さらに光秀に下された命令は、
「堂塔伽藍を焼き、人という人は生ける者を無からしめよ」
というものでした。これには光秀は大いに驚きます。古来日本では王法は天子に仏法は叡山にと言われていました。しかも精神世界の支配者のみならず、天子や貴族たちとも深い関わりがありるこの場に火を放ち、僧を殺すとはどういうことであろうと光秀は思い、信長を諫止しようとします。光秀のような人物から見れば、信長の所行は野蛮人に等しいものでした。
信長は隊列を外れ、児小姓に日傘をさしかけさせて餅を食べていましたが、その生々しさは、光秀の目には蛮人と映りました。光秀は目の前に膝をついた光秀を見て、眉をしかめます。信長にしてみれば、既に光秀が何を言いたいかは察しがついており、わかりきったことをくどくどと言う光秀の癖は、信長には堪えがたいものでした。案の定光秀は、叡山の歴史について語り始めますが、信長は呆れたようにこう言い放ちます。
「十兵衛、汝は坊主か」
さらに信長は、悪人に加担する気かとも言います。
この悪人とは、叡山の僧たちのことでした。現実の僧たちは槍や刀を携え、魚や鳥を食するうえに女を寄せ付け、学問も本尊を拝むこともせず、破壊三昧の暮らしをしていることは、京でもよく知られていました。しかも女と同居している僧もいると言われ、
「そういう奴らが国家を鎮護し、玉体を冥護し、かつは天子の玉体のご無事を祈祷したところで験のあるはずがないわ」
と信長は断言します。光秀は法師どもはともかく、叡山の三千の仏には罪はないと言うものの、信長はにべもなくこう答えます。
「左様な無頼の坊主どもを眼前に観ていながら仏罰も当てずに七百年このかた過ごしてきたというのは、仏どもの怠慢ではないか」
その仏どもに大鉄槌をくだすと譲らない信長に光秀は、仏の代弁者のように説得を試みます。信長はそんな光秀に、本当に仏を信じているのか、あれは金属(かね)と木で作ったものであると言い、他人の尊ぶものを尊ぶべきであるということであると力説する光秀の言葉に、耳を貸そうともしません。どころか
「木は木、かねはかねじゃ。木や金属でつくったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一等の悪人よ。つふぎにその仏をかつぎまわって世々の天子以下をだましつづけてきたやつらが第二等の悪人じゃ」
光秀はさらに、古き世より伝わりきたりしものであると言いますが、信長にしてみれば、その「古きばけものども」を叩き壊しすり潰して、新しい世を作ることこそが使命でもありました。信長は続けます。
「そのためには仏も死ね」
ならばと光秀は、それでは評判が悪くなるとして、悪僧たちを追い払うのみで片付けると進言しますが、信長にしてみれば、これ以上光秀との会話を続けるのはひどく煩わしいものでもあり、光秀の頭のてっぺんを掴んで振り回します。
「百年、汝と話していても決着はつくまい」
信長がやりきれなく思うのは、光秀自身は俗世間の人間であるにもかかわらず、学のあることを誇り、もったいぶった態度で、自分を説得したがる点でした、
「阿呆っ」
信長は、光秀を力任せに転がし、光秀は髷の元結まで泥まみれになります。
しかし、信長を長々と説得しようとした光秀よりは、この場合、信長の方が遥かに高邁な志を持っていたのもまた事実でした。信長は多くの言葉を語ることはあまりなく、そのため雄弁とはほど遠い存在でしたが、彼がもし言葉を操ることに長けていたならば、恐らく日本史上最初の無神論を光秀に展開し、光秀の中世的な教養主義を嘲笑することもできたはずでした。また、中世的な魑魅魍魎を退治し、自らが掲げる世を実現するための革命思想をも、光秀に対して説くことも可能であり、実際そうするべきだったでしょう。
いよいよ叡山の焼き打ちですが、その前に信長と光秀の意見に齟齬が生じます。光秀にしてみれば、叡山を焼くことなど思いもよらぬことでしたが、信長はそうでもしない限り、自分が望む世は作れないと考えていました。実際、当時の叡山の風紀は荒れ果てていたのも事実と言えました。光秀はこのような荒療治でなく、穏やかにことを済ませたいと信長に申し出るものの、信長がそれを聞き入れるはずもなく、また信長は言葉で自らの意志を表現するのが不得手でもあり、光秀の頭を掴んで泥の上に転がしてしまいます。
この『国盗り物語』に於いては、これが光秀が信長に敵意を持つ、その一因ともなったともいえます。創作と思われる部分も多々ありますし、また今の考証では不自然に感じられもしますが、信長と光秀という2人の人物の、それぞれの違いを描くのであれば、こういう方法もまたありでしょう。『麒麟がくる』で、本能寺から逆算しないという描き方に私は疑問を持ちましたが、光秀の人生のクライマックスが本能寺である以上、どこかに本能寺の伏線を張らねばならず、その意味では信長との反りの合わなさ、矛盾といったものを、比較的早い内から示しておくのも1つの方法であると思えたからです。
延暦寺に浅井・朝倉を追い出すように交渉して断られた信長ですが、元々日本では伝統的にこの勢力を恐れており、無論光秀も信長の態度を疑問視していました。しかし信長は尚もその場に居座り続け、やがて11月に入って、山頂を雪が覆い始めます。積雪は交通に支障をきたすのですが、信長だけはこの雪を喜び、あたかもこの日を待っていたが如くでした。それもそのはずで、この雪こそが信長自身を解放してくれる唯一の手段だったからです。信長は光秀を呼び、京へ行くよう命じてからこう言います。
「そちのもっともらしい面が、役に立つ時がきた」
信長はこの「もっともらしい面」をかなり嫌っており、逆に酔狂な人物を好んでいました。この人物は豪傑で、ある日他の大名家からの使者が、もっともらしく座っているのを見て、いきなりその使者の目前で自分の睾丸を放り出し、ぴしゃりぴしゃりと叩いてみせるという、他の家中であれば切腹は免れないようなことをやってのけます。しかし信長はそれを面白がり、また初めて京の治安維持のために上洛した時は、若い頃のように草鞋や袋をぶら下げて騎乗していました。つまりこれは、悪さをしようものならすぐさま行ってひっとらえるという意味であり、そのような人物が「もっともらしい」人物を好むわけもありませんでした。
光秀は考えます。しかし信長は常にすばやい反応を好むため、ゆっくり考えている時間はありません。まず
「京へ行けとは将軍義昭に拝謁しろということ」
であると悟り、次いで
「朝倉の本国の越前は既に雪であり、補給路も雪が積もっていて朝倉の兵は困っている」
と考え、そして
「だから自分の『もっともらしい』面を差し出して和睦をさせる」
と結論を出します。
光秀は京の室町館へ急行すると述べ、信長は満足します。吹雪を衝いて京へ向かいます。義昭は近江も雪景色であろうと言いますが、内心雪中で信長が難渋しているのを、喜んでいるようにも見えました。しかし光秀は、
「上様ごひいきの朝倉も浅井も、もはや近江の雪の中で自滅いたしまする」
と言い、さらに兵糧の補給が続かないため、和睦を申し出ます。信長にも将軍の威権を示すことになるとも言ったため義昭は乗り気になり、やがて12月13日に和睦が成立します。信長が岐阜へ戻ったのは18日でしたが、この天候を戦略化することにより、危機を脱したと言うべきでしょう。
翌元亀2(1571)年8月、信長は再び軍勢を率いて近江へ向かいます。この間本願寺一揆の討伐に失敗したり、秀吉が責任を持つ対浅井氏の持久戦を、岐阜にいながらにして指揮したり、また、松永久秀に背かれたりもしましたが、信長は特に動じた様子もありませんでした。しかもこの時、武田信玄が西上を始めており、その方面の抑えは徳川家康に任せて、自分は近江で小城を取り、小部隊や一揆などを相手にして、9月の12日には出立しました。これによって、将校も兵も皆、岐阜へ帰るのだと考えたのですが、ことは意外な方向へ進みます。
行軍が開始された途端、信長の本陣からの母衣武者がやって来て、光秀に坂本へ行って、日枝神社に行くように伝えます。光秀は、敵は何者であると尋ねますが、母衣武者は追って沙汰すと仰せられたとのみ言います。その後、行軍中の光秀軍に、再び母衣武者が駆け寄り、
「敵は叡山である」
と伝えます。確かに光秀は坂本を包囲することになっており、諸将のそれぞれの部署をつなぎ合わせれば、叡山包囲網ができるのは事実でした。
浅井・朝倉相手に手をこまねいていた信長ですが、やがて冬が訪れ、雪が降るようになって大喜びです。これで越前を本拠地とする朝倉の軍は、補給路を断たれてしまい、このままでは浅井共々自滅しかねず、信長は光秀を使って将軍義昭に、和睦を仲介してくれるように申し出ます。これで義昭の面子も立ち、信長も危険な状態をひとまず脱することができました。その後信長はあちこちで戦をし、何よりも手ごわい武田信玄は家康に任せ、翌年8月には近江で掃討戦というべき戦をして、その後岐阜に帰るかに見えたのですが、信長の真意は叡山焼き討ちにありました。
岐阜に戻るのではなく、坂本で日枝大社を包囲するように言われた光秀ですが、その後敵は叡山と言われて驚きます。そもそも信長の交渉の時点で、叡山には刃向かうべきでないと光秀は考えていました。実際信長は諸将を琵琶湖周辺に置き、叡山を包囲するつもりでいたのです。しかし
「敵は叡山」
と聞いて光秀は驚くのですが、その彼自身が11年後には、「敵は本能寺」と指揮下の兵に告げるのですね。
Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、BSで再放送中の『太平記』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも再来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。
他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出しました。これを機に、今後さらに上を目指してほしいものです。そのためにも、国内のラグビーの変化に期待したいと思います。