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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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第6回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。様々なシーンの説明や考察が綴られていますが、今回は如何にも武者さん的な物の見方、そして、漢詩関連が中心となっています。

またいつものように、ダークブルーの箇所が、武者さんのコラムからの引用部分です。


大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第6回~

ここでのまひろも、あくまで一族のためならば手を汚すと言い切っている。
進歩したヒロインなのです。
つまらないドラマは、登場人物たちの好感度を上げることだけを意識し、泥を被らないよう無茶苦茶な設定にしてしまうことがあります。

ここでたけたけさんは、まひろが
「これからは今よりも覚悟を持って左大臣家の倫子さまと仲良くなり、源との繋がりを深めます」
と言っているのであり、「一族のためならば手を汚す」とは言っていないと書いています。またまひろが父の出世や家の安堵のために、有力貴族の周囲に目を配ってつながりを持つこと、また倫子のように、政治的なものも絡む家の事情を理解して、入内や結婚などを視野に入れて立ち回るのは「手を汚す」ことではないこと、どちらも父親が娘の気持ちを気遣っていることに触れています。

武者さんが、進歩したヒロインと言いたがる場合、自分の好きなキャラに引き寄せたい狙いがあるのではないかと思います。そのためこのシーンのみに限らず、やけに拡大解釈する傾向があるように見えますね。それと「登場人物の好感度を上げる」だけでは、ドラマは作れないと思いますが。

源雅信は宇多天皇の血筋であるし、立派な屋敷もある。
富も血統も心配はない――一挙両得だと、自分の都合でばかり勧めてきます。

これに関しては、自分の都合でばかりではなく、倫子の年齢や道長が三男であることなどで、右大臣家と左大臣家双方の駆け引きがあったのではと書かれています。また宇多天皇の血を引くことは、誇れるものであったこと、さらにこの宇多源氏には『鎌倉殿の13人』に登場した源仲章や、『太平記』の佐々木道誉がいることに付け加えられています。

しかし
「自分の都合でばかり勧める」
おじさんたちが勝手に決めて、その気のない娘たちに押し付けるという構図を、武者さんは想像しているのでしょうか。それにしても、一昨年あれだけ書いていたのに、今回は正に宇多源氏である源仲章について、何も書かれていませんね。

そして左大臣家に於けるまひろに絡めて、

わかります……あるある現象ですね。
私は普段は極力、大河ドラマの話をすることを避けます。
しかし、どうしてもそういう流れになったときに、言わないでもいい蘊蓄を語ると、相手がサーッと引いていく。
もっと知りたい、興味を持たないかな?と思って話をふると、「私は別にそういうオタク語りまでは求めてないんで」とドアを閉められる瞬間があるのです。
そのときフフフと笑いつつ話を逸さなければならなくて……。
大多数に受け入れられる話題って、美男美女に萌えるとか推しとか、あるいは恋バナとか、戦国武将のちょっといい話とか悪い話とか。
スナック感覚でつまめる軽い話題であって、ヘビーな話はむしろ鬱陶しがられるんですよね。

などとありますが、これに関するたけたけさんの意見は以下の通りです。

どや顔で漢籍マウントを取り、他人を見下すような発言をする
勝手な思い込みと私怨に基づいた他責意識と被害妄想を拗らせる
所構わず自身の不快をまき散らし価値観を押し付ける
文春を論拠とし一切論拠を示さず無関係の企業や制作スタッフ、俳優及びそのファンに対する誹謗中傷を繰り返す
気に入らない別の作品の事を蒸し返し、『わたしのかんがえたさいきょうのれきし、わたしのかんがえたさいきょうのたいがドラマ』を忠実にする事が正義の様に誘導する

と指摘し、そういうど他人への配慮の無さが目に余るから、人が離れていくのだと思いますとあります。
実際そうだと思わざるを得ません。この4番目は、昨年特にエスカレートした感があります。「大河コラム」のはずなのに、最後の方の2ページ近くがキャストやスタッフの誹謗中傷に使われていたと思います。

でも漢字の知識も、文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低いんだな。
いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる。
弟相手なら「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」と容赦なく言えるけど、姫君にはそれもできない。
だいたい、歌がうまくなりたいなら恋をするよりも、学んでこそでしょうよ!
なのになぜなの、なぜ……というドツボに陥っているのでしょう。
先天性のズレを抱えているまひろは、この先ずっと「生きることが苦手だな」と嘆きながら人生が続いていく。
ハァー……めんどくさい主人公ですね。そこが好きです。

これについてはまず、
「ここでもまた『面倒臭い』主人公ですか」
とあります。少し前に、まひろのキャラについて「面倒臭い」を散々繰り返していた武者さんが、またこの表現を持ち出していますね。
そして
「文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低い」
「いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる」は、まひろがそう思っているのではなく、姫君たちや倫子を見下して侮辱する武者さん自身の言葉であることに触れられています。また勉学の意欲があまりない弟の惟規に、学問を好きすぎる姉上が気持ち悪いと言われ、「漢詩や和歌や物語が好きなだけだ、賢い部分を全部取って行ったわけではない」と言っただけであることもちゃんと書かれています。

つまり
「レベルが低くて手加減するの嫌になる」
「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」
は武者さんがまひろに対してそう言ってほしい(無論実際はこういうセリフはありません)だけではないでしょうか。当のまひろは、別に姫君や惟規を馬鹿にしているわけではないでしょう。

本作に対するアンチな意見として、「テーマがない」とか「何を言いたいのかわからない」という趣旨のものを見かけます。
そうした意見を出す人はどういうタイプの人なのか?
まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。

こちらも、
「まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。女性の苦労を全くわかっていない人には、そのことを訴えても通らない」と、さも女性の味方のような意見を言うのは構わないとまずあります。
しかし嫌いな作品に出てくる女性には『フェチシズム、ムフフ要素、サービス狙い』などと性的な目で見たり、女性ファンが興味を持ち始めたところで『害悪ファンダム』と罵倒したり、『女はこういう女が嫌いだから』と論拠もなしに原因を女性のせいにするのはセクハラ発言であり偏見である、それをやめては如何かとありますね。

別に偏見はよくないと言うのはいいのですが、特定の作品の登場人物、あるいは女性キャラに対して、上記のような中傷とも取れる言葉を投げつけるのは、武者さん自身の偏見に他なりません。そしてこのフェチシズム云々は。『どうする家康』で子供を背負った瀬名に対して言われたもののようです。あとこの「ムフフ」も武者さんは好きですね。

まひろは、なんというか、かわいくなくていいですね。
いや、とてもかわいらしいところはたくさんあります。
しかし、媚びがない。
わざとらしくキュンキュンして、「父上の晴れ姿が見たいんですぅ」と甘ったるく言うとか、笑顔を見せてもいい。
それをしないところが彼女の個性ですね。

武者さんが「『面倒臭い』とか『かわいくなくていい』」と書くのに対し、
「私が好きな女としての振る舞いをしているか否か」でしか評価できないのですかと、かなり突っ込んだ書き方になっています。またこれは、私も感じていることなのですが、
「他の女性に対してはその様な見方していない様ですが、実はまひろさんの様なタイプが嫌いで『わざとらしくキュンキュンして、甘ったるくセリフを言って媚を売るような女なら叩けるのに』と思ってませんか」
ともあります。まして晴れ姿を見たいと言うのは「父親の晴れ姿」なのに、媚びる必要もないでしょうとも。

武者さんは、まひろの言動に対して褒めているのか、それともけなしているのかわからなくなることがあります。わざわざ
「わざとらしくキュンキュンして」
などと書くのは、実際はまひろがそういうキャラであってほしいのではないか、そうすれば彼女だけでなく、場合によってはこの作品も叩けるからではないか、そう取られても仕方ないでしょう。

東洋文学における酒は、ウェーイと楽しく気晴らしのために飲むだけのものでもありません。
当時はまだ貴重でもあるし、憂いを解くためのものでもある。
酒に託して精神の高揚を詠い上げてこそ。

漢詩の会が始まって「酒」という題が出されたこと、漢詩では酒を取り上げたものがたくさんあり、中国唐代の李白、杜甫、白楽天も大酒飲みだったと言われていること、さらには主催者藤原道隆は無類の酒好きであることなどから、第1回漢詩大会は道隆の意向も盛り込んでいたのではないかとありますね。
尚、李白の『月下独酌』に関するサイトのリンクが貼られています。

『月下独酌』李白 【原文・書き下し文・現代語訳・解説】

それから武者さんは

和歌とは異なり、漢詩の会となれば、「きみたちの政治ビジョンを聞こう!」というニュアンスもありとみてよいでしょう。
さて、皆の選ぶ詩は?

と書き、藤原行成が選んだ詩は李白の『月下独酌』だとあるのですが、たけたけさんによればそうではなく、白居易の『獨酌憶微之』となっています。ちゃんと訂正しましょうともありますね。実際これは『獨酌憶微之』ですが、武者さんあれだけ漢籍がどうのこうのと言っていながら、これはないと思います。

恐らく藤原公任以外は、皆白楽天の詩を選んで自らの詩を作ったという設定のようです。そして、他にも様々なシーンに関する武者さんの文章、それへの反論やそのシーンの説明などが書かれています。

ちょっと余談になります。彼ら中華圏の人ではなく日本人ですが、大伴旅人もまた酒好きな人でした。中でも
「中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ」
という代表作があります。この人は年取ってから大宰帥として筑紫へ赴き、その直後に奥さんを亡くすという経験をしています。中途半端に人間でいるより、いっそ酒壺にでもなりたいものだ、体中に酒がしみ込んでくるだろうしという意味です。一方でこの人は、令和の語源になった梅花の宴を開いています。

大伴旅人:酒の讃歌
(万葉集を読む)※陶淵明の詩についても触れられています。

60代で左遷・愛妻の死…いっそ酒壺になりたいと飲まずにいられなかった大伴旅人の本心

大宰府(天満宮でなく政庁の方ですね)と言えば、藤原兼家も次兄兼通と対立し、兼通は九州に左遷したい、でも相手に罪がないのでできないとも言っています。実はこれはこちらのnote記事でも、別のシーンに関することで言及されています。しかし兼家がもし筑紫に来ていたら、当時の大宰府はどうなっていたかと思わなくもありません。尚、彼の孫に当たる藤原隆家は大宰権帥となっています。

あとこちらも酒好きと言われる道隆ですが、この人はこの10年後に糖尿病により亡くなったと言われています。飲酒も関わっていたのでしょうか。


飲み物-冬のティータイム

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[ 2024/02/17 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第1回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

今年も行きたいと思います。まず第1回についてその1です。

時は貞元2年(977年)――陰陽師・安倍晴明が星を占っています。
紫微垣(しびえん)の星が強い光を放っている。これは京都に凶事が起きるのではないか?

「紫微垣の星」ではなく「紫微垣の天蓬の星」ですね。こういうのはちゃんと書いてほしいものです。
それからこの「紫微垣」についての説明もありません。すべての人が、こういうのに関心があるかどうかはわからないのです。ちゃんと調べてほしいです。紫微垣ならウィキペディアにもありますよ。

そのウィキのページにこういう画像があるので置いておきます。なお、現在の北極星(α星)と、旧北極点の天皇(てんのうたいせい、ベータ星付近)に朱の印があります。

和漢三才図絵「北極紫微垣之図」部分・上下逆

(和漢三才図絵『北極紫微垣之図』 Wikimediaより)

そう言えば、昨年の家康と三成の「参宿」、ついに武者さんは一言も触れずじまいでした。

そして第1回のオープニングが始まりました。
見ているだけで目が潤んでしまいそうな美しさがありますね。
まずロゴです。書道家・根本知さんの字であり、今年は書道にかなり気合が入る模様。
(中略)
オープニングも端正で、色合いが素晴らしい。
東洋の色彩特有の、自然や気候と合った美がある。重なってくるピアノの旋律は、美しいようで、遠雷が聞こえてくるような予感もある。

ロゴやOPそのものはまあいいでしょう。ただ好き好きがあるかとは思いますが。
ここで一番言いたいのは
「重なってくるピアノの旋律は、美しいようで、遠雷が聞こえてくるような予感もある」
貴方昨年のOPや劇伴のピアノの音、何と書いていましたか?
いつも「ピロピロ」だの「しょーもない」だの「うるさい」だの書いていましたよね。
それが自分のお気に入りの大河だとここまで豹変ですか?演奏方法や曲のイメージが違うとは言え、随分と都合のいい話だなと思います。

道兼はこの時点で、何かやらしそうな気配があります。
時代劇が似合い、演技力が確か。そんな玉置玲央さんだからこそこなせる難役です。

これも好きな大河だと
「時代劇が似合い、演技力が確か」
嫌いな大河だと
「所作がぎこちない」
「時代劇の基礎すらできていない」
「屋内で座って動いているだけでボロが出る」
何なのでしょうね。しかも何が基礎で、ボロが出るとは具体的に何であったのか全く説明なし。

そう思いつつ、貧しい生活を送っている。一体どうやって生計を立てているのか。粗末な夕餉が出てきます。
いいですね。
子どものころ、百人一首辞典を見て「この時代に生まれたくない……」としみじみ思わされた質素な食事。

「粗末な夕餉が出てきます。いいですね」
の次に、
「『この時代に生まれたくない…』としみじみ思わされた」
とありますが、この食事を褒めているのですか、そうでないのですか?
ちなみに私は、兼家一家の食事より健康的だなと思いました。

光る君へまひろの家の食事 光る君へ兼家邸の食事

『光る君へ』第1回より

まひろの家の食事ですが、魚はイワシを干したものでしょうか。後に、彼女がイワシを食べているところを、夫に見つかったという俗説がありますが、あれは和泉式部のことだとも言われています。

するとまひろが、今宵は誰のもとへ行ったのか?と尋ねる。

「誰のもとへ行ったのか」ではなく「どなたの所へ」ですね。これから行くわけです。
宣孝が急ぐから夕餉は要らないと言うのを聞いて、まひろはこれから会うべき人がいるのだなと察し、こんな大人びたことを言っているのです。
そもそもこの時代、夕餉は今の午後4時頃で外がまだ明るいです。好きな人との逢瀬を楽しむのは、日が落ちる頃からだと思われますし、その後為時も他の女性の所に行っていますが、その時は既に夜になっていました。

字も実に美しい。筆を寝かせずキリッと一画目に入る緊張感、流麗さが、素人目にも伝わってくる。

また出て来ました。「筆を寝かせず」
武者さん、『どうする家康』は忘れたいなどと書いていましたが、実際は覚えていて、事あるごとに叩きたいのではないかと思ってしまいます。その一例が既にこういう形で表れていますね。
では、またこの画像を貼っておくことにしましょう。

どうする家康筆 どうする家康石田三成筆

『どうする家康』第42回

武者さんは、これが「筆を寝かせている」ように見えるのでしょうか?

そもそもは詮子が言い出したことだとして「がんばれ」と素っ気なく対応する三郎に対し、「まるで父上や兄上のよう、三郎だからこんなことが言えるのだ」と姉が返答する。
まひろと三郎は、歳に似合わずませているというか、観察眼があるというか。いずれにせよ物事を見通す鋭さを持っているようです。

まずこの2人のキャラ設定は、メインキャストゆえのこともあるかと思います。
そして詮子ですが
「まるで父上や兄上のよう、三郎だからこんなことが言えるのだ」
ではなく、
「そんなことを言うなんて、まるで父上や兄上みたいなこと言わないで」
「三郎は父上や兄上と違うから、私もこんな話ができるのだ」
という意味のことを言っているのではないでしょうか。

あとまひろの場合は、父から色々なことを教え込まれたのもいくらかは関係しているでしょうし、三郎は寧ろ上級貴族の子らしからぬ俗っぽさがあるからこそ、いわば下情に通じ、物事を見る目があるとも考えられます。

そうして姉と弟でふざけていると、通りがかった藤原道兼が三郎を突き飛ばします。戸惑う詮子に向かって慣れていると返す三郎。
砂利にひっくり返るわ。当時は不衛生だわ。今より格段に危険な転倒です。道兼の精神性は、かなり危うい。

ふざけているというか、人形をつけた棒を足の指に挟んで、字を書いて見せているわけですね。
そして道兼はどうも自分がのけ者にされていると思っているかのようで、後のシーンで出てくるように、自分より弱い立場の者や身分の低い者に、憂さ晴らしのために暴力を振るうようです。

ただこの時点では三郎をいわばどついただけで、砂利の上にひっくり返したりはしていませんよ。それはもっと後での話です。あと砂利よりは泥の中にひっくり返したりする方が、寧ろ不衛生でしょう。

しかし、その晩、父は帰らない。嫡妻であるちやは以外に妻がいて、そこへ向かっているのです。
まひろは、母が願掛けしているのに、なぜ父は今宵も家を空けるのかと問いかけます。実家が豊かではないからと答えるちやは。有力貴族であればコネも利用できるということでしょう。

有力貴族のコネもありますが、この当時何人かの女性の家に通い、一番格が上の家の女性と婚姻関係になることもあったとされています。そのためには、本妻がいい家の娘である必要があります。
ここで源頼朝の例を見ましょう、彼は父義朝と由良御前の子で嫡男です。他にも兄弟はいたのですが、彼の母親が一番身分が高かった。これは『鎌倉殿の13人』に登場しますが、同じ父親でも、母の身分は様々で、範頼の母親は遊女でしたね。

中納言になった家の出ながら今は無官で、幼い子二人を養い、食べさせるのも困難。式部省には学識不足の者もいる。大学主席の私のようなものこそが相応しい――。
と、これを聞いた円融天皇はムッとします。学識不足の者を登用しているということは、朕の審美眼に文句があるのか?というわけで、この年も任官は叶いませんでした。
為時はあまりに正直すぎる。嘘をつけないことが仇となっています。

式部省というのは中務省に次いで重要な役所であり、長官である式部卿は親王が務めることになっていました。それゆえ、役所に対して批判的な人物に対して、風当たりが強くなることはあったと思われます。まあ今の時代も就活をやっていて、面接相手に批判的なことばかり言うなどすれば、この人物は如何なものかと思われることもあるでしょうが。

また為時も、祖父が中納言というプライドが過度にあったのは確かだし、あまり融通が利かず、自分の売り込みが今一つな点もあったかと思われます。この祖父とは藤原兼輔で、百人一首の
「みかの原  わきて流るる  泉川  いつ見きとてか  恋しかるらむ」
の作者ですね。

そうぼやきつつ、始皇帝の死後、二世皇帝胡亥を操った悪徳宦官・趙高の逸話を話します。
趙高は胡亥を軽んじるようになってゆきます。

まずドラマの中では『史記』の「本紀」とありますから、それをちゃんと書くようにしましょう。
そして第6巻のこの箇所ですね。

八月己亥,趙高欲為亂,恐群臣不聽,乃先設驗,持鹿獻於二世,曰:「馬也。」二世笑曰:「丞相誤邪?謂鹿為馬。」
(維基文庫史記/卷006 )

困惑する道隆に兼家は続けます。
「世の流れは己で作るのだ。頭を使え、肝を据えよ。そなたは我が嫡男ぞ」
いかにも曲者らしい笑顔を見せる兼家は、嘘をつくことに罪の意識がありません。

この時代も戦国時代も同じですね。
権力者の家臣ですが、本多正信も似たようなものだと言えるでしょうし。

これはコンプレックスを刺激してしまう、ダメな言い方だなぁ……女流歌人でもある高階貴子を射止めた兄との格差を思い知らされてしまう。

このシーン
「女流歌人でもある高階貴子」
というセリフは出て来ていません。単に妻帯しているか否かについてのみ、時姫は触れています。

そして道兼がまだ妻帯していないから父や兄の話に加われないこと、早く妻を見つけるようにというつもりで時姫ははっぱをかけたのでしょうが、三郎がそれに対してふふと笑ったことが、必要以上に道兼を刺激してしまったわけですね。

散楽とは、政治批判コメディのようなものであり、歌って踊りながら藤原家を茶化すコントを見せます。

元々散楽は中国大陸伝来で、日本では当初は朝廷の保護を受けたものの、後にその保護を離れて自由に演じられるようになり、狂言のような寸劇も行われるようになりました。三郎が見たのもこの寸劇でしょう。そしてこの散楽は後に、猿楽へと姿を変えて行きます。猿楽と言えば『太平記』のそれを思い出します。

ルーツの伝来(源流)
(能楽への誘い 歴史)

これがこのドラマ最大の見どころであり、考証的な問題点とも言えますが、物語として成立していて意味があるならばありとして見ていきたい。エンタメはそういうものと割り切って進みましょう。

まひろと三郎の出会いのことですが、その前に。

「考証的な問題点とも言えますが、物語として成立していて意味があるならばありとして見ていきたい。エンタメはそういうものと割り切って進みましょう」

割り切って進む前に、もう一度思い出していただきたいことがあります。昨年の『どうする家康』の創作について、貴方は何と書いていましたか。
阿月が伝令を引き受けたこと、鳥居強右衛門、本能寺の変に始まって、多くのシーンで史実ではないと書いていましたね。もちろん築山のシーン、果ては関ケ原で聞き鉄砲がなかった、けしからんといった内容のもありました(あれはもう史実ではないとされていますが)。
そういうことに何ら反省も見せず、エンタメはそういうものと割り切って前に進もうとしても、本当に進むことができるでしょうか。

三郎はお詫びに餅菓子を渡します。まひろはそれをかじり、貴族でもないのになぜこんな美味しい菓子を持っているのかと不審を覚えています。やはり彼女は幼い頃から観察眼と推理力が高いのですね。

「不審に覚えています」より「不審に思っている」の方がいいかと…。
と言うか、彼女の家のような下級貴族ではとても手が出ない菓子、ならばこの人はいい家の息子ではないのかと、ごく自然に思ったのではないでしょうか。しかもその後で従者百舌彦がやって来て、三郎が一緒に帰って行くのを見た時彼女は、やはりこの人は、本人の言とは裏腹に、上位貴族なのだろうと確信したように見えます。

飲み物-2種類のカクテル
[ 2024/01/11 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

新影(陰)流と大河『春の坂道』

先日、というかもう昨年になりますが『歴史秘話ヒストリア』の「官兵衛を支えた24人」で、母里太兵衛の子孫である忠一さん(向かって左)をご紹介しています。番組中でその母里さんが、稽古をつけている画像を置いておきます。1人当たり1枚と言いつつ、2枚となっていますが、実は毛屋主水の子孫である嘉明さんも2枚を上げています。

「官兵衛を支えた24人」稽古をつける母里さん
弟子に稽古をつける母里さん

で、この黒田藩の新影流、そのおおもとの柳生新陰流の継承者である柳生宗矩ですが、1971年に大河ドラマ『春の坂道』の主人公となっています。とはいえ、この大河は現在最終話のみが残っているだけで、その最終話がDVD化されているとのこと。ちょっと寂しくはあります。せめて総集編だけでも残っていれば、ストーリーの展開は大体把握できたでしょう。また大坂の陣で、この宗矩は人生で唯一人を斬るわけですが、それを描いたシーンがあったかも知れないのです。

ちなみに主演は中村錦之助(後に萬屋錦之介)さんで、その後も別の作品で宗矩を演じて当たり役となっています。徳川家康を演じたのが山村聰さん、この人も後に宗矩を演じています。そして黒田長政を演じたのが高橋悦史さんで、『太平記』で桃井直常を演じており、時代劇やサスペンスの出演が多いです。

それからこの大河には家光の時代までが描かれており、そのような時代設定もあって沢庵宗彭が登場しますが、この役を演じているのが田村高廣さんです。実は田村さんの2人の弟さんも出演しており、田村正和さんは豊臣秀次の小姓不破万作を、そして田村亮さんは、柳生十兵衛の弟左門(刑部)を演じています。田村亮さんと言えば、『葵 徳川三代』の藤堂高虎役ですね。この『葵 徳川三代』に出演した俳優さんも何人か出ています。どのような人たちかと言いますと
(カッコ内『葵 徳川三代』の役名)

