『武将ジャパン』大河コラムのその2です。先日、このコラムの最後の方の箇所に触れていますが、あれで終わりではなくまだ続きます。それとその先日分にいくらか加筆及び修正をしています。
「松山ケンイチさんの本多正信はよい」という意見もあります。
言わんとするところはわかります。この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています。
経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう。
「この作品は演出も脚本も中身がないので、役者の解釈力に頼っています」
何をもってそう言い切れるのか不明です。武者さんがそう思いたいからではないでしょうか。
それと
「経験が薄い子役を見ると一目瞭然で、一方で松山ケンイチさんがよく見えるのは当然でしょう」
子役に対して随分失礼な言い方ですね。
そしてその後、
「確たる脚本や演出があって演技をするというのは、栄養を補給しつつ走るようなものだと思います。だからこそ遠くまで走れるし、パフォーマンスも発揮できる」
「それができないからと自分の解釈力に過剰に頼りすぎると、ハンガーノックを起こさないか不安になってきます。疲れるだろうし、すり減ってしまうのではないかと」
などとあります。
脚本も演出も中身がないと断定し、松山さんが解釈に頼りすぎていると一方的に主張し、なおかつ、ハンガーノックを起こさないかどうか心配だというのは、武者さんの勝手な決めつけに過ぎません。個人でやる分には構いませんが、こういうのをレビューなどと呼ばないでほしいです。
彼だけ浮いてしまうのは他にも理由があります。
正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ。
他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思えることもあります。ケミストリーがちゃんとしている現場だとうまく回るけれども、これでは食い合わせが悪いメニューのようだ。
「他の役者との差が際立ちすぎて逆効果に思える」
これも他の俳優さんに対して失礼では?というか、松山さんにも失礼かと思いますが。
そして
「正信だけがイントネーションをはっきりとつけていて、ジェスチャーも目立つ」
と言うよりは、他の如何にも三河武士といった家臣たちとは一線を画した、口達者なキャラだから目立つ存在なのではないでしょうか。
時代劇には、特有の所作や作法があります。
しかし、それがしっかりなされていないため、現代劇の名探偵キャラクターの型で演じているようにも思えくる。
彼が実力のある役者だということはよくわかる。しかし、あの「本多正信」に見えるかどうか?というとそうでもない。
もっともこれは彼だけでもなく、岡田准一さんやムロツヨシさんにもあてはまります。
つまり役者でなくチームの問題です。
ここでまた「時代劇の所作や作法」ですが、武者さんがそれを具体的に説明したことがあるでしょうか。それがしっかりなされていないとは、どのようなことを指しているのでしょうか。
そして「あの『本多正信』に見えるかどうか」、本多正信も作品によって描かれ方が違うと思いますが。岡田さんの信長しかり、ムロさんの秀吉しかりでしょう。
キャラ設定を批判したいのなら、チームより制作統括に責任があるとなりますが、私はそれぞれのキャラは面白いと思っています。
そして合戦シーン。
合戦については、これまであまりに評判が悪かったせいか、若干の改善が見られます。
VFXを減らし、実写を増やした。
と書かれており、「多くの視聴者から上がった抗議の声を全く気にしていないわけでもないかも」ともありますが、こういうロケ日程はかなり早い時期に決まっているでしょうし、時間をかけて行軍するとか、合戦で多くの馬を走らせたりするのでなければ、普通にロケをやっているのではないでしょうか。
ただし、小手先だけではどうにもならないことがある。
例えば、秀吉の強さがまったく見えてきません。
大軍を稼働させるために必要で重要な兵站も、外交も、行軍速度も、鮮やかな攻め方も何も描かれていない。
兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない。
この大河では秀吉の強さよりも、家康のライバル、ひいては主君となる秀吉がメインとなっていると思います。ですから武将としての秀吉は、意外に描かれていません。戦場での秀吉は描かれるにしても、たとえば金ヶ崎での大げさに自己主張をするシーン、光秀の首を見るシーンなどが比較的多いように思います。
この間も書いていた「中国大返し」について言いたいのでしょうが、ならば『軍師官兵衛』を観た方がいいのではないかと。
そして、戦国大河なのに戦下手だとあり
(戦のシーンの描写が下手と言いたいのでしょうか)
『江』や『花燃ゆ』は主人公が戦略に疎くても仕方ない。
慶長出羽合戦をすっ飛ばした『天地人』、西南戦争のオチがBL破局じみていた『西郷どん』といい勝負……って、その位置で満足なんでしょうか。
女性主人公大河でも戦闘シーンはありますよ。ちなみに『花燃ゆ』の功山寺の決起と大田絵堂の戦いは割とよかったです。
そして『天地人』、最上軍の襲撃はわずかですがありましたし、『西郷どん』の西南戦争は、西郷が自決せずに銃弾を受けるという描写になっていましたが、BL的なのはありましたか?大久保が、降伏すれば西郷は助けると電信で伝えたことですか。でも、政府軍襲撃の前ですよあれは。
何だかもう戦のシーンとか登場人物の戦略とか、同じ戦絡みであるものの、互いに異なる要素ががごっちゃになっていませんか。しかも上記4作品の戦闘シーンと、この大河の戦闘シーンとどう関わりがあるのでしょうか。比較対象もおかしくないですか。
武経七書は無理にせよ、『孫子』くらい読む時間はあったはずです。
では伺いますが、制作陣が『孫子』を読めば完璧な戦闘シーンが作れるのでしょうか?
このドラマで一番強いのは、わけのわからんナレーターかもしれません。
ナレーターがキンキン声で語るだけで、戦が片付いていきますもんね。
燃える北ノ庄は昭和レトロな、古い映像の使い回しでした。
となると、VFXをあえて減らしたのではなく、単に納期が間に合わなくなっているのかもしれません。だとしたら危機的状況ではないでしょうか。
また武者さんが好きな「危機的状況」。
取りあえず、武者さんが寺島しのぶさんの声が嫌いだというのはわかりました。
そしてこの大河の場合は、何かにつけネガティブな方向に捉えていますが、別に貴方が心配するものではないでしょう。
そして「昭和レトロ」、これも武者さん好きですよね。ただあの炎上シーン、どこが「昭和レトロ」なのかちゃんと解説して貰えないでしょうか。
ナレーターがくだらない口調で北条を説明しています。
戦から遠ざかっていて実戦に弱いというような描き方はいかがなものでしょう。
汁かけ飯も『真田丸』を台無しにするような浅い解釈です。
そもそも、なぜ北条をいまさら出すのか。
北条と徳川、今川、武田はこれまでも深く関わりがあったでしょうよ。
「演出も脚本も中身がない」
「ナレーターがくだらない口調で北条を説明」
なのによく毎週観ていますね。
そしてなぜ北条をいまさら出すのかということですが、これは旧信長領=武田領を巡る争いであり、北条に渡すなとドラマの中でもちゃんと言っているのですが。
そして汁かけ飯と『真田丸』の関係がどうこう、作品が変われば描写も変わると思います。
まぁ、本作に兵法を望むなんて贅沢すぎますよね。
お市が本当の総大将ってだけで、もう勘弁です。
「名目上の総大将は、実は私なの!」
なんて誰かが言い出したら、錯乱したという名目で斬り捨ててしまいましょう。殺すことに気が引けるならば、投獄でもOKです。
お市=総大将は2回出て来ます。
まず綿布が送られて来た時は、お市自身が自分は総大将だと言ったのではなく、大久保忠世がそう言っているだけです。
2番目、落城の前に娘たちを城から出した時は、自分も勝家と共に運命を共にするつもりでああ言ったわけでしょう。無論、秀吉の許に身を寄せるくらいなら、ここで死んだ方がましだという思いもあったでしょうし。
お市も自分がスゴイと酔いしれている様子でしたが、いつどこで戦いを戦略や戦術を学んできましたか。
合戦は体育祭ではありません。
本作は、お市がしゃしゃり出ることを女性の活躍だとでも思っているようだ。
あんな怖い表情をさせて説明台詞を読ませることが女性の活躍? 冗談はやめてください。
お市はしゃしゃり出ているでしょうか。
秀吉が侵略しようとしている織田家を守る気持ちはあったでしょう。秀吉の許にいた三法師を、岐阜に連れて来てもいます。またお市は兄の具足を着けてはいますが、戦場に出ているわけではありません。ただいよいよとなった時に、将来のある娘たちは逃がして秀吉に託したわけですが。
そしてまた「説明台詞」ですか。
愛の近眼設定は、完全に消えました。
前回のレビューで、レーシックでもしたのかと突っ込みましたが、鷹が空高く飛んでいく姿も目視できたので、望遠鏡でも手に入れたのかもしれません。
どうして彼女が近眼か?というと、眼病の人々を気に掛けた逸話があるから。
本作では、その逸話を最初だけテキトーに取り込み、「ドラマを描くにあたって勉強しているよ♪」とでもアリバイ工作したのでしょうけど、途中から完全に忘れてますね。
脚本家は、あまりにも視聴者をバカにしていませんか?
この時の於愛ですが、正信が何度も鷹を呼び、しかも鷹笛まで吹いていたのに戻ってこないことから、行ってしまったのかと察したのではないでしょうか。そして彼女の場合、鷹がいなくなる=正信が鷹匠としてすることがなくなるということは、家康に同行させるうえで有利にもなりますし。
そして正信が去った後、鷹に向かって呼びかけていますが、あれは目視ではなく鳴き声を耳にしたからですね。
幼少期のお市回想シーンが意味不明です。
なぜ彼女は甲冑を着て水に飛び込んだのか?
入水して命を断とうとしたとか?
甲冑は重い。甲冑姿で水に飛び込んだら助かりません。それを子どもが助けるなんてできないでしょうよ。
つくづくこのドラマは子どもに見せてはいけない。ああいう場合は大人の助けを呼ぶしかありません!
「意味不明」て、このシーン第4回の「清須でどうする!」で出て来ますよ。あの時竹千代が鎧をつけたまま泳ぐ訓練をさせられていたけどうまく行かない、情けないと思った彼女は、自分も腹巻を着けて飛び込んだけど溺れてしまい、竹千代に助けられていましたね。
そしてこの時竹千代は
「こっそり水練をなさりたい時は自分を呼ぶように、お市様のことはお助けします」
と言い、それが賤ケ岳の戦いにまでつながっているわけです。
そしてその後に水難事故防止のキャンペーンて、武者さん何を急に真剣になっているのですか?
家康は、これほどしみじみお市のことばかり思い出していて、マザーセナに申し訳ないと思わないんですかね。
しかも、この場面で愛が出てくるから最低だ。仏間でしんみり祈る程度のことすらできていない。
織田家の人質にもなっていたのですから、それは思い出すでしょう。しかも秀吉が勝家を攻めているのですから。
そしてなぜここで於愛が出て来てはいけないのでしょうか、彼女は今の家康を支える女性なのですが。
『青天を衝け』も、妾が大勢いた主人公でした。
今にして思えば、あの女遊びロンダリング技巧は、道義的には最低ですが描き方としてはしてやったりだったのかもしれません。
あの渋沢栄一は一応「千代が一番!」という建前を振りかざしていた。
妾は「相手が誘ったから」という誘導。後妻を迎える時も前妻をアリバイとして持ち出す。
その程度の知恵はありましたからね。
今年は、そうした最低限の嗜みもなく、ただ美女とイチャイチャしたいという欲求がダダ漏れです。
あの時代と戦国時代はまた違いますよ。第一家康の正室の瀬名はもういないし、ならば息子を2人産んでいる於愛が、中心的存在になるのはありうる話です。
それに今の家康に「女とイチャイチャしたい」などという暇はないはずですが。
しかし最近『青天を衝け』叩きがないなと思っていたら、やはり出して来ましたか。
茶々が徳川を恨む理由がわかりません。
なぜこの状況で助けに来ないからと恨むのか?
殺した秀吉でなく家康を?
本作はわけのわからぬ逆恨みが非常に好きなようで、家康が信長を恨む理由もわけがわからなかった。
スーパーマーケットの「お客様の声コーナー」にある無茶苦茶な投稿みたいなセンスですよね。
「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」
いや、他の店に行けよ!と言いたくなる系のご意見。そういう怪文書ドラマを大河でやらないで欲しいのです。
茶々はお市から昔話を聞かされています。当然水に溺れそうになったお市を、当時の竹千代が救った話も聞いているでしょう。そういういきさつがあるのに、助けに来ないのはひどいと言っているわけです。まあこの年齢の少女らしくはあるのですが、もちろんお市はそれに対して、戦とはそのようなたやすいものではないと諭していますね。
それと「殺した秀吉」とは、「誰を」殺した秀吉ですか。この時点では、勝家もお市も自害しておらず、秀吉に殺された(追い詰められて自害した)とはならないはずですが。
また家康が信長を恨むのは、瀬名と信康のことがあるからではないのですか。
あと
「「私が好きなあのお菓子をどうして置かないんですか! 他の店にはあるんですよ、もっと大量に全種類置いてください!」」
これ、
「私が好きな大河のとおりになぜ書かないんですか!他の大河にはこのシーンがあるんですよ、ちゃんと書いてください」
と常に言いたげな武者さんを思わせます。いや他の店に行けよ、ではなく、ならば観ないでおけばどうかと言いたくなります。
夫を殺された云々を言い出すお市。
しかし、その夫と子の死因になった兄を慕って、織田のプライドを語る論理展開がどうしても理解できません。
織田家を存続させたいならもっと他にすべきことがあったのでは?
兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送るとか、やるべきことはあるでしょうよ。
それなのに意味なく綿布を徳川に送る……って、何をしているの?
まずこの大河では、夫の死はあっても子(万福丸)の死は出て来ません。
そして兄信長の家臣であった秀吉が、織田家を食い物にしようとしたからこそ、織田家の娘であることを主張し、悔いはないと自害の覚悟を決め、娘たちに後を託したわけですね。
そして「織田家を存続させたい」とはお市は言っていないはずですが。
「兄からの象徴だというあの南蛮服を信長の子に送る」
送って、どうするのですか?
「意味なく綿布を徳川に送る」
意味はあるでしょう。あの時お市は誰を待っていましたか?
このドラマは、顔をアップにして、役者の演技力に頼り、長くて中身のない台詞を読ませますね。
毎回同じパターンですよね。本能寺の信長もしつこかった。いい加減さっさとと退場してくれ。そう言いたくなるほどくどいお市でした。
お市が城を出るのを拒むシーンですか。あのセリフに中身がありませんか。
だからお市の気持ちがわからないのではと言いたくもなります。
それよりも、この4行ほどで1つのパラグラフを作っていますが、その必要があるのかなと思います。