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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。なお先日投稿分の、衣装に関する五行思想関連を少し手直ししています。


この大河ドラマは、そもそも人間とは何か?ということすら全く考えてないようです。
前回、重傷を負ったはずの井伊直政が目をキラキラさせて、ガバッと起き上がるなり、戦況を完璧に知ったように「天下取りだね!」宣言をしました。

第43回のこれに該当するシーンですが、

直政「ほんのかすり傷、どうってこと…あ…」
(うまく起き上がれず、肩で息をする)
家康「おとなしくしておれ」

直政「ついに…ついにやりましたな、天下を取りましたな!」

まず最初の方、直政はかなりしんどそうに、起き上がるのもやっとという状態です。
そして後の方、この時直政は既に勝利を知っており、その後島津の軍がこちらに向かっていると聞いて、本陣の前を行かせないようにと井伊の軍勢を走らせたわけです。従って、
「戦況を完璧に知っている」
のは当たり前なのです。

で、今回は、年老いたはずの家臣二名が、情けないオープニングテーマを背景に、槍をブンブン振り回している。
年を取ったら体力は低下する――なんて書いていて、あまりにバカバカしいことすらわかってないかのような振る舞いが画面の中で横行しています。

体力が低下するすなわち何もできなくなるとは、一概には言えません。
体力のみならず筋力などの衰えはありますが。
そしてこの中では、老いなど認めんと言い切る本多忠勝が、榊原康政相手に槍試合を挑んでいるわけですね。昔取った杵柄ではありますが、流石に老いは隠せない、それを表現しているわけですが。

本多忠勝と榊原康政が槍を振るい合う場面。
視聴者の涙を誘いたいのか。やけに冗長で、二人が叫び声をあげるたびに寿命間近な人物には見えない……と思いましたが、背景もまた当時の状況には見えませんでした。

寿命間近とありますが、榊原康政逝去はこのさらに翌年、さらに忠勝が亡くなるのは5年後のことですが。

戦国時代は戦乱で建造物も焼ける。攻城戦のための兵器もいる。
そのため森林伐採が激しく、日本中は禿山だらけになりました。田の改良もまだ時間がかかるものです。
にも関わらず、やけに青々としている。
あの風景は、江戸幕府が森林回復政策をした結果のものではありませんか?

まず、忠勝は桑名藩の初代藩主です。そしてこの時代の桑名藩は、港町と交易の町であり、江戸時代の地図を見てもあまり森林が多い地帯ではなさぞうです。
一応個人の方のブログなので、URLだけ置いておきます。

旧東海道 桑名宿(くわなしゅく)(知立から四日市)-4
http://yamakazeoto.jugem.jp/?eid=184
(山の風音)

そしてここでもまた、こういう人物を出さない、センスがないなどと書かれています。

日本の原風景を作り出した偉人として、それこそ伊奈忠次や大久保長安も出せたでしょう。
本多正純を出しながら大久保長安を出さないあたり、つくづくセンスがないドラマです。

伊奈忠次は登場しています、なだぎ武さんが演じていますね。

成長後の秀頼が出てきます。
衣装は貧乏臭いわ。茶々も着回しだわ。どんだけ貧乏なのか。

「衣装は貧乏臭いわ。茶々も着回しだわ」
ぱっと見黄金の地に紫の鳳凰の水干ですね。緑の地に柄を織り出した袴も、お金がかかっているのではないでしょうか。そして茶々は先日も書いていますが、黒と金を基調にした打掛を何着も持っていて、その時々で違うのを着ていますね。

しかも、この秀頼、宴のことしか口にしない。
本作は、宴の規模でしか権力が表現できないかのようです。貝塚の規模で集落の状況を確認していた時代じゃないんですよ。
それなのに「時は満ちた」とか、陳腐な決めゼリフを吐く家康。
タップすればイベントが展開するスマホゲーの世界です。

この宴、時は満ちた、そして最後に「西ににらみを利かせる」忠勝の肖像画。
これらは何を意味するのでしょうか。普通の宴ではなさそうですが。

今回は肖像画が入りましたが、やはり力尽きていると思いました。
まぁ、そうなりますよね。『大奥』チームがあんなに生き生きして、薩摩切子や懐紙入れを用意しているのに、こちらはニコライ・バーグマンをパクれと言われたらそうなりますよね。
やはり小道具チームは被害者なのかどうか……。

「小道具班、力尽きたまま」
とかでまた4行程度で1パラグラフ。これどうにかなりませんか?
加えてまた『大奥』を叩き棒。
というか、小道具はあるけど武者さんが認めていないだけでは。

その後

なぜ伊達政宗はセリフ処理だけなのか?
個人的にはディーン・フジオカさんが演じるところを見たい人物です。
伊達とゆかりの深い福島県出身であり、かつとてもお洒落。
政宗といえば漢詩も詠みました。独眼竜として唐の名将・李克用を意識しておりましたし、彼にピッタリではないでしょうか。

なる記述から始まって伊達政宗関連が延々と続きますので、悪いけどこの後の関連記述は省略します。殆ど武者さんの自己満足と行っていい文章が続いていますので。

で、猪苗代湖に続いて福島県がどうこう。まあ会津愛が多分にあるのでしょうし、福島県そのものが悪いわけではないのですが、こういう武者さんの自説補強に使われるのが鬱陶しいです。
それに武者さん、ディーンさんが『あさが来た』と『青天を衝け』で演じた五代友厚は嫌いなのですよね。
それは、俳優としてのディーン・フジオカさんを認めていないことになりませんか。
どちらも朝ドラと大河での出演なのですけど。

個人的に政宗の漢詩と言えば「馬上少年過ぐ」を思い出します。

三成の非情さも描くなら、秀次事件をセリフ処理はまずいんじゃないですかね。
三成があの惨劇を冷徹な顔で見守る場面があれば、説得力があったと思いますよ。ま、干し柿すらない今年の大河には期待していませんけどね。
『天地人』ですら秀次事件があったのに、今年はない。なんだったんですかねえ。

逆に、なぜそこまで秀次事件にこだわるのかとなります。
今回の主役は石田三成や西軍諸将ではありません。これらのうち誰かが主人公であれば、もう少し描かれた可能性は高いでしょう、これは『天地人』しかりです。家康もこの事件を受けて上洛して伏見城に滞在していますが(第39回21分辺り)、そこまで重きは置かれていません。

しかし、よほど「柿は痰の毒」と言う三成を見たかったのでしょうか。

で、この後
「ま、私だって大河以外に活路を見出したい。何も期待していませんので」
とありますが、それなら無理して期待していない大河のコラムを書く必要もないでしょう。
何度か書いていますが、これが個人サイトやブログであれば別にその人の勝手です(それでも問題なしとは言えませんが)。しかし報酬付きのコラムで、ドラマはちゃんと観ているかどうか疑問、さらに他の作品を叩き棒にするという姿勢が解せないのです。

この大河は誰かから怒られるのでは?
そう思う理由のひとつに、作り手の性癖暴露があります。
◆「どうする家康」北川景子と松本若菜が一触即発…《笑顔のバトルが恐ろしすぎる》と話題(→link)
海外からすると、日本のコンテンツの痛いお約束があります。
女同士のバチバチ描写です。

以前『篤姫』の篤姫と和宮関連で似たような記事があったのを思い出しました。
しかしこれは「作り手の性癖暴露」なのでしょうか。
その次にこうあります。

そりゃあ、妃と寵姫が競うような作品ならば海外でもその手の描写はあります。
しかし、日本のコンテンツはどんな状況でもぶち込んできて、それをニヤニヤしながら見ているのが「ミソジニー」とみなされてしまいます。

では今までの大河の女性同士の対決を、ここでリストアップして貰えないものでしょうか。ここまで書くのであれば、恐らく武者さんはすべて把握しているのでしょうから。

あと「妃と寵姫が競うような作品」とあります。
一例として、以前武者さんは『風林火山』をほめていたことがあります。ただあの中では妃と寵姫ならぬ、正室と側室の関係がかなり描かれていましたが、武者さんに取ってあれはミソジニーにはならないのでしょうか。

今、トレンドは「シスターフッド」です。
女性同士が協力する姿であり『大奥』の徳川家定と阿部正弘がその典型例。
それが支持される時代に、いまだに「女のバトルw」と盛り上がっている時点で、うっすらと恥ずかしいことは認識すべきではないでしょうか。

トレンドがシスターフッド(女性同士の連帯)とありますが、『どうする家康』の制作スタッフは、シスターフッドを念頭に置いて作ったわけでもないでしょう。そもそも主人公も、その家臣も男性です。
そして一方では、武者さんが何かにつけてカルトの教祖呼ばわりする瀬名が、於愛を家康の側室に指名するシーン、あるいはその瀬名がお万を許すシーン、そういうのは無視されてしまっているのでしょうか。あと、徳川の女性と旭姫の交流もあったかと思いますが。

『麒麟がくる』の駒のことも思い出します。
「女のくせに将軍のそばにいるなんてありえない、おかしい!」と言われていました。それを言うなら、とっくに大坂を脱出した阿茶がうろつく方があり得ないでしょう。

武者さん、先日分でピーキー、つまり
「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」
ことについて書いていましたが、駒という固有名詞に対しては、似たような反応を示していませんか?

そして
「とっくに大坂を脱出した阿茶がうろつく方があり得ないでしょう」
これはまた異なことを。
第43回をもう一度観直してくださいね。来客を伝えに来た家臣が
「北政所様のお使いで」
と、はっきり言っていますよ。

◆松本潤「どうする家康」に再評価の声…歴代大河ワースト2位でもNHK思惑通りでホッ?(→link)
日刊ゲンダイは、これまで本作を散々貶してきたのに、この手のミソジニー描写があると一気に甘くなる。
メディアの支持者が圧倒的に中高年男性だからですかね。
ワースト2位で“思惑通り”とは、そんなワケないでしょ。

「この手のミソジニー描写」
ミソジニーと言うより、茶々と阿茶の駆け引きというべきでしょうね。「嫌いな作品」で、女性同士が何か対立しているとすぐミソジニー呼ばわりするのも、武者さんの悪い癖だと思います。
そしてこれ、ミソジニーが原因だからじゃないんです。記事中にありますが、

「要するに録画して見る視聴者が多いだけ。“史実重視派”の大河ファンがネット上にあれこれ書き込むほど支持されていない、というわけでもなさそうです」
「新たに若い視聴者を取り込もうという実験的な大河と考えれば、NHKの狙いは当たった、そこそこ成功したとも言えそうです(中略)古沢良太さんの“らしい脚本”も泣いて笑える。つまらないドラマとは思えませんけどね」

ということのようです。
こういうのをちゃんと読まず、中高年男性が支持しているとか、ワースト2位で思惑通りのわけがないなどと書くのは、武者さんの決めつけにほかならないと思います。見方を変えれば、武者さんがこの大河が再評価されているという記事を、わざわざ教えてくれたとも取れますが。

それと「ワースト2位」、歴代大河視聴率のことでしょうが、昨年貴方が『鎌倉殿の13人』コラムで書いていたことを、もう一度コピペさせてください。

ネット配信が普及した現在は、記録も容易なことから、特にその傾向が強く、海外ドラマの宣伝を見ていると「驚異的な視聴回数を記録!」といったコピーがついています。
ではなぜ日本では、未だ古めかしい基準に頼っているのか?
メディアや読者の感覚がアップデートされてないというのが大きな理由の一つ。
もう一つ、視聴者数と視聴回数が公表されていないことも確かですが、例えば大河についてNHK側が把握していないわけがありません。
例えばNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』は、視聴率は低いものの、NHKプラスの視聴回数がかなり高かったため、NHKとしては成功とされているようです。
『鎌倉殿の13人』も、視聴回数は公開されておりませんが、かなり高いとか。


