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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『ちむどんどん』を振り返って&沖縄・南西諸島の信仰と文化

朝ドラ記事ですが大河関連のお知らせです。『鎌倉殿の13人』、10月2日は第38回が放送されますが、9日は1回お休みでスペシャルが放送される予定です。

「鎌倉殿の13人」トークスペシャル番組 放送決定!

それから先日投稿分、意味が通りにくい部分やタイプミスなどで、数か所手直しをしております。どうも勢いまかせで書いたところがあったせいか、後から見ていささかおかしな部分もありました。失礼いたしました。

で、『ちむどんどん』を振り返ってその5です。今回は全体を振り返ってですが、まず脚本の整合性への疑問点です。実はこれは大河ドラマ『花燃ゆ』がそうでしたが、別々の人が脚本を書いて後で繋ぎ合わせたような、そういう辻褄の合わなさもまたありました。

おまけに賢吉大叔父さんのように、かなり頻繁に出て来ていた人が、ある時を境に急に出て来なくなったりもしましたし、最後の最後で子供や孫をあそこまで出して来る必要もなかったと思います。それも、最後の数週間でそれぞれ子供が生まれ、成長し、結婚して行く様子が描かれていれば、まだ納得できたのですが、そういう過程を経ずにいきなり登場しているから、どこか違和感をぬぐえないのです。

先日も書きましたが、「この人たち誰?」となってしまいます。『カムカムエヴリバディ』の三世代登場への対抗かという、ツイートでの指摘もありました。

そして主人公暢子のキャラ設定ですが、長く勤めたはずのフォンターナで覚えたイタリア料理をあっさり捨て、次は沖縄料理、そしてやんばるに帰る、そしてまた沖縄料理店をやりたいと言うところが、子供が夢中になっていたものをすぐ投げ出し、新しいことをやりたがる様を思わせます。結局やんばるの方は40年続いたようですが、途中でまた飽きて辞めたくなったのではと思ってしまいます。

イタリア料理店で仕事をする設定は、やはりオーナーの房子と合わせるため、そして矢作と仕事をさせるためのものだったと言えそうです。房子を演じた原田美枝子さん、『あさイチ』に出演して朝ドラ受けをやらされたものの、言うことがなくて戸惑っていた由。そもそも最終回に出ていませんしね。原田さんと言えば、今なお『太平記』の阿野廉子を思い出します。

その暢子はやんばるちむどんどんの開店前も、そば作りを強行し、周囲の人々を徹夜で働かせるというところに、彼女の性格が表れているように見えます。こういう性格も、例えば壁にぶつかってもくじけないと言った感じで、プラスに描けばそれはそれで魅力的なのでしょうが、元々暢子はそこまでの苦労をしたようにも見えず、それゆえに身勝手でがむしゃらで、大人になり切れていない人物といった印象を与えます。正に「暢子はいつまで経っても暢子」なのですね。あと黒島さんは自炊もしているようですが、料理人を演じるのと、料理好きとは必ずしも一致しないと思いました。

あと何かにつけて対決に持ち込み、勝った方が何かを得るとか、交換条件を持ち出すような描写も如何なものかと思います。加えて、沖縄言葉をやたら使い過ぎな印象がありました。実は私自身、大学時代に沖縄出身の友人がいました。この人は那覇出身でしたが、ごく普通の話し方で、あそこまで沖縄言葉を使うことはありませんでした。ただ、本土に来て雪が見られて嬉しいと言っていたのを覚えています。

そして浜辺(ウタキと思われる)で叫ぶシーン、恐らくこれは沖縄や南西諸島のニライカナイ信仰を踏まえているのでしょう。このニライカナイに関してはこちらのサイトのURLを置いておきます。

沖縄の信仰って?「ニライカナイ」や「アマミキヨ」とは
https://okinawaspirits.com/whatokinawanfaith0607/

数日ほど前ですが、公式が沖縄の文化や習慣といったものを、なかなか紹介しないと書いています。たとえばこう言う信仰の存在を、何かで登場人物の会話に入れるとか、それこそ和彦に、これについて調べさせるなどと言ったシーンがあれば、また受ける印象は違ったでしょう。要は、そういう文化的背景を思わせるシーンが殆どないにも関わらず、いきなりああいう描写を入れてくるから、視聴者も戸惑うのではないでしょうか。あとやはり叫ぶというのはあの場合ありなのでしょうか。

実は最終回の放送の後、『西郷どん』の奄美大島編を観てみたのですが、この信仰に関連したシーンがかなり登場します。海にあるニライカナイに故人の魂は帰り、また恵み多い物を届けてくれると上記リンク記事にはありますが、時に災いをももたらす存在でもあるようです。

下の2つの画像は第18回「浪人 菊池源吾」のアバンで、とぅま、後の愛加那が海のかなたを見るシーンと、ユタから夫となる男が来ると告げられるシーンです。ここでユタは、災いも連れてくるととぅまに警告しています。


西郷どん19愛加那とユタ



西郷どん19愛加那


またこの時ガイドブックで、石千代金(とぅまの叔母)役の木内みどりさんが、簪(ジーファー)は、女性の護身用でもあったと話しています。

「島では男性も女性も束ねた髪をジーファーで留めているのですが、じつはジーファーは女性にとって護身用の武器でもあったそうです。つまり、いざとなったらこれで自害もできるし、相手を刺し殺すこともできるわけです。女性としての誇りや意志の証しである1本を、常に見えるところに挿しているのが興味深くて、ジーファー職人を探して自分用を注文したほど衝撃を受けました」
(ニッコームック 西郷どん 続・完全読本25P)

ひとまず『ちむどんどん』に関してはこれで終わりとします。今後『舞いあがれ!』について投稿する際に、多少引用または比較することがあるかも知れません。

それからこの朝ドラは、前作『カムカムエヴリバディ』、同時期に放送された『芋たこなんきん』に加え、夜ドラ『あなたのブツが、ここに』とも比較されていました。この夜ドラがなぜ面白かったのか、こちらもそれを指摘したツイがあるので、URLとツイート本文をだけ貼っておきます。

https://mobile.twitter.com/atsushi05919733/status/1575405657066700800
「「コロナの問題は絡めない」方針に「抵抗」「練り直し」「スタッフ総出」「業界への取材」「資料読み込み」で戦った櫻井氏。
『沖縄の話だが、日本のどこにでも当てはまる普遍的な家族の愛のドラマを作ればいい』に逃げた羽原氏。
結果は2つのドラマの質で証明されている。」


飲み物-ローズヒップティー
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[ 2022/10/02 00:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第33回「修善寺」あらすじと感想-2

第33回「修善寺」後半部分です。それと先日投稿分を、少し直しています。

そこへ実衣が現れて仲章を呼ぶ。気まずくなった康信は慌ててその場を去ろうとしながら、韻律に乗せて、花鳥風月を感じるままにお詠みになるのがよろしいかと実朝に言うが、仲章はそれを否定する。和歌とは気の向くままに詠むのではなく、帝が代々詠み続けてきたものであり、帝のお望みの世の姿とありがたい考えがそこにある、それを知らねば学んだことにはならぬと言い、実衣も、和歌は政に欠かせぬものと口添えする。

さらに仲章は、和歌に長ずる者が国を動かすと言い、実衣もしっかり学ぶようにと実朝に教えるかたわら、康信にはお役御免と言った口調でねぎらいの言葉をかける。面目を失った康信は書物を携え、大急ぎで部屋を出たため転んでしまう。

再び修善寺。政子は妹で畠山重忠の妻ちえと共に、頼家の好物の干しあわびを持参して訪れていた。そこへ遠元がやって来て、頼家が息災であり、重忠と話をしていると伝える。しかし北条家の人々とはやはり会いたがらなかった。政子もそれを受け入れ、後でその様子を話してくれと遠元に頼む。ちえは不服そうだったが、政子は頼家の気持ちを汲んでやり、元気であることがわかればそれで十分だと言った。

猿楽の面を手に取る頼家に、尼御台に会ってほしいと重忠は言う。いたく心配しているからというのがその理由だが、頼家は、あの女子を最早母とは思わぬとまで言う始末だった。そして重忠と遠元の本領が武蔵であることを確認し、時政が武蔵守の座を狙っており、朝廷にそれを願い出ていることを打ち明ける。好きにさせていいのかと言う頼家に、どこからそのようなことをと重忠は尋ねるが、頼家は、味方になれば話すと言うのみだった。

鎌倉に戻った重忠は、時政にこのことを伝えるが、重忠は、頼家が都と通じているのではと疑っていた。あるいは後鳥羽上皇とかと疑うが、義時に軽はずみなことは言うなと注意される。重忠はさらに、頼家から聞いたとして、時政に武蔵のことはどのようにお考えかと尋ねる。時政は、武蔵を独り占めしようなどとは考えておらんと言い、重忠はご無礼しましたと頭を下げる。

そこへ八田知家が現れる。知家は手にした猿楽の面を投げつける。京へ向かう猿楽衆の一人を捕らえたのだった。しかも扇を持参しており、扇面には上皇へ、北条追討の院宣を願い出る旨が書かれていた。決まりのようだなと時政。義時も、頼家討伐を決意せざる得なかった。政子には、すべてが終わってから話すつもりでいた。

