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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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第14回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週も、たけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの部分が、武者さんのコラムからの引用箇所です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第14回~


まず道兼に仕えていた源頼信が、道隆を殺そうかと兄頼光に持ち掛けていた件です。

なお、ドラマでは描かれませんでしたが、道兼に仕えていた武士の源頼信は、いっそ道隆を殺そうか?と兄の源頼光に持ちかけています。
しかしそこは弟より知恵が回る兄が、暴力上等で関白の座をめぐってはキリがないと却下したとか

まず「逸話を紹介するのなら、きちんと出典まで記述する事は大切だと思います」と書かれています。(今回特にこの出典なしが多いです)
さらにたけたけさんの記事によれば、頼信は源満仲(清和源氏多田氏の祖)の三男であり、兄の頼光は酒呑童子退治で有名であること、頼信自身は藤原保昌、平維衡、平致頼と共に、道長の四天王として『十訓抄』に名が挙げられていること、そして『古事談』に、頼信が道隆を殺そうかと頼光に持ちかけ、頼光がこれを制したことが書かれているとあります。

そしてこちらも出典が書かれていないのですが、

道兼の子である藤原兼隆は、従者を平気で死なせるほど精神が荒廃したそうです。

やはりまずこのように書かれています。
「こちらも逸話を紹介するのなら、きちんと出典まで記述してください」
そして寛弘6(1009)年に、道長の子頼光が参議を経ず権中納言となり、さらにその4年後に、頼通の弟教道が権中納言に就任したことで、道兼の嫡男兼隆が遅れを取る形となり、馬の世話係である厩舎人を殺させる事態に至りとあります。また、このことは『小右記』長和2年8月10日条にあるとの由。

私もこれは『小右記』ではなかったかと書いていますが、武者さんは特にプロのライターであるはずです。こういうのすらチェックしないのでしょうか。

為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び、実行に移す、仁者の風格が出ています。
まひろもそんな父には、敬愛しかないようです。
仕事で人が変わると家族もギスギスしてしまうとは、今も昔もそんなものなのでしょうか。

これに関してたけたけさんは、前回も書いたように、荘園の所有者(本所)の代官として現地へ赴き、運営を統括すること、あるいは散位寮に登録して出仕することで、除目により任官をせずとも、いくらかの収入があるため、為時は散位寮を合併した式部省に出仕していたのではないかと指摘しています。

実際為時は花山天皇退位によって蔵人でなくなり、さらに兼家からは、間者の役目を伴う漢学指南を断ったこともあり、任官の道が絶たれていたわけですが、武者さんが書いているような
「為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び」
では漢籍を学ぶために、為時が宮仕えを辞めた様に見えるとも書かれています。
実際「好きで」出仕をやめたわけではありませんからね。

そのころ源明子は、兼家の扇を前に呪詛の真っ最中です。
紅唇からこぼれる。
呪詛がなんともおどろおどろしい。
妊娠中にこんなことをしてよいのかどうか……心配になってきます。

この呪詛に関して。
たけたけさんの記事によると
扇を掲げ、印を結び、『天に泥、地に泥、荼吉尼・・・』と唱えていること、陰陽考証の高橋圭也氏によると、
「五臓を蹴割り、五臓を融かす、即滅ソワカ」の部分は、高知県のいざなぎ流の法文を参考にして少し手を加え、呪詛の呪文として使用しているそうであると書かれています。

また「茶吉尼」という言葉、これは茶吉尼天に関する呪法を参考にしたのかともあります。元々この荼吉尼天は夜叉で、6か月前から人の死を予知し、臨終を待ってその肉を食らう神で、狐の精として稲荷神と習合し、豊川稲荷が有名であるとのこと。

この茶吉尼天、個人的に『国盗り物語』(前編)で、奈良屋の女主人お万阿が、松波庄九郎(後の斎藤道三)に、自分は茶吉尼天であると告げるのを思い出します。

明子は喪に服している時に、敢えて穢れの身を見舞ってくれたと感銘を受けています。
当時の出産は穢れとされました。

この穢れですが、日本の場合は「触穢思想」(魂にまで付着し、さらに触れた者に接すると、他者にまで乗り移る)と考えられており、『延喜式』(康保4年=967年施行)によれば物忌みは、喪中が30日となっていること、さらに
改葬(30日)
傷胎(流産のこと、4ヵ月以上は30日、3ヵ月以下は7日)
失火(7日)
とあり、さらに懐妊や月経、埋葬などが穢れとされています。
して載っています。そして明子は出産による産褥の穢れ(7日)ではなく、傷胎の穢れではないかとあります。

ついでながら。
平安時代、妻の月経中や産後は夫も穢れに触れており、そのため、一定期間は参内できませんでした。

そして、

今でも妊娠は命に関わる病気です。
ましてや当時は危険なものです。 

この記述に関しては、
「産まれてくる命を待つ時に、赤ちゃんを『病気・穢れ』と、さも要らない汚いものの様に言われる母親の気持ちも考えましょう」
とありますね。
そして「妊娠・出産は病気ではありませんが、母体の心身にはに大きな変化が起こります」
「現代では仕事にも様々な負担や影響がでる場合があります」
ともあります。

ここの部分、書き方がまずいように思います。私は寧ろ命に関わるとか危険は、出産の方ではないかと書きましたが、仮に母体に色々変化が起こることを表現したかったにせよ、
「今でも妊娠は命に関わる病気です」
は、やはりないのではないかと。

そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。
子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。

ここの部分。跡継ぎを産む事は、妻としての立場を固めることであり、娘を産む事は天皇の外戚となって、家の繁栄を築くことであり、また当時の医療行為は限られていて祈祷が中心、衛生観念もよくなく、1人の子を産むのでさえ死亡率が高いとあります。また残酷であろうがそういう時代であり、それが進化して現代があること、さらに、妊婦に対して病気だと、デリカシーもなく言える武者さんの方が残酷とも書かれています。

私もここの箇所、倫子もまたその危険なお産を経験していると書いていますが、これだとまるで出産経験のない倫子が、流産した明子に心無いことを言っているようにも取れますね。

そしてききょうの父、清原元輔が亡くなったことについて。

清原元輔はかなりの高齢でした。
高齢だろうと、判断力に翳りがあろうと、適切な引退がないような当時の制度には疑念を覚えてしまいます。

この「適切な引退がないような当時の制度」に対して、たけたけさんはこう書いています。

疑念を覚えて現代で『おかしい、おかしい』と喚いて過去の事情や政治が変わりますか?
どの様なところがおかしいのか、他にどんな事例があるのか具体的に提示したほうがいいのではないですか。
(原文ママ)

そして周防国の受領を勤め上げるも、士族の官途がはかばかしくなくそこまで豊かでもなく、清少納言の夫である橘則光の母で、花山天皇の乳母である右近が、強力に肥後守に推進したことも書かれています。
武者さん、こういう経緯は書かずに、現代の感覚での問題提起ばかりやっていますね。

するとここで被衣姿のききょうがやってきました。

ききょうがまひろを訪れるシーンですが、被衣ではなく虫の垂れ衣つきの笠です。たけたけさんも
「13回でも書きましたが、いい加減調べてください」
と書いていますね。

それからききょうが民を軽んじるようなことを言いますが、

民への蔑視は平安貴族の一般的な考えで、民は人でありながら搾取される人に非ずの存在でした。
『枕草子』41段では『宮中では定子さまが鶯の鳴き声を聞けないのに、みすぼらしい(民の)家の貧弱な梅の木では煩いくらい鳴いている』と書いています。
(原文ママ)

ちょっと余談ですが、これで思い出すのが『枕草子』248段の「賀茂へ参る道に」です。賀茂へ詣でる清少納言が、農民たちが歌いながら田植えをする有様を目にするのですが、彼らが歌っているのは、ホトトギスよ、お前が鳴くから田植えをしなければならないという内容のもので、ホトトギスが鳴くのをああ言うなんて許せないと清少納言は思うわけです。無論農民には農民の言い分があるのですけどね。

