fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  天地人

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-1

ところでこの『麒麟がくる』第39回のコラムに関して、これはおかしい、あるいはわかりづらいと思われる部分をピックアップしておきます。ちょっと変則的ですが、光秀を主に描いた部分と、そうでない部分とに分けています。まず後者の方です。

1ページ目
朝廷は岐阜まで三条西実澄を遣わし、どういうことかと問い詰めます。
京には京の理(ことわり)がある――それを伝えにわざわざ来たのです。

この三条西実澄関連で。この人の祖父は三条西実隆です。
以前武者さんは、『どうする家康』の金ヶ崎の回絡みで、当時越前ガニはあったのかと言ったツイートをしていたようで、これに対して歴史考証の平山優氏が、史料を読んでいないのかという内容のツイをしています。この史料に出てくる人物、もっと言えば、自らの日記に「越前蟹」と記載した人物は恐らくこの実隆です。

信長は悲しい。
母に魚を釣り続けても、喜んでもらえない。
父に箱詰めの松平広忠の首をあげても、喜んでもらえない。

この松平広忠の首、「箱詰め」とありますが正確には首桶です。そして喜ばないその理由について武者さんは、遺体損壊(注・武者さん用語、遺体から首を取ること)が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのだなどと書いています。

しかし実際の映像は違っており、父信秀は広忠の首を取ったことで、松平が人質の竹千代を取り戻しに来る、そうなれば織田が危なくなると息子を叱っていたわけです。武者さん、一体何を見ていたのでしょうか。尚これについては、下記の投稿に書いているので、一読くだされば幸いです。


本作は無駄がないので、三者のセリフで状況が見えてきます。
松永久秀:物量差を指摘。本願寺側の物量を遮断できないからには、攻め手が不利になるばかりだとわかる
明智光秀:天王寺砦は狭い。狭いということは、物量の確保が難しく、攻め手の装備関連に不備があるとわかる
佐久間盛信:この口調からは、信長のパワーハラスメント気質が伺える

無駄がどうこう言うより、その放送回の尺の問題もあるかと思うのですが。
そして彼らのセリフではこんな感じです。

久秀:敵の方が人数も鉄砲も多い。
光秀:この(天王寺)砦だけでは手勢が少ない、他の砦と共に動くべき
信盛:主君信長がこちらに向かっている。それまでに打つ手を考えなければならない
久秀:攻め込むなら一気に攻めた方がいい、使いを出そう

でその後信長が来て、原田直政の家来を一向宗徒と決めつけ、乱暴を働くわけですが、信盛のセリフはその前のものであり、別にこれだけではパワハラ気質など窺えませんし、主君が来るまでに策を練っておこうと家臣が考えてもおかしくはないでしょう。

3ページ目
コロナが猛威を振るう中、アジアは欧米と比較してやや軽いとはされます。
方方『武漢日記』には、コロナによって東洋医学が息を吹き返したと語る人物について記述があります。
軽んじられがちな東洋医学ですが、実は何かあるのかもしれない。そこも考えつつ、医事考証をしている本作を見ていきたいところです。

東洋医学との関連はともかく、最初の株はアジアよりも欧米人の方が感染しやすかった、また欧米人はマスクをしたがらないのでそれも影響したとも言われています。実際アジア人に比べると、マスク即ち病人という印象があるのかかなり嫌がるようですね。

家康と築山殿は、仲が冷え切っているとわかる秀逸な場面でした。
理由は理解し合えないこと。

そのイメージを今年のにも当てはめているフシがありますね。麒麟は麒麟、家康は家康なのですけどね。そして風間俊介さんをやけにほめています。その一方で今年はジャニーズ忖度などと書いているようですが、風間さんもジャニーズなのですが。

東洋の時代劇となると、髭と結髪が課題だと思います。
現代風に前髪を落とすとか、髭を断固無視するとか。そういう『天地人』あたりの模索はもういらない。むしろ時代遅れで、それを続けると韓流と華流に食い尽くされて無惨なことになる。

この人は前髪にやけにこだわりますね。私も『天地人』はあまりなじみのある大河とは言い難かったのですが、兼続の最初の頃はまだ年齢も若く、前髪を残していてもそう不自然ではなかったでしょう。さすがに直江家に婿入りしてからあの前髪はどうかと思いましたが。あと子供の教育施設については、『天地人』の方がよく描けているところもありました。

髭を断固無視するというのは、どの大河のことでしょうか。幕末はあまり髭のない人もいます。明治になって、髭が復活しましたが。

しかしこれを言うのなら、今回の奥平信昌を演じる白洲迅さん、もみあげまでそっくりにしていますけどね。

4ページ目
時代劇のレベルもあがり、かつ育てたい若手も見えてきました。門脇麦さん、中川大志さん、大島優子さん、溝端淳平さんがそうではありませんか? 期待が高まるばかりです。

その溝端さんは、武者さんが嫌いな『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。しかもこれが大河初出演です。さらにガイドブック前編で、松本さん主演の作品に出られて嬉しいと語っていますが、これについての武者さんの意見を伺いたいです。

話を『麒麟がくる』にしますと、鉄板人気をイージーに掴みにいくのであれば、こういう日本人多数の脳裏にある、かっこいい理想の信長像をイケメンに演じさせればそれでよかったとは思うのです。
そういう像を捨て、童顔で愛嬌があり、それでいて怒りっぽくどこま挙動不審な信長にした。このことそのものが『麒麟がくる』の先進性であり優れた点だと思います。

要はそういう人物を、この作品が求めていたからでしょう。
それを言うなら、『西郷どん』の鈴木亮平さんにしろ、『どうする家康』の松本潤さんにしろ、それまでとは違ったイメージのキャスティングなのですけどね。尚この染谷さんの信長には、やはり私はどこか馴染めませんでした。
それと「かっこいいイケメン」に演じさせて、中身をそれまでとは変えてくるという方法もあります。これは以前にも書いたことがあります。そして、今年の信長はそれに近いでしょう。

大河の歴史は、今年ではっきりと変わったのです。
リアルタイムで見られて幸運でした。
社会がなんとなく求める最適解よりも、作り手がハッキリとこれだと言い切れる答えがよい。そんな力強さを感じるのです。

最近の大河はどれも似たようなものではないでしょうか。「作り手がハッキリとこれだと言い切れる」大河は、武者さんが好きな大河だけに当てはまるわけではありません。ならば私は、武者さんが散々こきおろしている今年のも、作り手の意志が感じられるかと思います。

2000年代あたりからは、大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる。嫌な流れができているようではあった。
そろそろ、大河には原点回帰して欲しかった。
主演が文句なしに輝いている、そういうものが見たかった。

「大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる」
具体的にどのような俳優さんなのか書いて貰えないでしょうか。そういうのを無視するから、単に武者さんの妄想にしか見えないのです。
そしてこの「原点復帰」、これも具体的にどういうことなのか書いて貰えませんか。
主演が文句なしに輝いているというのは、武者さんが嫌いな大河でも同じだと思いますが。

この大河は、2020年代の扉を開き、大河の危機を乗り切る一歩となったと思います。
思えば一年前、十年後に大河ドラマはなくなっているのではないかと危惧していたものです。
そんな危惧を吹き飛ばすどころか、希望を残してゆく。本作は紛れもなく偉大でした。大河という枠に、麒麟を呼んだ。そういう作品になると思えるのです。

以前にも書いたことがありますが、十年後(この時から数えてですから、今から八年後でしょうか)に大河がなくなっていればそれでもいいです。何かがその穴埋めをしている可能性はあります。

あと個人的に、途中でリアルタイム視聴を止めたせいもあり、希望を残していくとか偉大という印象は、私の場合あまりありませんでした。そもそもこの「麒麟を呼んだ」ですが、麒麟とは本来仁政を行う王の元に現れる存在で、この場合戦国の世を平らかにすることであり、それを大河枠に呼んだというのは、大河枠そのものが混乱していたように取れてしまいます。

ただ2010年代の大河で、武者さんが好きな作品は『八重の桜』をはじめ、結構あったのではないでしょうか。本人には嫌いな作品しか見えておらず、それが大河枠を混乱させていると思ったのでしょうか。何はともあれ、武者さんはとにかくこの大河をほめたいのだなとは思いますが。

視聴率のことは、オンデマンドやBSもあるので、回復はそもそもが難しいと思います。
今年は前年の低迷や、岩盤視聴者層の流出の影響もあったでしょう。

好きな大河だと優しいですね。昨年はこれ以外にも、NHKプラスの再生数が多いのだろうとまで書いていましたね。その一方で、一昨年とか今年とか、嫌いな大河の場合は世帯視聴率のみで語ろうとしているのですね。

飲み物ーアイスカフェオレ
スポンサーサイト



[ 2023/06/07 01:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その2

今回は2ページ目です。それから先日分の投稿で、意味が通りにくい箇所を訂正しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912

今回はこちらからです。

Amazonプライムビデオに『MAGI』というドラマがありました。
天正遣欧少年使節団を描いた作品で、織田信長と豊臣秀吉が出てきます。
信長を演じるのは吉川晃司さん。
秀吉は父・拳さんを彷彿とさせる緒方直人さん。
この二人が、信長と秀吉の理想形のような人物像でしたので、非常に爽快感がある一方、焦りも感じました。
大河はもう二度とVODに勝てないのでは?

