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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その2

今回は2ページ目です。それから先日分の投稿で、意味が通りにくい箇所を訂正しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912

今回はこちらからです。

Amazonプライムビデオに『MAGI』というドラマがありました。
天正遣欧少年使節団を描いた作品で、織田信長と豊臣秀吉が出てきます。
信長を演じるのは吉川晃司さん。
秀吉は父・拳さんを彷彿とさせる緒方直人さん。
この二人が、信長と秀吉の理想形のような人物像でしたので、非常に爽快感がある一方、焦りも感じました。
大河はもう二度とVODに勝てないのでは?

「大河はもう二度とVODに勝てないのでは?」
私個人としては、今後大河が作られなくなろうが、あるいは1年が2クールになろうが別にいい(その穴を埋めるものはある)のですが、大河がなくなって困るのは関係者とか、武者さんのような人だろうと思います。なのにわざわざ、これは大河の脅威になると書く必要もないと思います。寧ろ大河もこれに負けないだけの意気込みを見せてくれと書くのならわかりますが。
あと吉川さんは『天地人』で信長を演じていますが、武者さんはこの大河は嫌いなうえに10年ルールに抵触するのか触れられずじまい。それと緒形直人さん(『方』ではなく『形』だと思います)も『信長 KING OF ZIPANGU』の主演でしたが、これも観ていないのか、10年ルールのせいなのか何も言及なし。

で、

そんな心配は、2020年『麒麟がくる』における織田信長が染谷将太さんに決まったというニュースで吹き飛びました。
ベタではない信長にチャレンジするんだな……と思ったからです。

有体に言えば、『麒麟がくる』の視聴を途中で止めた理由のひとつにこの染谷さんの信長もあげられます。染谷さん自身の演技にどうこう言いたくはありませんが、どうも信長と言うより秀吉と言った雰囲気が強く、結局馴染めずじまいでした。

むろん時代考証を考えれば史実から逸脱させてはいけないという制約はあるだろうし、新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが、チャレンジなくして進歩はありません。

「新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが」
と、染谷さんの信長を受け入れられないのが悪いような書き方ですね。武者さんの場合いつもそうなのですが、自分が好きな作品は受け入れられて当然、受け入れられない方が悪いという書き方が多く、そういう部分に反発もあるのではと思われます。
それとこの『麒麟がくる』は2020年の大河(放送は2021年2月まで)で、既に放送は終わっています。にもかかわらず、
「バッシングも起こるでしょうが」
と、まるでこれから起こることを予想するが如き表現も、ちょっとどうかと思います。

で、またしても今作との比較。

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

「昭和から平成前期にあったヤンキー信長像」
て、具体的にどういう信長ですか?この頃大河で信長を演じたのは、藤岡弘さんとか、前出緒形直人さんとか、『秀吉』で信長を演じた渡哲也さんなどですが、彼らはヤンキーだったでしょうか?緒形さんの信長も異色ではありましたが、それとはまた違ったかと思います。
また今回の信長、私としては、あらすじと感想でも書きましたが、恐らくは『平清盛』を踏まえており、これもまた今までとは異なる信長像であるかと思いますが。
「テレビ業界が考えるベタな信長像」
とは、たとえば『利家とまつ』の反町隆史さんとか、『功名が辻』の舘ひろしさんが演じた、新しがりで長身で、しかも相手を威圧する雰囲気がある信長こそが、それに該当するでしょう。無論ベタではありますが、その時々の主人公を活かすための設定ではあったと思われます。

『麒麟がくる』で船に乗ってやってきた、染谷信長の登場シーンと比較したらなんと陳腐なことか。

あの染谷信長も、私には「漁師のお兄ちゃん」にしか見えませんでしたが。まあ『麒麟がくる』なら何でもほめたがる武者さんらしくはあります。

今年の『どうする家康』は合戦の様子を湿っぽく見せ、「戦を避ける家康は素晴らしい」と誘導したいようです。
しかし、戦闘や負傷者の描写があまりに薄っぺらくて、かえって悲惨さが伝わってきません。視聴者を身震いさせた『鎌倉殿の13人』に遠く及ばないでしょう。
戦争の傷という点では『麒麟がくる』が秀逸でした。

まず『どうする家康』は合戦を湿っぽく見せているでしょうか。戦を避ける家康は素晴らしいと言っているでしょうか。大高城で決断を迫られた家康=元康が家臣の圧力に耐えかねて逃げようとしただけだと思いますが。
それと戦闘や負傷者の描写が薄っぺらいて、この前の第2回で、松平昌久の銃弾の的になった元康の家臣を見ても、同じことが言えるのでしょうか。自分の判断ミスで家臣がああなったのを見た元康が、いたたまれない気持ちになったのもまた事実でしょう。
結局ここでも『鎌倉殿の13人』と『麒麟がくる』は素晴らしい!それに比べて本作は…と言いたい、それだけのように見えます。

そしてやはり『麒麟がくる』を叩き棒にして、
「本作は上っ面で戦争を描いているだけに思えてなりません」
だの、
「元康が戦場から逃げ出すことで笑いをとろうとするようなセンスからもうかがえる」
(いや笑いを取るというのとはまた別でしょう)
だの。
さらに

戦場には将兵が大勢います。そこで何らかのスイッチが入って我先に逃げ出すと隊列が崩れ、それだけで大損害が出てしまいます。
撤退戦は難しいもので、将たる者は、なるべく部隊が乱れぬよう、逸る心を抑えて指揮を取らねばならない。
そんな戦場で大将が率先していなくなるって?
「ヘタレ」なんて笑っている場合ではなく、人命を著しく損なう危険性があります。

あれは戦場と言うか、大高城に立てこもっているわけです。
ですから隊列云々の問題ではないし、織田とのにらみ合いがいつまで続くかの持久戦と言うべきでしょう。そしてこれは第2回に関するコラムですが、第2回では元康は逃げていないし、第1回でも逃げようとしたけど逃げられなかったわけです。
しかしそれを言うなら、織田信長は金ケ崎から撤退する際、真っ先に陣を抜けて駆けだしていますが、武者さんとしてはそれはどう考察するのでしょうか。

要は、戦争に対する緊張感が全く感じられない。弛緩しきったドラマになっているため、いきなり介錯云々やられても、悪ふざけにしか見えないのです。

その前の大樹寺のシーンを見ていたら、「弛緩しきった」などとは言えないのではないでしょうか。あの時元康は自分の判断ミスの責任を取ろうとしていたわけなのですが。

そしていつものと言いますか、武者さんの比較対象のおかしな点としてこれを挙げておきます。

「がおー!」なんて、あざとく叫ぶ武家の夫人なんて、もう全く理解できない。
『鎌倉殿の13人』の大江広元を思い出してください。
彼はしばしば謀殺を進言していましたが、なぜ殺すのか、殺すことでどういうメリットがあるのか、いつも計算があった。
ああいう理詰めの言動で、彼自身の行動規範は説明されていた。
わけもなく叫んで誤魔化すような真似はしていません。

於大の方と大江広元を、なぜ比較するのでしょうね。何か共通点があるのですか?とにかく何か気に入らないと、適当な対象を引っ張って来て比較しているだけのように見えます。

大河に限らず、駄作にはある特徴があります。
主要な登場人物たちが、顔と顔を直接突き合わせていないとシーンを盛り上げられない――私はそれを「フェイストゥフェイスシステム」と呼んでいます。
映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です。
これをしばしばやらかすと、登場人物がテレポート状態になり、絵が単調になります。

駄作認定したくてしようがないのでしょうね。
本当の話、私は『鎌倉殿の13人』の室内のシーンに、それに近いものを感じたことがあります。
で、その後に
「家康と信長の出会いなんて、まさにそうでしたが、バストアップを多用するには理由があります。
所作を誤魔化せることです。
時代ものは特に所作の美しさが重要です」
などとありますが、手下が担いで来た竹千代に向かって白い子兎のようじゃ、食ってやろうかと顔を引き寄せるシーンであれば、寧ろバストアップにならない方が不自然でしょう。
あと
「映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です」
とあります。この「危険な兆候」は昨年のこのコラムでも使っていましたが、何だかわかりづらい表現ですね。「あまりこういうのを多用するのは考え物です」くらい書けませんかね。こういう日本語のわかりづらさも、このコラムの文章に違和感を覚える一因ではあります。

思い返せば2015年大河『花燃ゆ』では、上級武士の妻たちが、和室屋内でスタンディングパーティでもするようにずらっと立っている珍妙な場面がありました。
カナッペでも食べるのかと呆然としたものですが、今ならわかります。

ここで『花燃ゆ』叩きですか。しかしこれも例によって、第何回のどのようなシーンであるかの説明が抜け落ちています。それと「カナッペでも食べる」て、要はビュッフェスタイルのパーティーみたいだと言いたいのだと思われますが、この辺の表現もどうにかならないものでしょうか。

さらに

そして今年も、ぬぼーっと立っている場面が多く感じます。
昨年と比較するとわかりやすいかもしれません。
『鎌倉殿の13人』では、室内で複数名が座りながら協議をする場面が多くありました。エキストラたちがずらっと集まりながら座り込む場面も多かった。
それが今年は立ちっぱなしで、しかも妙な顔つきのエキストラが多い。いきなり切羽詰まっているのは?と感じるのは、そうした状況も一因です。

この「ぬぼーっと立っている」とは具体的にどのシーンでしょうか。今のところ戦のシーンが多いわけで、大将以外は立っていてもそれは当然だと思います。それと「妙な顔つきのエキストラ」、これもどのシーンなのかはっきり書いて貰えないででしょうか。そしてなぜこれが切羽詰まっている原因になるのでしょうか。
それと『鎌倉殿の13人』云々、三谷さんの大河は室内シーンが多いのだから、これは当然でしょう。無論こちらも戦場のシーンで、坂東武者たちが立ち尽くしているシーンもありましたが、昨年にしろ今年にしろ、それはひとつの演出方法と取るべきかとは思います。


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[ 2023/01/19 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その1

久々に『武将ジャパン』の大河コラムを見てみたのですが、これが何と言うか、正直言ってこれまでのコラムよりも中身がないと言うか、単に悪口を言いたいがためだけのように見えてしまいます。まず1ページ目から。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)

どこの部分も突っ込みたくなるのですが、この「あらすじ」から行きますか。

織田軍に包囲されてしまい、絶体絶命の松平元康。
でも、負けはしない!
元康は、寅の歳、寅の日、寅の刻に生まれた運命の子である。
そんな元康を白兎と呼んでいた織田信長は兵を引く――古沢脚本の妙が光る展開ですね。巧みな構成は前作を思わせると評価されるのであろうか?
元康は大高城を飛び出し、最愛の瀬名たちを残した駿府に帰ろうとする。
しかし、家臣団は一致しない。
彼らは故郷の三河に戻りたい。
仕方なく駿府へ向かう元康の前に立ち塞がるのが松平昌久。重臣の鳥居忠吉らは重傷を負ってしまった。
ようやく岡崎の大樹寺に逃げ込み、悟りを開く元康であった。

まず「あらすじ」とある割には、元康の信長の回想、信長への恐怖心、大樹寺の登譽上人や榊原小平太、本多忠勝の行動などが一切出て来ません。と言うか大樹寺関連記述があっさりしすぎでしょう。無論最後に岡崎城に入るシーン関連の記述もなし。
そしてこの後に、「あらすじ:ドラマ通構文バージョン」なるものがあり、何でも武者さん曰く
「なんとなくオシャレで賢そうに見える構文のこと」
らしいのですが、単に普段武者さんが軽蔑している「こたつ記事」の文体を、何となくなぞっただけのように見えてしまうのですが。
そして

褒め記事をご覧になりたい方は上欄の記事をクリックしていただき、厳しい見方にご賛同いただけそうな方のみ、先へお進みください。

なのだそうで、実際この上にリンクが沢山貼られているのですが、ここで気になるのは「厳しい見方」という表現です。今まで武者さんが嫌いな大河(何度も言いますが、好き嫌いで評価すること自体おかしい)での「厳しい」とは、悪口または難癖、自分が好きな作品との(強引な)比較と言っていい部分があまりにも多いので、今回も、そのつもりで見て行こうと思ってはいます。

前年の大河『鎌倉殿の13人』はメンタルケアを重視していて、撮影現場では、役者さんやスタッフに対して、リスペクトトレーニングが取り入れられておりました。
今年は大丈夫でしょうか?
役者さんの顔色が沈んで見えるんですよね……気のせいだったらよいのですが、現場の雰囲気が乱れている危険性を感じます。

早速(強引な)比較が出て来た、と言っていいでしょう。
ではメンタルケアやリスペクトトレーニングについて言及している記事を貼っていただけないでしょうか。また、今回のどのシーンが、役者さんの顔色が沈んで見えるのでしょうか。例によって、詳しい指摘は一切なしですね。

まだ第2回放送だっていうのに、追い詰められている予兆が出ています。
ペース配分と構成がおかしい。序盤から回想シーンを入れすぎています。
初回はいきなり桶狭間敗戦までを高速で描き、2回目で遡って描かれていますが、果たして効果的でしょうか?
戦国時代に詳しくない方がご覧になられたら、場面が飛びまくって、内容を捉えきれてないようにも思えます。

「追いつめられている予兆」と言う表現も何だか無理やりな感じです。そしてペース配分ですが、初回はまず桶狭間が出て来て、その後駿河での生活、瀬名との結婚、そして大高城への兵糧入れを命じられ、そして再び桶狭間となっています。そして2回目ではまず竹千代誕生、そして信長の許へ連れて行かれるシーンが桶狭間に挟まれる形で登場し、この人物と寅との関係、どのような幼少時代を過ごしたか、彼に取って信長とはどのような人物が描かれています。

2回目の方が回想は多いですが、竹千代の外見からして、これは子供時代だとわかる仕組みになっていますし、また信長も桶狭間の時よりも若いため、間違える可能性は低いのではないでしょうか。元康自身の過去の情報がかなり盛り込まれていますが、別に内容を捉えきれていないとは思いません。

子役を敢えて使わないのは『真田丸』や『麒麟がくる』、『鎌倉殿の13人』でもそうでした。
しかし、毎回それが正解ではなく、本作は不自然さに繋がっていませんか?

第2回で尾張に連れて行かれた竹千代は、子役が演じていますが?
そしてそれを言うなら、昨年の『鎌倉殿の13人』で、義時が魚を手づかみで食べるシーン、ああいうのは幼さを出すために、小栗旬さんでなく子役を使った方が自然だったと思います。まあ三谷さんは使いたくないのかも知れませんが。
ちなみに武者さん、このシーンを、当時の坂東は箸を使わず野蛮だといった書き方をしていましたが、単に少年の義時が、魚をせせるのが手に余っただけでしょう。後は、普通に箸を使っていましたから。

そして

『鎌倉殿の13人』も、第一回の実衣や三浦義村は年齢的にはかなり無理がありましたが、さほど注目はされていません。それを気にさせないほどシナリオに引き込む力がありました。のみならず、平安末期から鎌倉時代の作品が他にあまりないことも比較されにくかったことも当然ながら影響しているでしょう。

義村は初回ではまだほんの少年ですからね。山本耕史さんの出番は本当はもっと後でもよかったかも知れません。また、
「シナリオに引き込む力がありました」
と言うより、そういうキャラ設定だからでしょう。当て書きで有名な三谷さんですし。
あと
「のみならず、平安末期から鎌倉時代の作品が他にあまりないことも比較されにくかったことも当然ながら影響しているでしょう」
とは
「平安末期から鎌倉時代の作品が他にあまりなく、他作品と比較されにくかったことも当然ながら影響しているでしょう」
とでも書きたいのでしょうか。しかし一部のキャストは『義経』や『平清盛』にも登場します。ただ坂東武者の一部は、『草燃える』まで遡らないと比較できないと言えそうです。それと「比較されにくかったことが影響している」のは登場人物の年齢設定ですか?ならばそれもちゃんと書いてほしいものです。例えば

『鎌倉殿の13人』も、第一回の実衣や三浦義村は年齢設定でいくらか無理がありましたが、さほど悪目立ちはしていません。それを気にさせないほどシナリオがよかったと思います。また過去に於いて、平安末期から鎌倉時代を舞台にした作品があまりなく、一部の登場人物の年齢設定が、他作品と容易に比較されにくいことも当然影響したでしょう。

このようになるのでしょうか。

元康と瀬名のおままごとシーンをごく自然に受け容れられた方は少なかったのでは?

私自身はそこまで不自然には感じなかったし(少々はしゃぎすぎかなという気はしました)、こういう形で、ローティーンの2人の演出をしたがっているのだなとは思いましたが…。それとあの時は、まだ元康でなく元信(次郎三郎)ですね。


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[ 2023/01/18 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第2回「兎と狼」あらすじと感想-1

第2回の前半部分です。


天文12(1543)年。三河の岡崎城では松平広忠の正室、於大が男児を出産する。寅年、寅の日そして寅の刻に生まれたその子は、寅の化身のように逞しくなると於大。そして広忠は、虎の縞模様の布にくるまれた、竹千代と呼ばれるその子を家臣たちに披露する。於大は虎の如き猛将となるに相違ないと言い、がお~と虎の声をまね、家臣たちや広忠も唱和する。

そして永禄3(1660)年大高城。虎の如き猛将になるはずだったかつての竹千代、今の元康は、迫りくる織田軍を前になすすべがなかった。石川数正は戦うか逃げるか、二つにひとつでござると言い、家臣たちは口々に戦うと言うが、織田軍の前に元康軍は如何にも劣勢で、本多平八郎忠勝は、相変わらず人を見下したような物言いをしていた。

大久保忠吉も、義元亡き今総大将は殿でござると元康にはっぱをかける。そして家臣一同決断を迫るが、最早織田軍は目前に迫っており、信長は逃げぬとはあっぱれと城に向かって言うが、元康は逃げなかったことを悔やむ。しかし織田軍は大高常から少し離れた場所に留まったきり、攻めてこようとはしなかった。忠勝は信長の何をそんなに怖がるのかと尋ねるが、元康はその12年前、信長に拉致されていた。

松平は今川と織田に挟まれており、広忠は竹千代を戸田宗光に預けて安全な場所に逃がそうとする。しかし宗光の裏切りで、竹千代の従者は殺される。そこへ赤い着物をまとった男たちがやって来て、竹千代を連れ去ってしまう。彼らが着いたのは尾張津島で、真紅の着物をまとった彼らの首領的存在、信長がやってくる。白い子兎のようだと信長は竹千代を見て言い、食ってやろうかと顔を自分の方に引き寄せる。

再び大高城。信長は鞭で地面をかき、兵たちはそれを合図に引き下がる。平岩親吉はそれに驚く。再び12年前。信長の父信秀は広忠に、今川と手を切らないと竹千代の命はないと文を送る。広忠は苦悩しつつ、竹千代のことは如何にしようと勝手なりと伝えるように家臣に命じる。竹千代は信秀の前で首を刎ねられようとするが、その時信長たちが現れ、信長は信秀にこう言う。
「親父殿、こやつは俺のおもちゃじゃ。勝手なことをされては困りますな」

やらねば示しがつかぬと言う信秀に、信長はこう答える。
「生かしておけば使いみちもありましょうぞ」
不敵に笑う信秀。そして信長は、例の赤い着物の者たちと相撲を取り、竹千代にも相手をするように命じる。しかし信長がやることは弱い者いじめに等しく、地獄じゃと言う竹千代。何と申したと信長は尋ね、地獄じゃと聞いてそりゃあいいと笑う。
「その通り、この世は地獄じゃ!」

結局大高城を取り囲んだのは、我らをすくみ上がらせるためと数正は言う。元康は里心がつき、駿府へ帰りたいと言い出す。今川が負けた以上、大高城に籠っていてもどうしようもなかった。しかしその後岡崎から書状が来て、城代の山田が討ち死にし、家来たちが駿府へ戻ったことを知る。勝手に城を捨てたことに憤る家臣たちだが、忠勝は我らだって同じと平然と言う。

岡崎に城代がいないということは、ここの守りが手薄になっていることを意味した。岡崎入りを促す忠吉だが、元康は勝手に岡崎に入れなかった。しかしこの地は松平の本領で家臣の妻子もいた。自分の妻子は駿府にいると言い張る元康だが、家臣たちの様子を見て三河領へ戻り、お前らには暇を出すから好きな所へ行け、自分は駿府へ戻ると言う。

一行は矢作川まで来たが、元康は面白くなさそうだった。多くの者たちが岡崎を目指す中、残る者もおり、忠勝もその1人だった。しかしその時、親吉が敵の来襲を伝える。織田勢かと疑う元康だが、相手はどうやら松平昌久の軍勢のようだった。迎えに馳せ参じたと言う昌久だが、昌久は過去に裏切ったことがあり、家臣たちもこの人物を信用していなかった。しかし昌久は、今こそ松平一族が一つとなって、三河国を守るべきと声を張り上げる。

元康は迷ったが、信じることにする。あやつの言う通り、松平同士でいがみ合うてる場合ではないと元康は言い、昌久の前に進み出る。昌久は土下座して彼らを迎えるが、その時荷駄を覆っていた筵が外され、中から銃を構えた武者たちが姿を現した。


寅年の寅の日、そして寅の刻に生まれた元康は将来を期待されます。しかし実家の松平家は、当時東から今川、西から織田が進出して来ており、我が子を安全な所に逃がそうとする広忠の思いも空しく、織田に連れ去られてしまいます。当主織田信秀の前で殺されようとする竹千代を信長が庇い、
「生かしておけば使いみちもありましょうぞ」
と父信秀に言います。その12年後、大高城でも信長は同じことを思ったかのようで、だからこそ軍を引き揚げたとも取れます。

また「使いみち」という言葉、これは『軍師官兵衛』の「命の使い道」を連想しますね-岡田さんが言うと特に。それにしても織田の父子が、かなり恐ろしく感じられます。しかも当時の竹千代を、「俺の白兎」のみならず「俺のおもちゃ」とまで言い出し、実際体格差がありすぎる竹千代に、強引に相撲を取らせ、竹千代は地獄を見る思いでした。その言葉に信長も「この世は地獄じゃ」とうなずきます。元々信長は変人、あるいは新しもの好きなキャラであることが多いのですが、この信長は何とも不気味な存在です。

それと先日、制作統括の磯智明氏が『平清盛』にも関わっていたことを書いていますが、この信長と手下、恐らく家臣なのでしょうが、正に清盛的な雰囲気です。今後もこういうシーンが登場するのでしょうか。

ところで最早大高城を守る必要もなくなり、駿府へ帰ろうとする元康ですが、岡崎城の城代が亡くなったこともあって、岡崎を目指そうと家臣たちが言い出します。第1回、第2回とも家臣たちが口をそろえて元康に決断を促し、元康が迷ってしまっています。とは言えこの時彼は数えの18で、まだ悩んでも不思議ではないのでしょうが…。

結局三河まで行くことになった元康は不機嫌です。帰るべき者たちは帰り、残った一部の家臣を連れた元康ですが、敵軍と思しき軍勢に遭遇します。しかしそれは同じ松平一族の昌久でした。この人物は裏切ったことがあり、家臣たちは信用していないものの、元康は信じようと言い出します。とはいえ、この昌久も元康の首がほしいようで、荷駄の中に鉄砲武者を忍び込ませ、劣勢の元康軍に襲い掛かります。やはり、家臣の言うことは聞いておくべきだったようですね。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/01/16 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

制作統括の言葉と受信料

『どうする家康』の公式サイトにこのようなコラムがあります。

第1回の放送を終えて 制作統括 磯よりメッセージ
(『どうする家康』公式サイト)

初回放送終了時点で、プロデューサーのこのような挨拶がアップされるようになったのですね。ところで磯氏といえば、確か『平清盛』の制作にも関わっていたと思います。

今回が清盛のようになるのかどうか、無論今の時点では何とも言えません。あの時の父子の関係は割と好きでした。しかし今回、家康はまだ若い時に父親を亡くしてしまいます。そして戸田宗光の人質となるはずが、織田の人質となり、「白兎」となるのでしょうね。あのセリフ、台湾の放送では「小白兎」となっていたようです。

それにしても、大河制作陣としても色々と気を遣っているのだろうとは思いますが、今回は、「受信料によって支えられています」の文字は見当たりません。これはちょっと残念ではあります。

ところで受信料と言えば、スクランブル化を求めるデモが定期的に行われているようです。NHKはなぜスクランブル化しないと言った声も聞かれます。私も公共放送として最低限の情報(ニュース、気象情報、災害情報)はともかく、娯楽系はスクランブルをかけていいのではないかとやはり思うし、課金で制作費用を賄うべきかとも思ってはいます。

飲み物-暖炉とウイスキー

[ 2023/01/15 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 84その1

『武将ジャパン』大河コラム、前半部分関連記述への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第46回「将軍になった女」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


1.その上で鎌倉では時元に決めたと京都に報告すれば、朝廷も宣旨を出さざるを得ないと、悪だくみを呑み込んだような言い方をします。

「悪だくみを呑み込んだ」と言うのはあまり聞かないのですが…。裏のあるとか、含みを持たせたとかそういう言い方をしたいのでしょうか。

2.「災いの火種は放っておけばいずれ必ず燃えあがる。公暁のようにな……鎌倉は誰にも渡さん」
そう言い切る義時の倒錯よ。

「倒錯」とありますが、この言葉は、社会的規範から外れた行動とか嗜好を意味しており、義時の場合はそこまで外れているわけではありません。北条の政権に強いこだわりを持ってはいますが。

3.最終局面へと迫ってゆく鎌倉。序章は終わり、この先はいよいよ神との戦いです。

よほど「神との戦い」がお好きなようですが、つまるところ朝廷との我慢比べの果てに武力での衝突となり、朝廷が敗北して、武士の意見を飲ませるようになったわけです。『終末のワルキューレ』ではないのですから。

4.伊豆へやってきた頼朝のため、鏡に向かって化粧をしていた政子――すべてはあのときから始まったのでしょうか。

少し前のことですが、武者さん、この大河は第1回の頃は鏡などなかったと書いていました。あれは、その後訂正したのでしょうか。

5.優しい慈愛の人物。義時が暗い闇に沈んでいくのだとすれば、政子は泥の中でも咲く白い蓮のように思えます。

政子は優しい慈愛云々より、どっちつかずな印象があります。この場合義時と共に闇に沈み、その汚れをいとわずに凛とした態度を見せることこそが、彼女が真の意味で花咲くのではないかと思うのですが。

6.政子が義時に問うと……。
「首を刎ねる」
妹に対して無情すぎる言葉に対し、いつもは義時に従順な北条時房もここは「本気ではない」とフォロー。
しかし泰時はわかっている。父は本気だとして、そんなことをしたら人心が離れてしまうと訴えます。
「もちろん本気だ。謀反を企んだ以上、あれを許すことはできない」
これには、女子の首を刎ねるなぞ例がないと康信も慌てています。
ならば、どの程度の罪であれば頃合いがよいのか、というと、耳と鼻を削いで流罪と大江広元が言い出す。

ここまで言うということは、政子をいわば揺さぶって、その気になれ、つまり鎌倉を象徴する存在として、御家人を鼓舞しろと言っているに等しいとも思うのですが…。本気で実衣を処刑したいのであれば、一月も引き延ばすことはないし、結局は、実衣を利用しての政子への説得とも取れます。

7.言葉のやりとりだけで進むこの場面ですが、非常に重要ではないでしょうか。
私は『麒麟がくる』における信長と光秀の問答を思い出しました。
松永久秀から平蜘蛛を託された光秀は、信長に対して仁のある政治を行うものこそ、これを手にするにふさわしいと言います。
すると信長は、あれほど欲しがっていた平蜘蛛を売り払うとあっさり言ってのけた。
両者が重視するものの差があります。
政子や泰時たち、そして光秀は情を重視する。
義時と信長は理。ルールを守ることを重視します。
現実は、両者ともにバランスを取ってこそ、よりよい世の中にできるはず。
そこでどんな結論が導き出されるのか注目です。

例によって『麒麟がくる』を持ち出していますね。しかし時代的にもそれぞれの状況を見ても、比較対象にならないかと思います。そして当然義時と信長の立場の違いもあります。

あと義時はルールを守ることを重視などとありますが、義時はいわば自分がルールブックだと言いたげですから、これは当てはまらないように思えます。それとバランスを取る取らない以前に、朝廷の前に鎌倉が一丸でなければならなかったのではないでしょうか。

8.約束通り親王を下向させるも、それは今でもない。なんでもどの親王にするか迷っているとか。

「どの親王」ではなく、頼仁親王と雅成親王のどちらかですね。

9.京都人の「ぶぶ漬け理論」ですね。
「ぶぶ漬け=お茶漬け」を勧めるということは、この程度のものしか勧められないのだから「はよ帰れ」と婉曲的に表現。

これに関してですが、必ずしもそうでないと言われていますね。あまり決めつけない方がいいと思います。

10.素朴一辺倒だった序盤の頃でしたら、このような駆け引きにはなりません。素朴で正直な北条時政が、後白河院とすっとぼけた双六をしていましたよね。
しかし、そうなると後鳥羽院も気づかないものですかね。
朝廷の権威に恐れ慄いていたならば、こんなしょうもない駆け引きをするはずなかったのに、今では立派に交渉するようになっている。

なぜそれとこれを比べるのでしょうね。この場合鎌倉殿がいなくなり、朝廷からその地位にふさわしい人物を迎えようとして交渉が続いているわけです。一方時政は京都守護として法皇に拝謁していたわけで、しかも法皇が追討せよと命じた義経と行家を捕らえるために、地頭を置きたいと後押しするようなことを言っているわけで、元々の立ち位置が違っています。

11.この瞬間、彼は理想の結実を噛み締めているかもしれません。
そもそも広元が京都から鎌倉へ下向して来たのは、認められたいとか、出世したいとか、そういう野心もあったけれど、本心では「民衆に慈悲を施す政治をしてみたい!」という気持ちもあったのでは?
それを叶えるのがこの尼御台。だからこそ愛を感じているのかもしれません。

その「『民衆に慈悲を施す政治をしてみたい!』という気持ちもあったのでは」は何か根拠があるのでしょうか。広元はそういうことを以前から口にしていたのでしょうか。そして何度も広元と尼御台政子の愛がどうこうと書かれていますが、そのきっかけがその都度微妙に違って来ていないでしょうか。少し前はこんな感じでした。

「北条政子も、義時だけではなく大江広元に意見を求め、こんなアドバイスを受けています。
確かに頼朝は朝廷の干渉を拒んだけれども、時代は変わった。いま頼朝が生きていればどうなのか。
広元は、一方で義時の言うこともわかる、と立場を重んじながら結論を出します。
『あとは尼御台のお気持ちひとつ……』
広元の声が完全に心酔していますね。京都から来た彼は、鎌倉の坂東武者と違い、冷静で理知的な判断を常としてきました。しかし、政子に近づくとカッと酔ったように燃え上がる。」

12.そう泰時と初が、ういういしく夫婦愛を確認し合っています。両者ともに愛くるしくて、素敵です。

「ういういしく夫婦愛を確認し合っています」
もう結婚してかなりの年月が経つ上に、この当時泰時は既に継室を迎えているはずなのですが。この継室は御家人の安保実員の娘で、2人の間に時実が生まれたのが建暦2(1212)年です。なおこの時実は早世し、初(矢部禅尼)との子である兄の時氏も二十代で病死したため、泰時は後継者に孫の経時を指名することになります。

しかし
「ういういしく夫婦愛を確認する」
のは、『青天を衝け』の栄一とお千代も同じだったのですけどね。

あと前回で武者さんが、視聴率について書いていましたのでそれに関して。まず11月27日放送の第45回は、リアルタイムの世帯視聴率が6.2パーセント、これは『いだてん』を除けば最低とされていた、『平清盛』の第47回の7.3パーセントを下回る数字でした。無論BSを観たとか録画したとか、あるいはNHKプラスで観たと言う人もいるでしょう。

元々『鎌倉殿の13人』は、夏以降は13パーセント台に達することはなく、鎌倉時代という設定もあるのでしょう、リアルタイムの世帯視聴率は低めでした。またドイツに勝ったことから、コスタリカ戦も観た人は多かったようですが、6パーセント台にまで視聴率を落としたスポーツ中継の破壊力というのは、やはり侮れないものがあります。無論あまり数字を取れていなかった『いだてん』で、裏にラグビーのワールドカップが来た時の3パーセント台よりは高い数字でしたが。

飲み物-ブッシュミルズと暖炉
[ 2022/12/07 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』第42回関連コラム続きと小檜山氏note記事に見るなにわバードマン

改めて、先日の『武将ジャパン』コラムに関して。尚投稿の何か所を修正しています。

第42回のコラムの後の方で、またツイートに関してあれこれと書かれていますが、別にひとが楽しんで流しているツイートに、武者さんがあれこれ口を挟む必要もないのではと思います。またSNSはエコーチェンバーも懸念すべきとあり、それは確かにそうなのですが、私に言わせれば武者さん=小檜山氏自身が、ある意味セルフエコーチェンバーと言うべきでしょうか。自分の考え、好きまたは嫌いな作品への期待や反感が自身の中で先鋭化されている印象があります。

それに関して、小檜山氏のnote記事のなにわバードマンの記録飛行の記述を、一部抜粋しておきます。その前に、先日の武将ジャパンコラム関連で、このなにわバードマンと、実朝の造船計画について書いていますが、この時日宋貿易に関してこういう記述がありました、再度上げておきます。

「そしてこの後、日宋貿易が実現したとき、彼らは実朝の正しさを実感するでしょう」

これに関して私は、日宋貿易はそれ以前からあると指摘しています。しいて言えば、この船での交易を始めるという意味であったのかも知れませんが、ならばそう書いてくれないと紛らわしいです。これでは平清盛の日宋貿易がなかったことになりかねません。

尤も藤本有紀氏が、武者さん=小檜山氏の嫌いな『カムカムエヴリバディ』の脚本を書いて以来、『平清盛』観は変わったし、やけに『鎌倉殿』と比較し始めたように見えます。それもどうかと思いますが…ちなみに『カムカム』は私が部分的に観た限りでは、そうおかしな朝ドラでもありませんでした。

で、『舞いあがれ!』の記録飛行関連です。ご本人が言うように流し見のせいか、かなり適当で、うるさいだの反省しないだのとネガティブな表現が目立ちます。

https://note.com/54seikobi85/n/nf5c6f24ca4de
すごく単調です。舞が漕ぐところを何度もしつこく映す必要性を感じない。しかも舞はいつでも観客がいるような不自然さを発揮するし、セリフもリアリティがないし、汗をかきもしないし、メイクばっちりだし、髪の毛すら乱れない。サイボーグだとしか思えない。
先輩も単調に「岩倉! 岩倉ー!」と叫んでいてひたすらうるさいだけ。指示に具体性がない。
そして世界記録の三分の一程度で落ちて、おしまい。

まず舞がパイロットをまかされているわけですから、本物の人力飛行機の大会同様に撮影したのではないでしょうか。それに舞は汗もかいていたし、髪も乱れているし、先輩たちも回転数を上げるように言ったり、機体が流されているから、もう少し右に行けと指示を出したりしています。これが具体性のない指示だと言うのなら、具体性のある指示とは何かを指摘してほしいところです。

それに匹敵するんじゃないかと思ったのは、舞があっぷあっぷしているところ。なんだか呑気だなあ。舞は泳げるか確認する場面があればまだしも。海なんてそれこそ波風ひとつで計算が狂うのに、何をしているのか。ユラの事故は反省していないのか。
こんな安全性軽視で航空業界をやるんですよ。

舞は救命胴衣をつけていますから、あの状態でボートが来るのを待っていたわけです。別に泳ぐ必要はないでしょう。
それと
「海なんてそれこそ波風ひとつで計算が狂うのに、何をしているのか。ユラの事故は反省していないのか」
由良先輩の時の事故は着水したわけではありませんが。あと海でなくて湖です、規模は大きいですが。そしてこんなことを書くのは、ドラマで協力してくれた「堺・風車の会」にも失礼でしょう。

さらに

NHK大阪朝の連続テレビ小説における個人的な悪しき場面といえば、『まんぷく』で毒のあるガマガエルで健康食品を作ったこと。子どもと一緒に電流を川に流して魚をとったこと。危険です。

まだこのようなことを書いているのですね。健康食品とはダネイホンのことですが、あれは牛の骨髄のエキスから作られています。ガマガエルは結局ボツになっています。いつまでミスリードを続けるのでしょうか。

飲み物-スノーアンドテル
[ 2022/11/12 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 80その2

『武将ジャパン』大河コラム、第42回後半部分関連記述への疑問点です。しかし思った以上に突っ込みたくなる部分があります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第42回「夢のゆくえ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/07/171931


1.これ以上、朝廷を第一とすれば、いずれ坂東の御家人全てを敵に回すと言い切り、ついには「あのお方のようになって欲しくない」と……。
政子は悟ります。
義時の言うとおりにせねば、いずれ実朝は源頼家のようになると脅迫じみたことを念押ししてきた。
ここのやりとりは日本の歴史を考える上でも重要かもしれません。
つまり、この時点で坂東武者には天皇の威光が及んでいないと。

坂東武者に朝廷の威光が及んでいないと言うより、朝廷の存在は知りつつ、かつ畏れ多いと思いつつも、鎌倉幕府と言う自分たちの政権があり、それを朝廷と並立させることこそが彼らの夢ではあったかと思われます。

2.そしてこの話なのですが、ちょっと変だと思いませんか。
インド生まれのお釈迦様の骨が、どうして中国にあるのか?
(中略)
時代がくだると、水戸の徳川斉昭がこんな考えに至ります。
「仏教って天竺のもので、そもそも日本にそぐわないのではないか?」
そして領内の寺の鐘を鋳潰して、大砲を作ってしまった。そんな水戸から思想の影響を受けた明治政府上層部は、廃仏毀釈を進めて禍根を残しています。

実朝の医王山関連の話ですが、その後で別にここで出さなくてもよさそうな徳川斉昭と明治政府。よほど叩きたくて仕方ないのだなと考えざるを得ませんね。

3.それでも義時は冷静に、何が一番大切か鎌倉殿に考えて欲しいと言うのですが……義時にも少しおかしなところがあります。
義時は何かにつけ頼朝を持ち出します。
その頼朝は最晩年、宋との貿易をしてみたいと言っていましたが、それを忘れてしまったのか。あるいはフリをしているだけなのか。
彼の理屈は分裂しています。
あるときは頼朝のやり方を持ち出す。そうかと思えば亡くなった兄・北条宗時の言葉を持ち出し、坂東は坂東武者のものだと言い出す。
意図的に嘘をついて使い分けているのか。それともそんな天命が聞こえているのか。

まず
「その頼朝は最晩年、宋との貿易をしてみたいと言っていましたが、それを忘れてしまったのか。あるいはフリをしているだけなのか」
宋との貿易に、朝廷が何らかの形で関わることがまずいのではないでしょうか。
「あるときは頼朝のやり方を持ち出す。そうかと思えば亡くなった兄・北条宗時の言葉を持ち出し、坂東は坂東武者のものだと言い出す」
義時の方向性を定めているのは、本来は宗時が言い残したこの言葉です。ただし鎌倉幕府の礎を築いたのは頼朝であり、こと政に関しては、頼朝のやり方を踏襲するべきと考えているわけでしょう。別に分裂などしていないと思いますが。

4.北条政子も、義時だけではなく大江広元に意見を求め、こんなアドバイスを受けています。
確かに頼朝は朝廷の干渉を拒んだけれども、時代は変わった。いま頼朝が生きていればどうなのか。
広元は、一方で義時の言うこともわかる、と立場を重んじながら結論を出します。
「あとは尼御台のお気持ちひとつ……」
広元の声が完全に心酔していますね。京都から来た彼は、鎌倉の坂東武者と違い、冷静で理知的な判断を常としてきました。しかし、政子に近づくとカッと酔ったように燃え上がる。
(中略)
漢籍に詳しい広元のことなので、
「尼御台が武則天なら、私は狄仁傑!(てきじんけつ・武則天の忠臣、小説および映画ディー判事シリーズも有名)」
とでも思っていそうなところです。

このシーン、そうも見えませんが…2人の間に信頼関係はあるかとは思いますし、だからこそ広元も「お気持ちひとつ」「逃げてはならない」と言ったわけでしょう。
武者さん(小檜山氏も)はジェンダー論を云々する割には、やけに男女関係でものを見たがるところがありますね。
そして
「『尼御台が武則天なら、私は狄仁傑!(てきじんけつ・武則天の忠臣、小説および映画ディー判事シリーズも有名)』
とでも思っていそうなところです」
政子はこの時点で将軍でも執権でもないのに、女帝である武則天と比べるのは如何なものでしょうか。

さらに

大江広元は、政子に対する忠臣であることに酔いしれるとセクシー。
知家の場合、チャレンジすること、奮起して頑張るところがセクシー。

こういうのは有料でない、個人のサイトかブログで書いて貰えないでしょうか。主観でしかないでしょう。

5.知家は時代の変わり目に生きた。自分の親世代はやらなかったようなことをどんどんやる羽目になる。
それを嫌がるのではなくて、前向きに取り組んでいくところが若さになり、セクシーさになったと思えてきます。
宋の技術者から学ぶなんて、もう俺も歳だと諦めていたらできない。そこで、新たに学び、チャレンジしていく姿勢が素敵なんですね。

まず
「知家は時代の変わり目に生きた。自分の親世代はやらなかったようなことをどんどんやる羽目になる」
とありますが、あまりにも発想が現代的過ぎでしょう。そもそも「自分の親世代はやらなかったことをやる羽目になる」とは具体的にどういうことですか。日本に来た宋人はそれより前の時代にもいましたが。
それと
「宋の技術者から学ぶ」
とありますが、知家はこの仕事を最後に引退すると言っており、陳和卿から得たものを、何らかの形で活かすということにはならないようです。確かに彼我の違いに驚き、あるいは感心したかも知れませんが。

6.実朝の独りよがりに終わってしまった……と虚しさが心に広がりますが、しかし、無駄になっただけではないとも思いたい。
船に名を刻み、共に引っ張った御家人の心には何かが残った。
そしてこの後、日宋貿易が実現したとき、彼らは実朝の正しさを実感するでしょう。
食卓に並ぶ磁器。猫。香木。仏典。書籍。
海を越えてやってきた物に囲まれつつ彼らがこの船を思い出すのならば、意味がなかったわけでもないのです。

まあこれは実朝の個人的な夢ではありましたし、朝廷に取ってもいくらか誤算だったかも知れません。
「船に名を刻み、共に引っ張った御家人の心には何かが残った」
というのも、その御家人がこの回ではモブ同然(知家を除く)で、何かが残ったような描写もないのですが。むしろこの船作りのための御家人たちの貢献が、無に帰したような感じになっています。

それにこの後日宋貿易が実現したとありますが、日宋貿易はその前の時代から続いています。これは御分唐船(幕府直営の貿易船)のことでしょうか。この鎌倉時代の日宋貿易は、『北条時宗』に確か描かれていますね。

そして余談になりますが、
「無駄になっただけではないとも思いたい」
などどこちらの方では書いていますが、『舞いあがれ!』で主人公の舞が、なにわバードマンの部員たちに支えられながら記録飛行に挑戦するも、10分で飛行機が着水した回については散々に書いていますね。こちらは小檜山氏の方ですが。

7.しかし政子も最初から理論武装していたのか。力強く弟に言い返します。
「鎌倉あっての北条! 北条あっての鎌倉ではない!」
かつて自身が放った言葉を引き出され、返す理屈を失いつつある義時。政子、泰時、実朝と、的確に急所を突いてきます。
泰時に「鎌倉は、父上一人のものではない!」と言われ、義時は「黙れ!」と語気を荒くするほか術がありません。

あらすじと感想でも書いていますが、この
「鎌倉あっての北条! 北条あっての鎌倉ではない!」
というのは、頼朝が鎌倉殿であったからこそ言えたのでしょう。それと普通に考えて、こういう時は力のある者が、少々強硬な手段を使ってでも幕府を引っ張って行かないと、元も子もなくなるのですけどね。

8.最終章になってから義時が人間に見えない。伊豆にいたころのお兄ちゃんはもういない。
義盛が嘆いたように、木簡をつぶさに眺めていた彼はどこへ行ってしまったんだ?
彼の器に黒い運命が流れ込んで蠢いているようで、人ではない何かに操られているようにすら思えてくる。まるで無慈悲な運命の操り人形だ。

「伊豆にいたころのお兄ちゃんはもういない」
当然です。いつまでもあのままの方がおかしいでしょう。
「彼の器に黒い運命が流れ込んで蠢いているようで、人ではない何かに操られているようにすら思えてくる。まるで無慈悲な運命の操り人形だ」
何やら長々と書かれていますが、私としては
「義時は別人になってしまった、源平合戦と幕府創設、そして頼朝の死を経験することで、彼自身が一匹の魔物に変化したような印象すらある」
とでも書いておきます。

9.そうしみじみと語る時政に向かって、泰時の見知らぬ女性が寄ってきました。
「何よ、じいさん、全くあってないじゃない!」

まずこのセリフですが
「何よしいさん、全くやってないじゃない」
ですね。しい様と呼ばれていたから「しいさん」でしょう。そして久々に会った孫と話し込んでいて、彼女(サツキ)が頼んでいたことを、全然やっていなかったのですね。

10.情けねえところを見られちまったとデレデレしている時政は、確かに女子相手に苦労したかけらもない。どこかズレていて、キノコキノコとうるさい義時とはまるで違います。

この時政の「女子に苦労しない」、嫌いな大河だったら武者さんはどう書いたでしょうか。

11.全く人生を楽しんでいない義時に対し、知家はいつでも全力で謳歌している。
彼は鎌倉時代の坂東武者でもあるのだけれども、一方で現代の由比ヶ浜でも見られそう。サーフィンを楽しんでいても違和感がない。そういう普遍的な人生の達人だと思いました。

義時は一御家人である知家とは違います。彼のような楽しみ方などできるわけがありませんし、また知家も楽しんでいたかどうかは不明です-そのように見えるのは確かですが。
それと
「一方で現代の由比ヶ浜でも見られそう。サーフィンを楽しんでいても違和感がない。そういう普遍的な人生の達人だと思いました」
何だか今一つわかりづらいのですが、要は雰囲気的に、今の時代に生きていてもおかしくないと言いたいのでしょうか。

それから今回の陳和卿のように、外国にルーツを持つ俳優さんが外国人を演じることに関して。

12.『春の坂道』(注・日本人俳優が明国人を演じている)はまだ半世紀前ですので良しとしまして、最近では2018年朝の連続テレビ小説『まんぷく』を悪い例として挙げさせていただきます。
あの作品は、ヒロイン夫のモデルである安藤百福が台湾人だったのを、ドラマでは日本人ということに変えていました。
一体なぜそんな設定にしたのか?
公式サイトでは、日本の視聴者が楽しめるためとされていました。
しかしそれでは華僑ルーツだと日本人が楽しめないということにもなり、単なる人種差別となってしまいます。

武者さん、何かにつけて『まんぷく』を持ち出して叩くのが好きですね。嫌いな作品すべてに言えることでもありますが、朝ドラという番組枠の特性も考えて、日本人設定にした可能性があります。それに「日本の視聴者が楽しめるため」即ち「華僑ルーツだと日本人が楽しめない」と言えるのでしょうか。
それを言うのなら、『ちむどんどん』も沖縄復帰50周年とは言え、思ったほど沖縄の背負った歴史と言うのは描かれていなかったのですが、これも朝ドラ枠という事情も関係はしていたでしょう。
あと「2018年朝の連続テレビ小説」とありますが、「2018年度後期の朝の連続テレビ小説」ですね。

その後時代が下るに従って尊王思想が広まったと、要はまたも水戸叩き、『青天を衝け』叩きに持って行きたいのかと思います。さらに日宋貿易関係で
「日宋貿易は、宋から銭が入ってきてそれを流通させられるから、ものすごく儲かる。やらない手はない!」
「何かと非現実的に思えるこの船建造にも、政治家としてきっちり意図はありました」
といった感じで経済的効果が見えにくい、その部分が弱かったと書かれてありますが、それはこの大河のテーマとは言えないからでしょう。『平清盛』では、テーマの1つではありましたが。

その『平清盛』関連なのでしょう。

13.今週ご覧になってご理解いただけたと思いますが、大陸まで向かえるようなあの規模の船を海賊が持っているとは考えにくい

とありますが、この当時の海賊は海の武士とも言われており、武士が力を持つにつれて彼らもまた力をつけて行きます。こういう集団は後に水軍と呼ばれるようになり、松浦党とか伊予水軍、村上水軍などがその代表例で、このレベルの船を持っていても特におかしくないと思われます。武者さんが考えている海賊は、どのような集団なのでしょうか。

そして

14.それ以外にも色々と中国史関連考証がおかしかった。
十年前のドラマに突っ込んでもキリがないし、誰も幸せになれないのでやめておきますが。
ドラマの意図はわかります。日宋貿易を促進した平清盛の先進性を持ち出したくて、過剰に出してきていたんでしょう。ただ、そうはいっても正確でなかった。
(中略)
この点がものすごく進歩していて、今年はよいと思いました。


「十年前のドラマに突っ込んでもキリがないし、誰も幸せになれないのでやめておきます」
と書くのであれば、最初から書かない方がいいと思いますが…。それに正確でなかったと書かれても、どれがどのように正確でなかったかの記述がないし。あれは、清盛がなぜあそこまで勢力を伸ばしたか、そして海賊船で出会ったオリキャラたちとの関係の描写も意図されていたと思います。
そして
「この点がものすごく進歩していて、今年はよいと思いました」
とありますが、この点とは何でしょう、その前にある「宋船を唐船と呼んだこと」でしょうか。それは「ものすごく」進歩したことなのでしょうか。

あとツイッター関連で
「Twitterは「一定の時間」に多数ツイートされると、トレンド入りする傾向がある。
三谷幸喜さんがまたも大河に登板するとなれば、このドラマの成功をひっさげてのこととなる」
とあります。ツイッターは一定の時間内と言うより、他にSNSの使用頻度が高い欧米の先進国が、まだ稼働していない時間帯、日本の場合午前から午後早くにかけては、世界トレンドに入る可能性が高くなります。
武者さんはそれが嫌いなようで、三谷さんが再登板するなら、ツイッターの評価ではなくこのドラマの成功によってと言いたいのでしょうが、前にも書いたように、三谷さんは既に三作を手がけており、一応区切りをつけていいかとも思います。個人的にこの大河への疑問もそこそこありますが、それはまた改めて。

それと
「SNSでは同様に『エコーチェンバー』も懸念すべき現象でしょう。
ハッシュタグや同志のノリに浸かりすぎると、そうでない誰かを見かけただけで敵認定し、喧嘩をふっかけたくなってしまう」
とあり、恐らく「ちむどんどん反省会」を意識しているのでしょう。しかしあの反省会タグには、建設的な意見もかなりありました。そして
「ドラマの好き嫌いは個人の問題」
ならば反省会もまた個人の問題と言えるのではないでしょうか。
「自分と評価が一致しない誰かに、いきなり無礼なことを言う行為に利はありません」
個々が思い思いのことをつぶやいているだけかと思いますが。言っては何ですが、どうも被害者意識に囚われている感がありますね。
何よりも武者さん=小檜山氏が『舞いあがれ!』に対して言っているのは、「無礼なこと」ではないのでしょうか。
(2022年11月11日一部加筆修正)


飲み物-琥珀のエール
[ 2022/11/11 01:15 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 78その2

『武将ジャパン』、大河コラム後半部分の記述に関する疑問点です。なお当初貼っていなかったリンクを貼り、何か所かを修正しています。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第40回「罠と罠」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/10/24/171613


三浦義村と胤義のシーンですが、

1.そういう計算高いところが胤義は嫌なのだろうし、義村はそんな反発にはもう慣れきっていて、意見をぶつけられるのも鬱陶しいのではないでしょうか。
(中略)
なぜ、そんな連中と付き合わねばならんのか、人生とはそんなものか、と、達観しそうな義村は孤独かもしれません。
感情の赴くままに生きるなんて彼にはできないのでしょう。

「義村は孤独かもしれません」とか「感情の赴くままに生きるなんて彼にはできないのでしょう」とありますが、このシーンに何か関係があるのでしょうか。それとその前に、義村は義盛と会って俺たちの鎌倉を作ろうなどと言っており、その直後に「ひげおやじは挙兵する」などと義時に密告しているわけで、その様子を胤義は目にしています。

そして当の義時は泰時と一緒にいました。胤義、泰時はどちらも一本気なところがあり、案の定胤義も泰時も兄や父のやり方に異を唱えている(泰時は政子に直訴している)、この両者の共通点をここでは楽しむべきなのかも知れません。

2.和田を庇うのですが、あの男はそうでなくても周囲には担ぎ上げる人物がいる。そしてまた宗時の言葉を言い訳として持ち出します。
北条が坂東武者の頂点に立つことが目的だ、と。

「宗時の言葉を言い訳として持ち出します」
言い訳も何も、この言葉こそが義時の原動力になったことは間違いないでしょう。北条の世を作るためには、旧知の御家人であろうと犠牲になるべき時は犠牲になって貰う必要があったわけです。

3.さらに、姉上は政治に関わらないで欲しいと続けると、政子もキッパリと「どの口がそんなことを言うのか!」と反論します。
そもそも政に関われと言ったのは義時です。支えると言ったのだから、義時も勝手なことをするな!

この前に政子は「もう十分ではないですか」と言っています。義時にしてみればまだ十分ではないわけで、それが姉弟の考えに齟齬が生じる所以とも言えますし、それとこの場合義盛を庇うことが「政」であったかどうかは、何とも言えないところです。まあ、義時も姉を利用している感はありますが。

そして政子が義村を呼びつけるシーンですが、

4.「どちらに味方するつもりか?」
そう義村に尋ね、小四郎とは固い絆で結ばれている、といった返事を引き出しますが、政子もそう単純ではありません。
「弟と違って私はすぐに人を信じないの」
本音はどこにあるのか。少しずつ義村との距離を詰めようとする政子です。
義時と義村のことを「刎頸の友」と紹介する記述を見かけたりしますが、そんな麗しい仲でもないでしょう。そして政子もそう感じているのでしょう。

政子も義時が和田を滅ぼしたいのはわかっているようで、ならば三浦はどうしたいのかを尋ね、戦を避ける作戦に出たかと思われます。恐らくはこれが本音でしょう。寧ろこれが前提にあるからこそ、義村を義時側に引き寄せることで和田の孤立を図ろうとしたと取れます。しかし義村は、再度同じことを訊かれ、そう言われて向こうと答えるばかはいないと、この人らしい含みを残した答え方をするわけです。

そしてこの部分
「義時と義村のことを「刎頸の友」と紹介する記述を見かけたりしますが、そんな麗しい仲でもないでしょう」
第31回「諦めの悪い男」で、比企能員が追いつめられ、自分に何かあれば三浦も立つと言うシーンで、隣室に控えていた義村が「三浦を見くびるな、北条とは二代にわたって刎頸の交わりよ」と語るところがあるので、それを踏まえているのではないかと思うのですが…。割と最近の回なのですが、もう忘れてしまったのでしょうか。


鎌倉殿の13人義村

5.義村は、前回悔しがっていた様を思い出すと、自分をなるべく高く売りつけたい、値札をつけたい欲求が理解できます。価値があると示したい。
その機会を掴んで安売りしない気概が満ちていた。これぞ山本耕史さんだ

「値札をつけたい欲求」「安売りしない気概が満ちていた」て、要は何を言いたいのでしょうね。自分には価値がある、甘く見て貰っては困る、ここぞとばかりに自分を高く売り込みたいとでも書きたいのでしょうか。そして「これぞ山本耕史さんだ」というのも意味不明。山本さんは俳優さんだから、どんな役でも演じます。何度も出して恐縮ですが、『きのう何食べた?』の、ジルベールに目じりを下げる「大ちゃん」と義村ではまるで別人です。

6.「私は尼御台ですよ」と言われ、思わずウンウンと頷きたくなる、そんな迫力を出し切った。小池栄子さんが鳳凰のようだ。
政子には野心も権力欲もない。ただただ器が大きすぎて相手がひれ伏してしまう。
そういう聡明さや気量、人徳がある人物、そんな尼御台がここにいます。
(中略)
費用対効果もあり、大河はもっとこういう場面づくしでもいい。この技法を突き詰めて欲しい。
そのためには脚本と、演者と、演出の実力が必要ですが、今回は全部揃っていた!

またしても小池栄子さんの政子は素晴らしい!ですね。
小池さんが政子を好演しているのは理解できます。最近メークも老けた感じになり、それなりの貫禄も漂うようになっています。しかしこれはドラマのレビューであり、小池さんを褒めるのであれば、せめて数行程度にとどめてほしいものです。そして最後の行
「そのためには脚本と、演者と、演出の実力が必要ですが、今回は全部揃っていた!」
こんなこと書くと、逆に安っぽいイメージになる気がするのですが。

7.すると朝時が戻ってきていました。なんでも初がこっそり呼び戻したとか。
初は彼女なりにきな臭さを察知し、呼び戻していたようです。本作は女性の知性が出ています。

前にも書きましたが、初が義村の娘だからその辺は抜け目ないのではないでしょうか。好きな作品なら何でもかんでも「女性がよく描かれている」なのですね、わかりやすいというか。あと「女性の知性」て性の字がだぶっていますね、「初が相変わらず冴えている」くらいでいいのでは。泰時はやけ酒をあおっていますが。

8.源実朝が千世を連れて永福寺にいます。
二人きりで花を愛でることができないと詫びる実朝。
歩き巫女のもとへ向かいます。

「二人きりで花を愛でることができないと詫びる実朝」は、そういう身分だから仕方ないわけで、千世もそう言っていますね。あと「歩き巫女のもとへ向かいます」は唐突過ぎないでしょうか。まず実朝が「あれを」と天幕を指さし、さらに、ここに顔なじみが来ているからと引き合わせることにしたわけでしょう。

9.北条家に伝わる一戦一敗の秘策――と、それは女装でした。女性用の衣服に身をまとった和田義盛が御所へ。
いきりたつ義盛に対し、実朝は「死なせたくない」と訴えます。

「女性用の衣服」という表現、どうにかなりませんか。被衣と袿と書いてほしいです。武者さん、直垂のことも単に「服」とだけ書いていますね。

10.義盛の手を取り、いつまでもそばにいて欲しいと伝え、小四郎も鎌倉を思ってのことであり今度は二度と行きすぎた真似はしないよう釘を刺します。
「ウリン!」
「またうまい鹿汁を食べさせてくれ」
そう言われ、号泣する義盛です。

後述しますが、2人の言うなればちょっと特別な関係を、こういう会話で表現しているようにも見えます。しかし義盛は、実朝を「ウリン」呼ばわりするのがやはり様になっていますね。

11.「和田殿が好きなくせに」
「おい!」
「和田殿が嫌いな方なんていませんよ」
鋭い時房、彼は本当に鋭い。
義盛のように愛嬌満点なタイプは好かれるし、時政にも愛嬌があった。そして時房にもありますが、それがない奴もいるわけで……。

この前に時房は、「戦にならずによかったです」と言っていますが、義時としてはいずれ和田とは戦になると思っていたでしょうし、それゆえちょっと浮かない表情をしているように見えます。そして時房が
「あのお人を嫌いな人なんていませんよ」
と言うシーン、ここで時房は真顔になっており、兄を牽制しているように見えます。それを考えると、単に戦にならずによかったからとか、義盛は皆から好かれるといった次元だけの会話ではなさそうに思えるのですが。

それと義盛にしても時政にしても、昔ながらの坂東武者ゆえ、ちょっと「抜けた」部分もあり、それが彼らの愛すべき点でもあったわけですが、しかしそれだからこそと言うべきでしょうか、彼らに政権運営や秩序の確立はできませんでした。

その後ですが、「今年の大河は地域を振興させている」なる見出しがあり、ニュース記事(リンクは貼りません)が紹介されています。記事の見出しは以下の通りです。

◆<鎌倉殿の13人>「木曽義仲挙兵武者行列」に青木崇高、木村昴、町田悠宇ら参戦 前回の10倍の人出 口上に観衆鳥肌(→link)
青木崇高さんの木曽義仲。
額に矢を受けて死ぬというショッキングな最期でしたが、おおらかで素朴なキャラクターの義仲は非常に魅力的でした。
コロナ禍の影響があったとはいえ、前回比で10倍もの参加者を集めたのは素晴らしいですね。
近所であれば行きたかった……。

とあるのですが、どんな大河も地元ではやはり盛り上がります。
それを言うなら『風林火山』で上杉謙信を演じたGacktさんも、地元の祭りに引っ張りだこでしたし、『真田丸』の上田市の武者行列しかりでしょう。

あと実朝の描写に関してなのでしょう。
「しかし、時代は変わりました。
そもそも大河での同性愛描写は腐女子を自称する皆様が楽しむためのコンテンツではないでしょう。
ブロマンスやBLが売りのドラマは他にいくらでもあります」
とありますが、大河の描写をどう楽しむかは、その人次第だと思うのですが。

時代は変わった。それは2012年『平清盛』との比較でわかります。
『草燃える』やこの作品での藤原頼長を挙げ、同性愛描写なんて昔からあったとする意見もありました。
同性愛を扱ったかどうかではなく、描き方とその受け止め方が変わった――そこが大事ではありませんか。

『草燃える』は『鎌倉殿』とほぼ同じ時代設定で、藤原頼長は出て来ません。

『平清盛』の感想や反応記事を読んでいると、結構な割合で同性愛をネタにして笑いを取りに行くものが見掛けられます。
この時代は、同性愛で笑いを取りに行くネタが鉄板。
(中略)
改めて考えてみると、著作権違反と同性愛差別を共有し笑いにするという、あまりに酷い話です。
オンラインやんちゃ自慢の類に思えます。
そんな癖はもう必要ない。私はそう思います。
前回の実朝描写に関する意見交換でも、差別用語を用いながらのものがしばしば見られました。
そういうことはもう終わりにしてよいはず。
見る側の意識も変えることが大切ではないでしょうか。

武者さんは嫌いであっても、ネット上には様々な意見があり、こういう風潮を好む人もいるわけですし、それを武者さん一人で終わりにしようというのもどうかと思います。嫌いならば、距離を置けばいいのではないでしょうか。そういう人たちから迷惑行為を受けているのであればまた別ですが。そして具体的に「差別用語」とは何なのでしょうね。
どうも『平清盛』への嫌悪感(と言うか、恐らくは藤本有紀氏が『カムカムエヴリバディ』を書いたことも関係している)と、藤原頼長の男色への反応とがごっちゃになっているように見えます。

あと頼長は、自身の日記である『台記』で男色について触れていますし、その相手の中には藤原氏のそうそうたる人物もいました。

今回の実朝描写が秀逸だったのは、あくまで「多様性の尊重として丁寧に描かれたからではないか?」と思います。
イロモノ扱いでもない。
サービスでもない。
ただ、人が人を愛することを丁寧に描いた。
だからこそ斬新なのです。

「多様性の尊重」云々と言うより、実朝に跡継ぎができなかったのは、こういう事情もあったからと言うのを、前述したように会話で表現したと言うのが正しいのではないでしょうか。特に斬新と言えるかどうかはわかりません。ただ武者さんが「多様性」に結びつけたがっているのは確かなようです。

あと今回はまた、武者さん自身の自己主張ともでも言うべき記述が多いのですが、それはまた機会があれば書こうと思います。


飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2022/10/28 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」あらすじと感想-1

第35回「苦い盃」前半部分のあらすじと感想です。


実朝は三善康信に、政子が置かせた冊子について尋ねる。尼御台が書き写したと答える康信。その中で実朝が気に入ったのは、他ならぬ父頼朝の巻狩りの際の歌だった。政子はそういう頼朝の経験を、励みにするように実朝に言い聞かせ、思いを歌にしてみてはどうかと促す。

坊門家の千世の鎌倉到着が間近に迫っていた。早く跡継ぎが生まれるといいですねとのえ。義時は子が欲しいかと尋ねるものの、時政とりくの子の政範を例に取り、子がいたらいたで何かと大変だと言う。のえは義時には、泰時がいれば満足と言うものの、祖父の行政の前では、男児を産んで北条の家督を継がせると野心を露わにする。さらに、そうでなければあんな辛気臭い男に嫁がないと吐き捨てるように言い、その場を立ち去る。

その泰時は、のえのもうひとつの顔を図らずも目にしたことから、父にこのことを伝えるべきかと迷う。あまり関わらない方がいいと初は言うが、泰時はこのことをぼやいていた。そして元久元(1204)年12月10日、千世は鎌倉に到着し政子に挨拶をする。しかしりくの方は、自分が望んだこととはいえ、千世を迎えに行った政範は最早おらず、この姫と顔を合わせる気になれなかった。

そんなりくに時政は、子供の頃皿を割って父に叱られたこと、しかし皿に盛った料理のことは覚えていること、皿はいつもうまい料理を載せて俺たちの前へ並ぶと言って、りくを慰めようとするがこれは裏目に出た。りくは、政範と皿を一緒にされるのが面白くなかったのである。

慌ててその場を取り繕おうとする時政に、りくはしい様らしいと言ってようやく気を取り直す。やがて婚儀が執り行われるが、千世と実朝を見るりくは複雑な心境だった。また三々九度の盃を手にして戸惑う実朝に、実衣は召し上がってよいのですよと声をかける。

鎌倉に戻った畠山重保は義時に挨拶をする。政範の急死に関して大江広元は、人間わからぬものにございますと言うが、父重忠は、重保からその件で話があると伝える。重保いわく、政範が死んだのは到着して2日目のことで、宴の最中に突然倒れて帰らぬ人となっていた。しかも重保はその前夜、平賀朝雅が毒物と思しき容器を手にして、汁に混ぜるのかと医師に尋ねているのを聞いていたのである。

政範の死後、重保は朝雅にそのことを問い詰めるが、朝雅は知らぬ存ぜぬ立った。ならばあのやり取りは何であったのかと問いただす重保に朝雅は、自分は供応役である、味付けに気を配って何が悪いとはねつける。重保はそれは嘘だと食い下がるが、朝雅は、このことを人に話すと自分の正気を疑われると、侮るような言い方をする。

重保は義時に、2人の会話は決して味付けに関するものではなかったと訴え、義時も重保が知らせてくれたことをねぎらい、調べてみることにする。一方で朝雅は仏壇に手を合わせ、翌日京へ戻るとりくに伝える。りくもいずれ、東山の政範の墓所へ参る予定でいた。その朝雅は、政範の急死に関して毒殺の噂が流れていることに触れ、武蔵の国務を巡って重忠が北条ともめていることに言及し、重保が毒を盛ったようだとりくに吹き込む。

その上で朝雅は自分が疑われていると言い、畠山の策略に嵌るなとりくを牽制して畠山が何を言っても信じるべきではないと駄目押しをする。朝雅の言葉を信じ込んだりくは、時政に、政範の敵を取るように哀願する。時政は、畠山はちえの嫁ぎ先であると言うが、ちえはりくに取っては血縁関係にはなかった。そしてりくは、畠山は自分と政範を北条一門と思っていなかったからこそ、このような非常な真似ができると感情を高ぶらせる。

義時は朝雅にこの件について尋ねる。勘ぐる者も多いと言う義時に、朝雅は一番驚いているのは自分だと言う。義時は、遺体は速やかに東山に埋葬されたものの、冬の今なら遺体を移すこともできたと義時は言い、毒を飲ませると遺体の顔色が変わるので、すぐに死因がわかると義時は探りを入れる。しかし朝雅は一笑に付し、その後無礼なと義時を睨みつけて去る。

この件は軽率に答えを出すべきものではなかった。りくは畠山を討てと息巻いているが、時政もそのようなことはしたくはない、重忠はいい婿と言うものの、政範が可愛い息子であったのもまた事実だった。時房は、自分たちに取っても可愛い弟だったと父に同調する。しかし時政は畠山討伐でほぞを固めていた。そして義時は、執権と言えども、鎌倉殿の花押が入った下文がない限り、鎌倉で挙兵することはできないと父を諫める。

時房も義母上に振り回されるのはやめるように、息子として恥ずかしいと父に頼むが、時政は聞き入れずに立ち去る。最後のは余計だったと義時。その義時は三浦義村に相談する。義村は重忠は優男だが、必要なら立場を変える覚悟があると言い、例として壇ノ浦でも進んで漕ぎ手を射止めていたことを指摘する。

そこへのえがやって来た。繕い物をしていたと言い、義村に挨拶をする。義時はのえに酒の用意をさせるが、義村はのえが手を突いた時、飯粒がついているのを見て不自然に思っていた。握り飯を食べながら縫物はしないからである。

康信から歌を習う実朝は、あまり筆が進まなかった。康信は新しい御台所を褒め、気もそぞろになられるのも仕方はないと言う。しかし実朝は自分に侍している泰時の様子が気になっていた。その一方で義時は政子に会い、りくに会ってくれと頼む。政範を亡くして滅入っていたところへ、朝雅からあることないことを吹き込まれ。気を落ち着かせるために話を聞いてやってほしいというわけだった。そして義時は重忠と話をするつもりでいた。政子は、戦にしてはならぬと念を押す。


冒頭の頼朝の歌、平安時代は富士山から煙が立ち上っていた時代でした。『竹取物語』の富士山頂で薬を焼く場面も、この煙を踏まえたものとされ、また『更級日記』にも煙のことが書かれています。和歌を画面に入れるのは大河ではよく行われますが、特に『平清盛』で顕著でした。この大河が放送された2012年に、BBC版『シャーロック』の第2シリーズが放送されていますが、この時もメールの内容(日本語版)が様々な色やフォントで紹介されていましたが、大河の影響を受けたのでしょうか。

のえ。もうひとつの顔をちらちらと、分かりやすいほどに見せて来ます。逆を言えば裏でのどす黒い野心があるからこそ、別の面ではさばさばした、物わかりのよさそうな人物でいられるのかも知れません。りくの野心が可愛く見えてしまいます。

そして時政の皿の話。何かでこれに類する話を見聞きしたような気がしますが、生憎今はちょっと思い出せません。しかしりくは、政範は皿ではないと言わんばかりに怒りをあらわにします。尤もこの夫がこれ以上気の利いたことを言えるわけもなく、逆にそうだからこそ、自分の言うことを聞いてもくれるわけで、りくは何とか気を取り直します。そして実朝と千世の盃の儀に列席しますが、この2人にどこか曰く言い難いものを感じているようです。

その政範の件。なぜ夏場でもないのに、遺体を鎌倉へ移さずに京で埋葬したかについて、義時は暗に、毒物を飲ませたのではないかと朝雅に尋ねます。この毒が附子=トリカブトであった場合、確かに顔が歪んでしまうことはあるようです。毒を混入させるとは、三谷さんらしいミステリ仕立てですが、かなりストレートな展開にしたなと思います。余談ながらつい最近『名探偵ポワロ』の「黄色いアイリス」を観ましたが、この中でシャンパンに青酸カリを入れるシーンが登場します。この時は、殺される側の身内が犯人でしたが、2度目の殺人のための設定がいささか不自然に思えもしました。

そして畠山との戦にならないようにとの政子の期待、またも裏切られることになりそうです。あと重忠と重保父子ですが、場合によっては罪を被せられないように白を切りつつ、隠棲することもあるいはできたでしょうが、まだそういう時代ではなかったのか、あるいはそういう性格ではなかったのか。

飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/09/13 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと―持ち上げる今年そして叩く昨年

『武将ジャパン』大河コラム続きというか、まず三谷さん脱稿関係です。そしてそれに絡めるようにして、まあ例によって例の如くと言いますか、『青天を衝け』をかなり叩いています。

朗報です。
まだ8月末なのに、脱稿したそうです。
(注・関連記事リンクがありますがここでは省いています)
決定稿にするまで手を入れるから、そのせいでギリギリまでかかるのだろうけれど、プロットの仕上げそのものはそう遅くないだろうと。
これはドラマを見ていればわかります。

三谷さんにしては早い方なのだろうと思います。しかし何度も書くようですが、これがガイドブックの発売に影響している印象もありますし、早い人は、放送開始後間もなく脱稿ということもあるようです。

今回は頼家の暗殺が、風呂場でなく猿楽の舞台でした。
あの猿楽は手間と時間がかかるため、いきなり決めてできるものとは思えないのです。
本作は作りに時間がかかるような場面が多い。
小道具や衣装も手間暇かけています。時間にある程度余裕がなければできないはず。

猿楽のシーンはあらすじと感想でも書いていますが、『太平記』で、柳営(将軍-この大河では執権-の館)に招かれた猿楽衆の中に、刺客が入り込んでいたのをベースにしているように見えます。武者さんがこれを観ているかどうかはわかりませんが。しかし猿楽だけでなく、他にもある程度の時間を見て取りかかるべきシーンというのはあります。武者さんがなぜここで『麒麟がくる』の能のシーンを持ち出さないのか、それがよくわかりません。『平清盛』の舞楽のシーンなども同じでしょう。

そして、

ですので、こういういい加減な報道に私は割と苛立っていました。
「三谷幸喜の『Nキャス』MC就任に大河スタッフが顔面蒼白!脚本が間に合わない!?」(注・本文は記事へのリンクあり)
三谷さんご本人の怒りは、私どころじゃないでしょうけれど……代わりに憤りをぶつけさせていただきます。
そもそも、そこまで脚本が決定的に遅い人が、三度も大河に起用されるものでしょうか?

別に武者さんが、代わりに怒っても仕方がないと思うのですが…。しかしこれも嫌いな大河だったら、我が意を得たりとばかりに紹介するのではないのでしょうか。何せ今までがそうでしたし。それと三谷さんの起用、本人の意向もあるいはあったかも知れませんし、『真田丸』が割とよかったから、もう一度となったのかも知れません。ファンからの要望もあったでしょう。

それと好きな大河の割に、こういうツイをするのですね。歴史系ライターを名乗っていて、大河コラムを有料で書いている人が、これはどうかと思います。

小檜山氏ツイ義時関連

そして嫌いな大河に関しては、武者さんはこの通りです。

近年で脚本が遅れていると判明したのは『青天を衝け』です。脚本家が歴史に馴染みがないか、好きでなかったのだろうと感じました。
大河にはガイドブックがあり、おおまかなプロットが放送前にわかります。
そのプロットから根本的な部分が変わっているとなると、あまりに時代考証がおかしいと判定されたため、その後に修正されたと想像できます。
去年はそういう妙な変更やカットが多かったんですね。

昨年でなくても、ガイドブックと実際のドラマとのギャップは何度か見られました。嫌いな大河だから騒いでいるのでしょうが、今年もガイドブックと、実際のドラマのギャップはありますけどね。

ともあれ、まず2021年という年を考えてみたいと思います。

前年の2020年に行われるはずだった東京オリンピックとパラリンピックが1年延期され、この年の夏に行われることになりました。当然NHKも放映権を持っているわけで、中継に当たって大河ドラマの放送をいくつか削らざるを得なくなります。恐らくはそのせいで、脚本にいくらか変更を加えざるを得なくなったのも一因でしょう。かてて加えて、コロナ禍で収録と放送の休止を余儀なくされた『麒麟がくる』が、翌年にまで放送がずれ込んだため、当初の予定とはかなり違ってしまったのではないかと思われます。

事前にガイドを読んで「これをそのまま放送したらまずいだろう」と思っていると、実際の放送ではカットされて、どうでもいいシーンが追加されていた。
一例として、長州征伐の西郷隆盛です。
天狗党を大量処刑したことと比較して、流血を回避した西郷隆盛を褒めるニュアンスのプロットがありました。
しかし、戊辰戦争と西南戦争を引き起こした西郷が流血を避けるなんて、まずありえない話。
幕末史の基礎でしょう。

ちょっとわからないのですが、武者さんは、第一次長州征伐が武力衝突なしで終わったのをご存知ないのでしょうか。
『西郷どん』でもこの時は、西郷吉之助が徳川慶勝に直訴して平和的解決に持ち込んでいます。またこれに対する条件として、禁門の変を京で指揮した長州藩の三家老の切腹や、藩主父子の謝罪、さらには五卿の筑前への移転などが行われています。

そもそも武者さんは、自分が好きな大河の描写に沿っていないと気が済まないようですね。『八重の桜』、『西郷どん』そして『青天を衝け』、それぞれの西郷の描き方があるはずです。それを言うのなら『麒麟がくる』の光秀も、私は今一つ納得できないところがありました。

ゆえに、放送時はそうしたニュアンスの誘導はバッサリ消えていました。
小道具、衣装、VFXの処理もおかしかった。
店のインテリアとして「風神雷神図」の屏風があった。
本物のわけがありませんし、偽物にせよ店にあんなものは置かないでしょう。質感からして大型プリンタで印刷して貼り付けたようなのっぺりとしたものでした。
書状や書籍も、きちんと筆で書いたものではなく、印刷したのでは?と思えるものがしばしば見えた。

「そうしたニュアンスの誘導」とは何でしょうか。「これをこのまま放送したらまずい」ということでしょうか。何だか意味が通じにくいですね。

そしてあれがおかしい、これがおかしいとありますが、ならばもう少し客観的な説明をつけてほしいものです。あのパリの風景などは割とよかったと思いますし。『風神雷神図』がおかしいのなら、画像を貼ってどことどこがおかしいくらいに指摘するのなら、それはそれで納得できるのですが。あと「印刷したのでは」と言うのは、具体的にどんな書状や書物でしょうか。近代日本であれば、もう印刷された書物が出て来てもおかしくないでしょう。

そういう細部に宿る混乱で、脚本のペースは浮かんできます。
昨年は、ただの手抜きではない、不吉な予兆がいくつもありました。
そういう細部を見ていれば、今年はやはり盤石。
来週以降も期待して待っています。

「そういう細部に宿る混乱で、脚本のペースは浮かんできます」
これもどういう意味なのか不明。
そして
「ただの手抜きではない、不吉な予兆」
これも何のことやら。そしてさらにおかしいのが、
「そういう細部を見ていれば、今年はやはり盤石」
なぜ『青天を衝け』の脚本の細部を見ていれば、今年は盤石になるのでしょうか。

この部分、要は
「こういう細かい部分がおかしいと、脚本の進み方にも乱れが出て来そうです。単に手を抜いたとかでなく、もっと失敗しそうな何かを感じずにはいられません。こういう細部への詰めの点では、今年のは昨年よりまともです」
こう言いたいのでしょうか。しかしもう少しわかりやすい日本語で書いて貰えないものでしょうか。無論私は、昨年のが今年より劣っているとは思わないし、最初の方で書いたように、放送日程の急な変更でやむを得ない部分もあったかと思います。寧ろ昨年に比べた場合、今年はやはり如何にも三谷さん的展開で、やや食傷気味に感じられることもあります。

そしてこの「今年はやはり盤石」、「来週以降も期待して待っています」なのですが、ちょっと無理が感じられます。本当に面白ければ、わざわざ昨年の作品と、何かにつけて比較する必要もないわけです。『青天を衝け』を、未だにかなり意識しているのだろうとは思いますが。


飲み物-パブのビール2
[ 2022/09/03 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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