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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』に関してのごくざっとした感想

ここのところ『どうする家康』の番宣が増え、いよいよだなと思うと同時に、『鎌倉殿の13人』がもう過去のものになったのだなと改めて思います。この大河ですが、やはり三谷さん脚本の前2作に比べると、正直言ってちょっと物足りなさを感じもしました。主に

平家があまり登場しない
女性たちのシーンが多い
クライマックスと言うべき承久の乱絡みの描写の尺を、もう少し多く取ってほしかった

こういった点です。
まず平家のシーンですが、どうも義時と八重の描写の方に尺が取られているように見えました。無論義時が主人公なのだから、それはそれでいいのですが、鹿ケ谷の陰謀が出て来ず、清盛と後白河法皇の関係の描写も思ったほどでなく、なぜ平家を討つ必要があったかが、少々わかりづらかった嫌いがあります。

それと女性たち、主に北条家の女性たちのシーンが多く、見方によっては彼女たちが男性陣をいわば焚き付けていたようにも見えます。ただりくの場合は野心家とい設定でもあり、夫を動かそうとしているシーンにはいくらか納得もできました。またもう少し、権力者となった頼朝の苦悩とか、義時と義村が執権と御家人という立場にそれぞれ分かれて行く、その戸惑いなども描かれてよかったかとは思います。

そして承久の乱。これは何度か書きましたが、3回ほどこの乱についてじっくり描くのかなと当初は思っていたし、武田も出て来るのかと期待していただけに、残念な気持ちもありました。どちらかと言えば乱そのものより、義時が如何に死ぬかに重きを置かれていましたね。

またやはりコントが絡むシーンが多いです。『新選組!』の時もコントはありましたが、屯所での生活でのそういうシーンはまだ納得できましたし、『真田丸』では、真田昌幸の表裏比興ぶりと噛み合った感もあります。ただ今回は、文覚の頭蓋骨のシーンはともかく、義経が戦がしたいと地団太を踏むシーンとか、全成の登場シーンなどは、あそこまでやるべきかなとも思いました。それと室内での人物描写が多いのは、やはり舞台的ではありました。

同じ時代を描いた大河として『草燃える』があります。総集編を以前観たこともあります。無論これと『鎌倉殿の13人』は別物ですし、どちらがいい悪いとは言いたくありません。こちらの方は最終章の主役が義時で、やはり執権としてダークな人物となり、御家人を粛清し、最終的に承久の乱までが描かれて行きます。この義時の描き方は割とよかったです。総集編すべての中で、この最終章はとりわけ面白く感じられました。

ただしこの大河には伊東祐之というオリキャラがいて、義時とはかつて同じ坂東武者でありながら、片や権力者、片や世捨て人のような琵琶法師と言う、別々の道を歩んでいるという特徴があります。この中での義時のダークな部分、俗世間での最高権力者であるがゆえの業の深さが、既に盲目の琵琶法師となった祐之の存在ゆえに、より一層クローズアップされているが故の面白さとも言えます。しかもこの祐之が盲目となったのは、義時との確執によるものでした。

あと先日の武者さん絡みでもう少し。あのコラムに関しては、比較対象が時におかしいことや、特定の人物をひたすら庇ったり、ほめたりするところも目に付きます。特に比較対象ですが、鎌倉時代と幕末を同列に論じるような記述も見られました。全く違う時代である以上、比較することそのものがどうかと思うのですが…今後も恐らくこの傾向は続くのでしょう。

かなりざっとした感想ですので、今後大河絡みでまた思うことがあれば書くかも知れません。


飲み物-ホットビール
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[ 2023/01/06 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(4)

『鎌倉殿の13人』第42回「夢のゆくえ」あらすじと感想-1

第42回「夢のゆくえ」前半部分です。

実朝は寝苦しくなり目を覚ます。するとそこに後鳥羽上皇が現れ、共に日本を治めよう、北条に惑わされるな、義時は食わせ者よと言い、実朝の鼻をはじいて去って行く。急に飛び起きる実朝と驚く千世。翌日実朝は泰時を呼び、父上が作られたこの鎌倉を源氏の手に取り戻すと言うが、それは北条から取り戻すということですかと泰時。実朝は上皇を手本にするつもりでいた。

すなわち何事も人任せにせず自分で裁きをする。そしてお前の力を借りたいと実朝は言う。自分も北条の者であると泰時は答えるが、義時に異を唱えることができるのはお前だけだと実朝。泰時は鎌倉殿のためにこの身を捧げると言うが、これにより実朝、三善康信と泰時、そして義時と三浦義村と大江広元が二手に分かれた感があった。

実朝は日照りが続いたことにより、将軍家領の年貢を減らそうとするが広元が異を唱える。義時は年貢が減れば政も滞ると言い、義村も御家人たちから文句も出ると意見する。泰時は御所領をいくつかに区切り、年ごとに年貢を減らす土地を変えて行くと言い、康信も文書を見せるが、義時は泰時に、どういう立場でそこにいるのかと厳しい目を向ける。自分が頼んだと実朝。泰時も父上が義理の弟という理由だけで頼朝様に仕えたように、私も鎌倉殿のいとこということでここにいると答える。

のえは行政共々、義時に執権になることを勧める。執権になってくれないと、のえが何のために北条に嫁いだかわからんよと行政。しかし義時は執権という言葉に、政をほしいままにして追放された父時政をダブらせていた。考え過ぎである、悪い癖だとのえは言い、結局義時は執権を名乗ることにする。義村からは執権殿と呼ばれ、名乗るつもりはなかったがその方が都合がいいと答える義時。遅かったくらいだと義村。

一方で実衣は、鎌倉殿が御家人たちに任せず自分で政をすると政子に話していた。頼家の二の舞を案じる政子だが、自分がついていると実衣。政子は実朝と義時が不仲なのを案じ、自分がそばにいようかと言い出す。しかし実衣は言う。
「私が何かしようとすると、いつも姉上は邪魔してくる」
そんなに信用できないのならあとはおまかせしますと実衣は、政子の制止も聞かず出て行こうとする。政子は実衣に任せると言わざるを得なかった。

広元は訴状を読もうとするが目を患っており、代わりに康信が読み上げる。伊豆の御家人長岡七郎からのもので、米が昨年の半分しか取れないのに近くの将軍家領が年貢を3分の1に引き下げられ、百姓たちが不公平だと怒っているらしい。将軍家領だけ減らすからこうなると、泰時の方をにらみながら義時は口にする。実朝は泰時を伊豆にやって実地検分させおうとするも、義時は既に時房を派遣していた。さすが執権殿は打つ手がはやいと義村。色々試してみて、不具合が見つかれば別の手を考えるのが大事と、実衣は実朝をうちわで扇ぎながら言う。

義時は実朝を責めているのではなく、周りの者にもっとしっかりせよと申しておると一喝する。泰時は考えが甘かったことを詫びるが、実朝は上皇から贈られた聖徳太子像の前に座り、世を治めるために自分が慈悲深い名君となるべき、尊い生まれながらそれに満足することなく功徳を積んだ聖徳太子を、自分の道しるべだと言う。そこへ康信が慌ててやってくる。源仲章が宋人の陳和卿を連れて今日から戻って来たのである。

陳和卿は涙を流し、私たちは初めて会うわけではないと実朝に言う。前世の実朝は宋の医王山の長老で自分はその門弟であったと言い、恭しく実朝に手を合わせて長老様と呼ぶ。実朝はこの光景を以前夢に見ており、自分の夢日記を見せる。さらに実朝は和卿に言いたいことがあるのでは、船にまつわることではないかと尋ねる。和卿は誰も見たことのない大きな船を作り、宋との交易を勧め、仲章もかつての聖徳太子の遣隋使の礼を引き出す。実朝はすぐに船を作らせることにする。

伊豆から戻った時房は、時政が膝を悪くして、歩くのもままならないという話を耳にした。見舞いに行こうと思うと言いつつも、義時が不機嫌そうなのを観てやめておくと時房。そんな時房に義時は、泰時に行かせるように言う。その頃鎌倉を丹後局が訪れていた。彼女は修行と称して諸国を巡っていると言う。自分もあなたも大きな力を持つ人物につかえた似た者同士、困ったことがあればあったら遠慮なく言うようにと政子に話す局。

政子はたまに心の芯が折れそうになる時がある、4人の子のうち3人を亡くし、背負う物が多すぎる、家族のだれ一人失わずつつましやかな方がよかったと打ち明ける。しかし丹後局は頼朝と一緒になったのはいつかと尋ね、40年と答えた政子に、それでまたそんな甘えたことを言っているのか、いい加減覚悟を決めるのです。あの源頼朝と結ばれたということはそういうことと厳しく言い放つ。人並みの人生など望んではならないとも言い、さらにこう言い添える。
「何のために生まれてきたのか、何のためにつらい思いをするのか、いずれわかる時が来ます」

泰時は実朝が、聖徳太子に倣って宋へ使者を送ろうとしていると義時に伝える。余計なことをと義時。大きな船は世に鎌倉殿の力を知らしめることになる、北条に取っては確かに余計だなと義村はずけずけと言う。義時は御家人たちの負担が大きすぎるのを案じていた。

そして時房に言われ、泰時は陳和卿が実朝の夢を当てて信頼を得たが、夢日記はあの部屋に出入りする者なら誰でも見られるし、和卿自身は京から来たばかりではあるが、仲章ならそれを見ることができたと打ち明ける。西のお方が糸を引いているということかと義時はため息をつく。そしてこの船は坂東のためにはならぬ、完成させるわけには行かぬとも言い、泰時によう知らせてくれたと言うが、泰時は複雑な思いだった。

その泰時は普請の名手で聞こえた八田知家に、陳和卿の手伝いをしてくれと頼む。描かれた設計図は見事なものだった。その知らせを受け取った上皇に藤原兼子は、思いの他早かったですねと言い、これで実朝の威光は高まると上皇、そして北条の影は薄くなると慈円。

なぜ北条を目の敵にされるのかとの兼子の問いに、たかだか伊豆の豪族に過ぎぬのに将軍に指図するなど身の程を知れと上皇。北条など上皇様から見ればごみ虫と兼子は言うが、なぜか放っておけぬ、なぜだ慈円僧正と訊かれ、慈円はこう答える。
「人が最も恐れるものは己に最も似た者」
と答え、上皇は持っていた太刀を慈円の鼻先に突き付けるが
「親譲りの大事な鼻にございます」と言われてほくそ笑む。


実朝の夢枕に立つ後鳥羽上皇、何やら頼朝の夢枕に立つ後白河法皇を思わせます。尤もあの時とは、鎌倉と朝廷の関係は変わりつつあるわけですが。ところで上皇が実朝の鼻をぴんと弾くシーン、アドラー先生とホームズを思い出した人は、かなりのパペットホームズファンと言えます。アドラー先生の声はりく、そしてホームズの声は慈円が担当していましたね。

そして実朝は上皇に倣い、自分で政を行うと言い始めますが、どうもこれは失敗フラグと言った感もあります。どう見ても実朝は実務家ではないし、清濁併せ呑むイメージでもありません。それに実朝に出て来られたら義時が困るわけで、だからこそ不本意ながらも執権を名乗ることになります。

ところで泰時が、父が義理の弟というだけで頼朝に仕えたから、鎌倉殿のいとこである彼も、実朝のそばにいると言い出しますが、鎌倉幕府創設のために頼朝と戦った義時にすれば、実朝と泰時の関係は重みに欠けるような気がしたことでしょう。第一泰時を側近としたいのは義時自身でしょうから。そして聖徳太子を手本とする、陳和卿に言われて船を作るというのも、義時にしてみれば浮世離れした人物に見えたかも知れません。しかし自分の領地の年貢を減らすと言う一方で、御家人に負担を強いる造船というのもどうかと思いますが…。

その陳和卿が夢を当てたことは、源仲章の企てだったようです。そう言えば北条政範暗殺にもこの人が関わっていましたね。朝廷が実朝を通じてこの鎌倉に入ってくることを、義時は懸念します。そしてこの仲章の介入を伝えた泰時は、義時が船を作らせるわけに行かないと言ったことから、状況がまずくなったことを感じ取ります。

そして朝廷関係と言えば丹後局。彼女に比べると、政子は如何にも坂東の女といったイメージです。頼朝と夫婦になった以上覚悟するべきことはあったにも関わらず、温かい家庭を望んだ彼女に局はぴしゃりと、まだそんな甘えたことを言っているのかと言い、何のために生まれ、つらい思いをするのかいずれわかると諭すのですが、この「いずれ」は、さていつを意味しているのでしょうか。

ところで7日から13日まで、三谷さんの『ショウ・マスト・ゴー・オン』の福岡公演が行われていますが、出演予定だった小林隆さん(鎌倉殿の三善康信)がケガで出られなくなり、三谷さんが代役として出演するとの由。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2022/11/07 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第21週感想-3と大河三谷さん関連

『ちむどんどん』、今回は気になった点をごくざっと書いておきます。

  • 歌子の歓迎会で鶴見から杉並に駆け付けるあまゆの常連
  • 主役のはずの歌子が買い物をさせられる
  • あまゆの主人順次が酔って「智は暢子のおさがり、お古」と言っているのが、戻って来た歌子に聞こえてしまう
  • 良子と博夫の会話になぜか、2000年代になって登場する「食育」という言葉が出て来る
  • 矢作「(暢子は)フォンターナの厨房でも、一つのことに集中すると周りのことが見えなくなっていた」
  • なぜか智が、恐らく「ちむどんどん」からそう離れていない場所で、交通事故に遭ったのを知っている三郎
  • 電話口での「瀕死の重体」

まず、あまゆの皆さんも三郎・多江夫妻も、開店前の「ちむどんどん」に、歌子の歓迎会で来ているわけですが、つい先日も試食会でも来ていましたよね、確か…。それと田良島さんは先日『鎌倉殿』で、後鳥羽上皇に拝謁していたのを思い出します。

その歓迎会、酒が足りなくなり、なぜか歌子が智と買いに行かされます。そして戻って来たところ、中で順次が「智は暢子のおさがり」などと言うのを聞いた歌子は、愕然とします。これにはネット上でかなり突っ込みが入っていました。当然でしょうね。第一智は暢子と付き合っていませんし、それに「おさがり」だの「お古」だのという表現も、正直言ってどうかと思いますね。この朝ドラ、それでなくても犯罪とか暴力がよく出て来ますが、今回のこれは「母親の不幸は息子と結婚できない」に匹敵します。

また「食育」ですが、2000年代に入って農林水産省が提案しています。当然この1979年の時点では存在しない言葉です。それでも、ストーリー自体が面白ければ、その当時なかったとしてもまだ許せますが(『芋たこなんきん』ツチノコの週のリセットのように)、こちらはストーリーがあまり楽しめないので余計に気になります。

矢作の暢子に関する指摘は当を得ています。と言うよりもこの場合、
「何か一つのことに集中すると、他のことができなくなる」
も含まれるかと。愛と玉ねぎの皮をむいているシーン、喋ると手が止まっていましたし。

そして三郎から智の交通事故のことを聞かされる暢子ですが、鶴見にいるはずの三郎が、なぜそれを知っていたのでしょう。鶴見の住人のことは、まず三郎に行くのでしょうか。それと「瀕死の重体」、これも突っ込まれていたようです。この場合「瀕死の重傷」かと思われます。

あとあのセット、何度か使い回されていますね。賢秀が我那覇と再会したのもあのセットでした。しかし「瀕死の重体」になるほどの大型車が、ああいう道を走るでしょうか。これは『あさイチ』の朝ドラ受けでも言われていたようです。

それから大河ですが、三谷さんがやっと脱稿したと、先週末の『情報7daysニュースキャスター』でコメントしたとのことですが、やはりガイドブックの発売の遅れは、これと関係しているようです。

個人的に思うのですが、三谷さんはもう大河を書かない方がいいのではないでしょうか。『真田丸』もそうだったかと思いますが、1年間の長丁場ですから、その中でやはり遅れは出るようですし、またコント的シーンも入るし、その一方で歴史の部分にはこだわっていて、それがアンバランスに映る人もいるでしょう。以前三谷大河は、やはり三谷さんのファンに向けられていると書いたことがあります。一言でいえばクセが強めなわけです。それを受け入れられるか受け入れられないかが、評価の分かれ目になるのでしょう。

これは宮藤官九郎氏も似たようなものです。しかし舞台とTVでは観ている層が異なります。書く側としては、日頃書き慣れている舞台の乗りが、どうしても入ってしまうのは無理からぬ話です。とは言え、それにやはり違和感を覚える人は出て来ます。ちなみに、鎌倉殿に批判的な方の文章を見たことがありますが、落としどころが下世話過ぎと評されていました。


飲み物-アイスコーヒー2

[ 2022/09/01 01:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 68その2

『武将ジャパン』大河コラムの、第31回後半部分に関する疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第31回「諦めの悪い男」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/08/15/170304

1.善哉とつつじは大事に思われていないようで、一幡が遊びたいというから善哉だけ来ているようです。これなら善哉とつつじを巻き込まずに始末できそうですね。
比奈が善哉をどうするのかと聞くと、八幡宮で出家させるのだとか。
ここで比奈は失礼すると立ち上がり、扉の向こうを立ち聞きをしています。
そこにいたのは、三浦義村に誘いをかける能員でした。
能員は、北条には先がないと言っています。つまり、両者ともに殲滅する気だと言質が取れたようなもの。こうなったら先手をとる方が勝ちます。

ここのところ、せつは「つつじ殿も呼べばよかったのに」と言っていますから、道がつつじをよく思っていないようですね。あと神社の神職の場合は、出家でなくて斎戒かと思われますが、この当時は神仏習合の概念があるからでしょうか。
それと
「能員は、北条には先がないと言っています。つまり、両者ともに殲滅する気だと言質が取れたようなもの」
とありますが、これに続けて
「鎌倉はこの比企が芯となって動かす」
と言っていますから、寧ろこちらの方が、能員の本心がわかりやすい形で表現されてはいるでしょう。またこの後、千幡が継げば善哉が鎌倉殿になることはないとも言っていますし。
それとここ、比企尼の「(善哉の)鼻の辺りが頼朝に似ている」と、せつの「また遊びにいらっしゃい」にも触れてほしかったです。

そして時政。

2.頼朝様みてえに細かい目配りはできねえから、義時の力も借りたいってよ。
「もちろんでございます」
義時は嘘をつくのがうまくなった。
内心、父を見限ったのかもしれない。そんな猿山の大将みたいな理念表明して何がしたいのか。
この渾身の宣言で、時政には人の上に立つ資格はないとハッキリしました。

義時は嘘をついているでしょうか。
実際義時と時政の思惑は異なると思います。時政が
「伊豆の地とりくと息子たちと娘たち」
を大事にしている、これを守ることは天命だと言っていのは、伊豆の領主としては当然過ぎるほど当然でしょう。
ただ鎌倉幕府の、それも有力御家人としての北条はそれとは違う役割を期待されるわけで、父親の純朴というか、昔ながらの坂東武者的視点からの幕府運営を、自分が補佐しなければならないと考えたからではないでしょうか。

3.「おめえも諦めの悪い男だな」
「最後の機会です」
しかしそれを時政が引き受けると言い出します。お前じゃ埒があかねえ。向こうが承知すれば御の字。そう引き受けてくれるのですが……。
義時は本当に嘘をつくのがうまくなった。
時政にまっとうな交渉ができるわけがないのに、「一応」のアリバイとして父を使うのでしょう。

義時がこう言ったのは、時政の前出のセリフを聞いてからです。この昔ながらの坂東武者である父を、やはり昔からの坂東武者である能員の相手として向かわせることに、何らかの望みを託すと同時に、時政でダメならばいよいよと思っているのが、「かなわなければ」の後に読み取れます。無論「利用」したとも取れますが、時政もそれは理解していたと思われます(後述)。

4.かくして比企能員のところへ時政がやって来ました。
能員は後悔を口にします。
それは頼朝の挙兵時のことで、比企は日和見をして参加しなかった。己がいたら石橋山でも勝っていたかもしれないと言い、そうすれば北条より上につけたかもしれないと語ります。お陰で随分遠回りしたのだと。
「よう踏み切ったな」
「わしは源頼朝という男を信じておった。この婿はいずれでかいことを成し遂げる」
「たいしたものだ」
「なあ、ここらで手を打たんか? 小四郎の考えた案を受け入れてくれ」
「断る」
「もう御家人同士の戦はたくさんだ」
「それはこちらも同じ。しかしあれはいかん」
「頼む!」
「泣き落としが通じるはずもなかろう。ならばこうしよう。九州は千幡。その他は一幡様」
そう挑発されて交渉決裂。これ以上話すことはなさそうだと言います。
しかし、時政もタダでは済まない。
「ひとついいことを教えてやろう。悔やむことなんざ何ひとつねえぞ。あの時お前がいたところで、頼朝様は負けておったわ!」
なんともしょうもない話ですわ。

全然「しょうもない話」ではないのですが。かつては同じ坂東武者であった時政と能員が、その後の出方の違いでその後が大きく変わってしまい、またその後の新しい体制の中で、再び袂を分かとうとしている辛さが両者からは感じ取れますし、交渉とは、こういう切り出し方もまた必要であるということでしょう。ならば義時の案を飲むかと言われて、それはできないと言う辺り、能員はやはり己を通したいようですね。しかし、これで能員をおびき寄せる大義名分ができ、時政は息子に「手筈を聞かせてくれ」と言うわけで、時政も、自分の役割をわきまえていたと言うべきかと思われます。能員との会話とは全く違った、意を決したような口調ですし。

5.圧倒的な兵力の差は、比企の参戦程度でどうにかなったわけもないでしょう。
あの戦いにおいて、頼朝にとって一番の恩人は、石橋山の中で頼朝をわざと見逃した梶原景時でしょう。
その景時を積極的に追い払った二人がこんなくだらないことを言い合っている。

「頼朝にとって一番の恩人」は、兵を出してくれた北条一族ではないのでしょうか。
確かに景時は見逃してはくれました。しかし見逃してくれた後も、敵を斬り防ぐのにかなり手こずったわけです。あの時、時政と義時は武田信義の陣にも赴いているわけですが、それをまさか忘れてはいませんよね。
あと、その景時を追い払った二人とありますが、時政は署名しなかったことにされていますし、他にも景時を追い払った人物は60人以上います。

それと「しょうもない」「くだらない」と武者さんは言っていますが、それは三谷さんの脚本に対してそう言っているのと同じだと思います。この脚本には期待していたのではなかったのでしょうか。

7.出典は『史記』。お互い、相手になら首を刎ねられてもよいという意味です。
同じ意味で漢籍由来なら、「断金の交わり」、「水魚の交わり」、「管鮑の交わり」もあるのに、なんだか不吉なことを言って来ましたね。

義村が言った刎頸の交わりのことですが、実際この言葉のようにはなるかと思います。物騒ではありますが。

8.彼女(注・政子)はますます美しくなりました。このうなずくところなんて白鷺のような気品があります。尼僧姿がこれまた神々しい。
しかも、目が澄んでいる。義時のようにやつれてぼろぼろにならないし、時政のように濁ってきてもいない。小池栄子さんの演技が今週も素晴らしい。
比奈は自邸で遊ぶ子供たちを見ながら、どこか何かが抜けたような顔です。
堀田真由さんのこんな顔を見るなんてつらい……。

政子と比奈についてですが、まず言いたいのが、武者さんは嫌いな大河であれば、彼女たちをかなり批判しているのではないかということです。昨年お千代をあれだけ批判していますし。
それとこの政子評というか賛辞、こういうのは個人レベルでやって貰えないでしょうか。私に言わせれば、政子も何かしら迷い、ちょっと表情が曇って来たようにも見られますし、比奈は自分が比企一族を裏切るようなことをしながら、一幡とさほど年齢の変わらない自分の子供たちが遊んでいるのを目にしていて、割り切ったつもりでも辛いものはあったでしょう。

9.重忠が「なぜ?」と問うと、義盛は「平家の戦とは違う、仲間だ」と。
「力ある者だけが残る、それだけのこと。我らは食らいついてゆくほかござらん」
良識的な人物も割り切るしかありません。

この2人のやり取りは、その前に時政と能員が話していたのとどこかダブりますね。

10.一幡は侍女に抱き抱えられているものの、そこへ善児が近づき、泰時に目をやります。生殺与奪を握った泰時の判断はわかりません。
泰時の迷いと悲しみだけが希望です。

「泰時の迷いと悲しみだけが希望」とのことですが、この時の泰時の役目は父義時に命じられたように、せつと一幡を殺すことでした。それが彼にはできていないし、そのできていないという事実に対して「希望」はないだろうと思います。実戦経験がなく、父の腹の内を探るにはまだ若い泰時は、この期に及んでやはりためらっていたとでも書いてほしいです。

11.「おれはこの坂東を俺たちだけのものにしたいんだ。坂東武者の世をつくる。そしてそのてっぺんに北条が立つ!」
目をぎらつかせ歩いていく義時。果たして、宗時はこんな顔になる弟を望んでいたのかどうか。

「おれは…」は、かつての宗時のセリフですね、恐らく宗時が生きていれば、また幕府の在り方も変わったとは思いますが、義時以上にぎらついた存在になっていた可能性も捨てきれません。義時は、本来は実務家のはずですから。

12.思えば全成と実衣も、能員と道だって、幸せでした。最期まで愛する人がそばにいた。
しかし頼家は、やっと信じあい、愛が芽生え始めたせつを気づかぬ間に失っているのでした。

鎌倉殿という最高位にある人物ならば、こういうこともまたありうるでしょう。しかも北条の人々からは、早晩世を去ると思われていたわけで、それも不幸ではありますが、何よりも彼に取っての不幸は、その妻子を自分で守れなかったことでしょう。

それと能員と道、全成と実衣、どちらの場合も愛する人が最後の最後までいたわけではありません。道は夫の帰りを待っていて北条軍に攻め込まれているし、全成は鎌倉を離れた常陸国で処刑されました。

続きはまた改めて。

飲み物-注がれるビール
[ 2022/08/19 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 48

『武将ジャパン』大河コラム続きです。

静は腹の子を助命するという理由なんてすっ飛ばし、自分の愛をまっすぐに出し切って舞った。
(中略)
静を間近に見たいという理由を素直にスルッと口に出して、重忠を怒らせてしまう義村もそうといえばそう。頭がよいくせに、それっぽい言い訳はしない。
義時は、羨ましいほどに義経はまっすぐだと前回語っていました。
確かに義経は、後付けの理屈を考えない人間でした。
(中略)
まっすぐすぎる義経を受け付けられないから、「サイコパス」だのなんだの言われたのではありませんか?

まずこの部分、恐らくこう感じている人は多いでしょうが、「まっすぐすぎる」人物というのは付き合いづらいし、疲れるものです。妥協しない、空気を読まないという傾向が往々にして強いからでしょう。そもそも大河というフィクションだからこそこういう人物のキャラが設定でき、しかも何らかのインパクトを与えるわけで、現実とはまた違います。静もあまりまっすぐといった印象は私は受けないし。義経自身は戦場にいる時とそうでない時のギャップが大きく、ある意味子供じみているなとは思いますが。
それと三浦義村もまっすぐというのは、この場合正しくないのではないでしょうか。現にこの後で、義経自身が損得がわかる男といったことを、義時に伝えているのですが。

ドラマとして面白いだけでなく、色々と考えさせる作品です。
歴史劇は、やはりこうでなくては。
現実社会では試せないことを、人間と社会を使って実験した――その成果を観察することが、歴史を学ぶおもしろさだと思うのです。

創作である以上、別に「歴史劇」でなくて、現代ドラマでも構わないと思うのですが。それに色々と考えさせる作品なら、武者さんが嫌いな作品でも該当するのは多いのですが、その嫌いな作品では
「色々と考えさせる」
という言葉は出て来たでしょうか。

それから「水随方円」という言葉が出て来ます。これはコラム本文にもこうあります。

水は器の形にあわせて形を変えるという意味です。
器をこうしろと指定されれば、水の形はおのずとそうなる。

武者さんは好きでなかったようですが、『軍師官兵衛』の主人公、黒田官兵衛が隠居して如水と名乗るようになった時、秀吉に名の由来をこう説明(正しくは『方円の器に従う』)しています。
それはともかくとして、その次の部分で
「ドラマの評価も、ネットニュースやSNSトレンドである程度決まりますよね。
実はドラマの評価なり、ニュースも、こういう後付け解釈みたいなものがありまして」
とあり、その手のニュースには「~~なワケ」というタイトルになっていることが多いらしい。
ちなみにその記事です。

『鎌倉殿の13人』ヒットの理由は伏線回収のしやすさ?“ネタバレ視聴派”も満足するわけ

その理由として
「知名度抜群。馴染みのある人だらけ」
とあります。これに関して武者さんはこう書いています(カッコ内は記事からの引用部分)

(ここ数年の大河は金栗四三、明智光秀、渋沢栄一など、歴史上の重要人物ではありますが、大通りから脇道にいるような人物が続いていました)
金栗四三とまでいくと、特殊過ぎるので入れない方がよいのでは?
そしてこれは近年の大河を調べて並べたのでしょうけれども、少なくとも『麒麟がくる』は外すべきではないでしょうか。
明智光秀のどこが脇道の人なのでしょうか?
『麒麟がくる』は日本史上でもトップクラスの知名度である三傑が揃っていました。

まずここに出て来る人物は「歴史的に重要な人物」となっています。有名か否かはともかく、重要であるとはみなされているわけです。それに武者さんは、『麒麟がくる』に三傑が揃っていると書いていますが、生憎彼らについてはこの記事では触れられていません。
一方で今年の場合、義時の知名度は人それぞれでしょうが、記事中には
「源頼朝や源義経など、小学校でも習う有名な人物が主要キャストとして登場するのは」
とあります。
つまり『麒麟がくる』の三傑には触れなくても、今年の頼朝や義経には触れているわけで、武者さんが問題視するのであれば、こちらの方を採り上げるべきでしたが、コラムの記述はそのようになってはいません。

さらに『平清盛』嫌いというか、『カムカムエヴリバディ』で、藤本有紀さんアンチになったのかなとわかるのがこちら。

(そして、『鎌倉殿の13人4月に最終回を迎えたNHK朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で絶賛されていたのがそのテンポ。『鎌倉殿の13人』でも、疾走するようなスピード感で物語は進んでいます。キャラクターやエピソードを濃く描きながらも、テンポよく感じるのはエピソードの取捨選択が絶妙であるからでしょう)
なるほど、よいアイデアを思いつきました。
朝ドラから大河への脚本家スライドは定番です。
ということは、そんなに絶賛されていた脚本家さんを『鎌倉殿の13人』と通じる源平合戦もので起用するのはいかがでしょうか?
源氏ばかりでは何ですから、平氏をテーマにして。ヒット間違いなしですね!

『鎌倉殿の13人』と『カムカムエヴリバディ』を一緒にされたことが面白くないのでしょうね。無論藤本さんは大河から朝ドラへスライドした脚本家ですが、どう見ても『平清盛』への皮肉が込められているように取れます。

あと三谷幸喜氏が色々書かれているのがお気に召さないようです。

なんでも三谷さんが新垣結衣さんにぞっこんで、毎回撮影現場にいるとか。好きすぎて出番を増やしているとか。
そういうことをネットニュースで書かれて、そんな低レベルな創作はしていないと反論しております。
温厚な三谷さんならば、カーっと怒るわけにもいかないだろうけれど、そういう邪推は芸能界そのものに対して迷惑ではないでしょうか。
今、日本の演劇映画界はハラスメント、ことセクシャルハラスメントに揺れています。

有名人だと当然あることないこと書かれるでしょう。
しかも大河の脚本担当ともなれば、なおさらです。
それとこういうのは、武者さんが嫌いな大河とて同じことなのですが、そういう作品の脚本家があれこれ叩かれていても、ハラスメントに揺れているなどと書いていたでしょうか。寧ろ逆のような気がします。
そして

スタッフなり脚本家なりが、過剰に役者本人と役のイメージを重ねることも私は問題だと思っています。
こと、実在の人物を扱う歴史劇では、慎重になっていただきたい。
ある大河ドラマで徳川慶喜役を演じる役者のファンが、SNSでこう盛り上がっていました。
「私の推しが演じるってことは、きっと実際の慶喜もいい人なんだよね!」
そういうファンの声に忖度して、実在の人物像を捻じ曲げたら問題があります。歴史修正につながってしまう。
だからこういうことを語る脚本家は、あんまり信頼できないのです。

『青天を衝け』のことでしょうか、ある大河などと書かず、ちゃんとタイトルを書いてもよさそうなのですが。
しかし三谷さんを悪く言うのはけしからんの後で、『青天を衝け』をなおも叩くというのは武者さんらしいと言えばらしいかも知れません。結局1つ前でハラスメントなどと言いつつ、嫌いな作品の脚本家に関しては
「あんまり信頼できないのです」
なのですか。

それから『鎌倉殿の13人』の八重に関して

なぜ八重の出番が多いか?
それは考証・坂井孝一先生の本を読めばわかることです。

無論これはそのような設定になっているとは思います。ただ彼女の登場に尺を割かれたこともあり、平家の描写が少なかったという印象はやはりあります。

三谷さんのこのドラマがどうして面白いか?
推論を書かせていただくと、みなさんが一生懸命誠意をもって、真面目に作った成果ではありませんか?
私は芸能情報に疎いので、九条兼実役の田中直樹さんが「笑いのツボを突いてきている」と言われてもピンときませんでした。
ただ、所作や発声がしっかりしていて、摂関家にふさわしいエリートの雰囲気は出ていると思った。
がんばっていると。そこは伝わってきた。

芸能情報に疎いと言いつつ、三谷さんが悪く言われたなどというニュースはチェックしていますね。
あと田中直樹さんはお笑いの人ですし、後白河法皇とのやり取りの間合いなどは、やはりそれらしいかなと思います。

そして以下の部分、関係者でもない武者さんがなぜ手抜きをしていないとか、真面目に作ったと言い切れるのかが不明です。「そうあってほしい」、「恐らくそうだろう」などと書くのであればまだわかりますが。

演じる方も、衣装も、ヘアメイクも、演出も、そして所作指導も。手抜きをしていない。
ちょっと雑に思えるところは、時間や予算不足であって努力不足ではないとわかる。
そういう真面目さが実り、面白いのではないでしょうか。

特に
「ちょっと雑に思えるところは、時間や予算不足であって努力不足ではないとわかる」
武者さんもやはり「雑に思える」ことがあるのですね。ならばそれがどのような点が、明確にすればいいかと思います。今年のこの大河コラムで思うのは、こういう、ちょっと奥歯にものが挟まったような言い方が目につく点で、やはりこの辺りはおかしい、でもそれは努力不足ではないと考えたいのでしょう。


飲み物-ウイスキーロック
[ 2022/05/28 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』の三谷カラーその他 その2

また明日以降詳しく書きますが、『鎌倉殿の13人』第17回「助命と宿命」、義高の逃走劇にかなりの尺を割いています。無論これは頼朝の家族に関わって来ることなので、多少の尺を割くのはやむをえないでしょう。

しかし戦の報告の途中で、義時がやけに落ち着きのない表情を見せたり、信義が義高に直接話しかけて来たり、はたまた全成が頼朝に化けて、義高が幽閉されている部屋に入ったりというのはちょっとどうかと思います。特に全成の変装、どうもこういうところがコントに見えてしまうのですね。

他に義高の言動に関して、また政子の態度にもやや疑問に思う点はありました。政子は娘可愛さもあるとは思いますが、ちょっと感情に走り過ぎていないでしょうか。結局それがもとで、終わりの方で弟に諫められることになるのですが。

そしてこれは前回のあらすじと感想で書きましたが、大姫が短刀を自分に突き付けるところに、やはり『江』の第1回の、赤ん坊を下ろすなら自分も死ぬと言った茶々がだぶってしまいます。

またそれと関連しますが、八重が孤児や捨て子に言及するのには『青天を衝け』の東京養育院、頼朝の「人の世を治めるためには鬼にならなければならぬ」には、『西郷どん』で吉之助が、弟の信吾(従道)から「兄さぁは戦の鬼じゃ」と、批判がましく言われるのをそれぞれ連想してしまいます。

それから工藤祐経にちょっかいを出す子供たちは、後の曾我兄弟でしょうか。何やらネタバレといった印象を受けてしまうのですけど。

それと先日、小檜山氏(武者さん)ツイについて書いていますが、大河コラムの方でも、やたらに中国史とか漢籍の知識が出て来ます。しかしどうも趣味の域を出ていないような感じで、ならばあそこまでやたらに出す必要もないかと思いますし、本当に知っている人は、無闇に知識をひけらかさないとは思います。そもそも大河コラムの主役は、あくまで大河本編ですし。

この時自己愛性パーソナリティ障害についても触れていますが、この障害に特徴的な自慢話と関連するのだろうかとついつい思ってしまいます。あと、どう見ても中国故事由来のシーンなのに、その点に何も指摘されていないということもありましたね。

飲み物-スノーアンドテル
[ 2022/05/02 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「先陣争い」

第42回「先陣争い」です。


1592(天正10→文禄元)年正月、秀吉は勅許を経て朝鮮出兵に乗り出し、本陣は東松浦郡の名護屋に置かれた。この時助左衛門は肥前多久島にいた。しかし小西行長、宗義智らの挑戦との折衝はかなわず、のうえは京城(ソウル)の国王に会う必要があると、忍びでやって来た三成は助左衛門に言う。二番手は加藤清正と相良・鍋島隊であり、清正は一番乗りを外されたことで三成を恨んでいた。

無論清正が一番乗りしようものなら、偽国使の件がすべて露見するのは明らかだった。しかし二番隊の出発は四日から五日後に迫っており、そのために助左衛門は清正隊の妨害工作をしなければならなかった。4月13日、小太郎は本人の目の前で助左衛門を罵倒し、家庭崩壊の張本人だと言い、あまつさえ母(美緒)を横取りするかと言う。そんな小太郎に助左衛門は堺に帰るように言い、また自分が誰を嫁にするかは、美緒が知っていると言う。誰かと尋ねる小太郎に、助左衛門は桔梗殿だと答える。

その時船は朝鮮に接近していて、助左衛門は様子を見に上がる。しかしその桔梗は、義兄宗薫と共に聚楽第にいた。宗薫が今井のために、彼女を新しい関白の秀次に側女として差し出したのである。事情を知って桔梗はうろたえる。その夜美緒が今井館に戻ってくる。美緒は小太郎の家出、宗薫が桔梗を側目にしたがっていることなどを知って驚く。

桔梗は秀次の寝所に侍っていた。すると秀次が鉄砲を持って現れる。鉄砲の名手ということを宗薫から聞かされており、あの木の枝を撃ってみよと命じるが、そこには鳥が巣をかけており、桔梗は撃つのを拒んだ。秀次は桔梗を鉄砲指南役とすることとし、彼女に下がって休むように言う。桔梗は放心したかのようだった。

朝鮮の慶州。助左衛門を相変わらず付け狙う小太郎だが、その小太郎に朝鮮兵が襲い掛かる。しかし彼らは助左衛門の手下だった。助左衛門は彼等に清正軍が釜山に上陸したことを伝え、忠州で許筬と共に行動し、許筬に京城まで嘘の道案内をさせるように指示する。そうやって時間を稼ぎ、行長軍を京城に送り込むのだった。そして助左衛門は、小太郎について来るように言う。

清正軍は行長軍の東へ回り、何としてでも京城へ一番乗りを果たそうとしていた。そして秀吉も名護屋入りし、行長と清正の先陣争いを知って
「法華と耶蘇が競い合うておるわ」
と不敵に笑う。しかし行長軍がいくつもの城を攻めつつ進軍したのに対し、清正軍はそれほどでもなかった。

秀吉は清正が一番乗りすると信じているようだった。行長軍は戦で疲れていると秀吉は言い、宇土のうさぎ(行長)を熊本の犬(清正)に追わせるつもりだったとも言う。清正軍は忠州で行長軍に追い付く。命令書の通りに自分たちを待ってから動くべきだったと清正は行長に言うが、行長はそのような命令書を受け取った覚えはなく、両者の間はぎくしゃくしていた。

義朝が2人をとりなし、京城攻めの議論に戻ろうとするが、地図に薬屋の通りがあるのを見た清正は、ここを襲ってただで朝鮮人参を持って帰れと行長を揶揄し、一触即発の空気が漂う。義智は味方同士の争いはやめるように諭し、清正は陣屋に戻って、行長とは別に近道を通ることにする。その案内役が例の許筬だった。許筬は李朝を裏切る奸臣ということになっていたのである。

清正たちは許筬の案内のもと京城へ向かっていたが、途中で地鳴りのような音が聞こえるのに気づく。そこには助左衛門と小太郎、そして手下たちも来ていた。彼らはここで騒ぎを起こして、捕虜となっていた許筬と助左衛門の手下を助け出したのである。その音とは川の流れで、しかもその川で行く先は行き止まりになっていたのに気づいた清正は、許筬を連れて来るように命じるが、彼らは脱走しており、追手を差し向けるものの、当の首謀者である助左衛門と手下たち、そして許筬は巧みに追手をかわす。

しかし京城は火に包まれていた。日本軍が接近していることから、人々が自ら火を放ち、国王を逃がしたようだった。許筬はこの様子を見ながら、このような手段を採らざる得ない状況に追い込んだ日本を呪い、この戦に負けないと言う。その後5月に入り、行長と義朝の軍が京城に入ったものの、この街は焼け跡と化しており、国王との講和は困難であるように思えた。

6月末、助左衛門の船は多久島へ戻る。その途中小太郎が、助左衛門が落とした袋を返すすが、助左衛門はその袋に、かつて宗久から貰った短筒を加えて小太郎に渡す。船が着き、助左衛門を出迎えた弥次郎が、「あいつ」が帰って来たと言う。そのあいつとは五右衛門のことだった。五右衛門は呂宋へ行っており、秀吉の次なる侵略先は呂宋だと言って、見聞きしたことを話そうとする。

その半年前、秀吉はマニラの総督に降伏勧告状を突き付けており、その返書が名護屋に届いていた。助左衛門の行く手にも、暗雲が立ち込めようとしていた。


何やら同時多発的に色々なことが起こります。特に宗薫が桔梗を連れて聚楽第を訪れ、時を同じくして美緒が戻るのは、いささか出来過ぎな気もします。しかも桔梗は秀次の側女ではなく鉄砲指南役となり、嬉しいような当てが外れたような気持のようです。恐らく、闇の中で鳥の巣を見つけるほど夜目がきいたためでしょう。

そして助左衛門の朝鮮行きですが、これはちょっと…当然フィクションであるのは分かりますが、どこかやり過ぎな感もあります。いずれにしても、この時は本当にソウルが火の海と化してしまい。講和も何もできなくなったわけで、結局助左衛門のやったことは停戦ではなく、行長・義智の連合軍をソウルに一番乗りさせただけだった、これに尽きます。

ところで行長と清正の先陣争いで、秀吉が耶蘇と法華が競い合うと言っています。実際加藤清正は日蓮宗信者だったようです。しかし軍議の最中で、刀を抜くなどというのは如何なものでしょう。無論清正も悪いのですが、行長も煽り耐性が低いように思います。

三谷幸喜氏はこの大河がお好きなようですが、実際観ているとさもありなんと思います。特に、許筬たちが逃げたのを知って清正軍が追跡する途中で、落とし穴にそれを気づかず落ちてしまいますが、ああいうのは三谷さんがやりそうな感じですね。

それと小太郎、あそこまで助左衛門をつけ狙う必要があるのかとは思います。持っている短刀もよく見れば刃こぼれしているし、あれで人を殺そうとしても無理があるのではないでしょうか。結局行動を共にしたせいか、助左衛門へのわだかまりも収まったようで、めでたしめでたしですが、ドラマの方は終盤に向けて慌ただしくなって行きます。

そして最後で能を舞う秀吉、今度は「猿」の面でした。

飲み物-アイリッシュコーヒー2
[ 2022/02/01 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

SNS上の大河と『武将ジャパン』関連続き

またも武者さん関連ですが、その前に。

ツイッターの大河クラスタ(コロナ禍が始まって以来、この言葉を使うのはいくらか抵抗がありますが)というのがあります。私も以前『真田丸』が放送されていた頃に、タグを貼ってツイートを流したこともありますが、その後は止めてしまいました。

何に限らずですが、ネット上のコミュニティは、エコーチェンバー化しやすいというのがその理由です。結局多数派が勢いを持ってしまい、それに同調できない人たちは、離れて行かざるを得なくなります。私自身、性格的なものもあるのでしょうが、何が好きであるとか面白いというのを、あまり声高に言いたくないこともあり、次第に距離を置くことになりました。あと、今一つ馴染めない大河について語るのも、正直辛いものがありました。

無論中には、異論反論であっても目を通すという、比較的客観的な見方をする人もいます。ただ、人間の許容度には限度がありますし、それ以前に許容度の基準は人様々です。また、人間とは基本的にダブスタでもあります。特定の人や現象をダブスタという人が、実は自分もダブスタだったなどということもありますし、ツイッターに限らずSNSはその人のエゴが出やすくもあるので、主観が入りやすい娯楽作品について呟くのは、場合によってはリスクが大きいと言えそうです。

それと前にも書いていますが、『黄金の日日』(30日放送分については今後の投稿になります)などの、70年代後半ごろの大河は今に比べると面白いという意見を目にしたこともあります。しかし今観てみても、格別に面白いという印象は、正直言ってそうありません。これは『黄金の日日』関連でも書いていますが、面白い部分もあれば、面白くないところもあるわけで、70年代大河は面白いと一般論化してしまうのはどうかと思います。どこか過去美化バイアスのようにも見えます。

では本題です。今更ではありますが、武者さん、プロのライターとしては誤字脱字や変換ミスが多いし、また日本語としてどこか不自然な表現もみられます。無論誤字脱字、変換ミスというのは誰にでもありますし、私も先日投稿分で誤字というか、削除すべき部分をしていなかったことに気づいたのですが(その後修正済み)、やはりプロであの間違いというのは、問題ではないでしょうか。

それと現時点では『鎌倉殿の13人』を肯定してはいますが、いくらか無理している感があります。好きでないのなら無理にそうする必要もないのですが。やはり三谷さんの作品だから斟酌しているのでしょうか-それもどうかとは思いますが。武者さんも歴史について書きたいのであれば、大河とか朝ドラのコラムをやめて、歴史記事のみにした方がいいのではないかとも思われます。大河のコラムはどちらかといえば「歴史が好きだから」というよりは、「ドラマが好きだから」という動機で書く方がふさわしいのではないでしょうか。

ドラマといえばフィクションですが、大河でのこのフィクション、嘘の部分をどこまで許せるかでまた議論となりがちです。私も史実があまり描かれないのは物足りないのですが、史実、そしてそのベースとなる史料にあまりこだわるのも、ちょっと同意できないところもあります。

三谷さんも、史実はどうでフィクションはどうと言うのではなく、荒唐無稽と思われているのなら、それでも結構くらい言ってもいいと思うのですが…やはりそこは脚本家のプライドがあるのでしょうか。何だか今回の三谷さん、失礼ながらちょっと依怙地になってやしないかとも思われます。

無論、史実重視ドラマにするべきか否かを、制作現場に丸投げして来た経営陣にも責任はあります。大河の存在理由というのが、今一つはっきりしない所以でもありますが、しかし前にも書いたように、大河は本来はエンタメであってお勉強番組ではないでしょう。ジャンルこそ違えど、これなら『昆虫すごいぜ』とか、多少の嘘はあるけれど、『はたらく細胞』などの方がよほどお勉強番組のように見えますね。


飲み物-エスプレッソブラック
[ 2022/01/31 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『青天を衝け』に関しての武将ジャパンの記事に思うこと 2

『武将ジャパン』関連の続きです。このコラムはドラマの感想やら、歴史関連の記述やらが一緒になっているため、4ページ分とかなり長くなっており、その中から必要と思われる個所をピックアップする格好になっています。そのため引用が必ずしも初出順ではありませんので、その点悪しからずご了承ください。何よりもこういう書き方、如何にも整理されていない印象を受けます。ドラマのあらすじと感想、そして歴史関係は分けるべきでしょうね。

また、先日投稿分で、肝心の武者さんのコラムのリンクを貼るのを忘れていました。失礼いたしました。一応今回もURLだけ置いておきます。

https://bushoojapan.com/taiga/seiten/2021/12/28/165043

まず先日分の総評の続きで、こういう箇所があります。

『青天を衝け』が好きだ、神大河だという一連のコメントに対して

しかし、幕末明治史の基礎的なところまでミスを連発する大河に、こんなに優しい目線が向けられるものでしたっけ?
史実のミスを指摘した記事や意見には、苦しい言い訳をしていることもある。
いわゆる【ポリアンナ症候群】です。
ポリアンナ症候群とは(Wikipediaより)
ポリアンナ症候群(ポリアンナしょうこうぐん、英: Pollyanna syndrome)は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである。 別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種だと言い換えることもできる。
(中略)
フォロワーさんが誉めているドラマを貶すわけにはいかない……本当はつまらないけど、誉めあうと楽しいし、空気壊したくないし。
ファンアートを投稿すればきっといいねがついてRTされる!

こう書かれています。
まず「ポリアンナ症候群」、これは上記記事中にもある通り、一種の現実逃避で認知バイアスといえます。しかしこれもまた「史実のミス」とやらがどのようなもので、それに対する言い訳が如何なるものであったかが明記されておらず、こちらとしては判断のしようがないのです。
何よりも、ポリアンナ症候群を云々する以前に、武者さんの文章そのものに、認知バイアスと思しきものが窺えます。自説補強の意味合いもあってか、自分の嫌いな作品は批判的な記事を引用し、好きな作品の場合はその逆に、好意的な記事を引用する確率が高くなっています。これは認知バイアスの一つである、確証バイアスに他ならないのではないでしょうか。

それから
「ファンアートを投稿すればきっといいねがついてRTされる!」
と、如何にもファンアートが悪いようにも取れる書き方ですが、武者さんの好きな『真田丸』、『おんな城主 直虎』、そして『麒麟がくる』のいずれも、ファンアートはツイッター上で数多く見られたのですけどね。

またほぼ真ん中あたり、やけに中国韓国の時代劇をほめたたえた後で、このように武者さんは書いています。

見る側の原因もあります。
『麒麟がくる』での駒叩きの悪質さには呆れ果てました。ファンタジーだの歴史劇じゃないだの……一体何を言っているのでしょう?
時代劇に架空の人物を加えることは古来よりあった定番の技法です。
それでいて『青天を衝け』において慶喜や栄一が、史実と正反対で考証的にもおかしいデタラメを演じても、「感動しました!」「完璧です!」とは、どういうリテラシーなのか。

そして記事の後半から終盤にかけても

(『青天を衝け』に関する記事の)ライターさんもイケイケのアゲアゲで大絶賛する記事を書いていましたね。
SNSを切り取ったコタツ記事は、日曜夜にはすぐ出てきました。
毎年そんなもんだろ、と思われますかね?
『麒麟がくる』なんて些細な揚げ足取りで叩く記事がありました。
ただ単に「駒がムカつくから駄作!」「架空キャラが出るからファンタジーだ!(※『獅子の時代』はじめ歴代大河を知らないんでしょうか)みたいなもの。
今年はそういう記事をほぼ見かけません。

駒に関しては、何よりも「出過ぎ」だったのが批判されたともいえます。元々池端俊策氏の脚本であり、私が考えるに、恐らくは『太平記』の藤夜叉のようにしたかったのだろうと思います。
しかし『太平記』は、花夜叉(楠木正成の妹という設定、佐々木道誉とも親しい)の猿楽一座がオリキャラで固められており、高氏と恋仲になって子を産む藤夜叉、足利の兵に家を焼かれ、母を殺されて恨み骨髄の石が中心的存在で、彼等には高氏と関わることによる宿命のようなものを感じたのですが、生憎私の場合、駒にはあまりそれが感じられなかったのです。

それからどう考えても『獅子の時代』の2人の主人公と、駒は同列には論じられないのではないでしょうか。重みが違うと思います。それにしても『獅子の時代』は1980年の放送ですから、42年前のことになります。あと、これとは別に『徳川慶喜』も引き合いに出されていましたが、こちらも1998年放送だから24年前です。
ここでまた疑問があります。そもそも武者さんのコラムには10年ルールなるものがあり、放送から10年を経過した場合、その作品には言及しなかったはずなのですが、こんなに前の作品を引っ張って来ているということは、あれは撤回されたのでしょうか。

そしてこれはかなり終盤近くになりますが、

『あさが来た』
『わろてんか』
という近年でも時代考証がお粗末だった作品です。
『わろてんか』の場合、日本の芸能史における時系列が決定的におかしく、数十年単位でずれていました。

やはり「快なり!」という恥ずかしい乾杯音頭は創作でしたね。安心しました。
このドラマでもワースト候補の平岡円四郎の妻が女衒にされたこと。先憂後楽を忘れて「快なり!」と叫ぶこと。
それが脚本家の杜撰な意識から作られたと知り、納得感はあります。

とあり、その後にはこのように書かれています。

来年の三谷幸喜さんや、『八重の桜』の山本むつみさん、そして漢籍マスター『麒麟がくる』池端俊策先生なら、そんな侮辱的な創作はしない。経験、知識、良心があります。
しっかりした裏付けもなく、自分の範囲内から捻り出すと、こうなってしまう。今年の脚本家は時代劇を描く上での知識が圧倒的に不足していると感じました。
最低限の知識があれば、主人公恩人の妻を女衒のような働き方をさせないものですよ。
(中略)
そもそも『あさが来た』の時点で時代物としては禁じ手ともいえる捏造をしておりました。
それが大河に起用されるというのはどういうことなのか。
疑問は尽きません。

どう考えても、『あさが来た』と『青天を衝け』の脚本の大森美香氏が気に入らなくて、叩きまくっているようにしか見えません。まあご自分が好きな大河の脚本家をほめたい、その気持ちはわかります。しかしコラムを書く側としての意見としては、如何にも偏った感があります。

池端氏に関して言えば、やはり『太平記』と比べると、どうも焼きが回った感がありますし、さらに三谷さんも、元々賛否両論がかなりある人ですが、私の場合、『真田丸』の大坂の陣の描写でいくらか疑問符がついてしまいました。
個人的に山本むつみさんはいいと思います。ただこの経験、知識、良心とは具体的にどういうものなのか。なぜ大森さんにそれがないと言い切れるのか。実はこの前の部分で、漢籍や儒学がどうのこうのと散々書かれており、それがドラマへの批判へとなり、脚本家批判にもつながっているのでしょうが、どうにも主観が入り過ぎている嫌いがあります。また『あさが来た』の捏造なるものも、はっきり書いてほしいものです。

そしてこういうのもありました。

中身がないのに空気だけを演出する。そんな戦術は【エコーチェンバー】を形成します。
それゆえ【エコーチェンバー】の宿痾もつきまとった大河でした。
チェンバーの外にいる者、こと私のように口が悪いものは、執拗に、攻撃的に、尊大な態度で絡まれる。
今年は色々ありました。自業自得の部分もあるとはいえ、どうしたものでしょう。
確かにハッシュタグをつけて盛り上がるのは楽しいかもしれませんが、人の思考に自分の思考を過剰に沿わせてしまう危険性はあります。

武者さん、今回はこのようなことを書いていますが、『鎌倉殿の13人』が始まったら、今度は自分がエコーチェンバーの中心になるのではないでしょうか。


飲み物-ワインと暖炉の火

[ 2022/01/05 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

年末年始のあれやこれや(+リーグワン中継情報)

最初に、先日の投稿で、三谷さんのコメントの「史実を書いているという点。」以下の部分を少し手直ししています。

ところでこの、
史実は史実で書く
創作は自分なりの解釈で
という三谷さんのスタンスですが、何かと私が引き合いに出す成島庸夫氏は、『花神』の制作にあたって
「史実と史実の谷間にある多くの有りそうな話を綴って行くのです」
と語っています。

さらに、その前後にはそれぞれ
「そうです。私達は、史実を史実として描くのではありません。」
「いわゆる『歴史ドラマ』の楽しみとは、こういった『ドラマ』を史実の谷間に見出すことなのでしょう」
とあります。

元々この『花神』には原作があり、それに加えて民放の時代劇も多かった時代ですから、大河を取り巻く環境やその在り方も今とはかなり異なっていますが、
「史実を史実として描くのではありません」
「史実と史実の谷間にある多くの有りそうな話を綴って行くのです」
というコメントは、三谷さんとはまた違った、興味深いものがあります。

今回の三谷さんの創作が、史実と絡み合う形になるのか、全く史実とは別物となり、それ故にどこかギャップが生じてしまうのかは無論わかりませんが、例年通り、まず一か月観てみようと思います。

それから紅白二部の視聴率が落ちたとのこと。その一方で、紅白が面白いと感じるのは、紅白がターゲットとしている層が自分たちだからだというツイを見かけたのですが、恐らくこれは一部の方でしょう。これもNHKが若者向けにあれこれ苦心した結果、たまたまその人に刺さったというべきかも知れません。というか、一部と二部に分かれる前を知らない人もそこそこいるかと思われます。こうなったら一部をメインにして、二部は1時間程度で済ませてもいいのでは。もう「合戦」もやる必要もあるかどうか疑問ですし。

その紅白の裏というか、最早時間帯によっては、こちらの方がメインとなっている『孤独のグルメ』。井之頭五郎さん、松坂牛の本場で、セルフ焼き鳥というべき「鶏の焼肉」を美味しそうに食していました。あと野菜たっぷりのスープも。

高校と大学の選手権が開催される中で、いよいよ開幕が迫ったラグビーリーグワンですが、グリーンロケッツ、正確にはNECグリーンロケッツ東葛の選手が薬物不法所持で逮捕です。ちょっとタイミングが悪いのではないでしょうか。それはそうと、リーグワンのサイトに中継の情報がまだアップされていないようです。ちなみに7日の開幕試合は、BS日テレで放送されるようなので、ここでお知らせしておきます。

飲み物-エスプレッソブラック

[ 2022/01/03 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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