飲み物ー暖炉とお酒
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[ 2023/11/25 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』関ケ原そして大坂の陣関連キャスト発表

9月15日は関ケ原の戦い、その当日にドラマの終盤に活躍するキャストが出そろいました。

毛利輝元-吹越満
上杉景勝ー津田寛治
宇喜多秀家-栁俊太郎
小早川秀秋-嘉島陸
直江兼続-TAKAHIRO
片桐且元-川島潤哉
金地院崇伝-田山涼成
林羅山-哲夫(笑い飯)
本多正純-井上祐貴
江-マイコ
大野治長-玉山鉄二
(敬称略)

【第12弾】天下人への道を突き進む家康に、立ちはだかる厚き“壁” 後を継ぐ者たち
(NHK公式サイト)

吹越さん、『軍師官兵衛』の足利義昭と『おんな城主 直虎』の小野政直を思い出しますが、今回は西軍の総大将ですか。そして津田さん、今回は上杉景勝ですね。こちらは『西郷どん』の松平春嶽、そして『青天を衝け』の武田耕雲斎を思い出します。玉山さんは前に出演した戦国大河が『天地人』で、上杉景勝と御館の乱で対立する役でした。

川島潤哉さん、昨年は中原親能の役でしたね。そして田山涼成さんは『徳川慶喜』以来25年ぶりの大河出演です。と言うか、『きのう何食べた?』のシロさんのお父さんのイメージがどうも強いです。後ほど投稿しますが、あのシリーズ、10月から第2シーズンが放送予定です。

そして笑い飯の哲夫さん、『山河燃ゆ』以来の大河ウォッチャーのようです。今回は晴れてその大河に出演です。

今回発表されたキャストは会津攻め、関ケ原から江戸幕府の成立、さらに方広寺鐘銘事件、大坂の陣に至るまでの人々です。10月以降に登場となりそうです。

それにしても、8月発表のキャスト全員の扮装写真を、早く見たいのですが。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/09/16 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムその2です。武者さんによれば、この大河は同じ回想を何度も入れるということですが、私はそれ以上に、このコラムが同じネタを、くどいほど使い回しているように見えて仕方ありません。第一ちゃんと本編を観ていないのではないでしょうか。

それから先日分、このコラムからの引用分の色をやや濃い目のブルーにし、部分的に加筆しています。


織田信雄を愚かに描きたいことはわかった。
だからといって「ノブカツ!」と呼ぶ家康はどうかしています。むしろ、これだと家康が非常識に思えます。
家康に呼び捨てにされても怒らないほど卑屈な信雄は、どれほど鈍感なのか。こんな息子にしてしまった織田信長まで愚かで酷い親に思えてしまう。

信雄はかつては父信長からも愚物呼ばわりされています。天正7(1579)年、天正伊賀の乱ので失敗をやらかし、『信長公記』巻之十二「北畠中将御折檻状之事」によれば、覚悟次第では親子の縁を切るとまで言われています。尚この時信長はまだ石山本願寺との戦いが続いており、この2年後に平定のため伊賀へ侵攻します。

また、ルイス・フロイスの『日本史』では、信雄が何ら理由もないのに、安土城に放火したと記されています。実際明智秀満ではなく、信雄が安土城を焼いたという説はあります。この説に従えば、秀満は安土城を焼かずに、そのまま坂本へと退去したことになります。

切れ者であるから見出したはずの明智光秀も愚かでしかなかった。
自称信長の後継者お市も、結局無能。
信長って、周りを腐らせる呪いの持ち主だったのでは?
いや失礼しました。このドラマは信長周辺以外もダメな人物ばかりでした。

信長が主人公ではないため、光秀の切れ者の描写は限られますし、まあ武者さんが望む光秀像が、必ずしも他の大河で描かれるとも言えないのですけどね。と言うより武者さんの場合、自分が好きと認定した大河の人物を理想像と決め込むため、他作品の描写の面白さを理解できていないのではないか、そう思いたくもなります。

そしてお市が無能、どこがどう無能であったのかを説明してください。そして彼女は信長の後継者と言うよりは、対秀吉軍に対しての、北ノ庄側の総大将と言うべきでしょう。

また先週よかった点として、「マザーセナの回想がなかったこと」を挙げつつも、このように書いています。
「結局、お市との恋愛を盛り上げるための配慮だったようで、今週はバッチリ出てきて、しかもクレジット二番手ですよ」

家康とお市て「恋愛関係」にあったのですか?互いに思うことはあったでしょうが。そして瀬名は家康の正室であった以上、クレジット二番手でおかしくないと思います。

◆【どうする家康】どうなる〝2番手キャスト〟 有村架純、岡田准一、北川景子ら「退場」(→link)
BBC版の関ヶ原『ウォリアーズ』では、信康を死なせたことを思い出す家康が展開の説得力になっていました。
関ヶ原に遅参したから腹を切りたいと語る我が子・秀忠を、温情で許す家康。
そういう厳しい時代は終わったと宣言し、それが泰平の世の幕開けにも思えたものです。
BBCがそういう描写をしているのに、NHKはマザーセナの教義による泰平の世にするとは……。

BBCはBBC、大河は大河なのに、BBCの描き方が正しいと思い込む武者さん。しかも
「展開の説得力」
などとありますが、それを言うなら「説得力ある展開」でしょう。日本語もちょっとあやふやですね。
そして何よりも『どうする家康』で、
「関ヶ原に遅参したから腹を切りたいと語る我が子・秀忠を、温情で許す家康」
といった描かれ方をしていたら、それはそれでまた叩くのだろうなと思います。

『麒麟がくる』の光秀は、亡き妻の爪を小さな容器に入れて振り、その音で偲んでいました。それが本作はいちゃつく回想映像を使い回すだけです。
妻への愛惜の示し方だって見せ方の一つなのに、本作にはそうした細部へのアイデアが全くありません。
脚本家にそれだけの力量や適性があるかどうか。事前にわからなかったんですかね。

また脚本家叩き。
煕子の爪が『麒麟がくる』の光秀の原動力であるのなら、瀬名の遺言は家康の原動力であると思われます。
またこの場合、薬湯もそれに該当すると言うべきでしょう。妻を亡くした主人公が何をよりどころにするのか、作品によって異なるはずですが、所詮は自分が好きな作品を基準、しかも滅多に引き合いに出さない煕子を、こういう時だけ出してくるのですね。

井伊直政は幼く、腕も細く、所作も筋力が感じられず、
そりゃ旧武田の兵たちもついてこないよな……
と悲しくなってきます。
そもそも包帯を巻いて「稽古をつけたあとです」という説明は何事でしょうか。
汗もろくにかかず、着物もきれいで、擦りむいたような傷がポツポツとあるだけ。打撃による内出血の跡はなし。これのどこが?

武田の武士たちがあまりに強くあるいは荒っぽいせいで、稽古をつけた側も負傷していたということですね。
また内出血というのは、皮下で出血がおき、あざやたんこぶができることを言います。脳や臓器で出血が起こることもこう呼びますが、この場合は前者の方ですね。
そして、この画像の直政の頬や腕の赤み、これは内出血ではないのでしょうか。

どうする家康31回直政   どうする家康31回家康と直政


本多忠勝も「細い!」と思ってしまいました。
『八重の桜』の山本覚馬、『鎌倉殿の13人』八田知家や三浦義村と比較してはいけない……そう思おうとしても、どうしてたって比べてしまいます。
これで本多忠勝と言われても、全く納得できません。槍も重たそうに見えないし、見せ方の工夫が足りません。
しかもこの忠勝には、ノースリーブで日焼けしたようなあとがあります。どういうことでしょうか?


どうする家康31回本多忠勝

(画像はいずれも『どうする家康』第31回より)

「これで本多忠勝と言われても、全く納得できません」
武者さんが考える忠勝はどのような人物なのですか?
この大河の忠勝はこうですよ。
忠勝をムキムキに描いたら、それはそれであれこれ言うのでしょうね武者さんは。

また槍が重たそうに見えないとはどういうことでしょう。あれで槍をどっこらしょと抱えたら、いざという時役に立たないのではないでしょうか。そしてこの画像を見る限り、ノースリーブで日焼けしたようには見えませんが。照明のせいもあるかと思います。

漢籍を読む場面で、書見台すら使わぬとはどういうことなのか?
今の本と同じ持ち方だし、読み方もおかしいし、授業風景も現在の学園ドラマのようで絶句します。

それを言うなら、以前『天地人』と『麒麟がくる』の授業風景を比較した投稿があるので、興味のある方はこちらの2つをご覧ください。
まず『天地人』、北高全祝が喜平次と小姓たちを教えているシーンですが、これはいいと思います。
一方で光秀の授業風景ですが、ちょっと江戸時代の寺子屋のように見えます。実際越前にいた時は、何をしていたかわからない(だから鍼灸医説がある)から、こういう創作を入れたのだろうとは思いますが。
それとこれ、光秀が子供たちを教えているところと松下村塾を比較していますから、武者さんは嫌がるでしょうね。


論語の「子路、君に事(つか)えんことを問う」ですが、読み方がおかしいとありますが、具体的にどの点がおかしいのでしょうか。寧ろ主君を諫めるべしというその授業内容について、何か思うところはなかったのでしょうか。

このドラマは、最後までまともに漢籍を取り扱わない気のようですね。
ドラマ10『大奥』や朝ドラ『らんまん』と比較して、ひどく劣っている。
真面目にやる気がないのなら、そんなシーンなど省いてしまえばよいのに、言い訳のように入れてくるのが見苦しい。

×最後までまともに漢籍を取り扱わない
〇武者さんがやってほしい形で漢籍が登場しないので、面白くない

そしてまた『大奥』に『らんまん』を叩き棒。
「真面目にやる気がないのなら、そんなシーンなど省いてしまえばよいのに、言い訳のように入れてくるのが見苦しい」
武者さん、
「真面目に書く気がないのなら、そんなコラムなど廃止してしまえばいいのに、毎週アップする」のは如何なものでしょうか。

書状の色もなんだかおかしくありませんか。
そんなことはないと思いたいですし、詳しく調べないとわからないけれども、朱墨でなく、アクリル絵の具やポスターカラーを使っているようなことはありませんよね?
字体も、戦国時代にしては新しすぎる気がします。ああいうかっちりした楷書で書くものでしょうか。

書状とありますが、榊原康政に渡した地図の朱色の部分でしょうか。
「詳しく調べないとわからないけれども、朱墨でなく、アクリル絵の具やポスターカラーを使っているようなことはありませんよね?」
だったらご自分で詳しくお調べになって、ここでその成果を発表してください。
ちなみにポスターカラーではないと思います。

あと字体云々、武者さんが好きな『麒麟がくる』第38回「丹波攻略命令」から。

『麒麟がくる』地図

見事な楷書ですね。無論手書きだろうとは思いますが、何かフォントを使って作ったのかと思えるほどきちんとした楷書です。

『らんまん』のこういう小道具ははちゃんとしているのですが。
◆万太郎が植物標本を包む「新聞紙」にも驚きのこだわりが…朝ドラ『らんまん』の知られざる「演出の世界」(→link)
だからといってデジタルにすれば良いというものでもなく、相変わらず地図は虫がはっているようで不気味です。

この文春の記事ですが、小道具だけをテーマにしているのではないし、当時の新聞の再現なら朝ドラ全般に言えることです。『エール』で、そういう形の再現が行われたと聞いたことがあります。
そしてあの地図が虫が這っているように見えるのなら、貴方が言うレーシック於愛ではありませんが、眼科に行かれた方がいいのではないかと思ってしまいます。

そして

本多正信はやりすぎでしょう。
(中略)
そして、これはあまり兵法に興味がない人がやりがちなミスですが、できる軍師や智将ほど、せいぜい二手先ぐらいしか見通しません。
実際の相手がどう反応するか。そのときの天候はどうなっているか。
予測不能な要素がありすぎて、先の見通しとは非常に難しいものです。

ここはあくまでも信雄を擁して秀吉と戦うべきかどうか、それを決めるシーンであり、実際の戦での動きや状況を予測する段階ではありません。

本多正信だけでなく、家康もわけのわからない先読みをペラペラしゃべっているので、大の大人が揃って何バカなこと言ってんだ?と悲しくなってきます。
そもそも大切な策は漏らさないことが基本中の基本でしょ?
大切な主君にだけ、こっそり語ればいい。

だから家康と家臣の間だけで共有していますよね?
これも武者さん以前書いていましたが、その時も内輪で情報を共有していたはずですが。
そして家康の「わけのわからない先読み」とは何ですか?

