fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  国内ドラマ

『どうする家康』第21回に関しての武将ジャパンの記事について-1

では『どうする家康』第21回関連の武将ジャパン大河コラムです。相変わらず突っ込みどころが多いです。一部、以前ご紹介したtaketak39460607さんとダブります↓

ところで最近は5ページになって、1ページ分の記述が少なめになっています。PVを多くするうえではその方がいいのかななどと考えてしまいます。今回はざっと目を通したうえで、気になった部分をピックアップしています。

1ページ目

オープンな茶室というか。なぜ、このドラマは雨風吹き込んできそうな場所ばかりなのでしょう。

築山を千代が訪ねて来るシーンですが、この時は別に雨が降っているわけでもありません。戸が開け放たれていても、不自然ではないでしょう。無論茶室でもないので、密閉している必要は全くないのです。ちなみにこの当時は遣戸(やりど)があり、建物の周囲に取り付けるようになっていました。

※私は『麒麟がくる』は好きです。念の為。

例のおじさん構文もどきのあらすじ説明(と言うか、これを説明と呼ぶのはちょっと無理がありそうです)の後にこう付け足してあります。内容的に『麒麟がくる』をディスり、『どうする家康』をほめるが如き文章であるため、わざわざこのようにしているのでしょうが、こんなことするのなら、普通にあらすじ説明した方がいいのに。ちなみにこのこの「あらすじ」の中には、長篠という言葉は全く出て来ません。

2ページ目

弱点として、日本史以外の考証の甘さがあります。南蛮衣装にしても考証があっていない。
それでも、『麒麟がくる』のバテレン服、『らんまん』のドレスは違和感がなかったのに、本作はどうしたことか。
それだけではなく、日本の武士や女性の衣装も何かおかしく、毎回衣装を見るだけでも嫌気がさします。
どうしてあんなペールカラーなのやら。日本伝統色パレットを無視しているし、素材もおかしいし、シルエットも汚い。模様もおかしい。

この当時の南蛮衣装は、あの信長のスタイルが近いです。シャツと胴着とひざ丈のズボンですね。そしてまた『麒麟』だの『らんまん』だの、好きな作品を叩き棒にしたがる。これ叩き棒にされる側も迷惑かもしれません。そして
「毎回衣装を見るだけでも嫌気がさします」
頭痛がしたり、脳みそが溶けそうになったり嫌気がさしたり、いろいろと大変そうですが共感はしません。

ペールカラー、淡色という表現でいいのではないかと思いますね。そう言う人が「日本伝統色パレットを無視」などと言ってもねえ…と思います。そして素材がおかしい、シルエットが汚い、どこがどのようにおかしくて汚いのか全く説明なし。取りあえず叩かないといけないから、かなり適当に書いたイメージです。

要するに作り手は和装に全く興味がないのでしょう。武田勝頼の長ラン陣羽織が嫌だったと以前書きましたが、本多忠勝も長ランでした。黒いぶんより長ラン度が高い。そういうのは、現代物ヤンキードラマでお願いします。

「和装に全く興味がないのでしょう」それは人物デザイン担当の柘植氏に言ってください。尚この方は、「撮影に入る前の準備期間に多くの資料を拝見したり、考証の先生のお話をお聞きしたり、史跡やゆかりの地を訪れさせていただきます」と語っています。
(人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~  https://www.nhk.or.jp/ieyasu/column/9.htmlより)

それと武田勝頼の陣羽織は、一般的な丈で「長ラン」ではありませんよ。あと本多忠勝の衣装(写真下向かって一番左)は、くるぶし近くまで丈があり、羽織というよりはマント様のものですね(どうする家康公式サイト及びNHK ONLINEより)。しかし忠勝は第1回からこの衣装を着ていたのに、武者さん気づかなかったのですか。


どうする家康信玄と勝頼どうする家康家康と家臣たち

3ページ目

信長は髭と月代になりましたが、家康と瀬名は変わらない。本作は、成熟した人間関係や女性像の表現が苦手だとはっきりわかって痛々しい。『花燃ゆ』の文の方が、ずっとマシな女性でした。

家康は若い頃に比べると顔つきが変わり、瀬名もいくらか老けた感じのメークになっています。こういうのもちゃんと観ていれば、わかってくるのではないかと思いますね。

それと『花燃ゆ』。以前私は、この作品が長州大河でなければ、武者さんは文(美和)のキャラは好きなのではないかといった意味のことを書きましたが、やはりそうですか。こうなると、過去に悪く書いた大河も、あの方がまだマシだったと言い出しかねませんね。逆に会津が舞台でなければ、『八重の桜』をほめたかどうかもわかりません。

そして信長が岡崎にやって来て、家康に臣下になれと言うシーンですが。顔と顔を近づけて怒鳴り合えば、緊迫感がでるという誤解がありますよね。
映画館に行って、邦画の予告でこういう使い古された演出を見ると、それだけで嫌気がさします。本作は、それをずーーーーっとやっている。
しかもパワハラ信長と白兎家康って、ドS王子路線の古代BLでしょ?
今のご時世にそんなことでよいのでしょうか?
国民からの怒りに大手メディアもいよいよ重い腰を上げたのか。ジャニーズ忖度もいよいよ終わりに近づいているようです。
(中略)
本作では、よりにもよってこの事務所の俳優同士が、ハラスメントじみたじゃれ合いを展開する。NHKの看板番組で性懲りもなく続けるつもりでしょうか。

また「嫌気がさす」(苦笑)。それと大河は大河、ジャニーズ批判はジャニーズ批判として別々に持ってくるべきではないのでしょうか、意図的に混同していませんか。これだと、松本さんと岡田さんへの誹謗中傷にしかならないと思います。

5ページ目

例えば、酒井忠次のえびすくいが、あまりにくどいと私が愚痴を言ったとしましょう。するとこう返ってくる。
「酒井忠次がえびすくいをしたという資料はあるんですよw 歴史ライターを名乗りながらそんな基本的なことすら知らないんですか? そんなんで大河批判とか恥ずかしくないんですか?」
そうじゃないんです。資料に出てくるかだけでなく、酒井忠次のえびすくい需要と供給が一致しないのが辛い。とにかく供給過剰です。ただのウケ狙いでしつこくえびすくいをする。
そういうドラマは、果たして歴史を題材にした作品としての伝統を踏まえているのでしょうか?
大河という名前に値するのでしょうか?ドラマとして出来がよいのでしょうか?