謀反だと言う義時と、それはなりませぬと止める泰時。時房は頼家の後ろに上皇がいる、このままでは大きな戦になるので、今のうちに火種を消すべきと泰時を諭す。院宣をお出しになるのかと問う泰時に、義時は、分からぬが、北条をお認めにはならぬだろうと口にする。上皇から見れば北条は一介の御家人であり、源氏を差し置いて他の武士に指図するのを許すはずもなかった。

上皇に文を出そう、言葉を尽くせばきっとと言う泰時を、義時は甘いと一喝する。頼家に死んでほしくないと泰時は言うが、それは義時も同じ思いだった。義時は言う。
「しかしこうなってしまった以上、他に道はない」
泰時は時房に窘められつつも、父上は間違っている、私は承服できないとその場を去る。修善寺に向かって、頼家に逃げるように言うと時房、しかし義時はそのまま放っておいた。

頼家に逃げてほしかったのかと尋ねる時房に、義時は違うと言う。息子にかつての自分を見出していたのである。その後義時は時房と善児の家へ行くが、善児もトウも不在だった。兄上に取って泰時は望みかと問う時房に、義時は、あいつの一途な思いが羨ましいと答える。ならば自分は兄上に取って何なのかと時房は尋ねるが、義時はそれについて考えたことはなかった。自分は泰時とは正反対の存在でありたいと言う時房。泰時が反対することは、何でも引き受けるつもりだった。

しかし義時は時房の言葉を聞く風でもなく、部屋の片隅にあった、宗時の遺品に目を泊める。善児も意を決したようだった。善児は自分が斬ると言う時房を、あれは必要な男だと義時は止め、私に善児が責められようかと自問自答する。そこへトウが戻って来る。

善児は薪割をしており、その側には小さな土饅頭があった。一幡の墓だった。そこへトウが義時を連れてやって来て、義時は善児に仕事だと言う。善児は無表情で返事をする。

泰時は修善寺へ行き、頼家にお逃げくださいと言う。逃げはせぬと答える頼家に、命を大事にするようにと懇願する泰時。生きてさえいれば道も開けると泰時は言うが、頼家は道などないと言い、最早覚悟を決めているようだった。最後の最後まで盾突くと言う頼家に、尚も逃げるよう勧める泰時だが、頼家はこれより京からやって来た猿楽が始まる、上皇様の肝いりだと言い、泰時にも観るように促す。

その頃義時は義盛を訪れていた。誰かと一緒に飲みたかったと言う義時に、なぜ自分なのかと尋ねる義盛。難しいことは考えずに、うまい酒が飲めそうだからと義時。義盛も難しいことは苦手だと言い、2人で笑うが、義盛の館には運慶が尋ねて来ていて、運慶はえにしであると言う。実は義盛も父親の勧めで、運慶に何体か仏像を作らせていた。都へ戻る前に、義盛は運慶にも酒を勧めていたのである。

運慶は、巴が峠道で拾った木像の修理をしていた。無論運慶は、普通はこういうことはしなかった。その仏像は、あるいは由緒があるのではと義盛は言うが、否定されてしまう。巴と義盛は客をもてなすための料理に取りかかる。運慶はその木像は、なかなか可愛い顔をされていると言う。

前に運慶に会ってから15年が経っていた。その義時に運慶は、悪い顔になったなと言う、色々あったからと答える義時に運慶は、まだ救いはある、お前の顔は悩んでいる顔だと言い、迷いがあるがその迷いは救いだ、悪い顔だがいい顔だとも言う。お前のためにいつか仏を彫ってやりたい、いい仏ができそうだと運慶は言い、義時は礼を述べる。

修善寺では猿楽が始まっていた。奏者はすべて顔を紙の面で隠していたが、1人指も口も動かさない笛吹きの男を泰時は見つける。また外へ出た鶴丸は、外に死体を見つけて中へ戻っていた。そして泰時は舞台へ上がって行って、その笛吹きに襲い掛かろうとする。面を取ったその男は善児で、泰時の襲撃をかわし、こう言った。
「あんたは殺すなと言われている」

トウもそこに現れる。そこへ鶴丸が走って来て、トウを阻もうとする。トウ、そして善児は抗う者たちをかわし、頼家は奥へと入る。善児が目ざす頼家は、屏風の陰に隠れていた。頼家と善児の攻防が繰り広げられるが、厨子の前に置かれていたはずの、「一幡」の名を記した紙が落ちているのが目に留まり、善児は隙を突かれる。

しかし頼家も手負いの状態だった。
「わしはまだ死なん」
そう言って善児にとどめを刺そうとする頼家を、背後から誰かが襲う。それはトウだった。トウがは今度は真正面からとどめの一撃を浴びせ、頼家は絶命する。

雨が降り出していた。動けずにいた泰時は何とか身を起こし、舞台の上の頼家の死体を見て号泣する。そこへ鶴丸も現れる。一方頼家から腹を刺された善児は、雨の中トウに最後の一撃を浴びせられる。トウに取って、善児は両親の仇だったのである。


正直言って、後半はやや疲れる展開でした。修善寺の頼家暗殺に加えて、運慶の話、義時の苦悩と泰時の反発、猿楽、そしてトウと善児の関係などなどを、20分余りの尺に盛り込んで来ているため、すんなりと頼家暗殺にたどり着けないもどかしさも感じられました。三谷さんも色々と入れたかったとは思いますが、1つか2つほど減らしてよかったかと思います。

では順番を追って見て行きます。三善康信が、源仲章の出現、そしてその仲章の和歌(この頃こういう呼び方はあったのでしょうか)の定義づけにたじたじとなり、転んでしまうシーンですが、これもまた三谷大河にありがちなコントシーンです。そして実衣は、仲章の意見をフォローするかのようです。彼らによって、後の実朝が作り上げられた感もあります。そう言えば実朝の「実」は、実衣の「実」でもありますね。

修善寺の頼家を政子とちえ、そして畠山重忠と足立遠元が訪れますが、頼家は政子とちえには会おうとしませんでした。政子は、今日は干しあわびを届けに来ただけと言いますが、結局会えぬまま今生の別れとなってしまったようです。その時頼家が、時政が武蔵守の座を狙っていると発言したことに加え、そしてその後、猿楽衆の1人が扇に書かれた密書を持って京へ向かっていたのが発覚したこともあり、ついに義時も頼家討伐を決断せざるを得なくなります。

泰時はこれに反対しますが、義時はその息子に甘いと言います。しかし泰時の姿は、かつての自分の姿でもありました。そんな義時に時房は、自分は泰時とは反対のやり方で兄を支えると言います。この後のことを考えるうえで、意味ありげなセリフです。そして義時は、善児に頼家暗殺を命じます。善児は猿楽衆の1人に変装し、修善寺を訪れます。この変装が泰時にばれてしまい、ひと騒動となるのですが、善児は泰時だけは助けるように言われていました。しかしこの猿楽衆に刺客が紛れ込むのは、『太平記』をイメージしてのことでしょうか。

そして突然と言うか、運慶がここに現れます。運慶は15年の歳月の中で、義時の顔つきが変わったと言いつつ、まだ迷いがある、悪いけれどいい顔だと言って、いつか仏を彫ってやりたいと言います。実際運慶は義時のために、薬師如来像と十二神将を作っています。

さて頼家暗殺。頼家も殺され、善児も殺されます。しかし善児が「一幡」の文字を見て、心が揺らいだかのように見える描き方は、ちょっと疑問です。実際一幡に対しては、愛情に近いものを持っていたとは思いますし、事前に一幡の墓が登場したのも、その心境を表すための伏線と言えます。ただここは難なく頼家を仕留め、その後で一幡の文字を見て気が緩み、待ち構えていたトウに殺されたという描写でもよかったかと思います。トウはやはりあの井戸端の少女であったようです。そして何回か前の投稿に、善児はトウに殺されるのではないかと書いたのが、図らずも当たってしまいました。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/08/30 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 65その3

『武将ジャパン』大河コラム後半部分続き(その2)です。


1.「一幡をお助けください!」
そう言われる義時ですが……この構図がゾッとしてしまう。後に酷い展開が待ち受けていますので覚えておくことオススメです。

景時が比企館に立てこもるシーンですが、「後に酷い展開が待ち受けています」て、具体的に何のことでしょうね。

2.そう言いながら、差し出したのは、なんと善児!
義時にとっては兄・宗時だけでなく、舅であり祖父である祐親とその子の祐清、八重の子である千鶴丸の仇になるのですが、それを忘れて使いこなすということでしょうか。
もはや人間というより、何かの象徴のように思えてきます。

「何かの象徴」というのもよくわからないのですが…つまり善児は「人間」ではなく「殺人のための道具」とでも武者さんは言いたいのでしょうか。実際道具と言っていいところはあります。但し義時にしてみれば、単に仇だけではなく、奥州に行った際に同行し、自分を藤原国衡から守ってくれてもいますから、余計複雑な心境でしょう。

