『武将ジャパン』大河コラム、後半部分の記述への疑問点です。尚『舞いあがれ!』の21日放送分は次回になります―と言うか、20日放送分のを21日に投稿しているため1日ズレます。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第39回「穏やかな一日」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/10/17/171451
まず鶴丸に諱を与えるシーンですが、
1.平家一門は滅びたわけでもありません。
日本各地に落人伝説がありますが、そうではなく鎌倉に来ている者もいました。あえて平家のものを近くに置くことで、源平合戦ははるか昔のことだとアピールしたいのでしょう。
「平家のものを近くに置く」のではなく、「近くに置く者に平を名乗らせた」でしょうね。
ところで武者さん、今年の春ごろ平氏と平家の違いがわかっていないと思われる描写がありました。平氏とは平の氏を持つ人々の総称(ついでながら畠山重忠も平氏)、平家とは特に、清盛の一族を指すのですが、何かごっちゃになっていましたね。
あと「そうではなく」もなぜ「そうではなく」なのかが不明。西日本でなく、東国に向かった落人もいたと言いたいのでしょうが、この人の文章は、あるいは故意なのかも知れませんが曖昧過ぎです。
2.美談に思えます。出自不明の平盛綱を鶴丸にするというのはよい工夫です。
八重の思いが詰まった、まるで千鶴丸の生まれ変わりのような人物が、こうして泰時を守るためにそばについて出世するのも素敵ですよね。
しかし、今の義時は、ただの美談を生み出すほど清らかではない。
これ「美談」でしょうか?確かに八重の思いがつまったと言うか、八重は鶴丸を助けたが、それと引き換えに八重は命を落とした、その意味で義時に取っては何かと忘れられず、無視もできない存在ではありますが。
3.これは綱をつけた番犬を作る過程でもある。
恩義を感じさせ、いつまでも我が子を守る番犬に育ったら美味しい。死ぬ気で命令を果たす忠実な番犬は何より有用ですし、義時はうまいやり方を思いつくものです。
どうも義時が
「太郎の命綱となってほしい」
と言ったのを曲解しているように見えます。武者さん、これ以外にも犬に関連する言葉をあちこちで使っていますが、誰かに使われる人物は皆「犬」なのでしょうか。妙な所で、「王家の犬」を引きずっていないでしょうか。
この後の義時と義村の会話で、義村が面白くなさそうな顔をするシーンでは、
頼朝より近いし、操ることはできるはず。自分が真っ先に泥を被りたくないから、汚い仕事は分けあって、持ちつ持たれつやって行こうと思っていた。
それなのに、いつの間にやら、義時の番犬になってしまっている。これほどの屈辱はない。
実朝が褒美を取らせるシーンでも、
実朝は北条時政の企みを防いだ褒美を取らすと言います。
「……ありがたき幸せ」
頭を下げながら、そう返す義時。
この瞬間、鎌倉殿もこの男の飼い犬になりました。
それから以前、畠山の重忠の乱を、朝廷の番犬の喧嘩呼ばわりしていたこともあります。どうも、ひとを犬呼ばわりしたがりますね。一方本物の犬関連で騎射三物の「犬追物」、これは馬から犬を射るのですが、犬が傷つかないように鏑矢を使っていました。しかしそれを「犬を射殺す、野蛮だ」と書いていましたね。スクショ取っているから後で確認してみます。
4.「変わっちまったよなぁ、鎌倉も、お前も……」
義盛がそう嘆くのも無理ありません。
思えば序盤において、彼らの娯楽は狩猟でした。誰も和歌なんて詠まない。蹴鞠も未知のものでした。
広元はその話を聞き、絵に描いたような坂東武者だと感想を漏らします。
「誰も和歌なんて詠まない。蹴鞠も未知のものでした」
先日も書いていますが、和歌も蹴鞠も限られた人々のものであり、この義盛に取ってはどちらも縁遠いものです。また義盛でなくても、どれだけの御家人が和歌や蹴鞠を嗜んだでしょうか。この場合変わったと言うのは、かつての親友だった義時がいつの間にか権力の座に座り、一介の御家人である自分から遠い世界へ行ってしまったと言うことでしょう。
5.現在放映されている朝の連続テレビ小説で、長崎五島列島の「ばらもん凧」が出て来ました。
その図柄は、武士が魔物に立ち向かうというもの。武士の世が終わっても、日本では子供の生育を祈る際に武士を掲げます。
それだけ根深く精神性が根付いてしまった。
そういう根源を、この義時という怪物が吐き出そうとしているようで、あまりに深い。
なぜかここで『舞いあがれ!』。ばらもん凧の意匠ですが魔物でなくて鬼ですね。元々男の子の節句にこの凧は揚げられていたわけですし、武士の強さを今の世に伝えるのは別に悪くはありません。端午の節句の武者人形しかりです。
ちなみに祥子ばんばによれば、ばらもん凧はお侍さんが果敢に鬼に立ち向かうように、
「どがんことにも負けん、強か人になってほしかちゅう願いば込めっとさ」
という意味があります。
それから武士が全般的に精神性を重んじるのは、江戸時代になってからですね。
6.そんな善哉に、政子は何やら見せたいものがあるようで、手の空いた義村と義時が話し始めます。
と言うより、あの2人に話をさせたくてあのようにしたとも取れます。そして、善哉を御所に連れて来なさいと政子が言うところですが、
7.しかし、やはり政子は甘い気がします。もっと突き放してもよいかもしれない。こういう対応をしていると、頼家は罪なくして死んでしまった人のように見えてくる。
御所にも愛着が湧く。
なぜ御所の一番高い座に自分がいないのか?
将来、そう思ってしまうかもしれない。
頼家は罪ゆえに死んだ。
お前も罪人の子であり、実朝とは違う。
厳しくとも、その辺をハッキリと認識させた方が良いかもしれません。
ここの部分ですが、この後にこういう記述があります。
時房がこんな風に説明します。
「寂しいお方でした。あのお方のお心を知ることは誰にもできなかった。悔やまれてならないのです。お側にいながら何の支えにもなってさしあげられなかった。いらっしゃいますか。心を開くことのできるお方が」
武者さん、これは実朝関連で引用しているのですが、この時房のセリフを読む限り、頼家は果たして罪人だったのかとも思われます。確かに反抗し、暴走した人物ではありますが、それとはまた違うのではないでしょうか。政子が善哉に憐憫の情をかけたくなるのも、わからなくはありません。先日の分にも似たような記述がありましたが、武者さんは政子にも暴走してほしいのでしょうか。どうもそう感じられてしまうのですが。
8.家族間で本気の殺し合いを想定しているんだとしたら、そりゃあ、のえだって辛気臭いと思うでしょうよ。
八重や比奈のように、腹を割って愛し合うことができなくなっているのは、誰のせいなのか。
もはや義時の人生そのものが地獄のようで、おそろしいことになってきました。
義時も3人目の妻であり、それこそまだ若い頃、八重に対して心を開いたようにはもう行かなくなっています。それと本気の殺し合いなど、この時点で義時は想定しているでしょうか。権力を握ること(そうしないと鎌倉がうまく行かない)には執着しているでしょうし、ならば義盛、ひいては実朝を牽制したがるのも無理からぬ話です。
9.義時がお手本にしたロールモデルは推察できます。
曹操です。
『三国志』でおなじみの曹操であり、「乱世の奸雄」とも称されますね。
曹操は自分の悪名くらい気づいています。
ここでまた漢籍。武者さんがどう思おうがいいのですが、それ以前にこのドラマに関してもっと書くことがあるのではないでしょうか。
10.今流行しているからBLを入れたとか、そう宣伝していた『西郷どん』とは比較にもならない。単純なものではない。東洋的な美学もあれば、多様性への配慮もあります。
『西郷どん』の中園ミホさんは、BLに言及してはいますが、「今流行しているから」と言ったでしょうか。制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」
https://www.oricon.co.jp/news/2080906/full/
「色々な愛がある」と言い、最後に「ボーイズラブまで(笑)」とあるのを見ると、半ばジョークとも言えそうです。実は私も最初は半信半疑で、始まるまでどうなるかと心配で批判もしましたが、案ずるより何とやらで結局好きな大河となりましたね。どちらかと言えば吉之助と正助(一蔵)はバディ的ではありましたが。
あとBLは『八重の桜』でも言われていましたね。それと『鎌倉殿』の「多様性への配慮」て具体的にどういう部分でしょうか。
11.往年の名作大河といわれるものでも、いま見返すとヒロインの味噌汁パワーだの、胡散臭い描写が目につきます。
そうならないためにも、ジェンダーにおいて進歩が必要なのです。
以前も『利家とまつ』の味噌汁がどうこうと言って来て、また引っ張って来ていますね。確かに味噌汁が解決手段とも言えましたが、ならば私も言わせていただきたい。こちらは朝ドラですが、経営が行き詰まった飲食店を経営していたヒロインの前に、見知らぬ人物が豚肉を持って現れ、それが解決手段になった作品がありました。あれは「ヒロインの豚肉パワー」と言うべきでしょうか。しかもあの時、ヒロインは自分で肉を探すこともなく、たまたま来た人物に貰ったのでしたね。
それとまつの味噌汁とジェンダーとどういう関係があるのでしょうね。武者さんは気に入らないと何でもジェンダーを乱発したがるように見えます。
12.三谷さんならば、都合がつく限り何度でも大河を手がけて欲しい――私はそう思います。
個人的に、三谷さんはこれで一区切りでいいかと思います。ご自身でも「これが集大成」と語っていたわけですし、ちょっと矛盾するシーンもありますし、そしてやはりこれは、三谷さんのファンに向けられたと思われる部分が大きいです。その意味で、映画もしくは舞台的かなと思います。
あと他にも『青天を衝け』批判だのゲースロだのが総評に出て来ますが、いつもと同じようなことですので省きます。
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