fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  国内ドラマ

『光る君へ』第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

先日蛇足ではないかと書いていますが、今回の『武将ジャパン』大河コラムの終わりの方について。


先ほど、海外の反応に触れましたが、今や地上波だけの時代ではりません。
VOD、配信、海外の目線を鏡とすることも重要です。

などと書きながら、今年そして昨年の大河はリアルタイム視聴率をやけに意識しているように見えるのですが、どうも辻褄が会わないような気がします。
そして「海外の目線を鏡とする」のではないでしょう。たまたまある作品が海外で当たり、キャストやスタッフが、注目されるようになると言うのが正しいかと。『チェリまほ』が正にそれではないでしょうか。

しかし結局こう書きたいから、「三鏡の教え」を持って来たのでしょうが、それ以前に、武者さん自身が「鏡」とすべき人や物もあるのですけどね。あと「はりません」は「はありません」でしょうか。

そして『不適切にもほどがある!』批判に絡めて『いだてん』叩き。

クドカンさんのドラマが批判されています。
私はこの流れを見て思いました。既視感があるな、と。
『いだてん』でもジェンダー監修者をつけた方がよいと私は批判しました。
当時のあのドラマは低い視聴率と反比例して、批判がなくなっていきましたが、それは危ういなと感じていました。
批判が目立つようになったのは、ドラマが終了して何年か経過してからのことです。

私は『不適切…』は観ていないから何とも言えません。
そしてこの『いだてん』のジェンダー監修なるもの、これも後の方は観ていないので何とも言えませんが、具体的にどういう理由で、ジェンダー監修が必要だと思ったのでしょうか。第一あれは昔のオリンピック、そしてそれに伴う選手のトレーニングのことが出て来ているはずですが、その当時の強化方法は、今と違って当然でしょう。

そしてジェンダーがどうこうと言う一方で、今回のコラムの中では
「前回の予告で、藤原公任の脱ぐ姿が映った時、これぞ女性向け大河だと言わんばかりの反応がありました。
しかし、そんな脱ぐ公任を見て、まだときめいていられるかどうか。
ゲストークが全力で炸裂ではないですか」
何度も書くようですが、嫌いな大河ならこのシーン、叩きそうです。
こんな男の裸ばかりでしよーもない、意味がわからない、しかも女をコケにしているとか何とか書いて。

そう言えば昨年の
「このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?」で、
「自慢できるトロフィー」というのがありました。
女は家柄だなどというセリフは、武者さんの見方からすれば「トロフィーワイフ」ではないのでしょうか。

クドカンさんとその周囲は、若い頃の挑戦的で斬新なイメージが強い。けれどもそのままでいられるわけもない。ファンが人として鏡になることを怠れば、どこかで躓きます。
もし、あのとき、大河ファンが鏡になっていれば、失敗は防げたのではないか。どうしてもそう思ってしまうのです。

そして「ファンが鏡」、要はファンが批判しなかったから、だから作品がダメになるのだと言いたげです。
しかしファンはその作風をも受け入れたうえで、宮藤官九郎氏を支持したわけです。今回の『不適切…』も恐らく楽しんで観ている人はいるわけで、それは違う、やめなさい、もっと批判しなさいと武者さんが言う道理もないかと思います。
結局こういう形で、『いだてん』を支持していた人をも叩きたいのでしょうが、はっきり言って大きなお世話です。
尤も武者さん、この大河の最初の方は絶賛していましたが。

一方で武者さんは、好きな『麒麟がくる』、特に駒を叩かれてかなりむきになっていることがありますが、そういう人が嫌いな大河なら叩けと言うのも矛盾していないでしょうか。
『麒麟がくる』が面白くなかったと言う人だっているのですが。

◆「どうする家康」&静岡・浜松市「ロケーションジャパン大賞」グランプリ!大河13年ぶり快挙 CPも感激(→link)
この大賞は「浜松まつり」が理由とされています。
しかし妄信的かつ組織的な票があることも推察され、昨年の評価は歪んでいるとしか言いようがありません。
歪んだ鏡に映った像を見てはしゃいでいるようでは、立ち直ることなど望めません。

「妄信的かつ組織的な票があることも推察され」
「昨年の評価は歪んでいるとしか言いようがありません」
また武者さんの個人的願望ですか。
こういうのは裏付けをちゃんと取ってから言ってくださいね。
そして「立ち直る」とは、何がどのように「立ち直る」のですか?

要は今回のコラムの「中国でこの大河は人気がある、すごい」と書きつつ、裏付けを出して来ない、それと同じパターンだと思います。

ちなみにこの「ロケーション大賞」、『舞いあがれ!』も「部門賞 地域の変化部門」受賞だそうで、どちらもおめでとうございます。

そしてこのニュースですが。
◆『どうする家康』ロケ大賞グランプリ受賞 松本潤ら参加の「浜松まつり」には約260万人が参加(→link)
記事内容を一部引用させていただきますと、未だに「黒田官兵衛」が登場させられています。
そして、豊臣秀吉、黒田官兵衛、真田昌幸、石田三成と次々と現れる強者(つわもの)たちと対峙し、死ぬか生きるか大ピンチをいくつも乗り越えるさまを映し出した。
いったい黒田官兵衛は『どうする家康』のどこにどう出ていたというのか?
制作サイドから貰ったソースを大手メディアがそのまま垂れ流す。しかも古いデータを活用しているから、こんなことになってしまう。

あの…非常に今更感が強いのですが。
こういうのは、最終回が終わって昨年が終わるまでに2週間くらいありましたよね、ああいう時にやってください。
なぜ今年の大河が始まってもう一月半も経っているのに、記事にあったからと言って、思い出したように出してくるのですか。

そして昨年は井伊直政死去のセリフも、都合で入れられなかったわけですし、当初は入れる予定が入れられなかったと言うこともありえます。それと私、今年も武士や戦が見たいこともあり、この『どうする家康』も観ていることは前にお伝えしています。観ているうちに官兵衛の存在をつかめるようなシーン、またはセリフが登場する可能性もまたあるかとは思います。

これだけでも提灯記事の数々がいかに怪しいものなのか、理解できるはず。
今年の足を引っ張るような真似だけはして欲しくない。そう切に願います。

ここの箇所でこれまたおかしな点があります。
まず
「制作サイドから貰ったソースを大手メディアがそのまま垂れ流す」
のが
「提灯記事」
であると言わんばかりです。しかしこれこれこういうことが描かれていると言うのは、提灯記事になるのでしょうか。ならば今年の記事も、制作サイドからのソースが多いでしょうから、提灯記事ということになりますよ。

要は坊主難けりゃ何とやらで、ごく当たり前な記事であっても、『どうする家康』関連であれば、武者さんはすべて提灯記事という色眼鏡で見てしまうようです。
悪いけど、こういう人がドラマ評を書いて報酬を貰っているのが、どうにも解せません。

「今年の足を引っ張るような真似だけはして欲しくない。そう切に願います」
なぜ『どうする家康』関連記事が、『光る君へ』の足を引っ張ることになるのでしょうね。たとえば明らかに『どうする家康』寄りで、しかも『光る君へ』に難癖をつけているような記事があるのなら、「足を引っ張る」ことになるのでしょうが、この記事を見る限り、そういう印象は全く受けません。

最後になりましたが、少し前の投稿で『春秋左氏伝』と書いたつもりが、なぜか『左氏春秋伝』となっていましたので訂正しています。

飲み物-トディ2
スポンサーサイト



[ 2024/02/23 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第7回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず、このコラムの冒頭の部分が訂正されています。
サムネを貼っておきます。こちらが修正前です。

武将ジャパン第7回修正前

そしてこのようになっています。

武将ジャパン第7回修正分

花山天皇が、遺体に近づけなかった点に言及しているのはいいのですが、「なぜ」近づけなかったのかがありません。言うまでもなく、この当時「死は汚れ」だったからであり、昨年の終わりの方で武者さんは、やけに(『どうする家康』が)汚れだ何だと持ち出していたはずなのですが、肝心な時に、この当時の人々が考える「汚れ」について書かないのですね。

あと
「亡骸に抱きつく」
より
「亡骸に取りすがる」
などとした方がいいのではないかと。

藤原道長が、馬で街を歩いています。

この「馬で街を歩いています」も何だかなあと思います。
せめて「馬の背に揺られている」とか、「馬を進ませている」とでもしてほしいです。

それぐらい当時の恋文の遅延は命懸けのうえ、従者がアクシデントでなくすこともあったのだから、なかなか恐ろしいものです。現代人の既読スルーどころじゃない破壊力かもしれない。
それをおずおずと切り出した百舌彦はどれほど緊張していたことか。

その当時、恋文にかかわらず文が届かないというのは、情報の遮断を意味していました。
(これよりも後の関ヶ原の戦いの前に、直江兼続への西軍サイドの文が届かなくなり、情報収集ができなくなったという話もあります)
仮に既読スルーされたところで、他に選択肢のある今と同列には論じられないのではないかと、

笑わせようと思ってここまで火力が高い話を考えてしまうとは。もしかしたらこの件は、祟りに怯えている兼家が怒り狂ったためでは?ということも想像できますね。
道長はけろりと、俺たちを笑いものにする散楽なら見たかったと言います。

例の、東三条殿の武者たちがけしからんと押しかけた散楽ですが、この時道長は逃れた先で、自分が考えたと言うまひろにまず
「俺たちを笑いものにする散楽を(お前が考えたの)か」
と言い、その後自分も見たかったと言っています。道長のセリフが建前と本音とも言うべき二段階構成であることは、きちんと書いておいてください。

いとも「もう昔のような苦しい暮らしは嫌だ」として、くどくど訴えてきます。
いくらなんでも、厚かましいようにも思えますが、この邸には妻もいないし、為時にとっては妻のような存在なのかもしれません。

まずいとの服装ですが、下働きの女性と違って袿を着ています。
そしてこの前の回で、乙丸がまひろへの手紙を、いとに渡さず直接まひろに渡してしまっていること、その時、惟規様の乳母だからと乙丸が言っている件などからして、使用人の中でも身分が高いことが窺えます。妻というか、一家の主婦、使用人の長のような存在なのでしょう。

来るか来ないか、迷っていたまひろは遅れてやってきました。「漢詩の会」といい、今回といい、一人だけ地味な服装です。

左大臣家の集まりにも同じことが言えます。まひろだけ絹を着ていないからですね。他の姫君たち、さらにはききょうも絹を着ている中で、彼女のあのいでたちは、如何にも身分違いといった印象をも与えてしまいます。さらには、彼女だけ髪をそのまま垂らさず、部分的にまとめていますね。

なんでも紀元前6世紀、ペルシャが発祥とされる競技であり、イギリスのポロよりも何百年も早いとか。
起源は諸説あるようですが、日本の場合は唐由来とされます。
『三国志』の時代、地球は寒冷化していました。
寒さに追われるようにして中国北部へ騎馬民族が入り込んできて、文化を変えていった時代。
魏晋南北朝という長い乱世を経て、中国には北から訪れた異文化が根付きました。
そんな騎馬民族の風習を感じさせる競技です。

最初の行は、ドラマの中でナレで紹介されたものですね。
で騎馬民族云々ですが、それはともかく、この競技がどのようにして行われるのかが何も書かれていません。昨日も貼りましたが、公式サイトのこのコラムをもう一度貼っておきます。

をしへて! 佐多芳彦さん ~平安貴族が楽しんだ打毬ってどんな競技?
(『光る君へ』公式サイト)

紀元前6世紀のペルシャを起源とし、馬上で行うものと徒歩で行なうものの2種があって前者はポロ、後者はホッケーのようなイメージです。例えば白と赤とか、青と緑というような2つのチームに分かれて競い合うんですね。人数に決まりはないようで、ドラマでは1チーム4人で行っていますが、もっと大人数で行うこともありました。

「光る君へ」では打毬を楽しんでいた貴族の多くは武官、または、その経験者であろうと想定し、今回は近衛府(このえふ)の色の使い方を参考にしています。左近衛(さこのえ)が「青」、右近衛(うこのえ)が「緑」というような色分けがそもそもあるんですね。視聴者のみなさんに、2チームに分かれていることが一目で伝わるようにしたいという意図もありました。道長たちが着ているのは、水干(すいかん)になります。そして、馬が走るときにはね上げる泥を防ぐための行縢(むかばき)を身に付けています。

そして、ここで佐多氏のコメントにある「徒歩で行うもの」ですが、「毬杖(ぎっちょう)」のことでしょうか。これに関しては、『炎立つ』で見たことがあります。

炎立つ毬杖1
『炎立つ』より

小道具やロケも大変でしょう。ストーリーの中に「打毱を出す」と決めたことがどれだけ大変だったことか。
このドラマには、その効果が十分にあります。
カメラも良いものを使っていて、ともかく圧巻の美しさと爽快感があります。見ていてよかった。

「小道具やロケも大変でしょう」
恐らくスポーツがメインの『いだてん』なども、かなり大変だったのではないかと思うのですが、それに関しては嫌いなせいか何も書かないのですね。

実際スポーツや競技を入れるのは、通常の収録とは異なるものがあるでしょう。大河ではないけれど、日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』のラグビーのシーンなども大変だったようです。余談ながら、間接的に知っている方が、観客のエキストラで収録に参加した由。

それと
「カメラも良いものを使っていて、ともかく圧巻の美しさと爽快感があります」
その「良いもの」とは具体的にどのようなところが「良い」のですか?この間、道長の筆が高級品といったことを書き、また詮子の硯に関しても同じようなことを書いていましたが、どこがどのように良いのかを書かないと説得力不足、あるいは好きな大河だから褒めまくっているようにしか取れません。

これぞ平安ロッカールームトーク――なんて地獄みがあるのだ!
「ロッカールームトーク」は、トランプの発言で有名になりました。
「男の子同士が、更衣室で、やらかすような話で、深い意味ないヨ〜^ ^」
こういう話ですが、そんな言い訳は通じませんよ。
◆ トランプ、性的発言を「更衣室トーク」→スポーツ界で炎上加速(→link)
結局、あの打毱も、この下劣トークの前振りかと思うとおそろしいものを感じさせます。
しかも、ちゃんと当時の価値観を反映させながら、その上で、当事者は胸が傷ついてズタズタになったことを描いてくる。これぞ匠の技でしょう。

このトランプ氏の記事は2016年のですね。
そして好きな大河、それもイケメンな俳優さんが出ているからこう書いている感もあります。これが嫌いな大河なら武者さん散々に叩くでしょうね。
『どうする家康』のコラムで、こんなことを書いていたのを思い出しました。

このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?
・エロいことをさせてくれる
・自慢できるトロフィー
・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw
・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組
・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」
・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」

嫌いな大河であれば、ちやはは「冷蔵庫の女」であり、公任や斉信に取っての女は
「自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組」
などと書きそうな気がするのですよね。

そうそう、斉信のストーキングのせいで、ききょうは元夫と絶縁するんですよね。

ここでなぜかききょうの話。ここでは省きますが、結局武者さんは、こういう色恋沙汰が好きなのだなと思います。だからこそ、上記のような↑ことを平気で書けるのでしょう。

前回の予告で、藤原公任の脱ぐ姿が映った時、これぞ女性向け大河だと言わんばかりの反応がありました。
しかし、そんな脱ぐ公任を見て、まだときめいていられるかどうか。
ゲストークが全力で炸裂ではないですか。
相対的に素朴な『鎌倉殿の13人』坂東武者がマシに思える日がくるなんて……。
ただ、このゲスさは前振りだと思いたい。

