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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


まず、相手が甲冑を着ていても刀を使うシーンについて。この場合甲冑で隠れていない部分を狙っています。

第42回の伏見城の戦いの千代。相手の顔から首を刀で狙っています。

どうする家康伏見城の戦い千代

そして第48回の大坂夏の陣の明石全登。向かって左側に刀の柄が見えます。刀を右手で持って相手の脚を狙っています。

どうする家康大坂の陣明石全登


大坂城が燃えています。
一体どういう世界観なのか、炎が都合よく燃え、熱も感じさせないようだ。
豊臣秀頼はカッコつけて自害。
今まで見てきた切腹シーンの中でも、これほど“お芝居”に見えるものはなかった。刀を刺した瞬間の「ぶしゃ!」というサウンドエフェクトがあまりにも安っぽい。

また「カッコつけ」
実際批判と言うのは難しいもので、武者さんの場合は単なる否定か悪口にしかなっていないことが多いのですが、ここも「カッコつけ」と言っておけば、何となく印象がよくないだろう、そのように思っている感もあります。そしてSEですが、切腹とか人を斬った時は皆ああではないでしょうか。

そして炎のシーン。昭和の頃ならいざ知らず、実際にセットを燃やすわけにいは行かないのですが(肝心の俳優さんの演技にも影響しますし)。それを言うなら、『麒麟がくる』のこれ、松永久秀の自刃もそうではないでしょうか。この場合もあまり熱いと、吉田鋼太郎さんの演技に支障が出たでしょう。

麒麟がくる久秀の自刃


ここで近づく茶々も意味がわかりません。
最愛の我が子の介錯を邪魔して、彼女も十分鬼です。血を浴びて変な顔をする様子が、しみじみとくだらない。

「しみじみとくだらない」
これもよく出て来ますね。どうくだらないのかはまるで書かれませんが。

そして
「わが首を持って、生きてくだされ」
と秀頼が言ったからこそ、介錯までに「間」ができたわけですね。治長も主君である以上、どのタイミングで刀を振り下ろすか迷ったかと思います。

そして一斉の切腹タイム!
酷いサウンドエフェクトと斬首三昧。
わけのわからんセリフを吐く大野治長。

「切腹タイム!」
実に楽しそうですね。嫌いな大河の登場人物が死ぬのがそんなに愉快ですか。人が死ぬことを何だと思っているのでしょうね。そしてこれ斬首でなく介錯ではないのですか、相手の首級を取るわけでもないし。
「わけのわからんセリフ」
武者さんがちゃんと観ていないから、
「徳川は汚名を残し、豊臣は人々の心に生き続ける!」
この意味がわからないし、また前に既に出て来たセリフであることもわかっていないのかと。

本作脚本家のモットーは「歴史なんて、どうせ史実かわからない」ですから、自己流アレンジが蔓延する。はっきり言うと、アレンジしない方が秀逸だから、批判が起こるのではないでしょうか。

自己流かどうかはともかく、アレンジはどの脚本家さんもやっていることです。
あと古沢氏は歴史は勝者の記録とは言っていますが、史実かどうかわからないとは言っていません。

茶々はなかなか死にません。
『西郷どん』のラストで、無駄にタイトルロールのヒットポイントが高かった演出を思い出します。

『西郷どん』のラストですが、
西南戦争で隆盛が撃たれる→ツンとゴジャが戻ってくる→糸が子供たちに夫のことを話して聞かせる→西郷星→大久保利通暗殺と来て、若い頃の「オイは大久保正助を忘れた」のセリフ→再び西南戦争での西郷が、「もうここいらでよか」と言い、絶命する
となっていて、隆盛死去のシーンは当然後で加えられたものです。当然ですが、大久保利通暗殺まであのまま生きていたわけではありません。途中に西郷星の話が出て来るから、もうこの人は伝説になったのだなということくらいわかりますよね。

茶々が不貞腐れたように吐く台詞も酷い。
「日ノ本はつまらぬ国になる! 人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み嘲る」
とかなんとか、このドラマの何が嫌かって、脚本家が、批判者に対してあてつけるようなセリフを入れることですね。

ふむ。武者さん、やはり心当たりというか引っかかるものがあるということでしょうか。
やましくなかったら、こんなこと書きませんからね。

劇中のセリフに乗せて「なんでこんなにがんばった私を叩くの!」と愚痴るようなことを言う。
まずは、長すぎるから端的にまとめてください。これだけ炎が燃え盛っている中で延々と喋れないでしょ? 煙で喉をやられる可能性もありそうですし、酸欠にもなりそうだ。

頑張った私を叩くのではなく(誰も叩いてませんし)、家康とは違った「戦無き世」のひとつの捉え方と見るべきでしょう。
そしてあのセリフは、あのすべてを言ってこそ茶々の人となりが窺えるものです。煙で咽喉をやられようが、酸欠になろうが、死にゆく身としてはもうよかったのではないでしょうか。

それにしても少し前で「炎が都合よく燃え、熱も感じさせないようだ」などとあるのに、若干書いていることが違って来ていませんか?
あと『端的にまとめる』より『端的に述べる』の方がいいような気も。

BGMはくだらないストリングス。
家康が手を合わせる……いや、もう、しつこいって!

そのストリングスが途切れて鈴の音に替わります。茶々の絶命ですね。
そして家康は先ほどから手を合わせています。何度も何度もやっているわけではありません。
それを言うなら、武者さんの「マザーセナ」の方がよほどしつこいです。

それにしても、無駄に長い茶々の台詞はなんだったのでしょう。
ネットのエコーチェンバー現象と重ね、海禁政策といった家光時代以降の政策まで批判しているように見受けられました。

茶々が家光の解禁政策など知る由もありません。家康の戦無き世を批判していると見るべきでしょう。彼女も秀頼も、乱世の夢を見ることを望んでいましたが、ただその乱世は茶々自身の両親や兄をも殺しており、その意味で皮肉なものでもあったわけです。

NHKスペシャルでは海禁政策強化前、家康はむしろ海外交易を推進していたとする「家康の世界地図」を放送しました。
番宣というよりも、大河で汚染された知識のリカバリ対策に思えます。NHKスペシャル内ドラマの家康描写は真っ当でした。この路線で一年描くだけで十分でしたね。

「大河で汚染された」また武者さんの悪い癖が出てますね、嫌いなものは汚物扱い。
そして大河の中でも、家康は海外との交流を断ち切るなどという描写はないし、ウィリアム・アダムスも出て来ますし、大砲や時計や「ぺんすう」ももちろんありますし、寧ろ大河の家康をより詳しく解説したように見えます。

それに最終回の後だからもう番宣ではないかと。

『青天を衝け』でも、オープニングでしばしば家康が、自分の世代以降の政策を自分のもののように語っていました。劇中では徳川慶喜も、徳川家茂やその他別人の功績を掠め取っていました。

それはどのようなシーンなのか、具体的に書いて貰えますか。でないと武者さんの勝手な妄想でしかないと思います。

日本史ではありませんが、例えば本年ベストセラーの一冊などいかがでしょう。
小野寺拓也先生と田野大輔先生による『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(→amazon)です。
なぜ、この一冊なのか?
(中略)
大河ドラマで使用されるとNHKの影響力の大きさから社会悪化のリスクがありますので、ぜひとも酔いから醒めて欲しい。

特定の人物の著書を勧めていますが、これが宣伝活動もしくはPRならちゃんとその旨を書いてください。でないと違法行為の可能性があります。

それと酔いから醒める醒めないはその人の自由だと思います。

そしてここであの酷いナレーションが神の君を褒める
「かくして戦なき安寧の世が訪れました」と富士山と江戸の町のようなアニメーションが流れます。

「富士山と江戸の町のようなアニメーション」完結編のOPの最後の方は第44回以外すべてこれですが?
OPもちゃんと観ていないようですね。

肝心のアニメにしても、その安っぽさときたら、無料で入手できる画像素材から引っ張ってきたような色合いで、精巧さのカケラも感じられません。
日本画の技法や効果なども意識されてないのでしょう。歴史や伝統に敬意を払わない様子が伝わってきて嘆かわしいばかりです。

アニメや日本画的手法は、使われない部分と使うべき部分が分かれていると思います。千姫の猫の絵などはちゃんと日本画的手法を用いていました。

タイトルバックが最終形に!
(『どうする家康』公式サイト)

そして畝(うね)る波のような時代の変遷の先に民や町が見えてくる。それら全てをじっと見ている富士の山。その後200年以上も戦のない太平が続くのを歓迎するように桜が舞う。

が、コンセプトのようです。
それに武者さん、この菱川氏は『八重の桜』のタイトルバックも手掛けている方なのですけど。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

蔭口とか悪口はどの大河でも普通に出て来ます。
嫌いな大河の場合、武者さんが意識してそういうのを探しているから、多く感じられるのではありませんか。そして茶店の老婆、またかなり長生きですが、ああいうのもオリキャラゆえのひとつの形でしょうね。

光秀が討たれた後、レーシックお愛がいやらしい顔をして、光秀の容姿を揶揄していました。登場人物の根性が悪く見えて仕方ない。真っ当な人格者っていました?

光秀の容姿ですが、於愛が揶揄するシーンありましたか?秀吉が「今までで一番ええ顔だわ」と、皮肉とも取れる言葉をぶつけてはいましたが。
そして
「真っ当な人格者がいない」
のではなく、武者さんにしてみれば
「皆が嫌な人物に見えて仕方ない」
のでしょうね。

何よりも、「レーシックお愛」などと自分で勝手に登場人物を揶揄するようなことをしておいて、光秀の容姿を揶揄するなと言うのもどうかと思います。

そして「もう麒麟には近寄らないでください」とかで

小栗旬さんの南光坊天海が出てきました。
無駄使いとはまさにこのこと。
それは小栗旬さん自身も感じていたようで、こちらのインタビュー(→link)に滲み出ています。
以下の部分です。
「ただ実を言うと、天海がこの時代にはかなりの高齢だということを、僕がいまいちわかってなくて。
かつらやメークを合わせていくうちに「果たしてこれは、私であるべき役なんだろか?」っていうクエスチョンが浮かんだまま、撮影当日にたどり着きました(笑)」
(笑)で誤魔化していますけど、要は、これ「俺でなきゃダメなの?誰でもよくない?」と思っていた証であり、よくぞ公式サイトに掲載したなぁ、と思います。

武者さんが無駄遣い無駄遣いと強調したいだけなのでしょうか。
それ以外の部分には
「最後の最後でオファーをいただいて出演できるのはうれしい」
「戦国時代に、また全然違うキャラクターで出させてもらったのは感慨深い」
さらに『源氏物語』と『吾妻鏡』について、
「大河と大河の橋渡しと言いますか、何かしらつなげる役割も果たせたのかなと思っている」
とありますが。

南光坊天海
(『どうする家康』公式サイト)

最後の最後で話題作りのためだけに小栗さんを登場させるなんて失礼極まりない話であり、今年の制作陣には真っ当に作品を仕上げる矜持がないのかと問いたくもなる。
そもそも本作は小栗さんを引っ張り出して良かったのですかね。
家康と比較すると加齢演技の差があまりに開きすぎで……。

その「話題作り」の裏付けはありますか?
なぜ今年の制作陣には、真っ当に作品を仕上げる矜持がないのかと問いたくもなるのですか?
加齢演技の差にどういう開きがあるのか、ちゃんと書いてください、でないとこれも武者さんの勝手な妄想でしかありません。

そもそも大河レビューをちゃんと書こうという矜持が貴方にあるのですか?
そういう人から矜持矜持と言ってほしくないのですけど。

そして
「長谷川博己さんが泥舟に乗らずに済んだだけでよしとすべきかもしれません」
そう言えば長谷川さんは再放送中の、それも武者さんが嫌いな『まんぷく』に出演していますね。

あと「もう麒麟には近寄らないでください」などと言っても、それは武者さんが特別視しているだけの話です。これとて大河の一作品であり、他の作品同様好きでない人もいるでしょうし、出演者が他の大河に出ることもあるし、他の戦国大河と様々な形で比較されることもまたあります。

しかし特別視する一方で叩き棒に使ったりしているのですね。
本当に好きな人がやることではないなと思いますが。


飲み物-エールと暖炉の火
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[ 2023/12/21 21:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第46回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。また文春関連情報だのミソジニーだの、正直言って大河そのものと直接関係なさそうな記述もあるのでかなり端折ります。


NHKの情報流出事件と、アンチフェミニズムやミソジニーを結び付ける、如何にも武者さん好みの話題から大河周辺へと持って行きたいようです。ご本人は大河周辺にミソジニーが漂うと書いていますが、とどのつまり、自分の好きな女性主人公大河や女性キャラを叩くなというものです。

私は、かなり前から大河周辺に漂うミソジニーが気になっていました。
女性主人公。女性脚本家。こうした要素が揃う大河ドラマのアンチ活動は、熾烈さを増します。
確かに『江』や『花燃ゆ』は駄作であり、作品自体を擁護しようがないのは仕方ないと思います。
ただ、男性主人公あるいは男性脚本家でもここまで叩かれただろうか?という疑念もあります。

とまずあり、

『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシングは過剰にも思えました。
『麒麟がくる』の駒叩きも、典型的なミソジニーだと思えました。
ちゃん付けで呼んだり、彼女の医学知識を無視したり、はたまた将軍義昭の愛人だと誤認した上で広めたり。
現実世界で女性政治家や研究者が浴びせられるものに近い悪口がSNSで撒き散らされ、ネットニュースにまで発展する様は危惧を覚えるものでした。

となっています。
要は女性主人公や女性脚本家は叩かれる、自分が嫌いな作品は駄作だから仕方ない、でも自分の嫌いな作品を叩くのは許せないといういつもの論調ですね。別にこれ、女性脚本家とは関係ないかと思います。
まずどんな作品にも賛否両論はあります。好きな作品を叩くのはけしからん、嫌いな作品は駄作だからという線引きをする前に、もう少し本質的な部分からの見方をしてはどうでしょうか。

たとえば『花燃ゆ』の場合は、これは女性というより複数の脚本家体制、そして主人公の生き方の変化に伴って脚本家を変えたことなどが、ドラマとしての一貫性を欠いた印象があると思います。当初の主人公の設定は、後の方では大分変わっていました。
そして
『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシング
については、具体的にどう叩かれたのかが書かれていないため、何とも言いようがありません。
さらに女性主人公、女性脚本家では『功名が辻』や『篤姫』もあるのですが、これらの作品については何も触れられていません。

あと武者さんが特にこだわる『麒麟がくる』の駒の描写。私は以前書いたことがありますが、将軍家にも様々な女性がいるし、彼女たちとの確執があってあの地位を築いたのであれば、それはそれで納得できます。実際将軍義昭には側室もいたでしょうから。しかしどうもそのようには見えないのです。

まして医学知識云々とあります。将軍義昭の侍医であると、以前武者さんは書いたこともあります。しかしやはり将軍家の侍医ともなれば法印などの称号を持つ人物であり、こう言っては何ですが、東庵の弟子であったとはいえ、彼女がそういう人物と互角に振舞うのはかなり難しかったと思われます。要は武者さんは駒を、フェミニズムの象徴的存在として理想化したいのでしょう。

しかし大河の視聴者の見方は様々であり、彼女の描かれ方に疑問を持つ人もいるわけで、そういう見方を自分の見方だけで断罪してしまえるものでしょうか。

そしてまたファンダム関連。そんなにファンダムの一部意見が嫌なら、ミュートするなり何なりして見なければいいだけの話です。

そして大河ドラマファンダムに充溢しているミソジニーは危ういと思ったものです。
華流ドラマはじめ海外ドラマ界隈は、そういう傾向はここまで極端ではありません。
アンチフェミニズム関連の炎上事件は多く、いつか大河も大々的に巻き込まれるのではないか?と懸念しています。
そんな懸念は当たってもらわなくて結構。来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが……。

「来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが」
もっと言えば、来年とか再来年は褒めると決めたら、今年は叩いたようなことでもスルーする、あるいは許容するのではないかと思われます。実際その可能性は高いのではないでしょうか。今までそういう例をいくつか見て来たので、悪いけどそう疑わざるを得ません。

そして
「大河ドラマのネットリテラシーは大丈夫なのでしょうか?
『青天を衝け』の公式SNSもなんだか危なっかしい投稿ぶりだと思っておりました」
結局「危なっかしい」と思うのは嫌いな大河限定なのですね。

SNSを活用しなければ理解できないというドラマ作りは、本来は禁じ手でしょう。

今は公式のみならず、出演者もSNSを利用しており、それから生まれる情報もあります。今回囲碁指導の田尻悠人氏も自身の投稿で、ドラマの中の囲碁シーンを解説していますので投稿をお借りしています。こういうのはSNSあってこそのものであり、視聴者の理解が深まるという意味ではプラス要因でしょう。

https://twitter.com/tajiriyuto/status/1731833381975982539

どうする家康囲碁シーン

そしてネットリテラシーがどうこうとありますが、武者さんの場合、要はファンダムが嫌いだというのが主な理由のようですから、先日も書きましたが、それは自分自身で身を処するべきです。自分はネット上の意見が嫌いだから、NHKはどうにかしろと言うように取れますが、それはちょっと乱暴ではないでしょうか。

そして

裏話が暴露されるような投稿が放置されれば、情報漏洩につながりかねません。
作り手が無知でインプット不足なのに、新説をつまみ食いして「最新研究を取り入れました」とマウントをとる。そして批判する連中をコケにする。

まず裏話云々、あくまでも推測ですが、小手伸也さんのアドリブ関連投稿を指しているように取れます。脚本がダメだからアドリブが入るのだと武者さんは思っていたのでしょうが、小手さん自身の説明により、それが否定されました。
そして2番目、平山優氏の「森乱」説に関してですね。実際一次史料では森乱とか乱法師などとしかないらしいのですが、武者さんが森蘭丸だと主張して論破された件です。それがよほど気に入らないのでしょう。
だからと言って、ここで不満をぶつけるのはお門違いではないかと思います。

そろそろ『どうする家康』の総括に取り掛かる時期かもしれません。

大坂の陣がまだ終わっていません。
そして総括すると言っても、武者さんがこの大河をきちんと観たようには、残念ながらとても思えないのです。ひたすらネガティブに突っ込んで、好きな作品を叩き棒にするのみならず、登場人物の所作を自己流解釈しておかしいと言い、所作指導がなっていないと叩いた、そういうイメージしかないのです、実際のところ。
たとえばこういうのも、よく観ていればブレていないのはわかるのですけどね。

「慈愛の国」だの「王道」だのなんだの言っていたと思ったら、「地獄を背負う」だのなんだの極端にブレる。

まず慈愛の国と言うより戦無き世でしょう。それと王道の政とを実現するためには地獄を背負わなければならない、世を平らかにするためには、平らかにするための戦をしなければならないということなのですが。
まあ叩くためには手段を選ばずが今年の武者さんの流儀なのでしょう。

来年こそは大河ドラマを楽しみたい、真っ当な歴史作品を見たい――本記事をここまでお読みいただけた方は、そんな悲痛な思いでいるかもしれません。

お言葉ですが、今年のを楽しんでいますので、悲痛な思いにはなっていません。来年に関しては何とも言えませんが、面白く観られたらいいなとは思っています。

ただし、いくらドラマが楽しくても、SNSなどに目を向ければ、ご自身と対立する意見もありましょう。そこでどうすべきか?
無理に理解しようとしない。
妥協しない。
差別はゆるさない。
相手のペースや屁理屈に乗らない。
数に頼りすぎない。
反論するなら、データ理詰めで。
要するに、相手が喧嘩をふっかけてきたときのみ策なり兵法なりは用いられるべきであり、そうでないなら避けるに越したことはありません。

武者さんこう書いていますが、今まで武者さん自身はどうだったのでしょうか。
「差別はゆるさない」などとありますが、武者さんは今年の大河で、一部の登場人物に対して、散々外見で判断するようなことを書いています。それから「データ理詰めで」も、このコラムを見る限り、およそデータや史料を基にするというより、自己判断のみですべてを見ているかのような記述が見られるのですが。
あと杜甫の「前出塞九首其六」が引用されていますが、ここでは省きます。

来年の大河ドラマで、ハッシュタグ荒らしなどが起きなければよいですが、結局は個々人で上手に楽しむしかないということですね。

何度も言いますが、ファンダムからもう身を引く方がいいのではと思われます。ファンダムが必ずしも武者さんの思い通りになるわけではありません。ただ、好きな大河なら黙認するのではないかと思いますが。

さすがに今年のような状況はもう起きないのでは?とは思います……。

今年は、本当にひどいです…武者さんの大河叩きが。

そしてまたメールフォームのリンクが貼られています。今後このコラムが続くのなら、ずっとこの路線で行くのでしょうか。


飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2023/12/09 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第46回関連の『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。
本題に行く前に、この第46回で登場した家康の「日課念仏」。あの「南無阿弥陀仏」を書き綴って行くシーンに関して、こういう記事がありました。

NHK大河「どうする家康」家康(松本潤)の日課念仏にネット悲痛「もしかしてこれが殿の救い…」
(サンスポ)

これ、『葵 徳川三代』にも確かありましたね。


『どうする家康』は、結果的にWebメディアの問題点や信頼性も下落させることに繋がるのではありませんか?
ノベライズ担当者が毎週露骨に持ち上げている。
ジャニーズと関係の深いスポーツ新聞系メディアの提灯記事も激しい。

武者さんが嫌いだからそのように思うだけで、メディアの扱いは例年の大河とそう変わらないかと思います。そして
「ノベライズ担当者が毎週露骨に持ち上げている」
木俣冬氏のことでしょうが、確たる証拠がありますか?自分の判断だけであれこれ言わない方がいいと思いますが。

そして「ランキング系記事の信頼性低下」とかで、
◆NHK大河ドラマの歴代「徳川家康」、ハマり役だった俳優ランキング! 2位「津川雅彦」、1位は?(→link)

これも組織票が使えるランキングは当てにならないなどとありますが、ではこの手のランキング、武者さんが好きな大河であっても組織票頼みということになりますね。
そして
「『どうする家康』は視聴率が低迷している。関連書籍も少ない。NHKの番宣は激しいものの、民放は追随しようとしない」

視聴率低迷-あまり何度も言いたくありませんが、武者さんが好きな『パリピ孔明』も『大奥』も視聴率は高くありません。
関連書籍が少ない-ガイドブックと一緒のコーナーの本は、そこそこ冊数も種類もあります。
NHKの番宣は激しいものの、民放は追随しようとしない-民放のバラエティでも家康とか戦国とかかなりありますし、『どうする家康』のテーマを流した番組もありましたが?

同様の現象は『青天を衝け』でもありました。
特定俳優のファンダムが熱いだけで、歴史好きはそこまで反応していないことが、データから浮かんできます。
そういう役者のファンは歴史に興味はない。

では『青天を衝け』でどのような現象があったのか、ここで再度ちゃんと書いてください。

そもそも、こういうランキング記事で強引に『どうする家康』を捩じ込まれるところがかえって胡散臭い。
百戦百勝は善の善なる者に非ず。視聴率ワースト2位なのにランキングで上位に入り込むのは、組織票ありきと自白しているようなものでは?

今年の大河だからこれはありうると思います。こう書かないと武者さんは気がすまないのかと思いますが。
第一そんなにいやなら、こういうランキング見なければいいのに、こういうのは『どうする家康』とか大河歴代家康に興味がある人が見て楽しむものでしょう。

「百戦百勝は善の善なる者に非ず」
毎回戦って勝っても、損害が出るようでは得策ではない。戦わずして勝つことも大事。
これとそれとどういう関係が?

先憂後楽:来年以降の嵐もとい荒らしに備えておこう

この諺ですが
「支配者が民より先に国家のことを心配し、民よりも遅れて楽しむ」ですね。
先に苦労を経験しておくと、後で楽ができるという意味もあります。

そしてこの後ですが、
「一部の熱狂に頼った結果、今後、最悪のケースになることもありえます」
として、前作の熱狂的なファンが、次作を貶める。あるいは粘着質のアンチが、次作を白々しいまでに褒めちぎるなどとあります。

大河ドラマの場合は『平清盛』、『八重の桜』、『いだてん』と『麒麟がくる』でそんな現象を見かけました。
2012年から2013年、2019年から2020年の大河ファンダムは序盤で荒れました。第一話の時点でアンチがつき、SNS投稿を繰り返していたものです。
そうした過去を踏まえると、来年の序盤も相当たちの悪いアンチが生まれるかもしれません。

清盛といだてんのファンはたちの悪いアンチと決めつけている感がありますね。そして「どう康」ファンもたちが悪いと言わんばかりの書き方です。

これ何度も言いますが、大河コラムですよね。なぜ大河コラムでネット上のファンダムの話などを長々とするのでしょう。特に朝ドラなら、noteの方でやればいいだけの話です。その朝ドラ関連では、

朝ドラ発の「反省会」もおなじみ。はなから反省会ありきで来年は荒れるでしょう。
そこから距離を置くことも大事ですね。

「距離を置くことも大事ですね」
大事ですねも何も、これは自分には向かないと思ったら身を引くのが一番賢明かと思います。その割に武者さんは、ハッシュタグがどうのこうのと散々書いていたことがありますね。無理してファンダムをのぞくこともないと思います。さらにこういう場合はファンダムが悪いと騒ぐのではなく、自分でベストな方法を模索して身を処するようにしてください。

あと

“推し活”はよいことなのだろうか?
推し活が今、当然のことのようになっています。
誰しも推しはあってよいですし、そもそも本人の自由です。とはいえ、行き過ぎは警戒した方がよいのでは?

では「行き過ぎ」の基準は何であるのか、それをちゃんと書いてください。第一、ひとの趣味に首をやたらに突っ込むべきではないと思います。さらにその次に
「金を落とすことが推し活ならば、資本主義に利用されているとも思えます」
などとあり、いきなり何なんだろうなと思います。お金を落とすことが社会にお金を回しているとも言えますが。

ジャニーズ、歌舞伎、宝塚と、今年は「推し活無罪」とは言い切れぬ出来事が次から次へと起こりました。
よりにもよってその推し活ブームに、なぜ大河ドラマまで巻き込まれてしまったのか。虚しくなってきます。
推し活は、一歩間違えれば大変なことになります。

ちょっと強引に推し活と絡めているようにも見えます。
特に大河の場合、色々な俳優さんが出ているわけで、推しだから観たいという人もいるし、そういう人に対して、上から目線(のように見えてしまいます)でとやかく言うべきではないと思いますね。
それと所属事務所のトラブルと、個々の所属タレントは分けて考えるべきだと思います。

道は一つだけでなく、例えば諸葛亮の推し活ならば、『出師表』を読むとか、書写したって良いはず。
歴史ファンは元来そういうものだった気もします。

芸能人のファンの話をしていて、なぜ急に諸葛亮の話になるのですか。

学ぶにあらざれば以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし。諸葛亮『誡子書』
学ぶことで才能は開かれるのです。その志がなければ、学問が完成することはありません。

これですが、
「『学ばなければ』才能は開かれず、志がなければ学問が成就することはない」
ではないかとも思いますが。

脚本家のインタビューがどっと出てきました。
◆NHK大河「どうする家康」脚本・古沢良太氏「大きな挑戦でしたが、よやりきったなと」(→link)
大きな挑戦だのなんだの、キレイな言葉で飾られているものの、この方は「武士が何か?」ということすらじっくり思考されなかったのだな、と感じます。
先日、このドラマの過ちにあらためて気づきました。
ワンパターンでしつこい「覇道と王道」論争です。

この「覇道と王道」がしつこいですか?
毎回のように出てきたらしつこく感じるかも知れませんが、要所要所で出て来ているだけかと思います。

このドラマを見ていると、家康は王道を掲げた「王者」になるように思えます。そう誘導していますよね。
しかし、彼はどう考えても「覇者」です。
それが武士では?
武力で敵を制圧しておきながら、どうして「覇者」でないのか。
征夷大将軍とは、夷を征する将軍という意味です。天皇という徳で世を治める王者から、覇者としての位を授かっているという名目です。

この場合王道というのは、今川義元が言う「戦乱の世を終わらせ、徳をもって世を治める」ということです。
覇者としての位というのがちょっと曖昧ですが、家康はこの義元の薫陶を受け、戦無き世を作って王道の政を行うという意味に取るべきではないでしょうか。あとこの時代、帝は直接政にはかかわらず、臣である武士がそれを行うシステムでしたから、将軍が仁政を敷くという形になります。

でその後
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』、さらには『大奥』の例が挙げられています。いずれも武士は覇者で、王者は天皇(帝)であるというものです。
とありますが、義元は王者とは言っていないはずです。
あくまでも覇道、義元が言う、信長などが行おうとする武力による統治の対立概念としてとらえるべきでしょう。

このように、まっとうなドラマと日本史の認識では、武士は「覇道」を歩むものであり、その頂点である征夷大将軍は「覇者」となります。
「王道」と「覇道」の対比は、中国ならば通じる話ではありませんか?

「まっとうな」というか、武者さんが好きなドラマですね。そして中華帝国と日本は事情が異なります。
武士であっても徳をもって行う政治、仁政というのはありましたし、江戸時代は朱子学の影響もあってそれが広まったと言っていいでしょう。
武者さんが好きな会津の藩主でもあった、保科正之の政がひとつの代表例なので、刀剣ワールド様のサイトを置いておきます。

保科正之 
(刀剣ワールド)

「王道」「覇道」の話って、『鎌倉殿の13人』が渡したバトンを落とすことでもありました。
あの作品の最終回では、家康が『吾妻鏡』を読んでいます。
源頼朝の「覇業」を前例として東国武家政権を作る狙いをふまえれば、秀逸な展開。
それなのに本作はせっかくのパスを活かせない。

「バトンを落とすこと」
なぜそういう解釈になるのでしょうか。
そして江戸幕府は全国を網羅する政権であり、「東国武家政権」ではないはずですが。あと『吾妻鑑』は家康の愛読書とされており、こちらでは『新刊吾妻鏡』の刊行が紹介されています。

家康の出版事業
(国立公文書館)

そして『貞観政要』です。
英雄タイプということならば、「守成」と「創業」という『貞観政要』に出てくる分類もできた。
『貞観政要』は『鎌倉殿の13人』でも言及されていますし、今週出てきた林羅山の師匠である藤原惺窩だって、家康相手に講義しています。

この間同じようなことを書いていましたが、その時藤原惺窩には触れていませんでしたね。
ちなみにこうありました。

この年齢になって、ドスのきいた声で、見下ろすように王道と覇道の話をする。
これしか漢籍教養が身についていないって、絶望しかありません。林羅山を出して『貞観政要』すらやりませんからね。
なぜ林羅山を出したのか……理解に苦しみます。

そんな重要なこともこのドラマは活かせない。

何度も言うようですが、やはりドラマをちゃんと観ていないようですね。羅山が呼ばれたのは方広寺梵鐘の銘文関連です。なのに
「そんな重要なこともこのドラマは活かせない」
などと言ってほしくないものです。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2023/12/08 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第46回に関連する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


急に思い出したように「乱世を泳ぐは愉快なものよ!」と言葉にする真田信繁。
凄まじいまでの棒読みで、こちらも悲しくなるばかりです。
このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ。
妙手を繰り出す計略のうまみを理解していない。『パリピ孔明』はこの点、実にワクワクしたものです。

まず「言葉にする」ではなく「口にする」かと。
そして観ていたらわかりますが、あの時信繁はそう言ってはいません。口を動かしていませんし。父昌幸の言葉に呼応するかのように、彼の声で再生されていますが、本人が心の中であの言葉を反芻していると思われます。
そして「悲しくなるばかりです」頭痛だ脳が溶けるだもそうですが、如何にも自分は被害者です的な表現があまりにも多くて、こちらが気が滅入ります。

「このドラマの連中は、合戦シーンの面白さが「敵を倒す」「敵を殺す」ことくらいにしか見出せていないようだ」
もっと言えば「兵が死ぬ」です。
戦とはそういうもの、空しいものというのがこの大河の特徴となっているのは、これは先日も書きました。

そして
「このドラマの連中」
「連中」呼ばわりはないでしょうね。嫌いな作品は侮蔑したがる武者さんらしいとは思いますが。

ピアノがうるさい!
今週も音楽が辛い。
自己主張たっぷりに、ニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、カフェ調のピアノを流して何がしたいのでしょう。

パラグラフの内容がたった3行。
音楽がどうのこうの言うのなら、他のパラグラフとまとめてください。でなければ、どのように改善すべきかをせめて7~8行程度で書くべきでしょう。
こんなちまちましたパラグラフ作って、一体何のつもりなのかと思ってしまいます。

そして「どうする火器考証」なる小見出しで

本作は火縄銃の連射あたりから火器の描写に何も期待できなくなっていました。
今回も当たった途端即死していますが、陣笠に当たったような状況で即死というのは理解できません。

もちろん火縄銃の連射など登場していません。
誰かが装填してそれを渡している、あるいは弾込めができた者から順番に撃っているかのどちらかです。
何を観ているのでしょうね。こういうのを見ると、実際にはないにもかかわらず「火縄銃の連射」を既成事実にしたくてたまらない、そういう心理が見えて来ます。

そして「当たった途端即死」かどうかはわかりません。
意識障害の可能性もあるかと思います。
この場合は銃弾が陣笠に当たっており、直接頭部に当たったというわけではありませんが、兜より防御性は低いかと思います。こういう研究報告がありますのでご参考までに。
(但し脳や血種の画像があるので閲覧の際はご注意ください)

シンポジウムⅢ:頭部外傷をめぐる最近の話題 頭部外傷の神経病理(2015年)

解剖学的に,頭蓋骨が損傷することで脳脊髄液が漏出する場合は穿通性,そうでない場合は非穿通性として分類されることが多い。穿通性の原因としては,銃弾などの何らかの物体によって,直接頭蓋が損傷をうける場合であるが,非穿通性では,頭部に対する急な加速,減速,あるいは回転によって頭蓋骨内面と脳との接触などにより脳に損傷をきたすもので,一部のスポーツとの関連も着目されている。損傷部位から分類する場合は,限局性と広汎性とに大きく分けることもできる。前者は,その損傷部位に対応した高次脳機能障害やけいれんを生じる。後者は,軽度の脳震盪,古典的脳震盪,びまん性脳損傷,びまん性軸索障害などを含む。

そう言えば武者さん前にも、倒れているだけなのに死体呼ばわりしていたことがありました。

ちなみにラグビーも脳震盪が多いです。脳震盪チェックによる一時退場がありますからね。

大筒の重量感がまるで出ていない。
大筒の反動は相当で、扱いを間違えたら重傷を負いかねない。そういう感覚がありません。
射程距離も異常に見える。砲弾が炸裂しているのもおかしい。装填も異常な速度だ。

何か新しいのが出て来ると、ひとつひとつ文句をつけているように見えますが…(苦笑)。
それはさておき、大筒の反動ですが、この場合砲撃するたびに後退している様子が窺えます。そして射程距離(射程だけでもいいかとは思いますが)がなぜ「異常」なのでしょうか。カルバリン砲の射程は、14キロの砲弾を6.3キロ飛ばすことができたというのが通説になっています。

それとドラマの中では「炸裂」はしていません。城の一部が飛ばされたりしているのがそう見えたのでしょうか。そして装填の速度が「異常」なのは何を根拠にしているのでしょうか?

大坂の陣。大筒使用に込められた家康の深謀遠慮に思いを馳せる。そして密かに言及された五徳の消息が胸に迫ってくる【どうする家康 満喫リポート】46
(serai.jp)

劇中の描写でも明らかなように、当時の砲弾は、着弾した際に炸裂するわけではないのですが、心理的な効果は抜群だったのではないでしょうか。

2013年『八重の桜』は火器考証が抜群によいものでした。
フィクションゆえの誇張があるとはいえ、幕末銃器は実に見応えがあり、鶴ヶ城砲撃の場面はNHKの他の歴史番組でもよく使い回されていました。
しかし、『花燃ゆ』『西郷どん』『青天を衝け』などのお粗末戦闘シーンはそうはなりません。その場しのぎで適当な仕事をすると、何も残せないのです。

では『八重の桜』の火器に関するシーンと、『花燃ゆ』以下3作の火器関連シーンとを見比べられるように、画像を貼っていただけないでしょうか。本当に「その場しのぎ」なのかどうか、読む側にわからせるにはそれが一番であるかと思います。武者さんこれも前からそうですが、大河の特定シーンを比較したがる割には、画像添付などをやらないのですね。

そしてこちらも「どうした茶々の現状認識」なる小見出しで

天守閣を大筒で砲撃されているのに、「まやかし」だのなんだのいう茶々は、現実すら認識できていないのでしょうか。

貴方またこれだけで1パラグラフですね。
1つ前のパラグラフに入れられませんか?こういうのを黙認する『武将ジャパン』の姿勢もどうかとは思いますが。

そして「まやかし」というのは千姫や侍女たち、ひいては自分を落ち着かせるための言葉でしょう。無論実際はまやかしでもこけおどしでもないのはわかっているわけで、それでもこういう言葉を口にせざるを得ない、せっぱつまった状況であるわけですね。

家康が戦は酷いだのなんだのいい、秀忠が止めようとします。
いやいや、逆では?
秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした。
孫娘の悲運が申し訳ない家康が、そんな我が子を抑えながら、千姫救出の手立てを考えています。
秀忠をこんな無能に描いておいて「最新の説も取り入れました」と言われてもサッパリ理解できません。

「秀忠はむしろ千姫を突き放しています。嫁いだからには婚家に殉じろ!と頑なな態度でした」
この第46回にそんなシーンありましたか?

兵力の差は歴然と言う秀忠に、お江が殿が総大将となってはと言い、お千のことが気になるのかと訊かれてお江はこう答えます。
「見捨てる覚悟はしております。しておりますが…」
そんなお江に秀忠はこう言っているのですが。
「父上は孫を殊の外可愛がってくださる。ひどい仕打ちはせんさ」
そしてこの後、お江は「戦となれば、鬼となるお方では」と言っているわけですね。
で家康は、戦というのはこの世で最も愚かで醜い人の所業である、自分の代で終わりにしたい、自分が汚名を着て地獄を背負うとなるわけです。

さらにこの後、また『パリピ孔明』と『首』の礼賛記事(と言うべきでしょうか)が続きます。このコラム、どう考えても半分ほどは他作品のPRまたは広告のためにあるようなものでしょう。関係ないので大部分は省きますが、ここで武者さんが好きな世帯視聴率を出しておきます。

この『パリピ孔明』という番組が、視聴率で苦戦しているのは前にもお伝えしました。

秋ドラマ・視聴率ワースト5 篠原涼子「ハイエナ」はなぜ大苦戦しているのか

実際初回こそ6.1パーセントでしたが、その後5パーセント台、そして4パーセント台から3パーセント台となり、最終回は4.4パーセントでした。日テレ系の裏番組『コタツがない家』は6パーセント台で、総合視聴率もそこそこあります。記事にあるように、数字を持って行かれたように見えます。

無論世帯視聴率がすべてではないし、もちろんこの番組が好きで観ていた人もいるでしょう。ただ、嫌いな大河の場合、NHKプラスの再生回数なども無視で、世帯視聴率のみで叩く武者さんは、これをどうとらえているのかと思います。そんなの関係ないと思うのであれば、好きであろうが嫌いであろうが、見逃し配信のある番組を世帯視聴率で叩くのは的外れではないでしょうか。

あと2~3週間もすれば、私の脳内歴史人物リストから『どうする家康』は焼き消されます。
例えば明智光秀リストは、長谷川博己さんの次は西島秀俊さんで埋まります。今年の大河は、とてもじゃないけど数に入れられない。

「焼き消されます」などと言わずに、消え去りますくらいでいいと思うのですけどね。
まあ『どうする家康』も武者さんの記憶には残らない方がいいでしょう。と言いつつ来年以降「『どうする家康』はひどかった」的な表現が出て来るような気がはしますが。

それと武者さんの言う「明智光秀リスト」なるもの。
『レジェンド&バタフライ』の光秀さんをお忘れですよと言いたいのですが、あれもお嫌いでしたね。この光秀の中の人は、『ちむどんどん』の和彦君の中の人なのですけどね。

西島さんといえば、私に取っては『きのう何食べた?』のシロさんです。

そして、なぜ『パリピ孔明』が成功したのか? この記事を読むと腑に落ちます。
◆【実写化成功のカギ】『パリピ孔明』演出が明かす、主演・向井理との意見の一致「ギャグはやらない」(→link)
向井さんは真面目です。昔の中国らしい礼法を守り、綺麗な所作を見せます。
それが『どうする家康』はどうか?
◆NHK「どうする家康」徳川家臣団の「おいリレー」はアドリブだった!視聴者驚愕「まさか」「今日のハイライト」「恐るべし!」(→link)
痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ。
そんな低い志のまま、その場のノリで回すだけから、時代劇として作品が面白くなるわけがありません。

「向井さんは真面目です、『どうする家康』のおいリレーは不真面目です」
こんな書き方が、双方に失礼になっているのなど気がついてもいないようです。で、
「痛々しいノリでアドリブをする。所作も何もあったものではなく、自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
どこが痛々しくて、所作と何の関係があるのか。全く腑に落ちません。自分が嫌いな番組の、こういう部分が話題になることが、恐らくは、嫌で嫌でたまらないのでしょう。自分勝手だなと思いますが。
向井さんも、こんな形で叩き棒にされるの嫌でしょうね。

そして
「自分が目立ちたいだけ、楽しみたいだけ」
このコラムにも、そう思われる箇所が散見されるのですが。

『パリピ孔明』では祈祷の場面で、きちんと東洋の占星術である星宿を唱えていました。
「西洋には星座ってあるんだって!」
家康と三成がそう語っていた大河ドラマを比較すると、その落差に気が遠くなるばかり。
友達同士がわちゃわちゃしていればいいというわけではありません。
◆松本潤、『どうする家康』で実現した中村七之助との初共演に喜び「かけがえのない友達と…」(→link)

武者さん、第35回は一体何を見ていたのでしょうね。
家康「厠が兎?」
三成「はい。私もわかりませぬが」
これ二十八宿の参宿のことだと、前にも2回ほど書いた覚えがあります。
これが全然わからなかったのか、あるいは嫌いな大河で使われるのが恐らく死ぬほど嫌で、意地でもこれに言及したくなかったかのどちらかでしょう。しかしドラマに登場したことは登場したこととして紹介するべきですね。このコラムは、武者さんの遊び場ではありません。

参宿(Wikipedia)
天区内の星官の節を御覧ください。

あと気が遠くなるのなら、そのまま遠くなっていてくださいと言いたくもなります。

飲み物-注がれるワイン
[ 2023/12/07 20:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。

しかし武者さんも、あまり書きたそうでないのがわかるし、ならば残りはお休みという方法もあるのですが、なぜか毎週アップされています。大河を書くと言うよりは、何か別の目的があるのでしょうか。


それから、井伊直政の負傷についてちょっと書きます。
板垣さんはこれでクランクアップのようで、恐らく彼の最期は出て来ないと思われます。『葵 徳川三代』では当初はそうでもなく、後の方で悪化して歩くのもままならない直政が出て来ますが、どうもこれは弾丸または弾片による鉛中毒ではないかと思われます。それで検索していたところ、何と『武将ジャパン』の記事を転載したこのサイトを見つけました。URLだけ置いておきます。ちなみに武者さんの記事ではありません。

【現代医学】戦国時代の鉄砲の殺傷能力は高いのか? 撃たれると鉛中毒で死亡する可能性アリ
(ガジェット通信)

記事中にもありますが、他に傷がもとで細菌が入る病気として、破傷風や敗血症があります。幕末になりますが、河井継之助が慶応4(1868)年7月末に、北越戦争で銃創を負い、その後8月半ばに破傷風で亡くなっています。また大村益次郎は、こちらは銃弾ではありませんが、明治2年9月4日に京で刺客に襲われ、その3日後に藩邸に移されて治療を受けるものの敗血症に感染します。そして最終的に11月5日に死亡します。つまりいずれも負傷から感染の後、さほど日を置かずして亡くなっているわけです。

しかも幕末のように蘭学もなく、仮にこのいずれかに感染していた場合、亡くなるのはもっと早かったと思われます。『葵 徳川三代』の描写についてはともかく、その後直政は1年半生きながらえており、それを考えると、鉛が体を蝕んだというのは十分考えられます。

ちなみに鉛中毒についてです。

症状の中に歩行協調障害もありますし、人格の変化などもありますね。鉛と言えば、昔はおしろいに鉛が含まれており、それで症状が出る人も多かった由。

前置きが長くなりましたが、本文です。

何を選んで何を捨てるか。制作陣の全てがここに集結する!――と、思ったら冒頭の回想からして哀しくなるほど的外れ。
「王道と覇道」が出てきました。テーマのように持ち出しておいて結局何なのか回収していませんね。一体なんなのか?
本作の人物はマザーセナ教の信者であり、その教えのほうが重要なのでは?
そして慶長5年(1600年)9月14日へ。

また「マザーセナ」。
しかも家康が経験した戦、それから学んだものの紹介というのが、まるで理解されていないようです。

「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。年が明けたら、視聴者の皆さんは本作のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうでしょう。
視聴率ワースト2位の黒歴史ですから、作品の関係者たちが触れることもないですしね。
今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた。

「本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります」
とは、何を「すっ飛ばした」のでしょうか。小山評定も伏見城の戦いも、どちらに付くべきかを巡る様々な弾劾状の送付も描かれているのに、何のことやら。

そして
「オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない」
武者さんの心には響かない、でもこれが響く人も多くいるわけで。そして「視聴率ワースト2」と何かの如く言いながら、昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数には全く触れず。もう一度これを貼っておきます。
視聴率を古めかしい基準と言いながら、その古めかしい基準をまた蒸し返しているのですね。

FireShot Capture 267 - 鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第45回「八幡宮の階段」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) 視聴率関連

「今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた」
王道と覇道こそ、冒頭で若き日の家康が口にしていますが、何を観ているのでしょう。恐らくちゃんと観ていないと思われますが、自分が理解していないのと、幼稚で済ませるのとは別ですよ。
もう終盤だから適当に書いてしまえと言うことでしょうか。

そして
「かつて関ヶ原は「女の戦い」とされてきました。
実子の秀頼を擁する茶々に、寧々が嫉妬し、東軍につくよう秀吉子飼いの武将を誘導したとされてきたのです」
とありますが、今ではそれは否定されている、大津上の戦いの処理で2人は関与していたと続き、

そういう意味では女性が政治力を発揮することがある。とはいえ、それを女のバチバチバトルにしてどうする!という見解ですね。

なのだそうです。ちなみに2人が関与していたのは、京極高次の妻初(茶々の妹)と、高次の妹龍(姉という説もあり)を守るため、大坂城から使者が遣わされています。

しかしこれがバチバチバトルに見えますか。
要は秀頼と毛利を出せと息巻く茶々に対し、阿茶局が、それはやらない方がいいこと、東軍は西軍のかなり深いところまで調略していることを、言い聞かせているわけです。感情が高ぶりがちになりそうな茶々に対し、阿茶局はかなり冷静です。

そして
「このドラマは、古臭い説を悪化させて扱うからたちが悪い」
のだそうで、今まで何度も見て来てはいますが、
「このドラマはああだから、こうだからたちが悪い」
こればっかりですね。
しかもこの部分、前出の寧々と茶々の対立という古臭い説とは、全く異なった次元の話なのですが、どこをどう観れば
「古臭い説を悪化させている」
ように見えるのでしょう。

で、茶々が実質的な西軍総大将という描き方とあり、

彼女が下劣な調子で怒り狂いつつ、毛利輝元に「出陣しないのか!」と問い詰めていますが、こんな描き方では「福袋の中身が気に入らないと店員にケチつけるモンスタークレーマー程度」でしょう。怖くもなんともありません。

別に怖くなくてもいいのですが、輝元がなぜ出陣しないのか、それが抜け落ちていますね。
それから西軍総大将はあくまでも輝元であり、茶々はこの場合秀頼の生母というだけで、彼女が采配を振るうわけではありません。

このあと寧々と阿茶は茶を飲んでいます。
このドラマの不可解なところは、まるでこの二人が大坂城近辺にいるようなところですね。
寧々と阿茶は大坂を離れているのでは?
彼女らはテレポート能力でも習得しているんですか?

「このあと」でなくて「この前」です。
寧々が釜を火にかけて、茶を点てる準備をしている時、阿茶局は打掛を羽織っており、茶々と会う時に着ていた肩衣袴ではありません。しかもこの時彼女は寧々に「お願いがあります」と言っているわけで、そのお願いというのが茶々に目通りし、秀頼を戦に出さないように働きかけることでしょう。

説明セリフでがーっと進んでゆきますが、別に阿茶は寧々のおかげで助かってはいませんし、大坂から脱出しています。
先週「三成は女を人質にとって汚いぞ!」と家康が語っていますが、今回はこうツッコミたくなります。
「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」

また説明セリフ。
武者さん本人としては、非常にイケている言葉だと思っているのかも知れませんが、それはさておき。

「阿茶は寧々のおかげで助かってはいません」
阿茶局は大坂城で武者に囲まれるものの、その武者は実は味方で、彼女を寧々の所へ連れて行ったというのは前の回にありましたね。寧々は家康から、上方の留守をよろしく頼むと言われていました。で、阿茶局の手紙を見て家康も安心しています。これもちゃんと観ていないのでしょうか。

「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」
北政所の使いで来ているわけですから、これは最強の切り札と言うべきでしょう。
片桐且元も、彼女に刃を向けようとした者たちを制しています。

本作の乗馬シーンはまるでオモチャの馬に乗っているかのよう。バストアップが揺れるだけでの処理をしているから、とにかく不自然です。

で、『パリピ孔明』では、孔明がおもちゃの馬に跨って揺られていますが、それを彷彿とさせまるだの、序盤から突っ込まれていたメリーゴーランド乗馬は、結局、最後まで改善されませんでしただの。

武将たちが配置に就くシーン。
家康が桃配山から下りてくるシーン。
本多忠勝が直政に加勢するべく馬に飛び乗るシーン。

こういうのをちゃんと見たのでしょうか?

どうする家康第43回本多忠勝2
馬上の本多平八郎忠勝(『どうする家康』公式サイトより)

平服の信長と家康が、富士山の麓でチラッと本物の馬に乗馬する場面がありましたが、今にして思えばなんというアリバイでしょうか。
初回から小栗旬さんが障害飛越をこなした『鎌倉殿の13人』の翌年がこの体たらくでは、酷いと言われても仕方ないでしょう。

アリバイも何も、あれでは岡田さんも松本さんもちゃんと馬に跨っていますし、今回も松本さんは本物の馬に乗って敵陣へと攻め込んでいます。
それと戦国時代の行軍では、馬一頭というわけに行きませんからね、何十頭も動かさねばならず、今はそれが難しくなっており、CGも使っているだけの話です。

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②
(NHK静岡)

でまた乗馬シーンがどうのこうのとリンクが貼られていますが、ここでは省きます。

◆ 「どうする家康」異色の合戦ロケなし&全編VFX関ヶ原「働き方、作り方、戦国の景色を変える」狙いと裏側(→link)
記事の中ではご大層な狙いを語っていますが、2013年『八重の桜』では攻撃にさらされる鶴ヶ城の瓦一枚までVFXで描かれ、兵士もモーションキャプチャを使って描写されていました。
その10年前より確実に劣化しているではありませんか。

好きな大河なら英断だとほめるのでしょうけどね。
それと『八重の桜』云々、この間も書いていましたね。劣化していると言うのであれば、それと今年のを比較して、どう違うのかを見せて貰えませんか。

そしてまた井伊直政役の板垣さん叩き。

あんな風に不自然な髭があってたまるか!
あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。赤鬼どころか、とにかく弱々しい。

と、最初から失礼だなと思われる文句が並んでいますが、

たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
そんな脆弱な直政に、どうしてこんな言葉を言わせるのか?
「いざ出陣!」
って、むしろ士気が下がりますって……。
邪推ですが、演じる方の性根が素直なのでしょうね。

武者さん、以前からこの大河は声が聞き取りにくいとか、音がわからないなどと散々に書いていましたが、井伊直政のセリフはどういうわけか、ちゃんと聞き取れるのですね。

井伊直政役の彼については「『青天を衝け』の徳川昭武は名演だった」という擁護が入ります。
確かに和室に飾っておきたい、かわいい人形のようでした。
しかし、それだけでは?
幕末もので徳川昭武を重視している時点で、あのドラマはイケメンを並べる乙女ゲーじみたドラマだっただけではないかと思います。

民部公子様、つまり徳川昭武のみを重視してなどいませんが。
ただ栄一(篤太夫)が同行してパリに行き、そこで様々なことを学んで来たわけで、その意味でも栄一に取っては重要な人物の1人ではあったでしょう。

幕末から明治が舞台なら、イケメンよりもっと他に描く大事なことはある。
それでもあのドラマはイケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しできました。

別にイケメンだけ描いていませんが、これも武者さんはちゃんと観ていないか、
「イケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しなんだ!」
という先入観ですべてをとらえているかでしょう。

よし、あの調子で行こう! と、手抜きした結果が今年の惨敗に繋がっている気がしないでもありません。
同じパターンは『篤姫』と『江 姫たちの戦国』でもありました。
日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します。もう二度と同じことを繰り返さないでください。

『どうする家康』の制作発表は2021年の1月で、この時点でまだ『青天を衝け』は始まっていません。
制作発表時に主演とスタッフは発表されており、どういう方針で行くかも大体決まっているでしょう。
それに幕末と戦国ではまた違いますし。

そして
「日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します」
裏付けはありますか?
あと
「もう二度と同じことを繰り返さないでください」
ですが、繰り返しているのは武者さんの方では?
と言うのも、このコラムでの評価基準は、武者さんの好き嫌いによるもので、嫌いな大河には何度でも「繰り返して」、しかも似たようなやり方で攻撃しているだけの話です。ただ、攻撃の仕方が今一つかなとは思いますが。

それでも『大奥』がある!
井伊の赤鬼については挽回できるチャンスが与えられました。
『大奥』シーズン2の井伊直弼が、予告の時点で素晴らしいのです。津田健次郎さんの演技に期待しかない。

また『大奥』、しつこいんですけど。
そして津田健次郎さんはともかく、本当にその俳優さんが好きなのか、単に叩き棒にしている作品に出るから応援しているのではないか、そのように見えて来ます。
第一、武者さんが本当に『大奥』好きなら、ここまで叩き棒にするかと思いますし。

ちなみに『大奥』シーズン2では、幼いころの阿部正勝が主人の竹千代と共に同じ駕籠に乗った回想シーンがありました。
幼少期から始まり、大人になってからも続く君臣の関係。
それを自然に描くには素直に子役を使ったほうがいいのに、なぜ今年の大河ではそうしなかったのか。
とてもじゃないけど子どもには見えない、いい歳こいた役者が、人形遊びをするシーンから始まる――って、バカみたいに幼稚だ。

???
竹千代は子役でしたが。
そして瀬名と遊んでいるところは、既に元服しているけどローティーンくらいでしょう。
そして『大奥』ではほめていても、これが自分が嫌いな作品でそのように描かれると恐らく叩きまくるのでしょう。
今までがそうでしたから。



飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2023/11/15 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
(事情により投稿が変則的になっています)


オープニングが終わって小山評定へ。
制作陣はどういう思いで、主役・家康の見どころに取り組んだのか。
還暦間近の総大将が、堂々と突っ立ったまま演説ぶっている。仕草がほとんどない。ずーっと立ったまま、やっとのことで暗記したかのように、くさいセリフを精一杯読み上げるだけ。

「やっとのことで暗記したかのように、くさいセリフを精一杯読み上げるだけ」
これだけでも随分失礼ですね。
出演者叩きが多い今年の大河ですが、こういう主観に基づくバッシングがかなりエスカレートしているように見えます。このコラムに求められているのは、一体何なのでしょう。

そして
「堂々と突っ立ったまま演説ぶっている。仕草がほとんどない。ずーっと立ったまま」
皆に語りかけている大将が、座ったり、ボディランゲージ的なしぐさ(のことでしょう、多分)をしたりするものでしょうか。ならば武者さんはそのような場合、大将はどのようにあるべきと考えているのか、それを書いてほしいものです。
でないと単なる難癖です。

三成の人質政策も批判していましたが、それは秀吉時代からの話でしょう。
そしてその大名の妻子を人質にとる政策は、江戸幕府も踏襲するわけです。
他に言いようがあるはずなのに、なぜ家康にそんなことを言わせるのか。

「三成の人質政策はそれは秀吉時代からの話」
この場合、豊臣恩顧の大名が家康につくのを防ぐために、妻子を人質として大坂城に入れる強硬手段を意味しているのですが、武者さんは、伏見城下に妻子を住まわせるのと同一視していませんか。

「大名の妻子を人質にとる政策は、江戸幕府も踏襲するわけです」
さらにこの後
「堂々とセリフにしてしまうということは、後に家康が築き上げる江戸時代を全く意識していないか、あるいは、そんなこと知ったこっちゃねーわ、ということなのか」
などと書いていますが、どうもその違いが理解されていないようです。
江戸幕府がやったことは、ご存知のように参勤交代という、中央政府である徳川幕府が全国の大名たちを統制するうえの政策であって、この三成のやったこととはまた異なります。第一三成は天下人でもないわけですが。

「他に言いようがあるはずなのに」
ではどのような言い方なのか書いてください。

仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです。
そして思い出したようにマザーセナ直伝【泰平の教え!】を語り出す。『大奥』とは、史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます。

また「マザーセナ」。武者さんがこんなこと書くから、反発を招くことになっているのだと思いますけどね。

次に
「仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです」
『どうする家康』の制作発表は2021年1月、2022年5月から収録が行われていますが、その時点で「できるスタッフ」は『大奥』に移動したのですか。『大奥』の制作発表が2022年の8月で、『どうする家康』のクランクインの少し後のようです。そう簡単に移動できるのでしょうか。

そして
「史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます」
では唖然とするだけではなく、その読み込みの深さの違いとやらを、一般人にわかるように説明してください。

『大奥』では、春日局の非道の背景に、泰平の世をめざす思いがあったと描かれました。
国土荒廃の時代が何年も続いていたのに、そんな簡単に平和は成し遂げられない。
時に誰かに無理強いしてでも、とにかく乱世には戻したくない――そんな悲痛な思いが滲んでいたわけですが、本作では「はい、江戸時代は平和、来ますよー!」で終了。
要は、未来人思考で作られた家康の演説なんですね。

「未来人思考」も「幼稚な」同様、最近多いですね。
そしてここで
「はい、江戸時代は平和、来ますよー!」
なんて誰も言っていませんが、武者さんには一般の視聴者に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているのでしょうか。
で、家康はどう言っているかと言えば、

信長や秀吉によって鎮められた世の中を乱そうとする者がおる。聞いての通り石田三成が挙兵した。(会津征伐で大坂を留守にしたため)このようなことになってすまない。ここにいる者の多くは大坂に妻子を捕らわれていよう、従えぬ者は出て行ってもよい。しかしこのような狼藉を働く者に天下を任せられようか。手をこまねいていても乱世に逆戻りである。よってわしは孤立無援となろうともこれと戦う。すべては戦無き世を作るため。安寧な世をなせるかは我らの手にかかっておる。

で、ここで福島正則が立ち上がり、一同に決起を呼びかけ、これに山内一豊、黒田長政、藤堂高虎をはじめ他の武将も同調するわけです。上記のように、家康は自分たちが戦わないと、乱世に戻ると覚悟を促しているのですが、どこから「江戸時代は平和、来ますよー!」などと出て来るのやら。

そして春日局の非道云々ですが、その乱世に戻せない思考の先鞭をつけたのが家康であり、江戸幕府の開府であったと思われます。
(この一連の流れを大河で観るのなら、『葵 徳川三代』をお勧めします)

しかし毎度のことながら、叩き棒にされる『大奥』も迷惑な話ですね。

やたらと喧嘩っ早い、当時の日本人の精神性を変えるわけですから、「はい、平和な時代にしましょう!」「オッケー、りょw ピースピースw 泰平ww!」とはなりません。

「やたらと喧嘩っ早い、当時の日本人の精神性」
喧嘩っ早いかどうかはともかく、この少し前までは戦って勝たなければ生き残れない時代でした。当然平和な世の人々の考えとはかなりのギャップがあります。そして信長が頭角を現す前の世代と、その後の世代とでは、いくらかジェネレーション・ギャップがあるのも、少し前の回で描かれた通りです。

「『はい、平和な時代にしましょう!』『オッケー、りょw ピースピースw 泰平ww!』とはなりません」
これも1つ前の家康のセリフにありますが、
信長と秀吉が泰平の世を作り上げた
しかしそれを乱そうとする者(三成)がいる
よって成敗しなければならない、でないと、また乱世に逆戻り
となるわけで、急に平和な時代を作るのではなく、先達によって収まりかけた乱世がまた息を吹き返すのを懸念していると、家康は言っているわけですね。

そもそも関ヶ原の戦いが1日で終わったことすら想定外の事態だったはず。
関ヶ原は当時の世界史的にみても、屈指の規模となった大会戦です。
それがあんなにあっさりと決着がつき、結果的に徳川幕府の治世が来たというのは、開戦前の人々に想定できるわけないでしょ。

だから1日で平和な時代を作ろうとは、家康は言っていませんが。

江戸と会津がやたらと近い地図。
この地図には猪苗代湖がありません。日本で4番目に広い湖ですが、必ずしも必要ではないかもしれませんね。

前にも書きましたが、その間に「下野・小山」が入っていますけどね。
そして地図の性格上、いくつかに分かれた徳川軍が、それぞれの経路をたどるのをわからせるのが目的だから、江戸城、会津若松城と上田城しかありませんね。

しかし、先週の会津の風景を思い出すとなんとも合わせ技でマヌケでして。
それというのも、猪苗代湖からみた磐梯山を映していました。
磐梯山は噴火して山体が変わっているから、出す場合は要注意です。しかし磐梯山どころじゃなかったんですね。
猪苗代湖の水の色がおかしいし、波が強い。
確かに冬ならば「磐梯おろし」で猪苗代湖は荒れます。しかし、あの猪苗代湖は雪が降っておらず、嵐でもきていたのでしょうか。空は青々としていましたが。

まず磐梯山について。
明治の噴火で磐梯山は、それまであった小磐梯が消失して形が変わりました。
これに関しては個人の方のブログですが、このような記事があります。URLだけ置いておきます。記事中のリンク先は、今はファイルが削除されているようですが、画像があるので一応の目安にはなります。

大河ドラマ 八重の桜における磐梯山の見え方について 追記!
https://ameblo.jp/seti-tera/entry-11443751508.html
(SETIのブログ)

『八重の桜』でも磐梯山があまり映らなかったようですが、ただロケなどでその当時の風景として見せるのでない限り、これはもう映していいのではと思います。でなければ噴火前の形にCG加工するか、またはVFXで再現するかでしょう。

それから、猪苗代湖の波が強いということですが、これは武者さんも書いているように、季節が冬でなくても、風が強いとかなり波が立つようです。
こちらのサイトの画像をご覧ください。公共性が高いサイトのようなので、リンクを貼っておきます。

〔00/09〕猪苗代湖・長浜・湖岸と波
(かすみがうら*ネット)

でその後、猪苗代湖を見下ろす位置に「天鏡閣」(国指定重要文化財)があり、名の由来は猪苗代湖がまるで鏡のようだからという意味とあります。

それはともかくとして、その次に
「そういう鏡のような猪苗代湖ならばまだしも、どうしてあれほど無理を感じる水の色と荒れ方にしたのか」
と書かれています。しかし武者さん、上の方で
「確かに冬ならば『磐梯おろし』で猪苗代湖は荒れます」
などと書いているわけで、季節や気候条件下では必ずしも鏡のような水面とはならないことを意味しています。これは上でご紹介したサイトしかりです。

と言うか、ここで急に天鏡閣を持ってくるのは無理がありませんか。武者さんとしては持って来たいのかも知れませんが、ならば会津若松城と猪苗代湖をテーマにした記事でも書いて、そちらで紹介してください。

ただ単に何も考えていないんですかね。『八重の桜』から10年でどうしてこうなってしまったのでしょう。

『八重の桜』と『どうする家康』は違う大河ですし、必ずしも『八重の桜』の描き方が踏襲されるとは限りません。
それよりも、このシーンで「本田正信」となっていたのは無視ですか。こちらはNHKも修正すると言っていたようですが。

茶々の意向によって三成が挙兵しているような描き方です。
秀頼を戦に出すとまで言っています。
これも無茶苦茶では?
秀頼の年齢もありますし、それを茶々一人の思いつきでできるとも思えない。大坂の陣のことを踏まえれば、どうせ嘘だとわかります。

茶々は秀頼の生母であり、三成は秀頼の家臣です。
私はあらすじと感想で、プレッシャーをかけていると書いていますが、家康を敵と見る茶々から、三成に求められるものはかなり重いものだったでしょう。それでも、数の力でどうにかなると踏んではいたようですが。

それから
「秀頼を戦に出すとまで言っています。これも無茶苦茶では?」
秀頼がまだ幼いからでしょうか。しかし武田晴信は、かつて高遠頼継を撃退する際に、諏訪頼重の遺児寅王丸(後の長岌)を擁して戦っています(高白斎記)。『風林火山』でも登場します。

これは諏訪氏をひとつにする狙いがあったとされていますが、まだ元服前で戦えなくても、幼君を担ぎ出すことはできたのです。茶々も、秀頼を出せば豊臣の諸将は寝返ると思ったのでしょう。

あと
「大坂の陣のことを踏まえれば、どうせ嘘だとわかります」
これこそ武者さんが言う「未来人思考」に他なりません。
この当時江戸幕府もですが、大坂の陣のことなど恐らく誰も知るよしもないでしょう。

また、『大奥』の仲間由紀恵さんを見たら、本作の茶々など恥ずかしくて語れなくなりますよなどとありますが、北川さんにも、叩き棒にされる仲間さんにも失礼かと。

伏見城に向けて、いきなり火縄銃を撃つってどうなのでしょう。
射程も何もあったものではなく、本作はとにかく火器の使い方がおかしい。
またもや火縄銃を連射しているように見えました。装填動作もなく、連射。
制作陣が『八重の桜』を超えてやる!とでも妄想しているなら、本当にいたたまれない。

まず火縄銃を撃つのは威嚇射撃のためでしょうね。
武者さん、引間城のシーンでも似たようなことを言っていたと思います。
そして
「本作はとにかく○○がおかしい」
これをやたら目にしますね。テンプレでしょうか。

さらに
「またもや火縄銃を連射しているように見えました」
撃手は交替していますよ、特に伏見城内部のシーン(19分ごろ)はそれがはっきりわかります。千代も装填済みの銃を受け取って敵を狙っています。
武者さんの目には何が見えているのでしょうか?

小早川秀秋、参上いたしました
ニコニコ笑いながら「参上いたしました」と語る秀秋の軽薄さよ。
主演が所作指導をされていないならば、他の役者にするわけにはいかないのかもしれませんね。
それにしたって、作り手はこんなものを撮影していて、恥ずかしさは感じないものでしょうか。
とにかく放送日に間に合えばいい! さっさと終えて次の仕事だ! とか思っていたら、なんとも哀しいものです。

貴方また「所作指導がされていない」ですか。
気に入らないシーンなら、何でもかんでも「所作指導がダメ」の一点張りですね。

その割に、秀秋が名島城主(秀吉が小早川隆景に筑前を与えている)であること、兵力がかなり大きい(寝返った徳川方に有利)ことなどについては書かれていませんね。
あと、島左近が松の丸の守りが弱いと言ったことについてもまるで触れず。
とどのつまり、この小早川秀秋はよくない、スタッフが悪いだけなのですか。何とも内容のないパラグラフですね。

それから山内一豊のシーンで、
「掛川城をお使いください」
の一言がなかったと言われていますが、恐らく一豊自身の描写、あるいは秀吉が家康を江戸に封じ込めるために、東海道沿いに豊臣恩顧の大名を置いたという描写がないため、省かれたのかと思います。
『功名が辻』だともちろん登場しますけどね。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2023/11/09 15:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第40回の『どうする家康』に関するnote記事

taketak39460607さんの、『武将ジャパン』大河コラムに関するnoteから、今回もいくつかの指摘をご紹介します。例によってとてもすべてをご紹介できませんので、いくつかピックアップしておきます。すべてをご覧になりたい方は下記URLからどうぞ。またここでは、コラムからの引用文の文字色をダークブルーにしています。

あと、先日の『武将ジャパン』関連投稿、変換ミスをはじめおかしな部分を直しています。また、ピューリタン関連のサイトのリンクを貼っています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第40回~
https://note.com/taketak39460607/n/nc09119323bde


白兎から狸へ。
今週はロゴが変わるところから始まり、石田三成が星空の下でマザーセナじみた妄想を語っています。

これに関しては当然と言うべきか、
「三成さんは家康さまの正室である瀬名さまを知らないので、無関係のものを無理矢理関連付けて叩くのは全く意味のない事だと思います」
と書かれていますね。また
「かつて三成さんは星空の下で『話し合い、皆が納得して話を進めていくそのような政がしてみたい』と新しい政のやり方を語っていました」
ともあり、その夢が形になったと書かれています。

この武者さんが何かにつけて「戦無き世」の概念を、「マザーセナ」とカルト呼ばわりするのは、いい加減止めてほしいのですが、最終回まで続けそうな気もします。

そしてニコライ・バーグマン。

このニコライ・バーグマンの花が似合いそうなオープニングは一体何事でしょうか。
『八重の桜』は月毎に変わり、見応えがありました。
あの出来と比べると、今年は本当にしょうもない。
夢や思想をゴリ押しされて辟易としてしまいます。
この駄作は徹頭徹尾、自分の話しかしない鬱陶しいおじさんでも見ている気分だ。
ここで出てくるロゴにも結局慣れることはできません。

これに関しても
  • 『ニコライ・バーグマンの花』と企業が特定できる状態で商品名を出し、誹謗中傷する目的で例に挙げるのは『私の嫌いな作品に使われそうな変なもの』と風評被害や業務妨害を助長したいのか
  • あれはただの押し花ではなくその下には一向宗の経本である『正信念仏偈』が入っており、阿弥陀様への祈りと共にひそかに石川夫妻が瀬名さま・信康さまの供養をしていたという意味の品である
  • 『どうする家康』の演出統括・加藤拓氏『八重の桜』ではチーフ演出、アートディレクターの菱川勢一氏は『八重の桜』ではタイトルバック制作、スチール撮影を担当しているが、プロである他人の仕事にケチをつけ好きな作品にも傷を付けている事にならないか
といった点が指摘されています。

それと加藤氏が演出であることは知っていましたが、ADの菱川氏も『八重の桜』のスタッフだったのですね。
これは今回のVFX担当の西垣友貴氏が、『麒麟がくる』のVFX関連スタッフであるにもかかわらず、今回に限ってはあれこれ注文つけまくりなのとそっくりです。大河やその他ドラマのスタッフは、複数の作品を担当することも多く、武者さんが好きな作品ばかり担当しているわけではないのですけどね…。

そして立膝に関して。

阿茶局にしても、なぜか一人だけ立膝。
ドヤ顔でいつも同じ調子で「私、頭がとてもキレるのw」とアピール感満載で一体なんなのでしょうか。

こちらについては、
「阿茶さんの立膝については『おんな城主直虎』の寿桂尼さまや『麒麟がくる』の武家の女性たちがしていました。
武家では有事に備えすぐに動けるようにするためもありますが、身分の高い人は立膝で座る機会が多かったのだと思います」
とあります。

私は阿茶局の場合は、次回予告を観たせいもあり、動きやすさ、いざという時に身構えできる姿勢が第一かと思ったうえで、身分のある女性の立膝に関しては、瀬名と亀姫の立膝を(申し分程度ですが)例に挙げています。
実際この立膝に関しては、『麒麟がくる』の時に賛否両論があったようですが、これに関しては

「また戦国時代の小袖は現代の着物よりも身幅が広くゆったりしたものだったそうです。
国宝『彦根屏風』では立膝で双六に興じる小袖姿の女性が描かれています。
また徳川記念財団所蔵の雲光院(阿茶局)像も立膝姿です」

と言う指摘があり、さらにその後の朱子学の普及、身分制度の確立、小笠原式礼法の広まりなども、正座が一般的になったことに関係しているとあります。

実はこの戦国時代の小袖ですが、どのくらいゆったりしているかちょっと調べてみたところ、江戸初期までの織物は、幅一尺四寸となっています。これは約45センチです。また小袖用に、少し狭めの布幅の反物もあったようで、これが約41センチから42センチであったようです。
しかし寛永3(1626)年に幕府により、絹物は幅が一尺四寸(約42センチ)、木綿一尺三寸(約40センチ)となります。多少身幅が狭まって来ています。そしてその5年後、丈も7メートルから8メートルであったのが、絹織物は三丈二尺(約9メートル)、綿織物は三丈四尺(約10メートル)となります。
ただし一般庶民の小袖は、作業着ということもあって、そうゆったりした物ではなかったとも言われているようです。あと戦国から江戸初期の小袖は男女とも対丈で、女性が身丈の長い小袖を着ておはしょりをするのは、これよりもっと後の話です。
小袖について
(中世歩兵研究所)

しかし武者さん、『麒麟』の立膝はOKなのに、『家康』の立膝はNGなのですね。

時間がないはずのドラマなのに、秀吉を貶す北政所だけは入れてきます。
これについては陰謀論で、某国勢力とNHKが結びついて秀吉を貶めるなんて言われていますが、そんなわけないでしょう。

この箇所ですが、北政所(寧々)も、「何でも欲しがる病」の秀吉を、数少ない身内として叱っていたことに加え、
「秀吉公死後、子飼いたちの折り合いが悪い事を憂い、「あの人がわやくちゃにして逝ってまったのがいかんのだわ」と寧々さまは吐露します。『わやくちゃ』とは尾張弁で『台無し、めちゃくちゃになる事』です」
とあり、さらに
「最後までやりたい放題で放り出して逝ってしまった秀吉公を思い、寧々さまが家康さまに「治部が上手くできなければ・・・力ある者にやってもらうしかない」と言ったのは、北政所としての裁量と承認により五大老筆頭である家康さまが実質の政務を執り行う権限を与えられたからだと思います」
とも指摘されています。

しかし私もこのコラム関連で書いていますが、なぜあのシーンが「秀吉を貶す北政所」となるのでしょう。
そして家康と徳川家臣団関連。

同時に、家康を持ち上げることだけは欠かさない。
徳川家臣団は諫言することもなく、武勇や知能を披露するわけでもなく、家康をひたすら褒める要員となりました。

かつて本多忠勝が大樹時で、逃げ回ろうとする主君、その当時の元康を叱ったこと、そして姉川の戦いで酒井忠次から
「義とは何か?殿は、皆はわかっておるのか?義なんて綺麗事。これは我らと織田勢を引き裂くための浅井の策略。乗ってはいけない!」
と注意されたことが挙げられています。
無論、この忠次が
「嫌われなされ。天下を取りなされ!」と進言した点についても、
「天下人は嫌われるかもしれない役どころだが貴方ならできると後押しした」と書かれています。

尤も『武将ジャパン』コラムでは、忠次はえびすくい要員だといった書かれ方をしており、この老臣の言葉が何を意味するかについても触れられていませんね。武者さんにしてみれば、この言葉も家康を持ち上げているように取れたのでしょうか。

それ以外にも

これで「若者はこういうのが好き!」って一体何の夢を見ているのですか?
キラキラした韓流華流に流れるだけですよ。
こんな出来損ないのぬれ煎餅をわざわざ食べる気がしません。

これに対しても
「『若者はこういうのが好き!』とは誰が言った言葉でしょうか、提示してください。
貴方が韓流華流に流れたいのなら勝手にどうぞ」
とあります。

若者が好きというのは、若い層がリアルタイムで観ているという記事があったからと思われますが、この大河をちゃんと観ている若い層に対して、
「こんなの面白くないでしょ、韓流華流観ようよ」
と無理やり誘っている印象もありますね。余計なお世話かと思われますが。

そして石田三成役の中村七之助さんに関してのこの部分。

七之助さんはお上手だと言いたい。
しかし、これでは彼の魅力が出ていない。
彼はもっと豊かな魅力がある。
可憐で愛くるしい姿を見せられる役者はそうそういない。
こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。

当然と言うべきか
「『こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。』「私の気に入らない演技や演出を見せるな!」というイチャモンですか。
自分の機嫌は自分で取ってください」
となっています。
私もこれに関して、なぜ七之助さんの別の一面が見られたと捉えないのかと書いてはいますが、武者さんはそういう考え方はしないのでしょう。

さらにその後の『ウォリアーズ』絡みの記述ではこう指摘されています。
「『潤沢な予算を使った関ヶ原本戦の描写は、BBCに勝てない』のなら勝手にBBCを見ていればいいのではないのですか。
他人が好きな物を中傷しておいて自分の好きな物をごり押ししてくるほど人の気持ちが分からない事はないと思います」
この
「他人が好きな物を中傷しておいて自分の好きな物をごり押し」
先ほどの韓流華流と似たものがありますね。

それから何度も出て来る筆の持ち方について。

市の訃報を聞き、家康の手から筆が落ち、ペンのように横に転がる場面がありました。
筆の持ち方をふまえたらありえない場面です。

「お市さまの訃報を聞いた時家康さまは手から筆を落としたのではなく、筆を投げ出しています。
投げ出した際に転がった筆が横に倒れてもおかしくないと思います」
実際一旦筆を止め、しかる後に横向きに持ち、そして投げ出すわけですからこちらの方が自然でしょう。

あと関ケ原のエキストラのデジタル化の件、これをけなしている点についてはこうあります。
「『八重の桜』エキストラのデジタル化の試みや『鎌倉殿』のVFXチームの伊藤熹朔賞受賞を叩き棒にして『どうする家康』スタッフの試行錯誤まで何が何でも叩こうとする、せっかくの受賞が台無しです」

またtaketak39460607さんも、本作の古臭いセンスと学生運動をすり合わせている点に疑問を呈しています。
そして、実はこれは私は知らなかったのですが、
「そういえば家康さまに対する三成さんの「わたくしと家康殿は、違う星を見ていたようでございます。もう、お会いすることもございますまい」と言う決別宣言に関して、ネット上では『あんなに一緒だったのに』と言うガンダムSEEDのED曲をほうふつとさせる感想が流れていました。
今作の視聴者は2000年代前半くらいが当たり世代でしょうか?
因みに第41回のサブタイトルは『逆襲の三成』。
これは『逆襲のシャア』を連想させ、もしやスタッフさんの中にガンダムファンはおりませぬか?と思ったものですが」
今現役のスタッフなら、あるいはガンダムファンは多いのではないかと思います。

そう言えば、最近ちらほらと書いている『葵 徳川三代』で、関ケ原の後、家康が大津城で捕らえられた三成に会い、三成が
「お久しゅうござる」
と声をかけるシーンがありましたね。
あと前回だったか、クレジットに梶原登城氏の名前がありましたが、『功名が辻』での演出クレジットに、この方の名前があったのを思い出しました。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/10/29 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第40回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第40回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。


映画『首』は「本当に求められる新しさ」も備えています。
その一例が弥助です。
弥助はアニメにもなり、映画も控えているという話もあるほど今注目を集めている人物。その弥助すら出さないあたりが『どうする家康』のどうしようもなさだ。

「本当に求められる新しさ」「弥助」などと持ってくるのであれば、その弥助がどのように描かれているのかをここで説明するべきかと思いますが、なぜか彼は「注目を集めている人物」しか書かれておらず、さらに

「その弥助すら出さないあたりが『どうする家康』のどうしようもなさだ」

何とも乱暴な言葉ですね。出してほしくて仕方なかったのでしょうが、自分の希望通りに行かなかったから不機嫌なのでしょう。
武者さんの言葉を借りれば、「幼稚」だなとは思います。
第一あの信長の描写を考えれば、特に必要な存在でもないし、恐らく出せば出したで、武者さんはまた何か言いそうですが。
ところで『麒麟がくる』には弥助いましたっけ?どうも見た記憶がありません。

三浦按針は出すようですが、どうせ使いこなせるわけはないでしょう。このドラマのチームは、カトリックとプロテスタントの区別すらろくについていない人もいそうです。

伊奈忠次と同じ「どうせ使いこなせるわけはないでしょう」
武者さんの個人的願望と思えば納得ですが、生憎大河は武者さんのためだけにあるのではありません。
そして
「カトリックとプロテスタントの区別すらろくについていない人もいそう」
なぜそういう発想になりますかね?これも武者さんの個人的願望で、そこまで愚かなスタッフであってほしいという、如何にも人を見下した発想だなと思います。ならば武者さんは、この両者の違いをちゃんと言えるのでしょうかね。特にプロテスタント諸派と一口に言っても、千差万別ではありますが。

実はこの時代、ヨーロッパではカトリックとプロテスタント諸派はすさまじく対立していました。そしてここでいうプロテスタント諸派は、アングリカンチャーチやルーテル派も含まれるものの、主に清教徒でした。ピューリタンとかユグノーと呼ばれた彼らは、その後新天地を求めてアメリカや南アフリカのような「約束の地」に渡って行くことになります。家康は彼らとカトリックの対立を、アダムスから聞かされることになるのですね。一方イエズス会の宣教師たちは、アダムスたちを処刑するように迫ったとも言われています。
清教徒に関しては下記のサイトが参考になるかも知れません。

5分でわかる「ピューリタン(清教徒)」そのルーツをわかりやすく解説

あと漂着した時点ではまだ「三浦按針」ではなく、ウィリアム・アダムスです。

本作については面白い話も聞きました。
瀬名の酷い死を中心にしようとした結果、あのわけのわからないペース配分と展開になっているとのこと。
これもどうしようもなくセンスが古い。ヒーロー奮起のためヒロインを酷い殺し方にするパターンは「冷蔵庫の女」というアメコミ由来の言葉があります。
この言葉以前にも、そういうお話の展開は日本にもありました。
近代文学以来、おなじみですね。ヒロインが死に、主人公がその死をうっとりと思い出すパターンです。
それこそ『野菊の墓』から『世界の中心で愛を叫ぶ』、『君の膵臓をたべたい』まで、定番ですよね。
大河ドラマで、そんなことやられても困るのです。まさかそれが「シン・大河」だとでも思ったのか。まさに陳腐。

誰から聞いたのでしょうね。
またセンスが古いというのも、武者さんが勝手にそう思っているだけに見えますね。
そしてまた「冷蔵庫の女」、これも前に使ったネタを引っ張り出して来ています。それとこの大河、ヒロインの死を主人公が思い出すパターンではなく、強いて言えばヒロインの遺志を受け継ぎ、成長する物語だと思うのですが。

放送前、中国語圏からのコメントでこうありました。
「いかにも日本の陳腐なドラマ臭がして期待できない」
哀しいかな、その通りとなってしまいました。
中国語圏では徳川家康の人気は高いのに、期待されていませんでしたね。

ならば、そのコメントを開示して貰えないものでしょうか。
スクショは取っていないのですか。

そしてまた茶々の中国語がおかしいのどうの。

「第38話、茶々が秀吉を中国に渡らせるべく、たわむれに中国語を話すシーンがありました。北川さんが『うぉだみんずしぃちゃちゃ〜(我が名は茶々である)』とたどたどしく話す姿はじつにあざとく、キャラを表現するのにピッタリでした。じつはこのシーンのために、制作陣はNHKラジオ『まいにち中国語』の講師をわざわざ中国語指導に立てた。気合の入りようが伝わってきます」
「制作陣の本気っぷり」とおっしゃいますが、この場面、字幕が間違っていたように見受けます。
「名字」とすべきところが「名子」になっていたのです。

ここのところ、ちょっと調べてみただけですが、名字も名子も同じような意味で使われてもいるようです。

中国語としても違和感がありました。「私の名前は茶々である」ならば「我的名“字”是茶茶(字幕では“字”が“子”)」よりも、「我叫茶茶」の方が自然でしょう。
これで講師を指導につけたと言われても、どういうことなのかと困惑するばかり。
スタッフロールには名前が出ている時代考証の意見も、制作陣はどこまでそれを反映させているのか、疑問が湧いてきます。

これももう2度目かと思います。
この場合の茶々はもちろんネイティブではなく、中国語(明国語)を日常的に使う人でもありません。漢籍の知識はある西笑和尚からこれこれこういうものだと教えられ、得意になって使っているわけで、どうしても日本人が考えた、直訳的な明国語に当然なるでしょう。それがおかしいとは思いません。

あと時代考証の意見関連、時代考証はアドバイスはできるが、制作はスタッフに委ねられるということを以前平山氏が投稿していました。ただし「森乱」の場合は、ドラマ中でも森乱でしたね。

そして「『どうする家康』スタンプ」が出るのが気に入らない、しかも呆れたことに第二弾だのなんだのとありますが、それだけニーズがあるからではないでしょうか。

そしてまた「この大河ドラマは本当におかしい」(もう少しワンパターンでない表現をつかえないものでしょうか)とかで。

◆関ヶ原の合戦:大河ドラマ制作を支えるテクノロジー、エキストラもデジタル化(→link)
この記事だけを読むと、なんだか美麗な映像が期待できそうですよね。しかし現実は……。
大河ドラマでエキストラをデジタル化することの試みとしては、10年前の『八重の桜』の時点であります。モーションキャプチャで兵士を表現していました。

エキストラのデジタル化というかCG化は、既に『毛利元就』でやっていたかと思います。

大河のVFXといえば『鎌倉殿13人』の壇ノ浦の戦いが第50回伊藤熹朔賞を受賞しました。おめでとうございます。
何もかも、去年と今年は大違いだ。
三谷さんのこちらの記事は必読です。
◆ゆうきまさみ×三谷幸喜 特別対談「大河ドラマの書(描)き方。」・ゆうきまさみ×三谷幸喜 特別対談「大河ドラマの書(描)き方。」(→link)

そしてまた鎌倉殿を叩き棒。
しかもこれのみを持って「何もかも大違い」と言うのは、ちょっと乱暴かと。何もかもと言うのなら、すべてをリストアップしてほしいものです。

そして文春砲に便乗した『どうする家康』叩き。
こういうのを喜ぶ武者さんが、いくら自分は大河が好きだの時代劇が好きだと言ってみても(実際過去にそう書かれていました)、こういう週刊誌ネタで持って嫌いな作品をばしばし叩いていては、信用がおけません。
本当に大河が好きなら、嫌いであろうがこういうのは最小限にとどめておいて、ドラマそのものに重点を置くでしょう。前にも書いていますが、これでは芸能もしくはゴシップネタのコラムでしかありません。
何だかさもしく思えて来ます。しかもジャニーズのファンまで叩きまくりですね。

しかも

善く戦う者は人を致して人に致されず。『孫子』「虚実篇」

これがまた意味らしきものが書かれていません。ただこの前でしたか、意味が書かれるには書かれていましたが、あまり正しいとは言えなかったので、どちらがいいかということにもなりますね。

ともあれこの意味、戦いを制する者は相手を動かすことはあるものの、相手に動かされることはないという意味です。そしてまた『パリピ孔明』を持ち出して、これは孔明の明言にしてはいけない、正しくは孔明が引用した『孫子』の一部であるとか何とか。こういう漢籍マウントをするのであれば、ドラマをちゃんと観てはどうですか。

そしてなぜこんな言葉を持ち出したのかと言うと、これがまた長いのでピックアップしておきますが、

ファンの擁護は、ファンダムの外にいるものからすれば意味がないどころか、むしろカルトじみて見えてきます。
ファンは論拠として、推しの美談やら印象を語ります。
現在、目の前に出てきている問題を見ていく上で、そんな過去の逸話に全く意味はありません。どんな悪党だろうと善行のひとつやふたつは為しているもの。

それに、あの記事にカーッと頭に血が登って、コメントをつけている時点で、その人は「致されて」おります。流されている。兵法としては失敗です。
文春砲は「致して」いる側ですから、既に兵法では勝利しております。
それにあの構えからして、文春側はまだまだ余力があるのでは?

要はこれを言いたいがために「善く戦う者は…」を持ち出したのでしょうが、持ち出される漢籍の方も、武者さんのこういう週刊誌便乗、自説補強に使われて何やら気の毒です。まあ漢籍も大河も、武者さんの自説主張のための道具と考えた方がいいのでしょうが。

ヒトラーが子どもと微笑み合う写真を持ち出して、「ヒトラーもナチスも、よいことをしたんだ!」と言い出しても、何ら意味がないようなものです。

そして、松本さんをヒトラー呼ばわりですか。自説補強のためにはなりふりかまいませんね。まあヒトラーはアウトバーンを推進してはいますが、主に政治的利用のためと言われています。

いちいち反応している場合ではないでしょう。精神の守りを固めた方がよろしいかと思います。
(中略)
何をか謂いて明君、暗君となすや。『貞観政要』

これも意味が書かれていませんね。
明君と暗君の違いは、何を基準にするのかという意味ですね。

何を基準に名作大河と、駄作大河と判断するのですか?
そしてこういう「致されて」いる層が厄介なところは、集団心理で勝手に大河ドラマを私物化することですね。
私もよく言われます。大河の記事を書いているくせに、貶すとは何事か?と。
逆に、そういう人には問いたい。
何をか謂いて名作となすや。
自分の推しが出ているからとか、自分の相互フォロワーが褒めているとか、そんなものは何の論拠にもなりません。ただの推しへの愛。ただのお仲間意識。それだけです。

寧ろ「何をか謂いて駄作となすや」と武者さんに訊きたいです。この人が駄作呼ばわりしている大河を好きな人も当然いるわけですから。
そして
「集団心理で勝手に大河ドラマを私物化する」
「自分の推しが出ているからとか、自分の相互フォロワーが褒めているとか、そんなものは何の論拠にもなりません。ただの推しへの愛。ただのお仲間意識。それだけです」
何だか非常にブーメラン臭さがあるのですが。

NHKは公共放送であり、大河ドラマは貴重な時代劇です。
一年間という長いスパンを使えます。
歴史もあります。
そういう枠にクオリティを求めて何が悪いのか?

ではその「クオリティ」なるものは何ですか?
具体的に説明してください。貴方の言うクオリティとは単なる好き嫌いではないのですか。しかも報酬を貰って、好き嫌い基準で記事を書いて、好きな作品を嫌いな作品の叩き棒にしていますよね?
そういうのをクオリティと呼ぶべきなのでしょうか。

偏ったファンの理屈に陥ってしまうと、『貞観政要』に対する感想ですら、こんな意見が出てきそうです。
「この魏徴って感じ悪いw 唐に仕えてお給料もらってるなら、唐太祖を褒めまくらなくちゃダメじゃんwww ダメ出しばっかして感じわるwww」
『貞観政要』を読んでこんな感想を書いたら零点確実でしょう。

「偏ったファン」呼ばわりすること自体、自分が偏っていることを証明するようなものなので、あまりこんなこと言わないほうがいいと思いますよ。

そしてこの先しばらく、単なる自己満足というか意味不明、何だか酔っぱらって人に絡んでいるような感が半端ないので端折ります。

あらためて本作に漂う古臭い陳腐なセンスを考えてみたい。
そのセンスは、学生運動世代を嫌っている。バカにしている。
で、国が強くなって弱者を搾取してこそ、巡り巡って自分も甘い汁を吸えると勘違いし、長いものに巻かれに行くようになった。
それでもいいんです。バブル期に人生観を刷り込まれた世代は、それが処世術だった。
だから政治的な駆け引きなんて理解できない。政治なんてどーでもいいし、投票日は寝てるだけ。そういう価値観を植え付けられている。

武者さんて、学生運動世代に共感しているのでしょうか。
あれこそ昭和のおじさんあるいはおじいさんの世代であり、武者さんが思い切りバカにしそうな時代の話ですね。
そして政治に関心を持つのと、政治的駆け引きを理解するしないとというのは、ぶっちゃけ別物ではないでしょうか。

そして真面目な奴を小馬鹿にして笑ってきたとあり、

でも、歳をとってきて気づく。
自分は何も成し遂げていないのではないか?
そこで、生まれつき、たまたま、努力せずに得られた属性である国籍や性別に過剰な自身を抱き、依存するようになる。

と来て、

社会運動をしているような連中は、ズルをしていて、金儲けしているんだ!
自分がそうだから相手もきっとそうだ、デカい権力に寄生して、うまい汁を吸いたいんだ!
勝手にそう思うようになってしまう。

そこまではともかく、その後に

大河ドラマなら『麒麟がくる』の理想主義者である光秀がうっすらと嫌いだし、駒は生意気な女なので正々堂々嫌って小馬鹿にしている。
理想主義者が出てくるという一点で、『麒麟がくる』を小馬鹿にしようとし、隙あらば大手掲示板やブログ、SNSに書き込む。
そんな冷笑逆張りセンスがバリバリに滲んでいるのが、今年の大河ですね。

すみません。社会運動と『麒麟がくる』と何の関係があるのですか?
光秀は理想を抱いてはいましたが、たとえば革命に身を投じるような理想主義者ではありません。なのに武者さんの書き方というのは、そういう存在を前提にしているが如きです。
駒もせめて秘書的な立場なのに「侍医」であったり、あちこちに出張るから疑問を持つ人はいたと思います。これなら今年の阿茶局のほうがまだわかります。そして阿茶局の場合は、たとえば家康と三成が会っているところに、姿を現すようなことはありません。

そんな冷笑逆張りセンスがバリバリに滲んでいるのが、今年の大河ですね。

と言うより、武者さんが『どうする家康』や『青天を衝け』に思い切り逆張りしていないでしょうか。以前ご紹介した逆張りについて書かれたnote記事にありましたが、
「その作品に「ある」点を見つけるより「無い」点を叩く方が何千倍も楽で誰にでもできるわけで(書いてないことを指摘するだけなので)そんなことに意味はない……が人はついついやってしまうと赤裸々に書かれている」
というのは、武者さんに当てはまりそうな気がします。実際今年は「描かれてない」点をやけに叩いていますから。

二虎競食、駆虎呑狼
予想通り、文春砲は第二弾がきました。これが最後でもないように思えます。

二つの敵対勢力を戦わせて、同時に弱体化させるというのですね。
で文春の記事によれば、嵐とsnowmanを仲たがいさせようとしているとか何とか。
しかし武者さんて、文春とタイアップでもしているのですか。自説補強に使える記事が来て本当にうれしそうですね。
やれ「マザーセナ」だ何だと未だに書いていますが、武者さん自身が文春記事を信奉したくてたまらないのかも知れません。

競い合うとなればなかなか危険な策であり、文春には兵法を巧みに駆使する方がいるようです。さあ、文春だけに頼らず、NHKに声でも送りましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

「文春には兵法を巧みに駆使する方がいるようです」
いやマスコミはそういうものですから。

そしてこの
「さあ、文春だけに頼らず、NHKに声でも送りましょう」
武者さんて文春にもメッセージ送っていたのでしょうかね。

飲み物-ブロンドのエール
[ 2023/10/28 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第40回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第40回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
しかしひとり決めと偏見があまりにも多くないでしょうか…。

その前に先日投稿分の『葵 徳川三代』の信康関連です。

まず家康が、四男忠吉と井伊直政に先陣を命じ、秀忠が遅れそうな件、それゆえに、豊臣家恩顧の大名に頼らざるを得なくなりそうな現状を憂えてこう言います。
「せがれがいたらば、これほどにはあるまいものを…」
側に控えていた本多忠勝が、秀忠殿もおっつけ馳せつけられましょうぞと言うものの、この場合の家康に取って、せがれとは秀忠のことではありませんでした。
「明日は長男信康…信康めの命日じゃ」
すると三成が関ケ原に向かっているという知らせが届き、家康は大いに喜びます。
「信康めのお蔭じゃ!」

この薬が効いたと忠勝が言っているのは、家康が本多正純に命じて忍びを放ち、家康が佐和山城を攻めるという噂を流して、三成を関ケ原に引きずり出そうという目論見のことで、事実その通りになったわけです。


では本題です。

三成と家康は星空の下でBLということにしたいのでしょうか。
東洋の星宿すら理解できないのに、二人はいったいどんな会話をしたいのですか?

「東洋の星宿すら理解できない」
この時三成は、うさぎ座と厠について家康に話していました。
この2つは二十八宿の参宿にあります。つまり彼は、東洋の星宿についてきちんと理解していたわけです。
にもかかわらず、武者さんはこの時二十八宿についても、参宿についても全く触れていませんでした。そういう人にこう言われても、何だかなあとしか思えませんね。

そして一つ覚えのようにBLだなんだ、『どうする家康』を「学園ヘヴン」シリーズになぞらえたらこうなった、全然大河に真剣に向き合っていないうえに、

今、ブロマンスが見たい本物の若者は、『陳情令』や『魔道祖師』を見ていると思いますよ。

だからどうしたのですか?
ここ『どうする家康』関連コラムなのですけど。
なぜ大河コラムで他の作品の話ばかりするのでしょうか。

結局、このドラマの動機は感情論だけなのです。
好き嫌い。がんばってるもん。応援してよ!
単にそれだけで、部活動感覚でしかない。こんな幼稚な心情描写で、戦乱社会や、その終息に向けて必死になっている人物を描くなど、到底不可能でしょう。

また「幼稚な」ですか。
のみならず部活動感覚だの、感情論だの、果ては
「好き嫌い。がんばってるもん。応援してよ!」
て何ですか?こういう書き方の方が、幼稚に見えて仕方ありません。
ちゃんとドラマを観ているのであれば、それに沿った批判をしてくださいね。

政治的な駆け引き描写が全く出てこないのは、登場人物がお子様なだけでなく、作り手の心性もそこで止まっているから。
おやつだけをバクバク食べ散らかし、野菜を食べるのは絶対にやだもん! と主張している幼児性だけが見えてきます。

「政治的な駆け引き描写が全く出てこない」
五奉行と大名たちの合議制とその後の上杉、毛利の言葉
本多正信も忠告した家康の様子見。
徳川と他の大名家との婚姻と糾問使への家康の態度
茶々の「家康は平気で嘘をつく」
家康と三成の会見
七将を相手にして意を決する家康
などなど、政治的駆け引きの描写はかなり出て来ますが、何を観ていたのですか?
あと作り手の「心性」より「感性」ではないかと思いますが。

「おやつだけをバクバク食べ散らかし、野菜を食べるのは絶対にやだもん! と主張している幼児性だけが見えてきます」
ならばどのシーンに「幼児性」が見えてくるのか、きちんと説明して貰えないでしょうか。でないと単なる決めつけでしかないのですけどね。

「修羅の道」だのなんだのセリフにしたところで、極めて薄っぺらい。ピーマンを残さず食べる覚悟を固めた程度の決意にしか見えません。
児戯につきあうほど世の中暇じゃない。徹頭徹尾、幼稚だから、人気が低迷しているのです。

とか何とか言うより、ドラマをちゃんと観ていないから、具体的な裏付けができていないのではと思ってしまいます。すべてこれは幼稚で児戯に等しいといった一方的な印象付け、レッテル貼りで片付けられているようにしか見えないため、説得力を欠いているようにしか見えません。

同じくNHKのドラマ10『大奥』では、徳川家治がきちんとした所作で薬湯を飲みました。
あの薬湯は重要な役割を果たします。変な飲み方をしてはいけません。
(中略)
それが大河ではどうか。片手で茶碗を持ってごくごくと飲むことがイケてると思っているのか、信玄も家康もそうしました。
茶道は精神修養でもある。
もしここで、綺麗な所作で飲んだら、精神一到したいことが表現できたことでしょう。

これも何を言いたいのでしょうか。第一、薬湯がなぜ途中で茶道にすり替わっているのでしょうか。
信玄の場合は茶、家康の場合は薬湯ですが、2人とも特に儀礼的な所作を要求される状況ではありませんでした。また信玄が片手で茶を飲んでいる時も、あの時の家康や忠勝は両手で茶碗を持っていました。故に阿部寛さんの手の大きさも、あるいは関係していたかと思います。
また家康が薬湯を飲むシーンは、部屋に一人でいる時です。『大奥』の徳川家治がどのような場にいたのか、生憎私は知りませんが、状況によってはきちんと両手で飲むことを要求されるでしょう。要はその人物が茶なり薬湯なりを飲むのが、どのような場であるかということです。

しかし、このドラマはそうならない。昭和平成の勘違いしたカッコつけセンスしかありません。
居酒屋に貼ってある、グラビアイドルがジョッキを抱えて微笑むポスター辺りの時代ですね。
思えばこのドラマはずっとそんな感じだ。
市の訃報を聞き、家康の手から筆が落ち、ペンのように横に転がる場面がありました。筆の持ち方をふまえたらありえない場面です。

また「昭和平成の勘違いしたカッコつけセンスしかありません」
武者さんこれも好きと言うか、くどいほど出して来ますね。この「勘違いしたカッコつけセンス」て、具体的に何なのかと思ってしまいますが。
そしてこれもしつこいと言うか、筆の持ち方について。前に3回ほど出て来ていたと思います。そして不思議なのは、
「家康の手から筆が落ち、ペンのように横に転がる場面」
とあるわりに、家康自身の筆の持ち方には触れていない点です。なぜ転がり方ばかりにこだわるのでしょう。

しかもこのシーン、見たらわかりますが、ちゃんとした筆の持ち方していますね。
これについては、taketak39460607さんのnote記事でも解説されていますが、家康はちゃんと筆を立てて字を書いています。
しかし直政の北ノ庄城落城の知らせを聞いて手を休め、ここで筆を横に寝かせた状態となっています。しかる後に筆を落としている。当然筆は横に転がるわけです。

それにしても武者さん、この筆関連のミスリードをあと何回続けるつもりですか?そう言いたくもなってしまいます。

どうにもこのドラマは、日本の時代劇の所作を無視して、古いセンスで演出することがかっこいいと勘違いしている誰かがチーム内にいるようなんですね。
「俺がもうプロデューサーをやる」と誰か言いだしたとか?
やたらと立ったまま押し合いへし合いする場面が多いとか。廊下で偶然出くわすとか。廊下で何もかも喋り散らすとか。現代劇そのままのセンスをやらかす。

時代劇の所作と古いセンスの違いについて書いてほしいです。
時代劇の中での所作すなわち古いと捉えている人もいるかも知れません。
それと「俺がプロデューサーをやる」の裏付けをちゃんと書いてください。

「やたらと立ったまま押し合いへし合いする場面が多いとか。廊下で偶然出くわすとか。廊下で何もかも喋り散らす」
時代劇でも、もちろん大河でも過去にこういうシーンはありますよ。そしてこれも今まで何度か書いていますね。
そして「現代劇そのままのセンス」と言うよりは、この大河の中の嫌いなシーンを、時代劇の所作無視だと決めてかかっているふしがなきにしもあらずです。
無論、好きな大河でこういうシーンがあっても不問に付すのでしょう。

そこまで時代劇が嫌いなら、どうして大河に関わったのでしょう。多くのファンがそう嘆きたくもなるのも無理はなく、センスが10年前か20年前あたりで止まっています。
タランティーノが最先端とでも思っていそうで、もう、古臭くてみちゃいられません。

「そこまで時代劇が嫌いなら、どうして大河に関わったのでしょう」
そこまで今年の大河が嫌いなら、どうしてこのコラムを武者さんは毎週書いているのでしょう。

そして、その10年前とか20年前のセンスとは具体的にどういうものですか。10年前の大河は『八重の桜』ですが、この大河にもこういう古いセンスの演出があると言っているに等しいのでは。
そしてまた、直接関連はなさそうなのにタランティーノが引き合い。

今回のラストは、家康がやっと覚えて語っていると伝わってきてつらいものがありました。
そこまで長くないセリフなのに、覚えるだけで気力が尽きているように見える。
時代劇の演技が苦手であれば、なぜ主演などを引き受けたのか。
幼稚な衣装の色もあり、これのどこが天下人なのかと失笑するしかありません。

「今回のラストは、家康がやっと覚えて語っていると伝わってきてつらいものがありました。
そこまで長くないセリフなのに、覚えるだけで気力が尽きているように見える」
今年は特に、出演者をコケにしたような記述が目立ちますが、これがどれだけ失礼なのかわかって書いているのでしょうか。

「時代劇の演技が苦手であれば、なぜ主演などを引き受けたのか」
松本潤さんが苦手だと言ったのでなければ、あまり勝手に詮索するべきではないと思いますよ。

「幼稚な衣装の色」
また「幼稚」。家康の衣装はブルー系、藍がメインですがあれは幼稚ですか。ならば『麒麟がくる』の、光秀の若い頃の衣装もすべて幼稚となりませんか。

こんなアラカン児が「しゅらのみち♪」と『鎌倉殿の13人』と同じフレーズを使ったところで、だから何なのか。
◆「どうする家康」修羅の道がトレンド入り!「鎌倉殿の13人」から再び(→link)
これにしたって『吾妻鏡』が家康の東国政権構想に合致すればこその最終回登場だったのに。そんな大事なことも、ろくに生きていないじゃないですか。

今後の家康の生きる道は、修羅の道と呼んで差支えないでしょう。
戦国時代を本格的に終わらせるために関ケ原で雌雄を決し、さらに幕府を開いた後の豊臣家との駆け引き、大坂の陣などなど、なかなか骨の折れる仕事ではあります。
そして「家康の東国政権構想に合致すればこそ」
これからその東国政権が始まるわけですが。でもこれ、単なる東国政権ではありませんけどね。

『麒麟がくる』から光秀=天海を出せだの。『鎌倉殿の13人』からの伏線だの。まっとうな大河に近寄らないで欲しい。
今までにないシン・大河だの、アップデートだの言いながら、過去に擦り寄って媚を売ってこんな記事を書かせて、プライドはないのでしょうか?

まっとうな大河と言うか、「私の好きな大河に近寄らないで!」と武者さんは言いたいのでしょうね。
そしてこれも何度も書いていますが、
「シン・大河だの、アップデートだの」
はマスコミが言っていることです。制作サイドではありません。
何だか麒麟とか鎌倉殿を持ち出されるのが、ことのほかお嫌いなようですが、同じ大河である以上、全く避けて通れるものでもないでしょう。嫌ならスルーしておけばいいのに。

◆松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは(→link)
◆「どうする家康」三成の合議制にネット「やめておけ」&仰天「鎌倉殿の13人」最終回からロングパス伏線?(→link)

ナレーションで死ぬことを、「ナレ死」と呼びます。
本作はそれを凌駕した「相関図死」が後半大量発生しています。
◆大河家康【悲報】服部半蔵すでに死没 ナレもなく突然退場、公式に他界表記 愛すべきポンコツ、最後も指笛スーッ!ネット驚く「寂しすぎる」(→link)

昨年のこのコラムでしたか、武者さん「ナレ死という呼び方が嫌い」などと書いていませんでしたっけ。
なのに、ここで「ナレ死」なのですか。作品の好き嫌いによって変わるものなのですね。

上記の記事タイトルだけで、どれほどくだらないドラマなのか痛感できるでしょう。
服部半蔵を描く上で、ポンコツだの指笛だの、そんなものが果たして必須なのですか。

実際服部半蔵はあの後ほどなくして、慶長元(1597)年に亡くなっています。ドラマ本編でも、これが最後でござるからと指笛を鳴らすも鳴らず、彼の寿命もほどなく尽きるというのを物語っているように見えます。

そして
「どれほどくだらないドラマなのか痛感できるでしょう」
どこがくだらないのですか?
「愛すべきポンコツ」とあるのが気に入らないのですか?

まぁ、求められる服部半蔵の要素は、映画『首』が埋めてくれるでしょう。
◆松本潤、「どうする家康」山田孝之との同い年ショット公開「これからは半蔵門の文字を見るたびに服部半蔵と孝之の事を思い出すでしょう。。」(→link)
半蔵門を見ても、思い出すのは大河ではなく『首』の桐谷健太さんですね。
一刻も早くあんなしょうもない半蔵は忘れたい。侮辱でしかありません。

『首』のことなら他で書いてくれませんか。
叩き棒目的もあるのか(これがそもそもどうかと思いますが)、大河コラムであるのに、他のドラマや映画をかなり引っ張って来ていますが、なぜそこまでして他作品のPRに務めるのですか。
その割に、正直な話ドラマ本編をきちんと観ているようには思えませんし。

飲み物-グラスに入ったビール
[ 2023/10/27 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第40回に関しての武将ジャパンの記事について-1

では第40回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて。尚今回から、後半部分の引用は少なめにし、4回程度で終わろうと思います。いつも同じような持論展開が多すぎるので。


でのっけから、
「今週はロゴが変わるところから始まり、石田三成が星空の下でマザーセナじみた妄想を語っています」
だの
「回想されるのは「えびすくい」おじさん。酒井忠次を演じた大森南朋さんは、これほどまであの踊りをやらされると思っていなかったとか」
だの。
何度も書いていますが、三成と瀬名は接点がありません。このコラム、「マザーセナ」なる言葉を一度は入れないとアップされないのでしょうか。あと、大森さんのコメントのソースをお願いします。

でまた大河コラムで他作品のPR。

彼をえびすくいに浪費した磯Pのことは一刻も早く忘れて、『首』の豊臣秀長に期待したいところです。
◆北野武監督『首』15名のキャラクタービジュアル一挙紹介(→link)

他にも「毛量が異常に多い淀殿の回想」だそうで。それが彼女のキャラと何か関係ありますか?他の戦国大河の高位の女性たちも、あまり変わらなかったと思いますが。

西軍側の人物が、揃いも揃って見苦しいほどの悪役ヅラにされていて気の毒になってきます。

上杉景勝は好戦的なキャラ風だからあくが強いし、毛利輝元は裏表がありそうですが、それ以外の人物はどうでしょうか。第一三成が「悪役ヅラ」ですか?
それに徳川メインなら、西軍はどうしてもいわくありげキャラになりますね。

このニコライ・バーグマンの花が似合いそうなオープニングは一体何事でしょうか。

「ニコライ・バーグマンの花が似合いそうな」
うーむ、大変失礼ながらこういうのを、何とかの一つ覚えと言うのかとも思ってしまいます。
「マザーセナ」然りですが。

『八重の桜』は月毎に変わり、見応えがありました。あの出来と比べると、今年は本当にしょうもない。

あれは『八重の桜』が東北復興の意図があり、それに予算を回していたからでしょう。正直言って、私はあのOPは好きなものあり、そうでないものありでした。それとまたここでも「しょうもない」。

ここで出てくるロゴにも結局慣れることはできません。
先日『光る君へ』の毛筆ロゴを見て心が洗われましたが、大河ドラマに求められているのは、そうした凛とした落ち着きであり、今年のように手癖の悪い妄想はとにかく不要。

慣れなければ観ないことでしょう。
そしてまだ始まってもいないのに、叩き棒にされる来年の大河が気の毒になって来ます。この間再来年が楽しみとか書いていたと思いますが、なぜここに来てまた来年?

今年はドラマが終わったら、記憶からなるべく速やかに焼き消さねば。

記憶から速やかに消していたら、このコラムは書けないかと思いますが?

なんせこのドラマのキャストときたら、飲み会の話が大好きですからね。
◆松本潤、「どうする家康」大鼠・松本まりかとの惜別ショット投稿「#孝之と一緒にまた飲みに行こー」(→link)
三成をじーっと見つめる家康の目線もなんだかなぁ……。
どうせ「彼らは仲良し」とでも持ち上げるネットニュースが出るんでしょうね。最速は月曜の午前中ですかね。
◆松本潤が”大親友”に出演を懇願し…大河ドラマ『どうする家康』石田三成役に中村七之助が選ばれたワケ(→link)

「月曜の午前中」のニュースがほしいから、10月24日火曜日のアップになっているのでしょうか。
武者さんの都合に合わせて日にちをずらせるのですね。しかし大河コラムのはずなのに、これだとゴシップコラム、芸能コラムになってしまっていませんか。

本作は、とにかく緊張感がなく、弛緩しきってます。

何度も言いますが、だったら観なければいいかと思います。しかも毎度毎度同じようなことばかり。同じようなシーンがあるからと武者さんは言うでしょうが、そしてこれも何度も言いますが、最初からネガティブに突っ込んでいるだけではないかと。

緊張感が無いのは、他の連中も同じで、廊下で思ったことを全部しゃべるあたりもバカバカしい。周囲に筒抜けではありませんか。
それで「三成はめちゃくちゃ頭がいいよねw」と言われてもわけがわかりません。

廊下で思ったことを喋るのて、三成VS上杉、毛利くらいしかありませんし、結局家康が仕切るであろうこと、家康は狸だと言ったことを伝えているだけでしょう。
家康がいない場所で話すのですから、ああいう場所、しかも特定の身分でない人と立ち入れない場所で言うしかありません。
さらに毛利輝元が、お前は頭がいいが人の心が読めないといったことを言っていますね、そこは無視するのですか?

カフェで機密情報を平然と処理して、そのままトイレに行きそうな奴が有能だって?

言っていることがよくわかりませんね…。
武者さんは三成に対して、実はこういうドジな人物であってほしいと考えているのかとは思いますが。

結局、三成が賢いのに空気が読めないというのは、『真田丸』の設定をセリフにして読ませただけ。
そういう「人物設定なんだよね」ということが空虚に流れているだけなので一ミリも説得力がありません。

「空虚に流れている」などとあまり聞かない表現ですね。それにこの三成と『真田丸』の三成は、主人公との関係からして全く別物ですよ。出会ったのも遅いし、第一前田利家のセリフにあるように、年齢が違いすぎ、ジェネレーション・ギャップも当然生じてくるでしょう。

阿茶局と本多正信は、比較的マシに描かれているかもしれません。
しかし、正信はいつも何か食べてイキっているのが鬱陶しい。
阿茶局にしても、なぜか一人だけ立膝。
ドヤ顔でいつも同じ調子で「私、頭がとてもキレるのw」とアピール感満載で一体なんなのでしょうか。見せ方が本当に幼稚だ。
正信はもういい歳ですよ。加齢を意識した所作と発声にしていただかないと、とてもじゃないけど有能さは感じられません。ワンパターンの曲者演技にはもう飽きました。

本多正信はいつも何か食べていて、のほほんとした顔つきでしかし正論を言う人物ですからね。そういう人物の面白さが鬱陶しいとかワンパターンの曲者演技などと言うのは、人物像をとらえられていないのでは?

あと阿茶局。
この大河、瀬名や亀姫も立膝をしていたシーンはありました。
そして彼女は袴を着けているから、立膝でもおかしくないでしょうし、次回の予告を見る限り、敵に対して短刀を持って戦おうとしています。そのためにもすぐに身動きが取れる立膝の方が都合がいいのでしょう。

どうする家康第40回阿茶局2
(『どうする家康』公式サイトより)

好きな大河なら真っ先にほめそうなキャラでしょうね。

「ドヤ顔でいつも同じ調子で『私、頭がとてもキレるのw』とアピール感満載で一体なんなのでしょうか。見せ方が本当に幼稚だ」
武者さんが(あるいは難癖をつけたくて)そのように見ているだけかと思います。そういう見方しかできないこと、しかもそれを何かのように報酬付きコラムに書くのであれば、正直、どちらの方が幼稚かと。

朝鮮出兵と言われても、雑なVFX処理と、同じ調子で前線にいる三成で処理されるから意味がわかりません。
三成はまるで京都大坂からテレポートでもしてきているみたい。

せめて「主人公が朝鮮に行っていないから意味が分からない」とでも書かれていれば、まだ筋が通るかと思われます。
それと朝鮮での戦いのシーン、あれはVFXではないでしょうし、三成がテレポートと言うのなら、他の大河でも他所からの移動は多くの場合テレポート的でしょう。『麒麟がくる』で、光秀は京から越前へ瞬間的に移動していませんでしたか。

そしてイキリ散らす連中が「めっちゃブラック戦場だし!」と語るわけですが、説明セリフだけで言われても意味がわかりません。
間抜けなオルゴール調のBGMがますます嫌になります。ドラマ10『大奥』は音楽の使い方が本当に巧みで見事なのに大河ドラマで一体何をやっているのでしょう。

また「大河ドラマで一体何をやっているのでしょう」
10時台のドラマと大河とでは予算の使い方もセットもかなり違うと思いますし、単純比較できないと思います。
あと音楽の使い方は、武者さんの好みの問題、もっと言えば「『大奥』の方がいいに決まっている!」という思い込みの問題でもあるかと。

そしてまた「説明セリフ」。戦場の様子が描かれていないから、状況をわからせるにはあのセリフになりますね。これを説明セリフと言うのなら、『鎌倉殿の13人』でも『麒麟がくる』でも説明セリフだらけでしょう。何でもかんでも、説明セリフと書けばいいものでもないし、ワンパターンの極みでしかないかと。またイキリ散らすにしてもちゃんと理由がありますし、実際にかなり過酷な状況に置かれていたわけで、それを単にブラックで済ますべきでしょうかね。

嫌ならもうやめてしまった方がいいのに。この間この大河は蝿の入った料理だと書きつつ、その料理の所にまた戻って来て蝿を眺めるとは、武者さんてよほどの「数寄者」であると見ていいのでしょうか。

そもそも三成はどこが切れ者ですか?
「朝鮮のことは俺が責任取ります!」
なんてカタコトで言われたって意味がわかりません。三成が責任をとったから、何がどう解決するのですか?

あの博多のシーンですか。
あそこで
「朝鮮のことは俺が責任取ります!」
なんてセリフありましたか?
戦のしくじりの責めは不問にいたしまするとは言いましたが。しかしこんな言い方をした上に茶会まで持ち出したため、バカにしてるのかと黒田長政が怒ったし、加藤清正もまた怒りをあらわにしたわけですね。

このドラマって、責任の取り方が部活動レベルなんですよね。
部室でタバコ吸った責任をとって三成くんが退部します。次の試合も欠場します。その程度です。精神の成長が止まっています。

全く違うと思いますが…。
三成自身は間違っていないのですが、朝鮮から帰って来た諸将その他への対処方法がよくないわけでしょう。しかも理詰めで行くものだから、どこか齟齬が生じてしまい、それでもなお自分が正しいと言うから反感を持たれるのですよ。

しかも北政所が「飲み会でもしたらどう?」と言い出すからわからない。
「みんなでファミレスいって仲直りしよう! ドリンクバーで飲んで、パンケーキでも食べよ!」
とか提案する母親ですかね。

この時代の武将の親睦と言えば、大抵飲み会ですけどね。
酒を飲むことでくつろいだ雰囲気になり、相手の気持ちも察せられるという効果があるわけで、ファミレスとはまた意味するものが違います。
しかし武者さん、以前はホームセンターを引き合いに出していて、今度はファミレスと来ましたか(苦笑)。

で、断られたら「あの子も真っ直ぐすぎる」だってさ。
わけがわかりません。だいたい、それが視聴者にわかるほと三成のキャラクターは描かれてきてませんよ。

少し前の方にも書いていますが、三成のキャラが今までさほどに描かれていなかろうが、この回の一連のやり取りを見ていたら、まっすぐ過ぎて融通が利かない、空気が読めないキャラであることはわかるかと思いますが。


飲み物-クリームとココア

[ 2023/10/25 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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