3.死後もそうでして、義経を陥れる悪党としてさんざん悪役にされてきました。
それをどう落とし込むのか?
考え抜いた果ての、三谷氏ならではの解釈を見た気がします。
この作品の景時は優れていた。戦略家としては義経より合理的なこともしばしばあった。
景時が嫌われたのは、時代の先を行き過ぎていたのかと思えました。別の時代ならば、ここまで嫌われなかったかもしれない。

この景時ですが、近年は特に「義経を陥れる悪党」という見方は影を潜めています。別に三谷さんだからこういう解釈をしたと言うわけではありません。それと「時代の先を行き過ぎていた」とか「別の時代ならば」とありますが、景時が特に時代の先を行く優れた才能を持っていたのでしょうか。ならばそれをはっきり書いてほしいものです。私としては、彼の性格やものの考えに於いて、他の御家人たちとそりが合わなかっただろうとは思っています。

4.景時はなぜ嫌われたのか? その美点は何か?
そう考えるだけで頭をものすごく使う。それが歴史を学ぶおもしろさだと思える。
そういう歴史を学ぶ醍醐味がみっちり詰まった人物像でした。

「そう考えるだけで頭をものすごく使う」て、他の人物や時代背景に着いても、色々考えることはあると思いますが…。そしてそういう醍醐味は、他の大河でも同じことです。武者さんの嫌いな大河であっても。

5.でも、もっと見たいというのとは違う。
完成度が高いから、これで充分満足です。
すごいものを見られました。大河はこういうものかと圧倒されました。

「なぜ」完成度が高いと感じるのかも、「どのように」すごいのかも書かれていないのですね。特にこのコラムでは、「すごい」という表現がやけに使われますが、何とも幼稚な気がします。

6.今回登場した安達景盛は、頼家と不仲とされます。
その背景として、頼朝落胤説があります。頼家からすれば異母兄にあたるゆえ、対立が激化したというのです。
(中略)
こう考えているのは、実は当時の人々もそうでした。
景盛の孫の代、泰盛のとき、源氏の血を引くとアピールするようなことをして、【霜月騒動】につながり、安達家が破滅する一因となっています。
死後も祟る頼朝の女遊び。

ちなみに、結城朝光も頼朝の子であるという説がありますね。
あと「霜月騒動」といえば、何と言っても『太平記』の最初の方で登場しますが、1991年の大河だから武者さんは観ていないでしょうか。『麒麟がくる』の池端俊策氏の脚本で、個人的にはこちらの方が優れていると思います。

7.えげつない。なんていやらしくてけしからんのだ!
そう呻きたくなるほどの妖艶さが先週からありましたね。
いやらしいというのは、誰かが裸で登場すればいいってもんじゃない。露出度より心の問題で、恋に落ちる瞬間がいやらしいのです。

妖艶かどうかはともかく、ここでこのように書かれている以上、下ネタ的な「いやらしい」と違うことは察しがつきます。ただそこまで「恋に落ちる」瞬間が素晴らしいとは、私は思いませんでしたが。

8.それが爛れていて崩れているからこそ、どうしようもなかったのが、先週からの実衣ですわ。
既婚者が琵琶を習って心惹かれる。そんなけしからんことがあっていいものか?
いやらしい、なんということかと戸惑いました。
けだるげに琵琶の弦を鳴らす実衣なんてもう、触れたら花びらがホロホロとくずれてきた花のようで。こういう人妻を倫落だのなんだの言うのです。ものすごいエロスがありました。

このシーン、実衣が琵琶を朝光に習っており、その「師匠」である朝光に憎からぬ思いを抱き、それを夫全成が恨めしそうに見ているわけですが、生憎そこまで「エロス」を感じませんでした。朝光を失いたくない実衣の気持ちは寧ろ、例の訴状の陰謀を義村が企てる、そのシーンの方に現れていたように思います。
それと
「触れたら花びらがホロホロとくずれてきた花のよう」
好きな大河ならこういう表現をするものの、嫌いな大河だと一言もこういう表現は使いませんね。昨年のお千代にも、こういう表現をしてほしかったなあ…尤もお千代は実衣よりもっと凛としていますが。
あと琵琶の弾き方と恋心、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』に、そういうシーンがなかったでしょうか。もちろんあちらの方はリュートです。元々リュートと琵琶は同じですけどね。

9.いま、東洋の伝統楽器を弾く美男はちょっとしたブーム。華流の『陳情令』が代表例です。
そういう流れに乗ったというわけではないでしょう。ともあれ、伝統楽器を奏でる人は美しく魅力的だと示しました。このドラマに琵琶が出て本当によかったと思います。
このドラマには歴史を学ぶ醍醐味を思い出させる要素があまりに多い。
そこがいやらしくて、けしからんのかもしれない。
はっきり言って、今年の大河は面白いのです。

すみません、この『陳情令』、華流ドラマを観ないので何のことだかわかりませんでした。
そして
「このドラマには歴史を学ぶ醍醐味を思い出させる要素があまりに多い」
いやこのドラマだけでなく、昨年のを含め武者さんが嫌いな作品であっても、「歴史を学ぶ醍醐味を思い出させる」作品はあるのですが、それに気づいていないか敢えて書かないかだけでしょう。あと「醍醐味」は一般には「感じる」または「味わう」ものかと思います。
それと
「はっきり言って、今年の大河は面白いのです」
面白ければ、別にここまで強調する必要もないかと思うのですが。こう書くところにちょっと不自然さを感じてしまいます。

あと三浦義村関連でもうひとつ。

10.『麒麟がくる』の織田信長は、プレゼント感覚で生首を箱詰めにしていました。それとは異なるカジュアルな残酷さが三浦義村にはあります。

この生首は、第43回の「闇に光る樹」で登場するものでしょうか。あの生首ですが、箱ではなく、壺に入っていなかったでしょうか。
そして「それとは異なるカジュアルな残酷さ」とは何のことでしょうか。要は、信長は自己顕示欲丸出しといった感じで、光秀と藤孝に相手方の首を見せたわけですが、義村の方は、寧ろそれとは反対に、ひたすら黒子に徹することで、自分の存在が知られることなしに、景時を追い出すことに成功したのだと思いますが。


それからこのコラムで、やけに「政略結婚」的な表現が使われていますが、身分が高い武家の場合は至極当たり前に行われていました。『葵 徳川三代』に関しては先日も書きましたが、まだ年端もゆかぬ娘たちが縁組みさせられ、両親と別れています。無論この鎌倉時代も、他の御家人や公家に嫁ぐということはありましたし、義時も娘を公卿と結婚させています。


飲み物-マグとビール
[ 2022/07/30 00:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」あらすじと感想-2

第20回「帰ってきた義経」後半部分です。尚ひとつ前の投稿で、「帰って来た」としていましたので、本文中の意味が通りにくい部分共々、直しています。


静を見た政子は頼朝に言う。女子(おなご)の覚悟です、私もあなたが挙兵された時覚悟を決めましたと。義時のこの話を聞いていた義経は、静の大胆な振る舞いをあいつらしいと言う。その後静は鎌倉に留め置かれ、4か月後に出産する。生まれた子は男児で、静のもとから連れ去られた。

その後彼女も鎌倉を去って行方知れずとなり、美濃青墓宿で、静に似た遊女がいたらしいと話したところで、これが伝えるべきだったかと義時は戸惑うような口ぶりになる。義経はうわべは平静を装っていたが、その後畑に立てた藁の人形を、鎌倉への憎しみを込めて太刀で切り刻む。

義経は国衡と謀って挙兵するようだと、義時は泰衡に伝える。泰衡は兄が義経と謀ることに憤り、自分は鎌倉に盾突くつもりはないと言う。そんな泰衡に義時は手は一つと言い、義経の首を取って送り櫓どけるように促す。でなければ平泉は火の海と化し、義経とて止めきれず、藤原氏も途絶えてしまうと迫る義時に、だからあいつを入れたくなかったと泰衡は答える。

向こうが戦の支度に取りかかる前に、不意打ちしかないと諭す義時だが、泰衡の弟の頼衡がこれに反対し、父秀衡の、義経を総大将として奥州を守れとの遺言を持ち出す。しかし泰衡は、奥州の行く末は自分が決めると言う。頼衡は、お前の魂胆は何だと義時に斬りかかろうとするが、その時善児が現れて頼衡を倒してしまう。最早後へ引けなくなった泰衡は、国衡から義経が戦を決意したことを聞く。

準備が整ったと確信した義時は、善児を先に帰す。義経は幻を見ていた。それは、秀衡が畑の土を救い上げている幻だった。しかし実際にはそこには誰もおらず、自分で作った人形が立っているだけだった。その間に泰衡の軍勢は、義経の館の方へと向かっていた。

ここらが潮時であると義経は言う。しかし里は、このような場所で終焉を迎えるのは気が進まなかった。宿命(さだめ)だ、諦めろと義経は言うが、里は夫について来たことを後悔していた。但し里は義時との会話を盗み聞きしており、静が落ちぶれたと聞いた時には溜飲が下がったようだった。そして里は、京で刺客を呼び込んだのは自分であることを打ち明ける。お前が呼んだのかと義経は怒り、里を刺し殺してしまう。