家康の浴室でのシーンは叩く、公任の裸には心ときめく。わかりすいと言いますか。
ゲストークだ何だと言うより、こういうことを平気でというか、嬉しそうに書く武者さんが、言っては何ですがかなりゲスに見えて仕方ありません。
そして『鎌倉殿』坂東武者が素朴なら、この場合比較にはならないでしょう。坂東武者もそこそこゲスだったが、平安の貴公子たちはそれを上回る、こういう感じで持って来ないと。

この点でいけば今年の大河ドラマ『光る君へ』は、とてつもなく高い可能性があるようです。
既に町田啓太さんは、中国語圏のファンからロックオンされています。
「日本からえらい時代劇美男が出てきたな!」と注目を集めているようなのです。

これですが、この間のたけたけさんのnote記事を見て、私も「町田啓太 中国 美男子 検索」でググってみたのですが、やはり『チェリまほ』が出て来ます。確かに町田さんは人気があるのでしょうが、大河でなく別のドラマで出て来るのですけど。

そして前回の「漢詩の会」で盛り上がったようです。
「貴公子たち、こんなに漢詩が好きなんだ!」
行成の筆の持ち方が素敵。
漢詩チョイスがいい。
公任の漢詩は自作なんだ。
白居易が好きなのだな!
と前のめりになりつつ、ざわついています。

「前のめりになりつつ、ざわついています」
その裏付けを見せて貰えないでしょうか。

そして
「行成の筆の持ち方が素敵。
漢詩チョイスがいい。
公任の漢詩は自作なんだ。
白居易が好きなのだな!」
こういうの、武者さん自身が好きなことでしょうーーまだ筆の持ち方にこだわっていますが。あと白居易(楽天)と李白を間違えていましたね。

今年の大河は、しっかりとアジアの熱気を掴みにいく、したたかさ、賢さがあり、緻密な作りをしています。
日本留学している方が緻密な考察をしていることもあり、こちらも身が引き締まります。
今年の大河は海外からも熱い目線が送られています。視聴率では見えてこない大きな反応を感じます。

「緻密な作り」というのは、基本的にどの大河でも変わらないと思います。ただその方向性や描写方法に、賛否両論があるわけです。そしてアジアの熱気と言うより、まずメインとなる日本人視聴者層がどのように思うかではないでしょうか。

さらに
「日本留学している方が緻密な考察をしていることもあり」
「海外からも熱い目線が送られています」
ならばその裏付けをお願いします。これだけだと、武者さんの希望的観測だと言われても仕方ありません。取りあえず、『チェリまほ』がアジアで評判なのはわかりましたが。

「視聴率では見えてこない大きな反応を感じます」
最初の方で、今年の視聴率に関しては諦めるようなことを言っていませんでしたっけ。なのにやはりリアタイ視聴率を気にしているようですね。他にも配信とか録画とか、そういう視聴手段もあるのにそれは無視ですか。

藤原公任も大好きであろう『貞観政要』から。
太宗、嘗て侍臣に謂(い)いて曰く、
夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。
古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。
人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。
朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。
太宗が家臣に言った。
「銅を鏡とすれば、身だしなみを整えられる。
歴史を鏡とすれば、天下興亡がわかる。
人を鏡とすれば、長所短所がわかるのだ。
私は常に三つの鏡で、身を正し、過ちを防ぐこととする」
『貞観政要』

この人を以て鏡と為せばですが、長所短所よりも、その人物を手本として、あるいはその人物の諫言によって、自分が正しいことをしているか否かがわかる、そういう意味ではないでしょうか。そして第2の古、つまり歴史を鏡とするのは、歴史に学べということですね。

そしてこの後またクドカン叩き、そして『どうする家康』叩きなので、この最後の部分だけ次に回します。こういうの、本当に蛇足ですね。

飲み物-琥珀のエール
[ 2024/02/22 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第6回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第6回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


彼女は大人になったのでしょう。
自分の好き嫌いを二の次に置けるようになった。
しかし、これもなかなか腹黒い話で、まひろを信じていると告げていた源倫子側の立場になれば「私を利用するなんて、腹黒い女だ」となりかねません。
まひろもまひろで、倫子に友愛があればこうも吹っ切れるとも思えない。
つまり彼女は「目的に義があれば、手段が多少汚くともよい」ところまで吹っ切れるように進歩したのです。

このシーンですが、道長に自分の思いのたけを打ち明け、家に戻って来た直後にこう話しています。
つまりまひろに取って、今後自分が取るべき道は何であるかを模索しているわけでしょう。その後のシーンで、道長から遠ざからなければならないと彼女は考えているわけであり、彼女の今後の人生の目的は、父と左大臣家のつながりを作ることであったと取れます。
その一方で無論倫子たちに会って、文学の話をしたいというのもあるでしょう。ただそれがまひろの考えているように進むかどうかは別ですが。

中国文学の話ですが、『三国志演義』に貂蟬というヒロインがいます。
彼女は董卓に仕えながら呂布に色目を使い、嫉妬した呂布が董卓を殺すように仕向ける。
二人の男を手玉に取るため、当初は悪女扱いでした。
それが時代が降ると、貂蟬は「養父のために董卓を倒す」という動機が設定されます。
ここでのまひろも、あくまで一族のためならば手を汚すと言い切っている。
進歩したヒロインなのです。

で、なぜかというか武者さんらしいというか、ここで『三国志演義』。
別にわざわざ中国文学を持ち出さずとも、他の大河で似たような例はないのでしょうか。
そしてこの「進歩した」「進歩していない」の基準は何ですか。恐らく嫌いな大河であれば、同じような設定の女性キャラがいても、果たして武者さんが評価するでしょうか、ちょっと疑問です。

一族のためなら罪をかぶるという女性キャラが昨年の大河に登場しました。
言わずと知れた瀬名です。しかし武者さんはこの人物をカルト教祖呼ばわりし、彼女の理想に対して客観的な評価を与えようとしませんでした。恐らく『どうする家康』を好きであれば(この好き嫌いに偏った評価基準もどうかと思いますが)、瀬名を褒めちぎっていたかも知れませんね。

つまらないドラマは、登場人物たちの好感度を上げることだけを意識し、泥を被らないよう無茶苦茶な設定にしてしまうことがあります。
そういう人物像は、全く深みがなく陳腐なもの。今年はその点、安心できます。

ここでいう「つまらないドラマ」が何であるかはさておき、この人物も自ら泥を被ろうとしていたと思いますが。

どうする家康第47回茶々への手紙
『どうする家康』第47回

この「長男と三男」と「次男」という構図は、なんとも残酷な話だったりします。
というのも、他ならぬ父の藤原兼家が三男であり、長男と結託して、二男を除け者にした過去があるのです。
兄弟同士で対立し合う、骨肉の争いを息子の世代にも引き継がせるのでした。

この時代、そしてそれ以外の時代であっても、権力者の家庭というものはそうでしょう。
誰かが陽の目を見ないこともある。本人が進んでそれを引き受けるか、あるいは不本意ながらそうなってしまうかの違いはありますが。武者さん、今までかなり大河を観ているかと思いますから、時代こそ違えどそういうシーンは何度も出て来ているのはご存知でしょう。弟を殺したりする兄もいたりしますし。

自分が殺した女を知っていたのか?と弟に尋ねながら、一応は謝る。
怒りが止まらない道長は、憐れむように蔑むように突き放すように、兄上は泥を被る役目だと言い放つも、道兼は平然とした様子で答える。
「父上のためならいくらでも泥を被る」

ここで道長は、兄上には我が家の泥を被っていただかねばなりませぬゆえ、あのこと(ちやはを殺したこと)は忘れますると言っています。そしてそれは道長の意志より、兼家の意志であることを知り、道兼は父上のためなら泥を被ると言っているわけですね。

一方、霧の中、馬で竹林を走る道長にはまだまだ大いに迷いがありました。

あれ竹林ですか?ぱっと見普通の雑木林に見えますが。

『蜻蛉日記』は嘆きを綴ったものではない、前書きにも身分の高い女に愛されたと書いている――。
そう説明すると、教師役の赤染衛門も賛同します。
今をときめく右大臣・兼家に愛されたことと、その煩悩を自慢するものかもしれないと解釈します。

「身分の高い女に愛されたと書いている」
「身分の低い女性が、身分の高い男に愛された」のではないでしょうか。
そして「煩悩を自慢」ではなく、「煩悩の限り激しく生きたことの自慢話かもしれない」とまひろは言っています。

私は普段は極力、大河ドラマの話をすることを避けます。
しかし、どうしてもそういう流れになったときに、言わないでもいい蘊蓄を語ると、相手がサーッと引いていく。
もっと知りたい、興味を持たないかな?と思って話をふると、
「私は別にそういうオタク語りまでは求めてないんで」
とドアを閉められる瞬間があるのです。そのときフフフと笑いつつ話を逸さなければならなくて……。
大多数に受け入れられる話題って、美男美女に萌えるとか推しとか、あるいは恋バナとか、戦国武将のちょっといい話とか悪い話とか。
スナック感覚でつまめる軽い話題であって、ヘビーな話はむしろ鬱陶しがられるんですよね。

はっきり言います。
「言わなくてもいい蘊蓄語り」は相手に引かれるのではないかと思います。
大多数に受け入れられる云々、相手にもよりますが、別にライトな話でもいいのではないでしょうかね。でなければ、本当にディープな話ができる相手を自分で見つけてください。さほど興味のない人にしてみれば、聞きたくもない話を延々と語られるのも迷惑(ストレスのもと)だし、知識マウントとして受け止められると思いますが。

例えば以前の代筆仕事ではもっと元気だったし、一人で何か打ち込んで空を見上げるような場面では、澄み切った顔と瞳になります。
それがサロンでは、仮面をかぶっているんだな。
本当は、あそこで引き攣った笑顔などを見せず
「はーーーーー! せっかく貴重な写本があるのに読まないとかつまらない! 絶ッ対人生損しているし!」
ぐらいの本音を言いたいのかもしれない。
でも、できないじゃないですか。

代筆仕事とか一人で空を見上げる時は、まひろは基本的に1人です。こういう場合では自分の思いを通すことができますが、左大臣家では人付き合いが求められることになりますからね。
あと『蜻蛉日記』のこの時代の写本ですが、残念ながら今は江戸時代より後の物しかないと言われています。

まひろだって、当初はサロンでそれなりに楽しかった。
でも漢字の知識も、文学トークもぬるい。どう考えても誤読している意見が通るし、レベルが低いんだな。
いちいちそういうのに対して手加減するのも嫌になる。
弟相手なら「こんなこともわからないの?」「書くらい読みなさいよ」と容赦なく言えるけど、姫君にはそれもできない。

「誤読」が何であるのか、例を示してほしいのですが。
あと「レベルが低い」もどうでしょうか、何だかマウント臭い書き方だなと思います。まひろはそこまで姫君たちのことを悪く思っているでしょうか。みんな書物も読めばいいのにと思ってはいるかも知れませんが。
逆にここで手加減することで、家で父に学問を教えて貰っていたものの、外の世界を知らなかった彼女が、人間関係の難しさを知って行くことになるのでしょう。

先天性のズレを抱えているまひろは、この先ずっと「生きることが苦手だな」と嘆きながら人生が続いていく。
ハァー……めんどくさい主人公ですね。そこが好きです。

先天性のズレとは何ですか。何か障害のようなものでも考えているのでしょうか。
これはまひろの性格であり、また、彼女自身が学問を子守歌のようにして育って来ている以上、たわいないトークよりも、文学をテーマにした議論の方が好きだからではないかと思われます。

「めんどくさい主人公ですね」
また「めんどくさい」それだけで片付けられるものでしょうか。大河について書くのであれば、主人公の人となりをもっと分析してみては如何かと。

五節の舞姫が舞台から下を見ると、大勢の男が並んでいる。
でもその舞姫は、実は大勢の男と契っている。
神に捧げるために舞いながら、頭の中では男との逢瀬が渦巻いている。男に都合のいいようで、実は女の方がしたたかだという話!
(中略)
風刺としてはわかります。男性が女性に清純さを求める妄想をスカッと笑い飛ばす痛快な話ですよね。
でもそれは、まひろが若い女性だからそう思うだけです。

男性が女性に清純さを求めると言うより、この当時の貴族階級は色恋沙汰が多かったこともあり、まひろもまたそういう文学の中に浸っていたこともあって、本人としては自然に出て来たものと思われます。先の『蜻蛉日記』もまたそうでしょう。別に「若い女性だから」だけではないと思います。

懲りずに彼女がまた別の案を考えるというと、誰もお前に頼まないと直秀は冷たい。
散楽を観にくる客は笑いたい。笑って憂さ晴らししたい。
「おかしきことこそめでたけれ」
と言い切られます。

この時貴族の戯言とも言われていますが、散楽一座にしてみれば、その貴族たちを笑い飛ばすことで、日頃の憂さを晴らしたいと思っているから当然でしょう。以前直秀が飲みに行かないかとまひろを誘い、乙丸に姫様いけませんと言われて、姫様じゃ仕方ないと言っていましたが、この時も似たような感情を抱いたのかも知れません。

直秀は一座の仲間から「惚れているのか?」と問われ、明日をも知れぬ身でそれはないと否定します。
おかしきことこそめでたけれ――まひろはそんな極意を掴みました。
なかなか興味深い作品論ですね。作品の中に作品論を入れ込むなんて、実に高度。

文学をテーマにしているわけですから、それは当然だと思います。戦国大河が戦術を入れて来るのと同じようなものでしょう。

私も楽しみにしているNHK夜ドラに『作りたい女と食べたい女』があります。
この作品では、男尊女卑思想を振り翳し、自分に対して冷たかった父親から祖母の介護を押し付けられそうになった女性が、それを突っぱねて父と絶縁するという場面があります。
この流れがスカッと爽快に描かれるわけです。
けれども、彼女の父からすれば究極の親不孝です。
こんな親不孝娘を痛快に描いてどうするんだ!と誰かが反対したら、通らなくなりますよね。
だからこそ、放送されることそのものが、挑戦であり進歩なのだと思いました。

また『作りたい女と食べたい女』。
よほどお気に入りなのでしょうか、『大奥』が終わったらこれですね。
ただ大河とこれとは、直接関係はないと思われます。ならば別コラムでやっていただけないでしょうか。そして
「こんな親不孝娘を痛快に描いてどうするんだ!」
誰かがこうコメントしたのでしょうか。それを裏付けるものはあるのですか。

まあ私はこれを観ていませんが、同じ同性愛(男性)で食べ物メインの『きのう何食べた?』はすべて観ています。

同じプロットでも、受け手によってはまるで違う意味になる。
作り手がそこに過剰に忖度したり、偏った層ばかりだと、ワンパターンになってしまうということでもある。
そもそも今年の大河は「戦もない異色の題材」とされます。
なぜ異色とされるのか?
日本の歴史はこれだけ長い。
それなのに特定の時代や地域だけに偏るとすれば、そのほうが偏見あるのでは?
むしろ、そこを打破していく一手がこのドラマの挑戦では?

まず主人公の知名度というのがあるし、地元の要請というのもあるでしょうね。偏見だけではないはずです。レアな時代だと、考証も大変でしょう。
そして「戦もない異色の題材」とありますが、同じ時代でも他の地域では戦が行われていたりしています。寧ろ日本史上、江戸時代と第二次大戦後を除けば、戦が行われているのはぞう珍しくありません。この場合「戦をする武士がメインでない」から異色とされているのかと思います。
尤も私は、武士や戦も観たいから、今年も『どうする家康』や『軍師官兵衛』を観ていますが。

そして
「それなのに特定の時代や地域だけに偏るとすれば、そのほうが偏見あるのでは?」
と言うのであれば、武者さんも何か企画してみてはどうですか。

本作に対するアンチな意見として、「テーマがない」とか「何を言いたいのかわからない」という趣旨のものを見かけます。
そうした意見を出す人はどういうタイプの人なのか?
まひろみたいなモヤモヤを抱えていない、かつ偏見のある人には通じないことはありえるでしょう。
女性の苦労を全くわかっていない人には、そのことを訴えても通らない。
そういうことが社会においてどれだけ弊害であるか。
たとえば被災地の避難所を仕切る人が男性ばかりだと、女性用品の配給が滞る、性犯罪予防が疎かになるといった弊害があります。

アンチな意見というのもいくらでもあるものです。
現に貴方、昨年はアンチな意見ばかりでこのコラムを埋めていましたよね。
そして大河と、時代背景があまりにも違う一般社会の問題を同列に論じるのもどうかと思います。まひろのもやもやは、女性だからと言うより、下級貴族の家に生まれ、上級貴族と渡り合って行かなければならない、そのためには我慢できないことも我慢しなければならない、そういうものも含まれているでしょう。
それと被災地云々、ならばその裏付けとなる記事なり何なりを貼ってください。

何よりも嫌いな大河やエンタメ作品には偏見丸出しと言っていい武者さんが、このようなことを言うのも如何なものでしょうか。

すっぽんの甲羅を持参した兄の藤原斉信が、煎じて飲むようにと言うと、何も喉を通らないと返す忯子。
斉信としては奮発したのでしょう。
お高い漢方の薬剤です。いい医者に頼んだんだぞ。わざわざ手に入れたんだ!
そうしたモノで愛を示そうというのだろうけれども、忯子からすれば、もう飲めないのだからありがたいのかどうか。
それでも斉信は、元気な皇子を産んでいかねばならないと残酷なことを言う。
「実はお願いがありまする」
斉信の本題はこの話だったのでしょう。出産のため里に下がる前に「斉信は使える男だ」と帝に囁いて欲しいとか。帝のよき政には兄のような若い力が必要だってさ。
(中略)
高い薬があればいいわけじゃないんだってば! まずは彼女のことを第一に気遣いなさいよ。

この時斉信は、
「我が一族が頼みとするは女御様しかおられない」
と言っています。そのために高価な薬を持参し、少しでも元気になって貰い、自分のことをそれとなく帝に売り込んでほしいと頼んでいるわけです。
単にわざわざ手に入れたと見せびらかしているわけではありません。
それと「元気な皇子を産んでいかねばならない」
「元気な皇子をお産みいただかねばなりませぬゆえ」
ですね。娘や姉妹の入内というのはそういう目的もあり、それは兼家に取っての詮子も同じでした。

あと「必要だってさ」
武者さんこの「だってさ」「だってよ」も好きですね。

道隆が、優雅にそう言い放つと、貴子の合図で女房たちも下がってゆきます。
このドラマはクズ男にせよ、モテ男にせよ、解像度が実に高い。こんな夫婦を見せつけられたら、そりゃあ道兼も歪んでしまうのかもしれない。

「しみわたるのう」と道隆が言っているわけですが、嫌いな大河だと「へべれけオヤジ」などと武者さんは書くのかも知れません。そして解像度が高い云々、どの大河でも似たようなものだと思うのですが、これまた嫌いな大河だと、わかりにくいだのなんだの書くのでしょうか。(ちゃんと観ていないだけかと思いますが)

明日の夜、藤原公任、藤原斉信が、藤原義懐の屋敷で会う予定だとか。
義懐は若い貴族を懐柔し、その父もろとも帝一派に組み込むのが狙いのようで、道隆は素早く情報を分析します。
道長が呼ばれていないのは、右大臣家排除のたくらみだと理解して
「斉信はわかるが公任まで……」
と呟く道隆。義懐が、斉信と公任を懐柔する様子が見られます。

ここのシーンですが、まず行成が義懐の企みを道長に打ち明け、この時道長自身が
「右大臣家の排除ということか」
と口にしています。その一部始終を聞いた道隆が、
「斉信はわかるが公任まで誘いに乗ったのか」
と言っているわけですが、武者さんの書き方だと、道隆が右大臣家排除の企みだと理解しているように見えます。しかし「情報分析」て、諜報部員みたいですね。

あと義懐が出て来るシーン、懐柔するというか、宴席を設けて皆に酒を振舞っているわけです。ただ、義懐と惟茂だけが特に浮かれ、公任は乗り気でないように見えますが。

飲み物-注がれるワイン
[ 2024/02/14 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第6回「二人の才女」あらすじと感想-2

第6回後半部分です。


道長は、今も内裏での力争いにさほど興味はないものの、帝を支えるのが義懐であるのを懸念していた。帝がどのような方化はさておき、その帝を支える人物に知恵がないと国は乱れる、ならば父上の方がずっといいと道長は話し、道隆は、このように能弁な道長は初めてだと驚く。そして義懐のことをよく知らせてくれたと弟をねぎらい、父兼家と道兼には黙っているようにと言う。

兼家なら力で抑えつけようとするだろうが、それでは若者の憤懣を煽るだけ、自分がうまく懐柔する策を考えると言う道隆に、貴子は、漢詩の会を開くことを勧める。漢詩には、それを選んだ者の思いが出ると言う、また若者は学問の成果を披露する場に飢えていると言い、道隆は同意する。しかし道長は貴子の提案を認めつつも、自分は漢詩が苦手だから出たくないと言い出し、道隆と貴子は笑う。

左大臣家。倫子は父の顔にホクロができたと思ったら、蝿であったと言って姫たちの笑いを誘う。しかし父雅信はそれに気づかいていなかった。内裏でのお仕事は鈍いくらいでないとねと倫子は言い、自らも笑って赤染衛門に注意される。まひろも皆に付き合って笑おうとして、アハハと声を上げて笑ってしまい、倫子はそれを見て笑う。

その頃当の雅信は、東宮懐仁親王に拝謁していた。雅信が挨拶の言葉を述べた後、詮子は親王を下がらせ、わざわざ局まで来ていただいてすまぬと言う。とんでもないと答える雅信。実は詮子は雅信を呼びつけていたのである。そして父兼家が先の帝に毒を盛り、退位を促していたのをご存知かと雅信に尋ねる。

うろたえる雅信に詮子は、帝が退位の前にそう仰せになった、私はもう父を信じられない、都合が悪ければ私や懐仁とて手に掛けるやも知れぬと打ち明ける。尚も戸惑う雅信に、危険だから表立って父に逆らうことはないが、自分は父とは違う力がほしいと言い放つ。つまり詮子は、雅信の後ろ盾がほしかったのである。

私の言葉を聞いてしまった以上後には退けない、覚悟を決めなさい、末永く東宮と私の力となることをここでお誓いなさいと詮子は雅信に迫る。決めかねる雅信を見て詮子は、さもなくば、左大臣様から源と手を組まぬかとお誘いがあったと、父に話すとまで言う。詮子は自分は父が嫌いだが、父の娘なので父に似ていると言い、雅信はやむなく、自分なりに東宮様をお支えいたしたいと存じますると返事をする。

詮子は雅信の手を取って言う。
「ありがたきお言葉、生涯忘れませぬ」
そして詮子は、一の姫はおいくつかと訊き、雅信は22であると答える。殿御からの文が絶えぬそうではないかとの詮子の言葉に、雅信は、全くそれに関心を示さない、殿御を好きではないのではないかと、妻と話していると言う。

私のように入内して辛酸をなめるよりはいいかも知れないと詮子。雅信が退出した後、道長がやって来る。やっと会えたわねと言う詮子は、倫子との縁組を勧め、年は少し上だがそれも味があると乗り気だった。何ですかそれはと問う道長に、私の言うことに間違いはないからと詮子は自信ありげに言う。

道隆の使者により、漢詩の会の知らせが為時にも届く。会が行われるのは4月27日だった。為時は、清原元輔と共に講師(こうじ)として招かれるのである。さらにそれに連なる人物として公任、斉信、行成が出席するものの、道長の名は出席者の中にはなかった。為時は惟規を誘うものの、惟規は無理だと言い張る。いずれはこういう場に出なければならぬと諭す為時だが、惟規は無理だを主張し続ける。

そこでまひろが行くことになる、為時は右大臣家の主催であると念を押すが、母の敵道兼の名はそこになく、また父の晴れ姿を見たいとまひろは言い、為時はその言葉に何とも言えない表情を浮かべる。そして当日、為時とまひろの前に清原元輔が現れて挨拶をする。為時はまひろを紹介し、元輔はこのような年頃の姫がいるとは、時の経つのも早いと言って、今度は自分の娘を紹介する。

その娘はききょうと名乗り、挨拶をする。元輔は公任、斉信、行成と錚々たる方々がお揃いで身が引き締まると言い、ききょうも胸が高まる、大いに楽しみましょうねまひろ様と嬉しそうだった。千年の時を超えて今も読み継がれる文学を残した、紫式部と清少納言の若き日の出会いだった。琴と笛の演奏が行われる中、道長も急いでやって来る。そして出席者の中のまひろと目が合う。

やがて漢詩の会が始まり、元輔から「酒」という題が出される。それぞれが作った詩のうち、行成の師が為時により読み上げられる。次いで斉信、そして道長の詩が披露される。道長の作品は、酒を飲む相手のいない寂しさを表したものだった。さらに公任の作品には、この太平の世を改めるまでもない、唐の太宗の治世が、目に触れるところすべてに現れていると表現されており、流石才覚は当代無双と公任を褒める。

しかし道隆の言葉には、どこか皮肉めいたものも感じられた。そして道隆は、まひろにこの詩についての感想を尋ねる。まひろは唐の白楽天のような歌いぶりだと言うが、ききょうは、白楽天の無二の親友だった元微之のような、闊達な歌いぶりであると言う。まひろに同意を求める娘を、元輔は咳払いで注意する。

やがて会もお開きになり、道隆は出席者に礼を述べ、この国を背負って立つべき若者が何を思い、何を憂いているのかを心に刻んだと話す。そして道隆は席を立ち、一同を見渡すようにしてこう言う。

「その思いかなえるべく、わしも力を尽くしたい。そなたらと共に帝を支え奉り、この国を、よりよき道に導いてまいろうぞ」

公任たちも立ち上がり、それぞれの屋敷に戻って行った。貴子は道長に見送りをと促し、道長は部屋を出ようとしてまひろの方をじっと見る。やがて貴子に言われて見送りに出る。

廊下にはまひろとききょうが並んで座っていた。まひろ様はお疲れなのかしら、私は斉信様が選んだ歌が好きと話しかけるききょうを元輔は、出過ぎたことを申すなと注意する。そして公任は斉信にどう思ったかを尋ねる、斉信はやはり(頼るべきは)道隆で義懐ではないと答え、元輔の息女もいいと言う。あのようにしゃしゃり出る女子は好かぬと公任。あのこさかしげな感じ、鼻をへし折ってやりたくならぬかと斉信は訊くが、ならぬと答える公任。

月を見ていた道長は落ち着かない気分で机の前に座り、墨をすろうとする。一方まひろも家で考え事をしていた。そして警固の任務についていた道長は、盗賊だとの声を耳にし、他の者たちと賊を追いかけてその内の1人を狙う、矢が当たったその男は白い布を道長の弓に絡ませて逃げる。その男こそ、あの直秀だった。そして乙丸は、散楽で会った三郎の使者がこれを持って来たと言い、まひろに文を渡す。

宮中では女房たちが慌ただしく動いていた。忯子が亡くなったのである。そのことが帝にも知らされた。一方まひろが受け取った道長の文には歌がしたためられていた。
「ちはやぶる 神の斉垣も越えぬべし 恋しき人のみまくほしさに」
まひろは、文を胸に押し当てる。


道隆が義懐に対抗するような形で、漢詩の会を開きます。出席者の考えを知るためにも、これは好機と言えました。そしてこの会の最後で道隆は、皆で帝をお支えし、この国をいい方向へ導こうと促します。出席者たちはこれなら義懐より道隆の方がいいと思うわけですが、これは道隆に取っても思うつぼだったでしょう。そして道兼がいないのは、彼の役目が泥をかぶるものであり、このような表舞台に出て来る人物ではなかったからです。

そして結局道長もやって来ます。その道長はまひろを目にし、まひろを意識した詩を作り、さらにまひろに歌を送ります。しかしながら同時に彼は、盗賊団を追い回し、その内の1人を弓で射るわけですが、相手もさるもので、白い布を報って弓に絡ませ、その隙に逃げ出してしまいます。しかしこの時覆面がはずれ、この男が直秀であることがはっきりします。しかしあの布、何だか「一反もめん」みたいですね。

ききょう、後の清少納言がまひろ(紫式部)と初めて対面します。彼女はまひろよりもいい衣装を着けており、扇にはまさに桔梗の絵が描かれています。しかしまひろは、ずっとあの衣装ですね…。それはともかく、彼女のあけっぴろげな雰囲気と、知識をふりかざしがちな態度は、公任たちには鼻持ちならないものとして映ったようです。尚元微之(元稹)ですが、白楽天と交流を深め、元白と称されています。

一方で詮子。源雅信に圧力をかけていますね。おまけに左大臣家との関係を深めるために、倫子と結婚するように道長に言いますが、実は彼女が嫌う父兼家も同じことを考えているようです。しかしその道長は、まひろに歌を送ったりしているわけですが…。ところで詮子を演じる吉田羊さん、BSで午後6時から始まる大河の後、2015年に木曜時代劇で放送された『風の峠〜銀漢の賦〜』にも出演していて、こちらも気が強そうな役です。

さて帝(花山天皇)の女御忯子が亡くなります。これがもとで花山天皇は出家するわけですが、この時に兼家と道兼が暗躍し、懐仁親王を即位させてしまいます。それで思うのですが、道隆が漢詩の会で
「そなたらと共に帝を支え奉り、この国を、よりよき道に導いてまいろうぞ」
と言っているものの、この「帝」は懐仁親王のことではないでしょうか。「よりよき道」も、藤原兼家の子孫による摂関政治と思えば、公任たちはうまく嵌められたことになるのですが。

ところでこの4月27日は、寛和改元の日ですね。

飲み物-ブッシュミルズと暖炉
[ 2024/02/13 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第5回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事のご紹介です。いつも通り、ダークブルーの文字が武者さんのコラムからの引用部分です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第5回~

永観2年(984年)、五節の舞姫となったまひろは、“三郎”の正体を知りました。
藤原兼家の三兄弟・藤原道長――母を殺めた“ミチカネ”の弟だったなんて。
衝撃のあまり倒れ、寝込んでしまいます。

まずまひろが舞の最中に三郎に似た男を見つけること、その隣に「ミチカネ」がいること、そして三郎が右大臣家の三男道長であり、ミチカネがその兄の道兼であることを知って気が動転し、寝込んでしまうことが書かれています。またその後、
「なお余談ですが、五節の舞姫の中には重い装束(重さが15㎏~20kgになるそうです)での舞いと緊張でしばしば気分が悪くなり、急に体調を崩したり途中で倒れたりする事例もあったようで、決して倒れる事がスイーツ演出ではない事が窺えます」
ともあります。

実際洋の東西を問わず、昔の女性の衣服や着物、特に正装などは機能性や身軽さとは対極にあると言ってもいいものが多く、19世紀のクリノリン(『若草物語』、『風と共に去りぬ』などに登場する、ボリュームのあるスカートを作るための下着)などに代表されるコルセット、それによってウエストをきつく締めあげるファッションなどもその一例と言えるでしょう。

なんでも侍従宰相に見初められ、結婚相手が決まった姫もいるとか。
顔が四角いけれど、財産はあると妥協点を見出している。
誰かと思えば、侍従宰相はザブングル加藤さんが演じました。
そして話題は藤原三兄弟のことへ。
見目麗しいとはしゃぐ姫君たちに対し、おっとりしているような倫子も興味津々です。

こちらはたけたけさんの文章から一部抜粋させていただきます。上記の武者さんの文章に関してたけたけさんは、武者さんが気に入らない『どうする家康』レビューで、於愛が本能寺の変を起こした明智光秀を、「あれは(謀反をやりそうな)そんな顔と評した事について、「ルッキズムだの、同性愛をその場しのぎのネタにするだの、カジュアルに暴力やいじめをするなど、子供の道徳に悪影響を及ぼしかねないからです」と批判している点にまず触れています。

その一方で『光る君へ』では姫君たちが「顔が四角い」「顔は知らないが、かなり富のある方」と評する事については「妥協点」で済ますと記されています。
好き(かどうかわかりませんが、肯定している)作品だと、この辺りは控えめなようです。

巫女の格好をしている人物は「よりまし(寄坐・憑子・尸童)」です。

この前の部分で既に説明されていますが、ここで出てくるのは歩き巫女であり、特定の神社に所属せず全国を渡り歩きながら祈祷や託宣(たくせん)などを行なって、生計を立てる巫女の事ですとまず説明されています。

そして彼女たちは全国に存在して「マンニチ」や「マンチ」、「飯縄」(いづな)、「トリデ」、「ヤカミシュ」など、様々な呼ばれ方をしていたこと、歩き巫女は「巫女の口ききなさらんか」と言いながら村々を周り、「霊を憑依させて死者の口をきく」口寄せを行なったと言われること、神事だけでなく旅芸人や遊女を兼ねていた巫女もいて、時に春を鬻ぐこともあったともあります。

ここまで来ると民俗学の分野です。武者さん、せっかく巫(巫女)が出て来ているのなら、『どうする家康』叩きなどせずに、このようなことをきちんと書いてはどうでしょうか。

そして近年の大河『鎌倉殿の13人』『どうする家康』に続けて歩き巫女が登場していることにも触れられています。後者の方では千代(望月千代)ですね。彼女の場合、情報収集を重要視して、身寄りのない子供たちから容姿、治世に優れた処女に巫女として必要な技能や諜報の知識に技術、読み書きなどの基礎的な教養を授けたともあります。

身寄りのない子供たちと言えば、『鎌倉殿の13人』にも出て来ます。巫女を育ててはいませんが。

さらにややこしいことに、この頃は中国の道教までうっすら混ざります。>日本の仏教は中国経由なので、そうした融合が避けられなかった。

私もこれについては「道教がどのような感じでうっすらと混ざっているのか不明」と書いていますが、たけたけさんの記事にも
「どの様な影響があったかなど具体例は挙げないのですね」
とあります。

note記事では陰陽道が陰陽五行説に基づくものであり、百済僧の観勒によって暦・天文・地理・奇門遁甲(中国の占術)・方術(引用・天文・療治・亀卜など方士の行なう占術・験術)が日本に伝えられたという、『日本書紀』の記述の一部が紹介されています。そう言えば武者さん、以前鎌倉殿は中世だから占いもあるなどと書いていましたが、もちろんそれ以前の古代から、このようにして伝わった占いがあります。

また古代日本の政治思想は儒教基盤で官吏養成に応用され、式部省被官の大学寮に於いて教授されていたこと、道教は官学教科からも除かれていたものの、道教と思想的に関連性がある陰陽道は法制化され、中務省に陰陽寮が置かれ、官人としての陰陽師が育成・配属されたこと、そして彼らは官人陰陽師暦の作成、祈祷などの儀式を執り行って『穢れ』を清める事、方位や時間の吉凶に関する占い、天体観測や気象観測、天変地異の報告などに従事していたともあります。

ちょっと余談ですが、陰陽道や暦で思い出しました。最近、『応天の門』を全然投稿していません。そろそろ再開しなければと思っています、あれも暦に関する回がありました。

そして順番が前後しますが、

呪詛の狙いが弘徽殿女御というのもおぞましい。
花山天皇の寵愛する藤原忯子のことであり、やつれた彼女に呪詛は効きそうだ。

兼家が晴明に呪詛を命じるシーンですが、正確には忯子ではなく、お腹の中の子を呪詛しろと言う依頼のことだとあります。そして晴明が断った理由として、疎まれる高貴な立場の人物ほど標的になること、今回は呪詛を頼まれる立場の晴明が、呪詛返しによって術者の命の危険があるため、これを回避したかったのだと思いますと述べられています。

呪詛に関しては『鎌倉殿の13人』にも出て来ますね。
note記事では「形代」についての説明があり、『鎌倉殿の13人で』北条時政に頼まれて、阿野全成が将軍家公を呪詛するために人形を作っていたシーン、回収し忘れた1体が鎌倉御所の床下から発見され、謀反の罪で流刑の末処刑されるという結末になったシーンについても書かれています。尚この形代ですが、『どうする家康』に出て来る這子(ほうこ)と似たものがあります。

どうする家康第23回這子
『どうする家康』第23回 五徳が作っているのが這子

「天児」(あまがつ)と「這子(ほうこ)」という人形のジャンルについて
(ひなのすすめ)

しかし、道長は姿勢が悪いし、筆の持ち方がイマイチ。
これは演技や指導が悪いのではなく、意図してのものでしょう。
道長は字が下手なのです。
筆を寝かせるわ。
墨がかすれるわ。
そういう下手な字を書く人物として演じるとなると、残念な姿勢でなければいけない。
そのくせ、筆は特注品の最高級のものを使っているのが、実にたちが悪い。
なんでも道長の字が上手だと、演出からダメ出しが入るそうです。

これも武者さんが数回にわたり、道長の悪筆を叩き、筆を寝かせる墨がかすれると書いていること(昨年から続いています)を挙げ、さらにドラマ本編でそのような描写はないこと、そして道長を演じる柄本佑さんが独特の道長のフォントを編み出していること、しかも柄本さんは今は上達しすぎたため、最初の慣れなくて下手だった頃の書体を真似て下手に見せるようにしていることなどが挙げられています。

下手というより、私には味のある字に見えます。無論藤原行成のような達筆ではありませんが。そしてたけたけさんの文章では、武者さんが例によって、寝かせてもいない筆を寝かせたと言っていること(寝かせたら字が書けないと思います)、単に道長がは字が残念だと嘲笑したいだけではないかとも書かれています。

同時に、倫子と道長の結婚への道筋も浮かんできます。
この関係性を、猫と追いかける倫子で示すのは、『源氏物語』の女三宮と柏木のオマージュでしょうか。
なんですかね。
平安貴族の生きている姿をやっと掴めた気がします。
百人一首やらなにやら、文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい。

ここの部分、
「何見氏(=武者さん)ひとりだけで納得しているだけで具体的な説明がありません」
とずばりと言われています。実際そう思わざるを得ません。この大河のみならず、今まで武者さんの文章で具体例が示されたものが、どれほどあったでしょうか。さらに「文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい」と言いながら『源氏物語』のオマージュがどういうものか全く伝わっていないと思うとも指摘されています。

そもそも光源氏の妻であった女三の宮ですが、猫の追いかけ合いがもとで御簾が引き上げられ、その時柏木に顔を見られてしまい、恋心に火がついた柏木が、女三の宮といわば密通することになるわけですね。しかし武者さんの文章ではその説明がありません。

右大臣兼家、関白頼忠そして左大臣雅信の会合は土御門殿で行われており、3人が話していたところ、倫子が猫の小麻呂を追いかけていたこと、密談のさなか、小麻呂の乱入でその場を騒がせた事で倫子が詫び、雅信が彼女を紹介したこと、入内されるのかと思っていたと言う兼家に、雅信があのような礼儀知らずの娘はとてもと否定するシーンについて書かれておりり、そのうえで、兼家が我が子との結婚で、左大臣家の結びつきを画策しているのかも知れないとあります。

それから町田啓太さんについて。

公任を演じる町田啓太さんは、なんだか大変なことになっているようです。
海外アジア圏において、『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっているのです。

ここのところ、『『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっている』と言うのなら、その記事を提示してくださいと言われています。また、何が大変な事かが武者さん本人以外に伝わっていないこと、そしてたけたけさん自身が検索したところ、町田さんが大ブレイクしたドラマ『チェリまほ』が海外配信されており、アジア圏でも人気だという2020~2021年頃の記事であることが指摘されています。

武者さん、何を見ていたのかなと思います。ならば『光る君へ』関連検索など書かず、『チェリまほ』で町田さんの検索数が増えている、これを機にこの大河でもさらにブレイクしてほしいとでも書いておけばいいのです。

他にも宗教関連、医学関連で興味深い記述もあります。
そして最後の方の『どうする家康』叩きですが、

歴史ライターを辞めて『文春を論拠として崇め一切論拠を示さない信用性のないゴシップライター』になり下がったのでしょうか。

と書かれていますね。実際そうとしか見えませんし。
あと『もうひとつのどうする家康』で、松本潤さんが脚本の古沢さんと話している件では、

現にお二人は膝を突き合わせ話し合いをしているわけですので。
現場スタッフと主演俳優が意見を交わし合って作品を作る事まで否定したらドラマが作れなくなります。
脚本だけではドラマはできません。

文春ネタが原因なのか、主役が脚本に口出しすると書かなければ気が済まないようです。


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2024/02/10 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムその2です。しかし武者さん、昨年の『どうする家康』で書きまくったこと(一部それ以前を含む)が、今年はかなりの確率で、ブーメランとなっていないでしょうか。

本題に行く前に。貴人と猫について前の分の投稿で書いていますが、『どうする家康』でもこういうシーンがありましたね。

どうする家康45秀頼と千姫
『どうする家康』第46回

千姫は絵が上手ですが、弟の竹千代(家光)も兎の絵を描いていたことを考えると、あれは誰の遺伝なのでしょう。


では本題です。
赤染衛門が『竹取物語』関連で、かぐや姫はなぜ、五人の公達に無理難題を突きつけたのかと姫たちに尋ねます。

「好きではなかったから」といった答えが主流の中で、まひろだけが、ぶっ飛んだことを言い出します。
やんごとない人々に対し、怒りや蔑みがあった。
身分が高いだけで威張るものが嫌だから、帝でさえ翻弄するのだろう。
すると倫子は「おそれ多い」と呟きます。「空気読め」という意味かもしれない。
それでもまひろは、身分が高い相手を突っぱねる姫は颯爽としていると熱く語ります。
すると倫子が、私の父が左大臣で、身分が高いことを忘れていないかとチクリ。

まず「好きではなかったから」といった答えが主流とありますが、こう答えたのはしをりだけです。主流というのは、複数の意見で多数派を占めるものですから、この表現は当てはまらないかと。
そして「身分が高いだけで威張るものが嫌だから」とありますが、「やんごとない人々への怒りや蔑みがあったから」ですね。「威張る」という表現はどこにも出て来ません。

そして花山天皇の早期退位について、兼家や道隆、道兼が知恵を絞るシーンに関して次のように書かれています。

いかがでしょう。まひろや義賊散楽一味がみたら「やっぱりこいつら悪どい、盗んじまえよ!」と言いたくなりそうです。

この場合、まひろは無関係ではないでしょうか。ただ道長が来ないことを気にかけてはいますし、道長もその気になっていますが、酒席に残るように兄道隆から言われ、抜け出そうにも抜け出せません。
あと例の盗賊団ですが、彼らが忍び入ったのは土御門殿であり、兼家の住まいである東三条殿ではありません。

般若というのはこのことかと思うほど、凄絶な美しさを吉田羊さんが体現。
(中略)
「懐仁のことも、もう父上に任せませぬ! 私は懐仁を守ります。そうでなければ懐仁とはいえ、いつ命を狙われるか!」
道隆が宥めようとしますが、詮子は止まりません。
兄上は嫡男のくせにご存じないのかと怒りをますます高め、道兼が医師を呼ぼうとすると、詮子はこう言います。
「薬など、生涯飲まぬ!」
何を入れられるかわかりませんからね。
見事な場面です。女性の怒りをこうも鮮やかに見せてくるとは。

まず「医師」でなくて「薬師」ですね。ドラマの中でもそう言われていますし、この当時はこの呼び方が一般的だったと思われます。それから「薬」という言葉が導かれているのでしょう。
また「毒薬変じて薬となり」とも言われますが、父兼家の考えは毒と言えるものであっても、後々の藤原氏の繁栄のためには薬であるとも言えそうです。

「女性の怒りをこうも鮮やかに見せてくる」
昨年の茶々も、『青天を衝け』のお千代(栄一の妾の存在を知った時)も女性の怒りを見せていましたが、嫌いな大河だと武者さんは引き合いに出して来ないようです。

そしてこうも父に怒る女性は、詮子だけではありません。後にまた別の女性も怒ります。
父に対し、娘がこうも激怒する大河が見られるとは。感慨深いものがあります。

父に対して娘が怒る大河と言えば、『鎌倉殿の13人』の大姫もそうでしたし、先ほど画像で引用していますが、『どうする家康』の千姫も父秀忠と祖父家康に対して、怒りをあらわにしています。
尚この時武者さんはこう書いています。

秀忠の理由にしても、ただカッコつけたいからのようで、千姫は「父上もおじじ様も鬼!」とか言い出す。そして豊臣の天下を盗み取った化け物だとキンキン喚いています。

「詮子は帝に毒を盛っただの、懐仁は任せないだの、キンキン喚いています」
とは書かないのですね、今年は。

どうする家康第48回家康と千姫
『どうする家康』第48回

兼家は、詮子が去ると、ゲスなゴシップ誌かネットニュース、掲示板じみたことを言い出します。

昨年あれだけ「文春砲」やゴシップサイトの記事のリンクを貼っていた武者さんから、このようなことを言われたくありません。

長い間、独り身だからいたましいことだ。これからは楽しい催しなどして、気晴らししてやろう、と。そのうえで飲み直そうときた。
なんてクズ男の解像度が高いドラマなんだ……家族や女性部下が怒っていたら「高めのプリンでもコンビニで買って冷蔵庫に入れて置こうか♪」と言い出す、そんなムカつくおっさんみたいな兼家だな!

貴方は気に入らない男性だと何でも
「クズ男」
「ムカつくおっさん」
ですね。実際詮子も里下がりして寂しい思いをしていたわけですし、兼家もそれなりに娘に気を使っている(親王を産んでくれたこともあるし)のではないでしょうか。

悪事で結束する右大臣家って……どこのヤクザですか?
道長だけが賛同するようで、呆れ切った顔をしています。

策略ではあるけれど悪事とは必ずしも言い切れないものと思われます。先ほどの「毒薬変じて薬となる」に近いものがあります。
そして

しかし、これは『鎌倉殿の13人』序盤で、義時が上総広常を見て笑っていたようなものかもしれない。
娘がどれほど怒り、絶望しようが、父は権力のために強引な手段を押し通す――後半、きっと私たちはまた絶望するのでしょう。

これに関しては、『真田丸』で信繁が、父真田昌幸の手段を選ばないやり方を見て
「私は父上が恐ろしい」
と言ったのに近いものがあるのではないでしょうか。

バイオリンの音色が、激しい愛を伝えてきますが、このドラマは日曜夜8時台ですから、ドラマ10『大奥』級の過激描写はありません。
ただし、ギリギリのエロスは読み解き方で出てきます。
酔っ払ったと廁へ向かう為時は、使用人の“いと”によろめいたところを支えられます。
「お前にも世話になった」
そう言われ、ドギマギする、いと。このドラマって、こういう距離が近づく二人をうまく描きますよね。まぁ、為時は廁に向かいますけどね。

「バイオリンの音色が激しい愛を伝える」
昨年は
「BGMはくだらないストリングス。家康が手を合わせる……いや、もう、しつこいって!」(第48回)
「BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス」(第47回)
嫌いな大河ならくだらないにお涙頂戴ですか。今年のにはそれは言わないのですね。
そして為時といと。こういうのも、嫌いな大河なら

エロオヤジの為時が、よろけるふりしていとに色目を使う。一言で言うなら「しょーもな」!

などと書くのではないでしょうか。中高年男性嫌いでルッキズム大好きな武者さんですし。
(作品中の為時といと、そしてその中の方、すみません)

あと「いと」、昨年の「糸」(北条氏真の妻)は今までの大河と同じような名前と叩き、今年は何も言わないようです。

内裏では、花山天皇が政治を行なっています。
銅銭の価値変動が激しいのは、関白のせいではないか?と言い出す。
藤原惟成が語るには、なんでも日照りのせいで物の値上がりが続いているんだとか。

「政治を行っています」でなく「政を行っている」とか、「関白頼忠の言葉を聞いている」とか書けませんか?
あと
「日照りのせいで物の値上がりが続いている」
のではなく、
「長雨と日照りで米が不作となり、物価の上昇が激しくなっている」
のですね。

本作の時代考証の倉本一宏先生は、ドラマによって花山天皇の奔放さばかりが広まることを懸念しています。
この花山は、聡明だし有効性のありそうな政策を考えている。
あのぶっとんだ帝が、万民に模範を示すことを考えるようになるとすれば、何に由来するのか?
為時が読み聞かせてきた漢籍、『墨子』ではないのか? とも思えてきます。

この時代考証、昨年は全く持ち出さなかったどころか、一次史料を基にした平山氏のX投稿に噛みついていましたね武者さん。

この花山天皇の政ですが、元々これは側近の義懐と惟成が、荘園整理令とか、貨幣経済の活発化などを政の中心として推し進めており、それが頼忠との確執を招いたとも言われています。
それと『墨子』については先日書きました。この時代の日本で、どこまで影響があったのかは不明です。

こちらに墨子に関する記述があります。今回はURLだけを置いておきます。

万葉雑記 番外編 墨子と古代日本
墨学では血統や姻戚関係は重要視されません。儒学の枠から外れた根を持たない人々には、ある種、救いの学問です。そのため、支配者階級の階級固定化が進む漢代以降では墨学は任侠や家系を持たない下層民層に落ち込んで行ったとします。
 日本ではこのような状況を写し、一般に墨子集団やその集団が著した書籍は秦の弾圧や焚書坑儒の事件から前漢中期までには世から消え、その後に清王朝終末の混乱期(1894)になって孫(そん)詒譲(いじよう)、譚(たん)嗣同(しどう)、梁(りょう)啓超(けいちょう)によって再発見されたと評価します。このような学問上の歴史から、墨子とその墨子集団の思想は古代には消え失せていたために大陸との文化交流が盛んとなる隋・唐時代と重なる飛鳥時代以降の日本には墨子は影響を与えなかったと評価します。

そして記事の後の方ではこうなっています。

墨子は日本の古典には無いことになっていますが、飛鳥・奈良時代、平安時代初期、平安時代末期、江戸時代と知識人階級の世界にはその存在を見せています。

https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/e49d7108d53fba7902d41f479c0200ef

かなり長くて私もちゃんと読めていないかも知れませんが、日本では墨子に関しては、古代に於いて知識人階級の間では知られてはいたものの、あまり際立った存在ではなく、ただ近世(江戸時代)には、この人物の関連本が刊行されていたようです。清帝国から輸入された墨子関連本の影響もあったのでしょう。

あと為時が講義していたのは『論語』ではなかったでしょうか。

道長は、筆を雑に扱っていて、そういうことだからあんな筆跡になるのだと苦言を呈したくなってくる。
そういう扱いをすると筆がすぐ駄目になってしまいます、藤原行成を見習いましょう、と思わず言いたくなります。
なんて書に気が利いたドラマなのでしょう。

また「筆」の話。どうも昨年寝かせてもいない筆を寝かせたと主張して以来、筆に対してかなり反応するようになっているのでしょうか。この時の道長は、使い終わった筆を拭うようなしぐさを見せていますが、それがどう
「雑に扱って」
いるのでしょうか。
そしてまた出ました「あんな筆跡」。
特徴のある、あるいは癖の強い筆跡かとは思いますが、特に「あんな」とまで悪筆呼ばわりされるものでしょうかね、三蹟の行成とは違うのですよ。

そして
「なんて書に気が利いたドラマなのでしょう」
ここで褒めるのならそれではなく、この当時の上級貴族の世渡り術が、このシーンのセリフで説明されていることだと思いますが。

シスターフッドを発揮し笑い合う二人。まひろがどこかズレていて変人だから成立する関係かもしれない。
しかし、まひろは「絶ッ対、留まらない!」という謎の自信があるため、なんとかなっております。
いるんですよね、こういうモテにさして価値を見出さない剛の女が。認めたくない人は、認めないんでしょうけど。

ここで『大奥』で出て来たシスターフッド。
元々これは、共通の目的がある女性同士の連帯感の意味です。それを言うなら瀬名と於愛もシスターフッドでしょう。
そしてまひろの謎の自信とありますが、見方を変えれば自分自身を知っていると思えます。彼女に魅力がないのではなく、自分は書物あるいは学問がいわば恋人であり、ゆえに男に口説かれても自分は決して落ちないという、そういう発想でしょうか。ちょっと内省的でもありますが。

「こういうモテにさして価値を見出さない剛の女が。認めたくない人は、認めないんでしょうけど」
「剛の女」かどうかはともかく、そういう性格ではあるでしょうね。
そして「認めたくない人は認めない」とあるのは、SNSか何かで反対意見でも目にしたのでしょうか。感じ取り方は人さまざまだと思いますが、別にそれはそれでスルーしておけばいいでしょう。何だか私怨で書いているように見られますよ。

舞を覚えるのが大変。
何度指導を受けても、不器用なのか逆に回ってしまい、叱られてしまいます。
絵も下手だし、体を動かすことも苦手なのかもしれない。ともかく何かがズレている、ヒロインらしさが常に落第気味で斬新です。

このヒロインらしさとは何ですか?
大河朝ドラを問わず、ドジを踏むヒロイン、あまり器用でない(世渡り下手を含む)ヒロインなども今まで登場していますけどね。この吉高さんが演じた『花子とアン』の花子も、女学校で先生に叱られていましたし。

この国にはこんな歌や踊りがあるのかと見ることも、大きな楽しみのひとつなんですね。『鎌倉殿の13人』の静御前に続く、日本代表の登場です。
日本の場合、衣装の重みもあるのか動きが落ち着いております。
唐の場合、軽やかに長い袖をクルクル回し、かつ様々な文化の影響を受け、激しい動きもあります。比較するとますます楽しい。

舞は別に女性だけのものではありません。男性による舞楽もあります。これもまた
「この国の歌や踊り」のひとつですね。

どうする家康45秀頼の舞楽
『どうする家康』第45回

そしてこの五節は、元々は『春秋左氏伝』の「先王之楽、所以節百時也、故有五節。遅速、本末以相及」がルーツとなってもいるようです。

しかし、そのせいでツッコミも入りました。貧しい家出身の紫式部が選ばれることはありえない、と。
(中略)
しかし、懐に余裕がないのに選ばれると、蓄財機会のある受領に無心して仕立てるようなこともあったとか。
それを身代わりということで、衣装予算の問題はクリアしています。
なぜ身代わりにするのか?
花山天皇から倫子を逃すためならば、設定としてありではないでしょうか。
このドラマは、かなりギリギリの設定を攻めてきて、それがよい。

この当時の舞姫は、元々は公卿や受領、殿上人の娘であったのですが、高位の貴族の女性が人前に姿を見せなくなって行ったこともあり、また天皇と舞姫の性的なまじわりなどもあったわけで、光源氏が舞姫に乳母子を送り込んだのも、こういう背景と関係しているでしょう。で源雅信と穆子も、倫子を出すのを渋った挙句、まひろに白羽の矢が立ったわけです。

そして好きな大河なら
「このドラマは、かなりギリギリの設定を攻めてきて、それがよい」
嫌いな大河なら
「(仮に史実であっても)こんなのはありえない。史実を書け」
なのですね。

そしてこの次の部分、今度は『青天を衝け』叩きですか。

そうそう、東洋の国家だって当然のことながら、過度な好色は軽蔑されます。
『青天を衝け』の際、渋沢栄一後妻である兼子に由来する、こんなことが語られていてうんざりしました。
「あの人も『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」
「儒教に性的規範はない」
他国由来の思想に、なんて迷惑なイメージを植え付けるのか。そんなことはありえません。
確かに天皇は皇子を残すことが責務であり、多くの妻を持ちます。
そうは言っても、ルール違反をすれば嫌われるでしょうよ。

儒教の性的規範はともかく、貴方は儒教が悪く言われたら何かの如く言う割に、キリスト教、たとえばカトリックなどはディスリ放題ですね。
かつて、鎌倉殿とどうする家康のコラムでこんなことが書かれていました。

殺すことがまずありながら、動機づけをしたい。
そこで神の出番です。
神が殺していいと言ったから……という理屈を通す。
これは別に日本特有でもなく、中世のカトリック教国では「おらが村の聖遺物」だの、その日の守護聖人だの、そういう神頼みを理屈にして色々やらかすことはありました。

視力抜群、レーシックお愛がゆるかわ仏様を持ち込みます。
数正が作ったというもので、その出来栄えが……小道具スタッフもあまり気合が入っていないのでしょうか。
『麒麟がくる』の平蜘蛛や『鎌倉殿の13人』の仏像と落差が惨たらしい。
しかしフィギュア作り……もとい木彫りの像が好きなドラマじゃのう!
他にアイテムを思いつかないんでしょうか。

カトリックもさることながら、石川数正が彫った仏像への見方、これも如何なものでしょうか。
他の国からやって来た宗教ですよね、どちらも。

確かに日本史には、何かの折、目の前に好みの女がいると、手をつける恐怖の権力者は実在しました。
『青天を衝け』に出てきた徳川斉昭です。
あのドラマよりも、ドラマ10『大奥』の徳川斉昭の方が史実に近いので、適宜みなさまご修正ください。

大きなお世話だと言いたくなります。
私は『大奥』を見ていませんが、それぞれの主人公や設定に合わせた描き方があるのに、嫌いな作品の描写はこれでもかと叩き、好きな作品の描写のみを正しいと言うのはミスリードではないでしょうか。

断っておきますが、まひろは決して現代人思想に被れたトンデモヒロインではありません。
『麒麟がくる』の駒についても、「現代の平和思想を語る女w」と嘲る意見をよく見かけましたが、彼女たちは中国思想由来の意見を述べております。

まひろが「現代人思想にかぶれた」シーンなど出て来ませんが、武者さんにはやはり一般視聴者に見えないものが見えているのでしょうか。もしそういうシーンがあるならどこでしょうか。
そして駒が叩かれたのは、将軍の側女としてはどこか越権行為があると見えたからではないでしょうか。
いつも思うのですが、武者さんが麒麟と言う時は大部分が駒、それも彼女への批判への反論のみですが、なぜ批判されたかというのを、大河のライターならもう少し考えてはどうでしょうか。

そしてその「中国思想由来の意見」についても、その出典と当該人物が何を語ろうとしているのか、書いて貰えないでしょうか。そして儒教由来の王道と覇道に関しては、昨年も出て来ていますよ。

『麒麟がくる』以来、私はひとつの仮説をたて、証明するデータを自分なりに集めてきました。結論は出つつあります。
その仮説とは、日本史愛好者でも、漢籍読解や東洋思想知識が減衰傾向にあるのではないか?ということ。
実は、明治以来指摘されてきたことで、いまさらではあります。
そこが弱いから「麒麟」の理解が不十分で曲解意見が出てきたのではないかと考えています。
『麒麟がくる』ではなく、『光る君へ』で、この仮説は決着がついてきたと思います。

「日本史愛好者でも、漢籍読解や東洋思想知識が減衰傾向にあるのではないか」
「そこが弱いから『麒麟』の理解が不十分で曲解意見が出てきた」
何だか上から目線ですね、まあこの場合に限りませんが。
ではそのデータとやらを開示して、どういうふうに減少傾向にあるのか、それがどのように『麒麟』の理解の不十分さに結びつくのか、ちゃんと解説してください。

私自身『麒麟がくる』は、ちょっと抽象的あるいは観念的なタイトルだなと思いましたし、この大河への「曲解」意見なるものは、要は批判意見であり、武者さんにはそれが面白くないのではないか、そのようにしか見えないのですが。

たとえば『孟子』を「漢詩」とする感想が出てきたりしますが、これを例えるなら、
「『源氏物語』という俳句を読みました」
という類のものとなります。
もしもアメリカのドラマでそんな風に語られていたら、「気持ちはわかるが、そうじゃないんだ」となりませんか? そう言う類のミスなのです。
漢詩はあくまで「漢詩」であり、『孟子』は思想を説く「四書」に分類されます。
些細なことではあるのですが、重要なことでしょう。

『孟子』を漢詩とする感想て、どこにあるのですか。SNSですか。だったらちゃんとスクショしてください、恐らく勘違いではないかと思われます。
そしてなぜ『源氏物語』=俳句なる表現が、アメリカのドラマに結びつくのですか。実際に向こうの番組でそういうセリフがあったのですか。ならば、その番組に意見を送るべきかと思いますが。

このドラマに関する各メディアの記事で、紫式部が世界的に唯一突出した女性文人という趣旨の記述を時折見かけます。
これについては、むしろ本人が以下のように嫌がりそうです。
「やめてください、優れた女性文人は私の前にだっています。本朝もおりますし、何より唐。卓文君、班昭、蔡琰、謝道韞、魚玄機、薛濤……漢籍を読めば出てくるでしょう。なんで知らないんですか?」
ことさら紫式部を「日本スゴイ!」とか、「アジアでスゴイのは日本だけ!」といった言説に結びつけるのは、彼女が望むことでもないでしょう。
キャッチーだからって大仰なコピーを使うことは非常に危うい。

実際『源氏物語』がこれだけ読まれているのだから、著名な存在であることは間違いないでしょう。
寧ろ、武者さんが羅列している唐の「女性文人」の方を、知らない人の方がはるかに多いのです。何よりも日本人が、紫式部を称賛し、世界的な存在であると考えるのがそんなに悪いことですか?
「キャッチーだからって大仰なコピーを使うことは非常に危うい」
一体何が危ういのでしょうか。
何だか紫式部が世界的に有名であるのが、お気に召さないみたいですね。

そして次の仮説です。
ネットニュース等のドラマ評価は、視聴者の理解度によるのではないか?
(中略)
『ちむどんどん』という朝ドラがありました。
このドラマは「医食同源」が根底にあり、琉球の伝統食文化や、沖縄ならではの事情がプロットに盛り込まれていた。
それが理解できなかったのでしょう、琉球差別としか言いようのないアンチコメントが多く見られたものです。
しかも、それを集めてニュースにすることでPVを稼ぐメディアもあり、ドラマの感想で琉球差別の助長をするなんて何たることか、と頭を抱えたくなりました。

「視聴者の理解度」
これもまた上から目線な感じですね。
要は、自分が好きな作品を悪く言うのが許せないというところでしょうか。しかし他人が好きかも知れない作品(大河、朝ドラ)を武者さんはこれでもかと叩き、『舞いあがれ!』などは実際にないシーンまで自分で作り出していたりもしたのですが、それは無視ですか。

あと『ちむどんどん』に関しては、あまり「医食同源」という印象はありませんでした。沖縄から東京に料理人の修業に出て来た若い女性の物語ですが、何だか反社組織がやたら出て来たり、ヒロインに取ってちょっと都合よすぎと思える設定になっていたのには違和感があったし、しかも当時、沖縄の農産物は法的な意味合いから持ち込めないことになっていたのに、それを持ち込んだりするのはちょっとリサーチ不足にも見えました。

人の性は悪なり――このことはネットが可視化している側面もあります。
PVを稼ぎ、バズるためなら悪口やデマ、差別でも語るようになるのかもしれない。
自戒もこめて、それよりも大事なことはある、ルールは守ろうと思う次第です。

「PVを稼ぎ、バズるためなら悪口やデマ、差別でも語るようになるのかもしれない」
『青天を衝け』や『どうする家康』のコラムで、悪口やデマ、あるいは俳優さんの外見に基づいた誹謗中傷とも取れることを平気で書いて来た武者さんに、こう言われたくありません。この手のことを書くのはこれで2回目ですね。

2021年と2023年に何を書いて来たのか、貴方はまずそのことを反省してください。


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
[ 2024/02/02 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

寒さが続きますね、どうぞ皆様お気をつけください。では第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず本題の前に、先日分の投稿の引用部分で「藤和兼家」とありました。もちろん、「藤原兼家」のことでしょうが、こういうのも気を付けてほしいものですね。

姫君の衣装が美しい。襲(かさね)の色合いがどうしてこんなに可愛らしいのかと見惚れてしまいます。
平安時代って、知れば知るほどこの時代に生きていなくてよかったなぁと思えるほど、実は過酷な時代。
それでも憧れを持ってしまうのは、まさにこうした繊細な美しさにあるのでしょう。

「繊細な美しさ」などと書くのであれば、襲の例くらいあげてほしいと思います。

色彩と文様
(日本服飾史)

尚私が『どうする家康』の千姫を例に挙げて、菊重ねについて書いていますが、これは紫と白もあるとのこと。 

それにしても同じ人が、昨年は登場人物の衣装の色を、スイカバーだ焼き芋だと言っていたのですね。

「すごーい! まひろさんは漢字がお得意なのね」
「一枚も取れなかった」
そう上品に笑う姫君たちを前にして、やりすぎた己に気づくまひろ。どこまで面倒くさいのか。

だから何が「面倒くさい」のでしょうか。
空気を読めないことが面倒臭いのですか。何とかのひとつおぼえのようにも見えてしまいます。

ここで檜扇を操りつつ、ふわふわと笑う倫子の愛くるしさは何なのでしょう。空を飛ぶ蝶々か、花びらのような軽やかさがあります。
何かと重いまひろとは正反対のようにも思えます。

倫子とまひろは正反対と言うより、何か一脈通じるものがあるのではないでしょうか。逆に倫子がそれを見抜いているからこそ、楽しそうにしているようにも見えるのですが。

平安貴族の貴公子たちは、関白・藤原頼忠の屋敷で休日でも漢籍の勉強をしています。
今日は『孟子』「公孫丑上」。
公任がスラスラと読んでいます。

で、ここまではまあいいのですが、その次にこの「公孫丑上」の読み下し文と現代語訳があります。これだけで30行ほどになります。
こういうのは読み下し文、現代語訳どちらかでいいのではないでしょうか。一応ここでは現代語の方だけを置いておきます。

孟子が言った。
「人には皆、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるものだ。
古代の聖王は、人の不幸を見過ごせない気持ちをみな持っていたのである。
だからこそ、人の不幸を見過ごせない政治ができたのだ。
人の不幸を見過さぬ気持ちを持ち、人の不幸を見過ごせぬ政治を行えば、天下を治めることは、手のひらに玉を載せて転がすように簡単にできる。
人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがある。それはどこからくるのか。
もし目の前で、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たとする。これはいかん、大変だと誰だって助けようとするだろう。
それは幼児の親に恩を売ろうと思ってするわけではない。
近隣のものや友人に褒められたいから、そうするのでもない。
幼児を見殺しにしたと悪評が立つと嫌だからそうするのでもない。
遠慮し、人に譲る心を持たぬ者は、人ではない。
善悪正邪を見分ける心がないものは、人ではない。
人の不幸を見過ごせない心というものこそが、仁のもとである。
自身の不善を恥じ、他人の不幸を憎む心こそ、義のもとである。
互いに譲り合う心は、礼のもとである。
善悪正邪を見分ける心は、智のもとである。
人がこの四つの萌芽を持つことは、両手両足があるのと同じことだ。」
性善説です。

このように知識を仕入れることと、実践の間には距離があり、平安時代の政治は民を重んじているかというと、なかなか厳しいものは感じますね。
積極的に戦乱を起こさないと言う意味では、確かに平和ではありますが。

儒学を学んだからと言って、それが民のためになるかどうかはわかりません。実際に民のためになろうとするのであれば、当の民と実際に触れ合う必要があるでしょう。尤も道長の場合は、散楽がひとつの目的ですが。

あと「積極的に戦乱を起こさない」はどうでしょうか。戦国時代も飢えをしのぐために領地を巡ってせめぎ合っていますし、この時代は戦をしようと思わずとも、外国から侵略されてしまうこともあります。さらに言えば、戦乱はなくても政変は起こっていましたね。

大河ドラマ『麒麟がくる』では、こうした儒教の教えを初回で主人公が実践していました。
火災があり、その中に子どもが置き去りにされた。もう前後のことも考えずに飛び込んで助ける光秀。
その姿を見て、かつて己も燃え盛る家から救い出された駒が「麒麟がくる」と語る。
光秀は孟子が説く教えそのものの行動を咄嗟に成し遂げたからこそ、駒は「麒麟」を連想したのです。
あの場面はカッコつけだのハリウッド映画だのなんだの言われましたが、孟子の言うところの性善説を端的にまとめたものでした。

仮に性善説を知らなかったとしても、火事に遭った家の子をそのまま放っておくでしょうか。
もっと言えば、災害に遭った地域の人々を、そのままにしておくでしょうか。
そしてあのシーン、確か光秀ではなく、取り残された女の子ウメの父親も手助けしていますね。そしてこの時駒は、自分も子供の頃火事に遭い、知らない人(武士)が助けてくれたこと、その人物が麒麟を連れてくると言っていたと話しているわけですが、これだとまるで、駒自身が麒麟を連れてくると言っているようです。

あとこの『麒麟がくる』第1回のあらすじと感想で書いていますが、『功名が辻』でも、一豊が千代を火の中から助け出しています。
『青天を衝け』でも栄一が、自らが火の中に飛び込んだわけではないけど、関東大震災で被災した人の救援を提案していました。「ワシのような老人はこんなにいささかなりとも働いてこそ、生きてる申訳が立つようなものだ」と栄一が言っていましたね。

町田啓太さん扮する公任が、澱みなく、スラスラと漢籍を読み上げます。素晴らしいですね。
秀才そして知られる公任。町田さんは台詞に出てこない箇所まで覚えたと嬉しそうに語っていました。
長谷川博己さんも、光秀の行動原理を深く理解するために儒教の関連書籍を読んでいたそうです。
学ぶ姿勢が、演技を磨き上げ、ただでさえ美しい姿を一層深みのあるものにします。公任が美しいのは当然ですね。

その町田さんや長谷川さんのコメントの出どころはどこですか。それをちゃんと書いてください。先日もCPのコメントの記事を貼っていませんでしたね。

しかし好きな大河だと出て来る俳優さんにも優しいですね。そして「演技を磨き上げ」とありますが、それが具体的にどのように磨き上げられているのか、ドラマを書くことでお金を貰っているのなら、そのくらい指摘できないでしょうか。
そしてこれだと、武者さんが嫌いな大河では誰も学んでいないような言い方ですね。松本潤さんは、家康になりきるために体を絞っていたのですけどね。

そして、このドラマの楽しみ方を見出しました。
光源氏探しです。
登場人物の理想的な部分をつなぎ合わせていくことで、光源氏をカスタマイズしながら作り上げていくのです。
教養は公任。
筆跡は行成。
要領の良さは斉信。
気品は道隆。
屈折は道兼。
愛嬌は道長……なかなかおもしろいんじゃないでしょうか。

それですか。
いえ貴方が全く個人の趣味でこれを書いているのならそれもありでしょう。しかし歴史系ライターなのに、この4人の生い立ちや今後についての説明は一切なしですか?
このコラムは、貴方の遊び場ではないと思うのですが、いつ見ても、真剣にドラマの背景や人物をとらえているようには見えないのです。それで報酬貰えているのですね。

そう兼家のように道長に言いたくなるのは、あまりに個性的な悪筆だから。字が下手だと台詞にもありましたが、史実の道長もあまりに癖が強い字を書きます。

字が下手だと言いながら画像すら貼らないのですね。月岡芳年の絵は張っているようですが(苦笑)。
別に下手ではないと思います、特徴のある字ではあり、また表記方法そのものにも特徴がありますね。

Michinaga_diary.jpg
(Wikimediaより、御堂関白記)

一方で藤原行成は日本書道史のレジェンドです。
そんなレジェンド行成から癖が強すぎる道長まで、字を再現する根本知先生は大変だと思います。

せっかく藤原行成が出て来ているのだから、三蹟くらい書きましょう。
そして色々な字を書き分けるのが、大河の書道指導の方の務めだと思います。

今年の大河は書道に気合が入っています。
文房四宝こと筆・墨・硯・紙まで、特殊で高いものを用意していて、この文房四宝の質感だけでも見ていて眩しいほど。美しい場面が続きます。

多くの大河では、登場人物は字をしたためるものであり、それぞれの作品に於いて、それぞれのやり方で書道に力を入れていたと思います。今年に限ったことではないでしょう。

そして「特殊で高い」と書かれていますが、具体的にどのような品のことをさしているのでしょうか。端渓の硯とかですか。

さらにまひろの硯は携帯用でも家要でも、それほどではなかったかと思います。自分で「貧しい」なんて書いてますよね武者さん。寧ろ評価するのであれば、それぞれが身分に応じた物を使っていること、そして代書に紙でなく板を持って来た麻彦のように、紙は高額で、庶民にはなかなか買えなかったという点の考慮などでしょう。

しかし為時が知りたいのはそういうことではない。年頃ゆえに、東宮の妃となってもおかしくない。一体どういうお考えなのか?
すると、まひろの猜疑心が発動します。嗚呼、めんどくさい。
兼家様に頼まれたのか、間者にしろと言われたのか?と父を問いただします。

貴方「めんどくさい」このコラムでもう何回使っていますか?
父にこう訊かれて、自分が土御門邸に行ったのは別の目的だったのかと感じ取る、その辺りの勘の鋭さはあるかと思います。

まひろはここで割り切ります。そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ!
父の言葉に納得もあるんでしょうね。楽しいことはそうだし、メリットはある。

「そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ」
一々面倒臭がる、あるいは気持ち悪がる武者さんの方が、如何なものかと思うのですが。

そして倫子様に気に入られるようにすると、キッパリと言い切るのでした。
とはいえ、内心父への軽蔑が高まったのか。
一人、母の遺品である琵琶の前に立つ時の白い顔は、憤怒がふつふつと滾るようにも見えます。

涙を流しているのを見ると、やりきれなさはあるでしょうね。彼女が、自分で嘘をつくことの罪悪感を初めて乗り切らなければならない、関門のようにも見えます。

このドラマは、まひろと道長の恋愛で焦らしているように思える。
けれども、そうなのでしょうか?
もしかして二人とも「困っている人を助けたいんだ!」という惻隠の情で動いていただけであり、恋をしていないのではありませんか?
この読み違いは前述した『麒麟がくる』でもありました。
光秀が駒を助けたものだから、この二人に恋愛フラグが立ったと誤解した視聴者がそこそこおりました。
光秀は親切心です。確かに駒は淡い恋心を光秀に抱いていたものの、それよりも人助けに生きがいを見出すようになる女性でした。
なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか。

互いに氏素性が知れないまま出会い、別れて会えなくなった同士が再会して、さて今後どうなるのかと言ったところでしょう。
そしてまた『麒麟がくる』ですか。
「なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか」
などと好きな大河では書いておきながら、嫌いな大河だとエロだのミソジニーだの連発しまくりですね。しかもドラマそのものを分析的に観ているようでもないし。また恋愛フラグを立てる立てないは、人それぞれだと思います。

やはり、まひろは何かおかしい。
三郎がいなくなって大丈夫かと気にしている。けれども直秀から無事を聞かされても、喜ぶどころか猜疑心全開にして太郎を使って調べようとする。
その太郎に、妖怪かどうか確認したいと言う。

「太郎を使って」まひろは父親から外出を止められ、乙丸が監視しているわけですが…これ書くの何度目でしょう。
「猜疑心全開」無事だと知ったから、あの人にまた会えるだろうかと思った。
「妖怪かどうか確認したい」太郎が、姉上の三郎は幻じゃないの?鬼とか悪霊とか怨霊とかさと言ったから、そうであるかどうか確かめたいと言ったのではないでしょうか。実際会ったり会えなかったりしていますし。

これが恋をする若い女性の言動なんだろうか……。なんなんだ、本当になんなんだよ!
だいたい「謎の男」というタイトルも妙です。逢いたい相手を謎呼ばわりってどこか変ですよ。
(中略)
なんかこう、私はこういうの好きじゃないというオーラがじわっと滲んでいるというか、理解できていないというか、“かわいい若い娘”という仮面をかぶっているというか。
まひろって、実はガチガチの理詰めで、恋するままに動けない性格なのではありませんか?
周囲から学び、空気を読んでふるまおうとしているけれども、実は何かがずれているのかもしれない。

別にかわいい娘のふりをしているわけでもなく、ありのままの自分を出していて、でもそれでいいのだろうかと戸惑っているように見えます。大人への第一歩でもあるし、それこそ貴方が好きな漢籍も読んでいるから、ちょっと違ったものの考え方をするようになるのでは。

まひろのこういう性格って、イギリスの女性作家であるジェーン・オースティンも思い出します。
恋愛小説の名手として知られ、英語圏の教科書には掲載常連、国民的作家です。
けれども本人は恋愛をした情熱的なタイプでもなく、皮肉屋で理知的です。
恋愛小説にせよ、流行しているものを自分流にアレンジして皮肉って書いてやるような動機があります。
オースティンのヒロインはなかなかひねった設定です。書簡集を読むとものすごく嫌味なことを書いているとも思える。
そういう皮肉屋だからこそ、見えてくるものがあるのかなと。

ここでジェーン・オースティンですか。
ではその作品を一つ挙げて、どう皮肉屋でどう理知的なのか、そしてどういった作風にそういう彼女の特徴を感じるのか、きちんと書いてくれませんか。映像作品でもいいです。
私は、『高慢と偏見』の、コリン・ファースが出演したBBCのを観たことがあります。イギリスの階級社会は、ああいうものかと思いましたね。イギリス海軍好きな方の一押しでした。

ひねくれたヒロインって実にいいですね。もう本当に変なヒロインです。

逆に失礼な気もするのですけどね。「変な子」という先入観ありきでまひろを見ていませんか。

さて、以下は余計なことながら。
視聴率が低いこともあり、早速叩き記事が出ています。
◆『光る君へ』第2話で視聴率ダウン! まひろ(吉高由里子)の恋愛描写メインで高齢視聴者が大量離脱(→link)
◆NHK負のスパイラル…『紅白歌合戦』『光る君へ』“低視聴率”続きで予算削減へ(→link)

武者さん、昨年は自分が同じことをやっていましたよね。
「ワースト2位の大駄作」だの「ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに」だの。

で“事情通”なる人物が、シニア層が混乱する、役者に魅力がない、そして源氏物語の世界観を大河でやるのは難しいと言ったことを話しているようですが、それに対して。

「事情通」とは、誰でも自称できるし、資格もなにもないところがポイント。
ライター本人が書いているという可能性もあります。

あれだけ「文春砲」を何かのように引用して来た武者さんに、情報の胡散臭さを言われても正直どうかなと思います。

ましてや下地となる『源氏物語』が男と女のまぐわいが中心の恋物語。
まぐわいって……『源氏物語』はそういうものでしょうか。
国民的古典を学ぼうという好奇心や知識欲はないのでしょうか?
「恋愛描写が多いからつまらん」というのも、納得できかねますし、藤原の多さに困惑しているという指摘も甘えではないでしょうか。

少々きわどい言葉ですが、確かに「まぐわい」の要素はあるでしょう。
そしてその人は、別の古典に関心があるかも知れないのです。恋愛描写、おなじ一族で同じ氏が出てくるのも、人によっては受け入れられないこともあるかも知れません。
問題は、なぜこのような例をわざわざ挙げて、私が言うことは正しいと主張せんばかりのことを書くのかです。
こういう見方もあります程度に書いておけばいいのでは?
武者さんがすべて正しいわけではないし。

同じことを女性が言おうものなら「このバカ女」となりそうなのに、なぜ中高年男性は当然の如く、こんな威張った調子で言うのか。世間はそれを許すのでしょうか?

そして必ず
「同じことを女性が言おうものなら『このバカ女』」
貴方は常に中高年男性に対して臨戦状態ですね。

そして結局『光る君へ』も結局は、『どうする家康』の叩き棒にするようです。

2023年のように、徳川家康の生涯において、側室オーディションやら、お手つきやらクローズアップすることこそ、余計な恋愛描写(ろくに恋すらしていない、正しくは性欲描写か)だと私は思います。

両方の大河の関係者に失礼だと思いますけどね。
そして『どうする家康』の「性欲描写」て何ですか?具体的に書いてください。
さらに言えば、お万の「お手付き」は実話と言われています。

そして感じたのは、以下の記事にある「カスハラ」です。
◆「よかれ」と思って無自覚カスハラ 気をつけたい「中高年男性」(→link)
「よかれ」と思い、いい事してやったと語っている記事なのだろうなと。

「『よかれ』と思い、いい事してやったと語っている記事」
これもまんま武者さんのような気がして仕方ないのですけど。
貴方の昨年のジャニーズ叩き、しかも関係のない所属俳優やタレントへの姿勢は正にそれでは。

何度でも言いますが、「戦! 戦国! エロい女!」の2023年は「シン・大河」どころか、記録的大失敗、「惨・大河」になりました。従来の読みは通じません。

しつこいですね。
「記録的大失敗」の根拠は何ですか。
「シン・大河」なんて公式は使っていませんよ。
こう書かないと気が済まないのでしょう。結局何も観ていませんね。もう少し丁寧に観ていたのなら、まだ建設的な批判ができたのでしょうが、最初から叩き目的だから本当に同じことの繰り返しですね。

視聴率は低いが、鑑賞者は多い――再放送希望も多いのか、異例の一月での1、2回再放送もありました。
◆録画にネット視聴、実は見られていた「光る君へ」…演歌冷遇・受信料宣伝の「紅白」はそれでも過去最低(→link)
私も以前から思っていたことです。
海外では視聴者数または視聴回数で評価します。そういう過渡期の作品なのでしょう。
今年は「視聴率は低迷する」と覚悟の上で作っていると思います。
しかし現場の士気は高いようです。

これは昨年も、そして一昨年も同じではないでしょうか。
そして一昨年までは
「(世帯)視聴率は古い」
なと言っていただけど、今回は
「過渡期」
ちょっとトーンダウンしているようですね。
あと「現場の士気は高いよう」なら、それを裏付けるものをお願いします。
そして昨年も一昨年も、確か2回分か3回分の再放送をやっていなかったでしょうか。
こういうのも嫌いな作品なら、番宣だと叩くのでしょう。

それから余談ですが。
昨年武者さんは『大奥』と『麒麟がくる』のディレクター、大原拓氏の演出を褒めて眼福だと書いていたことがあります。しかしこの大原氏は、武者さんが好きでない『軍師官兵衛』のディレクターでもありました。その後しばらく経って大原氏のことはコラムから消えました。あるいは「官兵衛」もやっていたことに気づいたのでしょうか。
ちなみに大原氏が演出を担当した回には、宇喜多直家が織田に通じた者を毒殺したり、勝手に戦線離脱をした秀吉が、信長に疑われないように乱痴気騒ぎをしているシーンもありましたね。武者さんが眼福と喜ぶようなシーンでは、恐らくなかったかと。


飲み物-トディ
[ 2024/01/25 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第3回「謎の男」あらすじと感想-2

第3回後半部分です。


安倍晴明は兼家に、邪気は払ったが背負われたお荷物が大きすぎる故、一番思いお荷物を下ろされたらよろしいのではと帝(円融天皇)に述べたと伝える。追って褒美をつかわすと兼家、晴明と須麻流は示し合わせたように笑う。帝は晴明まで譲位を迫るのかと嘆くが、藤原実資はお上はまだお若く、ご回復されればますますお力を発揮してくださる、皆そう信じていると譲位を引き留める。しかし帝は此度の邪気は払えても、すぐに朕を呪う者の新たな邪気に苛まれるのを案じていた。

その時はまた邪気払いをと言う実資だが、帝は右大臣(兼家)のしてやったりの顔が見えるようじゃがと言い、懐仁はたった一人の我が皇子(みこ)で、他の皇子に東宮を取られては朕の血筋が絶えてしまう、懐仁を次の東宮にしたいと洩らす。この意味で帝と兼家の利害は一致していた。しかし実資は、師貞親王が今すぐ即位しては世は乱れると忠告する。その時俊古が、兼家が見舞いに来たことを伝える。実資はやめさせようとするが、帝は兼家に会う。

束帯姿の兼家は病状の好転を喜び、祈祷が効いて来たのやも知れぬなと言いつつ、好転したり悪化したり、おかしなものだと帝。お働きが過ぎてご無理がたたったのやもと述べる兼家だが、帝は懐仁親王のことを尋ねる。詮子が世話をしていると聞き、あまり甘やかさないように伝えてくれと帝は言う。兼家は言う、東宮になられましたら、もう少しお強くなられましょうと。懐仁が東宮になるのかと帝は問うが、それがお上の願い、この国の願いであると思っておりますと兼家。

一方で実資は女房たちを調べるが、彼女たちからは、自分の立場を誇示したいだけの嫌なやつと散々に言われていた。実資は道兼に、内侍所の検分は勘違いであったやも知れぬと言う。もう帝も次第に回復されている、毒を盛られているのならもっと悪化するはず、早とちりであったと言う実資に道兼は、回復の兆しがあるのはよろしゅうございましたとそつなく言う。問題は女房たちが調べに不満を持っていることだった。

やりにくくなると言う実資に、道兼は頭中将様は筋が通っており、自分はどこまでもついて参りますと伝える。その道兼は外に出て道長とその部下に声を掛ける。今宵も東三条殿においでですかと道長。兄とのすれ違いを気にする道長だが、だから何だ、いつか父上も交えて一献傾けたいと道兼は言う。また為時は兼家に会い、師貞親王が心を入れ替えたように勉学に励んでいると伝える。ご即位が近いとご覚悟されたもやの知れぬと為時。

そうなれば、左大臣(源雅信)は娘を入内させるであろうかと兼家は言う。左大臣の北の方である穆子(むつこ)はそなたの親戚ではないかと尋ね、遠い親戚だと為時が答えると、何故帝にも東宮にも娘を差し出さないか、左大臣の気持ちが知りたいと言う。為時は本当に何も知らないようで、兼家は彼を下がらせるが、為時は何かを思い出したようで、退出しようとしたものの取って返し、お役に立てるやも知れませぬと口にする。

左大臣の邸、土御門殿では、一の姫倫子が琴を弾いていた。左大臣雅信は娘の琴の腕が上達したのをほめ、新しい装束のことを穆子が口にするも、倫子の琴を優先する。来年は22歳になる倫子だが、雅信は我が家は宇多の帝の血を引く家系、いくつでも慌てることはないと言う。そんなに甘くはない、自分は20歳で婿を取ったと穆子。その頃為時は館に戻り、まひろに、左大臣家の姫たちの集いに行くことを勧める。

代筆はダメだがその日は外出を許すと為時。そして穆子の女房に赤染衛門という和歌の名人がいること、そこにやんごとなき姫君たちが集まって学ぶ会があると言い、お前和歌は得意であろうと持ち掛ける。自分のような身分が低い者が行く場所ではないとまひろ。しかし為時は、お前は身分など乗り越える才があると言い、穆子は親戚なので、安心して楽しんでくるようにと言う。

まひろは土御門殿を訪れる。穆子は親戚の娘だと紹介し、まひろは前播磨権少掾(さきのはりまのごんのしょうじょう)藤原朝臣為時の娘、まひろであると名乗る。姫君たちのうちの1人、茅子は父上の今の内裏でのお仕事はと尋ね、まひろは今は官職はないと答える。そして私のような者でも、ご研鑽の場に加えていただきたくお願いいたしますと頭を下げる。倫子は、ご研鑽などと大層なと笑い、「あ・そ・び、楽しんで行ってください」と声をかける。

その場を仕切る赤染衛門は、手始めに偏つぎを始める。彼女たちは一様に偏つぎは苦手だと言うが、赤染衛門は意に介せず、漢字の偏だけの札を並べさせ、遊び方を教える。自分が旁(つくり)を言うので、それに合う偏の札を取るのである。赤染衛門は例を示し、そして月の札を出す。まひろは素早く「日」の札を手にする。これで「明」となるのだった。まひろは次々と偏の札を取り、倫子は興味深そうにそれを眺めて口を開く。
「まひろさんは漢字がお得意なのね」

赤染衛門は、倫子様ももう少し漢字をお覚えになりませんと、これからは女子でも漢字が読めて漢詩が書けませんとと、我が子の指南はできませんよと姫君たちを諭す。彼女たちは「はーい」と返事をし、悪戯っぽく笑う。一方公任や道長たちは、孟子の公孫丑上篇「人皆有不忍人之心」章についての講義を受けており、公任はその章を暗唱して見せる。

姫たちとは異なり、上級貴族の子弟たちは休日であっても関白の屋敷で、国家を率いる者としての研鑽を積んでいた。漢詩の書写も行われ、道長の隣の藤原行成は達筆で詩を写していた。後に三蹟として名を馳せる人物である。道長は行成に体を寄せるようにして、その写しをのぞき込む。

まひろは館に戻る。どのようであったかを問われ、楽しい時を過ごしたとまひろ。倫子様とはどのような方かとも問われ、あのようなお方とは会ったことがない、よくお笑いになる方で姫君たちにも慕われていたとまひろは答える。婿を取る話などは出なかったかと訊かれたまひろは、いいえと答える。お年頃と聞いている、東宮の后となさってもおかしくないと言う為時だが、まひろはなぜ父がそのようなことを言うのかわからなかった。

兼家様に私を間者にしろと頼まれたのかとまひろ。そんな娘に為時は、お前が外に出たがっていたのではないか、それに高貴なお方とお近づきになっておいて、損はない、嫌なら行かなくていいと言う。余計なことを申しました、倫子様のお気に入りになれるよう努めますとまひろは父に言うが、何かすっきりしないものがあった。

土御門殿では歌比べも行われた。古今和歌集の歌をそのまま盗用し、注意される姫君もいた。赤染衛門は、古今集をすべて覚えていたのである。それを聞いたまひろは合ってますと言い、倫子から、衛門のよいお相手になりそうと言われてしまう。そして小町は恋の歌の名人だが恋を沢山したからだろうか、良い歌を詠むにはいい恋をしないとと姫君たちは言い、まひろも笑顔になる。

帰り道、四条万里小路の辻で散楽を見たいとまひろは言い、乙丸に止められるも、倫子の真似をしてふふふと笑ってみせる。散楽一座はまたも帝と詮子の風刺をやっていたが、まひろは見慣れた男の姿を見かける。それは、変装して外出した道長だった。その時一座の一人が他の一人にぶつかり、面が取れる。面が取れたその男の顔をまひろと道長は見つめる。


帝の病状は好転したり悪化したりでした。既に道兼は薬を入れるのを止めているようですが、兼家は早々に帝が譲位し、懐仁親王を東宮にすることを狙っているようです。奇しくも懐仁親王を東宮にしたいという点では、帝も兼家も意見が一致していました。その一方で実資は、帝に誰か毒を盛っているのではと怪しみ、陪膳の女房たちを調べようとします。しかし、これは女房達には大不評でした。

結局実資は調べをやめてしまいます。その道兼は道長に、父兼家と共にいつか一杯やろうと持ち掛けます。そしてその兼家は、左大臣源雅信が、娘を入内させないのを怪しみ、北の方である穆子の遠縁に当たる為時から、内情を聞き出そうとします。しかし為時は本当に知らないようで、その代わりにまひろを雅信の邸、土御門殿で行われる姫たちの集まりに、行かせることにします。

まひろに取っては、自分とは明らかに家格が違う姫君たちとの出会いであり、「偏つぎ」でずべての札を取ってしまったり、赤染衛門がそらんじる歌を合っていますと言ったり、彼女の知識が窺える一方で、こういう場所に慣れていないといった雰囲気もまた窺えます。しかし雅信の娘倫子は、そういうまひろに興味を示します。この土御門殿行きは、倫子が今後入内するか否かを知るための企みでもあったのですが、まひろもまた倫子に興味を示したようです。そして偶然行った四条万里小路の辻で、まひろは三郎(道長)と再会します。

そしてまひろの衣装について再度。山吹色に紫の裏というより重ね目、これに似たものを昨年も目にしました。それでちょっと思い出したの装が、この千姫の衣装です。こちらは打掛は紫というより小豆色がかっていますが、下の小袖が黄色系で菊重ねと呼ばれるものに似ています。まひろの場合、これとは逆になりますが。

どうする家康45千姫4
『どうする家康』第45回より

ところで赤染衛門が古今集をすべて覚えている件、清少納言の『枕草子』第23弾「清涼殿の丑寅のすみの」にこうあります。宣耀殿女御(藤原芳子)が父藤原師尹から
書道
琴を誰よりも上手に演奏する
古今集20巻をすべて覚える
と言われるのですが、その後村上天皇の女御となった時、古今集の試験を帝がされたけど、少しも間違うことがなかったとのこと。
今回は上級子弟たちの書道、倫子の琴の演奏、赤染衛門が古今集をすべて覚えていること、この3つの要素を盛り込んでいるように見えますね。

そして今回のキャスト。
まひろ-吉高由里子さん
藤原道兼-玉木玲央さん
藤原公任-町田啓太さん
源倫子-黒木華さん
どうも『花子とアン』を思い出してしまいます。


飲み物-ホットウイスキー
[ 2024/01/23 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』と武将ジャパン大河コラム

先日書きましたが、『武将ジャパン』大河コラムと『どうする家康』関連で。結局『どうする家康』出して来ましたね、本題に行く前に、以下の2点について触れておきます。

前回はまひろの小鳥が逃げたことが、雀の子が逃げたと紫の上が走ってきた場面をなぞっていたのだとか。

「いたのだとか」などと書かれると、如何にも伝聞で知りましたといった印象を受けます。武者さん昨年の最終回の、天海の登場シーンで、源氏物語が一冊だけなんてありえないなどといったことを書いていました。その一冊は奇しくも『夕顔』でしたが、それはともかく。武者さんはそれだけ源氏物語に詳しいはずなのに、なぜあそこで『若紫』を連想しなかったのでしょうか。

そして「女性脚本家を偏見で語るような批判が散見される」の部分ですが。

道兼のちやは殺害については、私は前回の時点では許容寄り保留でした。
今後のプロット次第だろうな?と感じたからです。
ルール違反だとわかって敢えて少しはみ出して書いていることが、今回(2回目)の放送で明かされました。
兼家と道兼の場面ですね。
ならばアリではないでしょうか。時代もので、女性主人公親族の死をプロットに組み込むことは、盛り上げるためにはありえる演出では?

「ルール違反だとわかって敢えて少しはみ出して書いている」「今後のプロット次第だろう」
そう考えるのであれば、昨年の「弱い家康」も意図してああ描いている、そのくらいわかると思うのですが、ろくなあらすじもないまま、叩きまくりでしたね。本多忠勝に諫められるシーン、大樹寺から岡崎城へと向かうシーンでは、様々な決断を強いられてその度迷うものの、単なる弱虫ではないというのがいくらか窺えたかと思うのですが。

そして
「時代もので、女性主人公親族の死をプロットに組み込むことは、盛り上げるためにはありえる演出では?」
先日も書きましたが、嫌いな作品だと「冷蔵庫の女」(都合よく殺される女性キャラの意味)呼ばわりした可能性が高いです。

だいたい、どうしてこの人ら、男女ともに受信料は同額なのに、勝手に大河は男のものだと所有権を有するような言動をするのでしょう?
いつ、誰が、何の根拠でもって、そんなことを決めたのか。
こういうことを言い出す人は、女が喜ぼうが、嫌がろうが、どのみち貶すのでは?
(中略)
そもそも「戦! エロい女! 戦国時代!」という男の子大好き欲張りセットを展開した2023年が大失敗しているじゃないですか。
いいかげん、ボーイズクラブは時代遅れだと気づいて欲しい。

まず記事のリンクが貼られており、それに対して異議を唱えているわけですね。
まあこれらの記事(日刊ゲンダイ、まぐまぐ)、イケメンてんこ盛りだのキャスティングのテコ入れが必要だの書いているわけですが、武者さん昨年は、『どうする家康』を叩くために、これらのメディアの記事のリンクをかなり貼っていたと思います。好きな大河をけなされるとこうなのですね。ならば昨年貴方に『どうする家康』を散々に言われたファンの気持ちが、少しでもわかりますか?

そして
「男女ともに受信料は同額なのに、勝手に大河は男のものだと所有権を有するような言動をするのでしょう?」
この2つの記事、大河は男のものだとは書いていません。ただ吉高さんだと地味だからとか、今年は8月にオリンピックがあるので視聴者離れが危惧されるという見方をしており、そのうえでルックスのいい俳優を入れてはどうかと書いてはいます。

第一武者さん、昨年叩き棒にした番組の一つである『大奥』で、
「『大奥』は髷の美男が大勢出ています」
などと、イケメン肯定のようなことも書いているのですけど。

それから
「そもそも「戦! エロい女! 戦国時代!」という男の子大好き欲張りセットを展開した2023年が大失敗しているじゃないですか。いいかげん、ボーイズクラブは時代遅れだと気づいて欲しい」
何を持って大失敗なのか、その裏付けをまず書いてください。
そして『どうする家康』の女性たちすべてが「エロい女」ではないことは、ドラマを観ていればわかることです。そう呼べるのはお万くらいではなかったでしょうか。

さらにこの大河はもう何度も書きますが、戦を華麗に描いた大河ではないし、どうすればこの乱世を終わらせるか、主人公が悩む点に寧ろ比重が置かれており、無論女性たちの役割も描かれた大河でした。こういうのも、ちゃんと観ていればわかるのですけどね。

2023年『どうする家康』は、主演がアイドルというだけで女性サービスをしたつもりになっています。
しかし、40代男性アイドルや、暴力的なBL描写は、果たして若い女性層に届くサービスだったのでしょうか? それどころか、女性受けという触れ込みのジャニーズ投入が裏目に出てしまいました。
◆ ジャニーズ帝国崩壊を象徴する「どうする家康」の失速 2024年は「テレビの予定調和」が壊れる年に?(→link)

「主演がアイドルというだけで女性サービスをしたつもりになっています」
その裏付けをお願いします。また
「40代男性アイドルや、暴力的なBL描写は、果たして若い女性層に届くサービスだったのでしょうか」
疑問に思うのなら、ちゃんと自分で調べて書いてはどうですか。貴方プロのライターですよね。

そして「暴力的なBL描写」なるもの、家康と信長のことを言いたいのかも知れません。しかし単なる暴力でもBLでもないことは、この2人の関係を見ていれば気づくはずです。暴力というよりプレッシャーだなとは思いますが。
それから「40代の男性アイドルが、若い女性に届くサービスだったのだろうか」
これと逆のことを言われると、武者さん怒るだろうなと思いますね。これ男性差別では?

そして日本史周辺にはミソジニーがあるから大河は避けるとかで、

そこへ歯止めをかけるために、強いハートと剛腕を持つ女性脚本家、敢えて挑む時代で、2024年と2025年は果敢な挑戦をしてきているのだろうと私は思います。

この挑戦というのは、2020年代に入った頃から顕著になっているかと思います。2010年代は戦国と幕末が多く、時代のバリエーションが乏しいというデメリットがあり、また女性主人公があまりにも知名度が低いなどと言われたりもしましたが、それまでの大河とはまた異なった路線を行こうとしてはいました。

そしてこれまた先日も書いていますが、『青天を衝け』辺りから「挑戦」は始まっているのかと思います。「挑戦」は武者さんが好きな脚本家の大河のみに限定されるものではありません

尚『べらぼう』は江戸時代後期の町人が主人公で、かなり興味を惹かれますが、来年がもし嫌いな脚本家なら、こうは言わないのではないでしょうか。すべてを好き嫌いで判断したがる武者さんですので。

例えばこのドラマでは、女性たちが男性の身勝手を嘆きます。こういう女性の苦悩を描くことこそ、海外展開を狙うならば避けられないところ。
実は華流にせよ、韓流にせよ、ジェンダーも女性受けしている重要な要素です。
そういう現実から目を逸らしたい層は「どーせイケメン目当てだろw」と語りがちですが、見誤ってはいけません。
反面教師は2023年です。
初回からヒロインをトロフィーにして、男同士が取り合うような残念ドラマは、その時点で振り落とされます。

「身勝手」に見えることでも理由があり、たとえば詮子が帝に冷たくあしらわれるシーンはありましたが、これは帝による兼家の牽制のためでもありました。そして武者さんが嫌いな『青天を衝け』にも、女性が男性を批判的に見るシーンはあったし、『どうする家康』でも瀬名が家康を叱るシーンもありましたが、まさかこういう大河は、女性がすべて男性の言いなりなどと思ってはいませんよね?

それに華流だ韓流だ、ジェンダー論と書きたいのなら、別にコラムを作ってそっちで書いてください。

そしてまた
「反面教師は2023年です」
早く忘れたいと言っていながら、その実全然忘れていないなと思います。
「初回からヒロインをトロフィーにして、男同士が取り合うような残念ドラマは、その時点で振り落とされます」
瀬名の前で元信(家康)と氏真が勝負をつけるシーンですが、この時氏真に対して手加減せず、本気を出した元信に、主君である義元が瀬名を嫁がせるわけで、瀬名の父親氏純もこれを承諾していました。
ですからこれは主君の意志であり、従わなければならないものでもあったわけです。その辺を理解していますか?

あとこれも先日、そしてこの投稿の最初の方でも書いていますが、ジェンダー論がどうこうと言う武者さんが、『どうする家康』の女性キャラに対してこういう見方をしていたということ、キャプしたので貼っておきます。作り手がそう考えたと言うより、武者さんがこのように見た(見たがった)として思えないのですが。嫌いな女性キャラに対しては、まともなレビューなら書かないような言葉が並んでいますね。

どうする家康47コラムの女性観3
[ 2024/01/19 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『北九州音頭』

先日北九州関連の投稿をしていますが、昭和の時代、江利チエミさんという歌手の方がいました。歌手のみならず、女優やタレントとしても活躍し、かの高倉健さんと結婚していたこともありますが、その後離婚し、昭和57(1982)年に45歳の若さで亡くなっています。

その江利チエミさんが、昭和38(1963)年発売の『北九州音頭』という曲を歌っています。この年は北九州市が誕生した年ですが、かつての夫だった高倉さんが、北九州市に隣接する中間市、江利さん自身のお父様が筑豊地方の田川市出身ということも関係しているのでしょうか。またお母様は元女優で、『ブギウギ』の主人公福来スズ子のモデル、笠置シズ子さんと共演したこともある由。

まず動画を探してみたのですが、1つこれはいいと思ったのが、他のサイトでの再生が無効化されているため、そのリンクだけを置いておきます。

何と言うか、如何にも昭和の歌謡らしいノリがあります。
歌詞は下記リンクからどうぞ。

北九州音頭 歌詞
(J-Lyric.net)

1番から4番まであり、1番は北九州全般(時代的に、かつての八幡製鉄所が勢いがあった頃でしょう)、2番が小倉と戸畑、3番が八幡と若松、4番が門司の紹介になっています。
2番には祇園太鼓が登場し、その後「夜宮帰りか提灯やまね」と続きます。これがちょっとわかりにくい人もいるかも知れませんが、恐らく戸畑区にある夜宮(よみや)公園で、8月15日に行われる盆踊りの際の山笠運行のことでしょう。その後の「更けりゃ河童も浮かれ出す」とあるのは、やはりこの戸畑で作られる河童凧のことか、あるいは若松区の高塔山公園の河童祭りと思われます。

夜宮の盆踊りについてはこちらをどうぞ。リンク先にもありますが、神仏習合のひとつの例で、祇園神は元は牛頭天王であると記されています。この牛頭天王は神仏習合的な見方では、素戔嗚尊のことであると言われています。その素戔嗚尊は京都の八坂神社の祭神であり、祇園太鼓の小倉の八坂神社はもちろん、博多祇園山笠の櫛田神社もこの神を祀っています。
(尚『風花帖』に登場する素戔嗚神社は、八坂神社のことと思われます)

戸畑の山笠 その5
(北九州市 時と風の博物館)

この戸畑祇園大山笠は提灯大山笠とも呼ばれ、夜のを実際に見たことがありますが、なかなかきれいで、博多祇園山笠とはまた違った趣があります。この山笠は、昼は幟で装飾されたものが練り歩き、夜は多くの提灯を台座に載せて、人々が担いで行くものとなっています。

戸畑提灯大山笠
戸畑祇園大山笠(Wikimediaより)

さて3番です。
皿倉山、溶鉱炉、若戸大橋などが登場します。皿倉山とは、八幡東区にある標高622メートルの山で、市街地からもよく見えます。そして溶鉱炉、これはかつての八幡製鉄所を意味しているのでしょう。さらに若戸大橋ですが、洞海湾を跨いで戸畑と若松をつなぐ橋で、ちょうどこの曲が出た頃に開通しています。

どうも戸畑区つながりの画像ばかりになってしまい恐縮です。先日リーグワンで、リーグ戦100トライ目を挙げた山田選手が子供の頃、戸畑区の鞘ヶ谷(さやがたに)ラグビースクールでプレイしていたのも、あるいは関係しているのかも知れません。

若戸大橋ライトアップ2
若戸大橋(北九州観光情報サイトぐるリッチ北Q州)

そして4番。「海のトンネル」というのは関門トンネルのことでしょうね。この頃はまだ関門橋がない時代で、鉄道と国道の関門トンネルは、九州と本州をつなぐ重要なルートであったと思われます。もっと言えば、山陽新幹線が九州まで走っていない時代でもありました(と言うか、当時は東海道新幹線がまだ開通していませんでした)。

ところでこの江利チエミさん、『黒田節』も歌っています。ウィキのページを見る限り、他にも『おてもやん』など民謡系の歌唱も多いです。『おてもやん』と言えば、くまモンが踊っていたことがありましたね。
(2024年1月14日一部加筆)

飲み物-トディ2
[ 2024/01/14 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud