第39話「穏やかな一日」前半部分です。
義時は帰りが遅くなると言って出て行く。のえには子供が生まれていた。そして廊下ですれ違う侍女(長澤まさみさん)が義時に小腰をかがめた後、今後のドラマの進行の案内を行う。承元2(1208)年から建暦元(1211)年までの4年間がこの回で放送される。
天然痘を患っていた実朝が政務に復帰した。義時も一時は覚悟を決めており、実朝亡き後は、実朝と親子の契りを結んでいた善哉(後の公暁)が、跡を継ぐことになっていた。政子は守護と地頭について切り出し、この職に任じていただいたご恩によって、御家人たちは鎌倉殿に奉公する、正に武士たちの頂だからしっかりとお役目を果たすようにと言うが、これは政子が懸命に勉強して学んだものだった。
しかし実朝からもう大丈夫だからと言われ、政子はちょっと不機嫌そうに口をすぼめる。実朝の側には相変わらず時元が仕えている。政は自分がやり、鎌倉殿には見守っていただくと義時は言い、政子も同意するが、それはずっとかと義時に尋ねる。義時はそこで、亡き兄宗時が、坂東武者の頂に北条が立つのを望んでいたことを明かし、自分がそれを果たすと明言する。
評定が行われる。高野山と太田荘の地頭の対立を巡るもので、しかも文官三善康信はこの荘の地頭であった。実朝がそのことで何か述べようとするも、義時は高野山に道理があると断言する。自分の存在意義が見いだせない実朝を泰時は励ますが、その泰時に実朝は自作の歌を泰時に手渡し、返歌を楽しみにしていると言う。目を丸くする泰時。義時は大江広元に政の仕組みを変えたいと言い、力の偏りを防ぐため守護は交代制にすることを持ち出すが、国司はそのままで、北条が目立つと広元は忠告するが、義時は構わなかった。
その頃義時の館ではのえが初に、義時も泰時も似た者親子というのか辛気臭いと話し、初が義時が執権を名乗らないことに言及すると、のえは欲を持たないのはおかしいと言う。また初は、泰時はそれなりに悩みもあると言いかけるがやめてしまう。その時、朝時が兄を見なかったかと現れる。こちらにはいないと言われ、朝時はのえが食べていた干し果物をわしづかみにし、口に入れて去って行く。品がない人は大嫌いとのえ、そしてあの人の母上は上品だったと初。
一方泰時は返歌に頭を悩ませていた。政子と一緒にいた実衣は、源仲章の仲立ちで、藤原定家が実朝の歌の手直しをしてくれることになったと言う。そんなことしなくていいと政子は言うが、実衣はすごいことだと言い、それよりもと、鎌倉殿と御台所が未だに寝床が別々であることを教える。このまま男児が生まれなければ、側室のことも考えておかないとと実衣は気をもむが、よしましょうと政子。
義時が執務にいそしんでいるところへ、仲章がやってくる。いずれ挨拶をと思っていたと義時、そして仲章は実朝に政を指南するよう、上皇から命じられたと話す。頭を下げる義時。そして和歌の稽古中の実朝の部屋へ行きかけたものの、仲章は一旦戻って義時にこう言う。
「お父上のこと、さぞおつらかったでしょうな」
さらに仲章は、正しき道はいばらの道、悪く言う者もいるだろうが私は貴方の見方だと言う。かたじけないと義時。
実朝は歌を詠んでいた。
「今朝見れば山もかすみて久かたの 天の原より春は来にけり」
その歌に康信が直しを入れるが、康信の直し方はいつも同じだった。そこへ仲章が、書状を持って入ってくる。定家の直しが入った歌だった。それには最後を逆にするようにとある。この方がはるかに収まりがいいと言う仲章に、康信は立つ瀬がなかった。自分が実朝の歌に余計な直しをしたため、定家がそれにダメ出しをしていたのである。
仲章は、これよりは定家殿が師匠であり、二度と余計な口出しをするでないと詰め寄る。康信は一人ため息をつくが、自分は康信の直しの方が好きだと慰める。自分に歌を詠むことの面白さを教えてくれたのはそなただ、これからもよろしく頼むと言われ、康信は涙を流す。そして実朝は千世と貝合わせをすることになっていたが、政と歌の稽古で忙しく、体を休めたいこともあり、一度だけだと千世に言う。
するとそこへ「ウリン」と呼ぶ声が聞こえ、案の定和田義盛が手みやげを持って現れた。義盛はやはり(発疹の)痕が残るのですねと遠慮なく言い、2人は親し気に会話をしていて、千世はあまり面白くなかった。一方八田知家は政子に頼まれ、棚を作っていた。するとその時政子は千世が侍女を連れて、浮かない表情で歩いてくるのを目にする。そして義盛は実朝に、周りが和田が御家人の柱になる時だから、上総介になってくれとうるさいと言い、実朝は何とかすると請け合う。
そこへ実衣が入って来て人払いをし、実朝の身の回りの雑事をする女房を決めたいと言う。そのように烏帽子が歪んでいては威厳にかかわると、実衣は女房が必要であることを強調し、また相性というものもある、どのような女子がお好みですかとまで尋ねる。するとそこへまた義盛がやって来て、声がでかい女が情が深いと大声で言い、実衣は義盛を追い出すようにして帰らせる。「では、声が大きい人」をと実朝。
泰時は返歌が思いうかばず。なおも頭を悩ませていた。鶴丸は、和歌なんて作ったことがないとなぜ言わないと、独りつぶやく。そして実朝は政子に、義盛を上総の国司にしたいと相談する。政子は自分も義盛は好きだが、親しいだけでは政はできない、それとは無縁のもっと厳かなものだと意見する。そして知家が出来上がった棚を持って現れ、さらに御家人たちが北条の人々を、苦々しく思っていると伝える。
この時義時は相模守、時房は武蔵守となっていた。北条でなければ国司になれないのかと知家。しかし義時は、北条に刃向かう者を二度と出さないために、それでもやらねばならぬと言う。政子は父上と義母上の命を救ってくれたことは感謝すると言いつつ、でもと言いよどむ。義時はいっそ殺していれば、御家人たちは恐れおののいたと言い、自分の甘さだと言って去って行った。
実朝の前には女房のよもぎがいたが、実朝は側室にするつもりはなかった。しかし貴女の立場もあるだろう、少し話でもしようと言う実朝に、ひどい男に引っ掛かった、妻にすると言われて散々弄んだ挙句、他の女を作ったのだとよもぎ。そんなひどい男がいるのかと実朝は驚くが、その一方で朝時はひどい女子に引っ掛かった、相談に乗ってくれないかと、尚も頭を悩ます泰時に話しかけていた。しかしその時朝時は不意に立ち上がって出て行き、入れ替わりに義時がやってくる。鶴丸は朝時を苦手としていた。
長澤まさみさんが何やら「古畑任三郎」的に現れたりで、大河と言うよりは、三谷ワールド全開と言った雰囲気でもあります。しかし長澤さんの侍女と言えば、やはりきりですね。
天然痘に罹っていた実朝が政務に復帰するが、政の実権を握っていたのは義時でした。頼家の時と似たような状況になりつつあります。しかし実朝は暴走せず、歌に救いを求めているように見えます。ところでこの人物、やはりと言うか御台所に関心を寄せず、つまり本当の結婚をしていなかったわけですね。乳母の実衣は側室を持たせようとします。一方で実朝は泰時に歌を送ったり、義盛と親し気に話し込んだりです。
その歌ですが、藤原定家が歌の先生となり、康信は源仲章から追い払われるが如き有様です。以前もこう言うシーンがありました。そんな康信を実朝は慰めます。一方で同じ文官でも広元は、義時と政の話です。義時は政治のシステムを変えようとしており、結果的に北条が国司を独占しても、やむなしと考えているふしがあります。尚この時、茶道具らしき物があり、2人は茶を飲んでいるようです。
しかし実朝がこうなると、千世が浮かばれません。しかもよもぎなる女が側室候補となります。このよもぎを弄んだ男、恐らく朝時でしょう。その朝時は鶴丸からも苦手にされており、のえもよく思っていませんでした。
それと時政を殺していたら、御家人がひれ伏しただろうと義時は言いますが、さて、どうでしょうか…朝廷がどう出ただろうかとは思いますが。
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