義時は鎌倉へと馬を走らせていたが、弁慶が通せんぼをする。御曹司がお呼びだと言う。そして泰衡も軍勢を引き連れて義経のもとへ到着した。弁慶の手引きで館に入った義時は、布をかぶせられた里と娘の死体が、むしろの上にあるのを見る。義経は泰衡の手勢が来ていることを伝え、人を信じすぎると言われた自分も賢くなったと言う。そして義時が静の話をしたことについても、自分に鎌倉への憎しみを募らせるようにし、泰衡に挙兵させる策だったことを見抜いていた。

弁慶は板切れを甲冑代わりにし、さらに衣をまとって外へ出て行った。館の外には落とし穴が彫られており、兵たちはそれに足を取られていた。義経は、時間稼ぎに外に出て、しかももう二度と会わないであろう弁慶に礼を言い、さらに自分では手を下さず、泰衡に討たせると頼朝が企んだことをも見抜いていた。

義経は、そこまで兄に取って自分は邪魔なのか、そうなると最早どうでもよくなった、この首で平泉が守れるなら本望だとさばさばした口調だった。さらに見せたいものがあると義経は言い、平泉に来てからどうやって鎌倉を攻めるか考えたと絵地図を広げる。鎌倉としては定石通り北に兵を出すが、その隙を突いて北上川から船を出し、海から攻め込み、北から慌てて戻る兵を追って包囲し、火を放つという作戦だった。

海路を行くと三浦の岬から丸見えになると義時は言うが、その時は、損得のわかる三浦の息子を味方につけると、義経はぬかりなかった。さらに義経は、鎌倉戻ったら梶原景時に渡してほしいと、攻めの子細を記した書状を差し出す。景時ならこの策をわかってくれるだろうと言うのである。

やがて外で弁慶が兵を相手にする声が響き渡る。義経はその様子を楽しみつつ、義時に来た道を通れと言い、義時を送り出す。鎌倉に戻った義時はこのことを報告し、景時もその策を見て、この通りになっていたら鎌倉は滅びていたと言う。そして義時は館に戻り、久々に金剛を抱き上げる。

文治5(1189)年6月13日、頼朝は、届けられた義経の首桶に向かって、戦の話をしてくれ、お前の口から聞きたいと言い、首桶を抱きしめながら泣き崩れる。


まず「おなごの自覚」、その割に義経と静のシーンがあまりなかったのがちょっと残念です。これは平家のシーン、大姫と義高のシーンにも言えるかと思います。それと『吾妻鏡』では、この3年前に舞の奉納が行われていますが、ドラマ中の舞も文治2(1186)年設定なのでしょうか。その割には大姫がかなり大人なのですが。

それから頼朝と実衣の服装ですが、実衣のは少し色が変わったでしょうか。しかし頼朝の直垂が、ここ何話か全く変わっていないようでちょっと気になります。

義経関連です。やはりこの人のシーンがどこか舞台的で、義時との会話にしても、セリフでことの次第を説明しているように見えます。義経と義時、そして弁慶を交えての会話に、頼朝の策略を織り込むことはできなかったのでしょうか。それにしても義経、自分の首で平泉が守れるならと言っていますが、結局これが鎌倉方に口実を与えてしまうのですけどね。

いずれにしても存在そのものが紛争の火種となりかねない人物ではあり、形の上だけでも出家するという選択肢もあったかも知れません。無論その場合も頼朝の監視下で余生を過ごし、場合によっては頼朝、あるいは義時から暗殺された可能性もあるでしょう。ちょっと『太平記』の護良親王を連想します。

その義経の書状の字がうますぎるように思えます。腰越状は宗盛の代筆だから納得できますが、義経の直筆ならもう少しぐしゃぐしゃとした書き方でもよかったのでは。

それから弁慶が、何やら西郷隆盛に見えてしまいます。佳久創さん、流石に元ラガーマンだけにガタイはいいのですが、少し体重を増やしたでしょうか。『ノーサイド・ゲーム』の時はもう少し筋肉質だったかと思います。そして里、本来の良妻のイメージとはかなり異なっていました。しかし立ち聞きですか、大河朝ドラにはありがちなことではありますが。

朝ドラといえば、『あまちゃん』で、アキが鈴鹿ひろ美の付人をしていた時、『静御前』なるドラマの撮影現場が登場していましたね。あと余談ながら23日の『ちむどんどん』で、ペットボトル入りの醤油が登場していましたが、実際にペットボトル入りが出るのは、舞台となっている1972年から5年後のことですね。

飲み物-琥珀のエール
[ 2022/05/24 00:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」あらすじと感想-1

『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」前半部分です。


文治3(1187)年平泉。山伏姿の義経は平泉に戻って来た。藤原秀衡は、義経を送り出した時兵を挙げるべきだったと後悔する。しかしそれを実現するには、奥州の存在は重かった。代わりにお前が日本(ひのもと)一の英雄になった、これほど嬉しいことはないと言う秀衡に、義経は涙を流す。

一方このことは鎌倉にも知らされており、義経と秀衡が組めば強大な敵となるのは間違いなかった。義時は、義経が奥州へ行ったことに腹を立てていた。

大姫はようやく笑顔を見せるようになっていた。しかし弟の万寿が、蝉の抜け殻を見せたことで義高を思い出し、その場を離れてしまう。政子はそういう娘を案じていたが、頼朝はその大姫を入内させることを計画していた。大姫と後鳥羽天皇は2歳違いだった。

平泉の秀衡は余命いくばくもなかった。泰衡を後継者にした秀衡は、自分の妻とくを側室腹の国衡に娶らせ、そして義経を大将軍に任命する。家族と義経に支えられて外に出た秀衡は、秋深い平泉の景色を見ながら、もう少し時間があったら鎌倉に攻め込むと言って息絶える。

文治5(1189)年閏4月。義時は、慎重派の秀衡の死による平泉の不安定化を憂えていた。そこで平泉へ行って義経を連れ戻すと頼朝に願い出る。頼朝の返事は、任せるが生かして帰すな、但し自分では手を下すなというものだった。泰衡と国衡は仲が悪く、2人の間を裂き、泰衡を焚き付けて義経を討たせるようにと頼朝は命じる。それこそが、鎌倉が奥州に攻め込む大義名分であった。

「あくどいよのう」と頼朝は言いつつも、鎌倉の敵を一掃しないと戦は終わらない、新しい世を作るためだとも言う。帰館した義時に金剛が飛びついて来る。館では子供の数が増えていた。彼らの面倒を見る八重に義時は、明日から秀衡の供養として奥州へ行くと告げる。しかしその旅には、梶原景時の命を受けて善児が同行することになった。

平泉では泰衡が、父の遺言に従い義経を渡さぬと言う。そこへ国衡が、欲しければ力ずくで奪えと言い、泰衡は兄上は黙るようにと言い渡す。しかしその国衡は、今は泰衡の義理の父となっていた。泰衡は、義経は鎌倉殿に刃向かう気持ちはないと言い、農作業をしている義経を見せる。義経は農作物を荒らすコオロギを追い出すため、虫送りの儀礼ではなく、煙でいぶり出す方法を考えていた。

平家と戦った自分が、今はコオロギ相手に戦っていると話す義経。その義経には里のみならず、幼い娘もいた。2人が下がった後、義時はなぜ奥州へ行ったのかと義経を問いただす。義経はもう戦はしないと言うものの、平泉に手を出したら、鎌倉が灰になるまで戦うつもりだ、兄上にそう伝えろと半ば脅すように義時に言う。

義時は善児に、農作業のことはまことかと尋ねる。元が百姓の善児は、爪の間に泥があるから間違いはないと言い、やっちまいましょうかとまで言うが、余計なことはするなと義時は制する。その後義時は、義経に静のことを話す。義経が京を去ってからまもなく、吉野から鎌倉入りしようとしていて、時政の軍に捕らえられたのだった。

三善康信から尋問されても、静は知らぬ存ぜぬを繰り返し、義経は雲の上の人だと言う。そんな静を見たりくは、静の座り方から腹に子が宿っていることを見抜く。その父は多分義経である、だから名乗らない、それで繋がったとりく。頼朝は子が男児なら由比ヶ浜に沈めるように言う。一方政子や実衣は、鎌倉は危険だから出て行くように静に進めるが、静は、自分は静御前でないと答える。

その場に控えていた比企能員の妻道は、こんな女は守ってやる必要はない、義経には自分の一族出身の正室がいる、あなたは側女だ、九郎殿から捨てられたのですよとびしびしと言う。政子はこの人は静ではないと言うが、その時静は言った。
「いえ、私は静です」
また子供の父親は義経であると明言して立ち上がり、御所中に自分のことを触れ回り、さらにこうも言った。
「信じていただけないのなら、証しをご覧に入れましょう」

