンのことかと思われますが、第33回で昌幸と家康が会うシーンもないし、そもそも秀長の力を借りようとしているのに、会話の中身で相手をおちょくるでしょうか。
比較対象にもならないのに比較したがる、これも武者さんの悪い癖ですね。
尚この回の昌幸のセリフの「らしい」部分は、やはり
「秀吉、家康、北条に上杉、もめればもめるほど甘い果実が落ちて来る。乱世を泳ぐとは愉快なものよ」
でしょう。

秀吉が関白になる場面ですが、公卿が軽いですね。
口調がペラペラの薄さです。
それでもこの場面はLEDウォールを使っていないだけマシに見えます。

「どうする関白」とありますが、これがまた3行で1つのパラグラフです。
わざわざこれだけで独立させる必要もないかと思いますが。
あと「公卿が軽い」て何ですか、軽い公卿ですねと言いたいのでしょうか。
そしてここは室内だし、LEDウォールは必要ないでしょう。

戦国時代の女性は思った以上に権力や発言権があった。
とはいえ、秀吉の横からねねが出てきて説明セリフを吐くのはやりすぎでしょう。

結局どう描いてほしいんですか?
あの時彼女は、秀吉が「三河も遠江も焼け野原と考えよ」と言うのに対して、夫を諫めるようなことを言っているわけですが、ここでまた「説明セリフ」ですか。

このドラマはシン・大河の「シン・」を捨てた方がマシに見えるんですね。ワケのわからん衣装はどんどんやめてください。

少なくともNHKは「シン・大河」などという表現は使っていないと思います。
マスコミが勝手にこの言葉で騒ぎ、武者さんがそれに乗っかっているだけでは?

石川数正の説得場面はくだらなかった。
秀吉の顔芸。
秀長はビッグモーターの宣伝。
ねねはどこか目がうつろ。
廊下の照明はわざとらしい置き方。このころは慶長伏見地震の前夜であり、前震があっても不思議はない。あんな不安定な蝋燭が倒れたら火災になりかねない。
悪の組織に勧誘されるような演出でしたが、どうしてそんな発想になりますかね。

また
「秀長はビッグモーターの宣伝」
このコラムでの佐藤さんのCM関連の記述、これで4度目ですね。
あと廊下の照明関連で
「このころは慶長伏見地震の前夜であり、前震があっても不思議はない」
まず慶長伏見地震は文禄5(1596、これが一因となって慶長に改元)年、この年は天正13(1585)年で、これは天正地震のことですね。そして前震と思われる記録はあるようですが、その中に大坂は入っていません。
「悪の組織に勧誘されるような演出でしたが、どうしてそんな発想になりますかね」
武者さんがそう思っているだけではないでしょうか。

出てきた瞬間に、史上最弱だと思える真田一族でした。
キラキラした笑顔の幸村(信繁)。
「俺はクール系、優等生です」みたいなキメキメ感の兄・信幸。
三人が第一次上田合戦で一ヶ所に固まっているのはおかしいのでは?
しかし、それ以前の問題として、真田兄弟がコスプレ高校生にしか見えません。
大河ドラマの人物というより、観光地のおもてなし武将隊のようです。

まず一か所に固まっていませんね。信繁は外から入って来ていますし。
信幸は戸石城にいたとされていますが、この回では時系列に沿った戦いが描かれていないので何とも言えません。
そしてこの時の兄弟はまだ20歳にもなっていないほどです。若く見えても当然でしょう、

昌幸にしたって「皆殺しにせい」という発言があまりにも幼稚だ。
合戦で皆殺しという考え方はあまりなく、文字通り軍隊の損耗率が100ということはない。
数割でも損耗すれば組織として動かなくなるので、全滅を狙うようなことはまずありません。
海戦ならばまだしも、陸戦で「皆殺し」とか言わせてしまうからリアリティが無くなってしまう。まるで小中学生に考えさせた脚本のようです。
ましてや真田と徳川の戦力差からして、あり得ない話でしょう。

実際にこの戦いでは、地の利を熟知した昌幸が少数ながら兵をうまく動かし、大軍の徳川にダメージを食らわせています。
そして「皆殺し」にやけに突っ込んでいるようですが、少なくとも兵を奮い立たせるには、ある意味大言壮語しなければならないこともあります。負けてもいいなどという大将は、それがよほど計算ずくであるのならともかく、そういるものではないでしょう。これは、今のスポーツでもまず同じかと。

見るからに弱そうな真田でも勝てたのは、対戦相手がヤンキー漫画の高校生みたいな徳川家臣だったからでしょう。
あんなに脇の甘い連中は負けて当然。
誰が聞いているかわからないところで、思ったことを話すし、悪口までペラペラ大声でしゃべる。
どこまでレベルの低い乱世なのでしょうか。
井伊直政はもうちょっとイントネーションをつけてほしいと思う一方、わざとらしく「俺軍師です! 曲者です!」とでも言いたげに、扇で首を叩いている正信が気の毒でなりません。
とにかくやりすぎ、わざとらしすぎて、辛いのです。どんだけ厨二病なの……。

あの徳川家臣はヤンキー漫画の高校生なのですか?
「誰が聞いているかわからないところで、思ったことを話すし、悪口までペラペラ大声でしゃべる」
そんなシーンがこの回で出て来ましたか?
そしてこれまた武者さんが好きな表現ですが
「どこまでレベルの低い乱世なのでしょうか」
「どこまで」とか「どれだけ」と書くと、如何にも問題提起している印象を与えますが、武者さんが考えているほどレベルは低くないようです。このシーンの彦の、
「背後に助けておる者がおる」
これがかなり大事かと思いますが、その点については何も触れないのですね。

「秀吉に劣ると申すか!」
家康がそう言うだけで「まぁ、どっちもどっちだけど、劣るんじゃないですか」と冷たい気持ちになってしまって辛い……。
ピアノをBGMに数正との絆を説明セリフで語られても、何が何やらわかりません。

また「説明セリフ」。そして家康が怒るのは、大坂の様子を知らないのが最大の理由ですが、その大坂の様子は先ほど出て来ていましたね。数正は、これではかなわないと思った。
なのに武者さんが書いていることと言えば、

脳裏によぎるのは、初回で「いやじゃー」と逃げ出していた家康の姿。
一体このドラマは何をしてきたんですかね?
マザーセナのラリラリダンスだの、側室オーディションだの、サウナで迫られるだの。
そう言うことを描く暇があるなら、この君臣の関係を綿密に描いてくるべきだったのではありませんか?

「この君臣の関係を綿密に描いてくるべきだったのではありませんか」
描かれて来ているのですが、武者さんがちゃんと観ていない、あるいは理解していないかではないでしょうか。
逆に、ここまで何を観て来たのですかと言いたくなります。

この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。
そんなこといつ考えていましたっけ……って、嗚呼、それもマザーセナの受け売りか。この時点でしらけます。
思いついたように「王道を以て覇道を制す!」と叫んだシーンも、その後に「だって先生が言ってたもん!」という小中学生に見えてしまい、とにかく心苦しくなりました。

あそこで家康が浄土と言った時点で、気づいた人もいたことでしょう。
彼が大樹寺で目にした
「厭離穢土 欣求浄土」
あれを踏まえているわけですね。ただこのコラムで大樹寺のシーンは登場していません。
そして「王道を以て覇道を制す!」ですが、秀吉の覇道による支配を、今川義元から教えられた王道によって押さえたいという意味も込められているかと思います。
しかし現実的には、まだそれは難しくはあるのですが。

あと「心苦しい」とは、相手の好意に対してすまなく思う気持ちのことでは?

数正が秀吉に会う場面がよくわかりません。
なぜ昼間から蝋燭を?
当時の蝋燭は高級品です。
それだけ秀吉が金を持ってんだと言いたいのかもしれませんが、それにしたってわざとらしい。
くどいようですが、あんな照明は地震が来たら火災発生待ったなしでしょう。

ある意味権力の象徴であり、またこの当時の大坂城そのものがそうでしょうが、南蛮的な雰囲気を醸し出そうとしているようにも見えます。それにお城とまで行かなくても、昔の建造物で窓があまりない場合は、昼間でも結構中は暗いものです。

それと地震云々、この少し前でも書かれていました。この演出を否定したいのでしょうね。

近年の大河ドラマでやったイベントはすっ飛ばす。
そんな方針があるような本作ですから、上田合戦も中身はすっ飛ばされました。
まぁ、どうせ描いたところで『真田丸』には遠く及ばず、仕方のないことでしょう。
そして予告で旭姫とラブコメをしているところで、これの何が戦国時代か?と絶望した方も多いと思います。

その代わり『真田丸』では描かれていない歴史上の事件、合戦は出て来ていますね。
また真田氏は前にも書いていますが脇役であり、主人公サイドにしてみれば、その後秀吉に臣従するか否か、そして数正の出奔の方がより大事なことだからでしょう。
大河に関してコラムを書くのであれば、そういう目を養ってほしいと思います。今更ではありますが。

「旭姫とラブコメ」
祝言の様子と旭姫がおどけている?様子、そして寝室で天正地震に見舞われるシーンはありますが、それのどこかラブコメでしょうか。
今までもそうですが、嫌いな大河の場合、仮に恋愛関係にない、場合によっては主従関係であるケースであっても、男女が一緒にいたらすべてラブコメで片付ける、その発想が如何なものかとは思いますが。

飲み物-スコッチウイスキー

[ 2023/08/31 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第31回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事と書きそびれていたこと

それから今回も、taketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介したいと思いますが、その前に。
遅くなりましたが台風の被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。あとハワイのマウイ島の被害も、かなり大きくなっているようですね。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第31回~
nhttps://note.com/taketak39460607/n/n83cca67c652e

まず武者さんが、
「マザーセナを教祖として崇めているようでいながら、性的なことは別。
旭姫がその対象となるかどうか不明ですが、カルトとしての生々しさだけはリアリティのあるドラマです」
と書いている件に対して、
「政治的政略は別物で待ってはくれません。秀吉公にとってはそんな個人の思いは関係ないからです。徳川を脅威と思うからこそあの手この手で調略しようとするも上手くいかず戦になったので、妹を政略結婚させようとしたのです」
と反論されています。

私もこれは家康の意志ではないと書いていますが、なぜか
「性的なことは別」
などとわざわざ書き、まるで家康が旭を狙っていると言わんばかりです。

そして「このドラマは差別への意識が薄いことも欠点」と決めつけ、大河ドラマでお国言葉を使うことそのものでなく、貶める手段として用いていると書いている部分。これに対しては、
「尾張民の私から言わせていただくと貴方に対して『くそだわけ』と言いたくなるような不快感と怒りを感じます。
光秀さんの罵倒はともかく羽柴兄弟の尾張弁は尾張中村から立身を願って出てきた庶民出身の人物の日常会話です。
現代でも尾張弁は日常で使われます」
とあり、また
「お国言葉(尾張弁・美濃弁)を使う人間は下劣だと言っているように思われて、非常に差別的に感じる」
とも書かれています。
taketak39460607さんは地元の方である以上、そう考えてもおかしくありません。

しかし武者さん、いつもジェンダーがどうこうポリコレがどうこうと言っている割に、こういうきわめて無神経な書き方を平気でしますね。

それから地図の書体に関して
「字体も、戦国時代にしては新しすぎる気がします。
ああいうかっちりした楷書で書くものでしょうか」
とありますが、これも古地図の画像を持ち出して、反論がなされています。
14世紀半ば作と見られる『南贍部洲大日本国正統図(広島県立歴史博物館)』
弘治3年(1557年)に書かれた『南贍部洲大日本国正統図(伝香寺旧蔵、現唐招提寺所蔵)』
の2点が挙げられており、どちらも楷書に近い文字で書かれています。

