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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 82その2

『武将ジャパン』大河コラム、第44回後半部分関連記述への疑問点です。


鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第44回「審判の日」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/21/172147

1.空々しく公暁が反論しても、八幡宮の別棟として、鎌倉殿を支えることが天から与えられた道だと諭します。

些細なことではありますが、「別棟」ではなく「別当」ですね。昨日の「馬を用意している」(実際は「蓑を用意している」)もそうですが、この手のミスが今回もいくつかありますね。

2.圧倒的な北香那さんの演技。感動が押し寄せてきてたまりません。
彼女は、権力などどうでもいい。我が子を愛したい。そんな母親です。実衣やりくとは違う。

出演者の評価ならここでやるのではなく、後の総評の方でやってもいいかと思います。それとつつじの場合、権力を持とうにも持たせてもらえなかったのも事実で、だからこそ息子への愛を貫くことができたのでしょう。

3.当初の薄緑色の衣装を着て、ニッコリ笑っていた義時はもう遠い。
誰が見ても悪くなったからこそ、こんなやりとりに説得力があります。脚本を書く側と、演じる側。その双方に信頼関係がなければこうはいかないと思います。
義時は悪いけど、三谷さんと小栗さんの関係はとても善いと思います。

「脚本を書く側と、演じる側。その双方に信頼関係がなければこうはいかないと思います。義時は悪いけど、三谷さんと小栗さんの関係はとても善いと思います」
どの大河でも脚本と主演とは、大体こういう関係ではないのでしょうか。それと、こういうのもあらすじの途中で書くべきなのか、どうか。

4.雪の朝。
義時が政子と対峙しています。

この1月27日、朝はまだ雪は降っていないはずです。警備担当の時房が空を仰いで、降らなければいいのだがと心配しているシーンがあり、午後、政子と実衣が出かけようと言う時になって雪が降り始めていますね。しかもこの後で、
「夕方に降り始めた雪が積もり始めています」
ともあり、何か矛盾しているように見えます。

5.「正しいと思った道を選んでここまでやって来た。そうではないのですか。今さら誰に何を言われようとひるんではなりません。私たちは正しかった。いつだって」
闇そのものがうずくまっているような義時の顔。存在感。
言葉とは裏腹にまっすぐな気持ちがまるで感じられないのは、先ほどの実朝と比べてみるとよりわかるでしょう。

「まっすぐな気持ちがまるで感じられない」
だから何なのだ、と思うのですが…。この時代まっすぐに生きていたら生き残れないからこそ、幼なじみの御家人をも騙し討ちにし、北条の地位をゆるぎないものにしたわけであり、そして政子も本意か不本意かは別として、そのやり方を認めざるを得なかったからこそ、今の尼御台としての彼女があるわけでしょう。公式がそう言うのならまだしも、あまり闇闇言うのもどうかと思いますし、実朝はそれができず、なのに鎌倉殿という高い位置にいたからこそ、狙われるもととなったのですが。

6.なんせトウは、頼家暗殺の当事者です。仲章に口を割られたら一巻の終わりとなるかもしれない――そうした状況を踏まえ、必ず吐かせてみせると勝ち誇る仲章。

これ「口を割る」のは仲章でなく、トウではないかと思うのですが。それと仲章は、義時が頼家暗殺の黒幕と気づいてはいたでしょうが、トウが関わっていたことを知っていたでしょうか、恐らく刺客が自分を狙いにくることはわかってはいたでしょう。

7.これまで目立ってきた母親像が、損得ありきのりく、実衣、のえだったせいか、あまりに真っ直ぐな彼女たちには胸が痛くなるばかり。

別に損得ありきの母親でもそれはそれでいいのです。彼女たちもまた、のえ以外は夫とはそこそこ円満な関係であったはずです。逆に真っすぐでないからこそできたこともあるのですが、なぜか彼女たちのそういった部分を評価しませんね。それと実衣は、本当に権力好きなのか迷うところです、言ってはなんですがその割に才覚というものをあまり感じず、身内に守られて生きて来た感がありますので。

8.一方、北条義時は空っぽだ。
前半は散々「全部大泉のせい=頼朝が悪い」と言われていましたが、後半になると「主役は泰時ではない」と言われてしまう。

この後に新聞記事のリンクがありますが、その見出しには
「NHK大河「鎌倉殿の13人」いつの間にか主人公交代…小栗旬「義時」→坂口健太郎「泰時」へ」
とあり、「主役は義時ではない」が正しいようです。これもケアレスミスなのかも知れませんが。

9.便宜上、大河には主役がいますが、実際には群像劇であることも往々にしてある。

群像劇だから主役がいないわけではなく、それぞれのパートの核になる人物がちゃんといます。
群像劇大河の典型と言うべき『国盗り物語』(多分武者さんは観ていないでしょうが)には、
斎藤道三→織田信長
葛籠重蔵
雑賀孫市
といった感じで、異なったいくつかのパートで、メインとなる登場人物がいました。

10.そしてもうひとつ。義時には思想がない。
空っぽゆえに歴史上、果たすべき役割が入り込んでくる。ゆえに本人は空洞。

思想がないからこそ、ここまであれこれと策を弄することができたのでしょう。無論まだ思想も学問も不在ではありましたが、義時が体を張って世の中を安定させた後に、嫡子泰時がその部分を埋めることになったとも言えます。

11.それに反して泰時は、思想がある光秀と同系統の人物といえる。

それとこれとはちょっと違いますね。光秀は結局は主君を殺して墓穴を掘ったとも言えますし。『麒麟がくる』を出したいのだなとは思いますが。

そしてバーナード・コーンウェルの『神の敵アーサー: アーサー王物語』の説明、これが承久の乱につながるものがあるとして、やけに長々と書かれています。正直に言って、比較するにはちょっと…と思われるのですが、ここでは省きます。そしてここで気になったのが

12.アーサー王はイギリス人の国民的英雄なのに、神の敵とは何ごとか?
要するにキリスト教の上陸前、ケルト民族の神を信じているから「神の敵」なのです。

アーサー王は、元々はアングロサクソンではありません。ケルト民族の一派であるブリトン人とされています。ただアーサー王物語には、キリスト教の王として描かれていたりもします。

13.ゆえに、こういう心を掘り下げる作品は、今後、増えると思います。
役者さんは演じるにあたり、脚本を受け取って、この役はどういう心なのか考えて、水の中に飛び込むように入り込んで演じるのだと思います。
(中略)
そうして脚本の中に描かれた心と、演じる役者の心と、見る者の心が触れ合って、ハーモニーとなってずっと響いている。
そういう次元に、このドラマは到達していると思えます。だから面白くないわけがない。

私としては面白い部分もあればそうでない部分もあるし、殆どの大河、ひいては映像作品とは、観る人によって評価が別れると思います。武者さんがこう書くのは、三谷さんの作品だからと言うのも多分にあるでしょうね。

14.でも、そもそも戌の神様って?
今週でてきた十二神将像を調べていたら、困惑したので書きますね。
十二支とは?
中国の戦国時代以来のもの。
十二神将とは?
仏教由来で、干支と組み合わせた。
ちなみに中国と日本では異なります。
つまり、インド生まれの仏教と、中国生まれの十二支と、組み合わせたもの。それを日本人が独自解釈して敬っている。

十二神将は中国大陸伝来で、かの地では十二支と結び付けて信仰されており、日本でもそれにちなんで、十二支を採り入れた姿で表現されています。この十二神は、元々はインドの神話に登場する魔物で、中国大陸に仏教が入った際に十二支と結びついたという説もあります。いわでもですが薬師如来の守護神です。

で、その後
「もうこれだけ神がいるなら、義時もなんとかなりますって!」
前回の分では、酷い最期を期待と書かれていたのですが…。

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[ 2022/11/25 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(2)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 66その3

『武将ジャパン』大河コラム、MVPはりくとのことで、このようなことが書かれています。

呪詛もそう(注・りくがもたらした京のもの)です。
坂東武者はそんな回りくどいことはしねぇ。知識が必須なので、教養が必要だしな。
そんなことより坂東武者なら暗殺でしょ。
そうして、発覚すれば死罪ものの呪詛を、自分の手を汚さず実行させようとするりくはきわめて悪質と言えます。

「自分の手を汚さず」と言うよりは、そもそも聖職者でないためりくにはできませんね。
実際平安時代の京で呪詛は珍しくなく、その中で育った人物である以上、これは当然かと思います。あと東国でも呪詛というか調伏は、平将門の乱の時に行われています。

代表的なものが「巫蠱(ふこ)の禍」。
前漢武帝の時代に起きた事件で、犠牲者が多数出ていて、京都育ちのりくであればそのくらいのことは把握していてもよい。危険だからこそ全成の弱みにつけ込むとは、本当に大した悪女ですわ。

また漢籍です。武帝の寵臣であった江充が、皇太子との不仲から帝崩御後の自分の立場を案じて、皇太子が人形による呪詛を行って帝の病を重くしていると讒言し、これがもとで皇太子が挙兵するに至ることになりますが、武者さん、せめてこのくらいの説明をしてほしいものです。それと全成は密教寺院で修行しているわけですから、呪詛を行えと言われたら行うでしょう。さらに

これはりく一人の問題でもなく、京都が悪いのだと思います。
大江広元が京都から来て、頼朝が極悪非道になりました。
京都の象徴ともいえる後白河院、丹後局はどぎついほどに悪どい。
(中略)
前回、景時は義時に対し、坂東武者のために戦うつもりか?と確認していた。
自分を破滅に追いやる義時に愚痴はこぼしつつも、京都に味方するからには討たれることは当然だと言いたげな聞き分けの良さでもあった

京都が嫌いなのでしょうかね、やはり。
しかしこれ、誹謗中傷のようにも見えてしまいます。京の人々の考えややり方をどれだけ理解しているのでしょうか。ところで再来年の大河は京都が舞台ですが、さてどのように書くのでしょう。

それと大江広元は一方で教養があると言ってみたり、頼朝を極悪非道にしたと言ってみたり、評価がその時次第で変わりますね。大河コラムは武者さんの憂さ晴らしの場なのでしょうか。

ちなみにその後で
「りくはそんな中でも、とびきり鮮やかで華麗で、甘い毒を撒き散らす花として咲き誇っているように思えます。
りくだけが悪いのではなく、京都こそ坂東の宿敵――そういう誘導がなされるのでしょう」
などとありますが、そういう誘導をしているのは、他ならぬ武者さん自身だと思いますが。このドラマでは、どっちが善でどっちが悪かなど、まだ描かれてはいないのですから。

ついでに言えば善児にも報いがありそうです。
善児は本作の根底にある、坂東武者のための世を作ると提唱した北条宗時を手にかけました。
象徴を殺しておいて無事で済むとは思えないのです。

宗時は、坂東武者のための世を作る「象徴」なのでしょうか。
他にも善児が手に掛けた人物はいるし、彼らのありようもまた様々です。
しかもこれ、主に言われてやったことであり、善児自身の意志でやったことではありません。
もしその報いが来るとすれば、自身が育てたであろうトウに討たれるということも考えられます。
ちなみにこの2人、『真田太平記』の又五郎とお江を思い出します。

そして総評ですが、このような一文から始まります。

人間は信じることが大事だ――こんな当たり前のことをくどいほどこってりと描いた今回。

正直言って、この「信じる」ことの描写に多少もやっとしたものを感じました(『真田丸』でもこれは同じ)が、それは機会があれば改めて。そして義村と義時、初と泰時は互いに信頼があるが、頼家はそれがなくせつに救われた、そして全成と実衣は信頼を失ったと書かれています。

そして全成と実衣。
こうしてみると皮肉を言い合い、しっくりうまくいっているのに、全成は結城朝光から琵琶を習う妻を見て、信じる心を失ってしまった。
そうなったら話し合うなりして向き合えばいいのに、呪詛と千幡を後継にするという、間違った手段を選んでしまった。

「呪詛と千幡を後継にする」とありますが、「呪詛によって頼家を病にし、千幡を後継にしようとする」でしょうね。

しかしこれは「間違った手段」なのか。その当時の感覚を、今の感覚だけで判断はできないでしょうし、「話し合うなりして向き合えばいいのに」と言うのも、それができないから全成が悩んでいるとも言えるでしょう。結局最後のところで、頼家が一幡を後継者と決めたことで、すべて打ち明けるに至りましたが。

そこへ引き摺り込んだりくと時政。あなたたちに愛はありますか? 信頼は? と言ってやりたい。
りくは結局、時政を自分の駒にして好き放題やることが面白いだけじゃねえか! そう毒づきたくもなります。
相手が本当に大事なら、危ない橋を渡らせないのでは?

なぜこうなるのでしょうか。りくと時政、特にりくは、これが北条に取って正しい選択肢と思ったからこそ、この方法を採ったわけでしょう。情だけでは解決できないこともあるのですが。

すごいことになってきました。三谷さんに謝りたい。こういう艶っぽい作風ではないと思っていました。

また「すごい」(苦笑)。いや特にすごくとは思わないし、男女の描写も特に艶っぽいというわけでもなく、いつもの三谷さんだし。夫婦による陰謀というのが今までなかったから、その点では新鮮です。

歴史の年表なり、地図を俯瞰して見ていると、ある事件が起こることも時代の流れだと思えます。
人類史を俯瞰するような、ジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリの著作を読んでいると、特にそういうことを強く感じます。

ご存知の方も多いと思いますが、この両名はそれぞれアメリカの進化生物学者であり、イスラエルの歴史学者です。しかしそれをどうこう言う前に、まずドラマ本編を観て、あらすじを間違えないようにしてくださいと言いたいところなのですが…。

それと、『鎌倉殿』には直接関係あるとは思えませんが、わざわざこういう人たちを持ち出す辺り、言っては何ですが、何か武者さんの自己顕示欲といったものを強く感じます。

でも、そんな歴史の大激動、運命の歯車の下にはすり潰される生身の人間がいたと思い出すとゾッとします。
そういう痛みを忘れて歴史を学んで、何かすごいことを知った気になってないか? 運命だからしょうがない、と数多く死んでいった人のことを突き放していいのか?と。
『鎌倉殿の13人』には、そういうものがある。
根底に流れるテーマがあるけれども、その大目標実現のためには大勢苦しんで悲惨な死に方をしてしまう。味わって楽しんで、そのあとどっと苦さと恐ろしさがくる。そんな構図があります。

これも前に書いていますが、『鎌倉殿』のみならず、大河は歴史を描くわけですから、そのような構成にならざるを得ないのです。ただ嫌いな作品をきちんと評価しないため、本来見えるべきものが、見えなくなっているのではないでしょうか。
尚、好きな作品でもきちんと評価しているかどうかは疑問に思われます。

で、また『麒麟がくる』。他の大河にも、大きな目標のために犠牲を払った人々を描いたシーンはありますし、武者さんが本当に歴史系ライター、大河コラムニストなら、その点もきちんと押さえているでしょう。

これをもっと自覚的にしていたのが『麒麟がくる』の明智光秀です。
彼は麒麟が到来するよう歴史の流れを作ろうとしていて、その過程で犠牲になる彼周辺の人物を忘却したような終わり方でした。
義時の場合、自分が歴史の大きな流れを作ることにそこまで自覚的でないのでしょう。巻き込まれるうちに歴史を変えてしまう。

『麒麟がくる』の場合、どうしても駒が存在することにより、本来光秀が自ら切り開こうとして切り開けなかったものが、ぼやけてしまった印象があります。一方『国盗り物語』、総集編ではありますが、後編のそのまた後半の光秀の言動には、彼なりに何を求めようとしたか、その前に誰が立ちふさがったかが見えるのですが。
義時は最初は巻き込まれ型ですが、頼朝死後に頭角を現す人物だと思います。今はその中途段階と言ったところでしょう。

中国では宋から元へ。日本では【承久の乱】。野蛮と蔑まれてきた者どもが勝利することで、歴史は一歩前進します。
そういう避けられない運命に巻き込まれる義時たちを、後半戦も見守りたいと思います。

この元と坂東武者、「華夷闘乱」という点で重ね合わせたいのでしょうが、如何せん元は漢民族からすれば異民族であり、坂東武者は元々荘園の武装農民の棟梁であったため、立ち位置が異なります。しかも元帝国は、中国大陸の諸王朝の例に洩れず、前王朝(南宋)を滅ぼしてしまうのですが、日本の場合朝廷が倒れたわけではありません。

寧ろその朝廷で、歴代の天皇の即位に関して両統迭立となり、それが鎌倉幕府滅亡の一因となっては行くのですけどね。それともう「後半戦」に突入していると思います。あと20回もないと思いますし。逆に少し押すのではないかと不安です。

ところで
「来週は比企一族の今後を憂うため公開が遅れます」
らしいです。

飲み物-ウイスキーロック
[ 2022/08/05 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第25回「天が望んだ男」あらすじと感想-2

後半部分です。尚先日投稿分に「前半部分」を付け加えています。それからサブタイを始め、ミスまたは意味が通りにくい箇所がいくつかありましたので、訂正しています。


義盛は直垂もつけずに応対し、巴にも挨拶をするように言うが、巴は夫義仲を討った頼朝には会いたがらなかった。手を下したのは義経と諭すも、命令を下したのは頼朝であると言い、義盛は仕方なく、巴は狩りで不在であると言って握り飯を差し出す。その後頼朝と盛長は相模川を目指すが、八田知家が指揮を執る工事の最中で道が塞がっていた。

頼朝の耳にまたあの鈴の音が響いた。これは何かの罠ではないかと思いつつ、頼朝と盛長は和田館へ引き返す。義盛は、これは頼朝が怒っているからだと勘違いし、巴に頭を下げて頼朝に会わせる。頼朝は義仲を討ったことを詫び、ああするよりなかった、平家を討って世を正したいという思いは同じだったと釈明する。しかし巴は遠い昔の話だと言い、義仲殿もその言葉を聞いて喜んでいるだろうと言う。頼朝は彼女の顔を見ているとあの時を思い出し、無性に謝りたくなっていた。

しかしここで頼朝は、全成の「振り返ってはいけない」の言葉を思い出してやにわに席を立ち、別の道を行くことにする。やがて頼朝は追善供養の場に到着する。読経が終わり、皆は餅を作り始める。北条家の人々は伊豆にいた頃、仏事で一門が集まった時には皆で丸餅を作っていた。餅作りは記憶にないと言う頼朝だが、頼朝は常に欠席していたのである。餅を作りますかと義時は尋ねるが、風に当たってくると頼朝は答える。

北条家の人々は、最近仲間入りした比奈も混じり、和気藹々と丸餅を作っていた。時連は丸めるのが下手だったが、重忠は丸め方がうまく頼時を感心させる。しかしりくだけは、手が汚れるのが嫌だと仲間に入らず、歩いて来ると言い、やはり餅作りに加わらなかった頼朝主従を見つける。頼朝は盛長に、場を外すように目配せする。りくが頼朝と会話を交わすのはこれが初めてで、頼朝は、ともに京育ちで話が合うことはわかっていたという言葉に同意する。りくはいずれ京に戻るのかと頼朝に尋ねる。

しかし頼朝は、武士はいつまで経っても朝廷の番犬扱い、顔色を窺いながら京暮らしをするよりは、鎌倉を京に負けない都にすると言う。その頼朝にりくは、貴方様は今や日本(ひのもと)一の軍勢を持つお方、その力を持ってすれば朝廷も言うことを聞きましょうと忠告するも、そうたやすくは行かないと頼朝は答える。これに対してりくはこう言う。
「野山の鹿を追うのに、足が汚れるのを嫌がる犬のよう」

2人は笑い、そして頼朝は言う。
「都人は脅しだけでは動かぬ。貴女もご存知であろう」
りくは頼朝の手を取り、強いお方が好きなのですとささやくように言う。頼朝は時政は自分のことをどう思っているか、わしを殺して、鎌倉をわがものにしようとしているのではないかと尋ねるが、りく曰く
「そんな大それたこと、考えてくれたらうれしいのですが」
そこへ件の時政が、徳利と盃を持って現れる。

その盃はかなり小ぶりなものだったが、これしかなかったのである。
「意気地なしが2人、小さな盃で」
とからかうような口調でりくは去って行き、大きさを気にしつつ、頼朝に酌をする時政に頼朝は
「不満があれば申せ」
と言うが、「そんなもん、あるわけねえでしょう」と時政は答え、こんないい思いをしているのに、腹の立つことなどないと言って、頼朝に餅を勧める。

時政は政子に感謝している、いい婿と縁づいてくれたと話すが、頼朝は餅を喉につまらせ、様子がおかしくなる。時政の声に政子と比奈が驚いてやって来て、さらに義時が思い切り背中を叩いたため、頼朝は難を逃れる。その餅の形の悪さに実衣は言う。
「五郎(時連)が作ったやつだわ」
あわてふためく時連。

野外で頼朝は政子と義時に、時政がおらぬとどうなっていたかと安堵したように言い、義時は、父はいざという時に役に立つと言う。持つべきものは北条だなと頼朝は言い、喉の渇きを訴え、政子が水を汲んで来ようとするが、義時がその役目を引き受ける。政子は頼家が、源氏の血筋の女性を嫁に迎えることを聞いたと切り出し、せつはどうなるのかと訊き、頼朝は側女にすると答える。自分に黙って話が決まったことに、政子はいい顔をしなかったが、頼朝にしてみればいつものことだった。女子に手が早いのは親譲りと政子はずけずけと言うが、しかし頼朝がそうでなければ、2人は結ばれていなかった。

悔やんではおらぬかと頼朝は尋ねるが、分からない、ただ退屈しなかったと政子は答える。なぜそうしみじみとするのだ、自分はそういうのは嫌いなのにと口にする頼朝に、政子はそちらのせいだと言い返すが、言い合いの末、2人は笑ってしまうのだった。そこへ義時が戻って来て、重成がお礼の挨拶をしたがっている旨を伝える。

政子も戻ろうと立ち上がるが、頼朝はいい折だと2人に、わが源氏は帝をお守りし、武家の棟梁としてこの先100年も200年も続いて行かなければならない、その足掛かりを作るのは頼家であり、義時には常にそばにいて頼家を支えるように、政子もこれからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやってほしいと頼む。

お前たちがいれば鎌倉は盤石と言う頼朝に、政子は、まるでご自分がどこかに行かれてしまわれるようなと口にする。頼朝自身は、自分は近々頼家に跡目を譲って大御所となり、船でも作って唐の国に渡り、どこぞの入道のように交易に力でも入れるかのうと威勢のいいことを言う。皆が待っていると言う義時に頼朝は、わしはようやく分かったぞ、人の命は定められたもの、あらがってどうすると言い、甘んじて受け入れたうえで好きに生きる、神仏にすがっておびえて過ごすのは時の無駄じゃとまで口にする。義時も異存はなかった。

神や仏には聞かせられぬ話だがのうと頼朝。義時は、頼朝は昔から自分にだけ大事なことを打ち明けてくれたと言い、その頼朝は疲れたため先に御所へ戻ることにする。供をすると言う義時に、久々に一門が揃ったからゆっくりして行けと頼朝は断り、盛長を呼ぶ。

頼朝は盛長のみを連れて、一路御所を目指した。伊豆の頃を思い出すと盛長は言い、その直後に過去を振り返ってしまったことを詫びるが、好きなだけ振り返れと頼朝は言う。盛長に取っては意外なことだったが、いざそうしようとすると何も思い浮かばなかった。そなたといると、いつも心が落ち着くと頼朝は言う。何よりのお褒めの言葉であると盛長。そして頼朝は、
「初めて北条館に来た時…」
と言いかけて手綱を放す。右手が麻痺したようになり、鳥の声そして鈴の音が聞こえた。頼朝は、その姿勢のまま馬から落ちて行った。

政子、そして頼家の耳にも鈴の音が響く。そして巴と一緒に縁先にいた義盛、騎乗していた義村の耳にも、執務中の広元、御所を守っていた景時、そしてだらしなく寝そべっていた能員の耳にも同じ音が響いていたが、義時には何も聞こえなかった。そして盛長は、地面に倒れて動かない主の側に走り、鎌倉殿ではなく佐殿と叫んでいた。


まず方違えの件です。巴も当初は頼朝に会うのは嫌だと言いながら、2度目に、つまり道が工事中で仕方なく引き返した時には、義盛が頭を下げたこともあったのでしょう。きちんと挨拶をしています。逆に引き返したこと、それで義盛が勘違いしたことが功を奏したと言うべきでしょうか。あとあの握り飯、巴でなく義盛が作ったものと思われます。

北条家の一門総出での餅作り。何とも楽しそうですが、頼朝と盛長、そしてりくはその場に加わりません。この場合、りくは手が汚れるからではなく、寧ろ頼朝と話したいからその場を離れたと取るべきでしょうか。比企尼とは話せなかったものの、りくとは話すことができたのですね。あと重忠のに比べ、時連のは何とも不格好です。実衣が、頼朝が食べたのが時連のだと見破ったのもむべなるかなで、この光景を目にした時連はかなりあわてます。また一門同士打ち解けていても、やがてこの中で敵対することになり、『真田丸』で後に対立し合う豊臣家の人々がまだ若く、楽しげにしていた様を思わせます。

つつじの件。政子も「女子に手が早いのは親譲り」などと言ってはいますが、頼朝が女子に手が早くなければ、自分も今御台所になっていないと気づいているようです。それにしても餅を吐き出した後の頼朝のセリフが、殆ど遺言のようです。武家の棟梁として、この先100年も200年も続いて行かなければならないこと、その足掛かりを作るのは頼家であり、義時は頼家を支えるように、政子もの母として頼家を見守ってやってほしいなど、政子が、まるでご自分がどこかに行かれてしまわれるようと言うのもむべなるかなです。尤も鎌倉幕府はこの130年後に滅びますが。

そして頼朝は、自分は大御所となると明言します。結局そうなることはなかったわけで、それにどうも隠居して大御所というのは、来年の主役の家康のイメージですね。この人は大御所となっても力を持っていたし、院政の武家バージョンといった雰囲気もありました。そして「どこぞの入道のように」云々、清盛のようにということですが、このセリフ、『国盗り物語』の本能寺の変前夜の信長も、似たようなことを言っていました。但し唐ではなく南蛮です。

その後頼朝は、人の命は定まっている、神仏にすがるのは時間の無駄だとこの人らしくないことを言います。実際この時の頼朝は、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情なのですが、これがどうも死亡フラグとなった感もあります。あたかも伊豆時代を思わせる頼朝と盛長の主従ですが、結局頼朝に取って一番信頼できる相手は、身内ではなく、流人時代の苦労を共にした盛長であったことを窺わせます。

あと比企尼と、盛長が「佐殿」という呼称を使っていたこと、これもかつての、つまり北条氏と縁組みする前の、流人としての頼朝を知る人物らしいと言えます。

ところで頼朝が落馬するシーンですが、右手が麻痺したかのように硬直していたこと、餅を飲みこめずに詰まらせたという点などは、脳卒中による病死説を裏付けるものかと思われます。ただ鈴の音、これは耳鳴りかと思ったのですが、最終的に頼朝に関わる人々が、義時を除いて耳にしたことから、何かの暗示と取るべきでしょう。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/06/28 00:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 57

『武将ジャパン』大河コラム後半部分の続きです。


まずこれを書いておかねばならないでしょう。
敵討ちではなく、謀反だった――こういう描き方は、実は1979年『草燃える』でもあった展開です。
ただし、オマージュと言い切れるかどうかは保留。
というのも、時代考証の坂井孝一先生の説ありきで展開していると思えるのです。

この間もそうでしたが、普段武者さんは、10年ルールを持ち出すことが多いのに、なぜこういう時だけ40年以上前のを引き合いに出すのでしょうね。『青天を衝け』の時も『獅子の時代』を持ち出していましたし。もう10年ルールなど止めたらどうかと思います。せめて「10年ルールから外れますが」とでも書けばまだ良心的なのですが。
そして、40年以上前の作品を引き合いに出すのなら、一度『麒麟がくる』と『国盗り物語』の比較もやってほしいですね。

そして後世、東洋はとにかく敵討ちが大好きなので、それが受けたということもある。富士の裾野でド派手な展開をするということは、特に江戸っ子にとっては最高に盛り上がる話でして。
「マジかよ! 江戸から見える富士の裾野で敵討ちか、半端ねえな、盛り上がるぜ!」
こういうニーズに合致して盛り上がったことも忘れてはいけません。

というか、他にも歌舞伎や講釈(講談の前身)化されて、人々の間に広まった歴史ものは多いです。それと江戸時代は仇討ちが合法化された時代でもありました。こういう時代背景を考えると、何が市井の人々に好まれるか、おのずと見えてくるでしょう。

そういうフィクションの力ゆえに史実がわかりにくくなるから(中略)“三谷流”と、三谷幸喜さんが一から、今までになかったことを思いついたように誘導することには慎重になりたい。
揉める元ですので。こういう書き方はどうかと思います。

例によってコラムのリンクはクリックしていませんが、恐らくこの記事のことでしょう。

「鎌倉殿の13人」義時暗躍 語り継がれる“稀なる美談”矛先は範頼へ 三谷流“曽我事件”もネット脱帽

で、「今回の脚本、すごいとしか言いようがない」という文章から始まるパラグラフが紹介されています。
これに関して
「そもそもSNSユーザーが必ずしもきちんと証拠を揃えて語っているかもわかりません。
それでもネットニュースになると既知のこととして広まってしまう。
実際に書き込みが存在したのか不明の場合もあります。
この手の記事は楽でアクセスも稼げるから今後も続くでしょうが、いかがなものでしょうか」
とありますが、これはどの大河でも似たような傾向はあります。また「楽」であるかどうかはともかく「アクセスを稼ぐ」という点では、このコラムも同じようなものでしょう。

そしてその後に
「今年はまだしも、昨年の場合はネットで明らかに間違った情報が盛り上がり、それが一人歩きして歴史知識が悪化するようなことがしばしばありました」
とあります。これは『青天を衝け』の主人公渋沢栄一が、日本初の紙幣を作ったとされたことでしょう。武者さんによれば、この誤情報がネットで盛り上がったらしいのですが、実際にそこまで騒がれたかどうかは、定かではないようです。尚武者さんは小檜山氏名義でこれに関してツイをしていますが、後でそれを削除しています。

そして「”三谷流”と、三谷幸喜さんが一から、今までになかったことを思いついたように誘導することには慎重になりたいですが」とあるのですが、大河はある程度史実を入れてほしくはあるものの、ドラマはそもそもフィクションであり。私が観る限りでは、三谷さんが吾妻鏡を元に構成し直したなと思う部分もあるのですが。

義時もしみじみと語っていましたが、一族のためならば手段を選ばないことが、この時代らしさと言えます。

これは戦国時代も似たようなものではないのでしょうか。

中原逐鹿という言葉があります。
中原に鹿を逐(お)う。
(中略)
中原とは中国の黄河中下流域のこと。多くの王朝で首都が置かれた天下争奪の場所です。
この地域が政治の中心ということになります。そんな場所で鹿を狩る。それは天下を決めることだとされました。
狩猟というのは特別です。
軍事演習という意味合い。そしてまだ中世ですので、神事で守り、今後を占うものでもある。
今回はこの天下趨勢の行方も、中世らしく濃厚に見えてきました。

ここでまた中国関連です。この中原逐鹿は天下を決めるというか、帝位を奪うことですね。しかしここまで書くのであれば、中国関連のみでなく、鎌倉時代の狩猟についてとか、諏訪大社の狩猟神事なども書いてほしいものです。
そして
「中世らしく濃厚に見えてきました」
などとありますが、これは一体どういう意味なのでしょうね。他の時代の天下趨勢の行方は濃厚ではないのでしょうか。また、

北条、比企、そして源氏が富士野で鹿を追いかけ、北条が勝つ。そんな筋道が見えています。
そしてそれのみならず、勝利の鍵を握っているのは伊東だとわかります。
ちょっと箇条書きにしてみましょう。
・細工をせねば獲物を取れない万寿と、楽に獲れてしまう金剛
・工藤祐経は八重と金剛が似ていると言う
・その八重が放った矢から、源平合戦が始まったのがこの作品での設定
・頼朝と義時が女を争ったとセリフで語られる、その女とは伊東の八重
・天運が去ったと語る頼朝と、それを横で聞いている義時
(中略)
しかしこのドラマは伊東の娘である八重の血を引く北条泰時が天に選ばれたように思える。
女系として流れる血が運命を決めたように思えます。
これは【双系制】=両親双方の血統を重視する仕組みが見直されている2020年代にあった展開かもしれません。

とあります。
まず言いたいのは箇条書きの部分です。
果たして金剛は「楽に」鹿を獲れたのでしょうか。初めてしとめましたと言ってはいますが。
工藤祐経が金剛と八重が似ていると言うのは、仕事を紹介してくれと江間の館に行っていたから、当然八重がどのような容貌であったかも知っているでしょう。また、頼朝の天運が去ったからと言って、すぐさま北条に天下人の座が転がり込むわけではありません。要は伊東の血が後々の鎌倉幕府を左右すると言いたいのでしょうが、我々はまだ頼家、実朝の時代を見ていないのです。それが終わってからジャッジしてもいいでしょう。

それと「2020年代にあった」は「合った」としないと、「存在した」の意味に取られてしまうかと思います。

それから、狩猟が陰謀や殺し合いというのは中国も同じとあり、

ゆえに本作を中国語圏が見ると、
「おっ? 日本も同じだな!」
と親近感を覚えるのではないかと思います。
実際、中国語圏でも注目されているようです。

いつものことですが、「中国語圏でも注目されている」ことを裏付ける記事はここでは何も紹介されていません。武者さんの個人的願望なのでしょうか。

今週の万寿と金剛はやはり無理がある。それは童形ということが大きい。子供が弓を引くと危険だから仕方ないのでしょう。
これがオールバックにして烏帽子を被るとどうなるか? そこが期待したいところ。
東洋の時代劇では、大人になったら男女ともに前髪を作らないことが定番です。
それだと現代人はイマイチかも……そう誤解して妙な髪型にしていた大河もあります。『天地人』や『江』で画像検索をしてみてください。

『天地人』の直江兼続は、確かに元服後もある時期まで前髪がありましたが、後に上げています。またこの大河では、石田三成の髪型もドレッドのような奇妙なものでした。それも付記しておいてほしいです。ちなみに、三成を演じていたのは小栗旬さんです。それと『真田丸』の信繁も、元服後なのに前髪を下げ気味にしているシーンがありますね。

そんな海外受けを考える上で重要なのは、日宋関係です。
平安末期から鎌倉時代が舞台となると、そこが大事。
(中略)
来週は宋から来た陳和卿(ちんなけい)が登場します。彼は重要人物ですので、これは要注目。

この日宋貿易ですが、そのもっと後、いよいよ南宋が終焉を迎える元寇の頃まで続いていますね。この貿易について書くのなら、この時代のことも書いてほしいものです。当時の宋の商人で有名なのは謝国明(『北条時宗』にも登場)で、博多綱首(博多に住んで日宋貿易に携わった宋人)でもあり、様々な物を日本に伝えています。

そうそう、本作は特定の人物退場のタイミングはトークショーの日程で把握できます。
◆【大予測】征夷大将軍になった大泉頼朝「鎌倉殿」の退場はいつになるのか(→link)
ゆえに、この答えは【みんなで見よう! 「鎌倉殿の13人」大泉洋スペシャルトーク&「北海道道」公開収録】開催日の6月26日となります。
みんなで頼朝の落馬からの死を見るわけですか……。
ちなみに私も蒲殿追悼のため、来週は公開が遅れる予定です。

誰が退場するのかはともかくとして、
「みんなで頼朝の落馬からの死を見るわけですか……」
とはどうかと思います。これが個人のサイトであればまだいいでしょう。しかしレビューを謳う有料サイトで、登場人物が死ぬのをあたかも喜んでいるように見える書き方は抵抗があります。他にもう少し書きようがあるのではないでしょうか。
それと「蒲殿追討のため」というのは、修善寺行きということでしょうか。
まあ別に公開が遅れてもいいです。というか、以前に比べて数時間ほど遅くなっているような気はしますが。

あと先日の、小檜山氏の朝ドラ関連のnote記事で
「兼好法師は「友達にするなら病気したことあるやつな」と書いていたけど、その通りですな」
とあります。『徒然草』のことと思われますが、実は兼好法師はそんなことを書いてはいません。
「一つには物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友」
とあり、医師はあっても「病気したことあるやつ」とは書かれていないのです。あるいはこの反対に、友達にしたくない人の1つのタイプとして、「病なく、身強き人」とあるので、それを拡大解釈し、ならば病気をした人物は友達にしたいのだと書いたのでしょうか。他には「酒を好む人」や「虚言する(嘘をつく)人」、欲の深い人や、やたらに血気にはやる人もアウトのようです。

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2022/06/17 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『おんな太閤記』のホームドラマ的要素

『おんな太閤記』関連で少々。今まで観た限り、一応は戦国大河であり、その時々の出来事や戦も描かれてはいますが、やはりこれは「戦国ホームドラマ」だなという印象を強く受けました。

城中よりも家の中を描いたシーンの方が多いし、また隣近所の人々とか、家族も頻繁に登場しています。家を取り仕切るねねが中心的存在である以上、そうならざるを得ないのですが、たとえば美濃攻めでも、稲葉山城を落とす時の戦闘シーンなどはあまり描かれず、寧ろ攻略に至るまでの秀吉の工作の方が描かれています。

また、ねねが子供を欲しがったりもしていますし、特に第7回では子供絡みの描写、たとえば前田利家の妻のまつとか、秀吉の姉のとも(瑞竜院日秀)の出産が出て来ます。秀吉が近江まで行って、密かに思いをよせていたお市に目通りし、その娘茶々を目にしたりもしていますが、これは今後の伏線でしょう。

ちなみにまつが産んだ子が、後の前田利長です。そしてともの子供は、かの「殺生関白」こと豊臣秀次です。また秀吉の家来となる弟小一郎は後の秀長、妹きいは旭姫、その夫の嘉助は副田甚兵衛のようです。

ところで信長が、輿入れ前のお市に刀を渡し、いざという時はこれで長政殿を討てと言うシーンがありますが、その時お市は、兄上をこれでお討ちすることになるやもしれませぬと答えます。この辺り、『国盗り物語』の濃姫(帰蝶)の輿入れを思い出します。

まだ信長が天下を取る前のことで、今後また様々なことが起こって行くのでしょうが、基本的にねねと秀吉、その家族や仲間が中心という描き方に変わりはなさそうです。しかしこれもホームドラマ的な構成のためでしょうか、秀吉が自分の役目の殆どをねねに話しているし、ねねもそのことで気をもむという描写も目につきます。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2022/05/22 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『青天を衝け』徒然その17

第35回。アメリカ元大統領の、ユリシーズ・グラントが来日することになります。栄一もあれこれ考えを巡らせ、お千代は上流層の夫人たちから作法を教わり、また彼女たちは着る物にも頭を悩ませます。これには岩崎弥太郎も動き、元大統領であるグラントに精一杯もてなしをしますが、グラントには最早、日本のために骨を折るだけの力はありませんでした。

その後グラントは、栄一の家を訪れたいと言い出し、栄一もお千代も新しい飛鳥山の邸宅を整え、日本風にしつらえた部屋で和食器で料理を振舞います。実はこの料理は煮ぼうとうだったのですが、濃い味付けがグラントのお気に召します。実はグラントは田舎の農場の出でした。グラントはアジアに於ける列強の支配のもと、日本が独立を保つのは大変だが、自分はそれを願うといい、相撲も気に入って、栄一と一番取ってみせます。その後上野公園での歓待も成功しました。

グラント離日後、政府が国力を高める中で三菱は政府の保護のもと、海運業を独占していました。北海道の開拓事業は終わって民間払下げとなり、さらに一方で自由民権運動が高まるようになります。そんな中、栄一はグラントのもてなしを仕切ったお千代の才覚に惚れ直していましたが、その頃コレラが流行の兆しを見せ始めていました。

第36回、三菱の一人勝ちが続く一方で、栄一たちは貧民の救済を考えます。栄一が院長を務める東京養育院でも財政難に陥っており、税金を充てるかどうかで暗礁に乗り上げていました。うた(歌子)にはかつての宇和島藩士の息子、穂積陳重との縁談が持ち上がり、両親のことを聞かれたうたは、両親とも働き者であること、母お千代は芝居好きであることなどを放して聞かせます。自分のことは聞かないのかと訝るうたに穂積は、あなたのことも聞きたい、そして自分のことも話したいと言い、その2人を栄一と千代が窓越しに見ていました。

一方藩閥政治糾弾の声が高まる中、薩長勢に取って邪魔者である大隈重信は下野するはめになります。そして薩長を叩く新聞の姿勢もエスカレートし、五代友厚も頭を抱えます。その五代は栄一にこう言います。
「おはんはおいに比べてずっと欲深か男じゃ」
そして五代は、岩崎と栄一がどこか似ていると言います。さらに栄一の風帆船会社は、三菱に対抗するべく他社を合併させることになり、また政府が援助することが決まりました。しかし下野した大隈は、三菱の支援で政党を作ろうとします。

その年の春、うたは穂積と結婚し、栄一は自分も汚い大人になった、若い2人が羨ましいと言いますが、お千代は、栄一は昔から攘夷活動をしたり、京へ行ったりと欲深かったと言われてしまいます。その頃渋沢家では、健康のため牛乳を飲むようになっていました。しかしお千代は病気になり、床に伏してしまいます。病名はコレラでした。これは周囲の知るところとなります。その頃喜作は、共同運輸会社の立ち上げのための会合に出席していました。行かねえでくれと言う栄一に。お千代は逆に生きてくれといい、世を去ります。明治15(1882)年のことでした。


明治に入ってから特に感じることですが、やはり栄一の実業家としての人生を描くには、かなり急ピッチであるかと思います。元々若い頃、たとえば攘夷活動とか円四郎に誘われて慶喜に仕えるとか、あるいはパリ行きなどをメインにしたかったのでしょう。その分実業家としての彼の人生の描写が、ちょっと物足りない印象も受けます。

人間関係なども、もう少し突っ込んでくれたらなとは思います。ただやはり近代物になると、あまり創作を入れられないということもあるでしょう。これは幕末も入っていますが、近代を舞台にして実在の人物を主人公にするのなら、大河でない方がいいのではないかと前にも書いていますし、その方がうまく行くと思います。

一方で、ユリシーズ・グラントが煮ぼうとうに感激してみせるシーン、元々田舎の農場の出であり、いわば「百姓」であることに栄一は気づきます。これでちょっと思い出すのが、織田信長が味の薄い京料理には顔をしかめ、田舎風の濃い味の料理を喜んだという話です。『国盗り物語』の原作にも登場するエピソードです。

それはともかく、その後の栄一は貧民対策に頭を悩ませる一方で、娘が結婚し、そして妻が病死します。娘うた’(歌子)の相手の穂積陳重、宇和島藩士の息子ですが、後の中央大学の創立者の一人でもあります。

ちなみにこの当時流行していたコレラ、流石にドラマの中では出て来ませんが、激しい下痢と嘔吐が続く病気です。そのため水分補給が必要になり、『JIN-仁-』でお馴染みのように、経口補水液や点滴による治療が行われます。仁先生が明治15年にタイムスリップしていれば、お千代も助かったのでしょうか。あと経口感染する病気なので、汚染された食物や水によって感染します。無論本来であれば、胃酸がコレラ菌を殺してしまうのですが、菌の一部が小腸に達してしまうと、コレラの発症となります。

飲み物ーホットワイン


[ 2022/01/10 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』の創作と疑問点 3

先日投稿の『黄金の日日』、第36回「伴天連追放」に関して。今回は、創作にも触れてはいるものの、メインは登場人物それぞれの思惑についてです。

まず船の中での秀吉と美緒のやり取りですが、「堺衆の意地」で、美緒が秀吉を拒絶するシーンはなかなかよかったです。その意味でこの大河は、戦国から桃山時代の史実云々よりも、こういったシーンを盛り込んだフィクションドラマとすればよかったかも知れません。一方で秀吉に取っては、その堺衆の意地こそが、自らの権力を拡大して行くうえで、目の上のたんこぶでもあり、彼らを服従させる方法として、堀を埋め立てるという荒業に出ます。

埋め立てが始まり、人々が大騒ぎしている中、お仙はこの工事を中止させようとしますが、逆に堀の中に投げ込まれます。しかしこの時、実にタイミングよく五右衛門一行が登場してひと暴れします。彼の秀吉への反発が窺えるワンシーンでもありましたが、結果的に堀は埋められてしまい、それゆえ何か空しさをも感じさせるものでした。黄金の茶室の件もそうでしたが、この秀吉への反発と報われなさを、その後も彼は引きずって行くことになります。

そして放火の件、やはりこれは、三成が堀の埋め立てを正当化するためのものとして利用されたようです。宗薫は実に面白くなさそうな顔をしています。ちなみに三成を演じた近藤正臣さんと、宗薫を演じた林隆三さんは、『国盗り物語』でも共演していましたね。

そして例の助左衛門と小西行長のやり取り。既に面従腹背を決め、ロザリオを表向きは外すことにした行長にしてみれば、武士でもないお主がと思ったのみならず、キリシタンでもないお前がなぜそのようなことを言うと、かなり不満にも感じたことでしょう。実際この時の助左衛門は、行長やキリシタンのためを思ってというよりは、自分の交易に支障が出ることへの懸念の方が強かったように思われ、だからこその秀吉への反発と思われます。また秀吉は、布教による植民地支配の影を感じ取ってもいたのも事実でしょう。ところでこの大河では、行長の母のマグダレナは出てこないようですね。

この『黄金の日日』、商人が主人公であるという点で、今年の『青天を衝け』と似たものがありますが、この時代はまだ武士が事実上の権力者であり、商人は必ず武士との関係を持つ必要がありました。その意味で、秀吉を恐れるなというのは、行長のやり方をいわば否定しかねない言葉でもあり、また助左衛門に取っても、最大の顧客を失いかねないセリフでもあったと思われます。また恐れることは尊敬することとも言っていますが、これはどうでしょうか。「恐れ」と「畏れ」が意図的に混同されてやしないでしょうか。

また助左衛門は行長に、堺衆の意地(というかプライド)を持つように言います。確かに助左衛門とか美緒、さらには千利休などは未だに堺の人物であるといえるでしょうが、行長は既に豊臣家の家臣です。寧ろ豊臣家に仕える道を選んで生きているだけに、堺衆といわれても、今はその立場にない、寧ろ彼らを敵に回さざるをえない立場であるというのが本当のところでしょう。これもまた、なぜ行長に言わせなかったのかと思うほどです。

ところで伴天連、パーデレ(パードレ)ですが、メジャーリーグにサンディエゴ・パドレスというチームがあります。かのダルビッシュ有選手がプレイしているチームですが、ここのマスコットが”swinging friar”で、直訳すれば「調子のいい修道士」となります。流石「パードレたちのチーム」ではあります。

飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2021/12/09 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

プレイバック大河ドラマ

さてもう11月です。『どうする家康』のキャストがそろそろ発表のはず、なのですが、NHKのサイトを見る限りまだ予告らしきものはなく、SNSアカウントもまだのようです。そうこうするうちに、2024年の大河の制作がもう発表されるのではないでしょうか。

ところで『青天を衝け』完結編のガイドブックで、プレイバック大河ドラマと題して『花神』が紹介されています。少し前に、この『花神』を唯一の長州大河である、『花燃ゆ』は長州大河とは呼べないところがあると書いていますが、元々戦国に比べて作品数が少ない幕末大河の中でも、長州大河というのは、薩摩や土佐のそれと比べて少ないなと思います。ちなみにこの時は長州ベースでありながら、長岡藩家老である河井継之助が出てきたりして、長州が中心ではあったものの、幕末維新の群像劇となっており、これは大野靖子氏の脚本の特徴といえます。

この『花神』を含め、司馬氏の作品は過去6回大河化されています。順を追ってリストアップして行くと
竜馬がゆく(1968)
国盗り物語(1973)
花神(1977)
翔ぶが如く(1990)
徳川慶喜(1998)
功名が辻(2006)
となります。
こうして見ると幕末物と戦国物が、半々であることがわかります。正に王道といえるでしょう。無論司馬氏の主張が必ずしも正しいわけではなく、小説ゆえにアレンジもされていたとは思いますが、ただ作品を読む人が多いため、それだけ大河化もしやすかったのでしょう。

このプレイバックは、昨年の『麒麟がくる』から始まっています。とはいえこれも途中から観なくなっており、後編も完結編も買わなかったため、辛うじて前編で『国盗り物語』が紹介されていたことのみ知っています。元々私は『真田丸』以来ニッコームック派で、完走できそうな大河の場合のみ、NHKの完結編を購入しています-ただし『いだてん』はオリンピック関係の著作権の問題もあり、NHK出版の物を購入しましたが、これも前編のみでしたね。それにしても『青天を衝け』、ニッコームックは結局後編を出しませんでした。

プレイバックなるものを載せる目的の一つとして、当該作品と似たような時代背景、あるいは似たような主人公の作品を紹介するという狙いがあるのでしょうが、どうも
「大河はこれだけ続いて来たんだぞ」
とドヤ顔をされているようでもあり、ここまでやるべきなのかとも思います。見方を変えれば、如何に今まで同じような作品を、受信料で何度も作って来たかということでもあるのですが。


飲み物-ビールと夜景






[ 2021/11/05 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』に対する疑問点

先日「アンコール放送されている『黄金の日日』も、面白い部分とそうでない部分がある」と書いています。要は昔の、脚本がよかったと言われる大河であっても、やはり面白いと感じられない部分もあるわけで、つまるところドラマとは、あるいはその他の番組でも、この繰り返しなのではないかと思います。
無論昔の方が面白かったと感じるのには、過去美化バイアス的なものも含まれるでしょう。尚、この面白い面白くないというのは、あくまでも私見であることをお断りしておきます。

『黄金の日日』の主人公助左(助左衛門)は、一般には呂宋との貿易によって富を築き、秀吉の保護下で商いをした人物として知られており、その後、秀吉の怒りを買って呂宋へ脱出したとも言われています。人物の詳細があまり知られていないため、かなり創作が入ったキャラとなっています。

このような設定であるため、主人公を色々動かせるのはメリットであると言えるでしょう。しかしその反面創作部分が多くなり、この時代にありえないようなことまで描かれてしまう嫌いもあります。本能寺の変後今井宗久の船が難破していますが、実際はこの人はその後10年程生きながらえており、これはあくまでも助左を今井から解放するための脚色でしょう。また美緒を呂宋に連れて行ったりするのも、ちょっとありえない話ではあります。
この辺りが2000年代以降の、とりわけ女性主人公の大河にどことなく通じるものがあります-無論、一部の女性主人公大河ほどひどくはありませんが。

あとオリキャラ(この場合は特に美緒、梢、桔梗と言った女性キャラ)の比重もまた大きくなっています。もちろんこれも、『麒麟がくる』のオリキャラほどには悪目立ちしてはいないのですが、創作とオリキャラの登場回数が多いということは、三英傑のような、歴史上の著名な人物もそれに合わせてアレンジされることになり、それがどこか奇妙に映ることもあります。

70年代ごろまでの大河は、創作である小説がベースとなっていたわけで、史実と全く同じである必要はなかったし、無論今でも必ずしもその必要はありません。ただし主人公が武士の場合、やはり武家社会の中で生きるがゆえの制約、他者とのしがらみなども描かれており、それが彼らの人生に於いての苦悩、迷いあるいは決断と結びついていて、それなりに1つの物語を紡ぎ出していたとは思います。
たとえば『国盗り物語』の明智光秀の行動などは、恐らく史実とは異なるものですが、そこまで違和感はありませんでした。また私が観たのは総集編であったため、その分話がテンポよく進むということも関係しているでしょう。

ただ助左の場合は商人であり、武士よりも自由度が高く、前出のように詳細がよくわからないという側面もあるため、ともすれば話の展開がうまく行き過ぎるきらいもあります。主人公である以上、いくらか補正が入るのはやむを得ないのですが、時と場合によっては飛躍しかねず、それが面白そうでいて、かえって面白味を削ぐ結果にもなり兼ねないかとも思われます。

飲み物-スコッチウイスキー
[ 2021/11/03 01:00 ] 大河ドラマ | TB(0) | CM(-)

『黄金の日日』「大坂築城」その他

『黄金の日日』、第30回「大坂築城」。

いよいよ石山本願寺の跡に大坂城が築かれることになります。信長の安土城よりも壮麗な城をというのが秀吉の目論見で、これからも秀吉は、信長を超える存在になりたがっているのではないか、そういった姿勢が窺えます。その秀吉は、やはり堺の商人である山上宗二や兼久からは疎まれており、兼久は徳川に賭けようとしていました。

そして助左は呂宋から戻り、美緒も今井家に足を踏み入れて、兼久と梢の遺児である小太郎を、自分で育てる決意をします。また、かつてあれだけの繁栄を誇った安土の城下は寂れ、高山右近はセミナリオを高槻へ移すことにします-ついでながらこのセミナリオのセット、『軍師官兵衛』のそれと似ているような気がしますが、同じものでしょうか。

そして秀吉は堺の商人たちを、大坂城下に呼び寄せることにしますが、彼らが動くということは、その金品を狙う盗賊もまた動くということでした。かつて助左の友人だった五右衛門は、今は盗賊の頭となり、商人たちを襲っては財宝をせしめていました。そのような中、助左は堺に自分の店を出すも客が来ず、美緒が初めての客としてそこを訪れ、助左を励まします。

その後天正11年の秋、助左は秀吉から呼び出されて大坂へ向かい、その列を五右衛門たちが見つけるものの、かつての仲間の列であることを認めた五右衛門は、流石に手を出すのをためらいます。

これらの出来事はフロイスによってしたためられ、『日本史』となります。この点『信長 KING OF ZIPANGU』とちょっと似ています。

大坂城の普請にどれだけ金が必要かが描かれる一方で、どうも肝心の助左の方は、あまりぱっとしないようです。それから今井兼久、秀吉に仕えたともされていますが、徳川への肩入れはこの頃から始まっていたのでしょうか。『独眼竜政宗』にも登場していましたが、この時は明らかに徳川寄りの人物として描かれていました。しかし美緒がやけに助左を援護しているようですが、昔の大河の時代とされる70年代も、やはりオリキャラの力を借りてはいますね。

ちなみに70年代の大河で一番好きな作品と言えば、
国盗り物語
花神
この2作品です。両方とも司馬遼太郎原作、大野靖子脚本ですが、大野氏の群像劇仕立てがかなり功を奏していたと思います。どちらも総集編しかないのがもどかしいにはもどかしいです。『花神』なんて、唯一の幕末長州を舞台とした作品でしょう。『花燃ゆ』は、あれは長州大河とは呼べない部分がありますので。

飲み物-ショートカクテル

[ 2021/10/25 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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