静は舞を披露することにする。あなたは身勝手だと言う義時に、生まれた子が殺されたら自分も死ぬと言う静。義経がそれで喜ぶかと義時は怒るが、大姫はもう人が死ぬのは見たくないと言う。こうなったら偽者のふりをして、わざと下手に待ってくれと義時は頼む。御曲は畠山重忠、工藤祐経、そして三浦義村の御家人たちが担当することになったが、釣太鼓担当の義村は、音曲そっちのけで静御前の方に興味があるようだった。

静香はわざと下手に舞い、頼朝や全成をがっかりさせる。その拙い舞を舞っている最中、彼女は義経から言われたことを思い出していた。
「生きたければ黙っていろ」
そして彼女はこう歌う。
「しづやしづ、しづのおだまきくり返し、昔を今になすよしもがな」


義時の意に反し、義経が平泉へ戻ります。秀衡は彼を大将軍に任じ、彼のもとで力を合わせるように言い、不仲の泰衡と国衡を案じて、国衡に自分の妻を娶らせ、義理の父とすることでことの解決をはかろうとします。実際公家出身の母を持つ泰衡よりも、側室の子である国衡の方が評価されていました。
このため国衡を泰衡の義理の父とすることで、兄弟間の不和を緩和しようとしたとされています。またこうすることで、とくの父である藤原基成が義父となるため、後継者ではないと言え、国衡の立場もかなり強くなるという、ある意味苦肉の策とも言えるものでした。

その泰衡を取り込み、義経を討たせて奥州征服の足掛かりを作ろうとする頼朝ですが、流石にこのやり方はあくどいと、自分でもわかっていたようです。無論その後、戦乱が続いてもっとあくどいことをする時代も来るわけで、武士の政権というのは特に、そういうあくどさを内包していたとも言えそうです。義経の方も、平泉に手を出すなと言うわけですが、鎌倉が灰になるまで云々は、『太平記』の「鎌倉炎上」を思い出させます。

そして大姫、今回から南沙良さんです。この人は朝ドラのヒロイン向けの顔だなと思いますが、それはさておき。この大河の大姫の描かれ方については、ここのところかなりの頻度で書いていますが、ここでも急に蝉の抜け殻が出て来たりで、言っては何ですがどうも場当たり的というか、彼女が義高を今なお思っているという、意志の強さがあまり見えないのです。あと江間の館は保育園のようになっていますね。

それと義経、何やら農作業姿が様になっていますね。このまま余生を送ることができたら、それはそれで充実した人生だったと思われますが、何せこの人物が生きているということ自体が、奥州と鎌倉の間の軋轢を産み出している以上、それは残念ながら難しいようです。

そしてりくの
「繋がった」
何やらパペットホームズの、ホームズが推理する時のセリフを思い出してしまいます。あの人形劇では、宮沢りえさんは保健の先生のアイリーン・アドラーの声担当でした。そして比企能員の妻道を演じる堀内敬子さん、こちらはハドソン夫人でしたし、奥州に同行するのがこの人かと思いつつも、ボディガードとしては頼もしいかも知れない善児を演じる梶原善さん、石膏像を壊したベッポが懐かしいです。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/05/23 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 35

『武将ジャパン』の大河コラム、第15回関連で疑問に思う点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第15回「足固めの儀式」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

1.戦に赴く義経は、猫が動く獲物を見つけたような獰猛さがある(中略)この先、義経は大勢を殺すのですが、その中には幼い安徳天皇もいる
2.武士は天皇を都合よく使う。平家は安徳天皇を抱えていき、そして義仲は後白河法皇を捕える
3.時政は「立派な北条の後継ぎを産んでもらいたい」と微笑んでいますが……(中略)りくが産んだ子を北条の後継にする。それが彼女の思惑のはずであり、少しばかり怪訝な表情を浮かべている
4.千葉常胤は頼朝の首とまで息巻いている。そもそも生首をお土産に頼朝陣営へ駆けつけたぐらい気が荒い方ので、前向きである
5.義高は御家人を掌握して頼朝を打ち果たし、そのまま京都に向かうほど、あくどいことは思い付かない。(中略)そんなことをしたら大姫を悲しませてしまう。

1、確かに戦モードになると、人が変わったかのように生き生きする義経ですし、この先安徳天皇も彼の犠牲者になるのですが(『義経』では、壇ノ浦はやり過ぎだったと反省していましたが)、しかしこの大河では安徳天皇、ひいては平家のシーンが少ないので、今一つ実感がわきません。
2、これは何度も書いていますが、朝敵認定されないというのが理由の一つとしてあります。何かにつけて『麒麟がくる』を引き合いに出す武者さんですが、これに関しては同じ脚本家の『太平記』を観てはどうでしょうか。個人的にはこちらの方が面白かったです。
3.この時点での話ですが、りくはまだ男児(後の北条政範)を産んではいません。ですから「りくが産んだ子」ではなく、「これから産まれるであろう男児」と書いてしかるべきかと。
4.千葉常胤が生首を持って来たのは、頼朝に臣従するための証でした。そして今回その頼朝本人の首を取りたいというところに、彼の意識の変化が見て取れるはずなのですが…相変わらず生首を野蛮とか、遺体損壊という目でしか見られない武者さんらしいとはいえます。
5.これも先ほどの平家のシーンと同様で、義高と大姫がむつまじくしているシーンが意外に出て来ないので、「大姫を悲しませる」というのがあまり実感を伴いません。そもそもあくどいより何より、現実的に不可能です。彼らに乗せられて頼朝を討つなど、無謀だとわかっているでしょうし、そうなれば人質としての自分の立場もなくなるでしょう。

6.雑な計画は察知されるもので、安達盛長が、三浦義澄開催の鹿狩りがあることを頼朝らに告げている。(中略)『麒麟がくる』では、連歌会で暗殺計画が練られてた。連歌会に武器を持ち込む人がいたら「どういうことでしょうか?」と察知される
7.味方をすれば助けてやると言われ、能員はこうだ。「わしも頼朝はどうかと思ったのだ! 力になりましょう」(中略)「素直な男は損得で動く」もちろん義時にはバレバレ。(中略)すでに寝返っていた能員は「殺気だった様子はなかった」と火消ししようとする
8.(景時と重忠の会話)使われることと、従うことはちがう
9.同時に木曽義高も「万寿様を守る、主に対し逆らうものは許さぬ」と言い切る、これに重忠が感動する
10.重忠は当初は平家につき、和田義盛の祖父であり、自身の祖父でもある三浦義明を攻め滅ぼした

6、ここでまた『麒麟がくる』。他の大河に似たようなシーンはないのでしょうか。
7、この比企能員ですが、どこか中途半端です。あの場を切り抜けるためあのように言い、しかも相手の忠告を聞き入れてしまったように見えます。万寿の乳母であることを思えば、そうたやすく裏切りもできなかったでしょう。それと「火消し」という言葉の使われ方もちょっと引っ掛かります。
8、録画を観ましたが、「従う」ではなく「頼りにされる」と言っていますね。
9、これも先ほど同様、義高の立場を考えればこうなるでしょう。そもそもこの件、頼朝が目立っていますが、万寿もまたターゲットではあるのです。
10、平家につくも何も重忠は元々は平氏で、義朝死後は平家の家人となっています。

あと、これは個人の方のツイートでも指摘されていましたが、下記の部分はいつもの武者さんのやり方に見えて仕方ありません。このコラムの最初の方で「本音が出ちゃいましたか?」とありますが、その言葉はこの部分にも当てはまりそうです。

笑いで誤魔化そうとする文覚は、架空の儀式を持ち上げるなら、もっとディテールにこだわりを入れた方がいいですね。嘘をつくときは、少し真実を混ぜるとよいと言いますし。


飲み物-エスプレッソブラック
[ 2022/04/21 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』の2つのコラムその他

『どうする家康』の新しいキャストが発表されていますが、それはまた次回に書く予定です。

今年の大河も1クールが終わり、『武将ジャパン』の大河コラムも1回を除き毎回見て来ましたが、やはり
漢籍マウント
嫌いな大河(特に『青天を衝け』)との比較
大河本編にさほど関係のない話(含中国史関連)が延々と続く
このパターンは変わらないようです。

また小檜山氏のツイートを見ていても、『カムカムエヴリバディ』のような嫌いな朝ドラはオカルト呼ばわり、嫌いな大河には厳しい意見が多いと言う割に、『麒麟がくる』のような、好きな大河への厳しい意見はスルーしています。好き嫌いだけで物事を決めると、白黒つけたがるため論調が極端になりかねません。というか好き嫌いは表裏一体でもあり、どのような形であれ、常に意識しているという点では同じなのですが。

ところで大河以外の直近のコラムで、直江状のものと、弓矢についてのものを見たのでざっと書いておきます。リンクは張りませんが、URLは置いておきます。

家康激怒!『直江状』には何が書かれてた?関ヶ原を引き起こした手紙 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) 
https://bushoojapan.com/bushoo/takeda/2022/04/14/47411

