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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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第19回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週も、たけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの箇所が、武者さんのコラムからの引用部分です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第19回~


人間の性格には向き不向きがあります。
例えば藤原公任や藤原実資ならば、余計な意見は聞かず、過去の事例やら漢籍でも紐解いて決められるかもしれない。

まずここの箇所ですが、やはり「『過去の事例やら漢籍』とは何でしょうか」とあります。さらに藤原公任が知識人であること、父の頼忠が娘の遵子を入内させるも帝の外戚とはなれず、関白を辞した時、関白とは名目のみであったこと、さらに兼家、次いで道隆が関白に就任し、時世を見誤った公任は道兼に接近するが、道長が自分よりも上の地位に昇進したとあります。

また藤原実資も藤原北家小野宮流の家領を継ぎ、故実家や資産家であると同時に良識人でもあったが、本来分派である九条流(道長の家系)に主導権を握られてしまったことが指摘され、氏長者である兼家の家系がトップである以上、いくら過去の事例や漢籍に詳しくても、政権を掌握するのは難しいといったことも書かれています。

何よりも武者さんの場合、過去の事例だ漢籍だと言いながら、それが何であるのか一向に明らかにされないこと、そしてこの後でも出て来ますが、「○○に書かれている」と言いつつ、それがどの箇所でどのように書かれているのか、それも全くと言っていいほど明らかにされていません。

中国文学ですと、『三国志演義』の劉備、『水滸伝』の宋江、『西遊記』の玄奘がこの手のタイプとされます。

これに関しては、道長が陣定に出席することで意見交換を密にしたいと思い、関白になりたがらなかったことで、これらの中国文学の話をするのは必要なのか、何かにつけ中国マウントを取りたいだけなのではないかとあります。

さて、その陣定では、公卿たちが流されてゆく様が見えます。
ずらりと並んだ公卿のうち、政策として「よい!」と確信を持って賛同しているのは、実資と公任ぐらいのように思えます。

ここでは、「帝の仰せのままに」「分かりませぬ」という意見が多数を占めていること、道綱の「帝の仰せのままに」の後に実資が同意を伝えていることがまず指摘され、伊周のみが、二国を許せば他も黙ってはいない、甘やかせばつけ上がるのが民、施しは要らぬと意を唱えているとあります。

実資と公任のみが賛同したわけではなく、他の公卿たちが流されたわけでもありません。また、武者さんは無視していますが、道綱ももちろん賛同しています。

そんな道長と伊周の争いは内裏で話題になっていました。

次の陣定の日、例の争いを聞いた実資が目を丸くし、それを教えた道綱が、内大臣様があまりに不憫で笑いをかみ殺す、実資は興味津々になっているとものの、それ以来伊周と隆家は参内しなくなったという説明がまずあります。

次いで、『小右記』長徳元(995)年七月二十四日条と、七月二十七日条には、道長と伊周・隆家の、修復不可能な溝の深まりの記録があること、そして口論だけでなく、道長と隆家の従者同士の乱闘にまでなり、隆家が内裏への出入り禁止になったということも紹介されています。

道長はきちんと記録しそうにない。
行成は残す。
実際に二人の日記から見える個性を反映しています。

ここではまず、『御堂関白記』と『権記』の違いはともかく、具体的に当時の日記の書式などは紹介しないのでしょうかと疑問が呈されています。また平安貴族は日記をしたためることが多く、男性は日々の思いなどと共に、宮中での儀式や政務の記録を残すのが目的で、主に子孫が儀式などの参考にするために書いたともあり、陰陽師が作ったカレンダーのような「具注暦」に書かれたともあります。道長も使っていたあれですね。
一方女性の場合は、晩年に来し方を振り返る、いわば回顧録形式なのだそうですと書かれています。

また国宝である『御堂関白記』は、この作品の作中から3年後の長徳4(998)年からの記述の、自筆本・古写本・新写本が残っているとあります。

描き方や演出によって騙されそうになりますが、道長陣営もなかなか情報網を張り巡らせた、見方によっては“卑怯な手”を使っていることは考えておきたいものです。

ここでたけたけさんは、道長が情報収集や人間関係を重視していることに触れ、人物の特性を見抜いて適材適所に配置することは卑怯でしょうかとこちらも疑問を呈し、亡き父である兼家の権謀術数や手腕、兄道隆の身内贔屓の弊害などを、目で見て学んだからではないかと結論づけています。
また行成を演じる渡辺大和さんのコメントが紹介されています。行成がこういう人物であったからこそ(これは飲み会の時でも行成自身、道長のために活動することに前向きでした)、道長も使おうと思ったのですね。

おそらく自分の欲、自分自身が力を手に入れたい欲求がそれほどない人物。その代わり、自分が好きな人、信頼している人に認められたいという意欲がある。自分が政治を動かしたいというよりも、一条天皇(塩野瑛久)や道長に仕える者として、どうやったら円滑に物事が進められるかを、すごく考えていると思います。人に喜んでもらえるように頑張る、みたいな。

何も考えずに出仕していたけれど、それでも頭には小さなハゲができていた、と穆子は懐かしそうに語り、母と娘で笑い合っています。

ここでは母子が懐かしむ描写ですが、ここで男女逆のケース、つまり男性が女性の身体的な負の面を話していたとしたら、恐らく武者さんは
「『ドス黒い気持ちにはならないわけではない』と言っていたのではないでしょうか」
という指摘がなされています。

そして嫌いな作品、殊に『どうする家康』では、女性であっても身体的に負の面があるのをしつこくあげつらって、「レーシックお愛」などと極度の近視の人を馬鹿にしていたともあります。
あれは実際ひどかったですね。要は近眼であり、家康と井伊直政を間違えるほどの於愛が、何かで見えるような素振り(実施はそうでなかったにせよ)をしたため、近眼なのにレーシックをしたのかなどと、揶揄するような表現をしたのですね。

身分に関係なく優秀な人間を選ぶことのできる科挙は、のちにヴォルテールが絶賛した制度です。
試験による官僚登用は今にまで残っている。

ここでもまず
「啓蒙思想家ヴォルテールがどの様に絶賛したのか具体的に書いて下さい」
とあります。本当に出典を書きませんね。

で、たけたけさんによれば、当が滅んだ後宋代に科挙の整備がなされたものの、試験を受けられるだけの受験勉強ができる層に限られていたこと、そして試験偏重主義になり、明代では簡便になって貧困層からも官僚となる者が現れる反面、形式重視で真の秀才を得られなくなったことが挙げられています(これはひとつ前の分でも書かれています)。

一方で18世紀のフランスの知識人の間で中国への関心が高まったこと、思想や社会制度に対する評価が様々になされたことが指摘されています。

加えて、これは私も投稿でちょっと書いていますが、蔭位の制があった日本では、高位の者である父祖の位階に応じて叙位されるシステムとなっており、世襲によって自動的に官位が与えられ、科挙に相当する課試は下級貴族から中級貴族に進むための手段であって、律令制の崩壊と共に廃れたことにも触れられています。

あとこの試験による官僚登用とは、今の公務員試験のことを言っているのでしょうか。

ここは、もっと古典的な“菱の実”の類でもよかったような気もします。
金属はまだまだ貴重ですので。

まひろが鋲を踏むシーンですが、たけたけさんはこれに関して、畳の上に上敷きのゴザを止めるための「上敷き鋲」、もしくは装飾用に使用される「太鼓鋲」かと思うと書いています。
また黒沢隆朝氏著の『図解世界楽器大辞典』によれば、鋲止めの太鼓は楽器としてではなく、
「信号具として、飛鳥時代の聖徳太子の時代から鐘とともに用いられていた」
のだそうですとあり、天智天皇が漏刻(時を計るための機械)を作った際に、『時の太鼓』として打たせる様になったこと、さらに大音響で遠くまでその音が届くため、『陣太鼓』として打ち鳴らしたとあります。

そして、作中でも出てきた打毬では、試合開始や毬門に玉が入った合図として太鼓や鐘が打ち鳴らされていたこと、その時に使われていたのは釣太鼓で、これにも皮を留める鋲が使われていたことが指摘されています。

時を知らせる太鼓は『懐風藻』の、大津皇子の辞世とされる漢詩に「鼓声」という表現が出て来ます。この人物は、天武天皇崩御後謀反の疑いありとされ、自害したと言われています。また陣太鼓は昨年の『どうする家康』にも出て来ていますし、『麒麟がくる』ではかかり太鼓が出て来ます。
相撲の触れ太鼓なども、これと似たような意味合いがあると思われます。

あと武者さんの言う「菱」に関して。
たけたけさんは、撒菱(まきびし)は忍具のひとつであり、ヒシという水草の種を乾燥させたもので、どの様に置いても鋭利な先端が上になること、逃げる途中にばら撒いてケガを負わせたり、また追手が踏まないように注意することで、追う速度を落とす為に用いたことが挙げられており、ただ護身用だとしても、後宮の女房や貴族がこういうのを持っているとは思えない、だから鋲を撒くのではないかと書いています。

これは『枕草子』にも書き留められたことであり、かつ道隆と伊周の言動を踏まえると重々しく見えてきます。

帝と定子が使命を果たすために、座をはずしたことについて。

『女を子供を産む道具扱いしている!エロ目線で見ている!』と入内した后が皇子を産む事が勤めである事を度外視したジェンダー論を展開しないのは良い事ですが、自分で文献を提示したならきちんと出典を明記してください。
帝と定子さまが塗籠に入られ、「帝と中宮は重いご使命を背負っている」事についての『枕草子』の出典を具体的に書かないと論議ができません。

とまずあり、出典は『枕草子』100段「淑景舎、春宮にまゐりたまふほど」が出典であると明記されています。
またこの塗籠というのは「ぬりごめ」で、寝殿造の主屋の一部に設けられた、壁で囲まれた部屋のことで、帝が使用するものは夜御殿(よるのおとど)と呼ばれており、プライベートなことに使われる以外に、納戸として貴重品を仕舞う役割もあったという説明がされています。

父を失い、身分が高い割に気軽に抱ける姫になった、お買い得の女性。
(中略)
ところが伊周の場合、手頃で無難な女を抱いてスッキリしているようにしか思えません。

この「お買い得の女性」なる人物、伊周が通う三の君光子(藤原為光三女、斉信の妹)で、父は既になく斉信も出世を道長に保留された状態ながら、伊周が通うことで、道長と伊周の両方によしみを通じて置けるという意味合いがあるという指摘があります。

そして肥前で結婚したさわ(夫が『源氏物語』の大夫監になぞらえられていました)、あるいは光子のような、武者さんに取って自分の理想に合わない男性と結ばれる女性は、汚い言葉で侮辱されることが多いこと、「身分が高い割に気軽に抱ける姫になった、お買い得の女性」「手頃で無難な女を抱いてスッキリしている」は、伊周の『子を産め』以上に、女性への配慮が無く、かなりの侮辱であると記されています。

武者さんて嫌いな作品は言うに及ばずですが、好きな作品であっても、嫌いなキャラに関してはこきおろすようなことをやっていないでしょうか。

道長の意向があるのは既定路線としまして、そこにまひろが帝に意見を具申した結果だという、かなりの力技がありました。
大河ドラマで主役周辺を持ち上げることは往々にしてある定番技法といえます。
それにしても相当無理がある展開といえます。何度も言いますが、作中ではまだ『従五位下』に叙任されたという段階です。

この箇所ですが、まひろの帝に対する行動は、本来なら不敬になりそうなほど強引な
「散位した中流貴族の娘の帝への献策」
とあり、帝が
「低い身分のものでもその試験に受かれば官職を得ることができ、政に加われる」
ことに関心を寄せたからこそ、道長や、為時・まひろ父子の運命が前に進む、そういう展開なのではないかとあります。

そして昨年の『どうする家康』では、家康の正室である瀬名が、世を平和にしたいという理想を抱くも、武田家中の者を引き入れたことで、死を選ぶしか選択がなかったことについて、「ただの理想だけで実が無ければ失敗に終わる」という作中描写を無視し、さもカルトであるかの様に、しつこいくらいに「マザーセナ」と罵倒し続けたことについて触れられています。そしてたけたけさん曰く、

何見氏(=武者さん)は嫌いなタイプの女性ならいくらでも残酷に踏み躙る人物だと言う事が分かります。

尚この上記のシーン、まひろが高貴な人々の政に関して、思い切ったことを述べたため、定子が口が過ぎると戒めるシーンがありました。帝は受け入れましたが、本来はこのようなことを進言するなど考えられないものではあったのでしょう。

こうしたドラマのテーマを踏まえると、この藤原伊周と藤原隆家の兄弟は実像というよりも虚像の側面が強く、あえて悪どく描かれていることは踏まえた方が良さそうです。
『枕草子』とは正反対、どぎついまでに貶められた気の毒な造形です。
そうはいっても、実は演出や見る側の偏見もあります。
道長側だって、現時点でかなり陰湿で卑劣なことをしている。

枕草子を書いた清少納言は中関白家サイドであり、「定子さまのために」敢えて表の政を見せなかったり、登華殿の栄華を美しく書きたいという面もあったでしょうとまず前置きされており、しかる後に、主人公は道長の娘である彰子に仕え、『紫式部日記』に於いて、清少納言を辛口で批判した紫式部=まひろであると書かれています。

無論
「これから人物の関係性や人物像が変化する事もあるでしょう」
ともあり、また花山院を弓矢で射た事件については『小右記』や『栄花物語』の描写よりも、だいぶマイルドに描写されていることなども指摘されていて、『枕草子』だけでなく、『小右記』『御堂関白記』『権記』などの貴族の日記、『紫式部日記』、『大鏡』、『栄花物語』などの文献も合わせて見た方が良いのではないかともあります。

そもそも紫式部と藤原道長がメインであるこの大河で、なぜ『枕草子』視点のみで物事を見ようとしているのか疑問です。『源氏物語』『紫式部日記』を基準にしているのであればまだわからなくもありませんが。

そして武者さん、道長が汚いことをしているとここでも書いていますが、情報収集や人間関係の構築、根回しなども政には必要であると思われます。中関白家に寧ろそれがなかったのでは。

柄本佑さんは誠意があるのか、いい加減なのか。
融通が利かないのか、結局ゆるいのか。
どちらにも取れるため、より不可解に見えてきます。

これだと道長でなく柄本さんが、いい加減なのか融通が利かないのかわからないと言いたいように取れると、たけたけさんは書いています。
私もそれに似たようなことを書いていますが、道長と書くつもりが何かで柄本さんになったのでしょうか。

そして束帯関連でこのような記述があります。

因みに、束帯は官位によって袍(上着)の色が違います。
風俗考証・佐多芳彦氏によると、『光る君へ』では、四位以上が「黒」、五位が「赤」、六位と七位が「緑」という平安時代中期の装束を採用しているそうです。

『真田丸』で信幸と信繁の兄弟が、赤の束帯を着用していたのを思い出します。
ちなみに平安時代以降、重要な儀式に天皇陛下が着用される束帯装束として、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)があります。

長徳の変を告げる中関白家兄弟が花山院を矢で射た事件。
藤原実資卿の『小右記』長徳二(996)年正月十六日条には『右府(道長卿)の書状に云ったことには、『花山法皇は、内大臣・中納言隆家と、故一条太政大臣(藤原為光卿)の家で遭遇した。闘乱が行われた。隆家の従者は御童子二人を殺害し、首を取って持ち去った』ということだ。』と作中描写よりも凄まじい事件の様子が伺えます。

『小右記』よりもかなりアレンジされていますね。
あと宋人たちが越前国に送られたいきさつについて、氣比の松原付近にあったともいわれる「松原客館」に送られたようで、元々ここは渤海の使節団と迎えるための迎賓・宿泊施設であり、延長6(928)年に渤海は滅亡したものの、宋の商人や官人を迎えるためにこの施設は機能したとあります。また能登にも同じような施設があったとのことですが、生憎はっきりした所在地がわかっていません。

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[ 2024/05/20 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


望みは大胆なほうが目に留まる。もう10年目であるとはいえ、千仞(せんじん)の谷に飛び込むつもりでやってみてはどうか、と強気なまひろです。
(中略)
まひろは臆病なのか大胆不敵なのか、振り幅が極端な性格ですね。

この千仞(千尋)の谷云々、今で言えば清水の舞台から飛び降りると言ったものでしょうが、まひろの性格が振り幅が極端と言うよりは、先日も書きましたが、自分の理想に合うものを追い求めるたちなのではないでしょうか。それが場合によっては大胆な方向に向かい、また別の場合は自分の中に封じ込めるのではないかと思われます。

(為時は)宮中で娘がおかしくなったといささか呆れ気味です。
確かにこれで何か火がついたとすれば、清少納言としてはしてやられてしまったのかもしれません。

清少納言は中宮定子にまひろを紹介したわけであり、彼女と何かを競っているようには見えなかったのですが、何が「してやられた」となるのでしょうか。

『枕草子』で描かれるキラキラと輝く伊周が、これでもかと言わんばかりに光らなういようにヤスリをかけられているように思えます。特に女性関係では顕著です。

この大河は主人公であるまひろ=紫式部、そして道長の目線が中心となっているはずです。中関白家の先代当主である道隆は民を顧みず、また伊周は道長と対立する関係にある以上、どうしてもこういう描かれ方になるでしょう。清少納言が主人公であればまた別ですが。

ところが伊周の場合、手頃で無難な女を抱いてスッキリしているようにしか思えません。
さらには公任の白い顔と、実資の輝く黒い瞳も思い出してしまいます。
公任は女を抱く以外にも、教養を高めることが楽しくて仕方ありません。
実資だって、ゴシップを集めつつ、先例はどうかとサッと当たる知性がある。

ひとつ前に書いていますが、この作品での伊周はそういうキャラ設定なのでしょう。
そして「思い出してしまいます」というのは、誰が思い出すのですか?武者さんですか?ならばそれをわからせるように書いてください。これではメモ程度にしか見えません。

そして何よりも、道長に近い立場である、あるいは道長を客観的に見ることができる公任や実資の描き方と、道長を敵とみなして対立し、妹の定子に皇子を産めと迫る伊周の描き方は違っていて当然です。ただこの回の場合、公任が女を抱くシーンは出て来ませんし、実資が「ゴシップを集める」のは道長と伊周の件でしょうか、ならば道綱経由ですね。

あと行成にも俊賢にも武者さんはここでは肯定的ですが、それに比べて伊周はこんなに魅力がないとあります。そのような設定になっているから当然なわけで、寧ろなぜそのような設定にされているのかを考察するのが、武者さんの本来の仕事ではないのでしょうか。

そして行成に関して
「おっとりしているようで能書家であることを生かせる切れ者です」
とありますが、能書家であるが故の、女性たちとの交流を利用して情報を集めるというのは、行成が自分から言い出したわけではなく、公任のいわば推薦です。この場合本当の切れ者は公任でしょう。
また俊賢も
「計算高いといえばそうです。その賢さが魅力であると言える」
とあるのですが、その俊賢を除目で参議にしたのは道長であり、道長の人を見る目もまた評価されてしかるべきでしょう。

帝は、優秀な者を起用すべきだという意見を面白がり、道長にどうかしたかと問いかけます。
恐れ多いことを申すものだと返すしかない道長。
帝はなおも、あの者が男であれば登用してみたいと言い出しました。
これはなかなか重要で、まひろの考えを参照にすれば道長の安泰ははかれるということですね。

この最後の行
「まひろの考えを参照にすれば道長の安泰ははかれるということですね」
これ「参照」より「参考」の方がよさそうな気がするのですが。
そしてなぜ「道長の安泰がはかれる」のか、ちょっと説明不足な気がします。つまり帝は、まひろが言うように試験で優秀な者を起用する方法を採り入れれば、今後の道長の地位は安定するということでしょうか。

伊周にしてみれば「関白になれないから女に軽んじられるんだ!」と嘆いています。
果たしてそれだけが問題なのか。関白の件で精神状態が悪いことは確かなようです。

「関白になれないから」の前に、隆家から揶揄するようなことを言われたのも、伊周には気に障ったのでしょう。
あと「精神状態が悪い」より、気がふさいでいるとか、面白くないとかいった表現がありそうな気がします。

誰か確かめるだけでもいいからと、兄をせかして、光子の元へと向かいます。
そして出てきた男に矢を放つ隆家。
いやいや、思い切りが良すぎでしょうよ。
怯えていたのは花山院でした。
院を気遣う声を聞き、異変を察知する兄弟。
【長徳の変】の始まりでした。

ここのところも端折り過ぎではないでしょうか。
このシーン、観たままを逐一書いてみます。

まず2人で一条殿に押しかけたところ、まだ牛車が止まっています。にもかかわらず隆家は弓に矢をつがえるわけですが、伊周はよせと言い、邸内から出て来た人物を目にします。しかし調子に乗った隆家は、矢をその人物に放ってしまいます。
のけぞったのは僧形の人物でした。隆家は脅かしただけだとどや顔ですが、慌てて出て来た斉信が「院」と何度も口にするのを聞き、2人はただならない事態になったことを察します。

武者さんの文章だと、「思い切りがよすぎる」とあり、これでは隆家が花山院とわかっていながら矢を放ったようにも取れますし、伊周が一度は制止しているのに、それも書かれていません。そして出て来た斉信が、「院」と何度も叫んでいるのも書かれていませんね。

そして為時の越前国司就任は、帝が為時の対句を詠み、為時が感動したという話があると伝わるものの、史実とは思い難い(ならば、それを裏付けるものを見せてください)とあって、

ただ、歴史劇における強引な展開は、作者の描きたいメッセージが何かを考えることも重要でしょう。
このドラマは身分制度の理不尽が強調されているように思えます。
実力主義で人が登用されないことはなぜか?
そう問いかけているのでしょう。

「歴史劇における強引な展開は、作者の描きたいメッセージが何かを考えることも重要でしょう」
昨年武者さんは、徳川家康が弱くて戦嫌いな人間であり、家臣に説得されるという描き方を散々駄作呼ばわりしていました。のみならず、瀬名の戦ではなく互いに助け合うという発想も、カルト呼ばわりしていました。
結局こういう考えが、戦のない徳川幕府を作ることへとつながって行くのですが、そういったメッセージははなから無視しましたね。

結局、まひろの語る科挙のある国という夢は長いこと叶いません。
今でこそ試験で官僚を選抜するとはいえ、そもそもがスタートラインに差があるということを、朝ドラの『虎に翼』がつきつけてきました。
日本は政治家はじめ、世襲権力者が多い国とされます。
実力が認められる世界は、いつ実現するのか――そんな今も変わらぬ問いを突きつけたい、そんな挑戦を感じさせる作品です。

朝ドラとか政治の話なら、別コラムでやって貰えませんか。朝ドラはnoteがあるはずですよね。
ただ私は、日本は実力が全く認められていないとは思いませんが。

そして何よりも、先日のたけたけさんのnote記事にありましたが
『大河ドラマを現代思想を絡めて見るとおかしくなるので、時代背景を踏まえて論評しろ』
と、ここで言っておきたいです。

そして逆MVPとかで、伊周と隆家の兄弟が挙げられていますが、

こうしたドラマのテーマを踏まえると、この藤原伊周と藤原隆家の兄弟は実像というよりも虚像の側面が強く、あえて悪どく描かれていることは踏まえた方が良さそうです。
『枕草子』とは正反対、どぎついまでに貶められた気の毒な造形です。

「藤原伊周と藤原隆家の兄弟は実像というよりも虚像の側面が強く」
これはドラマです。必ずしも史実に沿っているわけではありません。
史実に沿うのであれば、武者さんが好きな公任や実資の描かれ方も、いくらか違っているはずですし。

そうはいっても、実は演出や見る側の偏見もあります。
道長側だって、現時点でかなり陰湿で卑劣なことをしている。
道長がまだ彰子を入内させていないから目立たないこともあるでしょう。
よってこの先どうなるかは全く読めない――見る側も騙されているのかもしれません。

武者さんてこのドラマ好きなのですか、それとも好きでないのですか。
図らずも、一条天皇が道長に対してぶつけた質問のようなことを考えてしまいました。道長が陰湿で卑劣などとありますが、伊周に代表される中関白家を越えるためには、多少まともでない手を使う必要もあると思い、源俊賢を使ってああさせたわけでしょう。その俊賢を、武者さんは少し前に賢いと書いていましたが。

それから
「よってこの先どうなるかは全く読めない――見る側も騙されているのかもしれません」
この先どうなるかは読めないと書きつつ、今後はこうなるのではないかなどと以前書いていましたが、どちらなのでしょうか。そして騙されているという書き方もどうかと思います。このドラマでは主人公が誰それだからこのような描かれ方をしている、このような演出になっているとわきまえて観ている人もいるでしょうし、ドラマの楽しみ方とはそういうものでしょう。


飲み物-ワインと樽2
[ 2024/05/19 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


俊賢は帝の意向として、右大臣に歯止めをかけるに内大臣を重視し、陣定にいて欲しいと思っていると伝えます。
さらに俊賢は、蔵人頭として仕えたからには目に狂いはないと言い切る。職権濫用にも思えますが。

「俊賢は帝の意向として、右大臣に歯止めをかけるに内大臣を重視し、陣定にいて欲しいと思っていると伝えます」
ここのシーンの俊賢のセリフです。

帝も、内大臣様のことを案じておられました。
右大臣様に対抗する力がなければ、内裏も陣定も偏りなく働かぬと、帝はお考えなのではありますまいか?

つまり、右大臣道長だけだと偏りが出てしまう、そのためにも内大臣である伊周にも、対抗勢力としていてほしいと帝はお考えだ、俊賢はそう言いたいのではないでしょうか。「歯止めをかける」という表現は出て来ません。

あと「帝がそう仰せになったのか」と伊周に尋ねられた俊賢は、こう答えています。

そのようにお見受けいたしました。
つい先頃まで蔵人頭として、帝のおそば近くにお仕えしておりましたので。私の目に狂いはござりませぬ。

つまり蔵人頭として、帝の近くに侍っていたから、何をお考えであるかはわかる、私の目に狂いはないと、ちょっと凄みを利かせるような言い方をしています。ただこれが職権濫用であるとは思いません。俊賢は、あくまでも自分の経験をもとに語っていると思われます。

しかし彼は何重にも罠をかけてきている。失脚した源氏であるということをうまく活かし、道長に従うわけではないと装う。そのうえで帝の意向まで伝えてくる。

だから道長が、今の自分に必要な人材だと思ったわけでしょう。この筋書きを道長が書いた、あるいは、道長と俊賢の合作であったとしてもおかしくはなさそうです。

実際に帝が言ったかどうかは不明なれど、蔵人頭だと言われてみれば信ぴょう性は増すでしょう。それでも確たる根拠などなく、じっくり問い詰めればボロが出そうなものです。

じっくり問い詰めると言っても、伊周が問い詰めそうなことは、既に俊賢が話してしまっていると思うのですが。うまく先を読んでいますね。

なんでも若狭に70人もの宋人がきたことが話題になっています。
これが当時の外交のやる気のなさといえるところです。そんなに驚くならば、あらかじめ警護でも管理でもしておけばいいのに、後手後手で対応しきれていない。

この時は「宋人」とあるだけで、どのような人物なのかは明らかにされていません。
そしてこの当時既に遣唐使は終わり、宋とは私貿易が行われていましたが、国交はありませんでした。そして若狭に現れたものの収容施設がなく、大国であった越前の施設に移されています。

確かに70人も来たことは由々しき事態でありますが、この時点で軍隊を率いていたとか、地元住民を脅したということはわからず、警護や管理の不行き届きと見るべきなのかどうか。ならばどのような方法がいいと武者さんは考えているのでしょうか。

非武装の70人程度を対応できなくて、国としてどうなのか。遣唐使のころと比べるとあまりにお粗末です。
藤原為時は家で紙に向かっていました。
いとが、申し文(自己推薦状)の季節になったのか?と問うと、為時に嫌味かと返され、慌てて否定しています。

どのような人物かがこの時点で明らかになっておらず、「非武装」であるかどうかはわかりません。
恐らく武者さんが言いたいのは、遣唐使の頃(と言っても長いのですが、ここでは天智天皇の治世3年)、恐らく日唐関係修復のためにやって来た郭務悰のことでしょうか。ならばそう書いてほしいものです。
ちなみにこの人物、何度か日本を訪れていますが、この5年後の669年には2000の大軍を連れてやって来ます。この時は日本に駐留し、やがて天智天皇崩御の後に贈物を与えて帰国させています。

それと藤原為時。
この時いとは「また」申文の季節になりましたんですねと言っています。それが為時には、毎年毎年申文を書いているのに任官されない、そういう自分への嫌味と取れたのでしょう。

清少納言がまひろのもとへ遊びに来ました。
ききょうの予想に反して右大臣こと藤原道長は大したものだとか。

最初は清少納言、次はききょうとなっていますが、どちらかに統一するか、あるいは最初に「清少納言(ききょう)」として、その後はききょうで通すかでいいと思います。

疫病のために租税を免除したと聞かされ、まひろも喜んでいます。
ここの反応が興味深い。租税免除にこうも反応しているのは、実資、公任、そしてまひろです。

ききょうが租税免除のことを教えるシーンでは、まひろは「そうですか」とだけ言っています。
あと陣定で、道綱も租税免除について納得したような表情をしていましたね。

さらに話題は若狭の宋人70人のことへ。小さな若狭では対応できないとなると、道長は受け入れ先を越前にすると素早く決断しました。

まずここですが、なぜ若狭でなく越前だったのかと言うと、先ほども書きましたが、越前は律令制で言う「大国」であったことも関係しているでしょう。

するとまひろは、身分に関係ない官僚登用制度である【科挙】のことをいきいきとして話し始めました。
呆気に取られた清少納言は、そんな話は殿方に任せておけばいいと言いきる。

宋人70人のことを聞いて、宋人とはどのような人たちかとまひろはききょうに尋ねますが、ききょうもよくわかってはいません。しかる後にその宋関連で、宣孝から聞いた科挙の話をするわけですが、この時まひろは科挙の制度を帝と右大臣様に作っていただきたいとまで言ったため、ききょうがすごいことをお考えなのねと驚いているのですね。

まひろの賢さはずば抜けているかもしれません。
身分に関係なく優秀な人間を選ぶことのできる科挙は、のちにヴォルテールが絶賛した制度です。試験による官僚登用は今にまで残っている。

この場合のまひろは言ってはなんですが、賢いと言うより、自分の理想に合うものを追い求めるような人物に見えます。
あと、ヴォルテールが科挙を絶賛したことが何に記載されているのか、出典をお願いします。

廊下を歩いていると、足元に痛みが走ります。見れば鋲のようなものがあって、踏んでしまったのです。
ここは、もっと古典的な“菱の実”の類でもよかったような気もします。金属はまだまだ貴重ですので。

この当時は既に地方では武士が出て来ており、彼らの甲冑には鋲が使われています。また建築物や、太鼓の皮と胴を止める
のにも、鋲が使われていますね。

どこへ行くのだろうか……とまひろが不思議がっていると、清少納言が真剣な顔つきで「帝と中宮は重いご使命を背負っている」と答える。
これは『枕草子』にも書き留められたことであり、かつ道隆と伊周の言動を踏まえると重々しく見えてきます。
(中略)
中宮様は決して愛されていなかったわけではないと永遠に残すため筆を執り、このことを記したようにも思えてきます。
清少納言の忠義は篤い。
『鎌倉殿の13人』でわかるように、これから先、武士にも忠義はなかなか根付きませんでした。
しかし彼女には揺るぎないそれがある。実に清々しい女性ではないですか。

所領が絡む鎌倉時代の坂東武者の忠義と、ききょうのそれとは明らかに違いますね。
それと清少納言は「永遠に残すため」に枕草子を書いたのでしょうか。

実は日本でも、科挙を導入しなかったわけでもありません。
しかし根付いていない理由は単純、実力重視となると自分たちにとってうまみがないと名門たちが気づいたのです。
その結果、実力重視で出世した者は菅原道真を最後とし、あとは形骸化してゆきました。

元々日本には蔭位の制というものがあり、父祖が高位の場合、それに応じて一定以上の位が与えられていました。尚この蔭位の制は、元々中華帝国にあった門蔭の制から継承されたと言われています。かの国でも父祖に功績があれば無試験でも官職に就けたようです。

そしてその後、大学寮だけが残ったものの、名門貴族は熱心に学ばなくても出世はどうにでもなると書かれています。
大学寮の没落の原因は律令制の形骸化や、遣唐使廃止による中華圏の文化への関心の喪失、さらには本来この試験の対象となるべき中流以下の貴族の零落などがあります。

しかもその大学寮だって、名門貴族は熱心に学ばなくとも、出世はどうにでもなります。
定子がまひろをたしなめたのは、こうした事情を踏まえたからかもしれません。
彼女のとって見れば複雑な感情を抱く話でしょう。

この時まひろは
「(下々が望みを高く持って学べば)高貴な方々も、政をあだおろそかにはなされなくなりましょう」
と言っています。
その後、帝がちょっと苦笑するような表情を見せています。その様子を見た定子が、言葉が過ぎるとまひろに注意しているわけですから、その言葉は、そういう高貴な方々である帝に対して不敬であるという意味があったのでは?

それにしても、結果的にいえば才能による抜擢を採用しないことが後々響いてきます。
不満を持った大江広元のような才知あふれる貴族が、行き詰まりを覚えて坂東へ向かってしまうのですから。

大江広元は兄の中原親能が、頼朝と親しかったからであるからと言われています。

遊ぶような、試すような、軽やかな音楽が場面を彩ります。今年の劇伴は本当に美しい。

嫌いな作品なら
「ピアノがピロピロ」
「ストリングスがうるさい」
「耳に悪い」
好きな作品なら
「軽やかな音楽」
「本当に美しい」
武者さんてこのどちらかですね。

伊周は、ご心配をかけたと謝りつつ、まひろに目を留めると、清少納言が、我が友で今下がるところだと言います。はからずも帝のそばに御する誉だと述べるまひろ。

「帝のそばに御する誉」
ではなく、
「帝のおそばに侍することがかないまして、一代の誉れにございました」
ですね。

飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2024/05/17 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


藤原道長が甥の藤原伊周を超え、ついに内覧できる右大臣となりました。
公卿の頂点に立った道長に、帝は、関白になりたいのかと尋ねます。

内覧はこの場合役職の意味であり、内覧兼右大臣と考えるべきではないでしょうか。
あと帝は「なりたいのか」ではなく、このように尋ねていますね。
「そなたはこの先関白になりたいのか、なりたくないのか」

そして、道長の政治スタイルは、当人にとっての特技をふまえたものでもあったのだろう、性格による向き不向きがあると書かれており、

例えば藤原公任や藤原実資ならば、余計な意見は聞かず、過去の事例やら漢籍でも紐解いて決められるかもしれない。
道隆はそういう特技はないのに、独裁を進めてしまいました。

その「過去の事例」「漢籍」とは具体的にどのような事例、どのような漢籍で、またどのように決めるのでしょうか。それが何も書かれていませんね。
そして「余計な意見は聞かず」というのは、要は陣定を無視するということでしょうか。それもないと思います。また、道隆にそういう特技はないという根拠は何でしょうか。

一方、道長はコミュニケーションが得意であり、自分の思う通りに空気を作りやすい。
ただ流されているだけかもしれないのに、道長と同じ場にいたものは「まぁ、俺も賛成したっけな……」と自分の意思があったかのように思ってしまう。

この回の陣定の場合は、公卿たちの中関白家への反発もあるのではないかと思います。

中国文学ですと、『三国志演義』の劉備、『水滸伝』の宋江、『西遊記』の玄奘がこの手のタイプとされます。
突出して能力があるわけではない人間が上に立つと、下にいる者たちは動きやすくなる。一種の理想的なタイプとされます。

また漢籍ですか。
ならば『三国志演義』の劉備、『水滸伝』の宋江、そして『西遊記』の玄奘がそれぞれどのように「決して能力があるわけではなかった」人物なのか、そして下にいる者がどのように動いたのか、具体例をまず挙げるようにしてください。
でないと、武者さんの自己満足でしかありません。

白居易の人気は平易かつ甘い作風にあったとされます。そんなスイートな魅力でなく、政を見出しているまひろの視点が渋い。

これも白居易(楽天)の「平易かつ甘い作風」はどのような作品に顕著なのか、それをまず書いてください。
そしてまひろ=紫式部は、『新楽府』を写しているから政に触れているわけですが、実際の紫式部は『源氏物語』に『長恨歌』を採り入れたりもしています。

それにしても、道長にもあてはまることですが、この作品は紫式部の性格のおける欠点をどうするのか気になってしまいます。
『源氏物語』にせよ『紫式部日記』にせよ、本作のさわや清少納言がそれらを読んだら、怒りそうな描写があると思えます。
さわの選択肢は極めて現実的でまっとうです。しかし、『源氏物語』には大夫監(たゆうのげん)という、肥後のオラつき脂ぎった男が出てくるんですよね。

「性格のおける」は「性格における」でしょうか。
そしてその欠点というのは、具体的にどのようなものですか。また『源氏物語』や『紫式部日記』のどの部分がさわや清少納言を怒らせるのか、その部分の指摘はないのですか。
(『紫式部日記』の、清少納言についての箇所は有名ですが)

あと大夫監は肥後の豪族ですが大宰大監ですね。玉鬘を妻にしたいと諦めなかった人物ですが、玉鬘自身はこの人を嫌っていました。

さて、その陣定では、公卿たちが流されてゆく様が見えます。
ずらりと並んだ公卿のうち、政策として「よい!」と確信を持って賛同しているのは、実資と公任ぐらいのように思えます。

「政策として『よい!』と確信を持って賛同しているのは、実資と公任ぐらい」
武者さんのひとりよがりのように見えるのですが。
まず「帝の仰せのままに」と答えている公卿は6人います。藤原誠信、藤原公任、藤原道綱、藤原実資、藤原顕光、藤原公季で、このうちのいずれも「流されて」いるようには見えません。
そして実資は道綱が笑みを浮かべながら、「帝の仰せのままに」と言うのに続いて「同じく」と答えています。

短い場面で、これだけで聡明さが際立つこの二人はやはりものが違う。
実資の目に光がキラッと輝く。公任は白い顔そのものがふっと浮き上がるように見える。知性の光があります。

好きなキャラだからそう見えるのでしょうし、また道長に近い存在だから、そのように描かれているのではないでしょうか。
そして伊周がこの税の免除に反対するシーンですが、

伊周は論陣を貼ります。
二カ国を認めてしまえば、それだけにはおさまらない。他の国も減税を申し出るであろう。税収を減らすことは朝廷のためにならぬとして、民に施しは不要だと断言しています。

「税収を減らすことは朝廷のためにならぬとして、民に施しは不要だと断言しています」
とありますが、
「そのようなことで朝廷の財を減らしていいのか、甘やかせばつけ上がるのが民、施しは要らぬと存ずる」
ですね。なぜ朝廷の財が減るのか、その理由が書かれていません。しかし伊周、「甘やかせばつけ上がる」などと言う辺り、父道隆の民軽視をそのまま受け継いでいるかのようです。

あと「論陣を貼る」ではなく「張る」ですね。

この展開は、現在にまで通じる税の話になって興味深いですね。
コロナ禍などの苦難に際してどこまで支援するか、減税するか。そんな議論も思い出します。

コロナ禍の支援金はともかく、現在までに通じる税の話というのは、ちょっと大雑把ではないでしょうか。
ついでながらコロナ禍と言えば、また新しい変異株が現れているようです。

道長がこのあと、疫病に苦しむ民を救うのは上に立つものの使命だと返します。
実資も、公任も、これには納得。道長は皆の意見を伝えると言い、他の意見がなければこれまでとすると締めます。

道綱も納得したような顔をしていますね。好きなキャラではないかも知れませんが、ちゃんと観ましょう。

道長は、実資と公任ほど、自分の理論に自信がないのかもしれません。
自分の意見を披露して、この二人が納得していればよしとする。そう反応を見たいからこそ、関白になりたくないのかもしれません。

ここがよくわからないのですが。
まず自分の意見を披露するのではなく、帝がこう言われたけど、皆の意見を聞きたいというのが陣定でしょう。
そして道長がこの陣定で一番確認したかったのは、自分に同意する人たちの反応ではなく、伊周の反応だったのではないかと思われます。
そしてこの場合の実資や公任の理論とはどのようなものですか。

このやりとりを見ていると、先程の伊周の指摘も、あながち間違ってはいません。道長は、詮子の言う通りにはならないようで、積極的には止めてはいない。敵からすれば全くもって許せない行動となってもおかしくはない。
柄本佑さんは誠意があるのか、いい加減なのか。融通が利かないのか、結局ゆるいのか。どちらにも取れるため、より不可解に見えてきます。

まず。
この伊周の指摘というのは、女院を使って帝をたぶらかしたという指摘です。つまり、伊周でなく道長を公卿のトップにさせたことを指しています。
そしてこのやりとりというのは、陣定後の一件の後、詮子が除目にこの人物を入れてくれと頼んで、道長が断るのを指しています。つまりこちらの方はあの一件の後の話であり、伊周の「女院を使って帝をたぶらかした」とは異なるもののはずですが。
あと急に「柄本佑さんは」と話が切り替わっていますが、これは柄本さん自身ではなく、柄本さんが演じる道長のことを指していると思われます。その辺りが、ちょっと紛らわしいですね。

若い頃、打毱を楽しんでいたころとは違う公任。
いい男になりました。少し枯れて、人生を知性を伸ばして生きていこうと願う姿は実に見事で素晴らしい。

元々公任は道兼と接近しており、これより少し後に道長に接近するようになったとも言われています。そして詩歌や読書や管弦を楽しみたいというのは、『拾遺集』の撰者であったこととも関係しているでしょうか。

なかなか汚いですね。
確かに睦言で秘密は漏れると『麒麟がくる』の斎藤道三も語っておりました。それを能筆を餌にして引き摺り出すわけですか。
「私で力になれるならやります!」

道長が行政官のトップとなったため、それなりの人材を揃えて情報を仕入れる必要があり、そのための策と言えるでしょう。尤も、これを提案したのは公任ですが。

一方、参議になりたい斉信に対して道長は、今回は源俊賢を優先すると謝ります。俊賢も斉信も同じ蔵人頭なのになぜかというと、源の血筋だからとのこと。
自分の思うままに人事を進めていく道長は、それほど清廉潔白でもないように思えてくる……。
と、行成はさっそく秘密の情報を掴んできました。

「自分の思うままに」とありますが、別に道隆のように極端な身内びいきではないと思われます。
そして
「源の血筋だからとのこと」
道長は源の血筋だから俊賢を選んだのではありません。その次のセリフに
「されど、目指すもののためには、その誇りを捨て去ることができる」
とあり、これが彼を参議とした理由であると思われます。

描き方や演出によって騙されそうになりますが、道長陣営もなかなか情報網を張り巡らせた、見方によっては“卑怯な手”を使っていることは考えておきたいものです。

これが「卑怯」であるのかどうか。
一筋縄では行かないからこそ、こういう手を使う必要もあるわけです。
そして「騙されそうになる」とは、「何に」騙されそうになるのでしょうか。


飲み物-注がれるワイン
[ 2024/05/16 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第19回「放たれた矢」あらすじと感想-2

第19回後半部分です。


宋人70名の知らせに、陣定の場に緊張した空気が走る。一方その頃、為時は申文をしたためていた。また申文の季節になったのですねといと。嫌味かと言われ、とんでもないと答えるいとだが、為時はだめもとで既に10年も申文を書き、結局任官されず、これを最後にしようと考えていた。思わず涙するいとに為時は、泣くことはない、あれもこれも人の世じゃと言う。その為時の家を、またききょう(清少納言)が訪れていた。

洗濯物を干すまひろにききょうは、新しい右大臣(道長)に望みは持てないと思っていたが案外頑張っていて、疫病に苦しみ民のために税を免除したりしていると話す。またききょうは若狭に宋人70人が来たことに触れ、若狭は小国ゆえ色々不都合で、道長が受け入れる館のある越前に送るよう帝に奏上し、それが実現したのである。素早いご決断に皆感心したと嬉しそうに話すききょうに、まひろは宋人とはどんな人たちか尋ねる。

ききょうもよくは知らない様子だった。まひろは宣孝から聞いた科挙の話をして、身分の壁を超えることのできるこうい制度を、帝と右大臣様に作っていただきたいと言う。ききょうは驚いたように、まひろ様てすごいことをお考えなのね、そんなのは殿方に任せておけばよろしいではないかと言い、また自分は中宮様のおそばにいられれば幸せとも言う。それを聞いたまひろは、ききょうがそこまで魅せられる中宮様に、自分もお目にかかってみたいと話す。

中宮様の後宮においでになりたいのとききょうは尋ね、参れるものなら参ってみたいとまひろは答える。簡単ではないが、まひろは面白いことを考えるので、中宮様がお喜びになるかも知れないとききょうは乗り気になる。是非お願いしますと頭を下げるまひろ。そしてまひろは十二単に身を包み、ききょうに導かれて中宮定子の御前へ向かうが、廊下に落ちていた鋲状の物を踏んでしまう。

ききょうは何か踏まれましたとまひろに尋ね、こうした嫌がらせは内裏では毎日のことだから気にせずに、自分も3日に1度くらいは何かを踏むから、足の裏は傷だらけだと言う。そしてききょうは声を上げて、でも平気です、中宮様が楽しそうにお笑いになるのを見ると、嫌なことはみ~んな吹き飛んでしまいますゆえと、まひろにではなく、室内にいる女房達に聞かせるかのように話す。

定子のそばの女房がお見えになりましたと言い、御簾を下げようとするが、下げずともよいと定子は命じる。ききょうとまひろは定子の御前に座り、まひろが挨拶をすると、定子は話は聞いておる、少納言が心酔する友だそうだなと声を掛ける。まひろは自分こそ少納言様に沢山のことを教わっておりますと答え、またききょうは、まひろは和歌や漢文だけでなく、政にもお考えがあるようですと言い、定子は感心したようにほうと答える。そこへ帝が現れる。

お渡りになるとは伺っていなかったと言う定子に、会いたくなってしまったと帝。そして帝は定子の手を取り、部屋を出て行く。どうするべきか迷うまひろに、すぐお戻りだから少しお待ちになってとききょうは言い、まひろはどちらへいらしたのですかと尋ねてしまい、ききょうはそんなまひろに、お上と中宮様は思いご使命を担っておられますのでと答える。半ば納得したかのようなまひろ。そして帝と定子が再び現れる。

定子に少納言の友と紹介されたまひろは、正六位上前式部丞蔵人、藤原為時の娘にございますと挨拶をする。また女子ながら政に考えがあるそうにございますと定子に言われ、帝は、朕の政に申したきことがあれば申してみよと、まひろに声を掛ける。まひろは自分如きがお上のお考えに対し、何を申し上げることがありましょうと言うが、帝の、ここは表ではない、思うたままを申してみよとに言葉に、まひろは自分には夢があると答える。

そしてまひろは科挙について話し、全ての人が身分の壁を越せる機会がある国はすばらしいと思う、我が国にもそのような仕組みが整えばといつも夢見ておりましたと進言する。その方は『新楽府』を詠んだのかと帝は尋ね、まひろは
「高者 未だ必ずしも賢ならず
  下者 未だ必ずしも愚ならず」
と答える。身分の高低だけでは賢者か愚者かははかれぬと帝は言い、まひろも、下々が望みを持って高く学べば、世の中は活気づき、国もまた活気づきましょう、高貴な方々も、政をあだおろそかにはなされなくなりましょうと、目を輝かせて語る。

この言葉に帝は苦笑し、定子は言葉が過ぎると注意する。お許しをと詫びるまひろに、そなたの夢、覚えておこうと帝は前向きな姿勢を示し、畏れ多いとまひろは頭を下げる。するとそこへ伊周と隆家が現れたため、まひろとききょうは後ろへと下がる。伊周は仲良くやっておられるかを拝見しに来た、中宮様には皇子をお産みいただかねばなりませぬゆえとあけすけに言い、帝は、その方らも参内するようになって安堵したと話す。

伊周と隆家はその件を詫び、さらに伊周はまひろの方を見て、見慣れぬ顔にございますなと言う。ききょうは私の友で、今下がるところでございましたと答え、またまひろも、図らずも帝のおそばに侍することがかない、一代の誉れでございましたと答える。2人が去った後、隆家はあのような者をお近づけにならない方がよいと諫言するが。帝は面白い女子であったと口にするが、お召しになるなら女御になれるくらいの女子をと伊周は言う。

さらに伊周は言う、そうでなければ中宮様に皇子をお授けくださいませと。帝は伊周はそれしか申さぬのだなと苦笑し、今日は疲れたからと下がらせる。帝のみならず、定子も彼らにはうんざりしていた。そして部屋にいた為時はまひろから、除目は越前守をお望みになったらよろしいと伝える。宋人が多く来ており、父上なら宋の言葉もお話になれるし、他の誰よりもお国のために役立てると言うまひろに、途方もないことを申すな、大国の国司は五位以上でなければなれぬと為時。

その為時は正六位だった。しかし望みは大胆であるほど、お上の目にも留まるとまひろは言う。乱心しおったと思われるだけじゃと為時。しかし長年望みがかなえられていないのだから、ここは千尋の谷に飛び込むつもりで、大胆不敵な望みをとまひろは促し、のるかそるが身分の壁を乗り越えるのですと父にはっぱをかける。しかし為時はその気になれず、国司を望むなら淡路守くらいであろう、それでも正六位の自分には出過ぎた願いとかこち、宮中に参ったらなにかおかしくなったと娘に言う。

その夜伊周は、一条殿で斉信の妹の光子と逢瀬を交わしていた。中宮様の気持ちをどう思うか尋ねられ、光子は、入内したことのない者に、中宮様のお気持ちはわからないと返し、そなたとおる時以外はつまらぬことばかりと、伊周は不満を洩らす。

内裏では帝が道長に、政のことを考える女子のことを話していた。中宮様も女院様も左様であると言う道長に、そのような高貴な者ではない、前式部丞蔵人の娘、名はちひろ…まひろと申した、朕に向かって下々の中にいる優秀な者を登用すべきと申したと帝は言い、道長は驚く。如何したとの帝の問いに、お上に対し畏れ多いことを申すものだと思いましてと答える道長。さらに帝は、あの者が男であれば登用したいと思ったとも言う。

道長は帝の御前を退出して、除目の準備に取り掛かる。申文を開いては違うを連発しつつ、やっと為時の申文を見つけた道長は、淡路守と記されているのを目にする。その後為時は従五位下となり、礼を述べる。さらにそれは右大臣道長の推挙であることを聞かされる。国司にしてくださるということかといと。10年もの間放っておかれたのに、どうしたことかと為時は不思議がる。

まひろは尚も、国司なら越前だと父上は誰よりもお役に立てると言い、為時に諭される。国司になれると決まったわけでもない、ありがたく従五位下をいただくだけだと言う為時だが、翌日内裏に上がるに当たっての束帯がなかった。位が上がるなどということを考えていなかったと口にする為時に、まひろは宣孝に借りようと提案し、屋敷へ行くことにする。いとは為時にささやく、やはり右大臣様と姫様は何かありますねと。

為時も、此度のことはそうとしか思えぬと本音を言う。そして借り着の赤い束帯を身に着けた為時は、道長に対しお礼の言葉もない、悲田院で助けていただいた娘も息災にしている、何もかも右大臣様のおかげ、身命を賭してお仕え申し奉ると述べる。そしてまいろは縁先で琵琶を弾く。しかしその時弦が切れてしまう。

満月に群雲がかかっていた。一条殿では斉信が、帝からの賜り物を光子に渡す。光子はそれを受け取り、儼子(たけこ)は今お忍びがあってと兄に伝える。一方で光子を騎馬で訪ねて来た伊周は、一条殿の前に牛車が止まっているのを目にして、そのまま屋敷に戻り、面白くなさそうに、隆家の酒を瓶子から直接飲んだため、隆家から降られたのかと尋ねられる。あいつに裏切られるとは思わなかったと伊周は言う。

男から押しかけて来たのかも知れないと隆家は言うが、見事なしつらえの牛車であったと伊周は涙を流す。隆家は懲らしめようと兄に持ち掛けるが、伊周は、関白になれなかったために女まで俺を軽んじると弱気になり、隆家はとにかく誰だか確かめるだけでもいいと、今度は2人で一条殿へ押しかける。牛車はそのままそこに止まっていた。調子に乗った感のある隆家は弓に矢をつがえ、兄の制止も聞かず出て来た相手めがけて射る。

屋敷から出て来た僧形の人物は腰を抜かすが、隆家は脅しただけで当ててはいないと平気なものだった。しかし斉信が、院とその人物を読んだことから、伊周と隆家は、その人物が花山院であることを知る。これが長徳の変の発端となる。


若狭に宋人がやって来ます。彼らはその後越前の館へと向かいますが、このことを決めたのは道長でした。まひろの家を訪ねて来たききょうはそのことを話し、一方でまひろは科挙と政の話をします。ききょうは驚き、自分は中宮定子のそばにいられれば幸せと言いますが、まひろもききょうがそこまで慕う定子に会いたくなり、やがてその思いは実現します。しかしまひろはその時、廊下にわざと置かれた鋲を踏むことで内裏の現実を知り、一方で自分の話を帝が聞いてくれたことに感銘を受けます。

このまひろの科挙への関心、どこか江戸時代後期から幕末にかけての、西欧の議会や民主主義を知った人物、特に蘭学者がそういった体制に関心を寄せるのと、何かしら似たものを感じさせます。まひろも宣孝の話、さらには『新楽府』を通じた宋の社会が、実際は必ずしもそうでなかったとしても、彼女には非常に理想的に見えたのでしょう。そのため、宋人を受け入れた越前の国司を望むべきだと父為時に言います。その為時は10年間任官されておらず、今回で任官活動をやめるつもりでした。

しかし帝から政に関心を持つ女子について聞かされたこと、それがまひろであるらしいこと、さらに為時の申文を見たことなどから、道長は彼の官位を上げることにします。出世など思ってもいなかった為時は、宣孝から赤の束帯を借りて参内します。この辺りにこの人物の、あまり出世を望まない体質が垣間見えており、またいとが道長とまひろの関係を疑う一因とも取れる描写となっています。しかしここの部分、まひろの父である為時に便宜を図っている道長といった感があり、その点でまひろが望む科挙の実力主義とは異なるものがあります。

一方で伊周、妹の定子に皇子を産むようにせっつきます。これには帝も嫌な顔をします。彼が関白になるには、妹が皇子を産んで帝の外戚になるのが第一条件でした。そして斉信の妹光子と関係を持ちます。しかしこの光子には儼子という妹がおり、その妹へ忍んで来る人物がいました。そうとは知らず、伊周が一条殿に出向いたところ、立派な牛車が止まっており、てっきり自分は振られたと思った伊周はやけになります。そんな伊周に、どこか調子のよさそうな弟の隆家が、相手の素性を確かめようと持ち掛け、今度は2人で出かけます。

それも2人で出かけ、相手が誰であるのかを知るだけでよかったのに、隆家は弓に矢をつがえ、出て来た相手めがけて放ちます。その人物は花山院でした。かつての女御忯子の妹で、光子ではなく儼子が院の相手だったのです。しかし隆家の矢は院を大いに驚かせます。脅しただけだと隆家はすましたものですが、このままでは済まないようです。先日『鎌倉殿の13人』で八重が放った矢は、源平合戦の幕開けを告げるものとなりましたが、この場合の矢は、中関白家の没落を意味するものとなります。

しかし竜星涼さん、どうもキャラ設定が『ちむどんどん』のニーニーを思わせますね。あと紀行で、『御堂関白記』が紹介されれています。倫子が覗き込んだあの日記です。


飲み物-2種類のカクテル
[ 2024/05/15 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第19回「放たれた矢」あらすじと感想-1

第19回前半部分です。しかし「放たれた矢」とは、『鎌倉殿の13人』の第4回の八重を思い出します。


長徳元(995)年6月、道長は帝(一条天皇)により右大臣に任じられ、内大臣の伊周を越えて公卿の最上位となる。幼い頃道長に、東三条殿の庭で遊んで貰ったことを覚えているが、ゆっくり話したことはないと帝。そしてこれからは太政官の長として、朕の力になって貰いたいとの言葉を賜り、また定子からはお上をよろしく頼むと言われ、身命を賭してお仕えいたす所存であると道長は答える。

すると帝は、そなたは関白になりたいのか、なりたくはないのかと尋ねる。なりたくはない、道長は関白は陣定に出ることができない、自分はお上の政へのお考えについて、公卿たちが陣定で意見を述べ、論じ合うことに加わりたいと道長は答える。後で報告を聞く関白ではなく、道長は陣定で彼ら公卿の思いや思惑を感じ取り、見抜いてこそ帝の補佐役は務まると考えていた。これまでの関白とは随分異なると口にする帝に、異なる道を歩みとうございますと道長は明言する。

まひろは惟規が借りて来てくれた『新楽府』の写しを作っていた。熱心になさっていますね、そんなに楽しいですかといとはまひろに尋ねる。楽しいと言うよりためになる、政のあるべき形が書かれているとまひろは言うが、いとはそんなことは惟規に任せ、お家のためによき婿様に出会えるよう清水寺参詣を勧める。そんな時、まひろに肥前のさわからの文が届く。それにはさわが婿を取ったことが書かれていた。いとは、また出遅れたとため息をつく。

一方内裏では、源俊賢が、帝が伯耆国と石見国の申し出を受け入れ、租税を4分の1免除してはどうかと考えていると道長に告げる。道長はもちろん同意するつもりでおり、帝は民を思う御心があってこそ帝たり得ると口にが、俊賢とともにいた斉信は、陣定が大荒れになると難色を示す。その陣定では、
「帝の仰せのままに」
「分かりませぬ」
の意見が多数を占める。

但し伊周はこの儀よろしからず、二国の申し出を入れて税を免じては他も黙っていない、そのようなことで朝廷の財を減らしていいのかと異議を唱え、甘やかせばつけ上がるのが民、施しは要らぬとまで言うが、道長は、未だ疫病に苦しむ民を救うは上に立つ者の使命と主張し、皆の意見を帝に伝えることにする。そして陣定は終了し、道長も立ち上がったその時、伊周はこの叔父に向かって言う。
「父上と道兼叔父上を呪詛したのは、右大臣殿か」

この言葉に公任、そして隆家が道長を見上げるが、道長はあり得ぬとその場を去ろうとする。しかし伊周は待てと叔父を呼び止め、尚も言う。
「自分の姉である女院様を動かして、帝をたぶらかしたのも右大臣殿であろう」
さらに伊周は、女院様を使って中宮様に無理強いするのもやめろと道長の肩に手をやるが、道長は素早く身をかわし、伊周は床に膝をつく。

道長はそのまま立ち去る。伊周はこの仕打ちに如何にも不満そうだった。そして道長は土御門殿に戻り、除目を考えていた。そこへ詮子がやって来て、この人物を入れるようにと折りたたんだ紙を差し出す。それを目にした道長は、知らぬ者を入れるわけには行かないと言う。それは詮子の知り合いであり、伊周一派を封じるための彼女の策であった。道隆兄上のようなことはできぬと道長。自分にも色々付き合いがあると言う詮子だが、できませぬと道長にぴしゃりと言われる。

融通の利かないところが素晴らしい、帝のご信用もいや増すというもの、お気張りなさいと詮子は言うと、帝に直接頼むと去って行く。そして次の陣定の日、実資は道綱から長と伊周のことを聞き、そんな面白いことがと目を丸くする。内大臣様があまりにぶざまでと、おかしさをかみ殺す道綱。しかしそれ以来、伊周と隆家は参内しなくなっていた。

そして道長、公任、斉信と行成が酒宴を張っている最中、公任は偉くなるのも大変だなと言い、次の除目は俺のことは忘れてくれ、自分はこのままずっと参議でいいと言う。公任も父頼忠が関白であった頃は、自分も関白にという義務感に駆られていたものの、今はどうでもよくなっていた。さらに公任は言う、漢詩や和歌、読書や管弦を楽しみながら、この先は生きて行きたいと。

斉信はそんな公任に、いきなり枯れてしまって具合でも悪いのかと問う。その公任は陣定で見ていても、道長は見事であり、競い合う気にはなれないと言うが、道長にしてみれば、右大臣としての経歴はまだ始まったばかりだった。そんな道長に公任は、適切な除目のためには、おのおのが抱えている問題を知った方がよいと忠告する。要は貴族たちの裏の顔であり、それには行成を使うように言う。行成の達筆は、女性たちの間で人気があった。

そのため行成は以外にも女性たちと密なつながりがあり、彼女たちと男どもとの睦言から、あいつらが知られたくない話を入手しろと勧める。行成も協力するつもりでおり、片や斉信はそろそろ俺も参議にしてほしいと口にする。しかし今回の除目で道長は、源俊賢を参議にするつもりでいたのである。同じ蔵人頭なのに、なぜ斉信でなく俊賢なのかと公任は訝しむが、源高明の子ながら目指すもののためにはその誇りを捨てることができ、道長には不可欠な人材だったのである。

そして斉信に、参議就任はその先に必ず考えるので、今回は許せと道長は言う。4人の前を蛍が飛び交う。その後行成は、仕入れた情報を文にして道長に手渡すが、藤原朝経は酒乱であることなどが書かれており、行成は読んだらすぐ焼き捨てるように言う。行成のように一度読んだだけでは覚えられぬと道長。しかしこれが残るのは危ないと行成は警告し、心に留まった分だけ記録を作るように勧める。つまり日記を書けということだった。

行成は毎朝、前日に起きたことを書き記しており、それによって覚える力も鍛えられると自信ありげに話す。その頃土御門殿では、倫子が猫の小麻呂を追いかけていて、文机の上の紙に書きつけられた文字に目が行く。興味深そうな倫子。やがて秋の除目となる。この時は大臣を除く中央官人の任命であり、もうひとつの春の除目は受領などの地方官人の任命であった。これにより実資が権中納言、俊賢が参議となる。また行成は蔵人頭に任命された。

俊賢はまず道長に会い、そして伊周と隆家に、ご機嫌麗しく心よりお喜び申し上げますと挨拶する。隆家は、ご機嫌麗しいわけがなかろうがと不満そうで、また伊周は右大臣殿に言われて様子を探りに来おったかと尋ねるが、俊賢は否定する。伊周はまた、お前の妹は右大臣殿の妻だろうとも言うが、俊賢は自分は源の再興のために右大臣に近づいており、忠義立てはしていないと答え、内大臣様の方がお若くご聡明で、いずれ高みに昇られる、今宵は先々のためにまず種をまいておこうと参じたと言う。

図々しい奴だなと隆家。しかし俊賢は帝も内大臣様のことを案じておられた、右大臣様に対抗する力がなければ、内裏も陣定も偏りなく動かぬと帝はお考えなのではないかとまで言い、伊周は心を動かされる。俊賢はさらに、つい最近まで蔵人頭としておそばにいたので、私の目に狂いはないと断言し、内大臣様、中納言様のおわさぬ陣定などあってはならないと強く参内を促す。

その後俊賢は道長に、これで内大臣伊周が参内すれば、右大臣が内大臣をないがしろにしているという噂は立たないと伝える。内大臣が出て来てくれることを祈ろうと言う道長に、必ず参内されましょう、駄目であれば次の手を打つと俊賢はぬかりなかった。

土御門殿では、穆子が倫子に大臣の妻としての心得として、丈夫であること、子供のことで殿に心配をかけないことと言い、彰子の言葉が遅いのは言わない方がいいと注意する。しかし倫子はそのことを散々道長に話していた。穆子はこれからは止めるように、内裏では些細なことも重荷になると言い聞かせるが、倫子には道長はそう見えなかった。すると穆子は、そう見せないのがあなたの殿は立派なのだ、父上(雅信)なんか何も考えずに参内していたのに、小さなはげがしばしばできていたと打ち明ける。

そして陣定に、久々に伊周と隆家の兄弟が姿を見せる。陣定を仕切る道長は、帝から、若狭に宋人70名が来着した件について定めよとの命があったことを告げる。


右大臣となり、内大臣である甥の伊周を越えて、蔵人の筆頭格となった道長は、関白になるのを拒みます。それは陣定に出席して、蔵人たちの様子を見ながら、彼らの思惑を探ることができなくなるためでした。関白という肩書より、自分も議論に加わった方がいいと判断したせいもあるでしょう。そして公任も、関白の夢を捨てて参議にとどまりたいと言い出します。そのうえで詩歌や読書、管弦を楽しみたいと世捨て人のようなことを言いますが、要は、道長と張り合うつもりはもうないということのようです。

しかしその一方で、適切な除目のことでアドバイスを与えるのは、如何にもこの人物らしいと言うべきでしょう。それには達筆ゆえに女性たちに人気の行成を使い、貴族の裏の顔を探らせると言うものでした。そして4人の中で今回最も影が薄かったのが斉信です。道長が関白になったら大いに売り込むはず、だったのですが、道長は関白にはならず、また明子の兄である源俊賢を参議に就任させます。その俊賢を使って道長は、租税免除の陣定後のいさかいで、参内しなくなった伊周と隆家を、再び陣定に引っ張り出そうとします。

そして行成が情報を入手します。機密事項でもあり、読んだらすぐに燃やすようにと行成は言いますが、一度で覚えることは難しいと道長は答え、ならば心に留まった分のみを記録するように行成は言います。つまり日記です。そしてこれらの情報を得て道長は除目に取りかかり、この時俊賢が参議、そして実資が権中納言に任命されます。そして大いに活躍した行成は、蔵人頭となります。

土御門殿。あの小麻呂は、前からいる小麻呂なのでしょうか。空白期間があった後再登場したのか、それとも二代目なのか。そして倫子は、文机の上の紙に何やら書かれているのを見てしまいます。また倫子の母穆子は、大臣の妻としての心得を娘に伝授します。要は夫が仕事に専念できる環境を作れと言っているようなものですが、内裏で大臣を務めるというのは、やはりなかなか気苦労が多いようです。そしてこの時初めて穆子は、夫雅信に小さなはげができていたことを倫子に打ち明けます。そうは見えませんでしたね…。

最後になりましたがまひろ。『新楽府』を夢中で写している彼女は、この書物が政のあるべき形を示していると思っています。要は諷諭詩、社会批判なのですが、実際に起こった事件との詩に登場する事件との関係は、あまり明確でないとも言われています。ともあれそういうまひろに、いとは早く婿を取ってほしいと思い、さわから彼女が結婚したという知らせが届いた時は、出遅れたと嘆いてもいます。しかしまひろの場合、父為時が任官せず(ささやかな仕事はあったかも知れませんが)、そのため婿が来ないという事情もまたあったでしょう。

飲み物-ブラッディサム
[ 2024/05/14 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

第18回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

遅くなりましたが、今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。またいつも通り、ダークブルーの文字が、武者さんのコラムからの引用部分です。(多少順番が前後します)

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第18回~


父・兼家の営業から解き放たれ、平静の心を取り戻してからは好人物だった道兼

まず寛和の変で花山天皇の退位に成功したものの、兼家の後継が道隆となって大いに荒れたこと、ドラマでは自堕落な日々を送り、『大鏡』では遊興に耽ったという記述があることに触れられています。しかしそんな道兼は道長に諫められ、その後昇進を重ねて右大臣となり、道隆没後の関白ともなり、また自ら悲田院に向かう姿勢も描かれているとあります。

そして道兼を演じた玉置玲央さんのコメントが紹介されています。
「1番信奉していて、かつ柱だったのが父親。自分の中で柱になってた存在がパキっと折れて崩れた。そこを救ってくれた。道長のおかげで少しだけ真人間になれた」
「避けず逃げず、きちんと今、道兼に必要な言葉を道長がぶつけてくれた。すごいエネルギーのいること。道長の中でも乗り越えなきゃいけないことがいっぱいあったやり取りだと思う。あれで道兼の中での道長への感情がガラッと変わった」

また『大鏡』や『栄華物語』では悪く描かれるものの、藤原実資の『小右記』や藤原行成の『権記』では交流のある姿も描かれているともあります。
しかし武者さん、コメント紹介もなければ、当時の資料に描かれた道兼像を紹介することもないのですね。
あと「営業」は「影響」でしょうか。

なんなんでしょう、この、宣孝の圧倒的なスケベ感は!
女性を酔いつぶして不届な行為をはたらくものは論外としまして。
同意のうえで酒を少し飲ませ、頬に血の気がのぼる様を楽しむのは、粋な男という感があります。
宣孝が、親切なおじさんから、色気あるおじさまにランクアップを遂げた瞬間でしょう。

ここで藤原宣孝は、
「まひろは打てば響くよい女になった」
「歳を重ねて色香を増した」
と言っていること、それをまひろは軽くあしらい、宋の国の事を聞きたがっていることに触れられています。

また元々は為時の友人であり、親戚でもあった宣孝が、まひろに「女性」を見出すというシーンであり、それなのに
圧倒的なスケベ感
女性を酔いつぶして不届な行為をはたらく
同意のうえで酒を少し飲ませ、頬に血の気がのぼる様を楽しむ
と書くというのは、武者さんは、男女の恋の駆け引きや情の移ろいを、エロ目線でしかいないのかとたけたけさんは指摘しています。

私の場合、宣孝とまひろのやり取りに、宣孝は彼女が大人の女になったのを感じ取ったのではないかと書いていますが、しかしどう考えても「スケベ」だ何だと騒ぐシーンではなさそうです。

科挙は時代ごとに異なります。

ここもまず、科挙とは「試験科目による選挙」のことであり、当初は進士科と諸科に分かれていたものの、その後諸科が廃止となり、経書・歴史・政治などに関する論述が中心となると説明されています。やがて北宋の時代になると、官僚たちが士大夫という支配階級を形成するようになり、官僚になることで地位や名声、権力を手に入れる、いわばエリートコースであったようです。

また科挙は受験資格に制限がなかったものの、幼い頃から勉学に専念できる環境が必要であったため、受験できる人は限られており、一生をかけても合格できなかったと書かれています。しかし試験偏重主義になり、明代に於いては四書を、八股文という決められた様式で解釈する方法に改められ、簡便になったことで、貧困層にも道が開けた反面形式重視となり、本来の意味での秀才を得られなくなったともあります。

私も関連投稿で書いていますが、武者さんには、この時代による変化を解説してほしかったと思います。そういうのは武者さんのコラムでなく、たけたけさんのnote記事の方に書かれているのですね。

宣孝は唐の薬を取り出します。
切り傷に驚くほど効くとかで、藤原実資が見たら欲しがりそうな逸品ですね
この薬を売り捌くことで、宣孝はボロ儲けをしました。

以前にもこちらのnote記事で紹介されていますが、この当時、筑紫の鴻臚館(福岡城内)に唐物使という役人が派遣され、貴族から依頼された商品を買い上げていたこと、宣孝は宋の商人と唐物使の間に入り、自分で値を付けて売りさばいたのではないかといったことが記されています。

また実資の名が出てくるのは、平安貴族としては長寿=健康マニアのイメージがあるせいだろうが、その論拠を示してくださいともあります。そしてこの人物の場合はお金持ちであり、わざわざ宣孝に頼むようなことをしなくても、自分で唐物使に頼んだのではないかとも指摘されています。
参考文献として挙げられていた以下のリンクを貼っておきます。

鴻臚館跡|平安時代の対外交流 遣唐使による公式外交から商人による民間貿易へ - 史跡ナビ

鴻臚館出土の文字史料展
(福岡市博物館アーカイブス)

藤原斉信は、藤原公任と藤原行成を前にして、伊周で決まりだなと結論。

これについては、あまりに状況説明を省き過ぎと指摘されています。実際、それぞれのセリフが意味を持っているわけですから、それぞれの会話についてもう少し書いてほしいものです。
note記事本文からセリフだけ抜粋させていただきます。

斉信「伊周殿は皆の承認を取り付けたという事か」
公任「以前に比べればやや人間的にマシになっただろう」
行成「道長が関白であるべき、伊周ではない」
公任「そりゃ道長の方が、俺たちはありがたい」
斉信「分からんよ、行成のように大の道長贔屓もいる」
行成「はい、私は大の道長さま贔屓にございます。されど自分の地位を何とかして頂きたいなどと厚かましい事は考えません」
斉信「俺は厚かましいのが売りだからな。道長になったら売り込むよ」
しかし公任は、やはり道長の関白はないと考えていた。

これだけでも大分違うと思うのですが。

口に運んで満面の笑みで喜ぶまひろの表情から、そのお菓子がどれだけ珍しくて貴重か伝わってきます。

ここのところ、せっかくのお菓子なのに何も書かれていないと思ったものですが、たけたけさんも
「どの様な菓子でどの様に珍しく貴重な品なのか具体性がありません」
と指摘しています。そして『八種(やくさ)唐菓子』の一つ『梅枝(ばいし)』であると書かれています。

そして当時は、果物を菓子と呼んでいたことから「唐果物(からくだもの)」と呼ばれていたこと、この八種唐菓子は、
「もち米・うるち米・麦・大豆・小豆などの粉に塩や甘葛の煮詰めた汁、水飴、献上する上級品でははちみつなど甘味料を加え捏ね、果物の形を作った後胡麻油で揚げた菓子」
とあります。
そしてその他には、餢飳(ぶと)や索餅(さくべい)などの菓子もあると指摘されています。

また参考文献として、以下の3つが挙げられています。

『倭名類聚抄』

八種唐菓子

平安時代の菓子
(奈良女子大学)

そして道兼は、関白就任の慶賀奏上のため清涼殿へ向かいます。
しかし、そのとき、ふっと力が抜けたように倒れ込んでしまう。

ここでは道兼が、清涼殿に向かう際に倒れたわけではなく、御前を下がる時であり、どこか体調が悪そうに、口元が震えていたとあります。
私も似たようなことを書いていますが、これだと時系列がよくわかりません、せめて「退出しようとして倒れ込む」くらい書いてほしいものですね。

また道長が対面するシーンは『源氏物語 36帖「柏木(二)」』で、夕霧が柏木を見舞い、その臨終を看取る場面を思い起こさせると書かれており、さらに道兼が唱えていたのは『光明真言』で、『十悪五逆四重諸罪』によって地獄・餓鬼・修羅に生まれ変わった死者に対し、光明を及ぼして諸罪を除き、西方極楽国土に往かせるという功徳があるそうですと説明されています。

つまり、定子や清少納言周辺は、金銭感覚が相当おかしくなっているとも思える。
道長はごく常識的な範囲で咎めたのに「こんなことすら許さないなんて!」となるのだとすれば、おかしいのは定子周辺なのです。
(中略)
たかが贅沢な調度品ひとつにしても、嫌な兆候があるもの。
それを見抜き、事前に止めた道長様はえらい!
そんなことを思ううちに、まひろはにやけてしまったのかもしれません。

武者さんがここで、『韓非子』の「箕子(きし)の憂い」を持ち出して、定子や清少納言の金銭感覚はおかしいと叩いても、ものを見る価値観は人それぞれであること、また道隆が莫大な費用を公費から出していたため、道長が疑問を呈したとも言えるといったことが書かれています。

また『紫式部日記』には、紫式部が出仕した頃は中宮崩御後5、6年が経過しており、『枕草子』の影響もあって、かつての登華殿を懐かしむ空気感もあったようだともあります。

女同士はドロドロだとか、薄っぺらいとか、そういう偏見込みで描くフィクションはまだまだ多いものです。
それは結局、書き手に男性が多いとか。
そういう偏見に迎合するのが賢いと錯覚するとか。
そういう古臭い感性でしょう

まずたけたけさんは、伊周の関白継承がままならず、定子が皇子を産むことに望みを託すしかないため、その伊周が、かつての父道隆のように皇子を産めと繰り返し、「素腹の中宮」とまで言っている点について、「ジェンダー」「ポリコレ」「偏見込みで描くフィクション」にうるさい武者さんは、何も感じないのかといったことを書いています。また現代ならマタハラもしくはモラハラ案件になるとあり、

これが嫌いな作品なら『「家父長制」の弊害(もちろん摂関政治全盛期に家父長制などありません)』とか『古臭い感性。価値観がアップデートされていない(いつの時代の価値観でしょうか)』となるのではないでしょうか。
(原文ママ)

という指摘もあります。
(実際家父長制云々は、『青天を衝け』でも目にしました)

第一武者さんがこう書くこと自体、男性への偏見と取れてしまいます。

大河でも、綺麗事ばかり言って具体的な政治姿勢が見えない人物はいるものです。
もう「言われんでもわかっているぞ」と返されそうですが、『青天を衝け』での渋沢栄一の経済政策。
そして『どうする家康』における家康の政治。
どこが優れているのか説明がないに等しかった。
イケメンが綺麗事を並べればいいわけじゃない。

この前の箇所で道兼を褒めて、それでも綺麗ことしか言わない人物もいると、例によって嫌いな作品叩きが始まっています。
それに対してたけたけさんは、

道兼卿を褒めたいのなら彼の在り様のみを総括すれば良いのであって比較する必要はありません。何見氏は嫌いな作品を『穢れ』と言い、似非陰陽師宜しく『全力で追い返しましょう』と侮蔑的的に叩いていました。
(原文ママ)

と指摘しています(何見氏=武者さん)。そして穢れとは本来見ないようにするもので、未だに嫌いな作品を叩いて悦に入っているものの、嫌いな作品に関わらないことはできないのか、正直誰かを侮辱し、叩くことで優越感に浸っているようにしか見えないとあります。

また
「どこが優れているのか説明がない」
どんなに状況説明がなされていても、分からないことを調べない、肝心要の部分を無視する、セリフを聞いていないなどであれば、どんなに優れていてもどこが良いのかわからないになるでしょうと指摘されてもいます。

結局嫌いだからという理由でちゃんと観ないのでしょうね。尤も今年の場合でも前出のように、斉信、公任、そして行成の間のセリフをちゃんと読み取っていないような記述もありました。

またポリコレ、ジェンダー関係の武者さんの記述に関してたけたけさんは、来年の『べらぼう』の主人公の蔦屋重三郎は吉原生まれ、引手茶屋(遊客を遊女屋へ案内する茶屋)を営む蔦屋の養子となり、貸本屋を開いて、吉原の案内書である「吉原細見」の案内書を編集するが、これに武者さんがどういう感想を持つのかと疑問を呈しています。
また

『大河に政治を持ち込むな』ではなく、『大河ドラマを現代思想を絡めて見るとおかしくなるので、時代背景を踏まえて論評しろ』というのが私の意見です。
(原文ママ)

ともあります。実際そういうものだと思いますが、特に、嫌いな作品に対しての、現代的な見方の絡め方はひどいですね。

あと二宮和也さんが『光る君へ』に出演予定の件ですが、

それをどこまで業界が認識できているのかというと、この上にあげた記事を見ると暗い気持ちにならざるを得ません。
真実かどうかはさておき、この記事は前提がおかしい。
『 光る君へ』は視聴率が低迷していて、そこに嵐の二宮さんを起用することで起死回生を狙うという、実在も定かではないNHK関係者の声が出ています。
今年の視聴率低迷は題材からしてNHKは覚悟の上でしょう。
2023年、鉄板の題材である徳川家康を主役とし、嵐の一員が主演であった大河ドラマは歴代ワースト2を記録しました。
忘れたとは思えません。
ジャニーズが大河において起爆剤にならないことを一年かけて証明したとも言えるでしょう。

結局私怨での旧ジャニーズ叩きに執着しないと気が済まないのか、手のひら返し決定か、公平な論評ができずに人を中傷するだけのレビューなら、続ける意味はないとあります。また、事務所が社名を変えようが、俳優さんが事務所を対処しようが関係なしに、過去に所属していたという属性だけで論拠もなしに、
「私は俳優を名指ししてサンドバッグにします」
と叩くのは、ただの誹謗中傷であるとたけたけさんは言っています。

それとやはり思うのは、自分が嫌いな作品を叩く時には、
海外の大河ファンがこう言っていた
と「マックの女子高生構文」を持ち出し、好きな作品の記事に、「実在も定かではないNHK関係者の声が出」ていると、この記事はおかしいと言っているわけで、まさにダブスタですね。

飲み物-緑とグラスビール
[ 2024/05/13 03:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


これ以上、姉上に賢くなられてもなぁ、とぼやく惟規。
このあたりはまひろの知識欲があらわれていますね。
かつて道長には陶淵明『帰去来辞』を書き送りました。政治批判、正しい世を望む気持ちがこめられた詩です。
白居易はこうした先行作品を参照しつつ、自らの作品に反映させる。
まひろが欲している白居易の新楽府は、そうした作品なのでしょう。

この『新楽府』、あらすじと感想で少し触れていますが、政治批判や社会批判のための所謂「諷諭詩」ですね。そういうのはきちんと書いてほしいと思います。
ただこの諷諭詩も、その後廃れていきます。また政治批判の性格を持ちつつも、実際に起こった事件をありのままに述べることは、避けられたようです。

ここで彼らの価値観として、先にでた白居易の影響があると考えましょう。白居易の代表作『長恨歌』背後にある世界観です。
(中略)
しかし、帝は警告として読み込んでいてもおかしくない。
なぜあの詩に描かれている楊貴妃は死んだ? 政治は乱れた?
帝王の愛は時に重く、政治に反映させると危険である。

詮子が帝に直訴するシーンですが、ここで『長恨歌』は出て来たでしょうか。
また玄宗や楊貴妃の時代の唐と、平安時代中期の社会は日本は同じでしょうか。
要は武者さんが、白楽天(居易)を持ち出したいがためにこう書いているとしか思えません。

そしてさわの肥前行きです。

肥前守を拝命した父と一緒に行かねばならないのだとか。せっかくまひろ様と仲直りできたのに……と嘆いています。
父上が国司になるのはめでたいとまひろが言っても、肥前は遠い国であり、もう会えないかもしれないとさわは残念がっています。
国司の任期は四年だから、そんなことはない。

ここのところ、ききょう(清少納言)の父元輔が肥後に赴任してその地で亡くなったこと、ききょうが父を1人行かせるべきでなかったと後悔したことに言及されてはいないようです。大石静氏は、そのことを念頭に置いていたのではと思いますが、

人の心はうつろうものだとあっさり言ってのけるまひろ。お別れは寂しいと惜しむさわに対しては、また会えると励ますのでした。
このドラマは意識的に男女間と同性間の関係性を、偏見なく再構築しているように思えます。
女同士はドロドロだとか、薄っぺらいとか、そういう偏見込みで描くフィクションはまだまだ多いものです。


「女同士はドロドロだとか、薄っぺらいとか、そういう偏見込みで描くフィクションはまだまだ多い」
では今までどのような作品が
「女同士はドロドロ」
「女同士は薄っぺらい」
作品であったのか、それを挙げ、どのようなシーンがそうであったのかを書いてください。

「意識的に男女間と同性間の関係性を、偏見なく再構築している」
この場合まひろと惟規、さわそれぞれの関係性であり、どちらも親しい間柄である以上、平等に接しているのは当然かと思います。

それは結局、書き手に男性が多いとか。そういう偏見に迎合するのが賢いと錯覚するとか。そういう古臭い感性でしょう。
紫式部は同性との友情に篤いことがわかります。
彼女が主人公ならば女同士のシスターフッド礼賛はむしろ偏見をとりのぞき、あるべき姿を見せるだけなのだといえます。

何だかごちゃごちゃ書かれているようですが、男性であれば女性に偏見を持つ、そう言いたくて仕方ないようですね。そういう見方こそが、男性に対する偏見でしょう。
そして何もまひろ=紫式部が主人公でなくても、女性同士の友情や信頼は他の大河でも描かれています(昨年の瀬名と於愛もそうだったと言えるでしょう)。

あと
「彼女が主人公ならば女同士のシスターフッド礼賛はむしろ偏見をとりのぞき、あるべき姿を見せるだけなのだといえます」
「彼女が主人公でなければ」シスターフッド礼賛はけしからんとなるのでしょうか。ちょっと都合がよくないですか。

初回のちやは惨殺のインパクトが強烈だった藤原道兼。
道長に対しても常に暴力的でした。
それがこんなにも清らかになって、彼が関白となる姿をもっと見ていたかったと思わせるとは、すごいことでしょう。

「それがこんなにも清らかになって、彼が関白となる姿をもっと見ていたかったと思わせるとは、すごいことでしょう」
もうちょっと書きようがあると思います。
第一この「すごいことでしょう」て、どんなふうに「すごい」のでしょうか。
恐らくこう書きたいのかも知れません。

あの常に父兼家のもとで汚れ仕事を引き受け、本人もそれに対して開き直っていた感がある道兼が、妻と娘に去られて自暴自棄になり、道長に諫められて真人間となって行く。この変貌ぶりの鮮やかさに驚かされます。そして兄を説得して立ち直らせた道長もまた、評価されてしかるべきでしょう。

花山院でもそうでしたが、当時の政治停滞をふまえ、具体性のある改革案をさわりだけでも見せてくるのが巧みだと思えます。
大河でも、綺麗事ばかり言って具体的な政治姿勢が見えない人物はいるものです。

この「花山院でもそうでしたが」は具体的にどういうことですか。
そして政治停滞や具体的改革案と言うより、道隆が己の家庭第一で民を顧みない、疫病が流行ってもほったらかしというわけで、民のために政をするべきと考えた道長からの提案を、道兼は受け入れたのだと思います。

あと「さわりだけでも」とありますが、「さわり」は話の要点の意味で、それ「だけ」を入れて来るのは別に構わないと思うのですが、武者さんの書き方だと、さわりだけでは不十分だが、でもないよりはいいという意味に取れてしまいます。

そして
「大河でも、綺麗事ばかり言って具体的な政治姿勢が見えない人物はいるものです」
例によって嫌いな大河叩きですね。

もう「言われんでもわかっているぞ」と返されそうですが、『青天を衝け』での渋沢栄一の経済政策。
そして『どうする家康』における家康の政治。
どこが優れているのか説明がないに等しかった。
イケメンが綺麗事を並べればいいわけじゃない。
その点、道兼は、道長の救い小屋について賛同するだけでなく、税の減免や荘園制度の改革などについて触れていました。

「説明がないに等しかった」
武者さんがちゃんと観ていないか、でなければ「どういう形で説明されたか」を理解していないかです。

「イケメンが綺麗事を並べればいいわけじゃない」
じゃ今年の公任や伊周がきれいごと、社交辞令を並べるのもダメなのですね。

「その点、道兼は、道長の救い小屋について賛同するだけでなく、税の減免や荘園制度の改革などについて触れていました」
それ、道兼がセリフで、はっきりそのように述べていたからではないでしょうか。

玉置玲央さんはNHK大河ドラマで毎回当たりを引いていると思えて、実に素晴らしいと思います。
彼の力量があってこそできた道兼です。
彼の魅力を引き出すためにこの脚本や演出を作り上げたチーム全体の大勝利でしょう。

仮に玉置さんが適役であっても、嫌いな大河の出演なら、武者さんは「役者の無駄遣い」だ何だと散々に言いそうですね。
そして「チーム全体の大勝利」などとありますが、チームはどこに勝ったのですか?貴方の嫌いな大河の制作チームに勝ったのだと言いたいのですか。

そしてその後また朝ドラ。

◆【テレビ用語の基礎知識】主人公は現代からタイムスリップ?「虎に翼」に違和感 政治的な意図やメッセージ、社会に訴えるためのドラマ使用いかがなものか(→link)
この記事は『虎に翼』のヒロインの口癖を借りて「はて?」としか言いようのないものです。
要するに「ドラマに政治を持ち込むな」ということですが、これは朝ドラではなく、今年と来年の大河から「何を言っているの?」となる話でしょう。

私は今回は観ていないので何とも言えませんが、この記事に書かれているのは
「あまり『政治的な意図やメッセージを社会に訴える』ためにドラマを使うのはどうなのか」
であり、政治そのものを持ち込むなではないと思います。


そして今年の大河も『新楽府』が登場し、政治理念が持ち込まれているだの、『源氏物語』も当時の政治や価値観への批判も滲んでいるだの。現時点でこの大河は、当時の「世相」を描いてはいると思いますが、殊更に「政治」を持ち込んでいるようには見えません。ならば戦国大河とか『鎌倉殿の13人』の方が、もう少し政治にコミットしていると思います。

あと
「『源氏物語』には当時の政治や価値観への批判も滲んでいるとされます」
とありますが、こういうコラムを書くのであれば、せめて『源氏物語』には一応目を通してください。「されます」だと如何にも伝聞的です。

そして上記の記事がよほどお気に召さないようで、
「テレビドラマは娯楽のためだと思う」
という記述に対してでしょう。このようにあります。

むしろ政治理念を込めてこそ、漢詩はよりよいものになるとされてきます。
「漢詩は単純に文字の素晴らしさを味わうためのものなので、楽しませるためだけに作った方がよいと思います」
漢詩鑑賞の上で、そんな風に語ろうものなら「へっ」と鼻で笑われます。

貴方はそうやって、自分が気に入らない作品、自分が気に入らない描写を
「『へっ』と鼻で笑」い続け、
その結果今のこのコラムがあるのだと思います。気に入らない作品から何も学んでおらず、その気に入る入らないも決め打ち、あるいは個人的な好悪(たとえば薩長大河が嫌いとか)で決めているから、いつも同じような、しかもおよそプロの手になるとは思えないコラムしか書けないのだと言いたくなります。

それでも『虎に翼』ほど激烈な叩き記事が出ないのは、今年の大河は白居易などを出してきて、読み解きが面倒だからでしょうか。
おじさま向けメディアの皆さん、そんな体たらくでいいんですかね。

「おじさま」たちに対して、大変な侮辱かつ偏見だと思いますね。そういう人が自分の好きな作品や登場人物を叩かれると「偏見だ」となるのですね。

新札アピール大河の『青天を衝け』は、海外の大河ファンから「こんな露骨なプロパガンダを作っていいのか?」と心配された題材でした。労働運動を敵視して潰す渋沢を大河で礼賛するのはどうか?というワケです。

「海外の大河ファン」
また「マックの女子高生」でしょうか。

あるいは、スポーツに興味関心がないクドカンさんに、強引に政治イベントオリンピック礼賛『いだてん』を書かせたのも一体なんだったのか。
大坂の陣四百周年の年に無理やりねじこまれたような『花燃ゆ』。『真田丸』は大坂の陣401年目放映という、どこか間抜けなタイミングです。そのあとは明治維新150周年にあわせた『西郷どん』。
平成の薩長同盟とでも言いたいこの両作品は『八重の桜』の足元にも及ばず、会津に負けるために作ったのかと思えるほどでした。

まず『いだてん』で描かれたのはオリンピックであり、スポーツではありません。私も最初の方しか観ていませんが、その時点ですでに、喜納治五郎のオリンピック構想が登場していました。
そして『花燃ゆ』は放送の2年ほど前に既に制作が決まっており、ねじ込まれたわけではありません。
そしてこの大河と『西郷どん』は、制作から何からまるで違っており、無理やり薩長同盟呼ばわりするのは牽強付会です。しかもどちらも会津と戦をするシーンは出て来ません。

尚『西郷どん』には、小栗旬さんが坂本龍馬役で出演していましたし、武者さんが今年の大河で褒めまくっている町田啓太さんが、その薩長同盟の立役者的存在ともいえる小松帯刀を演じていました。あの小松帯刀好きでした。

なぜ韓国ドラマがこうも受けているのか?
というと韓国のエンタメは政治批判が当たり前の要素とされているからであり、鈴木亮平さんはこう語ったとされます。
◆鈴木亮平「韓国に20年くらい差をあけられた」の衝撃 関係者が明かした、日本のドラマ現場の惨状とカネの問題(→link)
世相を批判したドラマ『エルピス』で好演した彼らしい発言といえます。

私は韓国ドラマは観ないので、受けているかどうかは知りません。
そしてその鈴木亮平さんのコメントですが、
「我々は日本国内だけに向けて作品を作っていたけど、気がついたら海外、例えばお隣の韓国に20年くらい差をあけられちゃったっていう危機感がある」
とあり、それは、日本のドラマ制作現場について語ったもので、政治批判のことなど話していないのですが。
そして鈴木さんより、大沢たかおさんの方に多くが割かれています。

鈴木亮平「韓国に20年くらい差をあけられた」の衝撃 関係者が明かした、日本のドラマ現場の惨状とカネの問題
(デイリー新潮)

ここ十年だけでもNHK大阪制作朝ドラは、執拗なまでに京阪神大企業と芸能界賛美をテーマにしております。受信料の意義を理解しているのでしょうか。

大阪制作である以上、関西や西日本がメインになるし、その意味で京阪神の企業や関西の芸能シーンが採り上げられるのは、無理からぬことだと思います。また『舞いあがれ!』のように、東大阪の町工場と五島が舞台という朝ドラもありました。

そしてこういうのはお気に召さないのですね。

◆【全文公開】二宮和也、『光る君へ』で「大河ドラマ初出演」の内幕 NHKに告げた「嵐だけは辞めない」(→link)
それをどこまで業界が認識できているのかというと、この上にあげた記事を見ると暗い気持ちにならざるを得ません。
真実かどうかはさておき、この記事は前提がおかしい。
『光る君へ』は視聴率が低迷していて、そこに嵐の二宮さんを起用することで起死回生を狙うという、実在も定かではないNHK関係者の声が出ています。


正直言って、リアルタイム視聴率は高くないと思います。前回はGWというせいもあったのでしょうか、10パーセントを割り込んで9.4パーセントとなっています。無論配信で観ている人もいるでしょうし、それは昨年も同じだったようです。

そして
「実在も定かではないNHK関係者の声が出ています」
この少し前に武者さんは
「『青天を衝け』は、海外の大河ファンから『こんな露骨なプロパガンダを作っていいのか?』と心配された題材でした」
嫌いな作品であれば、こういう「マックの女子高生」構文を持って来て叩きたがるのに、好きな作品に同じことをされるのは嫌なのですね。

今年の視聴率低迷は題材からしてNHKは覚悟の上でしょう。
2023年、鉄板の題材である徳川家康を主役とし、嵐の一員が主演であった大河ドラマは歴代ワースト2を記録しました。忘れたとは思えません。

これも好きな大河なら「題材からしてNHKは覚悟の上」
嫌いな大河なら「嵐の一員が主演であった大河ドラマは歴代ワースト2」
でも今年も「嵐の一員」が出演する大河となりました。
そしてどのスタッフも、リアルタイム視聴率はともかく、視聴者が減ることを望んではいないはずだと思いますが。

ジャニーズが大河において起爆剤にならないことを一年かけて証明したとも言えるでしょう。
一度失敗した手段に二度頼るほど、NHK大河チームは無能でないと思いたい。
問題はこういう明らかにおかしい記事を、PV稼ぎのために書き回してしまう業界そのものにあると思う次第です。

ドラマ関係者が誰であるかはさておき、マスコミらしい誇張もないとは言えませんが、記事は極端に間違った内容ではないと思います。
そして二宮さんにオファーを出したのも、NHKの制作サイドです。それは昨年の松本さん同様、何か期するものもあってのことではないでしょうか。
記事がおかしいと言うより、武者さんがこの記事を受け入れたくないだけではないかと思われます。

「佞言は忠に似たり」と言います。
へつらいの言葉は、熱烈な忠誠心じみた響きを持つ。
ファン心理にこびへつらってアクセス稼ぎを狙うような記事は、邪悪なものだと私は思います。

ここの部分で、急に昨年に戻ってしまいましたね(苦笑)。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2024/05/12 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


愛を求めて得られなかった道兼は、弟のぬくもりと共に人生を終えました。
関白の慶賀奏上から七日。
享年35でした。

「弟のぬくもりと共に人生を終えた」とありますが、あの時点で亡くなったかどうかはわかりません。所謂「ナレ死」ですし。父兼家の命で汚れ仕事を引き受け続けた道兼が、晩年に道長と打ち解け合うようになり、その道長から期待されて関白に就任した、その矢先の死ではありましたが。

あと「享年35」なら「7日」でいいかと思います。これも字幕ではそうなっています。

あのお方の罪も無念も全て天に昇って消えますように――そう願いつつ、琵琶を奏でるまひろ。
この父娘は、儒教教典も読みこなし、「人望」に繋がる徳を身につけています。
藤原詮子が、道長と倫子を呼び出しています。
遅いと言われ、内裏での仕事が長引いていたと詫びる道長に対し、詮子はこう切り出します。

まず
「この父娘は、儒教教典も読みこなし、『人望』に繋がる徳を身につけています」
ではその儒教教典がどのようなもので、人望に繋がる徳とはどのようなものかを、具体的に書いてください。そしてその後すぐに
「藤原詮子が、道長と倫子を呼び出しています」
とありますが、こういうのは「その一方で」と話を切り替える方向に持って行くか、そうでなければ改行してほしいですね。

「それでよい」と道長が返答すると、倫子も今のままで十分だと続けます。
イライラが沸点を超えてしまったのでしょう。詮子は「黙っていろ!」と声を荒らげ、倫子は謝るしかありません。

細かいことですが、「それでよい」ではなく「それがよい」ですね。ちょっとニュアンスが違うと思います。
そして「イライラが沸点」と言うか、道長が関白になる気がないと言い、さらに倫子がそれを支持するようなことを言ったため、詮子としては面白くないのでしょう。
あと「黙っていろ」ではなく「そなたは黙っておれ」ですね。

藤原斉信は、藤原公任と藤原行成を前にして、伊周で決まりだなと結論。
道長が関白になったほうがいいとはいえ、果たして本人にそんな気持ちはあるかどうか、公任は疑問を抱いています。
熱意をこめてやたらと道長推しを宣言するのが行成でした。

これですが、斉信は伊周が皆の承認を取り付けたということかと尋ね、公任は以前より人物がマシになっていたと答えています。「伊周で決まり」とは言っていないのですが。
そして斉信が、道長になったら自分は厚かましいから売り込むと言っているのに対し、公任は、それはいいが道長に本当にその気があるのかと、疑問をぶつけているのですね。
尚ここで、公任が本来上げ頸の狩衣を、垂頸にして着ていますね。

まひろのもとに清少納言がやってきます。
彼女はお菓子を持参。中宮様からたまわったからとお裾分けしてきます。
口に運んで満面の笑みで喜ぶまひろの表情から、そのお菓子がどれだけ珍しくて貴重か伝わってきます。

せっかくですから、このお菓子についても書いてほしいところです。
あらすじと感想でも書きましたが、唐菓子(からくだもの)で恐らく梅子(ばいし)または桃子(とうし)と思われます。まひろに取っては、そう口にする機会はなかったのでしょう。

思わず笑い出すまひろ。清少納言に「おかしいの?」と聞かれて、慌てて「あ、いえ」と誤魔化しています。まひろは無表情か、思ったことが無意識のうちに顔に出るか、極端ですからね。
このシーンは、なかなか難解なやり取りと言えるのではないでしょうか。
道長の書いた日記はじめ、当時の記録を見ると、道長は「細かいことに厳しい」どころか、よくいえば鷹揚、悪く言えば大雑把な性格です。

まひろが笑ったのは、もちろん道長の人となりを知っていると思われます。
そして「なかなか難解」などとありますが(武者さんが、好きな作品だからこう書いているとも言えますが)、あと道長の『御堂関白記』をまた持ち出して来て大雑把と言っているようですが、この場合は第15回のワンシーンが伏線になっているとも取れます。
しかし武者さん、『御堂関白記』を持ち出して来て道長を叩くの好きですね。

螺鈿細工の厨子棚はかなりの高級品。家具ならばそこまで装飾過多でなくてもよいと道長は考えたのでしょう。
つまり、定子や清少納言周辺は、金銭感覚が相当おかしくなっているとも思える。
道長はごく常識的な範囲で咎めたのに「こんなことすら許さないなんて!」となるのだとすれば、おかしいのは定子周辺なのです。

ここのところですが、第15回で道長は、定子の住まいの「登華殿」のために、公費から莫大な費用が出されているのに疑問を感じています。これは兄道隆がそのようにしたのですが、道長自身はこれより、疫病に苦しむ民の救済に公費を回すべきだと考えていました。
だからこそ、そのような贅沢は許さないと言ったわけですね。しかし中宮に仕えるききょう(清少納言)は、腹に据えかねていたと思われます。

あと厨子棚ですが、家具というか調度品ではないかと思います。室内装飾を兼ねていたとも言われており、定子も、ならば螺鈿細工の立派な物がほしいと考えたのかも知れません。

それにまひろならば『韓非子』を出典とする「箕子(きし)の憂い」だと思えたかもしれません。
暴君とされる殷の紂王が、あるとき象牙の箸を自慢しました。
箕子はこのとき、象牙の箸を自慢するのならば、そのうち箸にあわせて、食器まで玉器にするかもしれないと懸念します。どんどん贅沢になって歯止めが効かなくなるだろうと。
この予測は果たして当たりました。

「箕子の憂い」とはそもそも「小さなことから大きな流れを察知できること、またその人」の意味です。そして段々とそれがエスカレートし、最終的には莫大な金がかかることになってしまうわけですが、それとこの定子の厨子棚はやはり違うと思いますね。

たかが贅沢な調度品ひとつにしても、嫌な兆候があるもの。それを見抜き、事前に止めた道長様はえらい!
そんなことを思ううちに、まひろはにやけてしまったのかもしれません。

前出のように、そもそも道隆が公費から娘のために費用を出させ、しかも疫病に苦しむ民を救うこともなかったのを道長は疑問に思い、民の為に費用を出すべきと考えた、それが根本にあるのではないでしょうか。道兼にも、これを公的事業としてくれと頼んでいました。
そしてこれも前に書いていますが、まひろは道長の人となりを知っていたからこそ、あの人がそんなに厳しいのかと、思わず笑ってしまったのかと思われます。

あの人、人気がないんだ――まひろは心の中でそう思います。
ただし、これは清少納言側のバイアスがかかった意見でしょう。
まひろからすれば、道長の節約思考はむしろプラスなのです。

清少納言は定子に仕える身、しかも伊周に関白になってほしいと考えているわけですから、発想としては中関白家のそれに近く、当然道長をよく思っていないと思われます。そのような見方が、こういうセリフとなって現れたのでしょう。
あと道長の節約志向(思考ではなく志向では?)がプラスというのは、余計な出費を抑えて民のために回すということなのでしょうか。ならばそれをきちんと書いてください。


飲み物-タンブラーの白ビール
[ 2024/05/10 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
順番が前後しますが、3ページ目のこの記述から行きたいと思います。

帝は、夜になると、定子に「嫌いにならないでくれ」と訴えます。嫌いになどなれないと返す定子。
「そなたがいなければ生きられぬ。許してくれ。そばにいてくれ」
そう定子を抱き寄せる帝。なんて悲しい愛なのでしょうか。

武者さんはこう書いていますが、こちらも「悲しい愛」(哀しいの方が正しいでしょうか)であるはずの、昨年の秀頼と千姫の別れについて、武者さんはこのように書いています。

そんな千姫まで洗脳宣言じみたことを言い出しました。
秀頼は棒読みで何かしゃべっている。大坂城が落ちる場面で、ここまで空虚なセリフと演出とは……。

ここで千姫が秀頼の手を取る。
マザーセナ&家康といい、何度このポーズを使い回すつもりなのでしょう。ロマンチックなポーズはいつも同じ。

ここのシーンですが、千姫は秀頼と共にいたいと言う、しかし秀頼はそれを突っぱねているわけですね。豊臣の人間として散りたいと思っているわけですが、そういう描写ははなから見ようとしていませんね。

どうする家康第48回秀頼と千姫の別れ
『どうする家康』第48回

そして帝が苦肉の策の決断を下したのは、詮子が道長を強く推したせいもあったからなのですが、そういう場合無武者さんは「小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw」とは書かないのでしょうか。昨年のコラムのこの部分、もう一度貼っておきます。

どうする家康47コラムの女性観3

お土産は「変わった味のする唐の酒」とのこと。
宋代に造られ始めたという「白酒」です。まだ本場でも珍しい品をよくぞ手に入れました。

説明がされていないのでここで書いておきますが、この「白酒」(パイジウ、パイチュウ)は蒸留酒の一種で、もちろんひな祭りの白酒とも、また白酒と表記される神酒とも異なっています。

2023年に放送されたドラマ『パリピ孔明』で、オーナー小林が「昔の酒は弱い」と孔明に問いかけていました。
孔明が生きた三国時代は醸造酒でも、宋代になると蒸留酒である白酒ができてくる。日本で焼酎ができるのはまだまだ先のこととなります。

また『パリピ孔明』ですか。別に直接関係ないのであれば、わざわざ持ち出さなくてもいいかと思いますが。
そして『本草綱目』によれば、蒸留酒作りが始まったのは元代であるという説もあります。ただしその蒸留酒は「焼酒」という名前になっています。

中国における白酒産業の動向と白酒文化
(P17~18、元代、宋代そして唐代それぞれの時代の説に言及)
(熊本学園大学)

また日本での蒸留酒作りは、戦国時代にシャム(タイ)から蒸留酒が持ち込まれたという説があります。この説は上記論文での、宋代に於ける蒸留酒の始まりと共通しています。

まひろは打てば響くいい女になった。歳を重ねて色香を増した。
なんなんでしょう、この、宣孝の圧倒的なスケベ感は!
女性を酔いつぶして不届な行為をはたらくものは論外としまして。同意のうえで酒を少し飲ませ、頬に血の気がのぼる様を楽しむのは、粋な男という感があります。

武者さんはやけにスケベ感と騒いでいますが、この場合は酒を飲ませて紅潮するのを楽しむのみならず、まひろが戦の前に己を鼓舞する酒であると言ったのを受けて、会話のやり取りが大人になったと宣孝が喜んだ、そういう意味もあるのではないでしょうか。

唐代は、科挙はあっても、まだ貴族制度が残っていました。
明代以降はテクニック重視となり、多様性が失われ、弊害も大きいとされます。
その点、宋代はバランスがよく、この時代は官僚のレベルが高いとされます。宋代政治は日本でもお手本とされたものです。

そのそれぞれの時代の科挙の違い、また宋代政治はどのような形で日本でもお手本とされたのか、ここで具体的に書いて貰えないでしょうか。

為時は色気から話を逸らしたいのかどうか、太宰府の魚の話をします。
(中略)
まひろは太宰府から宋の距離を聞きます。

前にも同じミスがありましたが、この場合は「太宰府」ではなく「大宰府」ですね。もちろん字幕もそうなっています。

まひろが行く気になるからやめてくれと為時が言うと、ならばわしが一緒に行く、商いもできると微笑む宣孝。
為時は「その気になったら困る」と返すしかありません。
このシーンからは、宣孝とまひろの距離が縮まるだけでなく、別の影も見えてきます。
かつて直秀と旅立つことを夢見たまひろ――今度は宋へ旅立つことを、別の誰かと考えてしまうのではないでしょうか。

この場合の為時ですが、「別の誰か」云々より、すばりまひろが宣孝と共に宋へ行く、そのことを案じているのではないでしょうか。そもそも武者さんが言う「別の影」とは誰ですか、道長ですか?しかし道長はもっと若い頃ならともかく、最早まひろと宋へ逃避行できるような立場ではありませんよね。

そして継承関連で、

継承順位について兄弟と父子を絡めると混乱するのは世の常。伊周と道長のように、甥と叔父が対立しかねません。
この対立パターンは例えば『鎌倉殿の13人』にもありました。
和田義盛の父・杉本義宗は、三浦義明の嫡男でした。

と書かれ、本来は彼が三浦を継ぐはずだったが亡くなり、弟の三浦義澄が当主となったとあります。そこまではまあわかりますが、平安貴族でなく坂東武者同士の対立が血生臭い惨劇となることは、ドラマで描かれた通りと、いささか飛躍した表現となっています。
武者さんが、ここで何を問題視しているのかちょっと不明です。三浦義明の死後義澄、さらにその死後義村が当主となり、その義村が義盛と刃を交えたことを言いたいのでしょうか。
しかし今回「戦」はないけれど、この関白職を巡る動きは「戦」との類似性を感じさせます。

時代がくだると兄の血統を重視し、叔父は当主を継承しないことが成立してゆきます。

この場合も、本来は伊周のはずだったわけです。道長自身も当初その意志はなかったようですが、中関白家に対抗心を持つ詮子が間に入って、伊周では駄目だから道長でなければと考え、ついには我が子である帝をも動かす作戦に出たこともあって、道長にお鉢が回って来たのですね。

そしてその後、日本では戦国時代には当主の弟である叔父でなく、その息子が継ぐようになっている、『麒麟がくる』の明智光秀と光安、『どうする家康』の本多忠勝と忠真がそうだと書かれています。武者さんがネガティブな意味でなしに『どうする家康』を引き合いに出すのは、珍しいですね。

あとここの一連の継承関連の記述、「叔父と甥の対決」となっていたり、「兄の血統を重視し、叔父は当主を継承しない」とあったりで、それぞれの関係の表記に統一性がなく、紛らわしく感じられます。
今回の場合は、道隆の「息子」である伊周と「弟」である道長が対立することになり、伊周に取って父の弟、つまり叔父である道長が実権を握ったわけですね。こういうのはわかりやすい形でお願いします。

そして道兼は、関白就任の慶賀奏上のため清涼殿へ向かいます。
しかし、そのとき、ふっと力が抜けたように倒れ込んでしまう。
音が消えて無くなり、静寂の中、道長が道兼を抱き抱える姿が見えます。露骨に喜びを見せる伊周の顔も映る。そういうところが人望のなさに繋がるのですが、本人も気付いていないのでしょう。

「しかし、そのとき」とありますが、道兼は奏上を終わって立ち上がり、その後に倒れています。「そのとき」では奏上前という可能性もあるので、こういうのはきちんと書いてください。そして倒れ込んだのは、もちろん体調がよくなかったせいもあるでしょう。その前から少しふらついていましたし。

あと
「露骨に喜びを見せる伊周」
伊周は喜んでいるでしょうか?倒れた道兼と、駆け寄る道長を見つめてはいましたが。内心俺の出番が来たと思ってはいたかも知れません。

飲み物-マグに注がれたビール
[ 2024/05/09 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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