柳生宗厳 内藤武敏さん(石田正継)
松平忠直   佐々木功(現・ささきいさお)さん(細川忠興)
土井利勝   江守徹さん(石田三成)
鳥居忠政 石田太郎さん(大久保忠隣)
一の御台 岩本多代さん(西郡局)

柳生宗厳は宗矩の兄、松平忠直は越前福井藩二代目藩主で結城秀康の嫡男、そして土井利勝は譜代大名で秀忠が将軍在任中の老中です。鳥居忠政はその名前から察しがつくと思われますが、鳥居元忠の次男です。そして一の御台とは豊臣秀次の妻です。西郡局は、『どうする家康』のお葉ですね。

また柳生十兵衛の描かれ方、よく隻眼の剣豪として描かれることがありますが、実は隻眼というのは史料にはなく、創作とされています。この大河では隻眼ではなく、両眼がある人物であるとの由。

飲み物-冬のシードル
[ 2024/01/03 05:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『秀吉』の登場人物とキャスト

まずお断りです。『武将ジャパン』は都合で今日はお休みです。その代わりと言うのも何ですが、今回は先日の『秀吉』の続きです。それと先日投稿分で説明不足、改行なしの部分などがありましたので加筆または訂正しています。

さて『秀吉』も当然備中高松城の水攻めがあり、中国大返しがあって山崎の合戦となります。この時の光秀は自刃したということになっています。また光秀の謀反は家康が関与していること、石川五右衛門が秀吉の幼馴染であることなどもこの大河の特徴で、また足利義昭は、如何にも無能そうな感じに描かれています。

さらに竹中半兵衛が光秀の母親、美を思っているという設定ですが、これは美を逃がすための策でした。あと北政所の名は「おね」となっています。
その他にも、織田信勝と信孝が、それぞれ養子となった先の北畠、神戸を名乗っています。そして前出光秀の母のみならず、秀吉の父が登場したりしています。

また主演は竹中直人さんですが、準主役的キャストは、『太平記』に出演した俳優さんが多いです。おね、秀長、石田三成はそれぞれ沢口靖子さん、高嶋政伸さんそして真田広之さんです。尚幼少時の三成、佐吉を演じたのが小栗旬さんです。

あと信長が渡哲也さん、家康が西村雅彦(現・まさ彦)さん、秀吉の母なかが市原悦子さんとなっています。また『真田丸』で滝川一益を演じた段田安則さんが、この時も一益を演じています。

それ以外のキャストで別の戦国大河に出演した人も、当然というかかなりいます。明智光秀を演じた村上弘明さんは『武田信玄』にも出演していますし、浅井長政を演じた宅麻伸さんは、『どうする家康』の前田利家です。また小西行長を演じた小西博之さんは、『軍師官兵衛』に今井宗久の役で出ています。このキャスティング、「小西」つながりでしょうか。

尚、この『秀吉』で黒田(小寺)官兵衛を演じているのは伊武雅刀さんですが、この人は『軍師官兵衛』では千利休でしたね。しかしこの官兵衛は片脚が不自由なうえに、隻眼で眼帯をしているため、山本勘助のように見えます。

今川義元役の米倉斉加年さんは『国盗り物語』で竹中半兵衛役、そして千宗易(利休)は仲代達矢さんですが、こちらは『風林火山』の武田信虎役です。あと戦国大河ではありませんが、『鎌倉殿の13人』の善児役、梶原善さんがこの大河で、蜂須賀家の家臣の稲田植元を演じています。


飲み物-グラスのアイスティー
[ 2023/08/25 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第29回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『武将ジャパン』大河コラムその3です。しかし、ただ単に叩けばいいと言うわけではないのですが…。


『真田丸』は、ちゃんと地図を用意して、どういうルートがまずいのか説明があります。
例えば、海路は速いけれども海賊にあったら逃げられないなど、メリットとデメリットの提示があった。今年はスマホで各人Googleマップを参照できそうなくらいお気軽ですね。
本作は、そういうことを何も考えてなく、役者の演技力に頼っていて内容がとにかく薄っぺらい。

忠次と数正が違うルートを行くと言った時、半蔵がそれぞれのデメリットを指摘していますが、それは無視でしょうか。
そして
「本作は、そういうことを何も考えてなく、役者の演技力に頼っていて内容がとにかく薄っぺらい」
どこがどう薄っぺらいのでしょうか?

汚い食べ方だけは嫌なリアリティがありますね。見ているほうは苦行としか言いようがありません。

野菜をかじっているシーンでしょうか。あの状況かでは丸ごとかじるしかないでしょう。それよりも、家康が自分は野菜を受け取らず、忍びたちに食べさせようとしているところもちゃんと書いて貰えませんか。

女大鼠があの妙ちくりんな髪型で「これから死にまーす」みたいなことを言うのが、もう恥ずかしくて目を覆いたくなる。
「命がけの危険な任務だ」ということではない。
これから死にます、見どころです――そう語りかけてくるあからさまな態度が見ていられないのです。

まず、この場合なぜわざわざ「髪型」を入れてくるのか意味不明です。武者さんの場合、関係のあるなしはさておき、気に入らないものをひとまとめにして一緒に叩きたがりますね。
そして大鼠が言っていることは、正に
「命がけで危険な任務」
だという意味だと思いますが。

本作の予算はどこに消えたのでしょう。
甲賀にいた、昭和レトロセンスな女性エキストラに使われました?
家康生涯最大の危機とされる伊賀越えですら、甲賀・多羅尾のもとには白い二の腕をチラ見せさせる女どもがいる。
おにぎりと太鼓でキャバクラ接待誘惑ってさ……。
綺麗な姉ちゃんがうまいもんをサービスしてたら、そりゃ引っかかるでしょ♪……って?

あの、二の腕を見せたらそれだけで「昭和レトロセンスな女性エキストラ」なのでしょうか?
そしてああいう接待はすべて「キャバクラ接待誘惑」であり、
「綺麗な姉ちゃんがうまいもんをサービス」となるのでしょうか。
このコラムでは、第28回で家康とお市が出会うシーンに関して、何やらエロ目線的な記述がありましたが、あれと何ら変わるところはありません。

そして
「そんなセリフが天下万民に通じると思わないでいただきたい」
そんなセリフとは
「綺麗な姉ちゃんがうまいもんをサービスしてたら、そりゃ引っかかるでしょ♪」
ですか?武者さんが勝手にそう考えているだけなのでは。

伊賀と甲賀の因縁を、回想と説明セリフだけで言われても困ります。
みんなお約束だから知っていると甘えていますよね?

甘えているのは、ドラマ本編で描こうとしていることに少しも触れず、やれ説明セリフだレトロだキャバクラだと好き放題書き散らし、報酬を得ている武者さんではないかとまたも言いたくなります。

しつこいようですが、ドヤ顔で女大鼠がクナイを構えるあたりリアリティに欠けて痛々しい。
ドヤ顔している間に飛び道具を使われたら終わりじゃないですか。

あの時は半蔵が危険を察知して、大鼠がクナイを構えたのであり、飛び道具を使いそうな相手はまだ登場していません。ただ、百地丹波が一行を見ていただけです。

今回も、もうもうと煙が炊かれていましたが、映っちゃいけないものでもあるから、突然スモックのように霧が出てくるんですかね。
予算がないからって、いくらなんでも酷い。

爆薬が炸裂したから当然煙が出ています。あれは他の大河でも同じでしょう。
そして「スモック」て、軽作業の時とか子供が着るための服ですけど、スモークの間違いでしょうか。

わざとらしい顔で登場した百地丹波。
この脚本家は、特定の人物だけ訛りを使わせるクセをどうにかして欲しい。
(中略)
まるで、添削が甘い小説投稿サイトの作品を読んでいるようで、語彙力はお粗末だし、前述の通り、人名をつけるセンスすらない。

百地丹波のセリフ、特に訛っているようには聞こえませんでしたが。
そして添削がされていないとか、間違った言葉遣いや訛りになるとか書かれていますが、では
「どこがどう間違っていて、正しい表現はどうなるのか」
具体的に示して貰いたいものですね。
そしてまた人名にこだわっています。

今年の大河がなぜここまで酷いか?
それはインプット量が少ないくせに、気取る点でしょう。
百地丹波は当時まだ青年のはずですが、出自が怪しい人物だからといって、フリー素材みたいな扱いにされてしまってますね。
いかにも昭和レトロな怪しげ忍者を出して、それがウケると思っているセンスに絶望です。

百地丹波ですが、どうやら1512年出生説と、1556年出生説があるようで、後者であればまだ青年ですが、前者であれば、この外観でも違和感はありません。
そしてここでまた「昭和レトロ」(苦笑)これも武者さんが好きな言葉ですね。

家康が売られたと思ったら違いました♩
と、三方原のネタを平気で使い回す。

穴山梅雪の首のことですが、この人が討たれたのはもちろん史料に残っています。ただ実際は夏目広次と違い、自分が家康であるとは主張しなかったようですが。

このドラマは首に兜をつけることがお約束ですが、ちゃんとした生首を作れるスタッフがいないだけですよね。
今回なんて明智光秀は兜を脱いだ状態で首を打たれたのに、兜を被せる親切仕様。
生首ひとつまともに扱えないくせに、脚本家の露悪趣味のせいで首をお粗末に扱うパターンを繰り返すあたりがどうしようもありません。

ちゃんとした生首を作って、そのまま放送するのですか。それはそれでクレームが行くと思いますよ。
それと「兜を脱いだ状態」と言うより、「兜を着けていない状態」でしょう。前者だと、あたかも光秀が自分で兜を脱いで、さあ討ってくれと言ったように見えてしまいます。
そして
「生首ひとつまともに扱えないくせに、脚本家の露悪趣味のせいで首をお粗末に扱うパターンを繰り返すあたりがどうしようもありません」
生首ひとつまともに扱えないだの、脚本家の露悪趣味だの、よくこんな文章をそのままアップするなと思います。武者さん、そんなに生首が見たいのなら、池端氏脚本の『太平記』でも観てはどうですか、楠木正成の生首がはっきり見えますよ。

こんなバカみたいな状態で、秀吉が「今まで一番ええ顔してるね」といったところで、愚かとしか言いようがありません。
一度や二度じゃない、死体の損壊や腐敗に対する認識もろくにないと思います。

「ええ顔」と言うのは、秀吉一流の皮肉であると思いますが。少なくともこの大河では、この人物はこういうことを、真顔で言ってのけるタイプだと思われます。

そして大鼠が無茶苦茶だの、それを瀬名に結び付けてまたカルトの話だのが続きます。さらに武者さんによれば、
「穴山梅雪が家康の身代わりになったという話も、カルト信仰に殉じたように思えてしまいました」
のだそうです。ここまで考えますかね。
そして本多正信。

「俺は曲者! 軍師様なんじゃ!」
そう振る舞う本多正信ってなんなのでしょう。
ただのこじらせ野郎にしか見えず、同時にリアリティも皆無。
このドラマはつくづく大河主演経験者の魅力も潰してきます。

武者さんは、自分が嫌いな描写だと「リアリティ皆無」と言いたがるようです。そして
「このドラマはつくづく大河主演経験者の魅力も潰してきます」
その松山ケンイチさん主演の『平清盛』に対しても、あれこれ言っていたように思いますが。

そもそも本多正信の徳川復帰はもっと早かったと考えられています。
ではなぜここまで引っ張ったのか?
単に「本多正信の復帰」というカードを劇的なものにしたかった思惑からでしょう。

本多正信の復帰は色々説があり、中にはこの天正10年という説もあって、その意味では特に引っ張っていないと思います。
劇的と言うより、一向一揆という家康の3大ピンチの1つの後でいなくなり、次のピンチ三方ヶ原では不在で、それもまた大敗の一因となった感もあり、今回またピンチである伊賀越えで姿を現したのは、面白い設定であると言えるでしょう。

本多正信の「家康に明智を討たせろ」という台詞もいかがなものか。
このドラマは結局、ヤンキードラマか、都内に暮らす詐欺師のノリで戦国時代を描いている。
明智光秀を撃つならば、地理的に近く、軍勢を整え、素早く戦場へ向かえる連中が有利に決まっています。
では、三河(あるいは駿河)へ戻った家康が、どうやって光秀を討つのか?
仮に光秀の所在地が京都(山城)だとした場合、そこにたどり着くまでは尾張・美濃・近江があり、どこが敵で味方かわかりません。
一箇所に所在せず、移動する可能性だってあるでしょう。

まず明智を討たせろは、家康の駆け引きと見るべきかと思いますが。そしてこの手勢で光秀を討つと言うのは、どう考えても不可能です。
しかもこの時家康に、秀吉が毛利との和議の後急ピッチで引き返すというのがわかるわけがありません。一旦三河に戻り、軍を率いてからと思っているうちに、秀吉が光秀の首を挙げてしまったわけです。
そして光秀が信長を討てば、まず信長の居城である安土に行ってそこを奪うでしょう。

あくまで家康が生き抜くために鼓舞するためならわかりますが、百地を味方に誘導する言動だとしたら不自然。
実際、本能寺の後はまさしく地理的なポジションが決め手であり、毛利と和議さえ結べれば、京都までの道のりが確保できた秀吉が有利であり、光秀を討つことができました。
脚本を構築していく上で、そうした行軍や兵站などは考慮されたのでしょうか。

ここで百地を味方に誘導するというセリフが出て来ますか?恩を売れ、その方が利になるとは言っています。そして丹波も、正信のちょっと思わせぶりな言葉に翻弄されている部分があります。
そして
「毛利と和議さえ結べれば、京都までの道のりが確保できた秀吉が有利であり、光秀を討つことができました。
脚本を構築していく上で、そうした行軍や兵站などは考慮されたのでしょうか」
この大河は家康が主人公です。ですから中国大返しの細部より、伊賀越えの描写の方が優先されるのは当然のことでしょう。

中国大返しの行軍や兵站を見たいのなら、『軍師官兵衛』を観てください。あれも武者さんはマラソンなどと書いていましたが。

『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』は、兵糧確保や戦術を意識しているセリフで色々と視聴者に伝えてきました。
『どうする家康』はそういう要素がまるでない。だから単なる思いつきのような台詞で物語が展開するのでしょう。

また麒麟と鎌倉殿を叩き棒ですか。それはともかく、
「『どうする家康』はそういう要素がまるでない」
直近だと信長を討とうとして、茶屋四郎次郎に戦の準備をさせ、伊賀者を多数半蔵に揃えさせていましたが。

伊賀越えで命からがら三河へ逃げ戻った家康。
『真田丸』では、阿茶局が奥の前にて、その襖を開けた家康が倒れ込むという場面でした。
今回は、家臣が勢揃いしているところでニタニタとした愛が出迎える。
この愛は夫の危難すら真面目に考える程度のことすらできていないから、愚かさばかりが目についてしまう。マザーセナすらマシに見える。
そして、くどいようですが、愛の近眼設定はどこへ消えましたか?
初登場時は史実由来の設定を盛り込んだものの、その後はレーシック手術でもしたかのような回復ぶり。

この投稿の最初の部分でもそうでしたが、なぜ『真田丸』との比較になるのですか。あの時の三河帰還は連れも少なく、出迎えるのも阿茶局だけでした。今回は供も多く、於愛のみならず子供たちも出迎えています。当然描写も異なって来ます。
そして何よりも、危ない目に遭った夫が帰って来たのは、彼女としても嬉しいでしょう。
あと近眼設定に関しては先日も書きました。ここで於愛がいきなり遠くに何かが見えるなどと言えば、それは確かに不自然ではあるでしょうが。


飲み物-2種類のカクテル
[ 2023/08/04 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

2025年大河と小檜山氏ツイ関連

まず、2025年大河が『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』に決定しました。主人公は江戸の版元である蔦屋重三郎で、演じるのは横浜流星さん、脚本は森下佳子さんです。

2025年大河ドラマ べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 制作・主演発表
(NHK ONLINE)

2025年は大阪万博の年なので、浪速の商人があるいは主人公かと勝手に考えていたのですが、ただ来年が京都ですからね。しかし何だかライトな雰囲気というか、土曜時代ドラマみたいだなと思います。

恐らくは、江戸時代半ばを舞台にしたいけれど、この頃は戦も動乱もなく大河化しにくいし、かつては赤穂浪士の大河があったが今はそれも作られない。そういった事情から町人を主人公にしたとも考えられます。それにしても太平記リメイクや立花宗茂公が主役の大河はいつになるのでしょう。

私としてはリメイクと言うか、過去の作品に登場した主人公を別の方法で描くようにして、合間合間に2クール単位で、あまり知名度が高くない人を挟むのもありかと思います。今年もかつて主人公として登場した人物ですし、その他にも伊達政宗とか毛利元就なども候補に上がってよさそうです。ただ政宗だと間違いなく『独眼竜政宗』と比較されそうです。

それと何度も書くようですが、大河もそろそろ課金でいいかと思います。60年前のように放送局が少ない、もちろん動画配信サイトもない時代なら、NHKが日曜日に大型時代劇を作って、視聴者に見せるのもありでしたが、その時とは色々な意味で事情が変わっているわけですから。

あと武者さん(小檜山氏)と平山氏のツイート関連です。書こうかどうしようか迷いましたが、一応スクショを取っている方のを参考にさせていただくと、こういうツイートを流しています。

「偉大なる平山先生の気分を損ねてしまい、屠腹相応の迂闊さかと存じます」
「ほんと、今が戦国時代なら私は切腹していますよ。内臓投げつけつつ」
「私の虚名などこれ以上下がることはありませんが、このような塵芥に言及したことで、神武以来の大天才である平山氏に、悪影響画ないか不安になります。彼は正真正銘の大天才ですので」
などなど。

大河コラムもそうですが、何だかわざとらしく、誉め殺しかとも言いたくなる所以です。尚、「悪影響画」はもちろん「悪影響が」ですね。

その一方で、この2つは恐らく武者さんの本音であると思います。

まず、
「平山先生や大河ファンの善男善女の心象を害したのは、すべて己一人の不徳にあります。どうか私を採用した媒体などへの攻撃はお控えくださいますよう、お願い申し上げる次第です」
しかし武者さん自身は、NHKの制作現場を攻撃するような文章を今までも書いているわけで、これはどうかと思います。

また、
「人を自害に追いやったら、それで『してやったり!』とでも言うんですかね」
などとツイしていますが、前出の「屠腹相応の迂闊さかと存じます」の後の部分で「令和となってはそれもできず」、つまり今の時代切腹など無理とあり、矛盾しているかと思います。

飲み物-白いカップの紅茶
[ 2023/04/28 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(2)

NHKに対して色々疑問に思うこと 続き

先日ご紹介した、NHKサイトの「テレビ70年」キャンペーン関連。今、本当にNHKが目を向けなければならない受信料の問題などは棚上げされて、やはり草創期の苦労話とアーカイブに終始し、TVのよさのみを強調して無難にまとめた感があります。見方を変えれば、そういう空気の中だからこそ、大河も朝ドラも、そして紅白も今まで生き残れて来れたし、また大相撲とか高校野球の中継も続けて来られたのでしょう。

NHKにもう少し当事者意識があれば、見直しが図られていると思います。無論廃止などではなく、フォーマット変更や、放送時間帯変更といった形での見直しにはなるでしょう。また課金制度なども提案されていてもおかしくないのですが、生憎というかやはりというか、今までそれがなされたようには見えません。

ところで大河や朝ドラのような連続ドラマを長期間続けていると、最早これは必ずと言っていいのですが、
「昔はよかった、今はよくない」
と言った声が出て来ます。もちろん大河朝ドラに留まらず、民放でも同じようなものです。

しかしエンタメ作品と言うのは、その時代に合わせた形で作られていることが多いものです。ですからリアルタイムで放送された時代を知っている、あるいはその時実際に観ていたというのであれば、面白く感じることはあるでしょう。ただそうでない場合、いくら過去の名作であってもそれほどの実感は湧かないのではないでしょうか。ある種の面白さは発見できるかも知れません。ただそれは、リアルタイムで感じた面白さとは別物という可能性もあります。

また今は面白いとか、特に大河の場合重厚だと言われている作品でも、その当時はそうでなかったということも多いものです。『太平記』なんてトレンディ大河と呼ばれていましたし-ちなみに、私は『太平記』は好きです。それだけに同じ池端氏の『麒麟がくる』には期待していたのですが。

実際今も面白いと思う作品はあるので、昔がいいとは一概に言えません。特に70年代から80年代頃の、比較的お金をかけたと思われる大河(個人的にヴィンテージ大河と呼んでいます)にしても、今はその時に比べて制約は多くなっていると思われ、それと同じような作品を作るのは無理があるのではないでしょうか。これも前に過去美化バイアス、バラ色の回顧という内容で投稿していますが、あまりその当時の基準で今を判断するのも無理があると思います。ならば逆に、今の基準で昔を判断することもまたありでしょう。

私の場合女性主人公物の一部や『いだてん』、前出の『麒麟がくる』などは馴染めなかったり、途中で視聴を止めてしまったりもしています。無論人によっては面白く感じた人もいたでしょうし、それはそれでいいと思います。要はこれは面白い、これはよくないというのは人それぞれと言うことです。先日の投稿にも書きましたが、このテーマなら刺さるという人たちをターゲットに、課金制にすればいいと考えてしまう所以です。


飲み物-パブのカクテル
[ 2023/04/02 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』ここまで観て来て

『どうする家康』、今まで関連投稿でもちょっと触れていますが、面白く観ています。当初はかなり不安もあったのですが、観てみると意外と面白く(これは『青天を衝け』と『西郷どん』も同じ)、今のところこれから先も観続ける予定でいます。

主人公は現時点ではいささか頼りないのですが、その彼を支える家臣たちがそれぞれ一癖あって、しかも如何にも三河の人物らしい質朴さもあり、この両者の絡みに加えて、大胆不敵で元康を兎呼ばわりする信長とか、駆け引きの仕方を教える水野信元といった、クセの強い面々が登場し、戦国大河らしさを感じさせます。

そして於大の方。主君たるもの国と家臣のためなら、妻子を捨てよと言ってしまう辺りもなかなかのものです。実際この時代は、家族よりも家臣や乳母との結びつきの方が、場合によっては強かったと言うべきでしょう。この女性も兄の裏切りによって離縁させられるなど、戦国時代のある程度の身分の女性らしい経験もしており、それゆえに様々なことを学んだと言えそうです。

本当の話、私は『麒麟がくる』には少し期待はしていました。前年の『いだてん』がちょっと期待外れであったこと、そのため2月から観なくなったこともあり、この次は男性主人公の戦国だから、それなりに大河らしくなるのではと思っていたのですが…。

ただ駒が出張るシーンだけがよくなかったのではなく、演出とか衣装の色遣いなど、他にもちょっとこれはどうかと思われる点がいくつかあり、同じ池端氏の『太平記』が面白かっただけに残念でした。とはいえすべてがよくなかったわけではありません。

大体どの大河もそうですが、100パーセント面白い、あるいは面白くないという作品はそうお目にかからないものです。『麒麟がくる』の能のシーンなどはこれぞ室町文化といった印象でしたし、吉田鋼太郎さんの松永久秀などもよかったとは思います。あと『鎌倉殿の13人』、これも前に書いてはいますが、負ける側の人物、特に義経が追われる描写などは三谷さんらしかったと思うし、やはり三谷さんは、こういう人物を描く方がいいいのではと思ったこともあります。

話が戻ります。元康が今川に背を向けて、尾張に行くことになり、次回からは織田家の人々が多く登場するようです。無論大河はドラマなので、オリキャラも当然出て来ますが、ガイドブックをざっと見る限り、忍びとか謎の人物といった設定に留まっているようです。

あと鵜殿長照とお田鶴も登場するようですが、お田鶴は『おんな城主 直虎』の時に登場させられなかったのかとは思います。あの場合は直虎(おとわ)を中心に据えたため、逆に出しにくくなったのかも知れませんが、永禄年間の東海地方の情勢に、もっと突っ込んでもよかったかも知れません。

飲み物-冬のシードル
[ 2023/01/25 07:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その3

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その3です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) -
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本編、武者さんが好きなジェンダー論です。

立体感のある愛すべき悪女たち(小見出し)
『鎌倉殿の13人』には、悪女が何人も登場します。
牧の方。
実衣。
比企能員の妻・道。
北条義時三人目の妻・のえ。
ただ、彼女たちにも言い分はあるし、憎めない。そこが納得できるように描かれていました。
ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない。
悪女枠には入らない本作の政子や、八重、初も言動にはきついところがあります。
あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます。
演じる側も戸惑うことはあったものの、むしろいいキャラだと褒められることが多かったと振り返っています。

ここで思うのですが、実衣は「悪女」なのでしょうか。そう呼ばれるほど主体的ではなく、周囲が彼女にいわば甘いせいもあり、あそこまで権力の中枢に入り込んで来られたような感じです。りくの方がもう少し頭を使っているように見えます。
そして
「ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない」
ステレオタイプというのは、どのような意味でステレオタイプなのでしょう。如何にも悪女的なという意味なのでしょうか。それが書かれていませんね。

また
「あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます」
どんぐりをぶつけると「立体感のある女性像」になるのでしょうか。
第一「立体感のある女性像」て具体的にどのような女性像のことでしょうか。


女は再婚する(小見出し)
『鎌倉殿の13人』では、再婚する女性が複数出てきます。
八重。
巴御前。
比奈。
「貞女は両夫に見えず」という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする。
本作は逃げませんでした。
中世考証をしっかりした結果でもあり、より実像に近くなっています。

「『貞女は両夫に見えず』という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする」
「ぼかしたり変えたり」していたのは、どのような大河で、どの部分をぼかしたり変えたりしてでしょうか。それを明記してしかるべきでしょう。
第一こういう再婚は戦国時代でも見られます。それこそ江などその最たる存在ですし、儒教的価値観が根付く前というのは、鎌倉時代に限った話ではありません。

そして本作最大のジェンダー観における成果は、なんといっても北条政子でしょう。
政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました。
政子が義時を守るために戦えと言えば、御家人たちは奮起する。
政子がもういい、ご苦労様と見限ったら、義時は死ぬ。
演説の内容も、義時の最期も、ドラマの創作要素が入っている――要は、この作品は、政子が義時の運命を握る存在だったということです。
思えば頼朝の妻となることで、義時を運命に引きずりこんだのが彼女でした。
それでいて義時が政子を傀儡にしようとすると逃れ、自らが尼将軍となることでだし抜きます。
政子の全戦全勝。
男性主人公で、生殺与奪を女性が握っているなんて、なかなか画期的なことじゃないですか。

「政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました」
結果的にそうなったように見えるだけで、物語の流れを追う限りでは、彼女は理想論を振り回していたところもあり、義時をはらはらさせてもいました。まあ別に生殺与奪権を持たせずとも、もっとシリアスな展開とか、義時と組んでかなりダークな部分を見せるとかいうシーンがあり、共闘の後に弟を看取るという流れであれば、彼女が
「義時の運命を握る存在」
であっただろうとは思います。
そして
「政子がもういい、ご苦労様と見限ったら」
ではなく、
「お疲れ様、小四郎」ですね。しかも義時が息絶えた後にそっとつぶやいています。

日本のマスメディアや視聴者は、GoTのことなんかさして話題にしていないと思えます。
日本は世界的にみてもGoTの人気がそこまで高くないとも言われているのですが、それでも三谷さんやスタッフは意識して名前を挙げているのだから、記事にするならそこにふれるべきなのにそうしない。
人間は自分の守備範囲で話をしたいものです。
自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう。
結果、制作側の意図が通じなくなっていることがしばしばあり、そこを指摘していきます。

と言うより武者さん、貴方がことあるごとにゲースロにこだわっているように思えるのですが。
そして
「自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう」
それを言うなら武者さんも、『青天を衝け』をはじめ嫌いな大河を引っ張って来て、好きな作品と比較するのをやめてはどうでしょうかそもそも大河とは1つの枠であり、その中で放送された作品こそが、何らかの形で大河の持つべきものを受け継いでいる、あるいは受け継いでいてほしいから、比較する人が多いのでしょう。
あとたまたま昔のこのコラムを見て思ったのですが、制作の意図が関与しているはずの、あるシーンがおかしいと指摘したすぐ後で、別の事例を出し、それは制作側が決めることと断言している箇所がありました。何だか矛盾していますね。

「こんなのは時代劇ではない」
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです。
例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます。
同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる。
いずれも当時を再現した結果、視聴者の知っている時代劇と違うとしてバッシングの対象となったのです。

「『こんなのは時代劇ではない』
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです」
昔新春時代劇というのを民放も作っており、その中には源義経などを主人公とした作品もあったのですが、この場合は時代劇でも、平安~鎌倉時代を扱っていることになるのですが。

「例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます」
先日も書いていますが、武者さんにはぜひ『太平記』を観ていただきたいものです。これも正に中世の日本の、しかも南北朝という乱世を舞台としており、あれの殺陣や合戦シーン、謀略シーンなどは、はっきり言って『鎌倉殿の13人』を上回るかと思います。

「同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる」
どう見ても、あの化学染料を使ったような色合いが、当時の色彩であるとは考えにくいのですが。何か、毒毒しい印象さえ受けました。以前ご紹介しましたが、『どうする家康』の公式ツイの布地のサンプル、どう見てもこちらの方がその当時らしさを感じさせます。逆になぜ武者さんは、あの色を当時の色彩感覚と言い切れるのでしょうか。

どうする家康ツイ2(衣装)
そして
「存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる」
伊呂波太夫はまだいいでしょう。問題は駒です。何度も武者さんが書くので、こちらも何度も書かざるを得ないのですが、医者の弟子であった彼女がいつの間にか将軍の側女になり、やけに権限を持っていたり、大名家に出入りしたりするのは何か要領を得ません。また
「帰蝶の立膝がありえないとされる」
これに関しては、その当時は女性の立膝もあったとはされています。ただ、安土桃山時代以降でないと存在しないと思われるような、絨毯敷きの部屋が桶狭間の戦いの頃にあったのには驚きでした。

しかし真ん中あたりになると、どう見てもわざわざ小見出しをつけるほどでもないほどの文章が目立ちますし、また、自分の好きな『鎌倉殿の13人』はすべていい、批判するなと言っているようにしか見えないのですが。


飲み物-ホットラム
[ 2022/12/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その2

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その2です。本題に入る前に、先日投稿分でもう少し。まず武者さんは、視聴率下落の原因として

・そもそも主人公の知名度が低い
・舞台が人気の戦国や幕末ではなく、馴染みの薄い平安末期から鎌倉時代前期だった
・実質的にR18指定がふさわしいと思えるほど、陰湿で残虐な描写が続き、大泉洋さんですら「娘には見せたくない」ほどであった
・プロットが複雑で、伏線を引っ張り、難易度が高い。しかも主人公はじめ登場人物に共感しにくい
・ワールドカップと重なって極端に低くなった第45話6.2%がある
・NHKプラスによる配信視聴が増えた

こういった点を挙げています。この中で時代設定や、サッカーワールドカップのコスタリカ戦(と書いてほしいです、他競技にもワールドカップはありますし)が裏に来て、数字が一桁台に落ちたのは理解できます。ただ元からそう数字が高いわけではありませんでした。
そして「主人公の知名度が低い」とは必ずしも言えないし、実質的にR18指定というのもどうかと思います。頼朝の愛人などが出て来たのは事実ですが、そこまで陰湿で残虐だったでしょうか。確かに上総広常の暗殺などは、かなり陰謀めいたものはありましたが。それとプロットが複雑云々、これは先日書きましたが、三谷さんらしい小ネタとコント展開が多かったとは思います。あとNHKプラスも、再生回数がはっきりしない限り何とも言えません。ただリアルタイム視聴より、こちらを利用する人が増えた可能性はあります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本題です。

どれだけ美辞麗句が並べられていても、大河ドラマの制作現場がギリギリでは……?と心配してしまうと、それだけで不信感は募ってしまいます。
具体的な例を挙げると2021年です。
事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた。
直前になって「さすがに曲解が酷い」と修正が入ったのではないかと私は感じました。
それだけでなく、小道具やVFXの作り込みが甘く、出演者が疲れているのでは?と伝わってくることも。

また『青天を衝け』叩きですね。本当に懲りませんね(苦笑)。
今後『青天』以上に嫌いな大河が登場するまで、この傾向は続くのではないかと思われます。
そして
「事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた」
ですが、これは2021年の大河です。それで思い当たることがないでしょうか。

すばり「東京オリンピック・パラリンピックの延期」です。元々2020年に開催されるはずで、そのため『麒麟がくる』は中継を挟むことを考慮に入れ、回数が少なめに設定されていました。しかしコロナ禍で1年延期、大河も出演者の麻薬所持による逮捕、コロナ禍による収録の休止などで放送そのものが予定よりかなり遅れ、『青天を衝け』は2月開始、しかもオリ・パラ中継を挟む格好になったのです。それを考えると、プロットが少々変更されてもおかしくはなかったでしょう。
尤もオリンピック嫌いの武者さんは、そういう思考をする以前に、オリンピックなどけしからんと、別の意味で騒ぎそうです(これをストローマン話法と言います)。
それと「小道具やVFXの作り込みが甘い」(パリの風景はやはりVFXだなとは思いましたが)と、「出演者が疲れている」
のとどう関係があるのでしょうか。

日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を大河で作る(小見出し)
『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下GoT)とは何か?
2010年代にテレビドラマ、特に歴史ものを変えたアメリカHBO制作のシリーズ作品です。
歴史観まで変えてしまったとされ、海外の歴史をテーマとした書物にはこんなことまで書かれていることがあります。
「最近の読者は、GoTの影響で、誰もが陰謀を企んでいたものだとみなすものだが……」
というように、それほどまでに影響が大きい。

またですか。
何と言うか、ゲースロ狂信者と言っていい武者さんらしいですね。
そしてその後で、それを追い求めて行ったのが『鎌倉殿』であるとされていますが、それはあくまでも武者さんの主観であり、そもそもゲースロを知らない、あるいは観ない人に取っては何のこっちゃと思うわけです。

ロゴが毛筆ではなく明朝体のフォント。「十三」ではなく「13」がタイトルに入る。メインビジュアルの鮮やかな色合い。
このドラマではクラシックの名曲がサウンドトラックに使われていました。
エバン・コールさん本人のアイデアではなく、依頼されてのことです。
オープニングはVFXで作った石像を用いています。
写実的な石像は日本では珍しく、むしろギリシャやローマ、ルネサンス彫刻を連想させます。

この「13」は、やはりちょっと違和感がありました。
あとクラシックも使う必要があったかどうかは疑問です。劇伴がちゃんとしていればそれでいいわけですし、何かこういう、ちょっと変わったことをやろうという考えが、裏目に出てやしないかと思ったこともあります。
そして石像ですが、これは初回のあらすじと感想に書いていますが、私には兵馬俑に見えて仕方ありませんでした。

『鎌倉殿の13人』は日本らしさが確固たる前の世界を意識していると思えました。
出演者も「いろんな国の人に見て欲しい」と語っています。
「日本らしさ」が定着する前、国民性が確固たるものとなる前。道徳心がまだ成熟されておらず、迷信や不合理が通る。
日本らしさよりも「中世の人類」であることを強調しているように思えたのです。

「日本らしさが確固たる前の世界」て何ですか?
既にその前の平安時代に、和の文化の原型はできているのですが。日本らしさと日本という国家の確立とは別のものでしょう。
そもそも、日本という近代国家の成り立ちは明治からですし、道徳心というか倫理観は江戸時代を待つ必要があります。その割に武者さんは忠義がどうのこうのと、きわめて江戸時代的な倫理観に基づくことを書いていたと思いますが。

稗史(はいし)という言葉があります。
正史に対するものであり、民衆の目線や伝承によって伝えられる歴史のこと。
GoTの場合、原作を読むとより顕著であり、戦乱に巻き込まれていく子どもの視点から歴史的な出来事をみる視点がありました。
大河ドラマの場合、歴史に名を残していない人物の目線で見ることが稗史に該当します。
かつては『三姉妹』や『獅子の時代』のように、大河は主人公が架空の人物であることもありました。
近年は「オリキャラ」と呼ばれる人物も、大河には欠かせなかったものです。
『鎌倉殿の13人』では、善児とトウが稗史目線の登場人物に該当しますね。
最終回までトウが登場しており、民衆目線で歴史を見ることはできていました。
ただ、若干弱かったとも思います。
これは主人公である北条義時が民衆に目線をあまり向けていなかったことも反映されているのでしょう。
姉の北条政子と息子の豊穣泰時は、民衆を労る「撫民政治」の観点がありました。

稗史というのは民間目線の他に、小説とかフィクションという意味もありますから、大河の場合は「歴史に名を残していない」云々より、最初からフィクション、オリキャラでもいいでしょう(実在の人物がモデルという可能性もあり)。あと「欠かせなかったものです」て、もう大河そのものが過去のものになったような言い方ですね。

そして善児とトウですが、殺し屋である彼らが必ずしも一般民衆と同じ視点かどうかは疑問です。亀とか、和田義盛と一緒になった後の巴なら、いくらかそういう目線を持ち得るかとも思いますが。それと『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはもうやらないのでしょうか。ならば『太平記』と『葵 徳川三代』くらいは、きちんと観ておいてください。

それと「豊穣泰時」て誰ですか?(苦笑)

マイノリティ役を、当事者が演じること。
これにより誤解やステレオタイプを防ぎ、かつマイノリティの当事者に配役の機会を増やす効果があります。
海外では当たり前のことで、歴史劇の場合は民族が特に重視されます。
『鎌倉殿の13人』では、宋人の陳和卿をテイ龍進さんが演じ、この点において進歩しました。
過去の大河を見てみますと、『春の坂道』では明人の陳元贇(ちんげんひん)を倉田保昭さんが演じています。彼は香港や台湾で活躍していたため、日本では中国人をしばしば演じていました。

まず陳和卿ですが、彼の場合は寧ろ「外国人」ではないかと思われます。
あと過去の大河で日本人が外国人を演じた件ですが、『黄金の日日』で、明の瓦職人・一観を三国一朗さんが演じていたこともあります。なぜ『春の坂道』だけなのでしょうか。

ジェンダー観の更新:トウの場合(小見出し)
(中略)
男女平等を論ずる上で、お約束の問題提起があります。
「男女平等というのならば、男性的な加害行為や従軍も平等とすべきなのか?」
これについては議論はまだ進んでいる段階であり、簡単な答えが出る問題でもありません。
ましてやテレビドラマが解決する問題でもない。
一石投じることが重要です。
アリア(私注・ゲースロの登場人物)にせよ、トウにせよ、女性でありながら良妻賢母以外、しかも殺し屋である人物が登場しただけでも、重要な問題提起となります。

このトウですが、殺し屋とかスパイは普段それとは気づかれない格好をしています。一般人に紛れ込むためです。しかし彼女の場合は常に男装で、あれだと一目で普通の女ではないだろうと思われる服装をしていました。あれが善児なら男性だからいいでしょう。しかしトウの場合、普段は当たり前の女の身なりで、いざ「仕事」と言う時だけ男装をする方が、それらしさが出ていいと思います。

しかしこのコラム、今回に限ったことではありませんが、この大河は素晴らしいのだと強調したいがあまり、何とも不自然になっている、そういう印象がありますね。それと先日も書いた「新基準」ですが、これは「ゴールポストを動かす」にどこか通じるものがあります。

飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2022/12/29 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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