そして武者さんは『どうする家康』での側室選び、あるいは側室候補が押し掛ける様をオーディション呼ばわりしていたが、今回の、伊周の嫡歳となるべき、教養のある女性を選ぶ歌会を下劣と断じているとまずあり、この場合は身内可愛さの私的な面もありそうだと指摘されています。
何に限らず、女性を集めて相手の男性にふさわしいかどうかを選定するのが、武者さんとしては気に入らないのでしょうね。

『利家とまつ』のまつにせよ、『功名が辻』の千代にせよ、戦国時代当時の像よりもずっと甘い、癒し系にされてきました。

ききょう(清少納言)が夫と子を捨てて宮仕えするというのにかこつけ、
『おんな太閤記』
『利家とまつ』
『功名が辻』
を引き合いに出して、内助の功の賢夫人否定、専業主婦批判、癒し系の女性否定をしているが、『10年ルール』縛りはどこへ行ったのかとまず指摘されています。

実際ここ何年か、10年ルールは殆ど登場しなくなりました。10年以内でないと見方が古い的な発想があったはずなのですが、武者さんが昭和平成の大河の発想が、男性のものだという見方をするようになり、数十年前のものを引っ張ってくる必要に迫られたのでしょうか。

さらにたけたけさんはこのように指摘しています。

女性の味方である様に見せて、その実「専業主婦」を貶めている。しかし「時が変われば人も夜も変わる」、それぞれの世相に合った人物設定が求められるとあり、さらに『功名が辻』の主人公千代の場合は、最初は牢人のような夫を支え、売り込んで来たからただの癒し系ではない、ポリコレだ、ジェンダーだ、不適切だと、過去にあったことを否定するのは歴史好きとして如何かと思う。

あと『どうする家康』叩きです。
この大河の出演者が、朝ドラや他のNHKのドラマに出ているのをまず引き合いに出したうえで、武者さんはこう書いています。

そんな彼らのみならず、2023年『どうする家康』で無駄遣いされた役者が見せる佇まいに圧倒されたのです。

ここでたけたけさんは、「忘れたい」「穢れ」と言いながらわざわざ思い出し、ことあるごとに『どうする家康』を叩いているが、「無駄遣い」発言は演じた俳優さんに失礼であること、「穢れと言うなら、平安貴族の様に忌避して言及する事を辞めたらどうか」とまず反論しています。

そもそも武者さんは、昨年の暮れにこう書いていました。
武将ジャパンコラムどうする家康最終回

こんなことを書いておきながら、翌年の4月になっても叩きたがる。その真意は何なのでしょう。

またたけたけさんは、別項で「人を、モノ扱いしてはいけない」と書きつつ、
「無駄遣いされた」
(ビッグモーターのCMに出演し、この大河で豊臣秀長を演じていた佐藤隆太さんに)
「不祥事のイメージがこびりついているのだけは間違いない」
と何度も中傷していた、しかも佐藤さんはその時既にCMを降板していたにもかかわらず
といった点を挙げ、
「嫌いなものなら人を侮辱して叩きのめしても何でも許されるという訳ではありません」と明言しています。

そしてこちら。私も書いてはいますが、

大河ドラマは男性向けで戦ばかりとされますが、女性向けの流れもあり、それこそ2作目は『三姉妹』でした。

これについては、NHKアーカイブスの「大河ドラマ全リスト」によると、『三姉妹』は1967年の作品で大河5作目であると指摘されています。
大河ドラマについて書いている人なら、常識のはずですけどね。

そしてこれもまたおかしい。

同時に、決まりきった退屈なヒロイン像を押し付け、大量生産してきた側の責任も問いたいところです。
こういう大河ドラマが放送され、夫を待つ専業主婦が幸せであったかどうか。
当時の人生相談を見ると、モヤモヤした不満を抱く主婦はそれこそ多かったことがわかります。

この箇所へのたけたけさんの反応です。

その『当時の人生相談』とやらを具体的に提示してもらわないと論評にならないのですが。

至極当然だと思います。
しかし繰り返しますが、今回の武者さんは特に、出典を明らかにせず、具体的な内容を示さない文章が目立ったように思います。

飲み物-ビールと夜景
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[ 2024/04/13 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『葵 徳川三代』の関ケ原3(博多での三成と寝返り勢力のその後)

11月に入っても夏日が続いていますね。それに加えて感染症も増えています。アデノウイルスとか、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎(溶連菌感染症)なども猛威を振るっているようなので、どうぞお気をつけください。

さて先日、福岡市博物館で「黒田侯爵家の名品」展を見て参りました。黒田長政公没後400年関連の展示で、やはりというか、黒漆桃形大水牛脇立兜に一の谷兜、そして圧切長谷部などなど名品が並んでおりました。前からほしかった黒田家の甲冑と刀剣の写真の写真集も買って来て、時間がある時にページをめくっております。
(余談ながらアビスパ福岡がルヴァン杯で優勝しましたが、ここの監督は『長谷部』茂利氏です)

そして嶋井家文書も展示されていたので見て参りました。今年になって文化財指定されたもので、博多の豪商嶋井家関連の書状その他が並んでいましたが、その中に石田三成の書状もありました。実はこの嶋井家、三成の博多での定宿だったのですね。朝鮮から帰って来た豊臣家臣を迎え出た三成も、嶋井家に滞在していたのでしょう。
一応リンクを貼っておきます。

企画展示室1嶋井家文書の世界
(福岡市博物館)

202310嶋井家文書石田三成書状
石田三成書状、福岡市博物館企画展示室にて

で、前置きが長くなりましたが、久々に『葵徳川三代』関連です。この時も朝鮮から戻った武将たちを、博多で出迎えた三成は茶会と口にし、それを不満とした加藤清正が、ひえがゆをもってもてなすと言っています。

葵徳川三代1  葵徳川三代2
(『葵 徳川三代』録画映像より)

この時三成を演じているのは、江守徹さんです。
『国盗り物語』で黒田官兵衛を演じていましたね。あの大河、DVDが総集編しかないのが残念です。

この「ひえがゆ」は稗の粥の意味と思いますが、「冷えた粥」ではないかというのをネット上で見たことがあります。しかしそれなら「冷や粥」になるかと思うのですが。

で、急に時間が飛びますが、関ケ原後に論功行賞が行われます。『葵 徳川三代』では、中村梅雀さん扮する水戸光圀公が説明をしますが、これは先日、大河とコラボした『歴史探偵』でも紹介されていました。松平忠吉以外は、豊臣恩顧の大名たちが手柄を立てており、家康は彼らの石高を加増する一方で、江戸から離れた西国に行かせ、江戸へ向かう要所要所の守りを固めるに至ります。本多家の桑名はその代表でしょう。

その関ケ原では、合戦ぎりぎりになって寝返った大名たちもいました。小早川秀秋がその好例ですが、他にも吉川広家も徳川方についたものの、論功行賞に於いては厳しいものがありました。

寝返りにより、大谷吉継隊を攻めた小早川秀秋は、宇喜多秀家の城であった岡山城主となりましたが、吉川広家は減封された毛利家の中で、岩国領を任されることになります。大名となって参勤交代を行い、江戸に屋敷を構えるものの、岩国は支藩ではなくあくまでも領であったことから、正式な藩主とはなれず、長州藩主の家臣扱いでした。

この人物は事前に徳川方に内通し、東軍が勝った場合の毛利領の安堵を約束させます。関ケ原では弁当を使うからと出陣を拒んでもおり(宰相殿の空弁当)、それなりに徳川方に貢献した人でもありました。そして西軍総大将であった、いとこの毛利輝元は大坂城を出ておらず、担ぎ上げられただけなので本領は安堵されると考えていたのですが、思わぬ番狂わせが起きます。

実は輝元は西軍の連判状に花押を残しており、これでは改易になりかねないという黒田長政の書状が届き、広家は窮地に陥り、起請文を提出するに至ります。前出『葵 徳川三代』では、輝元は総大将に担ぎ上げられただけと主張する広家に対し、証拠となる書状が次々と差し出され、ちょっとした裁判のような雰囲気があります。広家の尽力で、最終的に毛利家の所領は防長二国となりました。

そして毛利の居城だった広島城には福島正則が入ることになりました。さらに、こちらは西軍について戦った人物ですが、毛利秀包が城主であった久留米城には、有馬氏が入ることになります。関ケ原と時を同じくして、久留米城も黒田と鍋島から攻撃を受けており、改易されて長門に所領を与えられます。ただこの人物はその後、ほどなくして亡くなっています。

また小早川秀秋は内臓疾患で、やはり関ケ原後ほどなくして世を去ります。無論大谷吉継の呪いであったかどうかは不明です。
(2023年11月5日一部修正)


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2023/11/05 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『秀吉』の登場人物とキャスト

まずお断りです。『武将ジャパン』は都合で今日はお休みです。その代わりと言うのも何ですが、今回は先日の『秀吉』の続きです。それと先日投稿分で説明不足、改行なしの部分などがありましたので加筆または訂正しています。

さて『秀吉』も当然備中高松城の水攻めがあり、中国大返しがあって山崎の合戦となります。この時の光秀は自刃したということになっています。また光秀の謀反は家康が関与していること、石川五右衛門が秀吉の幼馴染であることなどもこの大河の特徴で、また足利義昭は、如何にも無能そうな感じに描かれています。

さらに竹中半兵衛が光秀の母親、美を思っているという設定ですが、これは美を逃がすための策でした。あと北政所の名は「おね」となっています。
その他にも、織田信勝と信孝が、それぞれ養子となった先の北畠、神戸を名乗っています。そして前出光秀の母のみならず、秀吉の父が登場したりしています。

また主演は竹中直人さんですが、準主役的キャストは、『太平記』に出演した俳優さんが多いです。おね、秀長、石田三成はそれぞれ沢口靖子さん、高嶋政伸さんそして真田広之さんです。尚幼少時の三成、佐吉を演じたのが小栗旬さんです。

あと信長が渡哲也さん、家康が西村雅彦(現・まさ彦)さん、秀吉の母なかが市原悦子さんとなっています。また『真田丸』で滝川一益を演じた段田安則さんが、この時も一益を演じています。

それ以外のキャストで別の戦国大河に出演した人も、当然というかかなりいます。明智光秀を演じた村上弘明さんは『武田信玄』にも出演していますし、浅井長政を演じた宅麻伸さんは、『どうする家康』の前田利家です。また小西行長を演じた小西博之さんは、『軍師官兵衛』に今井宗久の役で出ています。このキャスティング、「小西」つながりでしょうか。

尚、この『秀吉』で黒田(小寺)官兵衛を演じているのは伊武雅刀さんですが、この人は『軍師官兵衛』では千利休でしたね。しかしこの官兵衛は片脚が不自由なうえに、隻眼で眼帯をしているため、山本勘助のように見えます。

今川義元役の米倉斉加年さんは『国盗り物語』で竹中半兵衛役、そして千宗易(利休)は仲代達矢さんですが、こちらは『風林火山』の武田信虎役です。あと戦国大河ではありませんが、『鎌倉殿の13人』の善児役、梶原善さんがこの大河で、蜂須賀家の家臣の稲田植元を演じています。


飲み物-グラスのアイスティー
[ 2023/08/25 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

昔の大河について少々及びNHK静岡の大河関連情報

先日の大河関連の投稿で、赤穂浪士の大河が今は作られないと書いています。恐らく今後作られるにしても、それまでとは、かなり見方が変わったものとなるでしょう。

ちなみにこの時代を描いた大河『峠の群像』は個人的に好きです。私の場合、これと『国盗り物語』は、80年代半ばまでの大河の中でも特に楽しめます。無論どれを楽しむかは人それぞれですから、あくまでも私の場合ではありますが。

しかし『国盗り物語』の、高橋英樹さん演じる信長は格好よくはありますが、光秀に対する態度は、今だとパワハラでしょうね。無論あの時代はそれでもおかしくはないのですが、ただ信長も、自ら光秀を造反させる結果を招いたとは思います。そして今年の信長も、別の形で「圧」をかけて来ていますね、いやらしいほどに。

また以前ご紹介した平原学氏のnoteによると

「どうもこのドラマ、当初から「華やかな合戦シーン」というものはなるべく描きたくないような印象を持ちます。
それよりも死体を映す。(中略)もちろん『鎌倉殿の13人』で何度も出てきた「首桶」は確かに「死体」の描き方の一つなんですけど。それよりも『どう康』の場合は、実際にそこで血を流し、命を奪われていく人間の姿をありありと描く」

とあり、それも同感です。

それとこちらはNHK静岡のサイトですが

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②

これがなかなか面白いです。2があるということは当然1もあるわけで、こちらは記事中にリンクが貼られています。あと井伊虎松を演じる板垣李光人さん、『青天を衝け』の民部公子様の画像も貼られていますね。

それからこのサイトには「スタジオ舞台裏」という小見出しがあり、そこでロケや馬の事情についても書かれています。あとこの記事のこの部分、

大河ドラマって日本の割とはじめの技術が入ってきます。初めて4K化されたテレビドラマは大河ドラマ。初めてハイビジョンになったのも大河ドラマという感じで、いろんな新しい技術が一番はじめに入ってくるのは大河ドラマの歴史になっています。

「割とはじめの技術」とは何かと思ったのですが、要は色々な撮影技術の先駆者、パイオニアという意味のようですね。


飲み物-アイスコーヒーとストロー
[ 2023/04/29 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の変貌そして今後変えるべき点とは

朝ドラ『舞いあがれ!』のまとめですが、もう少し先になります。と言うのも『らんまん』はお休みしようと思っているためです。次のBK朝ドラについてはまだ考えていません。ただちょうど放送開始が、ワールドカップと重なるので、その点をどうしようかと考えています。朝ドラもほぼ1年間、2作品を観て来ましたが(再放送の『芋たこなんきん』も入れると3作)、平日は毎日放送があるため、意外と大河よりも大変だなと思われる部分もあります。

さてその大河については、課金すればいいのではないかというのを先日、先々日と書いています。また、必ずしも日曜の夜8時でなくてもいいし、時間も45分でなくてもいいでしょう。たとえば土曜日の夜10時に1時間で2クールでもいいのです。これだと色々な人物を扱うこともできるし、創作をあれこれ入れることもできるし、男女関係ももう少し突っ込んで描くのも可能でしょう。

平日夜10時台の『大奥』については、私は映画の方が面白いと思ったため、1話だけ観て止めましたが、ああいうのを観たいという層ももちろんいるはずです。『武将ジャパン』の武者さんも絶賛していましたね。無論これも夜10時台だからいいのであって、あれを大河にそのまま持ち込もうとすると、どうも炎上しそうな気がします。つまり、大河とは全く別物となるわけで、またもちろんあの作品への否定的な意見やブログ記事を目にしたこともあります。

結局大河を今の枠から外すと言うのは、自由度が高まる分、それまでの大河とは違う道を歩くということにもなるわけです。今のままで大河ドラマを作るのか、それとも思い切って違った路線で行くのか、その場合本当に観たい層相手に別料金枠でやるのか、色々考えるべきことはありそうです。ただ今までの間にも、大河はかなり変貌を遂げている以上、ここで思い切って変えるという方法もあるかと思います。

描写ももちろん変わっているし、戦闘シーンも全くなくなってはいないにせよ、過去の一時期から比べると激減してはいるでしょう。またテーマとしては赤穂浪士、川中島合戦などは作られなくなっています。今後は土佐を舞台にした幕末大河なども、坂本龍馬が薩摩にいて、寧ろ小松帯刀が主導権を持って動いたという説に従えば、かなりの変貌を迫られることになるでしょう。

それから過去の大河関連で少し。私の場合、70年代の大河(DVD視聴)で一番好きなのは『国盗り物語』です。『花神』もそうでしたが、当時の司馬作品ベースの大河は、群像劇風に作られていました。80年代で『峠の群像』、『独眼竜政宗』などがあげられます。政宗の場合はジェームス三木氏が脚本担当ということもあり、この辺りから少しずつ何かが変わり出したと言えそうです。


飲み物-黄金色のビール
[ 2023/04/03 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 82その2

『武将ジャパン』大河コラム、第44回後半部分関連記述への疑問点です。


鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第44回「審判の日」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/21/172147

1.空々しく公暁が反論しても、八幡宮の別棟として、鎌倉殿を支えることが天から与えられた道だと諭します。

些細なことではありますが、「別棟」ではなく「別当」ですね。昨日の「馬を用意している」(実際は「蓑を用意している」)もそうですが、この手のミスが今回もいくつかありますね。

2.圧倒的な北香那さんの演技。感動が押し寄せてきてたまりません。
彼女は、権力などどうでもいい。我が子を愛したい。そんな母親です。実衣やりくとは違う。

出演者の評価ならここでやるのではなく、後の総評の方でやってもいいかと思います。それとつつじの場合、権力を持とうにも持たせてもらえなかったのも事実で、だからこそ息子への愛を貫くことができたのでしょう。

3.当初の薄緑色の衣装を着て、ニッコリ笑っていた義時はもう遠い。
誰が見ても悪くなったからこそ、こんなやりとりに説得力があります。脚本を書く側と、演じる側。その双方に信頼関係がなければこうはいかないと思います。
義時は悪いけど、三谷さんと小栗さんの関係はとても善いと思います。

「脚本を書く側と、演じる側。その双方に信頼関係がなければこうはいかないと思います。義時は悪いけど、三谷さんと小栗さんの関係はとても善いと思います」
どの大河でも脚本と主演とは、大体こういう関係ではないのでしょうか。それと、こういうのもあらすじの途中で書くべきなのか、どうか。

4.雪の朝。
義時が政子と対峙しています。

この1月27日、朝はまだ雪は降っていないはずです。警備担当の時房が空を仰いで、降らなければいいのだがと心配しているシーンがあり、午後、政子と実衣が出かけようと言う時になって雪が降り始めていますね。しかもこの後で、
「夕方に降り始めた雪が積もり始めています」
ともあり、何か矛盾しているように見えます。

5.「正しいと思った道を選んでここまでやって来た。そうではないのですか。今さら誰に何を言われようとひるんではなりません。私たちは正しかった。いつだって」
闇そのものがうずくまっているような義時の顔。存在感。
言葉とは裏腹にまっすぐな気持ちがまるで感じられないのは、先ほどの実朝と比べてみるとよりわかるでしょう。

「まっすぐな気持ちがまるで感じられない」
だから何なのだ、と思うのですが…。この時代まっすぐに生きていたら生き残れないからこそ、幼なじみの御家人をも騙し討ちにし、北条の地位をゆるぎないものにしたわけであり、そして政子も本意か不本意かは別として、そのやり方を認めざるを得なかったからこそ、今の尼御台としての彼女があるわけでしょう。公式がそう言うのならまだしも、あまり闇闇言うのもどうかと思いますし、実朝はそれができず、なのに鎌倉殿という高い位置にいたからこそ、狙われるもととなったのですが。

6.なんせトウは、頼家暗殺の当事者です。仲章に口を割られたら一巻の終わりとなるかもしれない――そうした状況を踏まえ、必ず吐かせてみせると勝ち誇る仲章。

これ「口を割る」のは仲章でなく、トウではないかと思うのですが。それと仲章は、義時が頼家暗殺の黒幕と気づいてはいたでしょうが、トウが関わっていたことを知っていたでしょうか、恐らく刺客が自分を狙いにくることはわかってはいたでしょう。

7.これまで目立ってきた母親像が、損得ありきのりく、実衣、のえだったせいか、あまりに真っ直ぐな彼女たちには胸が痛くなるばかり。

別に損得ありきの母親でもそれはそれでいいのです。彼女たちもまた、のえ以外は夫とはそこそこ円満な関係であったはずです。逆に真っすぐでないからこそできたこともあるのですが、なぜか彼女たちのそういった部分を評価しませんね。それと実衣は、本当に権力好きなのか迷うところです、言ってはなんですがその割に才覚というものをあまり感じず、身内に守られて生きて来た感がありますので。

8.一方、北条義時は空っぽだ。
前半は散々「全部大泉のせい=頼朝が悪い」と言われていましたが、後半になると「主役は泰時ではない」と言われてしまう。

この後に新聞記事のリンクがありますが、その見出しには
「NHK大河「鎌倉殿の13人」いつの間にか主人公交代…小栗旬「義時」→坂口健太郎「泰時」へ」
とあり、「主役は義時ではない」が正しいようです。これもケアレスミスなのかも知れませんが。

9.便宜上、大河には主役がいますが、実際には群像劇であることも往々にしてある。

群像劇だから主役がいないわけではなく、それぞれのパートの核になる人物がちゃんといます。
群像劇大河の典型と言うべき『国盗り物語』(多分武者さんは観ていないでしょうが)には、
斎藤道三→織田信長
葛籠重蔵
雑賀孫市
といった感じで、異なったいくつかのパートで、メインとなる登場人物がいました。

10.そしてもうひとつ。義時には思想がない。
空っぽゆえに歴史上、果たすべき役割が入り込んでくる。ゆえに本人は空洞。

思想がないからこそ、ここまであれこれと策を弄することができたのでしょう。無論まだ思想も学問も不在ではありましたが、義時が体を張って世の中を安定させた後に、嫡子泰時がその部分を埋めることになったとも言えます。

11.それに反して泰時は、思想がある光秀と同系統の人物といえる。

それとこれとはちょっと違いますね。光秀は結局は主君を殺して墓穴を掘ったとも言えますし。『麒麟がくる』を出したいのだなとは思いますが。

そしてバーナード・コーンウェルの『神の敵アーサー: アーサー王物語』の説明、これが承久の乱につながるものがあるとして、やけに長々と書かれています。正直に言って、比較するにはちょっと…と思われるのですが、ここでは省きます。そしてここで気になったのが

12.アーサー王はイギリス人の国民的英雄なのに、神の敵とは何ごとか?
要するにキリスト教の上陸前、ケルト民族の神を信じているから「神の敵」なのです。

アーサー王は、元々はアングロサクソンではありません。ケルト民族の一派であるブリトン人とされています。ただアーサー王物語には、キリスト教の王として描かれていたりもします。

13.ゆえに、こういう心を掘り下げる作品は、今後、増えると思います。
役者さんは演じるにあたり、脚本を受け取って、この役はどういう心なのか考えて、水の中に飛び込むように入り込んで演じるのだと思います。
(中略)
そうして脚本の中に描かれた心と、演じる役者の心と、見る者の心が触れ合って、ハーモニーとなってずっと響いている。
そういう次元に、このドラマは到達していると思えます。だから面白くないわけがない。

私としては面白い部分もあればそうでない部分もあるし、殆どの大河、ひいては映像作品とは、観る人によって評価が別れると思います。武者さんがこう書くのは、三谷さんの作品だからと言うのも多分にあるでしょうね。

14.でも、そもそも戌の神様って?
今週でてきた十二神将像を調べていたら、困惑したので書きますね。
十二支とは?
中国の戦国時代以来のもの。
十二神将とは?
仏教由来で、干支と組み合わせた。
ちなみに中国と日本では異なります。
つまり、インド生まれの仏教と、中国生まれの十二支と、組み合わせたもの。それを日本人が独自解釈して敬っている。

十二神将は中国大陸伝来で、かの地では十二支と結び付けて信仰されており、日本でもそれにちなんで、十二支を採り入れた姿で表現されています。この十二神は、元々はインドの神話に登場する魔物で、中国大陸に仏教が入った際に十二支と結びついたという説もあります。いわでもですが薬師如来の守護神です。

で、その後
「もうこれだけ神がいるなら、義時もなんとかなりますって!」
前回の分では、酷い最期を期待と書かれていたのですが…。

飲み物-レッドビール
[ 2022/11/25 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(2)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 66その3

『武将ジャパン』大河コラム、MVPはりくとのことで、このようなことが書かれています。

呪詛もそう(注・りくがもたらした京のもの)です。
坂東武者はそんな回りくどいことはしねぇ。知識が必須なので、教養が必要だしな。
そんなことより坂東武者なら暗殺でしょ。
そうして、発覚すれば死罪ものの呪詛を、自分の手を汚さず実行させようとするりくはきわめて悪質と言えます。

「自分の手を汚さず」と言うよりは、そもそも聖職者でないためりくにはできませんね。
実際平安時代の京で呪詛は珍しくなく、その中で育った人物である以上、これは当然かと思います。あと東国でも呪詛というか調伏は、平将門の乱の時に行われています。

代表的なものが「巫蠱(ふこ)の禍」。
前漢武帝の時代に起きた事件で、犠牲者が多数出ていて、京都育ちのりくであればそのくらいのことは把握していてもよい。危険だからこそ全成の弱みにつけ込むとは、本当に大した悪女ですわ。

また漢籍です。武帝の寵臣であった江充が、皇太子との不仲から帝崩御後の自分の立場を案じて、皇太子が人形による呪詛を行って帝の病を重くしていると讒言し、これがもとで皇太子が挙兵するに至ることになりますが、武者さん、せめてこのくらいの説明をしてほしいものです。それと全成は密教寺院で修行しているわけですから、呪詛を行えと言われたら行うでしょう。さらに

これはりく一人の問題でもなく、京都が悪いのだと思います。
大江広元が京都から来て、頼朝が極悪非道になりました。
京都の象徴ともいえる後白河院、丹後局はどぎついほどに悪どい。
(中略)
前回、景時は義時に対し、坂東武者のために戦うつもりか?と確認していた。
自分を破滅に追いやる義時に愚痴はこぼしつつも、京都に味方するからには討たれることは当然だと言いたげな聞き分けの良さでもあった

京都が嫌いなのでしょうかね、やはり。
しかしこれ、誹謗中傷のようにも見えてしまいます。京の人々の考えややり方をどれだけ理解しているのでしょうか。ところで再来年の大河は京都が舞台ですが、さてどのように書くのでしょう。

それと大江広元は一方で教養があると言ってみたり、頼朝を極悪非道にしたと言ってみたり、評価がその時次第で変わりますね。大河コラムは武者さんの憂さ晴らしの場なのでしょうか。

ちなみにその後で
「りくはそんな中でも、とびきり鮮やかで華麗で、甘い毒を撒き散らす花として咲き誇っているように思えます。
りくだけが悪いのではなく、京都こそ坂東の宿敵――そういう誘導がなされるのでしょう」
などとありますが、そういう誘導をしているのは、他ならぬ武者さん自身だと思いますが。このドラマでは、どっちが善でどっちが悪かなど、まだ描かれてはいないのですから。

ついでに言えば善児にも報いがありそうです。
善児は本作の根底にある、坂東武者のための世を作ると提唱した北条宗時を手にかけました。
象徴を殺しておいて無事で済むとは思えないのです。

宗時は、坂東武者のための世を作る「象徴」なのでしょうか。
他にも善児が手に掛けた人物はいるし、彼らのありようもまた様々です。
しかもこれ、主に言われてやったことであり、善児自身の意志でやったことではありません。
もしその報いが来るとすれば、自身が育てたであろうトウに討たれるということも考えられます。
ちなみにこの2人、『真田太平記』の又五郎とお江を思い出します。

そして総評ですが、このような一文から始まります。

人間は信じることが大事だ――こんな当たり前のことをくどいほどこってりと描いた今回。

正直言って、この「信じる」ことの描写に多少もやっとしたものを感じました(『真田丸』でもこれは同じ)が、それは機会があれば改めて。そして義村と義時、初と泰時は互いに信頼があるが、頼家はそれがなくせつに救われた、そして全成と実衣は信頼を失ったと書かれています。

そして全成と実衣。
こうしてみると皮肉を言い合い、しっくりうまくいっているのに、全成は結城朝光から琵琶を習う妻を見て、信じる心を失ってしまった。
そうなったら話し合うなりして向き合えばいいのに、呪詛と千幡を後継にするという、間違った手段を選んでしまった。

「呪詛と千幡を後継にする」とありますが、「呪詛によって頼家を病にし、千幡を後継にしようとする」でしょうね。

しかしこれは「間違った手段」なのか。その当時の感覚を、今の感覚だけで判断はできないでしょうし、「話し合うなりして向き合えばいいのに」と言うのも、それができないから全成が悩んでいるとも言えるでしょう。結局最後のところで、頼家が一幡を後継者と決めたことで、すべて打ち明けるに至りましたが。

そこへ引き摺り込んだりくと時政。あなたたちに愛はありますか? 信頼は? と言ってやりたい。
りくは結局、時政を自分の駒にして好き放題やることが面白いだけじゃねえか! そう毒づきたくもなります。
相手が本当に大事なら、危ない橋を渡らせないのでは?

なぜこうなるのでしょうか。りくと時政、特にりくは、これが北条に取って正しい選択肢と思ったからこそ、この方法を採ったわけでしょう。情だけでは解決できないこともあるのですが。

すごいことになってきました。三谷さんに謝りたい。こういう艶っぽい作風ではないと思っていました。

また「すごい」(苦笑)。いや特にすごくとは思わないし、男女の描写も特に艶っぽいというわけでもなく、いつもの三谷さんだし。夫婦による陰謀というのが今までなかったから、その点では新鮮です。

歴史の年表なり、地図を俯瞰して見ていると、ある事件が起こることも時代の流れだと思えます。
人類史を俯瞰するような、ジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリの著作を読んでいると、特にそういうことを強く感じます。

ご存知の方も多いと思いますが、この両名はそれぞれアメリカの進化生物学者であり、イスラエルの歴史学者です。しかしそれをどうこう言う前に、まずドラマ本編を観て、あらすじを間違えないようにしてくださいと言いたいところなのですが…。

それと、『鎌倉殿』には直接関係あるとは思えませんが、わざわざこういう人たちを持ち出す辺り、言っては何ですが、何か武者さんの自己顕示欲といったものを強く感じます。

でも、そんな歴史の大激動、運命の歯車の下にはすり潰される生身の人間がいたと思い出すとゾッとします。
そういう痛みを忘れて歴史を学んで、何かすごいことを知った気になってないか? 運命だからしょうがない、と数多く死んでいった人のことを突き放していいのか?と。
『鎌倉殿の13人』には、そういうものがある。
根底に流れるテーマがあるけれども、その大目標実現のためには大勢苦しんで悲惨な死に方をしてしまう。味わって楽しんで、そのあとどっと苦さと恐ろしさがくる。そんな構図があります。

これも前に書いていますが、『鎌倉殿』のみならず、大河は歴史を描くわけですから、そのような構成にならざるを得ないのです。ただ嫌いな作品をきちんと評価しないため、本来見えるべきものが、見えなくなっているのではないでしょうか。
尚、好きな作品でもきちんと評価しているかどうかは疑問に思われます。

で、また『麒麟がくる』。他の大河にも、大きな目標のために犠牲を払った人々を描いたシーンはありますし、武者さんが本当に歴史系ライター、大河コラムニストなら、その点もきちんと押さえているでしょう。

これをもっと自覚的にしていたのが『麒麟がくる』の明智光秀です。
彼は麒麟が到来するよう歴史の流れを作ろうとしていて、その過程で犠牲になる彼周辺の人物を忘却したような終わり方でした。
義時の場合、自分が歴史の大きな流れを作ることにそこまで自覚的でないのでしょう。巻き込まれるうちに歴史を変えてしまう。

『麒麟がくる』の場合、どうしても駒が存在することにより、本来光秀が自ら切り開こうとして切り開けなかったものが、ぼやけてしまった印象があります。一方『国盗り物語』、総集編ではありますが、後編のそのまた後半の光秀の言動には、彼なりに何を求めようとしたか、その前に誰が立ちふさがったかが見えるのですが。
義時は最初は巻き込まれ型ですが、頼朝死後に頭角を現す人物だと思います。今はその中途段階と言ったところでしょう。

中国では宋から元へ。日本では【承久の乱】。野蛮と蔑まれてきた者どもが勝利することで、歴史は一歩前進します。
そういう避けられない運命に巻き込まれる義時たちを、後半戦も見守りたいと思います。

この元と坂東武者、「華夷闘乱」という点で重ね合わせたいのでしょうが、如何せん元は漢民族からすれば異民族であり、坂東武者は元々荘園の武装農民の棟梁であったため、立ち位置が異なります。しかも元帝国は、中国大陸の諸王朝の例に洩れず、前王朝(南宋)を滅ぼしてしまうのですが、日本の場合朝廷が倒れたわけではありません。

寧ろその朝廷で、歴代の天皇の即位に関して両統迭立となり、それが鎌倉幕府滅亡の一因となっては行くのですけどね。それともう「後半戦」に突入していると思います。あと20回もないと思いますし。逆に少し押すのではないかと不安です。

ところで
「来週は比企一族の今後を憂うため公開が遅れます」
らしいです。

飲み物-ウイスキーロック
[ 2022/08/05 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第25回「天が望んだ男」あらすじと感想-2

後半部分です。尚先日投稿分に「前半部分」を付け加えています。それからサブタイを始め、ミスまたは意味が通りにくい箇所がいくつかありましたので、訂正しています。


義盛は直垂もつけずに応対し、巴にも挨拶をするように言うが、巴は夫義仲を討った頼朝には会いたがらなかった。手を下したのは義経と諭すも、命令を下したのは頼朝であると言い、義盛は仕方なく、巴は狩りで不在であると言って握り飯を差し出す。その後頼朝と盛長は相模川を目指すが、八田知家が指揮を執る工事の最中で道が塞がっていた。

頼朝の耳にまたあの鈴の音が響いた。これは何かの罠ではないかと思いつつ、頼朝と盛長は和田館へ引き返す。義盛は、これは頼朝が怒っているからだと勘違いし、巴に頭を下げて頼朝に会わせる。頼朝は義仲を討ったことを詫び、ああするよりなかった、平家を討って世を正したいという思いは同じだったと釈明する。しかし巴は遠い昔の話だと言い、義仲殿もその言葉を聞いて喜んでいるだろうと言う。頼朝は彼女の顔を見ているとあの時を思い出し、無性に謝りたくなっていた。

しかしここで頼朝は、全成の「振り返ってはいけない」の言葉を思い出してやにわに席を立ち、別の道を行くことにする。やがて頼朝は追善供養の場に到着する。読経が終わり、皆は餅を作り始める。北条家の人々は伊豆にいた頃、仏事で一門が集まった時には皆で丸餅を作っていた。餅作りは記憶にないと言う頼朝だが、頼朝は常に欠席していたのである。餅を作りますかと義時は尋ねるが、風に当たってくると頼朝は答える。

北条家の人々は、最近仲間入りした比奈も混じり、和気藹々と丸餅を作っていた。時連は丸めるのが下手だったが、重忠は丸め方がうまく頼時を感心させる。しかしりくだけは、手が汚れるのが嫌だと仲間に入らず、歩いて来ると言い、やはり餅作りに加わらなかった頼朝主従を見つける。頼朝は盛長に、場を外すように目配せする。りくが頼朝と会話を交わすのはこれが初めてで、頼朝は、ともに京育ちで話が合うことはわかっていたという言葉に同意する。りくはいずれ京に戻るのかと頼朝に尋ねる。

しかし頼朝は、武士はいつまで経っても朝廷の番犬扱い、顔色を窺いながら京暮らしをするよりは、鎌倉を京に負けない都にすると言う。その頼朝にりくは、貴方様は今や日本(ひのもと)一の軍勢を持つお方、その力を持ってすれば朝廷も言うことを聞きましょうと忠告するも、そうたやすくは行かないと頼朝は答える。これに対してりくはこう言う。
「野山の鹿を追うのに、足が汚れるのを嫌がる犬のよう」

2人は笑い、そして頼朝は言う。
「都人は脅しだけでは動かぬ。貴女もご存知であろう」
りくは頼朝の手を取り、強いお方が好きなのですとささやくように言う。頼朝は時政は自分のことをどう思っているか、わしを殺して、鎌倉をわがものにしようとしているのではないかと尋ねるが、りく曰く
「そんな大それたこと、考えてくれたらうれしいのですが」
そこへ件の時政が、徳利と盃を持って現れる。

その盃はかなり小ぶりなものだったが、これしかなかったのである。
「意気地なしが2人、小さな盃で」
とからかうような口調でりくは去って行き、大きさを気にしつつ、頼朝に酌をする時政に頼朝は
「不満があれば申せ」
と言うが、「そんなもん、あるわけねえでしょう」と時政は答え、こんないい思いをしているのに、腹の立つことなどないと言って、頼朝に餅を勧める。

時政は政子に感謝している、いい婿と縁づいてくれたと話すが、頼朝は餅を喉につまらせ、様子がおかしくなる。時政の声に政子と比奈が驚いてやって来て、さらに義時が思い切り背中を叩いたため、頼朝は難を逃れる。その餅の形の悪さに実衣は言う。
「五郎(時連)が作ったやつだわ」
あわてふためく時連。

野外で頼朝は政子と義時に、時政がおらぬとどうなっていたかと安堵したように言い、義時は、父はいざという時に役に立つと言う。持つべきものは北条だなと頼朝は言い、喉の渇きを訴え、政子が水を汲んで来ようとするが、義時がその役目を引き受ける。政子は頼家が、源氏の血筋の女性を嫁に迎えることを聞いたと切り出し、せつはどうなるのかと訊き、頼朝は側女にすると答える。自分に黙って話が決まったことに、政子はいい顔をしなかったが、頼朝にしてみればいつものことだった。女子に手が早いのは親譲りと政子はずけずけと言うが、しかし頼朝がそうでなければ、2人は結ばれていなかった。

悔やんではおらぬかと頼朝は尋ねるが、分からない、ただ退屈しなかったと政子は答える。なぜそうしみじみとするのだ、自分はそういうのは嫌いなのにと口にする頼朝に、政子はそちらのせいだと言い返すが、言い合いの末、2人は笑ってしまうのだった。そこへ義時が戻って来て、重成がお礼の挨拶をしたがっている旨を伝える。

政子も戻ろうと立ち上がるが、頼朝はいい折だと2人に、わが源氏は帝をお守りし、武家の棟梁としてこの先100年も200年も続いて行かなければならない、その足掛かりを作るのは頼家であり、義時には常にそばにいて頼家を支えるように、政子もこれからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやってほしいと頼む。

お前たちがいれば鎌倉は盤石と言う頼朝に、政子は、まるでご自分がどこかに行かれてしまわれるようなと口にする。頼朝自身は、自分は近々頼家に跡目を譲って大御所となり、船でも作って唐の国に渡り、どこぞの入道のように交易に力でも入れるかのうと威勢のいいことを言う。皆が待っていると言う義時に頼朝は、わしはようやく分かったぞ、人の命は定められたもの、あらがってどうすると言い、甘んじて受け入れたうえで好きに生きる、神仏にすがっておびえて過ごすのは時の無駄じゃとまで口にする。義時も異存はなかった。

神や仏には聞かせられぬ話だがのうと頼朝。義時は、頼朝は昔から自分にだけ大事なことを打ち明けてくれたと言い、その頼朝は疲れたため先に御所へ戻ることにする。供をすると言う義時に、久々に一門が揃ったからゆっくりして行けと頼朝は断り、盛長を呼ぶ。

頼朝は盛長のみを連れて、一路御所を目指した。伊豆の頃を思い出すと盛長は言い、その直後に過去を振り返ってしまったことを詫びるが、好きなだけ振り返れと頼朝は言う。盛長に取っては意外なことだったが、いざそうしようとすると何も思い浮かばなかった。そなたといると、いつも心が落ち着くと頼朝は言う。何よりのお褒めの言葉であると盛長。そして頼朝は、
「初めて北条館に来た時…」
と言いかけて手綱を放す。右手が麻痺したようになり、鳥の声そして鈴の音が聞こえた。頼朝は、その姿勢のまま馬から落ちて行った。

政子、そして頼家の耳にも鈴の音が響く。そして巴と一緒に縁先にいた義盛、騎乗していた義村の耳にも、執務中の広元、御所を守っていた景時、そしてだらしなく寝そべっていた能員の耳にも同じ音が響いていたが、義時には何も聞こえなかった。そして盛長は、地面に倒れて動かない主の側に走り、鎌倉殿ではなく佐殿と叫んでいた。


まず方違えの件です。巴も当初は頼朝に会うのは嫌だと言いながら、2度目に、つまり道が工事中で仕方なく引き返した時には、義盛が頭を下げたこともあったのでしょう。きちんと挨拶をしています。逆に引き返したこと、それで義盛が勘違いしたことが功を奏したと言うべきでしょうか。あとあの握り飯、巴でなく義盛が作ったものと思われます。

北条家の一門総出での餅作り。何とも楽しそうですが、頼朝と盛長、そしてりくはその場に加わりません。この場合、りくは手が汚れるからではなく、寧ろ頼朝と話したいからその場を離れたと取るべきでしょうか。比企尼とは話せなかったものの、りくとは話すことができたのですね。あと重忠のに比べ、時連のは何とも不格好です。実衣が、頼朝が食べたのが時連のだと見破ったのもむべなるかなで、この光景を目にした時連はかなりあわてます。また一門同士打ち解けていても、やがてこの中で敵対することになり、『真田丸』で後に対立し合う豊臣家の人々がまだ若く、楽しげにしていた様を思わせます。

つつじの件。政子も「女子に手が早いのは親譲り」などと言ってはいますが、頼朝が女子に手が早くなければ、自分も今御台所になっていないと気づいているようです。それにしても餅を吐き出した後の頼朝のセリフが、殆ど遺言のようです。武家の棟梁として、この先100年も200年も続いて行かなければならないこと、その足掛かりを作るのは頼家であり、義時は頼家を支えるように、政子もの母として頼家を見守ってやってほしいなど、政子が、まるでご自分がどこかに行かれてしまわれるようと言うのもむべなるかなです。尤も鎌倉幕府はこの130年後に滅びますが。

そして頼朝は、自分は大御所となると明言します。結局そうなることはなかったわけで、それにどうも隠居して大御所というのは、来年の主役の家康のイメージですね。この人は大御所となっても力を持っていたし、院政の武家バージョンといった雰囲気もありました。そして「どこぞの入道のように」云々、清盛のようにということですが、このセリフ、『国盗り物語』の本能寺の変前夜の信長も、似たようなことを言っていました。但し唐ではなく南蛮です。

その後頼朝は、人の命は定まっている、神仏にすがるのは時間の無駄だとこの人らしくないことを言います。実際この時の頼朝は、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情なのですが、これがどうも死亡フラグとなった感もあります。あたかも伊豆時代を思わせる頼朝と盛長の主従ですが、結局頼朝に取って一番信頼できる相手は、身内ではなく、流人時代の苦労を共にした盛長であったことを窺わせます。

あと比企尼と、盛長が「佐殿」という呼称を使っていたこと、これもかつての、つまり北条氏と縁組みする前の、流人としての頼朝を知る人物らしいと言えます。

ところで頼朝が落馬するシーンですが、右手が麻痺したかのように硬直していたこと、餅を飲みこめずに詰まらせたという点などは、脳卒中による病死説を裏付けるものかと思われます。ただ鈴の音、これは耳鳴りかと思ったのですが、最終的に頼朝に関わる人々が、義時を除いて耳にしたことから、何かの暗示と取るべきでしょう。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/06/28 00:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 57

『武将ジャパン』大河コラム後半部分の続きです。


まずこれを書いておかねばならないでしょう。
敵討ちではなく、謀反だった――こういう描き方は、実は1979年『草燃える』でもあった展開です。
ただし、オマージュと言い切れるかどうかは保留。
というのも、時代考証の坂井孝一先生の説ありきで展開していると思えるのです。

この間もそうでしたが、普段武者さんは、10年ルールを持ち出すことが多いのに、なぜこういう時だけ40年以上前のを引き合いに出すのでしょうね。『青天を衝け』の時も『獅子の時代』を持ち出していましたし。もう10年ルールなど止めたらどうかと思います。せめて「10年ルールから外れますが」とでも書けばまだ良心的なのですが。
そして、40年以上前の作品を引き合いに出すのなら、一度『麒麟がくる』と『国盗り物語』の比較もやってほしいですね。

そして後世、東洋はとにかく敵討ちが大好きなので、それが受けたということもある。富士の裾野でド派手な展開をするということは、特に江戸っ子にとっては最高に盛り上がる話でして。
「マジかよ! 江戸から見える富士の裾野で敵討ちか、半端ねえな、盛り上がるぜ!」
こういうニーズに合致して盛り上がったことも忘れてはいけません。

というか、他にも歌舞伎や講釈(講談の前身)化されて、人々の間に広まった歴史ものは多いです。それと江戸時代は仇討ちが合法化された時代でもありました。こういう時代背景を考えると、何が市井の人々に好まれるか、おのずと見えてくるでしょう。

そういうフィクションの力ゆえに史実がわかりにくくなるから(中略)“三谷流”と、三谷幸喜さんが一から、今までになかったことを思いついたように誘導することには慎重になりたい。
揉める元ですので。こういう書き方はどうかと思います。

例によってコラムのリンクはクリックしていませんが、恐らくこの記事のことでしょう。

「鎌倉殿の13人」義時暗躍 語り継がれる“稀なる美談”矛先は範頼へ 三谷流“曽我事件”もネット脱帽

で、「今回の脚本、すごいとしか言いようがない」という文章から始まるパラグラフが紹介されています。
これに関して
「そもそもSNSユーザーが必ずしもきちんと証拠を揃えて語っているかもわかりません。
それでもネットニュースになると既知のこととして広まってしまう。
実際に書き込みが存在したのか不明の場合もあります。
この手の記事は楽でアクセスも稼げるから今後も続くでしょうが、いかがなものでしょうか」
とありますが、これはどの大河でも似たような傾向はあります。また「楽」であるかどうかはともかく「アクセスを稼ぐ」という点では、このコラムも同じようなものでしょう。

そしてその後に
「今年はまだしも、昨年の場合はネットで明らかに間違った情報が盛り上がり、それが一人歩きして歴史知識が悪化するようなことがしばしばありました」
とあります。これは『青天を衝け』の主人公渋沢栄一が、日本初の紙幣を作ったとされたことでしょう。武者さんによれば、この誤情報がネットで盛り上がったらしいのですが、実際にそこまで騒がれたかどうかは、定かではないようです。尚武者さんは小檜山氏名義でこれに関してツイをしていますが、後でそれを削除しています。

そして「”三谷流”と、三谷幸喜さんが一から、今までになかったことを思いついたように誘導することには慎重になりたいですが」とあるのですが、大河はある程度史実を入れてほしくはあるものの、ドラマはそもそもフィクションであり。私が観る限りでは、三谷さんが吾妻鏡を元に構成し直したなと思う部分もあるのですが。

義時もしみじみと語っていましたが、一族のためならば手段を選ばないことが、この時代らしさと言えます。

これは戦国時代も似たようなものではないのでしょうか。

中原逐鹿という言葉があります。
中原に鹿を逐(お)う。
(中略)
中原とは中国の黄河中下流域のこと。多くの王朝で首都が置かれた天下争奪の場所です。
この地域が政治の中心ということになります。そんな場所で鹿を狩る。それは天下を決めることだとされました。
狩猟というのは特別です。
軍事演習という意味合い。そしてまだ中世ですので、神事で守り、今後を占うものでもある。
今回はこの天下趨勢の行方も、中世らしく濃厚に見えてきました。

ここでまた中国関連です。この中原逐鹿は天下を決めるというか、帝位を奪うことですね。しかしここまで書くのであれば、中国関連のみでなく、鎌倉時代の狩猟についてとか、諏訪大社の狩猟神事なども書いてほしいものです。
そして
「中世らしく濃厚に見えてきました」
などとありますが、これは一体どういう意味なのでしょうね。他の時代の天下趨勢の行方は濃厚ではないのでしょうか。また、

北条、比企、そして源氏が富士野で鹿を追いかけ、北条が勝つ。そんな筋道が見えています。
そしてそれのみならず、勝利の鍵を握っているのは伊東だとわかります。
ちょっと箇条書きにしてみましょう。
・細工をせねば獲物を取れない万寿と、楽に獲れてしまう金剛
・工藤祐経は八重と金剛が似ていると言う
・その八重が放った矢から、源平合戦が始まったのがこの作品での設定
・頼朝と義時が女を争ったとセリフで語られる、その女とは伊東の八重
・天運が去ったと語る頼朝と、それを横で聞いている義時
(中略)
しかしこのドラマは伊東の娘である八重の血を引く北条泰時が天に選ばれたように思える。
女系として流れる血が運命を決めたように思えます。
これは【双系制】=両親双方の血統を重視する仕組みが見直されている2020年代にあった展開かもしれません。

とあります。
まず言いたいのは箇条書きの部分です。
果たして金剛は「楽に」鹿を獲れたのでしょうか。初めてしとめましたと言ってはいますが。
工藤祐経が金剛と八重が似ていると言うのは、仕事を紹介してくれと江間の館に行っていたから、当然八重がどのような容貌であったかも知っているでしょう。また、頼朝の天運が去ったからと言って、すぐさま北条に天下人の座が転がり込むわけではありません。要は伊東の血が後々の鎌倉幕府を左右すると言いたいのでしょうが、我々はまだ頼家、実朝の時代を見ていないのです。それが終わってからジャッジしてもいいでしょう。

それと「2020年代にあった」は「合った」としないと、「存在した」の意味に取られてしまうかと思います。

それから、狩猟が陰謀や殺し合いというのは中国も同じとあり、

ゆえに本作を中国語圏が見ると、
「おっ? 日本も同じだな!」
と親近感を覚えるのではないかと思います。
実際、中国語圏でも注目されているようです。

いつものことですが、「中国語圏でも注目されている」ことを裏付ける記事はここでは何も紹介されていません。武者さんの個人的願望なのでしょうか。

今週の万寿と金剛はやはり無理がある。それは童形ということが大きい。子供が弓を引くと危険だから仕方ないのでしょう。
これがオールバックにして烏帽子を被るとどうなるか? そこが期待したいところ。
東洋の時代劇では、大人になったら男女ともに前髪を作らないことが定番です。
それだと現代人はイマイチかも……そう誤解して妙な髪型にしていた大河もあります。『天地人』や『江』で画像検索をしてみてください。

『天地人』の直江兼続は、確かに元服後もある時期まで前髪がありましたが、後に上げています。またこの大河では、石田三成の髪型もドレッドのような奇妙なものでした。それも付記しておいてほしいです。ちなみに、三成を演じていたのは小栗旬さんです。それと『真田丸』の信繁も、元服後なのに前髪を下げ気味にしているシーンがありますね。

そんな海外受けを考える上で重要なのは、日宋関係です。
平安末期から鎌倉時代が舞台となると、そこが大事。
(中略)
来週は宋から来た陳和卿(ちんなけい)が登場します。彼は重要人物ですので、これは要注目。

この日宋貿易ですが、そのもっと後、いよいよ南宋が終焉を迎える元寇の頃まで続いていますね。この貿易について書くのなら、この時代のことも書いてほしいものです。当時の宋の商人で有名なのは謝国明(『北条時宗』にも登場)で、博多綱首(博多に住んで日宋貿易に携わった宋人)でもあり、様々な物を日本に伝えています。

そうそう、本作は特定の人物退場のタイミングはトークショーの日程で把握できます。
◆【大予測】征夷大将軍になった大泉頼朝「鎌倉殿」の退場はいつになるのか(→link)
ゆえに、この答えは【みんなで見よう! 「鎌倉殿の13人」大泉洋スペシャルトーク&「北海道道」公開収録】開催日の6月26日となります。
みんなで頼朝の落馬からの死を見るわけですか……。
ちなみに私も蒲殿追悼のため、来週は公開が遅れる予定です。

誰が退場するのかはともかくとして、
「みんなで頼朝の落馬からの死を見るわけですか……」
とはどうかと思います。これが個人のサイトであればまだいいでしょう。しかしレビューを謳う有料サイトで、登場人物が死ぬのをあたかも喜んでいるように見える書き方は抵抗があります。他にもう少し書きようがあるのではないでしょうか。
それと「蒲殿追討のため」というのは、修善寺行きということでしょうか。
まあ別に公開が遅れてもいいです。というか、以前に比べて数時間ほど遅くなっているような気はしますが。

あと先日の、小檜山氏の朝ドラ関連のnote記事で
「兼好法師は「友達にするなら病気したことあるやつな」と書いていたけど、その通りですな」
とあります。『徒然草』のことと思われますが、実は兼好法師はそんなことを書いてはいません。
「一つには物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友」
とあり、医師はあっても「病気したことあるやつ」とは書かれていないのです。あるいはこの反対に、友達にしたくない人の1つのタイプとして、「病なく、身強き人」とあるので、それを拡大解釈し、ならば病気をした人物は友達にしたいのだと書いたのでしょうか。他には「酒を好む人」や「虚言する(嘘をつく)人」、欲の深い人や、やたらに血気にはやる人もアウトのようです。

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2022/06/17 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『おんな太閤記』のホームドラマ的要素

『おんな太閤記』関連で少々。今まで観た限り、一応は戦国大河であり、その時々の出来事や戦も描かれてはいますが、やはりこれは「戦国ホームドラマ」だなという印象を強く受けました。

城中よりも家の中を描いたシーンの方が多いし、また隣近所の人々とか、家族も頻繁に登場しています。家を取り仕切るねねが中心的存在である以上、そうならざるを得ないのですが、たとえば美濃攻めでも、稲葉山城を落とす時の戦闘シーンなどはあまり描かれず、寧ろ攻略に至るまでの秀吉の工作の方が描かれています。

また、ねねが子供を欲しがったりもしていますし、特に第7回では子供絡みの描写、たとえば前田利家の妻のまつとか、秀吉の姉のとも(瑞竜院日秀)の出産が出て来ます。秀吉が近江まで行って、密かに思いをよせていたお市に目通りし、その娘茶々を目にしたりもしていますが、これは今後の伏線でしょう。

ちなみにまつが産んだ子が、後の前田利長です。そしてともの子供は、かの「殺生関白」こと豊臣秀次です。また秀吉の家来となる弟小一郎は後の秀長、妹きいは旭姫、その夫の嘉助は副田甚兵衛のようです。

ところで信長が、輿入れ前のお市に刀を渡し、いざという時はこれで長政殿を討てと言うシーンがありますが、その時お市は、兄上をこれでお討ちすることになるやもしれませぬと答えます。この辺り、『国盗り物語』の濃姫(帰蝶)の輿入れを思い出します。

まだ信長が天下を取る前のことで、今後また様々なことが起こって行くのでしょうが、基本的にねねと秀吉、その家族や仲間が中心という描き方に変わりはなさそうです。しかしこれもホームドラマ的な構成のためでしょうか、秀吉が自分の役目の殆どをねねに話しているし、ねねもそのことで気をもむという描写も目につきます。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2022/05/22 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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