『武将ジャパン』大河コラムその4です。しかしよくこれだけ長々と書きますね。
一連の報道には、心身ともに疲弊しきっています。
しかし、いつかこういう日は来るだろうとは思っていました。何かが危ういだろうと。
去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。
このパラグラフ、「ドラマ鑑賞者との共犯関係」なる小見出しがついていましたが、いくら何でもこの書き方はないでしょうね。
そして武者さんは
「BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていた」
のが面白くないのでしょうが、ドラマの観方というのは人さまざまであり、特にこういうことに口を挟むものかと思います。自分と違うなら違うで、スルーしていればいいのではと思いますが。
で、そのあとも
「描写として秀逸かどうか……ではなく「自分が萌えるかどうか」「自分が好きかどうか」で決めてしまう」
などとありますが、大河の評価を自分が好きかどうかで決めつけ、あまつさえ好きな作品を嫌いな作品の叩き棒にしたがる武者さんに、こういうことを言ってほしくないなと思います。
誰だってそういう部分はあると思いますが、行き過ぎてはまずいでしょう。
では、どういう部分を「行き過ぎ」と判断するのでしょうか。
そして『あまちゃん』はAKBビジネスを無毒化し、ロンダリングしているだの、吉本興業ロンダリングの朝ドラ『わろてんか』のように、作品自体の出来が悪ければ悩まずに済むからまだマシだの。しかも、
「私がもう一度『あまちゃん』が好きだと言えるようになるのは、そのあたりがハッキリとしてから。好みと人倫は分けて考えなければならないと思います」
なのだそうですが、この人本当は『あまちゃん』を好きではないのだろうなと思います。本当に好きであれば、あのアイドルグループビジネスの描写にしても、それはそれと割り切って観ることができるでしょうから。
ネットニュースについては、PV(閲覧数)を稼げればいいのか。描写として適切かどうかよりも、「萌える」かそうでないか、そこに注目する記事が増えています。
その弊害を思うと、そろそろ見直すべきではないかと感じていたところです。
こう言っては何ですが、PV数を言うのであればこのコラムも同じようなものではないでしょうか。
事務所。ファンダム。劣情。そんなものにつけ込むばかりでよいのかと。
ジャニーズ問題で顕在化された感はありますが、朝ドラや大河ドラマのニュースは、近年、どんどん下劣になっているとは思っていました。
たとえば2018年朝ドラ『まんぷく』では、憲兵拷問を受ける俳優に劣情を抱いて盛り上がっているSNS投稿がありました。
この事件はモデルとなった人物も深刻な負傷をしています。憲兵の拷問では落命した方もいます。
そういう悲劇であるにもかかわらず、それをソフトポルノめいた演出にし、萌えるだのなんだの言い募ることはあまりに無神経ではありませんか?
まず「ニュース」が下劣と書きながら、なぜここで「SNS投稿」を出してくるのか。この両者は異なると思います。
恐らく萬平が冤罪で拷問となったシーンのことなのでしょう。しかしあれが「ソフトポルノ」だったでしょうか。あれはあくまでも拷問だったと思います。
中にはそういう投稿をした人もいるでしょう。しかしそれが視聴者の総意であるかとは、ちょっと言えないのではないかと思うのですが。
朝ドラではなく大河に話を戻しましょう。
『どうする家康』はなぜ失敗したのか?
私なりの分析であれば、『青天を衝け』が成功したことを一因にあげます。
あのドラマは、最新の研究成果をアリバイ的に取り入れただけで、悪質な捏造や歪曲も多い。VFXや小道具の作りも拙い。
それでも受けたのは、SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと。
イケメンラッシュ。勝ち組である。そういった小技のうまさがあるのでしょう。
まだ終わってもいない大河が失敗だ何だと書くのも、ちょっと無神経ではないでしょか。
そして『青天を衝け』が成功したとし、
「SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと」
さらにイケメンラッシュだったと書いているのですが、ストーリーの展開も、徳川家康の登場などの要因も無視されているなと思います。そして例によって「悪質な捏造や歪曲」(関東大震災絡みでしょうか)、「VFXや小道具の作りも拙い」(と武者さんは観たいのでしょうね、ならばどういうのが拙くないか例を挙げてほしいです)などなど。
その小ネタの一例がこちらです。
◆「青天を衝け」大河名物!?吉沢亮のふんどし姿に反響 「大河恒例の裸」「大河のふんどしタイム」(→link)
「大河恒例」だのなんだの書かれていますが、記事にもあるように『麒麟がくる』ではやりません。
そもそもこの場面はおかしかった。必然性もないうえに、役柄はまだほんの子どもです。
子どもがうっかりして下着姿になることに萌えただの興奮しただの、演者が成人であっても、そういうラッキースケベ狙いはあまりに下劣で嫌でたまりませんでした。
大河にはそれぞれの描写方法があり、別にこういう方法があればあったでいいと思います。
武者さんが褒めていた頃の『いだてん』なんてもっときわどいシーンもありました。また『真田丸』の石田三成が水垢離をするところ、あれも同じようなSNSの反響がありましたが、それには突っ込まないのですか?
このドラマでは、安政の大獄で処刑される橋本左内が、どういうわけか松平春嶽と共に半裸で蒸し風呂に入るような、わけのわからないサービスシーンもありました。
非業の死を遂げた人物をお色気要員に使うデリカシーのなさに嫌気がさしたものです。
それですが、『八重の桜』で覚馬と尚之助の入浴シーンもありましたね。こちらも、尚之助の晩年は幸せとは言えないものもありましたが、それもデリカシーがないということになるのでしょうか。
そして「全てのお色気が悪いわけではありません」として、
『鎌倉殿の13人』で八田知家や三浦義村が、堂々と脱いでいる様は、それこそ運慶の金剛力士像のようで素晴らしかった。
頼朝の前で身をくねらせる北条政子。琵琶を奏でる実衣。あざとさ満点で歩いてくる源仲章。
彼らは自分自身の持つ艶かしい力を意識的に使っていて、それは素晴らしかった。
とありますが、嫌いな大河であれば思い切り叩いているのではと思います。先日も書きましたが、武者さんのダブスタにしか見えません。そして
「そういう自覚した上での色気ならわかります。けれどもああいう覗き見的なお色気描写はどうなのでしょう」
「自覚した色気」と「覗き見的な描写」の線引きをどのようにするのですか?
具体例を挙げてください。
それに何よりも『まんぷく』『青天を衝け』のようなあざとい描写に、演じる俳優は納得できていたのでしょうか。
俳優さんが台本を読んで納得しないと、ああいうシーンは収録できないと思うのですけどね。
そしてこの色気だのセクシーだのの文章が延々と、しかも正直言って、武者さんの愚痴のようにしか思えない文章が延々と続くのでここでは省きます。本当にコラムを書ける人であれば、要点だけを絞り込むものだと思います。
またジャニーズの差別意識だのハラスメントだの。そして今度は、ファンを槍玉にあげた記事を例に挙げています。武者さんにしてみれば我が意を得たりといったところでしょうが、そういうのはこの大河と直接関係ないのだから、別のコラムでやって貰えませんか。しかもこの一連の問題、黙っていたマスコミも悪いという声も出ているようです。
そのうえでまた『青天を衝け』叩きが続きます。『どうする家康』もそうですが、この『青天』叩きもしばらく続きそうですね。しかも大河コラムなのに、例によって後半部分はすべて持論展開。『武将ジャパン』はなぜ何も言わないのでしょうか。
そして
過ちては改むるに憚ること勿れ。『論語』「学而」
間違って修正することを、他人や周囲の目を気にしすぎてためらってはいけないよ
正しくは
「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や体面などにとらわれず、ただちに改めるべき」
の意味ですね。
そしてすさまじいのが
「ともかく、NHKは悪質極まりないドラマを、問題点がわかっていながら放映した。人倫にもとることを堂々とやってのけた。それでもマスメディアは誉めていた。
そういう甘っちょろい態度が大河制作班をつけあがらせたのではないかと、私は考えています」
などとあることです。
これは『青天を衝け』への中傷ではないでしょうか。何よりも、自分が嫌いな作品だといわばタガが外れてしまうのか、悪質極まりないだの、人倫にももとることだの堂々と言ってしまう、その方が異常に感じられてしまいます。
『どうする家康』のクオリティは、もう問うべきものですらないとも思います。
徳川家康をダシに使った主演俳優のプロモーションビデオでしかない。
ジャニーズの広告降板をみていると、それを嘆くSNS投稿も当然目につきます。
推しが宣伝しているから買ったのに――そんな嘆きの声です。
ではそのSNS投稿というのを見せて貰えませんか。当然スクショなり何なり取っているのでしょうから。
それも『どうする家康』をきちんと批評している人が、こういうことを言うのならまだしも(と言うか、そういう人は一方的に決めつけないと思いますが)、普段出演者からスタッフから散々に言っている武者さんがこう言っても、ああまたかとしか正直思えないのです。
そして急にマルティン・ルターが出て来て何事かと思ったら、ジャニーズ免罪符だのなんだの。しかも推しの広告商品に金を落とすことが、免罪符そっくりらしい。免罪符、所謂贖宥状は現世の罪の赦しを、お金を払うことによって得て、天国に行けるというシステムであって、推しの広告商品にお金を払うのとは意味するものが違いませんか?
あとルター(ルーテル)派ですが、昨年武者さんが何かの如く言ったカトリックの聖人の一部は、この教派でも崇敬されていますね。
その後も『平清盛』と『どうする家康』の磯CP叩きだの、それと強引にジャニーズを絡める姿勢だの、しかも毎回同じようなことを書いているようにしか見えないし、何よりも武者さんの自己満足にしか見えないのでこれもパスします。
最後にこの部分だけ挙げておきます。
「推し活」そのものも曲がり角に来ている
つらつらと書いてきまして、最後にもうひとつ。
近年「推し活」が盛んになってきています。
けれども、いったん立ち止まった方が良いのかもしれません。
「つらつらと書く」は言葉本来の意味だと、よく考えて書くという意味になりますが、どうも「よく考えて」書いている印象があまりなく、今まで書いて来たもろもろのことを、引っ張り出しているようにしか見えないのです。
そして
「前段で書いたように、推しの広告する商品にお金を落とすことを生きがいにしている人はいます。
それがあなたの寿命を縮めると指摘したら、あなたは笑い飛ばせますか?」
とあり、推し活はファーストフードや喫煙のようなものであると決めつけ、あまつさえ
「タバコ会社は莫大な金を払い、カーレーシングチームのスポンサーになり、タバコはかっこいいと宣伝しました。
そうして毒を吸わせることに成功していたのです」
タバコに含まれるニコチンは毒と言うより、依存性の高い物質と言った方がいいでしょう。
国立精神・神経医療研究センターの記事がわかりやすいので置いておきます。
喫煙と睡眠
https://www.ncnp.go.jp/hospital/guide/sleep-column23.html
推し活とは、健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではないでしょう。
歴史上の人物による推し活はいいですよ。対象が亡くなっていると安心です。
新史料の発見により外道な側面があらわになる。題材にした作品がとんでもないことになる。
そういうリスクがないわけでもありませんが、それでも広告代理店臭さが薄いだけまだマシです。
「健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではない」
それは武者さんの、特に嫌いな対象への推しに対しての考えでしょう。
しかし自分が好きな対象に対して、同じことを考えるでしょうか。
とどのつまり推し活がよくない云々より、
「私が嫌いなものを褒めないでくれ」
これに尽きるような気がします。
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ここで少し付け加えておきます。
この前のパラグラフで、『どうする家康』関連での推し活について触れていることを考えても、やはり
「嫌いなものを褒めるな」
これに行きつきそうですね。また本文では、タバコ関連の記述の後に
「いくら推しが宣伝しているからって、キャンペーン期間中、毎日ずっと同じファストフードを食べ続けたら、体には悪影響があるかもしれません。そう立ち止まることも大事なのでは?」
などとありますが、例えが極端だなと思いますね。
武者さんにしてみれば、嫌いなものを推す人々は愚かな存在に見えて仕方ないのでしょうか。推し活での商品購入はドーピングみたいなものだとも書いていますし。
こういうのが、ちょっと行き過ぎな感もあるファンダム嫌いにもつながっているのでしょう。
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それと「対象が亡くなっていると安心です」これもないかと思います。
また歴史関係にしても、大河のを含め関連イベントなどには代理店が絡んではいるでしょう。そして好きな大河の場合は、そういうイベントに率先して足を運ぶのですね。
そしてこのパラグラフの最初の部分ですが、
推し活は自分が解き放たれたようで楽しい!
それはそうですが、同時に思考停止の危険性もあるでしょう
武者さんが嫌いな大河をすべてネガティブに捉え、好きな作品を叩き棒にしたがるのも、ある意味思考停止ではないかと思います。
で、またみなさまの声。この間のイングランド戦の超ラグトークについて送っておこうかなと思います。