先日の『麒麟がくる』関連で書いていた「えびすくい」です。まず武者さんに取っては「くどい」のでしょうが、別に毎回のように出て来るわけでもなく、今まで5回か6回ほどではなかったでしょうか。苦手意識があるから、気になるのではありませんか?
そして視聴者によっては、もっとやってほしいと思う人ももちろんいるでしょう。別に武者さんの言うことだけが正しいわけではないのですが、ここでも「自分の観たい大河を作れ」でしょうか。

また受け狙いではなく、何か楽しいことがあった時、めでたいことがあった時に彼らはえびすくいを歌い、かつ踊っているのですが、ちゃんと観ていますか?しかもわざわざ、大河という名前に値するのかとか、ドラマとして出来がよいのかとか。言っちゃなんですが、私にとっては武者さんのそういう意見の方がよほどしつこく感じられます。

己の命のために戦場から逃げ出し、幼児のように手足をバタつかせ、泣き顔を晒す。そういう人物はただの「幼稚な人間」であり、リーダーではない。単なる悪ふざけは求めていません。

この大河は事件や合戦を絡めて、かなり若い時からの家康自身の成長を描いているのですから、最初は逃げ出そうとしたり、また戦国という時代故(武者さんは『軍師官兵衛』でも似たようなことを書いていましたが)泣きわめいたりということもあるし、寧ろそれを見せることこそがこの大河の売りでもあるでしょう。

そして悪ふざけとは、制作スタッフに対してまた失礼ですね。武者さんが個人でこう言うのならともかく、報酬を貰って書いていて、しかも本気でこう書いているのなら如何なものかと思います。

そして『どうする家康』は、大河の名に値しない。それが私の結論です。

ならば観なければいいだけの話です。
そして、このコラムもおしまいにしましょう。
しかしこう書いている武者さんは、歴史系ライターの名に値する書き方をこのコラムでやっているのでしょうか。

とは言っても、また次の月曜には、同じような内容のコラムがアップされているのでしょうね。


飲み物-グラスに入った黒ビール
スポンサーサイト



[ 2023/06/09 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-2

今回は光秀と煕子の夫婦の描写(+信長、秀吉VS光秀)関連です。

夫が病気で帰館し、煕子は神仏の加護を求めますが、無理して倒れてしまいます。そんな彼女を駒が助けるのですが、彼女は駒に、質入れを教えてくれたことを感謝し、生活のために、女として必要な鏡や紅、さらには髪までも売ったと言います。

彼女が売ったという着物、紅、鏡、そして髪の毛は、全て女性の美しさの象徴です。
外見よりも、内面で深く思いあう夫妻。これみよがしに名場面として処理するのではなく、ここにきて煕子の逸話として無理なく印象的に入れてきました。

それを言うのであれば、夫のために自ら武田の歩き巫女の相手をし、信長に対して、臣従するのは家臣との話し合いもあるし、今しばらく待ってくれとも言う『どうする家康』の瀬名に対して、なぜあそこまで攻撃的になるのかわかりません。武者さんの場合、人物描写より好き嫌いが先に来るのでそうなってしまうわけですが、そういう「レビュー(もどき)」を書かせる方もどうかと思う所以です。

そして信長と秀吉が光秀を訪ねるところですが、

この信長は、ともかく光秀が大好きなのだそうです。
だったらもっと気遣えと思いたくもなりますが、信長は絶望的にそういう気遣いが不器用。秀吉は調子よく「明智殿が思いの他元気そうで何よりでございます!」とサラッと言えるのですが。

「光秀が大好きなのだそうです」
どう観ても、この第39回の中にそういうセリフは出て来ません。この後で『土曜スタジオパーク』(現・土スタ)に染谷さんが出演したことが書かれているから、恐らくそちらの方で口にしたのでしょうが、ならばそれはそれとはっきり書いてほしいものです。

なぜ天王寺砦でそれ(注・本願寺攻めに九鬼水軍を使う)を冷静に思いつけなかったのか? 敵の物資面での優位を光秀たちは進言していた。気合いが足りない、なんてしょうもない根性論に飛びついて、数字の分析も無視してしまった。

この場合信長は、原田の家臣たちが一向宗徒で、わざと玉を込めなかった、これで本気と言えるか、大事なのは気合じゃと言っているわけです。無論これは、彼我の兵器の数を考慮に入れていない信長の、一方的な思い込みではありますが、一般的な意味合いの「気合が足りない」が、しょうもないと果たして言えるかどうか。この「しょうもない」も武者さん好きですね。

またこのシーン、本願寺攻めで、信長は劣勢にあるにも関わらず、手勢を率いて本願寺勢力を切り崩し、その際敵方の銃弾で軽傷を負ったという説を踏まえていると思われます。

人は、恋をしている相手はとてつもなく美しく見えるものではないですか。
染谷さんも『スタジオパーク』で語っていました。信長はずっと十兵衛ラブ。
(中略)
信長としては大好きな十兵衛、そのそっくりな愛娘の縁談を用意して、親密度を上げたい! 張り切ってますね。
いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして。また光秀が病になってしまわないかと不安です。

これなのですが、今年の信長の「白兎愛」と相通じるものがあるかと。要は信長とその時々の主人公の距離の近さ、連携の強さをこういう形で描いているわけでしょう。
それで行くと亀姫の奥平への輿入れも、その親密度を上げるためのものかとなりますが、それは今後の展開を待つとして。

それと
「いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして」
だったら、その具体例を挙げて貰えないでしょうか。

そして『MAGI』をここでも出して来ていますが、

決して『MAGI』が素晴らしく、『麒麟がくる』がせせこましいということではありません。
『麒麟がくる』は、人の心、その機敏を、細工もののように扱う繊細な美しさがあります。これはこれで最新鋭の歴史の捉え方でしょう。

好きな大河だとこういう書き方ですね。嫌いな大河だと、この『MAGI』を叩き棒にするのでしょう。

このあと、秀吉はシレッと信長に明智様とお話がしたいと言います。
しかも、話題は愚痴でした。殿が最近暴走気味だというのです。
愚痴だのゴシップは、人間関係をつなぐものともなります。よい話や噂以上に盛り上がる定番のネタと申しましょうか。

武者さんも『青天を衝け』や『どうする家康』関連では、愚痴やゴシップがかなり目につきますね。これも人間関係をつないでいるのでしょうか。そして今年は、この時の信長同様に暴走気味だと思います(これについては後日)。

【長篠の戦い】はセリフで流されました。
これを「スルー」とするのはどうでしょうか。
どうにも「ナレ+イベント」とか「スルー」という言葉が定着しましたが、見る側に変な偏見を刷り込みそうな気がしています。
予算や尺の問題もあるのでしょうが、戦いを描くことで物語の焦点がずれてくることはあります。
歴史ファンは自分が好きなイベントや人物を入れて欲しいと願うもの。それが悪いとは言いませんが、そのことばかりに目配せして、制作陣が振り回されると物語の芯や根幹が揺らぎかねません。

これも好きな大河だとこうなのですね。嫌いな大河なら、主人公とそう関わりがなくても叩いたでしょう。
そもそも「戦いを描くことで物語の焦点がずれてくる」とは、どういうことですか。それを如何にストーリーに嵌め込むかも、制作陣の腕の見せどころではないかと思うのですが。

恐らくは
織田・徳川VS武田
の構図であり、明智がメインではないから外した可能性はあると思います。このセリフを発したのは築山殿でしたし。ただやはりこれは、実際にその戦を経験した家康に言わせてもよかったかかもしれません。

あと
「目配せして」
ではなく、
「目配りして」
ではないかと思います。

京では、光秀と入れ替わるように煕子が胸の病で床にいました。
幼い嫡男の十五郎が母の傍にいます。
そこで賑やかに、鬼に扮したものが庭にやってきます。伝吾が弓で射るふりをします。
今、何かと話題の鬼。その鬼とは何なのか、想像するのもおもしろい。
(中略)
左馬助が駒様から習ったと不器用な舞を見せ、岸が「手はこうでございます」と指摘。
あの叔父上の子なのだと思えて、それでいて爽やか、清涼感があります。
この作品の明智家臣団は、出番がそこまで目立たないようで、味があって欠かせない、大事な人たちです。
「うおーっ、病魔退散!」
そう言い、楽しむ明智家。

この大河のこういうシーンであれば、ここまで肯定的に書いているのに(それが悪いとは言いませんが)、なぜ『どうする家康』の「えびすくい」を、自分は嫌いだというそれだけの理由で、武者さんは否定しまくるのでしょうね。
あれは三河出身の徳川家臣団に取って、このうえない感情表現であり、めでたさを表す手段であると思うのですが。

そしてその後

このご時世ともなると、いろいろ考えさせる場面です。
煕子の神社での祈り。そしてこの病魔退散。こんなことをしたところで、病気は治療できません。
東庵や駒、そして家康が得意とするの東洋医学とちがい、理論の裏付けはない。迷信であり、気休めにすぎないもの。
だからといって否定できるのか?
新型コロナウイルスの影響で初詣がない。神仏に祈ることすら制限される中、重大な問題提起にも思えます。

この場合、こういう書き方でなく
「煕子の祈願、明智家臣団の病魔退散。それらは系統だった医学とは異なり、あくまでも呪術的で迷信と取られがちでもある。目に見えず恐れおののくべき対象、魔物のような存在ではあるが、それを何とか追い払いたいという彼らの大きな思いが込められており、あながち今の感覚のみで否定する気にはなれない」
とでも書いてほしいなと思います。

その夜、光秀は眠らずにいる煕子を見ます。
「寝ていなくてよいのか?」
「あまりに楽しかったものですから、まだ余韻に浸っていとうございます」
そっと上着を掛けつつ、部屋を片付けていたら出てきた温石を見せる光秀。結婚する前に、煕子が渡したものでした。

「上着」でなく「羽織」ですね。何度も言いますが、武者さん歴史系ライターの割にこういう服飾用語に無頓着ですね。

光秀は麒麟を呼んだのか?
麒麟がくる道に、この夫妻は花びらを撒いたようにも思えます。その花びらを踏みしめて、麒麟はくるのでしょう。
人は何もかも手に入れられるわけではありません。
麒麟を呼ぶ者となった家康は、美しい花びらを撒く天女のような存在は知らない。出会うことはない。そういう美しく、あたたかい存在とは無縁のまま生きることになる。
麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり、天からそうさだめられたのであれば、仕方ないのかもしれないけれど。
最終章に突入し、人の繊細で美しい心の機微が展開されてゆきます。

その病魔退散で花をまき散らし、煕子がそれを拾っているわけです。
それはいいのですが、どうもその後の「麒麟が…」がちょっとくどく、またわかりづらく感じられます。
要は光秀は、例えて言えば花嫁の先を行くフラワーガール的に花をまいたものの、その花嫁に象徴される主役は彼ではなく、天下人となった秀吉あるいは家康だった、こういうことでしょうか。

特にここ。
「麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり」
守成というのは、創業者の後を継いで地盤を固めることですが、それをやった「天下人」はこの場合秀吉ではないでしょうか。

圧倒的に美しく、儚い煕子。
主人公の妻にしては目立たないようで、地味で、保守的な理想像のようではあった煕子。
一周回ってこれが正解だとは思えます。
もう、わざとらしく木の枝に登ったり、暴れ馬を止めるヒロインはいらない。そう思える女性像でした。
とはいえ、無個性ではない。

再度。それを言うなら、瀬名も似たようなものだと思います。
彼女は木に登ったり(『木の枝に登る』のは難易度が高いかと思います)、暴れ馬を止めたりするわけではないけど、夫が今川を捨てたことで苦労もし、三河の小領主の夫を支え、そして自ら「女子の政」をも実践しています。しかし武者さんに取っては、「昭和のオヤジが好きな、昭和平成のギャル」にしか映らないようで、あのドラマ本編をちゃんと観ていないか、あるいは観ているけど、敢えてネガティブに書いているかでしょう。

それから、最近投稿の分のタイプミス、わかりづらい個所などを修正しています。

飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/06/08 01:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に見る7へのこだわり

第21回『長篠を救え!』で、亀姫が鳥居強右衛門に投げつけようとした丸い石が、第7回「わしの家」で、鳥居元忠が持っていた石そっくりだと、ツイッターで言われているのを目にしました。それのみならず、この第7回では酒井忠次が、岡崎に来たばかりの瀬名にナスを持ってくるシーンがあります。

ナスと言えば、第21回で食事を出された強右衛門が食べていたのは、ぱっと見ナスの煮つけのように見えます。三河ナスと呼ばれるくらいですから、岡崎城でも多量に消費していたでしょう。そしてこの回でも家康は、信長と同盟関係でありながら、その信長が三河を自国領のように見るのが不満そうです。またこの回は、三河一向一揆へとつながる回でもあります。

そしてこの強右衛門は、はるばる長篠から岡崎まで来ています。これは第14回でお市の侍女の阿月が、金ケ崎の家康の陣まで、浅井長政の裏切りを知らせに行くのと似ています。そしてこの回でも家康は、信長に阿月がいまわの際に言い残したように、退却するようにと促し、それがもとで信長と対立して、あほたわけと2度も叫んでしまいます。

結局信長は退却するわけですが、この回は姉川の戦いへとつながって行きます。そして家康もまた、この時信長を裏切るかどうかで迷うことになります。そして今回、家康は信長から清須同盟を破棄し、自分の臣下となるように言われます。しかし家臣の手前、その場で従うなどとはとても言えず、そもそも信長がどれほど自分を助けてくれたのか、そのことでもすんなりと受け入れがたいものがありました。

すると瀬名がその場を取り仕切ってくれます。これでまずは長篠を助けようとなるわけですが、この3つの回には他にもつながりがあるのにお気づきでしょうか。

第7回
第14回
第21回

つまり、すべて7の倍数となっています。

これから考えると、この第21回で起こったことが、第28回でも起こりうるのではないか、そのようにも取れてしまいます。また倍数ではありませんが、三方ヶ原の戦いへと突入して行くのは第17回でした。

古沢氏の考えなのか、あるい制作統括がこういうアドバイスを出したのか、よくわかりません。偶然こうなったとも考えられますが、今後7という数字に注目して観て行くのもまた一興かと思われます。ところで強右衛門が口ずさんでいた歌、BGMにも使われていましたが、これは岡崎体育さんのオリジナルだそうです。

さて奥平信昌を演じている白洲迅さん、7日からは『刑事7人』にも登場です。専従班の野々村君との再会です。そして穴山信君を演じている田辺誠一さんですが、こちらも『刑事7人』では専従班の海老沢さんですね。というわけで締めも「7」と、今回はちょっと遊んでみました。

飲み物-ウイスキーオンザロック2
[ 2023/06/07 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

長篠の戦い-1

まず大雨の被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。『どうする家康』の舞台東海地方にも、線状降水帯が発生していましたね。

ところで明日はいよいよ、長篠の戦いその前夜と言ったところです。長篠城主奥平貞昌(この当時は貞昌だが、ドラマ本編の表記に従いこのように表記)と亀姫が結婚することになりそうです。ちなみにこの信昌を演じる白洲迅さん、どうも『刑事7人』を思い出してしまいます。そして鳥居強右衛門も登場です。こちらは岡崎体育さんが演じていますが、この人は『まんぷく』の塩作り軍団を連想しますね。

この時の長篠城の守備は500人と伝わっていますが、武器がそこそこあったことと、地形が幸いして何とか籠城を続けていました。ただし兵糧蔵が焼けてしまい、この時強右衛門は援軍要請に岡崎までやって来ます。しかし長篠まで戻ったところを武田軍に捕らえられますが、強右衛門は援軍のことを武田に堂々と話します。そこで武田は強右衛門に、援軍は来ないと叫べば所領をやると持ち掛けます。

しかし強右衛門はその逆に、援軍がくると叫び、これによって磔刑にされてしまいます。とはいえこの言葉に、長篠城の兵たちが勇気づけられたことは言うまでもありません。あとこの長篠の戦いでは、馬防柵など所謂野戦築城の手法が用いられていますが、信長が宣教師や南蛮人を通じてこの方法を知っていたという説があります。その信長、次回では月代を剃って、服装も今まで以上に南蛮人的になるようです。

それとこの戦いでは、酒井忠次が別動隊を率いて夜間の山道を行軍し、鳶ヶ巣山砦を奇襲しています。これに関しては、先日の『歴史探偵』で登場したので、ご存知の方も多いでしょう。これに奥平の軍も加わり、武田の退路を断ったことが、徳川と織田の連合軍に有利に働くことになります。

その後長篠の戦いというか、設楽原の決戦となります。これによる武田方の損失は大きく、またこのため織田や徳川に注意を向けざるをえなくなり、関東への影響力が小さくなったとも言われています。一方信長はこの戦い、その後の石山本願寺
との和睦でゆるぎない天下人となり、また家康も三河を取り戻し、その後遠江を攻略して行くことになります。

ところで第20回の瀬名、あの千代との駆け引きは、お万に言った「おなごの政」と取るべきでしょうか。しかしこの回、様々な人物が登場していますが、ひときわインパクトがあったのが井伊虎松と山田八蔵という、全く対照的な2名でした。

それと兜に使われているヤクの毛、後編のガイドブック84ページから90ページの、人物デザイン関連記事にその説明があります。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/06/04 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第20回に関しての武将ジャパンの記事について-1

久々に『武将ジャパン』の大河コラム関連です。とは言っても実際にアクセスしたのではなく、ある方のツイートにあったスクショを見て、これについて書こうと思った次第です。一応そのツイですが、こちらになります。

https://twitter.com/taketak39460607/status/1663095355918147585

以前から、武者さんのコラムに関して突っ込みを入れている方で、今回も関連ツイがスレッドとなっています。そしてこのスクショにある記述ですが、

女たちが負傷兵の看病をする場面の臭さはどうにかなりませんか。
治療しながら亀がメソメソ泣くあたりは『女の子はこういうとき泣いて欲しいんだよぉ♪』という妄想じみていてどうしようもない。
臭いBGMを背景に、瀬名がわざとらしくキビキビしていて、学級委員長じみた綺麗事をいう。五徳はわかりやすいゲスセリフをいう。本当に、しょうもない青春コメディだ。
負傷兵の取り扱いについては、残された文献や資料からある程度推察できるはず。
そういうリアリティが感じられず、せいぜいが体育祭で転んだ生徒に、マキロン塗りつけて絆創膏を貼る程度。部活動の女子マネですか?

まあ、如何にも嫌いな対象を叩きたがる時の武者さんらしく、ゲスだの青春コメディだのと書いていますね。

でこちらのツイにもありますが、この当時こういう場での救護マニュアルなどあるはずもありません。『TOKYO MER』ではないのです。「瀬名がわざとらしくキビキビして」ではなく、彼女ならその方法をいくらか知っているからでしょう。
しかも「残された文献や資料」とはどのような文献であり、資料であるのでしょうか。具体的な名前が挙げられていないのですが。

あと「五徳のゲスセリフ」。なぜ寿桂尼が出てこないのかと書いていた時もそうでしたが、これがゲスセリフとしか思えないのなら、この大河の「レビュー」を書くのは止めた方がいいのではないかと思います。このやり取りに関しては、この少し前の信康と五徳が口論になるシーン、あれから続いていると考えるべきでしょう。

さらに亀が泣くのは、手当をしようとしていた兵が死んでしまったからでしょうね。特に彼女はこのような場に慣れていないこともありますから。で、瀬名に息のある者を助けよと言われているわけです。

しかし
「せいぜいが体育祭で転んだ生徒に、マキロン塗りつけて絆創膏を貼る程度」
命のやり取りが行われる戦場で、瀕死の重傷を負って戻って来た兵に経験則で治療を施すシーンを、このようにしか見られていないのであれば、尚更この大河について書いてほしくないなとは思います。

そしてもう1つ挙げておきます。同じスレッドの中にあるスクショの一部ですが、

武田の軍勢は、どうして野生動物みたいなノリで、山の中で軍議をするのでしょう。
武田家はキャンプ好き♪とでも言いたいのでしょうか。
信玄もよくわからん場所で野生のノリを披露していましたよね。

武者さん、本気でこういうことを書いているのでしょうか?
ドラマ本編冒頭に出て来た諏訪原城は山城ですし、岡崎城の東の方は山地になっていますが(足助城もこの山地にあります)。

でこちらも当該ツイにあるように、武者さんは戦場や城がすべて平地にあると思っているのかと、言いたくなってしまいます。なおその後に武者さんが、第19回で死体が野晒しになっている様子(恐らく荼毘に付された信玄の遺体)について、武田氏は死体野晒しOKという風に見えて、それを大河でやられて愕然とするなどと書いていますが、これもあくまでも象徴的な意味での描写だと思うのですけどね。その割に信玄が野生のノリなどと、いささかコケにしたような書き方をしていますね。

ちなみにこの人はわけがわからない状態を表現するのに、頭痛がするだの脳が溶けるだのといった言葉を使っていたことがありますが、この「愕然とする」という言葉も好きなようです。尤もわけがわからないと言うより、きちんと観ていないからではないかと思いますが。

飲み物-ビールと夜景
[ 2023/05/31 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の今昔と歴史考証-3

まずタイトルを通し番号に改めています。そのため1つ前の投稿は「大河の今昔と歴史考証-2」となります。

今回は大河と、かつて民放で放送されていた時代劇の関連性についてです。とは言っても、そこまで民放の時代劇(DVD視聴を含む)を観ているわけではないのですが、昔放送された捕物時代劇とか、あるいは必殺なども最初から対立する相手が決まっており、彼らをどういう形であれ捕らえる、あるいは成敗することでドラマそのものが成り立っていたと言えます。

大河もある程度は、これと似通った部分はあったと思われます。無論主人公のすべてが所謂武将ではなく、そのためすべての作品に於いて、必ずしも武力をもって対峙するべき相手がいたとは一概に言えませんが、それでも主人公の人生に於いて邪魔な存在、敵となる存在は必ずと言っていいほどいたわけです。

その彼らをどのように描くか、多くの場合彼らは悪役とか、ものごとの道理がわからない人物として描かれていたのではないでしょうか。しかしその後その傾向は影を潜めるようになり、最終的に敵対する相手となっても、どこか人間臭さを持つ存在として描かれるようになります。

仮説ではありますが、やはりこれは民放の時代劇が作られなくなったのと、関係しているようにも見えます。時代劇すなわち勧善懲悪といった風潮もなくなり、たまに作られることがあっても、単に悪者を懲らしめるだけの作品ではなくなりつつあります。

大河も2010年代頃から、徐々にそのような傾向が表れて来ます。無論これは作品によっても様々ですし、ある作品で描かれた史実が、必ずしも同じ時代背景の作品に受け継がれていないこともありますが、これに関しては別々の主人公、別々の作品と割り切って観るべきではあるでしょう。1つの作品の世界観が、必ずしも他の作品に反映されるとは限らないからです。

