大河枠特番第4弾は『秀吉』です。実はすべてのエピを観ているわけではないので、細かい部分に関しては何とも言えません。どちらかと言えば、天下人となった秀吉よりも、日吉丸→木下藤吉郎→羽柴秀吉の出世コースを歩いた秀吉を、重点的に描いた作品であるとは言えそうです、特に出世前の秀吉と、母親のなかのコンビは妙にしっくり来るものがありました。
この時の渡哲也さんの信長、西村雅彦(現・まさ彦)さんの家康も異色といえば異色でした。渡さん、50代で信長を演じていたのですね。『真田丸』の吉田鋼太郎さんも50代で信長を演じていますが、如何せん登場回数が違い過ぎます。あと石田三成(佐吉)が真田広之さん、淀殿が松たか子さん、豊臣秀長が高嶋政伸さん。おねの沢口靖子さんと真田さん、高島さんは『太平記』でも共演です。ちなみに北政所を「おね」としているのは、大河ではこれと『軍師官兵衛』だけだったと思います。
そして光秀が村上弘明さんですが、この光秀は正直な話、やや違和感がありました。村上さんは戦国だと『武田信玄』の高坂弾正のイメージが強く、また大河全体では、『炎立つ』の藤原清衡がよかったせいかも知れません。この光秀はちょっとマザコン的なところもあり、母親の美にはっぱをかけられていた覚えがあります。美はその後磔刑となり、それが本能寺の一因となるわけですが、この人物を演じたのは野際陽子さんでした。『新選組!』でも主人公の母親を演じていましたね。
キャストがその当時としては比較的斬新で、これは視聴者によって好みが分かれたように思います。尚、石田三成の少年時代を小栗旬さん、小早川秀秋の少年時代を浅利陽介さんが演じています。小栗さんはその後『天地人』で三成を、浅利さんは『軍師官兵衛』と『真田丸』で小早川秀秋を演じています。しかし浅利さん、確か本当は秀吉をやりたいと、以前『スタジオパークからこんにちは』で語っていたことがあります。
それと秀吉が若い頃、信長の側室吉乃の屋敷に忍び込むシーンが紹介されます。この大河でも『利家とまつ』同様、吉乃の存在はかなり大きいです。というか、結婚後の史実がはっきりしない濃姫に比べ、この吉乃の方が信長の子を3人も産んでいるわけですから、扱いは大きくなって当然とも言えるでしょう。今年のがこの吉乃をクローズアップしたのであれば、それはそれで評価できるのですが、しかし実際は「側室に子供を産ませていた。許せ」でした。これにはやはりがっかりです。
ところで、この番組の中でちょっと気になる点がありました。ご存知のように、この大河は秀吉の生涯を最後まで描いていません。ああいうテンションの高いイメージで始まった以上、晩年のどす黒い印象の秀吉を敢えて描かなかったとも取れます。しかし鎧風な革ジャンで決めた竹中直人さんが
ヒーローは堕ちてこそヒーロー
最低の秀吉を演じたい
と望んでいたにもかかわらずそうならなかったとコメントします。それに対して、「麒麟」の川島明さんが、もう一度主演の話が来たらどうかと尋ねているのですが、この時竹中さんは
「晩年の秀吉をもう一度やってみたい」
と語っています。「もう一度」とあるからには、無論過去に一度、晩年のダークな秀吉を演じているわけです。ずばり『軍師官兵衛』です。
ならば、『官兵衛』のダークな秀吉を1シーンだけ流すという方法もあったはずですが、なぜかそのようになっていません。この辺りは如何なものかと思います。
「堕ちゆくヒーローを演じられるという漠然とした期待はあります。主役では難しかったことが今回できるのではないかと」(前編)
「この先、堕ちゆくヒーローとしての秀吉が描かれていきます。(中略)秀吉はこれから金ぴか趣味に走ったりしながら異常さを増して行きますし、演じる者としてはわくわくしますね。(中略)『小牧・長久手の戦い』のあたりから、秀吉と官兵衛の関係に変化が現れてきます。『あの男(官兵衛)は先が見えすぎる』という印象的なセリフをおねに向かって言うシーンがあるのですが。秀吉は官兵衛のことが邪魔になってくるんです」(後編)
「いよいよ『堕ちゆくヒーロー』の終末が描かれ始めました。(中略)ある種狂気の世界へ入っていくんです。そのダークな部分は、秀吉のコンプレックスの表れではないかと想像しています。(中略)でも、演じるにあたっては、素直な人間より屈折している人間のほうが面白い。(中略)『秀吉』から18年たっているぶん、年齢的にも後半の秀吉を演じるのにちょうどよいでしょ?」(完結編)
そして私もこれに関しては
「つまり竹中さんは堕ちてゆく秀吉、『秀吉』で描かれなかった狂気の太閤を演じることに意欲を燃やしていたことが窺えます」
と書いています。竹中さんは寧ろ、こういう秀吉を演じることを楽しみにしていたのではないか、そう思われるふしもあります。
『官兵衛』は他の作品だからと言ってしまえばそれまでですが、どうも大河は互いの連携がありそうでいながら、このような場合に関連作品を流すことはしないようです。そのため大河と一応括られてはいるもの、それぞれの関連性があまり強くない、単発の歴史ドラマが何十年か続いている印象をも同時に受けます。たとえば日曜劇場(池井戸潤作品)で、『ノーサイド・ゲーム』のスタジアムの広告に「帝国重工」や「ジャパニクス」がある、そういう形の連携はやはりなさそうですね。