まず直江状、何でも慶長5(1600)年の4月14日に送付されたからとのことで、堀秀治と伊達政宗を出して来たのはわかるとしても、西笑承兌についても書いているわけですから、この人のことをもうちょっと紹介してほしかったですね。興味がある方は、『鹿苑日録』がネットで読めるのでお勧めです。
後半部分は直江兼続と政宗関連のエピソード中心で、顔文字(絵文字ではありません)などを使っているせいもあり、歴史コラムというより柔らかめのブログ記事といった感じです。あと伊達が上杉を脅かしているとあるのに、最上義光のことが書かれていませんね。

それと弓矢に関して。

なぜ鎌倉武士は弓矢をそこまで重視したか?鎌倉殿の13人ギモン解決 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/jphistory/middle/2022/04/14/167678

最初の方は弓そして矢の紹介ですが、2ページ目にこのようにあります。

源平合戦の時代が終わり、世の中が平和になると、文化、芸術、娯楽が発達します。
和歌を詠み、蹴鞠を楽しみ、読経に勤しむ。
かつて軟弱とされていた技能が重視され、武士たちの憧れる技能も変化していきました。
結果、鍛錬に時間のかかる弓術はどうしても疎遠になる。
太平の世が終わり、再び乱世が訪れた南北朝時代では、弓術の技術が低下していました。
代わりに長柄武器、槍、長巻、打物(打撃武器)で敵を倒すことが発達します。

これ、ちょっとおかしいですね。
鎌倉時代には、騎射三物と呼ばれる犬追物、笠懸、そして流鏑馬が盛んに行われています。騎射、つまり馬上から矢を射る技を磨くためのもので、「鍛錬に時間のかかる弓術」が「疎遠に」なったりはしていません。源平合戦が終わって太平の世とありますが、その後承久の乱も起きていますし、さらに三浦一族を滅ぼした宝治合戦や元寇もありました。江戸時代と勘違いしていないでしょうか。無論南北朝時代を舞台とした『太平記』でも、弓矢が使われています。

そしてその後の部分。

時代が降った戦闘技術を、大河ドラマで振り返ってみましょう。
『麒麟がくる』の序盤、明智光秀と細川藤孝が剣術で対峙する場面がありました。
一方、松永久秀や斎藤道三、織田信長たちは鉄砲に興味を抱くことで、それが物語の鍵ともなります。
技能は剣術。
合戦での遠距離武器は鉄砲。
弓術の重要性が低くなっているのが一目瞭然です。

「大河ドラマで振り返ってみましょう」とありながら、『麒麟がくる』しか引き合いに出されていませんが、これで鉄砲が出て来るのは当然としても、それより前の戦国時代を描いた『風林火山』には弓矢での戦闘も登場し、甘利虎泰が敵の矢を受けて戦死するシーンもあります。しかもこのコラムの1ページ目に、戦国時代に作られた弓が紹介されているのですが。
また弓術の小笠原流は、鎌倉時代以降に成立しています。鉄砲が登場した後一時衰退するも、武芸として江戸時代にも行われていました。そういう点も書いてほしいものです。

たしかに今川義元と徳川家康の異名「海道一の弓取り」という言葉には、その名残もありますが、実際に彼らが弓の使い手であったかどうかは別の話。

この弓取りというのは武士をほめていう言葉であり、戦国時代には領国を持つ大名のこともこう言いましたからそちらの意味に取るべきでしょう。こういうコラムを読んでみると、やはりどこかもの足りなく思う部分はあり、それが大河のコラムにも共通すると言えるのかも知れません。

それから大河関連のコラムの方で、『義経』の六韜三略について触れられており、『鎌倉殿の13人』では、こういう伝統的な義経のイメージを覆したといったことも書かれていました。しかしそもそも『義経』の場合は主人公であり、それにふさわしい設定になっていたからではないかと思います-いくら何でも、主人公で今回のような設定の義経はちょっと考えられないでしょう。ところでこちらは17年前の大河なのですが、10年ルールは結局どうなったのでしょうね。

それと北条家は宗時、政子、義時、実衣の下にまだ妹や弟がいたはずですが、彼らのその後が描かれていません。

あと個人的に、八重が「駒」化しているように見えてしまいます。八重はオリキャラではないからまだわかるにせよ、あまりにも出番が多くないかと思いますが、武者さんが八重を好きなのもそれが理由の一つなのでしょうか。そういえば、義仲の幼名は「駒王丸」なのですが、武者さんが大河コラムでひどく義仲に肩入れしているように見える(確かにいい奴ではあるかも知れません)のは、この名もやはり関係しているのでしょうか。


飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2022/04/16 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「五右衛門刑死」

第46回「五右衛門刑死」です。助左衛門の周囲から、次々と親しい人たちが去って行きます。


助左衛門の船は肥前に到着した。そこで彼は五右衛門に、太閤秀吉が再び朝鮮への出兵の総指揮を執るため。九州に下向すること、その御座船を襲う予定であることを伝える。陸上では対抗すべくもないが、海上でなら勝負できると助左衛門は言うが、五右衛門は呆れたように、もう少し利口なやり方はないのかと返す。しかし助左衛門は自分たちは海賊であり、この船団を作るもととなった呂宋壺と千利休のためにも、そして桔梗のためにも戦うと断言する。

慶長2(1597)年6月、船は堺に戻って来た。助左衛門は桔梗の遺髪を、美緒と小太郎に渡す。美緒は桔梗を行かせたことを悔いるが、小太郎は行かせなければ処刑されていた、呂宋で死ねたのはせめてもの幸せと美緒を諭す。美緒も同意し、桔梗になりかわって礼を述べる。

その頃お仙の舟を五右衛門が、土産を持って訪れていた。お仙は夢枕に善住坊が立ったこと、そして堺の乾いた堀に、助左衛門や五右衛門なら水を流して元通りにしてくれる、彼らは堺を見捨てはしないと善住坊に話していた。そんなお仙に五右衛門は、来年の春には水が戻る、そうすれば病も治ると言う。

その年の7月2日、秀吉の御座船が出航し、助左衛門たちは赤間関(関門海峡)の沖で舟を迎え撃つことにした。しかし秀吉は伏見城で病に倒れ、この地に来ることはなかった。しかも増田長盛が、このことを石田三成に伝える。三成は助左衛門に監視をつけることにした。長盛は、朱印船目当ての海賊行為を苦々しく思っており、秀吉も病に伏せてからは気が短くなったため、早い内に手を回そうとしていたのである。

五右衛門が助左衛門のもとを訪れる。かつて日比屋の家だったこの建物は、最早鐘が鳴ることもなく、また五右衛門に取っては、モニカの亡霊を思い出させる因縁深い鐘だった。禁令が出てからは現れなくなったが、その禁令もまもなく解けると助左衛門。監視付きではあったが、彼は秀吉とまだ戦うつもりでいた。無論企みのすべてが漏れているのは明らかだった。

しかし五右衛門の手下は堺を出て、元の山賊に戻りたがっていた。秀吉との戦をやめればみんな残るという五右衛門に、助左衛門は唖然とする。お前に付き合うのも限度があると五右衛門は言う。

別れの杯をと五右衛門は言うが、助左衛門はその気になれなかった。さらにその後助左衛門は、フロイスが死んだことを美緒から聞かされる。フロイスは天川(マカオ)に渡ったがその後日本に戻り、長崎で密かに布教をしていた。助左衛門はかつてフロイスから、何も恐れるなといわれたことを思い出す。そして7月末。マニラから、サン・フェリーペ号の特派使節が、積み荷の返還と、処刑された修道士たちの遺体の引き渡しを求めて、堺にやって来た。彼らは秀吉に拝謁するため伏見城へ入る。その頃やはり伏見城を狙っている男たちがいた。五右衛門とその手下だった。

彼らは伏見城へ忍び込み、寝所で秀吉を殺すのは1人でいいとした。五右衛門は言った。
「百足、竜門、梅鬼、蛇千代。地獄で会おうぜ」
手下たちが次々と斬られ、ある者は自爆する中、五右衛門は秀吉の寝所に近づくが、その時天井から降って来た網にかかり、取り押さえられる。手を伸ばせば届きそうな虎の絵の襖が、彼に取っては果てしなく遠かった。秀吉もこの音で目を覚ますが、長盛はねずみでございますと答え、秀吉もそれ以上は追求せず、再び眠りについた。

助左衛門は水夫の弥次郎からこのことを知らされる。忍び込んだ4人は討ち取られ、五右衛門だけが生け捕りにされていた。弥次郎は助左衛門に、堺から逃げるように促す。五右衛門と親交があったと知れたら、大変なことになりかねなかった。しかし助左衛門は堺にとどまることにする。

一方捕らえられた五右衛門は今までの経歴を話すが、堺も船も関係ない、自分は泳ぎができないからと述べ、助左衛門を庇った。その助左衛門は旅姿のお仙に会う。七城河原での釜煎りの刑を見届けてくるのだった。助左衛門は自分は行けぬ、代わりに見届けて来て、できたらこれを飲ませてくれと、南蛮酒の入った竹筒を渡す。

三成は部下から、助左衛門に関する報告を受けていたが、五右衛門は助左衛門の配下であるとの内通があり、捕縛すべきと忠告される。しかし三成は、あの男はどこへも逃げぬと語気を強める。刑場で五右衛門は落馬し、刑吏が起こそうとするところへお仙が現れ、末期の水だと言って南蛮酒を飲ませる。堀の水はあいつが戻すと言う五右衛門だが、刑吏たちに引っ立てられ、はよろめきながら釜の方へと進む。その頃助左衛門も南蛮酒を飲みほし、そのグラスを投げつける。

投げつけた先の扉は鐘つき堂へ通じていたが、今には丸太が十字に打ちつけられていた。助左衛門は、それを力を込めて取り外し、思い切り鐘をつく。美緒も三成もその音を聞いていた。ご禁制であるという部下に、構うなと三成。三成は、助左衛門が身の危険を承知で鐘を、恐らくは五右衛門に聞かせようとして鳴らしているのを知っていた。五右衛門はなおもよろめきつつ釜へ入ろうとするが、その時鐘らしきものを耳にし、モニカが迎えに来てくれたとつぶやいた後、釜に身を投じる。


実質五右衛門が主人公というべき回でした。しかし最初の、秀吉の御座船を襲うというのはいささか無謀な気もします。助左衛門にしてみれば、これで桔梗の仇を討つことができたら、それでよかったのかも知れませんが、堺の美緒や小太郎はさらに落胆したのではないでしょうか。尚赤間関、関門海峡の沖合といえば、映画『海賊と呼ばれた男』で、毎日のように門司から海峡を渡るシーンを思い出します。あれもまた違った意味で「海賊」でした。

五右衛門が助左衛門を訪れるところ、ここでの「別れの杯」というのは、五右衛門が伏見城へ忍び込むのを覚悟していたということなのですが、助左衛門はなぜかそれがわからず、堺を出て行くものだと思い込んでいたようです。最後のシーンで鐘をついたのは、その気持ちを察することができなかった罪滅ぼしでもあるのでしょうか。また三成は監視をつけたこともあり、助左衛門が、仮に五右衛門と親しかったことで嫌疑をかけられようとも、逃げないことはわかっていたようです。

そしてお仙。善住坊の時もそうでしたが、またしても助左衛門の仲間の刑死に立ち会うことになります。そして『鎌倉殿の13人』のみならず、ここでも夢枕です。堺の堀に水を戻すというのも何やら暗示的ですが、これも秀吉を殺めることを示唆していたと取れます。それにしても彼女は病気だったはずですが、京へ行けるほど元気になっていたのは、五右衛門のこの言葉のおかげもあったのでしょうか。

その五右衛門、「盗跖長範に勝り」という言葉ですが、盗跖も長範も大泥棒として有名な人物です。その2人をはるかに超えたということでしょう。またその前に「勢田の橋に出でて水を飲み」とありますが、この勢田の(唐)橋は交通の要所で、伝説も多く、またこの地での戦もまた多く伝えられています。しかし根津さんといえば、『太平記』の新田義貞も懐かしいです。

しかしこの大河の特に後半、助左衛門と秀吉が対峙することが多くなっていますが、私としては同じ秀吉に憎しみ、あるいは不満を持つにしても、こういう内に秘めた描き方の方が好きですね。無論今まで様々な形で対立し、仲間も失ってしまった、それ故のやるせなさがこういう形で描写されているとは思いますが。

飲み物-アイリッシュコーヒー2
[ 2022/03/01 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 15

『武将ジャパン』関連、先日の続きです。

長いのと、例によって中国が云々とあるため(日本と事情が違うにもかかわらず)、一部割愛しています。
興味のある方はこちらのURLからご覧ください。
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/02/07/166253/4

もう俺らは西の連中の顔色を窺うなんてウンザリだぜ! そういう逆賊になる運命が彼を怒涛の中へ誘うのでしょう。
そしてそれこそ実際の義時に近いのかもしれない。
というのも義時は【承久の乱】に際して心労の極みにあり、かつこれは「華夷闘乱」だと認識していたのです。
華夷闘乱って何?
(中略)
日本は遣隋使、遣唐使以来、隋や唐のフォロワーとして国家運営をしていました。西の王朝はそうなっています。ミニ中華の様相を呈していた。
(中略)
『源氏物語』あたりを読んでもそう。都周辺を離れたら野蛮人だらけで恥ずかしい。そんな認識があったのです。
そんな日本流華夷秩序を破壊しかねないと、義時はわかっていたからこそ悩んだ。
その宿命を植え付けて去っていったのが、兄の宗時であったのです。

これは京都が権力の中心であった以上、そうならざるを得ないかと思います。
都から離れた地は、特にかつては辺境とみなされていました。その辺境の一つであった奥州に、一大拠点を打ち立てたのはが奥州藤原氏であるのですが、その点については何も触れられていません、鎌倉幕府ができる以前に於いては、かなり大規模の地方政権といっていい存在なのですが。
それと日本はそもそも、隋の統一後は中国大陸の王朝の冊封体制には入っていません。また朝貢もこの当時は既にありませんでした。ゆえに
「日本は遣隋使、遣唐使以来、隋や唐のフォロワーとして国家運営をしていました。西の王朝はそうなっています。ミニ中華の様相を呈していた」
というのはいささか乱暴でしょう。
また武者さんの好きな『麒麟がくる』にも登場する足利幕府、この幕府は明に朝貢外交を行っています。ただしこれは日本にメリットがあるものでした。

それから

そしてこれは宗時以前にもある。
『将門記』です。
「今の世の人、必ず撃ち勝てるをもって君と為す。
たとい我が朝には非ずとも、みな人の国に在り。
去る延長年中の大契赧王(=契丹王)のごときは、正月一日をもって渤海国を討ち取り、東丹国と改めて領掌す。
いずくんぞ力をもって虜領せざらんや」
将門の認識として、中国大陸にいた契丹王のことをあげています。

この契丹王は耶律阿保機のことですね。渤海を滅ぼし、その王位を奪ったわけですが、この渤海は日本に朝貢していたことがあります。無論『吾妻鏡』がそうであるように、これも『将門記』の著者の創作という可能性もあります。
しかしここで思うのですが、宗時は王位(皇位)を奪うことを考えていたのでしょうか。
そもそも新皇を名乗った将門と、宗時を同一に捉えるべきなのか。宗時が『将門記』を例に挙げたのならまだしも、これも無理があるのではないでしょうか。

そしてこの部分、

その大きな言葉に導かれ、義時は正々堂々逆賊ルートを邁進するのではないか?
そう思うと大河の可能性をまた見出せた気がします。
(中略)
本心では(小島氏は)義時に正々堂々、正面切って逆賊ルートを走って欲しいのではありません?
そんなことを妄想してしまう記事でした。

ということですが。
そもそも宗時の北条をトップにする構想というのは、平家支配に対抗すべく、東国の武者たちが仕切る政権がほしいといったものだと思われます。ルサンチマン的で、権力への対抗を鼓舞しがちな武者さんらしい解釈ですが。

そして総評。

大河ドラマって結局なんなんですかね。
(中略)
しつこく言い続けますが、一作目の『花の生涯』は井伊直弼が主役でした。
この主役の時点で挑戦的です。
というのも、井伊直弼はずっと悪人として評価されてきた。司馬遼太郎ですら、テロリズムは否定しつつ【桜田門外の変】は歴史を変えたからとプラス評価をしているほど。
(中略)
なぜそうなるか?というと、要するに明治維新正統化の理屈です。
そうした理屈が敗戦まで叩き込まれていたからこそ、戦後、それでいいのかと歴史観に揺さぶりをかける意味でも、井伊直弼は主役にふさわしかった。

まず「正統化」ではなく「正当化」ですね。
なぜ『花の生涯』だったのかはわかりませんが、そもそも井伊直弼は悪人として見られていたのでしょか。武者さんは嫌いだと思われますが、かの吉田松陰はこの人物を評価しています。実際彦根藩の人々に取ってはいい殿様だったようです。また徳川慶喜も、才能は乏しいが決断力があると言っていますし。司馬氏は『胡蝶の夢』の中で、松本良順の蘭学塾と病院設立に直弼が理解を示したと書いてもいるのですが。
それに「歴史観にゆさぶりをかける」にしては、所謂志士を主人公にしたのも多く作られていますね。

しかし、そんな流れも変わっていきます。
結局はコンテンツとして売れるかどうか。
社会情勢に沿わせるような題材も取り上げられ、近年ですと、明治維新150周年、オリンピック、新札にあわせた大河がまさにそうでした。
歴史学より、広告代理店の戦術を使ったような大河もあったわけです。
それが今年は違う。
大河の原点回帰、歴史観のゆさぶりをかけるところまで戻ってきたのだと思えました。
宗時のセリフも、それに従う義時も、ある意味すごいことをしています。日本人はこういうものだという常識を殴っています。
西日本にいる連中の指図を受けるもんか!
これって朝廷権威の否定ですよね。