『麒麟がくる』では、明智光秀の内政のやり方に感銘を受けた徳川家康が、意見を聞きに行く場面がありました。
民の安定を成し遂げてこそ、乱世が終わる。そういう丁寧な描写です。
トップが妄想ぎみに「俺が乱世終わらせるし!」と勝負を挑んだって、うまくいきませんよ。

向こうでは光秀が主人公、そのため家康は「従」的存在。
そしてこちらでは家康が主人公、だから本人がやりたいことを口に出してもおかしくはないかと。
それと冒頭の家康のセリフは「乱世終わらせる」ではなく、「乱世を鎮め、安寧な世をもたらす」です。

織田信雄の前で、家老が火花をきらめかせながら斬られる場面。
お祭りみたいで、心の底から「酷い!」と叫びたくなった。
制作陣の誰か、止められなかったんですか?
あんな目の前でわかりやすく殺されてたまるか!

火花が飛んでいましたか?
あの様子を見て、お祭りを連想する人がいますか?
そして例によって『鎌倉殿』と『麒麟』との比較ですが、ここでは信雄は脇役です。
従って、彼が家臣をどのように殺すかを考え、練り上げるシーンにあまり尺を取ることはできません。
ああいう形で誅殺し、その後秀吉が向こうから仕掛けて来た、してやったりとほくそ笑み、家康との対決に駒を進めることの方がより大事ではないからでしょうか。

『鎌倉殿』でも藤原頼衡(泰衡の弟)などは、善児があっさり片付けていました。殺される側が、その作品に対してどれだけの重きを置いているか、それが大事なのでは。

どうする「レーシックお愛」
今週もド近眼設定はまるっと無視!
マザーセナの後継者である彼女は、目の術後も良好なようですね。今後はレーシックお愛という名前で呼びましょう。
そのレーシックお愛の肩を揉み、癒しを得る場面は、作り手の趣味でしょうか。

於愛がうたた寝から目を覚ました時、至近距離に家康がいましたよ。
近眼でも十分見えると思いますが。

それから本多正信関連。

香具師や講談師でないときの正信は、武士ではなく現代劇の探偵のよう。

貴方、この前も同じこと書いていましたね。
で、後登場人物の声が聞き取りにくいとかなんとか書かれていますが、あれを聞き取れないのなら、字幕を出した方がいいです。実際
「字幕を出さなければ何を言っているのかわからない時すらある」
ようなので、今後は字幕付きで「きちんと」観てください。

秀吉は月代。
家康はちょび髭。
そういうメイクでごまかしていますが、人間的な変貌が全く無いから、わけがわかりません。
『鎌倉殿の13人』の北条義時はじめとする登場人物たちを思い出し、切なくなる。
『鎌倉殿の13人』では、各人物たちが毒々しくなっていくところも素晴らしかったけれど、それが抜け切るところも見事でした。
あれだけ憎々しかった頼朝なんて、死の直前には、ちょっととぼけて愛嬌のある「佐殿」にまで戻りましたからね。

「人間的な変貌」て何ですか?登場人物が変貌するとか、そのように書いてください。
そして好きな大河ならこれだけ雰囲気が変わった!と喜び、
嫌いな大河ならどれだけ登場人物が与える影響が変わろうとも、
何も変わらないじゃないかと言いたがる武者さんらしい意見ではあります。


飲み物-テーブル上のマグのビール

[ 2023/08/16 23:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回「史上最大の決戦」あらすじと感想-1

第31回前半部分ですが、その前に。向かって左は『おんな城主 直虎』の山県昌景の肩衣と袴、そして右がこの『どうする家康』の井伊直政の肩衣です。白と紫とで染め分けたようなこの肩衣、多分同じものでしょう。

今回は特に直政の衣装や甲冑は、『直虎』の物を使っているようですね。そしてこの大河も、絹の衣装が増えたような気がします。家康の衣装も麻ではなくなりました。


おんな城主直虎山県昌景  どうする家康井伊直政肩衣

ではあらすじです。

北ノ庄城が落城し、これで兄(にい)様の天下と喜ぶ羽柴秀長だが、秀吉はまだめんどくせえのが残っとるがやと浮かない表情でいた。そのめんどくさい相手とは、家康のことだった。なんとかせにゃならんと秀吉は、白兎、白兎と口ずさむ。そして家康は、秀吉を倒すつもりでいた。

信長の二男信勝を擁して織田家後継者争いに勝利した秀吉は、天下人への階段をさらに駆け上がり、挨拶に訪れる者が後を絶たなかった。そして家康の名代で石川数正がやって来る。数正は列に加わろうとするが、秀長は数正を優先して部屋へ招き入れる。その頃浜松城では、数正を秀吉の許へ遣ったことに家臣たちから反発が相次ぐが、酒井忠次は、秀吉は筋を通しておると彼らを窘める。

確かに当主三法師、名代が信雄、そしてそれを支えるのが秀吉という点では間違っていなかった。我らも筋を通すべきと酒井忠次。しかし祝いの品が信長の形見であり、高価なことで有名な初花肩衝であることを知った彼らは、またも動揺する。下手(したて)に出ればつけあがる、臣従を迫ると家臣たちが懸念する中、本多忠勝は、来るべき戦いに備えて秀吉を油断させ、腹の内を探るためと明言する。

数正を遣ったのは、その目的もあってのことだった。金色に刺繍の豪華な衣装をまとった秀吉は、数正の堅苦しい挨拶を拒み、礼儀作法もどこへやら、座所から転がるように降りて来て数正の目の前に座り、徳川殿が羨ましい、そなたのような家臣が欲しいとあけっぴろげに話す。数正は主からの品をお納めいただきますようにと、初花肩衝を差し出す。思いもかけない贈り物に涙を流す秀吉。

徳川殿が頼りじゃと大げさに振舞う秀吉は、新しい城ができたら招待すると言う。彼方には建築中の大坂城が見えていた。浜松に戻った数正は秀吉が自分の手を取り、仲良くやろうと言ったと、家康と忠次に伝える。猿芝居のようでもあり、赤子のようでもあり、得体が知れないと数正。前にも増して不気味じゃなと忠次。そして秀吉は初花肩衝を押し頂きながら、家康本人が来ないことが不満そうだった。

数正の妻鍋は、岡崎の屋敷で戻って来た夫を労わるが、数正は疲れているように見えた。そして信雄は、自分が安土から追い出されたことに腹を立て、秀吉の許へやって来る。安土は天下人の住まいと言う秀吉に、だからこそ我が住まいとして作り直していると信雄。秀吉にはそんな信雄が身の程知らずに見え、こう警告する。
「己の器を知るっちゅうことは、大事(でえじ)なことでごぜえます」

さらにできもせんことをやらされるほど、つらいものはない、二度と天下に手を伸ばすに及ばずと秀吉は言い、信雄を返してしまう。その信雄が誰に泣きつくかをよく見張れと、秀吉は秀長に命じる。その信雄は清須城で、家康に助けを求めていた。あの盗人を倒してくれと懇願し、それでは徳川殿もお困りと家来に諫められる信雄に、織田と徳川は何を措いても助け合うと家康は口を開く。

かつて自分はこの城で、信雄の父信長とそういう盟約を結んでいた。それから20年、いさかいもあったがその盟約を守り通し、今後も変わらないと家康は言うが、ただ今の秀吉と戦うのは並大抵のことではなかった。刺し違える覚悟があるかと家康は信雄に尋ね、あると答えた信雄に猶予をくれと言う。軽々しく乗るべきではないと忠次は言い、数正はすべて秀吉の手の内ではと懸念する。

家康も無謀な戦はしたくなかったが、2人の重臣はおやりになるかもと話していた。もしそうであれば、これが最後の戦となると忠次。数正も同意見だったが、おぬしはまだまだできると忠次は言う。そして家康は薬湯を煎じながら、瀬名が戦無き世を望んだことを思い出していた。

直政は預けられた武田の者たちに稽古をつけたが、あちこちに傷を負っていた。力を示さないと従ってくれないと言う直政は、自分が最強の兵を率いていいのか、平八郎殿や小平太殿の方がいいのではと口にする。家康は彼らは武田と戦って来て互いに恨みがある、最強の兵を手なずけられるのは、負けず嫌いで人たらしのお主しかおらんと思うと言って、包帯を巻いてやる。

その家康は近い内に大きな戦があったら、兵を動かせるかと直政に問い、必ずや動かしてご覧に入れると直政は答える。一方榊原康政は、若い家来たちの学問を担当していた。その康政に家康は勝算はあると思うかと尋ねる。敵は寄せ集め、結束力では我らが優る、なぜ負けましょうやと康政。

その康政に死ぬかも知れんぞと家康は言うが、康政は、家柄のよからぬ武家の次男坊が、ここまで出世し長生きできるとは思っていなかったと答える。何の悔いもないと言う康政に、家康は地図を渡す。織田方の城が赤丸で囲まれていた。家康は同じ質問を今度は忠勝に向ける。

蜻蛉切を振り回す忠勝は、俺に聞くまでもないこと、やるべしと言ってのける。予想通りの答えだった。天下の覇権を巡って戦えることはこの上ない喜びであり、かつて大高城から逃げ出した家康を引きずり戻した時、このような日が来るとは思っていなかったと言う。

その頃忠勝は、自分を主君と認めないと言っていたのを家康は思い出す。今も思っていない、天下をお取りになったら、考えてもようござると、忠勝は古い瓢箪を差し出す。伯父忠真の形見だった。家康は受け取り、中身に口をつける。


「天下取り」に向けて家康が動き出します。お市と勝家を自害に追いやり、お市を助けに行けなかった家康と、自分の天下を狙うためにも、家康を排除したい秀吉の衝突が始まろうとしていました。しかし秀吉は、織田家の継承に関して筋は通しており、だからこそ家康も、初花肩衝を戦勝祝いとして贈ったわけです。

しかし信雄が秀吉により、安土を追放されます。どうもこの信雄が小物に見えるため、それもやむなしと思われてしまいますが、信雄は家康に泣きつきます。徳川と織田は同盟関係にありましたが、この時秀吉を敵に回して戦うのはかなり大変と思われました。家康は家臣たちに、それぞれの覚悟を打診して回ります。

ところで家康は、まず直政に兵を動かせるかと尋ねていますが、井伊が徳川家の先鋒を務めることを意識しての、この順番でしょうか。そして恐らく直政も今後は、赤備えを身に着けることになると思われます。

そして康政、忠勝にも戦の覚悟があるかどうかを尋ねます。康政のセリフ、第2回の大樹寺のそれを思わせます。そして忠勝は、もちろん異存なしでした。その一方で重臣たちは、これが最後の戦ではないかと考えており、世代交代を窺わせています。また秀吉が数正に、お前のような家臣が欲しいと言うのは、数正の出奔をにおわせていますね。

しかし秀吉の衣装がまたすさまじいものです。一応月代を剃って髷を結うようになってはいますが、あれは黄金の茶室を思わせますね。それと建築中の大坂城、築城総奉行はかの黒田官兵衛でした。

ところで後半部分、「鬼武蔵」森長可を城田優さんが演じています。城田さんといえば『天地人』の真田幸村(信繁)を思い出します。


飲み物-ビールと夜景
[ 2023/08/14 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-5

『武将ジャパン』大河コラムその5です。正直言って、難癖と見られても仕方ないのではと思ってしまいます。


前回のことについて謝りたいことがあります。
酒向芳さんが岐阜県出身で、「くそたわけ」はじめアドリブ連発だったそうです。誤認してしまい、申し訳ありませんでした。
◆「どうする家康」徳のない男・明智光秀“くそ童”に刺されたワケ 酒向芳アドリブ連発!演出絶賛の怪演裏側(→link)
本作は、家康の徳を強調するために、光秀の徳の無さを強調したかったという。
しかし、家康から人徳など窺えないため、光秀はマイナスになってしまったのでしょう。

前にあらすじと感想で書いていますが、光秀はちょっといけすかないおじさんの印象があり、だからこそこういうアドリブもいわば活かされたと取るべきでしょう。
そして家康は寧ろ、このような光秀に戸惑う様子が描かれていたと思います。
「しかし、家康から人徳など窺えないため」
は武者さんの見方ではありますが、この光秀は家康をある意味困らせる、マイナスの存在であるとなぜ割り切れないのでしょうか。やはり『麒麟がくる』の光秀の印象が強いのでしょうか。
光秀絶対の考えはもう捨てた方がいいのでは。

・私の岐阜県出身の友人は、「くそたわけ」といった罵声を私に投げかけてきたことがない。そのため、聞き慣れていなかった
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった

私にも岐阜出身の友人がいますが、普通「くそたわけ」などとは言いません。
(ちなみにその人から「~してまった」「えらい」の意味を教わりました)
しかし武者さんが一応「歴史系ライター」であり、大河を何作品も観ているのなら、こういう東海地方の方言は頭に入れておくべきであり、
「聞き慣れていない」
はもちろんのこと。
「地元出身の英雄を貶す感覚が想像できない」
「地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できない」
も、この場合理由にならないと思います。

最初のことは個人的な話なのでさておき、後の二つを考えてみましょう。
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
『麒麟がくる』で細川藤孝を演じた真島秀和さんが、以下の記事で
◆「麒麟がくる」眞島秀和インタビュー!「現場ではいつも、みなさんすごいなぁって思うことの連続なんです」(→link)
鬼玄蕃こと酒井了恒を演じたいと語っていました。
庄内藩の武士で戊辰戦争で西軍を叩きのめす――山形では知られた人物で、さすが地元愛があると感動しました。
彼に限らず、大河ドラマは地元愛の世界という一面もあるでしょう。
真島さんの出身地である山形県は、『独眼竜政宗』についてはなかなか複雑な感情があり、『天地人』には怒りが渦巻いていたそうです。
そういう地元愛を軽視するスタンスは、大河が本来やるべきことではないと私は思います。

細かいことですが、「眞島」秀和さんですね。
そして「大河ドラマは地元愛」
とありますが、俳優さんが、地元の英雄を演じてみたいというのは無理からぬことでしょう。
しかし大河は「地元愛」だけで済まされるものでしょうか。これが朝ドラならまだわかります。しかし大河は主人公のみならず、敵対する相手、それぞれの思惑が描かれる場でもあります。
ましてや東海地方は、戦国大河の多くで採り上げられる地であり、多くの人々の思いが蠢くわけで、方言すなわち地元愛とならないこともあるでしょう。

それと『政宗』と『天地人』を取り上げるのは、武者さんが好きでないこともあるのでしょうか。
上記記事で眞島さんは、『独眼竜政宗』の印象が強かったことをコメントしていますし、『天地人』では豊臣秀次を演じているのですが。

・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった
大河ドラマで有名になった方言フレーズがあります。
『花燃ゆ』の「せわぁない」で、「どうということはないよ」という意味です。
『八重の桜』の「さすけね」も「大丈夫だよ」という意味です。「さすけねぇか?」という疑問形もあります。
『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いので、地元でも愛されていないようですが、『八重の桜』は会津まつりに毎年綾瀬はるかさんが呼ばれるほど。
彼女が植えた桜が会津若松城にはあるそうです。
そんな綾瀬さんが「さすけねぇか?」と呼びかけると、地元はわーっと盛り上がるとか。

武者さんの『八重の桜』好きは認めます。
しかし『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いだの、地元でも愛されていないだの。それは何か根拠があってのことですか?いくら何でも、こういう決めつけは失礼ではないかと思います。
要は、自分の嫌いなことなら何とでも書いていいと思っているのでしょうね。

そして武者さんの好きな大河、あるいは歴史上人物のみならず、それぞれの地方に地元愛があり、郷土の人物がいるということを見落としていないでしょうか。東北のみならず、北海道でも関東でも東海でも、北陸、関西、中国、四国そして九州、各地の人々の思いがあり、そのシンボルとなる人物がいます。こういうのも、過去の大河を観ていたらわかるのではないかと思いますが。

話を方言に戻しますと、人は、あたたかみのある、ほっとするような気遣いの言葉に、愛着やこだわりがあると思いたい。
それが岐阜の「くそたわけ」にこだわるという時点で、何もかもが信じられません。
岐阜県名物の五平餅を目の前で踏みつけられたような絶望感と不快感とでも申しましょうか。
なぜ、こんな酷い扱いをするのでしょう。
それでも光秀は貶められてあの結果だからまだマシかもしれない。
今週のお市は、持ち上げようとしてあの出来ですからね。過去作品で最低の人物像が更新されてゆきます。

方言とは、少なくとも大河では「あたたかみのある」表現だけではありません。
前の方でも↑書いていますが、歴史上の人物を描く以上、それが罵倒に使われたり、陰謀に使われたりすることもあるわけで、貴方今まで大河の何を観て来たのかと言いたくなります。
あと五平餅は岐阜のみならず、広く信州や奥三河の名物でもありますね。岐阜と言っても主に飛騨地方と思われますが。

私は徳川家康の大河ドラマが決まったと知り、真島秀和さんに出て欲しいと思ったことがあります。
地元の誇りである最上義光、上杉景勝、直江兼続あたりで。
けれども、今は逆です。
最上も上杉も誰一人として出て欲しくない。
兼続は無理でしょうけれども、真島さんは別の作品で地元山形の英雄を演じる日が来ることを切望しています。
最上義光の鉄棒を振り回す姿が見たいですね!

キャスティングをするのは制作陣であり、武者さんではありません。
この大河をきちんと観ようとせず、自分がやってほしいことばかり書いていますね。だから「レビュー」には不向きなのだろうなと思います。

命は天に在り。『史記』「高祖本紀」

なぜか注釈がありませんが、人の運命は天が定めるということですね。

そしてまたジャニーズがどうこう、性被害がどうこう。
この大河を貶めるのが目的なら、はっきりそう書いてほしいものです。前社長の行為による検証と、所属タレントの活動は本来別のものですが、それをいっしょくたにし、いつもであれば嫌悪するような、昭和的価値観とも言える連座をさせたくてたまらないように見えます。

今回の『どうする家康』では、まだ13歳の茶々をファム・ファタールとして描き、まるでNHKが性犯罪を問題視していないかのようなスタンスに見えてきます。

だからあの茶々がなぜファム・ファタールだと現時点でわかるのですか。貴方の都合のいいことのみを前面に押し出すのはやめて貰えませんか。

そしてやっとここで「命は天にあり」関連。

これはもう間が悪いなんてものじゃない。
天にある運命なり意思が、降りてきているのではないか?
そう愕然としてしまいました。そうしたら視聴率も2桁を割るとは……。

武者さんが勝手にそう考えている、あるいはそうあってほしいと思っているだけのように見えますが。
あと8月6日は裏にSPが来ているせいもあったでしょう。
しかし嫌いな大河だと、判で押したように世帯視聴率のみですね。昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数、今年は鳴りを潜めたのはなぜでしょうか。またU-NEXTでの配信を一切書かないのはなぜですか。

戦国武将に危機管理技術を学んでもらいたい。『真田丸』の真田昌幸ならばきっとこう言い、ジャニーズ新キャストを防いだのではありませんか?
朝令暮改の何が悪い! より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!

この間、作間さんが秀頼と決まった時に、武者さんがどう言うだろうかと書いたことがありますが、案の定ですね。
しかし自説補強のために、真田昌幸まで引っ張って来てこういうセリフを言わせるのもどうでしょうね。

ところでそろそろ『どうする家康』でも昌幸が登場するかと思いますが、どんなセリフが登場するでしょうか。

私が真田昌幸なら、こう啖呵を切って、中川大志さんを秀頼役に再登板できないか探りますけどね。
誰であろうとよいのじゃ、この際、ジャニーズでなければな。

「この際、ジャニーズでなければな」
もうこれだけ書いておいた方がよくないですか。つまるところ、これが武者さんの本音なのでしょう。
それと中川さんは、恐らく10月スタートのフジテレビのドラマの収録真っ最中でしょう。

私は、作間さんの秀頼は楽しみです。

※以下のリンクからNHKへ意見を送ることができます。
◆NHK みなさまの声(→link)

何だかこのリンクも惰性でやっている印象を受けるのですが…。
いつまで続けるのでしょうね。武者さんの思い通りにはならないと思うのですけどね。
尚私は、今後も楽しみにしている旨を今回も送るつもりです。

そしてtaketak39460607さんのnote記事関連は次回になりますので、その旨、ご了承ください。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2023/08/13 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムのその2です。先日、このコラムの最後の方の箇所に触れていますが、あれで終わりではなくまだ続きます。それとその先日分にいくらか加筆及び修正をしています。


「松山ケンイチさんの本多正信はよい」という意見もあります。
言わんとするところはわかります。この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています。
経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう。

「この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています」
何をもってそう言い切れるのか不明です。武者さんがそう思いたいからではないでしょうか。
それと
「経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう」
子役に対して随分失礼な言い方ですね。

そしてその後、
「確たる脚本や演出があって演技をするというのは、栄養を補給しつつ走るようなものだと思います。だからこそ遠くまで走れるし、パフォーマンスも発揮できる」
「それができないからと自分の解釈力に過剰に頼りすぎると、ハンガーノックを起こさないか不安になってきます。疲れるだろうし、すり減ってしまうのではないかと」
などとあります。
脚本も演出も中身がないと断定し、松山さんが解釈に頼りすぎていると一方的に主張し、なおかつ、ハンガーノックを起こさないかどうか心配だというのは、武者さんの勝手な決めつけに過ぎません。個人でやる分には構いませんが、こういうのをレビューなどと呼ばないでほしいです。

彼だけ浮いてしまうのは他にも理由があります。
正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ。
他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思えることもあります。ケミストリーがちゃんとしている現場だとうまく回るけれども、これでは食い合わせが悪いメニューのようだ。

「他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思える」
これも他の俳優さんに対して失礼では?というか、松山さんにも失礼かと思いますが。
そして
「正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ」
と言うよりは、他の如何にも三河武士といった家臣たちとは一線を画した、口達者なキャラだから目立つ存在なのではないでしょうか。

時代劇には、特有の所作や作法があります。
しかし、それがしっかりなされていないため、現代劇の名探偵キャラクターの型で演じているようにも思えくる。
彼が実力のある役者だということはよくわかる。しかし、あの「本多正信」に見えるかどうか?というとそうでもない。
もっともこれは彼だけでもなく、岡田准一さんやムロツヨシさんにもあてはまります。
つまり役者でなくチームの問題です。

ここでまた「時代劇の所作や作法」ですが、武者さんがそれを具体的に説明したことがあるでしょうか。それがしっかりなされていないとは、どのようなことを指しているのでしょうか。
そして「あの『本多正信』に見えるかどうか」、本多正信も作品によって描かれ方が違うと思いますが。岡田さんの信長しかり、ムロさんの秀吉しかりでしょう。
キャラ設定を批判したいのなら、チームより制作統括に責任があるとなりますが、私はそれぞれのキャラは面白いと思っています。
そして合戦シーン。

合戦については、これまであまりに評判が悪かったせいか、若干の改善が見られます。
VFXを減らし、実写を増やした。

と書かれており、「多くの視聴者から上がった抗議の声を全く気にしていないわけでもないかも」ともありますが、こういうロケ日程はかなり早い時期に決まっているでしょうし、時間をかけて行軍するとか、合戦で多くの馬を走らせたりするのでなければ、普通にロケをやっているのではないでしょうか。

ただし、小手先だけではどうにもならないことがある。
例えば、秀吉の強さがまったく見えてきません。
大軍を稼働させるために必要で重要な兵站も、外交も、行軍速度も、鮮やかな攻め方も何も描かれていない。
兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない。

この大河では秀吉の強さよりも、家康のライバル、ひいては主君となる秀吉がメインとなっていると思います。ですから武将としての秀吉は、意外に描かれていません。戦場での秀吉は描かれるにしても、たとえば金ヶ崎での大げさに自己主張をするシーン、光秀の首を見るシーンなどが比較的多いように思います。
この間も書いていた「中国大返し」について言いたいのでしょうが、ならば『軍師官兵衛』を観た方がいいのではないかと。

そして、戦国大河なのに戦下手だとあり
(戦のシーンの描写が下手と言いたいのでしょうか)

『江』や『花燃ゆ』は主人公が戦略に疎くても仕方ない。
慶長出羽合戦をすっ飛ばした『天地人』、西南戦争のオチがBL破局じみていた『西郷どん』といい勝負……って、その位置で満足なんでしょうか。

女性主人公大河でも戦闘シーンはありますよ。ちなみに『花燃ゆ』の功山寺の決起と大田絵堂の戦いは割とよかったです。
そして『天地人』、最上軍の襲撃はわずかですがありましたし、『西郷どん』の西南戦争は、西郷が自決せずに銃弾を受けるという描写になっていましたが、BL的なのはありましたか?大久保が、降伏すれば西郷は助けると電信で伝えたことですか。でも、政府軍襲撃の前ですよあれは。
何だかもう戦のシーンとか登場人物の戦略とか、同じ戦絡みであるものの、互いに異なる要素ががごっちゃになっていませんか。しかも上記4作品の戦闘シーンと、この大河の戦闘シーンとどう関わりがあるのでしょうか。比較対象もおかしくないですか。

武経七書は無理にせよ、『孫子』くらい読む時間はあったはずです。

では伺いますが、制作陣が『孫子』を読めば完璧な戦闘シーンが作れるのでしょうか?

このドラマで一番強いのは、わけのわからんナレーターかもしれません。
ナレーターがキンキン声で語るだけで、戦が片付いていきますもんね。
燃える北ノ庄は昭和レトロな、古い映像の使い回しでした。
となると、VFXをあえて減らしたのではなく、単に納期が間に合わなくなっているのかもしれません。だとしたら危機的状況ではないでしょうか。

また武者さんが好きな「危機的状況」。
取りあえず、武者さんが寺島しのぶさんの声が嫌いだというのはわかりました。
そしてこの大河の場合は、何かにつけネガティブな方向に捉えていますが、別に貴方が心配するものではないでしょう。
そして「昭和レトロ」、これも武者さん好きですよね。ただあの炎上シーン、どこが「昭和レトロ」なのかちゃんと解説して貰えないでしょうか。

ナレーターがくだらない口調で北条を説明しています。
戦から遠ざかっていて実戦に弱いというような描き方はいかがなものでしょう。
汁かけ飯も『真田丸』を台無しにするような浅い解釈です。
そもそも、なぜ北条をいまさら出すのか。
北条と徳川、今川、武田はこれまでも深く関わりがあったでしょうよ。

「演出も脚本も中身がない」
「ナレーターがくだらない口調で北条を説明」
なのによく毎週観ていますね。
そしてなぜ北条をいまさら出すのかということですが、これは旧信長領=武田領を巡る争いであり、北条に渡すなとドラマの中でもちゃんと言っているのですが。
そして汁かけ飯と『真田丸』の関係がどうこう、作品が変われば描写も変わると思います。

まぁ、本作に兵法を望むなんて贅沢すぎますよね。
お市が本当の総大将ってだけで、もう勘弁です。
「名目上の総大将は、実は私なの!」
なんて誰かが言い出したら、錯乱したという名目で斬り捨ててしまいましょう。殺すことに気が引けるならば、投獄でもOKです。

お市=総大将は2回出て来ます。
まず綿布が送られて来た時は、お市自身が自分は総大将だと言ったのではなく、大久保忠世がそう言っているだけです。
2番目、落城の前に娘たちを城から出した時は、自分も勝家と共に運命を共にするつもりでああ言ったわけでしょう。無論、秀吉の許に身を寄せるくらいなら、ここで死んだ方がましだという思いもあったでしょうし。

お市も自分がスゴイと酔いしれている様子でしたが、いつどこで戦いを戦略や戦術を学んできましたか。
合戦は体育祭ではありません。
本作は、お市がしゃしゃり出ることを女性の活躍だとでも思っているようだ。
あんな怖い表情をさせて説明台詞を読ませることが女性の活躍? 冗談はやめてください。

お市はしゃしゃり出ているでしょうか。
秀吉が侵略しようとしている織田家を守る気持ちはあったでしょう。秀吉の許にいた三法師を、岐阜に連れて来てもいます。またお市は兄の具足を着けてはいますが、戦場に出ているわけではありません。ただいよいよとなった時に、将来のある娘たちは逃がして秀吉に託したわけですが。
そしてまた「説明台詞」ですか。

愛の近眼設定は、完全に消えました。
前回のレビューで、レーシックでもしたのかと突っ込みましたが、鷹が空高く飛んでいく姿も目視できたので、望遠鏡でも手に入れたのかもしれません。
どうして彼女が近眼か?というと、眼病の人々を気に掛けた逸話があるから。
本作では、その逸話を最初だけテキトーに取り込み、「ドラマを描くにあたって勉強しているよ♪」とでもアリバイ工作したのでしょうけど、途中から完全に忘れてますね。
脚本家は、あまりにも視聴者をバカにしていませんか?

この時の於愛ですが、正信が何度も鷹を呼び、しかも鷹笛まで吹いていたのに戻ってこないことから、行ってしまったのかと察したのではないでしょうか。そして彼女の場合、鷹がいなくなる=正信が鷹匠としてすることがなくなるということは、家康に同行させるうえで有利にもなりますし。
そして正信が去った後、鷹に向かって呼びかけていますが、あれは目視ではなく鳴き声を耳にしたからですね。

幼少期のお市回想シーンが意味不明です。
なぜ彼女は甲冑を着て水に飛び込んだのか?
入水して命を断とうとしたとか?
甲冑は重い。甲冑姿で水に飛び込んだら助かりません。それを子どもが助けるなんてできないでしょうよ。
つくづくこのドラマは子どもに見せてはいけない。ああいう場合は大人の助けを呼ぶしかありません!

「意味不明」て、このシーン第4回の「清須でどうする!」で出て来ますよ。あの時竹千代が鎧をつけたまま泳ぐ訓練をさせられていたけどうまく行かない、情けないと思った彼女は、自分も腹巻を着けて飛び込んだけど溺れてしまい、竹千代に助けられていましたね。
そしてこの時竹千代は
「こっそり水練をなさりたい時は自分を呼ぶように、お市様のことはお助けします」
と言い、それが賤ケ岳の戦いにまでつながっているわけです。

そしてその後に水難事故防止のキャンペーンて、武者さん何を急に真剣になっているのですか?

家康は、これほどしみじみお市のことばかり思い出していて、マザーセナに申し訳ないと思わないんですかね。
しかも、この場面で愛が出てくるから最低だ。仏間でしんみり祈る程度のことすらできていない。

織田家の人質にもなっていたのですから、それは思い出すでしょう。しかも秀吉が勝家を攻めているのですから。
そしてなぜここで於愛が出て来てはいけないのでしょうか、彼女は今の家康を支える女性なのですが。

『青天を衝け』も、妾が大勢いた主人公でした。
今にして思えば、あの女遊びロンダリング技巧は、道義的には最低ですが描き方としてはしてやったりだったのかもしれません。
あの渋沢栄一は一応「千代が一番!」という建前を振りかざしていた。
妾は「相手が誘ったから」という誘導。後妻を迎える時も前妻をアリバイとして持ち出す。
その程度の知恵はありましたからね。
今年は、そうした最低限の嗜みもなく、ただ美女とイチャイチャしたいという欲求がダダ漏れです。

あの時代と戦国時代はまた違いますよ。第一家康の正室の瀬名はもういないし、ならば息子を2人産んでいる於愛が、中心的存在になるのはありうる話です。
それに今の家康に「女とイチャイチャしたい」などという暇はないはずですが。

しかし最近『青天を衝け』叩きがないなと思っていたら、やはり出して来ましたか。

茶々が徳川を恨む理由がわかりません。
なぜこの状況で助けに来ないからと恨むのか?
殺した秀吉でなく家康を?
本作はわけのわからぬ逆恨みが非常に好きなようで、家康が信長を恨む理由もわけがわからなかった。
スーパーマーケットの「お客様の声コーナー」にある無茶苦茶な投稿みたいなセンスですよね。
「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」
いや、他の店に行けよ!と言いたくなる系のご意見。そういう怪文書ドラマを大河でやらないで欲しいのです。

茶々はお市から昔話を聞かされています。当然水に溺れそうになったお市を、当時の竹千代が救った話も聞いているでしょう。そういういきさつがあるのに、助けに来ないのはひどいと言っているわけです。まあこの年齢の少女らしくはあるのですが、もちろんお市はそれに対して、戦とはそのようなたやすいものではないと諭していますね。

それと「殺した秀吉」とは、「誰を」殺した秀吉ですか。この時点では、勝家もお市も自害しておらず、秀吉に殺された(追い詰められて自害した)とはならないはずですが。
また家康が信長を恨むのは、瀬名と信康のことがあるからではないのですか。

あと
「「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」」
これ、
「私が好きな大河のとおりになぜ書かないんですか!他の大河にはこのシーンがあるんですよ、ちゃんと書いてください」
と常に言いたげな武者さんを思わせます。いや他の店に行けよ、ではなく、ならば観ないでおけばどうかと言いたくなります。

夫を殺された云々を言い出すお市。
しかし、その夫と子の死因になった兄を慕って、織田のプライドを語る論理展開がどうしても理解できません。
織田家を存続させたいならもっと他にすべきことがあったのでは?
兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送るとか、やるべきことはあるでしょうよ。
それなのに意味なく綿布を徳川に送る……って、何をしているの?

まずこの大河では、夫の死はあっても子(万福丸)の死は出て来ません。
そして兄信長の家臣であった秀吉が、織田家を食い物にしようとしたからこそ、織田家の娘であることを主張し、悔いはないと自害の覚悟を決め、娘たちに後を託したわけですね。

そして「織田家を存続させたい」とはお市は言っていないはずですが。
「兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送る」
送って、どうするのですか?
「意味なく綿布を徳川に送る」
意味はあるでしょう。あの時お市は誰を待っていましたか?

このドラマは、顔をアップにして、役者の演技力に頼り、長くて中身のない台詞を読ませますね。
毎回同じパターンですよね。本能寺の信長もしつこかった。いい加減さっさとと退場してくれ。そう言いたくなるほどくどいお市でした。

お市が城を出るのを拒むシーンですか。あのセリフに中身がありませんか。
だからお市の気持ちがわからないのではと言いたくもなります。

それよりも、この4行ほどで1つのパラグラフを作っていますが、その必要があるのかなと思います。

飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/10 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第27回に関しての武将ジャパンの記事について-3

まず、先日分とその前もですが、後で多少手を加えています。それからHey!Say!Jump!の、中島裕翔さんの「さん」が抜けていたので直しています。失礼いたしました。では第27回関連の『武将ジャパン』大河コラム、その3です。

しかし、本作にも絶対に手を抜かない場面があります。
女遊びの描写です。
(中略)
『麒麟がくる』では台詞だけで秀吉の女遊びを表現していたのに、ゲスい今年は、ここぞとばかりに用意しておく。だいたい、なんでこの秀吉は信長が討たれるかもしれないと期待している前提なのですか? 結果から遡って騙そうとするのって、歴史もので最もやってはいけないことです。

麒麟は麒麟、家康は家康、佐々木蔵之介さんとムロツヨシさんは同じ秀吉でもキャラ設定が異なります。逆に、陣中に遊女を入れていけないということはないのだし、『風林火山』などでも登場していましたね。しかし、武者さんが言うほど女遊びのシーンがあったでしょうか?

そして秀吉ですが、そろそろ信長もいなくなってくれないかなと、半分冗談半分本音といった感じで独り言を言うものの、自分はバカを見るからやらない、ただもし徳川がやってしまった時のために、引き返す用意だけはしておこうと言っているわけです。無論これは、和睦が成れば引き返すという意味もあるでしょう。

秀吉だけわざとらしく訛らせているのですが、イントネーションが他の地域と混ざっていておかしい。
『レジェンド&バタフライ』も訛りがおかしかったものです。
京雀の関西弁すら無茶苦茶なイントネーションに聞こえました。

「イントネーションが他の地域と混ざっていておかしい」
秀吉は尾張言葉と思われますが、他の地域てどこですか?京の人々の「関西弁」(京ことばと言ってほしい)の無茶苦茶の基準は?

このドラマは、まともな知識を持たずに作っているのでは?という場面がちょいちょい現れます。
・北半球なのに南の方角に虹が出る
・当時は茶器だけに用いられた陶磁器に米飯をよそう
・狼が減っている(新規)

まず南の方角に虹が出ることはあります。本来の虹があり、さらにもう一度光が反射することで、元々の虹の外に見える虹がありますが、副(二次)虹と呼ばれているようです。そしてさらにもう一度反射すると、今度は太陽の方に虹が見え、これを三次虹と呼ぶようですが、非常に珍しいとされています。

それから陶磁器にご飯をよそうのは、山茶碗ではないかとも思われます。東海地方を中心に見られた食器で、釉を使わずに焼かれています。ただドラマの中のは丸みを帯びていますが、出土しているのはもう少し平坦な形の物のようです。
これに関してはこちらが詳しそうです。

山茶碗の用途をめぐって̶摩滅痕の分析から̶
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo07/0708take.pdf
(愛知県埋蔵文化財センター)

そして「狼が減っている」と言うよりは、於愛が自分は兎を見たことはあるが狼は見たことはない、つまり狼は減っていて兎はたくさんいる、ゆえに沢山いる兎の方がたくましいのではと結論づけているわけです。

なのに狼が減ったのはどうこうという文章が書き連ねられ、しょうもないミス、脚本家が歴史に興味がないなどとありますが、叩きたくてたまらないように見えてしまいます。しかもこの場合、武者さんがドラマ本編をちゃんと観ないという「ミス」をしているように見えますが。

大河ドラマで織田信長を演じる――。
もしもそんな依頼があれば、役者冥利に尽きる一世一代の大役であり、心踊ることでしょう。

無論演じる側としてはそうでしょうが、その信長の役どころや出演回数は様々だと思います。たとえば吉田鋼太郎さんが演じた『真田丸』の信長の出番はかなり限られていました。

けれども、そんな晴れ舞台の脚本があまりにひどい。
そうなったら、どこに怒りをぶつければよいのか。
過去にそんな無念の思いを抱いた役者はおります。
『天地人』で信長を演じた吉川晃司さんは不満を漏らしていたとか。

吉川さんが不満を洩らしていたという、その裏付けを知りたいものです。
そしてその吉川さんが『八重の桜』で演じた西郷隆盛はよかったなどとありますが、『舞いあがれ!』の大河内教官はどう映ったのでしょうか。そして他の俳優さんも、大河のリベンジがどうこうと続き、さらに岡田さんを
「残念信長枠」
と決めつけてこう書いています。

◆「どうする家康」岡田准一 信長役再挑戦に意欲「いつかまた出会えれば」実は“初回からOA未見”と告白(→link)
「信長役の再挑戦に意欲」という言葉でかなり肯定的に描かれていますが、実際は少なからず不満がおありでは?
「実は初回からオンエアを見ていない」
とのこと。
それだけでもちょっとした驚きですが、冗談でごまかしたかのように以下のような発言をされています。

とあり、記事の引用が以下のようになされています。

トークショー中も「全部終わってから見ようかなと。途中で見るといろいろ言いたくなる。僕の出番が終わって、松本君の成長を一気見して、ここまで持っていったかというのを見られるのも良さかなと」と明かし「途中で見ちゃうと磯さんに“あれ、どうなってるんですか?”と議論が始まっちゃう」と笑いを誘った。

別にそれはそれでいいかと思います。OA後しばらく経ってから追いかけるのも大変でしょうし。なのに
「この笑いを誘うという発言、目は笑っていなかったのではありませんか」
とあるのですが、何か根拠がありますか。武者さんがそう思っているだけではないのですか。

で、木村拓哉さんが出演予定のCMが白紙撤回されたという記事が、今回は2本ありますが、これこの前もリンクが貼られていなかったでしょうか。

そして甚だ残念なことながら、岡田さんにそのリベンジができるか?というと、現状、厳しい状況が続いています。
◆ 木村拓哉「ジャニー喜多川氏性加害問題」でCM消滅報道ウラにジャニーズの「深刻なスポンサー離れ」(→link)
◆ 資生堂はキムタク起用を白紙撤回報道 ジャニーズ事務所が直面する「大手スポンサー離れ」の必然(→link)

尚フライデーと日刊ゲンダイ(先日分で日刊タブロイドと書いています)の記事です。

いくら所属タレントに罪はないと叫んだって、お金を出すスポンサーにとっちゃ、リスクのない方を起用した方がいいのは当たり前。

だから、所属タレントを犯罪者呼ばわりしていいとは、もちろんならないでしょう。

別の記事では、見所をこう語っているわけですが、
◆「本能寺で家康は『第3形態』になる」 今後の見どころで岡田准一さんが予告! 「どうする家康」でコメント公開(→link)
オンエアを見返すこともない人に、ギアをチェンジしたかどうか?わかるとも私には思えなくて……。

この記事ですが、岡田准一さんのコメントとして

岡田は「『本能寺』で3回目くらいのギアチェンジがあり、家康は『第3形態』になります」とコメント、「そのギアチェンジのきっかけとしての僕の役割は、ここで家康の心に何を残せるかということに尽きると思ってやってきました。実は2日くらい前の撮影で、松本君がぐちゃぐちゃになる芝居を見られたので、僕の役割は果たせたのかなと思っています」と意味深に語った。

とあり、ギアチェンジをするのは家康で、信長はそのきっかけを作るわけです。しかし武者さんの書き方だと、信長がギアチェンジをするように取れてしまうのですが。

今年の大河ドラマは、考え方が陰謀論じみていて困ります。
脚本家からして「史実なんてフィクションだ」と堂々と語ってしまう。
史実とされている物語よりも、自分の妄想の方がいけてるし面白いw その妄想の邪魔になる要素は全部消していくw
といった創作スタイルなんでしょうね。
ただ、一年間を通して描く大河ドラマで、それをやるのはあまりに危険。

「陰謀論じみていて困ります」
失礼ながら武者さんから言われたくないような気がします。
そして「史実」の解釈は脚本家によりまた様々です。
それは武者さんが好きな戦国大河
『真田丸』、『おんな城主 直虎』そして『麒麟がくる』
でも同じではないでしょうか。
結局のところ、好きな大河であれば多少史実がアレンジされても黙認し、嫌いな大河であれば危険だなんだと言ういつものパターンだなとは思いますが。

だんだんと悪化して、5W1Hみたいな基礎まで飛ばすようになりました。家康の堺見物なんて、思いついちゃったシナリオの邪魔だからすっ飛ばすのでしょう。

ネタバレになりますが、家康の堺行きは、ちゃんと描かれるようですよ。
「信長(岡田准一)が本能寺へ入ったという知らせを受け、家康(松本潤)は堺へ向かう」

「家康が信長を討ったで!」
と京雀が間抜けな叫びをあげた場面は何ごとでしょう?
それで視聴者を引っ掛けたつもりかもしれませんが、本能寺の変がそうでないことは誰でもわかること。ハラハラするわけがない。
しかもこのひっかけパターンは三方原の戦いでも使っています。

なぜあのシーンであのようなことを言わせたか、仮にも「歴史系ライター」なら、それについて考えてみようとは思いませんか?あと三方ヶ原のひっかけとは、夏目広次が家康の身代わりになって討たれたことでしょうか。しかしあそこで引っ掛けられたのは、やはり井伊虎松でしょう。無論引っ掛けられた視聴者もいたかとは思いますが。

本作は、陰謀論者が使いそうなロジックで話を組み立てるため、かえって話の展開がわからなくなることがある。
カルト経典の類は、何が言いたいのかまったくワケがわからないことがありますが、それと構造が似ている。
自分たちだけが解読できる! スゴイ! 特別!
そんな優越感を発生させるにはうってつけですね。公式がこんな注釈みたいなインタビューを出さねば理解できないほど。このドラマは暗号読解ですか。

また陰謀論にカルトですか。武者さん本当にこの2つ好きですね。そして
「カルト経典の類は、何が言いたいのかまったくワケがわからないことがありますが、それと構造が似ている。
自分たちだけが解読できる! スゴイ! 特別!
そんな優越感を発生させるにはうってつけですね」
これまた失礼ながら、かなり大きなブーメランになっていませんか?

◆「どうする家康」信長が光秀にキレた本当の理由 演出統括・加藤拓、饗応シーンの裏側明かす(→link)
なぜわかりにくいかというと、最大の見せ場すらアドリブだからのようでして。作っている側も混乱しているのでは?
アドリブって料理ならばパクチーみたいなもので、それをメインにしてドレッシングかけて出すようなものではありませんよね。

わかりにくくもなくアドリブでもないと思います。信長を超えて行こうとする家康が段々としたたかになる、その過程を描く1つの方法と言えるでしょう。それをわかりにくいと言うのは、ドラマをきちんと観ていないからではないですか?

しかも、台本では家康と信長が安土城で相撲を取るはずだった。
だからタイトルも「安土城の決闘」。殺し合いでもない相撲なら「安土城の大一番」でしょうが、本作のお粗末語彙力ならばそこはあきらめましょう。
いやいやいやちょっと待て……アドリブで相撲そのものが消失したなら、もうタイトル詐欺ですよ!
◆「どうする家康」松本潤&岡田准一のアドリブ光る本能寺前夜の12分(→link)

「アドリブ」と言うのなら、後半のこの部分で使うべきでしょう武者さん。そして決闘としたのは、大一番だとすぐに相撲ということがわかってしまうから、敢えてその辺をぼかしたのではないでしょうか。尚この部分、ガイドブックでは当然ながら、相撲を取る設定になっています。

そして岡田さんは、第21回「長篠を救え!」でもアイデアを出しています。
こちらは小手伸也さんの引用ツイートです、一応リンクとツイート本文を置いておきます。

https://twitter.com/KOTEshinya/status/1667503177384742919
この辺りのシーン、信長様が"家臣団を挑発したい"というアイデアを出し、煽り耐性の無さそうな平八郎、彦をロックオンしたら...という流れから現場で生まれたシーンで、誰が誰を止めるみたいな動きも各自が反射でやってます。そんな半アドリブを交えつつアイデアを出しながら撮ってます!

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/07/21 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-1

ところでこの『麒麟がくる』第39回のコラムに関して、これはおかしい、あるいはわかりづらいと思われる部分をピックアップしておきます。ちょっと変則的ですが、光秀を主に描いた部分と、そうでない部分とに分けています。まず後者の方です。

1ページ目
朝廷は岐阜まで三条西実澄を遣わし、どういうことかと問い詰めます。
京には京の理(ことわり)がある――それを伝えにわざわざ来たのです。

この三条西実澄関連で。この人の祖父は三条西実隆です。
以前武者さんは、『どうする家康』の金ヶ崎の回絡みで、当時越前ガニはあったのかと言ったツイートをしていたようで、これに対して歴史考証の平山優氏が、史料を読んでいないのかという内容のツイをしています。この史料に出てくる人物、もっと言えば、自らの日記に「越前蟹」と記載した人物は恐らくこの実隆です。

信長は悲しい。
母に魚を釣り続けても、喜んでもらえない。
父に箱詰めの松平広忠の首をあげても、喜んでもらえない。

この松平広忠の首、「箱詰め」とありますが正確には首桶です。そして喜ばないその理由について武者さんは、遺体損壊(注・武者さん用語、遺体から首を取ること)が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのだなどと書いています。

しかし実際の映像は違っており、父信秀は広忠の首を取ったことで、松平が人質の竹千代を取り戻しに来る、そうなれば織田が危なくなると息子を叱っていたわけです。武者さん、一体何を見ていたのでしょうか。尚これについては、下記の投稿に書いているので、一読くだされば幸いです。


本作は無駄がないので、三者のセリフで状況が見えてきます。
松永久秀:物量差を指摘。本願寺側の物量を遮断できないからには、攻め手が不利になるばかりだとわかる
明智光秀:天王寺砦は狭い。狭いということは、物量の確保が難しく、攻め手の装備関連に不備があるとわかる
佐久間盛信:この口調からは、信長のパワーハラスメント気質が伺える

無駄がどうこう言うより、その放送回の尺の問題もあるかと思うのですが。
そして彼らのセリフではこんな感じです。

久秀:敵の方が人数も鉄砲も多い。
光秀:この(天王寺)砦だけでは手勢が少ない、他の砦と共に動くべき
信盛:主君信長がこちらに向かっている。それまでに打つ手を考えなければならない
久秀:攻め込むなら一気に攻めた方がいい、使いを出そう

でその後信長が来て、原田直政の家来を一向宗徒と決めつけ、乱暴を働くわけですが、信盛のセリフはその前のものであり、別にこれだけではパワハラ気質など窺えませんし、主君が来るまでに策を練っておこうと家臣が考えてもおかしくはないでしょう。

3ページ目
コロナが猛威を振るう中、アジアは欧米と比較してやや軽いとはされます。
方方『武漢日記』には、コロナによって東洋医学が息を吹き返したと語る人物について記述があります。
軽んじられがちな東洋医学ですが、実は何かあるのかもしれない。そこも考えつつ、医事考証をしている本作を見ていきたいところです。

東洋医学との関連はともかく、最初の株はアジアよりも欧米人の方が感染しやすかった、また欧米人はマスクをしたがらないのでそれも影響したとも言われています。実際アジア人に比べると、マスク即ち病人という印象があるのかかなり嫌がるようですね。

家康と築山殿は、仲が冷え切っているとわかる秀逸な場面でした。
理由は理解し合えないこと。

そのイメージを今年のにも当てはめているフシがありますね。麒麟は麒麟、家康は家康なのですけどね。そして風間俊介さんをやけにほめています。その一方で今年はジャニーズ忖度などと書いているようですが、風間さんもジャニーズなのですが。

東洋の時代劇となると、髭と結髪が課題だと思います。
現代風に前髪を落とすとか、髭を断固無視するとか。そういう『天地人』あたりの模索はもういらない。むしろ時代遅れで、それを続けると韓流と華流に食い尽くされて無惨なことになる。

この人は前髪にやけにこだわりますね。私も『天地人』はあまりなじみのある大河とは言い難かったのですが、兼続の最初の頃はまだ年齢も若く、前髪を残していてもそう不自然ではなかったでしょう。さすがに直江家に婿入りしてからあの前髪はどうかと思いましたが。あと子供の教育施設については、『天地人』の方がよく描けているところもありました。

髭を断固無視するというのは、どの大河のことでしょうか。幕末はあまり髭のない人もいます。明治になって、髭が復活しましたが。

しかしこれを言うのなら、今回の奥平信昌を演じる白洲迅さん、もみあげまでそっくりにしていますけどね。

4ページ目
時代劇のレベルもあがり、かつ育てたい若手も見えてきました。門脇麦さん、中川大志さん、大島優子さん、溝端淳平さんがそうではありませんか? 期待が高まるばかりです。

その溝端さんは、武者さんが嫌いな『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。しかもこれが大河初出演です。さらにガイドブック前編で、松本さん主演の作品に出られて嬉しいと語っていますが、これについての武者さんの意見を伺いたいです。

話を『麒麟がくる』にしますと、鉄板人気をイージーに掴みにいくのであれば、こういう日本人多数の脳裏にある、かっこいい理想の信長像をイケメンに演じさせればそれでよかったとは思うのです。
そういう像を捨て、童顔で愛嬌があり、それでいて怒りっぽくどこま挙動不審な信長にした。このことそのものが『麒麟がくる』の先進性であり優れた点だと思います。

要はそういう人物を、この作品が求めていたからでしょう。
それを言うなら、『西郷どん』の鈴木亮平さんにしろ、『どうする家康』の松本潤さんにしろ、それまでとは違ったイメージのキャスティングなのですけどね。尚この染谷さんの信長には、やはり私はどこか馴染めませんでした。
それと「かっこいいイケメン」に演じさせて、中身をそれまでとは変えてくるという方法もあります。これは以前にも書いたことがあります。そして、今年の信長はそれに近いでしょう。

大河の歴史は、今年ではっきりと変わったのです。
リアルタイムで見られて幸運でした。
社会がなんとなく求める最適解よりも、作り手がハッキリとこれだと言い切れる答えがよい。そんな力強さを感じるのです。

最近の大河はどれも似たようなものではないでしょうか。「作り手がハッキリとこれだと言い切れる」大河は、武者さんが好きな大河だけに当てはまるわけではありません。ならば私は、武者さんが散々こきおろしている今年のも、作り手の意志が感じられるかと思います。

2000年代あたりからは、大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる。嫌な流れができているようではあった。
そろそろ、大河には原点回帰して欲しかった。
主演が文句なしに輝いている、そういうものが見たかった。

「大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる」
具体的にどのような俳優さんなのか書いて貰えないでしょうか。そういうのを無視するから、単に武者さんの妄想にしか見えないのです。
そしてこの「原点復帰」、これも具体的にどういうことなのか書いて貰えませんか。
主演が文句なしに輝いているというのは、武者さんが嫌いな大河でも同じだと思いますが。

この大河は、2020年代の扉を開き、大河の危機を乗り切る一歩となったと思います。
思えば一年前、十年後に大河ドラマはなくなっているのではないかと危惧していたものです。
そんな危惧を吹き飛ばすどころか、希望を残してゆく。本作は紛れもなく偉大でした。大河という枠に、麒麟を呼んだ。そういう作品になると思えるのです。

以前にも書いたことがありますが、十年後(この時から数えてですから、今から八年後でしょうか)に大河がなくなっていればそれでもいいです。何かがその穴埋めをしている可能性はあります。

あと個人的に、途中でリアルタイム視聴を止めたせいもあり、希望を残していくとか偉大という印象は、私の場合あまりありませんでした。そもそもこの「麒麟を呼んだ」ですが、麒麟とは本来仁政を行う王の元に現れる存在で、この場合戦国の世を平らかにすることであり、それを大河枠に呼んだというのは、大河枠そのものが混乱していたように取れてしまいます。

ただ2010年代の大河で、武者さんが好きな作品は『八重の桜』をはじめ、結構あったのではないでしょうか。本人には嫌いな作品しか見えておらず、それが大河枠を混乱させていると思ったのでしょうか。何はともあれ、武者さんはとにかくこの大河をほめたいのだなとは思いますが。

視聴率のことは、オンデマンドやBSもあるので、回復はそもそもが難しいと思います。
今年は前年の低迷や、岩盤視聴者層の流出の影響もあったでしょう。

好きな大河だと優しいですね。昨年はこれ以外にも、NHKプラスの再生数が多いのだろうとまで書いていましたね。その一方で、一昨年とか今年とか、嫌いな大河の場合は世帯視聴率のみで語ろうとしているのですね。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2023/06/07 01:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その2

今回は2ページ目です。それから先日分の投稿で、意味が通りにくい箇所を訂正しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912

今回はこちらからです。

Amazonプライムビデオに『MAGI』というドラマがありました。
天正遣欧少年使節団を描いた作品で、織田信長と豊臣秀吉が出てきます。
信長を演じるのは吉川晃司さん。
秀吉は父・拳さんを彷彿とさせる緒方直人さん。
この二人が、信長と秀吉の理想形のような人物像でしたので、非常に爽快感がある一方、焦りも感じました。
大河はもう二度とVODに勝てないのでは?

「大河はもう二度とVODに勝てないのでは?」
私個人としては、今後大河が作られなくなろうが、あるいは1年が2クールになろうが別にいい(その穴を埋めるものはある)のですが、大河がなくなって困るのは関係者とか、武者さんのような人だろうと思います。なのにわざわざ、これは大河の脅威になると書く必要もないと思います。寧ろ大河もこれに負けないだけの意気込みを見せてくれと書くのならわかりますが。
あと吉川さんは『天地人』で信長を演じていますが、武者さんはこの大河は嫌いなうえに10年ルールに抵触するのか触れられずじまい。それと緒形直人さん(『方』ではなく『形』だと思います)も『信長 KING OF ZIPANGU』の主演でしたが、これも観ていないのか、10年ルールのせいなのか何も言及なし。

で、

そんな心配は、2020年『麒麟がくる』における織田信長が染谷将太さんに決まったというニュースで吹き飛びました。
ベタではない信長にチャレンジするんだな……と思ったからです。

有体に言えば、『麒麟がくる』の視聴を途中で止めた理由のひとつにこの染谷さんの信長もあげられます。染谷さん自身の演技にどうこう言いたくはありませんが、どうも信長と言うより秀吉と言った雰囲気が強く、結局馴染めずじまいでした。

むろん時代考証を考えれば史実から逸脱させてはいけないという制約はあるだろうし、新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが、チャレンジなくして進歩はありません。

「新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが」
と、染谷さんの信長を受け入れられないのが悪いような書き方ですね。武者さんの場合いつもそうなのですが、自分が好きな作品は受け入れられて当然、受け入れられない方が悪いという書き方が多く、そういう部分に反発もあるのではと思われます。
それとこの『麒麟がくる』は2020年の大河(放送は2021年2月まで)で、既に放送は終わっています。にもかかわらず、
「バッシングも起こるでしょうが」
と、まるでこれから起こることを予想するが如き表現も、ちょっとどうかと思います。

で、またしても今作との比較。

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

「昭和から平成前期にあったヤンキー信長像」
て、具体的にどういう信長ですか?この頃大河で信長を演じたのは、藤岡弘さんとか、前出緒形直人さんとか、『秀吉』で信長を演じた渡哲也さんなどですが、彼らはヤンキーだったでしょうか?緒形さんの信長も異色ではありましたが、それとはまた違ったかと思います。
また今回の信長、私としては、あらすじと感想でも書きましたが、恐らくは『平清盛』を踏まえており、これもまた今までとは異なる信長像であるかと思いますが。
「テレビ業界が考えるベタな信長像」
とは、たとえば『利家とまつ』の反町隆史さんとか、『功名が辻』の舘ひろしさんが演じた、新しがりで長身で、しかも相手を威圧する雰囲気がある信長こそが、それに該当するでしょう。無論ベタではありますが、その時々の主人公を活かすための設定ではあったと思われます。

『麒麟がくる』で船に乗ってやってきた、染谷信長の登場シーンと比較したらなんと陳腐なことか。

あの染谷信長も、私には「漁師のお兄ちゃん」にしか見えませんでしたが。まあ『麒麟がくる』なら何でもほめたがる武者さんらしくはあります。

今年の『どうする家康』は合戦の様子を湿っぽく見せ、「戦を避ける家康は素晴らしい」と誘導したいようです。
しかし、戦闘や負傷者の描写があまりに薄っぺらくて、かえって悲惨さが伝わってきません。視聴者を身震いさせた『鎌倉殿の13人』に遠く及ばないでしょう。
戦争の傷という点では『麒麟がくる』が秀逸でした。

まず『どうする家康』は合戦を湿っぽく見せているでしょうか。戦を避ける家康は素晴らしいと言っているでしょうか。大高城で決断を迫られた家康=元康が家臣の圧力に耐えかねて逃げようとしただけだと思いますが。
それと戦闘や負傷者の描写が薄っぺらいて、この前の第2回で、松平昌久の銃弾の的になった元康の家臣を見ても、同じことが言えるのでしょうか。自分の判断ミスで家臣がああなったのを見た元康が、いたたまれない気持ちになったのもまた事実でしょう。
結局ここでも『鎌倉殿の13人』と『麒麟がくる』は素晴らしい!それに比べて本作は…と言いたい、それだけのように見えます。

そしてやはり『麒麟がくる』を叩き棒にして、
「本作は上っ面で戦争を描いているだけに思えてなりません」
だの、
「元康が戦場から逃げ出すことで笑いをとろうとするようなセンスからもうかがえる」
(いや笑いを取るというのとはまた別でしょう)
だの。
さらに

戦場には将兵が大勢います。そこで何らかのスイッチが入って我先に逃げ出すと隊列が崩れ、それだけで大損害が出てしまいます。
撤退戦は難しいもので、将たる者は、なるべく部隊が乱れぬよう、逸る心を抑えて指揮を取らねばならない。
そんな戦場で大将が率先していなくなるって?
「ヘタレ」なんて笑っている場合ではなく、人命を著しく損なう危険性があります。

あれは戦場と言うか、大高城に立てこもっているわけです。
ですから隊列云々の問題ではないし、織田とのにらみ合いがいつまで続くかの持久戦と言うべきでしょう。そしてこれは第2回に関するコラムですが、第2回では元康は逃げていないし、第1回でも逃げようとしたけど逃げられなかったわけです。
しかしそれを言うなら、織田信長は金ケ崎から撤退する際、真っ先に陣を抜けて駆けだしていますが、武者さんとしてはそれはどう考察するのでしょうか。

要は、戦争に対する緊張感が全く感じられない。弛緩しきったドラマになっているため、いきなり介錯云々やられても、悪ふざけにしか見えないのです。

その前の大樹寺のシーンを見ていたら、「弛緩しきった」などとは言えないのではないでしょうか。あの時元康は自分の判断ミスの責任を取ろうとしていたわけなのですが。

そしていつものと言いますか、武者さんの比較対象のおかしな点としてこれを挙げておきます。

「がおー!」なんて、あざとく叫ぶ武家の夫人なんて、もう全く理解できない。
『鎌倉殿の13人』の大江広元を思い出してください。
彼はしばしば謀殺を進言していましたが、なぜ殺すのか、殺すことでどういうメリットがあるのか、いつも計算があった。
ああいう理詰めの言動で、彼自身の行動規範は説明されていた。
わけもなく叫んで誤魔化すような真似はしていません。

於大の方と大江広元を、なぜ比較するのでしょうね。何か共通点があるのですか?とにかく何か気に入らないと、適当な対象を引っ張って来て比較しているだけのように見えます。

大河に限らず、駄作にはある特徴があります。
主要な登場人物たちが、顔と顔を直接突き合わせていないとシーンを盛り上げられない――私はそれを「フェイストゥフェイスシステム」と呼んでいます。
映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です。
これをしばしばやらかすと、登場人物がテレポート状態になり、絵が単調になります。

駄作認定したくてしようがないのでしょうね。
本当の話、私は『鎌倉殿の13人』の室内のシーンに、それに近いものを感じたことがあります。
で、その後に
「家康と信長の出会いなんて、まさにそうでしたが、バストアップを多用するには理由があります。
所作を誤魔化せることです。
時代ものは特に所作の美しさが重要です」
などとありますが、手下が担いで来た竹千代に向かって白い子兎のようじゃ、食ってやろうかと顔を引き寄せるシーンであれば、寧ろバストアップにならない方が不自然でしょう。
あと
「映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です」
とあります。この「危険な兆候」は昨年のこのコラムでも使っていましたが、何だかわかりづらい表現ですね。「あまりこういうのを多用するのは考え物です」くらい書けませんかね。こういう日本語のわかりづらさも、このコラムの文章に違和感を覚える一因ではあります。

思い返せば2015年大河『花燃ゆ』では、上級武士の妻たちが、和室屋内でスタンディングパーティでもするようにずらっと立っている珍妙な場面がありました。
カナッペでも食べるのかと呆然としたものですが、今ならわかります。

ここで『花燃ゆ』叩きですか。しかしこれも例によって、第何回のどのようなシーンであるかの説明が抜け落ちています。それと「カナッペでも食べる」て、要はビュッフェスタイルのパーティーみたいだと言いたいのだと思われますが、この辺の表現もどうにかならないものでしょうか。

さらに

そして今年も、ぬぼーっと立っている場面が多く感じます。
昨年と比較するとわかりやすいかもしれません。
『鎌倉殿の13人』では、室内で複数名が座りながら協議をする場面が多くありました。エキストラたちがずらっと集まりながら座り込む場面も多かった。
それが今年は立ちっぱなしで、しかも妙な顔つきのエキストラが多い。いきなり切羽詰まっているのは?と感じるのは、そうした状況も一因です。

この「ぬぼーっと立っている」とは具体的にどのシーンでしょうか。今のところ戦のシーンが多いわけで、大将以外は立っていてもそれは当然だと思います。それと「妙な顔つきのエキストラ」、これもどのシーンなのかはっきり書いて貰えないででしょうか。そしてなぜこれが切羽詰まっている原因になるのでしょうか。
それと『鎌倉殿の13人』云々、三谷さんの大河は室内シーンが多いのだから、これは当然でしょう。無論こちらも戦場のシーンで、坂東武者たちが立ち尽くしているシーンもありましたが、昨年にしろ今年にしろ、それはひとつの演出方法と取るべきかとは思います。


飲み物ーホットワイン
[ 2023/01/19 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

今後の『武将ジャパン』関連の投稿について

まず『武将ジャパン』の大河コラム関連の投稿、今年いっぱいはやりますが、今後はもうコラム自体を見るのをやめようかと考えています。

断続的に8年ほど見て来ましたが、相変わらず好きな物は持ち上げ、嫌いな物はちゃんと観ようともしない点、好きな作品を時代背景や舞台もろくに考えずに、嫌いな作品と比較しなおかつ叩き棒にしたがる点、言葉遣いがどうかと思われる点などなど、正直言って改善されているようには見えません。

あとこれは先日の投稿でも触れましたが、漢籍などを引用する割に意味を把握していない点、背景をきちんと調べない点なども如何なものかと思いますので。炎上狙いと指摘する方もいますが、炎上させるならもう少し工夫があってもいいかと思うのですが。実は夏頃もう止めようかと思ったのですが、結局ここまで何とか続けて来ました。

嫌いな作品は特に、あることないことあれこれ書かれる傾向がありますが、それは「辛口な意見」であると言うのを目にしたことがあります。しかし批判するべき点を厳しく批判するのと、ほぼ全面否定するのとでは自ずから意味が異なるはずです。無論どの部分を批判するかは、その人の見方にもよります。

で、取りあえずnote記事のこの部分を引用しておきます。

『天地人』の織田信長以来の……
吉川晃司さん、痛恨のNHKドラマ選択ミス。予告の時点でつらい。何がサンダーだ! 戦闘機乗りと旅客機乗りは違うわ!

『舞いあがれ!』の大河内教官のことですが、まだ本格的に登場してもいないのに、「ドラマ選択ミス」と言うのもどうかと思います。そしてこの大河内教官、自衛隊出身の教官とのことですが、戦闘機に乗って退官した後、民間のパイロットのライセンスを取ったということではないのでしょうか。

そして『天地人』の信長役ですが、あの作品ではヒール的存在なのですから、こういう強面な雰囲気の人が求められたでしょうし、実際ご本人もガイドブックでそう言っており、あの役には嵌っていたと思います。

ただやけに初音がそばにいるのとか、本能寺の爆発はいただけませんでしたが。私としては、『八重の桜』の西郷吉之助の出て来方もちょっと微妙かなとは思いました。あの作品は女性主人公の中では一番好きですが、無論疑問点もないわけではありません。

『天地人』、あまり馴染めない大河ではありましたが、以前禅宗の寺院と武将の学問という投稿で書いているように、武士の子弟が寺院に寄宿して学ぶというのを、きちんと描いていた点などはよかったと思います。

あと吉川さんは、この作品との間に『精霊の守り人』にも出演しているのですが、そちらの方は観ていないので何とも言えません。

それからエコーチェンバーについて、以前書いたことがありますが、また書こうと思っています。小檜山氏=武者さんが、大河コラムで、ネット上のファンのコミュニティがそうだと言って、かなり嫌っているようなのですが、武者さん自身もどこか似たような印象があるにはあります、こちらは確証バイアスと呼ぶべきかも知れません。あとエコーチェンバーと言うのは、多分に同調圧力も絡んでいるとは思います。

飲み物-アイリッシュコーヒー
[ 2022/11/28 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(4)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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