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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

このページでは例によってと言うべきか、『大奥』と『麒麟がくる』を叩き棒にしまくっています。ワンパターンだなと思うと同時に、叩き棒にされているドラマに失礼だと思いますけどね…武者さんがこれらの作品を本当に好きなのか、疑ってしまう所以です。

千姫がわざとらしく走ってきて、江が追いかけてくる。
いったい乳母はどうしたんですか。こんな大事な存在を放置して、一体なんなんでしょうか。

まず「わざとらしく」走って来るも何も、あの年頃の女の子としては普通に走っていると思いますが。逆に「わざとらしくない」走り方とは、具体的にどういう走り方なのかと思います。この「わざとらしい」も、嫌いな作品を叩くうえで武者さんはよく使いますね。

そしてこういうところまで乳母が来るでしょうか。千姫は、身内である「おじじ様」の所へ行こうとしているのです。たとえばどこか危険な所へ行こうとしているのであれば、監視役としての乳母は必要でしょうが。

家族関係の描き方がせいぜい昭和なんですよね。
乳幼児死亡率や危険性もふまえていない。本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう。
高齢者への敬意もないし、精神状態が中高生程度で止まった妄想ばかりにも思えてきます。

これもちょっと意味不明ですが、まず
「本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう」
こう書くからには、武者さんは育児経験がおありなのでしょうか。ならば、自身の育児経験と照らし合わせて、何がどのように違うのかを説明してほしいです。

そして乳幼児死亡率だの危険性だの書かれていますが、1つ前に書いているように、千姫は特に危険な所へ行こうとしているのではないし、また重篤な病気に罹っているわけでもありません。

それから高齢者への敬意ですが、これは先日分の於大に関してでしょう。あの時家康は、お前にはつらいことも言ったと後悔する於大に、体を労わるようにと薬湯を煎じて飲ませています。一体、どこが「敬意がない」のでしょうか。

何よりもここで唐突に
「家族関係の描き方がせいぜい昭和」
「精神状態が中高生程度で止まった妄想」
などと出て来ます。
「せいぜい昭和」とは、昭和の頃の大河で子供や高齢者を虐待する作品でもあったのでしょうか。ならばどの作品か教えてほしいものです。
あと「精神状態が中高生程度」、さっぱり意味がわかりません。叩こうとしてあれもこれも詰め込んだ結果、よくわけがわからない文章になっていませんか。

千姫があそこまで怯えているのは、嫁ぎ先が嫌だからのようです。しかも、江が子どもの前でペラペラと語っていたようなんですね。
秀頼の母である茶々は、江の姉です。まだ幼い江を庇ったことだってあった、そんな大事な姉です。
その姉の悪口を我が子に吹き込むって、性格が歪んでいませんか?

ここで千姫の言葉をもう一度。
「母上がいつも茶々お姉様は怖い怖いと、何を考えているかわからぬと」

恐らくは、子供の頃から気が強い姉の茶々を見て育ったこと、そして今も豊臣家の女あるじとして振舞っていることを考えれば、彼女に取っては及ばない相手でもあり、そのため恐ろしい人であることよ程度は言ったかも知れないでしょう。それを耳にした千姫が、話を膨らませて解釈した可能性はあります。

そしてお江は、初(後の常高院)が同行してくれることもちゃんと話していますね。ただ千姫はおじじ様の側にいたいようです。

思えばこのドラマはそんな家族ばかりでした。市も娘の前で「本当は家康さんが好きだったの」とかペラペラ喋っていた設定でしたもんね。
歴史人物への敬意が全く感じられないのです。

「本当は家康さんが好きだったの」
なんて言っていませんけどね。
第30回で母上はよう昔話をしてくださいましたと茶々が言い、その昔話の内容とは、胴をつけて泳ぐ稽古をしていて、溺れた自分を竹千代が助けてくれたことだったわけです。

「歴史人物への敬意が全く感じられないのです」
ブーメランですか?

思えばあのマザーセナからして両親が死んだ後もケロッとしていましたし、そのマザーセナのことすら家康は忘却の彼方。
あれだけベタベタといちゃついておきながら、仏壇の前で手を合わせる場面すらありません。
打掛で走ってくる江の所作にしても、『大奥』と比較するとあまりに厳しい。
茶々の打掛の翻し方も、全く美しくないんですよね。輝元をひっぱたくし、メイクはギトギトだし、これのどこが貴婦人なのでしょう。

また「マザーセナ」ですか。
そしてこれ、忘却の彼方ではないのですね。於大とのシーンの中で、この瀬名のことを示唆するようなセリフがありますし。
それから仏壇と言いますが、全国的に仏壇が普及したのは江戸時代ですよ。これは檀家制度とも関係がありますが。寧ろ貴方が何かにつけて揶揄する、石川数正の押し花と正信念仏偈に、瀬名への思いが込められていたとは言えます。

また茶々は身分が高いからこそ、輝元を打ち据えることができたのですが。
そして所作が『大奥』と比べてひどいと言うのなら、画像を貼るなりして比較できるようにしてください。

秀頼と千姫の婚礼描写も、『大奥』の家定・胤篤と比べたら、ただの手抜きにしか見えません。
時代劇ファンの皆様は『100カメ 大奥』もご覧になられたかもしれませんが、「神は細部に宿る」とはまさにこのことで、本作と比較して驚くばかりだったでしょう。

「秀頼と千姫の婚礼描写」
そんなシーンありましたか?
慶長9(1604)年に秀頼の背丈を測った時、既に千姫と結婚していたというシーンならありますが。
要は、千姫が大坂に行くのを嫌がるも家康に窘められる→秀頼と結婚して背丈を測る場に立ち会う→秀忠が千姫のことを真っ先に家康に尋ねて叱られる。
こういう流れでしょう。

それと私100カメ観ていないから何とも言えません。

『大奥』にできて『どうする家康』にできない、そんな言い訳は通用しないはずです。

元々描かれる時代も人々も違うから、一概に比較はできないと思うのですけどね。

家康って、他社への親切な接し方が女性相手だといつも同じ。
キザでスカしたイケメンプリンスしかありません。
年上の母親相手だと「ババアかw」となるし、茶々は悪役なので「このバカ女がw」と感じさせます。
年下かつ好感度を見せなければいけないとなると、「俺に惚れんなよ」スイッチが入る。

「他社」は他者のことだと思いますが、完全に武者さんの主観でしかありません。
要はこれも、家康はこのように見られてほしいという、武者さん自身の「願望」なのでしょう。

しかし、千姫相手にそのスイッチを入れてしまうと、とてつもなく恐ろしいことになります。
この二人の場面は、祖父と孫娘には見えない。不気味な下心のあるおじさんと少女に見えてしまいました。
怖すぎます。

どこをどう見たらそのように見えるのか、皆目不明です。
私の場合、家康が千姫に取ってちょっと甘いおじいさんであること、千姫もこのおじじ様を頼っていたいということはわかりますが。

関ヶ原本戦の描写は、どう逆立ちしたって本線がBBC『ウォリアーズ』の圧勝であることは予想通りでした。
まぁ覆せるわけもないし、そこは最初から諦めていました。
しかし、親子の情愛の描き方まで完全敗北とはどうしたことでしょうか。
『ウォリアーズ』では、秀忠遅参のあと、家康は我が子・信康の死を思い出し、秀忠を助命する決意を固めます。そこには揺るぎない親子愛がありました。

この『ウォリアーズ』もここのところかなり紹介されていますが、何か紹介しなければならない理由でもあるのでしょうか。それにこのコラムで内容をきちんと説明するわけでもなく、どのような方法で見られるかも明記されていません。
第一武者さんが一方的に圧勝だ親子愛だと言っても、こちらは全然観ていないのですけど。

あとこの作品、別に関ケ原だけを採り上げているのではないのですけどね。

一方でこちらはどうか。
秀忠をネチネチネチネチ責める家康は、圧倒的なパワハラ感があって胸が苦しくなりました。
老母にも冷たい。息子には横暴。孫には気持ち悪い。
一体この家康は何を表現したいのか。彼が日本の近世を構築するなんて、冗談でも止めて欲しい。

「秀忠をネチネチネチネチ責める」
言っては何ですが、私にしてみれば武者さんこそが、オンエアされてもいないシーンを持ち出したり、好きな作品を叩き棒にしたりして、この大河を
「ネチネチネチネチ責めて」いるようにしか見えません。
老母にはちゃんと薬湯を煎じていますし、孫は可愛いのでしょうね。
そういう家康なら、日本の近世を構築しても納得が行きます。

家康メインの水色羽織はなんなんですかね。
年齢を踏まえて欲しい。
しかも配色センスが濁っていて、東洋の伝統色とは異なり、とにかくセンスが感じられない。

武者さん、以前日本の伝統色と書いていましたが、東洋の伝統色にシフトしていますね。
そして水色の羽織ですが、あれは藍の薄いやつで、れっきとした伝統色のはずです。
そして年齢を踏まえてほしいとありますが、『葵 徳川三代』の家康は、晩年でも白を着ていますし、

葵徳川三代家康
(『葵 徳川三代』より)

年齢を重ねたから、薄い色を着ていけないという決まりはないでしょう。
まして家康公のような人の場合、着衣が残っているから、それを参考にして作ることもあります。

人物デザインの創作現場から vol.10 ~ 辻ヶ花への道 ~
(『どうする家康』公式サイト)

ただ武者さん、公式サイトを見ているようには見えないのですね。

そして『大奥』の場合、

美を作り上げるためにここまで気を使うのか。
見ているだけでうっとりしてしまうような凝り方で、カメラで映るとどうなるか、きっちり妥協のない現場の様子が映し出されていました。
ただただ圧倒される。

『大奥』を見ていると、幕末の錦絵が動き出したのではないかと思えます。
原作はモノクロが基本ですので、色彩感覚はドラマで作り上げていくしかない。そうする過程で、当時の色彩感覚や美意識を再現しようとしていることが伝わってきました。

まあこの人の場合要は表裏一体で、好きなものにはこれでもかと賛辞を送る一方で、嫌いなものには、その反動としてあることないことつき交ぜて叩きまくるわけですね。
無論『どうする家康』もまた、当時の色彩感覚や美意識が再現されているわけですが、武者さんにはそれが見えていないのだろうと思われます。

その美術部トップは『麒麟がくる』と同じ大原拓さんとのこと。
◆「麒麟がくる」チーフ監督が語る“カラフル大河”の裏側 衣装はサッカー代表も参考に 光秀はフランス?(→link)
納得です。あの作品は衣装に五行説を取り入れていて、とにかく画面そのものが美しかった。

その大原拓氏、美術部トップというかチーフディレクターでしょうか。
そして五行説(五行思想)なら、『どうする家康』衣装デザインの柘植氏がこれに言及しています。武者さんが好きな作品だけではないということです。

古代中国で生まれた自然哲学の思想で、万物を形づくっているのは5種類の元素「木・火・土・金・水」だという考え方だそうです。それぞれに「青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)」の5色が当てられているんですね。五色幕など日本文化にも影響の片りんがあります。今回は、特に五行思想にのっとって色彩構成をしているわけではありませんが、家康と彼を取り囲む戦国大名たちに対して、カラーチャートを作って色を振り分けて分類しようとすると、自然とその5色が意識されているかのように見えるので不思議です。

人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~
(『どうする家康』公式サイト)

「衣装が色鮮やかすぎる」とクレームが入りましたが、再現性へのこだわりが理解されないか、ピーキー過ぎたのでしょう。
センスが尖り過ぎていただけで、序盤に修正するとすぐに批判は止んでいます。

実際放送開始から1か月ほど経っても、「今回の大河ドラマの衣装は、昭和に登場した化学染料の色」というコメントもありましたし、10月頃まではあれはおかしいという指摘もありましたね。そして身分が高い人ならまだしも、庶民レベルであの色遣いはちょっと抵抗がありました。

そして武者さん、「ピーキー」て、他人のこと言えないと思いますよ。
これ「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」意味ですよね?

そして美しさはますます磨きがかかってゆきました。
役者の美貌だけではなく、それをさらに輝かせる工夫が随所にあり、あの美は、大原さんがいてこそなのかと納得。
眼福とは、まさに彼の作り上げた映像を見ているときのためにある言葉でしょう。

ちなみに大原氏は、武者さんが嫌いな『軍師官兵衛』でもディレクターを務めていますが、もちろん『軍師官兵衛』の映像も、貴方に取っては眼福なのですね?
岡田准一さんの素襖姿を置いておきます。

軍師官兵衛素襖
(『軍師官兵衛』より)

『どうする家康』の衣装や美術とは、比べることすら失礼かもしれません。本作の合戦シーンでは「兜に照明が入り込んでそのまま流す」なんてことがまかり通っていて、美醜以前の問題と思えます。

「兜に照明が入り込んでいる」の裏付けをお願いします。

衣装のことについて私が意見を申し上げていると、こんな反論も見られました。
「武者は『どうする家康』の衣装を貶すが、『麒麟がくる』だって批判されていたのに、そうしなかった! ダブルスタンダードだ!」
ダブルスタンダードも何も、その発想すら思い浮かびませんでした。
『麒麟がくる』は癖が強いだけで、ずっと美しいと私は感動していました。それが伝わらなかったようで残念です。

「その発想すら思い浮かびませんでした」
自分を守るための否定という心理関係の言葉を、ちょっと思い出しました。
そして
「癖が強いだけ」
先ほども「センスが尖り過ぎていた」とありましたが、そういう部分に抵抗を覚える人もいるでしょう。

そして好きな作品はほめにほめまくるのに、ここからまた『どうする家康』叩き。
つまるところこのコラムの場合、ほめるのも叩くのも、何かおおげさなのですね。

美術へのこだわりが全く感じられない本作。
大坂城でパリピしている場面が入りました。
成長期の秀頼すら同じ、茶々も同じ着物です。『大奥』の貧乏公家より粗末な暮らしでは?

茶々は金と黒がメインの打掛が多いのですが、その時々で違う柄のを羽織っています。そして秀頼が着ている、緑の絹の亀甲文様が入った水干は、幼い頃のとは違いますね。

宴だと言いますが、酒を飲むだけで食卓も映りません。作る手間すら惜しんだのか、あるいはスケジュールが厳しくてスタッフが対応しきれなかったか。

嫌いな作品だと悪い方向に取りたがりますね。
あれは年始の挨拶に訪れた大名たちが、余興として飲みくらべをやっているわけでしょう。そもそもこの当時「食卓」はなくて「膳」ではないかと思いますが。

でこの時に勝った福島正則が褒美を受け取っているわけですが、このシーン、正則が豊臣家にも忠誠を誓っていたことを裏付けてもいます。そして何よりもこれは、かつて茶々が正月に「(家康がいる)西の丸が賑やか」と言ったこと、あれを踏まえているかと思われます。

「打倒家康!」
そんな『戦国BASARA』シリーズじみた掛け声をあげながら、九度山で特訓する真田信繁(真田幸村)って何を考えているのでしょうか。
あれほどまでに家康へ敵意を燃やして叫んでしまったら、周囲にバレバレ。
さっさと真田信之に対して「弟は何を考えてるの? 軍事訓練しているって報告が上がってきているけど」と問い合わせればよいだけの話ですよね。

あの、如何にも武田家式の鍛錬方法ですね。
ただし、あれが家康の想像の範囲内なのか、実際にそうなのかはこの時点では定かではありません。

そして信之に問い合わせるより、こういう流人の目付け役のような人物はいるでしょうから、そちらに訊いた方が早いのではないでしょうか。

真田信之と本多忠勝の必死の助命嘆願を平気で足蹴りにしてしまう信繁。
本作の作り手は『真田丸』すら無視するようで、見ているだけで脳みそが溶けそうです。

まず、こちらでは助命嘆願のシーンはありません。
そして、『真田丸』と必ずしも同じ描き方をしなければならないものでもありません。
自分が好きな作品を叩き棒にするのはもうやめませんか。

さらにまた「脳みそが溶けそう」
この間は脳みそが削られるでした、色々と大変なことで。


飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/11/24 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
しかし武者さん、この大河の関ケ原の面白さは、何だと思っているのでしょう。馬がロケで走り抜けるのみならず、事前の調略シーンなども当然含まれるはずなのですが。


過去の大河作品で主演を務めてきた俳優を集めた本作。
その一人である於大ですが、結局、この方も最初から最後までどうしようもなかった。
家康にせよ、その母にせよ、まるで加齢が感じられません。
現代の高校生とその母親みたいな雰囲気ですよね。

また「どうしようもない」。
何がどうしようもないかと言うと、加齢が感じられないからだそうです。松島奈々子さん演じる於大は出家していますし、それだけでも雰囲気がかなり変わっている上に、年齢を感じさせる雰囲気になっていますけどね。家康に至っては、何をかいわんやです。
しかしそこまで年齢を重ねたように見えないのなら、武者さんが老けメイク担当してはどうかと言いたくもなります。

そしてこの対面の場面で、背後にある天守閣は何があったんでしょうか?
圧倒的なハリボテ感で気が遠くなりそう。コンクリートで作られた模擬天守のような印象すらありました。

気が遠くなりそうでなく遠くなった方が、これを観ずに済むのではありませんか、
別に天守閣には何も起こっていないと思いますが。

家康と二人きりになった於大は、若い口調で息子への反省の弁を語っていました。
他にもっと言うことがないのでしょうか?
「おかん論破してやったw コレスケベな本じゃねえしwww 保健体育の教科書だしwww」
そう浮かれている中高生みたいなメンタリティでしょう。

まず言っていることがよくわかりません。
論破するシーンなんてありましたか?於大と2人きりになったシーンでは、まず於大が都に招いてくれてありがとうと礼を述べ、何も思い残すことはないと言います。そんな於大に家康は薬湯を勧めます。そして於大は、今まで国のためにすべてを捨てよと言って来たが、それが正しかったかどうかと反省したうえで、もう捨てるでない、そなたの大事なものを大切にしなされと言っているわけです。

なのに
「おかん論破してやったw コレスケベな本じゃねえしwww 保健体育の教科書だしwww」
て何ですか?武者さんの妄想にしか見えませんが。

その後
「死ぬ間際の母親に対してこんな塩対応するなんて、家康から人の心が感じられない」
この時於大は自分が先が短いとも何も言っていませんが…。

なぜ、ウィリアム・アダムスは洋服のままで出てくるのでしょう?
織田信長と弥助。
徳川家康とウィリアム・アダムス。
この両者を比較すると、家康の方がより画期的な態度といえます。
三浦按針という和名を名乗らせ、日本人の妻をもたせ、所領や屋敷を与えた。衣食住を同じものとすることで、受け入れることを示したのです。
そういう気遣いを台無しにする洋服姿。

まだこの時は三浦按針を名乗っておらず、従って和服も着ていない設定になっていると思われます。
弥助の場合は最初から信長の家臣として扱われたのですから、和服を着ていてもおかしくはないでしょう。但し『軍師官兵衛』で、最初に連れて来られた時は、まだヨーロッパの衣服だったかと思います。

要するに、ここはドラマ10『大奥』でも話題になった村雨辰剛さんを出したかっただけなのでしょう。
「八重洲」の由来となったヤン・ヨーステンは出てきません。

「ドラマ10『大奥』でも話題になった村雨辰剛さんを出したかっただけなのでしょう」
その裏付けは何ですか?根拠もなしに、自分の憶測ばかり書いていませんか。
そしてヤン・ヨ―ステンですが、ここでは船大工であるアダムスの方を重視していると思われます。また例によって、描かれてない人や物ばかり突っついているようですね。
あと来週は和服姿のアダムスが登場します。

それと村雨さん、昨年の『釣り人万歳』に出ていたのを思い出しました。

外国人枠にするならば、彼でも良かったのでは? なんてことを本作で考えてはいけません。
そもそも深く考えていないのが本作の特徴。なにせ、歴史に興味がなかった脚本家が最低限のことしか学ばないと公言していますから。

「歴史に興味がなかった脚本家が最低限のことしか学ばない」
それの出どころは何ですか?出典もなしにあれこれ言わない方がいいと思いますが。
そして古沢さんはこう言っています。
「僕はそもそも今残っている歴史はフィクションだと思っているところがあります。いま残っている歴史は、勝者が都合のいいように語り継いだものですから、どう解釈しても自由だと思っているんです」

本多正純が出てきました。
「イカサマ師の息子」呼ばわりを公式がしていますが、ただの侮辱にしか思えません。
家康の側近であれだけ知恵を出している設定なのに、未だに「イカサマ師」と正面きって息子に言いますかね。
冗談にせよ言われた方はどう思う?

武者さん、ちょっと前で
「将軍になる根拠として、なぜ『吾妻鏡』でも出さないのか? セットで進言すれば、この正信からだって多少は知性が見えたでしょう」
と書いておきながら、今度は
「家康の側近であれだけ知恵を出している設定」
と書いていますが、結局どちらが本当なのでしょうか。

それに正純ですが、
「父のような不埒な生き方を許さぬ」
などと言っていることから、父親がイカサマ師、一筋縄で行かない人物であることは息子としても知っていたでしょう。

ウケ狙いの言葉でスベるのも駄作の特徴と言えるでしょう。
井伊直政の「おいら」だって全く似合っていなかった。
そもそも戦国時代の一人称ではなく、江戸期以降に「俺」が訛って使われた東国の主語です。
考証を踏まえれば無茶苦茶ですが、それ以前の問題でもある。
「おいら」だの、「いかさま師」だの、そんな語彙がイケてる!と思っている時点で、センスがない。

「おいら」が似合っていたかいなかったかはともかく、あれは「おら」が訛ったものという説もあり、この「おら」は全国的に使われています。

己/おらの語源・由来
(語源由来辞典)

あと
「そんな語彙がイケてる」
これも誰かがそう言ったのですか?憶測でものを言わないで欲しいのですけど。これ、報酬を貰って書いているコラムですよね?

語彙力が低い=脳筋なら、このドラマそのものがそうなりますね。
過去に自分で「腹を召す」と使っていただけでなく、今週も「申されませ」と家臣が主人に使っていました。
誤った敬語の使い方は、現代社会でならまだ許容されるのかもしれませんが、大河ドラマで何度も起きて欲しくはなかったなぁ。

語彙力が低いだ脳筋だ、武者さんがこの大河にそうあってほしいという願望が込められているのでしょうね(苦笑)。
そしてこんな記事まで貼り付けてあります。
◆どうする家康:“脳筋キャラ”の限界露呈? 福島正則の「語彙力」に視聴者注目 最終的に「内府殿と共に!」繰り返す(→link)

しかしこの記事、最後に
「 『アイコンタクトが露骨だし、福島殿は語彙力がなさすぎるけど、人を扇動するのはノリと勢いなのよね』といった感想も書き込まれた」
とあり、さもありなんとは思います。

ところでこの「申されませ」ですが、本多忠勝の「包まず、申されませ」ですね。
申す(まうす)は元々丁寧語としての意味合いがあったとされています。こちらには
「これに対して「まうす」は、高い敬意を表して主として男性が改まった公的な場で用いた」
とありますから、この場合あながち間違いでもなさそうです。

戦国の古文書解読よく出る語彙・単語編 五十音順「ま」~「ん」
(raisoku.com)

そして久々?の「ポリアンナ症候群」。
何だか武者さん、ここで自分でポリアンナ症候群だと言っており、

もうポリアンナちゃんとでも対話しないとやってられません。
今週の“よかった探し”その一は……井伊直政の新規場面がなかったこと!
その二は……『大奥』により、井伊の名誉は保たれたこと!

結局のところ、板垣さんの井伊直政叩きがまだ続いているようです。と言うか、前回の関ケ原で負傷し、その1年半後に亡くなるのだから、仮に今回出るとしてもそう出番はなかったかと思われます。
そしてまた『大奥』がどうのこうの。

彼は声だけでも、美しくもおぞましい。善と悪と、光と影が常に入り混じっているようなニュアンスが出ている。
歴史的評価を踏まえると、どちらにも振り切らない。憎めないけれども愛せない。そういう複雑な光彩をもつ人物として、完璧な配役です。

好きな作品には優しいですね。
こういうところが、大河のみならず、ドラマのライターとしてふさわしいのかどうか、首をかしげたくなる部分でもあります。

余談ながら、『大奥』は観ていませんが、同じよしながふみさん原作の『きのう何食べた?』は毎回観ております。原作全て読んでいますし。次はシンガポールチキンライスが登場のようですね。

そして、

今回が退場となる家臣団は、頑張っていたと思いました。
ただし、残念だったのが加齢演技。せっかくの人気武将のお別れなのに、説明セリフを語らされては感慨も薄まるばかり。
もしかしたら主演の演技力に忖度しなければならない諸事情でもあったのでしょうか。
そんな諸事情を頭の片隅に入れて見るドラマなんて、ハッキリ申せば楽しくありません。

加齢演技と説明セリフて、何か関係がありますか。
そして毎度のことですが、この説明セリフとやらは何のことであるのか、それをちゃんと「説明」して貰えないものでしょうか。あれこもこれも説明セリフだ面白くないばかりで、何のこっちゃと正直思うのですが。

「もしかしたら主演の演技力に忖度しなければならない諸事情でもあったのでしょうか。
そんな諸事情を頭の片隅に入れて見るドラマなんて、ハッキリ申せば楽しくありません」
諸事情でもあったのでしょうかというのは仮定のはずですが、その次で急に断定表現になっていますね。

ドラマの流れは、劇中だけで完結すべきであって、補足説明や最新研究などを考慮しながら見ていられない。
視聴者の多くは関連書籍を購入してまで背景を読み取るなんてしないでしょう。

武者さん、昨年は大河コーナーに関連書籍があるとか、歴史雑誌に取り上げられている、だから素晴らしいなどといった意味のことを書いており、一昨年と今年はその逆だなどと今までも書いています。
しかしここで
「視聴者の多くは関連書籍を購入してまで背景を読み取るなんてしないでしょう」
何か矛盾していません?

「シン・大河」のセンスなんて知りませんて。
忖度をしなければ楽しめない。ポリアンナを探し続けなければ楽しめない……早く2024年が来て欲しい。

いつまで「シン・大河」などという、一部マスコミが作ったような言葉を使っているのでしょうか。そんなの公式は使っていないのですけど。朝ドラなどでもそうですが、自分で改変したのを事実であるかのように言うのも、武者さんの悪い癖だなとは思いますが。
「忖度をしなければ楽しめない。ポリアンナを探し続けなければ楽しめない」
それは武者さんがそう思っているだけで、こんなこと何もしなくても楽しんでいる人はいるのですが。

「早く2024年が来て欲しい」
もう11月も下旬だし、黙っていてもその内来ます。
それよりもはっきり言って、今後はもう今年の大河について書いてほしくないなと思ってしまいます。


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
[ 2023/11/23 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。しかしやはりもう書く気をなくしているのか、直近数回分に書いたことの焼き直しのような文章が見られます。


冒頭でそのシーンが回想されること自体はドラマとして不自然ではないかもしれません。
しかし、肝心の合戦映像がいつも同じ曇天で背景が白くなることには、どうしたことでしょうか。
同時に、しみじみと思います。
本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのでしょうか?
大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボり。

特に関ケ原の戦い、午前は曇天だったのでこの設定は特におかしくありません。井伊直政も霧がかかっていると言っていたはずです。
まあ私は前にも書いていますが、曇天続きで、戦のない世の中になって晴れ渡るという設定もありかとは思いますが。

「本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのでしょうか」
小早川秀秋の裏切りで、騎馬武者が乗った本物の馬が怒涛の如く押し寄せている
戦闘のシーンでも本物の馬が登場している
この2つを見落としていませんか?

「大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボり」
こちらも乗馬シーンです。まさかこれでサボりとは言いませんよね?

どうする家康第26回乗馬1-2
(『どうする家康』公式サイトより)

ドラマ10『大奥』の乗馬シーンと落差があまりに大きく、今回の大河制作陣がどういう方針で制作されているのか理解に苦しみます。
◆ドラマ10『大奥』家定役・愛希れいかが乗馬シーンで体感した“奇跡”(→link)

戦国時代の合戦と江戸時代の乗馬を同列に論じられるものでしょうか?だったら『大奥』だけ観ていればいい話です。

結局、干し柿がなかった三成の最期も回想され、やっぱり文春砲は正しかったのかな……と今週も思い起こさせられながら場面は変わり、戦の締めくくりとして、家康が大坂城へ。
茶々に挨拶すると、棒読み人形の秀頼が何だか語っています。この辺りで字幕をオンにした視聴者もいるかもしれません。
あいかわらず毛量が多く、化粧がキッツい茶々。
青年期と同じ発声の家康。
うるさい劇伴。
今週もまた何のドキドキもないコントのような劇が始まるのだと確信させられます。

そしてまたくどくどと文春砲ですね。こちらの方がうるさく感じられます。

「棒読み人形の秀頼」
幼君である秀頼はまだ世間話ができません。茶々が取って代わっていることもあり、最低限のことを喋っているだけと思われます。
そして毛量が多く化粧がキッツいと、北川さんの役作りを無視するかのような書き方。

「どうする家康」北川景子、茶々役で再登場!一人二役に「最後まで暴れ抜いてみようと」
(シネマトゥデイ)

「声の出し方や表情の作り方はもちろん、かつらの形や衣装も相談させてもらって、扮装の力も借りながら、お市とはまた違う、強さや危うさを併せ持った人にできればなと」

どうする背丈を刻むことで成長を表現
毎年正月になったら、秀頼の背丈を柱に削るってよ。
昭和の日本でもあったような既視感のある描写でしか成長を描けないなんて、トンチンカンな大河ドラマです。

江戸時代には既に、高位の人々の身長は測定されています(測定方法は不明)。
家康をはじめ歴代徳川将軍の身長もほぼわかっていますし、秀頼はかなりの高身長であったと伝わっています。そのため、身長を測ることは特におかしくありません。

あと昭和の日本云々は、「背くらべ」という歌のことでしょうが、あれの初出は大正時代です。

そして成長の証として、

「まだ幼いのにこの手習を見てくだされ。立派な字でしょう」
とでも、できないものでしょうか? 日本史だと、割と定番の描写だと思います。
(中略)
他にも、
「この歳でもう、四書五経を読みこなしました」
という表現も考えられるでしょう。『麒麟がくる』では、明智光秀の優秀さを示すセリフとしてありました。
(中略)
いずれにせよ秀頼の成長や賢さを表現するのであれば、もっと他に方法があったはずです。

武者さんはこのシーンをちゃんと観ていない、あるいは理解できていないと考えるべきでしょうか。
あの時、秀吉の身長もあの柱に刻み込まれていました。そして茶々は、
「あと10年もすれば太閤殿下に追いつこう。さすれば、太閤殿下の果たせなかった夢を、秀頼が果たすこともできましょう」
と言っており、秀頼の背丈が秀吉のそれを追い越すことで、かつての秀吉を超えてほしいと期待している様が窺えます。

本作の所作指導は本当にどうなっているのでしょう。
家康の歩き方が、後半になるにつれ、ますますひどくなっていませんか。老齢ながらに頂点へ立っていく人物の迫力が感じられません。

「ますますひどくなっていませんか」
何がどうひどくなっているのか、それを具体的に示してください。でないと、単に武者さんの主観でしかありません。

先週、井伊直政が堂々と「天下とったね!」と家康に向かって喜んでいました。
果たして家康は何がどう天下人なのか。
服装や所作を見ると浮かんでくることもある。もしも家康が秀頼を主君とみなしているのであれば、こんなラフな格好でやってこないでしょう。

この時家康は、確か秀頼よりも官位は上(正二位、秀頼は従二位)だったかと思います。秀忠は裃を着けていますが。
あと天下人については前にも書いていますが、ここでは秀頼のもとで政を行う人物のことですね。

堂々と尻を向けて出ていくはずもない。家康については【四之宮逆さ船】という伝説があります。
(中略)
実際にあったことかどうか、ではなく、当時の人々が如何に礼儀にこだわっていたか、この逸話からもわかるでしょう。
なんせ本作の家康は、秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めますからね。

四之宮逆さ船については長くなるので省きます。要は、家康が舟尻に座ったため、船頭が畏れ多いと船尾ではなく、船首に立って漕いだ話ですね。
で礼儀にこだわる云々、家康が尻を向けて出て行っているとありますが、家康は立った後そのまま数歩後ずさりし、廊下に出る時に秀頼と茶々に背中を向けています。最初から背中を向けていたわけではありません、ちゃんと観てください。

「秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めます」
この回にそういうシーンありましたか?
茶々は「太閤殿下のご遺言通りに」と言っており、あの場で決まったわけではありません。

一言でいえば雑。一体この家康は、どの時代を生きているのか。
しかも茶々が笑顔を豹変させ、あのメイクの濃い顔を歪めながら秀頼にこう言う。
「あの狸、決して信じるでないぞ」
見れば見るほど嫌になる……。

どの時代も何も、江戸幕府が成立する直前、安土桃山時代の最晩年に当たる時期を生きています。
そして茶々があの狸を信じるでないのが嫌と言うのは、武者さんの個人的感想に過ぎません。そういう個人的感情を、「仕事」に持ち込むべきなのでしょうか?

歩きながらヘラヘラと喋る秀忠は、それだけで十分に愚か。
上田攻めのことを取り上げなくても最初から「このバカではだめだ」となるでしょう。
家康がカッコつけた口調で「結婚は人質ってことだろうぜ!」とシリアスな口調になって、凄い思いつきでもしたかのような扱いが苦しいです。
当時はそういうものでしょ? ここは政略結婚がない世界ですか?

秀忠はこの時20代前半であり、その辺りがまだ見えていなかったと思われます。だからこそ家康も、秀忠に試練を与えなければならないと後で思ったのでしょう。
そして
「結婚は人質ってことだろうぜ!」
などと言っていませんけどね。
「早う人質をよこせと言っておるんじゃ」
ですね。
そしてこの時の家康はカッコつけではなく、秀頼と茶々の前で見せていた表情を引っ込め、本音でものを言っているわけです。縁組で両家の結びつきを喜ぶ秀忠に、千姫は人質だぞと釘をさしたわけでしょう。

正信も、つくづく、どうしようもない
本作の出来が悪いのは、何も家康一人の問題でもありません。
いつもの腹立たしい口調で「将軍になればぁ〜?」とか言いだす正信もひどい。
唐突で、根拠がないのです。
「関ヶ原の戦い」
の後は
「征夷大将軍」
だよね!
という日本人なら誰でも知っている教科書に沿っているだけで、その根拠は示されない。

「どうしようもない」しか武者さんは言えないのでしょうか。
かなり重要なことをずばりと言っていますね、正信は。豊臣家との付き合いが難しくなることを踏まえて、将軍になって幕府を開けばと促し、家康も自分は武家の棟梁となり、公家である豊臣との住み分けができると言っているわけです。
ちゃんと根拠がありますが?

結局、この大河は『鎌倉殿の13人』が投げたボールを受け止めきれていないんですね。
将軍になる根拠として、なぜ『吾妻鏡』でも出さないのか? セットで進言すれば、この正信からだって多少は知性が見えたでしょう。
せっかく三谷幸喜さんが投げてくれたボールを受け止められないとは、悲しさしかありません。

では『吾妻鏡』のどういう部分がヒントになると、武者さんは考えているのでしょうか。その具体例を示してください。そして
「この正信からだって多少は知性が見えた」
とあるのもどうかと思います。この人物はかなり知恵が回ると思いますが、武者さんは『吾妻鏡』や『貞観政要』などなど、自分が気に入る文献を読まない人物は、知性の面で劣ると思っているようですね。

「最終回にサプライズキャスティングするのが大河!」
って、そういうことじゃないでしょ。
今年の最終回に小栗旬さんを出すなんて、単なる恥の上塗りではありませんか。

なぜ「そういうことじゃないでしょうよ」なのですか?
なぜ恥の上塗りなのでしょうか?
とどのつまり、小栗さんが出るのが嫌なのだなとしかこちらは受け取れないのですが。

◆ 『どうする家康』に小栗旬が出演するとしたら誰を演じる? 有力視される“3つの可能性”(→link)
もしも小栗さんが登場するとしたら一体何の役を演じるのか?
記事ではこう示されています。
・伊達政宗
・天海
・徳川家光
個人的には徳川慶喜ですかね。さっぱりした顔で大政奉還して、幕臣や松平容保が困惑したらこう言わせる。
「だってさぁ、徳川家康だって、どうせクズだったんでしょ? だったらこんな幕府いらねーし」
しかし、このわけのわからない噂のせいで、文春砲の信憑性が増しているあたり、まったくもって逆効果とも思える。
◆松本潤『どうする家康』視聴率“大河ワースト2位”ほほ確実、盟友・小栗旬に最終回「直々オファー」情報も「プロデューサー気取り」文春パワハラ報道が再加熱(→link)

また週刊文春。過去に於いて「萬平ラーメン教」(まんぷく)呼ばわりをし、この大河に於いては「マザーセナ」と瀬名の考えをカルト呼ばわりしていた武者さん自身が、文春の熱烈なる信者であるわけですね。
そして歴代の徳川慶喜を演じた俳優さん、また慶喜公の子孫の方に対しても、随分と失礼な物言いであるかと思います。

七之助さんに続き、もしも小栗さんのキャスティングが行使されたら?
松本潤さんの意見が現場で強行され、すっかりプロデューサー気取り、と指摘していた文春砲がやっぱり正しかったのでは……となる。
それでも話題性だけのために小栗さんを起用するなんて、少しでも視聴率を上げたいのでしょうね。

貴方、そんなに文春について書きたいのなら、悪いことは言わないから大河のライターなど止めて、ゴシップか芸能の方に転向した方がいいと思いますよ。文章の質からしてそんな感じですし。
あと小栗さん関連でちょっと書きたいことがあるのですが、それはこの投稿の最後の部分にします。
それと『どうする家康』、タイムシフト視聴率や総合視聴率は割といいのですね。

オープニング変更は今回で何度目なのでしょう。
その度に御大層な記事が出たりしますが、元の曲からしてしっくり来ないため、いくらアレンジしたって視聴者の興味を惹くにはいたらない。

OP「変更」ではなく、この回限りのOPだったのですが、公式サイトをちゃんと見ていないようですね。
もう一度貼っておきます。

第44回だけのスペシャル・エディション! テーマ音楽&タイトルバック特別版
(『どうする家康』公式サイト)

で、その後
「坂本龍一さんが手掛けた『八重の桜』から10年で、よくここまで劣化したもので」
「大河はじめ東洋の時代劇は、伝統楽器を入れることがむしろ王道でしょう」
何だか既視感のある文章ですね。
特に2番目、この間も書きましたが、昨年の『鎌倉殿の13人』では『新世界より』が使われていましたが、武者さんはこれをどう考えているのでしょう。

大河のオープニングを聞いていて、怒りすら込み上げてきそうです。

勝手に怒っていてください。

テロップを無駄に遊んでSE入れながら年号を出すセンスは作り手の自己満足としか思えません。
背が伸びる柱と重ねるところも含めても、単に秀頼が大きくなっただけで、それ以上のことは見えてこない。
家康に警戒心を抱かせるような賢さを、秀頼に求めてはいけないんですかね。
『この秀頼なら何かやってくれそうだ!』と思わせてこそ、大坂の陣も盛り上がるハズ。

年号を出すことは、その時々での出来事を表しているのですが、それも理解できていないのでしょうか。
あと「家康に警戒心を抱かせるような賢さ」
それは次の回で出て来るはずですが、公式サイトを見ていないから予告も見ていないのでしょうね。

そして小栗さん関連です。
武者さん、小栗さんは好きだと思われますが、なぜ『かぞく』についての記述がないのでしょう。別に入れたくなければ入れなくてもいいのですが、やたら他作品を持ち込むことが好きなのに珍しいです。直近何回分かのスクショをチェックしましたが、紹介されていないようです。

ちなみにこれは映画作品ですが、都内2か所で上映されたのみで、後はAmazonプライムビデオの配信となっています。

『かぞく』公式サイト

内容としては、4人の男性の家族の喪失そして再生を描く作品となっています。出演は登場順に
吉沢亮さん
永瀬正敏さん
小栗旬さん
阿部進之介さん
です。

まさかとは思いますが、吉沢さんが『青天を衝け』で主演だったからなんてことはありませんよね?
あと阿部さんも『どうする家康』の黒田長政役、そして『軍師官兵衛』(こちらも武者さんが好きではない)の加藤清正役ですが、嫌いな作品に出ているから、紹介しないと言うわけにも行かないでしょう。

そしてこの作品、11月24日から200か国に向けて発信のようです。武者さんは海外の作品を重視する傾向がありますが、こういう日本発のコンテンツが海外に向けて発信されるのにも、もう少し注目しては如何かと思ってしまいます。


飲み物-ホットワイン2
[ 2023/11/22 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムその5です。
この5ページ目が、一番叩き棒とされる作品とか、ゴシップ記事が延々と紹介されており、一番見る価値が低いとも言えますが、一応目を通しておきます。

まず、鬼の首を取ったかのようにこういう記述がなされています。

結局なかったぞ、干し柿が!
死を前にしても三成の毅然とした態度を表すエピソード――干し柿の話は、後世の創作とかなんとか、そういう問題ではありません。
10月の週刊文春に掲載されていた文春砲の中身が正しいかどうか。
この干し柿が一つの審査基準となっていたのです。
と、突然言われてもわからない方もいらっしゃると思いますので、少し詳しく説明させていただきます。

相変わらず「文春砲によると」
今の武者さんが一番よりどころにしており、このコラム叩きに活用しまくっているメディアです。
実際は「文春砲」ではなく、週刊文春ですが。

まず

文春砲によると、そもそも本作は「干し柿エピソードを出すつもり」とのことでした。
三成と大谷吉継が話す場面でも、これみよがしに干し柿が映されていて、伏線もあった。出す気は満々だったと見るのが自然でしょう。

「出す気は満々だったと見るのが自然」
その裏付けは何でしょうか?
それを言うのなら、三成が処刑前に柿を拒否するシーンの代わりに、これを持って来たという可能性もあるでしょう。あの時三成は干し柿に手をつけておらず、何らかの理由があってこれを食べていないとなるわけです。それから先は、それぞれの推測なり、調べてみるなりでいいのではないでしょうか。

しかし実際は放送されていません。
放送時間が足りなかったわけでもないでしょう。
家康と三成が対峙する場面で、家康がウダウダとマウントを取り、自画自賛するような場面がなければ、十分に確保できたはずです。

「家康がウダウダとマウントを取り、自画自賛するような場面がなければ」
最初からネガティブに見ているだけで、あの会話でそれぞれが何を主張したかったのかが書かれていません。こういう書き方をするから、言っちゃなんですがこのコラムが説得力を欠くのでしょう。報酬つきで書かせる武将ジャパンも如何なものかとは思いますが。

逆に言えば、六条河原のシーンをカットしてでも、制作サイドとしてはこちらを入れたかったのかも知れません。
しかし武者さんはこう言わんばかりです。

で、干し柿のエピソードがない!やっぱり文春が言っていた通りだ!
松本さんがやりたがらず、それを七之助さんが承諾したんだ!

そして

文春砲ならば世間のみんなが注目してくれる――ということで、ネタを持ち込む内部告発が多いのも同誌の特徴でしょう。

とあります。ただ
「世間のみんなが注目してくれる」即ち「信憑性がある」とは限りません。要はガセであっても世間の注目を浴びることになりかねないわけで、その場合第三者にダメージを与えることもまたありうるでしょう。
さらにこう書かれています。

その威力が発揮された一例として、宝塚いじめ問題があります。

これが、武者さんが宝塚いじめ問題に真剣に向き合っているのなら話はまた別です。しかし要はジャニーズ問題とひとまとめにし、文春砲が正しい!他のメディアも後追いしたと騒ぎ、自説補強のための記事を並べ立てているだけのように見えるのです。あと宝塚の問題に関しては、朝ドラ叩きの意味合いもあるかと思います。

ジャニーズも宝塚も熱心なファンが多いことで知られ、時に盲目になるようですが、転機はすぐに訪れました。

「時に盲目」とありますが、ほかならぬ武者さん自身が文春砲を「盲信」しているのではないかと思われるのですが。

さらには最終回のサプライズキャスティング報道により、文春砲が信頼性を増すことに。下手に反応したせいでますます深みにハマっています。
◆松本潤『どうする家康』視聴率“大河ワースト2位”ほほ確実、盟友・小栗旬に最終回「直々オファー」情報も「プロデューサー気取り」文春パワハラ報道が再加熱(→link)

この「週刊女性PRIME」の記事ですが、昨年の最終回に松本潤さんが家康役で登場している以上、そのお返し的な意味合いがないとも言えないでしょう。あとこの記事で見る限り、松本さんが直々にオファー「したとのこと」とあり、確定事項ではないようです。

事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る。『韓非子』

これも全く意味が書かれていませんね。ちなみに
「計画は秘密裏に運ぶから成功する、外に漏れてしまえば失敗する」
の意味です。

そして、
「NHK朝の番組『あさイチ』に松本潤さんが出演し、文春砲の中身を暗に否定するかのような匂わせをしていた」
とかで、

「嵐・松本潤、『あさイチ』で週刊文春『どうする家康』現場パワハラに“生反論”!?「嫌い」報道芸人もブッコミの「攻める殿」!
という記事が貼られています。これもゴシップ系ニュースのようです。
そして案の定武者さんは、松本さんの態度がよくないと決めつけ、
「『パリピ孔明』ではないけれど、誰か兵法を考えられなかったのでしょうか」
などと書いています。別にここでわざわざ『パリピ孔明』を出す必要もないわけですが、何か出さなければならない理由でもあるのでしょうか。

そして

実際、記事の中では以下のようなSNSの反応があったことを記しています。
《松潤家康、これだけのことを共演者がはなしてくれるなんて、現場では本当にすごかったんだろうな。文春、まぁよくあんな風に書けるもんだわ》
《森崎ウィンくんスゴくいいお話ししてくれた〜切な言葉なので3回言います!本潤さんは相手のために芝居する人 相手のために芝居する人相手のために芝居する人 相手をよく見せるために考えて芝居をする人。だってよ〜文春さん》
《周りから漏れ聞こえてくる話と文春の記事があまりにも違い過ぎるので違和感しかなかった。やっぱりという感じ》
滑稽というか、物悲しいというか……。
松本潤さんに忖度することで利益を得る立場の発言は、差し引いて考えねばならない。そういう基本的なことができていません。

このコラムはいつもこうですね。
自分が敵視している相手に好意的な意見があると
「忖度(斟酌が本来の意味と思われますが)することで利益を得る立場の発言」
と決めつけてしまうようです。それに何の裏付けがあるのかと思いますし。
本当は好意的な意見、文春にあるような叩き記事、それぞれを見たうえで判断をくだすべきなのですが、結局自説を主張することしか念頭に置かれていないようです。
こういうのを我田引水と言うのでしょう。

「でも、でも、松潤はいい人だもん!」という幼稚な信頼感ありきで、材料としては極めて信憑性が薄い。
ファンでもなんでもないイチ読者から見たら、児戯に等しい発言に見えるでしょう。

ならばこういう見方も成り立つでしょうか。
「でも、でも、文春は信頼できるもん!」という幼稚な信頼感ありきで、材料としては極めて信憑性が薄い。
文春の読者でもなんでもないイチ大河視聴者から見たら、児戯に等しい発言に見えるでしょう。

組織的性犯罪に関して、こう答えたところにも失望しました。
◆ 松本潤「あさイチ」生出演で旧ジャニーズ性加害問題に初言及 大河「オンエアできないんじゃないかと…」(→link)
大河がオンエアされるかされないか。それは結局我が身のことでしょう。
その点、大河ドラマで徳川家康を演じた同じ事務所の俳優でも、風間俊介さんはこうです。
◆ 風間俊介さん ジャニーズ【性加害問題】に『被害者の方をまず第一に考えるべき』(→link)
被害者を第一に考える。実に立派なものだと思います。

風間俊介さんの言うことはもっともです。しかし彼が演じた家康は主役ではありません。ちなみにこれは9月11日の記事(ジャニーズの会見直後)です。一方松本潤さんは主役、つまり座長です。現在放送中の番組がもしオンエアできないなどという事態になれば、他の出演者やスタッフに迷惑がかかるでしょうし、その意味で十分責任を感じていたのではないでしょうか。
「大河がオンエアされるかされないか。それは結局我が身のことでしょう」
武者さん、本気でこんなこと考えているのでしょうか。

そしてこの記事では
「そうなると、僕はやっぱり大河ドラマの主演で今回作品に出させていただくという意味では、その責任を最後まで全うしたいというふうに、今なお思っているので、それが何かちゃんとできるような形になればいいなというのは、考えながらずっとやっていましたね」
と松本さんはコメントしているのですが、それは無視なのでしょうか。

そしてこの後今年の大河は失敗作だ(前から、世帯視聴率をちらつかせて同じことを言っていませんでしたっけ?)をはじめ、これまでと同じようなことが繰り返されて、スペースが埋められています。コピペかと思ってしまうほどです。
これ、どうにかなりませんか?

後生(こうせい)畏(おそ)る可(べ)し。『論語』

この「後生畏る可し」、少し前にも登場していたと思います。
もう少しバリエーションを広げてほしいです。
「若者は可能性を秘めており、どういう人物になるかわからないので、若いからと侮るべきではない。尊敬の念をもって、接するべきである」

若者の声はちゃんと聞け、尊重しろ。なんでも「シン・」をつけてる場合じゃねえぞ。SNSで「なぁぜなぁぜ」と書き込めば若者になれるとでも思ってんのか?

また伝法な言葉使いですね。
若者の声と言っても様々ですが、「どういう」若者の声なのでしょうか。先ほどの松本さんの出演番組への意見も、武者さんが毛嫌いしているタグつきツイート(X投稿)も、若者の声かも知れないのですが。

それと
「なんでも「シン・」をつけてる場合じゃねえぞ」
NHK公式が「シン」なんてつけているのは見たことがありませんね。要は一部メディアがそう言っているだけですが、武者さんはそれを既成事実化したいのですか?そのようにも見えてしまいます。

そしてまた書店の歴史コーナーで大河の存在感が薄いだのなんの、『青天を衝け』の時も同じでした。私がよく行く書店には、今年も一昨年も大河関連の書籍がありましたと書いておきます。
そしてまた長々と『パリピ孔明』。こういうのは大河コラムではなく、別のコラムでやって貰えませんか。

そしてかなり後の方で、こう書かれています。

ドラマの出来と自分自身の人生を過剰に重ね合わせない方がよいのでしょう。

どうもこれブーメランに見えてしまうのですけど。

私からの提言でも。
大河は中高年向きでいい。固定層もいるし、これでいいのです。敢えて見る若年層も、そういうものを求めています。

しかし本当に中高年向けを作れば、昭和平成オヤジ向けだ何だとあれこれ言いそうですね。

若者向けの本格時代劇枠を別に設ければよいだけでは?
例えばドラマ10『大奥』がそうでしょう。
漫画原作であるとか、SF要素があるとか、架空戦記とか。大河にするには砕けた要素がある作品をほかで作ればよいだけです。事実、韓流や華流ではそうなっています。

この「若者向け」というのは、どういう年齢層をさすのですか?
『大奥』は若者向けなのですか?
その辺りが全く具体的でないうえに、
「韓流や華流でそうなっているから受ける」
というのも短絡的過ぎませんか。しかも自分が嫌いなスタッフや出演者が出てきたら、また叩くのではないでしょうか。

北海道開拓史はドラマにすべきです。大河ドラマで北海道ご当地がないことは汚点だとずっと思っていますが、なんなら別枠先行でもよいはず。

だったら武者さんが企画から何から自分で担当してはどうでしょうか。そして、ドラマで結果を出すのがどういうものなのか、身をもって体験してください。安全なところから口だけ出すのでなしに。

若者の声を、中高年以上が勝手に妄想して振る舞うこと。これは破滅への第一歩です。

悪いけど、この言葉の方が妄想に見えてしまいます。その根拠が皆無なのですから。

そしてまたフォームのリンクがあります。尚私は先日、番組とは全く別の件でこのフォームを使わせて貰いました。


飲み物-スコッチウイスキー
[ 2023/11/18 19:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムその4です。


裏切りを促すため小早川の陣へ鉄砲を撃ち込む――そんな関ヶ原の定番描写「問鉄砲」が今回ありませんでした。
過去の放送では【味方につくかつかぬか、鉄砲で問いかける】というシーンがあり、姉川の戦いで描かれています。
「それを伏線にして関ヶ原でも描くんでしょ?」
と多くの視聴者も思っていたことでしょう。

まず問鉄砲(聞き鉄砲)ですが、後世の創作という見方もあります。歴史系ライターならそのくらいご存知でしょう。
ゆえに、必ずしも描かなければならないものでもないでしょう。逆に関ケ原でこれを描かないからこそ、姉川の戦いで描いたとも言えそうです。

実際、公式ガイドブックのあらすじには関ヶ原における「問鉄砲」の記述があり、担当編集者によると次のように展開しているとのこと。
陣を前に進め勝負に出た家康「決断せよ、小早川」
渡辺守綱「姉川を思い出しますな。あれ、やりますか、大筒でドカーン!と」
家康「あまり刺激するな、空に向けてカラ撃ちだ」
というように当初の脚本家は、姉川を伏線として、今度は大砲を用いて、問鉄砲を描いていたんですね。

まずガイドブックですが、以前も武者さんはガイドブックに書かれているのにドラマでは出て来ないと叩いていたことがあります。しかしガイドブックに書かれていることが、必ずしもドラマ本編で描かれるとは限りません。
(ちなみに、終盤での三成とのやり取りもガイドブックではさほどに出て来ません。これを入れるために問鉄砲を省いた可能性もあるでしょう)
かてて加えて、小手伸也さんのツイッター(X)投稿にもあるように、アドリブを入れることもあるし、ガイドブックはあくまでも参考程度です。これは他の大河でも同じことです。

しかし、実際の放送では完全に削られている。
これは一体どういうことか?
週刊文春では「主役のダメ出しにより台本が書き換えられる」旨のことが記されていましたが、その可能性を感じさせるもの。

そしてまた週刊文春、文春が言っていることがすべて正しいのですか?

結果、小早川秀秋は自ら裏切りのタイミングを決断することになり、ネット上ではかえって新鮮だったという意見もあり、何がなんだかわかりません。
『どうする家康』ではなく『どうもしない家康』ですよね。

ドラマ本編を観ていればわかることですが、第42回で小早川秀秋は、どちらにも転べるようにしておこうと考えています。さらにこの第43回では、小早川勢が勝手に松尾山に陣を敷き、嶋左近が
「どちらにも転べるようにするには賢い場所、最後の最後まで見極めるつもりでしょう」
と言っています。そして家康が桃配山を下り、三成の眼前まで進んだところで、秀秋もいよいよほぞを固めたわけですね。

これが「何がなんだかわからない」のでしょうか。
武者さんは一体どのようにして、ドラマ本編を観ているのですか?そもそも、この『どうする家康』、ちゃんと観ていないでしょう?(としか思えません)

あと以前ガイドブックは見ないなどと書いていたと思いますが、いつごろから見るようになったのでしょうか。ただ見るにしても、出演者のインタビューとか歴史的背景とかではなく、ここに書かれていることと、ドラマ本編とのギャップとを探すため、要はガイドブックと違うじゃないか、おかしいと叩くためのように思えて仕方ありません。

いずれにせよ本作は、脚本家が緻密に作り上げた世界とは無縁、その場その場で雑に進んでいることが浮かんできます。

言っては何ですが、それは武者さんの僻目でしょう。

関ヶ原の無惨な描き方の後、ピアノをかけながら「西軍ざまぁwww」と言わんばかりの描写が辛い。
キンキン声のナレーションでざざっと説明され、しみじみと最悪でした。
しかし、もうこれ以上マヌケなドラマに関わらなくてよくなった出演者には朗報ですね。
真田昌幸は好きな武将です。佐藤浩市さんも素晴らしい。
けれども、彼の演じた本作の真田昌幸は痛々しい。これ以上、見なくて済むことにホッとしています。

「キンキン声のナレーション」
「マヌケなドラマ」
「これ以上、見なくて済むことにホッとしています」
武者さんはこのドラマを叩きたいのでしょうが、文章を生業としているのであれば、もう少し捻りのある表現はできないものでしょうか。たとえば寺島しのぶさんのナレが嫌なら、ここは映像と字幕だけで表現してほしかったとか、書き方があると思うのですけどね。それとやはり、賛否両論合わせて記事を書くべきかとは思います。

たとえばこういうのは一切このコラムに登場しないのですね。

「どうする家康」佐藤浩市への“じいじコール”に涙 謎の口パクも話題
(シネマトゥデイ)

それと「ピアノをかけながら」て「ピアノの音をかぶせながら」ですか?

直政があの間抜けなヒゲのまま寝転がっているところは、こう思った方も少なくないのでは?
「そらそうよ!」
よく島津を相手に生きて戻れたなぁ……。チェストされてしまっても私は惜しみませんが。
じゃっどん、こげんちょび髭コスプレイヤーを逃したなんて、島津に対すっ侮辱じゃなかじゃろうか?

またこれも板垣さんに失礼な表現ですね。
嫌いな大河を書く時の武者さんに、出演者への敬意を求めることはやはり無理なのでしょうか。
そしてこれ、一応史料で裏付けられていることなのですが、脚本家の創作のように思っていませんか?小山評定もそうでしたし。

あと無理に薩摩弁を使わなくてもいいのですけどね。朝ドラでも関西が舞台の時、やけに関西弁まがいの言葉を使っていましたし。
そして「なかじゃろうか」ですが、「なかろかい」でもよさそうな気はします。

まぁ、素敵な薩摩隼人は『大奥』シーズン2に期待するとしまして、今回はそれ以前の問題を感じます。
この直政、重傷を負った割にはハキハキとした声音かつ笑顔で「天下取ったね!」とか言っている。
重傷を負った人間とはとても思えません。アイテムを使えば回復するゲームのような描写で、まったくもってリアリティがない。

ここでまた『大奥』。何か『大奥』のPR、あるいはこのシリーズを叩き棒にしなければならない理由でもあるのでしょうか。
そして井伊直政ですが、あのシーンを見る限り、起き上がった当初は肩で息をしているし、その後も声を振り絞って話しているイメージですね。立ち上がれずに、座ったまま話していますし。ちゃんとリアリティがありますよ。

『青天を衝け』で両側から袈裟懸けにされた犠牲者が出血しないまま、歩いて何か臭いセリフを長々と読んでいたことを思い出しました。
人間は重傷を負ったらハキハキ話せません。そんなこと誰かに指摘されないと、わからないものですかね。

いつも思うのですが、この『青天を衝け』関連の記述にしても
どの回で
どういう人物が、どのようなセリフを口にしているのか(臭いか否かは関係なし)
そういったことが全く書かれていません。
引き合いに出すなら、それをちゃんと書いてください。

そして
「人間は重傷を負ったらハキハキ話せません」
この前の伏見城の戦いの鳥居元忠も、瀕死の重傷を負って話すのもつらい状態になっていました。
別に指摘されるまでもありません。そして直政の場合は元忠のような重傷ではなく、銃弾を受けて落馬したのですね。

直政が大きな声で「天下を取った!」と喜ぶセリフにも違和感があります。
本作は、無双系アクションゲームか何かと勘違いしていませんか。
関ヶ原の戦いは、あくまで豊臣の忠臣はどちらか?を決める戦いでしょう。
「君側の奸を討つ」とか、「君難を靖んじる」とか、「勝てば官軍」とか。
要するに内乱やクーデターであっても、名目的には主君のためだと言い張ることが往々にしてあるものです。
家康としては「秀頼公の天下をたぶらかす奸臣どもを討ち果たした」という名目がある。
それなのにこの時点で「やったー! 天下だー!」とかはしゃいだら「お前が奸臣か!」と突っ込まれるでしょ。

忠臣はどちらかと言うより、秀頼のもとで政を行うのはどちらかということですね。
寧々も、これは豊臣家中のけんかだと言っていましたよね。
そして直政が「天下を取った」と言うのは、三成に代わって、秀頼のもとで政を行うことになったという意味ではないでしょうか。武者さんは、直政が天下を取ると言った=秀頼に代わって政を行うと言ったと思っているのでしょうか。

おそらく本作の視聴者にアンケートを取ったら、こんな結果が出ますよ。
【関ヶ原の戦いで家康は晴れて天下を取った?】
はい……94%
いいえ……6%
Xの公式アカウントでアンケートを実施したら手っ取り早いんですけどね。

だったら武者さんがアンケートをやってみてはどうでしょう?
但し「天下を取る」が何を意味するのかをはっきりさせるのが条件ではありますが。

この件については、見る側に読解力が無いとか、書物をろくに読んでいないから誤解してるとか、場外で何やら話題にもなっていたようですが。
井伊直政が「ステージクリアだね!」みたいなことを言ったらもう、「君側の奸を討つ」名目すらわかっていないと証明したものでしょう。

「見る側に読解力が無いとか、書物をろくに読んでいないから誤解してるとか、場外で何やら話題にもなっていた」
ではその、場外での話題とやらの実例を示してください。
第一その後も、家康は将軍、秀頼は公家の豊臣家として住み分けることになるでしょうし、ならばこの両者の関係がどのようなものであるか、視聴者にも伝わるのでは。

だから脚本家先生には何度でも問いたい。
なぜ歴史が好きでもなく、勉強するそぶりすら見せないのに、大河ドラマなどという日本人にとって大事な作品に関わろうと思ったのですか?

「だから」とありますが、その前提が、武者さんがきちんとドラマを観ていないことに端を発していると思われるので、何だかおかしなことになっているのですが…。
そして古沢氏は歴史が好きでないとも言っておらず、勉強するそぶりも見せないという裏付けもありません。少なくとも私は見たことがありません。これでは難癖です。

今年の大河は、終盤になっても弛緩しきっている。
前回は地図上の本多正信表記が「本田正信」になっていて、後に修正が入っていました。

こう書いているのですが、第42回のこのコラムで、この誤字について武者さんは触れておらず、ただ猪苗代湖がないと書いていましたね。なぜ前回分でそう書かなかったのでしょうね。後になって気づいたのでしょうか、ならば武者さんも、気が緩んでいたことになりませんか。

家康と三成が向き合って、行き違いだのなんだのいう場面は必要ですか?
三成にクローズアップしたというのはわかります。
しかし、三成が戦乱の世を求めるのに対し、平和を求める家康ってのは、あまりに主人公補正が強すぎませんか。
家康だけカッコつけて描こうとしているようで、恥ずかしくなってくる。

貴方が何かにつけて言う「マザーセナ」、要は瀬名が唱えた戦無き世を家康は実現しようとしているわけですが?
そして三成は戦乱の世を求めているのではなく、
「この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあっただけのこと」
と言っています。

「家康だけカッコつけて描こうとしているようで、恥ずかしくなってくる」
こういうのも、もうちょっと書き方があるだろうなと思います。
三成は戦をしたが、家康もまたそれに応じた、家康のみが善人でいられるわけはないとか。

「修羅の道」を行く宣言はなんだったのか。修羅修羅詐欺ですか。これから大坂の陣で茶々と秀頼を攻め殺すのになあ。
『大坂夏の陣図屏風』の描く戦場の無惨な姿なんて知らないんですかね。
そもそも今まで三成が「戦乱の世でなければ私は生きていけない!」という風に描いてきたでしょうか?
むしろ三成であれば、世の中を平和にしていく過程でこそ能力を発揮できそうですよね。

「「修羅の道」を行く宣言はなんだったのか。修羅修羅詐欺ですか。これから大坂の陣で茶々と秀頼を攻め殺すのになあ。
『大坂夏の陣図屏風』の描く戦場の無惨な姿なんて知らないんですかね」

やはりこのドラマをきちんと観ていないようですね。
この関ケ原自体、家康に取っては大きな修羅の道でしょうし、この後の大坂の陣は、彼に取って最後の修羅の道となるのでしょう。平和を求める戦いと言うか、世の中を平らかにするには戦わなければならないというのは、『軍師官兵衛』でもあったかと思います。
そして
「そもそも今まで三成が「戦乱の世でなければ私は生きていけない!」という風に描いてきたでしょうか?」

さっきも書いていますが、「この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあっただけのこと」と言っているだけです。このような形で家康と対立していなければ、あるいは清濁併せ飲むことができる人物であれば、彼の内なる「戦乱を求むる心」がここまで表に出ることはなかったのかも知れません。


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/11/18 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』

では11月11日に放送された『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』(2023年2月4日放送分の再放送)について。俳優の高橋英樹さんがゲスト出演していましたが、今年の正月時代劇で家康を演じていましたね。番組そのものは『どうする家康』関ケ原回の予習番組としても、また歴史関連SPとしても楽しめました。

まず最初に、関ケ原前に日本中を飛び交った500通の書状、その分析と動きの可視化が行われ、その後毛利輝元の動きが紹介されます。この人は海路大坂に向かっていますが、会津征伐準備を進めていた家康が、即座に大坂に向かえないようにする目的もありました。西の毛利、東の徳川という構図のもと、毛利のもとに大名たちが集結し、これが後の西軍となって行きます。

再びデータ関係。東軍諸将の書状に比べると西軍諸将のはその半分ちょっと、しかも石田三成のは13通しかないわけですが、やはり敗者の側の文書が残る確率は低いようです。下手に持っていると、何を疑われるかもわからないわけですし。

そして毛利。ここで石見銀山と船についての解説。船はやはり毛利水軍もありますからね。そして「北の関ケ原」、イエズス会の宣教師によってバチカンにもたらされた文書も、このことに言及しています。この時家康の会津攻めにより、上杉方は情報面で孤立した状態に置かれていました。しかしそこへ朗報が届きます。

三成挙兵の知らせでした。この情報伝達を可能にしたのは真田昌幸で、飛脚を守るために軍勢をつけたわけです。しかもその三成の書状には、上杉の江戸攻めについて書かれています。要は
東北連合軍VS徳川
の構図が出来上がるわけで、ここでシブサワ・コウ氏が登場し、その様子をシミュレートしたゲームの登場です。

東北連合軍はいい形で攻めるものの、最終的に家康の勝利となります。仮にこの江戸攻め、そして上方から来た石田軍が挟み打ちにしていれば、かなり日本史は変わっただろうと思わされます。そしてその一方で、会津に向かっていた家康は、小山で三成挙兵の知らせを受けます。

ここで小山評定が行われるわけですが、家康にしてみれば、豊臣恩顧の大名の支持を取り付けられるか不安ではあります。そこで、淀殿や奉行衆からの、三成討つべしと書かれた書状を見せ、大義名分は我らにありと主張するわけですね。ここで福島正則が三成を討ち果たせと言い、ここに東軍が出来上がるに至ります。しかしながら時を置かずして、今度は五奉行により、家康が謀反人に仕立てられたことを知らせる書状(内府ちかひの条々)が届きます。

この小山評定後会津征伐は中断され、福島正則らは既にこの時西へと向かっていました。しかし家康への弾劾状は、当然各大名にも送付されていることになり、何らかの形で家康が謀反人認定されたことを、東軍の武将たちも知ることになります。福島正則も、もちろんその1人でした。しかしながら、小山評定で自分が三成を討つと言い出した手前、かなり悩んでもいたようです。

そして江戸城では、家康が寸暇を惜しんで書状をしたためます。特に「内府ちかひの条々」を受け取った直後は書状の数が増えており、ここでデータによる可視化です。特にこの時期の家康の書状には、心情に訴えかける言葉、忠節、懇意、感悦などが使われ、また彼自身が公儀でなくなった(三成にその座を奪われた)ことから、土地や恩賞などの言葉が消えているのが特徴的です。ところで「内府ちかひの条々」、福岡市博物館所蔵とありましたが、筑紫広門宛のものでしょうか。

内府ちかひの条々
(福岡市博物館)

家康は特に、福島正則を警戒していました。そして福島正則もまた、家康がなかなか西へやって来ないことに苛立ちを隠せず、また三成は彼ら東軍への処罰を開始し、このままでは正則は改易も免れない事態となります。その時家康の使者、村越直吉がやって来て、皆が出陣できないゆえ出陣できぬと言い、一同を怒らせてしまうのですが、この場を取りなしたのが黒田長政でした。

長政は早くから徳川についており、敵を前にしながら動かないので不安視していると言い、その後岐阜城攻めが行われます。この岐阜城攻めは1日で片がつき、家康も9月1日には出陣して西へと向かいます。

ここで福島正則についての解説。尚この時、正則と長政が兜を交換したことで、2人がそれぞれ交換した兜をかぶっている様子は、なかなかほほえましいものがありました。そして長政は、諸侯を如何に徳川方につけるのかが彼の役目でした。そのため必ずしも徳川一辺倒でない正則を、家康は何とかして戦に向かわせる必要があったわけで、この清須城で長政はその役目を果たしたことになります。

しかしながらこのままだと、正則たちだけで三成と戦うことになり、徳川の出番がなくなるのを恐れた家康は、慌てて出陣したとも言われています。今度は家康は、東軍を何とか抑えておく必要にかられたことになります。こうして家康が西を目指している間、奥州で異変が起きます。三成からの情報が上杉方にもたらされなくなったのですが、これは昌幸の嫡男、信幸が徳川につき、第二次上田合戦が行われたのと関係していました。

上杉方は最上をまず攻めることにします。しかしそこで番狂わせが起きます。味方であった伊達政宗が裏切ったのです。政宗は東海道経由で家康からの書状を受け取っており、しかも利にさとい政宗に恩賞をちらつかせたのでした。結局これにより、東北連合軍も江戸攻めの計画は破綻します。そして岐阜城を奪われた三成ですがまだ諦めておらず、家康との決戦に備えて、陣城である玉城を改修させます。

その玉城に三成は、豊臣秀頼または毛利輝元を迎え入れる予定でした。豊臣恩顧の大名が多い東軍に対し、三成は秀頼を迎え入れることで、勝利を決定づけたかったのです。また松尾山城も東軍を迎え討つには大きな意味がありました。ここには小早川秀秋が着陣します。この秀秋は豊臣一門でありながら、自分が玉城に入れないことに対し、三成に不満を持っていたようです。

ここで秀秋について。はじめから寝返る気満々のようですが、自分はこのままでは大名にとどまるだけで大した出世も見込めず、ならば東軍について勝ち馬に乗った方がいいと思ったのでしょう。そして関ケ原の本戦となるわけですが、この時欧州でも北陸でも、上田城でも大津城でも、四国や九州でも東西の勢力による争いが起こっていました。また丹後では細川幽斎が籠城し、嫡男忠興は岐阜城攻め、その家臣松井康之は九州で黒田と連帯していました。

関ケ原の戦い。かつては大坂へ向かおうとする東軍を阻止するため、この地での戦いになったとされていました。しかしその後、松尾山城の小早川を西軍に引き戻す狙いがあるという説に変わっています。この時毛利の別動隊である吉川広家は南宮山にいて、東軍を阻止する役目でした。それが、秀頼が出陣するまでの時間稼ぎになるはずだったのですが、彼も長政から密書を受け取り、不戦の密約を交わしていました。

つまり毛利の勢力は徳川の抑止力とはならず、東西入り乱れての決戦が始まります。そして大坂城の輝元は、この戦が長引くであろうと予測し、その間に西国を抑える目論見でした。そして秀秋は毛利勢の寝返りを知り、大谷吉継隊目指して進撃を開始するわけです。その後三成は処刑されるに至りますが、家康は奥州にもこのことを知らせ、収束を促します。そして上杉は敗北し、領地を米沢30万石、かつての4分の1に減らされます。

毛利輝元は大坂城を去り、また毛利家も領地を大幅に減封されて、長門と周防の2国のみになります。そしてこれは、打倒家康を狙った三成と、西国制覇に集中した輝元の意識のずれが招いた敗戦だったとも言えます。最後の高橋さんの意見ではありませんが、関ケ原が1日で終わらなかったらまた乱世に戻ったと言えなくもなく、その意味でも家康は早めにこの戦を終わらせたいと思ってはいたでしょう。

ところでこの番組、所謂再現ドラマで家康を演じていたのが宍戸開さん、三成を演じていたのが石黒英雄さんでした。石黒さんは、『軍師官兵衛』で福島正則を演じていましたね。


飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/11/17 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
尚、先日の「諱入りタイトルの大河」について、『独眼竜政宗』を書き落としていましたので追加しています。


「宰相殿の空弁当」だからといって、本気で弁当を食べる吉川広家を映すセンスがわかりません。
あまりにもくだらな過ぎません?
本気で弁当をモリモリ食べさせるのではなく、目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るように描くこともできたのでは?
この幼稚さには閉口するしかない。
見るだけで精神状態がドロドロに溶けていくドラマだ。

「本気で弁当をモリモリ食べさせるのではなく、目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るように描くこともできたのでは?」
つまり具体的にどのようにしたいのですか?
目を光らせつつ、出撃要請を巧みに断るでは曖昧模糊としていると思います。

ちなみに『葵 徳川三代』では、安国寺恵瓊の家臣がお立ち退きをと言うものの、てこでも動かない広家の様子が描かれていました。しかし、何も食べていないのに食べているふりをするよりも、実際に食べるのを見せた方が、相手も一応納得はするのではないかと踏んだうえでのあの描写でしょう。無論意図的に時間をかけさせていますけどね。
それが幼稚ですか?
そして脳みそが削られるの次は、「精神状態がドロドロに溶けていく」ですか。

そしてこういう提灯記事が出る。
◆大河「家康」三成悲惨 本当の黒幕が西軍壊滅 弁当モグモグで毛利2万出撃不能→家康余裕の進軍「やりよったw」「弁当キター」(→link)
「キターーー」って何年前の流行ですか。

「キターーー」ではなく「キター」ですね。

あんなふうに茶々がリアルタイムで「不利だなんて!」とオタオタするわけないでしょ。
スマホでも持っているのか?というぐらいに情報があっという間に伝わる本作。
関ヶ原のポイントは、情報伝達のタイムラグではないのですか?

茶々がオタオタしているというか苛立っているのは、本来ならば輝元が、秀頼共々出陣してしかるべきなのに、それをしないからなのですね。情報がリアルタイムで、あっという間に伝わっているわけではありません。

自ら「男勝り」と語ってしまう阿茶の残念さが、今週も炸裂です。
関ヶ原という見せ場で、阿茶がわざとらしく男装して、茶々にケチをつける――なぜ、こんなしょーもない場面が入りますか?
これみよがしに「ワタシって男勝りだから」と言わんばかりに中途半端な男装をしているのも痛々しい。
そのコスチュームをわざわざ仕立てたの? 非常時に? 随分と余裕あるなっ!

「わざとらしく男装して」ではなく、使者ということもあり、他の男性の家臣同様に肩衣袴を着けたのではないでしょうか。また、寧々にお願いがあると言ったうえで、このような形で茶々に目通りすることになったわけです。その間仕立てるだけの期間があったかどうかは不明です。他の誰かの物を借りた可能性もあります。

「関ヶ原という見せ場で、阿茶がわざとらしく男装して、茶々にケチをつける」
この茶々と阿茶の面会自体、関ケ原と並行したもうひとつの「戦」ですね。
無論ケチをつけているのではなく、この戦に秀頼は介入しない方がいいと言ったうえで、徳川の調略が西軍の深部にまで及んでいる、輝元がまだ出陣しないことがその証と、茶々に進言しているわけです。これが「しょーもない」のでしょうか?
そしてこれは、豊臣と徳川が一体となって天下を治めるのがいいと言う、寧々の言葉を踏まえてもいるでしょう。

茶々に全く知性が無く、かつ剛毛とド派手メイクなので、阿茶がまだマシに見えるのが怖い。
いずれにせよ最低のヒロイン決定戦です。

髪型とメイク、お市とは違う印象にするためだと、北川景子さん自ら語っていたと思いますが。

あのマザーセナやレーシックお愛がまだマシに思えてくるほど。千代ですら、まだよかったかも……。
こういう女性像って、要は制作サイドの趣味ですよね。
受信料でフェチを作って垂れ流さないで欲しい。服部半蔵が相関図死で、千代はあんなにダラダラと時間を使って死ぬ。どこまで趣味全開なんですか。

自分が気に入らないと、やれ制作サイドの趣味だのフェチだのと言いたがるのはどうにかなりませんか。それは武者さんが勝手にそう思い込んでいるだけだと思いますが。
千代の戦死に尺が取られたのは、鳥居元忠の正室であることももちろん関係しているでしょう。

このドラマの間抜けさは、噛み合わない劇伴も相まってバカらしさがますます高まってゆきます。
こんなくだらない展開なのに、無駄に勇壮で、かつ西洋ファンタジーじみた音楽がかかる。
東洋の時代劇は、現在はその国ごとの伝統楽器を混ぜていくのが主流です。
実は『パリピ孔明』もそうです。
(中略)
今年の大河は、なぜできない? 本当にできないことだらけな大河だな。

で、『パリピ孔明』は中国の伝統楽器が使われているとか何とか。
それを言うのであれば、昨年の『鎌倉殿の13人』もドラマの中でクラシック(『新世界より』)が使われていましたが、それについてはどのように考えているのでしょう。

何がなにやらわからない関ヶ原
わかりにくい布陣図。
時間の経過も描かれない。
武将はバストアップと絶叫ばかり。
合間に茶々と阿茶が挟まれる。
駆け回るメリーゴーランド馬。
マヌケな殺陣。
ニタニタした家康。
一人だけ真面目な三成。
間の抜けた劇伴。
主語が「おいら」のちょび髭コスプレイヤー。
火縄銃も大砲も使わない兵士たち。
一体これのどこが関ヶ原なのか?

何だか色々なもの、それに自分の思い込みに沿ったものだけを羅列しているように見えますね。

「何がなにやらわからない関ヶ原
わかりにくい布陣図。
時間の経過も描かれない」
布陣図て、この下の画像のですよね、これがわかりにくいですか
この場合名前が書かれている方が西軍、黒が東軍で、赤坂とか桃配山とか南宮山といった地名も表記されていますが。時間の経過にしても、吉川広家や小早川秀秋の行動で大体察しがつきますよね?

どうする家康関ケ原布陣
(『どうする家康』録画映像より)


「武将はバストアップと絶叫ばかり。
合間に茶々と阿茶が挟まれる。
駆け回るメリーゴーランド馬」

馬は本物も出て来ています。家康や本多忠勝などはその本物の馬に乗っているし、それぞれの陣での話し合いや小早川秀秋と家臣のやり取りなど、様々な形での会話が登場します。茶々と阿茶は先ほども書いていますが、この回でのもう一つの戦ですね。

「マヌケな殺陣。
ニタニタした家康。
一人だけ真面目な三成」

「マヌケな」殺陣は武者さんがそう思い込んでいるだけでしょう。家康はこの場合寧ろ達観している感もあり、だからこその余裕の表情と取ることもできます。あと真面目と言うのであれば、大谷吉継も、そして本多忠勝や井伊直政も自分の職務には忠実ですよ。

「間の抜けた劇伴。
主語が「おいら」のちょび髭コスプレイヤー。
火縄銃も大砲も使わない兵士たち」

劇伴も武者さんは「間の抜けた」と決め込んでいるようです。
そして「ちょび髭コスプレイヤー」は板垣さんに失礼かと、それに「おいら」呼びは先陣を任せると言われてからですね。さらに大砲はともかく火縄銃は使っています。井伊直政が放てと号令をかけて、井伊の兵たちが一斉に銃を構えています。

そしてこの「一体これのどこが関ヶ原なのか?」に対する答えとかで、またBBCの『ウォリアーズ』。

答え:BBCが10年以上前に制作した『ウォリアーズ』を見てみましょう。

そんなに『ウォリアーズ』のことを書きたいのなら、別でやってください。どっちみち他作品のPRとか、記事リンクの方がはるかに多いわけで、そちらの方で別記事を立てればいい話です。そしてこの大河コラムを、元の2ページに戻してください。

『真田丸』の瞬間終了関ヶ原の方が、今年の大河よりはるかにマシでしょう。あれは真田目線で描いていたから、ペース配分としてありでした。

『真田丸』は冒頭の部分しか出て来ず、合戦は全く描かれていないのですから、比較対象としてはどうかと思います。『葵 徳川三代』とならまだわからなくもありません。ただ何度も書きますが、今年の大河でも戦の描写は、華々しい合戦模様を描くわけではないので、その点で今までの戦国大河と多少趣を異にするかとは思います。

決戦に至る事情の描き方は比べるまでもない。

正直な話、武者さんがちゃんと観ていないのでは?三成の失脚から始まってなぜこの合戦に至ったのか、それが直近の3放送回で詳しく描かれているはずです。とは言っても、第41回や42回のコラムを観ても、ドラマ本編をちゃんと観た人の書き方ではないのですよね。

直江兼続が采配をかざしたら即座に終了していた、最上義光も前田慶次も上泉泰綱もいない、そんな『天地人』の北の関ヶ原の方がマシです。

長谷堂城の戦いのことでしょうか。
モブの最上軍が出て来ていたと思います。

それと今回は、井伊直政が兵に発砲を命じて以来、東と西それぞれの思惑、毛利、吉川、小早川のそれぞれの思惑そして動き、茶々VS阿茶のやり取りの描写がありました。戦闘シーンは多くなかったものの、それぞれの対立や確執はかなり描かれていましたね。

本作は、本能寺に続き、関ヶ原でも史上最悪な表現を記録したと思います。
次は大坂の陣で最低記録を更新ですかね。

「表現を記録」とはあまり言わない気がするのですが…。
そして「最低記録を更新」て、「何の」最低記録なのでしょうか。


飲み物-琥珀のエール
[ 2023/11/17 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。

しかし武者さんも、あまり書きたそうでないのがわかるし、ならば残りはお休みという方法もあるのですが、なぜか毎週アップされています。大河を書くと言うよりは、何か別の目的があるのでしょうか。


それから、井伊直政の負傷についてちょっと書きます。
板垣さんはこれでクランクアップのようで、恐らく彼の最期は出て来ないと思われます。『葵 徳川三代』では当初はそうでもなく、後の方で悪化して歩くのもままならない直政が出て来ますが、どうもこれは弾丸または弾片による鉛中毒ではないかと思われます。それで検索していたところ、何と『武将ジャパン』の記事を転載したこのサイトを見つけました。URLだけ置いておきます。ちなみに武者さんの記事ではありません。

【現代医学】戦国時代の鉄砲の殺傷能力は高いのか? 撃たれると鉛中毒で死亡する可能性アリ
(ガジェット通信)

記事中にもありますが、他に傷がもとで細菌が入る病気として、破傷風や敗血症があります。幕末になりますが、河井継之助が慶応4(1868)年7月末に、北越戦争で銃創を負い、その後8月半ばに破傷風で亡くなっています。また大村益次郎は、こちらは銃弾ではありませんが、明治2年9月4日に京で刺客に襲われ、その3日後に藩邸に移されて治療を受けるものの敗血症に感染します。そして最終的に11月5日に死亡します。つまりいずれも負傷から感染の後、さほど日を置かずして亡くなっているわけです。

しかも幕末のように蘭学もなく、仮にこのいずれかに感染していた場合、亡くなるのはもっと早かったと思われます。『葵 徳川三代』の描写についてはともかく、その後直政は1年半生きながらえており、それを考えると、鉛が体を蝕んだというのは十分考えられます。

ちなみに鉛中毒についてです。

症状の中に歩行協調障害もありますし、人格の変化などもありますね。鉛と言えば、昔はおしろいに鉛が含まれており、それで症状が出る人も多かった由。

前置きが長くなりましたが、本文です。

何を選んで何を捨てるか。制作陣の全てがここに集結する!――と、思ったら冒頭の回想からして哀しくなるほど的外れ。
「王道と覇道」が出てきました。テーマのように持ち出しておいて結局何なのか回収していませんね。一体なんなのか?
本作の人物はマザーセナ教の信者であり、その教えのほうが重要なのでは?
そして慶長5年(1600年)9月14日へ。

また「マザーセナ」。
しかも家康が経験した戦、それから学んだものの紹介というのが、まるで理解されていないようです。

「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。年が明けたら、視聴者の皆さんは本作のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうでしょう。
視聴率ワースト2位の黒歴史ですから、作品の関係者たちが触れることもないですしね。
今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた。

「本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります」
とは、何を「すっ飛ばした」のでしょうか。小山評定も伏見城の戦いも、どちらに付くべきかを巡る様々な弾劾状の送付も描かれているのに、何のことやら。

そして
「オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない」
武者さんの心には響かない、でもこれが響く人も多くいるわけで。そして「視聴率ワースト2」と何かの如く言いながら、昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数には全く触れず。もう一度これを貼っておきます。
視聴率を古めかしい基準と言いながら、その古めかしい基準をまた蒸し返しているのですね。

FireShot Capture 267 - 鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第45回「八幡宮の階段」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) 視聴率関連

「今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた」
王道と覇道こそ、冒頭で若き日の家康が口にしていますが、何を観ているのでしょう。恐らくちゃんと観ていないと思われますが、自分が理解していないのと、幼稚で済ませるのとは別ですよ。
もう終盤だから適当に書いてしまえと言うことでしょうか。

そして
「かつて関ヶ原は「女の戦い」とされてきました。
実子の秀頼を擁する茶々に、寧々が嫉妬し、東軍につくよう秀吉子飼いの武将を誘導したとされてきたのです」
とありますが、今ではそれは否定されている、大津上の戦いの処理で2人は関与していたと続き、

そういう意味では女性が政治力を発揮することがある。とはいえ、それを女のバチバチバトルにしてどうする!という見解ですね。

なのだそうです。ちなみに2人が関与していたのは、京極高次の妻初(茶々の妹)と、高次の妹龍(姉という説もあり)を守るため、大坂城から使者が遣わされています。

しかしこれがバチバチバトルに見えますか。
要は秀頼と毛利を出せと息巻く茶々に対し、阿茶局が、それはやらない方がいいこと、東軍は西軍のかなり深いところまで調略していることを、言い聞かせているわけです。感情が高ぶりがちになりそうな茶々に対し、阿茶局はかなり冷静です。

そして
「このドラマは、古臭い説を悪化させて扱うからたちが悪い」
のだそうで、今まで何度も見て来てはいますが、
「このドラマはああだから、こうだからたちが悪い」
こればっかりですね。
しかもこの部分、前出の寧々と茶々の対立という古臭い説とは、全く異なった次元の話なのですが、どこをどう観れば
「古臭い説を悪化させている」
ように見えるのでしょう。

で、茶々が実質的な西軍総大将という描き方とあり、

彼女が下劣な調子で怒り狂いつつ、毛利輝元に「出陣しないのか!」と問い詰めていますが、こんな描き方では「福袋の中身が気に入らないと店員にケチつけるモンスタークレーマー程度」でしょう。怖くもなんともありません。

別に怖くなくてもいいのですが、輝元がなぜ出陣しないのか、それが抜け落ちていますね。
それから西軍総大将はあくまでも輝元であり、茶々はこの場合秀頼の生母というだけで、彼女が采配を振るうわけではありません。

このあと寧々と阿茶は茶を飲んでいます。
このドラマの不可解なところは、まるでこの二人が大坂城近辺にいるようなところですね。
寧々と阿茶は大坂を離れているのでは?
彼女らはテレポート能力でも習得しているんですか?

「このあと」でなくて「この前」です。
寧々が釜を火にかけて、茶を点てる準備をしている時、阿茶局は打掛を羽織っており、茶々と会う時に着ていた肩衣袴ではありません。しかもこの時彼女は寧々に「お願いがあります」と言っているわけで、そのお願いというのが茶々に目通りし、秀頼を戦に出さないように働きかけることでしょう。

説明セリフでがーっと進んでゆきますが、別に阿茶は寧々のおかげで助かってはいませんし、大坂から脱出しています。
先週「三成は女を人質にとって汚いぞ!」と家康が語っていますが、今回はこうツッコミたくなります。
「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」

また説明セリフ。
武者さん本人としては、非常にイケている言葉だと思っているのかも知れませんが、それはさておき。

「阿茶は寧々のおかげで助かってはいません」
阿茶局は大坂城で武者に囲まれるものの、その武者は実は味方で、彼女を寧々の所へ連れて行ったというのは前の回にありましたね。寧々は家康から、上方の留守をよろしく頼むと言われていました。で、阿茶局の手紙を見て家康も安心しています。これもちゃんと観ていないのでしょうか。

「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」
北政所の使いで来ているわけですから、これは最強の切り札と言うべきでしょう。
片桐且元も、彼女に刃を向けようとした者たちを制しています。

本作の乗馬シーンはまるでオモチャの馬に乗っているかのよう。バストアップが揺れるだけでの処理をしているから、とにかく不自然です。

で、『パリピ孔明』では、孔明がおもちゃの馬に跨って揺られていますが、それを彷彿とさせまるだの、序盤から突っ込まれていたメリーゴーランド乗馬は、結局、最後まで改善されませんでしただの。

武将たちが配置に就くシーン。
家康が桃配山から下りてくるシーン。
本多忠勝が直政に加勢するべく馬に飛び乗るシーン。

こういうのをちゃんと見たのでしょうか?

どうする家康第43回本多忠勝2
馬上の本多平八郎忠勝(『どうする家康』公式サイトより)

平服の信長と家康が、富士山の麓でチラッと本物の馬に乗馬する場面がありましたが、今にして思えばなんというアリバイでしょうか。
初回から小栗旬さんが障害飛越をこなした『鎌倉殿の13人』の翌年がこの体たらくでは、酷いと言われても仕方ないでしょう。

アリバイも何も、あれでは岡田さんも松本さんもちゃんと馬に跨っていますし、今回も松本さんは本物の馬に乗って敵陣へと攻め込んでいます。
それと戦国時代の行軍では、馬一頭というわけに行きませんからね、何十頭も動かさねばならず、今はそれが難しくなっており、CGも使っているだけの話です。

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②
(NHK静岡)

でまた乗馬シーンがどうのこうのとリンクが貼られていますが、ここでは省きます。

◆ 「どうする家康」異色の合戦ロケなし&全編VFX関ヶ原「働き方、作り方、戦国の景色を変える」狙いと裏側(→link)
記事の中ではご大層な狙いを語っていますが、2013年『八重の桜』では攻撃にさらされる鶴ヶ城の瓦一枚までVFXで描かれ、兵士もモーションキャプチャを使って描写されていました。
その10年前より確実に劣化しているではありませんか。

好きな大河なら英断だとほめるのでしょうけどね。
それと『八重の桜』云々、この間も書いていましたね。劣化していると言うのであれば、それと今年のを比較して、どう違うのかを見せて貰えませんか。

そしてまた井伊直政役の板垣さん叩き。

あんな風に不自然な髭があってたまるか!
あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。赤鬼どころか、とにかく弱々しい。

と、最初から失礼だなと思われる文句が並んでいますが、

たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
そんな脆弱な直政に、どうしてこんな言葉を言わせるのか?
「いざ出陣!」
って、むしろ士気が下がりますって……。
邪推ですが、演じる方の性根が素直なのでしょうね。

武者さん、以前からこの大河は声が聞き取りにくいとか、音がわからないなどと散々に書いていましたが、井伊直政のセリフはどういうわけか、ちゃんと聞き取れるのですね。

井伊直政役の彼については「『青天を衝け』の徳川昭武は名演だった」という擁護が入ります。
確かに和室に飾っておきたい、かわいい人形のようでした。
しかし、それだけでは?
幕末もので徳川昭武を重視している時点で、あのドラマはイケメンを並べる乙女ゲーじみたドラマだっただけではないかと思います。

民部公子様、つまり徳川昭武のみを重視してなどいませんが。
ただ栄一(篤太夫)が同行してパリに行き、そこで様々なことを学んで来たわけで、その意味でも栄一に取っては重要な人物の1人ではあったでしょう。

幕末から明治が舞台なら、イケメンよりもっと他に描く大事なことはある。
それでもあのドラマはイケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しできました。

別にイケメンだけ描いていませんが、これも武者さんはちゃんと観ていないか、
「イケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しなんだ!」
という先入観ですべてをとらえているかでしょう。

よし、あの調子で行こう! と、手抜きした結果が今年の惨敗に繋がっている気がしないでもありません。
同じパターンは『篤姫』と『江 姫たちの戦国』でもありました。
日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します。もう二度と同じことを繰り返さないでください。

『どうする家康』の制作発表は2021年の1月で、この時点でまだ『青天を衝け』は始まっていません。
制作発表時に主演とスタッフは発表されており、どういう方針で行くかも大体決まっているでしょう。
それに幕末と戦国ではまた違いますし。

そして
「日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します」
裏付けはありますか?
あと
「もう二度と同じことを繰り返さないでください」
ですが、繰り返しているのは武者さんの方では?
と言うのも、このコラムでの評価基準は、武者さんの好き嫌いによるもので、嫌いな大河には何度でも「繰り返して」、しかも似たようなやり方で攻撃しているだけの話です。ただ、攻撃の仕方が今一つかなとは思いますが。

それでも『大奥』がある!
井伊の赤鬼については挽回できるチャンスが与えられました。
『大奥』シーズン2の井伊直弼が、予告の時点で素晴らしいのです。津田健次郎さんの演技に期待しかない。

また『大奥』、しつこいんですけど。
そして津田健次郎さんはともかく、本当にその俳優さんが好きなのか、単に叩き棒にしている作品に出るから応援しているのではないか、そのように見えて来ます。
第一、武者さんが本当に『大奥』好きなら、ここまで叩き棒にするかと思いますし。

ちなみに『大奥』シーズン2では、幼いころの阿部正勝が主人の竹千代と共に同じ駕籠に乗った回想シーンがありました。
幼少期から始まり、大人になってからも続く君臣の関係。
それを自然に描くには素直に子役を使ったほうがいいのに、なぜ今年の大河ではそうしなかったのか。
とてもじゃないけど子どもには見えない、いい歳こいた役者が、人形遊びをするシーンから始まる――って、バカみたいに幼稚だ。

???
竹千代は子役でしたが。
そして瀬名と遊んでいるところは、既に元服しているけどローティーンくらいでしょう。
そして『大奥』ではほめていても、これが自分が嫌いな作品でそのように描かれると恐らく叩きまくるのでしょう。
今までがそうでしたから。



飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2023/11/15 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第42回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もtaketak39460607さんのnote記事から一部をご紹介します。

引用部分以外にも、色々画像付きや史料または資料付きの物なども多いので、興味をお持ちの方は下記URLからどうぞ。それから、当ブログでは武将ジャパンコラムからの引用部分はダークブルーで表示しています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第42回~
https://note.com/taketak39460607/n/nba92708516e7

小山まできて背後を衝かれた家康。
危険な状態なのに、今さら「みんなついてくれるかなあ?」と言い出す姿がどうにも迫力がありません。
「家康ってすげーよな!」と周囲の人物に言わせる主人公補正しかしてこなかったので、有能さが表現できていないと思います。
こういう手遅れの対応を「泥縄式」と言います。
無能な人間が天下を取れるほど日本ってチョロいのか……と脱力するばかり。

これに関しては、家康が三成挙兵は想定済みであったこと、しかし弾劾状(内府違いの条々)により反逆者となったものの会津に遠征し、豊臣恩顧の大名が自分に忠誠を誓うかを確かめるため、所謂小山評定を行ったことなどが書かれています。もちろんこれはすべて史実(小山評定は異説あり)です。そのためtaketak39460607さんも
「『泥縄式』な手遅れの対応と言いますが、三成さんの挙兵1週間ほど7月19日の時点で西軍の優位に事が進んでいたのは歴史上の流れであり、脚本上の事だけではありません」
と書いています。

実際これは創作でも何でもないのに、あたかも脚本の古沢氏が主人公補正しかしていないので、家康の有能さが表現できていないとか、手遅れ対応は泥縄式なのに、無能な人間が天下を取れるのかとか言わんばかりの武者さんは述べており、どうも理解に苦しみます。

コスプレ高校生が来たと思ったら、真田信幸でした。
時代劇に合わせた発声や所作の指導は十分にされたのでしょうか。

この「コスプレ高校生」呼ばわりに関しては、
「真田信幸公役の吉村界人さんは30歳です。
30歳の俳優さんを『コスプレ高校生』と馬鹿にするのは大変失礼かと思います」
とありますね。そして
「時代劇に合わせた発声や所作の指導」
についても具体例がなく、そのため疑問が呈されています。さらに、武者さん自身が一から脚本・演出を考え発声から指導してみてはいかがかとも言われていますし、所作指導が日本舞踊家の花柳寿楽氏であることも明記されています。

日本舞踊家と言えば、和服での所作の第一人者のはずですが、今回はそういう人が指導に入っているというのを無視してまで、別の箇所で所作を批判し、
「実際そう見えなければ意味がないじゃないですか」
などとも書いています。ここまで言うかと思いますね。

このドラマは「内府」と唐突に出すわりに、「信幸です」「昌幸です」「信繁です」と名乗るから中途半端で意味不明。
統一感がまるで感じられず、場当たり的に物語が進んでいることが痛いほど伝わってきます。

これに関しても、「内府(だいふ)」が左大臣・右大臣に次ぐ太政官職である『内大臣』の唐名であること、唐突でもなく慶長の役の頃にはもうすでに内府であることが記されています。
(慶長元(1596)年に、正二位内大臣に任官)
その他石田三成は治部、大谷吉継は刑部であることなどから、
「仕事上の立場や人物の関係性で呼び方も変えているのだと思います」
とあります。また、隠棲中の石田三成は挙兵前は内府、挙兵後は家康となっており、茶々が「家康」と、所謂諱呼びなのは個人的恨みもあること、真田親子も諱呼びであることも書かれています。

この当時は家康とか昌幸などの諱を呼ぶよりも、官職名、治部とか刑部とか○○守などで呼ぶとか、通称(『真田丸』の場合の源次郎とか源三郎など)で呼ぶのが一般的であったとされています。また脚本家の方の姿勢にもよりますが、今はこの諱呼びが、わかりやすくするためか多いようですね。

それから千代の火縄銃操作。

またもや火縄銃を連射しているように見えました。
装填動作もなく、連射。
制作陣が『八重の桜』を超えてやる!とでも妄想しているなら、本当にいたたまれない。

これも、千代の銃は前装式の種子島銃で、『八重の桜』の八重のスペンサー銃とは違うこと、そして1人が撃っている間に、銃兵を配置して装填を行っていることも説明されています(先着順自由連射、雑賀衆や根来衆もこれと同じ)。さらに、銃の装填にはこつがあるため、手慣れた人が装填し、腕のいい者が撃つ方式だったのではないかともあります。一種の分業体制と取るべきでしょうか。  

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。

既に何度もこのコラムで登場している「筆の持ち方」ですが、taketak39460607さんのnoteにも、筆の持ち方についてこれまでに何度かコラムで言及していますが、なぜ持ち方に拘るなら自分で調べようとしないのでしょうかとあります。
そしてこれは私も今回書いていますが、
筆の持ち方には『人差し指と中指を筆にかける双鉤法』と『人差し指を筆にかける単鉤法』があること
家康、三成両名とも鉛筆の様に持つ『単鉤法』を用いて書いていること
この2点が明記されており(画像付き)、かな文字や細かい字を書くのに適している持ち方とされていること、『真田丸』で直江状を認める直江兼続もこの持ち方であると指摘されています。

武者さん、本当に自分では何も調べていませんね。
そして同じネタを、何度も使いまわしているように見えます。こういう姿勢は、「歴史系ライター」としてどうなのでしょうか。  

すでにクランクアップした本作。
主役の横暴な振る舞いで脚本がおかしくなった――とする文春砲に対し、
「大河主演が口出しするって、そんなもんでしょw」という指摘もあります。
去年の小栗旬さんはむしろ真逆です。
今年の大河はもうダメ。
あと一ヶ月とちょっと、NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりしますが、VODでは朗報もありました。
ディズニー+の『SHOGUN』です。

この箇所に至っては
「『エゴを見せつけられる』とか『あと一ヶ月とちょっと』とか嫌々強制的に見せられてるんだ!みたいに被害者ぶるくらいなら一切視聴をやめてディズニー+でも見ていればいいのでは?」
と言われていますね。実際そうだと思います。
そして
「わざわざここでも文春砲が~と週刊誌ネタを挙げて松本さんを執拗に侮辱していますが、比較される小栗さんにも失礼だと思います」
ともあります。さらに、本当に歴史系レビュアーの看板を下ろした方がいいと思うこと、このような実在の俳優スタッフを悪し様に侮辱するようなレビューを書かせ、校正もせず垂れ流しにする編集の責任感と良識を疑うともあります。

小栗さんの関連記事「小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に」のリンクも貼られていますが、この箇所を見る限り、松本さんへのハラスメントのように見えてしまいます。第一「大河コラム」でやることとは思えませんし。

そして『大奥』ネタです。

仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです。
そして思い出したようにマザーセナ直伝【泰平の教え!】を語り出す。
『大奥』とは、史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます。
『大奥』では、春日局の非道の背景に、泰平の世をめざす思いがあったと描かれました。

何かにつけて『大奥』と比較していますが、大河のレビューなどやめて『大奥』だけレビューしていればいいのではないかと指摘されていますし、『どうする家康』を叩くのに都合のいい叩き棒にするのは、『大奥』のスタッフ・キャストにも失礼だと思いますと、ずばりと書かれています。

私は武者さんは『大奥』推しなのだろうと一応は思いますが、何かにつけて他作品の叩き棒にするという点で、本当に好きなのかどうか疑いたくなってしまいます。こんなことをしていては、『大奥』そのもののイメージダウンになるかと思うのですが。

それからこちらは一部の紹介になりますが、この箇所について。

「私もようやく死場所を得た」って、そんなイキイキハキハキ語って口角上げて笑って、なんなのでしょう。
デパートの店員じゃないんだから。
死を覚悟した場面なのに、どの角度で口角をあげるかしか考えていないように見えます。
元忠がちゃんと演じているだけに、無惨さが目立ちます。
結局、千代は、本作のくだらなさを煮詰めたかのような人物像でした。
武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る。
大河に出てくる架空女性人物でワースト候補だと思います。

ここの
「武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る」
ですが、
「武田家が滅亡し歩き巫女としての任務も無くなり、半ば隠棲するように故郷の教来石に潜伏していた頃から彼女は行き場も死に場所も与えられない状態だったのでしょう。
そして彦さんと出会い徳川のために生きる道を選びました。
彦さんとの結婚に関しては馬場信春公の娘としての逸話によるものなので『ノコノコ生き延びて、敵に拾われる恋愛脳』と言われても困ります」
とちゃんと説明されています。武者さんの一方的な見方に対する、千代の弁護のようにも感じられます。

これに関しては、第36回で登場しており、いきさつもちゃんと描かれているはずなのに、なぜかその描写を全く引き合いに出そうとしていませんね。
あとtaketak39460607さんの記事には、「馬場信春の女(むすめ)」に関しての『常山紀談』の一部が添えられていますので、そちらもご紹介しておきます。

『常山紀談』巻之五「馬場信春が女(むすめ)召出さるる事」
『武田勝頼公が滅んだ後、馬場美濃守信春公の娘を探し出すようにということで、甲州の郡代の鳥居彦右衛門元忠に家康公が命じましたが、元忠公は『尋ね探しましたが行方がわかりません』と申し出た。
しばらくして彼女の居所がわかったという人があったので、家康公が『どこに隠れていたのか』と尋ねた。すると『鳥居が秘かに隠していました』と答えた。
すると、家康公は『まったく彦右衛門は油断のならない男だ』とおっしゃられたという。』
常山紀談 5版 (続帝国文庫 ; 第31編) - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2023/11/12 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。

過ちて改めざる是を過ちと謂う。『論語』
「それはおかしいぞ」と指摘されても開き直って「でもでもだって!」と態度を改めないことこそ、まさしく過ちなんだよな。

この意味ですが
「間違うのは仕方ないが、即座に改めれば間違いではない。しかし改めなけば大きな過失となる」
こういうことではないかと思います。
そしてこの諺、武者さんに取ってかなり大きなブーメランになっていないでしょうか。

2023年は、大河ドラマの歴史にとって、決して消せない大きな汚点となるでしょう。
ただ単に出来が悪いとか、視聴率が低いとか、そういうことじゃない。

「単に出来が悪いとか、視聴率が低いとか、そういうことじゃない」
などとありますが、今までのこのコラムを見る限りでは、あそこが悪いここがよくないとか、視聴率の低さに言及するような記述がかなり目立ちます。
「そういうことじゃない」
とは、「どういうことじゃない」のでしょうか。

そしてこの後に
「NHKは大河ドラマや朝ドラをあまりに安売りしていて」
とあり、こういう記事のリンクが貼られています。

◆ 趣里や蒼井優の名演技に頼り過ぎ…朝ドラ「ブギウギ」に足りないものは何か(→link)
笠置シヅ子さんをモデルとした朝ドラ『ブギウギ』について指摘されていて、概ね同意します。
この朝ドラは脚本の問題だけでもなく、小道具、衣装、セットの作り、方言指導がお粗末で、やる気が全く感じられません。

デイリー新潮の記事ですね。
で、もちろんこの朝ドラに好意的な記事もあるし、本当はその両方に目を通して分析を行うべきなのですが、武者さんはどうもそういう見方はしないうようです。
そして
「脚本の問題だけでもなく、小道具、衣装、セットの作り、方言指導がお粗末で、やる気が全く感じられません」
何のことはない、『どうする家康』に向けている言葉を朝ドラにも向けているだけに過ぎません。
嫌いな作品なら十把一絡げということでしょうか。

そして大河コラムのはずなのに

なぜ朝ドラは、しつこく、しつこく、本当にしつこく、日本の芸能史をロンダリングするような気持ち悪いことを繰り返すのか?
この10年に限っても、
『あまちゃん』
『わろてんか』
『エール』
『おちょやん』
『ブギウギ』
……って、さすがに異常ではありませんか。

あの、「しつこく、しつこく、本当にしつこく」という書き方の方がしつこく感じられるのですが。
私もこれらのすべてを観たわけでない、と言うか観ていない方が実は多いのですが、こういった作品のどこが
「ロンダリング」
なのか、それをちゃんと説明してしかるべきでしょう。

確かに『あまちゃん』や『おちょやん』のような傑作もありますが、いい加減やりすぎなだけでなく、歴史修正も蔓延っています。

「傑作」としていながらやりすぎとか、歴史修正が蔓延っているとか、何を基準にしてどう言いたいのでしょうか。こういう点をはっきりさせないから、コラム自体に信用がおけなくなるのではないのですか?
そしてこういうのは、小檜山さん名義のnoteの方でやってください、朝ドラはあちらの方のはずですよね。

現在、イスラエルの歌手が兵士に向かってガザ攻撃を楽しむ動画がネットで出回っています。
戦争を煽り面白がるなんて最低だと思いますよね。
しかし、日本にもそういう歌謡関係者はいました。そういう人物を朝ドラはロンダリングして扱っています。

とかで、『エール』、『わろてんか』に関してのリンクがやけに貼られています。こういうのはコラム中で記述してしかるべきかと思います。
しかも何度も言うようですが、大河コラムでなくて朝ドラのnoteでやってください。ここは大河ドラマについて書くコラムであり、嫌いな朝ドラをアピールする場ではないと思います。

それと攻撃を楽しむ動画云々ですが、
「イスラエルの歌手が兵士に向かってガザ攻撃を楽しむ動画」
と言うのがちょっとわかりづらいのですが…。それに近いニュース記事を探したところ、
「兵士たちのもとを訪れたイスラエル人アーティストが、攻撃されたガザの人々をバカにして楽しむ動画を投稿」
とあります。これで正しいのでしょうか。

あと戦争中は、やはり戦意を高揚させるものが喜ばれたのは確かなようです。

そして、

『わろてんか』という吉本興業を徹底美化した朝ドラもありました。
どうしてそこまでプッシュするのか?

などとあり、

『どうする家康』も林羅山役が吉本所属ですね。

などとありますが、『わろてんか』のキャスティングと直接関係があるのでしょうか。
それを言うならNHKに出演している吉本所属の人なんて多いものでしょう。
『麒麟がくる』で二条晴良を演じた小藪千豊さんも、『おんな城主 直虎』で岩松という検地奉行を演じていた木村祐一さんも吉本ですが?そして、この『直虎』で小野政次を演じていた高橋一生さんは、『わろてんか』に出演していましたが。

『ブギウギ』についていえば、もうこういう報道が出てきています。
◆【ブギウギ】草なぎ剛が来週登場 服部良一さんモデル役にジャニーズ問題で「皮肉」の声も(→link)
少女歌劇団も、宝塚いじめ問題が報道されている最中に、よりにもよって今これをやるのかと愕然としてしまう。
たまたまではありません。
芸能界がそういう時限爆弾を放置しているのに、それを忘れて呑気にドラマにするから爆発するのです。

言っては何ですが、武者さんは、嫌いな作品が炎上するのを望んでいるように見えてしまいます。
だから大河だと文春絶対になるし、この記事も東スポWEBですが、こういうゴシップ的な記事を探して来て、自説補強にしているような印象しか受けないのです。

と、こういう指摘をすると、必ずのように
「でも! 私は毎朝楽しんでいます!」
「私はウキウキしながら見ているのに、それが悪いというのですか?」
という反論が出たりします。
無知で無邪気ではしゃいでいいのは子供の間だけ。社会的影響や倫理を考えず、毎朝楽しでいるからって理屈はあまりにも幼稚です。
誰がこのドラマを楽しんでいるのか?
大河についても同様のことが言えます。
私の記事だけでなく、他メディアで『どうする家康』への問題が指摘されていても、
「でも! 私は毎週楽しんでいます!」
とか
「つまらなければ見なければいい!」
といった幼稚な意見があがってくる。

「楽しで」は「楽しんで」でしょうね。
ともあれ最初から見て行きましょう。

「『でも! 私は毎朝楽しんでいます!』
『私はウキウキしながら見ているのに、それが悪いというのですか?』
という反論が出たりします。
無知で無邪気ではしゃいでいいのは子供の間だけ。社会的影響や倫理を考えず、毎朝楽しでいるからって理屈はあまりにも幼稚です」
まず朝ドラというのは娯楽番組です。
楽しんで観ても、ウキウキしながら観ても別に構わないのではないのですか?朝ドラを観ることが、一日の原動力となる人もいるでしょう。無論シリアスな目線で観てもいいのですが、要は楽しみ方は人それぞれであり、自分と違う観方をしているからと言って、それに文句を言う筋合いはないかと思います。
とどのつまり、自分と同じような問題意識(と言うか、多分に好き嫌いに基づいているかと思いますが)を持たない観方が嫌なのだろうなとは思いますが、武者さんの主張は、それぞれの楽しみ方をしている人たちに対して、家に土足で上がり込み、自分が思うような観方をしろと強要しているようなものではないでしょうか。

そして大河、これも朝ドラと同じです。
人それぞれの観方があり、自分の観方を他人に強いるものではないでしょう。それをやらないから、ネット上のタグに一々神経をとがらせることになるのではないでしょうか。
それから
「つまらなければ見なければいい!」
武者さんに言わせれば「幼稚」と言うことですが、きわめて正論だと思います。嫌なら無理して観ることはありません。
私自身あまり観る気が起きず、とうとう一度もリアルタイムで観なかった大河があります。あとでDVDで観ましたが、リアルタイムで無理に観ても精神衛生上よくないと思われる時は、観ないのもひとつの手です。
その代わり、楽しんで観ている人たちにとやかく言わないことでしょう。

以前武者さんは、『どうする家康』は若者が多く観ているという意見に対し、何らデータも裏付けも示さずに、そんなことはない、彼らは動画でも観ているということを書いていた覚えがあります。結局それなのです。データと裏付けはともかくとしても、嫌なら大河の放送時間は、自分の好きな動画でも観ていた方がいいのではないでしょうか。

では一体、どんな層がそうした意見をSNSや記事コメントに記すのか。私なりに考えてみました。
◆ 「どうする家康」官兵衛息子・黒田長政“一の谷形兜”ネット話題!薄型テレビ?ソーラーパネル?「首が…」(→link)
兜の正面につける飾りを前立(まえたて・まえだて)と言い、それぞれ意味があります。
死と隣り合わせである戦国武将の覚悟が表現されているわけですが、それをなぜ「薄型テレビ」などと笑われなければならないのか。
あまりにも程度の低いコメントで記事まで作られてしまう幼稚さに情けなくなってきます。

「あまりにも程度の低いコメント」なのだそうですが、私としてはこれらの意見、なるほどと思いました。
と言うか、戦国とか関ケ原に興味があっても、所謂変わり兜にあまり関心がなければ反応はこういうものでしょう。
ちなみに、このシーンですね。

どうする家康第40回七将2
(『どうする家康』公式サイトより)

私も先日福岡市博物館で実物を見て来ましたが、変わり兜の中でも形の独自性という点では、加藤清正公の長烏帽子形兜(画像向かって左端)同様、他の追随を許さぬものがあります。当初、これは本当に兜なのかと思ったりもしましたし。鉄板と見られても(正しくは銀箔を圧した檜板ですが)、はたまた「薄型テレビ」などと見られても、それはそれで関心を惹いているということですから。
寧ろ地元の人間としては、こういう形で黒田長政という人物を知り、さらに兜以外にも様々なことを知ってくれると嬉しいなとは思います。

ちょっと余談ですが、2019年のラグビーのワールドカップ、または今年の大会でもそうですが、ニワカでいいから、ファンになってラグビーを見てほしいと言われていたことがあります。結局それと似たようなものかも知れません。始めはさほど知らなくても、継続して関心を持つことで、知識の幅が広がることもあるわけですし、最初は皆ニワカですので。

話が戻りますが、武者さんはここで
「兜の正面につける飾りを前立(まえたて・まえだて)と言い、それぞれ意味があります」
と書いています。無論それは事実ではありますが、こういう部分でだけ、もっと言えばネットの声に対して上から目線な姿勢を取る時だけ、歴史的なことを書かれてもなと思います。
このコラム全体でどれだけ歴史的考察がなされているか、ドラマの描写に沿って文章が書かれているか、正直言って、ちょっと疑わしく感じられますので。

何よりも「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

などと武者さんは書いています。複数回にわたっての武断派武将の描写があるのにこう書くのは、彼らに関心がないのだなと思われても仕方ないのですが、その一方で、長政公の兜に対してのネットの意見に対しては反応するのですね。
しかしそこまで知識を披露するのなら、一の谷兜そのものについてもっと書いていただきたいですね。

そしてこの後、長くなるので部分的に省きますが、要はこの大河を観ている層には史料とか史実などわからないだろうと言う、かなり一方的な見方のようです。

とはいえ「どんな層の人物が楽しんでいるのか」という答えは浮かんできそうです。
◆どうする家康:「あれ? TAKAHIRO先生」 直江兼続役に視聴者驚き めっちゃ長い“直江状”発動に「キターー」(→link)
直江状を読み上げることすらなくとも、「キターーー」と20年以上前のトレンドを振り翳しながら、演者に反応する。
全部がそうとは言えませんが、そういう層が盛り上がりの中心にいるんでしょう。
要するに歴史なんてどうでもよく、陰キャやヲタクの趣味でしょwとでも思っていそうな方たちです。

「要するに歴史なんてどうでもよく、陰キャやヲタクの趣味でしょwとでも思っていそうな方たちです」
何だかこれもブーメラン臭く感じられます。

そしてこの後も、

来年の大河ドラマ『光る君へ』には、日記をせっせと書いていた貴族が大勢登場することでしょう。
平安時代についてのことは、衣食住から行事、人間関係までよくわかります。
では同時代の坂東はどうか?
というと、これがわかりにくい。識字率の差が際立っているためです。
遺跡を発掘して、たくさん貝は出てくる。大きな家の跡もある。それがいつしか消え、ここにいたであろう某氏はどこへ行ったのか?
というと大仰な謎でもなく、単に記録する習慣がなかったために、わからなくなったのです。資料の意義はこういうところにあらわれると。

だそうです。
そしてこうも書かれています。

そんな基本的な歴史知識の無い人が、そういうことを気にしない人に向けてコスプレドラマ『どうする家康』を作った。
歴史に興味がないことを脚本家が明言している時点で、どうかしてます。

『レジェンド&バタフライ』のサイトによれば、別に古沢氏は歴史に興味がないのではなく、
「僕はそもそも今残っている歴史はフィクションだと思っているところがあります。いま残っている歴史は、勝者が都合のいいように語り継いだものですから、どう解釈しても自由だと思っているんです」
と言っているだけですが。

そして史料(資料でなくこちらの方かと)を重視するのであれば、平山優氏が
「森蘭丸でなく、森乱(または乱法師)」
と語っているのも当然重視されてしかるべきですが、武者さんは森蘭丸だと主張していますよね。それはなぜでしょうか。

さらに

歴史に興味もないのに徳川家康と“大河ドラマ”という名声だけは欲しがった。
そしてそれを無邪気に全面的に受け入れて楽しんでいる。
そんな層にはつきあいきれません。
互いの趣味が違うなら棲み分けていればいい。
それだけなのに、なぜかこちらを馬鹿にしてマウントをとってくるから厄介です。

「互いの趣味が違うなら棲み分けていればいい。
それだけなのに、なぜかこちらを馬鹿にしてマウントをとってくるから厄介です」
これもかなり大きなブーメランに見えるのですが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)めず。『孫子』「勢篇」

これもちゃんと意味を書いてくださいね。
戦上手は、個々人の能力や働きに過度に期待せず、組織全体の勢いを重視するということです。
個人技よりチームプレイと置き換えられるでしょうか。

で『ちむどんどん』は駄作ではなく、ネット上で作られた勢いに乗せられた人が多かったとか何とか。そして仲間由紀恵さんをはじめ、『大奥』には『ちむどんどん』の出演者が他にも出ているとあり、

むしろ『ちむどんどん』あっての『大奥』だと、スタッフのインタビューで明かされました。
◆「大奥」“サイコパス”治済に仲間由紀恵を起用した理由 底知れぬ闇を段階を経て表現(→link)

私自身、駄作とか傑作などという分け方はあまりしませんが、『ちむどんどん』にはちょっと馴染めないものがありました(飯豊まりえさんの愛、井之脇海さんの矢作はよかったと思います)。

そしてこの記事を見てみましたが、「『ちむどんどん』あっての『大奥』」というのはどこにも出て来ません。
『ちむどんどん』絡みでは、主に仲間さんとスタッフの関係について書かれていると言うべきでしょう。
「そもそも、僕(注・藤並英樹CP)は仲間由紀恵さんが俳優として大好きで『ちむどんどん』でもご一緒しまして、彼女のお芝居の奥深さや、キャラクターの表現がすごく達者で、面白い方だなと思っているので」
「『ちむどんどん』の優しいお母さん像とはまた百八十度違う、恐怖というか冷徹さみたいなもの、内面が分からない闇のようなものを表現していただく。『ちむどんどん』とのギャップも含めて、きっと面白くなるんじゃないかと」
「治済は非道なキャラクターではあるが、仲間自身は「ちむどんどん」のスタッフ(演出の木村隆文、プロデューサーの松田恭典)も多かったこともあって、「非常にいい雰囲気の中でお芝居を作っていけたと思う」と藤並」

しかしやはり思うのですが、自分が好きな作品の場合はつい好意的に見てしまいますね。
無論それが悪いとは言いません。ただ武者さんも『大奥』が推しであるように(だろうとは思いますが)、『どうする家康』や『ブギウギ』を好きな人もいるわけで、その人たちが当該作品を好意的に見るのは、自然なことではあるでしょう。

しかしこの『大奥』もそうですが、なぜ大河でもないのにこのコラムでPRまがいのことをやるのか、ならば『大奥』プロパーのコラムでも作って、そちらで書いてほしいところです。そしてこういう他作品をやたら引き合いに出して5ページを使うのなら、大河メインだけにして2ページか3ページでいいのではないでしょうか。
それでも『いだてん』までは2ページだったのですけどね。あれで十分だと思います。

そしてその後、また例によって『どうする家康』への誹謗中傷とも取れかねない悪口(と言っていいでしょう)だらけ。
さらに今週も「兵法」とかで漢語の解説があるので、この箇所だけ置いておきます。

調虎離山
兵法の時間です。
今日は「調虎離山」。 兵法三十六計の第十五計にあたります。
敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦うこと。『パリピ孔明』でも出てきました。

この意味ですが、
「敵を有利な本拠地から追い出し、自分たちに取って有利な態勢で戦う」
ことだと思います。

『葵 徳川三代』で野戦が得意な家康が、三成率いる西軍を大垣城から関ケ原におびき出すべく、家康が佐和山城を攻めようとしているという、嘘の噂を広めさせるところがありましたね。あれもこの調虎離山と言えるでしょうか。

あとまた松本さん関連の記事のリンクばかり貼られていますが、ここでは割愛します。
一応これだけ置いておきます。武者さん的には面白くないようで、

◆松本潤初の展覧会で岡田准一コラボ「今回の展示のためにカメラマンとして」大河ドラマ共演(→link)
特定の芸能事務所による大河ジャックは公共放送としていかがなものなのか。

タイトルにもあるように、松本さんの展覧会であって大河ジャックではありません。
そして岡田さんは近々独立予定のようです。

その後また例によってメールフォームのリンクがあります。
いよいよ終盤にかかる大河に、激励メールを送ってみるといいかも知れません。
(2023年11月12日一部加筆修正)


飲み物-テーブルのホットワイン
[ 2023/11/11 21:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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