尚私の場合ですが、武者さんがこれはきちんと観ていたと思われる、『麒麟がくる』の地図の画像を上げています。無論こちらも楷書で文字が書かれていますが、この地図はもう記憶の彼方に消え去ってしまったのでしょうか。

そして「このドラマは、本当におにぎりを握る女が好きだな!」の記述。
「「勝て勝て勝て!」って言いながら握るのは何なのでしょう。『花燃ゆ』のリベンジでもしたいのか」などとありますが、これに対しても
「戦に向かう男衆たちに振舞う糧食として戦勝祈願で『勝て勝て』と長いながら握り飯を握る事のどこが悪いのでしょうか?」
「おにぎりは手軽に食べられ体力の補給ができる糧食です。(焼き味噌などを付けたり)」
とあります。
また、「大河ドラマでおにぎりが出てくるのは『花燃ゆ』だけとは限りません」と書かれており、
『軍師官兵衛』、『鎌倉殿の13人』でそれぞれおにぎりが登場するシーンの画像があります。

実際大河でおにぎりが登場する確率は、かなり高いでしょう。
それに『どうする家康』の場合、そこまで言うほど、おにぎりを作るシーンがあるとも思えませんが。

あとここの部分は、私は実はかなり飛ばしていますが、後の方のページで、武者さん本人の持論が述べられている箇所です。

「女はおとなしくしているほうが本質的に賢いとでも言いたいのか。この作品は、自分の足で立ち上がった女性の膝を背後から蹴り、脚をへし折り、頭蓋骨に岩を叩きつけて潰すような暴力性に満ちています。男性を必要としない自立した女性など、地獄に堕ちて当然だと思っているかのよう」

なのだそうですが、これに対してのtaketak39460607さんの指摘はこうなっています。

自分の罪を受け入れて死んだ瀬名、忍びや間者である大鼠や千代、身分が低くできることは限られつつも、主に尽くした阿月や、主家筋の女性であるお市や夫亡き後の城を守って討ち死にした田鶴などを挙げ、さらに癖毛であるという、時代的にコンプレックスになりかねない旭を侮辱し、両親の思いを受け止めて秀吉の庇護下に入ることにした茶々、こういう女性たちを散々叩いている。

またそのうえで、
「『自分の足で立ち上がった女性の膝を背後から蹴り、脚をへし折り、頭蓋骨に岩を叩きつけて潰すような暴力性』を持っているのは貴方なのでしょうね」
とも書かれています。
つまるところ、嫌いな作品の女性キャラには何を言ってもいいということなのでしょうが、偏見と言うかバイアスにしか見えませんね。まともに評価されているようには思えませんから。

それから信雄の家老誅殺に関しての史料や、秀吉の陣羽織の画像等々がアップされていたり、リンクが貼られていたりして参考になります。
また家康が井伊直政の包帯を巻くシーンですが、実際この人物は家臣の傷の治療をしたという逸話もあり(平山氏ツイ)、それと「吮疽之仁」、大将が部下を労わって大事にすることが引き合いに出されています。
武者さんも漢籍を持ち出すのなら、せめてこういうのを出してみては如何でしょうか。

それと書きそびれていたことをひとつ。こちらのnoteでも指摘されていますが、
「まだ思春期の子供(茶々)が」
とあります。
この時代は13歳ともなれば、最早結婚してもおかしくない年齢です。実際前田利家の妻であるまつは、数えの12歳で利家と結婚しているのですが。

しかし旭、あるいは『平清盛』で癖毛を気にしていた滋子のことを持ち出してくる割に、『鎌倉殿の13人』の亀については書かないのですね。
尚この人に関しては、武者さんはこう書いています。
「彼女(注・亀)は当時不美人とされたくせ毛の持ち主だったが、でも、それゆえに、そんな個性を頼朝は『他の女とはちがうんだよなぁ〜』とデレデレ愛で、撫でていたのかもしれない」

好きな大河だと、癖毛=個性となるようです。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/08/20 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。先日も書きましたが、最後の方のページは、茶々関連で武者さんの持論展開、あるいはジェンダー論に絡めてあれこれ主張するだけの場になっていますので、大部分は飛ばします。いつも同じことの繰り返しにしか見えませんし。
そのうちの一部だけピックアップしておきます。

◆13歳の少女が色目を使うおかしさ
『鎌倉殿の13人』では、茶々と同い年くらいのトウが、善児により目の前で親を殺されました。
そこで「こいつの弟子になって、いつか寝首をかく!」と即決したらどう思われます?
おかしいですよね。
まだ思春期の子供が、親が死んだ直後にそんな冷静な判断ができますか?
あの茶々は、いわばそういう無茶苦茶さでした。

ドラマをちゃんと観ていたらわかりますが、茶々は城を出る前に、
「母上の無念は茶々が晴らします」
「茶々が天下を取ります」
と言っています。まだお市も、そして勝家も自害する前です。
ですから
「親が死んだ直後にそんな冷静な判断ができ」たわけではなく、既に心の準備をして城を出たわけです。
しかしそれとトウとどのような関係があるのですか。
彼女は親が殺される前に、善児の弟子になると決めたのですか?

このドラマにはこんな場面もありました。
かけっこが好きで活発であった阿月が、父親から女らしさを仕込まれる場面です。
ジェンダー意識があってないようなこのドラマでも、女らしさは先天的でなく、後天的に仕込むものだという一応の認識はあるようです。
覚悟があろうが、決意があろうが、13歳の少女がそれを示すとなれば、鋭い眼光で相手を睨むといった行動になるでしょう。色気あふれる振る舞いなんて、誰からも仕込まれていなければできませんから。

武者さん、阿月の登場回ではこのことに触れず、やけに後になってから言及していますね。
阿月関連で以前どのようなことを書いていたかと言うと、たとえばこういうことです。(第25回関連コラムからの引用なので、色を変えています)

アメコミ由来の「冷蔵庫の女」という概念もあります。
要するに、プロットの都合上、ヒロインが死んで、そのことでヒーローが奮起するというパターンです。
このドラマの作り手は、家康という題材をみたとき、天下統一や江戸幕府を開いたといった話はすっとばし、こう思ったのでしょう。
「ヤッベwwこれだとヒロイン殺せるじゃんwww美男美女キャスティングにして盛り上げられるしwww」
ヒロイン殺しという要素に、浮かれちゃったとしか思えないんですよね。
現代劇より簡単に女を殺せる! ヤッベ、楽しい!
こんな思考回路に陥ったと。
田鶴だの、阿月だの、今まで描かれてきた女性にしても、自己実現と命を引き換えにして散ってゆきます。
死んでくれると実に都合がいい。
死ぬところで「ロス」だの「号泣」だのネット評価を作れますし。美女をとっかえひっかえ出せる。
歳をとって“賞味期限”が切れた女なんて邪魔なだけだから、殺してでも入れ替えていくのがいいに決まっているんですよ。と、ミソジニストの考え方ならそうなる。

武者さんが何かにつけて持ちだす「冷蔵庫の女」絡みですが、こういう発想をする武者さんの方が、女性に対する偏見が入りまくりのように見えてしまいますね。
そして私はこの時、阿月と田鶴は、同じ命を散らすにしてもその動機がまるで違うと書いていますが、武者さんに取ってどういうことはどうでもいいようです。ただこの場合
「ヒーローがヒロイン殺しで奮起するパターン」
に必ずしも沿っているとは思いませんが。

尚私は、この阿月に『西郷どん』の糸がダブると書いてもいます。彼女も脚が速いため男の子ばかりの郷中に男装して入り、妙円寺詣りで健脚を披露していましたが、その後女の子であることがばれてしまいます。

なお茶々は色気云々と言うよりは、もっと凄まじいものを抱えていると見るべきでしょう。下記記事も、そのことについて触れていますね。

【どうする家康】家康へ復讐の野望に燃える「淀殿」爆誕へ

ちなみにこの記事は武者さんが引用したものですが、この人はタイトルがおかしいと言って次のように書いています。

茶々が「淀」と呼ばれるのは、彼女が懐妊して淀城が産所となったから。
つまり「淀殿」は妊娠しなければ爆誕も何もあったものじゃない。
この時点でこんなことをタイトルにする時点で、実在した人物の人生なんてどうでもよくて、キャラクターカード扱いしているようなものじゃないですか。

ではこちらをご覧ください。

武将ジャパンおかしな点豊臣秀吉

「明智光秀の首を取ろうと思ったら豊臣秀吉に先を越されちゃった」
まだ豊臣の姓を下賜されていないのに、豊臣秀吉というのも随分妙なものだと思いますが。

あと例によってゲースロだの、
「このドラマについては、いっそのこと
『どうする家康:夢に終わった「シン・大河」』
というドキュメンタリーでも作って、NHK自らが放送すべきだと思います」
だの、
「『平清盛』と同じスタッフとキャストを多く起用するだけでなく、欠点も改善せずに持ち越しました」
だの。そういうことは原稿料つきコラムでやるのではなく、個人のレベルでやって貰えませんか。
お金を貰うコラムは、貴方の遊び場ではありませんよ。

あとこれは「『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-1」でご紹介しましたが、真田昌幸を出して来て
「朝令暮改の何が悪い!
より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!」
つまりこの大河のスタッフは失敗しているのに、傑作ですと主張し続けていると武者さんは言いたいのでしょうが、一度感情移入ができないなどと言っていた相手を、ここで自説補強のために出してくるのもどうかと思いますが。

何よりも、自分が嫌いな作品を他の視聴者も嫌いでなければならないと思い込むこと自体が、さて如何なものかなとは思うわけです。逆もまたしかりですし、とどのつまり好き嫌いは人それぞれなのですが。

でまた、メールフォームで意見をお送りしましょうとリンクが貼られています。
次回も楽しみにしていますとまた送ることにしましょう。

そして今回は、『軍師官兵衛』に登場する中国大返しの、おにぎりの画像を上げておきます。このおにぎりに味噌をつけて齧っているシーンがありましたし、実際姫路までかなりの強行軍である以上、塩分補給も必要だったでしょう。奥に見える緑のは瓜の漬物か何かでしょうか。

武者さんも中国大返しの描写がどうこうと言うのなら、好き嫌いはともかく、このシーンを観た方が見応えがあると思うのですけどね。

軍師官兵衛中国大返しおにぎり

あと中国大返しということで、長政と又兵衛の再会も上げておきます。長政が湧水を汲みに行こうとして又兵衛に先を越され、あわや斬り合い寸前となるものの、それぞれの昔の面影を見出した2人が再会を喜ぶシーンです。

軍師官兵衛長政と又兵衛の再会

『軍師官兵衛』DVDより。

[ 2023/08/19 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第29回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『武将ジャパン』大河コラムその3です。しかし、ただ単に叩けばいいと言うわけではないのですが…。


『真田丸』は、ちゃんと地図を用意して、どういうルートがまずいのか説明があります。
例えば、海路は速いけれども海賊にあったら逃げられないなど、メリットとデメリットの提示があった。今年はスマホで各人Googleマップを参照できそうなくらいお気軽ですね。
本作は、そういうことを何も考えてなく、役者の演技力に頼っていて内容がとにかく薄っぺらい。

忠次と数正が違うルートを行くと言った時、半蔵がそれぞれのデメリットを指摘していますが、それは無視でしょうか。
そして
「本作は、そういうことを何も考えてなく、役者の演技力に頼っていて内容がとにかく薄っぺらい」
どこがどう薄っぺらいのでしょうか?

汚い食べ方だけは嫌なリアリティがありますね。見ているほうは苦行としか言いようがありません。

野菜をかじっているシーンでしょうか。あの状況かでは丸ごとかじるしかないでしょう。それよりも、家康が自分は野菜を受け取らず、忍びたちに食べさせようとしているところもちゃんと書いて貰えませんか。

女大鼠があの妙ちくりんな髪型で「これから死にまーす」みたいなことを言うのが、もう恥ずかしくて目を覆いたくなる。
「命がけの危険な任務だ」ということではない。
これから死にます、見どころです――そう語りかけてくるあからさまな態度が見ていられないのです。

まず、この場合なぜわざわざ「髪型」を入れてくるのか意味不明です。武者さんの場合、関係のあるなしはさておき、気に入らないものをひとまとめにして一緒に叩きたがりますね。
そして大鼠が言っていることは、正に
「命がけで危険な任務」
だという意味だと思いますが。

本作の予算はどこに消えたのでしょう。
甲賀にいた、昭和レトロセンスな女性エキストラに使われました?
家康生涯最大の危機とされる伊賀越えですら、甲賀・多羅尾のもとには白い二の腕をチラ見せさせる女どもがいる。
おにぎりと太鼓でキャバクラ接待誘惑ってさ……。
綺麗な姉ちゃんがうまいもんをサービスしてたら、そりゃ引っかかるでしょ♪……って?

あの、二の腕を見せたらそれだけで「昭和レトロセンスな女性エキストラ」なのでしょうか?
そしてああいう接待はすべて「キャバクラ接待誘惑」であり、
「綺麗な姉ちゃんがうまいもんをサービス」となるのでしょうか。
このコラムでは、第28回で家康とお市が出会うシーンに関して、何やらエロ目線的な記述がありましたが、あれと何ら変わるところはありません。

そして
「そんなセリフが天下万民に通じると思わないでいただきたい」
そんなセリフとは
「綺麗な姉ちゃんがうまいもんをサービスしてたら、そりゃ引っかかるでしょ♪」
ですか?武者さんが勝手にそう考えているだけなのでは。

伊賀と甲賀の因縁を、回想と説明セリフだけで言われても困ります。
みんなお約束だから知っていると甘えていますよね?

甘えているのは、ドラマ本編で描こうとしていることに少しも触れず、やれ説明セリフだレトロだキャバクラだと好き放題書き散らし、報酬を得ている武者さんではないかとまたも言いたくなります。

しつこいようですが、ドヤ顔で女大鼠がクナイを構えるあたりリアリティに欠けて痛々しい。
ドヤ顔している間に飛び道具を使われたら終わりじゃないですか。

あの時は半蔵が危険を察知して、大鼠がクナイを構えたのであり、飛び道具を使いそうな相手はまだ登場していません。ただ、百地丹波が一行を見ていただけです。

今回も、もうもうと煙が炊かれていましたが、映っちゃいけないものでもあるから、突然スモックのように霧が出てくるんですかね。
予算がないからって、いくらなんでも酷い。

爆薬が炸裂したから当然煙が出ています。あれは他の大河でも同じでしょう。
そして「スモック」て、軽作業の時とか子供が着るための服ですけど、スモークの間違いでしょうか。

わざとらしい顔で登場した百地丹波。
この脚本家は、特定の人物だけ訛りを使わせるクセをどうにかして欲しい。
(中略)
まるで、添削が甘い小説投稿サイトの作品を読んでいるようで、語彙力はお粗末だし、前述の通り、人名をつけるセンスすらない。

百地丹波のセリフ、特に訛っているようには聞こえませんでしたが。
そして添削がされていないとか、間違った言葉遣いや訛りになるとか書かれていますが、では
「どこがどう間違っていて、正しい表現はどうなるのか」
具体的に示して貰いたいものですね。
そしてまた人名にこだわっています。

今年の大河がなぜここまで酷いか?
それはインプット量が少ないくせに、気取る点でしょう。
百地丹波は当時まだ青年のはずですが、出自が怪しい人物だからといって、フリー素材みたいな扱いにされてしまってますね。
いかにも昭和レトロな怪しげ忍者を出して、それがウケると思っているセンスに絶望です。

百地丹波ですが、どうやら1512年出生説と、1556年出生説があるようで、後者であればまだ青年ですが、前者であれば、この外観でも違和感はありません。
そしてここでまた「昭和レトロ」(苦笑)これも武者さんが好きな言葉ですね。

家康が売られたと思ったら違いました♩
と、三方原のネタを平気で使い回す。

穴山梅雪の首のことですが、この人が討たれたのはもちろん史料に残っています。ただ実際は夏目広次と違い、自分が家康であるとは主張しなかったようですが。

このドラマは首に兜をつけることがお約束ですが、ちゃんとした生首を作れるスタッフがいないだけですよね。
今回なんて明智光秀は兜を脱いだ状態で首を打たれたのに、兜を被せる親切仕様。
生首ひとつまともに扱えないくせに、脚本家の露悪趣味のせいで首をお粗末に扱うパターンを繰り返すあたりがどうしようもありません。

ちゃんとした生首を作って、そのまま放送するのですか。それはそれでクレームが行くと思いますよ。
それと「兜を脱いだ状態」と言うより、「兜を着けていない状態」でしょう。前者だと、あたかも光秀が自分で兜を脱いで、さあ討ってくれと言ったように見えてしまいます。
そして
「生首ひとつまともに扱えないくせに、脚本家の露悪趣味のせいで首をお粗末に扱うパターンを繰り返すあたりがどうしようもありません」
生首ひとつまともに扱えないだの、脚本家の露悪趣味だの、よくこんな文章をそのままアップするなと思います。武者さん、そんなに生首が見たいのなら、池端氏脚本の『太平記』でも観てはどうですか、楠木正成の生首がはっきり見えますよ。

こんなバカみたいな状態で、秀吉が「今まで一番ええ顔してるね」といったところで、愚かとしか言いようがありません。
一度や二度じゃない、死体の損壊や腐敗に対する認識もろくにないと思います。

「ええ顔」と言うのは、秀吉一流の皮肉であると思いますが。少なくともこの大河では、この人物はこういうことを、真顔で言ってのけるタイプだと思われます。

そして大鼠が無茶苦茶だの、それを瀬名に結び付けてまたカルトの話だのが続きます。さらに武者さんによれば、
「穴山梅雪が家康の身代わりになったという話も、カルト信仰に殉じたように思えてしまいました」
のだそうです。ここまで考えますかね。
そして本多正信。

「俺は曲者! 軍師様なんじゃ!」
そう振る舞う本多正信ってなんなのでしょう。
ただのこじらせ野郎にしか見えず、同時にリアリティも皆無。
このドラマはつくづく大河主演経験者の魅力も潰してきます。

武者さんは、自分が嫌いな描写だと「リアリティ皆無」と言いたがるようです。そして
「このドラマはつくづく大河主演経験者の魅力も潰してきます」
その松山ケンイチさん主演の『平清盛』に対しても、あれこれ言っていたように思いますが。

そもそも本多正信の徳川復帰はもっと早かったと考えられています。
ではなぜここまで引っ張ったのか?
単に「本多正信の復帰」というカードを劇的なものにしたかった思惑からでしょう。

本多正信の復帰は色々説があり、中にはこの天正10年という説もあって、その意味では特に引っ張っていないと思います。
劇的と言うより、一向一揆という家康の3大ピンチの1つの後でいなくなり、次のピンチ三方ヶ原では不在で、それもまた大敗の一因となった感もあり、今回またピンチである伊賀越えで姿を現したのは、面白い設定であると言えるでしょう。

本多正信の「家康に明智を討たせろ」という台詞もいかがなものか。
このドラマは結局、ヤンキードラマか、都内に暮らす詐欺師のノリで戦国時代を描いている。
明智光秀を撃つならば、地理的に近く、軍勢を整え、素早く戦場へ向かえる連中が有利に決まっています。
では、三河(あるいは駿河)へ戻った家康が、どうやって光秀を討つのか?
仮に光秀の所在地が京都(山城)だとした場合、そこにたどり着くまでは尾張・美濃・近江があり、どこが敵で味方かわかりません。
一箇所に所在せず、移動する可能性だってあるでしょう。

まず明智を討たせろは、家康の駆け引きと見るべきかと思いますが。そしてこの手勢で光秀を討つと言うのは、どう考えても不可能です。
しかもこの時家康に、秀吉が毛利との和議の後急ピッチで引き返すというのがわかるわけがありません。一旦三河に戻り、軍を率いてからと思っているうちに、秀吉が光秀の首を挙げてしまったわけです。
そして光秀が信長を討てば、まず信長の居城である安土に行ってそこを奪うでしょう。

あくまで家康が生き抜くために鼓舞するためならわかりますが、百地を味方に誘導する言動だとしたら不自然。
実際、本能寺の後はまさしく地理的なポジションが決め手であり、毛利と和議さえ結べれば、京都までの道のりが確保できた秀吉が有利であり、光秀を討つことができました。
脚本を構築していく上で、そうした行軍や兵站などは考慮されたのでしょうか。

ここで百地を味方に誘導するというセリフが出て来ますか?恩を売れ、その方が利になるとは言っています。そして丹波も、正信のちょっと思わせぶりな言葉に翻弄されている部分があります。
そして
「毛利と和議さえ結べれば、京都までの道のりが確保できた秀吉が有利であり、光秀を討つことができました。
脚本を構築していく上で、そうした行軍や兵站などは考慮されたのでしょうか」
この大河は家康が主人公です。ですから中国大返しの細部より、伊賀越えの描写の方が優先されるのは当然のことでしょう。

中国大返しの行軍や兵站を見たいのなら、『軍師官兵衛』を観てください。あれも武者さんはマラソンなどと書いていましたが。

『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』は、兵糧確保や戦術を意識しているセリフで色々と視聴者に伝えてきました。
『どうする家康』はそういう要素がまるでない。だから単なる思いつきのような台詞で物語が展開するのでしょう。

また麒麟と鎌倉殿を叩き棒ですか。それはともかく、
「『どうする家康』はそういう要素がまるでない」
直近だと信長を討とうとして、茶屋四郎次郎に戦の準備をさせ、伊賀者を多数半蔵に揃えさせていましたが。

伊賀越えで命からがら三河へ逃げ戻った家康。
『真田丸』では、阿茶局が奥の前にて、その襖を開けた家康が倒れ込むという場面でした。
今回は、家臣が勢揃いしているところでニタニタとした愛が出迎える。
この愛は夫の危難すら真面目に考える程度のことすらできていないから、愚かさばかりが目についてしまう。マザーセナすらマシに見える。
そして、くどいようですが、愛の近眼設定はどこへ消えましたか?
初登場時は史実由来の設定を盛り込んだものの、その後はレーシック手術でもしたかのような回復ぶり。

この投稿の最初の部分でもそうでしたが、なぜ『真田丸』との比較になるのですか。あの時の三河帰還は連れも少なく、出迎えるのも阿茶局だけでした。今回は供も多く、於愛のみならず子供たちも出迎えています。当然描写も異なって来ます。
そして何よりも、危ない目に遭った夫が帰って来たのは、彼女としても嬉しいでしょう。
あと近眼設定に関しては先日も書きました。ここで於愛がいきなり遠くに何かが見えるなどと言えば、それは確かに不自然ではあるでしょうが。


飲み物-2種類のカクテル
[ 2023/08/04 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第28回に関しての武将ジャパンの記事について-4

では『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。このページは武者さんの持論展開と化している部分が多いので、その中でいくつかピックアップしておきます。


磯Pの妄想じみたBLは、それこそ二次創作で繰り広げていただきたい。
よりにもよってこのご時世にやることそのものがふざけていて、各種ニュースを見ていても何も感じないのでしょうか?

とあり、ジャニーズ関連のニュースリンクがいくつも貼られていて、しかも

何を忖度しているのか計りかねますし、NHKとジャニーズの関係なんて心底どうでもよい。
今年の前半に出ていたこうした記事が真実だとすれば、度し難いとしか言いようがありませんが。

などとあり、さらに

私が認識できているのは、この状態になってもなお庇うことがどれほど恥ずかしいことであるか。
視聴者の気持ちすらわからない、公共放送と化しています。
(中略)
本当に、今年の大河は「日本の恥」になるのではないか。そう問われている気がします。
「民放ならまだしも、公共放送でこんなものを流す気がしれない」という海外の投稿も目にしました。
まさしく国の恥、大河どころか汚泥が流れているのが、2023年日曜の夜です。

まず
「磯Pの妄想じみたBLは二次創作で」
はっきり言って、「妄想じみた」と武者さんに言ってほしくないと思います。そして
「こうした記事が真実だとすれば」
と言いつつ、タブロイドとかゴシップ系記事が多いように見えます。無論そういうメディアの記事が、すべて嘘であるとは言えないかも知れませんが。
そして「庇う」、何だか如何にも悪いことをしたように取れますが、このドラマの主演の松本さんも、準主演の岡田さんもその事務所に所属しているだけであり、所属しているだけで連座しろと言わんばかりの書き方は、それこそ武者さんが嫌いな昭和、あるいはそれ以前の時代の発想です。

そしてその海外の投稿というのは、いつ、誰が投稿したのか明記してください。

日本史ファンと名乗る方が、この性犯罪の擁護をしている様も見かけました。
若衆だの、男色を持ち出し、伝統だのなんだの、トリビア混じりで語っているのです。
私は日本史上の男色にしても、歪で当時苦痛を訴えることができなかっただけだと思います。調べれば調べるほど、暗い気持ちになります。
(中略)
そういう苦痛を緩和するための積み重ねの果てに、私たちは生きているのだと思いたい。
ゆえに、ここで性犯罪を見逃すということは、未来に苦痛を丸投げすることでしょう。未来の人々から軽蔑されるということでしょう。

なぜ男色が性犯罪になるのでしょうか。
これはその当時としては一種の恋愛形態でした。
そして
「歪で当時苦痛を訴えることができなかっただけだと思います」
の根拠は?調べれば調べるほどとありますが、どのような史料をどう調べたのでしょうか。
それによる考察もないまま、性犯罪と同一視するのも無謀に思えますが。

一方で以下の記事ですが、

◆なぜNHK大河ドラマは史実とかけ離れているのか…ドラマ好きライターが「どうする家康」を見て感じること 令和の感覚で作られた大河だからこそ描けることがある(→link)
令和になってこのドラマを庇うって、どういう倫理観なのやら。
私はドラマ以上に正義を好むので、こんな気持ちにはなれません。

だそうですが、私は割とこの記事にはうなずけるものがありました。
そしてこの期に及んで「ドラマ以上に正義を好む」などと言われても、ここはドラマのコラムです。ならば他の寄稿先を探して貰えないでしょうか。そして大河ドラマはその時々の価値観や社会のあり方も反映しており、その意味で今年のは令和の感覚が反映されていると言っていいでしょう。

ドラマの総大将であるプロデューサー・磯氏の敗因を探ってみたいと思います。
彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず。『孫子』謀攻篇
『どうする家康』が嫌い、貶め、嘲笑していた『麒麟がくる』序盤に出てきた引用箇所ですね。意味は有名なので省略。

ここで勝ったも負けたもないものだと思います。武者さんが1人でそう決めつけているに過ぎません。あと
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
「有名なので省略」とはまた適当な、ちゃんと意味を書いてください。敵についても味方についても、その情勢をしっかり把握しているのであれば、何度戦っても敗れないという意味ですね。
そして今度は『なつぞら』関連で、このドラマの成功は制作の磯氏ではなく、大森寿美男氏の脚本にあったとの由。そして大森氏の『風林火山』執筆経験にも言及しています。

しかしこの『風林火山』、ガイドブックで大森氏は、
「何しろ殺戮も略奪も認められていた時代なわけで、彼らのしたことを今の価値観で判断すると、限界が出てくるのは当然です(中略)たとえば残虐な行為に対してでも、『実は内面では葛藤もあったし優しかったのだ』といったドラマ上のフォローをあえてしない」
このように語っています。武者さん、先ほど男色は性犯罪であるように書いていましたが、その時代の価値観を今の価値観だけで見るのは少し無理がありませんか。尚男色自体についての考えは先ほど書いています。その当時は恋愛の一つではあったと思われます。

そして今度は古沢氏です。特に以下のように欠点を並べ立て、

・騙そうとして、後からネタを無理に繋ぐ。ネタのためにネタを仕込む、雑な伏線回収
・強引なプロット。それが通じるなら何とでもできる
・しかも騙したトリックにおいて、説得力が欠如している
・話の語り口が退屈で、冗長、しつこく、面白くない
いやいやどうして『どうする家康』の欠点と同じではありませんか。

この出典が何であるのかがわかりませんが、さらにこう書いています。

磯氏からは、大河ファンや歴史ファンへの憎しみすら感じます。過去の大河ドラマや歴史そのものを小馬鹿にするようなことをして、その一要素に挙げられるのが衣装です。

何を持って磯氏が「大河ファンや歴史ファンに憎しみ」と断定するのか、それが不明です。
そしてあの衣装、過去の大河や歴史を小馬鹿にしていますか?元々ある染色法をお手本に染め上げているはずですが。それとこう言っては何ですが、私としては『麒麟がくる』の衣装より、よほど今年の方が受け入れられると書いておきます。

この組み合わせは『平清盛』でもそうでした。あのドラマの衣装には大変ガッカリしたことを思い出します。
私は平安時代の襲の色が好きで、実物でいつか見てみたいと楽しみにしていました。
しかし『平清盛』ではそうした襲や様式を一切無視していると、語っていました。皇室や朝服はそうでもなかったようですが。

これもどの部分が「無視して」いるのか説明なし。
あと「皇室や朝服」とありますが、このように表記するなら「皇族の装束や朝服」とでも書いて貰えませんか。結局は清盛も今年のも磯氏だから変なのだと言いたいのでしょうが、そこまで変なら観なければいいだけの話ですし、自分の大河への向き合い方は棚に上げて、あれがおかしいこれが間違っているが多すぎだと思いますね。

こういう歴史好きの心を逆撫ですることは、本人にとっては憂さ晴らしであり、知的な騙し合い程度のつもりかもしれません。
しかし、大河ドラマという枠は一人のものではありません。そのリスクを考慮して欲しいのです。

「大河ドラマという枠は一人のものではありません」
何だかブーメランに見えてしまいます。
武者さんが嫌いだおかしいと言う一方で、このドラマを面白いと思っている人たちもいるわけで、こういうことを書くのは、「その人たちの心を逆撫で」しているのではないでしょうか。
前にも書きましたが、この大河は武者さんだけのものではもちろんないし、また、武者さんが描いてほしいことが、必ずしも描かれているわけではありません。

主は怒りを以て師を興(おこ)す可(べ)からず。『孫子』「火攻篇」
怒りの感情に任せて戦争を始めてはいけない。
「怒りに任せてはいけない……」
そう自分を戒めなければならないほど、今回は色々考えさせられました。

「怒りの感情にまかせて」と言うか、「一時の怒りにまかせて」が正しいでしょうか。
そして「そう自分を戒めなければならないほど、今回は色々考えさせられた」とありますが、武者さんいつも一時の感情に任せて文章を書いていないでしょうか。
そしてお決まりの提灯記事とSNS批判。提灯と言っても、好きな大河なら嬉々として紹介しそうなものばかりです。

私なりにこうした論調に反論しておきますと、ドラマとして純粋につまらない、歴史抜きにしてくだらない、歴史への敬愛にも欠ける――それに尽きます。

何度も書くようですが、男色を性犯罪と同一視することも、歴史への敬愛というか理解がないと考えられます。

誰かを小馬鹿にしたくて歴史を扱う作品を見るなんて、そんなことをしてどうなるのか?
別に『麒麟がくる』を持ち出さなくとも、私には明智光秀への思い入れがあります。
司馬遼太郎『国盗り物語』を読み終えた後、数日間は呆然として、思い出しては涙ぐんでしまったこともあります。
そういう感動した気持ちごと、今年はバカにされている気分です。
寿司店主が客に向かって「酢飯の上に生魚載せて食う奴なんて気がしれないよねw」とは言いませんよね。そういう非常識さを感じます。
だからこそ不愉快。歴史的に正確であるか、そういうことではない。歴史が好きだという気持ちそのものまで、今年は踏みにじられる思いがあるのです。

今年のがいつ「誰かを小馬鹿にし」ましたか?
今年の明智光秀がなぜああいう描かれ方をしているのか、それを理解するのが歴史好きではないかと思いますが、そういう考えには至らないのでしょうか。
つまるところ
「私が描いてほしい明智光秀を描かない。だから、この作品は駄目なんだ」
そう言っているに等しいのではありませんか。しかしそれは独りよがりであり、我儘でしょう。ならば、武者さんが自分で大河を作りますか?

繰り返しますが、これが民放のバカ時代劇なら、ここまでショックは受けません。

「バカ時代劇」と言うのもどうかと思いますね。

そしてまたファンダムがどうのこうの、漢籍関連で語り合えるのなら参加したい、さらに日本の戦国時代への忌避感が高まってしまった。いや忌避感が高まったなら高まったでいいから、もうこれ以上この大河について書かないでください。
そして昨年のはよかったのに今年は違う云々。叩き棒にされる側も何とも気の毒です。

しかし今年はそれが全くない……。
むしろ苦々しい気分になる。これではまずい。歴史の素晴らしさを思い出したくなり、武者絵や博物館の図録を見返してしまいました。
やっぱりこういう模様はいい。

武者絵というのは江戸時代に描かれたものも多く、心の慰めにはなっても、その時代を知る手掛かりにはならないと言っておきます。

そう往年時代劇の舞台衣装を見ていて、同時に気分が猛烈に悪くなってくる。
脳内にマザーセナのどピンク衣装だの、アイスクリームの精霊となった三河武士団の衣装(スイカバーや抹茶カラーの連中がいるでしょ?)が浮かんできて、怒りと失望がどっと吹き出し、悪化してしまったのです。
本作を好きだという方にとやかく申し上げることはありません。
好きな作品を全力で愛せばいい。
しかし私は、肝心の脚本家から歴史への愛は感じられません。プロデューサーからは嫌悪や嘲笑すら感じます。

また「どピンク」だの「アイスクリーム」だの言っていますね。
「嫌悪や嘲笑すら感じる」ならこんなところであれこれ愚痴るのではなく、このコラムもおしまいにして、自分の好きな道を模索してほしいものです。私としても、武者さんが『どうする家康』をレビューするのは無理があるような気がします。

同様の意見をお持ちの皆さまはNHKへ直接ご意見をお届けください。
批判記事が一本世に出るより、はるかに有用であることでしょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

せっかく武者さんがリンクを貼ってくれているので、まずラグビー中継枠をもう少し広げることと、それから伊賀越えが楽しみであることを送っておきます。

飲み物-海とビール
[ 2023/07/30 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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