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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。しかしよくこれだけ長々と書きますね。


一連の報道には、心身ともに疲弊しきっています。
しかし、いつかこういう日は来るだろうとは思っていました。何かが危ういだろうと。
去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。

このパラグラフ、「ドラマ鑑賞者との共犯関係」なる小見出しがついていましたが、いくら何でもこの書き方はないでしょうね。
そして武者さんは
「BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていた」
のが面白くないのでしょうが、ドラマの観方というのは人さまざまであり、特にこういうことに口を挟むものかと思います。自分と違うなら違うで、スルーしていればいいのではと思いますが。

で、そのあとも
「描写として秀逸かどうか……ではなく「自分が萌えるかどうか」「自分が好きかどうか」で決めてしまう」
などとありますが、大河の評価を自分が好きかどうかで決めつけ、あまつさえ好きな作品を嫌いな作品の叩き棒にしたがる武者さんに、こういうことを言ってほしくないなと思います。

誰だってそういう部分はあると思いますが、行き過ぎてはまずいでしょう。

では、どういう部分を「行き過ぎ」と判断するのでしょうか。

そして『あまちゃん』はAKBビジネスを無毒化し、ロンダリングしているだの、吉本興業ロンダリングの朝ドラ『わろてんか』のように、作品自体の出来が悪ければ悩まずに済むからまだマシだの。しかも、
「私がもう一度『あまちゃん』が好きだと言えるようになるのは、そのあたりがハッキリとしてから。好みと人倫は分けて考えなければならないと思います」
なのだそうですが、この人本当は『あまちゃん』を好きではないのだろうなと思います。本当に好きであれば、あのアイドルグループビジネスの描写にしても、それはそれと割り切って観ることができるでしょうから。

ネットニュースについては、PV(閲覧数)を稼げればいいのか。描写として適切かどうかよりも、「萌える」かそうでないか、そこに注目する記事が増えています。
その弊害を思うと、そろそろ見直すべきではないかと感じていたところです。

こう言っては何ですが、PV数を言うのであればこのコラムも同じようなものではないでしょうか。

事務所。ファンダム。劣情。そんなものにつけ込むばかりでよいのかと。
ジャニーズ問題で顕在化された感はありますが、朝ドラや大河ドラマのニュースは、近年、どんどん下劣になっているとは思っていました。
たとえば2018年朝ドラ『まんぷく』では、憲兵拷問を受ける俳優に劣情を抱いて盛り上がっているSNS投稿がありました。
この事件はモデルとなった人物も深刻な負傷をしています。憲兵の拷問では落命した方もいます。
そういう悲劇であるにもかかわらず、それをソフトポルノめいた演出にし、萌えるだのなんだの言い募ることはあまりに無神経ではありませんか?

まず「ニュース」が下劣と書きながら、なぜここで「SNS投稿」を出してくるのか。この両者は異なると思います。
恐らく萬平が冤罪で拷問となったシーンのことなのでしょう。しかしあれが「ソフトポルノ」だったでしょうか。あれはあくまでも拷問だったと思います。
中にはそういう投稿をした人もいるでしょう。しかしそれが視聴者の総意であるかとは、ちょっと言えないのではないかと思うのですが。

朝ドラではなく大河に話を戻しましょう。
『どうする家康』はなぜ失敗したのか?
私なりの分析であれば、『青天を衝け』が成功したことを一因にあげます。
あのドラマは、最新の研究成果をアリバイ的に取り入れただけで、悪質な捏造や歪曲も多い。VFXや小道具の作りも拙い。
それでも受けたのは、SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと。
イケメンラッシュ。勝ち組である。そういった小技のうまさがあるのでしょう。

まだ終わってもいない大河が失敗だ何だと書くのも、ちょっと無神経ではないでしょか。
そして『青天を衝け』が成功したとし、
「SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと」
さらにイケメンラッシュだったと書いているのですが、ストーリーの展開も、徳川家康の登場などの要因も無視されているなと思います。そして例によって「悪質な捏造や歪曲」(関東大震災絡みでしょうか)、「VFXや小道具の作りも拙い」(と武者さんは観たいのでしょうね、ならばどういうのが拙くないか例を挙げてほしいです)などなど。

その小ネタの一例がこちらです。
◆「青天を衝け」大河名物!?吉沢亮のふんどし姿に反響 「大河恒例の裸」「大河のふんどしタイム」(→link)
「大河恒例」だのなんだの書かれていますが、記事にもあるように『麒麟がくる』ではやりません。
そもそもこの場面はおかしかった。必然性もないうえに、役柄はまだほんの子どもです。
子どもがうっかりして下着姿になることに萌えただの興奮しただの、演者が成人であっても、そういうラッキースケベ狙いはあまりに下劣で嫌でたまりませんでした。

大河にはそれぞれの描写方法があり、別にこういう方法があればあったでいいと思います。
武者さんが褒めていた頃の『いだてん』なんてもっときわどいシーンもありました。また『真田丸』の石田三成が水垢離をするところ、あれも同じようなSNSの反響がありましたが、それには突っ込まないのですか?

このドラマでは、安政の大獄で処刑される橋本左内が、どういうわけか松平春嶽と共に半裸で蒸し風呂に入るような、わけのわからないサービスシーンもありました。
非業の死を遂げた人物をお色気要員に使うデリカシーのなさに嫌気がさしたものです。

それですが、『八重の桜』で覚馬と尚之助の入浴シーンもありましたね。こちらも、尚之助の晩年は幸せとは言えないものもありましたが、それもデリカシーがないということになるのでしょうか。

そして「全てのお色気が悪いわけではありません」として、

『鎌倉殿の13人』で八田知家や三浦義村が、堂々と脱いでいる様は、それこそ運慶の金剛力士像のようで素晴らしかった。
頼朝の前で身をくねらせる北条政子。琵琶を奏でる実衣。あざとさ満点で歩いてくる源仲章。
彼らは自分自身の持つ艶かしい力を意識的に使っていて、それは素晴らしかった。

とありますが、嫌いな大河であれば思い切り叩いているのではと思います。先日も書きましたが、武者さんのダブスタにしか見えません。そして

「そういう自覚した上での色気ならわかります。けれどもああいう覗き見的なお色気描写はどうなのでしょう」

「自覚した色気」と「覗き見的な描写」の線引きをどのようにするのですか?
具体例を挙げてください。

それに何よりも『まんぷく』『青天を衝け』のようなあざとい描写に、演じる俳優は納得できていたのでしょうか。

俳優さんが台本を読んで納得しないと、ああいうシーンは収録できないと思うのですけどね。

そしてこの色気だのセクシーだのの文章が延々と、しかも正直言って、武者さんの愚痴のようにしか思えない文章が延々と続くのでここでは省きます。本当にコラムを書ける人であれば、要点だけを絞り込むものだと思います。
またジャニーズの差別意識だのハラスメントだの。そして今度は、ファンを槍玉にあげた記事を例に挙げています。武者さんにしてみれば我が意を得たりといったところでしょうが、そういうのはこの大河と直接関係ないのだから、別のコラムでやって貰えませんか。しかもこの一連の問題、黙っていたマスコミも悪いという声も出ているようです。

そのうえでまた『青天を衝け』叩きが続きます。『どうする家康』もそうですが、この『青天』叩きもしばらく続きそうですね。しかも大河コラムなのに、例によって後半部分はすべて持論展開。『武将ジャパン』はなぜ何も言わないのでしょうか。

そして

過ちては改むるに憚ること勿れ。『論語』「学而」
間違って修正することを、他人や周囲の目を気にしすぎてためらってはいけないよ

正しくは
「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や体面などにとらわれず、ただちに改めるべき」
の意味ですね。

そしてすさまじいのが

「ともかく、NHKは悪質極まりないドラマを、問題点がわかっていながら放映した。人倫にもとることを堂々とやってのけた。それでもマスメディアは誉めていた。
そういう甘っちょろい態度が大河制作班をつけあがらせたのではないかと、私は考えています」

などとあることです。
これは『青天を衝け』への中傷ではないでしょうか。何よりも、自分が嫌いな作品だといわばタガが外れてしまうのか、悪質極まりないだの、人倫にももとることだの堂々と言ってしまう、その方が異常に感じられてしまいます。

『どうする家康』のクオリティは、もう問うべきものですらないとも思います。
徳川家康をダシに使った主演俳優のプロモーションビデオでしかない。
ジャニーズの広告降板をみていると、それを嘆くSNS投稿も当然目につきます。
推しが宣伝しているから買ったのに――そんな嘆きの声です。

ではそのSNS投稿というのを見せて貰えませんか。当然スクショなり何なり取っているのでしょうから。
それも『どうする家康』をきちんと批評している人が、こういうことを言うのならまだしも(と言うか、そういう人は一方的に決めつけないと思いますが)、普段出演者からスタッフから散々に言っている武者さんがこう言っても、ああまたかとしか正直思えないのです。

そして急にマルティン・ルターが出て来て何事かと思ったら、ジャニーズ免罪符だのなんだの。しかも推しの広告商品に金を落とすことが、免罪符そっくりらしい。免罪符、所謂贖宥状は現世の罪の赦しを、お金を払うことによって得て、天国に行けるというシステムであって、推しの広告商品にお金を払うのとは意味するものが違いませんか?

あとルター(ルーテル)派ですが、昨年武者さんが何かの如く言ったカトリックの聖人の一部は、この教派でも崇敬されていますね。

その後も『平清盛』と『どうする家康』の磯CP叩きだの、それと強引にジャニーズを絡める姿勢だの、しかも毎回同じようなことを書いているようにしか見えないし、何よりも武者さんの自己満足にしか見えないのでこれもパスします。
最後にこの部分だけ挙げておきます。

「推し活」そのものも曲がり角に来ている
つらつらと書いてきまして、最後にもうひとつ。
近年「推し活」が盛んになってきています。
けれども、いったん立ち止まった方が良いのかもしれません。

「つらつらと書く」は言葉本来の意味だと、よく考えて書くという意味になりますが、どうも「よく考えて」書いている印象があまりなく、今まで書いて来たもろもろのことを、引っ張り出しているようにしか見えないのです。

そして
「前段で書いたように、推しの広告する商品にお金を落とすことを生きがいにしている人はいます。
それがあなたの寿命を縮めると指摘したら、あなたは笑い飛ばせますか?」
とあり、推し活はファーストフードや喫煙のようなものであると決めつけ、あまつさえ
「タバコ会社は莫大な金を払い、カーレーシングチームのスポンサーになり、タバコはかっこいいと宣伝しました。
そうして毒を吸わせることに成功していたのです」

タバコに含まれるニコチンは毒と言うより、依存性の高い物質と言った方がいいでしょう。
国立精神・神経医療研究センターの記事がわかりやすいので置いておきます。

喫煙と睡眠
https://www.ncnp.go.jp/hospital/guide/sleep-column23.html


推し活とは、健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではないでしょう。
歴史上の人物による推し活はいいですよ。対象が亡くなっていると安心です。
新史料の発見により外道な側面があらわになる。題材にした作品がとんでもないことになる。
そういうリスクがないわけでもありませんが、それでも広告代理店臭さが薄いだけまだマシです。

「健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではない」
それは武者さんの、特に嫌いな対象への推しに対しての考えでしょう。
しかし自分が好きな対象に対して、同じことを考えるでしょうか。
とどのつまり推し活がよくない云々より、
「私が嫌いなものを褒めないでくれ」
これに尽きるような気がします。

**********

ここで少し付け加えておきます。
この前のパラグラフで、『どうする家康』関連での推し活について触れていることを考えても、やはり
「嫌いなものを褒めるな」
これに行きつきそうですね。また本文では、タバコ関連の記述の後に
「いくら推しが宣伝しているからって、キャンペーン期間中、毎日ずっと同じファストフードを食べ続けたら、体には悪影響があるかもしれません。そう立ち止まることも大事なのでは?」
などとありますが、例えが極端だなと思いますね。
武者さんにしてみれば、嫌いなものを推す人々は愚かな存在に見えて仕方ないのでしょうか。推し活での商品購入はドーピングみたいなものだとも書いていますし。
こういうのが、ちょっと行き過ぎな感もあるファンダム嫌いにもつながっているのでしょう。

**********

それと「対象が亡くなっていると安心です」これもないかと思います。
また歴史関係にしても、大河のを含め関連イベントなどには代理店が絡んではいるでしょう。そして好きな大河の場合は、そういうイベントに率先して足を運ぶのですね。

そしてこのパラグラフの最初の部分ですが、

推し活は自分が解き放たれたようで楽しい!
それはそうですが、同時に思考停止の危険性もあるでしょう

武者さんが嫌いな大河をすべてネガティブに捉え、好きな作品を叩き棒にしたがるのも、ある意味思考停止ではないかと思います。

で、またみなさまの声。この間のイングランド戦の超ラグトークについて送っておこうかなと思います。

飲み物-ブランデーグラスのビール
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[ 2023/09/23 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第35回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。


本作はきちんとキャラクターを描いてこなかった。
こんな終盤にもなって、秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語るって異常ですよ。
歴史に興味がないという脚本家だけに、自身も忘れていて、コピペでもしているのでは?と思わせるほどです。

まず何を言っているか不明です。「秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語る」て、具体的にどのシーンのことでしょうか。そしてそれが「歴史に興味がない」と何か関係あるのでしょうか。取りあえず、何かネガティブなことを書こうとして、適当なことを書いているようにしか見えないのですが…。
そしてこれも3行で1パラグラフ。こういうのも実に適当だなと思ってしまいます。

それと『どうする家康』の場合、「終盤」は、関ケ原が終わってから後ではないでしょうか。後半の核になる部分に入って来てはいますが、まだ江戸の町を作る段階でもありませんし。

秀吉とねねの衣装コンセプトはなんとなくわかった。
質素な三河武士(どいつもこいつもアイスクリームフレーバーですが)とは異なり、ともかくド派手にしたいのでしょう。
しかし、だからといって夫婦揃って同じコンセプトのペアルック状態とは何事でしょう。
林家ペー&パー子じゃないんだから。
◆林家ペー&パー子オフィシャルサイト(→link)

どうする家康第35回秀吉と寧々2

ペアルックてこれですか?(『どうする家康』公式サイトより)
同じには見えませんけどね。関白殿下の方がどちらかといえば派手目でしょうか。
2人とも贅を尽くした着物を着ているなとは思います。大政所しかりです。

そしてペー師匠とパー子さんはあれがひとつの芸風ではありますが、この関白夫妻はそれとは違いますね。

それから、松本潤さんの家康がよほど気に入らないようで。

冒頭で、本作は演技過剰だと指摘しましたが、主演の家康も際立っています。
いちいち「俺、かっこいいです! この角度を見て! この口の歪め方どうよ?」といわんばかりの表情。イントネーションをつけすぎた台詞回し。
一体なんなんでしょう。
彼は顔の作り方が幼い。演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが。
大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか。
話題性と事務所の力だけに頼ってよいものでしょうか。

「一体なんなんでしょう」「頼ってよいものでしょうか」
例によって如何にも問題提起していますといった口ぶり(武者語録と言うべきでしょうか)ですが、要は自分が気に入らないから、やたらに問題視したいのだろうなと思ってしまいます。

そして
「彼は顔の作り方が幼い」
「演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが」
「大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
俳優さんの外見を云々し(ちなみに作り方ではなく『作り』かと)
「セリフを覚えるだけで精一杯」「演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
と、特におかしな演技をしているわけでもない相手に、自分が嫌いだというだけで誹謗中傷のしまくり。問題だなと思います。

これじゃ、武者さん自身に対して「一体なんなんでしょう」と言いたくなってしまいますよ。

しかしなぜこんな文章を書かせますかね。まず分別というものが感じられないし、そしてもちろん出演者への敬意もまるで感じられません。

あと事務所関連で思い出しましたが、経団連の十倉会長が、ジャニーズのタレントの活躍の場を奪うのは如何なものかとコメントしたようですね。

『麒麟がくる』のキャストとスタッフで、本能寺の後を見たかった――ふとそう思ったら、心から切なくなりました。
あの作品は、本能寺で終わるように作られている。
その先は蛇足になる。
だから、そういうことは考えたくないのに、どうしても考えてしまう。

だったら『麒麟がくる』だけ観て、その思い出にどっぷりつかっていた方がいいのではありませんか。これを書くのは何度目だろうかと思いますね。逆に私、武者さんに『どうする家康』もう観てほしくないのですけど。

第一本能寺後はもう光秀はいないことになっているのだから、その後は作れないでしょう。主人公の最後の見せ場である山崎の戦いは結局描いていないわけですし。ならばあそこで終わるしかなかったわけですが、一体何を言いたいのですか。

仲と井伊直政の絡みは、序盤だけで終わらず、しつこく繰り返される。
不愉快でしかありません。
このドラマはLGBTQを雑に出したり、たまに意識高いセリフをいうくせに、こういう「ババアはイケメンが好きw」みたいなミソジニーを堂々と垂れ流す。
趣味は差別、特技は逆張りみたいなドラマです。

武者さんのルッキズムとミソジニーの方が、よほどしつこく感じられるのですが。
どこをどうすれば
「ババアはイケメンが好きw」
なんて出て来ますかね。こういうことを勝手に想像する武者さんの人間性が問われるような気がします。

そしてなぜこれが差別になるのでしょうか。
あらすじと感想でも書きましたが、仲は愛すべき息子であったであろう秀吉が、最早得体の知れない存在になってしまい、その代わりを直政に求めていたように思われます。
「不愉快に思われる」なら余計に観ない方がいいのに、なぜか毎週観ては5ページもある文章をアップしていますね。

稲のだらしなく舐め腐った態度は、一体なんなのか。脚本家の趣味でしょうか?
このドラマから感じることは、武家の誇りがあるような女性のことを「ダサいしうぜえw」と捉えているということです。
武士の誇りがある明治生まれの女性というのは、昭和の時代はいました。アジア・太平洋戦争の敗北まで、日本人は武士の精神が掲げられていましたからね。
本作脚本家の世代は、祖母世代にそういう女性がいたはずです。

嫌いな人物が出てきたらなんでも「脚本家の趣味」。
出演者のみならず、脚本家もすべて否定しまくっていますね。
そして急に出て来た「武家の誇りがあるような女性」(『ような』が不可解、武家の誇りがある女性でいいでしょう)とは何ですか。

さらに、唐突に明治生まれの女性が出て来たと思ったら、これも脚本家叩きですか。ならばリアルに武士が存在した時代は、武士も武家の女性も皆それ以上に、誇りも覚悟もあったと思いますよ。あるいは今でも、そういう考えを受け継いでいる人はいないとは言えないでしょう。

しかしここの部分、何だか、書き方がもたついているように見えますね。

「脚本家の祖母世代には、明治生まれで武家の気質を受け継いだ女性もまだいて、周囲にそういう人がいたかも知れないのに、稲の描写を見る限り、武家の女性を貶めて描いているように見える。武家育ちである稲は、もう少し気高くあったのではないか」

こうとでも書いておけばいいのでは。

それなのになぜ、彼女たちをコケにするようなスタンスになってしまうのか。
「そんなクソババアみてえな女いらねえしw せっかくのかわいこちゃんはギャルにしちゃえwww」とでも言いたげ。
しょうもない逆張りしかできないんですかね。

しょうもない逆張り、ですか。
では武者さん、貴方は瀬名と於愛、2人とも武家の女性ですが、彼女たちを何と呼んだでしょうか?
瀬名はカルト教団のマザー、於愛は近眼設定は嘘でちゃんと見えているからレーシック於愛。そう呼んで蔑んでいませんでしたっけ。
そういう人に「武家の誇りがあるような女性」を云々されてもなあ、と思います。

秀吉のお膝元にやってきて、周囲には誰がいるかもわからない。
そんな緊迫感に包まれたはずの敷地内で、廊下でダラダラ話す徳川家臣団。
直後に、石田三成に出会うから、くだらなさここに極まれり、というところです。
彼らはどんなセキュリティ意識を持っているのか。
三成との出会いにせよ、偶然に頼らないと展開できないのでしょうか。

緊迫感に包まれたのは秀長の屋敷に着いた時、その後一連の儀式も終わって、すっかり打ち解けたのがこのシーンです。
そしてこういうシーンで偶然誰かに会うのが「くだらない」らしい。大河の出会いの半分ほどはこの偶然ではないでしょうか。八重が尚之助に出会うのも、直虎が龍雲丸に出会うのも、はたまた光秀が駒に出会うのもそうではありませんか。
そしてセキュリティ意識も何も、同じ屋敷の中にいるわけだし、しかも三成は賊でも何でもないのですが。
ならば武者さんは、どのような出会いをお望みだったのでしょうか。

石田三成はなぜ西洋の星座の話をするのでしょう。
もしかして脚本家は西洋占星術ぐらいしか知らないのでは?
朝のテレビ番組で流される星占いコーナーじゃないんだから。
「獅子座の今日の運勢は最悪! まさかと思っていたことが現実に……」

三成が話しているのは「星座」についてであり、「星占い」についてではありません。
武者さんがちゃんと観ていないなと思われる所以です。なのに繰り返しますが、5ページもある文章を毎週アップしていますね。但しその半分は、大河と特に関係ないものと言っていいのですが。

東洋にも星座はあります。北斗七星は誰でもご存知でしょう。
当時、星座といえば中国由来の星宿があり、それならば気にする武将もいると思います。本来の軍師には必須の教養でしょう。

やっぱり観ていないのでしょうか。家康が「厠と兎」の話をしていましたけど、どうせ家康のセリフだからと飛ばしましたか。
要は西洋のうさぎ座の一部が、中国では厠であることを意味しているのですけどね。そしてこの星座は、二十八宿の1つの参宿の一部と考えられており、このうちの4星が厠を表すとされていました。

衣装がチョコミン党員みたいな、見た瞬間にガッカリしたくなるミントグリーンときた。さっさと関ヶ原に散って欲しい石田三成を初めて見ました。

『麒麟がくる』の三渕さんの直垂のグリーンも、同じような色使いではなかったのでしょうか。

どうせ星を使うなら『北斗の拳』でもネタにすればいいのに。
ドラマ自体に「死兆星」が見えていますよ。
死兆星(しちょうせい)とは! アルコルのことである。北斗七星の横に寄り添うように光る四等星。死の運命を持つものの上に輝く不吉な星だ!

アルコルと言えば、視力検査に使われた星でもありますね。そして『怪盗ルパン』にも、文章のそれぞれの頭文字を取ってつなげるとこのアルコル(アルコア)になり、それが財宝の隠し場所を意味するというあらすじのがありました。
別に『北斗の拳』だけに出て来るわけではありません。

ようやく家具が増えたことは評価できるようで、時間がないことは伝わってきます。

日本語としておかしくないですか?
ようやく家具が増えて来たことは評価できますが、時間がないことが伝わってきます
とでも言いたいのですか。

大型プリンタで印刷して貼り付けるとか。
ポスターカラーで雑に描くとか。
そういう手抜きをしていませんか?

戦も一段落して、浜松城の城主ともなれば当然持ち物は増えるでしょう。
しかし大型プリンタだのポスターカラーだの、比喩が正直言って何だか安っぽいなと思います。そう言えば最近「ホームセンター」は鳴りを潜めたのでしょうか。

レーシックで完治したはずが、近目(近眼)が進んだそうです。
これまで何事も問題なく普通に見えていたのに、急にどうしたのでしょうか。
再手術となれば危険ですからご注意ください。
“家康の尻をぶっ叩きたい”だけのために近眼を言い訳にしてはいけませんよ。

これも何だか安っぽい印象があるのですね。
於愛は近眼設定じゃない、見えてるじゃないか、レーシックしたんだろうと無理やり感のある決めつけ。
おまけに
「再手術となれば危険ですからご注意ください」
余計なおせっかいです、私手術なんかしていないのにと言う於愛の声が聞こえてきそうです。
彼女は夫である家康も散々に言われて気の毒な話です。

レーシックお愛と家康の慈悲を施す態度がイヤだなぁ。
しかもここで団子に石を入れた老婆が出てくるのも意味わかりません。
殿様に嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない。こっそり受け取って去ればいいだけですよね。
なぜ、わざわざ自己申告する?

「イヤなら観るな」
慈悲の心に触れて、かつての悪行をカミングアウトしようとしたのでしょうね。あのお婆さんも、心の中では後悔かつ反省していたのでしょう。

そんなバカげた行為をさせてまで、家康の器量が大きくなったとでも言いたいのですか。
このしょうもない場面で「伏線回収!」という提灯記事が出たらどうしましょ。もう脱力するしかありませんよ。

家康の器量は、間違いなく大きくなっていますし、彼らが噂したことは、実は本当であると言うこと自体成長しています。
別に伏線回収なら、それで構いません。脱力したいのなら、悪いけど勝手に脱力していてください。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/09/21 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第33回『武将ジャパン』大河コラムその3です。
それから30日の福岡城関連投稿で、阿部進之介さんの名前の漢字を間違えていたので、訂正しています。


本作の制作者は、開き直っているんだと思います。
歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。
たとえば来週の旭姫もそう。
彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。
それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。
しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?

先日も書いていますが、制作サイドは「シン・大河」などと言っていないと思いますが――『麒麟がくる』の時に「大河新時代」と言ってはいましたが。
それと次回のをまだ観てもいないのに、
「ベタベタとした展開になったりするのは、そうでないと「シン・」にならないから」
などと書くのは、武者さんの勝手な決めつけ以外の何物でもありません。
ちなみに次回の予告について先日書いていますが、ベタベタした展開のシーンなどはありませんでした。

こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。

仮に今までの展開を、その真逆にするにしても、それがすなわち「手抜き」になるのでしょうか。

思えば初動から間違っていました。
家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?
昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。
しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。
もうこの時点で誤用が甚だしい。

「○○界のプリンス」などという表現は、特にPRの意味で使われますし、その意味で家康がナイーブなプリンスというのは少しもおかしくありません。プリンスではありませんが、ハンカチ王子なんて言葉もありましたね。
ところで豊臣秀頼も「豊臣家の若きプリンス」という触れ込みですが、武者さんそれにも何か言いそうですね。以前、『真田丸』の中川大志さんも同じような触れ込みであったかと思いますが、ただそれに対しては何も言わなかったかと思います。

徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。

強引ですね。この時点で信頼感が地に落ちていたのであれば、武者さんがあれもよくないこれも駄目と書いていたのは、一体何だったのでしょう。
「家康をプリンスなどとしている、だからこの大河はダメ」
この一言で済んだのではないでしょうか?

これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。
◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)
思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。
脚本が役者さんに信じられていないか。
あるいは、よほど中身がなかったか。

この記事ですが、松重さんのコメントによると

「出奔した後の最後のセリフも本来書かれていなかったセリフをアドリブで言ったんです」と告白。
(中略)
「松本潤家康とどういう別れ方をしたかなって2人で一生懸命シュミレーションした結果が33・34回の放送回だと思います」と具体的な出奔シーンの時期についても言及していた。

「出奔した後の最後のセリフ」
「33・34回の放送回」
とあるのを見る限り、このセリフは第33回ではなく、第34回に家康が上洛し、出奔した後の数正と会って、その時数正がこの言葉を放つのではないかと思われます。何よりも第33回では、家康は「出奔後の数正」と話す機会はありませんでしたから。

そして中島亜梨沙さんのSNSでの
「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」
に関して、
「なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか、
誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね」
とありますが、あの中で中島さん演じるひよは、板垣さん演じる虎松を悪童呼ばわりするため、
「気にしないでくださいね」
という意味で板垣さんのファンに送ったメッセージとも取れます。

しかし武者さんは、収録現場の人間関係がギスギスしているに違いないと思っていたいようです。

そんなギスギスした不幸な関係は、ドラマの描写にも反映されているようで、先週の放送で、秀吉が吐いたセリフが注目されていました。
◆NHK大河「どうする家康」ムロ秀吉の悪口に対するアンサーが話題に 視聴者「全てのSNSユーザーが胸に留めたい」「正論かましてきた」(→link)
徳川軍に罵詈雑言の看板を掲げられた秀吉が、「人の悪口を言うやつはどうしようもない」という趣旨の発言をしたものですね。

この秀吉のセリフを、私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見は多かったようです。
しかし、だとしたら非常に妙なことになる。
秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。
罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。
SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。

ドラマはドラマ、現実は現実とここは分けて考えるべきでしょう。
実際秀吉のセリフは、自分への悪口雑言を書き連ねて、自分を怒らせようとした徳川に向けられています。そして視聴者の中には、ネット上で発言をする際の自分への戒めとしようと思った人もいるでしょう。
しかし結局徳川の目論見は失敗に終わるわけですし、確かにこの時の徳川の考えはやや浅はかであったとも言えます。
とは言うものの、
「SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い」
は、武者さんの僻目ではないのでしょうか?

おまけに、

そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。
作り手の自己批判だったのでしょうか?

だからドラマはドラマ、現実は現実です。ただ視聴者の中には、このセリフが刺さった人もいるでしょうし、そこから先はその人の考え次第でしょう。
図星だったのかも知れませんが、ここまで言う必要もないかと思います。スルーしとけばいい話です。
武者さんて割と冗談を真に受けるようなタイプなのでしょうか。
それにしても「主人公側をぶん殴るとは筋が悪い」
いや、貴方の大河評はいつも、主人公側をぶん殴るに等しいことをやっているように見えますが。

でこの後榊原康政を演じる杉野遥亮さん、茶々を演じる白鳥玉季さんについての記述がありますが、これはまた機会があれば別途取り上げます。特に白鳥さんについては、武者さんが持論を持ち込んで延々と書いていますので。

◆『どうする家康』が放送開始以来の大ピンチ…「BL展開」しか逃げ道がない「ヤバすぎる事情」(→link)
 「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」
一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。
こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。

現代ビジネスの記事ですね。
しかし忠勝が上半身裸で槍の稽古をするのは、もう既に出て来ているはずですが。
あと相撲を取るシーン、武者さん『西郷どん』でも何かのように叩いていましたが、相撲で褌一丁なのは当たり前ですし、こういう男性の裸のシーン即ちBLに結びつくのでしょうか。
では『真田丸』で石田三成が水垢離をするシーンがありましたが、あれもBLなのでしょうか。
それと先日『秀吉』絡みで書きましたが、あの時は秀吉と家臣が褌姿で走っていました。この論理だと、それもBLになるのですね。

確かに『鎌倉殿の13人』で若い層を取り込んだという分析結果もありましたが、今年はもう今さら頑張ったところで無理。
ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう。

この大河は実際若い層を取り込んではいると思います。またSNSとの親和性も高そうです。
にもかかわらず
「今年はもう今さら頑張ったところで無理」
「ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう」
なのだそうですが、何が無理で、何を挽回できないのかはっきりさせてほしいですね。
世帯視聴率ですか?それとも固定視聴層の復帰ですか?

そしてまた中国ドラマとアニメのリンク。

◆中国ドラマ「陳情令」配信4周年記念の切手セット販売、五大世家シーリングスタンプも(→link)
◆アニメ第2シリーズ「天官賜福 貮」字幕版&吹替版で放送決定! PV第1弾が公開&新キャストに子安武人(→link)

関係ない話ですが、このアニメに出演している日笠陽子さん、『はたらく細胞BLACK』の白血球ですね。

先ほどの記事で名前が出てきた松坂桃李さん。
実は彼の「桃李」とは、桃李成蹊を由来としていて、成蹊大学の由来でもあります。
桃李もの言はざれど、下自ら蹊(みち)を成す。『史記』
桃やスモモは何も言わない。しかしその下には、その花と実を求めた人が集い、自然と小道ができるものだ。つまり、優れた徳や誠意の持ち主のもとには、宣伝などせずともそれを求める人が集まってくる。

「先ほどの記事」などと書かず、杉野さん関連の記事であること、杉野さんが松坂さんと同じトップコート所属であることをちゃんと書いてください。
しかし松坂桃李さんを出してくるなら、出演大河もちゃんと書けばいいのに。ただ武者さんは『軍師官兵衛』も『いだてん』も好きじゃないから、書きたくないのでしょうね。

で、好きな『八重の桜』絡みのこのニュースには嬉しそうです。

大河ドラマもそうだと示すニュースがありました。
◆綾瀬はるかさん、今年も特別ゲストに 9月23日の会津藩公行列 福島県会津若松市 福島民報(→link)
もう十年間ですよ。
彼女を呼ぶ会津の期待や信頼感と、綾瀬はるかさんの誠意が今なお合致していて、
「さすけねぇか」
と呼びかける綾瀬はるかさんはすっかり名物です。

その一方で、家康の出演者が信玄公祭りに出ないと書いています。実はこちらの信玄公の方は、ちゃんとした理由があるからなのですが、それを書いていませんね。

『どうする家康』でも、まだ祭りのゲストに出演者が参加することがあるようですが、その一方で一切関わらない祭りもあります。
その代表例が、信玄公祭りでしょう。
◆第50回信玄公祭り 信玄公役が決定しました!(→link)
以前にも触れましたが、信玄公を務めるのは阿部寛さんでも眞栄田郷敦さんでもなく、『大奥』で徳川吉宗を演じた冨永愛さん。
意思決定の経緯は不明ながら、ともかく結果は結果。
なぜ大河ドラマが回避されたのか。あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。

これに関してですが、男性ばかりでなく女性も入れようということになり、富永さんに白羽の矢が立ったようです。

長崎幸太郎知事は「(祭りは)県の新しい姿を見せていく大きな機会」と述べ、女性活躍推進に力を入れる姿勢を示していく方針だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC069XC0W3A600C2000000/
(日本経済新聞)

ちなみに今年は、山本勘助も女性が演じるようで、信玄公だけではなさそうですね。

第50回信玄公祭り 山本勘助役が決定しました!
https://www.yamanashi-kankou.jp/shingenko-fes/50th_kansuke-kettei.html

武者さんは女性参画は好きでしょうから、こういうのはちゃんと紹介してはどうでしょうか。
あと今年の場合、信玄公は主役ではないということもあるでしょうね。それを考えれば、主人公を演じた綾瀬さんが会津関連イベントを10年間務めるというのはわからなくもありません。

そして、この後ですが、

『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については
「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」
といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。

とあり、

徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。
むろん誇張や美化もあるでしょうが、裏切られることの多かった織田信長に対し、一度もそんな素振りを見せていないのが家康。
秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。
実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。
そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?

この家康自身は寧ろ誠実で、だからこそ最初は悩みもし、その中でしたたかさを身に着けては行きますが、本質的な部分は第33回時点であってもそう変わっていないでしょう。そして古沢氏は、そういう家康の成長と変わらない部分とをきちんと描いているかと思います。ただドラマそのものは、この人らしい二転三転した展開、最初から時系列に沿って描かない展開は多めではあるでしょう。

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。

一体何を言いたいのですか、武者さんは?何か変な夢でも見たのですか?
先ほどの桃李成蹊になぞらえたいのでしょうが、この蜂の巣とは何ですか。何かの暗喩ですか。
そしてまた「シン・」だの「つまらないでしょ」だの、すべて武者さんの妄想でしかありません。
同じ揶揄するにしても、もう少しまともな方法はないかと思ってしまいます。
こんなことで引き合いに出される松坂桃李さんが気の毒になります。官兵衛の長政好きなのに…。

それと先ほどの大河絡みで書きましたが、松重さんに加えて松坂さんも綾瀬さんも出して来たのなら、ここで『いだてん』の話を…とは、なりませんかやはり。

「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

バカとまでは言いませんが、武者さんが『どうする家康』を、大河レビュアーであるにもかかわらず、少しも理解していないのは、残念ながら事実でしょう。

2013年と2023年の大河ドラマの違いとは、誠意の問題だと思います。
信頼関係を無茶苦茶に破壊しておいて、この後どうするつもりなのか。

どこが「誠意の問題」なのでしょうか。
今年のスタッフは誠意がないと言わんばかりですね。
そして「信頼関係を破壊」、この信頼関係とは具体的に何なのでしょうか。

皆さんの意見はNHKへ直接送りましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

ではまた支持の声と、それからラグビー中継に関して一言送っておきましょう。

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/09/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。尚taketak39460607さんのnote関連は、次の次になることをお断りしておきます。


義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。
作り手があの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりません。

「歴史修正が行われました」
歴史修正でも何でもなく、最初から観ていたらわかることです。

家康は王道を今川義元から学び、非情さを織田信長から学び、
「戦は勝ってから始めるもの」
を、武田信玄から学んでいます。
それを見逃しているのでしょうか。いやそもそもきちんと観ていないのでしょうか。
そして「戦は勝ってから」云々、『孫子』由来のはずですが、武者さんがそれに何も触れようとしないのはなぜなのか、知りたいところです。

しかし
「側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか」
今更ですが、すごい表現ですね。好きな大河では絶対に出て来ないでしょうね。

例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。

まず「主演の方」、松本潤さんとちゃんと書きましょう。
で松本さんが
「不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ」
なのだそうですが、この手の演技ができないと決めつけているのもどうかと思います。
そしてまた例によって、好きな大河の主役なら
「そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります」
なのだそうです。別に武者さんが好きな大河のみに限った話ではなく、座長として1年間大河の主役を任されたら、どんな俳優さんでも一応は成長するものだと思いますが。

真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)

で、1981年に佐藤さんの父三國連太郎さんが、大型時代劇『関ケ原』で扮した本多正信にそっくりとあるのですが、

いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?

実際より老けさせているのは、『真田丸』の昌幸でも同じでしょう。
また真田昌幸ではありませんが、『龍馬伝』の山内容堂公、近藤正臣さんが演じた白髪の殿様は、実際はあの時30代です。

そしてこの出典元のサライ、私も過去に引用したことがありますが、主に年配の人が対象なので、このような書き方にもなるでしょう。

毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。

前にも書いていますが、秀吉の陣羽織は絨毯がもとになっています。
『花燃ゆ』の美和のドレスは確かにカーテン、私には緞帳のように見えましたが、私が気になったのはその点ではありません。
武者さんは「ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレス」と書いています。
しかしあれは美和が仕えていた銀姫のおさがりであり、美和自身がオーダーしたわけではありません。そしてあの手のドレスは、その人の体型に合わせて仕立てないと、なかなかフィットしないと思われますが、美和は特に直したようでもないのに、あのドレスがぴったりしていた。寧ろ不思議なのはその点でした。

そして津田梅子にしても、『八重の桜』のドレスを着ているからいいと褒めているのではないか、そのような気もして来ます。

まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。

綾瀬さんと長谷川さんがそんなに好きなら、『いだてん』と『まんぷく』ももう少し評価してあげてはどうですか?
ちなみに黒澤さんは幕末物の衣装ならいいと思います。

『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
(中略)
新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。

どの大河でも、新説を無意味に採り入れることなどそうないかと思います。
そして『森乱』は何度も書きますが、史料に準拠してのものです。
どこがアリバイなのでしょう。
平山優氏を敵視したいがために言っているようにしか見えませんが。そして名前が「乱」なのと、暴れるシーンが出て来るのはまた別でしょう。お兄さんの鬼武蔵の方が暴れています。

ムロツヨシさんは「自分は好かれない」と語っております。
◆「どうする家康」ムロツヨシ怪演がネット話題“大河史上最恐”秀吉の魅力は「野心」「好かれないピエロ」(→link)
あの秀吉なら仕方ない……とは思いますが、では、誰が好かれているのか?
去年の和田義盛や畠山重忠、あるいは上総広常なんて、主役を食う勢いで支持されていました。
他にも挙げたらキリがないですが、では今年は?
ムロツヨシさんが心配せずとも、誰も好かれていないように見受けます。
立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……。
もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました。

ここで注目されるべきは、ムロさん自身の発言です。
武者さんの書き方だと、如何にも周囲から嫌われて人気がないように見えますが、実はさにあらずです。
ここでムロさんは
「カッコいいですけど、その道化っぷりはあまり皆から好かれないピエロで…それがまた面白いなと思っています」
と話しており、つまるところ、本人がそれを楽しみながら演じているわけですね。なお、岡田准一さんも同じようなことを言っており、ドラマにおけるその特異なキャラが評価されているわけで、誉め言葉と受け取るべきでしょう。

「立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……」
その裏付けを見せてください。

「もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました」
武者さんがどのように考えようが自由ですが、自分の思い通りに行かなかったからと言って、このコラムでそれを愚痴るのはやめた方がいいと思います。

時間帯が近い民放ドラマの勢いと比べると一層際立つ。
◆ 【VIVANT】第5話視聴率14・2%で番組最高更新!「テント」のリーダー判明、前回から0・8P増(→link)
もはや絶望的な状況です。

それを言うなら、2013年の『半沢直樹』と『八重の桜』、2017年の『陸王』と『おんな城主 直虎』、いずれも日曜劇場の方が高視聴率でした。第一、同じ日に何度も放送があり、土曜日に再放送がある大河と、放送は1回のみの1クールの日曜劇場とを比較するべきなのでしょうか。

そして大河は駄目だと決めつけ、華流時代劇のPR。

イケメンとイケメン同士を描く時代劇――。
『どうする家康』がやろうとして全くできなかったことを達成した華流時代劇『陳情令』が、ついに地上波に登場です。

ということで、やけにこのシリーズのPRをしまくっています。このコラムへの報酬は、この華流時代劇のPRへの報酬ではないのか、そのように思われてしまいます。

それからこのデイリー新潮の記事ですが、

◆ 【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった(→link)

逆に今年の場合、大河の岩盤支持層以外の層に受け入れられているようです。これは鈴木祐司氏が分析しています。
あと所作作法というのは、家康が信雄を呼び捨てにしたシーンのことですね。
それとヤフコメの意見についても書かれていますが、あそこは、どの大河でも厳しいコメントが載るので有名です。実際見たことがありますが、今年に限った話ではありません。

今年の大河を庇う人は過去の大河とばかり比べています。
VOD全盛期のいま考えるべきことはそんな狭い視野ではなく、他国の歴史劇、特に東洋史とライバル関係になったと認識を改めねばなりません。

「過去の大河とどの点を、どのように比べているのか」
それがないから説得力に欠けてしまうのですが。

でまた『陳情令』関連の記述が続き、

大河ドラマは、なぜ特別なものとして存続してきたか?
今は19世紀を迎えた徳川幕府のようなものです。
破綻しつつあるし、満足しているわけでもない。しかし、それ以外にどんな支配者がいるのか、知識がないからわからない。
それが今までの、VODがない2010年あたりまでの大河でした。
状況は激変しました。
黒船来航後の世界です。
筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう。

それまでも大河は、たとえば近代三部作や90年代前半の放送フォーマット変更などでうまく行かず、元に戻しており、その状態が今まで続いて来ています。今後しばらくはこのフォーマット、そして幕末までを重視する姿勢で行くでしょう。
そして何かとVODを強調していますが、そのVODで大河を観ている人もいるわけで、この両者は対立概念ではないと思います。

そして
「筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう」
これを言いたくてたまらないのでしょうか。家康も秀吉も、筆の持ち方はおかしくありません。

もはや一刻の猶予もない状況を迎えています。
(中略)
国家昏乱して、忠臣有り。『老子』
ファンダムが乱れてくると、“信者”が悪目立ちようになる。

武者さんは一刻の猶予もない、だから早く今年のを終わらせろと考えていたいのでしょうか。私はそうは思いませんが。
「国家昏乱して、忠臣有り」
これは老子『大道廃有仁義』の一部ですが、国家が乱れてくると、忠臣の存在が目立つようになるという意味で、ファンダムの「信者」とは多少意味合いが異なるかと思います。

で、

今回の第32回放送は、秀吉の言葉「俺のアンチはゲスだ」と喚くところが出色の出来でした。
あのセリフは、ドラマに批判を繰り返す私のような不届き者へのメッセージにも思えました。
考えすぎでしょうか?

「俺のアンチはゲスだ」
とは凄まじい解釈ですね。ではもう一度挙げておきます。
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」
つまり、「俺のアンチ」ではなく、「誰にせよ人の悪口で面白がるやつ」のことです。
しかし不届き者という自覚があるなら、もう少し書き方を改めては如何でしょうか。

公式ガイドブックのあらすじには、まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら、そう感じるほうが自然でしょう。
もしも意図的に加筆されたものだとしたら、残念でしかありません。
ドラマで本当に描きたいことはそこなのか。
一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか。
と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが、現場の士気が低下して役者さんから覇気が奪われていたとしたら残念でしかありません。

これも最初の方で書いていますが、ガイドブックのあらすじはあくまでもあらすじであり、台本ではありません。従って、ドラマ本編で出て来たセリフが、逐一書かれているわけではないのです。
にもかかわらず
「まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら」
「意図的に加筆されたら」
と、ガイドブックそのものが台本であり、しかも改悪されることをまるで期待しているかのようです。
しかも
「一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか」
ドラマの制作は、果たして一時的な感情に委ねられているものでしょうか?

「と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが」
はっきり言います。
武者さんの邪推にしか受け取れません。

そしてまた心理がどうこう、『孫子』がどうこうとありますが、ここでは省きます。そんなに『孫子』に言及したいのなら、三方ヶ原での信玄公のセリフを、もう一度かみしめてみてください。

SNSで誰かを攻撃するよりも、本作を「支持する」「支持しない」旨をNHKに送ったほうが有用ではありませんか。
◆NHK みなさまの声(→link)

では今回も「支持する」メールを送らせていただきます。



飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/27 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムその2です。武者さんによれば、この大河は同じ回想を何度も入れるということですが、私はそれ以上に、このコラムが同じネタを、くどいほど使い回しているように見えて仕方ありません。第一ちゃんと本編を観ていないのではないでしょうか。

それから先日分、このコラムからの引用分の色をやや濃い目のブルーにし、部分的に加筆しています。


織田信雄を愚かに描きたいことはわかった。
だからといって「ノブカツ!」と呼ぶ家康はどうかしています。むしろ、これだと家康が非常識に思えます。
家康に呼び捨てにされても怒らないほど卑屈な信雄は、どれほど鈍感なのか。こんな息子にしてしまった織田信長まで愚かで酷い親に思えてしまう。

信雄はかつては父信長からも愚物呼ばわりされています。天正7(1579)年、天正伊賀の乱ので失敗をやらかし、『信長公記』巻之十二「北畠中将御折檻状之事」によれば、覚悟次第では親子の縁を切るとまで言われています。尚この時信長はまだ石山本願寺との戦いが続いており、この2年後に平定のため伊賀へ侵攻します。

また、ルイス・フロイスの『日本史』では、信雄が何ら理由もないのに、安土城に放火したと記されています。実際明智秀満ではなく、信雄が安土城を焼いたという説はあります。この説に従えば、秀満は安土城を焼かずに、そのまま坂本へと退去したことになります。

切れ者であるから見出したはずの明智光秀も愚かでしかなかった。
自称信長の後継者お市も、結局無能。
信長って、周りを腐らせる呪いの持ち主だったのでは?
いや失礼しました。このドラマは信長周辺以外もダメな人物ばかりでした。

信長が主人公ではないため、光秀の切れ者の描写は限られますし、まあ武者さんが望む光秀像が、必ずしも他の大河で描かれるとも言えないのですけどね。と言うより武者さんの場合、自分が好きと認定した大河の人物を理想像と決め込むため、他作品の描写の面白さを理解できていないのではないか、そう思いたくもなります。

そしてお市が無能、どこがどう無能であったのかを説明してください。そして彼女は信長の後継者と言うよりは、対秀吉軍に対しての、北ノ庄側の総大将と言うべきでしょう。

また先週よかった点として、「マザーセナの回想がなかったこと」を挙げつつも、このように書いています。
「結局、お市との恋愛を盛り上げるための配慮だったようで、今週はバッチリ出てきて、しかもクレジット二番手ですよ」

家康とお市て「恋愛関係」にあったのですか?互いに思うことはあったでしょうが。そして瀬名は家康の正室であった以上、クレジット二番手でおかしくないと思います。

◆【どうする家康】どうなる〝2番手キャスト〟 有村架純、岡田准一、北川景子ら「退場」(→link)
BBC版の関ヶ原『ウォリアーズ』では、信康を死なせたことを思い出す家康が展開の説得力になっていました。
関ヶ原に遅参したから腹を切りたいと語る我が子・秀忠を、温情で許す家康。
そういう厳しい時代は終わったと宣言し、それが泰平の世の幕開けにも思えたものです。
BBCがそういう描写をしているのに、NHKはマザーセナの教義による泰平の世にするとは……。

BBCはBBC、大河は大河なのに、BBCの描き方が正しいと思い込む武者さん。しかも
「展開の説得力」
などとありますが、それを言うなら「説得力ある展開」でしょう。日本語もちょっとあやふやですね。
そして何よりも『どうする家康』で、
「関ヶ原に遅参したから腹を切りたいと語る我が子・秀忠を、温情で許す家康」
といった描かれ方をしていたら、それはそれでまた叩くのだろうなと思います。

『麒麟がくる』の光秀は、亡き妻の爪を小さな容器に入れて振り、その音で偲んでいました。それが本作はいちゃつく回想映像を使い回すだけです。
妻への愛惜の示し方だって見せ方の一つなのに、本作にはそうした細部へのアイデアが全くありません。
脚本家にそれだけの力量や適性があるかどうか。事前にわからなかったんですかね。

また脚本家叩き。
煕子の爪が『麒麟がくる』の光秀の原動力であるのなら、瀬名の遺言は家康の原動力であると思われます。
またこの場合、薬湯もそれに該当すると言うべきでしょう。妻を亡くした主人公が何をよりどころにするのか、作品によって異なるはずですが、所詮は自分が好きな作品を基準、しかも滅多に引き合いに出さない煕子を、こういう時だけ出してくるのですね。

井伊直政は幼く、腕も細く、所作も筋力が感じられず、
そりゃ旧武田の兵たちもついてこないよな……
と悲しくなってきます。
そもそも包帯を巻いて「稽古をつけたあとです」という説明は何事でしょうか。
汗もろくにかかず、着物もきれいで、擦りむいたような傷がポツポツとあるだけ。打撃による内出血の跡はなし。これのどこが?

武田の武士たちがあまりに強くあるいは荒っぽいせいで、稽古をつけた側も負傷していたということですね。
また内出血というのは、皮下で出血がおき、あざやたんこぶができることを言います。脳や臓器で出血が起こることもこう呼びますが、この場合は前者の方ですね。
そして、この画像の直政の頬や腕の赤み、これは内出血ではないのでしょうか。

どうする家康31回直政   どうする家康31回家康と直政


本多忠勝も「細い!」と思ってしまいました。
『八重の桜』の山本覚馬、『鎌倉殿の13人』八田知家や三浦義村と比較してはいけない……そう思おうとしても、どうしてたって比べてしまいます。
これで本多忠勝と言われても、全く納得できません。槍も重たそうに見えないし、見せ方の工夫が足りません。
しかもこの忠勝には、ノースリーブで日焼けしたようなあとがあります。どういうことでしょうか?


どうする家康31回本多忠勝

(画像はいずれも『どうする家康』第31回より)

「これで本多忠勝と言われても、全く納得できません」
武者さんが考える忠勝はどのような人物なのですか?
この大河の忠勝はこうですよ。
忠勝をムキムキに描いたら、それはそれであれこれ言うのでしょうね武者さんは。

また槍が重たそうに見えないとはどういうことでしょう。あれで槍をどっこらしょと抱えたら、いざという時役に立たないのではないでしょうか。そしてこの画像を見る限り、ノースリーブで日焼けしたようには見えませんが。照明のせいもあるかと思います。

漢籍を読む場面で、書見台すら使わぬとはどういうことなのか?
今の本と同じ持ち方だし、読み方もおかしいし、授業風景も現在の学園ドラマのようで絶句します。

それを言うなら、以前『天地人』と『麒麟がくる』の授業風景を比較した投稿があるので、興味のある方はこちらの2つをご覧ください。
まず『天地人』、北高全祝が喜平次と小姓たちを教えているシーンですが、これはいいと思います。
一方で光秀の授業風景ですが、ちょっと江戸時代の寺子屋のように見えます。実際越前にいた時は、何をしていたかわからない(だから鍼灸医説がある)から、こういう創作を入れたのだろうとは思いますが。
それとこれ、光秀が子供たちを教えているところと松下村塾を比較していますから、武者さんは嫌がるでしょうね。


論語の「子路、君に事(つか)えんことを問う」ですが、読み方がおかしいとありますが、具体的にどの点がおかしいのでしょうか。寧ろ主君を諫めるべしというその授業内容について、何か思うところはなかったのでしょうか。

このドラマは、最後までまともに漢籍を取り扱わない気のようですね。
ドラマ10『大奥』や朝ドラ『らんまん』と比較して、ひどく劣っている。
真面目にやる気がないのなら、そんなシーンなど省いてしまえばよいのに、言い訳のように入れてくるのが見苦しい。

×最後までまともに漢籍を取り扱わない
〇武者さんがやってほしい形で漢籍が登場しないので、面白くない

そしてまた『大奥』に『らんまん』を叩き棒。
「真面目にやる気がないのなら、そんなシーンなど省いてしまえばよいのに、言い訳のように入れてくるのが見苦しい」
武者さん、
「真面目に書く気がないのなら、そんなコラムなど廃止してしまえばいいのに、毎週アップする」のは如何なものでしょうか。

書状の色もなんだかおかしくありませんか。
そんなことはないと思いたいですし、詳しく調べないとわからないけれども、朱墨でなく、アクリル絵の具やポスターカラーを使っているようなことはありませんよね?
字体も、戦国時代にしては新しすぎる気がします。ああいうかっちりした楷書で書くものでしょうか。

書状とありますが、榊原康政に渡した地図の朱色の部分でしょうか。
「詳しく調べないとわからないけれども、朱墨でなく、アクリル絵の具やポスターカラーを使っているようなことはありませんよね?」
だったらご自分で詳しくお調べになって、ここでその成果を発表してください。
ちなみにポスターカラーではないと思います。

あと字体云々、武者さんが好きな『麒麟がくる』第38回「丹波攻略命令」から。

『麒麟がくる』地図

見事な楷書ですね。無論手書きだろうとは思いますが、何かフォントを使って作ったのかと思えるほどきちんとした楷書です。

『らんまん』のこういう小道具ははちゃんとしているのですが。
◆万太郎が植物標本を包む「新聞紙」にも驚きのこだわりが…朝ドラ『らんまん』の知られざる「演出の世界」(→link)
だからといってデジタルにすれば良いというものでもなく、相変わらず地図は虫がはっているようで不気味です。

この文春の記事ですが、小道具だけをテーマにしているのではないし、当時の新聞の再現なら朝ドラ全般に言えることです。『エール』で、そういう形の再現が行われたと聞いたことがあります。
そしてあの地図が虫が這っているように見えるのなら、貴方が言うレーシック於愛ではありませんが、眼科に行かれた方がいいのではないかと思ってしまいます。

そして

本多正信はやりすぎでしょう。
(中略)
そして、これはあまり兵法に興味がない人がやりがちなミスですが、できる軍師や智将ほど、せいぜい二手先ぐらいしか見通しません。
実際の相手がどう反応するか。そのときの天候はどうなっているか。
予測不能な要素がありすぎて、先の見通しとは非常に難しいものです。

ここはあくまでも信雄を擁して秀吉と戦うべきかどうか、それを決めるシーンであり、実際の戦での動きや状況を予測する段階ではありません。

本多正信だけでなく、家康もわけのわからない先読みをペラペラしゃべっているので、大の大人が揃って何バカなこと言ってんだ?と悲しくなってきます。
そもそも大切な策は漏らさないことが基本中の基本でしょ?
大切な主君にだけ、こっそり語ればいい。

だから家康と家臣の間だけで共有していますよね?
これも武者さん以前書いていましたが、その時も内輪で情報を共有していたはずですが。
そして家康の「わけのわからない先読み」とは何ですか?

『麒麟がくる』では、明智光秀の内政のやり方に感銘を受けた徳川家康が、意見を聞きに行く場面がありました。
民の安定を成し遂げてこそ、乱世が終わる。そういう丁寧な描写です。
トップが妄想ぎみに「俺が乱世終わらせるし!」と勝負を挑んだって、うまくいきませんよ。

向こうでは光秀が主人公、そのため家康は「従」的存在。
そしてこちらでは家康が主人公、だから本人がやりたいことを口に出してもおかしくはないかと。
それと冒頭の家康のセリフは「乱世終わらせる」ではなく、「乱世を鎮め、安寧な世をもたらす」です。

織田信雄の前で、家老が火花をきらめかせながら斬られる場面。
お祭りみたいで、心の底から「酷い!」と叫びたくなった。
制作陣の誰か、止められなかったんですか?
あんな目の前でわかりやすく殺されてたまるか!

火花が飛んでいましたか?
あの様子を見て、お祭りを連想する人がいますか?
そして例によって『鎌倉殿』と『麒麟』との比較ですが、ここでは信雄は脇役です。
従って、彼が家臣をどのように殺すかを考え、練り上げるシーンにあまり尺を取ることはできません。
ああいう形で誅殺し、その後秀吉が向こうから仕掛けて来た、してやったりとほくそ笑み、家康との対決に駒を進めることの方がより大事ではないからでしょうか。

『鎌倉殿』でも藤原頼衡(泰衡の弟)などは、善児があっさり片付けていました。殺される側が、その作品に対してどれだけの重きを置いているか、それが大事なのでは。

どうする「レーシックお愛」
今週もド近眼設定はまるっと無視!
マザーセナの後継者である彼女は、目の術後も良好なようですね。今後はレーシックお愛という名前で呼びましょう。
そのレーシックお愛の肩を揉み、癒しを得る場面は、作り手の趣味でしょうか。

於愛がうたた寝から目を覚ました時、至近距離に家康がいましたよ。
近眼でも十分見えると思いますが。

それから本多正信関連。

香具師や講談師でないときの正信は、武士ではなく現代劇の探偵のよう。

貴方、この前も同じこと書いていましたね。
で、後登場人物の声が聞き取りにくいとかなんとか書かれていますが、あれを聞き取れないのなら、字幕を出した方がいいです。実際
「字幕を出さなければ何を言っているのかわからない時すらある」
ようなので、今後は字幕付きで「きちんと」観てください。

秀吉は月代。
家康はちょび髭。
そういうメイクでごまかしていますが、人間的な変貌が全く無いから、わけがわかりません。
『鎌倉殿の13人』の北条義時はじめとする登場人物たちを思い出し、切なくなる。
『鎌倉殿の13人』では、各人物たちが毒々しくなっていくところも素晴らしかったけれど、それが抜け切るところも見事でした。
あれだけ憎々しかった頼朝なんて、死の直前には、ちょっととぼけて愛嬌のある「佐殿」にまで戻りましたからね。

「人間的な変貌」て何ですか?登場人物が変貌するとか、そのように書いてください。
そして好きな大河ならこれだけ雰囲気が変わった!と喜び、
嫌いな大河ならどれだけ登場人物が与える影響が変わろうとも、
何も変わらないじゃないかと言いたがる武者さんらしい意見ではあります。


飲み物-テーブル上のマグのビール

[ 2023/08/16 23:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第30回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事と方言と地元の英雄

ではtaketak39460607さんのnote記事からいくつか。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第30回~
https://note.com/taketak39460607/n/n628353550ec7

まず茶々が「大人の考えた駒」であることに関して、こちらのnoteでは、まだ幼い浅井三姉妹が、母であるお市の昔語りを聞きたがって何が悪いのかと反論されています。
さらに『麒麟がくる』の竹千代のように、大人が思うような振る舞いをしない子供を武者さんは至上としているが、子供は皆同じではなく、また初は家康が父だったかも知れないと言っているが、長女の茶々は父長政を覚えており、浅井長政以外に父はいないと口にした点なども指摘されています。

しかし武者さんは、どうも茶々が大人の考えた駒であってほしいのでしょう。そしてその後さらにファム・ファタールなど、性犯罪だのと書いていますが、話があまりにも飛躍しすぎですね。

それから月代について。
武者さんが「全員が月代を剃った結果、明らかに似合っていない人がいて、見ているだけで悲しくなってきます。結髪も役者の頭の形や輪郭を考えずにまとめて処理しているのでしょうね」としている件で、私は
「剃らなければ剃らないで文句を言い、剃れば剃ったで文句を言う」
と書いていますが、taketak39460607さんの考えも以下の通りです。

「月代を剃っていなければ『もしゃもしゃ頭に妙ちくりんな衣装で説得力がない』、月代を剃れば『明らかに似合っていない』『個人差に対してなんら配慮がされていない』貴方はどうしてほしいのですか?」
あとこちらのnoteでは、カツラや特殊メイク担当の方の画像つきツイートも紹介されているので、
「役者の頭の形や輪郭を考えて処理している」のが一目でわかります。

それから武者さんの
「例えば、秀吉の強さがまったく見えてきません。大軍を稼働させるために必要で重要な兵站も、外交も、行軍速度も、鮮やかな攻め方も何も描かれていない。兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない」
という記述ですが、私はならば『軍師官兵衛』を観た方がいいと書いています。そしてこちらのnoteでも、このように書かれています。

「『どうする家康』は家康さまとその家臣が本題なのだから、脚本演出が『神君伊賀越え』をメインに据えてそのころ他陣営は何をしていたかという脇に『中国大返し』と『山崎の合戦』があるのは仕方のない事だと思います。
『中国大返し』が見たいのなら『軍師官兵衛』をご覧ください」
さらに「兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない」という点に関しても、中国大返しで御座所と兵站の設備を整えたのは官兵衛であることが明記されています。

武者さん、主語がはっきりしないことがあるのでわかりづらいのですが、この場合の石田三成の兵站云々は、いつの合戦の話なのでしょうか。この中国大返しで彼も兵站の手配に関与したと言うのであれば、それがわかる史料をなぜ出さないのでしょう。

尚『軍師官兵衛』に関して言えば、秀吉の生涯の描写にかなり尺を取っており、従ってここ10年の大河では、彼が何をやったのかが一番詳しく描かれています。

そして度々登場するこの手の記述
「このドラマは、顔をアップにして、役者の演技力に頼り、長くて中身のない台詞を読ませますね」
これに関しても、

「信長の妹として織田の血脈として恥じない死にざまを選び三姉妹を逃がし勝家さんと殉じるつもりのお市さまと、母の思いを継ぎ浅井の娘として『母の無念は茶々が晴らします』と決意する茶々さまの母子の別れをよく『長くて中身のない』と言えますね」
と反論されています。

実はこれ、瀬名と亀姫の別れも同じことが言えます。この時も武者さんは

「そなたは笑顔が似合うぞ」と瀬名が亀に言うのもくだらない。

と書いており、私はこれに対して
「嫁入り前に別れを惜しんで、涙を流す娘にこう言うのが『くだらない』のでしょうか」
と書いていますが、親子の心情をもう少し理解できないものかと思いますね。
それのみならず「おじさんの脳内にだけ棲息する中学生女子同士のお別れシチュエーション」などと書いていますし。

それから秀吉からの砂金の件に関して、
「砂金は技術なしに取れるので、早くから流通していますが、銀はそうではない。戦国時代は銀が採掘できるようになり、資金源として俄然注目を浴びました。特に明で重宝され、秀吉が攻めた毛利も銀山が有名です」
と武者さんは書いています。

しかしtaketak39460607さんは、
本能寺の変後備中高松城攻めでの一時休戦と講和が成っただけで、その後も美作と伊予では羽柴方との戦闘を継続しており、毛利輝元が、双方から味方するよう誘いを受けても静観していたこと、つまり秀吉への臣従はまだ先であること、石見銀山を使えるようになったのはその後であることを指摘しています。

尚これに関してですが、13日放送の『どうする家康』で、秀吉への献上品として黄金のみならず銀も見えています。毛利氏の服属の年ですが、あれは石見銀山のものなのでしょうか。


それから先日の方言そして地元の英雄関連でもう少し。

東北を舞台にした作品関連で、武者さんは『八重の桜』での綾瀬はるかさんは褒め、『レジェンド&バタフライ』の綾瀬さんは、古沢氏が脚本ということもあり、綾瀬さんの無駄遣いと書いています。

しかし綾瀬さんが出演したもう一つの大河、『いだてん』の場合は、嫌いなせいか最早完全に無視していますね。武者さん、当初は『いだてん』を褒めていたのですけどね。当然ながらこの大河の方言に関しても何ら言及がありません。

あの『いだてん』で綾瀬さん演じるスヤは、
「会いたかばってん会われんたい」
という歌を口ずさんでいます。所謂肥筑方言(福岡県の筑前・筑後地方、佐賀県、長崎県そして熊本県で話される方言)で、九州弁というとこれを思い浮かべる人も多いかも知れません。

しかし嫌いな作品だと、とことん無視するのが武者さんではあります。そしてもちろんこれも方言ですが、『青天を衝け』の「ぐるぐるすらい」などにも触れようとしません。

ところで私も東北を舞台にした大河は観たいと思います。特に戦国大河での上杉、伊達、最上といった大名たちの駆け引きなどは観たいと思いますが、それと同様に大友、島津、立花の諸大名が登場する九州の戦国大河、あるいは長曾我部氏を主人公とした、四国の戦国大河なども観たいものです。地域によってそれぞれのカラーがあるし、また誰を主人公にするかによって三英傑の立ち位置も変わり、それはそれで魅力と言えるでしょう。


飲み物-冷えた生ビール
[ 2023/08/14 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第30回に関しての武将ジャパンの記事について-5

『武将ジャパン』大河コラムその5です。正直言って、難癖と見られても仕方ないのではと思ってしまいます。


前回のことについて謝りたいことがあります。
酒向芳さんが岐阜県出身で、「くそたわけ」はじめアドリブ連発だったそうです。誤認してしまい、申し訳ありませんでした。
◆「どうする家康」徳のない男・明智光秀“くそ童”に刺されたワケ 酒向芳アドリブ連発!演出絶賛の怪演裏側(→link)
本作は、家康の徳を強調するために、光秀の徳の無さを強調したかったという。
しかし、家康から人徳など窺えないため、光秀はマイナスになってしまったのでしょう。

前にあらすじと感想で書いていますが、光秀はちょっといけすかないおじさんの印象があり、だからこそこういうアドリブもいわば活かされたと取るべきでしょう。
そして家康は寧ろ、このような光秀に戸惑う様子が描かれていたと思います。
「しかし、家康から人徳など窺えないため」
は武者さんの見方ではありますが、この光秀は家康をある意味困らせる、マイナスの存在であるとなぜ割り切れないのでしょうか。やはり『麒麟がくる』の光秀の印象が強いのでしょうか。
光秀絶対の考えはもう捨てた方がいいのでは。

・私の岐阜県出身の友人は、「くそたわけ」といった罵声を私に投げかけてきたことがない。そのため、聞き慣れていなかった
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった

私にも岐阜出身の友人がいますが、普通「くそたわけ」などとは言いません。
(ちなみにその人から「~してまった」「えらい」の意味を教わりました)
しかし武者さんが一応「歴史系ライター」であり、大河を何作品も観ているのなら、こういう東海地方の方言は頭に入れておくべきであり、
「聞き慣れていない」
はもちろんのこと。
「地元出身の英雄を貶す感覚が想像できない」
「地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できない」
も、この場合理由にならないと思います。

最初のことは個人的な話なのでさておき、後の二つを考えてみましょう。
・地元出身の英雄を貶す感覚が想像できなかった
『麒麟がくる』で細川藤孝を演じた真島秀和さんが、以下の記事で
◆「麒麟がくる」眞島秀和インタビュー!「現場ではいつも、みなさんすごいなぁって思うことの連続なんです」(→link)
鬼玄蕃こと酒井了恒を演じたいと語っていました。
庄内藩の武士で戊辰戦争で西軍を叩きのめす――山形では知られた人物で、さすが地元愛があると感動しました。
彼に限らず、大河ドラマは地元愛の世界という一面もあるでしょう。
真島さんの出身地である山形県は、『独眼竜政宗』についてはなかなか複雑な感情があり、『天地人』には怒りが渦巻いていたそうです。
そういう地元愛を軽視するスタンスは、大河が本来やるべきことではないと私は思います。

細かいことですが、「眞島」秀和さんですね。
そして「大河ドラマは地元愛」
とありますが、俳優さんが、地元の英雄を演じてみたいというのは無理からぬことでしょう。
しかし大河は「地元愛」だけで済まされるものでしょうか。これが朝ドラならまだわかります。しかし大河は主人公のみならず、敵対する相手、それぞれの思惑が描かれる場でもあります。
ましてや東海地方は、戦国大河の多くで採り上げられる地であり、多くの人々の思いが蠢くわけで、方言すなわち地元愛とならないこともあるでしょう。

それと『政宗』と『天地人』を取り上げるのは、武者さんが好きでないこともあるのでしょうか。
上記記事で眞島さんは、『独眼竜政宗』の印象が強かったことをコメントしていますし、『天地人』では豊臣秀次を演じているのですが。

・地元の方言で罵倒する言葉を押し出す感覚が理解できなかった
大河ドラマで有名になった方言フレーズがあります。
『花燃ゆ』の「せわぁない」で、「どうということはないよ」という意味です。
『八重の桜』の「さすけね」も「大丈夫だよ」という意味です。「さすけねぇか?」という疑問形もあります。
『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いので、地元でも愛されていないようですが、『八重の桜』は会津まつりに毎年綾瀬はるかさんが呼ばれるほど。
彼女が植えた桜が会津若松城にはあるそうです。
そんな綾瀬さんが「さすけねぇか?」と呼びかけると、地元はわーっと盛り上がるとか。

武者さんの『八重の桜』好きは認めます。
しかし『花燃ゆ』はドラマの出来が悪いだの、地元でも愛されていないだの。それは何か根拠があってのことですか?いくら何でも、こういう決めつけは失礼ではないかと思います。
要は、自分の嫌いなことなら何とでも書いていいと思っているのでしょうね。

そして武者さんの好きな大河、あるいは歴史上人物のみならず、それぞれの地方に地元愛があり、郷土の人物がいるということを見落としていないでしょうか。東北のみならず、北海道でも関東でも東海でも、北陸、関西、中国、四国そして九州、各地の人々の思いがあり、そのシンボルとなる人物がいます。こういうのも、過去の大河を観ていたらわかるのではないかと思いますが。

話を方言に戻しますと、人は、あたたかみのある、ほっとするような気遣いの言葉に、愛着やこだわりがあると思いたい。
それが岐阜の「くそたわけ」にこだわるという時点で、何もかもが信じられません。
岐阜県名物の五平餅を目の前で踏みつけられたような絶望感と不快感とでも申しましょうか。
なぜ、こんな酷い扱いをするのでしょう。
それでも光秀は貶められてあの結果だからまだマシかもしれない。
今週のお市は、持ち上げようとしてあの出来ですからね。過去作品で最低の人物像が更新されてゆきます。

方言とは、少なくとも大河では「あたたかみのある」表現だけではありません。
前の方でも↑書いていますが、歴史上の人物を描く以上、それが罵倒に使われたり、陰謀に使われたりすることもあるわけで、貴方今まで大河の何を観て来たのかと言いたくなります。
あと五平餅は岐阜のみならず、広く信州や奥三河の名物でもありますね。岐阜と言っても主に飛騨地方と思われますが。

私は徳川家康の大河ドラマが決まったと知り、真島秀和さんに出て欲しいと思ったことがあります。
地元の誇りである最上義光、上杉景勝、直江兼続あたりで。
けれども、今は逆です。
最上も上杉も誰一人として出て欲しくない。
兼続は無理でしょうけれども、真島さんは別の作品で地元山形の英雄を演じる日が来ることを切望しています。
最上義光の鉄棒を振り回す姿が見たいですね!

キャスティングをするのは制作陣であり、武者さんではありません。
この大河をきちんと観ようとせず、自分がやってほしいことばかり書いていますね。だから「レビュー」には不向きなのだろうなと思います。

命は天に在り。『史記』「高祖本紀」

なぜか注釈がありませんが、人の運命は天が定めるということですね。

そしてまたジャニーズがどうこう、性被害がどうこう。
この大河を貶めるのが目的なら、はっきりそう書いてほしいものです。前社長の行為による検証と、所属タレントの活動は本来別のものですが、それをいっしょくたにし、いつもであれば嫌悪するような、昭和的価値観とも言える連座をさせたくてたまらないように見えます。

今回の『どうする家康』では、まだ13歳の茶々をファム・ファタールとして描き、まるでNHKが性犯罪を問題視していないかのようなスタンスに見えてきます。

だからあの茶々がなぜファム・ファタールだと現時点でわかるのですか。貴方の都合のいいことのみを前面に押し出すのはやめて貰えませんか。

そしてやっとここで「命は天にあり」関連。

これはもう間が悪いなんてものじゃない。
天にある運命なり意思が、降りてきているのではないか?
そう愕然としてしまいました。そうしたら視聴率も2桁を割るとは……。

武者さんが勝手にそう考えている、あるいはそうあってほしいと思っているだけのように見えますが。
あと8月6日は裏にSPが来ているせいもあったでしょう。
しかし嫌いな大河だと、判で押したように世帯視聴率のみですね。昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数、今年は鳴りを潜めたのはなぜでしょうか。またU-NEXTでの配信を一切書かないのはなぜですか。

戦国武将に危機管理技術を学んでもらいたい。『真田丸』の真田昌幸ならばきっとこう言い、ジャニーズ新キャストを防いだのではありませんか?
朝令暮改の何が悪い! より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!

この間、作間さんが秀頼と決まった時に、武者さんがどう言うだろうかと書いたことがありますが、案の定ですね。
しかし自説補強のために、真田昌幸まで引っ張って来てこういうセリフを言わせるのもどうでしょうね。

ところでそろそろ『どうする家康』でも昌幸が登場するかと思いますが、どんなセリフが登場するでしょうか。

私が真田昌幸なら、こう啖呵を切って、中川大志さんを秀頼役に再登板できないか探りますけどね。
誰であろうとよいのじゃ、この際、ジャニーズでなければな。

「この際、ジャニーズでなければな」
もうこれだけ書いておいた方がよくないですか。つまるところ、これが武者さんの本音なのでしょう。
それと中川さんは、恐らく10月スタートのフジテレビのドラマの収録真っ最中でしょう。

私は、作間さんの秀頼は楽しみです。

※以下のリンクからNHKへ意見を送ることができます。
◆NHK みなさまの声(→link)

何だかこのリンクも惰性でやっている印象を受けるのですが…。
いつまで続けるのでしょうね。武者さんの思い通りにはならないと思うのですけどね。
尚私は、今後も楽しみにしている旨を今回も送るつもりです。

そしてtaketak39460607さんのnote記事関連は次回になりますので、その旨、ご了承ください。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2023/08/13 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大名の洗礼名とヨーロッパ諸国語あれこれ

まず、『風花帖』第2弾は9日の投稿になります。あまり日数を空けない方がいいと思いますが、連日とは行かないこともありますので悪しからずご了承ください。

それと本日ブログ背景の色を変えたばかりではありますが、ラグビーワールドカップ期間中(9月8日~10月28日)は4年前同様、また赤と白の背景となる予定です。

では先日の答えです。

ドン・ジュスト-高山右近
ドン・アウグストー小西行長
ドン・シメオン-黒田孝高(官兵衛)
ドン・ダミアンー黒田長政
ドン・ジョアン-織田長益(有楽斎)

他にもドン・レオン=蒲生氏郷とか、豊後の王と称されたドン・フランシスコ=大友宗麟、そしてドン・ペトロ=織田秀信(三法師)などもいます。尚上記5名については、一応著名な大名ということで選んでいますが、他にも戦国期から江戸時代の大名で、あるいは洗礼名が同じとか、発音が違うが元々は同じ意味という人物もいる可能性があります。その場合も正解とします。

ところでこれらの洗礼名、英語に直せば
ジャスティン
オーガスト
サイモン
デミアン
ジョン
となります。

織田有楽斎の洗礼名はジョン、つまりヨハネで、英語でJohn the Baptistと言えば洗礼者ヨハネのことです。そして黒田長政の洗礼名ダミアン、英語風に発音するとデミアンですが、この名前を持つオールブラックスの選手がいます。以前サンゴリアスでもプレイしたダミアン・マッケンジーで、彼の場合デミアンとならないのは、NZ式にエイの発音がアイとなるせいでしょうか。

あとジュスト、ジャスティンのオランダ語名であるユースト、残念ながら故人となりましたが、ユースト・ファン・デル・ヴェストハイゼンという南アの選手がいました。

当時のイエズス会はポルトガル人神父のほかに、スペイン人やイタリア人の神父もいました。ちなみにフランシスコ・ザビエルはバスクを中心とする、ナバラ王国の出身とされています。以前、カトリック圏の少年や若者を主人公とする物語の特徴として、母親的存在が大きいといったことを書いた記憶がありますが、恐らく、聖母信仰も関係しているでしょう。

一方で今後の『どうする家康』には、ウィリアム・アダムス(三浦按針)が登場し、非カトリック圏のヨーロッパ人が日本へやって来ることになります。主にイギリスというかイングランド人、そしてオランダ人ですが、最終的に布教なし、交易のみで日本との交流を続けたのはオランダでした。

ポルトガル語は発音がやや癖があると言われますが、スペイン語は日本人に取って発音しやすいと言われています。ただ、スペイン語とイタリア語を一緒にやると、こんがらがる確率が高くなるかも知れません…(断言はできません)。余談ながら、スペイン語でバカと言うと牝牛、アホと言うとニンニクを意味します(アヒージョも、このアホ=ニンニクから来た名称)。

しかし、この戦国大河は作品にもよりますが、キリスト教関連の描写はかなり高めです。その後の江戸時代は御禁制となり、また、江戸時代そのものを扱った作品が限られるため、余計にそう感じられます。それ以外の時代では『八重の桜』が、こちらはプロテスタント諸派ですが、キリスト教色がやや強めとなるでしょう。


飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2023/08/09 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第27回に関しての武将ジャパンの記事について-3

まず、先日分とその前もですが、後で多少手を加えています。それからHey!Say!Jump!の、中島裕翔さんの「さん」が抜けていたので直しています。失礼いたしました。では第27回関連の『武将ジャパン』大河コラム、その3です。

しかし、本作にも絶対に手を抜かない場面があります。
女遊びの描写です。
(中略)
『麒麟がくる』では台詞だけで秀吉の女遊びを表現していたのに、ゲスい今年は、ここぞとばかりに用意しておく。だいたい、なんでこの秀吉は信長が討たれるかもしれないと期待している前提なのですか? 結果から遡って騙そうとするのって、歴史もので最もやってはいけないことです。

麒麟は麒麟、家康は家康、佐々木蔵之介さんとムロツヨシさんは同じ秀吉でもキャラ設定が異なります。逆に、陣中に遊女を入れていけないということはないのだし、『風林火山』などでも登場していましたね。しかし、武者さんが言うほど女遊びのシーンがあったでしょうか?

そして秀吉ですが、そろそろ信長もいなくなってくれないかなと、半分冗談半分本音といった感じで独り言を言うものの、自分はバカを見るからやらない、ただもし徳川がやってしまった時のために、引き返す用意だけはしておこうと言っているわけです。無論これは、和睦が成れば引き返すという意味もあるでしょう。

秀吉だけわざとらしく訛らせているのですが、イントネーションが他の地域と混ざっていておかしい。
『レジェンド&バタフライ』も訛りがおかしかったものです。
京雀の関西弁すら無茶苦茶なイントネーションに聞こえました。

「イントネーションが他の地域と混ざっていておかしい」
秀吉は尾張言葉と思われますが、他の地域てどこですか?京の人々の「関西弁」(京ことばと言ってほしい)の無茶苦茶の基準は?

このドラマは、まともな知識を持たずに作っているのでは?という場面がちょいちょい現れます。
・北半球なのに南の方角に虹が出る
・当時は茶器だけに用いられた陶磁器に米飯をよそう
・狼が減っている(新規)

まず南の方角に虹が出ることはあります。本来の虹があり、さらにもう一度光が反射することで、元々の虹の外に見える虹がありますが、副(二次)虹と呼ばれているようです。そしてさらにもう一度反射すると、今度は太陽の方に虹が見え、これを三次虹と呼ぶようですが、非常に珍しいとされています。

それから陶磁器にご飯をよそうのは、山茶碗ではないかとも思われます。東海地方を中心に見られた食器で、釉を使わずに焼かれています。ただドラマの中のは丸みを帯びていますが、出土しているのはもう少し平坦な形の物のようです。
これに関してはこちらが詳しそうです。

山茶碗の用途をめぐって̶摩滅痕の分析から̶
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo07/0708take.pdf
(愛知県埋蔵文化財センター)

そして「狼が減っている」と言うよりは、於愛が自分は兎を見たことはあるが狼は見たことはない、つまり狼は減っていて兎はたくさんいる、ゆえに沢山いる兎の方がたくましいのではと結論づけているわけです。

なのに狼が減ったのはどうこうという文章が書き連ねられ、しょうもないミス、脚本家が歴史に興味がないなどとありますが、叩きたくてたまらないように見えてしまいます。しかもこの場合、武者さんがドラマ本編をちゃんと観ないという「ミス」をしているように見えますが。

大河ドラマで織田信長を演じる――。
もしもそんな依頼があれば、役者冥利に尽きる一世一代の大役であり、心踊ることでしょう。

無論演じる側としてはそうでしょうが、その信長の役どころや出演回数は様々だと思います。たとえば吉田鋼太郎さんが演じた『真田丸』の信長の出番はかなり限られていました。

けれども、そんな晴れ舞台の脚本があまりにひどい。
そうなったら、どこに怒りをぶつければよいのか。
過去にそんな無念の思いを抱いた役者はおります。
『天地人』で信長を演じた吉川晃司さんは不満を漏らしていたとか。

吉川さんが不満を洩らしていたという、その裏付けを知りたいものです。
そしてその吉川さんが『八重の桜』で演じた西郷隆盛はよかったなどとありますが、『舞いあがれ!』の大河内教官はどう映ったのでしょうか。そして他の俳優さんも、大河のリベンジがどうこうと続き、さらに岡田さんを
「残念信長枠」
と決めつけてこう書いています。

◆「どうする家康」岡田准一 信長役再挑戦に意欲「いつかまた出会えれば」実は“初回からOA未見”と告白(→link)
「信長役の再挑戦に意欲」という言葉でかなり肯定的に描かれていますが、実際は少なからず不満がおありでは?
「実は初回からオンエアを見ていない」
とのこと。
それだけでもちょっとした驚きですが、冗談でごまかしたかのように以下のような発言をされています。

とあり、記事の引用が以下のようになされています。

トークショー中も「全部終わってから見ようかなと。途中で見るといろいろ言いたくなる。僕の出番が終わって、松本君の成長を一気見して、ここまで持っていったかというのを見られるのも良さかなと」と明かし「途中で見ちゃうと磯さんに“あれ、どうなってるんですか?”と議論が始まっちゃう」と笑いを誘った。

別にそれはそれでいいかと思います。OA後しばらく経ってから追いかけるのも大変でしょうし。なのに
「この笑いを誘うという発言、目は笑っていなかったのではありませんか」
とあるのですが、何か根拠がありますか。武者さんがそう思っているだけではないのですか。

で、木村拓哉さんが出演予定のCMが白紙撤回されたという記事が、今回は2本ありますが、これこの前もリンクが貼られていなかったでしょうか。

そして甚だ残念なことながら、岡田さんにそのリベンジができるか?というと、現状、厳しい状況が続いています。
◆ 木村拓哉「ジャニー喜多川氏性加害問題」でCM消滅報道ウラにジャニーズの「深刻なスポンサー離れ」(→link)
◆ 資生堂はキムタク起用を白紙撤回報道 ジャニーズ事務所が直面する「大手スポンサー離れ」の必然(→link)

尚フライデーと日刊ゲンダイ(先日分で日刊タブロイドと書いています)の記事です。

いくら所属タレントに罪はないと叫んだって、お金を出すスポンサーにとっちゃ、リスクのない方を起用した方がいいのは当たり前。

だから、所属タレントを犯罪者呼ばわりしていいとは、もちろんならないでしょう。

別の記事では、見所をこう語っているわけですが、
◆「本能寺で家康は『第3形態』になる」 今後の見どころで岡田准一さんが予告! 「どうする家康」でコメント公開(→link)
オンエアを見返すこともない人に、ギアをチェンジしたかどうか?わかるとも私には思えなくて……。

この記事ですが、岡田准一さんのコメントとして

岡田は「『本能寺』で3回目くらいのギアチェンジがあり、家康は『第3形態』になります」とコメント、「そのギアチェンジのきっかけとしての僕の役割は、ここで家康の心に何を残せるかということに尽きると思ってやってきました。実は2日くらい前の撮影で、松本君がぐちゃぐちゃになる芝居を見られたので、僕の役割は果たせたのかなと思っています」と意味深に語った。

とあり、ギアチェンジをするのは家康で、信長はそのきっかけを作るわけです。しかし武者さんの書き方だと、信長がギアチェンジをするように取れてしまうのですが。

今年の大河ドラマは、考え方が陰謀論じみていて困ります。
脚本家からして「史実なんてフィクションだ」と堂々と語ってしまう。
史実とされている物語よりも、自分の妄想の方がいけてるし面白いw その妄想の邪魔になる要素は全部消していくw
といった創作スタイルなんでしょうね。
ただ、一年間を通して描く大河ドラマで、それをやるのはあまりに危険。

「陰謀論じみていて困ります」
失礼ながら武者さんから言われたくないような気がします。
そして「史実」の解釈は脚本家によりまた様々です。
それは武者さんが好きな戦国大河
『真田丸』、『おんな城主 直虎』そして『麒麟がくる』
でも同じではないでしょうか。
結局のところ、好きな大河であれば多少史実がアレンジされても黙認し、嫌いな大河であれば危険だなんだと言ういつものパターンだなとは思いますが。

だんだんと悪化して、5W1Hみたいな基礎まで飛ばすようになりました。家康の堺見物なんて、思いついちゃったシナリオの邪魔だからすっ飛ばすのでしょう。

ネタバレになりますが、家康の堺行きは、ちゃんと描かれるようですよ。
「信長(岡田准一)が本能寺へ入ったという知らせを受け、家康(松本潤)は堺へ向かう」

「家康が信長を討ったで!」
と京雀が間抜けな叫びをあげた場面は何ごとでしょう?
それで視聴者を引っ掛けたつもりかもしれませんが、本能寺の変がそうでないことは誰でもわかること。ハラハラするわけがない。
しかもこのひっかけパターンは三方原の戦いでも使っています。

なぜあのシーンであのようなことを言わせたか、仮にも「歴史系ライター」なら、それについて考えてみようとは思いませんか?あと三方ヶ原のひっかけとは、夏目広次が家康の身代わりになって討たれたことでしょうか。しかしあそこで引っ掛けられたのは、やはり井伊虎松でしょう。無論引っ掛けられた視聴者もいたかとは思いますが。

本作は、陰謀論者が使いそうなロジックで話を組み立てるため、かえって話の展開がわからなくなることがある。
カルト経典の類は、何が言いたいのかまったくワケがわからないことがありますが、それと構造が似ている。
自分たちだけが解読できる! スゴイ! 特別!
そんな優越感を発生させるにはうってつけですね。公式がこんな注釈みたいなインタビューを出さねば理解できないほど。このドラマは暗号読解ですか。

また陰謀論にカルトですか。武者さん本当にこの2つ好きですね。そして
「カルト経典の類は、何が言いたいのかまったくワケがわからないことがありますが、それと構造が似ている。
自分たちだけが解読できる! スゴイ! 特別!
そんな優越感を発生させるにはうってつけですね」
これまた失礼ながら、かなり大きなブーメランになっていませんか?

◆「どうする家康」信長が光秀にキレた本当の理由 演出統括・加藤拓、饗応シーンの裏側明かす(→link)
なぜわかりにくいかというと、最大の見せ場すらアドリブだからのようでして。作っている側も混乱しているのでは?
アドリブって料理ならばパクチーみたいなもので、それをメインにしてドレッシングかけて出すようなものではありませんよね。

わかりにくくもなくアドリブでもないと思います。信長を超えて行こうとする家康が段々としたたかになる、その過程を描く1つの方法と言えるでしょう。それをわかりにくいと言うのは、ドラマをきちんと観ていないからではないですか?

しかも、台本では家康と信長が安土城で相撲を取るはずだった。
だからタイトルも「安土城の決闘」。殺し合いでもない相撲なら「安土城の大一番」でしょうが、本作のお粗末語彙力ならばそこはあきらめましょう。
いやいやいやちょっと待て……アドリブで相撲そのものが消失したなら、もうタイトル詐欺ですよ!
◆「どうする家康」松本潤&岡田准一のアドリブ光る本能寺前夜の12分(→link)

「アドリブ」と言うのなら、後半のこの部分で使うべきでしょう武者さん。そして決闘としたのは、大一番だとすぐに相撲ということがわかってしまうから、敢えてその辺をぼかしたのではないでしょうか。尚この部分、ガイドブックでは当然ながら、相撲を取る設定になっています。

そして岡田さんは、第21回「長篠を救え!」でもアイデアを出しています。
こちらは小手伸也さんの引用ツイートです、一応リンクとツイート本文を置いておきます。

https://twitter.com/KOTEshinya/status/1667503177384742919
この辺りのシーン、信長様が"家臣団を挑発したい"というアイデアを出し、煽り耐性の無さそうな平八郎、彦をロックオンしたら...という流れから現場で生まれたシーンで、誰が誰を止めるみたいな動きも各自が反射でやってます。そんな半アドリブを交えつつアイデアを出しながら撮ってます!

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/07/21 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第24回に関しての武将ジャパンの記事について-4

では『武将ジャパン』関連その4です、多少長めになります。


武田勝頼が悪いことにしたい――それはわかりましたが、そもそも、こんな無謀で非現実的な策を放置した徳川家康も悪いでしょう。将たる者は責任を伴います。
(中略)
家康といい、瀬名といい、キョトンとした顔で「知らなかったんですぅ」「悪気はなかったんだもん」と言い張れば免罪されると考えているようだ。

武者さんドラマ本編をちゃんと観たのでしょうか。
勝頼はこの場合悪役ではなく、本人なりの事情があってこの取り決めを破棄するに至ったわけですし、家康は別に放置したわけではなく、家臣たちからも疑問を持たれながらも、何とかこれを死守しようとしていたわけです。それが勝頼の翻意により、窮地に陥ってしまうことになりますが。
それと「知らなかったです」も何も、瀬名は全ての責任はすべて自分が背負う覚悟と言っていますよね?

このだらけきった幼稚な主人公たちと、本作の制作スタッフの顔が重なってくる。
どんな作品になろうと、誰も責任を取る必要がないから、こんな弛緩しきった状況になっているのでしょう。

ここでまた登場人物と制作スタッフ叩き。
「誰も責任を取る必要がないから弛緩する」
何か非常に既視感があるのですが。

本作については見えてきたものがあります。
「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
推察ではあるのですが、。
そして合戦や謀略がつまんねーwww となった。
『麒麟がくる』の漢籍なんてどうでもいい、むしろ嫌い。
漢文なんて授業でいらねーwww と思っていそう。
(中略)
金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた。

「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
どのように考えたらこのような発想になるのかわかりません。と言うか、これが外れたらどうなるのでしょうね。武者さんちゃんと責任を取るのでしょうか。
「作り手は『真田丸』『おんな城主 直虎』『麒麟がくる』は勉強として見たのでしょう」
あの、『軍師官兵衛』も10年以内の戦国大河ですけど。
そして
「金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた」
「なんやかんや」でしょうか?
浅井長政の裏切りがあり、家康も裏切るべきかどうか迷い、さらに信長との対立、阿月の疾走、そして彼女は人買いに買われたという中世らしさまで盛り込んでいましたが。ところでここで、家康と秀吉がしんがりを務めたことになってはいますが、これに関しては異説もあります。

そうなると以下のようなイベントもカットの嵐でしょう。
・本能寺の変
・伊賀越え
・天正壬午の乱
・大坂の陣
関ヶ原は、近年やってないからこそ、やる。

どう思うかは武者さんの勝手ですが、本能寺の変は、5月4日に本證寺でトークイベントが行われた際、磯プロデューサーが
「実は昨日『本能寺の変』を撮影した」
と話しています。

こうなると真田昌幸はどうするのか?
なんか悪そうなギラつき顔をしつつ、昼間から女中といちゃついたり、遺体を蹴り飛ばしたりする。
そしてやたらと「戦国の怪物だあ!」と周囲がアタフタ騒ぐ。
そういう“謎の存在”として済ませるのでは?
真田幸村も出てきた瞬間に消えそうです。
そのぶん淀の方の最期をねっとりと描きそうで……このドラマは美女の惨殺が好きですからね。
だとすれば『鎌倉殿の13人』の上総広常が上書きされる心配もないかな。

これも武者さんの妄想にしか見えませんが、違った時はどうするのでしょう?瀬名のようにちゃんと責めを負う覚悟ですか?それに「レビュー」とは今後の予想をする場なのでしょうか。多少はあってもいいかと思いますが、あれもこれもと決めつける必要もないと思いますが。
それと
「このドラマは美女の惨殺が好き」
「美女が惨殺される」シーン、そんなに多いですか?

それから制作サイドが、「これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で描く」と語った記事について。記事本文はこうなっています。

金ヶ崎の戦い、姉川の合戦、そして三方ヶ原の戦いは、これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で家康と信玄の直接対決を描きます。
その後も大賀弥四郎事件、長篠設楽原の戦い、築山事件、武田討伐、本能寺の変、伊賀越えと歴史イベントが目白押し。戦国時代のど真ん中を家康とその家臣たちは駆け抜けていきます。

一体このドラマのどこに圧倒的なスケール感があったのか?
「言うだけならタダ」とばかりに視聴者を煽るだけ煽って、ナレーションで終わったり、CG馬の集団で視聴者をガッカリさせたり。事前に、壮大な触れ込みを平気で出す作品をもはや信じることなどできないでしょう。

あの姉川の川べりの布陣や兵の数の多さ、そしてその兵が次々に倒れて行くシーンから何を読み取ったのでしょうか。大賀(大岡)弥四郎の岡崎クーデターもそのきっかけと、首謀者たちの主張が描かれていましたし、設楽原の戦いは言わずもがなでしょう。
以前平原学氏のnoteに、この大河では戦を華麗に描くのではなく、寧ろ犠牲となる者に焦点を当てているといったことが書かれていましたが、そういう視点で見る限り、かなり観る側にインパクトを与えたのではないでしょうか。

ところで先日、このコラムで瀬名の構想と、ロシアの内戦を絡めた箇所があるのをご紹介していますが、あれなら、この大岡弥四郎の件と内戦を絡める方がまだ納得できます。

本作は、つくづく少年漫画雑誌のラブコメ枠感覚だと思ってしまいます。
バトル漫画はそういうのが得意な作家に任せて、俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ! うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww
こういう頑健なメンタリティだからこそ、今年の大河となっているのでしょう。

「俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ」
「うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww」
何でしょうねこれ。
昔から嫌いな大河には侮辱とも取れるような言葉を平気で投げつけ、そして今年はそれが特に激しいように思われますが、しかしよくこんなこと書きますね。武者さんがおじさん構文好きなのも納得です。

なんでもこの瀬名はジャンヌ・ダルクを意識しているとか。どこに共通点があるのでしょうか。

で、『八重の桜』の八重はジャンヌ・ダルクだが瀬名は違うとかなんとか。瀬名は戦にこそ加わらないものの、そしてその計画そのものは戦国の世では惰弱なものであっても、権力者としての男性の中で、自分の思いを通した人物としてこの大河では描かれており、それがジャンヌにどこか共通するものがあるからでしょう。

本作の戦争・軍事描写は、どうしてこうも薄っぺらいのか?
『麒麟がくる』では、何気ない場面でも、戦争で不自由になった人々が物乞いになっている姿が映っていました。
そういう社会に残る傷が、生々しい戦争の傷跡を映し出すものです。
散々文句を言われていた駒だって、戦災孤児です。
あの駒を“ファンタジー”だのなんだの報道したメディアは一体何だったのか。
ヌクヌクと生きてきた“戦争を知らない子どもたち”の成れの果てが、面倒くさいし見たくないと罵倒したくなる“ウザい存在”だの“ノイズ”だったんですかね。

「どうしてこうも薄っぺらいのか」これも武者さんが使いたがる表現ですね。
で、例によって『麒麟がくる』では、物乞いの人々が戦の傷跡を映し出すとありますが、では、三河一向一揆の回で人々が寺内に集まる、あれも戦で生活に窮した人々を描いていないでしょうか。しかも武者さんはその点に言及するどころか、カルト呼ばわりしていますが。
そして何かにつけて「駒」。もう駒も迷惑しているのではないかと思われます。
しかも駒が薬屋で終わっていれば、それでよかったでしょう。それが将軍の側女になったり、大名屋敷に出入りしたようになるのが不自然に感じられたわけです。

昨年の朝ドラ『ちむどんどん』の不評理由について、識者は「本土の視聴者は沖縄戦なんてどうでもいいから」と解説していました。
そんな沖縄人の忘れられない傷よりも、本土住民がキュンキュンしたい恋バナをやれってことでしょう。
どこまで傲慢なのか。こういう軽薄な傲慢さを信じ込んだ手法を信じた大河が、この惨状なのでしょう。

どうも強引に戦国大河と『ちむどんどん』を結び付けていませんか。この2つは別物ですし、またその中で描かれている戦争もまた別物です。そして「どこまで傲慢なのか」また「どこまで~なのか」ですね。そこまで言うのなら、その識者の方と意見の交換をしてみては如何でしょうか。

そう言えば『ちむどんどん』の後の『舞いあがれ!』、この中で五島の少年、一太の弟が生まれた記念にばらもん凧を揚げる際、一太が舞にその役を譲ったにもかかわらず、舞が横取りしたように書いていた武者(小檜山)さん、あれは改めるべきではないかと思います。

で、その後また駒叩きがどうのこうの。戦争体験者の体験談をバカにしてイキる青少年がどうのこうの。彼らの幼稚なメンタリティが痛々しい。こういうのは、別のコラムなり何なりでやって貰えませんか。それよりドラマ本編をきちんと観て、あらすじもこのスペースを使ってきちんと書いてほしいのですけど。

その後過去の大河が再評価されているとして、

『八重の桜』についてもう少し。
あの作品は今、再評価が進んでいます。
長谷川博己さんに小栗旬さんという、ここ十年で大河主演を二人も出した作品となっています。

小栗さんは元々大河にはよく出ていたから、いずれ主演の話は来るだろうとは思ってはいました。
そしてその小栗さんの背中を押したのは、『西郷どん』で主演した鈴木亮平さんなのですが、嫌いな作品だからそれについてはやはり書きませんか。そして長谷川さんも、大河の前に朝ドラでも主演しています。これも『麒麟がくる』の制作発表後に発表されて話題になりましたが、こちらも嫌いな『まんぷく』だから書かないのでしょうか。

『麒麟がくる』も再評価が進んでいます。
少しでも褒めると、やたらとすっとんできて駒を罵倒する人はいますが、現実に評価は高い。
こうした良作のみならず、『江 姫たちの戦国』や『花燃ゆ』ですら、再評価されているようです。

別に『麒麟がくる』の再評価すなわち駒の再評価とはならないかと思いますが。でそれはともかく、
「現実に評価は高い」
なら、それを裏付ける記事のリンクでも貼ってほしいものです。
そして『江』と『花燃ゆ』「ですら」とありますが、この2つが好きと言う人もいることをお忘れなく。プロのライターとして、特定の作品を貶めることは本来あってはならないことですが、どうも武者さんの場合はそれと真逆のように見えます。

そして、

『江 姫たちの戦国』には、キラキラした感覚はあったんですよね。それこそ女の子ならば憧れる、綺麗なプリンセスワールドがあった。
『花燃ゆ』の文だって、おにぎり握って、家庭菜園で花を育てて、鹿鳴館でダンスすれば満足。セレブ主婦で満足しているのだから、無害と言えばそう。

うーむ、家康の浴衣の説明ではなく、こういうのをアリバイと言うのではないでしょうか-全然評価していませんし。あと文の場合は家庭菜園ではなく、自給自足のための畑ですね。

ところでこの武将ジャパンのコラム、第21回関連で、瀬名より『花燃ゆ』の文の方がマシと書かれていました。
これを見て私は、こうなると過去に悪く書いた大河もマシだと言い出すのではと書いていますが、実際そうなっていますね。無論ちゃんと評価しているようには見えませんが、そうまでしてこの大河を叩きたいのでしょうか。


飲み物-カクテルブルー
[ 2023/07/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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