「大河はもう二度とVODに勝てないのでは?」
私個人としては、今後大河が作られなくなろうが、あるいは1年が2クールになろうが別にいい(その穴を埋めるものはある)のですが、大河がなくなって困るのは関係者とか、武者さんのような人だろうと思います。なのにわざわざ、これは大河の脅威になると書く必要もないと思います。寧ろ大河もこれに負けないだけの意気込みを見せてくれと書くのならわかりますが。
あと吉川さんは『天地人』で信長を演じていますが、武者さんはこの大河は嫌いなうえに10年ルールに抵触するのか触れられずじまい。それと緒形直人さん(『方』ではなく『形』だと思います)も『信長 KING OF ZIPANGU』の主演でしたが、これも観ていないのか、10年ルールのせいなのか何も言及なし。

で、

そんな心配は、2020年『麒麟がくる』における織田信長が染谷将太さんに決まったというニュースで吹き飛びました。
ベタではない信長にチャレンジするんだな……と思ったからです。

有体に言えば、『麒麟がくる』の視聴を途中で止めた理由のひとつにこの染谷さんの信長もあげられます。染谷さん自身の演技にどうこう言いたくはありませんが、どうも信長と言うより秀吉と言った雰囲気が強く、結局馴染めずじまいでした。

むろん時代考証を考えれば史実から逸脱させてはいけないという制約はあるだろうし、新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが、チャレンジなくして進歩はありません。

「新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが」
と、染谷さんの信長を受け入れられないのが悪いような書き方ですね。武者さんの場合いつもそうなのですが、自分が好きな作品は受け入れられて当然、受け入れられない方が悪いという書き方が多く、そういう部分に反発もあるのではと思われます。
それとこの『麒麟がくる』は2020年の大河(放送は2021年2月まで)で、既に放送は終わっています。にもかかわらず、
「バッシングも起こるでしょうが」
と、まるでこれから起こることを予想するが如き表現も、ちょっとどうかと思います。

で、またしても今作との比較。

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

「昭和から平成前期にあったヤンキー信長像」
て、具体的にどういう信長ですか?この頃大河で信長を演じたのは、藤岡弘さんとか、前出緒形直人さんとか、『秀吉』で信長を演じた渡哲也さんなどですが、彼らはヤンキーだったでしょうか?緒形さんの信長も異色ではありましたが、それとはまた違ったかと思います。
また今回の信長、私としては、あらすじと感想でも書きましたが、恐らくは『平清盛』を踏まえており、これもまた今までとは異なる信長像であるかと思いますが。
「テレビ業界が考えるベタな信長像」
とは、たとえば『利家とまつ』の反町隆史さんとか、『功名が辻』の舘ひろしさんが演じた、新しがりで長身で、しかも相手を威圧する雰囲気がある信長こそが、それに該当するでしょう。無論ベタではありますが、その時々の主人公を活かすための設定ではあったと思われます。

『麒麟がくる』で船に乗ってやってきた、染谷信長の登場シーンと比較したらなんと陳腐なことか。

あの染谷信長も、私には「漁師のお兄ちゃん」にしか見えませんでしたが。まあ『麒麟がくる』なら何でもほめたがる武者さんらしくはあります。

今年の『どうする家康』は合戦の様子を湿っぽく見せ、「戦を避ける家康は素晴らしい」と誘導したいようです。
しかし、戦闘や負傷者の描写があまりに薄っぺらくて、かえって悲惨さが伝わってきません。視聴者を身震いさせた『鎌倉殿の13人』に遠く及ばないでしょう。
戦争の傷という点では『麒麟がくる』が秀逸でした。

まず『どうする家康』は合戦を湿っぽく見せているでしょうか。戦を避ける家康は素晴らしいと言っているでしょうか。大高城で決断を迫られた家康=元康が家臣の圧力に耐えかねて逃げようとしただけだと思いますが。
それと戦闘や負傷者の描写が薄っぺらいて、この前の第2回で、松平昌久の銃弾の的になった元康の家臣を見ても、同じことが言えるのでしょうか。自分の判断ミスで家臣がああなったのを見た元康が、いたたまれない気持ちになったのもまた事実でしょう。
結局ここでも『鎌倉殿の13人』と『麒麟がくる』は素晴らしい!それに比べて本作は…と言いたい、それだけのように見えます。

そしてやはり『麒麟がくる』を叩き棒にして、
「本作は上っ面で戦争を描いているだけに思えてなりません」
だの、
「元康が戦場から逃げ出すことで笑いをとろうとするようなセンスからもうかがえる」
(いや笑いを取るというのとはまた別でしょう)
だの。
さらに

戦場には将兵が大勢います。そこで何らかのスイッチが入って我先に逃げ出すと隊列が崩れ、それだけで大損害が出てしまいます。
撤退戦は難しいもので、将たる者は、なるべく部隊が乱れぬよう、逸る心を抑えて指揮を取らねばならない。
そんな戦場で大将が率先していなくなるって?
「ヘタレ」なんて笑っている場合ではなく、人命を著しく損なう危険性があります。

あれは戦場と言うか、大高城に立てこもっているわけです。
ですから隊列云々の問題ではないし、織田とのにらみ合いがいつまで続くかの持久戦と言うべきでしょう。そしてこれは第2回に関するコラムですが、第2回では元康は逃げていないし、第1回でも逃げようとしたけど逃げられなかったわけです。
しかしそれを言うなら、織田信長は金ケ崎から撤退する際、真っ先に陣を抜けて駆けだしていますが、武者さんとしてはそれはどう考察するのでしょうか。

要は、戦争に対する緊張感が全く感じられない。弛緩しきったドラマになっているため、いきなり介錯云々やられても、悪ふざけにしか見えないのです。

その前の大樹寺のシーンを見ていたら、「弛緩しきった」などとは言えないのではないでしょうか。あの時元康は自分の判断ミスの責任を取ろうとしていたわけなのですが。

そしていつものと言いますか、武者さんの比較対象のおかしな点としてこれを挙げておきます。

「がおー!」なんて、あざとく叫ぶ武家の夫人なんて、もう全く理解できない。
『鎌倉殿の13人』の大江広元を思い出してください。
彼はしばしば謀殺を進言していましたが、なぜ殺すのか、殺すことでどういうメリットがあるのか、いつも計算があった。
ああいう理詰めの言動で、彼自身の行動規範は説明されていた。
わけもなく叫んで誤魔化すような真似はしていません。

於大の方と大江広元を、なぜ比較するのでしょうね。何か共通点があるのですか?とにかく何か気に入らないと、適当な対象を引っ張って来て比較しているだけのように見えます。

大河に限らず、駄作にはある特徴があります。
主要な登場人物たちが、顔と顔を直接突き合わせていないとシーンを盛り上げられない――私はそれを「フェイストゥフェイスシステム」と呼んでいます。
映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です。
これをしばしばやらかすと、登場人物がテレポート状態になり、絵が単調になります。

駄作認定したくてしようがないのでしょうね。
本当の話、私は『鎌倉殿の13人』の室内のシーンに、それに近いものを感じたことがあります。
で、その後に
「家康と信長の出会いなんて、まさにそうでしたが、バストアップを多用するには理由があります。
所作を誤魔化せることです。
時代ものは特に所作の美しさが重要です」
などとありますが、手下が担いで来た竹千代に向かって白い子兎のようじゃ、食ってやろうかと顔を引き寄せるシーンであれば、寧ろバストアップにならない方が不自然でしょう。
あと
「映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です」
とあります。この「危険な兆候」は昨年のこのコラムでも使っていましたが、何だかわかりづらい表現ですね。「あまりこういうのを多用するのは考え物です」くらい書けませんかね。こういう日本語のわかりづらさも、このコラムの文章に違和感を覚える一因ではあります。

思い返せば2015年大河『花燃ゆ』では、上級武士の妻たちが、和室屋内でスタンディングパーティでもするようにずらっと立っている珍妙な場面がありました。
カナッペでも食べるのかと呆然としたものですが、今ならわかります。

ここで『花燃ゆ』叩きですか。しかしこれも例によって、第何回のどのようなシーンであるかの説明が抜け落ちています。それと「カナッペでも食べる」て、要はビュッフェスタイルのパーティーみたいだと言いたいのだと思われますが、この辺の表現もどうにかならないものでしょうか。

さらに

そして今年も、ぬぼーっと立っている場面が多く感じます。
昨年と比較するとわかりやすいかもしれません。
『鎌倉殿の13人』では、室内で複数名が座りながら協議をする場面が多くありました。エキストラたちがずらっと集まりながら座り込む場面も多かった。
それが今年は立ちっぱなしで、しかも妙な顔つきのエキストラが多い。いきなり切羽詰まっているのは?と感じるのは、そうした状況も一因です。

この「ぬぼーっと立っている」とは具体的にどのシーンでしょうか。今のところ戦のシーンが多いわけで、大将以外は立っていてもそれは当然だと思います。それと「妙な顔つきのエキストラ」、これもどのシーンなのかはっきり書いて貰えないででしょうか。そしてなぜこれが切羽詰まっている原因になるのでしょうか。
それと『鎌倉殿の13人』云々、三谷さんの大河は室内シーンが多いのだから、これは当然でしょう。無論こちらも戦場のシーンで、坂東武者たちが立ち尽くしているシーンもありましたが、昨年にしろ今年にしろ、それはひとつの演出方法と取るべきかとは思います。


飲み物ーホットワイン
[ 2023/01/19 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

今後の『武将ジャパン』関連の投稿について

まず『武将ジャパン』の大河コラム関連の投稿、今年いっぱいはやりますが、今後はもうコラム自体を見るのをやめようかと考えています。

断続的に8年ほど見て来ましたが、相変わらず好きな物は持ち上げ、嫌いな物はちゃんと観ようともしない点、好きな作品を時代背景や舞台もろくに考えずに、嫌いな作品と比較しなおかつ叩き棒にしたがる点、言葉遣いがどうかと思われる点などなど、正直言って改善されているようには見えません。

あとこれは先日の投稿でも触れましたが、漢籍などを引用する割に意味を把握していない点、背景をきちんと調べない点なども如何なものかと思いますので。炎上狙いと指摘する方もいますが、炎上させるならもう少し工夫があってもいいかと思うのですが。実は夏頃もう止めようかと思ったのですが、結局ここまで何とか続けて来ました。

嫌いな作品は特に、あることないことあれこれ書かれる傾向がありますが、それは「辛口な意見」であると言うのを目にしたことがあります。しかし批判するべき点を厳しく批判するのと、ほぼ全面否定するのとでは自ずから意味が異なるはずです。無論どの部分を批判するかは、その人の見方にもよります。

で、取りあえずnote記事のこの部分を引用しておきます。

『天地人』の織田信長以来の……
吉川晃司さん、痛恨のNHKドラマ選択ミス。予告の時点でつらい。何がサンダーだ! 戦闘機乗りと旅客機乗りは違うわ!

『舞いあがれ!』の大河内教官のことですが、まだ本格的に登場してもいないのに、「ドラマ選択ミス」と言うのもどうかと思います。そしてこの大河内教官、自衛隊出身の教官とのことですが、戦闘機に乗って退官した後、民間のパイロットのライセンスを取ったということではないのでしょうか。

そして『天地人』の信長役ですが、あの作品ではヒール的存在なのですから、こういう強面な雰囲気の人が求められたでしょうし、実際ご本人もガイドブックでそう言っており、あの役には嵌っていたと思います。

ただやけに初音がそばにいるのとか、本能寺の爆発はいただけませんでしたが。私としては、『八重の桜』の西郷吉之助の出て来方もちょっと微妙かなとは思いました。あの作品は女性主人公の中では一番好きですが、無論疑問点もないわけではありません。

『天地人』、あまり馴染めない大河ではありましたが、以前禅宗の寺院と武将の学問という投稿で書いているように、武士の子弟が寺院に寄宿して学ぶというのを、きちんと描いていた点などはよかったと思います。

あと吉川さんは、この作品との間に『精霊の守り人』にも出演しているのですが、そちらの方は観ていないので何とも言えません。

それからエコーチェンバーについて、以前書いたことがありますが、また書こうと思っています。小檜山氏=武者さんが、大河コラムで、ネット上のファンのコミュニティがそうだと言って、かなり嫌っているようなのですが、武者さん自身もどこか似たような印象があるにはあります、こちらは確証バイアスと呼ぶべきかも知れません。あとエコーチェンバーと言うのは、多分に同調圧力も絡んでいるとは思います。

飲み物-アイリッシュコーヒー
[ 2022/11/28 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(4)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 60

『武将ジャパン』大河コラム続きです。

広元は現実的です。
熊谷直実の子・直家が「父が宣告して亡くなる時期なので上洛したい」と申し出たところ、「人間ごときに死ぬ時期なんてわかるわけないでしょ」と却下しております。
(ここで論語の『子は怪力乱神を語らず』『未だ生を知らず、焉(いず)くんぞ死を知らん』つまり君子は道理に背いたことはしない、「生すら分からないのに死がわかるわけない」を引用)
こういう漢籍をバッチリこなした大江広元が、こんな呪詛を信じるとは思えません。
話を合わせたのは彼なりの処世か、それとも……?

正直な話、どう見ても広元が頼朝を煽った感がありますね。
それに範頼に感しては、養父が公家であったせいで京との結びつきがあり、公家のトラブルにも関わっていたようです。上記のような理由で、範頼を遠ざけなければならないという事情が生じ、この大河では、広元自身が範頼の呪詛としたのではないでしょうか。あと鎌倉は自分が守るというのも、事実であるかは疑わしいともされているようです。

範頼の最期は梶原景時の軍勢に攻められて自害とされますが、本作では善児が始末しました。
いい加減、警戒されてもおかしくないでしょうし、善児は修善寺のある伊豆の出身でしょう。そこは深く考えても仕方ない。ある意味、善児こそ一騎当千の気がします。

「いい加減、警戒されてもおかしくないでしょうし、善児は修善寺のある伊豆の出身でしょう。そこは深く考えても仕方ない。ある意味、善児こそ一騎当千の気がします」
この意味が少々わかりづらいのですが、
「修善寺は伊豆にあり、善児は伊豆の人と思われるため範頼も警戒するべきだったでしょう。無論その点ばかりを考えても仕方ない。この場合善児こそが、向かうところ敵なしなのではないでしょうか」
とでも書きたいのでしょうか。
しかし範頼はこの場合、自分が誅殺されると考えていたのかどうか不明です。さらに善児は誰かの命令がないと動けず、その意味で天下無双というわけでもないでしょう。ただ少女を助けようとして、初めて彼自身の意志が働いたとは言えそうです。

そして今回のMVPなのですが

MVP:源範頼と大姫 ついでに三浦義村

とあります。退場者だからMVPというのもあるでしょうが、範頼はともかく、私なら、大姫でなく巴または丹後局の方を選ぶかと思います。また「ついでに」三浦義村というのは気の毒ですね。

何も知らず、真っ直ぐに生きているときが、頼朝と政子にとっての幸せの頂点だったのだろうと。
しかし、二人とも変わってしまい、そのためどんどん恐ろしい結末へ向かってゆきます。

これ、前にも同じような記述があって、その時書いたかとは思いますが、何らかの形で天下を取ろうとなれば、まず「真っ直ぐな」生き方は無理でしょう。生き様も変わってしまうし、人々の考えにも翻弄されるし、様々なしがらみを目の当たりにすることにもなるわけですから。

範頼はかわいそうなんですよ。
人生そのものもそうなのだけれども、義経顕彰系のフィクションの中で、対比のため必要以上にダメなお兄さん扱いをされてきた。
そのせいで地味で役に立たない人とすら思われている。
そういうところを否定すべくマッチョにするのではなく、ただただ真面目で温厚で、こういうリーダーがいたらきっと最高だと思わせてくれた。
素晴らしい範頼でした。

上の方でも書いていますが、範頼は養父が公家で、公家間のトラブルに関わったり、他にも御家人関係でトラブルもあったという説もあり、労多くして功少なし的な人物であったとも考えられます。その意味で苦労人ともいえますし、無論迫田さんでもよかったのですが、もう少し暗めの設定で、最期は頼朝を呪うような死に方でもよかったかと思われます。
尚「義経顕彰系のフィクションの中で、対比のため必要以上にダメなお兄さん扱いをされ」たのは『平家物語』、あるいは『源平盛衰記』とされています。しかし武者さん、『源平盛衰記』の文覚伝説は信じているのですね。

南沙良さんの大姫。暗くなくて明るい笑顔も見せるのに、常に底に穴が開いているようで。悲しいけれど、それだけではない素敵な大姫でした。

流石に武者さんも、大姫に関してはあまり書いていません。実際ちょっととらえどころがない人物に見えます。このキャラ設定その他に関してもまた書く予定ですが、「悲しいけれど、それだけではない」て具体的にどういうことなのかなと思います。「悲しいだけの人生ではない」ということなのでしょうか。

彼は『真田丸』の真田昌幸も思い出します。
昌幸は真田を守る一点集中で生きている。
でも天下は武田、豊臣、徳川と回る。
回る中で自分だけ回らないでいたら理解されず「表裏比興」と言われてしまったのです。

武者さんは以前『いだてん』のコラムで、感情移入ばかりを求めるなとして、「例えば『真田丸』の真田昌幸とかに感情移入できましたか?」などと書いていたことがありました。無論私はできましたが。なのにここに来て、
「昌幸は真田を守る一点集中で生きている」
などと肯定的評価に戻っていますね。

あと「彼」とは三浦義村ですから、
「彼は『真田丸』の真田昌幸を思い起こさせます」でしょうね。

でその後ですが、相変わらず京都=悪と決めつけ、例によって例の如く漢籍マウント、そして『麒麟がくる』を上げて『青天を衝け』を叩きまくるといった具合です。『鎌倉殿の13人』のコラムで、なぜ他の大河の上げ下げをやるのか不明です。ともあれ、その中からおかしいと思われる点のみ挙げておきます。

今回のこの「レビュー」の在り方については、また日を改めて書く予定です。しかしやはりどう見ても、感情丸出しというか向きになっているようにしか見えないし、炎上させるにしても、はっきり言ってレベルが今一つだとは思います。運営もなぜこういう原稿を書かせるのでしょうね。

阿野全成の描写は興味深く、陰陽師の役割も兼ねています。
中国でこういう術を行うものは方士。そんな中国由来のシャーマニズムが日本にも取り入れられてゆく。仏僧もこなす。
まだ鎌倉仏教として洗練される前ですので、全成や文覚はもっと原始的な術を使うのです。

まず全成、そして文覚は真言宗(密教)の寺院で修行しています。そして所謂鎌倉仏教と呼ばれるものは浄土宗の系統、日蓮宗あるいは禅宗が中心となっています。真言宗がこれらの鎌倉仏教になったのではなく、新興勢力として出て来たのですから違って当然でしょう。そして真言宗とは別に、真言律宗がこの時代に起こっています。また武者さんは以前、鎌倉時代は護摩を焚くのは廃れたなどと書いていたかと思いますが、元寇の時には護摩法要が行われています。

『麒麟がくる』では、斎藤道三が我が子・斎藤義龍と明智光秀を比べ、光秀がいかに早く四書五経を読みこなしたか語りました。
武士が幼い頃から学校で漢籍を学ぶようになっていたのです。

この当時すべてが学校に行ったわけではなく(足利学校などはありましたが)、家庭、あるいは寺院などで学ぶという方法が主流だったのではないでしょうか。これに関しては
戦国大河考3
で、『天地人』の雲洞庵のシーンを引用して書いています。

文武の区別が曖昧な日本で文官でありながらも戦も強い「軍師」となると、これがなかなか難しい。
『三國志』のようなフィクションにあこがれた作家が智将=軍師としたのですが、前述の通り武士は文官ではありません。
『軍師官兵衛』は?
黒田官兵衛は武士なので、中国の定義でいくと該当しません。敢えてあげるとすれば、仏僧である太原雪斎あたりでしょう。

これも、日本は儒教国家でないのだから当然です。儒教国家なら武士が政権を担当することなどまずないでしょう。


飲み物-アイスラテとエスプレッソキューブ
[ 2022/06/24 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 57

『武将ジャパン』大河コラム後半部分の続きです。


まずこれを書いておかねばならないでしょう。
敵討ちではなく、謀反だった――こういう描き方は、実は1979年『草燃える』でもあった展開です。
ただし、オマージュと言い切れるかどうかは保留。
というのも、時代考証の坂井孝一先生の説ありきで展開していると思えるのです。

この間もそうでしたが、普段武者さんは、10年ルールを持ち出すことが多いのに、なぜこういう時だけ40年以上前のを引き合いに出すのでしょうね。『青天を衝け』の時も『獅子の時代』を持ち出していましたし。もう10年ルールなど止めたらどうかと思います。せめて「10年ルールから外れますが」とでも書けばまだ良心的なのですが。
そして、40年以上前の作品を引き合いに出すのなら、一度『麒麟がくる』と『国盗り物語』の比較もやってほしいですね。

そして後世、東洋はとにかく敵討ちが大好きなので、それが受けたということもある。富士の裾野でド派手な展開をするということは、特に江戸っ子にとっては最高に盛り上がる話でして。
「マジかよ! 江戸から見える富士の裾野で敵討ちか、半端ねえな、盛り上がるぜ!」
こういうニーズに合致して盛り上がったことも忘れてはいけません。

というか、他にも歌舞伎や講釈(講談の前身)化されて、人々の間に広まった歴史ものは多いです。それと江戸時代は仇討ちが合法化された時代でもありました。こういう時代背景を考えると、何が市井の人々に好まれるか、おのずと見えてくるでしょう。

そういうフィクションの力ゆえに史実がわかりにくくなるから(中略)“三谷流”と、三谷幸喜さんが一から、今までになかったことを思いついたように誘導することには慎重になりたい。
揉める元ですので。こういう書き方はどうかと思います。

例によってコラムのリンクはクリックしていませんが、恐らくこの記事のことでしょう。

「鎌倉殿の13人」義時暗躍 語り継がれる“稀なる美談”矛先は範頼へ 三谷流“曽我事件”もネット脱帽

で、「今回の脚本、すごいとしか言いようがない」という文章から始まるパラグラフが紹介されています。
これに関して
「そもそもSNSユーザーが必ずしもきちんと証拠を揃えて語っているかもわかりません。
それでもネットニュースになると既知のこととして広まってしまう。
実際に書き込みが存在したのか不明の場合もあります。
この手の記事は楽でアクセスも稼げるから今後も続くでしょうが、いかがなものでしょうか」
とありますが、これはどの大河でも似たような傾向はあります。また「楽」であるかどうかはともかく「アクセスを稼ぐ」という点では、このコラムも同じようなものでしょう。

そしてその後に
「今年はまだしも、昨年の場合はネットで明らかに間違った情報が盛り上がり、それが一人歩きして歴史知識が悪化するようなことがしばしばありました」
とあります。これは『青天を衝け』の主人公渋沢栄一が、日本初の紙幣を作ったとされたことでしょう。武者さんによれば、この誤情報がネットで盛り上がったらしいのですが、実際にそこまで騒がれたかどうかは、定かではないようです。尚武者さんは小檜山氏名義でこれに関してツイをしていますが、後でそれを削除しています。

そして「”三谷流”と、三谷幸喜さんが一から、今までになかったことを思いついたように誘導することには慎重になりたいですが」とあるのですが、大河はある程度史実を入れてほしくはあるものの、ドラマはそもそもフィクションであり。私が観る限りでは、三谷さんが吾妻鏡を元に構成し直したなと思う部分もあるのですが。

