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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  平尾誠二

ラグビー代表と平尾氏13

今月の20日で、平尾氏が亡くなられてから、丸1年を迎えました。

さて1999年のワールドカップ、日本代表はかつてない自信とチーム力で、ウェールズでの大会に挑みました。その初戦となるのがサモア戦でした。このサモア戦は、サモアのスクラムハーフがスティーブン・バショップ、そして日本のスクラムハーフが弟のグレアム・バショップという兄弟対決でした。日本代表は明らかに固くなっているのが、国歌斉唱の場面からも見て取れました。そして、雨模様のグラウンドで試合が始まりました。

この代表には、フルバックに東芝府中(現東芝ブレイブルーパス)の松田努選手が選ばれていました。しかし、彼が負傷などで出られない場合に、そのリザーブとなるフルバックがいませんでした。元々フルバックは、松田選手か、ステファン・ミルン選手のどちらかを使うという体制だったのですが、ミルン選手はこの時は言っていませんでした。平尾氏は「チームがミルンを要らないと思えるところまで成長した」とコメントしましたが、実はこれには、日本のラグビー界ならではの事情がありました。

ミルン選手は、所属チーム(マツダ)の昇格のため、代表ではなくチームでプレーするように要請され、代表を離れていたのです。これは日本ラグビー協会が、それぞれの社会人チームに、代表のために選手をリリースするように、徹底して来なかったのが原因でした。つまり代表選手といえども、そのトレーニングやケアの大部分は所属チーム任せであり、そのため所属チームに対して強く出られなかったのです。もちろんこの反対の例もありました。

かつて日本のチームに所属している外国の代表選手を、所属チーム優先でプレーさせたため、その選手の国の協会から日本協会にクレームがついたことがありました。本来代表には選手をリリースするのが筋であり、クレームもやむなしではありましたが、日本協会にはそのような権限は実はなく、あくまでも選手が所属するチームにゆだねられていたわけです。これは日本以外でも見られたことですが、その後代表への選手のリリースが最優先されるようになって行きます。

ともあれ、フルバックのリザーブ不在はこの試合に大きな影響を与えました。松田選手が試合が始まって間もなく、肩を脱臼して退場したのです。この時はウィングの大畑大介選手が、フルバックに入ることになりました。しかし元々大畑選手はウィングの選手であり、フルバックの位置に戻る習慣がついておらず、時間を重ねると共に、サモアが優勢となりました。そして最終的には、9-43という完敗に終わりました。

またこの試合が行われたレクサムの競技場は、ウェールズにしては珍しくサッカーの競技場でした。そのためインゴールが狭くなっていました。サッカーはゴールポストが置けるスペースがあればいいのですが、ラグビーはインゴールに走り込んでトライするわけですから、インゴールが狭いというのも、何かしらの影響はあったかもしれませんが、それはサモアも同条件でした。やはりフルバックという守りの要を揃えなかったツケは、かなり大きなものでした。

平尾氏も、あるいは勝てると思っていたこの試合を落としたこともあるのか、試合後の記者会見はどこか曖昧であったといわれています。無論、チームに「型」が不在であったことも、敗因の一つではありましたし、元オールブラックスの選手と元から代表であった選手との、意思の疎通が今一つであったともいわれています。また日本代表は、ワールドカップの試合では必ずトライを挙げて来たのですが、この試合では初めてノートライに終わりました。

飲み物-グラスビール
[ 2017/10/28 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏12

1999年8月、スペイン代表を招いての壮行試合が行われました。ナイトゲームで行われたこの試合は勝利に終わり、本大会に向けての手ごたえを感じさせました。この時のスペイン代表もワールドカップ出場を決めていたものの、日本に取っては勝てる相手であり、しかもホームゲームとあっては、勝って当然ともいうべき試合でした。そして壮行会も行われました。この時の代表の移動用のブレザーは、ダンヒルの製品だったといわれています。

平尾監督時代は、監督の個人的な人気もあり、多くの有名な企業がスポンサーとして名を連ねました。しかし協会が率先して、スポンサーを集める気配はあまりありませんでした。これが後に尾を引くことになりますが、それはともかく。パシフィックリムでの戦績を海外メディアにも認められ、しかもあのオールブラックスの経験者をチームに加入させ、誰の目からも順風満帆に見えた平尾ジャパンは、勇躍ウェールズへと旅立って行きます。

ウェールズで行われた開会式は、如何にも手作りといった雰囲気で、華やかさや洗練といったイメージは乏しかったものの、ラグビーを愛する「国民」らしくまとめたものでした。開会式に続いて、ホスト国のウェールズとアルゼンチンの試合は行われ、アルゼンチンは奮闘したものの惜敗に終わりました。このウェールズとアルゼンチンのプールは、日本も入っていたため、今後の日本戦を占ううえでも大事な試合でした。

特にこの両チームはスクラムに定評があり、またこれはどのチームにもいえることですが、タックルがかなり強烈で、この両者のいずれを相手にしても、かなり手ごわいイメージがありました。日本はその2日後にサモア戦を控えており、またファンはサモアとアルゼンチンに勝つことを期待していました。その後現地では、それぞれの国の監督や主将が、抱負を述べるシーンが流されており、日本の平尾監督、そしてマコーミック主将ももちろんこのビデオに登場していました。

しかしながら、平尾監督はどこかぎこちない雰囲気があり、マコーミック主将も硬くなっていたといわれています。一方ワールドカップを既に経験しているジョセフ氏は、ゆとりの表情で話していたようです。尚この時、日本のスカイスポーツ(現JSPORTS)では、監督も主将もさほどに緊張した様子ではなかったので、恐らくインタビュアーの聞き方にもよるのでしょうが、その辺が物足りないという指摘もありました。

飲み物-レッドビール
[ 2017/10/06 01:00 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏11

年が明けて1999年、ワールドカップイヤーとなりました。日本選手権が終わり、国内シーズンが終了した後に代表の招集が行われましたが、その時新たな外国籍選手の発表がありました。それが
グレアム・バショップ
ジェイミー・ジョセフ(現日本代表HC)
この2名でした。2人とも95-96シーズンからサニックスでプレーしており、3シーズンプレーしたため、外国籍ながら、日本代表になる資格は持ち合わせていました。ただこの2人は、普通の外国籍選手とはいささか事情が異なっていました。なぜかといえば、2人ともかつてはあのオールブラックスの選手だったからです。

ニュージーランドに於いて、オールブラックスの存在というのは大変なものです。総理大臣の名前を知らなくても、オールブラックスの主将の名前なら知っている子がいるという話もあるほどで、これは日本代表にいたニュージーランド出身の選手たちにも、大きく影響することになります。とりわけこの時の代表主将は、やはりニュージーランド出身のアンドリュー・マコーミックでした。彼のお父さんはオールブラックスでのプレー経験がありますが、マコーミック氏自身は選考試合に出たことはあっても、自身は代表でプレーしたことはありませんでした。

しかしこの2人は、チームに取って大きな即戦力となりました。その年のパシフィックリム選手権では、日本代表は優勝という成績を納め、ワールドカップでの勝利、あるいは決勝トーナメント入りを期待する声が、高くなって行きました。しかしその時期においてもまだ、平尾氏は型を決めようとはしませんでした。一方で平尾氏の、代表監督としての名声も高まり、講演に招かれるようにもなっていました。ただしこの時期、1999年夏の時点では、何よりも優先するべきは代表であり、ワールドカップで勝てるチームを作ることではないかと思った記者もいたようです。

ここでちょっと余談になります。先日の大河ドラマ関連の投稿で、森下佳子さんの「正しい歴史や考証を押し付けられて、ドラマが息をしていないように見える」というコメントを紹介しています。以前にもこの言葉を引用したことがありました。押し付けるとか型にはめるというのは、捉え方によってはネガティブになりがちなのですが、実際はどうだろうと思います。現に今年の大河では、歴史や考証をかなり軽んじた感があり、何やら恋愛ドラマのようになっているのは事実ですし、本来力を入れて描いていい歴史の部分が、ないがしろにされている印象があります。

森下さんは本当は、歴史の押し付け云々ではなく、地方の小領主からの独自の大名観、あるいは時代観を盛り込みたい、「ステレオタイプな歴史の押し付け」は書きたくないと、こう言うべきだったのでしょう。歴史や考証を押し付けられるのは嫌、否定するとなっては、それは大河とは呼べません。平尾氏の場合も、型にはめないのではなく、「型通りのプレーをしたくない」と言うべきだったのかと思いますし、チームの方向性を決めるのであれば、ある程度の決めごとがなければ、よほどコンビネーションがうまく行っていても、結構難しいように感じられます。

飲み物-ブラウンエール
[ 2017/09/28 00:00 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏10

前回、平尾ジャパンでは外国籍選手が多く、選手たちが戸惑ったと書いています。正しくは日本人選手が戸惑ったというべきですが、彼らがなぜそうなったかというと、外国籍選手たちは手足の長い選手が多く、そのため日本代表に受け継がれて来た
「前に出て止める」
というディフェンス方法の持つ意味合いが薄れたからです。このディフェンスは、かの大西鐵之助氏の理論にもありました。外国人は槍、日本人は短刀であり、相手の懐深くに刺さらなければならないというのが、日本代表のディフェンスだったというわけです。

しかしこれがなかなか功を奏しない時もありました。好プレイが比較的多かった宿沢ジャパンの試合でも、ボールを持った選手に他の選手が追い付かず、孤立してボールを取られたり、その逆にボールを奪い返せなかったりする例が見られました。アイルランド戦では、ボールを持った吉田義人氏をサポートする選手よりも、タッチジャッジのビショップ氏の方が足が速いなどといわれたりもしました。しかし平尾氏が監督になると、状況は一変します。

外国籍選手が多くなったことで、彼らが長い手で相手を捕まえてくれ、しかもスピードにも勝っていて、相手を比較的簡単に倒せるようになりました。ディフェンスは格段によくなり、これがプレイの安定化につながったのは事実でした。しかしそれが逆に、日本人らしいプレイの影が薄くなる一因ともなりました。これについては日本人同士、外国人同士に分かれてミーティングを行ったという話があります。この当時、日本代表のキャプテンは、当時の東芝府中、今の東芝ブレイブルーパスのアンドリュー・マコーミック氏でした。チームを二分するという理由で彼は反対したものの、今度限りだからということで行われたようです。

このことについて、代表首脳陣が何か言及したかは不明です。一方で、チームには平尾監督の考えのもと、「型」にはめないという方針を取って来ましたが、1999年ワールドカップのアジア予選の前に行われたアルゼンチン代表(ロス・プマス)戦で、一応型らしきものが持ち込まれ、選手たちがかなりの力を発揮できるようになりました。実際この試合では、ホームゲームで、相手には初キャップの選手もいたものの、44-29で勝利しています。そしてその後、1998年10月のアジア予選で、日本は4大会続けての出場権を獲得します。

ところでこの後、12月にはラグビーのアジア大会がありました。これは出生国主義で、日本代表は日本人選手しか出場できませんでした。それでも決勝まで行ったのですが、決勝の相手韓国は、優勝したら兵役免除となっていました。しかも日本はワールドカップ行きを決めており、モチベーションに大きな差があって、結局日本は準優勝に終わりました。これが、日本代表は外国人頼みという印象を与えたとする記事もありました。

飲み物-パブのビール3
[ 2017/09/16 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 9

ここのところかなり間隔を詰めておりますが、実は当初の予定では、平尾氏の命日までにすべてを書くつもりでした。それがひと月以上間隔が空いたりしたため、多少調整している状態です。今年中にはすべてアップ予定です。

山本巌氏は、1996年で監督を辞任しました。その翌年、1997年の2月に、日本ラグビー協会から、平尾誠二氏が監督就任という発表がありました。マスコミは色めき立ちました。何せ、あの平尾氏が代表監督ということなのですから、記者発表の場はかなりの賑わいを見せていたようです。強化委員長は筑波大教授の勝田隆氏、コーチにはサントリーの土田雅人氏が決まりました。ちなみに土田氏は、1995-96シーズンの社会人リーグで、監督としてチームを優勝に導いていました。

平尾氏の今後の計画は、OHPを用いて行われました。こういうやり方は斬新でしたが、組織論の部分が大きく、平尾氏の口から「こういう風にしたい」あるいは「こういうチームを作りたい」という言葉がなかったのが残念という声もあったようです。平尾氏が打ち立てた強化方針は平尾プロジェクトと呼ばれ、埋もれた人材や、他競技からの人材も発掘したいということで、その意味では、とかく他競技からのスカウトに消極的だった従来とは、一線を画していました。ただし平尾氏は、代表監督専任とはなりませんでした。神戸製鋼の強化にも関わり、また、母校の同志社の大学院にも通っていました。

「平尾ジャパン」の初陣は、その年のパシフィック・リム選手権の香港戦でした。しかしこの年は香港に負け、ホーム&アウェイの試合のうち、ホームでカナダに勝った以外はすべて黒星で最下位に終わりました。しかもこの頃の代表チームは、このパシフィック・リム以外に定期的な国際試合がなく、9月のシーズン開始とともに、選手たちは社会人の試合を行う日程となっていました。しかし本来は、監督を専任にして試合数を増やし、ワールドカップで勝利をもぎ取れるようにするのが、本来日本協会の果たすべき役割でした。この代表としての空白期間の長さも、代表強化のネックになった部分は少なからずありました。

平尾氏の選手起用についても、一部の記者は疑問視していました。同じ選手を使い続けず、ローテ―ションで入れ替えていたため、たとえばスクラムやラインアウトは、選手が変わるたびに合わせ直す必要がありました。また、「型にはめない」という方針のもと、どのようなプレーをするべきなのか、選手が模索している感もありました。パシフィック・リムのような、比較的対等なチーム同士であればまだしも、実力的に上と思われるチームには、それだけでは不十分といえましたし、チームに外国籍選手が多かったこともまた、当の選手たちが戸惑う持つ一因となりました。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2017/09/02 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 8

前回からの間隔がちょっと狭まります。南アワールドカップ後の代表への評価は、ラグビーメディアではかなり厳しいものでした。ニュージーランド戦での145失点もさることながら、代表そのもののあるべき姿についてかなりの批判を呼び、しかも、チームは一枚岩ではありませんでした。選手の一部には、徹底的に自分を追い込み、宿舎へも走って帰る選手もいて、彼らはファイアーグループと呼ばれました。このグループの選手たちは、代表のあるべき姿を自分たちなりに考え、ワールドカップ後、日本ラグビー協会から代表改正案を求められた時も、積極的に意見していました。

平尾氏は、このファイアーグループではありませんでした。自分を徹底的に追い込むということはなく、どちらかといえばラグビー漬けになるよりは、公私をきちんと分けたがるタイプでした。そのため、問題になったカジノにも他の選手と足を運んでいて、これは個人の自由だと公言していました。無論これには異論もありました。ワールドカップは個人の旅行でない以上、まず結果を出すこと、日本のラグビーを認めてもらえることが先決であり、それを果たしたうえでのカジノ通いであろうという論調の記事も発表されていました。

そもそも代表に選ばれた選手たちは、国内大会ではあれほど目つきが変わるのに、ワールドカップになると真剣味が薄れてしまうという記事もありました。この当時、ワールドカップに出場した選手たちは、プロが認められていないこともあり、全員建前としては会社員であること、そのため現地で土産物も調達せねならず、時にはカジノも覗きたくなるのも、全くわからないことではありませんでしたし、その意味では平尾氏の「個人の自由」もうなずけなくありませんでした。しかしワールドカップ本来の目的を考えた場合、やはりどこか違うのも事実でした。

無論平尾氏も、勝てない代表には苛立っていました。そして、国内ではどこでも横綱相撲をやっているが、それではいけないという意見を述べてもいました。結構持論を述べる人でもあったことから、恐らく代表再建論も考えており、次の代表首脳陣に入るのではないか、そのように思ってもいましたが、実際は元サントリーの山本巌氏と、当時の明治大学の監督であった、北島忠治氏の長男の北島治彦氏が新首脳陣に決定しました。

この首脳陣は正直な話、中継ぎといった印象がありました。ただし、パシフィック・リム・チャンピオンシップを成立させたという実績もありました。当初の予定がスポンサーの辞退から、規模の縮小を余儀なくされ、日本と香港、そして北米2国でスタートしたこの選手権は、後にアイランダー諸国と呼ばれるフィジー、サモア、トンガなどを加えた選手権のベースを作ることになります。しかしプロ化が進む海外をよそに、日本協会がそれ以上のアクションを取るようには見えませんでした。

しかも協会の姿勢が、先人への敬意、そして国際試合の盛り上げといったものを無視した感があるのも事実でした。ワールドカップ後、日本代表(実質的には選抜レベル)の試合が行われた際、その少し前、秩父宮雍仁親王の妃であり、ラグビー協会名誉総裁をも務められた、秩父宮勢津子妃殿下が薨去されており、かつての代表及び早稲田の監督である、大西鐵之助氏も逝去していました。しかしそれに対しての黙祷すらなく、観客が自主的に黙祷をしたという話もあるほどでした。

飲み物-パブのビール2
[ 2017/08/30 01:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 7

このラグビーワールドカップ南アフリカ大会には、国際舞台に復帰した南アフリカの「国おこし」の意味も込められていました。元々南ア代表スプリングボクスには、非白人選手が一人しかおらず、そのチェスター・ウィリアムズ選手も、負傷で最初の出場は無理でした。しかし当時のネルソン・マンデラ大統領は、自ら代表チームのレプリカジャージーを着て、スプリングボクス応援の姿勢を明確にし、国レベルでのサポートが大々的となる一方で、プロ解禁前とはいえ、代表選手たちはCMにも登場していました。ちなみに、選手たちの肖像をあしらった缶ビールもあったようです。

そんな中、日本代表は南アフリカに降り立ちました。熱心なラグビーファンが応援していたとはいえ、国レベルでの応援という印象はなく、はるばる南アまで行くファンも限られており、前回触れたようにテレビの中継もあまりない状況でもあり、この試合で日本ラグビーの起爆剤となることが、代表に求められていました。しかし、ブルームフォンティンで行われた日本とウェールズの試合では、1991年大会のエースであった吉田義人氏がメンバーから外され、震災に遭った人々を元気づけると言っていた平尾氏が、どう見ても日本に不利となるゲーム展開をしてしまい、惨敗に終わりました。

その後、アイルランド戦では吉田義人氏の復帰、そして通称「イケイケ」ラグビーと呼ばれる、ペナルティゴールを狙わず、トライを取りに行く姿勢が地元ファンの共感を呼びました。また平尾氏もこの試合で、国際試合唯一(ちょっと意外でしたが)となるトライを挙げました。結構この試合では4トライを得て、かなり健闘した日本代表でしたが、それでもアイルランドに50点以上を取られて敗退し、決勝トーナメントへの進出はこれでなくなりました。その後は、ニュージーランド代表オールブラックスの試合を残すのみとなりました。

本来はこの4年間の集大成として、ベストメンバーを揃えて、オールブラックスに一泡ふかせるつもりでこの試合に臨むのが、日本代表のあるべき姿でした。しかしこの時のメンバーに、平尾氏はいませんでした。またオールブラックスも、この時の主力で他チームから恐れられたジョナ・ロムー氏を出場させておらず、決勝トーナメント出場を決めていたとはいえ、日本が甘く見られている雰囲気もありました。そして試合は、145-17と屈辱的な結果で終わりましたが、監督は悔しがる素振りもなく、「私の仕事はこれで終わり」と笑みを浮かべて話したということです。

元々小藪監督はこの試合前に、「3トライ取った方が勝ち」という、きわめて曖昧な基準を設けていました。しかも平尾氏はコーチングプレイヤーであり、この監督を補佐する立場にあったのですが、小藪氏、コーチの藤原優氏、そして平尾氏がきちんと連動していたかについては、疑問を呈する記事もありました。また現地に赴いた記者からは、練習時や日常生活での、士気の緩みを危惧する声も届けられており、それが練習風景のたるみ、あるいはカジノ通いなどに現れていたと指摘する人もいました。

飲み物-パブのビール1
[ 2017/08/26 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 6

1991年の第2回ワールドカップの後、宿沢氏は監督を辞任し、新日鉄釜石V7時のスタンドオフを務めた、小藪修氏が監督に就任しました。この小藪氏は、力のラグビーに重点を置き、その意味では宿沢氏の後継をうまく果たしたかに見えました。しかし力にこだわるあまり、バックスの選手のプレイが活かされず、あたかも海外強豪国の、フォワードの選手が強いチームのミニチュア版のような感じになりました。日本が普通に力を出せば、勝てる相手にはそうでもなかったのですが、1993年のアルゼンチン遠征ではいいところなく敗れ、同年秋のウェールズ遠征では大敗を喫しました。

一方平尾氏も代表主将を辞任し、代表よりも神戸製鋼の平尾という印象が強くなって行きました。1991年にV3を達成した神戸製鋼は、その後順調に優勝を重ねて行くようになり、また神戸製鋼の若手選手が、代表に招集されるようになりました。また、当時神戸製鋼でプレーをしていてイアン・ウィリアムス氏も日本代表に招集され、ウェールズ戦に出場しました。この当時は、複数国で代表になることが可能で、オーストラリア生まれのウィリアムス氏は、代表ラグビーチームであるワラビーズでプレイし、その後日本代表としてキャップを得たことになります。

小藪氏の采配には、一部関係者からは疑問の声も上がっていました。ラグビーの試合において、ボールを取るプレイの一つであるラインアウトを、あまり重視していないように見えたこと、クラッシュに強い、いわば「当たり負け」しない選手を選ぶことで、日本らしいパス回しやトライが影を潜めるようになりました、その当時、日本や香港と韓国はかなり競り合っていたこともあり、このままでは、ワールドカップのアジア予選を勝ち抜けないのではないかという声も、ファンの間から上がるようになって行きました。

かろうじて予選は勝ち抜いたものの、その当時はJリーグの人気が圧倒的で、ラグビー人気には陰りが見えていました。その意味もあったのか、小藪氏をはじめ、コーチの藤原優氏といった代表首脳陣は、平尾氏を代表に呼び戻すことになります。ちょうど1995年、神戸製鋼が国立競技場で日本選手権に優勝し、V7を達成したその2日後に、神戸をはじめ近畿地方や淡路島が、阪神・淡路大震災に見舞われた時のことです。この地震後の救助活動では、選手たちも協力しており、復帰した平尾氏は、震災に遭った人々を元気づけたいと語りました。

そして1995年ワールドカップ、壮行試合のルーマニア戦で日本は快勝します。代表の今後を心配していたファンたちも、これで一安心し、本大会での活躍を期待するようになりました。そして5月の半ば、代表チームはトランジットを経て、南アフリカの地に到着します。ただしこの大会は、中継数が少ないのがネックでした。前回、NHKの地上波とBSを駆使して全試合が放送されたにもかかわらず、この大会は日本絡みと準決勝以上の試合の放送予定しかありませんでした、民放の放送予定が立ち消えになり、NHKがどうにか枠を設定したともいわれていました。

飲み物-ビール2種類
[ 2017/07/22 00:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏 5

前回から2か月ほど経ってしまいましたが、1991年ワールドカップのアイルランド戦の続きです。この時日本の戦いぶりは、悪いものではありませんでした。トライも3本奪い、会場のランズダウンロードの観客から、ブーイングもありました。しかしこの試合も、結局日本は物にすることができませんでした。前半も後半も風下で、キックが伸びないというデメリットもありましたが、何といっても、アイルランドが現地の観客の前で負けるわけに行かないと、スクラムでプレッシャーをかけ、ガチで勝負に来たのが、試合を決定づけました。

余談ですが、アイルランドにはそういうところがあります。アイルランドのみならず、イングランドでも、あるいは他のチームでもそうですが、勝つためには如何に批判されても、体裁など構わず、また容赦しないところがあります。この8年後、1999年のワールドカップのアルゼンチン戦では、15人ラインアウトというのもありました。通常ラインアウトは、フォワードの8人が並んでボールを奪い合うものですが、この時は意地でもボールを奪うために、選手がすべて並んだわけです-結局黒星に終わりましたが。

決勝トーナメントの望みを絶たれた日本には、もう1つ試合が残っていました。ジンバブエ戦です。ジンバブエはその前に、スコットランド、アイルランドにいずれも大差で敗れていましたが、日本に取っては1勝をもぎ取るため、全力でかかるべき相手でした。この時の宿沢氏の言葉は
「勝つ意志で上回った方が勝つ」
でした。果たせるかな、日本はジンバブエ相手にトライを量産し、52-8でジンバブエを破り、1試合最多トライ記録を達成しました。ところでこの試合は、事実上の最下位決定戦、しかもアジアとアフリカという、ラグビーに縁遠い(この大会まで南アは不参加)チーム同士ということもあり、テレビ中継なし、しかも会場のレイベンヒル競技場も小規模なスタジアムでした。

地元の反響は大きく、トライを挙げた吉田義人選手の名を見出しに用い、
「ヨシダがレイベンヒルに灯りをともした」
と書いた新聞もあったようです。しかしキャプテンを務めた平尾氏は、必ずしも満足といった様子ではなかったらしい。なぜスコットランドにも、アイルランドにも勝てなかったのか。その悔しさと、もっとみんなが自信を持ってプレーすればいい、そういった内容のコメントを、報道陣にぶちまけていたようです。また選手たちも、アイルランド戦には手ごたえを感じていたようで、その次の代表強化は、それを目標に行われるはずでした。それについては、またこの次に。

そのアイルランドとのテストマッチ、第2試合が明日に迫りました。今度は勝利をもぎ取れるのでしょうか。明日のは特に、11月のウィンドウマンスに向けて、無下にできない試合ではあります。ところで『風林火山』のエピソード、あるいは感想でも触れていますが、牢人青木大膳を演じた四方堂亘さん、ご存知の方も多いでしょうが、『スクール・ウォーズ』で、平尾氏をモデルにした平山誠を演じた方でもあります。

飲み物-黒ビール
[ 2017/06/24 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

3分の1が終わって

今年の大河も既に3分の1が終わりました。直虎の出家時代までは、こういうのもありかと思って観ていましたが、城主(というか虎松の後見人)になってからは、興味を惹かれる話題もある一方で、その描かれ方がやはり気になります。家中の総意というよりは、直虎個人が関心を持ったものを、あれもいい、これもいいと勧めている感じで、なぜそれが必要なのかと掘り下げる描写に、やや欠けるように思います。

それと、方久とか龍雲丸とかいった、外部の人間の意見を参考にしたがる点が、やはり気になります。彼らが間者でないという保証は、まるでないのですが…氏真が第17回で、百姓たちの中の間者に言及していたのは、これと関係があるのかと思います。無論、井伊家そのものに人材がおらず、小野但馬守政次は目付であること、しかも、彼の言を直虎が受け入れたがらないこと(これもどうかなとは思いますが)で、ああいう人物を登場させる展開になるのでしょう。

ネタバレですが、この先龍雲丸がかなり絡むようになります。しかも直親の隠し子まで登場し、直虎がそれに裏切られたと憤慨するようですが、こういう描き方は如何なものかなと思います。実際観てみないと何ともいえませんが、戦国の、大国のはざまで生きた領主らしく、自身で施政を打ち出し、しかもストイックなイメージになるかと思っていたのですが…どうもその逆のようです。ある程度創作を入れないとドラマにならないのは事実ですが、問題はその創作の質でしょう。

ところで南渓和尚が直虎のことを、諦めが悪く型にはまらないと評しています。普通「諦めが悪い」は短所としての表現なのですが、あの南渓和尚のことですから、故意に使っている感があります。それはいいのですが、「型にはまらない」と言っても、領主としてかくあれと言われたことを、わざと外しているというわけではなく、はじめから自分の思うままにやっているイメージなので、今更感があります。むしろこの人は、何らかの枷をはめた方がいいようにさえ思います。

この表現は、先日書いた森下佳子さんの、脚本に対する姿勢に関してのこの言葉を思わせます。

「大河ドラマのなかには、「歴史を伝えなくちゃ」とか、「歴史ドラマだからこうじゃなくちゃ」という使命感や制約に締め付けられている作品があって、ドラマが息をしていないように見えるときがありました」

だから、私が思う自由で生き生きした直虎を描きたいということなのですが、史実を重んじるのと、型にはめるとはまた意味が異なるでしょう。何よりも「型にはまら(め)ない」というのは、そこまでいいことなのかどうか。むしろ肝心の型がない分、ばらけやすい、収拾がつかない状態にもなりやすいわけです。実際直虎もそうなりがちで、それを他者にサポートしてもらっているというのが、本当のところでしょう。

唐突ではありますが、これは、かつての平尾誠二氏のラグビー代表強化にも通じるものがあります。これに関しては関連投稿で書きますが、「型にはめると個々の自由な発想ができない」という視点から、チームに特定の型を作らず、素の力を大事にするという強化方針を打ち出し、その方針のもと強化に取り組んでいました、しかし、結局格上の相手を、その方法だけで倒すことはできませんでした。

しかし20回から30回にかけては、前半の山場となるのに、オリジナルキャラ頼みで大丈夫なのでしょうか。その辺が、やや不安をぬぐえないところではあります。無論、それがいい形で裏切られるといいのですが。

それともし可能であれば、この『直虎』を、自分なりにリメイクしてみようかと考えています。あくまでも、書けたらの話ですが。

飲み物-ホットココア
[ 2017/05/10 00:15 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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