これが、初期の10作ほどが逆賊とされた人々を主人公にしたのであれば納得ですが、実際はそうでもありません。
しかもTVドラマですから「コンテンツとして売れるかどうか」は大事でしょう-ただその割に、NHKにビジネスセンスが乏しいのもまた事実ですが。そして
「社会情勢に沿わせるような題材も取り上げられ、近年ですと、明治維新150周年、オリンピック、新札にあわせた大河がまさにそうでした。
歴史学より、広告代理店の戦術を使ったような大河もあったわけです」
どの大河のことを言っているのか一目瞭然です。武者さんの嫌いな大河ですね。
しかし近年の大河では、観光協会や広告代理店が絡むのは当然のことで、何もこの3作に限ったことではありません。『真田丸』などもかなりお金を使っていたのではないでしょうか。また上記3作が、全く歴史を無視していたわけでもないでしょう。『いだてん』に関しては途中で切ったのでよくわかりませんが。
なのに
「それが今年は違う」
とはどういうことでしょうか。
現に『鎌倉殿の13人』の経済効果試算は、307億円と報じられてもいるし、大河とお金は切り離せなくなっています。

「鎌倉殿の13人」経済効果307億円 横浜銀行など試算
(nikkei.com)

それとはまた別ですが、家庭で日常的に映像を観る手段がTVしかなかった、初期の頃の大河の路線を、今なお引きずっていると思われるところにNHKの誤算があるとは思われます。

そしてその後、主だった部分をピックアップしておきますが。

坂東武者が西の言いなりになんてならないと決起し、智勇兼備を目指したからこそ、日本人像はできたと思うのです。
というのも、東アジア文化圏では智勇兼備ではなく、智勇ならば智が上位に厳然としておりました。
中国にせよ、朝鮮半島にせよ、合戦になっても科挙に合格したような知識層が上で、武勇を誇るものはその下についた。
しかし日本では、知恵と勇気を兼ね備えた武士が行政を手がけてきた、独特の特徴があります。
武士が朝廷を倒し、互いに融合しあったからこその日本史ができあがってゆく。

そもそも中国も朝鮮も儒教国家であり、武を卑しむ風潮があったため、武士が登場しなかったというのは事実です。
しかし
「坂東武者が西の言いなりになんてならないと決起」
というよりは、平家を倒したいから決起とこの場合解釈するべきでしょう。朝廷でなく平家を倒し、北条が勢力を握るということこそを宗時は言いたかったのではないでしょうか。
それに
「武士が朝廷を倒し」
とは何でしょうか。そんなことをしたら朝敵認定で、本人に矛先が向けられるでしょう。
武士が朝廷に圧力をかけるとか、権限を狭めるとか書きようがあると思います。
その続きとして
「でもそこを突っ込むとなると、武士が天皇をぶん殴る【承久の乱】が出てくるので……ゴニョゴニョと誤魔化してしまい、結果的に日本人らしさやアイデンティティが危機に陥っていたのでは?と、私は今年の大河を見て真剣に思い悩んでいます」
文章が無駄に長い割に、何を言いたいのかよくわからないのですが、要するに
「武士は朝廷に対抗する意味で鎌倉幕府を作り、その後朝廷の権威と武士の権力というのは、新たな日本人像を作り出して行く。ゆえに日本人像を描くうえで、朝廷と武士の対峙は避けて通れない」
とでも言いたいのでしょうか。

ただ武者さんの場合、今回の大河では、朝廷に盾突く逆賊のように武士、特に義時を描いてほしいようですが、三谷さんはあくまでも『吾妻鏡』に準じた描き方にするようで、その吾妻鏡では義時もかなり悩んではいたようです。それに承久の乱そのものは、『草燃える』で既に登場していますね。

今週は本当に、ラストの宗時をみて大興奮でした。
やりおった、三谷さん、やっちまった! さすがだ、新選組を大河にした人はものがちがう! やっちまった! すげえ、これは推せる!
そう大興奮しました。
この大河は原点回帰したと思えます。

そもそも武者さんは10年ルールがあって、なぜ18年も前の『新選組!』をここで出してくるのかよくわかりません。そういえば『青天を衝け』でも、40年以上前の『獅子の時代』を引き合いに出していましたね。またあとで
「日本の歴史が成立する過程はおもしろいぞ!
そう正面切ってぶつけてくるこのドラマは、傑作になる運命を背負っている」
などとありますが、大河の多くは「日本の歴史の成立過程」を描いているのではないでしょうか。

そしてまたこういうことが書かれています。

本作の坂東武者はハッキリいって近寄りたくないし、嫌だ。
こんなもんどうやって観光資源にすればいいのか、神奈川の皆さんは悩んでいるかもしれないけれど、歴史って、無茶苦茶なところも含め、不都合さもあってこそ、面白い。

坂東武者というのは単に野蛮人ではないし、大番役などを務めるのは出世コースでもあり、都の文化に触れるチャンスでもありました。そして観光資源云々も、武者さんが心配するようなものではありません。無論勝手に心配するのは自由ですが、それこそ観光協会や広告代理店、商工会議所などがちゃんとやってくれるでしょう。
そういえば、商工会議所の前身の商法会議所を作ったのは渋沢栄一でしたね。

それと先日投稿分の小島氏の記事で、『太平記』関連の記述があったのでその部分だけ置いておきます。

(皇国史観では)さきほどの義時よりもきつい表現で、尊氏を批判している。尊氏に味方したのは「よくない武士たち」だと決めつけているけれど、彼らはほんの数年前に後醍醐天皇に味方したのだから、よい武士たちだったはずだ。そもそも尊氏に最初から将軍になる「下心」があって、鎌倉幕府を倒したのだろうか。
大河ドラマでは1991年の『太平記』が尊氏を主人公としていた。真田広之が演じる尊氏は、大恩を受け敬愛する後醍醐天皇に刃向かうことをずっとためらいつづけていた。

大河ドラマの尊氏と本物の尊氏は、同じ人物であるとは限りません。主人公ですし、何よりも『太平記』というデリケートな題材でもあり、あの大河は尊(高)氏の成長物語といった部分が強かったのです。それを考えれば、「よい人物」として描かれるのは無理からぬことです。
尚あの中で尊氏が何かと肩が凝るということを口にし、後醍醐天皇が
「朕も肩が凝る」
と返すシーンは印象的でした。

飲み物-暖炉とウイスキー
[ 2022/02/14 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-55 『武将ジャパン』、『麒麟がくる』そして三谷大河

『鎌倉殿の13人』の放送開始と同時に、『武将ジャパン』の大河コラムについても書いて来たというか、突っ込んで来たわけですが、一応第5回までにしておく予定です。
この人のコラムは好き嫌いで価値基準を決め、表現方法が極端なうえに、『麒麟がくる』だ漢籍だのがやたらに出て来る。これは昨年と同じで、しかも昨年はかなり批判的で、ドラマの中では描かれていないシーンまで、さも登場したかのように書かれてもいました。

第一、鎌倉時代の黎明期が舞台の大河を、戦国時代と比較するのは無理があり過ぎです。学問にせよ戦術にせよ、違って当たり前なのですが、ご本人はそのようにしたいのでしょうが-というか、そうすることで、「やはり、自分が好きな『麒麟がくる』は素晴らしかった」という方向に持って行きたいのでしょう。
寧ろ今回の大河は、『太平記』と比較すると面白いかとは思います。奇しくもこちらの脚本は、『麒麟がくる』と同じ池端俊策氏です。尚脚本というかドラマは、『太平記』の方が面白かったですね。

この『麒麟がくる』は、前にも書いたことを繰り返す格好になりますが、主人公の光秀の描かれ方に加え、演出や衣装の色遣いが受け入れられなかったこともあります。またキャストも一部疑問に感じました。
染谷将太さんが信長、佐々木蔵之介さんが秀吉というのは、どうもこれじゃない感が強かったですし、その秀吉が去った後に猿がいるとか、最初の回で光秀が、母に尻をぶって貰おうと思って、わざと尻を向けて入るなどというのも何やら解せないものがありました。
あと、この画像にありますが
麒麟がくる数式

兵の数をアラビア数字の数式で出すのも妙なものでした。これがドキュメンタリーならまだ理解もできますが、大河ですからね。『鎌倉殿の13人』で、義時が兵の数を割り出すシーンの方が遥かにまともだと思います。

武者さんの『麒麟がくる』好きは、即ち漢籍好きであるともいえますが、それ以前に、ドラマのストーリーをもっと重視するべきかとは思います。

それと先日の投稿で、『鎌倉殿の13人』は
「『青天を衝け』のような溌剌とした雰囲気、人と人の触れ合いに乏しいかなとは思います-無論時代も舞台となる土地も違いますが」
と書いています。こういうのは、朝ドラのように見えてしまうデメリットもありますし、そもそも三谷さん好みではないのだろうなとも思います。確かに三谷さんの大河の場合、一人の若い主人公が希望に胸を膨らませるとか、家族や親戚と触れ合うといった描写はあまりありません。『新選組!』もこれとは明らかに異なります。
『真田丸』は、当初はどちらかといえば2人の狸親父(昌幸と家康)が中心で、若い主人公である信繁はそう目立つ感じではありませんでした。彼がメインになったのは大坂に行ってからでしょう。
無論脚本家それぞれのカラーはあってしかるべきとは思いますが。

飲み物-ホットラム
[ 2022/02/06 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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