そしてかつての時代劇は、今は刑事ドラマに取って代わられたように思われます。刑事ドラマの方が現代を描く分、もちろんチャンバラ主体にはならないし、罪を犯す側の心情を描くことがその分可能ではあるでしょう。ちなみに殺陣や合戦シーンなどは、今の方が優っているものもあります。

あとかつての大河に比べると、今のセットは暗いという指摘もあったようですが、どう考えても当時は今のような照明があるはずもなく、多少薄暗いのが寧ろ当たり前ではないのでしょうか。確かに以前の大河はスタジオ撮影が多く、そのためライトがかなり明るかったせいなのでしょうが、逆にそちらの方が不自然でしょう。


飲み物―アイスコーヒー5
[ 2023/05/29 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』に改めて思うこと

先日朝ドラを書かなくなったと書いていましたが、実は今回は朝ドラについてです。とは言っても今放送中のは観ていませんので、1年前に放送された『ちむどんどん』について。反省会で有名になった感がありますし、私も反省会タグのツイを何度か見たことはありますが、ツイートの内容によっては、ちょっと行き過ぎではと思うこともありました。

無論その一方で、この描写はちょっとどうかなと思われるところももちろんありました。たとえば時代考証がおかしい(1972年にはないペットボトル入りの醤油が登場したり、あの時代には不可能だった沖縄からの農作物を智が仕入れているとか)、沖縄から東京まですぐに行けてしまう、暢子が料理人なのに帽子の中に髪をまとめていないといったシーン等々。

それに加え、歌子が仮病を使って智を暢子の結婚式に連れて行くというのも、私としてはあまりいただけませんでした。まあ時と場合に応じて、所謂史実は多少動かしてもやむを得ないかとも思いますが、それ以外に犯罪や反社会勢力の登場が多いのがまた違和感がありました。

元々朝ドラというのはそういった描写は少ないか、逆に主人公とかその関係者などが事件に巻き込まれ、苦労しつつも成長して行くという展開が多いかと思われるのですが、この朝ドラの場合、特に賢秀ニーニーがあれこれ騒ぎを起こしまくっては、家族に迷惑をかけ、しかもあまり反省していないというパターンが多かったですね。

実はこれを観始めたのは、そのニーニーがバーガーショップで暴れ、暢子と優子がサーターアンダギーを持って謝りに行った時からでした。その後家族はしばらくニーニーに振り回されることになるわけですが、今度は暢子が料理人になりたいと単身東京へ行ってしまいます。しかもたまたま軒先で雨宿りをしていたところ、沖縄にルーツを持つその家の主人三郎と出会い、フォンターナを紹介して貰っています。

朝ドラあるあるなのかも知れませんが、何かとんとん拍子に行き過ぎな感もありました。また暢子も自己主張が強く、フォンターナのオーナーに対決を挑んだりもしていましたね。ああいう設定もちょっとやり過ぎではと思われたし、また暢子が料理をする時の手際があまりよくないのが残念でした。黒島結菜さんには、もう少し料理を練習してほしかったなとも思います。

料理に関しては、愛の方が手際がよかったですね。そしてこの愛とか、矢作が登場するシーンは面白く感じられたし、寧ろ彼らに出会うことで暢子が成長して行く姿を見たかったなとも思います。その意味でも矢作の食い逃げはなくてよかったでしょう。フォンターナを辞めた彼が、沖縄料理店の求人を見て面接に行くという設定でよかったし、こういうところにも犯罪を絡めるのが気になりました。

他にも良子が娘を連れて実家に戻るところとか、入札で決まるはずの給食の業者を自分で決めるのとかも、単に良子の我儘のように見えました。ああいうのも夫婦の関係とか食育がテーマなのだから、描き方を工夫すれば納得できたかとは思います。また和彦の母親の家へ暢子が弁当を連日持って行くとか、ニーニーと良子が押しかけて行くシーンですが、そこまで暢子や兄姉が真剣に結婚を考えているのなら、これももう少し描き方を工夫できないかと思ったものです。

ちなみに小檜山青氏はこれを絶賛していました。確かに小檜山氏が好きそうなヒロインではあります。あと私は全く観ていませんが、『半分、青い』という朝ドラも褒めていましたね。私はその後の『まんぷく』を観ていましたが、これが日清食品の創業者を描いていたのが気に入らなかったようで、散々に叩いていたのを今も覚えています。

そして本来は、台湾出身の安藤百福氏がインスタントラーメンを考えたのに、なぜ日本人にするのかといったことも書いていました。しかしこのドラマではそうなっているわけで、ならばNHKにメールを送るなりして、制作サイドがどのような考えでこの作品を作ったのかを問い合わせるべきだったでしょう。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2023/05/13 01:00 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

古沢良太氏とキャラ設定

『どうする家康』の作者(脚本家)の古沢良太氏ですが、『リーガル・ハイ』や『相棒』の脚本家でもあることは、ご存じの方も多いでしょう。生憎私は『リーガル・ハイ』は殆ど観ていない(観ようと思いつつ未だに実現していない)のですあが、『相棒』の方はいくつか観ています。尤もこちらも今は観なくなりましたが、それはさておくとして。

『相棒』の脚本担当はかなりいますが、古沢氏の場合は、月本幸子というキャラを作り出したと言えばわかりやすいでしょう。この佐知子は

ついてない女
ついている女
つきすぎている女

以上の3つの作品で、自分を情婦にしていた男を撃って、杉下・亀山に追われる容疑者、脱獄騒動に巻き込まれる受刑囚、そして出所後に、食品会社の社長宅の家政婦としての姿がそれぞれ描かれています。このうち「ついてない女」関連ではhttps://bakerhouse221b.blog.fc2.com/blog-entry-3110.html
「つきすぎている女」は
で、それぞれ書いています。

この3つの作品中の幸子は事件の当事者となって焦ったり、運の悪さを嘆いたり、自分で想像を膨らませて不安に陥ったりします。この辺は、どことなく家康と似ています。元々彼女は「ついてない女」で杉下に、自分は運が悪いと自ら語っており、逮捕されたのも、それが原因だと思っていたようです。

しかし人生に立ち向かうように杉下に言われ、脱獄騒動後は刑務所に戻って刑期を務め上げ、出所後に食品会社の社長宅で家政婦として働くことになるのですが、ここで妄想を拗らせて、あらぬ疑いを社長に抱いてしまいます-このエピソードは特に、ホームズの『ブナ屋敷』を思わせます。このような妄想癖に加え、多少ドジっ子なところがあったりもします。幸子はその後花の里の女将となるものの、何かで追いつめられると、思わぬ行動に出たりもしています。

さて大河の場合、家康のキャラ設定に比べると、信長や藤吉郎のキャラ設定はいささかクセが強いものとなっています。見方を変えれば、家康をちょっと頼りない、しかし真面目なキャラとして描いた場合、こうならざるを得ないかなとも思います。信長は最後まであれで行くのでしょうが、藤吉郎が羽柴秀吉となり、さらに豊臣秀吉となった時、いくらかのキャラ変はあるのでしょうか。

さらに家康の家臣団などは個性派ぞろいであり、それぞれのキャラ設定がうまく活かされているなと思います。何せ彼らは終生家康と運命を共にする、ある意味家康に一番近い存在人物であるため、それぞれをどう描くかはかなり重要になって来ます。また何よりもこの大河自体が、それまでの戦国大河を、事件や主人公のピンチをメインにして再構築したようなところがあり、様々な意味で今までといくらか趣は異なっているとも言えます。


飲み物-ミルクティ2
[ 2023/04/30 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』関連で疑問に思う2つのツイート

先日、『どうする家康』の歴史考証担当の、平山優氏のツイートに関して触れています。そのツイートはこちらになります(リンクは貼りません)。この中で、小檜山氏(武者さん)が報酬を貰って歴史ものを書いていることに、平山氏も驚いています。

https://twitter.com/HIRAYAMAYUUKAIN/status/1649681890960609284

このツイートにあるスクショですが、小檜山氏とツイートをやり取りしているS氏が、史料に根拠があるとかないとかいう問題ではないと言っています。それに対して小檜山氏が、
「研究者(私注・恐らく平山氏のこと)がああも怒るということは、正しいのではないか」
と言っています。

そもそもこの史料と言うのは、平山氏が小檜山氏のツイートを引用し、この当時越前ガニが食べられていた史料があるとツイートしたことに関連しています。しかしここで小檜山氏が
「正しいのではないのか」
などと言うのはやはり問題でしょう。小檜山氏も「歴史系ライター」であり、ここで越前ガニについてツイートしているのであれば、そのくらいの史料は知っておいてしかるべきではないでしょうか。尤もその後のやり取りでは、何やら論点がすり替わっているようです。

尚この史料ですが、多分平山氏は、永正8(1511)年の三条西実隆の日記『実隆公記』に2度にわたって、「越前蟹」と記されているのを言いたかったのではないかと思います。

ところで平山氏が引用した小檜山氏の元ツイですが、大河に登場する食物絡みで、第14回についてのニュース記事を引用したものです。

その記事は『どうする家康』第14回はまるで越前ガニのオンパレードであると書き、「紀行潤礼」は『孤独のグルメ』であり、「公共放送が民放を真似る由々しき事態」とまで書いています。まあ小檜山氏が好きそうな記事ではあります。そもそもこのnifty、ゴシップめいた記事が多いので有名ですが、ご参考までに↓

『どうする家康』14話で『孤独のグルメ』パロディー? 越前ガニ回に疑惑の声
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12156-2294497/
(niftyニュース)

しかしこの第14回、確かにカニも登場しましたが、どちらかと言えばお市の命を受けた阿月が、金ヶ崎まで走るシーンの方が多かったと思います。

それと公共放送に民放を採り入れるというのは、そこまで由々しき事態なのでしょうか。実際これは『孤独のグルメ』だなと思いましたし、この『どうする家康』に『スクール・ウォーズ』的な描写もあることは、前にあらすじと感想でも書いています。ならばテレビ70年とかで、『チコちゃんに叱られる』と『笑点』がコラボしていましたが、ああいうのもいわばNHKが、民放にすり寄っていることにならないでしょうか。

それともうひとつ。
実はこれは平山氏自身のツイートではありませんが、やはり『どうする家康』関連ツイートで、これは如何なものかと思われるものがあります。それは歴史家の渡邊大門氏のもので、渡邊氏自身のものは削除されていますが、スクショを取っていた方がいます。

https://twitter.com/sonapapa57577/status/1649278658534871042

何でも『どうする家康』の視聴率を上げるには、CGをやめて城を作って本当に燃やせだの、合戦シーンは真剣使って死人が出るくらいやらないとだの。そしてその後渡邊氏は、
「一部の人に冗談とは受け取られなかったようですが、まずかったですか?」
とツイしています。

冗談にしては度が過ぎてやしないでしょうか。城を燃やせはまだしも、死人が出るくらいやれは明らかに一線を踏み超えているでしょう。第一今は馬を使ったりするにも制約が多いなどの理由から、CGを使わざるを得ない事情があるのですが…。このスクショを貼ってツイした方もまた、リプ欄で渡邊氏の発言に疑問を呈しています。



飲み物-ミルクが注がれる紅茶
[ 2023/04/26 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第14回「金ヶ崎でどうする!」あらすじと感想-1

前半部分のあらすじと感想です。

10年前。敦賀・金ヶ崎の浜で子供たちが、干し柿を懸けた競走をしていた。走る少年たちの中に少女が1人混じっていた。女のくせにと突き飛ばされながらも、すぐに立ち上がって走るその少女は阿月と言った。結局彼女が一番に戻って来たにもかかわらず、父親が干し柿を受け取るのを許そうとしなかった。そして10年度、同じ浜辺に家康が陣を敷いていた。