義時もしみじみと語っていましたが、一族のためならば手段を選ばないことが、この時代らしさと言えます。

これは戦国時代も似たようなものではないのでしょうか。

中原逐鹿という言葉があります。
中原に鹿を逐(お)う。
(中略)
中原とは中国の黄河中下流域のこと。多くの王朝で首都が置かれた天下争奪の場所です。
この地域が政治の中心ということになります。そんな場所で鹿を狩る。それは天下を決めることだとされました。
狩猟というのは特別です。
軍事演習という意味合い。そしてまだ中世ですので、神事で守り、今後を占うものでもある。
今回はこの天下趨勢の行方も、中世らしく濃厚に見えてきました。

ここでまた中国関連です。この中原逐鹿は天下を決めるというか、帝位を奪うことですね。しかしここまで書くのであれば、中国関連のみでなく、鎌倉時代の狩猟についてとか、諏訪大社の狩猟神事なども書いてほしいものです。
そして
「中世らしく濃厚に見えてきました」
などとありますが、これは一体どういう意味なのでしょうね。他の時代の天下趨勢の行方は濃厚ではないのでしょうか。また、

北条、比企、そして源氏が富士野で鹿を追いかけ、北条が勝つ。そんな筋道が見えています。
そしてそれのみならず、勝利の鍵を握っているのは伊東だとわかります。
ちょっと箇条書きにしてみましょう。
・細工をせねば獲物を取れない万寿と、楽に獲れてしまう金剛
・工藤祐経は八重と金剛が似ていると言う
・その八重が放った矢から、源平合戦が始まったのがこの作品での設定
・頼朝と義時が女を争ったとセリフで語られる、その女とは伊東の八重
・天運が去ったと語る頼朝と、それを横で聞いている義時
(中略)
しかしこのドラマは伊東の娘である八重の血を引く北条泰時が天に選ばれたように思える。
女系として流れる血が運命を決めたように思えます。
これは【双系制】=両親双方の血統を重視する仕組みが見直されている2020年代にあった展開かもしれません。

とあります。
まず言いたいのは箇条書きの部分です。
果たして金剛は「楽に」鹿を獲れたのでしょうか。初めてしとめましたと言ってはいますが。
工藤祐経が金剛と八重が似ていると言うのは、仕事を紹介してくれと江間の館に行っていたから、当然八重がどのような容貌であったかも知っているでしょう。また、頼朝の天運が去ったからと言って、すぐさま北条に天下人の座が転がり込むわけではありません。要は伊東の血が後々の鎌倉幕府を左右すると言いたいのでしょうが、我々はまだ頼家、実朝の時代を見ていないのです。それが終わってからジャッジしてもいいでしょう。

それと「2020年代にあった」は「合った」としないと、「存在した」の意味に取られてしまうかと思います。

それから、狩猟が陰謀や殺し合いというのは中国も同じとあり、

ゆえに本作を中国語圏が見ると、
「おっ? 日本も同じだな!」
と親近感を覚えるのではないかと思います。
実際、中国語圏でも注目されているようです。

いつものことですが、「中国語圏でも注目されている」ことを裏付ける記事はここでは何も紹介されていません。武者さんの個人的願望なのでしょうか。

今週の万寿と金剛はやはり無理がある。それは童形ということが大きい。子供が弓を引くと危険だから仕方ないのでしょう。
これがオールバックにして烏帽子を被るとどうなるか? そこが期待したいところ。
東洋の時代劇では、大人になったら男女ともに前髪を作らないことが定番です。
それだと現代人はイマイチかも……そう誤解して妙な髪型にしていた大河もあります。『天地人』や『江』で画像検索をしてみてください。

『天地人』の直江兼続は、確かに元服後もある時期まで前髪がありましたが、後に上げています。またこの大河では、石田三成の髪型もドレッドのような奇妙なものでした。それも付記しておいてほしいです。ちなみに、三成を演じていたのは小栗旬さんです。それと『真田丸』の信繁も、元服後なのに前髪を下げ気味にしているシーンがありますね。

そんな海外受けを考える上で重要なのは、日宋関係です。
平安末期から鎌倉時代が舞台となると、そこが大事。
(中略)
来週は宋から来た陳和卿(ちんなけい)が登場します。彼は重要人物ですので、これは要注目。

この日宋貿易ですが、そのもっと後、いよいよ南宋が終焉を迎える元寇の頃まで続いていますね。この貿易について書くのなら、この時代のことも書いてほしいものです。当時の宋の商人で有名なのは謝国明(『北条時宗』にも登場)で、博多綱首(博多に住んで日宋貿易に携わった宋人)でもあり、様々な物を日本に伝えています。

そうそう、本作は特定の人物退場のタイミングはトークショーの日程で把握できます。
◆【大予測】征夷大将軍になった大泉頼朝「鎌倉殿」の退場はいつになるのか(→link)
ゆえに、この答えは【みんなで見よう! 「鎌倉殿の13人」大泉洋スペシャルトーク&「北海道道」公開収録】開催日の6月26日となります。
みんなで頼朝の落馬からの死を見るわけですか……。
ちなみに私も蒲殿追悼のため、来週は公開が遅れる予定です。

誰が退場するのかはともかくとして、
「みんなで頼朝の落馬からの死を見るわけですか……」
とはどうかと思います。これが個人のサイトであればまだいいでしょう。しかしレビューを謳う有料サイトで、登場人物が死ぬのをあたかも喜んでいるように見える書き方は抵抗があります。他にもう少し書きようがあるのではないでしょうか。
それと「蒲殿追討のため」というのは、修善寺行きということでしょうか。
まあ別に公開が遅れてもいいです。というか、以前に比べて数時間ほど遅くなっているような気はしますが。

あと先日の、小檜山氏の朝ドラ関連のnote記事で
「兼好法師は「友達にするなら病気したことあるやつな」と書いていたけど、その通りですな」
とあります。『徒然草』のことと思われますが、実は兼好法師はそんなことを書いてはいません。
「一つには物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友」
とあり、医師はあっても「病気したことあるやつ」とは書かれていないのです。あるいはこの反対に、友達にしたくない人の1つのタイプとして、「病なく、身強き人」とあるので、それを拡大解釈し、ならば病気をした人物は友達にしたいのだと書いたのでしょうか。他には「酒を好む人」や「虚言する(嘘をつく)人」、欲の深い人や、やたらに血気にはやる人もアウトのようです。

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2022/06/17 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 41

実は先日の『武将ジャパン』関連コラム投稿で、それまでと違ったレイアウトにしてみたのですが、色々考えて結局今まで通りに戻していますので、その旨をお断りしておきます。

では本題に入ります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第17回「助命と宿命」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/05/02/168017

1.義仲が美男というのはまことか?確かによい男ぶりであったことが振り返られるが、これは史実もドラマの青木崇高さんもそうだった

2.義高はいま東の岩本寺にいる。明日の朝、三浦を頼って伊豆山大権現に入るから、時間を稼いで欲しい

3.義澄(中略)も変わってしまった。(中略)我が子をむしろ疑い、その知恵を怪しんでいる。(中略)それに義澄はかつて、義高を立てて謀反しようと企てていた。二度目はないし、義高の危険性を痛感してしまった

4.思えば遠くへ来てしまった。(中略)腕には大姫を抱き、頼朝は幼い娘と妻を見て喜びを噛み締めていた。あのときの家族の姿が一番幸せだったのかもしれない。政子はそれでも過去の自分を裏切ることなんてできないのでだろう。あのとき胸が燃えていた幸せを思い出して、(中略)真っ直ぐに生きたいからこそ、誰かを守りたいからこそ、知恵を使い駆け引きをする。そんな政子が悲しくも素晴らしい

5.「私はもう、ここしかない……」そう、義時にまだ仕事がある。そりゃ義高が義時を信じない気持ちもわかる。一番嫌われる役目である。梶原景時がそうかと思ったら、義時もそうなりつつある。なんなら組織の中では「虎の威を借る狐」扱いで、最も嫌われるポジションかもしれない

1、青木さんは『西郷どん』の国父様(島津久光)でもあるのですが、あの時はどのような書き方をしていたでしょうか。ちなみにその『西郷どん』つながりで、武者さんは『西郷どん』最終回のレビューで「ダラダラと家族シーンをやるのなら戦争描きなさいよ」などと書いていますが、それは『鎌倉殿』の方も似たようなものではないでしょうか。

あと同じコラムで、食事もしていない(空腹ではある)村田新八に「武士は死ぬ前に食事しない」などと書いています。でも『真田丸』の北条氏政は、なぜか切腹の前に食事していましたよね?

2、三浦から「海を渡って」伊豆山権現に入ると義時は言っていますね。この三浦は地名のことではないのでしょうか。

3、義澄が変わってしまったというより、変わらざるを得なかったというのが本当のところかと思います。そのうえで、義村が何かしでかしやしないかと、気をもんでいるわけでしょう。義高の危険性と言うよりは、義高を支持することの危うさですね。義高支持は頼朝に盾突くものである以上、どう考えてもリスクが大きいわけですし。

4、胸が燃えるとは何でしょうか、胸躍らせるの意味でしょうか。渋沢栄一風に言えば「胸がぐるぐるすらい」でしょうね。それはともかく、政子が過去の自分を裏切ると言うよりは、過去の自分と決別しなければならない、それが彼女自身を迷わせているのだと書きたいのだと思われます。しかし御台所となった以上、それもやむを得ないことではありました。

5、「まだ仕事がある」て、残務整理じゃないんですから。この人は立場上、そして父時政から言われたこともあり、鎌倉に留まらなければならない人物でしょう。

そして虎の威を借る狐とは、権勢のある人物の威光を借りる意味ですが、義時はこの時点では、寧ろそれにためらいを感じていると思います(景時は多分割り切っているでしょう)。要は権力者の側近的存在だから、うかつなことを口にできない、そのため他の御家人との溝が大きくなりつつあるといったところでしょうか。

それと義高が信じないというのは、父義仲や自分に理解を示していると思ったのに、結局父も殺され、果ては自分を牢に押し込めるようことをしたからではないでしょうか。


6.主人公が、大物の懐刀になる大河は多いものです。
『天地人』の直江兼続。
『軍師官兵衛』の黒田官兵衛。
『麒麟がくる』の明智光秀。
『青天を衝け』の渋沢栄一(幕臣時代)。
この手のポジションは『素敵な主君に信頼されていいなぁ』となるのが定番だが、明智光秀と北条義時の場合、何かがおかしい。一番しんどい立ち位置になっている

7.大姫が懇願する場面で頼朝が参ってしまうところは、もう演技を超えたものすらあった。そりゃ、あんな子がああ言ってきたら誰も断れない

8.大河といえば観光。やっと制限も数年ぶりにとけたわけだが、大河を見て鎌倉に行こうと果たして思えるか? そう問いかけたくなる回でだった。前から鎌倉は怖いと薄々感じてはいた。慰霊碑はあるのだけれども、大雑把というかあまりに簡単に人が殺されすぎていて、何か理解に苦しむところはあった。そういう「ほんとうはおそろしい鎌倉の歴史」を余すところなく伝えてきて、秀逸だと恐れ入るばかり

9. というのも、ほぼ一から設計するものだから、怨霊対策をした作りらしい……って、だからその発想がおかしいと思わないか?そもそも惨殺するから怨霊が出る。だったら、悲劇を未然に防止する方法をなぜ考えないのか?
結局、何が一番怖いかって、人間の心ですよね。
不信感。
猜疑心。
誰もが素直に信じられなくなるから心が濁って、新たな悲劇が起きてしまう。そういう不信感の極みのような回でした。

10.今年の大河を見て「将来は義時みたいになりたい!」なんて思う子どもはいないでしょうし、ああなりたいと憧れる若者もいないでしょう。しかし、それが歴史というものではないかとも思えてくる。歴史って、英雄になりきった妄想に耽るより、現実社会で起きてはならない決断を迫られる――そうやって心を鍛え、磨くためのものかもしれません。
その点、今年の大河は精神を鍛えますし、本来の意味で歴史を学ぶ意義を伝えているように見える

6、「素敵な主君に信頼されていいなぁ」ではなく、皆何らかの形でしんどい思いをしています。これだと、しんどい立ち位置にいるのは、自分が好きな大河の主人公だけではありませんか。

官兵衛などもその典型だし、西郷吉之助も、忠誠を尽くしていた斉彬が、奄美で嫌われているとわかって茫然自失するところがありました。またこの吉之助や栄一=篤太夫は、他の戦国期の人物に比べると、そう高い身分ではありませんし、そのため戦国と幕末では何らかの違いがあると思われます。主君の性格や態度なども影響しますし。しかし『天地人』て、10年ルールは一体どうなっているのでしょう。

7、武者さんはそう思っているかも知れませんが、あのシーンは懇願することのみをやらせるべきでした。そもそも大姫は、義高が逃げたこと、追われていることをどうやって知ったのかなと思いますし、正直言って、刃物というか小刀を持ちだし、死にますと言わせるのはアウトだなと思います。

8、そもそも武者さんは歴史を理解しているかと言いたくなります。簡単に人が殺されるのは戦国も同じでしょう。しかも戦国の場合、奸計を練ったうえで死に追いやるからもっと怖いです。怖い怖いと言いながら、余すところなく伝えて来るのがいいと言うのも矛盾していますが、怖いもの見たさなのでしょうか。

9、素直に信じる云々というより、新しい時代をしかも覇権によって切り開くわけですから、血生臭いこともあるでしょうし、疑心暗鬼に囚われることもあるでしょう。近世から近代の革命に於いてはそれがもっとエスカレートして行きますが。怨霊対策に関しては三谷さんも
それから、僕の想像以上に当時の人たちは神様を敬っていた。夢のお告げみたいなものを信じていて、神がかり的な部分がすごくあるなと。「なぜ彼らはここで戦を始めたのか」「なぜ戦を始めなかったのか」といった背景には、わりとそういうことがあったりする。戦にしたって、もちろん銃はないし、小石を投げたりして戦っているんですから。もはや原始時代に近い。そんなイメージです。
とインタビュー(https://www.nhk.or.jp/kamakura13/special/interview/001.html)で言っているし、しかも武者さんがしょっちゅう言っている「原始時代に近い鎌倉時代」のこともちゃんと話してくれていますよ。

10、「将来は義時みたいになりたい!」て、皆そういう思いで大河を観ているのでしょうか。登場人物は自分とは別の世界の存在で、場合によってはそれを自分に重ね合わせるといった感じではないでしょうか。スポーツ選手あるいは芸能人を見てそう言うのであれば、まだわかりますが。それと
「英雄になりきった妄想に耽るより、現実社会で起きてはならない決断を迫られる」
迫られた決断をするからこそ、英雄となり成功者となるものだと思いますが。また、この大河で「精神が鍛えられる」ようには思わないし、そもそもエンタメとはそういうものなのでしょうか。

また「本来の意味で歴史を学ぶ意義を伝えているように見える」
自分でそう思っている、あるいは思いたいからではないのでしょうか。武者さんの嫌いな大河にも、同じような描写は今までいくらでもあったのですが、それは知らなかったことにしたいのかと。

そしてまた『ゲーム・オブ・スローンズ』に追い付いたとか何とか。これに関しては、また次の投稿で触れたいと思います。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2022/05/05 18:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 31

6日にアップされた『武将ジャパン』の大河コラムについて。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第13回「幼なじみの絆」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

疑問に思われる部分その1です。

1.時政はりくに、京へ戻る願いを摘み取ったことを詫びる。(中略)本作の時政は愛が原動力なのでしょう。男性でこういう描き方は珍しいですし、挑戦的だと思える
2.しつこく御令旨をもたらしと言う行家に、キッパリと義円討死の責任を問いかける頼朝。(中略)渡河の準備もろくにせず戦いを仕掛けた時点で言い訳はできない
3.扇は中国の文官由来で日本にも伝わった「笏」(しゃく・もとの読み方は“こつ”)の伝統である。正装として笏を手にしていたのが、扇になっていき、文を司どるステータスシンボルとなる
4.広元が、平清盛を呪殺した者が京都にいると言い、頼朝はすかさず呼び寄せろと命令を下す。現代人からすると「オカルトかよ!」となる場面ですが、当時の人からすればプロの暗殺者を呼び寄せるような気持ち
5.頼朝は史実の方がドラマよりもゲスなので(中略)大泉洋さんはむしろ史実により近づけてきている。より史実準拠ゆえに大河史上最低。そんな頼朝と義経兄弟を演じる大泉さんと菅田将暉さんはすごい

1、これはたまたまではないでしょうか。りくを京に戻してやりたいとは前から言っていたことですが、こんなことで伊豆に帰ることになってすまないといった類のものでしょう。「愛が原動力」(『天地人』かと言いたくなります)とか「男性でこういうのは挑戦的」とか、武者さんはそう思いたいのですね。
2、この義円戦死の回、甲冑を着ていると泳げないといったことが書かれていましたが、古式泳法に鎧を着て泳ぐ方法があるわけで、そのせいかどうか今回は少しトーンダウンしているようです。というか、事前に調べて置けばいいのに。動画もあるのですから。
3、なぜか中国好きの武者さんがスルーしていますが、元々の扇は片側にのみ紙を張った蝙蝠扇でした。それが中国大陸で、両面に紙を張った物へと変化して行き、日本に逆輸入されます。
4、「現代人からすると『オカルトかよ!』」なぜここで現代人目線になるのでしょうね。当時はそういうものだと思っていればいいのに。
5、ここでまた「ゲス」。使いようによっては効果的なのですが、毎回のように「ゲス」と「すごい」が出て来るのは、何とも幼稚な印象を受けてしまいます。それと別に、必ずしも史実準拠でなくてもいいのですが。頼朝が女性に手が早いのはもう十分過ぎるほど見ていますし、逆に義経おかしいんじゃないのなどという声もありますし。

6.こうした人質や言質を使うやり方を、大江広元は鎌倉に持ち込み、ゲームのルールを変えてゆく
7.随分とまあ、綺麗な僧衣を着ちゃって。この布地は最先端の南宋からきたものか
8.   無茶苦茶なようで、仏具等にも考証がついている。手間がかかった場面である
9.   もううんざりだ! 舅にも愛想を尽かされている! そんなわしらの思い=不満を鎌倉殿に伝えて欲しいと念押しされる。 義時よ、毎週なぜ、こんな目に……
10.  梶原景時が目を光らせ、大江広元が策を練る――鎌倉は季節が変わりました。青春から次へ移りました

6、これは義仲サイドから人質を申し出たとも言われており、またこれ以前にも、たとえば後三年の役の頃、清原清衡は妻子を殺害されていますが、『炎立つ』では人質に取られていたなどということもあります。
7、それだけですか…この緋の衣は真言宗では大僧正の色なのですが、それがここでは出て来ませんね。
8、その考証がどのようなものかを、ここできちんと説明して貰えないでしょうか
9、そもそも頼朝がいなくなるまで義時は二番手であり、この大河では特に調停役的なイメージが強いです。こうしないと彼の出番を作れないということもあるでしょう。
10、今までの鎌倉は御家人たちの「青春」だったのでしょうか。それにしては、昨年の血洗島の若者たちの本物の青春を、何だかんだと言っていたように思います。

それから
今年は全体的に、映像の処理が去年よりよくなっています。
とありますが、こういうのは作品ごとにアップデートして行くものでしょう。ということは、無論一昨年の『麒麟がくる』よりもよくなっているということですね。

飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2022/04/07 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「関ヶ原」

まず第50回「関ヶ原」です。とはいえ、関ヶ原そのもののシーンはそう多くありませんが。


家康が会津征伐の目的で東へ軍を進めた。しかしその真の目的は、石田三成に挙兵させることにあった。兄の正澄も奉行所を去り、ここに堺は30年余りの時を経て、再び自治を取り戻したことになる。しかし会合衆の顔ぶれは変わっていた。またそれぞれが出入りしている大名家も異なり、一枚岩となるのは難しそうだった。そんな会合衆に助左衛門は、我々の敵は豊臣でも徳川でもなく堺にあだなす者であり、もし攻められた時は堀もあり、鉄砲もあるのだから戦うと檄を飛ばす。

そして櫓を組む助左衛門たちだが、宗薫は、自分が助左衛門の邪魔だてをしないのを不審に思うかと美緒に尋ねる。小太郎は美緒を実の母と思っており、美緒がこのまま小太郎の母親でいてくれたら大抵のことは許すと言う。宗薫は小太郎を手放したくなかったのである。

大坂城に入った三成は淀君(淀殿)と秀頼に拝謁し、徳川を征伐したいと言うが、秀頼を担ぐことに周囲は反対する。ならば大坂に残る大名の妻子たちを人質にすればいいと淀君。しかしこのことは、陣中の家康にも届いていた。三成は自分に従う豊臣の大名たちに、三成は上杉と共謀し、毛利宇喜多を味方にして、貴殿らの妻子を人質にしていると伝える。

もし妻子が気になれば去ればよい、その後は譜代の陣で相手を防ぐと家康は言うが、大名たちの中には妻子を置いて来たのは秀頼への忠誠心のためであり、三成のためではないとの声も飛び出す。しかも細川忠興は、妻たまに自刃するよう命じていた。家康はその彼らの心を無駄にしたくないと明言する。

その細川の屋敷には、増田長盛の手勢が押し掛けていた。これを聞いたたまは、余計な争いにいならないよう人質になることを望むが、それはできぬとの返事に、自害をせよとのことかと悟る。しかしキリシタンである彼女は自害ができず、侍女の薙刀にかかって果てる方法を選ぶが、侍女はためらっていたため、たまは襖に描かれた鹿を狙うように命じ、襖越しに自らを討たせるつもりでいた。その後刃ににかかり彼女はこと切れ、屋敷に火がかけられた。

一方三成は、たまに会えることを心待ちにしていたが、この火を見て驚き、さらに彼女が自害したことを知る。そして堺でも助左衛門と小西行長がその火を目にしていた。行長は翌日伏見に向けて出陣する予定だった。行長はこの戦いに空しさを感じていた。勝っても喜びはなく、負けても悔しさがない戦だった。ならば堺のために戦ってくれと助左衛門は言うが、戻るには遅いと行長は言う。

慶長5(1600)年9月15日、美濃国関ヶ原で徳川軍と石田軍が大事する。三成は笹尾山、そして家康は桃配山にそれぞれ陣を敷いた。そして午前8時、石田軍の島左近の一番銃で戦いが始まる。最初は石田の方が有利で、家康はあまりの不甲斐なさに自ら指揮を執る。三成はこれを見て勝利を確信するが、その直後形成は逆転する。小早川秀秋が寝返ったのを皮切りに、石田方には次々と寝返りが続出し、午後2時ごろには総崩れとなった。兵たちは退き始め、島津軍は敵軍中央突破を図った。1600人もの島津軍が、退却を重ねて境についた時には80名あまりに数を減らしていた。

島津軍の開門要請に会合衆は話し合う。助左衛門は中立の信念を曲げるべきではないと言うが、占領するわけではないのなら開門すべきという声も多く、結局門を開けることになる。そして助左衛門は三成や行長、安国寺恵瓊も行方不明であることを知る。しかも今度は井伊直政が来て、島津を引き渡せと叫んでいると小太郎が知らせに来る。井伊と堺衆の間で撃ち合いとなり、堺もこれまでかと助左衛門は覚悟したが、その時お仙が堺の葬式だ、堺が燃える、海へお逃げと言いながら鐘を鳴らす。

そして美緒は戦の様子を見に来ていた、小太郎の働きぶりを見るように、宗薫に言われていたのである。それは彼女に、信長軍が包囲した永禄11年当時の堺を思い起こさせていた。助左衛門も、その時初めて美緒と会話を交わしたことを思い出す。敵はほどなくして引き揚げ、美緒は小太郎に勝鬨を聞かせるように頼み。堺の町中に勝鬨が響き渡る。

関ヶ原の戦後、家康軍は佐和山城を攻め落とし、石田の一族を滅ぼした後大坂城に入った。大野治長は、秀頼と淀君には何の関係もないことと家康を説得し、家康もそれは予想していたようで、逆臣を滅ぼしたことのみを淀君に伝える。さらに淀君は、堺が自治を守るため櫓を組んでいることは許しがたいと言う。家康はそれを受け、島津を匿って徳川に刃向かった堺は、町ぐるみ殲滅すると誓う。そして堺は徳川軍に包囲された。

同じ頃三成は、伊吹山中をさまよっていた。そして同じ伊吹山中には行長もいた。また恵瓊は伊勢山中をさ迷い歩いていた。そして堺も、徳川を相手に最後の時を迎えようとしていた。


関ヶ原前夜と合戦、その後の堺の様子が描かれますが、かなり急ピッチです。上杉攻めなら直江状とまでは言わずとも、その間の確執があってもよかったかとは思うのですが…。そもそも上杉景勝が出てこないから仕方ないともいえますが。ところで直江状が最初に大河に出て来たのは、やはり『天地人』だったでしょうか。しかしあの中の直江状の描き方はいただけませんでした。家康と直江兼続の間の書簡を、あそこまで多くの人が目にするわけもないのですが…。

そして、それにおびき寄せられるように大阪入りした三成ですが、挙兵に対してまだ幼い秀頼はもちろんのこと、淀君も大野治長(修理)もいい顔をしません。そこで淀君が、ならば上杉攻めに参加している大名の妻子を、人質に取ってはどうかと言い出します。この意味で淀君も、実は三成に加勢していた感はありますね。

しかしこれを聞いた家康は、大名たちに意見を求めますが、皆家康に従う覚悟を決めていました。そもそも彼らに三成は人気がありませんでしたが、この期に及んで三成に付くなどということが、かなりリスクの大きいこともまた承知してはいたでしょう。細川忠興は妻たまに、自刃をするように命じたとまで言います。実際この中では、三成がたまに心を寄せるかのような描写もありますが、忠興はこれを知っていたのかいなかったのか。

そのたまの自刃、正確にはキリシタンであるため、他人の手で自らを討たせるのですが、この大河では小笠原少斎ではなく、侍女が手にかけたという描写になっています。しかしどう見てもたまより小柄な侍女が、襖越しに一突きで殺めることができたのでしょうか。あとこれでは「御方様」ではなく「御台様」という呼び方になっていますね。御台様というと『鎌倉殿の13人』の政子を思い出してしまいます。尚この時、黒田長政の母(光)と妻は大坂を脱出しています。

そして関ヶ原ですが、これはかなり短縮されています。尚この時大谷刑部の名前が出て来ますが、人物そのものは出て来ていません。つまり前半は石田有利→三成勝利を確信→後半寝返りが相次ぎ徳川有利→総崩れという流れが説明されている程度で、あと島津軍が堺まで退却したことが描かれています。もちろん寝返りも、今では最初からそうなっていたという説が優勢になっています。

島津軍がやって来たことで、会合衆たちは話し合い、結局彼らを入れることになりますが、この時助左衛門は三成、行長、そして恵瓊が消息不明であることを知ります。この行長、やはり助左衛門は堺衆のために戦ってくれと言っていますが、行長としてはやはり豊臣のために戦うしかないでしょう。そして島津が去った後、井伊直政の軍が攻めて来ます。徳川の先鋒を務める役目の井伊の軍が思わぬ反撃にあい、これが家康によからぬ印象を与えたのも事実のようです。いずれにしてもこの堺の中立は、権力者には好ましからざるものでした。

お仙はまだ生きていたのですね。それと宗薫、小太郎を気にするところは流石に父親ではあります。

それにしても、秀頼と淀君、大野治長と徳川家康の4名が一室にいるというのは何やら運命的で、後の大坂の陣を思わせます。

飲み物-コニャック
[ 2022/03/28 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマの可能性を探ってみると

少し前に、『天地人』と『真田丸』の上杉攻め、そして『天地人』の長谷堂城の戦いについての投稿で、コメントをいただいたことがあります。この長谷堂城の戦い、所謂「北の関ヶ原」(上杉VS最上・伊達)の戦いの一つで、最上と上杉との合戦です。

しかしかの『天地人』でさえというか。『天地人』だからというべきなのか、この戦いのあまり詳しく採り上げられておらず、最上軍がモブだったのは残念でした。また『独眼竜政宗』の場合は、最上は出て来たものの、上杉景勝が出て来ませんでした。

戦国で最上、上杉、伊達を揃い踏みさせると、こういうのもきちんと描かれるわけです。また九州を舞台にした場合は、島津の九州征服メインで、秀吉と黒田官兵衛に敵対させる形でいいかと思います。少なくとも地元では、それなりの数字が取れるでしょう。そろそろこういう大河が実現してもいいはずなのですが、依然としてその気配は窺えません。

それから江戸時代が舞台の大河、これも、最近は川中島大河同様に作られなくなっていますが、こちらも家光から吉宗の時代を中心にすればいいと、少し前に書いています。でなければ、吉宗から黒船来航までを舞台にするといいでしょう。

こういうのを1年でなく、2クールで2年に渡って描けば、そこそこ関心を集めるのではないかと思われます。無論ゴールは黒船来航ではなく、桜田門外の変でもいいし、江戸無血開城という選択肢もあります。

たとえば、『どうする家康』で織豊政権から江戸初期を描いたら、その翌年は秀忠、家光経由で(『葵 徳川三代』の時代背景)赤穂浪士から吉宗までを描き、その後ま幕末までを描くようにすれば、時代的にもつながります。またその当時の様々な人々、たとえば松尾芭蕉とか、伊能忠敬なども登場可能です。

大河は元からそうでしたが、特に最近は観光とタイアップしてしまったこともあり、1年単位で主人公も舞台も、時代背景もくるくる変わってしまいがちです。いっそのこと、このくらいの連続性を持たせてもいいかと思います。

江戸時代はとにかく、時代の変革というのはないわけですから、著名な将軍の時代をスタートまたはゴールに設定して、その間の物語を描くといいでしょう。またこれとは別に、室町時代中期という舞台設定も残されています。

この時代も一般にはあまり知られておらず、それゆえドラマ化されてしかるべきかとは思います。ただ多少分かりづらいので、こちらもまず足利尊氏の晩年期から始めて(『太平記』の終盤)、足利義満の時代の北山文化、嘉吉の乱や足利義教暗殺を持ってくるといいでしょう。部分的には『花の乱』と重なることになりそうです。

話は変わりますが、『鎌倉殿の13人』で、大姫の描写がどのようになるのかに興味があります。これも前に触れましたが、父頼朝との対立から御所を出て行って遊女となり、義経の郎党だった男の子供を宿し、ついには自殺するという設定にならないかと勝手に思っています。

義高を思い続けたあまり亡くなるというパターンではなく、自分でその仇を討とうとし、ついに実の父親に刃を向けるという、恐ろしくかつ悲しい設定でもいいかも知れません。無論彼女は頼朝の前に亡くなっていますから、その思いを家臣に託し、それがもとで、義時による頼朝「暗殺」が実現するという描き方もあるでしょう。無論、すべては三谷さん次第ですが。

飲み物-カウンターとカクテル
[ 2021/12/24 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』新キャストが発表

実は「帰って来た官兵衛」なるタイトルも考えていたのですが、ちょっとわけがわからなくなりそうなので、素直に上記のようにしてみました。以前予想した通り、『軍師官兵衛』の主演の岡田准一さん、今回は、織田信長の役で再び大河に登場です。

しかし正直言って、「やっと」といった感じです。1月に制作発表、11月に主人公以外のキャスト発表というのは、『鎌倉殿の13人』と同じなのですが、こちらは集合写真が難しいご時世ということもあり、動画で脚本家自ら、それも5日連続での発表で、それが如何にも新鮮に映りました。

一旦こういう前例ができてしまうと、視聴者としては、あるいは次回もかと期待してしまうものであり、それだけに今回の発表は従来通りで、その意味でいくらか平凡な印象ではありました。無論前回は、三谷さんだからあのやり方が可能だったとは思いますが。

2023年 大河ドラマ(第62作)
新たな出演者が決定!
(NHK ONLINE)

キャストは以下の通りです(敬称略)。

織田信長-岡田准一
瀬名/築山殿-有村架純
豊臣秀吉-ムロツヨシ
今川義元-野村萬斎
武田信玄-阿部寛

初出演の有村さんを除けば、皆室町から戦国の大河出演経験者です。秀吉役がムロさんというのはわかりやすいですね、昔ながらのイメージの秀吉像といったところでしょうか。今川義元は萬斎さんということで、お公家さん的義元になりそうです。あと築山殿の有村さんですが、これは正直言ってちょっと意外でした。正室よりも、家康が寵愛した側室の一人というイメージのせいもあります。それと阿部寛さん、『天地人』の謙信公は今度は信玄公ですね。

いずれにしてもこの大河は、主演の松本さんを支えるだけの、経験がある人が求められることになりそうです。

飲み物-クリームとココア
[ 2021/11/30 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud