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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  平尾誠二

ラグビー代表と平尾氏 4

1991年ワールドカップのスコットランド戦は、スコットランド代表のホーム、エジンバラのマレーフィールドで行われました。この試合、日本代表は前半は見せ場を作っていました。フルバック細川選手のドロップゴールが決まったり、トライを挙げたりで、「遠方から来た小柄な選手のチーム」の健闘に、地元の人々からは拍手が贈られました。しかしこの拍手は、無論、対等でないチームに対する「優しさ」「温かさ」でもありました。

平尾氏、当時の平尾主将は、この試合の前半は「ベストゲーム」と語っています。しかしなぜ対等にやれなかったのか、それは名前負けだとも言っています(ラグビーマガジン第2回ワールドカップ速報号)。その前の第1回ワールドカップで、アメリカにもいいところなく敗れたことを思えば、この第2回での1勝は、実質最下位争いのようなものだったとはいえ、大きなものでした。また、マスコミのバックアップのもと、満を持する形になり、だからこそ悔しいという思いも垣間見えていました。

ただスコットランド戦の後半は、カバーディフェンスが機能せず、常に攻め込む側の相手の人数が余っていて、易々とトライを取られました。本来これは逆で、守る側の人数が余っていないといけないのですが、その部分に関しては、まだ経験値が足りなかったといえます。これはのちに外国籍プレイヤーを多用し、いくらかの改善を見ますが、この時点ではまだそこまで行かなかったわけです。そして、経験値の少なさは、国際試合数がきわめて限られていることにもありました。

観客の「暖かい」(原文ママ)拍手には平尾主将も、悔しさをつのらせたに違いないと、この速報号には書かれています。日本が対等に見られる=いいゲームをするための強化策として、トレーニングの改善に言及もされていますが、この当時は外国人コーチの招聘や、国際試合数の増加ということはまだ考えられていなかったようです。こういった問題が浮上してくるのは、1995年の第3回ワールドカップで、日本が屈辱的な大敗をしてから後になります。

ハーフタイム9-17で折り返したこの試合の最終スコアは、9-47でした。その後日本は、アイルランドとの試合を戦うことになります。平尾氏のいとこでもある細川選手が、「そんなに強いとは思わなかった」というアイルランドに対して、日本はどのように戦ったのか。全体を見ればなかなかいい試合ではありましたが、この試合も勝つことはできませんでした。宿沢氏によれば「勝てる試合を逃したのかもしれない」という、そのような試合でした。詳細についてはまた次にて。

飲み物-ホットカフェオレ
[ 2017/04/21 01:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 3

今回は平尾氏というより、チーム全体についての記述となります。

ワールドカップ予選に勝った日本代表は、その後アメリカ代表と試合を行い、アジアラグビーフットボール大会に臨みました。このアジア選手権というのは、アジア諸国による隔年開催のトーナメントですが、その後何度かの変更が行われ、現在はアジアラグビーチャンピオンシップとなっています。日本は優勝の常連でしたが、この年は韓国が優勝しました。その後ワールドカップイヤーの1991年となり、宿沢監督は、本大会で当たるジンバブエの、フル代表のワンランク下のレベルと、日本代表を戦わせる計画を立てました。

その一方で、学生代表がアイルランドに遠征し、またその年には、アメリカとカナダに遠征することも決まりました。宿沢氏は同時に住友銀行(当時)の行員でもあり、合間を縫ってトレーニングを視察し、遠征にも同行しています。監督就任時から、ワールドカップ本大会までが綴られた著書『TEST MATCH』には、無論この時の様子にも言及がなされており、ジンバブエ行きはかなりの強行軍だったようです。おまけに現地では、マラリアの予防薬を渡されるなど、アウェイの難しさを実感させる遠征でもありました。

この当時、まだ国際組織であるIRB(現World Rugby)が各国の試合をアレンジするというよりは、個々の協会(ユニオン)が互いに連絡を取って決めるスタイルであったため、強化試合といってもやはり限度がありました。アメリカとカナダは、やはり本大会で当たるスコットランド、そしてアイルランドを意識しての物でしたが、勝てると思っていたアメリカに黒星を喫してしまいます。この試合の様子は、イギリスの専門誌"Rugby World and Post"、今の"Rugby World"にも取り上げられました。

宿沢氏本人もロンドンでの勤務経験、及びプレイ経験があり、英語でコミュニケーションが取れたこと、そして、キャップ対象でなかったとはいえ、スコットランドを破った監督ということで、外国メディアに取り上げられることもありました。またその当時は、国内メディアも結構ラグビー報道に力を入れていました。この遠征を教訓に、その後日本は本大会前の追い込みに入り、そしてイギリスへと旅立って行きます。日本代表はまずスコットランド入りし、大会3日目のスコットランド戦に備えました。この時、ロックの林敏之氏がハギスを手にしている写真が全国紙に載っています。

ちなみにこの時期、ワールドカップでの初勝利期待ということだったのでしょう。『燃えろ!JAPAN』という、ナンバー編集部制作のVHSビデオが出回っていました。このビデオのパッケージは、もちろん平尾氏の代表ジャージ姿の写真が使われていました。国際試合とインタビュー、そして菅平での練習シーンなどに加えて、選手の紹介や過去の映像などなど、うまく編集されており、ワールドカップが近くなるに従って、再生頻度が高くなって行ったことを覚えています。実際この時は期待大でした。

飲み物-カクテル
[ 2017/04/01 01:14 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 2

不定期更新とはいえ、前回からひと月以上経ってしまいました。今回が2回目です。ところで、2月11日に放送された平尾氏の追悼番組を観ましたが、中学時代の同級生に始まり、高校そして大学時のラグビー部仲間、先輩、監督など様々な人たちが、それぞれの思いを語っていました。ちなみに高校時代の同級生は、伏見工業高校ラグビー部の監督も務めた高崎利明氏、同志社大学そして日本代表の先輩として登場したのが林敏之氏、そして最後に登場したのが、『スクール・ウォーズ』の泣き虫先生こと山口良治氏でした。

山口氏の「彼の分も生きたい」というコメントと、着ておられたウェールズ代表モデルのセーターが印象に残りました。ウェールズも何度か代表ジャージーの意匠を変えていますが、このモデルは80年代以前のジャージーをベースにしたもので、エンブレムが、三枚の羽根をモチーフにした、プリンス・オブ・ウェールズの紋章です。山口氏のように、70年代に代表で活躍した方に取っては、ウェールズは格別な存在でしょう。

さて、1989年に発足した宿沢ー平尾体制の日本代表は、まず遠征して来たスコットランドXV(フィフティーン)を破り、一躍有名になりました。この当時、まだテストマッチ(国際試合)が地上波で放送されていたので、あるいはこれを観た方もいるかと思います。しかし、スコットランド代表でなくても、スコットランドXVとあるのはなぜなのか、疑問に思う人もいるでしょう。これは後述します。その後代表は、翌1990年のワールドカップ予選を目指すことになります。

アジア太平洋地域プールでの予選での強敵は、西サモア(当時)とトンガでした。このため、その年の夏に南太平洋遠征を行い、実際に試合を行っています。またその当時は韓国も、侮れない相手でした。出場枠は2つで、つまり2つの試合に勝てば、ワールドカップ行きが決まるわけですが、1位と2位とでは入るプールが違って来ます。この時は、1位で通過した方が厳しいプールに入ることになっていました。恐らく宿沢氏は、それを見越していたのでしょう。予選ではトンガと韓国にきっちり勝ち、西サモア戦は若手に経験を積ませる場と位置付けて、アジア太平洋予選を2位で通過しました。

1位で通過すると、オーストラリア、開催国の一つであるウェールズ、そしてアルゼンチンと同じプールに入り、あまり楽勝できる雰囲気ではありません。しかし2位で通過した場合は、開催国ではあるけれど、勝機があるスコットランドとアイルランド、そしてジンバブエと同じプールで、これならジンバブエには勝てる、あわよくばアイルランドにもという可能性があります。宿沢氏はスコットランドXV戦の戦績が評価されますが、実は最も評価すべきなのは、この辺りの深謀遠慮ではないかと思われます。無論、平尾氏のキャプテンシーも見事でした。

ところでスコットランドXVについてですが、この当時、ヨーロッパの5か国と南半球の3か国(ただし、南アフリカは国際舞台から締め出されていて、アパルトヘイト廃止により復帰が決まる)は別格で、それ以外の国との試合はキャップ対象ではなく、従って有力選手は揃えたものの、実質代表でないということがよくありました。この「XV」というのは、国際試合用チームではあるものの、代表チームではなかったわけです。その後このシステムは廃止され、国際試合はすべてキャップ対象となりました。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2017/03/10 23:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 1

「ラグビー代表と平尾氏」、今日から始めます。基本的に不定期で、月2回か3回程度のアップになると思います。まず平尾誠二氏についてですが、伏見工業高校(現・京都市立京都工学院高校*)ラグビー部から同志社大学へ進学し、さらにその後イギリス留学を経て神戸製鋼入社、大学時代にそれまでの記録を塗り替える形で、史上最年少の代表選出となっています。伏見工在籍時のチームは、かの『スクール・ウォーズ』のモデルともなりました。

ラグビーもうまく見かけもよくて、しかも自分の意見をはっきり述べる平尾氏は、ラグビーファンのみならずマスコミからも注目を集めました。しかも大学時代に大学選手権V3を達成し、社会人として神戸製鋼でプレイするようになってからはV7を達成、「ミスター・ラグビー」の異名を取るようにもなります。しかしそのせいで、日本ラグビー協会の眉をひそめさせることもありました。某誌でモデルにされてしまったせいです。平尾氏本人はそのつもりはなかったのかもしれませんが、その当時はラグビーといえばアマチュアリズムで、平尾氏が受けた取材は、協会サイドにひどく目立つ行為として映りました。

無論これは日本だけではなく、海外でも同じでした。海外はどちらかといえば、アマチュアリズムによる選手への弊害は大きかったといえます。日本の場合は大学→社会人という選手が多く、試合やトレーニングに出るのに、仕事を休まなければならないということも、そうありませんでした。しかし海外はクラブ制で、トレーニングに出るため、特に代表に選ばれた場合のトレーニングや試合などは、身銭を切って行わなければならず、これが後年のオープン化につながって行きます。日本の場合は、その点では選手は守られていたものの、かなり教条的な側面がありました。また協会はアマチュアリズムを謳う手前、企業に選手のケアを丸投げし、後年問題となります。

平尾氏の神戸製鋼入社から、ほどなくして迎えた第一回ワールドカップで、日本は惨敗を喫しました。この大会での相手はオーストラリア、イングランド、そしてアメリカでした。大会前は、オーストラリアはともかく、イングランドにはかなりいい勝負を挑めるし、アメリカには勝てるだろうという楽観論があったのですが、いざ対戦してみて、日本代表はかなり厳しい現実を突き付けられることになります。アメリカ戦はペナルティゴールの差で勝てるはずの試合を落とし、イングランドには50点以上の差をつけられました。イングランドにいい勝負を挑めるというのは、それ以前の、親善レベルの国際試合のみで得られた根拠なき自信でした。

もちろんこの代表チームの中には、まだ若手だった平尾氏もいました。その他にも、後年選手や監督として活躍する人たちが、このチームには多数いましたが、国際舞台でのこの敗北は、かなりの屈辱であったかもしれません。オーストラリアには一応善戦でしたが、それはオーストラリアが既に決勝トーナメントを決めており、控えの選手を多く出していたせいでもあります。その後代表強化が試みられましたが、さほどに効果のないまま1年余りが経ち、当時住友銀行の行員だった、早稲田OBの宿沢広朗氏が代表監督に就任します。その代表チームのキャプテンが平尾氏でした。

(*)伏見工業高校としては平成27年度で募集を打ち切り。平成28年入学の生徒から京都工学院高校となる。また平成29年に校地を移転する。なお伏見工業高校は、定時制専門の高校として存続予定。

飲み物-ドリップコーヒー
[ 2017/02/02 23:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

プレ「ラグビー代表と平尾氏」その3 代表チームその後

2005年に、フランス人のジャン=ピエール・エリサルド氏がヘッドコーチとして招聘され、これでやっと強い代表ができるかと期待しましたが、1年目は、当時行われていたパシフィック・ネーションズカップをはじめ、さほどの結果は見られませんでした。そしてその翌年、エリサルド氏が日本代表のヘッドコーチでありながら、古巣のバイヨンヌのディレクターに就任したことが問題となり、エリサルド氏は解任、かつて日本でプレイ経験もある、元オールブラックスのジョン・カーワン氏がヘッドコーチに就任することになりました。

その当時の代表ディレクターの太田治氏とカーワン氏は、かつてのNEC(現・グリーンロケッツ)のチームメイトでした。ニュージーランド出身のカーワン氏は、意欲的にコーチングに取り組み、その傍ら、ラグビーのプロモーションにも余念がありませんでした。しかし2007年のパシフィック・ネーションズカップの成績は、日本は唯一トンガに勝ったのみでした。それがその年のワールドカップで、日本はフィジーに大接戦し、カナダと引き分けたため、代表への期待がかなり高まることになりました。

またパシフィック・ネーションズカップではこれといった結果ではなかったものの、アメリカやカナダといった北米勢、ロシアなどにはきちんと勝利していて、次のワールドカップでは、久々の勝利が望めるとファンも期待していました。実際、次のワールドカップイヤーである2011年、パシフィックネーションズカップではフィジーを下し、1位となりました。しかし本大会では、開催国ニュージーランドやフランスはもちろん、本来破るべき相手であったトンガにも負け、そして二大会連続の対戦相手となったカナダにはまたも引き分けという結果に終わりました。

このカーワン・ヘッドコーチの時期には、IRB(国際ラグビーボード、現・ワールドラグビー)の創設当時の8ユニオン、つまりイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、そして南半球三か国のニュージーランド、オーストラリア、南アフリカとの対戦がありませんでした。所謂ティア2、世界の二番手相手であればそれなりの試合ができて、勝利ももぎ取れるのですが、その上のチームとの試合が足りない点も指摘されていました。その後、元オーストラリア代表監督で、サントリーサンゴリアスのアドバイザーもしていた、エディ・ジョーンズ氏がヘッドコーチと決まりました。

外国出身選手の比率が高かったカーワン氏のチームとは異なり、ジョーンズ・ヘッドコーチは日本人選手を多用しました。そして2013年にはホームでウェールズと対戦、秩父宮の試合で勝利を納めるに至ります。IRB(ワールドラグビー)創設国からの勝利は、1989年のスコットランド戦以来となりますが、その時はスコットランド側が、この試合をキャップ対象とみなしていなかったため、互いにキャップ対象のテストマッチとしては、このウェールズ戦が初勝利となりました。翌2014年には、イタリアに初めて勝利します。

イタリアに勝利した年のパシフィックネーションズカップは、好成績に終わりました。この年はジョージアに負けるまで、テストマッチ11連勝という偉業も成し遂げました。そしてその翌年、イングランドでのワールドカップイヤーに、日本はパシフィックネーションズカップこそ芳しくなかったものの、ワールドカップ前のウルグアイとジョージア相手の試合にはきっちり勝ち、そしてあの南アフリカ戦を迎えるに至ります。1991年大会以来の、しかも優勝候補相手の勝利でした。スコットランドには負けたけどサモアとアメリカにも勝ち、なのに予選リーグ敗退となったのは実に残念でした。

そしてジョーンズ・コーチが退任、イングランド代表監督となり、2016年のスーパーラグビー後に、ジェイミー・ジョセフ氏がヘッドコーチに就任します。夏のウィンドウマンスは、スコットランドに勝てそうでいながら勝てない試合でした。ジョセフ氏就任後の秋のウィンドウマンスは、まずアルゼンチン代表に敗北、そしてジョージアにアウェイで勝利、ウェールズを追い詰めるところまで追い詰めての惜敗、最後にフィジーに敗北となりました。あの時ウェールズに勝っていたらと思いますが、それはそれ、今年の6月の試合はきっちり勝てるようになってほしいものです。

そして今年のテストマッチは以下のリンクのようになっています。6月はルーマニアとアイルランドですね。

日本代表 2017年テストマッチスケジュール
(日本ラグビーフットボール協会公式サイト)

次回から「ラグビー代表と平尾氏」を始めたいと思います。
(この項終わり)

飲み物-黒ビール
[ 2017/01/27 01:00 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

プレ「ラグビー代表と平尾氏」その2 トップリーグと代表強化

先日アップした分の続きです。大学の続きと社会人(現トップリーグ)、そして代表について。

以前、ラグビー関連本だったかと思いますが、社会人と学生の対戦は、あんこ型力士と舞の海(90年代当時の話です)のようで面白いといった下りを読んだ記憶があります。しかしこの場合は、同じカテゴリー同士の対戦です。社会人と学生とは、同じカテゴリーではないわけです。またある大学のコーチが、企業だって大学生がいなければ困るというコメントをしたこともありますが、これもちょっと同意しかねます。これはむしろ、20歳前後のラガーマンの居場所が大学しかないと言うことであり、本来はトップリーグのユースを整備した方がいいように思われます。

いずれにしても、社会人と大学は別カテゴリーであり、交流するのは構わないとは思うのですが、同じ選手権で競わせ、しかも大学の方にマスコミが同情的になるのは、やや腑に落ちない部分ではありました。その後カテゴリーよりも、大学の試合だけでは若手が育たないという点が問題視され、こちらに書いたように、トップリーグとの二重登録解禁をとメディアが言い始めています。このトップリーグ、かつての社会人もまた紆余曲折がありました。元々は会社の福利厚生の一環で、その時々の状況によって廃部や休部も相次ぎ、トップリーグになってからも廃部に至ったチームもあります。

かつて、ラグビーがアマチュアに限定されていた頃の日本ラグビーフットボール協会は、日本のラグビーは世界に冠たるアマチュアリズムと公言していました。しかしそれは、社会人選手が所属する企業あればこそのもので、当然選手たちは企業のロゴ入りジャージーを着て試合をし、また彼らのトレーニングや会社の中での配属も、もちろん企業の努力によるものでした。それだけ企業が関与しているにもかかわらず、協会がアマチュアリズムを標榜するのも妙な話ではありました。

確かに2000年代に入るまでは、代表チームの有給スタッフはほぼ皆無、あるいはかなり限られていました。無論それも、企業が選手たちの面倒を見てこそのものでした。ならば協会と企業はもっと話し合いの場を設けて、今後の日本ラグビーをどうするべきかを話し合うべきだったのですが、1995年も1999年も、ワールドカップで勝てずにラグビー人気が傾いた時、協会が持ち出す切り札は大学でした。その後代表の改革が図られた時、まず企業との協力体制を敷いたのが、かつての代表監督であった宿沢広朗氏です。  

宿沢強化委員長、向井昭吾代表監督のもとで始まった代表は、まず企業から選手を出向させることから始まりました。実質的な代表への拘束です。これも最初は少人数でしたが、徐々に増えて来るようになりました。しかしこれだではまだ不十分で、社会人ラグビーをトップリーグにしてプロ契約を許し、代表強化の道筋をつけるに至ったわけです。しかし宿沢-向井体制でなくなると、かつての平尾監督時代の終わりのように、若手中心のチーム編成になって代表は求心力を失いました。平尾監督時代は今後触れますが、2005年になって外国人ヘッドコーチが招聘されるようになりました。
(この項続く)         

飲み物-ビール2種類
[ 2017/01/22 00:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

プレ「ラグビー代表と平尾氏」その1 社会人ラグビーと大学ラグビー

そろそろ平尾氏と代表について書こうと思っていますが、その前に、先日ラグビー関連で書いた大学ラグビーとその変遷について触れておきます。

もう大寒ですね。この時期は、北半球で秋冬にラグビーシーズンがある国では、いよいよシーズンたけなわといったところです。日本の場合は国内シーズンがそろそろ終わり、スーパーラグビーに向けての準備が始まります。しかしかつて日本のラグビーシーズンは、1月15日で終わっていました。これは大学中心のカレンダーであったのも原因です。日本の場合、戦前はラグビーは大学と軍隊のものだったと言われるほど大学の存在は大きく、戦後は大学と企業がラグビーを発展、普及させて来た一面はあるのですが、それは功罪半ばするものであったともいえます。

大学王者と社会人王者の一騎打ちは「日本選手権」と呼ばれていましたが、これは正直な話「選手権」とはほど遠い物でした。普通選手権というのは、せめて1回戦や2回戦、あるいは1次リーグから準々決勝、そして準決勝を経て決勝に至るものですが、それらのプロセスが悉く飛ばされ、トップ同士の決戦しかない、きわめて異形の選手権だったわけです。元々はNHK杯と呼ばれるエキシビション・マッチだったのですが、これが大きな意味を持つようになり、そし神戸製鋼V7辺りになって、両者の力の差から疑問視されるようになりました。

その後日本選手権は、いくらか選手権としての体裁を整え、まず社会人と大学のトップ4が争って、その勝者が次の段階に進むスタイルになりました。しかしこの場合、次の段階に進むのは殆どが社会人でした。本来ラグビーメディアは、大学を選手権に入れるべきなのか否かを、真剣に議論するべきだったかと思いますが、特に新聞は大学の健闘をたたえる声が多く、大学チームを入れることの是非については、どこか棚上げされたような印象がありました。

さらにその後、社会人リーグがトップリーグとなり、プロ契約選手が認められるようになりました。その一方で大学もまた留学生を入れたり、精鋭を集めたりしてチーム作りを行うようになって行きました。そして日本選手権も、最初の方の日程で大学チームを入れる方式となったのですが、殆どの場合、大学チームは勝ち上がることなく姿を消すようになりました。元々大学や高校のチームは、4年または3年で選手が入れ替わるため、固定されたチームを作りにくく、選手たちをどうまとめるかがコーチの腕の見せ所でもありました。

海外というか、日本以外の多くのワールドカップ常連国はクラブシステムです。イギリスの場合、バーシティマッチという、オックスフォードとケンブリッジの対抗戦があり、双方の大学がチームを編成して戦いますが、この選手たちも結構普段はクラブでプレイしていると言われています。また大学クラブというのもありますが、これも大学生のクラブではなく、OBもプレイしています。無論これはハイスクールも同じで、○○FP(Former Pupils)などというと名前のクラブもあり、こちらはOBが多いです。我が国の大学生、あるいは高校生のチームは、その点から見ると結構特異な部分があります。
(この項続く)

飲み物-パブのビール3杯
[ 2017/01/21 01:00 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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