鳥居元忠、平岩親吉と渡辺守綱は、初めて見る越前ガニに驚きつつもうまそうに茹でたカニをほおばる。そのカニをふんだんに盛っての酒宴が行われ、ここでも酒井忠次は、信長にえびすくいを披露する。するとそこへ、赤の甲冑をまとった木下藤吉郎が現れ、「カニすくい」を踊りつつ「三河守はどこにおわしゃあす」と歌い、一同は大いに興に乗る。

信長の前ということもあり、家康もここは何かすべきと、そばのカニを手に取ってこう歌う。
「カニが崎におわしゃあす」

信長の表情が一瞬険しくなり、その直後破顔一笑する。その翌日家康は二日酔いになっていた。信長殿も機嫌がよいと言う忠次に、余計に怖いわと家康。他の家臣たちは、勝ったところで越前を貰えるわけでもなく、皆三河に帰りたがっていた。すると石川数正が、これは幕府再興、天下静謐のためだと言って聞かせる。しかし忠勝は気乗りがしないようだった。

浅井勢が加われば信長軍は有利になり、すぐに帰れると忠次。家臣たちが軽口をたたき合う一方で、家康は義昭という人物、信長の言う天下一統を考えていた。その頃北近江の小谷城では、出陣の準備が進められていた。浅井長政が妻のお市に告げたように、信長を裏切るためのものだった。お市は自分に非があるのかと尋ねるが、長政はそうではないと言う。

お市の侍女阿月は、小豆を入れた小袋に手紙を忍ばせ、水を汲むふりをしてそれを忍びの者に渡す。そして信長は越前の港を唐だ、明国だと偽って家康をからかう。家康はおどけたふりをしながらも、心中面白くなかった。そして軍議が開かれるが、信長はこたびの戦は将軍様のご威光を、天下に知らしめるための戦と言い、世間の民を震え上がらせるほどの勝利を収める必要があった。

しかしそこへ、朝倉義景が1万5千の兵を率いて、一乗谷を出たとの知らせが入る。籠城もせずに打って出るのは不自然であり、またかつて朝倉家にいた明智光秀は、義景は戦下手で血迷っていると進言する。同じ頃、浅井軍も北近江から越前へと向かっていた。また小谷城では家来たちが例の忍びを捕らえ、お市に城内にお手玉が落ちていたと、阿月が渡した袋を破ってみせる。中には「おひき候へ」と書かれた手紙が入っていた。

男なら腹を切らねばなとお市。これでは織田と浅井の対立に家康も巻き込まれる、幼い頃助けてくれたから、次は自分が、助けて差し上げねばと思っていたのにと口にするお市。阿月は自分が知らせに行くことを申し出る。金ヶ崎まで10里を超えるものの、阿月は故郷であるため土地勘があり、しかも軍勢の休息する隙を狙って追い抜くつもりでいたが、その気持ちだけで十分じゃとお市は言う。

徳川軍の軍議。東の一乗谷から朝倉軍がやって来る一方で、南からは浅井軍が進軍して来る予定だった。胸騒ぎがすると言う家康に忠勝は、もしこの両者が裏で手を組んでいたら、挟み撃ちに遭うと言う。いくら織田勢が3万でもこれではただで済まないどころか、一方が岬では逃げ場がなく全滅もありえた。

長政の人となりを尋ねられ、家康は、心によどみがない実直な御仁と答える。しかし数正は、だからこそ裏切るということではないかと言う。数正も家康同様、あの将軍に乱世を御することができないと考えており、なぜ信長が義昭を崇め奉るのか、神輿は軽い方がいからではないかと指摘する。実際長政は、信長の天下簒奪、そして日ノ本全てをわがものとすることを見抜いていた。

つまり数正は、長政がここに進軍しているのは信長追討のためだと言う。家康もお市も途方に暮れる。そしてついに阿月は城を出て、金ヶ崎まで行くことにする。表向きは貰い乳ということで城を出た阿月だが、足元がわらじであるのに気づいた家臣たちは、彼女を尾行する。


今回は阿月メインの回となりそうです。金ヶ崎で家康の家臣たちは、初めて見る越前ガニに驚き、かつそれを味わいます。そして信長を招いての宴会となり、ここでも忠次のえびすくいが登場しますが、案の定と言うべきか、藤吉郎が「カニすくい」でそれに対抗し、家康も彼らの相手をすることになります。信長は楽しそうでした。

しかし家康にはそれがかえって不気味であり、また家臣たちも三河へ帰りたがっていましたが、石川数正は、これは幕府再興、天下静謐のためだと言います。つまり信長が将軍の威光を借りて、日本中を悉く自分に従わせようとしているわけで、そのためにも担ぐ神輿である将軍は、軽い方がよかったのです。

ただし浅井長政はそれが許せず、妻のお市にそのことを打ち明け、信長を裏切って、朝倉義景と共に信長を討とうとします。お市は一計を案じますが、それは浅井の家臣に見破られてしまいます。これにより家康も、そしてお市も八方ふさがりの状態でした。

このままでは、夫に兄が討たれるという最悪の事態に追い込まれてしまいます。そこで打開策として、走ることが得意な阿月を送り込むことになります。この阿月は子供の頃脚が速く、男の子たちを追い抜いて競走で一番になるものの、父はそれをよく思っていなかったようです。

実はこの阿月に、『西郷どん』の糸が何となくダブります。彼女も男の子たちより脚が速く、また彼女の場合は男の子ばかりの郷中に入りたくて、男装していました。あと『アシガール』というのもありましたね。あれはタイムスリップ物で、主人公の唯は自分を男だと言っていましたが。

閑話休題。そしてこの「お手玉」、小豆を入れた小袋ですが、本来はお市は信長に小豆を送っていたとされています。ただこの場合は信長でなく家康に送っており、家康を助けようとしている設定になっています。無論家康に知らせることで、信長の耳にも届かせる目的もあったでしょう。ところでこの手のお手玉は、実は江戸時代になって出て来たとされています。


飲み物-スコッチウイスキー
[ 2023/04/17 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud