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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

寒さが続きますね、どうぞ皆様お気をつけください。では第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず本題の前に、先日分の投稿の引用部分で「藤和兼家」とありました。もちろん、「藤原兼家」のことでしょうが、こういうのも気を付けてほしいものですね。

姫君の衣装が美しい。襲(かさね)の色合いがどうしてこんなに可愛らしいのかと見惚れてしまいます。
平安時代って、知れば知るほどこの時代に生きていなくてよかったなぁと思えるほど、実は過酷な時代。
それでも憧れを持ってしまうのは、まさにこうした繊細な美しさにあるのでしょう。

「繊細な美しさ」などと書くのであれば、襲の例くらいあげてほしいと思います。

色彩と文様
(日本服飾史)

尚私が『どうする家康』の千姫を例に挙げて、菊重ねについて書いていますが、これは紫と白もあるとのこと。 

それにしても同じ人が、昨年は登場人物の衣装の色を、スイカバーだ焼き芋だと言っていたのですね。

「すごーい! まひろさんは漢字がお得意なのね」
「一枚も取れなかった」
そう上品に笑う姫君たちを前にして、やりすぎた己に気づくまひろ。どこまで面倒くさいのか。

だから何が「面倒くさい」のでしょうか。
空気を読めないことが面倒臭いのですか。何とかのひとつおぼえのようにも見えてしまいます。

ここで檜扇を操りつつ、ふわふわと笑う倫子の愛くるしさは何なのでしょう。空を飛ぶ蝶々か、花びらのような軽やかさがあります。
何かと重いまひろとは正反対のようにも思えます。

倫子とまひろは正反対と言うより、何か一脈通じるものがあるのではないでしょうか。逆に倫子がそれを見抜いているからこそ、楽しそうにしているようにも見えるのですが。

平安貴族の貴公子たちは、関白・藤原頼忠の屋敷で休日でも漢籍の勉強をしています。
今日は『孟子』「公孫丑上」。
公任がスラスラと読んでいます。

で、ここまではまあいいのですが、その次にこの「公孫丑上」の読み下し文と現代語訳があります。これだけで30行ほどになります。
こういうのは読み下し文、現代語訳どちらかでいいのではないでしょうか。一応ここでは現代語の方だけを置いておきます。

孟子が言った。
「人には皆、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるものだ。
古代の聖王は、人の不幸を見過ごせない気持ちをみな持っていたのである。
だからこそ、人の不幸を見過ごせない政治ができたのだ。
人の不幸を見過さぬ気持ちを持ち、人の不幸を見過ごせぬ政治を行えば、天下を治めることは、手のひらに玉を載せて転がすように簡単にできる。
人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがある。それはどこからくるのか。
もし目の前で、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たとする。これはいかん、大変だと誰だって助けようとするだろう。
それは幼児の親に恩を売ろうと思ってするわけではない。
近隣のものや友人に褒められたいから、そうするのでもない。
幼児を見殺しにしたと悪評が立つと嫌だからそうするのでもない。
遠慮し、人に譲る心を持たぬ者は、人ではない。
善悪正邪を見分ける心がないものは、人ではない。
人の不幸を見過ごせない心というものこそが、仁のもとである。
自身の不善を恥じ、他人の不幸を憎む心こそ、義のもとである。
互いに譲り合う心は、礼のもとである。
善悪正邪を見分ける心は、智のもとである。
人がこの四つの萌芽を持つことは、両手両足があるのと同じことだ。」
性善説です。

このように知識を仕入れることと、実践の間には距離があり、平安時代の政治は民を重んじているかというと、なかなか厳しいものは感じますね。
積極的に戦乱を起こさないと言う意味では、確かに平和ではありますが。

儒学を学んだからと言って、それが民のためになるかどうかはわかりません。実際に民のためになろうとするのであれば、当の民と実際に触れ合う必要があるでしょう。尤も道長の場合は、散楽がひとつの目的ですが。

あと「積極的に戦乱を起こさない」はどうでしょうか。戦国時代も飢えをしのぐために領地を巡ってせめぎ合っていますし、この時代は戦をしようと思わずとも、外国から侵略されてしまうこともあります。さらに言えば、戦乱はなくても政変は起こっていましたね。

大河ドラマ『麒麟がくる』では、こうした儒教の教えを初回で主人公が実践していました。
火災があり、その中に子どもが置き去りにされた。もう前後のことも考えずに飛び込んで助ける光秀。
その姿を見て、かつて己も燃え盛る家から救い出された駒が「麒麟がくる」と語る。
光秀は孟子が説く教えそのものの行動を咄嗟に成し遂げたからこそ、駒は「麒麟」を連想したのです。
あの場面はカッコつけだのハリウッド映画だのなんだの言われましたが、孟子の言うところの性善説を端的にまとめたものでした。

仮に性善説を知らなかったとしても、火事に遭った家の子をそのまま放っておくでしょうか。
もっと言えば、災害に遭った地域の人々を、そのままにしておくでしょうか。
そしてあのシーン、確か光秀ではなく、取り残された女の子ウメの父親も手助けしていますね。そしてこの時駒は、自分も子供の頃火事に遭い、知らない人(武士)が助けてくれたこと、その人物が麒麟を連れてくると言っていたと話しているわけですが、これだとまるで、駒自身が麒麟を連れてくると言っているようです。

あとこの『麒麟がくる』第1回のあらすじと感想で書いていますが、『功名が辻』でも、一豊が千代を火の中から助け出しています。
『青天を衝け』でも栄一が、自らが火の中に飛び込んだわけではないけど、関東大震災で被災した人の救援を提案していました。「ワシのような老人はこんなにいささかなりとも働いてこそ、生きてる申訳が立つようなものだ」と栄一が言っていましたね。

町田啓太さん扮する公任が、澱みなく、スラスラと漢籍を読み上げます。素晴らしいですね。
秀才そして知られる公任。町田さんは台詞に出てこない箇所まで覚えたと嬉しそうに語っていました。
長谷川博己さんも、光秀の行動原理を深く理解するために儒教の関連書籍を読んでいたそうです。
学ぶ姿勢が、演技を磨き上げ、ただでさえ美しい姿を一層深みのあるものにします。公任が美しいのは当然ですね。

その町田さんや長谷川さんのコメントの出どころはどこですか。それをちゃんと書いてください。先日もCPのコメントの記事を貼っていませんでしたね。

しかし好きな大河だと出て来る俳優さんにも優しいですね。そして「演技を磨き上げ」とありますが、それが具体的にどのように磨き上げられているのか、ドラマを書くことでお金を貰っているのなら、そのくらい指摘できないでしょうか。
そしてこれだと、武者さんが嫌いな大河では誰も学んでいないような言い方ですね。松本潤さんは、家康になりきるために体を絞っていたのですけどね。

そして、このドラマの楽しみ方を見出しました。
光源氏探しです。
登場人物の理想的な部分をつなぎ合わせていくことで、光源氏をカスタマイズしながら作り上げていくのです。
教養は公任。
筆跡は行成。
要領の良さは斉信。
気品は道隆。
屈折は道兼。
愛嬌は道長……なかなかおもしろいんじゃないでしょうか。

それですか。
いえ貴方が全く個人の趣味でこれを書いているのならそれもありでしょう。しかし歴史系ライターなのに、この4人の生い立ちや今後についての説明は一切なしですか?
このコラムは、貴方の遊び場ではないと思うのですが、いつ見ても、真剣にドラマの背景や人物をとらえているようには見えないのです。それで報酬貰えているのですね。

そう兼家のように道長に言いたくなるのは、あまりに個性的な悪筆だから。字が下手だと台詞にもありましたが、史実の道長もあまりに癖が強い字を書きます。

字が下手だと言いながら画像すら貼らないのですね。月岡芳年の絵は張っているようですが(苦笑)。
別に下手ではないと思います、特徴のある字ではあり、また表記方法そのものにも特徴がありますね。

Michinaga_diary.jpg
(Wikimediaより、御堂関白記)

一方で藤原行成は日本書道史のレジェンドです。
そんなレジェンド行成から癖が強すぎる道長まで、字を再現する根本知先生は大変だと思います。

せっかく藤原行成が出て来ているのだから、三蹟くらい書きましょう。
そして色々な字を書き分けるのが、大河の書道指導の方の務めだと思います。

今年の大河は書道に気合が入っています。
文房四宝こと筆・墨・硯・紙まで、特殊で高いものを用意していて、この文房四宝の質感だけでも見ていて眩しいほど。美しい場面が続きます。

多くの大河では、登場人物は字をしたためるものであり、それぞれの作品に於いて、それぞれのやり方で書道に力を入れていたと思います。今年に限ったことではないでしょう。

そして「特殊で高い」と書かれていますが、具体的にどのような品のことをさしているのでしょうか。端渓の硯とかですか。

さらにまひろの硯は携帯用でも家要でも、それほどではなかったかと思います。自分で「貧しい」なんて書いてますよね武者さん。寧ろ評価するのであれば、それぞれが身分に応じた物を使っていること、そして代書に紙でなく板を持って来た麻彦のように、紙は高額で、庶民にはなかなか買えなかったという点の考慮などでしょう。

しかし為時が知りたいのはそういうことではない。年頃ゆえに、東宮の妃となってもおかしくない。一体どういうお考えなのか?
すると、まひろの猜疑心が発動します。嗚呼、めんどくさい。
兼家様に頼まれたのか、間者にしろと言われたのか?と父を問いただします。

貴方「めんどくさい」このコラムでもう何回使っていますか?
父にこう訊かれて、自分が土御門邸に行ったのは別の目的だったのかと感じ取る、その辺りの勘の鋭さはあるかと思います。

まひろはここで割り切ります。そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ!
父の言葉に納得もあるんでしょうね。楽しいことはそうだし、メリットはある。

「そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ」
一々面倒臭がる、あるいは気持ち悪がる武者さんの方が、如何なものかと思うのですが。

そして倫子様に気に入られるようにすると、キッパリと言い切るのでした。
とはいえ、内心父への軽蔑が高まったのか。
一人、母の遺品である琵琶の前に立つ時の白い顔は、憤怒がふつふつと滾るようにも見えます。

涙を流しているのを見ると、やりきれなさはあるでしょうね。彼女が、自分で嘘をつくことの罪悪感を初めて乗り切らなければならない、関門のようにも見えます。

このドラマは、まひろと道長の恋愛で焦らしているように思える。
けれども、そうなのでしょうか?
もしかして二人とも「困っている人を助けたいんだ!」という惻隠の情で動いていただけであり、恋をしていないのではありませんか?
この読み違いは前述した『麒麟がくる』でもありました。
光秀が駒を助けたものだから、この二人に恋愛フラグが立ったと誤解した視聴者がそこそこおりました。
光秀は親切心です。確かに駒は淡い恋心を光秀に抱いていたものの、それよりも人助けに生きがいを見出すようになる女性でした。
なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか。

互いに氏素性が知れないまま出会い、別れて会えなくなった同士が再会して、さて今後どうなるのかと言ったところでしょう。
そしてまた『麒麟がくる』ですか。
「なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか」
などと好きな大河では書いておきながら、嫌いな大河だとエロだのミソジニーだの連発しまくりですね。しかもドラマそのものを分析的に観ているようでもないし。また恋愛フラグを立てる立てないは、人それぞれだと思います。

やはり、まひろは何かおかしい。
三郎がいなくなって大丈夫かと気にしている。けれども直秀から無事を聞かされても、喜ぶどころか猜疑心全開にして太郎を使って調べようとする。
その太郎に、妖怪かどうか確認したいと言う。

「太郎を使って」まひろは父親から外出を止められ、乙丸が監視しているわけですが…これ書くの何度目でしょう。
「猜疑心全開」無事だと知ったから、あの人にまた会えるだろうかと思った。
「妖怪かどうか確認したい」太郎が、姉上の三郎は幻じゃないの?鬼とか悪霊とか怨霊とかさと言ったから、そうであるかどうか確かめたいと言ったのではないでしょうか。実際会ったり会えなかったりしていますし。

これが恋をする若い女性の言動なんだろうか……。なんなんだ、本当になんなんだよ!
だいたい「謎の男」というタイトルも妙です。逢いたい相手を謎呼ばわりってどこか変ですよ。
(中略)
なんかこう、私はこういうの好きじゃないというオーラがじわっと滲んでいるというか、理解できていないというか、“かわいい若い娘”という仮面をかぶっているというか。
まひろって、実はガチガチの理詰めで、恋するままに動けない性格なのではありませんか?
周囲から学び、空気を読んでふるまおうとしているけれども、実は何かがずれているのかもしれない。

別にかわいい娘のふりをしているわけでもなく、ありのままの自分を出していて、でもそれでいいのだろうかと戸惑っているように見えます。大人への第一歩でもあるし、それこそ貴方が好きな漢籍も読んでいるから、ちょっと違ったものの考え方をするようになるのでは。

まひろのこういう性格って、イギリスの女性作家であるジェーン・オースティンも思い出します。
恋愛小説の名手として知られ、英語圏の教科書には掲載常連、国民的作家です。
けれども本人は恋愛をした情熱的なタイプでもなく、皮肉屋で理知的です。
恋愛小説にせよ、流行しているものを自分流にアレンジして皮肉って書いてやるような動機があります。
オースティンのヒロインはなかなかひねった設定です。書簡集を読むとものすごく嫌味なことを書いているとも思える。
そういう皮肉屋だからこそ、見えてくるものがあるのかなと。

ここでジェーン・オースティンですか。
ではその作品を一つ挙げて、どう皮肉屋でどう理知的なのか、そしてどういった作風にそういう彼女の特徴を感じるのか、きちんと書いてくれませんか。映像作品でもいいです。
私は、『高慢と偏見』の、コリン・ファースが出演したBBCのを観たことがあります。イギリスの階級社会は、ああいうものかと思いましたね。イギリス海軍好きな方の一押しでした。

ひねくれたヒロインって実にいいですね。もう本当に変なヒロインです。

逆に失礼な気もするのですけどね。「変な子」という先入観ありきでまひろを見ていませんか。

さて、以下は余計なことながら。
視聴率が低いこともあり、早速叩き記事が出ています。
◆『光る君へ』第2話で視聴率ダウン! まひろ(吉高由里子)の恋愛描写メインで高齢視聴者が大量離脱(→link)
◆NHK負のスパイラル…『紅白歌合戦』『光る君へ』“低視聴率”続きで予算削減へ(→link)

武者さん、昨年は自分が同じことをやっていましたよね。
「ワースト2位の大駄作」だの「ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに」だの。

で“事情通”なる人物が、シニア層が混乱する、役者に魅力がない、そして源氏物語の世界観を大河でやるのは難しいと言ったことを話しているようですが、それに対して。

「事情通」とは、誰でも自称できるし、資格もなにもないところがポイント。
ライター本人が書いているという可能性もあります。

あれだけ「文春砲」を何かのように引用して来た武者さんに、情報の胡散臭さを言われても正直どうかなと思います。

ましてや下地となる『源氏物語』が男と女のまぐわいが中心の恋物語。
まぐわいって……『源氏物語』はそういうものでしょうか。
国民的古典を学ぼうという好奇心や知識欲はないのでしょうか?
「恋愛描写が多いからつまらん」というのも、納得できかねますし、藤原の多さに困惑しているという指摘も甘えではないでしょうか。

少々きわどい言葉ですが、確かに「まぐわい」の要素はあるでしょう。
そしてその人は、別の古典に関心があるかも知れないのです。恋愛描写、おなじ一族で同じ氏が出てくるのも、人によっては受け入れられないこともあるかも知れません。
問題は、なぜこのような例をわざわざ挙げて、私が言うことは正しいと主張せんばかりのことを書くのかです。
こういう見方もあります程度に書いておけばいいのでは?
武者さんがすべて正しいわけではないし。

同じことを女性が言おうものなら「このバカ女」となりそうなのに、なぜ中高年男性は当然の如く、こんな威張った調子で言うのか。世間はそれを許すのでしょうか?

そして必ず
「同じことを女性が言おうものなら『このバカ女』」
貴方は常に中高年男性に対して臨戦状態ですね。

そして結局『光る君へ』も結局は、『どうする家康』の叩き棒にするようです。

2023年のように、徳川家康の生涯において、側室オーディションやら、お手つきやらクローズアップすることこそ、余計な恋愛描写(ろくに恋すらしていない、正しくは性欲描写か)だと私は思います。

両方の大河の関係者に失礼だと思いますけどね。
そして『どうする家康』の「性欲描写」て何ですか?具体的に書いてください。
さらに言えば、お万の「お手付き」は実話と言われています。

そして感じたのは、以下の記事にある「カスハラ」です。
◆「よかれ」と思って無自覚カスハラ 気をつけたい「中高年男性」(→link)
「よかれ」と思い、いい事してやったと語っている記事なのだろうなと。

「『よかれ』と思い、いい事してやったと語っている記事」
これもまんま武者さんのような気がして仕方ないのですけど。
貴方の昨年のジャニーズ叩き、しかも関係のない所属俳優やタレントへの姿勢は正にそれでは。

何度でも言いますが、「戦! 戦国! エロい女!」の2023年は「シン・大河」どころか、記録的大失敗、「惨・大河」になりました。従来の読みは通じません。

しつこいですね。
「記録的大失敗」の根拠は何ですか。
「シン・大河」なんて公式は使っていませんよ。
こう書かないと気が済まないのでしょう。結局何も観ていませんね。もう少し丁寧に観ていたのなら、まだ建設的な批判ができたのでしょうが、最初から叩き目的だから本当に同じことの繰り返しですね。

視聴率は低いが、鑑賞者は多い――再放送希望も多いのか、異例の一月での1、2回再放送もありました。
◆録画にネット視聴、実は見られていた「光る君へ」…演歌冷遇・受信料宣伝の「紅白」はそれでも過去最低(→link)
私も以前から思っていたことです。
海外では視聴者数または視聴回数で評価します。そういう過渡期の作品なのでしょう。
今年は「視聴率は低迷する」と覚悟の上で作っていると思います。
しかし現場の士気は高いようです。

これは昨年も、そして一昨年も同じではないでしょうか。
そして一昨年までは
「(世帯)視聴率は古い」
なと言っていただけど、今回は
「過渡期」
ちょっとトーンダウンしているようですね。
あと「現場の士気は高いよう」なら、それを裏付けるものをお願いします。
そして昨年も一昨年も、確か2回分か3回分の再放送をやっていなかったでしょうか。
こういうのも嫌いな作品なら、番宣だと叩くのでしょう。

それから余談ですが。
昨年武者さんは『大奥』と『麒麟がくる』のディレクター、大原拓氏の演出を褒めて眼福だと書いていたことがあります。しかしこの大原氏は、武者さんが好きでない『軍師官兵衛』のディレクターでもありました。その後しばらく経って大原氏のことはコラムから消えました。あるいは「官兵衛」もやっていたことに気づいたのでしょうか。
ちなみに大原氏が演出を担当した回には、宇喜多直家が織田に通じた者を毒殺したり、勝手に戦線離脱をした秀吉が、信長に疑われないように乱痴気騒ぎをしているシーンもありましたね。武者さんが眼福と喜ぶようなシーンでは、恐らくなかったかと。


飲み物-トディ
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[ 2024/01/25 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-6

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその6です。今回は6ページあって大半は持説展開でした。この最終ページも延々とそれが続くので、所々省きますが、実際1ページ目の2倍は文字量があると思われます。


『麒麟がくる』とは正反対だと思います。
あの作品を書いた池端俊策さんは、光秀は自分自身だと思いながら書くこともあったとか。堅物で、頑固で、融通がきかない。頼られると損なことでも引き受けてしまう。
そういう光秀には生々しさがありました。
(中略)
思想として根底にあった朱子学も、理解度がとても高い。
一本筋が通っている。筆を握り、スッと線を引く。そんな端正で爽快感のある美しさがありました。

『麒麟がくる』とは正反対だ、あれは素晴らしかった云々。
別に武者さんがこれを好きなのは自由ですが、これを好きでなかった人もいるし、人物描写になじめなかった人ももちろんいるでしょう。人それぞれであると思います。私も馴染めない部分もありましたが、室町文化の描写などは面白いと思いました。

けれども、だからこそか。『麒麟がくる』をどうしても認めたくない、しつこいアンチが一定数います。
「駒に耐えきれなくて切ったんやがおもしろかったんか?」
とかなんとか、いまだにネットで書き込んでは仲間集めをしているかのよう。
そんな脇役が目立つ程度で切る方がどうかしていますし、駒は別段、そこまでストーリーを引っ掻きまわすわけでもありません。

脇役が嫌だから観ない人がいても、それは好き好きであると思います。自分が好きな作品が受け入れられないのがそんなに嫌ですか?ならば、その反対の例(たとえば今年)もあるわけで、他人が好きと言っていても、貴方は、しかもライターとしての仕事の中で、嫌悪感をあらわにしているわけですが。

しかし武者さんがこれを推したいのは、光秀の潔癖さとか朱子学よりも、結局駒の描写なのだろうと思います。

要するにミソジニーだろうと思います。男性が活躍する分野にいる女性を敵視し、やたらと叩く。典型的な心理ですね。
そんなミソジニーの影に「学級委員長タイプのいい子ちゃんw」を嫌う幼稚な心理も伺えます。

駒の見方もまた様々です。ただ武者さんの書き方は、駒に対して否定的な人を断罪し、ミソジニーと断定したがるだけのように見えます。なぜ駒がそのように見られるのか、その原因を一度でも考えたことがあるでしょうか。
先日の投稿で触れていますが、武者さんは『どうする家康』の団子屋の老婆についてこう書いています。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

私はこれに関して、オリキャラゆえのひとつの形であると書いています。つまりオリキャラというのは賛否両論あるものの、どのようにも動かせるものでもあります。少なくとも大河という「ドラマ」について書いているライターであれば、そしてここまで駒への批判に否定的であるのなら、その点を理解するべきではないでしょうか。

私はあの婆さんは、家康の三方ヶ原関連の伝説の語り部でもあり、面白かったと思いますが。柴田理恵さん、好演でした。

そしてこちらの文章ですが、要は上の『麒麟がくる』評と比較してみると、冒頭で賛否両論が混じると書きながら、「賛」の部分だけを否定するかのような書き方はどんなものでしょうか。

どんな傑作だろうと、大河ドラマともなれば賛否両論が混じります。
しかし、ファンがアンチを嘲笑うような、幼稚でいじめっ子じみた口調でやたらと「wwww」を連発しながらおちょくってくる今年は際立って異常です。
・私は松潤が好きな純粋な人間です!
・徳川家康なんて何も知らなかったのに(日本史の授業中は寝ていましたか?)理解できるようになりました!
・それなのに、感想と言いつつ貶す人はひどぉい……くすん、きっと友達がいないからそーするのね♪(世間は広い。ジャニオタ以外に交友関係を広げられる人間も存在することを認識してください)
こういう界隈に忖度することがよいことでしょうか?
ここからの「いいね」欲しさに、無理矢理文章をこねくり回す歴史好きとは何でしょうか?

逆に言えば、なぜこの人たちが『どうする家康』を肯定的に受け止めるのか、それをきちんと考えたことがあるでしょうか。何度も書きますが、自分の好きな作品への否定と、嫌いな作品への肯定はやはり受け入れられないようですね。

これも以前、大河は歴史に興味を持つきっかけと書いたことがありますが、
「徳川家康なんて何も知らなかったのに理解できるようになりました!」
はその一例ですし、少なくともこの意見を私は否定しません。
そして「自分の感情を否定」などと書かれていますが、仕事である以上そこは割り切るべきでしょう。

私は自分の感情を散々否定されてきました。
しかし、そんなことは今更どうでもいい。むしろ、相手はなぜそうするのか、まじまじと観察してしまいます。
悪い癖かもしれません。
人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか。

「人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか」
正直言って、これもブーメランに見えてしまいます。
なぜかと言えば武者さん、自分で大河叩きをする時は、かなり「口ぎたない言葉」(私は伝法な言葉だと書いていますが)を使っています。しかしそれが自分に向けられると
「もしかして、ストレスでも隠していませんか」
となるのですね。

かなり後の方ですが、こういう記述があります。
「ドラマを話の枕として、気取った顔でうんちくを語る大人がいたら、軽蔑が顔に出る。
そのうえで大人が語ったミスを訂正し、根性の悪いクソガキだと嫌われたことでしょう。
『ねえ先生、どうして大人って、あんな嘘くせーバカドラマを褒めんの? 馬なんてどう見たって偽物じゃね?』」
「根性の悪いクソガキ」
「嘘くせーバカドラマ」
どう見ても「きれいな言葉」には見えませんね。

それにNHKに問いたい。
そういう人物に迎合することはリスクでしかありません。
事件が先日ありましたね。ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマを、看板番組を流しているテレビ局です。こういう恥晒しは起こるべくして起きたのでしょう。
◆取材メモ流出 NHKが協力者に謝罪 「匿名情報公表で放送中止」(→link)
◆NHKがColaboに謝罪 取材メモが批判する人物に流出していた(→link)

「そういう人物に迎合することはリスクでしかない」
何をもってそう言い切れるのでしょうか。日本は法治国家であり、個人の感情だけでリスクか否かを決めるものではないでしょう。
「ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマ」も、武者さん個人がそう考えているだけだと思います。『青天を衝け』もそうでしたが、否定する時は必ずミソジニー(それが事実であるかどうかはともかく)という表現を使いますね。
そして、これと大河と直接関係はないかと思いますし、のNHKは『麒麟がくる』も『大奥』も制作しているのですが。

『麒麟がくる』みたいな作品を、偽善だと切り捨てたいのであれば、それこそ『首』のような描き方がある。
あの映画ほどの残虐描写を大河ドラマで描くことは厳しいとはいえ、やりようはあるでしょう。
しかし『どうする家康』はせせこましい。
最終回まで、結局悪の尻拭いは秀忠に押し付けたようなもの。
家康はネチネチグチグチと、自分だって辛いんだもんと繰り返すばかり。自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山。
人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る。嫌なことがあるとすぐ逃避しようとする。

貴方に取って、自分が認める戦国時代が舞台の映像作品は、『麒麟がくる』と『首』しかないのですか?
そして、「悪の尻拭い」て一体何ですか。
秀頼に死を申し付けるというのは、秀忠自身が自分の責任に於いてそうしたのであり、家康から尻拭いを要請されたわけではありませんが。

「自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山」
家康はその気はなかったのに、お万が積極的であったとここで再度書いておきます。そしてこの2人の間の息子は、最初羽柴家、そして結城家の養子となり、越前松平家の祖となっています。

「人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る」
寧ろその逆でしょう。自分が今までやって来たことは人殺しだと、瀬名と信康に話していましたよね。そして悪いけど、これもブーメランに見えます。

あとまた『パリピ孔明』。

『パリピ孔明』のオーナー小林がそう語っていました。
このドラマは、やたらと絶賛も多い。
SNSのハッシュタグで検索すうと、大仰な絶賛ばかりだとか。
しかし、それは結局のところ玉璽だ。

「すうと」は「すると」でしょうが、そしてあまりこの話を蒸し返すのも何ですが、この番組の平均世帯視聴率は4パーセント台でした。無論これを面白いと観ていた人もいるわけで、視聴率が作品の質を表すものかどうかは何とも言えません。
ただ、『どうする家康』では世帯視聴率ワースト2位だと何かにつけて言いたがる武者さんが、これについては何も言わないのですね。

そして風間俊介さんが、今年をもってジャニーズ事務所を退所し、フリーで活躍する旨が書かれています。他に生田斗真さん、岡田准一さんについても書かれています。それはいいでしょう。
しかし

沈む船から降りた生田斗真さん、岡田准一さん、そして風間俊介さん。
大河でまた見たい俳優がケジメをつけたことは、私にとって朗報です。
これからもどうかご活躍ください。大河にもまた戻ってきてください。

貴方、『どうする家康』で岡田さんが演じた信長のことを何と書いていましたか?

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

本作は、信長が五徳の頬を掴む場面を「めっちゃかっこいい! これぞイマドキ!」と思っているようで、今週も回想シーンを入れて来ました。
全大河ドラマを振り返っても、これほどまで暴力的な場面を宣伝素材にするケースは、そうそうないでしょう。
ニュースにも使われていることから、自信たっぷりに宣伝素材を用意したんですね。

マザーセナのおかげで信長は天下を狙えたのだから、その恩を我々に返さなければならない。
信長という大名が恵みを受けて大きくなれたのは、マザーセナが祝福したから。
マザーセナの祝福を受けた者は 必ず恵みを返さなければならない。恵みを施さなければならない!
信長は“慈愛の国”をどうするつもりなのか? マザーセナを追い詰めたじゃないか! 信長の政治はどうなると思う?
滅びるしかないだろう。光秀に教育を受けにこいと伝えろ。わかったか?

以上のようなことを書いていますが。
そして、これに関して何か釈明されたわけでもないようです。

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。『孫子』
兵士は水のように変化する。
このドラマは教養が嫌いです。

あの
「それ兵の形は水に象(かたど)る」ですが、これはやはりその後の
「水の形は高きを避けて低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ」まで紹介できませんか?水が高所から低い場所に向かって流れるように、兵は状況に応じて、相手の隙を突くことが大事だと言っているわけですから。
そして「このドラマは教養が嫌いです」などともありますが、武者さんのこの漢籍紹介ももうちょっと充実させてほしいものです。

そして

「このドラマを見れば徳川家康の生涯を学べるんだ! だってえらい先生もそう言ってたもんw」
こう主張できるよう、兵士の心が流れる仕組みが作られてゆきます。

上記の漢籍、兵士の「心」ではなく、隊列とか陣形を変えるという意味ではないのでしょうか?

◆ NHK大河に歴史学者が大満足のワケ…最新研究でわかった家康の生涯と江戸期に作られた家康像の決定的ちがい(→link)
この記事なんてまさしく典型的で、聞き手は歴史好きという演出まで為されています。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>(→link)
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)

まず最初の記事(プレジデント・ウーマン)ですが、著者の黒田基樹氏は『真田丸』の考証をしていた方だと思います。武者さん、『真田丸』の考証は褒めていなかったでしょうか。
そしてあとの2つの記事、読売新聞の記事ですが、こちらは柴裕之氏の考証とドラマのかかわりについての記事で、読んでいて面白いと思いました。

それにしても、一体どういうことなのかと混乱してきます。
例えば、関ヶ原での小早川秀秋への「問鉄砲」は後世の創作なので却下とあります。
それなのに、それを前倒ししてスライドさせた、姉川でも信長から家康への問鉄砲はよいと。
何が駄目で、何がよいのか?

姉川の戦いの問鉄砲は創作ですね。
家康をその気にさせるためのものでした。しかし小早川秀秋の「問鉄砲」は、長らく史実だと信じられてきていたものが、そうでなくなったから外したと思われます。これも『功名が辻』辺りまでは使われていました。
逆に関ケ原での描写ができなくなったため、姉川の戦いにああやって創作として入れたとも取れます。

そしてまた光秀の描き方がなってないだの、清須城が紫禁城のようだの。
光秀については、またも『麒麟がくる』が出てきます。

一体どれだけ、あの優等生が嫌いなのか。宣教師は光秀を貶しているのだから、こちらの方がむしろ近いという。
それはどうでしょう。このドラマの光秀は、下劣で、愚かで、小狡く、死者への敬意すらない。
(中略)
優等生ぶっていて実は狡猾な光秀像であれば、『首』なら理解できます。
あの西島秀俊さんの光秀は折目正しい人格者でありながら、残虐行為を働く。そんな二面性のある人物でした。
それに宣教師の言うことは、異教徒への悪意や偏見があるから、全て受け止められるかどうか、史料批判も必要に思えます。

そしてまた『麒麟』に『首』。
ここは『どうする家康』について書くコラムのはずですが、他作品を持ち出す回数が多すぎです。
要は『麒麟がくる』の光秀は自分の理想、『どうする家康』は駄作だから光秀も小物、こう言いたいのでしょうか。そしてまた『首』だと褒めるのですね。わかりやすいと言えばそうですが、作品による違いを見ていないなと思います。

そもそも最新の説をつまみ食いしたところで、城が異国情緒たっぷりではどうしようもありません。
映像作品でそこを間違えてどうするのでしょう。このトンデモ城については「威圧感の表現だ!」だのなんだの擁護もありましたが、結局間違いであることが上記の記事にも記されまいた。

「最新の説をつまみ食い」
また「森乱」でしょうか。つまみ食いではありませんけどね。
あと清須城、以前にご紹介しましたし、これはたけたけさんと平原学氏、それぞれのnote記事でも紹介されています。信長が城主だった当時はこのような形ですね(Jyo-saiサイトより)。

清須城守護館キャプチャ

で、当該記事中で柴裕之氏は
「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、時代考証の仕事は基本的に台本を作り上げるまでで、映像にするところは関与していないんです。『家康は壮大さに驚いた』という台本の文字から、紫禁城のような映像を思い浮かべることはできません。だからこそ、制作陣と意見をぶつけ合って、文字と映像にずれが生じないようにする努力が欠かせません。清須城の件で、それが足りなかったのは反省点です」
とコメントしていますが、私は、あれはあれで面白かったかとは思います。実際入って行くシーンを見ると、それほどに距離はありませんでしたし。

あるインスタント食品の広告が、あまりにくだらなくてむしろ買う気が失せたことがあります。こんな調子でした。
あの和食の達人が褒めた!
あのイタリアンのシェフも絶賛!
伝説の中華の鉄人までもが降参!
何がどう美味しいのかさっぱりわからない。
しかし、広告としてはこれが通じてしまう。肩書きの偉い人が何か言うと、信じたくなる方向へと心理は誘導されます。
軍事心理学の古典である『孫子』は、まさにそうした現象を「兵形水象」と表しました。

「偉い人が言うことになびく」ことがそれでしょうか。
上の方でもこれについて書いていますが、柔軟な思考がないと、戦に勝てないというのが元々の意味ではありませんか?そして武者さんも自分が好きな対象であると、それになびくように思われます。

インターネットの普及は、こうした心理を加速させます。
みんなが好きなものはともかく褒めよう、取り入ろう。否定する奴はめんどくせー。嘲笑ってやる。
そんな、ことなかれの冷笑主義をこじらせた結果、先回りして忖度する。
批判者をクズだと貶める瞬間はとても楽しい。ハッピーなことしかありません。

では、『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』にも同じことが言えると考えていいのでしょうか。
つまりこの2つを否定する奴は面倒臭い、嘲笑ってやると、この2作品を支持する人たちのすべてが思っていたのでしょうか。

今年、私は、深刻な「武士成分不足」に陥りました。
何を言っているのかわかりませんよね。自分自身、正直驚いています。
何が起きたか。浮世絵のジャンルである武者絵を定期的に見なければ精神的に安定しなくなりました。
あの構図。色。真剣なまなざし。命をかけた戦いぶり。
そういうものがどれだけ好きなのか、武者絵を見て再確認する作業が必須となっていったのです。
大河を見れば、武士は目に入る。それが今年は欠けていたのでしょう。

浮世絵を見るのも武者さんの勝手ですが、今年の大河に「武士」はちゃんといましたし、命をかけて戦ってもいました。ただ武者さんが思い描く
「戦のシーンで馬を走らせる」
「弱い部分を見せない」
といった、いわば定番としての武士とは違っていたわけで、逆に、その違いを見て取る必要があったかと思われます。

そして江戸時代から明治にかけての武者絵というのは、当然ながら戦国期のものではないわけですが、武者さんはつまり後世の想像が入っていてもいいから、自分が納得する武者像を見たいということのようです。何か、目の前の現実とか一次史料より、自分の理想を優先させたいという見方がそこに感じ取れます。

2023年末と言うのは、象徴的な出来事があります。
長いこと権力の座についたものは腐敗する。
悪だとわかっていようが、利益で釣られて加担するものはいる。
半世紀以上の年月を経た大河は、残念ながらそうした薄汚れたコンテンツになりました。
『どうする家康』を曖昧な、キラキラワードで褒めるということは、悪に加担することではないでしょうか?

なぜキラキラワードで褒めるのが悪に加担するのでしょうか。
そもそもこのキラキラワードとは、具体的にどのような言葉であり表現なのでしょうか。
そして
「長いこと権力の座についたものは腐敗する」
という表現ですが、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
では?

『どうする家康』は何かの未来を確実に潰したと思います。それが何かは、もう少し様子を見てから言えることなのかもしれません。
先ほど、人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました。
残念ながら日本では泥舟とわかっていても『どうする家康』を褒める忖度の空気が漂っています。
それはなぜか?
結局はお金ではありませんか。どうしたって戦国時代は金になる定番コンテンツですからね。そこに群がれば甘い汁は吸える。
戦国時代をモチーフにしたキラーコンテンツを作れば、金が回るシステムはあるとみてよいのでしょう。

どの大河でも、イベントなりグッズ販売などでお金が回るとは思いますし、それがその地域の活性化につながっているとは思います。昨年の『鎌倉殿の13人』だってご当地グッズはありました。なぜか武者さんは、それ(特に義時の名がついたアイテム)を貶めるようなことを言ってはいましたが。

そして
「人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました」
偉い肩書というか、
「立派な肩書を持つ第一人者」
とでも言いたいのでしょうか。別に立派な肩書と言うより、その人がどのような研究をしているかにはよりますし、また大河の場合、考証を担当している人がなぜそうしたのかを知る上では、その人の記事やコメント、SNS投稿は注目するべきではあるでしょう。

私は驚いたことがあります。こんな言葉がネットにあった。
「大河ドラマの記事を書いて金を儲けているくせに、批判するとは何事だ!」
一体なんなのでしょう。批評家の存在意義すら理解できないのか。

武者さんが自分が好きな大河にも批判をきちんとしており、嫌いな大河でも見るべき部分を指摘しているのであれば、それは納得できます。ただ今まで、そのような例が今までどのくらいあったでしょうか。

日本史ではない、歴史研究者のオンライン講義でのことです。
大河ドラマの話題が出ました。その先生は明らかに苦々しい、苛立った口調で話していました。
そして中国で教鞭をとる日本史研究者と、そのフォロワーでのやり取りにこんな内容がありました。
「講義で大河ドラマを教材に使おうかと思っています」
「えー、でも、『どうする家康』を使ったらむしろ学生の知識が落ちますよ」
「むろん、まともな大河ドラマだけを使います!」
忖度がない意見ならば、こうなるわけですね。
海外の日本史ファンは相当冷たい目でこの駄作を眺めています。

ではそのオンライン講義のテーマと、研究者の名前を挙げてください。
それから、海外の日本史ファンの意見も、スクショか何か取れないのでしょうか。それがないと、ただ武者さんがそう言いたいから言っているだけに過ぎません。

それはそうでしょう。当たり前です。国内でコタツ提灯記事をビカビカ光らせたところで、何の意味もない。
私はそんな意味のないことに加担したくありません。今だけではなく、一手先、二手先を見てゆけば、こんなものを褒めれば後悔すると予測できます。

それは貴方の好きな大河でも同じようなものですよ。いくら武者さんが好きでほめそやす大河の関連記事でも、それを提灯だと言っている人もまたいたでしょう。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

忘れましょうと言いつつ、

色々とまとめることはあるので、後日、あらためて記事を出させていただきます。

貴方どっちなんですか。忘れるならとっとと忘れてください、このコラムだけでも6ページも使って、結局いつもの繰り言と、ゴシップを並べているに他ならないのではないでしょうか。
そしてこれよりもう少し前で

群れるというのは、そんなに楽しいことなのでしょうか?
どうにもわからない。私はこれまでも、これからも、“ぼっちクソレビュアー”で結構です。

武者さんが「ぼっちクソレビュアー」だろうが、別に私は共感や同情はしません。一方で群れるということを否定していながら、何かにつけて自分の主張を押し通し、同調者を求めるような姿勢が見えるかとは思います。

この大河から学べるものは多かったと思います。しかしこのコラムでは、嫌いな大河への対応としてありがちな、のっけからの叩きまくり、すべてを否定する姿勢が、『青天を衝け』に続いて、また繰り返されましたね。

あと平原学氏のnote記事が久々に更新されています。

【どうする家康】ラストの東京タワーの意味。最終回でも輝いた松潤の演技のスゴみとは。最終回「神の君へ」雑感

第45回の氏真の「本当のおぬしに戻れる日もきっと来る」、現代人への問題提起としての現代の日本の姿、そして「ドラマを楽しんでいた者も『反省会勢』も、両者が反省すべきこととは。『乱世の亡霊』に憑りつかれるな」等々書かれています。



飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/12/24 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第46回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。また文春関連情報だのミソジニーだの、正直言って大河そのものと直接関係なさそうな記述もあるのでかなり端折ります。


NHKの情報流出事件と、アンチフェミニズムやミソジニーを結び付ける、如何にも武者さん好みの話題から大河周辺へと持って行きたいようです。ご本人は大河周辺にミソジニーが漂うと書いていますが、とどのつまり、自分の好きな女性主人公大河や女性キャラを叩くなというものです。

私は、かなり前から大河周辺に漂うミソジニーが気になっていました。
女性主人公。女性脚本家。こうした要素が揃う大河ドラマのアンチ活動は、熾烈さを増します。
確かに『江』や『花燃ゆ』は駄作であり、作品自体を擁護しようがないのは仕方ないと思います。
ただ、男性主人公あるいは男性脚本家でもここまで叩かれただろうか?という疑念もあります。

とまずあり、

『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシングは過剰にも思えました。
『麒麟がくる』の駒叩きも、典型的なミソジニーだと思えました。
ちゃん付けで呼んだり、彼女の医学知識を無視したり、はたまた将軍義昭の愛人だと誤認した上で広めたり。
現実世界で女性政治家や研究者が浴びせられるものに近い悪口がSNSで撒き散らされ、ネットニュースにまで発展する様は危惧を覚えるものでした。

となっています。
要は女性主人公や女性脚本家は叩かれる、自分が嫌いな作品は駄作だから仕方ない、でも自分の嫌いな作品を叩くのは許せないといういつもの論調ですね。別にこれ、女性脚本家とは関係ないかと思います。
まずどんな作品にも賛否両論はあります。好きな作品を叩くのはけしからん、嫌いな作品は駄作だからという線引きをする前に、もう少し本質的な部分からの見方をしてはどうでしょうか。

たとえば『花燃ゆ』の場合は、これは女性というより複数の脚本家体制、そして主人公の生き方の変化に伴って脚本家を変えたことなどが、ドラマとしての一貫性を欠いた印象があると思います。当初の主人公の設定は、後の方では大分変わっていました。
そして
『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシング
については、具体的にどう叩かれたのかが書かれていないため、何とも言いようがありません。
さらに女性主人公、女性脚本家では『功名が辻』や『篤姫』もあるのですが、これらの作品については何も触れられていません。

あと武者さんが特にこだわる『麒麟がくる』の駒の描写。私は以前書いたことがありますが、将軍家にも様々な女性がいるし、彼女たちとの確執があってあの地位を築いたのであれば、それはそれで納得できます。実際将軍義昭には側室もいたでしょうから。しかしどうもそのようには見えないのです。

まして医学知識云々とあります。将軍義昭の侍医であると、以前武者さんは書いたこともあります。しかしやはり将軍家の侍医ともなれば法印などの称号を持つ人物であり、こう言っては何ですが、東庵の弟子であったとはいえ、彼女がそういう人物と互角に振舞うのはかなり難しかったと思われます。要は武者さんは駒を、フェミニズムの象徴的存在として理想化したいのでしょう。

しかし大河の視聴者の見方は様々であり、彼女の描かれ方に疑問を持つ人もいるわけで、そういう見方を自分の見方だけで断罪してしまえるものでしょうか。

そしてまたファンダム関連。そんなにファンダムの一部意見が嫌なら、ミュートするなり何なりして見なければいいだけの話です。

そして大河ドラマファンダムに充溢しているミソジニーは危ういと思ったものです。
華流ドラマはじめ海外ドラマ界隈は、そういう傾向はここまで極端ではありません。
アンチフェミニズム関連の炎上事件は多く、いつか大河も大々的に巻き込まれるのではないか?と懸念しています。
そんな懸念は当たってもらわなくて結構。来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが……。

「来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが」
もっと言えば、来年とか再来年は褒めると決めたら、今年は叩いたようなことでもスルーする、あるいは許容するのではないかと思われます。実際その可能性は高いのではないでしょうか。今までそういう例をいくつか見て来たので、悪いけどそう疑わざるを得ません。

そして
「大河ドラマのネットリテラシーは大丈夫なのでしょうか?
『青天を衝け』の公式SNSもなんだか危なっかしい投稿ぶりだと思っておりました」
結局「危なっかしい」と思うのは嫌いな大河限定なのですね。

SNSを活用しなければ理解できないというドラマ作りは、本来は禁じ手でしょう。

今は公式のみならず、出演者もSNSを利用しており、それから生まれる情報もあります。今回囲碁指導の田尻悠人氏も自身の投稿で、ドラマの中の囲碁シーンを解説していますので投稿をお借りしています。こういうのはSNSあってこそのものであり、視聴者の理解が深まるという意味ではプラス要因でしょう。

https://twitter.com/tajiriyuto/status/1731833381975982539

どうする家康囲碁シーン

そしてネットリテラシーがどうこうとありますが、武者さんの場合、要はファンダムが嫌いだというのが主な理由のようですから、先日も書きましたが、それは自分自身で身を処するべきです。自分はネット上の意見が嫌いだから、NHKはどうにかしろと言うように取れますが、それはちょっと乱暴ではないでしょうか。

そして

裏話が暴露されるような投稿が放置されれば、情報漏洩につながりかねません。
作り手が無知でインプット不足なのに、新説をつまみ食いして「最新研究を取り入れました」とマウントをとる。そして批判する連中をコケにする。

まず裏話云々、あくまでも推測ですが、小手伸也さんのアドリブ関連投稿を指しているように取れます。脚本がダメだからアドリブが入るのだと武者さんは思っていたのでしょうが、小手さん自身の説明により、それが否定されました。
そして2番目、平山優氏の「森乱」説に関してですね。実際一次史料では森乱とか乱法師などとしかないらしいのですが、武者さんが森蘭丸だと主張して論破された件です。それがよほど気に入らないのでしょう。
だからと言って、ここで不満をぶつけるのはお門違いではないかと思います。

そろそろ『どうする家康』の総括に取り掛かる時期かもしれません。

大坂の陣がまだ終わっていません。
そして総括すると言っても、武者さんがこの大河をきちんと観たようには、残念ながらとても思えないのです。ひたすらネガティブに突っ込んで、好きな作品を叩き棒にするのみならず、登場人物の所作を自己流解釈しておかしいと言い、所作指導がなっていないと叩いた、そういうイメージしかないのです、実際のところ。
たとえばこういうのも、よく観ていればブレていないのはわかるのですけどね。

「慈愛の国」だの「王道」だのなんだの言っていたと思ったら、「地獄を背負う」だのなんだの極端にブレる。

まず慈愛の国と言うより戦無き世でしょう。それと王道の政とを実現するためには地獄を背負わなければならない、世を平らかにするためには、平らかにするための戦をしなければならないということなのですが。
まあ叩くためには手段を選ばずが今年の武者さんの流儀なのでしょう。

来年こそは大河ドラマを楽しみたい、真っ当な歴史作品を見たい――本記事をここまでお読みいただけた方は、そんな悲痛な思いでいるかもしれません。

お言葉ですが、今年のを楽しんでいますので、悲痛な思いにはなっていません。来年に関しては何とも言えませんが、面白く観られたらいいなとは思っています。

ただし、いくらドラマが楽しくても、SNSなどに目を向ければ、ご自身と対立する意見もありましょう。そこでどうすべきか?
無理に理解しようとしない。
妥協しない。
差別はゆるさない。
相手のペースや屁理屈に乗らない。
数に頼りすぎない。
反論するなら、データ理詰めで。
要するに、相手が喧嘩をふっかけてきたときのみ策なり兵法なりは用いられるべきであり、そうでないなら避けるに越したことはありません。

武者さんこう書いていますが、今まで武者さん自身はどうだったのでしょうか。
「差別はゆるさない」などとありますが、武者さんは今年の大河で、一部の登場人物に対して、散々外見で判断するようなことを書いています。それから「データ理詰めで」も、このコラムを見る限り、およそデータや史料を基にするというより、自己判断のみですべてを見ているかのような記述が見られるのですが。
あと杜甫の「前出塞九首其六」が引用されていますが、ここでは省きます。

来年の大河ドラマで、ハッシュタグ荒らしなどが起きなければよいですが、結局は個々人で上手に楽しむしかないということですね。

何度も言いますが、ファンダムからもう身を引く方がいいのではと思われます。ファンダムが必ずしも武者さんの思い通りになるわけではありません。ただ、好きな大河なら黙認するのではないかと思いますが。

さすがに今年のような状況はもう起きないのでは?とは思います……。

今年は、本当にひどいです…武者さんの大河叩きが。

そしてまたメールフォームのリンクが貼られています。今後このコラムが続くのなら、ずっとこの路線で行くのでしょうか。


飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2023/12/09 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
(事情により投稿が変則的になっています)


オープニングが終わって小山評定へ。
制作陣はどういう思いで、主役・家康の見どころに取り組んだのか。
還暦間近の総大将が、堂々と突っ立ったまま演説ぶっている。仕草がほとんどない。ずーっと立ったまま、やっとのことで暗記したかのように、くさいセリフを精一杯読み上げるだけ。

「やっとのことで暗記したかのように、くさいセリフを精一杯読み上げるだけ」
これだけでも随分失礼ですね。
出演者叩きが多い今年の大河ですが、こういう主観に基づくバッシングがかなりエスカレートしているように見えます。このコラムに求められているのは、一体何なのでしょう。

そして
「堂々と突っ立ったまま演説ぶっている。仕草がほとんどない。ずーっと立ったまま」
皆に語りかけている大将が、座ったり、ボディランゲージ的なしぐさ(のことでしょう、多分)をしたりするものでしょうか。ならば武者さんはそのような場合、大将はどのようにあるべきと考えているのか、それを書いてほしいものです。
でないと単なる難癖です。

三成の人質政策も批判していましたが、それは秀吉時代からの話でしょう。
そしてその大名の妻子を人質にとる政策は、江戸幕府も踏襲するわけです。
他に言いようがあるはずなのに、なぜ家康にそんなことを言わせるのか。

「三成の人質政策はそれは秀吉時代からの話」
この場合、豊臣恩顧の大名が家康につくのを防ぐために、妻子を人質として大坂城に入れる強硬手段を意味しているのですが、武者さんは、伏見城下に妻子を住まわせるのと同一視していませんか。

「大名の妻子を人質にとる政策は、江戸幕府も踏襲するわけです」
さらにこの後
「堂々とセリフにしてしまうということは、後に家康が築き上げる江戸時代を全く意識していないか、あるいは、そんなこと知ったこっちゃねーわ、ということなのか」
などと書いていますが、どうもその違いが理解されていないようです。
江戸幕府がやったことは、ご存知のように参勤交代という、中央政府である徳川幕府が全国の大名たちを統制するうえの政策であって、この三成のやったこととはまた異なります。第一三成は天下人でもないわけですが。

「他に言いようがあるはずなのに」
ではどのような言い方なのか書いてください。

仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです。
そして思い出したようにマザーセナ直伝【泰平の教え!】を語り出す。『大奥』とは、史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます。

また「マザーセナ」。武者さんがこんなこと書くから、反発を招くことになっているのだと思いますけどね。

次に
「仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです」
『どうする家康』の制作発表は2021年1月、2022年5月から収録が行われていますが、その時点で「できるスタッフ」は『大奥』に移動したのですか。『大奥』の制作発表が2022年の8月で、『どうする家康』のクランクインの少し後のようです。そう簡単に移動できるのでしょうか。

そして
「史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます」
では唖然とするだけではなく、その読み込みの深さの違いとやらを、一般人にわかるように説明してください。

『大奥』では、春日局の非道の背景に、泰平の世をめざす思いがあったと描かれました。
国土荒廃の時代が何年も続いていたのに、そんな簡単に平和は成し遂げられない。
時に誰かに無理強いしてでも、とにかく乱世には戻したくない――そんな悲痛な思いが滲んでいたわけですが、本作では「はい、江戸時代は平和、来ますよー!」で終了。
要は、未来人思考で作られた家康の演説なんですね。

「未来人思考」も「幼稚な」同様、最近多いですね。
そしてここで
「はい、江戸時代は平和、来ますよー!」
なんて誰も言っていませんが、武者さんには一般の視聴者に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているのでしょうか。
で、家康はどう言っているかと言えば、

信長や秀吉によって鎮められた世の中を乱そうとする者がおる。聞いての通り石田三成が挙兵した。(会津征伐で大坂を留守にしたため)このようなことになってすまない。ここにいる者の多くは大坂に妻子を捕らわれていよう、従えぬ者は出て行ってもよい。しかしこのような狼藉を働く者に天下を任せられようか。手をこまねいていても乱世に逆戻りである。よってわしは孤立無援となろうともこれと戦う。すべては戦無き世を作るため。安寧な世をなせるかは我らの手にかかっておる。

で、ここで福島正則が立ち上がり、一同に決起を呼びかけ、これに山内一豊、黒田長政、藤堂高虎をはじめ他の武将も同調するわけです。上記のように、家康は自分たちが戦わないと、乱世に戻ると覚悟を促しているのですが、どこから「江戸時代は平和、来ますよー!」などと出て来るのやら。

そして春日局の非道云々ですが、その乱世に戻せない思考の先鞭をつけたのが家康であり、江戸幕府の開府であったと思われます。
(この一連の流れを大河で観るのなら、『葵 徳川三代』をお勧めします)

しかし毎度のことながら、叩き棒にされる『大奥』も迷惑な話ですね。

やたらと喧嘩っ早い、当時の日本人の精神性を変えるわけですから、「はい、平和な時代にしましょう!」「オッケー、りょw ピースピースw 泰平ww!」とはなりません。

「やたらと喧嘩っ早い、当時の日本人の精神性」
喧嘩っ早いかどうかはともかく、この少し前までは戦って勝たなければ生き残れない時代でした。当然平和な世の人々の考えとはかなりのギャップがあります。そして信長が頭角を現す前の世代と、その後の世代とでは、いくらかジェネレーション・ギャップがあるのも、少し前の回で描かれた通りです。

「『はい、平和な時代にしましょう!』『オッケー、りょw ピースピースw 泰平ww!』とはなりません」
これも1つ前の家康のセリフにありますが、
信長と秀吉が泰平の世を作り上げた
しかしそれを乱そうとする者(三成)がいる
よって成敗しなければならない、でないと、また乱世に逆戻り
となるわけで、急に平和な時代を作るのではなく、先達によって収まりかけた乱世がまた息を吹き返すのを懸念していると、家康は言っているわけですね。

そもそも関ヶ原の戦いが1日で終わったことすら想定外の事態だったはず。
関ヶ原は当時の世界史的にみても、屈指の規模となった大会戦です。
それがあんなにあっさりと決着がつき、結果的に徳川幕府の治世が来たというのは、開戦前の人々に想定できるわけないでしょ。

だから1日で平和な時代を作ろうとは、家康は言っていませんが。

江戸と会津がやたらと近い地図。
この地図には猪苗代湖がありません。日本で4番目に広い湖ですが、必ずしも必要ではないかもしれませんね。

前にも書きましたが、その間に「下野・小山」が入っていますけどね。
そして地図の性格上、いくつかに分かれた徳川軍が、それぞれの経路をたどるのをわからせるのが目的だから、江戸城、会津若松城と上田城しかありませんね。

しかし、先週の会津の風景を思い出すとなんとも合わせ技でマヌケでして。
それというのも、猪苗代湖からみた磐梯山を映していました。
磐梯山は噴火して山体が変わっているから、出す場合は要注意です。しかし磐梯山どころじゃなかったんですね。
猪苗代湖の水の色がおかしいし、波が強い。
確かに冬ならば「磐梯おろし」で猪苗代湖は荒れます。しかし、あの猪苗代湖は雪が降っておらず、嵐でもきていたのでしょうか。空は青々としていましたが。

まず磐梯山について。
明治の噴火で磐梯山は、それまであった小磐梯が消失して形が変わりました。
これに関しては個人の方のブログですが、このような記事があります。URLだけ置いておきます。記事中のリンク先は、今はファイルが削除されているようですが、画像があるので一応の目安にはなります。

大河ドラマ 八重の桜における磐梯山の見え方について 追記!
https://ameblo.jp/seti-tera/entry-11443751508.html
(SETIのブログ)

『八重の桜』でも磐梯山があまり映らなかったようですが、ただロケなどでその当時の風景として見せるのでない限り、これはもう映していいのではと思います。でなければ噴火前の形にCG加工するか、またはVFXで再現するかでしょう。

それから、猪苗代湖の波が強いということですが、これは武者さんも書いているように、季節が冬でなくても、風が強いとかなり波が立つようです。
こちらのサイトの画像をご覧ください。公共性が高いサイトのようなので、リンクを貼っておきます。

〔00/09〕猪苗代湖・長浜・湖岸と波
(かすみがうら*ネット)

でその後、猪苗代湖を見下ろす位置に「天鏡閣」(国指定重要文化財)があり、名の由来は猪苗代湖がまるで鏡のようだからという意味とあります。

それはともかくとして、その次に
「そういう鏡のような猪苗代湖ならばまだしも、どうしてあれほど無理を感じる水の色と荒れ方にしたのか」
と書かれています。しかし武者さん、上の方で
「確かに冬ならば『磐梯おろし』で猪苗代湖は荒れます」
などと書いているわけで、季節や気候条件下では必ずしも鏡のような水面とはならないことを意味しています。これは上でご紹介したサイトしかりです。

と言うか、ここで急に天鏡閣を持ってくるのは無理がありませんか。武者さんとしては持って来たいのかも知れませんが、ならば会津若松城と猪苗代湖をテーマにした記事でも書いて、そちらで紹介してください。

ただ単に何も考えていないんですかね。『八重の桜』から10年でどうしてこうなってしまったのでしょう。

『八重の桜』と『どうする家康』は違う大河ですし、必ずしも『八重の桜』の描き方が踏襲されるとは限りません。
それよりも、このシーンで「本田正信」となっていたのは無視ですか。こちらはNHKも修正すると言っていたようですが。

茶々の意向によって三成が挙兵しているような描き方です。
秀頼を戦に出すとまで言っています。
これも無茶苦茶では?
秀頼の年齢もありますし、それを茶々一人の思いつきでできるとも思えない。大坂の陣のことを踏まえれば、どうせ嘘だとわかります。

茶々は秀頼の生母であり、三成は秀頼の家臣です。
私はあらすじと感想で、プレッシャーをかけていると書いていますが、家康を敵と見る茶々から、三成に求められるものはかなり重いものだったでしょう。それでも、数の力でどうにかなると踏んではいたようですが。

それから
「秀頼を戦に出すとまで言っています。これも無茶苦茶では?」
秀頼がまだ幼いからでしょうか。しかし武田晴信は、かつて高遠頼継を撃退する際に、諏訪頼重の遺児寅王丸(後の長岌)を擁して戦っています(高白斎記)。『風林火山』でも登場します。

これは諏訪氏をひとつにする狙いがあったとされていますが、まだ元服前で戦えなくても、幼君を担ぎ出すことはできたのです。茶々も、秀頼を出せば豊臣の諸将は寝返ると思ったのでしょう。

あと
「大坂の陣のことを踏まえれば、どうせ嘘だとわかります」
これこそ武者さんが言う「未来人思考」に他なりません。
この当時江戸幕府もですが、大坂の陣のことなど恐らく誰も知るよしもないでしょう。

また、『大奥』の仲間由紀恵さんを見たら、本作の茶々など恥ずかしくて語れなくなりますよなどとありますが、北川さんにも、叩き棒にされる仲間さんにも失礼かと。

伏見城に向けて、いきなり火縄銃を撃つってどうなのでしょう。
射程も何もあったものではなく、本作はとにかく火器の使い方がおかしい。
またもや火縄銃を連射しているように見えました。装填動作もなく、連射。
制作陣が『八重の桜』を超えてやる!とでも妄想しているなら、本当にいたたまれない。

まず火縄銃を撃つのは威嚇射撃のためでしょうね。
武者さん、引間城のシーンでも似たようなことを言っていたと思います。
そして
「本作はとにかく○○がおかしい」
これをやたら目にしますね。テンプレでしょうか。

さらに
「またもや火縄銃を連射しているように見えました」
撃手は交替していますよ、特に伏見城内部のシーン(19分ごろ)はそれがはっきりわかります。千代も装填済みの銃を受け取って敵を狙っています。
武者さんの目には何が見えているのでしょうか?

小早川秀秋、参上いたしました
ニコニコ笑いながら「参上いたしました」と語る秀秋の軽薄さよ。
主演が所作指導をされていないならば、他の役者にするわけにはいかないのかもしれませんね。
それにしたって、作り手はこんなものを撮影していて、恥ずかしさは感じないものでしょうか。
とにかく放送日に間に合えばいい! さっさと終えて次の仕事だ! とか思っていたら、なんとも哀しいものです。

貴方また「所作指導がされていない」ですか。
気に入らないシーンなら、何でもかんでも「所作指導がダメ」の一点張りですね。

その割に、秀秋が名島城主(秀吉が小早川隆景に筑前を与えている)であること、兵力がかなり大きい(寝返った徳川方に有利)ことなどについては書かれていませんね。
あと、島左近が松の丸の守りが弱いと言ったことについてもまるで触れず。
とどのつまり、この小早川秀秋はよくない、スタッフが悪いだけなのですか。何とも内容のないパラグラフですね。

それから山内一豊のシーンで、
「掛川城をお使いください」
の一言がなかったと言われていますが、恐らく一豊自身の描写、あるいは秀吉が家康を江戸に封じ込めるために、東海道沿いに豊臣恩顧の大名を置いたという描写がないため、省かれたのかと思います。
『功名が辻』だともちろん登場しますけどね。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2023/11/09 15:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回「天下分け目」あらすじと感想-1

まず、「『葵 徳川三代』の関ケ原3(博多での三成と寝返り勢力のその後)」で、毛利秀包関連で、あたかも寝返ったように思われる記述があったので少し直しています。この人は完全に西軍として大津城攻めで戦っており、しかもやはり西軍であった立花宗茂のように、その後本多忠勝を通じて徳川に接近して、最終的に旧領を戻されたわけでもなく、その意味で不遇な人物ではあったかも知れません。

では第42回前半部分です。

家康は会津攻めで上方を留守にすることになり、伏見城の守りを鳥居元忠に任せる。その一方で、三成は挙兵し、家康は下野小山でそのことを知らされる。7月24日、家康の弾劾状が出回っているとの知らせが届き、また大坂は三成の勢力の下にあった。三成に味方する者はさらに増える。

最早お手上げと思われたが、秀忠は弱気になる家康を諫める。さらに諸将の妻子は人質に取られ、阿茶局や彦(元忠)も危ういと本多正信は言う。その阿茶局は大坂城で、留守居の家臣共々鎧武者に取り囲まれるが、実は彼らは阿茶局を安全な場所に匿うために入城したのだった。彼女が連れて行かれたのは、北政所寧々の屋敷だった。家康は寧々に、上方の留守を守るように依頼されていたのである。

そして小山。家康は三成挙兵を受け、自分に従っている豊臣恩顧の大名たちが従うかどうかが気になっていた。正信は、連中の誰か1人、情に厚い者に褒美をちらつかせて抱き込むことにする。そして殿は皆を一つにしてくだささと言い、家康はその翌朝諸将を集めることにした。一方秀忠と秀康、直政そして忠勝は対上杉戦略を練っていた。そこへ真田信幸が現れる。

信幸は1人だった。父昌幸と弟信繁は三成に付くようである。忠勝は婿である信幸に、娘を捨てたければ捨てろと言うが、真田が上杉とつながれば厄介であると直政。忠勝は大いに働いて貰う、今は休めと信幸に言い、信幸は下がる。同じ頃昌幸は上田へ戻る途中、上野の沼田城に立ち寄る。昌幸と信繁が名乗ったところ太鼓が鳴らされ、武装した稲が現れる。

昌幸は三成が何かやらかした、真田が一つになって事に当たらねばならんと、中に入ろうとするが、この城の主は我が夫真田昌幸と稲は言い、再び太鼓が鳴らされる。すると鉄砲を構えた兵たちが現れ、昌幸と信繁に銃口を向ける。さらに稲は言う。
「ここから先は一歩も通しませぬ!」

流石本多忠勝の娘じゃと、昌幸はそのまま去ろうとするが、去り際に孫たちの顔を見たいと言う。やがて信幸と稲の子供たちが、侍女に連れられてやって来る。昌幸は彼らを一瞥した後、じいじ様と言う子供たちの声を聞きながらその場を離れ、稲はこうつぶやく。
「戦が終わりましたら、会いにいらしてくださいませ」

翌7月25日。世に名高い小山評定が行われ、豊臣恩顧の大名たちが集められた。家康は、信長と秀吉によって、長く続いた戦乱の世が鎮められたが、それを乱そうとする者がおると切り出す。そして皆も聞いての通り、石田三成が挙兵したと続け、上杉討伐を取りやめて西へ引き返すと告げる。さらにここのいる者の多くは、妻子を人質に取られているであろうことを伝え、まことにすまないと頭を下げる。

家康は言う、無理強いはせぬ。わしに従えぬ者は出て行ってもよい。しかしその後家康は、留守に屋敷に押し入り、妻子に刃を突きつけるような男に天下を任せられようか、戦に乗じて私腹を肥やさんとする輩を野放しにできようか、このまま手をこまねいておっても乱世に逆戻りじゃと言い放ち、孤立無援となろうとも戦う意志を固める。

全ては戦無き世を作るためじゃ、安寧な世をなせるかは我らの手にかかっておるとの言葉に、諸将はうなずく。そして福島正則が立ち上がり、三成に天下を治められると思うか、毛利を束ねられると思うか、できるのは内府殿だけじゃと叫ぶ。内府殿と共にと繰り返す正則と同意する諸将。さらに山内一豊は立ち上がり、家康の前に進み出て、内府殿と共に戦いますると述べる。

さらに黒田長政は三成などに屈してなるものか、秀頼様を取り戻すぞと声を張り上げ、藤堂高虎は大戦じゃと一同を鼓舞する。最早家康に従わない者はいなかった。家康は初陣の秀忠に3万の兵を預け、正信と榊原康政をつけて真田を従わせるように命じる。また天下を取ることを表明し、皆を準備に取りかからせる。

そして家康は、平岩親吉が立ち尽くしているのを目にする。親吉は、ようやく戦無き世を目指す時が来たこと、かつて瀬名や信康を守れず腹を切ろうとし、家康に止められたことを話す。

親吉は2人が目指した世を成し遂げる手伝いをすること、それが我らの使命と思い直し、今日までと言いつつ涙を流し、その時が来ましたぞと高らかに言う。さらに厭離穢土、欣求浄土の文字を見て、この世を浄土にいたしましょうと笑顔になる。親吉の左腕を力強くつかむ家康。

直政は福島正則らと東海道を西へ進み、秀忠は真田の押さえ、秀康は上杉の押さえとなる。そして家康は江戸城へ向かう。その頃上方では、家康が動き出したという情報が届き、こちらの思惑通りであると三成は茶々に言う。茶々は、秀頼を戦に出す用意はある、必ず家康の首を取れと三成にはっぱをかける。武運を祈るとの言葉を秀頼から受け、また毛利輝元は後は任せよと言い、三成は翌29日、伏見城攻めに向かう。

この時伏見城の兵は2000、三成軍の兵は2万5千だった。銃撃を受ける伏見城だが、中からは元忠が矢で、千代をはじめ兵たちは火縄銃で応戦する。元忠はよく粘り、三成軍の中では、元忠が桶狭間を勝ち抜いたという話題が出る。しかし大老の1人宇喜多秀家に取って、それはかなり昔の話だった。各々が降伏はすまい、惜しいものよと口にする中、小早川秀秋が到着する。


前回武者たちに囲まれた阿茶局でしたが、実は彼らは味方であり、彼女は寧々に匿われます。そして家康たちは、小山で三成挙兵の知らせを受け、今は従っている豊臣の家臣たちが、今後もついて来てくれるかを懸念し、彼らを呼び集めます。所謂小山評定です(行われなかったという説もあり)。

この前に正信は、誰かをまず抱き込もうとします。ある意味ムードメーカー的な役割です。で、案の定その役を任されたのは福島正則であったようです。そこに至るまでの設定はいくつかあれど、どの戦国大河の小山評定でも、彼がまず口火を切ったことになっていますし、そういうキャラではあるでしょう。そして家康、ついで正則の発言が個々の心理に作用し、結果的に家康の求心力を高めることに貢献したと言えそうです。

そんな中、親吉はやっとその時が来たと感慨深げでした。彼にしてみれば、これで信康もその母瀬名も失い、その後も様々な苦難を乗り越えて、家康共々やっとたどりついたわけで、最終的に伏見に散った鳥居元忠とは別の形で、達成感を覚えてもいたようです。あと山内一豊公、『功名が辻』の上川さんに比べるとかなり猛々しいですね。

その元忠、相手の猛攻によく耐えています。これは三成方も、敵ながら惜しい男よと思ってはいたようです。ただ桶狭間を経験した世代というのは、この時そこそこの年配となっており、宇喜多秀家にしてみれば彼らは昔の人間であるわけで、かつて前田利家が、家康を昔のオロチだと言ったシーンを思わせます。一方で三成は、茶々からかなりプレッシャーをかけられています。

稲。ここから先はお通しできないは、父忠勝が長久手の戦いで言い放った言葉ですね。そして真田昌幸、信繁共々沼田城を後にします。戦が終われば会いに来てほしいと願う稲ですが、昌幸にも、信繁にもその機会は訪れませんでした。


飲み物-ワインと樽2
[ 2023/11/06 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第40回の『どうする家康』に関するnote記事

taketak39460607さんの、『武将ジャパン』大河コラムに関するnoteから、今回もいくつかの指摘をご紹介します。例によってとてもすべてをご紹介できませんので、いくつかピックアップしておきます。すべてをご覧になりたい方は下記URLからどうぞ。またここでは、コラムからの引用文の文字色をダークブルーにしています。

あと、先日の『武将ジャパン』関連投稿、変換ミスをはじめおかしな部分を直しています。また、ピューリタン関連のサイトのリンクを貼っています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第40回~
https://note.com/taketak39460607/n/nc09119323bde


白兎から狸へ。
今週はロゴが変わるところから始まり、石田三成が星空の下でマザーセナじみた妄想を語っています。

これに関しては当然と言うべきか、
「三成さんは家康さまの正室である瀬名さまを知らないので、無関係のものを無理矢理関連付けて叩くのは全く意味のない事だと思います」
と書かれていますね。また
「かつて三成さんは星空の下で『話し合い、皆が納得して話を進めていくそのような政がしてみたい』と新しい政のやり方を語っていました」
ともあり、その夢が形になったと書かれています。

この武者さんが何かにつけて「戦無き世」の概念を、「マザーセナ」とカルト呼ばわりするのは、いい加減止めてほしいのですが、最終回まで続けそうな気もします。

そしてニコライ・バーグマン。

このニコライ・バーグマンの花が似合いそうなオープニングは一体何事でしょうか。
『八重の桜』は月毎に変わり、見応えがありました。
あの出来と比べると、今年は本当にしょうもない。
夢や思想をゴリ押しされて辟易としてしまいます。
この駄作は徹頭徹尾、自分の話しかしない鬱陶しいおじさんでも見ている気分だ。
ここで出てくるロゴにも結局慣れることはできません。

これに関しても
  • 『ニコライ・バーグマンの花』と企業が特定できる状態で商品名を出し、誹謗中傷する目的で例に挙げるのは『私の嫌いな作品に使われそうな変なもの』と風評被害や業務妨害を助長したいのか
  • あれはただの押し花ではなくその下には一向宗の経本である『正信念仏偈』が入っており、阿弥陀様への祈りと共にひそかに石川夫妻が瀬名さま・信康さまの供養をしていたという意味の品である
  • 『どうする家康』の演出統括・加藤拓氏『八重の桜』ではチーフ演出、アートディレクターの菱川勢一氏は『八重の桜』ではタイトルバック制作、スチール撮影を担当しているが、プロである他人の仕事にケチをつけ好きな作品にも傷を付けている事にならないか
といった点が指摘されています。

それと加藤氏が演出であることは知っていましたが、ADの菱川氏も『八重の桜』のスタッフだったのですね。
これは今回のVFX担当の西垣友貴氏が、『麒麟がくる』のVFX関連スタッフであるにもかかわらず、今回に限ってはあれこれ注文つけまくりなのとそっくりです。大河やその他ドラマのスタッフは、複数の作品を担当することも多く、武者さんが好きな作品ばかり担当しているわけではないのですけどね…。

そして立膝に関して。

阿茶局にしても、なぜか一人だけ立膝。
ドヤ顔でいつも同じ調子で「私、頭がとてもキレるのw」とアピール感満載で一体なんなのでしょうか。

こちらについては、
「阿茶さんの立膝については『おんな城主直虎』の寿桂尼さまや『麒麟がくる』の武家の女性たちがしていました。
武家では有事に備えすぐに動けるようにするためもありますが、身分の高い人は立膝で座る機会が多かったのだと思います」
とあります。

私は阿茶局の場合は、次回予告を観たせいもあり、動きやすさ、いざという時に身構えできる姿勢が第一かと思ったうえで、身分のある女性の立膝に関しては、瀬名と亀姫の立膝を(申し分程度ですが)例に挙げています。
実際この立膝に関しては、『麒麟がくる』の時に賛否両論があったようですが、これに関しては

「また戦国時代の小袖は現代の着物よりも身幅が広くゆったりしたものだったそうです。
国宝『彦根屏風』では立膝で双六に興じる小袖姿の女性が描かれています。
また徳川記念財団所蔵の雲光院(阿茶局)像も立膝姿です」

と言う指摘があり、さらにその後の朱子学の普及、身分制度の確立、小笠原式礼法の広まりなども、正座が一般的になったことに関係しているとあります。

実はこの戦国時代の小袖ですが、どのくらいゆったりしているかちょっと調べてみたところ、江戸初期までの織物は、幅一尺四寸となっています。これは約45センチです。また小袖用に、少し狭めの布幅の反物もあったようで、これが約41センチから42センチであったようです。
しかし寛永3(1626)年に幕府により、絹物は幅が一尺四寸(約42センチ)、木綿一尺三寸(約40センチ)となります。多少身幅が狭まって来ています。そしてその5年後、丈も7メートルから8メートルであったのが、絹織物は三丈二尺(約9メートル)、綿織物は三丈四尺(約10メートル)となります。
ただし一般庶民の小袖は、作業着ということもあって、そうゆったりした物ではなかったとも言われているようです。あと戦国から江戸初期の小袖は男女とも対丈で、女性が身丈の長い小袖を着ておはしょりをするのは、これよりもっと後の話です。
小袖について
(中世歩兵研究所)

しかし武者さん、『麒麟』の立膝はOKなのに、『家康』の立膝はNGなのですね。

時間がないはずのドラマなのに、秀吉を貶す北政所だけは入れてきます。
これについては陰謀論で、某国勢力とNHKが結びついて秀吉を貶めるなんて言われていますが、そんなわけないでしょう。

この箇所ですが、北政所(寧々)も、「何でも欲しがる病」の秀吉を、数少ない身内として叱っていたことに加え、
「秀吉公死後、子飼いたちの折り合いが悪い事を憂い、「あの人がわやくちゃにして逝ってまったのがいかんのだわ」と寧々さまは吐露します。『わやくちゃ』とは尾張弁で『台無し、めちゃくちゃになる事』です」
とあり、さらに
「最後までやりたい放題で放り出して逝ってしまった秀吉公を思い、寧々さまが家康さまに「治部が上手くできなければ・・・力ある者にやってもらうしかない」と言ったのは、北政所としての裁量と承認により五大老筆頭である家康さまが実質の政務を執り行う権限を与えられたからだと思います」
とも指摘されています。

しかし私もこのコラム関連で書いていますが、なぜあのシーンが「秀吉を貶す北政所」となるのでしょう。
そして家康と徳川家臣団関連。

同時に、家康を持ち上げることだけは欠かさない。
徳川家臣団は諫言することもなく、武勇や知能を披露するわけでもなく、家康をひたすら褒める要員となりました。

かつて本多忠勝が大樹時で、逃げ回ろうとする主君、その当時の元康を叱ったこと、そして姉川の戦いで酒井忠次から
「義とは何か?殿は、皆はわかっておるのか?義なんて綺麗事。これは我らと織田勢を引き裂くための浅井の策略。乗ってはいけない!」
と注意されたことが挙げられています。
無論、この忠次が
「嫌われなされ。天下を取りなされ!」と進言した点についても、
「天下人は嫌われるかもしれない役どころだが貴方ならできると後押しした」と書かれています。

尤も『武将ジャパン』コラムでは、忠次はえびすくい要員だといった書かれ方をしており、この老臣の言葉が何を意味するかについても触れられていませんね。武者さんにしてみれば、この言葉も家康を持ち上げているように取れたのでしょうか。

それ以外にも

これで「若者はこういうのが好き!」って一体何の夢を見ているのですか?
キラキラした韓流華流に流れるだけですよ。
こんな出来損ないのぬれ煎餅をわざわざ食べる気がしません。

これに対しても
「『若者はこういうのが好き!』とは誰が言った言葉でしょうか、提示してください。
貴方が韓流華流に流れたいのなら勝手にどうぞ」
とあります。

若者が好きというのは、若い層がリアルタイムで観ているという記事があったからと思われますが、この大河をちゃんと観ている若い層に対して、
「こんなの面白くないでしょ、韓流華流観ようよ」
と無理やり誘っている印象もありますね。余計なお世話かと思われますが。

そして石田三成役の中村七之助さんに関してのこの部分。

七之助さんはお上手だと言いたい。
しかし、これでは彼の魅力が出ていない。
彼はもっと豊かな魅力がある。
可憐で愛くるしい姿を見せられる役者はそうそういない。
こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。

当然と言うべきか
「『こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。』「私の気に入らない演技や演出を見せるな!」というイチャモンですか。
自分の機嫌は自分で取ってください」
となっています。
私もこれに関して、なぜ七之助さんの別の一面が見られたと捉えないのかと書いてはいますが、武者さんはそういう考え方はしないのでしょう。

さらにその後の『ウォリアーズ』絡みの記述ではこう指摘されています。
「『潤沢な予算を使った関ヶ原本戦の描写は、BBCに勝てない』のなら勝手にBBCを見ていればいいのではないのですか。
他人が好きな物を中傷しておいて自分の好きな物をごり押ししてくるほど人の気持ちが分からない事はないと思います」
この
「他人が好きな物を中傷しておいて自分の好きな物をごり押し」
先ほどの韓流華流と似たものがありますね。

それから何度も出て来る筆の持ち方について。

市の訃報を聞き、家康の手から筆が落ち、ペンのように横に転がる場面がありました。
筆の持ち方をふまえたらありえない場面です。

「お市さまの訃報を聞いた時家康さまは手から筆を落としたのではなく、筆を投げ出しています。
投げ出した際に転がった筆が横に倒れてもおかしくないと思います」
実際一旦筆を止め、しかる後に横向きに持ち、そして投げ出すわけですからこちらの方が自然でしょう。

あと関ケ原のエキストラのデジタル化の件、これをけなしている点についてはこうあります。
「『八重の桜』エキストラのデジタル化の試みや『鎌倉殿』のVFXチームの伊藤熹朔賞受賞を叩き棒にして『どうする家康』スタッフの試行錯誤まで何が何でも叩こうとする、せっかくの受賞が台無しです」

またtaketak39460607さんも、本作の古臭いセンスと学生運動をすり合わせている点に疑問を呈しています。
そして、実はこれは私は知らなかったのですが、
「そういえば家康さまに対する三成さんの「わたくしと家康殿は、違う星を見ていたようでございます。もう、お会いすることもございますまい」と言う決別宣言に関して、ネット上では『あんなに一緒だったのに』と言うガンダムSEEDのED曲をほうふつとさせる感想が流れていました。
今作の視聴者は2000年代前半くらいが当たり世代でしょうか?
因みに第41回のサブタイトルは『逆襲の三成』。
これは『逆襲のシャア』を連想させ、もしやスタッフさんの中にガンダムファンはおりませぬか?と思ったものですが」
今現役のスタッフなら、あるいはガンダムファンは多いのではないかと思います。

そう言えば、最近ちらほらと書いている『葵 徳川三代』で、関ケ原の後、家康が大津城で捕らえられた三成に会い、三成が
「お久しゅうござる」
と声をかけるシーンがありましたね。
あと前回だったか、クレジットに梶原登城氏の名前がありましたが、『功名が辻』での演出クレジットに、この方の名前があったのを思い出しました。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/10/29 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第39回の『武将ジャパン』大河ドラマコラムに関してその2です。


一体何の病気だったんだ秀吉は
秀吉のわざとらしい吐血は何でしょう。
病人にやたらと「吐血させとけばええやろ」ってセンスが、昭和で止まっていませんか?

何の病気であるか知りたいのなら、ご自分で調べては如何でしょうか?

そして「『吐血させとけばええやろ』ってセンス」、『黄金の日日』の秀吉のいまわの際の吐血のことでしょうか。
あれはあれで凄まじかったと思います。
そして「わざとらしい」も何も、結核であればああいう喀血はあるでしょうし、またそれでなくても喀血する病気、たとえば肺がんとか、循環器系疾患ということもあるかも知れません。
それとこのパラグラフ、小見出しを入れて3行しかありません。何度も言うようですが、もう少しまとめて書いてはどうですか。
(尚先日の明からの使節関連、3行と書いていましたが4行でしたので直しています)

先週末の予告編で衝撃だった淀殿のセリフ。
「秀頼は秀吉の子じゃない」
直後に高笑いする彼女の姿を見て、父親は誰だ? 一体誰なんだよぉ? とワクワクドキドキしながら待っていた方もいたでしょう。
なんなら今週は、その「答え合わせ」目的だけで見ていた方も少なくないかもしれません。それが……
「私だけの子だもん!」
って、なんじゃそりゃ!
しょーもない。あまりにもしょーもない引っ張り方でした。まさに予告詐欺とでも申しましょうか。

別に、これはこれで正しいかと思います。
あと「私だけの子」ではなく、「この私の子」、豊臣でなく織田の子と言い換えるべきでしょうか。
それと小見出しに「そうか、パクリ回避か」などとありますが、何のパクリであるのかが明らかにされていません。実はこれSNSでも言われていましたが、『功名が辻』で永作博美さん演じる茶々の、柄本明さん演じる秀吉へのセリフのことです。
(追記:無論これが本当に『パクリ回避』なのかどうかは定かではありません。こんな物言いも制作サイドに失礼かと思います)

それと『軍師官兵衛』でも似たようなシーンがあると書いていましたが、こちらは寧ろ茶々と三成の関係ですね。2人が密会していると思われる場で、茶々がこう言っています。
「私はもう一度、殿下の子を産んでみせます。お世継ぎ…これは、私の戦」
父親は貴方よと、言外ににおわせている雰囲気があります。

そして本多正信関連、まずこのようにあります。

耳塚のことをハキハキと明瞭に説明する本多正信の姿には、どうしようもない嫌悪感しかありません。
この正信は演技が上手いと言いますが、果たしてそうでしょうか。
もちろん彼が上手いことには異論ありません。
しかし本作では、毎回まったく同じように「キレてクセのある平成テイスト名探偵」です。
「討ち取った首の代わりに耳や鼻を削いで朝鮮半島から日本へ送り届けた」
という耳塚の説明なんですよ。

まず耳塚という言葉はこのシーンでは登場せず、
「鼻切りによる獲物」
「鼻と耳を切り落とし、その数をもって手柄とする習わしでござる」
とだけ正信は言っています。
そしてこのシーンでは、戦に慣れない秀忠にそのことを教えているわけですから、特に「説明」であっても問題ではないでしょう。

想像するだけでおぞましい光景であり、どう考えても酷い所業だからこそ、耳塚なんてものが供養のために作られたのです。それを、
「ヤバいサイコパスの犯人が爆弾を仕掛けました〜、その解除はこの名探偵にお任せあれ!」
みたいな口調で説明されても、嫌悪感しか湧いてきませんて。

この正信はそういうキャラです。
以前にも同じようなことを書いていますが、この人物はこういう飄々とした態度、他者とは一線を画した物事の捉え方が特徴的で、寧ろこういう悲惨なことを、表情を変えずに話すのが持ち味と言うべきでしょう。

家康がちっとも歳を取らないから目立ちませんが、正信もいい歳です。それなのに、いくつになっても底の浅い平成の若造口調でよいはずがないでしょう。
どうして本多正信まで嫌いにならなくてはいけないのか。悲しくなります。

「家康がちっとも歳を取らないから目立ちませんが」
武者さんは家康が歳を取らないと本気で思っているのでしょうか。
(あるいは本当に劇伴がピロピロとしか聞こえていないのでしょうか)
どう見ても今の家康と、桶狭間の後岡崎城に入った家康は年齢差もあり、与える印象も異なっているはずですが。

そして正信の言葉のどこが、平成の若造口調なのでしょうか。
さらに「どうして本多正信まで嫌いにならなくてはいけないのか」
武者さんが勝手にこうだと決めつけて、勝手に嫌いになっているように見えるのですけどね。

結局、千利休は影も形も出てきませんでした。
茶道は秀吉の趣味としてかなり大事なものでしょう。
豊臣秀次もセリフ処理だけでした。
さぁ、哀れなのはどっちか!
千利休は北野映画『首』があるので、まだリカバリができる。

歴代戦国大河のレギュラー的存在の利休が、今回はなぜ出なかったか。
武者さんまた「描かれていないもの」に突っ込もうとしていますね。
なぜ描かれている存在に目を向けないのか、登場しない人物はなぜ登場しないのか、それについて考察しないのでしょう。
ただそれをやる人であれば、このコラムの内容ももっと違っていたとは思います。

この大河では、茶人としての秀吉は登場しません。無論黄金の茶室もありません。それを考えれば、ぎりぎりカットできる存在だったのではないでしょうか。流石に石田三成や茶々ははずせませんが。
あと秀次は、第38回の冒頭で少し登場します。
そしてまた映画の話、ここで持ってくるべきことですか。

歴史的重要性からすれば、秀次の死をカットしたのは、やはりよろしくないでしょう。
特に、家康を描く上では、本当に重要ではありませんか?
秀吉が西国政権で、家康は鎌倉幕府以来の東国政権。この点が重要です。
だからこそ『鎌倉殿の13人』の最終回で、ロールモデルとなる『吾妻鏡』を読む家康が出てきた意味がある。
そしてこの秀次事件で、家康は伊達政宗や最上義光といった東国大名の取りなしをしています。
これを契機に、東国はますます家康に傾倒してゆくのです。

「本当に重要ではありませんか」
「東国大名の取りなしをしています」
「東国はますます家康に傾倒してゆくのです」

ならば、自分でちゃんと史料を当たって調べてここに書いてください。
特に東国関係、『東照宮御実紀』にそのヒントがあるはずです。
それと『鎌倉殿』最終回の家康の『吾妻鏡』、ロールモデルでないとも言えませんが、あれは承久の乱の前振り的な意味合いもありますね。

次回、家康が「天下人」になるなら東国を背負う様を見せていく方がいい。
しかし、このドラマは所詮「東夷」なぞ無視してよいとでも思っているのか、全くかすりもしません。
いや、振り返ってみれば中国(毛利)も九州(島津)も四国(長宗我部)も、ほとんど何も描かれませんでしたし、要は、歴史そのものに興味がないのでしょう。

また「歴史そのものに興味がないのでしょう」
史料すら調べない武者さんに言われたくないかと、いや、これはある意味ブーメランなのでしょうか。
それと「東夷」は元々中華帝国から見た日本人や朝鮮人のことですね。「あずまえびす」と言いたいのでしょうが、ジェンダー関連にも言えるように、こういうことを書く武者さん自身が、そういう差別意識を持っていないかと思ってしまいます。
あと、家康が関わらない九州平定は描かれていません。この人は西日本より東日本を任されているからです(て、ドラマに出て来たかと思いますが)。
それを言うなら武者さん自身が、こういう地域を舞台にした大河の企画を立ててはどうですか。
柳川市は立花宗茂公を大河化したがっていますし。

このドラマには不思議な点が多々あります。
脇役が無駄に甲冑を着てだらだら過ごしているような場面がある一方、主役は着用しなくなった。
初期の金陀美具足(きんだみぐそく)は、これみよがしに目立たせていた。
それが中盤以降、甲冑を装備している場面が極端に短い。

「これみよがしに目立たせていた」
元々が黄金だから目立ちますね。
そして
「脇役が無駄に甲冑を着てだらだら過ごしている」のはどの回のどのシーンですか?
何よりも家康は官位も高くなり、常に戦場にいるわけではなく(朝鮮にも行っていませんし)、世の中がひとまずは落ち着いていることなどを考えると、いつも具足をまとう立場にないということでしょう。

ではそれ以外は?
たとえば衣冠束帯のような衣装の場面もない。比較的着るのが楽で動きやすい装束ばかりに見えます。

秀吉が太閤に、秀次が関白になった時は衣冠束帯です。
第一この時代、そういう装束を日常的に着るものでもないでしょう。公家が主人公でもないわけだし、寧ろ動きやすい服装の方が重視されるわけですから。

この場面でこの装束は失礼ではないか?と思えるほど、くだけた格好なのです。
ちなみに近年の大河で際立って衣装がきつかったのは『鎌倉殿の13人』でしょう。
時代劇慣れをしている山本耕史さんですら甲冑が辛かったとか。
あの時代はやたらと長い弓を背負ったり、手にするため、それも辛い。

「この場面でこの装束は失礼ではないか?と思えるほど、くだけた格好なのです」
これもどの回のどのシーンなのか、具体例がありませんね。本当にこういう記述がこのコラムは多いです。

「衣装がきつかった」
着ている本人が言うのならまだしも、観ている側がこう言うでしょうか。「衣装が重々しかった」とでも言いたいのかも知れません。そして時代と共に衣装は変化して行き、後に行くに従ってくだけた格好になります。たとえば鎌倉時代の日常着の直垂が、戦国時代には礼装となっているようなものですね。

そしてよくわからないのが、

鎌倉時代の大鎧がしんどいからこそ、工夫に工夫が重ねられ、当世具足へと軽量化してゆきます。
そういう甲冑の変遷を見られるなんて楽しみだだなぁと、去年の今頃は思っていましたけれどもね……残念です。

私は大鎧から当世具足に変わっているな、明らかに違うなと思ったものですし、中盤以降でも小牧長久手や小田原の戦いで甲冑を着ていますが、武者さんの目には何が見えているのかなと思います。
服装が動きやすくなっているうえに、戦が多い時代でもあるわけで、甲冑も軽くて動きやすくなるのは必然で、それは目に見えてわかるはずなのですけどね。

ちなみに甲冑を着ると、用足しに大変な苦労があるとか。そういう裏話を聞くのも個人的には楽しみでしたが、今年はこの点も大変残念な事態に陥っています。

武者さんは何を考えているのでしょうか。
甲冑の変化で知りたいのは、要はトイレ事情ということなのですか(苦笑)。


飲み物-ワインと樽2
[ 2023/10/19 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第37回「さらば三河家臣団」あらすじと感想-2

第37回後半部分です。


小田原攻めは終わり、家康は秀吉の「お主は江戸」という言葉を思い出していた。そんな家康を石田三成が訪れる。関東への国替えに祝いの言葉を述べる三成だが、家康はその件で、再度秀吉と話し合うつもりでいた。しかし三成は、織田信忠も秀吉から国替えを命じられ、異を唱えたため改易となったことを伝える。どうかご辛抱をと三成。家康は戦無き世をなすために秀吉に従ったが、今の秀吉のやり方に違和感を覚えていた。

三成は殿下は賢明なるお方、一度も間違ったことはない、もし間違ったことをなさったらこの三成がお止めすると言う。さらに戦無き世をなす、私は徳川様と同じ星を見ておりますと、彼方の星を見ながら口にする。さらに共に力を合わせて行きたいと言い置いて去る。星を見上げる家康に正信が言う。
「江戸からも同じ星は見えまする」

夜。家臣たちが家康の許へやって来る。殿より大事なお達しがある、心して聞かれよと正信は一同に言い、家康は本題を切り出す。国替えとなったこと、北条領を賜る代わりに今の領国を秀吉に差し出すこと、三河も手放すことを家康は伝え、正信は、これよりそれぞれの新たな領国へ移ると言い、さらにこう言う。
「天下静謐、日ノ本の安寧のため誉れ高きことである!」

そして家康は、出国の前に伝えなかったのは混乱を避けるためである、異論は認めぬと言うが、忠勝がこう口を挟む。
「関東も、よいところに相違ござらん」
怪訝な顔をする家康。他の家臣たちも覚悟ができている、新しい領国を治めるのもやり甲斐がある、故郷には別れを告げて来たという声が上がる。実は皆、事前に忠世から国替えのことを知らされていたのである。その忠世は、正信から皆に伝えるよう頼まれたのだった。

こんな時ばかり頼られると忠世。無論伝えた当初は皆からの反発があったものの、最終的には反発するのも疲れ果て、貴は済んだかとの忠世の言葉に一同はうなずき、元忠は、忠世兄(に)いに言い聞かされちゃ従うほかねえわと言う。このおかげで皆すがすがしい表情をしていたのである。毎度ながら勝手なことをいたしましてと頭を下げる正信に、例を言うと家康。家康はおもむろに立ち、家臣たちに向かって口を開く。
「皆、本当は悔しかろう、無念であろう」

家康はさらに、このようなことになりすまなかったと、家臣たちに土下座して頭を下げる。その必要はない、乱世を生き抜いただけで十分と家臣たちは口々に言い、忠勝に至っては、今川、武田も滅び、織田も力を失った乱世を、我らは生き延びたんじゃぞとまるで自分が主君であるかのように言う。また元忠は、貧しくてちっぽけだったわしらがなあ、信じられんわと口にし、平岩親吉は、しかもあの弱虫な殿のもとでじゃ、これ以上何を望みましょうかと言う。

忠世は殿のおかげでござる、ありがとうございますると言って頭を下げ、他の者もそれに倣う。家康は、自分について来てくれた皆のおかげじゃと独り言のように言い、涙を流す。その時徳利を置く音がし、正信が豪快に笑うのが聞こえた。〆っぽいのはやめじゃと皆立ち上がり、井伊直政はそれぞれの領国がどこになるのかを、家康に尋ねる。家康は、皆城持ち大名になると告げ、正信に説明させる。

その直政は上野箕輪(現在の高崎市)だった。信濃と越後の抑え、そなたならうまくできようと家康は言い、しかし調子に乗って無茶はするなと諭す。榊原康政は上野館林、本多忠勝は上総万喜(現在のいすみ市)を与えられる。かつてちぎれ具足をまとっていた康政が城持ち大名となり、これからも励めと言う家康。また忠勝には、主君と認めて貰えるとよいのうと、茶目っ気のある言い方をする。

鳥居元忠は下総矢作(現在の香取市)、平岩親吉は上野厩橋(現在の前橋市)を与えられる。家康は元忠には、そなたならきっと領民に慕われようと言い、親吉には、離れ離れになっても泣くでないぞと、かつて岡崎を離れる時に涙を流した様子を思い出しながら言う。泣きませぬと親吉は張り切って答えるが、泣いとるではないかと忠世は指摘する。そして小田原だが、皆が納得するのは一人しかおられぬかと正信は言い、忠世に歩み寄る。

正信は言う。わしが三河を追放されとる間、我が妻子の世話をしてくれたこと、感謝してもし切れんと。そんな昔のことをと照れる忠世だが、家康は、自分が知らぬところでそなたが陰日向となり、この暴れ馬どもをつないでおってくれたと、忠世をねぎらう。隠居間近の老体にはいささか大仕事が過ぎると言いつつ、残りの命を小田原の安寧にすべて捧げる所存と明言し、家康の前にひざまずく。そして忠世は大見得を切る。
「小田原は、相模一の色男にお任せあれ!」

最後に家康は江戸となったことを家臣たちは知らされ、そのような所ではと意外そうな反応を見せる。今はぬかるみだらけだが、かの地を大坂をしのぐ街にして見せると、家康も自分の決意を表す。粗末な城も作り直すぞと言い、次会う時は江戸ぞと忠勝は言い、皆杯を干そうとする。その時服部半蔵が、自分はどこをいただけるのかと尋ねるが、家康はわしと共に江戸へ行こう、どこかやるさと言われる。服部党も武士として取り立てて貰えるかと尋ねる半蔵に、もちろんじゃと家康。

家康はかつて、服部党に助けて貰ったことを忘れていなかった。半蔵は家臣たちに、それぞれの所領、しかと治められませと言い、家康は離れ離れになっても心は一つと音頭を取る。杯を干し、まだまだ隠居できぬわと笑う忠世。その後小田原攻めの結果は秀長に知らされる。屋敷に入って来た福島正則から、天下一統相なったと聞かされ、秀長は床から立ち上がって縁先へと出、とうとうやりなさったな兄様、これ以上の欲は張りなさんなよと囁くように言う。

天正19(1591)年8月5日。僧たちが平癒の祈祷を行う中、秀吉の子鶴松は病で世を去る。寧々は声を上げて泣き、茶々も表情を険しくする中、秀吉は声を上げて笑い、何かをつかむかのように手を伸ばしてこう口にする。
「次は何を手に入れようかのう」
側に控えていた三成は、何も言うことができずにいた。

天正20(1592)年の正月。江戸の家康は、江戸普請奉行伊奈忠次と共に町造りに取り組んでいた。江戸に人を集めるには土地が足りないと言う忠次は、神田山を削って日比谷入り江を埋め立てる提案をする。その様子を正信は、握り飯を頬張りながら見ていた。町を一から作るとは楽しいものと満足そうな家康だが、そこに秀吉からの朱印状が届く。秀吉が唐入りを目論み、新たな戦を始めることになったのである。


国替えにどうも納得できない家康ですが、石田三成から国替えに異を唱えない方がいいこと、織田信雄は異議を申し立てて改易となったことを知らされます。そして家臣団に重い口を開きますが、実は皆忠世から事前にこのことを聞かされており、既に覚悟を決ていて、関東の統治に前向きになってもいました。本多正信が忠世を呼び出したのは、このことを伝えてくれという意味だったのです。その忠世は小田原を与えられます。

それから本多忠勝、やっとこれで主君と呼んでくれるかなと家康は笑います。ところでこの忠勝は、元々大多喜城(現在の夷隅郡)を与えられていましたが、最近、その前にこの万喜城にいたという説が出ています。ただしその後まもなくして、ここは廃城となっています。そして服部半蔵、江戸へ行って江戸城の門、後の半蔵門の警備につくことになるのでしょうか。

そして天下一統が成ったことを、病床の秀長も知らされます。しかしそれは、かつて兄秀吉が自分に話したこと、即ち武士を食わせて民を豊かにするための、唐入りを行うことをも意味していました。最早自分には何もできないと知りつつも、欲を張るなと弱弱しく言う秀長の心中は、察するに余りあります。

そして実際秀吉は、子の鶴松が亡くなり、茶々も、そして寧々も涙を流しているにもかかわらず哄笑し、次は何を手に入れようかとまで言い出します。殿下が間違っている時はお止めすると言った三成ですが、この場で秀吉を止めることは不可能でした。でんでん太鼓の音、『真田丸』の時は子を失った悲しみに暮れる秀吉が鳴らしていましたが、ここでは秀吉がさらなる欲に絡めとられて行く、そのBGMのような不気味さが感じられます。

結局唐入りが決定したようで、江戸の町を作りつつある家康にもその知らせが届きます。戦無き世を目指し、秀吉に仕えた家康は、ほそを噛む思いのようです。

余談ながら、先日目にしたツイートというかX投稿に、今回官兵衛の出番はなかったとありましたが、主人公でない場合、主に秀吉をメインに描いた『秀吉』や『功名が辻』のような作品でないと、官兵衛は登場しません。逆に彼の子長政は、家康がメインの場合に登場することが多く、たとえば『葵 徳川三代』などは長政のみでした。尚この時長政を演じていたのが山下真司さんでしたが、山下さんといえば『スクール☆ウォーズ』を思い出す方も多いでしょう。実際この『葵』絡みで、
「お前ら、関ケ原に行きたくないのか!」
などという書き込みがあるのを、ネット上某所で見かけたことがあります。

飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/10/04 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『武将ジャパン』大河コラムその3です。また『らんまん』を叩き棒にしていますね。


日本を二分する――こういうセリフで小手先だけのスケール感を出したいのでしょうが、かえって逆効果でしょうよ。
九州や奥羽がまだ残っているのに、気が早すぎるのでは?
しかもサブタイトルが、往年の名画を安直に真似た「史上最大の決戦!」です。だとしたら、関ヶ原の戦いや大坂の陣はどういう扱いとなるのでしょう?

「九州や奥羽がまだ残っている」
この場合の戦いとは、信長や秀吉に臣従した地域と、信雄や家康の領国の戦いを意味しています。これらの殆どは今の東海、北陸、近畿そして中国地方で、まだ九州、四国や奥羽(東北)はその版図に組み入れられていませんでした。

「往年の名画を安直に真似た『史上最大の決戦!』」
『おんな城主 直虎』のサブタイも、過去の映像作品の捩りが多かったのですが。
そしてこの場合、信雄+家康と秀吉軍の対決だからでしょう。関ケ原はそれぞれ味方の大名を従えており、大坂の陣に至っては、家康+諸大名VS豊臣+牢人という構図でしたから。

このドラマは、本当におにぎりを握る女が好きだな!
「勝て勝て勝て!」って言いながら握るのは何なのでしょう。
『花燃ゆ』のリベンジでもしたいのか。誰かの趣味なのか。

当時はおにぎりは兵糧である以上、勝つことを念じながら、家康の側室である於愛が音頭を取って握ってもおかしくはないでしょう。また『花燃ゆ』の場合、ワカメがおにぎりに混ぜられていましたが、戦国時代の場合はもちろんそれはなく、玄米を炊いて握ったものでした。

兵糧をあんなふうに作って見せる意味がわかりません。昭和レトロなラブコメですか。

また「昭和レトロ」(苦笑)
武者さんは観ていないかも知れませんが、『功名が辻』で一豊の妻の千代が、侍女たちと一緒におにぎりを作り、長浜城に駐留する軍勢に振舞う描写がありましたね。

『らんまん』を見ていて気づきました。
書状を手に取り、さっと振ることで広げる。そんな時代劇お馴染みの所作ができています。そして気づきました。『どうする家康』では、そんな綺麗な所作を見たことがないことを。
そのことに気づくと、どうにも小道具の扱いもおかしくて気になって仕方ありません。

まず、『らんまん』は時代劇でありませんね。
ただ今よりもはるかに前の時代であり、昔の人はそういういう所作をしていたということでしょう。
そして
「『どうする家康』では、そんな綺麗な所作を見たことがない」
いつも思うのですが、具体的にどのようなシーンなのか、はっきり書いて貰えないでしょうか。武者さんの文章はそれが抜け落ちていることがあまりにも多いので。
筆の扱いについてははっきりそうと書いていましたが、あれもそうおかしなものではありませんでした。家康はちゃんと筆を立てて書いていましたし、お市自害を聞いた時は、筆を落としたのではなく放り出していたように見えたので、あの所作でも特に問題ないと思います。

思い出したように家康の薬作りが出てきました。
趣味というわりに薬研の使い方も雑。説得力がまるでありません。

そして家康の薬作り、というか薬湯を煎じるため薬草を粉末状にする薬研の使い方が雑とかなんとか。
では武者さんは薬研を使ったことがあるのでしょうか。どこが雑なのでしょうか。
尚この薬研を使った動画をいくつか見ましたが、特にあの使い方は間違っていないと思います。

それと「趣味というわりに」とありますが、この時家康は薬作りが趣味と言っているでしょうか?

太鼓の打ち方がおかしい。
軍勢ごとにルールがあって、もっときっちり打つもの。
やる気がないのか、そうした調子は一切感じられず、ポコポコ打つせいで迫力にも欠けている。
発声も声が裏返るので、本当に稚拙です。
大河ドラマをパロディにしたコントの類にしか見えません。

「軍勢ごとにルールがあって、もっときっちり打つもの」
これがまた何の具体例もないのですね。
ここまで言うのならばそのルールとやらを、ここでちゃんと明記してください。
「酒井の太鼓」について言いたいのでしょうか。ならばその太鼓についてだけ書いてほしいものです。

「酒井の太鼓」の記述 鶴岡市に保管された家臣の日記から発見
(NHK ONLINE)

そして
「発声も声が裏返るので、本当に稚拙です」
これもどのシーンで、誰の発声が裏返っているかが不明。
単に武者さんがそう思いたいからではないのでしょうか。

今週はやっとおもしろくなった。落ち着いた。
そんな感想もありそうですが、果たしてそうでしょうか?
(中略)
実在した女性がでしゃばって目立ったり。回想シーンまみれにしたり。いちゃいちゃする場面の比率は減りました。
そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える。それだけです。
どうにもちぐはぐで、それまであったむちゃくちゃな個性が薄くなったような気がします。

「実在した女性がでしゃばって目立ったり」
誰とは言いませんが、オリキャラの女性が目立つのはいいのでしょうか。

「いちゃいちゃする場面の比率は減りました」
ああいうのをいちゃいちゃすると思うのなら、武者さんの女性観はやはり偏っているなと思います。

「そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える」
「どうにもちぐはぐで、それまであったむちゃくちゃな個性が薄くなったような気がします」
またですか。武者さんは具体的にどれがアリバイじみているとか、誰の個性がむちゃくちゃなのか全く書かないのですね。
「あれが悪い、これがよくない」に終始しているだけだから、単なる自己満足にしか見えないし、もっと言えば、ドラマ本編そのものをちゃんと観ているようにも見えないわけです。

今まではおしつけがましかった。
「今までにない展開だろ?」
「俺たちってマジですげーだろ、イケてるだろ!」
「これぞシン・大河なんだよ!」
そういう自慢げな姿勢があった。それがどうにも落ち着いてきている。
それが良いのかどうか?
残ったのは歴史番組用の再現ドラマと、ラブコメじみた場面、そして説明セリフだけです。

今までは挑発的でしたよね?
「史実なんて誰も見たことないしww あなた別にその時代に生きてませんよねw 見てませんよね、だったらこういう展開がないとは言い切れないでしょwww」
「瀬名が悪役とかもう古いしw 森蘭丸でなくて森乱w 新説取り入れましたwww」
そういう思考停止の呪詛を振り翳し、どんな無茶振りで通してきた。
それがなんだかおとなしくなっちゃって。

「今まではおしつけがましかった」「今までは挑発的でしたよね?」
「それがどうにも落ち着いてきている」「それが良いのかどうか?」
「それがなんだかおとなしくなっちゃって」

この間の登場人物の月代を思い出します。
あの時も剃れ剃れと言わんばかりで、いざみんなが月代姿になったら、似合わないだのなんだの。
そしてこちらでも
「今まではおしつけがましかったと文句を言い、それが落ち着いたら落ち着いたで文句を言う」
単なる身勝手でしかありません。

あと「森乱」は史料に則った表記なのですが、それがなぜ思考停止になるのでしょうか。
平山氏に注意されたのがよほど面白くないのかと、勘ぐりたくもなりますね。
自分の思い通りに描かれないと、何でもかんでも史実無視のようで、この人本当に「歴史系ライター」なのかと疑ってしまいます。

歴史パートにせよ、戦国時代の合戦というよりも、現代劇の詐欺師ミーティングのような場面に過ぎません。
少し真面目にしたぶん、かえって基礎力が脆弱なのが露になった。それが現状でしょう。

結局何を言いたいのでしょうか。
「日本語でおk」というネットスラングがありましたが、あれを思い出してしまいます。
あと武者さん「詐欺師」も好きですね。本多正信にもこの表現しょっちゅう使っていますね。

本能寺も伊賀越えという歴史イベントも終わった。
マザーセナ、千代、女大鼠といった妄想ヒロイン大行進も終わった。
何も見どころがない。ものの見事に何も無い。きれいに中身がなくなり、積極的な不快感が薄くなった程度の話ですね。
豪華キャストと思える池田恒興と森長可が登場しても、何もワクワクは湧いてきません。
もう、盛り上がりも何もないんですね。

これから小牧・長久手の戦い、小田原攻め、江戸入りそして関ケ原…まだまだイベントは続きます。
そのためのキャストも発表されていますし、そして千代や大鼠は今後も出て来ないとも限りません。
武者さんが嫌なら観なくても構いませんが、その代わりこのコラムももう書かないでください。

このドラマは脚本がみっちり詰まっていない。スカスカのものを現場で手を入れて、どうにか形にしている。
だからこそ毎週のようにアドリブで補ったと語る裏話が披露されるのでしょう。
逆に、脚本を褒める出演者の声はほとんど聞こえてこない。今となって褒めているのは磯Pくらいではありませんか。
◆松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)

武者さんが好きな『麒麟がくる』でもアドリブはありましたが、好きな作品だと敢えてそれに触れないか、あるいは肯定的な見方をし、嫌いな作品だと積極的に叩いているように見えますね。
それと
「脚本を褒める出演者の声はほとんど聞こえてこない」
ひところ鳴りを潜めていましたが、また脚本を褒める褒めないで判断する癖が出て来たようです。
要は、一旦捨てた方法をまた使ってでも叩きたいということでしょうか。

ではガイドブック後編での出演者のコメントをいくつか。武者さんが叩いている築山事件に関してです。

松本潤さん
「さらには謎の多い『築山事件』。家康、瀬名、信康。この3人の関係性については諸説ありますが、古沢良太さんの脚本はきっとこうだったと思わせる筋書きだったので、僕自身そう信じています」

有村架純さん
「今作では、瀬名がたくらんだと言われている『築山事件』が出て来ます。初めて台本を読んだときは涙が出てきて自分でも驚きました。脚本の古沢良太さんも『書くのが苦しかった』とおっしゃっていたそうです。『潔く散るべし』という戦国時代の価値観の中で『やっぱり生きたい』という気持ちが表現されていたような気がします」

松重豊さん
「ドラマで描かれる『築山事件』部分の脚本を読んだとき、古沢良太さんの発想に感服しました。涙なしでは読めず、こんな物語があっていいと思いました」

視聴率では二桁を割ったり戻したりという体たらくで、それでも提灯記事は増えるのか、増えないのか?

「二桁を割ったり戻したりという体たらく」
これだと何度も割ったり戻したりしているようですが、スポーツ中継が裏に来ていなくて二桁を割ったのは、今までのところ第30回のみですよ。

そして
「超絶技巧記事が出ました」
などとあるのですが、つまるところ、同じ系列のメディアでも訴求対象によって書き方を変えているわけで、
「これぞできるプロの仕事だと思います」
などとあります。
こんなこと書くより、武者さん自身がきちんと「プロの仕事」をやるべきかと思いますね。

で、別の女性週刊誌の松本さん関連記事では、
「心底どうでもいい」
どうでもいいのにわざわざリンクを貼るのですね。タイトルだけ置いておきます。
「松本潤『どうする家康』の“制作スタッフと撮影打ち上げ”を主催、ムロツヨシは頻繁に参加も家康の正室・瀬名役の有村架純は「あえて誘わない」」

あと

惻隠の心は仁の端なり。『孟子』公孫丑章句上篇
哀れみや情けを持つことこそ、仁の基本です。

と、例によって漢籍引用ですが、いつもながらあっさりしているなと思います。惻隠の情とは、他人の不幸を憐れんで痛ましく思う心のことではないでしょうか。もう少し詳しく書いてください。
で、その後に茶々関連の持論展開。これまた例によって例の如くなので、パスしようかと思います。


飲み物-緑とグラスビール
[ 2023/08/18 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』新キャスト発表その1

さて新キャスト発表ですが、実はこれは第1弾で、6月16日の正午に第2弾が発表されるらしいです。第2弾も楽しみな方は、ツイッターの公式アカウントのチェックをお忘れなく。

そして15日発表のキャストですが、「チーム秀吉」ということです。
(敬称略)

豊臣(羽柴)秀長-佐藤隆太
寧々(北政所)-和久井映見
仲(大政所)-高畑淳子
旭-山田真歩
加藤清正-淵上泰史
福島正則-深水元基
石田三成-中村七之助

『風林火山』の矢崎平蔵、『青天を衝け』のゑい、そして『舞いあがれ!』の祥子ばんばですね。山田真歩さんはフジテレビの『シャーロック』に出演していました。あと深水さん、どこかで見たことがあると思ったら、『真田丸』の福島正則がこの人でした。大河の場合、同じ俳優さんが何年か後に、同じ役を演じることもあるようですが、正にそのパターンではあるわけです。淵上さんは『燃えよ剣』に出演していましたし、七之助さんは松本潤さんと高校の同学年ですね。『ライジング若冲』に出演していましたね、そう言えば。

ところで、この七之助さんの叔父様に当たる中村芝翫さんが、中村橋之助時代に『功名が辻』でやはり三成を演じていたことがあります。

さて16日はどのような登場人物が発表され、誰が演じることになるのでしょう。


飲み物-ブロンドのエール
[ 2023/06/16 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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